ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【8】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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「わたしは優子っていいます」


教会の前で、きれいな女の人が笑った。

 

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それは、その名前に辿り着くまでの物語。

 

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これは、最果ての駅で語られたものとは別の、最果ての冬の一幕。

 

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「ゆうこ」

 

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「…………」

 

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「ええ、優子です。あなたのお名前は?」


女性は微かな間をおいて、彼女の名前を訊ねてきた。


「…………」

 

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「あらら。お姉さん、あなたのお名前知りたいなー。知りたいなー」
「……みき」


子供っぽい連呼に、彼女はぶっきらぼうに答えた。

 

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「みき……ちゃん?」
「みらい」
「え? どっちなの?」
「"みらい"って書いて"みき"って読むって……」
「ああ、そういうことですか」


なにかを納得して、優子と名乗った女性が、満面の笑みを浮かべた。


「うん、いい名前ですね」
「うるさい」


空気にヒビが入るような音がして、ふたりはしばしの間、無言で見つめ合った。

なんでもない1つの出会い。

しかし、始まりは、確かにここだったのだ。


…………。

 

……。

 

 

そして時間が流れ


また夏が来た。

 


……。

 

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海辺に立つと痛感する。

靴底に覚える、砂浜独特のおぼつかない感覚。

生き物のような磯の匂い。

 

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メトロノーム代わりの潮騒

 

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月明かりに照らされて海面がうねり、輝いている。

 

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それでも、黒く遠く深く、見えない部分が海の本質であろう。

 

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人間がここからやってきたというのも頷ける話だ。

 

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まるでジグソーパズル……むしろ神様のあみだくじか。

 

「…………」

 

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ふと、気がつけば指がリズムをとっていた。

その手が空(から)であっても、波音を伴奏に意識がヴァイオリンを奏でようとしてしまう。


「職業病だな」


五指を眺め、五線譜を想い、苦笑いを浮かべながらうそぶく。

海に関するものに限定すれば、本当に、日本の曲は悪くない。

周囲をすべて海に囲まれている島国だからだろうか。

それともやはり血のせいなのか。

とりとめのないことを考えていると、背後に人の気配を覚えた。

 

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「よお」


隣に並んだ──夏だっていうのに暑苦しい黒尽くめ男がつぶやく。

慣れない人間が聞けば、挨拶だけでかつあげを強要されていると勘違いしそうな声だ。

 

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「よ」
「大丈夫なのか?」
「まだ生きてるよ」
「…………」


軽口に火村が一瞥をくれるが、彼はなにも言わずに海に視線を戻した。

だから俺が言い直す。


「このくらいの時間は涼しいから平気さ」
「このくらいって、こんな夜中になにしてるんだ」
「まだ午前2時だぜ。普通に俺の活動時間なんだけど。おまえこそ、なんでこんなところにいるんだよ?」


神出鬼没っぷりに磨きがかかっているとしか思えない。

火村は鼻を鳴らしただけで、その話題を避けた。


千尋ちゃんは?」
「とっくに寝てる」
「おまえはいったいなにしてんの?」
「……同じ質問をするなよ」


俺のしつこい問いを受けて、火村が海に意識を向けたまま答えた。


「昔のことを思い出してただけさ」
「へぇ、それはそれは」
「なんだよ」
「ご馳走様でした」
「むかつくなぁ」


言葉の通りに顔を歪める。

こいつの、こういう不器用なところは変わっていない。

悪くない。

変わらない良いモノってのも、あるもんだ。


「まあ、彼女には今度俺から挨拶しておくさ」
「冗談じゃない」


肩の力を抜いた火村が、そういえばと首を曲げる。


「蓮治の家に女の子が来るって話、知ってるか」
「女の子?」
「なんだ、おまえも知らないのか。隣の家のことくらいは気にしておけよ」
「その子になんかあんの?」
「いや……なんでもないんだけどさ」


火村がまたそっぽを向く。

ああ、千尋ちゃんのことを気にしているのか。

本当に余計な苦労を背負い込むやつだ。

しかも、どれもこれも"女性"ではなく、"女の子"に関した苦労ではないか。

まったく。

けしからんのか、うらやましいのか、よくわからないヤツ。


「気が向いたら俺が様子を見に行くよ。でも、どうせ親戚だろ」
「なんで断定できるんだ?」
「あいつ友達いないし」
「あ~……。それもそうだな」


ふたりして、しみじみと頷く。


「そんなことより、明日でいいから俺の演奏に付き合ってくれないか」


ズボンのポケットに手をつっこんで、何気なく火村の顔を覗き込んだ。


「演奏って……弾くのか?」
「ああ、それで終わりだ。教会でおまえと彼女宛てのリサイタルをやってね」


鼻がむずむずした。

海は好きだが、潮風はあまり好きではなかった。


「しかし、むさい男が二人で黄昏(たそがれ)てるのは究極的に悲惨だな」
「同感」
「うちで酒でも飲むか?」
「そうするか」


そうやって宵闇暮れた。

ある夏の物語の、前夜の出来事──。

 

…………。

 

……。

 

 

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その日、わたしは最果ての街にやってきた。

髪をサイドでまとめてみたとか、制服姿だとか、自分でもそこそこ愛くるしいと思う顔つきとか、

大きな鞄を足元においているとか、そういう特徴はあるが──。

自分の知っている"彼女たち"と比べれば、平凡の域をでそうにはない。

ただ、なぜか人目を惹いていた。

おそらく、にこにこと笑っているからだろう。


『なにがそんなに楽しいの?』


実はそれには理由がない。

ただ、もし誰かがそれを問いかけたならば、わたしはこう答えるだろう。

 

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今が夏だから。

照りつける日差しが気持ちいいから。

川がきらきらしているから。

ソフトクリームが美味しいから。

だから、笑みを抑えられない。

 

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「わっ……とと」


ソフトクリームは食べるのではなく舐めることを信条としていて──

そんな子供っぽい不器用さから、努力はしているものの指にクリームが垂れてきた。

ちょっと恥ずかしい。

ぶらぶらと足を揺らす。

と、わたしは急に辺りを見渡した。


「……ん?」


なんだろう。

なにが気になったのか、わからない。

特にこれといった変化は見られない。

待ち人が来るまでには、まだ少し時間があるはずだった。

親指と人差し指をぺろりと舐めて、首を傾げる。


「はてはてな?」


そうやって意識を外に向けて──耳を澄まして気がついた。

微かに弦楽器の音が流れていたのだ。

どこかの家でCDを流している……わけではなさそうだ。

それは現実に、空気を震わせる、波。

穏やかに、寄せては返す……。

 

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「……海みたい」


波は空気を伝い、鼓膜を震わせ、血を巡り、心に響く。


「きれいね」


わたしは音の邪魔にならないように、そっとつぶやく。

夏そのものと合奏しているような海の音色。

空がまるで、そこが海面であるかのように白く瞬いた。

 

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なにかが始まるかも知れないと、異邦人のわたしが一瞬だけ考えた。

その日、ふたりが出会うことはなかった。

しかし、羽山ミズキは、久瀬修一のヴァイオリンの音に出会った。


…………。


……。

 

 

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どこか遠い……波の音。

 

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ワタシは漂っている。

ゆらゆらと。

 

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視界の端で光が揺れる。

きらきらと。

 

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思考が流れる。

ふらふらと。

 

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……あたたかい世界。

 

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心地よい。

 

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流れに逆らわず、寄せては返す波に、命を任せる。

くらげのように。

泡のように。

夢のように。

 

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壊れた万華鏡のように……。

人間は海から生まれて海に還るというが、ワタシの原初の記憶もそこにある。

ワタシは"そこ"から生まれた。

もっともっと暗い海の底から生まれた。

誰にも見つかっていない。

深々と降り積もる命の欠片。

意味はない。

意義もない。

意思もなく、意志もなく、遺志だけがある。

沈んでいく。

シズム。

 

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……やがて光が消えた。

それでも、なお、沈んでいく。

そして、どこか柔らかい場所に舞い降りた。

天使が地上に降りるとき、こんなやさしい気持ちになるのかも知れない。

光はないけれど見える。

見えるだけでなにもない。

生きてるものなどなにもない。

ワタシ以外には。

いや──

 

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白い花が咲いていた。

百合?

 

ありえない……。

いや、揺れる姿が花に見えただけで。

 

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それは人間の手だった。


白くて細い、ガラスのような女の子の腕が咲いていた。

5本の指が、1本1本別の生き物のように揺らいでいる。

まるで手招いているようだった。

……かわいそうに。

こんなところにひとりで咲いているなんて。

かわいそうな、ワタシ。

 

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もう大丈夫だよ。

 

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わたしはその手をとった……。


…………。


……。

 

 

「…………」


すぅ──と肺に熱い空気が流れ込んで、生き返った気がする。

微かな寝汗を覚えて、胸元の襟を手でゆるめた。

 

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薄っすらとまぶたを開く。

すぐ近くに蓮治の顔があった。

手を握られていた。

はて?

いや、わたしのほうが握っている。

それに意味がないことに気づいて、すぐに離した。

 

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「あの、朝ご飯なんだけど」
「う~……夜這い?」
「朝ご飯だって言ってるだろうが。起きろよ」


こつん、と頭を叩かれた。


「ふぁう~……おはよ~ございます~ぅ~……」


ベッドから降りて背伸びする。

頭がくわんくわん、と揺れた。

ちゃんと目が覚めるまで後5秒くらいかかりそう。

5、4、3、2、1──

 


Chapter4. Mizuki Hayama
Angel's holiday  ef - the latter tale.

 

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「おっはよ! ごめんね、部屋とっちゃって」
「いいよ別に。我が家ながらあそこに人様をいれる気にはなれないし」


蓮治が苦笑いしながら答えた。

客間というか空き部屋がない──

実際はあるのだが、別の用途で埋まっている麻生家では、人が来ると蓮治かおば様の部屋が提供されるそうだ。

そして、椅子取りゲームにあぶれた人が、家を留守にしているおじ様の部屋を使うとのこと。

そのおじ様の部屋が、どうも想像を絶するらしい。

麻生家の人間曰く『アンチ竜宮城』

絵~にも描っけない恐ろしさ──ということだ。


「なにか怖い夢でも見たの?」
「え?」


蓮治がなにを言ってるのか、よくわからなかった。

 

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「起こそうと肩を叩いたら、いきなり手を握ってきたから」
「ああ……なんだろうね、いつも同じ夢を見るの」
「夢?」


蓮治のつぶやきを聞きながら、わたしは自分の手を見つめた。


「きれいな花の夢よ」

 

…………。

 

……。

 

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インターホンが鳴った。

俺は起きていたが、ソファから身を起こすことはなかった。

唐突に、ある映画を思い出す。

その物語は夢から覚めることによって始まる。


"Open your eyes."


主人公は『麗しのサブリナ』のオードリー・ヘプバーンのささやき声を目覚ましにしている。

そのシーンは、いいセンスだ。

悪くない。

とても、悪くない。


「すべからく、観客は現実から乖離(かいり)して物語の中で目を覚ます。そして役者は、物語の中で目を覚ますことによって命を得る」


宿命──命の宿る瞬間だ。

そこで再びインターホンが鳴らされた。


「…………」

 

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視線だけを動かして時計を見る。

午後1時──なにか約束があるわけでもない。

それより、昨日の演奏会の後からずっと火村と飲んでいたのだが、あいつは何時に帰ったのだろう。

朝の5時くらいまでの記憶はあるのだが……その後のことを覚えていない。

火村は、いつの間にか消えてしまった。


「そういえばあいつ、まったく自分のことを話さなかったな」


口元をさすりながら天井を見上げる。

もう一度インターホンが鳴ったら出よう。

この炎天下の中で3度もチャイムを鳴らす根性には、敬意を払おうと思った。

少し間があった。

鳴らされた。


……。


玄関の扉を開くと、むっとする夏の風と光が流れ込んでくる。

俺は目を細めて、そこに立っている人影を確認した。

 

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「おはようございます」


マイエンジェル・麻生家の奥様だった。

そしてもうひとり──こちらは見慣れぬ制服姿の少女。

 

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「おはようございます!」


その子は勢いよく頭を下げて、おきあがりこぼしのように身を起こした。

サイドでまとめた髪が遅れてなびく。

確実に見たことのない子だ。

これだけ可愛ければ、一度でも会っていれば5年後を楽しみに再会の約束を交わしていることだろう。

まだ太陽が高いうちから、目の保養になる光景だ。


「おはようございます」


襟元を正して笑顔で応対する。


「失礼ですが、こちらのお嬢さんは?」

「私の姪なんです」

「は、はじめまして、羽山ミズキと申します。ミズキは全部カタカナです」


再び女の子が一礼した。

姪ということは蓮治の従姉妹なわけだ。

そういえば火村が言っていた子が彼女で……あまりにも予想通りに親戚だったか。


「どうも。久瀬修一です」


右手を差し出そうとして、習慣の違いに気付いて会釈ですませる。


「あれ、そういえば今日は学校は?」

「もうお休みなんです。受験は推薦で決まったし、自由登校の期間なので蓮治の家に遊びに来たんですけど──」


言ってから、彼女は自分の服装を見下ろして「あっ」と頬を赤くした。

 

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「この服は正装というか、他にちゃんとしたものを持ってくるのを忘れたというか……フォーマル用」

「そうか。受験ってことは、蓮治より1つ年下だね」


話を逸らしてあげる。


「はい」

「どこもかしこもこんな感じの街だけど、ゆっくりしていくといいよ」

「ありがとうございます」

「ふふ」


クスクスとすみれさんが笑った。


「ちょっと彼女の挨拶にと思ったのですが、切り出す前に済んでしまいましたね」

「ああ、そうでしたか。失礼しました」

「大丈夫です。相性もいいようでなにより」

「相性?」

「いえいえ、なんでもありませんよ~」

 

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小悪魔チックな流し目を浮かべて、すみれさんが首を振る。

ミズキちゃんもなにか照れたような──それを面白がるような表情で、こちらの様子を窺っていた。

なんだろう。

動物園のキリンみたいな気分だ。


「ところで今、お時間よろしいですか?」


真心が下心に変わりそうな笑みを向けられた。

厄介ごとだ。

なんとなく察する。

2秒ほど見つめ合う。


「デートですか?」

「親睦を深めるという意味では一緒かも知れません」

「あなたからのお誘いを断ったことはありませんね」


俺は苦笑いを浮かべて、ふたりを家の中へと招いた。


……。

 

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「わっ、涼しい」

「エアコン、寒いかな?」

「いえ、大丈夫です。すごく気持ちいいので」


彼女は無邪気に首を振る。

この年頃の女の子はどういう生き物だったか……とか考えると、自分が年をとったようで嫌だな。

 

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「それじゃあ、なにか冷たいものでも飲みますか?」

「いえ、本当に結構です。すぐに用件は済みますから」


素直な事態だったので、それ以上、無理に気を利かせるのはやめた。

 

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めいめい好き勝手な位置に落ち着いたところで、「さて」と両手の指先をあわせる。


「なにか私に頼みごとですよね」

「お話が早くて助かります」


互いに外国暮らしが長く、日本の習慣からは遠い。

本題はストレートに片付けるのが性にあっていた。


「実はこれから1週間ほど、お昼から夕方まで、ミズキちゃんと一緒にいて頂きたいんです」

「へ?」


予想外の話に驚く。

ストレートではあったが危険球(ビーンボール)だ。

当事者の少女に目を向ける。

彼女は部屋に飾ってあるメトロノームや音叉(おんさ)に興味があるようで、かぶりつくようにそれらを観察していた。


「なんか美味しそうだなこれ……」


まったく聞いていない。


「え~と……どういうことでしょう?」


仕方なくすみれさんと再び相対する。

彼女は有能な社長秘書のような、優雅な社長令嬢のような、そんな微笑みを崩してはいなかった──スーツとか白衣とか着せてみたい。


「私は料理教室が時期的に忙しく、蓮治も夕方までは学校なので。ミズキちゃんがその間はひとりなんですよ。もちろん彼女も大人ですが、やはり慣れない場所では戸惑うこともあるでしょうし、ひとりで出歩かせては危ないかなと。唐突でおかしな話だとは思いますが、久瀬さんにお願いできれば──」

「あの、やっぱりちょっと待ってください」


俺は右手を挙げて、話に割って入った。

理解できない。

いや、ぶっちゃければ子供のお目付け役を任せたいというだけなのだろう……それはわかるのだが。

ミズキちゃんが戻ってきて、不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。

安心しきっている青い瞳。

 

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「状況の大筋はつかめましたけど、結論がよくわからないのですが?」


女の子の顔を見つめ返して微笑んだ後、表情を戻してすみれさんに告げる。


「気になることがあればどうぞ」

「年頃のお嬢さんが心配というのはわかりますが、そこで私に預けたら本末転倒でしょう」

「襲うんですか?」

「うに?」

「それはどちらの答えでも角が立ちますよ」


素っ頓狂な声をあげたミズキちゃんの様子に、思わず吹きだしてしまった。

襲うだなんて冗談でも言えないし、襲わないと言えば魅力がないという意味にも取られかねない。


「そうではなくて、私が一緒にいても責任がとれないからですよ」

「あの、おば様。そこまで無理にってわけでもないので」


俺の言葉を後押しするように、ミズキちゃんがぼそぼそとつぶやいた。


「おば様」という呼称はかっこいいなと思いつつ、その言葉で、この話が彼女の要望から発生したことに気付く。

いや、ちょっと違うか。

ミズキちゃんが夏休みに遊びまわりたいというのは普通の願望だ。

そしてすみれさんが、それにはお目付け役が必要──だなんて言うとは思えなかった。


『遊びまわるためにはお目付け役がいなくてはならない』


この条件をつけた人間が場の外にいそうだ。

例えばミズキちゃんの両親……。


「なかなか厳しい家庭だね」


ぽつりと漏らした言葉に、ふたりがきょとんと目を向けてきた。


「ちょっとお待ちを。考えます」


ぼんやりと天井を見上げる。

世間的なしがらみを気にするのも面倒になってきた。

純粋に、俺が麻生家から受けている借りと比べてみることにしよう。

定期的に美味しい食事をわけてもらい、長期間留守にする場合は家の手入れをしてもらい、目の保養までさせてもらっている。

最高の隣人と呼んでいいだろう。

たまにヴァイオリンの演奏会をしたり、蓮治の相手をしてやっていたが、なお借りのほうが多過ぎる気がした。


「……そうですね」


これはむしろ、たまった借りを清算できる最後のチャンスかも知れなかった。


「わかりました。1週間くらいなら構いませんよ。もちろん、ミズキちゃんが私でいいと言うのでしたらですが」

「どうかな?」


大人ふたりが、黙って立っている少女に視線を向けた。

ミズキちゃんは何度か瞬きした後、窺うように答える。


「……いいんですかね?」

「いいよ」

 

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「それじゃあ、お願いできれば嬉しいです」


彼女は満面の笑みを浮かべた。


「こちらこそよろしく」

 

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俺は、今度こそ右手をさしだす。

ミズキちゃんも物怖じせず手をとってくれた。

女の子特有の、ひんやりした小さな手だった。


「それで、いつからです?」

「できれば今から。この後、もう私は出かけなければいけないので。えーと、夕方6時くらいに家に帰ってきてくださればいいのですが」


時計に目をやって、すみれさんは何かに気付いたように顔を上げる。


「そういえば、ミズキちゃんを預けるにあたって1つだけお約束してほしいことがあります」

「日の光に当ててはいけないとか、水を与えてはいけないとか」

「なんの話ですかそれ?」

「夜の0時過ぎに餌を与えちゃいけないのは確かですけど」


ミズキちゃんの言葉を無視して、すみれさんが続ける。


「食べると凶暴化しますか?」

「太りますよね」

 

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「太らないです!」

「ほら、昨日の夜も、蓮治と寝っ転がってお菓子を食べながら……」

「太らないんです! 絶対に太りません! 太ってなるもんかぁ!」


現実から逃げるように、ミズキちゃんが腕をブンブンと振る。

それは俺も太ると思ったが、地雷原で200メートル走みたいなことはしたくなかったので黙っていた。


「冗談はおいておいて」

「冗談でも聞きたくないっす……」


いじいじ、とミズキちゃんが戦線から離脱してしまった。


「えーと、それで約束ってなんですか?」


そろそろ本題に戻ろうとスイッチを切り替える。

すみれさんは距離をとったミズキちゃんを見た後──それを狙っていたのか、少しだけ身を乗り出して口を開いた。


「実は海にだけは行かないようにしてほしいんです」
「海? どうして?」
「問答無用で」


文字通りの意味で朗らかな笑みを浮かべられてしまう。


「OK、わかりました。追及はしません」
「それでは私はこれで。細かい話は後ほど」

 

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「あ、おば様、ありがとうございました」


扉のほうに向かおうとしたすみれさんに、ミズキちゃんが声をかける。


「気にしなくていいから。お礼は久瀬さんにね。迷惑は……どうやってもかかるものだけど、必要以上にはかけないように」

「はい」

「それでは、彼女のこと宜しくお願いします」


再び俺に頭を下げて、すみれさんは部屋を出て行った。

しばし室内を静寂が支配する。

女の子とふたりきりだからって緊張するほどウブでもない。

いや、むしろ、ここまで年の差のある"女の子"だと扱いに困るところはあるかも知れないが……。

どうしようかなと、あえてミズキちゃんには視線をやらずに考えた。

夕飯の献立を考えるくらいの曖昧な思考だった。

 

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「ねえ、久瀬さん久瀬さん」


名前だけでなく腕も2回つつかれる。

お年頃の複雑な笑みを浮かべた少女が、俺を見上げていた。


「どうしたの?」
「わたしのこと襲わないでくださいね♪」
「……努力しよう」


俺は紳士らしく唇の端をもちあげた。


「ところでご飯はもう食べたかな?」
「はい、しこたま食べてきました」
「それじゃあ、映画でも見に行こうか」


少しだけ考えて、屋外が暑いことも考慮に入れつつ、無難でありきたりで平凡な提案をしてみた。

 

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「う~ん……それもいいですけど、お話してはいけませんか?」
「話なら今してるよ」
「そういう話じゃないんです」


ミズキちゃんが、肩の力が抜けるような笑顔を浮かべた。


「これから1週間お世話になりますし、まずお互いのことを、よく知っておくほうがいいと思うんですよ。転校生の自己紹介みたいなものです。えへへ」


無防備すぎると、見ている側が心配になるような笑みを向けられた。

犬っぽい外見をしているが動物属性も犬らしい。

狐だと自覚している自分にとっては天敵だ。

いや、狐はイヌ科だから同族嫌悪なのか……そんなことはどうでもよくて。


「最初に1ついいかな」
「なんですか?」


ミズキちゃんが10センチ近づいてきたので、15センチ離れる。


「ひきうけてからでなんだが、俺のことを信用してもいいけど、信頼はしないでね」
「へ?」
「人間、1週間でなにかわかるもんでもないし。あくまでも他人だからさ。もちろんなにかするつもりもないけど、君のほうでも距離をとっておいてくれると助かる」
「ああ……。あはは。大丈夫ですよ。心配ご無用です」


えっへん、と胸を張ってミズキちゃんが頷く。


「久瀬さんは良い人です。そんな匂いというか、わたしにはわかります!」
「どこぞのインチキ霊能力者みたいな台詞だね」

 

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「うぁ! 爽やかに自己否定しないでくださいよ」


初めて彼女の表情が曇った。

 

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──と思ったらすぐに晴れた。


「ま、照れてるだけでしょう。自分が良い人だ、なんて言ってたら、それこそ怖いですし」
「おいおい……」


さすがに興味を向けてしまう。


「君は"いい性格"してるね」
「はい?」
「もうこの話は止めよう。それより、やっぱり外に出よう」


自身に勢いをつけるように言って戸口を示した。

せっかくのお目付け役が搭載されても、このままウダウダしていたら変わりがない。

子供は外で遊ばせてなんぼ。

それに、たまには俺も、月光ではなく日光を浴びるほうが健康的だろう。


「ヴァイオリンはどこにあるんですか?」
「ん」


何気なさを装って彼女に視線をやる。


「ヴァイオリンがどうかしたの?」
「いえ、久瀬さんはプロの演奏家だそうで。ちょっと聴いてみたいな~とか思ったりなんだり」


おそらく蓮治か誰かに聞いたのだろう。

少し間違った知識として。


「壊れちゃっててね。今は弾けないんだ」
「ああ、しょんぼりですね……。昨日の演奏でなにかあったんですか?」
「昨日?」
「川辺にいたら聴こえてきたんです。すっごくきれいでした。音で作られた海みたいに。この街でそのレベルなら久瀬さんのヴァイオリンだろうって、蓮治から聞きましたけど」
「そうか」


そういうことか。

あれを彼女も聴いていたのか。


「なんならCDがあるから持っていってもいいよ」
「いえ、それなら蓮治も持ってたはずなので」
「そう」
「残念だけど諦めましょう。やっぱり生がよかったんですけどね、生が」


後半の部分に突っ込みを入れようかと思ったが、下世話なのでやめた。


「機会があればね」
「はい」


ミズキちゃんがひまわりのように笑った。


……。


家の外に出た瞬間、覚悟していたとはいえ暑さに立ちくらみそうになる。

意識をしっかり保とうと、こめかみを押さえた。

 

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「ふぅ……」
「う~ん、むかつくほど暑いですね~」


隣を見れば、汗をかきながらも涼しい顔でミズキちゃんが立っていた。

やはり年の差だろうか。

いや、まだ俺は若いぞ。

若い若い若い若い……。

むなしくなった。


「どこか行きたい場所とかある?」
「いえ。適当に歩きながらでいいと思います。お話も途中でしたし」
「ああ、それ、まだやるつもりなのね」
「もちろんですよ」


にっこり、彼女は歩き出してしまった。

意外としつこい性格かも知れない。


……。

 

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「ずんたかたった~、ずんたかたった~、ずん、ちゃっちゃっ♪」


手足をパタパタと振りながらミズキちゃんが歩いている。

気分は子犬の散歩だった。

軽快に。

この天気なら海辺の通りが気持ち良さそうだが、海に行けないとなると、必然的に街中を歩くことになる。

 

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「あ、ほら、見てください久瀬さん」
「どうしたの?」
「お花があります」


道の脇にある生垣を指差して、ミズキちゃんが大きな声をあげた。


「うん。花だね」
「はい、きれいです。いいもの見つけました」


彼女はにっこり笑って俺を見上げた。

さっきから、なにがそんなに楽しいのだろう。


「そういえば久瀬さん、無理しないで普段の口調でいいですよ」
「なんのこと?」
「さっき一度だけ素になってましたよね。"私"じゃなくて"俺"って言ってました」
「あれ? そうだったかな?」


頭をかきながら思い返すが、いまいち記憶にない。


「……別に無理はしてないんだけどね」
「そうなんですか?」
「仕事柄、お上品な人たちと話すことも多くてね。TPOで使い分けてるだけなんだ」
「それなら、今は仕事じゃないほうにしましょうよ。わたしも上品なのは疲れちゃいましたし」
「それって演技なの?」
「そうですよ。女の子は猫をにゃーにゃー被ってるものですから」


内容の軽さに似つかわしくない、お嬢様のように澄ました喋り方で返答される。

彼女と一緒にいるのも仕事みたいなものだと思ったが、押し通すほどのこだわりでもないか。

とんとん、とこめかみを手のひらで叩く。


「まあ、こっちのほうが俺も楽だわな」
「わ、スイッチみたいですね」
「喋り方?」
「ですです」
「このくらいの年になるとさ、仮面だったものも素顔の1つになっちゃうんだよ」


言った後で、自分は年のことがそんなに気になるのかと苦笑いしてしまう。

ミズキちゃんを見ているうちに、自分にもこんな時代があったのだなと、ちょっとした意識の巻き戻りを起こしているのだろう。


「ああ、どうせだから面白いやつを紹介しようか。この街の牢名主(ろうなぬし)みたいなやつ」
「ろうなぬし?」


俺だけじゃないんだから、昔は馬鹿だったな~って火村にも思い出させてやろう。

我ながらいいアイデアだ。

 

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「なんの話ですか?」


ミズキちゃんが首を傾げる。

 

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俺はくるくると人差し指を回しながら空を見上げた。


「古きよきオールディーズさ」


……。

 

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「あ」

目的地が見えたところで、隣にいたはずのミズキちゃんが急に視界から消えた。

 

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なにごとかと振り返ると、彼女は足を止めて教会を見上げていた。


「…………」


遠い目だ。

この年で、こういう表情も浮かべられるのかと意外に思う。

妙な既視感を覚える。

どこかで、似たような眼差しを見たことがある気がした。


「どうしたの?」
「いいえ、なんでもありませんよ。この教会ってかっこいいですよね。いかにも教会って感じで」
「まんまやね」


冗談めかしてつぶやきながら、目の奥で、じっと彼女を観察した。

特に無理をしているようには見えなかった。


「そういえば火村さんですかね、紹介してくれる人って」
「あれ、火村を知ってるの?」
「蓮治から話だけは聞いたんですよ。千尋さんのあの時のことで」
「ふ~ん、そうなんだ」


それで納得がいった。

さきほどのヴァイオリンに関してのやりとりは、彼女の情報が半年ほど古いものだったからか。


「まあ、火村の仏頂面は、聞くのと見るのとで大違いだから楽しみに」


ニヤリと、俺は扉に手をかけた。


……。

 

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軋みを響かせて境界をまたぐ。

薄暗くひんやりとした──ワイン倉のような独特の古臭さを帯びた空気が乱れる。

外界との明暗に、一瞬、視界がくらんだ。

隣に立つミズキちゃんも、両手で目をこすっていた。


「うぅ……チカチカします」
「それも、まんまだね」


ぽんぽん、と彼女の頭を叩く。


「うぁ、子供扱いしないでくださいよぉ!」
「こりゃ失敬」

 

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俺は彼女の頭にのせていた手を、祭壇のほうにむかって軽く振った。

火村は教会の真ん中あたりで、目を細めてこちらを睨んでいる──向こうから俺たちを逆光でシルエットにしか見えないのだろう。

ふたり分の足音が室内に反響する。


「よ」


目前になった仏頂面に改めて声をかけた。

しかし、返ってきたのは挨拶ではなかった。

 

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「その子は……」

「なに驚いてるんだ。彼女じゃないよ」


彼の呆けた顔があまりにもアレでありレアだったので、ついつい、いらん説明をしてしまう。


「わかってる」


瞳が微かな動揺を見せたが、すぐにコントロールされていつもの無愛想なツラに戻った。

お見事。

 

「まあ、わたしは久瀬さんの彼女ではないですね」


ミズキちゃんは勘違いした様子だったが、訂正する必要もないので聞こえなかったフリをする。


「この子は蓮治の従妹だそうだ。昨日話していた子だよ。色々あって、1週間ほど俺がお目付け役ってことになってね」

「なるほど」


頷いてはいるが、たいして興味がないのだろう。


「自己紹介はお互いにどうぞ」

「あ、はじめまして、羽山ミズキです。ミズキは全部カタカナです」

「火村です。よろしく」


会釈もせず、握手も求めず、火村はぶっきらぼうに答えて、「それで?」とでも言いたげに俺を睨んだ。


「いや、特に用はない」

「おい」

「おまえの乾燥してひび割れてかさかさの生活に、一片の潤いを与えようという俺の気遣いだと思ってほしい」

「火村さんって教会の方なんですか?」


火村から文句が返ってくる前に、ミズキちゃんが建物の中をぐるりと見渡して質問した。

言外に、「そんな風には見えないような」とついてそうな物言いだ。

 

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「違うよ。火村は神父でも牧師でもないけど、ずっとここにいるんだ」

「あれ? なんでですか?」

「ここで依頼を請けてる殺し屋なんだよ」

 

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「うわ!? 言われてみれば、楽しい経歴を匂わせる悪そうな顔を……」

「お、上手いこと言うね」

「あはは♪」

「…………」

「あはは、はは……あ~……」

「…………」

「え~と……軽い冗談、みたいな、感じなんですけど?」

「…………」

 

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「……ごめんなさい」


ミズキちゃんがしゅん、と肩を落す。


「いや、こいつはこれが地顔……って怒ってるのか?」

「どうもテンポがあわない」


火村はいつものように無愛想だったが、それは単にどんな顔をすればいいのか、わからないようだった。


「ダメだな。年だな。おっさんだな。可哀想に若い感性についていけないんだ」

「…………」


早口にまくしたてると、壮絶に嫌そうな目で睨まれた。

これで目的達成、と。


「ちょっと久瀬さん!」

「え!?」


唐突にあがった──教会という場に相応しくないトゲのある声。

発信源に目をやると、ミズキちゃんが真面目な顔で俺を見上げていた。


「お友達にそんな言い方をしてはダメです。親しき仲にも礼儀ありです!」

「は、はぁ」

「そういうところはきちんとしなくちゃダメですよ」

「……俺はどうなるんだ?」


親しくもないし礼儀もなかった火村くん、ボッシュート


「ところでなんの話でしたっけ?」


怒っていた当人が首を傾げだしてしまった。

遅刻に厳しい風紀委員、ただし本人が遅刻魔なのでチェックできず──みたいな。


「俺も用事がわからないんだが」

「えーと……ああ、そうだそうだ」


俺は流れを修正しようと、火村を指差してにっこりと微笑んだ。


「こいつ両刀(バイ)なんだ」

「全然違うじゃねぇかよ! っていうか、会うヤツ全員に誤解を広めようとするな!」

「怒りっぽい人たちばっかりだなぁ」

「特に用事はない、ってさっき言ってましたよね」

「そうだな。特にない」

「本当にないのか……」


がっくりと火村が肩を落とした。


「冗談はこれくらいにして。ミズキちゃん、この街でなにか困ったことがあったら、こいつに相談するといいよ」

「なんでですか?」

「こんな顔だけど基本的にお節介なんだ」

「へぇ、顔に似合わずいい人なんですね」

「……おまえら、俺の顔に恨みでもあるのか?」

「ほえ?」

「俺はあるぞ~」


わはは、と笑ってやる。

火村は愛想の欠落した顔で、ミズキちゃんに向かって肩をすくめた。


「君、こいつと付き合ってると馬鹿になるよ」

「え」

「なにせ、音楽校の大事な試験に二日酔いで参戦したようなやつだから」

「な、なんですかそれ?」

「……いや、それね、あの日のことはいまいち覚えてないんだ」

「本来は静かな曲をやたらと激しく弾いて、奇抜なアレンジだと皆を驚かせたと思ったら、実は安いワインの飲みすぎで機嫌が悪かったとか」

「評価はよかったよ」

「気が向けば街頭や電車の中でもいきなり演奏しだして、何度か警察のご厄介になったとか」

「おまわりさんも演奏は上手かったって褒めてくれたけど」

「上機嫌に笑ってヴァイオリンを構えていると、まるでこれから天使でも狩りにいく漁師に見えるとかいう話もあったな」

「耳はよかったけど、見る目がないやつだったんだ」

「おふたりの仲がよいのはわかりましたが……。なんだか、凄いのか凄くないのか判断しづらいエピソードですね」


ミズキちゃんが感心なのか呆れなのか、よくわからない声を上げる。


「けなされてないんだから褒めてるんじゃない?」

「けなしてるんだよ俺は」

「そ」


なにか急に胃が痛くなってきた。

どうやら相方のツッコミ心を刺激してしまったらしい──そして、あの当時の弱みをいくつか握られていて困る。

そろそろ頃合いか。


「ま、用件はそれだけさ」


舞台から退場する指揮者のように、慇懃(いんぎん)に挨拶してやる。


「んじゃま、火村くん、ごきげんよう

ごきげんよう?」

「さらば友よ」

「まったく」


返事なのか、とっとと出て行けということなのか、火村がひらひらと手を振った。


……。

 

 

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教会を出た俺たちは、他愛のない話をしながらぐるぐると街を歩き回った。

初日は街の説明をするほうが良いと思ったのと──俺としては自分の話をするよりも、そのほうが気が楽だった。

やがて、まだ日は高かったが17時半を回っていることに気づく。

 

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「そろそろ帰ろうか」
「え? あ、そうですね」


壁に寄りかかって街を見ていたミズキちゃんが、ぴょん、と俺の目の前に立った。

仕草も表情も無邪気なものだったが。


「…………」


どこか表情に翳(かげ)りが見えていた。

教会を訪れたことがきっかけだったのだろうか。


「ん、どうしました?」


俺が注目していることに気づいて、彼女が目線をあげる。

 

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「わたしに惚れると火傷しますよ」
「いや、疲れたかな?」
「う~ん……。ちょっと。でも、散歩のせいじゃなくて、この街に来るまでの疲れですから。明日からは元気にいきますね!」
「お手柔らかに」
「はい」

 

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ミズキちゃんが柔らかく微笑む。


「久瀬さん。今日一日、どうもありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ面白かったよ」


それは世辞ではなく本心だった。

最近、こういうシンプルな面白さがあることを忘れていた気がする。


「わたしは面白かったではなく、楽しかったです」
「なにか違うの、それ?」
「ぜんぜん違うことですよ。意外とぼんやり屋さんなんですね、久瀬さんって」


まるで子供の相手をしているように言われてしまう。

教会でもそうだったが……悪い気がしないのは、彼女の底にあるものがきれいだからだろう。


「面白かったと楽しかったは別、か」
「そうです。その違いを知ることを、夏休みの宿題にしましょう」


くすくすと。

なんだか、懐かしい匂いがした気がした。


「……女の子は砂糖とスパイスと素敵なもの全てで出来てるんだ」
「え?」
「いや、なんでもない」


俺は馬鹿な考えに首を振る。

 

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テレビかコンポのリモコンのように、人間の思考も消音できればいいのにな──

 

……。

 

マザーグース?」

 

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それは今朝の話。

まだ夜が明ける前。

缶ビールを片手にぶら下げて、火村が出し抜けにつぶやいた。


「女の子は砂糖とスパイスと素敵なもの全てでできている、ってマザーグースだったよな?」
「そうだよ」
「それがどうかしたのか」
「なんとなくね」


俺はワイングラスに注いだミネラルウォーターを舐める。


「人生もケーキみたいなものかなって。甘くて美味しいことと、美しくデコレーションされていることは、どちらが重要なんだろう」
「それは質問か?」
「いや。肴(さかな)だよ。水族館みたいに意味のない会話」


あまりの眠気に、思考のストッパーがズレてる気がした。


「要は視点の問題だ。子供はただケーキが食べたくて。大人にはケーキという象徴が必要で──食べるためには崩さなきゃいけないが、崩して食べてしまえばただの砂糖の塊だ。でも、もっと大きな観点から見れば、味なんてものがそもそも装飾でしかない。ケーキでなくとも、食物はすべてデコレーションされているというわけさ。本物なんてどこにもない……でも、だからこそ本物になろうとする偽物であることが大切なんだ」
「……なにが言いたいんだ、結局?」


あ~、と俺は天井を見上げる。


「……だから、女の子は甘くて美味しいって話じゃないか」
「哲学の話じゃなかったのかよ」


苦笑いしながら火村がビールを口に運んだ。

甘くないものが喉を通っている。

缶の表面に浮いていた水滴が床に落ちる。

意識が拡散していて、余計なものばかりが目についた。

 

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「もうすぐ夜が明けるな」
「なぁ、久瀬。こんな時だから1つだけ聞いておきたいんだが」
「改まってなんだよ」


心地よいまどろみに身をゆだねながら、首を傾げる。

 

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火村が近づいてきて──いや、それは近すぎる。

火村が眼球の奥を覗き込んできた。

傾げた首に、ビールを握っていたからか、ひんやりとした手がおかれた。


「おまえは、今、幸せか?」


…………。

 

……。

 

 

「久~瀬~さん」


ぼんやりしていた思考が現実に呼び戻される。

翌日の午後、再びミズキちゃんと街を散歩している道中の出来事だった。

 

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なにか首が苦しいなと思っていたら、俺よりも背丈の低い彼女が、シャツの裾をひっぱっていた。


「……どうしたの?」


襟元を正しながら訊ねる。


「ここからだと南ってどっちですか?」
「お茶碗をもつ手のほうだよ」

 

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「えと、こっちが箸だから。あっちですね──って、それ左右の区別ですよ。なに言わせるんですか! わたし馬鹿な子ですか!?」
「ごめんごめん。本当はあっち」


俺は近くに立っている街灯を指差す。


「うぅ……久瀬さんものすご~くナチュラルに嘘をつきますね……今度は本当ですか?」
「うん」
「そっか。あっちなんだぁ」
「きっぱり嘘だけど」

 

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「わきゃあ!?」


ミズキちゃんが再び大げさに驚いた。

ここまでリアクションが面白いと、火村の次に、からかいがいがある。


「わかりました。後で自分で調べます……。それと、だんだんと久瀬さんという人格を誤解していたことに気付き始めましたよ」
「そりゃ良かった」


笑いながらミズキちゃんを眺める。

元気になってきますとの宣言通り。

制服に比べて私服はかなりラフな印象で、活発な彼女にはよく似合っていた。

すらりとした手足が露出していて……。

なんつーか暑そうだな。


「それで、今日はどうしようか?」
「あ、はいは~い! 考えてきました」


授業参観ではりきる子供のようにミズキちゃんが声を上げる。


「そういえばわたし、この街に会いたい人がいるんです」
「彦星さま?」
「なんですかそれ。違いますよ」


彼女はケラケラと笑ったかと思うと、ふっ、と少しだけ俯いた。


新藤千尋さんです」
「あれ、千尋ちゃんと知り合いなの?」
「はい。蓮治よりもわたしのほうが会ったのは先です。千尋さんの記憶が消えるようになる前に何度か」
「ふ~ん、なるほどね。それなら覚えてるか」
「はい。挨拶くらいはしたいなというか、気になりますからね」
「わかった。んじゃ、行ってみよ」


これといって暇潰しの提案がなかった俺は、気軽に進行方向を変えた。

この時間ならまだ蓮治は来ていないだろうし、顔あわせと挨拶くらいなら問題ないだろう。


「俺、千尋ちゃんがちょっと苦手なんだけどさ」
「へ、どうしてですか?」
「彼女には嘘がつけないから」


最後の一言を、隣に並ぶ少女には聞こえないようにつぶやいた。


……。

 

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話には聞いていたが、駅は繁華街の喧騒から離れた隠れ家みたいな雰囲気だった。

風通しがよく、思いのほかひんやりとしていて心地よい。

いや、温度が下がったと感じさせるのは、その場に佇む少女のせいだろうか。

 

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彼女はひとりで空を見上げている。

触れれば、本人だけでなく周囲の世界ごと壊れてしまいそうな危うい空気を身にまとい。


「…………」


まだ声をかけるには中途半端な距離で、新藤千尋がこちらに気づいた。

その片方の目だけが俺たちを見つめる。

ところで、あのチャイナっぽい服は誰の趣味だろう。

俺の趣味か?

 

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「どちら様でしょうか?」

「こんにちは千尋ちゃん。火村の友人で、以前に君とも会ったことがある久瀬修一って言うんだ」

「ん? ああ、そかそか」


解説のような言い回しにミズキちゃんが怪訝な顔をしたが、すぐにその必要があることを察したようだ。


「それはどうも」


ぺこり、と無表情のままながら千尋ちゃんが応対してくれる。

半年前からまるで変っていないやり取りだった。


「すみません。私は……」

「うん、事情は知ってるから大丈夫」

「そうですか」


千尋ちゃんの視線がミズキちゃんに移る。


「そちらの方は、久瀬さんの妹さんですか?」

 

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「げっ、久瀬さんがお兄さん?」

「あはは、ちょっと妹と物陰で話し合わなきゃいけないみたいだ」

「わわ、冗談ですよ。ごめんなさい。爽やかに指でカモ~ンってやるのやめてください!」

「愛情を身に刻むって言ってるだけだよ」

「折檻ですよそれ!」

「むしろ調教」

「ぎゃ~~!!」


「はぁ」


なんだかわからない吐息を千尋ちゃんがつく。


「えーと……つまり兄妹であってるのでしょうか?」

「違います違います。近所のお兄ちゃんみたいなものですけど……なんて言えばいいんですかね?」

「結婚を前提にお付き合いさせて頂いております」

 

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「にゃう~!?」

「このリアクション、面白いと思わない?」


「なかなか斬新ですね」

「否定してくださいよ久瀬さん!」

「ああ」


ボケ担当しかいないと話が進まないか。

俺はいい加減に本当のことを言おうと、ミズキちゃんを手で示す。


「実は、蓮治が女装に目覚めちゃったんだ」

「麻生蓮子で~す♪」


さすが音羽でもっとも大阪に近い女。

火村とは出来が違う。


「…………」

「あまりにも見事な連携に、千尋ちゃんが声も出ないくらい感動しているようだ」

「あああ!? 記憶から抹消してくださいっ!」


洒落にならんことを叫びつつ、ミズキちゃんが頭を抱えた。

千尋ちゃんノーリアクション。


「……いい加減に漫才してないで名乗っておこうか」

「……そうですね」


上着の裾をはたいて、ミズキちゃんが前に出る。

 

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「えと、羽山ミズキです。景先輩と遊んだりなんだりしていて会ったことあるんですけど……覚えてますか」
「……? あ」


驚いたのかも知れないが、ほとんど表情を変えずに千尋ちゃんが小首を傾げた。


「ミズキちゃん?」
「そうですそうです、よかったぁ」
「大きくなったんですね」
「ほえ? ああ、はい。それはもうなんとなく勝手に大きくなりました」
「…………」

 

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千尋ちゃんが不思議そうに自分の腕を眺めだす。


「そうか……もうそんなに経つんだ」
「そうです。千尋さんも大きくなってますね」
「え?」


千尋ちゃんと一緒に、声にはしなかったが俺も驚いた。

素で感心してしまう。

ミズキちゃんは記憶障害の話を逸らさなかった。

好奇心で話しかけたり、気を遣いすぎる輩(やから)もいるそうだが、彼女はただ真っ直ぐに、自然な笑みを浮かべて今の千尋ちゃんと向き合っている。


「きれいです。景先輩とは違うミステリアスな魅力がメロメロですね」
「めろめろ?」
「つまり美人です」
「そ、そんなことありません……」
「ありまくりですよ。というわけで、抱きついてもいいですか?」
「……は?」


今、会話の流れが決壊しなかったか?


「ちょっと再会を祝しまして抱擁(ハグ)を」
「え? はい、別に構いませんけど」

 

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「わぁ~い♪」


ぎゅっ、と目の前で女の子ふたりが抱き合ってしまった。


「あ……ふにふに柔らかい……いい匂い……幸せ……鼻血でそう……はぁう~♪」

 

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なんだこの光景……ギャグか?


「君、真性?」

「なにがですかぁ」


千尋ちゃんの頭に頬を寄せ、幸せそうにミズキちゃんが息をつく。

冗談で言ってるわけじゃなさそうで、少しひいてしまう。


「……いや、なにしてるの?」

「充電してるんです。すっごく先輩エネルギーが足りなかったんです」

「はぁ、それはそれは……ところで暑くないですか?」


とことんマイペースに、千尋ちゃんが抱きしめられながらつぶやいた。

こちらは絶対にわかっていないだろう。


「っと、ごめんなさい」


未練がましさを感じさせない──踊るような動作でミズキちゃんが離れる。


「改めましてお久しぶりです。羽山ミズキです!」

「はい。そうですね。久しぶりだと思います」
千尋さ……あ、良かったらですけど、千尋先輩って呼んでいいですか?」
「え?」
「いや~、景先輩と同じ年上だってのに、呼び方を合わせないと変な感じがしまして、あははは」
「あ……お姉ちゃんと一緒ということですか」


なぜか千尋ちゃんの視線がこちらに向いた。

 

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「いや、なんかもう、俺のことは気にしなくていいから」


ひらひらと顔の前で手を振る。

 

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「そうですか。では、先輩後輩ということで」

「わ~い♪」

「さっぱり、わからん」


三者三様の声が駅に響いた。

 

…………。

 


……。

 


「……よかった。お姉ちゃんも本当に元気にやってるんですね」


ミズキちゃんから、離れて暮らす姉の近況を聞かされ、千尋ちゃんが胸をなでおろした。


「メールのやりとりとかしてるんじゃないんですか?」

「してますけど……やはり直に会っているわけではないので」

「なるほど~」


俺は少し離れた場所でふたりを見ている。

ケイ先輩とかヒロなにがしとかいう名前に覚えがなかったので、口を挟むことが出来なかっただけだが。

ただ、女の子ふたりの声にはちょっとした感慨がこもっていて、耳ざわりは良いものだった。

さきほどの騒がしさが嘘のようだ。


「久瀬さん」


ぼんやりしていた俺を、ちょいちょい、とミズキちゃんが呼ぶ。


「なんですかお姫様?」

「しばらく千尋先輩のお相手をお願いできればと思いまして」


俺の冗談を逆手にとって、例の猫かぶりモードになっている。

 

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「なんで?」

「いえ、ちょっとお花を摘みに。おほほほほ」

「花?」

「ああ、わからなければいいんです」

「トイレは改札の近くにあったはずだよ」

「滅茶苦茶わかってますね!」


行ってらっしゃい、と手を振る俺に、涙を浮かべながらもミズキちゃんが手を振り返してくれた。

そんな様子を、千尋ちゃんがぼんやりと眺めていた。

苦手、なんだけどね。

俺は彼女の前に立って胸に手をあてる。

 

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「そんなわけで、お相手していただけますか」
「なにをですか?」
「なにをでしょうね?」


あまりにも素の反応に微笑んでしまう。


「ダンスでもしましょうか」
「いえ、私は踊れませんので」


ゆっくりと千尋ちゃんが首を振る。


「おふたりは本当に仲がいいのですね。ちょっと、うらやましいかも知れません」
「兄妹じゃないけどね」
「本当にお付き合いなさってはいないんですか?」
「その可能性もないと思うよ」


言って、俺は青いだけの空を指差した。


「ところで、さっきはなにを見ていたの?」
「ああ、かもめです」
「かもめ?」


そんなものにあれだけ集中している人間を、初めて見たかも知れない。

そこで会話が途切れてしまった。

 

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俺はじっと空を眺める。

 

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かもめかどうかわからないが、白い鳥が1羽、ゆっくりと青い空を旋回していた。

のどかだ。

 

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手帳をめくる音がした。

心の準備をする。

ぺらぺらと手帳をめくっていた千尋ちゃんが、突然、彼女らしからぬ驚きの声をあげる。


「あ、あの……あなたは久瀬修一さんですか?」


俺のプロフィールを確認したのだろう。

そこに書かれているはずの俺の現状を……千尋ちゃんに嘘はつけないから。


「そうだよ」


口元に人差し指を当てて、にっこりと笑う。

俺は久瀬修一以外にはなれないから。

可愛い足音が駅舎のほうから聞こえてきていた。


「ミズキちゃんには内緒にしておいてくれないかな」

「あの……ごめんなさい……」


千尋ちゃんが複雑な表情で俯く。

気にしなくてもいい──そう答える前にミズキちゃんが帰ってきてしまった。

 

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「あ、久瀬さんやっぱりなにかしましたね!?」

「やっぱりってなんだよ……なにもしてません~」

「なんか千尋先輩がどんよりしてるじゃないですか」

「そ、そんなことないですよ」


千尋ちゃんが愛想笑いを浮かべた。


「む~、そうですか……そうなのかなぁ……?」


勘が鋭いのか、まだ不承々々(ふしょうぶしょう)という雰囲気だが、ミズキちゃんが頷く。


「大丈夫。女性を泣かせていいのは、俺の胸か、ベッドの上だけってのがポリシーだから」

「うわ、最悪だこの人……」


俺は苦笑いしながら軽く肩をすくめた。


「それじゃあ、俺たちはそろそろ行こうか」

「もうですか?」

「そのうち蓮治も苦し、うちらも散歩の途中だからね。……1日にたくさんの情報を伝えると、明日以降の彼女が混乱するんだよ」


後半は千尋ちゃんには聞こえないように、さらに視線も向けずにつぶやく。

障害を理由にするのは自分でもアンフェアだと思ったけれど、それを気にとめるような精神も持ち合わせていなかった。


「そっか……そうですね」

「もう行ってしまうのですか?」

「うん、お邪魔さま」

「はい」


彼女は誰も引き止めない。

俺も止まるつもりがない。

それでも、なんとなく期待してしまう。

俺は、俺の隣に立つひまわりのような少女に目をやった。


「それじゃあ、また来ます千尋先輩!」


……。

 

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商店街にでて軽くお茶をした俺たちは、のんびりと街中を散策していた。

昨日は山のほうを回っていたので、今日は自然と、海の方角へと足が向いてしまう。

しかし、海そのものには出ないルートを選んでいるうちに──気がつくと慣れ親しんだ場所に辿りついてしまっていた。

 

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「教会だ」


ぽつり、とミズキちゃんがつぶやく。

蝉しぐれに混じって聞き取りづらい声だった。

俺が彼女の顔を覗き込もうとした瞬間──

 

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「また来たのか」


もう1つため息が聞こえた。


「おや火村くん、ご機嫌うるわしゅう」

「たった今、うるわしくなくなったがな」

「こんにちは~。暑いですね」

「……夏だからな」


普段にも増して愛想が見受けられず、苦手意識を感じさせるが、きちんと返事はする律儀な火村くんだ。


「なにか用か?」

「いや、今日は本当に、たまたま通りがかっただけなんだ」


俺は額の汗をぬぐいながら言う。

午後をまわって足元からも熱気が立ち込めている。

誰よりも先に、自分が暑さにやられる予感があった。


「……少し休んでいきましょうか?」


気遣ってくれているのかミズキちゃんが俺を見上げる。


「大丈夫……いや、そうしてくれると助かるかな」

「休憩所じゃないぞここは」

「おまえの家でもない」

「ふん」


火村は鼻で笑うと、先に立って教会の扉に手をかけた。


……。

 

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陽光を避けただけで随分と体感温度が下がった。

汗ばんでいた肌が心地よく冷やされる。

蝉の声が遠くなる。

 

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「ふぅ……ついでにお茶を一杯所望したいんだが」

「ねぇよ、そんなもん」

「冗談なんだからそうツンケンするなって。すぐ出て行くから」

「ほんっとに仲がいいんですね~」


ひょっこりとミズキちゃんが顔をだす。


「……どこをどう見たら仲良く見えるんだ?」

「どこもかしこもですけど」

「どこもかしこも、隅から隅まで仲良しさんだよな、俺らは」

「わざわざ言い直すのはやめろ」

「ふたりは、いつからのお付き合いなんですか?」

音羽の学園に入ってすぐだっけ?」


もう遠く感じる時代を思い出す。


「不覚にもそれから縁を切れずにいるな。後、お付き合いという言葉もやめてくれ」

「留学した後も文通していた仲なのに……」

「おまえが勝手に送ってきてただけだろう」

「確かに返事はなかったな」

「……あの手紙にどう返事しろって言うんだ」

「どうでもいいが、まだ残ってるからな、あのころの手紙」

「げ、まじか!?」

「だから迂闊なことは──」

「あはははは」


唐突にミズキちゃんの笑い声が花開く。


「そういうのが仲良しさんなんですよ~」

「ほら」

「……くそっ」


火村が頭に手をやって舌打つ。

俺とミズキちゃんは目配せしてもう一度微笑んだ。


「久瀬との話なんていいんだ」

「さっき千尋先輩と会って来ましたよ」


にっこりと、彼女が話題を変えた。

唐突な転換に火村が目を丸くする。


千尋と?」

「はい、わたしは以前からの知り合いだったんです。とってもお懐かしゅうございました」

「そうか……。たまにでいいから遊んでやってくれ」

「ん、宗旨替えか?」


今までは彼女から人を遠ざけていた火村の言葉に、思わず素になって声をかけてしまう。


「別に宗旨なんてないさ。蓮治の時だって自主性に任せていただろう。少し甘やかしすぎたかも知れないしな。内堀はどうにもならんが、そろそろ外堀は冷めてきたし、悪くないだろう」

「そうか」


心変わりをもう少し追求しようかと思ったが、今はミズキちゃんがいるので相槌で済ませた。

 

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と、火村が軽く手を振ってその場を離れる。


「ここは涼しい場所だ。ゆっくりしていくといい」

「火村さんはどちらに?」

「少し街を回ってくる」


火村はまったく躊躇せず教会を出て行った。

ミズキちゃんが扉のほうを見つめて、不思議そうな顔をする。


「……もしかして、わたしが怒らせちゃいましたかね?」
「いや」


彼女の視線を追って、ゆっくりと首を振る。


「そういうことじゃない。あいつは、あれで気を遣ったつもりなのさ」

 

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「気を遣う?」
「愛想の悪い自分がいると、俺たちが落ち着かないと思ったんだろうね」


不器用な行動に苦笑いを浮かべてしまう。

 

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ミズキちゃんはふらふらと歩きながら教会を見渡し、ふいに、俺の前で笑った。

 

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「久瀬さんって、火村さんの前だと雰囲気が違いますね」
「そう?」
「わざと冗談しか言わないみたいな感じですよ」


君もそうだけど、と思いつつ微笑む。


「どんなに誠実な人間でも、大なり小なり人によって接し方は変わるものさ。意識してるわけじゃないし、嘘をついてるわけでもなく……ね」


肩をすくめて再び扉を見つめる。

夏だというのに黒い服を着る、あの男の背中を、記憶の中で見つめる。


「自分の生き方を肯定するには、他の人間の生き方も──それが自分から見てどれだけ間違っていようとも、まず肯定するというのが俺の考えなんだ。それは肯定するだけで、迎合するという意味じゃないけどさ。境界線を引く生き方だ」
「うにょ?」


ミズキちゃんがくるくる頭を回す。

 

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子供っぽい可愛らしさだなと思いながら、俺はもう一度扉のほうに視線を移す。


「でも火村は違う。あいつは一見して世界に無関心なようでいて、その実、痛みを知っているから余計なものを背負ってしまう」
「…………」
「ちょっと難しい話だったかな?」


返事のない少女に笑いかける。

 

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「う~ん……めんどくさい生き方ですね」
「だね。火村はお節介が過ぎるんだ」
「あはは、違いますよ」


純度100%の笑い声。


「わたしが言ってるのは久瀬さんのことです」


……。

 

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羽山ミズキはとにかく楽しそうになんでも話した。

なんでもだ。

景先輩という少女の話、コンビニの新商品のお菓子に関する話、近所で生まれた子猫の話、雨の日の通学がどれだけ嫌かという話──

今はなぜか、洗濯の楽しさに話題が移っていた。


「それでですね、晴れた日に洗濯物を干すとき、シーツをばっと広げると気持ち良いんですよ。ちょっと残っていた水気が飛んでいく時の匂いとか良いですよね?」
「洗濯は面倒だけどねぇ」


あまりにも他愛ないことを楽しそうに問われ、苦笑いしてしまう。


「そうですか? 色々と面白いと思うんですけど。お泊りさせてもらってるお礼に、蓮治の家でもやらせてもらってるんですよ。そうそう、おば様に教えてもらったことがあるんです。ベッドのシーツを洗うとき、最後にハーブを混ぜたお湯ですすぐと、寝るときに良い匂いがするんですよ。それが、とっても気持ちいいの♪」

 

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唇に指をあてて、えへへ、とミズキちゃんが相好(そうごう)を崩した。

その仕草がとても……。

 

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『おまえは、今、幸せか?』


「ミズキちゃん、今、幸せ?」
「はい。そりゃもちろんですよ」


即答だった。

微かにリズムが乱れる。

視界が揺らいだ。


「久瀬さんも一緒にやりませんか?」
「え……なにを?」


ふらつきを悟られないように、こめかみに手をあてて、笑みを作る。


「今の会話の流れで、洗濯以外になにかありました?」
「……あってほしいなぁ」


いや、待て。

俺はピタリと無駄な思考を止めた。

今までの会話に登場した全ての情報を、自らの全身全霊をもって再構築していった。

つまりだ。

麻生家の洗濯物ということは、当然すみれさんの分も……。


「よし、やろう! すぐやろう!」
「いえ、あの……そんなに張り切られても今日の分は終わっていまして」
「じゃあ明日だ!」
「あ、明日っすか!?」
「安心してくれ。俺はかつて『漂白の旅人』『柔軟剤な男』という名誉ある二つ名で呼ばれていたこともあるんだ」
「……なにか久瀬さんって人生アドリブみたいなノリですね」
「人生はアドリブだと思うよ」
「もう少しくらい計画性をですね……いえ、いいです……」


はぁ、とミズキちゃんが肩を落とす。

不覚にも思ってしまった。

確かに、こういうちょっと世話焼きなくらいの妹がいたら、幸せだったのかも知れないなって。


「じゃあ計画的に、死ぬほど暑いしアイスでも食べにいこうか」
「ほえ?」
「アイスは嫌い? ケーキでもいいけど?」


甘いものが好きそうだったし、なにか女の子が喜びそうなものをと思ったのだが。


「そういえばダイエット中だっけ?」

 

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「いえいえいえいえ!!」


物凄い勢いで首を振ってから、ミズキちゃんが目を輝かせた。

 

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「アイスがいいです、大好きです! やっぱり夏はアイスというかソフトクリームだと思うのです! 春でも秋でも冬でも美味しいですけど、ひと汗かいた後のソフトクリームは格別です! なにせソフトクリームは家族の味ですから」
「そ、そうなの?」


あまりの勢いにちょっとひいてしまう。


「え~と、それじゃあ何軒かよさ気なところを回ってみようか」
「わ~い♪」


ミズキちゃんが万歳をしてから俺の手をとった。


「…………」


ついつい冷めた目でそれを見下ろしてしまう。

 

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「あ、手を繋ぐと暑いですか?」
「いや……ま、いっか」


最初に握手したときと同じく、彼女のほうが体温が低い。

わざわざ離す必要はないだろうと、気にしないことにした。

俺からは握り返さなかったけれど。


「でも、なんで手を握られてるのかな、俺は?」
「癖というか。なんでしょう……。ちょっと懐かしいというか。さっきの千尋先輩との会話では冗談でしたけど、本当に、久瀬さんみたいなお兄さんがいたら面白いのになって。手、おっきいですね」


小さな指に込められた力が強くなる。


「わたし、ひとりっこなんで、お兄さんとかお姉さんに憧れるんですよね。妹とか弟でもいいんですけど年上の人がいいなって」
「そう? お兄ちゃんって呼んでもいいよ」
「じゃあ、お兄ちゃん。わたしになにか隠してませんか?」
「…………?」


会話の流れを、一瞬、理解できなかった。

だから俺は愛想笑いだけを浮かべていて──


「久瀬さんって、千尋先輩と同じように笑いますよね」


それすらも指摘されてしまう。

「なんでそんなに寂しそうなの?」


…………。

 

……。

 

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「なんで皆して同じこと聞くんだろうね。寂しくなんてねーのに」

 

 

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「俺じゃなくて本人に言えよ」


深夜、またビールをたかりにきた火村が、定位置でぼやいた。

俺はソファに座り、頬杖をついて眉を寄せる。


「言えるわけないだろうが」
「なんでだよ」
「ガキじゃねーんだから」
「それこそガキのポーズだろうが……」
「…………」


言われて見ればその通り。

しかし、認めるのも癪だったので、俺は頬杖をついたまま視線を逸らした。


「大人はわざと子供に負けてやるんだよ」
「それは大人の言い訳さ──子供は大人に勝ってほしいんだ」
「そうか?」
「背中を見て育つって言うだろ。だいたい、馬鹿な大人が多いせいで世の中が大変なんじゃないか。しかも馬鹿だって自覚があるくせに、それを正そうとせず、ルールや他人のほうを変えようとして被害を広めてやがる」
「ま~な~」


それには同感だが、歯に衣着せることを知らぬ男だ。


「大人の強さが正しい意味で遠いほどいいんだ。そうすれば子供は必死に追いつこうとするし……追い越したときは本当に嬉しいだろ。そう言うなら、おまえがまずやってみろ──ってやつさ。それは非常に正しい」
「……おまえは親がいないのに、よくわかるな」
「親がいなかったから、よくわかるのさ」


火村がニヤニヤと首をかたむけた。


「久瀬はお坊ちゃん育ちだからな」


どうやら昨日今日と、いじくってやったことを根に持ってるらしい。

俺はその顔を見なかったことにして、瓶から錠剤をとりだしてワイングラスに水を注いだ。


「しかし、久瀬修一ともあろう者が、それほどリズムを崩されてるわけか」


こちらの手元の動きに目を細めながら、火村が真面目につぶやく。


「それに千尋に会って抱きついた、ね……未だかつてない来訪者だ」
「あれはどっちだろうな」


俺は後頭部に手をやりながら、上目遣いに火村を見やる。

天然なのか、天然を演じているのか。

あの後、なんでもないようにソフトクリームの何味を頼もうかと真剣に悩んでいた少女を想う。

ああ、そうか。

いつか既視感を覚えたが、あの二面性こそが"彼女"に似ているんだ。


「……明日から対応レベルを上げよう。要注意だ」
「素直じゃないなぁ」


昔のおまえみたいにな。

心の中で、火村の言葉に俺は付け足しをした。

 

……。