ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the first tale.【11】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


--------------------

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123550j:plain

「つっつーん」
「……」


ハムタマゴサンドを持った手がぴたりと止まった。

たまに孤高を気取ろうとするとこれか。


「なに、ひとりでお昼? わびしいねえ。もしかして、友達いないの?」
「そんなわけないだろ」


友達なら学年や男女を問わずに、少なからずいる。

宮村はわかっててそういうことを訊くからタチが悪い。


「俺に用でもあるのか?」
「あ、そうだ。さっきね、教室に映研の人が来てたよ。つっつんに用があったみたい。美人だけどキツそうな人」
「ああ、鬼監督の人だそれは」
「物凄く怒ってるみたいだったけど、もしかして病気でもうつしちゃったの?」
「人をウィルスみたいに言うな!」
「あの人って、つっつんの前の彼女じゃないの? 君のことだから、別れてからもしつこくイヤガラセとかを」
「なーんもしてないっての」


俺は別れた女には、指一本触れない主義だ。

触れ合うことで、未練や後悔が生じるのが怖いんだと思う。


「今は、撮影すっぽかしてサボってるだけ」
「……なに考えてんの?」


宮村が呆れるのも無理ない。

自分でもなにをしてるんだかバカバカしくなってしまうくらいだ。


「俺はさあ、ガキの頃からずーっと映画撮りたくて仕方なかったんだよ」
「うん?」


きっかけは、母と過ごした最後の時間に観たあの映像。

そして、映画を撮ることをただ一つの夢として追いかけることを、自分の意志で決めた。


「俺は映画だけ撮っていようって思った。そのことだけ真面目にやって、他のことは適当でいいやって」


だから、彼女を作っても長続きしなかった。


「うーん……?」
「徹底しなきゃ、夢は叶えられない。いや、簡単に叶う夢なんてほしくもないんだ」
「むむむ……?」
「あのさ、その変な合いの手やめて」
「あいよ」


宮村はふざけた返事をしつつも、真面目な顔を作った。

話す相手を間違えてるかもしれないが、宮村は案外真剣に聞いてくれているのかも。


「簡単に叶う夢なんていらない。それで?」
「それでいいと思ってたのにな。最近は確信が揺らいできてるんだ」
「別に夢ばかり見てるのは悪いことじゃないと思うよ。まあ、ただ」
「ただ?」
「夢だけ追いかけてればいいって思い込んで、それを絶対的なものにすることはないよ。人の気持ちは変わっていくものなんだから」
「もののわかったような言い方だな」
「なんとなくだけど、わかるよ」


夏の太陽が降り注ぐ下で、宮村は微笑む。


「仕事だけが大切だった絃くんが、あたしも選んでくれたから」
「そうだったな……」
「堤くん。堤くんが求めてるものは、なに?」


そんなものはわかりきっている。


「やっぱりいい映画を撮ること。それと……」


──「見つけたーっ!!」

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123558j:plain

ドアが乱暴に開かれた音に続いて、鳴り響いた怒声。


「け、景ちゃん?」


俺よりも宮村のほうがぎょっとしている。


「宮村先輩もいたんですか……まあいいです」

「新藤、またまたなにか怒ってないか?」

「あの女、言うだけ言って消えやがったからよ……」


なに言ってるんだ、わけわからん。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123604j:plain

「京介先輩!」

「はい!」


な、なんか呼び方が変わってるぞ。


「話があるの。ちょっと来てもらえない?」

「話って……穏やかじゃなさそうだな」

「いいから、来るの来ないの? 宮村先輩と喋ってるほうが楽しい?」


ずいぶん噛みついてくるな、今日は。

今日も、か?


「あー、いいよ。あたしのほうのお話はもう終わったから。んじゃーねー、景ちゃん」


宮村はひらひらと手を振って屋上から出て行った。

俺には挨拶無しかよ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123608j:plain

「で、邪魔者は去ったわけだけど……移動する?」
「いえ、ここでいいわ。すぐに話は終わるから」


新藤は小さく息を吐き、考え込むような表情になる。


「新藤、どうかしたの?」
「ええ、どうかしたわよ思いっきり。なんなのよ、あの雨宮優子って人は……」


そういうことか。

雨宮ってさりげなく口が悪いけど、なにを言ってこの子を挑発したんだか。


「京介先輩」
「うん?」
「放課後、付き合って」
「放課後? と言われても、映研の撮影が……」


ぎろり、と新藤の鋭い視線が向けられてくる。


「一度くらい、わたしのわがままに付き合おうとか思わないわけ?」
「わがままねぇ……」


こっちの勝手な都合で新藤を撮影に引っ張り出したのだから、彼女に借りがあることは間違いない。

俺はその借りを返さなくてはいけないが……。


「それで、付き合うって具体的になにを?」
「走るのよ」
「はしる?」


首をひねる俺の前で、新藤はこくりと頷く。

彼女のその顔には確かな決意がありありと浮かんでいた。

なにを決めたのかまではわからないけれども。


…………。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123613j:plain

「はーっ、はーっ、はあ……」
「ほら、いつまでくたばってるのよ」
「そ、そんなこと……言われたって……」


走る、というのはそのままの意味だった。

放課後になり、一旦帰宅して運動着に着替えてきた新藤と公園で待ち合わせて。

そこから死のロードが始まった──


「い、いったい何キロくらい走った……?」


普段ろくに運動してない身で長距離走はヘヴィすぎます。


「たぶん10キロくらい」
「じゅ、10キロぉ!?」
「わたしもさすがにちょっと疲れたけどね」


ちょっと!?


「君だって、ここんところくに運動してなかったろ? いきなりその距離は……」
「平気よ、ペース落として走ったから」
「にしたって、無理が過ぎるだろ。俺の子供を産む大事な身体なのに、なにかあったら」
「だ、誰がよっ!」
「冗談だってば。こういう冗談は苦手なんだね」
「先輩の冗談がタチ悪いのよ!」


そういう新藤は耳まで赤くなっている。

ふーん、可愛いもんだな。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123617j:plain

「まったく、あんたは……。どういう育ち方したら、そんな性格になるのよ」
「それはその内じっくり語ってもいいけどさ。真面目な話、ヒザはどうなの?」


いくらなんでも急に走りすぎだと思うんだが。

健康な身体でもどこかに故障が出たっておかしくないくらいだ。


「………」


新藤は唇を尖らせたまま、ちらりと視線を下げた。


「痛くはない……わね」
「いまいち自信なさげだね。どれ、ちょっと診てあげよう」
「どさくさにまぎれて触ろうとするな!」


残念、見破られたか。


「でも本当に痛くないの? 景ちゃん、意地張ってないだろうな?」
「景ちゃんって呼ぶな」
「つーか、考えてみれば運動する前に病院行って検査受けとくべきじゃないの?」
「病院はイヤよ」
「大丈夫ぢゃお、お注射はしないから」
「子供かわたしは!」


まあ、それほど心配することもないか?

異常がなかったからこそ、あれだけの距離を走れたんだろうし。


「けど、本当に。全然痛くないのよ。自分でもびっくりするくらいに」


そして、新藤は小さくため息をついた。


「なのに、またある日突然ヒザが壊れちゃうんじゃないかって疑ってる自分がいる。ダメね。いつからこんな弱気になっちゃったんだろう」
「いいんじゃないの? 誰にだってそういうのあると思うよ。口に出す、出さないはともかく」
「……うん」


なんか素直になってきたな。

これはこれでオモシロ可愛いんで、オッケーだけど……。


「怖くても、君はもう一度走るつもりなんだろ?」
「……どうかしら」
「やっぱりまだ決めきれない?」
「まだ殴られ足りないのかもしれないわね」


すたすたと歩いて、新藤は俺の目の前に立つ。


「京介先輩もわたしを殴ってくれる?」
「まさか」


俺は首を振った。


「俺には君を殴れないし……そんな理由もない。それに、俺じゃ君の目を覚まさせることなんてできないよ」
「そうかもね……。あなたは、わたしにとってカメラの向こうの人だから」


……それは俺にとっても同じだ。

新藤景という存在は、あくまで被写体でしかなかった。


「だけど、今は。今は、先輩の手にカメラは無いわ」
「ああ」


ここにいるのは堤京介という一人の人間であり、新藤景もカメラの中の存在じゃない。


「もう1つだけ……わがままを言わせて」
「わがまま?」
「わたしを見届けてほしい。走り出して、もしまた倒れるなら──その瞬間も見ていてもらいたいの」
「……なんで俺に?」
「誰でもいいのかもしれないわね」
「って、おいおい」


さすがに誰でもいいとか言われると悲しいものがある。


「冗談よ」


新藤はそう言って、小さく笑った。


「きっかけを作ったのは結局あんたなのよね。先輩がいなかったら、わたしはまだなにもしないままだったと思う」
「俺はただ君を見てただけだよ。それも、離れたところから」
「それでもいいのよ。先輩のおかげでわたしは色んなことがわかったから」


本当に俺はなにもしていない。

そして、なにもしていなかったことが──なぜか少し悔やまれる。


「きっかけをくれた先輩が──これからもわたしを、見ていなさい!」
「命令なの!?」


さっきはわがままを聞いてくれ──とか、お願い口調だったのに。


「それとも、映研の撮影がそんなに楽しい?」
「いや、楽しいかって言われたら微妙だけどさ」
「わたしの撮影は?」
「楽しくないわけないだろ。そうでなけりゃ、君を撮らせてくれなんていわなかったよ」
「正直なのはいいことだわ。ひねくれたことばかり言ってたら、大事なものを逃しちゃうからね」


もしも彼女が素直に自分の気持ちを広野に告げていたら──

短い間でも幸福な夢が見られていたかもしれない。


「だったら楽しいことを、やりたいことをやればいいじゃない。わたしもそうするから」


だけど、新藤景は幻想を乗り越えて目の前の現実に立ち向かおうとしている。

たぶん、俺が体育館で新藤を見たあのときも。

辛いことがあっても、彼女は歯を食いしばって戦ってきて。

そして今、新藤の目には進むべき道が見えてきているのだろう。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123628j:plain

だったら、俺は……?


でも、映研を裏切れない


俺が新藤を撮りたいと思った気持ちは本物だと思う。

だけど……。


「やっぱり映研のほうが気になるの?」
「まあ、ね……」
「意外と律儀なのね。わたしもそういうのは嫌いじゃないし、大事なことだと思うけど……」
「一度は引き受けたことだからさ。簡単に『ハイ、やめます』っていうわけにもいかないよ」


自分の心がどちらに傾いているのか。

それは既に自覚しているけれど、本当にそっちを選んでしまっていいのか──


「結局、最後は先輩が自分で決めることよ。でも……わたしを撮りたいって言ったのは、本当は軽い気持ちだったの?」
「そんなわけないだろ」


思わず声がうわずってしまう。


「これだけははっきりと言える。いいかげんな気持ちで君を追いかけようと思ったんじゃない。俺はいつだって本気だったよ」


彼女を撮りたいという気持ちは以前よりも強くなっているくらいだ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123637j:plain

「だったら……だったら、もう一度始めてよ」


もう一度……。

俺の向けるカメラの先に──彼女がいてくれるのか。


「最初にわたしの背中を押した先輩が、一緒にいてくれるなら──止まらずに、走っていけるような気がするのよ……」


そう言うと、新藤は赤面して黙り込んでしまう。

そうだ。

きっと新藤にとっては再び走り出すことも、こうして俺を誘うことも決して簡単なことじゃない。

勇気を振り絞ってる彼女に対して、俺は一歩引こうとしている。


「まったく、バカだな……」
「な、なによ。バカ呼ばわりすることないでしょ! ……バカなこと言ってるとは思ってるわよ。でも、あんたに言われたく──」
「そうじゃないよ」


首を左右に振って俺は否定する。


「バカなのは俺のほう」
「は?」


俺がやらなければならないのは、引くことではなく新藤の背中をもう一度押すことだ。


「映研は大事な居場所だったけど……そうだな、俺がやりたいことはあそこではできないんだな」
「先輩……?」
「部長に言うのが憂鬱だなあ。マジで怖いんだよ、映研のボスって」


俺は冗談っぽく言って、彼女に笑いかける。


「じゃあ、京介先輩」
「映研の撮影が終わるのなんて待ってられない。今の君を撮りたい。いいかな?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123645j:plain

「……本当にバカね」


また顔を赤くして、新藤は怒ったように言った。

照れ隠しが下手だな、この子は。


「最初からそう言えばいいのよ。バカ」
「おっしゃるとおりで」


たぶん、俺の気持ちはずっと前から決まっていたんだと思う。

彼女が勇気を出してくれなかったからそんなことにも気づかなかったんだ。

やっぱり新藤は強いよな……。


「じゃあ、もう少し走るからね。ちゃんとついてきなさい」
「はいはい」
「返事は一度!」
「はーい」
「バカっ」


……なんと言われてもいい。

映研の仲間たちに罵られたってかまわない。

新藤のそばこそが、俺の居るべき場所なのだから。


やっぱり新藤を撮りたい

俺の気持ちはとっくに決まっていて、今も変わることなく在り続けている。

だったら……。


「それなら、俺からお願いするよ。もう一度君を撮らせてくれ。君が走る姿を、俺は撮りたい──」
「ちょうど良かったわ」
「へ?」
「カメラ、持ってるんでしょ?」
「ああ、それは」


カバンの中にはいつも入れてあるし、バッテリーもテープも十分のはず。


「まだまだ走り足りないからね。もっともっと走るわよ」


新藤は不敵な笑みを見せて、そう宣言した。


「100メートルダッシュ、10本ね」
「まだやるのか……。って、もしかしなくても俺も併走するの?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123650j:plain

「わたしを撮りたいんでしょ? それくらいはやってみせるわよね」

ああ、景ちゃんの笑顔がまぶしい。

色々と先は大変そうだけど。

これでいいかな、と安心してる自分がいる。

ただ──

本格的な撮影再開の前に、やらなくてはいけないことがある。


…………。

 

……。


撮影を終え、帰宅したところで携帯が振動した。


予想外──いや、そうでもないか。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123654j:plain

「あい、もしもし」
『それじゃあ、さっそく聞かせてもらおうかな』


挨拶も前置きもなく、彼女はそう言った。


「明日、学校で話すって言ったのに」
『なによりも時間を惜しめ。あたしたちが映研に入部したときに、教わったことでしょ?』
「よくそんな昔のこと覚えてるな」
『京介が忘れっぽいのよ』
「そうかもね」


もっとも、教わるまでもなく映画撮影に関わっていれば時間を大切にするようにはなる。

撮影は、天候や時間に大きく左右されるのだ。

のんびりしていては、いい画を撮る機会を逃してしまう。


『昼休み、撮影をすっぽかしたのは許してあげてもいい。いいけど、あんたの話っていうのはなに?』


今日の放課後は撮休──役者の都合のために撮影は休み──だった。

授業が終わると、俺は彼女に連絡を入れ、昼の撮影をすっぽかしたことを詫び、明日の朝に話があると伝えておいた。

すぐに新藤に拉致られたので、詳しいことを話す暇はなかったが。


「時間を大切にしようと思ったんだよ」
『わかりやすく喋りなさい。これも先輩たちに教わったでしょ?』
「あいにく、俺はあまりものわかりのいい後輩じゃなかったからね」
『でも有能だった。それもとびっきりね』
「ほー、君にそんなこと言われたのは初めてだ」
『あんたの場合、褒めても叩いても無駄でしょ。誰がなにを言おうと自分のやりたいようにやるだけなんだから』


話だけ聞いてみると、宮村みやこも真っ青のマイペース野郎みたいだな。


『今度もそうなんでしょ……?』
「ああ」
『京介は、やりたいこと見つけちゃったのね』
「ああ、見つけたよ。今度こそ本当に」


新藤景を撮りたい──あの子と一緒に時間を過ごしたい。

俺にとってはただの役者という枠を越えて、新藤は大きな存在となっている。


「俺は映画のことばかり考えて、現実を見てなかった気がする。映画そのものは虚構でも、それに関わるのは生身の人間なのにな」
『今頃それを理解するようじゃ、あんたも相当に鈍いね』
「まったくだ。だから映研にも迷惑をかけちゃったな」
『そうね、これ以上現場をかき回すわけにはいかないわ。京介、あんたはやっぱりクビね』
「……ありがとな」


本当にありがたいことだ。

出たり入ったり、俺の勝手を許してくれるというのだから。


『みんなにはあたしのほうから適当に言っておくから、余計な挨拶とかいらないからね』
「わかった」
『二度と戻ってこないでよ。あたしもあんたのこと、もう絶対あてにしないから』
「……ああ」
『だから、あんたは……』


一瞬の沈黙。

彼女が小さく息を吸う音が聞こえた。


『ちゃんと最後まで自分の映画を撮りなさいよ』
「ああ、わかってる。わかってるよ……」
『戻ってきたって……仲間になんて入れてやらないから』


心なしか、彼女の声はわずかに震えているようだった。

ふと思った。

もしかして、映研に俺を呼び戻したのは彼女の独断だったのではないかと。

彼女はたぶん、俺のことを本当に想っていてくれていた……。


「ごめん、な」
『バーカ、謝るな』


映研の仲間同士だったとき。

恋人として付き合っていたとき。

もっと彼女に優しくしていればよかったかもしれない。


『じゃあね、頑張れよ』
「そっちも」


後悔するには遅すぎるから、もうなにも言わずに電話を切った。

彼女との時間は取り戻せない。

だからせめて、これからのことを考えよう。

俺と同じような状況に陥って、それでも真実から目を逸らさない強さを持っていたあの子のことを。

新藤景のことだけを──


…………。


……。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123659j:plain

「うおおおおぉ……」
「変なうなり声出さないでよ、みっともない」
「んなこと言っても……」


すたすたと前を歩く新藤に、俺はカメラを構えつつ、必死になってついていく。

なんのことはない。

昨日、アホほど走らされたせいで全身筋肉痛なのだ。


「新藤は身体痛くないの?」
「少し疲れは残ってるけど、筋肉痛はないわね」
「ああ、そうか。歳とると、リバウンドが来るまで時間かかるっていうけど」
「わたしはあんたより年下よ!」
「おお、そういえばそうか」
「基礎体力が違うの、先輩とは」
「俺も運動にはそこそこ自信あったんだけどなあ……」


持久力は普段から鍛えてないと身に付かないってことか。

それとも新藤が桁外れに化物なだけか。


「ついでだから、先輩も鍛え直してあげるわ。確かにそこそこ運動できるみたいだから、わたしにもついてこれるでしょ?」
「ま、俺には選択の余地なんて無いし、ついていくしかないんだけどね……」


こっちは、今まで以上に徹底的に新藤に張り付くつもりなんだから。

彼女が走るというなら、その後を食らいついていく。

泳ぐというなら、水平線の向こうまでもついていく。


「まずはなまった身体を鍛え直す。それでどうするってわけじゃないけど、他に思いつかないもの。いいよね?」
「君の望むままに」


俺は彼女に笑いかける。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123703j:plain

そして、振動の顔にもまぶしいくらいの笑みが──


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123709j:plain

「ううぅ……」
「変なうなり声上げるなよ」
「こうやって教科書をずらずら並べられると頭痛が……」


まぶしい笑みは綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。

俺たちが今日早めに登校したのは、試験がヤバイという新藤に勉強を教えるためだった。

運動もいいけれど、期末が近いんだから勉強もしないと。

彼女はあまり気が進まないようだけど、背に腹は代えられないらしい。


「それで、新藤の苦手な科目は?」
「ううー」
「苦手な科目は?」


重ねて問うと、新藤は思い口を開いた。


「現代文、古文、漢文、英語、数学、生物、日本史……」
「……なにが得意なの?」
「体育……」
「ううぅ……」

f:id:Sleni-Rale:20220226123715j:plain

「な、なにも頭抱えなくてもいいじゃない! 体力バカだと思ったんでしょ! 脳まで筋肉とか笑ってるんでしょ! 他に取り柄がなくて悪かったわね!」
「しーっ、大声はまずいって」


周りで勉強している連中がじろじろとこちらを見ている。


「あっ……」
「なんだかダメダメだね」
「京介先輩に言われると腹が立つわ……」
「ああ、そりゃあ本当のことだから腹が立つんだよ」
「………」


ぎろり、と人斬りのような凄みのある目で睨まれる。


「えーと、さっさとやろうか」


俺は取り繕ってから、ノートやら教科書を取り出す。


「なにから始める? ただ、俺はちょっと英語が苦手なんだよね」


──「なら、それはあたしが教えようか」


「出たぁーっ!」

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123723j:plain

「み、宮村先輩!?」

「君たち、騒がしいよ。人様に迷惑かけちゃダメダメ」

「はっ……」

「………」


またやってしまった。


「気をつけなきゃ、景ちゃんもつっつんも」


けど、唐突に現れて人を驚かしたのはこいつだし。

そもそも、"迷惑"が制服を着て歩いてるような奴にたしなめられたくない。


「宮村、おまえなー」

「景ちゃん」


無視された。


「……はい」

「これでもあたし、けっこう成績いいんだよね。教え方もそこそこ上手いと思うよ」

「宮村先輩が学年トップだってことくらい、わたしだって知ってます」


この二人の会話、妙に緊張感あるよな。


「それとも、あたしなんかに教わるのは嫌かな?」

「嫌です」


間髪入れずに、新藤はきっぱりと言った。


「でも。わたしも訊きたいです。どうして、わたしなんかに勉強教えようとするんですか?」

「ああ、それは。景ちゃん、可愛いもん」

「……か、かわ……っ?」


そりゃあ景ちゃんも動揺するよな。


「みや、宮村先輩、あなたはなにを──」

「可愛いと思うのは、好きだからだよ」


にこにこしながらなにを言ってるんだか、この女は──。

けっこう本気っぽいのも恐ろしい。


「さて、新藤どうする?」

「どうするって……」

「宮村の学力は俺も保証するよ。うちのクラスじゃ、こいつに教わって成績上がった奴もけっこういるみたい。さて、どうする?」

「……ん」


新藤は俺を見て、肯定とも否定ともつかないため息を漏らした。

それからしばらく、新藤は困ったような顔をして黙り込んでしまう。

俺も宮村も、ただじっと彼女の答えを待った。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123731j:plain

昼休み、俺は新藤を連れて屋上にやって来た。

ふと、思う。

ここからの景色はなかなかの見物ではあるけど、不安にも似た気持ちになってしまうのはなぜだろう。


「なんでだと思う?」
「知らないわよ」


新藤は素っ気なく答えると、最後のパンを口に放り込み、パックの牛乳を飲んだ。


「つれない返事だな」
「どうでもいいもの。それより、今後の予定を決めるんでしょ。さっさとしなさいよ」
「はいはい」


購買でゲットしてきたツナサンドを急いで頬張り、コーヒーで流し込む。


「予定っつーほどのことでもないけどね。来週の月から木曜までが期末試験。この間、残念だけど撮影は完全にオフね」
「あったりまえよ」
「で、金曜から終業式まではほとんどお休みだけど──新藤の場合は補修と追試があるからなあ」
「決定事項みたいに言わないでよ!」
「まあ、いくつ赤点を減らせるかが今後の課題なわけで……」
「や、やってみなくちゃわからないでしょ。そのために、わたし……」


そう、新藤は宮村から勉強を教わることを受け入れた。

俺はもちろん、提案した当の宮村さえ微妙に驚いていたが。


「いつまでも勉強が苦手なんて言ってられないもの」
「そりゃそうだ。落第なんてシャレにならないもんなー」
「そこまで酷くねぇっ! 自分がちょっと成績いいからって、いいからって、バカにするなーっ!」
「どうどう、景ちゃん落ち着いて。そうだ、お小遣いをあげよう」
「いらんわっ!」


からになった牛乳パックが投げつけられる。


「っと」


顔面にぶつかる直前で受け止めた。


「ちなみにだけど、いまさら牛乳飲んでも身長はかなり手遅れだと思う」
「好きで飲んでるだけよ!」
「ただし、胸に限定するならまだ希望が無いわけでもない」
「そろそろ黙らないと、あんたの命は風前の灯火よ」
「軽い冗談はこれくらいにして、話進めようか」
「わたしがいつまでも笑ってると思うなよ……」


と、全然笑っていない顔をこちらに向けてくる。

どんなに凄んだところで、基本的に顔つきが可愛すぎるからなあ。


「なにをニヤついてるの」
「なんでもないデス。とりあえず試験前までは、朝のうちに撮影。昼休みは自由時間にして、放課後は再び撮影。新藤は運動続けるんだよね?」
「運動というより、リハビリみたいなものね」


はたして、あんなに激しいリハビリがこの地上に存在するだろうか。


「呼称はともかく、夕方まではそれね。んで、夜は宮村も交えてのお勉強会。それでいい?」
「このわたしに二言はないわ」
「景ちゃん、かっこいいー」
「景ちゃんって呼ぶな!」
「おやおや」


さっきは突っ込まれなかったから、ちゃん付けもOKかと思ったのに。


「まあ……落第はさすがにしたくないからね。多少のことは目をつぶるわ」


やっぱり落第の可能性あるのか。


「万が一にも落第なんかしたら……顔向けできないもの」
「誰に? 親に?」
「親もそうだけど……。わたしはちゃんと学園に通って、学園生活を楽しんで卒業する。そうじゃなきゃ……本当に自分を許せなくなるわ」
「………」


事情があるようだが、彼女にそれを語るつもりはなさそうだ。

もちろん、彼女が語りたくないことを無理に追求するのは俺の本意じゃない。

すべてを語らせることが目的ではなく、彼女の想いを映像の中でとらえたいのだから。


………。

 

キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。


本日の授業終了~。


「さてっと、行くか」

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123744j:plain

「ええ、行くわよ」
「どわぁっ!? し、新藤。なんでいるの?」


3年の教室だぞ、ここは。


「時間がもったいないからよ。ほら、さっさとカバン持って」
「ちょ、ちょっと待った。まだ教科書詰めてない……」
「もたもたしないの。ノロマは大嫌いよ」


やる気が出たのはいいけど、ちょっと暴走気味な景ちゃんだった。


…………。


……。

 


「はーっ、はーっ、はあ……」
「ほら、いつまでくたばってるのよ」
「そ、そんなこと……言われたって……」


昨日とまったく同じやり取りのような。

でも昨日と違って筋肉痛がある分、俺のボディがえらいことに。

改めて考えれば、走っている新藤の姿をそう何度も撮らなくてもいいような。

f:id:Sleni-Rale:20220226123752j:plain

「走るのって気持ちいいじゃない」
「も、もっと気持ちいいことが……世の中には……」
「それ以上くだらないこと言ったら蹴り殺す」
「ずいぶん具体的な殺害方法が出てきたね……」
「本気だもの」


新藤はにこっと笑って、海のほうに目を向ける。


「はーっ……。新藤はマジに体力あるな。こんだけ走って、全然へばらないなんて」
「部活やめてまだ半年も経ってないからね」


現役時代はどんな猛練習をしてたんだろうな、この子は。


「ヒザも痛まないし……これならもしかしたら」
「部活に戻るの?」
「………」


新藤はちょっと困ったような顔をする。


「場所にはこだわらないわ。もう一度バスケができるなら、それだけで……」
「それ、本心?」
「どういうことよ?」
「君はやるなら徹底的にやる人だろ? 遊びとか、ストリートでやるのもいいかもしれないけど、本気で勝ち負けを競うのが君には似合うと思う」
「………」


新藤は一瞬俺を睨んでから、困ったような顔をした。


「なにを選ぶかは自由だよ。でも俺は、新藤が本当に望むことをやってもらいたいな」
「わたしが本当に望むことを……?」
「ああ」
「どうして京介先輩がそんなこと言うの?」
「どうしてって」


俺は構えていたカメラを下げた。

そして、まだ額に汗が浮かんだままの新藤の顔をじっと見つめる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123855j:plain

「俺、新藤のこと好きだからさ」
「…………え?」
「ああ、そうか。そうだよな。自分でも今気づいたよ。はっはっは」
「はっはっは……って」


ぽかんと口を開けて、新藤は呆れたような口調で言った。

そりゃ呆れるのも無理はない。

恋の告白にしては、あまりにも唐突だったからな。


「け」
「け?」
「景ちゃんって呼ばないの?」
「そう呼んだら怒るじゃん」
「だって……。京介先輩は冗談を言うとき、ちゃん付けで呼ぶじゃないの」
「いくら俺でも、冗談で好きだとか言わないよ」
「あんたはいつも冗談ばっかりじゃないの……」
「なるほど、日頃の行いってこういうところで祟るんだなあ」


これまでちゃんと告白して付き合ったっていうのもなかったしな。

だいたいは友達から始まって、なし崩し的に恋人になってるっていうのがパターンだった。

f:id:Sleni-Rale:20220226123900j:plain

「それじゃあ、改めて言うよ」
「え……」
「俺は新藤景が好きだ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123905j:plain

「………」


新藤はなにも答えなかった。

なにも答えないどころか、どこを見ているのかわからないような目。

ただ波の音だけが、わずかに空気を震わせている。


…………。

 

……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123911j:plain

「お邪魔しまーすっ」

「本当に邪魔なんだよな」


宮村に続いて部屋に入りながら俺は言った。


「失礼だなあ……」


宮村は不満そうにつぶやいてから、すたすたと部屋を横切って、腰を下ろした。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123917j:plain

「……どうも」


俺の前であると同時に新藤の隣。


「もう二人とも始めてたんだね。もっと早く来ればよかったかな」

「ああ、新藤もリハビリ初めて2日目だし、早めに切り上げたんだよ」

「リハビリ? リハビリね……なるなる」


なにが「なるなる」だ。

ちなみにだが、この勉強会は撮影厳禁となっている。

当然、俺も勉強するので禁じられるまでもないんだが。


「ところで、すっごく大事な質問があるんですが」

「なんだよ?」

「晩ごはんはどうするの?」


新藤も気になっていたのか、ちらりと俺に視線を向けてくる。


「俺がなにか適当に作るよ」

「えーっ、つっつんって料理できるの?」

「簡単なものならな。伊達にプチ一人暮らししてないぞ」

「一人暮らし歴ならあたしも負けてないよ」


宮村はそう言って、胸を張る。


「いいよ、あたしが作るから。材料も既に買ってきたし」


二階に上がってくる前に勝手に台所に行ってたけど、材料置きに行ってたのか。


「なに作んの?」

「今日はいいアナゴが手に入ったんで、アナゴ丼作ろうかなと。さっき家でさばいてきたばかりの新鮮なやつだよ」

「さばいたって……おまえが?」

「あったりまえじゃん」

「アナゴなんて、素人がさばけるもんなのか?」

「練習したもん」

「練習って……」

「最初はうまくいかなかったけどね。絃くんを毒味役にして、何回もさばいて試行錯誤したから大丈夫!」


毒味役って……。


「鬼かおまえは」

「あの……ひとのお兄ちゃんになにしてくれてるんですか?」

「でもおかげでアナゴマスターになれたよ」


そんなことのために彼氏を利用するのかこの女。

広野の奴、仕事で倒れる前に宮村のせいで病院送りになるんじゃないのか。


「とりあえず、ちょこっとだけお勉強して、それからごはんにしよーか」

「だな」

「あ、わたしちょっとその前に……」

「ん? どうかした?」

「ええと……」


新藤はわずかに口ごもる。


「トイレ?」

「え、ええ……」

「トイレなら、階段降りてすぐだよ」

「ど、どうも」


トイレくらい、別に恥ずかしがらなくてもいいだろうに。


「景ちゃん、なんなら一緒に行こうか?」

「けっこうです!」


…………。

 

……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123922j:plain

とんとん、と軽快な足音を立てながら新藤が階段を下りていく。


「……景ちゃんさあ」
「ん?」
「あたしの口から絃くんの名前出しても動じなかったね」


違う意味で動揺してた気もするし、そもそも新藤は今、別なことで上の空になってるしな。


「そりゃ、新藤だっていつまでもわだかまりを抱えてられないだろ」
「むしろ、あたしのほうがドキっとしちゃったくらいだよ」
「おまえが?」


宮村はこくりと頷く。


「景ちゃんが絃くんを"お兄ちゃん"って呼ぶのを聞くと、ね。絃くんと景ちゃんの間には確かな絆があるんだよ。長い時間をかけて紡がれた、絶対に着れない絆が。それはたぶん、ずっと変わることのない絆なんだよね。だから、あたしにとって景ちゃんはずっとライバルだよ」
「それ、小姑っていうんじゃないの?」
「怖いよね」


そう言いながらも、宮村の顔はどこか楽しげに見える。

相手のことを認めてるからこそのライバルだもんな。

まあ、他人事でもない。

俺にとってのライバルは……広野か。


………。

 

広野という貴い犠牲があったためか、宮村お手製のアナゴ丼はヒザを叩いてしまうくらい美味かった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123928j:plain

「ごちそうさまでした」

「あれ、もういいの?」

「いや、丼モノをおかわりするほうが珍しいと思う」

「そうなの?」


宮村は、2杯目のアナゴ丼を頬張りながら首を傾げる。


「ま、新藤はもう少し食べたほうがいいと思うけど。ちっちゃすぎるよな、色々と」

「その発言はセクハラと判断していいの?」

「いやいや、食後の軽いジョークですよ」

「わたしの前ではたった一言が命取りになるわよ」

「それは重々承知しております」


俺はぺこぺこと頭を下げる。


「アホだねえ、つっつんは……」

「言うまでもないことですね」


酷い言われようだな……。


………。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123934j:plain

食事の後は、もちろんお勉強。

宮村は自分の勉強そっちのけで、熱心に新藤の指導にあたっていた。

俺の出番はまったく無し。

そして、2時間ほど経ったところで──


「それじゃあ、今日はこれくらいにしとこうか」


宮村が教科書を畳みながら言った。


「そうだな」

「え、もう終わりなの?」

「そろそろ9時だよ。宮村はともかく、君は帰らないとマズいでしょ?」

「あ、ホントだ……」

「景ちゃん、なかなか集中力あるね。試験まで時間ないけど、これならけっこう詰め込めるかも……」

f:id:Sleni-Rale:20220226123938j:plain

「……ありがとうございます」

「え?」


妙に素直に頭を下げる新藤に、宮村は目を丸くする。


「景ちゃん、なんかヘンじゃない?」


小声でささやいてくる宮村。


「ま、そういう日もあるだろうさ」

「そんなもんかな……」


新藤は黙々と教科書やノートを片づけている。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123942j:plain

女の子二人で夜道は危険──というわけで、俺は新藤と宮村を送っていくことにした。


「確かに危険だよな。見た目に惑わされてこの二人を襲ったりした日には、変質者のヒトがどんな目に遭わされることやら」


新藤はもちろん、宮村もかなりの運動能力の持ち主だと聞く。

このブレーキの壊れてる二人が本格的にバトルモードに入った日には……。

いくら痴漢でも、殺されるのは可哀想だ。


「なにをぶつぶつ言ってんの?」

「いえ、なんでも」

「あの、宮村先輩」


神妙な顔をして歩いていた新藤が、唐突に口を開いた。


「うん?」

「わたし、提案があるんですけど。明日からはわたしの家で、宮村先輩と二人きりで勉強したいんです」

「へ?」

「……それはなにかの罠?」

「なんでいまさら、宮村先輩に罠を仕掛けなきゃいけないんですか!」


以前なら罠に掛ける理由があったのか。


「そうじゃなくて、1対1のほうが集中できるし……。それに、男の人の部屋ってちょっと落ち着かないですから。どうでしょうか?」


俺の家なら、親父もいるかいないかわからない状態だし、気を遣わないでいいから──

という理由で、お勉強会の会場に選ばれたはずなのに。


「あたしは全然かまわないけど」

「………」


女の子二人の視線が俺に注がれる。

ああ、見られる快感。

とか冗談言ってる場合じゃないよな。


「俺も問題ないよ。どうせ撮影禁止だし、俺としては新藤の赤点が1つでも減ってくれりゃそれでいい」

「だから、赤点取るのが当たり前みたいに……」

「んじゃ宮村。そっちは頼んだ」

「委細承知!」


不安になる返事だな。


「それじゃ、明日からはそういうことで。あたしは一足先におうち帰る。じゃっ」


言うが早いが、宮村は駆け出し、あっという間に姿が見えなくなってしまう。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123947j:plain

「なんなの、あいつは?」
「わたしに訊かないで」


新藤はどこまでも素っ気ない。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123953j:plain

「さて、それじゃあ新藤家に向けて──」
「ねえ、先輩」
「はい?」
「ちょっと、散歩しない?」


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226123957j:plain

「夜の教会って不気味だよなー」
「京介先輩でも、普通の人みたいなこと言うのね」
「僕は割と普通の人なんですけどね」


街は静まりかえり、路上には人影が見当たらない。

この時間ともなると、昼間の熱気も冷め、かすかに吹く風も心地いい。


「……先輩、カメラ持ってこなかったの?」
「一応、護衛だからね。カメラで手がふさがってたら役に立たないだろ?」
「どっちにしても役に立たないわよ。わたしのほうが強いんだから」
「ああ、男のプライドが傷つく……」
「ありもしないものが傷つくわけないでしょ」
「………」


本当に口の悪い子だな。

双子の妹とやらはおとなしいそうだから、後天的な資質か。


「なにか失礼なこと考えてない?」
「とんでもございませぬ」
「あんたって基本的に嘘つけないのね。考えてることが表に出すぎよ」
「冗談は言うけど嘘はつかないよ。嘘は後で取り繕うのが面倒だからね。そういう無駄な手間がかかることはしない」
「………」


暗闇の中で、彼女はじっと思案を巡らせている。


「やっぱりあの言葉も嘘じゃないのね……?」
「もちろん。君が疑うなら何度でも言うよ」
「あっ……」


一歩踏み込むと、新藤は素早く後ずさってしまう。


「え、えと……」


暗闇の中でも彼女が赤面してることがはっきりとわかる。


「う、疑ってるわけじゃないんだけど……」
「ないけど?」


新藤をまっすぐに凝視する。

確かに自業自得だが、彼女が俺の言葉を信じられないのなら信じてくれるまで言い続ける。

俺はこの上なく真剣なのだから。


「どうしてわたしなの?」


どうして、か……。


「さあ、そんなことはわからないけど……強いて言うなら、君は俺とは違うから」
「違う?」
「そう、君は自分が傷ついてることを認めてただろ?」
「……否定したってしょうがないじゃないの。本当のことだから」
「俺は映研やめて、彼女にも振られて、その痛みと向き合おうともせずに忘れたふりをしてたな。それは俺が弱いから。傷ついて、惨めな自分を見る勇気なんてなかった……。なのに、君は違った。悲しいことがあって、それをきちんと受け入れてただろ」
「それは……」


俺は映研のみんなと一緒に映画を撮るのが楽しくて仕方なかった。

そこにいた彼女は仲間の一人であり、大切な恋人でもあった。

俺はすべてを同時に失ってしまったというのに──


「大事なものを失えば辛い。そんな当たり前のことを俺は認められなかったよ」
「でも……。でも、振り向かずにちゃんと前を見てたでしょ、京介先輩は。それは普通はできないことよ」
「あ」

f:id:Sleni-Rale:20220226124002j:plain

「え、な、なによ」


ずいっと新藤に顔を近づける。


「君も俺を認めてくれてるの?」
「そ、そういうことじゃなくて」


また顔を赤くしながら、新藤はしどろもどろになる。


「み、認めてもいいけど……。それとこれとは別よ」
「それとこれってなに?」
「わたしのこと、その、す、好きって……」
「うん」
「うん、って言われても……」
「あのさ、新藤」


俺は何度か頭を振る。

色々理屈はこねてみたけど、こんなの俺らしくないな。


「好きになったら、もう"どうして"なんてどうでもよくなるんだよ。理由の説明なんてどうでもいいから、君に俺の気持ちを知ってもらいたいんだ」


新藤は顔を赤らめてわずかにうつむく。


「いくら言われたって……急すぎるわよ」
「さっきもちょっと言ったけど、春先くらいまで付き合ってた女の子がいるんだ」
「……え?」
「今思えば全然大切にできてなかったけど、それでも俺は彼女のことが好きだった」


映研に一度は戻ったのも、きっと彼女のことをまだ少なからず気にしていたからだろう。

身勝手な話だけど、今ならそう思える。


「だから彼女に振られたのはキツかったな、本当に。そのキツイっていう感情にも蓋をしちゃったわけだけど。もうあんな痛みは味わいたくない。今度こそ、好きな人を大事にしたいんだ」


新藤だけを目に映し、俺は言葉を続ける。


「新藤、俺は君が好きだ」


言葉がどこまで彼女に伝わるかはわからない。

でも言わなければなにも始まらない。

だから俺は、何度でもこの言葉を口にするつもりだ。

何度でも。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226124007j:plain

「わたしは……どうしたら」


新藤は親とはぐれた子供のような、不安げな目をする。

実際、どうしたらいいのかわからないんだろう。


「京介先輩は、先輩は……」


ぐっ、と新藤は唇を噛みしめる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220226124011j:plain

「せっかく吹っ切ろうとしてるときに、なんで迷わすようなこと言うのよ! 京介のバカーっ!!」


そう言い捨てると。

脇目もふらずに、新藤は俺の前から走り去って行く。


「やれやれ……」

f:id:Sleni-Rale:20220301060540j:plain



「あのー」
「いたのか、雨宮」
「どうでもいいですけど、教会の前であまり騒がないほうが」
「どうでもいいなら黙っててくれ。今、ドラマチックなシーンなんだ。悪いけど、外野の出番はないよ」
「あらヒドイ。私は外野ですか」


雨宮はしれっとした顔で言った。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060553j:plain



「あんたって、俺たちに関わってるようで関わってないような変な感じがする」
「それは興味深い指摘ですね」
「映画監督みたいな感じだな。役者に方向付けはするし、相談にも応えるけど、カメラの前に立つことはない──脇役ですらない」
「それは、あなたも同じだったんじゃないですか?」


そうかもしれない。

だからこそ、今度は。


「踏み込めるところまで踏み込む。カメラを通すんじゃなくて、新藤と同じ場所に立って同じものを見たいんだ」
「それでいいと思いますよ」
「ん……?」
「主役がカメラの外にいては、お話になりませんよ。だって、あなたと新藤さんの物語なんですからね」


雨宮優子は口元をほころばせる。

彼女のこんな笑顔を見たのは初めてかもしれない……。


「そうだよな、間違っちゃいないよな……」


それが、俺が求める現実。

映画という虚構の中で彼女を捉えるだけでは、満たされない感情がある。

もしかしたら、と思う。

あのとき、最初に体育館で新藤景を見つけたとき──

彼女を撮りたいと思っただけでなく。

あるいは、既にあの瞬間に俺は。

──彼女に恋していたのかもしれない。


…………。

 

……。

 


遠い、遠い過去の夢を見る。

どことも知れない場所。

いつとも知れない時間。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060605j:plain



記憶の中からも消えたはずの、母の姿がそこにはあった。

いや、これは過去だろうか。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060615j:plain



「京ちゃんはもう決めたのね?」
「なるほど、言われて初めてわかるもんだな」


たとえ相手が誰であろうと、ちゃん付けで呼ばれるのはくすぐったいもんだ。


「もう俺もガキじゃないんだよ、母さん」
「親にとってはね、いつまで経っても子供は子供なのよ」


子供が子供であるからこそ、母も母でいられる。

そういうことなんだろう。


「お母さんはね、いいと思うの。京ちゃんは夢のためだけに生きてきた。途中であきらめてしまったわたしの代わりに」
「そういうわけでもなかったよ。俺は俺のために……」
「あなたは優しい子だから」


母はそういって、嬉しそうに笑う。


「夢よりも大事なもの、できたんでしょう?」
「ちょっと違うかな」


俺は首を傾げた。


「カメラの向こうに見える夢。それと同じくらい、大切にしたい現実の存在があるんだよ」
「京ちゃんは欲張りね」
「すいませんね、そういう風に育っちゃったみたいだ」
「謝ることなんてなにもないわ。なにも、ね」
「──っ」


一瞬たりとも目を離していなかったのに、母の姿が突然に──

消えていた。

どこにもいなくなっていた。


「母さん?」
「頑張れ、京介」
「母さん……」


もうなにも聞こえなかった。

なにも見えなかった。

ただ、かすかに──

優しい匂いだけが残っていた。


…………。


……。

 



目覚めると、携帯に新藤からのメールが届いていた。

昨日バカ呼ばわりしたことを謝ってきたのではない。

試験に集中したいから、一切の撮影を中断してほしいとの内容だった。

それは全然かまわない。

中断、ということは再開する意志があるということだから。

そもそも、もう何日も回し続けてきたので、素材はもう十二分に集まっている。


「下手すると、"新藤景ちゃん3部作"とか壮大なサーガが作れそうだ」


だが、量はともかく、未だ詰めの部分が足りない。

最後の山がなければ、全体を引き締めることだってできやしない。

そこのところをどうするか。

考える時間を取るという意味でも、この中断は有意義なものになるはずだ。

たぶん。


……。

 

今朝はカメラを持たずに、いつもの通学路を進んでいく。

時折、友人たちや顔見知りと挨拶を交わしながら。

もう筋肉痛もどこかに消えた。

俺は確かな足取りで歩いていける。


「おはよー、つっつーん!」


どがんっ!


「ぐおぅっ!」


いきなり背中を突き飛ばされ、俺は前のめりにすっころんでしまう。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060624j:plain

「………」


突き飛ばした張本人は、転んだ俺には目もくれず、怒涛の勢いで走り去って行ってしまった。


「い、いってえぇー」


身体を起こしながら、俺はうめいた。

あの女、渾身の力で突き飛ばしやがって、なに考えてるんだ?


「転んで顔面打ったのなんて、生まれて初めてだよ……」

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060656j:plain



「………」
「ん?」


付属の子みたいだけど、どっかで見たことあるような……。


「き」
「き?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060706j:plain



「きゃああああ! 変態です、変態がいるーっ!」
「なんで俺が変態なんだ!」
「わ、わたしを見ながら鼻血垂らしてますっ! 興奮して手がつけられませーん!」
「興奮してるのはそっちだろ!」


つっこみを入れながら、鼻の下に手をやる。

げ。

確かに、どくどくと血が流れ出ていた。


「こ、これは今転んで鼻を打ったからで!」

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060717j:plain



「いやあああぁ!」


彼女は叫びながら、全身のバネを使ってカバンをフルスイングする。

避ける間などあるはずもなく──俺は再び顔面に衝撃を受けた。


………。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060727j:plain

「ホントにごめんなさい……」
「あー、わかってくれればいいよ」


誤解が解けると、一転して羽山ミズキは神妙な態度を取った。

俺は羽山から貰ったティッシュを鼻に詰め、とりあえず道の端っこに避難して血が止まるのを待っている。

どうも最近、バイオレンスな事態との遭遇が増えたような。


「でも、いきなり鼻血出してたら怖いですよ」
「そりゃそうかもしれないけど……」


つーか、女の子の姿を見ただけで興奮して鼻血を垂れ流すような欲求不満なヒトと思われたのがショックです。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060740j:plain



「えっと、堤先輩……でしたよね?」
「そうそう、覚えていてくれたか」
「わたしの景先輩につきまとってる危険人物その2ですからね」
「……ちなみにその1って誰?」
「ヒロ先輩……広野絃さんって知ってます?」
「よーく知ってるっつーか友達だけど、広野はつきまとってるわけじゃないだろ」


むしろ新藤のほうがあいつにべったりだったはず。


「む、ヒロ先輩の肩を持つんですか。噂に聞く男の友情ですか。男心に男が惚れましたか」
「いや、別にそんなんでは……」


なに言ってるんだ、この子は。


「ヒロ先輩はですね、とんでもないロクデナシなんです!」
「ロクデナシって……。君、そんなに広野は恨んでんの?」
「もう恨みまくりです!」


彼女はずいっと身を乗り出してくる。

それにしても朝っぱらから元気のいいことだ。


「景先輩のことだけじゃないんです」
「広野になにかされたの?」
「ヒロ先輩はですね、ただのひねくれたバカっぽい学生のふりして……。おっと、これは言っちゃいけないんだった」
「君も知ってるんだね。あいつの正体」
「あれ、堤先輩もご存知なんですか?」


羽山は少し驚いている。


「うん、一応ね」


広野は、ごく親しい人間にしか正体を明かしていないはずだ。

つまり、羽山を軽く見てるわけでもないらしい。


「別に黙ってたのは大したことじゃないだろ」
「大したことですよ! わたし、ずっと新堂凪先生のファンだったんです。その新堂先生の正体がまさか……って感じで、裏切られた気分なのですよ」
「正体はアレだけど、それで広野の漫画の面白さが変わるわけじゃないじゃん」
「黙っていたのは良くないことです。わたしが喋ってまわるとでも思ってたんでしょうか。そう考えると、もう腹が立って腹が立って!」


実際、おしゃべりみたいだからなあ。

広野が黙ってたのも頷けるというか。


「あいつの漫画のファンだったんなら、サインでももらってそれで手打ちにすれば?」
「サインはとっくにもらいました。きっちり絵入りで♪」
「あっ、そう……」


それなら許してやればいいのに……執念深いな。


「……まあ、そのことはヒロ先輩の事情もわからないでもないですけど。なんにしても、景先輩を愛するわたしにとって、危険人物だったことに変わりはありません」
「どうも俺には、君のほうが危険みたいにも思えるんですが」


思い込みは強いし、いきなり人をぶん殴るし。


「新藤を尊敬するのもいいけど、手が早いところまで見習わなくてもいいんじゃないの?」
「なにを言っちゃってるんですか。景先輩が手を出すことなんてほとんどありませんよ」


ほとんどって……普通は一切手を出さないと思うけどな。


「というか、そもそも君から見た新藤ってのはどういう存在なの?」
「わたしから見た景先輩? そうですね……。かっこいい先輩ラブ?」
「真面目な話なんだけど」
「やっぱり堤先輩は失礼ですね。わたしは心の底から真面目に生きてます。でも、う~ん、改めて景先輩の魅力かぁ」


羽山の視点から見た新藤は、当事者である俺や広野や宮村とは違う印象なんじゃないか。

カメラの外側──いや、もっと内側にいるのだろうか。


「かっこいいってなんでしょうね?」


考え込んでいた羽山が唐突につぶやいた。


「俺が質問してるんだけど」
「だからですよ」
「まあ、喧嘩が強いやつとか、勉強ができるやつとか、単純に見た目のいいやつとか……」


指折り例えを挙げていて、羽山の言いたいことがなんとなくわかった。


「うん、景先輩は運動が出来るからかっこいいんじゃないんですよね。いや、運動も出来てかっこいいんですけど。なにか違うんです。もっと、そういうのじゃなくて。へこたれたり、落ち込んだり、怒ったりもするけど──本当にまっすぐにしか生きられない人っているんだと思います。わたしはそういう、ちょっと不器用だけど、きれいな景先輩がかっこよくて大好きなんです」
「………」


羽山は不思議なやつだな。

それになんだか、この物言いは誰かに似ているような……。


……ああ、そうか。

あのインチキシスターさんだ──


「あ、そうだ!」


ぽん、と羽山は手を打った。


「こんなことで話を逸らせると思ったら大間違いですよ」


羽山が急に胸を張る。


「堤先輩、景先輩に悪さしてないでしょうね」
「まだしてない」

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060753j:plain



「まだ!?」


いきなり羽山は慌てふためき始める。


「その言い方だと、時間の問題みたいに聞こえます!」
「時間の問題だよ。新藤はそのうち俺がもらう」
「なっ、なななななな……。話が違うじゃないですか! 役者には手を出さないって!」
「悪いな、だけどもう俺自身にもどうしようもないから」
「と、とうとう来るべきときが……わたしの景先輩が……」


娘を嫁にやる父親か、君は。


「心配しなくていい。新藤を不幸にしたりはしないから」
「そ、その自信はどこから?」
「好きな女を不幸にしたい男なんていないんだよ」
「………」


羽山の雰囲気が一変する。

いつもの子供っぽい、どこかふざけた態度は完全に消えてしまっている。

おそらく、彼女は彼女なりに本気で新藤のことを想っているんだろう。

だけど、俺も本気だから。

羽山から向けられてくる刺すような視線を正面から見返す。


「堤先輩」
「なに?」
「わたしは、寂しい顔は見たくないんです。あなたは……景先輩の寂しさ、埋められるんですか?」
「もちろん、そのつもりだよ」


それができなきゃ、新藤はいつまで経っても俺を見てくれないだろうな。


………。


教室に入ると、宮村を目が合った。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060805j:plain



「あれ、つっつん。鼻が赤いよ」
「おまえのせいだよ!」
「んー?」


首を傾げる宮村。

こいつにとっては、あれはごく普通の挨拶らしい。


「そうだそうだ。とある佐々木ちゃんからの情報によると、道端で付属の女の子にワイセツ行為を迫ったとか?」
「それも、そもそもの原因はおまえだ!」
「さっぱりわけがわかんないよ。被害妄想もたいがいにしておかないとダメ、だぞ」
「可愛く言ってもごまかされないっ! おまえこそ加害者の自覚を持て」
「……?」


宮村はどこまで本気なのか見当もつかない。

というか、こいつが出てくるとシリアスな気分が吹っ飛んでしまう。


……。


さて、これからどうしよう?

なんて考える必要はなくなった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060814j:plain



俺は適当に試験勉強でもしてればいいのだ。

また宮村に3位だのなんだの言われるのもシャクだから、あいつには勝ちたいもんだが。

気にかけなきゃいけないことといえば、そんなもの。

誤解されようのないほど、はっきりと自分の気持ちは伝えた。

あとは彼女の問題──

無責任なようだけど、そう思う。

だけど……。

相変わらず、ここから見る風景は俺を不安にさせるな。

今は、彼女がそばにいないから余計にそう感じる。


「早く新藤の答えが聞きたいなー」


どんな答えでもいいから早く。


「いや、よくはないな」


新藤には、なにがなんでもこっちを向いてもらいたい。

彼女が距離を置きたがってる以上、今は手の打ちようもないが……。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060823j:plain



「というわけで。宮村先生の、落ちこぼれ救済熱血授業スタ~ト~」

「よっ、待ってました~♪」

「……」


落ちこぼれって、もしかしなくてもわたしのことかしら……。


「さ、なにから始めようか。景ちゃんは特に数学が苦手って言ってたよね。とりあえず分数の足し算からやってみる?」

「それは算数です!」


いくらなんでも、分数の加減乗除の時点で見失ってない。


「みやこ先輩、あんまり景先輩をいじめないでくださいよ~」

「あんたもどうしていきなり馴染んでるのよ……」


ミズキと宮村先輩は初対面ではないそうだけど。


「大丈夫です。みやこ先輩も面白いけど、景先輩が一番好きですから」

「そういう問題じゃなくてね……」

「一番じゃないのは残念だけど、ミズキちゃんもわかんないことあったらどんどん聞いていいからね」

「はーい」


またも我が家にやってきたミズキを交えて、お勉強会は始まった。

ミズキも試験が近いので、宮村先輩に教わること自体はいいことだと思う。

だけど、頭痛がするシチュエーションね、これは。

心なしかミズキもいつもよりアッパーだし……。


「あの、宮村先輩」

「はい?」

「わたしたちの勉強見てくれるのはありがたいんですけど、先輩自身のテスト勉強はいいんですか?」

「あ、そうだ! なんか学年トップとかじゃないんですか?」

「後輩ちゃんたち。あたしが怖いのはトップから転げ落ちることじゃないよ」

「で、では……なにを恐れてらっしゃるんで?」


わたしもこの漫才に付き合わなきゃいけないのかな……。


「あたしが恐れるのはただ1つ。ろくに勉強しなくてもトップが取れてしまう、この明晰すぎる頭脳なんだよ!」

「ぎゃーっ、すごーい! すごすぎて惚れそうー!」


なに、このミニコント。

宮村先輩の教え方がう上手くても、これだけ騒がしくて落ち着かないんじゃ、プラマイゼロなんじゃ……。


……………。

 

……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060839j:plain



1時間ほどして、ミズキは先に帰っていった。

ミズキの家は割と厳しく門限が決められているらしい。


「宮村先輩は門限とかは……」
「え? ああ」


宮村先輩は不意をつかれたように、英文に向けていた目を上げた。


「ウチは基本的に無し。パパは自分のことは自分で決めろってタイプの親だから」
「なるほど」


だから娘がこういうゴーイングマイウェイな性格になったわけね。


「ま、放任ってやつだね。最近は会話するようになったから、前よりマシになったけど」
「はぁ」


以前は親子の会話がなかったということだろうか。

わたしにはあまり想像できない類の家庭みたい。


「景ちゃんのところは?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060848j:plain



「別に厳しくはないです。ただ、両親も祖父もちょっと心配性ではありますね。わたしがヒザを怪我したときは……大騒ぎでした」
「それが普通の反応だよ」
「ウチはちょっと特殊です、妹のこともありますし……」
「景ちゃんの妹さんか。一度会ってみたいね」


なにがどう特殊なのか、宮村先輩は気にならないんだろうか。

あるいは、既に知っているのかもしれない。


「きっと妹さんって可愛いんだろうねー」
「可愛いですよ、わたしなんかよりずっと」
「そうだね、景ちゃんは可愛くないね」
「──っ!」


いくらなんでも正面から言われたくない。

それに、前に言ってたことと違うじゃないの。


「自分が可愛いって認めてないところが可愛くないっ」
「な、なんですかそれは」
「ややこしいかな?」
「あいにく、あなたと違ってバカですので」


ぷいっとわたしは横を向いた。

やっぱりこの人は苦手だ。

冬のアレコレのことを除いても、やっぱり苦手だ。


「相変わらず素直じゃないんだね」
「それはお兄ちゃん譲りです! ……あっ」


しまった……。

この人の前で言うことじゃなかった……。


「絃くん譲りか、それならしょうがないね」


それでも、宮村先輩は屈託なく笑った。


「だって、過去はやり直せないもんね」
「……わかってます」


そのとおり、どうやっても過去を消せはしない。

遙か遠い日にわたしがお兄ちゃんと出会い、長い時間を一緒に過ごしてきたことも。

わたしの気持ちは届かず、お兄ちゃんが宮村先輩を選んだことも。


「景ちゃん、そこ間違ってるよ」
「え?」
「そこのwouldは、過去の時点からの未来を表す用法だよ」
「あ……そ、そうか」
「まあ、過去っていうのはなんだかんだで厄介なものだね」
「別にこれは文法がややこしいだけです」

 

……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060857j:plain



「……ふう」
「ほい、お疲れさん」
「ありがとうございました」


わたしには拷問に等しい時間がようやく終わった。

この世のなによりも苦手な勉強、それもいくら優秀な教師とはいえ宮村先輩とマンツーマン……。


「ところで、質問があるんだけど」
「面倒くさい質問には答えられませんよ」


もうこれ以上は頭が回ってくれない。


「ああ、全然簡単な質問だから」
「……どうぞ」
「明日以降も、試験が終わるまで来ていいのかな?」
「………」


そんなの、いいも悪いもない。

わたしは小さく頭を下げた。


「よろしくお願いします、宮村先輩」
「うんうん。いいけど、こっちから1つ条件──というか、お願いがあるんだけどなー」
「条件?」
「先輩って呼び方がなんかヤなんだよね。もっと可愛い呼び方にして」
「可愛いって言われても……」
「可愛い人には可愛い呼び方をするのが正しい道だよ♪」


わかってたことだけど、どうもこの人の思考回路は理解しにくい。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060907j:plain



夜の街を、軽く足音を響かせながら走っていく。

この時間でも空気はなまぬるくて、進むごとに背中に汗が浮いている。

なんか、懐かしい感じ。

現役の頃はよくこうやって、時間を選ばずに走りに出たものだ。

家族はみんな心配したし、一緒に暮してた頃の千尋も──

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060915j:plain



『お姉ちゃんは止まると死んじゃう動物みたい……』 


なんて言ってたな。

でもね、最近のお姉ちゃんは止まりっぱなしだったよ。

らしくなかったね。

がむしゃらでもいいから、走っていないとわたしはわたしじゃなくなる。

わかりきってたことなのに。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060922j:plain



「はっ、はっ、は………ふぅ」


息を整え、頭を上げる。

やっぱり、まだまだ体力は元通りにはほど遠い。

まだまだ身体作りに専念しなくちゃいけないけど……。


「ボールに触りたいな……」


──「触ればいいじゃないですか」


わたしはゆっくりと振り返る。

 

f:id:Sleni-Rale:20220301060931j:plain



「また出たわね」
「神出鬼没がモットーですから」
「わたしはあんたに付き合ってるほど暇じゃないの」
「あらあら、つれないお返事ですね」
「あんたに愛想良くする理由はないもの」
「おねえさんは悲しいですよ……そういえば、あなたは昔からトゲトゲしい子でしたね」
「は? 昔?」


確かに子供の頃からこんな性格だけど。

わたしが雨宮優子と直接会ったのは、この夏が初めて──のはず。


「昔って、なんのことです?」
「わたしの台詞よ、それは!」
「ふーむ……。どうやら、私には謎のデンパを受信する機能が備わってるようなので」
「医者行ってきなさいよ」
「クールなつっこみありがとうございます」


なんで、こんなところでバカみたいな会話してるんだろう。


「それよりわたしになにか用?」
「夜の散歩をしてるだけです。今日も待ち人は現れなかったので、気分転換に」


雨宮優子はにっこりと笑う。

f:id:Sleni-Rale:20220301060939j:plain



「………?」


ふと、思った。

彼女のそのまるで邪気のない笑顔。

その笑顔が誰かに──いや、あの子に。

ミズキがいつも浮かべている曇りのない笑顔に似ているような気がする……。


「どうかしました?」
「なんでもないわ」


錯覚よね、顔だって全然似てないんだから。


「では、ちょっと一緒にお散歩しませんか。なにせ、女が夜に一人歩きするのは物騒ですから……護衛がいると助かります」
「わたしも女だよ!」


本当にこの女は失礼だと思う。


「それでさっきの続きなんですけど」


雨宮優子はさっさと歩き出す。

仕方なく、わたしも後をついていく。


「バスケットをやりたいんでしょう? なぜやらないんです?」
「わたしの勝手でしょ」


リハビリはじっくり時間をかけて進めなければならない。

バスケをやるにしたって、ボールを持つのは最終段階だ。

焦って、またヒザを壊すわけにはいかないもの。


「もちろんそうですよ。あなたは自分の心のままに
「言われるまでもないわ」
「人は誰でも──生きてる限り、なにかを失い続けます。それはもう──決まったことなんですよ」
「………」
「失ったなにかを埋めるためにさらに生き続け、そしてまたなにかを無くし──」
「それじゃあいつまで経っても」
「いいえ、大事なのは探すということです。探し続けることです。大切なものを──幸せをね」
「幸せ……? そんなものが探して見つかるのなら、探偵でも雇うわ」
「探そうとしなければ、なにも変わりませんよ」


雨宮優子の顔に浮かぶ、ささやかな笑み。

いつものとぼけた雰囲気はかけらもなくて、ただただ優しい笑顔だった……。


「大事なものを無くせば、誰だって悲しい。新藤景さん、あなたはその悲しみを知っている」


わたしが失ったものは──

千尋と一緒にいる時間。

みんなと一緒にコートを駆けていく楽しさ。

そして、誰よりも大好きだったお兄ちゃん。

ひねくれてて、全然優しくなくて、いつもわたしを怒らせるあの人が──

……愛しくてたまらなかった。

だけど、お兄ちゃんが選んだのは、わたしじゃなくて…・・・。


「そうよ。ミズキも映画も、それに京介先輩も寂しさを埋めるためだけの……。わたしは寂しかった。だから、無くしたものの代わりを見つけようとしたのよ……!」


でも、でも……。

無くしたものの代わりになるなにかを求めても、それでも寂しさは消えてくれなかった……。


「それに気づけたのなら、あともう一歩です」
「もう一歩……?」
「世界は……。悲しいことばかりじゃありません。悲しみから逃げなかったあなたなら、必ず幸せを見つけられます。それは世界のどこかに……。いいえ、いつだってあなたのすぐそばにあるものなんですから──」
「わたしの……そばに……」


……。