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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【26】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

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(あれ……)


診察室に入ると、そこにいるはずの久野里さんと有村の姿はなかった。


(……変だな)


あれからずっと、ここで話してると思ったんだけれど。

 



「外科用の設備など、ここにはないだろう」


すでに僕の胸中を読んでいるんだろう……世莉架がそう言った。


「一般家庭の救急箱よりましだろ。それに──」

 



それに、父さんはもともと脳外科医だったから、渋谷地震の際に被災者を受け入れて、必要な外科処置も行ったと乃々が言っていた。

それで助かったという話をする患者さんが、未だにいる……と。


(そうだ。父さんは……)

 



──近所でも好かれてた、いい医者だったはずだ。

ひどい大酒呑みで、型破りなところもあったけれど、人を癒すことを生き甲斐にしているような人だった。尊敬できる人だった。

それが、なんで……?


最初、裏切られたことが信じられなかったけど……時間が経つにつれて実感となっていく。

自分で自分が情けないけれど……自然と涙が出そうになる。

 



それをごまかすように、薬品類やガーゼなどが並んでいる棚を、少し乱暴に見て行く。

けれど、そこに置かれた薬瓶に綺麗にラベリングされた文字は乃々の手書きで……それを見ると、さらに涙を誘われそうになってしまった。


「違うな」
「……?」
「佐久間は相手の思考を誘導するという最悪な力を手に入れ、それを楽しんでいる人間だ。なのに、表向きは"いい医者"を演じていた」


そう言うと、世莉架は服をめくり、自分の腹を晒した。


──!

 

 

 

「……っ。お前、それ……」

 



そこには、赤黒く染まったガムテープが巻かれていた。

力任せに巻きつけて圧迫したような、ぐちゃぐちゃな巻き方だった。


「佐久間は以前、私が傷の応急処置にガムテープを使っているのを見て、笑っていたよ。やるじゃねえか、と意味のわからないことを言ってな」
「………」
「お前は、二番目の事件を覚えているか? ストリートミュージシャンの高柳が殺された事件だ」
「……ああ」
「腹が割かれてスピーカーが埋め込まれていた。あの時、思考誘導された高柳が止血に使ったのが、やはりガムテープだ。思考誘導された高柳が、裂いた腹をガムテープで処置しているのを見た。なぜそんなことをさせているのか、あいつに尋ねたが……あいつはこう言った」

 

 

『お前に似てるだろ? 人形みたいで面白いじゃねえか』

 



「…………」


口調が想像できた。そして声も。

自分の全身に、鳥肌が立つのがわかった。


「私は佐久間の思考を読んだ。何を考えてそんな言葉が出てくるのか、知らなければと思った」


その時のことを思い出したのか、世莉架は、身体に溜まった何かを吐き出すように息をついてから、


「あいつは、"言葉以上のこと"を考えていなかった。頭の中にはただ、『面白い』という声だけが反響していた」
「………」

 



「あいつは異常だ。よく"快楽殺人"といわれるものがあるが、それですらない。自分にとって面白いかどうかだけが重要で……その行為が、殺人かどうかにさえ興味がないんだ。あいつに気持ちを寄せるな。理解しようとするな。優しい父親だったという思い込みを捨てろ」
「……べ、別に、そんなつもりはない」
「違う。お前はまだ佐久間に対して、何かを期待している。でも、あいつにとっては、食後のお前たちとの『談笑』も、残虐な『殺人』も同じことなんだぞ?」
「そんなつもりないって、言ってるだろ……!」


ごちゃごちゃになった僕の思考が、世莉架にどう伝わっているのか……そんなこと、分からない。

だって、自分でも自分の気持ちが分からないのだから。

父さんは"委員会"という組織に取り入ろうとしている。

そのために僕を殺し、事件の幕引きを図ろうとしている。


──そんな話は、もう聞き飽きた。


(だいたい、それをすぐに受け入れろって言われたって……無理に決まってるだろ?)


だって、ほんの十時間くらい前まで、父さんは僕たちの『父さん』で、大酒呑みのだらしない人で、みんなに好かれる医者だったんだ……!


「…………」


世莉架は、それ以上何も言わず……乱雑な手つきで、ガムテープをはがし始めた。


「ここは外科じゃないからな……手術道具が置いてあるとは思えない。それより、奥の机の一番下の引き出しを見てくれ」
「なに?」
「来栖乃々がよく使っていた机だ。そこに、裁縫道具が入っているだろう?」
「くっ……」


確かに来栖は、父さんの白衣のボタンを付け直したりするために、そこに裁縫道具を入れていた。

こいつ、それも来栖の思考を盗撮して、知ってたのか……。


(……くそ)

 



僕は苛立ちながら、言われた通り、引き出しを開いた。

巾着に入った裁縫道具が、いつものようにそこにある。

世莉架に渡すと、彼女はそこから適当に針と糸を取り出し、消毒液につけてから、無言で自らの腹を縫い始めた。


「う……」

 

 

裂かれた傷よりも、世莉架が手にしている普通の縫い針が、白い肌に無造作に突き刺さって行くのが不気味だった。

彼女はためらう様子もない。痛そうなそぶりさえ見せない。


「…………」


(こいつ……今まで、どんな生活を……)


──と、目があった。


僕の思考を読んだ世莉架が何か言う前に、僕は無理矢理、別の気になっていたことを切り出した。


「父さんは、僕やお前をどこに呼び出したんだ?」
「………」


世莉架は、処置が終わったらしい糸を手で引きちぎってから答えた。


「"全ての始まりとなった場所"。その"始まりの時刻"に来いと言っていただろう?」

 



『わかんねえか? 今回の事件──いや、六年間の事件も含めて、全てが始まった場所だよ──そう、そこだよ。ついでに、時間も合わせようじゃねえか。[あの時、あの場所で]ってやつだ』


「…………」


確かに、そう言っていた。

……全てが、始まった場所?


「お前や久野里が考えた通り、元凶は、渋谷地震にある。あれは……"とある装置"が爆発したせいで引き起こされたものだ。そして、お前たちが『発生因子』と呼んでいるもの──実際はある特殊な電磁波だが、それが拡散されてしまった。それによって、望まれない能力者が"覚醒することになった"」
「……渋谷地震が人口地震だったっていう陰謀論は……事実だったのか……」

 



「そういうことになるな。お前たちもフリージアで話していたが……その装置は、かつて渋谷駅前のプラネタリウムに、密かに設置されていた」


そのことなら、久野里さんたちから聞いた。

どこかの企業がプラネタリウムを買い取って……何かの実験を行っていたとか。


「でも、あそこは、今、ヒカリヲが建ってるだろ?」
「そう。だが、ヒカリヲの中に、かつてのプラネタリウムのDNAを引き継ぐというコンセプトのもと、新たに建造された施設がある。それが、"シアターキューブ"だよ」
「え……?」

 



──シアターキューブ。


ヒカリヲ内にある、巨大な劇場だ。



 

確か、ミュージカルや国内外の有名なパフォーマンス集団の舞台などをよく上演している。

ヒカリヲの中で最大の床面積を誇る、いわば、目玉施設。

あそこが、プラネタリウムのDNAを引き継いでいる……?


(そういえば、あそこには……)


以前、一度だけ行ったことがあった。

 



そのときは、海外のミュージカルを上演していたはずだ。

内装や装置の豪華さ、巨大さに驚いたのを覚えている。

でも、最もよく覚えているのは、一緒に行った人たちの顔だった。

結衣、結人──それから、乃々と父さん。

僕と乃々の、碧朋学園への入学祝いだった気がする。

震災孤児の学費が免除になる碧朋学園に入学が決まって……。

父さんが冗談めかして『金が浮いたからなあ』と言って、値段の高い前列の席をおさえてくれたんだ。

『もったいないでしょ!』と、乃々から怒られたりもしていた。

 



今思えば……家族五人揃ってどこかへ出かけたのは、あれが初めてだった。

それは、僕にとって、やはり大切な思い出で……。

 



なのに……?

 



「なんで、父さんはそんなところを選んだんだろう……」
「………」


世莉架は、少しの間、目を閉じてから、


「……おそらくはお前だ、宮代拓留」
「僕……?」
「今回の復興祭、ヒカリヲはその中心の役割を担っていて、大勢の人間が集まっている。あいつは声明通り、お前を衆目の中、自殺に見せかけて殺すつもりだろう」


思考誘導の力を使ってな、と世莉架は続けた。


「…………」
「それに、復興祭の昼のイベントさえ終わってしまえば、夜の劇場は、巨大な無人スペースになる。万一、ディソードで斬り合うはめになっても、人目を避けられる。始まりの場所に来い、などと大仰なことを言っていたが、あいつが何の意図もなく場所と時間を指定するはずがない」
「ってことは、時間っていうのは──」
「午後10時28分」


忘れられるはずがない時刻。

 



──渋谷地震が発生した、その瞬間。


「午後10時28分をもって、復興祭の雰囲気は一変する。それまでのお祭り騒ぎから、参加者全員が黙とうを捧げ、渋谷は静寂に包まれる。そんな中、自殺の声明を出したお前が登場するわけだ。どうなるか想像がつくだろう? ………あの、クズめ」


激しい侮蔑の言葉で、世莉架が毒づいた。

でもそれは、憤怒だけでなく、どこか苦しそうにも聞こえた。


「…………」


なぜだ、世莉架?

そんなに怒っているのに……そんなに苦しそうなのに……。


「なんでお前は、ずっと父さんに従っていたんだよ……?」
「…………何度も言っている。私を生み出したときのことは、覚えているだろう?」

 



『うぅ……尾上……!』


世莉架。助けて。

どうか。どうか──


『尾上。お願いだから、僕に──』


「あの時、お前は、自らの生存を助けてくれる私を望んだ。私はそのようにして生まれた。それ以外に優先させる目的など、私には存在しない。そのために、他の全てを捨ててきた。お前に生み出されたあの瞬間から、私はそうやって生きてきたんだ。──いや。そう生きることを与えられて、私は生まれたんだ。お前を生かすためであれば、相手が佐久間だろうと誰だろうと、黙って従う」
「………」


僕は言葉を失った。

世莉架の言うことが事実なら、やっぱり、全ての元凶は他の誰でもなく──


「責任を感じる必要はないぞ、宮代拓留」
「……っ!」


心を読まれ、思わず肩が跳ねてしまった。

 

 

「お前はこれまで、何も知らなかった。ギガロマニアックスのことも、その存在の裏で暗躍する連中がいることも。だから……これは、"お前のせいじゃない"」
「………」


胸の奥を突き刺されるような感情が、湧き上がってきた。


「……いいのかよ……?」


無理に、言葉を絞り出した。


「……お前はそれで……いいのかよっ!」
「………」


……そう。僕が世莉架を生み出したのだとしても。

存在する目的を与えてしまったんだとしても。


「……結衣や乃々を殺したんだぞ……?」


そんなの、僕は望んでない。

僕のよく知っている、あの"優しい"尾上世莉架だって、望んでいるわけがない。

僕を生かし続ける……?

結衣や乃々を失ってまで? 殺してまで?

そんなこと! "僕たち2人"は、絶対に望んじゃいない!

与えられた目的のためなら、他を犠牲にしてもいいなんて!

そんなの、まるで人間じゃなくて!


「本当に、ただの人形みたいじゃないか!」
「………」


僕からまっすぐ向けられた感情を受け止めるように、世莉架はじっと動かなかった。

ただただ、僕の視線を静かに見返していた。


「………」
「………」
「……そろそろ行く」


沈黙を破ったのは、世莉架が先だった。

丸めた赤黒いガムテープや、傷の上から巻いたガーゼ、それに包帯の残りを乱雑にゴミ箱に投げ入れ、着ている服を正した。


「渋谷から出た後は、しばらくは大人しくしていろ。取るべき行動は、久野里澪が指示してくれるだろう」


それだけ言って、診察室のドアへと向かう。


「………」


彼女はもう、こちらを見ようとはしなかった。

ドアノブに手をかけ、背中越しに、


「夜までここにいるつもりだったが……山添うきの能力が割と厄介だ。今、余計な事をされると困る。それに…………お前の心変わりが起きても困るしな」
「なに?」


意味がわからず問い返そうとしたとき、世莉架が開けるよりも先に、ドアがゆっくりと開いた。

 



「………」


いつからいたんだろう……神成さんが、そこに立っていた。

気持ちを抑えつけるようにして、世莉架をじっと見下ろしている。


「なるほど。迷っているのか」

「……君は、殺人犯だ」


世莉架の行く手を遮るように立ちふさがり、そう言った。

 



「どんな事情があるにせよ……そして、その事情が、常識で計れないものであっても……殺人は殺人だ。法によって、君は裁かれなければならない」

「そうだろうな」


淡々と答える世莉架。


「……それに。今回の事件は、尊敬していた先輩の弔い合戦でもある」

「………」


空気が緊迫する中、神成さんと真正面から向き合うように世莉架は立った。


「………」

「………」

 



二人はそのまま、1分近くも相対していた。

世莉架の表情は、こちらからは分からない。

ただ、それを見ている神成さんの表情が、時折、ほんのわずかに揺らぐ。

たぶん、思考を読み取られているのを知っているので、自分の考えを世莉架にぶつけているんだろう。

無言なのに、二人の間で、激しいやりとりが行われているような気がした。


「………」


やがて、神成さんは小さくため息をついた。

苦々しい表情を浮かべ、道を譲るように身体を引く。


「いいんだな?」

「復興祭が終わった後……上層部からどんな圧力がかかって来ようと、俺は、君と佐久間を追う。どこへ逃げようとな」

「お前が追うのは1人で済む。生き残るのは、私か佐久間のどちらかだけだ」


そう言うと、世莉架は傷のことなど感じさせない足取りで診察室を出て行こうとし──


「……宮代拓留」


立ち止まった。

そして、やはり振り返らないまま、


「生き残れよ。何があっても……お前だけは、生き残れ」


そう言い残して、姿を消した……。


……。


「………」
「あまり、思いつめるなよ」
「……何をですか」
「いや……」

 



神成さんはかりかりと頭を掻いてから、時間を確認し、険しい表情を見せた。


「警察は、厳戒態勢で復興祭の警備に当たっている。俺もこのあと、一旦ここを離れなくちゃいけない。その間、代わりの警官が来る。ええと、そうだな……うきくんの部屋に隠れているといい。君がいるとは思ってないから、探しはしないはずだ」
「……はい」
「おそらく、戻りは夜になる。そのタイミングで渋谷を離れよう。準備をしておいてくれ」
「分かりました」


そう返事をしたものの、なんとなく身体が動かなかった。

いつの間にか、手をきつく握りしめていた。

無性に悔しかった。

自分が情けなかった。

納得出来ないことばかりが僕を取り囲むように迫ってきて、それから逃れるために、自分の行く先が勝手に決まっていってしまう。


「………」


神成さんはまだ何か僕に言おうとしたが、結局そのまま、部屋を出て行った。

時計は10時過ぎを指していた。

渋谷を離れる準備といっても、そもそも青葉寮を出るわけにいかないし……僕の部屋の私物はほとんど押収されてしまったので、出来ることなんてほとんどなかった。


(だいたい……渋谷を離れる本当の理由は、なんだ?)


指名手配から逃れるために、ここから逃亡する……それだけではない何かがありそうだと気づいたのは、世莉架や久野里さんの様子からだった。

おそらくは、僕たち『能力者』に関する何か。

しかもそれには、『カオスチャイルド症候群』も関係していて──


「……くそ」


僕は慌てて目を閉じ、頭を振った。

……だめだ。だめだ。

知ろうとするな。探ろうとするな。

乃々との約束を思い出せ。

余計なことを知ろうとした結果、どんなことが待ち受けていたか……イヤというほど思い知らされただろう?


──「尾上は行ったな?」


「え……?」


声に顔を上げると、久野里さんと有村が、戸口のところに立っていた。


「いつから……というか……」


もしかして、診察室の隣の受付に、ずっと……?


「尾上に『思考盗撮』されたくなかったのでな。とっさに有村と逃げ込んだ」


久野里さんはそう言うと、診察室の中へ入って来た。


「………」


有村も続いて入って来たが、ゴミ箱の中の包帯などをチラリと見て、一瞬、僕を責めるような目をした。


「……別に、あいつの味方になったわけじゃない」


僕が少しだけ後ろめたそうに言うと、有村は『分かってます』とだけ答えた。

ただ、その表情は、なぜかまだ僕を非難しているような……かといって、それを言い出せずに気を遣っているような……微妙な雰囲気のままだった。

 



「……? なんだ?」

「え?」

「他にも何か言いたいこと、あるんじゃないのか?」

「………」

「言ってくれよ。もう隠し事はたくさんなんだ」

「……。そうですね」


有村は、一度、久野里さんを見たが、口止めされてはいないらしく、そのまま続けた。


「せり……尾上世莉架は、なんて言ってましたか?」

「というと……」

「色々話してましたよね? よく聞こえなかったけど、声はしてたから……」

「……そうだな……」


僕は、世莉架と話した内容を、かいつまんで2人に伝えた。

それを聞いた久野里さんは、腕組みをして何かを考え込んでいたが、やがてポツリとつぶやいた。

 



「やはりな……」

「え?」

「お前、どう考えている?」

「……何がです?」

「尾上の"言い分"だ」

「どうって……」


どうもこうもない。

世莉架の話は、僕が聞きたくないような内容ばかりだった。


「たとえ、僕が彼女を生み出してしまったとしても……その……どうしても、納得できないというか……」

「違う。そういうことじゃない」


僕の前に手を差し出して、久野里さんが遮った。


「あいつがしたことは許されない。それは、どんな理由を振りかざそうと、変わらない」

「………」

「私が訊いているのはそういうことではなく……あいつが昨夜、事件に関して説明したことだ。お前はどう思った?」

「昨夜、尾上が話したこと……?」


……どう思ったもなにも……説明通り、だろう?

だって、全て有村が聞いていて、能力でチェックしていたわけだし。

 



「………」


僕がそう思っていると……有村はうつむき加減になって、ポツリと言った。


「宮代先輩……覚えてますか。伊藤先輩と結衣先輩の事件の後、私が言ったこと……」

「え?」

「私がもっと注意深く能力を使っていれば……伊藤先輩の言葉がどこかおかしいって、気づけたはずだって……」

「ああ……」


確かに、有村はそのことをひどく後悔していた。

でも、そのことと、世莉架のことと何の関係が──


「あ……っ」


有村の表情を見ていて、彼女の言葉の意味するところに、ハッと思い至った。

まさか……世莉架の言葉に何か……!?


「嘘があったのか!?」

「いえ。彼女は、確かに真実を語っていました。でも──」

「でも!?」

「なんか変なんです。うまく言えないけど……その……"真実すぎる"というか」


……真実すぎる?


「な、なんだよ、それ?」

「私、ずっと注意深く聞いてました。私の能力って、相手の言葉が本当か嘘か分かりますけど……人の言葉って、いつも白黒ハッキリしてるわけじゃないです。話してる時って、いろいろ迷ったり、曖昧になったり、自分でも何言ってるか分からなくなったり……とにかく、ちゃんとしてないですよね? だから普通は、本当のことを話してても、ぼんやりとしたグレーみたいな部分が交じってるものなんです」

「人間が言葉を発するという行為は、常に理路整然とした思考の上で行われているわけじゃないからな。理性と感情が入りまじり、時に論旨は飛躍し、会話の道筋はひどく不安定だ」


久野里さんが、有村の言葉を補足した。


「でも、彼女の……尾上世莉架の言葉は、全て真っ直ぐだったんです。まるで、シナリオでも用意されていて、それを読んでいるみたいに」

「………」

「それに……あいつの話そのものにも、気に入らない点がある」

「……?」


久野里さんはかたわらの椅子に、勝手に腰を下ろした。


フリージアであいつの話を聞いていた時は、愚かなことに、私も頭に血がのぼっていてな……冷静に考えられなかった。だが、ここへ来る途中、ふと疑問が浮かんで……そこから、検討をしてみた。だから、尾上に『思考盗撮』されるわけにいかなかったんだ」

「ああ、それで……」


昨日の夜、久野里さんはリビングに上がって来ようとせず、話も室内電話だけで済ませていた。

理由は、それだったのか……。


「本格的におかしいと思ったきっかけは、昨夜の電話でのやりとりだ。あいつは私に、お前を渋谷から逃がすように言った。それが、お前を生存させることにつながると」

「……ええ」


確かに、そう言っていた。

有村は『真実っぽすぎる』と、逆に疑っているみたいだけれど、少なくとも僕には事実のように思えた。


「確かに、お前を渋谷から逃がすということ自体は筋が通っている。お前にとっての"脅威"になってしまった佐久間を殺すという選択もな。だが。私にお前を託すというのが、矛盾していないか?」

「………?」


……すぐには意味が分からない。

何が矛盾してる?


「あいつは、どうして、私にお前を託したと思う?」

「……だから、久野里さんは何か知ってるんでしょう? 僕らの知らない何かを。尾上はそれを……」

「それを差し引いて、だ。そもそも、あいつの存在意義が、お前の"生存"にあるのなら、お前が最期の時を迎える瞬間まで、ずっと一緒にいなくてはならないはずだ。違うか?」

「だ、だからそれは、父さ……佐久間のせいで予定が狂って……」


有村が、横から口を挟んできた。


「確かに彼女はそう言っていましたし、嘘はありませんでした。でも、"嘘じゃないのはおかしいと思いませんか"?」

「は?」


僕はあっけにとられて、有村の顔を凝視した。


「そう。あいつの言葉は、真実に見せかけた"嘘"かも知れないんだよ」


有村の言葉に、久野里さんは大きくうなずいた。


「真実に見せかけた嘘……?」


「宮代拓留を生かし続けるためならば、手段は選ばない。あいつはそういう行動をする」

「……だから、それのどこに嘘が……」

「佐久間など、しょせん末端組織の研究者に過ぎん。そんな小者と差し違えてなんになる? ただの無駄死にでしかない。委員会は巨大だ。佐久間を殺したところで、宮代の安全など全く保証されない。なのに、自分が死んでしまっては、どうにもならないだろう?」

「だから、久野里さんに僕を預けるって……」

「馬鹿を言うな。確かに私は、お前を囮にして委員会の実態を探りたいと思っている。だが、お前など、不必要になったら簡単に切り捨てる。守り続けるわけがない」

「………」

「尾上世莉架は、私の思考を読めるんだぞ。そんなこと、分からないと思うか?」

「つまり、"委員会が本当に宮代先輩を狙っているのなら"、彼女は先輩のそばから、絶対に離れるはずないんです。自分の手で、どこまでも先輩を護ろうとするはず。違いますか?」

「そ、それは……」

「そしてもう1つ。決定的におかしなことがある」

「……?」

「あいつはなぜ、"最初から"、お前に真実を告げなかった?」

「最初……?」

「渋谷地震による昏睡から、お前が目覚めた時だよ」

「……あ」

「お前を生き延びさせることが目的なら、真実を隠す必要なんて最初からないんだ。むしろ、全てを正直に告げ、"能力"や"委員会"に対する情報をお前に与えたほうが、助かる可能性はずっと高い。そもそも、そういった情報があれば、お前は一連の殺人事件にだって、絶対に首を突っ込まなかっただろう。わざわざ、危険な目に遭うことだってなかった」

「ね? なんか変でしょう、先輩?」

「………」


……確かにそうだ。

言われるまで、気がつかなかった。

 



昨夜、世莉架の口から聞かされた情報を、ずっと前から知っていれば……僕は、余計なことを探ろうなんてしなかっただろう。

 



久野里さんが言うように、危険な事件にだって、絶対に近づかなかったはずだ。

 



いや、もっと言えば、事件から逃れるための行動すら起こしていたかも知れない。そうすれば、乃々や結衣を失うことだって……。

なのに……。

 



「なんで……?」


なんで、世莉架は真実を隠してたんだ?

これじゃ、逆に……。

 



「逆に、宮代先輩を、危険な目に遭わせようとしてるみたいですよね……」


僕が思ったことと同じことを有村が口にしたので、ギクリとした。


「……で、でも……尾上の言葉が嘘だなんて、ありえないだろ? 昨夜は有村がそばにいたんだから」

「いえ……方法がないこともないん、です。私の能力の盲点を突く方法が」

「有村の能力の、盲点……?」


さっき有村自身が言っていたことが、脳裏によぎった。

確かに世莉架の言葉は、全て真実だった。

でも、あまりにも真実すぎる。

あたかもシナリオが用意されていて、それを読んでいるみたいに……。


「あ……!」


……わ、分かった。

たったひとつだけ、ある。

有村の能力をかいくぐるための、策が。


「まさか……伊藤の時と、同じ……」


僕がうわごとのようにつぶやくと、有村がゆっくりと首肯した。

 



「はい。私が、伊藤先輩の異常を見過ごしてしまった……それと同じ方法なら……」

「……思考、誘導……?」


そうであれば……それは、わずかな"希望"になるかも知れない。


「つまり、尾上は……父さ──佐久間に思考誘導されていて……あんなことをしたのは……伊藤と同じように、操られていただけで……?」


でも、僕がそう訊いても、有村の表情はあまり明るくはならなかった。


「私も、それなら少しは救われるなって……思ったんですけど……」

「あくまでも可能性のひとつだ。それにすがるな」

「……だそうです」

「そ、そう……か」

 



僕は肩を落とした。


「先輩……」

「妙な期待はするな。それすら罠かも知れん」

「はい、分かってます」


僕は、はっきりとそう答えた。

本心からそう言った、つもりだった。


「………」


でも、有村は、つらそうな顔をしてうつむいてしまった。


「……っ」


(今……嘘をついたのか、僕は……)


久野里さんにもそれは伝わってしまったのか、彼女は厳しい顔になって、


「私も、思考誘導の線は考えている。でも、それも腑に落ちないんだ。佐久間が尾上の思考を操って……わざわざ、仲間割れを演出する理由は何だ?」

「………」


確かに、そんなことをしても、父さんには何の得もない。

刺客として送り込んできたのなら、世莉架は、とうの昔に僕を殺しているはずだ。

2人きりでいた時間すらあったのに、世莉架は僕に何もしなかった。


(くそ……っ)


そう。理屈では分かってる。

今さら、世莉架が本当は何も知らない"女の子"だったなんて……期待するだけ無駄だって。

そんなものは、昨夜からの世莉架を見ていれば理解できるはずだ。

あの口調、行動、立ち振る舞い。

全部、これまでの世莉架とはかけ離れすぎてる。

思考誘導しているなら、むしろ、以前の世莉架のままにするはずだ。

だって……自分でも情けないと思うけれど……あれが以前のままの世莉架だったら、僕は、彼女を憎み切れなかったかも知れない。

迷って迷って……その挙句、赦してしまっていたかも知れない。

そうして、馬鹿な僕はまた嵌(は)められて……父さんの思い通りに動いてしまって……殺される瞬間になって、初めて後悔することになっていたはずだ。

 

 


「宮代」

 

久野里さんは、厳しい表情を崩さないまま言った。


「は、はい?」

「よく考えろ。もしかすると、これが重大なカギかも知れない。昨日も聞いたことだが……。地震の時、お前は何を望んだ? その結果、尾上が現実化(リアルブート)されたのだとしたら……あいつに、何を求めたんだ?」

「………」

「本当にあいつは、"お前を生存させること"が目的なのか?」

 

 

頭に、あの時の光景が浮かんだ。

地獄のような光景に取り囲まれ、死にたくなるような激しい頭痛が襲っている中……僕は確かに世莉架に助けを求めた。

そして生まれた世莉架は、僕を生かし続けるのが目的だと言っていた。文字通り、僕の命を助けるために。


「ぅ…………」


短く、でも強く。頭に激痛が走り、思わず握るように手をあてた。

あの時のことを思い出すと、この痛みがぶり返してくる。


「……大丈夫、ですか?」


同じ痛みがわかっているんだろう、心配してくれている有村に『平気だ』と手をあげて、


「あの……とにかく『助けてくれ』と言った気がします」

「………」


あの時、うめきながら口に出したのか、それとも全力で叫んだのか、心の中だけだったのかは覚えていない。

けれど、世莉架に助けを求めたのははっきりと思い出せる。


(だけど──)


本当に、それだけなのか……?

あのとき、僕は──


──!


「くっ……そ……!」


新たに走った痛みで、今度は、こめかみが激しく脈打ったのがわかった。

額に当てている手に力が入り、皮膚に爪が食い込んだ。


──!


身体全体がふらつき、床に崩れ落ちる。


「先輩っ!!」


肩に、温かい感触があった。

有村が肩を貸してくれて、立ち上がらせようとしてくれていた。


「……ごめん。………大丈夫」

「嘘です」

 



そう言い切ると、有村は抱きかかえるようにして診察室の隅のベッドに、僕を促してくれた。

すぐにでもそこに横になりたかったけれど、


「……いや、駄目だ。神成さんが、代わりの警官が来るって言ってたから。うきの部屋に隠れてろって……」

「じゃあ、もういいですから。上に行きましょう」


僕を支えたままそう言ってくれた有村に、『済まない』と謝りつつ、うなずいた。

いきなり言うことを聞かなくなった身体に鞭打って、彼女の肩をそっと押しやると、1人で立つ。

 

 

「久野里さんも……すいません」

「………」


久野里さんは諦めたようにため息をつくと、『別にいい』とかぶりを振った。


「どのみち、尾上がここにいない以上、情報の裏付けは取れないしな。お前の話だと、尾上は今夜10時28分に、『シアターキューブ』に現れるということだが……。残念ながら私では、能力者2人を相手にして立ち回りを演じることはできそうにない。拳銃(ハンドガン)も久しく撃ってないしな」

「え……」


聞こえてきた物騒な単語に、有村が久野里さんを振り返った。

久野里さんは、珍しく迷うような口調で、


「仕方がない。尾上の言うことには、どこか矛盾があるとはいえ……今は、それを探る時間も人も全く足りない。とりあえずだが……予定通り、神成さんが戻ってくるのを待って渋谷を脱出する。もし、なんからの企みがそこにあるなら──乗ってやるまでだ」


……。

 



「………」

「………」


警官が来る前にうきの部屋に避難すると、結人が、うきのベッドで丸まるようにして寝ていた。

散々泣きはらしたんだろう、目のまわりが真っ赤になっていて、涙のあとがうっすらと浮かんでいた。

 



「………」


ベッドに腰かけているうきが、そんな結人の手をそっと握ってあげていた。

もうずっとそうしてあげているんだろう。

その姿が、とても自然に見えた。


「……ちゃんと、お姉さんしてるんだな」

 



「いえ。私なんて、まだ……」


結人を起こさないよう、静かな優しい声でうきが言った。

でも、その返事には、どこか寂しいものも混じっている。

 



(あ……)


うきの視線を追うと、机の上に写真が飾ってあった。

いつ撮ったのか、そこには、結衣とうきが2人で映っていた。

結衣が、うきを後ろから抱きかかえるようにしていて。

照れているうきの顔に、自分の頬をペタリとくっつけていた。


「………」


この写真を撮った人のことが頭に浮かんだ。

自分撮りの写真ではないから、誰かがシャッターを切っている。

それはきっと、結人じゃない。

結人だったら、むしろ2人の真ん中に写っている側のはずだ。

そして、父さんに写真を撮る趣味はない。

ということは……たぶん、乃々だ。

うきが写真を見て何を考えているか、よく分かる。

撮ってもらった時のことに、思いを馳せているんだろう。

 



「出発は、夜になるって。準備出来てる?」

「はい、一応は……。でも、よく分からなくて……」

「………」


それは、僕も同じだった。

持っていく物が分からない、わけじゃない。

自分の置かれている今の状況が、だ。

そもそも渋谷から離れるということ以外、どこへ行くのかさえ、何も知らされていないのだ。


「とりあえず、いったん離れるだけだから。心配しなくていいと思うよ」

「……はい」


有村が安心させるように言うと、うきはほんの少し微笑んで頷いた。

 



「お前は、大丈夫なのか?」

「大丈夫っすよー。前から旅に出てみたかったんで♪」

「………」


うきの前だからか、おどけて答える有村の口調。

その声音に懐かしいものを感じて、僕もほんの少し頬が緩んだ。

……本当は大丈夫なわけないんだ。

いきなり、住んでる街から離れるなんて。

しかも、追われるように。


「なんていうんですかね、こういうの。バンドワゴン? ん? バンドでワゴン?」


全然違う。しかも離れた。



「………」


気が付くと、部屋の隅でいつの間にか香月がスルメをかじっていた。これも久しぶりに見る姿で……どこかホッとした。

 



「華……。結人が起きちゃうから……」

「ん-?」

「……はあ。着替え、足りるかなあ。買わなきゃダメか……」


有村が、自分の服を引っ張って言った。


「あ、あの……。有村さん。良かったら、ですけど」

「ん?」

「よかったら……その……乃々さんの、使ってください。乃々さんの部屋に、ありますから」

「え……」

 


有村の動きが止まった。

明らかに戸惑っている。

 


「いや、でも、それは……」

「いいんです。……ね、拓留さん」

「………」


……少し、驚いた。

なんだか一瞬、乃々や結衣みたいに見えた。

たぶん、結人や護ろうと誓って……乃々や結衣のような"お姉さん"になろうとしてるんだろう。

僕は、2人に向かって頷いた。


「ああ。乃々は、どんな物でも無駄にするのが大嫌いだったから。もらってやってくれないか?」

「けど……先輩は……」

「いいんだ」

「………」


ほんの少し驚く様子を見せた有村だったが、やがて真剣な表情になって、


「……分かりました。もらっていきます」

「はい」

「んん!」

「ああ」


警官が来る前に済ますためか、有村は、小走りに乃々の部屋へ服を取りに行った。

僕も、着替えくらい残っているかどうか、自分の部屋を確かめたほうがいいかもしれない。そう思って立ち上がる。


(……渋谷を、離れる)


結人を起こさないよう、静かに部屋を出て行こうとして……ふと足が止まった。

 



地震の時、お前は何を望んだ? その結果、尾上が現実化(リアルブート)されたのだとしたら……あいつに、何を求めたんだ?』


「………」


さっき、久野里さんに言われたことを思い出した。

どうしても分からない解答を探すように視線をさ迷わせる。


──と、わずかに苦しそうな息をもらした結人の手を、うきが両手で包み込むように握ってあげているのが見えた。


(いや……)


いいんだよな……。

分からないことなんて、今は考えなくていい。

これで、いいんだ。

おそらく、激しい頭痛の先にあるだろう『答え』

僕は、それを求めようとするのをやめ、渋谷を離れるための準備をするために、うきの部屋を出た。


…………。


……。

 

 

 

 


2015年11月6日(金)


午後四時過ぎ。

 



開催から七時間が経ち、夕暮れの色が街に落ちて寂寥(せきりょう)を伝えようとする頃になっても、復興祭の盛り上がりは高まる一方であった。

昼食の屋台を目当てとして渋谷にやって来た客の流れを契機に、どの店の前も大がかりな芋洗い状態になり、人の波が途切れることはなかった。

 



座席が千を超える有名アーティストのライブや、協賛している十席程度の飲食店の店内ライブなど、細かいもの合わせれば三十以上にもなるハコは、どこも立ち見が出る有様だった。

その様子を見てゲリラのパフォーマーが客を期待して近づき、それを見にまた客が群がり、まさに人が人を呼んでいた。

この時点で復興祭に集まった人数は八万人を超えており、予想を大幅に上回るペースに、現場の店の人間や運営側の人間は嬉しい悲鳴を上げていた。

 



『祭』につきものの客同士のいざこざや、大量の人ごみに吞まれての迷子など細かいトラブルは各所で発生していたが、いずれも大きな問題には至っていなかった。

渋谷警察署から動員されている警官たちのおかげもあったが、最も大きいのは、それ以上に集まったボランティアスタッフたちの活躍であった。

復興祭の方針として、現地に金が落ちるよう、また、増えると予想された動員人数に対応できるよう、運営側はボランティアを開催寸前まで募集し続けていたのだ。

集まった有志たちは被災した現地の人間が多く、当時の経験からか寄せ集めの集団とは思えないほど組織だった働きを見せていた。

107前の野外ステージにサプライズで大物アーティストが登壇したとき、軽いパニックが起きかけたが、身を呈して並んで一列の壁になり、横倒しを防いだ。


男性「今日は、復興を祝う祭なんです。死亡事故とか起こすわけにはいきませんから」


偶然居合わせたTVのレポーターの取材に、その場を仕切っていたボランティアのリーダーはそう答えた。

彼は、実直で素直だった。

その回答はまぎれもない本心からであり、語った以上の意味合いなど何も含めていなかった。

しかし、中継された映像と彼の言葉は、視聴者及びそれを直接聞いた人間に、とある人間の顔と名前を連想させた。

言うまでもなく連想の元になったのは、『死亡』……という単語だった。

 



女性「……なに、あの人たち」

男性「あれだろ、朝からさ、ニュースでばんばんやってんじゃん」


成功に向けて、一丸となっていると表現して差し支えない『祭』だった。

しかし、その裏で。

大きな問題にこそなっていないが、集まった人々の関心の大部分を占めている懸念──それが"彼ら"だった。

渋谷文化公会堂に登場するアーティスト目当てで駅前に到着したカップルが見たのは、不気味なマスクをかぶった集団だった。

その数、およそ十数人──さらに、別の方向からやって来たらしい集団が加わり、数十人へ。

揃いのマスク、揃いのTシャツ。

そのデザインは、太った2人の男の顔が合わさったもの。

すなわち──

 





 



──力士シール。


男性「………」

男性「………」


彼らは何も喋らなかった。

しかし彼らの横を通り過ぎた者や、面白半分にアップで写メを撮ろうと近づいた者たちは、そのマスクの内側からわずかに漏れる、気味の悪い呼気を聞き取って、思わず身を引いた。

集団の先頭にいる者があたりを見回し、おもむろに街灯に近づく。


男性「……………」


そして、懐から何かを取り出すと、慣れた手つきでそこに貼り付けた物がある。

それは、『力士シール』だった。

近くでクレープの屋台を開いている店主がそれを見て顔をしかめたが、その不気味さに注意するのもはばかられ、すぐに客の対応に戻った。

屋台の店主にとって、それは、復興祭が始まってから何度も見た光景だった。

そう。それに気づいているのは、彼のように1つの場所でずっと営業をしている人たちのみ。激しい濁流のように移動していく多くの参加者たちには、そんな光景は全く見えていない。

 

 

しかし。

地面、街灯、復興祭のために飾られているオブジェ、店の壁など……貼りつけられた『力士シール』を集めると、駅前だけで、すでに、大型ビジョンを埋め尽くすほどの数になっていた。

目に見えないような場所まで、着実に侵食しているそれは……まさにそのまま、復興祭参加者の『負の感情』を体現していた。


……。

 



 



それが爆発するように出現したのは、それから三時間ほど後──正午七時半近くのことだった。

復興祭を締めくくる黙祷(もくとう)の会場。

 



慰霊碑前で、その出来事は起こった。


男性「見えねえよ、どけって!」

 



女性「ちょ、マジで?! あれ?」

 



男性「今すぐ死ねよ、死ね! 人殺しが!」

 



女性レポーター「宮代です! 宮代拓留が、慰霊碑前に姿を現しました!」

 



……。

 

 

 

「………」


午後九時過ぎ。


ピークが過ぎ、人が減ってきたヒカリヲ前にたどり着いた世莉架は、あたりに目を凝らし、流れてくる思考に耳を傾けた。

 



《うぜー。宮代ウゼー。あいつ、ホントにどっかで死ぬのかよー? 逃げ出したんじゃねーの?》

 



《早くしてよねー。死ぬにしても死なないにしても、このままじゃ帰れないじゃん。どっちでもいいからさー》


「……情弱が」

まるで価値のない思考に、世莉架は遠慮のない声で呟いた。

正面からすれ違ったカップルがこちらを見たが、そんなこと、まるで気にも止めなかった。


「………」


雑音に気力を奪われないよう、世莉架は目を閉じて、周りの思考を締め出す。

 



午後九時を境に、全ての会場でのライブや路上でのパフォーマンス、一部の屋台の営業は終わった。

『祭』の終わりが近づいているのだ。

この後、参加者たちは慰霊碑前で"例の時刻"を待ち、全員で黙祷を捧げ、復興祭は終了する。

 



人の流れは、慰霊碑と駅前に集まって行っているようだった。

慰霊碑前の広場だけでは、残っている参加者全員を納めることは不可能。

そこで、主要な貴賓(きひん)や、被災者の親族等が優先的に慰霊碑前に集められ、それ以外の者は駅前の大型ビジョンで中継される慰霊碑前の映像に向かって、黙祷を捧げることになる。

 



(……佐久間はたぶん、宮代を殺した後……慰霊碑前に遺体を晒すつもりだな……?)


ヒカリヲからは、駅前の大型ビジョンも、慰霊碑公園も目と鼻の先だが……慰霊碑公園のほうが少しだけ近い。

さらに公園での出来事は、中継で、大型ビジョン前に集まった人間にも届く。

つまり、それだけ多くの人間の目に晒すことが出来る。


(……おそらくさっきの男も、そのための道具……)


数時間前、世莉架の耳に『宮代が慰霊碑前に姿を現した』という情報が飛び込んできた。

しかし、誤報だというのはすぐにわかった。

 



それは宮代を『救世主』と崇める男の狂言だったが……その男は、宮代とは似ても似つかない若い男だったからだ。

だが、馬鹿なマスコミは、何を勘違いしたのか『宮代拓留が姿を現した』と報道してしまい、結果として、慰霊碑公園の警備は強化された。

おかげで、『宮代が現れるのはここだ』というデマが、人々の間で、まことしやかに囁(ささや)かれ始めていた。


──佐久間がそう仕向けたのは、ほぼ間違いなかった。

 

 

「………」


世莉架は目を開け、身体の調子を確認するように腹部をなでた。

腹を佐久間に裂かれてから、24時間ほど。

まだ本調子ではない。

血が足りなかった。

佐久間の能力に抗った際に発生した頭の鈍痛も、油断すればぶり返してくる。


「チッ……」


昨夜、万全な状態でこちらから仕掛けた結果がこれだった。

"委員会"に今まで協力し、生き延びてきた世莉架が持っている理論的で──そしてあまりにも現実的な思考が、訴えてくる。

『果たして、佐久間を殺すことが出来るのか?』


「………」

 



《宮代拓留……宮代拓留……》


「……?」


不意に思考が流れ込み、世莉架はいぶかしんだ。

おかしい。

こちらから思考を読もうとなんてしていないのに……。

視界のどこかから──

 



《出てこい。楽しませてくれ》

 



《死ね。死ね死ね。格好良く死ね》


「………っ」


次から次へと、負の思考が頭の中に流れ込んでくる。

強い。そして大きい。

それはまるで、今まで彼女が殺して来た人間が、今際(いまわ)の際(きわ)に発した思考のようだった。

 



(く……っ。あいつらか)


痛む頭に活を入れ、押し寄せてきた思考の方を見ると、『力士シール』のマスクを被った集団が視界に入った。

即座に、その負の念を締め出そうとするが……

すり抜けるようにして、おぞましい思考が繰り返される。

 



《宮代拓留、宮代拓留……》

《出てこい。楽しませてくれ》

《死ね。死ね死ね。格好良く死ね》


よほど強く想い、考えていなければ、こうはならない。

まるで、そこに渦巻いている全ての感情が一つになって、宮代拓留という人間の登場を待ち望んでいるようだった。


「………」


珍しく──本当に珍しく、世莉架は恐怖を覚え、冷や汗をかいているのを自覚した。


「くっ……!」


みずからの"理論的で現実的な考え"を打ち消す。

殺すことが出来るのか、ではない。

殺さなくてはならない。

宮代は、生き残らなければならない。

そのためには、逆に、佐久間をこれ以上生かしておくことは出来ないのだ。


(……そろそろか)


スマホで時間を確認すると、午後九時半を回っていた。

シアター内の客は、誘導に従って完全に外へ出た頃だろう──。


……。

 



渋谷ヒカリヲ11階。

シアターキューブのエントランス。


「………」


オフィスフロアへ向かうためのエントランスにもなっているこの広場は、普段は劇場の客も含めて、多くの人間が行き交っている。

が、今は従業員と警備員以外の姿は見当たらなかった。

劇場内を使った復興祭のイベントは午後九時に終わっており、その後は使用する予定はないはずだ。

 



「……似合わないな」


洒落たデザインに雰囲気漂う照明が焚かれているフロアを見て、世莉架は皮肉っぽくつぶやいた。

これから劇場内で行われることは、このフロアの様子からは程遠い。

なぜなら……間違いなく、どちらかの死体が転がることになるからだ。


「………」


世莉架は、フロア内のコンビニの前で様子を窺い、その時刻を待っていた。


……。

 



しかし……佐久間は、なかなか現れない。

でも、午後10時を少し回った頃。

……その異変に気がついた。

 



「……?」

 

 

受付にいた従業員と警備員が、不意にその場から立ち去り始めた。

手に何も持たず、頼りない足取りで。

まるで何も考えていないかのように──

 



「っ!」


世莉架は瞬時に目を見開き、二人の思考を読もうとした。

 




──!

 

 

「ぐっ……」


その思考が流れ込んできた瞬間、頭に鋭い痛みが走った。

二人は本当に何も考えていなかった。

意識下にざわついているはずの、無意味なノイズさえ聞こえない。

人間に、こんな状態はあり得ない。

それが普通の人間なら、だ。


(思考誘導……!)


二人はそのまま寝ぼけているかのように、エスカレーターへ向かって行き、それに乗って姿を消した。

無人のフロアと静寂だけが残った。


(まったく、準備の良いことだ)

 


──!

 



「………く!」


さらに激しい痛みが世莉架を襲った。

おかしい……!

既にどこかへ消えた2人の思考など、頭に入ってこないはず!

こんなに強い負荷、いったいどこからかかっている!?


(……なん、だ?)


世莉架は、自分の意識と身体に激しい違和感を感じた。

 



そして、その違和感を強く感じたまま、自分の右手がゆっくりと動いて行くのを、まるで他人事のように見ていた。


…………。


……。

 



 



「準備は、出来たか」

「ああ。全員、いつでも行ける」

 



青葉寮に戻って来て、それまでいた警官──僕はうきの部屋に隠れていたから見ていないけれど──と交代した神成さんは息を切らしていた。

文字通り、走り回っているのがわかった。


「……よし。今から数時間、青葉寮(ここ)にいるのは俺だけだ。外にいたマスコミ連中にも、ニセの情報をつかませておいた。今なら誰もいない。車でここを出られる」

「宮代や有村はともかく、後で交代したとき、山添や橘結人がいなくなっていることをどう説明するつもりだ?」


「………」


確かに、そうだ。

誤魔化しようがないことだし、全ては神成さんの責任になってしまう。

 



「屁理屈なら、お前や百瀬さんと話している間に鍛えられたよ。心配ない」

「別にあんたの心配をしてるわけじゃない。あんたには、この後も色々動いてもらうことになるんだ。降格ならまだしも、失職されては、私が困るんだよ」

「……ほら。これだから、鍛えられるんだ」


呆れた様子で神成さんが言った。

と、そこへ、結人を連れたうきが、不安そうな表情で入ってきた。

 



「あの……」

「…………」


おずおずとうきが手を挙げた。逆の手は、しっかりと結人の手を握ったままだ。

結人の目の周りはまだ赤く、心なしか具合が悪そうだった。

うきがそれを支えるようにして、寄り添っていた。


「どこに、行くんですか……?」

「ひとまずは、アキバだ」


え……?


「アキバって、あの秋葉原ですか」

「ああ」


てっきり人のいないような場所へ逃げるんだとばかり考えていた僕は、戸惑って、


「もっと遠くかと思ってました」

「アキバには、久野里さんの協力者がいる」


神成さんが、久野里さんを見る。


──協力者?


「PCを使った情報収集という点においては、私以上の腕を持つハッカーだ。ふざけた人物だが、ある程度の事情も知っている。しばらくの間、かくまってくれるそうだ」


そう言いつつ、何故か久野里さんは、眉根を寄せて苦々しい表情をした。


「それなりのマシンも融通してもらえることになっている。まぁ、交換条件で何を言われるか分かったもんじゃないが……」

「……?」


ぶつぶつとつぶやき続ける久野里さんの様子を見て、神成さんは首をかしげた。

どうやら、その『協力者』とやらに、神成さんは会ったことがないらしい。


「とにかく。"ここからどれだけ離れるか"は問題じゃない。渋谷という街を出ることが先決だ。いったんそこにとどまって、様子を見る」

「ということだ。……有村さんはどうした?」

「あ……乃々の部屋で、電話してます」

「そうか……」


有村は、「いちおう家族に電話してから行く」と言っていた。

でも、スマホを持って乃々の部屋へ入っていく彼女は、家族とのしばらくの別れを惜しむような雰囲気じゃなかった。

そもそも有村は、家族のことに関しては触れて欲しくなさそうだったし、僕らも余計な詮索はしなかった。

だから、「うまくいってないんだろうな」ということだけは伝わってきたけれど、それ以上のことは知らなかった。


「……よし、有村さんの電話が終わったら行こう。車は、玄関に寄せてある。マスコミはしばらく大丈夫だと思うが……乗る時は一応、用心してくれ。近所の目もある」

 



「ゆ、結人も連れて行きますから」


「うん?」
「え?」


突然、うきが強張った声で宣言した。

緊張しているのか、結人と繋いでいる手を、さらにぎゅっと握りしめていた。


「…………」


うきの様子がなんだかおかしくて、でも、とてもけなげで可愛らしく……こんな時なのに、自然と笑みがこぼれた。

神成さんを見ると、僕と同じような表情を浮かべていた。


「もちろん。最初からそのつもりだよ。……いいかな、結人くん?」

「うん……」


確認を求められた結人は、そのままこくんと頷いた。

そして、僕のほうを見た。


「……拓留兄ちゃん」

「ん?」

 



「お父さんは……どこにいるの? 大丈夫なの?」

「…………」


どきっとして、言葉が詰まった。

結人は、何も知らない。

そして、同じく答えを期待してこちらを見ているうきも……。

不安な表情を浮かべている2人を見て苦しくなった。

『どうしようもない』と、心の中で同じ言葉を繰り返すしかなかった。


「……あとで、話すよ」

「あとって、いつ?」

秋葉原について……落ちついたら、必ず」

「…………」


結人が、自分の気持ちと戦っているのがわかった。

うきと繋いでいる手を、今度は結人がぎゅっと握りしめていた。


「……わかった。絶対だよ」

「ああ。ほら、荷物取ってきな」

「……うん」


同じ気持ちを抱えているだろう二人は、手を繋いだまま部屋へ戻って行った。

そんな僕を、神成さんが心痛な面持ちで見た。


「……大丈夫です」

「…………」


もちろん、そんなの強がりだ。

でも、神成さんは何も言わずに黙っていてくれた。

 



「神成さん。一つ確認したいことがある」


久野里さんが、2人の消えた廊下の方をじっと見ながら言った。

その様子から、父さんに関することだとわかった。


「二時間半くらい前か。慰霊碑公園に、宮代拓留の名を騙(かた)った狂言者が出ただろう」

「ああ」

「…………」


僕はさっき、タブレットで見た情報のことを思い返した。

僕が慰霊碑公園に現れ、それがTVで報道されたと、『ツイぽ』で大量につぶやかれていた。

が、もちろんそれは狂言だ。

だって僕は、ここにいるんだから。


「厳重注意くらいで、明日には釈放か?」

「その予定だが」

「そいつには悪いが、別件でもなんでも構わない。数日間、勾留(こうりゅう)しておいてくれないか」


その言い方に、神成さんはピンと来たようだ。

久野里さんと同じように、廊下の向こうへ目をやって、


「……佐久間の仕掛けだと?」


ああ、と久野里さんは頷いて、


「タイミング的には、狂言者なんていくら湧いてもおかしくないが──仮にも、宮代拓留に成りきろうとした人間だ。何の工夫もなく名前だけを騙ったのが気になってな。宮代との違いなんて、遠目からでも一発で分かるはずだろう?」

「………」

「……?」

『確かに、狂言で捕まった男は、カオスチャイルド症候群の患者じゃなかったな』──と答えた神成さんを見て、僕は不思議に思った。

僕がタブレットで見た限り、捕まった男は、背格好や年齢は僕とほとんど同じだった気がする。遠目からじゃ簡単には区別なんてつかないはずだ。

そもそも、PTSDの一種であるカオスチャイルド症候群と彼と、なんの関係があるっていうんだろう?


「出来れば、そいつの"ここ"を調べてみたい」


とんとん、と久野里さんは自分のこめかみを軽くつついた。


「分かった。なんとかしてみよう」

「………」


さらに、別件逮捕をあっさりと了承する神成さんにも、どこか違和感を感じた。


「そろそろ出発しよう。有村さんにもそう伝えてくれ」


神成さんは、僕が疑問を差しはさむ前に、時計を示してそう言った。すでに、午後十時を指していた。


「はい、荷物はもうまとめてありますから」


……。

 



「あれ……」

 



自分の荷物を持ち、有村を呼ぶために乃々の部屋のドアを開けると、そこには誰もいなかった。電灯もついていない。

電話、もう終わったのか……。

ということは、香月に手伝ってもらって、荷物をまとめてるはずだ。ダイニングか、あるいは、うきの部屋かも知れない。

そういえば──


(結局、香月を最後まで付き合わせちゃったな……)


香月は、今回の事件には直接関係していない。

ただ、同じ新聞部の部員であるというだけで、色々な手助けをしてくれている。

でも、さすがに今度ばかりは、一緒に連れていくわけにはいかない。

神成さんを待っている間、香月のほうから──もちろん、いつものように身振り手振りと唸るような声で、だけれど──『一緒に行く』と言い出してくれて……。

でも、心の底から感謝した上で断った。

香月は納得していない様子だったが、今後も連絡を取り合い、いざという時には真っ先に頼るという約束をして、なんとか納得してもらった。

これ以上、当事者でない人たちに迷惑をかけるわけにはいかなかった。


(当事者、か……)

 



不意に乃々の部屋の香りが意識されて、僕は電気をつけないまま後ろ手にドアを閉めると、乃々の机に歩み寄った。

なんとなく、手でなぞった。

その時になってようやく、乃々を亡くしてから、初めて彼女の部屋に入ったんだと気がついた。


「…………」


……そう。乃々は、きっと当事者なんかじゃなかった。

 



『……なんでだ? 嬢ちゃんは幸せにならなきゃいけねえ子だろうがよ』


分かってる。その通りだ。

乃々は、殺されちゃいけなかった。

殺されていい理由なんて、どこを探しても見つかるはずもなかった。ただ、世莉架の秘密を知ってしまって、理不尽な死を迎えただけだ。


…………。


「尾上……」


あいつ、本当は、何が目的なんだ……。

昼間、久野里さんに聞かれたことが、また頭をよぎった。

あいつは、いったいなにを──?


──!


「……!」


突然、手にさげている荷物の中から大きな音が響いたので、思わず声を上げそうになった。

スマホのバイブ音だった。

僕は、急いで荷物をひっくり返す。


「……っ?」


床に転がったスマホを拾い上げると、闇の中に『番号非通知』の文字が浮かび上がっていた。

非通知というのが、なんだか気持ちが悪い。

イヤな予感しかしない。

僕は、恐る恐る通話ボタンをタップした。


「だ……誰だ?」
『一つ、言い忘れたことがあってな』
「お前……っ!」


響いて来た声に驚き、僕は思わずスマホを耳から遠ざけた。

この声は世莉架だ。聞き違えるはずがない。

そのまま反射的に、表示されている時刻を確認した。


午後10時3分。


『話を聞け。すぐに終わる』
「なんで、お前……」


自分の心臓が高鳴っていることに気づく。

再びスマホを耳にあてがった。


『そんなことはどうでも、──っ!』
「……?」


乾いた音が聞こえてきた。

スマホを落としたのか……あるいは、何かあったのか……?


「………」


僕は電話の向こうから聞こえてくる音を何一つ聞き洩らさないよう、じっとしていた。

震え続ける手が鬱陶しかった。

そうして、しばらく待っていると……


『宮代……聞いているか……』


どこか弱々しい声が聞こえてきた。


………?


なんだか、さっきから世莉架の様子がおかしい。


「聞いてる。なんだよ」
『一つ、言い忘れたことがあってな』


だから、それはさっき聞いた。


「おい、どうしたんだ? なんか──」
『……お前の両親を殺したのは……私だ』


瞬間、音だけが聴覚を抜け、ただ素通りしていた。

肝心の言葉の意味は、頭に入ってこなかった。

なのに、突然手の震えが止まり、自分のまわりの空間が丸ごと空白になったような錯覚が襲ってきた。


………え?


「……?」


喉の奥に声がからまっている。

言葉が出てこない。


『六年前……渋谷地震の時……あの避難所で、お前の実の両親を殺したのは、私なんだ』
「………」


言われた言葉は、相変わらず僕の耳を素通りしていくだけだ。


『六年前』『渋谷地震』『避難所』『実の両親』──。


「え!?」


頬がかっと熱くなり、いつの間にかぼやけていた視界が、暗い室内の景色を取り戻した。

虚をつかれて愕然としていた頭も、世莉架の言葉の意味をようやく理解する。

そして、それと同時にせりあがって来たのは……怒りなんかじゃなかった。


「……な、なんで?」
『………』


それは、今まで完全に忘れていた、でも、実は僕にとって重大な"過去の事件"だった。

僕の両親は、渋谷地震によって死んだのではなく、避難所で、何者かによって殺されたという事実。

昏睡から目覚めたばかりの僕のことを気遣って、乃々が伝えることを躊躇った真実。

そのせいで、乃々は嘘をついて……。

結果、僕は青葉寮を飛び出して、宮下公園に身を寄せることになった。


「なんで……?」


僕は、繰り返した。

なんでそんなことをした?

なんでそのことを、今、僕に言う?


『………』
「………」


返ってくるのは苦しげな息づかいだけだった。

それでも僕は待ち続けた。

どうしても、この通話をやめることが出来ない。

 



『……今、伝えなければいけなかった。言い忘れていたんだ』
「だから、なんでなんだよ!」


同じことを繰り返す世莉架に、僕は叫んでいた。


『………』
「………」


──!


「!? おい、尾上!? 尾上っ!」


唐突に電話が切れた。一方的に、向こうから。

 



かけ直そうとして、それが無理だということに気づく。

番号は、非通知だ。


「いったい、なんなんだよ……っ」


答えが返ってくるはずもない呟(つぶや)きが漏れた。

本当に、なんなんだ?

あいつは、一体、何をしたかったんだ?

いや。そもそも、世莉架は……、


(尾上は、なんのために生まれたんだ……)


あの時、避難所で両親と偶然に再会して。

僕は、ひどい頭痛に襲われた。

おそらくそれが、世莉架を生み出すことになった瞬間。

そして両親は、避難所で殺された。

なら──世莉架が2人を手にかけたのは、僕によって生み出された直後ということになる。


「…………」


頭の中で様々な思考が錯綜(さくそう)し、でも、なんとか情報の道筋を立てろと、心が訴えてくる。

……世莉架は、僕を生かし続けることが目的だと言う。

でも、両親を殺して、その目的にプラスになることなんてあるだろうか?

あの時、父さんや母さんは、僕を連れて避難しようとしていた。

その2人を消し去ってしまったら、僕の生存にとっては、むしろマイナスだ。久野里さんの言うように、辻褄(つじつま)が合わない。

そう。

つまり、世莉架の言ってることは矛盾してる。

それこそ、最初から──この世界に『実体』として存在するようになった直後から、矛盾してるんだ。

ということは……、


「……あいつの目的は……僕を生かし続けることじゃない……?」


ふと、スマホの待ち受け画面が目に入る。

そこには、僕と、青葉寮の家族の写真。

 



乃々のことだって、そうだ。

確かに、彼女は世莉架の正体に気づいてしまった。

でも、世莉架の目的が『僕を生かし続けること』だというのなら。

乃々を……殺すだろうか?

乃々はいつでも、それこそ命をかけてでも、僕を護ってくれようとする人だった。ということは、世莉架にとってはむしろ、生きていてくれた方が都合がいいはずだ。

それこそ、伊藤にしたように、思考誘導を使って世莉架の正体に関する記憶を操作してしまうことだって出来たはず。なのに。

それをしなかったのは、なぜだ?

どうして、乃々を殺す必要があった?


「…………」


やはり世莉架には、何か別の目的があるのか?

そのために、乃々の命を奪う必要があったのか?

もし、そうだとしたら、僕がそれを──

久しぶりに、そして異常なほど懐かしい、とある渇望が湧きあがってくるのを感じた。


──『僕がそれを、暴き出してやる』


そして、そこから導き出される馬鹿な考えにも。


──『そのためには、行くしかない』


たとえその先に、どんな答えや結末が待っていようと。


「……本気かよ、僕は……」


もう一度、スマホで時刻を確認する。


午後10時10分。


6年前。全てが始まった時間まで、残り18分。


「はは……」


自嘲気味に笑って、乃々が使っていた机を再び手でなぞった。

結局、僕はまた乃々を裏切るんだろうか。

彼女が生きていたら、それがバレて……いつかのように平手打ちされるんだろうか。


(……ごめん。でも、お前だってさ……)


お前だって、最期に嘘ついたもんな。

僕を護るために、嘘、ついてくれたもんな。

だから、僕も──。

だってこれは、大切なお前のことだから。

他の誰でもない、お前が命を落とすことになった、その理由についてだから。


「何も知らなくていいなんて……そんなの、ごまかしだよ」


もちろん、これから自分がやろうとしていることを考えると、恐怖心が増してくるのは事実。

けれど、どうあっても、僕の決心は覆(くつがえ)りそうになかった。


……。

 

 

 

 



「……っ!」


──ッ!!


「………」


乃々の代わりに僕の頬を叩いたのは、意外にも有村だった。

思い切り飛んできたその手を僕は避けず、衝撃があごから耳の奥まで突き抜けて、甲高い音が反響した。


「バカ言わないで! なに格好つけてるんですか!」
「…………」
「なに笑ってるんです!」
「いや……。やっぱり、そうだよな……」
「……?」


打たれた頬に手をやると、ゆるやかに熱が伝わって来た。

思わず笑んでしまったのは、乃々ほど痛くなかったからだ。

やっぱり乃々は、頬を叩き慣れていたんだろうか。

それとも単に、馬鹿力だったのかな……。

でも有村は、僕が微笑んだ意味を、僕の『余裕』だと勘違いしたらしい。更に肩をいからせて、


「危険すぎます! 向こうが何をたくらんでいるのか、分からないんですよ!?」
「話を聞きに行くだけだ。たぶん、大丈夫だと思──」
「そんな嘘、つかないで下さい! 私に『嘘』が通じないのは、分かってるでしょう!」
「………」


有村は息を切らし、本気で怒っていた。

いや、本気で怒って"くれていた"。

 



「……拓留さん」


そんな有村の横には、心配そうな表情を浮かべているうきと結人。

僕は少し身をかがめて、2人と視線の高さを合わせる。


「安心してくれ。話を聞きに行くだけっていうのは本当だから」

「でも、その先は嘘だろう? お前はたぶん……殺される」

「久野里さん……」


もちろん、そんなこと分かってる。

殺される可能性は高いだろう。

しかも……父さんの手で。

だからといって、うきたちが不安がるようなことを言うのはやめて欲しかった。


「お前は、喧嘩すらしたことがない。違うか?」

「はい。でも……」


行かなくちゃ、ならない。

頭では無謀だと、理解しているし、胸中も恐怖心に満たされている。

でも、それらよりももっと奥にあるものが、僕を駆り立ててやまなかった。


「来栖先輩は、そんなこと絶対に望んでない」

「え?」

「うきから……手紙のこと聞いたんです」

「……そっか」

「来栖先輩の気持ち、踏みにじるんですか?」

「……そう、だな。あいつ、きっと怒ると思うけど」


そして、今の有村みたいに、思い切り僕の頬を打つだろう。


「でも、僕は行くよ」

「…………」


有村は、一瞬カッとなって、もう一度手を上げそうになった。

でも、その手は途中で止まり、やがてぎゅっと握りこぶしを作ると、静かに下がっていった。

僕を睨んでいるその目は、わずかに赤くなっている。


「なんで……そんな……」

「………ごめん」


消え入りそうな声だった。

そんな彼女の姿を見ていられなくて、僕は頭を下げた。


「うきと結人のこと、頼むな?」

 



「……知りません。先輩は長男でしょう。ちゃんと帰ってきて、自分でお兄ちゃんをやってください」


最後に『最っ低』と吐き捨てて、有村は部屋を出て行ってしまった。

 



「ん」

「うわっ!?」


いきなり目の前に何かを差し出され、思わず飛びのいた。

香月が、いつの間にかそばに立っていた。

この後輩には、いつもいつも驚かされる。


「お、お前……まだいたのか……」

「ん!」

『みんなを置いて、先に帰るわけないでしょ』と、その顔は語っていた。


「んんっ」

 




香月がぐいっと差し出していたのは、棒付きキャンディー。

……ロリポップか。お前、いったい何個持ってるんだ?

せっかくの好意を断ることなど出来るわけもなく、受け取って、大事にポケットにしまった。

たぶんもう、食べることはないだろうけど。


「……最後まで付き合わせて悪いな。うきたちのこと見送ってやってくれ。そうしたら……気をつけて帰れよ」


まさかとは思うが……うきたちについて行くとか、そんな気を起こされては大変だ。

そんなことになったら、香月の家族にだって申しわけが立たない。

 



「ん」


香月は、いつものようにうなずいた。

それが、間違いなく『YES』の意味であることを確かめようとしたが、彼女はそのまま有村を追いかけるようにして、部屋を出て行ってしまった。


………。


久野里さんもいることだし……大丈夫、だよな?

あいつ、ちゃんと家に帰る、よな?

 



「あの……拓留兄ちゃん」


僕が香月の背中を目で追っていると、ずっと不安そうにしていた結人が、おずおずと声をかけてきた。


「…………」


正直、迷った。

何を言っても、不安を増してしまうだけだと思ったからだ。

さんざん言葉を探して。

結局、こう言うしかなかった。


「……行ってくる。後で、必ず結人たちと合流するから」

「…………」


大人が子どもに対してよく使う『気休め』だと、バレてしまったらしい。その表情から、はっきりと分かった。

でも、結人は何も言うことはなかった。

有村以上に赤くなっている目で、僕のことを、ただじっと見ているだけだった。

 



「行ってらっしゃい。……待ってますから」

「ああ」

「ずっと、待ってますから」

「ああ」

「僕も待ってる。ずっとずっと」

「ああ」


しっかりとつないでいるうきの手に促されたのか、結人は、最後に一言だけ、絞り出すように言ってくれた。

……ごめんな、結人。

ありがとうな、うき。


「じゃあ……行って来る」


時刻を確認する。

もうギリギリだ。猶予はない。

それに、ここで立ち止まっていると、決心が鈍ってしまいそうだった。

僕の姿を目にしっかり焼き付けようとしているかのようなうきたちに向かって、もう一度うなずきかけると、僕は背を向けた。


……。


ヒカリヲまでは、神成さんが車で送ってくれることになった。

 

 

一刻も早く、うきたちをアキバへ連れていって欲しかったが……僕1人では、渋谷駅周辺を突破して、ヒカリヲへ到着することは無理だろうということになったのだ。


「宮代」


玄関を出て、神成さんの車に向かおうとしていると、後を追って来た久野里さんに呼び止められた。

 



スマホは持っているな」
「…………?」


念のため、ポケットに手を突っ込んで確認する。

もちろん、ちゃんと入っている。


「持ってます、けど……」
「なんでもいい。もし委員会の情報を手に入れたら、すぐに連絡しろ」
「………」


久野里さんらしい言葉に、思わず苦笑してしまった。

そういった情報を手に入れられるかどうか、よく分からないけれど、可能な限り連絡すると約束した。


「尾上からは、お前を渋谷から脱出させるよう言われている。それを承諾したのは、『能力者を渋谷から出せば委員会に近づける』という、あいつの言質があったからだ」
「……はい」
「かといって、お前自身がそれに逆らう決断をするのなら、それを止める義理はない。別に、お前にこだわる必要はないんだからな。山添や有村さえいれば、それでいい」
「ええ、そうですね」


確かに、その通りだ。

『能力者』を渋谷から出すことで、何かが起きるというのなら……それは、うきや有村でもいいわけだから。


「だから──お前のことは待たないぞ?」


言い切られた言葉は、最後にもう一度、僕の決意を試しているのだと分かった。

だから、しっかりと久野里さんの目を見て、答える。


「構いません。分かってますから」
「…………」
「………?」

 

 

でも、それきり彼女は口を閉ざし、しばらく何も言わなくなってしまった。

珍しく、何かを言い淀んでいる様子だった。

僕も、思わず顔をしかめる。

今の答えは、あまりお気に召さなかったんだろうか?


「なにか?」
「………。お前の、さっきの話だがな」


久野里さんは、躊躇いがちに、ようやく口を開いた。

さっきの話というのは……たぶん、世莉架からかかって来た電話の内容のことだろう。

僕の両親を殺したのが世莉架だ、という……。


「それが事実だとするなら……」
「なんですか。なにか、思い当たることでも?」
「……いや」


たぶん久野里さんも、僕と同じように、世莉架の言葉に違和感を感じているんだろう。

彼女の言葉には、矛盾がある、と。

そして、久野里さんなりに予想したことがあって……それを言うかどうしようか迷っているふうに見えた。

でも、結局──彼女は何も言わず、いきなり僕の肩に静かに手を置いた。

 



……えっ?

これまで、胸倉をつかまれたり、締めつけられたり、散々な目にばかり遭わされてきたので、驚いてしまった。

まさか、こんなことをされるとは思ってもみなかった。


「どの道、お前が確かめるべきことだ。……せいぜい、悔いのないようにするんだな」
「………」


しかも、かけてくれた言葉までいつもと違う。

久野里さんが、僕を──いや、能力者を、気遣った?


「なんだ?」
「え? あ、いえ、その……」


驚きのあまり、思わず余計なひと言を口走った。


「ど、どうせならケイさんの締めの一言でお願いします。リスナーだったんです」
「ふざけるな。情報操作の放送以外で、あんな八方美人な人間を演じるのはごめんだ。とっとと行け」


ドンと肩に置いた手で突き放された。

途端に恥ずかしくなった。

どうして余計なことを言ってしまったんだろう。

恥ずかしさのあまり、僕は、急いで神成さんの車に乗り込もうとした。

そんな僕に向かって、久野里さんが言った。


「どうしても聞きたいなら、次の放送まで待つんだな」
「…………」


その言葉に、思わず振り返る。

そして、久野里さんの顔を改めて見返した。

 

 

凛と整った顔立ち。

切れ長で美しく、でも、決して誰にも心を許していないと言わんばかりの、冷たく凍った目。

性格も極めて冷静かつ冷淡で、目的のためなら手段すら選ばないようにも見える、生粋の研究者。

でも、ときおり垣間見えた素顔は、クールな印象とは真逆で、とても熱いものを秘めていて……。

本当に、不思議な女性だった。

そうだ、最後に聞いておきたいことがあったんだ。

これで本当に"最期"かも知れないから。


「なんだ、人の顔をじっと見て?」
「久野里さんは……何の『能力』を持ってるんですか?」
「なんだと?」


僕のひとことで、せっかく近づきかけていた彼女との間の距離が、一気に遠く拡がった。

あたりの空気まで、冷たく凍てついたように感じる。

僕は焦って、手を横に振ると、


「だ、だって。見たんですよ。久野里さんの部屋で」
「何をだ?」
「……ディソード、です。あれは、久野里さんのものでしょう?」
「は……? く……くく……」


『結局、最後の最後まで冷たい言葉を浴びせられて終わりか』と思った矢先、久野里さんが、いきなり笑い出した。

目を丸くしている僕の前で、くっく……という低い笑い声が続く。

僕は、口までポカンと開いて、それをただ見ていた。

あの久野里さんが、こんなふうに笑うとは知らなかった。

 



「お前、本当に真のギガロマニアックスなのか……本物とニセモノの区別もつかないとはな」
「ニセモノ……?」
「あれは、ただのレプリカだ。研究用のな。6年前の資料を取り寄せて、アメリカの私の研究室が作った。ばらつきがあるにしろ……ディラックの海とのパイプが、なぜ『剣』という形を取るのか……その解明をしようとしたが、無駄だった。で、廃棄されたガラクタを押しつけられたわけだ。あんなもの、邪魔になって仕方ないが……まあ、物干しがわりに使っている」


そしてまた、久野里さんはクックと笑った。

ひとしきり笑ったあと、久野里さんは僕の背を押して、自動車の中へ押しやった。

そして、ドアを閉める前に、

 



「ああ、そうだ。お前の同級生──伊藤だったか? あいつはなんとか助かりそうだぞ」
「あ……!」
「忘れてるようだが、それと引き換えに、お前は私の"実験台"になると誓った。その約束……戻って来て、ちゃんと果たせよ」

 



それだけ言うと、久野里さんは自動車のドアを外から閉めた。

僕は、車のウィンドウ越しにうなずくと、口の形だけで『お世話になりました』と伝えた。

本当に、みんなが僕を気遣ってくれている。

僕はそんなみんなに、また会いたいと素直に思い──

でも、その気持ちに逆らって、もう誰とも会えなくなるかも知れない道へと、ひとり、進もうとしていた。


……。