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……。
結局、ATFでの紅莉栖の講義は最後まで聴いておいた。
紅莉栖は、最初に紹介した2つのタイムトラベル理論以外にも、それぞれわかりやすく解説してくれた。
最初はたどたどしいところもあったが次第に慣れてきたのか、最終的にはとても18歳で初舞台とは思えないほど、堂々とした講義だった。
俺の意地悪な質問に皮肉で返したりと、あの度胸は大したものだ。
って、なぜ俺はあの女を誉めているのか!
それよりもだ。
俺は牧瀬紅莉栖が死んだのを見ているのだ。
なのに彼女は生きていた。
俺の記憶には齟齬(そご)がある。
紅莉栖の件だけでなく、まゆりやダルとの会話も噛み合わなかったし、俺の記憶とは違うことが現実には起きていたりもする。
俺が夢か幻を見ていたのだ、と言ってしまえばそれで問題は解決だ。
だが、万が一ということもある。
というわけで──
……。
ATFが終わるとダルと別れ、まっすぐにこの柳林神社にやってきた。
目的は、お祓いしてもらうためだ。
ATFでの牧瀬紅莉栖が幽霊だったとはとても思えない。
だがそれでもお祓いしてもらいたいと思ってしまうのは、日本人的発想が染みついているからだな。
柳林神社は万世橋を渡ってすぐの脇道を入り、ガード下をくぐった先の川沿いにある。周囲の雑居ビルとは不釣り合いな、とても小さな神社だ。
アキバには神田明神があり、そっちの方が有名だが、俺はあえてこちらの神社を選んだ。
境内は猫の額並みで、あるのかないのか分からないほどの狭さだ。
それでも植えられたわずかな木々からは、セミの鳴き声が響いてくる。
「あれれ? オカリンだー。トゥットゥルー♪」
社殿の前に、2人の少女がいた。
片割れはまゆりだ。
そしてまた1人は、巫女服を着たおとなしそうな少女。
……少女、と言うと語弊があるかもしれない。
こいつは漆原るか。
この神社の宮司の“息子”である。
そう、息子なのだ。
どう見ても可憐な美少女だが……男だ。
「岡部さん、こんにちは」
ぺこりと頭を下げられた。
この声も仕草も、女にしか見えない。
というか女よりも女らしい。
だが男だ。
まゆりより背は高いが、身体付きはとても細い。
だが男だ。
巫女服が似合っている。
だが男だ。
手には竹ぼうきを持っていた。掃除中だったようだ。
だが男だ。
もう夕暮れが近いというのに、暑いな。
だが男だ。
セミの鳴き声がうるさい。
だが男だ。
「ルカ子よ、お前、俺が与えた刀はどうした」
俺はこいつとは顔なじみである。で、ルカ子と呼んでいるのだ。
以前、ホコ天でカメラ小僧に絡まれているところをたまたま助けてやったら、以来懐かれるようになった。
ちなみにルカ子はまゆりと同じ高校に通っており、偶然にも2人はクラスメイトだったりする。
その事実を知ったのは、俺がルカ子と知り合った後のこと。
俺の鋭い問いかけに、ルカ子はハッとしてうなだれた。
顔を紅潮させて、今にも泣き出しそうにもじもじとし始める。
「え、あの、妖刀(ようとう)・五月雨(さみだれ)のことですよね……」
「そうだ。あれはお前の力を制御するために買ってやったのだぞ」
「あー、アキバの『武器屋本舗』で買ったやつでしょー? 980円だっけ──」
「まゆり! それ以上言うと“ヤツら”に消されるぞ! この件については口を出すな!」
「え、消されちゃうのー? オカリン、心配してくれてありがとうー。でもでも、“ヤツら”って誰かな?」
まゆりの問いかけはあえてスルーする。
「それでルカ子よ。『妖刀・五月雨』はちゃんと使っているのか」
「は、はい、1日1回は、素振りを……」
「あれを持ち清心斬魔(せいしんざんま)流を極めさえすれば、お前は己の内にある邪悪な炎に焼かれずに済む」
『妖刀・五月雨』は模造刀ということになっているが、それは世を忍ぶ仮の姿。
ふさわしい使い手が現れたとき、その真の力は解放される。
それを980円(税込み)で手に入れたのだから安い買い物だ。
ただし模造刀であろうとも、街で持ち歩いていたら警察にもれなく補導される。
“決して持ち歩いたりはするな”とルカ子には口を酸っぱくして言ってあった。
「あんな素敵なものをプレゼントしてもらえて、岡部さんには感謝しています」
「俺は岡部ではない」
「オカリンだよー」
「ごめんなさい、凶真さん」
「分かればいいのだ。では合い言葉を」
「あ、ええと、エル……プサイ……コンガルゥ……?」
「違う! コンガリゥではなく、コングルゥだ!」
「は、はいっ」
「エル……プサイ……コングルゥ」
「こ、これでいいですか?」
うなずいてやると、ルカ子は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
思わず見惚れてしまいそうになる可憐さ。
だが男だ。
「美しい師弟関係だねー。えっへへー。まゆしぃは腐女子じゃないけど、ちょっとドキドキしてきちゃうよー」
「ええっ? ま、まゆりちゃん、変な想像、しないで……」
まったくだ。
師弟関係、というのは事実だがな。
俺は鳳凰院凶真として、世界にはびこる陰謀や支配構造、そしてそれと戦うための方法などをルカ子にマインドコントロール──もとい、教えてきた。
『妖刀・五月雨』元々の会話も、その一環である。
ルカ子は見た目はともかく、性格的にはとても素直だし、頑張り屋だ。
しかも“色々教えてほしい”と最初に言い出したのはルカ子の方なのだから、師匠としては実に鍛え甲斐がある弟子なのだ。
呑み込みはそれほど早くないというのと、恥ずかしがり屋なのでまだテレがあるというところが玉に瑕(きず)だが。
「それで、なぜまゆりはここにいる?」
「るかくんに会いに来たんだよー」
「来月のコミマで、『雷ネット』のキラリちゃんコスをしてほしいってずっと頼んでるのに、ちっともOKしてくれないんだよー」
「だって、コスプレするなんて、ボク、恥ずかしいよ……」
「でもでもー、るかくんは絶対似合うと思うんだー」
「“こんなかわいい子が女の子のはずがない”って大人気になるよ? ね? しようよー、コスプレデビュー」
まゆりはコス作りが趣味で、これまで30着以上を自作してきたほどだが、自分で着ることは滅多にない。
かわいく作ったコスを誰かに着こなしてもらうのが、至上の喜びらしい。
で、次のターゲットに選ばれたのがルカ子というわけだ。
もちろんまゆりが今、絶賛作成中のコスは女キャラのものである。
男のルカ子がそれを着たがらない気持ちは……分かるようで分からない、な……。
今も普通に巫女服を着ているぐらいだし、女装には抵抗がなかったりするのかもしれん。であるならば、コスプレもそう大して変わらない気がするが。
なおもルカ子に迫っているまゆりを、俺はため息をつきつつ制止した。
「そんな下らないことは後でやるんだな」
「えー? まゆしぃにとっては大事なことだもん」
「俺にとっては下らないことなのだ!」
「それよりルカ子よ、俺がこの神社を訪ねたのは他でもない。お祓いを頼みたいのだが、やってもらいないだろうか」
「お祓い、ですか? だったら、お父さんに──」
「いや、そこまで大げさにしなくていい。気休めでいいのだ」
だから神田明神ではなくこっちの神社に来たわけだしな。
「というわけで、例のアレを持ってこい」
「え、例のアレと言いますと……『五月雨』ですか?」
「違う! お祓いに妖刀は必要ないだろう! お祓いと言ったらアレに決まっている!」
「え……と……?」
「正式な名称は分からんが、棒に白い紙がフサフサと付いていて、神主がワサワサと振るやつだ!」
「あはは、今のオカリンの説明、ゆとりっぽいねー♪」
まゆりに言われるのはけっこうショックだ。
「あっ、大幣(おおぬさ)ですね。でも、お父さん、貸してくれるかな……」
「ちょっと、聞いてきますっ」
ルカ子はまたペコリと頭を下げると、敷地内にある家へ早足で駆けていった。
まゆりはと言うと、バッグから懐中時計を取り出し、時間を確認している。
それは今どきの女子高生は持ちそうにない、とても古めかしいものだ。
名前は“カイちゅ~”と言う。
もちろんまゆりが勝手に命名しただけで、別に商品名とかそういうわけではない。
この“カイちゅ~”を、まゆりが小学生の頃から肌身離さず持ち歩いていることを俺は知っている。
まゆりにとっては、なによりも大切な宝物なのだ。
「んじゃ、まゆしぃはこれからバイトだから、もう行くねー」
「そうか。頑張ってこい。バイトが終わったら直接買えるのか?」
「うん」
まゆりの実家は池袋にある。
ほぼ毎日、そこから電車でアキバまで来ているのだ。
ちなみに幼なじみというぐらいだから、俺の実家も池袋だ。
夏休みに入ってからの俺は、ずっとラボに泊まり込みだがな。
「というわけで、また明日ねー」
トタトタと駆け出そうとするまゆりを呼び止めた。
「……まゆり。お前はあのときラジ館で、男の悲鳴を聞いたよな?」
「悲鳴……?」
まゆりは目を何度かしばたたかせ、こめかみに人差し指を当てて少し考えるような仕草をした。そして、いつもの微笑みを浮かべた。
「それって、いつのことー?」
「今日の昼だ」
「聞いてないかなー」
「……そうか。分かった。だったらいい」
「変なオカリーン」
「じゃぁね、トゥットゥルー♪」
まゆりは鳥居をくぐって姿が見えなくなるまで、俺に何度も振り返っては手を振り続けた。
「岡部さん、お待たせしました」
入れ替わりでルカ子が戻ってくる。
手には、白いフサフサのアレ。
「借りることができました。よかったです」
「あれ。まゆりちゃんは帰ったんですか?」
「まゆりはどうでもいいから。今すぐお祓いを始めるのだルカ子よ!」
「あ、はい、ボクでいいんでしょうか……? そもそも、なにに対するお祓いを……?」
ルカ子はオロオロしている。
頼りないな、と不安に感じた俺は、その直後にゾクリと寒気を覚えた。
「うっ、俺に……取り憑いた悪霊が……っ」
ブルブルと震える自らの手首をつかむ。
「くっ、鎮まれ、悪霊よ……っ。急げルカ子、このままでは、俺は、乗っ取られる……!」
「そ、そんな……! 岡部さん、しっかりしてください……!」
「俺は岡部さんではない……!」
「すいません、凶真さん……! ああ、でもボク、どうしたら……」
「お祓いを……急げ……!
この前、教えた通りに……やればいい……!」
「は、はい……!」
ルカ子は真剣な表情になり、大幣を両手でギュッと握りしめた。
まるで青眼の構えだ。なかなか雰囲気が出ている。
「え、ええと……っ、ええと……っ」
顔を真っ赤にしてあわあわしている。
なにか言おうとしているのだが、躊躇しているらしい。
テレのせいでパニクっているのか。くっ、未熟者め……!
「る……か……っ、頼む……悪霊を……俺の中から追い出してくれ……っ。俺は……お、お前を、殺したくないっ……!」
「うぅ……っ」
ルカ子は涙ぐんだ。
少し心配になってきた。
こいつが男だと理性では分かっているのだが、その可憐すぎる容姿のせいで、か弱い女の子を泣かせたような罪悪感がある。
だがルカ子は目に涙を溜めながらも、覚悟を決めたらしい。
「あ、悪霊よ……!」
大幣を頭上に高々と掲げ、左右へ揺らす。
「おかべ──じゃなくて、凶真さんから、出ていってください……っ!」
「いいぞ、そのまま俺の腕に、フサフサを当てろ……!」
「えいっ!」
大幣の先端が、俺の二の腕に触れた。
ここでマンガのように衝撃波でも起これば劇的だったのだが、当然ながらなにも起きなかった。
セミの鳴き声が聞こえるだけ。
「ど、どう……ですか?」
俺は大きく息をついた。
手の震えは止まっていた。
「……大丈夫だ。悪霊は去ったようだ。よくやったな、ルカ子」
ルカ子はホッと息をつき、それから赤面した。
「お役に立てて、よかったです……」
はにかむその姿は、やはりどう見ても女の子だった……。
……。
ラボに戻った俺は、昼間に煙を噴いて沈黙してしまったオンボロテレビを修理に出すため、階下にあるブラウン管工房へ向かった。
ダルもまゆりも今日は帰ってしまったので、大檜山ビルの狭くて急な階段をテレビを抱えて1人で下りていくのは、かなり骨の折れる作業だった。
尻で工房のドアを開けて中に入る。
日が暮れて薄暗い店内で、海外のニュース番組を映している巨大なブラウン管の光がやけに眩しく感じる。
42型のブラウン管テレビ。
今の日本では入手できないらしい。
液晶テレビが常識になりつつあるのに、こんなバカでかくて場所をとるブラウン管テレビをほしいと思うヤツは、誰もいないんだろうがな。
「おう、どうした岡部」
その巨大ブラウン管の前に腰を下ろしてスポーツ新聞を見ていた、筋肉質の不良中年。
この男こそが工房の店主でありビルのオーナーでも天王寺祐吾(てんのうじゆうご)だ。
俺はこの男のことをミスターブラウンと呼んでいる。
ブラウン管をこよなく愛する変人である。
「どうしたもこうしたもないですよ。貴方からもらったテレビが壊れた」
「おめえ、俺のブラウン管を乱暴に扱いやがったな」
ずっしりと重いテレビを、俺はやっとのことでカウンターの上に置いた。
「愛が足りねえんだよ、愛が」
いかついおっさんが愛などという言葉を語るとは。
鳥肌が立つではないか。
「修理をお願いしたい。最優先だ」
「相変わらず変な話し方だな、おめえって」
店長が早速テレビの故障原因を調べ始める。それを待つ間、俺はやることがないので店内をぐるりと見回した。
埃なのかなんなのか分からないが、空気は淀んでいた。
それにしても至る所にブラウン管が溢れている。
無造作に置かれたそれらはすべてガラクタに見えるが、ミスターブラウン曰くすべて現役らしい。
昭和の時代にあったような古くさいもの、フラットタイプのもの、さらには主流が液晶テレビへ移行する直前ぐらいに発売されたハイビジョンブラウン管テレビまで、なんでも揃っているんだとか。
「今日は遅くまでやっているんですね。普通だったら夜7時には店じまいでしょう?」
アキバは夜になると急速に人が少なくなる。
大手の家電量販店すら、夜の8時や9時には店を閉めてしまう。
そうなると昼の活気がウソのように、この街は静まり返るのだ。
「今日はこれから客が来るんでな」
「客? 例の小動物ですか?」
「おめえな、俺の愛しい娘を小動物呼ばわりするんじゃねえ」
俺をにらむと、店長は懐から1枚の写真を取り出して、愛おしそうに眺めた。
そこには、小学校高学年ぐらいの女の子が、はにかみながらピースサインをしている姿が写っていた。
なにも知らない人間ならば、この筋肉質の中年男は変態ロリコンなのだと思うだろうが、なにを隠そうこの写真の女の子は店長の実の娘である。今は、小学6年生ぐらいだっただろうか。
このおっさんがこよなく愛しているもの、その2だ。
名前はなんて言っただろう。
たまにこの工房に遊びに来ているのを見かけることがある。
「綯(なえ)に手出したらぶっ殺すからな」
そうそう。天王寺綯。珍しい字を書くのだ。
たまにこの店に顔を出すことがあって、2階の住人である俺たちとも交流がある。
俺たちというか、まゆりにだけはよく懐いていると言うのが正しいが。
俺やダルのことは怖いらしく、あまり近寄ってこないのだ。
あの歳にして俺が放つ狂気のオーラに気付くとは、実に将来有望な少女だ。
店長は娘が写った写真に向けて、大げさな仕草でキスをした。
実に気持ち悪い。
「しかし娘以外でこの工房に客が来ることがあるんですか?」
俺がラボを借りて半年ほどになるが、この店に客が入っているのをほとんど見たことがない。
儲かっていないのは確かだろう。採算が取れているかすらも怪しい。
「客っつーか、なんつーか」
写真をしまい、再びテレビの具合を調べ始めながら、店長は曖昧なことしか答えない。
「ふむ、こりゃたぶん、基板の半田浮きだな。直せるぜ」
「そうですか。ではよろしく」
「待ってろ。見積書作ってやる」
「なっ!? 金を取るのか!?」
「当たり前だろ。払わねぇつもりだったのか!?」
「このテレビは貴方からもらったものだぞ」
「だからなんだよ。アフターサービスまでタダでやってやるとは言ってねえぜ」
「おのれ、寿命間近のオンボロを押しつけておいて
その言い草とは……!」
「うるせーな。だったら引き取ってやってもいいぞ。家電リサイクル法で回収費ももらうけどな」
「横暴だぞ、人類史の未来を変えるやもしれぬ男からたかろうとは!」
「はあ? そりゃ誰のことだ」
「俺のことに決まっているでしょう」
「歯磨いて寝ろよガキ。そもそも2階をタダ同然で貸してやってるこの俺にそういうこと言うとは、いい度胸だなあ」
「フッ、修理代は弾もう、ミスターブラウン」
結局のところ、このおっさんには頭が上がらないのである。
そのときドアが開く音がした。
見ると、女性客が1人、入ってきたところだった。
ビンテージっぽいデザインのジャージを着た、手足がスラリと長いアスリートのような女だ。ぴっちりとしたスパッツに包まれた太ももには、しっかりと筋肉がついているように見える。
「おっはー」
「…………」
「…………」
一瞬、『ザ・ワールド』のスタンドが発動したかと思った。
ありのまま今起こったことを話したい気分だ。
「あ、あれ?」
女は、両手の親指を人差し指で丸を作って俺たちの方へと突き出したまま、うろたえている。
その挨拶は、何年か前に男性アイドルが使い始めて、子供たちの間で爆発的に流行ったものだった。
いや、個人的には東テレの朝の番組に出演しているベテラン声優が元祖だと思っているが。いずれにせよ、ずいぶん久々に見たな。
さっき店長が言っていた客とは、この女のことだろうか。
客ではなく店長の知り合いかもしれん。
“例の小動物”とは腹違いのもう1人の娘か?
それとも愛人か?
女はようやく“おっはー”の構えを解き、1つ咳払いした。
「えーと、さっき電話した、阿万音(あまね)です」
そこでようやく時は動き出す。
「ああ、バイトの面接したいって子な。俺が店長の天王寺だ」
「バイトの面接だと!? こんな若い女性が!?」
「この辛気くさくてオシャレ感ゼロで繁盛もしておらず、むさいおっさんが店長のブラウン管工房に、バイト希望だと言うのか──」
「おめえ、来月から2階の家賃1000円増しな」
「……俺は事実を言ったまでですよ。もっとも、部外者が口を出す問題ではないが。しかしブラウン管工房がバイトを募集していたとはな。この暇さではその必要性をまったく感じないのだが」
「あー、それはあたしが電話して無理言って頼んだんです」
女は少しバツが悪そうに、そう答えた。
「最初は断られたんだけどさ、店長さんに、どうしてもお願いしますって」
それは実に意外だ。
「今どき珍しい若者がいたもんだよな。ま、そこのイスに座んな、お嬢ちゃん」
「し、失礼しまーす」
どうやら本当にこれから面接をするらしい。俺は帰るべきかと思ったが、特になにも言われないのでなんとなく同席してしまった。
女の表情は硬い。
緊張しているんだろうか。
バイトの面接ごときで?
いずれにせよ、“無理を言って頼んだ”というさっきの言葉とは裏腹に、態度からはあまり情熱を感じられない。
「で、名前はなんだって?」
「阿万音鈴羽(あまねすずは)です」
「歳は?」
「18」
俺とタメか。
「学生?」
「ううん」
女は首を振った。
フリーターか。
「なんでウチで働きたいんだ?」
「ブラウン管が好きだから」
「採用! 明日から来い!」
「ちょっ、それでいいのか? というかこれはコントか? もしかして仕込みか!?」
「……ありがと、店長さん」
けれど阿万音鈴羽と名乗った女は、ここでようやく安堵したように息をついた。
それから、俺の方へチラリと視線をよこす。
「ところでさ、君は誰?」
「俺の名……聞きたいと言うのか? いや、やめておけ。それを知ることで、お前にも災厄が降りかかるかもしれん。これまでも多くの人が、俺の名を知ったことで“機関”に狙われた。アメリカのサラ、イタリアのクラウディア、フランスのシモーヌ……これ以上、誰かを危険な目に遭わせるわけには──」
「おい、アホな妄想してんじゃねえよ」
くっ。情緒の欠片もない言い方で遮りおって。
「このバカ男は、2階に間借りしてる岡部倫太郎ってんだ」
店長が代わりに俺のことを紹介した。
「岡部ではない。俺は鳳凰院──」
「うるせー。家賃さらに1000円上乗せするぞ」
「……岡部倫太郎だ」
女は立ち上がると、俺の肩に手を置いて真剣な表情で見つめてきた。
「君を狙っているその“機関”ってのがなんなのかは分かんないけど。もし困ってんならあたしに相談して、岡部倫太郎。そうゆーの、慣れてるからさ」
「……は?」
「……?」
慣れてるって、なにが?
「場合によっては、手段を選ばず痛めつけてやることも可能だし」
「ミスターブラウン、彼女は採用しない方がいいと思う」
「ああ、物騒だな。騒ぎ起こしたらクビにするからな。そもそもその機関なんたらは岡部の創作だから、本気にすんな」
「創作……?」
「せいぜいそう思っているがいいさ」
だがいつか、必ずや世界はこの俺の前にひれ伏すだろう。フゥーハハハ!
と、またも阿万音鈴羽が俺をじっと見ていた。
彼女は、人の目を見つめるクセでもあるのかもしれない。
「そうゆうのが流行ってんだぁ。勉強になったよ」
流行っては、いないと思うぞ。
……。
「……暑い」
朝から大学に出かけていて、アキバに戻ってくるとうんざりするほどの熱気が肌を包み込んだ。
ヨドバシの中にあるパン屋でアイスコーヒーを買い、ひとまず喉を潤す。
そのついでに、ケータイで@ちゃんねるを見ることにした。
俺がチェックするのはだいたいいつも決まっている。
オカルト板と未来技術板。たまに物理板。
それ以外にも稀に見たりするが、定期的にチェックするほどじゃない。
集団消失現像や牧瀬紅莉栖が刺されたことなどを調べてみたが、@ちゃんではそのようなスレは立っていなかった。
やはり、俺が見たのは幻だったんだろうか……。
オカルト板をのぞいてみると、あちこちのスレに“ジョン・タイター”を名乗る人物が書き込みをしていた。
今さらジョン・タイターとはな。
ヤツについては、俺はけっこう詳しいのだ。
彼は10年前にアメリカのネット掲示板に現れた、自称タイムトラベラーだ。
『IBN5100』とかいう古いPCを手に入れるために、2036年からタイムトラベルしてきたと語り、掲示板の住人たちと激しいやり取りを繰り広げた。
タイターは断片的にではあるが、未来において起きる出来事を“予言”している。
例えばイラク戦争の勃発や、クロイツフェルト・ヤコブ病の蔓延などだ。
自らが乗ってきたタイムマシンの原理の説明や、操縦マニュアルの写真を出したりして、未来人であることを証明しようともした。
けれど結局、最後までその正体を人前に晒すことはなく、
およそ4ヶ月ほどで姿を消した。
一時期、彼が言った“予言”がことごとく現実となっている日本でも話題になったことがある。
確かに当たっているものもあった。
だが、一方で外れているものも多く、また一連の書き込みに矛盾点もあったため、彼が本物のタイムトラベラーだったのかどうかについて、今では懐疑的な意見が一般的だ。
で、そのジョン・タイターが10年の時を経て、日本の@ちゃんねるに現れたって?
バカバカしい。どう見ても釣りの予感だ。
そもそもジョン・タイターはアメリカ人である。にもかかわらず今、@ちゃんねるでの書き込みは日本語でされていた。
とりあえず内容をざっと見てみる。
……。
====================
294:JOHN TITOR
私が2036年から来た事を信じて貰わなくても別に構いません。
この世界線のみなさんはタイムマシンについて詳しく知りたい様ですね。
タイムマシンを開発したのはSERNです。
彼らは2034年にそれを完成させました。
295:名無しの預言者さん
タイムトラベラー(笑)
ジョン・タイター(笑)
296:栗悟飯とカメハメ波
タイムマシンについてkwsk
297:名無しの預言者さん
タイム・マシンって市販されてんの?
・
・
・
343:JOHN TITOR
タイムマシンはSERNによって独占されています。
一般人も、国家も、企業も、手に入れる事は出来ません。
彼らはそれを自身の利権の為だけに用いて、世界にディストピアをもたらしました。
争いは完全に消えましたが、それは偽りの平和に過ぎません。
kwskとは何です?
344:名無しの預言者さん
この時代になにをしにきた?
まさかアキバに人工衛星を落としたのは藻前の仕業か!!1!1
345:名無しの預言者さん
ちょっと待ておまいら
タイターさんは@ちゃんねる語が分からないんだ!
もっと分かりやすくきれいな日本語で書こうぜ
性的な意味で
346:名無しの預言者さん
>>>343
いいから酉つけろって言ってんだろカス
・
・
・
476:JOHN TITOR
私は現在を(あなたがたから見れば未来ですね)変えるという崇高な使命の為にやって来ました。
SERNによって作られたディストピアを破壊し、再び自由を手にする為です。
この時代はとても心地が良いですね。
人々が自由を謳歌している。
けれどもこの自由も、僅か20年で失われてしまうという事を、みなさんは知らなければなりません。
酉とは何でしょうか? 教えて頂ければ対応します。
477:名無しの預言者さん
あんたはつまりSERNの手下ってことだろ?
タイムマシンはSERNが独占してるならそうなるよな
だったらSERNの作ったディストピアを破壊するなんて目的は矛盾してる
論 破 終 了
478:名無しの預言者さん
ディストヒアってなんぞ?
479:名無しの預言者さん
国家はどうなってるわけ?
これからたった20年で今の枠組みが瓦解するとは思えん。
特に中東のカオスっぷりをどうにかするのはガチでミリ
マンガの見すぎじゃね
480:名無しの預言者さん
タイター氏1人の都合で未来を変えるって?
とんだ傲慢さだ。
ディストピアだっていーじゃん平和なんだろ
・
・
・
523:JOHN TITOR
私のタイムマシンは、SERNの技術を盗んで作ったプロトタイプと言うべきでしょう。
あまり性能は良くありません。
2036年を例えるならば、独裁者によって地球が支配されたようなものです。
独裁者は人々に対して完璧なる管理を行い、プライバシーは一切無く、食べ物の量も住む場所も結婚する相手も自動的に決められます。
そして独裁者に逆らう者は容赦なく殺されます。
裁判等もありません。
524:名無しの預言者さん
映画で見たことあるけど、過去を変えると未来が大きく変わるんですよ
なんの考えもなく自分の都合だけで今を変えて
未来がとんでもないことになったらどうするつもりですか
525:栗悟飯とカメハメ波
え、なにそれSERN=独裁者とか言いたいの?
SERNがどんな機関か知らんのかw
526:名無しの預言者さん
それなんてディック?
527:名無しの預言者さん
こいつの父親特定しようぜ
で、それを殺しちゃえばはた迷惑なタイムトラベラー(笑)は生まれないだろ
528:名無しの預言者さん
というかタイムトラベルしたとして過去の自分に会えるんですか?
会ったらどうなるんですか?
・
・
・
689:JOHN TITOR
所謂、祖父のパラドックスと言うものですね。
しかしそれは発生しない事が証明されています。
計測した所、私の居た世界線と比べて、この世界線は0.571024%の変動率になっています。
私の父が殺されれば世界線変動率はさらに歪むでしょう。
それは私の父が殺された世界と言う可能性を生みますが、殺されなかった世界が無くなる訳ではありません。
SERNは素粒子物理学の研究機関です。
それはこの時代も2036年も変わりません。
勿論、過去の自分に会う事は出来ます。
会ったとしても何も起こらないと言うのが2036年における主流の考え方です。
私は残念ながら過去の自分に会った事は有りません。
690:名無しの預言者さん
いいからおまいがタイムトラベラー(笑)だって証拠を出せよ
タイムマシンの画像うpで許してやる
691:名無しの預言者さん
もしかして多世界解釈っすか?
マジパネェっす
692:栗悟飯とカメハメ波
「素粒子物理学の研究機関」が世界征服を成し遂げた件についてw
・
・
・
711:JOHN TITOR
私は自分の存在について証明する気も有りません。
此処にこうして書き込んだのは、ちょっとした気紛れですので。
私は私の使命に基づいて、粛々とすべき事をするだけです。
712:名無しの預言者さん
世界線とは何ですか?
別の世界線の自分と会えますか?
会ったらどうなりますか?
713:名無しの預言者さん
>>>476
遅レスだが酉=トリップ
名前の後に#パスワードで出せる
714:名無しの預言者さん
逃げたw
・
・
・
807:JOHN TITOR
世界線は、無数に並行して流れる川のようなものです。
途中で幾つにも分岐していきます。
例えばあなたがこの掲示板に書き込みをしたかしなかったか程度では世界線変動率に変化は有りません。
しかしあなたが通り魔に殺された場合は世界線変動率が変化します。
と言っても、ほんの0.000002%程度でしょうけれど。
誤解しないように追記しておくと、人はそれだけ沢山居るという事です。
戦争や大きなテロ等が起きれば、その数値の幅も大きくなります。
トリップについて教えて下さった方、ありがとう。
以後はこれを付ければ良いのですね。
覚えておきます。
今日は少し疲れてしまったので、また後日。
みなさんとお話出来て楽しかったです。
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……。
早くもまとめサイトまで作られているらしい。
というかタイターについてのまとめサイトは、何年も前からあったはずなんだが。
タイターの書き込みは、ほとんどが10年前にタイター自身が語った内容と似通っていた。
タイターの発言を日本語訳した本などは、数冊発売されている。
かくいう俺もその中の1冊を偶然読んで興味を抱いたクチだ。
だから、今@ちゃんねるに書き込まれている内容が、10年前とほぼ同じだとはっきり照明できる。
あのタイター本はどこにやっただろう?
読んだのは中学生の頃だから、実家の本棚の奥に眠っているかもしれない。
いずれにせよ、再び現れたジョン・タイターはニセモノだろう。
というよりニセモノにすらなっていない。なにしろ単にコピペしているだけなんだから。
@ちゃんねるにはマニアが多い。
確かにジョン・タイターは日本ではそれほどの知名度はないが、それでもこんな釣りには誰も引っかからないだろう。
そう思っていたら、意外にもスレ住人の反応は俺の予想とは真逆だった。
というより、誰もがまるでジョン・タイターという“未来人”と初めて接したかのような態度だ。
誰も、10年前にタイターが現れていたことについて触れようとしなかった。
さすがにおかしいと思い、俺がそのツッコミを入れてみたが、総スルーされた。
おのれ……! なんなんだ……!?
こんなの、ちょっと調べればすぐ分かることだ。
タイターについて書いた日本の個人ブログだって腐るほどある。
試しに“ジョン・タイター”で検索してみた。
検索結果、12件……?
たったのそれだけ?
しかもその12件はいずれも、今@ちゃんねるに書き込んでいる方のタイターについて書いたものだった。
10年前のタイターの痕跡が、まったく見つからない。
おかしい。こんなはずはない。
数年前、俺はタイターについて検索したことがある。そのときは何万件とヒットしたんだ。
検索サイトがフィルタをかけているのか?
試しに、別のサイトから検索してみたが、結果は同じだった。
実に気に入らない。
まるで俺だけが別世界に迷い込んだような感じだ。
これも“機関”による陰謀か?
なんだか薄気味悪くなってきた。
昨日から、混乱することばかり起きている。
ダルに電話をかけてみよう。
ヤツならば、タイターのことを知っている。
それについては間違いない。
なぜなら以前、俺はダルとタイターの話題をしたことがあったからだ。
具体的な会話の内容については、その記憶がおぼろげではある。
しかし確実にタイターの話題はした。
「はい」
「俺だ。状況は?」
「……オカリンさあ、電話のときぐらいそういうのやめれ」
「ジョン・タイターについて把握しているのかと聞いている」
「ちっとも話が見えない件について」
「そもそもお前、今どこにいるんだ? ラボには来るのか?」
「今は『メイクイーン+ニャン²』にいる」
「またか……」
『メイクイーン+ニャン²』とはアキバにあるメイド喫茶である。
3次元メイドも好きなダルは、その店の常連なのだ。
「内密に話がある」
別に内密にする必要なんてまったくないが。
「俺が行くまでそこから動くな」
「は? 来るの? いいけ──」
……。
『メイクイーン+ニャン²』は、我がラボの目と鼻の先である。徒歩3分というところ。
蔵前橋通りから妻恋坂交差点を左折したところにある。
さっそく向かうことにした。
夏休み期間中であることに加え、例のラジ館の件もあって、こんな時間からアキバはすごい賑わいだった。
昨日はこの辺は封鎖されていたらしいが、さすがに中央通りを2日連続で規制するわけにもいかなかったのだろう。今日は警官の姿は見かけなかった。
どうやらラジ館は立ち入り禁止になっているらしく、入り口のシャッターは閉められ、警察が使う黄色い封鎖用のテープが張ってあった。
「謎の人工衛星墜落から一夜明けた秋葉原です。警察による規制は解除され、駅前にはすごい数の人が集まっています! 墜落した人工衛星がどこの国のものなのかについては、現在も調査中とのことで、詳しいことが分かるまで撤去ができない状態です。警察の発表によりますと、爆発などの危険は今のところないということですが、秋葉原を訪れた買い物客や地元商店街の関係者からは、不安の声が上がっています」
テープの前では、何十台というカメラが設置され、多くのマスコミがたむろしている。
そしてその倍近い野次馬が、道を埋め尽くすほどの勢いで集まっており、誰もが頭上の人工衛星らしき物体へとケータイのカメラを向けていた。
すごい人の数だな……。
普段からアキバをホームタウンにしている俺にしてみれば、この騒動は祭を通り越して異様である。
それにしてもラジ館に突き刺さっている人工衛星は、いつ頃撤去されるんだろう。
爆発とかしないだろうな。
この近辺の避難勧告が解除されているっていうことは、少なくとも危険なものではないんだろうが。
もしかしたら、という最悪の事態についてだれも警戒していないのは逆に驚きだ。
オタクたちは今日も今日とてエロ同人誌やら輸入版のゲームやらパーツやらを求めて、このアキバを訪れている。
ラジ館の前以外は、いたっていつもと変わらない光景が展開されているのだ。
アキバは、今日も実に平和だった。
それにしても、昨日のことはいったいなんだったんだろうか。
うやむやのままにしているが、原因を究明した方がいいよな。
もしかすると俺は、よくメディアで言われる“現実と空想の区別がつかなくなっている状態”になっているかもしれないんだし──
そんなことを考えつつ、視線を前方へと戻したら──
真面目に、ケータイを目の高さまで掲げた女が立っていて。
「……!?」
写真を撮られた。
ケータイのレンズは、明らかに俺の方へと向けられていた。
とっさに手で顔を隠そうとしたが、間に合うはずもなかった。
念のため、一度振り返ってみる。背後にこの女の知り合いでもいるのかと思ったが、それらしい姿はない。
「…………」
女は俺の方を見ようともせず、ケータイ画面をチェックしている。
やがて俺に背を向けると、またケータイを目の高さまで掲げて、別の歩行者へとカメラのレンズを向けた。
もしかして、俺限定ではなく無差別に撮影しているんだろうか。
だとしても、ここは一言、言ってやらねばなるまい。
“機関”に追われる身である俺にとっては、顔写真のデータが流出するような可能性は徹底的に排除しなければならないのだ!
最近は物騒な世の中だし。犯罪行為に使われていわれのない罪を着せられたくない。
「wait(ウェイ)、wait(ウェイ)、wait(ウェイ)!」
「…………」
女は振り返らない。
撮影に夢中で俺の声が届いていないのか?
それとも俺の見事なネイティブ風イングリッシュを聞き取れなかったか?
「ちょっ、そこでケータイカメラを使っている貴方! 待て! 待ってください!」
「……?」
ようやく気付いた女が、身体ごとこちらに振り返る。
当然ながら、女が眼前で構えているケータイのレンズも俺の方を向くことになり──
「って、よせ、撮るんじゃない! まさか“機関”の差し金か!?」
「…………」
女は俺の抗議を完璧にスルーした。
またもケータイ画面に視線を落としてしまう。
「質問に、答えてもらいたいんですがね。貴方は“機関”の人間か?」
もしそうならば、こちらとしても相応の手段を取らせてもらうことになる……。
いつまでも下手に出ていると思うなよ。
「…………」
「ち、違うのか?」
「…………」
「違うとしても、問題がありますよ。俺の写真を持っていると“機関”に知られれば、貴方にもヤツらの魔の手が伸びるかもしれない」
「とにかく今撮った俺の写真を即刻削除してほしい」
「…………」
き、聞いてるんだろうか……?
「……謝る」
と、ようやく女が、ボソッとではあるが口を開いた。
「不快に、させたなら」
それから、わずかに顎を引いて見せた。
頭を下げた……ように俺は見えたが、元々うつむいていたから実際にそうしたのかどうかは分からない。
「謝るより先に、写真を削除してほしいわけだが」
「風景、撮ってた」
女の指は、かなりの速さでケータイをキーを操作している。
少しイライラさせられる口調とは正反対だ。
「風景を撮っていた? 観光客?」
それとも人工衛星目当てで集まってきた野次馬の1人か?
だとしたら、なぜ人工衛星を撮らずに俺を撮るのだ?
女はうつむいたまま、首を左右に振った。
「……証明。自分が今日、どこを歩いたか」
「変なヤツだな……」
「桐生、萌郁」
「ん?」
「名前」
自己紹介したらしい。
別にそんなことは望んでいないのだが。
写真は削除してくれたんだろうか。
「聞きたいことが、ある。……いい?」
「それより写真を──」
「都市伝説。秋葉原の」
「……知らない?」
秋葉原の都市伝説?
いったいなんのことだ?
まさか、秋葉原には恐るべき天才マッドサイエンティストがいるという噂が広まっているのだろうか。
その天才マッドサイエンティストの首には賞金が懸けられ、多くの刺客たちが血眼になって探しているという噂が……!?
「くっ……。俺は……この街に、長く居すぎたのかもしれん……! だが、そろそろ潮時か……」
秋葉原。思い返してみれば、悪くない街だった。
だからこそ、長居をしてしまったのかも……。
「幻の、レトロPC」
「レトロPC?」
俺の問いかけに、女はコクリとかすかにうなずいた……ように見えた。
「秋葉原のどこかに、あるらしくて。それが」
「そ、そうか……」
マッドサイエンティスト云々じゃなかったのか。
残念なような、ホッとしたような、複雑な気分だった。
それにしても、幻のレトロPCが秋葉原のどこかにある、という都市伝説か。
そんな話、聞いたことすらないぞ。
「幻のレトロPCと言うと、98あたりか?」
俺がパッと浮かんだのはそのあたりだった。
だが98は“幻のレトロPC”になるんだろうか。
と、女はかすかに首を左右に振った……ように見えた。
「……いいえ。これ」
そう言って、さっきからずっと握りしめているケータイの液晶画面をこちらに向けてくる。
そこには、妙な形のコンピュータの画像が映し出されていた。
モノクロだから分かりにくいが、一応PCっぽく見える。
とは言え最新の世代とは明らかに形が違った。
これ、どこかで見たことがあるような……。
「『IBN5100』」
IBN5100……。
「ジョン・タイターが手に入れようとしたPCか」
ケータイを握る女の指が、ピクリと動いた……気がした。
「見たことは……?」
「ない。名前を知ってるぐらいだ」
こんな偶然もあるものなんだな。
いや、それとも──
「これも運命石の扉(シュタインズゲート)の選択かもしれん……」
「詳しい人……知らない……?」
「ダルならば、詳しく知っているかもな」
「そいつは俺の頼れる右腕(マイ・フェイバリット・ライトアーム)であるスーパーハカーでな、MI6の中枢にすらハッキングできる実力の持ち主なのだ」
MI6のくだりについては、俺の方で大げさに脚色させてもらった。
もし実際にそんなことしたら、黒服エージェントに踏み込まれて連行されてしまうだろう。
だがスーパーハカーなのは確かだ。
PCへの造詣の深さは異常。
そう言えば、俺はダルと話をするために『メイクイーン+ニャン²』に向かっているのだった。こんなところで見知らぬ女と立ち話をしている暇はない。
「では俺は行く。女よ、メディア・スクラムもほどほどにな」
決め台詞を残してそそくさと立ち去ろうとしたが、服の裾を引っ張られた。
「なにをする!?」
「メルアド……教えて」
「……なにが狙いだ?」
「スーパーハカー……の」
ダルの話を聞きたいらしい。
中途半端に教えてしまった俺にも責任があるな。
これからダルに会いに行くんだし、連れて行って紹介してやるか。
……いや、だが待て。
これは罠の可能性がある。
実はこれはスパイで、俺からダルという貴重な戦力を奪うつもりかも。
ダルを失えば俺は無防備だ。
他に味方と言えば、特技が“コス作り(女性限定)”というまゆりしかいないのだ。
「断る! 今、ダルを失うわけにはいかん!」
女の横をすり抜け、俺は早足で歩き出した。
「…………」
チラッと振り返る。
「…………」
女が追ってきていた。
早足で逃げる。
それでも追ってくる。
「俺の後ろを歩くな!」
振り返り文句を言う。
だが女は動じず、なぜかまたケータイ画面をこちらに向けた。
そこには、さっき取られた俺の間抜け面が表示されている。
「ゲェーッ! まだ削除していなかったのか?」
「教えてくれたら……削除する」
「この俺を脅すとは……貴様、何者だ?」
俺はあえて本性を現し、にらみつけてやった。
だが女の視線は伏せられたままなので、まったく効果なし。
「私は……」
女は一瞬だけ言い淀んだ。
「『アーク・リライト』の、バイト……」
「なんだそれは?」
「編プロ……。秋葉原に、ある」
こいつが編プロのバイトだと?
こんなボソボソ喋りで陰気な女に、編プロの仕事が務まるんだろうか。
「ハッ! 貴様、俺の写真を無断で記事にするつもりだな!?」
アキバに身を潜めるマッドサイエンティストを激写、みたいな。
それを偶然目にした“機関”が、ついに俺の潜伏先であるラボに迫り、アキバの血の海と化す──
まずい。そんな恐るべき事態は避けなければ。
ならば、やむを得ないか……。
「交換条件に乗ろう……」
いずれにせよ編プロのバイトなどに写真を持たれていたら、なにに使われるか分かったものではない。
俺はメルアドを自分のケータイ画面に表示させ、それを女の方に指し示した。
女は2つのケータイを交互に見ながら、やはり高速でキーを打ち込んでいった。
すごい速さだ。とても真似できない。
「そうか、この女……能力者か」
能力名はさながら、『閃光の指圧師(シャイニングフィンガー)』と言ったところか。
1分間に255文字の呪いの言葉を打ち込むことができる。そのメールを送られた相手は死ぬ。
メルアドの打ち込みは終わったらしい。わずか5秒の出来事だった。
「名前は……?」
「鳳凰院凶真。マッドサイエンティストだ」
「どう……書くの?」
「フェニックスの鳳凰に、院、そして凶悪なる真実」
「…………は?」
「フェニックスの鳳凰に、院、そして凶悪なる真実、だ」
同じ説明を二度繰り返した。
これが俺の真名の由来だ。
院、については長くなるので説明を省いている。
「…………」
女は首をひねりつつ、俺の名前を登録した。
「こう?」
「なんだこれはふざけるな! 俺の真名をバカにするつもりか!」
「…………」
女の顔がますます下を向く。頭を下げているらしい。
「ならばケータイを貸せ! 俺が入力してやる!」
「……っ」
だが女は、俺からケータイを守るように両手できつく握りしめ、ブンブンと首を振った。
まるでオモチャを取り上げられそうになっている駄々っ子のようだ。
俺には渡したくないらしい。
そこまで全力で嫌がられると、人格否定でもされたような気分になる。
ちょっぴり落ち込んだ。
仕方がないので女のアドレスを開き、空メールを送ることにした。
女の名前はさっき聞いたはずだが思い出せないので、『閃光の指圧師』にしておいた。
「…………」
「…………」
いかん。アキバの路上でなにを立ち尽くしているんだ、俺は。
さっさと空メールをこの女に送ろう。
特に文面を書き加える必要はない。
真名さえ相手に伝わればいいのだ。
直前に登録した『閃光の指圧師』へと、文章を一文字も書いていないメールを送りつけてやる。
「……」
女が自らのケータイを見つめたまま、眉をひそめる。
それから、俺の方を一瞥した。
明らかに、今の目は“早く送ってよ”と訴えているように感じた。
だが俺は迷ってしまったのだ。
果たしてこの女に真名を教えてもいいものかどうか。
とは言え、どれだけ迷ったところで、こちらが教えるまで俺は解放されないだろう。この女のことはよく知らないが、なんとなくそんな気がする。
こいつは、粘着質だ。
仕方なく、俺は空メールを送信した。
それから一言二言交わした後、逃げるようにして女と別れた。
……。