このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。
読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。
ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
─Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。
--------------------
「・・・ん」
まぶしさに目を開く。
身体が少しだるいけど、眠気は急速に消えつつあった。
なんの夢も見ず、ぐっすり眠れたのはずいぶん久しぶりな気がするな・・・。
「つーか・・・」
ベッドで寝たのもいつ以来だろ。
・・・ん?
なんでベッドで寝てるんだ?
とん。
「?」
物音がした方向に目を向ける。
「おはよ」
みやこが湯気を立てるコーヒーカップを2つ、テーブルの上に置いていた。
「・・・なんでおまえ、ここにいんの?」
「・・・泣きそうです」
みやこはぐすっと鼻をすするマネをした。
えーと、確か昨夜は・・・。
原稿が上がって、大村さんから電話が来て・・・。
「・・・・・・」
瞬時に身体が熱を帯び、思わずみやこの顔を見てしまう。
見ると、みやこも真っ赤になっていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
顔を赤らめた者同士で、そのまましばらく見つめ合う。
3分ほど過ぎたところで──
がばっ。
「・・・なにをしてる?」
ぴったりと身体を寄せ合って抱き合い、お互いの肩の上に顔が載っている状態になる。
「んーと、見つめ合ってるから恥ずかしいんじゃないかなーと。 ほら、こうすればお互いに顔は見えないから」
なんかもう心臓がばくばくいってる。
あんなことをした後でも、抱き合えばそりゃドキドキするだろ。
「・・・その理論は間違ってると思う」
「あたしもそんな気がしてきた・・・」
みやこはそう言って、俺から離れる。
「へへっ」
「はははっ」
どちらからともなく笑い合った。
笑うしかないというか。
「で、でもびっくりしたよ」
「な、なにが?」
「だって、絃くんいきなりばたーんって寝ちゃうんだもん。 急病にでもなったのかって思ったくらい」
「はぁ・・・」
あんまり覚えてない。
このところ、ろくに寝てなかったし、昨日はそれなりに緊張もしたのだろう。
昨日のみやこは・・・かわいかったよなあ。
「絃くんがなにか思い出してるよ・・・。 あたし、頭の中で縦にされたり横にされたりしてるんだろうなあ・・・。 ああ・・・」
読まれてる。
「みやこー」
「ダメっ」
「まだなんにも言ってねーよ」
「あたし、朝ごはん作るから。 食べたら学校行こ」
「こんな時間に学校行っても誰もいねぇだろ」
まだ6時前だぞ。
部活やってる連中だってまだ来てない。
「いいから行くの!」
「んなムキにならなくても」
みやこの赤くなった耳が、髪の毛の間から覗いている。
まぁ、確かに照れくさいってのもあるか。
それに、朝からまたいちゃいちゃしてしまえば、学校に行くテンションに戻すのが難しい。
「じゃあ、ささっと作っちゃうから。 その間に絃くんは顔洗ってきたら?」
「そうすっか・・・。 みやこ、おまえは洗ったの?」
「ん・・・」
みやこはちょっと考え込む。
「洗おうかと思ったんだけどね。 その・・・顔洗ったら、キスの感触が消えちゃいそうな気がするから・・・もうちょっとこのままがよくて・・・」
赤くなりながらとんでもないこと口走ってるぞ。
「おまえ、恥ずかしい奴だな・・・」
「ふたりで恥ずかしいカップルになればいいじゃん」
「やーだよ」
「ちぇっ」
・
・
・
「うーっ、寒ぅー」
やっぱり朝は冷え込むなあ・・・。
みやこを説き伏せて、もうちょい家にいるべきだったか。
そのみやこは、今はコンビニに行ってる。
「そだ、下着だけでも換えておかないと」
ということらしい。
いっぺん家に帰れば良かったんじゃないのか。
やはりこの時間だと人けはほとんどない。
誰かいるだろうけど、さっさと屋上に行ってしまえば遭遇することもないだろ。
「屋上はもっと寒いだろうけどな。 あれ?」
澄み切った空気を震わせて、聞き慣れた音が聞こえてくる。
これは・・・。
「・・・・・・」
音がするほうへと、俺は足を向けた。
・
・
・
コートの中を、ちっこい人影が走り回っていた。
ディフェンスを想定しているのか、緩急をつけた動きで自在にコート内を駆けめぐっている。
その手から放たれたシュートは次々にゴールを射抜き、外れた場合は、食らいつくようにしてボールを掴もうとする。
新藤景はたったひとりで、まるで自分を痛めつけるようにして練習していた。
よっぽど集中しているのか、体育館の扉のそばに立っている俺には気づかない。
「邪魔したらマズいよな・・・」
俺は一応、扉の陰に身を隠す。
景は真剣な顔で、ひたむきに練習に励んでる。
冬だっていうのに、あの汗の量。
身体から湯気が立ち上っているようにすら見える。
いったい、どれだけ走り回ったんだろう・・・。
『勝つから、待ってて・・・。 お願い』
俺は・・・景を裏切ったのだろうか。
景は、自分のためだけに努力してるのだろうか・・・。
わからない。
今の内に、景に言うべきなのか?
だけど、なにを──なんて言えばいいんだ?
景のほうから具体的な意思表示があったわけでもない。
俺はずっと、景にならなんでも話せると思ってた。
景のほうも、思ったことを全部俺に言ってると信じてた。
それくらい、俺と景は近いところにいたんだ。
確かにそういう頃もあったんだと思う。
でも、俺も景も知らない間に時間は流れてしまっていた。
大人でもなく、子供でもなく。
中途半端な存在だから、相手との距離の取り方がわからない。
俺は、どうすればよかったんだ──?
ぎゅっ。
「え?」
「景ちゃん、頑張ってるね」
いつの間にか現れたみやこが、俺の左手を握っていた。
「あたしも運動はだいたい自信あるけど・・・たぶん、バスケやったら景ちゃんには勝てなさそう」
「あっちは本職だぞ。 そりゃ、勝てねぇだろ」
「そうだね」
妙にみやこはテンションが低い。
「でも景ちゃん、頑張りすぎじゃないかな・・・。 身体壊しちゃいそう」
「あいつも、それくらいわかってるだろ」
わかってない可能性もかなり否定できないが。
「景ちゃんって、絃くんに似てるもん。 その右腕みたいになっちゃったらどうするの」
「・・・おまえ、気づいてたのかよ」
俺は驚きを隠せなかった。
変に鈍いところのあるみやこだから、隠し通せてると思ってたのに。
鈍かったのは俺のほうか。
「毎日一緒にいて、絵を描いてるところ見てればわからないほうがおかしいよ」
「そりゃそうか」
「景ちゃんだって、絃くんみたいに痛くて痛くてしょうがなくても続けちゃうんじゃないの?」
「頭わりーよな」
俺は苦笑する。
「痛いのに・・・どうして続けるの?」
「読んでくれる人がいるから、かな」
褒められても貶されてもどっちでも、なにか言ってくれる人がいるから。
求められているんだから、腕の痛みごときでやめられない。
「読んでほしいんだよ、結局。 自分が描いたものを一人でも多くの人に知ってもらいたいから」
「それは自分の存在を他の人に知ってもらいたいってことじゃないの?」
「まあ、言い換えるとそうかもしんねぇな・・・」
寂しいから、自分がやったことに対して人が反応してくれるのが嬉しい。
それだけのことなのかも。
「ひとりぼっちの痛みには耐えられない・・・?」
「少なくとも、腕の痛みは耐えられるんだよ。 それに俺のは、全然大したことねーよ」
俺は右手を持ち上げ、何度も拳を握ったり開いたりしてみせた。
「腱鞘炎がヤバいことになってる漫画家は、痛み止め打って描いたりしてるらしいけど、俺はそこまでいってないから」
「痛み止めなんてあるんだ」
「その痛み止めの注射がめちゃくちゃ痛いらしいけどな」
俺は軽く笑って言った。
「それ、意味あるの?」
「さあ? よくわかんねぇよ」
景に聞けないように、俺たちは小さく笑う。
どこか乾いた笑い。
それこそ、あまり意味のない会話だった。
「絃くんさあ・・・さっきなにか迷ってたよね?」
「別に・・・」
いつからみやこは俺をみていたんだろう。
「嘘つきはヤだよ。 なにも言われないのが一番嫌いだけど、その次が嘘をつかれること」
「初めて聞いたよ」
「覚えておいてね」
相変わらず、景はこちらに気づかない。
ドリブルと、バッシュの底が床をこするきゅっきゅという音だけが響いている。
「あいつ、今度の日曜──もう明後日か。 練習試合があるんだってさ」
「練習試合?」
「ああ、よく知らねーけど、相手は強いとこらしい。 でも、もし勝てたら」
「勝てたら?」
「いや・・・なんでもない」
景は大事な話があると言っていた。
見たこともないような、真剣な目をしていた。
あのときのことは、たとえみやこにだって明かすべきじゃない。
「うん、絃くんにだって秘密があってもいいもんね。 でも」
「・・・・・・」
「試合、見に行くの?」
「次の仕事は詰まってるけど・・・。 日曜だし、見に行ってもいいかなって思ってる」
景が勝つにしても負けるにしても、その場にいてやったほうがいいと思う。
俺はあいつの──「お兄ちゃん」なんだから。
ぎゅうっ。
「っつ・・・。 みやこ、ちょっと力入れすぎ」
「時間、作れるんなら・・・その時間、あたしがほしいな」
「え・・・?」
「景ちゃんの試合を見に行くのと・・・」
みやこは身体を寄せてきた。
柔らかな胸が俺の腕に押しつけられる。
「あたしと一日中いちゃいちゃするのと、どっちがいい?」
「おまえ・・・」
「絃くんはわかってるはずだよ。 選ばなくちゃいけないって・・・。 わかってるんだから、知らないふりしちゃダメ。 絃くんがそういうことしてたら──あたしだって。 優しいあたしでいられなくなる」
※ ※
─景のことも放っておけない─
※ ※
「選ぶとか選ばないとか、大げさなことじゃねえよ。 景がこんだけ気合い入れてんだから、試合くらい見に行ってやってもいいだろ」
「あたしもそう思うよ。 試合見るだけなら、それでもいいと思うけど」
「他になにがあるっつーんだよ」
試合に勝ったら、大事なことを言うと景は言っていた。
なにを言おうとしてるのか、はっきりとはわからないけど、言われたところでなにかが変わるわけじゃない。
変わるはずがないんだから──
「試合、見に行くよ。 おまえとの時間はこれからいくらでも作れるんだからさ」
なにも変わらないと信じられるからこそ、景の言葉だって聞いてやろうと思える。
「おまえが心配しなきゃいけないことなんて、なにもねーんだよ。 そうだろ?」
「絃くん、本気でそう思ってる?」
押しつけられていた胸の感触がふっと消える。
「本気なら──あたしも気にしないことにする」
「ああ、気にしなくていい」
なんならみやこも一緒に見に行くか──
と言いかけて、俺は言葉を飲み込んでしまう。
「あーあ、せっかく勇気振り絞って恥ずかしいこと言ったのに・・・損したみたい」
残念そうに笑うみやこの顔を見ていると、なぜだかこれ以上言葉が出てくれない。
だんっ!
一際高い、ドリブルの音がした。
見ると、今まさに景がシュートを放った瞬間だった。
ヒザのバネを使って、景は軽やかに飛び上がり──
放たれたボールは綺麗な放物線を描いてゴールへと──
・・・・・・。
・・・。
「入ったっ!」
京介の言葉と同時に、景が放ったスリーポイントが見事にゴールを射抜いた。
音羽のベンチからは歓声が、相手校のベンチからは悲鳴が響き渡る。
相手チームが必死に速攻をかけようとするも、時はすでに遅く。
主審の試合終了の増えが高々と鳴り響いた。
「おいおい、マジで勝っちゃったよ」
ビデオカメラを構えたまま、京介は小声でつぶやいた。
「しかも終了ギリギリで大逆転か・・・」
まるで狙ったかのように、2点差をスリーポイントでひっくり返すという劇的な終わり方。
県下でも指折りの強豪校に対し、音羽の女子バスケ部の面々は前半から善戦してたけど、まさか勝つとは。
「こりゃ、わざわざ撮影した甲斐があったなー」
嬉しそうに京介は笑う。
なんでも、運動部では今後の参考にするための試合の撮影というのはよくやっていて、映研が請け負うことも多いらしい。
「でも、ただの練習試合じゃん」
「なんにしたって強豪に勝ったんだから、これで部員は自信持てるだろ。 けっこう意味はあると思うよ」
「そういうもんかね・・・」
俺は、騒いでいるバスケ部の連中を眺める。
逆転のシュートを決めただけでなく、攻守の要としても活躍した景に、皆がむらがっている。
実際、バスケを知らない俺でも景は大したものだと思う。
でも、今の俺は素直に感動できない。
今朝かかってきた1本の電話。
あのときの、みやこの声が頭から離れてくれない。
『もうやめよう』
いきなり、みやこはそう言った。
なんの挨拶もなく、いつもとあまり変わらない口調で。
『やめる・・・? なにを・・・?』
なにが言いたいのか、全然理解できねえ。
『もっと簡単に言うと・・・別れようってこと』
「別れるって・・・はぁ!?」
『わっ、声大きいよ』
受話器の向こうで小さく悲鳴を上げるみやこ。
というか、悲鳴を上げたいのはこっちだっつーの。
「おまえ、いきなりなにを言ってんだよ。 別れるって・・・なにがどうなって、そうなるんだ!?」
『お願いだから、おっきな声出さないで』
みやこはあくまで淡々としている。
その落ち着きぶりが、異様なほどに憎たらしく思えてしまう。
「おまえがわけわからんこと言うからだろ。 順番を追って話せ、順番を」
『順番は間違ってないよ。 あたしはただ終わりにしたいだけだもん』
「だから、どうしてそう思ったのかって訊いてるんだよ」
『そんなの訊いても意味ないよ。 絃くんがなにを言っても、あたしの気持ちは変わんないから』
「・・・マジなのかよ」
なにも思い当たることがない──というわけでもない。
みやこは──いつもどこか不安定だった。
俺にとっては些細なことでも、みやこにとってはそうじゃないことがいくつもあったのかもしれない。
「それで、ハイそうですかって俺が納得すると思ってんのか?」
『そっか、まだキスまでしかしてないもんね。 それ以上させてあげてれば良かったかなって思うけど』
「そういうことを言ってるんじゃなくて!」
『とにかく、もう終わりにしよ。 もう電話もしないし、家にも行かない。 会わない──っていうのは無理かもしれないけど、あたしを見かけても声かけないでね』
「理由も言わずに、無理なことばっかりぬかすな!」
『じゃあね。 今までありがとう』
「あ、おい! ちょっと待──」
切れた・・・。
・・・。
みやこの声は最後まで平坦な調子だった。
怒ってもいないし、泣いてもいなかった。
あいつの気持ちがわからない。
どんな顔をして受話器に話しかけていたんだろう。
俺は・・・なにを間違えた?
「お兄ちゃん?」
とん、と肩を叩かれた。
「ごめん、待たせて」
「いや、おまえも良かったのか?」
試合後はミーティングとか、軽い打ち上げとか色々やるんじゃないだろうか。
「うん、適当に嘘ついて先に抜けてきちゃった」
「おまえ、けっこういい加減なとこあるんだな」
「だって、他に大事なことあるんだもの」
どうやら、景は最高に機嫌がいいらしい。
こんなにハイテンションな景を見るのも久しぶりだ。
でも・・・。
「でも来てくれてありがとう。 ホントのところ、来てくれると思ってなかったわ」
俺には目の前の景が霞んで見える。
「ま、いくら忙しいっつっても半日くらいは空けられるよ」
「それでもお兄ちゃん、面倒くさがりだもの。 正直、ちょっとびっくりしちゃったわ」
今もまだみやこの言葉が頭に響いている。
「でもお兄ちゃんが見ててくれたから・・・」
今朝、電話で交わした会話だけじゃない。
「だから?」
クリスマスに出会ってから、みやこと過ごしてきた時間を1つ1つたどるようにして思い出す。
「な、なんでもないわよ! もうー・・・」
どうして俺は間違ってしまったんだろう。
「どこから話せばいいかな・・・」
どうして、もう取り返しがつかないということを理解してしまってるんだろう。
「好きなところから話せば。 時間はまだあるぞ」
「そ、そうね・・・じゃあ──」
どれだけ後悔してみても、俺の言葉はもうみやこには届かない。
「ううん、違う。そうじゃないわね。 お兄ちゃんは鈍いから・・・ストレートに言わないとわからないわよね」
こんなにも激しくきつく心が締めつけられてしまうくらい──
「実はね、わたしはずっと前から──」
みやこのことが好きだったのに。
もう、なにも─聞こえない。
ただ、過ぎ去った日のみやこの笑顔だけが、頭のなかをぐるぐると駆けめぐっていた。
・・・。
--------------------------------------------
※ ※
─みやこのそばにいる─
※ ※
・・・・・・。
・・・。
シャッ、シャッ、シャッ。
スケッチブックの上で、さらさらと鉛筆を走らせる。
小さい頃からずっとこんなことばかりやっていた。
親父は、自分が父親としてなにができるかをよくわかっていたんだと思う。
絵描きである親父は、絵を教えることでしか子供とコミュニケーションが取れなかった。
だから、姉貴にも俺にも絵だけを教え続けた。
その結果、姉貴は海外の名門美術学校に留学し、弟のほうは父に反発して漫画家になってしまった。
でも、俺は今でもこうして絵を描き続けている。
確かに伝わっているもの、受け継いでいるものはあるってことなんだろう。
「んー・・・」
みやこはベッドの上で寝返りを打った。
「あー、ポーズ変えやがった」
寝ているみやこを起こさないように小声で言って、手を止めた。
「でも、このポーズも悪くないな・・・」
みやこは俺のベッドで眠っている。
ちょっと寒そうだけど、スケッチの邪魔になるので、かぶっていた布団は俺がひっぺがした。
まあ暖房も効いてるし、風邪はひかんだろ──と勝手に決めつけておく。
寝返りを打ったみやこの姿は、なかなかかわいくていい。
描きかけの絵は、後で線を整理することにして、スケッチブックのページをめくる。
「今度はしばらく動くなよー」
聞こえるはずもないけど、一応そう言ってから、再び鉛筆を動かし始める。
「しっかし」
マジにスタイルいいよな、みやこって。
やっぱりモデルがレベル高いと、鉛筆の走り具合も全然違う。
楽しい。
絵を描くのってこんなに楽しかったのか。
右手の痛みなんて気にならず、どうしようもないほど心が踊る。
漫画の作業もこれくらい楽しめれば・・・いや、みやこがそばにいればなんでも楽しめそうな気さえしてくる。
そうだよな。
いっつも限界ギリギリの状態で、締め切りだけを気にして描いてても面白いはずがない。
余裕がほしいとまでは言わないけど、仕事にも楽しみを見いだせれば・・・。
「んむー・・・」
ごろん。
「ぎゃーっ」
また寝返りっ!
このアマーっ!
「縛りあげてやろうか・・・」
それはそれで新たな世界が開けそうだけど、みやこが起きてるときにやらないとつまんなそうだ。
「ま、ついでだ・・・。 練習にもなるし、色んなポーズを描いとくか」
今回はあまりポーズが変わってないから、場所を移動して違うアングルから描いてみよう。
「って、このページがラストかよ」
立ち上がって、棚を物色する。
買い置きのスケッチブックがなかったかな。
ごそごそと棚を探るが、謎のファイルとかが出てくるだけで、目当ての物が見つからない。
どさどさどさっ!
「うわっ」
適当に積んであった資料本や使い終えたスケッチブックが雪崩を起こした。
おそるおそる、ベッドのほうを見ると・・・。
「すーすー・・・」
すやす寝てる。
朝から妙に張り切ってたし、疲れたんだろうな。
俺は苦笑いしながら、崩れた本を取り上げた。
「あ・・・」
スケッチブックの内の1冊に目を留める。
それは古くもなく、かといって新しくもないスケッチブック。
この中に、誰が描かれているのか──俺にはすぐにわかった。
大きく息を吐いてから、ゆっくりと表紙を開く。
──そこには、景がいた。
日付を見ると・・・今の羽山と同じ歳の頃か。
そうだ、この頃はまだ連載もやってなくて暇があったから、とにかく絵を描きまくっていた。
モデルといえば、景以外には考えられなくて。
「ちょっと、お兄ちゃん。 そんなにじろじろ見ないでよ」
「無茶言うな。 見ないで描けるんならモデルなんかいらねーだろ」
「もーっ。 後でわたしの練習にも付き合ってもらうわよ」
「わかったからおとなしくしてろ」
「偉そうなんだから。 ホントのお兄ちゃんみたい・・・」
椅子に座って、少女漫画のページを開いている景。
制服のスカートの裾を広げ、にっこりと笑ってる景。
明らかに身体に不釣り合いなバスケットボールを抱えている景。
当然、俺の絵は下手くそだけど。
いきいきとした景が瑞々しいタッチで描かれている。
まるで自分の絵じゃないみたいにすら思えてしまう。
「景は・・・」
ちょうど、景は試合の真っ最中のはずだ。
体育館に俺の姿がないことに失望しているだろうか・・・。
でも、俺は選んでしまったから──
スケッチブックを元の棚に戻しながら、ちらりと、ベッドを見る。
安らかな寝息を立てて、眠ったままのみやこ。
俺はもう選んでしまっているから、後戻りなんてできない。
みやこと過ごす時間の心地よさを知ってしまったから・・・。
・・・。
昨日の夜からの記憶がもやもやと湧き上がってくる。
──土曜の夜に、みやこは突然俺の家にやって来た。
来る途中で借りてきたというDVDを手にして、にこにこと笑っていた。
食材も買ってきていたので、夕食をどうするか考える手間が省けたけど、どう考えても夕食以上の量があった。
結局夜食まで用意してのDVD鑑賞会となったけど、見終わってもみやこは帰ろうとしなかった。
送ろうか、と言おうとしたところで、無粋な口をみやこの唇でふさがれた。
「今日は、キス、してくれないの?」
「する」
即答した。
付き合いたてってこういうものだよな、と誰ともなく言い訳をしながら、何度となくベッドの上でキスをして、そのまま横になる。
頭がボーッとしてきたところで、止め忘れて3週目に入っていたDVDの音声が頭に入って来る。
みやこが借りてきたDVDは、少女漫画の実写化作品の続編だった。
いきなり続編から借りてくるあたりよく分からないが、みやこも前作を見たわけではないらしい。
みやこがそれをボーッと眺めながら、俺の腕をつついてきた。
「ねえねえ、絃くんさあ」
「ん?」
「絃くんが描いてる女の子って、手足とかバキバキ折れそうなくらいに細くて、胸とかもあんまり無いよね」
「ああ、まあ」
「そういう子が好みだったりする?」
「いきなりなに訊いてるんだ?」
「気になるじゃん。 あたし、割と肉づきいいし」
「それは別に悪いことじゃないだろ。 むしろ羨ましがられるんじゃないのか?」
「でも、細身の方が好きって人もいるでしょ?」
「漫画は漫画だって。 別に自分の好みだからそういう体型を描いてるってわけでもねえし」
「ホントかな・・・。 どうも絃くんの好みの傾向ってわかんない。 そういえば、漫画に出てくる男の子もそうだよね。 女の子に対して、ギラギラしてないっていうか」
俺は小さくため息をついた。
「少女漫画だぞ。 あんまり、あからさまに男の欲望描いたら読者が引いちゃうじゃんか」
「そこは真実を教えておくのもいいんじゃないかなー。 少女たちの後々のためにも」
「リアリティを追求して、読者が望んでないもんを読ませたら本末転倒だって」
「ふーむ、そういうもんか・・・」
みやこは感心したようになる。
「でもね」
ばっと腕を伸ばして、俺に抱きついてくる。
「あたしはやっぱり知っておきたいな。 絃くんがなにが好きなのかとか、なにがしたいのかとか」
「気にしすぎることはねえって。 おまえはいつもどおりにしてれば」
みやこの体重を感じながら、左腕でみやこを抱き寄せる。
「俺はおまえが受け入れてくれたことが嬉しいよ」
「うん、そうだね・・・」
みやこも頷いて、首筋に回して手を更に引きつけてくる。
「あたしも後悔はしてないよ」
ぴったりと身体が密着し、みやこの瑞々しい唇が画面の光を反射して光る。
「離さないでね」
「え?」
一瞬、映画のセリフかと思った。
「離したら・・・。 わたし、どっかに飛んでいっちゃうかもしれないよ」
・・・最近の女の子は空を飛べるのか?
そんなバカなことを考える。
「好き」
「ああ、俺も・・・」
俺たちはしっかりと抱き合い、お互いのぬくもりを分け合う。
やがてみやこが小さな寝息を立て始めるまで、俺はずっと柔らかな身体を抱いていた・・・。
・・・。
結局そのままお泊りコースになって、今に至るわけだ。
そう、俺はみやこを離したくないんだよ。
それだけが確かなことだ。
崩れた本とスケッチブックを全部戻してから、ベッドにもぐりこんだ。
みやこは相変わらず目覚める気配がない。
ぷにぷにした頬をつついてみる。
「んんーっ」
みやこはうなりながら、鬱陶しそうに俺の指を叩く。
やっぱり起きねぇな。
ま、いいか。
みやこの身体を抱き寄せて、丸くなる。
「これはこれで悪くねぇしな・・・」
うん、たぶんこういうのがいわゆる──
ピリリリッ、ピリリリリッ。
「っと」
しまった、携帯の電源切ってなかったとは。
でも、かかってきたもんは仕方ない。
素早くベッドから下りて、電話を取る。
「はい、もしもし」
「あ・・・?」
電話に応えながら、横目でベッドを見るとみやこが薄く目を開けていた。
「むー」
でもまた寝てしまう。
ヘンな女だ・・・。
『おい、広野』
「なんだ、京介か。 部活の愚痴なら聞かねーぞ」
『それどころじゃないんだって!』
あれ、珍しくマジな口調。
『あのな、俺、今日はバスケ部に頼まれて練習試合を撮影してたんだけど』
「おまえ、ショートフィルム撮ってるんじゃなかったのか?」
『こっちも色々あるんだよ。 そんなことはどうでもいいから、黙って聞け』
「なんだよ、なにがあったんだよ」
景のことだろうけど、もしかして負けちまったのか・・・?
『新藤さん、試合の途中でぶっ倒れて運ばれてったんだよ』
「・・・なに?」
一瞬、なにを言われたのかわからなかった。
『だから新藤さんが倒れたんだって』
「倒れたって、どうして・・・?」
自分でも血の気が引いていくのがわかる。
倒れた?
あのいつも元気な景が──?
『走ってる途中でいきなり倒れたけど、意識がないわけじゃなさそうだった。 まだ試合は続いてるから、俺は現場離れらんないけど。 とりあえずおまえには知らせておいたほうがいいと思って』
「・・・わかった。 サンキューな」
『たぶん大したことないと思うけど・・・様子、見に行ってやれよ』
「ああ・・・」
もう一度、礼を言ってから電話を切った。
なにがあったのかよくわからないけど、景が倒れたのは嘘じゃないだろう。
京介はそういうシャレにならない嘘をつくタイプじゃない。
「──んなこと考えてる場合じゃねぇ」
行かないと。
みやこを選んだっつっても、それはそれだ。
倒れたって聞いて、景を放っておくことなんて絶対にできない。
できるわけがない。
・
・
・
寝不足のせいか、身体が誰かを背負っているみたいに重い。
ちょっと走っただけで息が切れ、足がまともに動いてくれない。
毎日学園と家の往復しかしてない身体が、こういうときはうらめしい。
くそ、「倒れた」ってなんなんだよ。
親父の入院を聞いたときよりも、受けた衝撃は遙かにでかい。
景が──俺にとってどれほど大事な存在なのか。
今更ながら、それを痛感する。
なんでもないことを祈りながら、俺はのろのろとしか動いてくれない足で必死に走り続けた。
・
・
・
「あれ?」
大事な大事な景が、何事もなかったかのような顔で現れた。
「・・・・・・」
「お兄ちゃん、なんでここにいるの?」
「お、おまえ、本当に景か? まさか、千尋と入れ替わってないだろうな?」
千尋は──景の双子の妹で、同じ顔をしている。
倒れたはずの景が普通に歩いてるわけないから、そこにいるのは千尋としか・・・。
「なによ、その質問は。 今更、見分けがつかないとは言わせないわよ」
「・・・倒れたんじゃなかったのかよ」
「どうしてお兄ちゃんが知ってるの? 試合、見てなかったわよね?」
「京介が教えてくれたんだよ」
「京介って誰よ?」
「堤京介・・・って、それはいいや。 おまえ、ちょっと顔をよく見せてみろ」
ぐっと景の肩を掴んで引き寄せる。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん」
頬を赤く染めながら、景は俺の手を振り払おうとする。
「いいから黙ってろ」
「もうー・・・」
文句を言いながらも、景は抵抗をやめてくれる。
赤面してるからちょっとわかりにくいけど、顔色が良くない。
血の気が引いてるというか。
いつも潤っていた唇も、変にカサカサしてしまってる。
「おまえ、大丈夫なのか?」
「大丈夫だから、こうして歩いてるんでしょ。 お兄ちゃんって意外と心配性なのよね・・・」
「おまえ、一人で帰る気だったのかよ」
「顧問の先生に帰るように言われたの。 先生は送るって言ってくれたけど、まだ試合後のミーティングもあるから。 そこまで迷惑かけられないわ」
「ああ、試合は終わったのか」
今となっては、勝敗なんてどうでもいいけど。
「負けちゃったわ。 あーあ、やっぱり強かった。 けっこう食い下がったんだけどね」
「そうか・・・。 送るから、行こう。 カバン貸せよ」
「お兄ちゃんが優しいと、逆に怖いわね」
「うるせー」
それでも景が素直に差し出してきたカバンを受け取って、俺は歩き出した。
・・・。
・
・
・
「で、なんだったんだ?」
「なにって?」
「なんで倒れたのかってこと」
さっと景の表情が曇る。
意地っ張りなこいつのことだから、人前で倒れるなんて大変な屈辱だったんだろう。
「倒れたなんて大げさよ。 どっちかというと、コケたっていうのが近いわね」
「コケたぁ?」
景はこくりと頷いた。
「軽い脱水症状と貧血。 頭がちょっとぼんやりしちゃって、足がもつれたのよ」
「脱水症状に貧血・・・?」
「このところ、ハードに練習してたから。 あまり食欲もなかったし」
景は少し恥ずかしそうにしてる。
「バカか、おまえは」
ぽん、と景の頭に手を置いてやる。
景は瞬時に真っ赤になって、その場から動かなくなってしまった。
「な、なによ、バカ呼ばわりすることないでしょ。 わたしだって、一生懸命・・・」
「ぶっ倒れるまでやるのがバカなんだよ。 ホントに大丈夫か? もうなんともないのか? 正直に言えよ」
景の頭を撫でながら、できるだけ優しく言った。
「ちゃんと水分摂って休んだから平気。 ああ、でもコケたときにヒザ打ったのがまだちょっと・・・」
俺はしゃがみこんで、景のヒザを見てみる。
「きゃっ。 ちょ、ちょっと。 お兄ちゃんなにして──」
景は更に真っ赤になって、慌ててスカートを押さえた。
別にパンツを覗こうとしてるんじゃないんだが。
「うーん」
ヒザの表面を少しすりむいてるみたいだけど、それほど腫れてもいない。
「痛むか?」
「ちょっとだけ・・・」
「しゃーねえな」
こんなの俺のキャラじゃないけど、脱水症状だの貧血だのも完全に回復してるとも思えないから。
「・・・なに?」
背中を向けた俺に、景の不審そうな声がかけられる。
「おぶってやるよ」
「え!? ダメよ、そんなの!!」
俺は景に向き直る。
「無理させたくねえんだよ。 おまえは、おまえだけは・・・」
景は、人一倍自分を大事にするべきなんだ。
そうしなければいけない理由だってある。
「それは・・・」
景だってわかってるはずだ。
「だろ?」
「でも、ダメ。 ダメなのよ」
景はかたくなに首を振る。
「だって、今お兄ちゃんにおぶさったら・・・そのまま下りられなくなりそうだもの・・・」
風が舞い、景の髪を揺らしながら通りすぎていく。
遠くで鳥が鳴いている。
どこかもの悲しい、切ない声で・・・。
「お兄ちゃん、どうして試合見に来てくれなかったの・・・?」
答えを──言葉にするべき時なんだな。
今言うのは残酷だろうけれど・・・。
「ごめん・・・。 俺・・・」
「絃くんっ・・・!」
ああ、そうだった・・・。
みやこは──あいつはいつだって最悪のタイミングで現れるんだった。
いや、そうじゃない。
俺が最悪の状況を作ってるんだ。
「宮村先輩」
「みやこ」
振り向いた先に立っていたみやこは、今にも泣きそうな、張りつめた表情をしていた。
頼むからそんな顔しないでくれよ。
「絃くん・・・やっぱりこっちに来てたんだね」
「ああ」
「びっくりしちゃった・・・。 だって、起きたらいなくなってるんだもん・・・・・・」
さりげなく投げ込まれた爆弾に、景の肩がびくりと震える。
「そういうの、やめて。 黙っていなくなるとか、やらないでほしいの」
「宮村先輩。 どういう・・・ことなんですか?」
気丈に胸を張って問いかけた景の肩を、俺は掴む。
みやこの口から言わせるわけにはいかない。
これは俺が招いたことなんだから。
「景、聞いてくれ。 俺は──」
「あたし、絃くんの家に泊まったの・・・この意味分かるよね?」
「え・・・?」
「おい、みやこ!」
慌ててみてももう遅い。
なんでおまえが先に言っちゃうんだよ。
「景ちゃん」
みやこは、止まらない。
止まってくれなかった。
「あたしはね、景ちゃんに勝てる気がしなかったよ」
「宮村先輩・・・?」
「景ちゃんは誰よりも絃くんのこと知ってて、ずっとそばにいた人だもん。 それに、可愛いし。 誰だって景ちゃんのこと好きになると思うよ。 そうだよ・・・景ちゃんは勝てたの。 勝てるのに、勝負しなかったからこうなっちゃったんだよ」
「勝手な・・・勝手なこと言わないでよ! あんたなんかに、なにがわかるっていうのよ!? わたしがどんな気持ちでお兄ちゃんと向き合ってたか──どうしてなにも言えなかったのか、わからないでしょ!」
「わかんないよ」
びくりと景の身体が硬直する。
「わかんないけど・・・景ちゃんがどれだけ願っても、もう届かないよ。 あたしが届かせない。 あたしはいつも絃くんのそばにいるから」
「みやこ、もうやめろ。 それ以上言わなくていい」
「もう、終わったんだよ」
なにが終わったのか。
それは言われなくても、わかる。
終わったのは俺と景の幼なじみとしての関係、擬似的な兄と妹の関係。
そして、景が俺に向けてくれていた想い──
「景ちゃんにできることはもうなにもないよ」
「なにも・・・」
「もしあるとしたら──それはあきらめることだけ」
「みやこっ!」
「やめてっ、お兄ちゃんが怒らないで!」
「えっ・・・?」
なんで景が止めるんだよ。
景は唇を噛みしめ、肩を震わせながら小さく嗚咽を漏らした。
「・・・今は、お兄ちゃんは引っ込んでて。 もう知らない。 試合に負けたとか、そんなことどうでもいいわ。 関係あるもんか、そんなの。 わたしはバカだから、ものわかりだって良くない。 もうわたしにはなにも言う資格はないのかもしれないけど・・・。 わたしだってお兄ちゃんのこと好きなんだから!」
「・・・!」
景の視線は俺じゃなくて、みやこに向けられていたが──
それでも、景の口から飛び出した言葉に俺は絶句してしまう。
「泊めてもらった・・・? それがなんなのよ。 それがどうしたっていうのよ! そんなことくらいで、勝った気になってんじゃねえよ!」
「景ちゃんの好きな人は、なんとも思ってない女の子を気軽に泊めちゃうような人なの?」
「・・・っ!」
みやこの反撃に、景気はわずかにたじろぐ。
止めなきゃいけないのに──どうしても二人の間に割り込めない。
「もちろん、泊まっただけじゃない。 あたしと絃くんがそうなったってことの意味・・・景ちゃんが一番わかるはずだよ」
「わからない・・・わからないわよ!」
景は激しく首を振って否定する。
「あんたになにを言われたって──それくらいであきらめられるわけないでしょ!」
「あきらめずに──どうするの?」
ちらり、とみやこは俺に視線を送ってきた。
いったい俺にどうしろっていうのか──?
「あたしたちが別れるのを待つ? それとも、どうにかして引き裂いてみる? できないでしょ、そんなこと?」
「わたしにだって・・・まだ・・・」
「景、俺は──」
どう言えばいいのか──探しても探しても言葉が見つからない。
「お兄ちゃん・・・言ってよ」
景の右目から──すうっと涙が一筋流れた。
「お兄ちゃんの気持ち──本当に誰が好きなのか。 お兄ちゃんの口から言ってよ」
「俺は・・・俺が好きなのは・・・」
「言わないで!」
叫ぶように言いながら、景は耳をふさいでしまう。
「・・・景」
「やめて・・・やっぱりイヤ・・・。 なにも言わないで。 可哀想な人を見るみたいな目は・・・やめてよ・・・」
景は足下に目を落とす。
「そうか。 わたし、負けたんだ・・・。 負けたんだ・・・」
景の意地があまりにも痛すぎて。
だけど、顔を背けるわけには・・・。
「ごめんっ」
景は俺からカバンをひったくるようにして奪い──
逃げるようにして走り去っていった。
「景! おまえ、ちょっと待てって!」
なんで俺の周りにいる女はこういう無茶ばかりしやがるんだ。
ついさっき倒れたばっかりだろうが。
「絃くん!」
ぐっと袖を掴まれる。
「追いかけるの?」
「しょうがねえだろ。 あいつ、さっき試合中に倒れたんだよ」
「そうだったの・・・」
みやこは小さく首を振った。
「でもね、あたしはどんなときでもあたしだけ見ていてほしい」
「それでも、あいつは幼なじみなんだよ。 景の心配をするのは当たり前のことだろ?」
「・・・・・・」
黙り込むなよ。
「なにも言わずに出て行ったのは謝る。 でも、ずっとおまえだけ見てるってわけにはいかねえだろ。 実際にはそんなことできねえんだよ」
「・・・知ってる。 知ってるよ。 ずっとあたしだけなんてあり得ないことも」
俺の袖を掴んでいた手がふっと離れる。
みやこはいつものように満面の笑みを浮かべた。
「ごめん。 だけど、あたしは・・・大事なものを手離したくなかっただけなの」
みやこは笑ったまま、景が去った方向に目を向けた。
「あたしには理由になるけど、景ちゃんには言い訳にしか聞こえないだろうね。 わかってるから、あたしはタチが悪い・・・。 自分が安心するためだけに、誰かを傷つけて、重荷を背負わせて。 勝手なことばかりしてたら、嫌われるだけなのに」
「みやこ」
笑顔のままで語るみやこは痛々しくて──これ以上見ていられなかった。
もう誰にも傷ついてほしくない。
俺の望みはそれだけだ・・・。
「笑うな」
「・・・え?」
「笑いたくないときに笑うな。 無理に顔を作るな。 なんでこういうときだけ素直になれないんだよ」
「あ、あたしは・・・」
みやこの顔にふと翳(かげ)りが差した。
その顔も、見ているのはやっぱり辛いけれど、それでいいと思う。
「だって、どんな顔したらいいのかわからないもん・・・」
「おまえがさ・・・。 だからって、おまえが自分を傷つけることはないんだよ。 それで、誰かを傷つけたことが帳消しになるわけじゃないんだし。 そもそも、おまえが悪者になる必要なんてなかったんだよ。 景に恨まれるとしたら、俺だけでよかったんだ。 おまえは、ホントは景に嫌われるような女じゃないよ」
「・・・嘘はイヤだって言ったよね」
「おまえも言ってただろ。 俺と景は似てるって。 俺が好きになる人間なら、たぶん景だって好きになる。 もし嫌われてるとしたら、それは俺のせいなんだよ」
「誰かのせいになんてしたくない。 それをやっちゃったら、あたしは本当に最低のところまで落っこちちゃう。 もうとっくに落っこちてるのかもしれないけど」
「みやこ」
まっすぐに、みやこの2つの瞳だけを見つめる。
「自分を嫌うなよ。 自分を否定しちゃったら、なんにも始まらねえよ。 なにをするにしても、おまえなりの理由がある。 それでなにが悪いんだよ」
「ごめん。 わかんないよ・・・」
音羽の制服を着た女の子たちが数人、ちらちらと俺たちに視線を送りながら通り過ぎていく。
たぶん、あの子たちは今色々と想像をたくましくしてるだろう。
そして、その想像はたぶん事実とそれほど違ってない。
おかしいな、どうしてこうなったんだろう。
ついさっきまでは、みやこと一緒にベッドの中にいたときには──幸せだと思えてたのに。
・・・。
・
・
・
「ふーっ」
カバンを放り投げて床に座り込む。
今日も1日、真面目に1時間目から授業を受けてきた。
当たり前のことをしてるだけなんだけど、やっぱ疲れるわ。
しかも、これから仕事しなきゃいけないし・・・。
「あー、やる気しねぇ」
なぜだか身体から力が抜けてしまってる。
頭がぼーっとして、身体がダルくて仕方ない。
「ダメだな・・・」
あの日以降、みやことも景ともまったく話をしていない。
なにを話せばいいのかわからない。
この期に及んで、なんで腰が引けちまってるんだろう。
もう悩んでいる場合じゃないとわかっていても、どうすることもできない。
なにもできないことが──
自分の無力が、無力を恨むことしかできない自分が、ひたすらにうとましい。
「ちっ!」
床に積まれていた本だの封筒だのに八つ当たりする。
なんの意味もないとわかっていても、そうせざるを得ない。
「ちくしょうっ!」
辺りに転がっている物を次々と蹴飛ばす。
なにもかもが上手くいかない。
なにをやっても悪い結果しか生まれてくれない。
全部俺のせいだ。
自分を傷つけても意味なんてない。
みやこにもそう言ったのに、自分を責めることをやめられないのはどうしてだよ!
「・・・はぁっ」
めちゃくちゃに散らかった室内を見回す。
何もかもが、ごちゃごちゃになって・・・。
どこがどうなっているのか分かんなくなってる。
「くそっ!」
・・・。
どこにも行けない。
帰る場所もない。
それは確かに──世界でひとりぼっちと同じことだった。
今、みやこも同じ気持ちを抱えているのか。
景は・・・?
考えれば考えるほど分からなくなってしまう。
頭がこんがらがって、右腕がずきずきと痛んで──息が詰まりそうだ。
・・・。
・
・
・
「あれーっ?」
ぴょこん、とベンチから立ち上がったのは──
「ヒロせんぱーいっ!」
「・・・なんだ、おまえか」
と言いつつも少しほっとする。
いつもはうるさく感じるだけの羽山の存在が、今はありがたい。
羽山は今の俺の事情と関係ないところにいて、気楽に話せるからだろう。
「なんだ、は酷いじゃないですか。 可愛い後輩に向かって」
「可愛いかな・・・? けっこう微妙だぞ」
「わーんっ、ホントに酷いですよっ!」
わざとらしい泣き真似だな・・・。
その程度の演技じゃ、将来男を騙すこともできないぞ。
「で、ヒロ先輩はお散歩ですか?」
って、切り替え早いな。
「ま、そんなとこだ。 気分転換してたとこ。 おまえはなにしてたんだ。 いちゃついてるバカップルでも覗きに聞たのか?」
「違いますよっ!」
羽山は怒鳴ってから、分厚い本を俺に押しつけた。
「これを読んでたんです」
「・・・・・・」
俺が作品を載せてる少女漫画雑誌だった。
「今日は基礎連だけで上がりだったんで」
商店街に寄って、発売したばかりのこの雑誌を買って公園で読みふけっていたらしい。
「そんなもん、家に帰って落ち着いて読めよ」
「そうなんですけど、ちょっと帰るまで待てなくて・・・そしたら、ちょうどいいところに公園があったので、つい」
「おまえ、毎月そんなことやってんだろ」
家に帰るくらいの時間も我慢できないのかよ。
「いいじゃないですか。 部活以外じゃ、わたしの唯一の趣味なんですから」
すねたように言って、羽山はベンチに腰掛け、俺を無視して雑誌を読み始める。
「俺もそこ、座っていい?」
「ミルクティーおごってください」
羽山は雑誌に目を落としたまま、どこかを指さす。
その先にはジュースの自販機。
公園のベンチに座るために、なんで羽山におごらなきゃならんのだ。
「・・・・・・」
でも、買ってきてしまうのが俺の弱いところ。
「おらよ」
「わっ、ホントに買ってくれるとは思いませんでした」
「あんだと、このガキャ」
「冗談ですよ。 どうぞ、どうぞ。 なんならハンカチでも敷きましょうか?」
「いらねぇよ」
羽山の隣に座り、自分用に買ってきた缶コーヒーを開ける。
「あー、身体があたたまりますね」
羽山はごくりとミルクティーを飲んでから、笑顔を浮かべた。
「そりゃよかった」
羽山はミルクティー片手に、ぱらぱらとページをめくっていく。
本当に少女漫画が好きなのはわかるけど、口元に笑みを浮かべたままなのはどうにかならんのか。
一人でにやにや笑いながら漫画を読みふけるっていうのは、ハタから見ればけっこう不気味だ。
まあ、作家としては、つまらなそうな顔で読まれるよりはいいけど。
羽山は時々小さく笑い声を上げたりしながら、完全に俺の存在を無視してページをめくり続け──
「・・・・・・」
そして、俺の作品のところまで読み進め、最初の2ページを読んだかと思うと──
「あ」
後のページは読まずに、飛ばしてしまった。
「えっ? なんですか?」
「い、いや。 その漫画は読まねえのかなと思って」
どくどくと、心臓が信じられない速さで鳴っている。
目の前で起こったことが信じられない。
信じたくなくて、見なかったことにしたくて──心が悲鳴を上げている。
「ああ、これですか。 これの作者さん、新堂凪さんって言うんですよ。 この人の作品、好きなんですけどね。 最近はなにか絵もお話もちょっと・・・なので、飛ばしてるんですよ。 好きだからこそ、つまらないもの描かれると辛いというか・・・読んでいられなくて」
「そうなのか」
必死に動揺を抑えながら、俺はようやくそれだけ言った。
「でも信じてますよ。 誰にでも上手くいかない時期ってあると思いますから。 新堂凪さんだってすぐにきっと」
「そうか・・・また面白くなるといいな」
「はいっ」
湧き上がってくるのは──落胆よりも自分への怒り。
なにひとつできていなかった自分への、やれた気になっていた自分が笑えるほどに憎い。
ぐっと右拳を握りしめる。
俺はまだ本当になにも──できていなかったんだ。
みやこと景のことだけじゃない。
自分で選んで、見続けている夢のことすら──半端だった。
「なあ、羽山」
激しく渦巻く感情を抑え付け、俺は口を開いた。
「はい?」
「学校、楽しいか?」
「もちろんですよ♪ 友達もいっぱいいるし、上に進学すれば景先輩もいますから」
ふっと、羽山の表情に影が落ちた。
「・・・景先輩は最近元気がないみたいですけど」
「・・・・・・」
「でもでも、わたしがそばにいれば暗い顔をする隙を与えないくらい、先輩のそばにへばりついてトイレのときも同じ個室に──」
「変質者だな、おまえは。 その若さでえらいとこにたどり着いたもんだ・・・」
「冗談なのに・・・。 ただわたしは、景先輩を笑わせたくて」
「芸人にでもなれば? 芸人にしては可愛いって言ってもらえるかもしれないぞ」
「色んな意味で失礼なこと言ってますよ。 というか、わたしの容姿から離れてください」
まあ、正直なところ羽山は充分可愛いと思う。
喋らなければ、という条件付きで。
「真面目な話、わたしは思うんです」
「なにが?」
「学校は楽しいものじゃなくて、楽しくするものです。 わたしは今楽しいし、これからのことも楽しみでしょうがないんです」
羽山は本当に嬉しそうに──ひまわりみたいな笑顔を浮かべて言った。
こいつは本当に無邪気だよな・・・。
その無邪気さが、今の俺にはまぶしくて仕方ないけれど。
「そうだよな、そのとおりだ」
羽山の言葉は真実だから。
「俺だって将来の保険のために通ってたんじゃない。 楽しいから、居心地がいいから」
「・・・ヒロ先輩?」
仕事が辛くても、学園に通い続けた。
サボることが多くても、行けば俺を迎え入れてくれる場所が存在する。
そのことに、どれだけ救われたことか。
誰でもそんな居場所を欲しがってる。
手に入れた居場所を守りたがっている。
みやこだけじゃない。
俺も、景も。
でもいつか──居心地のいい場所を離れなくちゃいけなくなることもある。
そのときは、どうすればいいんだろう。
俺が大切なものを守るためには。
大切なものは1つとは限らない。
でも、大切にできる数が限られているのなら──
「羽山」
「はい?」
「ありがとな」
「・・・はい?」
・・・。
・
・
・
久瀬修一のアルバムをコンポにセットして、ランダム再生を始める。
「・・・・・・」
澄み切った、よどみのない旋律が静かに流れ始める。
これは久瀬秀一自身が作ったオリジナル曲であり、俺も好きな曲ではあるのだけど・・・。
この曲は、どことなく「別れ」をイメージさせるせいか、聴いていると少しだけ気分が重くなってしまう。
朝っぱらから聴く曲じゃねぇな。
まったく、気の利かないコンポだよ。
苦笑しながら、制服に袖を通す。
作った当時は少し丈が余っていたこの制服も、2年の学園生活の間にぴったりになっている。
たった2年。
それだけの間に俺はどう変わり、なにを得たんだろう。
・・・・・・。
・・・。
いるような予感はしていたけど、やっぱりいやがった。
「よう」
「あら、おはようございます」
雨宮優子は笑顔でそう言って、軽く頭を下げた。
「今日も元気にサボリですか?」
「失敬な。 今日はちゃんと用があって来たんだよ」
俺は抱えていた花束を掲げてみせた。
「まだ何度も会ったわけじゃないのに・・・いきなり結婚を申し込まれても困るんですが」
「あんたにプロポーズしに来たんじゃねぇ!」
「え、その花束は私への贈り物じゃないんですか?」
「ただの顔見知りの女に花束なんて贈ったら、なんか危ないヤツみてぇじゃん」
「そんなことないです。 可愛い後輩からの贈り物なら喜んで受け取りますよ」
「尊敬してるわけでもない先輩にプレゼントなんかするかよ」
尊敬してたって、花束なんて意味深な物をやれるか。
「あらら、残念ですね・・・」
「残念がるようなことかよ」
「私が一番残念なのは」
少しだけ雨宮優子の表情が引き締まる。
「ただの顔見知り、なんて言われると悲しいですね。 私は広野さんのこと、けっこう好きなのに」
「・・・・・・」
またわけのわからんことを言ってやがる。
そう思うけど──
「あ、微妙に赤くなってませんか?」
「なってねえよ。 バカじゃねえのか」
どうしてかわからないけど、変に照れくさい。
みやことも景とも違う、雨宮優子の言葉はどこか手の届かないところをくすぐってくるような・・・。
と、なにを考えてる俺。
「どうでもいいんだ、そんなことは」
「そういえば、広野さん。 真面目な話、なんの用でこちらに?」
「墓参りだよ」
今日の俺の目的地は、実はここではなく、教会の裏手にある墓場だ。
「誰の・・・とか訊いてもいいですか?」
「そんな遠慮をするなんて、あんたらしくないな。 いつも言いたいこと言いやがるくせに」
「誰のお墓参りなのかとっとと喋りやがってください。 のろのろしてると刺しますよ」
「遠慮なさすぎだ!」
やっぱり俺って、いいように遊ばれてるよな。
でも、本気で怒る気がしないのはどうしてだろ。
・・・俺が優しいからってことにしとくか。
「いえ、本当に言いたくないのならいいんですよ」
俺は小さく首を振る。
「母親だよ。 俺がガキの頃に死んじまったから、ほとんど顔も覚えてないけど」
「・・・そうなんですか」
雨宮優子の声に、同情は混じっていなかった。
気遣いをされないほうが楽だってこともある。
怪しいもんだけど、雨宮優子はそのことをよくわかってるような気もする。
「今日が命日なんだよ。 ま、俺は毎年墓参りするような孝行す息子じゃねぇけど、今年は親父の代理で」
「お父様の?」
「お父様、なんて上等なもんじゃないなアレは。 まぁ、今ちょうど病院に監禁されてるんで、俺が派遣されてきたんだよ」
姉貴はもう向こうに戻っちまってるから仕方ない。
「あなたもなかなか複雑そうな家庭環境ですね」
「珍しい家庭であることは間違いないな・・・」
一家全員が絵描きみたいなもんだからな。
「でも、広野さん」
雨宮優子はまた真面目な顔になった。
「広野さんは覚えてなくても、あなたを産んでくれた人ですよ。 命日にお墓参りに来たって罰は当たらないと思いますけど・・・」
意外なほどに雨宮の言葉は真剣で、動揺を誘うなにかを含んでいた──
俺は鼻の頭をかきながら口を開く。
「たまにさ、そういえば俺にも母親がいたんだなって思い出したときに来るようにしてるんだよ。 命日だからって来るのは嫌なんだよな。 義務で来てるみたいで」
「なるほど、あなたらしい考え方ですね」
「バカにしてんだろ」
「いえいえ、とんでもないです」
雨宮優子は真面目な顔のまま、首を振って否定した。
「そうですね、案外それがいいかもしれませんね。 いなくなった人のことを・・・忘れていないってことですから」
なにかに思いを馳せるように、雨宮優子は虚空を見上げた。
その視線の先に、どんな思い出が映し出されているのか・・・。
もしかすると、雨宮優子も・・・。
「私にもいました。 大事な人が。 失ってはいけなかったのに、なくしてしまった人が・・・」
俺より年上というのが本当なら、雨宮優子の人生にもそりゃあ色んなことがあったんだろう。
いつもの人を小馬鹿にしたような態度も、その「色々」を他人にわからせないための仮面なのかもしれない。
「あのさ」
「はい」
顔をこちらに向けた雨宮優子に、何本か花を取り出して渡した。
「これは?」
「ついでみたいで悪いけど、あんたの大事な人に」
「・・・似合わないことしますね」
ほっといてくれ。
「それとも・・・私なんかにまで優しくしたくなるような、心境の変化でもありました?」
「俺だって変わるよ。 生きてんだからさ」
「そうですね、生きてるんですからね・・・」
雨宮優子は微笑んで、手に持った花を顔に近づける。
「いい匂い・・・。 きっと、喜んでもらえます・・・」
雨宮優子が失ったのはいったい誰なんだろう。
でもそれは、訊いてはいけないこと。
訊けば、雨宮優子の微笑みは消えてしまうだろう。
だから、俺はなにも問わない。
「広野さん」
雨宮優子は足音も立てずに一歩近づいてきた。
こんなに間近で見たのは初めてだけど・・・雨宮の顔は、人間離れしてると言っても言い過ぎじゃないくらい整ってる。
「お花のお礼に、お姉さんからひとつだけ言わせてください」
薄い唇が言葉を紡ぐ。
「どんなに大事にしていても、人はいつか必ずいなくなります。 どれだけ望んでも、永遠だけは手に入りませんから。 大切な人と過ごす時間は楽しくて、もし辛いことがあっても、それでも満たされていて・・・。 そして、あまりにも速く、速く過ぎ去っていきます。 いつか訪れる別れを後悔しながら迎えないように・・・大事に、大事にしてあげてください」
雨宮優子の言葉は、汚れのない祈りにも似ていて、重く心に響いてくる。
「広野さん・・・。 あなたに、それができますか?」
・・・。