♰幻影旅打♰

-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【19】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

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「ん、んんっ、んー」


香月が、いつものゲーマー的ポジションに陣取って、大きく伸びをした。これからエンスー2でも始めるつもりなんだろう。

昨夜の出来事など何もなかったかのような、いつも通りの平常運転に苦笑しつつ、僕は昼食の弁当箱を開ける。

中には、来栖が作ってくれたサンドイッチがキレイに並んでいた。

 

 

あれから、一夜明けて。

今日は土曜だが、月に一度の登校日になっていた。

僕らは、結局、青葉寮で仮眠をとり、朝、シャワーだけ浴びて登校した。

 



パニックを起こしてしまった結衣と、気絶した有村は、朝になっても目を覚まさず、そのまま青葉医院に入院という形になった。

ただ、身体には特に異常はなく、来栖と山添が学校を休んで二人に付き添っているから、たぶん大丈夫だろう。

 

 

僕の方は午前中の授業を休み、父さんに紹介された脳外科を受診して来た。

結果は、父さんの診断と同じで、『脳の血管などに異常は見られず』だった。

とりあえず電話で来栖にそれを伝えると、ホッとしたような声が返ってきた。


「さて……と」


あまり食欲はなかったけれど、僕は、せっかくのサンドイッチを少しだけつまみながら、壁のボードに貼り付けられているマップを眺めた。

 

 

(……これで本当に終わったのか? 『ニュージェネの狂気の再来』は?)


昨夜から今日にかけて、ネット上は大騒ぎだった。

いや、今でも現在進行形で祭りになっている。

といっても、何か事件が起こったからじゃない。

むしろ、『何も起こらなかったから』みんな騒いでいた。

一応、ネットだけではなくテレビやラジオ、あるいは新聞に至るまで、様々なメディアを調べてみた。

けれども、やはり10月23日に『ニュージェネの狂気』を思わせる事件は発生していなかった。

 



ネット上には様々な流言飛語が入り乱れ、しまいには『犯人は逮捕されたが、政府首脳関係者の息子で公表ができない』など、どうしようもない陰謀論まで、まことしやかに語られ始めている。

 



が、とにもかくにも23日に何もなかったことで、『ニュージェネの狂気の再来事件』はもうオワコンだろう、という意見が大勢を占めていた。

 



『でも猟奇殺人犯は逮捕されていない 犯行は 続く? 続かない?』


──ガチャ。

 

 

 

 



「おー、宮代。病院はもういいのか?」

「ああ。おかげさまで、異常ナシだってさ」

「えへへぇ、よかったねぇ」


伊藤と世莉架が、それぞれ弁当を持って入ってきた。

どちらも、僕の弁当と同じように、今朝、来栖が作って持たせてくれたものだ。


「けど、登校するなり部室に直行してランチとか、いいご身分だな、おい」

「授業は午後からでいいって言われたからさ。それに、マップを見ながら、色々考えてみようと思って」

「ええ? これ以上なにもするなって、今朝、神成さんに言われたろ?」


再び南沢泉理らしき女の襲撃があったことを、今朝、神成さんに連絡したところ、『なんでもっと早く知らせないんだ』と怒られた。

そして、もう絶対に危険なことはしないよう、釘を刺されてしまったんだけれど……。


「でも、考えるくらいなら、いいだろ?」

 



僕は結局、あまり食べられなかった弁当にフタをすると、もう一度、マップに目を向けた。



 

「昨日、僕たちはカフェLAXにいた。そこで事件が起こった。僕の前に現れたのは、以前、襲ってきた『あの女』だった──『南沢泉理』。そして、その能力は──『発火能力(パイロキネシス)』。ところが、カフェLAXで僕を襲ったのは発火能力(パイロキネシス)じゃなく、別の能力だった。それは──『僕が一人きりになってしまったような、そんな妄想を見せられた』……」

「ってことは、やっぱり南沢泉理は、1人で2つの能力を持ってるって推測が正しいのかな?」

「いや……まだ確証は持てない。別の能力者が協力してる可能性を否定できないし……」

 



「それで、襲われた時の緊張のせいで、タクがまぶたの血管を切っちゃって……結局、みんなで青葉寮へ移動したんだよね」

「ああ、僕はそこで父さんの診察を受けて……その後、みんなで23日が過ぎるのを待ってた」

「そういえばさ、あの時、副部長と有村、なんか言い争いとかしてなかったか? なんだったっけ?」

「言い争い?」

「ん-? そういえば、ええっと……」

 



『乃々は[南沢泉理が犯人なんて信じられない]と言った。』


「そうそう。のんちゃんがね、南沢泉理さんは絶対に犯人じゃないって言ったんだよ」

「猟奇殺人なんて出来る子じゃないって言ってたな。昔、親友だったから分かるって」

「でもさ、あの時にええっと……有村は、『副部長が嘘をついてる』って指摘したんだよ。あれってどういうことだと思う?」

「確かあの時、有村が『嘘』だと指摘したのは……」

 



「思い出した。来栖は、『南沢泉理が目の前で死ぬのを見た』って言ったんだけど……それが『嘘』だったんだ。つまり、死んだところを見てない」

「きっとのんちゃんはね、親友だった子が犯人扱いされてるのが許せなかったんだよ。それで、とっさに嘘をついちゃったんだと思うんだ」

「まぁ、確かに、副部長の気持ちになってみりゃあな……」

「……そう、だな」


(やっぱり南沢泉理の話題は、来栖がいる時は少し気を使った方がいいな……)

 



『南沢泉理が渋谷地震で死亡したという確証はない=やはり犯人の可能性はある』


そんなことを思いながら、僕はメモをひとつ貼り付ける。


「そして、問題は……その後か」

「ああ」

「青葉医院の一階で結衣が……」

「ドアがノックされるのを聞いたんだよね」

 



カフェLAXで僕を襲ったのと同じ──あの女のノック。

しかも結衣は、あの恐ろしい姿を目撃した。


「僕でさえ、カフェであれだけ恐怖したんだ。何も知らない結衣は、さぞかし怖かっただろうな……」

「うん……かわいそう」


幸いにも、結衣はあの時は扉をすべて開かなかった。

即座に扉を閉じ鍵をかけたため、間一髪で助かったようだ。

だが……もし結衣が扉を全部開けていたら……。


「……………え? いや、待てよ……」


僕は、マップから顔を上げて天井を睨みつけた。

なにか、とてつもない違和感にとらわれたからだ。


「う? どしたの、タク?」

「なんか思い出したのか?」


世莉架と伊藤が不思議そうに僕を見た。


「いや、なんか……ひっかかった。ものすごく大変なことを見落としてる気がする」

「ええ?」

「んん?」


エンスー2に向かっていた香月ですら、僕の様子にびっくりしたのか振り返った。


「大変なこと?」

「ああ。昨夜はいろんなことがあって、有村がパニクったり、僕も気が動転してて、気づかなかったけど」


そう、今自分は何を考えた?


──もし、結衣が扉を全部開けていたら……。


(当然、これまでの事件から考えれば……結衣も被害者に……。でも……それって……それって、つまり……!?)


マップをもう一度、睨みつける。

 



「前にも話したけど……今回の事件には、ひとつ、明らかに共通する特徴があったよな」

「っていうと?」

「それは、『被害者』だ。最初の事件『こっちみんな』被害者と、その特徴は──『大谷悠馬、能力は"予知能力"』。次は『音漏れたん』被害者と、その特徴は──『高柳桃寧、能力は"感情誘導"』。僕が目撃した『回転DEAD』被害者と、その特徴は──『柿田広宣、能力は"思考盗撮"』。そして、学園祭で起きた『ごっつぁんデス』被害者と、その特徴は──『渡部友昭、能力は"念写"』。……そう。事件のターゲットになってる被害者は、全員『能力者』だ。それ以外は狙われていない。だからこそ、僕や山添はずっと警戒していたわけだし……事実、カフェLAXでは、僕がターゲットにされた。でも、青葉寮に現れた南沢泉理が、襲撃しようとしたのは──」

 



「そう。──結衣だ」


『南沢泉理が襲撃しようとした=能力者?』


僕は呆然としつつ、立ちあがった。


「ま、まさか……そんな……」

「……結衣ちゃんも、ってこと?」

「マジ、かよ……?」


いまさらながら、背中に氷柱でも押し当てられたような怖気(おぞけ)が全身を走る。

僕は、南沢泉理が、有村か僕か山添を追って青葉医院までやってきたんだと思い込んでいた。

そして、たまたま結衣が玄関に居合わせたために、事件に巻き込まれそうになっただけだと、そう考えていた。

でも──そうじゃなかったとしたら?

結衣にも、狙われる理由があるとしたら?

僕は、まだ信じ切れない重いのまま呻(うめ)いた。


「これから、確かめてくる……あいつが本当に『能力者』なのかどうか」


…………。


……。

 

 

「ん……んんっ……?」
「あ、悪い。起こしちゃったな……」
「あれぇ、拓留兄? 学校は?」
「早退した。お前のこと気になってさ」
「ええ? またまたー」


元気のない笑みを浮かべつつ、結衣はベッドの上でゆっくりと身を起こした。

 



「う……」


一瞬、めまいがしたのか、額をおさえて前かがみになる。

まだ顔色は蒼く、点滴がなんとも痛々しい。


「いいから、そのまま寝てろって」
「でも……」
「来栖に言いつけるぞ?」
「う……うう……」


昔から結衣には、この言葉が一番効果がある。

少しだけ眉を寄せると、やがておとなしく横になって布団をかぶった。


「ん? 有村は?」


二床ある診察ベッドのうち、片方はもぬけの空だ。


「お昼ごろ、神成さんって刑事さんが来て、二人で出かけて行った。また後で来るって」
「ふーん」


たぶん、神成さんに昨夜の聴取でもされてるんだろう。


「あいつ、もう身体は大丈夫なのか?」
「うん。元気だったみたい」
「そっか」
「拓留兄にね、『ありがとう』って伝えてくれって」
「ええ?」


僕は目を丸くして、義理の妹の顔を見た。

あの有村が? ありがとう?


「何かの聞き間違いだろ」
「そんなことないよ。いい人だよ、有村さん。拓留兄にも、ちゃんと感謝してると思うけど」
「聞き間違いじゃなきゃ、ただの気の迷いだな」


僕は、結衣が寝ているベッドの横に丸椅子を置いて、座る。

そして、布団にくるまってまぶたを閉じかけている横顔を、じっと眺めた。


「………」


妹の顔をそうやって見つめるのは、よく考えると初めてかも知れない。

……こいつが……何か『能力』を持ってる?

どうしても、そうは思えない。

もしかして僕の勘違いだろうか。

いや、むしろ、勘違いであって欲しい。

確かに『ニュージェネの狂気の再来』は途絶え、世間には、連続猟奇事件は終わったかのように言う連中もいる。

でも、肝心の犯人はまだ捕まっていないんだ。

僕や有村や山添だけでなく、結衣まで狙われるかも知れないなんて、恐ろしくて考えたくもなかった。


「……なに? どうしたの?」


結衣に対して、何をどういうふうに説明すればいいのかしばらく迷っていると、ひどく居心地の悪そうな声がした。

さすがに、僕の視線と沈黙を変に感じたんだろう。

ベッドの上の妹は、戸惑いを隠しもせずにこちらを見ていた。


「あ? あのな……ええっと……」
「……?」


──ガチャ。

 



「あらっ、拓留!?」

「……おかえりなさい」

「まだ、おかえりなさいっていう時間じゃないでしょう?」


診察室のドアが開き、おかゆらしきものをトレイに乗せた来栖と、着替えのパジャマを抱えた山添が入ってきた。

来栖は、おかゆの乗ったトレイをベッド脇に置くと、僕の顔を心配そうに覗き込む。


「学校、早退したの? どこか具合でも?」

「ごめん、そうじゃなくって……ちょっと、気になることがあってさ」

「気になること?」


僕は、仮に結衣が『能力者』だと分かっても、それを来栖に言うべきかどうかずっと迷っていた。

余計な心配をするだろうと思ったからだ。

けど、大事な妹のことだ。

全て知っていてもらったほうがいい、そう考え直した。


「えっと、どうすれば確かめられるかな」


少し考えて、以前、久野里さんが僕に対して使った方法を思い出した。

山添の顔をチラリと見る。

彼女は気が進まないだろうけど……たぶん、あのやり方しかない。


「なぁ、結衣?」

「ん?」

「昨夜のこと……あんまり思い出したくないと思うけどさ」

「………」

「有村と、そこにいる山添が……手に何か持っているのを見なかったか?」


「えっ?」
「え?」


結衣ではなく、来栖と山添が先に声を上げた。


「何か……って?」

「2人は『剣』のようなものを持っていたんじゃないか?」

「剣……」

 



「ねぇ、拓留っ? あなた、何を言っているのっ?」


来栖が仰天して、僕の腕をつかんで来た。

来栖自身にはディソードは見えない。

けれど、その意味するところはよく知っている。


「結衣っ? そんなの見てないわよねっ?」

「う、うんっ、見てないっ。知らないっ」


結衣は、来栖の剣幕に驚いたのか、そう答えた。

明らかに嘘だと分かってしまう、そんな口調だった。

『あれは、見てはいけないモノだったんだ』という恐れが、はっきりと顔に出ている。


「山添、ごめん。お前がイヤなこと、頼んでもいいか?」

「………」

「もしも、結衣が"そう"なら、犯人が逮捕されるまで、お前や有村と同じように、僕が守らないといけないから」

「……。はい」


山添は、僕らのやり取りをびっくりしたように見ていたが、大事な幼馴染のために、力を貸してくれる気になったようだった。

持っていたパジャマをベッドの上に置くと、何もない中空に手をかざした。


「……結衣さん。見ていてね」

「えっ? あ、あのっ?」

 



「うきちゃんっ? ダメ、やめて!」


来栖は、僕の腕にかけていた手を放し、今度は、結衣を抱きしめるようにした。


──まるで、彼女に『それ』を見せまいとするかのように。


「来栖……ごめん。でも手遅れになってからじゃ遅いんだ。だから……」

「………」

「ほら、見えるだろ結衣? 山添の手に何があるか」


──!

 

 

普通の人間には目視できない輝きとともに。

山添は、無の空間からゆっくりとそれを引き抜いた。

負のエネルギーに満たされた『ディラックの海』と、現実空間とをつなぐ剣──ディソード。

 



「あ、あ、あ……?」


結衣の目には、間違いなく山添のディソードの動きを追っていた。


「……み、見えるの、結衣?」

「………」

「見えるのっ?」


結衣は泣きそうな顔になり……そして、ゆっくりとうなずいた。


「……山添、もういい。ありがとう」


山添の手から、フッとディソードが消滅する。

後には、なんともいえない静寂だけが残った。

 

 



「そ……そんな……そんなっ……」


そう──やっぱり結衣は『能力者』で。

昨夜、南沢泉理に狙われ、殺されるところだったんだ。


…………。


……。

 

 

2015年10月24日(土)

 



(この匂い……どこかで……)


立ち入り禁止のテープをくぐって、マンション3階の一室に入った時、最初に感じたのはそれだった。

確かに覚えがある。

いったい、どこでかいだ香りだったろう?


(ああ、そうだ! ニューヨークで──)


アメリカ研修の折に、向こうの同僚に連れていかれた安っぽいステーキハウス。

そこで、ひどいラム肉ステーキを出された。

生臭い獣臭(けものしゅう)と、焼き過ぎて焦(こ)げた油の匂いが鼻について、肉を口の近くまで運ぶ気にすらなれなかった。

いま室内に充満しているのは、まさにそんな匂いだった。


「………」


匂いの発生源は、室内の中央──ダイニングテーブルの上だ。

現場での鑑識員の作業は済んだのだろう、すでにシートがかぶせられ、検死のために運び出されるのを待つばかりになっている。

神成は両手を合わせて黙とうしてから、シートをめくり上げた。


「う……!?」

 



それを見た瞬間、神成はポケットからハンカチを引っ張り出して口をおおい、吐き気を無理やり飲み干した。

被害者に申し訳ないとは思うものの、若い彼にとって、生理的なものだけは、まだこらえることが出来ない。


「ご苦労様です、神成先輩」


顔を上げると、なじみの後輩刑事が、鑑識員たちから話を聞いているところだった。

彼にいつもの元気がないのは、これまで担当したどんな事件よりも異常な現場に立ち会っているからだろう。

神成は、後輩の手前、やせ我慢をしてハンカチを口から外し、


「ああ、ご苦労。被害者(がいしゃ)の身元はハッキリしたかい?」

「それがですね……衣服を着用していない上に、遺体の損壊が激しくて……今の所、確実なのは10代から30代の女性ってことしか」


テーブルの上。まさに失敗した料理のような姿で仰向けになっている焦げた『肉』には、確かに、女の証(あかし)らしきものがいくつも見てとれる。

ただし、顔面は真っ黒に焦げてしまって人相がまるで分からない。

その上、さらに異常なのは、その顔面の口らしき場所から、鉄の棒のような物が突き出ていることだった。

それは遺体の下腹部まで貫通していて、まるでケバブなどの串刺し肉に使われる鉄串を連想させられた。


「10日ほど前でしょうか、近くの工事現場から、鉄筋が盗まれたっていう届けが出てるそうです」


神成の視線をすぐに理解して、刑事が自分の手帳を広げた。


「鉄筋っていうと、あれか。コンクリートの壁に使う?」
「ええ。被害者(がいしゃ)の口から出てるのがそれのようです」
「………」


(そういえば、昔、こんな映画があったな……)


80年代に撮られたホラー映画で、大学時代に友人たちと眉をひそめながら観た覚えがある。

密林の奥地に食人族が棲んでいて、迷い込んだ旅行者が襲われるというような内容だったが……その哀れな被害者がこんな風に串刺しにされ、焼かれるシーンがあった。


「………」


そして。さらにもうひとつ。

彼には、目の前の陰惨な光景が、ここ最近何度も見てきた事件現場とも重なって見えていた。

そう。否が応にも、『ニュージェネの狂気の再来』事件を想起させられてしまう。


(まさか、これも? いや、でも23日は……)


10月23日。例の事件の犯人は、日付が変わるまで宮代拓留たちを執拗に狙い続けている。すなわち、ターゲットが彼らのうちの誰かだったはずだ……。


「神成さん?」
「あ。ああ、悪い、続けてくれ」


神成は被害者の上にそっとシートを戻し、もう一度、両手を合わせた。


「被害者の身元は未確認と言いましたが、自分の意見としては、おそらくこの部屋の住人とみて間違いないと思います」
「杯田理子(はいだ りこ)さん、だったな」
「はい」


彼は手帳をさらにめくって、さきほどマンションの管理人から聴き取った契約状況などを神成に報告していく。


「年齢18歳。独身で一人暮らし。職業は、派遣のテレフォンサポートってことになってますが……派遣会社に確認を取ろうとしたところ、会社自体がもう存在していませんでした」
「倒産したか……あるいは、水商売のためのダミー会社って可能性もあるな」
「その線については、今、洗わせてます」
「で、被害者(がいしゃ)が彼女だと思われる根拠は?」


神成も自分の手帳を開いて、気になる内容をメモしていく。


「はい。契約以来、どうも、本人しかこの部屋へ入った形跡がないようなんです」
「うん?」
「鑑識からの報告では、室内から出た指紋や足跡は本人とおぼしきものだけで……不自然にふき取った跡なども見られません。もちろん、それ以外の指紋もないわけじゃないんですが、どれも古いもので……おそらく、以前の住人や業者だと思われます。鑑識も、今回の件からは除外できるだろうという意見です。また、玄関の靴跡も、被害者(がいしゃ)のものしか見当たりません」
「………」
「遺体発見時、玄関には2つの鍵の他に、内側からチェーンロックがかかっていました。窓もしっかり施錠されていたので、本人に間違いないかと……」


それらを聞いた神成は、被害者の身元はともかく、犯行現場の不可解さに軽いめまいを覚えた。


(……じゃあ、犯人はどうやってここに入って、犯行に及んだんだ?)


人ひとりを焼き尽くすほどの火力となれば、相応の機材が必要になるはずだ。そんなものを持ち込んだのなら、その痕跡が残っていないはずがない。

後輩も、最前からずっとそれを考えていたのか、


「これで、"普通の死に方"をしててくれれば、"自殺"ってことで、神成さんの手をお借りすることもなかったんですけど」
「……死に方に、普通も何もないだろ」
「すいません」
「一階のエントランスに、防犯カメラがあったよな?」
「ええ。部下が管理人室で録画のチェックを始めていますが、今の所は何も……」
「そう、か」


神成は、シートに覆われた被害者と、難しい顔をしながら何かを話ししている鑑識員たちに視線を向けた。


「あの様子だと、死亡時刻の推定もまだ無理そうだな」
「はい。解剖に回してみないと、なんとも……。火災報知器が作動していれば、すぐに分かったんでしょうが」


天井に取り付けられている役立たずの機器を、2人で見上げる。


「壊されていたって?」
「はい」
「誰に? あ、いや、室内には彼女の指紋しかないんだったな。ということは、本人か……」


なんでまたそんなことを?

神成にとっては、全てが不可解だった。


「というか、神成さん……俺、焼死の現場ってのは初めてなんですけど……こんなふうに燃えるもんなんですか?」
「分からん。こんなの俺だって初めてだ」
「鑑識の連中がね、全員、首をひねってるんです。どうやって燃えたか分からないって」
「………」
「ガソリンや灯油を使ったって、こんな風にはならないって」


というより、ガソリンや灯油の匂いが、そもそもしていない。

漂(ただよ)っているのは、とにかく、肉の焦げるいやな臭気だけだ。


「俺、前にテレビで観たんですけど──いや、やっぱいいです」
「言えよ、最後まで」
「怒りませんか?」
「内容による」
「世界の心霊現象スペシャルとかいう番組だったかな。そこで『人体の発火現象』ってのが──」
「やめろバカ」


神成は、後輩の頭を軽く小突いた。

彼はスンマセンと頭をかいたが、神成が話を止めたのは、実はそれが荒唐無稽だからではない。

むしろその逆で、そこに『真実』が含まれているんじゃないかと、再び考えてしまったからだ。

だとしたら、警察内であっても、極力変な噂は流されたくない。


("パイロキネシス"と言ったな……)


久野里澪や有村雛絵、そして宮代拓留から何度も聞いた言葉だ。

物体を発火させる能力で、宮代たちを狙っている犯人──南沢泉理が、どうやらその力を持っているらしい。

やはり、この部屋の住人、杯田理子もそういう能力者に襲われたんじゃないのか? ──神成は、さきほど考えた可能性にまたたどり着いてしまったものの、やがて、小さくかぶりを振った。


(それでも説明できない、か……)


そもそも、串刺しに使われた鉄筋はどこから室内に入って……どうやって被害者を刺し貫いた?

神成は、部屋の東側を占めている窓に近づいた。

カーテンは閉まっておらず、そこから、渋谷の混沌とした街並みが見えている。

これがもっと高層階であれば、美しい夜景も望めるのだろうが、いかんせんこの高さでは、周りのマンションや雑居ビルの汚い裏側なども目に入ってしまって、とても眺望がいいとは言いがたい。

そのせいで、家賃はこのあたりとしては破格な部類だろう……そんなことを考えながら、入念に窓ガラスを調べる。

仮に、向かいのビルあたりから、なんらかの能力で鉄筋を伸ばしたとしたら、この窓だって無傷では済まないはずだ。

だが、いくら調べても、ガラスにはヒビひとつ入っていない。


(こいつは、俺がひとりで考えてもどうにもならないな……)


口惜しいが、久野里澪のような専門家がいないと……そう考えた神成は、今日は情報の収集だけに徹することに決めた。


「神成さんっ」

「え?」


神成は、背後から肩を軽くたたかれて我に返った。


「防犯カメラをチェックしてた部下から連絡です。被害者(がいしゃ)の顔がハッキリ映ってる映像を見つけました」
「そうかっ、行こうっ!」


不謹慎だとは思ったが……ドアの外へ出た神成はやっと普通に呼吸出来るようになった気がして、『ふうっ』と大きな息をひとつ吐いた。


……。

 



マンションの一階へ下りると、管理人室のモニターで再生されている映像を覗き込む。


「管理人の話だと、杯田理子さんは、必ずカメラから顔をそむけるようにしていたそうなんですが」
「撮られたくない理由でも?」
「渋谷地震の時に、顔に火傷を負ったとかで……人に見られるのを極端に嫌ってたらしいですね」
「ああ、それで……」
「ただこの時は、一瞬ですが、偶然映ってしまったようです」


画面内にインサートされている日時は、10月12日の深夜を示している。


(10月12日? それって確か)


メモした記憶のある日付だったので、手帳を開いて、自分の文字にサッと視線を走らせる。


(ああ、そうだ。宮代くんたちが、初めて南沢泉理に襲われたっていう夜だな)


「先輩。杯田理子さん、来ました」


後輩の声に、急いで視線を戻す。

 



映像の中では、ちょうどエントランスのドアが開いて、フラフラと女が入ってくるところだった。

足が悪いのか、あるいは怪我でもしたのか、ズルリズルリ……と引きずっているのが分かる。

全く手入れをしていないような髪が無造作に顔にかかって、表情が極端に見えづらい。


「お、おい、あれって……」
「ええ」


神成たちは、思わずうめいた。

杯田理子は、両手で杖のような物を持ち、それで身体を支えるようにして歩いている。

画像が不鮮明なため、はっきりと断言出来ないが……それは、遺体を串刺しにしている鉄筋に、非常に良く似ていた。


「まさか……自分で持ち込んだ鉄筋で、串刺しに……?」


録画だというのに、神成は、それがあたかもライブ映像であるかのように緊張し、息を詰めて見つめていた。

彼女は、そのままゆっくりと防犯カメラの近くを通り過ぎて行く。

確かに、顔を映されるのを嫌うかのような素振りをしている。


──が。


カメラのすぐ真下で、何かにつまずいたのか、足をよろめかせた。

その拍子に前髪がバサリと乱れ、髪の隙間から、その顔がようやくハッキリと視認できた。

 



「……っ!!」


神成は目をむいた。


「に、似てるっ……」


これまでずっと調べてきた"ある容疑者"の特徴と、あまりにも酷似し過ぎている。

その容疑者に襲撃され、かろうじて生き延びた被害者の証言を元に描かれた似顔絵とも、瓜二つだ。


「そ、そんな……こいつ……!」


その映像に映っていたのは、間違いなく──!


…………。


……。

 



「…………」

 



「大丈夫よ、結衣。安全になるまで、ずっと一緒にいてあげるから」
「う、ん……」
「ほら、元気出して?」
「うん……」


結衣は、血色のあまりよくない顔でコクリと頷いた。

昨日の事件に加え、自分が『能力者』という厄介な存在であることまで分かったせいで、かわいそうなくらいやつれてしまっている。

僕は、とりあえず彼女に、必要なことだけをかいつまんで説明し、そして、何があろうと絶対に一人きりになってはダメだと言い含めた。

確かに、南沢泉理は『10月23日』に誰も殺すことが出来ず、『ニュージェネの狂気の再来』事件は途切れた。

けれど、世間の連中が言うように、それで事件が終わったと考えるのは、早計な気がしてならなかった。


「でもね。こんな時に、こんなこと言うのは変かも知れないけど……お姉ちゃん、ちょっとだけワクワクしてるんだ」

「え……?」

 



「結衣と一緒にお風呂に入ったり、寝たりするの久しぶりなんだもの」

「………」

「結衣ったら、いつの間にか大人になっちゃって……すっかり、『結人のお姉ちゃん』になっちゃったでしょ。たまには、私の妹に戻って甘えてくれてもいいのに、なんて思ってたから、ふふ……」

 



「やだ、もぅ」


結衣は、少しだけはにかんだ。


「結人はどうするって?」

「父さんの部屋にしばらく居候」

「この部屋で一緒に寝ていいって言ったんだけどね……なんか恥ずかしいみたい。私は別に構わないのに」

 

 



「ユウは、乃々姉えが初恋の人だから。……あ、これ内緒ね? 絶対ね?」

「ふふ、それは光栄だわ。ねぇねぇ拓留? 頑張らないと、結人に私を取られちゃうわよ?」

「ふーん」


来栖は時々こういうことを言っては、困った顔をする僕を見て楽しんでいるような気がする。

最近、だいぶスルースキルが身についてきたので、鼻で笑い返してやると、面白くなさそうにぷくっと頬を膨らませた。


「で、結衣の『能力』なんだけど……本当に自覚とかないのか?」


ほんの少しだけ笑顔を見せていた結衣が、また暗い顔に戻る。

 



「……そんなの、急に言われても……」

「自分の身の回りで、特別なことが起こったりとかさ」

「特別……っていうと、ユウのこと、くらいかな」

「どんな?」

「ユウがウソついてもすぐに分かる、とか」

「それは超能力じゃないわね。お姉ちゃんなら普通よ。私だって、拓留のついたウソなんて簡単に見抜けるもの」

「だから、そこで僕を引き合いに出すなよっ」


今度は、スルースキルを発揮できなかった。

来栖はようやく満足したように、フフッと笑う。

……くそー。


一瞬、むっとしたが、すぐに、来栖が僕にアイコンタクトを送ってきているのに気付いた。

 



(なるべく結衣を、怖がらせないであげて?)

 


そう言っているようだった。


「………」


確かに、そう、だよな。

自分が、猟奇殺人犯に狙われてるかも知れないなんて、結衣のような普通の女の子には耐えられないはずだ。

だから来栖は、わざと明るく振舞ってみせているんだろう。


「ええっと……」


僕も、つい問いつめるようになりがちだった声のトーンを緩めた。


「他にはないかな? どんなことでもいいんだけど」

「他に……?」


結衣はうつむいて、しばらく何かを考えていた。


「そういえば……ほんとに時々だけど……ユウの声が聞こえる、ような気がする」

「声?」

「うん。たとえば、ユウが忘れ物をして困ってたり、怪我をして泣いてたり……そういう良くない声が聞こえてきて……。それで、急いでユウの学校へ行くと……本当に怪我をしてたりするの」

「……なるほど。それかも知れない」


専門家じゃないから断言できないけれど──姉弟間での『精神感応』とでも呼べばいいのか。

久野里さんに聞けばもう少し詳しく分かる気もするが、あの人はなぜか僕らを嫌ってるし、どうしても結衣のことを話す気にはなれなかった。


「結人には、そういうことはないのかしら?」

「大丈夫。あいつに『能力』はない」


それは、昨日、すでに確かめてあった。

山添のディソードを結人にも見せたが、何の反応も示さなかった。


「なんだか、私はユウの心配してるのに、ユウの方はそうでもないみたいで、ちょっとシャクだけど……。でも、いいよね。ユウが狙われることはないんだもんね?」

「ああ。あいつはターゲットにされないはずだ」


結衣はその言葉を聞いて、ようやくホッとしたように胸をなでおろした。

それを見た来栖が結衣の頭に優しく手を置き、くしゃくしゃと髪をかき混ぜる。

 



「本当にいい子ね、結衣は」

「ちょっ。や、やだ、やめてよぉ」

「うふふ、ダメです」


来栖は、嫌がって逃げようとする結衣を逆に捕まえて、愛おしむようにしっかりと抱きしめた。今にもキスをしそうな勢いだった。


「結衣、好きよっ。大好きっ」

「う、うわぁっ。乃々姉えがなんか気持ち悪いっ。助けて、拓留兄ーっ」


ジタバタもがいている結衣を見ながら、僕もついつい笑ってしまう。


「気が済むまでやらせてやれよ、結衣」

「やだー、助けてよー」


結衣のことは、とりあえず来栖に任せておけば、大丈夫そうだ──そう思った瞬間。


──トン、トン。


「!?」
「っ!?」
「ひっ!?」


突然のノックの音に、僕らは三人とも身を固くした。


(ま、まさか……ここ、家の中だぞ!?)


──トン、トン。


ノックの音がまた続く。

来栖が、怯えきっている結衣を背中にかばって立った。

僕は、そんな来栖に向かって後ろに下がるよう合図すると、ドアノブに手をかける。

LAXカフェでの恐怖を思い出し、ゴクリ……と喉が自然に鳴ってしまう。

はっきりいって恐ろしい。怖い。

でも、今は、僕だけしか二人を守ることは出来ないんだ。


──トン、トン。


『あ~の~?』


「は……?」


僕の激しい緊張とは対照的に、ドアの向こうから、ひどくのんきな声が聞こえた。


『宮代せんぱ~い、ちょっといいすか~? それとも、来栖先輩となんかマズイことでもしてますか~?』


「って、お前かよっ」

 



「あっ、ども~」

「ども~、じゃない! まぎらわしいからノックすんなよ!」

 



「ええー? そういうわけにはいきませんってば。変な場面とか見ちゃったら、どうするんです?」

「僕と来栖で変な場面なんてないからな! ──で、なんか用か?」

「あ、はい。ちょっと宮代先輩に話があるんで。いいですかね?」

「僕に?」

「えと、ダイニングに来てもらっても?」

「ああ。構わないけど」

「あの? 私たちも行った方がいいかしら?」


来栖が、僕の後ろから顔を出して尋ねる。

有村は両手を前に出し、少しオーバーアクションで左右に振ると、


「いえいえ、来栖先輩と橘姉はそのままラブラブしててOKっすよ。話って、宮代先輩にだけなんでー」

「そう?」


不思議そうに首をかしげる来栖に向かって、『あでぃおすぐらっしあー』とかいつものように喚きつつ、有村は僕の腕を引いて部屋から引っ張り出した。


……。


「なんだよ、いったい?」
「来栖先輩には、まだちょっと……な話なんで」
「ええ?」
「とにかく来てください。見て欲しいものが」
「あ、ああ……」


やけに早足で行ってしまう有村に続いて、僕も来栖の部屋を後にした。

 

 

 

 



「あ、タク。結衣ちゃん、どう?」

「うん、もう大丈夫だと思う。落ち着いたよ」

「そっか、よかったね」

 

 

「………」


山添がキッチンの中でお皿を洗いながら、こちらを見た。

目を優しく細めて、ホッとしたように息を吐く。

長い間会っていなかったとはいえ、やはり幼馴染の結衣のことは気になっているんだろう。


「ひなちゃん、お茶飲む? うきちゃんが淹れてくれたの。とっても美味しいよ?」

「あ~、いえ。私は、そろそろウチに帰ろうと思ってるんで」

「えっ?」


驚いて有村の顔を見る。

昨日のような襲撃にあう可能性を考えて、今夜も泊まっていくと思っていたからだ。

 



「ひなちゃん帰っちゃうの? もっと合宿していこうよ。明日、学校お休みだし」

「いやいや。宮代先輩のお父様に、これ以上ご迷惑をおかけするわけには……っていうか、ぶっちゃけこんなに泊まり込むと思ってなかったんで、下着の替えとかピンチでしてー」

「そんな、別に遠慮しなくても……」



 

「おおっと、ド変態め! 限界を突破した下着を遠慮なく見せつけていいと!? いや、むしろじっくり見せろと!? 一宿一飯の恩義があろうと、そいつは聞けねー要求だなぁ!」


有村は、スカートのスソをわざとらしく押させる。


「誰がそんなこと要求するか。そういう話じゃないだろ」

「じゃあ、なんですか?」

「だから、事件が終わったっていう確証が得られるまで、有村もここにいないか? その方が安全だろう?」

「ああ、なるほど」


有村は、ポリポリと頬をかいた。

それから、真面目な顔つきになると、


「せり、うき? 悪いんだけど……ちょっとだけ外してくれないかな?」


世莉架と山添にそう言った。

二人は一瞬、顔を見合わせたが、有村の有無を言わせぬ調子には逆らえず、そっとダイニングを出て行った。


「………」


僕と二人きりになると、有村は少しだけ面倒くさそうにため息をつき、ポケットからスマホを取り出した。

 



「宮代先輩に話っていうのは、実は、そのことです」
「え?」
「つい今しがた、神成さんからメールが来まして。私と先輩に、大至急、確認して欲しいことがあるって」
「神成さんから?」
「すごくイヤなものを送りつけられました。デリカシーがないんでしょうね。大嫌いです、あの人」


有村は、メールに添付されていたらしい画像を画面いっぱいに表示させると、顔をそむけながら、僕にポンと手渡してきた。


「それ、防犯カメラの映像のコピーだそうですよ」
「……っ!?」

 

 

そこに映っていたのは──。

忘れようとしても忘れられない、『あの女』の顔だった。


「み、南沢……泉理……」


僕は有村とは逆に、画面から目を離すことが出来ず……ただただ呻(うめ)きながら、それを凝視していた。


「間違いないですよね? じゃあ神成さんには、先輩からそう言っといて下さい。私、あの人とはもう話したくないから」
「あ……ああ、分かった。……これ、どこなんだろう?」


訊くともなしにつぶやくと、有村は面白くもなさそうに言った。


「その女のマンションとか、メールには書いてありましたけど」
「マンションを見つけた!? じゃあ、南沢泉理は逮捕されたのか!?」


僕はようやく画面から視線を引きはがして、有村を見た。

彼女は、小さく肩をすくめると、

 



「まぁ、似たようなものです。だから、私はウチに返っても平気になりました。お世話になりました、先輩」
「……?」
「うきも橘姉も、もう安心していいみたいですよ」
「……どういうことだ?」
「死にました。その女」
「あ?」


有村は、特に感情を込めるでもなく、さらりと言い切った。


「…………死んだ? 南沢泉理が?」
「ええ。来栖先輩にはうまく伝えて下さい。私、そういうの苦手なんで」
「………」
「それじゃあ、そういうことで。あとはよろしくです」


有村はスマホを僕の手から取ると、不浄な物を扱うような手つきで、表示されていた画像をあっという間に消去した。

それから、ペコンと頭を下げると、僕をひとり残してダイニングから出て行った。

 



『せりー、うきー、話終わったよー。私、帰るから、宮代先輩の相手してあげてー。寂しがってるよー』


有村の声が、廊下の向こうから聞こえてくる。

世莉架と山添、それに、来栖や結衣の声がそれに混じった。

おそらく、『こんなに遅いのに帰るの……?』みたいな事を言ってるんだと思う。



 

けれど、僕の耳には、彼女たちの会話は全く入って来ていなかった。


(南沢泉理が……死んだ……)


僕らを狙っていたあの猟奇殺人犯は……もういない?


…………。


……。


2015年10月27日(火)

 

 

まわりのマンションや雑居ビルに遮られて、どこか薄暗い杯田理子のマンションの部屋。

久野里澪は、例によって瞳に冷たい色を浮かべたまま、その部屋の中にいた。

壁際に並べて置かれているウッドシェルフやカラーボックスを引っ搔き回し、ありとあらゆる書類や細かいレシートの一枚に至るまでチェックをしては、舌打ちをする。

 



「警察が持って行った物の中には、本当に何もなかったんだな?」
「ああ、俺が全部チェックしたんだ。間違いない」


南沢泉理だと思われる女の焼死から数日が経ち、警察による現場検証はすでに終わっていた。遺体も司法解剖のために運び出されている。

遺体が乗っていたテーブルなど、何点かの遺留品は所轄署に持っていかれてしまったが、久野里が探しているような手がかりは、それらの品には含まれていなかったと神成は言う。


「………」


(何も出てこない。無駄足だったのか?)

 



部屋の調査を始めてそろそろ2時間。

さすがの久野里にも迷いが見え始めていたが、それを振り払うかのように、前髪をバサリとかき上げた。

今度は、書棚に置かれている雑誌や単行本の類を全部引っ張り出し、ページの間に何か隠されていないか、細かくチェックをしていく。


「なぁ?」
「なんだ?」


そんな彼女に向かって、壁にもたれたまま厳しい顔をしていた神成が声をかけた。


「この部屋は完全な密室だった。彼女以外、誰も出入りした痕跡がなく、凶器の鉄筋も彼女自身が持ち込んだものだ」
「それがどうした?」

 



「彼女は、どうやって死んだんだろうな? 自殺か他殺かも含めて」
「私は探偵じゃない。密室犯罪のトリックなど知るか」
「そういう話をしてるわけじゃない。ギガロマニアックスの死に関して、君の意見を求めてるんだ」


神成は不満そうに言って、焼死体のあった場所へ視線を向けた。


「ギガロマニアックスは、いわゆる"超能力者"とは違う。他人と妄想を共有することで、初めて能力が発現する。つまり、ここが"誰の目"も届かない閉鎖空間だったのなら、南沢泉理はただの人間と同じだ。パイロキネシスなど使えるハズがない。だが、ここは閉鎖空間とは違う。たとえば、窓の外から誰かが覗いていれば、妄想の共有など簡単に出来る」
「いや、そこまでは俺も考えたさ」
「なら、何を悩むことがある? ──ここも駄目か」

 

 

久野里は書棚も全てチェックし終えてしまうと、途方に暮れたように室内を見回した。

家具も家電もそれほど多くない地味な部屋。

クローゼットやデスクまわりは真っ先に調べた。そこでも、久野里の求める物は見つかっていない。


(ここに住んでいたのが南沢泉理なら、例の委員会につながるヒントくらい、出てくると思ったんだが……。あるいは、奴らのことだ……私より先に、すでに回収済みということか? くそっ。だいたい、事件の発生から時間が経ち過ぎだ。直後にここを調べられたら、連中を出し抜けたかもしれないのに──)


彼女は神成を肩越しに睨みつけ、いささか八つ当たり気味に、無茶なグチをこぼしそうになった。


(……ふん、上等だ。絶対に突き止めてやる)


久野里はもう一度、部屋の端から丹念に見て回ることにした。

 



デスク脇の書類入れに無造作に放り込まれているのは、『杯田理子』という名前がプリントされた、光熱費関係の請求書や領収書の束。

ただ、それらの書類の中には、電話や通信関係のものが一切ない。

このご時世、彼女はスマホや携帯電話を持たず、インターネットもやっていなかったようだ。さらには、固定電話すら契約した形跡がないう。


(確かに……電話がどこにもないな……)


室内を見渡し、壁の一隅に電話回線のモジュールジャックを見つけたが、そこにはホコリがこびりついていて、使われた跡が全くない。

他に書類入れから見つかったのは、コンビニで食べ物や飲み物を買ったレシートの数々だけだった。

南沢泉理は、料理などは一切やらず、全てそういったもので済ませていたようだ。


(これじゃあ、食費もバカにならなかったろう……)


彼女が、どうやってそれだけの生活資金を得ていたのか。

それを警察が必死に調べているが、部屋からは通帳もカードも見つかっておらず、銀行口座も分からないため、難航していると聞く。


(金の出所は、委員会じゃないのか? せめて口座番号だけでも分かれば、尻尾がつかめるものを……)


「南沢泉理は、23日の深夜から24日の未明にかけて、宮代くんたちの前に姿を現してる。そして、焼死体となって発見されたのは、その24日の夜だ。ということは、彼女が死んだのは、その間ということになる」


自分の物思いに沈んでいた久野里は、神成がずっと話しかけてきていたことに気づかなかった。

 



「あ? 何だ?」
「南沢泉理が最後に目撃されてから、死体が発見されるまでに、20時間ほどあるって話だよ」
「それだけあれば、十分だろう」
「ところが、その20時間の間に何が起こったのか……いや、そもそも南沢泉理が何をしていたのか、足取りが全くつかめないんだ。彼女は、"このマンションにすら戻って来ていない"んだよ」
「なに?」


ここまで淡々と受け応えしていた久野里の表情が、初めて変わった。

 



「24日の防犯カメラに映ってないんだ。一度も」
「そんなバカな話があるか。じゃあ、どうやってここで死んだんだ?」
「だからこうして、途方に暮れてるんじゃないか」
「映像をチェックしたヤツの見落としだろう」
「俺も確認したよ。見落としはない」


眼精疲労を起こしている目を閉じた神成は、まぶたの上を指でさすった。


「今、映像を確認させてるが……どういうことかさっぱりだ」
「………」
「………」
「……分かった。少し考えてみよう」
「助かる」


彼は疲れ切ったように、右手で顔を覆った。


「それも含めて、私は、もう少しこの部屋を調査させてもらう。あんたは、南沢泉理が、いつどうやって杯田理子というニセの身元を手に入れたのか、情報を入手してくれないか? もしかすると、それにも委員会がからんでいるかも知れない」
「ああ、それはもうやってる」
「あと、この件の警察発表はいつになる予定だ?」
「まだ決まってない。色々もめてるらしい」
「………ニュースになれば、もっと南沢泉理の情報が集まってくると思うんだがな」
「気持ちは分かるが、そう焦るなよ」

 



「分かる? 私の何が分かるというんだ?」
「………」


ジロリと睨みつけると、神成は肩をすくめるだけで何も言い返してこなかった。


「さて、と。ちょっとメシでも食ってくる。キミはどうする?」
「いらない。勝手にしろ」
「……。じゃあ、そうさせてもらう」


神成は、特に強く誘うこともなく、外へ出ていこうとした。

が、ドアを開いたところで、『ああ、そうだ』と言いつつ振り返った。


「どれだけ調べてくれても構わないが、マンションの管理人がキミを疑ってる。本当に警察の関係者かって。所轄に問い合わせでもされたらやっかいだから、気をつけろよ」
「一応、気にはとめておく」
「一応じゃ困る。怒られるのは俺だ」


そうして彼は、面白くもなさそうに笑った。


…………。


……。



 

 

「んっ、うんんっ。んん、んっ……」



 

「んんんっ……んんっ、んん~~~~っ!」

「…………」

「…………」


夕暮れの光が差し込んでいる、放課後の部室。

 

 

その片隅で、相変わらず香月が、エンスー2らしきゲームをしながら、変な声を上げている。

どうやら、今は苦戦中のようで、妙に色っぽいうめき声を出すものだから、部室の外から聞かれると勘違いされてしまって困る。


──ガチャ。


「ん?」


ほんの少しだけドアの開く音がした。

 



「じぃ……」

「って、お前もかっ。コソコソ覗いてないで、さっさと入ってこいって」

「だ、大丈夫? お邪魔じゃない?」

「だから、なにがお邪魔なんだよ」

「廊下の向こうまで聞こえてるよ、華ちゃん」

「んん、んんんっ」

「今、忙しいから話しかけるなってさ」

「タク、すごいねぇ。『華ちゃん検定』があれば、すぐに1級とか取れるね」

「そんなもんいらん」

 

「ん-、んんっ、んんん」

 



「『私のことなんて、どうでもいいのねっ?』って怒ってるぞ」

「違う。『私のこと勝手に話題にすんな』だ」

「えへへぇ、すごいすごい」


何が嬉しいのか、世莉架は満面の笑みでパチパチと拍手をした。


「あれ? 今日、のんちゃんは?」

「生徒会。しばらく休んでたから、仕事がたまってるらしい」

「川原のヤツが来て、今日は新聞部には渡さないとさ」

「おおー、これは争奪戦だねっ。よ~し、タク。のんちゃんを奪いに行こ~」

「え? いや、いいよ……」


これ以上、生徒会に……というか、川原くんに睨まれるのは避けたいし……。


「うわー、久しぶりにダメなタクに戻ったー。せっかくカッコよかったのにー」

「……? なんだ、それ?」

 



「だって、あんな怖い能力を使う人と対決したり、病院の地下へ潜入したり……とにかく、事件を追ってるタクはカッコよかったよ?」

「そ、そうか……?」


来栖には、危険な事件なんか追うなって、さんざん怒られたけどな……。


でも、それも、今となってはずいぶん昔の出来事だったような気がする。

実際は、まだ一週間も経っていないのに。


(本当に……事件はもう終わったんだよな……?)



 

あの日。10月23日。


一連の猟奇殺人の連鎖が止まったことで、世間の連中は、拍子抜けムードとともに『ニュージェネの狂気の再来』が終わったと勝手に言い始めた。


でもその時は、まだ、僕はそのことを信じていなかった。


事件は終焉なんかむかえていない、そう思っていたんだ。


けれど、その翌日、神成さんから伝わってきた衝撃的な情報。


僕らをさんざん脅(おびや)かしてきた、南沢泉理が──。

 

 

 

自宅マンションで焼死した。



 

『え……? 泉理、が……?』
『うん。僕も有村も映像を確認した。間違いない』
『………』


あの夜、さんざん迷った……。

でも結局、来栖にも南沢泉理の死を知らせるしかなかった。

それを聞いた来栖は、一度、目を大きく見開いた後……静かにうつむいた。

長い髪の毛に隠れて、その表情が見えなくなった。

 



『あの、なんて言っていいか分からないけど……その……』
『これで──』
『え?』

 



『これで終わったのね? もう、拓留や結衣を襲うような犯人は、いなくなったのね?』
『だと思うって、神成さんが』
『そう』
『………』

 



『……よかった』


そう言って顔を上げた来栖は、少しだけ目を潤ませながら、静かに微笑んでいた。

ちなみに今日に至るも、警察からはまだ、連続猟奇事件の容疑者が焼死したという発表はされていない。

南沢泉理が未成年な上、カオスチャイルド症候群、つまり、渋谷地震でのPTSDが原因で犯行に及んでいた可能性もあり、非常にデリケートな問題になりつつあると神成さんは言っていた。

さらに、彼女の死んでいた状況が異常なため、検死が全く進まず、どう情報を公開すべきか警察内部でもめているらしい。


(あと、これは邪推かも知れないけど……)

 

 

彼女が、『AH東京総合病院』での人体実験の被害者だったことも影響しているように、僕には思えた。

もしも彼女が世間で注目を浴びれば、メディアやネット民はその経歴を執拗に調べようとするだろう。

すると、人体実験のことが明るみに出てしまいかねない。

それだけは避けたいと考える連中が、警察に圧力をかけているとしても不思議じゃないと思った。


「………」

「おおい、宮代?」

 

 

 

「え? あ、悪い。なんだ?」
「あれ、どうするよ?」


伊藤が指差していたのは、今回の事件の整理に使っていたマップだった。


「片づけるか? もう使わないかも知れないし」
「………」

 



僕は、改めてマップの前に立った。

これまでに集めた様々な情報が、所狭しと貼り付けられている。

それらもまた、なんだか遠い過去の出来事だったかのように、色あせて見えた。


「ん? ああ、そうか」


その中に、すっかり放置されていたニュース写真を見つけた。

『ニュージェネレーションの狂気』と呼ばれた事件のうち、6番目の『美味い手』と、7番目の『DQNパズル』

そして、事件発生日を記したメモには、『10月28日』『11月4日』と書かれている。

 



「今日って、28日なんだよな」
「そうだな」


伊藤もそれは分かっていたらしく、曖昧(あいまい)な表情で首肯した。

僕は、さらにもう1枚、貼り付けてある自筆のメモに目を奪われた。南沢泉理の死を告げられてからも、実はずっと気になっていたメモだ。

 



──『連続猟奇殺人事件の犯人=パイロキネシストを含む複数犯』


「……事件は終わったんだろうか。本当に」
「終わったって言ってるぜ、みんな」
「………」
「それにさ……もし他に犯人がいるなら、23日だって、南沢泉理に代わって、そいつが事件を起こしたはずだろ?」

 

 

「……ああ。なるほど……」
「けど、実際は何も起こらなかった。ってことは、この可能性は消えたってことじゃないのかな」

 



伊藤が、メモをそっとはがした。

 



「もうやめようぜ。なんつーかさ……副部長がつらいと思うんだ、俺」

「あ……」

「……うん、そだね……真ちゃんの言う通りかも……」

「な?」

「……そっか」

 



南沢泉理の死を告げた時の、来栖の哀しそうな目が、脳裏をよぎった。

 



「……分かった。こいつの役目は、ここで終わりにしよう」


僕はマップに手をかけると、ゆっくりとそれを取り外した。

 



「けど、なんか、いきなり壁がスッキリしちゃったね」

「ずっとここにあったからな」

 



「ねぇ? また何か事件を探そうよ、タク。みんなをあっと驚(おどろ)かせるような事件」

「……ああ。そのために作った新聞部だもんな」

「うんっ」


世莉架が、これまでと同じような、屈託のない笑みを顔いっぱいに浮かべてくれた。

一方の伊藤も、ようやく相好を崩して、

 



「今度は、副部長に怒られない程度の事件にしとこうぜ」

「分かってるよ。今回の件で、さすがに懲りた」



 

僕がそう言うと、エンスー2に夢中になっていたはずの香月もこちらを見て、『んっ』と同意の声を上げた。


…………。


……。






 

その日の放課後、僕は久しぶりにトレーラーハウスへ戻った。

夜になると怖いと震えていた結衣が、ようやく落ち着きを取り戻してきたからだ。

あとは、父さんや来栖、それに結人がいれば大丈夫だろう。幼馴染の山添もいることだし。


「やっぱりここは落ち着くな」


僕は椅子に掛けると、しばらく使っていなかった自分のPCを立ち上げてみる。

メールボックスは大量のスパムメールであふれていた。

以前、あれだけイライラさせられたこの手のメールも、今では、元の生活に戻れた証(あかし)のような気がするから不思議だ。

 

 

「はい、ご苦労さん、と」


もちろん速攻で削除するが、これまでのように立腹したりすることもなかった。

 

 

「さぁて……」


そういえば、色々な出来事のせいで忘れていた。

この前、『クール・キャット・プレス』最新号をゲンさんに"押し売りされた"ものの、全く読んでいない。

僕はデスクの下からこっそりそれを取りだすと、ページをめくり始めた。こんな時間の過ごし方も、ひどく懐かしい感じがした。

 

 

「『1か月目の恋人はどこまで許される? フレンチキス? それともディープキスまでOK!?』。ふーむ……」



 

「ふーむ……」

「なぁ、尾上? お前はどう思──って、うわぁっ!?」


僕は、椅子ごとひっくり返りそうになった。

いつの間にか世莉架が真後ろにいて、肩越しに本を覗き込んでいたからだ。

 



「うーん、私としては1か月とかあんまり関係ないと思うんだよねー」
「いやいやいや! そんなことより、お前、いつの間に!?」
「えへへぇ。ドアのカギ、かかってなかったから」


しまった。本に夢中になってて、世莉架が入って来たことに気づかなかった。


「だからって勝手に入ってくんな。ノックくらいしろよ」

 



「え、でも……ノックはイヤかな、と思って」
「え……?」
「タク、怖がるかなって」
「…………」


確かに、今、ノックなんてされたら心臓に悪い。

のんびりしてるように見えて、そういう気遣いを忘れないのは、世莉架のいいところだけど……。


「おほん。いいか? 繰り返すようだが、この本はいつもゲンさんに押し売りされてるんだ。僕が好んで買ってるわけじゃないからな。そのあたり、勘違いするなよ」

僕は、『クール・キャット・プレス』を、実にクールな手つきで机の下にしまい込んだ。


「うん、りょーかい。のんちゃんには秘密にしとくね」
「こら待て。僕は、そういうこと言ってるんじゃないからな」
「それで、タクはどうなの?」
「何が?」

 



「だから、キスはどこまでおっけー?」
「んなもんっ…………したこともないのに、分かるか」
「えー?」


世莉架はいきなり不満そうに口を尖らせた。

 

 

「???」
「タクってば、忘れちゃったのー?」
「何をだ?」
「私としたのに。その……ファースト、キス」
「なにぃーっ!?」


僕は、文字通り飛び上がった。

僕と世莉架が!?

いつ? どこで? どうして? なんのために?

 

 

『クール・キャット・プレス』の南方謙二先生のコラムによれば、女の子にとって、ファーストキスは初Hよりも特別なことだという。

それゆえに、ファーストキスを覚えていない男は最低だ……と。


(ま、まずい……)


全く思い出すことが出来ず、冷や汗をかいていると、世莉架はいつもの調子に戻って、『えへへぇ』と笑った。

 

 

「まぁ、許してあげるよ。幼稚園の頃の話だし」
「って、そんな昔の話かよっ! びっくりさせんなっ!」


そもそも、幼稚園児くらいのそれはファーストキスとは呼ばない! はずだ。

僕がそう主張すると、世莉架は、また少し不満そうな顔に戻った。

 

「それより、何しに来たんだ? 家に帰ったんじゃないのか?」
「うーん、そうなんだけど。なんか、少し寂しくなっちゃって……タクの顔を見に来たの」
「はぁ?」
「ほら、最近、ずっとみんなで一緒にいたでしょ? もちろん怖い人に狙われたのは、すごくイヤだったけど……それも、仲間同士で助け合って、乗り越えたって感じでー」
「………」
「こういうこと言うと、のんちゃんに怒られると思うから、内緒だけど……私、結構、ドキドキしたよ?」
「……そっか……」
「タクはどうだった?」
「僕か? 僕は……どうだろう? 分からないな」
「ふーん?」


世莉架は、突然、僕の背中に身体を預けるようにして、肩越しにPCへ手を伸ばした。

背中に当たる感触が、ふわりと柔らかくて暖かい。

こういう慣れないことをされると、どうしていいか対応に困る。


「……お、おい? 重いからどけって……」
「重くないよ~。失礼だな、キミは~」


そんなことを言いながら、世莉架の白い指がマウスをちょこまかと動かしては、クリックを繰り返す。


「部室でも言ったけど、私、また新しい事件を探したいな……あ、これなんかどう?」


世莉架が開いたのは、根強い人気を誇る『廃墟探索系』のサイトだった。

放棄された限界集落や廃工場、廃炭鉱、あるいは、経営破たんして放置されたままの遊園地やデパートなどを探検し、写真と解説文を掲載するのが主なコンテンツだ。

サイトによっては、さらに、廃墟につきものの血なまぐさい都市伝説や、謎の心霊現象を扱ったりもしている。


「んー、こういうのはやり尽くされてるしな。あと、廃墟への侵入って非合法だから……学校の部活でやるのは無理だと思う」
「えー、つまんないの」


世莉架は僕から身体を離し、トレーラーハウスの簡易ベッドにゴロンと横になった。

そして、『ん-』と大きく伸びをする。


「こら、そこで寝るなよ」
「うー?」


振り返って注意しようとすると、すでに世莉架の目はトローンとなっていた。


「早っ!」


僕は急いで立ち上がると、世莉架の肩を揺り動かす。



 

「おい。眠いんなら帰って寝ろよ」
「ふにゃ? 今日は泊ってくから、いい~」
「何言ってんだ。僕の寝る場所がなくなるだろ」
「らいじょぶ。わらし、小さいから、ベッドで一緒に寝られるよ~」
「そんなわけいくか!」


僕が世莉架の腕を取って、無理に起き上がらせようとした、その時だった。


──!


「あ?」


通学バッグの中で、僕のスマホがバイブレーションを始めた。

いつまでも止まらないので、メールやメッセージじゃなく電話のようだ。

仕方なく世莉架をそのまま寝かせ、バッグの中へ手を突っ込む。


「ん?」


液晶画面の表示を見ると、発信者は伊藤だった。


(今頃なんだろう? 新しい事件のネタでも見つけたのか?)


そう思いながら、通話ボタンを押す。


「もしもし? どうした、伊藤──?」
『@ちゃん、見たか!?』


いきなり切羽詰まった口調で問われ、面食らう。


「@ちゃんねる?」
『とにかく見てみろ! [ニュージェネ]関連のスレならどこでもいい!』
「なんだよ、いったい?」


僕は首をかしげつつPCに向かうと、@ちゃんねるを表示した。

とりあえず、ニュース系の板を覗いてみる。

ニュージェネ事件および、ニュージェネの狂気の再来事件に関するスレッドがたくさん立っていたはずだ。


「……え?」


僕は目を疑った。

そこにズラリと並んでいたのは。


──『南沢泉理』や『杯田理子』という名前。


そして、『焼死』という文字もあちらこちらに踊っている。


「警察が犯人を公表したのか!?」
『違う。読んでみると分かるが、どっかから情報が漏れたらしい』
「情報が、漏れた?」

 


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[社会]【杯田理子】ニュージェネの再来犯が炎上しちゃって件【自殺?他殺?】8


1 名前:あすたろと@転載禁止

去る10月24日午後、渋谷区のマンションの一室で派遣会社社員、杯田理子(18)の焼死体が発見された。
仕事上のトラブルでの焼身自殺と報道されたが、捜査関係者からの有力な情報によると、彼女がニュージェネレーションの狂気の再来事件の被疑者として捜査されていることが判明した。杯田理子という名前も偽名の疑いがあるとされており、現在、警察が身元の確認も含めて捜査をしているようであるが、被疑者が死亡している上、遺体の損壊が激しく、捜査は難航している模様。


247 名前:名無しさん@転載禁止

杯田理子ってやっぱ偽名?
犯人は南沢泉理で確定なん?
誰か情報はよ

248 名前:名無しさん@転載禁止

キ女版の連中がプロフとか特定はじめてるけどほぼ確定

ちなみに防犯カメラの南沢泉理らしい画像

こっちは昔の写真


249 名前:名無しさん@転載禁止

>>248
昔は可愛かったのにすっかりメンヘラBBA化してんな。
泉理たんに何があった?


250 名前:名無しさん@転載禁止

>>249
泉理たんをディスると仲間に殺されるぞww


251 名前:名無しさん@転載禁止

仲間なんているん?


252 名前:名無しさん@転載禁止

当たり前だろ、女ひとりであんなことできるわけない。

南沢って某宗教の施設の出身らしい。
248の昔の写真にいっしょに写ってるのもその施設の仲間。
そいつら全員共犯っぽい。


253 名前:名無しさん@転載禁止

キ女版でも252の施設の話になってるな。
電凸もはじまってる。さすがキ女www

電凸先な。

青葉寮
03ー346XーXX93


254 名前:名無しさん@転載禁止

泉理たんと一緒に写ってる子の方が好みだな。
こんな可愛い子も殺人犯ってこと?


255 名前:名無しさん@転載禁止

>>254
少なくとも南沢をかくまってたって話は間違いないだろうな。
直接殺してなくても、殺人の幇助にはなるな。


256 名前:名無しさん@転載禁止

そいつ、碧朋学園の生徒会長って噂があるな。
碧朋学園にも電凸中らしい。


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スレッドを開いてみると、確かに、警察は今でもかたくなに口をつぐんでいるようだった。

にも拘わらず、有村と僕が確認させられたマンションの監視カメラ画像をはじめ、学生時代の南沢泉理の写真などが、続々とUPされている。

さらには、『南沢泉理』に関して、ソースすらない怪しげな情報が大量に投下されていた。

そして、それらの情報の中に──

 



「……お、おいっ、なんだよこれ!?」
『見つけたか?』
「くそっ、情報弱者どもが! ろくに確かめもしないで、なに適当なこと書き込んでんだ!」


僕が思わず歯噛みしたのは、『南沢泉理』の情報の中に、来栖と川原くんの名前が混じっているのを発見したからだ。

最初に得意げになって書き込んだ馬鹿は、おそらく、来栖たちの昔の同級生あたりだろうか。


『三人は親友で、いつも一緒にいた』──そんなこと、今回の事件とは全く無関係で、不必要な情報だろうに! いったい何のつもりなんだ!?


しかも、そこから派生した無責任な書き込みはさらにひどく、他のスレッドには南沢泉理が青葉寮の出身者だとか、杯田理子名義のマンションに来栖が毎日出入りしていたとか……もう滅茶苦茶だった。

そのせいで、来栖には南沢泉理をかくまっていた疑惑がかけられ、殺人の幇助(ほうじょ)で逮捕されるはずだという、根も葉もないデマを偉そうに語る連中まで跋扈(ばっこ)し始めていた。

電凸』先の一つとして、青葉寮の電話番号がさらされているのは、おそらくそのせいだろう。


──ッ!!


「ふざけるなよっ!!」


僕は、南沢泉理だけでなく、来栖の卒業アルバムの写真までUPされているのを見つけ、思わずデスクをこぶしで殴りつけていた。


(事件がやっと終わったっていうのに、なんなんだよ、これ!)

 

 

「ど、どうしたの、タク?」


僕の大声に驚いて、うとうとしていた世莉架が飛び上がった。


「切るぞ、伊藤! 来栖に電話してみる!」
『いや、俺も電話してみたが駄目だった。副部長は電源を切ってる』
「くっ!」


僕はパソコンを乱暴に終了させると、急いでドアに向かった。


「分かった。直接、青葉寮へ行ってみる」
『ああ、俺も行く。向こうで落ち合おう』


それだけ言って、伊藤は電話を切った。


「尾上! 悪いが、ちょっと留守番しててくれ!」
「え? やだよ! のんちゃんに何かあったんでしょ!? 私も連れてって!」

 

 

ドアの外へ飛び出した僕の後に、世莉架がピタリとついて来た。

仕方なく、そのまま2人で、小走りに青葉寮へ向かう。


……。