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-ノベルゲーム・タイピング-

天使の日曜日 Angel's holiday “ef - a fairy tale of the two.” Pleasurable Box.【2】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。


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吐き出した空気の白さが綺麗だ。

ふと、ガラにもなくそんなことを思ってしまう。


……。

 



「ふー……」


もう一度息を吐いてから、カバンを持ち直す。

ずっと通学に使ってきているこのカバンは、夏までと比べるとちょっと軽くなった。


「あのちっさいカメラでも、意外と重かったんだなー」


ふと、そんなことを思って笑ってしまう。

 



Chapter 2 After Story.今も夢のつづきを
 feat Kei Shindou.

 



最近、愛用のビデオカメラは時々手入れをする程度で、すっかり部屋の置物と化している。

今日みたいに空気が澄んでいて、世界が綺麗に見える日はカメラを構えたくなるけど──

残念ながら、受験生という不自由な身分なので、一切の撮影行為をみずから禁じている状態だ。


「う~ん……」


でも、撮りたいなあ。

二度と巡り合えない光景っていうのは、いくらでもあるからなあ。


「う~ん……」



「お」


悩みつつ歩いていると、同じような声をあげて歩いてくる宮村に気づいた。

一応、声を掛けておかないと後が怖いな。


「おっす、みやむ──」

 



「うむむむ……」
「…………」


完全にスルー……。

普段、人を下僕扱いしているくせに、こういうときはほったらかしだよ……。


「うむむむむ……」


宮村はこちらに目を向けることなく、難しい表情をしたまま通り過ぎてしまう。

本当にわかりにくい女だよなあ、あいつは。

アレと付き合ってる親友は、今さらながら大したもんだと思う。


「まっ、どうでもいいか」


宮村の背中を見送ってから、俺はぐっと伸びをする。

空は澄み渡り、雲がゆっくりと流れている。


「いい天気だ」


…………。

 

……。

 



年も明けて、受験まであとわずか。

まだ冬休み中ではあるけど、俺はこうして真面目に学園の冬期講習に参加中だ。

教壇に立つ先生は無駄話の一つもなく、ひたすら受験に必要な技術を叩き込んでくる。


「うう~ん……」


みんなが真剣に授業を開いている中、一人だけを唸りながら首を傾げている奴がいる。


「…………」


「学園辞めて余裕ができても、結局は仕事につぎこんでるもんなあ……。」


宮村がなにやらつぶやいているのが気になってしょうがない……。

どうしてだろう、とっても嫌な予感がするんだ、俺。


「ホントに困った男だぜ、絃くんは」


広野?

 

またなにかトラブったのかな、あいつ……。

宮村はトラブルメーカーだけど、広野だって相当なもんだし。


「しょうがないなー……」


ここは広野の親友である俺が人肌脱ぐか。

 



「おい、なにぶつぶつ言ってるんだ、宮村」
「ん?」


とりあえず、先制攻撃を打ってはみたものの、宮村はいかにもどうでもよさそうな顔を向けてくる。


「広野がどうかしたのか? 仕事しすぎでぶっ倒れでもしたとか?」
「そうならないように気をつけてるよ。今日は、睡眠薬飲ませて、寝かしつけてきたもん」
「……どうでもいいけど、もうちょっと手段選べよ」


これだから怖いんだよ、宮村は。

前言撤回、広野は単なる巻き込まれ型だな。


「漫画家なんて、非常識な存在なんだから、まともな手段じゃ対応できないよ」
「そういう問題発言もやめておくように……」
「とにかく、あたしは今、広野絃救済計画を企んでいるところなんだよ」
「救済ねぇ……」


宮村が真剣な表情をしているのが、かえって危うい。

ここは俺がきっちりと宮村の暴走を止めて、親友を救うべきだろう。


「どう考えても、ろくでもないことになりそうな。やめといたほうが、広野も平穏に──」

 



「せんせー、堤くんがあたしにワイセツ行為を働きましたー」
「は!?」


宮村が突然手を挙げ、そんなことを言い放った。

たちまちクラスメイトたちがざわめき始め、教師も俺を睨んできてる。


「ちょっ、待て! 汚いぞ、宮村!」
「つーん」


忠告されるのが気に入らないからって、なんてことをするんだ。


「って、いやいや」


そんなことを考える前に、今の状況をなんとかしないと俺の立場がピンチに。


「先生、違いますよ。いくら俺でも宮村におかしなマネなんかしませんって! 確かに可愛くていい身体してますけど、友達の彼女だし、そもそもこの性格じゃ──」


……あ、なんかますます睨まれてる気がする。

なんか自滅してないか、俺。


…………。


……。

 



「はぁ~……」


教室を出て、俺は大きなため息をつく。

なんとか教師の追求からは逃れたけど、最近は宮村の奴も信用あるから、どこまで信じてもらえたことやら。


「なんか疲れたから、今日はもう帰ろう」


受験の準備なんて、年内にはもうほとんど終わってる。

本番まで、後はこまめに復習を繰り返しておけば、よほどのことがない限り失敗はないだろ。

というわけで、焦る必要はなんにもない。


「さあてと。ビデオ屋でも行って、なにか面白そうな映画が出てないかチェックしてくるかね」


……。

 



「──って、おいおい」


なーんか、やけに体育館が騒がしいと思ったら。


「みんな、慌てなくていいわよ! さあ、1本じっくりいくからね!」

 



コートの中央でドリブルしつつ、チームメイトに指示を出しているのは、見間違いようもなく新藤景だ。

出戻りでレギュラーを取り戻したばかりのはずだけど、堂々とした態度で、まるで彼女がキャプテンみたいに見える。

慌てて帰らずに、様子を見に来てよかった。


「しかし、大したもんだなー」


俺は腕組みして、うんうんと頷く。

普段の景ちゃんも可愛いけど、やっぱりバスケをしているときの彼女は違う。

そう、ただそこにいるだけで圧倒的な存在感を放っている。


「コートにいる中じゃ、誰よりも小さいのにな」


ああ、くそっ、彼女の有志をカメラに収められないのがもどかしい。

でもここで、俺がカメラを構えたりしたら、「勉強もせずになにしてるの」と、新藤の厳しい折檻が待ってるだろうし。


「ん?」


というか、今日の新藤の動きは……。

これはもしかして……?

 



「きゃーっ、景先輩ーっ! そこです! えぐりこむように切り込んじゃってくださいーっ!」

「…………」


いや、いると思ってたけどね。

しばらくホームステイでいなくて静かだったけど、戻ってきたんだよなあ。


「おーい、羽山」

 



「おやまあ、つっつみ先輩、お久しぶりです。ていうか、わたしは今、景先輩の応援でとっても忙しいんです。息しないでいただけます?」

「俺の呼吸音すらも観戦の邪魔になるっていうのか!?」

「ああもう、うるさいですね。今日はスペシャルゲストを招いての観戦だっていうのに」

スペシャルゲスト?」

 



ふと、羽山のそばに見慣れない顔が二つ並んでいることに気づいた。

一瞬、女の子が二人いるかと思ったけど、一人は男子の制服を着ている。

試合のほうに気を取られてるみたいで、二人ともこっちには気づいてないみたいだけど……。


「……誰、そこの二人は?」

「もー、試合がいいところなのに」


羽山が肩を落としたところで、審判の笛が鳴った。

タイムアウト──要するに一時中断に入ったらしい。


「お、ちょうどいいじゃん。羽山、その人たちを紹介してくれ」

「なんて手間のかかる先輩ですか。というか、このお顔を見て気づかないんですか!」

「なんで怒られてんの、俺」


苦笑いしつつ、ようやくこっちに顔を向けてくれた二人を見やる。

 



「…………」


女の子のほうはショートカットで、眼帯を付けている。

お、この子はとんでもなく可愛いっていうか、俺の好みっていうか──うん、新藤と同じ顔をしてるな。


「……えっ、新藤!?」

「気づくの遅いですよ! 一発で気づくべきでしょ、あなたは!」

「いやー、そう言われても」


俺はぽりぽりと頭の後ろをかく。

ま、確かに我ながら鈍かったと思うけど、話に聞いていただけで実物を見るのは初めてだもんなぁ。


「おっと、挨拶しないといけないね。こんにちは。俺は、堤京介って者です」

「……えっと」

「怖がらなくても、なにもしないから安心して。君、新藤千尋ちゃんだろ?」

「はい、新藤千尋ですが……」

「びっくりしたなぁ。まさかこんなところで会えるなんて」

千尋先輩、用事があって学校に来たんですけど、ちょうど景先輩の試合があったのでお連れしたんです」

 



「僕の編入試験の付き添いってだけなんですけどね」

「とっても大事なことじゃないですか」

「なるほどねー」

「あの、あなたは?」

「新藤から話を聞いてないかな」

「あ、そうか。わかりました!」


突然、千尋ちゃんが手帳を取り出し、ぱらぱらとページをめくり始める。


「夏頃、お姉ちゃんに付きまとっていたストーカーの人ですね!」

 



「…………」

「ち、千尋。そんなこと言ったら失礼だよ」

「え? でも、ストーキングなんて犯罪に手を染めた人には手加減無用だって、お姉ちゃんが……」

「目の前で言っちゃダメなんだよ。本当に犯罪者だったら危険じゃないか」

「なるほど。一つ勉強になりました。手帳に書いておきましょう」


「……なあ、羽山。これ、なんのいじめ?」

 

俺っていじられて光るタイプじゃないんで、悪口言われてもちっとも美味しくないんだけど。


「いいじゃないですか。千尋先輩にいじめられるなんて珍しいですよ、羨ましすぎて代わってもらいたいくらいですよ」

「あいにく、俺にはそういう趣味はなくてね……」


ドSな彼女と付き合ってるからって、俺がMというわけではない。

そんなことを羽山と話していると、手帳に目を落としていた千尋ちゃんが小首をかしげだした。


「……あれ? お姉ちゃんを追っかけまわした後、映画を撮ることになって、お姉ちゃんと……」

「あ、そうか」


ここでようやく、以前に新藤から聞いた話を思い出した。


“13時間の記憶障害”。


妹さんはどこか浮世離れした雰囲気だけど、普通に話ができてるのですっかり忘れてたな。


「ま、そういうことだよ。俺は今、君のお姉さんとお付き合いしてるんだ」

 



「…………何様なんですか、あなたは」

「え、いや、だから新藤の彼氏なんだって」

「は? なんですって?」


な、なんなのでしょうか、この迫力は。

マジギレした景ちゃん以上の禍々しいオーラを感じる……。

私のお姉さんを取られた、みたいな感じでお怒りなんでしょうか……。


「わ、こんなに挑戦的な千尋は初めて見たな」

 



「別に、挑戦してるわけじゃないです。ただ……」

 



「そこのお兄さんがどうやったらこの世からいなくなるか、考えているだけです」

「…………」

「ち、千尋。だからダメだってば」


慌てて千尋ちゃんをたしなめているこの子は、たぶん……。

 



「あのさ、君はこの子の彼氏なんだよな?」

「え、はい、まあ一応。麻生蓮治と言います」

「そうか、麻生くん。聞きたいんだけど、君の彼女も姉と同じく、キリングウェポンかなにかなの?」

「いえ、普段は小動物のようにおとなしいんですけど」

「今や、完全に捕食動物になってるよ……」

「僕もこんな千尋は初めて見ました……」

「はーいはいはい、そこの男ども! ぶつぶつとおかしなことを話し合わない! それでですね、千尋先輩」

「なんですか、ミズキちゃん?」

「お怒りはごもっともなんですが、なんと言っても景先輩自身がこやつを認めてるわけでして。恨み辛みもあるでしょうが、それらはぐっと飲み込んで、今日くらいは仲良くやっていきましょう」

「そう……ですね。そういうのは日記に書いておけばいいですね。今夜は忙しくなりそうです……」

「フォローされてんだか、追い打ちかけられてんだか……」

 



「自分のことは割とどうでもいいのに、お姉さんのことになると執着するんだな~……」


俺たちがしょぼくれた顔を向け合っていると、千尋ちゃんが頭を下げた。


「どうも失礼しました。堤さん……でしたっけ。改めまして、新藤千尋です。姉がお世話になっています」

「おっと、ご丁寧にどうも。まあ、ゆっくり話していけばわかるよね」

「13時間後の私がなにを言うかは保証できませんけど」

 



千尋ちゃんの笑顔は、どうも俺を牽制しているようにしか見えない……。

彼女の障害のことは一応それなりに聞いてるけど、それを利用して圧力をかけてくるとは、恐ろしい子だ。


「でもさ、話には聞いてたけど、本当に新藤とうり二つなんだな」

「一卵性の双子ですからね。もちろん、キュートさでは私などお姉ちゃんの足下にも及びません。月とすっぽんの亀のほうです」

「そんなことはない!」

「そうだよ! そりゃ、お姉さんも美人だけど千尋だって全然負けてない。ううん、勝ってるよ!」

「え、え!?」

「なんか嫌な感じに団結してるなあ、この二人……」


呆れた声をあげている羽山はスルーすることにして。

この子の思い違いは正さないといけないな。


「いいかい、千尋ちゃん。ああ、千尋ちゃんって呼ばせてもらうよ」

「は、はい……」

「別にね、お姉さんと比べることはないんだよ。千尋ちゃんには千尋ちゃんの良さがあるんだから」

「えっ。そ、そうでしょうか」


千尋ちゃんは赤くなって、もじもじし始める。


「ほらほら、蓮治。メモっておいたら? この人、性格はともかく、伊達に女たらしはやってないから。女の子の扱い方、蓮治は知らないでしょ?」

「いや、僕は別に女たらしになりたいわけじゃないから。それに、女たらしは充分間に合ってるし」


女たらしになりたくないとは、また変わった男だな。

まあ、男のことなんてどうでもいいけど。


「ねえ、千尋ちゃん」

「はい」

「もしも、俺がお姉さんより先に君に会っていたら、恋に落ちていたかもしれないね」

「はぁ、恋に……?」

「それがちょっぴり残念だよ。ただ、今でも君がどれくらい素敵か語ることはできるけどさ」

「えっと、今後の参考までに、どこが素敵か教えていただけますか?」


千尋ちゃんは意外に真剣な顔をする。


「あれ、なんで千尋は話に乗ってるの……?」

「まあまあ、千尋先輩も色んな人とお話したほうがいいと思うし。堤先輩が不埒な行為に及んでも、わたしには景先輩直伝のレバーブローがあるから、安心しなさい」

「ミズキ、しばらく会ってなかった間に、妙に暴力的になったよね」


それは間違いなく新藤の影響だろうけど、これまた今はどうでもいい。


「やっぱりさ、千尋ちゃんって一目見て惹かれる顔だよね」

「そう……でしょうか? 特に印象の強いタイプではないと思うのですけど……」

「そんな神秘的な瞳を向けられても、説得力がないね」


俺は髪を軽くかき上げて、千尋ちゃんに笑いかける。

まったく、自分の魅力がわかってないなんて困った子猫ちゃんだな……。


「なーにが子猫ちゃんですか、恥ずかしい」

「堤さんも思ってることがダダ漏れになってますね」

「こらこら、外野がいちいち茶々を入れないように」


こっちの子たち二人も同じくらい困った奴らだ。


千尋ちゃんは、なにも卑下する必要はないのさ。この危ない後輩も、君を慕ってるんだろう?」

「え、ええ。ミズキちゃんの奔放な愛情は強く感じますが……」

「あったり前ですよ! わたしの愛は新藤姉妹のためにあるんですから!」

「君は相変わらずというか……なんか成長したとか聞いた気がするけどね」

「もちろん、成長しましたとも。景先輩と千尋先輩、お二人を愛してなお、はみ出るほどに余っている愛! 羽山ミズキ、育ってますっ……!」

「……バカだな」

「……バカですね」

「わ、ミズキちゃん。お二人がバカが成長してるとおっしゃってますよ!」

千尋先輩、容赦なく曲解しすぎです! 合ってる気もしますけど! うわーん、わたしの傷ついた心は千尋先輩の抱擁でしか癒せないーっ!」

「とにかく、だ」

「あう」


嘘っぽく泣きながら千尋ちゃんに抱きつこうとする羽山を、強引に引き離す。


千尋ちゃん」

「はい」

 



「君は凄く可愛い女の子だよ。だから、お姉さんと自分を比べたりする必要もないからね。それに……実は俺って羽山よりも愛に溢れたタイプなんだ」


俺は千尋ちゃんの小さな手をぎゅっと握りしめる。


「ちょ、ちょっと、ちょっと!」

愛する人が一人じゃないといけないなんて、誰が決めたのかな……」

「堤さん……」

「こ、こらこらぁ! わたしの景先輩だけでは飽きたらず、わたしの千尋先輩まで奪うつもりですか!」

「愛は止められないものだからね……」

 



「今のわたしも、誰にも止められないわね……」

「はっ!?」

「け、景先輩っ!?」

「ああ、いつの間にか試合終わってますね」


麻生くんの言葉に、俺は慌ててコートのほうに目を戻す。

 



た、確かに終わっちゃってる……。


「しまったーっ! 景先輩の勇姿をじっくりたっぷり眺められるチャンスだったのに!」

「なんてこった! 景ちゃんの試合だけが殺伐とした受験生の癒しなのに!」


「お二人って、なんか似てますよ」

「同感」

 



「あんたら、ちょっと黙ってて。わたし、そこのバカに用があるの」

「バカは二人いるけど、どっちかな……?」

「わかってるでしょ?」


よく見ると、景ちゃんはユニフォームの上にジャージを羽織っているようだ。

どうやら試合が終わってすぐにこちらに来たらしい。


「まあ、京介先輩の性格はさすがにわかってるわ。少々、悪いクセを出しても軽い制裁で許すつもりだったけど……」

「ああ、寛大に許してはいただけないんだ……」

「先輩も、わたしの性格はわかってきてるでしょ?」


いや、わかってたつもりだけど、段々怖くなってきてるような気がする。

笑顔なのが逆に怖すぎるぜ、景ちゃん……。

 



「とりあえず、うちの妹になにを話していたのか、じっくり聞きましょうか。校舎裏で」

「校舎裏!?」

「あ、あの、お姉ちゃん。私、堤さんが冗談をおっしゃってるのはわかってましたけど」

「言っていい冗談と悪い冗談があるのよ、千尋。ミズキ。悪いけど、千尋を頼むわね」

「アイサー。お任せください!」

「わたし、この人とちょーっと話をしてくるから」

「あのさ、新藤。話をするだけで終わるの……?」

「ふふっ」


新藤は笑うだけで、なにも名言してくれない。

こりゃ、校舎裏に血の雨が降るぞ……。


…………。

 

……。

 

 



「いやーっ、すっかり試合の熱気も冷めて、体育館もいつもの姿に戻ったね!」

「……なんで何事もなかったかのように振るまってるのよ」

「はっはっは」


睨んでくる新藤に、俺は無理矢理作った明るい笑顔を向ける。

校舎裏でなにが起きたかは語るまい……。

というか、たった今作られたばかりのトラウマを刺激しないためにも、二度と校舎裏には近づかないようにしよう。


「まったく……試合が終わったばかりなのに、余計な運動をさせられたわ」


新藤は呆れた目を俺に向けて肩をすくめる。


「おっと、そうだ。今日の試合は……勝ったんだよな」


俺はまだ置かれたままのスコアボードを見て、音羽学園の勝利を確認する。


「おめでとう、新藤」
「今日のは練習試合だもの。勝ったからって、別に自慢にはならないわ。チームや自分にどんな課題があるか、それを確認するための試合だからね」
「嬉しいくせに、素直じゃないなあ」


新藤の性格では仕方ないけど、つい苦笑いしてしまう。

まあ、新藤はブランクがあるわけだし、調子に乗らないように自分を戒めてるんだろうな。


「だけど、そういう自分に厳しい景ちゃんが好きさ」
「わけのわからないこと言わないでよ。それと、景ちゃんって呼ぶな。あと、死ね」
「願いはどれか一つにしてくれ!」


いや、最後のは勘弁だけれど。


「それにしても、千尋たちはどこに行ったのかしら。ミズキは用があるとか言ってた気もするけど……」
「さらっとスルーされたよ……」
「ま、あの蓮治って子は一緒だろうし、大丈夫よね」
「校内にいるだろうから、問題ないんじゃないの。それより新藤、着替えちゃってるけど、部活はもう終わりでいいの?」
「ええ、今日はもう解散よ。千尋と一緒に校内を回って、後は蓮治君とちょっと……」
「ちょっと、ね……」


可愛がってる妹さんの彼氏だもんなあ。

話しておきたいことの10や20はあるだろう。


「うーん、でも……。やっぱり心配だわ。京介先輩みたいな人に絡まれたりしてなければいいけど……」
「あのね……」


だから、さっきのは本気じゃなかったと何度も言ったのに。

悪ふざけの相手が妹さんだったというのがマズかったか。

「でもさ、俺は詳しく聞いたわけじゃないけど」

「え?」

千尋ちゃんにも色々なことがあったんだろ? 向こうの音羽で」

「ええ……。あの子も変わったと思うわ。もしかしたら、ずっと変わらないままだったかもしれないのに……。強いわ、千尋は」


新藤は嬉しそうな、でも少し寂しそうにも見える微笑を浮かべる。


「じゃあ、ここでその強い妹さんのお帰りを待つとしようか」

「そうね。もう少し先輩への説教を続けてもいいしね」

「やだなあ、景ちゃん。今度は俺の番だよ」

「は?」

「しばらく勉強ばかりであまり話せなかったし、いい機会だからここで君に愛を説こうか……。たまには、恋人同士の時間ってやつが必要だろ……?」

 



俺は新藤の頬をそっと撫で、ゆっくりと顔を近づけていく。

体育館にはバスケ部や他の部の連中もいて、俺たちに好機の目を向けてきているようだが、気にならない。

俺と新藤の間には誰も割り込めないのさ……。


「そうね、必要だわ……。あんたには、多少の地獄では生ぬるかったか。本当の地獄を見せる必要があるわね」
「え、景ちゃん……?」
「ええ、なんとでも呼ぶがいいわ。まだ声が出せるうちに」
「な、なにをされるんだ、俺!?」
「ふふ、わかってるくせに……」

 



こんなにも女の子の微笑みを恐ろしく感じたことが、かつてあっただろうか……。

ずっと昔、『人情紙風船』という名作を撮った映画がいた。

だけど彼は徴兵されてしまい、「『人情紙風船』が遺作ではちと寂しい」と切ない言葉を残して戦場に散った……。

俺もまだ、これが遺作になるならいつ死んでもいいと思える作品を撮れるまで生きていたいです……。


…………。

 

……。

 

「あっ、戻ってきたわ」


制服のままで軽くストレッチなどをしていた新藤が、明るい声をあげる。


千尋ー。もう、どこ行ってたのよ」

 



「お姉ちゃん」


千尋ちゃんも甘えた声を出して──って、なぜか宮村が一緒にいる。


「蓮治くんと宮村さんと一緒に、屋上でお弁当を食べてたんです」

「そう。みやこさんが千尋を連れてきてくれたんですか」


新藤が少し驚いた顔をして、宮村のほうに視線を向ける。


「まあね。ミズキちゃんは用事があるって帰っちゃったし、蓮ちゃんは試験に行っちゃったからさ」


宮村の言葉に、新藤はなにやらしばらく考え込んだかと思うと。


千尋……みやこさんに変なことされなかった?」

「え……」


ああ、宮村の普段の行動を考えると疑われるのも無理はないな……。


「言うようになったじゃん、景ちゃん……。つーか、ミズキちゃんじゃあるまいし、あたしは両刀じゃないってば」

「そういう心配をしてるわけじゃないですけど。あなたは面白ければなんでもいい人じゃないですか。うちの妹は、からかい甲斐がある子であることは否定できません」


さすがに新藤は、妹さんのことはもちろん、宮村のこともよくわかってらっしゃる。


「そうなんですか……。ちょっと傷つきました……」

「あっ、ごめん。つい、本音が」

「うう~……」

「えーっと、そうそう、景ちゃん。試合、勝ったんだってね。おめでと」

「あ、ど、どうもありがとうございます」


全力でごまかしてるな、あの二人。


「そうだ、私もまだおめでとうを言ってませんでした。おめでとう、お姉ちゃん」

「あ、あはは。千尋もありがとう」


新藤は苦笑いを浮かべ、宮村のほうはあからさまに安心した表情で小さく息をついている。

あの傍若無人な宮村でも、千尋ちゃんみたいな子に泣かれるのは避けたいらしいな。


「やっぱ凄いよね、景ちゃんは。ブランクもなんのその、だね」

「そ、それほどでもないですよ。勝ったって言っても、ただの練習試合ですから。これくらいじゃ、威張れません」

「相変わらずツンデレだね」


まったくだ。

でもそれがいいというか、ツンがない新藤なんて新藤じゃないんだよな。


「で、それはそれとして……。さっきから気になってたんだけど、そこに転がってるボロ布みたいなのはなに?」

 



「これですか。ただの京介先輩です」


新藤が俺を睨みつける。

もしかしたらこのままスルーされるかと思ったけど、宮村もやっとつっこんでくれたか……。


「う、ううう……」

「ちょっとしつけをしてあげただけですよ。先輩のくせに、なかなか言うことをきかなくて困ります」

「こっちのカップルは和まないなあ……。まあ、そんなことどうでもいいか。それより、景ちゃんに訊きたいことがあるんだけど」


……え?


「はい? なんですか?」

 



「ちょっと待てーっ! さらっと流すなよ、さらっと! クラスメイトがボコボコにされてるんだから!」

「それがつっつんの役回りでしょ」

「とんだミスキャストだな……」


そりゃ、俺もボコられることくらいは覚悟して新藤と付き合ってるわけだけど。

せめて、そこにはツッコミがほしい。

笑いの一つもなければ、俺が身体を張って新藤をからかってる意味がなくなるだろ……。

 

「ま、これはさらっと流したままにしておくとして」

「おーい……」


こいつ、新藤以上の鬼だよな。


「ええ、どうぞ話を続けてください」

「彼女にまで裏切られた……」

 



思わず膝が砕けてしまう。


「訊きたいことっつーか、相談なんだけどさ」


さめざめと噓泣きする俺をまたもやスルーして、宮村は話を再開する。

がっかりだけど、宮村の話はそれなりに興味深かった。

要するに、広野のバカは相変わらず仕事ばかりで身体を酷使して、かなりキツそう……ってことらしい。

宮村としては、なんとかして広野を元気づけてやりたいらしいが……。


「ふうん……みやこさんも意外と真面目に考えてるんですね」

「新藤姉妹、揃ってなかなか辛口だね……」

「でも、対策があればとっくにわたしがやってますよ」

「言われてみれば、そうか……」


俺も広野のことはよーく知ってるが、確かに学園にいた頃からいつも死にそうな顔をしてたもんだ。

俺も秘蔵のDVDを貸したり、女の子を紹介したりして、元気づけようとしたけど、ほぼノーリアクションだったからなー。

あいつ、ガチでホモなんじゃないかと疑ったくらいだ。


「今は、みやこさんが食事を作ってくれる分、生活がマシになったじゃないですか」

「でも毎日じゃないしさ。毎日行くと、絃くんも勉強しろってうるさいし」

「うーん、わたしもお兄ちゃんの生活は気になりますけど、お兄ちゃんは加減できない性格ですからね」


ふむふむ……。

新藤も宮村も真剣に広野の身体を心配してるんだろうけど、女の子だからなあ。

男のことはやはり男同士が一番よくわかるってことを、二人に教えてやろう。


「おいおい、二人とも、さっきからなに言ってるんだ」

「あれ、つっつん。いつからいたの?」

「さっき、ボロボロにされてたのを確認しただろ! あっという間に忘却するなよ!」

「割とどうでもいい存在だからね」

「おまえが一番辛口だよ……」

「それで、なんなの?」

「言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ。もったいぶっても時間の無駄よ」

「俺も救われたい……」

「で、なにが言いたいの?」

「そうだった。あのな、そんなに深刻に悩むことじゃないだろ」


この程度のことでいちいち凹んでいては、新藤や宮村と付き合っていけない。

俺は気を取り直して、胸を張りつつ口を開く。


「そんなもん、宮村がエロいコスプレでもしてサービスすれば一発で元気になるって!」


──ッ!!


「はぐうっ!」


ボディーを鉄球で殴られたような衝撃に襲われ、一瞬、意識を失いそうになる。

い、今のは景ちゃんお得意の殺し技……。


「し、身長差を利用しての下から突き上げるような肘打ちか……見事、見事だぜ、景ちゃん……」


「つっつーん!」

 



別に抱き起してくれるとは思わなかったが、宮村はあろうことか足で俺をつついてきやがった。


「学園生活ももう少し残ってるんだから、今死なれると困るよ!」

「卒業まで下僕として使い続けるつもりか……」

「え? 卒業まで?」

「その先があるかのように言うなっ!」

「あんたもバカなことを言うんじゃなーい! そういう意見を求められてるんじゃないでしょ!」


あれ、今のはかなり真面目に言ったんだけどな。

いや、新藤が怒るのはわかっていたけど。

 



「そうだよ! コスプレサービスの準備くらい、とっくにぬかりなく済ませてるよ! 後はお披露目するタイミングだけだよ!」

「とんでもないことを、勢いで言うんじゃねぇ!」

「え、あたし変なこと言った……?」


宮村はなんで新藤が怒ってるのかと、本気でわからない顔をしている。

たぶん、マジでコスプレの準備は済ませてるんだろーなー。


「ああ、もう……真面目な話をするんじゃなかったの?」


新藤は心底呆れているようで、大きなため息をついた。


「コスプレはともかく……みやこさんに思いつかないとなると、わたしたちには難しいですね」


──「あ、でも」


黙って話を聞いていた──というか、俺たちの話に割り込めなかった様子の千尋ちゃんがおずおずと口を開く。

 



「一度倒れてみれば、絃お兄さんも自分の愚かさに気づくかもしれませんね?」

「そうね、漫画家って入退院を繰り返すものでしょうしね。一度倒れれば、ハクがつくんじゃないかしら?」

「うーん、新藤姉妹ってさ……」

「表面的には似てなくても、内面的にはほぼ同一と言っていいような気もしてきたよ……」


あろうことか、宮村と意見が一致してしまった。


「そうですか?」

「そうでしょうか?」

「うん、似てるよ。俺も二人とも好きだし」


俺は二人に笑顔を向け、親指を立てる。


「よし、よくわかったわ。ねえ、京介先輩、もう一回校舎裏に行ってみましょうか」

「ぎゃーっ! やだーっ、もう校舎裏は嫌だあああ!」


もう校舎裏には近づかないと誓いを立てたばかりなのに!

単に講習を受けに来ただけなのに、なんでこんな目に──

って、俺が悪いんだけどさ、はっはっは。


……。

 



「ふーむ」


俺が新藤に引きずられていく後ろで、宮村がなにやら唸っている。

まあ、広野と宮村なら自分たちでなんとか問題を解決するだろ。

とりあえず俺は、校舎裏に着くまで、死なない程度に自分の身を守る手段でも考えとくか。


…………。

 

……。

 

 



「それじゃ、わたしはちょっと行ってくるけど」

「私のことは気にしなくてもいいよ」

「そうそう、ゆっくりしてきていいからさ」


俺と千尋ちゃんは、笑顔で新藤に頷いてみせる。

気をとりなおして、千尋ちゃんを連れて校内を案内しようとしたところで、新藤は友達から呼び出されてしまったのだ。

同じ部の友達から、さっきの試合のことで相談があると言われたら断れないのも当然だな。


「なんか、真面目な相談なんだろ? 案内なら、俺だけでもできるしね」

「わかっていないようね……」


なぜか新藤は、ひくひくと引きつった笑みを見せている。


「あんたがいるから、ゆっくりしてらんないのよ!」

「心外だなあ。いくら俺でも、景ちゃんの妹さんにツバつけるようなマネするわけないじゃんか」

「わたしの妹だからやりかねないのよ! 面白ければなんでもやるところ、みやこさんと同じでしょ!」

「さすがに宮村と同類扱いはちょっとなー」


俺は苦笑して首を傾げる。

そんな俺をぎろりと睨んでから、新藤は千尋ちゃんに向き直った。


「いい、千尋? できるだけ早く戻ってくるけど、そこのバカになにかされそうになったら大声で泣いて人を呼びなさい」

「う、うん。わかったよ」

「そこで素直に頷くんだ……」


子供扱いされてもまったく動じないところを見ると、景ちゃんの妹さんは逆らわないように調教済みらしい。


「じゃあ、本当に行くからね。京介先輩、妹をお願いね」

「はいはい」

「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 



俺と千尋ちゃんに見送られて、新藤が廊下の向こうへ歩いていく。

何度も振り返っていたのは、やはり妹さんが心配だからか。

強気なようで意外と弱点の多い新藤だけど、一番のウィークポイントは千尋ちゃんなんだな。

 



「それじゃあ、どうしましょうか?」
千尋ちゃん、校内を見て回ってみたいんだろ?」
「はい、向こうの音羽学園を少しは知っているらしいんですけど、こちらは初めてなので」
「ああ、そうなんだ」


音羽とまったく同じ街がオーストラリアにあって、ご丁寧に学園までコピーされてるんだったな。

 



「お姉ちゃんが通ってる学園をちゃんと見てみたくて。いいですか?」
「もちろん。まずは、どこへ行きたい?」
「えーと……」


千尋ちゃんは小さく首を傾げて、考え込み始める。


「あ、図書室に行ってみたいです」
「図書室?」
「え、なにか問題でもあるんですか?」
「いやいや、そんなことはないよ」


新藤がまず近寄らない場所ナンバーワンなんだけど、行きたいっていうなら止めることもないか。


「それじゃ、こっちだから──」
「あ……」
「ん、どうかした──って」

 



「な、なんだあの人……」


歩き出そうとした俺たちの足がぴたりと止まる。


「…………」


先生……ではないと思う。

なぜか、俺を睨んでるみたいだけど……。


「そういや、前付き合ってたあいつの兄貴がヤバイ方面の人とか聞いたような……。あ、待てよ。あの子が俺と別れた後で危ない奴と付き合い始めたって話も……。ううっ、思い当たることが色々とっ!」


すべての関係を円満に終わらせてきたつもりだけど、後になって怒りが──なんてパターンもあり得るし。

新藤を相手にするのとは違う、ガチで命の危機が目の前に……。

 



「火村さん、どうしてここに?」

「そう、火村さんがどうして──って、え? なに? あそこの人殺しみたいな仏頂面の方は、千尋ちゃんのお知り合いですか……?」


思わず敬語になってしまう。

 



「ええ、向こうの音羽で一緒に暮らしていた方です」
「なっ、なにぃっ!? 千尋ちゃん、おとなしそうな顔して、ああいう大人の男とそんな関係だったのか!? 俺だって大人の女の人とただれた関係になったことはないのに!」

 



「……どうも、誰かさんをほうふつとさせる男だな、そいつは」

「誰かさん……?」


千尋ちゃんも話がわからないらしく、殺し屋っぽい人の顔を見ながら首を傾げている。


「気にするな、こっちの話だ。そっちの君も悪ノリしないようにな」

「あはは、見抜かれてますか」

「君のようなタイプの扱いには慣れているんだ……不覚にもね」


そう言って、殺し屋さんは疲れたような笑みを見せる。

なんだか苦労人っぽいなこの人……。


「火村さん、どうしてこちらに?」

「ちょっと野暮用があってな。ちゃんと教師に挨拶して、立ち入りの許可はもらってある。そっちの少年は千尋の知り合いみたいだな。だったら、挨拶しておくか。俺は火村夕。一応、ここの卒業生だ。新藤家とは昔から縁があってな。向こうの音羽では、千尋の保護者なんかもやっていた」


あー、そういえば千尋ちゃんって新藤のお祖父さんの知り合いに預けられてたとか……。


「どうも、堤京介です。千尋ちゃんのお姉さんとお付き合いさせてもらってます」

「それは命知らずだな」

「……またすっぱりと切り捨てるような反応ですね」

「おっと、失礼。俺は、景のことも昔から知ってるんでな。あの子が一人も殺さずに成長してくれたことを誰よりも嬉しく思ってる」

「新藤って、昔から物騒な性格だったんすね……」

 



「三つ子の魂なんとやらと言うだろう」

「なるほど……」


この人に言われると、なんだか凄く納得してしまう。


「『なるほど……』と堤さんが頷きました──って、とりあえずメモしておきましょう」

「いや、しなくていいから」


もし新藤がそのメモを読んだりしたら、また校舎裏コースだ。


「まあ、書く書かないは千尋の問題だから好きにすればいい。ところで……」

「俺には命が懸かった問題なんですが」

「俺はちょっと用事があるんだが、おまえたちはどうする?」

「図書室へ行くつもりでしたけど、それは後でもかまいませんし、よければご一緒させてください。いいですか、堤さん?」

「ああ、俺も別にいいよ」


この火村って人は怖そうだし、同行を断ったりしたらなにをされることやら。


「では行くか。こっちだ」


さすが卒業生、勝手知ったるという感じですたすたと歩きだす。

ついでに、火村さんは近くの壁に立てかけていた、でかい包みを手にした。

あれはなんなんだろう?


…………。

 

……。

 

 



そういえば、ここを訪れるのはずいぶんと久しぶりだ。

コンテを描くときの役に立つかと思って、美術を選択してみたけど……。

得られたものと言えば、「苦手なものはどうにもならない」という教訓くらいだ。

 



「堤さん、どうかされたんですか?」
「そんな他人行儀な呼び方じゃなくて、『お兄さん』って呼んでもいいんだよ?」
「堤さんって、脈絡もなく怪しい願望を口にされますね」


思いっきり呆れられているようだけど、これはとても重要なことだ。


「いや待てよ、やっぱり『お兄ちゃん』のほうがいいか。一人っ子の憧れだよなあ」
「はあ……?」
千尋ちゃん。悪いんだけど、上目遣いで、ちょっぴり恥ずかしそうにしながら『お兄ちゃん』って呼んでもらえる?」
「妙に細かい注文ですね」
「きっちりしないとね。とても重要なことだから」
「そう、なんですか。よくわかりませんけど、そう呼べばいいのですね」


千尋ちゃんは不思議そうにしながらも、一つ頷いて。

 



「お、お兄ちゃん」
「…………っ!」


こ、これは……新藤と同じ顔でこの台詞……。


「ごめん、もういっぺん言ってもらえるか?」
「お兄ちゃん……?」


ヤバイ……。

ビデオカメラを持っていないことをこれほど後悔したのは初めてだ。


「あのな、トリップ中に悪いんだが」

 



「えっ!?」


ドスの利いた声に、はっと我に返る。


千尋で遊ぶのもほどほどにな」

「おっと、すみません。つい、自分の欲望に忠実になってしまいました」

「君はそれがデフォなんじゃないのか?」

「そのとおりです!」

「胸を張って認めるところは男らしいですね」


千尋ちゃんの声援に反応すると話がまた逸れそうなので、聞かなかったことにするとして。


「火村さんの用事って、なんなんです?」

「ちょっとな、ここの美術教師に頼み事をしたら、代わりに生徒たちが置きっぱなしにしている絵の整理をしろと言われてな」

「そりゃまた面倒な」


美術の先生も人使いの荒いこった。


「本当に面倒だな。卒業生にやらせるようなことじゃないだろうに」

「火村さんも、その美術の先生に教わったんですか?」

「……いや、俺が教わった先生はもういないよ。今の美術教師は、俺の大学時代の先輩なんだ」

「へぇ」


なんだろう、今の火村さんの反応、ちょっと変だったような……。

千尋ちゃんは気づいていないようだし、具体的になにが変とも言えないんだけど。


「まあ、先輩から交換条件と言われたら仕方ない。こちらが頼み事をしてる立場だしな」


だが、火村さんは何事もなかったように話を続ける。

気のせいだったかな……?


「それで、お片づけをする代わりの、火村さんのお願いはなんなんですか?」

「ん? ああ、それを言ってなかったか」


火村さんは苦笑いして、机の上に置いていたでかい包みを示す。


「こいつをここで預かってもらおうと思ってな」

「それ、さっきから気になってたんですけど、もしかして絵ですか?」

「ああ、俺が昔描いた絵だ」

「火村さんって、絵描きさんなんですか?」

「いや、俺は──」


火村さんは簡単に事情を説明し始める。

この人は絵描きではなく建築家だということ。

デザイン系の仕事をするには絵の勉強も必要で、学生時代には油絵や水彩などもやっていたということ。

そして──


「その頃に描いた絵なんだ、これは。一度、知り合いに差し上げたんだが、最近その人と会って──この絵は俺に持っていてほしいと返されてな」

「え、それなら、ここに預けないほうがいいのでは?」

「事情があってね。ここでは、一部の卒業生の絵を保管してるし、安心して預かってもらえる。卒業生でプロの絵描きになった奴もいるが、そいつの絵なんかも綺麗に保存されているはずだぞ」

「なるほど。まあ、絵は保存が難しいって聞きますしね」

「そうなんですか」

「絵を本気で保存しようと思ったら、温度から湿度まできちんと管理しないといけないんだ。それに、俺はしばらくこっちと向こうの音羽を行ったり来たりになりそうでね」


信頼できるところに預けておいたほうが無難ってことか。


「とりあえず片づけてしまおう。千尋、ちょっと手伝ってもらえるか?」

 



「はい、わかりました。いらない絵を燃やせばいいんですか?」

「……いや、絵には日付が入っているはずだから、まずは古い順に並べよう」


あっさりと、「燃やす」っていう発想が出てくるのが凄いな……。


「ええと、ついでだから俺もお手伝いしますよ」

「そうか? 悪いな、それじゃあ頼む」

「はい」

 



今まで気づかなかったけど、美術室のあちこちの棚にかなりの量の絵が置かれている。

それでも三人でやれば、さほど時間もかからないだろう。


「ところで、火村さんの絵ってどういうもんなんですか?」

 

「ん? どういうって訊かれてもな……。人が見ても面白くもない……どうということのない絵さ」


火村さんは微笑を浮かべながら、愛しそうに絵の包みを撫でている。

なんだろう……男の俺から見ても雰囲気があるというか、不思議な感じのする人だな……。

どうということのない絵──っていうのはきっと嘘だ。

だけど……本当かどうか訊くほど野暮なことはないな。


「あっ、絃お兄さんの絵がありますよ」

「えっ?」

「ほう、凪の弟の絵か。そいつは一見の価値がありそうだ」


狙ったのか、天然なのか、千尋ちゃんはいいタイミングで話を逸らしてくれた。

でも、なんだろう。

さっきの火村さんの微笑は、なぜか思い出させる。

この俺に一度も口説かせる隙を見せなかった、胡散臭いシスターもどきのあいつを──


…………。

 

……。

 


「あっ、図書室も向こうの学園と同じみたいですね」
「ふうん、そうなんだ」


千尋ちゃんは嬉しそうに周りを見渡している。

どうやらここは、彼女にとって大事な場所らしい。

 



「本の匂いはいいですね。火村さんも来ればよかったのに」
「しょうがないよ。やることがあるらしいしね」


美術室での片づけを済ませると、火村さんは美術教師に絵を預けてそのまま帰る──と行ってしまった。

顔のわりになかなか面白い人だから、もう少し話してみたかったんだけどな。

 



「で、千尋ちゃん。図書室でなにか読みたい本でもあるの?」
「いえ、そういうわけではないですけど……向こうの学園でも図書室によく行ってたみたいなので」
「あの麻生くんとかな?」
「え、ええ……そうみたいです……」


千尋ちゃんは赤くなってうつむいてしまう。

こういう照れ屋なところは景ちゃんと同じだなー。


「まあ、図書室でデートっていうのは君たちらしいよな」
「デ、デートっていうか……その、一緒に小説を……」
「小説?」
「あ」


千尋ちゃんが小さくつぶやいて、さっと俺から目を逸らした。


「もしかして千尋ちゃんか麻生くんが小説書いてるの?」
「あ、ええと……あの、でも、そのお話は恥ずかしいですし……」
「ああ、なるほど。書いてるのは千尋ちゃんのほうなんだね」
「ど、どすいてわかったんですか?」
「どうしてって……」


その反応を見たら、鈍い広野だってわかると思う。


「俺も読んでみたいな、千尋ちゃんの書いた小説」

 



「そんなこと言われても……困るというか……。えーと、えーと……。あ、私の小説を読んだら1週間以内に死んじゃいますよ!」

「いいね。俺、そういうのに真っ先にチャレンジして死ぬタイプだから」

「え、えええ……!?」


千尋ちゃん、とっさに上手い嘘をつけるタイプじゃないのも新藤と同じだな。

いやあ、微笑ましい。


「ど、どうしたら……」

 



「いいじゃない、京介先輩にも話してあげれば?」

「あっ、お姉ちゃん」


いつの間に図書室に入ってきたのか、新藤が俺たちのすぐそばに立っていた。


「新藤、用事は終わったの?」

「まあね。というか、やっぱり二人きりにしておくのは気が気じゃなかったから、切り上げてきたのよ」

「おおっ、たまには可愛いこと言うじゃん。もー、そんなに嫉妬しなくても」

「頭沸いてるのか、あんた! 純粋に千尋のことが心配なだけに決まってるでしょ!」


いやいや、そんな風に怒鳴られても怖くない。

だって、うちの彼女はツンデレだから。


「なにニヤニヤしてるのよ?」

「ううん、なんでもないさ」

「で、千尋ちゃん。小説読ませてもらえるのかな?」

「う……せっかく話が逸れたと思ったのに……」

「あはは、言っておくけど、こういうときの俺はしつこいよー」

「本当、しつこいわよね……。わたしを撮影するときも、ずっと付きまとってたし……」

「ああ、お姉ちゃんが逃げられなかったなら、私なんて絶対に無理です……」

「そういうことさ!」

「さわやかに言うな! そのしつこい性格はなんとかしなさい!」

「しつこいけど、さわやかなんだからいいじゃん。それで、千尋ちゃんいつ読ませてもらえる?」

「すでに読む読まないを通り過ぎて、いつ読むかが問題になってます……」

「ま、あきらめたほうが賢いわよ」

「そのとおり。俺は今すぐにでも読みたいくらいだからね」

「そう言われても……さすがに、原稿を持ち歩いてるわけではないですから」

「あ、そういえばわたしの携帯にデータで入ってるわよ」

「お、お姉ちゃん!?」

「さすが景ちゃん。準備がいいね」

「景ちゃん言うな。わたしは読むの遅いから、ちょっとした時間にも読めるように入れておいたのよ」

「ああ、お姉ちゃんの活字離れがこんなところでアダに……」


あれ、千尋ちゃんは真面目に嫌がってるのか……?

さすがに、初対面の女の子の感情までは読み切れないけど、そんな気がする。

これは、遠慮したほうがいいのかな……?

 



「あっ、いたいた。千尋、やっぱりここにいたんだね」

「あっ、蓮治くん」


新藤に続いて突然現れた麻生くんに気づくと、千尋ちゃんはぱっと明るい表情になった。


「試験が終わったから捜してたんだよ。まあ、ここにいると思ったけど」

「よかった、やっと私の味方が来てくれました」

「み、味方? 千尋、どうかしたの?」

「一生のトラウマになりそうな最大のピンチを迎えているところでした」

「なんのこと……?」

「ええ、来てくれてよかったわ。わたしも、あんたに話があったのよ」

「僕ですか?」

「ええ、あんたで間違いないわ。ちょっと、来てもらえる?」

「あの、行くってどちらへ……?」

「みんな大好きな校舎裏よ」

「な、なんか物凄く不吉な予感がするんですけど!?」

「ああ、京介先輩。携帯を貸してあげるから、読みたかったら読んで。テキストは、メモリーカードに入れてあるわ」


麻生くんの悲鳴に近い言葉はさらりとスルーされ、新藤は俺に携帯を投げ渡す。


千尋

「は、はい」

「京介先輩って、シナリオもたくさん読んできてるから。面白い感想を言ってくれるかもしれないわよ」

「……でも」

「それにね、自慢の妹が書き上げた小説だもの。色んな人に読んでもらいたいじゃない」

「わ」


千尋ちゃんの反応に、新藤はにっこり笑い、麻生くんの襟をぐっと掴む。


「それじゃあね。この子、ちょっと借りていくわ」

「やっぱり行くんですね……」


そして、二人は図書室を出て行ってしまった。

 



「……蓮治くん、どうなるんでしょう?」
「殺されはしないだろ。えーと……」


俺は適当に返事をして、新藤の携帯を操作し始める。


「テキスト、見てもいいのかな? 千尋ちゃんがどうしても嫌だっていうなら止めとくけど」

「……いえ、かまいません」


千尋ちゃんは小さく首を振った。

あれ、なんだか急にものわかりがよくなったな。

さっきの新藤の言葉が功を奏したか?


「もちろん、堤さんのことはまだよくわかりません。でも……。お姉ちゃんが簡単に携帯を貸しちゃうなんて、ちょっとびっくりしました」
「そう言われればそうだね」


携帯なんて個人情報の塊だし、人に見られたくないメールや写メも保存されているだろう。


「たぶん、お姉ちゃんは堤さんを信頼しているんだと思います。お姉ちゃんが見られたくない物を勝手に見たりはしないだろうって」
「ま、さすがの俺もそういうのはね」


少し照れくさくて、俺は恥ずかしさをごまかしつつ頭をかく。

新藤が信じる俺だから、千尋ちゃんも信じてくれる──か。

嬉しいようなこそばゆいような、変な感じだ……。


「おっと、せっかくお許しが出たことだし読ませてもらうよ。えーと──女の子は世界にひとり。だから彼女は神様だ」
「こ、声に出して読んじゃいけません!」
「えっ、そうなの?」
「意地悪です……」


じろりと睨んでくる千尋ちゃんに、笑って手を振ってみせる。

うん、この子もなかなか面白いキャラだ。

このまま一生顔を合わせていくことになっても、退屈しそうにないな。


…………。

 

……。

 



日もだいぶ傾き、オレンジ色の光が道路を淡く照らしている。

俺と麻生くんが並び、その前を新藤姉妹が和やかに話しながら歩いている。

 



「あのさあ、麻生くん」
「はい?」
「結局、新藤となにを話していたわけ?」


二人で戻って来た新藤と麻生くんは、別に何事もなさそうな顔をしていた。

ちなみに、麻生くんが肉体的なダメージを負った様子もなかったので、ちょっと安心。


「えーと……まあ一応、そこは内緒ということで」
「言っておくけど、景ちゃんは俺のだよ?」
「そういう話じゃないですよ! そりゃお姉さんも綺麗ですけど、あんな恐ろし──厳しい人に」
「……それもそうか」


どう見ても、この麻生蓮治という子は姉妹丼を企むような外道じゃなさそうだし。

もちろん、俺もそこまでの外道じゃないよ。


「あはは、やっぱりわたしたち姉妹は遺伝的に料理がダメなのね」
「うん、遺伝って怖いね」


前を歩く新藤姉妹は実に楽しそうだ。

心なしか、新藤もいつもより機嫌がよさそうに見える。

千尋ちゃんと一緒の下校が嬉しいんだろうし、麻生くんともなにかいい話ができたんだろうな、きっと。


「ま、俺もいいことあったしね」
「え、なんですか?」
「これだよ……って、君は知ってるんだよな」
「ああ、これって千尋の小説ですね。よく、彼女が見せてくれましたね」
「それについては色々あったんだけどね。きちんとお許しをもらって見せてもらったよ」


もちろん、まだ序盤を少し読んだ程度だ。

正直言うと、意味がよくわからないタイプの話だと思う。

でも……なんだろう……。


「なーんか、妙な迫力のある話なんだよな」
「あ、やっぱりそう思いますか」
「この作者、凄い心の闇とか抱えてそうだよ……」
「そう、思いますよね」


すぐそこでのんきに笑ってる女の子が書いたなんて、とうてい信じられない。

文章が凄く上手いというわけでもないし、描写はどこか曖昧だけど、なんかズバズバと突き刺さってくる……。


「やってみたいなあ……」
「なにをですか?」
「いや、俺って映画作る人なんだよ。今は受験があるから、封印中だけどね。でも、進学しても作り続けるつもりだよ」


俺はにやりと笑って、携帯の液晶に目を落とす。


「復帰第一作は、これを原作に撮ってみたいな。俺は脚本苦手だから、それも千尋ちゃんに書いてもらえないかなー」
「脚本……ですか? まあ、できないことはなさそうですけど。千尋に書いてもらうのは、けっこう大変ですよ」
「そこで君の出番になるわけだね」
「僕もお手伝いするんですか!?」
「もっちろん」


俺は、ぽんと麻生くんの肩を叩く。


「双子の片割れを愛した者同士、協力しようじゃないか」
「……僕にもなにか協力してもらえるんですかね」


完全に嫌がっている顔だけど、この少年は明らかに押しに弱そうだ。

つまり、俺が得意なタイプってことだね。


千尋ちゃんも君も今後こっちで暮らすなら、新藤はもちろん、俺もサポートできるしね。ギブアンドテイクで上手くやっていこうよ」
「なるほど。確かに、堤さんとは長いお付き合いになるかもしれませんしね」


そう、そのとおり。

おれが新藤と、彼が千尋ちゃんと付き合っていくなら、繋がりが切れることはない。

たぶん、彼とも長いお付き合いになるだろう。


「ま、先のことはのんびり考えるとして、仲良くやっていこうよ」
「はい、よろしくお願いします」


俺が差し出した手を、麻生くんは苦笑しながら握った。

よし、貴重な戦力をゲットできたし、これで千尋ちゃん原作映画を撮るのも夢じゃなくなったな。


…………。

 

……。

 

「……それで?」
「それでって?」


俺はにっこり笑って、聞き返す。

 



「なんでわたしがこんなところに連れ込まれてるのよ」
「連れ込むだなんて、人聞きの悪い」


千尋ちゃんたちはどこかへ行ってしまったし、このままお別れするのもなんだから連れてきただけなのに。

それにやっぱり──


「勝利のお祝いをしないといけないだろ?」
「ただの練習試合だって言ったでしょ。いちいち、お祝いなんかしてられないわよ」


そう言いつつ、新藤の頬は少し赤くなっている。

本当にこの子は褒められることに耐性がないなー。


「でも、俺としてはお祝いしたいんだよ。それに、思ったんだよ。今日の試合、全部観てたわけじゃないけどさ──」
千尋を口説いてたものね」


ぎろり、と殺気に満ちた目を向けられる。


「や、やだなぁ。だからあれは冗談だって」
「……わかってるわよ。本気にしてたら、あんたは歩いてここまで来られないわ」
「あれで手加減してたのか……」


校舎裏での忌まわしい記憶がよみがえりそうになり、慌てて振り払う。


「えっと、続きを話そう。今日の試合、全部観てたわけじゃないけど、動きが変わってきたと思ったよ」
「変わったって、なにが?」
「ほら、新藤はブランクがあっただろ。だから、復帰後は前みたいに動けてなかったよな」
「はっきり言うわね」
「まあね」


そんなことは新藤自身がよくわかってることだろうし、気を遣われると逆に怒るだろう。


「つまり、ヒザを痛める前のわたしに戻ってるってこと?」
「いや、違うよ」


やっぱり、そっちはわかってなかったらしい。

自分のことでも、わからないことってあるもんな。


「今の新藤は、ヒザを痛める前より上手くなってると思う」
「……………っ」


新藤は驚いて、大きく目を見開く。

 



「そっ、そんなこと……バスケ部員でもない京介先輩にはわからないでしょ!」
「わかるさ、それくらい。俺はカメラマンなんだよ。これでも、観察力にはちょっとばかり自信がある」

 



俺は、両手の人差し指と親指でフレームを作り、新藤に向ける。


「試合の撮影で何度も新藤を見てきたし、そのときの映像はまだ覚えてる。それに、俺は夏からずっと新藤と付き合ってきたんだよ。だから、わかるんだ。以前の新藤は、確かに上手かったけど、自分でなんとかしようっていう気も強かったよね」
「それは……そうかもしれないけど」
「ボール運びもシュートも全部自分でやろうとしてたところがあったよ」


彼女は負けん気が強いから、そういうプレイに走ってしまっていた。

だけど──それがヒザを痛めた原因の一つでもあったんだと思う。


「でも、今は違う。ちゃんとチームのみんなを見て、無理に一人で切り込まずに、パスを回してフォローもするようになってたね。動きもよくなったし、プレイスタイルもいい方向に変わってると思うよ」
「……本当に?」


わからない……というより、自分を信じ切れないのかもしれない。

彼女はいくつもの想いを振り切ってきた。

だけど、ブランクを埋めることだけは時間をかけて努力するしかないから……。


「君がどれだけ必死に練習してきたかも知ってる。そろそろ認めてもいいんじゃないか? 新藤はもう完全復活してるよ」
「……そうね」


新藤は少し視線をさまよわせてから、まっすぐ俺を見ながら言った。


「京介先輩は冗談ばかり言うけど、そんなことで嘘とかいい加減なことは言わないものね」
「もちろんだ」


言うまでもなく、お世辞でもない。

今日の新藤のプレイは本当に凄かったもんな……。


「というわけで、今日の勝利と君の復活を祝して俺が美味いものでも作るよ」
「えっ、そんなの悪いわよ。料理を作るならわたしが」
「いや、お祝いだって。それじゃ、俺への罰ゲームになるし──ぐうっ!?」


座ったままの姿勢から見事なレバーブローが炸裂する。

 



「み、見事なもんだな……。こっちも完全復活か……」
「ケガをする前のわたしに殴られたことはないでしょ」
「なんかもう、ずっと前から新藤に殴られ続けてるような気がするよ……」


俺は腹を押さえながら笑う。


「この先も一生殴られ続けるのかな……」
「いっ、一生って……」
「それはそれで……悪くないかも……」
「ドMか、あんたは!」


まあ、もしかすると……。

新藤になら殴られ続けるのも悪くない、なんて思ってるかも。

これも彼女なりのコミュニケーションだからな。


…………。

 

……。

 



「ごちそうさま」
「はい、おそまつさま」


けっこう大量に作ったのだけど、新藤は試合の後でお腹が空いていたのか、綺麗に食べてしまった。

やっぱ、たくさん食べてくれると作ったほうとしては嬉しいな。


「そういえば、先輩の料理をちゃんと食べたのって初めてかも。けっこう、上手なのね」
「もう何年も前から一人暮らしみたいなもんだからな。外食ばかりじゃ栄養偏るし、金もかかるから、自然に覚えたんだよ」
「ふーん……わたしも一人暮らししたら料理を覚えられるのかしら……」
「いや、自分の料理を食べて気絶したときに、一人暮らしだと助けが来るまで時間がかかるし、危ないだろ。待てよ。新藤自身は平気なのか? フグが自分の毒で死なないのと同じで……」
「へぇ。言いたいことはそれだけ?」

 



「はっ!?」


しっ、しまったぁ、またいらんことを!

景ちゃんからドス黒い怒りのオーラが立ち昇ってる!


「まったく、今日は忙しいわ。試合で疲れてるのに、また本気を出さなきゃいけないなんて」
「よし、わかった。俺も男だ、受けてたとう。とりあえず、ベッドの上で戦おうか」
「いえ、ベッドはあけておかないとダメよ。あんたが立ち上がれなくなったとき、寝かさないといけないから。壊しちゃまずいでしょ?」
「真っ向から立ち向かってくるねー」


軽く反撃してみたけど、荒事に関しては彼女のほうがはるかに上だ……。


「……先輩、その軽口を叩くクセを直さないと、いつか痛い目見るわよ」
「いつかっていうか……」


既に何度も痛い目に遭わされてます。

他でもない、新藤に。


「メシも食ったし、そろそろ帰るか? 千尋ちゃんも戻ってるころだろうしな。あ、その前に風呂にでも一緒に入って──」
「…………」
「いえ、なんでもありません」


途中で新藤の殺人鬼のような目に睨まれ、なんとかごまかす。

いやあ、我ながら本当にこりない奴だよなー。


「帰らなきゃいけないけど……そうね、ちょうどいい機会だから言っておくわ」
「え?」


新藤の顔を見て、思わずどきりとしてしまう。

彼女が、まるで試合のときみたいな真剣な表情を浮かべていたからだ。


「前から言うつもりだったの。でも……。京介先輩の言葉のおかげで、踏ん切りがついたわ」
「…………」


なんだろう、嫌な予感がする。

これでも一応、付き合った女の子の人数だけは多いから、こういうときに出てくる言葉は予想がつく……。


「京介先輩とは、もう会わないようにしたいの」
「嫌だ」
「ちょっと、間髪入れずに否定しないでよ!」
「考えるまでもないことだからさ」


俺もできる限り真剣な顔を作って、新藤と向き合う。


「新藤のほうこそ、なにを唐突に妙なこと言ってるんだよ」
「唐突……じゃないわよ。少なくとも、わたしにとっては」
「言ってみて」


新藤が冗談を言ってるわけでも、思いつきを口にしているわけでもないのはわかってる。

だから、ちゃんと話を聞かなければならない。


「京介先輩に言いたいことはたくさんあるわ。千尋まで口説くし、みやこさんの下僕のままだし。殴られて喜ぶドMだし、変態だし」
「いや、悪口を並べられても……」


一つも否定できないが。


「そんな先輩でも、一つだけ信じてることがあるわ。あんたの目よ」
「目……?」
「そう、目。さっきも言ったけど、京介先輩が見て、わたしが以前の自分を越えてるっていうなら、確かにそうなんだと思うの」
「ああ、それは間違いなく保証するよ」
「わたしがここまで来られたのは、京介先輩がいたからよ。それも間違いのないことだわ」
「うん」


彼女がそう言ってくれるなら、俺もそれを認めよう。


「でも、そろそろ甘えるのは終わりにしたいの。いえ、終わりにして──わたしはわたしのために、バスケだけに打ち込みたいのよ」
「…………」


新藤はさっきからまったく目を逸らさない。

俺をまっすぐに見つめたまま、よどみなく、迷いなく言葉をぶつけてくる。

 



「もちろん勝手なことを言ってるのはわかってるわ。でも……わたしももうすぐ3年生になる」
「うん」
「去年は夏の大会に出られなかった。それが悔しくてたまらないのよ。だから……最後の夏に懸けたいの。最高の結果を出すには、今からいくら頑張っても足りるかどうかわからない」
「……そうか」


俺も新藤の目を見たまま、一つ頷く。


「そういうことなら、しょうがない。新藤がバスケだけに打ち込みたいって気持ちはわかるしな。俺も夢中になると周りが見えなくなるタイプだから、わかるよ」
「そういえば、そうよね」


新藤はここでようやく、少し笑ってくれた。


「君にとって、どれだけバスケが大事か知ってるつもりだし。納得いくまで頑張ってほしいと思う」
「うん……ありがとう」
「でもさ、さすがに夏までは長すぎるな」
「え?」
「俺もしばらくは受験に集中する。受かったら受かったで、準備することもたくさんあるだろうし。春までは忙しいと思うんだよ」


この家を出るかどうかはわからないが、本格的に一人暮らしを始める可能性だってある。


「だからさ、春までは会わない。それで、その後は夏の大会が終わるまで二人きりで遊んだりはしない──そんな感じでどうかな?」
「そう……よね。実はわたしも、自分で言ってて夏までは長いと思ってたの……。そんなに長い間、先輩と会わないなんて……無理だわ」
「あはは、嬉しいこと言ってくれるじゃん」
「べ、別にあんたを喜ばせようとしてるんじゃないわよ!」


あら、素直モードに入ったと思ったのに。

まあいいや、この変な方向に強気なところも好きなんだからな。


「いいよ、それじゃあ勝手に喜んでおくからさ」
「そ、それはもちろん京介先輩の自由よ」
「ああ」


俺は笑って、大きく頷く。

こっちにとってはいきなりの話だけど、新藤のほうではずっと考えてたことなんだろう。

そりゃ寂しいけど──彼女は戦い続ける女の子だから。

きっと、夏の大会ではかっこいい姿を見せてくれるだろう。

それを楽しみにして、俺は新藤を見守っていけばいいんだ。


「でも、学校とか道ばたで会ったときとか、無視しないでくれよ」
「そこまで極端なことするわけないでしょ! 人をなんだと思ってるのよ」
「それを聞いて安心したよ」


別れるわけじゃないんだから、これでよしとしよう。

ただ、二人きりで会えなくなる──それだけのことだと思えばいい。


「おっと、もう帰らなきゃいけないんだったな。送るよ」


最後の二人きりの時間をゆっくり楽しみたいところだけど、千尋ちゃんも待ってるだろうしな。

 



「……待って」
「ん?」
「別に……そんなに慌てて帰る必要もないわ」
「でも、千尋ちゃんも……」
「あの子も、もう子供じゃないわ。わたしがいなくても泣いたりしないし……そばにいてくれる人もいる」
「…………」


新藤は顔をうつむかせ、顔を真っ赤に染めている。

彼女がなにを言いたいのか、その表情と声の調子ではっきり理解できるけど。


「いいの?」
「だって、今日がとりあえず最後なんだもの……。会えなくなるのはわたしのわがままだから……今日は、京介先輩のわがままを聞いてあげてもいいわ」
「…………」


聞いてあげてもいいわ、か。

彼女らしい言い回しに、ちょっと笑ってしまいそうになる。

本当、俺の彼女は素直じゃないよ。


「じゃあ、わがままを言おうかな」
「……う、うん」


新藤は少し戸惑いながら、それでもきちんと頷いてくれる。

素直じゃないけど、最高に可愛いんだ、この子は。


俺たちはお互いを求め合った……。


…………。

 

……。

 


「景、俺は君が好きだよ……」
「ありがとう……。わたしも、京介先輩が好きよ……」
「ああ、ありがとう……」

 

……。

 

「ふー……」


ジュースを一気に飲み干して、コップをテーブルの上に置く。

結局、長風呂になっちゃったなあ……。

新藤はなにかやることがあるらしくて、まだ戻ってこない。

髪もちゃんと乾かしたいんだろうし、女の子には色々と必要なことがあるんだろう。


「今日からしばらく会えない、か……」


学年が違うのだし、新学期からは俺たち3年はあまり登校しない。

これからは学園で会えることも少ないんだろう……。

もう受け入れたことだけど、やっぱちょっと辛いかな……。

 

「なにぼーっとしてるの?」



「うぉっ!?」


思わず驚いて、声がしたほうに目を向ける。

そこにはいつもと変わらない制服姿の新藤がいた。


「びっくりした……いつからいたんだ?」
「今戻ってきたところよ。そんなに驚かない


てたからさ」
「ろくでもないことでしょ」


すぱっと一言で切り捨てられた……。

まあ、ろくでもないことなのは確かだけれど。


「それにしても、お風呂に入って余計に疲れたのは初めてだわ……」
「景ちゃん、頑張ってたからねえ……」
「やれやれ、さらに疲れることになりそうね」
「はっ!?」


せっかく風呂に入ったのに、血まみれにされちゃたまらない。


「まったく……動物だって何度も叩かれればやっていいことと悪いことの区別くらいつくのに」
「その愚かしさが人間の業ってやつだね」
「ゴウってなによ。わけのわからないこと言わないの」


俺は善悪がわからないけど、彼女には一般常識を教えたほうがよさそうだな……。


「そういや、新藤は成績大丈夫なのか? 部活を再開してろくに勉強してないだろ?」
「うっ……それはその……前と変わらないというか……」
「というか?」
「悪化してるというか……」
「やっぱりな」


元から成績はよくなかったみたいだし、部活と勉強を両立できるほど器用でもないだろう。


「今は宮村んいも教わってないんだろ? 俺が、一度じっくりコツを教えてあげようか?」
「う……だったら……」
「ん?」


新藤は恥ずかしそうにもじもじしながら、こっちを見ている。

 



「だったら、今夜ちょっと教えてよ……」
「今夜?」
「……さっき、家に電話しておいたの。今日は友達のところに泊まるって」
「えっ?」
「いいでしょ、今日くらい泊っても! ダメとは言わせないわ!」
「あ、ああ……そうだね……」


彼女のあまりの剣幕に、俺はじりじりと後ずさる。

変なところでスイッチが入るんだよな、この子は。


「おーっと、そうだ。泊まるならその格好じゃ寝られないよな」
「え? Tシャツとスパッツがあるからそれで……」
「えーと、確かここに……」


俺はタンスをあさり、一着の服を取り出す。


「あった、あった。さあ、新藤、このワイシャツを着るんだ!」
「人の話聞きなさいよ……。というか、なんでワイシャツなのよ?」


新藤は俺が持ったワイシャツを胡散臭そうに見ている。


「心配ご無用! ちゃんと洗ってあるから大丈夫。洗濯はマメにやってるからさ」
「……もうなんでもいいわ」


どうやら、あきらめてくださったらしい。

俺と付き合ってる女の子は、よくこういう顔をするんだよなー、はっはっは。


「とりあえず、ここに泊まってもいいのね?」
「もっちろん。しばらくうちで預かってもいいよ?」
「今日で最後だって言ったでしょ! 記憶力ないのか、あんたは!」
「おっ、そうだった。いかん、いかん。つい、都合のいいように物事を考えるクセが」
「知ってるわよ……」


じろり、と完全に呆れた目で見られてしまう。

それでもへこたれないのが、俺のいいところだけどね。


「まあ、いいわ。もうここまできたら、ついでよ。ワイシャツでもなんでも着てあげる」
「さすが景ちゃん!」
「景ちゃん言うな!」
「えー、名前で呼んでいいって言ったじゃん」
「もうそれはおしまい! いつまでも甘えるんじゃないの」
「厳しいなあ……」
「いいから、それを貸しなさい」


しょんぼりする俺からワイシャツをひったくって、新藤はぎろりと俺を睨む。


「あっち向いてて。着替えるから」
「今さら照れなくても──いえ、あっちを向いておきます」


彼女の瞳に殺意が込められているのに気づき、俺は慌てて首を振る。

そして、新藤から目を離し、壁と向き合う。

やれやれ、風呂であんなことした後でも、着替えは恥ずかしいもんなんだな。


「ねえ、先輩」
「えっ、いや、見てないよ?」
「そんなこと言ってないでしょ……そうじゃなくて。受験……頑張りなさいよ。浪人して、1年も勉強ばかりでろくに会えないなんて、たまらないからね」
「…………。大丈夫、任せてくれ。新藤も夏までは悔いのないようにね」


俺は、壁を向いたままで笑う。

彼女の口調は厳しいけれど、心から俺を心配してくれていて──自由に会えるようになるのを待ってくれているとわかる。


「わたしだって大丈夫よ。いつだって、本気だもの」
「そうだったな」
「ええ、当然でしょ。はい、もうこっち向いていいわよ」

 



「おっ」


俺がゆっくりと振り向くと──


「でも、これ……やっぱり、シャツだけって変じゃない……?」
「…………」


だぶだぶのワイシャツだけを着て、ベッドの上にちょこんと座っている姿は……。


「結婚してくれ」
「死ね」
「死んだら結婚してくれるの?」
「どれだけ打たれ強いのよ、あんたは……」


いやでも、そんな妄言が思わず飛び出すほど、今の新藤は可愛い。

まさかこうも素直に着てもらえると思わなかったけど、言ってみるもんだなぁ。


「隣、座ってもいい?」
「……先輩のベッドでしょ」
「それもそうだ」


俺は笑って頷き、新藤の隣に腰掛ける。

 



「せっかく一晩時間ができたんだし、勉強は置いておこう。のんびり話でもしないか?」
「なにを話すの?」
「なんでもいいさ。このところ、あまりじっくり話す機会がなかったからな。俺は、話したいことはいくらでもあるよ。新藤は?」
「そうね……。そういうのも、悪くないかも。けっこう、幸せかもしれない……」
「え?」
「ううん、なんでもないわ……」
「そっか」

 



俺たちはベッドに並んで座り、肩を寄せ合うようにする。

しばらく会えなくなるのは寂しいけど、こうして一緒に過ごせる時間を思い出として大切にしていく。

そうすれば、きっと会えない時間だって乗り越えられる。

そして、もう一度新しい自分になって再び出会い──

もっともっと、二人で幸せになっていく。

春が過ぎ、夏が終わる頃に──彼女の幸せな笑顔を撮れたら、きっと最高だな。

俺たちは自分の追いかける夢のために。

そして、お互いを想う気持ちを深めていくために。

ずっと、二人でこうして寄り添っていこう──


……。