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-ノベルゲーム・タイピング-

ef - the latter tale.【13】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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……。


思えば、いつも感じていた。


世界から切り離されたような感覚。


自分の存在を誰かに気づいてもらいたくて。


でも、どうすればいいのか分からなくて。


寂しいということ。


悲しいということ。


流れていく時の中では、切ない気持ちだけが……ただ積み重なっていって。


それを崩すことが、どうしてもできない。


俺には……できない。

 


Summer, In the distant past. Yuko Amamiya
  Singing voice in the evening sky. ef - the latter tale.
 
 
 
 
 

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図書室での勉強を終え、廊下に出た。
 
そこは静寂に満ちていて、人影もまるで見あたらない。
 
部活や委員会で残っている生徒も多いはずなのに、今日に限ってどうしてこんなに静かなんだろう。
 
自分の足音が、驚くほど大きく聞こえる。
 
夏の日差しを吸い込んだ廊下は、夕暮れになっても暑気が引かない。

歩いているだけで、背中にかすかに汗がにじんでくる。

 

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靴に履き替えて、外に出た。

風がないせいかひどく蒸し暑く、うだるような熱気が満ちている。

今は夏なのだ、と改めて感じる。

夏は嫌いではない。

陰鬱な冬と比べれば、音と光に満ちたこの季節を嫌う理由は遥かに少ないと言える。

嫌いではない、か。

俺にはそんなものばかりのような気がする。

世界は嫌いではないものと、嫌いなものの二つにしか分かれていない。

とうてい健全な生き方とは言えないな──と、一人で苦笑する。

生き方、か。

 

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空を見上げる。

俺が望む生き方は──


「なんだ……?」


真っ赤な空を、ひらひらとなにか白いモノが舞っている。

 

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それは──紙飛行機だった。


01.空に近い場所で
  In a place near the sky.

 

 

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「どこのバカが飛ばしたんだ」


ふわりと地面に降りた紙飛行機を拾い上げる。

いい歳して、こんなものを飛ばすようなバカがこの学園にいたとは。

軽い驚きをおぼえつつ、校舎の窓を一つ一つ確認していく。

もう犯人はいなくなってるかもしれないが……。


「あ……」

 

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不意に視界にとらえたのは、一人の女の子の姿だった。

それもどういうわけか、彼女は屋上の縁(ふち)に腰掛け、ぶらぶらと所在なさそうに足を動かしている。

 

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なにをしてるんだ、あんなところで。

いや、それよりも──

ふと、疑問が湧き上がったそのとき。

遠目にだが、俺には確かに見えた。

彼女が足の動きを止め、俺を見下ろして──にっこりと笑うのを。


扉を開いた先は、空が近かった。

赤い、赤い空が今にも落ちてきて、この地上を焼き尽くしてしまうのではないかと思うくらいに。

目が痛くなるような緋色の景色の中で──


少女が笑っていた。

 

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「……なんで冬服なんだ?」


用意してきた台詞とは違っていたが、とりあえずそう尋ねてみた。

どういうわけか、上手く言葉が出てきてくれない。

目の前の光景がひどく現実感が失せているように思えてしまう。

屋上に来たのは初めてだが、当然あると思っていた柵が見あたらないのにも驚く。


「冬服?」


強烈な違和感を伴う景色の中で、少女は首を傾げた。


「冬服じゃないか。それとも衣替えがあったことを知らないのか?」
「ああ、この服のことですか。これは夏服ですよ」
「はあ?」


彼女の服はどこからどう見ても音羽学園の冬服以外のなにものでもない。

ご丁寧に手袋までしているのがさらに異質だ。


「冬に着る服を冬服って言うんですよ。これは夏に着てるから夏服なんです。違いますか?」
「まったく違うと思うが……」


まるっきり理屈が通ってない。


「気にしないでくださいよ。たまに見てるだけで暑苦しいって言われますけど……」


そう言われるのも無理ないだろう。

暑さのピークの昼日中にこんな格好をされたら、いやがらせとしか思えない。


「あまり半袖って着たくないんですよ。昔、ちょっとね」


そう言って、彼女は袖の上から自分の腕をさする。


「当時はあまり気にならなかったんですけど、なんせ今は微妙なお年頃で……」
「別に事情を追求するつもりはない」


彼女が言いよどんでいるのを察して、俺は話を打ち切った。

おそらく、子供の頃にケガをしてその跡が残っているとかだろう。

この年頃の女の子なら、肌に傷があるのを見られたいはずがない。

それくらいは俺にだってわかるし、よく見てみれば……。

彼女には不思議なくらい、冬服がよく似合っていると思う。

もちろんそんなことは口には出さない。


「ところで、わざわざ長袖は暑苦しいって言いにいらしたんですか?」
「まさか」


俺は首を振り、本来の用件を思い出した。

 

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「あのな、屋上は立ち入り禁止だぞ」


普段から施錠されているはずなのに、どうやって鍵を開けたのかも謎だ。


「あなたも立ち入ってるじゃないですか」


少女が少し拗ねたような顔をした。


「俺は注意しに来たんだよ。話を逸らさないでほしいな」
「人に見つかったの初めてですよ。残念、残念」


なにが残念なのかを説明する気はないらしい。


「教師じゃなくてよかったな。どうやって入ったんだ?」


音羽学園の屋上は立ち入り禁止──というより、入学してその事実を聞いた後はもう、屋上の存在すら忘れてしまうのが普通だろう。

それくらい、生徒にとっては馴染みがない場所のはずだ。


「ああ、そのことですか。わたし、天文部なんですよ。特別に屋上への立ち入りが許されてるんです」
「つくなら、もっとマシな嘘をつくんだな。こんな時間に星なんて見えないだろう。だいたい、うちの学園に天文部なんてあったか?」


見たところ、望遠鏡などを持ち込んでいる様子もない。

 

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「ありますよ。ただし、昨日で廃部になりましたけどね」
「廃部?」
「ええ、3年の先輩方が一足早く引退してしまったんですよ。2年生はいないので、残されたのは1年生のわたしだけ」
「1年だけ、か」


わかっていたことだが、どうやらこの少女は後輩らしい。

下手すると俺より3つか4つくらい下に見えるが。


「ギリギリまで誰か入部してくれないかな~って期待してたんですけどね。世の中は甘くないですね」
「一人きりじゃどうにもならないからな。気の毒だと思うが仕方ない」


と、心にもないことを言う。

最近は、退屈でくだらない話にも、ごく普通に相づちくらいは打てるようになった──それの是非はともかく。


「そうなんですよ、どうにもならないんです。でも……」
「なんだ?」
「どうもわたしが関わったところは、たいていろくでもない末路を迎えるんですよね……」
「なんだそれは」
「不運を呼び込むタチらしいんですよ、しかも周りを巻き込んで。自覚はあまり無いんですけど」


さらりと恐ろしいことを言っている。

というか、初対面の人間に告白することではないと思う。


「まあ、そんなことはいい。ただ俺は注意しに来ただけだ。そんな危なっかしいところに座るな」

 

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「あら、お優しいんですね」


少女はからかうようにして笑う。

その笑い方はなぜかひどく癇(かん)にさわった。


「……君がこっそり屋上に立ち入ろうがなにしようが勝手だ。だけど、落っこちて死なれでもしたら困るんだよ」
「なぜ、あなたが困るんです?」


本当にわからない、といった様子で彼女は首を傾げた。


「人が死ぬのは嫌いだ。当たり前のことだろう?」
「それはあなたの個人的な価値観ですね」


彼女はちょっと怒ったようにそう言った。

特になにも考えずに喋っている──この少女からはそんな印象を受ける。

実際にそのとおりのような気もするけれど。

 

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「ですけど、もちろん、あなたの価値観にケチをつけるつもりなんてありませんよ。火村夕先輩」


そして、彼女は柔らかい声で俺の名を呼んだ──


「……誰だおまえは?」


同じ学園の生徒なのだから、俺の名を知ってること自体は不思議なことでもなんでもない。

だが。

俺はこの声を知っている。

この話し方は、この笑みは、古い記憶のどこかに今も確かに存在している。


「やっぱり忘れてるんですね。ちょっぴりショックだなー」
「訊かれたことに答えろよ」
「そんな怖い顔しちゃダメですよ。特に女の子の前ではね」


軽く叱るような口調で言って、彼女は小さく首を振った。

こんなにも苛(いら)つくのはなぜだろう。

なにかが心のどこかで引っかかっていて、息が詰まりそうな感覚がこみあげてくる。

少女は再びにっこりと笑った。

 

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「……ゆうこですよ」
「ゆうこ?」
「ええ、お願いですから……忘れたなんて言わないでくださいね」


ゆうこ……?

 

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「わたしは一目でわかったのに、あなたはすっかり忘れてたら……もう悲しくて立ち直れないですよ。もしも──もし忘れているのなら、思い出すまで何も言わないで。なにもなかったことにして、このままお別れしますから……」

 

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不意に、頭の中に音が響き渡った。


「おまえは……」

 

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耳障りなほどに高く、高く鳴っていた鐘の音。

大切な人を求めて泣き叫ぶ子供たち。

 

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「教会……」


涙をこらえて走り出した先にあった、すべてが失われた光景。

 

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廃墟と化した街並。

 

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瓦礫を運び出し、崩れかけた建物の中で誰かの名前を呼んでいた。

 

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あきらめのため息と、胸を締めつけるような悲痛な叫び。

 

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絶望に打ちのめされた者、ありもしない希望にすがろうとする者──

 

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日常が崩壊したその場所には、人々の様々な想いが渦巻いていた。

大きく変貌してしまった世界が恐ろしく見えて、思わず足を止めたそのとき──あたたかいものが手に触れた。

 

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顔を横に向けるとそこには──


「そうか……」

 

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過去の映像が途切れ、目の前の少女に焦点が結ばれる。

確かに、よく見ればあの頃の面影は残っている……。


「いや、覚えてる……。思い出したよ、優子」
「ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃない」


そうだ、礼なんて言われたくない。

過去など忘れてしまいたい俺が、彼女のことを記憶のどこかに留めていたのはきっと──

 

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「優子、おまえは……」
「はい?」
「……なんでもない」


俺は小さく首を振った。


それから、彼女に一歩近づく。


「こんなものを飛ばすな。ゴミになるだろう」

 

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できる限り不機嫌な口調で言ってから、さっき拾った紙飛行機を差し出した。


「せっかく上手に折れたのに。ゴミはひどいですね」
「上手くできたのなら自分で大事に持っておくんだな」
「そうですよね、大事にするべきですよね」


彼女はこくこくと何度も頷いた。


「大事にしてくださいね。羽を折りたたむくらいはかまいませんけど、捨てたりしちゃいけませんよ」
「ちょっと待て。なんの話だ」
「その飛行機、火村先輩に差し上げますよ」
「なに?」


優子は嬉しそうに微笑んで、俺を見つめている。

 

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「残念、と思ったんですよ」
「残念?」
「ここはわたしがひとりになれる場所だったのに、他人が踏み込んできたから。でも、あなたなら許します。ずっと、もう一度会いたいと思ってましたから」


優子は畳みかけるように言葉を継いでいく。


「再会の記念ですよ。受け取ってください」
「おまえ、なにを言って……いや、そんなことより。こんなもの、俺はいらない」


この再会は記念すべきものなんかじゃない。

少なくとも、俺にとっては歓迎できない事態だ。


「わたし──」


紙飛行機を差し出したままの手が、ぴくりと震えた。


「今でもあなたのこと。憎んでいます」
「…………」


決して凄んでいるわけではなく。

むしろ、微笑みに近い表情を浮かんでいるというのに。

なぜ、こんなにも──

 

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「ええ、ずっとです。また会えて本当によかった。やっと確認できますね」
「確認……?」
「ええ、あなたは今でも──差し出した手を振り払われた人間の痛みを──あなたは今でも知らないままですか?」

 

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彼女が恐ろしく思えるのだろう。

まるで世界が凍りついてしまったかのように、なにも動くものがない。

なんの音も聞こえない。

 

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「……なんて、冗談ですよ?」

 

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唐突に弾んだ声が、耳に届いた。

静止し、閉じていた空間が急速に開放されていく。

 

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「そんな不安そうな顔しないでくださいよ。火村先輩は真面目なんですね♪ あ、その紙飛行機を大事にっていうのは本気ですからね。時々抜き打ちで捨ててないか確認しますから」


何事もなかったかのような明るい声が、俺の耳を素通りしていく。

手の中の紙飛行機を握りつぶしてやりたい衝動が突然こみ上げてきたが、なんとか抑えこむ。

 

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「……しょぼい記念品だな」
「ふふ、あなたは変わりませんね。相変わらず意地悪ばかり……」


ふう、と小さくため息をついて、少女は軽やかに歩き出す。

 

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「それではごきげんよう……お兄ちゃん」
「…………」


俺は去っていく優子を呼び止めたりはしなかった。

お兄ちゃん、か。

そう呼ばれたのな何年ぶりだろう。

もう二度と──ありえないと思っていた。

誰かにそう呼ばれて、しかも心が動くことなど……。


『おにいちゃん』


────!


頭の中で炎が爆ぜた。

 

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焦らずに呼吸を整え、開きかけたふたをゆっくりと閉じる。

 

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ダメだ、それだけは──


思い出してはいけない、触れることを許されない記憶だ。

 

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手に持ったままの紙飛行機に目をおとす。

現実を見なければ──禁忌の過去に今を塗りつぶさせるわけにはいかない。


「……はぁ」


小さく息をつく。

大丈夫、俺はきちんと自分を制御できている。

自分を見失ったりはしない。

ちゃんとやっていけるよ、俺は。


「あ、そうだ。バイト……」


もうかなり日が傾いている。

こんなところでくだらない一人芝居をやってる場合じゃない。


「行くか」

 

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つぶやいて、俺は歩き出した。

そうだ、歩かなければ。

戻らない過去のことを考えてる暇なんて、俺に限らず誰にもありはしないのだから。


思い出したように、蝉が鳴き始める。

夏は──嫌いじゃない。

 

 

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02.闇の中で見たもの
  What scen in the dark...

 

……。

 

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教室の扉を開けると、そこはフリーマーケットだった。


「…………」

「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


机の上に衣類や日用品を広げて、勝手に開業しているバカが約1名。


「今の季節じゃピンと来ないかもしれないが、このセーター、そんじょそこらの安物とはわけが違う!」

「……どう違うんだ?」

「おや、火村じゃないか」

「おはよう、相変わらずの仏頂面だな」

「おまえは相変わらずのアホヅラだな、久瀬」


久瀬の机の周りに群がっているクラスメイトたちを押しのけて、自分の席に着く。

なんの因果か、今現在、俺はこのバカの隣に座る羽目になっているのだ。

まあ、この状況もあと2ヶ月足らずと思えば我慢もできるというものだが。

 

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「ときに火村よ」
「なんだよ」
「このセーター、買ってみないか?」
「……まず、なんでいきなりフリマなのか訊いていいか?」


久瀬は小さく机を叩いた。


「いやあ、立つ鳥後を濁さずっていうから部屋の物を捨てまくってたんだけどさ。意外といい物がどんどん出てくるんで、捨てるのは惜しいと思って」
「捨てるために集めたモノを売りさばくところが恐ろしいよな、おまえは」


ちゃっかりしているにもほどがある。

 

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「そんなに褒めなくてもセーターの1枚くらいはタダでやるって。俺とおまえの仲だしな」
「ああ、敵に塩を送るというやつか」

 

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「親友だったのに、いつの間に敵同士に……ううぅ」


と、わざとらしく泣き真似など始める気持ち悪い男が一匹。

まったく、いつものことながらふざけた野郎だ。

久瀬修一。

この男と知り合ったのは、音羽の本校に入学してすぐだっただろうか。

知り合ったきっかけなどまるで記憶してないが、声をかけてきたのは間違いなく久瀬のほうだろう。

色々な意味で目立つこの男が、わざわざ俺に接触してきた理由は未だに不明である。


「で、なにがほしい? 好きなもの持って行っていいよ」
「やっと縁が切れるっていうのに、おまえのお下がりなんか持っていたくねぇよ」
「とことん冷たいねー、おまえさんは」


どれだけ素っ気なくされても久瀬はまったく動じない。

タフなのか鈍いだけなのか、それも未だにわからない。


「だいたい、なんでおまえいるんだ?」

 

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「なんでって──あ、まいどあり」


不満そうにつぶやきながら、久瀬は怪しげなオルゴールの商談を成立させた。


「おまえ、もう登校しなくてもなんの支障もないだろう?」
「まー、そうなんだけどさ。なんせ、いつ戻ってこられるかわからないからな。学校で色々と片づけておかなくちゃならないこともあるんだよ」
「女関係か」
「それは最優先で処理した」


久瀬はこともなげに言う。

この男、俺が知ってるだけでも彼女を取り換えること二桁に達している。

音羽入学から数えても、いったい何人の女と付き合ってきたのか。


「思い詰めて、留学先まで追いかけてこられちゃたまらんからだな」
「さすが火村。察しが良いね。前々から思ってたけど、やっぱり火村は得がたい相方だなあ。どうだい、俺と手に手を取って留学しないかい」
「跡を濁してもいいから、さっさと旅立て。もちろん一人で、ついでに骨も向こうに埋めてこい」


この久瀬修一は一学期いっぱいで音羽学園を辞め、ドイツの音楽学校に留学することになっている。

見かけからは想像つかないが、実はこの男、ヴァイオリンの名手なのである。

音羽の1年のときに、初めて出場したコンクールで優勝をかっさらったそうだ。

本人曰く、

 

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『軽かった。女の子口説くほうが難しい』


だそうだ。

もっとも、俺は一度も久瀬の演奏を聴いたことはない。

ことあるごとに、久瀬は俺を親友親友と呼びやがるが……。

おかしなことに、自分の出場するコンクールに俺を誘ったことはなく、演奏を聴かせようという気もないようだ。


「うーむ」
「ん? なにを悩んでるんだよ?」
「骨を埋めるのはいいけど、遺骨収集団は来てくれるのかな……」
「おまえはどこに留学するつもりなんだ」


このバカに限って、"照れてる"ということはないだろう。

たぶん、どうでもいいような理由に決まってるので俺は追及しない。

こちらも優雅に音楽鑑賞などしていられる身分でもないし。


「もうなんでもいいが、授業が始まるまでにそのガラクタは全部片せよ」
「あいあい。火村は変なところで真面目なのがいけない」
「おまえは少しでもいいから真面目になれ」


本当に、付き合いきれない男だ。

だが、この付き合いもあともう少し。

あともう少しだけだ……。


…………。

 

……。

 

 

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昼休みになると、俺は一人で教室を出た。

久瀬はメシも食わずにフリマを再開し、全部売りさばいてドイツへの飛行機代にすると息巻いていた。

まず無理だろう。

よく見ると確かに物はいいのだが、ほとんどタダみたいな値段で売り払っている。

完売したとしても、せいぜい空港への足代程度にしかならないだろう。

なにをしたいんだか、あいつは……。

まあ、久瀬のことなんてどうでもいい。

とりあえず、今日はどこで時間を潰そうか……。

 

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「あのー」


中庭をうろつくのもいいが暑いし、教室に戻るのは論外だ。

 

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「あのー」


無難なところで図書室にでも行くか。


「あの! 火村先輩!」
「……ちっ」


俺は仕方なく足を止める。

 

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「今、舌打ちしませんでした?」
「ただのクセだ。気にするな」


前方から歩いてくる優子の姿には気づいていたが、そのまま通り過ぎるつもりだった。

 

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「しかも知らんぷりしようとするし……」
「それもクセだ」
「完全に意図的だったじゃないですか!」
「だったらどうだというんだ」
「あっさり居直ってますね……。でもちょうど良かったです」


優子は口調を一変させて、にこっと笑った。

 

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「なにがちょうどいいんだ。いや、おまえはこんなところでなにしてるんだ?」


この階には2年の教室しかない。


「2年D組でフリーマーケットをやってるって聞いたもので、あ、先輩は何組なんですか?」
「Dだ」
「ならご存知ですよね。掘り出し物もあるっていうので、ちらっと覗きに行こうかな~って。2年生の教室に一人で行くのも気が引けるので、先輩に是非ともエスコートをお願いしたく……」
「やめとけ。物は確かにいいけど、売り主の性格が最悪だ。あんなとこ、近づかないほうがいい」
「性格? 火村先輩より最悪ですか?」
「…………」
「だとしたら相当ですね……。もしかして、人類として規格外かも」
「……じゃあな」

 

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「お待ちになってっ!」


がばっと体当たりするようにして俺を食い止めようとする。

とたんに、ふわりと甘い香りが漂ってくる。


「……離れろ、暑苦しい」

 

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「重ね重ねひどいですね……」


強引に押しのけられた優子が、不満そうにつぶやく。


「ひどい目に遭いたくないんなら、俺に近づかなきゃいい」
「それはわたしの台詞でもありますけどね」


ろくでもないことを、笑顔で言えるこいつの性根は少し怖いと思う。

そういえば、優子の周りにいると悪いことが起こるとか言ってたな。


「……違うな」
「え?」
「俺とおまえは違う」
「どう違うんです?」
「俺は意識的に人をひどい目に遭わせるタイプだ。これは大きな違いだろう」
「先輩、お昼は済ませましたか?」
「おまえ、話に脈絡がないぞ」


唐突に全然別の話題を振られても困る。


「どうなんです?」
「……いや、俺は昼メシは食わないことにしてる」
「了解、じゃあちょっと付き合っていただけますか?」
「フリマなら勝手に行けよ。買い物くらい一人でできるだろうが」
「そうじゃないですよ、もうフリマなんてどうでもいいです」

 

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嬉しそうにそう言って、優子は俺の腕を引っ張るようにして歩き出した。

振り払ってもよかったはずなのに。

なぜか俺は彼女に逆らうことができなかった。


…………。

 

……。

 

 

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連れて行かれた先は予想通りだった。

屋上は風もなく、太陽を遮る物がなにもないせいで、灼熱地獄と化している。

 

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「あちぃ……」
「夏ですからね。この時期に寒かったら世界が滅びそうで怖いです」


と、夏服を着た優子は汗一つかかずに平然とした顔をしている。

どちらかというと、異常気象よりこいつのほうが怖い。

優子は数年見ない内に人間やめたんじゃないだろうな?

 

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「とりあえず座りませんか?」
「座ってどうするんだ?」
「お話するんですよ」
「なんで俺がおまえと話さなくちゃいけないんだ」
「わたしと火村先輩がお話するのに理由が必要なんですか?」
「…………」


──理由は必要だと思う。


優子が変な思いこみをしているようなら、それを正しておかなければならない。


「予鈴が鳴ったら問答無用で戻るぞ」

 

できるだけ不機嫌な声で言って、俺は腰を下ろした。


「もちろんです♪」


優子も俺の隣に──

 

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「って、おい」
「はい?」
「近ぇよ。もっと離れて座れよ」


なにを思ったか、優子は俺と腕がくっつきそうなほど近くに座っている。


「あらら、照れてるんですか? そういえば、先輩は昔から女の子が苦手でしたよね」
「んなことねーよ」


別に女の子が苦手というわえじゃない。


「嘘ばっかり」


くすくすと優子は笑う。

俺が苦手なのは女の子全般ではなくて……。

こいつだ。


「優子。おまえ、天文部だったって言ったな」


俺は言いながら、座ったまま少し位置をずらす。


「ええ、このほど正式に廃部になっちゃいました。せつないですね、人生は……」
「だったら、なんでここの鍵を持ってるんだ? もう借り出すのは無理だろ?」



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「ふふふ。天文部は地味ですけど、少々歴史はあるんですよ。昔、悪い先輩がいたんでしょう」


優子は嬉しそうに笑って、小さな鍵を取り出した。


「なるほどな。勝手に合い鍵を作ったのか」
「それが部内で代々受け継がれてきてですね。廃部を機に、最後の部員であるわたしが頂戴したというわけです。ちゃんちゃん♪」


なにがちゃんちゃんだ。


「伝統が終わっちゃうのは残念ですけどね。うかつに誰かに渡すわけにもいきませんし」
「おまえ、気をつけろよ。まさか停学や退学にはならんだろうが、教師に見つかったらタダじゃ済まないぞ」
「学園生活にはトラブルがあったほうが楽しいですよ。そう思いません?」
「生憎だが、俺は穏やかな学園生活を送るつもりなんでな」
「あら、オトナですね」
「そうだよ」


俺はきっぱりと言い放つ。

トラブルに巻き込まれて時間を浪費するなんてバカバカしい。


「わたしからも質問していいですか?」
「ダメだ」

 

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「ええっ。わたしはちゃんと訊かれたことに答えたのに……なぜそんなむごい仕打ちを……」


わざとらしく涙をこする真似などしてやがる。

こいつも久瀬と同じで、相当タフみたいだな……。


「鬼ーっ、悪魔ーっ、火村ーっ」
「…………。断っておくが、俺に冗談は通じないぞ」
「じゃあ、真面目に」


ころりと口調が変わる。


「わたしが施設を出た後のことを聞かせてほしいんです。火村先輩が今日までどうしてたのか、気になるんですよね……」


予想通りの質問だ。

数年ぶりに再会して、優子が訊きたいことと言えばそれくらいだろう。


「特にどうということはないさ。ずっと施設で育ってきて、1年ちょっと前に音羽に合格したのを機に独立した。それだけだ」
「ずっと……ですか」
「ずっとだ。俺を引き取るような酔狂な人間はいなかったからな」


そのことは特になんとも思っていない。

この国が少々豊かだとは言っても、たいていの場合、自分とその家族を養うのが精一杯なのだ。


「でも、あの……確か音羽って……」
「ああ、学費のことか」


俺は素早く察しをつける。

私立である音羽は学費もそれなりに高い。

少なくとも、身よりのない若造がぽんと払えるような金額ではない。


「特待生なんだよ」
「特待生?」
「普通の生徒はあまり知らないだろうが……成績優秀者は学費が免除されるっていうシステムがあるんだよ」


特待生の資格を得るために、俺は入試で全教科ほぼ満点を取った(はず)。

当然ながら、入学後も成績が落ちれば資格を失効してしまうので、トップクラスを維持し続けている。

だから、トラブルに巻き込まれたりして、勉強時間を浪費するわけにはいかないのだ。


「ま、俺だって世の中を渡っていくためにそれなりに色々やってるんだよ」

 

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そう言って立ち上がる。

屋上の向こうには、赤く彩られた華麗な街並みが広がっている。

異国情緒が漂う音羽の街は、まばゆいほどに美しい。

だが、俺は知っている。

この美しさがなにを覆い隠しているかを──


「なあ、優子」
「はい」
「もう昔とは違うんだよ」


優子も立ち上がり、俺の隣に並ぶ。

 

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「おまえや俺が施設で暮してた頃とは状況が変わってしまっている」
「……なにが言いたいんです?」
「はっきり言ってやろうか」


俺は小さく咳払いをした。


「あまり馴れ馴れしく俺に近づくな」
「……え」


俺と優子は子供の頃のごく短い期間──

半年にも満たない間、街の教会内にあった施設で暮らしていただけだ。

あそこにはたくさんの親を失った子供がいて──俺も優子もその一人だった。

そして、優子はある日どこかに引き取られていき、俺はその後もずっと施設に留まった。

俺と優子の関わりといえばたったのそれだけ。

それだけの関係でしかないのだ。


「悪いが、そういうことだ」
「せ、先輩、あの……」
「じゃあな」

 

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それだけ言って、優子に背を向ける。

これでいい。

今頃になって過去と向き合うなんて冗談じゃない。

優子がいると……否が応でも昔が思い出されてしまう。

だから、これでいいんだ。


……。

 

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さて、教室ではまだバカが商売を続けてるだろうか。

 

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腕時計に目を落とす。

そろそろ昼休みも終わりだから戻ったほうがいいか……。

 

──「あれ、変なところから現れるなあ」

 

「…………!」


危うく階段から転げ落ちそうになってしまう。

その声があまりに唐突に聞こえたからだ。

俺は焦りを隠しながら、声の主に目を向ける。

 

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「この上は屋上しかないけど、なにしてるの?」


美術教師の雨宮明良(あまみや あきら)。


まずい奴と会った──

よりによってこいつに屋上に行ってたことがバレるのは、少し面白くないな。

俺は悟られないように、小さく深呼吸する。


「いえ、屋上に上がってみようかと思ったんですけど……立ち入り禁止なんですね。引き返してきたところです」
「へえ、屋上って立ち入り禁止なんだ。それは知らなかったなあ」
「は?」


立ち入り禁止の場所から出てきた俺を咎めようとしてるんじゃないのか?


「いや、火村くんは屋上で物思いにふけるようなタイプじゃないと思ってたんでね。それが意外だっただけだよ」


どうやら、雨宮にとってはそれくらいの校則違反はなんでもないことらしい。

身構えて損したな……。


「たぶん俺は、先生が思っているような人間じゃないですよ」
「もちろん、そうだろう。当たり前のことだけど、わからないからこそ人間は面白いんだけどね。特に君はね」
「そうですかね」


俺は肩をすくめた。


「ところで、ここで会ったのもなにかの緑。久しぶりに訊きたいんだけど、やっぱり美術部に入る気はないかな?」
「ありません」


即答し、この問答と何度繰り返したかとうんざりする。

事の起こりは今からちょうど1年ほど前。

俺が授業で描いた風景画を妙に気に入った雨宮が、どこぞのコンクールに勝手に出展し、驚いたことに入選してしまったのだ。

賞金が出るわけでもなかったので、俺自身は嬉しくもなんともなかったが……。


「本当に惜しいなー。磨けば光る才能がこんなに近くにあるのに手出しできないっていうのは拷問に近いよ」


美術部顧問でもある雨宮が執拗に入部を勧めてくるようになったので、デメリットのほうが大きいくらいだ。


「何度も言ったじゃないですか。俺は絵に興味なんてないし、そもそも……」


「兄さん──?」


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こつこつと小さな音を立てて、階段を下りてきたのは優子だった。

なにか驚いたような顔をしているが、それよりも……。


「兄さん、だと?」


お兄ちゃんではなく、兄さん?


「今度は優子か」

「え──?」


雨宮はあくまで自然に優子の名前を呼び捨てにした。

俺は他の生徒の名前を呼ぶときと、明らかにどこか調子が違う。

まさか兄さんというのは……。


「優子、そういえばお前の名字はなんだった?」

「え? ああ、まだ言ってませんでしたっけ。雨宮です。雨宮優子」

「なに……?」

「あ、昔の名字とは違いますよ。わたしを引き取ってくれた親戚の名前が雨宮なんです」

「なんだか状況が掴めないね。なんで優子が火村くんにそんなことを説明してるの?」


いや、俺は状況を理解できた。

そうだ、確か優子は遠い親戚の夫妻に引き取られたという話を聞いたことがある。

その負債の実子がこの美術教師・雨宮明良で。

つまり、今の優子は雨宮の義理の妹ということか。


……なんてことだ。


「俺にとっては世界最悪の兄妹だな……」

「火村くんが絶望的な顔つきでなにか失礼なことをつぶやいているんだが……優子、どういうことだと思う?」

「その人、昔から少し大げさなところがあるんですよ」


やっぱり最悪だ。


キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン。


「おっといけない。優子と火村くんのただならない関係は興味あるが……次の機会に回すか」

「なんの関係もありませんし、そんな機会も金輪際ありません」


あってたまるか。


「あ、わたしも教室に戻らないと」

「じゃ、学生諸君。きっちり勉学に励むようにね」

「…………」


なにはともあれ、前門の雨宮、後門の優子に挟まれるという危機からは逃れられるようだった。

こんなことなら、久瀬のフリマに付き合ってたほうがマシだったかもしれない。


…………。

 

……。

 

 

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「いらっしゃいませ」


注文の品を運びながら、入ってきた客に声をかける。

まだ夕方にもなってないというのに、今日はなぜか客足が途絶えない。

テーブルに丁寧に皿を並べてから、カウンターに戻る。

ここでのアルバイトを始めたのは、音羽に入ってすぐだから、もう1年以上になる。


「ご注文は、おきまりでしょうか」


客が多かろうが少なかろうが俺の時給とは関係ないので、潰れない程度に空いていてくれるほうが嬉しい。

現実はそう上手くはいかないが。

それにしても。

今日は本当についてなかったと思う。


「はい、ミートソースとアイスティー。以上でよろしいですね」


さっそくまた優子と会ってしまうし、その上あの雨宮の家族になっていたとは。

久瀬が起こした揉め事に何度か巻き込まれたりはしたものの、割と平和な学園生活を送ってきたのに……。

にわかに未来に暗雲がたれこめてきたような……不安に胸がざわついている。


…………。

 

……。

 

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「ふうー……」


思わずため息がこぼれた。

授業を終えてから、放課後は喫茶店でバイト。

帰宅したら軽い食事を取って、深夜までひたすら机に向かって勉強する。

毎日がこれの繰り返しだった。

代り映えのない日々。

勉強と生活以外のことはなにも考えなくて済むのが唯一の救いだ。

違う、なにも考えないように極力努めてきた。

なにも考えないように、昔を振り返らないように。


「…………」

 

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立ち止まって、星がちりばめられた夜空を見上げる。


「天文部、とか言ってたな」


施設にいた頃のあいつは星に興味を持っていたか……?

俺は小さく首を振る。

そんな細かいことを覚えているはずがない。

あいつの元の名字だって俺は忘れているんだ。


「優子……」


あの災害で家族を失い、教会に引き取られたたくさんの子供たち。

俺より年下の子も多かったが、俺を"お兄ちゃん"などと呼んで懐いてきたのは優子だけだった。

あいつはかなりの甘ったれだったと思う。

 

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昼も夜も、いつだって俺の後ろをくっついてきた。

だけど、俺は甘えてくる優子を容赦なく突き放し続けた。

優子は……どこか似ていたのだ。

姿形ではなく、雰囲気が。


「あの夜は……星なんて見えなかった」


真っ赤な炎と、白い煙。

 

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視界に映るものは赤と白、そしてどこまでも深い闇……。


「おにいちゃーんっ!」

 

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自分の命と引き換えにしてでも守らなければならなかった存在。


雨宮優子は、俺がその存在を失ってしまったことを思い出させる。

だから俺は、優子を近づけなかった。

数年ぶりに会った優子は……認めるのは癪だが、綺麗になっていた。

あの災害さえなければ、あの子も優子のように美しく……。


「ちっ……」


なにを考えている、火村夕。

過去は断ち切ると、とうの昔に決めたはずだ。

すべてが燃え尽きてしまったあの夜のことは、記憶の扉の向こう側に。

 

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これからも優子が手を伸ばしてくるのなら。

 

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何度でも、俺はその手を振り払おう。


…………。

 

……。

 



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03.赤い腕時計
 Red wristwatch.

 

……。

 

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今日もいつも通りの時間に教室に入る。

扉を開けると、そこはフリマではなく、いつもの光景だった。

というか、昨日フリマを開いていたバカの姿もない。


「あいつはだいたい遅刻ギリギリだからな……」


小声でつぶやいて、自分の席に向かう。

少なくともHR開始くらいまでは穏やかな時間を過ごせそうだ。

 

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「……ん?」


カバンを机の上に置いたと同時に異変に気づく。

なんだこれは……?

机の端っこに、赤いサインペンで書かれたと思しき文字が躍っている。

 

「…………」


筆跡を確認するまでもなく、誰の仕業かはわかった。

人の机をメモ帳代わりにするようなたわけ者は一人しかいない。


……いないな。


書いた本人はどこへ消えたのか、姿が見あたらない。

まあいいか。

あまり気は進まないが、後で確認すればいいことだ。


……。

 

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何事もなく授業は終わり、放課後になった。

 

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「火村ー、今日もバイトか?」
「当たり前だろ」


誰の支援もなく一人暮らしをしている身だ。

学費はタダでも、生活費を稼がなくては飢え死にしてしまう。


「何時から?」
「ちょっと用事があるから──いいや、用が無くてもおまえと遊んでる暇はないな」

 

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「なんてつれないお言葉……俺たちはもうすぐ引き裂かれてしまう運命だというのに」
「最初からくっついてねぇよ」


俺はカバンを手に席を立つ。


「ちょっと待った」
「なんだよ」
「用って、もしかして女?」
「あ?」
「堅物の火村くんにもとうとうステディが? だったら紹介してくれ。ついでにその子の友達を俺に紹介してくれ」
「あのな……」


女関係を処理したばかりだろうが。

 

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「どうなんだよ、ここはボケずに真面目に!」
「女には違いないが……あいつだぞ」
「どうぞいってらっしゃいませ」

 

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久瀬は大仰に礼をする。

さすがの久瀬も、在学中にあいつへの苦手意識を解くことはできなかったか。

俺も久瀬と大差はないけどな。


……。

 

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じじじじじ……。

窓の外から、虫の音がかすかに聞こえてくる。

日ごと暑さが増してきているが、今年は夏の到

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来がひときわ早いような気がする。

そういえば、以前に久瀬が言っていた。



『今年は猛暑らしいよ。あーくそ、例年以上に薄着になった女の子たちを堪能できないとは。いっそのこと、留学なんて先延ばしにしようかな。』


後半の戯言はともかく、特に暑くなるというのは楽しみだ。

夏は暑ければ暑いほど心が躍るというものだ。

もっとも、俺には浮かれている余裕などないが……。


……。

 

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美術室。

できればここにはあまり近づきたくなかった。

せめて雨宮が不在であることを祈っておくか……。

扉を開けて、室内に一歩踏み込む。


……。

 

「…………………」

 

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「っと、意外と早かったな。悪いけど、少し待っててもらえないか。キリのいいところまで描いてしまいたいから」


俺は返事をせずに、軽く目をこすった。

 

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もしかしたら疲れてるせいで幻覚を見てるのかと思ったが、まぎれもなくこれは現実だ。

 

 

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広野凪。

俺を呼び出した女は、なにを血迷ったのか、一糸まとわぬ姿でイーゼルに向かっている。

入り口からはイーゼルの陰になってよく見えないが、恐らく下着もつけていないのだろう。

 

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凪の横に立ててある大きな鏡に、彼女の真っ白い素肌が反射して……。

俺はぶんぶんと首を振った。


「なにをしてるんだおまえはーっ!」
「うるさい、気が散るから大声を出すな」
「いいから服を着ろ、このバカ女!」

 

………………

 

…………

 

……

 

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「本当に、久瀬といいおまえといい、芸術やってる奴らの考えることはわからねえ」
「久瀬と一緒にされるのはあまり愉快ではないな……」


しばしの押し問答の末に、ようやく服を着てくれた凪が口を尖らせる。


「というか、おまえ絶対バカだろ」
「ん……? 君は知らないかもしれないが、裸婦デッサンは基本中の基本なんだぞ」
「裸婦が描きたけりゃ絵画教室にでも行けよ。どこの世界に自分をモデルにするバカがいるんだ? 思いつきで行動するんじゃない」


こいつはなにを思ったか、どこからか姿見を持ってきて、そこに映った裸の自分をデッサンしていたのだ。

画家志望のクレイジーな女だとは知っていたけど……ここまでイカれてるとは。


「自分を描く、というのも基本だよ。いちいちモデルさんを呼ぶ手間が省けるし、鏡さえあれば中断と再開も容易だ。たいていの画家は自画像を描くものだしな」
「わかった、わかったけど。いいか、凪」
「ん?」
「学校でやるんじゃねぇよ」


確かに、放課後の美術室を訪ねる人間は少ないだろう。

美術部も凪以外はほとんど幽霊部員だと聞く。

だが、人に見られる可能性は皆無ではないのだ。


「それともなんだ、裸を見られるのが恥ずかしくないとでも言うのか?」

 

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「夕は僕をなんだと思ってるんだ?」


凪は不満そうな顔をする。

ついさっき確認したとおり、こいつはまぎれもなく生物学的には女であるが、一人称は"僕"だ。

本人が言うには、"私(わたし)"というのは3文字もあって長いからイヤだそうだ。

いまいちよくわからない理由である。


「僕はこれでもお年頃の女の子だぞ。恋人でもない男に肌など見られたら舌を噛み切るよ」
「俺はおまえの恋人じゃないんだが……」
「ただ、あのときの僕は一人の女の子ではなく、デッサンのモデルだ。恥ずかしがっていては話にならない」
「そうかよ……」


凪の言葉には理屈があるようで無いと思う。

本人にしか理解できないルールを定めているからだろう。


「ところで、俺になにか用があるんだよな?」


放課後 美術室


俺の机に赤ペンで書かれた伝言はたったこれだけ。

しかも書いた本人は、一度も授業に姿を見せなかった。

こいつは気分が向いたときにしか授業に出ない、クラゲのような女なのだ。


「まさか用もないのに、人の机を汚してくれたんじゃないだろ?」
「今日は買い物に付き合ってもらおうと思って」
「……またかよ」
「買い物は、しなくちゃならない大切なことだ」

 

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そう言って、凪はにっこりと笑った。

 

…………。

 


……。

 

 

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広野凪とは、久瀬と同じく、1年・2年と続けて同じクラスになった。

話すようになったきっかけは、出席番号が近く、席も隣同士だったからというごく平凡なものだが……。

それなりに付き合いが続いている理由は自分にも謎である。


「これだけあればしばらくもつだろう」
「そりゃーよかったな」
「ああ、よかった」


凪は画材を大量に詰め込んだ袋を手にご満悦だ。


「しかし、おまえはいつになったら一人で買い物できるようになるんだ?」
「僕に訊かれても困る」


じゃあ、誰に訊けというんだ。


「むしろ、一人で店に入って普通に買い物できるほうが不思議だ。夕、君もそうだがいったいどうなってるんだ?」
「どうにかなってるのはおまえだ」


この歳になって、一人で店に入ることもできないというのは珍しいというより異常だ。

少々エキセントリックな凪には、友達が少なく、こういう機会に付き合わされるのはたいてい俺だったりする。

ちなみに、日常的な買い物は敏の離れた弟が付き添っているらしい。


「そうだ、なにか礼をしなくてはいけないな」
「いらねぇよ、そんなの」


今後二度と買い物に付き合わせない。


──と誓ってくれるのがなによりの礼になるが、こいつは断固として拒否するだろうし。

 

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「おお、そうだ。いいことがある」


たぶんろくなことじゃない。


「例年、ウチには山ほどお中元が贈られてくるんだが」
「ほう」


確か、凪の父親は高名な画家だとか聞いたことがある。


「僕も父も弟も、一家そろってそういうものにはまるで興味がないからな。ある程度たまったところで、父がまとめて捨ててしまうんだよ」
「も、もったいねぇ……」
「そういうことだから、今年もらった分は全部まとめて夕にあげよう。食べ物や日用品が多いから、一人暮らしの君には役に立つはずだ。どうせ捨てるものだから、君も遠慮なく受け取れるだろう?」
「……いや、受け取れねぇな」


経緯は問題じゃない。

つまらない意地だと思われようが、タダで人から物を貰うのは御免だ。

施設を出て、自分の力で食い扶持を稼ぐと決めたのだから。

なによりも自分のために、その誓いを破りたくない。


「なるほど、君がそう言うのなら仕方ない」


と、あっさりと凪は引き下がる。

 

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「餞別と称して久瀬にでもくれてやろう」
「すげぇ嫌がらせだな……」


フリマを開いて荷物を減らしたところに送り込まれる大量のお中元……。

面白そうだから止めないことにしよう。


……。

 

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「もうこの辺でいいぞ。ありがとう」
「ああ」


預かっていた凪の荷物を渡す。

家まで送らされるかと思っていたが、どうやらバイトに遅刻しないように気を遣ってくれたらしい。


「それにしても、今回はあっさり付き合ってくれたな。いつもはもっと文句たらたらなのに」
「付き合ってもらったんだから、ありがたく感謝してればいいんだよ」
「それはそうなんだが……。なんだ、もしかして僕に下心でもあるのか?」
「そんなもんあったら、さっき美術室で襲ってる」
「なるほど、そういうものか……勉強になった」
「バカか」


凪は美人だと思う。

だが、さきほどのように裸を見るとか、そういうアクシデントでもない限り、こいつに女を感じたりしない。

いや、凪に限らない。

幼い頃から今日まで、ほとんど異性に関心を持ったことはなかった。

そんな余裕がなかったと言えばそれまでだが……。


「なあ、凪」
「うん?」
「雨宮って、どういう男だ?」
「雨宮先生? 僕のような美形に興味を示さないと思ったら、そっちの趣味だったのか君は」
「誤解するなっ!」


こいつは頭悪すぎ、あるいは飛躍のしすぎだと思う。


「しかし、夕は雨宮先生から逃げ回ってたじゃないか。なんでまた急に興味を示す?」
「礼をしてくれるんだろ? こっちの疑問だけに答えてくれ」
「ふーむ……」


凪は画材が詰まった袋を持ち直す。

こいつは仮にも美術部員なのだから、顧問である雨宮のことを少しは知っているはず……。


「よくわからないな」
「使えねぇ……」


期待した俺がバカだったようだ。


「そう言われても、あまり積極的に指導する先生でもないしな。僕は、彼が描いた絵を見たことすらない」
「あいつ、美術教師のくせに絵を描かないのか?」
「僕と同じで、油絵が専門だと聞いたことはある。だけど、描かないことそのものは不思議でもなんでもない。教師の仕事は絵を描くことじゃなくて、描き方を教えることだしな」
「そりゃそうか」
「あえて一言でいうなら変わった男。それくらいかな」
「変わった男……」


ほとんどなんの答えにもなっていない。


「それ以上知りたければ、それこそ美術部にでも入ればいい」


凪はそう言って踵を返そうとして──ぴたりと立ち止まった。

 

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「なんだ? 帰るんじゃないのか?」
「君は誰かに恨みでも買ってるのか?」
「は?」
「さっきから気になってたんだ。放置しておいてもいいが、僕の買い物に付き合った帰りに君になにかあると、ちょっとだけ寝覚めが悪くなる」
「いったいなにを言ってるんだ?」

俺は訝りながらも、周りを見渡す。

別におかしなところはなにも……。


「…………。なにしてるんだ、おまえ」

 

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「あはは、なかなか鋭いですね、そちらの方」


建物の死角からひょこっと能天気な笑顔が現れる。


「この男も普段は決して鈍くないぞ。ただ、僕と肩を並べてるせいで少々舞い上がってるらしい」

「真顔で冗談を言うな!」

 

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「火村先輩と仲がいいんですね」

「君は夕の知り合いか?」

「あ、はい。わたしは音羽の1年で──」

「凪だ。2文字で呼びやすいだろう?」


優子の言葉をさえぎって、いきなり凪は自己紹介した。


「え、ええ、そうですね。凪さんですか、わたしは雨宮優子です。ゆうこ……? 3文字か」


それより名字のほうにつっこめよ。


「多少呼びにくいが、いたしかたないな。それじゃあ僕は帰る」


まったく発言が繋がっていないが、ともかく凪は荷物を重そうに抱えて歩き出した。


「なんなんだ、あいつは」

「おっと、忘れてた」


また戻ってくるし。


「これを夕にあげよう」

 

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どさりと荷物を地面に下ろし、凪は1冊の小さなスケッチブックを取り出した。


「たくさん買ったので、オマケでくれたものだ」
「だから、いらないって」


タダで物をもらうのは好かないというのがわからないのか。


「今、僕の頭に面白い考えが浮かんでいる」

「なんだと?」

「今日の放課後、美術室で起こったことを客観的な視点から話してみると、どうなるだろうな」

「…………」

 

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開く美術室の扉。

 

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裸で椅子に座っている少女。

 

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そこに入り込んでくる一人の男。


ふたりっきりの空間……。


……。


「ありがとよ」

「人の好意は素直に受け取るものだ」


悪意に脅された結果だろうが。


そして、今度こそ凪は家路についてくれた。

やれやれ……。


「さて、と」


いつの間にやら俺のそばに立っていた少女をぎろりと睨みつける。

 

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「あははっ」


あはは、じゃねぇよ。


……。

 

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俺はふたたび商店街に戻ってきた。

そして、連れを置き去りにするくらいの早足で進んでいく。


「もしかして先輩、怒ってます?」
「いつも怒ってるような顔だと言われる」
「それは答えになってませんよ」
「まともに話をするつもりはないからな」


きっぱりと言い放つ。


「ごめんなさい……」
「…………」


俺は小さく舌打ちして、足を止める。

くそ、もうバイトの時間が近づいてるっていうのに。

 

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「いつから後をつけてきてたんだ?」
「ええと……」


優子は申し訳なさそうに瞳を伏せる。


「校門のところで先輩を見かけて……女の人と一緒だったから声をかけられなくて」
「声はかけられないのに、後はつけられるのか」
「ごめんなさい、どうしても気になって……」


俺は再び舌打ちする。

こんなにしおらしくなられたら、俺がいじめてるみたいじゃないか。


「そのことはもういい。だけど、言ったよな。俺に近づくなって」
「……でも」


優子の顔から翳りが消え、わずかな怒りが現れる。

 

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「だからと言って、先輩の言うとおりにしなきゃいけない理由はありません」
「言うじゃないか」
「言いますよ」


怒りが消えたと思ったら、次に浮かんできたのは笑顔。

嘘のように邪気のない、優しい笑みだった。

 

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「わたしは、本当に嬉しかったんです」
「嬉しい? なにがだよ」
「決まってるじゃないですか。あなたにまた会えたことです」


商店街の雑踏を歩いていく人たちの足音が一つ一つはっきりと聞こえる。

それぞれ違うリズムで、それぞれ違う音が。


「本当は入学してすぐにあなたがいることに気づいてたんです。入試で首席を取って以来、一度も人にトップを譲ったことのない秀才、火村夕」
「…………」

 

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音羽では誰もがあなたのことを知っています。ううん、あなたを知らずにはいられない。もちろん、わたしも」
「知ってたなら、なんで会いに来なかった?」

 

今こうしてつきまとうくらいなら、最初からそうしていればよかっただろうに。


「わたしとあなたが離れていた時間が……長すぎたからでしょうか」


──思い返してみれば。


引き取られていった子供たちが、再び施設を訪ねることは皆無と言ってよかった。

おそらく彼らは、救いの手を差し伸べられることのない俺たちに後ろめたさを感じていたのだろう。

優子もきっと──


「でも、わたしはこうしてあなたと向き合えるようになった。それが嬉しいんです」


ほとんど足音を立てずに、優子が近づいてくる。


「先輩がわたしを近づけたくないのは……」

 

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優子は俺の手をぎゅっと両手で包み込むようにする。


「まだ茜さんのことを……わたしに似ているっていう……あなたの、妹さん……」


ささやくように発せられた言葉に、少し驚く。


「……俺は、あいつのことまでおまえに話していたのか」
「施設に引き取られた子供はみんな、泣くか黙り込むか、そのどちらかでしたけど……あなたは違いました。独り言みたいにして、わたしに色んな話をしてくれましたよ。忘れたんですか」
「愚痴っぽかったんだろう」


俺は素っ気なく言う。

 

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茜──


あいつのことを他人に語った記憶はない。


「誰でもよかったんだろう。たぶん、おまえに向けて話したわけじゃない」
「いいえ、わたしは知ってました。知っていましたよ。あなたは、生きる力が強いって。どんな困難に遭っても、すぐに立ち上がれる強い力です」


施設にいた頃の──いつも俺にくっついていた優子はそんなことを思っていたのか。


「あの震災の後、あなたは誰よりも早く現実を受け入れてました。施設のみんなは、いなくなった家族がひょっこり戻ってくるんじゃないかって……そんな期待すらしてたのに、あなただけは。わたしは、そんなあなたに力を感じていたんです。凄いって心の底から思っていたんですよ」


生きる力……。

なんだ、それは。

 

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俺は優子の手をゆっくりと引きはがす。

 

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「とんだ買いかぶりだな」


もうこれ以上話すことはない。

俺は時計に目をやる。

これ以上、こいつに付き合って時間を無駄にしていられない。

優子に背中を向ける。


「火村先輩、あなたは強いはずです」


まだ言ってやがる。


「だから……赤い時計の夢なんて忘れてしまえばいいんですよ」

 

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赤い時計……。

妹のはしゃぐ声……。

しっかりと俺の手を握っていた確かなあたたかさ。

やはりそうなのか。

俺は……今も古い夢に囚われたままなのか。


…………。

 


……。



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今日のバイトは散々だった。

皿を2枚も割ってしまったし、注文の取り間違いを3回もやらかしてしまった。

マスターは笑って許してくれたけど、自分に腹が立ってしまう。

苛立ちのあまり、勉強が進んでくれない。


「最低限、ノルマだけでもこなさないと……」


と思っても、手が動いてくれない。

 

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あきらめて、シャーペンを放り出し、横になる。

狭いアパートの低い天井が視界いっぱいに映った。

ここの大家は、大地主である新藤という爺さんで、俺みたいな保護者もいない学生に快く部屋を貸してくれた恩人だ。

バイト先のマスター、新藤の爺さん、他にも多くの人々に支えられて俺はなんとか生きてるのだ。

一人で生きていくと決めても、結局は誰かの力を借りなければならないのが現実なのだ……。


「はぁ……」


ため息がこぼれた。

 

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今日、凪がくれたスケッチブックが目に入った。


B5版程度の、小さなスケッチブックだ。

俺はシャーペンを手に取り、表紙を開く。

そして、目を閉じた。

 

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頭の中でイメージを作り上げ、記憶を探ってディティールを補強する。

その作業はほとんど一瞬で終了した。

目を開けて、一気に手を動かす。

 

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ほとんどなにも考えずに、作り上げたイメージをアウトプットする。

バランスとかパースとかはどうでもいい。

ただ頭に浮かんでいる映像を紙の上に構築する。

 

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「……意外と覚えてるもんだな」


描き上がったのはお世辞にも立派とは言えない平屋の建物。

昔、俺が暮らしていた家だ。

もう二度と戻ることのない──否、戻らないと決めた過去そのもの。

俺はなにをしているんだろう……。


「赤い時計、か」


スケッチブックを閉じて、立ち上がる。

通帳やハンコなど、大事なものを収めたタンスの奥から白い布の包みを取り出す。

 

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「…………」

 

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そっと堤を開くと、ボロボロの黒い塊が姿を見せた。


『おにいちゃん』


「──!」

一瞬驚き、すぐに首を振る。

ただの幻聴──あるいは、自分の内から聞こえた声に過ぎない。

 

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塊を包み直し、タンスの奥にしまい込む。

 

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そして、部屋の電気を消してしまう。


なにも見たくない。

なにも聞きたくない。

俺はすべてを忘れてしまいたいのだ。


『おにいちゃん』


だけど、それは許されない。

妹が──茜が許してくれない。

 

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遠くから教会の鐘の音が聞こえてくる。

そうだ、あのときも痛いくらい耳に響いていた。

 

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あの日はクリスマスだった──

 

 

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両親は悪い人間ではなかったけれど、子供の目から見ても頼りなく、家は裕福ではなかった。

 

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『おうちは暗くて狭くて、暑くて……でも、茜は寒いのが一番辛かったよ』

 

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困った顔ばかりしていた親に代わって、茜に笑顔を見せてやらなければならないと思っていた。


『おにいちゃんは、優しかったよ』


幼いながらも茜は家の事情をわかっていたんだろう。

妹がわがままを言った記憶はほとんどない。


『だって、茜はおにいちゃんを困らせたくなかったから」』


そんな妹がたった一度だけ物をねだったことがあった。

 

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近所のおもちゃ屋で売られていた、安物の腕時計。

文字盤になにかのキャラクターのイラストが入っていて、それは特に可愛くもなかったが、ベルトの色が鮮やかな赤だった。

 

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いつもはおもちゃを眺めるだけで満足していた妹が──そのときだけはずっと赤い腕時計に見とれていた。


『本当に真っ赤で……きれいだったんだもん』


絵を描くのが好きだった俺は、親から与えられたわずかな小遣いや、近所の家の手伝いをして貰った駄賃を貯めて、絵具のセットを買うつもりだった。

たぶん、俺は迷っただろう。

それでも、長いためらいの末に絵の具をあきらめて、茜に時計を贈ろうと決めた。


『ごめんね、おにいちゃん』


ちょうどクリスマスが近づいていた。

プレゼントをもらったことも、クリスマスケーキを食べたこともない妹のために……。

俺は、茜を喜ばせてやりたかった。

茜の笑顔が見たかった。


『おにいちゃんから時計を貰ったときは、本当に本当に嬉しかったよ。一番大好きなおにいちゃんが、クリスマスに一番ほしいものをくれたんだもん』


大喜びの茜は、寝るときも枕元においた時計を眺めていた。

 

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俺の布団にもぐりこんできて、一緒に寝たいと言ってきたときは驚いたけれど。

照れながらも俺は茜と手を繋ぎ、同じ布団で眠りについた。



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幸せだったと思う。

俺も茜も。


『でも、おにいちゃんは……』


真夜中、俺はトイレに行きたくなってしまった。

天使のような茜の寝顔を眺めてから、こっそりと布団から抜け出た。

茜がしっかりと俺の手を握っていて、起こさないように離すのに苦労したのを覚えている。


『おにいちゃんは、茜の手を離したんだよね』

 

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用を足して、手を洗っていたときにあれは起こった。

なんの前触れもなく、唐突に。


『おおきな、とってもおおきな地震……』


天地がひっくり返ったかと思うほどの、激しい振動。

凄まじい轟音を聞いたのと同時に、なにかが俺の上から降ってきて、衝撃とともに意識が途切れてしまった。


「どれくらい気を失ってたのかは今でもわからない……」


気がついた俺が理解したのは、とてつもないことが起こったということだけ。


『茜は、ずっとおにいちゃんを呼んでた……』


そう、俺にも聞こえていた。

俺を呼ぶ、最愛の妹の声が。


「おにいちゃーん、おにいちゃあん! どこーっ、どこいったのいーっ!」


俺も何度も茜の名を呼んだと思う。

だけど、身体の上に重いものがのし掛かっていて、ちゃんと声が出てくれなかった。


「おにいちゃーんっ、こわいよーっ!」


一刻も早く茜のところに行かなければ。

それだけを願って、俺は自由を奪うなにかを押しのけようとした。


『怖かった……。なにも見えなくて、おにいちゃんがいなくて怖かったんだよ』


ようやく立ち上がったそのとき、俺の目に──

 

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炎が映った。

狂ったように、炎が舞い踊っていた。

あの夜は冷え込んでいたから、まだ起きていた親がストーブを点けていたのかもしれない。

火の海と化した廊下は、先が見えない。

その先に──茜がいるのに。


「おにいちゃーんっ!」


妹が俺を呼んでいるのに。

一歩も先に進めなかった。


「違う……」


俺は怖くて進めなかったんだ。


「どこーっ、おにいちゃんどこーっ!?」


周囲を覆う煙と、激しく燃え上がる炎。

確かに俺は死を身近に感じ、身体の震えを止めることができなかった。


「俺は死ぬのが怖くて……」


──茜を置いて、逃げ出したんだよね?

 

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夢中だった。

身体にのし掛かっていたなにかをどかして、少しでも煙の少ないほうへ、燃えていないほうへ。

 

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無我夢中で走り抜けた。


「あつい、あついよー、おにいちゃーん! うわあああ、おにい、おにいちゃん、あああぁーっ!」

 

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「おにいちゃーんっ!!」


泣き叫ぶ妹の声が確かに聞こえていたのに。

俺たちが生まれ育った家が崩れていく中、ずっと茜の声が、茜の声だけが聞こえ続けていた。

 

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必死に走って、玄関から飛び出たその瞬間に──


「おにいちゃ──」


耳をつんざくような轟音に、妹の声はかこ消され……。

そして、鐘の音が鳴り響き始めた。


「まるで茜の死を悼(いた)むように……」


……。

 

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それから俺は、近所を必死に駆け回って、助けを呼んだ。

だけど、誰もが自分のことで精一杯で……。


「俺の話に耳を貸してくれる人なんていなかった」

『ねえ、おにいちゃん』

「…………」

 

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『茜はね、あのクリスマスは本当に幸せだったんだよ』


「そんなことはなんの慰めにもならない……」


茜は命を落としたのだ。

あの子はもっともっと生きて、幸せになるべきだったのに。

幸せに……してやりたかった。


『それはどうかなあ……』

「なに?」

『もしも茜があのとき助かってても、幸せになれたとは思えないんだよ』

「…………」


茜は賢い子だった。

貧しい俺たちには、未来に希望など持てないと思っていたのかもしれない。


だけど──


「そんなことあるか! 生きていれば、生きてさえいれば……!」

『思うんだけど、茜は死んでもよかったんだって』

「違う! それは絶対に違う! 賢くて、素直で、誰よりも優しいおまえなら絶対に幸せになれる。そのはずだったんだ……!」

『茜はね、そんなこと望んでなかったよ』

「望んでなかった……? じゃあ、おまえの望みってなんだ……?」

 

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『茜は……』

 



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『茜は、大好きなおにいちゃんと一緒に死んじゃいたかった』


暗闇の向こうで茜が笑ったような……。

そんな気がした。

 

……。