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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【7】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
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2015年10月6日(火)

午後九時。

渋谷駅前──

 

いつもの通り、そこは喧騒で溢れていた。

仕事が終わって足早に駅に向かう人間の足音、それらに負けじとこれから飲みに向かう旨をスマホにがなる声、待ち合わせで久方ぶりの友人と再会した互いの矯正。

全てが一緒くたの浮かれた色となって、一瞬でもそこを通り過ぎる人を染め上げていた。

渋谷地震から6年経ち、劇的な復興を遂げたこの街の駅前には、当時の記憶を触発するものは皆無だった。

あらゆるものは機能的に回復し、数年前であればその真新しさから足を止める人間も多かったが、今ではそれも見られない。

『新生の街、渋谷』という復興のスローガンは、着実にその範囲を広げ、半ば過去を押し潰すように喧騒の源である人々の気持ちさえも侵食していった。

少なくとも、地震を間近で体験した以外の者にとっては。

 



駅前から歩いて1分。

 



渋谷地震慰霊碑。


「…………」


来栖は、週に一回、ここを訪れていた。

小学校時代の親友の名前が刻まれた場所に花を捧げ、黙祷する。

 



「…………」


距離にすればほんのわずかなここには、街の喧騒は届かない。

厳かに整えられ、清められたこの場所は、そういったもの全てから隔絶されることを自ら望んでいるような場所だった。

今日は、10月6日。

11月6日に発生した渋谷地震の月命日にあたる。

そのためか、周りには献花が多かった。

無慈悲なビル風に煽られたためか、散らばっているものもあった。

 



周りには、誰もいなかった。

地震が発生した時間である22時半前後に来ると人がいることもあるが、それ以外だと夜は特に人が少ない。

来栖は散らばっていた献花を目につく範囲で集め、手近な台座に差し込んでまわった。

いつもの作業であり日常。繰り返して来たことだ。


「……どうすればいいかな」


その中で、来栖が考えていることは数日前の出来事であり、弟である宮代のことだった。

 



『あなた、殺されますよ。宮代拓留先輩』

 



「…………」


あのとき、確かに聞こえた。

有村雛絵は、宮代に対して、確かにそう言ったのだ。


「拓留が…………」


違う。そんなわけはない。

大切な弟が、“自分が知ってしまっている”何かに飲み込まれようとしているなどと──


「あっ……」


不意に風が吹き、集めていた献花が来栖の手からこぼれた。

ばらばらと散らばり、無作為の方向へと飛ばされていく。


「…………」


来栖はそれを見送ることしかできなかった。

掴み取ろうとほんのわずかに伸ばした手が無様に泳ぎ、行き場を失った。

その気持ちが身体全体に押し寄せてくる前に、着地点を求めて来栖は親友の名前が刻まれた場所にむかった。


「…………ねえ」


優しく来栖はそれを撫ぜた。

触れた感触が指先から伝わって来た。

 



「……どうすればいいかな?」


南沢泉理、と刻まれたそれは、問われたことを義務のようにそのまま来栖に返した。


…………。

 

……。

 

 

 

 



 



「うん、いいんじゃないか。珍しくいいアングルだ」
『……お前な。言っとくけどかなり面倒くさかったんだぞ、これ』
「どっかに括りつけたのか?」
『なんか壁にくっついてる鉄パイプみたいなやつにな』


む?


「違う、それはきっと雨どいだ。屋根にたまった雨水を──」
『どうでもいい! 括りつけるのに使ったバンドやらは自腹切ったんだからな。明日払えよ』
「な……設置する場所はそっちが勝手に」
『言いだしっぺはそっちだろ、宮代部長』


ぐ……。

 



『言っとっけど、データの回収はみんなで持ち回りだからな』
「わ、わかってるよ」
『……てか、それもいちいち面倒なんだよな。中継式のは手に入らなかったのか?』
「高いんだよ」


それに、もし碧朋やここまで電波を飛ばすとなると、かなり大事になってしまう。


『で、そっちは?』
「え?」
『有村さんだよ。会えたのか?』

 



……まあ。

会えたというか、会えなかったというか。


「明日話すよ。結構面白い情報が手に入ったから」
『なんだよ、今言えよ』
「そろそろ渋谷にうずの放送が始まるんだよ」
『え? 今日放送あるのか?』


ふふん。甘いな。


「ちゃんと全部チェックしとけよ。今日の更新分の最後に書いてあったぞ、伊藤部員」
『やかましい』

 



乱暴に切られたスマホを置き、時間を確認する。

……あと五分くらいか。

 



渋谷にうずを開き、放送が始まるのを待つ。


──あのあと。

 



有村さんはたっぷり一時間ほどしてからLAXから出てきた。

偶然を装って声をかけようとしたけれど、あまり早すぎると盗み聞きがばれてしまうかと思い躊躇っていると、有村さんはタクシーを拾って行ってしまった。

おそらく、渋谷警察署に取り調べに向かったのだ。


「…………ふふ」


……これは、すごいぞ。

有村さんに話を聞くことは出来なかったけれど、きっとそれ以上の情報を手に入れることが出来た。

会話の意味が分からないところもたくさんあったが、やはり、一連の事件……少なくとも回転DEADに関しては、警察は殺人と睨んでいるのだ。


(……いや、警察は、じゃないのかもしれない)


あの刑事さん──確か神成さんと呼ばれていたか──は、どこか警察全体とは別枠で動いているような感じがあった。

そして、それに関する何らかの秘密を有村さんと共有している感じも。

だが、それよりも何よりも。


(会話に出てきたシールって言うのは、力士シールのことだ……!)

 



神成さんの会話に出てきた情報から、それは間違いない。

しかも、力士シールに気がついていながら、まだそれを重要視していない節があった。

もしかしたら、他の二つの現場の近くにも力士シールが貼られていることに気がついていないのかもしれない。

……いいぞ。本当に、僕が警察より先に行っている。


(……やっぱり、これはまたとないチャンスなんだ)


この調子で突き詰めて行けば、事件に関して、他の人間を全て出し抜けるかもしれない。

何も知らずに文化祭の準備なんかをしている連中も、ネットの情報に群がるしかない連中も、警察も。

記者ごっこと馬鹿にしてる川原くんも、僕を単なるカメラっ子と呼んでいるクラスの連中も。


「……情弱を全員、見返してやる」


『はい、2015年10月7日、0時になりました。皆様、ようそこいらっしゃいませ。ケイさんと申します』

 



予告通り、渋谷にうずのネトラジ放送が始まった。

相変わらず、聞き取りやすい良い声をしている。

確か、前回の放送は……ラブホテルの事件のあと、9月30日だから、一週間ぶりくらいか。


『まとわりつく暑さはもうなくなりましたね。発表されている通りなら、しばらくは過ごしやすい気温になると思いますが、いかがお過ごしでしょうか?』


僕は、彼女の流れるようなトークが、しかも正確に、色々な渋谷情報を伝えていくのを聴きながら、戸棚から雑誌を一冊取り出した。

 



この前、ゲンさんから買った……いやいや、押し売りされた『クール・キャット・プレス』のバックナンバーだ。

ケイさんの放送と同じように、この雑誌とも、しばらくご無沙汰していた。

何か興味のある記事でも載ってないかと、ページをペラペラめくっていく。

相変わらず玉石混合というか、女の子(理想)にモテるための10か条! とか、女の子(理想)に告白するシチュはこれだ! とか、女の子(理想)とベッドインするにはこう口説け! とか……

まあ、この僕にとっては全くぜんぜんひとっつも興味のない記事が多く並んでいる。

そんな興味もなんにもない記事を、飛ばすことなくしっかり読んでいると、最後の方のページに、ちょっと毛色の変わった小特集が組まれていた。

ロールシャッハは心を暴く。あの子の気持ちは丸裸♪』

そんなタイトルから始まる記事には、左右対称な墨絵のような物がいくつも並び、それらに関する精神分析医(と称する誰だか知らない人)の性格診断と解説とで構成されていた。

しかも最後には、それらをまとめてでっち上げた、『あなたのモテ度』だの『男女の相性診断』だのまで、まことしやかに図表化されている。


「もう何でもありだな、この本……」


さすがに呆れて、思わずつぶやいてしまった。

ロールシャッハテストといえば、確かに有名な『性格検査法』ではある。

 



2つに折り曲げたカードに黒と赤のインクを適当にたらし、それを広げると、左右対称の奇妙な図形が出来る。

その意味のない図形は、人によって犬の顔に見えたり、キスをしている男女に見えたり、とにかくバラバラで……それがどんな風に見えるかで、性格診断などが行える。

とはいえ……さすがにこの雑誌にあるような『モテ度』だの『男女の相性診断』までいってしまうと、あまりにも眉唾(まゆつば)すぎて笑ってしまう。全くバカバカしい。


「うーむ、この図形は……『羊』かっ。なになに? これが、羊などの毛におおわれた動物に見えたあなたは、本心を隠そうという意識が強く、女の子には『何を考えているか分からない人』と、とても警戒されています。そんなあなたのモテ度は、20点です──なんだと? はっ!?」


我に返った。

危なかった……思わずテストを全部やってしまうところだった。

僕は、雑誌を机の上に放り出す。

と、そのタイミングを見計らっていたかのように、ケイさんの口調が、少し固めに変わった。


『さて、このように今日も渋谷ではいろんなニュースがありましたが、そろそろ本題に入りましょう。今日、放送の機会を設けさせて頂いたのは、ある一つの記事を皆さんに紹介したいと思ったからです』


……ん? 本題?

『ある記事』ってなんだろう?

僕は、ケイさんの声に耳を傾けた。

 



『内容は、この放送やサイトでも頻繁に取り上げさせて頂いている事件に関してのもの。そう、今渋谷で起こっている連続猟奇事件です。6年前の渋谷で連続して起こった、ニュージェネレーションの狂気という事件の日付と今回の連続猟奇事件の日付が一致していることは以前に述べましたが。この動画は、それ以外の共通点を指摘して下さっています』


な……。

まさか、僕ら以外に気がついた奴がいたのか。


『──このアドレスです』
「……!」


ケイさんによって貼られたリンクを、直後にクリックした。

ニコニヤ動画のアドレスだ。

開かれる数秒ももどかしい。さっさと、読み込め。

 



「きた……って」


──え?

 





僕は、表示された動画のサムネイルを一瞥して、反射的に目をそらした。

そして、すぐにスマホを手に取った。

 



「尾上、渋谷にうず聞いてるか!? ……はやく見てみろ、僕らの動画が特集されてる!」


…………。


……。

 

 

 

 

2015年10月7日(水)

渋谷、桜丘町。

信用調査会社フリージア──

 



「それでは、今回はこのあたりで。お付き合いいただき、ありがとうございます。わずかな時間のお相手は、私ケイさんでした。時刻はまもなく、2015年10月7日、0時22分。悔いのない一日が始められることを祈っています」


定型の挨拶を添えて、久野里は接続を切った。

 



「…………」


大きく伸びをして、肩を鳴らす。

 



ネットのゲリラ的な放送においては、淑女のキャラクターのほうがリスナーを掴みやすいとはいえ、いささか誇張しすぎた感があった。

既に放送は百回に迫ろうとしているので慣れてはいるが、疲れずに放送を行えることは今後もないだろう。

 



「…………」
「なんだ」
「……い、いや」

 



「お疲れ様、澪ちゃん。コーヒーは?」

「もらいます」


どっかりと遠慮なく椅子に座り、足を組んで百瀬からコーヒーを受け取る久野里を、神成は呆然と見つめていた。


(昼間の有村といい……最近の若い女の子はどうなってるんだ)


とても先ほどまで耳あたりの良い声で、PCに向かっていた人物とは思えない。

素の部分は今の姿だと知ってはいるのだが……。


「あ?」


と、目があった。


「あ……その、何をしていたんだ、今のは」

「情報の発信だ。他に何がある」

「……?」


意味が分からない。情報の発信?

 



「まあ、神成ちゃんがわからないのも無理はないけどねえ」


百瀬は、視線で久野里を示して、


「澪ちゃんは、うちの大切な情報屋なの。本業は研究者だけど」

「は……? その歳でですか?」

「そう。アメリカの研究所に飛び級で招かれた天才」

「私は秀才型です。天才ってやつはこんなもんじゃない」

「それ、よく電話で話してるあなたがお世話になった子のこと?」


ええ、と久野里は頷いて疲れをほぐすようにまた肩を回した。


「…………」


知らなかった。

17歳という年齢にしては大人びていると思っていたが……。


「……何の研究を?」

「私のプロフィールが事件と関係あるのか?」

「いや、そうじゃないが」

「ここよ」


と、百瀬が神成の頭をつん、と突いた。


「……頭?」

「脳みそ。量子脳論特別研究員」

「何故、碧朋学園に……?」

「渋谷にある碧朋は、色々とカオスチャイルド症候群を研究するのにちょうど良いからよ。ね?」

「……本題に入りませんか」


久野里はそう言うと、神成や百瀬の了承も取らず、

 



「有村は、力士シールについてなにか言っていたか?」


(…………。俺には、タメ口なんだよな……)


神成は内心でため息をついた。


「おい?」

「……いや。何を気にしているか知らないが、気味悪がっていただけだ」

「確かか?」

「ああ。何をそんなに気にしている? ……そういえば、さっきもシールについてなにか言っていたな」


神成は、先ほどの豹変した声の久野里の放送を思い返しながら言った。


「あれは、何をしていたんだ?」

「だから、情報の発信だと言っただろう」

「……?」

「ちゃんと説明してあげたら? これから神成ちゃんとは解決まで協力することになるんだし」


横槍を入れた百瀬の言葉に、久野里はあからさまに嫌な表情を浮かべた。


「ギブアンドテイクでしょ?」

「……もらえるものがあればいいんですがね」


見下した言い方に神成は思わず声を荒げた。


「お前な、少しは年長者に対する敬意を──」

「今年発表された主要メディアの利用率を知っているか」

「……は?」

「ネットの利用者は全体で七割。十代では八割、二十代三十代では九割が利用していて、いずれもTVよりも利用率が高い。都市部に限定すればもっと上がる。十代二十代で新聞を日常的に利用している奴は一割もいない。去年も一昨年もそう変わらん。中学生へのスマホの普及率は半分以上。高校生以上になると九割五分。スマホを持っていることはネットを利用していることと同義だ」

「待て、何の話だ」

「普段手に入れる情報をネットだけに依存している人間がどれだけいると思う」


突然久野里は立ち上がり、先ほどの放送を行っていたモバイルPCを持って来ると、画面を操作して神成に見せつけた。

 



それは昨日付けの大手新聞社のホームページだった。

プライバシーを侵害されたとして、渋谷在住の人間が興進に対して提訴を起こした旨が記載されてあった。


「これは、私が起こした」

「……?」

「監視社会の問題を考える団体の一人がツイぽの中毒者でな。同様の思想を持つアカウントとホームページを別々の人間としてでっち上げ、過去にあった効果的な判例に誘導し、複数人からあなたは犯罪者だと言われているように思わせた。踏ん切りがつかなかったようだから、週末に興進側がとった無礼な態度を録音させ、それをネタに炎上させた。その結果が──」


これだ、と久野里はPCを指で弾いた。


「まさか……」

「ネットに依存している奴が一番食いつく情報は、自分にとって都合が良いネット以外のメディアの情報だ。賭けてもいいが、こいつは提訴に関して私が紹介した書籍以外は一行も読んでないぞ」


顔も知らないがな、と続ける久野里の態度から、こいつならやりかねないと神成は思い直した。


「な、なんでそんなことを」

「百瀬さんから、興進がきな臭いことは聞いているだろう。私も同じ考えだ。なるべくイメージを落としておきたい。そして──」

 



「私が今欲しいのは、力士シールに関する情報だ」


久野里が示した動画に映っていたのは、確かに力士シールだった。

と、


(……碧朋学園新聞部?)


動画の紹介文に書いてあった単語に神成は目を留めた。

そこは、確かラブホテルの現場に忍び込んだ碧朋の連中が所属しているところではなかったか。


「……首を突っ込むなと注意しておいたのに」


男女の二人組の顔を思い返して、神成は苛立たしげにこぼした。

一方、久野里はほんのわずかばかり楽しげに、


「中々に気のつく連中だ。利用できるときに利用しておく。今から──そうだな、十二時間もすれば、この動画に力士シールに関しての情報が殺到する」

「……え?」

「さっきの放送での情報発信は、そのための仕込みの一つだ」

「…………」


言い切った久野里の言葉を、先ほど当の本人が語った興進の一件からして、神成は単なる妄言と思うことが出来なかった。


「? なに、神成ちゃん」

「い、いえ……」


気が付けば、答えを求めるように百瀬を見ていたようだ。

一体久野里(こいつ)は何者なのか。

 



「あ。駄目よ、神成ちゃん。澪ちゃんに手出したら」
「な、何言ってるんですか!」


想定外の返しに、そんなことは全く考えていないのに、焦りで頬が熱くなるのが分かった。


「違います、これは図星とかではなく──」

「分かってるわよ。……まだまだねえ」


「有村は、他に同類を見つけていないんだな?」


我関せず、と久野里は続けた。


「あ、ああ。そう言っていた」

「であれば、次に狙われる可能性があると分かっているのは有村だけになる。何の目的かは知らないが、おそらく10月10日に」

「…………ああ」


10月10日。

6年前、ヴァンパイ屋と呼ばれる事件が起こった日付。


「いざとなったら囮に使ってしまえばいい。狙われるかどうかはわからんがな」

「な──そんなこと、出来るわけないだろう!」


神成は思わず机を叩いて久野里を睨み付けた。

いくらなんでも、今の発言は許せなかった。

が、


「…………」


久野里は神成が発した何に対しても怯むことなく、これまでに見たことのない顔で睨み返してきた。

それは刃物よりも危険な冷たさを持つような表情だった。

神成が今までに救ってきた人間よりも、塀にぶち込んできた人間に明らかに近いそれだった。


「……お前は、事件の解決に協力してくれるんだろう。言っておくが、いざという時の指示には従ってもらうぞ」

「こちらも言っておくがな」


久野里は机に手を付き、ぐっと神成に距離を詰めた。

 



「私がまず殺したいのは今回の事件の犯人で──」

 

「──その次は、有村をはじめとする、“そいつら”だ」


…………。


……。

 

 

 

 

 

「面倒くさいな」
「だな」


カメラを教室に向けながらぼやいた伊藤に、僕は心の底から同意した。

放課後の僕たちの教室。

いよいよ文化祭が三日後に迫り、今日の午後から本番当日までは授業が中止され、準備のための時間にあてられていた。

今までに動かせなかった机やらなんやらを動かし始め、普段とは違う雰囲気にテンションが上がっているのか、クラスメイトがやたらと騒がしかった。

本格的な準備開始ということで、新聞部の出し物である『文化祭の記録映像』も、もう一度一通り校内を撮り重ねる必要があり、午後から動きっぱなしだった。

こんなことをやってる場合じゃないのに。


「……鬱陶しいな」
「……だな」


更に伊藤は、横目で教室の隅からこちらを窺っている集団を見てぼやいた。


女子生徒「え、マジ? 必死過ぎじゃん」

男子生徒「つーかなに? ニコニヤにアップなんかしてんの、あいつら?」

男子生徒「パクるとはどんだけだよ」


(パクリじゃない……!)


くそ、情弱め。投稿時間の確認もしていないのか。


「……。てか、皆思った以上にニコニヤ見てんだな」
「……うちのクラスの出し物、ゲロカエルん喫茶だろ」
「? ああ」
「ゲロカエルんの再ブームの火付けになった動画、例の記者の渡部が特集したのがきっかけなんだよ」


だから、渡部を知ってる奴が多いんだ。


「……それでかよ」


伊藤はまたため息をついた。

昼休みくらいからちらちらと続いている視線とひそひそ話にうんざりしているんだろう。

僕も同じだった。

 

 

……げ。


「宮代」

「な、なんですか」


本来ならお前に関わってる時間なんてないんだけどな、という表情を川原くんはわかりやすく浮かべて、


「文化祭の記録映像、どのくらい進んでる」


……よかった、そっちの話か。


「え、と……。です、ね……。その……」


ど、どのくらいって言われても。

記録に収めるだけなら完成度なんてないし、というかその表情をやめてくれよ。


「なんだよ、どのくらいだ?」

「いや、その…………」

 



「順調に撮ってるよ。どうかしたのか?」

「文化祭の開会式のとき、バックに流したらいい演出になるんじゃないかっていう案が出た。出来そうか?」


伊藤は僕の肩を軽く叩いて、


「大丈夫だよな?」

「…………お、おう。たぶん」

「だと」

「じゃあ、細かい打ち合わせは明日するから」


──え?


「ちょ、ちょっと待ってください」


既に足を向けようとしていた川原くんに思わず声をかけた。

そんなこと、してる暇は……。


「なんだ?」


いや……。え、と……。

…………。


「……なんでも、ないです」

「…………」


川原くんは呼び止められたことを面倒くさそうにして、

 

「行こう、来栖。……来栖?」

「…………」


来栖は、川原くんに呼ばれていることに気づいているのか気づいていないのか、何か考え込んでいる様子だった。

と、突然僕をぱっと見て、

 



「拓留」

「……なんだよ」

「…………」

「……?」


来栖は珍しくなにか言いよどんでいた。

そういえば、話すのは有村さんと生徒会室で会ったとき以来か。


「ちょっと来て」

「え? ……ちょ──」


……。


人がいない廊下の隅まで引っ張られたところで、僕は来栖に掴まれた腕を振り払った。

 



「なに? どうしたんだよ」
「…………」


来栖は僕に振り払われた手を、かばうように自分で掴み、


「……あれから、有村さんと会った?」
「あれからって……。生徒会室で会ってからってこと?」


ええ、と来栖は頷いた。


「……会ってないよ」


嘘は言っていないはずだ。

実際に、有村さんとは直接話したりはしていない。


「そう……」


……なんだ?


「有村さんがどうかしたのか?」
「…………」


来栖は口元を引き結んだまましばらく黙っていた。

そして、

 



「……事件の動画、アップしたでしょう。すぐに削除しなさい」


……チェックしてたのか。


「事件を追うのもやめなさい。ラブホテルの一件で懲りたでしょう」
「……確かに、警察には連れて行かれたけど、別に──」
「取り返しのつかないことになる可能性だってあるの」
「…………?」


そう言う来栖に、違和感を感じた。

いつもと、雰囲気が違った。迫力がなかった。

こちらを咎めているのに、視線を合わせず自分の腕で自分を抱くようにしていた。まるで、言った言葉を僕よりも自分自身に言い聞かせているような姿だった。

来栖を言い負かせるかもしれない、とはっきり思ったのは施設を飛び出したとき以来だった。


「……危ないことはしてない。新しくアップした動画だって、普通の取材の範囲だったろ?」
「…………」
「今、あの動画は色々あって注目されてる。僕は、それに書き込むことしか出来ない他の連中とは違う」
「またそんなことを……。子どもじゃないんだから」
「……部室に行く。教室に戻るんなら、伊藤に先に行ってるって伝えておいて」
「…………」


僕は返事を待たずに場を打ち切って、背を向けた。

来栖との距離が、話すなら互いに歩み寄って声をかけるべきだろうというところまで淡々と離れたときに、


「拓留。あなたも他の人と違わない、ただの高校生でしょう」

「…………」


その声にはやっぱりいつもの強さはなかったけれども、優しさに近い何かも全く含まれていなかった。

僕は立ち止まらず、後から走ってやって来た伊藤と合流して部室に向かった。

伊藤は何かあったのかと訊いて来たけれど、別に何もと答えた。


……。

 



「あ、やっと来た。二人とも遅いよー」

「……悪い。どうなってる?」

「さっき、もう10万超えちゃったよ。コメントは5000超え」


──は?

 



「マジで!?」


途端に興奮した伊藤が、世莉架が見ていたPCにかじりついた。


「……マジじゃねえか。おい、宮代!」

「お、落ち着けよ。10万くらいどってことないじゃないか」

「震えてんじゃねえか」


う、うるさいな!

 



(……ほんとだ。超えてる)


昨日は再生数が5しかなかった動画の再生数が、10万を超えていた。

それどころか、もう間もなく11万に届きそうな勢いだ。


(……マジでか)


こうなった原因ははっきりしている。

今朝方更新された、動画つきのニコニヤニュースだ。


「渡部の記事のコメントは?」

「さっき見た感じじゃ炎上してる雰囲気だったけど……」


世莉架がそのページを開いた。

 



「……うん。やっぱり今もだね」

「…………」


問題となっている記事についてるコメントには、三四件につき一つの割合くらいで、批判するものが含まれていた。

ざっとそのコメントを流し読みする。


(……気取り屋がほとんどだな。ツイぽと連動してるから、ろくに中身を確かめずに書き込んでる連中が沸いてるのか)


僕たちがアップした動画の再生数がおかしいことになっていると気づいたのは、今日の昼前だった。

渋谷にうずに特集されたことによって、夜のうちに再生数は1万近くになっていた。

それだけでもかなりの事件だった。今までにアップした新聞部の動画のどれよりも早いペースで再生されていたのだ。

けれども、これはある程度予想していた範囲だ。ケイさんの信者は多い。

放送が終わった夜の0時過ぎから、僕と世莉架と伊藤は興奮してスマホで連絡を取り合い、夜明け近くまでどんどん伸びる再生数を見守っていた。

が、昼前に更に再生数が跳ね上がった。

これまでとは違う異常なペースだったので、原因を探ろうとしたときに、僕たちの動画に『渡部から来ました』というコメントが溢れていることに気づいた。

それが、この記事だった。

ニコニヤネット記者の渡部が、現場に力士シールが貼られていることをすっぱ抜いたのだ。

また、これまで世間には公開されていなかった『回転DEAD』の現場になった、ラブホテルの部屋の写真を撮っていることも結構な反響を呼んでいた。

そして、その写真の中に、

 



(……僕のほうが先に気づいていたのに)


力士シールの画像が写り込んでいたことに気づいた渡部は、他の現場付近にも力士シールが貼ってあることに気がつき、それを記事にまとめて発表した。

その影響で、同じ力士シールを特集している僕らの動画に人が流れてきたというわけだ。


「10万って、新記録だろ? 副部長の渋谷復興動画の5万が今までの最高記録だもんな」

「…………」


……うん。

それは、確かにそうなんだけど……。


「……素直に、この記事のインパクトってわけじゃないだろ。どっちかっていうと、渡部がパクったって騒いでる奴らが多いってだけで」

「ばっか、それでも10万は10万だろ。しかもこの短時間に。コメントだってめちゃめちゃ来てんだぞ」

「……まあ、そうだけどさ」


それでも、手放しでは喜べない。

ここまで再生数とコメントが増えているのは、渡部の記事の内容が、僕たちの動画の内容と酷似しているためだ。

単純に『ニコニヤニュースでやっている内容と似たものを、素人がまとめた動画がある』という流れで僕らの動画に来ている連中は少なくない。

『最近スクープを連発している渡部が、素人の動画の内容をパクった』という流れを楽しんで来ている奴が大半だ。

確かに僕らは渡部より先に動画をニコニヤにアップした。それは投稿時間を見れば明らかだ。

……まあ、クラスの中には渡部の動画を僕らがパクったって思っている奴もいるみたいだけど。


…………。


「……まるっきり、炎上マーケティングみたいだ」

「あ?」

「この渡部の記事がだよ。渡部が本当に記事をパクったかどうかはわからないけど……」

「……いや、それはないだろ? 素人のやつをパクった炎上を利用するって、ネットの記者とはいえあり得ないだろ」


……それは、まあ。


「それに、炎上なんかで騒ぎを集めなくても渡部は十分知名度あるだろ。スクープ連発してんだから。しかも俺らの動画、アップしたの一昨日だろ? 再生数もほとんどなかったし。渋谷にうずで再生数伸びたって言っても、今朝の話だ。この記事なんて、明らかにそこから用意したものじゃねえだろ」
「……うん」


それも、その通りなんだけど。

なにか引っかかる。

炎上で特に盛り上がる燃料の条件はいくつかあるけれど、『知名度のある人間が槍玉にあがる』『マスゴミが絡む』といった要素はその中でも最上位の条件だ。

渋谷にうずに記事が取り上げられただけでも初めてのことなのに、それと同じタイミングで炎上の条件が整った情報にその記事が関係してくるなんて……。


「考えたって仕方ないだろ」


うんうんと唸る僕を見て伊藤が言った。


「せっかくなんだ、見てくれた人のコメントから情報を漁ろうぜ。……ほら、力士シールのこと書き込んでくれてる奴もいる」

「…………」

「おい、宮代。チャンスなんだろ?」


興奮を抑えきれない様子で伊藤がせっついた。

……というか、


「……やけに元気だな、お前」

「は? そ、そうか?」

「真ちゃんが前に作った動画、100いかなかったもんね」


いきなり伊藤の顔がわずかに赤くなった。


「べ、別にそれは関係ねえよ!」

「…………」


……それでか。


「見るなよ! おら、文化祭の映像撮んのに時間とられたんだから、とっととやるぞ! ──香月!」

 



「ん?」


騒ぎとは一切関係ありませんという体でゲームをしていた部室の主が顔を上げた。


「渡部の記事の画像、適当にプリントアウトしてくれ」

「ん」


伊藤はそれを受け取ると勇んでボードの前に立ち、貼り付け始めた。

まだ顔が赤かった。真剣に画像を睨んで、貼る場所を試行錯誤していた。


「ほ、ほら早く動画を確認しろよ」

「…………」


……まあいいか。あれでごまかしているつもりならそういうことにしておこう。


「う…………」


……ダメだ、気持ち悪い。


「サムネイルは飛ばしてくれ」

「おっけい。私もやだもん」

 



世莉架は見慣れた操作でシールが映っている画面を飛ばし、コメントだけをスクロールさせていった。


「渡部パクってんじゃねえよ。こっちのほうがほんとに早いの、マスゴミ被害者はこちらです……」

「……そこらへんの議論はどうでもいいな。シールで検索かけてくれ」

「おっけい。……う~…………」


…………。


「ろくな情報がないな……」


メタボシールだの、力士シールはわしが育てただの……。

そもそも、やっぱりコメントの大半が動画の内容とは関係ない渡部の記事に関連したもので、そこから発展してニコニヤニュースの意義をコメント同士で議論し始めたりしていた。

世莉架もうんざりしてきたのか、マウスを操作しているのとは逆の手で、いつものように『ゲロカエルん』ストラップをもてあそび始めた。

が、しばらくして、その手がピタリと止まった。


「あ、これは?」

「力士シールの作者なんて『k-lex』だろ、情弱乙、ね……」


そちらこそ情弱乙、だ。

k-lexさんというアーティストが描いた説というのは確かにネット上に出回っているが、決定的な証拠は見つかっていない。

おそらく、どこかのページにでも書いてあった『k-lexさん=力士シールの作者』という記事のタイトルか最初だけ読んで中身を深く吟味していないんだろう。


「ん……このアドレスは?」


と、コメントの中に何の説明もなく貼られているアドレスがあった。


「飛んでみる?」

「ちょっと待ってくれ」


アドレスに書かれている文字を確認する。


「……単にアマブロのアドレスだよな。……うん」


確実じゃないけれど、そう危ないページでもなさそうだ。


「おっけい」

 



「!」


瞬間、毒々しい色使いのページが飛び込んできた。

カウンターになっているでかい力士シールから思わず目を背ける。


「……なんだ、ここ?」

「う~……」


世莉架は、そこに貼られているリンクを次々と踏んでざっとスクロールし、


「力士シールを特集してるページ……みたいだね」

 



「うわ……」


……よくこれだけ集めたな。

地震前のやつか?

世莉架はやはりシールが気持ち悪いのか、スクロールしてテキストが書いてあるところまで画面を下げてから、


「えと……? ……このシールの目は、滅びを予見しこれを未然に防ぐためのもの。2015年の人類滅亡の預言は、被害はあったもののこれによって守られた……?」

「2015年の人類滅亡の預言……? エジプト暦の人類滅亡説か」

「よく知ってるねえ」


ふふん。


「常識だよ」


そのページをよく読んでみると、先月の15年クラッシュをその予言と当てはめ、それが力士シールによって守られた、という内容が書かれていた。


「……色使いといい……ちょっとキてるな、ここの管理人は」

「そういえば渋谷って、クラッシュのときあまり大きな騒ぎにならなかったよね。力士シールって、太陽嵐を軽減する効果でもあるのかな?」


馬鹿か。信じてどうする。


「渋谷の被害が少なかったのは単に復興計画で街が整備されていたおかげだよ。これは、単なる結界説」

「結界説?」


……なんで忘れてるんだ。

昔、結構がっつり調べたんだろうに。


「相撲の発祥が神事であったことから、相撲を行う力士をモデルとした力士シールに宗教的な意味を持たせて、あちこちに貼ることによって結界を築いてるんだっていう説だよ」

「……宗教的な意味って?」


……う。

まずい。知らない。


「と、とにかく! 結界説はナンセンスなんだ。力士シールって呼ばれてるけど、力士をモデルにしたっていう証拠はないんだから」

「ふ~ん」

「…………」


……良かった。ごまかせたか。


「ん……タク、これは?」

「な、なんだ! 知ってるぞ!」

「……知ってるの? 作者」

「え?」


これ、と世莉架が指差したのは、


力士シールの作者について言及しているページだった。


…………。

 



「い、いや勘違いだ。進めてくれ」

「おっけい」


相変わらず趣味の悪い色使いの背景だ。目がちかちかする。

なになに……。


(巷で言われているように、力士シールの作者はk-lexではない……)

ふむ。

さっきの膨大な力士シール画像といい、この管理人ちょっとキてはいるけど力士シールについてはちゃんと調べてるな。


(このシールの作者は結界を築くために人類の犠牲になったのだ……)


いや、ちょっとどころじゃないか。

相当キている。コレ系のページはしばらくぶりだ。


(その犠牲となった尊敬すべき作者は──)


……!


画面のスクロールが止まった。


「……これ……」


ほんのわずかに声を震わせ、世莉架が同意を求めるように指差した。


「……AH総合病院にその身を置いている」

「……タク」


わかってる。

僕は驚いている世莉架を視界の隅に置きながらも、どれだけ見たって変わるはずのないAH東京総合病院というテキストから焦点を外せなかった。


「…………」


あの、病院だ。

飽きるくらい夢に見ている、小学生の頃世莉架と一緒に冒険をしに忍び込んだあの病院だ。


「──おい、宮代」

「…………」

「宮代って」

「…………」

 

 

「!!」


な、なんだ!


「……ん」


いきなり顔を横からディスプレイの前に差し込んできた香月は、その姿勢のまま伊藤のほうを指差した。


「な、なんだよ」

「やべえぞ、これ……」


伊藤がボードのほうを向いたまま漏れるように呟いた。

それどころか、更に顔をボードすれすれまで寄せて、


「やっぱり……。おい、これ見てみろって!」


すがりつくように貼ってある画像を示した。

 



「どう、したんだよ……」


見つけたテキストの動揺を抑えようとしたけれど、声が震えた。

けれど伊藤はそんなこっちの様子なんかまるで気にしてないように、せっかく整理して貼った画像をいくらか取り外して、

 



ずらっと貼りなおした。

ん……大量に貼られた力士シールと、それぞれの事件の力士シールの引きの画像か?


「ここ、見てみろ」

「……へへ」


口から漏れた声に、同じく画像を見ていた伊藤と世莉架の二人がこちらを見るのがわかった。

興奮で高まった感情が身体のどこに現れているかわからないまま、僕は何故か先ほどの来栖とのやりとりを思い出していた。


「…………」


取り返しのつかないことになる可能性がある?

それでも僕は行くんだろうか。たぶん、このまま行くんだろう。

ただの高校生ではないんだから。


…………。

 

……。

 


2015年10月7日(水)

午後八時。

渋谷区富ヶ谷──

 



青葉医院。

最寄の代々木公園駅から徒歩二分。

渋谷駅からだとニ十分程度かかる住宅街に位置するこの個人医院は、その家庭的な雰囲気によって昔から地域住民に親しまれて来た。



受付外来は内科及び小児科。

患者を入院させられるような設備はない。

待ち時間は長くても十分程度。日によっては患者より、猥談をしにやってくる院長の飲み友達のほうが多かった。

常駐医師は院長一人。所属看護師は二人。

毎年忙しくなるのは、基本的にインフルエンザの予防接種の時期と、院長が所属している近所の草野球チームの大会が開かれる時期だけだ。

 



「……っかしいな。ここにねえってことは……」

 



医院の2階。

居間や台所、風呂場などがあるこの階と、所属児童たちの部屋がある3階が地域小規模児童養護施設、青葉寮だ。

表に養護施設としての看板などは出していないため、外を通り過ぎただけでは青葉医院の階上が施設になっていることはわからないだろう。


「! っつー……。ズキズキきやがる……。ここにもねえ。──おーい、乃々!」

「もうちょっとだから」

「ちげえよ。薬がどこいったか──って」


青葉医院の院長であり、青葉寮の施設長である佐久間恒(さくま わたる)は、並んでいる夕飯を見て動きを止めた。

野菜のふくめ煮。白身魚の梅和え。豆腐ハンバーグ。納豆。紫蘇入りだしまき卵。

施設に入った小学六年生のときから施設の夕飯を担当している長女のレパートリーは、明らかに年々渋いものになっていっている。

 

「お前な、お婆ちゃんじゃねえんだから。肉とかよ……」
「腹回りの贅肉を減らしてから言ってちょうだい。嫌ですからね、老後に高血圧治療の面倒見るの」
「食べ盛りもいるってのに……って! ……あーちくしょう」


佐久間はこめかみのあたりを揉むようにおさえた。


「どうしたの」
「ロキないか。見あたらねえんだよ」
「なに、頭痛?」
「ああ」
「確か……ってちょっと待って。もしかして二日酔い?」


う、と佐久間はうめいた。それを見て、来栖は包丁を持ったままやんわりと微笑んだ。


「……父さん? そもそも家長で医者であるあなたが、病院の仕事手伝ってるとはいえ見習い看護師以下で娘である私に薬の場所を聞くのも問題ですけど。よりによって二日酔いですって? 昨日の夜、残った事務仕事を私が片付けてる時に晩酌してたの?」
「いや、仕事は俺だってしてたぞ」
「じゃあ仕事中に飲んでたってことね。そんな酔っ払いに出せる薬はありません。あと一週間禁酒にしますから」
「は? おい乃々、冗談だろ──」
「出来た。二人とも呼んで来て」


……。


「ごちそうさま。美味しかったー」

「……ごちそうさま」

「はい、おそまつさま」

 



「お茶入れるね。ユウ、手伝って」


頷いた弟を引き連れて、姉は四人が食べ終わった食器を台所に下げに行った。

後片付けはこの二人の役割だ。

橘 結衣(たちばな ゆい)、橘 結人(たちばな ゆうと)の姉弟

青葉寮において唯一血の繋がっている実の姉弟であり、いつも一緒に居る姿が見ていて微笑ましいと近所でも評判だった。

結衣は小学二年生、結人は小学校に入る前の六歳のときに渋谷地震に遭遇し、そのまま青葉寮に入所した。

両親を失ったショックや被災したときの経験から長らく塞ぎこんでいた二人だが、それぞれ無事に中学二年生、小学六年生に進学していた。


「乃々、明日の夕メシは、先に食べてていいぞ?」


食事中、禁酒のことを愚痴ったが自業自得だと結衣に一蹴されてずっとやさぐれていた佐久間が、腹が満たされて落ち着いたのか、けろっとした様子で言った。


「最近ばたついてるからよ」

「イヤです。温めなおすの面倒くさいもの。それに──ばらばらに食事するのって好きじゃないの。出来るだけ家族揃って食べたい」

「…………」

「でも、ばたついてるってどうしたの?」


来栖は時計を確認しながら言った。午後九時近くになっていた。

青葉医院の午後の診察時間は18:30までなので、その後事務処理等を終えて佐久間が二階に上がってくるのは七時過ぎが多く、それに合わせて来栖は夕飯を作っていた。

だが、確かに最近後ろにずれ込むことが多い気がした。

佐久間はよくわかんねんだけどな、と前置きしてから、

 



「大学の後輩が渋谷でやってる医院もそうだし、ここらのでっけぇ病院──代々木のAH東京総合病院とかよ。最近忙しいらしいんだ」
「…………」
「乃々?」
「……あ、ごめん。それで?」
「まあ、復興祭が近えから浮かれて怪我する奴が増えてるんじゃねえかとか、それに合わせて例の症候群をもう一度見直す動きがあるとか色々言われてんだけどよ」
「見直すって……。六年経って今更?」
「わかりやすく復興して直ってんのは街の外観だ。ここはそう簡単に治らねえからな」


とんとん、と佐久間は自分の胸を叩いた。


「うちの患者は別に普段と変わらねえんだけどよ。その後輩やら知り合いやらから、なんだかんだと頼まれるのが多くなってんだよ。おかげで肩こって仕方ねえ」
「…………」


そう言って肩をぐるぐると回す父を、来栖はお疲れ様、と労った。

普段はちゃらんぽらんな医師に見えるが、いざというときの信頼は篤いことを来栖は知っていた。

震災の折り、青葉医院は渋谷から離れたところにあったため大きな被害は受けず、機能が麻痺することはなかった。

そのため佐久間は一時的に専門外である軽度の外傷者の受け入れを行い、積極的に治療に当たったという。

来栖が医院の受付等を手伝っていると、今でも『あのとき先生はねえ……』という切り出しで感謝を示す患者がいた。


「どうしたのこの梨」

「パーラー西野で安売りしてたの。いただきまーす」


台所から結人とともに戻ってきた結衣が、お茶と一緒に持ってきた梨に爪楊枝を刺しながら言った。


「ん……甘くて美味しい。あ、結衣ポン酢買っといてくれた? 今日底値でしょう?」

 



「うん、お一人様一個までだったからユウ連れて二個ゲットしてきた。あ、そだ、いつものスーパー、タイムセールの時間変わるって」
「嘘」
「一時間遅くなるんだって」
「……困るなあ。夕ご飯の買い物どうしようかな」
「あと、風呂場の洗剤切れそうだったよ。あの白のパッケージの」
「それは週末のセールを待ってる」
「どこの?」
「青樹薬局」
「クーポンあるよ」
「ほんと? 助かる」


「…………んん」


「そうだ、ベランダ見た? 洗濯物干すほうの角のとこ」
「え、なに?」
「苔生えてるの。びっしり」
「それが?」
「なんとかしないとそのうち赤ダニが沸くの」
「やだー!」
「私だって嫌です。というか私が一番嫌」


「……んん! ん!」

 



「……なに、さっきから。喉いたいの?」

「風邪? ちょっとあり得ないんですけど。お医者さんでしょ?」

「看病するの私たちなんですからね。ただでさえ寝汗が多くて洗濯が大変だっていうのに」

「少しは痩せてよ。大体父さんの食費だけで月にいくら──」

 

 

 

「だあああ!」


突然佐久間は我慢の限界だというように、飲み終わった湯飲みを机に叩きつけた。


「……乃々。結衣。話しがある。ちょっと座れ」

「座ってんじゃん」

「……あのな。お前ら」


佐久間は頭痛が増してきた気がする頭をおさえて、どこから言っていいものか言葉を捜した。

だが結局直接的に言うしか方法が見当たらず、


「もう少し、高校生と中学生らしくできねえのか」

「は?」


なに言ってんの、という顔で二人は佐久間を見た。


「乃々。お前、趣味なんだ」

「なに、急に」

「いいからよ。趣味は?」

「部屋の掃除」

「……結衣は」

「セールのチラシ集め」

「…………」


呆れているらしい佐久間の意味がわからない二人は、残っている梨をぽいぽいと口に運んだ。

そして、『なにこの人』『年とるって嫌』、と主婦の噂話のように会話が続いた。


「……座れ。座りなさい」

「座ってるって」

「お前ら、何歳のうちから所帯染みてんだ。セールがどうの食費がどうの……。学生の会話か?」

「家のことは任せるって言ったのは父さんでしょう」


青葉寮の財布を握っているのは来栖であり、その手伝いをしているのは結衣だった。

 



「もっと遊べっつってんだ。ライブ行ったり、服勝ったりよ」

「えー……別にいいよ。ネットで聴けるもん」

「言われなくても服はフリマとかで買ってます。いいのないときは自分で作っちゃうもの」

「……ちゃんとしすぎなんだよ。あんな、隙のない女はモテねえぞ」

「クラスの子どもっぽい男子になんか興味ありませーん。あと、乃々姉えは中等部じゃアイドルだから」

「……そうなの?」


もちろん、と結衣は頷いた。

結衣が所属しているのは碧朋学園からほど近くにある、碧朋学園の中等部だ。

高等部と中等部は頻繁に交流があり、生徒会長である来栖は行事などで何度か足を運んだことがあった。

来栖は苦笑して、


「高等部(こっち)じゃ、どっちかっていうと怖がられてるんだけどね」

「彼氏の一人もいねえのか。お前の浮いた話、聞いたことないぞ」

「クラスの子どもっぽい男子になんか興味ありません」

「えー……。そっちも男子ってそうなの?」

「年頃の男子なんて何歳でも一緒でしょう」


そう言って、来栖は澄ました顔でお茶を啜った。


「ブラコンめ」

「っ?!」


途端、撃たれたようにそれを噴出した。


「──! ……!」

「の、乃々姉え大丈夫? ユウ、ティッシュ

「う、うん」


来栖は咳き込みながら結人からティッシュを受け取り、自分で机を拭きつつ、


「変なこと言わないでちょうだい!」


息苦しいのか、顔を真っ赤にして佐久間に怒鳴った。


「お前は、拓留にかまいすぎなんだよ。そんなんだと他の男が寄って来ねえぞ」

「そんなことないです。あ、いや、寄って来てるって意味じゃなくて──」


もう、と来栖は苛立たしげに手を振り、


「とにかく、あの子は──」


…………。


「……乃々姉え?」


答えずに、来栖は拭いたティッシュをゴミ箱に投げ入れた。


「…………。結人は? この間、結衣が言ってただろ。ほれ、同じクラスの今野さんだかなんだか……」

 



「ち、違うよ! や、いや、違わないけど……」


今度は結人が顔を真っ赤にした。


「そうだ、それ! どうなったの? やっぱりラブレターだったんでしょ?」

「…………」

「隠し事はなしでしょ? どうなの?」


肩を縮こまらせ、小さい身体をさらに小さくして、結人は頷いた。

結衣は、おおっと身を乗り出して、


「で? で?」

「……徳田くんに」

「?」

「徳田くんにばれて、それで……」


すると結衣は、興味本位だったこれまでの表情を真剣なものに一変させて、


「なに、からかわれた?」

「…………」


少し間があってから、結人は小さく頷いた。


「ユウ、だめだよ。嫌なものは嫌って言わないと。そういうのに慣れたら気づかないうちに曲がってくんだから」

「……うん」

「でも、もしまたいじめられたりしたら姉ちゃんに言いな。やり返してやるから」

「結衣、女の子がそういうこと言わないの」

「お前が言うか」

「……どういう意味」


青葉寮には二つ、決まりがあった。

夕食後には、家族そろって卓を囲み、話すこと。

そして、隠し事はしないこと。

佐久間が地震の後、児童養護施設を開くことを決意し、青葉寮という名前の次に、真っ先に決めたことだった。

四人は結人が軽く欠伸をし出した午後十時近くまで、とりとめのないことを話し合った。

 



変わらない日常を教え合い、それによって日常を守っていた。


……。

 



「……入るよ」


来栖は返事が返ってこない声をかけてから、主が居ない部屋に入った。

 



いつものように机から拭き始め、慣れきった手順で掃除を進めて行く。

部屋の配置は、宮代が出て行ったときから全く変わっていなかった。

相変わらず、本やら書類やらDVDやらで溢れていた。


「…………」

 



やはり来栖にとって家は落ち着ける、気の置けない場所だった。

普段の自分の調子で、何の遠慮もいらない家族との空間。

食後のあの時間が、来栖は一番好きだった。

碧朋が苦手というわけではないが、どうしたところで自分の役割を意識して優先する性格は変えられない。

外にいるときに求められる役割より、家族と一緒にいるときの役割が自分の性にあっている。

 



本棚を掃除していたとき、スクラップブックが目に留まった。


「…………」


以前は何度も見たそれを、久しぶりに机に置き、ページをめくって行く。


(……拓留)


都市伝説や渋谷で起きた事件などをまとめたそれの一番最後のページに、小さな雑誌の記事や新聞記事をまとめた部分があった。

雑誌の記事の日付は、約半年前。宮代が家を出る直前だ。

そして新聞記事は、約6年前。渋谷地震に関する記事だった。

これを知ったことが原因で、宮代は家を飛び出し、宮下公園に身を寄せていた。

 



『日付が、6年前の事件とぴったり一致してるんだ。事件も自殺っぽいっていう内容はともかく、猟奇的だという点で同じ』

 



『あなた、殺されますよ。宮代拓留先輩』

 

「…………っ」


何かが迫っているのかもしれない。あるいは、宮代がそれに突っ込んで行っているのかもしれない。

自分は、姉として弟を守らなくてはいけない。

だが、


「私は……」


──6年前と、向き合うことができるのだろうか。


コン、コン。


「!」


ドアがノックされた。

呼吸をして落ち着く努力をしてから、来栖は声をかけた。


「誰……?」

「俺だ。入るぞ……なに泣きそうな顔してんだ?」
「え……」


来栖は慌てて自分の顔を撫ぜた。泣いてはいなかった。

気を取り直すように鋭く息を吐いてから、

 



「どうしたの?」
「飯んとき、ちょっと変だったろ、お前」
「……そう?」


と、佐久間が机の上のスクラップブックに目を留めた。


「やっぱあいつが、またなんかやらかしたのか」
「…………」


そう訊く佐久間の声は父親としてのそれだった。

来栖は本棚にスクラップブックを戻しながら、


「……うん。……いや、またやらかしそうというか」
「あいっかわらずだなあ。ラブホテルで警察にお世話になったあと、お前ちゃんと止めたんだろ?」
「…………」


今日の廊下での出来事を思い返して、来栖は頷いた。


「それでも、なんかやめそうになくて」
「……珍しいな、あいつがお前に逆らうなんて」


(…………。それは、私がきちんと……)


「……なんだ、どうしたんだ?」


来栖の様子を感じ取った佐久間が、ベッドに腰掛けた。

話してみろ、と手で促す。

 



「……父さん。あの子って、どうやって私──じゃなくて、家に馴染んだの?」
「ん?」
「ほら、長期昏睡から目覚めて、リハビリ始めたときは全然心開いてなかったでしょう」
「それを言ったら結衣と結人もそうだろ。言っとっけど、お前もそうだったぞ?」

 



「私の話はいいから」
「ん-、んな前のこと覚えてねえなあ……。大体、そんなのちゃんとしたきっかけなんかあんのか?」


そう言いつつ、佐久間は腕を組んで昔を探る素振りを見せた。

やがて、


「ああ、いつ馴染んだかなんてわかんねえけど、初めて一緒に夕メシ食った日は覚えてるわ」
「……あ」


言われて、来栖も思い当った。

リハビリを始めて普通に歩けるようになっても、宮代はしばらくこの部屋で一人で食事をしていた。

佐久間が夕食後には皆で話すことになっていると言っても、身体が辛いことを言い訳にして、部屋から出たがらなかったのだ。


「私も覚えてる。……そう言えばあれってなんでだったの?」
「ん-……たぶんなあ、お前の啖呵だよ」
「……え?」
「あいつのリハビリ、手伝ってたろ? 家族なんだから私が面倒見るっつって」
「うん」


宮代は断ったが、なに今更恥ずかしがってんのと来栖が突っぱねたのだ。

そもそも長期昏睡の際に排泄の処理をしていたのも来栖だった。


「そっから前にも増して付きっきりで……。昔からだ、お前のブラコンぶりは」
「……だから、違うって言ってるでしょう」
「んで、あいつが問題なく日常生活できるようになって、そろそろ学校も大丈夫じゃないかってお前が俺に相談持ちかけたとき、なんて言ったか覚えてるか?」
「……?」


来栖は思い返してみたが、別段特別なことを言った記憶はなかった。

 

 

『小学生のとき、学校にあまり行っていなかったっていうけど……。私が行ける様にする。もしあの子をいじめるやつがいたら、私がやり返してやる』

 


「……嘘でしょう?」


全く記憶になかった。

 



「ほんとだよ。さっき結衣も言ってたじゃねえか。明らかに昔のお前の影響だ。今以上にトンがってたからなあ。それを、あいつは部屋の外で聞いてたんだよ。その日の夕メシからだ、あいつが一緒に食べるようになったのは」
「…………」
「まあ、結局、あいつはあまり学校には行かなかったけどな。それでも、保健室登校で卒業できたのはお前のしごきの成果だろ」
「…………」


佐久間の言葉を聞きながら、来栖は自分の中にわだかまっていた恐怖がストンと小さく腹の中に収まるのを感じた。

代わりに、嬉しさと懐かしい自信が混ざったような気持ちが浮かび上がってきた。

 



「そんなこと、私言ったかな……」


コン、コン。


「乃々姉え?」

 



「なにしてんの?」

「そっちこそ二人でどうした?」

「ユウのトイレ。そしたら声が聞こえたから」

「……そう」


わずかにばつの悪そうにする結人に、来栖は微笑んだ。

結人は、夜に一人でトイレに行くことができない。

元々結衣にべったりで臆病な性格だということもあるが、地震の際の影響で、若干暗所恐怖症(スコトフォビア)気味なのだ。


「……ねえ。二人は拓留に帰って来てほしい?」

「当たり前じゃん。家族だもん」

「うん」

「てゆーか、拓留兄いの掃除当番、全部肩代わりしてるの私とユウだから。早く返してもらわないと」

「……あと、買い出し当番も」

「あーそれもだ! 忘れてた!」

「……」


来栖は自然に笑って、出て行った弟の部屋にいる家族を眺めた。

6年前のことはそれこそ変わりようがないのだから。


「……結衣」

「ん?」

「結人をいじめるやつがいたら、やり返してやりなさい」

「え……? う、うん。もちろん」

 



自分は、家族を守るだけだ。

また、一緒に暮らせるように。

来栖はスマホを取り出して操作しながら、迷いを蹴り飛ばすように部屋を出て行った。


……。