ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【5】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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さて、人生と同じように、どんな物語にも終わりはやってくる。

13時間で記憶が消えていく少女の日記を手繰(たぐ)る。

ページの残りも少なくなってきた。

ある時期を過ぎてから、その生活に特別な変化はない。

ただ、麻生蓮治──僕が持ち込む騒ぎに彼女が一喜一憂し、ちょっとした波乱を巻き起こしている描写が続いている。

それは変化だけれども、進展ではなかった。

彼女の日記に綴られている文章には、それまでと変わらず、部外者が世界を傍観するような距離があった。

いや……。

むしろ僕が感じていたように、彼女もまた、その変化に慣れてしまったのかも知れない。

牧草地で木の棒にくくられた羊のエピソードが、彼女の日記の中にあった。

どこにも行けない羊の話だ。

彼女は外の世界に憧れている。

ずっと遠い、見果てぬ地平線へと旅を続けるモノに憧れている。

だからだろう。

時折、そこに立ち止まってくれる人間がいると彼女は喜ぶ。

しかし。

その人はもう、彼女が憧れた、歩き続ける人間ではないのかも知れない──。


……。

 

 

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「おはよう」
「おはよう」


あくびをかみ殺しながら居間に入ってきた母親に、視線は向けず声だけで挨拶する。


「う~ん、よきかなよきかな」


彼女は料理している僕を見て、ご満悦気につぶやいた。

最近はふたり分のお弁当を作るため、僕のほうが母より早く起きるのが習慣となっていた。

つまり、ついでに朝食を作るので『よきかな』なのだろう。


「でも、きちんと続いてるね~」
「お弁当のこと?」
「うん。というか、千尋ちゃんと」
「まあ……一応」


どう思われているのか知らないが、最近では頭ごなしに否定するのも飽きた。


「ねぇ、本当に付き合ってないの?」
「ないよ」
「そ」


そっぽを向くような声に、コンロの火を止めて振り返る。

 

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「なに?」
「いや、なんだか蓮治の反応も変わりないな~って」
「……あのね」


お気楽な母の様子にため息をついてしまう。


僕は再びコンロの火をいれつつ、母を見ずに軽く会話を続けることにした。


「ねぇ、もしもの話だけど、千尋が僕の恋人になったら母さんは嬉しいのかな?」
「う~ん……どうだろう」


てっきり囃(はや)し立てるかと思っていたのに、母が珍しく言葉を濁す。


「まだ千尋ちゃんのことそこまで知らないから。なにかあるみたいだし」
「目のこと?」
「それだけじゃないんだけどね。なにかおかしな……蓮治もそんな質問するしさ。自分で冷やかしたりしておいてなんだけど、そういうのを決めるのは蓮治自身の問題だから」


苦笑いする母親になにも言えなかった。

 

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フライパンを機械的にいじりながら、やはり考えてしまう。

千尋と恋人になる。

結局、そこなのだろうか。

彼女が可愛いからと近づいて、話をして、制服を調達したり一緒に小説を書いてみたり……。

ここまで来たら自分に嘘をつくこともないだろう。

僕は彼女がほしいのだ。


「……そうなんだけど」


答えはそれで合っているのだろうが、なにかが釈然としなかった。

以前、自分から告白しておいてなんだが、千尋と恋人になった情景が想像できないのだ。

それは、今となにが変わるのだろう……?


……。

 

──そうやって、物語は着実に終わりへと向かっていた。

 

…………。

 


……。

 

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女の子はやがて、なんとか納得できる人間が描けるようになった。

彼女はひとりの男の子を描きだした。

自身が女性という分類らしいので、その対である男性にしてみようと思ったからだ。

ただ、背格好と背景との比率は自分と同じくらいにした。

そこで気づいた。

自分、女の子、男の子、背格好。

なるほど。

これが比較なんだと。


…………。

 

……。

 

人間を描けたはいいが、それが上手くいっているのか判別もできない少女は、あまり大きく人間を描く気にはなれなかった。

だから、今まで描いてきた風景画に男の子を描き加えていくことにした。

 

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すべての絵に男の子が描き加えられた。

 

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彼女はなんとなく、それらの絵を、描いた風景と同じ場所に飾っていった。

屋敷の中で絵にしていない場所はなかった。

全ての絵の中で、男の子はただ真っ直ぐに立っていた。

そして真っ直ぐ前を向いていた。

絵を見るたびに目線があうことになった……。

やり遂げた感慨は少女にはなかった。

これは"人間"だろうか?

考えてみる。

これは"人間の絵"だ。

それも最初からわかっていたことだ。

動かない。

考えない。

ただ、あるだけだ。

サミシイ?

到達したことで、ようやく彼女は自問できた。

寂しくなかった。


…………。

 

……。

 

 

──物語は終わりに向けて着実に進んでいた。

 

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「どうでしょうか?」


その声にはっ、と顔を上げる。

その日の上がりを確認していた僕に、千尋が恐る恐るという感じで訊ねてきていた。


「ああ、いいんじゃない。これで全体の7割は終わったんだっけ?」


僕はディスプレイから顔を逸らして頷いた。

作品の内容は頭に入っていたが、なにか違うことを考えていた気がして、彼女に申し訳ないと思ったのだ。

きちんと小説に意識を向けようと頬をさする。


「たぶんですけど。もうすぐなのでしょうか」
「どんな終わり方にするか決めた?」
「……どうしましょう」
「ちょっと待ってて」


僕は自分用のメモ帳を広げた。

それは千尋とのやり取りを、僕個人が記録し、まとめるためのメモ帳だった。


「今までに挙がっていた終わりのアイデアは、大きく3つかな」


空いた手の指を1本ずる上げる。


「1つ、最終的に少女も絵の中にとりこまれ、青年と少女が穏やかに暮らす絵だけが残される。ファンタジー方面だね。2つ、青年が現実に現れる──明確にどういう結末にするのかは詰めてないけど、一応ハッピーエンド系。3つ、絵の中の青年も絵を描いていて、まるで合わせ鏡のような世界が広がる。まぁ、これは1回だけ出てきた本当にアイデアレベル」
「……1番か2番なのでしょうか」
「何度か千尋と話していて多いのはそうだね」


その回数を『正』という字で記してあったが、1番が9回、2番が3回というところか。


もちろんそれを彼女に告げることはない。


「まぁ、1番も解釈次第でハッピーかバッドか変わるけどね」
「そうなんですか?」


かつて自分が口にした言葉を、彼女は他人事のように訊ねてくる。


「1番の絵にとりこまれるって話は、そのままファンタジーだって書き方もできるけど、女の子が寂しいということを理解したがために現実から逃避したとも考えられるよね」
「壊れるのですね」


あまりにも呆気なく、千尋は残酷な言葉を口にした。


「言い方次第だけどそうだね」
「なるほど」


彼女は答えて考え込む。

僕は1分ほど待ってから、メモ帳にペンを起きつつ苦笑した。


「今回気になるのはこれかな?」
「そうですね……壊れると思います。女の子は寂しさを覚えてはいけなかったんです」


淡々としたつぶやきに再度頷きつつ、僕は1番の項目にまた線を1本くわえた。

正正。


「……でも、こうやって終わりを決めて書くのは、なにか嫌ですね」
「そう?」
「神様がいじってるみたいじゃないですか。特に小説は筋道がはっきりするので」
「ふむ、なるほどね」


徐々に彼女のフィルタを理解できるようになっていた。

つまり、この物語で千尋が描きたいことは、作中で言及されている"人間"が核なのだろう。

神様が選んだ道ではなく、あくまでも作中の人間が辿り着くべき"答え"を神様ですら見たいのだ。

検索、変化、新しい発見。

もちろん最終的には、作中の人間がなにを選んだとしても、それは神が選んだ道に内包されているのだろうが。

真の意味で言えば、書き手は神であるべきだ。

想定しうる読み手が楽しみ、共感、あるいは反発し、笑ったり泣いたり怒ったりする──立ち位置やエネルギーが変わるような話を書くべきだ。

それが物語の本質。

書き手の本質。

力だろう。

しかし、最初の読み手は書き手自身であることも事実だ。

 

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『創作における他者へのイメージ伝達──共感の概念。それに千尋の文章を書く目的が近いってわけさ』


そういうことだ。

特に千尋は、自らの境遇があるからこそ、余計に中途半端な終わりを迎えさせることができないのだろう。

だから書けないでいた。

もちろん逆も然り。

徹底的に物語を貫くことも有益なのだ。

どちらも正しく、同時に間違っているのかも知れないけれど。


「どうしましたか?」


僕が黙り込んだのが心配だったのか、千尋が不安げな表情を浮かべていた。


「ああ、いや……千尋と一緒にいると勉強になるなって」
「勉強ですか?」
「小説を書くってことが、どういうことかってね」


上手く言葉にできなさそうだし、そもそも恥ずかしくて苦笑いにとどめた。


「いつものように思いついたことがあったら言って」
「はい……聞いていてください」


優しく、何気なく、千尋がささやいた。

それは感謝だったのだろうか。

珍しいなと思い、ぼんやりと、間近にある千尋の顔を見つめてしまう。

結末への道筋を耳にしたからか、彼女はどこか焦点のあっていない視線を、手書きのメモ帳に落としている。

普段の子供っぽい笑顔も可愛いけれど、こういう凛とした顔も好きだった。

ずっと見ていたかったが、さて、と僕は腰を上げた。


「そろそろ帰ろう」


……。

 

ギリギリまで残っていると注意を受けやすいので、夕暮れと共に僕らは学校を出るようにしていた。

 

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「やればできるものなのですね」

ぽつりと、空を見上げながら千尋がつぶやく。


「小説?」
「はい。もう半分以上……自分でもびっくりしました」
「そっか」
「毎日お話が長くなっていて面白いです。蓮治くんのおかげです」
「僕はなにもしてないよ。本当に、ここまでなにもできないことに、へこんでるんだから」
「そんなものでしょうか?」
「そんなものでしょう」

 

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千尋の言葉を真似て、ふたりで顔を見合わせて笑った。

この時間は通学路に人が少ない。

すぐに下校する人間はもういないし、部活や委員会のある生徒が帰るのはもう少し後だ。


「あの、蓮治くん」
「なに」

 

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「……いえ、なんでもありません」
「そっ」


素っ気なく言って、ぼんやりと歩きつづける。

てくてく。


「……そういう反応も嫌いです」
「なに」


新しい手法が上手くいったことに笑いながら訊ねる。


「あの……ありがとうございます」
「ああ、うん」


素直な感謝の言葉を受けて、僕も「どういたしまして」と頷いた。

彼女はそれで満足したのか、やはり微笑んで、また空を見上げた。

こめかみから垂れた髪が頬を隠している。

ふと、その髪をどけて彼女の頬に触れたくなった。


「……ん?」


僕の視線に気づいたのか、千尋が目線を下げる。


「あ、いや、なんでもない」

 

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自分の馬鹿みたいに健康的な考えに、可笑しくて気恥ずかしくて悲しくて、空を見上げた。


「いい天気だなって」


ふと、始まってもいないのに感じた失恋に失笑してしまう。

この30センチの距離が縮まらないことは、今までで、もう充分に痛感したのだ。

 

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「あの……」


足音が消える。

急に千尋が立ち止まる。


「どうしたの?」


冬の風を感じながら先を促す。

 

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「私にキスしたいですか?」
「……え」
「いいですよ、しても」
「…………」


彼女は無表情に僕を見つめていた。

なにを……。

いや、僕は千尋の唇に目をやってしまい、正しく意味を理解していることがわかった。


「別にこういうこと、誰に言ってるわけでもないと思います。でも、今まで蓮治くんみたいに親しくなった人なんていないし」


千尋はいつも通りに──しかし、視線も声もかすかに震えている。


「今までの私は、ずっと蓮治くんと会っていて、それは信頼だと思うし。蓮治くんは私のこと好きみたいだから。だから、恋人として、キスしてもいいです。もう一月も経っていて、そういう場面だと思います」
「…………」


からっぽな頭のまま、耳で聞いたことはしっかりと理解できた。


「…………」

 

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背筋に寒気が走る。

手が震えた。

急に怒りが湧いた。

自分に。

すぐに返事ができない。


『そういうことじゃないんだ』


ただ、その一言で流してしまえばいいのに……なぜか躊躇ってしまう。

僕がなにをしても、"記録"に残さなければ、それは確実に許されてしまうのだろう。

なにをしても。

多分、千尋は許すだろう……。

そんなこと許されないのに、でも、考えてしまった自分がいる。

 

 

キスをしない

 

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「蓮治くん?」


千尋が表情を曇らせた。


「……ぁ」


そこで気づくことができた。

間違っている。

これは絶対に間違っている。

 

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だって──千尋はずっと表情を変えていかなかったではないか。

恋人になると言いつつ、嬉しそうな顔なんて微塵もしなかった。

彼女自身が僕のことを好きだなんて、一言も言わなかった……。

 

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「……そういうことじゃないんだ」


ようやく声が出せた。

自分のものじゃないような、出鱈目な声だった。


「ぁ……ごめんなさい……私……」


千尋の表情が崩れた。

小刻みに震える腕を胸に抱いて、彼女は視線を地面に落とした。

あまりにも痛々しい姿に、僕も視線を逸らしてしまう。


「……いいんだ。千尋が悪いんじゃない」


そうつぶやくしかなかった。

手のひらにぐっしょりと汗をかいていた。

恋人とかキスとか……僕の雰囲気から彼女が読み取ってしまっただけなのだろう。

でも、それじゃあ、なにがいけないんだ?

なにがいけなかったんだ……。


……。

 

キスをする

 

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僕は彼女の頬に手を伸ばした。


「…………」


頭の芯がうずいている。

限りなく黒に近いグレーな決断であることは承知していた。

それでも、彼女を自分のものにできる機会を得て、鼓動が高鳴る。

ずっと、僕は彼女を求めていて。

ずっと、この瞬間を待ち望んでいて。


「…………」


千尋は僕の手から逃げることなく、無表情なまま立ち尽くしていた。

彼女のきれいな顎のラインに沿って手を触れる。

間近には潤んだ右目がある。

ようやくたどり着いた。

そして──。

決定的な過ちに気づいた。


「…………」
「……蓮治くん?」


僕の揺らぎに、千尋が表情を曇らせる。

頭が芯から冷えた。

カタカタと──触れた頬に熱はなく、彼女の身体は震えていた。


怖がっていた……。

僕は歯をくいしばって腕をおろす。

 

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「ぁ……ごめんなさい……私……」


千尋の表情が崩れた。

小刻みに震える腕を胸に抱いて、彼女は視線を地面に落とした。

あまりにも痛々しい姿に、僕も視線を逸らしてしまう。


「……いいんだ。千尋が悪いんじゃない」


そうつぶやくしかなかった。

手のひらにぐっしょりと汗をかいていた。

恋人とかキスとか……僕の雰囲気から彼女が読み取ってしまっただけなのだろう。

でも、それじゃあ、なにがいけないんだ?

なにがいけなかったんだ……。

 

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「今日はここで別れよう」


心配させないように精一杯、自分を貶(おとし)めて浮かべた笑みを、彼女に向ける。


「……ごめんなさい」


千尋の答えは久しぶりの鼻声だった。

また泣かせてしまった。

でも、それでも目の前から早く消えてほしかった。

自分がどうしようもなくなる前に。

僕が足元へ視線を落とすのと同時に、彼女の足音が遠ざかった。


「ぁ……千尋!」
「…………」

 

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影法師が立ち止まる。

大切なことを言い忘れていた。

今回だけは──たとえそれが間違いだとしても、彼女のために、利用させてもらう。


「今のことは日記に書かなくていい。書かなくて……いいんだ」
「…………」


彼女は答えない。

 

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じっ、と数秒立ち止まって、また駆け出して消えた。


……。

 

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「…………」


家に帰ることもできず、街をさまよっていた僕の足は、気がつけば動かなくなっていた。

とっくに日は落ちて、今がいったい何時なのかもわからない。

全身が冷え切っていたが、それでも自分への罰としては足りないと感じていた。

一度携帯電話が鳴ったが、軽薄な着信音にいらだって電源を切った。

頭の芯が熱を帯びている。

ずっと考えていた。

今までの人生で一番なにかを考えていた。


「……そうなんだ」


ぜぃぜぃ、と自分の声とは思えない音がする。

ようやく理解した。

本当に理解した。

火村さんの警告。

千尋という少女に触れるということは、こういうことなんだ。

深入りしてはいけなかったのだ。

 

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『もう一月も経っていて、そういう場面だと思います』


あの台詞だ。

あれがイカレていた。

最高に狂っていた。

なんのことはない。

"そういう場面"だったのだろう。

彼女はカウントしていたのだ。

あの小説と同じように。

自分自身が登場する物語を読むように。

僕との関係を観察していたのだ。

いつからか1ヶ月──30日間の日付を淡々と数えていた。

カレンダーに予定日を書き込んで、1日1日、丸で潰していくように。

怖かった。

本当に怖かった。

これが小説ならそれでいいだろう。

30日の区切りで終わる物語だ。

僕が彼女の小説を書くのを手伝って、それが完成して、やればできるんだってことを証明して恋人になるのだ。

夕暮れの下校の道でキスをする。

そこで幕だ。


…………。

 

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「違う」


冷え切った身体に、なお、汗が滲む。

物語ならばそれで大団円だ。


──だが、現実にはその先がある。


今朝、料理を作りながら感じていた不安。

千尋と恋人になってどうする?

その先などあるのか……?

 

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「……はは」


本当に傑作だった。

キスだけじゃない、僕はその先まで行きたいと思っていた。

そんなの当たり前だ。

何度も何度も頭の中で妄想してきたんだ。

でも違う。

そういうレベルではない。

彼女を恋人だと母親に紹介できるのか?

13時間で記憶の消える──そんな障害を抱えた子と一生付き合っていくのか?

きれいごとだけで生きていけるのか?

 

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「…………」

 

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膝が崩れた。

怖かった。

本当に泣きそうなくらい怖かった。

 

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羊だ。

牧草地帯の真ん中で飢えて死にゆく羊のことを考えた。


…………。

 

……。

 



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「…………」


憂鬱な目覚めだった。

羊の夢を見た気がした。

おそらく、眠れなくてずっと羊を数えていたのが原因だろう。


「……ん?」


なにか違和感があった。

夢から覚めたはずなのに、まだ意識がぼんやりとしている。

寝ぼけているのだろうか。

頭の芯に熱がこもっていて、上手く考えがまとまらない。


「……ぁ、れ?」


ベッドから起きようとするが、身体がぎくしゃくとしか動かなかった。


「…………」


どうやら風邪をひいたらしい。


……。

 

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「……う~」


通学路を歩きながら、僕はこめかみを押さえて呻いた。

咳はなく頭痛もなく、気持ち悪さや鼻づまり、腹痛などの諸症状もないから、外見上の変化は皆無だろう。

ただ、熱のせいで頭がぼんやりとしている。

知ってしまうと余計に悪化しそうで、体温計で熱を計るのは止めておいた。


「……最悪、授業の合間か昼休みに千尋と会って、事情を説明してから早退だな」


誰にともなく弁解して歩を進める。

今日だけは、なにがあっても休むことができない。

なんの連絡もなしに顔を出さなければ千尋が不安がるだろうし、昨日の件を引きずっていると思われると困る。

いや、引きずってはいるのだ……。

愚かすぎるほどに……。

僕は、小説のことですら彼女といるための言い訳にしていたことに気づいてしまった。

できれば今日は学校を休んで寝ていたかったが、どうしても、それはできない。

以前、千尋が僕を待ち続けて風邪をひいたことがあった。

その報いだろう。


「……きついな」


ぽつりと、自分を笑う。

彼女に会って確かめなければならない。

昨日の夕暮れの出来事を、日記に書いたかどうかを──。


……。

 

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1時間目の終わりに図書室へ足を運んだが、千尋はいなかった。

これはいつも通りだと納得するしかない。

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授業中は、教師の話を聞いてノートをとっている振りだけした。

話なんて耳を素通りしている。

意識が朦朧としていた。

起きているのに、ノートにはまるで、居眠りした後にできるミミズがのたくったような線しか書けなかった。


……。

 

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2時間目が終わったときにも、千尋はいなかった。

諦めて教室へ戻ることにした。

 

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3時間目──今日の午前中に体育がなかったのは幸いだろう。

意識は朝よりもはっきりしている。

しかし、あぶら汗が止まらなくなっていた。

 

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「蓮治くん? どうしたんですか?」
「ああ、よかった」


3時間目と4時間目の間に、千尋は来てくれていた。

まだ誰もいない図書室の中で、僕は彼女に手を降って挨拶する。

 

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「ちょっと体調が悪くてさ、今日はこれで帰るから、それだけ伝えようと思って……」
「あ、風邪ですか?」
「風邪だね」
「駄目ですよ、風邪なのに学校なんかに来ては」
「そうだね」

 

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「大丈夫ですか? いえ、大丈夫じゃないんでしょうけど」


千尋が僕のそばに寄って、顔をのぞきこんでくる。

この仕草だけは本当に子供っぽい。


「大丈夫じゃないけど、千尋の顔を見たらちょっと良くなったかも」


苦笑いを浮かべるが、安心したら、立っているのがつらくなってきた。

手近な机のへりに腰かける。


──よかった。


彼女はなにも変わりない。

昨日のことは、ちゃんと、日記に書かないでいてくれたのだ。


「ひとりで帰れますか? それとも保健室へ行ったほうがいいのでしょうか?」
「ちょっと休んだら帰るよ」


そわそわと落ち着きのない千尋の姿に笑みがこぼれてしまう。

風邪でここまで騒がれるとは思ってもいなかった。

千尋はなにも言わず、ただ僕の近くで立ち尽くしている。

そうやって、図書室の弛緩(しかん)した空気の中でぼんやりしていると、予鈴が鳴った。

 

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ふたりでスピーカーに目をやる。

すぐに立ち上がるのは億劫で、もういいや、と息をつく。

音が止むと、まるで雪の日の深夜のような静寂がやってきた。


「宜しければ、帰りは私が付き添いましょうか」

 

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千尋がつぶやいて僕に手を伸ばした。

それはただ──それだけのことだったのに。

なぜか彼女の手が腕に触れる寸前、僕はそれを拒絶するように身を引いてしまった。


「…………?」
「…………?」


見つめ合ってしまう。

僕自身が反応したのだから、どうしてかとわかるようなものだが──本当に意識してのことではなかった。


「蓮治くん?」


千尋が壊れそうな笑みを浮かべる。


「あ……ああ、ごめん……ぼんやりしてた」


でも、制服の下にはあぶら汗とは違う──冷や汗が浮かんでいた。

怖かったのだ。

今、千尋に触れられそうになって怖かった。


「大丈夫。ひとりでも帰れるから……」


彼女をこれ以上心配させないようにと、僕は笑いながら立ち上がる。


「あの、2日ほど私はここに来ないようにします」


こんな僕を気遣ってくれるのか……。


「……わかった」
「それじゃあ、今度は3日後に」
「うん」


ぺこり、と頭を下げる千尋に手を振って、僕は図書室の扉まで歩いた。

 

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千尋
「はい?」
「心配してくれてありがとう……。それと……」


これだけは力強く伝えようと、熱で乾いた喉を震わせる。


「あの小説は書き上げよう。絶対に」
「…………はい」


…………。

 

……。

 

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そして僕は見事に寝込んだ。

終わりまで、もう間もないのに。

しかし時間は進む。

すべてに容赦なく、誰にもつけいる隙を与えず流れ続ける。


……。

 

「蓮治、くたばってるか~?」


晴れやかな声とともに、久しぶりな人が顔を出した。

趣味の着物をきているところを見ると、休暇モードらしい。

 

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「あぁ……久瀬さん」
「寝たままでいいよ」


ベッドから身を起こそうとすると彼がそれを手で制する。

僕は上半身だけはとベッドに座り込んだ。

動くと頭にズキズキと痛みが走り、視界が揺れて気持ち悪い……。


「今日はどうしたんですか?」
「トドメをさしに」
「……洒落になりませんね」


風邪のことはともかく、千尋との関係がこじれている今は、心の傷のほうに響く冗談だ。


「本当はお見舞い。お土産は居間に置いておいたよ」
「どうも」
「すみれさんはいないんだね」


きょろきょろ、と彼が部屋を見渡す。


「お目当てはそっちなんですね……。昨日はバタバタしてましたけど、もう看病が必要なほどでもないですし、仕事でしょう」
「そか」


長居をする気はないのか、椅子にも座らず久瀬さんは肩をすくめる。


「調子はどう?」
「風邪なんでよくありません」
「それだけ喋れれば大丈夫だな。水でも持ってこようか?」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ土産話を1つ披露しよう。昔、地中海の船上パーティーで演奏する機会があったんだけど、そこに時化(しけ)がきちゃって、船がタイタニックばりに揺れる揺れる──」

 

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「……ぅ」

口元を押さえながら呻いてしまう。


「なんで……こんなときに、そんな話を……」


この人、本気でなにをしに来たんだ……。

やっぱり嫌がらせか?


「ああ、そういえば」
「なに」
「ずっと聞きそびれてたんですけど、久瀬さんと火村さんって、どういう知り合いなんですか?」
「腐れ縁だよ」


こともなげに久瀬さんが言い切る。


「学校が一緒だったんですか?」
「うん。音羽の元クラスメイト。実は腐れ縁と言っても、俺がドイツに留学しちゃったから2年くらいの付き合いなんだけど」
「え」


それは全然、腐れ縁と呼べるような期間ではないと思うのだが。

僕の疑問は当然のものらしく、久瀬さんが苦笑いを浮かべる。


「時間で計れば短いけど、火村のやつはあの性格だからね。そもそも友達なんて俺しかいなかったんだよ。それに、俺が留学した後も色々なことがあって……あ、隣の家も、火村の紹介で借りてるんだ」
「……色々なことってなんです?」


今、なにかおかしなところで話が途切れた気がした。

なにかを、はぐらかされた。


「ん……秘密」

 

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茶目っ気たっぷりに久瀬さんが微笑む。


「そうですか」


僕はあっさり引き下がった。

こういう言い方のときは、どう聞いても答えてくれないだろう。

この人は、こう見えて意外と義理堅いし、真面目であることを承知していた。


「ところでさ、1つ千尋ちゃんのことで凄いこと思いついたんだけど」
「なんですか」
千尋ちゃんって13時間で記憶が消える以上、身体はともかく、心はいつまでも処女のままなんだな」

 

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「帰ってくださいッ!」


ドアを指差してはっきりと怒鳴った。


「怒らない怒らない。悪かったよ。でも、これが流せないくらいは好きになっちまったわけか」
「……ぁ」


思わずうつむいてしまう。

そうだ。

もちろん冗談なんだ。


「気づかなかった。ごめん」


久瀬さんがもう一度、今度は頭を下げる。

年下の僕にすらこんなにも真摯に謝る姿勢に、ため息が漏れてしまった。


「……いいんです」


自分の無能さを、他人にあたってどうするんだ。


「それより、久瀬さん……夢を叶えるにはどうすればいいんですか?」


いつか訊こうと思っていた問いを発する。

ほんの少し目線を動かすだけで、久瀬さんはニヤリと笑った。


「簡単だ。夢を叶えるにゃあ、まず夢そのものがないといけない。こうなりたい、ああしたい、あれがほしい──夢でも欲望でもなんでもいいんだけど。あの子を口説きたいとかさ、金がほしいでも、地位がほしいでも……良い悪いは抜きにして、そういうイメージだな」
「イメージ?」
「そう。意志という言葉でもいい。俺はそれがコレだったわけだ」


その手にヴァイオリンがあるように久瀬さんが腕だけで構える。

 

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「なにか演奏してやろうか?」


パントマイムみたいなものだったが、その指先の動きの滑らかさは本物だった。


「今はちょっと……嬉しいけど頭に響きそうで」
「風邪が治ってからかな」
「はい」
「もったいないと思うけど……っ?」
「どうしました」
「ん……いや、なんだろう?」


自分の胸を押させて、久瀬さんが不思議そうな表情を浮かべた。


「……持病の癪(しゃく)かな」
「病人の前でやめてくださいよ」


思わず苦笑してしまう。


千尋ちゃんと、どんな小説を書いてるの?」


いつもの笑みに戻って久瀬さんがまた話題を変えた。


「あの小説は……」


そう……結局、考えずにはいられないんだ。

僕は千尋のことと──、

世界にひとり残された女の子のことを想った……。


…………。

 

……。

 


女の子は絵を眺めていることが多くなった。

 

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彼は"ここ"と同じ風景に描かれているので、不思議な気分になった。

もしかしたら、私のほうが絵に描かれた存在なのかも知れないなと思った。

そこで彼女は気づいた。

こうなると人称が必要になるわけだ。

ふたりなら二人称──つまり、自分はこれから"私"になって、絵の中の人間が"あなた"になったのだ。

私。

あなた。

……あなた?

 

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彼女はいつもそばに置いている辞書を手にした。

気になった通り、あなたとう呼称には夫という意味があった。

夫は夫婦という関係における男性名詞だ。

では結婚してみようか。

なんとなく考えた。

そういう話は非常に多かった。

大切なことだと本に書かれていた。

それが人生──人が生きていく上での1つの通過点なのだと。

彼女は結婚という制度について詳しく学習することにした。

結婚を調べていたある日、急にお腹が痛くなって、気分が悪くなった。

結婚には両者の合意がいるという要項が、絵の中の男の子に適用されるのか、と考えていた時だった。

 

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保存食に不良品が混じっていたか、限界を迎えて腐ってしまったのだろうか。

同じものばかり食べていたせいで味覚や嗅覚が壊れていたから、判断がつかない。

もしくはなにか病気になったのかも知れない。

医療関連の書物を調べた。

死ぬときは死ぬだけだと思っていたから、それも単に暇つぶしだった。

いくつか該当しそうな疾病(しっぺい)があったが、結局、検査ができないので判断がつかなかった。

何日かすると体調も元に戻った。

 

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倒れた時のために、ベッドの脇に食べ物と水を用意していたが無駄になった。

その後も特に異常は見られなかった。

なんだろうと思いつつ、その後特に異常は見られなかったので、考えるのを止めた。

しかし、その事件を忘れた頃にまた気分が悪くなった。

その前後数日、身体がだるいとは思っていたがなんだろう。

それも数日で治まった。

また次もあった。

 

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そこで、これが大人になったということ──子供を産む準備ができたらしいということがわかった。

なるほど。

やはり自分は人間の女性であるようだ。

しかし、男性のいない世界でそんな準備ができたとしても、意味がなかった。

定期的に訪れる不必要な体調不良ということで、納得するしかなかった。

 

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あくる日、結婚式をした。

籍を入れずに、結婚という契約だけを結ぶ例があると知ったからだ。

合意はとれていないがいいかなと思った。

城の中を漁ってドレスを見つけた。

なんのためにあったのかわからなかったが、都合は良かったので気にせず、その中から白いものを選んだ。

指輪と神父は見つからなかった。

屋敷の中には礼拝堂があって、そこの絵の、男の子の服を描き直した。

白いタキシードにした。

祝詞(のりと)を暗誦した。

「結婚を誓いますか」という文字に、頭の中で「はい」と文字で答える。

 

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そして絵の中の男の子と唇を重ねた──油臭かった。

 

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適当に摘んできた花束をブーケというものにして投げた。

それで結婚式は終わった。

 

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少女はドレスを着たまま、いつもよりも食事を多く用意した。

一応のパーティーだった。

ドレスを腰まわりがきつくて食べ残してしまった。

そして、床に落としたままの花束を拾って、ドレスや残飯と一緒に、ゴミ捨て場にしている崖から放りだして寝た。


…………。

 

……。

 

 

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──そこで、小説を書いていた手を止めた。

 

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立ち上げていたメールソフトが、着信を知らせていたことに気づく。

 

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お姉ちゃんからのメールだ。

 

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「……雨宮?」


そのメールには雨宮優子という人の悪口が並べられていた。

教会にいたり、街をうろついていたり──まるで火村さんのような人だ。

ただ、悪口を書いているが嫌いじゃないのだろう。

照れ隠しのような冗談がこめられていて面白かった。

つい、今の自分のことを忘れて口元が緩んでしまう。

そして、雨宮さんとは別に、堤京介という男の人の名前がよく目についた。


「誰だろう……」


私はメールのやりとりや今の状況をまとめたテキストファイルを開いた。

堤京介さん──お姉ちゃんをモデルにして映画を撮っている先輩の方らしい。

この人のことも嫌いじゃないみたいだけど、どこか姉には珍しい、歯切れの悪い書き方しかされていなかった。

さらに日付を遡ると、絃お兄さんに恋人ができたことや、膝を壊してバスケットボールができなくなって、苦しんでいるお姉ちゃんの姿にぶつかった……。


「ああ……」


そんな姉から、どうしたらいいのか、という問いかけのメールが届いていて、私はすでに返事も出していた。

蓮治くんや小説のことでいっぱいになっていて、そんなことも忘れてしまっていたのか。

私はどれだけ弱くなってしまったのだろう。

いや……最初から、強かったわけじゃない。

ただ、元に戻ろうとしているだけなのかもしれない。


『自分自身に素直になってもいいと思うよ』


姉へ向けた言葉は、まるで今の私に宛てているようなものだった。

日付を追って互いのメールを読み進めていくと、私の言葉がきっかけとなるように、お姉ちゃんは強さを取り戻していく。


「……ううん、これは、私だけじゃない」


私は目を閉じて自分の言葉を反芻する。

姉へのメッセージに込められたあたたかさには、覚えがあった。


「……蓮治くんの欠片がここにも」


順を追って読み進めていた姉のメールは、やがて"結末"へと辿りついていた。


千尋、この前のメール、ありがとう。信じてるって言葉、本当に嬉しかった。まあ、他にも痛いこととか、ちょっと腹の立つことも書いてあったけど。でも、それだけ真剣にわたしのことを考えてくれたってことだし。気合も入ったわ。それに、わたしを信じていてくれた人は千尋だけじゃなかった……。京介先輩は言うまでもないし。かっこいいわたしが好きって、ミズキにも言われた。お兄ちゃんも、わたしが元気な顔を見せるだけで嬉しいって。千尋だけじゃなくて、いろんな人に支えられてるんだって、最近気づいたの。恋敵だったはずのみやこさんにまで、テスト勉強を見てもらってたくらいだしね。雨宮優子もそのひとり……。正気、くやしいけど、雨宮優子の言葉が一番効いたわね。思い出を言い訳にしてたら、また同じことを──大切な人と離れる寂しさを覚えることになるって。そういえば不思議ね。ずっと一緒だった千尋と同じことを、あんな出会ったばかりの人に言われるなんて……。ま、いいわ。わたしはもう、千尋やお兄ちゃんを失ったときみたいに後悔したくない。だから、もう逃げるのはおしまい。次に千尋に会うときは、胸をはっていられるように──かっこいいわたしに戻るから。だから……そっちも大変だろうけど、一緒にがんばろうね。千尋


「…………」


読み終わってから少しの間、私の頭にはなんの感慨も浮かばなかった。

色々な想いが渦をまいていて──そのスピードが速すぎて、逆に止まったように。


「あ、返事……書かなきゃ。私は……」


私は……

その後の言葉が続かない。

自分がなにを言葉にしようとしていたのかもわからず、キーボードにのせた指が動かない。

いや、もう姉に告げる言葉など残っていないのだ。

お姉ちゃんは強い人だから、なんの心配もいらない。

前よりも、もっともっとかっこいいお姉ちゃんになってくれるはずだ。


「だから……」


必要なのは、私の答えだ。


「だから…………」


遠くから聞こえる鐘の音。

 

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時計を見ると正午だった。


「……ご飯食べなきゃ」


まるでそれを言い訳にするように、私は席を立つ。

姉への返事を、今は、出すことが出来そうになかったから……。

私はトースターでパンを焼いてジャムを塗り、コーヒーを淹れて部屋に戻ってくる。

味気ない食事はすぐに終わってしまい、私は手帳に昼食の内容と1点という数字を書き加えた。

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「……はぁ」


ため息しかでない。

 

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蓮治くんのお弁当は9点より下には落ちたことがないのに。


そんな思いとジャムの後味をコーヒーで飲み込みながら、私はこれまで自分が書いてきたという物語に目を通す。

 

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「……もうこんなところまで来てるんだ」


もうすぐ終わる。

後は、絵の中の男の子が動き出すシーンと、結末だけだろう。

4年間、自分ひとりではどうしようもなかったことが、1ヶ月も経たずに成されようとしていた……。


「……複雑だな」

素直には笑えなかったので、ちょっとだけ目を細める。

考えつつ頭から書くことに比べれば、書き途中のものを読んで流れを理解し、続きを書くほうが容易(たやす)い。

もう、自分ひとりでも、なんとかなりそうだった。


「蓮治くんと昨日の私が約束したのが2日間……終わるかな」


なんとなく、次に彼と会う時には、完成したものを見てほしかった。


「ひとりでできたよ」って自慢してみたかった。

 

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なんて言うのだろう、彼は。

……わからない。

性格や仕草は手帳にあるが、そこから感情までは読み取れない。

だけど、きっと褒めてくれる。

優しいから。

だから……。

私は最後まで書くのが怖かった。

これが終わったら、彼を繋ぎとめるものは消えてしまう……。


「ねぇ、おいで」


私は小説の女の子に声をかけた。

 

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「早くここまでおいで」


神様みたいに呼んだ。


「寂しさは、ここにあるよ」


…………。

 

……。

 


「……う~」


あたたかい布団に包まれながら、僕は呻いた。

いつか冬眠したいと思ったことがあったのだが。


「……う~……む~!」


子供みたいに、枕に顔を押しつけて叫んでみる。

 

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「あ~! もう眠れない!!」


布団を跳ねのけて起き上がった。

2日間の休みを決め込んでいたが、いい加減に体調は回復し、同時に暇メーターが限界に達していた。

昨日から、無理にでも栄養のある食事を詰め込み、薬を飲んで、ずっと寝ていたのが良かったのだろう。

もう頭と性格と顔以外に悪いところなどなかった。

ずっと、千尋のことと、彼女の物語のことを考えていた。

真剣に考えていた。

そうしたら、千尋がどうしているのかが気になって気になって……。

とても引き篭もっていられなかった。


……。

 

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「あれ? もういいの?」


居間に出てきた僕に、母親がお気楽な笑顔をくださった。

一昨日はあたふたしながらテキパキ看病するという妙技を見せた彼女だが、すでに僕の心配はいらないと普段のペースに戻っている。

つまり、100m走のはずなのに42.195kmを息切れなく完走できるペースで走っているのだ。

それは徒歩以下か。


「……いっぱいいっぱいです」

 

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馬鹿な思考にため息をつき、僕はコーヒーを淹れてソファに腰掛けた。

 

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千尋ちゃんのことでなにかあったの?」
「ストレートだね」


足を投げ出して、母の言葉に渋々ながら同意する。


「色々とあるみたいだ」
「そう……ふふ」
「なに?」
「態度が急に男の子っぽくなったな~、って。母親としては寂しいけどね」
「ああ、そう……」


どこまで真面目かわからず、そして相談できるような話でもないので続けはしなかった。


「ねぇ、そういえば母さんと父さんってどうだったの?」
「なにが?」
「出会いとか結婚を決めたのとか色々」


今まで両親の馴れ初めには興味もなかったが、参考のために訊きたくなった。

そういえば、料理教室の講師とドイツ人建築家がどう繋がっているのか、さっぱりわからない。


「うふふふふふ」


母が急に気持ち悪い笑みを浮かべる……そう口にすると泣くので言わないが。

 

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「あの人とはねぇ、私が通訳の仕事でドイツに行ったときに、その仕事先の建設現場で出会ったの♪」
「なに? 通訳?」
「元通訳」
「誰が?」
「お母さんの若い頃……ん。まだ若いから、すごく若かった頃ね……蓮治が生まれる前だから逆算して……あれ、まだお母さんも生まれてないころ?」
「初めて知った」


冗談抜きで唖然とした。

確かに母は、数カ国後を平然と話してのけるが、父の都合でひっぱり回されているうちに覚えたのだと思っていた。

以前はそんな仕事をしていたのか。


「あれ? じゃあ、なんで今は料理の講師というか主婦なの?」
「えへへへ、それが色々あってさぁ」


ゼンマイが巻かれたのか核燃料でも注がれたか、母が勝手にスイッチをいれた。


「実はお母さんの一目惚れでね。日本に帰る日が近づいてきた頃、勇気を振り絞ってお父さんをデートに誘ったの。それで1日付き合ってみたんだけど、最初の挨拶以外は全然しゃべってくれなくてねぇ。美術館行ってもお城を見に行っても、喫茶店でもレストランでも無口で。最後のバーでいいかげん頭にきて──お酒に酔ってたのもあったからだけど、なにか言いなさい! って怒鳴ったら──」
「怒鳴ったら?」
「口下手なんだ、って断ってから急に建築の話を始めちゃったのよ」
「は?」
「いくら通訳だからって、建築用語全開じゃあなにを言われてるのかさっぱりだったんだけど──それをしゃべってるお父さんがかっこよくてね。うんうん、って聞いてたら、いきなり自分もあなたが好きになったって言われて」
「…………」


僕にも半分は血が流れているのだが、欧米人の感性は分からない。


「……なんだそれ」


参考までに聞いておこうと思ったのに、さっぱり過ぎる。

というか、やはり両親の馴れ初めなんて聞くべきではない。


「わかった……えーと、じゃあ大変だったこととかは?」
「それは色々とね。国際結婚だったし」


思い当たることが多いからか、母がトーンを変えた。


「仕事の関係で1年とか2年会えないこともあったし。たまに会っても、冗談じゃなくお父さん口下手だから、本当にすれ違ってばっかりで」
「よく結婚したね」
「結婚してなかったら、あなたはいないけど」


そりゃそうか。


「でも幸せよ」
「なんで?」
「お父さんが好きだから、それに──蓮治を産んだんだもの。お母さんが仕事を辞めてもいいくらい愛してるわ」
「…………」
「ああ、まいったねこりゃ。そんな感じでした」


母は頬を赤らめて舌を出すと、そそくさと自分の部屋へと撤退していった。


「…………そう、か」


なんとも言えないつぶやきしか残らなかった。

ほとんど模範解答というまとめだろう。

当たり前のこと。

そういう普通の幸せ。

でも。

仮に、千尋との間に子供が生まれたら?

彼女はその子のことすら覚えていられないのか……。


……。

 

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家にいることに耐えられなくなった僕は、あてどなくさまよっているうちに教会の前にいた。

 

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「蓮治、もう風邪はいいのか?」
「火村さんってなんでも知ってるんですね」
「この街で起こってることならだいたいな」
「暇なんですか?」
「……これでも一応は仕事だ」
「仕事?」
「あ~、説明するのが面倒なんだが……小間使いって言うか、宮仕えみたいなもんだよ」


さっぱりわからない。

メイドさん……というか執事か?

いや、そんなことは、どうでもいい。


「相談したいことがあります」
「…………やっぱり悩みを抱えてるやつはスーパーとかゲーセンには行かないんだな」


ぶつぶつと言って頭をかきつつ、彼は姿勢を正す。


千尋のことだな」


それは質問ではなく確認だった。

だから頷く。

新藤千尋


「……僕は、彼女が怖い」


冗談みたいな悩みだ。

それでも、火村さんは真剣な視線をそのままに、眉をひそめた。

 

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「理解しちまったわけか。深入りするなと、あれほど両方に言ってたんだけどな。いいさ、聞いてやる。懺悔ってのはそういうもんだ」

 

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だから僕はすべてを話した。

今までの千尋とのやりとり。

綴られる寂しさを覚えるまでの物語。

自分が思ったこと。

全部を伝えた。

そして、話しながら、僕は1つの答えのようなものを感じた。

 

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「火村さん。もしかして千尋は……終わりたがっていませんか?」
「だろうな」


あまりにも呆気なく同意されてしまう。

わかっていてもショックだった。

 

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「だから家族からも引き離したんだが……人がいる限りどこも変わらないか」


それはまるで、あの物語の女の子のように。

世界にひとりだけになれればという意志だったのか。


「安心しろ。おまえが怖いって思うのは正常だ。それが普通だ。だから俺は──俺も久瀬も、千尋に必要以上に近づかないようにしていただけだ」
「……それがひどいことでも?」
「なんで寂しいって感じるか、わかるか?」


問いかけに問いかけが返ってきた。

見上げた火村さんは、本当に神父のようで。


「その千尋が書いてる話の中で、どうして女の子は寂しいという感情を覚えるかわかるか?」
「ひとりじゃなくなるから」
「それは結果に過ぎない。もっと根源だ」
「……え」


なんで寂しいのか。

もっと根源。


「……楽しかったから」
「そうだ。寂しさを知るには楽しさを知らなきゃいけない。幸せを感じるには不幸せを……。世界ってやつは、笑えるくらい悲惨にも表裏一体なんだよ」
「そんなの……どうしようもないじゃないですか」


僕は足元を見ながら吐き捨てるしかなかった。

教会という場に相応しくない、錆びた味のする残響が耳についた。


…………。


「それが言えて満足だったか」


急に優しくなった声に顔をあげる。


「誰かに言えて、少しは楽になっただろう」


笑ってはいなかったが、まったく普段通りの雰囲気で、火村さんはそっぽを向いていた。


「おまえがよくやったとは言わない。だけど、責めたりもしない。それが神父とカウンセラーの仕事だ」
「…………なんで僕を千尋から遠ざけなかったんです?」


最後に1つだけ訊きたかった。

もっと本気で──もっと最初のうちにそれはできたはずなのに。

みっともない八つ当たりだと知りつつも、口にしてしまう。


「見てみたかったのかもな」


なにを?

そう視線で問う。

火村さんは逸らしていた顔を僕に向けた。


「俺と同じような奴が、上手くいくかも知れないって夢を」
「同じ……?」


うわごとのように繰り返す。

僕と火村さんが同じ?


「そんなこと……」
「あるんだよ。はっきり言って比べ物にならないくらい、俺のほうがひどい話さ」
「…………」


声は軽かったのに、伝わるものは重かった。

言いたいことと言ってることが、ぴたりと重なっている響き。


「蓮治」


優しくて……遠くて……寂しい声。


「たぶん、俺はおまえが知りたいことの答えを知ってる……。千尋がどうするべきかも知ってるんだ。でも、それが正しいか間違っているかはわからない。答えは、ただ答えでしかないんだ……それを理解しないといけない」


かつて、火村さんが言っていた大人の意見。

冗談や誤魔化しのように聞こえていたのに。

そうとしか、僕が、聞いていなかったんだ……。


「…………」

 

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『やさしいんだよ』


……違う。

僕は僕の夢を否定する。

それは絶望的なまでに間違っている。

そんなものは夢じゃない……。


「答えを知りたいか?」
「……いえ」


僕は首を振って、それからその頭を下げた。

 

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「ありがとうございました」


踵を返して教会の出口へと向かう。


千尋が書いている物語と真剣に向き合え」

 

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背中から声がかかった。

僕は振り返らず立ち止まる。


「なんであいつが、そんな話を書いているのか。どうしてそんな物語になってしまったのか……それを考えろ。おまえも一緒に書いてるんだ。千尋よりも先に"結末"にたどり着け」


……。

 

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女の子は結婚式の翌日から、自画像を描く練習を始めた。

こちらの世界にはひとりしか人間はいない。

だから、絵のほうに自分を描きこむことにしたのだ。

今回は鏡を見れば描くべきものが見て取れたので、それほど時間はかからなかった。

自分を描くという行為は言葉にしづらいが、なかなか不思議な感触だった。

屋敷内の絵をすべて描き直した。

 

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向こうの世界ではふたりの人間が笑っていた。

やはり絵の中の自分を見るのは不思議な気持ちだった。

それが言葉で説明できない。

少女にはその感情がよくわからなかった……。

それでも、ずっとずっと。

初めて、何ヶ月も飽きることなく、その絵は彼女の興味を惹きつづけた。


…………。


……。

 

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少女は世界にひとり。


──だから彼女は神様だった。


…………。


……。

 

不思議な出来事が起こった。

何百枚とあった全ての絵を描き直した翌日。

絵の中のふたりが動き出していた。

しかし少女にはそれが異常かと問える概念がなかったので驚くことはなかった。

彼女はそもそも"人間"を作り出そうとしていたからだ。

上手くいったのだろうか。

神様は箱庭を覗き込む。

じっ、と絵の中を覗き込む。

どうやら向こうの世界からは、こちらの世界が見えていないらしい。

 

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絵の中のふたりは笑いあいながらなにかをしている。

しかし、絵がぼやけている。

世界そのものが歪んで"なにか"が見てとれない。

どうしてだろう、と女の子は思った。

結果が確かめられない。

そこにあるはずのものを読み取れない。

不思議な感情が女の子に芽生える。

それも形容することができない。

形容することのできないことは、辞書でも調べられない。

なぜ、あれほどはっきりしていた絵が見えなくなってしまったのか。

失敗だったのだろうか?

しかし絵の中のふたりは笑いあっている。

それだけを感じる──だから絵の外の自分がおかしくなる。

なにかが間違っていたのだろう。

自分はそうやって、失敗を重ねて物事を理解してきたはずだ。

そう、女の子は思いなおす。

彼女は何度も絵を描き直した。

しかし、ことごとく同じ結果となった。

女の子はよくわからなくなる。

なにもかもが、よくわからなくなった。


…………。


……。

 

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「…………」


私はそこで手を止めて机を離れた。

ずっと椅子に座り通しだった身体は、節々がひどく強張っている。

特に肘から先が痛みを覚える──緊張して力みすぎていたのかも知れない。


「腕」

 

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自分の腕をぼんやりと眺める。

一体これは誰の腕なんだろう?

細さも長さも自分が知っているものとは違う。

まるで知らない身体だ。


「……はぁ」


いつものように身体を点検していて、ふと、ため息が漏れた。

 

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「……終わるな」


後2時間もすればあの物語は終わる。

ようやく終わった。

ここまで来れた。

達成感はなかったが、感慨はあった。


「……あれを書いたら終われるんだ」


それは決めていたことだった。

ずっとずっと、この物語を書き上げるのだと意識した瞬間から決めていたこと。

だから、私は最後のシーンを書く前に、姉に手紙を書くことにした。

メールではなく、自らの手で文字を書くことにした。

自分の身に閉じ込めておくと破裂してしまいそうな想いがある。

 

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それは澱(おり)だ。

だから文字に還元してこぼさないといけない。

少しずつ少しずつ、この身からこぼれる血のように。

……しかし追いつかない。

想いを文字として吐き出そうとしても、上手くいかない。

苦しい。

なにも積み重ならないはずの私の身に、それは確実に堆積(たいせき)していたのだ。


……。

 

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街は夕暮れ。

空が真っ赤で、街が真っ赤で、人が真っ赤だ。

私は手紙に封をしてポストに投函した。

それはいつもの相談ではなく決意の告白だったから。

メールのようにすぐには届かず、しかし、すべてが終わってから姉の手に届くように手紙にした。

ふわふわする。

貧血を起こしているのかも知れないと思い、無理に歩かず、ぼんやりと人ごみの中で立ち尽くす。

ひらりふわりと冬の花が舞えばいいのに。

ああ。

それはきっと……とてもきれいだろう。

赤いものを埋めつくすように雪が降ればいい。

白く白く。

永遠に。

 

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私はまた、空を見上げた。

 

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「……赤いな」


……。