ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【7】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


--------------------


……。

 


06:00

Kindly smile, but it separates.


 

f:id:Sleni-Rale:20220315191027j:plain


「…………」


千尋が立ち上がった。

僕もゆっくりと立ち上がる。

ずっと座り続けていたせいで身体が痛い。

喉も渇いていたし、お腹も減っていた。

眠気と、ただ時間が過ぎるという拷問に、身も心もぼろぼろだった。


「……そろそろ帰る?」


かすかな希望を込めてつぶやく。


「そうですね」


はっきりとした笑い声。

でも、顔が見れない。

どうしても見れない。

あの、優しい笑顔を見てしまいたくなかった。


「お別れですね」


はにかんだ声。

 

f:id:Sleni-Rale:20220315191039j:plain


「…………」
「…………」
「……嫌だ」
「これだけは、蓮治くんが強情でも駄目です」
「……嫌だ」
「ごめんなさい」


謝らないでくれ。

謝るくらいなら僕と一緒にいてくれ。

熱い瞳を持ち上げて僕は彼女を目にした。

 

f:id:Sleni-Rale:20220315191047j:plain


薄っすらと色づきはじめた空からの光を受けて、やっぱり彼女は笑っていた。


「ずっと決めていたんです。あの話が書き終わったらって……。さっきも……屋上で、こんな会話を交わしたんですよね……忘れちゃったけど」


彼女は天使のように笑っていた。


「蓮治くんの前から消えようって決めてたんです。思い出に残らないように、そっと静かに、人魚姫が泡になるように消えようと思ったんです」


笑い声。


「でも、私は弱いから、こうしてデートをしてしまいました。これじゃあ人魚姫じゃなくてシンデレラです」
「それでいいよ」


それでいい。


「僕が王子様というのはおこがましいけど……だけど」
「違うんです、蓮治くん」


穏やかに、僕の言葉を遮って千尋が首を振る。

 

f:id:Sleni-Rale:20220315191058j:plain


「私は幸せでした。とてもとても幸せでした。私は蓮治くんのことが好きです。苦しいくらい大好きなんです。だから、"好きです"と言えるうちにお別れさせてください……」
「なんで」


問いかけの答えなど決まっている。

そのままだ。

やがて好意も消えるのだ。

わかっていたことに……圧倒的に打ちのめされる。


「蓮治くんは、私のために色々なことをしてくれました。ずっと諦めていた小説を書かせてくれました。制服を着て学校に行けるようにしてくれました。あの寒い、どこにも行き場のない駅から、私を連れ出してくれました。……本当は私、寒さと寂しさで泣きそうだったんです。最初に会ったとき、上を向いていたのは、泣きそうだったからです。そんな私を、あなたは抱きしめてくれました。ぬくもりを、くれました……」


笑顔は。

 

f:id:Sleni-Rale:20220315191108j:plain

 

「だから……だから、私は蓮治くんにも幸せになってほしい」


満面の笑みは──それだけで残酷だ。


「嫌いだから消えるんじゃないんです。私にも蓮治くんを幸せにする方法があったんです……なにもできないはずの私が、それを見つけることができました。だから笑ってください。褒めてください。いつもみたいに、笑ってお別れしてください」


いつも見たいに笑ってください。


「……嫌だ」


答えなど決まっている。

彼女は忘れていくけれど、僕の記憶にはすべてが残るのだ。


「好きなんだ……そんな馬鹿なこと、褒めるわけないじゃないか……」
「はい」


今になって……卑怯にも、彼女はわがままな子供を見守るように苦笑する。

最後の最後になって、僕の言うことを聞いてくれない。


「…………やっぱり千尋のほうが強情だ」
「……そうでしたね」


彼女も笑う。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173357j:plain



「ごめんなさい……」


千尋の瞳に涙が浮かんだ。

それはすぐに頬に溢れだす。


「…………」


喉を鳴らしながらも、それでも、彼女は必死に声を押し殺していた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173427j:plain



「ほんとに……わがままばかりで……許してください」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173435j:plain



目もとを一度ぬぐい、彼女はポケットから手帳をとりだして、僕の手のひらにのせた。


ひんやりとした涙の感触。

それはここ1ヶ月ほどの日記だ。

つまり、千尋と僕が出会ってからの全ての記憶だ。

それを彼女が手放す──その意味を理解するのは容易すぎた。


「ここに最後の物語を残しました」
「……物語?」
「私がいなくなったら読んでください」
「…………」


僕の手は。

僕の言葉は。

どうして届いてくれないのだろう。


「……違うんだ」


自分の耳にも聞こえないつぶやきが漏れた。

しかし、それは脳の内側をザクザクと切り裂いて現れた。

違う。

違うだろう麻生蓮治。

おまえの"言葉"がどこにあったというのだ。

すべてが、どこからか借りてきただけの偽物だったのではないか?

こんな悲劇のような思考をしているだけで。

千尋の障害を言い訳にして。

自分の背骨がないことを偽って。

全身全霊を込めて生きる彼女に届くものがあると、おまえは自惚れていたのか?

そうだ。

立ち止まっていたのは彼女ではない。

僕だったのだ……。


「なにか……まだいっぱい言いたいことがあるみたいですが。もうちょっとすると、大泣きしてみっともなくなるので帰ります……」


平然と、声以外はまるで普段通りに告げて、千尋が数歩下がる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173446j:plain



「さようなら」


ぺこりと頭を下げて。


「……ありがとうございました」


そして去ってゆく。

なにもかもが。

時間は流れる。

記憶は消える。

僕は握り締めた拳を、机か椅子かもわからないなにかに打ち付けた。

どこか遠くから、子供の泣き声が聞こえた──。

 

…………。

 

……。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173455j:plain



朝帰りした僕に、母はなにも言わなかった。

「ごはんは?」と訊いてきただけだ。


僕は首を横に振るだけで、なにかを告げることもできず、部屋に戻るとベッドに横たわって眠った。

死んだように眠った。

なにかの本に書いてあったが、人間は寝ているほうが自然で、起きていることが不自然なのだろう。

その通りだと思った。

だって、この世はこんなにも残酷だから……。

リセットできず。

致命傷を受けても。

続いていく。


……。

 

その日の深夜、ミズキから電話がかかってきた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173505j:plain

なにを話したかは、よく覚えていない。

ただ、ずっと優しく喋り続ける彼女に、頷きを返していたような気がする。

そして、気がつくと僕はすべてを話していた。

なんでミズキに聞かせてしまったのか、よくわからなかったけれど。

彼女はどこか、昔とは違っていて──。


『ねぇ、彼女と会ったこと後悔してる?』


すべてを語り終えた後、電話口で従妹がそう訊ねてきた。

冬の真夜中。

さらさらと乾いた冷気が、足元から体温を奪っていく中で、僕は立ち尽くす。

月のきれいな夜だった。

銀色の塩の砂漠にいるような、そんな静けさ。

まあ、終わったんだなって感想を抱けるくらい静かな夜だった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173514j:plain



『……聞いちゃ駄目だった?』


僕の答えがないからか、従妹──羽山ミズキが改めてつぶやく。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173522j:plain



「ああ、いや……後悔?」
『そう、後悔』
「ちょっと待って」


どうかな、と自分の心に問いかけてみた。

彼女との日々を考える。

彼女との別れを考える。


「うん、してると思う」


正直に答えた。


「もっと違う出会いだったらとか、もっとできたことがあるんじゃないかとか。もっと自分に力があればとか。あんな……悔しくて痛い想いをするのはもう嫌だね」
『…………蓮治、今笑ってる?』
「なんで」
『声がそんな感じだったから』
「……後悔はしてるけど。あんなに幸せな時間もなかったよ」


正直に答えた。

すぐに答えられた。


『そっか……そっか……みんな頑張ってるんだね』
「みんな?」
『うふふ。こっちの話。もう遅いし電話代もかかるから切るね。今度、遊びに行くから。おばさまにも宜しくって伝えておいて』
「……ありがとう、ミズキ」
『え? ありがとうってなにが?』
「この電話。僕のこと気にかけてくれたんでしょ」


苦笑いしながら唇を曲げる。

いつも憎たらしい従妹が、こんなに優しかったことなどなかったから。


『はぁ。んなわけないでしょ……おやすみ蓮治』
「おやすみミズキ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173534j:plain



通話の切れた音を3つ確認して受話器をおく。

月のきれいな夜だった。


「後悔なんて……してるさ……」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173543j:plain



声が震えていた。

目頭と首の裏側が火照っている。

ずっと、これからも後悔し続けると思う。

眠れそうになかった。

身体は冷え切っていて、すぐにでもベッドにもぐりこんで意識を遮断したがっていたけれど。

心が痛くて目が冴える。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173551j:plain



「…………」


僕は彼女から受け取った手帳をポケットから取り出した。

別れ際にもらった手帳を。

彼女の大切な日記(きおく)を。

月明かりに文字を浮かび上がらせる。

1つずつ思い出していこう。

文字通り、日記をたどって。

そんなことをしなくても、もう何度も読み返して記憶しているけれど──僕自身が関わり実体験した物語であるけれど。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173600j:plain



始まりのページにはこう書いてある。

きれいなきれいな丸い字で。


……。

 

──昨日の私から、今日の私へ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173608j:plain



本当に、月のきれいな夜だった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173616j:plain



窓辺から夜空を眺める。


──「眠れないの?」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173625j:plain



声に目をやると、母が立っていた。

ずっと起きていたのだろうか。


「電気も点けないで文字を読んでると、目が悪くなるわよ」
「……そうだね。でも、もう終わったよ」


もう終わった。

まだ昨日──もう一昨日になってしまった出来事が、どこか遠くに感じられた。

千尋が手帳に残した"最後の物語"も読んだ。

僕はため息をついた。

母はなにも言わない。

なにか聞かせるべきだろうか?

いや、聞いてもらうことはない。

でも、話さなければならないことがあった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173648j:plain



「ねえ、進路希望の紙をもらってきてたんだけど。その締め切りがもうすぐで……もらったのは結構前でさ」
「うん」


いたたまれない気持ちで告白したのに、母は穏やかに頷いた。


「……もしかして知ってたの?」
「うん。ほら、料理教室で」
「ああ」


思わず唸ってしまう。

そうだ。

進路希望の紙が配られただなんて、奥様方の噂にのぼらないわけがなかったのだ。


「そうか、知ってたんだ……」
「うん」


最低限の答えだけが返ってくる。

いつも忙(せわ)しない人が、そうやって静かに待っていてくれる。

おそらく──。

ずっとずっと待っていてくれたのだ。


『あなたは、なにになりたいの?』


そんな問いかけすらせずに。

ゆっくりと手探りで進む僕たちを。

子供を見守る者として。


「……駄目かも知れない」


僕はつぶやく。

拳を握り締める。

夢は覚めてしまったから──

だから──自分の足でしっかりと現実を踏みしめる。


「全然、才能なんてないし。今だけそう思い込んでて……真剣じゃなくなって……飽きて、後悔して、投げ出しちゃうかも知れない。だけど……だけど──!」
「でも、今はそうじゃないんでしょ」


ふわりと母が笑った。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173705j:plain



「応援するよ」
「…………」
「早く寝なさいね。風邪ひいちゃうから。おやすみなさい」


…………。

 


……。

 

翌日、進路希望の第一志望に『小説家』と書いた用紙を提出した。

教師は軽く眉をひそめた後、僕の目を見つめて、なにも言わずにそれを受け取った。

なんでもなかった。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173713j:plain



すぐに冬休みになった。

僕は一生懸命に勉強していた。

もちろん学校の勉強ではなく──そちらの成績も結構やばかったが、自分の持っている小説を全部読み返していたのだ。

今まではただ読み流していただけのものも、しっかりと読めば、驚くような発見ばかりがつまっていた。

文字の書き方1つ、表現の仕方1つ、台詞、構成、結末──まったく同じものはなかった。

ひとりひとりが、自分の言葉をもって語っているからだと気づいた。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173721j:plain



新学期が始まってからは、図書室に入り浸るようになった。

僕はまず、彼女と書いたあの物語を、自分なりに書き直すことにしたのだ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173729j:plain



千尋が書いている物語と真剣に向き合え』

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173740j:plain



『なんであいつが、そんな話を書いているのか。どうしてそんな物語になってしまったのか……それを考えろ。千尋よりも先に"結末"にたどり着け』

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173749j:plain



懐かしい言葉を思い出す。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173757j:plain



『これが完成品?』
『まだです。蓮治くんが読んで問題なければ完成です。私だけじゃなくて、ふたりで書いてきたものですから』


それならこれは未完成だと思った。

いや、これは"千尋の物語"だ。

だから、この物語の女の子に、僕なりの結末を用意しようと思った。

無様でも下手でもいい。

その答えが都合のよい、間違ったものだとしてもいい。

最初から上手くできるだなんて思い上がるなと、自分に言い聞かせる。

いつかたどり着きたいから。

人の心を打てるような。

自分の心を誇れるような。

彼女の心を取り戻せるような。

そんな。

"僕の物語"を目指して進もうと思った。

 

……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173808j:plain



気が向くと学園の屋上に足を運んだ。

火村さんから渡された鍵は、ひとりになりたいときには役に立つものだと思った。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173816j:plain



そこで、千尋から渡された手帳を読んでいた。

最後のページに、あの日、一緒に読んでいた時には気づかなかった物語が綴られていた。

それは、デートの前日に書き残された最後の告白だった。


…………。


……。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173825j:plain



実は昨日、教会に行って来たんです。

神様なんて信じていなかったのに……。

でも、祈ってきました。

どうか……、

どうか……どうか……。

私の想いが"記録"ではなく"記憶"になるようにと。

麻生蓮治さん。

私はこの手帳をあなたに預けようと思います。

あなたと出会ってから、今日までの記録を。

万が一、奇跡が起こったのなら……。

でも、おそらくそんなことはないでしょう。

明日の私は、あなたを傷つけるはずです。

だから、この手帳をあなたに預けます。

もう、私と関わりあいたくないときは……この手帳を捨ててください。

個人的にですが、私はそのほうが良いと思います。

だけど……。

こんな夢を願ってはいけないのに……。

もしも……ずっと、こんな馬鹿で……どうしようもない……、

本当にどうしようもない私を好きでいてくれるのなら……。

また会ってもらえるなら、この手帳を──記憶を私に返してください。

この手帳を読めば、明日以降の私も納得すると思います。

私は、あなたのモノになります……。

どんなにひどいことをされてもいいと思います。

私は、それに相応しい傷を、あなたに与えるだろうから……。

どちらを自分が望んでいるのか、本当に、よくわかりません。

心のどこかで、今の自分のこんな苦しみが、いつか消えてしまうことを知っていて。

まるで自分の足で立ててなくて……。

悩んでいられる時間すらなくて……。

あなたのことを好きになってしまって──

 

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173834j:plain



「あなたのことを好きになってしまって…………ごめんなさい」


冬が終わる前に、僕はなんとか、世界にひとり生き残った少女の話を書き終えた。

 

…………。

 

……。

 

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173845j:plain



『いっちゃうの?』


果てた世界で女の子がつぶやいた。

羊の夢。

朽木の夢。

僕が守れなかった    の夢。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173853j:plain



「君は僕の夢なんだ」


意志をもって答えた。

都合のいい女の子。

都合のいい言葉。

都合のいい逃げ場所。


「これは全部、僕が望んで生み出しているものなんだ」


ひとつひとつ、言葉や意志を吐き出すごとに、風景が滲んでいく。


『それはいけないことなの?』
「とても、良いことだろうね」


それを忘れるなんて愚か過ぎる。

誰しもが、

最初は、

もっとずっと綺麗だったろうに……。

空に手を伸ばそうとする心を忘れてしまった人の悲しみ。


「でも、だからこそ、"夢(それ)"を言い訳にしてはいけないと思うんだ」
『…………』
「君のことは忘れないよ」


忘れない。

いなくなってしまった"夢(きみ)"を、こうやって言い訳にしない。


「僕も、君を好きだったから」


そうやって──羊の鎖を断ち切るために最後の夢を見た。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173903j:plain



『……そっか』


1歩だけ後ろに下がって、女の子が笑う。


『ねぇ、名前を呼んで』
「うん」
『ばいばい、蓮治くん』
「さよなら、ミズキ」


僕はいなくなってしまった女の子の名前を告げた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173911j:plain



女の子が駆けていく。

もう朽木の音はなしない。

途切れた線路の先に向かって駆けていく。



f:id:Sleni-Rale:20220316173919j:plain

 

だから僕は──

 

…………。

 

……。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173929j:plain



僕は駅に向かった。

ある日……以前のことを昔々とでも呼びたくなるほど、久しぶりの駅だった。

どうだろう。

自分だけで立てた馬鹿みたいな誓いなんて、意味がなかったと打ちのめされる可能性が高いはずなのに。
 
 

f:id:Sleni-Rale:20220316173937j:plain



 
僕は気楽に。
 
暮れる寸前の青空を眺めながら、人ごみを抜けた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173948j:plain



「…………」


ふと、駅の手前に火村さんがいることに気づいた。

あの後、何度か会ってはいたけれど、お互いに彼女のことは話さなかった。

ただ、なんでもない無駄話ばかりしていた。

ゆっくりと火村さんに近づく。


「…………」


彼はなんだか不思議そうな顔で僕を見る。

お互いに挨拶もせず。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316173955j:plain



火村さんはなにかに頷いて、いつもの悪人ぽい笑みを浮かべて駅を指差した。

懐かしい日本の歌が聞こえた。


「…………」


星座のように散らかった小石が音を立てないように。

静かに、駅の構内に足を踏み入れた。


……。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174003j:plain



それはまるで、いつかの光景をそのまま焼き直したようだった。

少女はいた。

やはりなにかを待っているように、ベンチに座ってぼんやりと空を見上げている。

小鳥のように。

駅前の喧騒が遠く聞こえる。


「…………」


僕はただ、彼女がこちらに気づくまで、その場に立ち尽くしていた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174014j:plain



「…………」
「やぁ」
「……どうも」


ワンテンポ遅れて少女が会釈する。

彼女は膝の上に真新しい手帳と文庫本をのせていた。


「なにか邪魔だったかな?」
「いえ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174023j:plain



しばし僕の顔を観察した後、彼女は荷物をポケットにしまって、ゆっくりと立ち上がる。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174032j:plain



きれいな子だった。

やっぱり、僕よりも1つか2つ年下にしか見えない。


「……うん」


なんだか笑ってしまう。

彼女はすべてを忘れてしまっているのだ。

いったい……それに、どれだけの時間がかかったのか。

本当に、変なところで強情だ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174040j:plain



「あの、変なこと聞いていいですか?」


少女が僕の考えに重ねるように、小首を傾げた。


「なに」
「よくここに来ますか?」


僕はどうしようかな、と手を握ったり開いたりしながら頷いた。


「たまにね」
「あの、ここに落し物がありませんでしたか?」
「落し物?」
「手帳なんですけど」
「実は、えーと、2、3ヶ月くらい前だと思うんですけど、ここによく遊びに来ていた時期があったらしくて……。大切な手帳なんです」


事情を説明できないからだろう。

回りくどくて──面白い。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174049j:plain



僕はポケットに手をつっこんで、その落し物である手帳の表紙をなぞった。


『また会ってもらえるなら、この手帳を──記憶を私に返してください。私は、あなたのモノになります』


「…………」


僕は手帳を握り締めて──。


笑った。


「ごめん、知らないや」
「そうですか」


さも残念そうに。

そんなト書きのある台本を棒読みするように、少女は嘆息する。


「…………」
「…………」


やはり喋るべきことがない。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174103j:plain



「ところで、その眼帯をはずすとビームとか出るの?」
「は?」
「なんでもない」


やっぱり、くだらない。


「あの」
「なに」
「私になにか用事があるんですか?」
「いや……特にないんだけど。ここに来たのもなんとなくだったんで」
「そうですか」
「でも、緑かも知れない」
「緑?」
「実は僕、小説家を目指していてね」
「え……そうなんですか」
「うん。それで、誰かに読んでもらいたい作品があるんだけど……いいかな?」
「私なんかでよろしければ」


少女が微笑む。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174112j:plain



僕は手帳の代わりに、鞄から小説の入った封筒をとりだした。


……。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174120j:plain



女の子は世界にひとり。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174128j:plain



だから彼女は神様だ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174136j:plain



神様は、世界をもっとずっときれいにしようと思った。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174145j:plain



彼女は全ての絵を燃やした。

彼女は屋敷と城を燃やした。

彼女は自分の想い出を燃やし尽くした。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174155j:plain



最後に神様は、世界にひとつ残ったゴミを、崖から捨てた。


千尋の答えは切ないほど正しく……同時に間違っていた。

彼女が物語を書きたいと願ったのは、消えても残るものがあればよいと思ったから。


──だけど、本当は消えたくないから書けなかった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174204j:plain



彼女があんな物語を書いたのは、世界にひとりきりでいられる女の子を望んだから。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174305j:plain



──しかし、男の子が登場してしまった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174313j:plain

喜びは寂しさの反対だから悲劇となる。


──それなら。


──僕の望む結末を語ろう。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174321j:plain



女の子は世界にひとりではなくなった。

だから彼女は人間だ。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174329j:plain



神様になんか なれっこなかった。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174337j:plain



「…………」


最後の一文を何度か目で追って、少女が僕を見上げた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174345j:plain



「……あ、れ?」


それは唐突に溢れた涙だった。

すっ──と頬を流れていく一筋の涙。


「…………」


それを拭ってやりたかったけれど、今の僕には手を出すことは許されない。

拳を握り締めて耐える。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174355j:plain



「なん、で……?」


感情が追いついていないのか、泣いている自分がわからずに少女は右目をこする。


「あの……これは、違うんです……」
「うん」


それは……。

いや。

その涙が意味するところは僕にもわからなかった。


「っ……変なの……」


夢のようにこぼれた涙はすぐに止まり、少女は再び小説に視線を落とした。

今度はかなり厳しい表情だった。


「どこか気になった?」
「途中までは良かったんですけど……。最後が酷いですね」
「そうかなぁ?」


僕は大笑いしたいのを堪えて、小首を傾げてみせた。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174404j:plain



最後にプロローグを語ろう。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174411j:plain



これは、ここから始まる物語。

不連続に並ぶ記憶の話。

出来損ないのおとぎ話。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174421j:plain

正確に1日1日綴っていた日記を、ばらばらにして組みなおしたようなお話……。

空は高すぎて、冬の日ですら手が届かない。

だから僕は、もっと大切な、今、目の前にある現実に手を伸ばした。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174431j:plain



彼女と再会するということは、また、悲劇を迎える可能性を生みだすことになる。

それはもしかしたら、前よりもひどい終わり方になるかも知れない。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174441j:plain



それでも。

昨日より今日は、いい日かも知れない。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174448j:plain



今日より明日は、もっといい日かも知れない。

ハッピーエンドを信じてみよう。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174456j:plain



だからこの駅から始めよう。

いつか、あの夕暮れに雪降る屋上よりも、きれいな場所へ行こう。

きっと行ける。

ずっと遠くへ。

君が好きだから。

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174504j:plain



「ところで、名前を聞いてもいいかな?」
「え?」
「僕は麻生蓮治って言うんだ」
「…………」


少女は少し戸惑った後、僕を上目遣いに見て笑った。


「私は──」

 

…………。

 

……。

 

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174515j:plain



「悲しいことですね……。なくしてしまった記憶……二度と取り戻せないなんて……」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174527j:plain



「取り戻せないわけじゃない。彼女が記憶を失っても……千尋と蓮治が過ごした時間が消えてなくなるわけじゃない。……跡形もなく消えてしまうものなんて、きっとなにもない」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174540j:plain



「形にならないものも、必ずどこかに伝わっていく……。そう信じていいんでしょうか」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174548j:plain



「信じよう。……俺たちは、信じなくちゃいけない。お前の想いだって、消えてないさ」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174557j:plain



「私の、想い……。だけど、私が失ったものは、少なくないんですよ……。記憶は綻びだらけで、ところどころに靄(もや)がかかっているみたいで……。二人で過ごした時間……。私がどんな気持ちを抱いていたのか、それすらも、遠くに霞んでしまっているんです……」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174608j:plain



「俺が覚えている。お前と過ごした時間を、季節を。忘れたことなんてない」
「思い出させてくれますか……」
「思い出してくれ……。この記憶は、俺だけのもんじゃない。辛いこともたくさんあったけど……。俺とお前にとって、かけがえのない思い出だから」
「はい……」

 

f:id:Sleni-Rale:20220316174616j:plain



「俺が預かっていた記憶を……今から返すよ」

 

……。