ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【1】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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──「からす なぜなくの からすは 山に かわいい 七つの 子があるからよ」


……。

 

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学校の帰りに無人の駅に顔を出すと、歌が聞こえてきた。

懐かしい日本の歌。

……。



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……つまり無人ではないわけだ。


「きれいな声だな」

 

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星座のように散らかった小石が音をたてないように。



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静かに、僕は駅の構内に足を踏み入れた。



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──そこで僕は彼女に出会った。


いや……まずエピローグから語ろう。

これは、それが相応しい話。

不連続に並ぶ記憶の話。

出来損ないのおとぎ話。

正確に1日1日綴っていた日記を、ばらばらにして組み直したようなお話……。

 

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『ねぇ、彼女と会ったこと後悔してる?』


すべてを語り終えた後、電話口で姉妹がそう訪ねてきた。

冬の真夜中。

さらさらと乾いた冷気が、足元から体温を奪っていく中で、僕は立ち尽くす。

月のきれいな夜だった。

銀色の塩の砂漠にいるような、そんな静けさ。

まあ、終わったんだなって感想を抱けるくらい静かな夜だった。

 

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『……聞いちゃ駄目だった?』


僕の答えがないからか、従妹──羽山ミズキが改めてつぶやく。

 

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「ああ、いや……後悔?」
『そう。後悔』
「ちょっと待って」


どうかな、と自分の心に問いかけてみた。

彼女との日々を考える。

彼女との別れを考える。


「うん、してると思う」


正直に答えた。


「もっと違う出会いだったらとか、もっとできたことがあるんじゃないかとか。もっと自分に力があればとか。あんな……悔しくて痛い想いをするのはもう嫌だね」
『………蓮治(れんじ)、今笑ってる?』
「なんで」
『声がそんな感じだったから』
「……後悔はしてるけど。あんなに幸せな時間もなかったよ」

正直に答えた。

すぐに答えられた。


『そっか。そっか……みんな頑張ってるんだね』
「みんな?」
『うふふ。こっちの話。もう遅いし電話代もかかるから切るね。今度、遊びに行くから。おばさまにも宜しくって伝えておいて』
「……ありがとうミズキ」
『え? ありがとうってなにが?』
「この電話。僕のこと気にかけてくれたんでしょ」


苦笑いしながら唇を曲げる。

いつも憎たらしい従妹が、こんなに優しかったことなどなかったから。


『はぁ。んなわけないでしょ……おやすみ蓮治』
「おやすみミズキ」


通話の切れた音を3つ確認して受話器をおく。

月のきれいな夜だった。


「後悔なんて……してるさ……」

 

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声が震えていた。

目頭と首の裏側が火照っている。

ずっと、これからも後悔し続けると思う。

眠れそうになかった。

身体は冷え切っていて、すぐにもベッドにもぐりこんで意識を遮断したがっていたけれど。

心が痛くて目が冴える。

 

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「………」


僕は彼女から受け取った手帳をポケットから取り出した。

別れ際にもらった手帳を。

彼女の大切な日記(きおく)を。

月明かりに文字を浮かび上がらせる。

1つずつ思い出していこう。

文字通り、日記をたどって。

そんなことしなくても、もう何度も読み返して記憶しているけれど──僕自身が関わり実体験した物語であるけれど。


始まりのページにはこう書いてある。

きれいなきれいな丸い字で。


──昨日の私から、今日の私へ


駅に備えつけられたベンチに、ひとりの少女が座っていた。

 

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そのベンチは僕のお気に入りの場所だったが──ペンキ塗りたての札も、予約(リザーブ)の札も下げていなかった。

少女は首を大きく傾けて空を見上げている。

空気が冷たい。

そんな中で無防備に喉をさらす姿は、スペースシャトルを打ち上げた余韻に浸っているか、雛鳥が餌を求めているようにも見えた。

いや、巣立ちしそこねた鳥か……。


「………」


ぼんやりと少女を見つめていたが、ふいに、邪魔をしては悪いなという気分になった。

多分、その光景がきれいだったからだろう。

僕は静かに駅から立ち去ろうかと思ったが……。

少女が一心になにを見つめているのかと、つい視線を追ってしまった。

 

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なにもなかった。

けれど空があった。

冬の夕焼けはその冷たさを象徴するように冴え渡っている。


「……あぁ」


確かにそうやって、ぼんやりとする価値はあるかなと思った。

視線を下ろす。


「………」


いつの間にか、逆に少女に見つめられていた。

ものもらいでも患っているのか。

眼帯にふさがれてはいない右目だけが、僕を見ていた。

そこでようやく……どうしようかと考える。


「この駅、電車は来ないよ」
「え?」
「ごめん、なんでもない」


適当な誤魔化しに真顔で反応されてしまい、反射的に謝ってしまう。

お互いに言葉が続かない。

続ける言葉があるわけないので、当たり前だ。

先客は向こうなのだから、僕のほうが立ち去るべきだろうと常識的に考える。


「それじゃあ」


右手を挙げて軽く振る。


「……うん」


きょとんとしていたが、少女も小さな手を振りかえしてくれた。

そうやって、僕らの一度目の出会いは終わった。

僕が彼女に出会ったのは、冬のことだった。

それは、45秒未満の邂逅(かいこう)だった──。


……。

 

Chapter3. Chihiro Shindou
 "Terminal in the world", ef - the latter tale.

 

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それが僕と彼女の出会いだったのだけれども。

実は彼女の日記では、ほとんどその内容に触れられていない。

『駅でベンチに座っていたら学生服の男の子が来たけれど、おかしなことを言ってすぐに帰ってしまいました』とかなんとか。

なんの驚きも劇的さもない出会いだった。

運命を予感させた──なんて日記に書かれるわけもなく。

しかし、今になって思い返せば、このすれ違いと変わらない出会いが重要だったと知ることができる。

人間の記憶は不連続にして、過去の印象は常に、未来の印象によって修正される。

例えば、これ以上面白いものはないと感じていた本やゲームが、未来の面白い作品に塗りつぶされ。

例えば、恋人と過ごしていた楽しい時間は、別れた後に思い出せば寂しいものでしかなく。

例を挙げていけばキリがない。

それが当たり前のことだ。


「……当たり前」


声にだして苦笑いしてしまう。

夜はまだ長いけれど日記の続きをたぐろう。

日付は彼女と出会ってから1週間ほど後となる。

その頃の僕は、この"当たり前"という言葉が大嫌いだった。


…………。

 


……。

 

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「おはよう」


制服の襟を整えながら居間に顔をだすと、台所から声がかかった。


「おはよう」
「ごはんは、もうちょっと待っててね」
「うん」

 

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「まあ、よくなくても後5分は待ってもらうけど~」


言いながら母が居間に出てきた。

父親が海外赴任で家を空けることの多いせいか、ふたり暮らしに慣れた母の言動はどうも気やすい。

彼女は立ったまま、僕を見たり、テレビを見たり、台所で火にかけている鍋を見たりしていた。

お笑い芸人と同じくらいせわしないな。


「そういえば、今日はお母さん、帰りが遅くなるから宜しくね」
「料理教室?」


中身のある話題に注意を向けた。

料理教室とは、母が講師のバイトをしている奥様方の暇つぶしの集まりで──僕は一度顔を出してひどい目にあっている。


「そうそう。ちょっと友達とケーキを食べてくるの。だから少し早めに帰ってきて留守番しててくれないかな?」
「わかった」


そんな、いつもと変わらぬ平凡な朝。

平凡な1日の始まり。

僕はソファに座り、ぼんやりと天井を眺め、なんとなく時計を見た。

7時半だった。


……。

 

──で、そこからさらに7時間半が経過した。

帰りのHRで、唐突に『将来の進路を考えてこい』とプリントが配られた。

見事な不意打ちだ。

子供の頃と違って、それはつまり具体的な未来を決めて来いということだろう。

野球選手になりたいとか、宇宙飛行士になりたいとか……そういう夢ではなく。

手を伸ばさなくても届くところにある夢。

その日、教師の言葉を聞くまでは思っていたんだ。

いつか、自分が特別な人間であると言われる事件が起きると。

いつか、自分には才能があると認められるなにかが見つかると……。

ずっと昔から、僕の頭の中にはお姫様を守り、幾多の戦いを乗り越えてきた騎士である"僕"がいた。

でも、いつの間にか。

そんな夢見ていた自分の年齢を追い越していた……。

 

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「……間に合わなかったか」


なんとなく右手を広げたたり握ったりしながら、自分の考えに笑ってしまった。

現実的ではないし、子供っぽいと思うけれど……それが麻生蓮治にとっては本当に夢だったのだ。


「どうしようかな」


もう一度空を見上げる。

鈍く透明な青。

冬の空はあんなに低いのに、それでも手が届かない。


「でも、将来のことを、ちゃんと決めなくちゃいけない時期なのも確かなんだよな」


他人事のようにつぶやいてみると、他人事のように言えてしまった。


「……われながら緊張感がないな」


いつまでも同じところで、うろついていてもなんだと。

僕は他人事のような自分の事を、他人に聞いてみることにした。


……。

 

「──で、俺のところに来たわけか」

 

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くぐもった声が、がらんとした空間に響いた。

そこは住宅地の一角にある教会。

室内は密閉されているはずなのに、窓が多かったり天井が高すぎたりですこぶる寒い。

 

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というか、どこからか隙間風が吹き込んでいる気がする。

人が集まる場所なのだから、もうちょっと設備にお金をかけてもいいと思うのだが……。


「……本気で寒いな」
「おい、聞いてるのか蓮治」

 

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「え? はい、もちろん」


先ほどよりも低い声に、僕は慌てたフリをして、視線と意識を声の主に向けた。

 

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「進路のことで大人の意見を聞きたいわけでして」
「……そうだな」


なにやら呆れ混じりに頷きつつ、目前の男性は目を細めた。


「それ自体はいいんだが……よくもないが。問題はむしろ、なんでそこで俺が出てくるかってことだ」
「はあ」


自分でもよくわからないため息で1つ間をおく。


「なんとなく」
「………おまえ、友達いないだろう」
「‥…なにか関係あるんですか、それ」
「俺は別に神父でもないし、ボランティアでセラピーをやってるわけでもないんだけどな」


彼は呆れたようにつぶやく。

上下とも真っ黒な服装は神父然としているが、確かにその言動は教会には不釣り合いだ。

ぱっと見の外見と性格は、とっつきにくい理数系の教師という感じ。

接客業だけは絶対に向いていないと思う。

彼──火村(ひむら)夕(ゆう)さんは、宗教関係者とかセラピニストとかの前に、そもそも年齢も職業も素性も不詳の人だ。

何度かこうやって話をしているけれど、実は僕も詳しいところを知らない。

いつも教会で暇をもて余しているらしく、いつの間にか僕らの年代が相談を寄せる人物として定着してしまった──らしい。

って、なるほど。


「こんなところにいたら、相談を持ちかけられるのも無理ないですよね」
「こんなところ?」
「いや、教会ですから悩みの1つや2つ抱えた人が来るんじゃないですか?」
「教会に来るやつは、皆して悩みを抱えてるのかよ」
「スーパーとかゲームセンターに行く人よりかは」
「比較対象が滅茶苦茶だろう」


火村さんはあきれた顔で肩をすくめた。


「しかし進路相談ね……まだ1年だろうおまえ。最近の学校は早いんだな、そういうの
「どうなんですかね?」
「なんでもいいけどさ。で、そもそも、なんになりたいか決まってるなら相談なんてしないな」


軽く目線を逸らして彼は腕を組む。


「得意なものとか好きなものは?」
「そこまで得意というものはあまり、料理が少しできるくらい……好きなのは読書かな」
「小説? 漫画?」
「どっちも好きだけど、どちらかと言うと小説」
「じゃあそれ関係でいいだろう。文系の大学行くなりして編集者になるとか、好きなら自分で書いたっていいんだから」
「………」
「え? 終わりですか?」
「そうだよ。それでいいんだろ」
「……いや、それはそうですけど」


そっけない忠告に眉を寄せてしまう。


「なにが気になるんだ?」
「好きなことを仕事にするのは短絡的かなって……」
「嫌いなことを仕事にするより千倍マシじゃないか」
「はぁ」


あまりにも当たり前過ぎて、逆になにも思いつかなかった。


「ふふん」


そんな僕を見て、火村さんが初めて笑みのようなものを浮かべた。


「当たり前のことだって思ってるだろう。そんなこと言われなくてもわかってるって」
「え?」
「当たり前ってのはな、それが正しいからこそ、みんなが揃って口にして、そのうち当たり前になるんだ」


彼の笑い方は皮肉気なものだったが、その声は今までより優しく聞こえた。


「なにか勘違いしてるかも知れないが、世の中にいる天才とか成功してヤツの言ってることなんて全部適当だぞ。才能があったとか、努力したとか……そういうのは、つまり成功したから深い意味があるように聞こえるだけだ。言い訳なんだよ」


急に話が変わって、とっさに内容を理解できなかった。

一体、どの話題と繋がっているのだろう?


「失敗した天才だっているし、成功する馬鹿だっている。その逆も然り。なにに基準をおいてるかによって痛い目にあうぞって話さ……。そこが本質。悩むんじゃなくて、考えてみな。これが大人の意見ってやつだ」


そう言って、火村さんはなにかを指差した。

その先を目で追うと、それは教会の出口を示していた。


……。

 

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「…………」


すん、と鼻をすする。

寒いといえば寒いのだが、頬や頭が熱くなっていて風が気持ちいい。


「……はぁ」


すっきりしに来たはずなのに、余計な知恵熱を抱え込んでしまった気がした。

悩むのではなく考えろと言われても、それができれば苦労も相談もしないわけで……。


「……もう少し自分で考えなくちゃ駄目だってことだよなぁ」


どうしようかな、と頭の後ろで手を組む。

他に用事もないが、すぐに家へ帰ろうという気分でもなかった。

もう少し頭を冷やしたほうがいいだろう。

自然と駅へと足が向いた。

いや、自然ではあったが、ちょっとした期待もあったのだろう。

あの子がいるかなって。


……。


それはまるで、以前の光景をそのまま焼き直したようだった。

 

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少女はいた。

やはりなにかを持っているように、ベンチに座ってぼんやりと空を見上げている。

小鳥のように。

駅前の喧騒が遠く聞こえる。


「………」


どうしようか。

自分から声をかけるのは変だし、かといって、ここまで来て立ち去るのはなにか躊躇(ためら)われた。

そんなこと考えているうちに、彼女のほうが僕に気づく。


「やぁ」
「……どうも」


ワンテンポ遅れて少女が会釈する。

彼女は膝の上に手帳と文庫本をのせていた。

 

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「なにか邪魔だったかな?」
「いえ」


ふるふる、と少女が首を振ると、遅れて髪と眼帯の紐がなびいた。

しばし僕の顔を観察した後、彼女は荷物をポケットにしまって、ゆっくりと立ち上がる。


「………」


僕よりも1つか2つ年下だろうか。

だけど、そういった年齢に相応しいはずの可愛いという印象を抱けない。

きれい──むしろ、整っていると形容すべきだろうか。

それゆえに眼帯が目立つが、不思議とそれは、少女の美しさを損なってはいなかった。

まるで人形のように無機質な容姿の中で、その異質さが逆に、身近な存在である証のように思えた。

 

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「あの、変なこと聞いていいですか」


少女が小首を傾げる。


「以前、私と会った方ですか?」
「え? うん。先週ここで会ったけど」
「そうですか……ごめんなさい。会ったんですよねやっぱり……」
「まぁ、本当にただ会ったってだけだから」
「そうみたいですね」


彼女の話し方は端的で、しかし、どことなく奇妙な言い回しだった。


「………」
「………」

 

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やはり喋るべきことがない。

どうしよう……急に焦りがわいてきた。

まずい。

彼女がいることを期待していたのに、会った後にどうするかを、さっぱり考えていなかった。

可愛い子だったよな~、と遠くから一目でも見られれば良かったのに。

なんで僕は目の前に立ってしまったのか?

何度か意味もなく口を動かそうとしてみるが、言葉が出ない。

まずいまずい……。

なにか話題がないかと頭を回転させてみる。

『その眼帯をはずすとビームが出るの?』


くだらないジョークが浮かんだ。


「………」


膝が崩れそうになる。

あまりのくだらなさに自分が嫌になった。


「あの」
「あ、なに」


慌てて視線を上げる。

脳内自爆を続ける僕と違って、彼女は平静をたもっていた。


「私になにか用事があるのですか?」
「あ~……いや……特にないんだ。ここに来たのもなんとなく」
「そうですか」

 

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感慨のない返事をもらして、少女は周囲を見渡す。


「ここ、よく来ますか?」


質問が続く。

正直、向こうからの反応があって少し落ち着いた。


「たまにだけどね」
「静かでいい場所です」
「そうだね。読書するにはうってつけだ。堂々と『スタンド・バイ・ミーごっこもできるしね」
「え?」
「線路の上を歩けるってこと。ここなら怒られないから」


ここは電車のこない駅。

完全無欠に役立たずの場所なのだ。

『世界の終点』と看板に落書きしたっていいだろう。


「ああ、なるほど。面白そうですね」


初めて少女が笑った。

それは……なんというのか……。

破壊力の高い笑顔だった。

 

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「チヒロです」
「……チヒロ? ああ、それが名前なのか」
「はい。『獅子は千尋の谷に子を落とす』のセンジンってわかりますか?」
「うん。僕は麻生蓮治」
「……麻生さん」
「麻生でも蓮治でも、どっちでもいいけど」
「麻生さんにしておきます」


彼女の上品な微笑みにつられて僕の顔もほころんだ。

明るいとは言えないが、第一印象と違って、思ったより気さくな子かも知れない。


「そういえば千尋って早いんだね」
「なにがですか?」
「ちょっと寄り道もしてたけど、僕より先にここへ来てるから。制服から私服に着替えた後みたいだし」
「それは私が学校に通っていないので、当然だと思います」
「へぇ、そうなんだ」
「お昼ごろからいましたので」
「なるほ──」


笑顔で頷こうとして、物凄いひっかかりを覚えた。


「学校に行ってないの?」
「はい」
「ああ……そう」
「はい」
「……へぇ、なるほど、そうなんだ」


どんな事情か気になったが、なんとなく聞いてはいけないかと明るく振舞う。

人生相談をしに来たわけではない。

したいのは僕のほうだけど、そういうことではなく。


「………」
「………」


そこで会話が止まってしまった。

春ならうぐいすが泣きそうな沈黙だった。


「あの、あたたかいね今日は」
「そうですね」
「天気もいいし」
「そうですね」
「………」
「………」
「……ちょっとごめん」


彼女に手をかざしてから、てくてくと歩く。

 

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いきなり逃亡するのかと思われたくなかったので、近くの柱まで行って、意味もなく見上げるフリをする。

 

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そして見下ろすフリをしてみた。

まずい……死にたくなってきた……。

なんで天気の話なんかしてるんだ僕は……。


「麻生さん」


千尋が僕の後を追って近くまで来ていた。

 

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「ごめんなさい。私、帰りますから気にしないでください」
「え? なにが?」
「なにがというか、ご迷惑かなと思いましたので……」
「迷惑?」
「はい」


千尋の肯定に、僕は眉間に指を当ててしまう。


「あの……なにを謝られてるのか、さっぱりわからないんだけど」
「その……」


彼女は困ったように──それすらも表情の変化は小さかったが──視線を逸らしてため息をついた。


「ここは麻生さんの場所なのに私がいて申し訳ないと。落ち着かないようですし」
「うわ」


あまりのズレっぷりに驚いたが、すぐに可笑しさがこみ上げてきて吹きだしてしまった。


「ごめん、わかった。そうじゃないんだ。全然違うというか、僕も似たようなこと考えててさ」
「似たようなこと?」
「僕がいるせいで千尋がゆっくりできないのかなって」
「全然そんなことありません!」
「僕もそんなことないから。だから気にしないで」


勢いのある返答に、驚きつつも苦笑いが浮かんでしまう。


「あ……ごめんなさい」


千尋が頬を染めて身をひく。


「いいよ。ふたりとも落ち着こう。さっきから謝ってばかりだ。こういう時は深呼吸でもして、肩の力を抜いたほうがいいかな」
「深呼吸?」
「うん。ラジオ体操みたいに。息を大きく吸って」
「え? あ、はい。は~」
「はいて~」
「ふ~」
「吸って~」
「は~」
「…………」
「ふ~」
「…………」
「は~……あの、どうしました?」


僕が黙ったのが気になったのだろう。

しかし、変わらず真剣なその表情に耐えられなくなってしまった。


「っ……あははははは」
「え!?」
「あはは……っ……まさか本当にやるとは」
「…………」
「いや……あ~……からかうつもりじゃなかったんだけど」


彼女に半眼で睨みつけられてしまうが、それがいっそう可笑しくて、真面目な顔にはなれなかった。


「ごめん。急に可笑しくなってさ。そういうのってあるでしょ?」
「……ありません」
「怒ってる?」
「判断を保留してます」
「あんなにきれいに深呼吸する人、初めて見た」
「・・・…少し怒るほうに傾きました」


ようやく表情が掴めてきたが、言葉通りに少しだけ千尋の眉が傾いていた。


「違う。今のは褒めたんだよ」
「褒めてたんですか?」
「うん。きれいだって言ったじゃん」
「そ、そんな……私なんてきれいじゃないです……」


千尋が頬を赤くする。

不思議な子だ。

人形のような容姿と端的な会話を披露したかと思えば、子供っぽい冗談を真に受けて、むくれたり照れたりする。

中身と外見を間違って梱包したバースデーケーキのような──


「──って、しまった」

 

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僕は空を見上げた。

ケーキで連想したのはなんだが、朝に交わした母との会話を思い出したのだ。


「留守番頼まれてたの忘れてた。僕のほうが帰らないといけないや」
「あ、そうなんですか」
「うん」


本当はもっと話していたいんだけど、と口にする勇気──というより甲斐性があるわけもなく。

空から視線を戻すと、千尋が分度器で測ったように首を傾げていた。

 

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「あの……私、またここに来てもいいですか?」
「別にいいと思うけど?」
「ありがとうござます」
「あ、いえいえ、どういたしまして」


よくわからないけれど、反射で返事をしてしまう。


「それじゃ、またね」
「……えっ」


びくっ、と千尋が肩を震わせる。

 

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「どうしたの?」
「いえ……またね、です」


ぎこちなく彼女が手を振ってくれる。

それがとても可愛くて。

赤くなっていそうな顔を見られたくなくて、僕は今度こそ駅を後にした。


…………。

 


……。


冬の昼間は一瞬に過ぎ去る。

夕飯に旬の煮魚をつついて、ソファに座り込んだ頃には午後8時をまわっていた。

 

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「すぐお風呂に入る?」


後片付けを終えた母が戻ってくる。

友人とのお茶会は楽しかったようで、彼女は夕食の時からジャガバタみたいにほくほくしていた。


「う~ん……寝る前でいいや」
「そう。じゃあ、久瀬さんのところに持っていってほしいものがあるんだけど」
「あれ、久瀬さん帰ってきてるの?」


思わぬ人物の名前が出てきて驚く。

久瀬さんとはお隣に住んでいるプロのヴァイオリニストだ。

その職業柄、1年の3分の2は海外で飛び回っている人で──よく考えれば僕の父親と大差ないが──家にいるほうがレアという人物である。


「お母さんも料理教室で聞いて知ったんだけど、ちょっと前から帰ってきてたみたい」
「へぇ、知らなかった」
「コンロの上の鍋に残り物をわけておいたから、おすそ分けだって持っていってあげて」
「了解」


窓の外を見ながら答える。

確かに、気がつけば隣の家からの明かりが道端に落ちていた。


………。

 

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冷たい夜気は身体の芯にまで響く。

鍋を手に持っている間抜けさも手伝って、僕は足早に隣家に向かいチャイムを押した。


「…………」


返事がない。

僕はもう一度チャイムを押す。

また返事がなかった。


「久瀬さ~ん?」


呼びかけつつ三度目を試してみる。

防音がしっかりしている彼の家では、チャイムの音すら漏れてこないので心配になってくる。

本来はアパートであるところを、久瀬さんが家屋全体で借り切っているため、出てくるのに時間がかかるというのもあるのだが。

死んでるかな?

そう思い始めた頃に扉が開いた。


「ふぁい……。お、蓮治じゃないか」


寝ぼけ眼(まなこ)で顔を出した久瀬さんが、僕の姿を見てぱっちりと目を開いた。

 

 

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「お久しぶりです」
「相変わらず小っさいな~。ちゃんと飯食ってるか?」
「3ヶ月ぶりの第一声がそれですか……」
「いつものおすそ分け?」
「母からどうぞって」


会うのは久しぶりだが、やり取りは習慣化している。

指が命とあって炊事には気を遣うという話を聞き、麻生家の人間が時折こうして料理を持ってきているのだ。


「ありがたや、ありがたや。今日のおかずはなにかな~」


はらぺこの子供かお地蔵様のように、久瀬さんが満面の笑みを浮かべた。

世間一般の音楽家がどんなものが知らないが、僕が知っている唯一の音楽家は、威厳とか尊敬とか遠慮とは無縁のようだ。

『固定概念破壊化委員会』に所属している可能性がある。


「あの、上がってもいいですか?」


再会の折りには、海外での活躍や珍しい話を聞くのが楽しみだったし。

今日は進路のことを相談するのもいいかなと思った。

夢を叶えた人間の実像として。


「ん? う~ん、別に俺は構わないんだけど。服を着ていない女性がベッドにいることを、蓮治が気にしないのなら」
「……お邪魔しました」
「追い出すわけじゃないよ。本当にうちらは気にしないから」
「僕が気にするんでいいです」
「ま、そやね」
「また今度、色々と聞かせてください」
「ベッドの中の話を?」
「……そっちじゃなくて」
「しばらくは忙しいから、顔を出せるときにこっちから土産と土産話を持ってくよ」


久瀬さんが優しく微笑む。


「蓮治の家では本当にゆっくりしたいからさ」
「じゃあ、鍋が空いたらいつものようにうちの前に置いといてください」
「うん。ありがとう」


軽薄なのに真摯(しんし)な響き。

この微妙なニュアンスをかもし出せるのが大人というか、かっこいいなぁ、と思いつつ僕も頭を下げる。


「なぁ、ところで聞いてくれよ蓮治。傑作な話が1つあるんだ」


久瀬さんが扉の脇に寄りかかって肩をすくめた。

その物腰は同性から見ても惚れ惚れするものだ。

喋らなければ……。


「この前、海外の友人が日本に行くというので、何に気をつければいいかと聞かれたんだ。そこで言ってやったのさジョニー」
「僕、ジョニーじゃありません」
「日本ではまだサムライが馬で駆けているから、轢かれないように注意しろって。もちろんジョークだったのに、真顔で『わかった』と言われちまったさ。どうなってるのかね、世の中は?」
「……あの、聞きたくないけど念のために聞きますが、その冗談は後でちゃんと訂正しましたよね?」


とても笑えないジョークに思わず素でつっこんでしまう。


「こんな面白いネタ、訂正するわけないじゃないか。笑わないように必死だったよ俺は」
「あんまり日本人の品位を落さないでくださいね」
「おやすみ蓮治。いい夢を」
「おかえりなさい久瀬さん」


僕らは右手で握手をして再会の挨拶をかわした。


……。

 

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翌、土曜日。

学校が休みということもあって、のんびりと、世界が暖気されたころに外出した。


「どこに行こうかな」


なんてつぶやいてみるが、そもそも外出した時点で、自分がなにをするつもりなのかはわかっていた。

こんな寒い日に、目的もなく外へ出る必要はない。

部屋の中でコーヒーとクッキーでもつまみながら、読書かゲームでもしてるほうが、よっぽど有意義だろうに。

 

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『いえ……またね、です』


ぎこちない仕草で手を振ってくれた少女のことを思い出す。


「………可愛かったなぁ」


なにやらこっ恥ずかしい気分になりながらも、それはそれで幸せだった。


「今日もいるかな」


僕は駅への道をゆっくりと辿る。

いい天気だ。


……。

 

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はたして彼女はいた。

あまりにも変わりのない光景に、昨日からずっと時間が止まっていたのかと思ってしまう。


「………」


千尋は動かない。

じっ──と。

スカートや髪がなびいてなければ、それはまるで絵画のようだ。

そんな存在の希薄さを感じる一方、異様な圧迫感も覚えた。

形容するならば、それは『危うさ』だろう。

奇跡的なバランスの上に成り立っているけれど、ほんの些細なきっかけで、本人だけでなく周囲の世界ごと壊れてしまいそうな……。

意味不明な妄想を浮かべながら歩く僕に気づいたのか、彼女はゆっくりと視線を下げて小首を傾げた。


──まるで台本にそうあるように。


「………」


挨拶もなく、ただぼんやりと、ひとりぼっちの目が僕を見つめる。


「なにを見ていたの?」
「……なにも見ていませんでしたけど」
「空は?」
「……ああ」


言われて、初めてその存在に気づいたとばかりに、彼女は再び首を傾ける。


「そうですね。空を見ていました」
「……大丈夫?」


あまりの感情のなさに、目の前で手の平を振りたい衝動を覚えたが、なんとか踏みとどまった。


「大丈夫って、なにがですか?」
「昨日となにか様子が違うけど」
「昨日……」


つぶやいて──はっ、と千尋の顔色が変わった。


「あの、もしかして……麻生さんでしょうか?」
「え? うん。そうだけど」


気づいてもらえていなかったのか。

そこまで僕は印象が薄いのだろうか。


「あ……」
「なに?」
「昨日のまたねって……」
「昨日のなに? ごめん、もう1回いい?」
「ま……またね……って……」
「うわ!?」


言葉が終わるか終わらないかというところで、急に千尋が倒れ込み、僕の胸倉をつかんだ。

 

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なんで抱きつかれるんだ!?

いや、抱きつくのとはちょっと違うのだろうが……でも、距離が近すぎる。

どうすればいいんだこれは……。

滅茶苦茶で唐突な展開に頭の中がパニクっている。


千尋、どうしたの!?」
「あの……そうじゃなくて……違うんです……」


彼女の声は笑っているようで、しかし鳴き声特有の鼻につまった音だった。


「違うの……あれ……私……っ……なんで……?」
「………」
「違うんです……これは……違う……」


違う?


「なんで……」
「大丈夫?」


そっと、驚かせないように言う。


「……大丈夫……です。ごめんなさい。気にしないで下さい」


千尋が僕の胸につかまったまま首を振る。

まったく大丈夫でもないし、気にしないことなんて無理だと思うのだが。

わけがわからない。

突然泣き出してしまった異性をどう扱っていいのかわからず。

でも──

 

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「我慢することはないよ」


千尋の頭に手をのせる。

泣いてる子供を放ってはおけなかった。


「え?」
「涙ってのは水分と一緒に身体の老廃物を流してストレスを発散……いや、そういうことじゃなくて」


こんな時に本で知っただけの知識をひけらかしてどうする。


「えーと……とにかく。なんだかわからないけど、すっきりするまで泣いておくほうがいいよ。泣くのを変に我慢すると、内側に色々と溜まっちゃうんだって」
「……内側?」
「心のことかな」


たどたどしく、自分で口にした言葉に照れてしまいながら。

そう──これは昔、僕が母に言われたことだ。

だから、母がかつてそうしていたように、笑顔を浮かべてみる。


「涙は我慢すると強くなれる時と、流して優しくなれる時があるんだ」
「………」


千尋からの返答はなかった。

顔を上げることもできず、彼女は肩を震わせている。

おそらく、ちょっとでも僕が動けば、掴んだ手が離れて倒れてしまうだろう。

それくらい彼女が僕に寄りかかる力は弱かった。


「……っ……っく……ぅう……」


せきを切ったように、千尋の喉から嗚咽(おえつ)がもれる。

なんで千尋が泣いているのかさっぱり理解できないけれど、子供の泣き声は聞いてるだけで胸が痛くなってくる。

でも、泣いていいよと言った僕の耳をふさぐ権利はない。


「ごめ……ごめんなさい……」


ぽつぽつ、と。

夏の夕立を思い起こさせる、数滴の水が地面に落ちる音がした。


……。

 

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「ふぁ~……」

ようやく落ち着いたのか、涙が止まったところで、千尋がおかしな声を上げて鼻をすすった。


「大丈夫?」
「あ、はい……ごめんなさいです……っ……」


その声を聞いて、大丈夫そうだな、と1歩下がって彼女の顔を覗き込んだ。

 

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「う~ん」


目元をこすらず、涙を流したままにしたのが良かったのだろう。

元が整いすぎているせいか、泣いた直後とは思えない顔で千尋は立ち尽くしていた。


「あの、失礼しました」
「いいよ。はい、これティッシュ


ポケットを探って、いつか商店街でもらって突っ込みっぱなしだったティッシュを差し出す。


「どうも」
「………」
「………。できれば、後ろを向いていて頂ければ」
「ああ、了解」


僕は苦笑いを浮かべつつ、後ろを向くだけにとどまらず距離をとってあげた。

20メートルほど先の柱まで歩いて、「だるまさんがころんだ」を4回数えてから元の位置に戻る。


「本当にすみませんでした。色々」
「いいからいいから」


謝られても、そもそもなにがなんだかわからないし。

どんな形であれ、女の子に抱きつかれるというのは嬉しいことだ。


「でも、どうしたの急に?」
「あ……いえ……」
「誰かにいじめられたとか、なにか嫌なことがあった?」
「違うんです。全然そういうことじゃなくて」
「そう。言いづらいことなら、いいけどね」
「え、いいんですか?」
「聞いてほしいなら聞くけど?」
「いいえ」


ふるふる、と千尋が首を振る。

そうやって否定しながらも、しかし彼女は、なにかを訴えるように僕を上目遣いで見つめる。

見た目や会話は落ち着いているが、やっぱり仕草が子供っぽい。


「あの……どうして麻生さんは、今日こちらへ来たのですか?」
「へ?」


いきなりの質問だった。

千尋に会いに来たのだが──そんなこと、本人を目の前にして言えるわけもなく。


「いや、なんとなくかな」
「……そう、ですよね」


ぽつりとつぶやいて、千尋が小さな微笑みを浮かべた。


「ごめんなさい。嬉しくて、つい勘違いをしてしまいました」
「なにが……え?」


聞き返そうとしたところで、会話の内容が頭の中で繋がった。

僕に会えたことが嬉しくて泣き出した?

なんだそれは?

泣いて喜ばれるようなことをした覚えは、微塵もないのだが……。


「すみません、本当に忘れてください」
「…………」


わからない。

さっきから僕たちの会話は成立しているのだろうか。

場の流れとか、状況とか、なにもかもが支離滅裂だった。

僕が異性との付き合いが皆無なのがいけないのだろうか?

いや、そんなことはないだろう。

いくらなんだって会って間もない男に抱きついてくるというのは……。


「はぁ」


思わずため息をついてしまう。


「どうしました?」
「ああ、いや、小説みたいにかみ合った会話って現実には難しいね」


苦笑しながら本音で語ってしまう。

女の子と話すんだって勢いこんでみたけれど……ここまで徹底的にズレていると、逆に開き直れてしまうようだ。

 

「小説」
「ん?」
「小説、お好きなんですか?」
「うん。好きというか大好きというか、もう人間の三大欲求四大欲求になってるみたいな感じ」
「そう、なんですか……そうか……」
「どうしたの?」
「いえ、私も本が好きなので嬉しくて」


千尋が口元に手をよせて微笑んだ。


「麻生さんが来るまで本を読んでいたんです。ここは静かでいいところですね」


まだ身体に余計な力が残っている感じだが、話題のとっかかりを得て、普段のペースを取り戻したのだろう。


「へぇ、どんなの読んでるの?」


それに気づいたことに気づかれないように、何気なく訊ねる。

 

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「えと……色々です。時間だけはいっぱいあるので」
「最近だとなにを?」
「最近というか、ほとんど女の子向けのものなので、わかるかどうか……」
「そっちか~、あんまり詳しくないかも」
「麻生さんはどんなものを?」
「文字ならジャンルを問わず雑食って感じだけど」


腕を組んで考える。


「ちょっと前から流行りだした、正統派な古典ファンタジーとかは昔から好きだね」
「それは童話ですか?」
「いや、ほら、最近本屋でもよくコーナーができてるやつ。魔法使いとか悪魔とかを題材にしたの。好きだからみんなに読んでほしかったけど、認知されるとちょっと悲しくもあるよね」


苦笑いを浮かべて肩をすくめた。

こういうのはファン心理としての難しい感情だ。


「はぁ……そう、なんですか」


千尋はピンとこない顔で頷いた。

彼女の好みはどこなのだろうかと、ちょっと指折りジャンルを並べてみることにした。


「後はミステリかな、アメリカのもの中心だけど。他にも日本のライトノベルとか歴史小説もいいね。そういえば『オズの魔法使い』とか『ゲド戦記』はかなり好みで──」
「ふふ」
「どうしたの?」
「いえ、本当に本が好きなんだなって」
「あ、うん」


改めて指摘されると照れてしまう。

でも、趣味の話は楽しかった。


活字中毒みたいなもんだよ。いつもポケットに何冊か入ってるんだ。最近だと本がないと重さが足りなくて気持ち悪いくらい」
「それは猫さんのひげみたいですね」
「ああ、なるほど。バランスとってるやつか」
「はい。可愛いです」


千尋が口元に手をよせてクスクスと微笑を浮かべる。

そこで、ようやく僕のほうも安心できた。

なんで泣かれたのかはさっぱりだったが、今、目の前にいるのは普通の女の子だった。

そして、また少しの間、沈黙が訪れる。

でも、今度の静寂は心地よい間だった。

僕は2つの瞳で彼女を見つめ、彼女は1つの瞳で僕を見つめる。


「麻生さん。1つお願いがあるのですが、いいでしょうか?」
「その前にいいかな。こっちもお願いなんだけど」
「はい、どうぞ」
「えーと、別に非難しているわけじゃないんだけど、そうやってなにかを訊ねるときに、いちいち断りを入れなくてもいいよ」
「私? そんなですか?」
「お互いに遠慮しすぎて、逆にぎくしゃくしてるみたいだからさ」


きつく聞こえないように笑顔で告げる。


「答えたかったら答えるし、嫌だったら嫌だって言うことにしよう」
「そう、ですね……わかりました。努力してみます」


彼女は小さくつぶやいて微笑みを消した。


「それでも、これはお願いなのでお断りを入れないといけないのですが。わ、私と友達になって頂けませんか?」
「え……友達?」
「はい」


千尋が強い意志をこめて頷いた。

緊張までしているのか、かすかに身体が揺れている。

友達になりたい。

冗談ではなく、ストレートに、しかもこれほど真摯に求められるとは思わなかった。


「嫌ですか?」
「……ああ、全然そんなことないよ。ちょっと驚いただけ。いや、僕の家って父親の仕事の都合で引越しが多くてさ。実は友達を作るのがどうも苦手で」


だから本ばかり読んでいて。

誰かと喋ること自体に慣れてなくて。


「……そんなだけどいいのかな?」

 

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「あ。いえ……それだと私も友達にしたくなるような人間ではないと思います……。なにか面白いことができたり話せるわけじゃないし……色々あって……」
「それは僕も同じだよ」
「でも、私は……私……」


そこで彼女は言いよどんでしまう。

まるで金魚が酸素を求めるように、あえぐだけで声にならない。

あの涙には理由があったのだろう。


「うん」


僕は穏やかに頷く。


「だからこそ友達になれたらいいね。本当に……いいアイデアかもしれない」
「だからこそ、ですか?」
「そう。他人には聞けないことでも、友達には聞けるでしょ」
「……はい。そうですね。ありがとうございます」


千尋がゆっくりと、うつむけていた頭を上げた。


「麻生さんって優しいですね」
「──っ!?」


思わず身をひいてしまう。


「どうしました?」
「……気にしないで」
「はぁ」


千尋はいつものように首を傾げてつぶやいた。

びっくりした。

何気ない、他愛のない評価だとわかっているのに、優しいと言われて頬が赤くなったことを自覚した。

そして。

ああ……そうか。

もう1つわかったことがあった。

これが、一目惚れというものなのかも知れない。


…………。

 

……。

 

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思えばこの日が、僕と千尋の、本当の出会いだったのだろう。

いわゆる若気の至りではあったが、彼女のことが好きで。

それと同じように、物語が好きだった僕。

"普通ではない"ことに憧れていて。

だから彼女を求めて。

届かないと思っていた冬の空に手を伸ばすと、あと少しで届きそうな気がした。

そんな錯覚を起こした日でもあった。

さて。

それ以降の土曜の語らいは、無難な話題に終始して幕を閉じた。

なにか用事があるという彼女を残して僕は駅を去った。

それでも日記は続く。

僕の知らない彼女の姿を映しだす──。


…………。

 


……。

 

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『またね』という言葉を残して麻生さんは去っていった。

 

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私はそれを見送ってから、ベンチに座って手帳に記録を残した。

すぐに帰らなかったのは、自分が感じたことを劣化する前に書き留めておきたかったから。

今日の嬉しかったことを……、なるべく多くの良かったことを記録しておく。

 

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いつの間にか日が暮れていた。

 

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字が読みづらくなったことで、それに気づいた。

そろそろ門限の時刻だろう。

私は手帳をしまって駅を出た。


……。

 

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駅前の広場を抜けて、商店街に出る。

夕飯の買い物客や、仕事帰りの人、これから遊びに行く人──人間が溢れている。

今日はその道を歩くのに顔を上げていられた。

いつもは賑やかだからこそ、寂しくうつむいてしまう道。

嬉しかった。

ベンチに座って何時間もひとりでいて。

寒さと寂しさに震えていて。

でも、私はその寂しさを望んでいて……。

 

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人の多い場所にひとりでいるよりは、誰もいない場所でひとりでいるほうがまだマシで……。

でも今日は、いっぱいいっぱいお話をした。

私はもういなくなってしまった男の子に向けて、心の中で1つ頭を下げる。

ありがとうございました。

誰も聞いていないけれど。

遅いけれど。

そうしたいから感謝する。

昨日の私と約束して、今日の私と会ってくれてありがとう。


「ああ……」


油断している。

とても弱い心だ。

駄目だ。

こんなことで気を許しちゃ駄目なのに……。


「………」


泣き顔を見られてしまったことを思い出して、ちょっと恥ずかしくなる。

人前で泣いたのなんていつ以来だろう。

そんな……手の届かないことを考えてしまう。


「優しい人、だよね。ちゃんと私のこと、話してあげられればよかったのにね。お姉ちゃん」


自分にではなく、離れて暮らす姉に向けてつぶやく。

そして私は、夕暮れの空を見上げた。

彼も同じ空を見ているのだろうか。


「麻生さん、明日も来るかなぁ」


いつか私のことを話してみたい。


「いつか……」


私は笑った。

空っぽの笑みだった。

麻生さんに応えてあげられない自分が、可笑しかった。


……。

 

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そして教会の前に立つ。

寂しい顔を引きずっていかないようにと、頬をさすって口元をほぐしてから、扉に手をかけた。

小さな軋みを残して境界をまたぐ……。

 

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「楽しかったかい?」


祭壇の前に立つ男性が微笑んでいる。

私が駅で人と会っていることを知っている人だ。

 

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「はい、すごく楽しかったです」
「そうか。それならいいけど、無理はしないようにね」

 

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火村さんが、ちょっと不器用に頭を撫でてくれる。

海に行っていたのか、かすかに潮の香りがした。


「それと……いや、いい」


続く言葉を閉じて、彼は首を振る。

何度も言っている言葉なのだろう。

今日の私でも覚えている言葉。


「深入りしないように。深入りさせないように」


彼の代わりにつぶやく。


「……そうだね。言い方はそうじゃないけど」
「あの、火村さん」
「なんだい」
「私のことを誰かに話しては駄目でしょうか?」
「………。誰かというのは千尋が最近話をしている相手のことだね」
「はい」
千尋が決めたことなら反対しない。だけど、俺個人での意見なら賛成もしない」
「……はい」


私は笑う。


「私は……後悔もできませんからね」


自分を笑う。

火村さんがじっ、と私を見つめている。

真摯な目で。

やさしい目で。

それだけの目で……。

 

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「帰ってごはんを食べながら、ゆっくり話そう」
「はい」


互いの手をとって、私たちは教会を出た。


…………。

 


……。

 

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「それでは、手を繋いでお買い物に行きましょう」


日曜の昼、鶏の代わりに母が高らかに鳴いた。


「……はい?」
「蓮治と一緒にお買い物に行っきたいな~♪」


唇に指を当てながら母が身をよじる。

真面目にこの方は何歳なのだろうかと疑いたくなった。

もちろん疑うべきは、その動作を行える精神年齢であり、はたまた、それが当たり前として許せる外見年齢のことだ。


「なんで急に買い物なの?」


昼食の消化を待って駅に行こうと思っていた僕は、とりあえず根本的な質問をすることにした。


「特にこれといって目的はないんだけどね」
「じゃあ本当になんで?」


僕の服を見に行くとか、卵や牛乳のひとり1パック限定のセールがあるとか、荷物持ちですらないのでは理由がない。


「ほら、なんて言うのか最近、蓮治とのスキンシップが足りないかな~と思ったりなんだり」


『あ、まずい、スイッチ入ってるかな?』と思った時には遅かった。


「だってね、だってね、なんだか蓮治ったら最近冷たいんだもん……。家に帰って来るのが遅くなってるし。お母さんが話しかけてもなんか上の空だし。逆にニヤニヤしてるのに、なんでか話してくれないし。一緒にお風呂も入ってくれないし」
「いや、風呂は元から入ってない」
「じゃあワイシャツの襟元に口紅の跡が……」
「じゃあ、ってなに?」

 

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「…………ああ、息子に浮気される可愛そうなお母さん……よよよ」
「…………」


当たり前のように無視してくれやがりましたか。


「まさか反抗期!?」
「いや、違うと思うよ」
「もはや倦怠期!?」
「それもないと思うな」


"もはや"ではなく"もしや"だと思ったが、もはやツッコんであげないことにする。


「じゃあ、いいよね?」
「……えーと」
「お買い物して~、海とか散歩して~、夕飯にちょっと雰囲気のいいレストランに行くの……その後も色々。やだもうっ♪」


最後に手の平を上下に振って、それだけはかなりおばさんくさかったが……口にすると泣き出すので止めよう。

ああ、どうしよう。

頭を抱えてしまう。

困ったことに、僕は母親とのこういう外出を断ったことがない。

ふたり暮らしの習慣が染みついてしまっているのだ。

買い物ついでに本屋を覗いたりとか、ひとりで出かけさせるのも悪いかなとか──。

こういう冗談みたいなやり取りの後に折れることも多かった。

僕が外出を承諾しないのも、単に外出が面倒だとか、そんな理由だと思われているのだろう。

本当に色々なことに苦悩してしまいそうだが……母親の人格はこの際おいておこう。

7割くらいは冗談なのはわかっている。

2割本気なのも承知だ。

残り1割は未知の構成成分である(おそらく三次元の物質ではない)。


「……いや、ごめん。ちょっと用事があって無理」
「ぅう……どうせ母親なんて都合のいい時だけ頼られて、いざとなったら見捨てられる運命なのね」
「とりあえず泣かないでください。汗水たらして育ててあげた恩義も忘れられて……」
「とても美しく大切な親子愛を、こんなところで振りかざさないでください……」
「…………」
「…………」
「ほら、私たちって恋人じゃない♪」
「完璧に親子だよ! というか父さんに凄く失礼だから!」
「──っ!?」
「なんで驚くの!?」
「もぅ、怒った蓮治もかっこいい♪」


ちょん、と頬をつつかれる。


「………はぁ」


ため息をつくしかなかった。

駄目だ……勝てない。

白旗を振ったら喜んで虐殺しに飛び込んでくる軍隊というか……。

概念からして異なる地球外生命体パケラ=セラ(勝手に命名)を説得する心境がこれなのだろうか。


「…………」


いや、ここで膝を折るわけにはいかない。

この猛攻を耐え切って、駅に行くんだ。


「本当にね、冗談じゃなくて用事があるんだ」


ちょっと怒ったような顔を作って腕を組む。


「……用事?」
「そう」
「なにか今日ありましたっけ?」


攻撃手段を変えたのか、お澄まし顔で母親がつぶやく。

可愛いから止めてほしいと思いつつ、そちらに気をとられないように目を逸らして首を振る。


「人と約束してるの。そっちが先約で」
「果し合い?」
「えーと、もういい加減ツッコミたくもないんだけど……普通に」
「え?」


本当にわからないといった様子で彼女は首を左右に振った。

そして、難しい数学の問題にぶつかったように目を丸くする。


「お友達ができたの?」
「そんな感じ」
「あらやだ。お赤飯炊かなきゃ」
「ごめん……そろそろギアを変えて……マジで……」
「あ、本当に用事なんだ」


ようやく信じてくれたか。


「そうならそうと言ってくれればいいのに」
「……最初から言ってるじゃん」
「はいはい、それなら行ってらっしゃい。ちゃんと夕飯までには帰ってくるんだよ。知らない人について行っちゃ駄目ね。ばいび~♪」


母はまるで何事もなかったかのように微笑むと、自分の部屋へと去っていった。


パタン。


「………あ」


そこで気づく。

文句を言う前に逃げられた。


……。

 

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「あれ?」


ぐだぐだと母と喋ってるうちに遅くなったと思ったら、駅に千尋がいなかった。

閑散としたホームを端から端まで往復してみたが、誰もいない。


「……どうしよう」


まだ来ていないのだろうか?

もう帰ったとか、今日は来ないとか……。

いや、『またね』と言ったのだから来るだろう。

たぶん。


「仕方ない」


今日は僕がベンチに座って待つことにしよう。

コートのポケットから文庫本をとりだす。

栞を挟んでいたページを開いた。


…………。

 

……。

 

 

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「…………」

 

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「…………」
「………?」

 

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人の気配に顔を上げると、すぐ間近にお姫様の顔があった。


「こんにちは」
「……こんにちは」


ふたりとも丁寧にお辞儀をする。

一瞬、このままキスしてしまってもいいのでは? とか思ってしまったのはなんだろう。

間合い……いや、若気の至りか。


「今日は遅かったんだね」

 

馬鹿な思考を振り払うように立ち上がって、本をコートにしまう。

 

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「いえ、ちょっと前からいました」
「いつから?」
「15分ほど前に」
「……声をかけてくれればよかったのに」
「読書の邪魔をしてはいけないと思いまして」


初めて会ったときのような、抑揚のない喋り方だった。

いきなり泣かれるよりはマシだが、今日は機嫌でも悪いのだろうか。


「いつもより遅かったみたいだけど、なにか用事でもあった?」
「お昼の後に読書をしていたら、いつの間にか」
「一緒か。なにを読んでたの?」
「え? それは……その……なんというか……」
「ん?」
「つまらない本です」


急に真顔になって千尋が言い切る。

間違いなく、大上段に構えて、折り紙までついた嘘だ。


「つまらない本に熱中してたの?」
「ぅ……いえ……熱中というか」
「例の女の子向けってやつ?」
「そうではなくて……そういうものかも知れないのですが……」


なにがピンポイントだったのかわからないが、困っているらしい。

しかも、今回はなにか恥ずかしい点をついているようだ。

彼女の表情の乏しさを経験でカバーしている僕。

要は、千尋の困っている顔を見たときに悲しいと感じれば重大なことで、可愛いと感じれば楽しいことなのだろう。


「友達にも話せないこと?」
「えーと、それは……麻生さんは友達ですが……」
「ですが?」
「……いじわるです」


ああ……。

やっぱり怒らせても可愛い。

随分を安い場面で宝刀を抜いてしまったと思ったが、この表情を見れて大満足だった。


「はぁ……わかりました。これは話しても大丈夫なことです。でも、他の人には秘密なことです。神に誓ってください。絶対にです。……なんでこんな話になったのでしょうか」
「大丈夫。絶対に誰にも言わないから」
「……わかりました。えと……わ、私が読んでいたのは……。実は読んでいたんじゃなくて……あの……それが……つまり読むほうではなくてですね……」
「え? 小説を書いてたの?」
「……物凄く、いじわるです」
「いじわるというか」


思わず感嘆の息を漏らしてしまう。

小説を書いている人なんて、趣味でも身近にいなかったから驚いた。


「凄いなぁ。それって見せてもらえる?」
「絶対にお断りします!」
「悪かった。でも、へ~、小説かぁ」
「とても嫌な反応です」
「そうじゃなくてさ。ちょっとね」
「ちょっと? ちょっと嫌な反応ですか?」
「いや、僕も書いてみようかなと思ってたから」


一昨日の火村さんとの会話を思い出して頷く。


「麻生さんも小説を書いているのですか?」
「思っただけだよ」


苦笑いしながら肩をすくめる。


「学校で進路希望の調査があってさ。なにか決めていかなきゃ行けないんだけど、小説家もいいかなって」
「そうなんですか」
「まあ、どっちつかずだけど」
「いいと思います。すごく」


穏やかに千尋が微笑む。


「そうかな?」
「はい。私は麻生さんの書くお話がどんなものか気になります」
「僕は千尋の書いた話が──」
「それは気にしてはいけません」
「そ、そう……」
「はい。今後一切触れてもいけません。墓の下でも地獄でも黙秘してください」


そこまで嫌なのか……というか、僕は地獄行き決定なのか……。

一体なにを書いているのやら。


「でも進路って難しいよね」


ふぅ、と近くの柱によりかかってため息をつく。

なりたいものになるのは難しい。


「そうですか?」
「難しくない?」
「好きなことをするのが一番だと思いますが」
「……そうだね」


子供らしい純粋な答えに微笑む。

どうして僕はそう答えられないのだろう。

それはつまり──好きなものにすら見放されてしまうのが怖いからだろうか。

致命傷を負っても生き続けなくてはいけない人生。

死そのものよりも、死ぬ過程が怖いという思考。


千尋はなにになりたい?」


なんでもない問いかけだった。

気づいたら口に出ていた疑問。


「私は……」


なんとなく『お嫁さん』って答えたら面白いなと思った後。

 

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「なにになれるかわかりませんけど……夢があります」
「夢?」
「麻生さんみたいに小説家になりたいんじゃなくて。ただ、物語が書きたいです。なにか1つでも、今の自分で作り上げたいんです」
「そう」


曖昧な願いだったので、目立った感想は浮かばなかった。

けれど、僕は笑って頷いた。


千尋ならできると思うよ」
「……そうでしょうか」
「うん。僕が保証しても頼りないだろうけど」
「そんなことありません。ありがとうございます」


そして彼女は微笑んだ。


「そう言って頂けるだけで嬉しいです」


……。


出会いが遅かったからたいした会話もできず、日が暮れたところで一緒に駅を出た。

 

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「そういえば、駅以外で千尋と一緒にいるの初めてだ」
「そう言われればそうですね」
「なんか変な感じ」
「くすぐったいですね」


笑顔で頷いてから、千尋がじっと僕の顔を覗きこんだ。


「どうしたの?」
「ちょっと気になっていたのですが、麻生さんは……」


一瞬の躊躇(ちゅうちょ)。


「女の子じゃないですよね?」
「うあ!?」


トラウマ直撃。

千尋はこちらの苦悩を知ってか知らずか、無垢なままの瞳で僕を見上げている。


「えーとね、あのね、これでも男なんだ……」
「あ……すみません」


顔を赤らめて彼女が視線を反らす。

僕は自分の頬をなでて唇を曲げてしまった。


「まあ、なんというかハーフだからなんだろうけど、この顔はね……」
「……ハーフ?」
「父親がドイツ人なんだ。でっかい工事専門の建築技師をやってて、滅多に家にいないんだけど」
「すごいです」


千尋がぎゅっと拳を握ってつぶやく。


「それより、明日からまた学校だよ」


家族の話は気恥ずかしくて、僕は日曜の夕暮れに背伸びしながら話題を変えた。


「そういえば明日は月曜日なんですね」
「行きたくないなぁ」
「行きたくないんですか?」
「学校そのものが嫌いってことはないんだけど……なんだろうね」


自分でもその想いを口にしようとすると詰まってしまう。


「学校、か」
「……あ、ごめん。学校の話なんかして」
「いえ、いいんです。それは誰のせいでもないので」


彼女はゆっくりと首を横に振った。

 

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「話を聞いてるのは楽しいんです。学校の話。行けないのでむしろ。今日はこんなことがあったよって。そんな普通のことでも、楽しそうに話をしてくれると、聞いている私も嬉しくなります」
「誰かそんな話をしてくれるの?」


言い回しからなんとなく訊ねる。


「姉が音羽の学生なんです。私と違ってちゃんと学校に行っているので」
「そうなんだ」
「今は……2年生になっているはずです。ケイって言うんですけど」
「へぇ──って、あれ?」


はて、と首を傾げる。

どこかでその名前を聞いたことがあるような。

同学年の生徒ともそれほど面識がなく、上の学年ともなれば道の領域でしかないはずなのだが。

しばし考えたが思いつかない。


「……というか、千尋の苗字ってなに?」
「あれ、言ってませんでしたっけ」
「うん」
「失礼しました。新藤です。新藤千尋。姉と私は双子なんです。だから苗字だと区別がつかなくて。名前で呼んでもらうのが普通だったので、言いそびれてました」


お姉さんによほど信頼を寄せているのだろう。

千尋が穏やかな笑みを浮かべた。


「なるほどね。しかし双子って珍しいなぁ」
「よく言われます。でも性格は正反対で、お姉ちゃんは止まると死んじゃう動物みたいなんですよ」
「………双子?」
「はい?」


お互いに呆けた顔で見つめ合ってしまう。


「えーと……じゃあ、千尋も僕より年上になるの?」
「はい、そのはずなんですよね」
「ああ……そうなんだ……」


やばい。

まずい。

ずっと年下だと思っていた。

名前呼び捨てとか、泣いていた時に頭を撫でてしまったとか、なんか年上っぽく振る舞い続けた自分の姿が走馬灯のように浮かぶ……。

というか、どうして僕の周りにはこう、実年齢よりも幼く見える女性しかいないのか。


「……あの、これから新藤さんって呼んでいいですか?」


胃の辺りを押さえながら呻(うめ)く。


千尋でいいですけど?」
「……そう」
「そっちのほうが慣れてますから」
「じゃあ、別にお願いがあるんだけど、僕のことも名前で呼んでくれないかな?」
「え、でも」
「後生だから」


力なく──本当に言葉のまんまだなと思う。


「えーと……では、蓮治さんでいいでしょうか?」
「"さん"だとなんかくすぐったいから"くん"で」
「それは私が恥ずかしいのですが」
「僕のほうが年下だし」
「そうですけど。どうして急に名前なんて?」
「どうしても。ほら、友達ということで」
「はぁ、わかりました。えーと、では、これからは蓮治くんでいきます」


丁寧に宣言して、まだ呼称がピンとこないのか千尋は不思議な顔をする。


「蓮治くん、蓮治くん……蓮治くん……蓮治くん……。変な感じです」
「そうだね」


結構恥ずかしかった。


……。

 

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「私はこっちなので」


商店街を抜けて十字路にさしかかったところで、千尋が僕の進もうとした道とは別の方角を示した。

どうやら教会と同じ方向に家があるようだ。


「そうなんだ。じゃあ」
「はい、さようなら」
「さよなら」


手を振り合って別れた。

なんとなく、未練がましく思われないように、彼女の姿を追わず前だけを見て──。


「蓮治くん!」


振り返ると、千尋は十字路の真ん中にそのまま立ち尽くしていた。

夕暮れ。

逆光を背に長い長い影が、伸びている。

 

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「どうしたの?」
「あの、私は……私……」
「…………」
「……ぁ」
千尋?」
「いえ、なんでもありません」


彼女がなにを言いたかったのか。

それが、学校に行けない理由や、あの涙の根幹にある"なにか"だということがわかって……。

聞き返すことができなかった。

 

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「さようなら」


影が揺らぐ。

顔も声も笑っていたが、このまま彼女を行かせてはいけない気がした。


千尋


だから呼びかけた。


「はい」
「また明日」
「……明日?」
「もしよければだけど、また遊ぼう。学校が終わったら駅に行くから」


ずっと「またね」と言ってきたけれど。

これは本当に約束だった。


「あの……明日……いいのでしょうか?」
「いいと思うよ」
「はい。また明日、駅で」

 

そう答えて、千尋が踵(きびす)を返した。

彼女の影が本人の姿よりも遅れて、小走りに去っていく。


「………」


これでよかったのだろうか。

なにがよかったのだろう。


「明日……」


挙げていた手をおろして、しばしうつむく。

自分の影を見つめて。


「……帰るか」


顔を上げた。

 

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「あ~、いいなぁ。俺もあの青春の日々に帰りたいなぁ」
「おまえはあの頃から、なんも変わってないと思うんだけどな」


振り返った帰り路に、知人がふたり立ちふさがっていた。


「いやいや、今はこう、なんだ青春よりも駆け引きって感じでさぁ……ヴァイオリニストって肩書きだけで近寄ってくるのとか混ざってるし」
「やっぱり変わってないと思うんだが?」
「どこが? 昔はもっと青くさい感じだっただろう」
「朱に交わって赤の、その核になる朱色だったと思うが」
「じゃあ俺が隊長か?」
「なんだそれ?」
「朱に交わって赤いからレッドだ!」
「おまえは黄色だな。なんつーかカレーだ」


「あのぉ……」


夫婦漫才みたいな会話に口を挟む──挟みたくはなかったのだが仕方ない。

ふたりが今さら気づいたとばかりに、僕に目を向ける。


「いつからいました?」

「3分くらい前かな。そして蓮治、おまえはピンクだ♪」

「……もうそこから離れろ」

「ふたりとも知り合いだったんですか?」


無駄話を無視して訊ねる。

久瀬さんはその言葉に頷くと、自分と火村さんの顔を交互に指さした。


「両刀なんだ」

「腐れ縁だっ! というか、おまえは本気で黙ってろ!」

「わかったよ。そうカリカリしなさんなって」


怒られることに慣れた様子で、久瀬さんが答えている。

どうやら知り合いというのは本当らしい。

意外といえば以外な組み合わせだ。


「なにか用ですか?」


話を逸らす前に勝手に逸れて行ってしまったので、もっとも根本的な質問を僕からすることになる。

 

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「ああ、そうだ。大したことじゃないんだけどな」


火村さんが目を細めて、さきほど千尋が去って行った道に目をやった。


「駅であいつと会ってるのはおまえだったのか」

「あいつ? なんなんですか一体?」


彼女と火村さんも繋がっているのか。


「ただのお節介さ」


かっこいい台詞なのだが、まったく久瀬さんとは関係なかった。


「わかった……おまえの相手はちゃんと後でしてやるから」

「………優しくしてね」

「そういうことじゃねぇだろう! あぁ、もう俺は帰る!!」

「火村さん」


冗談めかして去ろうとする人を呼び止める。

 

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「…………」

千尋は──」


そこで言葉が止まってしまう。

訊きたいことがたくさんあった。

千尋の問題とはなにか。

彼女と火村さんの関係とはなにか。

あなたは一体、何者なのか。


──それなのに、声を出すことができない。


「…………」

 

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振り返った火村さんの眼差しに、射すくめられてしまう。

優しさと哀れみと怒りが混じった目で。

まるで教会にいるように厳粛(げんしゅく)に。


千尋のそばにいたいなら覚悟しろ」


神の言葉を歌うようにつぶやいて、彼は背を向けた。


「……俺は、今回だけは、おまえみたいなヤツが早めに逃げてくれたほうがいいと思っている」


…………。

 

……。

 

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こんなつぶやきを残す必要があるかどうかわからないが。

ここまでが、なんでもない平凡な日常だった。

たとえそれが平凡とは呼びがたい──なにか歯車の噛み合わない、不出来な流れの上にあった日常だったとしてもだ。

日記を1ページめくれば世界が変わる。

アリスが庭の隅の穴に落ちたように。

するりと鏡を通り抜けたように。

あちらとこちら。

僕らが境界を踏み越えた日。

なにも変わっていないようで、

なにかが変わって、

なにもかもが変わらなくなった日──

火村さんの言葉が意味していたことを、

彼女の秘密を知ることになる、

後悔の始まり。


……。