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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the first tale.【13】(終)

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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眠れない……。

昨夜は徹夜して、眠気は売るほどあるというのに、ベッドに横になっても脳のどこかがいつまでも覚醒したままだ。

学園から戻ってきて、夕方のこの時間までごろごろしてるだけ。


「はあ……」


眠れないのは、受け取ってもらえなかったのがショックだからか。

縛りつけてでも観てもらうべきだったか。


「……んなアホな」


彼女が自分の意志で観てくれなきゃ、なんの意味もありはしない。


「……ん?」


机の上で携帯が振動してる。


「メールか」

 

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携帯を手に取って、内容を確認する。

これは──


……。

 

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「新藤っ!」
「なによ、そんなに慌てて」


がらんとした体育館の中央で新藤は振り返り、バカにしたように言った。


「いや、いきなり呼び出すもんだから……何事かと思って」
「早かったわね。もしかして全力疾走してきたの?」
「まあ、そんなところ」


額の汗をぬぐう。


「色々つっこみどころはあるんだけど……どうやって中に入ったの?」


どうやら体育館を使用している部活は、もう練習を切り上げたらしいが……。

それなら、体育館の玄関の施錠くらいはしてるはずだ。


「玄関の横の窓はね、鍵がバカになってるのよ。バスケ部やバレー部の人間なら誰でも知ってるわ。先生には報告してないし」


生徒が自由に出入りできたほうが都合がいいってわけか。

悪だな、体育会系。


「それはわかったけど、君はそんな格好でなにを?」


しかもバスケットボールまで抱えている。


「先輩は……まあ、その服装でいいか」
「だからなにが?」


なんか、新藤の様子がいつもとだいぶ違う。

妙にはつらつとしてるというか。


「先輩、わたしと勝負してよ」
「勝負!? い、いったいなんの?」
「1オン1っていうのはわかる?」
「そりゃわかるけど」


単純に言えば、攻守を交代しつつのサシの勝負ってことだろう。

……それを俺と新藤で?


「なんでまたいきなり」
「時間はかからないわ。勝負はどちらが1ゴール決めるまで。いえ……先輩がオフェンスに回っても勝負にならないわね。わたしを抜けるとは思えないし。よし、1本決めたらわたしの勝ち。先輩はディフェンスでわたしを止めたら勝ち」
「なんか話が進んでる……」
「ごちゃごちゃ言わないで! 勝負するの、しないの!?」
「します!」


よく状況が理解できないが、彼女はこちらを向いてくれているのだから。

ここで断るという選択肢はあり得ない。


「じゃ、身体はあったまってるみたいだから、すぐに始めるわよ」


新藤はボールを弾ませた。


……。

 

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だん、だん、と断続的にドリブルの音が響く。

しっかりと腰を落とし、前を見据える新藤の姿は──

以前に見た"バスケ部の新藤景"だった。

誰よりも速くコートを駆け抜けていった、あの凛々しい新藤景だ。

いや、部活をやっていた頃よりも気迫に満ちているようにすら思える。


「あのさ、新藤」
「なによ」


新藤は鋭く前を見たまま答えた。


「一応、訊いておくけどヒザは大丈夫なんだろうな?」
「ナメるな。これは勝負よ。相手の心配なんかしてたら……負けるわよ」
「……悪かった」


彼女の目的はともかく、真剣であることは確実なのだ。


「こっちからも訊いておくわ。先輩、バスケの経験は?」
「体育でやったくらいかな。でも、俺はスポーツのできるほうだよ」
「わかってるわ。今だって、なかなか隙がない。あんたが並の運動神経しかなかったら、もう勝負は終わってるわよ」
「そりゃどうも」


しゃべりながらも、新藤の目線は動かない。

右か左か。

どちらを抜けてくるか?

たぶん、一瞬でも気を抜けばあっさりと抜き去られてしまう。

新藤は素早いし、たぶんフェイントも使ってくるだろう。


「………」


俺が見た試合では、新藤はボール運びが主な仕事だったようだが、外から内へのカットインも上手くこなしていた。

というか、誰にも止められなかった。

新藤景は、誰にも止められない女の子。


──面白いじゃないか。


「なに笑ってるのよ」
「君が君らしいことが嬉しいんだよ」
「あんたは、こんなときにでもバカなのね」


ふっ、と新藤は微笑む。

そして、俺も笑みを返した瞬間──

目の前で、彼女の姿がブレた。

なにが起こったのか、脳が追いつかない。

だが、身体はすでに反応していた。

カメラマンが動きを追えなかったら話にならない!


「ちっ」


小さな舌打ちが聞こえた。

 

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新藤は立ちふさがる俺の前でボールを両手に抱え、勢いよく跳ね上がる。

その動きに──背筋が凍る思いがした。

つま先から指先まで、流れるように力が伝わっていく。

空に放たれたボールに、俺は触れることもできなかった。

 

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「あ──」
「え──?」


滞空したままの新藤が、なんか近づいてきてる。


「わ……ああっ」
「──っ!」


最後の最後でバランスを崩したのか、ほとんど体当たりするような格好で新藤が迫ってくる。

ああ、結局はこういうオチか……?


…………。


……。

 

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「……生きてる?」
「君のためなら死ねる」
「アホか」


まるで新藤に押し倒されたような格好のまま、俺たちはしばらく動かなかった。

闇が迫る体育館。

部活で残ってる連中はいるはずなのに、人声は聞こえない。


「静かだな」
「わたしの勝ちよ」
「……えっ?」
「……聞こえたもの。ボールがネットをくぐる音が」
「嘘だろ」


倒れていく最中、そんな微妙な音が聞こえたとは思えない。

少なくとも俺には聞こえなかった。


「何度も何度も聞いた音よ。試合のときにでも、わたしには聞こえてた。勝利に近づく音だもの。そう、わたしはこの音が好きだった」

 

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今までに見たこともないほどの──穏やかな笑みが浮かんでいる。


「ドリブルの音。バッシュがコートをこする音。ボールがリングを通ってネットをくぐっていく音。わたしは、好きなのよ。なのに──」


彼女はぐっと唇を噛んだ。


「わたしは大好きな場所からも逃げ出したわ……! 失恋したことが痛くて痛くて、なにもする気がなくなって。ヒザの故障を口実にして、バスケからも逃げ出したの……。ううん、いっそのこともう歩けないくらい壊れてしまえばいい……そう思ったことさえ、何度もあったわ。なにもかもから目を逸して、耳をふさいで……そんなことしたってなんの意味もないのにね……」


後悔を吐き出した彼女は、憂鬱な表情を浮かべ、唇を噛みしめている。

過去を掘り出し、忘れてもいいはずの痛みと向き合っている。


「いいよ。もういいだろ。それが事実だったとしても、君はまだ終わったわけじゃないんだから」


俺は彼女の髪をそっと撫でた。


「君がバスケを好きだった気持ちを思い出したのなら、もう一度立ち向かえばいい。いや、もう挑戦を始めてるんだから。君が好きな音を、これからいくらでも聞けるようになるよ」
「……うん」


新藤は小さく頷いた。


「それにね、痛くないの」


彼女の大きな瞳から涙がこぼれる。

涙の粒は、俺の顔にぽとりと落ちた。

 

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「ヒザがね……全然痛くないの。痛くもないのに……泣いちゃうなんて……バカみたいね」
「痛くないから、泣いてるんだろ」


確かにバカだ。

そんなこともわからないなんて。


「先輩……わたしのこと、許してくれる?」
「君の気持ちを聞かせてくれたら」
「っ……」


新藤はたちまち真っ赤になったけど──

 

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「あなたが……あなたが好きです」


小さな声で、確かにそう言ってくれた。


「ああ、実はわかってた」


俺は笑ってそう言った。


「……バカね」


そっと重ねられてきた唇は──

やわらかくてあたたかかった。


…………。

 

……。

 

お互いに口を開かないまま、時間が流れた。

新藤は耳まで赤くして、うつむいてしまっている。


「………」


まあ、彼女のほうからキスしてくるとは俺だって思わなかったし。

しかし、これはなんなんだろうな。

いきなりの展開に頭がついてこない。

一発逆転ってやつなんだろうか。

 

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「……そういや」
「……なによ」
「君が勝ったってことだけど、俺になにかペナルティでもあるの?」
「賭けをしたわけじゃないんだから」


新藤は素っ気なく言い放つ。


「いいのよ、これは。わたしが迷いを無くすための──きっかけを作りたかっただけだから」
「迷いは……消えた?」
「わからないわ!」
「なんで偉そうなんだ!」


どいつもこいつも、言ってることメチャクチャだぞ。


「……でも」
「ん?」
「今は……ちょっとだけ素直になれそうかも」
「素直な新藤か……貴重だな」
「バカ」


再び、軽く唇を触れ合わせる。

これで何度目のキスだろうと、どうでもいいことを考える。

唇を離すと、新藤はもう湯気が出そうなくらい真っ赤になっていた。

たぶん、どんなに経験重ねてもこの子の赤面症は治らないだろうな。

可愛いからオッケーだけど。

ああ、こんなに赤くなっちゃって──

そのとき、ふっとあることを思い出した。

 

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「新藤」
「……なに?」
「ふたりきりになれる場所──行こうか」
「なにか企んでない?」
「とーんでもない」


…………。

 


……。

 

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じわじわと染み込むようにして闇が広がり、屋上にも夜が舞い降りてきた。


やっぱりこの場所はどこかもの悲しいと思う。

でも、今は──

 

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「どうかしたの?」
「いや、やっぱ一人より二人だなって思って」
「わけわかんないわ」


あ、呆れられてる。

ここは──外界から切り離されたような場所だ。

街並みや人の姿を見ることはできても、触れることはできない。

映画撮影と同じだ。

カメラの向こうとこちら側では世界そのものが違う。

本番が始まれば、たとえ監督といえども役者に触れることはできなくなる。

俺は、それに耐えられなくなったから。


「だから、なんでじろじろ見てるのよ」
「いやー、じろじろ見たい気分なんだよ」
「バカじゃないの」


また赤くなってる。


「それより、なにがあるのよ。そのうち校舎に閉じ込められちゃうんじゃないの?」
「出るのは簡単だよ。窓からでもどこからでも出られる」
「あからさまに怪しいヒトになっちゃうわね……」
「なんにでもリスクはあるもんだよ。それに、リスクを背負うだけの価値はあると思うな」
「だから、なにが──」


ひび割れた笛を吹いたかのような音が鳴り──

 

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その直後に、ぱぁんと轟音が夜空に響きわたった。


「あ──」
「お、いいタイミング」


黒く塗りつぶされた空に、次々と大輪の花が咲いていく。

 

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「きれい……」


宮村が広野と行きたがっていた花火大会。

日時を覚えておいて本当によかった。

人生、なにが役に立つかわからないもんだ。


「なかなかいい趣向だろ?」


屋上でふたりきりの花火見物。

ありがちだけど、これはこれで悪くない。


「きれい……」


新藤は他の言葉を忘れてしまったのだろうか。

まるで子供のように無垢な笑顔で、花火に見入っている。


「………」

 

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両手の親指と人差し指を組み合わせてフレームを作る。

ああ、そうだ。

俺が本当に撮りたかったのは──


「先輩?」
「あ、悪い。つい、ね」


いかん、いかん。

カメラの向こうの役者としてではなく、現実の彼女を求めているはずなのに。


「いいんじゃないの? まだ撮影は終わってないし、先輩が撮りたいならそうすればいいのよ」
「……ホントに、それでいいのかな」
「ええ、1つ答えてくれればね」


新藤はくすりと笑った。


「どっちなの?」
「どっちって?」
「先輩が好きだって言ったのは、出演者としてのわたし? それとも?」
「どっちもに決まってるだろ」
「即答ね」
「迷うようなことじゃないから。俺は新藤の全部が好きなんだよ」


空の向こうでは花火が咲いては消えていっている。

明るい夜空の下で、新藤が笑っている。


「俺が撮りたかったのも、この目で見ていたいのも新藤のそういう顔なんだ」
「ずるい……そんなこと言われたら、もうわたし……」
「新藤」
「先輩……」


もう花火なんてどうでもよかった。

ただ新藤の唇だけが、世界のすべてになっていく──


………。


名残惜しかったが、俺は身体を離すと、なんとなく夜空を見上げる。


「ふう……」
「なに落ち着いてるのよ」

 

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視線を戻すと、新藤が所在なさそうに立っていた。


「………なんか顔、赤くない?」
「赤くもなるわよ!」
「そうなの?」
「あ、当たり前じゃないの……」
「ふーん」


俺が首を傾げると、新藤はぎろりと睨みつけてきた。


「まあ……ずいぶん可愛いこと言ってたもんなー」
「言うなーっ!」
「『好き』とか『抱きしめて』とか『離さないで』とか『もっと』とか」

 

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「な、ななななな……!」
「ね?」
「なにをいちいち、思い出してるのよ、あんたは!」
「いつもの新藤からは考えられないくらいスナオで女の子らしかったぞ」
「今ここで……」
「はい?」
「今ここであんたを殺して、すべてを闇に葬り去る!」
「お、やっぱ怒った顔も可愛い」
「あ、あんたは……」


拳を握りしめて、ぶるぶると震えている。

からかい過ぎたかな?


「待て待て、早まるな。今俺を殺せば後悔するぞ」
「……なんでよ」
「今後、新藤が一生独り身で人生を歩むことになる」
「先輩の呪い?」
「違う! 『ああ、先輩以上の男なんていなかったな』って後悔しながら生きるんだよ」
「……その前向き過ぎるところはどうにかならないの?」
「俺の長所だから」
「……そうかしら」


不満そうにつぶやいて、新藤は一歩近づいてきた。


「でも……。条件付きで許してあげないこともないわ」
「条件?」


新藤のさらさらした髪を撫でながら尋ねる。

 

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「今夜は……もうちょっと甘えさせて」
「いいよ、そんなのでよければいくらでも」


軽いキスを交わして。

俺たちは微笑みを向け合う。


「そういやさ……」
「どうしたの?」
「花火……終わっちゃってるな」
「ああ、そうね」


新藤は星がまたたく夜空を見上げた。


「いいじゃない。また来年、見ればいいのよ」


そっと手が重ねられた。

 

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俺は彼女の小さな手を握りかえし、またキスをする。


「そうか、来年があるもんな」
「そうよ。来年もその先も……ふたり一緒にね」


新藤景の柔らかな笑顔。

ビデオカメラを置いてきたことを、俺は後悔していなかった。


「新藤、ありがとう」
「わたしも……嬉しかった」


今この瞬間に、この笑顔が俺に向けられているだけで充分だ。

 

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もうなにも望むことはない。

これ以上の幸せなんて、どこにもないのだから。


…………。

 


……。

 

 

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立ち上がった生徒たちが一斉に礼をする。

皆が顔を上げた瞬間、教室がわっと湧いた。

これでめでたく一学期は終了。

クラスの大多数が勉強漬けの辛い毎日を送るのだろうが、なんにしても夏休みというのは嬉しいもんだ。


「あーあ」


俺は座ってから大きく伸びをする。

昨夜は遅くまで新藤と長電話してたせいで、眠たくてたまらない。

いかん、いかん。

ぱん、と頬を叩いて気合いを入れる。

 

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「おーい、下僕ー」
「……」


気が抜けてしまいそうな声に、嫌々ながら顔を上げる。


「ねえねえ下僕、成績どうだった?」
「あの、宮村さん」
「ん?」
「立場はなんでもいいんですが、せめて呼び方くらいはもうちょっと考えていただけると」
「ぜいたくば下僕だぜ……」


だぜ?


「まあ、しょーがないね。で、つっつん。どうだったの?」
「どうせおまえには負けてるよ」


ヤケクソ気味に成績表を宮村に差し出す。

 

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「ほうほう、すごいじゃん。10ばっかり。英語はいまいちだけど」
「ほっとけよ」


ひったくるようにして成績表を奪い返し、睨みつける。


「でもあたしとそんなにレベルは変わんないね。これなら進学先も同じになるかも」
「勘弁してくださいっ!」


別に宮村が嫌いではないが、音羽を卒業してまで同じところに通うというのは──

正直、なんだか背筋が寒くなる。


「しっつれいだねえ……。ま、いいか。まだ先のことだし、どうなるかわかんないもんね」


宮村がどこを受験するのか事前に調べておく必要がありそうだな……。


「ああ、そうだ。病院行くの、今日だったよね」
「ああ……」


今日は──大げさにいえば運命が決まる日だ。

いつもののんきな宮村も、心なしか不安げに見える。


「診察の結果がどうでも……これから気をつけなきゃダメだよ」
「わかってるよ」


俺は頷いて、カバンを手に立ち上がる。


「お前は? 明日から夏期講習行くんだったよな?」


講習が始まれば、普段よりもさらに忙しくなる。

そうそう広野とだって会えなくなるはずだ。

来月の盆休みあたりに、こいつらはどこかに旅行にいくらしいが、それはそれだろう。


「パパのコネでね、遊園地の招待券貰ったの」
「へえ。広野が外出オッケーしたのか」
「ううん、凪さんに渡しの。今日はお友達と朝から遊びに行ってるはずだよ」


宮村はにっこりと邪気のない笑みを浮かべた。


「これで、今日は絃くんの家には誰も邪魔者来ないでしょ?」
「けっこう策士だな……」
「今日は朝まで絃くんのそばにいられるよ。いてもいいって言ってくれたの」
「いてもいい……? 偉そうだな、あいつは」
「あたしの絃くんは、ひねくれ者ですから」


そう言って、宮村みやこはもう一度笑った。


……。

 

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「──もう帰った?」


新藤の友人は、こくりと頷いた。


「そうなのか……ありがと」


彼女はぺこりと頭を下げて、歩き去っていく。


──おかしいな。


首をひねってしまう。

一緒に病院に行く約束だったのに、なんで?

携帯を取り出して、新藤の番号を呼び出す。


「………」


……繋がらない。

どうなってるんだ、いったい?


……。

 

 

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納得できないまま、俺はとりあえず病院に向かっていた。

病院にいなければ新藤の自宅、そこにもいなかったら──あとはどこだ?

実はまだ新藤の交友関係とか、行動範囲はよく知らないんだよな……。

携帯もやっぱり繋がらないし。


「──あれ?」


「お?」


正面から歩いてきたのは──羽山ミズキだった。

 

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「あ、ちょうどいいところに」
「なんですか、あげませんよ」


羽山は抱えた紙袋を俺から隠すようにする。


「誰も寄こせなんて言ってないだろ」


どうせ中身は漫画かなにかだろう。


「新藤、見なかった?」
「景先輩と会ってたら、こうして一人で歩いてません」


そらそーだ。


「だったらさ、新藤が行きそうなところとか知らない?」
「知ってても教えたげません。敵に塩を送るほど寛大じゃないですから、わたしは」


こいつ本気で言ってるな。

最近はますます俺を見る目が険しくなってきてるし……。


「別にいいけどな。自分で捜すさ」
「む、あっさりしてますね」
「それが性分だから」
「そんなことじゃダメでしょう! 景先輩を狙ってるならもうちょっと必死になってみせてくださいよ!」
「君は俺を応援してるのか、蹴落とそうとしてるのかどっちなんだ!」
「そんなの、わたしだってわからなーいっ!」
「自分の発言には責任を持てっ!」
「なにをーっ!」

 

──「なにしてんの、あんたたち? 目立っちゃってるわよ」

 

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「景先輩っ!?」

「景!?」


呆れたような顔で俺たちを見ているのは、間違いなく新藤景だった。


「そりゃこっちの台詞だよ。君、どうしてたんだ?」

「ごめんね」


驚くほど素直に新藤は頭を下げた。

本当に、もうなにがなにやら。


「病院……行ってきたの」

「えっ」

「病院!? どこかお悪いんですか!?」

「慌てないでよ」


そっと新藤は首を振った。


「実はね。ヒザをきちんと検査してもらってきたんだけど……。どこにも異常は見つからないって」

「え、え……? ちゃんと診てもらってきたってことは……?」

「うん、またバスケやってみようと思って。一からの再スタートね。かっこいいわたしを見せるにはちょっと時間がかかるだろうけど……もう少しだけ待ってね」


新藤は羽山に笑いかける。


「そんなの……そんなの、先輩は今だってめちゃくちゃかっこいいですよ!」

「ありがと、ミズキ」

 

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やれやれ。

微笑ましいな、この二人は。

クソ生意気な羽山も、新藤の前では借りてきた猫みたいだしな。


「京介先輩」

「ん?」

「ごめんね、勝手にひとりで行っちゃって」

「ああ、かまわないよ。ひとりで行きたかったんだろ?」


俺が付き添ってやれば、新藤はいくらか安心できただろう。

でも、彼女はそれではダメだと思ったんだ。


「京介先輩も……ありがとう。わたし……」

「いいんだよ。いいんだ……」

「これで……本当にバスケが……っ」

「景先輩っ」


涙ぐみそうになった新藤に、羽山が駆け寄る。


「大丈夫よ……それより、それはなに?」


涙をごまかすにしても、ヘタクソすぎる話の逸らし方だ。

ま、新藤は不器用だもんな。


「あ、ああ。漫画です」

 

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羽山は手に持っていた紙袋を新藤のほうに差し出す。


「そう……。お兄ちゃんの漫画が載ってる雑誌もある?」
「ありますけど……」


羽山はなぜか俺をちらりと見てから、分厚い雑誌を取り出し、新藤に渡した。

 

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「ありがと」


新藤はぱらぱらっとページをめくり、中ほどで手を止めた。


「へえ……。人気とかどうなのかしら? 前は平凡とかありがちとか言われてたけど」

「あ、最近は全然そんなことないですよ。カチコミで評判が広がってるみたいです」

「口コミだろ……」


カリコミは殴り込みのことだって。


「そっか……。お兄ちゃんの漫画、ずいぶん久しぶりに読んだけど……」


雑誌から顔を上げ、俺と羽山の二人に向かって微笑して。


「やっぱりわたしのお兄ちゃんはすごいわね」


心の底から嬉しそうに──"妹"の顔で広野絃を讃(たた)えている。

少なくとも、俺にはそう思えた……。


……。

 

「今日もいいお天気ね。暑いけど」
「そりゃあ夏だからね」

 

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用があるという羽山と別れ、二人で道を行く。

まぶしい日差しの下を、新藤は確かな足取りで歩いている。

もう彼女が自分の弱さをかばうことはないだろう。


「なによ、またなんかニヤニヤしてる」
「そうか、きりっとした顔のほうが新藤は好みか」
「好みとか……誰もそんなこと言ってないでしょっ!」
「またすぐ怒る……」
「あんたが怒らせてるのよ! だいたい、怒った顔もいいって言ってたじゃない……」
「え?」
「なんでもない!」


なぜか新藤はまたまた赤面しながら、激しく首を振った。


「それより……先輩、最近は全然カメラ回さないのね」
「ホントに話逸らすのヘタだなー」
「ほっといてよ」
「まあ、いつもどおりカメラは持ってるんだけどさー」
「だけど?」
「急がないことにしたんだよ。しばらくは自分の目で新藤を見ていたいしね」
「……うん」
「それに、これからは一緒なんだから、ゆっくり時間をかけて撮っていけばいい」
「ゆっくりって……どれくらい?」


新藤はきょとんとした顔をする。


「さぁ?」


俺は笑って首をひねる。


「1ヶ月かもしれないし、1年かもしれないし。10年かもしれない、いやもっとかも」

「ちょ……ちょっと待った! なによ、10年って!? そ、それじゃあまるで……」
「ん?」


なにを一人で慌てふためいてるんだ?

別に今の会話におかしなところは──

あ、そうか。


「なんか微妙にプロポーズみたいだな。はっはっは」
「笑い事じゃなーいっ!」
「まあまあ、落ち着きなされ娘さんや」
「どこのご隠居だ、あんたは!」


そんなに叫んだら余計に暑苦しいだろうに。


「もういいっ」


ぷいっと顔を逸らして、一人で行ってしまおうとする。

やれやれ、扱いにくい女の子だよな、実際。


「でも、それでこそ新藤景だもんな」


だから俺は彼女を追いかける。

脇目もふらず、まっすぐに。


……。

 

「……さて、と」


突然、彼女は立ち止まって振り返る。

 

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「京介先輩はここまでね」
「ここまで?」
「ここから先はわたしが戦う場所だもの」
「そうか……」


新藤は、これから部活に参加するつもりなのだ。

再入部の届けを出して、その足で練習にも出るという。


「でも、いきなり今日から参加して大丈夫なの?」
「平気よ。ちゃんと部のみんなにはあらかじめ断ってあるわ」
「いや、それもあるけど……今日、完治を確認したばかりだろ? もうちょっと様子を見てからでも」
「ダメ」


彼女は、笑顔できっぱりとそう言った。


「もうじっとしてられないの。こんなに身体が軽いんだもの。走って、跳んで、動かないと頭がどうにかなっちゃうかも」
「ああ、そうか」


俺は軽く自分の頭を小突く。


「危ない、危ない。新藤のやりたいようにやるのが一番なのにな。勝手な奴になるとこだった」

 

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「勝手になってもいいわよ。そんなことくらいじゃ嫌いにならないから」


──彼女の優しい声が胸に響く。


俺はじっと彼女の瞳にのぞき込んだ。

そこにあるのは、透明な優しさと──確かな決意。


「ちなみに」
「え?」
「なにをしたら嫌いになるのかな?」
「さあ……? なんで好きになったのかもわからないからね」


そういって、新藤はいたずらっぽく笑う。


「ひどいなあ」
「ふふ、でもいいじゃない」
「いいって、なにが」
「先輩はわたしの身体を軽くしてくれた。ずっと一人で苦しんで、先が見えなくなってたわたしが……こうしてここにいるのは。千尋やミズキ、みやこさんに……雨宮優子。お兄ちゃんも。みんながいてくれたから。それに、なによりあなたが──あなたに引っ張られて、わたしは自分を取り戻せたの」


俺は深く頷いた。

新藤は確かに変わった。

撮影を始めた頃と全然違うと言ってもいい。


「みんながいて、君は変わった。でもね、俺は変わる前の君も今の君も──好きだよ。新藤と過ごしてきた全部の時間が大事なんだ」
「……ありがとう。ありが……とうっ」
「わっ……と」


勢いよく飛びついてきた新藤を抱き留める。

 

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「お、おいおい。外なんですけど」


ほとんどの生徒はとっくに下校してるが、それでも辺りを通る人はいる。

校舎のほうからだって、俺たちの姿は見えるだろう。


「だからなによ。好きな人に抱きつくのが恥ずかしいことなの?」
「……まさか」


俺は首を振る代わりに、新藤を強く抱きしめる。

悲しみを乗り越えてきた小さな身体を、今は優しく包んであげよう。

彼女にはこれからも戦いが待っている。

彼女自身が望んだ戦いが。

意志を貫く君に、俺ができることはこれくらいなのだから。

 

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「ねえ、先輩」
「なに?」
「わたしね……どこまでも走っていくから……ちゃんとついてきてね!」
「ああ。わかってるよ、景」


夢を追っているだけでは決してつかめない。

そういう大切なものがあることを知った俺たちだから。

きっと離れることはないだろう。

いや、絶対に君を離さないと……今、ここに誓うよ──


…………。


……。

 


─終わらない夏─


……。


夏休みが始まって数日が過ぎた──

わたしは毎日部活に精を出し、朝から晩まで過酷なメニューをこなしている。

カンと体力が戻るまでもうしばらくかかりそうだけど、やっぱりバスケは楽しくてしょうがない。

勇気を出して部活に復帰して、本当に良かったと思う。


「──それはわかったけど」

 

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「ん?」


わたしはスクラップブックから目を上げる。


「喋ってないで、ちょっとは手伝ってくれてもいいだろ」


お兄ちゃんはパンパンにふくらんだ旅行用カバンを殴りつけた。


「あー、ちくしょう。全然入らねぇじゃん、このカバン」
「お兄ちゃん、詰め方が下手なのよ。だから、みやこさんにやってもらえばよかったのに。あの人、そういうの得意そうじゃない」
「バカ言え、毎日勉強漬けの奴にそんな面倒かけられるか」
「変なとこで気を遣うのね」
「うるせー」


お兄ちゃんだってほんの数時間前まで原稿をやっていたらしい。

旅行当日までお仕事とは、漫画家というのは呪われてると思う。

 

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「ああ、やっぱダメだ。やってられるか。いいや、別に。1泊2日なんだし、着替えなんて無くても」
「バカ言ってるんじゃないわよ。着替え以外のものを詰め込みすぎなんでしょ。余計なものは迷わず置いていかなくちゃ。お兄ちゃんって、優柔不断だからね……」
「手伝いもしないくせに文句ばっか言うな。だいたい、なんでそんな古いスクラップひっくり返してるんだよ?」
「ああ、ちょっとね……前にみやこさんにいわれたことが気になって」
「なんだか知らねぇけど、みやこの言うことはあまり真に受けないほうがいいぞ」
「そうね……本当、そんな気分」


わたしは開いていたスクラップを閉じる。

確かに……真に受けられない話だ。

こんなのは、どこかに間違いがあるんだと思う。


「ま、面白いから色々あることないこと加えて千尋にメールしようかな。千尋、けっこうこういう話好きだしね」
「本当にわかんねぇけど……千尋、元気なのか?」
「あの子も色々あるみたいだけど……。元気は元気みたい。変わりない、とも言うわね」
「そうか」


お兄ちゃんは神妙に頷いた。


「元気ならそれでいいよな」


つぶやくように言って、強引にカバンを締めてしまう。

……中身が潰れそう。


「それじゃ、そろそろ行きましょうか」
「結局最後まで手伝わなかったな、おまえ」
「お兄ちゃんの世話を焼くのはわたしの役目じゃないもの」
「……おまえ、ますますいい性格になったんじゃねぇか?」
「おかげさまで」


わたしはにこっと笑って、立ち上がる。

ねえ、お兄ちゃん。

こうしてお兄ちゃんとまた他愛ない話ができるようになって、本当に嬉しい。

やっぱり、今でも好きだもの。

先輩は、わたしがお兄ちゃんのこと好きでもいいって言ってくれた。

わたしにとって特別な人が──そう言ってくれて本当に嬉しかった。


「お兄ちゃん」
「ん?」

 

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「わたしね──」


……。

 

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「あ、つっつんじゃん」
「げ」
「……いま、"げ"って言った?」


宮村は手に持ったカバンを小刻みに揺らしている。

なんか知らんが怖そうな構えだ。


「いえいえ、なにも言ってませんよ」
「そうだよね、久しぶりにあたしに会えて嬉しいでしょ?」
「嬉しいかどうかはともかく……終業式からまだ2週間ちょっとだろ」
「そっか。寂しがるどころじゃないよね。つっつんたちは今が一番楽しい時期だもんね」
「ああ、もう楽しくて仕方ないよ。毎日、夜が来るのが楽しみで楽しみで」
「なんかいやらしい」
「いいだろ、別に」


というか、新藤とは最近は夜にちょこっと会うのが精一杯といったところだ。

彼女は毎日部活に励んでるし、俺も夏期講習には通ってないが、図書館で勉強に打ち込んでる。

陽が落ちてからどこかで待ち合わせて、少し話をするくらいだ。

まあ、たまに我が家でイケナイことをしたりはするけど。


「うわっ、ホントにエロいこと考えてるでしょ」
「心が読めるのですか、おまえさんは」
「なんか君を連れて行くのを考え直そうかと思ったよ」
「……つーかさ、いまさらだけど本当に俺たちも一緒でいいの?」


広野たちの旅行に同行しないかと誘われたときには何事かと思った。

新藤、広野、宮村の休みが都合良く重なってるから──とかいうことで、OKしちゃったんだけど疑問は残る。

 

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「せっかく二人きりで遊べる数少ないチャンスだろ?」
「せっかくだから、だよ。みんな一緒のほうが楽しいよ。そうでしょ?」
「そりゃまた心が広いというか、大ざっぱというか……」
「いいんだよ。細かいことにはこだわらずに、ゆっくりのんびり楽しくいくの。だって、あたしは」

 

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宮村はそう言って、太陽が輝く空を見上げる。


「まだ夢は見つからないけど、生き方は決まってるからね」
「ほー」


生き方とはまた大層な。


「ちなみにそれは?」


きらめく夏の光を浴びて、宮村は笑う。


「ずっと絃くんと一緒にいること!」


ひとつの夢が醒めて現実と向き合う。

そして、向き合った現実の中で新しい夢と出逢う。

だけど、それは繰り返しじゃなくて。

前に進んでいるのだと信じたい。

 

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「うわー……。絃くん、その不細工なカバンはなに? だから、あたしが詰めてあげるって言ったのに」

「いいだろ、俺が自分で持つんだから」

「みやこさんも苦労が絶えないわね……」

「そこ、しみじみ言うなっ!」


……進んでるよな?


「京介、こいつらになんとか言ってくれ」

「いやあ、俺は女性の味方だし」

「女性の?」


新藤の顔がみるみる不機嫌になる。

それくらいで怒らなくても……。


「いや、もちろんなにを置いても新藤の味方だよ?」

「しらじらしい」

「あああ……」


なんか付き合い初めてから、余計に扱いが難しくなったような。


「心配しなくてもいいんじゃねぇの?」

「なにが?」

「景は怒ったフリしてるだけだろ」

「……そうなの?」

「知らないわよ」

「と申していますが、お兄さん」

「誰がおまえの兄さんだよ。あのな、景は──」

「ん!? ちょっと待ってよ」

「今、最高に幸せなんだとさ」

「だーっ、それを言うんじゃねぇ!」

「え、それ本当?」

「聞かなかったことにしなさい!」

「へー、景ちゃんも言うね」

「だ、だから……もうーっ!!」


新藤を囲んでみんなで笑う。

こういう穏やかでバカバカしい時間が──本当に愛しいと思う。


──「……騒がしい人たちですね」



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「あれ、優子?」

「……っ!」

「あんた、なんか用があるから一緒には来れないとか言ってなかったか?」


そうだ、確か雨宮も誘ったけど、街でやることがあるから断られたとかなんとか。


「たまたま通りかかっただけですよ。……新藤さん、楽しいですね」

「………」


新藤はなにか言いたそうな顔をしてる。


「あんたは……」

「はい?」

「……なんでもないわ。待ってる人とかには会えたの?」

「あは、いつか会えると信じてますよ。いえ……迷わず前に進んでいれば絶対に会えるって確信しています」


雨宮優子はそう言って、微笑した。


「優子ものんきだよね」
「あなたほどじゃないですよ。さて、それでは……みなさん、ごきげんよう


雨宮優子は小さく頭を下げた。

顔を上げると同時に、さっと身を翻す。


あいつだけは謎だな」

「だな」

「男ってやっぱり鈍いのね……」

「この二人が特別そうなのかもしんないよ」

「広野はともかく、俺までバカにするのはやめてほしいな」

「なんだとこの野郎──」


──「景せんぱーいっ!」

 

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突然、奇声が響き、去っていく雨宮のさらに向こうに羽山ミズキの姿が見えた。

そして、振り返りもしない雨宮と羽山がすれ違う──。

 

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「──?」

「ミズキ、どうかしたの?」

「え、あ、いえ。なんでもありません。ちょっと懐かしい匂いがしたような気がして……」

「匂い?」

「いえ、気のせいですね。それより遅れてごめんなさい」

「まったくだ。見送りしたいとか言っといて、遅れてきてんじゃねーよ」

 

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「景先輩~っ、ヒロ先輩がいじめます~」

「ああ、よしよし」

 

新藤に泣きついてる羽山も当然この旅行に誘われたのだが、なにやら外せない用があるらしい。

夏休みだというのに制服を着ているあたり、おそらく学校でなにかあるのだろう。


「堤先輩!」

「え、なんでしょう?」

 

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「これを、あなたに託します」


羽山は恐ろしく真剣な顔をして、ずいっと手を差し出してくる。


「……デジカメ?」

「それに景先輩のお姿を収めてきてください。あ、変な写真とか撮ろうとしたらダメですよ」

「……了解」


俺、ビデオも回すつもりなのに、遊ぶ暇あるだろうか。


「あああ、もう時間がなーい! 先輩方、わたしはこれで失礼します。いってらっしゃい!」


叫ぶようにそう言って、羽山は風のように去って行った。


「やれやれ、騒がしいな」

「ミズキちゃんがおとなしいほうが怖いよ」

「おまえはたまにはおとなしくなったほうがいい」

「いつものあたしが大好きなくせに」

「……アホか」


じゃれ合いながら、広野と宮村は駅へと向かって歩き出す。

俺は横にいる新藤に目を向けた。


「ん……」

「やっぱり、あの二人はお似合いよね」

「いや、俺たちだってあいつらには負けてないって!」

 

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「ぎゃー、抱きつくなっ!」


邪険に振り払われてしまう。


「暑苦しいわね」

「夜は自分から抱きついてくるくせにー」

「なっ……!」


新藤はたちまち真っ赤になって、肩が震え出す。


「だからそういうこと言うなって──」

 

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「……んっ!?」


さっと肩を抱いて、素早く新藤の唇をふさぐ。


「んん……っ、はっ……。い、いきなりなにするのよ!」

「好きな人にキスするのは恥ずかしいことじゃないから」

「……バカ」


恥ずかしげに言って、新藤は背伸びしてきた。

俺は新藤の肩を抱いたままもう一度キスする。


「……んっ。先輩……好きよ」
「景」


にっこりと彼女に笑いかけて、もう一度唇を近づけ──

 

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「キ……キスしてるーっ!!」

「ミ、ミズキ!?」

「わっ!」

「ミズキ! な、なんで!?」


俺を突き飛ばして、新藤は真っ赤になりながらそう言った。


「デジカメの予備のメモリー渡し忘れてたから……。先輩たち、キスしてましたよね……?」

「い、今のはね……」

「言い訳はしなくていいだろ」

「きゃっ……」


俺は大切な彼女を抱き寄せる。


「景」


彼女の名前を呼んで、強く強く抱きしめる。


「もう……。バカなんだから」


そうだよ、俺はバカだ。

バカだけど、景のことを思う気持ちは本物だからこうしていたい。


「あうぅ……」

 

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「おーい、おまえらなにしてんだ」

「電車行っちゃうよー」


どうやら、広野たちも戻ってきたらしい。


「はあ……とうとうわたしも年貢の納め時か」


わけのわからないことを言って、羽山は肩を落とした。

この子には悪いけど、景は誰にも渡せない。

 

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「先輩、そんなに強くしたら……痛いわよ」

「離してほしい?」

「痛いけど……もうちょっとこのままがいい」


前に進んでる。

俺はそう信じたい。

友達と後輩と、かけがえのない君。

生まれた繋がりを大事にして、これからも一緒に。

俺たちはこれから長い時を重ねていくのだろう。

彼女がいてくれれば、それだけで毎日は満たされる。

この胸の中には、確かなものがある。

君への想いと、君が向けてくれるあたたかな気持ち。

2つの心が1つに溶け合い、それが確かな絆となる。

君と出会い、恋したこの季節は永遠に消えない記憶になるだろう。


──夏はまだ続いていく。


…………。

 

……。

 

 

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「そして……。あの子たちは、今もこの街で笑っているんです」

 

優子は笑顔でそう言って、長い──とても長い話を締めくくった。


「実は、あの子たちと一緒に遊びにいきたかったんですけどね……。そこが勤め人の辛いところです」


残念そうに言いながらも、優子の顔には満ち足りたものが浮かんでいる。

たぶん、彼女はやるべきことをすべてやったからだろう。

 

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「まぁ……。一緒に行ったって、若い奴らにはついていけないさ」

「むぅ、ひどいですね。私だってまだまだいけますよ」

優子はたちまち憮然とする。

割と本気で怒っているようなのが少しおかしい。


「悪い、冗談だ。気にするな」
「困った人ですね」
「それで、そいつらとは最近も話しているのか?」
「あっ、誤魔化していますねぇ。本当に困った人です。……ふぅ」


優子は小さくため息をつく。


「みやこたちと同じですよ。もう、新藤さんにも堤さんにもほとんど会っていません」
「そうか……」
「でも、それでいいんですよ。あの子たちはとっくに自分の足で歩いてるんですから」


心から嬉しそうに笑って、優子は少しだけ遠い目をする。

その目はどこまでも透き通っていて、そしてあたたかな優しさに満ちている。


「次は、優子の番だな」
「わたしの……?」
「そうだ。お前には、無くしてしまったものがあるだろ?」
「そうです……」


優子は俺に視線を戻して、小さく頷いた。


「大事なものは、もう失われてしまったんです……。ただ、思い出の欠片が、いくつか散らばっているだけ……」
「いや、違う」

悲しそうな優子に、俺はきっぱりと言い切る。

優子は、悩み迷っている者たちに言葉をかけ、背中を押して正しく導いてきた。

その優子だけが、大事なものを失ったままここにいるなんて──


「無くしたものは、取り戻せばいい。俺が取り戻させてやる」

 

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「相変わらず、あなたは強気なんですね」
「弱気な俺なんて見たくないだろ?」
「あなたは。今日までずっと、強さを失わずにきたんですね……。わたしが憧れた、強くて優しい……火村夕くんのまま……。わたしは違う」
「違わねーよ」
「違うんですよ、わたしは変わってしまった……」


申し訳なさそうに、優子は表情を曇らせる。

多くのものを失っているとしても──


「おまえはおまえだ。少なくとも……俺にとっては、そうなんだよ」
「やっぱり、あなたは優しすぎますね」


優しいからじゃない。

俺が信じたいのだ。

優子は優子のままであると。

多少の記憶の欠落がなんだっていうんだ?


「ひとつ、いいですか?」
「なんだ?」
「わたしも知りたいんです」
「知りたい?」
「わたしが知らない、あなたのことを……。教えてほしい」
「俺自身には、大したことは無かったな。割と平凡な日々だったよ」
「夕くんが平凡? ふふっ、なんか胡散臭いですねぇ」
「俺自身のことはともかく、信じられないような人間と会ったりしたな」
「あら? 誰ですか?」
「それを話すには、ちょっと時間を遡らなければいけない。俺とおまえの過去にも、関係のあることだ」
「わたしたちの……」
「そうだ。いや……その前に、あの子のことも話しておかなきゃいけないな」
「あの子? あの子って、女の子なんですね」
「変なところで鋭いな、おまえは」
「これでもわたしも、女の子ですので」
「そういうのじゃない。ただ……その子のことを話さないと、俺がここにいる理由も語れないんだ。彼女がいたから、俺は優子がここで待っているって、知ることができたんだよ」
「わたしのことを、その子が夕くんに?」
「そうだよ。直接ってわけじゃないけどな。少なくとも、きっかけを作った人間のひとりだ。それに、おまえが話した物語とも深い関わりも持っている」
「その子は誰なんですか?」
「彼女の名前は、新藤千尋
「しん、どう……」
「ああ……。さて、どこから話そうか……」


……。