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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【11】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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「やっぱり女の子が多いと花があるわねぇ♪」


夕飯後のまったり空気の中、おば様が頬に手をあててため息をついた。


「ミズキちゃんや千尋ちゃんを見てるといつも思うんだけど、もうひとりくらい子供ほしいな。女の子」

「なるほど。蓮治くんの妹さんですか」

「蓮治の妹というかぁ、私が生まれなくても、私の子供という立場の女の子が現れる可能性はあるんだけどね」

「そうなんですか。世の中には色々なことがあるんですね」


なにに納得しているのかわからないが、千尋先輩が頷く。

ふたりとも色っぽいな。

わたしだけが花というか……食べられる野草?


「孫でもいいんだけど」

「孫ですか?」

「そう、おばあちゃんって呼ばれるの、夢があると思わない?」

「……すごく無理がありますよね」

「……私もそう思います」

「そうかしら」


千尋先輩と顔を見合わせて笑ってしまった。

明日がテストという蓮治が部屋にとじこもっているので、これはこれで、女性のみの場だから可能な会話かも知れない。

千尋先輩がお泊りというのも理由の1つだろう。


「お母さん、か」


わたしはしみじみとつぶやく。

お母さん。


「どうかしましたか?」

「なんでもないっす!」

「そういえばミズキちゃん、結局一昨日はなにがあったの?」


気を遣ってくれたのかおば様が話題を変えた……その話も微妙だけど。


「えーと、いやはや……」


とりあえず、泣いちゃったこととか、ご褒美の部分は恥ずかしすぎるから、そこを抜きにして簡単に説明する。


「そっか」


おば様はそれだけつぶやいて、微笑んだ。


「でも良かったわ。久瀬さんのヴァイオリンが無事で」

「無事かどうかわかりませんけど」


かなり容赦なく蹴っ飛ばしたので、どうなっていることか。


「でも、あんなに高いものを燃やそうとねぇ。踏ん切りだったのかしら」

「や、やっぱり高いんですか?」

「前に聞いたら、知り合いの知り合いから破格の値段で売ってもらえて、110万くらいで済んだとか言ってたかな」

あやや、そんなものですか」


ちょっと安心した。

ヴァイオリンってもっと高いと思ったけど、万が一の場合でも、なんとか弁償できそうな感じかも。


「あ、ごめんなさい。単位は日本円じゃなくてドルとかユーロ」

 

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「わきゃ!?」

「……うわ」

「庭付きの家が楽勝で買えますね……」


思わずドリフみたいに倒れそうになってしまった。


「ストラなんとかですか?」

ストラディバリウスね。それが一番有名だけど、久瀬さんのはガルネリウスだったかしら?」


さっぱりわからない魔法のような単語だ。

めまいが……。


「お菓子がどれくらい買えるんだろう」

「大雑把に1ドル100円として、コンビニの100円ソフトクリームが110万個買えますね」

「それって死ぬまでに食べきれるのかな?」

「えーと……1日1個ずつとして」


年を単位にするから単純に365で割って……。


「うわ、駄目だ! 食べ終わるのに3000年以上かかる!」

「すごい!」

「ふたりとも比較対象が小さすぎて、話が壮大になっちゃってるわよ~」

「アンチ庶民派だ。よく買えるなぁ」

「久瀬さんの実家は大きな会社をやってたはずよ」

「そうなんですか」

「半分くらい勘当されちゃってるらしいけどね」

「ほえ、どうしてですか?」

「長男だったのに、会社を継がずにヴァイオリニストですからね。財産を生前分与してもらって楽器を買ったって話だし。放蕩息子ってやつでしょ」


可笑しそうにおば様が口元に手をあてた。

わたしはちょっとだけ考える。

あの人、帰る家がないんだ……。


「蓮治もそのくらいワンパクでもいいのにね」


すみれさんが意味深な視線を千尋先輩に向けた。


「そんなことするくらいなら、今のままでいいと思います」


千尋先輩は真顔で否定した。


……。

 

3人での話は盛り上がったが、午後9時を過ぎたところで場がお開きになった。

千尋先輩が眠そうな感じだったのだ。

わたしは歯を磨いた後、なんとなく表に出た。

 

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「……星がきれい」


夜風に吹かれながら、空を見上げてため息をつく。

空気が澄んでいるせいか、驚くほど多くの星が見える。

2分ほどぼんやり。

そして、わたしは久瀬さんの家のチャイムを押した。

返事はない。

3回鳴らしても出てこない。

ノブに触れてみるが回らなかった。

この扉に鍵がかかっているのは初めてだ。

拒絶されたと感じるのは感傷だろうか。

まだ帰って来ていないだけ。

それだけ。

昨日、約束したのに……。


「……また明日って言ったのに」


ドアに額をくっつけて、恨み言を残してやる。

仕方ない。


「仕方ないよね」


ずっと一緒にいられるわけじゃない。

わたしは笑顔を浮かべて、ちょっと早いけど寝ることにした。


……。

 

 

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千尋先輩が寝ているベッドにもぐりこむ。

さすがにまだ起きているらしく、先輩がわたしのためのスペースを作ってくれる。

こんなに健康的な就寝時間は久しぶりだ。

明日は、早く起きて久瀬さんの家に行ってみようと思った。

 

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「……千尋先輩、少しだけお喋りしてもいいですか?」
「はい」

 

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背中に千尋先輩のあたたかさがある。

同じシャンプーとコンディショナーの匂いがする。


「蓮治のこと、好きですか?」
「え?」
「夏の夜はやっぱり猥談です」

 

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わたしはクスリと笑う。

暗い暗い部屋の中、薄っすらと月の光がさしこんでいる。

千尋先輩に抱きつきたくなったがやめた。

たぶん、そういうこと、しないほうが良い。


「……わいだん?」
「恋の話です」
「なるほど」
「みやこ先輩も、景先輩も、みんな好きな人ができたんです」
「はい」


千尋先輩が静かにつぶやく。

景先輩の話は聞き知っているのだろう。

少しだけ、ふたりとも声をださない時間があった。


「蓮治くんのことは……好きです……」
「はい」


千尋先輩の言葉を真似る。

やさしい響き。

やっぱりそうなんだ。


「でも……」


その後が続かない。


「蓮治なら大丈夫ですよ」
「やさしいからですね」
「はい。だから……困ります。ずっと考えてるけど、答えが出ません」


もぞもぞと千尋先輩が動く。


「……いえ、答えは出てるんです。何度も何度も」
「ダメですか?」
「私では蓮治くんを幸せにはできません」


半年前と同じ言葉。

これを蓮治は聞いたのか。

悲しいと……わたしが想うのはいけないのだろうか……。


「……そんなことないですよ。好きな人に好きだと言えることは、きっとすっごく幸せです」


なぜか、そんな言葉が口にでた。


「わたしは久瀬さんが好きです」

 

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唇の感触を思い出す。


「だから、一緒に頑張りましょう」
「…………」


千尋先輩からの答えはない。

なんて、薄っぺらい言葉だろう。

それでも願う。

わたしは祈る。

幼い日に、冬の教会で祈りを捧げていた女性を思い出す。

どうしたら、みんなが幸せになれるんだろう……。

 

…………。

 


……。

 

 

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「今日はすまなかったな」


病院から帰宅して一番、俺は明かりをつけた部屋の真ん中で気楽に言った。


「別に」


背後からぶっきらぼうな答えが返って来る。

 

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火村が俺の正面に回りながら、部屋を見渡した。

なにか気に入らないものでも見つけようとするように。

いや……。

なにか良いことの兆しを見つけようとしているのかも知れない。


「どうすっかな」
「今日は帰って、ゆっくりしたらどうだ。千尋ちゃんも預かってるんだし、たまには、いいだろう」
「……そうだな」


火村がぽつりとつぶやく。

そして、部屋に入って初めて俺を見た。

 

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「なんか俺に言いたいことあるか」
「今度来るときでいいから、カレンダーを買ってきてくれ」
「カレンダー?」


火村が目を細めてつぶやく。

そして冗談を理解したのか、ため息をついて首を振った。


「なあ、久瀬……」


火村が俺を見つめる。

それを真正面から受け止めながら、言葉を待つ。


「怖くないのか?」
「…………」


あまりにも唐突な質問に驚いた。

そして笑ってしまった。


「今ごろ聞くかよ、それを」
「今ごろだからだ」


火村も苦笑いしながら言った。

俺は自分の手を見つめる。

震えていた。

これじゃあ演奏できないな。


「そりゃ、怖いさ」
「……笑いながら言うんじゃねぇよ」


俺は笑顔で、手をひらひらとさせながら火村を見送った。

扉が閉まる。

防音された部屋が静かになる。

なにかおかしな音がした。

なんだろうと辺りを見渡すと、音も一緒になって動いた。


「……はぁ……はぁ……ははは……」


喉を押さえて笑ってしまった。

雑音は自分の呼吸だった。

荒い。

張り詰めていた緊張感が弛緩しかけている。

 

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足から力が抜けて、膝をついてしまった。

目が痛い。

こみ上げてきた吐き気をこらえる。

あぶら汗が出てきた。

額に髪がはりつき、シャツもべったりと皮膚に吸い付いた。


「はぁはぁ……っ……はぁはぁはぁ……」

 

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床の1点を見つめ続ける。

 

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汗が滴り落ちて黒く染まる、床の1点を。

動機とめまいが治まるまで、なるべく視線を動かさず、思考も回さないようにする。


「…………」


怖くないか?

馬鹿なことを聞くなよ。

怖いに決まってるだろうが……。


「……俺は不感症じゃねえっつーの」


胃液の味を下に覚えながら呻く。

まったく。

冗談じゃない。

 

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心の底から、雲の上にいるという"あいつ"に頼みたかった。


なあ、

頼むからさ、

俺を、

人間として死なせてくれよ……。

 

…………。

 


……。

 

 

 

 

時計の進み方がいつもより遅い気がした。

夏の日の正午前。

わたしは穏やかな空気の中で、そわそわしていた。

千尋先輩はとりあえずと帰ってしまった。

洗濯を済ませた後、わたしは手持無沙汰に、ソファに座って時計を眺めている。

そんなに暇なら千尋先輩を引き止めればよかったのにと、自分につぶやく。

いや、理由はわかっている。

久瀬さんのところに行きたい。

だけど、おば様にそれを言ったら止められるだろう。

 

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無断外泊2回に続けて、風邪をひいてしまうだなんて。

昨日までは久瀬さんに会う理由があったのに。

これ以上、迷惑をかけてしまうこともできず。

これ以上、彼に会うことを許されるとは思えず。

かといって嘘もつけず。

どうしよう。


「はぅぅ……」


久瀬さんのことを考えると……自然と一昨日の……なんで、あんなことをしてしまったのだろう。


「うわぁ、もう、恥ずかしいなぁ……」


思い出しただけで、頬と首筋が熱くなる。

 

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「ふわっ」


あくびをしながら、おば様が居間にやってきた。


「あ、おはようございます」
「……も~すぐお昼だから、こ~んに~ちわ~」


寝ぼけた感じの口調でも、しっかりと礼儀を守った挨拶をくれる。

 

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「う~……む~……ミズキちゃんお昼ごはん食べた?」
「はい、さっき適当に済ませました」
「そう。ごめんね。今日から私もお休みだから、家族サービスしようと思ったのに」


おば様が肩を落としたままため息をつく。

 

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「歳かしらね~」
「お疲れでしょうから、ゆっくり休んでいてください」
「もう目が覚めたから大丈夫。午後から一緒にお買い物にでも行きましょうか?」
「あ、えーと、その~」


わたしは時計に目をやる。

もうすぐ長針と短針が重なる。


「ああ、そんなこと気にしてたの」


視線を追って、おば様が笑みをこぼした。


「な、なんですか」
「いいえ……ちょっと急用を思い出しただけ」
「え?」

 

驚いて顔を上げると、おば様は手をあてて「困ったわね」、とかつぶやいていた。


「ごめんなさい。今日も一緒にいられなくなっちゃったみたい」
「えと……」
「ひとりで大丈夫?」


問いかけ。


「あ、はい、大丈夫です!」
「本当に?」
「え? 大丈夫、だと思いますけど?」
「本当にひとりで大丈夫?」


おば様は録音でもしているように、同じことを訊ねてくる。


「……あ!」


ようやく気づいた。


「ひ、ひとりだと色々危ないかな……とか……あったりなんだり……」
「そう、じゃあ誰か大人の人と一緒にね」
「ありがとうございます!」


わたしは心の底から頭を下げる。


「ミズキちゃん」
「はい」
「がんばってね」
「がんばってきます!」


……。


「久~瀬~さん」


扉を開ける音と重なって、いつもの元気な声が聞こえてきた。

ノックやチャイムもなく……俺が鍵を開けたままにしていることを読んでいたのか、そんなことにも気づいてないのか。

その元気さには感染力があるのか、俺は少しだけ笑ってしまった。

 

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「おはよう」
「もう、こんにちはですよ」


ミズキちゃんが楽しそうに笑みを返してくれた。

あのヴァイオリンの事件には触れず、一昨日の口付けのことにも触れず。

本当にいつも通りに。


「なんだか、こうやって落ち着いて話すのが久しぶりのような気がします」
「夜中に遊びに来た日以来じゃないかな」
「あ~、もうそんなになるんですね」


懐かしさすら覚えるが、それも、たった数日前のことだ。


「ミズキちゃんこそ今日はどうしたの?」
「なにもどうしたこともないのですが……。用事がなきゃ、来ちゃダメですか?」


上目遣いに彼女がつぶやく。

おあずけをされた犬みたいだ。

中途半端にいじめるのは止めることにするか。


「ミズキちゃん、ちょっとこっち」

 

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「……はい」


てこてこ、と数歩だけ距離を詰める。

不安と期待が混在しているよな雰囲気だったが、単に顔色が見たかっただけだ。


「ふむ。もう体調は大丈夫そうだね」
「ああ。ばっちしかんかんですよ!」


言葉だけでは表現が足りないというように、彼女は腕を振る。

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「久瀬さんの愛のこもったソフトクリームのおかげですね♪」
「熱があるときに冷たいものを飲み食いするのは、体温を下げることになって、実はいけないんだけど」
「ふわう!」


リアクション女王が涙を流す。


「わかってて持ってきたんですか!?」
「家庭の医学レベルの知識だけど、意外と逆に考えている人が多いみたいだね」
「もう、真正面から全力投球で毒じゃないですか!」
「それでも熱があるときには美味しいことに変わりないし」


どうどう、と手でミズキちゃんを抑える。


「美味しかったですけど~。わざわざ言わなくても~。るるる~……」
「はいはい」


あまりの微笑ましさに笑ってしまった。

本当に元気そうで安心する。


「そういえば千尋ちゃんとすみれさんは?」
千尋先輩は家に帰ったのと、その、おば様は今日はゆっくりするそうですよ」
「へぇ」


あの人はどこまでわかってやっているのやら。

年頃のお嬢さんだってのに。

9割はわかっているのだろうが……残り1割をわかっていないのだろう。


「ま、いいさ」


つぶやいて片手を広げる。


「じゃあ、今日も俺が付き合おうか?」
「よろしければ」
「遠慮のある台詞は似合わないね」
「一緒に遊びやがれすっとこどっこい──とか♪」
「そうそう」

ふたりで笑いあう。

本当に楽しい。

確かに、確かに、久しぶりだ。


「というか、久瀬さんは最近なにをしてたんですか?」
「ずっと君のことを考えてた」
「ふわ!?」


びくっ、とミズキちゃんが猫のように身体を震わせる。


「さ、さらりと恥ずかしいこと言いますね」
「期待させて悪いけど、それ以外に考えることがなくてね」


冷たいとは思ったが、俺は選択肢の問題であることを伝えた。

他のことを考えると滅入りそうなだけだし。

あまり残された時間もない。

つまり。

与えるか奪うかだ。


「散歩でもしよっか」
「大丈夫なんですか?」


俺の顔を覗き込んで、ミズキちゃんが不安気な声をあげる。


「過度の運動はダメだけど、適度な運動はしたほうがいいだろうって医者にも言われてるよ」


平然と嘘を言ってのける。


「じゃあ公園まで行ってのんびりしましょうか」
「その前に寄り道していいかな」

 

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俺はクローゼットの扉を開く。

予備のケースにいれたヴァイオリンを取り出し、曖昧な表情を作って、ミズキちゃんに掲げて見せた。


「これを修理に出さないといけなくてさ」


……。

 

 

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世界は当たり前のように夏で。

蝉が元気に鳴いていて。

熱せられた石畳が独特のすえた匂いを放ち。

 

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「……非常に暑いな」
「体調が悪かったら、無理しないでくださいね」


空というか、太陽を眺めてミズキちゃんが落ち着かずに言う。


「うん」
「疲れたらどこかで休んでいきましょうね」
「うん」

 

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「ゆっくりと歩きましょう」
「うん」
「ぅぅうう」
「吸血鬼じゃないんだから大丈夫だよ。このくらいで倒れるようなヤワな身体じゃないさ」
「……前に倒れました」
「……そういやそうか」


さすが文系筆頭、寝不足ごときと言ったところか。


「ま、無理なことなんて1つもしてないさ」
「そうですか?」
「たぶん」


嘘だけど。


「わたしって、邪魔じゃないですかね?」
「おそらく」


これも嘘だ。


「なんですか、おそらくって……」
「あまりにも可愛くて、たまに汚したり壊したくなるね」
「は?」


一瞬、意味がわからないという顔をした後。

彼女はどの感情に対しても中途半端な表情を浮かべた。

 

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「……な、なんですかそれ」
「そのままの意味じゃない」


俺はケラケラと笑った。

これは本当。


──本当にそのままの意味なのだ。


「この話は面白くないから止めよう」
「同感です……もっと色っぽい話がいいです」


ミズキちゃんが拗ねたように口をとがらせる。

と、なにかを思いついたように笑って、彼女は急に足を止めて俺の背後に消えた。

 

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「てい」


直後、掛け声とともに背中に小柄な身体がぶつかった。


「うへへへへ、久瀬さんの匂いがする~♪」


腰に回った手を見下ろす。

ぐりぐり、と額も押し付けているらしい。


「……千尋ちゃんにも抱きついてたけど暑くない?」
「暑いかも知れませんが、人に触れられると気持ちいいです。抱きしめるのも、人に抱きしめられるのも、あたたかくて柔らかくて気持ちいいから。そう思いませんか?」


小走に隣に戻り、ミズキちゃんが満面の笑みを浮かべる。

充電に、人工呼吸か。


「ま、女の子に触るのも触られるのも悪い気はしない」
「そうですよ」
「でも犬みたいだ」
「……犬は苦手なんですけどね」
「そうなの?」
「なんで驚いてるんですか?」


自分の属性を理解していないのか、彼女は不思議そうに小首を傾げる。

蓮治もそうだが、みんな、千尋ちゃんから癖がうつってないか……?


「いや、犬が好きそうな感じがしてたからさ」
「犬はですね~、子供のころに追いかけられて以来、どうも苦手でして……」
「追いかけられたんだ」
「なんか寄って来るんですよね、犬」
「そう」


思わず隠れて笑ってしまう。

やっぱり同族だ。

そうやって遊んでいると、馴染みの宅配を請け負っている店が見えた。

普通の宅配業者ではなく、美術品や骨董、アンティークな楽器を扱っている──まあ、割高な──専門の個人業者の店だ。


「ちょっと待ってて」
「あ、はい」


…………。

 

……。

 

 

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「……直りますかね?」


俺が配送と扱いの細かい手続きを済ませて店を出ると、怖々とミズキちゃんがつぶやいた。


「どうだろうね。そもそも壊れてるかどうかは専門家に見てもらわないと」


俺はなるべく軽い調子で答える。


「あれから弾いてないんですか?」
「うん」


演奏してみればすぐにわかることなのだろうが。


「あの日に決着そのものはついたし。もう、今の俺には弾けないんだ」
「どうしてですか?」
「俺がヴァイオリンを裏切ったからさ」


自分でも驚くほど、無意識に発した言葉は冷たかった。


「…………」


ミズキちゃんの質問はそれで最後だった。

そのくらいのデリカシーはあるようだ。

だから俺も気軽に笑った。


「だから、君にあげるよ」
「ほへ?」


そういう反応をするだろうなと思っていたが、なんのことがわからないと彼女が俺を見上げる。


「あのヴァイオリンが戻ってきたら、記念にあげる」
「…………? …………! わわわわ!?」


表情だけでこれだけ驚ければたいしたものだ。


「い、いいい、一億円を超えてるんですよ──!?」
「あ、譲渡すると税金がかかるかも知れないな。ものすごく適当な値段で売る形にしてもいいけど」
「そういうことじゃなくて!」
「そもそも、なくなった弓だけで100万円以上するから」
「うぁ!? そっちは忘れてた~!!」
「つまり金額なんて問題じゃないんだ」


笑みを作る。

死ぬということを自覚してしまえば、どれだけ金があっても意味がなく。


「そもそも、君がいなかったら、あのヴァイオリンはこの世から消えていたしね」
「それでも、もらえませんよ!」
「どうして?」
「……あ、あれは久瀬さんそのものですから」


あの海での言葉を彼女は繰り返す。

少し動機が早くなる。

なぜか、そんな資格もないくせに、腹が立った。

呼吸する。

落ち着く。

怒っている久瀬修一を底に沈める。


「いいんだ……どうせ俺が持っていても、また燃やそうとするだけだ」
「……なんで、あんなに高いものを燃やすんですか?」
「…………」

 

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俺は空に視線を逃した。

眩しい日差しに目を細める。


「それが相応しいと思っただけなんだけどね」


ここが音羽だから。

火によって幕を閉じるべきだと思っただけなのだ。

夏に虫眼鏡で紙を燃やすような、そんな子供染みた悪戯心だ。


「それに──ヴァイオリンが俺自身であるならば、やっぱり君に受け取ってほしいよ」


……。

 

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公園についたところで一息つく。

見た目は落ち着いているものの、心の中では自己嫌悪の嵐が吹き荒れていた。

今日くらいは彼女にやさしくしようと思っていたのに、どうしても上手くいかない。


「……俺ってば、プラトニックラヴしようとすると不器用なんだな」


思わず、こめかみを押さえて呻いてしまう。

 

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「なにか言いました?」
「いや、なんでもない」


ふう、ともう一息ついて立ち止まる。


「どうしようか、公園についちゃったけど?」
「いかんともしがたいですね。ここ、なにもないですから」


本当になにも考えていなかったのか、ミズキちゃんが辺りを見渡しながら真剣な顔でつぶやく。


「とりあえず休憩かな」
「そうですね」
「俺はここでゆっくりしてるから、ミズキちゃんはその辺の芝生で、バッタとか蝶を捕まえに行っていいよ」
「わ~い♪ ──って、だからそんな子供じゃないですってば!」


不意をついてみたがボケツッコミは健在だった。


「なにもすることがないな」
「世間話しましょうよ。ふつーの、なんでもない、どーでもいい、それでも楽しい──世間話を」
「うちらの世間って……」


走馬灯のように人生を思い起こしても、共通の"世間"があるとは思えないのだが。

俺から音楽をとると微妙に話題ってないんだな。

これもショックだ……。

何気なく海の方角を眺める。

一昨日聞きそびれた、彼女が海を怖がる理由とかは世間話ではないだろう。

たまのことだし、今日くらいはミズキちゃんに気兼ねなく遊んでもらいたかった。


「得意な料理は?」
「お味噌汁です♪」


冗談で見合い風に切り出してみたが、見事に返される。


「……ボケしかいない」
「……この場合、自覚があるのが厄介ですよね」


ふたりして深刻なため息を漏らしてしまう。

ここで蓮治か千尋ちゃんを呼んで……。


「いや、ボケ要因を増やしてどうする!」
「うえ!?」
「なんでもない」


思わずミズキちゃんにツッコんでしまった。

って、これもボケか。

火村だったら即座に反応したのだろうか。


「うん、やっぱり無理をするのは止めよう」
「そうですね、普通にいきましょうか」
「ああ、学校は楽しい?」


ようやく共通の土台を発見した。


「やっぱりお見合いみたいですよ」


クスクスと笑ってミズキちゃんが胸をはる。


「学校は楽しいです。勉強はそりゃ面白くはないですけど、仲のいい友達がいますし、尊敬できる先輩もいます」
「そういえば、千尋ちゃんや蓮治との会話を聞いてて思ったんだけど、友達よりも年上の子と話をするほうが多いのかな?」
「ん? そうかも知れませんね」
「なにかあるの」
「いえ、単に顔の広い先輩が近くにいたので、自然とそうなっただけだと思いますけど」


唇に指をあてて可愛く目線を逸らす。


「でも、確かに言われて見れば、年上の人に惹かれやすいかも」
「そ」


会話の展開が読めたので、先に気のない声をもらしておく。


「もう……後5秒くらい鈍感でいてくださいよ」
「なんのことだかさっぱりだ」


笑ったところであくびがもれた。


「ふわっ……」
「久瀬さん、昨日はよく寝ましたか?」
「うん、寝たよ」


床の上でくたばっていただけだが。


「おかげさまで、ここ最近生活のリズムが滅茶苦茶になってて、気づくと落ちてる」
「でも、眠いんですよね」
「ちょっとは」


身体を動かしていないからだろうが、そもそも疲れとは無縁で、眠りが浅くなってしまうらしい。

相変わらず夢見が悪いせいもあるだろう。


「だけど、別にそこまでじゃない」
「でも、確かにお昼寝するにはうってつけですよね」


彼女は周囲を見渡して嬉しそうに頷いた。

とても嫌な予感がする。

改めて公園内を観察してみると、家族連れやカップルが……待て……芝生の上で膝枕で寝ているバカップルがいた。


「拒否する」
「ああいう膝枕なんて恥ずかしくてやってられませんよね──と言おうとしたので、それを拒否されるとしないといけません」


によによ、とミズキちゃんが複雑な笑みを浮かべた。


「……後だしは卑怯だ」
「むしろ久瀬さんのフライング負けです」

 

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彼女は俺を先導して勝手に歩き出した。


「あの辺の、日陰になってる場所にしましょ♪」
「やれやれ」


日曜に家族サービスする父親の心境が、なんとなく理解できるな。


「じゃあ、はりきって寝てください!」
「そんな無茶な……」
「拒否する場合は、わたしのほうから死ぬほど抱きつきます」
「マジか?」
「マジっす」
「そっちも痛いな」
「肉体的な痛みがいいようでしたら、先輩直伝のレバーブロウで地面に転がしてもいいですけど?」
「よーし、はりきって寝るぞー!」


体力的に女の子にも勝てない今の自分が情けない。

無理すれば普通に抑え込めるだろうが、そんなくだらんことで発作でも起こしたら泣くに泣けんし……。

つーか、レバーブロウなんて教え込む先輩ってなんだよ……。

 

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「うへへへ」
「笑い方がおかしいよ」
「いいんですよ。なんかこうしてると、女として勝った気がします」


女という単語に突っ込んでやろうかと思ったが、体勢的に反撃が怖いので喉元で止めた。

まあ、芝生の匂いとか吹きさらしの風とか、ミズキちゃんの向こうに見える青空は悪くなかった。


「でも、こういうのハタから見ると、腹立たしくなるよね」
「微笑ましいですよ」
「それはまあ……」


この年齢と体格の差で膝枕なんてしていた日には。

ギャグだな。


「……やっぱり起きていい?」
「耳掻きとか持ってくればよかったですね」
「アホっぽいよ、うちら」
「気持ちいいですか?」
「ちょっと肉付きが足りないんじゃない」
「寝なさいって言ってるのに、いちいちうるさいですね……。音楽家のくせにロマンチックじゃないです!」


無茶苦茶な論理で彼女は唇をとがらせる。


「それは引退したから」
「それじゃあ一般人らしく、恋人っぽくできないんですか?」
「恋人じゃないし」
「恋人になっちゃダメですか?」
「…………」


急に真剣な眼差しを向けられ、冗談で浮かべていた笑みが、皮肉なものに変わってしまう。


「……1つはっきりさせたいんだけど。俺が死ぬのって、冗談じゃないんだよ?」
「知ってます」
「理解はしてないよね」
「理解させてもらえませんか?」


本当に彼女は逃げない。

どうしてこれほど愚かしくも強いのだろう。

いつか、それが命取りになるかも知れないのに。

それも近いうちに……。


「やれやれ……せっかくなんでもない1日だったのに」
「ごめんなさい。でも、やっぱり普通に振舞おうとするほうが、普通じゃありませんよ」


あの日見た穏やかな笑顔で、ミズキちゃんが俺の髪をすいてくれる。


「そうだね」


その通りだ。

俺も諦めて──この前の蓮治にならって、なるべく軽く告げることにした。

全身の筋肉を弛緩させて、のんびりと、木陰の清涼を感じる。


「俺がこうやっていられるのも今だけだってさ。これでも禁欲生活で、薬ばっかり飲んでいるんだけどなぁ」
「どんな病気なんですか」
「拡張型心筋症に近い心筋の変性症状と、それに伴う血管や各臓器の合併症とか……わかる?」
「わかるわけないじゃないですか」
「うん。俺も調べてみたけど、難解すぎるし、理解すると余計に調子が悪くなりそうで止めた」
「クラシックみたいですね。考えるんじゃなくて感じるんだって」
「え? ああ」


俺は思わず吹き出してしまった。

又聞きなのか、ミズキちゃんは後半の言葉が誰のものか知らずに使っているのだろう。


「最高だね」
「えと、すぐに入院することになるんですか?」
「う~ん、まあ、のらりくらりと逃げてるところ。珍しい症例らしくてさ。無効は研究もしたいのか、今すぐ入院させたがってるけど」
「……そこまで悪いんですか」
「自分でも思うけど、そうは見えないよね。吐血やらなんやら、見た目にわかりやすい変化もないし。すぐに身体がへばるのと、めまいや吐き気が多いくらいかな」


自虐的だと意識しながら、俺は口元の笑みを隠せなかった。


「ただし、発作……心不全不整脈かは知らないけど、それが起きれば比じゃないね」
「…………」
「そんなわけで、一度でも入院しちゃうと出られそうにないし、それならギリギリまで清算を済ませたくてね」
清算……ヴァイオリンですか?」
「あれが最後だった」


あそこでヴァイオリンを燃やして。

それで"久瀬修一"は終わっていたはずだった……。

あえて考えないようにしていた、この半年間を振り返る。


「まずは人間関係を全部片付けたよ。きれいにした。病気のせいで勝手に離れたヤツもいたけど。それから、仕事の契約関係とか、死んだ後の書類上の処理とか……まぁ、色々とね」
「……1つ、余計なことを訊いてもいいですか?」
「どうぞ」


半ば質問の予想がついて、俺はそれだけは目を閉じて聞くことにした。

たぶん、そうしないと。

ちょっと。

耐えられないなと思ったから……。


「……久瀬さんには、最近まで付き合ってた人がいたんじゃないですか?」
「うん、いたよ」


俺は口元に笑みを浮かべて肯定した。

ミズキちゃんには知られたくなかったというか。

誰にも触れてほしくない傷だったのだろう。


「愛してた。愛し合って婚約もしてた。だから別れた」


だから怖した。


「…………ごめんなさい」


ぽつり、と。

雨が降って来て、目を開けた。

 

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「泣くつもりはなかったんです。勝手に……」

青い空が見えた。


「ごめんなさい……わたしが涙なんて流しちゃいけないんですよね」
「お天気雨が降ってるよ」


今の俺にできる、最大限の何気なさで。

空を眺めて、遠く小さくつぶやく。


「こんな街でも、狐の嫁入りがあるんだ」
「はい、全然似合いません」


無理に笑おうとして、ミズキちゃんの目じりから、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「とにかくさ。俺はそのうちベッドに張り付けになって、それ以降なんて、見るに耐えない状態にしかならないんだ」
「……はい」


肯定なのか否定なのか。

 

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ミズキちゃんは応えて、俺の頬にこぼれた涙をぬぐってくれた。

本当に、いい天気だ。

今は、ただ、静かな時間がほしかった。


「俺は寝るけど……こっちからも1つ質問をしていいかな」
「はい」
「俺のどこが好きなの?」


非常に気になるものなのだが。

同情ではないのだろうか。


しかし、ミズキちゃんは目線を逸らして「う~ん」と口をすぼめた後。

天使のように微笑んだ。

 

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「外見と、性格と、音楽と。結局……一度もつらいとか苦しいとか言わなかった、強いところ」
「そりゃパーペキだ」


同情されて好かれないようにと、そう振舞っていたことが、全部逆効果だったのか。

目を閉じて。

鼻で笑って、不貞寝するしかなさそうだ。


……。

 

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遠くで子供の笑い声がする。

 

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木の葉の揺れる音。

 

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膝元で好きな人が穏やかな寝息を立てている。

この世はかくも平和で。

いっさいの不幸とは縁遠いように見えて。

それでも。

誰もがなにかを抱えている……。


「おやおや」

 

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揶揄するような声に、わたしは目を開けて、顔を上げた。


「火村さん」

「君は……」

「久瀬修一の妹です」

羽山ミズキちゃんだったか」


わたしのボケを無視して、火村さんが正答する。


「こいつ本当に寝てるの?」

「え? あ、はい」


久瀬さんを見下ろして頷く。

わたしはでき立てのケーキを褒めてもらうように、両手を彼の顔の横に広げた。


「暴力から派生した愛の成果です♪」

「暴力?」

「なんでもありません……それと、座ったままで、すみませんです」

「いや、いいんだ」


手をかざして、そこで火村さんは、上半身を屈めてその手を久瀬さんの顔の前で振った。


「……驚いたな」

「なにがですか?」

「いや、こいつがここまで油断してる姿は、初めて見た」


教会では見せなかった、どこか子供っぽい目をして火村さんはつぶやく。


「そうですか。だいたい、いつもこんなんだと思いますけど」

「マジックとかボールペンかなにか持ってないか」

「それでなにする気ですか……応援したくなっちゃいますけど」

「…………」


そこで初めて、彼の意識がわたしに注目した気がした。


「こいつの病気のこと聞いた?」

「はい」

「ふぅん……そう」


間をおいて、火村さんはあまりにも何気なく告げる。


「君、このままそっちに行くと酷い目にあうよ」

「…………」


それは助言というよりも、すぐ目の前にあるものをただ指差しているようだった。


「……そうですね」


不安はあって。

素直に身体が強張ったけれど。


「でも、なんとかします」

「なんとかなります、とは言わないんだね」

「全然違うじゃないですか」

「そうだね」


そこで言葉を切って、火村さんは首を振って唇を曲げた。

わたしは不思議に思う。


「どうして……」

「ん?」

「どうして久瀬さんも火村さんも、そんなに普通でいられるんですか?」

「普通……かな?」

 

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火村さんは自分の言葉に考え込んでしまう。

 

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そして隣に座り込んでしまった。

なんとなく久瀬さんに目をやるが、彼はぐーすかぴーぴー寝ていた。


「いい天気だ」

「あ~、ま~、そうですね」


木漏れ日がきらきらと輝いていた。

それと、草の匂い。


「死に対する態度ってことだよね」

「はい」


平和な夏の午後。

この一角だけ、奇妙な静けさをたもっていた。


「おそらく世代差なんだろう」

「世代、ですか」

「君たちは幼すぎて覚えていないだろうが、俺たちは子供のころにあの震災を体験しているからね」


震災。

音羽が生まれ変わる原因となった、地震と大火だ。


「わたしは生まれてなかったです」

「はは。そうか。もうそんな昔の話になっちゃうのか」


火村さんが空を見上げながら、やさしく微笑む。


「俺たちは、人の死に、ほんの少しだけ慣れている。目の前で焼け死んだ人間や、家族を失って泣いている人たちを、ずっと見てきたからね……ずっと」


微かに肌寒さを覚えた。

 

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その何気ない言葉の裏に、ほの暗いものを見たのは気のせいだろうか。

一瞬──錯覚だとわかってはいるけれど、炎を幻視する。


「……慣れているから、怖くないんですか?」

「いや、逆だよ。すごく怖いんだ。どうなくなるか、どう失われていくか、残された者の悲しみを知っているから。笑ってないと押しつぶされそうで。でも、そこから街や人が這い上がってくる姿も見てきたし。だからこそ、生きている時間のありがたみってやつもわかる。どちらかということじゃなくて。その両方の経験があるだけさ」

「……だから?」

「久瀬はその中でも、特にひねくれてるからな」


久瀬さんが彼を評価したのと同じことを言って、火村さんはニヤリと唇を歪める。


「カレンダー」

「え?」

「カレンダーに自分が死ぬ日を記入できるのは人間だけだ」


火村さんは、わたしの膝で眠る人の顔を一瞥した。


「突然失われるよりは、いいのかな……いや、本人からすると悪い冗談か」

「…………」


わたしは……。

なにを言えばいいのだろう。

迷っているうちに、火村さんが草を払って立ち上がり、現れた時と同じようにわたし達を見下ろした。


「ところで、この前は悪かったね」

「この前って。ああ、あの電話ですね」

「なんだか俺が予想してたより、酷い目にあわせてしまったみたいだ」

「いえ、むしろありがとうございました」

「気が変わったら俺のこと殴りに来てくれてもいいから」

「…………」

「それじゃ、俺はこれで」


真剣な顔に似合わない、軽い口調で彼は踵を返そうとする。


「あの、火村さん」

「なに」

「変なお願いなんですけど……電話の件のお返しということでいいですか?」


わたしは両手をあわせてお願いする。


「ちょっとわたしたちのために、あの『神のご加護があらんことを』ってやってくださいな」

「……俺は神父でも牧師でもないんだけど」

「それでも似合いますから」

「…………」

 

ため息を1つついて、彼は手早く──なぜか慣れを感じさせる洗練された動作で十字をきった。


「フォースと共にあらんことを」

「なんですかそれ」


わたしは思わず吹き出してしまう。

火村さんは笑わなかった。


「神様よりはマシさ」


…………。

 


……。

 

 

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いつの間にか夕暮れになっていた。


「……寝坊した」


節々のコリをほぐそうと、俺は軽く手足を振りながら空を見上げた。

見事な夕焼けだ。

 

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「あ、足が……しび……痺れて……ビリビリ……」


よろよろとミズキちゃんが立ち上がってくる。


「無理しないほうがいいよ」
「大丈夫で……す……ぅ……」


ふらつきながら彼女はひきつった笑みを浮かべる。

 

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「はぁ~……あちゃちゃ、門限すぎちゃいましたね」
「門限って伝統芸能のこと?」
「あはは」
「さて」


俺はズボンのポケットに手をつっこんで、まっすぐに足を地につける。

与えたいのか。

奪いたいのか。

この子との関係のも決着をつけなくてはいけない。

まだ時間のあるうちに。

今のうちに。

理性が残っているうちに。


「ミズキちゃんは将来なんになりたいと思ってる?」


唐突に質問する。

最後の質問をする。


「…………」


彼女はいつものようには即答しない。

なにかを考えて、微笑みを浮かべて首を振った。


「まだ、決めていません……でも。幸せにはなりたいですよね」
「…………」


それは俺の予想通りだったのだろうか……よく、わからない。

だけど、俺の答えは出た気がした。


「俺も君のことが好きだよ」

 

それはおそらく。

嘘じゃない。


「…………」


ミズキちゃんが驚いている。

悩んだり考えたりすることもなく、ただ好きか嫌いかで言えば、答えなど1つしかない。

羽山ミズキを嫌いになることなどできない。

そして俺は欠陥品で。

だから……。



「だから、君の気持ちに応えることはできない。もうお帰り……」


彼女はこの偽物の街から早く立ち去るべきなのだ。

悪い夢から、早く目を覚ましたほうがいい。

この子を幸せにしてくれる誰かのところへ……。


「二度と俺の前に姿を現さないでくれ……」


…………。

 

……。

 

 

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俺は部屋の扉から少し離れた場所で、右の壁から左の壁まで、足を引きずって歩いた。

そうやって見えない線をひく。

椅子に戻って薬を飲む。

一昨日の検査から飲む量がさらに増えて、水で流し込むというより、薬そのものを食べているような気がしてくる。


「……命か」


未練がましいものだ。

人間はどこかで線をひかなくてはならない。

得るものは有限だが、失うものは無限だから。

自分のものと他人のものを区別しなければならない。

手に入るものと手に入らないものの分別を持つべきだ。

それは物理的なものだけではない。

だいたいにおいて、怒ったり悲しんだりという感情は、この線の引き方の甘さから来るものだ。

そういう線引きは得意だった。

ギリギリに振舞ってきたし。

すべて許容してきた。

一線を越えてはいけないものには、最初から近づかない。

それは雨宮優子であったり。

かつてクラスメイトだった彼女であったり。

新藤千尋だ。

異端とは異端同士でも、しょせん相容れない存在だ。

それでも、ごく稀に、向こうから一線を越えてくるのがある。

その時には容赦しない。

迎撃する。

そういう線。

そこが境界。


…………。

 


……。

 

 

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「二度と会うな~、だなんて納得できません!」
「……なんで君たちはパターンが一緒なのかな。本当に生き別れの兄妹なんじゃないのか?」


つい昨日の今日の火村さんが呻いた。


「ところでなんで君は制服姿なんだ」
「腹が非常に立ってます。だから気分転換です!」


わたしは久しぶりに自分のスカート姿を見下ろした。

みやこ先輩みたいにひらひらさせてみる。


「スカートのほうが熱が逃げるような気がしたんですけど、なにか逆に、こもってる感じがして激しく後悔してます……。泣きそうですよわたしは……」
「あ、そ」


まるで興味がないというようにつぶやいて、彼は顔を背ける。

わたしは気にせず、彼の横顔に問う。

 

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「聞きたいことがあるんですけど」
「なんで君らは、なにかあると俺のところに来るかね……」
「久瀬さんのことを聞かせてください」
「本人に聞いたらいい」
「それができれば苦労しません」
「そういうのを頑張ってどうにかするのが努力だろう」
「努力しようと考えた結果、あなたに訊くのが一番早いと思いました」
「…………」


火村さんが横目でわたしを見る。

こういうところ、男の人だからなのか、久瀬さんと似てる気がした。


「な、なんですか」
「いや、そうか。本当に考えてから来たんだな」


なにを感心されたのかよくわからなかったけれど、質問に答えてくれるようだ。


「昨日はあんなに仲が良さそうだったのに、なにがあったの?」
「告白してOKされたら振られました」
「……簡潔すぎる」


火村さんの冷静な様子に、段々と熱が下がってくる。

教会という場も、頭を冷やす材料になったのだろう。

祈りの場。

孤独の場。

そしてわたしは、昨日の久瀬さんとの最後の会話を説明した。


「つまり、千尋や蓮治と似たような結末を迎えたわけか」
「全然似てないです」
「より明確に分かれを告げられたわけだ」
「……そんなにはっきり言われると、ちょっと苦しいですけど」


しょんぼり。


「そのくらいの痛みで済んでよかったということじゃない。あいつは大人だ」
「わたしも……いえ……」


それを言ったところで意味はない。

本当に落ち着こう。

天使のように祈る女性を思い出す。


「失礼しました。はい。全部わかってるんです……」


久瀬さんは病気で、すぐに死ぬから、本気だと、一緒にはなれない。

そのどれか1つでも解決すればいいわけだ。

わたしの様子に、火村さんが小さく笑う。


「ふたりともが前向きでも苦労するんだね」
「え?」


その言葉は意外なものだった。


「今の久瀬さんは後ろ向きっぽいと思いますけど?」
「久瀬はジョーカーだからね」
「ジョーカー?」


また話が飛んだ。

ジョーカー。


「表向き軽そうに見えるし、精神的にもその通りなんだけど……もっと奥のほうにいるやつがね」
「やつが?」
「悪いやつじゃないんだけどな。えぐいと言うか、容赦がないって言うのか……」


わたしはドキリとした。

冷や汗のようなものが流れそうになる。

別にその言葉が怖かったんじゃなくて。

火村さんが、ひどく凄惨な眼差しで十字架を睨みつけていた。

 

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「……たぶん、あいつが一番、あの男に近いんだ」
「…………」
「ああ、ごめん」


ふっ、と肩の力を抜いて彼が微笑む。


「昨日もそうだったけど、君を見ていると、つい余計なことを話してしまいそうになるな」
「え?」
「たぶん、子供だからだ」
「子供じゃな~い!」


肯定はされなくても仕方ないが、否定はされたくなかった。


「久瀬と本当に向き合いたかったら1つだけ覚えておくといい。あいつを信頼してもいいけど、信用はしちゃダメだよ」


どこかで同じようなことを聞いた気がした。

そう、はじめて久瀬さんと会った日に、同じようなことを言われたはずだ──まったく逆のことをだが。


「なぜですか」
「あれは嘘つきだから」
「嘘つき?」
「それだけ覚えておけばいい。君なら、他にはなにもいらない」
「…………」


それだけ。

そう言われてしまえば、火村さんの話すべきことは、全部済んでしまったのだろう。

わたしも黙ったまま教会を見渡した。

懐かしい匂いがする。

祈りを捧げていこうか。

なにかのために。

誰かのために。


「そういえば」


両手を組もうとしたところで、ぽつりと声が反響した。


「君は養子なんだって?」
「え……あ、久瀬さんと一昨日は一緒だったんですね」
「ああ、ごめん。ちょっと世間話のつもりだったというか」


そういってバツが悪そうに頭をかく。


「……失言だ」
「いいですよ別に。気にされるほうが気になるので」
「その気持ちもわかる」
「ほえ?」


火村さんは首を振って、今度こそ本当に口を閉ざしてしまった。


「えーと。あの、それではまた」


ぺこりと頭を下げて、背を向ける。

とりあえず久瀬さんともう一度話をしようと、教会を出ることにした。


「…………」

 

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ふと、扉に手をかけたところで、振り返って火村さんを見る。

薄暗い部屋のなかに、きらきらとステンドグラスを透過した光が差し込んでいる。

そういえば、教会の関係者じゃないって言うし。

働いているようには見えないし。

火村夕と名乗るこの人が、この街の一番の謎であることに、今さら気づいた。


…………。

 


……。

 

 

そして、境界の前にひとりの少女が立った。

 

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「こ、こんにちは」
「…………」


なぜか初めて出会った時と同じように、彼女は制服を着ていた。

仕切り直したいのか。

そうやって興味を惹かせたいのか。

もっとくだらない理由があるのか。

なんでもいいが非常に腹が立つ。

俺と違って、彼女には時間と可能性がいくらでもあるのに。

こんなところにいなくてもいいのに……。


「…………」

 

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意識せず目を細めてしまう。

 

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彼女は線の前で足をすくませていた。


「久瀬さん……?」
「……とあるヴァイオリニストが、山でハイキングをしていた」


俺の口はなぜか、そんな話を始める。


「慣れた道のりだったが、たまたま油断からか、彼は足を滑らせて崖から落ちた。そして、演奏家の命である手をかばおうとして、岩に頭をぶつけて死んだ」
「…………」
「二度と姿を見せるなって言ったよね」


顔は笑っているはずなのに、自分でも驚くほど冷たい声が出た。

それなら玄関の扉に鍵をかけておけばいいのに。

矛盾している。

また、繰り返そうとしている。


「ぁ……」


ミズキちゃんはなにかを言おうとして、それが思いつかないのか、口を閉じて瞳を揺らした。

一瞬、なにもかもを許したくなる。

境界が揺らぐ。

だから感情を殺した。


「話を……」
「そんなものはない」
「あ、じゃあソフトクリームでも食べに行きましょう! わたしの奢りで!」


笑みを浮かべて彼女が言う。

俺は反応しなかった。

一切の揺れもない。

 

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壊れたメトロノームは、ただ、彼女の足先に目を落す。

もう顔を見たくなかった。


「消えてくれないか」
「…………」


重い沈黙。

彼女とは賑やかで騒がしい時間を過ごしてきたというのに、その静寂が、一番耳に痛みを感じさせた。

ミズキちゃんが踵を返す。

ひきずるような足音の後──

 

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しかし彼女は、そこで足を止めて、振り返って線を踏み越えた。

安心しかけて、それが途端に振り切れて、頭に血が上った。


「どうすればいいんですか?」
「ミズキちゃん、俺のこと好き?」


なんの感慨も表に出さず質問した。

彼女がきょとん、とした顔をする。


「はい」
「本当に、好き?」


一語一語に意味をもたせて。

なにか気配は察しているのだろう──しかし、それがなにか、わかるわけもなく。


「……はい」


ミズキちゃんがおそるおそる頷く。

俺は彼女に近づいて、その首に手をかけた。


「……っ!?」


慌てて目を閉じる様子に薄く笑いながら、唇を重ね、そのまま壁に押し付ける。


「……っ……ん!」

 

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柔らかい感触と、荒い鼻息を感じる。

俺は目を閉じていない。

冷えた瞳で、怯える小さな女の子を見下ろす。


「……っん!?」


彼女は、合意の上のロマンチックなものではない、一方的な行為を感じて戸惑っている。

驚きに身体をガチガチにして、歯を食いしばるようにして、ぎゅっと唇を結ぶ。


「ぷはっ……なんで久瀬さ……ん!?」


無駄口を叩いている隙に、再び荒々しく唇を奪う。


「っ……ん……んんっ!」


彼女は反射的に俺を拒絶するように首を振ろうとした。

 

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俺は更に彼女を押さえつけるようにして、乱れてむき出しになった肩に無遠慮に手を這わせる。

肌に直接触れる行為は、少女に羞恥心を感じさせるには十分だったらしい。

身のよじり方はなかなかそそる。


「……んんっ!」


肩から首筋までを撫でてやると、小さくブルッと震えて、鳥肌が彼女を襲ったのが分る。

彼女の顔は真っ赤になっていた。

羞恥か、恐怖か、歓喜か、怒りか、悲しみか。

それでも、キスは止めない。

まだ、止めてやらない。

どこまでも辛抱強く、しかし休む暇は与えず、わざと粘り気のある動きで彼女を捕らえる。


「ふぅ……んん……っ……む……」


少女の目には意志の光が残っているが、キスそのものには抵抗する力がなくなっていた。

腕から、肩から、小さな震えが伝わる。

彼女の膝から力が抜けて倒れそうになる。

つい、壊れ物のガラス細工でも扱うように、そっと支えてしまった。


「…………」


そこで顔を離した。


「は、ぁ! ……はぁはぁ……はぁ、っ……あ……んん……はぁはぁ……」


荒く息を吐いて、酸素の行き届かない頭でボーッとしながら俺をただただ見つめてくる。

無垢な美しさを損なわずに、しかし明らかに戸惑いと恐怖と歓喜に身を震わせている少女を見下ろした。

倒錯した光景に、俺も少なからず動揺している。


「っ、はぁ……なん、で……こんなこと……?」
「…………」


俺は答えない。

別に善意でキスを止めたのではない。


「俺のこと好きなんだろ?」
「はい……でも……」
「なにか勘違いしてるんじゃないか」


何度も頭の中で繰り返した言葉を、口にする。


「遊園地でデートして、洒落たレストランでディナーを食べて、ホテルでやさしく……そんな夢を見てるんじゃないのか?」
「……違います」
「……だったらいいよな」


俺は見せ付けるように自分のシャツのボタンを外しながら、再び覆いかぶさるように彼女に迫る。


「っ! ……もうやめてっ!」


身体ごと逃げようと彼女がもがく。

俺は逃がさない。

肩や空いている手を上半身に押し付けてそれを許さない。


「……大声だしたっていいよ。防音されてるからどうせ外には聞こえない」
「……っ」


ミズキちゃんの顔が歪んで、頬に涙がこぼれた。


「…………」


折れたな。

意外と早かったか。

抵抗していた彼女の手が、最後に、とん、と力なく俺の胸を叩いた。

開かない扉を叩くように。

そして、そのまま彼女の身体から完全に力が抜けた。

俺の支えがなければ倒れるだろう。

潮時だなと思った。


「…………」


俺は肩を押さえていた手を離して、身体を起こす。


「っぁ……!」


とさ、と床にへたりこむ音がしたが、それに目をやることもせずに窓際に向かう。

息が切れていることを隠す為だ。

呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに苦しい。


「…………」


俺は、シャツのボタンを直す振りをしながら、胸を少し押さえつけた。

窓の外の光を見ながら、呼吸を思い出して整える。

それらの──自分だけの事後処理を淡々とこなす。


「…………」
「…………」


羽山ミズキは床にへたりこんだまま、顔を俯かせていた。

それを表情のない顔で見下ろす。

ひどく冷たい行動だなと自覚しながら。

彼女は自分の身体を抱くようにして、乱れた制服を整えることもせず俯いていた。

普段の活発な姿からすれば、まるで人形のようで。

俺が襲ったということを嫌でも痛感することになる。

胸が少し傷んだ。

……少し?

動機が激しい。

呼吸がまた乱れそうになる。

どうしようかと少しだけ考えた。

つまり。

とどめが必要かどうか。

こういうところでの容赦など、久瀬修一は持ち合わせていないはずだ。


「……まだいたのか」
「…………」


びくっ、と彼女の肩が揺れる。

それは全身に広がって。

やがて明確な震えとなる。


「……っ……っく……」


再び、彼女の頬を涙が流れた。

 

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俺は興味がないというように視線を逸らして、ぼんやりと部屋を見渡す。

意識は向けない。

冷たく、ただ、なにも考えないようにする。

メトロノームのように揺るがない。

短い間だったのか、長い間そうしていたのか。

緩慢な衣擦れの音がして、羽山ミズキが立ち上がったようだ。

俺はそれを目にしない。

呼吸の乱れを隠す為に、息を止めて待った。


「…………」


なにか言おうとしているのか……もう俺に言うべき言葉などないであろうに。

そのまま、重い足音がして、扉から彼女は出て行った。


「ハァ…………っ」


歯を食いしばって耐えた。

最後まで姿を──彼女の目を見ることはなかった。


……。


どれくらいそうしていたのか。

時間の経過もよくわからず。

 

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「……終わったな」


奇妙な感慨を覚える。

やり遂げた。

あまりにも惨めで無様な達成感だ。

俺はどうすることもなく立ち尽くしていた。

痛い。

すごく痛い。

息苦しい。

意味もなく叫びだしたい想いにかられる。

しかし俺にそんな資格はなく。

生ぬるい地獄に……。

そこで気づいた。

動機が治まっていない。


「…………」


背筋が震えた。

まずい。

どこまでも速くなっていく。

人間としてあり得ないテンポで。

 

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「ぁ」


半ば予想したことだが、身体の中心に激痛が走った。

まだそれは、痛みと形容できるレベルだった。

全身に冷や汗が浮かぶ。

大きな発作は4度目。

慣れたことで理性を維持できたが──その代わりに、これからどうなるのかを理解してしまい、恐怖に襲われる。

同時に……それが俺の罪と罰であることを認めた。

 

 

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ドン──。


身体の内側。

骨の裏側。

あり得ない場所を、直接金属バットかなにかで殴られたような鈍い音がした。


「──……」


声すら出ない、痛みを超えた痛み。

身体の内側をかきむしりたくなる。

直接そこに触れることができないのは、拷問に等しい。

すぐに立っていられなくなった。


「が……ぅ……ぐ……!!」

 

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胸をかき抱いて床に転がる。

ポケットに、発作用の薬をいれた小瓶が……。

腕がガタガタに震えていて、上手くとりだせない。

とりだしても、軽く封をされているだけのそれが開けられない。

 

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焦りに目の奥がうずく。

やばい。

痛い。

苦しい。

 

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激痛で呼吸が定まらなくなった。

 

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息苦しさが呼吸器系を通して、喉やこめかみの痛みを誘発させる。

 

 

心音は馬鹿みたいに狂ったリズムで頭蓋骨まで響き渡る。

何度も咳き込んだ。

涙で視界が滲む。

蓋を開けるのと同時に小瓶が床に転がった。

ころころと澄んだ音を立てて転がっていき、壁に当たって止まる。

薬は……。

 

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上手い具合に床に散らばってくれていた。


「……っ……う……」

 

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床に這いつくばって、額をこすりつけながら薬を舌にはりつかせる。

もう1錠……。

埃の味もしたが、構わず飲み込んだ。


「ガ……はは……っそた……れ……!」


最後に残った理性で悪態をついてやった。

プラシーボ効果だ。

笑いたくなったが、笑うこともできず。

後は待つしかない。

思考を痛みから逸らした。

いや。

 

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元よりサディスティックに覗き見していた視線が、本当に、真正面から死と対峙した。

走馬灯よりは愚考のほうがマシだった。

久瀬修一は自分のことを天才だと思ったことなど一度もない。

自信などとは無縁であるだけでなく、むしろ劣等感と猜疑心にまみれていた。

勝つことへのこだわりなどなかった。

だから──

負けなかった。

確実に訪れる勝利と、確実に回避する敗北に差はない。

極限の強さと極限の弱さに違いはない。

享楽や意味のない攻撃性は滅びの第一歩だ。

そこにいる自分と、そこにある流れを信じきれなくなったモノから、死んでいく。

世界とコインとオセロとシェークスピアチキンレースだ。

しかし0だけが違う。

起点があるからこそ極点を定義できる。

始まりはなんだったのだろう。

 

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『そういえば久瀬さんは、どうしてヴァイオリンを──』


リセット──

しかし0だけが違う。

起点があるからこそ極点を定義できる。

始まりはなんだったのだろう。


『は、はじめまして、羽山ミズキと申します。ミズキは全部カタカナ──』


リセット──


しかし0だけが違う。

起点があるからこそ極点を定義できる。

始まりはなんだったのだろう。


…………。

 

……そう。


サンタクロースがくれたメトロノーム

俺はヴァイオリンを弾いていたかっただけなんだ。


幸せになりたくて、幸せになってほしかっただけなんだ。

笑って怒って泣いて遊んでいたいだけなんだ。

ただ、それだけなんだ……。

なんで……こうなるのかな……。

痛ぇよ……。

ちくしょう……。

頭の芯が痺れだした。


「…………」


穏やかな意識とは無関係に、身体がのたうつ。

呼吸がさだまらない。

むせて唾液が飛び散った。

激痛を通り越して。

それはもう、そういう形の、人の身におさまらない衝撃でしかなく。

背を丸めてとにかく静まってくれることだけを祈る。

早く。

呼吸ができず意識が飛んでは、襲い掛かってくる痛みに無理やり叩き起こされる。

殺してほしくて死にたくない

目を閉じたら二度と

ヴァイオリンの

泣いている、瓶が、寒い、ヴァイオリンと、罰が、教会では

夏の、凪、痛い痛い白い         痛い

演  奏で きない赤   朝は    鳥      価値の


「…………」


marcia funebre


ぼんやりと。

薬に混じって、彼女に掴まれて弾けたボタンが目について。

俺は……

 

…………………

 


…………

 


……

 

 

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……これも夢かな?


俺の言葉に、ミズキちゃんは顔をほころばせた。



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『ええ、そうよ』


…………………


…………

 

……

 

いらない


こんな痛い夢は……


いらない……

 

……。