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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【4】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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「……ビームなんて出ません」


千尋に声をかけようとしたところで、彼女が摩訶不思議な言葉をつぶやいた。


「あ、あの……千尋……?」
「はい?」
「蓮治、なんだけど……」
「こんにちは」


普段通りの反応に、ほっ、としてしまう。

どうやらこっちの世界に帰って来てくれたらしい。

一瞬、ありえないだろうに、本当にビームが撃てるのかと焦ってしまった。


「すみません、ぼんやりしてて……なにか言いましたか?」
「いや、まだ挨拶しただけ」
「そうですか」


今日の千尋は普段よりもおかしかった。

クールでも明るくもなく、なんだか"ほわわん"としている。


「なにかあったの?」
「色々と……」
「は、はぁ」


理由は聞かないでほしいという雰囲気に、とりあえず口をつぐむしかない。


「小説を書くんですよね」
「ああ、そうそう。その話だけど、ちょっと場所を変えよう」
「え?」
「久瀬さんのところに行こうと思うんだけど……」


小首を傾げる千尋に、苦笑いを向けてしまう。


「もしかしたら制服が手に入るかもしれないんだ」


……。

 

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「本当に探していたのですね」
「そうだよ」
「冗談だと思ってましたが……蓮治くんは強情だからそうなんですね……」
「これで学校に行けるんだから喜ぼうよ」
「……他人事だと思って」


その通りだもん、とは返さずに僕は久瀬さんの家のチャイムを押した。

二度押しても出てこない。

普段ならこれで留守だと思うところだが。

それでも彼はいるだろうなと、僕は三度目を鳴らした。

 

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「あいよ、って蓮治……珍しい組み合わせだね」

「こんにちは」

「こんにちは」

「若者は礼儀正しくていいねぇ」

「つっこまないですけど、とりあえずこれ差し入れです」

「いつも悪いね」


僕が差し出す鍋を見て、久瀬さんが本当に嬉しそうに笑った。


「ん~、トマトの匂いだ」

「母ではなくて、昨日の夕飯に僕が作ったものの残りですけど」

「感謝してるよ。とりあえずお母様には、愛してます、結婚しましょう、俺の味噌汁を作ってくれ、の中からどれでもいいから伝えておいて」

「どれもお断りします」

「というか、後ろ2つはなんですか?」


ぽつりと千尋がつぶやくと、久瀬さんが肩をすくめて微笑む。


「求婚」

「不倫の誘いを子供に仲介させないでくださいよ……」

「ちぇ~」


子供ですかこの人は。


「まぁまぁ、半分冗談だ」

「残り半分は?」

「話があるのかな。中、はいってく?」


僕の質問には答えず、急に雰囲気を変えて久瀬さんが家の中を示した。

千尋が一緒にいるので、なにか察するところがあったのだろう。


「よければ」

「いいよ、勝手に上がって」


これからする質問がちょっと微妙で、僕は屋外で深呼吸してから歩を進めた。


……。

 

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久瀬さんの部屋はとにかく広い。

本人の性格は雑然としているが、清潔さを心がけた内装は、彼の心情をあらわしているものだろうか。

暖房が効いていて、気を抜けばぼんやりとしてしまう。

 

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「で、話はなにかな」


久瀬さんがなんとも奇妙な表情で僕らを見た。

動物園の檻の中にいるキリンに見つめられていると、こんな感じかも知れない。


「ちょっとお願いがありまして」

「珍しいね。いいよ、よほど変なことでなきゃなんでも。世話になってるし」

「はぁ」


女性用の制服を、男が男に借りることは、"よほど変なこと"になるのだろうか……。

 

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千尋を見るが、彼女は自分からは絶対に言わないぞというオーラを出しながら黙していた。

仕方ないか……。


「あのぉ……」

「うん」

「その……」

「うん」

「ああ、もう!」


なんだか馬鹿らしくなってきて、普通に顔を上げる。


「久瀬さんの家に女の子用の制服があるというので、それを貸してほしいんですけど」

「え、制服を貸してほしい? ついに女装する気になったのか蓮治?」

「僕じゃなくて、千尋が着るんですけど……本当にあるんですね」

「うん。あるよ」


久瀬さんが部屋の奥にあるクローゼットを漁りだす。


「確かクリーニングから返ってきて……どこにしまったかな……」

「あの、答えたくなければ別にいいんですけど。なんでそんなの持ってるんです?」

「おいおい少年、君も男の子だな」


彼は芝居がかった声をあげた。


「まぁ、社会勉強したい年頃ってのはいいねぇ、懐かしい。お兄さんと夜通し語り合おうか。つまり記念品であり、さらに今は、マンネリ化したときに着せて半分だけ脱がすわけだが」

「少年が男の子なのは当たり前です……それと、凄く遠回りっぽいのに、わかりやすい話ですね……」

「なんの話ですか?」

「…………」

「…………」

「…………?」

千尋ちゃんに着せるのか~」

「本気で黙って……ん?」


制服が本当にあることを知ったために、新しい疑問が浮かんだ。


「そういえば、なんで久瀬さんが女子の制服を持っていることを、うちの母が知ってたんです?」

「可愛いと思ったから是非着てほしかったんだけどねぇ」


久瀬さんがこちらも見ずに声をあげる。

本気だ。

この人は心底本気だ……。


「あの、だからなんの話ですか?」

「ところでさ、制服って学生服のことだよね。他のじゃなくて?」

「…………」

「他のものなんてあるんですか?」

「ダメダメですね」

「そうかなぁ。ロマンだと思うんだけどなぁ」


僕と久瀬さんは──千尋をあえて無視して──お互いにぼやいた。


…………。

 

……。

 

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久瀬さんの家を辞した後、とりあえず僕の家へ寄ることにしたのだが──。


「制服は調達できちゃったか」
「できてしまいましたね」


いまだに先ほどの会話が気になるのか、ぼんやりと千尋がつぶやく。

しかしだ……。

 

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僕は手に提げた紙袋の中身に眉を寄せる。

これを千尋に着せていいものかどうか……それが何に使われたものか知っているために、奇妙な感覚にとらわれる。

そんなことを考えていると袖がひっぱられた。

 

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「どうしたの?」
「あの、制服ってどんなものか見てもいいですか?」


千尋が僕ではなく紙袋を覗き込みながらつぶやく。


「興味がないんじゃなかったの?」


乗り気でなかったときからの変わりようが可笑しくて、口元がゆるんでしまう。


「……ぅ」
千尋が嫌なら、無理に着る必要もないんだけど」
「それを着て学校に行くのは嫌ですけど……」
「けど?」
「……いじわるです」
「冗談だよ」


苦笑しつつ紙袋を手渡す。

彼女はクリスマスのプレゼントを開ける子供のように制服をとりだした。

 

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音羽でなら見慣れている制服だけれども、彼女はそれを優雅なドレスのように広げた。

右腕の袖を手にして、左手は腰に。

左右に上半身を捻ったり、軽く一回転したり。

千尋の容姿とあいまって、それはマネキンがダンスを踊っているようにも見えた。

 

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「…………」
「どうしたの?」


急に千尋が動かなくなった。

彼女は胸に抱いた制服を見つめた後、思い出したように顔を上げた。

 

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「制服、お姉ちゃんと一緒のものですよね」


花のような微笑みを浮かべていた。


「ああ」


音羽の制服は、事故さえなければ彼女も着ていたのかも知れないんだ。


「それじゃあ、明日にでも学校に行ってみようか」
「あ」
「どうしたの?」


なにかを言いかけた千尋が、あちこちに目線を揺らしたあと、頬を赤らめた。


「その……」


ぼそぼそと。


「今からじゃダメですか? これ着てみたいし……」
「あはははは」
「ぅあ、笑わなくてもいいじゃないですか!?」


もう、と可愛く怒る千尋に、僕は「ごめんごめん」と手を振った。


……。

 

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千尋のために自分の部屋を明け渡し、僕は居間で待つことにした。


「着替えかぁ」


小説とか漫画なら着替えを覗いてしまう事件が起きるのだろうが……いや、そういうのはもう古典か。

5分くらいかかるかなと、時計を見ようとしたときだった──

 

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「お待たせしました」
「早っ!?」


1分も経たないうちに千尋が居間にやってきた。


「どうでしょうか?」


明るい笑みを浮かべながら、千尋がスカートの裾を翻(ひるがえ)す。

 

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「やっぱり変でしょうか? サイズはだいたいあってるみたいなんですけど」
「…………」


学校の制服なんて見慣れたものだと思っていたのに、その姿に言葉がでない。

なんというのか……。

久瀬さんの気持ちがわかってしまった。


「似合ってる。すごく」


ようやく、それだけを口にすることができた。

 

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「よかった」


千尋が安心したように微笑む。

シックにまとめられた音羽の制服は、本当に彼女に似合っている。


「……いやいや、落ち着こう」


胸に手をあてて深呼吸する。

いつまでも浮ついているわけにはいかない。

真面目に彼女の姿を確認してみる。

実は制服が偽物で、学校で目をつけられたりしたら大変だ。


「う~ん……。千尋、ちょっとこっちへ」
「はい、なんでしょう?」
「いや、ちょっとリボンを結び直すから動かないでね」
「──!?」


千尋が硬直したところで、ちょちょいとリボンを正す。


「……ほとんど変わらないか」


細かい乱れで目をつけられると困るなと思ったが、気にし過ぎたかもしれない。

 

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「…………」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」


そそくさと千尋が3歩下がる。

なにかあったのだろうか。


「まぁ、いいや。それじゃあ出ようか」
「……本当に行くのですね」
「もちろん。せっかくなんだから」


僕は彼女をエスコートするように手をさしだす。

 

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学校へ行こう

 

………。

 

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「……どきどきします」


通学路を歩きながら千尋がささやいた。

放課後と呼ぶにも遅い時間帯なので、すれ違う人間もいないのだが、それに気づかないほど緊張しているのだろう。

いや、緊張というより、嬉しくて興奮してるのかもしれない。


「大丈夫。普通に歩いてれば誰も気にしないから」


必要以上に固くなっている千尋に、わざと同じようにささやいてあげる。

 

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「普通の歩き方?」
「そう、いつものように」
「いつもどう歩いてましたっけ……」


自分の手足を確認しながら、千尋はなんだか落ち着かないようにパタパタを歩いていた。

その様子があまりにも真剣で笑ってしまう。


「なに?」
「なんでもない」
「なんですか?」
「あはは。寄り道する気もないし、すぐに着くから我慢してて」
「我慢なんてしてません」

 

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ふたりとも笑っていた。

冒険してるみたいだった。

いや、冒険をしてるのだ。


……。


校内に入っても、誰ともすれ違わなかった。

遠くから声や足音は聞こえてくるけれど、その姿は見えない。

僕にとっては慣れきった場所のはずなのに、千尋が隣にいるだけで真新しい景色に思えた。

 

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「……学校」


ぽつり、と千尋がつぶやく。

返事を期待したものではないだろう。

そう、学校だ。

街がどれだけ異質であっても、ここだけは"学校"という名の空間でしかない。

場合によっては社会の縮図とも言われるが──大人や世間とは隔絶した、治外法権をもった別の世界と言ってもいいだろう。

そういうことに気づく。


「うん」


僕も僕だけに頷く。

おそらく今の僕には、千尋というフィルターがかかっているのだろう。

4年間の空白のある彼女が、目にし、肌に感じ、考えていることを共有したいのだ。

そして……。

 

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「わ、本の匂いがします」


図書館をまるで花畑のように見渡して、千尋がつぶやいた。

それも可笑しかった。

花の香りではなく、本の匂いにうっとりする少女がいる。


「よかった、図書委員もいないみたいだね」


受付台の裏や、控え室なども確認して、普通の声量で千尋に話しかける。


「人がいない……本を借りるときはどうすればいいんでしょうか?」
「本の背表紙の裏側にバーコードがあるから、それと生徒手帳のバーコードとあわせて登録するの」
「そんなことが……時代は変わりましたね」
「なにか借りたかったら、僕の生徒手帳を使っていいから」
「いえ、いいです。多分」


彼女は図書室の真ん中で物珍しげに辺りを見渡しつつ、本棚そのものには近づかない。

 

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僕は手近な椅子に腰をかけ、そんな千尋の姿を眺めていた。


「そろそろ小説の話をしますか?」


5分ほどして、彼女が僕に向かって言った。


「いや、今日は自由に見て回ったり、ただ本を読んでるだけでいいと思うんだけど」
「いいのでしょうか」
「この雰囲気とか、感じたことを小説にするんでしょ?」
「あ……はい」


…………。

 

……。

 

 

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「…………」
「…………」


言葉を交わすこともなく、千尋は読書に集中していた。

僕はそんな彼女を見つめていた。

僕の手にも本があるというのに、目の前の少女に心を奪われている。

そしていつしか、絵画のような姿をまぶたの裏に焼きつけて、目を閉じていた。

ページをたぐる音だけが耳につく。

ひらり、はらり。

それは本当に花びらが舞うような音だった。


「ありがとう」


ふと、小さな声を耳にした。

目を開けて千尋の姿を確認するが、彼女は本に集中していて、僕を気にしている様子はない。

僕の願望が聞かせた、空耳だったのかと思った。

でも、違った。

 

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「ありがとう、蓮治くん」
「…………」

 

そして静かに微笑んだ。

心の底から浮かべられる微笑みというものも、あるのだ。


…………。


……。

 

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さて、それが12日目。

この日は楽しい出来事が重なった日なのだが──。

実はもう1つ、僕が学校に行ってる時間に、幕間(まくあい)のような事件が起こっていたのだ。

千尋の日記を読むまで、僕はこんな話があったことを知らなかった。

駅で彼女と会ったときに発せられた、不思議な言葉。

その正体を知るためには、少しだけ時間を遡(さかのぼ)る必要があった……。


…………。

 

……。

 

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今は冬だ。

時折、寝起きに『なんでこんなに寒いのだろう?』と思うことがある。

私が覚えている、最後の壊れていない風景は、夏だったのだ。

あの暑い日差しはどこにいってしまったのか……そんなことを思い出すことが、何度目で何日振りなのだろう。

 

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千尋?」


ぼんやりしている私を不思議そうに火村さんが見つめた。

空気には鐘の音の余韻がただよっている。



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「なんでしょうか」
「車には気をつけること。それと、知らない人にはついていかない。OK?」
「わかりました」


彼はどこか遠い笑い方をすると、教会の扉を軋ませて姿を消した。


……。

 

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──麻生蓮治さんと15時に駅で会う。


日記に書いてあった日常をトレースする。

なるべくズレのないように。

状況と会話と思考を、うまく調整しなくてはならない。


「…………」


ここ1週間ほど、私は毎日のように麻生蓮治さんと会って遊んでいる。

彼は私よりちょっと年上のお兄さん。

私の障害を知っているので、気を遣わず接することのできる稀有な人だ。


「…………うん」


私はつぶやきながら、とんとん、と手のひらでこめかみの辺りを叩いた。

どうしても、昨日や一昨日──その前までの自分と、今日の自分が重ならない。

あまりよくない兆候だろう。

日記には楽しそうな私の姿が描かれていたのだが……。

困ったことに、楽しそうであればあるほど、日記の描写が感情的で曖昧になっている。


「……ちょっと注意しないといけないな」


自分でも冷静すぎるきらいのある、つぶやきがもれた。

どうも油断しているらしい。

気をつけないといけない。

なにに、という明確な答えがなかったが、そう思う。

 

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「あれ、千尋ちゃん?」
「……はい?」


自分の名を呼ぶ声に立ち止まった。

いったい誰だろう。

見知った人間という概念のない私は、周囲を歩く人ごみの中に、自分を注視している人影を求めた。


「こんにちは」


若いお姉さんが笑みを向けてきた。

その人物は、記憶の中に該当する者もなく、この街で新しく知り合った数少ない知人の情報のどれとも一致しなかった。

しかし、私の名前を読んだということは、それなりに親しい間柄であるのだろう。

 

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「こんにちは」


誰だかわからなかったが、お辞儀する。

適当な会話をしながら観察して、誰かを把握しなければならないなと気を引き締めた。


「珍しい場所で会ったね」
「そうですね」
「どうしたのこんな時間に」
「こんな……ああ」


学校のことかと思い当たる。

それで、相手が誰だかわかった。

私をそこまで知っていて、私が知らない相手は、ここ最近では蓮治くんと久瀬さんと、もうひとりしかいなかったからだ。


「蓮治くんのお母さんですか?」
「そうよ」


日記に若いとは書かれていたが、これは確かに驚きだ。


千尋ちゃんは風邪をひいてお休みとか?」
「学校には行ってないんです」
「あ、そうなんだ。てっきりおさぼりかと思ったけど、それなら全然オッケーだね」


なにかお小言か詮索でもあるかと思ったが、蓮治くんのお母さんはなんでもないように笑った。

変な人。


「…………」


私から言うべきこともなくて黙り込んでしまう。


「どうしたの?」
「いえ、なにも……」


こういう不確定な出会いは苦手だ。

蓮治くんとの会話なら日記に細かく書いてあったが、その母親とどこまでなにを話したのかは、記述されていなかった。

私の障害を知っているのか……いないのか……。

下手に話すとボロが出そうで困ってしまう。


「う~ん、千尋ちゃんお昼ごはん食べた?」
「いえ、まだですが」
「甘いもの好き?」
「はい」
「それじゃあ、お姉さんとご一緒しましょう」
「…………?」


お姉さん?

さっきは母親と言っていたが、どちらが正解なのだろう。

本当に困った。


「奢っちゃうわよ?」


私の沈黙をどう勘違いしたのか、得意げに胸をはられてしまう。


「あの、そうではなく……」
「まぁまぁ、そんなに緊張しなくていいから。色々と聞きたいこともあるし~、色々と話したいこともあるからね~」
「あの……」
「まぁまぁまぁまぁ。ケーキの美味しい店を教えてもらったんだけど、一人で行くのもどうかなと思ってたところなんですよ~。女の子同士、太るなら一蓮托生だよね~。2個ずつ頼んで半分こして、4個分味わってみましょ~♪」
「…………」


事情を説明しきれない私は、強引に腕をひかれて、駅とはまったく違う方向に引きずられていくことになった。

困った困った……。

どうしよう。


……。


商店街の一角にある店に入ると、蓮治くんのお母さんは私に振り返った。

 

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千尋ちゃん煙草吸う?」
「煙草!?」
「吸わないみたいなので禁煙席で」


寄ってきたウェイターさんにブイサインした彼女に連れて行かれ、あっという間に座席に押し込められてしまう。

 

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「……あ、あぁ」


そこでようやく、私は5分遅れで苦悩できた。

穏やかな日常はどこに行ってしまったのか……。


「どうしたの?」
「……いえ、なんでもありません」


半ば諦めの気持ちでつぶやく。

だけど……ちょっと嬉しかった。

こういう風に、大人の人にごはんに連れて来てもらうのは、なんだか懐かしい感じがする。

蓮治くんのお母さんがこんなだから、きっと蓮治くんも優しいんだなって、そう思う。


「ごはんはお薦めのランチでいいよね。ケーキも適当で」
「お任せします」
「飲み物は紅茶とコーヒーがあるけど、千尋ちゃんは炭酸とかオレンジジュースのほうがいい?」
「あ……えーと、紅茶で」
「ほいほい」

 

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不思議な傾きを残しつつ、彼女は手早く注文をすませると、卓上の砂糖や胡椒のいれものを漁りだした。


「……なにしてるんですか?」
「え? 別になにも」
「そうなんですか」


なんだかそういう人なのだと、そろそろ納得できるようになっていた。

 

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「うふふふふ」
「…………?」
「うん、やっぱり女の子もほしかったわね」
「えっ?」
「蓮治も料理に興味はあるみたいだけど、お菓子とか甘いものは適当なのよねぇ」


しみじみとつぶやく。

ああ、この人はやっぱりお姉さんじゃないんだなという雰囲気──言ったら大変なことになりそうなので、言わないけど。


「さて、それじゃあその蓮治の話でもしましょうか」
「蓮治くんの話ですか?」
「だってだって、このふたりで話す話題といったら蓮治のことでしょう。子供というのは、親に話題を提供するのもお仕事なのよ!」
「は、はぁ」
「とりあえず蓮治には恋人はいないわ!」
「そうみたいですね」
「…………母親としてはちょっと悲しいわよね?」
「蓮治くんは人気があると思いますが」
「そうかにゃ」


にゃ?


「えーと、本当に優しいです」
「いい人が良人(おっと)になるとは限らないのよねぇ」
「はぁ」
「ところで蓮治の初恋とか知りたい?」
「え……あ、いえ……それは……。ちょっと気になります」
「うんうん。それじゃあ、交換条件といきましょう。千尋ちゃんの初恋はどんな人だった?」
「ぅあ」


意表をつく攻撃にたじろいでしまう。


「い、言わないといけないんですか?」
「女の子同士なんだから大丈夫よ。蓮治には絶対に言わないし」
「ぅう……」


なんだか完全にペースを奪われていた。

お姉ちゃんと話してるみたいだ。

どうしよう。

でも……もう終わったことだし。

蓮治くんのお母さんは知りえない人だからいいかなと。

なんだか。

これで区切りがつくかも知れないと思った。


「……私の初恋の相手は、近所のお兄さんでした」
「ほうほう」
「絵が上手くて……いつも姉と一緒に遊んでいるのを、私は遠くから見ていただけなんですが。それで終わってしまって……本当に……ただそれだけのことで……」
「…………」


そこで自分でも驚く発見をした。

あの人の顔をうまく思い出せない。

なんだかすべてがおぼろげで……ああ、記憶はこういう風に消えていくものなのだと……。

忘れられる怖さを思い出してしまう……。


「なるほどね~。いいな~。そういう儚さみたいなのが似合うというか、初々しいというのは。それじゃあ蓮治のほうだけど、あの子の初恋の相手は従妹なの。私のお姉さんの子供で、ミズキって言うんだけど──」
「え、ミズキ?」
「どうしたの?」
「いえ」


私は首を振る。

ミズキという名前がどれだけ珍しいかわからなかったが、まさか、姉を慕っていたあの子ではないだろう。

そんな偶然はないはずだ。

蓮治くんのお母さんもそれで納得したのか、あっさりと引き下がって、話を続けた。


「蓮治とミズキちゃんは仲が良くてね。すっごい子供の頃だけど、結婚するんだってふたりでみんなを困らせてね……。うん、しまった……失敗しちゃった」
「どうしました?」
「ちょっとね」


急に大人びた雰囲気に、私は不安になる。


「……聞かないほうがいいのでしょうか」
「そう言われるとそうかも知れないけど、こっちだけ話さないのはずるいよね。蓮治の初恋はね、ミズキちゃんがいなくなっちゃったから、無理やり終わってしまったの」
「いなくなった?」
「死んじゃったんだ」
「…………」


さりげない言葉は、しかし、驚くほど私をとらえた。


「蓮治が友達を作れなくなったのは、その時からだろうなって思うんだ。ごめんね。ただ千尋ちゃんの好みを確かめたかっただけなんだけど……遠回りしすぎてお姉さん自爆しちゃった」
「あ、いえ……いいんです」


口にしつつ、頭は全然違うことを考えていた。

私の前に……蓮治くんの前から消えてしまった子がいるのだ……。

 

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ドキドキする。

ざわざわする。

ちくちくする。

忘れられず……ずっと……消えても残っている……。


「ところで、これは答えたくなかったらいいんだけど」


唐突に、蓮治くんのお母さんが真剣な顔をした。


「あ、なんでしょうか」


私は慌てて心を落ち着ける。

どんなことを聞かれても、上手く対処しなくてはいけない。

蓮治くんのお母さんは一瞬目を逸らしてから、真っ直ぐに私を見て口を開いた。


「その眼帯をはずすと、ビームとか出るの?」


…………。


……。

 

 

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──そして彼女は駅でつぶやく。


「ビームなんて出ません」


…………。

 

……。

 

 

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『蓮治くん、あそぼ』


女の子が満面の笑みを浮かべて言った。

いや……。

笑っているということを理解しているだけで、表情そのものを見てはいない。

鈴を転がすような幼い声と、やさしい朽木の音だけを耳にする。

これが夢だとわかっているのに。

目は覚めてくれない。

……終わった世界に縛られる。

 

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『痛いよ』


唐突に女の子がつぶやいた。


『仲良くなっちゃ駄目だよ。お別れは痛いよ。とってもとっても痛いよ。歯医者さんみたいに痛くて怖いよ。わたしだけがいれば、いいでしょ?』
「……そうだね」


泣きそうな子供を無視することはできなかった。

千尋を傷つける言葉を肯定してしまう。


「でも、僕は馬鹿だから……」
『やさしいんだよ』


そうやって、僕は、夢で自分を慰める。


…………。

 

……。

 

 

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「あれ?」


帰りのHRが終わって廊下に出たところで、僕は道を間違えていることに気づいた。

いつものノリで玄関に向かっていた。


「違う違う」


もと来た道を引き返す。

 

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図書室を見渡す。

テストが近いとあって人は多いが、すぐに千尋を見つけた。

彼女の周りだけが鮮やかに見えたのだ。

まあ、そうでなくてもあれは目立つなと思ったが……。

千尋は何冊もの本を積み上げ、ノートパソコンを広げて厳しい顔をしていた。

人形のように微動だにせずにいると思ったら、急にキーボードに手を伸ばす。

その動きは周囲の注目を浴びているのだが、彼女はそれにも気づかず、ふと手を止めると、また難しい顔になってディスプレイを睨みだした。

あれほど人がいる場所を嫌っていたのに……すごい集中力だ。


「こんにちは千尋。蓮治だけど」


先回りして名前を名乗りながら、彼女の前に座った。

 

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「……こんにちは」


ぼんやりと千尋と目があう。

タイムラグ。


「あ、授業が終わったのですね」
「うん……人が多いから気をつけてね」


何気なさを装って口元に指をあてる。

彼女はそこで、ようやく周囲に人がいることに気づいたのか、いつもの気弱な表情で身を縮めた。


「いつから来てたの?」
「お昼休みの頃から……そのくらいが、一番目立たないと思ったので」
「……もしかして入りづらかった?」
「はい。ちょっとですが。誰かに話しかけられたら困るなって」
「ああ、そうか。ごめん」
「いえ、いいんです。とても参考になりましたから」


それが僕を困らせないための言葉だと知りつつ、しかし、責められないことに安堵してしまう。


「それで、話はどこまで書けてた?」


制服の件で1日遅れとなっていた、テキストの進み具合を訊ねた。

千尋が表情を曇らせて首を振る。


「思ったより全然進んでませんでした……多分、全体の3割くらい」
「ちょっと読んでもいいかな?」


僕はノートパソコンを指差す。

彼女は微かな躊躇の後に、僕のほうにノートパソコンを押し出した。

 

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ある日、彼女は倉庫の中で植物の種を見つけた。

屋敷の庭に畑を作ることにした。

食料が足りなかったわけではない。

彼女が寿命で死ぬまでに1日10食で頑張っても、保存食はなくならないだろう。

それはただ、種の袋に映っているイチゴという赤い実がきれいだったから。

それに、やらなくてはいけないことは多かったが、やるべきことはなかったから。

園芸関連の本を片手に、土をいじった。

最初は芽が出ないか、出てもすぐ枯れてしまった。

何度か試してみたが結果は変わらなかった。

 

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きちんと本を読み返す。

やがて"気候"がズレていることを知った。

おそらく"地域"も問題なのだろう。

倉庫から温度と湿度を計れる道具を。

本棚から気候と地域の関係を一覧にした本を探し出した。

5回目の挑戦からは芽を出すことまではできるようになった。

しかし、上手く実がつくまで育てることができなかった。

やがて種そのものがなくなってしまった。

諦めるしかなかった。

赤い実を直に見ることはできなかったが、少女は植物を見ているうちに、季節や日数という概念を身近に理解した。

そうやって1つずつ、なにかを理解した。

理解するということを理解した。

 

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あくる日は海辺で火をおこしてみた。

役に立たない本の中に、こういう"島"に流れ着いてしまったという話があって、狼煙(のろし)というものを上げるエピソードがあったからだ。

真っ青な空に、白い筋が立ち上る。

これは雲と同じものなんだろうかと顔をつっこんだら、目と喉の奥がひどく痛かった。

慌てて離れると、遠くからそれを眺めた。

やがて燃え尽きた。

それだけだった。

なるほど、"役に立たないな"と理解した──


…………。

 

……。

 


「なるほど」


最後の一節と重ねるようにつぶやいて、彼女にノートパソコンを返した。

知っている以上のストーリーとしての進展はないようだ。

まだ、主役である女の子の顔見せという段階か。

 

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「でも、ちゃんと可愛いね」
「可愛い?」
「うん。この女の子って意外と微笑ましいね」
「可愛い……ですか」


褒めたつもりだったのに、なぜか千尋は表情を曇らせた。

そして、また僕がいなかった時のように動きを止めてしまう。

 

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「……やっぱり書き直そうかな」
「どこを」
「ここまで全部です」
「は?」


あまりにも唐突な決断に、呆気にとられてしまう。


ここまで全部って、噛み砕いて理解している以上に文字量はあるのだが……。


「ちょっと待って。どうして書き直しちゃうの?」
「女の子が可愛いと言われてしまったので」


別に僕を責めているとかではなく、千尋はそれが当たり前だとでも言うように口にする。


「それがいけないことなの?」
「彼女はまだこの段階では、そういう記号でくくられてはいけないかな、と」
「…………?」


ますます混乱した。

『自分が書けなくならないように注意してくれ』と言われていたが、これはどう判断すればいいのだろう……。


「えーと……。でも、ずっとそうやって書き直してばかりで進まなかったんだよね?」


30回だか60回という数を思い出して、なぜか僕は愛想笑いを浮かべてしまう。

こんなところで最初からなんてやっていたら、本当に終わらない。

 

「……そういう話ですが」


自分でも実感はないのか、千尋が歯切れ悪く答える。


「じゃあ大丈夫だよ。こういう小さなエピソードって面白いし」
「違います蓮治くん」


彼女は微笑みながら否定する。


「それが、そうとしか読んでもらえないなら、意味がないんです」
「……あ~」


なにか意見を返そうと思うのだが。


「ごめん……わからない」


素直に降参した。

僕と彼女の見ているものはなにが違うのだろう。

千尋は言葉をまとめるようにしばらく黙し、うん、と頷いた。


「この女の子は、もっとズレてるはずなんです。ただ可愛いとか微笑ましいとか、そう読まれてしまうということは女の子の存在を書ききれてないんです。冗談のような出来事を彼女が真面目に取り組んでいることに、不安とか……えーと……違和感を感じるようでないといけなくて……。単純に可愛いとか面白いとだけしか言われないのは……」
「ああ」


説明されてようやく同意する。

そう言われると、それが正しいのかも知れないと感じだした。

どうなんだろう。

どっちが正しいのか。

いや……なにが正しいんだろう。


「蓮治くん」


考え込む僕に、千尋が笑いかけてくる。

 

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「ありがとうございます」
「…………」


その感謝の理由もわからずに、ただ彼女を見つめ返してしまう。

しかし、千尋はディスプレイに視線を戻してしまった。


「…………」


なにか、もやもやしたモノが胸の内に残っている。

千尋は僕がわかっていないことを、わかっていない。

……やっぱり違う。


才能のある人間や、強い目標を持っている人間がうらやましい。

もちろん才能があっても努力をしても、絶対に成功するわけじゃない──それは火村さんが言っていたことか。

でも、才能のある人間のほうが成功する確率が高いのは間違いないと思う。

目標がない人間よりも、ある人間のほうが強いことは事実だと思う。

言い訳とか、誤魔化しでなく。

この世の中は不平等にできているなと、痛感してしまった。


…………。

 


……。

 


さて、それからしばらくは穏やかな日々が続いた。

 

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4時間目の授業が終わると、僕は図書室へ向かうのが日課になった。

昼休みの喧騒に紛れて学校に忍び込んだ千尋と、お弁当を食べるためだ。

放課後に再び合流して、その日に起こった出来事など、他愛のない雑談を交わす。

そして、少しずつ少しずつ文字を積もらせていく。

まるで雪だるまを作るように。

 

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日が暮れる前に一緒に帰宅した。

 

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小説の執筆に煮詰まったときは、公園や海辺を散歩したりした。

千尋はよく、メールのやりとりをしているというお姉さんの話をしてくれた。

お姉さんが最近悩みを抱えているのだが、上手く励ますことができないでいるらしい。

現在の情報を知識として理解しているが、感覚のほうが追いつかないのだろう。

それでも──彼女は彼女なりに、お姉さんの力になりたいと思っているのだ。

 

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「お姉ちゃんが学校の先輩に告白されたそうなんですが、その返事に困ってるらしくて」
「なるほど」


僕に恋愛相談が向いているはずもないのだが、千尋が話せる人間も限られているのだろう。

火村さんは……まあ、こういうのは論外か。


「それって、単純に好きか嫌いかって問題だけじゃないよね」


心苦しいだろうが、相手が嫌いなら断ればいいだけのことだ。

だが、聞いている限り、千尋のお姉さんの性格はそういう優柔不断さとは程遠い。


「お姉ちゃんは、多分、私のことを気にしてるんです」
千尋のことを?」
「えーと、そうですね……ちょっと説明しないとわからないですよね」


千尋が子供っぽい仕草で首を傾げる。

お姉さんの話に引っ張られたのか、その日は別人のように明るい雰囲気で──それが本来の千尋の姿なのだろう。


「子供のころ……4年前の事故よりも、もっと前のことです。私たちには幼馴染のお兄さんがいました。私たち3人はとても仲のいい──それこそ本当の兄妹みたいな関係だったんです」


彼女はどこか遠い目をしながら、口元に微笑みを浮かべていた。


「だけど、お姉ちゃんの好意は違いました。兄妹としてではなく、ひとりの女性として、お兄さんのことが好きだったんです。私も、とてもお似合いな2人だなって思ってました。でも、お兄さんに去年、恋人ができたんです」
「…………」


僕は千尋に目を向けた。

彼女は変わらず微笑みを浮かべていたけれど、それはどこか寂しげに見えた。


「お姉ちゃんは、ずっとお兄さんと一緒にいたのに、その女性よりも先に告白することができなかったんです……。ずっとずっと一緒にいたのに、できなかった。あの交通事故が起きてしまったから」
「ああ……」


声を出すつもりはなかったのに、つぶやきがもれていた。

 

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僕は思わず空を見上げてしまう。


「あの事故は、私だけではなく、お姉ちゃんの時間も止めてしまったんです。私たちは双子で、お姉ちゃんはとても優しいから、私を置いていくことができなかった。もちろん、いつかは──とは思っていたでしょう。でも、それは間に合わなかった。お姉ちゃんは好きだという気持ちを秘めたまま、それからもお兄さんと兄妹であるかのように振る舞っていたんです。そして、私が凄いって憧れていた、バスケットボールに打ち込むようになって。決して、心変わりを許すことはなかった──」
「優しい人なんだね」


彼女がそれ以上語る必要がないよう、僕も笑いながらつぶやいた。

千尋の戻ってくる場所を守るため。

千尋の知っている世界を守るために。

彼女のお姉さんは覚悟を決めて立ち止まり、その代償に自分の好きな人を失ってしまったのだ。

とても強くて、優しくて、悲しい人だ。


「はい。私の自慢のお姉ちゃんです」


いつもの千尋からは想像もつかない、誇らしげな笑顔だった。


「でも、千尋のお姉さんは、素直になるところを間違えているのかもしれないね」
「え?」
「なんとなく、ね」


僕は心に浮かんだ考えを、素直に言葉にしようと思った。

そのお姉さんの強さがなければ、僕はこうして千尋と言葉を交わしてはいなかっただろう。

こんなに優しい千尋はいなかったのだ。

そういう意味では、彼女のお姉さんは、僕にとっての恩人でもあった。

だから、少しでも返せるものがあればいいなと思った。


「僕は友達もいなかったし……当然、恋人なんていたこともない。いまいち人との会話の距離感がわからないし、気づかない失敗もしてるんだろうなって思う。でも、だからこそ、人の気持ちを大事にしたいとも思うんだ」
「はい」


僕の遠まわりな言葉にも、千尋は真摯に応えてくれる。


千尋たち3人の関係がどれだけ強い結びつきだったのかは、正直、僕にはわからない。でも、千尋のお姉さんが別の人に心を移すことを恐れているというのなら──それは、その告白してくれた先輩のことも、同じくらい大切に想っているからじゃないかな?」
「……あ」


僕には感覚でわかることではなかったが、千尋の表情がある程度の正しさを教えてくれた。

それに後押しされるように言葉を続ける。


「相手から真っ正面に告白されたっていうのも、お姉さんにとっては意外だったんだろうね。自分にはできなかったことだから」
「…………」


僕の言葉を吟味するように、千尋がわずかに視線を泳がせる。


「そういう色々なことが重なって、なにが大切かわからなくなってるんだと思う。でも、千尋のお姉さんは、そうやって前に進むきっかけを得たんじゃないかな」
「そう……かもしれません」
「うん」


そこで──僕はようやく、千尋の最初の質問から内容が外れていることに気づいた。

彼女は姉にどういう返事を出すべきかと訊ねていたのだった。


「まあ、なにが正しい答えなのかは僕にもよくわからないけど。大丈夫じゃないかな──千尋が信じてあげれば」
「……私が信じれば?」
「だって、それだけ良いお姉さんなら、きっと自分で気づくよ。もし気づかなくても、みんなに好かれてる人みたいだし、誰かが助けてくれるんじゃないかな…………」


そういう相手に自分は恵まれてないなぁ、とへこみそうになった。


「……そう、ですね。お姉ちゃんのことを、私が一番に信じてあげなきゃいけなかったんですよね。私は……かっこいいお姉ちゃんが好きだから。そう、素直に伝えようと思います」


そこまで言って、千尋はきれいな微笑みを、叱られた子供のように崩した。


「ダメな妹で申し訳ないですね、私は……」

 

…………。

 

……。

 

 

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「街ってのは、でっかい家だと言ったやつがいる」


また別のある日のこと。

千尋を送り届けた教会の前で、火村さんではなく久瀬さんに出会った。

どうやら彼も、火村さんとすれ違ってしまったらしい。

3人で思い思いに待ちぼうけているときの一言だった。


「なんの話ですか?」


その日の千尋の思考やしゃべり方は、のんびりとした雰囲気だった。

 

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「住宅街は個人の部屋で、商店街は台所。他にも居間とか水まわりとか色々。そういうのを導線的に考慮していくと、街は大きな家と変わらないって話」

「ドウセン?」

「導く線、って書いて導線って読むんだ」


父親の仕事の関係で、僕もその辺りの触りだけは知っていた。


「利用頻度の高いものは行き来がしやすい場所に配置するとか、繋がった用事は順序よく回れるようにしたり──つまり、人が移動する線をひいた時、なるべく短い距離で済むようにするとか、無駄な往復箇所を作らないようにするガイドラインのことだね」

「ほぉ」


感心されるとちょっと嬉しい。


「じゃあ、そこに住んでいる人は、でっかい家族なんですね」

「あはは。それじゃあ俺のことお兄ちゃん、って呼んでいいよ」

千尋、真に受けちゃだめだよ」

「はぁ」

「ま、それは冗談だけどさ。この"大きな家"も好かれるといいね」


久瀬さんの声に不思議な感情が混じっている気がした。

千尋と目があった。

彼女も同じ印象をうけたのだろう。


「皆がこの街を好きだと言ってくれば、なくなってしまった音羽も浮かばれるだろ」


声音も表情もいつもの久瀬さんだったが……彼は音羽の最(さい)たる惨事となった、あの震災を経験しているのだ。

多くの血を吸って生まれ変わった赤い街。

そして、偽物でありながら本物であろうとする街。


「……私は好きですよ」


千尋が静かにつぶやく。


「舞台は人のためにあるし、人は舞台のためにある。どちらが欠けても成り立ちません」

「小説の観点からの捉え方かな。いや、人がいないと音羽が成立しないってのは、確かにそうだよな」


ひとりで久瀬さんが頷く。

もとより、この外観のもっとも大きな価値はそこにあるのだから。


「誰が主役なんでしょうね」


ぽつりと僕は疑問を漏らす。


「え?」

「いや、ここが舞台であるならば、要(かなめ)になる人がいるはずだよなって」


この街に相応しい者が。

僕と千尋はどうだろうかと、ちょっと偉そうなことを考えてしまう。

彼女ほど相応しい者はいない気がしたが……僕は足りてないだろうな。


「それなら、ふたりのためかな」


久瀬さんがのんびりと微笑んだ。

一瞬、僕らのことを揶揄(やゆ)したのかと思ったが、彼の視線がそれを否定していた。


「ひとりは彼女。もうひとりがあいつ」

「あいつ?」

「ん~……秘密」


久瀬さんは千尋の問いを、微笑みだけで軽く流してしまった。


「じゃあ、他の人たちはすべて脇役なんですか?」

「いや。最初に千尋ちゃんがどっちも大切だって言っただろ。いくらヴァイオリンの腕が良くたって、ひとりじゃオーケストラはできないってことさ」


久瀬さんは音楽家の視点で笑った。

この街を"大きい家"と読んだ人もいる。

たくさん世界のかたちがあるようだ。

そんな穏やかな日々だ。

しばらく、表向き変わったことは起こっていない。

変化など起こりえるはずもない。

彼女はビデオテープのように巻き戻り、上書きされていくのだ。

非日常だったことが日常となっていく。

 

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『また明日』


深々と降り積もる。

赤い街を白く塗りつぶす雪のように深々と。

僕の千尋への想いだけが、降り積もっていく気がした……。


……。


──千尋と出会ってから一月ほどの時間が経っていた。

 

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「……来週が進路希望の締め切りか」


僕は椅子の背もたれに寄りかかってつぶやいた。

ずっと忘れていたが、提出期限が近いぞという連絡が、帰りのHRで告げられたのだ。

 

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「進路希望?」
「将来なにになりたいか、ってことを紙に書いて提出しなきゃいけないんだ」
「そんなものがあるんですか」


千尋がノートパソコンから顔を上げてつぶやく。

僕は表面上は穏やかに頷いた。

進路希望のことは、僕と彼女が小説を書くきっかけにもなった大切な話なのだが……彼女はもう覚えていないのだろう。

最近の千尋は、大まかになにがあったのかは覚えていても、細かい部分は忘れてしまっていることが多い。

ここ数日、特に同じことを繰り返し説明する機会が増えていた。


「どうしようかなぁ……」


机の上半身を投げ出して呻く。

 

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「なりたいものになればいいと思いますけど」
「それがあれば苦労しないんだけどね」


いつかの台詞に、いつかの答えを返す。

今の世の中、何人の人間がなりたいものを明確に宣言し、それを叶えることができるのだろう。

物書きも一度試したきり──彼女を前にして自信喪失気味だし。


「なにもないんですか?」


意外そうに千尋が言う。


「これと言った才能もないしねぇ」
「蓮治くんは色々できるじゃないですか」
「例えば?」
「ごはんは美味しいですし、英語の本が読めるそうですし、親切です」
「……まぁ、あとちょっと考えてみるよ」

苦笑いしながら身体を起こす。


千尋のほうはどう? 進んでる?」
「少しですが」


今日はあまり気乗りしないのか、言葉とは裏腹に表情が曇る。

進行役として、僕もノートパソコンに目をやった。

物語は中盤と呼べるあたりまで進んでいるようだ。


……。

 

──世界にひとりだけ生き残った女の子は、すでに完全な知性を得ていた。


人間。

役に立つ本も、役に立たない本も、書いてあることを集約すると全てが"人間"の話だった。

その中でも彼女は、役に立たない本に書いてある話が気になった。


──人間はひとりでは生きていけない。


そう書いてある本がいくつもあったからだ。

実際にはそう書いていなくても、人の繋がりが大切だと説いている話が多かった。

 

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しかし、少女はひとりだった。

ひとりでも生きていた。

笑うこと、泣くこと。

大切だと言われることが必要ではなかった。

寂しさすらない。

そういった概念はない。

完結していた。

なにが違うのだろうか?

自分は"人間"という種として間違ったことをしているのだろうか。

唯一、人類史において初めて到達しうる"平均的"な人間が自分だ。

人類の歴史はふたりの人間から始まってしまったから。

総計1名における統計からの平均は、完全に自己と同一である。

なにをしても正しい。

そして同時に、全てが間違っているのかも知れなかった。

 

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彼女は絵を描きはじめた。

書物、楽器、絵画──それらしきモノの中で、一番自分が"人間を作り出す"ことができそうな道具を手にしただけだ。

しばらくは絵を描く術(すべ)を教えてくれる本を探し、読み、必要な道具を倉庫や城から集めてくることで時間が過ぎた。

いざ描き始めたら上手くいかなかった。

本に書いてある通りにはいかなかった。

才能、というものがないようだ。

何度も飽きた。

別に飽きてもよかった。

季節が1つ変わるころには、飽きていることに飽きるからだ。

やがて絵が描けるようになった。

大別すると"写実的"な"風景画"というものが自分に向いていることを知った。

あるものを、ただあるように描けばいいだけだからだろう。

やはり、そこにないもの──人間を描くのは大変かも知れないなと思った。


……。

 

 

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「……なるほどね」


概要を読み込んで僕は頷く。

彼女が言うように、確かにかかっている日数から見れば少ししか進んでいない。

そろそろ物語の本題に入れるかという辺りでペースが落ちていた。


「なにか気になることでもある?」
「女の子が人間を理解しようとして、絵を描くのってどうかなと」
「……そりゃまた、根本的なところに戻ったね」


さすがにぼやけた声を上げてしまう。

これまでも修正した箇所は多かったが、今回の発言は物語の根本を崩してしまうようなものだった。


「さすがに、そこから考え直すと時間がかかりすぎるかな」
「そうですね」


千尋の無感動な返答に僕は顔を上げた。

彼女は遠くを見ている。

悲しんでいるのかも知れないが、でも、僕は前言を撤回するつもりはなかった。

時間がない──その言葉は免罪符のようなものなのだろう。

しかし僕の目的は、彼女が物語を書きとおすまでガードレールであり続けることだ。

道を踏み外さないように。

崖から落ちてしまわないように。

でも。

時折、これで良かったのだろうかと思うことが多くなった。


……。

 

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「また、寒くなってきましたね」


帰り道、夕焼け空を眺めながら千尋が息をついた。


「そうだね。今年は寒くなるかもしれない」


この街は比較的温暖な地域にあるが、今年は雪が降るかも知れないと言われていた。

僕が越して来てからは初めてか。


「もうすぐ学校も終わりだな」
「そうなんですか?」
「冬休みが近いんだ。だから進路希望の締め切りなんだけど」
「冬休みか……」


時節の移り変わりすら常識とは異なるであろう彼女も、感慨深くつぶやく。

そこで会話が止まってしまった。

最近は、こういう無言の時が多くなった。

会う時間が増えるほど話題が足りなくなっていく。

なにも残っていないから。

逆に、千尋が忘れたことを何度も何度も話さなければならない。

なぜか、制服を手に入れたあの日から、彼女の安定感は増しているのに……。


最近、僕のほうは雪のことばかり考える。

あの静けさと儚さ。

なにも残らない。

なにも積み重ならない。

降ってはすぐに、溶けて消える、雪のイメージが頭に浮かぶようになっている。


……。



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「それじゃあ」


気づくといつもの別れ道にさしかかっていた。


「あ、うん」
「また明日です」
「また明日」

 

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手を振って千尋を見送る。

赤く染まる街並みに、彼女の影法師が溶けてゆくのを見送った。


「……また明日」


ぽつりと。

ひとひらの雪が舞うようにつぶやきがもれた。

また明日──また新しい彼女と再会する。


「……そうか」


気づいて愕然とした。


──そうだ、なにも変わっていないのだ。


彼女の秘密を知ったり、小説を書き出したり、制服を着せて図書室に忍び込んだりして親しくなっているように見えて。

 

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それは状況が変わっているだけで、僕と千尋の距離は一向に変わっていないのだと気づいた。

距離を縮めようと、それらの目標を立てているにも関わらず変わっていない。

千尋と出会ってから一月以上の時間が経っていたのに。



 

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世界はなにも変わっていなかった。


……。