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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【15】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
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「…………」


みんなが帰った後も、僕の頭の中では世莉架の言葉が何度もぐるぐるとリピートされていた。

 



『もしもタクにそんな能力があったら、命を狙われるかも知れないってことでしょ?』


これまでの事件──『ニュージェネの狂気の再来』と言われる一連の事件の被害者は、特殊な能力を持っていた可能性がある。

それは、僕が導き出した推論だ。

久野里さんや有村に言われた通り、僕にもそんな能力があるのだとしたら……僕も事件の被害者に成り得るということになる。

そういえば、以前、有村も言っていた。

 



『あなた、殺されますよ。宮代拓留先輩』


(殺される……? 僕が……?)


なんなんだよ、この馬鹿げた展開。

本当なら、超能力が存在するかもしれないっていう自分の仮説が当たって喜んでるところだろ、普通。

それなのに……。

僕まで狙われるかもしれないなんて……なんでそんな話にならなきゃいけないんだよ。


(どう考えたって、おかしいだろ!)


第一、僕には超能力なんて使えないんだし。


「──っ!」


ほら、こうして力を入れてみたところで何も動きやしない。

念じたところで、何かが浮かび上がったりもしない。

僕本人が使えないって言ってるんだ。他の人に『お前は超能力者だ』って言われたところで──。


「…………」


でも、もしも……。

もしも犯人が、久野里さんや有村みたいに、僕に特殊な能力があると勝手に思い込んでしまったらどうなる?

その場合、全くの誤解なのに、命を狙われることになるんじゃ?


(冗談じゃない! そんなバカなことって!)


──!


「──!?」


な、なんだ、今の音?

 



ドア?


──!


まただ……。

誰か……来た?

でも、伊藤たちは少し前に帰ったばっかりだし、他にここに来そうな奴なんて……。

まさか……。

まさか僕を狙って誰かが?


──!


(おい……嘘、だろ?)


──!


冗談じゃないぞ!

僕は使えないんだ!

超能力なんて使えない!


──!


(い、嫌だ……来るな……来るな!! 違う……僕は……超能力者なんかじゃない……違うんだ!)


けれどそんな僕の心の声も虚しく、ドアはゆっくりと開──。

 

「うわああああああああああっ!!」

 



「な、なんだぁ? 騒がしいのう、どうしたんだぁ?」
「あ……え? げ、ゲン……さん?」

 



「おう、タク。余はただいま帰ったぞう」
「な、なんだよ……驚かさないでよ……」


一気に気が抜けてしまい、ヘナヘナとベッドに座り込む。


「せっかく例のモノ持ってきてやったってのに。さては、女子(おなご)かと思って期待しておったな?」
「そ、そんなんじゃないよ!」
「まぁまぁ。お前くらいの歳なら誰でもあるこった。てわけで、ほれ」


ゲンさんはクール・キャット・プレスを投げてよこすと、右手を差し出してきた。

正直、そんな気分じゃないんだけど……。


「500円……でいいの?」
「毎度ありぃ……。へへっ、これで今日も美味いビールが飲める、ってなぁ」
「少しは貯金とかしたら?」
「ばっか野郎。男は宵越しの金は持たねぇってな。いいか、タク? お前も男なら、ケチケチすんじゃあねぇぞ。じゃないと女子には……」
「わかったわかった。今日はもう帰って」
「へへっ。お~とこならぁ~、とくらぁ」


……。

 



「ふぅ……」


ゲンさんを追い返し、ドアを閉めると、部屋の中はまた異様な静けさに包まれた。

時折、すぐ側を通り過ぎてゆく電車の音がやかましいくらいで、それが過ぎればまた静寂がやってくる。

目と鼻の先に渋谷の駅があるっていうのに、ほんの少し離れただけでこの状態だ。

普段はその静けさが有り難いと感じていたけれど、今は少しだけ心細い。

『こっちみんな』『音漏れたん』『回転DEAD』、

それに『ごっつぁんデス』。

馬鹿げた名前をつけられているが、起きていることはどれも無残な殺人事件ばかり。


そして──。

 

『もしもタクにそんな能力があったら、命を狙われるかも知れないってことでしょ?』


(クソっ、冗談じゃない……!)


気を紛らわせるために開いたクール・キャット・プレスには、『隠れた才能を磨いてモテ男になれ!』と書かれていた。


…………。


……。

 

 

 

 

2015年10月12日(月)

 

「はい、終わりっ」
「ありがとう、結衣。悪いわね」
「いいっていいって。乃々姉えにはいつもいろいろ任せっきりなんだもん。私だってもう子供じゃないんだし、こういう時くらい頼ってよ」

 



傷の消毒をしてガーゼを替えると、橘結衣は優しげに笑った。

その笑顔がやけに大人びて見えて、乃々はほんの少しだけドキっとする。

 



結衣と結人の姉弟が初めて青葉寮(ここ)に来たのは、乃々や拓留がやって来たのとほぼ同じころのことだった。

当時はまだ幼く、なかなか寮(ここ)の生活にも慣れなかった二人だが、今ではすっかりと馴染んでいる。

考えてみれば6年も共に過ごしているのだから、当然といえば当然のことなのだけれど。


「…………」


そう。たとえどんな環境の変化にも、誰もが慣れるものなのだと、乃々は改めて思った。

改めて6年間という月日の大きさを思い、乃々はそっと結衣の頭を撫でた。


「どうしたの、乃々姉え?」
「ううん、なんでもない。おっきくなったなって」
「なに、急に?」
「だから、なんでもないんだって。ちょっと思っただけ」


そして、同時にこうも思う。


─何としても守らねばならない、と。


6年の間、積み上げてきた時間を。

家族を。


そして──。

 



「いい、乃々姉え。また勝手に動き回って、悪化させちゃダメなんだからね」

立ち上がって言う結衣の仕草が自分に良く似ていて、乃々は少しむずがゆい気分になる。


「ごめん」
「それにしても、拓留兄も拓留兄だよね。痛がってる乃々姉えを置いてどっか行っちゃうなんて。口では文句ばっかり言ってても、拓留兄はほんとは優しい人だって思ってたのにさ」
「そう言わないであげて、結衣。拓留は拓留なりにいろいろあるのよ、きっと」
「いろいろって?」
「それは……」


拓留だって悪気があったわけじゃないのは、来栖にもわかっている。

拓留は一生懸命背伸びして抗っているだけなのだ。

自らの境遇に。そして世界に。

けれど。


「わからないけど、いろいろよ。いろいろ」
「ふぅん。変なの」


それは時として哀しみしか生まない事もあると、拓留はまだわかっていない。

自分たちが、拓留の過去を秘密にしていたのは拓留のためだ。

過去の真実を暴き出しても、何も良いことなんてない。

それは拓留自身だってわかっているはずだ。

それなのに、どうして──。


「とにかく、もうしばらく安静にしておくこと。これは父さんからの命令でもあるんだから。わかった?」
「はいはい」
「返事は一回」
「はい。わかりました」
「よろしい」


いつもなら来栖が言うセリフを残して去っていく結衣を、苦笑しながら見送る。

それから、乃々はサイドテーブルの上のスマートフォンを手に取った。

電源を入れしばらくすると、待ち受け画面が表示される。

 

 




家族みんな──養父と自分と結衣と結人、そして拓留──4つの笑顔と、仏頂面がひとつ。

それは乃々にとって大事な大事な宝物だった。

その宝物をかなり長い時間じっと見つめてから、彼女は、迷った末に写真のフォルダを開いた。

数々の思い出の中に、拓留の姿が混じっている。

どれもこれも仏頂面で、思わず吹き出してしまいそうになる。

そのフォルダの一番奥に、古い古い日付けの写真があった。

それは6年前──あの地震よりも少し前に撮られた写真だった。

そこには、3人の子供が並んで写っていた。

乃々と川原。そしてもうひとり──。


──コンコン。


その時、扉をノックする音がした。

乃々は、慌ててスマートフォンを背中に隠す。


「乃々姉ちゃん。いい?」
「なぁに?」
「お友達がきてるよ。お見舞いだって」
「友達?」


──「やほー?」


そっとドアを開けて入って来たのは、世莉架だった。

 



「元気ー?」

「元気だったら、こうして寝てないから」

「あー、そっか。じゃあ、またにするねー」

「冗談よ、冗談。入って?」

「うん」


世莉架が、いつもより控え目な足音で部屋の中へ入ってくると、ベッドのわきにペタンと座り込んだ。

 



「えっと……お茶とか持ってきたほうがいい?」

「あ、いいよ、お構いなくー」

「ありがと、結人」

「うん……じゃあ……」


結人が部屋から出て行く。


「えへへぇ」


閉じられたドアを眺めて、世莉架がニコニコと笑っていた。


「なに?」
「結人くんも、しっからしてきたなって」
「まだ甘えんぼだけどね」


引っ込み思案で、特に年上相手だと萎縮してしまう結人も、世莉架が相手なら大丈夫なようだ。

昔から、世莉架と拓留が一緒にいることが多いせいだろう。


「それで?」
「え?」
「ここに来た理由よ」
「お見舞い……」
「怪我の具合なら電話でも話したでしょ? なのにわざわざ来るなんて……」
「うーん。やっぱのんちゃんにはかなわないなあ」
「当たり前。で、どうしたの?」

 



「うん、ちょっとね。のんちゃんの様子がおかしいなって思って」
「私が?」
「うん。電話の声がね、元気がないなって」
「何言ってるの。怪我してるんだから元気がないのは当たり前でしょ?」
「それはそうなんだけど、うー、なんて言ったらいいかなぁ……。とにかく。変だなって思ったの。だから来たの」
「世莉架……」


まったく。かなわないのは自分の方だ──と、乃々は思った。


「…………」
「のんちゃん?」
「…………」
「どうしたの? 具合悪い?」
「ううん、そうじゃない。そうじゃないの。ただ……」
「…………?」
「…………」


乃々はさんざん迷った挙句、ようやく決心して、背中に隠したスマートフォンをゆっくりと取り出した。

その胸中にあるのは、たったひとつ。


──守らなきゃいけない。


その想いだけだった。

今のままでは危険が及んでしまう。

拓留にも。

そして、自分たち家族にも。新聞部のみんなにも。

だから、乃々は意を決した。

これまで言えなかったこと。

言わなかったこと。

それを、みんなに話そう。


「のん……ちゃん?」
「世莉架……言ってたわよね……例の病院の地下で、その……南沢泉理っていう子の情報を見たって……」
「う、うん」
「これ……」


そこには、つい先ほど、乃々が眺めていた写真が表示されていた。

写っているのは、6年前のまだ幼い来栖乃々と、川原雅司。そしてもうひとり──。

 



「の、のんちゃん……これって……」

 



「…………」


…………。


……。

 

 



 

『それではここでもう一度、こちらの力士シールがどういうものかを見てみましょう。まずこの、力士シールというものが最初に街中に貼られはじめたのは、2007年頃だそうですが、果たして誰が何のために貼りはじめたものなのか、詳しいことはわかっていません。ただの悪戯だとも、あるいは宗教的呪術的な意味があるとも言われていますが、それも単なる噂の域を出ません。ただ、この力士シールが最近になって大量に貼られ始めたのには何らかのメッセージが込められているのではないかと、インターネットなどでは話題になっているということですが……。ここで、若者サブカルチャーなどに詳しい、ゲストの方を……』


(ここも……)

 

 

『誰が何のためにやってるのかわからないなんて、気味悪いですよね……』


(ここも……)


『この力士シールと言われるものがデザイン的にどうであるかという点を考えてみますと……』


ここもあそこも、どこもかしこも、チャンネルを変えるたびに力士シールの話ばかりだ。

想像していた以上に、世間は力士シールの話題で持ちきりだった。

みんな、今さらの情報で今さらのことを言って騒いでいる。

 



けれどいまだに、僕がたどり着いた推論に至っている人間は誰ひとりとしていなかった。

まあ、当然だろう。

どう考えたって突飛すぎるとしか言いようがない。

けれど、少し前の僕には自信があった。

持論は間違っていないと、そう思っていた。

しかも、僕の説を、久野里さんと有村が確かなものにしてくれた。


(けど……)


いまの僕は、自分自身が唱えた説を信じていない──いや、信じたくないと言った方が正しい。

だって、もしもその能力とやらがあるのだとしたら、僕も一連の事件の被害者になる可能性があるということになってしまうんだから。

自らの手を食べ、自らの腹を裂いてスピーカーを埋め込み、首をねじ切られ、気味の悪い顔が描かれた紙きれを大量に胃の中に詰め込まれ──。

そうして無残に死んだ人と、同じ最期を迎えるかもしれないんだから。


「っ…………」

 



スライスされた腕。

 



血のにじんだ腹。

 



ぼとりと音を立てて落ちる音。

 

 

血を流した瞳。

大きく開かれた口。

そこから溢れる力士シール。


「う…………」


自分あんな姿になったら──。


(……嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!)


冗談じゃない! そんなのは嫌だ! ごめんだ!


『ではもう一度実物をご覧いただきましょう。これが、力士シールと言われるものですが……』

 



アナウンサーの声とともに、いきなり画面に力士シールがアップで映し出された。


「うわああっ!!!」


それを見た瞬間、これまでの悪夢のような出来事が現実化(リアルブート)されて僕を襲ってくるような錯覚にとらわれ、僕は座っていた椅子から跳ね上がった。

そのまま目をきつくつぶり、シールが見えないようにする。


「はぁはぁはぁっ……」

『一説によりますと、これは、デザイン学校の学生が自己表現のために貼りはじめたという話もありますが、どんな理由であれ、迷惑行為であることに変わりはありません』

「はぁ……はぁ……」


荒くなった息を整えながら、おそるおそる目を開いてみる。

画面内の力士シールは、相変わらず不気味な顔でこちらを睨んでいるけれど、僕の身に変わったことは何も起きていなかった。


(あ、あれは……ニセモノだ)


例の地下施設で確認した『11番目のロールシャッハ』画像。


──つまり、“本物の”力士シール。


それには確かに、僕らの精神を蝕(むしば)む恐ろしい効果がある。

でも、いま街のあちこちに貼られている多くのシールは、ブームに乗っただけの連中が勝手に作っているまがい物。

それには、なんの効果もない。


「おどかすなよ、くそっ!」


──!

 

 

「どうしたのっ!?」

「うあぁっ!」


せっかく落ち着きかけていたのに、いきなり大きな声をかけられた僕は、もう一度跳ね上がった。

 



「大丈夫、タク!?」

「へ……?」


聞き覚えのある声に、恐る恐る振り返ると……。



「ねぇ、何かあったの!?」
「って、尾上かよ!」


僕は、思わず力が抜けてヘナヘナと崩れ落ちそうになるところを、なんとか持ちこたえた。


「いきなり、なんなんだよお前はっ」
「それは私が言いたいよ~! タクってば、外に聞こえるくらい大きな声出して……近所のみんなビックリしてるよ?」
「いっ? 今のは、そのっ、発生練習だ」
「ほんとうに?」


世莉架は、心配そうに顔を覗き込んできた。

 



「でも、タク、顔が真っ青。ひどい汗だし……」


世莉架がポケットからハンカチを出して、拭こうとしてくれる。


「い、いいよ、自分でやるから」


それをひったくるようにして、額から流れ落ちてくる汗を、ゴシゴシとぬぐった。


「あ、これ。明日、洗って返すから」
「気にしなくておっけいだよ? タクの汗だったら汚いとか思わないし」
「少しは気にしろよ。……で、こんな時間に、何の用だ?」


世莉架のハンカチを自分のポケットにしまい込みつつ、尋ねた。

すると彼女は、いつもの表情とは打って変わって真剣な表情になり、ゆっくりと切り出した。

 

 

「あの、ね……のんちゃんの話をね、聞いてあげて欲しいの」
「来栖の? 今から?」
「のんちゃんはね、明日でいいって……学校が終わったら、青葉寮に来て欲しいって言ってるけど……。でも本当は、タクに、すぐにでも聞いて欲しいんじゃないかなあって、思うんだ」
「……? そんなに大事なことなのか?」
「うん。私が話しちゃってもいいんだけど……のんちゃん、自分でお話ししたいって」
「そうか」


あの世莉架が、こんなに真面目に言うんだ。

よっぽどのことなんだろう……。


「……分かった。これから、青葉寮へ行ってみる」
「おっけい。さすがタク、優しいねー」


それから、顔にいつもの『えへへぇ』笑いを戻した彼女は、僕のポケットからササッとハンカチを奪い返した。

 

 

「あっ……」
「いいからいいから! タクの汗の匂いをじっくりたんのーするんだ~」
「や、やめろよっ……」
「えへへぇ。それじゃあ、また明日ー」


ぷひゅひゅ、ぷひゅ~……。


まるで挨拶するみたいに『ゲロカエルん』ストラップを鳴らすと、ひらりとスカートをひるがえして、世莉架はトレーラーハウスから出て行った。


「……ったく」


そんな世莉架の背中が小さくなっていき、やがて公園の向こうへ消えていくのを見送る。


(来栖の、大切な話?)


幼馴染の姿が見えなくなると、僕は首をかしげた。

いったいなんだろう?

やっぱり、今回の事件に関係あること、だろうか。

そう考えると急に落ち着かなくなり、手早く身支度を済ませると、僕もトレーラーハウスから表へ出た。


……。

 

 


そのまま、青葉寮へと続くいつもの道を急いで通り過ぎようとした。


が──。


「……?」

 



何かが……違う。

いつもの風景と。

どこか、変だ。

いや、実際は、さっき学園から帰ってきた時と何ひとつ変わっていないはずなのに……。

でもこの違和感は、いったい……なんだ!?

 



「ひっ!?」


──!

 









 



「ほ、本物……っ!」

 



壁やフェンスや街灯や……とにかく、あちらこちらから、シールが僕のことをじっと見つめている!

しかもそれは、まがい物でもなんでもない、本当の力士シール!

不気味なビジュアルをした『11番目のロールシャッハ』!

 

 

「うぐっ……!」


いきなり、目の前の景色がぐにゃりと歪曲した。

胃の奥から、さっき飲んだマウンテンビューがこみ上げそうになり、必死でおさえこむ。


「や、やめろ! 見るなよ! 僕を見るな! 僕は能力者なんかじゃない! お前たちに狙われることなんてないんだ!」


いや、仮に有村たちが言うように、僕に能力があったとしても!

使いこなすことも出来ないし、なんの役にも立ちそうにない、矮小な力しかないんだ!

 



「だから、僕なんか狙っても意味ないんだよ! やめてくれよ!」


──!

 

 

「ひぐっ! っ……!?」


どこかから、妙な声が聞こえて来た。


盛りのついた猫のような。


いや、違う。これは──。

 

これは……どこかで赤ん坊が泣いている声?

でも、渋谷のこんな公園の一角に、赤ん坊なんているはずがない。

じゃあ、今の声は? なんだ?

 

その時──。


あちこちから、まるで僕をなぶるように見ていた力士シールが。


嗤(わら)った。


そしてゆっくりと。


「ひっ──!」


ゆっくりと。


「いぃぃ……!」


その目が──。

 



「う……!」


──!

 

 


見開かれた。


「うわあああああああああああああッ!!! い、嫌だっ!!」

 

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だーッ!!!!」

 



僕は、ただ闇雲に走った。


とにかく『11番目のロールシャッハ』のない所へ行きたかった。


けれど──!

 



「ひっ!!」

 

 

「はぁ、はぁっ、はぁっ!」


どこへ行っても!

 



「うわぁぁぁっ!」

 



「はぁっ! はぁはぁはぁっ!」


どこへ行っても!

 



「ああああああ!!」

 



ここも!

 



ここもっ!!

 



ここも!!!!!

 

 

「っ……く、あぁ、はぁっ、はぁっ……っ!!」


こ、こんなに!?


渋谷って、こんなに本物の力士シールがあったのか!?


なんで今まで気づかなかったんだ!?

 



「やめろっ! やめろやめろやめろやめろ! やめてくれぇ!!」

 



どこへ行ってもどこまで行っても、まるで僕を追いかけて来るように!

 



「うああああああああああああああああああ!!」


…………。


……。

 

「っ……はぁっ……う、あぁ……」


力士シールの幻影から逃げ回って、どれくらいの時間が経っただろうか。

けれど、どれだけ逃げようとも、今や渋谷という街のすべてに力士シールは貼り付けられていて──


──それを目にするたびに襲ってくる悪寒、吐き気、そして眩暈(めまい)、更には走り回ったことによる疲労で、僕はもう心身ともにボロボロだった。


「うっ……あぁ……ぁ……」


この渋谷に、僕の心が休まる場所はもうないのかもしれない。


そう思った時。

 



「…………?」


路地裏にしゃがみ込んでいる人影が、目に飛び込んできた。

小さな身体を両腕で抱えるようにし、うずくまるその姿は、まるで捨てられた野良猫のようだった。

いつもの彼女と違う様子に、最初は人違いかも知れないと思ったくらいだ。


「あ…………」


けれど、上げられた顔は確かに彼女だった。


「あ、有村……」

 



「宮代……せんぱい……」
「な、なにしてるんだよ……こんなところで……」

 



「ちょっと……気分が悪くて……。あれのせいで……」


有村は、その方向を見もせずにただ指だけを向けた。

だけどそれだけで、僕には有村が示した場所に何があるのか、すぐにわかった。

 

「力士シール……か……」
「……そっか、先輩も……」
「え?」
「先輩もひどい顔してる。ダメなんでしょう、あれ……?」
「ち、違う……僕は……。僕、は……」


認めたくはなかった。

認めてしまえば、僕も有村と同じ特殊な能力を持つ人間として、狙われているということになってしまう。

それは事件を追う側の人間でなく、事件に追われる側の人間になるということを意味していた。


「なんだか急に……数が増えたと思いません? あれ」


有村は、いまにも消え入りそうな声で言った。


「今、テレビなんかでも話題になってるから……情弱どもまで、寄ってたかって貼りまくってるんだ、きっと……」
「しかも、ニセモノだけじゃなくて……ホンモノのシールまで。迷惑です……」
「まったくだ。そういう連中は、すぐに飽きるとは思うけど……」
「だと……いいんですけど……」
「と、とりあえず、青葉医院へ行こう……」
「……?」
「僕や来栖が育った養護施設だ。そこなら診察室があるから、具合が悪くても休める」
「は、はい、スミマセン……」
「立てるか?」
「それくらいは、でき……ます……」


有村は無理に笑顔を作ると、僕が差し出した手は取らず、自力で立ち上がった。


……。

 

 

 

 

「っ……」


青葉寮へ向かう途中も、まるで苦行だった。

歩けば歩くほど力士シールの影響が大きくなってゆくのが、自分でもハッキリとわかった。


「はぁ……は、ぁ……」
「だ、大丈夫……っ……か?」
「は、い……」


口ではそう言っているが、有村はかなり辛そうだった。

かく言う僕も、人の事を心配出来る状態じゃなかった。


(早くっ……青葉寮へ……っ)


それだけを考えて、僕らはただ一心不乱に足を前に出していた。


が……。


そんな僕たちの前に……。

 



「…………」


そいつは、突如現れた。


「………?」


──女。


そう。そいつは、異様な雰囲気をまとった女だった。

もしもこれが、いつもの渋谷の雑踏の中であれば、僕はその存在に気づかなかったかも知れない。

ただ、人気(ひとけ)のないこの路地で、彼女のかもし出す違和感は際立っていた。

顔のほとんどを覆い隠すほどの長い髪。

その上、街灯の光を背負っていて、その表情がまったく見えない。

けれど、髪の奥の瞳だけは、何かに飢えているように爛々と光っているのが分かった。

それは、何かを照らすような光ではなく、深淵に闇を宿したように、どこまでも昏(くら)い光だった。

 



「せ、先輩……」


すぐそばで有村が、か細く震えた声を上げた。

彼女も、女の異様さに気づいたようだ。


ふ──、と。


女と目があった。

次の瞬間。


「…………」


女は、にたりと笑った──ように、僕には思えた。

それはとても虚(うつ)ろで。

けれど、同時に“何か”に満たされたような笑みだった。

それは、これまで僕が見たことも感じたことも無いような、邪悪な意思のようなもの。

そして、ザラザラとした不快な声が、僕の耳に届いた。

 



「……見ーつけた」

 

 

 

(この女……ヤバい……)


頭の中で、警鐘が鳴り響いた。


(ヤバい……絶対ヤバい。ヤバい。ヤバいヤバいヤバいヤバい!)


ガクガクと足が震えた。

この女は危険だと、僕の本能がそう訴えている。

有村も身動きひとつせず、女を注視していた。

いや、動かないのではなく、きっと動けないでいるのだろう。

まるで蛇に睨まれた蛙(かえる)のように。


「先輩……あの人……」


有村が、かろうじて声を絞り出した。


「たぶん……能力者、です……」

「──!」


能力者──。

そんなの、僕は認めたくない。


けれど──。


今、目の前にいる女は、そんな僕の気持ちをねじ伏せて叩き潰すくらいの異様な空気をまとっていた。


(能力者は……本当にいるんだ!)


目の前の女。

その存在自体が、僕にそう訴えている。


「あ、有村……」

「なん、ですか……?」

「あの女の能力ってのは……どんな……」


僕は、能力者(ギガロマニアックス)と呼ばれる人たちが、具体的にどんな力を持っているのか、有村の他は詳しく知らない。

けれど、『他人の言葉の真偽がわかる』とか、そんな、ある意味可愛らしい能力ばかりではないことは、これまでの事件ではっきりしている。

もっといろいろな種類の──それも攻撃的な力があるに違いない。

そしてこの女は間違いなく、そんな能力を持っている気がした。


(くそっ! こんなことなら、ちゃんと調べておくべきだった!)


信じる信じないなんて、どうでも良かったんだ!

こんな時に、大事な情報を持ってないなんて!


「有村っ──!」

「っ……そ、そんなの、私にもわかりません……。精神感応(テレパシー)なのか、予知(プレコグニション)なのか、透視(クレヤボヤンス)なのか……ただ……」


女から目を離すことが出来ないのだろう。有村はじっと一点を見つめたまま言った。


「あの人の能力はもっと危険な……人に害を与える力だと……」

「っ……」

 



「…………」


路地の向こうから現れた女は、緩慢な動きで僕たちのほうへと向かってきた。

ゆっくりとゆっくりと。

その動作がぎこちなく見えるのは、片足を引きずっているからだと、僕はようやく気づいた。

足を怪我しているのか、それとも、元々、足が悪いのか。

女は少しずつ、まるで僕らの恐怖心をなぶるかのように近づいてくる。

 

 

「…………」


女がまた一歩、こちらへ踏み出した。

恐ろしげな笑顔を、その顔に貼り付けたまま。

その目は、獲物を逃がすまいとするかのように、僕らをじっと見据えている。


(に、逃げなきゃだめだ……)


そう思っているのに、身体が言うことを聞いてくれない。

まるで、蛇妖女(メドゥーサ)に睨まれて、身体が石になってしまったようだった。


「う……?」


その時──不意に風が吹き抜けた。

女の長い髪が舞い上がる。

そして、ほんの少しだけ顔面が見えた。


「……っ」


有村が息を飲んだ。

 



ひどい火傷(やけど)の痕。

そう……そこにあったのは、火傷によってできたと思われる、無残な傷跡だった。

女の表情から、今まで張り付いていた笑顔が消えた。

 



その代わりに浮かんで来たのは『怒り』

燃えるような憎しみと怒りの色だけが、そこにはあった。

女の両の手がゆっくりと持ちあがる。

そして、手の平を僕たちの方へスッと突き出した。

 

 

「──」



 



──ッ!!

 

 

「先輩っ!」


──!


有村が悲鳴を上げ、僕の手を思い切り引いた。


「うァッ!」

 

 

僕が今まで立っていた地面に、いきなり炎の柱が立った。

熱風と、アスファルトの焦げる激臭が僕たちを襲う。

高熱を浴びた頬に、焼けるような激痛が走った。


「ぐっ! 今のは……っ」

「パ、パイロキネシス!」

 



「──」

 

 

 

──ッ!!


「うわぁっ!」

「きゃぁっ!!」


女が薙ぎ払うように手を振った次の瞬間、再び、僕の目の前の空間が真っ紅な炎に変わった。

僕と有村は、転がるようにしてその炎から逃れる。


パイロキネシスって……!」


それが、いわゆる『発火能力』と言われるものであることは、僕も知っている。

確か、有名な小説家によって作り出された造語のはずだ。

古来より世界各地で、原因不明の発火現象というものが記録として残されている。

突然、人の身体が燃え上がるという『人体発火現象』などもそのひとつだ。

もちろん科学者の間では、疑似科学、あるいはトンデモ科学のひとつとされていて、理屈としては、静電気や電磁波によって引き起こされる現象であるというのが定説となっている。

その『パイロキネシス』が今、目の前で──。


「先輩っ! なにボケッとしてるんですか!!」

「えっ!?」


気づいた時には、既に女が、僕に向かって手を突き出していた。

 

 

 

──ッ!!


「──」

 

 

「わああっ!!」

「きゃっ!」


有村と一緒に地面に転がるのと、爆発のように炎の塊が出現するのとほぼ同時だった。

髪の毛の焦げる匂いが鼻を突いた。


「やだ! 髪の毛が……!」

「言ってる場合かっ!」

 

 

 

──ッ!!


「っ……!」


僕らを狙って続けざまに燃え上がる炎を、転がるようにして、間一髪避けていく。

背後で、次々と火柱の立つ音がした。

道ばたに放置されている自転車やゴミなどに引火しているようだったが、それを確かめている暇はなかった。

女が足を引きずりながら、徐々に距離を詰めてきていたからだ。


「有村っ!」


僕は有村の手を取って、駆け出そうとした。


が──。

 

 

 

──ッ!!

 



「きゃっ!!」

「うわっ! ──ぐ、はぁっ!」


すぐ目の前に激しい炎が上がり、それを避けようとバランスを崩して、2人とも転倒してしまった。


「ぐっ……」

「ううっ……」


そばにあった植え込みが、メラメラと音を立てて燃え上がっている。

近づいてくる足音に顔を上げると、すでに女は近くまで来ていた。


「…………」


「う、あ……」

「あ、ああ……」


(殺……される……)


恐怖にすくんだまま、そう思った。

これはアニメや映画じゃない。現実だ。

転んで打った足の痛みも、火災で負ったヤケドの痛みも……。

あちこちで燃え盛っている炎や、溶けたアスファルトの匂いも……。

全部、現実なんだ。

確か久野里さんは、ギガロマニアックスの『能力』は妄想から生じる物だと言っていた。

しかも、それはただの妄想では済まない、と。

妄想が他人の脳にまで作用し、共通認識化されることで、『現実』になってしまうんだ、と。

 



「物理現象すら捻じ曲げるんだよ。ギガロマニアックスの『妄想』と、それによって共通認識化された『現実』は。だからこそ、それは……この上なく危険なんだ」


そう。そのせいで、パイロキネシスなんていうあり得ないことが、今、目の前で起こっている。

そして、その能力で僕と有村は……殺される。

『妄想』の焔(ほのお)が『現実』となって──僕らを、その『現実』の中で焼き殺す。

 



女が、手をゆるりとこちらに向けた。

心なしか、あたりの空気がジワリと熱くなっていく気がする。


(い、嫌だ……)

 



死ぬのは、嫌だ。

こんなところで、炎に焼かれて死ぬのは嫌だ。

嫌だ。死にたくない。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ……!)


僕は、まだ──


(まだ、死にたくない!!)

 

 

 

──ッ!!


「ひっ!」


僕らの目の前に、これまで以上の大きな焔の渦が生まれ出る。


けれど、ほぼ同時に──


「!?」

 





僕の視界の端に、奇妙な“それ”が出現した。


──恐ろしいほどに鋭利。

──また同時に、恐ろしいほどに儚く。


無限と有限。


夢幻と幽玄。


この世の歪(いびつ)さと美しさとを集約したような。

 



 



それは、すなわち──剣(ディソード)。

有村のディソードとは明らかに違う形のそれが、僕の目に見えていた。

でも、その剣をどうやって引き抜いていいのか分からず……僕はとにかく無我夢中で、自分の妄想だけを女にぶつけていた。

パイロキネシスの炎を、その剣で断ち切るようなイメージ。


それを、思い切り叩きつけてやった。


「……っ!?」

 





──ッ!!


「うっ!?」

「きゃっ!?」


そして炎は、まるで蛇のようになってその身を躍らせた。

自らを発生させた女に向かって、一直線に向かう。


「!!!」

 

 

 

──ッ!!


炎が、渦となって女に襲い掛かった。

予想外の事態に、女は体勢を崩して倒れ込む。


「先輩っ、今の!?」

「あ、ああ!」


今のが、僕の──能力!?

 



しかし、気づけばいつの間にか、僕の剣(ディソード)は視界から消えていた。


「先輩、今のうちに逃げ──」

 



言いかけた有村が言葉を失った。

有村の視線のその向こう。

炎による煙と歪んだ空気によって、ゆらゆらと揺らめく中。

 



女が、ゆっくりと立ち上がっていた。


「…………」


その瞳の色に、僕は思わず息を呑む。

そこにはさっきまでの炎は無い。

燃えるような憎悪の光はもう無い。

あるのは、氷。

一切の感情を失った、鋭く冷たく突き刺さるような氷の眼差し。

僕と有村は、まさしく凍りついたようにその場に立ち竦んだ。


ゆっくり。


ゆっくりと。


不規則な律動(リズム)を刻みながら。


女は僕たちに近づき。

 



そして、あと数歩というところで立ち止まった。


「ぁ……あぁ……」


背後では、ゴミの容器が黒い煙を上げていた。

隣では植え込みがパチパチと音を立てている。

前にも横にも後ろにも、逃げ道はない。


「…………」


街の喧騒さえ聞こえない。

反面、心臓の音が耳の中でやけに大きく響く。

唾を飲み込む音。呼吸の音、血液の流れる音。

全ての、生きている証という証。

けれど、それももうすぐ終わる。


消えてなくなる。


燃え盛る炎の中に。


「いや、だ……いや……です…………」


足ががくがくと震えた。

目の前が涙で歪んだ。


「や、やめ……くだ、さ……まだ……死……たくな……」


かろうじて声を出す。

けれど、女は氷の表情をわずかでも崩しはしない。


「…………」

 



そして、女の手が僕の目の前に──。


「っ──!」


思わず目を瞑った。


僕は。


もう。


「……………………………」


え?


「…………っ」


恐る恐る目を開ける。


そこに──。

 



女の姿は無かった。


「……っ…………」


助……かった、のか?


「う……ぁ……ぁ……」


身体中の力という力が一気に抜け落ち、その場に崩れ落ちる。

もうダメかと思った。

絶対に殺されると思った。

いや、きっとあの女も直前まで、僕を殺そうと思っていたはずだ。

あの目は、確かにそういう目だった。

迷いや戸惑い、躊躇なんて何もない、冷たい目──。

それがどうして、突然やめて姿を消したんだろう?


「…………」
「有村……?」


見上げると有村はその場に立ったまま、女が消えたほうを睨んでいた。

 



「先輩……」
「ど、どうしたんだ、有村!? もしかして、まだ何か……」
「そ、そうじゃないんです。ただ……」
「ただ……?」
「……怖くて……動け、ない……」
「…………」


…………。


……。

 



「ここ……ですか?」
「……と、とりあえず、ここなら平気だと思う……」


発火能力者(パイロキネシスト)の女からの襲撃を受けた後、僕は有村を連れ、ようやく青葉医院へと逃げて来た。

ここなら、ヤケドの手当ても出来るだろう。


「閉まってる、か……」


入り口の鍵は開いていない。

逃げ回るのに必死で今まで時間を忘れてしまっていたけど、すでにかなり遅い時刻になっていた。


(鍵、まだ隠してあるといいけど……)


青葉寮の鍵は持たされているけど、普段からいつも持ち歩いているわけじゃなかった。

ただ、僕がここに住んでいた頃は、敷地内のある場所に非常用の鍵が隠してあった。それを探してみる。

 



(あった!)


幸いなことに、予備の鍵は、僕の記憶通りの場所にまだ隠されていた。

いつまでも鍵の置き場所を変えないことに、以前は不用心だと思ってたけれど……今日ばかりは助かった。


……。

 



「ほら、そこへ座って……」


診察室へ入ると、入り口でためらうように立っている有村を促して、治療用の椅子に座らせる。


「その……怪我の治療だけど……」
「ご心配なく。これくらいなら自分でできますから」
「そう……」


よかった。多少は慣れたとはいえ、さすがに肌に触れるのは抵抗がある。


「あ……消毒液とか、これ使って……」


僕は棚から、薬と脱脂綿、それに絆創膏などを出して、彼女に手渡した。

医院だけあって、専門的な薬品も並んでいるが……すべて丁寧な日本語のラベルが貼られているから、間違えることはない。

新しい薬が納入されて来るたびに、こまめにそれらのラベルを作り、貼っているのは来栖だ。

そうしておかないと、僕や結衣や結人が間違ってしまうかもしれないと、あいつはいつも言っていた。

昔からそういう細かいことを気にする性質(たち)だった。

靴は脱いだらきちんと揃えろとか、靴下を選択に出す時は裏返しのまま出すなとか。

料理なんかも、結構手伝わされたっけ……。


(って、なに考えてんだ、僕は……)


こんな時だと言うのに、そんなどうでもいいことを考えている自分に気づき、僕はかぶりを振った。


「宮代先輩は……痛つつ……ここで来栖先輩たちと一緒に暮らしてるんですか?」

 



消毒液が沁みたのか、顔をしかめながら有村が訊いてきた。


「暮らしてたんだよ、少し前まで……」
「じゃあ、今は?」
「今は……別の場所でひとりで暮してる……」
「ひとり暮らしですか、いいですね」
「まぁね。有村は……?」


別に特別な意図があったわけじゃないけど、話の流れで、つい質問が口から出ていた。

 

 

「……知りたいですか?」
「あ……いや、言いたくないなら、いいんだけど」
「いいですよ、別にそれくらい。私は親戚の家で暮してます。実家、ちょっと遠いので」
「そ、そうか……」


ひとり暮らしをうらやましがるということは、親戚の家で何かあるんだろうか?


「あ、言っておきますけど、別に親戚の家でいじめられてるとか、そういう昭和のドラマみたいなことはないですから」
「え?」
「いえ。変に誤解されても嫌だなと思って」
「別に誤解なんてしてな──」
「やっぱり、思ってたんですね」
「ぐっ……」


そうだ。こいつには例の能力があるんだった。

言ってることが本当かどうか知られてしまうというのは、結構やりにくい。


(でも……)


有村は有村で、否応なく相手の本心がわかってしまうというのも、たぶんやっかいに違いない。

それを考えると、有村の学校での態度も、なんとなく頷けるような気がした。

ああやって他人の気持ちをはぐらかし、時にふざけたことを言いながら適当に会話を流していかないと……相手の本心を突き付けられ、心を折られ、つぶされてしまいそうになるんだろう。


「はい、終わりました。先輩もどうぞ」
「あ、うん……」


有村の治療がひと通り終わったようなので、今度は自分の手当てをしようと椅子に腰を下ろす。

と同時に、奥のドアがそっと開いた。


──「誰? 拓留……?」


「あ……!」

 



しまった。

来栖には、もう寝ていて欲しかったのに……。

いや……本当なら、世莉架の言う通り、今夜、『大事な話』というのを来栖から聞こうと思っていた。

けど、パイロキネシストに襲われたことで、それどころじゃなくなってしまったんだ。

こんなふうに怪我をしているのを見られたら、絶対に心配させてしまう。だから、話は明日にしようとしてたのに……。


「何か音が聞こえるから、気になって。こんな時間にどうし……」


そこまで言いかけて、来栖は、僕以外にもう一人、女の子がいることに気づいたようだ。


「あ? 有村さん?」

「え、えっと、そのお邪魔してまーす」

 

 

「…………」

「ち、違うんだ。これは……っ」


別に、彼女と深夜の怪しいデートをしてたとか、その最中に痴情のもつれで大ゲンカになったとか、そういうわけじゃ!


──などと、かえって疑われそうなことを口走りそうになったが、来栖はそんなことよりも、僕たちの姿を改めて見て、青くなった。

 



「ふたりとも、怪我してるじゃない!」

「こ、これは……」


ああ、やっぱりだ。

自分だって傷がまだ癒えていないだろうに……僕たちのことをひどく心配そうに見つめる彼女の視線に、胸が痛む。


「貸して」

「え?」

「手当て、必要なんでしょう? いいから貸しなさい」

「あ……」


半ば奪うように僕から薬一式を取り上げると、来栖は、治療に取りかかった。


「いやいや、もう大丈夫っすよ。私はもう自分で……」

「そんな適当な処置じゃダメ。痕(あと)になったらどうするの」

「でも……」

「“でも”は聞きません。わかったわね」

「は、はい……」


来栖がぴしゃりと言うと、さすがの有村も気圧されたのかおとなしくなって、なすがまま薬を塗りたくられている。

 

一通りの治療を終え、『これでよし』と言うと、来栖は僕の方の処置も手際よく始めた。


「で、なにがあったの?」
「あー、それは……」


いったいなんて言えばいいんだろう?


(出来るだけ、驚かさないように伝えるべきなんだろうけれど……ええと……)


「私たち、襲われたんです」


(って、ストレートすぎるだろ、有村!)


僕が迷っているうちに、有村がアッサリと言った。

 



「襲われた……?」

「はい。炎を操る能力(ちから)を持った女に……」

「…………」


来栖の表情が、みるみる曇ってゆく。


(だから、有村! 余計なこと言うなよ!)


そう思いながら有村を睨むと、しかし、彼女は首を横に振った。


「こういう時は、変に隠すとかえって嘘っぽくなるんですよ、先輩。相手にも、余計な心配をかけます」

「え?」

「つーか、宮代先輩の嘘って、私の能力なんかなくても分かりやすいですし」

「…………」

「有村さんの言う通りだわ。ちゃんと話して?」

「…………」


……仕方が、ない。

僕は、懸命に言葉を選んで、なるべく来栖にショックを与えないようにしながら、さっきあったことを話していった。

話の途中、襲われた時の恐怖感がフラッシュバックして来て、声がみっともなく震えたりもしたけれど、それだけはどうしても止めることが出来なかった。


「──ということで、理由は僕たちにもわからないんだ。でも、あの女は、間違いなく僕たちを狙ってきた」


非現実的すぎる内容にも関わらず、来栖は真剣で、僕の言葉を疑ったりしなかった。

ただ黙って、聞いているだけだった。


「あの、宮代先輩?」


有村が、突然、僕の顔を覗き込むようにして、口を開いた。


「見えますか、それ……」

「え?」


指摘されて気づいた。

 



話をするのに夢中で、気づいていなかったけれど……視界の端に、いつの間にか、ぼんやりと“ある物”が浮かび上がっている。


(これは……)


女に襲われた時の恐怖心が蘇ると同時に、あの時の現象まで再現された、とでも言うんだろうか?

それは、見間違いようもないものだった。


(剣[ディソード]……)


心の中で呟き、明確に意識してみる。

すると……。

 

 

それまで、まるで幽霊みたいにぼんやりとしか見えなかったそれが、明確に形を持ち始めた。

僕は、その歪(いびつ)な塊に思い切って手を伸ばしてみる。


けれど。


(なんだ、これ? どういうことだ?)


何故か、触れることは出来なかった。


「拓留? 何をしているの?」

「……剣があるんだ、ここに」

「剣……?」

「やっぱり出せるようになったんですね、自分のディソード」


有村が言った。


「自分の……?」

「はい。それが先輩の剣(ディソード)ですよ」

「ディソード……」


『妄想を現実化する能力』を持つ者だけに見える、幻の剣──。


「僕は……やっぱり能力者……なのか?」

「だから、ずっと言ってるじゃないですか。そうだって」

「じゃあ、さっきの女……あれはやっぱり僕を?」

「……だと思います。私を狙った可能性も、もちろんありますけど」

「ぐ……」


まさか……恐れてたことが、現実になるなんて……。

 

 

あの女の──。


──あの目。


──あの姿。


──そして、あの炎。

 



僕たちの身体に残るヤケドの痕(あと)が、夢なんかじゃなく、全て現実だったと物語っている。

このままじゃ、僕は──『こっちみんな』や『回転DEAD』の被害者たちと同じように、殺されてしまう。


(どうして……?)


なんで、僕がそんな目に!?


「あのっ、有村さん?」


と……僕と有村のやりとりを見つめていた来栖が、ふいに会話に割って入った。

 



「……? なんでしょう?」

「あなたの知っていること……全部、私に教えて?」

「え? どうしてですか?」

「誰がなんのために、こんな事件を起こしているのか、調べるの」

「お、おいっ!?」


突然のことに驚いて、思わず来栖に詰め寄ってしまう。


「お前……事件には関わるなって、ずっと言って……」

「でも、もう遅いんでしょう? この先も拓留や有村さんが狙われるかも知れないのよね?」

「……来栖?」


少し前にも感じた、彼女の違和感。

『危険なことに首を突っ込むのはやめて欲しい』と言っていた来栖のことだから……今夜の僕の話を聞けば、たぶん取り乱すと思っていた。

だから、さっきここへ逃げ込んだ時も、彼女とだけは顔を合わせたくなかったんだ。

けれど、話を聞いた後の来栖は取り乱すでもなく、むしろ、何かを決心しようとするような、そんな固い表情をしていた。


「あのね、拓留……?」

「……?」

「世莉架から聞いてるかも知れないけど……話しておきたいことがあるの」

「あ、ああ……」

「実は、私……あなたに言ってないことがあって……」

「言ってない……こと?」


ズキッ、と胸の奥が痛んだ。

 



その言葉が、あの時の記憶と──僕の実の両親が、地震で死んだんじゃなくて、誰かに殺されたんだと聞かされた時の記憶と重なった。

隠し事をしないという、青葉寮の『家族のルール』から、僕だけが除外されていたと知ってしまった日の記憶と……。

僕だけが家族とは違う人間なんだと思わされた日の記憶と……どうしても重なってしまう。

そして、あの日を思い出したのは、たぶん来栖もだったのだろう。

決心して何かを言いかけたのに、かつての記憶がそれを邪魔してしまい、言葉を続けることが出来なくなってしまったようだった。

口を開けたり閉じたりを数回繰り返してから、結局、唇を引き結んでしまう来栖。こんなふうにためらう彼女は、本当に珍しかった。

 



「……来栖。僕なら……大丈夫だ」
「え?」


僕は両手をグッと強く握り、自分自身にも言い聞かせるように、言葉を繋いだ。

 



「今の僕は……あの時とは、違うよ。たぶん。だから聞かせてくれ」
「拓留……」


来栖の目がほんの少し潤んだような気がしたのは、気のせいだろうか?

僕はそんな彼女の顔を見ていられなくなって、ぶっきらぼうに続けた。


「とにかく、その『言ってないこと』ってのを聞かないと……何がなんだか、分かんないだろ……」
「そ、そうね。そうよね。ごめんなさい……」


そして、来栖は再び決心したようにゆっくりと口を開いて。

“そのこと”を口にした。


「今度の事件……私は無関係じゃないの」
「……!?」


それは、想像すらしていなかった言葉だった。

来栖が……事件に関係してる?

いったい、どういうことだ……?


「この前……あなたたちが忍び込んだっていう病院ね……」
「AH東京総合病院?」
「ええ。その病院の地下のこと……私……前から知っていた……」
「は!?」


僕は、更に自分の耳を疑った。

あまりにも唐突だったせいで、理解が追いつかない。

AH東京総合病院の地下施設。

あの恐ろしい場所を、来栖が知っていたって……?

なぜ? どうして?


「…………昔、泉理がね……」
「……?」
「……南沢……泉理のことよ」
「南沢泉理!?」

 


思わず、両手で来栖の細い肩をつかんでしまいそうになった。


「ど、どうして彼女を……?」
「それは……その、ね……」


来栖は言いよどみ、僕から視線を逸らした。

そして、僕の目の前に……手にしていたスマホをそっと差し出して来る。


「……これよ」


そこには、一枚の写真が表示されていた。

 

 

明るく笑う男の子が一人、そして、女の子が二人。

子供の頃の写真だけれど、ひとりは来栖で、もうひとりが川原くんだということは一目でわかった。

そして、そんなふたりと一緒に写っている、見るからに暗い目をした少女。


「あ……っ!」


それは間違いなく、地下で目撃した女の子──被験者のデータに『南沢泉理』と書かれていた少女だった。


「そ、そうか。思い出した。『南沢』って名前、どこかで聞いたことがあると思ったんだ……」


あれは、文化祭の時だ。

確か、川原くんが──。

 



『特に、俺と、あともうひとり……地震で死んじまったけど、“南沢”ってヤツはいつも来栖と一緒にいた。三人でよくつるんでたんだよ』

 

 

 

「川原くんが言ってた。『南沢』って子が一緒だったって……」
「そう。この写真を撮った頃の私たちは、いつも一緒に遊んでいたのよ」


人体実験を受けていたあの女の子、南沢泉理が。

昔、来栖と親友だった?


「泉理はね、毎週日曜日に、あの病院に通っていたわ」
「じゃ、じゃあ、来栖は……」


舌の付け根あたりがいつの間にか乾いて、ひどく痛む。


「来栖は……あそこで何が行われていたのかも、知ってたのか?」
「……っ」


僕の言葉に、来栖はつらそうに唇を噛みしめ……それから、ゆっくりと頷いた。


「…………」
「当時子供だった私には、どうしようもなかったの……それが悔しくて、悲しくて……」


来栖は、まるで自分が拷問を加えられていたかのような表情になって、目を伏せた。

正義感の強い彼女のことだ、親友に加えられていた人体実験を知って、どれだけ悩んだことだろう。

もしかして、僕と全く同じトラウマを、来栖も抱えているんだろうか……?

 



「でも、今はもう子供じゃない。逃げるわけにはいかないわ。私も、事件のことを知っておかなきゃいけない。そうじゃないと……誰も守れない……」
「来栖……」

「有村さん、お願い。全部、教えて?」

「…………」

 



……果たして、それでいいんだろうか?

僕は、この前、来栖の命を危険に晒してしまって……。

今また、危険な道へ踏み込ませようとしてるんじゃないのか?


「……仕方、ないですね……」

「ちょっ! 待ってくれ、有村!」


思わず有村を止めようとした僕を、来栖の手がさえぎる。

 



「ねぇ、拓留? 今日、あなたたちに怪我をさせたのが誰なのか……それは分からないわ。けど、また襲ってくる可能性があるんでしょう?」

「…………」

「何も知らないままじゃ、私は何もしてあげられない。ただうろたえるだけで、何も出来ない。……そんなのイヤなのよ。だから、全部、聞かせて。私にも」

「…………」

「……うらやましいですね……」

「……?」

「あ、いえ、なんでもないです。で、来栖先輩に話しちゃってもいいんですか?」

「……。ああ」


僕は、ゆっくりと頷いた。


「でも、有村……来栖を巻き込む前に、ひとつだけ聞いてもいいか?」

「私に、ですか?」

「僕は、お前のこと、まだよく分からない。正直……信じていいのかどうかも」

「……なるほど。そうでしょうね」

「でも、なんていうか……今は、悪いヤツじゃないような気がしてるんだ。だから、聞いておきたいんだけど」

「だから、何をです?」

「お前は、少なくとも、その……僕らの『敵』じゃないんだよな?」

「…………」

「お前のせいで、僕の大事な誰かが死んだりしないよな?」

「…………」


有村はしばらく考え込むようにして、僕たち2人の顔を交互に眺めた。


そして──。

 



「ま、さっきは宮代先輩に助けてもらいましたし……恩をあだで返すってのもどうかと思うんで、誓っときます。私のことは、先輩たちの味方だと思ってて問題ないですよ」

「そっか」

「おおっと! ただし、ベタベタ慣れ合ったりするのとか大キライなんで、そのへんはヨロシク」


有村はそう言って、ほんの少しだけ笑った。

それはもしかすると、僕たちが初めて見た、有村の素の笑顔かも知れなかった。


……。