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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the first tale.【10】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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今まで誰も見たことがないような画を撮りたい。

まだまだ技術も経験も不足した身であることは重々承知している。

だからこそ、目標は高く。

自分が目指す先はあまりにも遠くて、そこへ至る道筋は険しいとわかっていても。


「あのー」

 

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「ん? なに?」


雨宮優子はあきらかに困惑している。


「私、いつまであなたについていけばいいんでしょうか?」
「え、最後まで添い遂げてくれないの?」
「人生を懸ける相手としては、あなたはイマイチです」
「ひどい言いぐさだなあ……」


教会でのんびりしていたところを強引に連れ出したのは悪いと思う。

が、その言葉はちょっぴりショックだ。


「なんでしたっけ……実景撮り?」
「そうそう」


"実景"とは、人物ではなく風景や小物などを撮影することだ。

特にシーン間の繋ぎとして、風景オンリーのカットは必要不可欠で、これが足りないと編集時に地獄を見ることになる。

とにかく足の動く限り歩き回って、目についた風景を片っ端から撮りまくるのだ。


「どうしてそれに私が付き合わなきゃいけないんでしょう?」
「前にさ、一人で実景撮って歩いてて、警察に通報されたことあるんだよね。はっはっは」
「笑い事ですか」
「どっかの女の子が、『変質者がカメラ回しながらついてくるんです』とか言って交番に駆け込んだらしくてさ」
「案外、その女の子の言ってることは正しいのでは」
「その子はたまたま映っちゃっただけだよ」


警察に連行されそうになったところで、別行動していた映研の仲間が駆けつけてくれたから良かったものの……。

一人でビデオカメラなど回してると、どうしても怪しげに思われやすい。

今日は援軍は期待できないので、保険として雨宮を連れてきたというわけだ。


「雨宮は、どうせ暇なんだろ?」
「しなくちゃいけない仕事はいくらでもありますよ」
「あんたの仕事ってなんなの?」
「皆さんの心のスキマをお埋めしてます」
「どこのサラリーマンだよ……」
「あら、つまらない反応」
「ま、俺も深く追求するつもりはないよ」


特に女の子を相手にするときは、本気で隠したがってること。

本当は聞いてほしいこと。

その2つを、的確に判断しなければ。


「ただ、なんとなく……」
「ん?」
「この街での仕事は、それほど長く続かない気がします」


なぜか、嬉しそうに雨宮優子は笑った。


「近々、転勤でもするの?」
「ふふっ」


雨宮優子は笑うばかりで──

俺は、街並に向けていたカメラを下げた。


「なあ、この前の質問の答えなんだけど」
「はい」
「部活やめたあとも、映画を続けることはなんの疑問も持たなかったよ、俺は。でも、女の子に振られて──すがりついたことなんて今まで一度もない」
「本当に好きじゃなかったからですか?」
「さあね。だけど──」


屋上で見た、宮村の泣き顔を思い出す。

相手のことを本気で思っているからこそ、約束を破られたのが泣きたいほど悔しい。

あれが本当に恋をしている人間の姿だ。


「映画に向けてる気持ちのほうが強いのは確かだろうな」


これまで別れてきた女の子たちも、俺のそうった内心に気づいてたと思う。


「あなたは、本当にそれでいいんですか?」
「それもわかんないな」


さぁ……っと風が吹いて雨宮優子の前髪を揺らしていく。


「人の心は……夢だけでは満たされませんよ」


…………。


……。

 

パキと軽い音を立ててシャーペンの芯がはじけ飛んだ。

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「ちっ……」


舌打ちして、ノートの上にシャーペンを放り出す。

勉強始めて2時間ちょっとか。

ちょうどいいから一休みするか……。


「ふぁーあ」


あくびをしながら、ベッドに横になる。

撮影が休みだった割に、なんか今日も色々あったな。

夢だけではダメ、か……。

確かに雨宮の言うとおりかもしれない。

だけど──


…………。


……。

 


──「お母さんはね、実は昔、女優さんだったのよ」

──「じょゆうさん?」


ああ、なんだ。

すっげー昔の光景が……。

 

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「そうよ。ほら、これ観てみなさい」
「………あっ、あれ、あれお母さん?」


そうか、これはまだ俺が幼かった頃の記憶──

確か、季節は夏だったと思う。

長らく家を空けていた母が、数ヶ月ぶりに病院から帰ってきた。

とは言っても、母はほとんどなにもせず1日中ベッドの上にいて。

ある日のこと。

退屈そうにしている俺のところに、珍しく起きていた母が1本のビデオテープを持ってきたのだった。


「綺麗でしょ。もちろんお母さんがもともと綺麗なのもあるけど、監督さんがすごい人でね。わたし、ずっとこの人の映画に出たかったのよ。天才だったわね。まさに映画のためだけに生きてるみたいな人だった」
「ふーん、すごいねー」


このときの俺はたぶん、細かいことはよくわかってなかったけど。

夕焼けに包まれた古い街並。

自転車を押して歩いていく若き日の母の姿は、子供心にもひどく美しく見えたのを覚えている。


「だから、この映画はお母さんの一番のお気に入り」


──今なら知っている。


母は舞台を経て映画の世界に飛び込んだけど、もらえるのは端役ばかりでほとんど活躍らしい活躍はできなかったこと。

そして、父との結婚を機に芽の出ない役者生活にピリオドを打ち、銀幕から姿を消したこと。


「京ちゃん。お母さんはね、ほんの一瞬だったけど夢を叶えたの」
「ゆめ?」
「そう、夢。京ちゃんにも叶えてほしいな。大きな夢でなくてもいいから、自分が心から望む夢を……長く続く夢を……」


そのときの母は少しだけ寂しそうに笑っていた。

子供だった俺は、そんな顔は見たくなかったから。

叶える、と言った。

まだ叶えるべき夢も見つけていなかったのに。


「ありがとう、京ちゃん」


それでも母は優しく笑って、頭を撫でてくれた──


「………」


今にして思えば、あのときの他愛ない会話が俺の人生を決めたのかもしれない。

バカみたいな話だけど、それも仕方ないだろう。

だって、あれが──

母と交わした最後の会話だったのだから。


…………。


……。

 

 

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「もういいの?」
「どこか悪そうに見えるかしら?」


冗談でも「頭が」などと言おうものなら、間違いなく血の雨が降るだろう。

新藤の言ったとおり、彼女は1日休んだだけで、普通に登校してきた。

放課後になって、いつものように撮影を始めてみたが、新藤は何事もなかったかのように元気そうだ。


「ともあれ、良くなったようでなによりだよ。うん、ホントに良かった良かった」
「心配しなくても、病気を理由に逃げたりしないわよ」


そう言って、意地悪そうな目を向けてくる。


「まるで俺が映画のことしか心配してないみたいじゃん」
「違うの?」
「うーん……違わないとも言い切れないような、そうでもないような」
「別にいいわよ」
「へ?」


それは、新藤景とは思えないような優しげな声だった。


「堤先輩は、迷わずに映画のことだけ考えててよ」
「そりゃまた無茶を言うな……」


俺は苦笑いして、新藤の姿をカメラで追いかけ続ける。

このところ、ずっと彼女ばかり見ていたからだろうか?


「新藤、なにかあったの?」


新藤景に微妙な変化を感じるのだ。


「なにもないわ。なにもないけど……。そうね、変わらないっていうのは無理なのよね。わたしたちは生きて、記憶を重ねているんだから」
「記憶、ね……。自分が望まなくても変わってしまう。わたしも、堤先輩も」
「え、俺も?」
「そうよ、だってさっき先輩も言ったじゃない」
「俺、なんか言ったっけ?」
「自分が言ったことくらい覚えておきなさいよ」


ふーっと小さく息を吐き、新藤は俺を軽く睨みつけてくる。


「無茶だって言ったじゃない。映画のことばかり考えてられないって」
「ああ、それか」
「今、堤先輩は映画撮ることしか考えてないでしょ。だけど、いつまでもそのままじゃいられない。わたしがそのままでいてほしいと願っても、先輩自身が望んでも。絶対に、いつか他のことに目を向けなきゃいけないときが来ると思う」
「……いつから預言者になったの?」
「バカ」


こつん、と俺のすねに新藤のつま先が当たる。


「自分が考えてることとか、経験したこととかって、頭で振り返ってみても意外と現実味が無いのよね」
「はぁ」
「わたし、妹とメールのやりとりしてるのよ」


新藤は小さく指を動かしてキーボードを叩く真似をする。


「実際に自分のことを書いてみると、意外とわかるわね。なにが変わってしまったのか……」
「変わったことが悲しいの?」
「さあ、それはわからないわ」


あっさりそう言い、新藤は足を速めて俺の前を歩いていく。


「ただ……」
「ただ?」
「もう以前のわたしを取り戻すことはできない。それだけは確かなことよ」
「………」


ふと思った。

もし、彼女の言うように俺も変わっていくのだとしたら。

映画に取り憑かれている自分がいなくなってしまったら。

そのとき、俺は後悔せずにいられるだろうか。


……。

 

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俺たちは歩いていく。

他愛のない会話を交わし、カメラで彼女と取り続けながら、目的地もないのにひたすらに歩く。


「メールってさ」
「ん?」
「妹さんへのメールって、どんなこと書いてるの?」
「だいたいは普通のことよ。身の回りで起こったこととか、どうでもいいようなこと。特に深刻なことを書いてるわけじゃないわ」
「ふーん……」
「内容なんてそれほど大事なことじゃないのよ。今は、メールだけがあの子とわたしの繋がりだから」
「メールだけって……姉妹だろ。それも双子の」
「双子だからって、テレパシーが使えるわけじゃないのよ」


彼女はかすかに笑う。


「なんでもいい、形に残る絆がほしいのね。たぶん……」


新藤景は、消えない寂しさを抱えている。

彼女の悲しい心の内を、俺は撮りたいと願った。

今でもそう思っている。

だけど、そう思い続けることが正しいことなのか、確信が揺らいでしまった。

1日やそこらのお休みじゃ気分転換にはならなかったか。


「やっぱ雨宮がやけのわからんこと言ったせいだよな……」


雨宮優子って、人を惑わすのが趣味なんじゃないのか。

というか、もしかして妖怪変化のたぐいなのかもしれないな。


「あ」


ぐるぐると怪しげな思考を巡らせていたそのとき。

ふと、新藤が足を止めた。


「どうかした?」
「………」
「新藤?」
「……お兄ちゃん」
「え?」


彼女はぽつりと、そうつぶやいた。

見開かれた新藤の瞳の先に──

 

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親友とその恋人が笑顔を浮かべ、かたく手を繋いで歩いていた。

あいつら、ケンカしたとか言ってたのに、早くも仲直りしたのか。

 

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「………っ!」


俺ははっとなって、新藤を見やる。

彼女は呆然とした表情で、歩いていく二人を見つめていた……。


「新藤……」
「誰が見たって、仲のいい恋人同士よね……」
「まあ、そうだね」


実際、そのとおりなのだから。

ちょっとしたケンカで涙を流した宮村。

退学してまでやり遂げようとした仕事よりも、彼女のほうが大事だと断言した広野。

あのふたりの間には、きっと誰も割り込めないんだろう。


「お兄ちゃん……」


この少女の想いがどれほど強くても。


「ねえ、先輩」
「なに?」
「わたしは──お兄ちゃんが好きだった」
「ああ」


それはわかってる。


「できもしない料理を作りに行ったり、余計なお世話だってわかってるのに朝起こしに行ったり。どうしてもお兄ちゃんと同じ学校に通いたくて……絶対無理だって言われたけど、毎日寝ずに勉強して音羽を受験して。少しでもいい、お兄ちゃんのそばにいる時間を作りたかったから。そのためなら、わたしはなんだってできたわ。一緒に過ごしていれば……いつかお兄ちゃんと恋人同士になれるって信じてた。いつも読んでた少女漫画みたいに、想い続けていれば恋は実ると思ってたの」


新藤が、一歩踏み込んでくる。


「我ながら、なんて無邪気だったんだろう……」
「無邪気なままではいたくない?」
「本当のことを知らないままよりは、ずっといいわ」
「本当のこと、か」


知らないほうがいいことだってあるけど、今の新藤はそう思えないだろう。


「夢ばかり見ていたら、現実がわからなくなってしまうのね」


広野絃は、新藤景を妹としてしか見ていなかった。

それが、新藤が知ってしまったたった1つの真実。


「堤先輩、あなたはお兄ちゃんの数少ない友達だわ」
「一応、そうだけど」
「だから、あなたの口から聞かせてほしいの。もう一度、はっきりと現実を教えて」


目の前にたたずむ夏服の少女は、同情も慰めも求めていない。

なんの見返りもないのに、俺のわがままに付き合ってくれた新藤に与えられるものがあるとすれば……。


「たぶん、俺の考えだけど。もしも、広野と君が付き合っていても、いつか宮村が現れて君から広野を奪っていったと思う」
「あんたは……はっきり言うのね」


君がそれを望んだからだ。


「広野と宮村は──」
「お似合いよ。それくらい、わたしだってわかってる。わかってるわよ……!」


わかっていても、それで悲しみや苦しみが消えてなくなるわけじゃない。

その耐えがたい現実が今、新藤の小さな身体にのしかかっている。

 

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「なによ、撮らないの……?」
「……ああ、忘れてた」


ほとんど無意識に、俺はカメラを下げてしまっていた。

目の前には、俺が撮りたかった新藤景という少女のリアルが存在しているというのに。


「一度夢見た光景は──簡単には消えてくれないわ。わたし、夢を見てた。どこまでも幸せな未来の夢を。こうやって何度も何度もがつんと殴られて、少しずつ目が覚めていくのね」
「殴られた……?」
「そうよ。あんたは、殴られたことないの?」
「……無い、と思う」


映研を追われたときも、彼女と別れたときも特に大きな衝撃はなかった。

新藤のような苦しみは一度たりとも経験していない。


「わたしはね。痛いの。胸が痛くて痛くてたまらないのよ……」


そうだ、俺はこれまで痛みを知らずにきた。

だけど、今かすかに感じるこのうずきはなんだろう。

まるで彼女と痛みを共有しているかのような……。

なまぬるい夏の風が、俺たちの間を通り抜けていく。

新藤は、広野たちが歩み去った方向を見つめながら、物憂げな表情を浮かべている。


「わたしにもなにか1つくらい……。1つくらい、いいことないかな」


ある、なんて俺の口から言えるはずがなかった。

新藤と俺は同じだ。

夢も恋も同時に失ってしまった。

だけど、決定的に違っているところもある。

新藤は現実を見つめ、俺は今でも虚構の構築に目を向け続けている。

今ならわかる。

俺がやっていることはたぶん──逃避と呼ばれることなんだろう。


…………。

 

……。

 

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今日も親父は帰ってこなかった。

適当に作った晩メシを一人で食い、自室に戻る。


ヴィィィィィ……ヴィィィィィ……。


「おっと」


ちょうどよいタイミングで鳴り始めた携帯を、ベッドの上から回収して椅子に座る。


「堤だけど」
『もしもーし、あ・た・し』
「俺、今日は疲れてるんで切っていいですか」

 

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『かまわないけど、明日には職員室に呼び出されて停学、もしくは退学とかに』
「すいません、僕が増長しちゃってました」


すっかり忘れてた、こいつは俺の弱みを握ってるんだった……。


『ところで、今なにしてた?』
「ちょうどメシ食い終わったところだけど」
『なに食べたの?』
「肉野菜炒めと、大根のみそ汁」
『またえらく簡単なものを作ったもんだね』
「不器用ですから」
『今度、なにか作って差し入れしてあげようか。大丈夫、あたしの腕前は特級厨師クラスだよ』

 

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「相変わらずなに言ってんだかわからん……」


俺は電話を持ち直した。


「つーかさ、用があるんだろ?」
『あ、そうだった。えーとね、心配かけてごめんっていうか、もうあたしは大丈夫っていうか』


昼間、広野と手を繋いで歩いていた宮村の姿を思い出す。


「そりゃあなによりだ。おまえの機嫌が悪いと、こっちまでとばっちりを食いそうだしね」
『む、まるで絃くんみたいな可愛げのなさだねー』


アイツと一緒にされるのもちょっと嫌だな……。


『それともう1つ報告があります』
「報告?」
『絃くん、なんとかして時間を取ってくれるって』
「それは、夏になったらどこか遊びに行くとかいう約束のことか」
『うんっ!』


なるほど、それが本題だったわけだな。

あんまり嬉しかったもんだから、俺にまで電話をかけてきたんだろう。


『絃くんさあ、今度──』


広野は連載を1本持っているが、それとは別に短期集中連載という形でもう1本シリーズを始めるらしい。

いくら学校をやめて時間が多少増えたといっても、一人で全部描いている広野が抱え込むには多すぎる仕事量だ。

だが、そこに救世主が現れたそうだ。


『海外に留学してた絃くんのお姉さんが帰ってくるんだって』
「え、そうなの?お姉さんって美人?」
『知らないよ、そんなこと。つっつんは、すーぐにそっち方面に飛躍するんだから』


そんなにしみじみ言わなくても。


『お姉さん、身体の具合が悪いお父さんの面倒を見るつもりだったらしいけど、必要ないって断られたんだって』
「へえ」


広野の親父も、息子と同じで屈折してるのかな。


『それで暇ができたから、絃くんの原稿手伝うって言ってくれたんだよ』
「やっぱり広野の姉ちゃんも絵は上手いのか」
『お姉さんって、絃くんの3倍以上手が速くて、しかも決定的な画力差があるらしいよ』


おかしな言い回しだな、それ。

ともかく、今後は背景だの仕上げだのに関して、広野の負担は相当軽減するようだ。


「まあ、なんだ。良かったな、宮村」
『うん』


宮村と広野の絆が強くなるほど──

新藤の悲しみは増してしまうのかもしれない。

だけど、宮村たちが幸せになることを嬉しく思う。

それが当たり前のことだ。


…………。

 

……。


それからたっぷりノロケ話を聞かされて、電話を切った頃にはもう就寝時間になっていた。


「あーあ、今夜はなんにもできなかったな」


素材の確認も、勉強もまったく手をつけてない。

明日も学校あるんだから、徹夜でお勉強というわけにもいかないし。


「あきらめて、今日はさっさと寝るか……」

 

ヴィィィィィ……ヴィィィィィ……。


「ハイハイ、今度はなんだろ? ……え?」


と、携帯のディスプレイに表示された名前に驚く。

なんでまたこんな時間に、電話を?

不審に思いつつ、俺は通話ボタンを押した。


…………。


……。


「今、なんて言ったの?」
「いや、新藤には悪いと思うんだけどさ」

 

朝っぱらからこんなところに呼び出されて、新藤はやたらと不機嫌そうだった。

 

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「夕べ、映研のときの仲間から電話かかってきたんだよ」
「それで?」
「ちょっと頼み事をされちゃって」


新藤はなにも言わず、ただじっと俺を見つめて先を促してくる。


「映研で今、学園祭で上映する映画撮ってるんだけど……どうしても手が足りないから手伝ってくれって」


映研の部長は申し訳なさそうでもなく、淡々と事情を説明し、手伝いを依頼してきた。

部から追い出しておいて、勝手な都合で呼び戻そうとしてるんだから、俺は怒ってもいいくらいだが……。


「先輩は引き受けるつもりなのね?」
「仲間が困ってるっていうんだから、見て見ぬ振りはできないよ」
「それで、撮影中断か……」
「ちょっと掛け持ちは厳しいから。でも、これで終わりってわけじゃなくて、あくまで一時中断だよ」
「そう」


自分でも、どこまでが本心なのかわからない。

以前にも新藤に言ったが、映研の連中を恨む気持ちはまたくないし、困っているのなら助けたいと思う。

それは本当のことだ。


「わたしはいいわよ、それでも」


でもきっと、理由はそれだけじゃない。


「こっちだって好きで付き合ってたわけじゃないし、先輩が止めたいっていうなら反対する理由はないわね」


幼い日に走り出した夢を追いかけて、今日まで来たけれど。

俺は新藤を撮影することに、疲れにも似たなにかを感じ始めている。


「だから、わたしのことは気にしなくていいわ」
「怒ってないの?」
「怒る? どうしてわたしが怒らなきゃいけないのよ」


だから、新藤のこの反応は願ったり叶ったりなのだけれど……。

 

「その物わかりの良さがかえって怖いといいますか」
「物わかりが悪かったら、そもそも先輩の撮影に付き合わないわよ。そうでしょ?」


言ってることは筋が通っているものの、どうにも違和感がぬぐえない。


「いいのよ、本当に」


新藤はふっと表情を緩めた。

なんだろう。

とたんに、彼女が少しだけ遠ざかってしまったように思えた……。


「わたしはね。なにかしているほうが楽だと思ったのよ」


彼女の顔には穏やかな笑みさえ浮かんでいる。


「わたし、ずっと楽になることばかり考えてた気がする。でもこのままじゃダメなのね。だって、全然吹っ切れていないもの」


それは俺もそのとおりだと思う。

広野と宮村が並んで歩いているだけで、あれだけショックを受けていたのだ。

彼女はまだ、広野への想いを断ち切れていない──


「もう誰かに引っ張られるんじゃなくて、自分でなんとかしてみるわ」
「それは具体的になにをするの……?」
「そんなの知らないわよ。わかっていれば、とっくに始めてたでしょうしね」


キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。

予鈴が鳴り響く中、新藤は意地の悪そうな顔をした。


「今度は追い出されないようにね。先輩、映画のことになると突然わがままになっちゃうみたいだから」
「新藤……」
「なにをすればいいのかわからないけど……とりあえず、授業に出なくちゃね」


そう言って、新藤は俺の横を抜けて扉に向かっていく。


「………新藤!」


なにを言えばいいのかわからないうちに、彼女を呼び止めてしまう。

新藤は立ち止まり、俺と向き合った。

 

 

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「先輩といるのはけっこう楽しかった。あんたみたいな面白いバカ、めったにいないもの」
「コケにされてるのか褒められてるのかわからないな」


なにも答えずにかすかに笑ってから、新藤は屋上を去って行った。

俺も教室に戻らないとな……。

さて、俺の選択は正しかったのかどうか。

そんなことを考えたりしないように。

映研の撮影と受験勉強に集中するんだ。

今はそれでいい──よな?


…………。

 

……。

 

とりあえず、俺にとっての撮影初日はつつがなく終了した。

ちょこっと緊張してたのがバカみたいだったな。

かつての仲間たちも、名前も知らない新入生たちも屈託なく俺を迎え入れてくれた。

現場は驚くぐらいスムーズに機能してたし、役者たちの演技も悪くない。

頭数は不足してるものの、なかなかのメンツと言えるだろう。

まあ、確かにカメラを任せられる奴はいないみたいだけど。



──「お、そこにいるのはつっつんじゃないですか」

 

「宮村……」


宮村が手を振りながら小走りに駆け寄ってくる。

 

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「奇遇だね」
「おまえ、部活もしてないくせになんでまだ残ってるんだ?」
「図書室で勉強してたんだよ。期末近いしねー」
「おまえでも勉強なんてするのか」
「あ、そうそう。期末でもあたしに負けたら、つっつんは2学期の中間試験まで下僕ちゃんね」
「勝手に決めるね」


というか、既に下僕みたいな状態だろうが。


「その場合、俺が買ったらおまえはどうしてくれるんだ?」
「うわー、エロいこと要求するつもりだよ。最低ー。人間のクズー。品性下劣ー」
「……たぶん、広野の家ではそう遠くない内にドメスティック・バイオレンスが発生すると思う」


こんな女と一つ屋根の下にいたら、いつ暴力に身をゆだねてもおかしくない。


「別にあたしたち同棲してるわけじゃないよ。そんな嬉し恥ずかしなことは……って、あれぇ?」


宮村は素っ頓狂な声を上げて、きょろきょろと辺りを見回す。


「そういえば、景ちゃんの撮影はどうしたの?」
「ずいぶん気づくのが遅いな。今日から、映研の撮影に参加してるんだよ。新藤がなにをやってるかは──知らない」


薄情なようだが、できる限り新藤のことは考えないように。

映画のことだけ、夢のことだけ考えていられた自分に戻るために。


「ふぅーん、そうきたか」


宮村は一人で何事か納得したらしく、うんうんと頷いてる。


「………」


こいつがこういう仕草をするときって、大抵ろくなことがないような……。


「今日の撮影は終わったんだよね?」
「はぁ、まあ一応」
「なら、ちょっと顔貸してもらおうかな」
「いや、俺も勉強しなくちゃいけな──」
「さ、そうと決まればさっさと歩くよーに」


なにも決まっちゃいないのに、宮村はすたすたと早足で歩き始める。


「……はぁ」


下手すると一生、この恐ろしいほどのマイペースっぷりに付き合わされる友人が少し哀れに思えた。

広野よ、強く生きろ。


……。

 

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「あ、もう来てる。やっほー」

 

「子供じゃないんですから、大声を出さないように」


そういって、軽く宮村をたしなめたのは雨宮優子だった。

どうやらこの二人、待ち合わせをしていたらしい。

 

 

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「優子って、変なところで常識人ぶるんだよね」
「少なくともあなたよりは常識を持ち合わせています」
「うん……? そうかな」


雨宮の切り返しに、不満げな顔をしながら宮村は席についた。



なぜここに連れて来られたのかわからないが、俺もとりあえず腰を下ろす。


「というか、非常識な人が二人も私の前に」

「え、俺もこいつと、ひとくくり!?」


それは──今世紀始まって以来の衝撃的な言葉だ。


「まあ、そんな言わずもがなのことはともかく」


ますます酷いことを言われてる……。


「あなたたち、試験も近いのに遊んでいていいんですか?」

「あ、お姉さん。アイスコーヒー2個ね」


人の話を聞かないのはいつものことだが、なぜか俺の分まで勝手に注文してるし。


「それとエビピラフとベイクドチーズケーキも」

「あら、夕食をここでとるんですか?」

「夕食? 家で食べるけど?」


不思議そうに宮村は問い返す。


「こいつ、けっこう大食いなんだよ」

「いいんじゃないですか? 結局、みやこが太って困るのは本人と広野さんだけですからね」

「ふーんだ」


…………。


……。


「1つ訊きたいんだけど」


食事を終えた宮村に向かって、俺は口を開いた。


「なに?」

「元々、雨宮と二人でお茶するつもりだったんだろ?」

「うん、優子が今日は暇だっていうから」

「なんで俺まで連れて来られたわけ?」

「え? 別に理由なんてないよ。思いつき、思いつき」

「思いつきで人の大事な時間を奪うなよ……」


どうして俺までが宮村のマイペースっぷりに巻き込まれなくちゃならんのか。


「堤さん……」

「ん?」

「たとえよく知ってる人でも、わけのわからずについていってはダメですよ。顔見知りによる犯行が起こっちゃうかもしれませんからね」

「どういう意味!?」

「それは大丈夫。俺は殺気──特に女の子の殺気にはかなり敏感だからさ」

「どんな人生送ってきたんですか、あなたは」


それは是非とも雨宮にも訊いてみたいが。


「まあ、あたしを口説いたくらいだからね。相当に見境はないよ」

「へえ、みやこにちょっかいかけたんですか。なんという怖いもの知らずな。虎穴に入らずんば──と言いますけど、本当に虎穴に入ったら食べられますよね」

「………」


虎扱いされた少女は、かすかに眉をひそめて首を振った。


「確か、つっつんは優子も口説こうとしたんだよね」

「え?」

「もしかして、最近の堤くんは年増好みなのかな?」


ぴし、と空気にヒビが入ったような気がした。


「……ふふふ、みやこったら面白いことをおっしゃいますね」


雨宮優子は、にっこりと宮村に微笑みかける。

なんか口調変わってるぞ……。


「あはは、それほどでも」


それに応じるように、宮村も可憐な笑みを見せた。

二人の可愛い女の子が、ニコニコと極上の笑顔を浮かべているというのに。

なぜ、こうも背筋がぞくぞくするのか……。


「……まあ、それはいいんだけど」


ふう、と小さくため息をついて宮村はあっさりと警戒態勢を解いた。


「ええ、決着はいずれつけるとして、とりあえず置いておきましょう」


どうやらこの二人の間では、この程度の応酬はよくあることのようだ。


「つっつんはさ」

「ん?」

「なにがやりたいのかさっぱり理解できないんだよね」


俺を責めるでもなく、淡々とした言い方だった。


「………なにがって言われても。俺はやりたいことやってるだけだし」

「私には話がよく見えないですが」

「あー、簡単に説明すると──」


しなくてもいいのに、宮村はあっさりと撮影中断の件を話してしまう。


「なるほど……でも、いいんじゃないですか?」

「いいのかな」

「新藤さんは中止に反対したんですか?」

「いや、それが全然」


どんな理由があろうと、途中で放り出すことには変わりないのだから、彼女になにを言われても仕方ないと思っていた。

だけど、新藤は──


「あなたも映研に戻りたくて戻ったんでしょう?」
「まあ……ね」


正確に言うと、戻ることに抵抗を感じなかったというところだが。


「だったら、私たちが口を挟むことではないですよ、みやこ」

「そんなの最初からわかってるよ、優子」

「わかってるなら、放っておきましょう」


あくまでにこやかに。

雨宮優子は、優しい口調でさらりとそう言った。


「私たちはこうしてお茶でもしていればいいんですよ」

「そうなのかもね」


宮村は1つ頷いた。


「にしても、相変わらず優子は悟ってるよね」

「悟ってるわけじゃないですよ」


雨宮は笑って首を振る。


「だけど、あんたはあっさり答えを出すよな。まあ、他人事だからかもしれないけど」

「他人事ですけどね、ただ私は──」

「ただ?」

「ん?」


俺と宮村が注目する中、雨宮は紅茶を一口すすった。


「この街の人たちに──優しくしたいんですよ」


…………。

 

……。

 

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既に陽は落ち、あたりはすっかり薄暗くなっていた。

務めを終えて帰宅するところとおぼしき人々の姿もちらほら見える。

もちろん、学生の姿も少なくない。

俺や宮村と並んで歩く雨宮もたぶん学生の一人に見えるだろう。


「みやこはこれからどうするんですか? 広野さんのところに?」

「絃くんは仕事どん詰まりで、すっかり煮立ってて怖いからなあ……」

「あいつ、相変わらずいっぱいいっぱいか」

「うん、だいぶヤバいことになってるね。たまに様子見に行ってるんだけど……。この前はゴミ箱抱いて寝てたよ」

「ゴミ箱!?」

「なんだかわかりませんが、せつない状況ですね……」


かなり意味不明だが、広野が多忙を極めてるのは確かなようだ。


「邪魔したくないから、買い物してお家に帰るよ。優子も来る? ごはん作ってあげるよ」

「ピラフだのケーキだの食っといて、ホントに晩メシも食べるのか」

「夕食は別腹だよ♪」

「おまえ、アホだろう!」

「失敬な、3位のくせに」

「だから3位って言うな」

「それで、優子。どうするの?」


無視するし。


「うーん……」


雨宮は考え込むような動作をする。

彼女が広野だけではなく、宮村とも友達同士だと聞いたときには少し驚いたけど……。

このクセのある二人、これでけっこうウマが合ってるらしい。


「あなたの料理は魅力的ですけど……今日は遠慮しておきます」

「また教会?」

「ふふっ……」

「教会? 教会でなにかあるの?」


前から気にはなっていた。

雨宮優子がよく教会にいるのはなぜなんだろう──と。

黒服の少女は、長い髪を揺らせて微笑む。


「会いたい人がいるんですよ」

「会いたい人……? 誰?」

「追求しても無駄だよ。ぜーったい喋らないもん、優子は」

「だから何度も言ってるじゃないですか。話さないのではなくて、私もわからないんですよ」

「わからない……?」


さっきからわからないことだらけだ。


「わかるのは、私には会いたいと思う人がいるということ。この街に──あの教会にいれば会えるという予感がしてること」

「はぁ……」


おかしな話だ。

まさか、"運命の人"との出会いを夢想してるわけでもあるまい。

だとしたら……。


「私にはね、少し記憶が曖昧なところがあるんです」

「えっ、そうなの!?」

「おまえ、知らなかったのかっ」


雨宮はくすくすと笑って、首を左右に振った。


「そんなに大げさなものじゃないですから」

「で、でも。記憶が曖昧って、脳がどうにかなっちゃってるってことじゃ」

「あなたは頭はいいのに、発想がおかしいですね」

「うっ」


世にも珍しい光景だ。

あの宮村みやこが押されている。


「記憶は大切ですけど、今の私にとって絶対的なものじゃないんですよ。過去の出来事を忘却しても、想いまで消えたわけじゃありません」


とん、と地面を蹴って、雨宮は俺たちから離れていく。

 

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「この想いがあるから、私はここにいるんです」


やっぱり──

雨宮優子はどこか変わっている。

新藤や宮村とは違う意味で、普通とは違う。

どんな経験をしたら、ここまで確信に満ちた言葉を紡げるのだろう。

気持ちが揺らいでいる今の俺には、それがわからない。


…………。

 

……。



 

どんな悩み事を抱えていようが、学生である以上は勉強からは逃げられない。

晩メシの後、寝るまではひたすらに机に向かうことができる。

今は仕事を仲間と分担しているから、家にまで作業を持ち込まなくて済むのだ。

世界史の問題集の空欄をぽんぽんと、テンポよく埋めていく。

手を動かすことだけに集中する。

これもまた、やらなければいけないことなんだ。

だから、勉強に没頭することは──逃避じゃない。


…………。


……。

 

うっとうしいほどの蝉時雨が耳の中で響きまくっている。

まだ7月だっていうのに、この暑さはなんだ……。


「はー、やれやれ」


などとぼやいてみても始まらない。

 

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熱心な監督さんは、寸暇(すんか)も惜しんで撮影を進めるつもりらしく、昼休みにまで映研部員には招集がかけられている。

それくらい多忙なほうが、俺にとってもありがたい。

昼間は授業と映研の活動。

部長のディレクションに従ってカメラを回し、夜は勉学に励む。

それだけの日々がしばし続くことになる──


…………。


……。

 

 

キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。


何事もなく──とは言えないけれど、今日も授業が終わった。

わたしのような成績が不自由な生徒は、いつ指名されるかと、授業中は常にビクビクしていなくてはならない。

進学校である音羽は、2年生の現時点でもレベルが高い上に、指名されないようなヌルい授業はほとんど存在しない。


「ふう……」


ホント、疲れるのよね。

ついでにストレスも溜まる。

またひったくりでも現れてくれないかしら。


「…………」


物騒な話だけど、誰でもいいから殴りたいような気分だった。

図書室で勉強していくという友人たちと別れて、わたしは一人で学校を出ていく。

試験勉強はしなくちゃいけない。

特にわたしは人の何倍も勉強しないと、夏休みは補習漬けになるかもしれないんだから。

なのに、なにをしてるんだろう……。

……。


「あ」


ポケットの中で携帯が鳴っている。

携帯が鳴るたびに、わたしの心臓はどくん、と大きく跳ねる。

期待しているのかもしれない、あの人から電話が来るのを。

ケンカ別れしたわけではないのだから、かかってきてもなんの不思議はない──

そんなことまで考えてしまっている。


「……バカよね」


小さく首を振って、ポケットに手を入れた。


…………。


……。

 

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室内は、エアコンで快適な温度に保たれている。

去年の今頃は、熱気のこもった体育館で、立てなくなるまで練習していたのが嘘のように思えてしまう。

ここは天国だ。

だけど天国では──人は際限なく堕落するのかもしれない。


「ふあー」


一心不乱に参考書と向き合っていたミズキが、急に変な声を出した。


「どうかしたの?」
「いえ、ちょっと……その、一休みしませんか?」
「あのね、まだ始めたばかりでしょ」


わたしは呆れながら言った。

さきほどの電話は、ミズキからだった。

景先輩、わたしも試験が近いので一緒に勉強しませんか──

その誘いを断る理由をわたしは思いつかなかった。


「先輩の部屋って落ち着くんですよね。なんかいい気分になっちゃって、勉強が手につかなくなると言いますか」
「なによ、その理屈は」


苦笑せざるをえない。

わたしが部活をやめた春頃から、こうしてミズキはちょくちょく我が家を訪ねるようになった。

以前は、少女漫画を集めてることがちょっと恥ずかしくて、この部屋に人を招きたくなかったけど……。

最近は、そんなこと思いっきりどうでもよくなってしまっている。

 

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「ああ、もっとここに入り浸りたい……。むしろ、景先輩と半同棲したい……」


妙に中途半端な願望ね……。


「あんた、呑気なこと言ってて大丈夫なの? 推薦取るつもりなんでしょ?」
「大丈夫じゃないから、こうして現実逃避してるんすよー」
「あのねえ、ミズキ」


この子、決して成績は悪くないらしいのに、どうしてこうなんだろう。


「わたしだって勉強したいんだから、あんたがダラけてるとやる気なくしそうよ」
「ああ、大丈夫ですって。試験の1つや2つ、案外どうにでもなるものですよ?」
「コロコロ意見を変えないでよ。こっちが混乱するでしょ」
「そうだ、景先輩」


いきなり真面目顔になるミズキ。


「わたし、従兄がいるんですよ。1つ年上の男の子」
「なんの話よ?」
「そいつ、なぜか友達ができないんです。本人には言いませんが、性格は特に問題ない──というより、けっこういい奴なのになぜだか不思議なことに」
「性格悪かったらまだあきらめもつくでしょうに、せつない話ね」
「ええ」


ミズキは満足そうに笑いながら、何度も頷いた。


「そのイトコ君がどうかしたの?」
「ええと──なんでしたっけ?」
「わたしが知るかよ!」
「先輩、起こった顔も素敵です。ああ、デジカメ! デジカメはどこですか!」
「………」


頭が痛いのは冷房のせいじゃないと思う。


「あ、そうそう。そいつは友達いないですけど、独りぼっちじゃないんですよ。あたたかい家族と、優しくて可愛くてちょっぴりおしゃまな従妹がいますからね」
「いったいなにが言いたいのよ、あんたは」
「極地の果てで生きてるんじゃないんですから、人はひとりになんてなりません。というより、ひとりになんてなれないんです。みんな、どこかで繋がってるんですから──」


ミズキは、ぱあっと満面の笑顔を咲かせる。


「………。わたし、時々わからなくなるわ。あんたって、何者なの?」
「わたしはわたしですよ、景先輩」


…………。


……。

 

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数ヶ月前──そう、たったの数ヶ月だ。

この道を最後に辿ったのは。

だから、たとえ目を閉じていても目的の場所にたどり着ける。


「……なにしてるんだろ、わたし」


ミズキを交えて家族と夕食をとり、あの子が帰ってからもなぜだか気分が落ち着かない。

わたしはひとりじゃない。

たぶんミズキの言うとおりなんだろう。

だからといってお兄ちゃんの家を訪ねてどうするのよ?

それでなにがどうなるの?

わたしだって、ひとりは嫌だ。

でも、本当に望んでるのは──お兄ちゃんと一緒にいたい。

お兄ちゃんと繋がっていたい。

わたしが心から望んでいたのはきっとそれだけ。

でも、どうにもならないとわかっている。

ううん、どうにもならなかった──と言うべきね。

だから足が止まってしまう。

治ったはずのヒザがちくりと痛い。


「バカやってないで、帰ろ……」

 

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「……ん?」


誰か来る……。

こんなところで立ち止まってたら、怪しまれそうだ。

わたしは踵を返そうとして──


──「あれ、もしかして」


「えっ?」


暗闇の向こうから響いた声に動きを止める。


「やっぱり景ちゃんか」
「宮村先輩……」


…………。

 

……。

 

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あたりから、虫の声がいくつも重なって聞こえてくる。

宮村先輩に誘われて、こんなところに来てしまったけれど……。

いまさら、この人となにを話せばいいんだろう。


「さすがにこの時間になると、風が涼しいね」
「……そうですね」


なんだ、この状況。


「そんなにカタくならないでよ……って言っても無理かな? ちゃんと話すのってすっごい久しぶりだもんね」
「宮村先輩と話をする理由が無いですから」


どうして声が尖ってしまうんだろう。

こういう態度を取ることは、わたしがまだ過去を引きずってる証拠になってしまうのに。


「景ちゃん……。あたしが嫌い?」


なんだ、このバカ。

くだらないことを訊かないでほしい。


「ああー」


宮村先輩は突然がっかりしたような声を出す。


「なにを口走ってるんだろうね、あたし。自己嫌悪、自己嫌悪」
「そういうふざけた態度が──」


──ダメだ。


熱くなりかけた頭を、ぶんぶんと振る。

この人の前に立つと、どうしても自分を抑えきれなくなってしまう。

そうなったらわたしの負けだ。

よくわからないけど、そう思う。


「あなたは人を困らせて喜んでるんですよね。こっちが怒れば先輩を喜ばせるだけ」
「それは否定しないけど」


しろよ。


「……わたしをここに引っ張ってきた理由はなんですか?」
「景ちゃんと話をしたかったんだよ」
「お兄ちゃんの代理を気取って、わたしを慰めようっていうんですか?」
「まさか、そんなわけないよ。それとも景ちゃんは誰かに慰めてもらいたいのかな?」


……なんだと?


「あたしは景ちゃんを可哀想だなんて思わないし、謝ったりもしないよ」
「当たり前です。宮村先輩に謝られるなんて──」


突然、頭が沸騰する。

かつて感じたことのない激しい怒りだった。


「謝られる筋合いなんて──そんなもんないわよ!」


一度も謝ったりしなかったから、わたしはまだこうして宮村先輩と話せるんだ。


「もし頭なんか下げられたら、それこそあんたを許さないわ!」


もし謝られたら。

わたしはあまりにも惨めすぎるから。


「それでこそ景ちゃんだ」
「……は?」
「そういう強気な景ちゃんが、あたしは好きだよ」
「な、なにを言って……」
「あたしの友達にね、ずっとひとりの人を想い続けてる女の子がいるの」


くすりと宮村先輩は笑った。


「景ちゃんはその子と同じだ。強い……すごく強いと思う」


わたしが強い?

こんな、いつまでもウジウジしているわたしが?


「もしかしたら堤くんが撮りたいと思ったのも、景ちゃんの強いところなのかもね」
「堤先輩が……」


強さを持ってるのは堤先輩や……悔しいけど、この宮村先輩のような人。

ずっとそう思っていたけれど、わたしにも?

本当に……?


…………。

 

……。

 

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今日も空は晴れ渡り、澄んだ朝の空気が胸に心地いい。

気分も晴れ晴れ──というわけにはいかない。

わたしは窓際から離れ、パソコンの前に座った。

 

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「……なにを書こうか」


以前なら、早く目が覚めた朝は自主練に行くのが当たり前だった。

もちろん、学園に行く前に寄り道して、ねぼすけを起こしてからだけど。

2つの習慣がわたしの生活から消えてしばらく経つというのに、まだ時間の使い方がわからずにいる。


「あー、もう!」


また昔のことを振り返ったりしてる。

前を向こうと決めたのに、どうしてこうなってしまうんだろう。


「今のわたしにできることといえば、メールを書くくらいか」


でも、なにを書けばいいんだろう?

こんなわたしでも慕ってくれる妹に。

今のわたしがなにを書いても、千尋を落胆させるだけのような気がして仕方ない。


「ふぅ……」


ダメなお姉ちゃんでごめんね──


…………。


……。


あー、もう完全に遅刻だ。

いや、授業には余裕でセーフだけど、撮影開始には絶対に間に合わない。

鬼女と化した監督の顔が目に浮かぶ。

監督だけじゃなくて、映研の皆が出戻りの俺にも屈託がないのはいいんだが、怒るときも遠慮がないのは困りものだ。


……待てよ?


「どうせ遅刻なら、ゆっくり歩いても急いでも同じこと……。なーんてわけにもいかないんだよな」


ああ、なんといまわしい。


「……ん?」

「あっ」


朝の通学路をゆく彼女の顔を見た途端──

遅刻うんぬんは完全にどこかへ吹っ飛んでしまった。

 

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「堤先輩……」
「新藤、えっらい早いな」
「ちょっと早く目が覚めたから。家にいてもやることないしね……」


いつもながら、どこか様子がおかしい。


「どうかしたの?」
「どうもしないわよ。それより先輩、急いでたんじゃないの?」
「あー、そうだった。いや、映研の部長兼監督のおねーさんが君とタメ張るくらいのサディストでさ、遅刻でもしようものならムチが飛ぶからね」
「ムチはともかく……朝っぱらからわたしにケンカ売ってるの?」
「いえ、とんでもない」


俺は首がもげそうなほど左右に振る。


「先輩は元気そうね。映画撮ってればそれでオッケーなんだから単純なもんよね」
「ひょっとして、君も俺にケンカ売ってる?」
「だったらどうする?」
「俺は女の子と取っ組み合いするのはベッドの上だけと心に決めて──」


──ッ!


「ぐあっ!」


新藤の華麗なレバーブローが炸裂。


「さわやかな朝を台無しにするようなことを言わない」
「ぐうぅ……すいません……」


どういうわけか、こんな他愛ないやり取りがひどく懐かしい気がする。

撮影中断して、まだ3日も経ってないというのにな。


「……なによ、そのおかしな顔は」
「ひどいな、これでもそこそこ自信あるのになー」
「そういう意味じゃなくってっ……あー、もういいわ。あんたと話してると頭痛くなってくる」


うわあ、完全に呆れられてます。

呆れられてるけど、やっぱり新藤と話すのは楽しい。

どうでもいいようなことが楽しく思える──というのは、本当に珍しい。

今まで付き合ってきた女の子たちとも、それなりに楽しく過ごしてきたけれど……。


「景ちゃん……」
「景ちゃんって呼ぶな」


文句を言いながらも、新藤は俺の言葉を待ってくれている。


「抱きしめていい?」
「いいわよ」
「えっ? マジで?」


これはあまりにも意外な反応だ。


「後で、岩を抱きしめて海に沈められてもいいのなら」
「調子に乗ってました、すいませんすいません」


さすがに抱きしめるだけじゃ、冥土のみやげにするにはちょっと物足りない。


「いいからさっさと行きなさいよ。また追い出されたくないんでしょ?」
「………」
「行きなさいよ。わたしは大丈夫だから」


そんな風に笑われると、かえって後ろ髪を引かれてしまう。


「先輩には戻る場所が、必要としてくれる人がいるんでしょ?」
「……うん」


俺は頷くしかなかった。

他にどうしようもなかった。


…………。

 

……。

 

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だん、だんと2回ドリブルをする。

それがシュート前のわたしのクセであり、同時に儀式でもある。

これをやらずにシュートして、一度たりともボールがリングをくぐったことはない。

指からつま先まで、全身の神経をコントロールするようなつもりでシュートフォームに移行する。

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シュッ……。


「ダメ」

 

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つぶやきと同時にボールは、ボードに当たって跳ね返り、あらぬ方向へ転がっていく。

 

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一度くらいまぐれで入っても良さそうなものなのに、すっかりバスケの神様に嫌われてしまったらしい。


「わたしは、どうだろう……」


今でもバスケの神様を愛してるだろうか。


──「あらら、惜しかったですね」


「──!」


素早く身を翻し、背後に現れた人物と向き合う。

 

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「……あ。雨宮優子……さん?」
「一度お会いしただけなのに、覚えていてくれたんですね」


そういって、彼女は嬉しそうに笑った。


「夏だっていうのに、そんな暑そうな格好した人を簡単に忘れるわけないでしょ」


それと、この人には妙な雰囲気があるせいだろう。


「暑そう……ですか?」
「見てるだけで汗が出てきそうだわ。別にシスターでもないんでしょ、あんた」
「ええ、善良な一般市民です」
「シスターも善良な一般市民だと思うけど……どうしてそんな格好してるの?」


ご丁寧に手袋まではめてるのは、正直どうかと思う。


「まあいいじゃないですか。ほら、どことなくミステリアスな雰囲気出てるでしょう?」
「演出なのかよ!」


また頭が痛くなるキャラが出てきたわね……。


「それはさておき。ダメですよ、授業をサボっては」
「不法侵入してる部外者に言われたくないわね」
「部外者ってわけでもないですよ。なにせ、私はここに在籍してたことがありますから」
「え、音羽のOBなの?」
「それを言うならOGでしょう」
「う、うるさいわね。ちょっとしたミスでしょ」


細かいことをいちいち指摘しないでほしい。


「まあ、実は色々あって……卒業はできなかったんです。あなたのお兄さんと同じような立場ですね」


そういって、雨宮優子はにっこりと微笑んだ。


「お兄ちゃんは、別にわたしのお兄ちゃんってわけじゃないわ」
「面白い人ですね、あなたは」
「いちいちうっさいわね」


なぜか押されてしまってるのが癇にさわる……。


「あなたも、広野さんも堤さんもみやこも、揃いも揃って面白いですよね」


宮村先輩とも面識あるのか、この人。


「この学園、特殊な教育カリキュラムでも組んでるんでしょうか? これだけ続々と変人が量産されるって、ちょっと尋常じゃないですよ。なにか裏があるとしか思えません」
「あんたもここの生徒だったんでしょ!」


どいつもこいつもわたしを怒らせて楽しんでるんじゃないだろうか。


「新藤さん」
「なによ」


というか、この人はなんの用で来たんだろう?


「あなたのシュートがどうして入らないか分かりますか?」
「……決まってるわ。わたしがヘタクソだからよ」
「なるほど、あなたはそう思ってるわけですか」


バカにしたような口調だった。


「それもあるでしょうけど、たぶん違いますね」
「あなたになにがわかるのよ」
「新藤さん、あなたは……」


雨宮優子はそういって、おもむろに転がっていたバスケットボールを拾い上げた。

そして、明らかに素人とわかる構えを取ると。

 

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「よいしょっ……」


妙な気合いとともにシュートを放った。


「……あ」


フォームはめちゃくちゃだったけど、それでも──

軽い音を立てて、ボールはゴールを通り抜けていった。


「あら、意外と入るものですね」
「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

 

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「あなたはね。シュートが外れることを恐れているんですよ」
「そんなくだらない精神論なんて聞きたくないわ」
「でも本当のことですよ」


ぶちん、とどこかが切れたような音をわたしは確かに聞いた。

じわじわと、胸の奥から熱いなにかがこみ上げてくる。


「あなたは一度傷ついてしまったから。だから、また傷つくのが怖い。ほしいものが手に入らないことを恐れて、今はなにかを求めることに腰が引けてしまってるんです」
「あんたに……」


二度会っただけのこんな変な女に……。


「あなたは自分がまだ立ち止まっていることを、怖がってることを認めていません。そうでしょう?」
「あんたなんかに……」
「やり直す、なんて口で言うのは誰にだってできます。新藤景さん、あなたはいつまでも同じところで足踏みしてるんですよ。いつか、誰かが手を引いてどこかへ連れて行ってくれることを望みながら」


雨宮優子は鋭く手首を返し、ボールをわたしに向けて放った。


「……!」


ばしっ、と甲高い音とももにボールを受け止める。


「甘えてるんじゃないわよ、お嬢ちゃん」


なにもかもが弾けそうになる。

 

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わたしは唇を噛み、目を固くつむった。


「……………っ! 勝手なことばかり言わないでよ!」


怒りとともにボールを叩きつけ、開いた視界の中には──


「……え?」


誰の姿もなかった。

ただ、床の上をボールがころころと転がっている。


「な、なに?」


もちろん、わたしの疑問に答える声はなかった。

いったい、なにが起こったのか理解できない──

だけど、1つだけ確かなことがある。

雨宮優子は、真実をえぐり出してきた。

わたしのことなんて、なにも知らないはずのあの女が──

頭の中を凶暴な感情が駆けめぐっている。

雨宮優子への怒りだけじゃない。

あんな女に指摘されるまで、真実を埋もれさせていた自分に対するどうしようもない腹立たしさだった。


……。