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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【40】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
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「…………」

「…………」


2時間、か。

じっと息を潜めているのって、こんなにも疲れるものだったんだな。

世莉架は困ったような顔をして膝を抱えている。

この10分くらい、落ち着きがなくなってきているように見えるのは気のせいだろうか。

 

 

 

「変なの。まさかこの年で、タクと一緒に女子トイレの個室に何時間も籠もることになるなんて」
「そう言わずにもうちょっと付き合ってくれ」

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-


そうは言ったものの。


「…………」


正直なところ、僕としても今日のところは終わりにするべきかと考え始めていた。

なぜかと言えば。

……僕は今、猛烈にトイレに行きたいからだ。

要するに、漏れそうなのだ。

もちろん、自分がすでにトイレにいることについては重々承知している。

でもさすがに女子便所で、というか世莉架のいる前で用を足すのはまずいと思って、我慢していたんだ。

でも、それもそろそろ限界だ……。

とは言え、こんな生理現象ごときでみすみすこのチャンスを逃したなんてことになったら、かっこ悪いことこの上ない。伊藤にも笑われてしまうだろう。

僕は新聞部の部長なんだ。

副部長の反対を押し切ってまで今回の取材を決行した。

諦められない。僕にもメンツがある。

だから、僕は──


「なあ、尾上」

 



「う? 帰る気になった?」


世莉架はホッとしたように立ち上がった。


「それがいいよ。また明日来ようよ」
「いや、まだ帰らない」
「じゃ、なに?」
「……ションベンしたい」
「う?」
「だから悪いけど、一瞬外に出ててくれないか」
「え、やだよ。見つかっちゃうよ」
「ほんの30秒ぐらいでいいから!」
「やだって! それならタクが出てってよ!」
「僕がションベンしたいのに、なんで僕が出ていかなくちゃいけないんだ!」
「あ、そっか。じゃあ、後ろ向いててあげるからここでしちゃいなよ」
「…………」
「…………」

 

 

こいつは、なぜこんなにも無邪気に、衝撃的な提案ができるのか。


「は、恥ずかしいだろ!」
「えー、いまさらじゃん。私とタクの間柄でしょ」
「お前、本気で言ってるのか!? っていうかお前、本気で言ってるのか!?」


たまらず同じ言葉も二度も繰り返してしまった。


「いいからいいから。パパッとやっちゃいなって」


世莉架は少しニヤニヤしながらそう言うと、僕に背を向けた。

あくまで個室から出て行くつもりはないらしい。


「……っ」


無理だろ。いくらなんでも無理だ。

でも、正直なところもう僕の下半身は決壊寸前だった。

これ以上は耐えられそうにない。

仕方ない……っ!


「ぜ、絶対、こっち見るなよ……! 絶対だぞ!」

 



「おっけい」

 

 

 

僕は便座を上げると、チャックを下ろし、構えた。

必死で閉じてきた門を開くと、それまでの苦しさから解放され幸福感に包まれる。

 

はああああ~~~。助かった。

 



「…………」

「…………」


それにしても、音が、猛烈に恥ずかしい。

世莉架に、耳を塞いでおいてもらえばよかった。

でももう遅い。

むしろ今から耳を塞ぐようお願いするのは、もっと恥ずかしい。

 



「…………」

「…………」


そして、ずっと我慢していたせいか、なかなか止まらない。


長い。自分でも軽く引くぐらい、とめどなく放出され続ける。

早く……早く全部出てくれ……。


「…………」



 

 

「…………プッ」


「!?」


こいつ、笑った!


今、笑ったぞ!


人が用を足しているのを聞いて、笑うとか、どういうつもりだよ!

 

 



「いっぱい出るね」
「あ、はい」


死にたい。


死ぬ。

 

誰か殺せ。

 

 

 

 

 

 

 

なんていう事態になったら、一生立ち直れない気がする。

今の僕と世莉架は、そうなってもおかしくない状況の中にいるわけで。

やはり、そろそろ潮時かもしれない。


……。

 

 

 

 

 

 


--------------------

 

 

 

 

 

 

表情こそいつもと変わっていないが、何か困っているような雰囲気だった。

いったいどうしたんだろう?

何か手伝ってほしいのか?

僕も生徒会室に戻らないといけないんだけれど……。


「…………」


ただ、香月がこんなふうに僕を頼ってくることはめったにないので、気になった。

このままスルーしてしまうのも気が引ける。

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-

 


「わかったよ。しょうがないからついてってやる」



 

「…………」


嘘、だ……。

香月が笑った?

これはめちゃくちゃにレアな光景だぞ。


「そ、それで、どこへ行くんだ?」


もしかしたら、この後とんでもないことが起きるんじゃないかという予感にほんの少し胸をときめかせながら、僕は尋ねた。


……。

 



連れて来られたのは屋上だった。

いったいここで何を……。


「ふぉっふぉっふぉ」


「え?」

 

 

 

「ふぉっふぉっふぉっふぉ」


香月が……声を出して笑った?


というか、その笑い声はなんだ。


「ど、どうしたんだ、香月……」



 

「ワタシハ、カヅキ、ナドトイウナマエデハ、ナイ」


それはまるで、プライバシー保護のための音声処理を施されているかのような声だった。

 

 



「ワレワレハ、ウチュウジンダ」

「な、何を……」


ワレワレ、って、香月ひとりしかいないじゃないか。

それを指摘するのは、もしかして野暮なのだろうか。

この香月の突然の豹変について、最も高そうな可能性を検討してみる。

演劇、だろうか? 芝居の練習かもしれない。香月のクラスは宇宙人を題材にした演劇をやるのだとしたら?

その練習相手として、部の先輩である僕に白羽の矢が立ったのかもしれない。それならば、付き合ってやるべきなのだろうか。

 

 

 

「コレカラ、UFOヲ、ヨブ」

「UFO……だって?」


自分でUFOって言うなんて……。

それってどうなんだ?

だってUFOって『Unidentified Flying Object』、つまりは未確認飛行物体の略称だぞ。

自分の船なのに、未確認?

 



「ニゲラレルト、オモウナ。オマエヲツレサッテ、キャトルミューティレーションシテヤル」

「エイリアン・アブダクションのこと?」

「…………」


香月はわずかに首を傾げつつ、無表情で僕に歩み寄ってくると。


キャトルミューティレーション、ダ!」



 

 

 

「が……はっ……!?」


気が付けば、香月の指先が鋭利な錐(きり)のような形状に変化し、僕の胸に突き刺さっていた。

およそ現実離れした状況。まるでマンガのようだ。

でも、神経を通して全身を駆け巡る激痛が、これを現実だと僕の脳に無理矢理認識させてくる。

逃げようとしたけれど、手遅れだった。

 



「オマエノケツエキヲ、スイダシテヤル」



 

──!


「は……ああ……」


なぜか、痛みは消えていた。

むしろ少し気持ちよかった。

意識がぼうっとする。

自分の手を見てみると、血管が普段よりもずっとくっきりと赤紫色に浮き出ていた。


「ふぉっふぉっふぉ。オマエノケツエキガ、ワタシノカラダノナカデ、ワタシノケツエキト、マジリアッテイク。オイシイ……オイシイ……モット……モット……」

 


「あ……あ……」


この感覚は、なんだろう。

とても心地がいい。

そう、まるで、すごく疲れているときに、温かい布団に入ってスーッと眠りに落ちていくときのようだ。

全身に気怠さのようなものがあるけれど、それすらも心地いい。

 

 

 

この感覚が永遠に続いてほしいと願いながら、僕は、そっと目を閉じた。

少しずつ、徐々に徐々に、身体の感覚が消えていく。

それと同時に、まるで空でも飛んでいるんじゃないかというような浮遊感まで覚えて。


「は……あ……」

「オヤスミ、センパイ」


そこで、ぷっつりと僕の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

「…………」


僕って、香月のことをほんのわずかでも宇宙人だと疑っていたんだろうか。

自分でも驚きだ。

それにしても、どうしてエイリアンアブダクションって、アメリカではやたらと多いのに、日本での証言例はほぼ皆無なんだろう。

やっぱり文化や流行の違いだろうか。

アメリカにおける宇宙人の存在は、日本の妖怪と同じ立ち位置だったりするのかもしれない。この考察について、誰かに一席ぶちたい気分だ。

そんなことを考えつつ香月の後ろを歩いていたら、校庭に来ていた。


……。

 

 

 

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めちゃくちゃにベタな状況じゃないか。

と、とにかくこの状態をなんとかしないことには。

それにしても香月のやつ、なんて軽いんだ。

まあ身長は高い方じゃないけど、スタイル自体はそう悪くないというかむしろ──


──って、何考えてるんだ僕は!

こんな状況で誰かが来たらどうするつもりだ。

だ、ダメだ、早くなんとかしないと。

でも……もう少しこの感触を楽しんでいたい気もしないでは……。

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-

 

 


「……監視されているの……」


え?


それは辛うじて聞こえるかどうかというほどの、か細い声だった。

こんな風に香月の下敷きにならなければ、聞こえることはなかっただろう。


「私は監視されています。24時間ずっとです。学校にいるときも通学途中も家にいるときもゲームをしているときも監視の目を感じるんです。彼らは巧妙に姿を隠しているんですよ。実際には隠していないのですが、隠さないことで逆に紛れているんです。そうしてたまに私に接触してきます。それは彼らなりの警告です。お前を監視しているぞと私に教えているんですね」


僕はそこまで聞いて、悟った。

香月は、喋らないんじゃない。

誰もが、喋っていることに気付いていなかっただけなんだと。

 


「今日は学校に来る途中でサラリーマンの男の人とぶつかりました。私はカバンの中身をぶちまけてしまいました。その人は謝りながら拾うのを手伝ってくれたんですよ。その人も彼らの仲間であり私を監視している1人です。間違いないです。街のあちこちにいるんです。そうやって何気なく私を見張っている人は他にもたくさんいます。家には、調べてはいませんが盗聴器がおそらく十個以上は仕掛けられているでしょうね。なぜ調べないのかと言えば、調べると彼らに気付かれるからです。もし私が盗聴器の存在に気付いていることが知られたら、彼らはもっと直接的な行動に出てくるでしょう。だから私は気付かないフリをすることしかできません。家の前の駐車場にはいつも怪しい白いワゴンが停まっています。その車は本当に毎日毎日、ずっとそこに停まっているんです。一度、人が乗っているのを見ました。エンジンもかけずに助手席に座っていました。運転席は空っぽでした。盗聴器が拾う音を聞いていたんだと思います。学校でも常に見張られています。今こうして先輩と密着していることもすでに"上"に報告されているでしょうね。生徒の中にスパイが紛れ込んでいます。しかも1人や2人ではなく何十人という数です。私が校内のどこへ行こうとも必ず誰かが私を見ています。例えば私のクラスの大河内さんはスパイです。以前、一週間の間にトイレで8回も会いました。私を尾行しているんです。直接大河内さんに"あなたはスパイでしょう"と聞いてみました。正しくは怒鳴ったんですが。そうしたら彼女はしまったという顔をして逃げていきました。宮代先輩も、私と同じ部なので当然見張られています。乃々先輩や世莉架先輩は伊藤先輩に不自然な様子はありませんでしたか? 視線を感じませんか。私は感じます。私が部室でゲームをしているときが多いです。場合によってはコソコソと小声で話しているのをわざと私に聞かせてきたりします。そういうとき私は気付いているけれど気付いていないフリをするために、壁を殴ります。ええ、隣の部屋の壁越しに声が聞こえてくるんですよ。殴るとしばらくは静かになりますが、また1時間もしないうちにヒソヒソと話し出すんです。すごくムカつきます。彼らは巧妙に私たちの日常生活の中に紛れこんでいます。よっぽど注意しないと彼らの正体には気付くことができません。でも私が今こうして話したからもう先輩も気付いてしまった。先輩の家も盗聴されています。もしかしたら隠しカメラもあるかも。あの公園のホームレスの中にもスパイはいます。私のスカートのポケットの中に護身用の催涙スプレーが入っています。それをこっそり持っていってください。いざというときに使うんです。それとも先輩もスパイですか。だとしたらそう言ってください。私は誰も信じません。先輩のことも信じていません。どうなんですか」


「か、香月? えっと、落ち着いて──」

 

 

 



「スパイですかぁ!?」
「……!?」

 



「ス・パ・イ、なんですかぁっ!? スパイですよね私のこといつも見てますもんね気持ち悪いですやめてください誰か助けて! 誰かぁ!」


どうか……してる……。


「お、お前、どうかしてるよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……香月が喋らないことの真相がそんな理由だとしたら最悪だ。

間違いなく香月とは距離を置くだろう。

まあ、さすがにそれはないだろうけれど。

それより、いつまでもこうしてはいられない。

誰かに見られる前に、立とう。


……。

 

 

 

 

------------------

 

 

 

 

「い、いえ……」


わかるわけがない。


「心当たり、ないです?」
「…………」

 

 

 

心当たりがあるとすれば、やっぱりあの件だけだ。

でも、今目の前にいる彼女を見ると、本当にあの時の女の子と同一人物なのかと疑ってしまう。


(……どっちの姿が本当の彼女なんだろう?)


もしも。

もしも、僕の想像してる方が本当の彼女なのだとしたら。

その場合、彼女が僕をここに連れてきた理由はきっと……。

 

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-

 

 

 

「いったい何を……」
「実は、先輩の家を調べさせてもらいました」
「な、なんだって!? いったいいつの間に!? いや、それよりどうやって中に……!」
「それについては、こちらのお二人に協力してもらっちまったんですなあ、これが」
「え?」

 



「…………」

「…………」


「な、ちょっ、なんで……! っていうか、来栖、何やってるんだよ、安静にしてないと──」

「はい、ストーップ。そんなこと今はいいんですって。それより、先輩の家を捜索して、ヤバイ秘密を突き止めちゃいましてね」

「は? ヤバイ秘密って……いったい……」

 

 

頭の中で、必死に考えてみた。

僕のヤバイ秘密って何だ?



 

あのトレーラーハウスに隠している、僕の秘密?

ピンと来ない。心当たりは、ありそうでなかった。



 

「あれ~、分かりません? あなた、大変なものを集める趣味がおありのようで」


ゴミでも見るような冷たい視線を向けてくる。

さっきまでは、馴れ馴れしい後輩っていう雰囲気だったのに。

今の有村さんは、まるで刑事みたいだ。以前、本物の刑事と会っていたみたいだけど、それと関係があるんだろうか。


「…………」

「…………」


一方の世莉架や来栖は、さっきから僕と目を合わせようとしない。

そんな2人の態度の方が、よりショックだった。


「言いたいことがあるなら、はっきり言ったら、どうですか?」


勇気を振り絞って有村さんにそう詰め寄ったら。


「フン。これですよこれ」


有村さんは、バッグから雑誌のようなものを取り出すと、無造作に机の上に放り捨てた。

 



それを見て、僕は愕然となった。


「なっ! そんなバカな! どうしてこれを!」

「ようやく事態を把握しましたか。宮代先輩、その雑誌名を言ってみてください」

「…………」

「言いなさい!」

「クール……キャット……プレス……」


そう、それは紛れもなく、ゲンさんから仕入れている僕の愛読書だった。


「な、なななななぜこれをっっっ!!!!」

「宮代先輩の人となりを調査するためです」

「クールキャットプレスは関係ないだろ!」

「あります、大ありですよ。宮代先輩の性癖を把握する上で、重要な証拠です」

「僕の性癖を知って、どうするつもりだ……。あ、いや、誤解しないでほしいん……ですけど、クールキャットプレスを買っているのは、性的な欲求のためじゃなくてですね。むしろ、サブカル関連の情報を得るためと言いますか……っ」

「言い訳は見苦しいですよ」

「本当だって! なあ、尾上、来栖、信じてくれるよな!?」



 

「…………」

「…………」


世莉架と来栖は、ますます僕から目をそらした。


「そんな……どうして……」

「自分の行ないについて冷静に思い返してみたらどうです? 宮代先輩は証拠を残しているんですよ。クールキャットプレスを、性的欲求のために買っているんだっていう証拠を!」

「証拠……?」

 

 

戸惑いつつ、机の上に置かれた数冊のクールキャットプレスへと視線を向けてみた。

そして気付いた。

どのクールキャットプレスにも、いくつもの付箋が張り付けられていることに。


「しまっ──」


血の気が引いた。

その付箋は紛れもなく僕が貼ったものであり、何を意味しているのかを当然僕自身も知っていた。


「理解しました?」

「いや……その……」

「先輩って几帳面ですよね。あ、そうだ。ちょっと付箋の貼ってあるページに何が書いてあるか、読み上げてみましょうか。尾上さんと来栖先輩にも協力してもらって」

「はあ!? な、何でそんな──」

「面白そうだからに決まってるじゃないですか」


有村さんはにこりともせずにそう言うと、おもむろにクールキャットプレスを1冊、手に取った。

付箋の貼ってあるページを開き、わざとらしく僕を一瞥してから、口を開いた。

 

 

 

「『新しいキッス感覚の旅に出る』」


「ははあ、キッスに興味がおありですか」

「ぐほぁ!」

「次」



 

「『2回目のデートでお持ち帰り必勝法』」


「そもそも1回目のデートすらしたことないだろ、みたいなツッコミ欲しいですか?」

「あ……あ……」



 

「『脅威のコタツマジックで女の子はスキだらけ。コタツでオトせ!』」


「…………コタツ

「うぐぐ……」

 


精神力が、削り取られていく。

 

これは、想像以上にキツい拷問だぞ!

 


「はい、じゃ次は尾上さん」

「!?」

 


世莉架が、おずおずとした様子で寄ってきた。

僕とはやっぱり目を合わせようとしない。

別のクールキャットプレスを手に取り、少し恥ずかしそうに付箋の付いたページを開く。


「読んで」

 

 

 

「『女の子の感じるツボ大図解』」


「ツボ。指圧師でも目指すつもりですか。夢があっていいですね」

「あああ……」

「はい次」



 

「『海を見に行こうヨ、と誘えば女の子は付いてくる!』」


「海っすか。付いてかないですよ」

「ごふ……」

「はい、じゃ次は来栖先輩」

 


嘘だろ……。

 

身内に性癖がバレることほど、辛いことはないんだぞ。

 

それを知って、やっているのかよ、有村雛絵……!!!

 

 

 

 

「『学校内恋愛の落とし穴、別れた後に気を付けろ』」


「付き合う前から、別れた後の心配っすか。まず女子と付き合えるかどうかを心配しましょうよ」

「もう許して……」

「じゃ、そろそろ最後」



「『フラれたときに聞きたいバラードトップ10』」

 


「フラれたときって。最初から負け戦想定してるんですか。それとも、フラれて落ち込んでる俺かっこいいみたいな厨二な妄想ですか。恥ずかし~」

「もうやめてくれーーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 


そんなことになったら自殺する。

いやいや、そもそも実際にはクールキャットプレスに付箋なんてそんなにたくさん貼ってないし!

そうだよ、1ヶ所とか、2ヶ所とか、それぐらいだよ。

それも、そういうナンパ的な特集ページじゃなくて、南方謙二先生のコラムとか、男子のモテファッション特集ページとか、そういうのばかりで……。

この話はもうやめよう。

それより有村さんの、僕をここに連れ込んだ理由についてだ。

と言っても、もうおおよその予想はついていた。


……。

 

 

 


-------------------

 

 

 

 

 

「こちょこちょこちょ~」

「っ……んんっ……!」

「こぉら、逃げちゃだめ~」

「んんん……っ」


「…………」


おい。

女子2人はいつまではしゃいでるんだ。さっさと寝ろよ。

そもそも、どうして女子ってそういうスキンシップが好きなんだろう。女子同士だとすぐにイチャつくよな。恋人でもないのに。

すぐ横に僕や伊藤がいるんだぞ。

無防備にもほどがある。

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-

 

 


「はあ……はあ……」

「はあ……はあ……」

「はあ……はあ……」

「はあ……はあ……」


真っ暗で静かな部室に、2人の荒い吐息だけが聞こえていて。

それを聞いている僕まで、おかしくなってしまいそうで。

と、そのときだった。


──!


寝たフリをしていた僕の股間を、誰かの温かい手がそっと触ってきたのだ。

 



「……!?」

 



思わず叫んで飛び起きてしまいそうになったけれど、今度は口を手で塞がれてしまう。


「…………」


誰の仕業だろう。

香月だろうか、世莉架だろうか。

さっきからやたらと積極的に香月にスキンシップを図っていたのは世莉架だった。

じゃあ、世莉架が?

僕の股間を触っているのか!?

世莉架って、そういうやつだったっけ?

いやいや、でも僕らももう高校生。

いつまでも子供じゃいられない。

そ、それにしても……大胆にも、ほどがあるだろ。

もし伊藤にこの状況がバレたらまずいことになるぞ。

そんなことを考えてしまって、僕は声に出すことができなかった。

抵抗もせず、じっと目を閉じて時間がすぎるのを待つ。

相手の手は、僕の口と股間から離れようとしない。

僕は、世莉架のこの大胆な誘いを受け入れるべきなんだろうか。

でも、こんなの──

 



「はあ……はあ……」


耳元で荒い息が聞こえる。

きっと世莉架が興奮して──


「はあ……はあ……」


世莉架が……興奮……して?



 


「宮代……宮代ぉ……」



 

 

「ぎゃああああああああああああああ!!!」



 

 

 

 

 

 

「うそだああああああああ!!」


あまりの悪夢に、僕は叫びながら飛び起きた。

 

 

「う!? タク、どしたの!?」

「……?」

「なんだなんだ? どうした?」


「あ、いや……」


我に返ってみんなの顔を見てみると、どうやら世莉架も香月も伊藤も寝ていたらしく、眠そうに目を擦っている。


……でも、本当にそうだろうか?


僕が股間をモミモミされたのは、本当に夢か?

今、伊藤が"眠そうな演技"をしている可能性は?


「っ……」


それを想像したらゾッとした。

これ以上、踏み込んではいけない。

なかったことにしなければならない。


……。

 

 

 

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黙って建物を仰ぎ見る。

三階の居住スペース。その端の部屋には確かに電気が点いている。

ということは、起きているということだ。

わかっていたことではあるが、それでも嘆息を禁じ得ない。

これで僕に残された一縷の望みは絶たれたということだ。

あの後、電話に出た世莉架は、来栖の声を聞くよりも先に僕にスマホを手渡した。

 



聞こえてきたのは、案の定必要以上に冷静な来栖の声。

それが、かなり怒っている時だということは、僕も世莉架も、そして伊藤たちも経験上当然知っている。



 

感情の起伏のない声で、とにかく来るようにという声に言い訳すら出来なかった。

僕が着いた頃には眠っていてくれないだろうかと心の中で願っていたけれど……。

そんなものは淡い期待に過ぎなかったと今まさに思い知らされたところだ。


「…………」


いや、まだ今日の件と決まったわけじゃない。

もしかしたら別の可能性だって──

 

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-

 

 

 


そうだ、もしかしたら来栖も不安なのかもしれないじゃないか。

僕はすでに一度、事件の発見者になっている。

今日だって第一発見者になった。

もしも一連の事件が連続殺人犯なら、まだ犯人はつかまっていないわけで。

僕は実はかなり危うい立場にあるとも言えるんだ。

警察と同じくらい、犯人のことを追いかけているという意味で。

事件の謎に迫りすぎたがゆえに、僕自身が犯人に狙われる可能性だって、じゅうぶんに有り得る。


と言うか──


新聞部の副部長であり僕の義姉でもある来栖にも、それは当てはまるんじゃないか?

ましてや、来栖が暴漢に刺されたのはついこの前だ。

あの暴漢は逮捕されたけれど、精神にかなり異常を来していたと聞いた。

もしも、あの暴漢が来栖を刺したのは、一連の事件の真犯人による差し金だったとしたら?

僕のスマホを拾った人間が、来栖の写真や連絡先を見て、来栖を狙っているのだとしたら?


「そんなの……考えすぎだ」


僕は自分にそう言い聞かせて、家に入った。


……。

 

 

 


でも、いざ来栖の部屋のドアをノックしても、中から返事はなかった。

寝ているのかと思ってドアを開けようとしたけれど、内側から鍵が掛かっていた。外から見たとき、部屋の電気は付いていたのに。点けっぱなしで寝ているのかもしれない。



 

父さんや結衣、結人の姿も見当たらなかった。

いつもはみんながいて騒がしいこの家が、やけに静かに感じられて、何だか居心地が悪かった。

……どうして、みんな、いないんだ?

どこに出掛けた?

来栖を置いて食事にでも行ったのか?

でも時間を見ると、普通なら父さんは病院を閉めて残務作業をしている時間だ。

そもそも玄関の──というより病院の入り口ドアは施錠されていなかった。

電気だってあちこち点けっぱなしだった。


「まさか……な」


イヤな想像をしてしまう。

どんどん、悪い方、悪い方へと考えが行ってしまう。

試しに家の固定電話から、来栖のスマホに電話してみた。

と、遠くで着信音が鳴るのが聞こえた。来栖の部屋からだ。

やっぱり寝ているんだろう。

人を呼び出しておいて寝てるなんて。

いいご身分だよ、まったく。


……。


「おい、来栖! なあ、起きろよ! 開けてくれよ! 来栖! 起きろ! おいって!」


おかしい。

これだけドアを叩いているのに、中からはまったく反応がない。

イヤな予感がまた脳裏をよぎる。

嘘だよな。

そんなわけないよな。

そう思いこもうとするけれど、気持ちばかりが焦っていった。

僕は意を決して、来栖の部屋のドアを蹴破った。


──!!


部屋の中へと飛び込んだ。

そこにあった光景を見て、僕は、言葉を失った。

 

 

 




 

部屋中を染める、圧倒的な、赤、赤、赤、赤。

壁一面に、ベッドに、カーペット、机、ぬいぐるみ……。


部屋のありとあらゆる場所に、真っ赤な血が大量に飛び散っていた。


むせ返るほどの血の匂いに吐き気をもよおし、僕はそれ以上踏み込むことを躊躇してしまう。

これは、いったい、誰の血だ?

部屋の中に、来栖の姿はなかった。

消えた。

父さんや結衣、結人だけでなく、来栖まで。

部屋にこれだけ大量の血を残して。

スマホすら残して。

忽然と、消え失せてしまった。

部屋のドアには中から鍵がかかっていたのに。

窓だって締め切ってあるのに。

神隠し、という言葉が頭の中に浮かんだ。

でも、これは、そんな生やさしいものじゃない。


僕はその場に膝を突き、頭を抱えた。


「う、あああ……」


きっともう、父さんも結衣も結人も──


そして来栖も。


二度と、ここには帰ってこないのだと、痛感していた。

 

 

 

 

 

 

……今のは妄想ではあるけれど、そうならない可能性は、ゼロだとは言い切れない。

それぐらい、僕は今、危うい立場にいるんだよな……。


……。

 

 

 


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ふと見ると。

部屋の片隅に、奇妙なものが立てかけてあるのに気付いた。

 



それは、一言で表現すると"剣"だった。

ただ、万人がそれを見て剣と思うかどうかは微妙なところだ。

それくらい凝った作りになっていて、およそ実用的なものには見えないから。

なぜだか、見ているだけで心に不安がかき立てられて。

すごく、イヤな気分になった。

何だろう、あれは。

コスプレ用、と言われたら信じてしまいそうだった。

少なくとも、目の前にいるこの人のイメージには合わない。

渋谷にうずのケイさんとしても。

僕を罵倒してきた久野里さんとしても。

それとももしかして彼女には、第三の顔でもあったりするんだろうか。

実はイケイケのコスプレイヤーだったり。

実はこっそり自作の実物大武器を作っているオモチャ職人だったり。

実はこういう剣とかを買い集めて悦に入るような中二病患者だったり。

 



いずれにせよ……地雷な予感がした。

これには、触れない方がいい。

見なかったことにした方がいい。

 

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-

 

 

 

「宮代」


「え?」

 



「"その剣が気になるのか"?」

「……!?」


久野里さんの方から話を振ってきたぞ!

せっかくこっちは見ないフリをしようとしてたのに。


「いや、あの、別に……はは」


必死に視線を向けないようにして、愛想笑いで乗り切ろうとする。

空気を読んでくれよ。なんで自分から地雷原に突撃するんだ?

よっぽど自爆したいのか?

そんな僕の心配をよそに、久野里さんは平然とした顔で長剣を手に持った。

軽々と、構える。

その姿はとても凛々しく、美しかった。

思わず、見とれてしまった。

この剣は、長い黒髪の女性に似合う。

なぜか、そんな気がした。

そんな僕の鼻先で、久野里さんは剣を軽く振るった。


──!


空を切る音がした。


いや──


はらりと、僕の前髪がわずかに、舞った。

すさまじい切れ味。

少しでも触れれば──

真っ二つにされる。

切り刻まれる。

たまらず、ゴクリと息を呑んだ。

 



「お前たちを──"お前を"、ここに連れてきたのは、他でもない。口封じのためだ」

「……!?」

「私は、内閣特殊調査室のスーパーエージェント、久野里澪。コードネームは『蒼の剣士』。お前は、今渋谷で進行中の極秘プロジェクトについて知ってしまった。故に、生かしてはおけないんだ。許せ──」

「え?」


久野里さんが、ごく自然に、舞踏の最初のステップのごとく、一歩を踏み出して。


──!


一瞬だった。



 

「あ……あ……タク……? あれ……私……?」



 

世莉架が、その胸から血を噴き出して倒れる。



 

「うわあああ! 尾上!」

「な……!?」


なにが起きたんだ、今……。

久野里さんが剣を振るった瞬間が、まったく見えなかった。

 

 

「全員、生かしては返さん。呪うなら、自分の運命を呪え」

「や、やめろ、やめてくれ──」

 

 

 

──ッ!!

 


「ぎゃあああああ!」


伊藤も断末魔とともにその身体から血を舞わせ、崩れ落ちた。

やっぱり、見えない。

剣の軌跡が、あまりにも速すぎて。


これが──

 

 

 

スーパーエージェント、蒼の剣士……!

久野里さんが僕へと向き直る。

僕はあと数秒後には死ぬだろう。

それなのに、なぜだろう。

剣を持って世莉架と伊藤を殺戮した久野里さんの姿が──


とても、美しいと。


思ってしまった。


「お前が見ている景色は、本物ではない。世界はすべて、エラーだ」


久野里さんが僕に向けて、そんな手向けの言葉を呟いて。

 

 

──ッ!!

 

 

 

 

それきり、僕の意識は途絶えた。

痛みをまるで感じなかったのは、久野里さんの、せめてもの情けだったのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

……ハッ!?


「…………っ」


"だったのかもしれなかった"じゃないだろ!

高3にもなって何をバカな妄想をしているんだ、僕は!

そりゃあ、少年マンガで育ってきた日本人男子ならそういうシチュエーションには必ず憧れるものだけれど。

そもそも、テンプレすぎる。

某週刊少年誌なら10週で打ち切られるレベルだ。

それもこれも部屋の隅に無造作に立てかけられたあの剣がいけないんだ。

あんな、男子なら誰もが抱えている"黒歴史"の琴線をくすぐるような形状をしたあの剣が!

というか、今はあんなオモチャの剣を気にしている場合じゃない。


……。

 

 

 

 

 

 

 


--------------------

 

 

 

 



さいわい、放課後の営業がもうじき終わる時刻なので、食堂内の人影はまばらだ。

ダラダラとどうでも良さそうなことを喋っているやつらが数組と、あとは熱心に本を読んでいる文学少年、少女っぽい連中が数人。

僕らの方に注意を向けている生徒は誰もいない。

これなら、おおぜいに見られて騒ぎになることはないと思うけど……。



「お前って、どのくらいの物が動かせるんだ? 重さとか大きさとか、数とか」
「ええと、そのへんはまだテストしてないな」
「じゃあ、狙いは正確なのか? ターゲット以外の者が動いちゃったりしないのか?」
「それも、まだ……」


なるほど。そういったことは、ちゃんとチェックしておいた方がいいかも知れない。

どうしようか……。

 

 

 

 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 

 

 



よし、やってみるか。


「遊びでやるんじゃないぞ。能力を磨くためだからな?」
「おっ、そうこなくちゃ」
「あと、横から余計なこと言うなよ。意識を集中させないと、ちゃんと出来ないんだ」

 

 

僕はそう答えつつ、伊藤が投げ捨てた空き缶をじっと見つめる。

あの空き缶が、ゴミ箱の小さな穴に飛び込む所を妄想する。


「くっ……」



 

視界の隅に、ジワリとディソードが浮かび上がった。

ここまでは、だいぶこなせるようになってきた。

問題はここからだ。

僕は、頭に描いたイメージをさらに強く妄想しようと──

 



 

 



「宮代、ストップっ」
「あ?」


伊藤の小さな叫び声が、僕の思考を中断するようにいきなり耳に飛び込んできた。


(なんだ!?)


驚いて伊藤の方を見た僕も、ギョッとなった。

ちょうど自販機の陰になっていて気付かなかったが、二人連れの女の子たちが、僕らのいるベンチの近くを通りかかろうとしていた。

それを見て動揺した僕は、使おうとしていた能力を慌てて解除する。

でも、かえってそれがよくなかった。

 

 

 

 

中途半端に能力を受けたコーヒーの空き缶は、その軌道を乱し、ゴミ箱ではなくて、女の子のうちの一人の足元へ飛んだ。


(まずい!)


彼女は、缶が飛んでくることに気付いていない。

このままだと、いきなり足元に転がった缶を踏みつけて、転んでしまうかもしれない。

それで怪我でもさせてしまったら、完全に僕の責任じゃないか!

どうする……?

もう一回、能力を使って缶を止めるか!?

 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 

 

 

(くそっ、止まれっ!)


僕がそう念じた瞬間、彼女に向かっていたコーヒーの缶が、まるで真上から叩かれたように軌道を変えた。

そのまま床に落ちて、大きな音を響かせる。

 

「きゃっ!?
「ひゃあっ!?」


女の子2人は突然の大きな音に仰天し、跳ねるようにして、こっちを振り返った。

その瞬間、彼女たちのスカートが思いっきりひるがえってしまい──。


「うあ……」


女の子は回転しながらも、ふわりとひるがえったスカートをあわてて押さえつけた。


そして、その直後、彼女たちと、思いっきり目が合ってしまった。


女子生徒「や、やだ……」

女子生徒「キモい。なにジロジロ見てんの?」

 

 

「ええっ!? あの、違いますっ。か、缶の音にびっくりしただけで、別に、何も見てないというか、その……」


でも2人は、警戒したまなざしを僕に向けたまま、教室へ向かう階段を駆け上がって行ってしまった。


「…………」


な、な、なんだよっ。

そもそもの原因が僕とはいえ……

危ないところを助けてやったのに。

そもそも僕の位置からじゃ何も見えなかったし。

 

 



「なるほど、そうか、青だな……」


こいつだけは見てたのか。


「いや、それよりも、だ……」


伊藤だけは、ちゃっかりスカートの中を見学した挙句、彼女たちがこっちを見た瞬間、それこそ超能力者のような速度でそっぽを向き、見知らぬ顔をした。

そのせいで、僕だけがエロ疑惑をかけられた。


「おい、伊藤……」
「いやぁ、スゲー能力だな、今の!」


こっちは怒ってるというのに、なぜか伊藤は尊敬のまなざしで僕を見た。


「なに?」
「こんなにうまくスカートの中を覗けるなんて最高だ。尊敬するぜっ」
「そんなの狙ってないッ」
「え? 違うの?」
「違うッ」
「なんだ、つまんねー」
「お前、もう帰れ……」
「いやいやいや。よく聞けよ?」


伊藤がなにやら学者然とした顔になると、僕にグイッと身体を寄せて来た。

 

 

 

「近い。気色悪い」
「いいから、聞けって」
「なんだよ」
「お前は、今、俺たち男子生徒の『神』になったんだ」
「はぁ?」


……なに言ってんだ、こいつは。


──「あー、タクと真ちゃん見つけ!」


僕が眉をひそめていると、世莉架が階段をパタパタと降りてきた。

 



「こんなトコにいたんだねー。私も、なんか飲も」


「マウンテンビューにしろよ」

「うー? うーん」


世莉架はあいまいに頷くと、自販機に小銭を入れ、マウンテンビューの横にあったドクペのボタンを押した。

ガタンという音とともに、ペットボトルが取り出し口に吐き出される。


「宮代っ、今だっ!」
「あ?」
「あのペットボトルを、床に落として転がせっ」
「な、なんだよ、いきなり?」
「いいから、やってみせろってっ。これも能力の訓練だからっ」
「あ、ああ……」


なんだかよく分からないが──とりあえず、世莉架が自販機から取り出そうとしたペットボトルを床に落としてしまう──そんなビジョンを頭に描く。

 

 

 



ディソードはまだ視界から消えておらず、僕の妄想を2人の脳に向かって送り出すのはたやすかった。


──!

 



「ひゃ……っ!」


狙い通り、自販機から取り出されようとしていたペットボトルが、世莉架の手からポンと飛んだ。


そして、妄想したイメージのまま、床をコロコロ転がっていく。


「ふわぁ! 待って待ってぇ」


世莉架はとっさにそれへ手を伸ばし、必死になって追いかけた。



 

──当然、思いっきり"前かがみ"で。

 


「わぁっ!?」



 

「ふむっ。予想通り、純白フリルだったかっ」


伊藤の位置からだと、ばっちり丸見えだ。


「あばばばばば、ばか、おお、おおお前っ!」



 

僕もおそらく半歩あるけばばっちり見えるが、この一歩が果てしなく遠く、重い。

伊藤の意図がやっと分かったものの、転がっていくペットボトルは急には止まらない。

世莉架はこちらに背を向けたまま、床に手を伸ばした姿勢で、ペットボトルを追いかけ続ける。


──!


僕はベンチから跳ね上がるように立つと、伊藤と世莉架の前に立ちはだかった。



 

「何をするんだ、神様っ!?」

「だっだだだだだだだ、だってな!」

「このエロ神っ! さては独り占めするつもりか!」

「ひひ、人聞きの悪いこと言うなっ!」

 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 

 

 



僕は伊藤の視線から世莉架を隠すようにしつつ、新しい妄想を頭に描いた。

転がっていくペットボトルが、世莉架の手の中でピタリと静止するイメージだ。



 

「たったたた、たはぁっ!」


なんだかおかしな掛け声になってしまったが、とにかく彼女を止めるべく、僕は能力を全開にしてぶつけようとした。

が、その瞬間。



 

──「みんな、ここにいたのね」

 

──「っていうか、何してんの、せり?」

 

──「ん-?」

 

 

 



生徒会の仕事が終わったらしい来栖と一緒に、有村と香月が揃って階段を下りてきたところだった。


(よりによって、こんな時に!?)


僕の意識が、そちらへ完全に逸れてしまった。

しかも、せっかくペットボトルが静止するシーンを思い描いていたというのに、それとは全然違うイメージが勝手に浮かんでくる。



 

たぶん、伊藤が目撃したであろう、世莉架の秘密の園を想像してしまったせいだろう──それは、ほんの少し前に読んだ『クール・キャット・プレス』の、実にけしからん記事のビジョンだった。

『気になるあの子とベッドイン? 今夜イケるか勝負下着で見ぬけ!』……とか、そんなタイトルのグラビア付きページだった。

『女の子が下着を見せてくれる時点で、なんでもOKに決まってるだろ!』と思いっきり突っ込んだ覚えがあるが……そのグラビアが、女の子たちのいろんな下着姿のものだった。

『女子の下着というのは種類が豊富だな』と学術的に感心しつつ、世莉架だったらこれか、とか、来栖は絶対にこっちだとか、勝手に想像……いやいや! 僕はバカか!

 

 

 

(そんなこと、今、思い出したらダメだーっ!)


でも、そう思えば思うほど、おかしなビジョンがどんどん強くなっていってしまう。

そして、ついに破滅の音が聞こえた。


──!

 

 



「あ……?」


バサッという軽やかな衣ずれとともに、有村のスカートが──



 

ゆっくりと、着実に、だがしかし確実に、じわじわとめくれあがっていく。


「うあ……」

「おおうっ!」

 

 



ニーハイのさらに上。

いわゆる"絶対領域"を超えた先にある"絶対空域"を侵犯して……。



 

「……ちょっ!? やっ!」

 


突然のことにキョトンとしていた有村が、自分のとんでもない姿に気づいて、スカートを上から押さえつけた。

 

 



「え?」

「ん?」


来栖と香月が目を真ん丸にして、有村を見る。

 

 



や、や、やばい!

絶対にやばい!

少なくとも、世莉架だったら笑って許してくれる、というか、何が起こったのかさえ気づかないかも知れない。

が、有村はそうはいかない。

このままだと、僕の能力のせいだと必ず気づく。


(しかも……!)


僕はゴクリと唾を飲み込んだ。

 



有村の横には、復活した"女帝"がいる。

僕の仕業だとバレたら、いったいどんなことが起きるか……!

 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 

 

 

「なに、今の? 風?」


そ、そ、そうだ、風だっっ!

今のは風のせい! 不可抗力!

だから、僕は何もしてないし、悪くないんだ、はははー!


(──ってことにするしかないっ!)

 

 

必死になって新しい妄想を作り出す!

 

そしてそれを、この場の全員の脳内へと、一気に送り込むようにした!

 

 

 


(よしっ!)

 

 



能力で、すぐ近くの窓がそっと開いた!

しかも、そのことに誰も気づいていない。上手くいった!

まるで、最初から開いていたかのようだ。

あとは、外から風が吹き込んでくれば、なんとかごまかせるハズ!

改めて考えると、すごいんじゃないか、僕の能力って!


「……? あれっ?」


髪の毛が軽く揺れるくらいの心地よい微風が、僕の頬をそっと撫でた。

風、弱っ!!

めちゃくちゃ弱っ!!!

 

 



来栖も香月も世莉架も、誰一人、スカートなんて微動だにしていない。

有村だけが真っ赤な顔をして、スカートのスソを握りながらキョロキョロしている。

その様子が、普段の彼女とギャップがあって妙に可愛く、思わず凝視──だから、そうじゃないだろ!

とにかく、有村の制服だけあんなに派手にめくれ上がるとか、物理的に不自然すぎる!

これじゃ、何ひとつごまかせていない!


(そっ、そうだ!)


僕の能力って、もしかして『空気』を対流させたりも出来るんだろうか!?

だとすれば、まだ手はある!

風を作り出せばいい!



 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 


僕は、さらに妄想を重ねて来栖たちにぶつけた!

 

 

 



(とにかく一発でいい! 激しい風を頼むっ!)


強い風が吹くイメージ!

 

 



空気が激しく動いて、突風が起こるビジョン!

 

 

 


──!!

 

 

 



「きゃぁっ!」


その途端! これまでピクリともしていなかった来栖のスカートが、勢いよく跳ね上がった!


(よし、いったっ!)


「女帝がまさかのピンクストライプっ!?」


(く、来栖にこんな可愛い趣味があったなんて)


──!!

 



「んあっ?」


今度は香月だった。重力に逆らうように、制服のスソが一瞬で舞い上がる!


「パンツまで、エンスーのキャラグッズかよっ!」


(もう少しおしゃれに気を遣え!)


──!!

 



「はわわぁっ!」


──!!

 



「なにこれっ!?」


次いで、世莉架だけでなく、せっかくおとなしくなった有村のスカートまで、再び華麗にまくれ上がった。

 

 



よ、よ、よ、よおしっ! 成功だ!

 

 

 

「ふっ、驚いたな。なんてすごい風だ……」

 

 


僕は髪を手でかきあげながら、渋くつぶやいた。

 

一時はどうなるかと思ったが、首の皮一枚でつなが──


「──うっ?」


再び、まつ毛が軽くそよぐくらいの優しい風が、僕の頬を撫でて去っていった。

だから、風、弱っ!!

めっちゃくっちゃ弱っ!!!

 

 



なのに、来栖や世莉架たちの真っ白な太ももが目の前にあふれかえり、神々しいほどになまめかしい光景がそこにあった。



 

(そうじゃない! 僕はスカートをめくりたいわけじゃなくて!)


いや、健全な高校生としてはスカートをめくりたいわけじゃないこともないというか、正直ドキドキして脳裏にしっかり焼き付けておこうというか──って、お前、正直すぎだろ!


僕は、自分の『能力』に向かって思いっきりつっこんだ。


「い、いやだ、もぅっ!」

「なんか、変な風~!」

「てか、ほんとに風なんですか、これっ!?」

「んー!」


来栖たちは、明らかに不審げな顔をしながら、舞い上げられてしまったスカートを両手で押さえつけた。


「お、おい宮代? バレるんじゃないか……?」


ベンチから立ち上がった伊藤が……特に来栖を恐れ……後ずさりしながらつぶやくのが聞こえた。

 



しかも間の悪いことに、さっきまで食堂でおしゃべりしていた女子の一団が、ゾロゾロと近くまで来ていることに気づいた。

たぶん、話のネタも尽きて、そろそろ帰るつもりだったんだろう──そんな彼女たちが、仰天したようにこっちを見ていた。


(まままままマズイ!)

 



このままじゃ、絶対に怪し過ぎる!

見ようによっては、来栖たちが自分からスカートをめくって、僕らに見せつけているように勘違いされかねない!

そんなことになったら『新聞部』は『なんか変な性癖部』とか陰口を叩かれ、校内で語り継がれてしまう!


(どうする!? もう一回やってみるか!?)


迷っている間にも、女の子のグループがヒソヒソと内緒話を始めるのが聞こえた。

 



女子生徒「……ねぇ、なに今の?」

女子生徒「なんかおかしくね?」

女子生徒「つーかさ、あれ、生徒会長?」

女子生徒「やだー」

女子生徒「どうしたんだろうね?」



 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 

 

 


(ええい、やってやる!)


僕は決心すると、意識を極限まで研ぎ澄ませた。

とにかく、狙った通りの風が吹いてくれれば!

そして、その風で彼女たちのスカートがめくれ上がってくれれば、誤解は解ける! 変な噂も立てられずに済む!

分かってるな!? いちおう確認するぞ!

欲望にバカ正直に、スカートだけめくれなくていいんだからな!?


風ゴゥ!→→→スカートぴらっ! の順だ、間違えるな!

 

 

 

(くはぁっ!!)

 

 

裂帛(れっぱく)の気合とともに、僕の脳から全員の脳へビジョンが伝播した。

 

 

 

 

 

(おおっ!)

 


来た! ついに!!

開け放たれた窓の外から、突風が吹き込んで来る!

彼女たちの髪の毛が、めいめいの長さや硬さに応じて、バサバサと揺れた。


(あっ!? ダ、ダメかっ!)


でも、まだ風の力が弱い!

スカートが派手に舞い上がるほどにならない!


(それならっ!)


風の力の上に、もう一発、能力を乗せてやる!


(はあぁーっ!!)

 

「う?」
「え?」
「ん?」


今度は、来栖たちの方がびっくりしたように、女の子たちのスカートのスソが舞うのを見る番だった。

 

 

女子生徒「きゃっ!?」

女子生徒「わっ!?」


(さらに、こうだっ!)


女子生徒「ちょっ!?」

女子生徒「きゃぁっ!?」


(食らえ! もうひとつっ!)


女子生徒「ひゃっ!!!!」


(うん……!?)


最後の子だけ、なんか音が違った。


女子生徒「今の風、なにー!?」

女子生徒「んだよ、窓開けっぱなしじゃん!」

女子生徒「つーか、なんかアイツに見られたし!」


彼女たちは、慌ててスカートの端を手で握り込んだ。


女子生徒「さいあくー。今日のパンツ、いけてないのにー」

女子生徒「そういう問題じゃないよー」


「いいい、いえ、あの、ぼ、僕、見てないです。か、風にびっくりしていて……」


素知らぬ顔でボソボソ答えていると、ふと、一番後ろの子が真っ赤な顔で身をよじっているのに気がついた。

あれは確か……なんか違う音がした子?


女子生徒「ん? どしたん?」

女子生徒「な、なんか急にね……ブラのホックが外れた」


(なにをーーーっ!?)


ブラのホックって!!


いくら突風といっても、そんな風があるか、お前っ! というか僕の能力!!

いや、確かに『この子、胸が大きいな』とか、ちょっとだけ思ったけども!

 



「う……?」


ふいに殺気がしたのを感じ、ギョッとなって目を上げると……腕組みをして見下ろしている来栖とはっきり目が合った。



 

そのそばには、同じく腕組みをし、ジトッとしたまなざしを僕に向けている有村と香月。

世莉架だけはまだよく理解していないのか、『ほへーっ?』という顔で、女の子たちと来栖たちと僕を順番に見回していた。


「う、あ……あ……っ……い、伊藤っ……おい、伊藤っ?」

 

親友に助けを求めるべく振り返ると、そこにはすでに誰の姿もなかった。

 

 

 

そのかわり、窓の向こうに、夕陽をバックにして猛ダッシュで逃げていく影がひとつ見えた。


「い、い、伊藤ーーーーっ!」


……。

 

 

それから30分後……。

 

 



「どうもっ、スミマセンでしたーっ!」


女子陣に取り囲まれ、伊藤が正座させられていた。

30分に渡る新聞部内審問会(弁護人なし)の末、そもそもの原因が伊藤だと判決が下った。

僕は色々と"よろしくないこと"を行ったけれど、結局、それが事故のようなものだったと、なんとか認めてもらえた。助かった……。


「ほんとにもうっ。二度とこんなことしちゃ駄目よ、伊藤くんっ」

「深く反省しました。もう絶対にいたしません」


伊藤へ平伏した。

そうだそうだ、もっと怒られろ!

僕をピンチにおとしいれた罰だ!



 

「だいたい、拓留を変なふうに乗せないで。おだてられると、すぐそういうことしちゃうのよ。お調子者だから」

「うぐっ!」

 



「そうですよっ。宮代先輩って真面目そうな顔して、実はエロ妄想全開ですしっ」

「ぐはっ!」

 



「えっちな本とか、けっこう隠してるもんねー」

「はうっ!」

「拓留、それ本当? そういうの感心しないって言わなかった?」

「ち、違う、尾上の誤解だ! 僕はそんな本──って、なんで、いつの間にか僕が責められてるんだよっ?」

 



「ん~」

「お前もそんな目で見るな……」


「おほん……。とにかく、いい2人とも? 以後、絶対に能力をおかしなことに使わない。使わせない。約束よ?」

「了解しましたぁっ」

「いや、だから。僕は最初からそんなつもりじゃなかっ──」

 



「約束よ?」

「はい……」

 

 

 



再度平伏する伊藤の横で、僕も不承不承、頭を下げた。


……。