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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【3】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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いつもの時間に、いつものように駅につく。

わずか1日来なかっただけなのに、その静けさと寒さが懐かしい。

そして僕は、先日思いついた計画を実行しようと、はりきっていたのだが──。

 

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「よぉ」


なぜか駅には火村さんがいた。


「あれ?」


かなりびっくりした。


「なんで火村さんがいるんです?」
メッセンジャーさ」


ヒットマンのほうがよほど似合いそうな無愛想な口調。


メッセンジャーって?」
千尋からおまえにだ……しかし」


そう言って、彼は駅舎の内観をざっと見渡す。

久瀬さんとは違う渋いかっこよさだなと、場違いな感想を覚えた。

 

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「寒いなここは。当たり前だが」
「え? ま、まぁ、そうですね」
「そんなに身構えるなよ」


火村さんが苦笑する。

しかし、そう言われたからといって、すぐに落ち着くことはできない。

どうやら千尋と出会ってからというもの、火村さんへの苦手意識が芽生えてしまったらしい。


千尋が風邪をひいて、今日はここに来れないからごめんなさい、ってだけなんだが」
千尋が? 大丈夫なんですか?」
「ああ。別にひどいわけじゃない。普通の風邪だ。念の為今日は外出禁止にしたけどな」
「そう……ですか」
「おまえも気をつけろよ」


思わず残念そうにつぶやいてしまった僕の顔を、火村さんが覗き込んでくる。


「僕は大丈夫ですよ」
「まぁ、風邪なんてひく時にはどうやってもひくけどな……ところでおまえ、驚かないな」
「なにをです?」
「俺が千尋の伝言を届けに来たことさ」
「ああ、ええ」
「ふむ」


お互いに察しはついていたのだろう。

予想通り、火村さんは今の千尋の保護者であり、僕がそれを知っていることを、彼も予想していたのだ。


「ま、いいか。それより、話をするにしても、もうちょっと場所を選んだらどうだ」


また駅を示して火村さんが肩をすくめる。


「僕よりは千尋の問題なんですけど……そうですね」
「いくらなんだって寒すぎだ」


そうつぶやくと、身にまとう空気を変えて、彼は僕を見つめた。


「これは怒ってるわけじゃないんだが。どうして昨日、ここに来なかった?」
「え?」
「あいつは絶対に言わないだろうが、千尋のやつ、昨日はおまえを待って8時までここにいたんだぞ」
「……8時?」


なんでそんな遅くまで……千尋の門限は午後6時のはずだ。

呆けている僕に、火村さんが目を細める。


「約束してたんだろう」
「なにを?」
「"また明日"って」


した、か?

一昨日は色々なことを聞きすぎて、細かい記憶が判然としなかった。

でも、おそらくはしたのだろう。

ここ最近は、ずっとそう言って別れていたから。


千尋となにかを約束した時は気をつけろよ。いや、約束のつもりじゃなかったんだろうが」


僕が固まったのを見て、火村さんがため息をつく。


千尋は記憶が維持できない代わりに、そういう約束は必ず守ろうとするんだ……固執してると言ってもいい。わかるか? "また"ってのは、あいつにとってその日の自分と、別の日の自分を繋げる大切な約束なんだ。……嬉しかったんだろうな」


視線を逸らして独り言のように。


「あんまりにも遅くて、まさかと思って俺が迎えに来ても、あいつ、おまえとの約束があるからって真っ暗な中で強情でさ」
「あ」


愚かすぎる。

彼女がここにいる間、僕はずっとあたたかい部屋の中で浮かれていたのか。


「あの、千尋のお見舞いに──」
「来なくていい」
「でも!」
「そういうことじゃないんだよ」


身をのりだした僕を、火村さんは軽く一蹴する。


「俺はおまえを怒ってるんじゃない。むしろ褒めてるんだ」
「え?」


なんでそうなるのか──。

そして、火村さんの柔らかい表情に呆気にとられた。


「俺の知っている記憶を失ってからの千尋は、自分という存在に確証がない分、周囲の言うことにはなんでも従っていたからな。ここしばらく、自分のことをおまえに伝えるって緊張してて……妙に頑なで……そういう強い感情が残ってたんだなって。俺にはあんな顔見せないくせに」


はじめて、子供みたいに笑う火村さんを見た。


「今回はおまえのせいって言うより、千尋に常識的な融通が利かなかったのと、俺が保護者代行失格ってだけさ」
「…………」


言葉がない。

悲しめばいいのか、笑えばいいのかもわからず、胸に鈍い痛みを覚えた。


「それだけだ。さて、帰るか」


そう言って火村さんはいつもの表情に戻る。

日が完全に暮れるまでには、まだ少しの時間があったけれど……。

居場所のなくなってしまった僕は、家に帰るしかなかった。

そして、視点は再び、僕の知らない彼女へと移る。


…………。

 

……。

 

 

 

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『行ってきます』


お気に入りの白い帽子と水着の入った鞄を持って、私は家を飛び出した。

たくさんの蝉の声。

夏の音。

白い世界。

ぶわっ──と熱くて少し重たい風が頬をなでる。

すぐに汗が出てきたけれど、これから海に行くことを考えたら余計に嬉しくなった。

 

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『はぁはぁ……』


飼育委員会の用事で遅くなってしまった。

お姉ちゃんと絃お兄さんは、先に海で泳いでるはずだ。

その光景を考えると、うらやましくなる。

だから、細い路地を縫うように走る。

 

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チリン──


教会の前にさしかかったところで、頭の上から涼しげな音がした。

風鈴の音。

澄んだ音。

どこか街の雰囲気とはあってなくて。

それでも、綺麗な音を見つけたくて顔をあげてしまう。

 

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イルカを模したガラス細工の風鈴が、そばにあった家の二階の窓につり下げられていた。

路地に切り取られた青い空も見えた。

いい天気。


チリン──


もう一度。

きれいな音に混じって。

 

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甲高い自動車のブレーキの音がした。


『────っ!?』


…………。

 

……。

 

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目を閉じて身体を縮こませようとしたところで、ふっ、と逆に目が覚めた。


「はぁはぁ……はぁはぁ……っ……」


自分の部屋のベッドに寝ていた。

いつの間に戻ってきたのだろう。

家の中には誰もいないのか、静かで、心臓のドキドキする音がすごく聞こえる。

 

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「っ……お姉ちゃん」


ベッドから降りて、いつも一緒にいれくれる姉に呼びかけた。

返事はなかった。


「どこに行っちゃったんだろう……?」


歩こうとしてバランスを崩した。

慌てて机に手をついて倒れることだけは防ぐ。


「あれ?」


なにかがおかしかった。

色々なもおが、なにか──ズレている。

遠近感がないのだ。

そこで、ようやく感じた顔の違和感に手をあてた。

左目にガーゼのようなものが当てられていた。

その奥の感触が……。


「……お姉ちゃん?」


部屋を見渡すとお姉ちゃんの荷物がない。

そこで、さらに変なことに気づいた。

台の上に乗っているように視線が高いのだ。

 

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驚いて自分の腕や足を見る。

長い。

変だ。

これは私じゃない。


「なんで? どうして? なんでこんなに寒いの!?」


おかしい。

わからない。

なにこれ。

なんでお姉ちゃんの荷物がないの?


「お姉ちゃんどこっ!? お姉ちゃん──!!」


どうしていないの。

誰か。


「レンジくん!」


男の子の名前を叫んで。


「……っあ」


私は思わず、自分の口を押さえて呻いてしまった。

気持ちが悪い。


──声すらも自分のものではなかった。

 

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千尋?」

「──っ!?」


突然、部屋の扉が開いて男の人が入ってきた。

どうして知らない人が家の中にいるのか。

その人が手を伸ばしてくる。


「やだっ……!」


逃げようとするけれど、身体が思うように動かなかった。

男の人は私の様子に顔をしかめて、伸ばしかけていた腕を止める。

そして口元にだけ笑みを浮かべた。


千尋、俺は、火村のお兄ちゃんだよ」
「ぇ……火村……? あ」


そこで、本当に目が覚めた。


「…………」


頭を叩かれたようにズレそのものが治まった。


「……そう……か」


今は冬なのだ。

 

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私はもう一度自分の腕を見る。

指先の1本1本が、血が巡ったように、今度は思うように動いてくれた。


「昨日の夜から熱にうなされて寝てたから」


火村さんが時計に目をやってつぶやいた。

 

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午前10時。


「12時間か……あと1時間起きなかったら危なかったな。全部やり直さなくちゃいけなかった」
「私……確か風邪をひいて……」
「まだちょっと熱があるのかも知れないね」
「あの、取り乱してしまってすみません……」


かすかに残った"昨日"のことを思い出した。

自分の状況と立場を思い出した。


「いいんだ……ちょっとだけ、こういうの慣れてるしね」
「慣れてる?」
「昔の話だ。とにかく、もう少し寝てるほうがいいよ。すぐにお粥かなにか持ってくるから」
「あの、火村さん……」


手を添えられてベッドへと向いながら、私は小首を傾げた。


「私はどうして風邪をひいたんですか? それと……さっき私が叫んだレンジくんって誰ですか?」


…………。

 

……。

 


翌日の放課後。

晴れていて寒い。

僕は冴えた空を見上げながら駅への道を辿っていた。

少しだけ早歩きに。

千尋に会うことへの抵抗はあったが……それは一昨日までと違って、風邪をひかせてしまった後悔だった。

だからこそ、早く彼女に会いたいと、気持ちが急(せ)いていた。


「あ」

 

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想いとは裏腹に、立ち止まって辺りを見回す。


「プレゼントでも買って行くほうがいいかな……?」


風邪が治っているようなら気が利いているかもしれない。

もし今日も火村さんが来ているようなら、それならそれで、お見舞いの品へと役割を変えればいいだけだ。

歩幅を小さくして、通りに立ち並び商店のウインドウを眺める。

花屋、宝飾店、本屋──女の子への贈り物に本はどうかと思ったが、千尋なら喜んでくれるかも知れない。

いや、そういえば彼女の精神年齢は僕よりずっと下なのだ。


「……あれがいいかな」


僕はしばし考えて。

財布の中身を確認してからファンシーなお店に目をつけた。


……。

 

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そして駅のホームを訪れる。

彼女は変わらずベンチに座って本を読んでいた。

大きな安心と、謝らなくてはいけないという小さな不安を覚える。

 

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「…………」


なにかの小説に集中していて、僕が目前に立っても千尋は気がつかなかった。

ふむ。

もしかしたら可愛いかも知れない。

僕はさきほど買ってきた剥(む)き身の"それ"を彼女の頭にのせた。

 

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「…………?」
「やあ」


さすがに気がついた彼女に、笑顔で挨拶する。

千尋は頭の上のなにかを落さないように目線だけを上げた。


「……なにかが頭にのっています」
「プレゼントだよ」
「プレゼント?」
「風邪をひかせちゃってごめんね」
「ああ」


彼女はそれで納得がいったと言葉だけで頷く。


「そうらしいのですが……」
「ですが?」
「実はひかされたということを覚えてなくて。別に怒ってるとかそういうことはなくて……」
「あぁ」


さすがにちょっと驚いた。

そんなものすら消えてしまうのか。


「でも、ありがとうございます」


千尋が言葉とともに頭を下げると、ぬいぐるみが落ちた。

彼女はそれを膝の上でキャッチする。


「…………」


千尋がじっ──とそれに視線を向ける。

少々間の抜けたひよこの目が相対した。

人形のようだと形容した彼女と、本物のぬいぐるみが睨めっこしてる絵は、かなりシュールだ。

 

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「…………ぴよ」
「ぶっ!」
「どうしたました?」
「……な、なんでもない」


不意打ちな笑顔と擬音に、吹きだしてしまった。

思った通り……いや、思った以上に可愛い。

買ってきて非常に良かった。


「可愛いです。ありがとうございます」
「いや、本当にごめん」
「いいんです、むしろこんなものを頂いてしまってすみませんでした」


ぬいぐるみを抱いて微笑む千尋が、ふと、あたたかい空気をまとっていることに気づく。

なんだか香ばしい匂いも。


千尋、どこか他の場所にいた?」
「ええ。ちょっと喫茶店に」


いつもの遠い目をして彼女が頷く。


「喫茶店?」
「駅は寒いから、蓮治くんが来る頃までは無理をするなよって火村さんが。そういう自己管理すらできないのなら、外に出ちゃ駄目だって言われてしまいました」


千尋が悪戯っぽく笑う。

彼女の笑みは自分のことか、それとも火村さんの過保護のことかわからなかったけれど。


「そうか。でも、本当に元気になって良かった。あ、だからって無理しちゃ駄目だよ。今日は早めに帰るほうがいいかも」
「はい。無理はしません」


千尋が穏やかに頷く。


「無理していることなんて、1つもないですから」
「そう」


言葉の中身に少し思うところはあったが、彼女の機嫌も悪くないし、追求する必要もないか。

それより、ようやくこうやって千尋と顔をあわせることができたから──。


「あのさ、いきなりで悪いんだけど話があるんだ」
「なんでしょう?」
「僕と一緒に小説を書いてみない?」
「え……」


つぶやきとともに千尋が動きを止める。

僕は静かにその視線を受けとめた。

 

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ぬいぐるみよりは真摯に。

──小説を書くこと。


それがずっと、ここ2日間、僕が考えていた答えだった。

彼女は表情を失いながらも、言葉の意味を考えているようだ。

タイムラグ。


「5日前の私……余計なことを……」


ポケットの手帳を意識しながら、彼女はまるで他人事のように過去の自分に眉をひそめた。


「余計なことじゃないよ」
「気にしないでください。そんなことできるわけないんです」
「なんで?」
「なんでって、そんなの……」


口調は平静そのものだったが、内面の揺らぎは、視線やぬいぐるみを抱きしめる腕の動きでわかった。

抑えこんでいるだけで。

諦めているだけで。

彼女は見た目よりもずっと感情豊かな女の子だ。

1つ──なにか1つだけでいいから、今の彼女がやり遂げることができたら変われる気がした。


「本当に書けると思いますか?」
「うん」
「……なんで、そんなに自信たっぷりなんです?」
「え、なんでだろう?」


そもそも、書かない、という選択肢を考えていなかった。


「ほら、半人前をふたりあわせると一人前の力が出せるかも知れないし大丈夫だよ」
「私は半人前じゃなくて足手まといです」
「僕は半人前というか素人だけど」
「駄目駄目ですね」
「えーと、じゃあ足手まといと素人が力をあわせて半人前くらいで」
「……相乗効果でマイナスです」
「あ、あはは……」


……自分でもそんな気がした。


「とりあえず、僕も千尋も書きたいんだからいいんじゃないの?」
「私は書きたくありません」
「なんで?」
「なんでもです」


おかしな頑固さを発揮して、千尋は首を縦には振らない。

彼女の頭をわし掴んでシェイクしてみたくなったが、そんなことをしても意味がないどころの騒ぎではない。


「…………」
「……う~ん」


にらめっこをしても勝てないか。


「どうしました?」
「なにがそんなに嫌なのかなって」


あまりにも予想と違う展開だ。

あれほど真剣に書きたいって言っていたから、てっきり喜んでくれると思ったのに。


「なんでも駄目です」
「……はあ」


目の前に本人がいるにも構わず、ため息をついてしまう。

火村さんが千尋は強情だと言っていたが、まさかこうもはやく目の当たりにするとは思わなかった。

いや、そういえば兆候のようなものはずっとあったか。

 

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「……どうしてそこまで強情なんですか」
「強情って僕のほうなの?」
「そうです。いつもはもっと優しいです」
「それは……」


拗(す)ねられているのだが、評価が嬉しくて照れてしまう。


千尋のためにも小説に挑戦してみたいんだけど」
「わかりません」
「わかるよ」
「……なんで蓮治くんに私の気持ちがわかるんですか」
「う~ん、僕は人の気持ちに聡いわけじゃないけどさ」

笑ったまま、人工衛星みたいに人差し指をくるくる回す。


千尋自身が物語を書くのが夢だって言ったんだから」
「…………それは5日前の私です」
「そうだけど違う。5日前でも今でも千尋千尋だし、夢は夢だよ」
「……っ。帰ります」

 

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唐突に立ち上がって、千尋が足早に駅の出口へと向かう。


千尋っ!」


呼びかけるが止まらない。

ぬいぐるみがベンチの上に置き去りにされている。

僕はそれをどうしようか一瞬迷ったが──後で迎えに来るからとひよこに謝って、千尋の後を追った。


………。

 

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商店街に出ていつもの帰り道を見るが、人ごみの中に千尋の姿はなかった。

慌てて見回すと、まったく別の方角に歩く彼女を見つける。

思ったよりも足が速い。


……。

 

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街を西に向かってひたすらに進む。

見知らぬ住宅街に入り込んでいた。


「…………」


ちらり、と振り返って彼女が目を細める。

僕にどうしろって言うんだと思いつつ──帰れということだろうが──そのままふたりで縦に並んだまま歩く。


……。


やがて海へ出た。

千尋が海岸へ降りる。

 

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後を追って砂浜を歩きながら、日が沈みだして赤く輝く水面へと目をやる。


「…………」


なんだか彼女の復帰早々、面倒なことになってしまったようだ。

ここで千尋の記憶障害を知った──彼女とわかり合えた日はいつのことだっただろう。

そう遠くないはずなのに。

どうしてこんな行進をしているのかと頭を抱えたくなる。

本当に……記憶障害の話なんてハロウィンの冗談とかならよかったのに。

 

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そんなことを考えていると、目前の砂を踏み荒らす足音が急に止まった。


「……千尋?」
「……いいことを言ったとでも思ってるんですか蓮治くん?」

 

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千尋が砂を跳ね飛ばしながら振り返る。


「え……いいこと?」
「そうです。かっこいいこと言ったとでも思ってませんか?」


千尋が笑っていた。

普段ならそこで仲直りできると思えそうだが……その笑みはまったく別物だった。

人形の笑い方だ。

最初に見た仮面の表情。

僕は気おされたまま声を出せない。


「私がこんな行き止まりみたいな人間だからって。やることもやれることもなくて。ただ毎日ぼんやりと生きていて。だから夢を叶えればいいだなんて……そんな、単純な…………」


そこで千尋の仮面がゆだんだ。

そう。

だけど。

僕にはもう彼女が人形だなんて思えない。

だから彼女も人形の真似なんてできない。

 

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「……その通りです。あなたは正しいのでしょう。間違ってるのは私です。でも……どうしろって言うんですか!!」


叫んで──千尋がぐらりと揺れた。

僕は無意識に、膝から崩れそうになる彼女に駆け寄った。

 

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「助けて……。なんで……私じゃない人のほうが私のことを知ってるんですか……」


僕の背中をぎゅっと握り締めながら、肩に顔をうずめて千尋が嗚咽を漏らす。

急に泣かれてしまい呆気にとられた。

そんなに大変なことを言ったつもりではなかったのに。

ただ、一緒に小説を書くのが楽しそうだなと気軽に思っただけなのに。

なにかズレていたのだろう。

いや……最初からすべてがズレているのだ。

いまさら驚くこともない。


「書きたいです……ずっと、記憶が消える前の夢なんてそれしか残ってないんです……。でも絶対に嫌」
「どうして?」


矛盾する千尋に静かに問いかける。

僕にはそれしかできないから。


「……怖いです。もしそれすらも駄目だったら……私には本当に、なにもなくなってしまうじゃないですか」
「…………」


頭を殴られたような衝撃を受けた。

そうか。

その通りだ。

千尋と話していると自分の愚かさを思い知る。

数日前、夢の話をしていた時に、自分でも同じことを考えたくせに。

なにかにつけて、人は結果ではなく過程だと言うけれど……それも大切だけど。

取り戻せなくなる結果も確かにあるんだ。

ここに。

もし失敗したとしても僕はいい。

でも、千尋には本当になにも残らなくなってしまう。

そんなことにも気づかず、ずっと彼女のほうがわからず屋だと言い続けた自分が悔しい。


「……ごめん」


自分の迂闊(うかつ)さを謝罪する。

つぶやきながら千尋を抱きしめる力を強くした。

折れてしまいそうな細さなのに、柔らかい。

場違いにも、腕の中にいるのが女の子なんだって考えてしまう。


「……泣き虫だしね」
「ぇ?」


千尋が顔を上げた。

本当に信じられない距離に彼女の潤んだ瞳があった。

唇と。

しっとりとした息遣いを感じる。

 

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「…………」
「どうしたんですか?」


鼻をすすって、抱きしめられたまま千尋が唇を動かす。


「いや……」
「…………?」


無垢な瞳が僕を見上げる。

全然まったくそういう話をしていたのではないのに。

だんだんと頭が、違う方向に全力疾走しだす。

夕日に向かうラグビー部だ。

小説の話をしていたのであって……そういうことではなく……。

でも、これはいいんじゃないか?

海辺で抱きしめるところまできているんだから……。


「その……キスしてもいいかな?」
「はい?」
「いや……接吻を……」


なぜか言い回しが古風になってしまう。


「駄目です」
「あっ、そ、そうだね」
「はい。キスは恋人がするものです」


千尋が冗談まじりに微笑むと、目じりにたまっていた涙がこぼれた。


「恋人?」
「はい」
「……恋人に、なっちゃ駄目かな?」


馬鹿騒ぎしていた鼓動が落ち着いた。

さっきまで恥ずかしかったけれど、急に。

なにも考えず口からこぼれた言葉だったが、だから、本気だったのか。


「…………」


千尋がまたうつむいてしまう。


「今日の蓮治くんは、いじわるだから嫌です」
「そっか」
「……昨日だったら良かったのに」
「え?」
「昨日はひとりで寝ているだけで寂しくて……つまんなくて……蓮治くんに会いたくて。大好きだって……多分、そんな風に、昨日の夜の私は日記を書いてました」

 

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「っ、はは」


小さく自嘲してしまう。

火村さんに言われてお見舞いを諦めていなければ、僕らは恋人になっていたのかも知れないのか。


「そっか……惜しかったなぁ……」


つぶやいて身を離そうとしたが──背にある千尋の手が離れなかった。


「今日の蓮治くんは嫌いですが。でも、大嫌いじゃないです」


ぎゅっと顔を肩におしつけられる。


「もうちょっとだっこしててください」
「…………だっこ?」
「はい、あったかいです」


子供そのものな発言に、仕方なく、僕は力をこめずに彼女の身体を包んだ。

あったかい、か。


千尋が作りたい話ってどんなの?」


耳元でささやく。


「……もう……しつこいですね」


腕の中で彼女もささやいた。

 

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「私が書こうと思っているのは──すべてが滅んだ世界に、ひとりだけ生き残った女の子の物語です──」


…………。

 

……。

 

 

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午前10時を示す時計を見ながら、私は考える。

今日は土曜日だから学校はお休みのはずだ。

まだ蓮治くんは寝ているかも知れない。

お姉ちゃんは……なにをしているのだろう。

みんながどんどん歩いていく。

 

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早かったり、遅かったり、行ったり、来たり。

進む方向もスピードもまったく違うけれど、誰もが1歩1歩、未来に進んでいる。

そんな時間の概念を地面にしたような世界で、私だけがぼんやりと立ち止まっている。

歩こうとするとジャリッ──……と鉄のこすれる音がした。

 

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なんだろうと足元を見ると、足首に鎖が巻きついていて、その鎖の先は柱に繋がっている。

私は通り過ぎていく人たちを追いかけようと走る。

しかし鎖がそれを許さない。

ぐるっと一定の距離をたもったまま、円を描くのが限界だった。

私はまるで、算数の授業で教わった、円の面積を求める問題のなかに示された羊のようだ。

 

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──牧草地帯の真ん中に木の杭をうちこみ、そこに羊を結びつけました。

──むしゃむしゃと羊が草を食べつくして出来上がる円があります。

──さて、円の面積はいくつでしょう?

あの問題を思い出すたびに、牧草を食べつくした羊が飢え、ゆっくりと死んでいく姿を思い浮かべてしまう。

 

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どこまでも果てしない草原を目の前にして、餓死する羊だ。

そんな羊を犠牲にして私たちは円の面積を求める。

半径を二乗して円周率3.14をかける。

半径──鎖の長さは13時間だ。


…………。

 

「はぁ……」


おかしな思考にため息をつきながら現実に目を戻す。

 

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10時4分。

4分の時間が過ぎ、4分の記憶が失われた。

いつから私は円の外に出ることを諦めたのだろう。

みんなが消えていく先にあるものを夢見ていたのは、いつまでのことだったのだろう。


「……それすらも覚えていない」


無意味だ。

こんなことを考えているうちに、また30秒の時間が失われる。

 

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私はゆっくりと部屋を見渡す。

ここにあるものは、ほとんど私の知っている姿そのままだった。

模様替えで家具の配置を変えてしまうと、翌日以降の自分が困るからだ。

お姉ちゃんにも、そういう面で随分と迷惑をかけてしまったのではないか……そう思うことしかできない。


「なんの実感もない停滞した世界」


それでもそこに、ひよこのぬいぐるみが新しく置かれていた。

5日前の私が望んだ変化があった。


「……蓮治くん」


私は彼の名前を無意識につぶやいていた。

その名前の価値を今日の私は知らないが、ぬくもりを胸に覚え、自然と微笑みを浮かぶ。

あったかい名前。

 

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「あ、そうだ……メール見なきゃ」


私は数少ない日課──姉からのメールが届いているであろうことを思いだし、机に座る。

パソコンを立ち上げながら、内心、自分が姉以外の人間に心を許していたことにドキドキした。


千尋へ、元気にしていますか?』


姉からのメールはいつもの文面で始まっていた。

けれど、ここ数日元気のあった姉の言葉に、また陰りが見えていた。


『あの映画撮影の話、色々あって止まっちゃったわ。なんか、先輩が前にいた部活のほうでゴタゴタがあった……とかで。なにかしてるほうが楽かなってやってただけだし、別にいいんだけど。テストが近いから我慢して勉強したほうがいいのかもしれないけど、それもね』


どこか空元気にも見える内容に、思わず寂しさを覚えてしまう。

その原因は、映画撮影の中止だけではなかった──


『そういえば一昨日、街でお兄ちゃんを見かけたわ。前に話した彼女と一緒に、仲良さそうに歩いてた。目にしたのは後ろ姿だけだったし、声はかけなかったんだけど。ふと、思ったわ。どうして、お兄ちゃんの隣を歩いているのがわたしじゃないんだろうって。そんなの当たり前だってわかってるんだけど。でも、自分がまだそんなことを考えてしまうんだってことが、ショックだった……。ああ……今日はもうなにを書いてもダメね。千尋に愚痴っても悪いし、こんなことは自分でなんとかしなきゃ。明日にはちゃんとしてるから……ごめんね、千尋


「……お姉ちゃん」


お姉ちゃんは立ち止まっている自分に焦っているのだろう。

私にはわかる。

私だからわかる。

ひとつ深呼吸して、キーボードに指をおく。

普段は甘えてばかりいるからこそ、こんなときくらい、少しでも姉の役に立ちたかった。


『多分、お姉ちゃんはやりたいことが見つからないんじゃないんだと思うよ。本当にやりたいことがあるから……他になにかないかって無理に考えても、見つからないんだと思う。それはすぐ目の前にあるはずだから──自分を騙すのは辛いことだよ』


私にはわかる。

私だからわかる。


『絃お兄さんのこともそう。あの頃は毎日があたたかくて、楽しくて、悲しいことが起こるだなんて少しも考えなかった。未来のことなんてなにも考えていなかった。私たちは子供だったから』


それは私にとってはつい昨日みたいなことで。

今のお姉ちゃんがいるべき"時間"ではないのだ。


『でも、思い出は大切だからこそ、それを言い訳にしちゃいけないんだと思うの。立ち止まって、振り返ってばかりいると、みんなに置いてかれちゃうから。お姉ちゃんは走っているときこそ輝いていて。私はそんな、ずっと前を走っているお姉ちゃんの背中に憧れてたから──私もやってみる。だから、一緒にがんばろう、お姉ちゃん』


「……はぁ」


自分の心に浮かんだ言葉をしたため、私は小さく息をつく。

姉に向けた言葉に嘘はない。

私たちは双子のくせに性格はまったく似ていなくて、だからこそ正直に想いを伝えあうことが出来た。

だから──姉への言葉の中に、自分への答えを見たのだ。


「"一緒にがんばろう、お姉ちゃん"」

 

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想いを言葉にしながら、机の一番下の引き出しを開いた。

そこは宝物をしまった場所。

4年前までのアルバムとか、卒業文集とか、日記とか──私が普通に思いだせる、懐かしい品物がつまっている。

大切な大切な宝物のお墓。

思い出すと辛いから。

ずっと時を止めていたのに。


「……本当に、あの円の外に出られるの?」


羊は生贄の象徴だ。

私は鎖に繋がれたまま、たまに円の中を通り抜けていく人と接触する。

ある人はそこで足を止めて外の世界の話をしてくれる。

でも、いずれ去っていく。

時間は流れる。

残酷なほど平等に。

私以外に平等に。

蓮治くんもそうかも知れないのに……。


「夢」


引き出しの中に手帳がある。

それが私の夢のカタチなんだそうだ。

4年前に閉ざされた私に代わり、4年間で綴られた物語──自覚ではなく日記にそう書かれているから知っているだけの物語。


「ごめんね」


私はその物語に謝った。

ずっと私の都合で時を止めていて、ごめんなさい。

 

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手帳を手にとった。


「書き上げてあげるから」


決意が揺るがないように声にだす。

そう、これは決意だ。

私は決めたのだ──きちんと手帳にもそれを記した。

準備は整った。

今日が始まる。

そして……なによりも。

 

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今日は、彼に会って絶対に聞かなくてはならないことがあった──。


……。

 

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「蓮治くん、昨日、私を抱きしめたりキスしたり告白したりしたのは本当なんですか?」
「ぇ」


挨拶もなく唐突に振られた話題に、顔がひきつってしまう。

千尋はいつもと同じような様子でそこにいたが、微妙に頬が赤い。

そこで気がつく。

彼女の中では、あれは自分ではない自分の出来事でしかないわけだ。


「あ、その、いや……。キスはしてないよ」


フォローしようと頬をかきながら、愛想笑いをジャイアントスイングのように振りまく。


「じゃあ、他のことはしたんですね」
「あの場合は不可抗力に近いかと……」
「どさくさまぎれでも、ひどいです」


上目遣いに僕を見て、彼女は眉をひそめる。

 

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「他になにか変なことしてないですよね?」
「変なことって?」
「それは……その……」


もじもじ、と千尋がさらに顔を赤らめてしまう。

いったい彼女の中では、僕がどんなひどいことをしているのだろう?

とても知りたい。


「えーと、とりあえず変なことはしてない」


身に覚えがある罪状は他にはない……はずだ。


「わかりました。信じます。今後は注意してください」


千尋は早口に言って、「もう……」と、ため息をつく。

僕も安堵の息をはいた。


「えと……それで……これを」


千尋がポケットから手帳をさしだした。


「これは?」


受け取って、表紙と裏表紙をくるくる回して眺める。


「小説のアイデア帳みたいなものです」
「ああ」
「私が帰ったら読んでいいです」
「え? もう帰っちゃうの?」
「誰かが自分の話を読んでるのを見てるなんて、嫌です」


まあ、そういうものか。


「わかった。じゃあ今日中に読むから」
「つまらなかったらこの話は無しにしてくださいね」
「わかったよ」


つっけんどんな様子に思わず苦笑いしてしまう。

それでも、それは確かに大切な判断だ。

千尋はそれで用が済んだとばかりに、一礼して去っていった。

 

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話をできなかったのは寂しいが、千尋の物語を読みたいという気持ちのほうがずっと強かった。

僕はベンチに座って、いつかの穏やかな日のように、ひとりで丸っこい可愛い文字に意識を集中した。


…………。

 

……。

 


女の子は世界にひとり。

だから彼女は神様だ。

 

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女の子は物心がついた時には島にいた。

島には1つの屋敷と、その屋敷と回廊で繋がる古城があった。

そんな場違いな建築物がどんな目的でそこに建てられたのか彼女にはわからない。

知る必要もなかったし、元からそこに"いた"だけの女の子が疑問に思うこともなかった。

城の倉庫には保存食や生活雑貨が山のように積まれていて、飢えることはなかった──

それが食べられるモノだと認識するまでは飢えたが。

しかし病気や怪我で何度か死にかけた。

色や匂いの変わった食べ物、手近な植物とか無機物を口にして死にそうになったことが一番多かった。

女の子は屋敷を居住スペースにして、古城にはほとんど足を踏み入れなかった。

特に区別する必要はなかったのだが……単に生活するのに古城のほうが不向きだったという合理的は判断だった。

 

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なにもすることがなかった。

島は狭く、徒歩でも半日あれば1周できるくらいしかない。

海岸から見える景色は360度、どこも、海と空と雲と水平線でしかなかった。

それが世界のすべてだった。


……。


物語の流れはそれほど難しいものではない。

噛み砕けば、女の子が屋敷の図書室にあった本を読んだり、実体験での失敗を重ねながら物事を覚えていく寓話(ぐうわ)だ。

徐々に知識を形成した女の子は、やがて"人間"に興味を持ち始める。

本に書いてあることはすべて、突き詰めれば人間の話だからだ。

女の子は人間を知ろうと──人間を作ろうと絵を描き始める。

自分が暮らす島や屋敷の風景画を描き、そこに男の子を描き加えていく。

そしてある日、絵の中の男の子が動き出す。


──アイデアとしてはそこまでだった。


残りのページには、似たような話のプロットが、延々と書き込まれている。

おそらく……異なる日付の千尋が、何度も何度も、同じことを考えては微妙に異なる結果を出していたのだろう。

しかし、通して見ていくと傾向とテーマはつかめた。

根本のテーマで言えば、それは対人関係における感情──寂しさを女の子が覚えるまでの話だ。

 

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「でも……なんだこれ……」


僕は口元を押さえて絶句した。

異常だ──それが偽りのない最初の感想だった。

物語の視点となる女の子は最初、ほとんどの出来事・常識を理解していない。

有機物と無機物の区別というレベルではなく、色、存在、概念を知らないのだ。

そもそも"名詞"が足りない。

この物語は名前がないところから始まるのだ。

構成的には、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』と似ているだろう。

視点となる人物のIQが徐々に高くなっていくために、描写そのものが変化する物語。

今の世では際立つアイデアとは呼べないし、千尋のそれは、ほとんど殴り書きというレベルの文章でしかないのだが……。

それなのに、読んでいると、主人公の女の子のいる世界が目の前に広がるようだった。

文章が上手いということはない。

構成がどうということもない。

むしろどちらも下手だろう。

しかし描写が化け物じみていた……。


「…………」


寒気がした。

周囲の気温が氷点下まで落ちたような寒さだった。

いや、身体が震えるからそう錯覚しているだけなのか……。

どうしてこんなモノが書けるのか。

 

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僕は何度も何度もメモ帳に目を通し、千尋が去っていった駅の出口を見た。


……本当にこれを、あの千尋が書いたのか?


……。


「それは簡単なことだ」


火村さんは僕の疑問を一蹴した。

 

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「どんな内容なのか、俺も見たことがないから知らないが。千尋にとって文字を書くということは生き抜くことと同じだからな。文章──絵でも音楽でも、それらの生まれた理由の根源に千尋が近いってことさ」
「ぜんぜん簡単な話じゃありません。もうちょっと噛み砕いてください」


火村さんは「ふむ」とつぶやくと、しばし目線をさまよわせる。


「……つまり、他者へのイメージの伝達だ」
「イメージの伝達?」
「そう。千尋は消えていく自分の姿を日記として、翌日以降に繋げようとしているのは知ってるな」


僕が頷くと、火村さんもそれでいいと相槌を打つ。

彼はいつものように教師然として祭壇の前で姿勢を正した。


「もちろん日記というのは自分から自分へ宛てるものだ。しかし千尋でなくても、過去の自分と、それを読んでいる未来の自分はあくまでも別の存在だ。現代の日記が本来の意味で使われているかというと微妙だから、報告書とか交換日記だと思えばいい。つまり、自分のイメージをどれだけ正確に他人に伝えられるか──その精度が問題になる装置だ」


そこで火村さんは1つ間をおいて足元を見る。


「『楽しかった』って一言だけしか書いてない日記と、『いつ、どこで、誰が、どうして楽しかったか』まで書いてある日記は別物だ。文字だけじゃなくて絵も音楽も、すべての創作物の根源がそれだ。他者へのイメージ伝達──共感の概念。そこに千尋が文章を書く目的が近いってわけさ」
「……でも、千尋はそういう力が積み重ならないはずじゃ」


内容には納得できたが、僕は疑問に思ったことを口にする。


「どうだろうな……学んだことじゃなくて元からの才能かも知れない。覚えてなくても身体に染み込むものがあるかも知れないし、死ぬ気で伝えようとしてるから出てきた力かも知れない。どうして? っていう話になると、俺にも詳しくはわからないけどな。でも、人間には目が見えなくなって耳が異常のよくなるとか、手が動かない代わりに足の力が強くなるとか──そういうことがある。回路の問題かも知れない。天才は左脳のストッパーが弱いという話もあるし」
「…………」
「そんなに凄かったのか?」
「え?」
千尋の書いてる話さ」


火村さんが表情を崩した。


「あ、ええ、ちょっと」


言葉を濁(にご)しつつも頷く。

他人には話さないという約束を──もう半分は破ってしまっているが、それでも守ろうとは思った。


「そうか……まぁ、もうここまで来たら、それが書きあがることを祈ろう」
「火村さんってクリスチャンなんですか?」
「冗談にもならんな。"祈る"っていうのは動詞だ。そういう行動だよ」


言葉とは裏腹に笑って首を振る。

ふと、その姿に、以前から聞こうと思っていたことを思い出した。


「それじゃあ火村さんって何者なんですか?」
「何者って?」
「仕事とか家とか、なんでクリスチャンでもないのに教会にいるのかとか」
「会いたい人がいたんだ。ここで……会うはずだった」
「…………?」


なんのことか分からなかったが、どうやら最後の質問にだけ答えが返ってきたらしい。


「なんで過去形なんです?」
「昔の話だからな」

 

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彼は静かに身じろぎして首をさする。


「俺は神父でもカウンセラーでもない。人の懺悔を聞いたり、人に説教する資格そのものがない人間なんだよ。それでも、あえて先達(せんだつ)として忠告させてもらうなら」


彼は目を細めて僕を見下ろした。


「小説も友達ごっこもいいが、決して千尋自身に深入りはするなよ」


…………。

 

……。

 

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「あれ、蓮治くん……ですよね?」
「そうだよ」


いつもと変わらぬ挨拶だったが、その日は攻守が逆転していた。

僕は11時半という時刻を携帯電話で確認して、後から来た千尋に笑いかける。

火村さんのあの言葉が気になり──それ以上に、小説の話がしたくて早く出てきてしまったのだ。


「お待たせしてすみませんでした」
「時間まで約束してないし、着いたのもさっきだから気にしなくていいよ」


今日の千尋はちょっとお澄ましな感じだ。

微妙な差異だが、徐々にそういう違いも見て取れるようになっていた。


「でも、寒くはないけれどお腹は空いたかな」
「そろそろお昼ですから。一度帰りますか?」
「家でご飯を作ってもいいけど、どこかに食べに行くのもいいかな……千尋も一緒に行く?」


茶店に通っていると言うからには、千尋も昼は外食だろう。

こちらとしても、どこかあたたかい場所で、腰を据えて小説の話をしたかった。


「いいんですか?」
「いいけど」
「……ちょっとびっくりしました」
「なにが?」


なんでそんなに驚くのかと首をひねってしまう。


「蓮治くんが料理するのを見るのは面白そうです」
「え? なんで僕がごはんを作るの?」
「蓮治くんの家でごはんを作るって言ったじゃないですか」


言ったか……。


「……言ったな」


あげ足取りの捉え方のような気はするが。


「駄目ですか?」
「駄目というか……駄目じゃないんだけど……」


こめかみを押さえて呻いてしまう。

別に料理を作ること自体はドンと来いなのだが。

家に母親(アレ)がいるかいないか──それが問題だった。

アレがどんな反応をするのかは予測不可能だ。

たとえ決められた運命があろうとも、アレは笑顔でそれを蹂躙(じゅうりん)していくことだろう。


「ご迷惑でしたら、別に構わないのですが」
「う~ん……。いや、大丈夫かな」


千尋も期待しているようだし、それはそれで面白そうなイベントではある。


「なにか食べたいものがあれば言って。足りない食材があれば買って行くから」
「はい。なんでも大丈夫です。あ、いえ、クリンピース以外なら」


千尋が真剣な顔で言い直す。


「グリンピースが駄目なんだ。ほとんど味なんてない気がするけど」
「あの触感がどうも……」
「そう。ところで千尋って料理できるの?」
「料理ですか」


頬に手をあてて千尋が遠くを見つめた。


「作れなくはないのですが絶対に口にしてはいけません。どうもうちの家系は、本人の才能とは関係なく料理との相性がよくないようなので」
「そうなんだ」


要約すると作れないそうだ。


……。

 

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「おかえりなさい。もう帰ってきたの?」
「……いたか」


確率半々という気がしたが、母はリビングでくつろいでいた。

千尋に外で待っててもらったのは正解だったようだ。


「昼ごはんを食べに来たんだけど、友達も一緒なんだ」
「ごめん……後半をもう1回」
「友達も一緒なんだ」
「…………」


母親は頬に手をあてて、千尋のように小首を傾げる。

なんだか最近、このテンポが流行っているのだろうか。


「爬虫類?」
「いや、哺乳類だと思うな」
「犬か鳥でも拾ってきたの?」
「とりあえず人間だと思うな」
「…………? 人類の友達ができたって嘘じゃなかったの!?」
「…………いいけどさ……とりあえず誰が出て来ても大騒ぎしないでね……」
「ラジャーです!」


最悪な返答を受けてから、僕は家の外に出た。

 

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「大丈夫でしたか?」


中の騒がしさが届いていたのか、千尋は不安そうな顔で待っていた。


「う~ん……まあ、大丈夫じゃないことが予想通りだったんで大丈夫」
「はぁ」
「とりあえずどうぞ」
「お邪魔します……」


おそるおそるといった千尋が、ちょっと微笑ましかった。

 

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「あらあらあらあらあらあら」


そして母親はこんなだった。


「いらっしゃいませ~。蓮治の友達って女の子だったのね」

「はじめまして、新藤千尋です」

「ご丁寧にどうも。麻生すみれです」

「蓮治くんのお姉さんですか」

「妻です」

「──ッ!?」

 

 

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千尋が『衝撃』と名づけて額にいれて飾りたい顔で、僕を振り返った。


「いや、ホントごめん……僕もいまだに信じたくないんだけど母親なんだ」

「え? お母さんなんですか?」

「はい」

 

年齢のことは言われ慣れているから、母の対応も軽いものだった。


「とりあえず自己紹介はそれでいいかな」

「こちらの方がまだ」

 

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「ああ、これはお隣の久瀬さん」

「どうも。笑顔が光る好青年です」

「こんにちは」

「うん……ん?」

「どこから湧いたんですかあなたは!?」

「化粧室」


久瀬さんが上品に笑った(女性がいる前では紳士だ)。

「あ、そうそう。久瀬さんと一緒にお茶をしてたんだけど、驚いてて言うの忘れてた」


「……いたのか」


この状況は予想外の予想外だ。

言い換えれば最悪絶好調というところか。


「いや、いい。気にしない」

「悟ってきちゃったなぁ」

 

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久瀬さんの茶々は聞き流し、エプロンをつけながら全員を見渡す。


「ごはんを作るけど、4人分にしておく?」

「私たちはさっき食べたから大丈夫よ!」

千尋ちゃんの相手は俺達に任せて、存分に腕を振るうといい!」


ふたりの駄目な大人が騒ぐのを目にして、僕は決心を固めて頷いた。


千尋、ここにいるのは危険だから、僕の部屋で待ってて」

「え、えーと……。どうすればいいのでしょうか?」

「まぁまぁ、お客様なんですからゆっくりとソファにでも座って」

「あ、はい」

 

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背後から聞こえてくる展開にため息をつきつつ、仕方ないかと冷蔵庫の中身を調べることにした。

僕のことだから結局こうなるんだ……。

 

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「……確かに悟ってきちゃったなぁ」


ぼやきながら冷蔵庫を確認すると一通りの材料は揃っている。

和洋中からトンデモ料理までなんでもござれという感じだが、調理時間の短いものを考えると中華ベースがいいだろう。

温かいもので、千尋が気にしているかも知れないしカロリーが低いもの。


「中華風の鶏肉丼……後は適当なサラダと吸い物でいいか」


つぶやきながら、頭の中で調理の工程を組み立てた。

まず鍋を2つ用意する。


──「ね、千尋ちゃんと蓮治ってどういう関係なのかな?」


鍋の1つに油、もう1つに吸い物用の水をいれて火にかける。


──「関係……。ただの、お友達だと思います……」


鶏のもも肉をひとくち大に切り、茄子(なす)を縦長にさいておく。


──「男女の間に、友情は存在しないねぇ……。経験則だけど」


卵白・かたくり粉・塩を合わせたものに鳥のもも肉をいれる。


──「男女の友情って、そういうものなのかしら」


これで下ごしらえは終わり。


──「大体は男の片思いで終わるんですけどねぇ」


パチパチと音を立て始めた油の鍋にもも肉をいれて、茄子も素揚げにする。


──「期待したいんだけどなぁ……」


もも肉が揚がるまで鍋はおいておき、新しくフライパンを取り出す。


──「あの……蓮治くんは、そういうんじゃないと思います……。ただ、優しいんです……」


フライパンにごま油を馴染ませて火にかけ、そこに豆板醤と、風味付けにシソの葉をいれ、スープと調味料を加えて煮立たせる。


──「おやおや」


その間にもも肉を油の鍋からとりだして余分な油をきる。


──「まあまあ」


隙間を縫ってサイドメニューのサラダに手を出すことにした。


──「いったい蓮治のどこが良かったのかしら? あの子、親から見ても馬鹿だから」


馬鹿……いや……レタスを適度な大きさにちぎり、きゅうりと小海老をいれる。


──「そういうのが、母性本能をくすぐるのがあるのでは?」


輪切りにしたトマトを酢の代わりにして、マヨネーズと醤油を一緒にあえ──それらをガラスの器に移してサラダは完成。


──「そうなのかしら! でもこの歳まで浮いた話が無かったから、お母さん嬉しくって……!」


次は吸い物。


──「俺は見てて面白いんですけどね」


最初に用意しておいた水の鍋にベースとなる調味料をいれ、サラダの余りのきゅうりと、人参を飾り切って煮立てる。


──「あ、でもきちんと避妊はしなきゃ駄目よ!」


これで小品は終わり。


──「ひにん……?」


ほどよく……油の……きれ……きれた……。


──「それはどうでしょう?」


油のきれたもも肉と茄子をフライパンに移す。


──「なにか異存が?」


そこにかたくり粉を入れてとろみをつけ、風味付けにごま油を少量加える。


──「男のロマンの否定ですからねぇ」


どんぶりにご飯をよそい、フライパンの具とタッパにつめて冷凍していた刻みネギを盛り付ける。


──「ろまん……?」


最後に吸い物とサラダを椀にいれて盆にのせ。


──「殿方の気持ちは分かりませんが、女性にとってはけっこう怖いことなんですけどね」


完成。


──「なにがですか?」


手を洗ってエプロンをはずして。

僕は振り返った。



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「……とりあえず全員黙ってください」


……。

 

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「ご馳走様でした。本当に美味しかったです」
「そう……それは良かった……」


部屋に千尋を案内しつつ、呻いてしまう。

あの後、食事が終わるまであの手この手の婉曲下ネタトークに責め続けられ、部屋に逃げ込めたもののボロボロだった。

料理の味なんて感じるはずもない。

久瀬さんはわかっていながらやっていたのだろうが、母がどちらかは読みきれなかった。

厄介なことに、千尋自身には一定以上のネタは理解できないようだし。

でも、一定レベル以下はわかるようで反応が可愛かった。


「……やや可愛いのほうが優勢だな」


苦悩していたのに、反芻したら嬉しいほうに傾いてしまった。

と、千尋が手帳になにかを短く書き綴っていた。

 

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「なにしてるの?」
「なにを食べたのか記録を」
「ああ、料理の栄養とか気をつけてるんだっけ」
「栄養もそうなのですが、何時に食事をしたのかも忘れやすいのでメモしてるんです。蓮治くんの料理は久しぶりの10点満点ですね」
「…………?」


点?


「ちなみに今日の朝食はご飯とお味噌汁、焼き魚で4点。昨日の夕食はイカとタラコのスパゲティとコンソメスープ。デザートにバナナがついて7点」


手帳に視線を落としながら、千尋が淡々と酷評する。


「……それって点数方式なの?」
「はい。食事は回数が多いのと、評価の感覚が難しいので点数方式にしているみたいです」
「そうなんだ……」


千尋……恐ろしい子

料理を作る側の人間としては、点数方式は恐怖の対象でしかない。

またの機会があったら、絶対に手を抜かないようにしよう……。


「でも、蓮治くんのお母さんも久瀬さんも、いい方でしたね」
「あれが?」
「私の目を見てもなにも言いませんでした」
「あ、そっか」


僕は見慣れていたが、そういえばふたりとも千尋の目のことには触れなかった。

ああ見えて気を遣っていたのか……やっぱり素か。

 

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僕が考え込んでいると、千尋はぼんやりと部屋を見渡した。


「男の子の部屋ってこうなんですね」
「なにか変かな」
「変ではないですが匂いが違います」


すん、と鼻をならす千尋の姿に思わず照れてしまう。

 

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彼女は家具を一通り眺めた後、やはり興味があるのか本棚の前に立った。


「……ぁ」
「なにか面白そうな本とかある?」
「ほとんどタイトルが読めません」
「洋書が多いからね」


苦笑しながら隣に並ぶ。


「前に引っ越しが多いって言ったけど、それってほとんどヨーロッパのほうだったから」

 

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「引っ越しが多い?」
「記録してなかったのかな」
「……そうかも知れません。ごめんなさい」
「ちゃんと日本の本もあるよ」


謝罪の言葉は聞き流して、洋書とは別に区分けされた棚を示す。


「日本のものは歴史小説とミステリが多いかな。ライトノベルも多いけど。でも、本格ファンタジーとなると海外のほうが強い」
「なるほど……あ、蓮治くんもこの人の本を持っているのですね」
「どれ?」
「これです」

 

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彼女が棚の一角を指差す。

それは有名な女流作家のひとりだった。

デビュー当時はまだ学生で、講文社文庫の新人賞で最年少記録を更新した人。

新刊が発売されたら、すぐに取り寄せる本の候補になっている。


「3作目以降も出ていたんですね」


千尋が感慨深げにつぶやいて、並べられた本の背表紙を数える。


「知らないの?」
「4年前までに読んでいたのは2作目まででしたので」
「そっか。読みたければ貸すよ」
「いえ、いいんです」


彼女はゆっくりと首を振る。


「おそらく何度も読んでいると思います。もしかしたら私の本棚にもあるかも知れません……あると思います」


千尋が淡々と紡ぐ言葉に、思わず表情をうかがってしまう。

彼女はなんでもない顔で──そう繕ったまま本の背表紙を見つめている。


「私の唯一の利点です。飽きるということがないので、同じ本でも何度も楽しめます」
「……笑えないよ、そのジョークは」
「事実ですから」


苦笑いを浮かべながらそう言って、千尋が恥ずかしそうに小首をかしげた。


「……嫌ですけど、そろそろこちらの小説の話をしましょうか」

 

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「すごく面白かったよ」


彼女のアイデアメモを返しながら、まず結論から伝えた。


「お世辞はけっこうです」
「……そんな最初っから大上段に否定されても困るんだけど」
「いえ、面白いはずありません。そういう話じゃないです、暗いです、地味です、可愛気もありません」
「あああ」


出だしからつまずいて頭を抱えたたくなる。


「いやいや、とりあえず感想は本当。こんなことで嘘つかないから」
「…………」
「睨んでも駄目」
「いじわるです」
「拗ねても駄目。こういうのは読んだ人間の感想がすべてなんだから」
「わかりました……今度から迂闊な約束はしないようにします」


ぶつぶつと後半に言葉を付け足しつつも、千尋は頷く。


「じゃあ始めようか」


また逃げ出されても困るし、とっとと先に進めるほうがいいだろう。

メモ帳をとりだし、シャーペンを1回転させてから芯を出した──確かに編集者のような気分。


千尋は話を書くときにはどうしてる? 手書き?」
「ノートパソコンです」
「パソコンは使えるんだ」
「子供の頃からいじっていたので、文字を打つとか、んメールくらいなら普通にできます」
「なるほどね」


現代っ子の強みというところか。

13時間しか猶予がない以上、手書きは大変だなと思っていたが、そこはクリアしたようだ。


「……それなら駅でもなんとかなるかな」
「あの、さすがに駅では資料がないので書きづらいと思います……たぶん」
「あ、そっか」


言われれば、どう書くにしても資料は必要だろうし、千尋の障害を考えればその頻度の高さは普通の比ではないだろう。


「つまりネットで検索をかけられるか、本が揃ってる場所じゃないといけないのか」
「できれば本のほうがいいですけど」
「ネットは?」
「情報量が多すぎて私自身が混乱するのと、作中の女の子も本に触れているので、そちらのほうがよいと──以前の私が言ってました」
「……本を読んで知識を身につけていくというエピソードか」
「はい」
「本ねぇ」


読書が好きと言っても、僕も千尋も、蔵書量は個人の域をでない。

かといって、この街には図書館なるものはないし……いや。


「学校の図書室は?」
「あ、イメージには近いです」
「あそこなら待ち合わせしても寒くないし、パソコンに使えるコンセントもあるよね」
「雰囲気もぴったりだとは思います」


同意しつつ、しかし千尋は苦笑を浮かべる。


「でも、私は学校には入れないので、他の場所を考えないと」
「それはそうなんだけど……」


わかってはいたが、僕は口元を押さえて床を見つめた。

どうやっても駄目だろうか。

小説のこともあるが、千尋が通えなかった"学校"に行けるのは良いことだと思うのだ。

なんというか……。

消えてしまうとしても、でも、そういう経験とか思い出は大切だと思った。

多分。

僕がそうしたい。

 

 

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「どうしました?」


うつむいていた僕の顔を、千尋が前屈みに覗きこんでくる。

年上のはずなんだけど。

そうやって真っ直ぐに目を覗き込み、素直にわからないことを訊ねる姿は子供みたいで……。


「……って、制服を着ればいけるんじゃないかな?」
「え?」
「制服さえ着ていれば、千尋が学校にいてもおかしくないよね。年齢だって合ってるんだし、授業中にうろつきさえしなければ、誰も本物か偽物かなんて確かめることはないはずだよ」


そう考えれば、うちの母親だってどうにか──本当にどうにかなりそうで怖い。


「そうかも知れませんが、肝心の制服がありません」
「買うっていうのは?」
「なにか証明書か身分証が必要じゃないかと……。それに、買えたとしても、そういう悪戯をするにはちょっと高いものだと思いますけど」


冗談だと思っているのか、千尋が困った笑みを浮かべて首を振る。


「う~ん……とりあえず場所は保留にするかぁ」


僕は背伸びしながら天井を見上げた。

真面目にやると息がつまるし、とりあえず状況を1つずつ把握していこう。


「んじゃ、書き方のほうに移るけど、千尋ができないのはどんなこと?」
「どんなこと、とは?」
千尋ができないことを、僕が覚えていたり確認していく進め方がいいかなって」
「あの……蓮治くんは書かないんですか?」
「あの文章を見たら、素人が手を出せないのはわかるよ」


思わず自嘲してしまう。

本当にどうしようもない。

彼女の文章を読んで、自分でも書いてみようと挑戦したが、結果は散々だった。

読むのと書くのはまったくの別物だという事実を痛感するにいたっている。


「ずるい……どんどん私が追いつめられてます」
「僕が書くとは言ってないし。編集役ってことで」
「他人事だと思って」


珍しく恨みがましいという感情を千尋が表にだしている。

これだけ嫌がっているのに、しかし話を止めようとしないのは、やっぱり書きたいためだろう。

そういう素直じゃない可愛さ。


「とりあえずなにが問題?」
「……はぁ」


ため息をついて、覚悟を決めたのか彼女は背筋を正した。


「おそらく、一番の問題は1日では書きあがらないことです。話だけじゃなくて、舞台や登場人物の印象や文体も毎回変わってしまうので。何度も何度も途中まで書いては、前後があわなくて書き直しているようです……私の場合はどれだけやっても飽きないので……」
「えーと、でも、それだったら中盤まではできてるのかな?」
「どうでしょう……ここ13時間のうちに見てないので分量はわかりませんが」
「じゃあ、その確認は明日ってことで覚えておいて」

 

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僕の言葉に、千尋が小説のアイデア帳にメモを残し、そのままページをめくる。


「……ちなみに4年間で31回挑戦しているようですね」
「31回?」
「おそらく考えているだけどか、ちょっと手を入れてるのも加えれば倍以上になると思いますが」
「1つの話を60回以上リテイクしてるのか……」v

理解できない数字にくらくらした。

見れば、千尋も自分の過去に呆れているようだ。


「……じゃあ、その辺の調整が僕の仕事かな」
「私にはわかりません。お任せします」
「了解。他に注意することはある?」
「中身はそれだけできれば書けるかも知れませんが……」


千尋が真剣な顔つきで目を細める。


「とても大切なことが1つあります。おそらくこれが一番難しいと思いますが。私が書かなくならないようにしてください」
「え?」


なにを言ってるのかわからなくて呆(ほう)けてしまう。


「私も努力しますが、難しいとは思いますので先に言っておきます。今日の私はいいんです。書くというお約束をしてからそう時間が経っていないので、感覚もズレていないので。でも、明日や明後日にはもう保障できないんです」
「……ああ、なるほどね」


なんとなく言わんとしてることがわかった。

と──。


「いえ、おそらく理解しきれないと思います」


こちらの考えを読んだかのように千尋が首を振る。


「もし小説を書きたくないと私が言う時は、本当に書きたくないという気持ちになってるはずなんです。それは本当にそう思ってるんです」
「それじゃあ……」


どうしようもないじゃないか──という言葉を飲み込む。

本当にどうしようもないのだ。

だから千尋は今まで書き上げることができなかった。


「そうか……うん、そうだった」


こめかみにシャーペンの頭を当てる。

遊び半分じゃ駄目なんだ。


「あの……いえ」
「まだなにかある?」


口を開き、すぐにつぐんでしまった千尋に、僕は優しく訊ねる。


「…………」


彼女は瞳を揺らしていた。

珍しくなにかを決めかねるように。

いつかの海岸で見た瞳だ。

だから僕も大人しく待つ。

そして1分か2分後、千尋がぽつりとつぶやいた。


「はっきり言えば……その……私の蓮治くんへの印象が昨日までと違うと思うんです。私たちは毎日のように駅で会ってるんですよね……? 早く会いたい、面白い人で、優しい人で……そう、ここ最近の日記には書いてありました」


高評価の内容とは裏腹な声音に、なんだか嫌な予感を覚える。

彼女の表情に、その予感はハズレていないなと思った。


「でも、ズレが少しずつ出てます。多分……今日の私は違うんです。上手く言えないのですが。蓮治くんが嫌いじゃないんです。会わなくてはいけないなと思っていました。約束もわかってます……でも、会いたかったわけじゃないんです。それが──私なんです」
「…………」


それもわかっていたのに胸が痛んだ。

いや、やっぱりわかっていなかったのか。

こうなるのか。

これか。


「……僕が千尋と会ってから何日経ってる?」


なんとか聞きたかったことを口にできた。

自分では上手く日付を理解できなかったから。


「11日です。日記もいつもと同じ1週間じゃなくて、11日分を見直してるんですけど……ごめんなさい」
「いいんだ。もういいよ」


このまま語らせれば、また泣かせてしまいそうで。

僕はただ、それが嫌で無理やり笑った。

 

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「お茶にしよう。残りはまた明日」
「……はい」


お互いにどうすることもできず、僕はあえて母親と久瀬さんのいる場所に彼女を案内した。


……。

 

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千尋ちゃん、晩ごはん食べていく?」


夕暮れ、帰り支度を整えた千尋に母が笑いかけた。


「いえ、大丈夫です」


彼女は、母や久瀬さんのいる場所では終始落ち着いた雰囲気で対応をしていた。

普段との差を考えると、僕と話をしている時のほうが素に近いのだろう。

しかし、逆に言えば、千尋にとってはその当たり障りのない言動のほうが日常なのだ。

そんなことを考えつつ彼女を見送る。


「じゃあね千尋

「はい。それではまた明日、いつもの場所で」


ぺこり、と千尋が頭を下げる。


「うん」

「それじゃ、俺もこれで失礼します」


火村さんのところへ遊びに行くから、ついでに千尋ちゃんを送っていくよと、久瀬さんが申し出てくれていた。

たぶん、帰路が夕暮れか夜道になる千尋を気遣ってくれたのだろう。

違う意味で不安がなくはなかったが、あの火村さんがバックにいる以上、久瀬さんがどうするということもあるまい。

ふたりが出て行くのを見送り、さて夕飯の手伝いでもするかと母に目をやると──

 

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彼女も僕を見つめていた。


「なに?」
千尋ちゃんの様子が変だったけど、ふたりの時になにかあったの?」
「それは……」


なにもかも見透かしたような物言いに、言葉がつまった。


「蓮治もなにか焦ってない?」
「焦る?」

 

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「部屋に誘えたからって、女の子はそれがOKの合図ってわけじゃないんだから、気をつけようね」
「そういう話じゃないよ!!」
「違うの?」
「違うッ!」


叫んだ勢いのままに、ため息をついてしまう。

真面目な話かと思った僕が馬鹿だった。


「もういいや……あ~、今日は僕が夕飯を作るよ」


手持ち無沙汰になると落ち込みそうで、僕は袖をまくりあげた。


「おぅ、ひさびさだね蓮治。なにを作ってくれるのかしら♪」
「あ~、どうしようかねぇ」


両手をあわせて喜ぶ母親の姿に、苦笑いを返す。

とりあえず、また明日だ。

明日……また違う千尋と会おう。


…………。

 

……。

 

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「なにかあった?」
「……え? あ、はい?」


あまりにも何気ない声だったので、反応が遅れてしまった。

隣をゆっくりと歩く久瀬修一さんという方に顔を向ける。

その人は穏やかに笑っていた。

火村さんと似ているなと思う。

どこか遠い笑い方だ。

遠い遠い場所から笑いかけられている気がする。

そこまで考えて、聞かれたことに答えなくてはと思った。


「いえ、大丈夫です」
「あはは」
「どうしました」
「いや、なにかあったかって聞かれて、大丈夫って答えたらなにかあったんだなって」
「あ……そうですね」


また余計なことを言ってしまった。

もっともっと冷静であれと自分に言い聞かせる。

皆に心配されないように、気づかれないように、いつの間にか孤独になるように。


「……難しいな」


久瀬さんはそれだけつぶやいて、視線を前に戻した。


「あの」
「なに」
「久瀬さんは私と会ったことがあるのでしょうか?」


なんとなくそんな印象を受けたのだ。


「何度かあるよ。俺は火村の知り合いだからね。千尋ちゃんのことも全部知ってる」
「そうですか……ごめんなさい」
「いやいや」

 

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火村さんが待っているはずの教会で、久瀬さんは足を止めた。

覚えていないけれど、私と何度か会ったことがあるというのは本当のようだ。

彼は教会の戸を開けようとして、なにか気になったのか私を振り返った。

 

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「……ふむ」
「どうしました?」
「その顔を見せると、火村に俺がなにかしたとか言われかねないな」
「え?」
「可愛い顔が台無しだよ」


思わず頬に触れる。

それほどおかしな表情を作っていた覚えはないのだが。


「面白い歌を教えてあげようか」
「歌?」
「歌っていっても和歌のほう。幾山河(いくやまかわ) 越えさり行かば 寂しさの 終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく──牧水だな」
「どういう意味ですか?」
「どれだけ多くの山や河を越えれば、寂しさのない国があるのだろうか。そんなものないことを実は知っているのだが、今日も新たに旅をしていこう──ってね」
「寂しさ、と言ってますが明るい歌なんですね」


それに。


「それは私のことなんでしょうか」
「いや、違うな」


そうつぶやいて久瀬さんは教会の戸に改めて手をかける。


「今の歌は火村からの受け売りなんだ。ずっと前に、君以外の誰かのために覚えてしまったんだろうな。あいつを呼んでくるよ」
「…………」

 

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屋外にひとり残されたまま、私は彼の言葉を反芻していた。

私以外の誰かのために──。


そういえば私は、火村さんのことをほとんど知らなかった。

記憶が消える前に出会った数少ない知人であるというだけで──それ以後になにがどうなっているのかを知らない。

でも、知ってどうすることもできず。

お互いに馴れ合うしかなくて……。


「おかえり」


教会の戸が開いて火村さんがあらわれた。


「ただいま戻りました」
「今日も楽しかったかい」
「はい」
「そうか、よかった」

 

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火村さんが頭をなでてくれる。

優しいけれど、なぜかあたたかくはなくて、それは遠くにいるような触れ方だった。

皆が私を遠くにいるように見る。

蓮治くんだけが近くにいる。

……そんな気がするだけかも知れない。

想いは消える。

記憶は消える。

蓮治くんの家で覚えたぬくもりも、冬の風に流されて、この身体から消えていた。


…………。

 

……。

 

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「ぬくいというか暑いよなぁ……」


ぐつぐつと鍋を煮込みながら、僕は窓を開けて空気を入れ替えようかと思案する。

しかし、そうなると今度は閉めるのが面倒か。

 

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「うわ、いい匂い」


母がひょっこりと顔をだした。

料理の内容を知らないほうが楽しめるから、出来上がったら呼んでね──と部屋にひきこもったのは何分前のことか。


「で、結局なにを作ってるの?」
「ラムのトマト煮込みと、付け添えに初物のアスパラガスとマッシュルーム」
「ふぅん」


際立つほどではないメニューに、母はあまり興味をそそられなかったようだ。

趣味だけでいえば多国籍でアバンギャルドな人である。


「それじゃあサラダとデザートは?」
「チキンとマンゴーのサラダ。デザートは杏仁豆腐のパックを開けてもいいでしょ?」
「うん。なるほどね。もうちょっと時間がかかりそうかも」
「そうだね」
「じゃあじゃあ、お母さんはアイロンでもかけてこよ~っと」


わざわざ宣言を残して母は消えた。

ぐつぐつ。


「……う~ん」


鍋の様子を見ていたが、別段、そこまで真剣に監視しなくてもいいのだ。


「しかし千尋の問題は難しいな~」


結局、いきつくところはその思考だった。

今日の昼の料理を美味しかったと言ってもらえたが、その評価も13時間で消えてしまうわけだ。

10点満点という点数が残っていたとしても、味や喜びを千尋が思い出すことはないのだろう。


「会った、話した、食べたという事実を知っていても、実感としては残っていない、か……」


それこそ、常人には理解しきれない感覚だった。

しかも、これからは日常生活だけでなく、小説も書かなくてはいけないのだから──。

 

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「……難しすぎるなぁ」


鍋の火をとろ火にして、ソファに座り込んでため息をつく。

千尋が喜ぶことをやるにしても、本当にそれで手一杯になるのがつらい。

週末の土日ならともかく、平日は15時から18時までの3時間くらいしか一緒にいられないし。

時間が足りないとは、まさにこのことだろう。

しかも、足りないどころか消えていくのだ。


「……う~ん」


手をグー、パー、グー、パーと動かして呻く。


「せめて千尋も学校に通っていればなぁ」

 

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──「千尋ちゃんが学校?」


部屋に戻ってきた母親が僕のつぶやきを繰り返す……アイロンはどうした……。


「なんでもない」


千尋が学校に通っていないとは言えず、言葉を濁すしかない。

しかし、母は頬に手をあてて首を傾げていた。


「そういえば、千尋ちゃんの話って聞かないけど転校生なのかな?」
「転校生? 聞かないってなんの話?」
「ほら、あんな目立つ子なのに、料理教室の話題にも出てきてなかったから」
「ああ」


奥様方のネットワークは子供の話にも通じているのか。

母親と同年代の主婦が集まれば、自然と、子供も僕と同じくらいの年になるのだろう。


「……ん」


ふと思いつく。


「ねぇ母さん、音羽の制服って誰か余ってないかな。卒業していらなくなった人とかいない?」
「制服って、破れちゃったの?」
「あ~、いや、僕のじゃなくて女の子用の制服なんだけど。今度転校してくる子がいるらしくてさ。ほら、制服ってやっぱり高いし。新品を買うのもなんだって……」


即興で考えた作り話だったが、実際に言葉にすると想像以上にうさん臭く聞こえた。


「で……料理教室で、使わなくなった女の子の制服がある家がないか、聞いてほしいのですが、いかがでしょうか?」
「…………」


一瞬の間があった。

なんで僕は語尾を丁寧語にしてしまったのか……謙譲語だったっけ?

 

「別にいいけど」
「え、本当?」
「そういう話はよくあるし……あれ?」


母上様が急に声をあげた。

なんだろうと顔を上げると、彼女はハエでも飛んでいるかのようにそこら中に視線を飛ばしていた。


「なにやってんの」
「え? 首を傾げてたんだけど?」
「……そうだったんだ」


たまに自分の母親が理解できなくなる僕は、親不孝者なのだろうか。


「そうそう、そういえば制服なら久瀬さんが持っていたわね」
「え、久瀬さんが?」
「うん」


こくりと頷く母。


「僕が言ってるのは女物だけど?」
「そうよ、女の子用。明日にでも久瀬さんに聞いてみたら」

 

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母はいつもの気軽さで微笑む。

対照的に、僕は眉根を寄せてしまう。


「……なんで久瀬さんが制服を?」


……。