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翌日。
俺はパーツショップ巡りをすることにした。
昨日紅莉栖と別れた後も日が暮れるまでアキバ中のショップを探し歩いたが、なんの収穫もなかった。
IBN5100を手に入れるのはかなりの困難が予想され、早くもうんざり気味だった。
「うう~む……」
ラジオセンターの狭い通路。その左右に並んだ、いくつもの小さなパーツショップ。
ここは古き良き電気街として面影を残している、いわばアキバの良心とも呼べる場所だ。
アニメや大型家電が好きなライトなオタクは、ここにはおいそれと足を踏み込めない。
まさにマニアだけが入ることを許された、聖地なのだ。
ちなみに実は俺もパーツにはそれほど詳しくないのだが……。
しかも、パーツショップにはパーツしか売っていないのだから、巨大なレトロPCなど置いてあるはずがない。それを考慮していなかった。
なのでさっきから、店内に並ぶパーツを物色しながら内心はドキドキである。
ショップのおっさんたちから“この若造が! 10年早いわ!”と怒鳴られたら、退散するしかない。
今のところ、おっさんたちは俺を怒鳴る気配はなく、ほぼ完全無視な感じだった。見たければ勝手に見ていけ、というぐらいの懐の深さを感じるが、あるいは鬱陶しがっているだけなのかもしれない。
そんなドキドキをひた隠しにしつつ、俺は威厳を持って各店を吟味してみたが、やはりIBN5100らしきものは影も形も見つからなかった。
電話の音に、店先のおっさんがギロリと俺を見た。
とっさに愛想笑いを返しつつも、あたふたしてしまう。
「もしもし。俺だ」
「トゥットゥルー♪ まゆしぃです」
「直通回線でかけるなと言ったはずだ。盗聴されている可能性があるのだぞ」
「ほへ?」
「迂闊な真似はするなと言っている。それで、そちらの状況は?」
「オカリンオカリン、あのね、まゆしぃはオカリンがなに言ってるかまったくついていけないよー」
「要するになんの用だと言っているのだ」
「分かりにくいー。ねぇねぇ、今どこにいるのー?」
「作戦行動中だ」
「たくさん子供チュー?」
「作戦行動中! IBN5100を探し回っているのだ!」
「えっへへー。そっかー、そうなんだー。でもでもー、まゆしぃはすごい話を聞いちゃったのです。聞きたい?」
「有益な情報なら聞こう」
「んじゃ、メイクイーンに来てー。待ってるからねー」
「おい、電話で話せ、おい、まゆり! ……なぜわざわざメイクイーンに行かねばならんのだ……」
と言っても、徒歩で10分もかからない距離ではあるが。
仕方ない、昼飯も食べていないし、腹ごしらえのために一度寄るとするか。
……。
メイクイーンの店先に出されている手書きの看板には『本日、フェイリス杯開催ニャン♪』と書かれてあった。
いったいなんのことだろうと首をひねりつつ看板を眺めていると──
「あ、オカリン」
メイド服姿のまゆりが、てくてくとこちらに向かって歩いてくるところだった。
手にはコンビニの袋を提げている。
「まゆしぃはね、お昼休憩でコンビニに行ってたのです」
そこでまゆりはポケットから懐中時計の“カイちゅ~”を取り出した。時間を確認している。
「休憩って言ってもね、あと5分くらいしかないんだよー」
まゆりは階段の横のちょっとしたスペースに入っていき、そこでうずくまった。
「それはご苦労。で、すごい話とはいったいなんだ?」
「その前にごはんごはん」
嬉しそうに言いながら、コンビニ袋から『からあげくん』をいそいそと取り出す。
からあげのいい匂いが、俺の食欲をかき立てた。
「1個くれ」
「いいよー」
爪楊枝でからあげを1個突き刺すと、俺の方へと差し出してきた。
「はい、どうぞー♪」
「店先でよくそんな真似ができるな。メイドとしての自覚が足らんぞ」
「じかく?」
「お前はここでは椎名まゆりではなく、マユシィ・ニャンニャンなのだ」
「なのに店先で俺に“はい、ア~ン♪”などということをするのは、この店を訪れるすべてのご主人様たちに対する裏切り行為と見なされるだろう」
「そっかー。あのね、まゆしぃはあんまり深く考えてなかったよー」
というわけで俺は、差し出されたからあげを手で爪楊枝から抜き、そのまま口に放り込んだ。
うむ、うまい。ジュシーからあげナンバーワンには劣るが。
「それで、すごい話とはいったいなんだ?」
もう一度同じ問いを繰り返した。
「あ、そぅそぅ。あのね、IBN5100の話なの」
「まさか手がかりをつかんだのか!? そうか、メイクイーンにあったんだな!? これはなんという盲点だ! 俺としたことがっ」
「違うよー。あるわけないよ」
くっ、期待させおって……。
まゆりは勝ち誇ったような顔をしているが、俺には話がさっぱり見えてこない。
「あのね、まゆしぃはさっき、バイト中にIBN5100のこと思い出して、店のみんなに聞いてみたんだー。最初はマッキーちゃんに聞いたんだけど、マッキーちゃんはPCには詳しくないんだって。それにね、リサリサちゃんはPCはPCでも最近のしか知らなくて、しかもマカーだしー」
「まゆり、さっさと要点を話せ。お前がいかに苦労したかはどうでもいい」
「んー? えっと、つまりー、フェリスちゃんが知ってるっぽいよー」
「な、なに!? それは本当か!?」
「うん。あのね、レトロPCマニアなんだってー」
「フェイリスが……」
あの女は手強いから、できればあまり会いたくないのだが……。
しかし情報は喉から手が出るほどほしい。
俺はケータイを取り出すとそれを耳に添えた。
「俺だ。IBN5100の手がかりをつかめそうだ。……ああ、聞いて驚くな。フェイリス・ニャンニャンだ。あの猫娘が、レトロPCに詳しいとはな。これはなにか裏があると見るべきだろう。……フッ、相変わらず人使いが荒いな。分かっている、今すぐ会いに行ってくる。もしも今日の20時までに連絡しなかったら、俺に構わずメイクイーンに襲撃をかけろ。すべては運命石の扉(シュタインズゲート)の選択だ……。エル・プサイ・コングルゥ」
ケータイをしまい、もう1個からあげをつまむと、俺は階段の上にあるメイクイーンの窓を見上げた。
「ああー! からあげ2個目はあげるって言ってないよー」
「まゆりよ、よくやった! お前からの情報は有意義に使わせてもらう!」
「からあげ……」
「ところでそこの看板にある『フェイリス杯』というのはなんだ?」
「からあげ~……」
まゆりはしょんぼりしながらからあげを頬張っている。
2個食べたぐらいでケチケチしおって。
「やむを得ないな、情報が少ないのが不安なところだが、これより突入を開始する。まゆりはここで待っていろ。1時間以内に戻らなければ、すぐにここを離れて家に帰るのだ。分かったな?」
「まゆしぃはこの後もバイトだから、そんなの無理だよー」
「…………」
と、とりあえず、まだからあげを食べているまゆりは置いて、単身突入することにしよう……。
……。
「お帰りニャさいませ、ご主人様♪」
店に入ると、いつもと違って店内は満席の様子だった。
「ニャニャ~♪ 凶真も参加するニャ? 今日は『フェイリス杯』なのニャ!」
フェイリスは、それがなんなのか説明をするつもりはないらしい。
俺は再びケータイを取り出した。
「俺だ。調べてもらいたいことがある。『フェイリス杯』について。……なに!? フェイリスを自由にできる権利を賭けた、殺戮のバトルロイヤルだと!? ……どうやら俺は、とんでもないところに来てしまったらしい。……いや、問題ない。なんとか生き延びて見せるさ。……いかなる手段を使ってもな。エル・プサイ・コングルゥ」
ケータイをしまうと、俺はフェイリスに向き直った。
「『フェイリス杯』とはバトルロイヤルなのだな?」
「違うニャ。フェイリスを奴隷にできる権利を賭けた、殺戮のバトルロイヤルニャ」
「…………」
「ああ、みんな、いけないニャ。フェイリスのために殺し合うなんて、そんなのダメなのニャ! もうやめてニャ~!」
フェイリスは涙ぐんで、悩ましげに身をくねらせ、ブンブンと首を左右に振った。
まさに迫真の演技だが、もちろん店内には殺し合い中の人間など1人もいない。
「凶真、お願いニャ。みんなを止めてニャ」
「案ずるな。俺が止めるまでもなく、みんなおとなしく席に着いている」
それにしてもいつもと雰囲気が違うな。どこか殺伐としているというか。
「マジな話、『フェイリス杯』とはなんなのだ?」
「フェイリストの勝負ニャ。フェイリスはみんなと同時に相手するのニャン。フェイリスを喜ばせてくれた人にはご褒美があるのニャ」
俺はゴクリと息を呑んでから、フェイリスの顔を窺った。
「フェイリス、本気……なのか……!」
この人数の男全員を同時に相手にするとは。正気の沙汰ではない。
と、フェイリスが不意にニヤリと笑った。
赤くぬめる唇の端から、八重歯がのぞき──
「……このままじゃフェイリスは、みんなにひどい目にあわされちゃうのニャ」
フェイリスが俺へと迫る。
ワキワキと動く細い指が、俺の腕に触れた。
シーッと撫でられ、たまらず鳥肌が立った。
「凶真、フェイリスを助けてニャ……」
俺はフェイリスから目が離せない。魅入られてしまっていた。
このロリ娘には、男を引きずり込む魔性の力がある──
「断る!」
「ニャニャ!?」
猫の手を振り払った。
ふう、なんという魔眼の持ち主だ。
あやうく引きずり込まれるところだった。
この鳳凰院凶真だからこそ、魔眼の呪縛から逃れられたと言ってもいい。
「俺は戦うつもりなどない。ただお前に話があって来ただけだ」
「参戦しないなら、ごめんニャさいだけどお帰り願うニャ」
「メイドの分際でご主人様を帰らせる気か」
「今日のフェイリスは『フェイリス杯』主催者なのニャン。お店に入れるのは参加者だけニャ」
「話は2分で済む。IBN──」
「聞かないニャ~ン」
フェイリスはわざとらしく耳を塞いだ。耳と言ってもネコ耳の方ではなくリアルな耳の方だ。
そしていたずらげな表情で笑う。
「フェイリスとお話したかったら、凶真も『フェイリス杯』に参加するしか方法はないニャン」
「……足許を見おって」
「さあどうするニャン? 戦わなければ、生き残れないニャン」
「…………」
いかなる方法を用いてでも、情報を手に入れる。それが今の俺に課せられたミッションだ。
やるしかない……! なにが待ち受けていようとも!
「やむを得んな。その勝負、受けて立とう。ただし──」
俺はビシッとフェイリスの鼻先に指を突き付けた。
「勝負した暁には、お前が知る情報をすべて話してもらうぞ!」
「ニャニャ? 別にいいけど……。んじゃ、ご主人様、ご案内ニャンニャン♪」
胸に勝手に、数字が書かれたネームプレートを付けられた。
丸っこい女の子らしい文字で、28と書かれている。
フェイリスに導かれるままに、警戒しつつ店の奥へ入っていくと、ようやく客が何をしているのか分かった。
全員、各テーブル上に広げられたカードゲームに夢中になっていたのだ。
それで思い出した。以前にフェイリスは『雷ネット・アクセスバトラーズ』の大会をやると言っていた。その大会の名称が『フェイリス杯』フェイリスに勝てたら手料理をプレゼントだとかなんとか。
くっ、フェイリスにまんまと一杯食わされた。
なにが“フェイリスを助けてニャ”だ。
……ヤツのノリには、やはり勝てる気がしない。
「あれ、オカリンなんでいるん? 雷ネットやったことねーのに」
「なっ、ダル!? お前、ここでなにをしている! SERNの件はどうした!」
「今日ぐらい休ませてくれよ……。2日連続徹夜した僕をもっと労わるべきだろ常考」
「くっ、今にもSERNによって世界が支配されようとしているのに、なにを呑気な……」
「オカリンだって呑気にここにいるじゃん」
「俺は別件で来て巻き込まれたのだ。雷ネットにもフェイリスの手料理にも興味はない」
言った途端に、すべての客ににらまれた気がした。
殺気を感じる。
考えてみれば『フェイリス杯』はフェイリス主催の大会であり、すなわちフェイリスのファンしか来ないので、今の俺は1人アウェーの状況なのだ。
くっ、周囲は敵だらけ、か。
だがやるしかない。
これもIBN5100を手に入れるため。
いかなる手段を用いても情報を手に入れろ。
というわけで俺はダルの横に座ると、そっと耳打ちした。
「ダル、オペレーションΣだ」
「なんぞそれ」
「手を組もう、と言っている。俺たち2人がチームを組めば最強だろう」
「最強じゃねーよ。むしろ弱体化するよ。オカリンは雷ネッターとしてドが付くほどの初心者だろ」
「俺にとってお前は、まさに右腕。そんな心強い相棒がいてくれたのだ、もう怖いものはない」
白い歯を見せつつ、ダルにニヤリと笑いかけてやった。
「だが断る。足引っ張られたくないし」
「貴様それでも仲間か!」
「この件に関しては、敵」
「う、裏切ったな……。なんのためにお前をスパイとしてこの店に送り込んだと思っている……」
「送り込まれてねーし。僕は毎日フェイリスたんのブログをチェックしてるほどの、純粋かつ熱狂的なファンであって──」
と、いきなり店内の照明が落とされた。
歌が流れ始めた。
どこか壮厳な雰囲気の曲調と、艶っぽい女性ボーカル。
最近、よく聞く曲だ。確か、『雷ネット翔』の主題歌だったはず。
「みニャさ~ん♪ お待たせニャン! ただいまより、『フェイリス杯』お昼の部を始めるニャ~!」
スポットライトを浴びたフェイリスが、MCを始める。
途端、それまで静かだった客席のテンションが一気に爆発した。
みんな立ち上がり、拳を振り上げて、口々に叫び始めた。
「どうもニャ。どうもニャ」
厳かに手を振って歓声に応え、一度咳払い。
「ルールは簡単。フェイリスがみんなと1人ずつ雷ネットで勝負するニャ。フェイリスは頑張って頑張って、10人までなら同時にお相手できるのニャン。ちなみにフェイリスに勝った人にはご褒美として、手料理を作ってあげるニャ~。そんじゃ、みんな楽しんで勝負しようね~」
フェイリスと勝負する順番は、くじ引きだった。
どうやら昼の部には俺を含め28人が参加しているらしい。
フェイリスは10人を同時に相手にするので、1巡目、2巡目、3巡目に振り分けられる。
俺は3巡目になった。
「ぐぼぁ……フェイリス強いよフェイリス……」
1巡目に入ったダルは、フェイリスに瞬殺された。
俺のことを足手まといだなんだと言っていた割に、けっこう弱いな。
いや、それともフェイリスが強すぎるんだろうか。
『雷ネット・アクセスバトラーズ』は将棋に近い。
専用の盤があって、そこに将棋のように並べた駒を使って対戦する。
かなり複雑なルールがあるようだが、要するに相手の陣地内にどちらがより多く自分の駒を進入させられるかを競うゲームだ。
フェイリスはそれを、10人同時に相手をする。
各テーブルについている10人の対戦相手がいて、そのテーブルを順に回りながら、一手一手打っていくのだ。
囲碁や将棋では多面打ちと呼ばれるが、それと同じだ。
多面打ちができるのはよほどの腕がある者だけ。
やはり以前ダルが言っていた通り、フェイリスはかなりの腕前のようだな。
というわけで、1巡目の10人はものの15分もしないうちに全滅した。
「ニャフフ~♪ みんなもうちょっと頑張ってほしいニャン」
フェイリスめ。すっかり調子に乗っているな。
俺は店の壁に背を預け、2巡目の戦いを黙って見守った。
「フェリスちゃん、すごく強いねー」
休憩から復帰し、ドリンクを運んできたまゆりがしみじみとつぶやいた。
「まゆしぃは雷ネットの腕前、からきしだからね、すごくうらやましいよー」
「強くなったらどうなるのだ?」
「ええー、オカリン、今はね、雷ネット・アクセスバトラーズはアキバどころか、世界規模のブレンドなんだよー?」
ブレンド……? コーヒー?
「トレンド、だろ?」
「うん、それ。だからね、強くなったらきっとチビッコたちの英雄になれるよー♪」
「英雄か……。悪くない響きだ」
「それにね、『うーぱ』がとってもかわいいのー♪」
『うーぱ』とは言わずと知れた、雷ネットのマスコットキャラクターだ。
いまや黄色い電気ネズミを凌駕するほどの人気を誇っているという。
「待て。その論旨展開はおかしい。雷ネットが強くなることと、『うーぱ』がかわいいことは関係ないだろう」
だがまゆりにとっては“関係ある”らしい。
その目的は、公式大会に出場するともらえる『うーぱ』の限定ぬいぐるみだという。
そんな不純な動機では、最強の称号を手に入れることなど夢のまた夢だぞ、まゆり。
「フェリスちゃんは、とっても忙しいから公式大会に出る暇もないんだけど、きっと世界でもトップレベルの腕前だと思うんだー」
となれば、有象無象の『フェイリス杯』参加者ごときがかなう相手ではなかった。
案の定、2巡目の結果も1巡目と同じ。
フェイリスは誰も寄せ付けなかった。
圧倒的な実力差。
レベルが違いすぎる。
「ニャンニャン。みんなごめんニャ~。でもフェイリスは、雷ネットで手加減したら相手に失礼だと思ってるニャン……。それにフェイリスが求めているのは、真剣勝負なんだニャン」
「ぐおお、フェイリスたん、マジパネェっす。僕らじゃ勝てない。勝てるわけがなかったんだ……」
挑戦者たちの間にはもはや敗戦ムードが濃厚だった。誰もが膝をつき、うなだれている。
「フン……ざまあないな、貴様ら」
俺はゆっくりと皆の前へと進み出た。
フェイリスのいぶかしげな視線を、涼しい顔で受け止める。
「だが、真打ちというのは最後に出て来てこそだ。ダルよ、お前に教えてやる。真の漢の戦い方というものをな」
「オカリン、まさかなにか秘策が……?」
「フッ。そういうことだ。作戦名は“G-BACK”とだけ言っておこう」
おおー、と周囲からよどめきが起こった。
フェイリスに無残にも敗れた連中は、もはや俺を含む3巡目の8人に希望を託すしかない。
せめて一夜報いてくれ──
そんな心の叫びが、さっきから痛いほどに伝わってくる。
最初は全員が敵同士だった。だがいまや、フェイリスという高い山を前にして、俺たちの心は1つとなっていた。
「凶真には自信があるのかニャ?」
「……これまでに散っていった20人の涙……無駄にはせん。フェイリスよ、約束は覚えているな? この勝負が終わったら、お前が知っている情報をすべて話してもらうぞ」
「すげー! オカリンのヤツ、初めからフェイリスに勝つ気だ!」
「オカリン、がんばれー♪」
またも客席が沸いた。
いやがおうにも、俺への期待が高まるというもの。
俺はゆっくりと、盤が置かれたテーブルについて。
「5分だ。それまでに勝負は決するだろう」
「そいじゃ、3巡目始めるニャ~♪『雷ネット・アクセスバトラーズ』デュエルアクセス!」
「参りました」
開始から5分の作業だった。
「オカリン弱っ! 弱すぎる!」
当たり前だ! 俺は『雷ネット・アクセスバトラーズ』なぞやったことはないのだ!
ルールさえ知らないのに勝てるわけがないだろうが!
ちなみに俺だけでなく、3巡目の8人ともが全滅だった。
彼我戦力差28VS1の戦いは、フェイリスの全勝で終わった。
「まゆしぃはガッカリなのです……」
「結局全部はったりだったん!? 作戦名“G-BACK”ってなんだったんだよおい!?」
「凶真はまるで自爆するように突っ込んできたのニャ」
「え、それってまさか……」
「フゥーハハハ! そのまさかだっ!」
俺はイスの上で仁王立ちして、店内の敗者たちを見回した。
まったくどいつもこいつも、情けない顔をして打ちひしがれているではないか!
「作戦名“G-BACK”とはすなわち、自爆に等しい突撃を仕掛けること!」
「どう見てもダジャレです。本当にありがとうございました」
ルールが分からない以上、そうするしかなかったのだ。
「でもぉ、なんで凶真は負けたのにそんなに偉そうなのニャ?」
「ククク、まだ気付かないのかフェイリス・ニャンニャン! 俺にとってこの戦い、勝ち負けなどどうでもよかったのだ」
「どういうことかニャ?」
「俺がお前に提示した条件を覚えているか?」
「フニャ~、ええと、フェイリスが負けたら情報をすべて話す──」
「違うな、間違っているぞフェイリス。俺はこう言ったのだ。“勝負した暁には、お前は知る情報をすべて話してもらう”と。“勝負した暁には”だ。分かるかフェイリス。俺は一言も“お前に勝ったら”とは言っていない! この作戦は俺だからこそできたこと。この場にいる誰もが、フェイリスの手作り料理という目の前の餌に釣られ、勝つことにこだわりすぎていた。だが俺は違った。フェイリスの手料理などにはまったく興味はなかった。そのモチベーションの差こそが、この負け前提の作戦を成功に導いたのだ! ククク、フハハハハ、フゥーハハハハ!」
俺の高笑いが店内にこだまする。
誰もがポカンと口を開け、呆然としていた.
俺を見て拍手喝采しているのはまゆりただ1人だけ。
「わー。オカリンすごいねー」
「き、きたねえ……」
「頭脳的作戦と言え! これぞオペレーション“G-BACK”だ!」
俺はイスから降りると、フェイリスへと歩み寄った。
「さあフェイリス。答えてもらう。IBN5100はどこにある!」
「ニャ? IBN5100……?」
「しらばっくれても無駄だ。俺は確かな筋から情報を得ているのだ」
指圧師からもらったIBN5100の画像があったな。それを自分のケータイ画面に表示させ、俺はフェイリスに見せつけた。
「お前がIBN5100について知っているのは間違いない」
「んニャー、そんな小難しい名前言われてもさっぱりニャ。この写真のPCはどっかで見たことあるような気もするニャけど……」
「なっ、どういうことだ? お前はレトロPCに詳しいのだろう!? まゆりがそう言っていたぞ!」
「うわ、情報源明かしてるし……」
「はーい。まゆしぃが確かな筋でーす」
「詳しくはないニャ。うちのパパが集めてたから、今も家の倉庫にたくさんしまってあるけど」
「つまりそこのIBN5100が眠っているのだな! では今すぐ案内してもらおう!」
「それは無理ニャン」
「なに!? なぜだ!?」
そこでフェイリスは妖艶に微笑んだ。
「あそこはフェイリス家にとっての聖域なのニャ」
フェイリス家……って。
「入ることができるのは、ネコ耳を持つフェイリス家の娘で、巫女の修業を積んだ者だけニャ。つまりフェイリス以外は、誰も入れないのニャ。もし無理に入ろうとすれば……犬耳が生えてしまうニャ!」
「そんなわけなかろうが! なにが犬耳だ!」
「ホ、ホントなのニャ……フェイリス、ウソは言ってないのニャ……」
途端に、猫娘は怯えた様子で泣く仕草をした。
それをきっかけに、沈静化していた殺気が再び俺の周囲で渦巻き始める。
ギクリとしたときには手遅れだった。
俺はすでにフェイリスファンという名の男たちに囲まれていた。
その数、27人。
「くっ、卑怯だぞフェイリス……信者たちを味方に付けたか……」
「フェイリスは、ホントのことしか言ってないニャ~……」
さっきまで敗者だった連中は、いまや完全にフェイリスの操るままとなり、まにやら俺に向かってブツブツとささやきかけてくる。
“フェイリスを泣かせるな”
“絶対に許さない。絶対にだ”
“フェイリスは俺の嫁”
“ネコ耳を否定するな”
“ネコ耳をかぷかぷと甘噛みしたい”
“フェイリスたんハァハァ”
“ひざまずいてフェイリスの足を舐めたい”
“むしろ踏まれたい”
う……こ、こいつら、本物だ……。
どんな手を使っても情報は手に入れるつもりだったが……。
この圧倒的なプレッシャーを前にしては、さすがの俺も分が悪い。
ましてや、俺はフェイリスとはあまり相性が良くない。
このままでは俺もフェイリス教に取り込まれてしまいかねないぞ。
くっ……俺は、どうすれば……!
「ぐわああっ」
奇声を上げつつ、右手首を左手でつかんだ。
「くそっ、こ、こんなときに……目覚めるんじゃない……!」
右手がブルブルと震える。
俺は苦悶の表情を浮かべつつ、その震えを必死で抑えようとした。
「凶真! まさか”RAS”──雷ネットアンチシステムが……! ニャから、あれほど雷ネットはやっちゃダメだと……」
ねえよそんな設定は!
フェイリスの声を無視してよろよろと店の出口へ向かうと、それまで俺を取り囲んでいた信者たちが、サッと道を空けた。
誰もが冷めた目で見ているような気がするが、それをちゃんと確かめる余裕は俺にはない。
ほとんど倒れ込みそうな勢いで、俺は店外に転がり出た。
……。
「クソ、結局なにも収穫がなかったか……」
舌打ちしつつも、ゆっくりと階段を降りた。
右腕の疼きは店から出た途端に収まっていた。
フェイリスに関しては、後日、ダルかまゆりから話を聞いてもらうことにするか……。
なんだか一気に疲れが出てきた。
しかも今日もうだるような暑さ。8月に入って太陽はその力をさらに増強しつつある。
うんざりしながら、額の汗を拭った。
「オカリーン!」
まゆりが追いかけてきた。
ニコニコと手を振りながらだが、その足の速さは明らかに俺より早い。
「どうした。『フェイリス杯』はもうお開きになったのか?」
「ううん。えっとね、ちょっぴり抜けてきたの。この後はね、フェリスちゃんとご歓談タイムだよ。それよりね、さっきのIBN5100の話だけど、フェリスちゃんにもう一度写真を見せて、聞いてみたんだー」
「いい働きだ、まゆり! どこぞの能無しスーパーハカーとは大違いだな! それで?」
「フェリスちゃんが言うにはね、それは小学生になるかならないかの頃だったらしいんだけどね。秋なのにとっても寒い日で、フェリスちゃんはブルブル震えながら、執事の黒木さんに手を繋がれて──」
「前置きが長い! 頼むから要点だけを話してくれ!」
「えっと、つまりね、お父さんのレトロPCコレクションの1つを、神社に奉納したことがあるんだってー。そのPCに似てるって言ってたよー」
「神社……だと?」
意外な組み合わせだった。
PCと神社。家電と、古代から存在する神域。
およそ接点はなさそうに思える。
「どこの神社だ?」
俺の問いに、まゆりは首を傾げた。
「さあ? どこだろうねー?」
フェイリスに聞かなかったのかよ……。
「まあいい。悪くないヒントだ」
アキバの神社と言えば、神田明神と柳林神社だ。
フェイリスが子供の頃にもアキバ在住だったかどうかは分からないが、それでも今の俺にできることは、手近にあるその2つの神社を訪ねてみることだろう。
「よし、まゆりは引き続き、諜報活動に精を出せ」
「ちょうほう?」
「分からないなら理解しなくていい。じゃあな」
「うん。オカリンバイバーイ♪」
まゆりは仕事を抜け出した立場だというのに、俺が見えなくなるまで手をヒラヒラと振って見送り続けてくれた。
……。
規模的には神田明神の方が大きいのだから、どちらに奉納するかと言われたら十中八九の人間が神田明神を選ぶはず。
そんな予測を元に、先にそちらへ行ってみたが、神社の関係者からはそんな話は聞いたことがないと言われてしまった。
やむなく柳林神社へ向かう。
どうせそこも外れだろうが……。
となると、都内の神社を1つずつしらみ潰しに探していくしか手はないかもしれん。
気が遠くなりそうだったので、今は考えないことにした。
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着信中080X723X963
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「誰だ?」
「…………」
なんだ? ノイズしか聞こえない。間違い電話か?
いや、おそらくは──
「“機関”だな? 警告のつもりか。これ以上、SERNに手を出すなと言いたいのか?」
「はあ?」
ん? 女の声だった。
しかも俺の言葉に対して、間抜けな声を返してくる。
「“機関”の人間では、ないのか?」
「……違うわよ。マキセです」
「マキセ……」
誰、だ……?
この声はどこかで聞いたことがあるような気もするが……。
「悪いが、思い出せない。どこで出会ったのか教えてくれ。パリか、ロンドンか──」
「秋葉原よ。つい昨日も会ったろうが」
昨日だと?
マキセ……マキセ……。
「おお、助手!」
「助手じゃない! 牧瀬紅莉栖!」
「クリスティーナと言ってくれないと分からないではないか」
「クリスティーナでもねーよ。何度言わせんのよ」
「お前は相変わらずキャンキャンとうるさいな」
「誰のせいだ、誰の」
「ちょっと待て、お前、なぜ俺の電話番号を知っている……?」
これは、不自然だぞ……。そもそも紅莉栖のスパイ疑惑は完全に晴れたわけではないのだ──
「橋田さんに教えてもらったの」
「なんだ、つまらんオチだな。それで、どうかしたのか助手」
「助手じゃないって言っとろうが……。はあ、反論するのもバカらしくなってきた。あんた今、どこ?」
「柳林神社に向かっているところだが」
「あっそう。じゃあね」
「…………。え? はあ!? なんだ今の!? 嫌がらせか!? 嫌がらせなのか!?」
助手の分際でナメたマネを……!
今度会ったら注意してやらねば。
『サイエンス』誌に論文が載ったからなんだというのだ。
……。
「…………」
「……『サイエンス』誌に論文が載ったからなんだというのだ」
「いきなりなによ」
柳林神社の前に、なぜか助手が立っていた。
仏頂面のまま、俺をにらみつけている。
「さっきの電話はなんだ?」
「あんたの居場所を聞いただけ。それでここに向かってるって言うから、来た」
「誰も呼んでいないのだが」
「私も呼ばれた覚えはない」
「…………」
「…………」
なぜこいつはいつもいつも不機嫌そうなのだろう。
「なぜ俺に会いに来た」
「会いたくて会いに来たんじゃないから。勘違いしないで」
いちいち憎まれ口を叩くし。
「……昨日、別れ際に言われたことが気になって」
「なんのことだ?」
「IBN5100。それに、SERN」
「貴様、”機関”ではなくSERNのスパイだったか! この俺を殺しに来たのだな! そんなことだろうと思っていた! いかにも人を殺しそうな顔をしているからな!」
「どんな顔よ、失礼だな! あんた、少しは落ち着いたら? いつもいつもふざけたことばかり言って。とても私より年上には見えない」
「落ち着く、か……。フッ、お前には分かるまい。常に身の危機に晒され、逃亡に次ぐ逃亡を重ねてきたこれまでの俺の人生は」
「ええ、そんな与太話はまったく分からない」
「俺にケンカを売りに来たのか?」
「IBN5100とSERNって組み合わせに興味が湧いただけよ」
「そうではなく、お前が興味を持ったのはSERNでタイムマシン研究が行われていることだろう? 素直になれ」
「う、うるさいな。タイムマシンになんか興味ないわよ。それより、IBN5100は見つかったの?」
「それを確かめに来た」
紅莉栖が、柳林神社の小さな鳥居を見上げた。
「神社に?」
「そうだ」
と、ちょうどそのとき、隣の社務所から巫女服を着た美少女──もとい、美少年が竹ぼうきを持って姿を現した。
「あ、岡……凶真さん、こんにちは」
「……ルカ子よ、お前、例のものはどうした?」
「え、あの、『妖刀・五月雨』のことですか?」
「常に携帯しろと言っておいたはずだ!」
「す、すみません、でも、掃き掃除のときは、邪魔になるので……」
「掃き掃除の最中に乗っ取られたら、どうするつもりだ。誰も助けてはくれんぞ」
「そ、そう、ですね……。以後、気を付けます」
「ねえ。さっきから2人でなんの話をしてるのよ?」
紅莉栖の存在にようやく気付いたらしいルカ子が、戸惑ったような眼差しを俺に向けてきた。
「あ、の……こちらの方は……?」
「助手だ」
「違うわよ! っていうかなによその適当な紹介の仕方は!」
「俺は事実を述べたまでだ、クリスティーナ」
「日本の方じゃ、な、ないんですか……?」
「日本の方です」
「それよりルカ子。お前の父上と話を──」
「待てい! 紹介しなさいよ! ちゃんと!」
「紹介されたいのか? ちゃんと?」
「この状況で紹介されない方が不自然だろうが」
「俺はお前をルカ子に紹介するためにここに来たのではない!」
「紹介するぐらい10秒もかからないのに、あくまで拒否するんかあんたは」
「あの……ケンカは……」
ルカ子はオロオロしている。俺と紅莉栖がケンカしていると勘違いしているようだ。
「こいつは牧瀬紅莉栖。……助手だ」
「うん、もういい。もう助手でいい……はあ」
「よろしくお願いします。牧瀬さん。漆原(うるしばら)る、るかですっ」
「よろしく。おいくつなの?」
「今年で17です」
「私の1コ下か」
「え、そうなんですか? 牧瀬さん、とても大人っぽくて、1歳違いには見えないです……」
「つまり老け顔ということだな」
「…………」
にらまれた。
「いえっ、違います、あの、キレイだっていう意味ですから……!」
「サンクス。あなたはとてもかわいらしいと思うわ」
男だがな。助手にはあえて言わずにおくべきだろう。
事実を知ったら、ショックのあまり渡米してしまうかもしれん。
「くだらん社交辞令は終わったか?」
「いちいち言い方がムカつくわね」
「ならばルカ子よ、お前の父上とお話ししたい。呼んできてはくれまいか」
「は、はい、いいですけど、お父さんに、お話って……?」
「これは人類の未来にかかわる、重要な要件なのだ」
「人類の……!」
「未来ぃ?」
「す、すぐ、呼んできますっ」
ルカ子は社務所の中へとすっ飛んでいった。
あの子は俺の言葉ならほぼなんでも信じてくれる。
どこかのひねくれ者の助手と違って、話がすんなりと通じて実にやりやすい。
「くしゅっ。やだ、風邪引いたかな……」
紅莉栖は、しばらく鼻をすするのに夢中で俺には話かけてこなかった。
ルカ子の父上はすぐに現れた。
ルカ子自身がとにかく慌てていたため、ほとんど引っ張られるような形で境内に連れ出されてきた。
「お父さん、早く早く……!」
「ちょっと待ってくれ。そんなに急かされても、転んでしまうよ……」
「だって、人類の未来が、かかっているんだよ……」
「そ、そうか。それは大変だな」
この父上とは何度か会ったことがある。
物腰は柔らかく、尊敬できる大人である。ルカ子の育て方を間違えた以外は。
この父上は息子を溺愛しているのだ。
ルカ子が神社の仕事の手伝いをするときにいつも巫女福なのも、父からのリクエストらしい。もしかしたら変態かもしれない。いや、神職を愚弄するつもりはこれっぽっちもないが。
「やあ、鳳凰院くん。久しぶり。いつもるかがお世話になっていますね」
「いえ。こちらこそ」
「……彼の名前は鳳凰院じゃなくて、岡部ですよ」
「え、そうなのですか?」
「助手! 話がややこしくなるから喋るな!」
「事実を言っただけじゃない」
くっ、こいつはいったいなにをしに来たのだ。
「るかから、鳳凰院くんだと聞かされていたから、すっかりそう信じていたが、いやあ、もしかしてこれは、るかに一杯食わされたかな、ははは」
「あ、お父さん、そ、そうじゃなくて、岡部さんは、本名で、鳳凰院という名前は、ええと……」
「俺は鳳凰院です」
「岡部倫太郎って、親がつけてくれた名前でしょ? それを否定するの?」
「いいから黙れ蘇りし者(ザ・ゾンビ)!」
「誰がゾンビだ!」
「ははは、仲が良くて、いいですね」
ルカパパは紅莉栖へと目を向けた。
「あなたも、るかのお友達ですか? これからも、るかと仲良くしてやってくださいね」
「え、私は……」
「この子は、見ての通りとても可憐な子ですから」
「お、お父さん、やめてよぉ……」
「…………」
なぜか紅莉栖が泣きそうな顔をしている。
どうかしたんだろうか? ルカ子の友達でもないのに勝手に友達にされて、迷惑がってでもいるとか?
「……っ」
俺の視線に気付くと、紅莉栖はすぐにぷいとそっぽを向いてしまった。
「それで鳳凰院くん。私になにか用事だとか?」
そうだ。呑気に会話をしている場合ではない。
これは聖戦の行方にかかわる出来事なのだ!
人類の未来については、まあ別にいいや。
なぜなら俺はマッドサイエンティスト、英雄になるつもりはない。
俺はルカパパに、IBN5100という貴重なPCがどうしても必要だと事情を説明した。
その上で、この柳林神社にレトロなPCが奉納されていないか聞いた。
もちろん、SERNにハッキングするつもりであるとか、タイムマシンの研究につながっているなどという機密情報は隠しておいたが。
「奉納という言い方がふさわしいかどうかは分かりませんが。この神社には、確かに9年ほど前に預けられた古いPCがありますよ」
「え……」
たまらず絶句していた。
まさか、本当に……?
「それだ! それに間違いないです!」
「ちょっと待っていてください。今、持ってきましょう」
……。
ルカパパは10分ほどして戻ってきた。
大きなダンボール箱を抱えて、顔を真っ赤にしている。
足取りがかなりヨロヨロとしているが、大丈夫だろうか。
「ふう、探すのに手こずってしまいました。おそらく、これだと思います」
箱を地面に置いたルカパパは、深く息をつき、膝をさすっている。
そんなに重かったんだろうか。
礼を言ってから、中を調べてみる。
「これが、IBN5100……!」
入っていたのは、モニタと一体型になっているシンプルなPCだった。
モニタと言っても、今で言うところのカーナビの液晶画面程度の大きさだが。
指圧師からもらったIBN5100の画像と見比べてみる。
とてもよく似ていた。
「あ、ここ見てください」
ルカ子が指差したのは、テープドライブとモニタの間あたりにあるロゴだった。
そこにははっきりと『IBN5100 Portable Computer』とある。
「フハハ、フゥーハハハハ! 我、ついにアキバの都市伝説を解明せり!」
まさにこれこそが、アキバのどこかにあるという幻のPCなのだ!
保存状態は良好で、埃が少し積もっているぐらいだ。
もっとも、コンセントを入れてちゃんと起動するかどうかは試す必要がありそうだが。
さて、問題はルカパパがこれを貸してくれるかどうか、だ。
「漆原氏。単刀直入にお聞きしたいのですが。このPCを貸してもらうことは、可能ですか?」
「いいですよ」
「そんなあっさりと!?」
神社に奉納されたものを、宮司の一存で他人に貸してもいいんだろうか。
そんな話、聞いたことがない。だから揉めることも覚悟したのだが。
「これを私どもに預けた方から、当時言われたのですよ。いつかこのパソコンをどうしても必要だとする若者が現れるから、そのときは快く貸してもらって構わない、とね。まさか、本当にこうして現れるとは思いませんでしたよ。というか、私もその言伝(ことづて)のことはついさっきまで忘れていたぐらいです。ですから、これは鳳凰院くんにお貸ししましょう。ただし使い終わったら、必ず返してくださいね」
「はい、ありがとうございます!」
深々と頭を下げながら、俺は心の中でほくそ笑んだ。
ククク、笑いが止まらない。これほどトントン拍子に進むとは。まるでお膳立てされているかのようだ。
これでSERNがひた隠しにする秘密は、丸裸も同然である。
ヤツらの行っている邪悪な研究を暴き、あわよくばタイムマシンつくりのヒントを得ることもできるだろう。
そしてこの俺が、ヤツらを出し抜いて人類史上初のタイムマシンを完成させてやるのだ。
というわけで、手に入れたIBN5100をラボまで持ち帰ることになった。
だが残念ながら、運ぶための車などないし、そもそも俺は免許を持っていない。
それは助手も同じだった。
「アメリカでは16歳から普通免許を取れると言うではないか。にもかかわらず持っていないのか」
「なによ、悪い? 向こうじゃ研究漬けだったのよ」
「青春を無駄に過ごしているな」
「あんたを見てると、そうとも思えないけど。むしろ私の方がよっぽど有意義な過ごし方してると思う」
助手め、言うようになったではないか。
「あ、あの、ケンカは、よくないです……」
またもルカ子がオロオロしている。
「ルカ子、今日は助かった。改めて父上には礼を言っておいてくれ」
ルカパパはすでに社務所に戻っていて、姿はない。
俺の言葉に、ルカ子はコクコクとうなずく。
「あなたのお父さん、素敵な人ね」
「え……」
助手の何気ない一言に、俺とルカ子は凍り付いた。
「お、お父さんは、け、結婚し、してまして……ふ、ふり、不倫は……よくないです……!」
「はい……?」
「そうか助手よ。お前はオヤジ好きだったか」
「ちょっ、待った! 2人とも勘違いするな。そういう意味じゃない!」
「お、お父さんは、渡せません……」
「な、泣かないでよ……。私が言ったのは、親子で仲がよくて、うらやましいなってこと。それ以上の意味はないから」
「え、あ、そうでしたか……。すみませんっ、変な勘違いして……! ボクはなんて失礼なことを……!」
「だから泣かないでよ。誤解が解けたなら、もうそれでいい」
「……だが心の奥底では、ルカパパへの募る想いが」
「ねーよ」
クリスティーナはそっぽを向いてしまった。
これ以上怒らせると暴力に走るかもしれんので自重しておこう。
「ルカ子、『五月雨』での素振りを忘れるなよ」
「あ、はい。頑張ります……。ええと、エル・プサイ・コンガリィ……」
「コングルゥだ! いい加減覚えろ」
「す、すみません……っ」
「ちょっとあんた、女の子をいじめるなんて最低じゃない?」
いいや、そうは思わないな。
なぜならルカ子は、男だからだ。
クリスティーナのツッコミを無視して、俺はIBN5100が入ったダンボールを抱え上げた。
「ふんっ、……って、おもっ!」
あまりの重さに、途中まで持ち上げるのが精一杯。
結局、一度下ろさざるを得なかった。
さっきルカパパがこれを抱えてきたとき、顔を真っ赤にしていたのもうなずける。
「そんなに重いんですか……?」
「軟弱ね。CRTのモニタぐらいの大きさなのに」
「ならばお前が持ってみるがいい。俺の言葉が間違いではないと分かるはずだ」
紅莉栖は小さくため息をつくと、ダンボール箱の端を持ち、全身に力を込めた──
「ふぅっく……っ!」
気合を入れても1センチも持ち上がらず、紅莉栖はあっさりと降参した。
「……す、すごく、重いです」
仏頂面はそのままながら、少し恥ずかしそうに顔を赤くしている。
助手は負けん気が強いようだ。
「30キロぐらいあるんじゃない、これ? 台車かなにか借りた方がいいかもね。漆原さん、この神社に台車ない?」
「えっと、あるんですけど、実は、壊れちゃってて……すみません」
「そう。他に借りられそうなところは──」
「いや、台車は必要ない」
「だったらどうやって持って帰るの? ここからあんたのラボまで、歩くと10分くらいかかわるよ」
「1人では重すぎてきついかもしれないが、2人ならば別だ。俺とお前で持って行けばいい。そのための助手だろう」
「このためなのか……。まあ、2人で運ぶならなんとかなるかもね。だが断る」
「…………え?」
「こ、断るって言ったのよっ」
「だが断る、と言ったか?」
「う、うるさいな。そうよ。断ったのよ」
……こいつ、まさか@ちゃんねらーではあるまいな?
「私は元々、知識を貸すってことでラボメンにさせられたのよ。よってこの場合、次の解を導ける。“力仕事は無理”」
「そうか。では仕方ない。とりあえず俺は頑張って運ぶつもりだが……」
そこで俺はチラリとルカ子を見た。
視線を受けてビクッと身をすくませたルカ子は、泣きそうな顔になりながらも、おずおずと手を挙げる。
「あの、じゃ、じゃあ、ボクが……」
「え? 漆原さんが? 大丈夫なの?」
「はい、が、頑張ります」
「いや、ルカ子。お前に手伝わせるわけにはいかん。俺が1人でなんとかする」
「いえ……そんな。遠慮しないでください。ボク、岡部さんのお役に立ちたくて」
「いや、俺が1人で」
「ボ、ボクも手伝いますっ」
「じゃ、じゃあ、えっと……私も……」
「どうぞどうぞ」
「えっ? なっ!?」
「フゥーハハハ! 知らなかったのかクリスティーナ。これこそがジャパニーズギャグというものだ!」
「ずっる……」
「ルカ子よ、協力ご苦労! というわけでこのPCは俺と助手で運ぶから、お前は手伝わなくてもいいぞ。厚意だけ受け取っておく」
「あ、はい……そういうことでしたら……」
「さあ助手! 自分から立候補した以上、もう拒否することは許さんぞ。持て。今すぐ持て!」
「……はいはい」
俺と紅莉栖で、ダンボールを挟み込むような形で持ち上げた。
2人で協力することで、だいぶ重さは軽減されたな。
「なんで私たち、お見合い状態なわけ?」
互いを見つめ合うような状態になった。
というかこうする以外に持ち方などないのだから、しょうがないだろう。
「いいから行くぞ」
さっそく神社の外へと歩き出す。
「ちょっ、待った待った! 待てぃ!」
「なんだうるさいヤツだな」
「あんたね、前に進まないでよ。私が後ろ歩きしなくちゃいけないでしょ。横に動きなさいっ」
「いいからキビキビ動け助手」
「ちょっ、聞いて、頼むから聞いて! 後ろ歩きはさすがに無理!」
「助手ならばできるはずだ」
「期待してくれてどうも。でも無理! 横歩きに変更求む! つーか、しろ! 変更しろ! 転んじゃうから!」
……。
ラボの前に着く頃には、日はすっかり暮れていた。
普通なら徒歩15分弱のはずが、紅莉栖があーだこーだ言って休みたがるので、結局倍以上の時間がかかった気がする。
「はぁ、やっと着いた……疲れたー……」
「お前があーだこーだと文句を言わなければ、もっと早く着いていたのだ」
「その言葉、そっくり返したやる。あんただって5回は途中で休憩しようって言った」
「…………。あれは、俺の身体の不調だ……」
「どこか悪いの?」
「ああ……たまに、右腕が疼くのだよ……。そうすると、俺の心はどす黒い破壊衝動に支配され──」
「うっさい黙れ、あんたの右腕の末梢神経も含めて根こそぎ引き抜くぞ」
ひえええ。なんという猟奇的思考回路の持ち主だ!
末梢神経を引き抜くとか、去年のニージェネ事件みたいじゃないか!
というわけで俺は潔く黙った。
ラボへIBN5100を運び込むのには、最後の難関が待っている。
この小汚い雑居ビルの、狭くて急な階段を上がっていかなければならないのだ。
「助っ人呼んだ方がいいんじゃない?」
「そ、そうだな……」
外から見上げると、ラボの電気は点いていた。
「あれ?」
ちょうどそのとき、ブラウン管工房からバイト戦士が現れた。
「岡部倫太郎じゃん。なには運んでんの?」
「フッ、聞きたいのか? では教えよう!」
「待った、立ち話するならひとまずダンボール下ろさない?」
「あ、ああ、いや、別に立ち話をする必要はないぞ」
「んで、なんなのそれ?」
「IBN5100……と言ったらどうする?」
「うっそ!? すごーい! 手に入れたんだ! やるねー岡部倫太郎!」
いちいちフルネームを呼んでほしくないのだが。
どうせ呼ぶなら、せめて鳳凰院凶真の方にしていただきたい。
「どこ? どこにあった?」
「うぅ、重いんだけど……」
紅莉栖が音を上げ始めた。
というか俺もそろそろ限界。
「いったん下ろせ!」
そーっと、中身を傷つけないように、俺と紅莉栖はダンボールを地面に置いた。
「はあ……」
「ねえ、どこにあったの?」
「柳林神社だ」
「やなばしじんじゃ? 神社って、神の、社(やしろ)?」
「ああ」
「なんだってそんなところに……」
そこでふと、鈴羽は紅莉栖の方へと目をやった。
「あ……!」
息を呑み、それから紅莉栖に息が吹きかかりそうな距離まで近づいていった。
「な、なんですか?」
「牧瀬紅莉栖?」
「そうだけど……」
「…………」
なぜかものすごい勢いで紅莉栖をにらみつけている。
紅莉栖もそれに対抗するように、目を細めた。
な、なんだこの緊張感は……。
さすがの俺も割って入ることができない。
「なんなの? 私、あなたになにかしました?」
「……フンッ」
鈴羽は先に目を逸らすと、もう二度と俺たちの方は見ようともせず、ブラウン管工房の中に引っ込んでしまった。
「今の、誰?」
残された紅莉栖の矛先は、俺へと向けられた。
「1階の、ブラウン管工房のバイトだ……」
「なんで私、にらまれたわけ?」
「し、知らん。お前が、なにか怒らせるようなマネをしたのではないのか?」
「彼女とは今初めて会ったのに。失礼な人ね」
初対面でいきなり俺をにらみつけてきたお前が言うなと思ったが、あれは幻だったわけだから指摘するのはやめておいた。
……。
ラボにいたダルとまゆりにも手伝ってもらい、4人がかりでIBN5100を運び込んだ。
「みんな、ご苦労。これで俺たちは戦える」
「戦うって誰と」
「SERN、そして世界を牛耳る支配構造とだ」
「あんたって本当に幸せそうね」
「幸せ? そんなものは望んでいないさ。俺を誰だと思っている? 狂気のマッドサイエンティストだぞ。俺が手に入れたいのは、混沌。そのためのタイムマシンだ。フゥーハハハ!」
「ゴメン、言い直す。あんたって本当に、βエンドルフィン過剰分泌によるジャンキーね」
「オカリンオカリン、悪いことはダメーって、いつも言ってるのにー」
「けど、すげーよ。マジで見つけてくるなんて。僕たちにできないことを平然とやってのける。そこにシベれる──」
「憧れないけどね」
「……え?」
「え?」
「え……?」
一瞬、四人の間に沈黙が流れた。
「見つけられたのはね、まゆしぃのお手柄なんだよー」
まゆりが空気を読まず、誇らしげに胸を張った。
紅莉栖がホッと息をついているのを、俺は見逃さなかった。
「“まゆしぃ情報”がなかったら、オカリンは今もアキバの街をフラフラさまよってたんだもん」
「ああ、まゆりの言う通りだ。今回ばかりはよくやってくれた」
「えっへへー。ということでー、まゆしぃはそろそろ帰るねー。クリスちゃんはどうするー? 途中まで一緒に帰ろ?」
「ありがとう。でももうしばらくここにいるわ」
やはり紅莉栖はIBN5100、そしてSERNのことが気になるらしい。
そう言えばまだ詳細について話していなかったな。
「そっかー。あんまり遅くならないうちに帰った方がいいよー? んじゃ、また明日ねー。トゥットゥルー♪」
まゆりは手を振ってラボを出ていった。
……。