ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【3】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

●購入先●

store-jp.nintendo.com

 

 

●公式サイト●

game.mages.co.jp


--------------------

 

 

 



そこは、渋谷駅から歩いて5分程のところにある、道玄坂のラブホテル街だった。

確か先日、不審火による小火(ぼや)騒ぎがあって、その際に取材で来たことがあった。

ラブホテル街と呼ばれてはいるが、商売のメインであるはずの夜に来ても、そこまでけばけばしい区画じゃない。

電飾がつかない昼ならなおさらで、看板がなければ少し大きめの建物が並ぶ、普通の住宅街とそう変わらないところだ。

 



その中の、『妖精のダンス』という0点な名前が掲げてある4階建てのラブホテル。

狭い路地の中に建っており、おまけに駐車場がないためだろう、パトカーが一台近くのコインパーキングに停めてあった。


──「こっちー」


そこから少し離れた雑貨屋の店先に、世莉架が立っていた。

昨日に引き続いて、二つの事件の現場周りの画像を撮るために、街に出ていたはずだ。

 



「何があった?」
「わかんない。さっきゲンさんと107の近くですれ違ったときに、ここでなんかが起きたって教えてくれたの」
「……相変わらずあの人はよくわかんないな。どこから仕入れてるんだ、そんな情報。……便利だからいいけど」


ゲンさんは僕に秘密の愛読書を売りつけてくる、知り合いのホームレスのおじさんだ。

いつも安酒で飲んだくれて自らを『貴族』と称し、貴族にしてはあまりに庶民感溢れる昔話を聞かせてくれる変人だけど、毎日渋谷を徘徊しているためか、いつも意外な情報を教えてくれる。


「でも、大事なのは間違いないっぽいよ? さっき、中に入ってった警察の人が応援呼んでたみたいだし」
「…………」


……なるほど。

僕はとりあえず、スマホの動画モードでラブホテルの外観をおさえ始めた。

 

 

 

 



「お、お前……こういうときだけ足速いな……」

 

「…………」


部室を出るときに置き去りにしてきた二人が追いついてきた。

走ってきたようで、特に伊藤は肩で息を整えていた。


(な、なんだ、来栖も来たのか……)


……香月は来ていないようだ。

当然か。

登下校以外で香月が外にいるのを見たことがなかった。

部室の主なのだ。


「…………で。事件か?」


意気込んで聞いてくる伊藤に、僕は世莉架から聞いた話を伝えた。

すると伊藤は、あからさまにがっかりした様子で、


「なんだそりゃ。単に痴話喧嘩かなんかで騒ぎになったんじゃねえの?」

「それだけでわざわざ応援なんて呼ぶか? それに、今日は29日なんだぞ」

 

「……だから、気にしすぎだって言ってるでしょう」


いさめる口調で来栖が言った。

ラブホテルが建ち並んでいる周りを、見るのも嫌だというような目つきでさっと見回して、


「早く学校に戻りましょう。学生が居ていい場所じゃない。監視カメラに映っているのが問題になったらどうするの」


とにかく首を突っ込んで欲しくないのだろう。

 



復興以後、ラブホテル街にも以前より増して監視カメラが設置されるようになった。

制服を着ている自分たちは確かに目立つかもしれない。

来栖が早く、と視線で帰路へ促す。

と──


「ん……?」


録画している映像越しに、僕は気づいた。

 



ラブホテルの3階。

路地裏へ面している一部屋だけ、窓が開いていた。

全開にしているのか、派手にカーテンが風になびいて外に飛びだしていた。


「なあ……。普通、こういうとこって、窓開いてないもんだよな」


見上げたまま、伊藤に問いかける。


「ん? まあそうなんじゃねえの。使ったことなんかねえからわかんねえけど。……あ」


僕の視線を追って、伊藤も気づいたらしい。

……怪しい、気がした。

僕も使ったことなんかないからわからないけれど、少なくとも、普通は閉まっているものなんじゃないのか。

あれやこれやが見えてしまったり聞こえてしまったりすると大変だろう。


「…………?」


不意に、どこからか音が聞こえてきた。

単調で、落ち着いた雰囲気の曲だ。

耳をもう一度澄ませてみる。

オルゴール……だろうか。


「…………」


間違いない。

あの、窓が開け放たれている部屋から、まるで何かを誘うように響いてきている。

……なんだ?

僕は周りを見渡した。

開いている窓の向かいは、やはりラブホテルだが面しているのは外壁だ。

先週のカラオケボックスのように、隣の建物の窓を通して見ることは出来ない。

ましてや、よじ登ることも出来ないだろう。


「……ちょっと。何考えてるの」


思案顔になっていたのだろうか、来栖が探るように僕に訊いてきた。


「……ばれないように中に入れれば」

「なっ……」


近くのパーキングに目をやる。

パトカーはまだ一台しか来ていない。

……よし。


「裏口ぐらいどっかにあるだろうから、応援の警察が来る前に済まそう。伊藤。そっち側から回ってくれ」

「お、おう……?」

「僕はこっち側から──」

「ちょっと拓留。こっち見なさい」


伊藤の返事を待たずに周囲の確認に回ろうとした僕の腕を来栖が掴んだ。

 



「ダメ。こんなの部活の範疇じゃないでしょう。私の言うことが聞けないの?」

「…………」


……まずい。

例の表情が飛び出す一ミリ手前の来栖だ。


「しかもここ、いかがわしいホテルでしょう。それにもし妙なことに巻き込まれたらどうするの」

「…………」


それはわかっている。

だけど、僕は退き下がりたくなかった。

これは、スクープをモノにするチャンスかもしれないんだ。


「停学にでもなったらどうするつもり。……姉として、弟を危険な目にあわせるわけにはいかないの」

「……弟というか、家族でもなんでもないじゃんか、僕たちは」

「っ!」

 



途端、来栖が物凄い勢いで僕の胸ぐらを掴み上げ、額が当たるほど顔を寄せてきた。

 



「…………っ」


顔が紅潮しているのが分かった。

喉の奥から言葉になっていない小さな唸り声のような音が聞こえ、僕を掴んでいる腕が小刻みに震えていた。


「…………」


何か言いたいんだろう。

いや、言いたいことは決まってるのだ。

でも来栖は言わなかった。

“どうにもならない昔のこと”を蒸し返して感情を強要するほど、来栖は低い人間じゃない。

それにあれは終わったことで、どちらが悪いというわけでもないのだから。

 

 



──「やめー!」


ドン!


「きゃ……!」


突然、走り寄ってきた世莉架が来栖にタックルをかけた。

勢いもろとも二人は地面に転がった。


「あぁ……ちょっと世莉架、何して……」

「喧嘩はダメだよ、のんちゃん、タク。五人でみんな仲良くが新聞部のモットーでしょ?」


……そんなモットーはなかった。


「真ちゃんも止めなきゃだめじゃん」

「い、いや……っつーかどこ行ってたんだ?」

 



「ん? あー! そうだ、喧嘩してる場合じゃないんだよ、タク!」


びょん、と安物のおもちゃみたいに世莉架は立ち上がって、


「裏のドア、開いてる!」

「え……」

 



「喉かわいて自販機なくてホテルの中ならあるだろと思って裏のドア見つけて開けて中入って自販機あって流石妖精のダンスじゃんやるじゃんって思って買っていっき飲みしてたら、あれ? って」

「……んだよそれ」

「……お前、いつも後先考えずに突き進むよな」

「タク、どうするの?」

「…………」


僕は…………


「…………」


来栖がこっちを睨んでいるのがわかった。

でも、何も言ってこない。言えないのだ。


「……二人で行こう。カップルの方が、いざというときに誤魔化しが利くかもしれない」

「おっけい」


言うが早いか、世莉架は、こっちー、と僕を先導する。

僕はそれに続いた。

 



「…………」

「…………」


去り際、僕は言葉には出さずに、ごめんと胸中で来栖に謝った。

当然、聞こえるはずもないその言葉に、来栖は何も返さなかった。


……。

 

 

「階段、向こうなんだけどな……」


裏口からホテル内へ入った僕たちは、ロビーへ続く角で息を潜めていた。

ラブホテルには初めて入るけれど、もっと派手な装飾がしてあると思ったら、意外に地味目の内装だった。

看板に偽りありのようで、妖精もいなければダンスをしている奴もいない。

静かな雰囲気を売りにしているのかもしれない。

だけど、


──「ですから、人を早く寄越してください! ……え? いや、それは神成(しんじょう)さんに訊いて下さい!」


先ほどから警察官が電話に向かって、ヒステリックに叫ぶ声がそれを台無しにしていた。

混乱しているのか興奮しているのか、同じやり取りを繰り返している。

やはり、何かが起こったのだ。

それも、応援を呼ぶほどのことが。

……チャンスだ。

警察官でごった返す前に、現場と思われる場所までたどり着けば、思わぬスクープをものに出来るかもしれない。


「はい、それは間違いありません。確認しました。ですが、こちらでは判断が…………いえ、ですからそういう状態じゃないんです!」

 



「くそ……」


あの警察官が邪魔だ。

階段にしろエレベーターにしろ、どうしたってロビーを横切らないといけない。

 



「……タク、行くよ」
「え?」
「早く」
「ちょ……!」


世莉架はいきなり僕の腕を自分の腕に絡めて、堂々とロビーに入って行った。


「おいおい……!」


世莉架は聞く耳を持たず、そのまま階段へ向かって一直線に僕を引っ張って歩いていく。


「……ん? おい!」


咎めたであろう警察官が、後ろから僕たちを怒鳴りつけてきた。


「……っ」


……やばい。

顔は見られてない、はずだ。

走って逃げるか?

いや、そんなことをすれば妙な疑いが──


「部屋から出るなと言っているだろう! …………はい、いえ、すいません。大丈夫です。それより、早く応援を……」


警察官は電話に向かってぶつぶつと言い始めた。


「…………」


僕らはそのまま絶対に振り向くことなく、ロビーを横切って、

 



「む、無茶するなよ……」

 



「へへ。でも、タクの言った通りだったじゃん。誤魔化せた誤魔化せた」
「びっくりした……」


……危なかった。

心臓が鬱陶しいくらいに鳴っていて、気持ちが悪い。

高校生だと、ばれなかっただろうか。

いや、いくら後姿だったとはいえ、制服でわかるよな……。

なんで補導しなかったんだ。


「…………」


……それとも、高校生を補導している暇なんかないほど、混乱しているのか。


「……てと。どうしよか」


腕を離して、世莉架が訊いてきた。

そうだ。

あれこれ考えている場合じゃない。


「……外から見たあの場所が現場かどうかはわからないけど、とりあえず3階からあたろう。そこがはずれだったら、他の場所を見て行く。警察の応援が来たらそこで切り上げ。でも警察の様子から見て、やっぱり何か事件があったんだ。絶対に、撮って帰ろう」
「おっけい」


……。


静かだった。

廊下からまだ聞こえてくる警察官の声が一層それを際立たせた。

警察官が言っていた通り、たまたま居合わせた客は部屋から出るなと指示されているんだろう。

……今更になって、なんかちょっと、怖くなってきた。

考えてみれば、何かの事件が起きていたとして、犯人とかがいる可能性も捨てきれないんじゃないか?


「そういえばタク、まだのんちゃんと喧嘩しちゃってるんだね」


世莉架がのんきな口調で尋ねてきた。

ありがたい。

緊張を紛らわせられればなんでもいい。


「……喧嘩ってわけじゃないよ」


……いや、喧嘩なのかな。


「でもまだ、来栖って呼んでるんでしょ? 気持ちはわかるけど……。なんとかならないかなあ」
「…………」

 



来栖を乃々と下の名前で呼んでいたのは半年前までだった。

“あのこと”があって寮を飛び出してからは、一度も来栖を乃々と呼んでいない。

来栖を苗字で呼び続ける限り、来栖は僕に対してムカつき続けるんだろう。

きっと、来栖にとって譲れない何かを傷つけているから。


「──タク」

 



「あ……」


気づけば3階についていた。

世莉架がいつの間にか先に行っていて、角から廊下に顔を突き出している


「……誰もいないみたい」
「……よし」


僕はスマホを取り出し、いつでも録画できる準備を整えた。


……。


「…………っ」

 



3階の廊下に出た瞬間、反射的に僕は息を止めた。

さっき警察官に怒鳴られた時よりも強く跳ねた胸を押さえつけて、通路の奥に目を凝らした。

一部屋一部屋が大きいのだろう、部屋のドアの間隔が広かった。

赤を基調にした床が、奥に行くに従って黒く沈んでいた。

 



エアコンが換気している音だろうか、低い風が駆動している耳障りな響きが伝わって来た。

……窓がない上に電灯が弱いから不気味に見えるけれども、おかしなところはなかった。

ただ、何か妙だ。

空気が固い。

気を抜くと物陰から誰かが飛び出してきそうな感じというか、そこら中に罠が張り巡らされている感じというか。

一瞬、床が血に染まっているような気がした頭を、僕は振り払った。

なんだろう、夜の暗闇の不安に近い……?

単純に暗いから……?


「…………」


いや、それよりも。

 



まるでこっちの不安が楽しみでしょうがない誰かが、僕を見ている気がした。

僕の外見から伝わるものだけでなく、それこそ心の底の感情を直接覗かれているような。


「タク?」


びくっと肩が跳ねた。

 



「? どしたの?」


い、いきなり話しかけるな!

ムチウチになるじゃないか!


「な、なんでもない……! ……なあ、なんか変じゃないか?」


ここ、と視線で廊下を示す。

世莉架はひょいと僕越しに奥に目を凝らして、


「そりゃ、暗いからなんか不気味だけど……。雰囲気作りとかじゃないの?」
「…………」


……そうなのだろうか。

それだけなのか?

僕が過敏すぎるのか?


僕は脇にあった電灯のスイッチを切り替えてみたが、何も反応がなかった。

切れているのか、ここの廊下のスイッチじゃないのか。

……くそ、『1407号室』じゃあるまいし。

 



僕は後ろを振り返った。

世莉架しかいない。

他に、誰も僕を見ている奴はいない。

そのことを時間をかけてしっかりと確認してから、


「い、行くぞ」
「うん」


気軽に頷いてくる世莉架を背中に伴って、奥に向かって歩き出した。

外で見た窓の場所を思い返す。

……ここからだと、廊下の奥のほうにあたるはずだけど。一番奥だったか、その手前だったか。


「……あの二つのどちらかかな」


足音を殺して、鬱陶しいくらい長く感じる廊下を、当たりをつけた左側の奥の部屋に向かって進んでいく。

一歩進むごとに、はっきりと足の裏から廊下の感触が伝わって来た。

普段使っていない神経を意識させられるようで、ひどく身体に力が入っていることがわかった。

廊下に、警察官は見当たらなかった。

通常、一人くらいは現場に残るはずだけれど……。

この階じゃないのだろうか。


「…………」

 



手前の部屋にたどり着く。

306号室。


「…………」


耳を澄ませてみるが、何も聞こえなかった。

さっきから廊下に小さく響いているエアコンの音だけだ。


「覗き穴とか、ないの?」


……あのな。


「……ここはラブホテルだぞ」
「あ、そっか」
「おい、なにを」
「ノック」
「お前な……」


それで本当に誰か出てきたらどうするんだ。


「ちょ……!」


派手に音が響いた。

世莉架の暴挙に、僕は慌ててあたりを見回した。


「開かないねえ。鍵をこっそり借りてくればよかったかな」
「…………」


中からは、何の反応もなかった。

誰も、いないようだ。


「……タク? どしたの?」
「いや、いい……」


……くそ。

なんか僕が慎重にやっているのが馬鹿みたいじゃないか。


「警察もいないし……。この階じゃないのかもな」


──ッ!!


「っ!」


いきなり響いて来た音に、僕は身をすくませた。


「な、なに……!?」
「…………」


……ガラスが割れた音、かな。


「隣から……だったよな?」


驚いた様子で、僕の背中にくっつき、肩に手をのせてきた世莉架に僕は問いかけた。


「た、たぶん……。奥、でしょ……?」


隣の部屋を指さして、世莉架は言った。


「…………」


しばらく、そのままその場に立ち尽くした。

聞こえてきた物騒な音に恐怖を感じたのか、さっきまでのんきにしていた世莉架も息を殺してあたりに目を配っていた。

が、しばらく待ってみても、何も聞こえてこなかった。

争うような音も、誰かの話し声もない。

廊下の風景は変わらずそこにあった。

ただ、目の錯覚だろうか、廊下がわずかに薄暗くなったように感じた。


「も……戻った方がいいか?」
「…………」


僕の問いかけに、世莉架は答えなかった。

すっかり余裕は消えて、怯えるまではいかないまでも慎重な表情で廊下の奥を注視していた。


「…………」


やっぱり何かの事件が起きて、その犯人がいる、とか……?

いや、待て。

もう一度冷静に考えよう。

さっき一階に警察官が居て、応援を呼んでいた。

通常、事件などの通報があった場合、警察官が一人で来ることはあり得ない。

必ず複数で駆けつけるはずだ。

これは、実際に取材したことがあるから間違いない。

だから、別に警察官が現場にいるはずなのだ。

犯人が堂々とそこらに潜んでいる、ということはないはずだ。

そもそも、仮にそうだとしたらさっきロビーで見つかった時に、僕たちを部屋に戻れと警告するだけに留めるはずがない。

犯人が暴れてガラスを割った……?

いや、それも変だ。

そんな状況が起こり得るときに、わざわざ警察官が一階まで下りて別行動をとるか?

ロビーにいたのは、きっと新しい客とかが入ってこないようにフロントとかけあいにいったとか、そんなとこだろう。


「…………くそ」


確証はない。

だけど、大丈夫……なはずだ。

……なにより、まだ何も撮っていない。


──ぷひゅひゅ、ぷひゅ~……。


うわっ!?

僕は、突然聞こえた音に、文字通り飛び上がった。

この場にそぐわない、ひどく変な音だった。

見ると、世莉架が緊張のあまり、ポケットのスマホからゲロカエルんゲロロストラップを引っ張り出し、それを指でいじっている。

きっと無意識なんだろう、いつものあのクセだ。

僕は、肘でそっと彼女を小突く。

ダメだろ、静かにしろよ、という視線を向けると、世莉架は「え?」という顔をしたが……自分がしていたことに気づき、慌ててストラップをポケットの中に戻した。

僕はそれを確かめると、廊下の先を見つめる。

部屋の前まで。

そこまで、行ってみよう。

僕は気持ちを奮い立たせ、もう一度後ろを振り返って誰もいないことを確認してから、極めて慎重に足を踏み出した。

小さな足音すら立てることが怖かった。

世莉架は僕の肩に手をのせたまま無言でついてきた。

僕はスマホを持っているのとは逆の手で、肩にある世莉架の手を握った。


「…………」


世莉架もその手を握り返して来た。

伝わってくる感触を頼りに、足を進めていく。


「…………」

 



隣の部屋。

一番奥にある、305号室。

306号室と同じ、ただのドアのはずなのに、奇妙な圧迫感があった。


「ここ……からだよね?」


さっきの音、と世莉架が訊いてきた。


「……たぶん、な」


確証もないまま、僕は返事をした。

そこでそのまま待ってみるが、やはり何も聞こえてこない。


「…………」


僕は周りをもう一度見回して、誰もいないことを確認してから、ドアにぴったりと耳をつけてみた。

すると、


わずかに音が聞こえてきた。

外で聞いた、あの曲だ。

窓が開放された部屋から響いていた、オルゴールのような音。

僕たちの緊張とは対極にあるような平和さで、同じフレーズを繰り返していた。

 



「……この部屋だ。窓が開いていた部屋」


こちらの様子を伺っていた世莉架に僕は言った。


「……開く?」
「…………」


いや、それは……。

僕が躊躇っていると、世莉架はドアノブに手をやった。


「……だめ」


ほっとしたような、それでいて残念そうな感じで世莉架が呟いた。

……気持ちは、良くわかった。

僕も似た思いだった。

僕は、ドアから身体を離した。

出来れば、何か撮って帰りたかったけれど──

 




──カチャ。

 




「……え?」
「今……鍵の音しなかった?」


……だよな。

そんな音だった。

わけがわからず、僕たちはそこから動けなかった。

中から誰かが出てくる様子もなかった。

僕はゆっくりと、ドアノブに手を触れてみた。


……開いた。


鍵が、外れている。


なんでだ……?


「…………」

 



僕は状況に導かれるように、スマホの録画開始のボタンを押していた。

ドアノブに触れている手に力が入っていった。

やめろ、戻れという自分の中の考えが、録画開始を告げるスマホの音と、いやにゆっくり開いていくドアにかき消されるようだった。
開けば開くほど好奇心が無視できなくなっていった。

背中にいる世莉架とは別のなにかに後押しされるように、僕はドアを開いた。


……。


薄暗い室内に、あの曲が響き渡っていた。

部屋の明かりは全て消えていて、唯一開いている窓から、外の光が射しこんでいた。

が、その光もひどく弱い。



正面に見える、部屋の一部を区切るように吊ってあるカーテンが光を遮っていた。


「…………」


息を呑んだ時、唇が引っかかった。

かさかさに乾いていた。

舌で湿らせると、今度は自分の心臓の音が気になった。

耳の近くに心臓があるのではと思うほど、どくんどくんと高鳴っていた。

変なリズムで脈拍を刻んでいるようで、気持ち悪い。

僕は唾を無理やり送り込んで、腹の底にあった嘔吐感とともに不安を飲み下そうと努め、ゆっくりと、一歩前へと踏み出した。

スマホをしっかり構え、中の様子をカメラでとらえて気づいた。

あのカーテンは、部屋を区切っているんじゃなかった。

ベッドだ。

床から一段高くなっている場所に、円形のベッドが置いてあり、それを囲うようにカーテンが吊ってある。

光は、その後ろから漏れてきていた。

あの後ろに、ホテルの外から見た開いている窓があるんだろう。

曲も、そこから響いてきている気がした。


「…………」


……くそ。薄暗すぎだ。

そばにあった明かりのスイッチをつけようとして、慌てて手を引っ込めた。

ダメだ。

部屋のものに手を触れるのはダメだ。

きっとここは、何かの現場なのだ。

でも、奥が見えない暗いところに踏み込んでいくのが怖かった。

足で床を鳴らしてみる。

……なにも反応がない。

返ってくるのはのんきなメロディーだけだ。


「…………」


僕は後ろにいた世莉架に目で合図をして、更に奥へと進む。


──ギシ、ギシ……。


なんだ?

今、一瞬……


(……なんか……金属が軋む音みたいな……)


そんな音が、オルゴールの合間に聴こえてきたような気がした。

だが、何も視界に変化はなかった。

誰も飛び出してこない。

何も動いていない。

オルゴールが鳴っているだけだ。

視界のあちこちに焦点を合わせ、異常がないことをいちいち確認する。


「…………」


そのままゆっくりと進む。

 

 

 

人が、倒れていた。


「え……?」


暗闇に慣れてきた僕の瞳がとらえた画像──

 



警官、だ……。

それに、女か……?

警官はバスルームの敷居を背もたれにして、床に座ったまま寝ているのか、だらしなく足を延ばして頭を垂らし、女はうつ伏せに倒れている。

こちらに気が付く様子がない。

いや、違う。

二人の後ろのガラスが、無残にひび割れて砕けていた。


「……やばい」


状況を理解した途端、スマホを持っていた手が震えだした。

やばい、やばいやばい……!

わずかに警官の頭から血が流れているのが見える。


──ギシ、ギシ……。


「……っ!」


聞こえてきた音に、僕は反射的に振り返った。

 



「…………」


自分の顔の温度が一瞬にして下がり、全身が瞬間的に粟立つ。

……誰か、いる。

ベッドに、座っている……!

思わず後ずさり、世莉架に身体が当たった。

 



「……逃げよう。はやく……!」


鋭く世莉架に言いながらも、自分の身体が動かない。

馬鹿みたいに、カーテン越しの誰かに向かってスマホを向け続ける右手が言うことを聞かない。

くそ……!

後ろ向きのまま踏み出した足がもつれて、床に転んだ。


「…………」


肺が、まともに働かない。

 



シルエットがわずかに動き、僕は身をすくませる。

いや、違った。

ベッドが、回転しているのだ。

カーテン越しの誰かは、こちらに気がついた様子もなく、ぴくりとも動いていない。


(なんなんだよ……!)


「タク、ドアが開かない!」


世莉架の声が遠くから響いてくる。


「…………っ!」


飛ぶように入り口に戻り、ドアに取り付いた。

 



開かない。

……開かない!


「なんで、開かないんだよ……!?」
「わかんないよ!」


世莉架が怒鳴り返してくる。


「なんで……。なんで!?」


ドアに体当たりしながら、世莉架が叫んだ。

 



「…………っ」


僕も加勢する。


──ッ!!


が、ダメだ。

まるで壁になったみたいに、ドアは動かない。


トン、トントン、トン……。


「!」


突然、乾いた音がドアから響いた。

反射的に、弾かれるように身体がドアと距離を取る。


トン、トントン、トン……。


……このドアだ。

同じ調子でノックされている。


「な、なに…………」


ただのノックだ。

なのに、ぞわりと身体中が震える。


「…………っ」


ドアの向こうにいる誰か。

ノックをしている姿の見えない誰か。

……絶対に、警察じゃない。

まるでそいつに、僕がもっている全てを足元から溶かされていくような──


「ダメだ……。ダメだ……!」


このドアを、開けてはダメだ。

そうだ、奥から。


「窓から、なんとかして逃げよう……!」

 



世莉架の手を取り、部屋の奥に向かって走り、

飛び込んできた光景に絡めとられ、言葉を失った。


(…………え)


「やっ……」


なん、だ……?


カーテンが、開いていた。

 



男が、そこにいた。

座っている。

 



いや、ゆっくりと動いていた。

オルゴールの音とともに、回転するベッドに合わせて。

男の首に巻きついているワイヤーが不気味な音を立てた。


「…………ひ」


天井からワイヤーが釣り下がり、それが男の首を締め上げている。

男の顔が見たことのない色に染まり、ぱんぱんに膨らんでいる。

ズボンが濡れており、ベッドまで染み込んでいる。

糞尿の匂いが鼻についた。

生きていない。死んでいる。


(……なんだよ、これ)


なんで死んでいる?

窒息死?

なんでカーテンが開いてるんだ?

というか、なにしてるんだ?

なんで死んでるんだ?

不意に、僕の右手が動いた。

 



(え…………?)


窓から逃げなければいけない。

なのに、僕はスマホのカメラをその死体に向けていた。


「タク……!? 逃げなきゃ!」


ゆっくりと回転している死体。

回転するたびに、ワイヤーが耳障りな音をたて、男の首を締め上げていく。

もう、男の首は僕の手首ほどの細さしかない。

皮膚が切れているのか、首からはうっすらと出血している。


「タク!」


(ひ……ひ。なにしてん、だ僕は……)


すぐ隣にいるはずの世莉架の声が電話越しのように遠く聞こえる。

逃げなきゃ。

録画を続ける手と意識が止まらない。

なんでこんなことしてるんだ?

なんで死んでるんだ?

僕の思考を持たずに、首はどんどんと締め上がっていく。

回転していく身体が背中を向ける。

うな垂れたうなじが見える。

ワイヤーが食いこんでいる周りの赤黒い肉が異様に盛り上がっている。

硬い何かが袋の中で折れるような、こもった音が聞こえた。

ほんのわずかに、更に首がうなだれる。


──ゴキ……!

 



折れた。

きっと、骨が折れたんだ。


「タク! 逃げよう!」


世莉架の声が響く。

逃げよう?

逃げようって──


(っ! そうだ、逃げなきゃ……!)


トン、トントン、トン……。


「っ!」


再び響いた音に身体が動いた。

たまらずに振り返る。

 

う……。


「────!」

 



叫んだ瞬間、

後ろから何か聞こえた気がした。

自分の身体がどう動いたかわからない。

気がつけば、

 



視界が真っ赤に染まっていた。

そして、どこかにボールのようなものが当たる感触があった。

それがなんだったのか理解する前に、僕は全てを手放した。


…………。

 

……。

 

2015年9月30日(水)


零時半過ぎ。

 



「…………」
「神成さん、所持品と防犯カメラの映像から親族に裏取れました。死亡したのは柿田広宣(かきた ひろのり)、22歳。渋谷在住のフリーターで、興進で、マーケティングのアルバイトをしていたようです」
「興進でバイト? 恋人は?」
「いません。同居人もなし。一人暮らしだったようです」
「……くそ」


思わず神成は毒づいた。

恋人がいない独身の男は、プライベートを洗うのに時間がかかる。

おまけにバイトとはいえ、ここ数年の復興事業で莫大な利益を上げている興進に勤めているとなれば、仕事に追われている可能性が高い。

職場の同僚も、仕事が終われば名前を知っているだけの他人に成り下がっている場合もある。


「神成さん、マスコミへの対応、どうしますか。買読TVやニコニヤのネット記者が引き下がらなくて……」

「それから、現場に居た例の子たちですが。碧朋の新聞部と言っていた二人、状態は落ち着いたみたいなんですが、やはり所々要領を得ません。もう一人の女の子も、身元を示すものを何も持っていなく……。柿田の交友関係、親戚筋から洗っていますが、まだ当たりません。こっちは完全黙秘です」

「あと、先ほど検死のほうから問い合わせが──」

 

「待て! 勝手に──」

 



「ニコニヤニュースの渡部です! すいません、いったい何が起こって──」

「出て行け! 許可なく入るな!」

「一言! 一言お願いします!」


いきなり現場に入り込んできた部外者を、部下たちが強引に引っ張っていった。


「…………」


神成は思わず頭を抱えたくなる気持ちを押し殺した。

無様な姿を見せて、頼りないと思われるわけにはいかない。

警視庁捜査一課に配属されてまだ7年足らずの神成が、いけ好かない上の連中に無理を言って現場担当に回してもらった今回の事件は、尊敬していた先輩刑事の弔い合戦であるかもしれないのだ。


「窓枠の鑑識が終わったら、すぐに外から見えないようにしといてくれ。あのネット記者は最近なにするかわからん」

「はい!」

「検死は俺が直接対応する。あ、それからガイ者の仕事周りへの人数を増やしてくれ。上には後で俺から言っておく」

「はい! ……それで、例の子たちは?」

「それも俺が持つ。じゃあ、よろしく頼む」

「はい!」

「はい!」


部下たちは勢い勇んで飛び出して行った。

出会ったことがない妙な事件に興奮しているのだろう。

 



「……」


神成とて根の部分では同じだ。

状況は全てがおかしく、何を問題として認識すればいいかもわからない状態だが、刑事の性分が『犯人を捕まえるために動き出せ』と訴えてくる。


「……よし」


……。

 



「…………」


『はい、信用調査会社フリージアでございます』


電話は相変わらず一コール目で取られた。


「……俺です」
『あらぁ、神成ちゃん。遅かったわねえ。もうちょっと早く連絡が来ると思ってたけど』
「すいません」


何故か反射的に神成は謝ってしまう。

この女社長と話してると、自分がまるで出来の悪い子どものように思えてくるのだ。


『現場の面倒をちゃんと見てるから苦労すんのよ? 少しはあの人みたいに、ちゃらんぽらんでいきなさいな』
「……先輩の性格まで見習うつもりはありませんよ」
『真面目だわねえ……。いつまでも真面目が美徳だと思っていると痛い目見るわよ~?』
「あの、百瀬さん。そんなことより。相談したいことがあるんです」


小言が始まる前に話を打ち切って、神成は百瀬に簡潔に現場の状況を伝えた。

この時点で服務規程違反だが、まともじゃない事件はまともじゃないやり方でないと解決できない。

神成が最初に、先輩刑事から学び取ったことだ。


『……それって殺人なの? 自殺なの?』


状況を聞き終わった百瀬が疑問を口にした。

痛いところをついてくる。


「……現状では、それがわからないんです」


チェックアウト時間をかなり過ぎても出て来ず、十回以上の電話にも応答がないことを不審に思ったホテル側が警察に通報。

 



二人の巡査がホテル側の立ち合いのもと鍵を開けて、遺体及び意識不明の女の子を発見。

一人は現場保持のためその場に残り、もう一人は安全確保のためにホテル内を検索。

 



この検索の際に、従業員専用である階段のドアの鍵を閉め忘れたことが、碧朋の二人が現場に忍び込んだ要因の一つとなった。

現場保持に残っていた巡査が、しばらくして、意識が覚醒した女の子に突然首を絞められ、ガラスの窓の縁に頭を強打して昏倒。

命に別状はなかったが、以降応援が来るまで意識を失う。

 



応援が駆けつけたとき、潜んでいた女の子は床に倒れており、勝手に入り込んだとう碧朋の男も意識を失って床に昏倒していた。

もう一人の碧朋の女は床に吐き散らかしていた。

 



柿田の死因は、窒息死。

工場現場で使われる建築用のワイヤーを、天井の照明脇からX字型に張って、首を吊った。

それも、回転するベッドに座ったまま。

最終的に首が切断されるまでワイヤーに圧力がかかったのはそのせいだ。

死亡推定時刻からすると、ホテル側が警察に通報する前に柿田は死亡していたが……。

死体はベッドに乗ったまま、音楽に合わせて二分に一回転というゆっくりとしたペースで回り続け、最後には首がねじ切れた。

問題なのは、その部屋に潜んでいた女の子だ。

柿田と物理的に接触した痕跡がないのだ。

柿田の身体は勿論、ワイヤーやベッドからも一切の指紋や科学反応が出ない。

唯一爪の先から出たのは、首を絞めた巡査の皮膚や血液のみ。

それどころか、部屋のものにはほとんど触れた形跡がない。

出てくるのは、柿田のものばかりだ。

おまけに首を絞められた巡査曰く、襲い掛かられたとき、明らかに女の子は普通の精神状態ではなかったという。

 



目が血走っており、焦点も合っていなかったらしい。


『つまり、なに? その女の子は柿田って男が死ぬのを黙って見ていて、部屋の中のものにほとんど触れず、混濁した意識のまま警官に襲い掛かって首を絞めた、と』
「…………」


改めて外から状況を簡潔に言われて、神成はがりがりと頭をかいた。

確かに、今現場からわかっている情報をまとめるとそうなる。

そして、それだけで判断するなら自殺ということになる。

が、あまりに不可解すぎる。


『ふむ……なるほど……厄介だわねえ。現場に入り込んだっていう碧朋の子たちは?』
「ショックが大きかったようで、最初は何も喋らなかったんですが、今は少しずつ話し始めています。ですが、色々と問題のある碧朋の子ですから……」


碧朋側に確認した結果、二人が碧朋の新聞部というのは本当だった。

裏口の監視カメラに入り込んだところが映っており、そこは証言との矛盾はない。

が、『勝手に部屋の鍵が開いたので入った』『もう一人誰かが部屋に入ろうとしていた』という部分は相変わらずわからない。

部屋の鍵はオートロックにより閉まっていたはずで、そのとき部屋の中で動けたのは例の女の子だけだ。

だが、鍵から女の子の指紋は発見されなかった。

また、もう一人誰かが部屋に入ろうとしていたというが、廊下の監視カメラにはそれらしき人物は誰も映っていなかった。

そもそも、一般人にとって葬式以外で死体と対面すること自体、稀有なことなのだ。

ましてや異常な精神状態での思い込みや勘違いはふとしたことで簡単に発生する。

このまま柿田や女の子との繋がりが見えないのであれば、この二人に関しては厳重注意で済ませるつもりだった。


「結局のところ、一番大きな手掛かりは部屋に潜んでいたその子なんですが、何も喋りません」
『そのままだと“被監置”よね?』
「はい。そうなると大幅に捜査が遅れることになるので、そうしたくないんです」
『わかったわ。ちょっと情報を回させてちょうだい。たぶん、神成ちゃんの立場的に無理してもらうことになるから、覚悟はしといてね? 三分後にこっちからかけ直すから』
「ああ……助かります。よろしくお願いします」


そう言って、神成は電話を切ろうとした。


『あ、ちょっと!』
「はい?」
『そういえばお願いがあるのよ。絶対に神成ちゃんのためにもなることなんだけど、きいてくれないかしら?』


もう実際には命令だよな、と思いながら神成は先を促す。


「ん、なんですか」
『この件に関して、私より詳しいウチの子が一人いるのよ。それで、今回の現場を直接見たいって言ってるんだけど、お願いできない?』
「……部外者を、現場に?」
『いつだって物事を解決するヒントを与えるのは部外者よ?』


私だって部外者だしね、と百瀬は続けた。


「…………」


神成は頭の中で必要な措置とそれにかかる時間を計算した。


「……明日……あ、いや、明後日で構いませんか」
『さっすが神成ちゃん! 話せるじゃない。よくそれでカタブツ揃いの捜査一課に残れてるわねえ』
「……では、よろしくお願いします」
『あ、ちょっと神成ちゃん?』


電話を切りかけた指を止める。


「……まだなにか?」
『念のため、アドバイスをしとこうと思って。ふたっつね。言っておくけど、さっきのは冗談じゃないのよ?」
「……は?」
『ちゃらんぽらんでいきなさいっていうやつよ』
「……?」
『これから、間違いなく神成ちゃんの理解の外にある事件は続くわよ。そのとき、一番邪魔になるのは常識だから気をつけなさいな』
「……肝に銘じます」
『……そこで真面目に返事しているようではまだまだねえ。もう一つはね』


一拍置いて、百瀬は楽しそうに続けた。


『ウチの子に、取って喰われないようにね。油断してると、神成ちゃんが部外者になりかねないわよ?』


…………。


……。

 

 

 

 

2015年9月30日(水)

 





男子生徒「なあ、ツイぽみた?」

女子生徒「ああ、へきほーbotのネタ画像でしょ? でっかい“うーぱ”がドヤ顔してヒカリヲに座って『渋谷も変わった……』とか言ってる」

男子生徒「そそ、めっちゃせつなそうなの。あれさ、文化祭で使わね? 渋谷復興の歴史の展示なんてどうせ誰も見ねーじゃん」

女子生徒「えー画像だけじゃ弱くない? なんかぬいぐるみとか実際におかないと」


それを聞くと、男子生徒は早速渋谷の店をスマホで検索し始めた。

なにがおかしいのか、ありえねー、と画面を見て連呼する。

 



「…………」


新聞部の文化祭の演し物──文化祭の記録と称したでっち上げ映像──を、学生食堂で撮影していた伊藤は、ため息をついた。


(そんなもんで盛り上がってる場合かっての……)


昨日、道玄坂で変死体が発見されたというのに、この学校の生徒たちにとっては瞬間的な笑いのほうが大事なようだった。

事件のあったホテルは、学校から歩いて十分もかからない距離なのにもかかわらず、ほとんど話題にものぼらない。


(ま、確かにまだ大掛かりには報道されてないけどさ)


事件の第一報は、大手通信社のウェブサイトで伊藤の耳に入った。

昨日の夜のことだ。

今朝のTVニュースでも報道され、朝刊にも載っていたが、『男性の変死体が発見された。詳しいことはわかっていない』という発表に留まっていた。

TVニュースや新聞など、毎日チェックしている高校生のほうが稀なのだ。


「…………」


宮代から、連絡はない。

伊藤は、あのラブホテルで何があったのか気になっていたが、そのことを宮代から聞けずにいた。


「……くそ」


着信がないことがわかっていながらも伊藤はスマホを取り出し、やはり着信の表示がないことを確認した。

昨日から、ずっとこれを繰り返していた。

こちらからは、かけることが出来なかった。

なんと切り出していいかわからないからだ。

 



警察に連れられて行った友達に、かける言葉が見当たらなかった。

 


女子生徒「あははははは!」

 

「…………」


幸せそうに盛り上がる生徒たちに、伊藤はよくわからない苛立ちを覚えた。

そして、本日中に広い学生食堂の様子を全ておさえるつもりだった撮影を途中で切り上げ、その場を後にした。


……。

 





 



「撮影? お疲れさま」


部室に入ると、来栖が来ていた。


「連絡は?」


伊藤の問いに、来栖はわずかに表情を曇らせてかぶりを振った。


「あれからは、なにも」
「そっか……」


昨日の夜遅く、来栖が用意した宮代の着替えを警察に持って行った、新聞部顧問の和久井から一度連絡があった。

宮代と尾上、二人ともけがはない。

警察からも厳重注意だけで済みそうで、事情だけ聞いて二人が精神的に問題なければ朝には帰れるだろう、と。

だが、夕方近くの放課後の今になっても二人から連絡はない。

伊藤は乱暴に椅子に座って、


「ったく、学校の皆は平和なもんだよ。昨日のことなんてほっとんど誰も話してないんだぞ?」
「……そう」
「そりゃ、東京じゃ発表されてるだけでほぼ一週間に二人のペースで誰かが殺されてるんだから、変死体があったってだけじゃ別に真新しくもないけどさ。にしたってなあ。道玄坂なんてもろ近所じゃん。下手したらそこを通って登校してるやつもいるかもしれないってのに。つーかいるだろ、碧朋(うち)なら。あれかな、あいつがいつも言ってるみたいに、社会に関するニュースを載せてるサイトとかにアクセスしないやつばっかりなのかな」

 



「……わかりやすいね」


来栖が苦笑して言った。


「……へ?」
「心配なんでしょう、二人のこと」


伊藤は、なっ……と言葉に詰まってから、

 



「べ、別に。副部長こそ、心配なんじゃないの?」


まさか、と来栖は息巻いて、


「怒ってる。処置なしだもの。世莉架はともかくとしてね。忠告も聞かずに突っ込んで、無茶するからこんなことになる。伊藤くんにも、新聞部の文化祭の映像、押しつけることになるし……」
「いや、別にそれは大したことないからいいんだけどさ……」
「駄目。与えられた役割はきっちりこなすのが当たり前でしょう──」


──ガチャ。

 



「こ、ここか……。来栖、予算の件、どうなってる?」


と、川原が息せき切って姿を見せた。


「え……予算?」

「超過した予算をまとめたやつ。経理がまだかって」


それを聞くと、来栖はしまった、という表情をして、

 



「ごめん。すぐにメールでまとめて送るから」

「なるはやで。担当の教師が帰っちゃう前に」


そう言うと、来栖の返事を聞く前に川原は走り去って行った。

来栖もそれを最後まで見届けないうちにPCを立ち上げて、慣れた手つきでキーボードを打ち始めた。


「…………」
「……なに」
「……いや、別に」


わかりやすいのはどっちだ、と言いかけて伊藤は口をつぐんだ。

それこそ、与えられた役割をきっちりこなしていないなど、普段の来栖からはあり得ないミスだ。


「…………」


それからしばらくは、来栖は作業に没頭していた。

伊藤はなんとなく、その作業を目で追っていた。

よく見れば、わずかに目の下にクマが出来ていた。

寝ていないのだろう。

そこで伊藤は初めて気づいた。

おそらく来栖は、伊藤に、二人から連絡がなかったかと確認しに部室に来たのだ。

文化祭の準備で生徒会が忙しい時期に、他に部室に来る理由などない。

 



(なんとまあ、あの女帝がねえ……)


来栖がカタカタとPCに向かい、おしまい、というように最後に強くキーを叩いたとき、


「…………」


不意に、決して心地よくない音が部室に響いた。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………なあ」

「……わかってる」

 



二人が目をやった先、香月がスルメをかりじながら一心不乱にゲームに没入していた。

さっき来栖が仕事を始めたあとに香月が入ってきたのは気づいていた。

挨拶ぐらいしてくれるのかなと思ったけど、こいつのことだからそれはない気もしていた。

ゲームをしているのも、なんとなくだけど気づいていた。

ただ、なんとなく触れないようにしていたのだが……さすがに限界だ。つっこまずにはいられない。

余程集中しているのか、視線をぴくりとも動かさない。

伊藤は呆れながら、


「……こいつはいつでもマイペースだな。他人に興味がないのかね」
「そんなわけないでしょう。この子は他の人より、ほんの少しだけ自分が強いの」
「にしたってよ……」


同じ部の仲間が、と言い募ろうとした伊藤を、来栖が手で制した。

なにやら香月のゲームの画面を覗きこんで、


「……そうでもなかったみたい」
「え」


疑問を浮かべた伊藤に来栖は苦笑を返し、香月のヘッドホンを外して、


「香月。私はゲームやらないから詳しいことはわからないけど」

「……………………?」

「この、家の壁に向かって延々と火の玉出してるのは何か意味
があるの? 凄い勢いで燃え広がってる」

「ん!? …………」


驚愕の表情で香月は画面を見直し、ヘッドホンを乱暴に装着し、慌ててガチャガチャと操作し始める。


「落ち着きなさい。というかその煩わしいスルメ、飲み込むか出すかしなさい。行儀悪い」
「! ……!!」


香月は来栖の声が届いているのか届いていないのか、しばらくゲーム画面と格闘して、

 



「……………………」

 



おもちゃの電池が切れたように停止した。

噛んでいたスルメが口からこぼれ、机に落下した。

それをまるで尋常ならざる出来事が起きたというような視線で、香月は数十秒見つめ続け、

 



「…………」


やがて静かに立ち上がると、泥酔した酔っ払い以上に左右に踊りながら、電気ポッドのある棚の元に向かった。

顔面が白くなっていた。


「香月……? 大丈夫か?」

「…………」

「……コーヒー、淹れてくれるのか?」

「…………」


香月は伊藤の二つ目の問いにだけ頷き、危なっかしい手つきでコーヒーを用意し始めた。

香月はいつも通り、甘党の来栖には角砂糖を二つ入れたもの、伊藤にはミルクだけ入れたものを手渡し、そして自分にはなにも入れないものを用意し、しかし一口も飲まずに、


「…………」


どかんとおでこを机に打ち付けて、そのまま息をしているのかどうかも怪しいくらいに動かなくなった。


「ね?」


と、香月が口から落としたスルメを甲斐甲斐しく後始末しながら、来栖が伊藤に同意を求めるように言った。


「い、いや、そうか……?」


納得しかねる返事をして、伊藤はコーヒーを飲んだ。

単に、よくわからないやつというだけだ、という気もした。


「…………」


来栖は、それ以上は何も言わずにコーヒーを口に運んだ。


「…………」


(えーと……)


訊いても、いい天気だよなと伊藤は特徴のない天井を見ながら思った。

悪いことをしているわけではないが、何となく決まりの悪い感じで来栖に目を下ろして、


「あのさ」
「なに」
「あいつがこんなに事件に入れ込んでるのって、何か理由があんの?」
「…………」


来栖の動きが止まった。

答えをカップの中に探すように目を落とし、しばらくしてから、

 



「……伊藤くんこそ、ずいぶん事件に対して熱心じゃない」


と、はぐらかすように言った。


「俺は、こういうのが好きな人だから」
「こういうの?」
「猟奇的な事件。でお、昨日みたいに現場に忍び込むって言うのは……」


流石に行きすぎだろ、と伊藤は続けた。


「…………」


来栖はまた黙ってカップを口に運んだ。

一点を見つめて何か考え込んでいる様子だった。

目に回りの風景を捉えてはいるだろうけれども、反射しているだけで意味を持っていないことが明らかにわかった。

その姿に伊藤は少し動揺した。

そんなに躊躇われることなのか?


「……別に、言いたくなければ──」
「そういうわけじゃない。きっと基本的には、伊藤くんと同じ。拓留も好きだもの、こういうの。それに、危なっかしいところに首を突っ込みたがるのも昔からだし」


そっか、と伊藤は言って、


「小学校からだっけ? あいつが、副部長と一緒に暮らすようになったの」
「……ええ。正確には、被災して少し経ってからだから、中学生にあがるかあがらないかのときだけど」

 



来栖と宮代は、所謂『震災孤児』だった。

お互いに小学六年のとき渋谷地震で親を亡くし、頼れる親戚がいなかったため、同じグループホーム──地域小規模自動養護施設の『青葉寮』に預けられた。

今の渋谷では、多くはないがそう珍しい話でもない。

 



地震の際に意識不明の重体に陥ってしまった宮代は、意識不明のまま寮に入居した。

 



そしてそこを管理している寮長が、寮の階下にある『青葉医院』の院長を務める医者でもあったため、そこのベッドにしばらく寝かされていた。

来栖は、その頃から文字通り宮代の全ての面倒を見ていた。

 



施設児童は来栖と宮代を最年長にした計四人。

来栖の方が宮代より誕生日が早いため、来栖は自ら四人姉弟の長女を名乗り、下三人の世話を買って出たのだ。

あの頃から、宮代の物事を探りたがる癖や騒ぎに引き寄せられて行く性格は変わっていない。

 



「大体、天邪鬼だしね……。皆とは違うって、よく言ってるでしょ? ……そんなことはないのに」


親が子どもの将来を憂えている様子そのままで来栖は言った。


「でも結局、あの子は──」


──「お疲れ様ー。おや、来栖くんも来てたのか」


「先生、連絡があったんですか……!?」

 



のんびりとしたいつもの雰囲気で入ってきた、新聞部顧問の和久井に対して、来栖は慌てて立ち上がり詰め寄った。

和久井はどうどう、という感じで頷いて、


「うん、ついさっきね」

「大丈夫そうでしたか?」

「…………」

「うん? それは勿論。ほら、伊藤くん、すぐに体育館に行きなさい」

「は……? 体育館? なんで?」

「軽音部が今からリハーサルをするって。いい文化祭の記録になるんじゃないかな」


「…………」


来栖の表情が凍りついた。

やがて、それがふっ……と一変して、


「和久井先生? 連絡ってそれですか」

 



「うん? そうだよ──ってなんだい来栖くん、機嫌がいいねえ」

「あら、先生には機嫌がいいように見えますか?」

 



「行ってくる! 先生も行こう!」

「え、ちょっと──」

 



暴力の空気を感じ取った伊藤が、和久井の背中を強引に押して出て行った。


「…………」


顔を上げていた香月が、どかんと同じように机に突っ伏す。


「…………」


残された来栖は、スマホを取り出して確認した。

やはり着信はなかった。

ため息をつき、ボードに目をやる。

 



昨日起こった、ラブホテルでの事件。

自殺にしろ他殺にしろ、警察官に連れられて行った宮代と尾上の状態を見れば、何かしら異常なことが発生したのは間違いない。

宮代が言っていた、6年前の事件との日付による関連性。

三つ続いた以上、無視できる要素ではない。


「…………」


駄目だ。危険すぎる。

これ以上、首を突っ込ませるわけにはいかなかった。

来栖の中に伊藤の問いが反芻された。

宮代が、事件に入れ込んでいる理由。


「…………」


部室には、香月が相変わらず突っ伏していた。

ふと顔を横に向けた香月の表情は、なぜか楽しげだ。

それを見たとき、急にコーヒーを飲む気がしなかった。

淹れてくれた香月にごめんと胸中で謝り、水飲み場に捨てに行くことにする。


……。

 



人が少ない階上の水飲み場に来栖は自然と足を向けた。

視線がいつの間にか床のタイルの継ぎ目の線を追い、自分の足音が耳につく。

普段より、歩く速度が落ちているのがわかった。

要するに、来栖は寂しかった。

 



青葉医院で目を覚ました宮代に対して、来栖が言った言葉。


「来栖乃々。名前で呼んで。家族なのに苗字で呼び合うのはおかしいでしょう」



 

「…………」


結局、あの子は──


「あの子は、特別が気取りたいだけなんだから」


その理由はなんとなく、わかっていた。

寮を出る原因になったあのことを、宮代は引きずっているのだ。


……。