ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the first tale.【5】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


--------------------


求めたものはなんだったのか。

自分にはなにかが欠けている。

足りないものがあるから、ほしいと願う。

だけど、死にものぐるいで長い道のりを進んでいる間に、なにを求めていたのか──もっとも大切なことを忘れてしまった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120215j:plain



「そして、あなたは今、忘れていたものを思い出そうとしている。 もっとも大事なことがなんなのか、理解しようとしているんですね」
「・・・たぶんな」


いつか、夢の中で出会った少女。

突然の再会にも、俺は驚きを感じていない。

彼女がいることを当たり前のように思っている。


「でも、なにかを取り戻すのと同時に、失おうとしているものがあります。 そうでしょう?」
「ねえよ、そんなもん」


彼女は、ちょっと困ったように微笑む。


「あなたはいつも前ばかり見ていたから・・・だから気づかないんですね。 それが悪いとは言いませんけど」
「悪いって言われたって、今更振り返れねぇよ。 もうとっくにスタートは切っちまったんだから」
「いいえ、まだですよ。 あなたはまだ知らないから。 自分の心を。 彼女たちの本当の気持ちを」
「誰だよ、彼女たちって」
「それも、わかっているはずですよ」


諭すような、柔らかい口調。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120233j:plain



「きっとあなたには、これから辛いことが待っています。 それは、とてもとても辛いことです。 涙も枯れてしまうほどに辛くて、逃げ出したくなるかもしれません」
「なんだ、あんた。 俺を脅してんのか・・・?」


そんな未来図を示されても困るんだけど。    


「いいえ、大丈夫ですよ。 大丈夫なはずです。 だって、あなたはもうぬくもりを知っていますから。 優しさに触れた記憶があれば、あなたは間違わずにいられます。 きっと、です」


・・・・・・。

 

・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120247j:plain



扉のところで一瞬驚いたように足を止めてから、景はとことこと近づいてくる。


「おはよう」
「ああ、おはよ」


頬杖をついたまま俺は言った。

机の上には描きかけの原稿が載っているが、景になら見られてもかまわない。

景は近くにいるのが当然で、誰よりも信用できる人間だということだ。

いつだって一番近くにいるのは景だった・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120313j:plain



「今日は珍しく早起き? それとも寝てないの?」
「うとうとしてたけど・・・なにかおかしな夢を見て目が覚めちまった」
「夢、か・・・。 どっちにしても、こんな時間にお兄ちゃんが目を開けてるのは奇跡だわ。 明日は雨かも」
「・・・もっと芸のあること言えよ」
「悪かったわね。 どうせ芸なんてないわよ。 運動以外になにも取り柄ないしね」
「そこまで言ってねえぞ、俺は」


景は唇を尖らせて、そっぽを向いた。


「一人ですねてんじゃねーよ」


ぽりぽりと頭をかきながら言う。


「おまえ、今日は朝練は?」
「朝練行く前にちょっと寄ってみただけよ。 ・・・カレーみたいな匂いがするわね」
「みたいじゃなくて、かれー。 よくわかるな、冷蔵庫にしまってあるのに」


景は立ち上がって、冷蔵庫をのぞきに行った。


「ふうん・・・」


冷蔵庫の扉を閉め、戻ってきながら、景はなにか納得したように頷いた。

そして、ぴたりと俺の前で立ち止まる。


「なんだよ?」
「隣、座っていい?」
「勝手にすればいいけど・・・おまえ、朝練は」    


景は返事をせず、椅子をひき寄せて俺の隣に腰を下ろした。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120324j:plain



「原稿は進んでるの?」
「進んでたらゆっくり寝てるっつーの」


景は描きかけのままの原稿を一枚手に取った。


「なるほど、今回も危なそうね。 ・・・ん?」


怪訝な声を出す景。


「なんだ?」    
「いつもと線が違うような気がするんだけど」
「おまえ、線のことなんてわかるのかよ」
「お兄ちゃんの絵ならね。 もう何年も見てるんだから、違ってればわかるわよ」
「わかってないじゃん。 いつもと変わんねぇよ」
「そうかな・・・」


顔は納得していなかったが、景はそれ以上はなにも言わずに原稿を戻した。

景がこんな細かいことを気にするのは珍しい。

どうかしちまったんじゃないだろうな。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120333j:plain



「昔は」
「ん?」
「昔はよくこうしてたわよね」


景が少し頭を動かすと、ふわりと芳香がただよってくる。

確かに、小さな頃には景たちの部屋に入り浸っていた。

並んで座って、あまり会話はなくて、景が集めていた少女漫画を読みふけってた。

けれど、あの頃のこいつはこんないい匂いがしただろうか。


「・・・・・・」    


小さな顔、いかにも気の強そうな吊り目。

見慣れた顔だけど、唇が少し光っているように見える。

最近乾燥してるし、リップクリームでも塗ってるんだろう。

間近で見ると、景の唇はいかにも柔らかそうだ。


「・・・っ」


激しく首を振って、バカな考えを追い払う。

景は、そういうんじゃないだろ。


・・・そういうのってなんだろう?


「でも」
「え?」
「でも今じゃ、お兄ちゃんは読む側から描く側になっちゃったし、わたしも部活ばっかりでほとんど漫画を読まなくなったわ」
「なんだおまえ、もうすぐ死ぬのか?」
「なんでわたしがこの若さで散らなきゃいけないのよ!」
「いや、過去を懐かしむ老人みたいなことぬかしてるじゃん」


そもそも、景は昔の話をするようなキャラじゃない。


「別にそんなのじゃないわよ」


いきなりまたテンション落ちるし。


「ただ、やっぱりわたしもお兄ちゃんもすっかり変わったんだなって。 あの頃とは違うのよね」
「もちろん違うに決まってんだろ。 つーか、そのままだったら気持ち悪い。 おまえは、あんまり背も胸も変わってないけど」


どがっ!


「いってぇ!」


鋭い頭突きが顎にクリーンヒット。


「て、てめえ・・・普通、女が頭突きかますか!」
「あいにくと、わたしはあまり普通じゃございませんので」


すました顔で、景は言った。


「完全に開き直りやがって・・・」
「そうよ、わたしは普通じゃない。 こんな小さい身体でバスケやろうなんて普通は思わないでしょうね。 でも、お兄ちゃんも同じよね。 男のくせに、少女漫画家。 それも連載まで持っちゃって、もう引き返せないところまで来てる」
「結局、なにが言いたいんだおまえ」
「ふふ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120344j:plain



景は珍しく、無邪気なほどの笑みを見せ、不覚にも少しドキリとしてしまう。


「わたしたちは兄妹じゃないけど・・・やっぱり少し似てるかなって思っただけ。 無理なことを無理だとわかっててやっちゃうところとか」
「・・・やっぱどうかしてるぞ、おまえは」
「まともじゃお兄ちゃんと付き合ってられないわ」


素っ気なく言うと、景は立ち上がった。

俺の周りにはまともな人間がいないと思ってたけど、そういうわけだったのか・・・。


「そうよ、無理だとしてもあきらめるわけにはいかないの。 悪いけど、年季が違うんだから」


なにを言いたいのか、俺には理解不能だけれど。

なぜだか、景が開き直ったのは確かなようだった。


・・・・・・。


・・・。

 




 

「開き直った人間ってのは強いよな」


席についた直後、どこからか京介が現れて、いきなりそんなことを言った。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120359j:plain



「なんだ、あれか。 最近は俺を困惑させて楽しむのがこの学校のトレンドなのか?」
「そんな学校、通いたくないな・・・」


心底嫌そうな顔をする京介。

もちろん、俺はもっと嫌だ。


「いや、そうじゃなくてさ。 映研の連中、頭固いんだよな。 当たり前の、どこの映研でもやってるようなことしか思いつかない。 結局、ほとんどの人間は枠から外れたことができないんだよな・・・そのくせ、意見に根拠なんかなくて、ありふれたネタでなにが悪いとか言うし。 まったく困ったもんだよ」
「部活の愚痴かよ。 そんなもん、俺に聞かされても」
「それを黙って聞いてくれるのが友情ってもんだろ・・・って寝るなよ!」


俺はしぶしぶ顔を上げる。


「黙ってていいんなら、寝てても同じことだろうが」
「全然違うよ! 寝てる奴に延々話しかけてたら、俺はただの危ないヒトじゃん!」
「世間の女性たちから見れば、君は充分に危ないヒトだと思います」


なんせ見境なしだもんな。


「だいたい、今この学園で女の敵といったら真っ先におまえの名前が挙がってくると思うよ」
「なんで俺なんだよ!」
「あれ、知らなかったのか」


京介は軽く咳払いをする。


「どういうことなんだよ」


不安を抑えつつ、問いかける。


「簡単に言うと・・・『広野絃、新藤景宮村みやこの三角関係の行方は』って感じで、結構学園では話題になってるよ」
「はぁ!?」
「つまりな・・・」


京介は説明を始めた。

元々、学園の生徒たちの間では俺と景が付き合っているという認識があったらしい。

まあ、一緒にいることも多かったから誤解されるのも無理ないけど。

それで、最近はみやことの接触も多いから・・・。


「要するに、おまえは二股かけてる最低男」
「・・・・・・。 この学園は進学校だと思ってたけど・・・くだらねえ噂話なんか流れるんだな・・・」


頭痛くなってきた。


「新藤さんは1年でバスケ部のレギュラー取った逸材で、学年性別を問わずに人気高いし。 宮村は、あのとおりの可愛さだし。 おまえは・・・サボリ常習犯で有名だもんな」
「・・・・・・」


他の二人とずいぶん差があるような気が。


「この組み合わせなら、ウチみたいな学校でも噂にだってなるよ。 いくら進学校つっても、通ってるのは年頃の男女なんだし」
「なるほどな」


学校の連中がどう思おうが知ったこっちゃねえけど、見せ物みたいにされるのはちょっとな。



「更に付け加えると、こんなもんまであるぞ」
「なんだよ?」


京介がポケットから取り出したのは、折りたたまれた一枚の紙きれ。

受け取って開いてみると・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120419j:plain



「なんじゃ、こら!」


====================

1:広野絃×新藤景
2:広野絃×宮村みやこ
3:広野絃が両方にフラれる
4:進藤景と宮村みやこに禁断の愛が芽生える(※大穴)

====================


「・・・・・・」


手書きで作成した表に、いくつかの人名や数字がごちゃごちゃと書き込まれている。


「えーと、京介くん。 これは?」


できるだけ穏やかに尋ねてみる。


「見ての通り、おまえら三人の恋の行方の予想。 一番人気はおまえと新藤さんのカップリング」
「この学園の連中は揃いも揃って暇人か?」
「だから、しょせんはみんな恋愛に興味があるお年頃なんだって」
だからって言っても・・・」


そのとき、ピンと閃いた。


「ちょっと気になったんだけど・・・なんでおまえがこんなもん持ってんの?」
「え? えーと、それは・・・」


京介が歯切れ悪く答える。


「もしかして、おまえが胴元なんじゃねえのか!」
「しまった、ついおまえの反応が面白そうだったから・・・。 そうだよ、当事者に見せちゃダメじゃんか!」
「アホかー!」


つーか、色んな意味でアホだ。


「もしかして噂になってるんじゃなくて、おまえが仲間集めて賭けてるだけじゃねえのか」


京介はわざとたしく肩をすくめた。


「そうとも言う」
「そうとしか言わねぇよ! 映画のためなら友達の不当な噂も利用するのか、おまえは!」
「これが映画に取り憑かれた人間の末路か・・・」
「なにを他人事みたいに言ってんだ!」


2年近くこの学園に通っているけど、俺は今更ながらある事実に気づいた。

この学園、ろくな人間がいねぇ。


・・・・・・。


・・・。

 

 



 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120434j:plain



「そんなこと言わないでくださいよー」


静まりかえった体育館に、羽山の甲高い声が響く。


「わたしだって、本校に進学するんですから」
「えっ、そうなの?」
「普通、付属校の子はこっちに進むじゃないですか」


羽山は当然のような顔をしている。

その付属の羽山がなぜここにいるかというと・・・。

単に景に会いに来ただけで。

まだ授業中なのに、俺がなぜここにいるかというと・・・。

サボって抜け出そうとしたところで、羽山に遭遇しちまったというわけだ。


「言っとくが、バカは本校には進めないぞ」
「ヒロ先輩が進学できて、わたしにできないはずがないです」


後輩のくせに、生意気な口を。


「でも、さっきも言ったけど、ろくな学校じゃないぞ、ここは」
「ヒロ先輩が歪んでるから、そういう受け取り方しかできないんです。 先輩方は皆さん楽しそうですし、それに知ってます? この学園の卒業生って有名人がけっこういるんですよ」
「有名人? たとえば?」


俺が漫画家として大成でもしたら、有名人の一人になるだろうか。

その気配は今のところ微塵もないけどな。


「わたしが具体的な名前を知ってるわけないですよ。 ヒロ先輩は、在校生のくせに知らないんですか」
「・・・おまえって、どこまでも生意気だよな。 景の教育が悪いんだ、きっと」
「あ、そうだ。 景先輩にまた怒られちゃいますよ」


なぜか羽山は嬉しそうだ。


「ヒロ先輩が授業サボらないように教育してるけど、言うこときかなくて困るってぼやいてましたから」


だから何者なんだよ、景は。


「つーか、景はいつも怒ってるだろ」
「ああ、それもそうですね」
「わはは」
「あはははは・・・って、景先輩は優しい人ですよ! ヒロ先輩が怒らせるようなことするのが悪いんです!」
「なにをいきなりフォローに回ってるんだ。 景は怖いぞ。 あいつのことなら知り尽くしてる俺が言うんだから間違いねえよ」
「こ、心も体も知り尽くしてるってことですか! とっくに二人で大人の階段昇っちゃってるんですか! そんなのヤダー!」
「怪しい誤解すんな! なんで俺が景と!」
「景先輩が嫌いなんですか! ものすごく許せないです!」
「いったいどうしろっつーんだ!」


付属のほうでは、ろくでもないキャラの育成が着々と進んでいるようだ。


「もういいや、おまえ帰れば? 伝言があるなら俺から景に言っといてやるから」
「別に改まった話があるわけじゃないんですよ」
「なにしに来たんだ、おまえは」


羽山はうーんと唸って頭を振った。


「実は昨日もこっちに来たんですよ。 本校の先輩たちとの合同練習だったんですけど・・・」
「知ってるよ。 つーか、昨日も会ったじゃん」
「そうでしたっけ・・・。 あまりヒロ先輩のこと、眼中に入ってないもので」


このガキ、いつか殺す。


「景先輩が、すごかったんですよ」
「激しかったのか」
「ええ、とても。 あんまり激しすぎて、わたしなんかもう失神しそうでした・・・」


なんの会話をしてるんだか。


「ホントは今日は楽しみにしてた新刊の発売日なんですけど、それもスルーして来たんです」


ついでに部活もスルーしてきたんだろうな、こいつ。


「気になるんですよ、景先輩が」
「ほー」


良かったな、景。

漫画よりは大事に思われてるみたいだぞ。


「昨日は鬼気迫ってたというか・・・練習が終わった後はなぜかさっぱりした顔になってたりで」
「それは不気味だな」
「ええ、確かにそれはあります・・・。 ──ってなんてことを言うんですか! 不気味なんて、景先輩からもっとも縁遠い言葉じゃないですか!」
「おまえも忙しいというか、一人芝居が多いというか」


キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。


「あ、チャイム」
「ヒロ先輩、本当に授業さぼっちゃってよかったんですか」
「全然よくねぇよ。 いよいよ留年が現実味を帯びてきたなって感じ」
「えぇっ! ヤ、ヤバイじゃないですか。 ただでさえ、ヒロ先輩の人生って先が暗そうなのに、留年なんて前科がついちゃったら、それはもう大変で住所不定無職っぽい人になりそうな!」
「景でも言わないような暴言をどうもありがとう」


せっかく人生を捧げて授業さぼったのに、無駄な時間を過ごしてしまったようだ。

もう放課後だし、さっさと帰って仕事しよ。


「あのっ、ヒロ先輩」
「あんだよ」


羽山は珍しく真面目な顔をしている。


「景先輩はいつでも一生懸命なんです。 部活はもちろんですし、ヒロ先輩のことだって本気で心配してるんですよ。 そのことを・・・」
「わかってるよ。 言っただろ、景のことなら知り尽くしてるって。 確かに一生懸命すぎるっていうのはあるな。 自分の限界がわからねえっつーか。 こっちでも気をつけるようにするよ、無理をしないように」
「ヒロ先輩に心配されるほど、景先輩は堕ちてないですけどね」
「おまえ、俺に相談事したいのかケンカ売りたいのかどっちなんだよ」
「それはもちろん──」


ピンポンパンポン。


「あぅ?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120447j:plain



『2年B組の広野絃くん、2年D組の宮村みやこさん。 ただちに進路指導室まで来てください。 繰り返します・・・』


・・・・・・。


・・・。

 

「・・・いよいよ退学ですか」
「縁起でもねぇこと言うな!」
「・・・・・・あーあ」
「なんだ、その憐れむような目は!」


とはいうものの、進路指導室?

サボリを注意されるなら、職員室か会議室辺りに呼び出されるはず・・・。    

まさかとは思うけど、マジで退学うんぬんの話?

それに、なんでみやこも一緒なんだ・・・?


・・・。

 




 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120456j:plain



「なんで呼び出しくらうのかさっぱりだったけど・・・意外な展開だったね」


「失礼します」の一言も言わずに、俺とみやこは進路指導室を出て廊下を歩いていた。

横で、みやこが小さくため息をつく。


「向こうも意外そうなツラしてたけどな」
「ああ、そうそう。 完全にあきれちゃってたね、あの先生」


なぜかぱっと明るい表情になって、みやこは言った。


「まあ、あきれられてもしゃーないだろ」


呼び出されるのも当然だった。

俺とみやこだけが、いつぞやの進路志望アンケートを提出していなかったから。


「でもおまえのほうが酷かったよな」
「えぇっ、そうかな。 どっちもどっちだよ」


教師の「アンケートはどうなってるのか」という質問に対する俺の答えは、


「すっかり忘れていました」


一方、みやこはというと、


「用紙、捨てちゃいました」


だった。

俺が言うのもなんだけど、みやこって最悪だと思う。


「たまに真面目に最後まで授業受けてみたら、最後にこんな仕打ちが待ってるなんて・・・。 あたし、なにも悪いことなんてしてないのに、どうしてこんなに運が悪いんだろう」


なにをどう勘違いしたら、ここまで自分を正当化できるんでしょうか。


「でもさ・・・」


俺は足を止め、みやこも不審そうな顔をしつつも立ち止まった。


「あの教師、聞き捨てならねえこと言ってたぞ」
「ん?」
「おまえは成績抜群なんだから、素行さえ良ければ進路なんてよりどりみどりだぞ、とか」
「ああ」


みやこはこくりと頷いた。


「どうでもいいじゃん、そんなこと」
「くそ、おまえも補習組だと信じてたのに・・・裏切られた」
「そういう絃くんは本当におバカさんなんだよねぇ・・・」
「しみじみ言うなっ!」


どうも教師の口ぶりから察するに、みやこの成績は学年でもトップクラスのようだ。

人は見かけによらないって言うけど、完璧に騙されたよ・・・。


「あーっ、疲れちゃった」


みやこは大きく伸びをした。


「ねえ」
「あん?」
「ちょっと気分転換したいなー。 行こ」
「今度はどこだよ・・・」
「い・い・ト・コ・ロ」


みやこはそう言って、いたずらっぽく笑った。


・・・・・・。


・・・。

 

 



 

f:id:Sleni-Rale:20220129120508j:plain



「なんだ、屋上かよ」
「いいところじゃん。 少なくともあたしは、学園ではここが一番スキ。 もしかして、なにか違うこと期待した?」


じいっと上目遣いでこちらを見てくる。


「あんだよ、違うことって」
「うーむ、いつものごとくひねくれた反応だね。 でもさ、どうするの?」
「どうするって、なにがだよ」


いつものことながら、みやこは言葉が足りない。


「進路志望。 明日までに提出って言われたじゃん」
「うーん」


そんなもん、どうにでもできるんだけど・・・。


「ま、適当に書いて出せばいいだろ。 向こうも進学って書いてあれば文句は言わねぇだろうし」
「進学するの?」


みやこは少し意外そうな顔をした。


「だから適当だって。 明日までに決められることじゃないし、これで進路確定ってわけでもないんだから。 おまえはどうするんだ?」
「見えない明日に迷うお年頃なのです」


こいつ、突き落としたろか・・・。


「うぉ、絃くんの顔が修羅のように! 夜叉のように!」
「おまえはまともな受け答えができない病気か?」
「あたしは、不治の病に冒された薄幸の美少──」


俺は、じりじりとみやこに近づいていく。


「わかんないから、未定って書いて提出するよ」


身の危険を感じたのか、みやこは慌てたように言った。

俺はとりあえず突き落とすのは我慢して、小さくため息をつく。


「んなもん答えになってねーよ。 今度はいよいよ親呼び出しじゃねえの?」
「仕事が忙しいのか。 つーか、共働き?」
「ううん。 ウチの親ってば離婚しちゃってるから。 今はパパとふたりでひっそり暮らしてるの。 泣きながら」
「なんで泣くんだよ!」


意味がわかんねえ。


「軽い冗談なのに・・・」
「おまえが言うことは冗談なのかどうかもわかんねえんだよ!」


でも、離婚か・・・。

まぁ──別に珍しくもない話だ。

みやこも気にしてないみたいだし。


「親父さんは忙しいのか? つか、なんの仕事してんの?」
「どっかの建設会社に勤めてるみたい」
「へえ」
「けっこう偉いみたいだよ。 あんまりよく知らないけど、街の復興計画のときにあくどいこと色々やって、重役までのし上がったんだってさ」
「へぇ」


そんな裏事情まで聞いてねえけど・・・。

みやこが復興計画に微妙に詳しそうだったのは親父さんが関わっていたからか。


「あんまり家に帰ってこないんだよね。 それくらい忙しいみたいだから、呼んだってすぐには来ないと思う。 絃くんよりだいぶ不便な感じの人なんだよ」
「俺を便利な男のように言うな」
「ちが──」


みやこは慌てて口をつぐんだ。


「・・・おまえ、『違うの?』って言いかけただろ」
「えっと、不思議なんだけど、どうして『漫画家』って書かないの?」


このあからさまな話の逸らし方。

どうやら図星だったらしいけど、まあいいや。


「漫画家なんて書いたら、それこそ親呼び出しだっつーの。 俺に少々の実績があったって、漫画描きなんて先の見えない仕事、学校がハイそうですかって認めるわけない」


特に音羽は全員進学が基本みたいだし。


「別に学校に認めてもらう必要なんてないと思うけど?」
「そりゃ空論だろ。 実際、俺らは学校だの家族だのに管理されてて、自分だけでなにもかも決められねぇよ」
「うーん・・・」


みやこは、ちょっと何事かを考えてから口を開く。


「絃くんとこの家族って? お姉さんがいるっていうのは前に聞いたけど」
「親父はお硬い画家で、漫画なんて低俗なもんだと思ってるんだよなー」
「それが一人暮らししてる理由なの?」


みやこは少し驚いたような表情を浮かべた。


「それだけが理由じゃないけど、まぁ卒業しても進学せずに漫画続けるなんて言ったら、また一悶着起こりそうだ。 面倒くせぇな」


父親を嫌ってるわけじゃない。

むしろ、絵描きとしての能力は尊敬してるくらいだ。

それに、ガキの頃から親父に絵をたたき込まれたからこそ、話作りが少々マズくても漫画家としてなんとかやっていけてるんだ。

感謝こそすれ、恨むのは筋違いだろう。

理屈ではわかってるんだよな。


「色々大変みたいだね」
「親父は、俺を漫画家にするために絵を教えたんじゃないからな。 まぁ、俺の教育に費やした時間を無駄にされた気持ちもわからないでもないけどさ」
「お父さんのほうは、絃くんの気持ちをわかってくれない?」
「わからせる前に俺がキレて家を出ちまったんだよ」
「だけど絃くんは吹っ切れてないだね。 今でもお父さんの反応が気になってる」
「・・・たぶんな」
「おや、めずらしく素直~」


みやこの明るい口調に、少し心が軽くなる。

でも、しょせんは一時しのぎだろうな・・・。


「絃くんは本当に・・・なんでもかんでもしょいこんじゃってるね」


さあっと一陣の風が吹きぬけた。


・・・・・・。


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120529j:plain



ゆったりと雲が流れ、空が赤く染まっていく。

いったいなにをしてるんだろうな、こんなところで。

仕事は山積み、決めなきゃならないことは唸るほどあるっていうのに。

なのに、みやこの隣にいたいなんてことを考えてしまっている。

みやこが隣にいてくれることが心地いい。

なんでだよ。



f:id:Sleni-Rale:20220129120540j:plain

『お兄ちゃん』


一瞬よぎる、あいつの顔。

そう、俺は色々背負い込みすぎてるのかもしれない。


「ね」


みやこの小さな声に、横を振り向く。


「どこかに行こうか」
「今度はどこだよ・・・」
「前の話の続きだよ」
「前の話?」
「自転車の弁償の代わりに、あたしがお金だすからなにかして遊ぼうっていう話。
「まだ覚えてたのかよ」


こっちは完全に忘れてた。


「お小遣いだけはたっぷり貰ってるから、自転車じゃ行けないくらい遠くまで行けるよ」


すうっとみやこは空を指さした。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120551j:plain



「どこでもいいから遠~いところ。 ぜいたくは言わないから、あたしたちにうるさく文句を言う人たちがいないといころ、どこでもいいなー」
「そこの風はここより冷たいと思うぞ」


みやこはにっこりと笑う。


「あたし、いいところ知ってるよ。 今度こそ本当にいいところ。 ずっとずっと遠くだし、楽しいことばかりじゃないだろうけど・・・。 でもけっこう面白いと思うよ。 そこに行ったら、絃くんがどんな顔するか・・・あ、ホントに面白そう」


めっちゃ楽しそうな顔してるけど、なにを想像してるんだろう・・・。

知りたいような、知りたくないような。


「あーっ!」


思わず頭をかきむしってしまう。


「ど、どうしたの? 壊れちゃったの? 病院行く?」
「できもしねぇことを想像してたってしゃーねえだろ。 まったく、本当にどうかしてるよ最近の俺は!」
「変だよ、絃くん」
「なにがだよ!」


みやこは、平然とした表情で口を開いた。


「だって、少女漫画描いたり、漫画描きながら学校通ったり、いっぱい面倒抱えて無茶ばっかりしてるのに、逃げることはできないの?」
「・・・・・・」
「ああ、そうか。 逃げるっていうのが一番簡単なようで一番難しいのかな。 そうか、そういう考えもあるか・・・」


なにを自問自答してるんだ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120602j:plain



いつまでも考え込んでるみやこから視線を逸らし、眼下に広がる街の風景に目を向ける。


「そりゃまあ、確かに。 逃げられるのなら逃げたいし、おまえが言ってる面白い場所っていうのも興味あるけど。 できねえことっていうのはあるよ。 生きてんだからさ、色んな荷物背負うのは当然だし、簡単に下ろせやしねえ。 一度関わっちゃったんだから、なにもかもなかったことにして逃げるなんてできるわけない」


学校、家族、友達、バカな後輩とか正体不明の変な女とか。

景だっている。


それに──


「!?」


突然、みやこの顔が目の前に現れたと思ったら──

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120612j:plain



次の瞬間には唇が重なっていた。


「・・・・・・」
「・・・・・・んっ」


ほんの一瞬だけ、唇が離れ、すぐにみやこは更に激しく口づけてきた。

歯が少し当たったけれど、それでも口が離れることはなく。

いつの間にか俺の背中に回されていたみやこの手に、ぐっと力がこもる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120621j:plain



みやこの唇は柔らかくて──もうなにも考えられなくなってしまう。

どれだけの時間、キスしていたのか。


どこからともなく唇が離れると、上気したみやこの顔がすぐそばにあった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120630j:plain



「・・・・・・」
「・・・・・・」


う、気まずい・・・。

めちゃくちゃ柔らかくて気持ちよかったけど、なんでこんなことに?


「な、なにか喋ってよ」
「おまえこそ──」
「あたし? あたしか・・・」


みやこは唇を押さえて、もじもじしている。


「やっぱり黙るしかないよね・・・とか思ってたり。 してる間は喋れないもんね」
「あん・・・? ああ、そうか」


前にみやこが言っていた、寝てるときと食べてるとき以外で話ができないシチュエーション。

そりゃあキスしてるときは無理だよな・・・。


「あの、あのね。 なにかね、急にしたくなっちゃって。 その・・・」
「し、したくなったら誰とでもすんのかよ」


こんなときにも憎まれ口を叩くこの性格はどうにかならないもんか。

つーか、このめっちゃ速い心臓の鼓動もなんとかしてくれ。


「絃くんはね、たまにリセットしなくちゃいけないって思ったんだよ」
「リセット?」
「なにも考えなくてすむ時間っていうか、頭を一度からっぽにしなきゃいけないって。 ・・・どうかな?」
「知るか、んなもん」


顔を背けたいけど、赤面したみやこから目が離せない。


「でも、でも。 ひとつ誤算がありました」
「・・・誤算?」


会話どころじゃないけど、一応聞き返す。


「あたしのほうの頭が真っ白になってしまいました」
「・・・おまえは本当にズルいよな」
「えっ? な、なにが?」


俺はそれには答えず、さっとみやこの手を取る。

もう悩みとかなにもかもぶっ飛んだ。

なんでおまえはそんなことができてしまうんだよ。


「みやこ」
「えぇっ!?」


名前を呼ばれただけで、みやこはびくんと過剰に反応する。


「えっと、絃くんは今のがファーストキスかな?」


しどろもどろになりながら、みやこは言った。


「どうせ初めてだよ、悪かったな」
「あはは、遅いよね。 とか言ってるあたしも初めてだったりするけど」


みやこが手を握りかえしてくる。


「だけど、あれだよね。 初めて同士とは思えない長さだったなー。 何分くらいしてたんだろ。 ちょっと変だよ、あたしたち」
「・・・記録を更新してみるか?」


すぐ近くに、みやこの唇がある。

あの感触をもう一度味わいたいという衝動は、もう抑えきれないところまで来てる。

だけど、みやこは首を振った。

何度も振った。


「ダメだよ、そんなの。 だってあたし・・・」


それ以上はなにも言わずに、首を振り続けた。

なぜだろうか。

みやこの目は、今にも涙がこぼれそうなほどに潤んでいる。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120646j:plain



くるっくー、くるっくー。


しゃがみこんだあたしの前で、鳩たちが争うようにしてパンくずをついばんでいる。

いっぱいあるんだから、取り合わなくてもいいのに。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120655j:plain



「ぱっぱっ」


朝食として買ってきた菓子パンを小さくちぎって、鳩たちの前に投げる。

ぱたぱたと、更に他の鳩たちが寄ってくる。


「おぉ、ソーゼツなバトルロワイヤルが!」


──「なにが『おぉ』ですか」


「これが野生の掟なんだろーね」


後ろから聞こえた声に振り向かずに言って。

残りのパンを鳩たちに恵んでやってから、立ち上がる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120706j:plain



「いつものことながら暇そうだよね、優子」


優子はふっと微笑みを浮かべた。


「その台詞はそっくりそのままお返ししますよ。 なんでリストラされて行き場を無くしたオジサンみたいなことしてるんですか、あなたは」
「今時、そんなステレオタイプなことしてるオジサン、いるのかな。 優子って時々発想が古いよね。 実はけっこう歳いってたりする?」
「あ、ちょっと傷つきました・・・」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120716j:plain



あやや、ホントにちょっと怒ってるみたい。

図星だったのかな。


「それはそうと、学校はどうしたんですか・・・って愚問でしょうか」
「あ、そうだ。 優子、これどう思う?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120724j:plain



あたしは鞄から一枚の紙を取り出して、優子に渡す。


「進路志望アンケート・・・?」
「うん、今日中にこれ出さなきゃいけないんだけど、なんて書いたものか・・・」
「意外ですね」


優子は紙に目を落としたまま言った。


「意外って?」
「あなたなら適当に書くか、それとも出さないかのどちらかだと思ったので」
「心境の変化というやつなんだよ」


あ、胡散臭そうな顔されてる。


「それはいいですけど・・・私に訊かれても困りますね。 私は教師じゃないですし、あなたの母親でもないですから」
「ママー! っと」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120733j:plain



さっ。


抱きつこうとしたあたしを、優子はひらりと身を翻して避けた。

あたしたちの足下にいた鳩たちがばっと飛び上がる。


「よけるなんてヒドイ・・・」
「誰がママですか。 殺しますよ?」
「うぁ、こっわーい」


案外、さっき歳いってるって言われたのを根に持ってるのかも。


「まぁ、冗談はこれくらいにしとこうか」
「私はそれほど冗談のつもりはないんですが」


優子が進路志望アンケートを戻してくる。


「こんなのは本当はどうでもいいんだけどね」


あたしは、アンケートをびりびりと破る。


「いいんですか?」
「ただのアンケートだもん。 出さなかったら留年するとか退学するとかいうものじゃないから」
「そうですね。 あなたは、一回痛い目に遭うのもいいでしょうから」
「キツいね、優子」


言いたいことを言ってくれるのが、優子のいいところだと思う。

本当の母親でも、ここまで遠慮無く言ってくれないよね。


「ね、優子」
「はい」
「ちょっとだけ真面目な話があるんだけど。 聞いてくれる?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120745j:plain



空をゆく鳩たちにちらりと視線を向けてから、

優子は、名前のとおりの優しい微笑みを見せてくれた。


・・・・・・。

 

・・・。

 

 




 


「あー、やれやれ」


とんとんと肩を叩きながら、階段を進む。

あーあ、疲れちまったな。

まったくさ、あの教師、話が長いんだよ。

昼休み、もう半分以上終わっちゃってるじゃんか。

まだ昼飯も食ってないっていうのに──

どんっ!


「どわっ」


いきなり背中を押されて、危うく階段を踏み外しそうになる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120758j:plain



「なにすんだよ!」
「きゃっ」


勢いよく振り向くと、景のびっくりしたような顔が近くにあった。


「なんでおまえがびっくりしてんだ。 人を驚かせといて」


だいたい「きゃ」ってなんだ、「きゃ」って。

そういう声を出すなよ・・・。


「だって、急に振り向くから」
「急に背中ぶん殴っておいてなにを言う」
「だって・・・」


ゆっくりと動く景の唇に視線が向いてしまう。

かすかに紅い、薄い唇。

あいつとは色も形もちょっと違う・・・。


「暴力使わないとコミュニケーションとれないのか、おまえは」


俺は景から視線を外しながら言う。

景の前であのことを思い出すのは──なぜか後ろめたい。


「ただの暴力じゃないわよ。 体育会系は叩いたり叩かれたりした分だけ、身についてることがあるんだから」
「なにが身につくんだよ」


そもそも、それは軍隊の理屈じゃなかっただろうか。


「知らないわよ。 でも、体育会系ってそんなものよ」
「体育会系同士でやってくれ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120808j:plain



階段を昇り始めると、景は当然のようについてくる。


「広野先輩、なにしてたの?」
「進路志望調査の提出。 締め切りぶっちぎったから、説教くらっちまったよ」
「先輩はいつも怒られてばかりの人生ね。 なんだか、死ぬまで誰かに怒られ続けそう・・・」
「俺の人生を勝手に決めつけないよーに」


景は意地悪そうに笑ってから、とんとんと軽やかに階段を昇っていく。


「ねえ、先輩。 進路志望、なんて書いたの?」


俺も階段を昇りきってから、景と向き合う位置に立つ。


「一応、進学って書いて出したよ。 今は余計なことで手間かけてらんねーからな」
「ふーん。 変にひねくれたこと書かなかったのは意外な感じだけど、先輩にしては上出来ね」
「だからおまえは、俺の保護者かってーの」
「似たようなもんでしょ」


またもや浮かぶ、意地悪っぽい笑み。

だが、その笑いはすぐにふっとかき消えてしまう。

そして、ちょいちょいと指で手招きしてくる。


「? どうした?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120821j:plain



景の口元に耳を寄せる。


「昨日の放課後、呼び出されたのって、進路のこと?」
「そうだよ。 他に呼び出される覚えは・・・いっぱいあるけど、進路のことだった」
「そう・・・ならいいんだけど。 宮村先輩も進路のことで?」


ああ、それが気になってたのか。

みやこと景は本当に相性が悪いみたいだな。


「ああ、あのバカは進路志望アンケートを捨てちまってたらしい。 まーったく、どうしようもねぇよな」
「そんな声出さないで」
「え?」
「そんな優しい声で、宮村先輩のこと話さないで」
「・・・・・・」


こっちも言いたい。

どうしておまえはそんな寂しそうな顔をしてるんだ。

どうしておまえは、今まで見たことないような顔をするんだ。

どうして?


「ねぇ、お兄ちゃん。 1つ聞かせて」
「・・・ああ」
「それだけ聞かせてくれれば、わたしも覚悟を決められるから」
「覚悟って・・・」


景はこくりと頷いて、まっすぐに俺を見据えてきた。


「お兄ちゃんにとって、わたしはなに?」


景の言葉に一切のためらいはなく。

向けてくる視線には、曖昧な返答を許さない強さがあった。


「つっても、簡単に答えられることと答えられないことが・・・」
「考えちゃダメ」
「あん?」
「考えずに答えて。 お兄ちゃんが思ってることを、そのまま言って」


考えるのもダメなのかよ。

思いっきり反論したいところだが、それもダメなら答えは1つしかない。


「おまえはおまえだよ。 どういう存在かなんて考えたことねえし、言葉にするようなことか?」
「答えてくれないの?」
「答えられねえんだって」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120836j:plain



──「そうだなあ、少なくともここで言うようなことじゃないんじゃないかな?」


「わっ、いきなり出てくんなボケ!」

「なんだよ、邪魔すんな!」


ほぼ同時に、俺と景の口からガラの悪い言葉が飛び出す。


「・・・二人とも怖いな」


俺たちの背後に立ったまま、京介はぽつりと言った。


「あっ」


景はたちまちばつの悪そうな顔になり、口をつぐんでしまう。

ふーむ、だけどとりあえず助かったのかもしんない。


「なにしてんだ、京介」

「それはこっちのセリフ。 君たち、ここは天下の往来だよ?」


いや、往来じゃなくて階段だろ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120844j:plain



ふと周りを見回すと、立ち止まってこちらを見ている生徒が数名。


「愛を語るならそれにふさわしい場所でやったほうがいいんじゃないの。 なんなら、俺のお薦めのスポットを紹介するけど?」

「愛なんて語ってねぇっ」

「なんだ、違うのか・・・」

「わたし、教室に戻るわ!」


素早くそう言い捨てると、景はバカのような速さで階段を駆け上がって行った。

引き留める暇もまったくなかった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120855j:plain



「なんなんだ、あいつは」
「つーか、今パンツ見えたな」
「記憶から消去しろーっ!」


どかどかと京介の頭を小突く。


「いてっ、いてぇって!」
「俺の前でよくそういうことが言えるな、おまえは」
「見たままを素直に言っただけなのに」


京介は軽く俺の手を払う。


「だいたいさ、おまえの前だからなんだ? おまえは新藤さんのなんだよ?」
「・・・・・・」


微妙に違うけど、さっきと同じような質問だな。

どうあっても逃げられないのか?


「おまえには関係ねぇよ。 俺、昼飯食いにいこうっと」


がしっ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120908j:plain



歩き出そうとした俺の肩を、京介が掴む。


「往生際が悪いぞ、広野」
「なんで俺が往生しなきゃならねぇんだよ」
「それはなんというか、いつまでも引っ張られると返還しなきゃいけなくなるから」
「なにをだよ!」


こいつ、まだ賭けを続けてたのか。

最悪だ。


「で、どうなんだよ?」
「あーっ、うるせー!」


これ以上付き合ってられっか。


京介の手を振り払い、まるで景の後を追うようにして、俺は階段を昇り始めた。


・・・。

 




 

f:id:Sleni-Rale:20220129120918j:plain



やってられねぇ。

まったくもってやってらんねぇ。

みやこも景も京介も、誰も彼もが俺を困らせてあざ笑ってるような気さえしてくる。

しょせん、被害妄想だけどさ。


「あーあ」


頭をかこうとして右手を上げたところで、鈍い痛みが走る。


「・・・っ、こっちもそろそろ限界か」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120927j:plain



右の袖をまくると、湿布をべたべたと貼りまくった腕が現れる。


「みっともねぇよなー」


いわゆる腱鞘炎(けんしょうえん)ってやつだ。

1年前、連載を始めたばかりの頃はペンだこに悩まされた。

ペンを握るだけで、いっそ指を切り落としたくなるくらいの痛みが走ったもんだった。

ようやく皮膚が負荷に慣れたと思ったら、今度は腕そのものの動きが鈍くなり──


「俺がひ弱なのかなあ・・・」


俺の絵はけっこう線が多く、筆圧も強いので手への負担は小さくない。

腱鞘炎は、手を休めるのが一番の回復方法らしいけど、もちろんそうするわけにもいかない。

無理を押しての作画作業の結果が、この湿布だらけの腕だ。

本当は手の甲あたりにも貼りたいのだけど、あまり見た目がよろしくないので、それはやらない。

景も心配するしな。


「ふうっ」


そりゃため息だって出るよ。


ピリリリリッ、ピリリリリッ。


突然、携帯が鳴り始めて驚く。

いや、「これから着信音が鳴ります」とかあらかじめ断られたら怖いけど。


「ん?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120936j:plain



発信元は・・・実家?


「・・・はい?」


あまり気は進まなかったが、一応出てみる。


『もしもし? 絃か?』
「・・・・・・」
『こらっ、無言で切ろうとするな!』


電話の向こうが見えるのか、あんたは。


「てゆーか、姉貴。 あんた、なんで家にいるの?」


俺の姉、広野凪はアメリカの美術学校に留学してるはずだが。

素行不良で追い出されでもしたのか。


『なんで、じゃないだろう。 君、今どこにいるんだ?』
「どこって、学校に決まってるじゃん」


俺の場合は学校にいるとは限んないが、一応そう言っておく。


『学校? そんなのいいから、とっとと帰ってこい』


しかし、相変わらず女とは思えない口調だな・・・。


「あのな、姉貴。 俺、出席日数すげぇヤバイの。 来いって言われても困るんだよ」
『絃・・・。 君、全然、こっちに戻ってないんだろ?』
「実家に用なんてねぇもん」


暮れも正月もずっと家にこもって原稿やってたし、実家のある辺りに近づいた記憶すらない。


『まったく、君は意地っ張りなんだから。 父さんもだけど・・・どうして男同士ってこうなんだ?』


電話の向こうで、姉貴は深々とため息をついた。


『父さんは黙ってろって言ってたけど、やっぱり隠しておくようなことじゃないから言おう』
「なんだよ、もったいつけるなあ」
『いいか? 耳かっぽじってよく聞け』
「だからなんだよ」


もう昼休み終わるってのに。


『父さん、入院してるんだよ』


・・・・・・。

 

・・・。

 




 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120948j:plain



雪が降ってもおかしくない。

そう思ってしまうほど空気は冷たく、顔に当たる風が痛いくらいだ。

自然と顔が下を向く。

昔から冬は好きになれない。

理由はごく単純、どうも冬は筆先が上手く走ってくれないからだ。

自分がヘタクソなのを季節のせいにするな、と親父なら言うだろうな・・・。

一人で苦笑してから、ぐっと顔を上げた。


「?」


そのとき、通りの向こうにいる人影を見つけた。

檻の中の熊のようにちょろちょろと落ち着かない動きをしている。

通りを行ったり来たりしてるその人物は──

見慣れた服装、見慣れた髪型、見慣れた顔。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129120956j:plain



「みやこか?」
「げげ」


なにが、「げげ」だ。


「なんだよ、待ち伏せか? あんまりいい趣味じゃねえな」
「趣味でやってるんじゃないよ。 別に待ち伏せてたわけでもないし・・・」
「どっちにしろ暇なことだよな」
「いいんだよ、ちょっとくらいブラブラしたって。 今日はちゃんと午後から授業も出たし」
「いや、それ全然ちゃんとできてないから」
「絃くんは厳しいねえ・・・」
「おまえがユルすぎるんだよ」


そもそもおかしいだろ、この状況。

なんでいつもどおりなんだ、この女は。

あんなことがあったばかりなのに。

屋上でのあの出来事は、俺が見ていた夢なのか。

俺が見たかった夢なのか。

それとも──


「ん? 絃くん、どうかした?」


みやこは、無かったことにしてしまいたいのか。


「みやこ、おまえ──」


俺が一歩踏み出すと、それに合わせてみやこはすっと後ろに退いた。


「? あ、あ、そうだ。 あたし、用があるんだった」
「用?」
「見た目お子ちゃまっぽいけど、実は年増なおねーさんと料亭で会食の予定が」
「誰だよ、それは。 ついでにおまえも何者なんだよ」


みやこは曖昧に笑ってから、くるりと背中を向けた。

そして、振り返ることなく走って行ってしまう。


「しかし、あれだな・・・」


女の子に走って逃げられると、けっこうキツいものがある。

だけど、みやこと景は違う。

同じことをされても、湧き上がってくる感情は似ているようで異なってる。

だから、俺は──たぶん行かなければいけない。




 

f:id:Sleni-Rale:20220129121008j:plain



「待てって!」    


みやこの背中はどんどん遠ざかっていく。

意外なほど、みやこの足は速い。

間違いなく景より速いぞ、あれは。

って、そんなことはどうでもいい。

仮にもこっちは男なんだから、体力勝負で負けてられっか!


「もーっ。 なんで追いかけてくるの!」


前方でみやこの不満げな声が上がる。


「おまえが逃げるからだろ!」
「絃くんが追いかけなきゃ、逃げないよ!」
「いい加減に観念しろよ、おまえは!」
「やだ! あたしを捕まえてどうする気!?」
「なにもしねぇよ! 人聞きの悪いことを言うな!」


ただでさえ、めっちゃ誤解されそうな状況だっつーのに。


「あーん! 絃くん、しつこーい! ストーカーの素質ばっちりだよ!」
「だから誤解されること言うなって!」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121019j:plain



ふと、クリスマスの夜を思い出す。

あのときは、みやこがひったくりを追いかけ、俺がみやこを追った。

みやこは、いつでも一人でどこかに行ってしまう。

自分の思うがままに、どこかへ。

離れてほしくない。

屈折した俺が、自分の心に素直になって下した結論──


「みやこ!」


心臓が破れてしまいそうな痛みに耐えながら、限界を超えた速度で走る。

少しずつ近づいてくる背中。

必死になって手を伸ばす。


「みやこ!」


右腕の痛みなんて、どうでもいい。

ただ今は、あの手を掴まなきゃいけない。

だから、俺は──


「・・・っ」
「みやこっ!」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121029j:plain



俺に手首を捕まれ、振り返ったみやこが目を見開いてこちらを見ている。

それだけじゃなくて──

振り向いた瞬間に、みやこの目から散ったのは。


「あう・・・」
「みや・・・こ?」


それは確かに、涙だった。


「そんなに・・・何度も呼ばなくてもいいよ」
「呼ばなきゃ、はぁっ」


ああ、息が切れる。


「おまえは、どっかに行っちまうだろーが」
「そんなことは・・・」


言いかけて、みやこは口を閉ざす。

だけど、俺の手を振り払おうとはしない。


「なんで、泣いて・・・んだよ、おまえは」
「あたしにもわかんないよ、そんなのー」


みやこはぐすっと鼻をすすり上げる。


「だって、勝手に出ちゃうんだもん・・・」
「もしかして、俺が・・・泣かせたのかよ」


喋るのも辛いけど、今は黙り込んでしまうわけにもいかない。


「そう、そうだよ。 泣くに決まってるじゃん・・・。 絃くんが・・・あたしを、捕まえたりするから。 どうして、あたしなんかを追いかけたりするの・・・」


ぼろぼろと、更に涙がこぼれていく。

みやこがなぜ泣いてるのか、やっぱりいまいちわからないけれども。

みやこの泣き顔を見ていると、得体の知れない感情が湧き上がってくる。

この感情の正体はなんだろう・・・。


・・・。

 

「はーっ、はーっ、はー・・・」

 

胸を押さえて、必死に息を整える。

寝不足・過労・運動不足の身体での全力疾走はさすがにこたえた。

元々走るのも得意じゃないし・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121041j:plain



「大丈夫?」


みやこは心配そうにしてるが、疲労の原因はおまえなんだけど。

というか、もう完全に泣きやんでるし、いつも通りだ。


「お、おまえ・・・もしかして、た、体育の成績も、いいのか?」


どうしようもなく言葉がどもりがちになる。


「うん、かなりいいよ。 ちなみに1年のときのマラソン大会、全校で1位」


そういえば、クリスマスのときも口では疲れたとか言いながら平気そうにしてたような。

いくらこっちが男とはいえ、よく追いつけたもんだ・・・。


「・・・2年のときは?」


ちなみにマラソン大会は毎月10月に開催されている。


「サボった。 いっぺん1位取っちゃったからもういいやって思って」
「おまえらしいというか・・・」
「ときに、絃くんは何位?」
「いらんこと訊くな」


みやこはちょっと口を尖らせたが、おとなしく引き下がった。

ようやく、呼吸が正常に戻る。


「そういえば・・・」


ふっと、みやこは海を見やる。


「ふたりでここに来るのはクリスマス以来だね」
「真冬だぞ。 海なんかに来る方がどうかしてるだろ」


おまえが逃げるからこんなとこに来ちまっただけだしな。


「あたしたちにはお似合いだよ」
「どんなふたりだよ」


俺まで変人仲間にしないでほしい。


「絃くんさ・・・」
「ん?」
「どうしてこんな時間まで帰ってこなかったの? そろそろ締め切り近いんじゃなかったっけ?」
「ああ、それは・・・」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121053j:plain



砂浜に目を落とす。

月と星の灯りの下、白い砂と小石、貝殻のかけらがうっすらと見える。

病院に行ってみたら、父親は胃潰瘍で、命に別状はないということだった。

だけど、絵描きという職業と妥協を許さない性格は、確実に親父の身体を蝕んでいる。

なんだか、未来の自分を見ているような気がした。

遠からず、自分も親父のように力無くベッドに横たわる日が来るんじゃないか。

だけど、それは考えても仕方のないこと。

ましてや、みやこに話すことじゃない。


「俺だってたまには遊びたくなるよ。 締め切りが近いとかえってそういう気になる」


俺は軽く砂を蹴った。


「現実逃避ってるね」
「漫画家として生きるなら避けて通れない道だよ」
「ヤな職業・・・」
「おまえは?」


みやこはきょとんとする。


「あたし? あたしは宮村みやこ。 音羽学園2年。 頭も運動神経もいいし、よく可愛い可愛いって言われる」
「誰が自己紹介しろっつったよ! そうじゃなくて、なんであんなとこでコソコソしてたんだよ?」
「アンブッシュ」
待ち伏せ攻撃!? なんで、んな軍事用語を知ってるんだ」
「絃くんの資料の中にそーゆー本あるじゃん。 あたしって、本の内容は一回読んだらだいたい覚えちゃうもん」
「羨ましい特技だな・・・」


みやこってもしかして使える奴かも。

いや、道具扱いする気はさらさらないけどさ。

俺がほしいのはみやこの能力じゃなくて・・・。


「ねぇ」
「ん?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121103j:plain



まだ握ったままだった手を、みやこが握りかえしてきた。


「高い高い空の下、長い長い放課後の一瞬。 わたしたちはキスをした──」
「それ・・・なんだっけ?」


どこかで聞いたおぼえのあるフレーズだ。


「うわ、バカだ」
「なんだとこの野郎」


みやこは空いてるほうの手で俺を指さす。


「自分が描いた作品のことも忘れちゃったの?」
「あ・・・」


そうか。

俺のデビュー作のラスト、主人公の女の子のモノローグだ。


「ホントに忘れてたんだね」


少なからず思い入れのある作品のはずなのに・・・俺はどうして忘れてしまっていたんだろう。

思い返してみれば、俺とみやこのあのキスは似てる。

俺が漫画で描いたシチュエーションに似ている。


「待てよ。 まさかおまえ、狙ってやって──」


みやこはそっと首を振った。


「たまたま、だよ。 なんであんなことしたんだろって考え
てたら思いついたの。 絃くんを一度リセットしてあげようって思ったのは本当。 だけど、どうしてあたしがそれをしなくちゃいけないのかなって、ずっと考えてた」
「・・・さすが、伊達に暇人はやってないな」
「まかせて」


みやこは微笑む。


「どうしても考えずにはいられなかった。 だって、あたしはね、自分が誰かとキスするなんて想像したこともなかったから」
「え、そうなの?」


まともに生きてりゃ、キスだってその先だって経験する機会はいくらでもあると思うが・・・。


「ううん、誰かを好きになることなんてないって思ってたんだね。 あたしはずっと・・・」


なぜそんな風に考えてしまうのか。

みやこの手を掴んだ俺は、訊くべきなのだろうか。

それとも・・・。


「絃くん、お仕事キツいんだよね?」


そうだった。

こいつは、いきなり話を変える人だった。


「言うまでもなく、ド修羅場」
「なら、今回の原稿上がるまであたしが手伝ってあげる」
「手伝う?」
「といっても、ごはん作ったりするくらいだけど。 ちゃんと食べないと仕事もできないでしょ?」
「そりゃそうだけど・・・」
「あたしは気まぐれだからずっと、なんてできない。 だから期間限定のお手伝い。 それでもいいなら、少しだけそばにいさせて。 その間に、答え出すから」
「答えか・・・」


答えを出さなきゃいけないのは俺も同じ。

いいや、俺が出さなくちゃいけないんだ・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121114j:plain



みやこの手を掴んでいるこの右腕。

この腕で、自分が描きたいものを描く力を与えてくれた男は言った。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121122j:plain



もうなにも言わないから好きなようにやれ、と。

そう言われると、どうするのが正しいのかわからなくなってしまう。

わからないけど、なぜ親父がそう言ったのかは理解できる。

俺はもう、自分で責任を取れるようになったということ。

俺が家を出て、一人で漫画を描き続けた日々を親父は認めてくれた。

これからはなにもかも自分の意志で決めなければならない。

それが自由だし──同時に背負うべき責任でもある。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121139j:plain

『お兄ちゃんにとって、わたしはなに?』


あいつの問いにも答えなければいけない。

そして、なにより・・・。

みやこ、おまえとのことをどうするのか。


・・・・・・。


・・・。

 


突然、視界が揺らいだ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121150j:plain

世界がくるりと一回転して、天井と床が逆になったような感覚。


「うわっ、ヒローノォ!」
「どこの国のヒトだ、俺は・・・」


かろうじて、ツッコミを入れる程度の余力はあった。

よろけた身体を壁にもたれて支える。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121200j:plain



「・・・っ、今ちょっとヤバかった」
「おいおい、一人でなにを遊んでるんだよ」


今のが遊んでるように見えてるというのか、おまえは。

どういう目をしてるんだ、おまえは。

それでも友達なのか、おまえは。


「おお、広野の中で呪詛がうごめいてるのがわかる」
「わかってくれて嬉しいよ」


なんとか言い返して、歩き出す。

今は昼休み。

学食派の京介に付き合って食堂に向かう途中・・・だったのだけど。


「肩でも貸してやろうか? 特別価格で」
「金取るのかよ!」


たとえタダでも借りる気はないけどな。


「でもさ、広野って毎月これくらいの時期に体調悪そうにしてるよな。 休みも多いし」
「・・・・・・」
「実は女の子でアレな日なのか? けっこう重いほうなのか?」
「いっぺん死んどくか、京介」


こいつの戯れ言にはこれ以上付き合ってられねぇ。

さっさと一人で行ってしまおう。


「待て、待て。 ホントに大丈夫なのかよ」


それでも追いついてくる京介。


「なんでもねぇよ」


色々ごたごたしていた上に、真面目に登校してるので原稿はかつてないピンチを迎えてる。

だけど──

妙に魚介類が多いのがたまにキズだが、それでも毎日ちゃんとしたメシは食ってる。

これだけでもずいぶんと身体の負担は軽くなってる気がする。

照れくさくて本人には言えないけど、本当にありがたいことだよ。

だからこそ──倒れたりするわけにはいかねえ。


「ま、おまえが言うんなら別にいいけどな。 ホントにヤバくなったら言えよ」
「言ったら、なにかしてくれるのかよ」
「いんや、別になにも」
「だと思ったよ」


京介に期待するだけ無駄だもんな。


「なにもしなくていいだろ? 話聞くだけでも、ちょっと楽
になるんじゃないか?」
「・・・別に楽になりたいなんて思ってねーよ」


たまに、京介がいい奴に思えてしまうのはなんとなくムカつく。

あー、ちくしょう。


──「絃くんっ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121213j:plain



「わっ」


いきなり背後から現れるみやこ。


「おまえらは、俺を驚かせずに声かけられねえのかよ」

「んー・・・・・・無理?」


お願いだから、努力してください。


「それより絃くん、飲み物は買ってきた?」

「今からだよ」

「じゃあ、あたしは先に屋上に行ってるから、早く来てね」


みやこは両手に持った2つの弁当箱を掲げてみせた。


「・・・最近、飲み物だけ買ってどこに消えてるのかと思ったら、そういうことか」


しまった、京介がいたんだった。


「いや、違うぞ。 誤解すんなよ。 別にこいつと屋上でランチタイムとしゃれこんでるわけじゃねーぞ」

「あたしと一緒にランチタイムとしゃれこんでるじゃん」

「おまえは黙ってろよ」

「え~っ、あたしは喋ってないと死んじゃうよ」

「この状況じゃ嘘のつきようもないだろ。 あきらめろ、広野」

「あきらめろー」


なぜおまえらは共同戦線張ってるんだ。


「てゆーか、あなたは誰?」


不意に、みやこは京介を指さした。


「堤だよ、堤京介! 1年のときにけっこう話したことあっただろ!」


そういえば、京介はみやこを口説こうとしたことあったんだっけ。


「むぅ、そうだったかな・・・。 1年の頃はちょくちょく色んな人に話しかけられてたからね」

「完全にエトセトラ扱いだよ・・・」


おお、京介が泣きそうになってる。


「まぁいいや。 じゃ、あたし行くから。 絃くんはまた後で。 エトセトラの人もバイバイ」

「エトセトラはやめろー!」


みやこは京介の言葉を無視して、さっさと去って行った。


「うう、プライドがえぐられた・・・」
「そんなもんあったのか」
「おまえら、嫌い・・・。 メシなんてどうでもよくなってきた。 慰めてもらいに行こ・・・」


誰にだよ、というツッコミは届かなかった。

がっくりと肩を落として、京介もいずこかに消える。


「これを期に心を入れ替えて生きればいいのに」


まあ、心を入れ替えなきゃいけないのは京介だけじゃない。

俺も、みやこも。

ろくでもない生き方をしてたら、必ずそのツケは回ってくるんだからさ。


・・・。

 



 


「んじゃ、俺行くわ」
「えーっ、もう行くの?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121230j:plain



立ち上がろうとした俺の腕に、みやこが飛びついてきた。


「おいっ」
「えっ?」
「胸。 胸、押しつけんなよ」


服の上から想像した以上にボリュームのある胸が、ぴったりと腕に押しつけられている。


「なら、どこを押しつけてほしいの?」
「いや、それは胸が一番気持ちいいんだけど」
「問題ないじゃない」
「そうなんだけど・・・って違う! だからもう行かなくちゃいけないんだって!」
「まだ早いじゃん」


昼休みは10分以上残っているが、俺は首を振った。


「次、体育なんだよ。 体育の大塚、遅刻にうるせぇから早めに行っとかねえと」
「なるほど。 でも、びっくりしちゃった」


ようやくみやこは胸を離してくれた。

ちょっと惜しい気がしてしまうのは男の性か。


「つーか、なにを驚くことがあるんだよ?」
「うん、もうあたしに飽きちゃったのかと思ったよ」
「おまえなー」


飽きるとか飽きないとか、そういう問題じゃないと思う。

だいたい、その言い方だと完全にデキてるみたいじゃん。


「ん? アレ?」


このところ、毎日昼メシを一緒に食ってる。

放課後になると、みやこは家にやって来て、本を読んだり俺の仕事の邪魔をしたりして遊んで。

夕方近くになると、晩メシの支度をして、もちろん一緒に食卓を囲む。

さらに、みやこは晩メシが終わっても、日付が変わるくらいまで俺の家に居座っている。

それに1回だけとはいえ、キスだって・・・。

これで付き合ってないというなら、なんなんだろう。


「うおぉ・・・」


頭を抱えて天を仰ぐ。


「ど、どうしたの? クスリ切れた? なにかヘンなものとか見えるの?」
「なんつーこと言うんだよ!」
「ジョークだってば」


笑えない冗談はよしてもらいたい。


「本当にどうしたの? サボるの?」


みやこは怪訝そうな顔をしてる。


「いや、行きます・・・」


よし、とりあえずあんまり気にしないことにしよ。


「いってらっしゃーい。 また後でね」
「うーい」




 

──「広野先輩!」


「あ」


正面からばたばたと景が駆けてくる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121243j:plain



「先輩、最近はちゃんと授業は出てるんでしょうね」
「いきなりそれかよ」
「一番大事なことでしょ」


じーっと見つめてくる景。

俺はぼりぼりと頭をかく。


「言われなくても出てるよ。 出てるから。 もうだるいわ眠いわで死にそうだけどな」
「先輩もやればできるじゃない。 最近、あんまり顔合わせてなかったから気になってたんだけど」


考えてみれば、景とこうして話すのはちょっと久しぶりかもしれない。


「おまえが心配しなくてもいいよ。 それより、おまえはどうなんだよ。 あんま顔見せなかったのは部活のせい?」


景はこくりと頷く。


「最近ね、調子がいいの」


景はにっこりと笑って、シュートするマネをした。


「身体が思い通りに動くのよ。 パスもよく通るし、シュートも外さない。 こんなに調子がいいのって、初めてかも。 今はバスケをやるのがめちゃくちゃ楽しい。 楽しくて楽しくてしょうがないの」
「ほー、おまえにそんな無邪気なところがあったとは」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121253j:plain



「人をなんだと思ってるの、先輩は」


景が軽く繰り出してきた拳を手のひらで受け止める。

もちろん、使ったのは左手。


「今度の日曜」
「日曜?」
「練習試合があるの。 相手は、去年の県大会準優勝校。 ウチだって弱くはないけど、まず勝てる見込みなんてないと思う。 口には出さないけど、部員のみんなはそう思ってるでしょうね」
「・・・それで」
「でも、わたしは最初から諦めてるのは嫌。 調子はいいし、チームも上手くいってるもの。 ひょっとしたらひょっとするかもって思えるの」


景はずいっと一歩踏み出してきた。


「先輩にも見に来てほしいのよ。 場所はここの体育館。 試合開始は10時から」
「日曜か・・・」


日曜ならもう原稿は終わってるし、見に行けないこともないな。


「わたし、勝つから」


景の瞳には確かな決意が宿っている。


「絶対に勝ってみせるから・・・そのときは、わたし、お兄ちゃんに大事なことを言うわ」
「大事なことって・・・」
「今は言えないけど、絶対に言うから。 勝つから、待ってて・・・お願い」
「待つって、なにを」
「うるさい、これ以上言わせんな!」


しおらしくなったり、怒鳴ったりで忙しいな。

でも。

待ってくれ、か。

もしかすると、景はずっと・・・。

待ち続けていたのかもしれない。

待たせていたのが誰なのかは、考えるまでもなく──


「絃くーん!」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121303j:plain



また最悪のタイミングで現れたな。

笑顔を浮かべたみやこが軽快な足取りで階段を下りてくる。


「さっき言い忘れたんだけど、今日の晩ごは──」


言いかけて、みやこは立ち止まる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121329j:plain



「あ、景ちゃん・・・」

「・・・どうも」


景は不機嫌さを隠そうともしてない。


「・・・広野先輩?」


ぎろり、と景は鋭い目つきを向けてくる。


「目がすっげー怖いんだけど・・・」

「絃くん、体育なんでしょ。 早く行ったほうがいいよ」

「でも・・・」


みやこと景をこのままにしておいていいのか。


「授業に行って──ていうか、さっさと行け!」


聞いたこともないほどのせっぱ詰まった声だった。

どうやら、ここは素直に従ったほうが良さそうだ・・・。


・・・。

 



 

f:id:Sleni-Rale:20220129121340j:plain



「この鍵ね、絃くんがお姉さんにもらったんだって。 進学祝いの代わりに」


最近は、あたしのほうが先に屋上に来るから、こうして預かっている。


「凪お姉さんがやりそうなことですね」



f:id:Sleni-Rale:20220129121349j:plain

「そっか、景ちゃんはお姉さんと会ったことがあるんだ」
「最近は会ってないですけどね。 凪お姉さんも海外に行っちゃってますから」
「ふーん・・・」


がちゃり、と音を立てて鍵が外れる。

あたしは屋上に通じる扉を開けた。

とたんに冷たい風が吹きつけてくる。


「あー、やっぱり寒いなあ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121357j:plain



「なら、ここじゃなくていいんじゃないですか?」
「他に誰も来ないからね。 内緒話にするにはいいんだよ」
「・・・広野先輩と?」


景ちゃんは風で乱れた髪を整えてる。


「内緒にしなくちゃいけないような話はしてないかな」
「宮村先輩はそういう話、したいんですか?」
「それも面白いかもね」


と言いつつも、あたしと絃くんの間で色気のある会話が交わされたことはない。

ここ何日かは、ふたりきりでいることが多いのに。

だからこそ、意図的に避けてるんだと思う。

変なムードになっちゃったら、なにが起こるかわかんないもん。

わからないから、怖い。

あたしも、たぶん絃くんも。


「景ちゃんは、普段絃くんとどんな話してんの?」
「別に・・・先輩もわたしもバカですから、ろくな話はしていません」


しゃべりが固いなー。


「あのさー、あたしのほうが1コ上だけど、敬語使わないでいいよ。 そういうの気にしないから」
「宮村先輩、わたしは広野先輩とは子供の頃からの付き合いなんです」


あ、無視された。


「広野先輩は昔から毎日お父さんに絵を教わってて、あまり外で遊べなかったんです。 当然ですけど、ほとんど友達はいませんでした」


いきなりなにが始まったんだろう。


「でも、時々家から抜け出してきては一人でうろうろしてる広野先輩を、わたしはなんだか見ていられなかったんです。 どうしてひとりでいるんだろう、って。 あの頃のわたしには・・・人がひとりでいるってことが理解できませんでした」


ふと、景ちゃんは一瞬だけ遠くを見るような目をした。

なんだったんだろう、今のは。


「寂しそうだったんです、先輩は。 だから、わたしはこの人をひとりにしちゃいけないって思いました」
「余計なお世話じゃないかなー」
「先輩はついてきましたよ。 わたしの家に連れて行ったんですけど」
「男の子をいきなり家に連れてったの? 景ちゃんって、ちびっこいくせにけっこう大胆なんだ・・・」
「子供の頃の話です! それに、身体の大きさは関係ないでしょ!」


素早いツッコミ。

前から思ってたけど、景ちゃん、なかなかやるね。


「・・・こうやって、話を逸らせるのが宮村先輩の手ですか」
「そんなたいそうなものじゃないけどね。 真面目な話には、なかなかついていけなくて。 あははっ」
「そういうヘラヘラしたところが嫌なんだよ・・・」


聞こえてるよ、景ちゃん。

それくらいの毒舌は気にしないけどね、あたしは。


「わたし、昔から少女漫画好きだったから、家にはいっぱい漫画があったんです」
「見かけによらず、乙女ちっくな趣味だね」
「ほうっておいてください!」


そんなに怒鳴らなくてもいいのにー。

まあ、自分でもあまり似合わないっていう自覚があるんだろうね。


「先輩が、広野先輩が初めて触れた娯楽が少女漫画だったんですよ。 先輩は、すぐに夢中になって読み始めました」
「絃くんがそっちに傾いた原因って景ちゃんだったんだね」


やっぱり、なんだかんだ言っても絃くんは男の子だし。

普通なら少年漫画とか青年漫画だもんね。


「いくら好きになったからって、まさか少女漫画描き始めて、しかもデビューまでするとは思ってませんでしたけどね。 ええ、全然予想すらしてなかったんです。 身近にいたからわからなかったのかもしれませんけど・・・。 広野先輩の力はわたしが思ってたより全然すごくて」
「なんか、少年漫画の主人公みたいだねー。 奴の潜在能力は我らの予想を遙かに超えている! みたいな」


ぎらり、と景ちゃんが睨みつけてくる。

せっかく可愛い顔してるんだから、笑ってればいいのにな。


「わたしは思うんですよ、宮村先輩」
「はいっ」
「頑張ってる人を見て、凄いなって思うだけじゃダメだって。 やっぱり、努力してる人はなにもしてない人を認めませんよ。 少なくとも、好きになるとは思えない」
「・・・・・・」


・・・なんだろう。

なにかが突き刺さったみたいな痛み。

なんだろう、これは・・・。


「わたしはそういうものだと思うんです」
「・・・それが、景ちゃんがバスケを始めた理由?」
「もともとバスケが好きだったんですよ。 速攻かけて、一人で敵をみんな振り切ってシュートを決めたりすると、すっごい気持ちいいんですよ」
「にゃー」
「バカにしてるんですか?」
「違う、違う。 感心したあまり、つい猫化を」


あたしはぶんぶんと首を振った。


「もういいです。 でも、これだけは言わせてください」


迷いなんてかけらもない、まっすぐな瞳。

こんな目ができるなんて、景ちゃんはどれほど強い気持ちを秘めてるんだろう。


「わたしは──お兄ちゃんが好きです。 ずっと昔から、これからもずっと、いつまでも思い続けます。 だって、これまでも一度だってお兄ちゃんへの気持ちが途切れたことなんてなかったもの」
「・・・それをあたしに言われても」
「そうやって、すっとぼけてればいいんだわ」
「・・・・・・」
「わたし、絶対にあなたには負けない。 ううん、お兄ちゃんからあなたの存在を消してみせる。 あなたなんて・・・」


あたしが・・・絃くんの心から消える?

また、消えてしまう・・・?


「わたしは、そこからお兄ちゃんと一緒に始めます。 あなたとはそれで、さよなら。 それで・・・終わりです。 終わらせるわ」


・・・・・・。


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121412j:plain



「終わったぁぁーっ!!」


ペンを放り出して、両手を掲げる。

原稿が上がったこの瞬間。

作画が苦痛になりつつある今でも、このときの開放感だけは最高だ!

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121420j:plain



「・・・ん? みやこ?」


部屋の隅っこでおとなしく本を読んでいたみやこが、呆然とした顔で俺を見てる。


「え、あれ? そんなにびっくりした?」


まあ、突然奇声が上がればそりゃ驚きもするか。


「悪ぃ。 でも、こうやって叫ばねぇと終わった気がしねぇんだもん」
「あ、うん。 気にしてない。 ちょっとびっくりしただけだから。 おつかれさまー」
「ああ、さんきゅ。 って、のんびりしてる場合じゃない!」


俺は原稿の束をひっつかんで、みやこに差し出す。


「なに? これくれるの?」
「バカ、違ぇよ。 ちゃんと全ページ揃ってるか、明らかに変なところがないかチェックしてくんない? 俺、判断能力なくなってきてるから」


ここ3日くらい徹夜に次ぐ徹夜だったから。


「それはいいけど・・・原稿て、人に見せちゃいけないんじゃなかったっけ?」
「この原稿上がったの、俺一人の力じゃねぇから。 手伝ってくれた人間になら、読ませたってなんの問題もねぇよ」


俺はみやこから視線を逸らしながら言った。

なんだって俺はこんなに素直に喋っちまってるんだか。


「・・・・・・へー」
「あんだよ」


あぁ、顔が赤くなる。


「ううん、わかった。 ちゃんとチェックさせてもらうね」


・・・・・・。


・・・。

 


絃くんは大急ぎで原稿を出しに行った。

なんでも、特別便を使えば出版社まで数時間で原稿を届けられるらしい。

文明だねぇ。

それはともかく・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121431j:plain



「はーっ、びびったー」


急に「終わった」とか言うんだもん。

屋上での景ちゃんの言葉はまだ耳に残っている。

終わりにするって言ってた。

いつ、なにが始まったのかあたしにはわかんない。

でも確かになにかが動き始めていて、あたしと絃くんと景ちゃん──3人がその渦中にいる。

それはいわゆるアレなんだろうか。

それこそ漫画でしか見ないような、あの単語。

割と現実にはあるのかもしんないけど・・・。

そんなものに自分が巻き込まれてるっていうのが信じられない。

違うか。


「自分から飛び込んだんだよね、あたしは」


あたしはもう捕まっちゃったから。

それは悲しいことだし、嬉しいことでもある。

絃くんに手を掴まれたあの瞬間──あたしは確かになにかえを手に入れて、なにかを失ったんだと思う。


「複雑なんだよね・・・」


どさっ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121440j:plain



ベッドに横になる。

絃くんの原稿、凄かったなあ・・・。

あたしと同い年なのに、あれだけのものが描けちゃうんだ。

頑張ってるだけじゃなくて、きっちり結果も残してる。

景ちゃんだって、可哀想に見えるくらい必死。

それに比べてあたしはなんだ?

毎日毎日ふらふらしてるだけ。

一度決めた生き方をずっと通してる。

結局、いつまでも変わってないんだ、あたしは。

変わることを拒絶してる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121449j:plain



「む~~~」


枕に顔を埋めてみると・・・。

不思議。

いつも机に突っ伏して寝てて、ろくにベッドは使ってないはずなのに。


「絃くんの匂いがする・・・」


がばっ。


「なんてやってる場合じゃない!」


絃くんが戻ってくるまでにごはん作らなきゃ。

約束は「原稿上がるまで」だったけど、これくらいの延長サービスはしてあげよう。

その後のことは・・・後になったら考えよう。


「よーしっ・・・・・・ん?」


この枕カバー、けっこう汚れてるなー。

シーツもあまり洗ってないみたい。

なにか本当に「通い妻」みたいだから、洗濯まではさすがにやってないけど、洗ってあげたほうがいいかな・・・。


「ふむ」


枕カバーについていた髪の毛をつまんでみる。

やっぱり部屋は清潔にしとかないと・・・絃くんの場合、病気になったらシャレになんないもんね。


「・・・あれ?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121458j:plain



この髪の毛、長さはともかく色がちょっと絃くんのとは違うような・・・?

もちろん、あたしのでもない。

そうなると・・・。


・・・・・・。

 

・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121509j:plain



「あー、もう腹一杯だ」


箸を置いて、俺はふくらんだ腹をさすった。

みやこが用意した味噌仕立ての海鮮鍋は、優に5人前はあったんじゃないだろうか。

最後はもう意地になって詰め込んだっつーか。


「それにしてもよく食べたねー」
「おまえが残さず食えって言ったんじゃねぇか!」
「冗談だったのに・・・」
「冗談だったら、食い終わる前に訂正しろよ!」


やっぱり量を間違えてたのか。


「うーん、絃くんがどこまでいけるか見てみたかった」
「おまえの興味のために俺が腹壊してもいいのかよ!」
「悪くはない、かな」


こいつ、叩き出してやろうか・・・。


「さーてと、あたしはお片付けしよっと」


逃げやがった。


・・・・・・


・・・

 

とん、と湯呑みが置かれる。


「お疲れ様でした」
「・・・どうも」


俺って、ねぎらわれるのとか苦手なんだよな。

我ながら素直じゃないと思うけど。


「まあ、でもあれだね」


みやこはまったく気にしてないみたいだ。

さすがだ。


「なんでこうギリギリになっちゃったのかな」
「いつものことだよ」


自慢じゃないけど、締め切りに余裕を持って原稿上げたことなんて一度もない。


「というかさ、最初から早めに上がるようにやればいいんじゃないの?」
「それを言うなぁーっ!」
「うあぁっ」
「夏休みの宿題と同じなんだよ! ギリギリまで引っ張らないとできないもんなんだよ!」
「そ、そうなんだ・・・」
「そうなんです」


俺は反論を許さない強い調子で言った。

不思議なことに、どんなに急いでやっても結局はギリギリになるんだよな。

実のところ、俺にとっても謎だったりする。


「で、でも、これでちょっとはのんびりできるのかな?」
「できるか、んなもん」
「え!? そうなの!?」


俺はため息をついた。


「次のコンテと、単行本の加筆修正、それに表紙も描きおろすからカラーの作業も。 ああ、増刊号用のコンテもいい加減やらないとまずいな」
「お、お休みは・・・?」
「休みなんてのは、ちゃんとやることやって結果も残してる人が取るもんだろ。 俺みたいなペーペーが休んでたらいつまで経っても、上の連中に追いつけないじゃんか。 漫画家の卵だっていくらでもいるんだから、ぼさっとしてたらあっという間に追い抜かれるしな」
「うーむ・・・」


いや、おまえが悩むことじゃないぞ。


「厳しい世界なんだね・・・」
「どんな仕事も似たようなもんだろ。 でもまあ、今日くらいはゆっくりしてもいいかもな」


右手は完全に限界超えちまってるし、1日くらいは休ませないとそろそろヤバい。

このままクラッシュでもされたら、笑えねぇ。


「絃くん、お茶のおかわりは?」
「ああ、もらおうかな」


部屋は静かで、みやこが急須からお茶を注ぐ音が妙に響いて聞こえる。


「・・・・・・」


原稿描いてるときは、気にもならなかったけど、やっぱりこの状況は変だよな。


「やっぱり冬は熱いお茶が一番だねー」
「ババくせえな」
「そういうこと言う人にはお茶あげません」


さっ、とみやこの手が俺の湯呑みを取り上げようとする。

だが、同時に俺も手を伸ばしていた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121526j:plain



「あ」
「はっ」


不意に重なってしまう手と手。

確かに伝わってくる、みやこの体温・・・。


「わ、悪ぃ」
「こ、こちらこそ・・・」


なんだ、このラブコメのような展開は!

なぜだかわらかないが、物凄く不本意


「絃くん」
「うぃ?」


あぁ、つい返事が変な感じに。

みやこはお茶をごくりと飲み干してから、小さく息を吐いた。


「お風呂、借りてもいいかな?」


・・・・・・。


・・・。

 

みやこはなにを考えてるんだろう。

想像しても無駄だっていうのは充分わかってるけど、気になってしょうがない。


「別に深い意味は無いって可能性もすてきれない・・・つーか、それが一番高いよな」


あいつの行動が突飛なのは今に始まったことじゃない。

でも、期待しないってわけにも。

あいつは期間限定なんて言ってたけど、ホントにこれで終わりにできるか?

いや、メシのこととかどうでもよくて。

ただ、俺は──


ピリリリッ、ピリリリリッ。


「・・・っ」


あーびっくりした。

俺は携帯を取り上げる。



「もしもし」

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121544j:plain



『俺や』
「あんたか」
『いきなりやけど、時間がない。 原稿は?』
「さっき発送したよ」
『そうか、ギリギリやな』


不機嫌そうな声。

オッサンが担当してるのは俺だけじゃない。

そして、もちろん他の漫画家さんたちも締め切りギリギリまで引っ張ってんだろう。

これでオッサンの機嫌が良かったら気持ち悪い。


『まぁ、間におうたんやからええわ。 おつかれさん』
「いや・・・悪かったよ」
『なんや、どないしたんや。 なにを素直に謝ってんねん』
「うるせーよ。 用はそんだけか?」
『ああ、そうや。 おまえ、春休みになったら一回こっち出て来いや』
「は? なんで?」


呼び出しをくらうようなことをやった覚えはないぞ。


『たまには顔見とかなあかんわ。 どうも不安でしゃーない』


恋愛中のカップルか、俺らは?

なにをぬかしてんだ、このオヤジ。


『ま、息抜きやと思っとけ。 旅費くらいはこっちで出したるから』
「ちなみに、それが原因で原稿遅れてもいいの?」
『あかん』
「・・・・・・」


電話じゃなかったらオッサンの首絞めてるよ、俺。


『そういうことやから。 細かいこととかは、原稿チェックした後でまた電話するわ。 ほしたらな』
「あー、了解」


通話終了。

ていうかさ。


「俺って、そんなに危なっかしく見えるのか?」


顔見ないと不安って。

それとも大村さんが心配性なだけか。

うーん・・・。


「ちょっと待てよ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121634j:plain



再び携帯を手に取って、時刻表示を見る。

あいつ、えっらい風呂長くねぇか?

女って普通にこんなに長いもんなのか?

京介あたりに訊けばわかるかもしれないけど、それはそれでマズイことになる予感。

うーむ。

あいつ、風呂場でなにか怪しげなことでもやってるんじゃ・・・。


「怪しげなことってなんだよ」


よくわかんないけど。

ちょっと様子見に行ったほうがいいか?

でも、覗きと勘違いされたらヤだしな・・・。

・・・一応、声だけでもかけとくか。

最悪、覗きと思われてもみやこ相手なら問題ないだろーし。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121655j:plain



「おーい、みやこ」


・・・。


返答無し。


「おいこら、みやこ!」


コンコン。

脱衣所に続くドアをノックしながら呼びかけてみる。


「・・・・・・」


やっぱり反応無いな。


「・・・入っちまうか」
「入ってきたら通報~」
「生きてたのかよ!」
「絃くんの分まで生きるって決めたもん~」
「俺、死んでねぇよ!」


くそ、心配して損した。

こんなバカ、放っておこう。


「ありがと~」
「は?」


歩き出そうとした足を止める。


「あたし、寝ちゃってたから」
「・・・よく溺れなかったな」
「今から上がるけど・・・なにか冷たいもの用意しておいてくれるかなぁ」


なるほど、完全にのぼせてるみたいだな。


「上がるとき、気をつけろよ」
「ふぁ~い」


・・・・・・。

 

・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121713j:plain



「あ~、風が気持ちいい~」


横を歩くみやこが、ぱたぱたと襟元を広げた。


「こらこら、なにやってんだ」


身体が熱いのはわかるけど、風邪ひいちまうだろうが。


「ダメなの?」


そんな可愛い訊き方をしてもダメ。

俺は首を振った。


「いいからあったかくしとけ」
「は~い」
「んで、どうなんだよ?」
「まだちょっとぼーっとしてるかな。 でも大丈夫だよ。 すぐに回復するから」


根拠はなさそうだけど、ただの湯あたりだし、大丈夫か。


「ふう~」


俺には寒すぎる夜風が、みやこには気持ちいいみたいだ。


「たまにはこうやって散歩するのもいいよね」
「おまえさ、なにか考え込んでたとか?」


一瞬、硬直するみやこの表情。

だけど、すぐに淡い笑みが浮かんでしまう。

心をこちらに読ませない。

意識的なのか、無意識にやってるのか──ともかくみやこは心の内をほとんど顔に出してないと思う。


「色々。 考えなきゃいけないことがたくさんあるんだけど、なにについて考えるかってところから始めなきゃいけないんだよね。 まぁ、考え込んでる内に寝ちゃったんだけどね」


みやこは笑いながら、ばしばしと自分の頭を叩く。


「もしかして・・・。 この間、景となにか話したんだろ? それと関係あるのか?」
「無いって言ったら嘘になるけど、それだけじゃないから」
「そうか」


景となにを話したのか、それを言うつもりはなさそうだった。

たぶん、みやこは追求しても話してくれないだろうな・・・。


「複雑なことは、風呂から上がってから考えろよ。 今度は風呂に沈んじまうぞ」
「そんときはまた絃くんが助けてくれればいいし」
「アホか」
「ああ、そっか」


みやこはぽん、と手を合わせる。


「一緒に入ればいいんだ」
「マジ面でなに言ってんだ、おまえは」
「む」


みやこは唇を曲げて、睨みつけてくる。

もちろん、睨まれても怖くもなんともない。

こいつはタチの悪い人間だけど、「攻撃性」ってものはほとんどないんだよな。


「こういうとき、動じてくれないと面白くないよ」
「だから俺は、おまえを面白がらせるために存在してるんじゃねぇっての」
「ちぇっ、つまんないの」


ありもしない小石を蹴る真似をして、みやこはつぶやいた。


「でもさ」
「今度はなんだよ」
「・・・ううん、なんでもない」


尖ったところは全然ない。

みやこには、ただ不可解さだけがある。

まるでとらえどころのない、あまりにも自由でありすぎる存在。


「みやこ」
「うん?」
「ありがとな」


とたんに、きょとんとした顔になるみやこ。


「肩の力を抜いてもいいじゃねぇかって思える。 思えるだけなんだけどさ」


実際には、俺は背負い込んだものを下ろそうとはしてない。

下ろし方がわからない。

どうやったら、みやこみたいに──自由になれるのか。


「絃くん、なにか悪い物でも食べた?」
「おまえが作ったもんしか食ってねーよ」
「あ、そうか。 そうだね・・・」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121725j:plain



それから、俺たちは無言のまま歩き続けた。

なにも言葉が出ない。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121735j:plain



ただ、どちらからともなく手を繋ぎ。

見慣れた街の、いつもの曲がり角で。

それが当然であるかのように──

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121743j:plain



唇を重ねた。

みやこの吐息の熱さが、他のすべてを忘れさせた・・・。


・・・。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121752j:plain



さくさくと砂を踏む音と、潮騒

夜の闇の下で、月明かりに照らされて白浜がぼんやりと浮かび上がっている。

静かで優しい冬の夜。

波打ち際を歩くみやこの姿までが、どこか幻想的に見える。

身体が凍りつきそうな寒ささえ、どうでもよく思えてしまう。


「あたしね、言われたんだ」


みやこは不意に立ち止まり、口を開いた。


「人を試すようなことするなって」
「なんだそれ。 言われたって誰に?」
「信用に関わることなので、ソースは明かせません」


いたずらっぽく笑うみやこ。


「アホかい。 だいたい、なんだよ。 試す? 誰を?」


すっと手を伸ばして、みやこは俺を指さした。

まったく全然そんな覚えはないんだけど・・・。

うん、マジで身に覚えがない。


「うわー。 ホントに鈍いんだね、絃くんは」
「おまえだって敏感ってほどじゃねえだろ」


みやこはにこっと笑う。


「ずっとだよ。 学園の屋上で会ってから、ずっと・・・あのときから絃くんの反応をうかがってたと思う。 絃くんはあたしを大事にしてくれる人なのか・・・って」
「んなことが知りたかったのか?」
「大事にされないのなら、あたしは誰とも関わりたくない」


みやこは──確かにこの学園でも俺以外の人間と積極的に関わっているようには見えない。

それは、誰に対しても大切に思われてるという確証が持てなかったからか?


「正直言ってね、絃くんのこと忘れてたんだよ。 クリスマスに会って、その後は電話もなかったじゃない? 自転車弁償させるとか言って、番号聞き出したくせに」


俺は頷く。

あのときは本気で弁償させるつもりだったけど、女の子相手に取り立てするのは気が引けたし。

なにより毎日が忙しくて、電話をかける余裕もなかった。


「結局んとこ、面倒くさくなっちゃったんだよな。 どうでもよくなったって言ってもいいけど」
「あたしも同じだよ。 どうでもよくなってた。 どうでもよくなってたのに・・・」


みやこは、ふっと遠くを見るような目をする。


「なのに、あたしたちは再会しちゃった」
「しちゃったって・・・悪いことみたいに言うなよ」


ぎゅっ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121801j:plain



みやこが手を握ってくる。


「あたしはいつも自由で・・・なににも縛られずに生きてきたのに。 責任とってよ」
「せ、責任?」


なぜか、やけにドキっとする言葉だな。

みやこはにこっと笑う。


「そう、責任。 あたしはつかまえたんだから、もう離さないで」


握った手から伝わってくる、みやこのぬくもり。

確かにみやこはここにいて──想いを向けてくれている。


「おまえは・・・それでいいのかよ」


たぶん、みやこは好きで自由に生きてるんだと思ってた。

ひとりでいることに苦痛を感じるどころか、それで幸せなんじゃないかと。

みやこはいつも笑っていたから。


「あのね」


手に力を入れながら、みやこは言った。


「変わるんだよ、人の気持ちなんて。 誰とも関わらずにいるのは気が楽だったよ。 いつでも、好きなときに、好きなところに行けたから」


そういえば、いつぞやも「どこか遠くに行こう」とか言ってたっけ。

なにも背負っていないみやこだからこそ、簡単にそう言えてしまったんだろう。

そして、俺にも荷物を下ろしてほしかったのかもしれない。


「うん、あたしはどこにでも行ける人だった。 そんで、そのままどこかに消えてしまっても問題もなかったと思う」
「問題ないわけが・・・」


そうだ、みやこの家族はどうなってるんだろう。

多忙だとか前に聞いた記憶もあるけど、みやこはほとんど話さない。


「問題ないんだよ。 それはあたしには嬉しいことだった。 だけど、だけどね」


一瞬、泣きそうな顔をする。

それでもみやこは笑う。

笑おうとする。


「どこにでも行けちゃうっていうのは、どこにも居場所がないからだよ。 行きたい場所も、帰るところもないっていうのは・・・まるで・・・世界にひとりぼっちみたいだね」


今にも消えそうな儚い笑顔に──胸が潰れそうな痛みを感じる。

いや、潰れそうなのは──みやこの心か。


「もう・・・ひとりじゃねえよ」


俺はおまえにそばにいてほしいから。

自由なみやこを好きになった。

好きだから、そばにいてほしいと思った。

でも。


「俺はおまえを縛りつけようとか思わない。 みやこ、おまえはやっぱり自由だよ。 俺はただ、おまえの選択肢のひとつになる。 おまえが選べば、俺はそれに応える。 もちろん、みやこが自分の意志で俺のそばにいることを望んでくれればいいと思う」
「・・・ん」


小さく漏らした吐息。

表情が沈み──見つめていても、それが消えない。


「俺はさ、おまえみたいにはなれない」
「あたしも絃くんにはなれない」


お互いが違う存在で、違うものを持っているからこそ──

惹かれ合うんだと思う。

そして、みやこは俺が持っていなかったもの、俺がほしかったものを持っていた。


「好きなんだよな、結局」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121850j:plain

みやこの目が大きく見開かれ、頬が紅潮する。


「でも・・・よかったのかな、これで」
「・・・いいよ」


問題なんていくらでもあるけれど。


「なんとかなるよ」
「なんとかなるって、なにが?」
「とりあえず、俺らのことから始めてみよう」
「・・・うん」


小さく頷くみやこ。

その頬を上げさせて、口づける。


「・・・んっ」


今はひたすらに──

みやこといることで得られる幸せを求めたい。

他のことなんて、考えたくもない。


「は・・・っ」


唇を離すと、みやこは小さく息を吐いた。

その白い息が、風に乗って流れていく。


「寒い、ね・・・」
「ああ、寒いな・・・」


もう始まってしまったから。

もう、誰にも止められない──


・・・・・・。


・・・。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121900j:plain



部屋の灯りは消したまま。

月明かりだけでも、充分にみやこの顔は見える。

その証拠に、ちゃんとみやこの頬を掴んでキスできた。


「・・・んっ」


ベッドに並んで腰掛け、手をしっかり繋いで口づける。


「んん・・・」


ついばむようなキスを二、三度繰り返す。

みやこの唇はやっぱり柔らかくてあたたかくて。


「ん・・・んっ・・・」


お互い、キスには慣れてない。

やり方なんて知らないから、やりたいようにやるのが精一杯だ。


「ふぁー」


唇が離れると、上気したみやこの顔があった。

たぶん、俺の顔も赤くなってるだろう。


「なんか力が抜けてくる・・・」
「普段から力入ってないだろ、おまえは」
「絃くんはこんなときにまで意地悪なんだね・・・」


どさっ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121909j:plain



みやこの肩を抱いて、そっと押し倒す。


「あ・・・っ」


みやこは本当に力が抜けていて、ぱたりと倒れ込んでしまう。

横たわったみやこの姿に、ごくりと唾を飲み込む。

部屋は暗くて、ふたりっきりで。

制服姿の同級生が、潤んだ瞳で俺を見上げながらベッドに寝転がっている。

この状況を認識するだけで、身体が硬直しそうになってしまう。

ダメだ、ダメだ。

一度固く目をつむって、気持ちを持ち上げる。

俺は肩を抱いたまま、もう一度キスを──


「ん?」


みやこがそっと差し出した人差し指が、俺の唇に当てられた。


「なんだよ・・・」


まさか、おあずけとか言い出すんじゃ・・・。


「・・・訊きたいことがあるんだけど」
「訊きたいこと?」
「うん・・・あのね」


珍しく、みやこはもじもじしてる。


「絃くんは、あれかなあ。 その、ここで誰かとこういうことしたこと・・・あるの?」


なにを言ってるんだろ・・・。


「そんなもん、あるわけねぇだろ」


あったらもっと落ち着いてるっつーの。


「一度も?」
「おまえ、なにを疑ってるんだ?」


みやこは寝た姿勢のまま首を振った。


「ちょっと聞いてみただけ・・・」
「もしかしておまえ、嫌・・・なのか?」
「好きだよ」
「・・・・・・」


今、すっごい早かった。

間髪入れずに言いやがった。


「ごめんね、急に変なこと言って」

 

f:id:Sleni-Rale:20220129121919j:plain



みやこはちょっと身体を起こして、ちゅっと、キスしてくれる。


「これで許して・・・ね?」
「おまえはー」
「ひゃっ」


みやこの肩を掴んで押し倒し、深く口づけた。

ついばむようなキスだったけど、みやこがどうしようもなくかわいくて、少し乱暴になってしまう。

みやこと握り合う手にも自然と力が入って、ベッドに押し付けるような形になる。


「ふあ・・・っ」


互いの顔が少し離れた。


「許してくれないんだ・・・絃くんの鬼畜」


至近距離で頬を上気させたまま、瞳を潤ませてみやこが言う。


「じゃあ、やめた方がいいか?」
「うわ、ここまでやっといてホントに鬼畜発言・・・」
「・・・いや、別にそういう意味で言ったわけじゃないんだけど」
「だったら、やめないで。 絃くんの気持ち、全部受け止められるから」
「みやこ・・・」
「好きだよ、絃くん」


そう言って微笑んでくれるこの女の子は、他の誰よりも綺麗なのだと。

今更ながら、俺はそう思った。


「俺も好きだよ」
「・・・うん。 知ってる」


顔を近づけて、再び深いキスをする。

俺は唇を押し付けることで、溢れる気持ちをみやこに押し付けた。

みやこもそれを受け止めてくれる。

・・・。


どれくらいそうしていただろう。

同じタイミングで息継ぎをするように酸素を求める。

そして、みやこは俺達の吐息が混じった温かい空気を、深呼吸するように吸い込んだ。


「苦しかったか?」


そう言って、僅かに距離を離そうとした俺を、みやこの腕が捉えて0の距離まで引きずり込む。


「いいよ。 ・・・だから、離れないで」
「・・・・・・」


俺は、無言でみやこと手を重ね、しっかりと握りしめる。


「絃くんが相手で本当にうれしい」
「俺もだよ・・・」


と、つぶやいたところまではハッキリと覚えてる。

だけど、その後のことは霧がかかったように曖昧だったりする。

俺とみやこの混ざり合った意識の中、ただ一つ確かに感じられたことは──

このときの俺は、今まで生きてきた中で最高の喜びを感じていたということだ。


・・・。