ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

Steins;Gate【2】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

●公式サイト●

steinsgate.jp

 

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「おい、そこの貴様。俺たちが見えているか?……なぜなにも答えない。貴様に聞いているんだぞ? モニターのそっち側にいる、貴様にだ。ふん。間抜け面をしおって。つまらんヤツだ。貴様からだと、俺たちはテレビのモニタの中にいるように見えるだろうな。ククク、だがそれは大きな間違いだ。モニタの中にいるのは貴様なのだよ。貴様が現実だと思っているその世界は、実はすべて虚構。もちろん貴様自身もな。真の現実、それはこちら側にある。自分がなにを指摘されているのかすら分かっていないか。無理もない。まあいい。貴様には分かりやすく、俺たちのことについて説明してやろうではないか。まず、俺たちがいるのはどこかということだ。ここは東京、秋葉原にある、未来ガジェット研究所だ。俺たちは普段“ラボ”と呼んでいる。世界の支配構造を作り替えるという我が野望の拠点だな。」

「そうなんだー。悪いことしちゃダメなんだよ、オカリン」

「まゆりは少し黙っていろ。駅から出たら中央通りを進み、末広町駅の交差点を蔵前橋通りへ左折。次の信号の一歩手前の路地を入ると、大檜山ビルという古くさい雑居ビルがある。その2階に我がラボは居を構えている。目印は、ビル1階にある『ブラウン管工房』というマニアックなテナントだな。今どき、旧式のブラウン管テレビだけを扱っているショップだ。いかに電気街である秋葉原と言えども需要があるとは思えない、寂れた店なのだ。だが『ブラウン管工房』店長である天王寺というおっさんは、このビルのオーナーでもある。故に、今や急ピッチで都市開発が進み、地価も高騰してるこの秋葉原であろうと、道楽丸出しの店を構えていられるというわけだ。幸いにもあの店長は、人を見る目はあるようでな。この俺のカリスマ性を見抜き、ビル2階をまるまるワンフロア、タダ同然で貸してくれたのだ。フゥーハハハ!だが未来ガジェット研究所は深刻な人材不足のため、優秀な研究員を随時募集中だ。今のところ、所属研究員は——」

「オカリンオカリン、そこは“ラボメン”って言わなきゃー。所属研究員じゃなくて」

「……ラボメン、すなわちラボラトリーメンバーは、俺を含めて3人である。ラボメンナンバー001、ラボ創設者にして凶器のマッドサイエンティストであるこの俺、鳳凰院凶真」

「オカリンって呼び方の方がかわいいのにー」

「そしてコスプレが趣味の紅一点、ラボメンナンバー002、椎名まゆり」

「トゥットゥルー♪ まゆしぃでーす。着るんじゃなくて作るのが趣味だよ」

「最後にスーパーハカー、ラボメンナンバー003、橋田至だ」

「スーパーハカーって呼ぶなよぅ。スーパーハッカーだろ常考

「そんな我々3人で構成される未来ガジェット研究所の活動内容は、そのものずばり“発明”である。詳細は我がラボのホームページを見てくれ。もちろん闇の支配権力と戦うための未来ガジェットが最優先事項だが、その研究から派生する副産物的な発明も多い。というか今のところはそっちばかりだ。すでに我々は8つの未来ガジェットを完成させた。だがこれはまだ序章でしかない。未来ガジェットのアイデアは、俺の中に108まであるのだ」

「某テニスマンガみたいにですね、分かります」

「人の煩悩の数と言え、この@ちゃんねる脳め。それと、俺が話しているのだから口出しをするなと言っているだろう」

「そもそもオカリン、さっきからなんで独り言喋ってんの?」

「独り言ではない。見て分からないのか。俺は今、モニタの向こうにいるこいつに話しかけているのだ」

「あ、今その人、ニヤリって笑ったー」

「おのれ貴様、なにを笑っているのか! モニタの中の存在のくせに!」

「こっち見んな、って言ってやれば?」

「通じないんじゃないかなー?」

「俺たちに話しかけられていることにすら、気付いていないらしいな。自覚がないというのは、実に不幸なことだ」

「その人にしてみたら、まゆしぃたちがゲームみたいに見えてるのかなー?」

「そいつには、現実なのかゲームなのかっていう発想さえないんじゃね?」

「んじゃ、ダルくんの大好きな2次元の女の子たちもそうなのー?」

「それは別。あの子たちは僕の嫁だから」

「ダルの嫁の話はどうでもいい」

「でもさ、まゆ氏の言ったことって興味深いテーマじゃん。もし仮に僕たちがゲームの中の住人だとしたら、それを見極める術はあると思う?」

「ないな」

「即答かよ」

「故に、そのような議論は不毛。世界の支配構造を打ち砕く方法について考える方が、よほど有意義だ」

中二病 乙」

 




ダルの言葉に、俺はのぞき込んでいたモニタから顔を上げた。




モニタには、アルパカをモチーフにしてデザインされた『アルパカマン』というキモカワイイキャラクターがたたずんでいる。

付属のマイクで話しかけると返事をしてくれる『アルパカマン2』というインタラクティブゲームだ。

10年ほど前の発売当時は爆発的に流行ったものだが、俺からしてみればキモカワイイというより単純に気持ち悪い。

ヘッドセットを含めて中古で500円だったので、昨日買ってきた。

 




俺はダルの方を振り返り、威圧感を与えるように目を細めた。

「黙れスーパーハカー。俺は中二病ではない」

ここで前髪をわざとらしくかき上げ、少し言葉をタメる。

鳳凰院……凶真だっ!」

「そういう“設定”っしょ?」

「やれやれ。ダルの、人とのコミュニケーションの取れなさは、どれだけ経っても治らないな」

「アニメのオフ会じゃ、僕がいつも場を盛り上げてるっつーの」

偏屈そうなメガネデブ男、俺の戦友にして片腕である橋田至。通称はダル。

日がな1日、だるそうにPCに向かっているオタク青年である。

2次元の嫁を持ちながら3次元メイドに浮気するなど、趣味の方向性に多少難ありだが。萌え関連ならなんでもいいらしい。

腕は確かで、ハードウェアよりソフトウェアの方が得意だとうそぶきつつも、俺のアイデアを実際に形にしてくれる非常に頼りになる男である。

「あう……。針、指に刺さった……」

 

一方、涙目になって自分の指を舐めている椎名まゆり16歳。泣く子も黙る女子高生。

一応こいつもオタクだ。濃さで言えばダルにも大幅に劣るが。

この能天気幼なじみは、未来ガジェット研究所の“コス作り担当(ただし女性用コス限定)”であり、今日もマイペースにせっせとアニメキャラのコスを自作している。

器用なのか不器用なのかよく分からないキャラクターなのだ。

なぜ未来ガジェット研究所に、アニメキャラのコス(女性用限定)が必要なのか?

あえて言おう。全然まったくそんなものは必要としていない。

要するにまゆりは、ラボにとってはまったくの役立たずなわけだ。

けれど俺はそんなまゆりを追い出すつもりなど毛頭なかった。

なにしろ俺が設立した未来ガジェット研究所の門戸を最初に叩いたのは、他ならぬこの子だったからだ。

今でも、まゆりが初めてこのラボにやって来た春の日のことは、はっきり覚えている。まゆりは俺に、こう言ったのだ。

 

 


「まゆしぃはオカリンの人質だから、ここにいようと思いまーす」

 

 

 




うむ、実に意味不明。

けれど俺にとってはその申し出は救いだった。

“機関”に追われ孤独だった俺の、壮大な計画に付き合ってくれる、初めての仲間が現れたのだから。

俺はその恩を忘れない。

まゆりは役立たずでもいい。ただここにいるだけでノープロブレムなのだ。

 

「で、オカリン。アルパカマンは反応したん?」

「いや、全然」

 




バグでも起きているんじゃないかと思うくらい、モニタの中の人面アルパカは無反応だった。あれだけ一生懸命話しかけてやったのに、なんという恩知らずだ。

というかもう飽きた。

面白いとも言えない。

二度とこのゲームを起動することはないだろう。

 

「この無愛想アルパカめが」

 

悪態をつきつつ、テレビの上部を軽く叩いた。

すると——

「ん?」

テレビからショートするような音がして、いきなり画面が真っ暗になった。

チャンネルを変えてみても、電源を入れ直してみても、何度か叩いてみたりしても、うんともすんとも言わない。

完全な沈黙。

壊れた……ようだ。

これは階下のブラウン管工房からタダで譲ってもらったオンボロテレビ。

もしかしたら寿命が来たのかもしれない。

 




「きっとね、アルパカさんが、怒っちゃったんだよー」

「くっ。後で修理できるか聞きに行かなければ」




俺はテレビを消すとソファに横になった。

日本の夏の蒸し暑さにうんざりする。うちわを扇ぎつつ、染みが目立つ天井をしばらく眺めた。




目を閉じてみる。

自然と脳裏に浮かんできたのは、1時間前に見た超常的な光景だった——

 




「消えた……」


ラジ管を出た俺が見たのは、アキバを歩いていたすべての人間が一瞬にして目の前から“消失”するという現象だった。

歩行者だけじゃない。

アニメショップやら電気店、さらには牛丼のチェーン店などの店員や客、中央通りを走っていた車も含めて、俺の視界に移るありとあらゆる場所から、人が、消えた。

しかもまさに一瞬。

まばたきをするくらいの、刹那の出来事だった。

後に残ったのは、昼間なのに無人と化したアキバの街並み。

家電量販店の店頭から聞こえてくる、その店オリジナルのBGM。耳に残りやすい単純明快なメロディだけが、無人の街に響いていた。

陽炎のようにアスファルトがゆらゆら揺れて見えるほどの蒸し暑さだと言うのに、その光景には薄ら寒さを覚えたほどだ。

俺はただ息を呑み、その場に立ち尽くしていて——

「どうかしたー?」

背後からの声で、ようやく我に返った。




まゆりは、消えていなかった。

ちゃんとそこにいた。

しかも、不思議そうな目で俺を見ていた。

「今っ、ひ、人がっ、消えたよな!?」

「???」

「消えただろう!? 今、目の前で!」

ようやく自分の脳で状況を理解できるようになった俺は、途端にパニックになった。

だからまゆりに駆け寄り、その華奢な肩をつかんで少し乱暴に揺さぶった。

 




「まゆりも見たか!? 見たよな!?」

「ん~あ~?」

俺が身体を揺することで、まゆりは首をがくんがくんと上下に振っている。

「見~て~ない~」

「見て、ない……?」

 


揺するのをやめ、今度はじっとその目をのぞき込んだ。

まゆりも、ビー玉のように澄んだ瞳で見つめ返してくる。

「見ていない? 見ていないのか? だってついさっきまで、ここにはたくさんの人たちが歩いていたんだぞ!?」

「……歩いてたかなあ?」

「それに店員まで消えている! こんなことはいくらなんでも有り得ない!」

「ん-。それは仕方ないと思うよー」

仕方ないとはどういう意味だ?

「とにかくね、最初からこの辺には、誰もいなかったよー。あ、そっかー、オカリンは幻を見てたんだね。きっと、この暑さのせいだよー♪ トゥットゥルー♪」

……なぜこの状況で笑っていられるんだ!?

まゆりは前々から変なヤツだと思っていたが、もしかして本当に頭のネジが何本か外れてしまっていたのか。

 




とにかくまゆりを頼りにするのはやめた方がよさそうだ。

俺は途方に暮れて天を仰いだ。

ビルとビルの隙間には、夏特有の、高く澄み渡った青い空。

そして、強烈な日差しを放つ太陽。

自然と、視線はさっきまで俺たちがいたラジ管の屋上へと向かってしまう。

 




人工衛星のような巨大な危機が墜落している。

あそこで、つい数分前、牧瀬紅莉栖が刺された。

そう言えば彼女はどうなっただろう。

誰か、救急車を呼んだだろうか?

集団消失が起こる直前まではサイレンの音が響いていた気がしたが、今はもう聞こえない。

いまだに牧瀬紅莉栖はあの狭く薄暗い通路で、ひとり、血まみれで倒れているのだろうか。

いや、それも気になるが——

「……そもそも、あの人工衛星は、いったいなんだ?」

人工衛星

ドクター中鉢の発表会が始まる直前、爆発によるものらしき揺れがあった。屋上の防火扉の鍵は壊されていて、そこには人工衛星状の大きな危機が置かれ、煙と燐光が立ちこめていた。

俺が見たとき、その機器はお行儀よく屋上にきちんと“置かれていた”のに。

今、見上げている景色においては、違っていた。

それは、ビルの壁を破壊し、突き刺さるようにして静止していた。

あの場所に突き刺さっているということは、ちょうどドクター中鉢が会見をしたイベントスペースに直撃しているだろう。

人工衛星が宇宙空間から大気圏に突入し、燃え尽きずにアキバに墜落してきた”

この光景だけを見れば、誰もがそう思うはずだ。

しかし——

それはいったい、いつ起きた話だ?

 




「まゆり、あの人工衛星だが……」

「うん、びっくりしたね~」

「びっくりした、だと? なにがびっくりしたのだ?」

「ドカーンってすごい音がしたもん」

すごい音……。

確かに音はした。

だが俺が聞いたのは“ドカーン”ではなかった気がする。

どちらかと言うと“ズズーン”とかそんな感じだった。

さながら地震による地鳴りのような。

「あの人工衛星は、堕ちてきたのか?」

「きたのかなー? 宇宙人さん乗ってるのかなー?」

「…………」

俺は、おかしくなってしまったんだろうか。

俺の見たものと、まゆりの見たものが、噛み合わない。

わけの分からないことが立て続けに起きすぎている。それらはいずれもリアルさに欠けていて、故にすべて幻だったのではないかとさえ思えてしまう。

「そこの君たち!」

ここで、俺とまゆり以外の人物が突如出現した。

小走りに駆け寄ってきたのは、がっしりとした身体つきで30代ぐらいの制服警官だった。その顔には緊張感をみなぎらせている。

「ここでなにをやっているんだ。ここらは今、立ち入り禁止だ。すぐに出て行きなさい」

「ごめんなさい~」

「それより制服警官さん、仮に貴方を警官Aと名付けるが、1つ聞きたいことがあるんです……!」

「警官Aって……」

「今ここで数千人の通行人が一瞬で消えたんです! 貴方も見ましたよね!?」

「見ていない。いいから早く出ていけ」

こいつも、見ていないと言うのか……。

ますます自分の記憶に確信が持てなくなっていく。

それならばと、ラジ館で牧瀬紅莉栖という少女が刺されたことを伝え、救急車を呼ぶように頼むと——

「さっきからなにをバカなことばかり言っているんだ」

警官は呆れたように吐き捨てて、俺の二の腕を強くつかんできた。

そして、はっきりとこう断言した。

“ラジ館で刺された少女などいない”

少女などいない? なぜそう言い切れる?

いまだ状況を整理できていない俺を連れて、警官は強引に歩き出していた——


……。


……あの後、俺とまゆりはUPXの方まで警官に無理矢理連れていかれて、そこで解放された。

UPX周辺には、普通に人がいた。

というか、人だかりができていた。

警官Aが言った通り、中央通りは警察により封鎖されていて、誰も立ち入れなかったのだ。

 




それからこのラボに戻ってきて、今に至る。

狐につままれたような気分。

ラジ館へ行き、ドクター中鉢の発表会が始まってからの1時間ほどは、果たして本当に現実だったのだろうか。

ニュースやネットはチェックした。

確かに、ラジ館に謎の物体が墜落したというニュースが話題になっていた。

テレビの在京キー局はすべて——あの東テレまでもが——こんな昼間から報道特別番組に切り替え、アキバの様子を生中継している。

幸いにも墜落による犠牲者はいなかったようだが、中央通りの規制はいまだに解かれていない。

マスコミと野次馬が、秋葉原駅でごった返しているようだ。

アキバの路上から数千人が一瞬で消失したことや、牧瀬紅莉栖が刺されたことは、誰も触れていない。

実にミステリーだ。

……ミステリー?

「そうか……そういうことか……!」

俺はニヤリと笑うと、ソファから勢いよく立ち上がった。

 




ダルとまゆりが、何事かと目を丸くして、俺を見ている。




「これもすべて、“機関”の隠蔽工作ということだな! 警察にすら圧力をかけられるということは、この国の中枢ももはやヤツらの手の内にあるということ……くっ、なんということだ! だが俺の目はごまかせんぞ。いつか必ずヤツらの所業を暴き、その支配構造に終止符を打ってやる……!」

納得の行く結論に満足して、俺は冷蔵庫からドクターペッパーを取り出し、ペットボトルのままぐいっとあおった。

このラボにはクーラーがない。あるのは小さな卓上扇風機が1台だけ。

だからキンキンに冷えたドリンクは欠かせない。

「頭脳労働の後のドクターペッパーは相変わらず最高にうまいな」

 

 

 

 




「コーラの方がよくね?」

「オカリンは本当にドクターペッパーさんが大好きだよねー」

「この知的飲料の良さが分からないヤツは、人生の5分の1を損しているぞ! フゥーハハハ!」

 




ラボの中央を仕切っているカーテンを開くと、その奥は未来ガジェット研究所の心臓部にして超トップシークレットエリア、関係者以外立ち入り禁止区画の開発室である。

文字通り未来ガジェットを開発する部屋だ。

ラボは部屋の区切りが元々なかったため、仕方なくカーテンで無理矢理仕切っているというわけだ。

この貧乏くさいところは個人的にはまったく気に入らないのだが、現実的な話をすると、資金は雀の涙ほどもないため贅沢は言えないのだ。

まあ、大切なのは金ではなく、野心の強さなのだよ。

というわけで俺はダルを促して開発室に入った。

 


こちらの窓はすべてガムテープで目張りをしているので薄暗い。

それに暑い。サウナにでもいる気分だ。

本気で冷房を買うべきかと、いつも思う。資金提供者はいつでも募集中。

開発室に足を踏み入れるなり、俺はイスの背に無造作に引っかけてあった白衣を羽織った。

開発室では必ずこの白衣を着ることにしていた。それは儀式的な意味合いもある。

だがダルはこんな俺の習慣に否定的だ。

着たり脱いだりするのが面倒らしい。自分が興味のあること以外は、とことん面倒くさがるのだ。こういう男がいるから、ゆとり世代だなんだと揶揄されると言うのに。

俺がダルのためにポケットマネーで買ってきた白衣は、一度も着られることがないまま棚の上に放置されていた。そして今後も使われることはないだろう。俺の3000円を返せ。

「ダル。計画は順調に推移しているか」

「え、計画ってなんぞ?」

ダルはきょとんとしている。

俺はため息をつき、テーブルの方へと顎をしゃくった。

 




開発室のど真ん中に置かれたテーブル。その上には、1台の業務用電子レンジが鎮座していた。最近のものより明らかにデカいし角張っている。

「計画は計画だ。8号機の調整以外になにがあると言うのか」

「ああ、そのこと。いきなり計画とか言うから、何事かと思った」

「そろそろお前との付き合いも3年半ほどになる」

こいつとは同じ高校だったのだ。そして今も、同じ大学に通っている。腐れ縁、ということになるな。ラボメンになったのはわずか2ヶ月前だが。

「高2のときはクラス別でほとんど喋んなかったじゃん。だから実質、2年半じゃね?」


「細かいことはどうでもいい。それほどの付き合いの長さなのだから、いい加減俺の会話についてこられるようになってくれ」

「そ れ は 無 理」

「…………」

微妙な沈黙が流れた。

くそう。司令官と副官の“思わせぶりで意味深に聞こえる会話”をするのが夢なのに。

「それで、8号機の不調の原因究明は進んだか?」

「いや、まだ」

 

 




未来ガジェット研究所ではこれまでに、合計で8つの発明品を完成させた。

ラボの本来の研究目的は、さっきアルパカマンに語った通り、“機関”をはじめとする闇の支配権力と戦うためのアイテムを作り上げることだ。

そちらの方の発明は、今のところ1つとして完成していない。それどころか具体的になにを作ればいいのかという取っかかりすら見つけられていない状態だ。

一方で、その研究の副産物として、独創的にして未来的なガジェットの開発には成功していた。

大発明のほとんどは、なんらかの研究中に起こる偶然の産物であるという法則こそ真理だと俺は考えていた。いわゆる
セレンディピティというヤツである。

これまでに作ったものは計8つ。

ここで、栄えある未来ガジェットを順に挙げていこう。

1号機『ビット粒子砲』。

2号機『タケコプカメラー』

3号機『もしかしてオラオラですかーッ!?』。

4号機『モアッド・スネーク』。

5号機『またつまらぬ物を繋げてしまったby五右衛門』。

6号機『サイリウム・セーバー』。

7号機『攻殻機動迷彩ボール』。

いずれもダルが作ったwebサイトにて公開しているから、マッドサイエンティストによるひらめきの産物をとくと目に焼き付けておけ。

 




で、今問題になっているのが、未来ガジェット8号機『電話レンジ(仮)』だ。

実にセンスの欠片もないネーミングであるが、一応(仮)なので、今後、より洗練された名前に変更される予定だ。ちなみに『電話レンジ』と命名したのは、俺ではなくまゆりである。

毎回、未来ガジェットの命名は3人の議論で決める。

俺はもっとルビとか使いまくりの、ファンタジーっぽい名前を付けたいのだが。

ダルは“考えるのが面倒くさい”という、ロマンも欠片もない考え方だし。

まゆりは“簡単な名前じゃないと覚えられない”という、おバカ丸出しの意見をしてくれるのだ。

というわけで、ネーミングについてはいつも意見が割れてしまう。

まあ名前の件は置いといて。

この『電話レンジ(仮)』は、電子レンジにケータイ電話をつなげることで、電子レンジの遠隔操作が可能になるという夢の発明品だ。

出かける前にコンビニ弁当を電子レンジに入れておき、家に帰るとき事前にケータイから遠隔操作をすれば、なんと家に到着したときにはコンビニ弁当の温めが完了しているのだ。

……要するに使い道のまるでない駄作なのだが。

数日前、この電話レンジ(仮)には意図していない妙な機能があることを発見した。

きっかけはまるで、あの能天気少女は建気にも、この電話レンジ(仮)の遠隔操作機能を使って冷凍からあげを温めるのを日課にしていた。

というわけで、いつものようにまゆりが大好物の冷凍からあげ『ジューシーからあげナンバーワン』を解凍しようとしたところ、予想外な出来事が起きた。

結論から言うと、解凍しようとしたからあげは逆に“冷凍”されていたのだ。

ちなみに、そのとき電話レンジ(仮)に入れた冷凍からあげは、ほぼ自然解凍状態にあった、ということを明記しておく。

そのからあげを温めようとしたところ、逆にカチンコチンになっていたというわけだ。

それ以来、俺とダルで原因を究明中なのだが……。

「まゆ氏がやった状況を再現して何度も実験したけど、冷凍できたりできなかったりだし」

「バナナを冷凍してみようとしたら、さらにヘンテコなことになったし」

「さっぱり分かんね」

ダルは暑さにうんざりした様子で、服の胸元をつまみ、パタパタとあおいだ。

“ヘンテコなこと”については俺も把握している。

今ここでもう一度、そのヘンテコなことが起きるかどうかを試してみることにした。

「まゆり! まゆり! ここにバナナを持て!」

談話室の方で相変わらず縫い物をしているまゆりに声をかける。

 




「……またゲルバナ作るのー?」

「前から気になってたけどさ、まゆ氏。ゲルバナって略さないでくんない?」

「だってね、ゲルバナはゲルバナだもん」

まゆりが持ってきたバナナを、一房丸ごと電話レンジ(仮)に入れた。

「なんでいつもいつも、人房丸ごと入れるのー? もったいないよー」

「ケチケチしていては“機関”との戦いに勝利することなどできんぞ」

「勝たなくてもいいよ。あのね、バナナはまゆしぃが買ってきてるんだからねー? おかげでまゆしぃはちっともバナナが食べられません」

「次からは1本ずつ使うことも検討しておこう」

だが今回はもう入れてしまったので、腹ペコ少女の愚痴は華麗にスルー。

電話レンジ(仮)の操作方法はいたってシンプルだ。

電子レンジに無理矢理接続した専用のケータイ電話。その番号へかければいい。

番号はすでに俺自身のケータイに登録済みだ。

ええと、ケータイはどこに入れただろうか。

ズボンや白衣のポケットをまさぐってみる。

 




呼び出し完了。

すぐに繋がった。

「R・E・N・G。こちらは、電話レンジ(仮)です」

電話をかけるとオートで繋がるようになっているのだ。

流れてきたのは、まゆりによる音声ガイダンスだ。

「まゆしぃの声、聞こえてきたー?」

「少し黙れ。まゆしぃガイダンスが聞こえなくなる」

「こちらから、タイマー操作ができます。♯ボタンを押した後、温めたい秒数をプッシュしてください。例えば、1分なら『♯60』 2分なら『♯120』……です」

ガイダンスの通りに入力すれば、問題なく電話レンジ(仮)は解凍を始める。

だがここで、あえて『120♯』と誤った入力を行うのだ。

これでよし、と。

元々はまゆりの単なる入力ミスだったのだが、これによりなぜか冷凍が開始されるのだ。

電話レンジ(仮)が動き出す。

中にある回転皿とそれに載るバナナが、ゆっくりと回り始めた。

「キレイなターンテーブルだろ。普段と違って逆回転してるんだぜ、それ」

「なに、逆回転!?」

それは気付かなかった!

「そこに重要な意味があるかもしれない! 量子の振る舞いにも影響してくる問題であり、『フントの規則』を導入して——」

「あるあ……ねーよ」

「……ないか」

「ないね」

「……そうか」

3人で、バナナが回るのを黙って見守った。

120秒が経過し、レンジが軽快な音を鳴らした。

中からバナナを取り出す。

「ゲルバナのできあがり~」

 




バナナは、バナナではなくなっていた。

極薄皮の中が、ゲル状になっている。

しかも人房、丸々だ。

まゆりが電話レンジ(仮)に冷凍機能があることを発見した後、バナナを凍らせてみようと実験してみた。その結果、凍るどころかなぜかこんなヘンテコな結果が出てしまったのである。

おかげで俺たちとしてはますます混乱するばかりなのだ。

「ダルよ。このバナナ……食べてみようとは思わないか? 思うはずだ。我らの理念達成の犠牲となり散ったダルに、敬礼……!」

 




「……すげーまずそうじゃん」

「味は関係ない。食べることに意味があるのだっ! さあダルよ、遠慮することはない。骨は拾ってやるから思い切ってずずいと行くがいい!」

「イラネ」

「……ではまゆり。お前にその名誉を譲ろう」

「なんかね、ゲルバナは、中身がデロデロでぶにゅぶにゅだったよ」

って、もうすでに試食済みだったのか。

やはりこの天然少女は大物だ。間違いない。

「味もしないし、全然おいしくなかったー」

「デロデロでぶにゅぶにゅか……。ダルよ、どう思う」

「ぶにゅぶにゅバナナか……ぶにゅぶにゅのバナナ……」

ダルの鼻の穴から、赤い滴がスッと一筋、垂れた。

「まゆ氏、“あなたのバナナ、ぶにゅぶにゅだね……”って言ってみて」

「ダルくんダルくん、鼻血出てるー」

「いいから言ってみてくださいお願いします!」

「あなたのバナナ、ぶにゅぶ——」

「言わせるな低能がっ!」

頭をティッシュ箱で思い切りはたいてやると、ダルはおとなしくなった。

言わされそうになったまゆりはよく理解できていないらしく、能天気な微笑みを浮かべたまま首を傾げている。

「ゲル状になったということは半固形。すなわち分子同士の結びつきが弱くなっている可能性がある」

半固形……すなわち、元々固形だったバナナが液状化した……。

「そうか、分かったぞ!」

俺は開発室の奥にあるホワイトボードに向かうと、ど真ん中に大きく『冷凍』と書き込んだ。そしてその2文字を、即座に×で消し、手でバンバンと叩く。

「俺たちは『冷凍機能』だと思い込んでいたが、実は違ったのだよ!」

この地球上に存在するほぼすべての物質は、液体から個体に代わると体積が減り、逆に密度は大きくなる。

冷凍は、まさに液体から個体へ変化する行為だが、実験したバナナは真逆の結果を示した。

ゲル状になっているということは、密度が減っているということだ。

決して“冷凍”とは呼べない。

「さあお前たち、“な、なんだってー!”と叫ぶがいい! ここは叫ぶところだ!」

 




だが2人のリアクションは薄かった。

まゆりはおそらく俺の言葉の意味を理解していないからやむを得ないとして……。

「『冷凍機能』じゃないのは分かってるっつーの」

わ、分かっているならなぜ先に言わんのだ……。

「問題は、じゃあこの機能ってなんぞ? なにが起きてんの? ってことじゃん」

「冷凍の逆なら、解凍じゃないのかなー?」

「実に愚鈍な意見だな、まゆり! それでは普通の電子レンジと同じではないか!」

「じゃあ、どういうことー?」

「それが分かんないから、悩んでるんだお」

「…………」

ほぼ解凍状態にあったからあげが、冷凍状態に戻ってしまった理由——

正直なところ、お手上げだった。

 



俺とダルは、電話レンジ(仮)について悩むのを切り上げて大ビルに向かった。

今日はこの後、ATFでのセミナーに参加しなければならない。

俺とダルが通っている東京電機大学が、産学連携機能の一環として、このATFに単位を設定しているのだ。

いわゆる夏の特別講習というところ。

これに出てレポートを書かないと単位がもらえないゼミがあるため、参加せざるを得ないのである。

そう言えば今日のシンポジウムはどんな内容だっただろうか。

夏休みに入る前に一度確認した気がするが、忘れてしまった。

「ご覧下さい、秋葉原駅前のビルに、謎の巨大物体が墜落しています!」

「現在、警察による規制が敷かれ、ビルの前まで行くことはできませんが、遠くから見る限りでは墜落した物体は人工衛星のように見えます!」

UPXと大ビルを繋ぐ陸橋の上から下を見ると、今日はいつも以上に人が多いと感じた。

しかもアキバではあまり見かけないような、チャラチャラした格好の若い男女が目立つ。

彼らはみんな一様に、いまだ封鎖されている中央通りの方へとぞろぞろと歩いていくところだった。

「ダルはラジ館に見物に行かないのか?」

 




「どうせ行っても見られないっしょ。もちろんネットに上がってくる情報にはほぼ目を通してるのだぜ。@ちゃんのスレ数、100超えたし。勢いすげー」

さっきから歩きながらケータイを眺めていたのは、そういうことだったのか。

 




大ビルの中に入ってエレベーターに乗り、5階にあるATFの会場へ向かう。

「あ~、涼しい~、生き返るぜ~ぃ。あばばばばば」

大ビル内はエアコンが効いている。貧乏学生にとってはオアシスだ。

俺たちが真面目にATFへ参加しているもうひとつの理由でもある。

「電話レンジ(仮)の件だが、俺は答えを導き出したかもしれん」

「その(仮)って、めんどいからいい加減やめるべき」

それは断固として譲れない。俺以外のラボメンが(仮)を使わなくなったとしても、俺だけは使い続ける。正式名称が決まるまではな。

「そんなことは今はどうでもいい」

「お得意のトンデモ理論でもひらめいちゃったん?」

「なにを言うか。俺はいつも、この世の森羅万象すら超越したあらゆる可能性について思考を巡らせているのだ。トンデモとか言うな」

「森羅万象を超越って、つまりなんでもありってことじゃね? 理論ってレベルじゃねーぞ

「ダルよ、電話レンジ(仮)は運命石の扉(シュタインズゲート)を開く鍵だという気がするのだが、どう思う?」

「そのシュタインなんとかってところからして意味不明なわけだが」

5階に到着したことを示す音が鳴る。

わずかに体感としてあった加速加重が消える。

エレベーターのドアが、ゆっくりと開いた。

エレベーターホールに出ると同時に——

 




「きゃっ」

人と激突した。

とっさに、相手の肩をつかんで支える。

「すいません」

 




「あ……!?」

その女性の顔に——

見覚えがあった。

「あ……あ……!」

俺はギクリとしてしまって。

瞬間的に総毛立ち。

指1本動かせず。

相手の顔を、まじまじと見つめてしまう。

女性と言うより、少女と呼んだ方がいいようなあどけなさ。

この端整な顔を、俺はほんの3時間ほど前に見ている。

牧瀬……紅莉栖……!

「あの、なにか?」

紅莉栖は怪訝な顔をして、俺から離れようとする。

だが俺は彼女の肩を離さなかった。

逆につかむ指に力を込める。

「い、た……!」

「き、さま……」

「貴様は、死んだはずだ! なぜ、ここに……!?」

「しかも——」

服が、どこも汚れていない。あのとき着ていたのと同じ服だ。

その薄い生地の上から観察する限り、ケガらしいケガはしていないように見える。

あれだけの出血量ならば、重傷を負っていてもおかしくないはずなのに。

「無傷……!」

「ちょっ、痛いっ……! 離して……!」

 




紅莉栖に胸のあたりを突き飛ばされた。

俺から離れた紅莉栖は、警戒した様子でにらみつけてくる。

とてもケガ人には見えない。

「……なんなの?」

「無事だったのか? ケガは平気なのか? いや、そんなはずはない、牧瀬紅莉栖は何者かに刺されて血まみれで——」

 




「またその話かよ?」

割り込んできたのはダルだった。

しかも、妙な言い草だ。

「またその話、とは、どういう意味だ?」

「だって、1週間前にも僕にそんなメール送ってきたじゃん」

「メール? 俺が?」

「なにをバカな! 牧瀬紅莉栖が殺されているのを見たのは、ほんの3時間前だぞ!」

「ちょっと。勝手に殺さないでくれますか? 私、ピンピンしてますんで」

「そう言えばあのメール、変な感じだったなあ。送信日時が1週間後になってた。つまり未来から来たっつーか」

「未来から来た?」

「ネットで妙な考察サイトでも見たのか、ダル。お前がトンデモ理論を言い出すとは珍しい」

「違うがな。確かにメールの日付は1週間後の、ええと、28……あ、そっか。28日だから今日じゃん!」

ダルは慌てた様子で自分のケータイを操作し、俺に見せてきた。

 




確かにそれは俺からダルへのメールだった。

送信日時は7月21日12:56。

送信日時は……7月28日12:54。

メールは計3通。

1通目は『牧瀬紅莉栖が』

2通目は『男に刺された』

3通目が『みたいだ。男』

なぜこんな短い文面を3通に分けて送ったんだ、俺は?

それに3通目は、途中で途切れてしまったかのようにも見える。

こんな短文メールを送った記憶はない。

だが文面には見覚えがあった。

「これは……3時間前にダルに送ったメールだ」

だがあのメールは長文だった。3通に分けて送ったわけではないし、この後にもまだ続きがあった。

それが、1週間前の21日にダルのケータイに届いただと?

「興味深いわね……」

いつの間に寄ってきたのか、俺に隣で紅莉栖も真剣な面持ちでケータイ画面をのぞき込んでいた。

 




そうだ、メールはどうでもいい! どうでもよくはないが、今はどうでもいい!

それより、こいつはなぜピンピンしているのかということだ! それが一番の問題だ!

これは幻なのか!? いや、悪霊か!? 祟って出てきたのか!?

俺はそんな非科学的な事象は信じんぞ! なにしろマッドサイエンティストだからな!

 




俺はすぐそばにある紅莉栖の横顔に、恐る恐る手を伸ばした。

指先が、その髪に触れる。

サラサラとした手触り。実にキューティクルだ。

「ある……。実体が、ある。やはり幽霊だというのは考えすぎか……」

「…………」

「オ、オカリン……まずくね……?」

紅莉栖の頬をペチペチと叩いてみたり、指でつついてみる。

なんという柔らかさだろう。肌の張りが違う。死体ではこうはいかない。いや、死体の肌に触れたことはないが。

「…………おい」

というかそもそも、最初にぶつかりそうになったときも、俺はこの女の肩に触れていたし、この女の手に突き飛ばされもした。

それなのに、実体がないなどと一瞬でも思ってしまったとは、それだけ自分が混乱している証拠だな。

では、ラジ館で見たあの凄惨な光景はなんだったのだ。俺が聞いたあの男の悲鳴は、なんだったのだ。

集団消失と同じく、あの一連の出来事の方が幻だったのか?

傷だ。目の前にいる牧瀬紅莉栖の身体に、傷があるのか、ないのか。

それを確かめずにはいられない。

俺は彼女の服の裾をつかむと、ゆっくりとめくり上げようとして——

「おのれは、警察に突き出されたいのか?」

「……俺は真実を知りたいだけだ」

怒りに震える牧瀬紅莉栖の目を、まっすぐに見つめ返したまま、さらに服の裾を上へと——

「なにが真実よ、このHENTAI! バカなの? 死ぬの!?」

手をはたき落とされた。

「ルイスちゃんの名ゼリフキタコレ!」

ダルがなにか叫んでいるが無視して、俺はひるまず続ける。

「俺は確かに見たのだ!」

 




「まさかあんた、今、私の下着を……!?」

紅莉栖は顔を赤くし、服の裾を慌ててずり下げる。

「この低能めが! そうではない!」

「…………」

今日の昼、牧瀬紅莉栖はラジ館の屋上で、ドクター中鉢の発表会の後、何者かに刺し殺され、血まみれで倒れていた——

あえて懇切丁寧にそう説明してやった。

「え、ドクター……中鉢……?」

 




「オカリン、なに言ってるん? 中鉢の発表会なら中止になったじゃん」

「……中止!?」

「そう。人工衛星の墜落で」

会話が噛み合わない。まただ。またこの感覚だ。

思えば、集団消失を目の当たりにした直後、まゆりと話したときも話が噛み合わなかった。

焦燥感。

俺、なにかとんでもないことに巻き込まれてる?

これも“機関”による陰謀か?

「ねえ、ちょっとあなた」

「わ、我が名は鳳凰院凶真だ」

「違うよ、全然違うよ……」

鳳凰院さん。今の話、詳しく教えてほしいんですが」

ようやく俺がウソを言っているわけではないと理解したらしい。

だが俺としても、なぜ話が噛み合わないのかよく分からないから、説明のしようがない——

と、そこでフロア奥の小会議室から、初老の男が顔を出した。

「牧瀬さん。そろそろ時間ですし、始めましょう」

「え? あ、はい……っ」

紅莉栖は俺を一瞥すると、小さく息をついてからその小会議室へと向かった。

 




「オカリン、とりあえず僕らも行こうぜ」

「行く、とはどういう意味だ?」

「講義を聴きに来たんだろ?」

ああ、そうだった。

ダルは、紅莉栖の後をついていく。

つまり紅莉栖も同じ講義を受けに来たのかもしれない。

……かの天才少女が?


……。


俺の予想は少しだけ間違っていた。

天才少女は、講義を受けに来たのではなかった。

 

 

 

 




「ええと、今日は私のような若輩者の話を聴きに来てくださって、ありがとう」

「講義をする方だったのか……」


弱冠17歳にして『サイエンス』誌に論文が掲載された日本の若き天才。

ダル情報によると、数日前に誕生日を迎えて今は18歳だそうだが。

牧瀬紅莉栖に関するそんな話題を俺が最初に知ったのは、ダルから見せられた雑誌——日本ゴシップ系週刊誌——の記事だった。

そのときに、ダルからはこうも聞かされていた。

“彼女が今、逆留学みたいなことで来日しているんだけど、ATFに特別ゲストとして登場するらしい”

今、思い出した。

それが今日だったわけだな。

「こういうのは初めてなので緊張してますが、ガチガチなのは大目に見てください。どうぞよろしく」

講義に来ている連中は様々だ。

俺やダルのような学生が多いが、大学の教授クラスもいたりする。

と、紅莉栖は俺に対して、鋭い視線を向けてきた。

どうやらにらまれているらしい。

こちらも見つめ返してやると、ぷいと目を逸らしてしまった。

ふん、天才少女だかなんだか知らんが、気に食わないな。

ラジ館で声をかけられたときもそうだった。

今の牧瀬紅莉栖は猫をかぶっているが、その本性はかなり生意気な性格だ。

殺されたのが俺の見た幻覚でしかなかったのだとしても、性格についての分析は間違っていないはず。

「今回、『タイムマシン』をテーマに話してほしいと言われまして。正直、専門外なのですが、頑張って話してみようと思います」

「ほう、タイムマシンか……」

「最初に結論を言ってしまうと、タイムマシンなんていうのはバカらしい代物だということです」

異議あり!」

「ふぇっ……!?」

俺の発言に、紅莉栖だけでなく講義を聴きに来た全員が仰天したようにどよめいた。

まあ、当然のリアクションだろう。

しかし俺は、天才少女とやらの話を黙って聞いてやるつもりなどないのだ。

「タイムマシンが作れないと決めつけるのは早計だ」

「オカリン、無茶しやがって……!」

横で、ダルが小さく敬礼ポーズをした。

ATFの関係者が俺を部屋からつまみ出そうと追ってくる。

俺としても、さすがに調子に乗りすぎたかと思ったのだが、

「ええと、まあ、はい、いいですよ。ディスカッション形式の方が、話も弾むでしょうし」

この紅莉栖の発言により、出ていく必要はなくなった。

若干、キレ気味のように聞こえたが、気にしないでおく。

「でもその前に、私の考えを話させてください」

 




「これまで、世界中の科学者たちがタイムトラベルについての理論を提唱してきました。主な理論だけでも、11に及びます」

ふむ、ええと、どんな理論があっただろうか。

宇宙ひも理論ぐらいなら、チラッと聞いたことがあるが。

中性子星理論。ブラックホール理論。光速理論。タキオン理論。ワームホール理論。エキゾチック物質理論。宇宙ひも理論。量子重力理論。セシウムレーザー光理論。素粒子リング・レーザー理論。ディラック反粒子理論」

 




「…………」

なるほど、さすが天才少女と呼ばれるだけはある。

これは、牧瀬紅莉栖をこの俺のライバルと設定してやってもいいかもしれん。

「でもそれらの理論はいずれも、仮設の域を出ません」

「場合によっては、11個の中の別の理論によって否定されているものさえある」

「では12番目の理論が発見されたとしたらどうかな?」

「ん? あぁ、えー、そう、ですね……それは、ええと。13番目の理論によって否定されるかもしれませんね」

おのれ小娘……!

俺の仮定による姑息な揺さぶりに対し、なおかつ同じ手で反撃してくるとは。

なかなかできるな。

 




と、俺は周囲から視線を感じた。

偉そうな教授連中が、俺に渋い顔を向けている。

やばい、調子に乗りすぎたかも。

単位がもらえなくなったらイヤなので、ここは自重しよう……。

 




「ちなみに未来へのタイムトラベルなら、今でもすぐに可能ですよ。アインシュタイン相対性理論によればね」

「例えば今すぐ羽田空港に行って、そこから沖縄行きあたりの飛行機に乗ればいい。目的地に降り立ったとき、その人は10億分の1秒くらい、私より未来に進んでいる」

どういうことだ?

「移動する速さが光速に近付けば近付くほど、時間は遅く流れる。それが相対性理論ですから。極論を言えば、光と同じほどの速さで走ることができたら、流れる時間はその人の半分になるわけで。24時間その速度で走り続ければ、周囲では48時間が経ったことになるから、丸1日分、未来へ跳んだことになるんですよ、鳳凰院凶真さん」

「……っ」

名指しかよ……。

せっかく自重したのだが、牧瀬紅莉栖は俺にケンカを売りたいらしい。

……でも、あまり大勢の人間がいる前でその名を語ってほしくないのだが。

真名を他人に知られることはリスクを伴うのだ。

「それは屁理屈ではないかな?」

と、俺ではなく教授連中の1人が、穏やかな声で反論した。

確かに今、牧瀬紅莉栖が提示したタイムトラベルは、厳密にはタイムトラベルとは言えない。

だがまさかいい歳したおっさん——しかも教授——が18歳の女の子に反論するとは。

本気でディスカッション形式にするつもりなのかもしれない。

それとも、天才少女に対する嫌がらせか?

「そうですね」

天才少女はケロッとした顔で反論を認めた。

普通の18歳なら、これだけの人数を相手にした初めての講演で緊張しないはずがない。

そこに、はるか年上の教授から反論をされたら、頭が真っ白になりそうなものだ。

なのに牧瀬紅莉栖の強心臓ぶりと来たら、この俺に“こいつ、できる!”と思わせてしまうほどだった。

「では過去には行けるのかな?」

「過去にだって今すぐ行けますよ。夜になったら望遠鏡で空をのぞいてみてください。何万年も前の光を見ることができるでしょう」

「それも屁理屈ですよ!」

今度は受講者の1人が、野次に近い形で声を出した。

「まあ、今までのは前置き」

紅莉栖の表情がわずかに引きつったように見えたのは気のせいか?

「例えば実際に、みなさんが身体ごと過去や未来へ行くことができるようなタイムマシンを作るには、まずなにが必要か、考えてみましょう。代表的なところだと、宇宙ひも理論かワームホール理論かな。宇宙ひもというのは、超巨大な質量を持つ、ひもみたいな形の“ひび割れ”です」

ひものようなひび割れ……?

きっとそのひび割れを通して“ヤツら”がやって来るのだな。

だがそんなものが実在するのだろうか?

 




「ひびの幅は素粒子と同じくらいで、長さは最低でも銀河系と同じくらいと思っていただければいいです。これは巨大な質量であるが故に、時空を歪める性質を持っているんです。その歪んだ時空を、ひもを中心にあなたがぐるっと一周すると、360度以内で回りきることができる。要するにワープみたいなことができるということ。これ、時空の角度欠損って言います。角度欠損しているところを通過すると、そこは欠損しちゃってますので、通過時間はゼロになる」

 

 

「これを応用して、宇宙ひもが光速に近い速さで運動しているとき——相対性理論により、宇宙ひもの時間は周囲より遅くなるから、歪んでいる角度欠損の領域を通過すると、本来ゼロだった通過時間が、マイナスになる。つまり通過後の方が“過去”になっているわけ。で、2本の宇宙ひもを使って空間欠損ジャンプを行い、元の地点まで周回するように戻ってくると、ちょうど周回を開始したのと同じ時間に戻ってくることができる。ざっくり言っちゃうと、それが宇宙ひも理論によるタイムトラベルです。ちなみに誤解しないでほしいのは、宇宙ひも理論は超ひも理論とは別物ということです。というわけで、宇宙ひも理論で過去へ行くために用意するものは3つ。
その1。宇宙ひも。これは2つ必要です。あ、ちなみに宇宙ひもって生まれたばかりの宇宙にしかないという仮定なので、探すのはかなり骨が折れるかも。
その2。仮に宇宙ひもを見つけてきたら、それを光に近い速さで運動させるためのエネルギーが必要です。銀河と同じ長さのひび割れを、光並みに加速させるには、どのぐらいのエネルギーがいるんでしょうね。少なくとも1.21ジゴワット以上なのは確かです」

そこで聴講している一部の連中から、ドッと笑いが起きた。

「その3。宇宙ひもがあるところまで行って戻ってくる宇宙船。タイムトラベルする人は、これに乗らないといけません。
……どうです、鳳凰院さん。
宇宙ひも理論でのタイムトラベル、挑戦できると思いますか?」

できるわけないだろ。

というかなぜ、俺を名指しするのだ。

野次を飛ばしたのは俺じゃないのに。

「ん? 鳳凰院さんは宇宙ひも理論には挑戦したくないようですね。だったら、もう1つ例に挙げたワームホール理論はどうです? こちらは、宇宙ひも理論よりはもうちょっと現実的かもしれません。
ところで鳳凰院さん。
ワームホールってどんなものか知ってますか?」

いや、だから俺に聞くなって、自重中なんだから……。

逆質問された以上、俺は答えざるを得なかった。

「空間に開いた、抜け道のようなもの……だろう?」

「ええ、そうです」

ふぅ、よかったぁ……間違えなくて。

内心、ホッとしてしまった。

 




「2つの穴があって、それはトンネルで繋がっている。トンネルは、通過時間ゼロで通り抜けられる。2つの穴がどれだけ離れていてもね。だけど、ここで残念なお知らせ。ワームホールのトンネルは超重力がかかっていて、開通すると同時に潰れちゃいます。だから、かかる重力を無効化するために、なんらかの細工をしなくちゃダメなの。いわゆるエキゾチック物質。これはマイナスの重さを持つ物質で、重力に反発するんです」

マイナスの重さ、か。さっぱり想像できない。

地面に置いたら浮き上がるような物なんだろうか。

……違う気がする。

そこで紅莉栖は、拳を握りしめた右手に掲げた。

 

「こうやって、ムギューッとグーを作っている状態が、ワームホールのトンネルです。ここを通るためには、手の中に、私が“握ろうとする力”に反発するなにかを作って、ムギューッとできなくしないとダメということですね」

言い終えると紅莉栖は、握りしめた拳を開いた。

 




「エキゾチック物質を注入してワームホールを安定させれば、瞬間移動は可能になります。でもタイムトラベルをするには、そこからもう一手間必要。ここでは仮に、ワームホールの入口側の穴がこの秋葉原に、出口側にある穴がLAにあるとしましょう。まずLAにある穴を、光に近い速さで宇宙の果てまで飛ばしちゃってください。そして果てまで行ったら、すぐにLAに引っ張り戻す」

ど、どうやって……?

相対性理論により、光の速さで動くと時間は遅く流れる。LAに戻ってきた穴は、秋葉原にある穴よりも過去にあるということになります」

「というわけで、その状態で鳳凰院さんがワームホールに飛び込んだら、数年前のLAに行けるでしょう。でもこの時点ではまだタイムトラベルをしたことにはなりません。疑似的なタイムトラベルです。いわゆるウラシマ効果ね。重要なのはこの後、LAから秋葉原に、もう一度ワームホールを通って戻ること。そうすると、その通過時間はゼロなので——
鳳凰院さんは数年前の秋葉原に戻ってくるわけです。これでタイムトラベルは完了。ワームホール理論に必要なものは、宇宙ひもより楽ですよ。
その1。ワームホールそのもの。この宇宙のどこかに、もしかしたらあるかもしれません。見つけた人は、まだ誰もいませんが。
その2。ワームホールの穴を、光並みの速さで宇宙の果てまで往復させることのできるエネルギー。
その3。エキゾチック物質。ちなみにこれ、実在は確認されてません。」

 

……どちらも実現するには途方もない労力が必要というわけか。

というかタイムマシンとして考えるとあまりにも非現実的。

「バカらしい、と最初に言った理由は分かってもらえましたか? タイムトラベルの理論はどれも思考実験です。それらの理論からでは、実際にタイムマシンを作ることはできないということ。それが私からの解答です」

「もっと簡単なものはないんですか? 例えば机の引き出しを開けるだけで使えるものとか」

「ないですね」

断言したぞ。

「結局、現代の物理学じゃそこが限界。10年後にはどうなってるか分かりませんが。それに、仮にもっと簡単に過去へ行ける方法が発見されたとしても、実際に行けるとは限らない。因果律に関する根本的な問題が解決されていませんから」

 

タイムパラドックス……質量保存の法則?」

宇宙全体の質量はある一定値で決まっていて変わることはない。

未来から過去のある地点Aへタイムトラベルした場合、地点Aにおいてタイムマシンとそれに乗る人間という質量が余分に存在してしまうことになる。

これは矛盾となる。

昔、なにかの本——トンデモ本の類だが——で見た記憶では、もしその矛盾が発生してしまったときには宇宙がヤバイんだとか。

どうヤバイのかは書いてなかったが。

 




「質量保存の法則を、宇宙のようなマクロレベル、あるいは原子や素粒子などのミクロレベルの仕組みに当てはめるのは誤りです」

なに!? そうなのか……?

「ふふ」

あ!あいつ今、俺の反応を見て勝ち誇ったようににんまりしやがった!

くっ、これは悔しい……。

「あれは化学反応に対する法則でしかないから。現代物理学においてはまったく成立しない。無から、有は生み出せますから」

へえ。

それって、すごいことじゃないか。

「では、なにが問題となるのかね?」

タイムパラドックスタイムパラドックスでも、“親殺しのパラドックス”の方です」

過去へ戻って、自分を産む前の親を殺したら矛盾が発生する、というアレか。

「そのパラドックスの解が導き出されない限り、タイムトラベルは実現できない。絶対に」

「殺さなければいいんじゃないの?」

「そんな単純な問題ではありません。SF映画と同じように考えるのはとても危険です。あなたが消えるだけじゃ済まされない」

そうか? そこまで深刻なこととは思えないが。

「矛盾が生じることは因果律の崩壊、相対性理論の崩壊、さらにはこの世のすべての物理法則の崩壊を意味するのよ」

パラドックスは、理論上の思考実験にすぎない。現実に起きることはないし、起きてはいけないことなんです。だから、例え0.000001%でも起きる可能性のあるどんな行動も、絶対に実行には移せない。そう考える方が自然じゃないですか? 他世界解釈や自己無矛盾の原理っていう抜け道もありますが、個人的にはファンタジーすぎると思うので、認めたくないですね」

「…………」

くっ……。

俺はギリリと歯噛みした。

 




澄ました顔で俺を見ている牧瀬紅莉栖から、視線を逸らす。

どうやら、認めるしかあるまい。牧瀬紅莉栖が天才だということを!

 

……。