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planetarian ~ちいさなほしのゆめ~【3】(終)

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
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www.prot.co.jp


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……。

 

街はうつろだった。

錆びついたシャッターや放置された自転車が、30年前の姿で雨に打たれていた。

榴弾銃の安全装置を発火位置(F)に合わせ、ゆっくりと首を巡らした。

自律戦闘機械(ウォーモンガー)の気配も、傘をさした通行人たちの姿もない。

ここに着いた時と、まったく同じ情景のはずだった。

この場所に今、存在する者が自分だけであることに、強烈な違和感を覚えている。

こんなことは初めてだった。

「だれもいませんね」

彼女が言った。

俺と同じことを考えていたらしい。

「雨だからな。行くぞ」

防水外套の頭巾(フード)を目深(まぶか)にかぶり、ひさしから外に出る。

路面をたたく雨音が耳によみがえり、違和感は消えた。

彼女は一瞬、なにかをためらったように見えた。

俺はかまわずに大通りを走り、反対側の歩道に身を隠した。

「早くしろっ」

ようやく彼女も通りを渡ってきた。

近所に買い物にでも行くかのような、悠然とした足取りだった。

「もっと急げ!」

「はい。わかりました」

小声での呼びかけに、にっこり笑ってみせる。

そのとたん、びしゃっと水しぶきがあがった。

道路の真ん中で、彼女がうつぶせに転んでいた。

「………」

両手を踏ん張り、滑らかな動作で立ちあがる。

それから、地面に落ちた花束を拾う。

そして何事もなかったかのように、車道を渡りおわった。

 

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「お待たせしました」

「一応訊くが、大丈夫か?」

「はい。ただいま、姿勢制御がやや不安定になっているようです。ですが、少々の転倒なら、自力で回復が可能な設計ですので」

「最初から転ばないように設計しておけ」

「はい。申しわけありません」

悪びれることなく、軽く頭を下げる。

「今の転倒で、花束がすこしこわれてしまいました。申し訳ありません」

「気にしてない」

「ありがとうございます」

「それはそうとして、お客さま、失礼ですが…」

「喋るなら小声にしろ」

「はい、わかりました」

素直にやや声量を落とす。

「それで失礼ですが、信号機を無視した道路横断は大変危険ですので…」

「停電だから大目に見てくれ。それより、もっと早く歩けないのか?」

「はい、先ほどの歩行が最大速度となります」

「時速8キロか…」

「はい。時速8キロです」

胸を張って復唱する。

 

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「ところで、今日は本当に人通りが少ないですね」

「最近はこんなもんだ」

「やはり、どこも不景気なんですね」

しみじみと言い、通りの寂れたたたずましいを眺める。

「前回外出した折には、たくさんの方々で賑わっていたのですが」

俺はこれからの手筈を考えていた。

封鎖壁の破れ目までは、直線距離で3キロメートル強。

彼女がこの先何度か転んだり、道路法規について小言を言ったとしても、1時間あれば辿り着ける。

だが、大型の掃討戦車が移動できる幹線道路は危険だ。

東側に迂回して、適当なところで侵入地点に向かうのが妥当だろう。

それでも、数時間の道のりというところだ。

問題は…彼女の正体そのものだった。

おせっかいで粗忽なコンパニオンロボットも、自律戦闘機械から見れば、友軍信号(FIS)を発していない訳のわからない可動無機物だ。

生体走査には引っかからないだろうが、普段通りにふるまえば動態検知されるのはまちがいない。

「いいか、よく聞け」

「はい」

「俺についてくるなら、無駄口をたたくな」

「それから、もし俺とはぐれたら、心配せずにまっすぐ帰れ」

「いえ、そういうわけにはいきません」

「どっちの命令に対しての答えだ?」

「はい、後者です。諸事情を勘案しますと、お客さまを無事にお送りすることが、わたしの使命だと考えます」

「使命、か…」

昔さんざん聞いた言葉だが、それを果たした人間には一度も会ったことがない。

「それに、じつを申しますと、わたしは外出するのが好きなんです」

「以前はよく街角に立って、通行人の方々に投影のお知らせをしたものです」

プラネタリウムはいかがでしょう…」

「だから、余計な口を聞くなと言っている」

「はい。申しわけありません」

自分自身に厳罰を科し、10秒間の沈黙に入る。

解決できていない問題があった。

彼女を連れて行って、俺はどうするつもりだ?

機能を失ったプラネタリウムに放置しておくのは忍びない、とっさにそう思ったのは事実だ。

だが、他にどんな道がある?

もともと彼女は、30年前に機能停止しているべき存在だ。

なのになぜ、俺は壊れたロボットにこれほど拘っているのか…

「くそっ…」

「あの、お客さま? ご気分がすぐれないようでしたら…」

「大丈夫だ。余計な心配をするな」

「はい」

そうだ、今はこんな余計なことを考えている場合ではない。

彼女がいようがいまいが、俺ひとりの行動となんら変わることはないのだ。

いざという時は、走って置き去りにすればいい。

追いつかれることはないだろう。

その後彼女がどうなるかは、俺は関知するところではない。

「行くぞ」

「はい」

俺はもう一度、雨の中に踏み出した。

 

……。

 

 

 

 

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最初の1時間で、たっぷり10年分は後悔した。

気温は肌寒いほどで、雨は相変わらず降り続いていた。

歩道も半分は水びたしだが、歩きづらいというほどではない。

間近で戦闘機械が稼働している雰囲気もない。

路地を上手く迂回すれば、障害物(バリケード)などもそう問題にはならない。

なのにまだ、市街中心からほとんど動けずにいた。

 

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「ご覧ください、お客さま」

体ごとこちらを振り向き、彼女が楽しそうに言う。

「あちらのお店のバニラシュークリームはとても好評で、いつでも行列ができています」

むこう側の歩道、塗装の落ちた立て看板には、確かに『おいしい手づくりシュークリームの店』と書かれている。

だが、彼女の言うような行列は見当たらない。

きっとこの30年で、職人の腕が落ちてしまったのだろう。

「お客さまは、シュークリームはお好きですか?」

「好きも嫌いも、食べたことがない」

「そうですか。今はちょうど空いているようです。おみやげにひとつお求めになってはいかがでしょう?」

「よろしければ、お得な割引券をご用意できますので…」

「行列もないが、商品もないようだな」

俺が言うと、値札だけが残された冷蔵ケースを不思議そうに眺める。

「そうですね。残念ですが、品切れのようです」

特段残念そうでもなく言う。

「案内はいいから、もっと早く歩いてくれ。急いでるんだ」

「はい、承知しました」

「ですが、今日は地面が濡れていますので、あまりお急ぎになりますと…」

言うなり、タイルの継ぎ目に靴をひっかけた。

そのままバランスを崩し、がしゃりと地面に転がる。

花束が手を離れ、いくつかの花の部品が飛び散った。

悲鳴をあげるでもなく、身体のどこかをかばうでもない。

まるで、奇妙な無声喜劇だ。

彼女は一動作で起きあがり、それから丁寧な手つきで花束を拾った。

「申し訳ありません。花束がすこしこわれてしまいました」

「気にしてない」

 

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「ありがとうございます」

「このように、地面が大変滑りやすくなっておりますので…」

「わかったから、もう実演はしなくていい」

「はい。ご覧ください、お客さま」

今の一件などがなかったかのように、大きな蛍光看板の脇に歩み寄る。

「こちらのビルの5階には、当デパート提携のビアホールがございます。新鮮な魚具料理と共に、さまざまな地ビールをお楽しみになれます」

「今でしたら、お得な飲食割引券が印刷できますよ。よろしければ、お寄りになってはいかがでしょう?」

「介護について来てるのか、割引券を配りに来てるのか、どっちだ?」

言ったとたんに、俺のことを心配そうに覗き込んだ。

「お客さま? 失礼ですが、介護が必要な状況ですか?」

「そういう意味じゃない。頼むから無駄口を叩かずに、もっと素早く歩いてくれ」

「はい、承知しました」

いつもの笑顔で答える。

「ちなみに、割引券はすべて無期限でご使用になれます」

「割引券は必要ない。使うなら自分で使え」

「ありがとうございます。ですが、わたしはロボットなので、飲食はできません。お気持ちだけありがたく頂戴します」

「ああ、ありがたく受け取ってくれ」

彼女の無駄口については、今さら矯正できるとも思わない。

路面をたたく雨音のおかげで、遠距離から音響探知される心配は少ない。それだけがせめてもの救いだ。

いちばんの問題は…

「お客さま、大変申しわけありません」

俺の思考を読み取ったように、彼女が不意に立ち止まった。

人間と違い予備動作がないので、何度見ても面食らう。

「また休憩か?」

「はい。ただいま、大腿部分力ユニットが加熱しています。冷却が必要です」

その場に直立したまま、さも済まなそうに彼女は言う。

彼女の動力は、旧式のマイクロモーターと電縮繊維を組み合わせたものらしい。

電力消費が少なく軽作業には向くが、連続稼働すると排熱が追いつかなくなるのが欠点だ。

おまけに、冷却装置(ラジエータ)の調子が悪いのだという。

製作年代においては、彼女は俺よりずっと年上だ。多少の『持病』は覚悟していたが…

「本当に申しわけありません」

「わかった」

仕方なく、俺はひさしの奥に入り、腰を下ろす。

彼女も俺のとなりに来ると、膝を折り曲げ、すとんと座りこんだ。

かたわらの地面に、そっと花束を置く。

これで4回目の休憩だ。

 

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「今、どのぐらい歩いた?」

「はい。花菱デパートの表口から計測しまして、1122メートルです」

時計の防水蓋を開け、時刻を確認する。

「平均時速1キロ、か…」

「はい。平均時速およそ1キロです」

「おまえの最大速度は?」

「時速8キロです」

「…そうか、大したもんだ」

「はい、ありがとうございます」

彼女の諸元表(スペックシート)を書いた馬鹿を時をこえて呼びつけ、何発か殴ってやらなければ気が収まらないところだ。

「本当に、よく降りますねえ」

「そうだな」

「お客さまは、雨はお好きですか?」

「嫌いだな」

「そうですか。じつを申しますと、わたしは雨が大好きなんです」

プラネタリウムに客が入るからだろ?」

「はい。その通りなんです」

「だと思ったよ」

「はい。以前に館長さんは、雨が降っていると、星が特別貴重なものに感じられるんだよ、と教えてくれました」

「なるほどな」

「そうそう、以前にこんなことがありました」

「あるお客さまから『プラネタリウムの中では傘がいりますか?』と問い合わせをいただいたんです…」

俺は防水外套をたくし上げ、腰のベルトから水筒を外した。

薬臭い水を飲んでいる間、彼女は言葉を止め、こちらをじっと見ていた。

「あの…お客さま。お聞きしてよろしいですか?」

「なんだ?」

「差し支えなければ、お客さまの病状について、わたしも情報を把握しておきたいのですが」

大真面目な顔で言う。

俺を病人と認識してしまったことについては、もう修正がきかないらしい。

「俺の病状か…」

水筒の口を閉めながら、空に視線をやる。

降り注ぐ雨粒は、直接肌に当てていいものではない。

「ありふれた病気だ。心配するほどでもない」

「はい。申しわけありませんでした」

あっさりと彼女は言った。

これ以上は触れるべきではないと判断したらしい。

ところかまわず口を開くくせに、プライバシーや会話上の禁忌事項は一応わきまえているのが可笑しい。

彼女が現役で働いていた時代には、それらはよほど尊いものだったのだろう。

「ところでお客さまは、お仕事はなにをなさっているのでしょう?」

こちらの考えがわかったように、話題を変えてきた。

「屑屋だ」

なにを今さら…と内心苦笑しながら、俺は答えた。

 

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「と、申しますと?」

いつものように、首をかしげながら聞き返してくる。

「おまえのわかりそうな言葉で言うと…」

「廃品回収業だ」

「廃品回収業ですか。それは大変尊いお仕事ですね」

にっこりと笑いながら答える。

賭けてもいいが、死神に職を訊ねた時も、彼女は同じ受け答えをするだろう。

「わたしの筐体は、リサイクル性を第一とした設計がなされておりまして…」

「そろそろ行くぞ、いいか?」

いつもの性能自慢がはじまる前に、俺は立ち上がり、背嚢を肩に通した。

「はい。まいりましょう」

懲りずに花束を持ち上げようとした彼女に、俺は言った。

「そいつは置いていけ」

 

 

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「そいつというのは、この花束のことでしょうか?」

「そうだ。そいつを持ってると転びやすくなるだろ?」

「ですがこれは、お客さまのものですので…」

「だから、持ち主の俺が、そいつを捨てていけと言ってるんだ」

「ですが…」

「わかった。その花束は俺のものだ。だから俺によこせ」

「どうぞ。お客さまの花束です」

満面の笑みと共に、内容物が少し目減りした花束を差し出してきた。

「俺の花束、か…」

車道に投げ捨てるつもりだったそれを、俺はじっくりと眺めた。

彼女の美的感覚には、やはり慣れられそうにない。

結局俺は、背嚢のストラップに花束を挟み込んだ。

これっぽっちを今さら捨てたところで、俺の重荷は変わらないだろう。

「ありがとうございます」

わかっているのかいないのか、彼女が唐突に礼を言った。

「ああ、廃品回収業だからな」

俺は答えた。

「それでは、まいりましょう」

彼女は当然の顔をして、俺のとなりに寄り添った。

 

……。

 

 

2時間ほど歩いた時だった。

古い商店街に出くわした。

高層化されていた西側と違い、二階建てほどの店舗が道路の左右に軒を連ねている。

 

 

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そのうちの一軒が、雨の中に無惨な姿をさらしていた。

もともとは、ちいさな酒店だったらしい。

古めかしい木製の看板は半分が焼けこげ、『本酒店』とだけ読める。

辺りの路面には、ねじ曲がったシャッターの鉄板と石膏建材、それにガラスの破片が散乱していた。

破壊の様子からして、破壊手榴弾が対バリケード用の集束弾を至近距離から食らったのだろう。

同業者がこじ開けようとした結果が、偶発戦闘の流れ弾かはわからない。

時を止めた遺跡の中にあって、その一角だけが妙に生々しく、歯の抜けた櫛のように落ち着かなかった。

 

 

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「お客さま、お聞きしてよろしいでしょうか?」

不意に、彼女が切り出した。

「これは、車両衝突や、ガス爆発等の事故でしょうか?」

「ある意味そうとも言えるな」

「でしたら、すみやかに救援を呼ばなければなりません」

早速、お得意の無線通信を試すが、応答があるはずがない。

10秒後、彼女は言った。

「サポートセンターに事故情報を照会していますが、受行されません。おそらく停電のためと考えられます」

「わたし単体では対処できない事態です。とても困りました…」


「処理はとっくに終わってる。その証拠に、だれもいないだろ?」

彼女が不安げに首をかしげる

その仕草を見るのはいったい何度目だろう。

「はい。状況を理解しました」

「しかし…派手に潰したもんだ」

榴弾銃をかまえ直す。

「ここで待ってろ」

「はい。わかりました」

場違いな笑顔に見送られながら、慎重に戸口に近づく。

中の様子をうかがった。

ごく狭い店内には、茶色や薄緑色をしたガラスの破片が一面に散乱していた。

着弾の瞬間に立ち会っていれば、においだけで泥酔できただろう。

今は雨と時間が、すべてのアルコールを醒ましてしまっている。

よく探せば、残った壜もあるかもしれない。

だが、今の状況では捜索することも叶わない。

「せめて半壊ならな…」

未練たっぷりに、かつて酒店だったものが雨に打たれる姿を眺める。

「行くか…」

振り向きかけた時だった。

歩道の脇に隠されるように、緑色に光るものがあった。

建材の破片を踏み分け、近づいてみた。

思った通り、高級そうな洋酒だった。

紙製の化粧箱は腐っているが、壜は無傷に見える。

手をのばそうとした瞬間、哀れな老人の最期が脳裏をよぎった。

「置き罠、か…?」

可能性は低いが、用心に越したことはない。

壜の周囲を慎重に確認する。

ワイヤーから重量検知らしい仕掛けはない。

他に可能性としては…

横から手が伸びてきて、ひょいっと酒壜を持ちあげた。

 

 

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「どうぞ」

「………」

すでに怒る気さえしなかった。

無言で受け取る。

シンプルな円筒形の壜は、まず蒸留酒にまちがいないだろう。

早速封印を破き、プラスチックのキャップを開けた。

獲物の封をその場で切ったのは初めてだったが、そんなことはどうでもよかった。

壜の口に鼻をあてると、全く変質していない甘い香りが立ちのぼった。

上等なブレンデッド・ウィスキーにまちがいなかった。

「さんざん苦労して、獲物はこれ一本か…」

笑いがこみあげてくる。

状況は相変わらず最悪だが、どこかがらんとした、いい気分だった。

「お客さま、そちらの壜の内容物は水ですか?」

早速味わおうとしたとたん、彼女が訊いてきた。

「なぜそんなことを訊く?」

「以前お客さまは、自分で汲んだ水以外は飲むなと医者に言われている、とおっしゃいましたので」

「物覚えがいいんだな」

「ありがとうございます。わたしはロボットですから、覚えておくのは得意なんです」

「なら、もうひとつ覚えておけ。これこそが俺の薬さ」

壜を目の前に突きだしてやると、彼女は律儀にラベルを読み取った。

「いえ。それは薬品類ではなく、スコッチウィスキーだと思われます。カティサーク12年シェリーバレル、税込み価格…」

「物知りだな、おまえは。大したもんだ」

「はい。ありがとうございます」

小言の主が恐縮している隙に、中身の液体を喉に流しこんだ。

とたんに咽せた。

「お客さまっ、大丈夫ですか?」

数ヶ月ぶりで飲む生の蒸留酒(スコッチ)は、身体が吐き出すほどに強かった。

もう一口、今度はよく味わって飲み下す。

気道に詰まった空気に酒精が満ちていき、胃の奥が熱くなるのがわかった。

「悪くないな」

「はい。とても上質で、絹のように滑らかな喉ごしです」

「飲んだことがあるのか?」

「いえ。わたしはロボットなので、飲食はできません」

「そりゃ、残念だな」

下戸のロボットに敬意を表し、さらにもう一口飲む。

これで煙草さえあれば、この世の極楽というやつだ。

彼女はほほえみを浮かべたまま、破壊された店舗を眺めていた。

防水外套にすっぽりと覆われた肩口が、どこか心許なくみえた。

瓦礫は絶え間ない雨に洗われ、鈍く銀色に光っている。

俺はウィスキーを元通りに密閉し、背嚢のポケットにしまった。

 

 

……。

 

 

 

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そこからは、進路を北西に取った。

路地を選んで歩いているせいで見通しは悪かった。

封鎖壁に近づきつつあるという感触はあった。

空気に水の臭いが濃い。

降り続く雨からも、悪意は感じられない。

防護幕が破れた封印都市は、屋根のない貯水槽のようなものだ。

恐らく都市の東側半分は水びたしだろう。

だとすれば、大型の戦闘機械が哨戒している可能性は低い。

封鎖壁の際で補足されないかぎり、うまく逃げおおせそうだった。

出がけよりさらに気温が下がったためか、彼女の調子もいいようだ。

プラネタリウムはいかがでしょう?」

いつもの文句を口ずさみながら、俺のすこし前を歩いている。

「どんな時も決して消えることのない、美しい無窮のきらめき…」

街は今、彼女のものだった。

路面は水びたしだが、彼女は一向に気にする様子がない。

踊るような足取りで、人気のない歩道を進んでいく。

灯の消えた信号も道路標識も、ただ静かに彼女を見送る。

少女の形をしたロボットと、役目を終えた家並み。

そして、幾億という雨粒。

明け方に見るあいまいな夢のような、どこか胸の奥がうずくような光景だった。

 

 

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「お客さま、こちらが少々段差になっていますので…」

歩道の切れ目で足を止め、くるりとこちらを振り向く。

そのとたん、盛大に水を跳ねとばし、また水たまりに突っ伏した。

これで通算14回目だ。

俺の記憶がまちがっていなければ、だが。

「よそ見をするなって言っただろ?」

 

 

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「はい。面目ありません」

「よく壊れないな」

「見た目より頑丈にできていますので」

本気とも冗談ともつかない、満面の笑みを見せる。

俺が貸した外套からは、水がさかんにしたたっている。

きっと本当に、彼女は雨が好きなのだろう。

ひさしぶりに入れたアルコールのせいか、俺はそんなことさえ考えていた。

やがて、彼女の足取りが鈍ってきた。

「休憩するか?」

「いえ。もうしばらく歩けます」

「そうか」

「よく降りますね」

「そうだな」

何度繰り返したかわからないやりとり。

背嚢に吊るした花束が、歩調に合わせて魔除けのような音を立てている。

「この辺りの街路は、わたしのデータベースと異なるようです」

バリケードや鉄条網に遮られるたびに、この発言を聞かされる。

「再整備されたのでしょうか?」

「たぶん、そうだろうな」

「本当に人通りが少ないですね」

「ああ、俺たちだけだな」

「このような雨の日は、とても退屈なものです」

「ですが、家の中ですごすのも楽しいものだと思います」

「ただ、それでは、プラネタリウムにいらっしゃるお客さまが減ってしまうので、わたしは困ってしまいますが」

歩きながら、とりとめのない会話を続ける。

「なあ」

「はい、なんでしょう?」

「退屈しないか?」

「退屈と申しますと?」

「おまえはずっと、プラネタリウムで働いていたんだろ?」

「まったく別の仕事につきたいと思ったことはないか?」

我ながら、唐突な質問だった。

あれほど自分の職務にこだわっていた彼女が、なぜ今職場を離れ、俺のとなりにいるのか。

その辺りにひっかかりがあったのかもしれない。

「わたしは、ソフトウェアの交換により、どのような業務にも柔軟に対応することができます」

「それに、どのようなお仕事も、ひとしく尊いものだと考えます」

「そう言うと思ったよ」

「ですが、わたしは今の仕事が、とても気に入っています」

「館長さんや、スタッフのみなさんや、イエナさんと一緒にはたらくことは、とても楽しく、やりがいがあります」

「今はお客さまが少なくなってしまいましたが…」

「でも、いつかまた、大勢の方々が詰めかけてくれるようになると信じています」

「そうか…」

短く答え、俺は行く手の煙雨を見る。

このむこうに歩いていけば、俺は戻れるだろう。

生まれて以来ずっと生き続けてきた、俺が住むべき世界に。

だが、それは彼女の世界ではない。

愛する職場に戻った彼女を待つのは、二度と動かない投影機と、永劫の時間だけだ。

止まない雨に腐り落ちた現実を、彼女が語るささやかな夢と交換する。

そんな方法が、どこかにないのだろうか?

「あの、お客さま。お聞きしてよろしいでしょうか?」

やがて、彼女が口を開いた。

「なんだ?」

「お客さまは、神様にお願いをしたことはありますか?」

「いや…」

「その質問には答えた覚えがあるな」

「はい。お客さまは、『あったかもしれないが、ろくなことは願っていない』と、お答えになりました」

「物覚えがいいな」

「はい。わたしはロボットですから、覚えておくのは得意なんです」

「おまえがなにを願うかは、まだ聞いてなかったな」

「はい。その通りです」

「なにを願う?」

俺はそう訊ねた。

強い雨の中で、彼女が立ちどまった。

俺のことを振り返り、そしてゆっくりと言った。

「天国をふたつにわけないでください」

「わたしは、ロボットの神様に、そうお願いしたいのです」

天国の門が、人間とロボットに別れていたら、わたしはとても困ってしまいます」

「わたしは天国に行っても、人間のみなさまのお役に立ちたいです」

「これからもずっと、みなさまのおそばではたらきたいです」

正解を尋ねる子供みたいに、俺のことを覗きこむ。

「そうか…」

「はい。そうなんです」

はにかむように笑っている。

彼女にとっては、その言葉もまた雑談の延長なのだろう。

だが、俺は別のことを考えはじめていた。

プラネタリウムを出発した時、彼女は『業務モードならあと4日活動できる』と言った。

ここまで残酷な道のりだとは、考えてもいなかっただろう。

いや、今も考えているか怪しい。

すでにバッテリーは大幅に消耗しているはずだ。

もしも、車(ローバー)に乗せたところで、彼女のバッテリーが切れたとしたら。

彼女の意志に関わりなく、この街から連れ出すことができるだろう。

「…お客さま? お客さま?」

心配そうな声で我にかえった。

「お疲れでしたら、すこしお休みになってはいかがでしょう?」

「いや、大丈夫だ」

「お車までは、まだ遠いのでしょうか?」

「いや、もうそろそろだ」

「それはよかったです」

また、にっこりと笑う。

全てを見透かされているような気になり、俺はまた雨に視線を逃す。

背嚢からウィスキーを取り出そうかと考えたが、結局やめた。

酒を飲むよりずっと前から、俺はもう充分すぎるほどに酔ってしまっていた。

屑屋の老人のなつかしい顔が、ふと脳裏に浮かんだ。

『相手にするな、あれはこの世界のものじゃない』

俺は忠告を聞き入れなかった。

その代償を払う時が、近づいているのかもしれない。

彼女をどうすればいいか。

俺は彼女をどうするつもりなのか。

答えを見つけ出せずに、俺はただ雨の中を歩き続けていた。

 

……。

 

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「止まれ」

「はい、わかりました」

規則的な足音が、そのとたんにぴたりと止む。

「ここで待ってろ。三分したら戻ってくる」

「どちらへお出かけですか?」

「ちょっと用足しだ」

「はい、わかりました。ここでお待ちしています」

どういう意味に取ったのか、訳知り顔の笑顔が返ってきた。

「静かにしてろよ」

榴弾銃の安全装置を確認しながら、もう一度念押しした。

姿勢をできるだけ低くして、瓦礫の陰から慎重に行く手を確認する。

狙い通り、路地は駅前から続く幹線道路に再度合流していた。

無人の車道が300メートルほど真っすぐに続き、急ごしらえのバリケードで封鎖されている。

その先で、街が唐突に終わっていた。

緩衝地帯だ。

都市封鎖処理の時、工作機械の作業路を確保するため、もともとあった低層建築物がすべて撤去されている。

それはまた、万一の侵入者を発見しやすくするためでもある。実際、残されているいくつかのビルは、監視塔の役目も兼ねていたのだろう。

沼のようにぬかるんだ平らな地面が、鉛色の空を無表情に映しこんでいる。

その上を風が吹き渡っていく。

さらにそのむこうに、強化ぺトンを固めた巨大な壁が霞んでいた。

爆装したままの無人攻撃機が墜落した破れ目が、外につながる唯一の道路だ。

そこから俺はこの街に侵入したのだ…

わずかな酒が醒めていく。

入れ替わりに、刺すような緊張感が胃の奥の戻るのを感じた。

背嚢から双眼鏡を取り出し、焦点環(フォーカスリング)を回した…

 

 

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雨に鞭打たれるものがあった。

それは旧(ふる)い戦闘機械だ。

四本の長い砲脚を伸ばし、軟泥に固定爪(スパイク)を打ち込んだまま、壁にうがたれた大破口の前にたたずんでいる。

小高く盛りあがった砲塔、その側面にとりつけられた円形の感覚器覆(センサーフード)。

不格好なほどに大きな電磁射出砲(レールカノン)の砲身が、反対側に突き出ている。

電源モジュールは、加速管交換作業車(フィジシャン)も随伴していない。

つまり、完全な単独戦闘(シングル)モードだ。

自律兵器には不似合いな方向指示器と制動灯は、彼が秩序ある時代に生産された証(あかし)でもある。

金銭防禦(ぼうぎょ)用の二連装機銃は緩衝地帯の水たまりに指向され、無言で人待ち顔をしていた。

「シオマネキか…」

Mk43L/e自動要撃砲台。

それが正式名称だが、交戦しただれもが単にシオマネキと呼んでいた。

重牽引用の八輪架台、強化された後部砲脚、特異な機構を持つ四分割式砲身冷却覆(バレルジャケット)が、タイプL/eと呼ばれる精密射撃型の特徴だ。

侵入時に遭遇した軽装対人戦車(メンシェンイェガー)のような、後から空挺投下された自動工場製(プラントメイク)の独立稼働機(バーサーカー)ではない。

この都市が封印された当初に配備された、防衛無人兵器群(DEAFARS)の前衛。

絶緑コーティングされた各種弾体を、音速をはるかに超える速度で超長距離に射出する能力を持つ。

その強力すぎる主兵装は、対歩兵戦闘には不向きだ。

だが補捉されれば、対人用の掃討戦車を呼びよせる。

その先に待つのは、なによりも確実な死だ。

人造細菌を中和する手段が開発され、戦争の趨勢が見えた暁には、この貴重な都市の争奪戦が勃発する。

その時のための、彼は切り札だったのだろう。

冬眠待機(ハイバネーション)の間に世界が変わり果て、護るべきものが時間と雨に蹂躙されつくしてしまっても、彼もまた己の任務を忘れてはいない。

その姿に、俺はある種の畏怖さえ覚えていた。

「…お客さま、お聞きしてよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「あちらに見えるものは、なんでしょう?」

「自動砲台だ。よりにもよってあんな所に…」

 

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「…なぜここに来た? 待っていろと言ったはずだぞ」

「はい。3分経過しましたが、お客さまがお戻りにならなかったので…」

「わかったから、もっと声をちいさくしろ」

「はい、わかりました」

素直に頷く。

「もう一度お聞きしてよろしいでしょうか?」

「答えられるとは限らないぞ」

「この先の街路は、私のデータベースと大幅に異なるようです。再整備されたのでしょうか?」

「見ての通りだ」

「では、あちらに見えるものは、建設機械のたぐいでしょうか?」

「シオマネキだ」

「と、申しますと?」

「おまえと同じようなものだ」

「と、申しますと…」

「いいからすこし黙っていろ」

もう一度双眼鏡を覗き、状況を整理してみる。

彼はどこから現れたのか?

侵入時には、鉄御された防衛兵器群が稼働している気配はなかった。

俺がプラネタリウムにいる間に要撃展開したことになる。

だとすれば、動いているのはあれ一両だけではない。

あるいは、基地(ネスト)への電力供給が終わったところで、自律モードに移行したのかもしれない。

初弾で沈黙させなければ、周辺の仲間を呼び寄せる可能性が高い。

戦ったとして、勝算はあるか?

シオマネキは防禦または援護兵器であり、接近戦闘はほとんど考慮されていない。

弱点はいくつかあるが、40ミリ特殊榴弾で撃破するなら、砲塔上面にある弾薬補給扉(ガンベイハッチ)を狙うしかない。

命中させられるかは五分五分…

いや、三分七分といったところだろう。

ならば、迂回するか?

あの破口以外の場所から、封鎖壁を越えられるか?

否だ。

闇雲に歩き回れば、索敵にかかる危険が増すだけだ。

だが、ここで夜を明かすのも自殺行為だ。

「…あの、お客さま」

「狩りに出かけてくる」

「カリ、と申しますと…」

状況と言葉を結びつけられないのだろう、さすがに首をかしげる

俺は双眼鏡をしまった。

彼女はまだ不思議顔をしていた。

こちらとしても、これから起こることをうまく説明してやる自信はない。

「俺が戻るまでここでじっとしてろ。でないと俺の命に関わるんだ」

「申しわけありません。わたしには状況がよく理解できませんが…」

「お客さまのお命に関わることでしたら、遵守するべきと考えます」

両手をきちんと身体の前で合わせ、彼女は言った。

なるほど、こういう具合に命じればよかったのだ。

後陣の愁いがこれで消えた。

だが最後に、はっきりさせなければならないことがあった。

「もうすぐ俺は、この街から出て行く」

「それでは、お車まではもうすぐなのですね。ここまで何事もなくお送りできて、わたしもほっとしています」

「俺と別れた後、おまえはどうするつもりだ?」

「はい。わたしは単独で職場に戻りますので、どうぞお気遣いなく」

「この街は無人だ。たとえおまえが戻ったとしても、二度と客は来ないし、プラネタリウムを見せる機会はない」

「それにこの街の電力供給は終わった。投影機も二度と動かない」

「全部おまえがその目で見たとおりだ」

「はい…」

アクリルの瞳の中、インナーレンズが動いて俺に焦点を結ぶのが見えた。

これは機械だ、俺の中の半分がそう思おうとする。

俺の言動を入力として、あらかじめプログラミングされた出力を返すにすぎない、と。

やがて、彼女は言った。

「わたしの基本データベースおよび、現在までの蓄積データベースを照合しますと、お客さまはかならずお越しになると考えます」

「停電に関してですが、送電が回復するまで、わたしもイエナさんも、いつまでも待つことができます」

ここまでのやりとりは予期したとおりだった。

「いいか、これから俺の言うことをよく聞いて、理解しろ」

「はい。わかりました」

「ここに来るまでに、おまえが見てきた事実だけですべてを判断しろ」

「この街にはもう、おまえもプラネタリウムも必要ないんだ」

「これからも人間のために働きたいと思うなら、俺に着いてくるしかない」

「俺に着いてきても、おまえにとってそれが幸せなのか、俺にはわからないし、保証もできない」

「着いてくるのも、戻るのも、おまえの自由だ」

「わたしはこれからも、人間のみなさまのお役に立ちたいと考えます」

「それが、わたしの幸せです」

彼女は即答した。

「ですが、お客さまのお話からこれからの行動を決定するには、情報が不足していると考えます」

「おまえがこれ以上の情報を得る手段はない。わかるだろ?」

『サポートセンター』が機能していないことを理解した今、彼女は完全に自律行動している。

彼女の行動規範は、恐らく俺という人間ひとりに大部分が依存しているはずだ。

例えば、俺が重病人のふりをすれば、彼女は自分のバッテリーが切れるまで俺に付き添うのかもしれない。

だが、そんなことはしたくなかった。

彼女は俺に星を見せた。

俺は彼女に、俺が与えられるだけの未来を見せる。

彼女が人間ではなく、ロボットであることは、この際関係なかった。

これは彼女と俺が結ぶ、正当な取引だった。

「俺が戻るまでに考えておいてくれ」

榴弾銃の銃身を戻し、俺はゆっくりと立ち上がった。

「はい。わかりました」

彼女はそうはっきりと言った。

「行ってくる」

「はい。お帰りをお待ちしています」

「もう一度言うが、なにがあっても動くな、声もあげるな。俺が戻ってくるまでだぞ」

「…俺の命が大切だと思ってくれるならな」

「はい。お客さまが戻ってくるまで、ここから移動せず、声も出しません」

「重要命令として登録しました」

彼女はにっこりと笑い、そっと唇を閉じた。

いつも通りのはずのその姿が雨に煙り、どこか心細げに見えた。

「そうだ、こいつを預かってくれ」

俺は背嚢のストラップから花束を外し、彼女に投げ渡した。

せっかくの手作りも、今は壊れかけだ。

戦闘が終わったら原型を取り留めていなかったでは、ここまで担いできた甲斐がない。

 

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「はい。大切にお預かりしておきます」

花束を抱え、彼女は言った。

ちいさな星のようなほほえみが、いつまでもその顔に残っていた。

裏道を縫い、緩衝地帯の縁すれすれまで肉薄した。

窓の破れた6階建てのビルを見つけ、俺はそこに登った。

恐らくは同業者の手によって、内部はすっかり荒らされていた。

最上階の部屋に入り、水びたしの窓側に陣取った。

シオマネキは愚直な番兵のように、封鎖壁の破口を守り続けていた。

雨に鈍く光る砲塔上面が、ここからなら難なく見えた。

固定目標なら当てられない距離ではない。

それは同時に、むこうの機銃もこちらを狙えるという意味でもある。

唯一の気休めは、主砲の最短射程より内側にいることだけだ。

榴弾銃の銃身を折った。

装填断種を確認する。

複合装甲用指向性粘着榴弾(AC-DHESH)、信管作動距離は最短の10メートルに設定したままだ。

どんな角度でも、砲塔の上面装甲に当てさえすればいい。

だが発砲すれば確実に気づかれる。

残弾はあと二発あるが、次射のことは考えるべきではない。

銃身を戻し、長距離照準器(リヤサイト)を立てた。

目標距離と弾道の沈降率を計算し、照門を補正する。

この榴弾銃には、照準光源(エイミングレーザー)も弾道安定装置(スタビライザー)もない。

弾の威力と銃床(ストック)の材質以外、前世紀の設計そのままだ。

単純な武器のみが信頼に値する。

降り続く『雨』から唯一俺が学んだ、社交の原則だった。

 

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頭を低くして銃身を窓枠から出し、慎重に狙いを定めた。

雨は降り続いている。

風はやや弱く、緩衝地帯を左から右へ断続的に吹きぬけている。

目標が動く気配は未だにない。

風が強くなった。

一面に広がる泥水に、鱗のような波紋が立つ。

俺は引き金に指をかけたまま、風が収まるのを待った。

唐突に、喉が渇いていることに気づいた。

ずっと昔、最初に戦闘機械に対峙した時さえ、これほど緊張はしなかった。

理由を考える間もなく、彼女のことが頭に浮かんだ。

今頃、俺に命じられた通り、濡れた歩道にじっとたたずんでいるだろう。

連れていくとしても、彼女の処遇をまったく考えていない。

交易倉の連中があっけに取られている様子が目に浮かぶようだった。

充電装置は高くつくが、手にはいらないことはない。

ソフトウェアの置き換えや部品の交換は難しいとしても、ちょっとした整備や調整ぐらいはしてやれるだろう。

たとえば、彼女のためにちいさな投影機をあつらえてやることもできるかもしれない。

半球状に広がる傘のような仕掛けも必要だ。

それらを携えて点在する居住区を旅してまわり、彼女の解説で『星空』を見せる。

…そんな商売に鞍替えするのはどうだ?

あるいは死ぬまでに、この星すべての人間の元を回れるかもしれない。

ちょうど俺も、屑屋には飽き飽きしていたところだ。

「馬鹿馬鹿しい…」

俺はつぶやき、斜めにずれかけていた照準を元に戻す。

それこそ、ただの夢物語だ。

余計なことを考えるのは、さしせまった恐怖から紛らわせようとしているからだ。

ここで死ぬわけにはいかないと、未練がましく考えはじめた証拠だ。

だが、悪い感じではなかった。

瀕死の老人がする最後の息づかいのように、風が衰え、とまった。

シオマネキは今も、照門と照星が結ぶ直線の先で、来るはずのない敵戦車を待っている。

「悪いが、また相棒ができちまったんでな」

俺は息を詰め、引き金を絞った。

弾頭は白い煙を噴いて飛翔し、シオマネキの砲塔後部に命中した。

だが、なにも起こらなかった。

シオマネキの躯体が怒りに身震いしたように見えた。

「信管不良(ミスファイア)!?」

転がるように、壁際に身を隠した。

榴弾銃を折り、空薬莢を引き抜く。

熱されて膨張したそれが水たまりに落ち、じゅっと音を立てた。

薬室に二弾目を叩き入れる。

金属めいた発射音と共に、天井からばらばらとした建材が落ちてきた。

ビルの外壁に機銃掃射を受けているのだ。

永劫とも思える時間が経って、最初の一連射が止んだ。

俺は部屋の端にある窓辺に駈け寄った。

素早く頭を出し、様子をうかがう。

シオマネキの全高が変化していた。

砲脚の固定を解除し、下側の動輪(ホイール)を接地しようとしている。

回避運動に入るつもりなのだ。

照準しようと身を乗り出した瞬間に、機銃掃射が再開された。

雨を吸ったコンクリート軽石のようで、全く防楯の用をなさない。

ここにいれば、いずれ部屋ごと13ミリ弾の餌食になる。

姿勢を低くしたまま、奥の階段を目指した。

 

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雨は降り続いていた。

頭を下げたまま歩道を走り、雨音のむこうをうかがう。

静穏モーターの甲高い唸り、無劣化樹脂の車輪が軟泥を踏みしめる音…

幾度となく聞いた音、決して聞きなれることのない音だ。

視界が開けた。

片側二車線の通りの中央、放置された電気自動車(コミューター)があった。

身を隠し、様子を探る。

 

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四つの脚元から地上画のように轍を引き、シオマネキが急速移動している。

封鎖壁側に数十メートル後退したかと思うと、不意に方向を変える。

だが、決して持ち場である破口から離れようとはしない。

こちらを単独の歩兵として認識できていないのだろう、不明敵(アンノウン)を想定した乱数回避行動(ランダムシーケンス)だ。

時速25キロ程度…内部電源モードにしては動作が鈍い。

片側だけの感覚器群が、こちらの様子をうかがっているように思えた。

わかっていた。

初弾で屠(ほふ)れなかった辞典で、俺は賭けに負けたのだ、と。

交信電波を傍受できる耳があれば、シオマネキが援軍を求める高速通信が聞こえるだろう。

早ければ10分後、この街で息をする人間はいなくなっているだろう。

降り止まない雨の中、全ての秩序は再び凍りつき、封印されるだろう。

唇の端になぜか浮かぶ笑みを、かみ殺している自分がいた。

そうだ、成すべきことは今も変わらない。

一刻も早くシオマネキを沈黙させる。

彼女を連れ、封鎖壁から外に出る。

銃把を握り直しながら、大昔に聞いた教導隊大尉の台詞を思い出す。

決して立ち止まらないこと。

防禦兵装の火線に対して常に鋭角に占位し、恐れず前進を続けること。

言うのは易く行うは難し、だ。

残弾は二発。

できるだけ肉薄し、まず足を止める。

それから上面装甲を狙い、確実に撃破する。

大きくひとつ息を吸い、雨の中に身を躍らせた。

走る。

こちらを補捉したシオマネキが、速度を落とし掃討シーケンスに入る。

近距離管制感覚器(デフセンサー)がこちらを振り返り、球形銃座(ターレット)がそれに連動する。

泥を跳ね上げながら疾走する。

 

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銃口(マズル)が光を吐いた。

曳光弾代わりの三点赤色光が、目前の地面を走査していくのが見えた。

細い水柱が次々とあがり、行く手を透明な檻で遮る。

それを見た瞬間に進行方向を変える。

わずかに遅れ、機銃音が頭上の雨を切り裂いた。

数秒前に自分がいた空間を、火線が貫いていった。

すぐに射軸が補正される。

銃座が一瞬追従を止めるのを、目の端で確認した。

今度はさらに鋭く向きを変え、すぐに元に戻す。

古い手だが、有効だ。

二度目の交差もやり過ごすことができた。

橋頭堡(きょうとうほ)のように突き出た緩衝地帯の縁に、放棄された重装甲輸送車(パッフィン)がうずくまっている。

その影に頭から滑り込んだ。

ここなら、炸裂徹鋼弾でも撃ち抜かれる心配はない。

そしてこの距離を保てば、電磁主砲(LERC)で狙われる危険もない。

荒れた呼吸を整える。

銃撃が止んだ。

無駄弾を撃たない知恵はむこうにもあるらしい。

彼我(ひが)の距離は200メートル強。

攻守交代だ。

シオマネキが急速後退をはじめた。

敵火力が確定できない場合に取る、移動砲台の定石行動だ。

牽制射撃が再開される。

機銃弾が戦闘車の軟質装甲板に弾かれ、奇妙にたわんだ音を響かせた。

弾速の遅い榴弾銃では、移動目標に命中させるのはむずかしい。

等速運動に移るタイミングを見越し、偏差射撃するしかない。

自分が興奮しているのがわかった。

体内の血液が冷たくたぎり、感覚が急速に鋭敏になっていく。

唐突に思った。

彼女は見ているだろうか?

これが狩りだ。

生き延びるために、人類が有史以来続けてきた流血と殺戮の儀式だ。

宇宙空間に版図を広げてさえ、なにも変わることはない。

倒すべき獲物さえ人間が創造し、人間自らが牙を与えたことを除いては。

雨は降り続いている。

前後の銃座から時折光を噴きながら、シオマネキは回避運動を続けている。

榴弾銃を斜めにかまえる。

五秒後のシオマネキの位置を、頭の中で思い描く

その空間に押しピンを刺すように、照星(サイト)を置いてやる。

「一……二……」

口の中で数え、三で息を止めた。

引き金をことんと落とした。

榴弾頭が白煙の弧を描く。

シオマネキは理想的な役者のように、その交点に巨体を重ねた。

右後脚付け根、装甲のない関節軸に命中弾を得た。

数瞬…

恐ろしいほどの数瞬の間のあと、炎の花が咲いた。

轟音と共に、シオマネキはつんのめるように静止した。

巨体がゆっくりとかしぐ。

衝撃と爆風で、腹側の補器類が腐った果実のようにこぼれ落ちた。

関節のひとつを失い、過加重のかかった主骨格が幾重もの和音で軋む。

歓声とも悲鳴ともつかない声を、俺はあげたかもしれない。

シオマネキは深手を負ったが、死んではいなかった。

誇り高い老騎士のように、複合装甲の鎧を憤怒で慄わせていた。

大きく傾いたままの主砲塔が回頭され、砲口がこちらに合わされていた。

その様子を、俺は遠い世界の出来事のように眺めていた。

 

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視界が白く腐れ落ちた。

金属質の轟恩が鼓膜をつんざく。

弾着に遅れて来た衝撃波が、嵐の海のように雨粒を乱舞させる。

風が猛り狂い、摩擦で灼かれた大気の匂いが鼻腔を撫でた。

次の刹那、大きな手のひらで抑え込まれるように、身体に泥がつっぷした。

耳鳴りが聞こえる。

目が見えない、足が動かない。

鉛で鋳造されたように、下半身が重い。

手探ると、瓦礫の破片が大腿を毛布のように覆っていた。

がむしゃらに身体を揺すり、なんとか引き抜いた。

上手く動こうとしない身体とは逆に、頭の芯が急速に醒めていく。

シオマネキはたしかに、こちらに照準を定め、そして主砲を発射した。

それが大きく上方にずれ、建物に着弾した。

至近距離にいる擲弾兵一人に、ありえない攻撃パターンだった。

その場から身を動かそうとする。

タイプL/eの長距離電磁射出砲(LERC)は、内部電源モードなら再装填(リチャージ)に25秒かかる。

移動しなければ、次は建物ごと押しつぶされる。

歩き出そうとすると、右足首から先の感覚がなかった。

折れているらしい。

目には目を、脚には脚をというわけか…

ようやく這いあがってきた鈍痛と共に哄(わら)う。

雨は今も降り続いていた。

そして俺は、ようやく状況を理解した。

彼もまた、壊れていたのだろう。

止まない雨の腕に抱かれ、機械の槍騎兵は今も夢見ている。

護るべきやさしい街の夢、屠るべき強大な敵の夢を

雷雲を一点に凝縮するような、コンデンサーの充電音が沸きあがる。

次に我にかえった時は、足元でびしゃびしゃと音がまとわりついていた。

破片が入ったのか、まともに目が開けられない。

防水外套のフードがはだけていて、破片が直接頭上に降ってくる。

いやちがう、雨だ。

雨だけは、なにひとつ変わることなく降り続いている。

自分の位置がまったくわからない。

さっきの場所から何メートル離れたのだろう、それさえわからない。

なにかに足を取られ、地面に転がった。

榴弾銃が手から離れた。

口の中が切れ、生温かな血と泥の味が広がった。

シオマネキが咆哮した。

崩れ落ち、地面で跳ねたコンクリートやガラスの破片が、防水外套を散弾のように叩く。

至近のビルに着弾したらしい。

両手で頭をかばい、ただ耐えるしかなかった。

大きな破片のいくつかが背中を直撃した。

肌着と皮膚の隙間に、温かな血液が流れ落ちるのを感じた。

俺もこの雨の下で、壊されていくのだろう。

痛みはない。

ただ、ひどく息苦しい。

これ以上は一歩も動けそうになかった。

シオマネキの位置は、たとえ目をつぶっていても容易に音でわかった。

三本の主脚では、電磁射出砲(LERC)の強烈な反動を吸収できない。

移動するたびに、自分で自分の骨格(フレーム)を崩していく。

歪んだ金属と強化繊維が駆動ごと擦れ合い、醜く共鳴する。

その響きは、まさに断末魔だった。

「狂ってる…」

自分の声がそう呟くのを、他人事のように聞いていた。

狂っている…

なにが?

憤怒に我を忘れ、護るべき街も敵も隔てなく葬ろうとしている戦闘機械がか?

とうの昔に役目を終え、今はただ雨と追憶だけが棲むこの封印都市がか?

それとも…

嗤(わら)っている

湿った風のむこうで、狂った戦闘機械がけたたましく嗤っている。

すべての音が歪み、やけにくっきりと聞こえた。

シオマネキが停止し、射撃体勢に入った。

脚が折れていても、外しようがないほどの距離だ。

そうだ、今度こそ的を外さないだろう。

彼にまだ、理性と慈悲の一片が残っているのなら。

俺は目をこじ開けようとした。

与えられる死のかたちを、確かめるために。

 

 

 

 

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シオマネキは、動きを止めていた。

緩衝地帯の真ん中に、彼女の姿があった。

俺が与えた防水外套は、いつの間にか脱ぎ捨てられていた。

柔らかな笑みを浮かべたまま、彼女は巨大な戦闘機械にすんなりと対峙していた。

それはまるで、はるか古代に描かれた宗教がのようだった。

なんの躊躇もなく、彼女はシオマネキに歩み寄っていく。

旧知の友人に出会ったかのような、迷いなく落ち着いた足取りだった。

シオマネキは戸惑っているように見えた。

射撃姿勢を解き、生き残りの感覚器類(センサー)を駆使して彼女のことを走査している。

金縛りから我に返るように、意識を無理矢理現実に引き戻した。

撃破する機会は今しかなかった。

水たまりに落ちていた榴弾銃を拾いあげた。

手探りで銃身を折り、最後の粘着榴弾を装填した。

地表面(グラウンドレベル)から上面装甲を狙うなら、曲射するしかない。

照準器を調整している暇などなかった。

俺は泥に尻をついたまま、砲塔までの距離を目測し、榴弾銃をなにもない空に向けた。

それから数秒のうちに、あらゆることが起こった。

二連装機銃の球形銃座(ターレット)が、なにかを決心したかのようにゆっくりと回りはじめた。

彼女は一歩一歩、シオマネキに近づいていた。

俺は引き金を絞った。

シオマネキの機銃が火を吐いた。

40ミリ榴弾頭が真っ白い煙を曳き、雨空を切り裂いて弧を描いた。

13ミリ機銃弾の火線が赤い蛇のように、水を跳ねとばしながら彼女の近づいていった。

榴弾頭が着弾した。

シオマネキの砲塔がわずかに膨らんだように見えた。

弾薬補給扉が吹き飛び、炎と煙が噴きあがった。

彼女の華奢な下半身に、炎の蛇は吸い込まれるように伸び続けていた。

そして…

 

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彼女の身体に銃弾に引き裂かれ、鳥のように宙を舞った。

 

……。

 

 

 

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雨は降り続いていた。

シオマネキは完全に沈黙した。

最期に正気に返ったかのように、長い砲身は壁の破口に向けられている。

だが、二度と火を噴くことはない。

砲塔内部で弾薬が誘爆し、めくれあがった装甲板の方々から黒煙が立ち昇っている。

この死に絶えた街のどこからでも、よく見えるだろう。

凍えるように寒く、吐く息が白かった。

広範囲に飛び散った残骸も、雨に打たれて湯気をあげている。

地面に刻まれた着弾痕を辿るように、俺は足をひきずり、彼女に近づいていった。

 

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「お客さま…お帰りなさい」

震える唇が動き、たしかに俺のことを読んだ。

「喋れるのか!?」

「はい。緊急作動用電池に切り替えました」

「お客さま…お怪我はございませんか?」

「俺が戻るまで動くなと言っただろ!」

「なぜこんな馬鹿なことをした!?」

いつも通りに、彼女はほほえんだ。

泥で汚れた指先が、かすかに震える。

破断した皮膚表面の下、黒銀色の骨格(フレーム)が痛々しく露出していた。

「暴走状態にあると思われる未登録機体に、強制停止信号を発信しましたが、受行されませんでした」

「信号出力が弱い、もしくは受信側に問題が発生していると判断し、物理操作での緊急停止を試みましたが、失敗しました」

それは、彼女の言葉であって、彼女の言葉ではなかった。

「暴走状態にある機体は、現在機能を停止していると思われます」

彼女の主記憶(メモリ)のもっとも奥底に封印され、彼女の『意志』とは無関係に語られる呪文だった。

「該当する機体からすみやかに離れ、債よりの警察機関もしくはサポートれんたーにご連絡ください」

すべてを伝えきると、彼女は安心したようにまばたきし、俺のことをあらためて見た。

「…重要命令を破ってしまい、申しわけありませんでした」

「もっと古い、約束ごとがあるものですから」

「人間に危害を加えたり、人間に危害が及ぶものを看過してはならない」

「わたしたちは、ロボットです」

「ですからこれは、忘れることのできない、約束です」

「これは守ることが、わたしたちロボットの、誇りです」

誇りだと、彼女は言った。

自らが創りだしたものさえ信じられなかった人間が、彼女に与えた『本能』のことを。

「お客さま、お怪我はございませんか?」

「お怪我はございませんか?」

「ああ、俺は大丈夫だ」

それだけを、なんとか口にした。

「本当に、よかったです」

また、彼女がほほえんだ。

「お預かりした雨具と花束は、あちらの歩道に、置いてあります」

「この道を、すこし、お戻りになれば、すぐに見つかると思います」

俺に道を示すつもりなのか、首を巡らそうとする。

その瞳が、戦闘機械の残骸をとらえた。

「彼にかわって、心よりお詫び申しあげます」

「きっと彼も、こわれていたんだと思います」

「わたしたちロボットは、人間のみなさまの、幸せのためにありますから、あのような乱暴なことは、本当はしたくなかったんだと思います」

「わたしには、わかります」

「わたしも、すこしだけ、こわれていますから…」

俺は彼女の背中に腕を入れ、そのまま抱き上げようとした。

痙攣するように、彼女が数度まばたきをした。

胸部より下は機銃弾の直撃を受けて切断され、原形をとどめていない。

様々な部品がか細いリード線につながったまま、臓腑のように散乱し、雨ざらしになっている。

ほんのすこし揺らしただけでも、彼女は二度と動かないかもしれなかった。

大声をあげたくなった。

壊れているのは、俺も同じだった。

戦闘機械(ウォーモンガー)たちの群れは、今もこの廃墟を守備している。

前衛の一両が撃破されれば、援護に殺到してくるはずだ。

今すぐにでも逃げなければならない。

それなのに、この場から離れられずにいた。

「およそ600秒で、緊急作動用電池が、残量0になります」

「バックアップ用電池が消耗しているので、その後は起動不能となります」

「メンテナンスコールを発信していますが、受行されません」

「サポートセンターは、現在通信不能です」

「緊急用サテライトコールを発信していますが、中継衛星が見つかりません」

「すこしだけ、心細いです」

おどけるように言って、それでも彼女は笑い顔をつくる。

役に立たないアンテナで、虚空に耳をそばだてる。

決して来ることのない、助けを呼ぼうとしている。

その姿は、俺には耐えがたかった。

「だれも呼ばなくていい。俺が助けてやる」

「ですが…」

「俺が直してやるから」

銃弾に咬みちぎられた胸元で、被覆の剥げたリード線に雨が当たり、青白い火花が散った。

俺の視線を辿ったのか、彼女は恥ずかしそうに言った。

「お見苦しくて、申しわけありません」

「ですが、ご安心ください」

「わたしはロボットですから、苦痛を感じることは、ありません」

「筐体を修理することもできますし、新しい筐体に、交換することもできます」

その口調も表情も、激痛に耐えているようにしか見えなかった。

俺は知っている。

彼女を修理する技術者も、彼女の望む新しい筐体も、彼女を必要とする人間さえ…

この世界から消えてなくなってひさしいことを。

彼女はほほえみ、しばらく雨を見ていた。

そしてまた、ゆっくりと俺の方を向いた。

「そのようなお顔をされては、わたしはとても、困ってしまいます」

「わたしは、ロボットです」

「お客さまの笑顔が、いちばん大切です」

「それなのに、お客さまに、失礼ばかりしています」

胸椎部モーターの音が、悲痛なあえぎのように響く。

彼女はそっと胸をそらすようにして、雨に光るネームプレートをほこらしげに俺に見せた。

「ですが、みなさん、喜んでくれます」

「『また来るね、ゆめみちゃん』と、わたしに言ってくれます」

「わたしは、みんな覚えています」

「わたしはロボットですから、覚えておくのは得意なんです」

「すこしだけ、お見せしますね…」

 

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両耳に取り付けられたレンズが、わずかな光を帯びた。

それは彼女自慢のホログラフィック録画再生装置だった。

ぼろぼろな制服の胸元に、水晶玉のような球形のスクリーンが弱々しく灯っている。

着弾でレンズの光軸がずれてしまったのだろう、ぼやけた映像がちらちらと動いているのが見えた。

『ほしのゆめみです』

『とても素敵な名前を、ありがとうございます』

耳元のスピーカーから、彼女の声が流れ出した。

俺は必死に目を凝らした。

これは…たくさんの人間だ。

投影室に並ぶ椅子のすべてに、びっしりと人が腰かけている。

そんな情景を、彼女が自分の瞳を通じて撮影しているのだ。

『いっしょうけんめいがんばりますので、どうぞよろしくお願いします』

投影室全体を震わせるように、拍手の音が響く。

続いて現れたのは、丈の長いスカートをはいた幼い少女だった。

自分の身体ほどもある、大きな花束を抱えている。

『ゆめみちゃん、はいどうぞ』

つま先立ちをして、こちらに花束を差し出してくる。

『ありがとうございます』

そしてまた、割れるような万雷の拍手。

「…わたしの、就任式です」

「全部で1263人の方々が、わたしの名前を考えてくださったんです」

「その中から、館長さんとスタッフのみなさんが、ひとつだけ、選んでくれたんです」

「それが、ほしのゆめみ、です」

「わたしは、とても気に入っています」

「ほかの1262人の方々が、つけてくださった名前も、とても気に入っています…」

球状のスクリーンがゆらぎ、少女の姿が消えた。

必死で目を凝らすと、もっと弱々しい別の映像が映りはじめた。

記念写真のように、ふたつの人影が彼女の正面に立っているらしい。

『ゆめみちゃん、きれいな星をありがとう』

『今度は友だちみんなで来るから、それまで元気でね』

続いて、恰幅のいい男性らしい人影。

『次は結婚記念日に、妻を連れてきます』

それだけ言って、頭に片手をやったのがかろうじて見てとれた。

その後も、さまざまな人間の輪郭が現れては消えていった。

『子供の頃のような、素晴らしい星空でした。来年の今日にも、きっとロボットさんに会いに来ますね』

『星のことがいろいろわかって、おもしろかったです。夏休みの自由研究には、ゆめみちゃんのことを書こうと思います』

『えっと、メチャメチャきれいで、すっごく感動しました。絶対また来ます』

『子供が途中で泣いちゃって、ごめんなさいね。ほら、ロボットのおねえさんにごめんなさいは?』

『ゆめみちゃん、だーいすきっ!』

だれもが彼女に礼を言い、彼女に笑いかけていた。

だれもが『必ずまた来る』と、心から彼女に約束していた。

『ありがとうございます。またのお越しを心よりお待ちしています』

客の年齢や性別に関わりなく、彼女は必ずそう答え、深々と頭を下げていた。

だから、映像の継ぎ目はすべて、床の大写しで終わっていた。

すべてが彼女の大切な記憶だった。

世界がまだ正しく動き、人々が星にあこがれていた頃の、狂おしい幻影だった。

また映像が揺らぎ、次に切り替わった。

背景はプラネタリウムの受け付けらしい場所。

彼女はすこし腰をかがめているらしい。

ふたつのちいさな人影と向かいあっている。

 

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『おとうさんとおかあさんのほしは、どこ?』

ごく幼い少女らしい影は、一心にこちらを覗き込むようにしている。

『おたずねの星の、正式な名前の座標は、おわかりになりますか?』

『えっとね…』

『おとうさんとおかあさんのほし』

少女はそれきり黙ってしまった。

『お父さんとお母さんの星はまだ新しいから、ゆめみちゃんも知らないんだよ』

かたわらのすこし大きな影が、かばうように答えた。

おそらく、少女の兄なのだろう。

『ゆめみちゃん、そうだよね?』

『はい。超新星や彗星などが出現した場合は、わたしのデータベースにはすぐには反映されない場合があります』

『まことに申しわけありません』

彼女はまた丁寧に頭を下げる。

『あのね、おとうさんとおかあさんは、まれねたりくすではたらいてるんだよ』

『マレネクタリスだよ、ネタリクスじゃなくて』

『そうですか。とても立派なお仕事ですね』

『この前の事故で、ふたりとも死んじゃったんだけど…』

幼い兄は、それきり黙ってしまう。

手を差し伸べたいのに、どうしても身体が動かせない。

そんな狂おしい感覚を、俺は味わっていた。

俺にはわかった。

これは30年前の夏に録られた映像だ。

ホログラフィックの中で、幼い兄妹は本当の悲劇を知らされずにいる。

第二月面港(マレ・ネクタリス)制圧作戦は、当初は発電炉の事故と発表された。

数千人の人間が一瞬で蒸発し、真実は厳しく隠蔽された。

だがそれさえも、序章にすぎなかった。

そのわずか一ヶ月後に、戦禍の爪は地球をも引き裂いたのだ…

『あのねあのね、おとうさんとおかあさんは、おほしさまになったんだよ』

『だから、おにいちゃんと、ここに見にきたの』

『そうなんですか。今日は、ご満足いただけましたか?』

『うんっ。とってもきれいだった』

『いつでも見に来てくださいね。イエナさんはとてもすばらしい性能ですから、いつでもきれいな星をお見せできます

『お父さんとお母さんの星につきましても、きちんと調べておきますので』

『うん。この次はおじさんに言って、ちゃんとお金もらってくる』

『ゆめみちゃん、またねぇ』

『はい、ありがとうございます。またのお越しを心よりお待ちしています』

彼女の右耳で、かちりと音がした

幼い兄弟の姿が水にゆらぐように消え、映像が切り替わった。

投影室だった。

薄暗い背景に、斜めになった投影機の影が見える。

 

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五、六人の大人が、彼女の周りをかこんでいる。

みな、片手になにかを持っている。

戦前に一般支給されていた、粗雑な防毒面体(マスク)だと気づいた。

『館長さん、ただ今イエナさんに異常があるようです』

彼女の声が言った。

南天および北天の恒星電球がとりつけられていません』

『次回の投影まで、あと22分ですので、早急な対処が必要と考えます』

『大丈夫だよ、ゆめみ。なにも心配することはない』

彼女に正対していた、中年の男らしい人影が答えた。

まるで、自分自身に言い聞かせているかのような声音だった。

『ゆめみちゃん、よく聞いてね』

別の声が言った。

若い女のようだった。

『わたしたちね、しばらくみんなで…旅行に行くことになったの』

『はい、ご旅行ですか。それはすばらしいですね』

『それでね、ゆめみちゃんには留守番をお願いしたいの』

『わたしたちが帰ってくるまで、ここで待っていてほしいの』

ホログラフィック装置のちいさなスピーカーを通してさえ、声が震えているのがわかった。

『わかりました』

『みなさんがお戻りになるのはいつでしょう?』

普段とまったく変わることなく、彼女は訊ねた。

しばらくの沈黙があって、別の声が答えた。

『まだわからないの』

映像がほんのすこし斜めになった。

いつものように、彼女が小首をかしげたのだろう。

『それでは、みなさんの休暇は、無期限ということですか?』

『そうね…ううん、長くなるかもしれないし、すぐに帰ってくるかもしれない』

『ご旅行先はどちらでしょう? きっととても楽しいところなのですね』

きっと彼女は、いつものようにほほえみながら聞いたのだろう。

押し黙ってしまった全員を代表するように、館長と呼ばれた紳士が口を開いた。

『いいかい? ゆめみ』

『私たちは、必ず戻ってくる』

『だれひとり欠けることなく、必ずここに戻ってくる』

『その時はまた、一緒に働いてくれ』

『はい、館長さん』

彼女ははっきりと答えた。

『ゆめみちゃん、またね…』

『またな、ゆめみ』

『必ずまた会えるから、待っててね。ゆめみ』

『ゆめみちゃん……』

最後のひとりが、なにかを言いかけて絶句した。

マスクを床に放り出し、彼女に取りすがった。

『こんなのおかしいよっ…まちがってる、まちがってるよ』

『だって…おいていけないよ…ゆめみちゃんをおいてくなんてっ…そんなの、そんなのっ、できるわけないよぉ…』

『だってゆめみちゃん、わたしたちの仲間だよ? 友だちだよ? わたしたちの中で、いちばん働き者なんだよ?』

『わたしたちと、ゆめみちゃん、なんにもちがわないよっ。ゆめみちゃん、こんなところっ…おいていけるわけないよぉ…』

『わたしはロボットです』

『わたしには休暇は必要ありません』

『ですが、みなさんには休暇は必要だと考えます』

『ゆめみちゃんっ…』

涙で顔をぐしゃぐしゃにして、そのまま泣き崩れる。

『…ごめんね、ゆめみちゃん、こんなところに、ひとりぼっちで……』

『ごめんね、ごめんねっ…』

身体を振り絞るような、張り裂けるような嗚咽の声。

それは渦のように大きくなり、その場の全員を取り込んでいった。

そうだ。

この映像は、細菌弾頭が市街に着弾した直後のものだ。

彼らは一刻も早く、身ひとつでこの街を脱出しなければならない。

備品の類はなにひとつ、持ち出すことを許されなかったのだ…

『みなさんは、なぜお泣きになっているのでしょう?』

『わたしは、またなにか、粗相をしてしまったでしょうか?』

『重大なまちがいをしてしまったでしょうか?』

『だとしたら、本当に本当に、申しわけありません』

『ゆめみちゃん、ちがうの…ちがうの。ただね…』

別の落ちついた声音が、涙を抑えながら、彼女にやさしく伝える。

『一緒にいけたらいいのにって』

『ゆめみちゃんと一緒にいけたら…きっと楽しいのになって』

『そんな風にね…』

そして同じように、涙で声を詰まらせる。

『わたしのことでしたら、どうぞお気遣いなく』

普段とまったく変わらない口調で、彼女はほがらかに答える。

『わたしは、いつまでも待てますから。イエナさんと一緒に、いつまでも待てますから』

『どうぞ、留守はわたしにお任せください。粗相のないように、いっしょうけんめいがんばります』

『みなさん、どうぞ楽しいご旅行を』

 

……。

 

 

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「29年と、71日前の、記録です」

「当館の初投影以来、44年と138日が経過しています」

「もうすぐ、250万人目のお客さまを、お迎えするんです」

「当デパートの1階に、生花売場が、あるんです」

「いちばん、きれいな花束を、注文しないと、いけません…」

声量が落ち、言葉が途切れ途切れになっているのがわかった。

泥で汚れた制服の胸元を、ひっそりと雨が濡らしていた。

「お客さま、お話しして、いいですか?」

「ああ、なんだ?」

「お客さまが、いらっしゃるまで、わたしは、何度も考えました」

「館長さんや、スタッフのみなさんは、いつ戻ってくるんだろう?」

「次のお客さまは、いついらっしゃるんだろう?」

「何度もそう考えました」

「するといつも、同じ結論が出ます」

「人間のみなさまはもう、戻ってこないという、結論です」

「でも、そんなはずはありません」

「きっとわたしは、こわれているのだと考えました」

「自己診断プログラムを実行して、異常を探しました」

「でも、異常はどこにも見つかりませんでした」

「きっと、自己診断プログラムに、未知のバグがあるのだと、考えました」

しばらく押し黙り、また雨に瞳の焦点を合わせる。

「お客さまがいらっしゃった時、わたしは、本当にうれしかったです」

「やっぱりわたしは、まちがっていたんだ」

「お客さまはわたしのことを、忘れてはいなかったんだ」

「そう考えて、本当にうれしかったです」

「でも、ちがったんですね」

頸椎部モーターが濁った音を立てて、わずかに彼女の首が動く。

「わたしは、こわれてなくて、こわれていたのは…」

光学樹脂(オプティックアクリル)の瞳が、世界を映す。

陰鬱な空。

水びたしの大地。

人影のたえた廃墟。

「どうして、こわれてしまったのでしょう…」

雨は、今も止みそうになかった。

なにも答えられずにいる俺に、彼女はそっと笑いかけた。

「もう一度だけ、記録可能です」

「お客さま」

「当館に、お越しになった記念に、ぜひ、一言どうぞ…」

覗き込む俺に、まっすぐな瞳を向けた。

今なら、俺にもわかる。

だれ一人、だれ一人として、真実を伝えることなどできはしなかったのだ。

このちっぽけな、少女のかたちをしたロボットに。

人により創りだされ、人のためだけに尽くす、このちいさな存在に。

「いいか? よく聞け」

「はい…」

「本当のことを言うとな、俺はおまえを迎えに来たんだ」

「…と、申しますと?」

ほんのすこしだけ、俺に首をかしげてみせる。

「あの壁のむこうにな、おまえの新しい職場がある」

立ちふさがる封鎖壁を、俺は指さした。

壁のむこうに見渡すかぎり続く、無人の、水びたしの荒地を指さした。

「おまえの相棒の投影機も、おまえの同僚も、みんなそこで待っている」

「客も満員で、おまえを待っている」

「おまえの解説を、みんな楽しみにしている」

「おまえは今日から、そこで働くんだ」

「いつまでも、おまえの好きなだけ働くことができるんだ」

雨は降り続いていた。

彼女は、なにも答えなかった。

最後の力を振り絞るように、瞳をほんのわずか細めて、俺の指さした先を見つめた。

そして、こう囁いた。

「それはまるで、天国のようですね…」

「ああ」

俺は頷いた。

「ああ、そうだな…」

俺をゆったりと見守りながら、彼女はまた、しばらく黙りこんでいた。

人工の瞳は、俺の背後にある何物かを透かし見るかのように、ちいさく震えていた。

「…お客さま」

「わたしのお願いを、聞いていただけますか?」

「ああ、なんだ?」

「わたしの、イヤレシーバーの後ろ側に、スロットがあります」

「わたしのメモリーカードが、挿入されています」

「わたしの記憶は、すべて、それに記録されています」

「全部が、素晴らしい、思い出ばかりです」

「それを、新しい職場に、届けていただけますか?」

「新しい筐体を、用意していただければ、わたしはその日から、業務をはじめられます」

「わたしは、いつまでも、人間のみなさまのために、はたらくことが、できます」

「ですから…」

「本当のことを、申しますと…」

「わたしには、天国は、必要ないんです」

そう言って、ただ無邪気に笑う。

「ですが、もしも、どうしても…」

「わたしを、天国に、召されるのでしたら…」

「お客さま…どうか、お願いです」

「天国をふたつに、わけないでください」

「ロボットと、人間の、ふたつに、わけないでください」

「わたしは、いつまでも…いつまでも…」

「人間の、みなさまの…」

「わかった」

「俺が届けてやる」

俺は答えた。

彼女は黙っていた。

数秒の沈黙が、今は永遠にさえ思えた。

「…はい」

「ありがとう、ございます」

「とても…うれしいです」

瞼が小刻みに震え、もう一度瞳が見開かれた。

目を閉じることができないのだろう。

「お客さま?…」

「…どちらに、おいででしょう?」

首を巡らそうとするが、もうそれも叶わない。

「お客さま…」

「そちらに、いらっしゃいますか?…」

瞳は焦点を結ぶことすらできなくなっている。

「…どうしてでしょう?」

「わたしはやはり…こわれている、みたいです」

「わたしは、廉価版なので、涙は、流せないのですが…」

「もしも、機能が、搭載されて、いたら…」

「きっと、泣いていると、思います」

「涙が、とまらないと、思います」

「わたしは、とても、うれしいのに…」

「しあわせな、気持ちで、いっぱいなのに…」

「どうして…でしょう?」

「わたしは、こわれている、みたいです…」

眼窩(がんか)にたまった雨があふれ、両の目尻から絶え間なく流れはじめる。

まるで、泣いているように見えた。

「お客さま…」

「わたしは…雨の日が、とても好きなんです」

「雨の日は、お客さまが…たくさん、来てくれます」

「いつ、お客さまが、来てもいいように、万全の体勢で…」

「お迎え、しなければなりません…」

 

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プラネタリウムはいかがでしょう?

 

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どんな時も、決して、消えることのない…
美しい、無窮のきらめき…

 

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満点の星々が、みなさまを、お待ちしています…

 

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プラネタリウムは、いかがでしょう?

どんな時も、決して、消えることのない…
美しい、無窮のきらめき…

満点の星々が、みなさまを、お待ちしています…

 

 

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プラネタリウムは…いかがでしょう?…」

「どんな時も…決して…」

「消える…」

「ことの、ない………」

「美しい……」

 

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かるく唇を開けたまま、潤んだ瞳にうっすらと笑みを浮かべながら。

彼女は動かなくなった。

彼女は大好きな雨を見ていた。

いつまでも飽きることなく、幸せそうに見つめていた。

凍えるような雨が降っていた。

彼女の濡れた髪を指先で分け、耳元を探った。

スロットは解放され、樹脂製のカードの先が控えめに突きだしていた。

最期の瞬間に、彼女が自らロックを解いたのだろう。

メモリーカードを、スロットから注意深く引き出した。

それから、彼女の上半身を泥の中にそっと横たえた。

メモリーカードは煙草の薄箱ほどの大きさで、ほんのりと温かかった。

俺の手のひらの中で、それはゆっくりと熱を失っていた。

防水外套の内懐から、空のままの防水ケースを取り出した。

メモリーカードをその中に入れ、しっかりと蓋を閉じた。

雨音の隙間をふさぐように、いくつかの方向から駆動の音が聞こえてくる。

掃討戦車がこちらに近づいてくる音だ。

 

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果ての見えない雨空を仰いだ。

そして、榴弾銃を水たまりに放った。

これから向かうところに、そんなものはもう必要なかった。

雨は、今も降り続いていた。

懐(ふところ)には、彼女の心があった。

俺は歩きはじめた。

星はどこにあるだろう?

どこに行けば、星が見えるだろう?

壊れた世界のただ中で、俺はそんなことを考え続けていた。

 

……。

 

 

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END