ゲームを読む。

-ノベルゲーム・タイピング-

Steins;Gate【8】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 


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……。

 

 

「それでダル。IBN5100はいつからSERNへのハッキングに使えそうだ?」

「ん-、そうだなー」

ダルは言いながら、IBN5100の電源アダプタをコンセントに挿した。

電源をオンに入れると、騒がしい音を立てて起動する。

 

 

「すげー、ちゃんと電源ついた。まずこいつの使い方を覚えなきゃなんだぜ? そもそも配線繋げたりも大変そうだし。ちょっと時間かかるかも。サーバー管理者のID探しと同時進行は無理ぽ」

「構わん。ID探しを優先させてくれ。できれば今月中にIBN5100を使えるようにはしてもらいたいところだが」

「今月ってまだ30日丸々残ってんじゃん。さすがに来月まではかからねーっつの」

実に心強いな。さすがスーパーハカー。

 

 

「それで?」

「それで、とは?」

「説明を要請してるんだけど。IBN5100とSERNのこと」

 

俺はメールをチェックした。

 

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閃光の指圧師

 

情報あった?

 

IBN5100の情報、なにか見つけた? 私の方は全然。かなりいろいろなショップを回ったんだけど、店頭に置いてあった店はゼロ。やっぱり、店員さんに聞いた方がいいのかな。岡部くんの──

 

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「ちょっと岡部」

「あ……?」

俺はメールチェックを途中にして、紅莉栖をにらみつけた。

「今、なんて言った?」

「お、岡部って言ったのよ」

「岡部、だと?」

 

 

一歩、紅莉栖の方へ踏み出す。

紅莉栖はそれに対して一歩、後ろへ。

 

 

「オカリン、タンマタンマ」

止めようとするダルの手を振り払い、なおも詰め寄る。

紅莉栖はそれ以上は下がらなかった。俺から目を離そうともせず、唇をきつく噛み、両手の拳を握りしめている。

「今、岡部と言ったか?」

 

 

「……言ったわよ。悪い? 確かに私はあんたより年下だけど、人のことクリスティーナだとかゾンビだとか呼ぶ相手がいるとき、そいつには敬意を表さないとするのが、私の考えなんだから──」

「違う!」

「っ!」

「俺は岡部ではない! 鳳凰院凶真だ! 何度言わせれば分かるのだクリスティーナ!」

「…………。……自分のこと棚に上げすぎだろ、あんた」

「以後、俺のことは鳳凰院、あるいは凶真と呼ぶように」

「お断りします」

紅莉栖は素っ気なくそう言ってそっぽを向いた。

瞳が潤んでいるように見えるが……。

「もしかして泣いたのか」

 

「泣いてないわよバカ。男の人に怖い顔で迫られて恐怖を感じちゃったりなんかしてないし、その後のあんたのバカゼリフにホッとして涙が出ちゃったわけでもないからな!」

舌打ちして、窓の方へと歩いていってしまった。

すっかり暗くなっている外の景色を、眺め始める。

手の甲で目元を拭っているところを見ると、やはり少し泣いたらしい。

 

 

「ダルよ、助手はなぜ泣いている?」

「今、本人が全部説明したわけだが」

「俺は名前の間違いを正しただけだ」

「強気に見えて意外と打たれ弱いのかも。それはそれで萌えるけど」

まあいい。メールチェックに戻ろう。

その前に、重労働で渇いた喉を潤そうと、冷蔵庫から開けていないドクターペッパーを取り出した。

「ねえ、話を聞かせてくれないの?」

 

 

振り向いた紅莉栖に、そのドクターペッパーを軽く放り投げる。

「キャッ」

受け取ろうとして、紅莉栖は見事に失敗していた。

床に落ちたペットボトルを拾い上げて、いぶかしげな顔をする。

「それでも飲んで、少し待っていてくれ」

「…………お気遣いありがとう」

指圧師に返信をしておかなければならない。

結局のところあの女には一度も助けを借りなかったが、さすがに黙っているわけにもいくまい。

『ブツは手に入れた。以上だ』

簡潔にそれだけ書いて、送信。

「さて……」

紅莉栖に声をかけようとしたが、メールの返信はすぐに来た。

指圧師は24時間ケータイを握りしめているのかもしれん。そうとしか思えないほどの反応速度だ。

 

 

 

 


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閃光の指圧師
Re:Re:情報あった?
ブツってなに? まさかIBN5100? 譲って!!!


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譲って、だと? なにをバカな。

 

『残念ながらオーナーは俺ではないから譲ることはできん』

 

そう書いてメールを送った。

またも返事は一瞬。

 

ぐぬぬ……。

 

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閃光の指圧師
Re:Re:Re:Re:情報あった?
貸して!!
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貸したら確実に持ち逃げされる。

こいつにIBN5100を渡したら終わりだ。

そんな雰囲気がぷんぷんする。

 

『貸すのもNGだ。見せるだけならOKだから我がラボを訪ねてこい。以下がラボの住所だ。』
千代田区外神田3-6-##
大檜山ビル2F

このラボの住所を書き加えたメールを送ると、次は返事は来なかった。

 

「待たせたな、クリスティーナ」

顔を上げると、紅莉栖がドクターペッパーに口を付けているところだった。

 

 

「ほう、助手はドクターペッパーがイケる口か」

「本場で7年過ごしてきたからな」

「なるほど。お前とはいい飲み友達になれそうだ」

「私は未成年よ」

「そうではない。ドクターペッパーを飲み交わす友達という意味だ」

「それ限定なのか……」

紅莉栖はドクターペッパーを飲みつつ、わずかに肩をすくめることで俺に話を促してきた。

そこで俺は、ダルがSERNにハッキングを仕掛けたことについて解明した。

ヤツらがすでに9年前にLHCの稼働に成功していたこと。

ミニブラックホールの生成に成功していること。

タイムトラベル理論の研究をしているらしいこと。

そしてそれらを世間には公表していないこと。

話を聞いていた紅莉栖の表情は、どんどん厳しいものになっていった。

「確かにSERNは妙だけど……それとIBN5100と、どういう関係が?」

「SERNのデータベースに、IBN5100が使われているのだ」

「だから?」

「そのデータベースの情報を解読するには、同じIBN5100を使う他ないということだ」

「なんでそう分かるのよ?」

「とある筋からの情報だ」

あえてタイターの名前は出さなかった。この天才少女のことだからどうせ鼻で笑うに違いないと思ったのだ。

紅莉栖は唇に指を添えて、じっと考え込んだ。

「IBN5100云々はともかく……SERNが本当にそんな研究をしているのか、確証がほしい」

確かに以前のハッキングでは、SERNがタイムトラベル理論を研究しているはっきりした証拠を得られなかった。

 

 

「ダル。SERNのサーバー管理者のパスワードを見つけるのは、時間がかかるのか?」

「ちょうど、これからやろうと思ってたんよ。半日はかからないんじゃね?」

「というわけだ」

「……それまで待つわ」

「待つって、もう夜になってる件について。今日は一度帰って、明日の朝また来れば?」

「いいえ。待たせてもらう。……1マイクロ秒でも早く知りたいから」

「ククク、いい心がけだ。もはやSERNに隠された陰謀に魅了され、知りたくて知りたくてたまらないという様子だな」

「あんたたちの言うことがもし事実だとするなら……こんなふざけたことってない。SERNは世界最高の研究機関なのよ? そこが、実験結果を公表せずに極秘で事件してるなんて……世界中の研究者をバカにしてる。もし事実なら、だけど」

最後にもう一度、そう念を押してきた。

俺たちを信じてはいないらしい.

「ではダル。任せたぞ」

 

 

ダルがネットで調べた結果、重量25キロだと判明したIBN5100は、ひとまず開発室の棚にしまっておくことにした。

半ば引きずるようにして、ダンボール箱を開発室へ運ぶ。

紅莉栖がついてきた。

 

 

「電話レンジ、見せてもらっていい?」

「よかろう。実験してみるか?」

「あれ以来、一度も再現はできてないのよね、過去へメールを送る現象。理由は把握してる?」

俺は首を左右に振るしかない。

「ちょっと試してみましょう」

紅莉栖は開発室の中を見回し──

「しっかし。ガラクタだらけね」

「ガラクタではない! お前はまだ知らないようだから特別に教えてやろう。これは我ら未来ガジェット研究所が、その科学力の粋を結集させて発明した、栄えある未来ガジェットたちである! ここに保管されているのは未来ガジェット1号から7号であり、電話レンジ(仮)は未来ガジェット8号にナンバリングされるのだ」

「未来ガジェットねえ……」

紅莉栖は棚に無造作に置かれている未来ガジェット4号機『モアッド・スネーク』を手に取り、しげしげと眺める。

「ちょっと。これって……兵器じゃないの?」

「未来ガジェット4号機『モアッド・スネーク』は、クレイモア地雷に似せて作られた、瞬間加湿器だ」

「紛らわしいな」

「水を入れて電源を入れれば、わずか数秒で大量の蒸気が噴き出すのだ」

「やっぱりガラクタだな」

紅莉栖はため息をついて『モアッド・スネーク』を棚に戻すと、

「これ、借りるわよ」

そう言って、棚の上に放置されたままの新品の白衣を取り、颯爽と羽織った。

「おお──」

 

 

「やっぱり落ち着くなー、白衣」

俺は感激のあまり、紅莉栖の手を取った。ギュッと握りしめる。

「ちょっ──!?」

「助手よ、お前は“分かっている”じゃないか!」

 

 

「な、なにがよ、離してよ……っ」

「やはり研究開発においては、白衣こそがユニフォームだよな!」

ダルに何度言っても、ヤツは着てくれなかった。

しかし助手は違う。俺が言う前に自分から着てくれた!

「やはり俺の目に狂いはなかった。クリスティーナ、お前は、最高の──助手だ」

「誉めてくれてるのかもしれんが、私にしてみれば侮辱されてるとしか思えんぞ、おい」

握った手を振り払われた。

紅莉栖はプイとそっぽを向いてしまう。

「その白衣はラボ面加入記念としてお前にプレゼントしよう。元々誰も使っていなかったのだ、気兼ねすることはない。フッ、あるいは、その白衣は元からお前に巡り合うべくして巡り合ったのかもしれん。ダルが着ようとしなかったのもまた必然。すべてはシュタインズ──」

「下らないこと言ってないで、実験してみましょう」

「…………」

紅莉栖は両手を白衣のポケットに突っ込み前屈みになって、今はテーブルの下に置かれているタイムマシンをしげしげと眺めた。

この前の実験で、テーブルを1台破壊したばかりか床に穴まで開けてしまった。

放電現象を起こすのに成功すると再びこの前のようになる恐れがあるため、不便ではあるが床に置きっぱなしにしているのだ。

 

 

「……これって、電子レンジの方はなにもいじってないんでしょ?」

俺はX68000のモニタを指し示した。そこにはプログラムが表示されている。

「常時ターミナルモードにしてある。どんな設定にもできるのだ。市販されている電子レンジよりも“無茶”をさせることも可能だ」

「放電現象が起きたときはどんな設定にしてた?」

「特になにも。出荷時設定のままだった」

「ふむん。バナナもらうわよ」

紅莉栖が手に取ったバナナの房には、無事なバナナはもう3本しか残っていない。

「それはまゆりのものだ」

「だったらあんたに許可取らなくていいわね。明日新しいバナナ買ってくることにして、と」

紅莉栖は房からバナナを1本ちぎり取ると、しゃがみ込んで電話レンジ(仮)の中に入れた。自身のケータイから操作を始める。

遠隔操作により電話レンジ(仮)が逆回転へと作動した。

120秒後、軽快な音が鳴った。

「……なにも起きてない」

バナナは相変わらずレンジの中にあり、ゲル化もしていなかった。

「熱っ」

バナナを取り出そうとした紅莉栖は悲鳴に似た声を上げて、すぐに手を引っ込めた。

ふーふーと指に息を吹きかけている。

「温められてるわ」

「レンジが普通に動作した、ということか」

これで、まゆりが発見した隠し機能は『冷凍機能』ではなかったことが証明された。分かりきっていたことではあるが。

紅莉栖はめげずに新しいバナナを投入して、再度120秒逆回転操作を行う。

けれど2本目のバナナも、温められているだけだった。

過去へメールを送る現象だけでなく、ゲル化及び瞬間移動現象までもが再現できなくなっている。

「どういうことだ……」

「やっぱりこの前起きたことは、イレギュラーだったっていうことか」

「イレギュラーだろうがなんだろうが、原因を究明せねばなるまい」

「それには同意」

珍しく意見が一致した。

おそらく俺と紅莉栖とで、目指すものは真逆だろうが。

この助手は“電話レンジ(仮)=タイムマシン説”を否定したい一心なのだ。

「この前の実験では──ちぎられたバナナは電話レンジ(仮)で120秒間を過ごした後、バナナの房へとゲル化して瞬間移動した。これは120秒前の状態に戻ったと考えるべきだ」

「違う。120秒前の状態に戻るなら、ゲル化はしない」

つまりゲル化しているのだから120秒前の状態に戻ったわけではないと言いたいらしい。

「からあげはゲル化せず冷凍状態へと戻ったのだぞ」

「その“ゲル化せずに冷凍状態へ戻った”っていうロジックも怪しい。冷凍されていただけで、ゲル化そのものは起きていた可能性については検証した?」

それは……調べていない……。

まゆりはあの“冷凍状態に戻ったからあげ”を食べたんだろうか。

「塩に関してはゲル化はしなかった」

「なにも変化しなかった、って定義すべき」

「この前の放電現象が発生した後、徹夜で実験した結果、キャベツ、大根、コメ、こんにゃく、メロンパン、ガリガリ君カップ麺、いずれも“なにも起きなかった”。液体に関しても同様だ。あの日は、放電現象の前後で実験の成功率が180度変わった。放電現象前はすべて成功。放電現象後はすべて失敗」

「レンジが電気を溜め込んでるとか……? ゲル化したものは、フラクタル構造のようだって言ってたわよね? 塩は元々、単純構造だから影響を受けないのかな。電機とどんな関係が……」

「ここは、タイムトラベル理論を前提に考えてみるべきだ」

「ダメ。結論ありきで考えるのはよくない」

「すでにいくつもの実験成功例があるのだぞ。それを否定するのか」

「私は別にこれがタイムマシンじゃなくても、ちっとも困らないから。そもそもこの小さな電子レンジの中で、ビックバンに匹敵するエネルギーが発生していると定義するのは無理がある」

紅莉栖は難しい顔をしてうなった。

「放電現象の再現、それにフラクタル構造の再現。どちらもできなくなってしまった理由があるはず。やり方はなにも変えていない。設定もまた変えていない。実験対象も変化なし。それ以外で変動する条件と言うと──」

「誰が観測するか、だな」

「なによそれ」

量子論だ。観測者は実験の重要な要素だ」

「放電現象が起きたときはここには4人いた。でもその前に橋田さんが1人のときにも発生している」

フラクタル構造化した実験は、2人のときや3人のときがあった。私たちは2人とも、どちらの現象も見ている。つまり条件は変わっていないはず」

「だとしたら……」

「うーん……」

なにか、他にも条件があるはず。

喉まで出かかっているのだが。

と、紅莉栖のお腹から“きゅるるる”という音がした。

「…………」

「腹が減ったのか」

「う、うるさいな。お昼からなにも食べてないのよ」

紅莉栖はそっぽを向いたまま、腕時計を見た。

「もう8時か」

「バナナを食うがいい。ただし食べていいのはさっき温めた2本だぞ。実験で使った食材はおいしくいただけ。あるいは買い置きのカップ麺があるが」

「…………」

「いらないのか? やはりアメリカ生活が長いとファーストフードの方が好きになるものなのか──」

カップ麺」

「なに?」

カップ麺、もらうわ」

カップ麺をか!?」

「ちなみに、味は?」

「しょうゆ味と塩味がある」

「塩味」

食べる気満々のようだった。

「それと、フォーク、ある?」

 

…………。

 

 

……。

 

 

 

深夜になっていた。

8時に2人で黙々とカップ麺と温かいバナナを食べた後──ダルはいらないと言った──ずっと電話レンジ(仮)について調べていた。

俺は主に、X68000を通してターミナルモードの設定を調べた。

ほとんどすべてをダルが勝手に書き換えたそのプログラムは電脳の魔術師級(ウィザード)、さすがの俺でも理解できる部分は少ないのだが。

 

 

紅莉栖の方はさっきから、ACアダプターやらラボの配電盤やらを調べている。分解しようとし始めたときはさすがに止めた。

日付が変わったと言うのに、紅莉栖は帰ろうとしない。

そもそもこいつはどこに住んでいるのだろう。

来日したのは1、2ヶ月ほど前で、今月中には帰ってしまうと言っていたが。

もっとも、この時間には電車は走っていない。帰るに帰れないのかもしれん。

そもそも終電前に帰れよ、とも言いたいところだが。

まさか泊まる気か……!

このラボに女子が泊まったことはない。まゆりは一応門限があるので、いつも必ず池袋の実家に帰る。俺とダルはしょっちゅう泊まり込んでいるが。半ば住んでいると言っても過言ではない。

アメリカ育ちの女子にとっては、ラボに泊まることは普通なのだろうか。

 

 

「クリスティーナ、こんな時間までここにいていいのか? せめて家に連絡したらどうだ」

「連絡なんて必要ないから」

「なに? お前の親は放任主義なのか?」

紅莉栖は俺の方に向き直って、ため息をついた。

「父親とはかれこれ7年は会っていない。母親はアメリカ。私は今はホテル暮らし。分かった?」

「な……!」

 

ホテル暮らしだと?

確かに1ヶ月程度の滞在では、アパートなどを借りるのはバカらしいだろうが──

「この、セレブめ……! アメリカ人ならホテルよりモーテルだろう!」

「私はアメリカ人じゃないし東京のど真ん中にモーテルはないだろ」

「どんなホテルだ?」

「どんなって、御茶ノ水にある普通のホテルよ」

御茶ノ水? ではここから歩いて帰れるではないか」

「まあね」

なるほど。だからこんなに余裕をかましていたのか。

ようやく納得した

「では、父親の件について聞こう」

「はあ?」

「7年会っていない、と言ったな」

「なんであんたが私の父親に興味持つのよ?」

「お前がこれ見よがしに父親のことを口にしたのではないか。それはつまり“父親の件について相談に乗ってくださいお願いします”というメッセージだろう?」

「そんなわけあるか」

「よかろう、お前は俺の助手だ。助手の悩みには乗ってやらなければな。というわけで張り切って話すがいい!」

「…………」

紅莉栖は見る見る不機嫌になって黙り込んだ。

配電盤をにらみつけている。

「どうした?」

「あんたに話すことなんてなにもない──」

「そうか分かったぞ! お前の父親は元々は英雄だったが、やがてその身を悪に染め、いまや帝国の幹部として黒マスクと黒マントを身に着けコーホー言っているのだな! そして将来的に親子で戦う運命に──」

「…………」

ギリリ、という紅莉栖の歯噛みする音が聞こえたような気がした。

「……も、もしかしてすごく怒っているか?」

「人の家族の問題を──」

紅莉栖は俺の目を見ようともしない。

だが押し殺したような低い声が、いかに怒っているかを思い知らせてくれた。

「そうやって茶化さないで。あんた今、私の心に土足で踏み込んだのよ」

「…………」

 

 

もしかして、父親の件は地雷か……?

これは謝った方がいいかもしれん。

そう考えて言葉を探していると──

 

「キ・タァァァァァ!」

 

ダルの雄叫びが響いた。

 

 

「ダル、やったのか!」

「ミッションコンプリート」

 

親指を立ててニヤリとするダルの白い歯が眩しい。

「サーバー管理者のIDとパスを手に入れたぜ。これでもう視姦し放題だ、ひゃっほう!」

「IBN5100が使われている方のデータベースは?」

「そっちは独立して存在してるわけで、今回は全然関係ないだろ常考。そもそもそんな特殊なプログラムで組まれたデータベースじゃ、アクセスできる人間だって限られるっしょ。所長クラスでもアクセスできないっぽい」

「所長クラス以上の役職など存在するのか?」

「SERN評議会ってのがあるらしい」

「ふむ……。評議会とは、いかにもなネーミングだな」

「いかにもって、なにが?」

「ラスボスとしてのネーミングに決まっているだろう」

 

 

「…………」

 

紅莉栖に白い目で見られた。

まあいい。IBN5100を使ったデータベースの方は後日にしよう。

「ダル、早速タイムトラベル理論についての情報があるか調べてくれ」

「オーキードーキー。前に調べたときに“Zプログラム”ってのが怪しかったよな」

「それと“ゼリーマンズレポート”だ」

どちらも、具体的な概要については結局分からなかったのだ。

 

 

紅莉栖は、食い入るようにモニタを見つめている。

その表情からは、さっきのマジ切れっぽい雰囲気は消えていた。

「とくと見ておくがいい。そしてその目に焼き付けろ。SERNがしている、世界への欺瞞という現実をな」

「うほっ。見つけた。LCH計画担当責任者キタコレ」

「責任者……ということは、かなり重要なポストだな」

「今、そいつのPCをのぞいているぞよ~。ZプログラムZプログラム……と……」

「Zはゼリーの略で間違いないな!」

「ゼリーはJよ。JELLY」

 

 

「プッ、ケアレスミス、カコワルイ」

 

「ゴホンッ、つ、つまり、そんな単純なネーミングのはずがないのだ。これには重要な意味が隠されている、間違いなくダブルミーニングッ!」

ログを漁っていたダルの手が止まった。

「おっ、キタキタ」

画像ファイルがモニタに表示された。

ずいぶん古い紙の資料をスキャナで取り込んだものと思われた。

『Z Program』『TOP SECRET』というような文字が躍っている。

「プログラム立案日は……1973年になってる」

「SERNができたのは?」

「1954年」

俺はダルに聞いたのだが、代わりに紅莉栖が淡々と答えた。

ZプログラムのためにSERNが作られたかと思ったのだが、54年となると俺の憶測は外れだな。

「IBN5100が発売されたのは?」

「1975年」

だからSERNの中枢にはIBN5100が使われているのかもしれない。

ちょうど年代的にぴったりだった、という程度の理由。

 

いや違う──

 

俺は自分で自分の考えを否定した。

そんな下らない理由であるはずがない。

これにはおそらく世界規模の陰謀が絡んでいる。

むしろIBN独自の隠されたプログラミング言語の方が、SERNのZプログラムのためだけにIBN5100に実装されたのかもしれない。

IBNとSERNは共謀している。

そして両者を陰から操る、さらに巨大な組織が存在する──

実に面白い話ではないか。

「うげ、jpgかよーふざけんな。コピペできねーじゃん」

ダルがブツブツ文句を言う。

「ふむん、テキストはフランス語じゃないんだ……」

今表示されているのは、英語のようだった。

「いや、フランス語やオランダ語やらドイツ語で書かれたものもあるお。中身は同じみたいだけど」

「……『時空の支配とそれに基づく歴史の破壊、言い換えれば過去から未来までを含む”委員会”による完全なる理想郷を実現することは、21世紀に向けてのSERN存在意義となるだろう』」

いきなり紅莉栖が押し殺したような口調で喋り出した。

「あ、そっか! 牧瀬氏って英語できるんじゃん!」

「でかした助手! お前がアメリカに留学したのも、すべて今日このときのためだったのだな!」

「そんなわけあるか。勝手に運命感じないで」

ダルがイスを譲り、紅莉栖はPCの前に座った。

 

 

「『本実験計画は秘密保持のため、また臨機応変な計画名の変更を可能にするため、Zプログラムと命名された。ZはすなわちΩ(オメガ)でありЯ(ヤー)である。その名に意味、あるいはなんらかの情熱的な精神を込めることを禁止する。プログラム従事者に不利益を与えることが推測されるためである。Zプログラムは国家間の枠組みを超えた極秘共同プロジェクトであり、電磁波研究と同じく“300人委員会”から承認を受けた最優先研究事項である。以後、SERNにおいて行われる他の研究のすべてはこのZプログラムの隠れ蓑として機能させることが決定された』」

どうやら紅莉栖が読んでいるのは、文章の序文のようである。

だんだんまどろっこしくなってきた。

「Zプログラムの具体的な内容は書かれていないのか?」

ダルが横からキーボードを操作し、別の画像を表示させた。

「ん……っと……あった。……これ……は……!」

身を乗り出した紅莉栖は、目を見開いてモニタを激視した。

「なんだ?」

「……『Zプログラムでは、高エネルギーの陽子・陽子衝突を用いた、時空間転移実験を行う』」

時空肝転移実験。それはつまり──

「タイムトラベル実験……!」

叫び出しそうになったが、ぐっと自重した。

実際に駆け寄り、開けっ放しになっている窓を閉める。

熱気はこもるが、さすがに俺たちがしていることを人に聞かれるのはまずい。

「まさか……本当だったなんて……! しかも40年近く前から、世界中の科学者を欺いてきたって言うの?」

「俺のにらんだ通りだな。SERNの裏には、巨大な陰が潜んでいる。おそらく”機関”、あるいはそれに準ずる組織だ」

 

 

「なにが“機関”だ、この厨二病。たまには真面目に話なさい」

「フッ、バカを言うな。俺の言葉は常に真実を指しているぞ」

「つか、“機関”って言うより“委員会”じゃね? そう書いてあったし」

300人委員会か。SERN評議会とはまた別のものを指していると思うけど、なにを指してるのかしら」

「世界はあらゆる欺瞞で満ちている。お前たちが思っているほど、美しくはないのだよ」

「話聞けよオカリン……」

「聞いている。300人委員会こそ、あらゆる秘密結社、各国政府、あらゆる財閥の最上位に位置する、巨大な闇だ」

「また適当言って……」

「事実だ。ウソだと思うならネットでググるといい。これまで人類は、どれだけ繁栄しようとも時間という壁に突き当たってきた。その壁を突破することのできるタイムトラベル技術は、人類史を大きく塗り替えるだろう。文字通りの意味でな。かつての核兵器と同じく、神に等しき存在になれる禁断の果実だ。それを得たいという誘惑に抗うことのできる者はいない。当然ながら権力を持つものはあらゆる手段を用いて手に入れようとするだろう。人としての倫理など、神を目指す者たちにとっては唾棄すべき戯れ事だ。分かるか、クリスティーナ」

「……ご高説をどうも。そこまですらすらと喋れるっていうことは、あんたも神を目指してるの?」

「この鳳凰院凶真が望むのは、そんな神候補どもの打倒、そして支配構造が破壊した後の混沌だよ。フゥーハハハ!」

鳳凰院に聞いてるんじゃない。私は岡部に聞いている」

「お、俺は鳳凰院だ」

「つまり自分を持ってないってことね」

くっ、助手め。油断のならんヤツだ。

この俺を揺さぶってくるとは……。

「そんなことより牧瀬氏、Zプログラムの続きプリーズ」

「ダル! そんなこととはどういう言い草だ」

陰謀論は聞き飽きたお。オカリンの妄想よりZプログラムの方が気になるし」

妄想でも陰謀論でもなく事実だと言っているのに……。

だが確かにダルの言うことも一理ある。

今はSERNという国際的研究機関の暗部を暴くのが最優先だ。

「助手、続きを」

「頼み事するときぐらい、誠意を見せろよ……」

ムッとして文句を言いつつも、紅莉栖は素直に翻訳作業に戻った。

「えっと……『プログラム第1段階。大型ハドロン衝突型加速器の建設、および実用化。加速器については1959年に完成した陽子シンクロトロンから半世紀にわたるノウハウ蓄積により一定成果を得ている。プログラム第2段階。リフターの実用化、及び調整。これにより、2つ以上の人工的な局所場特異点の生成、およびカー・ブラックホールの生成を可能とする。なおブラックホール生成についての情報を意図的に曲解させてリークし、プログラム本来の目的について悟られぬようにすることが必要である。プログラム第3段階。動物実験。プログラム第4段階──」

そこで紅莉栖は言葉を止めた。

一度、ゴクリと息を呑み込み、やがて怒りを押し殺すようにつぶやいた。

「……人体実験」

「……マジで?」

 

 

 

マジ……かよ……。

 

やばい、今、背中にゾクッと悪寒が走った。

はっきり言って、さっきまで俺は浮かれていた。

あのSERNほどの研究機関が、タイムトラベル実験を本気でしている。

そして俺たちもまた、偶然なのか必然なのかタイムトラベルと思しき現象を起こすことに成功した。

うまくすれば、SERNを出し抜けるかもしれない。

そんな期待があった。

だが──

俺が自分で言った通り、世界は欺瞞で満ち、まともな倫理などないがしろにされている……。

俺たちは、手を出してよかったのか?

「な、なあオカリン。前にハッキングしたときのこと、覚えてるか? 確か、盗み読みしたメールに、書いてあったよね……。実験結果エラー。ヒューマンイズデッド、ミスマッチ。詳細は別紙ゼリーマンズレポートをなんとかかんとか……」

「…………」

ヒューマンイズデッド。“人は死んだ”。

「それって、人体実験と……なんか関係あんのかな?」

のどが、カラカラに渇いてきた。

額から脂汗がにじみ出てくるのは、暑さのせいじゃない。

紅莉栖とダルが、俺の言葉を待っている。

決断は、俺に委ねるっていう意味か。

 

自問する。

いいのか?

本当に?

後戻りできなくなるぞ。

でもだからと言って、この陰謀に見て見ぬふりをするのも後味が悪い。

 

「ダル……ゼリーマンズレポートを探してくれ」

「マジっすか?」

「マジだ。ただし、クリスティーナ」

「え?」

「お前はもう帰れ」

「なんで今さら──」

「ゼリーマンズレポート……イヤな予感がする。これを見たら、俺たちはもう普通の生活には戻れない。お前はその若さで『サイエンス』誌に論文が載るほどの天才だ。有望な将来を捨てる必要はない」

「もしかして、心配してくれてる?」

「当たり前だ。お前は俺の助手だからな」

「……助手じゃないって言ってんだろ。気遣ってくれてどうも。でも帰らないわよ。この事実を世界に告発しないと──」

「ダメだ! それは危険すぎる」

「ビビってるのか」

「俺たちは、この陰謀を前にしたらあまり無力だ。ヘタな行動を起こせば即、消されるだろう」

「でもだからって──」

「これは遊びではない。冗談で言っているのでもない」

「…………。……分かった。告発はやめる」

俺の真剣な訴えに、紅莉栖はまだ納得しかねている表情ではあったものの、ようやく折れてくれた。

「でも帰らないから。気になって眠れない」

「後悔しないな?」

「しない」

きっぱりと、そう言い切った。

負けん気の強さなのか、勇気があるのか、ただの世間知らずなのか。

しかしこれ以上の説得は聞き入れてはもらえそうになかった。

「ダルはどうする? 覚悟はできているか?」

「ま、僕はスーパーハッカーだし」

こいつはこの状況でも、いたってお気楽だ。

「そもそも足が付くようなヘマもしないっつーか」

これで決まりだ。

まゆりがこの場にいなくてよかった。あいつを危険に巻き込むわけにはいかないからな。

俺はダルと紅莉栖の顔を交互に見つめた。

「よし……始めよう」

紅莉栖がダルに席を明け渡す。

「なお、本作戦名は“業火封殺(レーギャルン)の箱”とする」

「なんで北欧神話?」

「へえ、北欧神話なん? きっとかっこいいからじゃね?」

「そもそも作戦名とか言っちゃう男の人って……」

「ダル、作戦開始」

“ゼリーマンズレポート”はすぐに見つかった。

二重のパスワード認証がかかっていたが、ダルは難なくそれを突破してしまう。

「いい? 開くぞ?」

ダルが、俺と紅莉栖を交互に見つめ、そう問いかけてきた。

俺は乾いた唇をそっと舐め、小さくうなずいた。

重苦しい空気が、ラボ内に漂っていた。

窓を閉め切ったせいで、異様にも熱気もこもっている。

ダルはハンカチで額の汗を拭うと、恐る恐るという感じでエンターキーを押した。

それは──

一見して、履歴書に似ていた。

右上に顔写真。

左上に名前や年齢、身長体重、出身地など。

真ん中には英語で長文が書かれ──

最下段に、新聞の切り抜きをスキャンしたと思われる白黒の画像が貼られていた。

そして俺たちは知った。

“ゼリーマンズレポート”のゼリーマンとは、なにを意味しているのかを。

 

 

「『ゼリーマンズレポート10。被験者、ジェームス・マッカーシー、31歳、出身、アメリカ。Zプログラム4、実験日、2005年1月28日13時05分』」

紅莉栖がダルの肩越しに身を乗り出して、そこに書かれていることを読み上げていく。

「『実験結果、エラー。ヒューマンイズデッド。ミスマッチ』……」

「またそれかよ……」

「『超重力による無限圧縮、及びカー・ブラックホール内の特異点通過に耐えられなかったと思われる。1921年4月3日、ニューヨーク14丁目にて、ビルの壁面に右半身が埋もれるように死んでいる男が発見された』……」

紅莉栖は最後に貼り付けられている白黒の画像付き新聞記事を読んでいるようだった。

「『身元不明の男の死体は──全身がブヨブヨのゼリー状になっていた』……」

 

 

 

 

 

-Chapter3 蝶翼のダイバージェンス-

 

 

壁にかけた時計の針が、さっきからやけに耳に響く。

深夜2時過ぎ。

窓を閉め切っているせいで、外の雑音はいっさい聞こえない。

俺も、ダルも、紅莉栖も、モニタに映し出された凄惨な写真を激視したまま、声を出せずにいた。

やはり、イヤな予感は的中してしまった。

これは、まずいんじゃないか……?

黒服の屈強な欧米人が今まさにラボのドアを開けて押し入ってきても、文句言えないぞ……。

ドアに鍵がかかっているかどうか、つい確かめてしまった。

 

 

「なんだ……これ……」

沈黙を破って、呆然とつぶやいたのはダルだった。

「ゼリーマンって……ゲル化したってこと……?」

ゲル化、という耳慣れた言葉を聞いて、反射的に俺は、PCの脇に置かれているバナナの房へと目をやった。

もはや房にくっついているバナナは1本を残すのみ。

今日は一度も実験に成功していないため、ゲル化したバナナもない。

しかしこれは偶然の一致ではないだろう。

電話レンジ(仮)で発生したバナナのゲル化と、SERNの実験で発生した人体のゼリーマン化。

どちらも同じ性質のものであるはず。

「人体実験……か」

紅莉栖は険しい表情ながら、冷静な口振りだった。

しかも凄惨な写真を前にしても、目を背けようとしない。

「しかも、完全ではないけど、タイムトラベルを成功させてるってことになるわね、これ」

「え……?」

あまりの衝撃的内容に、俺はさっきから頭がボーッとしていた。

本物の陰謀というものを目の当たりにして恐れおののいていた。
だから紅莉栖の言葉の意味がよく分からなかった。

「この新聞記事、1921年のニューヨークタイムスよ」

「およそ90年前……か……」

「見て」

モニタに表示されている白黒写真の一点を指差した紅莉栖の指先は、わずかに震えていた。

 

 

ゼリーマンと化した男性の死体。その肩口に、おそらく服にプリントされていたであろう文字が見える。ゲル化した身体と一体化してしまっているが、かろうじて文字を読み取ることができた。

 

 

 

「SERN……」

そう書かれてある。

それが証拠だと主張するように。

「つまり……SERNはLHCを使ったタイムトラベル実験で、人間を1921年へと送り込んだ……?」

「生きたまま、というのは失敗したみたいだけどね」

「ゼリーマンズレポートはこれだけか?」

「いや……まだけっこうある。全部で、ええと……14人分、かな」

「もしもゼリーマンという言葉が、ゲル化した人間を意味するなら……その数だけ人体実験の犠牲者がいる……ということか」

ゴクリ、と唾を呑み込んだ。

やけに喉が渇く。

俺は冷蔵庫から冷えたドクターペッパーを取り出して、口を潤した。

「他のも見せてくれ」

ダルが別のレポートをモニタに出した。

なにも言わずとも、紅莉栖が勝手に翻訳して読み上げる。

 

 

「『ゼリーマンズレポート9。被験者、ダン・ストレイスキー、26歳、出身、カナダ。Zプログラム4、実験日、2004年9月6日14時10分。実験結果、エラー、ヒューマンイズデッド。ミスマッチ』新聞記事の切り抜きの方は……これフランス語ね。私も読めない」

「2001年の1月31日、というのは読み取れる」

「場所は……フランスの、ポー、かな」

2001年、というのはかなり近い。

1921年へ90年近く跳んだジェームス・マッカーシーの例とは大きな違いがある。

ダルが1文字1文字を律義に翻訳ソフトに打ち込み、記事の内容を翻訳してみると、以下のような内容だった。

2001年1月31日、
フランスのポー郊外の森林に倒れている男性の遺体が発見された。
遺体の左足は木の幹と一体化しており、その身体はゼリー状になっていたという。

ダルは次のページを表示させた。

 

 

「『ゼリーマンズレポート8。被験者、リンダ・ヒル、25歳、出身、イギリス。Zプログラム4、実験日、2004年2月15日13時45分。実験結果、エラー。ヒューマンイズデッド。ミスマッチ。1972年10月2日、インド、タミル・ナードゥ州のダルマプリの路上で、ゼリー状になった女性の遺体発見。遺体は放置された後で車に轢かれた跡があり下半身は損壊していた』」

さらにダルは次のページへ。

 

 

「『ゼリーマンズレポート7。被験者、ミハエル・ラング、33歳、出身、ドイツ。Zプログラム4、実験日、2002年10月8日、13時28分。実験結果、エラー。ヒューマンイズデッド。ミスマッチ』」

切り抜き記事には日本語が書かれていた。

戦前の新聞のように見える。

『1936年5月24日、
京都の比叡山山麓で、ゼリー状になった人と思わしき遺体発見さる。
斜面を滑り落ちた影響かほぼ損壊しており保存状態いたって不良』

そんな内容だった。

こんなニュースが日本でもあったとは知らなかった。

とはいえ戦前の話だから、俺のような平成生まれが知る故もないのだが。

次のページへ。

 

 

美しい海岸に、クラゲのような物体が流れ着き、それを現地の住人たちが取り囲んで眺めている写真が表示された。

「『ゼリーマンズレポート6。被験者、マーク・ヒューズ、30歳、出身、アメリカ。Zプログラム4、実験日、2002年8月23日12時52分。実験結果、エラー。ヒューマンイズデッド。ミスマッチ。1985年7月1日、フェロー諸島ストレイモイ島の海岸に奇妙な物体が流れ着いた。それは成人男性のようにも見えるが、クラゲのようなブヨブヨの物体であり、生きてはいない。島の住人たちの間では半魚人の死骸ではないかという噂も。肩と見られる場所にはSERNという刻印があったが、SERNは関与を否定している』……」

 

 

「まだ見る?」

「もう充分だ」

これが、14人分もあるのか……。

「発見場所が世界中に散らばっている……。この結果から、どんな解が導き出せるのかしら」

紅莉栖は真剣な表情で考え込んでいる。

「その場所へ送り込もうとしたのだろう?」

「そうは思えない。無計画すぎる」

「カー・ブラックホール特異点をどうたらってあったけど、それが原因じゃ?」

「『超重力による無限圧縮、及びカー・ブラックホール内の特異点通過に耐えられなかったと思われる』そう書いてあった」

「カー・ブラックホールって? 普通のブラックホールとなんか違うん?」

「理論上、存在を予言されているブラックホールよ。中心の特異点が回転しているという特徴がある。実在することはまだ証明されていないし、証明しようもないけど」

 

 

カー・ブラックホール

どこかで聞いたことがある。

「そうか……ジョン・タイター!」

タイターのタイムマシンにも、カー・ブラックホールが使われていたのだ。

「タイターはこう言っていた。2034年にSERNによってタイムマシン開発は成功したと。そしてタイター自身は2036年からやって来たと」

その説明から考えると、タイターとSERNがまったく同じタイムトラベル理論を使っていても不自然ではない。

「…………」

紅莉栖は目を閉じ、またじっと考え込んでしまっている。

「カー・ブラックホールを作るなんて、そんなの無茶苦茶よ……。ヘタしたら地球ごと呑み込まれかねないような行為よ……。そもそもカー・ブラックホールは仮設であって……」

「タイターの予言は現実である、ミュウツベに出ていたLHC実験における最悪の予想図もほぼ事実になりつつある、ということだ」

「タイターの予言は知らんけど、ミュウツベで問題の動画は見たことある。2、3年前に話題になってたよな」

ブラックホール内部は、尋常じゃない重力なの。そこを通れば確かに時間移動は可能かもしれないけど、生身の人間が通り抜けられるわけがない」

「だからこそゼリーマン化している、というべきだろう」

「ゼリーマンどころか、素粒子レベルまで分解される。それがブラックホール

「議論するより、タイムマシンについての資料を漁ったほうが早いんじゃね?」

すでにダルは資料を探し始めている。

俺は急に不安になった。

このまま呑気にハッキングを続けていいんだろうか。

ダルを止めるべきだろうか。

俺が“やってくれ”と頼んだことではあるが、事ここに至って本気でシャレにならなくなってきている。

だが同時に──

俺の中で、抑えがたい好奇心がふくれ上がっているのも確かだ。

“タイムマシンが現実に完成しつつある”

それを確かめたいという誘惑を前にしたら、俺にはダルを止めることはできなかった。

「あった、Zプログラムの中にタイムトラベル理論について解説してるファイルがある」

「ずいぶんあっさり見つかるわね。SERNにしてはワキが甘すぎる」

「SERNが甘いんじゃなくて、僕がすごいっつーか」

「ダルは俺の頼れる右腕(マイ・フェイバリット・ライトアーム)であり」

「スーパーハカーだっけ」

ハッカー

 

 

「それでクリスティーナ、なんと書いてある?」

やはりこれも英語のため、俺たちは助手を頼るしかなかった。

「ええっと……ちょっと読む時間をくれない?」

紅莉栖の目が、字を追って左右に動く。

俺たちの頼みにも特に嫌がる素振りを見せない。

というより紅莉栖にしても、知らずにはいられないのだろう。

「ウソ……これ……ホントに……? タイターって……何者なのよ……?」

「なにをブツブツ言っている。なにが書かれているのか教えてくれ」

「……あ、うん。なんか、はめられたような気がしてならない」

「どういう意味だ?」

「ほぼ一緒なのよ。……ジョン・タイターが語った理論の内容と。ざっと説明すると──LHCによって、陽子を光速の99.9999991%まで加速して正面衝突させるの。そうすると、10⁻²⁴kgの質量を、10⁻¹⁹mっていう、とても狭い範囲に圧縮して押し込むことができる」

「日本語でOK。3行で」

「すごく狭い場所。すごく小さい質量。無理矢理ねじ込む」

その説明は適当すぎだろ……。

「その説明はエロすぎだろ常考!」

 

 

 

「はあ? どこがどうエロいのよ──………………っ。は、橋田のHENTAIっ!」

「そう言う牧瀬氏も、なかなかの妄想能力の高さじゃね?」

「い、一緒にすんな!」

真っ赤な顔をしながら否定しても、説得力はゼロである。

「アホは相手にするなクリスティーナ。続きを」

「……うぅ。ええと、なんの話だったっけ」

「無理矢理ねじ込む話」

「陽子の圧縮の話だ」

「その圧縮が成功すると、ミクロ特異点ができるんだけど──」

「ミクロ特異点? ミニブラックホールじゃなくて?」

「意味はほとんど同じだ。特異点はいわば、ブラックホールの中心だからな」

「このミクロ特異点が2つあるブラックホールを作るのよ」

中心が2つあるブラックホール……?

頭につむじが2つあるようなものだろうか。違う気がする……。

「擬人化希望」

「はいはい、ミクちゃんとクロちゃんでいいか?」

「姉妹とか萌えるぜハァハァ」

「ミクちゃんとクロちゃんは、電子を与えると、自由に操れるようになるのよ」

「電気ショックで拷問か。それなんてエロゲ?」

「…………操作できるようになった2人を、超高速回転させるの。すると理論的に、ミクちゃんとクロちゃんは、2人とも魔法少女“リング状特異点”に変身する」

「変身バンクですね分かります」

 

 

それにしてもこのスーパーハカーも助手も、ノリノリである

「これで、カー・ブラックホール効果が生まれることになる」

「そもそもカー・ブラックホールってなんぞ? さっき、回転しているって言ってたけど」

「そのままの意味」

「でもブラックホールって普通、回転してんじゃね? 穴に向かって渦巻いてるじゃん」

「その回転してるように見える部分は、ブラックホールに吸い込まれつつある、周囲の物質でしかない。普通のブラックホールは、超質量により重力崩壊を起こした中心点があるだけ。そこに向かってあらゆるものが落ちていってるの。それは点って言うぐらいだから、回転はしてない。一方のカー・ブラックホールは、さっき言った通り、中心が点じゃなくてリング状なのよ。ミクちゃんとクロちゃんは、普通の人間ではありえないことに、魔法少女化すると心臓が体内でグルグルとリング状に回転してるって考えて」

「……グロは勘弁だお」

「助手よ、お前はさっきこう言ったな。カー・ブラックホールは実在したとしても証明しようがないと。それはどういう意味だ?」

ブラックホールには事象の地平線(イベント・ホライゾン)というものがある。この内側に入ると、時間と空間の役割が入れ替わってしまうわけで」

「時間と空間の役割が入れ替わる?」

「私たちは今、空間を自由に移動できるけど、時間を1分過去に戻すことはできない。それが入れ替わるのよ。事象の地平線(イベント・ホライゾン)の向こう側だと、空間の移動は不可能になり、逆に時間を移動可能になる」

さっぱり想像できん……。

「空間の移動が不可能だから、ブラックホールからの再脱出はできないと言える。例えば岡部がブラックホールに突入した場合に体験するのは、“永遠に引き延ばされた時間”なの。光が再脱出不可能ということは、人の目にはどうやったって事象の地平線(イベント・ホライゾン)の向こう側は見ることができない。観測も証明も不可能。ただし例外もある。タイムトラベルにカー・ブラックホールを使う場合、この例外こそが重要なのよ」

「もったいぶらずに教えてもらおうか」

「カー・ブラックホールは、特異点──中心が回転しているわけだから角運動量が存在する」

「だから日本語でOKだって」

「中心点が回転してるってさっき説明したでしょ。その回転運動量って思えばいい。ミクちゃんとクロちゃんに電子を与え続けると、自由に操ることができるわけだけど──カー・ブラックホールの特徴は、角運動量が質量が上回ると、事象の地平線(イベント・ホライゾン)がなくなって特異点が裸の状態になること」

「は、裸……だと……? 魔法少女のコスチュームは露出度たけぇというわけですな。これ、アニメ化マダー?」」

俺と紅莉栖は、ダルの妄言を華麗にスルーすることにした。

「裸になることで、観測不可能だったものが観測可能になるわけか」

「事象の地平線(イベント・ホライゾン)がなくなることで、時間と空間の役割が入れ替わる必要はなくなった。裸の特異点に向けて、その入れ替わりを回避して突入できるようになる。そして裸の特異点の存在は、一般相対性理論因果律を破綻させるわ。宇宙の 法則が 乱れるのよ」

「そ、そんなもの、存在できるのか?」

相対性理論、すなわち因果律の否定は、重大なパラドックスを引き起こす可能性があると、紅莉栖も以前言っていたではないか。

「これまでも、存在する可能性は高い、と予測されていた。矛盾するようだけど、証明はされてる。因果律が破綻してるわけだから、その裸の特異点に突入すれば過去へ遡ることができる」

確かに、ジョン・タイターが語った内容と同じだ。

やはりタイターのタイムマシンにはSERNのタイムマシン技術が使われていると見るべきだろう。

もっとも、タイターのタイムマシンはとてもコンパクトで、車にできるらしいが。

直径27kmのLHCを使ったタイムマシンから、24年でそこまで小型化に成功させた、ということなのだろう。

「分からないのは、特異点に電子を注入する部分ね。見て。このLHCの写真だけど、陽子衝突地点に妙な機器が設置されてる『リフター』っていう名前で呼ばれてるみたいだけど……いったいなんのことだか」

「ダル、聞いたことは?」

「リフター、リフター……。さっきのZプログラムにもチラッと出てきたよな。ググってみる?」

ダルはモニタにブラウザを開き、検索エンジンで『リフター』と入力した。

 

……。

 

「おお、ヒットしてるし」

 

 

リフターの検索結果422000件(0.25秒)

 

モニタにはそう表示されていた。

 

 

「こんなに? 機密でもなんでもないのかな……」

 

「もしかしてこれじゃないか? イオンクラフト」

「イオン、つまり電荷を持った原子や分子のことね。意味としては一致する」


『イオンクラフト(リフター)』という文字が出ているページをクリックさせた。

リンク先へ飛ぶ。

動画が表示された。

 

 


場所はどこかのガレージのようだ。

と言っても秘密めいたものは感じない。本当にごく普通のアメリカの一般家庭にありそうなガレージという感じ。

画面中央に、アルミ箔で作られたと思われる、三角形をした模型のようなものが置いてある。大きさは高さにして10センチ程度、幅も30センチはないぐらいだ。

細い導線で、電圧機らしきものと繋がれている。

ずいぶん安っぽく見える装置だ。

それだけだ。

他にはなにもない。

撮影している人物が、よく分からない言語──ロシア語あたりだろうか? ──でなにやら説明した後、おもむろに電圧機のスイッチを入れた。

すると──


「あ、浮いた……」


銀紙で作られた三角形の模型が、音もなく宙に浮き上がったのだ。

そしてそのまま静止している。


「反重力装置……だと……」

「そんなのあるわけない。あったら世紀の大発見よ。イオンクラフト……って言うぐらいだから、この場合、帯電した空気と電極が関係してるんだと思う……」


紅莉栖もあまり自信はないらしく、いつもの強気の口調ではなくなっている。

だがイオンクラフトについてさらに調べていくと、色々と分かってきた。

どのサイトも作り方については詳しいが、リフターが浮上する原理については、いくつかの説はあるものの実はよく分かっていないようだ。

 


「そのリフターに、SERNが目を付けた。そしてタイムトラベルに必要な装置として組み込んでいる。ミクロ特異点の質量や重力場を操作できるとなれば、やはりこれは反重力装置ということだろう!」

「まあ、そういう限定的条件に当てはめるなら、間違いじゃないかもしれないけど」


なんということだ。

ますます俺の好奇心がくすぐられてきた。


「でも、SERNはこのリフターの調整に苦労してるみたいね。ミクロ特異点の重力調整がうまくできていない。だから、完全な裸の特異点を作れていない」

「そのせいで被験者がゼリーマンになっていると見るべきだな」


俺の言葉に、紅莉栖はうなずいた。


「裸の特異点が作れていないなら、つまり被験者はブラックホールに放り込まれるのと同じだから、突入するだけですさまじい質量によって押し潰されるに決まってる。その結果、あらゆる物質がフラクタル構造になってしまった……。という仮説を提示してみる。実際はどうなってるのかさっぱり。調べるだけで何ヶ月もかかりそう」


紅莉栖は肩をすくめてお手上げポーズだ。


「リフターはまだ未完成、か」


タイターの言葉を信じるならば、タイムマシンが完成するにはあと24年の歳月が必要である。


「つまり、俺たちが先に電話レンジ(仮)を完成させれば、SERNを出し抜くことも可能というわけだ……!」

「規模が全然違う。それに、SERNでさえ完成させていないのに、あんたにできるわけないでしょ。これは簡単に解決できる問題じゃない。そもそも時間移動調整や、時間跳躍後の場所指定の問題も、SERNは解決できてないし。ゼリーマンの発見時期や発見場所がバラバラなのも納得だわ。例えば、地の底とか宇宙空間とかに放り出されたゼリーマンもいるかもしれない。見つかっているゼリーマン以外にもね、というかその可能性は限りなく100%に近い。地球から何万kmも離れた宇宙空間に放り出されたら、タイムトラベルしても無意味。まったく実用的じゃないわ」
「可変重力ロックシステム、というようなものがあるとタイターは言っていた。それによって地球の重力を捉え、必ず地球がある場所に到着できるようになると」
「タイターの説明はその点については曖昧だわ。そういう機械がある、というだけじゃ説明にはならない」

「でも時間移動したら、同じ場所に出るだけじゃないの?」

「出るわけないでしょ」

「なんで?」

「地球は常に動き続けているからだ」

「そう。自転と公転。地球の自転速度は時速にしてだいたい1650キロ。公転速度は時速で考えるとおよそ114000キロ。1時間前にいた座標から、私たちはそれだけ離れることになる」

「むほー、そう考えると僕たちって、テラハヤス」

「それだけじゃない。地球を含む太陽系は銀河系(ミルキーウェイ)に属してる。銀河系は渦を巻いているところから分かる通り、回転してるのよ。諸説あるけど、だいたい1日に5000万kmぐらい地球が移動する速さでね」


よくもまあ、そこまでスラスラと数字が出てくるものだ。

いくら天才少女と言えど、一度じっくり調べでもしない限り、その数字は知る機会がないぞ。


「なんかもうスケールが途方もないぞな」

「ついでに言うと銀河系を含む複数の銀河で銀河群が形成されているし、さらに上のグループとして超銀河団っていうのもある。それらの銀河群も超銀河団も、動いているかもしれないわけ。そうなると飛躍的に私たちの移動距離は伸びる。いずれにせよ、ほんの1秒前に跳ぼうとするだけでも、膨大な局所場指定の計算が必要になるのよ。手動じゃ無理だし、同じ場所に移動しようと思ったらスパコンで計算したって解が出るまでに何年かかるか」

「フッ、ならば仕方あるまい。タイターを探し出し、その可変重力システムを借りようではないか」

「それは名案ね。せいぜい頑張って。……この問題についてSERNはどうしようとしてるのかな……」

「…………」

「…………」


紅莉栖は俺の案を検討しようともせず、またSERNの資料を漁り始めた。

英語に詳しくない俺とダルは、紅莉栖のモニタ独占行為を咎めることすらできなかった。


……。