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光輪の町、ラベンダーの少女
神山レイカ編-ダイジェスト版-
-第三章途中から-
俺はレイカの練習に立ち会うことにした。
レイカはストローで何かをチュウチュウ吸っている。
「レイカ? 何飲んでるんだ?」
「神谷家特製ジュースよ。私、毎日これを欠かさないの。あなたも飲んでみる?」
「いいのか? じゃあ、いただくよ」
……って、これは関節キスじゃねーか。
ドキドキしながらストローを吸った。
「お味はどうかしら? 高級フルーツをベースにキャビアとフォアグラと松茸をミックスしてるの」
おえっ!!
はきだしそうになる程まずい……。
高級なものを何でも混ぜればいいってもんじゃないだろ……。
が、レイカの味がするような気がして俺は緊張しながら飲み続けた。
「う、うまかったよ……」
俺はドリンクをレイカに返した。
「もう、これは飲めないわね。あなたが飲んでしまったから……」
レイカはドリンクをポイっと投げ捨てた。
おい……。
「いやらしい男ね。ニヤニヤして、何を考えてるのかしら」
「おまえが、飲む? って聞いたんだろ!」
「まさか、ほんとに飲むなんて思ってもみなかったわ……。無神経な人。練習をはじめるから、扇いでてもらえるかしら?」
今度は団扇(うちわ)を俺に渡してきた。
レイカが素振りをしている間、俺はずっと仰ぐ羽目になった。
……手が疲れる。
……。
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俺は練習を見守っていた。
一生懸命練習する彼女たちに釘付けになっていた。
特に気になったのは……あいつだ。
あいつは我がままだった。
気高くて、負けることが大嫌いなレイカを俺は見ていた。
地道な運動で汗をかいたことなんてなかったレイカが、汗をダラダラとかいて練習している。
その様が、愛しいとさえ思えた。
負けたくない相手がいる。
勝ってほしい。
俺は強く祈った。
栗林が休憩の合図を送った。
俺はひとり、海へ向かった。
……。
潮の香りがした。
あいつらの練習を見て、思ったことがあった。
もう、自分が助言できることなんて何もないと。
俺は静かな海を見て、柄にもなく黄昏た。
心が穏やかになっていくのを感じた。
荒れていたあの日々が、ゆっくりと幕を閉じているような気がしたのだ。
自分はつまらない人間だと決めつけていた。
あの日以来、俺は卑屈になっていた。
でも、今は違う。
あいつらがいる。
俺も、はっきりと変わらなければいけないのではないだろうか。
……。
「隣、あいてるかしら?」
レイカが立っていた。
「どうぞどうぞ、お嬢様」
「お嬢様はやめてよ。ここではただの剣術部員のひとりよ」
「へぇ~。随分と謙虚だね」
「私だって、たまにはそういう気分の時もあるわ」
「この前みたいに?」
俺はレイカが抱きついたきた日のことを思い出した。
「あ、あれは事故よ。その、疲れてたから偶然そうなっただけで、意図的ではないわ」
「それにしては中々、離れなかったけどな」
レイカは顔を真っ赤にしている。
「試合が終わったら、どこか旅行に行きたいわ。そうね、海外でショッピングなんてどうかしら?」
「え? 俺と?」
「あなた以外に誰がいるのよ。当然、付き合ってくれるわよね」
「それは下僕としてってことか?」
「ち、ちがうわよ。その、付き添いというか……なんというか」
「荷物持ちはごめんだぞ」
「あなたがいいの。……あなたじゃなきゃだめなの。こんな気持ち、今までにないことだから、よく分からなくて……」
レイカは俯いている。
「でも、俺って色々とあるからさ」
「私がなんとかするわ。どんな手を使っても、私があなたを自由にする」
……。
「無理だよ」
「どうしてよ! 私は神山グループの令嬢よ。私に出来ないことなんてない!」
「……ありがとな」
「いやよ。そんなの……。私はあなたと、買物に行きたいのよ」
「俺もだよ……」
レイカは俺の手を握った。
「人って……温かいのね。私、あなたに会うまで、そんな簡単な事さえ分からなかったわ」
……俺はまだ分からずにいるよ。
俺とレイカは、ただ海を眺めていた。
少しだけ、海を好きになれるような気がした。
……。
--------------------
明日は試合か……。
大きく伸びをした。
痛てっ……。
傷が痛む。
ふと振り返ると、見慣れた顔があった。
「おもしろい顔ね~。ギャグだわ。ギャグ!」
「はぁ?」
レイカが立っていた。
「そんな顔じゃ、私のような人間とは釣り合わないわよ」
「それは残念だな」
「さっきの技、どうだったかしら?」
「なんだっけ? ミラクル・デンジャラスだっけ?」
「名前なんてどうでもいいのよ。どうだったか訊いてるの」
「華麗だったよ」
「ほんとに? 嬉しいわ……だって努力したもの」
「汗かくのも悪くないだろ?」
「そうね。すっきりした気分になるわ。あなたには教えてもらうことが多いわね」
「そうか?」
「そうよ。色々と教えてもらった。こんな気持ち……初めてだからよく分からないわ」
「俺も色々、教えてもらったよ。不器用な優しさとかさ……」
「……私、優しくなんてないわ」
「そんなことねーよ。レイカはいい子だ」
レイカは顔を真っ赤にしている。
「そういや、この前、三田さんに会ったよ」
「そう。元気だったかしら?」
「元気だったよ。、レイカのこと応援してたぞ。あの人は別に裏切ったわけじゃない」
「私……勝ちたいの。もう、誰にも負けたくないの。お願い……私を支えていて」
「もちろんだ」
「……ありがとう。私、あなたに会えて良かったって思うわ」
そう言うとレイカは道場に戻っていった。
こっちこそだよ。
ありがとう……レイカ。
……。
--------------------
後悔は、ないのか。
俺は自分の気持ちを……もう一度だけ思い返した。
※
「剣術部を辞める」
※
……。
でも、あいつの顔が頭から離れない。
それは……。
頭の中に浮かんだ顔。
美しく気高い……少女の顔。
我がままで傲慢で生意気な……あの少女。
レイカ……。
レイカの顔が頭に浮かんだ。
俺はおもむろに、電話をした。
今の気持ちを、あいつにだけは伝えたい。
受話器を握る手が汗ばんでいた。
……。
「もしもし……」
『あなた……椿宗介ね。どこに行ってたのよ! 何があったの!?』
レイカは驚いているようだ。
「今、どこにいるんだ?」
『今はお屋敷にいるわ。試合の準備をしていたところよ。私クラスになると持っていくものが多くて』
「レイカ……話したいことがあるんだ。そっちに行っても……いいかな?」
『……分かったわ。お屋敷の場所は知ってるわよね。鍵は開けておくから、来なさい』
レイカは俺のいつもと違う態度に何かを察したようだった。
「わかった。ありがとう」
俺は部屋を出て、屋敷に向かった。
……。
・
・
・
レイカの行った通り、鍵が開いている。
俺は誰にも気づかれないように……慎重にレイカの部屋を目指した。
「あなたが私の部屋に来たいなんて、珍しいわね」
「……ごめん」
「男の人がこの部屋に入ることなんて、ないんだからね。光栄に思いなさいよ」
「……うん」
「どうしたのよ。そんな暗い顔をして」
……。
「昨日から、姿を消してたみたいだけど、何があったの?」
「それが……」
「もう! ウジウジしないでよ。私の知ってる椿宗介はそんな弱々しい男じゃないわ」
「でも……俺……」
するとレイカはおもむろに、俺に抱きついてきた。
「……何があったかは知らないけど……私、あなたのそんな顔見たくない……」
優しい声だった。
俺はその声に溺れそうになった。
「俺、レイカのことが……好きだ」
……もう頭が真っ白だった。
レイカに癒やされたい。
折れそうな心を……助けて欲しかった。
「何言ってるのよ……あなたは、もともと私のものよ……」
「え?」
「私……どうやらあなたが……好きみたいなの」
レイカは強く俺に抱きつき返す。
「こんな気持ち……あなたが初めて……」
俺はレイカに軽くキスをした……。
レイカは顔を真っ赤にしている。
俺たちはベッドに向かった。
何かが崩れていく音がした。
もう戻れない……。
あの剣術部での熱い日々には……。
そのまま欲望という名の幻想に身を委ねた。
……。
俺とレイカは一人で寝るには豪華すぎるベッドの上に移動した。
俺たちはお互いを求め合った……。
…………。
……。
俺たちは黙って寄り添っていた。
……。
「なぁ……俺な……」
俺はボソボソと切りだした。
「俺、剣術部を……辞めるよ」
……。
------------------
※
「まだ、あきらめきれない……」
※
あきらめたくない……。
俺はみんなが帰ったあとも、その場から離れられずにいた。
一人、勝利の余韻に浸っていたかった。
勝ったんだ……。
剣術部が……。
俺たちの剣術部が……。
ふと、影が近づいてくるのが分かった。
それは、レイカだった。
「どうしたんだ? 帰らないのか?」
「帰ろうと思ったんだけど、迎えの車が来ないのよ」
「そりゃ大変だな」
「あなたは、帰らないの?」
「もうすぐ帰るよ」
「だったら、私と一緒に帰らない? ボディーガードになって」
「は? ……まあいいけど」
「じゃあ、決まりね。それから、今日はおめでたい日よ。その……私の部屋でお祝いしましょ」
「レイカの部屋で?」
「そうよ。何か不満かしら?」
……俺は一瞬考えた。
「分かった。付き合うよ」
……。
・
・
・
「相変わらず、でかい部屋だな」
「今まで、ありがとう」
「どうした、改まって」
「今までの感謝の気持ちを、言葉にしただけよ」
「そっか」
「剣術なんて野蛮だと思ってたけど、やってみると楽しかったわ」
「暇つぶしくらいにはなったか?」
「そうね。あなたが勧めてくれたおかげよ。感謝してるわ」
「今日は素直なんだな」
「私だって、素直な時もあるわよ」
「……うん」
レイカは恥ずかしそうにしている。
「あなたに伝えなきゃいけないことがあるわ」
「なんだ?」
「私、気づいたの……。その……あなたのことが……その」
レイカはモジモジしている。
「あなたのことが好きなの……」
「……レイカ」
嬉しかった。
その一言が。
どこかで、ずっと待っていた言葉だったのかもしれない。
「あなたは、その……私のこと、どう思ってるの?」
俺ははっきりと答えた。
「俺も、レイカのことが……好きだ」
レイカは嬉しそうに笑った。
俺はそのままレイカを抱きしめた。
「だ、だめよ……そんな」
「こうしていたい」
「ダメよ……。だって、試合のせいで汗びっしょりなのよ」
「じゃあ、風呂に入ろう」
「そうね。バスルームはあっちよ。ついてきて」
俺はレイカと一緒に浴室へ行った。
……。
俺たちはお互いを求め合った……。
……。
幸せだった。
全てが満たされていた。
剣術部を作ろうとした日から、俺の人生は180度かわった。
なにも無くて、真っ暗だった生活が、色をつけた。
生きていることが楽しいと初めて思えた。
……俺が生きている。
幸せの中、俺は眠りについた。
全てを忘れるように……。
……。
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ふと、携帯が鳴った。
『もしもし? 今すぐに来てもらえる? 大変なことになってるの!』
声の主はレイカだった。
どこか慌てている。
「どうしたんだ!? なにかあったのか?」
『凄く困ってるの。もう……どうしたらいいか分からないわ』
悲壮感の漂う声……。
レイカの身に何かあったのか?
「どこにいるんだ!?」
『マックリアの前にいるわ! とにかく早く来て! 一刻を争う事態なの!』
「マックリアだな! 分かった! すぐに行く」
電話が切れる。
レイカの身に何か起きたことは間違いなかった。
一刻を争う事態……。
なにが起きたんだよ……。
冷や汗が出てくる。
服を着替え、慌てて部屋を飛び出した。
・
・
・
俺はマックリアの前についた。
はぁ……はぁ……はぁ……。
レイカ……どこだ……。
町を見渡すがレイカの姿がない。
俺は嫌な予感がした。
誰かに連れ去られてしまったのか……。
レイカは神山グループの社長令嬢だ。
身代金目的の誘拐だって十分にあり得る。
ライバルグループの犯行という可能性だってあるかもしれない。
神山グループを恨んでいる連中なんて、この国には腐るほどいるだろう。
レイカはお嬢様として大事にされてきたからか、無防備なところがある。
口を押さえられ、車に詰め込まれ、山奥に連れていかれて、ナイフで脅されて……怯えているのかもしれない……。
頭の中がパニックになりそうだった。
「あなた、どこをみてるの? こっちよ、こっち!」
「へ?」
レイカがすました顔で立っている。
「レイカ……大丈夫か!」
怪我はなさそうだ……。
良かった……。
俺は胸を撫で下ろした。
「遅かったわね。もう、間に合わなかったわよ……」
「間に合わなかった? ……てか何があったんだ?」
「行きつけのデパートで買物をしてたの。私にピッタリのスカーフが売ってたんだけど色が2色あったの」
「……うん」
「パープルとイエローの2色。どっちがいいか決められなくて……」
「……うん」
「私が悩んでたら、別のお客がきてスカーフを買おうとするのよ。パープルのほうを」
「……うん」
「だから、そのスカーフは私が目をつけたものよ! って、買うのを止めたに引き下がらないの」
「……うん」
「先に買われたから仕方なく、イエローを買ったんだけど、やっぱりパープルも気になったから、そのお客に交渉して2倍の値段で譲ってもらったわ」
「……うん」
「ね? 大変だったでしょ?」
「……それのどこが一刻を争う事態なんだよ」
「どっちの色が私に似合うか、あなたに決めてもらおうと思ったのよ。結局間に合わなかったけど」
「あのなぁ……そんなことで一々俺を呼び出すなよ」
心配した気持ちを返せ……。
「もしかして、私が誰かに連れ去られたと思ったのかしら?}
「あんな電話されたら、誰でもそう思うだろ」
「私のことを心配したのね。いい心がけだわ」
「あのなぁ……」
レイカに振り回されてる……。
「わざわざ、来てもらったから何か御馳走するわ。どこか入りましょ?」
「じゃあ、マックリアに入るか」
「ファーストフード? 悪くないけど、もっと他にないの?」
「俺、ハンバーガー食べたくなってさ。行こうぜ」
嫌がるレイカを連れて、マックリアに入った。
……。
「狭い店ね……。人も多いし、なんだか落ち着かないわ」
「いいじゃん、気楽で」
俺はハンバーガーにかぶりついた。
「下品な食べ方ね……。そんな大口開けて食事するなんて考えられないわ」
「そうか? ハンバーガーはこうやって食べるのがうまいんだぞ。ほら、レイカも食えよ」
「無理よ。そんなに口は開かないわ。ナイフとフォークを用意して」
「ここにはないよ。ほら口あけて!」
「ちょっと、やめてよ。悪いけど、ここの食べ物は私には向いてないわ……」
「じゃあ、俺がもらうよ」
「ねぇ? あなたって普段何を食べて生活してるの?」
「何をって……米?」
「私は基本的にはパン食よ」
「みそ汁も大好きだな」
「ミソスープ? 私はあまり好きじゃないわ。お箸もあまり持たないし」
「箸使わないの? どんな生活だよ」
「うちには専属のコックがいるのよ。三ツ星レストランからスカウトしたコックよ。あなたの家のコックはどんな人?」
「うちのコックは、昼寝が好きで、テレビが好きで、勉強しろ~ってよく言ってるな」
「……変わったコックね」
「まあ、母さんだけどね……」
「あなたのお母様が料理をするの? やっぱり変わってるわ」
「普通だろ……」
こういう話をレイカとしていると改めて実感してしまう。
俺とレイカは住む世界が違うんだということを……。
でも、俺は特に気にしていない。
もう慣れてるし。
「でも、俺が作った料理は、うまい! って食べてくれたじゃん」
「そうね……。あなたの料理はおいしいわ。毎日食べるのはきついけど」
「もしも、一緒に暮らすことになったらレイカは俺にメシを作ってくれないのか?」
「作るわけないでしょ。料理は私の仕事じゃないもの」
「そっか……。じゃあ洗濯は?」
「洗濯? どうして私があなたの洗濯をしなきゃいけないの?」
「でも、主婦の仕事だろ?」
「主婦? 私は主婦になんてならないわ」
「……だよな」
「さっき、さらりと流したけど、私とあなたが暮らすって言ったわよね?」
「あ、うん」
「どういうつもり?」
「え? いや、例えばの話だよ」
「私とあなたが暮らすなんてことが、ありえるかしら?」
「……いやなの?」
「別に……いやじゃないわ。ただ、現実的に考えて、可能かどうかってことよ」
「……」
「食べ物ひとつとったって、あなたと私はあまりにも違いすぎるじゃない。私、今のスタンスを崩す気ないわ。それでもいいの?」
「じゃあ、俺が合わせるよ」
「私が、トロピカルジュースが飲みたいって言ったら海外まで買いに行ける?」
「……うん」
「私が、階段を登るのがきついって言ったら、背負ってくれる?」
「……もちろん」
「じゃあ、私が死にたいって言ったら一緒に死んでくれる?」
「死ぬとか不吉なこと言うなよ」
「私と暮らすっていうのはそういうことよ……」
レイカは悲しそうな目をした。
「どうしたんだ? やけに今日は突っかかるな。まぁ一緒に暮らすなんてまだ先のことだろ」
「……」
「なにかあったのか?」
「私、明後日にコンサートをやることになったの」
「コンサートってピアノ?」
「そうよ。クラシックのピアノコンサートを向井台ホールでやるの」
「またピアノはじめたんだな」
「お父様との約束だったの。剣術をやるかわりに、ピアノもやるっていう約束だったの」
「そうか……」
「今はピアノより、剣術に気持ちが傾いてて、なかなかピアノに気持ちがいかないの……」
「また、落ち着いたらはじめればいいよ。ピアノか。それもいいと思うぞ」
「クラシックはやりたくないわ。でも、お父様が三田を戻してくれたし、仕方なくやるのよ」
「三田さん、戻ってきたんだ?」
「ええ。神山グループを支えていたのは三田だし、お父様も戻したがっていたみたいなの」
「良かったな」
……そっか、三田さん戻ったのか。
「これ、コンサートのチケットよ。観に来てもらえるかしら?」
「もちろん。楽しみにしてるぞ」
俺はチケットを受け取った。
「鈴木さんたちも呼んで、一緒に来てくれる?」
「分かった。誘ってみるよ」
レイカはうかない顔をしている。
「どうした? やっぱりクラシックよりジャズがやりたいのか?」
「……そうね。ジャズは最高よ。あ、これ、私のお気に入りのCDなの。暇な時にでも聴いてみて」
「これ、前にもらったCDと同じやつ?」
「違う曲が入ってるわ。これを聴けば少しはあなたの感性も磨かれると思うわよ」
「そうだな。レイカに近づきたいしな」
俺はCDを受け取った。
……。
…………。
変な沈黙が流れる。
なんか気まずいな……。
ジュースをすすりながら下をみた。
床で何かが光った。
なんだろ……。
小さく光る輪っかが落ちている。
俺はそれを拾った。
「なんだこれ?」
俺が拾ったのは、緑色の宝石が埋め込まれた、小さなリングだった。
「どうしたの?」
「いや、これが落っこちてた」
「ちょっと貸してもらえる?」
レイカは俺からリングを奪い取った。
「それ、なんだ?」
まじまじとリングを見るレイカ。
「すげー綺麗だよな」
「これは、グリーンガーネットね」
「グリーンガーネット?」
「深緑の森を思わせるような深く透き通った美しいグリーンが印象的な宝石よ」
「たしかにきれいな色だな。もしかして……それ高いのか?」
「ガーネットには攻撃性と勇気を与える力があるといわれているわ。高価なものなら、お家が建つくらいの値段ね」
「家が建つの!?」
「なぜこんなものが、庶民のお店に落ちてたのかしら……ん?」
「交番に届けた方がいいよな」
「その必要はないわ……」
「え? おまえ、盗む気じゃないよな」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。このグリーンガーネットは、偽物よ。凄くよくできているけど、輝きが少しくすんでいるでしょ?」
レイカはそのグリーンガーネットを外から差し込む光にあててみせた。
「なんだ偽物か……。そう言われればそんな気も……いや俺にはわからないな」
「私、ジュエリーは今まで嫌っていうほど見てきてるの。本物か偽物かの区別はすぐにつくわ」
俺はレイカからリングを受け取った。
「でも、綺麗だよな」
「そう? くすんでるわよ」
俺には本当に綺麗に見えた。
「それだと、売ってもここのハンバーガーくらいの値段しかしないわね」
「こんなに綺麗なのに? なぁ? つけてみたら?」
「いやよ……。こんな安物、私には似合わないわ!」
「いいから、いいから」
俺は無理やりレイカの指にリングをはめようとした。
「やめてよ!」
レイカは俺の手を払った。
リングがコロコロと転がった。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、こっちこそ、すまん……。嫌がってるのに無理やりつけようとして……」
「私……偽物には興味がないの。本物の輝きを知ってる人間は価値のないものは身に着けないの……」
「そうだよな……」
俺は落ちたリングを拾った。
「偽物だもんな……」
「あなたにも、本物が分かる人間になって欲しいの……。私と一緒にいる人間は、本物であって欲しいから」
「うん……」
リングを捨てようとしたが、捨てきれずポケットにしまった。
「私は神山グループの令嬢なの……。だから、椿宗介にも神山グループにふさわしい人になって欲しいの」
「……うん」
「海外の著名人や、政財界の大物と会う機会も多いわ。そういうところに立っても堂々としている人になって欲しいの……」
政財界か……。
俺には縁遠い世界だな……。
船乗りの父。
専業主婦の母。
不良あがりの俺……。
レイカとは全く違う人種だ……。
自分の置かれている境遇がちっぽけに思えてしまって仕方がない。
「なんだか空気を悪くしたわね。……私の部屋に行きましょう」
「そうだな」
俺とレイカは店を出た。
・
・
・
レイカの屋敷についた。
「相変わらず、でかい家だな。部屋数ってどんくらいあるの?」
「数えたことないわ。一度、挑戦したことがあるんだけど、途中で分からなくなって挫折したわ」
「そんなにあるのか……俺んちなんて5部屋だぞ」
「そんなことはいいわ。入るわよ」
レイカは辺りをキョロキョロみている。
「どうかしたのか?」
「今から一言も発してはダメよ。静かに中に入るわ」
「え? なんで?」
レイカは俺の口をふさぐ。
うぐっ……く、苦しい。
「我慢して。……入るわよ。ついてきて」
門の鍵を開け、俺たちは中に入った。
……。
レイカの屋敷の中はまるで迷路だ。
長い廊下を歩く途中には高そうな絵が飾ってある。
すげーな……。
これが一個人の家とは到底思えない。
「なぁ? この絵っていくらくらいするの?」
「しゃべってはダメ!」
「ご、ごめん……」
こそこそとレイカの部屋に入る。
……。
「ふぅ……やっとついたな」
「もう、しゃべってもいいわよ」
「なんでコソコソしなきゃいけないんだ?」
「そ、その……今、大切な人が来てるのよ。だから、大きな声を出さないようにってお父様に言われてるの」
「そっか……」
「でも、部屋の中なら平気よ。聞こえないから」
……。
なにか悪いことをしているような気分になった。
「レイカの部屋ってやっぱり凄いよな。まさに金持ちって感じだし」
「たいしたことないわ」
「どうした? なんか様子がおかしいけど」
「そ、そんなことないわよ。紅茶でも飲む?」
「あ、じゃあもらう」
「そこにポットがあるわ。入れてもらえる?」
「……あ、俺がやるのか」
「当然でしょ」
……俺はしぶしぶ紅茶をいれた。
「ありがとう。やっぱり誰かに淹れてもらう紅茶は美味しいわね」
「自分で淹れたことあるのか?」
「ないわ」
「……だよな」
レイカは窓の外を見ている。
「俺、レイカを知れば知るほど、遠くなってる気がするな……」
「どうして?」
「俺の生活とは全然違うからさ」
「慣れてもらわないと困るわ」
「どういう意味? ……一緒に暮らすため?」
「ち、違うわよ。その……私に釣り合う男になって欲しいとは思うけど……」
レイカの顔が赤い。
「できるかな……俺に」
窓の外を見た。
窓を開けると、遠くに門が見えた。
庭も広いな……。
「椿宗介……窓を開けてはダメよ」
レイカは窓を閉めた。
「あのさぁ……前から言おう言おうと思ってたんだけど、その椿宗介! ってフルネームで呼ぶのやめないか?」
「でも、あなた椿宗介でしょ? 違うの?」
「そうなんだけど……なんか出席をとられてる気分になるんだよなぁ……」
「じゃあ、なんて呼べばいいの?」
……そうだなぁ。
※
「やっぱり名前だけがいいかな……」
※
「やっぱり名前だけがいいかな……」
「じゃあ、椿! って呼べばいいの?」
「それだとヒカルが呼んでるみたいだな……」
「宗介……で、いいかしら?」
「うん。それでいいよ」
「宗介……宗介……宗介……なんだか慣れないわね」
レイカは恥ずかしそうにしている。
------------------
※
「まかせるよ」
※
「レイカの好きな呼び方でいいよ」
「そうね……じゃあ、ロメオって呼ぶわ」
「待った! なにそのロメオって……」
「ロメオ……なんだか、品のある名前でしょ? 私のことはジュリエッタって呼んでいいわよ」
「ジュリエッタ……? う~ん」
「なに? 不満なの? いいじゃないロメオとジュリエッタ」
「いや……なんかしっくりこないな……宗介って呼んでもらってもいいかな」
「好きな呼び方でいいって言ったのに……。分かったわよ。宗介……。今度からそう呼ぶわ」
「それで、たのむ」
ふぅ……。
あやうく、ロメオにされるところだった。
「宗介……やっぱり恥ずかしいわね……」
「いいじゃん……距離が近くなった感じするし」
「うん……」
俺はレイカに顔を近づけた。
「な、なに?」
俺はそっとレイカにキスをした。
「俺……レイカのこと……」
「言わなくていいわ。……それは私の言うセリフよ」
「……」
「宗介……私はあなたのことが……好きよ」
俺はレイカを抱きしめた。
……。
俺たちはお互いを求め合った……。
…………。
……。
満足そうな表情をするレイカ。
俺は、そんなレイカを倦怠感の中でぼーっと見つめていた。
俺はベッドから出た。
「なんだか……不思議ね。宗介といると、胸が苦しくて……熱いの」
「俺もレイカといると、気分がいいよ」
「これって……なんなのかしら。病気かもしれないわ」
「違うよ。それが……好きってことなんだと思う」
「これが……そうなのね……」
俺は窓を開けた。
日差しがまぶしい。
「窓を開けてはダメよ! 誰かに見られたら……」
「誰か来たみたいだぞ……」
「まずいわ! 飛び降りて!」
「え?」
「いいから! 早くその窓から飛び降りるのよ!」
「どういうこと?」
「早く! じゃないと大変なことになるわ!」
大変なこと?
俺は窓の下を見た……。
高い……。
2階ということもあり、飛び降りられそうにない。
「早く出ていって! 気合を入れれば飛び降りられない高さじゃないわ。鳥になったと思って! ほら!」
レイカは強引に俺を窓から突き落とそうとする。
「おいっ! 無理だって!」
レイカは強く俺を突き飛ばした。
「わぁっ!!」
俺は窓から落下した。
……。
いってぇ……。
俺は盛大に尻もちをついた……。
殺す気かよ……。
尻をさすりながら、レイカの部屋を見上げた。
窓はすでに閉められている。
……たくレイカのやつ何考えてんだよ。
俺は門をくぐり、外に出た。
……。
一体何なんだよ……。
俺はレイカの部屋を見る。
カーテンは閉められ、中を伺うことは出来ない。
……なんか、俺、いちゃいけなかったのかな。
ふと色々なことが頭をよぎった。
・こそこそと家に入る。
・しゃべらずにレイカの部屋までいった。
・誰かがノックした。
・窓から突き落とされる。
……なんとなく理解できてきた。
だけど、認めたくなかった。
俺……だめなのかな。
悲しい気持ちになった。
俺とレイカは住む世界が違うのは分かっている。
でも、そんなことは好きという気持ちがあれば、なんの関係もないと思っていた。
けど、思った以上にその問題は大きいのかもしれない。
そんなことを考えた。
なぜか、不安がよぎった。
……もう、レイカに会えないような気がした。
あれが永遠の別れだなんてこと、ないよな……。
……。
すでに夕方になっていた。
何気なく公園に来た。
あれ?
星雲剣術部か?
それに三田さん?
「今までお世話になったね。君たちからは多くのことを学んだ。ありがとう」
「いえ、こちらこそ三田監督にはお世話になりっぱなしで、ありがとうございました」
「桐生くんは、まだ2年だ。来年こそは星雲を全国に導いてくれ。頼んだよ」
「分かりました。先輩たちの雪辱を果たすために頑張ります!」
「樹くん、君には元気をもらったよ。私は剣術部を去るが、これからも剣の道に精進してくれ」
「うん! 三田っちも会社で頑張ってね~! それから、たまには連絡してよね。これで終わりなんて寂しいよ~」
「ミタ、マタ、アウゾ」
どうやら、星雲の剣術部と別れの挨拶をしているようだ。
「右近くん、君は弱くない。私はライバル会社に戻るが、君の監督であったことに違いはない。もっと強くなれ」
「あなたに色々と失礼なことを言ったこと、謝るわ。神山さんにも謝っておいてもらえるかしら?」
「……さよなら」
「セツナくん、君は強い。また桜木くんとの試合をみたいよ。今までありがとう」
「……ありがとう。いつか……あなたとも戦ってみたいわ」
三田さんは微笑んでいる。
……そっか。
三田さん、神山グループに戻るんだよな。
俺には分からないが、星雲剣術部の連中と三田さんにも、色々な出来事があったんだろうな……。
ふと、地区大会のことが頭によみがえった。
……。
俺は遠くを見つめていた。
レイカとの関係にひずみが生じていることがなんとなく分かった。
……ふぅ。
どうしたらいいんだろ。
もしも俺が、レイカと同じくらい金持ちだったら……。
大会社の跡取り息子だったら……。
何かが違ったのかもしれないな。
でも、俺は庶民だ。
庶民でいることは嫌じゃない。
むしろ楽でいい……。
でも、好きになった人間は大会社の社長令嬢……。
……。
はぁ……。
出るのはため息ばかりだ。
「あら? ため息なんてついて、どうしたのかしら?」
「右近か……」
「右近か……とは何よ。あなたみたいな庶民にそんな扱いを受けるおぼえはないわ」
「そうだな……俺は庶民だよ」
「元気がないわね……どうかしたの?」
「なぁ? おまえって金持ちだよな?」
「当然よ。私が金持ちじゃなかったら誰が金持ちっていうの?」
「金持ちって何考えて生きてるんだ?」
「そうね……特に何も考えてないわ。だって欲しいものはすぐに手に入るし、行きたい所へはすぐに行けるし」
「気楽でいいな」
「でも、色々と大変なこともあるのよ。しがらみだったり、いつも見栄をはって生きてるもの」
「そうなのか?」
「神山さんも同じだと思うけど、金持ちには金持ちの悩みがあるわ」
「……そっか」
「あなた、神山さんとお付き合いしているの?」
「……別にそんなんじゃねーけど」
「ふ~ん。もしもお付き合いしているんでしたら、それなりの覚悟が必要ね」
「覚悟?」
「好きだから付き合うなんて、簡単なことではないわ。神山さんは神山グループhの令嬢よ。付き合う相手はそれなりの男じゃないと認められないわ」
「それなりの男って具体的にはどんな男なんだ?」
「家柄は当然だけど、その男が神山グループを将来、背負って立つ器があるかどうか……まぁそんなとこね」
「器か……俺じゃ、つとまらねぇよ」
「そうね。あなたみたいな小物じゃ、付き合うことは無理よ。諦めなさい」
「……」
「諦めたくないなら、努力することね……。何千人のトップに立てる人間になることよ」
トップに立つ人間か……。
「不幸よね……私も神山さんも……。そういう親の政略の中で生きなきゃいけないんですもの」
右近は笑った。
「まぁ、それをあなたがぶち壊すのも、いいんじゃないかしら?」
そう言って、右近は去って行った。
ぶち壊す……か。
……。
俺は家に戻った。
考えても考えても答えがでない。
……別れた方がお互いのためなのかな。
「夕飯、出来たわよ」
母が部屋に入ってきた。
「分かった……すぐ行くよ」
「どうしたの? そんな腑抜けた顔して。もしかして何か悩みでもあるの?」
「……好きな人がいるんだ」
俺は素直に話した。
「へぇ~、どんな人? 今度、紹介しなさいよ」
「そいつは、すごい金持ちなんだ。うちとはえらい違いだよ」
「金持ち! ってことは逆玉じゃない! ぜったいに手放したらだめよ!」
「……なんだよそれ」
「……好きなら、気にすることないんじゃない? あんたは別に、その人のお金を好きになったわけじゃないんでしょ?」
「……ああ」
「ごはん、冷めるから早く降りてきなさいね」
母は部屋から出ていった。
そうだ……。
俺はレイカのことが好きなだけだ。
別に神山グループや、
お金が好きなわけじゃない。
好きになった人がたまたま、大会社の社長令嬢だった。
ただそれだけだ……。
気にすることはない……。
……。
…………。
この時は、そう思っていた。
……。
ん……?
気づくと朝になっていた。
考え込んでいる間にいつの間にか寝てしまっていた。
レイカ……。
無性に会いたい気持ちになっていた。
俺はレイカからもらったチケットを見た。
明日は、コンサートか。
そこで会える。
早く会いたいな……。
剣術をやっているレイカも好きだが、ピアノを弾いているレイカも好きだ。
レイカのピアノの音色を聴くと、俺はなぜか元気になれる。
……。
グダグダしててもダメだ。
少しでもレイカに近づくにはどうすればいいだろうか。
学園を卒業して、進学する。
大企業に就職して、地位や権力を手に入れ、金持ちになる。
まわりから尊敬される人間になる。
漠然としていて現実味は薄いが、これならレイカの生きる世界に踏み入られる。
ただ、本当にそれで、俺はレイカと釣り合う男になれるんだろうか。
この、何とも言えない距離は縮まるだろうか。
……そんなことを考えていた。
誰か来たようだ。
母さん、いないのか……。
俺は玄関に出た。
玄関を開けると、三田さんが立っていた。
「ど、どうしたんですか?」
「ちょっと君に相談があってね」
「なんですか?」
「ここじゃあれなんで……入ってもいいかな?」
「あ、構いませんけど……」
俺は三田さんを部屋に通した。
……。
「失礼するよ。……悪いね、何の連絡もなしに来てしまって」
「大丈夫ですよ。特に用事なかったんで。でも、三田さんが家に来るなんて珍しいですね。話ってなんですか?」
「ずいぶんと狭い部屋で生活してるんだね」
「すいません……」
「ここじゃあ、満足な生活が出来てるとは思えないな」
「……すいません」
「椿くんのお父さんは、確か船乗りだったね」
「……はい。もういませんけど」
「お母さんは働いてるのかい?」
「いや、専業主婦です。生活費は親父が残してくれたんで」
「そうか。それは大変だね……だから、テレビもベッドもこんなに小さいんだね」
「……あの、話ってなんですか?」
「率直に言おう。レイカ様と別れてくれないか?」
「……どういうことですか?」
「君は、レイカ様と付き合っているよね? だとしたら、別れて欲しいんだ」
「別に……付き合ってませんよ」
「付き合っているという約束をしていないかもしれない。だが、現実にレイカ様は君のことを気に入っている」
「……」
「友達だったら問題ないんだ。私も君のことが好きだ。レイカ様の側にいて欲しいと思っている」
三田さんは険しい顔をした。
「が、それ以上の感情ならば、別れて欲しいということだ。分かるかい?」
俺は頭の中が真っ白になった。
三田さんが何を言っているのか分からない。
「そんなんじゃ……ないですよ。ただの……友達です」
「友達か……。神山社長が君たちのことを心配しているんだ」
「はい……」
「レイカ様の相手になる人間は、神山社長の許可がいる。だが、神山社長は君のことを認めていない」
「……それは、俺が庶民だからですか?」
「それだけじゃない……君には分からないかもしれないが、レイカ様は個人である前に、神山グループの御令嬢だ。彼女は個人のようであって個人ではない」
……。
何も言い返すことが出来なかった。
いつかこうなるんじゃないかと、どこかで思っていたからかもしれない。
「レイカは……レイカはなんて言ってるんですか?」
「レイカ様は君のことをただの友達だと言い張っている」
……。
…………。
「俺は、どうすればいいんですか?」
「もう、しばらくの間、レイカ様に会わないで欲しいんだ。明日のコンサートにも来ないで欲しい」
…………。
俺は目の前が真っ暗になった。
「………」
「その代わりと言ってはなんだが……」
小脇にかかえていたアタッシュケースを取り出した。
「たいした額は入っていない。……お母様と美味いものでも食べなさい」
「いりません……」
「君なら、そういうと思ったよ……私もこんなことはしたくないんだが……」
「……酷いっすよ。三田さん、こんなことするなんて……」
「……すまない。せっかく神山グループに戻ったと思ったらこれだ。仕事とはいえ、つらいよ。やはり、星雲の監督のままの方が良かったかな」
「……もう、いいです。さよなら。……でも俺、簡単には諦められません……多分」
「……」
三田さんは部屋を出ていった。
…………。
………………。
クソッ!
俺は床を殴った。
手に痛みが走る。
なんなんだよっ!!
どうしようもない憤りを感じた。
レイカと釣り合う男になろうと思った矢先にこんなことって……。
アタッシュケースを蹴飛ばした。
中から札束が散らばる……。
金なんて……いらねぇよ……。
俺は携帯を取り出し、レイカに電話する。
……。
…………。
でない……。
どれだけコールしても……。
レイカは受話器をとってくれない……。
どうしてだ……。
俺は携帯を投げた。
クソッ!
レイカに会いたい。
会って話したい。
俺は、部屋を飛び出した。
・
・
・
レイカの家の前にいた。
……どうしようもない気持ちのまま。
冷たく閉ざされた門の前に立った。
……門に手をかける。
……が、鍵がかかって開かない。
俺は必死で門を揺すった。
クソッ……。
門は固く閉ざされ、開けることさえ出来ない。
何度も何度もこじ開けようとするが……出来ない。
引いても押しても扉はうんともすんとも言わないのだ。
この門の向こうにレイカがいる……。
せめて、もう一度だけでも会いたかった。
会って確かめたかった。
じゃないと……こんな別れ方は悲しすぎる。
第一、納得できない。
はいそうですか、なんて、口が裂けても言えるもんか。
諦められない。
レイカ……。
出てきてくれ。
俺は門を必死でこじ開けようとした。
……。
…………。
屋敷の中から数名の男が出てくる。
俺の行動をみて、慌てて駆け寄ってきた。
男たちは俺を止めるため、掴みかかってきた。
「はなせ! はなせよっ!」
俺は必死で対抗した。
が、男たちも俺を必死で取り押さえる。
「はなせ! たのむから、はなしてくれっ!」
もがきに、もがいた……。
手や足をばたつかせ、もがく……。
が、人数が多すぎるため押さえつけられてしまう。
羽交い締めにされ、動きが取れない。
くっ……。
……。
「レイカっ!!」
地面に顔をこすりつけられながらも、俺は叫んだ。
「レイカっ!! いるんだろっ!! 出てきてくれよっ!!」
渾身の力で叫んだ。
レイカの部屋の窓を見る……。
カーテンは閉められ、遮断されている。
まるで今の二人の距離のように……。
近くにあるレイカの部屋が遠い。
「答えてくれよっ!! 聞こえてるんだろっ!! レイカっ!!」
が、反応などない。
男たちは必死で俺を抑える。
……身動きがとれず、ただうめいた。
三田さんが屋敷から出てくる。
俺に気付き、駆け寄ってきた。
「三田さん……」
三田さんは周りの男たちに指示を出した。
男たちは俺を掴んでいた手を緩めた。
「警察はいい。あとは私がなんとかする……」
それを聞くと、男たちはわらわらと、屋敷に戻って行った。
「……」
「レイカ様は、屋敷にはいない。帰りなさい……」
「……」
俺は黙ったまま、ゆっくりと立ち上がった。
「椿くんが本気なことはわかった。……だが、こういうことをされると迷惑だ。私を困らせないでくれ」
そう促され、俺は屋敷を後にした。
後ろ髪をひかれる思いで、俺はゆっくりと門から離れ、歩きだした。
……。
町の中をだらだらと徘徊し、行くあてもなく彷徨っていた。
……気づいたら、商店街に戻っていた。
──「いらっしゃい、いらっしゃい~! キュウリが特売だよ~」
聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「いらっしゃい、いらっしゃい~! キュウリがうまいよ~」
鈴木青果店の店先にヒカルが立っている。
「もう、ヒカル、もう少し、気持ちを込めて言ってくれるかな~?」
「すまない。どうもこういうのは、慣れなくて……」
「それに、キュウリは特売じゃないよ。特売なのはジャガイモだよ」
「そうなのか? つい、キュウリを中心に考えてしまうクセがあるんだ」
「えっと、このくらいでいいですよね? え? 違いますか?」
リコはお客さんにお釣りを渡している。
「リコちゃん! お釣りを適当に返すのはやめて! ほら、そこに電卓あるでしょ」
「はっ! すいません……。でも、食卓の使い方もいまいちわかりません」
「お釣りは私がやるから、リコちゃんは中から野菜もってきて」
「分かりました……。あ、宗介くん」
リコが俺に気づく。
「あれ? どうしたの? なんか元気ないね~」
「……なんでもないよ」
俺は悲しみをこらえ、答えた。
「暗い顔だな。店前でそういう顔をされると、売上に響くぞ」
「やる気のない、ヒカルの声も売上に響くよ」
「はるかさんのお店を手伝っているところです。あ、宗介くんもい一緒にお店屋さんごっこしますか?」
「ごっこじゃなくて、お店なんですけど」
「俺は遠慮するよ……」
「なんだ? なにかあったのか?」
……言おうかどうか迷った。
でも、誰かに言ったところで解決する問題じゃない……。
「レイカとなにかあったのか?」
……。
「あのさ、明日、レイカのコンサートがあるんだ」
俺はチケットを取りだした。
「……おまえたちに来て欲しいんだってさ」
チケットを渡す。
「ありがとう! 明日かぁ~。じゃあ、お店休みにして、みんなで行こうか?」
「そうですね。この店よりもレイカさんのコンサートの方が、楽しいです」
「それどういう意味?」
「な、なんでもないです……」
「時間は朝の10時か……。宗介もいくんだろ?」
「……」
「どうしたの? もちろん行くよね?」
「……俺は、行っちゃいけないから」
「どうして? 神山さんだって宗介に来てもらいたいんじゃないの?」
「……みんなで行ってこいよ」
俺は家に戻った。
……。
俺はベッドに倒れ込んだ……。
……。
ずっと堪えていたものが溢れだした。
……涙がとまらない。
次々と目から流れ落ちていく。
もう会わないほうが、お互いのためだ。
どこかで諦め始めていた。
もともとレイカとは結ばれない運命だったんだ。
そう自分に言い聞かせた。
頭では理解しているつもりでも、涙が止まらない……。
そうか……。
俺はこんなに好きだったんだ。
最初は友達だった。
けど、次第に惹かれていった。
わがままで、傲慢で、自分勝手で……いいところなんてまるでないと思っていたレイカに……。
こんなにも好きだったなんて……。
はじめて、その気持ちを実感していた。
電話が声を上げた。
出たくなかった。
誰とも話したくない……。
……。
…………。
もしかして……。
レイカからかもしれない。
一抹の期待を込めて、ディスプレイをみた。
知らない番号だ……。
出るかどうか迷った。
が、俺は電話をとっていた。
「もしもし……」
……。
返事がない。
俺が切ろうとしたときだった。
「もしもし……」
……。
声ですぐに分かった。
一番……ききたい声だった。
「レイカかっ!? レイカなんだろ!?」
「……違うわ。私は……その……亀田みゆきよ」
「亀田みゆき?」
「そうよ。断じて神山レイカではないわ。いい? 黙って聞いて……」
「ああ……」
「レイカ様は、あなたのことが好きみたいなの……」
俺は何も言わずに声を聞いていた。
「でも、世の中にはうまくいかないことがいっぱいあるわ……」
「……」
「どんなに、頑張っても出来ないことがあるの……いくら好きでも別れなければいけないことがあるの」
「なんでだよ……」
「え?」
「頑張ればなんだってできるはずだろ。……初心者だったおまえらが地区大会で準優勝したのはなんだったんだよ」
「それとこれとはわけが違うわ……」
「俺が、解放されたのはなんだったんだよ」
「……これ以上、あなたに迷惑をかけたくないわ」
「なぁ……諦めないでくれよ」
「……いいえ。レイカ様からの伝言よ。もう、レイカ様には関わらないで。それが、あなたのためよ……」
「いやだね……」
「我がままを言うのはやめて……レイカ様じゃないんだから」
「俺は絶対に諦めないからな……レイカにそう伝えてくれ」
「叶うなら……あなたと、ミラブルのパイが食べたい……レイカ様はそう言ってたわ……それじゃ」
電話は一方的に切られた。
俺は布団をかぶった。
諦めたくない……。
レイカにもらったCDを取りだしデッキに入れた。
優しいピアノの音が流れてきた。
その音じゃジャズだった。
レイカが愛してやまない旋律……。
心が穏やかになるメロディー。
レイカの演奏している姿が見えてくるようだった。
もしかしたら、この演奏はレイカがしているのかもしれない……。
そう思えるほど、胸に響いた……。
それを聞きながら……俺はそのまま眠りについた……。
……。
「宗介~! 起きて~! 神山さんのコンサート行くよ~!」
外から大きな声がした。
その声で目を覚ます。
「降りてきてくださ~い! 間に合わなくなりますよ~!」
ん?
俺は窓から外をみた。
はるか、リコ、ヒカルが上を見上げている。
「さっさと行くぞ。待ってるからすぐに降りてこい」
「でも……」
「でもじゃないでしょ! 宗介が行かないで誰が行くのよ!」
「……わかった」
俺は着替え、キャップを被り、下へ降りた。
……。
「ごめん、待たせたな」
「しゃきっとしろ。そんな顔で行ったらレイカも実力が出せないぞ」
俺は自分の顔をはたいた。
「しゃきっとしなさいよ。男でしょ!」
……。
「だよな……。そうだよな」
俺がクヨクヨしてても意味がない。
レイカだってきっとつらいはずだ。
コンサート会場に入れるかどうかすら分からないが……。
とにかく、今は前に進むしかないんだ。
レイカに会って、俺の気持ちを伝えたい。
それでダメなら、その時はその時だ。
諦めるのはまだ早い。
「あれ? 宗介くんが帽子をかぶってるなんて珍しいですね! 似合ってますよ」
「ありがとう! よし、行くか!」
リコはニコニコしている。
心強いもんだな……俺は仲間のありがたみを改めてかみしめた。
・
・
・
コンサートホールについた。
俺は辺りを見回した。
ここで神山グループの人間に会ってしまうと追い出されかねない。
俺は警戒し、キャップを深くかぶった……。
「やっぱり、ここはでっかいですね~」
「ここって有名人とかがやるところなんだよね。やっぱり神山さんって凄いんだね! 見てよ、来週の公演予定」
「唐山太郎と木下優子……誰だそれは?」
「ヒカルはテレビ観ないのか? 唐山と木下もドラマとかよく出てるだろ」
「ドラマは観ないからな。そうか、そんなに有名なのか……」
改めてレイカと自分の距離を痛感した。
「神山さんってやっぱり凄いピアニストなんだよね~」
「あ、あれみてみろよ」
ホールの看板にKAMIYAMAの文字。
「出資してるな……」
「ほんとだ」
「やっぱり、会社の力って凄いんだな」
確かに、レイカのピアノの演奏技術は凄いと思う。
だが、プロでもないレイカがここまでやれるのは親の力が大きいのだろう。
「はじまるまで、まだ一時間あるな。中で待つか」
「いや、ここで待たないか?」
「どうしたの? さっきから挙動不審だよ」
「……」
ホールの中から、三田さんが出てきた。
まずい!
俺は、ヒカルの後ろに隠れた。
「どうした?」
「……気にするな」
「あ、三田さーん!」
「バカ!」
三田さんはこっちに気づき、寄ってくる。
「なんだ? 君たち、来てくれたんだね」
「はい。三田さん、忙しそうですね」
「……ああ。ちょっとね。ん?」
三田さんは俺を見ている。
「キャップの彼は友達かい?」
「……はい」
俺は声色を変えた。
「そうか……まぁ、今日は楽しんでいってくれ」
「ちょっと聞きたいんだが、中でキュウリは売ってるか?」
「さすがに野菜は売ってないよ」
「残念だ……。まあ、持って来てるからいいんだが……」
ヒカルはキュウリを取りだした。
「ここに来てまでキュウリ食べるのやめなよ」
「そうだな」
「動物はいますか?」
「動物は、動物園にいるよ。前にも言ったと思うけど」
「そうでした!」
「あ、君、中ではキャップはぬいでもらうよ」
「……は、はい」
「もう、ホールに入れるよ。ゆっくりしていってくれ」
「三田は一緒に観ないのか?」
「私はやることが多くてね。またあとで話そう。それじゃ……」
三田さんは離れて行った。
……ふぅ。
なんとか見つからずにすんだ……。
俺は胸をなでおろした。
「じゃあ、中に入ろっか!」
──「あの……椿宗介さんですよね?」
「え?」
俺は名前を呼ばれ、身構えた。
振り返るとレイカ会の生徒がいた。
「……レイカ会の」
「生徒Aです」
「生徒Bです」
「生徒A・Bか……って俺って良く分かったな……」
「え? 分かりますけど……」
どうやら変装にはたいした効果はないらしい……。
「なにか用か? あんまり今は人と話したくないんだけど」
「それが……レイカ様が、またいなくなってしまったんです」
「それ……本当か?」
「はい。朝から姿が見えないんです」
「またボイコットかな? でも、直前になったら現れるんじゃない?」
「いつもはそうなんですけど、今回はちょっと深刻なんです……」
「どうして?」
「昨日、私たちに挨拶に来たんです」
「挨拶?」
「もう、家には戻らないかもしれないからって……」
「……どういうことだよ」
家には戻らない?
……そんな。
三田さんは知ってるのか?
「どこかでレイカ様を見ませんでしたか? 椿さんなら知ってるかなと思いまして」
「俺は……分からないよ」
この場でなんとかレイカに気持ちを伝えようと意気込んでいた反動か、頭の中が真っ白になる。
もしかして……これはレイカなりの抵抗なのか……。
「そうですか。もしみかけたら教えてください」
「わかった」
生徒A・Bは去って行った。
「ねえ? これってまずくない? いくらなんでも……宗介? 心当たりないの?」
「俺は……知らないよ」
「もう開演まで一時間をきってるな」
「また逃げ出したですかね?」
「だが、レイカはもうピアノくらいで逃げ出さないと思うが……」
「宗介……なにがあったの? 私たちに協力できることがあるなら言って」
俺は迷った……。
「私たちじゃ、頼りにならないか?」
「友達です! 言ってください!」
「実はさ……俺、レイカと別れろって言われたんだ」
……。
みんな、唖然としている。
「誰がそんなこと言ったんだ? 神山グループの社長か?」
「ああ」
「酷い……どうして?」
「俺じゃ釣り合わないってことだよ。むこうは神山グループの令嬢だぞ」
「宗介くんは、それでいいですか?」
「よくないよ……だから、ここに来たんだ」
「だったら話は簡単だよね。神山さんに会って話すしかないよ」
「でも……俺、神山グループの人間にも目を付けられてて……三田さんにも」
「レイカがホールに来てないのは、宗介のことを思ってるからじゃないのか?」
……。
「私たちで探し出そうよ!」
「おーい、三田!」
「わぁ! なんで呼ぶんだよ」
三田さんがヒカルの声に振り返る。
「まだいたのか。もうすぐ始まるから中に入って待っていなさい」
「でも、出演者がいないのにどうやってはじめるんだ?」
「おい、ヒカル、余計なこと言うなよ」
「だって本当のことだろ。レイカはどこにいったんだ?」
「……そうか。知ってたのか」
「さっき、レイカ会の人が来て、教えてくれました」
「恥ずかしい話だが、レイカ様がいなくなってしまったんだよ」
「……」
「キャップの君、どこにいったか知らないか? てっきり君といるんじゃないかと思ったんだが」
「……」
ばれてたのか……。
「今日の朝までは部屋にいたんだがね……。本当に知らないかい? キャップの君?」
「知りません……」
三田さんは俺の目を見た。
俺は目をそらす。
「君もなかなか、懲りない男だね……。さすがだよ」
「……」
「いま、神山グループの人間でホール内、および向井台周辺を捜索している」
「お嬢様ひとりに大掛かりだな……」
「今回はちょっといつものボイコットとは事情が違う。上空からはヘリコプターが探してるはずだ」
「ヘリコプター……すごいですね」
「神山グループにとって、それだけ大事な人だということだ」
三田さんは俺を見た。
「私たちも協力しようか?」
「そうしてもらえると助かるんだが」
「なにか手がかりとかないんですか? レイカさんが行きそうな場所とか」
「レイカ様が行きそうな場所は一通り探しに行っているんだが、楽屋にこんなものが落ちていたんだ」
三田さんはメモのような紙をみせてきた。
「これって……」
「ダイイングメッセージだ……」
「勝手に殺さないでもらえるか?」
「レイカさんは死んだですか?」
「リコちゃん!」
「……見せてください」
俺はメモをとった。
====================
これはわたしからの挑戦状よ……
わたしを探したきゃ、探せばいいじゃない……
====================
メモにはそう書かれていた。
間違いない……レイカの字だ。
「わたしを探したきゃ、探せばいいじゃない! 物凄く高飛車な挑戦状だな」
「レイカさん、ピアノ弾きたくないですかね?」
「そういうわけでもないだろう。部活をやりながらもそれなりにピアノの練習もしていたからね」
「もしかしたら、このメモにレイカの居場所のヒントが隠されてるかもしれないぞ」
……この中に?
俺はメモを見た。
「これはなに? ここ、日付が書いてあるよ」
よく見ると、小さな文字で日付が記されている。
「3月14日って、どういうことかな?」
「3月14日……。今は9月だぞ」
「それがよく分からないんだ。なんで日付が3月なのか……」
「前もって用意してたってことは考えられないかな?」
「なるほど。ずっと前に一度逃亡を試みたが、出来なかった。それが3月14日。レイカのその日のスケジュールわかるか?」
「ちょっと待ってくれよ」
三田さんはスケジュール帳をめくる。
「3月14日は、代官山でデートか……」
「デート?」
「しまった! これは私のスケジュールだった!」
「……」
「レイカ様は……神山社長と食事に行っているな。それ以外に特別な予定はないみたいだ」
「そうか。その日は別にこんなメモを書くようなことはなかったってことか」
「テレビドラマみたいだよね。推理ドラマ……」
「……」
「ご、ごめん。別にふざけてるわけじゃないんだよ。こういうの見たことあるなぁって思って」
「これだけじゃ分かりませんね……」
「なにかあってからでは遅いからね……」
「すいません……俺のせいでこんなことになって」
「君のせいとは限らないよ……遅かれ早かれこういうことになるとは思っていた」
「……」
「宗介! クヨクヨしないの! これは、神山さんからの挑戦状なんだよ。私がこの事件をズバッと解決してみせるって!」
「……うん」
「だから、元気出してよ」
「こうしていても仕方ないから、探しに行こう」
「はい!」
「もし、なにかあったら私の携帯に連絡してくれ……。いいかい? ちゃんと連絡するんだよ」
三田さんは俺に携帯番号を書いた紙を渡してきた。
「分かりました……」
「今回のコンサートも色々とお偉いさん達が見に来ている。剣術部の活躍で神山グループの株もあがっている最中だ。中止にはしたくない」
そうか……。
このコンサートも、大人の事情ってやつか……。
そんなしがらみの中で、レイカは生きてるんだな……。
「ほら、宗介! なにぼーっとしてるんだ。行くぞ」
……。
・
・
・
俺たちは繁華街に来た。
「全員集合! ……ほら、みんな円になって!」
「何だよ急に」
しぶしぶ円になる……。
「我々、鈴木少年少女探偵団は……」
「なんだそれは?」
「え? チームの名前だけど」
「ふざけてるのか?」
「ふざけてない! 我々、鈴木少年少女探偵団は、ただいまより、『神山レイカ様、失踪事件』の捜査に乗り出す運びとなりました」
「……」
「はるか、ちょっとふざけすぎじゃないのか?」
「ふざけてないよ。宗介の気持ちも分かってる。でも、クヨクヨしたって神山さんが戻ってくるわけじゃないでしょ?」
「……そうだな」
「そうですよ! 明るくいきましょう」
……そうか、俺に気を遣ってくれてるんだ。
「捜そう。きっと神山さんも宗介に会いたいはずだから」
「……うん」
「手がかりは、この3月14日に書かれたとされる、謎のメモ書きのみであります」
「普通にしゃべれないか?」
「そこでみなさんにそれぞれ推理してもらいます!」
「す、推理!」
「じゃあ、まずはヒカルから!」
「私からか……」
「そうだよ。キラっと光る推理よろしく~」
「こういう推理とかはあまり得意じゃないんだが」
「得意不得意の問題じゃない! これは遊びではありません」
「す、すまない……私が思うに、家にいるんじゃないか?」
「どうして?」
「家が落ち着くから……」
「しっかりと考えてから発言するよーに! 次はリコちゃん!」
「はっ!」
「神山さんはどこにいると思う?」
「リコが思うのは、なぜレイカさんはいなくなったかということです」
「……」
「なんでいなくなっちゃったんだろう、という事です」
「動機はいいから、どこにいるか推理してよ」
「わかりました!」
「お! どこどこ?」
「動物園!」
「なんで?」
「動物が好きだから!」
「動物が好きなのはリコだろ?」
「はい!」
「もっとちゃんとやってよ。こんなんじゃ鈴木少年少女探偵団解散の危機だよ」
「でも、リコの言ったことはあながち、間違いでもないんじゃないか? 逃亡するにしろ、やはり自分の好きなところに行くんじゃないか?」
「なるほど……宗介、心当たりはないの?」
レイカが行きそうなところ……。
……どこだろう。
考えもつかない。
金持ちのレイカが好きそうなところ……。
俺と行くところは庶民的なところばかりだ。
レイカの好きなところになんて行ったことがない。
「ごめん……わからない」
「まあ、ここでごちゃごちゃ話してても埒が明かないから、レイカの行きそうなところを、しらみつぶしに探そう」
「了解! 鈴木少年少女探偵団、出動!」
「……」
「ちょっと! なんでテンション低いの? 鈴木少年少女探偵団、出動!!」
「……お~……」
俺たちは二手に分かれることにした。
俺とヒカル、はるかとリコのコンビだ。
……。
・
・
・
俺とヒカルは駅前を捜索する。
「こんだけ人がいたら、レイカがいたとしても、分からないよな」
「おまえなら、すぐに分かるんじゃないか?」
「そんなことねーよ……」
「しかし、レイカの行きそうなところなど見当もつかないな」
「そうだよな。俺、情けないよな……レイカのことなのに何も知らないなんて……」
俺は自分が嫌になった。
「手がかりはあのメモだけか……」
「メモっていってもなぁ……」
「3月14日、あれは何なんだろうな」
「何の日って世間的には、なんの日なんだ?」
「その日は、確か……ホワイト記念日だな……」
ホワイト記念日……。
好きな人に想いを告白する日だ……。
「分かった! それだよ!」
「え?」
「ホワイト記念日ってことは白い建物があるところじゃないか?」
「白い建物か。なるほど……」
「学園の方に行ってみよう」
俺たちは学園を目指した。
・
・
・
「ねぇ、リコちゃん探そうよ。鳩に餌やってないでさぁ」
「鳩さん、お腹すいてるです」
「だから、鳩はもういいって」
「鳩さんに訊いてみますか?」
「鳩が知ってるわけないでしょ」
「ポッポッポ~」
「鳩はもういいって」
「ポッポッポ~」
「もうやだ……」
……。
・
・
・
「白い建物っていってもいろいろあるな……」
「そもそも、それが正しいかも怪しい」
「だよな」
「もしも、レイカが見つかったらどうするんだ?」
「……」
「別れをきりだすのか?」
「……」
「自分とは身分が違う。だから、もう会えない。そう言うつもりか?」
「……いや」
……。
「俺はレイカと一緒にいたい……」
「それを聞いて安心したよ。探す気力がでたな」
「ヒカル……」
……。
・
・
・
「ねぇ、犬とじゃれてないでそろそろ探そうよ」
「犬さん、かわいいです」
「だから、犬はもういいって」
「犬さんに聞いてみますか?」
「さっき鳩に訊いて失敗してたでしょ!」
「ワンワンワン!」
「犬はもういいから……」
「ワンワンワン!」
「もうやだ……」
……。
・
・
・
「学園に来ちまったな……」
「こんなところにいるはずもないか」
「無事だといいんだけどな……」
「心配するな。あのレイカが変な気を起こすわけないだろ」
「だよな……レイカは強いやつだ」
「もしかしたら、宗介のことを探してるかもしれないぞ」
「ああ……」
そうであって欲しい……。
レイカも俺を探している。
レイカも俺と同じ気持ちなんじゃないかと、どこかで期待していた。
「あの……新山学園の生徒さんですか?」
「アキナ……」
「もし、新山学園の方でしたら、図書館まで連れていってもらえませんか?」
アキナは電柱にむかってしゃべっている。
「……これはまさか……」
「アキナ?」
「え? その声は宗介先輩ですか?」
「もしかして、コンタクト落としたのか?」
「え? あ、はい。ばれちゃいました?」
「そりゃばれるよ」
「全然見えてないんだな」
「コンタクトがないとぼんやりとしか見えないんです」
木を相手にしゃべっている。
「沢村、それは木だ」
「メガネは持ってきてないのか?」
「もちろん、持ってきてますけど……」
「かければいいじゃないか」
「それはちょっと……メガネ、苦手なんですよねぇ」
「なあ? レイカ見なかったか?」
「神山先輩ですか? 見てませんね……というか、見えてませんね」
「あいつ、コンサートに来てないんだよ」
「どういうことですか?」
「ボイコットだ。それで探してるんだが……」
「私、学園にずっといましたけど見てないですね……というか見えてませんね」
「ちょっと見て欲しいメモがあんだけどさ、お前の知恵をかしてくんねーかな?」
「メモ?」
「これなんだけどさ」
俺はアキナにレイカが書き残したメモを渡した。
「こ、これは!?」
「わかるのか?」
「……みえない」
「悪いんだけど、メガネかけてもらっていいか?」
「……はい」
アキナはカバンからメガネを取りだした。
「出来ればかけたくないんだけどな……」
「頼む、レイカに会いたいんだ」
「分かりました。少し待って下さいね」
……。
・
・
・
「ねぇ? リコちゃん……いい加減に探さない? 寝てないでさ……」
「眠くなったです……」
「あの~、寝ないでもらえますか?」
「ミミズさん、レイカさんがどこにいるか知ってますか?」
「ミミズが知ってるわけないでしょ!」
「そうですか。知らないですか。え? そんなことより眠い? そうですか。リコも眠いです……」
「もういやだ……」
……。
・
・
・
「ぐ、ぐああ、ぐぬうっ……」
「大丈夫か?」
「くるぞ……」
「苦しそうだな……」
「ぐああ、ぐっ、ぬぅう……」
アキナは下を向きモゴモゴとなにか言っている。
「……ひさしぶりやな」
「……ああ」
「そうだな。元気か?」
「元気やっちゅーねん。バリバリや」
「それは良かった」
「なんや、うちになんか用か?」
「アキナの知恵をかりたくてさ」
「うちの知恵? それやったらアキナにかりればえーのに」
「まあ、そういわずにさ」
「あれ? 珍しい人連れてますなぁ? 久しぶりです」
「おまえに会うのは久しぶりだな」
「そうやな。地区大会以来やな?」
「あのときは、頑張ったな。いい試合だったよ」
「よく言うわ……うち、負けてしまったやん」
「いや、いいセンスだ。磨けば光るよ」
「あんたに言われると、なんや、嬉しいな。……で? うちになにが聞きたいの?」
「このメモなんだけどさ」
「なんやこれ?」
「レイカがそれを残して失踪した」
「またけったいな話やな」
「あんまり時間がないんだよ。急ぎで頼むわ」
俺はアキナにメモを渡した。
「これはわたしからの挑戦状よ……わたしを探したきゃ、探せばいいじゃない……3月14日……」
「どうだ? どこにいるかわかるか?」
……。
アキナはメガネを上げた。
「憶測でええか?」
……。
・
・
・
「リコちゃん……完全に寝ちゃったよ」
「ムニャ、ムニャ……」
「もう、こうなったら私が推理するしかないな。3月14日かぁ……」
「ムニャ、ムニャ……」
「あ、3月14日ってホワイト記念日だ!」
「ホワイト……、ホワイト……」
「そういえば、そういうの全然気にしてなかったなぁ……」
「は、目が覚めました!」
「起きた?」
「駅の方にいきましょう!」
「え? どうして?」
「さっき鳩さんが、駅の方で神山レイカさんをみたっていってました」
「どうしてそれを早く言わないのよ!」
「忘れてました……ごめんです」
「じゃあ、駅前に行こう! 鈴木少年少女探偵団、出動!」
「オー!」
……。
・
・
・
「うちが思うに、わたしを探したきゃ、探せばいいじゃない。これは神山先輩らしい口調やな。そのままの意味で間違いないやろ」
「じゃあ、どこにヒントがあるんだ?」
「この、3月14日ってとこやな」
「ホワイト記念日っていうのはなしだぜ?」
「あほ。うちがそんな単純なこと言うと思ったんかいな」
「他にあるのか?」
「二つあるな。まずひとつ目。3月14日は国際結婚の日や」
「国際結婚の日?」
「そうや。この国ではじめて外国の人と結婚ができるようになった日や」
「そんな日があったとは、知らなかったな」
「てことは、レイカはどこかの大使館にでもいるのか?」
「それは考えにくいな。それにレイカ先輩がそんな日を知ってるとも思えんやろ?」
「じゃあ、違うか」
「こっちが本命や」
アキナはメモに数字を書いた。
「……3.14?」
「そうや。3月14日を簡単に書くと3.14となる」
「ほんとだ。たまにこういう風に書くよな」
「3.14って数字に見覚えないか?」
「3.14……。円周率か!」
「正解や」
「なるほど。円周率か……でどこにいるんだ?」
「うちが分かるのはそこまでや。神山先輩と円周率、なんか関係あるやろか?」
「なんだよ。肝心なところがわかんねーんじゃん」
「しゃあないな。もう少し知恵振り絞るかいな」
「円周率……」
「そうか。円周率の別の言い方があるやん」
「なに?」
「πや。パイ!」
「そうか。パイか……」
……パイ。
何かが引っかかるものがあった。
「πの説明は省くわ」
「パイがどーしたんだ? パイでも食べに行ったっていうのか?」
「それだ……レイカはパイを食べに行ったんだ」
「どういうことだ?」
俺は思い出していた……。
昨日の電話を……。
叶うなら……あなたと、ミラブルのパイが食べたい……。
レイカはそう言った……確かに……。
「あいつチェリーパイが好きなんだ……」
「そうか……場所は知ってるのか?」
「駅前にある……ミラブルって店だ」
「三田には報告しなくていいのか? 見つけたら連絡する約束だっただろ」
俺は三田さんの連絡先を書いた紙を見た。
……。
…………。
「……したほうが、いいよな……」
「……ちゃんと筋は通した方がいい。もし、見つかったとして神山グループから逃げられるわけじゃないんだ」
「ああ……」
俺は三田さんに電話する。
「もしもし……」
『椿くんか? レイカ様は見つかったかい?』
「まだです…‥でも、どこにいるか、なんとなく分かりました」
『どこだ?』
「……ミラブルです」
『そうか……あそこか。……でも、どうして私に教えたんだ?』
「約束でしたから……。それに、黙っていても結局、ばれるし……」
三田さんは黙って聞いている。
「俺、レイカのことが好きです。だから、神山グループの人たちにも認められたいんです……だから……」
『……椿くんは、いい子だ。君の気持ちはよく分かったよ。教えてくれて、ありがとう』
「……はい」
俺は携帯を切った。
「アキナ、ありがとう。助かったよ」
「たいしたことやない。なんかよーわからんけど、がんばりや」
俺とヒカルはミラブルへ向かった。
……。
・
・
・
「はるかたち、どうしてんだろ」
「電話するか? まぁ見つけてはないだろうけどな」
俺ははるかに電話した。
「もしもし? おまえたち、今どこにいる?」
『え? もうすぐ駅だよ』
「なんだ、おまえらも駅か。合流するぞ」
『え? 居場所わかったの?』
「ああ、多分だけどな」
『こっちも駅周辺でみたって情報が入ったの!』
「ほんとうか? でも、誰からきいた情報だ?」
『鳩』
「鳩?」
……リコか。
『もう着くよ』
「駅の前にいるからこいよ」
俺は電話を切った。
「はるかたちも駅にいるのか?」
「そうらしいぞ」
「ということは、私たちの予想もあながち間違ってないようだな」
「そうだな」
きっとレイカはミラブルにいる。
遠くにはるかとリコが見えた。
「はるか! こっちだ!」
「神山さんの居場所わかったの?」
「ミラブルというケーキ屋にいるらしい」
「ケーキ屋さんですか?」
「ああ。あいつ、あそこのパイが好きなんだ……」
「コンサート開始まで、あと20分か。まだ間に合う」
「もうすぐ会えるんだね……」
「ああ」
「じゃあ、行ってみますか! 鈴木少年少女探偵団出動!」
……。
・
・
・
ミラブルは、『激安の王冠』と呼ばれるディスカウントショップの向いにひっそりとあった。
「ここか。なんだか私には合わない店だな」
高級感のある外観、ガラス扉越しに中をみると、まさにセレブ御用達といった感じだ。
奥にはテーブルが見える。
「俺らが気安く入れるような店じゃねーよな」
……レイカはここだけじゃなくって、他にも高級な店に行ってるんだろう……。
俺はここにきて、レイカに会うのが怖くなってきた。
……今更あって、どうなるというのだ。
「早く行って来い。待ってるぞ」
「ほんとに待ってるかな?」
「当たり前でしょ……早く、行ってきなよ!」
店の中には金持ちそうなマダムがいっぱいいる。
ふと、店から出てくる。
「あれ……そうじゃない?」
人目をはばかるように……出てくる。
金色の綺麗な髪が揺れた。
レイカ……。
それは紛れもなくレイカだった……。
「早く、行くです!」
リコが俺の背中を押した。
「……」
俺はゆっくりとレイカに近づいた。
「……レイカ」
「……」
俺に気づき、目をそらす。
「探したぞ……」
「宗介……」
「ここじゃまずい……行くぞ」
俺はレイカの手を引っ張り、マックリヤに入った。
……。
俺たちは、いつもの席に座った。
「……ハンバーガー……食うか?」
「もらうわ……あと、紅茶も……」
俺は注文をすませ、戻ってくる。
レイカは紅茶を飲んだ。
「なんのようかしら?」
「探したぞ」
………。
長い沈黙が続いた。
「よく探し出せたわね……」
「挑戦状……あったから」
「そう。あのヒントで良く分かったわね」
「結構、苦労したけどな」
「覚えてたのね。私がパイが好きだって」
「当たり前だろ」
レイカはまた紅茶を飲んだ。
………。
……………。
また沈黙だ。
あんなに会いたかったはずなのに、言葉が出てこない……。
「パイ食べる?」
レイカはバッグからパイを取りだした。
「一人で食べても美味しくなかったから、テイクアウトしたの」
「もらうよ……」
俺はパイを食べた。
「お味はどうかしら?」
「味? うめーよ」
「それだけ? 他にあるでしょ」
「美味い以外に他にあるかよ」
「そのパイ、高いのよ」
「知らねーよ。美味いくらいしか俺にはわかんねーよ。レイカみたいに金持ちじゃねーし」
「そう……」
「俺、グルメじゃねーからさ」
「え? そんなかんじよね……」
「コンサートはじまるぞ。いいのか?」
「それがなによ……」
「客が待ってんじゃねーのか?」
「だから、それがなによ……」
「三田さん、困ってたぞ」
「三田が? 困ればいいのよ」
「やっぱ、このパイうめーや」
俺はパイを平らげた。
「当然よ。私のお気に入りの店に、ハズレはないわ」
「ピアノ好きなんだろ? だったら戻れよ……」
「大嫌いよ。ピアノなんて……」
「だったら、さっさと辞めればいいだろ」
「辞めてやるわよ」
「ならさ、こんなとこで、逃げ回ってないで、舞台の上にでて、客にそれ言えよ」
「言えるわけないでしょ……」
「おまえにもらったCD聴いたぞ」
「CD? そう……どうだった?」
「あれ、すげーいいな」
「あなたにも分かるのね」
「ピアノとかさ、マジで興味ないし、専門的なことも分からない。けど、いいなぁって思ったんだよ」
「あなたみたいな庶民でもわかるのね……」
「生で聞きたいよ。CDじゃなくて。あれ、おまえが弾いたやつなんだろ?」
「……よく分かったわね」
「分かるさ……。俺はおまえが好きで、おまえの弾くピアノも好きだからな……」
「私、小さいころから気付いたらピアノを始めていたわ。毎日毎日、嫌というほど弾かされて、それでも嫌じゃなかった」
「……」
「でも、いつからかそれが苦痛になったわ。私がやりたいピアノはこういうのじゃないって分かったのよ」
「ジャズ・・・だもんな」
「でも、お父様はクラシックしかやらせてくれなかった。神山家にふさわしいのは、クラシックだって。だから私はピアノが嫌いになったわ」
「お父様……か」
「今日のリサイタルは絶対にでないわ。……これはお父様に対する私の挑戦状よ」
「それで逃げ回ってたのか?」
レイカの表情が曇った。
「いつもそうよ。なんでも私のやることは神山グループが決めるの…‥。だから……恋愛くらい自由にしたいと思った」
「……レイカ」
「でも、お父様はあなたを認めてくれなかった」
「……」
「そんなことも自由にできないなら……私は神山の家なんて捨てる覚悟よ」
真剣な眼差しでレイカは言った。
…‥そうか、レイカも俺と同じように、二人の住む世界の差に悩んでいたんだ。
「ごめんな……」
「え?」
「俺がもっとおまえに近いレベルっつーの? そうだったらこんなことにならなかった」
「宗介……」
「俺、超がつくほど庶民だろ? どう頑張ったって神山グループみたいに金持ちになったりできないと思うんだ……。でも、もっと努力する。器だけはでかくなるつもりだ……。だから、レイカと一緒にいたい」
「庶民もお金持ちも関係ないわ。私が好きな気持ちに……ウソはつきたくないから」
俺はレイカの手を握った。
「あなたの手、いつも熱いわ……」
「おまえを探すために、走り回ったからだろ」
「戻ったら、きっともう逢えなくなると思うの……」
「……」
「宗介と逢えなくなるくらいなら……私は死んだも同然よ」
レイカはバッグから小瓶を取りだした。
「それは?」
「この中に、睡眠薬が入ってるわ」
「睡眠薬?」
「これを飲めば42時間、仮死状態になるわ」
「そんな物騒な薬、どうするつもりだ……」
「私がこれを飲むわ……」
「……なに考えてんだよ」
「SF小説で読んだことがあるの。結ばれなかった二人の物語よ」
「……」
「私が仮死状態になって、墓地に運ばれたら宗介が私を助けにきて」
俺は小瓶を奪い取った。
「バカ。これは小説じゃないんだよ」
「でも……」
「こそこそするのはご免だ。俺は正々堂々としていたいんだよ。もう、何かに怯えて、死んだように生きるのは嫌なんだ」
「……」
「すぐには認められなくても、認められるまで俺は諦めない。……コンサートホールに戻るぞ」
俺はレイカの手をとった。
「あ、ちょっと待って。まだ、これを食べてないわ」
一口で……かぶりついた。
大口をあけ、がぶりと……。
「ハンバーガーもなかなか美味しいわね……」
「だろ?」
「こうやって食べると、本当においしいのね。やっぱり、あなたは私が認めた男だわ。……私、演奏する。ピアノも誰かを愛することも、好きにさせてもらうわ」
レイカは笑顔を見せた。
「行くぞ」
レイカは力強く頷いた。
……。
「あ、神山さん!」
俺たちが出てくると、はるかたちが待っていた。
「お待たせ」
「遅いぞ。もうコンサートの時間だ」
「こいつら、みんなレイカのこと探してくれたんだぞ」
「ありがとう…‥みなさん」
「レイカ、走れるか?」
「走る? どうして私が走らなきゃいけないのよ」
「上、上です!」
「リコ? どうした?」
「上から何か来ます」
「あ、あれ!」
「ヘ、ヘリコプター!?」
ヘリコプターはゆっくりとケーキ屋の前に着陸する。
「どうやらお迎えが来たようね」
ヘリコプターにはKAMIYAMAと書いてある。
「そうみたいだな……」
ヘリコプターから三田さんが降りてきた。
三田さんは俺の前を通り過ぎて、レイカの元へいった。
「レイカ様、まいりましょうか」
「わかったわ……」
レイカは俺の方を向き、会釈してヘリコプターに搭乗した。
「君たち、レイカ様を探してくれてありがとう。お礼はちゃんとするよ」
「あの、こんなとこにヘリコプターを止めて大丈夫なんですか?」
「警察も全面協力してくれている」
「ホールまですぐなのにわざわざヘリコプターとはな。金持ちの考えることは理解できないな」
「あ、そうだ。君たちも乗っていくかい?」
「ほんとうか?」
ヒカルの目が輝いている。
「乗りたいです!」
「リコ、飛ぶです」
「じゃあ、乗って」
3人は、まるで修学旅行にいってはしゃぐ生徒のように喜々としてヘリコプターに乗り込む。
「椿くんも早く乗りなさい……」
「俺は、いいっす」
「どうして?」
「そーいう気分じゃないんで……」
「さては、怖いんじゃないのか?」
「ち、違いますよ」
「レイカ様を守って行く男が、ヘリコプターに怯えるとはな……」
「え?」
「ホールに来なさい。君の席は用意している」
「三田さん……」
「せっかく神山グループに戻れたのに、また職を失いそうだよ。まったく……」
三田さんは苦笑いをしながら、ヘリコプターに乗った。
そーいう気分じゃないんで……。
カッコつけたが、実は単に高いところが苦手なだけだ。
あんなものに乗ったら確実に気絶する。
俺は走ってホールに向かった。
・
・
・
俺は会場に入る。
きょろきょろしながら席を探した。
誰かとぶつかる。
「すいません……大丈夫っすか?」
「どこみて歩いてるのよ!」
「あ、右近……」
「あら? 椿宗介じゃない」
「右近も呼ばれたのか?」
「そうよ。わざわざ来てあげたっていうのに、開演時間になっても始まらないのよ」
「もうすぐ始まるんじゃないかな」
「さすが神山さんね……」
「しらがみ満載だから、駄々をこねちゃってさ」
「そんなことだと思ったわ。でも、神山さんのピアノは本物よ。今日は、演奏を楽しみに来たわ」
「それを聞いたらレイカ、喜ぶだろうな」
「まぁ……私には劣るけど」
「俺さ、何千人のトップに立てる人間にはなれそうもないけど、親の政略なんてぶっ壊すつもりだ」
「そう……。いいんじゃない?」
右近はフッと笑った。
「宗介く~ん! こっちです~!」
前の方からリコの声がした。
「リコ!」
俺はリコの方へいく。
「もうすぐ始まるぞ」
「ヘリコプター最高だったよ」
「空を飛ぶのはいいものだな。遠くに大きな山が見えた」
「家が小さかったです。豆です」
「宗介も乗ればよかったのに」
「俺は、お前らみたいに子供じゃねーからな」
「宗介くんは高いところが苦手ですか?」
「に、苦手じゃねーよ!」
リコはたまに物凄く鋭い。
「この町に来て間もないが、上空からみると小さな町だと改めて思ったよ」
「だろうな」
「人も同じだ」
「え?」
「大きな問題や悩みも、角度を変えれば小さいものだと気づく」
「……そうだな」
そうだ……。
金持ちだろうが、庶民だろうが、貧乏人だろうが……。
一人ひとりは小さい……。
差なんて、あるもんか……。
……。
上手からレイカが出てくる。
舞台の中央に立ち、客席に向かって深く礼をした。
「レイカってやっぱ華があるよな……」
壇上のレイカを見て、改めて綺麗だと思った。
「レイカが頭を下げるところなんか滅多に見れないな……」
レイカはピアノの前に座り、一瞬ためらい鍵盤に手をかけた。
聞き慣れたメロディーが流れてきた。
何度見ても、レイカの演奏は圧巻の一言だ。
「うまいな……」
「そうだね。優しくて、綺麗な曲……」
俺は素人だから技術的に上手いとか下手とかは良くわからない。
だから、ずっとレイカの顔を見ていた。
どこか寂しげな目……。
流れてる曲はクラシックだ……。
そうだよな。
ほんとうはジャズがやりたいんだよな……。
その時だった……。
レイカの手が止まる。
踊っていた指が、全く動かなくなった。
「どうした?」
レイカのやつ……。
まさか……。
レイカは完全に沈黙した。
場内のあちこちがざわつく。
……。
…………。
「レイカ! もう終わりか! 俺はまだ聴き足りないぞ!」
「恥ずかしいでしょ! やめなって!」
会場中が俺たちに注目する。
レイカは俺に気付き、笑顔を見せた……。
レイカ……。
レイカは鍵盤に手をかけた。
そしてゆっくりと演奏を再開した。
「あれ? なんかさっきと曲の感じが全然違うよね」
場内はさらにざわつく。
レイカはどんどんとスピードを上げていく。
心が踊るような、体が弾むような曲をレイカは全身で表現する。
この曲、この感じ。
CDでやってた曲だ……。
「ねえ、これってプログラムにない曲なんじゃない?」
あるわけない……これは……ジャズだ。
「さっきの曲も悪くないが、なんというか、こっちのほうが、生き生きしているな」
レイカの顔は輝いていた。
……いい顔だ。
俺の大好きな……レイカの顔だ。
そうか。
レイカはこれがやりたかったんだ。
この曲に魅せられたんだ……。
俺はそう思った。
会場は相変わらずざわついている。
プログラムにない曲をやりはじめた事に観客は動揺しているようだ。
僅かだが、野次のようなものも聞こえてくる。
黙って聞いててくれ……。
これが神山レイカのピアノなんだ……。
俺は立ち上がり、ゆっくりと振り返った。
「静かにしてください! せっかくの演奏が台無しになります!」
演奏の邪魔にならないよう、声の大きさに気をつけながらも鋭く、低く、観客に向かって言い放った。
その言葉に、会場のざわつきはピタリと止んだ……。
レイカの指は加速度を増し、なにかに取り憑かれたように演奏する。
次第に会場もいその演奏に魅せられ、息を飲むような緊張感が走った。
その空間の中でゆっくり、ゆっくりと……。
演奏は終わりを迎えた……。
会場からは大きな拍手が湧きあがる。
中には立って拍手する観客もいる。
俺も立ち上がって拍手をした。
はるかたちも、立ち上がる。
会場全体が、レイカを祝福しているかのように、惜しみない拍手が上がった。
レイカは立ち上がり、こっちを向いた。
一礼をする。
……。
…………。
なにか、思いつめたような、そんな表情をレイカは向けた。
……レイカ。
レイカは躊躇しながら……何かを語ろうとしている。
場内はレイカに注目している。
「今日は……私のコンサートにお集まりいただいて……ありがとうございました。プログラムを変更したこと……お詫びいたします」
レイカは深くお辞儀をした……。
…………。
「私が今日、演奏したのは……ジャズのナンバーです……。私はこの曲がやりたかった……。どうしても、みなさまに聴いていただきたかったんです」
……場内がまた、ざわつく。
神山グループの関係者も、慌てた表情をしている。
「私は、神山グループの令嬢です。ですが……その前に、いちピアニストとして、ジャズを愛しています。音楽にそのような地位や権力は必要ありません」
……。
ざわつきが増していく。
「私は私の好きな音楽を続けていくつもりです……。そして、私にはもう一つ好きなものがあります……」
……。
神山グループの人間が、レイカを止めに入ろうと壇上に上がろうとしている。
レイカはそれに気づき、戸惑い始めた……。
レイカ……。
客席の隅で、誰かが立ち上がった。
「まだ神山さんの話は終わってないわ……」
……右近シズル。
「右近さん……」
「これは彼女のステージよ。それを汚すことはこの右近シズルが許しませんわ」
……。
神山グループの人間の動きが止まった……。
レイカはまた、ゆっくりと口を開いた。
「私には……もう一つ好きなもの……いいえ、好きな人がいます。その人は、庶民です。権力もなにもない人間です。ですが、彼は誰よりも強く、誰よりも優しい人です」
レイカは言葉を詰まらせた。
「私は……その人が……好きです。もう、誰からも指図は受けません……私はその人と一緒にいたいんです」
右近はゆっくりと拍手をした。
それにつられるように拍手が伝染していく。
大きな音となり、全体を包み込んでいく……。
レイカはゆっくりと頭を下げ、舞台袖へ退場していった。
俺は、涙をこらえ一人、会場をでた。
……。
・
・
・
俺は公園に来ていた。
まだ音が耳に残っているような気がする。
レイカの弾く、ピアノの音……。
レイカの声……。
会場に巻き起こる、無数の拍手の波……。
じっと目を閉じた。
レイカ……。
俺はこれから、ずっとレイカを守って行こう……。
そう思った。
どんなに困難なことも、いままで乗り越えてきたんだ。
乗り越えられないはずはない。
夢は願い続ければ叶うことを、レイカは俺に教えてくれた。
だから……。
俺は、何があってもレイカを……。
「探したわよ……」
俺はゆっくりと目をあけた。
そこには一番会いたいヤツが立っていた。
「こんなところで何やってるのよ。せっかく、いいコンサートをしたのに、挨拶もなしに出ていくなんてどういうつもり?」
「すまん……」
「私、もう気持ちに整理がついたわ。どんなことがあっても、お父様に、あなたのことを認めてもらうわ」
「俺も……そのつもりだよ」
「あなたは、どんなところに立ったって見劣りしない人よ」
「ありがとう……」
「だから、ずっと一緒にいて欲しいの……」
「もちろんだよ」
レイカの顔が緩んだ……。
レイカは俺のほっぺたに、軽くキスをした。
「家事や洗濯は、少しくらい勉強するわ」
「ほんとか?」
「私もあなたに釣り合う人になるための努力をするわ」
嬉しかった……。
ふと、俺はポケットに入れたままだったものに気がついた。
ポケットから取り出す。
「それ……」
「ずっと捨てられなくってさ」
それは、偽物だけど、綺麗な指輪だった。
スッと。
俺はレイカの左手をとった。
さっきまで、踊るようにピアノを弾いていた綺麗な指。
たくさんの人に感動を与えることのできる指。
俺にとっては、暖かく、触れているだけで、愛しい気持ちが溢れてくるその指に、
ゆっくりと、指輪をはめた。
夕日に照らされ、埋め込まれた石が光った。
「ごめんな……偽物で」
「綺麗ね……偽物も本物もないわ」
「グリーンガーネットじゃないけどな……」
「私にとっては本物よ。……知らないの? モノの価値はお金じゃないのよ」
レイカはにっこりと微笑んだ。
その微笑みは、輝くような綺麗な笑顔だった。
心の中でさっき思っていたことを改めて思い返す。
ずっとレイカを守っていこう。
何があっても、レイカを離すもんか。
俺は、レイカと生きていく。
そして、いつの日か。
拾っただけの、いわば借り物の指輪ではなく。
自分の力で手に入れた、俺とレイカの絆の証を、レイカの指にはめるんだ。
レイカの輝くような笑顔に、俺はそう誓った……。
……。
この町は退屈だ。
だって遊ぶところといったら、ゲーセンかボーリングかカラオケかビリヤードくらいしかない。
田舎でもないし、かといって都会でもなく、それでいて、とりわけ生活に困ることはない。
普通……。
そうだよな、どこの町だってそんなものだ。
この町はいたって普通で、いたって平凡だ。
そんな平凡な町で、俺はすこしだけ平凡ではない人生を送っていた……。
だからこそ、今は平凡であることが幸せだと思えた。
ゆっくりと……。
この町の太陽は……沈んでいく。
レイカのはめた光の輪が、キラキラと煌めいた……。
……。
END