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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the first tale.【7】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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「寒いなぁ……」


自販機で買ってきたコーヒーに口をつける。

あんまり女の子が飲んでるところは見かけない、缶入りのブラックコーヒー。

初めてブラックを飲んでみたんだけど、自分でもびっくりするくらい美味しい。

いつの間にか、ミルクも砂糖も入ってないコーヒーを身体が要求するようになってたんだね。

変なの。

ちびちびとコーヒーを含む。

苦くて熱い液体が喉を通って、身体の中からあたためてくれる。


「おいしー」


つぶやいて、遠くに視線を向ける。

 

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目の前には海が、海だけが広がっている。

なぜだか、水平線の向こうにはなにもないような気がしてしまう。

海なんてだだっ広いだけで、なにもない。

眺めてたって寂しくなるだけだ。

ごくごく。


「ふーっ」


あたしって変わっちゃったよね……。

苦いコーヒーが美味しいし、男の子とキスだってしたし、それに……。

別に嫌いでもなんでもない女の子を傷つけてしまった。

 

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「嫌なヤツだ、あたしは……」


どんどん嫌な性格になっていく。

好きな人をつなぎ止めるためなら、どんなことでもやっちゃうの?

それで最後には幸せになれるの?


「わかんないよ」


わからないままじゃいられない。

このままじゃ、あまりにも中途半端だもん。

でも、勇気が出ない。

どんな顔して絃くんに会えばいいの?

教えてよ、優子……。


「いったいなにを教えてもらうのよ……」


あたしの心は決まってるのに。

あたしの望みはわかりきってるのに。


──「なにをひとりでたそがれてんだよ」


「えっ?」

 

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弾かれたように、あたしは振り向く。

どんな顔をすればいいのかわからないまま。

だって、しょうがないじゃない。

あたしの望みは、たったひとつ──

 

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絃くんと一緒にいることなんだから。


……。


声をかけると、みやこは勢いよく振り返った。

大きな目を見開いて、ぽかんとしている。


「ど、どうして?」


どうして俺がここにいるのか、と訊きたいらしい。


「女のカン……だそうだ」


海でも見に行けば、いいことがあるかもしれません。

雨宮優子はそう言ったが、まさかみやこがいるとは思わなかった。

つーか、本当に何者なんだろうな。

ただのふざけた姉ちゃんかと思いきや、全部見透かしたみたいなことを言うんだよな……。


「あのー、意味わかんないよ」


みやこはまだぽかーんとしてる。


「わかんなくてもいい。んじゃ、行くか」


左手を差し出して、みやこの手を握る。


「い、行くって?」
「デート」
「でぇとっ!?」


……。


…………。

 

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「むー、結局ここか……」
「どっか行きたいところとかあったのか?」
「別にないけど……」


みやこは不満があるように見えなかったけど、どこか表情に曇りがあった。

迷子の子供みたいな、不安そうな顔。

好きな人のそんな顔は見たくないから、俺は。


「わっ」


みやこの手を引き寄せて。


「ん!?」

 

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有無を言わせず唇を重ねた。


「んーっ! んんんーーっ! ふぁっ!」


半ば強引に自分の唇を押し付け、みやこの唇の柔らかさを十分に味わってから解放した。

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「い、いきなりなに!?」


ぱっとみやこの手も離す。


「予告してからだと、おまえ逃げそうだったから」
「じゃ、じゃなくて。なんでキスなんてするの!?」


まるで今のがファーストキスだったかのように、みやこは顔を赤くしている。


「キスしちゃダメなのか?」
「ダメじゃない・・・けど。あたし、絃くんとこのまま……」
「終わると思ってたのか?」
「………」
「俺、やっとわかったよ。なにを大切にすればいいのか、どうやったら大事なものを守れるのか……」
「大事なもの……」

 

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みやこはつぶやいて、屋上の緑へと歩み寄っていく。

ほんの少しの間、彼方に広がる街並みを眺めていたかと思うと、くるりとこちらに向き直った。

元から小柄なみやこの身体が、いつもより小さく見えるのは錯覚か……?


「絃くん、こういう話知ってる? 昔ね、イタリアかどっかの王様がね、ちょっとした実験をしたんだって」
「実験?」
「何人か赤ちゃんを集めてね、一切誰にも話しかけられずに隔離されて育った赤ちゃんは、いったいどんな言葉を話すようになるのか? って実験」
「よくわかんねぇけど……んな育て方したら、言葉なんて喋るわけねぇじゃん」


あの有名な狼少女だって言葉は話せなかったはずだ。


「半分正解……だね」
「半分?」


みやこはかすかに口元をほころばせた。


「言葉は話せなかったし、その赤ちゃんたちは一人残らず死んじゃったの。栄養はたっぷり貰って、病気にならないように最新の注意を払って育てられたのに。貰えなかったのは言葉と愛情だけ。でも、それが一番大切だったんだね」
「可哀想な話だけどさ……」


それがなんだっていうんだろ。

 

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「あたしも似たようなものだったよ。死にはしなかったし、ちゃんと喋れるけど、大事なものを貰えなかった」
「みやこ……?」
「あたしの家には音がなかった。」
「音がない……?」
「ウチの両親の仲はあたしが物心ついた頃からずっと険悪でね、段々会話が消えて……最後にはお互いの声や足音が聞こえるのも嫌になってたみたい。 パパもママも家ではほとんど口を開かなかった。あたしに対してもね。お互いを嫌い合うことばかり考えて、娘には手が回らなかったみたい。名前をね──」
「名前?」


みやこはこくりと頷いた。


「名前を呼んでもらえることもほとんどなかったの。それくらい、会話なんてなかったよ。どんなにいい成績取っても、スポーツで一番になっても褒めてもらえなかった……。パパとママが大好きな魚料理の作り方だって、勉強したよ。包丁で手にいっぱい傷つくって、でも家でごはん食べる人たちじゃなかったから……」


だからみやこは──嬉しそうに料理を作ってくれてたのか。

昔、食べてもらえなかったから……。


「おかしいんだけど、別にパパたちの真似をする必要なんてないのに、あたしまで息を潜めるようにして暮らしてたの。なんでだろうなあ、やっぱ親の背中を見て──とかいうやつだったのかな」


みやこの口調に重さは感じられず、まるで他人事みたいだ。


「…………」


俺は「両親」ってものをほとんど知らない。

みやこの家庭がどういう状態だったのか想像はつかないけれど……。


「結局、6年くらい前に離婚したんだけど、正直安心したな。ママが家を出て遠くの街に行って……張りつめた空気は消えてくれたから。そうだよ、あたしはそれで解放されたの。これからは何も音のしない家なんか捨てて、自由に行きたいところに、人の声が溢れてる場所にいようと思った。いつかどこかに……あたしの居場所が見つけられるって期待して」
「うるせーよ」
「えっ?」
「ひとりでべらべら語ってんじゃねーよ。おまえ、やっぱりまだ人と話すのに慣れてねえだろ」


なにもわかってないなら教えてやる。

俺だってわかってるわけじゃないけど、みやこはきっと俺よりバカなんだから。


「だいたい、なんでもっと先に言わねえんだよ。寂しかったんだろ、辛かったんだろ。だったら話せばよかったんだ。もう居場所は見つけたんだろ。だからもう、家のこととかひとりだったこととか、全部過去のことだ」

 

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「居場所を見つけて……やっと見つけた居場所をなくしたくなかったんだよ!」
「なくならねぇよ!」
「どうしてそんなことが言えるの!? 居場所を見つけたと思ったの……見つけて、それを守るのに必死なんだよ。守るために──抜け駆けまでした! 景ちゃんが気持ちを告げようとしてたから──あたしは先手を打って、自分の傷を話して、絃くんに寄りかかった。そうしたら、もう絃くんはあたし以外の女の子を受け入れないと思ったから……」
「おまえはそこまで計算高くねえだろ」
「最低だよ、あたしは。自分のことしか考えてないもん。景ちゃんだけじゃない、絃くんのことだって」
「自分勝手でもいいだろ。他人のことばかり思いやってて、自分の幸せ逃がすよりよっぽど人間らしい。俺のことは俺が考える。おまえだってそうしてりゃいいんだよ。それがおまえらしいと思う」
「……っ」


みやこは驚いた顔をして、息をのむ。

驚くようなことじゃない、俺が言ってるのは当たり前のことばかりなんだ。

俺はそっと歩み寄って──みやこの華奢な身体を抱き寄せる。

 

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「あっ……」
「聞け、みやこ。ほしいもんがあるなら、守りたいもんがあるなら」
「もう消えてしまうのは嫌。あたしはここにいるのに、無視されるのは嫌」
「勝手になってもいいんだ。俺は許すから」
「あたしは、あたしの料理をあたたかい内に食べてもらいたかったの。かまってほしいの。誰かに触れてもらいたいの」
「俺はおまえに関わりたいんだよ。おまえがいい成績取ったら凄いって言ってやる。悪いことやったら叱ってやる。料理だってもちろん食べる。それが──関わるってことだから」
「どんなにみっともなくてもいいから……しがみついていたいよ!」
「おまえがやりたいことを、やればいい。それしかないんだから」
「絃くん……っ!」


今を大事にしろって言われてもピンと来ない。

俺もみやこも、まだ譲れないものを手に入れたばかり。

失ったときのことなんて想像できないし、したくもない。

ただただ、みやこを柔らかく包んであげたい。

誰かがみやこを傷つけないように。

みやこが自分を傷つけないように。

それができるのは俺だけなんだから。

いつまでも、俺だけでありたい。

 

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……。


…………。

 

「晩ごはんはなにを作ろうかなー」


繋いだ手をぶんぶん振りながら、みやこは上機嫌だった。

なんにしても立ち直りが早いのはいいことだ。

 

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「あ、そうだ」
「え、なに?」
「忘れないうちに言っておかないと。とりあえず、家に帰ったら、おまえ拘束な」
「拘束っ!?」


みやこは目をまんまるに見開いて驚く。


「あの、あたしはそういう趣味はないんですけど……」
「何を言ってる……」
「拒否権なし!? じゃ、じゃあ、せめて首輪はやめて……」


なにやら誤解されてるな。

それはそれで描きがいがありそうだけど。


「……そうじゃなくて。この間、おまえが寝てるところをスケッチしてたんだけどさ」
「全然気づかなかった……」
「描きかけで気持ち悪いから、続きを描かせてほしいんだよ」

 

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「し、縛るの?」
「あんまり動くなら考えるぞ。1~2時間じゃすまないからな」
「モデルを縛るなんて聞いたことないよ!」


みやこの声は悲鳴に近い。


「もしかして、この前も縛ったの? 絃くんそういう趣味?」
「縛ってねえよ。 ただの人物スケッチだって」


縛るのはともかく、本当はモデルは裸がいいんだけどな。


「なんであたしの絵なんて描くの?」
「描きたいから」
「……うっ」


あっさりとみやこは言葉を失ってしまう。


「それと、今度読み切り短編を描かなきゃいけねえんだけど……その主人公のモデルにどうかなとも思って」
「……ずるいなー。そういう言い方されたら断れないじゃん……」
「色々描かせてくれよ。モデルなんて退屈だろうけどさ」
「……わかったよ」


渋々といった様子でみやこは頷いた。


「でも……」
「本気で嫌だったら、断ってもいいけど」
「そうじゃなくて。読み切りなんて描いても平気なの? 普段の連載休むの?」
「いや、いつもどおりだよ。仕事量が増えるだけ」

 

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「絃くんの右手……」


みやこは俺の右手を持ち上げて、優しく撫でてくれる。

というか、公道でそういうことするなよ。


「なにも心配いらねえよ」
「じゃあ、ひとつだけ条件があるの」
「なんだよ」
「その短編、描き上がったら真っ先にあたしに読ませてね」
「言われなくてもそうするつもりだったよ」
「ありがと」


みやこの笑顔に、心があたたかくなるのを感じる。

この笑顔を失わないためにも。


「みやこ、俺決めたんだ」
「なに?」
「家に帰ったら話すよ。俺とおまえの居場所で……ゆっくり時間をかけて」
「……うんっ」


大切なものはひとつだけじゃないけど、順番を決めなくちゃいけない。

悩みを抱えていられた時間はもうすぐ終わる……。

みやこが見つけたものを。

俺が手に入れたものを。

守らなければならないから。


……。

 

 



 

俺があいつの居場所であり続けるために。

自分がやりたいことをやるために。

俺は、決めるべきことを先延ばしにするのはやめた──


…………。

 

……。

 

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がらり。

教室の扉を開けて、既に登校していたクラスメイトたちに挨拶しながら、自分の席に向かう。


「うーす」


京介の席のところで立ち止まる。

 

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「おす。……おまえ、なんか頬赤くない?」
「ああ、広野くんへの気持ちがつい顔に」
「おまえは照れると、かたっぽの頬だけが赤くなんのか」


器用なヤツだな。

つーか、どうせまた彼女にでも殴られたんだろ。


「いいんだよ、こういうのもコミュニケーションなの。殴り合って友情が芽生えるとかって、よくある話じゃん」
「それは男同士の話だろ!」


男が女に殴られるのって、どう考えてもあんまりいいことじゃない。


「んなことないよ。殴られてるうちはさ、まだ興味持ってもらってるんだよ。終わってないっていうか。ホントにどうでもよくなったら、そのときはもうなにもしてもらえない」
「……そうだな。そのとおりかもしんない」


悔しいけど、人生経験では京介のほうが上みたいだな。

家にこもってペンを動かしていただけの──まともに人と関わり始めたばかりの俺とは違う。


「京介。おまえって、けっこうすげぇよ」
「……ん、なにが目的なんだ?」


覚えたような顔で逃げ出そうとする京介。


「金か!? ま、まさか身体か!? きょ、今日まで守り続けてきた純潔がー!!」
「気持ち悪いこと言うな!」


こいつは根性が腐りきってる。

付き合いきれねえ……。


「おまえは悪いクセ治して、まっとうに生きやがれ」
「……広野、おまえなんかあった?」


宗介は真面目な顔になって、まじまじと俺を見つめている。


「いーや、別に」


俺は、小さく首を振った。


「ただ、自分の立ち位置を決めただけだよ」


……。




 

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がんっ!


バスケットボールがリングに当たってはじけ飛んだ。

そのままこちらに向かって転がってくる。


「よっ」


ボールを拾い上げ、フリースローラインの辺りに立つ人影に近づいていく。

 

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「人を呼び出しておいて、遅れないでよ」
「悪い、悪い。ちょっとアホに捕まってて」


1時限目と2時限目の間の休み時間。

景との待ち合わせに向かおうとする俺に、京介は「どこへ行くのか」としつこく食い下がってきた。

どうやら例の賭けの結果を気にしているらしい。

あいつはあいつで、バカ騒ぎにすることで俺の気を楽にしようとしてるのかも。

考えすぎかもしんないけど。


「まあ、まだ時間はあるからいいじゃん」
「だいたい、わたしはお兄ちゃんみたいな不良じゃないのよ。授業中に呼び出さないでほしいわ」
「たまにはサボリもいいもんだろ」
「全然良くないわよ。先生に見つかったらどうしようかってことばっかり気になるもの」
「大丈夫、大丈夫」


この時間はどのクラスも体育館を使ってないから、ここには誰も来ないはずだ。


「おまえは真面目だよなあ」
「わたしはこれでも気が小さいのよ。お兄ちゃんみたいに大胆にはなれないわ」


景はバカにしたみたいに言って、小さく鼻で笑う。


「それで、なんなの? お兄ちゃん、堂々と授業サボっちゃってるけど……」
「それはもういいんだよ」
「よくないでしょ。わたしと同級生になりたいの?」


いつもと変わらず、景は真剣に心配してくれている。

言葉は悪くても、本当に人を傷つけるようなことは言わない。

優しいんだ、景は。


「俺、決めたんだ。学校やめて、漫画に専念するって」
「え……っ?」
「元々、片手間でやってることがおかしかったんだよ。中途半端にやって、それで面白いものが描けるほど甘くねえんだから。漫画好きだったおまえなら、わかるだろ?」
「……わかるとかそういう問題じゃないでしょ! あんた、バカだろ! なに考えてんだよ、お兄ちゃん! 学校やめる!?」
「3学期いっぱいまで通うよ。大して変わらないけど、一応ケジメとして2年が終わるまではいたいと思う」
「なによ、どうしちゃったのよ? どうして急にやめるなんて言い出すのよ?」


そこまで言ってから、景ははっと口をつぐんだ。

固く拳を握りしめて、しばらく視線を彷徨わせ──

再び口を開いた。


「宮村先輩のことと関係があるの?」
「ない、とは言い切れないけど俺が自分で決めたことだよ。みやこはなにも言ってない」
「……もう決めたの?」
「ああ、決めた」


羽山ミズキが読み飛ばさないような漫画を描けるように。

夢を見果てるにはまだ早すぎるから。

俺は、中途半端をやめなければ。

夢を見ていた頃の自分のために。

読者や編集や俺が関わっているすべての人たちに夢を見せるために。


「そう」


景はふっと小さく息をついた。


「いつもお兄ちゃんはそう。自分で全部決めて、ひとりで先に行っちゃうのよね」
「やりたいことと、できることをやってるだけだよ」
「でも……。お兄ちゃんがそういう人だから、わたしは好きになった。いつもまぶしかったわ。夢を叶えて、自分のやりたいことやって。辛くなっても……最後までやり遂げようとしてるお兄ちゃんが」
「そんな大層なもんじゃねえよ。それに、おまえが見てたから頑張ってたんだよ」
「わたし……?」
「血は繋がってなくても、お兄ちゃんって呼んでくれる子の前では格好つけたかった」


思い返してみれば──


「ひとりだった俺に優しくしてくれたおまえを喜ばせてやりたくて──俺は漫画を描き始めたのかもしれない」


景のことが好きだったのかどうか。

もう、かつての気持ちは思い出せないけれど。

景がいてくれたから、今の俺があるんだ。


「ま、結局、だらしないとこばかり見せてたけどさ」
「そんなことない。そんなことない……けど。わたしはお兄ちゃんに憧れてただけだったのね。優しい言葉をかけられたり、ちょっと触られるだけで嬉しくてたまらなかった。でも、自分からはなにもしようとしてなかったわ」


景は、ぎゅっと唇を噛む。


「見ているだけでいいなんて──自分にまで嘘をついてた」


沈黙が落ちる。

言葉が出てこなくて、ひどくもどかしい。

なにを言えばいいんだろう。

景を傷つけたくない。

自分も傷つきたくない。

そんなことを考えていたら、言葉がひとつも出てきてくれない。


「わたし、宮村先輩が大嫌い」
「景……」

 

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「でも、憧れてるだけでなにも言えなかったわたしが……。妹じゃなくて、女の子として見てもらいたいと思えたのは……たぶん、宮村先輩が現れたから。だから、わたしは自分の気持ちを伝えようって勇気を振り絞れた。そこだけは感謝してるの。やっぱり嫌いなものは嫌いだけどね」


景は明らかに無理をしている。

痛々しくて、今にも壊れそうで、見ていられないけれど。

俺だけは、今の景から目を背けちゃいけないんだ。


「お兄ちゃん、ボール貸して」
「え? ああ」


ひょいっとボールを投げる。

 

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受け取った景は、その場で二度ドリブルをしてから。

 

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何千本、何万本と打つことで身につけたなめらかなフォームでシュートを放った。

綺麗なアーチを描いて、ボールがスピンしながらゴールに吸い込まれて──


がんっ。

 

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「あ……」


無情にもボールはリングに当たって、ぽとんと落下してしまう。

 

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「あーあ。また外れたわ。全然ダメね」
「……おまえ、調子悪いのか」
「ちょっとね……」


景は答えてから、手が届きそうな距離まで歩み寄ってきた。

 

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「ヒザがね」
「ヒザ?」
「この前の試合で打ったヒザが痛いの……」

 

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すうっと、景の頬を涙が一筋伝った。 


「景……?」


「ヒザが痛い……。痛くて泣くなんて子供みたいよね」


そう言っている間にも、景の涙は止めどなく流れる。

俺はバカだけど、そんな嘘には騙されねえよ。

泣いてるときにまで、意地を張らなくてもいいのに。


「あっち……向いててよ。こんな、ところ……見ないでよっ」


この意地っ張りめ……。

こいつはガキの頃からずっとそうだ。

気ばっかり強くて、弱みをみせるのが嫌いで。

景の肩を抱いてやりたくなる衝動を、必死に抑える。

中途半端な優しさを見せたら、余計に景が傷つくだけだ。

俺が景の気持ちを裏切っているのは──確かなんだから。

 

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「……どうしてなの? どうしてわたしじゃいけなかったの……?」
「どうしてって……」
「わたしの気持ち、わかってたんでしょ。だって……わたし、嘘つくの下手だから……わかってたくせに……っ。景のこと、好きになってほしかったな……っ」


理由は──簡単なんだ。

たった一言で説明できる。

だって俺は──宮村みやこに出会ってしまったから。

でも、これだけは絶対に口にするわけにはいかない。


「お兄ちゃん……お願いがあるの」


しゃくりあげながら、景は俺を見上げてくる。


「人前ではお兄ちゃんって呼ばない約束だったけど……。これから、ずっとお兄ちゃんって呼ばせて。せめて……せめて、妹でいさせてほしいの……」
「バカ。冗談だったのに、本当に先輩なんて呼ばなくてよかったのに」
「ひどい、お兄ちゃんはやっぱり意地悪よね……」
「兄貴なんて大抵、意地が悪いもんじゃないか」
「そうね、わたしたちって本当の兄妹みたいだった……。ずっと妹でいればよかったのかな……。お兄ちゃんみたいなひねくれ者に彼女ができたことを……喜んであげればよかったのかな」


景は涙で頬を濡らしたまま、微笑みを浮かべた。


「ねえ、妹からもう1つだけお願いしていい?」
「いいよ」
「お兄ちゃん。ヒザが痛いから……ちょっとだけ支えてもらいたいの」


景の本心がどうでも、妹としての願いなら。

俺は受け入れてやりたい。

なにも言えないのなら、せめてそれくらいは。

 

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「あ……」


景の小さな頭を胸に抱え、腰に手を回す。


「お兄ちゃん……」


力を抜いた景の身体をしっかりと支えてやる。

景は軽いな……。


「う……っ。帰りたい……。帰りたいよ……。お兄ちゃんとずっと一緒にいられた頃に……わたしのお兄ちゃんでいてくれた頃に……。お兄ちゃん……」


景はこんなにも泣き虫で甘ったれだったんだな。

意地を張って……ずっと泣くことも甘えることもできなかったんだ。

俺がもっと優しくしていれば、こうはならなかったんだろうか……。


「泣かない……つもり、だったのに」
「景」
「心配しないで……すぐに、自分の足で立てるようになるから……」
「慌てなくていいから……」


今は甘えていればいい。

今はまだいい。

そうだよ、大丈夫。

景はきっと立ち上がれる。

立って、普通に歩けるようになる。

そうだろ、景。

ごめんな、景……。


……。

 

屋上へと続く扉を開けると、いつものごとく風が吹き込んできた。

風はまだまだ冷たくて、まるで俺を追い払おうとしてるかのようだった。

それでも背筋を伸ばして、ゆっくりと近づいていく。

 

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街を眺めながら、俺を待っていてくれた人のところへ。


「景ちゃんは?」
「教室に戻ったよ」


目が腫れてしまって、泣いていたのはバレバレな状態だけど、それでも授業を受けると景は言った。

それがあいつらしいと思う。


「ごめんね、絃くんだけに辛い思いさせて……」
「おまえが出てきたって仕方ないだろ。俺が招いたことだったんだから」
「違う。それは違うよ、絃くん。あたしたちは共犯だよ。そろって、二人で景ちゃんを傷つけたの。そのことを受け入れないと、前には……進めないよ」
「共犯、か。嫌な言葉だな。まるで自分の責任が軽くなったみたいな気になっちまう」

 

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「錯覚なのにね。でも錯覚でもなんでも、ちょっとでいいから楽になりたいって思っちゃう……酷いよね、あたしも」
「ホントは俺一人で背負うことだったんだ」
「だけど、あたしは後悔してないよ」


みやこの言葉は──真実なのか、ただの強がりなのか。


「後悔はしてない。だってあたしは……大事な大事なものを……手にしたんだから」
「そうだな。後悔だけは……したくないな」


もう二度と誰かを傷つけたくはない。

傷つけてしまった人に、許してもらいたい。

今はそう願うことしかできないけれど、せめてこの気持ちを忘れないように。


「絃くんはこれからどうするの?」
「しばらくは今までと変わんねえよ。ま、もうちょっと真面目に登校してくるけどな」


残り少ない学園生活を、少しでも楽しんでおこう。

歳の近い仲間たちと同じ場所で一緒に過ごせる時間は、もうこの先二度と訪れないだろうから。

 

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「あたしはね」


みやこは風に乱れる髪を押さえつけている。


「あたしも、決めたよ。これからはちゃんと学校に行く。授業も真面目に聞いて、クラスの人たちとも話すようにする。もう逃げないよ。あたしはまだ夢も見てないもん。可能性を──夢を見つけるには、学校はいい場所だと思うから」
「そうか……。いいな、それは」


みやこがこの学園で友達を作って、笑い、楽しそうに過ごす。

幸せに過ごせる場所はひとつだけじゃなくて、たくさんあったほうがいい。

俺が見ていない場所でも、みやこが笑っていてくれれば。


「あたしも強くなるよ。いつか絃くんが倒れたりしたら、そのときはあたしが支えてあげられるように」
「縁起でもねぇ」


ぽんぽんと俺は右腕を叩く。

そのうち俺が潰れる可能性もあるにはあるけど──たぶんなんとかなると思う。

俺だけじゃなくて、みやこも心を決めてくれたのなら。


「まずはクラスになじむところから始めなきゃだね。でもあたしって頭はいいし、可愛いし。明るく振る舞ってれば人気者になれるかも」
「ま、夢は見すぎないようにな」


俺はにやりと笑って、みやこの頭を叩く。

みやこもまた、にっこりと──満面の笑みを浮かべてくれた。


「………」
「あれ? どうかしたの?」
「いや、なんでもねえよ……」


みやこの笑顔が─気づかせてくれた。


「ただ……」


ふとしたときに、なんでもない思い出が輝き出すことがある。

聖なる夜、冬の海。

降り始めた雪の中でみやこは笑っていた。

俺はすぐにそれを忘れてしまったけれど。


「おまえがいてくれてよかったなって」


今では、あの夜の浜辺が、かけがえのない人生の情景として胸に刻まれている。

それはあるいは──恋に落ちた瞬間だったのかもしれない。


「なに、それ。絃くんがそういうこと言うのっておっかしい」


みやこはくすくすと笑っている。


「ほっとけ」


だから、辛い記憶や過去も、なにかのきっかけで優しい思い出になってくれるかもしれない。

たぶん、そんなに都合良くはいかないし、傷つけたり、傷つけられたりした事実が消えてなくなるわけでもない。

それでも救いを求めるのが──人ってもんじゃないだろうか。


「本当に……おかしい」


って、まだ笑ってるのかこいつ。


「いつまで笑ってるんだよ、おまえは。失礼な──」


そのとき、ふっとかき消えるようにみやこの笑顔が消えた。


「みやこ……?」
「あたしも寂しい……な。3年になったら、絃くんと同じクラスになりたかった」


同じクラスになって、席も隣同士になったりして、授業中にふと横を見るとみやこもこっちを向いていて。

一瞬、ぽかんとした後で笑顔を向け合う。

それは、幸せな映像だった。


「でも……」


──想像でしかなかった。


「ごめん。わかってるよ。絃くんにもやらなきゃいけないことがあるんだもんね」
「まだ描きたいものがいっぱいあるんだ。いつ描き終わるのかなんてわかんねぇけど……。でも、俺は夢だけを選ぶわけじゃない」
「絃くんの右手は夢を掴むためのものだよね」

 

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俺は左手をみやこに向かって差し出した。


「こっちの手はいつでもおまえのもんだよ。おまえだけの……」

「うん」

 

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みやこはしっかりと手を握ってきた。

あたたかい。

この冬の屋上でも、みやこの手はあたたかくて、確かな存在感を伝えてくれる。


「なあ、みやこ」
「なにかな、絃くん」
「冬が終わって、春が過ぎて……。夏くらいには、休みが取れるように仕事を詰めてみるよ。休みが取れたら、どこかに遊びにいこう」
「うん、うん……」
「夏になったら……」
「約束だね」


ぱあっと、みやこに笑顔が浮かぶ。


「ああ」


そうだ、約束をしよう。

それはお互いを縛るためのものじゃなくて。

信じ合っているから交わされるもの。


「絃くん、授業に出なくちゃ」
「そうだな、行こう」
「うんっ」

 

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みやこは満面の笑みを浮かべて、俺と腕を絡める。

みやこ、おまえとならどこまでも行けるだろう。

この先になにがあっても、なにもなくても。

たとえ大切なものを失うことになっても、繋いだ手を離さなければ。

どこにでもたどり着けなくたっていい。

幸せな時間と記憶を重ねて、いつか輝く思い出をいくつも作ろう。


きっと、できるよ。

だから、俺たちは走り出す。

終わりのない今日を続けていくために──

 

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……。


…………。

 

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小さく息を吐いて、優子は微笑みかけてくる。

ここはあまりにも寒いのに、彼女の笑みはそれを感じさせない。


「広野さんとここで出会ってから、もう1年になるんですね……」
「1年間、その捻くれたクソガキどもと付き合ってきたわけか……」
「ここ最近は、あまり会わなくなりましたよ。広野さんはお仕事が忙しいし、みやこは受験ですから……。ふたりとも大変そうですけど……。でも……ふふ、いい顔してますよ」

 

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「おまえも嬉しそうだな」
「あら、そうですか? ふふ」


優子はころころと笑う。

間近で見ていた人間の成長というのは嬉しいものだ。

それは、今の俺にもよくわかる。


「ま……、お守りをするのは大変だっただろう?」
「わたしは、あの子達になにもしてませんよ。みんな、自分の意思で道を選んで、楽しく笑える毎日を手に入れたんです。 これからも笑って過ごせるかは、あの子達次第ですけどね」


この街での、少年少女たちの物語。

それぞれの想いがすれ違い、絡み合い、そして──


「そうかな?」
「え?」
「おまえがいたから、そいつらは今も笑っていられる。俺にはそう思えるよ」
「まさか。わたしにそんなちからはありませんよ。 ゆうくんってば、身内びいきが過ぎますね。なんかまた甘くなったんじゃないですか?」
「ふっ、ほっとてくれ」


俺は笑って首を振る。


「俺が勝手に思ってるだけさ。それにしても……、広野とはなぁ」


特に珍しい名字ではない。

だけど、確信に近いものを俺は感じている。

たぶんその広野という少年は……。


「優子……。おまえは覚えていないのか?」
「え? なにをですか?」
「いや……。新藤景っていう女の子のことは?」


優子は首を傾げる。


「もしかして、ふたりとも、昔のわたしと何か関係が?」
「いや、いい……」


どこか変だと思っていたが、間違いない。


「ごめんなさい……。わたしは、いろんなものを無くしてしまってるみたいなんです」


やはりそうか。

俺の名前を忘れていたというのも本当かもしれない。

……それでも。

それでもかまわない。


「ゆうこ。もう少し聞かせてくれないか。さっきの話の続きだよ。1年近く前の話なんだろう?それから今日まで、なにもなかったとは思えない」


そう、冬の結末だけではまだ終わっていない。


「そのガキどもの話は、1つだけじゃないんだろ?」


──まだ終わりではないことを、俺は知っている。


「そうですね……」


優子は柔らかく微笑み、小さく頷いた。


「季節は変わり、夏になって、ある1つの出会いがあったんです。そこから、もう1つの物語がはじまりました」


ああ、もっと聞かせてくれ。

今の優子が関わってきた者たちの話を、おまえの言葉で。

幸せを手に入れた者たちの、もう1つの物語を──


……。

 


-初夏の情景-



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その日、少女を見た。

彼女は両手で持ったボールに視線を落とし、身動きひとつせず──

差し込む初夏の日差しの中でたたずむ姿は、まるで精緻(せいち)な人形のようにすら思えてしまう。

 

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ここからなにかが始まる──

はっきりとそう予感できる光景が、そこにはあった。

なんてこった。

どうしてこんなときに限って、ビデオカメラを持っていないんだろう。

ただ、それならせめてこの光景を目に焼きつけておくために。



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両手の人差し指と親指を組み合わせて、四角いフレームを形作った。

片目をつぶり、フレームの中に彼女を囲い込む。


だん、だん。


彼女は二度ドリブルをしてから。

すうっとボールを持った手を掲げて構えを取り。

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背筋がぞくりとするほどしなやかなフォームでシュートを放った。



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画面をパンしてボールの動きを追いかける。


「あ……」

 

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がんっ。


しかし、なにが悪かったのか。

ボールはリングの上をくるりと一周して、コートの上に落ちてしまう。

彼女はわずかに首を動かして、転がっていくボールを目で追いかける。

そのとき、初めて彼女自身のことを意識した。

どこか生気に欠けているその顔は、以前にも見たおぼえがある──

 

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あの子の名前はなんて言ったっけ……。


「また外れ、か……」


彼女はぽつりとつぶやいた。

その言葉にはなんの感情もこめられていなくて。

なぜだかその無機質さが、ひどく俺の心を揺さぶっている。

しばらくして、少女はボールから目を離した。


「わたし、これでも前はバスケ部にいて……自分で言うのもなんですけど、けっこう活躍していたんですよ」


俺はフレームを作っていた手を下げる。


「気づいてたの。もしかして邪魔しちゃった?」
「いいえ、別に。見られててもそうじゃなくても、わたしのシュートなんて入りませんから」
「でもすっげー綺麗なフォームだったじゃん」


彼女はゆっくりと振り返り、正面から俺と向き合った。


「失礼ですけど、見る目がないですね」
「えっ?」

 

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「わたしのシュートなんて最悪よ」


いきなり口調が豹変した。


「本当に綺麗なフォームで打てば、絶対に外れない。まして、ディフェンスもついてない状態ならね。ちょっと前までのわたしなら、絶対に外さなかったわ。今は……無様なものよ」
「……どうやら俺は本当に見る目がないらしい」


なんで人形のよう、なんて思ったんだろう。

この子はこんなにも──人間らしい激しさを持ってるじゃないか。

もっとも、どこかやけくそじみた印象は受けるが。


「……そろそろ行きます。すぐに部活の人たちが来ますから」


何事もなかったかのように、口調が元に戻った。

先ほどまでの激しさも嘘のように消えてしまっている。


「ああ、そうだな。俺も行ったほうがいいな」
「ええ、ここにいたら叩き出されますよ。バスケ部もバレー部も気の荒い人が多いですから」
「そりゃ怖いな」
「それでは、失礼します」


非の打ち所のない、丁寧な挨拶だった。


「ねえ」


歩き出そうとした彼女に呼びかける。


「はい?」


俺は彼女にそこにいるように手で合図してから、転がっているボールを取りに行った。


「……あの?」
「いいから、見てて」

 

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拾い上げたボールを持って、彼女のすぐ横に立つ。

そして、慎重に狙いを定め──

シュートを打った。

 

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がんっ。


ががんっ。


ボールはリングをかすめるようにしてから、ボードに当たり、またリングの上を滑って──

すとん、とネットをくぐり抜けた。

 

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「おし! どう、俺のシュートは?」
「最悪ですね」


彼女はにこりともせずに言った。


「でも……」


少しためらいがちに、彼女は片手を上げた。


「ナイスシュート」


そう言って、彼女はほんのちょっぴりだけ笑う。

 

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「サンキュー」


俺も笑い、彼女が掲げた手に、自分の手を打ち合わせた。

ぱちん、と小気味いい音が鳴る。

その瞬間──俺はふたつのことを思い出した。

冬の終わり、ようやく春が訪れようとした頃に学園を去っていったひとりの友達のことを。

終業式の後、あいつともこうして手を打ち合わせて別れたことを。


「──そうか、あいつの」


俺のつぶやきは届かなかったらしく、彼女はなぜか自分の手のひらをじっと見つめていた。

しかし、すぐに顔を上げる。


「それでは、今度こそ。失礼します」
「ああ」

 

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彼女が去った後の体育館の扉に視線を送りながら、俺はぎゅっと拳を握った。

学園を去った友人の妹のような存在。

1年生にしてバスケ部のエースとなり──そして、2年に上がる前に部を去った女の子。


「そうだ。 新藤景さん……だったよな」


それが彼女の名前。

この熱い季節をともに過ごすことになる新藤景との最初の出会いは──こうして終わった。


……。

 


Chapter2. Kei Shindou

The flower bloom in the right sky.

ef - the first tale.

 

閉じた瞼の上に光を感じる。

自慢じゃないけど、昔から寝つきがよくて、眠りも深い。

おまけに、寝起きは異常なくらいよかったりする。

低血圧なんて言葉は、俺の辞書には載ってない。

 

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「……よっ」


軽快な掛け声とともに、ぱっと身体を起こす。

素早く着替えて、カバンを手に取った。

もちろん、愛用のビデオカメラを詰め込むことも忘れない。


「うしっ、行くか」


部屋の扉を開けて、廊下に出る。


「親父は……また帰ってないのか。どこをうろついてるんだろ」


ジャーナリストとかいう怪しげな肩書きを持っている親父は、めったに家に帰ってこない。

昔から、学校から帰宅しても「おかえり」を言ってくれる人はいなかった。

そんな状況がもう何年も続いてるが──

ガキの頃ならともかく、今となっては親が家にいないほうが色々と都合がよろしいので問題なし。

だだだだっと一気に階段を駆け下りる。


…………。


……。

 

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「うわー、あっちぃー……」


軽く朝メシを食って外に出ると、蝉の声が聞こえ、目がくらみそうな日差しが降り注いでいた。

ああー、もう初夏だな。

俺が大好きな季節だ。

学校なんて面倒くさいけど、この時期ばかりは足取りも軽くなるというもの。


「行ってきまーす!」


誰もいない玄関で声を張り上げ、ご近所に不審に思われつつ、歩き出した。


友達や顔見知りと挨拶しながら、さっさと一人で歩いていく。

急いでるわけじゃないが、今朝は友達の輪の中に入って会話する気になれない。

さわやかな朝の雰囲気を一人で味わいたい気分だった。

と、鼻歌交じりで歩いていると──


「お、あれに見えるは……」

 

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さらさらのショートカットに、周りの女子生徒を比べると一回り以上小柄な身体。

ちょっとぎこちなく見える歩き方──

まぎれもなく、元バスケ少女の新藤景ちゃんだった。

 

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「またあんたはそういうでたらめを言うー。わたしだって、そうそう何度も騙されないわよ」


彼女はころころと楽しそうに笑いながら、友達とおしゃべりしている。

新藤の周りにいる女の子たちの顔はえらく嬉しそうだ。

新藤と話せるだけで楽しくてたまらないといった感じ。

好かれてるんだな、あの子は。

俺は立ち止まり、カバンの中に手を伸ばす。


「ふーむ……」

 

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取り出したビデオカメラで、新藤景を狙う。

液晶モニターに映し出された彼女を見つめ──


俺はすぐにカメラを下げ、首をひねってしまう。


「うーん……なんか違うんだよなあ」


……。


キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。

 

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4時間目終了のチャイムが鳴り、礼をすると、教室が一斉に騒がしくなった。

 

 

「ふーっ」

 

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俺は広げたままのノートの上に頭を載せる。

3年になってから授業のレベルがやたらに高くなり、指名される機会も多いので、消耗も激しい。

今はまだ6月。

受験本番まではまだまだたっぷりと時間が残されている。

地獄だな、こりゃ……。


「つっつーん」
「………」
「おーい、つっつんってば」
「……………」
「なるほど、まずはどの秘密からバラしてほしいのかな? ちなみにあたしのオススメは──」

 

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「なんでしょうか、宮村さん」


俺は勢いよく立ち上がり、声の主に正対する。


「うんうん、最初からはきはき返事をしてくれるとあたしは嬉しいな」
「俺はクラス分けをした奴が憎たらしくてしょうがないよ……」


ここ3ヶ月ほどで何度繰り返したかわからない愚痴をこぼす。

なんの因果か、恐ろしいことに3年で宮村みやこと同じクラスになってしまったのだ。

それだけならまだよかったんだが……。


「あのさ、お願いが2つばかりあるんだけど」
「ほい?」
「つっつんって呼ぶのやめてくんない?」


なんか業界っぽくてかなりイヤだ。


「でもさ、『堤京介』でしょ。 『つっつん』以外にあだ名のつけようがないじゃん」
「そもそもどうしてあだ名で呼ぶんだよ」


同じクラスになって、やっと名前を覚えてもらえたと思ったら、こいつは妙なあだ名をつけてくださったのだ。


「それで、2つ目のお願いってなに?」
「1つ目は無視!?」
「悲しいけれど、叶わない願いもあるのだよ♪」


笑顔で言う台詞か、それが。


「2つ目を言うのが無駄な気がしてならないよ……」
「ま、ものはためしって言うし」
「……そろそろ秘密がどうこうもやめない?」
「あたしはいつバラしてもいいよ。それも面白そうだし♪」
「やめてください……」


ああ、目から水が。

俺が1、2年の頃に積み重ねてきた幾多の悪行。

もし学園側にバレたら軽く5回は退学になれるそれらのネタを、宮村みやこは握っているのだ。

なぜそれほどのトップシークレットな事実を、3年になるまでほとんど接触のなかった宮村が握っているかというと──


「せっかく教えてもらったんだし、快適な学園生活のために有効活用しないとね」


話は簡単。

宮村の彼氏であり、俺の親友でもある男。

既に学園を去ったあの男が、口を滑らせて色々と宮村に吹き込んでくれたというわけだ。

奴は軽い気持ちで宮村に喋ったんだろうが、俺にとってはえらい迷惑。

もう親友でもなんでもないな、あいつは。


「とりあえず、つっつんのお願いはわかったよ」
「わかっただけで、叶えてくれる気はないわけね……」
「学食行って、飲み物買ってきて。パックのウーロンがいいな。もちろん行ってくれるよね?」
「完全にパシリだよ……。まったく、人をなんだと思って……」
「1年のときの学園祭で、たまた一人で遊びに来てた付属の女の子を部室に連れて行って──
「わーっ!」


よりによって、あの事件を持ち出してくるか!


「行くよね?」
「はい……」


もちろん、俺に逆らう権利などありはしなかった。


……。

 

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「いつとはべらぬなかにも、来し方行く先かきくらし──」


静まりかえった教室に、透き通った声が響く。

腹もふくれたこの時間に、穏やかでよどみのない音読を耳にしていると、どうしようもなく眠気に誘われてしまう。


「つれづれと過ぎにし方の思うたまへ出でらるるにつけても、こりずまの浦のみるゆめのゆかしきを──塩焼く海人やいかが思はむ──さまざま書き尽くしたまふ言の葉、思ひやるべし」


宮村もこうやって普通にしてれば可愛いのになあ。

まあ、俺は他人の女には興味ないから別にどうでもいいけどさ。

目下のところ、俺が興味があるのは──

他でもない、あの新藤景ただひとりだ。

あいつの関係者っていうのはちょっと引っかかるが、この際そこは目をつぶろう。


「さま変はりたる心地するもいみじきに、『去らぬ鏡』とのたまひし面影の、げに身に添ひたまへるもかひなし──」


ここんとこずっと退屈してたんだ……。

あんな面白そうな素材を見逃せるもんかい。


……。



 

可愛いっていうのはもちろんある。

これまでに映研で撮影してきたどの女の子よりも容姿は整ってると言ってもいい。


「でも、それだけじゃないんだよな」


どんなに綺麗な顔をしていても、カメラに映えなければなんの意味もなさない。

その点、ひとりで体育館にたたずんでいた新藤は文句なしに合格だった。

どこか遠くを見ているような目、小さな背中、儚げな雰囲気。

あれだけ画になってるシーンは、撮ろうと思ってもなかなか撮れるもんじゃない。

あの光景を今度こそカメラにおさめるために──


「お、出てきた出てきた……おや?」

 

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変だな。

新藤景は、毎日友達と連れ立って教室を出てくるのに、なぜ今日に限って一人なんだろ?


「………」


とりあえず、いつもどおりに追ってみるしかないが……。

新藤景は相変わらず、一歩一歩なにかを確かめるようにゆっくり歩いている。

すっ、と新藤の姿が曲がり角の向こうに消えた。

いつものように、このまま校舎を出てまっすぐ帰宅するのか。


「たまにはなにか起こってくれないと、いつまで経ってもいい画がなぁ……」


独り言をいいながら、角を曲がったその瞬間──

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ビュン!


「うぉっ!?」


凄まじい勢いで、なにかが頬をかすめた。


「な、なんだ!?」


反射的に一歩引いてなかったら直撃くらってたぞ、今のは。


「チッ、外したか」
「え? え?」


目の錯覚だろうか。

 

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カバンを手に、階段の前に立ちつくした新藤の身体からオーラのようなものが立ちのぼっている。


「おお……」


背筋を這い上がる悪寒にも似たこの感覚。

そうか──

これが──恐怖か──


「さて、と」


新藤は手にしたカバンを、軽く一振りする。


「今日でちょうど1週間。こんなにしつこくつけ回してくれるとは思わなかったわ。ここまで来たら、あんたを殺しても犯罪にはならないわよね」
「待て待て。我が国は法治国家ですよ! 私刑は厳かに禁じられてるよ!」
「ホーチコッカってなによ。わけのわかんないこと言わないでよ!」


やばい、おバカな子でしたか。


「えーと、つまり簡単にわかりやすく言うと、君はなにか誤解をしているってことで!」
「誤解してるのはあんたのほうよ」
「と言いますと?」


なんで上級生の俺のほうが敬語使ってんだろ。


「話せばわかる段階はとっくに過ぎてるってことよ」
「げっ……」
「1日2日ストーキングしたくらいなら、わたしだって目をつぶるわ。それくらいで自分の情けなさに気がついてあきらめてくれれば、怒ったりしない。でもあんたは──」


ぎらり、と怒りに燃え上がる新藤の瞳。


「こっちが黙ってるのをいいことに、しつこくつけ回してくれて──つまり殺される覚悟があってのことでしょ?」
「無い無い、覚悟なんて全然無い!」
「死ねぇ」


会話が繋がってないーっ!

新藤はカバンを投げ捨て、すっと一瞬で距離を詰めてくる。

 

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驚いてる暇もなく、繰り出された右ストレートをかろうじてかわす。


「待てって!」

 

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必死に叫ぶ俺を無視して、新藤は突きだした右腕を引かず、そのまま横ステップしつつ肘打ちを放ってくる。


──どこで身につけたんだ、そんなテクを!

と思わず感心しながら、彼女の右肘を軽く叩いて軌道を逸らす。


「ちいぃっ!」
「いや、ちいぃっ、じゃなくて!」


素早く新藤から距離を取りつつも、警戒は怠らない。

ていうか、なんだって俺が女の子とガチンコバトルを繰り広げなきゃならないのか。

 

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「まったく……ジタバタしなけりゃ一瞬で楽にしてあげるのに」
「ら、楽になりたくないんですが。それより新藤さん。君はやっぱり色々勘違いしてるよ」
「黙りなさい」


新藤は一応返事をしてくれるが、殺気に満ちた目をしたまま距離を詰めてきてる。

こちらが少しでも油断を見せたら──

俺は生と死の狭間を一瞬で跳び越えることに。

 

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「それにさ──」
「なによ?」
「スカートでそんなに激しく動き回ったら、見物人のみなさんを喜ばせるだけだよ」

 

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「はっ……!?」


彼女はぴーん、と背筋を伸ばしてスカートを押さえた。

そして、きょろきょろと辺りを見回す。

今はちょうど、どのクラスでも帰りのHRが終わった直後。

もちろん、階段の周辺は行き交う生徒で溢れている。


「………くっ」


新藤は顔を真っ赤にしながらカバンを拾うと。

 

 

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「次はないわよ!」


メドゥーサのような目で俺を睨みつけてから、ゆっくりと階段を降りていった。


「はぁ……。命拾いしたか」


興味深そうに成り行きを眺めていた生徒の皆さんも、ぞろぞろと散っていく。

俺も帰るか。

久しぶりに激しい運動して疲れた……。


「……じゃないっ!」


誤解をといておかないと、今度新藤を撮影したときには間違いなく命がない。


「そろそろ次の段階に進む頃合いだしな」


……。



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というわけで、新藤さん家(ち)の景ちゃんを発見しました。

まあ、あれだけのんびり歩かれたら追いつけないほうがおかしい。

さて、なんと言って声をかけたもんか……。

などと悩む必要はなかった。


「ふうー」


新藤は踵を返し、ゆっくりと俺に近づいてきて、小さくため息をついた。

 

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「なに、そんなに決着つけたいの? わたしはかまわないわよ」
「いや、そういう野蛮な話じゃなくてね」
「わたしが万全なら、最初の一撃で血の海に沈められたのに……」
「君はちょっとばかり物騒すぎない?」
「あんたみたいな変質者以外には、わたしは心優しい女の子よ」
「俺にもその優しさを少しわけてくれ」
「いいわよ」
「おお」
「救急車くらいは呼んであげるわ」
「え、俺ってそこまで痛めつけられちゃうの?」
「バカ。なんなのよ、まったく……」


突然そうつぶやいて、新藤はすたすたと歩き出す。

 

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「ちょ、ちょっと待って」
「いったいなんなんですか?」


俺の顔を見もせずに、新藤は歩きながらぽつりと言った。


「なにって?」
「意味もなく人を追いかけ回してたわけじゃないでしょう? 理由くらいは話してください」
「そういうことは、殴りかかる前に訊いとこうよ」
「とりあえず殴りたかったんですよ」
「そ、そうっすか……」


この子は、頭より先に手が動くタイプみたいだな。


「答える前にこっちも1つ確認したいんだけど、俺のこと知ってる?」
「わたしが1年のときに、何度か顔を合わせてますよね」
「うん、それにこの間体育館でも──」
「……た、体育館? なんのことですか?」
「え? まさか覚えてないの?」
「……知ら、知らないです」
「………」


明らかに口調がおかしい。

見れば、新藤の顔や耳がかすかに赤らんでいる。

 

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「………」


思い返してみれば、あのときの体育館でのやり取りは微妙に恥ずかしいかも。

俺は気にしないけどさ。


「ま、そのことはいいよ。とりあえず、俺のことは知ってるわけだね」
「一応……。名前は確か……ナントカ京介さん、でしたっけ」


なるほど、俺の下の名前を認識してるのか。

あいつはなぜか、俺のことをずっと『京介』って呼んでたもんな。


「堤だよ。堤京介。それと、タメ口でいいからさ。普通に話してくれたほうが俺としてもありがたい」
「じゃあ、堤。いったい、なんのつもりでわたしを?」
「……あ、いや。せめて名前には"さん"とか"先輩"とか付けてくれると嬉しいな」
「なによ、注文が多いわね」
「僕のなけなしのプライドを守るためだから、協力してください」
「じゃあ、堤先輩。わたしはシンプルなのが好きなの。だから、一言でいって。あんたの目的はなに?」


シンプルが好きというより、難しいことを言われても理解できないんだろ。

などとはもちろん言わず、俺はにやりと笑う。

言われるまでもなく、俺の願いは難しいことでもなんでもない。

ストレートな、たったひとつの願望。


「俺はさ、君の映画を作りたいんだよ」


……。