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-ノベルゲーム・タイピング-

planetarian ~ちいさなほしのゆめ~【2】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
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www.prot.co.jp


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……。


呼び声が、聞こえた気がした。

目を開けても、なにも見えなかった。

身を構えたまま腕と指を動かし、のろのろと密閉バックルを解いた。

連続する警報音(リークアラート)を無害な夢のように聞きながら、泥に浸かったフェイスマスクをひきはがした。

フィルター越しではない生の空気が、乾いた喉に流れ込んできた。

 

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むさぼるように呼吸し、それから目前を見渡した。

最初に見えたのは、雨だった。

燻蒸煙のような霧雨の膜が、視界をぼんやりと溶かしていた。

小高い丘のようだった。

人の気配はなかった。

まどろんでいる間に、大人たちはいなくなっていた。

自分の環境防護服(ライフスーツ)に不具合があることは、とうに気づいていた。

だから、置き去りにされたのだ。

行進の間、そうやって何人もの人間が瓦礫に座り込み、そのまま人形のように、動かなくなったのを見てきた。

絶望を覚えるには、疲れすぎていた。

ただ、もう歩かなくていいんだと思った。

草も木もない大気に、風が鳴っていた。

油紙のようにのっぺりとした雲が、視界一面に覆い被さっていた。

あたたかな泥に頬をつけたまま、ぼんやりと空を見た。

また、どこかの居住区(コロニー)が焼けているのだろうか。

低い雲に照り映える、にぶく橙色を帯びた光。

それは大人たちが、あともうすこし歩けば辿り着くと、繰り返し繰り返し言っていた方角だった。

きれいな水も、食べ物も、ベッドも、同い年ほどの友だちも、みんな待ってると言っていた方角だった。

なんの感慨もなく、機械のように眺めていた…

 

 

 

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「…お客さま?」

「……………」

「おはようございます、お客さま」

「…呼んでいたのは、おまえか?」

「はい」

「夢を見ていた」

「それはすばらしいですね。楽しい夢でしたか?」

「いや…」

「わたしはロボットなので、夢を見ることはできないのですが、なんと申しますか、とてもあこがれてしまいます」

「あこがれるほどのものでもない…大抵の夢はな」

「そうなんですか…」

子供のような瞳が、俺のことを見つめている。

起き抜けの状況にようやく意識が追いついてきた。

このロボットと普通に会話しているようでは、俺も長くないだろう。

「ところでお客さま、ご気分はいかがでしょう? もしも、またご体調が…」

「昨日も言ったが、俺は病気じゃない」

「はい。失礼しました」

どこか不承不承といった風に返事をする。どうしても俺を病人扱いしたいらしい。

背もたれから身体を起そうとして…となりにまた、得体の知れない物が置いてあるのに気づいた。

それは巨大な水滴に見えた。

子供の頭ほどもある、透明なガラス玉の中心に、アンテナのような針金が窮屈に封じ込められ、絞られた端にはピッチの粗いネジでおわっている。

ガラス玉は全部で四つ、行儀よく互い違いに並べられていた。

持ち上げてみる。

ガラスの表面は氷板のように冷たく、そしてひどく軽かった。

今にも壊れそうなそれを、注意深く床に戻した。

「これがその電球か?」

「はい、お客さまがお休みの間に用意しておきました」

「どこに置いてあったんだ?」

「はい。あちらのコンソールの上に、専用のロッカーがあります。投影中にやむを得ず交換する場合もありますので」

奥の壁際に、教会のオルガンに似た黒い机がある。

投影機を動かすための制御卓なのだろう。

子供が玩具のように、ひどく大振りなスイッチ類の突起が並んでいる。

おそらく暗闇で操作するために、わざわざそうしつらえてあるのだろう。

「あの、お客さま、よろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「お目覚めのところ早急で申しわけないのですが、イエナさんの修理状況は、現在どのような具合でしょうか?」

「まだ修理中だ。昨夜と変わってない」


「そうですか」

眉をそっとひそめ、強い落胆をあらわす。

「それでは、わたしは投影中止の告知をしますので」

「ああ」

俺が適当に答えると、風見のようにくるりと振り向いて、投影室を出ていった。

「さてと…」

 

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俺は両腕で伸びをしてから、電球を調べにかかった。

投影機の修理は、考えていたよりずっと難物だった。

喩(たと)えるならそれは、縮尺をまちがえた精密時計だ。

おそらく稼働してから1世紀は経っているだろう。

整備効率など考えられていない構造の上に、その心臓部は気むずかしいほどに精密だ。

専門の技術者でなければ、構造部品を交換するだけでも一苦労だったはずだ。

雄大な星の巡りすべてを、直径20メートルの半球内に縮小し、完璧に封じ込めること。

それ以外の俗事にはいっさい興味がないと言わんばかりだった。

だが、上質な鉄材と哲学者のごとき冷徹な職人仕事も30年という歳月には抗しきれない。

動力部を覆った外板を外すと、惨状が明らかになった。

無塗装部は真っ赤な錆を吹き、軸受けは融着し、リード線の皮膜はぼろぼろになっていた。

小手先の整備ではどうにもならない。

吊下台座にウィンチまで持ち出して、オーバーホールに近いことをする羽目になった。

集積してある機材の中から、使えそうな部品を片っ端から試してみたが、いくつかの補助投影機は、修理をあきらめざるをえなかった。

一方、もうひとつの『機械』の方は快調に稼働していた。

 

 

 

 

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プラネタリウムはいかがでしょう?」

「どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき…

水筒を手に受付まで来ると、彼女はおきまりの文句を雨粒に聞かせていた。

「お客さま、今日はあいにくのお天気ですね」

俺の姿を認めると、いつもの調子で言った。

あたりさわりのない話題が天気のことというのは、人間もロボットも共通らしい。

「ああ、今日も明日もずっとな」

「はい、秋の雨は長く続くものですから。早く晴れるといいのですが」

「そうだな」

「ところでお客さま、わたしになにかご用でしょうか?」

「水を汲みに来ただけだ」

水筒を床に置いて浄水器を当て、屋根から伝い落ちてくる水を受ける。

俺のする一部始終と、水筒に流れ込む透明な雨だれを、彼女ははじめて錬金術を見たような顔で交互に眺めていた。

「あの、お客さま、その雨水はなににお使いになるのでしょう?」

「飲むんだ。俺はおまえとちがって、水がないと生きていけない」

俺の言葉に首をかしげ、しばし何事か考える。

「よろしければ、なにかお飲み物をご用意しますが」

「飲み物?」

思わず聞き返してしまった。

時々こんな風に、こちらの予想を越えたことを言ってくるから油断がならない。

「はい。じつを申しますと、わたしはお茶を淹れるのが得意なんです。今日は肌寒いですから、温かいコーヒーなどはいかがでしょう?」

掛けた茶碗になみなみと注がれた泥水を、彼女が満面の笑顔で給仕する絵が浮かんだ。

「自分で汲んだ水以外は飲むなと医者に言われてるんでな」

「はい、わかりました。お客さまに関する重要情報として記録します」

適当に返した軽口が、大真面目に受け取られる。法則性が今もってよくわからない。

「飲み物なら酒はないのか? 封を切っていない壜詰めの蒸留酒だ。密封された煙草でもいい。これは俺にとってはとても重要な話なんだ」

一縷の望みをかけ、俺はそう聞いてみた。

「はい。ございます」

彼女は即座に、天使もかくやというほどの極上の笑みで返してきた。

「本当かっ? どこにある?」

「はい。当デパート地下1階に高級洋酒売り場がございまして…」

「もういい、わかった」

水没した高級洋酒売り場まで、彼女が在庫確認におもむく前に止めた。

ため息をつくと、肺の空気ごと全身から力が抜けていきそうになる。

かわりに俺は前髪を掻きむしった。

なんのことはない、要は腹が減りすぎているのだ。

 

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「あの、お客さま? お体の具合がよろしくないのでしょうか?」

「…持病のようなものだ、気にしないでくれ」

「はい。承知しました」

「ところでお客さま、イエナさんの修理状況は、現在どのような具合でしょうか?」

「さあな。俺にもわからん」

「それは、現状ではいつ修理が完了するかわからない、という意味でしょうか?」

「ああ、その通りだ」

「そうですか…」

ようやく水がいっぱいになり、水筒の蓋を元通りに閉めた。

「ずっとそこに立っているつもりか?」

「はい。お客さまがいらっしゃった時に、投影中止のお詫びと説明をしなければなりませんので」

「錆びるぞ」

「ご心配にはおよびません。わたしの筐体は第2種業務防水仕様になっておりますので、少々の雨でしたら問題なく稼働できます」

「そうか」

彼女の防水機能がどれほど優秀かは知らないが、騒音発生装置としては一級品だ。

ここで騒いでいてくれるというなら、投影室に招く理由もない。

「俺は戻るぞ」

 

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「はい。イエナさんをよろしくお願いします」

深々と礼をする。

それから彼女は、また雨の方に向き直った。

プラネタリウムはいかがでしょう?」

「どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき…」

「客引きしても、当分直らないぞ」

「いいえ。これは発声練習です。いつお客さまが来てもいいように、万全の態勢でお迎えしなければなりませんので」

「そうか。じゃあな」

肩越しに手を振ると、すぐにまた声が聞こえはじめた。    

「満点の星々が、みなさまをお待ちしています」

プラネタリウムはいかがでしょう?…」

 

 

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水からは、鉄錆と硫黄の臭いがした。

浄水器のせいばかりではない。

蝕まれているのはこの星の大気と循環そのものだ。

たとえ雨雲の直下にコップをぶら下げたとしても、清浄な水など望むべくもない。

土壌を数千メートル掘り下げれば、汚染されていない未知の地下水脈が残っているかもしれない。

屑屋風情に手が出せる獲物ではないし、その価値は同量の蒸留酒ぐらいではとても購(あがな)えないだろう。

そんなことを考えながら、最後のアルミパックを開封した。

ハードビスケットは全く味がしなかった。

長居をすれば、ここで死ぬことになるだろう。

口腔で粉になったビスケットを、水筒の水もろとも喉に流し込んだ。

死は幾度となく見たし、自分の死に際も想像した。

それは、汚泥(おでい)と混じりあう静脈血の流れであり、熱線地雷(ヒートマイン)に灼かれた大腿部から立つ紫色の水蒸気であり、

水ぶくれた肉塊の発する耐え難い悪臭だった。

陶器ほどに脆(もろ)くなった骨が靴底で砕ける感触であり、土饅頭に突き刺された自動小銃の肩当が雨を弾く単調な響きであり、

貴重な端切れで母親が拵(こしら)えた造花に、シャベルが交互にかける湿った土の重みだった。

そういった要素のいくつかに、運がよければ一瞬、悪ければ数日間ほどの苦痛が併さり、己を消し去る手続きは完結するのだろう。そう考えていた。

いつでも死は、雨と共にあった。

死は自分の範疇にはなかった。降り止まない雨がそうであるように。

今、死は乾いた天蓋の下にある。

古びた部品たちに混ざり、玩具のように単純な形をしていて、その内身を曝(さら)している。

片手でつまみあげれば、いつでも自分自身にあてがうことができる。

現実とは思えなかった。

 

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投影機のネジをひとつひとつ外していると、自分がどこにいるのか、いよいよわからなくなってきた。

まるで、自らの正気そのものを分解しているようだった。

時間が霧のように曖昧になり、世界はこの狭い投影室の内だけに収束される。

真円のレンズが一枚一枚と、凍えるような輝きを取り戻していく。

外では今も雨が降っているのだろうか? それさえも確信が持てない。

数十時間前、俺は雨の中で息をひそめていた。

軽装対人戦者(メンシェンイェガー)の体温走査から逃れるため、両類に狂ったように泥を塗りたくっていた。

あの時の自分がなにを恐れていたのか、もう思い出せずにいる。

すべてが死んだはずの封印都市。

こわれた機会がつかさどる秩序の腕に抱かれている。

巨大な魚に飲み込まれ、その胃袋で釣りをしていたという旧世界の漁師のように、俺は作業に没頭していった。

 

……。

 

 

「お客さま、お疲れさまです」

「客は来たか?」

「いえ。本日はお客さまおひとりでした」

「そうか」

「でも、きっと明日には、たくさんのお客さまが来てくださると思います」

そして夜こそは、彼女の独壇場だった。

 

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「…それで最近、最新型の905シリーズが、1階エントランスの総合案内に2体配属されたんです」

投影機の灯かりに染み込むように、やわらかな声が響いている。

今、彼女の姿はこちらから直接見えない。

脚立(きゃたつ)で作業する俺の背中を、じっと眺めているはずだった。

「どちらもFT型筐体なので、わたしより11センチほど頭頂高が高くて、より大人びた形態をしています」

「フェイスマスクもオーダーメイドで、とても精密なんですよ」

自身の説明に飽き足らなくなると、今度は親族一同まで持ち出して機能自慢を続ける。

「それに、905シリーズは涙を流すことができるんです」

「…涙?」

「はい、涙です。当デパートの2体は公衆接客業務用なので、機能がソフトオミットされていますが」

「先代機種である9000シリーズに初搭載された、定評ある機能なんです」

「重ねて申しますと、等身大の量販コンパニオンロボットとしては、業界初の機能です」

「そりゃ大したもんだ…っと」

リード線の先をモーターの端子に巻き直しながら、適当に相づちを打つ。

「お客さま、お聞きしてよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「涙を流すというのは、どのような感じなのでしょう?」

「さあな、泣いている時はそこまで考えが回らない」

「涙というのは、悲しい時や苦痛を感じた時に、意図せず流れるものと認識していますが」

「その通りだ」

「そうですか…」

語尾を消え入るような調子で伸ばす。それに合わせて小首をかしげていることだろう。

「なんと申しますか、わたしは涙を流すことに、とてもあこがれてしまいます。わたしは廉価版なので、涙は流せないものですから」

「そんなにいいものでもないぞ」

「そうなんですか」

「ああ、そんなもんだ」

非番になると、彼女は修理する俺のそばから…

正確には、相棒の投影機からはなれようとしなかった。

饒舌ぶりはあいかわらずだが、こちらも慣れてきた。

無視するよりも、要所要所で返事をしてやる方が、会話の総量は少なくてすむ。

繰り言好きの老人を相手にするのと同じ理屈だ。

「あの、お客さま。そろそろ恒星電球をとりつけてみるというのはいかがでしょう?」

「まだそこまで行ってない。もうすこし待ってくれ」

「そうですか」

通電してみた結果、4個のうちの2個の電球が生きていることがわかった。

投影に必要な電球は2個、つまり、スペアは地球上どこを探しても存在しない。

整備中に工具を当てたり、過電流が流れでもしたら終わりだ。ちゃんと使えるのはわかったのだから、仕上げにとりつけても遅くはないだろう。

「緯度軸を上向きにすこしづつ動かしてくれ。ゆっくりとだ」

「はい。安全のため旋回範囲外に退避してください」

真剣な職務の口調で、彼女は言った。

俺は床に降りると、脚立をたたんで投影機の台座に立て掛けた。

 

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投影機の捜査に、手動の制御卓を使う必要はなかった。

支柱にある電装パネルから、太い通信ケーブルが伸びている。
それは床をのたうち、二周ほどとぐろを巻いた後、彼女の左耳にあるコネクターに接続されている。

つまり、彼女と投影機は今、有線で接続されているわけだ。

異様…というより、どこか間の抜けた光景ではある。

彼女によれば、これは『お見せするのは恥ずかしい非常用の措置』、だそうだ。

そんな心情を表すかのように、長いリボンは仰々しい警戒色に塗り分けられている。

空調や照明同様、本来なら彼女自身が無線制御できるそうなのだが、投影機側の受信機(レシーバー)が完全にいかれてしまっていて、俺には直しようがなかった。

「退避した。やってくれ」

「はい、安全を確認しました。それでは投影機を駆動します」

旧式のモーターが死にかけた虻のようなうなりを立てはじめた。

同時に軸受がきしみ、投影機の本体がかすかに身じろぎした。

だが、それ以上はなにも起こらなかった。

動きを封じられたまま加熱されていくモーターから、油の臭いが立ちこめる。

「止めろ」

「はい。モーターを停止しました」

虻の羽音が消え、静けさが戻った。

脚立を戻し、もう一度確認する。

ギヤボックスのカバーが発する廃熱が、ふわりと頬に当たった。

「これでも動かないか…」

モーターに異常がないことはたしかだ。そうすると、軸摩擦が大きすぎるのか、ギヤボックスの噛み合わせに問題があるのか、無理な加重がかかっているのか…

なけなしの整備知識をはたいて考えていると、彼女の視線を感じた。

「あの、お客さま。お聞きしてよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「イエナさんの修理は、あとどのくらいで完了する見込みでしょうか?」

「さあな。見当もつかない」

「明日午前11時からの投影には間に合うでしょうか?」

「わからん、神に祈れ」

「どの神様にお祈りすればいいでしょうか?」

自然にそう返され、思わず手元がとまった。

「なんだって?」

「はい。ギリシャ神話でしたら、ゼウス、アポロン、ヘルメス、アルテミス、デメテル、ポセイドン…」

異世界の音声字母(フォネティックコード)のように、それらしい単語が延々と続く。

中には俺にわかるものもあった。

ガイヤやペルセフォネは大昔の密閉街区(メガチャンバー)の名前であり、アトロポスやメガイラはそれらを滅ぼした自走要塞の通称だった。

「物知りだな」

「ありがとうございます。わたしはロボットですから、覚えておくのは得意なんです」

いかにも嬉しそうに言う。

「ですが、当プラネタリウムには、わたしよりもっと星のことに詳しいお客さまがお越しになります」

嫌味なく人間を立てることも忘れない。

「それで、どの神様にお祈りすればいいでしょうか?」

「どれでも好きなのに祈っとけ」

「はい。それではディオニッソスに祈ることにします。」

「そいつは何者だ?」

「はい。ディオニッソスは酒と豊饒の神で、英語名ではバッカスです」

「酒と豊饒ね」

悪くはないが、時間厳守を祈っても御利益は薄そうな神様だ。

「お客さまの嗜好にぴったりかと思いまして」

得意顔でそう付け加えた。

どうやら彼女のデータベースには、俺は大酒飲みの病気持ちとして登録されてしまったらしい。

「外れてはいないがな…」

苦笑いする俺をゆったりと眺め、彼女は無邪気そのものといったほほえみを浮かべている。

「俺のじゃなくて、おまえの神様に祈れ」

「わたしの神様ですか?」

「ロボットの神様だ。それだけ人数がいれば、おまえの受け持ちもいるだろう」

彼女がふっと真顔になった。

見開いた瞳のまま、しばし何事かを考えると、やがていつも通りに言った。

「わたしの基本データベースおよび蓄積データベースには、該当する情報はみつかりませんでした」

「そうか、残念だな」

「その神様は、近年新しく追加されたものでしょうか?」

「その場合、わたしのデータベースにはすぐには反映されない場合があります。まことに申しわけありません」

絢爛豪華な神々の名も、彼女にかかっては在庫部品のチェックリストと同じだった。

「ところでお客さま、わたしが思いますに、そろそろ恒星電球をとりつけてみるのも一興ではないでしょうか?」

「………」

この辺りの職務熱心さも、生来のものらしい。

俺が呆れていると、彼女は器用に腰をかがめ、床にあった電球のひとつをそっともちあげた。

そのまま胸にかかえ、俺の方に近づいてくる。

彼女が動くたび、つながったケーブルが足元で蛇のように形を変える。

電球ごと転びやしないかと、俺は気が気ではなかった。

「ケーブルをつけたまま歩き回るな、俺が呼ぶまでおとなしく座ってろ」

「はい。わかりました」

神妙にうなずくと、彼女は足を止め、手近な座席に腰を下ろした。

しばらくそのまま、満足げに黙り込む。

俺はギヤボックスとの格闘に戻り、聞こえるのは工具の音だけになる。

やがて、彼女が口を開いた。

 

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「以前にこんなことがありました」

「今度はなんだ?」

「以前の投影で、神話上の天国を特集したことがあるんです。それで、打ち合わせをしたおりに、話題が天国のことになったんですが…」

電球を両手で抱きしめるように持ち、控えめに言葉を続ける。

「わたしが、ロボットにも天国はありますかと質問すると、スタッフのみなさんは、もちろんあるよと教えてくれました」

「ロボットの天国は、故障も消耗部品交換もソフトウェアバグもバッテリー切れもない、素晴らしいところだと、みなさんはおっしゃっていました」

「ロボットの天国では、ロボットが願い事をすればなんでもかなうのだと、おっしゃっていました」

「なるほどな…」

最近の客入りを嘆き、他愛のない冗談をかわしながら、温かな湯気の立つコーヒーをすする…

この廃墟にも、かつてはそんな一幕があったはずだ。

談笑の輪には、彼女も加わることがあったのだろう。

独特の語彙や定型業務用語と共に、ちょっとした知識の矛盾や、不合理に思える行動パターンの数々を、

彼女は同僚の人間たちから『学習』していったにちがいない。

「ロボットの天国にいるのが、ロボットの神様だ。覚えておけ」

「はい。重要知識として登録しました」

ごく自然に、そんな答えが返ってきた。

俺との会話パターンがようやく確立してきたということか。

慣れればそう悪い気分でもない。

胸元の電球に視線を落としたまま、彼女はまた、しばらく押し黙った。

そうしている彼女は、外観に与えられたであろう年齢設定より、どこか大人びて見えた。

「お客さま、お聞きしてよろしいでしょうか?」

「ああ、なんだ?」

「お客さまは、神様にお願いをしたことはありますか?」

「いや…あったかもしれないが、ろくなことは願っていない」

「そうですか」

「おまえは?」

「はい。わたしは、ロボットの神様にお願いしたいことがあります」

「投影機がちゃんと直りますように、か?」

「いえ。それはあらためて願わなくても、お客さまがかなえてくれますので」

決まり切った事実のように言うので、ついに俺は笑いだしてしまう。

「なら、なにを願うんだ?」

「はい。天国を…」

その先を言いかけた時、一瞬彼女の動作がとまった。

「どうした?」

「あの、お客さま。大変申しわけありませんが」

「あと3分で深夜0時となりますので、わたしは通常業務設定どおり、現状にてスリープモードに移行させていただきます」

「もうそんな時間か」

彼女が投影室に戻ってきてから5時間、完全に働きづめだった。

脚立の上で伸びをすると、座ったままの彼女が言った。

「起床時間は明朝9時です。それでは、お休みなさい」

「そうか、お休み…っておい、そいつを持ったままか?」

胸元に恒星電球をかかえたままだった。

なにも心配することはないというように、彼女はほほえみ続けている。

 

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そのままゆっくりと瞼(まぶた)を閉じた。

リボンの色がゆっくりとゆらぎ、彼女が休止状態に入ったことを示した。

このプラネタリウムで、動くものはまた俺ひとりになった。

「寝付きだけは優秀だな…」

聞こえているわけはないのに、彼女がくすりと笑ったように見えた。

空調の効いた、密閉された部屋。

一年に一度、一週間だけの作動設定。

そんな状況が故意なのか偶然の産物なのか、俺に知る術はない。

自動人形(ロボット)にまつわる伝聞について、いくつか思い出したことがある。

開戦直後、ほとんどのロボットは無線で強制停止信号を発行され、機能停止した。

制御ソフトを乗っ取られ、兵器に転用されるのを恐れたのだろう。

ロボットの筐体は有機素材と精密電子機器の塊だ。屋内外を問わず放置されたものは、数年も保たずにガラクタになったはずだ。

つまり…今も稼働するロボットは、その存在自体が奇跡に近い。

彼女は幸運だったのか、それとも不運だったのか…

寝顔をそっと眺める。

働き者で雄弁家の一風変わったロボットが、夢さえ見ずに眠っている。

大きな電球を胸に抱き、やすらいだほほえみを浮かべている。

その姿はまるで、星を抱いているように見えた。

 

……。

 

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恒星電球を注意深くソネットにねじ込み、外板を閉め、ネジで固定した。

それですべての修理が終わった。

俺がここに足を踏み入れてから、まる三日が経過していた。

 

 

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彼女は受け付けにぽつんと立ち、絶え間ない雨を相手にしていた。

「終わったぞ」

声をかけると、いつものように体ごとこちらを振り返る。

 

 

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「イエナさんの修理は、完了したということですか?」

「ああ。俺にできることは全部やった」

俺はそう答えた。

投影機は今、電球に灯を入れられるのを待っている。

すべての可動軸、レンズ、電球、もろもろの補助投影装置…ていねいに磨きあげ、消耗部品を交換し、組み立てなおし、念入りに調整した。

電子制御された一部の機器は壊れたままだが、投影そのものには支障がないはずだ。

これ以上、俺にできることはない。

彼女は半信半疑という顔で、しばらく俺のことを見つめていた。

やがて、止めていた息をほっと吐き出した…ように見えた。

 

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「わたしは、とてもうれしいです」

「イエナさんも、とても喜んでいると思います」

「当館スタッフ一同になりかわりまして、お礼申し上げます」

 

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「本当に、ありがとうございますっ」

丁寧に両手を揃え、深々とお辞儀をする。

「例はいいから、さっさと星を見せてくれ」

「はい。投影まであと13分です。どうぞお入りになってお待ちください」

はきはきとした口調で言うと、彼女は入り口に立てられたスタンドに近づいていった。

『ただいま投影を中止しています』

そう書かれた案内板を持ち上げ、受付の脇に移動した。

そのままぴんと背筋をのばし、雨のむこうに霞む昇降口を見つめる。

それで、彼女がなにをしようとしているかわかった。

「客引きか?」

「はい。ただいま午後4時47分ですので、受付終了まであと3分間あります」

「じつを申しますと、今日のような雨の日は稼ぎ時なんです」

リボンのパターンが変わった。

制服に合わせたような青色に、金色の星や英文字がにぎやかに躍っている。

それは彼女にとって正式な、そしてとっておきの装いなのだろう。

彼女は俺を見てすこし照れたように笑い、また雨の方を向いた。

 

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プラネタリウムはいかがでしょう?」

「どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき」

「満点の星々が、みなさまをお待ちしています」

プラネタリウムはいかがでしょう?…」

俺は壁を肩にあずけ、しばらく聞いていた。

いつもの『発声練習』と、清涼も抑場も変わらないはずだ。

だが、彼女は今、人間たちに伝えるための本物の言葉を、誇りにこめて口にしている。

動く者の絶えた街並みの谷間に、それは深く染み入るように響いている。

彼女を造った技術者や職人たちは、いったい彼女に何種類の表情を設定したのだろう?

今、彼女の瞳はしあわせで輝き、頬はうっすらと赤らんでいるようにさえ見えた。

 

……。

 

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「本日は、花菱デパート本店屋上プラネタリウム館にようこそおこしくださいました」

「わたしは当館解説員のほしのゆめみと申します」

「投影をはじめます前に、簡単な注意事項をおつたえします。ドーム内では…」

「そこはもう聞いたから、省略してくれ」

「いえ。職務規定上、ここは省略できないことになっています」

観客の野次にも動じず、きっぱりと言い放つ。

来客者数を鯖読んだり、演目を自己判断で差し替えるくせに、妙なところにこだわる。

「わかった。好きにやってくれ」

「ありがとうございます」

「それではあらためまして、簡単な注意事項をおつたえします。ドーム内ではたいへんよく音が響きます。投影中の私語は…」

長ったらしい説明がようやく終わると、彼女はそこで一呼吸置いた。

「それでは最後に、みなさまを星の世界へおさそいする大切なパートナーを紹介します。盛大な拍手でおむかえください」

 

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「イエナさんですっ」

彼女の名調子に負けぬよう、俺も全力で手を叩く。

やがて拍手が止むと、たっぷり数秒の間をあけ、彼女は客席をぐるりと見渡しながら言った。

「実はぁ、イエナさんというのはぁ、このおっきな機械の名前なんですねえ」

何千回と繰り返した寸劇だろうが、彼女は真から楽しそうに演じる。

「それでは、イエナさんからみなさまにお近づきのご挨拶を~!」

モーターが静かで力強い音を立てはじめる。あの最後まで手こずらせた緯度軸だ。

 

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彼女のかたわらで、投影機の本体がしずしずと頭を下げていった。

無垢な乙女に手懐けられた異形の猛獣、といったところだ。

30年ぶりに、そして手順通りに事が運び、彼女も投影機も満足そうだった。

「さて、本日ついでに当プラネタリウムは、開館から数えまして2497290人目のお客さまにご来館いただきました」

「スタッフ一同になりかわりまして、あつくお礼申しあげます」

「この栄えある日を記念しまして、本日は特別投影をご用意しました。それでは、どうぞごゆっくりとお楽しみください…」

 

 

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「秋の一日、外では雨が降りつづいていました」

「雨降りの日は退屈だし、洗濯物も乾きません。ロボットのわたしでも、なんとなく気分が沈みがちです」

「ですが、安心してください。プラネタリウムでは、いつでも太陽を呼び出すことができるんです」

 

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南西の空に、ぽつんと丸い円盤があらわれた。

「はい、これが太陽です」

得意げに彼女が紹介したそれは、ずいぶんと景気の悪い橙色をしていた。

もっと気を入れてレンズを磨くべきだったかもしれない。

そんなことを考えていると、日周軸モーターが駆動をはじめた。

 

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「太陽が、ゆっくりと西の空に沈んでいきます」

 

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円盤スクリーンの上を、太陽は斜めに滑っていき、やがて地平線に隠れた。

室内灯の光度が徐々にしぼられていく。

 

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「一番星が見えてきました。宵の明星、金星です」

西空が一面、赤紫色に染まっている。

針で突き通すように、あざやかな光が目に飛び込んできた。

呼応するように、恒星球についた無数のレンズから黄色い光が滲みはじめた。

恒星電球に灯が入ったのだ。

「空は、だんだん暗くなっていきます」

「たのしい遊びは明日にして、はやく家に帰りましょう」

「やがて夜のとばりが、あたりをゆっくりと包みます…」

 

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俺は目を見張った。

投影機の具合がおかしくなって、途方もない失敗をしているのかと思った。

銀色をした光の砂粒が、まるで最初からそこにあったかのように、天蓋全体にぶちまけられ、音もなくさざめていた。

明るいものもあれば位ものもあった。赤色や黄色のものもあった。

一面の星、降るような星、燃えるような星、砂金のような星、宝石箱のような星…

そんな形容はいくつも聞いたことがある。

だが今、目前にあらわれた光景を想像したことは、一度もなかった。

「今晩8時の星空です」

彼女が誇らしげに伝えた。

「高い山の頂上や、空気がきれいな場所に行かなければ、地上からこれほどたくさんの星を見ることはできません」

「天井を横切っているのが天の川です。煙のように見えますが、本当はちいさな星が寄り集まってできています」

「古代の人々は、まるでミルクが流れているようだと思い、これをミルキーウェイと名づけました」

漆黒に網をかけ吊りあげるかのように、中央にうっすらとした白い帯がみえる。

天上の大河を、彼女の声が流れ続けている。

「いちばん高いところ、空のてっぺんにある星がごらんになれるでしょうか? これがはくちょう座の一等星、デネブです」

デネブ、アルタイル、ベガ…それらが形作る雄大な三角形。

周辺の暗い星々を結び、浮かびあがるはくちょう座、わし座、こと座…

「これらはみんな、夏の星座です」

「今日は肌寒い一日でしたが、宵の星空に目を移せば、そこにはまだ夏のなごりを見つけることができます」

「それでは、秋の星座にはどのようなものがあるのでしょう?…」

解説は秋の星々の説明に移っていく。

俺は椅子に進退を沈めながら、時々自分の周囲をそっと確認した。

星だけを見つめていると、なにもない空中に吸い寄せられるような気分になった。

投影機は快調のようだった。

世界を支える巨人のようにどっしりと落ち着きはらい、ふたつの恒星球をごくゆっくりと定常回転させている。

背中に翼をもった白馬、ペガサス座。

鎖につながれた姫の姿をかたどったアンドロメダ座

「このままではエチオピアの国にわざわいは続くでしょう。やさしくかしこいアンドロメダ姫は、自分が生きにえになります、と王様に申し出ました…」

一言のよどみもほつれもなく、切々と語られていく古代の神話。

「海からはおばけ鯨がどんどんせまってきます。アンドロメダは必死で身をよじりますが、鎖はびくともしません。このままでは食べられてしまいます」

「だれか、だれか助けて! アンドロメダは心の中で助けを呼びました」

「その時です…」

椅子からすこし背を浮かしてみると、投影機に寄り添っているちいさな影が見えた。

だれも注目しているはずはないのに、握りしめた通信ケーブルを鎖に見立てているのが、語りにあわせてきゃしゃな腕を動かしていた。

今、この世界にあって、彼女は万能の語り部であり、星空は彼女のちいさな庭園だった。

王女も勇者も怪物も神々も、すべて彼女の思いのまま、うやうやしく彼女にかしずき、めいめいの役柄を粛々と演じていた。

「…こうして、アンドロメダペルセウスは星座となり、今も秋の夜空でしあわせに暮らしているのです」

物語がおわった。

聴衆に余韻を味わわせるように、彼女は何秒かの間沈黙した。

青白く映える両頬に、やわらかな星明りが時そのもののように積もっていた。

「星座のご案内のつぎは、いよいよ記念投影となります」

「題しまして、宇宙に羽ばたく…」

 

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その瞬間、すべての星が消えた。

声にならない悲鳴を、彼女があげた気がした。

「どうした!?」

反射的に腰を浮かそうとして、俺は動きを止めた。

前後の椅子も、天蓋も、自分との空間の境目ごとかき消えてしまったような、完全な闇だった。

前方にぽっと灯かりがともった。

やわらかく黄色い光が、蝋燭の芯のように彼女をつつんでいた。

 

 

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「お客さま、どうぞ落ちついてください」

俺が駈け寄るなり、彼女は言った。

「わたしの制服には光繊維が織りこまれています。照明が戻るまでしばらくわたしのそばでお待ちください」

「どうした? 電球が切れたのか?」

「イエナさんが反応しません。すべての投影装置および可動軸が動きません。わたし単体では対処できない、重大な事態です。とても困りました…」

「くそっ…」

手探りで投影機の台座に登ろうとして、俺は重大なことに気づいた。

投影の間も低輝度で灯りつづけていた三つの緑色非常灯が、すべて消えていた。

ようやく理解した。

これは投影機の故障などという、生やさしいものではない。

「配電盤はどこだ?」

「はい。こちらです」

耳元のコネクターからケーブルが引き抜かれた。

暗闇をものともせず歩き出した彼女のあとに、俺も続いた。

結論はすぐに出た。

それは馬鹿馬鹿しいほど単純で、承服しがたいものだった。

都市廃棄から30年間、奇跡のように続いてきたわずかな電力の供給が、まさにそれが必要となった瞬間、ついに絶えてしまったのだ。

あるいは、投影機を稼働させたのが引き金になったのかもしれない。

だが原因がなんであれ、俺に回復させる術はなかった。

「あの、お客さま。お聞きしてよろしいでしょうか?」

配電盤の前で無駄なあがきをする間、めずらしく沈黙を続けていた彼女が、となりでそっと口を開いた。

「イエナさんを修理するには、どのような工具が必要でしょうか? 恒星電球を交換すればいいのでしょうか?」

「お客さまがいらっしゃるのに投影を中断するなど、あってはならない事態です。一刻も早く修理して、投影を再開しなくてはなりません」

「記念投影をご覧になるのはお客さまが最初なんです。当館のスタッフ一同が、心を込めて制作した自信作なんです」

「ですから…」

瞳をいっぱいに開け、すがるように俺を見つめている。

「壊れたわけじゃない。電気が来てないんだ」

「申しわけありませんが、意味がよくわかりませんでした」

「電気が止まったんだ。停電だ、わかるか?」

 

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「はい、停電ですね。しばらくすれば、非常用電源に切り替わります」

「ここはもともと非常用電源で動いていたんだ。これが切れたらもう予備はない」

「それでは、いつごろ元に戻るでしょう?」

「元には戻らない。この建物だけの問題じゃないんだ」

「それでは、どのようにすれば投影を再開できるのでしょう?」

俺はなにも答えられない。

「わたしにお手伝いできることがあれば、なんなりとお申し付けください」

彼女はまた黙り込み、辛抱強く俺の言葉を待った。

医者の表情のわずかな変化から、子供の病状を読みとろうとする母親のようだった。

時間が無為に過ぎていくその一秒一秒が、はっきりとわかる気がした。

やがて彼女は居住まいを正し、俺に向き直った。

「あの、お客さま。それでは、特別投影はもう…」

「いいか、俺の言うことを聞け」

彼女の言葉の先を、俺はさえぎっていた。

「はい」

「投影を続けろ。おまえの声だけでいい」

自らが発しているほのかな燐光ごと、彼女が小首をかしげた。

「申しわけありませんが、意味がよくわかりませんでした」

「投影機は動かさなくていいから、おまえの解説だけ聞かせてくれ。できるだろ?」

「はい、できます。ですが、わたしの解説だけでは投影になりません」

「大丈夫だ」

「星のことなら、全部頭に入っている」

「おまえが話せば、なにが映っているのか俺には全部わかる」

すべて口から出任せだった。

なぜそんなことを言い出したのか、自分でもわからない。

彼女は不思議そうに、そしてどこか懐かしそうな面持ちで、俺の顔を覗き込んでいた。

見透かされているのかと思った。

やがて、彼女はゆっくりと言った。

「お客さまは、本当に星のことがお好きなんですね」

呆れたような笑うような、今まで聞いたことのない声音だった。

「お客さまのような方にご来館いただいて、わたしは本当にうれしいです」

「それでは、お言葉に甘えまして、わたしの解説のみで投影を続けます」

切れ目のない闇の奥で、わずかな光がこぼれるように笑っていた。

 

 

「ずっとずっと、ずうっと昔のことです」

「冷たくて暗い洞穴の中で、人の祖先たちは身を寄せ合って暮らしていました」

「世界は氷におおわれていて、するどい牙のある獣がそこらじゅうにうろうろしています」

「毎日生きていくだけの食べ物を手に入れるだけでせいいっぱいでした」

「ある凍てつく夜、ひとりの若者が目を覚ましました」

「きっとあんまり寒くて、お腹もぺこぺこで、眠れなかったのでしょう」

「眠い眼をこすりながら、彼は洞穴の入り口から、そおっと外を覗いてみました」

「さえわたった夜空いっぱいに、たくさんの星がきらきらと輝いていました…」

宇宙に羽ばたく人類の夢。

それが特別投影のタイトルだった。

星の世界にあこがれた人類が、やがて宇宙に達するまでを、ロボットがある彼女が平易に解説するという趣向のようだった。

辺りには消し炭のような、硬質な闇が戻っている。

投影機の輪郭さえ見ることができない。

俺は目を閉じ、彼女の声が描き出すものに意識を集中した。

彼女は今、『イエナさん』だけでなく、すべての補助投影機を駆使しているはずだ。

台座に据えつけられた平面幻灯機(スライドプロジェクター)は、天空への挑戦に関わった人間たちの系譜を次々と映し出している。

島の羽根を腕につけ空を飛ぼうとした男と、その悲劇的な結末。

王の前で飛んだ紙製の熱気球と、実験台にされた名誉なき囚人。

竹と籐でつくった粗末な滑空機で、黙々と実験を繰り返した男。

わずかな見物人が見守る中、砂丘を舞った人類初の飛行機。

月をめざしたロケット技師と、世界中の人間を巻き込んだ戦争。

最初の人工衛星、最初の通信電波、帰ることのなかったライカ犬

成層圏を目指した飛行士、有人地球周回飛行、最初の宇宙遊泳…

そして、月面にきざまれた最初の足跡。

 

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「争いの時代はおわりました。世界じゅうの人々が、手をとりあって、宇宙を目指す時がきたのです」

はるかな過去から現在へ、彼女の声はかろやかに時をわたって響く。

「高みへ、はるかな高みへ…」

超国家衛星通信網、宇宙往還機システム、国際宇宙港建設、月面再来訪計画。

「光の空を越えて、夜の闇を抜けて…」

挑戦の過程でおこった、避けられない事故の数々。

「たくさんの涙の粒を、あたらしい夢のしずくにかえて…」

そして、人類の英知を結集した有人火星探査計画。

「ついに人は、はるかに遠い惑星にさえ降り立ったのです」

光でできた指示標(ポインタ)が、南天に赤く輝く星を指す。

俺の脳裏で、赤茶けた火星の地表が徐々に大写しになる。

 

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「これが、火星です」

「直径6794キロメートル、公転周期687日、平均気温マイナス55度、平均気圧7ヘクトパスカル

「大気はごく薄く、組成はほとんどが二酸化炭素です」

「この赤い星の表面に運河らしき痕跡が発見されると、人類はそこから、隣人の姿や物語を思い描きました」

「それは、高度に発達した科学を持つ異形の侵略者であり、美しいお姫様との英雄譚であり」

「調和の取れた文化ゆえに入植者に滅ぼされる、はかない都でもありました」

「今では火星は、かつて生命が存在した痕跡だけを持つ、死の星であることがわかっています」

「ですが、火星の運河を元に綴られたたくさんの物語は、今も色褪せることなく、人々を惹きつけてやみません」

彼女はそこで、しばし言葉を待った。

「人類初の有人火星探査が成功したその年に、当プラネタリウムは開館しました」

「それ以来、本当にたくさんの方々が、ここで投影をご覧になりました」

「この火星の姿は、まさに宇宙開発の成果とその象徴です」

「そして同時に、戦いの神、マルスの象徴でもあります」

まがまがしい火星の姿が薄れていき、かわりに青と白とが複雑にからみあった、ガラスのような惑星があらわれる。

 

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「ごらんください」

「太陽系第三惑星、これが、わたしたちの地球です」

「地球ははるかな昔から人類の揺りかごであり、これからも、人類の故郷であり続けるでしょう」

「ロボットであるわたしも、地球で生まれました」

「地球にまつわるさまざまな数値を、わたしはみなさまに正確に説明することができます」

「ですが、この美しさを正確に説明するためには、ソフトウェアのいっそうの熟成が必要なようです」

自分の言葉に照れたように笑い、またしばらく沈黙を置く。

「より善い心に近づくことは、ロボットの特権ではありません」

「人口問題、エネルギー問題、食糧問題、水源問題、海面上昇、異常気象、大気汚染、そして、宇宙領土問題…」

「今、世界には、さまざまないさかいや、争いごとがあります」

「ですが、わたしは信じています」

「人はすべての問題をかならず解決し、いつの日かきっと、星の世界をかけめぐることでしょう」

彼女は今、神託を受けた巫女だ。

たおやかな仕草で、暗闇に大きく腕を広げる。

星空は今、あなたたちものです。

子供のような無邪気さで、この星に生まれたすべての人々に伝える。

「今宵は特別に、とっておきの秘密を打ち明けましょう」

プラネタリウムは、タイムマシンでもあるんです」

「遠い過去からはるかな未来まで、自由自在に時間をあやつることができるんです…」

ここからはまた『イエナさん』の出番だ。

投影機にふたたび命が吹きこまれ、鋼鉄のような筐体がよろこびに震える。

モーターが声を合わせ、高く低く詠唱をはじめる。

すると、やさしい恐竜が首を巡らせるかのように、恒星球が複雑な軌跡を描く。

色のない小宇宙で、新たな星々が燦然と輝きはじめる。

 

 

 

 

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「ご覧ください」

「今からちょうど千年後の夜、この場所から見える星空です」

「ロボットのほしのゆめみと、投影機のイエナさんが、いっしょうけんめいにつむいだ、ささやかな未来の星空です」

 

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「どうかみなさん、覚えていてください」

「星の世界が、手の届かないあこがれではなく、ありふれた暮らしの場になっても…」

「どうか、ここで見た星空を忘れないでください」

「あなたが暗闇に迷い、本当の星空が見えなくなってしまった時、そっと思い出してみてください」

「それが…」

「ちいさな、わたしの夢です」

「それでは、わたしたちの時代に帰ることにしましょう」

「迷子にならないように、しっかりとついてきてくださいね…」

投影は最終段階にさしかかっていた。

彼女の声に磨かれるように、星々もさらに輝きを増す。

大役を終えた投影機は定位置に戻り、夜明けに向かう船のように、日周軸の帆柱をじりじりと回している。

「星が巡っていきます…」

「東の地平線から、冬の星座が顔を出していきます」

「オリオン座、ぎょしゃ座、おうし座…」

「わたしたちの頭上で夜ごと繰り広げられる、雄大な季節のうつろいです」

やがて、薄明がはじまる。

東の空がうっすらと赤く染まり、星の輝きがおとろえていく。

かろうじて見えていた西空の星々が、地上から遠ざかるようにおとろえ、消えていく。

 

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「やがて長かった夜はおわり、世界に朝がおとずれます」

「太陽があがってきました」

「小鳥のさえずりや、風のさざめきが聞こえます」

「まどろんでいたビルや並木たちも、あたらしい陽射しに眠い目をこすっています」

「もうすぐ街が動き出します」

「今日も変わらない一日がはじまります」

「みなさま、おはようございます」

 

 

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「それでは、これで記念投影を終了します」

「この回の解説は、わたし、ほしのゆめみがお送りしました」

「ご清聴ありがとうございました」

「当館スタッフ一同、またのお越しを心よりお待ちしております…」

投影が終わっても、俺は目を閉じたままでいた。

星屑は残像のように、今も瞼の裏にはっきりと映しこまれている。

今、目を開けて、真の闇に帰るのが嫌だった。

「お客さま、本日の投影は終了しました」

規則正しい足音が、こちらに近づいてくるのがわかった。


「お客さま…」

「お客さま?」

わずかに首をかしげる時の、マイクロモーターの響きが聞こえた。

『ご病気ですか?』と騒がれる前に、目を開けようと考えた、その時。

「眠ってしまったんですね」

彼女の声が、ささやくように消えた。

「投影が終了したら、すべてのお客さまをすみやかに出口にご案内するのが、原則なんですが…」

「諸事情を勘案しますと、お客さまには、このまま朝までお休みいただくのが、最善と考えます」

ぎしっと椅子がゆらぎ、彼女がとなりに座った気配がした。

俺は眠ったふりを続けた。

「お客さまの中には、投影中に眠ってしまう方もたくさんいます」

「途中で泣きだしてしまう子供のお客さまもいます」

「そんな時には、わたしが非常口から外にご案内して、投影がおわるまでお話をすることもあります」

昔をなつかしむかのように、わずかの間だけ口を閉じる。

「お客さま…」

「特別投影はいかがだったでしょう?」

「当館のスタッフ一同が心をこめて制作した自信作です」

「以前に館長さんは、星空の下で眠ることが、人間にはいちばんの贅沢なんだと、教えてくれました」

「ですからきっと、お客さまは満足してくれたのだと思います」

「わたしは、とてもうれしいです」

「お客さまは今、どんな夢を見ているのでしょう?」

「わたしはロボットなので、夢は見ないのですが」

「でもきっと、お客さまは、楽しい夢を見ているのだと思います…」

子供に寝物語を聞かせるように、彼女は俺のとなりで、いつまでも話をしていた。

俺は思い出そうとした。

ずっと昔、世界にはまだ『雨』が降りはじめる前。

俺はちいさな子供だった。

居住区(コロニー)は人でいっぱいで、飲料水も薬も食料も慢性的に不足していた。

それでも、死者よりも多くの難民が、毎日押し寄せてきていた。

汚染はまだ南半球に集中していて、霧(スモッグ)の切れ間が続けば、防護服なしでの外出が許されることもあった。

俺はだれかの胸に抱きかかえられ、閉鎖扉(ロック)から外に出た。

真冬の、深夜だったと思う。

外は真っ暗で、凍てつくように寒かった。

俺を抱いた人物は、そのまま身じろぎもせず、闇の中に突っ立っていた。

視線を空にかしげて、ぶ厚く重なった雲の切れ目を、いつまでも見つめていた。

頬をつつむてのひらの感触が、凍える時間を忘れさせた。    
    
きっとあれは、俺の母親だったのだろう。

周りには他の大人たちもいて、みな身じろぎもせず、化石(かせき)したように虚空を眺めていた。

あの空に、星はあったのだろうか?

俺は、思い出そうとしていた…

 

……。

 

 

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翌日も、雨は降り続いていた。

世界のはじまりから、そうであったかのように。

 

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プラネタリウムはいかがでしょう?」

「どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき」

「満点の星々がみなさまをお待ちしています」

彼女もなにひとつ変わることなく、透き通る声で雨に語り続けていた。

 

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「こんにちは、お客さま。ご気分はいかがでしょう?」

俺の気配に気づくと、彼女はいつものように一動作で振り向き、言った。

「よくもないが、悪くもない」

「そうですか。もしもまだご体調がすぐれないようでしたら…」

「大丈夫だ」

「はい。それはよかったです。お客さまは、これからお帰りですか?」

「ああ」

「投影が不完全で、本当に申しわけありませんでした。心よりお詫び申し上げます」

「いや…」

理由もなく、俺は口ごもった。

「おまえの投影は悪くなかった」

「お褒めいただき、本当にうれしいです」

「それに、お客さまにはいろいろと助けていただきました」

 

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「本当にありがとうございました」

榴弾銃も防水外套も背嚢も、普段の数倍は重く感じられた。

空調が切れて投影室の湿度が上がったせいで、身体の方々にある古傷が痛んだ。

昨夜はまともに眠ることさえできなかった。

すでに食料は尽きていて、体力も限界が近いのは自覚している。

だが、塞いだ気分はそれが原因ではなかった。

「なあ…」

「はい、なんでしょう?」

…おまえは、これからどうするつもりだ?

口から出かかった言葉を、結局飲み込んだ。

それはまったく無意味な質問だった。

彼女はこの屋上で、新しい客がやってくるのを、従業員たちが戻ってくるのを、電力が回復し投影機がふたたび動き出すのを、なんの疑問もなく待つだろう。

やがてバッテリーが低下すれば、充電ソケットにケーブルをつなぎ、無造作に目を閉じる。

そうして二度と、動くことはない。

今から数十時間後、彼女の身に訪れる確実な未来だった。

「あの、お客さま?」

「今日も客待ちか?」

「いえ。今日は水曜日ですので、当デパートは全館休業となっています」

「休みってわけだ」

「はい。お休みです」

「休みはいつもどうやって過ごすんだ?」

「はい。わたしには休暇は必要ありませんので、こまごまとした用事をこなしています」

「そうか」

「先年の休業日には、花束をつくりなおしていました。8年ほど前につくったものがこわれてしまいましたので」

「あの花束か」

「はい。次は、本物のきれいな花束を用意して、お待ちしています」

「そうか…」

まがいものの造花は、いつの間にか俺の目の前から片づけられていた。

「俺は何人目の客と言った?」

「はい。お客さまはちょうど2497290番目のお客さまです」

「花束をもらうなら、次は250万人目に来ないとな」

「はい。心よりお待ちしています」

こうやって、ここで好きなだけ雑談を続けることもできるだろう。

修理中の投影機に向かい合っていた時、たしかに俺は考えていた。

ここで死ぬのも悪くはない、と。

陶酔に近いあの時の感覚は、憑き物が落ちたように失せている。

人恋しいとでも言うのだろうか。

たとえ途中で倒れても、この世界でだれかが地に足を着き、暮らしを続けている場所に一歩でも近づきたい。そう考えている自分がいる。

たとえそれが、人間という生きものに元より埋め込まれた、くだらない本能だったとしても。

「俺は行くからな」

「はい。いろいろとありがとうございました」

「生きて帰れるように祈ってくれ、ロボットの神様にな」

「はい…」

なぜか、彼女はそのまま真顔になった。

明るく切り出そうとした言葉を、途中でもてあましたようにも見えた。

「あの、お客さま。失礼ですが、お聞きしてよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「お帰りの道中に危険がございますか?」

「ない…と言ったら嘘になるだろうな」

いつもの雑談の延長で、俺は答えた。

「お帰りの際は電車にお乗りになりますか?」

「電車は走ってない。停電してるからな」

「はい、そのとおりでした。只今行動データベースに考慮事項として追加しました」

彼女は答えた。

『停電』という状態は知っていても、それが及ぼす影響などを総合して類推できるわけではないのだろう。

「それでは、バスかタクシーか、お車でお帰りですか?」

「お車、だろうな」

封鎖壁の破れ目から侵入する直前、三人組の同業者と銃撃戦をした挙げ句、こっちが乗ってきた単車は、発動機(モーター)を撃ち抜かれてしまった。

むこうの不整地用車(ローバー)は無傷だが、乗り手が全員胸を撃ち抜かれている。

強要された取引の結果としては、妥当なところだろう。

この都市の首尾よく脱出したら、その車に乗って最寄りの居住区に近づけるだけ近づく。

もしも車が動かなかったら、その場で野垂れ死ぬだけだ。

「お車の駐車には、公共駐車場をお使いですか?」

「いや…」

「お車を駐車されている地点は、ここから半径3キロメートル以内でしょうか?」

「ちょうどそのぐらいだな。詳しくはわからないが」

矢継ぎ早の質問は、彼女得意の雑談とは明らかに毛色がちがった。

「…なぜそんなことを訊く?」

「ただいまサポートセンターと交信中です。少々お待ちください」

俺の質問に答える代わりに、彼女は大真面目に言った。

その口調がどこか、それまでと異なるように思えた。

「おい…」

「わかりました」

もう一度問い返そうとした時、彼女はいつもの笑顔に戻った。

「お客さまのお車まで、わたしがご同行します」

「…今、なんて言った?」

「はい。お客様のお車まで、わたしがご同行します、と申しました」

これは…

どう取ったらいいのか?

俺が返答に困っていると、彼女はにこやかに続けた。

 

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「お年寄りやご病気の方をエスコートするのは、わたしたちロボットの役目です。どうぞお気になさらないでください」

「だれが病気の年寄りだ?」

「はい?」

小首をかしげる

「申しわけありませんっ。ただいま、大変失礼な発言をしてしまいました。本当に、本当に、申しわけありませんっ」

そして、とめどない言葉の洪水。

大昔の巡回映画で、こういう喜劇を観たことがある。

はじめてこのプラネタリウムに侵入した時に、自分が体験した情景そのものだと気づいた。

「正気か?」

「いいえ。すこしだけこわれています」

「そうじゃなくてだな…」

「当街区が、現在停電中でしたら、お客さまおひとりでは道中に危険があると考えます」

「本日は休業日ですので、当デパートのお客さま案内はお休みとなっております」

「現在、当館で稼働するロボットはわたししかおりませんので、お客さまを安全にお送りするのはわたしの義務だと考えます」

彼女が『考えます』と言うのは、自分の考えが正しいことを確信している時だ。

こうなると文字通り、梃子(てこ)でも動かない。

「持ち場を離れていいのか?」

「はい。現在サポートセンターに、職務規定特例第12条第4項に基づく行動支持要求を発信していますが…」

「受行されませんので、以降はわたしが独自の判断により行動することになります」

きっぱりと、彼女は言い切った。

「これもなにかの縁ということで、同行してよろしいでしょうか?」

俺はまた、ため息をつく。

どうやら俺は、彼女のことを見くびっていたらしい。

あるいはそれは、精妙なバランスで保たれていた庭園の秩序を、俺が永遠に狂わせてしまった結果なのかもしれないが。

「同行してよろしいでしょうか?」

もちろん、相手にするべきではなかった。

こわれたロボットのことなど放っておいて、単独行の屑屋に戻るべきだった。

光学樹脂(オプティックアクリル)製の瞳が、正しく焦点を合わせ、俺をじっと見据えている。

俺の頭のうしろに空間があって、からからと虚ろな音をたてている。

それは俺が今までに歩いてきた世界そのものだ。

まともなものはなにひとつ存在しない、くたびれた闇がふさぐ奥の奥、どうやっても取れない染みのように、星屑の粒がこびりついてきた。

「くそっ…」

自分でも訳のわからない衝動にかられ、俺は榴弾銃を振り回していた。

「おまえのバッテリーはあとどのぐらい保つ?」

「はい。現状の業務モードでしたら、あと4日活動できます。」

「どのぐらいの速さで歩ける?」

「最大光速度は平坦路で時速8キロメートルとなっています」

「帰りはどうする気だ?」

「はい。現在、測地衛星による位置情報が取得できませんが、現在位置から半径3キロメートル以内でしたら、どの場所からでも単独で帰着が可能です」

「雨は大丈夫か?」

「はい。わたしの筐体は第2種業務防水仕様となっておりまして…」

「それは前に聞いた。雨にあたって動けなくなることはないのか?」

「はい。雨天下での行動に問題はありません」
 
自信たっぷりに彼女は言うが、30年前に降っていた雨と、今ここに降っている雨はまったくの別物だろう。

『第2種業務防水仕様』のレッテルも怪しいものだ。

「同行してよろしいでしょうか?」

結局、俺は答えていた。

「勝手にしろ」

「ありがとうございます」

俺に深々と頭を下げた。

「それでは、まいりましょう」

彼女は言うと、受け付けカウンターの奥からなにかを取り出してきた。

 

 

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「どうぞ」

満面の笑顔と共に差し出されたそれは、例の自称花束だった。

しばらく見なかったと思ったら、あんなところに隠していたらしい。

「…なんのつもりだ?」

「お客さまの花束です。大切にお預かりしていましたので」

どうあっても、土産に持たせなければ気が済まないのか。

「預かってほしいと言った覚えはないぞ」

「はい。投影室内にお落としになられたようでしたので、こちらで保管しておきました」

「落としたんじゃない。捨てたんだ」

「はい。そうなんですか…」

しおらしく答えるが、明らかに意味がわかっていない時の顔だ。

「どうぞご安心ください。投影中にお荷物をお預かりするのは無料サービスとなっておりますので」

そしてまた、俺は溜息をつく。

彼女の親切心にではない。自分のめでたさ加減にだ。

「持っていくなら勝手にしろ。俺は受け取る気はないぞ」

「わかりました。お客さまのお車まで、わたしが責任をもってお持ちしますので」

俺が言うなり、彼女はそう答えた。

こちらの言葉を最大限都合よく解釈することにかけては、全く大した性能だと思う。

「それから、今日の天気ですと傘が必要ですね。ただいま用意します」

花束を一時置いて、カウンターに戻ろうとした彼女を、俺はあわてて制した。

これ以上勝手にさせると、ありとあらゆるガラクタを携行する羽目になりかねない。

「傘はいい。外套(コート)を貸してやる」

仕方なく背嚢をおろし、防水外套の予備を引っ張り出した。

「いえ。そのようなわけにはまいりません」

「ついてくるなら、せめて俺の言うことを聞け」

「ですが…」

「ほら、着るのは自分でやれ」

汚い外套を突き出してやる。

「はい。それでは、お言葉に甘えまして」

勲章を受け取る時のように、うやうやしく一礼した。

 

……。