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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【6】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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「あれ?」


翌日、学校の図書室に顔を出すが、千尋の姿はなかった。

まだ来ていないのだろうか?

今日は土曜日。

学校が休みなので、わざわざ図書室を訪れる物好きもいない。

僕はふたり分作ってきたお弁当には手をつけず、しばらく待ってみることにした。


…………。

 

……。



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16時を過ぎても千尋は現れなかった。

17時を過ぎ、さすがにおかしいと思い、学校を出た。

彼女に用事でもできたのだろうかと、僕は火村さんを訪ねてみることにした。

 

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しかし教会の中にも誰もいない。

祭壇の裏側や、扉の影や、椅子に寝そべってはいないかと、くまなく見渡したが本当に誰もいなかった。

まるで僕の関係者が揃ってかくれんぼでもしているようだ。

 

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「さて、どうしよう」


ふぅ、と腰に手を当てて考える。

さすがに火村さんがどこに居るのかなんて知らないし。


「ああ、そうか」


火村さんの居場所を考えているうちに、千尋がいるかも知れない場所に思い当たった。


「駅だ」


……。

 

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千尋を探して街を歩いているうちに、すっかり日も暮れていた。

ああ……赤いな。

 

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「あはは、見つけた」
「……?」

 

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僕の笑いを耳にして、千尋がベンチから立ち上がる。


制服ではなく、久しぶりの私服姿だった。


「蓮治くん」
「こんにちは、千尋


3日も会っていなかったので、できる限り挨拶はきちんとしておこうと思った。

できる限り、普段通りでいようと思った。

 

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「今日はどうしてここに?」


責めている雰囲気にならないよう、笑いながら訊ねる。


「もう図書室に行く必要がなくなったので……ここにいれば、きっと蓮治くんが来てくれると思ったから」
「……それって」
「完成しました。小説。ひとりで書けました」
「え?」


なんだか信じられないというか、実感が湧かなかった。

彼女ひとりで書けたのか。

火村さんから助言をもらったのに……先に書き上げられてしまったのか……。

 

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「……そうか、おめでとう」
「ありがとうございます。でも、蓮治くんのおかげです」


千尋が微笑む。

僕とは対照的に、彼女は本当に嬉しそうだった。


「僕はなにもしてないよ。千尋には元からできたことだから」
「いいえ、蓮治くんがいなければ、私はなにもしなかったと思います」

 

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彼女はベンチにおいてあったA4サイズの封筒を僕に手渡した。

厚さから見て中編というくらいだろう。


「これが完成品?」
「まだです。蓮治くんが読んで問題なければ完成です。私だけじゃなくて、ふたりで書いてきたものですから」

 

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「そう。今から読んだほうがいい?」
「私が帰った後で読んでください。恥ずかしいので」
「わかった」


そうは言っても、封筒が気になって目をやってしまう。

僕がいない間に、どんな話になったのだろう。

あの3つの選択肢の中から、彼女はどの結末を選んだのだろう。


「それで、お礼がしたいのですが……ご褒美かも知れませんけど」
「ご褒美?」
「明日、私とデートしてくれませんか」
「え」


なんの冗談かと思ったが、千尋の視線は揺らぐことがなかった。


「私の恋人になってもらえませんか」
「……誰が?」

 

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「蓮治くんしかいませんよ」


夕日に照らされた赤い瞳が僕をとらえる。


「……あぁ」


正直、どう答えるべきか本当にわからなかった。

唐突ではあったけれど──でも、これが目的だったはずで、当たり前のことという気もした。

結末だ。

小説は書きあがってしまったのだ。

もう、それしかないじゃないか。

 

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「ふふ」


急に千尋が笑う。

その笑みがなんなのかわからず、同時に、こんなに明るい千尋を見たことがなくてドキリとする。


「急な話でびっくりしますよね」
「まぁ」


ほとほと情けない返事しかできない。

本当にこれは夢ではないのか?


──今、僕がいるこの時間は間違っているのではないのか?


「もちろん、すぐに答えをもらわなくてもいいです。だから、明日はお試し期間ということにしましょう」
「お試し期間?」
「はい。私と蓮治くんは明日だけ恋人です。それでデートして判断してください」
「でも……」
「以前に蓮治くんが言った"友達"と一緒です。なってみて、そこで初めてわかることもあると思います」


千尋は積極的で、いつもより口数が多い。

なんだろう。

なにかひっかかりを覚えるが、それが上手く言葉にならない。

 

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「どうでしょう……そもそも嫌われているのならいいのですが」
「それはない」


それだけは絶対になかった。

嫌いなら……悩まない。


「わかった。デートしよう」


彼女からもらった封筒を抱きしめて頷く。


「よかった」


安堵のため息を千尋がもらした。

やっぱり冗談じゃないんだ、とその姿を見て思う。


僕と千尋が恋人になる。

しかし、どうしても実感や喜びが湧かない。

お試し期間という言葉のせいだろうか。

いや、なにか、とても大切なことを忘れている気がするのだ。


「蓮治くん」
「なに」
「明日はちゃんと、私を恋人だと思ってくださいね」
「? うん」
「明日だけは、ずっと、いつもと変わらずにいてください」
「え」
「それじゃあ、明日はここに10時集合で」


彼女は笑って身を翻した。

ひっかかっていたなにかが、膨れあがった。

 

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千尋!」


僕は慌てて彼女を呼び止めた。

気づいた。

まさか……そんなことは……。

 

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「はい」


彼女は振り返る。

まるで呼び止められることを知っていたように、踊るように振り返る。

夕暮れの中で笑っていた。

それは自然な不自然で。


「4日前のあのこと……日記に書いた?」
「…………私、蓮治くんが大好きです」


千尋は僕の問いには答えず、背中を向けた。

でも。

それは、これ以上ないくらいの答えだった。


……。

 

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駅のベンチに座って、その物語を読みはじめた。

最初から順々に。

一緒に作り上げてきた部分を過ぎ去り、やがて僕の知らない物語に触れた。

むさぼるように読み進めた。

千尋の描く世界に圧倒される。

それはもう麻薬のようで。

寂しさと苦しみの底で、救いを求める描写に、心が軋(きし)んだ。

そして、最後の一文にたどり着いた。


「…………」


僕はその結末をすぐには理解できなかった。

何度も最後の場面を読み返す。

何度も何度も、そこだけを読み返す。

この3日の間に、いったい千尋になにがあったのだろう。

それは、今まで僕らが考えていた、どの終わりかたでもなかった……。


…………。


……。

 

女の子は世界にひとり。

だから彼女は神様だ。

神様は、世界をもっとずっときれいにしようと思った。

 

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彼女は全ての絵を燃やした。

彼女は屋敷と城を燃やした。

彼女は自分の想い出を燃やし尽くした。


「……最後に神様は、世界にひとつ残ったゴミを、崖からすてた」

 

…………。


……。

 


冬の教会は、それだけで神秘的だ。

閉鎖している感じがする。

私はそこで祈っていた。

瞳を閉じて、しかし手は組まず立ち尽くしていた。

誇らず。

奢らず。

震えず。

与えず。

奪わず。

ただ純粋に祈りだけを捧げていた。


「本当におまえらは似てるな」

 

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声にまぶたを開いた。

 

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「ただいま戻りました」

 

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「それは家に帰ってから使う言葉だけどね」


私を迎えに来た火村さんが隣に立った。


「私と誰が似てるのですか?」
「さぁ……もう忘れたよ」
「そうですか」
「ただ浮世離れしてるというか。後ろ姿というか、殉教者みたいな雰囲気かな」
「あ、蓮治くんのことではないのですね」


自分が勘違いしていたことに気づく。

誰か別の──女性のことだろうか。

火村さんはポケットに手をさしこんで目線を落とした。

 

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そこには、ぼろぼろになった布切れが……マフラーらしきものがあった。

なんだろう。

不思議そうに見上げていた私に気づいたのか、彼は苦笑いを浮かべる。


「冬は苦手だ」
「私も苦手です」


私は表情なく答えた。

だってここは間違った時間だから。

私が最後に目を閉じたのは、夏のことだったのに。

目覚めると冬にいる。

寒くて寂しい冬にいる……。


「……あ、そういえば火村さんに1つお知らせがあります」


急に、私はそれを思い出してくすぐったくなってしまった。


「恥ずかしくて今まで黙っていたみたいですけど。お姉ちゃんに恋人ができたそうですよ」
「え? あの景に?」


火村さんが慌てたようにつぶやく。

 

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「……いや、それは、めでたいことだな」
「はい。とてもおめでたいことです」


私は祭壇を見上げた。

心の底から思う。

照れていたのか、ぶっきらぼうなメールでの報告だったけれど。

だからこそ、お姉ちゃんが笑顔を浮かべていることが伝わって。

……私の分まで幸せになってほしかった。


「詳しい話は家で聞くよ。今日の夕飯はなにがいいかな。そろそろ寒くなってきたし鍋も悪くないか」


火村さんが踵を返す。

しかし私は動かなかった。

だから、彼は途中で立ち止まって私を見た。


「あの」
「なに」
「人を好きになるってどんな気持ちですか?」
「…………」


火村さんが周囲を見渡した。

もちろん誰もいない。


「……そうきたか」


彼は姿勢を正して、ため息をついた。


「それは男女間での好き、ってことだよね?」
「はい」
「そうだな……どうにもならない。気づいた時には、もう遅いんだ。どんな気持ちになってたって、もう手遅れだってこと」
「…………」


手遅れ。

その言葉の意味を考える。

ああ、そうなのかも知れない。

雪のようなものかも知れない。

白くてきれいなものが、あっ、と思ったときには舞い降りてきているのだ。

あまりにも遠くて深いところから降ってくるから、目の前までこないと気づかないのだ。

天使の羽のように。

 

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「それじゃあ、私も手遅れかも知れません」
「……そうか」
「あの、今まで本当にありがとうございました」


私はぺこりと頭を下げた。

 

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雪の、儚さを想う。

きれいだけれども触れてはいけない。

 

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人のぬくもりで消えてしまうものだから。


…………。

 

……。

 

 

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「人の夢と書いて儚いって読むんだ」
『ついに壊れた?』


電話の子機から聞こえてくるミズキの声はあきれ返っていた。

僕でも、急にこんな話をされれば同じことを言ったかもしれない。


「……いや、正気に戻ったんだろうな」

 

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受話器を肩で挟んで、千尋の小説をパラパラとめくりながら、つぶやく。

ずっと逃げ続けていたのだろう。

"いないモノ"が怖いと泣く子供のように。

千尋がなぜこんな物語を書いたのか……おぼろげながら、なにかが見えてきていた。

だが、まだ言葉にできない。

なにか1つでもきっかけがあればと、少女漫画好きを豪語するミズキに電話してみたのだが。


『わたし忙しいんだけど』
「なんで?」

 

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『もうすぐテストがあるのよ、テストが! 推薦とるための大切な!』
「安心しろ。僕もそろそろテストだよ」


いつだったか忘れたけど。


『いったいなんなのよぉ……も~、しょうがないなぁ』


覚悟でも決めてくれたのか。


『で、本当に、急に電話してきたりしてどうしたの?』


いつもはうるさく感じるミズキの存在が、今はありがたい。

ミズキは今の僕の事情と関係ないところにいて、気楽に話せるからだろう。


「寂しいってどういう気持ちだからわかるか?」

 

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『景先輩と離れてる時の、わたしの気持ち~♪』
「……そうじゃなくて」


コイツはいつもそこに行くな。


『違うの?』
「ああ……いや……」


そうだ。


「ごめん。あってる」


そうなんだ。

寂しいというのは、千尋と会っていない時の僕の気持ちだ。

彼女が笑っていない時の僕の気持ちなんだ。

女の子が男の子と出会って寂しさを覚えたのと同じように──。

男の子も女の子と出会ってしまったのだ。


「やっぱりそうか」
『なにが?』
「嬉しいことを知ると、同時に寂しいことを知るんだなって……」
『……千尋さんの話?』
「そうだね」


苦笑いしながら肯定する。


「本当に、僕ってわかりやすいんだなぁ」
『馬鹿だから』
「……いいけどさ」
『でも、やさしいよね』
「…………」


あの夢の少女と同じことを、彼女はあっさりと口にした。


『ねぇ、蓮治』


急にミズキの声のトーンが変わる。


『わたしね、蓮治のこと好きだよ』
「……は?」

 

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めくっていた千尋の小説が、パタン、と閉じてしまう。


『だから、友達作りなさいよ。優しさはね、持ってるだけじゃ意味がないの。相手がいないと宝の持ち腐れなんだから』

 

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「…………」


唖然とした。

僕は思わず子機を耳から離して、受話口を見つめてしまった。

そうなんだ……。

千尋の答えは切ないほど正しく……。

同時に間違っている。

なにもかもが表裏一体なんだ。


──千尋よりも先に"本物"にたどり着いた。


【ちょっと、聞いてんの蓮治? おーい! ……あぁ、無視ですか。勉強をおいて相談に乗ってる私を無視ですか? えぇ、いい度胸ですねぇ!?】

なにかギャーギャー騒ぐ声に現実に引き戻され、再び電話を耳にあてる。


「……ミズキ」
『なにさ?』
「おまえ、すごいな」
『……はい?』

 

…………。

 


……。

 

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その日は、冬であることを誇るように空が澄んでいた。

少女は駅のベンチで本を読んでいた。

それはまったくいつものことで、僕はすぐに声をかけようと思ったのに。

なにか違うな、と気づいた時には動けなくなっていた。


「…………?」


ワンテンポ遅れて、彼女が僕の気配を察して立ち上がる。

 

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「蓮治くんですか?」
「あ、うん……おはよう」

 

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「おはようございます」


満面の笑みを浮かべて千尋が一礼する。

その何気ない動作にすら見惚れてしまった。


「早いですね。まだ9時ですよ」
「うん」


それは千尋の性格からして、待ち合わせよりも早くに来るだろうなと思ったからなのだが。

そんな軽口すら叩けず、ぼんやりと見とれてしまった。


「……どうしましたか」
「いや、その服」

 

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「あ、これ、似合いますか?」


彼女が上半身をひねると、ふわっ、とスカートが揺れた。

いつもとそう変わらぬ落ち着いた服装だが、女の子らしい飾り気や仕草が、まったく違う印象を与えてくれる。

 

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「デートですから、おめかししてきました」


千尋がいたずらっぽく笑う。

薄っすらと化粧をしているのかも知れない。

甘い匂いも……香水だろうか。


「……すごい」
「すごい?」
「ああ、ごめん」


服がどうと訊かれて、すごい、なんて答え方はないだろう。


「すごく可愛い、ってこと」
「ありがとうございます」
「でも、寒くない?」


今日は本格的な冬模様で、吐き出す息が白く染まるほどの寒さだ。

せっかくのデートなのにと言うべきか。

象徴的とも言うのか。


「ちょっとは。でもこういう時の女の子は我慢です。それに──」

 

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とことこ、と千尋が僕の前に立って手をとった。

あまりにも自然な動作に呆気にとられながら、その手のひらの柔らかさと小ささと冷たさに驚いてしまう。


「冬は寒いから、こうやって手を繋いだり近くにいてもおかしくないんです」


花のような笑顔。


「あ……うん」


現実感がなかった。

千尋はこんな子だっただろうか。

これは本当に夢なんじゃないかと思う。

いや、違う……逆だ。

まるでこれまでの千尋が夢で。

今、こうして自然な女の子として存在している彼女が、現実なんじゃないかと疑ってしまう。


「……驚いてますよね」
「え」
「蓮治くんに相応しい恋人になろうと、いっぱいいっぱい本を読んだりして、勉強して来たんです。今日だけは、恋人ということで我慢してくださればと思うのですが」


僕の手をとったまま、彼女は困ったような笑みを浮かべた。


「……ごめんなさい。変だったらやめます」
「いや、変じゃない……変なのは僕だ」


苦笑いを浮かべて首を振る。

自然な不自然。

不自然な自然。

千尋はやっぱり千尋だ。

精一杯の努力がこの姿なのだろう……でも。


千尋って器用だけど不器用なんだね」
「え?」


今度はきょとん、と彼女が目を丸くした。

 

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「いや、なんでもない」


僕は彼女がとってくれた手を自分から握り返した。

勉強しただけでそう振舞えてしまう器用さと、それを口にしてしまう不器用さが可笑しかった。

僕は今日の目的を思い出す。

デートをできる限り楽しもう。


笑おう。

遊ぼう。

ずっとずっと、こんなにも愛しい時間を失うことがないように。

彼女が手放すことを惜しむように幸せな記憶にしよう。


……。

 

 

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「お店が本格的に開きだすまでちょっと時間があるね」
「そうですね」


商店街に出たところで、僕らは足を止めた。

なんとなく駅からずっと手を繋いだままだが、恥ずかしいやら嬉しいやら。

お互いにぎこちなくて、一度でも手を離してしまうと、次にいつ繋げばいいのかよくわからないのかも知れない。


「なにか予定とかありますか?」
「まず映画でも見ようかと思ったんだけど、どうだろう?」


デートの経験などない僕が考えられる、最初で最後の提案だった。


「あ、いいですね」
「どんなのがいいかな。やっぱりこういう時は恋愛映画?」
「悲しくないものでしたらいいのですが」
「どうだろうなぁ」


悲しくない恋愛映画は難しいところだろう。

そもそも山場のない恋愛映画って面白いかどうかわからないし。

恋愛映画の基本は悲恋で──。

 

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「ああ、そっか……うん、なにか悲しくないやつがいいね」


僕は空いた手で頭をかきながら頷いた。

それは確かに、今日という日には観たくなかった。


「あれ? でも、それってすごく難しくない?」
「なにがですか?」
「悲しくないかどうかって、映画の中身を最後まで知ってないとわからないよね。ほら、どんでん返しとかあるかも知れないし」
「あ、そうですね……う~ん」
「う~ん」

 

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ふたりで馬鹿みたいに立ち尽くしてしまう。

かと言ってホラー映画とかアクション映画はないだろうし。


「あの、とりあえず面白そうなものであれば恋愛映画でも大丈夫です」
「そう?」
「私がぼろぼろ泣くかも知れませんが気にしないでくださいね」
「あ、そっちの意味でか」
「はい?」
「なんでもない。それじゃあ行こう」


彼女の手をひいて僕は歩き出した。


「そういえば千尋ってどんな映画が好きなの?」
「えと、『セブン』とか『羊たちの沈黙』は大好きです」
「…………けっこう意外な路線だね」


そのラインナップは、こてこてのサスペンス路線だ。

確かに4年前にはテレビ放映もされていた映画だが、その頃からそんな作品に目を通していた千尋は本当にすごい。


「ドキドキして面白いですよ?」


うかがうように僕を見上げる千尋に、「そうだね」と微笑んだ。


…………。


……。

 

 

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「……っ……ぅ……」

 

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「あ~……ごめん」

 

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僕はコーヒーをすすりながら謝るしかなかった。


映画を見終わったところで喫茶店に入った──というか千尋を連れ込んだが、彼女はずっと泣き通しで──というか泣き通しだから連れ込んだのだが。


「いや、まさか、ああ来るとは思わなくて……」
「ぅぅ……」


千尋が泣きながら首を振る。

気にしないでということだろうが、この場では僕が泣かせて、彼女に拒絶されているようにしか見えないだろう。

……そういう視線を店内のいたるところから感じる。


「はぁ」


とにかくコーヒーでもすすりながら、千尋が泣き止むのを待つしかないだろう。

恋愛映画を避けて、有名どころのハートフルっぽい内容の作品を選んだのだが。

まさか、ハートフルだからこそ大泣きされるとは思わなんだ。


「ぅ……っ……ずびあせん……」


鼻声でよくわからなかったが、どうやら謝られたようだ。

もうずっと以前のことだが、駅で泣かせてしまった時もこんなだったのだろうか。

正面から見てると、まんま子供だな。

 

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「っ……ぢょ……ちょと……顔を……あら……きます」
ティッシュいる?」

 

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「……ぼってます」
「行ってらっしゃい」


苦笑しながら、のろのろと席を立つ千尋を見送る。

 

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とりあえず僕は、自分のコーヒーのおかわりと、頼んだまま冷めてしまった千尋のコーヒーを下げてもらってオレンジジュースを追加注文した。


……。

 

 

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「失礼しました」
「おかえり」


まるで何事もなかったかのように戻ってくる千尋が可笑しかった。


「まぁ、泣くと喉が渇くからオレンジジュースでも」
「あ、ありがとうございます……」


指摘された途端に頬を赤く染めるところも可愛い。

僕が笑顔で眺めていると、彼女はそれを上目遣いに見て、さらに赤くなった。

ほのぼの。

 

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「あの、失礼しました……でも本当にいい話でした」
「そうだねぇ」


確かに映画は悪くなかった。

両親が不仲な家庭において、そこの子供である姉妹が、父親と母親を仲直りさせようと奮闘する話。

子供たちの考える作戦は滅茶苦茶で、そういうドタバタを冗談っぽく描きながら、愛しい素直さと、不器用な真剣さを感じさせるものだった。


「ちょっと意外な展開で面白かったね」
「そうですね。まさか姉妹がお別れすることになるとは思いませんでした」


物語の中盤──子供たちの想いに一時は仲を取り戻しかける両親だったが、やはりその溝(みぞ)を埋めることはできなかった。

父親が家を出て行くことになると、彼には姉がついていくことになった。

表向きは、わがままな母親や、姉にべったりの妹に嫌気がさした──そう振る舞いつつ。

本当は、炊事も洗濯もできない父がひとりでは可哀想だと、姉はあえて家を離れたのだ。

くしくも、両親を仲直りさせるための演技は失敗したが、家や妹が嫌いになったという姉の演技は成功してしまう。


「あの続きがあるのは珍しいのですかね?」
「そうだね」


普通ならそこで終わりそうなものだが──見ていて展開の早さと残り時間に違和感を覚えたが──物語はそこで終わらなかった。

舞台は1つの家庭から2つの家庭へと移る。

遠く離れた2つの家族の生活が、姉妹の文通という形を通して語られていくのだ。

母親と妹の家庭は、母親が働き出したことで妹がひとりぼっちになるが、今まで姉にべったりだった妹が徐々に外に目を向け、友達を作り成長していった。

父親と姉の家庭は、今まで仕事一筋だった父親が釣りや映画に連れて行ってくれるようになり、穏やかな生活のなかで、人生や愛とはなにかという会話が展開する。

派生して同時に進行する2つのストーリー。


千尋はどっちの家庭の話が面白かった?」
「私は妹のほうですね。私も姉にべったりだったり、あの子に友達ができるように蓮治くんと出会ったこともあって。なんだか、自分のことのようでくすぐったかったです」
「なるほどね」
「でも、良かったのか悪かったのか」
「なにが?」
「ラストシーンが」
「ああ、ちょっとあれはね」


僕もつい同意してしまう。

物語のラストは、両方の家族がとある遊園地を訪れて──そして1つの家族に戻るのだ。

姉妹が文通で示し合わせた最後の作戦だった。

途中の物珍しい展開に惹きこまれたが、申し合わせたように大団円になってしまい、確かに普通の映画だなと感じてしまった。


「でも」
「ん?」
「最後がハッピーエンドでよか……よかった……」
「あ」


気づいたときには遅かった。


「ぁ……あれ?」


また千尋の目からぼろぼろと涙がこぼれだしてしまった。

 

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「……顔を洗ってきます」
「えーと、ティッシュいる?」
「いじわるです」


足早に席を立つ千尋を見送って、僕はコーヒーのおかわりを注文した。


……。

 

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そのまま昼食も済ませて、僕たちは喫茶店を出た。


「さっきより寒くなってきたかな」
「そうですね」
「大丈夫?」
「大丈夫ですが……あの」
「なに?」
「手を繋いでもいいでしょうか?」


今日の千尋は基本的に上目遣いだった。

いつもより立ち位置が低いので、身長差が出るのだろう。

恋人に訊ねられたというよりも、子供にせがまれたみたいに感じてしまうのが──まぁ、それはそれで、とても嬉しい。


「うん」
「ありがとうございます」

 

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おずおずと手を繋ぐ。

柔らかい指が熱を求めるように絡まる。


「ん……いかんいかん」
「どうしました?」
「いや、すっかり恋人だってことを忘れてた」


映画の内容から話のきっかけを作るならともかく、ふたりとも映画そのものを熱く語りあってしまっていた。


「あ、そうでした」
「……千尋も忘れてたの?」
「あはは。なんだかいつもと変わらず。蓮治くんのそばにいるとのんびりします」
「のんびり」


その評価は男としてどうなのだろうか。

ちょっとめげる。


「ま、これからどうしようか」
「よろしければ海へ行きましょう」
「海?」
「恋人は海へ行くものなんだそうです」
「……そうなのか」

海へ行くと言われてレミングスを連想しながら僕は頷く。

確かに、デートコースとしては定番ではあるのだろう。

今日ほど寒い日の海辺は、恋人たちだってよりつかなそうではあるが。


「でも、それなら夕方に行くほうがきれいじゃないかな?」
「そうかもですが……」
「どうしたの?」
「すっかり忘れていました」

 

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彼女はそう言って1本の鍵をとりだした。


「夕方ということで思い出しましたが、今朝、火村さんがこれを蓮治くんにあげると」
「どこの鍵?」

 

受け取って、指でつまんだままそれを観察する。

家の鍵とかではなく、もっと事務的な錠前かなにかの鍵に見えるが。

 

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「学校の屋上の合鍵だそうです」
「はい?」
「夕方に屋上にのぼると街並みがとてもきれいなんだそうです。後で見に行きましょう」
「それはいいんだけど……なんでそんなの火村さんが持ってたの?」
「あ、れ……どうしてでしょう?」


千尋もそういえば、と首を傾けた。


「……つくづく謎な人だな」
「そうですね。でも、なんだかこの鍵は風習なのだそうです」
「風習?」
「あの学校では、気が向いた時や卒業する時などに、この屋上の鍵を誰かに渡していくのだそうです」
「そんな風習があったのか」


人付き合いの薄い僕には、そんな話は耳に届いてなかった。

まぁ、どんな事情があったとしても、火村さんの謎さ加減に拍車がかかるだけだが。


「じゃあ今から海へ行って、夕方までに学校へ行こう
「はい」


……。

 

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「…………」
「…………」


わかっていたことだが、寒い。

ぼんやりと立ち尽くしてしまう。

火曜サスペンス劇場のラストの一幕、みたいな。


「……寒すぎます」
「僕に言っても仕方ないよ」


千尋の白い吐息に、思わず笑ってしまった。

本当に物好きしか来ないであろう厳しい寒さだ。

波の音も、こうなれば震えを増長させる雑音でしかない。


「そういえば、天気予報で夕方か夜には雪が降るかもって言ってたな」
「雪が?」
「珍しいよね」
「すごいです」


千尋が目を輝かせる。


「うん、降るといいけど……デートをするには困るかな」
「困るけどきれいです。雪、見たかったので降ってくれると嬉しいです」
「そうだね」


本当にそうだと頷く。

ふと、千尋が僕の手を握る力を強めた。


「寒い?」
「寒すぎます」
「だから言ったんだよ」
「でも恋人は……こんなところに来てどうするんですか?」


千尋が小首を傾げる。

マニュアルだけというか、シチュエーションだけで考えていたことなのだろう。


「あはは。なにもすることがないから来るのかもね」
「なにもすることがないから?」
千尋は覚えてるかな」
「なにをですか?」


僕は言葉にはせず彼女を引き寄せた。

 

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「ぁ」


ぎゅっ、と千尋を抱きしめる。

一瞬、逃げようと彼女が力をこめたが、それは反射だったのだろう。


「…………」


すぐに大人しくなって、僕の肩に頭をよせる。

いつかのように。

でも、今度は本当に、ちゃんと恋人として抱きしめる。


「なにもすることがなくて、寒いから、こうやって……」
「恥ずかしいです」
「嫌かな?」
「……いえ」


おずおず、と千尋の手が僕の背中に触れる。

 

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「あったかい……」


千尋の手が置き場所に迷うように僕の背中をくすぐる。

心地よい。

あたたかくて柔らかくて……いい匂いがする。

誰かに見られるかも知れないとか、そんなこともちょっと考えたけど、どうでもよくて。

ただ手放したくなかった。


「ねぇ、千尋
「はい」


耳元でささやきあう。


「僕は千尋のことが大好きだよ」
「あ、はい。私も大好きです」


ふたりでクスクスと笑った。


「恋人っぽかったかな?」
「はい、ばっちりです」


満面の笑みを浮かべて、彼女は身体を離しながら僕の手をひいた。

 

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「そろそろ学校に行きましょう」
「あ、うん」


もっと──ずっと千尋を抱きしめていたかったのに。

でも、時間がない。

 

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僕は横目で、海上に浮かんだ太陽を見やった。

まだ日の光は明るいけれど、それは徐々に高さを失い、そして向かう先には黒い煙が沸き立っている。

それがなぜか、僕らの未来を暗示しているように思えてしまうのは感傷なのだろうか。

夕暮れなんてこなければいいのに……。

ずっとずっと明るい国で。

寂しさのない、終わりのない世界で。

そんな場所で彼女に出会えたらよかったのに。


「明日なんて来なければいいのにね」
「…………」


つぶやきに千尋がはっ、と僕を見つめた。

そして、反応してしまったことを悔やむように目線を逸らして、また顔を上げる。

 

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「……そんなこと、言ってはいけません。明日は今日より、いい日かも知れないじゃないですか」


……。

 

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口数少なく、僕らは通学路を歩いていた。

海辺からここまで、すぐに日暮れがやってくると急いでいたこともあったが、お互いに別れの時間を意識してしまったのだろう。

話すことがないわけではなく──逆に多すぎて、残り少ない時間になにから話せばいいのかわからなくなる。

今日という時間のうちに、なにが大切で、なにを伝えるべきかを決めなくてはいけない。

そんな焦りと……。

ただ、同時に、それでいいという気持ちもあった。

僕が目を向けると、千尋も笑顔だけを返してくれる。

しっかりと繋いだ手のぬくもりだけで充分だとも……。

……いや、それは言い訳だな。

刻一刻と過ぎていく時間の中で考える。

僕は千尋が好きで、それをもっともっと伝えなくてはならない。

ちゃんと。

言葉と行動で示さないといけない。

 

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ずっとそうだった。

誰かが好きだとか、友達を作ろうとか、夢を叶えるとか……。

そう思っているだけで、それらは自然と叶うべき時が来るものだと思っていた。

ずっと、幼い頃に消えてしまった女の子のために、ひとりでいよう──子供でいようと思っていた。

愚かにも。

 

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でも、違う。

そんな、自分への言い訳ばかり上手くなっていった。

すべてはこの隣を歩く少女によって証明されていた。

 

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僕が無責任にはじめた行為だったが、彼女はきちんと自分の力を示した。

為(な)すべきことを為(な)した。

やりたいことをやった。

才能や障害や環境はあったが……道には迷ったが、ちゃんと一歩を踏み出した。

だから──。

 

──僕は重い鉄の扉を開いた。

 

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「わぁ」


空を見上げて千尋が感嘆の息をつく。

遅れて屋上のコンクリートの上に立った僕も、同じように赤い色に目を奪われた。


「すごい」


無意識にため息が漏れた。

学校は街の中でも高い位置にあり、その中でも屋上はもっとも高い場所だ。

なにも遮るもののない"赤"としか呼べない空がそこにあった。


「これは火村さんに後でお礼しないと」
「そうですね」


ようやく首をおろした僕らは、顔を見合わせて笑った。

いつの間にか手が離れていたけれど、今回だけは仕方ないと思った。

 

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千尋は夢でも見ているかのように、定まらない足どりで屋上を歩いている。


「あ、ここって柵がないのか」


初めて足を踏み入れた屋上の姿に驚く。

これは確かに、鍵をかけて立入禁止にしなければならないだろう。


「すごいすごい!」
「あんまり端っこに行っちゃ駄目だよ」


屋上からそのまま飛び出しそうな千尋の勢いに、慌てて声をかける。

とにかく風が強い。

不用意に屋上の縁(ふち)に立とうものなら、校舎の風を吹き上げる風にバランスをもっていかれそうだ。


「大丈夫ですよ」
「まぁ、ね」


あまり高いところが得意ではない僕は、そのまま屋上の真ん中まで歩いて再び空を見上げた。


「本当にすごいな」


肩の力を抜いて白い息を空に向かって吐いた。


「……ああ」


──ここなら手が届きそうだ。


「あ!」
「…………?」


あまりにも大きな声に、一瞬、千尋ではない誰かがいるのかと思ってしまった。

目にした彼女の様子もあっただろう。


「…………」


千尋はぼんやりと空を眺めたまま身動きしない。


「どうしたの?」
「……いえ」


小首を傾げて、彼女はスカートを押さえていた手を大きく広げる。

そこで──それを合図にしていたように、なにかが僕の頬をかすめた。

風とともに白いなにかが舞った。

クラッカーみたいに一瞬にして現れた白い──花びら?


「なんで花が?」
「雪です!」


千尋が大きな声で叫んだ。


「…………」
「あはははは」

 

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それは、本当に、なんの冗談だろう。

赤く澄み渡った空に、白い花びらが舞い散り──その奇跡的な風景の中で少女が待っていた。

この世のものとは思えない。

信じられなかったが、手や顔などの露出している肌に触れたそれは、確かに冷たかった。

本当に雪なのだ。

 

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千尋の髪とスカートがはためき、彼女自身が動かずとも踊っているように見えた。

そして──そんな強い風が吹いては止み、一瞬、雪が空中に静止する。

ふわふわと、まるで蛍のように千尋の周囲を包み込む。

 

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彼女はそれを抱きしめるように手を広げている。

それはちょうど雪の指揮者のようにも、魔法のようにも見えた。


「晴れてるのにすごいです」
「……風花(かざはな)だ」


僕は言葉だけで知っていた知識を思い出していた。

それは晴天にちらつく雪──普通は山地などで、標高の高い場所に積もった雪が、風にあおられて飛来するモノを言うのだが。


「あれか」


海で見た黒い雲を思い出す。

あれが今夜から街に雪を降らせることになる雲だったのだろう。

未来を閉ざす象徴だと思った暗雲。

しかし、この街特有の海風の気まぐれが、白い雪だけを先行させたのだろう。


──今日より明日のほうが、いい日かも知れない。

 

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「蓮治くんと冬に出会えてよかった」


ぽつり、と千尋がつぶやいた。

彼女の目は僕をとらえている。

白い妖精を身にまといながら。

こんな奇跡的な光景を最後に見れて良かったと──彼女はそう告げている。

だから──。

 

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千尋
「はい?」
「好きだよ」


想いを告げる。


「僕は明日も明後日も──これからもずっと、千尋のことを好きでいるよ」


想いを告げる。

千尋はきょとん、とした後。


「……どうしましょう。最後になって、きちんと言われてしまいました」


困ったように微笑んだ。


「もう、私たちはお別れしたほうがいいと思うんです。こんなきれいな終わり方はないと思うんです。ここで終わっておけばいいんです……思い出だけで……この先は汚いから…………今、一瞬、飛び降りたくなりました」


赤い雪の中で、少女が力なく笑う。


「僕にはこういうのは似合わないよ。こういうの……憧れてたんだけど」


正直に答えた。

それは夢にまで見た──物語だ。

今日のデートが終わったら、千尋は僕の前から消えるつもりだったのだろう。

確かにきれいな結末だ。

でも……。

こんな終わり方はない。

やっぱり僕には似合わない。

僕はもっと惨めにあがいて、地べたを這いずり回って、悔しがって泣きわめいて怒ってみるべきだ。

体面も臆面もなく。

不器用に。


「好きだ」


ただ繰り返すことしかできない──できないなら、それだけを繰り返すことができる。


「…………」

 

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僕は答えのない千尋の前に立った。

彼女は動かない。

ただ僕を見上げている。

子供の目。

不安と期待の入り混じった目だ。


「……寒いです」


それが寂しいって合図だったんだね。

僕はお姫様の頬にそっと手を伸ばした。

彼女は相変わらずびくっ、と震えて。

でも、僕の手に頬をよせてくる。

 

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「そっか……そういえば蓮治くんは強情だったんですね」
千尋ほどじゃないよ」
「私は素直です」
「キスしてもいいかな?」
「駄目です……キスは恋人がするものです」
「僕は千尋の恋人だよ」
「…………そういうときは、黙ってキスするんですよ」
「……そうだね」
「……そうです」


僕らは示し合わせたように不器用さを笑って、目を閉じた。

そっと。

やさしく。

 

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あたたかい息づかいを頼りに唇を重ねた。

 

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「……ん」


千尋から、今まで聞いたことないような鼻声が漏れる。

初めてのキスは……想像とはちょっと違った。

唇を触れ合わせているだけで、思ったよりも感覚が薄い。

でも、あたたかくて安心する。


「っ……ん……」


こくり、と千尋がさらけだした白い喉を鳴らした。

仕草や反応は子供っぽいのに、息づかいや上気した表情は大人のそれだった。

そのアンバランスさに頭がくらくらとする。

 

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「……ふぁ」


真っ赤な顔をして千尋が唇を離した。


「あ、ぅ」
「どうしたの」
「……して、しまいました」
「なにを?」


ガラスに触れるように、そっと彼女の頬に手を添えたまま、少し意地悪になる。


「あの……初めてキスを……」
「あはは」


千尋の反応が無垢すぎて、なんだか僕のほうは肩の力が抜けていた。


「僕もだよ」


素直に認めて、もう一度顔を寄せる。


「っ……う」


ただただ唇を触れあわせ、自分の唇の厚みを押しつけるようにする。

頬に当てている指の先を、彼女の耳元の髪にさしこんだ。

 

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「……っんん!」


千尋がくすぐったそうに身をよじる。

折れそうなその腰を、離れないようにそっと引き寄せると、二人の間で温められた空気が僕らを包む。


「蓮治、くん……っ……」


雪の匂いに混じって、甘い匂いが──彼女の息が香る。


「キ、キスって……こんなだったんですね……なんだか変な感じです」
「うん」


頷きながら気づいていた。

こんな寒い場所にいるのに、千尋の頬や首筋が上気して赤みをおびていることに。

僕は少し強く、彼女を引き寄せた。


「──ふぁ!?」
「あ、ごめん、つい」


自分でも馬鹿みたいに狼狽してしまう。


「あ、あの……大丈夫です。変な声出してすみません」
「いや、僕もごめん」


冗談っぽく笑って離れようとすると──。

千尋の腕が伸びてきてそれを許さなかった。

 

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「あの……もっと……もっと強く抱きしめて、くれませんか?」


その言葉の意味するところを考えて、僕は彼女の目を覗き込む。

千尋は真剣に──まっすぐ僕を見つめていた。


「……普通の女の子みたいに……扱ってほしい……です……せっかく今日の私がここまで来れたのに、また遠くにいるみたいに扱われるのは嫌です。蓮治くんと本当に恋人になれたって……お願いです」


ぎゅっ、と子供のような手が僕の服を握り締めていた。

精一杯に懇願する子供のようなこの子は……僕の大切な女の子なんだ。


千尋


僕は"今"から逃げない覚悟を決める。


「……好きだよ」


ぎゅっ、と彼女を抱きしめた。


「ん……」


痛いかもしれないけれど、今は、千尋を離したくなかった。

 

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「……心臓、どきどきしてます。やさしい音です」
千尋もだよ」
「あは」


ふたりで笑いあって、しばらくそのまま抱き合っていた。

冬の屋上は寒かったけれど、不思議と、あたたかい。


「…………」


耳元で穏やかな息遣いが聞こえる。

自分の呼吸も聞かれているかと思うと、ちょっと恥ずかしかった。


「蓮治くんの背中、広い」


どちらからともなく、お互いの背に回した手が、ぎこちなく身体のラインをなでていた。

女の子の身体は華奢なのに柔らかい。


「ふぁ……」


背骨をなぞるように優しくなでると、千尋が思わず、というように息を漏らした。


「っ……ふふ……くすぐったい」
「嫌?」
「ううん……好き」

 

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「……うん」


僕らの手は背中を通り過ぎ、自然と互いを求めて、ぎゅっと重ね合わせる。

僕は彼女の肩越しに、赤みすら失いだした空を眺めた。

お互いの温もりを感じている身体には、冬の冷たい風も心地よい。

今はまだ千尋を抱きしめていたい。

この素直な気持ちを、もう少しだけ確かめていたかった……。


……。

 

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証明がすべて落とされた校内を歩く。

千尋が身づくろいをする間に確かめたが、時刻は19時を回っていた。


「えへへ」
「なに?」
「好きです」
「うん」


てくてく。


「大好きです」
「もうわかったよ」


苦笑しながら答える。

あの後、千尋は何度も何度も「好きだ」と繰り返してはキスをせがんできた。

どういう心変わりなのか、元からこういう子だったのか。

気恥ずかしくて、つい素っ気無い返事しかできない。

なんだか現実感のない──でも、心地よい疲労を覚えながら歩を進める。


「蓮治くん」
「なに?」

 

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「ちゅ」


わざわざ言葉にして、彼女が背伸びをして僕に抱きつく。


「ちょ、ちょっと待ってよ」
「駄目です」


有無を言わさず、また唇を奪われる。


「えへへへへ」
「……まったく」


とても幸せだ。


「どこか適当に窓を開けて出ないとね」


すでに施錠されてしまった玄関を迂回して、仕方ないよねと千尋に肩をすくめる。

 

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「…………あの」
「なに?」


またキスでもせがまれるかと思ったが、彼女はぼんやりと立ち止まったまま、僕を見つめていた。


「まだ……今日です……。もうちょっとだけ一緒にいてください」
「……あ」


少し遅れて把握する。

千尋は笑っていて──暗くて見えづらいが、その表情の中になにかを見る。

 

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「深夜の学校でのデートというのも、きれいです。寒いですけど」
「…………」


なにか。

おかしな……不吉な予感が頭をよぎったが、それを振り払うように首を振る。


「そうだね……後で一緒に怒られようか」
「はい」


千尋が静かに微笑んだ。


……。

 

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校内をうろうろと散策してみたが、最終的には、馴染みのある図書室に落ち着くことになった。

見つかってしまう可能性があるので、明かりを点けることはできない。

だから本を読むこともできず、ただ、ふたりで寄り添って座っていた。


「お腹すいたね」
「そうですね」


ぼんやりと頷きあう。


「やっぱり蓮治くんにお弁当を作ってきてもらえば良かったです」
「今度だね」
「はい。今度はピクニックとかいいです。原っぱでのんびりと」


なんだか間延びした声に、僕は間近にある少女の顔を覗き込んだ。


「眠い?」
「……ちょっとだけですが」
「いつもこのくらいの時間には寝ちゃうのかな?」


21時という時刻を確かめてから、訊ねる。

暗がりに携帯の淡い光が漏れる。

それはまるで蛍のようだ。


「そうですね。あまりすることもないですし、日が変わる前には。それに昨日は勉強してて夜も遅かったので」


遅くまで恋愛小説かなにかを読んでいたというのも、微笑ましい。


「普段は何時に起きるの?」
「いつもは7時。遅いと8時くらいまでは寝てます」
「あはは。結構寝っぱなしだね」
「そうですか? 冬はどうも苦手で」
「まぁ、眠たかったら寝てもいいから」


これを使ってね、と彼女の首元に肩を寄せる。


「いえ、今はいいです」
「すごく幸せで、寝ちゃうのがもったいないので……」
「……そっか」
「……はい」

 

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僕らはそっとキスをした。


……。

 

22:00

only two, in the library.

 


もぞもぞ、と座る位置を直す僕を、千尋が前かがみに覗き込んでくる。

 

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「痛いですか?」
「……いや、ちょっとね」


固い床の上に長い時間座っているのだ、この程度はしょうがない。

それに、千尋が文句を言わないのに僕が弱音を吐くのは男として問題がある気がする。


「でも、千尋の傍にいられるのなら、気にならないよ」


わざとらしく両手を広げておどけたように笑う。

 

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「私も……です……」


顔を赤く染めて千尋がうつむく。


「ん」


その初々しい反応が嬉しくて、僕は彼女の首筋に顔をよせて口づけた。

 

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「……ふわ……」


千尋の肌はすべすべしていて、甘い匂いがする。


「可愛い」
「……いじわる」
「褒めてるんだよ」
「私もです」


クスクスと。

ささやきを交わす。


「そういえば、ちょっと気になってたことがあるんだけど」
「なんですか?」
「その眼帯の下ってどうなってるの?」


恋人の特権かなと訊いてみる。


「? 確か、なにもないですよ?」
「なにも?」
「はい」
「それってどんな感じ?」
「……変な感じです」
「……見てもいい?」
「駄目です」
「どうしても?」
「女の子の秘密です」
「そっか」


やっぱりビームが出るのかも知れないな。

そんな冗談のようなことを考えながら目を閉じた。

 

……。

 

 


23:00

Last one hour.

 

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座り通しも疲れるからと、僕らは立ち上がって図書室をうろついていた。

いくつかの書架をまわって背表紙を眺める。


「…………」

 

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ふと、図書室を物珍しげに眺めていた千尋が、時計を見上げたまま動きを止めていた。

その視線はおそろしく真剣だった。


「どうしたの?」
「あ、いえ」


きっかけのわからない落ち着かない声。


「やっぱり帰ったほうがいい?」
「……そうじゃないんです。違うんです」


千尋がふるふると首を振る。

なんだろう。

僕は彼女の視線を追った。

 

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時計は23時を示していた。


「まだ……今日です……」


千尋が焦りを滲ませた声を上げる。


「……後1時間あります」


そこで気づいた。

僕らは朝の9時に会って、今が23時だから……。

逆算すると、彼女の記憶は今日の待ち合わせから1時間が消えているのだ。


……。

 


00:00

Is it a good day today from yesterday?

 

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日付が変わった。

僕らは黙ったまま、時計の12の文字の上で重なった長針と短針を見つめていた。

そしてそれは、何事もなかったのように新しい日付を刻みだす。


「……過ぎてしまいました」
「うん。まぁ、お試し期間は過ぎちゃったけど、本当の恋人になったんだから大丈夫だよ」


僕はできるだけ気楽に答えた。

なんだか1時間ぶりに出した声は、自分のものではない気がした。


「そうですね」


千尋もにっこり笑った。

僕は心の中で祈った。

昨日よりも今日がいい日でありますように……。


……。

 

01:00

The voice is lonesomely uplifted.

 

 

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千尋が饒舌になっていた。

僕らは本や映画談義で盛り上がった。


……。

 


02:00

The morning is still far.

 

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もう会話はない。

僕らは寄り添ったまま、ただ過ぎていく時間と、消えていく時間だけを考えていた。


「…………」


時計の針は鋭いナイフのようだ。

秒針が1つ進むごとに、身を切られるような苦痛を覚える。

千尋……。

彼女も同じように時計を見上げていた。

僕の視線に気づくとにっこりと笑った。

今が冬でよかったと思う。

朝はまだ遠い。


……。

 

03:00

All the memories are retraced.

 

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少し前から千尋が手帳を読み出していた。

たまに笑ったり。

なぜか目を細めて僕を見上げたり。

寂しそうな顔をした。


「なにをしているの?」と訊ねたら、「蓮治くんとの出会いから今までのことを、全部読んでおきたくて」と彼女は困ったように微笑んだ。

そうだね、と思った。

アルバムをたぐるように思い出そう。

僕は彼女に身を寄せて、もう一度最初から手帳を開いてもらった。

楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、怖かったこと。

その手帳には書かれていない、僕が覚えているすべての想いを伝えようと思った。

 

……。

 

 


04:00

Ceiling that doesn't change.

 

この時間がいつ過ぎたのかは確認していない。

僕らは日記を読みながら、楽しいひと時を過ごしていた。

 

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そして、小鳥のような……。

命をながらえる人工呼吸のようなキスを何度もした。


……。

 

05:00

Mind where it disappears and it goes.

 

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手帳の内容が現在に追いついてしまう頃には、2時間が経っていた。

千尋がしきりに目をこすっている。

無理をするなと言うと無理をするので、なにも言えない。

だから僕は、必死に頭の中で計算していた。

5時……どこまで消えてしまったのだろう。

もう上手く考えがまとまらない。

単純な引き算や足し算なのに……。

2、3分くらいしてようやくわかった。

昨日の16時までの出来事が消えた計算だ。

いったいその頃にはなにをしていたのだろう……。

ああ、学校に向かっていた頃だ。

映画、喫茶店での会話、海辺での出来事……学園を訪れるまでのすべてが消えてしまっている。

考えるべきじゃなかった。

ひどく虚ろなものが胸に満ちた。


…………。


……。


もう進まないでほしい。

ここで終わってほしい。

なにもかもが。

このまま幸せに終わりたい……そんな千尋の気持ちが理解できてしまった。

残酷なタイムリミットが迫っている。

後1時間。

昨日の17時までの記憶が消えるという事実が、信じられない。

あの夕焼けや。

あの奇跡の雪や。

僕が告白した言葉が消えていくだなんて……。


……。


06:00

Kindly smile, but it separates.

 

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「…………」


千尋が立ち上がった。

僕もゆっくりと立ち上がる。

ずっと座り続けていたせいで身体が痛い。

喉も渇いていたし、お腹も減っていた。

眠気と、ただ時間が過ぎるという拷問に、身も心もぼろぼろだった。


「……そろそろ帰る?」


かすかな希望を込めてつぶやく。


「そうですね」


はっきりとした笑い声。

でも、顔が見れない。

どうしても見れない。

あの、優しい笑顔を見てしまいたくなかった。


「お別れですね」


はにかんだ声。

 

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「…………」
「…………」
「……嫌だ」
「これだけは、蓮治くんが強情でも駄目です」
「……嫌だ」
「ごめんなさい」


謝らないでくれ。

謝るくらいなら僕と一緒にいてくれ。

熱い瞳を持ち上げて僕は彼女を目にした。

 

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薄っすらと色づきはじめた空からの光を受けて、やっぱり彼女は笑っていた。


「ずっと決めていたんです。あの話が書き終わったらって……。さっきも……屋上で、こんな会話を交わしたんですよね……忘れちゃったけど」


彼女は天使のように笑っていた。


「蓮治くんの前から消えようって決めてたんです。思い出に残らないように、そっと静かに、人魚姫が泡になるように消えようと思ったんです」


笑い声。


「でも、私は弱いから、こうしてデートをしてしまいました。これじゃあ人魚姫じゃなくてシンデレラです」
「それでいいよ」


それでいい。


「僕が王子様というのはおこがましいけど……だけど」
「違うんです、蓮治くん」


穏やかに、僕の言葉を遮って千尋が首を振る。

 

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「私は幸せでした。とてもとても幸せでした。私は蓮治くんのことが好きです。苦しいくらい大好きなんです。だから、"好きです"と言えるうちにお別れさせてください……」
「なんで」


問いかけの答えなど決まっている。

そのままだ。

やがて好意も消えるのだ。

わかっていたことに……圧倒的に打ちのめされる。


「蓮治くんは、私のために色々なことをしてくれました。ずっと諦めていた小説を書かせてくれました。制服を着て学校に行けるようにしてくれました。あの寒い、どこにも行き場のない駅から、私を連れ出してくれました。……本当は私、寒さと寂しさで泣きそうだったんです。最初に会ったとき、上を向いていたのは、泣きそうだったからです。そんな私を、あなたは抱きしめてくれました。ぬくもりを、くれました……」


笑顔は。

 

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「だから……だから、私は蓮治くんにも幸せになってほしい」


満面の笑みは──それだけで残酷だ。

 

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「嫌いだから消えるんじゃないんです。私にも蓮治くんを幸せにする方法があったんです……なにもできないはずの私が、それを見つけることができました。だから笑ってください。褒めてください。いつもみたいに、笑ってお別れしてください」
「…………わかった」


それが答えだった。

歯をくいしばって告げた。

千尋が笑っていられるうちに、僕は立ち去るべきなのだろう。

もう……彼女を泣かせるようなことはしたくないから。

 

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「……これを持って行ってください」


千尋はポケットから手帳をとりだして僕の手のひらにのせた。

それはここ1ヶ月ほどの日記だ。

つまり、千尋と僕が出会ってからの全ての記憶だ。

それを彼女が手放す──その意味を理解するのは容易すぎた。


「なにか……まだいっぱい言いたいことがあるみたいですが。私も帰ります。さようなら」
「……うん」


僕も答える。

またね、じゃなくて。


「さよなら」


そして去ってゆく。


なにもかもが。


時間は流れる。


記憶は消える。


夢は終わる。


僕は文字の途切れた日記を閉じた──。

 

……。

 

 

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すぐに冬休みが訪れて、そして、何事もなく新しい学期が始まった。

平和な日常が戻ってきた。

ほんの少しの時間が流れて。

ほんの少しだけ痛みが薄れた。

 

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だから駅まで足を伸ばした。

いつかのように、夕暮れに染まる駅舎を眺める。

とても久しぶりなのに、どうしてか、懐かしいという想いは湧かない。

いつかの光景を焼き直したように。

俺が癒えるように。

彼女がそこにいるような気がした。


「……馬鹿だな」


頭を叩いて苦笑いを浮かべる。

自分はなにを考えているのだろう。

それは期待じゃないはずだ。

僕は終わりを見届けに来たのだ。

静かに、僕は駅の構内に足を踏み入れた。

 

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やはり彼女はいなかった。

そこはまた、僕だけの場所になっていた。

なんとなくベンチに手を触れた。

そこには誰かが座っていたぬくもりなど残されていなかった。

これでいい。


「これでよかったんだ」


言葉にして確認する。

身を切るような冷たい風に、空を見上げる。


「……そうか」


君はこんな気持ちでここにいたのか。

とても寒くて。

それは寂しいという感情に似ている。

僕は彼女の手帳を指で千切って、どこか遠くへと伸びる線路の先に流した。

白い紙片は、あの日見た雪のようにヒラヒラと風に舞った。

 

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30分ほどかけて、すべてのページを雪に変えた。



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「さよなら」


もうこの場所を訪れることはないだろう。

夢は覚めたから。

さよなら。


……。

 

 

BAD END