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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【43】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

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--------------------

 

 

 

 

 

いつまでもメールや電話の返事を待っていたところで埒が明かない。

結局僕は、約束の場所。カフェLAXへと足を向けた。

そこへ行けば、当の蒼崎さんが来ているはずだ。

万が一、伊藤たちの悪戯だったとしても、その場合はあいつ等が僕の到来を今か今かと待ち受けているだろう。

いずれにしても、何かがわかるに違いない。


……。

 



「む……?」


店に入ると、少し隠れたところから店内を見回す。



 

「なにをしておる」

「あ、いや……ちょっと」

「……まあよい。さっきからずっと待っておるぞ」

「あ、そう……」


ん……?


ちょっと待て!

 



「い、今なんて……!?」
「待ち人じゃ。ほれ、そこに……」


「あ……」

 



指差された方向を見たのと、その人物が立ち上がったのがほぼ同時だった。

 

 



「よかった、来てくれたんですね……! 待ってたんですよ、宮代先輩っ!」


彼女が……蒼崎夢……?


「…………」


思考はいっぺんに蒸発する。


世界が急速に色褪せていき、みるみる周囲の雑音も引いていく。


僕の瞳には、ただ目の前の少女だけが映り込んでいた。


「ふふっ」

「はうううっ!!」


──銃で撃たれたような衝撃が胸に走る。


さらさらの髪の毛も、長い睫毛も、星を湛えたつぶらな瞳も整った鼻梁も、淡い花弁のような桜色の唇も。


控えめすぎず、自己主張しすぎずの、ほどよい胸の形も、くびれすぎてもいない腰も。


まるで内側から光を当てられているかのようなつやつやの肌の色も。


そして──何より、僕に向けられた、その愛らしい笑顔も。


彼女を形成する何もかもが、女神の寵愛を一身に集めたかのようで。


「萌え萌え……きゅん……」

 

「先輩?」


そう──言うなれば天使。


彼女こそはまさに、地上に舞い降りた奇跡。


僕のためにカスタマイズされた存在。


誇張などではなく、そうとしか考えられなかった。


何から何までが、僕の理想をそのまま絵に描き出したかのような美少女が、すぐそこにいる。


これを奇跡と言わずしてなんと形容するというのか。


脳裏にわだかまっていた諸々の疑問が、風に吹かれる砂のように立ち消えてしまう。


碧朋学園2年生および1年生女子の誰もが『蒼崎夢なんて女生徒は知らない』と口を揃えて断言したけど──。


でも、現にこうして彼女はここに──僕の目の前にいる。


それ以外の事実なんて、はたして必要だろうか?


「どうしたんですか、先輩?」

 



いや、必要ない!!

全ては目の前にあるがまま。

信じよ、さらば救われん!


「え、えっと……待った……?」


彼女の席に向かって一歩踏み出したその時。



「……?」

 


店の外の階段を上ってくる誰かの足音が、やけにハッキリと聞こえた。


足音はすぐに止まり、やがて扉を開く音が鳴る。


振り返るとそこに居たのは……。

 

 

 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 

 

 

 

「…………」


「尾上!? お前なんでここに!?」


「…………」


「もしかしてつけて来たのか?」

「つけて来たんじゃないもん。ついて来たんだもん」

「どっちだって同じだろ。なんでそんなことするんだよ」

「だって………もん」

「は? 聞こえないよ。ハッキリ言えって」

「だからぁ……気になるんだもんっ」


世莉架は唇を尖らせながら、拗ねたように言った。


「気になるって……どうせ、面白半分だろ。さすがに、そういうのはどうかと……」

「違うもん。そうじゃないもん」

「……だったら、どういうことだよ?」

「タクはさ……」


いつも思ったことをハッキリ口にする世莉架が、やけに言いにくそうにしている。

どうにも世莉架らしくない態度に、落ち着かない気分になる。


「タクは……夢ちゃんになんて返事をするの? おっけーって言って、そのままラブラブになっちゃうの?」

「ら、ラブラブって……」

「おっけーするんでしょ? しちゃうんだよね?」

「それは……」

「やっぱりそうなんだ。おっけーしちゃうんだ。それで、人前で堂々といちゃいちゃしたり、放課後の学校でちゅーしちゃったりするんだ」

「お前、なに言ってんだ?」

「そりゃあ、相手は学園一の美少女だし? 断る理由なんてないよね?」

「あ、あのなあ……別に僕がどう返事しようが、お前には関係ないだろ」


駄々っ子みたいなもの言いに思わず素っ気なく突き放してしまう。

いつもの世莉架ならここで、更に文句を言うところだが、今日の世莉架はやはりどこか違っていた。

 



「…………」


「尾上……?」

「うー……」

「えっと……」

「関係……なくないもん」


向けられた瞳が、カフェの照明を写してゆらゆらと揺れていた。



「お、尾上……」


……知らなかった。

世莉架が、まさかこんな切なげな表情を見せるような女の子だったなんて。


「関係なくなんかないもんっ」

「お、おい……」

 



「私だって……ホントはずっとずっとタクのこと見てたのに。タクの一番そばにいたのに! 本当はずっとずっと、タクのこと……。タクのこと、一番好きだったのにっ」

「な……」

「それなのに……こんなの……いきなり出てきた女の子に取られちゃうなんて……そんなの……そんなのヤだよぉ……うわあああああん」


目の前で声を上げて泣き始めた世莉架に、僕はただ馬鹿みたいに唇を開けることしかできなかった。


世莉架が……僕のことを?


ずっと……?


いや、でも今までそんな素振り、少しも……。


「うえぇぇえ……」


際限のない惑乱に突き落とされる。


僕のごく短い人生史を紐解いても、かつてこんな事態に直面した経験なんてない。


「と、とにかくちょっと落ち着こう……」


どうにかこうにかそう言葉を取り出すだけで、精一杯だった。


僕としては──世莉架は、気心の知れた幼なじみで、性差の垣根を越えて付き合える盟友で。


ひとりの異性という目では、見たことなんてなくて……。


お互いそうやって、ずっとずっと親友同士でいられるものだとばかり僕は思っていたのに──。


それなのに──。


「うええええ、もういいよ! タクのばかぁ!」


──!


「あ!!」


きらきら光る粒を散らし、世莉架は僕に背を向け、そのまま一目散に、階段を駆け下りていってしまった。


「ま、待てって! ちゃんと、話を──」


追いかけようとしたその瞬間──。

 

 

 

 

 

 

「う……」


あ、あれ?


今のは……妄想?


じゃあ世莉架は?


男性「…………?」


「あ……すみま、せん……」


階段を上がってきた足音は、当然世莉架ではなく、見知らぬ人だった。


「…………」


世莉架が僕のことを……だなんて、僕はいったい何を考えてるんだ。


そんな馬鹿なことあるわけが……。


「……あ、あれ?」


驚きが思わず声となって出ていた。

今まですぐそこの席にいたはずの蒼崎さんの姿が、綺麗さっぱり消え失せていたのだ。

店内各所にも目を配るが、彼女の姿はない。

いつまで経っても僕がここに突っ立っていることに呆れて、帰ってしまったのだろうか?

いや……それはありえない。

カフェの出入口はこの一ヶ所しかないのだ。

僕の目に留まる事なく店から立ち去るのは、物理的に不可能のはず。



 

蒼崎さんが座っていた席へ向かい、仔細に席を観察する。


「…………」


しかし、テーブルには何も置かれていなかった。


天板に水滴などの染みもついていないし、椅子も綺麗に定位置に収まっている。

どこをどう見ても、誰か客が座っていたという形跡そのものがない……。


「な、なんだよ、これ。いったい、どうなってるんだ……?」


僕は確かにさっきここに座っている少女を見たし、彼女の声だって聞いたはずだ。


あれは──幻視? 幻聴?


あれも妄想の産物……?


「──!?」


唐突に視線を感じた。



 

当たりを見まわしてみるものの、店内からの視線ではない。


窓の外──。


ガラス越しに見える景色の中。夕闇が迫る路地の向こう側。


こちらを見上げて立っている小さな人影が目に飛び込んできた。

 



「うき……」


間違いない。



 

しかも、静謐な瞳を僕に向ける彼女の右手には、怜悧(れいり)かつ優美なひと振りの剣が握られている。


「──っ!」

 


──!


そのまま店を飛び出す。


今度は見間違いじゃない!!


確かにうきは僕を見ていた!!


……。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ……はぁ……」


うきがあそこで何をしていたのか。

それを彼女に問いただせば、これまでの出来事が何だったのかもわかるかもしれない!!

そんな確信が、僕を突き動かしていた。

全力疾走で、くるっと踵を返して遠ざかっていくうきの背中に追いすがる。

相手は小さな子供の身体だ。

この距離ならすぐに追いつける!


──はずだった。

 

「はぁ……はぁ……」


だが、いくら走っても走っても、その背中が一定間隔以上縮まらない。


なんだ──この感覚は……?


遠近感が狂っているというわけではない。


まるで手ごたえが無いと言った方が正しい。


必死で足を動かしているのに、まるで悪夢の中で誰かに追われて走っている時のように、走っているという実感がまるでないのだ。


……。

 



「──ッ!」


今度という今度は──!


その必死の思いが、僕を限界以上に突き動かしていた。

今にも焼け爛れそうなほどに肺が熱い。

運動不足の脇腹がズキンズキンと痛んだ。

足は今にもこの場に倒れ込みそうなほどに悲鳴を上げている。

それでも、音を上げるなと自分に必死に言い聞かせた。


……。

 

 



「っ……」



 

うきは振り返り僕の姿を確認すると、逃げるように改札の中へ滑り込んだ。


僕もそれを追って改札の中へ──。


「あ、あれ……?」


急いでいるあまり、僕は今、ICカードを改札にかざさなかった。

それなのに、ゲートは閉るでもなく僕の通過を許した……。

そういえば、うきもそうだ。

彼女も、カードをかざす素振りは見せなかった。


「い、いや。今はそんなことより──!」


……。


ホームへ続く階段を駆けあがる。


と、原宿方面行きのホームに電車が滑り込んできて、それにうきが乗るのが目に入った。


「待てうき! 待って──!」



 

 

「……え?」


消え……た?


たった今、うきを乗せた山手線の緑の車両が──なかった。

出発してしまった──というわけじゃない。

それならば、姿くらいは見えるはずだ。

まるで電車なんて最初からそこに無かったかのように、ホームはひっそりと静まり返っている。

いや、それどころじゃない。

駅全体が奇妙なまでに薄暗かった。

どこをどう見渡しても、人っ子ひとりとして見当たらない。


「な……」


寒気がそっと背筋を這い上がってくる。

これは、どういう……ことだ?

繰り返し繰り返し見回すが、さながら月面にいるみたいに、駅は完全な静寂の中にあった。

完全な無音。

完全な無人

客はおろか駅員もおらず、電光掲示板はブラックアウトし、何の情報も映さない。


「…………」


そんな──バカな。

これが、日本で5番目に乗降者数が多いと言われる渋谷駅の有り様だというのか?


「そうだ! う、うきは……!」


よろける足を踏ん張って、うきを探す。

しかし、プラットホームには僕の足音が響くだけで、うきの姿はおろか、他の誰の気配もない。


「くそっ! いったいなんなんだよ!? 何が、どうなってんだよ……!?」


頭蓋骨を無理やりこじ開けられ、無遠慮に脳の海馬をいじられまくっているような不快感。


「──っ!!」


……。

 

 

 

ホームを降りて、改札を出ると、そこにはいつも通りの光景が広がっていた。


「…………」


なんだよ、これ……。


しかも、まるで僕をあざ笑うかのように、頭上から電車の走行音が構内に響き渡る。


「!!!」


周囲の人の奇異の視線が一身に集まるのを感じながら、僕は再びホームへ駆け上がった。


……。

 

 

 

 

「…………」


けれどそこにはやはり、さっきと同じ無人のホームが広がっているばかりだった。


もう、何がどうなっているのかわからない。


考えても考えても混乱が増してゆくだけだ。


打ちのめされたような、敗北感いっぱいの気分で、ヨロヨロと階段を下る。


……。

 

 


そこには、やはり元通りの世界があった。

もはや驚きはない。

ただの虚脱感があるだけだ。


「はは……はははは……」


そのまま駅の壁に背をつけて、ずるずると座り込んでしまう。

やはり、僕はどうかしてしまったのだろうか。

 



見上げると、スクランブル交差点の大型ビジョンには、いつものようにアーティストのCMが流れていた。

先日、リリースされたばかりの『ファンタズム』の歌が流れ──。


不意に画面にノイズが走った。


──『……ク!! お願……聞い──!』


「……!?」


今の声は……。

 



『タク! お願い……ら、届いて!』



 

『たく……っ! しっか……を……ませて、私たちの……を聞い……!』

 


世莉架……それに来栖も……?


でも、なんであいつらの声があんなところから!?

 

 

 

『……をつけて! あなたは今、妄想の渋谷に囚われて……ているの!』


「妄想の、渋谷……?」



 

『そこから脱出するには──!』

 

──!

 

 

 


「あ……!」


異音がしたかと思うと、世莉架たちの声は消え、画面からは再びファンタズムのPVが流れ始める。


今のは……幻覚?


違う。


これまでも何度か聞こえて来た、ノイズ混じりのメッセージ。


「妄想の……渋谷……」

 

 

 

スクランブル交差点の信号が変わり、人々の姿が流れ始める。


その雑踏の向こう。


人の流れがちょうど切れ目になった、その狭間に立つ少女の姿が目に飛び込んできた。

 



ディソードを手にした少女──山添うき。


「…………」


ふいに、脳内で堰き止められていたものが溢れだす。


──ギガロマニアックス。


山添うきのギガロマニアックスとしての能力は。


「他人の思考や願望を現実化(リアルブート)する能力……」


そうだ……。

そもそもこの異変が始まったのは、僕が貧血で倒れ、『うきのディソードに刺される悪夢』を見た直後からだ。

やっぱり、この現象は……!


「……っ!」


無我夢中で、身体を突き動かしていた。

信号は赤に変わろうとしていたが、構わず交差点を駆け込む。


──!


ラクションが交差する中、強引に交差点の向こうまで渡り切り──

 

 

 

「──やっと、捕まえた!」


小さな肩を掴むと、うきはびくりと身体を弾ませ、驚いた顔で僕を見上げた。


「……拓留、さん……」


さっきまで持っていたはずのディソードはいつの間にか無くなっていた。

けれど、そんなことはもう問題ではない。


「悪いが、もうこれ以上はごまかされないぞ。いい加減、本当の事を話してもらおうか……」

「あ、あぁ……」


怯えたふりをしても無駄だ。


「うき……お前、さっきディソードを持ってたよな? 最近、僕の周りで起こっているおかしな出来事……あれは、お前のせいなのか?」
「あ、うぅっ……」


うきは僕の手から逃れようとでもするように、いやいやと首を左右に振った。


「駄目だ! 本当のことを話すまでは逃がさないからな」
「ううっ……」


助けを求めるように、周囲に視線を巡らせる。

気がつけば、僕たちの様子を街行く人たちが不審そうに眺めていた。

視線、視線、視線。

通行人らが輪を作り、遠慮のない冷ややかなまなざしをぶつけてくる。


警察官「おい、そこっ!!」


ふいに人垣が割れ、黒い影がふたつ駆け寄ってきた。


警察官「あんただ、あんた! そこで何をしてるんだ!?」


「え、あ……いや……」


マズい……。


警察官「どうした? なにか疚しいことでもあるのか?」


「ち、違い……ます! 彼女は、知り合いで……!」


警察官「犯罪を犯すヤツはだいたいそう言うんだ……」


「犯罪!? 違う! 僕は──!」


警察官「話は署で聞かせてもらおう。さあ、こっちへ来なさい」



 

たちまち、鍛えられた腕によってがっちりと押さえつけられてしまう。


「っ……!」

「あ……!」



 

その隙をついて、うきは素早く身を翻した。


雑踏をするりとすり抜けてゆく小さな背中が視界から消えてしまう。


「っ……」


ここで身柄を拘束されたら、単に社会的破滅というだけじゃなく、決定的な手がかりを押さえ損なってしまうかもしれない……!


警察官「あんた、学生か?」

警察官「これ、碧朋の制服ですね……」

警察官「ああ、なるほど。どうりで……」


「──ッ!」


──!


警察官「あっ、おい!!」


僕は無理やり、押さえつけてくる手を振りほどくと、そのまま雑踏に向かって走り出した。


「待て!!」


こういう時、待てと言われて待つ人間がどこにいるのか。

そもそもそれで大人しく待つくらいなら、最初から逃げ出したりはしない。


「はぁ……はぁっ……!」


ほとんど体当たりするみたいに人垣に飛び込み、ぶつかった人たちに罵声を浴びせられながらも、僕は無我夢中で走った。


……。

 

 

 

 

「はぁっ……はぁ……はぁっ……」


今日になってどれだけ走ってるんだろう。

ずっとうきの幻影を追いかけて走っている、そんな錯覚に囚われそうになる。



 

「はぁ……はぁ……」


いつしか僕の足は、自然とこの場所に向かっていた。

追いかけてくる警官たちの姿は既に無かったが、それでも向こうの影から突然現れるんじゃないか……そんな思いに駆られて、僕は青葉寮に駆け込んだ。


……。

 

 



「拓留……?」


息せき切って駆け込んできた僕を見て、キッチンから顔を覗かせた来栖が目を丸くする。


「……はぁ……は、ぁ……」


肺が酸素を求め騒いでいる。

心臓はガス欠のエンジンよろしく、今にも焦げつきそうだった。


「どう……したの? そんなに慌てて。何かあったの!?」
「……とう、なの、か?」


言葉に出したつもりが、渇いたのどが張り付いて、上手く言えなかった。



「と、とにかく、水でも飲んで落ち着きなさい」


本来なら、マウンテンビューで……と言いたいところだが、そんな状況でもない。

台所から来栖が持ってきてくれた水を一口飲むと、ようやく人心地着いた。


「それで? 何があったの?」
「あ、あれは本当なのか!?」
「落ち着いて話しなさい。それじゃあ、いったい何のことを言ってるのかわからないわ」
「だから、最近何度も僕にメッセージを送って来てるだろ? あれは本当なのか!?」
「メッセージ?」
「そうだよ! ここは渋谷じゃないって、何度も──!」

 

 

来栖の表情を見て僕は続く言葉を飲みこんだ。

ぽかんと首を傾げたまばたきを繰り返す仕草は、明らかに心当たりがないという証拠だ。


「拓留……?」
「いや……やっぱり、いい……」
「え?」


仮に──ここが現実の渋谷じゃないとする。

その場合、目の前にいる来栖も妄想の世界の来栖ということになるはず。

とすれば、今の質問はまったくの空回りである可能性が高い。

聞くだけ無駄だ。


「……うきは?」


僕は質問を変えた。


「うきちゃんがどうかしたの?」
「うきは部屋にいるのか?」
「いえ……まだ帰ってないけど……でも、そうね。もう少ししたら戻るんじゃないかしら」
「…………」


うきは僕がここに来たことを知らないはずだ。

ただでさえ、あいつに他に行く当てがあるとも思えない。

ということは、ここで待っていれば彼女は必ず帰ってくるに違いない。


「ねえ、どうしたの拓留? 何があったの?」
「いや……別に……」
「別にって……とてもそんな風には思えないわ。うきちゃんと何かあったの?」


どうやら、来栖お得意の心配性が発動してしまったらしい。



 

「大丈夫だって。来栖が心配するようなことは何もない。ただ、ちょっと聞きたいことがあっただけだよ」
「……ほんとにそれだけ?」
「ほんとだって。だからここで待たせてもらっていいか?」
「……変な事……じゃないわよね……?」
「え?」
「うきちゃんに訊きたい事って。あの娘もいろいろ苦労してるんだから、優しくしてあげなきゃダメよ」
「わかってるって」
「だったらいいけど……」


まだ少し心配そうな表情を浮かべたまま、来栖はキッチンへ向かった。

夕飯の支度でもしていたのだろう。

僕は僕で、来栖に言ったとおり、じっとうきの帰りを待つことにした。


「…………」


そういえば……。


蒼崎夢──彼女はどうなっただろう。



 

 

カフェLAXで姿を現したかと思ったら、すぐに消えてしまった謎の少女。

あるいは、彼女もまた幻の存在だったのか──。


「…………」


──僕はスマホを取り出し、発信履歴の画面を出した。


画面をタップし、蒼崎さんの番号にコールを送る。

もしも彼女が出れば、聞くことは山ほどある。

出なければ……。


「…………」


機械的な呼び出し音が耳を打つごとに、得体のしれない焦燥感が募ってゆく。


「……っ」


一向に電話を取る気配がない。

留守番電話に切り替わることもなく、20、30と、ただ呼び出し音だけが虚しく響く。


「くそっ!!!」


埒があかないので、いったん切ってから再度電話をかけ直すことにした。

いったいどういう魂胆があるのか知らないが、こうなったら根比べだ。

電話に出るまで、何度だってかけ続けてやろうじゃないか。

何度でも何度でもかけてやる。


…………。


……。

 

 

 

 



いったい何度かけ続けているだろう。

少なくとも、両手の指じゃ到底足りない程度にはかけているが、蒼崎夢が電話に出る様子は一向に無い。

耳に流れる単調なコールの音を聞いているせいか、次第に僕の意識は睡魔の波に襲われつつあった。


「っ………」


今日は、肉体的にも精神的にもあまりに高密度な一日だった。

頭脳も肉体も精神もすべてが摩耗し、疲弊が蓄積している。


「ふ……あぁ……」


瞼が重く瞳に圧し掛かってくる。

意識の維持が、だんだんと困難になり──。


ダメだ……。


このまま眠ってしまっては……。

 



「拓留?」


いつの間にか、台所から戻った来栖が僕の傍に立っていた。


「くる……す……」
「もう……ダメよ、そんなところで寝ちゃ。風邪ひいちゃうじゃない……」
「ちが……僕は……」
「はいはい。わかったから、こっちにいらっしゃい。お布団敷いてあげるから……」


ダメ……だ……。


「ここで寝ちゃうより、少しの時間でもちゃんと布団で寝たほうが疲れもとれるから、ね?」


来栖はそう言って、僕の手を引いて立ち上がらせた。


「ふふ……もう、しょうがないんだから……」
「ぁ…………」


来栖の声には、命令するような響きなんて全然ない。

むしろ、慈しみに満ちたような優しい響きだ。

その響きと、襲い掛かる睡魔に僕は抗えず、ただ導かれるがままに手を引かれた。

睡魔が意識に薄いヴェールを被せていて、自分の感情の動きすら把握できなかった。



 

「はい……こっちよ……」
「……あぁ…………」

 

 

 

来栖に招き入れられたのは、女の子然とした部屋だった。


ピンクを基調としたいかにも少女趣味の部屋だ……。


ここ、は……。


ああ、そうだ、うきの部屋だ。


サイドシェルフに置かれた小さな鉢植えの観葉植物シェフレラが瑞々しく葉を繁らせている。


間違いない、ここはうきの……。


でも、どうしてここに……?

 

 

 

「お布団、今朝干したばかりだからふかふかのはずよ……」


でもいくらなんでも、留守の間に女の子の部屋で寝るなんてそんなこと……。


いや、そういう問題でもないような気がする……。


じゃあどういう問題だ?


わからない。


そこまで考える思考能力が僕には残っていない。


あるのは眠り神(ヒュプノス)の誘惑。


っていうか、もうどうでもいい。


今はただ寝たい。


眠りたいという欲求だけが僕の身体と頭を支配している。


「ふぁぁ……」


うきのベッドに倒れ込むと、ふわっと、柔らかい少女の香りに包み込まれた。


洗いたての真っ白なシーツの様な、清潔かつ、甘い匂い。


その香りに誘われるまま、ゆっくりと瞼が──。

 

──!

 

 

 

 

(んー? でんわ……?)


ポケットの中でスマホが唸り声を上げていた。


こんな時に誰だよ……。


僕はいま眠いんだ。


電話なら今度にしてくれ……。

 

 

 

「…………」


けれど、どれだけ経っても電話は一向に鳴りやむ気配がない。


(しつこいな……ひとがせっかく寝ようとしてるっていうのに……だれだよいったい……)


あまりにもしつこいので、朦朧とした意識の中、緩慢な動作でポケットからスマホを取り出す。


ディスプレイに表示されていたのは……。


「……蒼崎……夢……?」


……そうか。


着信履歴を見て、やっとかけ直してきたのか。


そうだ……僕は、彼女が何者なのか確かめなければならない……。


(でんわ……でなきゃ……)


指を動かし、通話アイコンをタップしようとする。


だが……肉体は僕の意志に反してひどく重い。


少し指を動かすだけなのに、まるで自分の身体ではないかのようだ。


(はやく……でなきゃ……)


そうしないと、いい加減切れてしまうかもしれない。


それなのに、身体は金縛りにでもかかったみたいに、動こうとしない。


まるで夢の中にでもいるみたいに……。


夢?


それは、誰が見ている夢だ?


いやそんなことはどうだっていい。


今は電話だ。


早くしないと電話が切れてしまう。


早く、早く……!


「っ…………」


全身全霊を指先に込めて、ようやく通話ボタンをタップした。


「……もし……もし」


およそ自分の言葉とも思えない、腑抜けた声だ。


喋っている最中でも、すぐに眠りの森に引きずり込まれそうだ……。


『……しもし!?』


スマホから聞こえてくる声も、誰のものか判然としないほど意識が混濁している。


『タク! 聞こえてる、タク!?』


(ぼくをよぶのは……だれ、だ……?)


『聞いて、拓留! このままだと、あなたはずっと眠ったままになってしまうわ! そうなる前に、早く……!』


(くる……す……?)


『お願いだから目を覚ましてよぉ、タクぅ!』


(なんで、こいつら……が……? でんわは、あおざきゆめ……から、じゃ……なかったっけ……?)


『ダメだ……意識レベルがどんどん下がっている。このままだと……宮代は死ぬぞ』

『そんな……!』

『もっと呼びかけ続けろ! もっとだ、いま以上に!』


「ぅ…………」


もはや、誰が何を言っているのかすらわからない……。


僕は深い眠りの淵に……。


『聞きなさい、拓留っ! あなたがいるのは現実じゃないの。現実のあなたはね、大けがをして病院のベッドの上にいるのよ!』

『お願いだよ、タク! 思い出してっ! このままだと、戻ってこれなくなっちゃうよぉっ!』

『拓留っ!!!』

『タクっ!!』

 

『お願いだから戻ってきて!!』
『お願いだから戻ってきて!!』

 

必死な叫びが、遠くから近くから、複層的に聞こえてくる。


それなのに、僕の心は驚くほど何も反応しない……。

 





ただ、柔らかな光に包まれ──。


眠りの中に……。

 

 

 

 

「…………」


ここは……?


あれ?


僕はうきの部屋にいたはずなのに……。


これは現実?


それとも……夢……。


夢?


誰の?


僕の?

 


「な──!」


その瞬間、飛び込んできた光景に僕は思わず声を上げた。

 

 

 

整然と人の形に並べられた小箱たち。


箱からにじみ出た赤黒い液体。


咽るような鉄の臭気。


箱の中にあるのは……。


この中には──。


「結……衣……?」

 

 

 

 

「ああ!? どうだ、自分の大切なものを失う気分は!? 自分の無気力さを思い知りながら、後悔にさいなまれる気分は!?」


そうだ……。


僕はあの時──。


「彼女は、俺にとってかけがえのない存在だった。それをお前は見殺しにしたんだ。でも、これでようやく復讐も終わる」

「……い、伊藤、お前……」

「次は宮代の番だ。よく切れるメスと麻酔薬は持ってきたか?」


僕はあの時、結衣を殺された怒りで──。


「それがなきゃ、ひどく痛くて、苦しむぞ。結衣ちゃんみたいにな」

「い……伊藤……」

「なんだ? 泣いて命乞いでもするか? 助けてくださいって土下座するか?」

「お前……ほんとに……」


──「あ……拓留さん!」


背後からかけられた声に僕は言葉を飲みこんだ。

 



「よかった……見つかった……。あの、結衣ちゃんは──」



 

うきはそこまで言って、足元に置かれた箱を目にして動きを止めた。

そしてきょとんとした顔で、箱を眺め、ゆっくりと何かを訴えるように僕を見て、そして伊藤を見た。

 



「あ、あの……結衣ちゃんは……」



 

「邪魔するな!!」

「っ!」

「今いいところなんだよ……。可愛い妹の死で絶望の淵にいる宮代を、絶望のままあの世へ送ってやるところなんだ。外野は黙って見てろ」

「え……」

 

 

 

伊藤が僕に向き直る。

一方のうきは、もう一度箱を眺め、伊藤の言葉の意味を頭の中で咀嚼し、そして──。


「い……や……」


うきは半歩ほど後ずさり。

 



「いやあああああああああああああああ!!!」


大きな叫びを上げると。


「──!」



 

伊藤を睨み据えた。


「な……なんだよ……」


──!

 



小さな手にはディソード──。


「あぁ……あああああああああッ!!!」

 

 



──ッ!!



 

「うわああっ!! なんだっ!」

「ああああああッ!!」



 

──ッ!!


「なんだよ、こいつ!!!」


よろめきながらも、何度も剣を振ううき。


突然の攻撃に逃げ惑う伊藤。


「待て、うき! 伊藤にはまだ──!」


割って入る僕。


そして──。


「あああああああッ!!」



 

──ッ!!



 

 

 

「あ…………」


衝撃。


痛み。


熱。


「…………!」

「ぁ……あぁ……」

「拓留……さん……?」


そうだ、僕はうきのディソードに刺されて……。

 

 

「ぁあ……あぁ……あああああ! 私……わたし…………いやあああああああああ!!!!」


思い……出した……。


僕はあの時、確かに……。


(あれが……現実? それじゃあ、今、僕がいるここは……僕の妄想の中……?)

 

──『…………ク!!』


──『……くるっ!!!』


声が……聞こえる。


『お願いだから目を覚まして!!』


『戻ってきて、拓留っ!!!』

 

 

 

「う……」


スマホの向こうから世莉架と来栖の声が聞こえる。


「『タク!!』」

「『拓留っ!!!』」


あれ?


どうなってるんだ?


今のは──夢?


僕は……。


ああ、そうか。


僕はうきの部屋で眠ってしまって。


そうだ、電話してたんだ。


蒼崎夢に電話して。


そしたら向こうから……。


「『タクっ、聞こえないの!?』」


そうだ……世莉架の声が僕を……。


──ッ!!


「え……?」


しっかりと耳に当てようと掴み直したスマホが、突然飛来した何かに叩き落される。


──!


床に落ちたスマホの胴体は、鋭利な何かによって見事に抉られていた。


「う…………」


僕はまだ朦朧としたままの意識の中で必死に視線をもたげ、煌々とオーラを発散する剣の持ち主を見上げた。


ベッドの傍らで、悲壮感を顔いっぱいに漲らせて立つのは。

 



「…………」


「う……き……」


「だめ……です、それ以上は……気づいちゃいけない、です。この世界こそがあなたの……拓留さんの現実なんです」


その表情に似つかわしい、痛ましげな声が耳を撲つ。


「どういう……事だ?」


僕の問いに、うきは束の間、目を閉じた。

 



「優しい家族……温かいともだち……。楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことだけが、ずっとずっと繰り返し繰り返し、どこまでもどこまでもつづいている……。これが現実の渋谷。これが拓留さんにとっての現実……それでいいじゃないですか」

「……違……」


僕は必死で身を起こそうと足掻いた。


けれど、身体は言うことを聞いてくれない。


「なにが……ちがうんですか……?」

「それ……は……」


なにが違うんだろう……。


確かに、僕が見たあの夢が現実なら、目覚めた僕の前には受け入れたくない世界が待っている。


そこに比べれば、ここは楽園だ。


うきの言うとおり、嬉しいこと楽しいこと、幸せなことだけに包まれて生きていける。


でも……。


果たしてそれは『生きている』と言えるのか?


「やっぱり……」


腕と腹に力を入れ、ようやく半ばまで半身を起こす。


「やっぱりここは……現実なんかじゃない……」


自分で自分に言い聞かせるようにして、そう言い切った。


どんなに認めがたくても。


受け入れがたくても。


正視しがたくても。


あれが、真実なら……。


たとえ、うきのディソードに刺し貫かれ、瀕死になっていたとしても。


それでも、生きている限りは──!

 

 

 

「やめて……お願いですからやめてください。もうそれ以上、辛い思いを味わわなくてもいいじゃないですか……」

「うき……」

「どうしてなんですか? あなたさえ望めば、ここはどんな幸せな世界にもなるんです。それなのに、どうして、そんなふうにせっかくの幸せを壊そうとするんですか?」

「そんなこと言ったって……夢は夢でしかない……いずれは覚めなきゃいけない……」

「覚めない方がいい夢だってあります……」


うきは泣き出しそうな悲痛な顔で言った。


「私は……私はっ、あなたに、命にかかわるような大きな怪我を負わせてしまいました……。もしかしたら、二度と今までのような生活はできないかもしれない……。たとえ今、現実に戻ったとしても……その先、あなたを待っているのは、辛くて苦しくて、嫌なことだらけの人生ですよ? そんなの、生きてるって言えるんですか? 生きてる意味があるんですか?」


投げかけられた言葉が、次第に質量と密度を増し、僕の心に波紋を生む。

重くのしかかってきて、全体を軋ませる。


──!


同時に、うきによって自分の胴体を貫かれた時の、灼熱の痛みが蘇る。

 

 

 

噴きこぼれていく血液。


流れ出してゆく僕自身の──生命。

 

 

心を覆い尽くす絶望。


「そんなの……無理ですよ……私にはたえられない……です……だから……」

 

 


──!



 

「だから、私はこうして新しい世界を作ったんです……! 拓留さんの望む幸せな世界を作ったんです! このままこの世界にいた方が、拓留さんはぜったいに幸せでいられるんです! 私だって……私だってそのほうが……」

「…………」


じわじわと。


遅効性の毒がゆっくりと効いてくるように、負の念が際限なく湧き出し、僕をがっちり絡め取ってしまう。


夢からは覚めなければいけないなどと、勇ましい事を言ったはいい。


けれど、もしもうきの言う通りなら……。

 



元の世界に帰ったとして、自分に待っているのは半死半生になった身体だ。

 

 

 

そして、妹の結衣も……。



 

彼女も、親友だと思っていた伊藤の手によって殺され、もうこの世にはいない。



 

何から何までが、向かい風ばかりが吹き荒れている現実の世界。


残酷と冷酷と非情と不条理と無慈悲で構成された世界。

 

 



それに引き替え、こっちの世界には、怪我のない身体がある。

 

 

 

結衣もいる。

 

 

 

僕に好意を寄せてくれる女子だっている。



 

 

果たして、現実の世界に固執しなければいけない理由なんてあるのだろうか……。


「……の……せい、です……」


うきの声が震えた。


みるみるうちにその瞳に涙の膜が張り詰め、白い頬を滂沱(ぼうだ)と伝う。


「私のせい……なんです。なにもかも、私のせい……」
「うき……」
「私は……」


うきは僅かに顔を俯けたまま、ぽつりぽつりと語り始めた。

彼女自身のことを……。

 

 

「私は……まだ小さかったころ、お父さんやお母さんに連れられて、不思議な場所に通っていました……。そこでは、たくさんの人たちがお祈りをしたり、瞑想をしたりしていました……」


想像するに、それは宗教施設か何かだろうか。

どうやら、うきの両親は新興宗教かなにかにハマっていたらしい。


「お父さんとお母さんはとても厳しいひとで、私がどうしてそこに行かなければいけないのか教えてはくれませんでしたし、私もそれをおかしなことだって思ったりはしませんでした。……ある日、私はあの地下へと連れていかれました。そしてその後すぐに、大きな地震があって、お父さんとお母さんは死んだって言われました……。両親の他には親戚はだれもいなくて、行くところの無くなってしまった私は、あの地下の部屋で、皆さんの面倒をみるようになりました……。それも私にとっては、当然の成り行きで、どうしてこんなことをしなければいけないのか、なんて疑問に思うことはありませんでした……」


あの施設から連れ出した頃のことを思い出す。

幼いころからずっとあの施設にいた彼女にとって、あの場所が自分の全てだったのだ。


「いろいろとお世話をしていると、みなさんはありがとう……って言ってくれました……。その言葉を聞くと、とても嬉しくて、すごく優しい気持ちになれました……。ああ、この人たちは私を必要と思ってくれてるんだ……私のことを頼ってくれてるんだ……そう思うと、とても温かい気持ちになれました……」


幼いうきにとって、誰かに必要とされることは、それだけで自らの存在意義を認められたような気持ちだったのだろう。

それは、青葉寮でのうきの甲斐甲斐しく働く様子でも見てとれる。

山添うきという少女はただその気持ちだけで生きてきたのだ。


「私は、私の周りにいる人が幸せになってくれることが嬉しいんです。私が幸せになることよりも、誰かが幸せになる、そのほうが私にとってはとても嬉しいことなんです……」

 



「誰かに幸せになってほしい。誰かを幸せにしたい……ありがとうって笑ってもらいたい……。私はきっとそのために生まれたんです……それなのに……」


うきは再びそのつぶらな瞳に涙を湛えた。

 

 

 

「なのに、私……私は……拓留さんにあんなことを……っ……私のせいで、拓留さんは、拓留さんは……!」

「…………」

「私は拓留さんを不幸にしてしまったんですっ。私にはもう、現実の世界で拓留さんを幸せにすることはできません……。でもっ……でも、この世界なら、私は拓留さんのことを幸せにすることができますっ……拓留さんに笑ってもらったり、ありがとうって言ってもらえることができるんですっ……。だから……だからお願い……します。どうかこの世界で、拓留さんが幸せになるお手伝いをさせてくださいっ……」

「……僕を……幸せに? うきが……?」

「……はい」


何故だろう。


うきの言葉が僕の中にゆっくりと浸透していく。


ここなら幸せでいられる……。


笑って……暮らしてゆける……。

 

 

 

「拓留さん」
「う……ん……」


だったら……このままで……いいのかもしれない……。

 

 



「っ……」


そう思いはじめた途端、再び強烈な睡魔が僕を眠りの世界に誘う。


思考がだんだんと輪郭を失い、ぼやけていく。


……きっと、いいんだ……それで……。


誰だって……辛いことは嫌だし……。


そもそも……現実と妄想の境界なんてない……。


所詮は脳が見せている……映像でしか……ないんだ……。


だったら、楽しい方がいいに……決まってる……。

 



「拓留さん……」


このまま、ねむりにみをゆだねれば……。


「私がまもりますから……。あなたの幸せをずっと……守っていきますから……」


めざめたときには……きっと……しあわせな……。


「あぁ……」

 

 

 

視界が淡く包まれてゆく。


背中を撫でてくれる小さな手……。


優しくて温かい……うきの……手だ……。


この手が僕を……守ってくれる……。


だったら……それで……。


それ……。


で……。


「そう……か……」


それで……いい……のかもしれない……。


うきが僕を幸せにしてくれるなら……それで……。


僕はそのまま無意識の底にゆっくりと沈んで──。

 

 

──『いけませんっ!!!』

 

 

「……え?」


薄れゆく意識が、僕の声に捕まれ、僅かな糸一本で引きずり戻された。


──!


空気の塊が唸り、一条の白い閃光が駆ける。


わだかまる虚無がごっそり切断されるような、そんな気配があった。


「……!?」


必死の思いで瞼を開けると、なかなか焦点を結ぼうとしない双眸に力を込め、凝視する。

 

 

 

そこにあったのはふたつの人影。


ひとつは僕に覆いかぶさろうとしているうきの姿。


そしてもうひとつは──。

 



──!

 

 



 

 

「拓留さんっ──!」


「う、うきが……ふたり?」


現れたもうひとつの人影──もうひとりのうきは、その小さな身体に似つかわしくない、巨大にして優美な形状の長剣を振りかざし、空間を輪切りに寸断していた。



「くっ……!」

「…………」


亀裂の向こうから現れたうきが、剣を一閃する。


──ッ!!


「──っ!!」


僕に圧し掛かろうとしていたうきも瞬時に身体を跳ね上げ、僅かな間合いでその斬撃を避けた。


「あなた……」

「…………」



 

対峙するふたりのうきを見て、僕の頭は完全にエラーを起こしていた。


「……なんなんだよ……これ……」


どういうことだ?


何が起こっている?


これも夢なのか?


それとも現実?


半覚醒状態の頭に理解が追いつこうとしない。


なぜ、うきがふたり……?


「……!」


もうひとりのうきは剣尖をゆっくりともたげ、構えた。


「くっ……!」


うきが虚空に翳した右手が、次元のひび割れに侵入する。


僕の脳のデッドスポットにも量子が生成され──。


──!

 

 

絢爛(けんらん)たる輝きを纏わせながら、流麗なる形状の剣──ディソードが顕現した。

 

 



「…………」

「…………」


双方の睨み合いはごくわずか。

ほぼ時間差なしで動く。


「──っ!!」



 

──ッ!!

 


獲物を狙って降下する鷹のごとく振りかざされる剣閃。

一方のうきも剣身を立て、それを防ぐ。


「はっ──!」

 

 

 

──ッ!!

 


お返しとばかり、片方のうきが反撃に出た。

大気を焦がした剣尖が風より迅く躍る。


しかし渾身の斬撃は、刃を斜めに翳しての巧妙な捌きに阻まれた。


「はああああっ!」

「──っ!」

 

 

 

──ッ!!

 

 

 

 

──ッ!!

 

 

 

──ッ!!

 

 

 

風。


音。


衝撃。


激しく入れ替わる攻防。


激しく入れ替わる立ち位置。


激しく入れ替わる僕の脳内での認識。


もはや僕の頭の中では、どちらがどちらのうきか判別がつかなくなっている。


「た……拓留さんっ! 騙されてはダメです!!」


僅かに圧され気味になっているうきが、およそうきらしからぬ大きな声を上げた。


「騙される!? どういうことだよ、それ!?」


「彼女が──今目の前にいるこの私がさっき話したことは、ぜんぶウソなんですっ。だから騙されないでくださいっ」

「余計なこと言わないでっ!」

 

 

「──っ!」


──嘘?


さっきの話──僕が夢の中で幸せに生きていける──あの話は全部嘘だというのか?


「よ、よく聞いてくださいっ! もしもこのまま彼女の言いなりになったとしても、あなたに幸せはありません」


「僕に幸せは……ない……」


「そうです。このままではあなたは妄想の中に溶けてゆくだけ……そのまま二度と戻ってこれなくなってしまうだけですっ」


「それ以上はっ──!」

 


──ッ!!


「きゃあっ!」


眼前で、蒼白い火花が激しく飛び散り、虹色の閃光が僕の目を灼く。


そんな中でも僕は、もうひとりの──新しく現れたうきの言葉の意味を必死で考えようとした。


「拓留さんっ。この子の言ってることは嘘ですっ。夢の中なら、あなたは幸せになれるんですっ」

「違いますっ! そんなの大ウソですっ!」


……いったい、どっちが本当なんだ……?


僕は……どうすればいいんだ!


「拓留さん……もう一度よく思い出してください! "あの時"何が起きたのかを……!」


あの時──?


「あの日、何が起きたのかをもう一度……」

「それ以上はっ!」

「──!?」


あの日起きたこと……、それは──。


──!



「──っ!」


あの日──。


──!



 

「──!」


何が起きたのか……。

 


──!

 

 

 

 

 

 

「よく、自分の心に問いかけてみてください! 考えて、結論にたどり着いてください! この妄想が、本当は『誰のものなのか』をっ!」


「っ……!」


脳の奥で何かの扉が半開きになっているのを感じる……。


さっき見た過去のビジョンが再びゆっくりと扉を開け──。


「ダメです! やめてくださいっ! 思い出してはダメ! いやっ!」


「思い出して、本当の出来事をっ! そしてこの妄想が本当は誰のものかをっ──!」


本当の出来事──。



あの日──。

 

 

 


整然と人の形に並べられた小箱たち。


箱からにじみ出た赤黒い液体。


咽るような鉄の臭気。


箱の中にあるのは……。


「結……衣……?」



 

「ああ!? どうだ、自分の大切なものを失う気分は!? 自分の無力さを思い知りながら、後悔にさいなまれる気分は!?」


ここまでは間違いない……。


あの日起きた出来事だ……。


「彼女は、俺にとってかけがえのない存在だった。それをお前は見殺しにしたんだ。でも、これでようやく復讐も終わる」

「……い、伊藤、お前……」

「次は宮代の番だ。よく切れるメスと麻酔薬は持ってきたか?」


そして僕は、結衣を殺された怒りで──。


「それがなきゃ、ひどく痛くて、苦しむぞ。結衣ちゃんみたいにな」

「い……伊藤……」

「なんだ? 泣いて命乞いでもするか? 助けてくださいって土下座するか?」

「お前……ほんとに……」


──「あ……拓留さん!」

 

 

そこへうきがやって来て──。


「よかった……見つかった……。あの、結衣ちゃんは──」

 

 

結衣の無残な姿を見つけたうきは──。


「い……や……」


そして──。

 

 

「いやあああああああああああ!!!」


大きな叫びを上げ──。


──!

 

 

 

 

 

「──!」


「な……なんだよ……」

 


ディソードを現実化(リアルブート)して──。


「あぁ……あああああああああああッ!!!」

 

 

 

──ッ!!

 

 

「うわああっ!! なんだっ!」

「ああああああッ!!」

 

 

──ッ!!


「なんだよ、こいつ!!!」


闇雲に振るわれる夢幻の剣(ディソード)。


逃げ惑う伊藤。


「待て、うき! 伊藤にはまだ──!」


割って入る僕。


そして──。


僕は……。


僕はあの時──。


「──っ!!」


咄嗟にかざした僕の手には──。


「いやあああああああっ!」

「やめろ、うき──!」


──!

 

 

手にはディソード──!


(そう……だ……あの時、僕は本能に突き動かされるまま、視界の隅に現れたディソードに手を伸ばして……)


「いやぁあああああああ……!」


(そして、その手を……)

 



──ッ!!

 



「──!!」


「…………!」

「あ……あぁ……っ……」


(僕は──)


「あぁ……ぁ……」


(刺されたのは……僕じゃ、ない……)

 

 

 

 

「拓留……さん……」


("僕がうき"を……)

 

 


「あぁ……」


筋繊維と血管を裂く、いやな手応え。


崩れ落ちるうきの身体──。


喀血(かっけつ)する声。


アスファルトに跳ね返る金属音。


紅く染まるうきの姿。


僕の頭の中で全てが蘇り──。


「あああああああああああああぁぁああ!!!」


──!

 



 

 

「うあぁああああああああああああああああ!!!!」
「きゃああああああああああああああああ!!!!」


──!

 


過去の真実から戻ると同時に、『こちら側』のうきが絶叫して、床に転がった。


「う……ごふっ……あぁ……あぁぁ……!」


そのまま、冷たい床の上で血を吐いてわなわなと痙攣しはじめる。


「……ぁ……あぁ…………う……き……?」


「ぐぐっ、ぐあああっ……あ、あぐ……」


いびつに手足をでたらめな方向へと突っ張らせて、そのまま硬直してゆく。


緩慢な死が。


それでも確実な死が。


「ぜぇ……はぁ……ぁぁ……」


顎(あぎと)を広げ、目の前のうきを捉えようとしている──!


「ぅ……ぅ……」


床に転がったうきは、空に向かって手を伸ばし、何かをつかみ取ろうとでもするように指を曲げ。


「──!」


そのまま腕を落とした。


そしてそれきり、動かなくなってしまった。


「うき? うき……? うぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!」


思い出した──。


思い出して、しまった……!


いま見た光景こそが、秘められた真実で。


「あぁ……ぁぁ……」


そして僕が思い出してしまったからこそ、『こちら側の』うきは死んでしまった……。


全身を蝕んでいた倦怠感、睡魔、疲労感は、すべて吹っ飛んでしまっていた。


ふいに違和感を感じ、自分の手を眺める。

 

 

僕の右手に、細長く怜悧なフォルムの長剣が握られていた。


光り輝く刃は、粘度の高い血液でおぞましく塗り滴められている。


「僕……僕はまた……」


「……思い出してくれたんですね……」

 



もうひとりのうきが、小さく呟いた。

哀しみを湛えた瞳で、床の上で無残な骸と成り果てているもうひとりの自分を見つめている。


「ここは、拓留さんが作った世界なんかじゃなかったんです……。ここは……山添うきが作り出した世界……私の中の……妄想の世界……」


うきの……。


「それ……じゃあ……うきは!? 本物のうきは今──!?」

「現実の私は……。拓留さんの隣のベッドで眠っています……」

「僕の……隣で?」

「はい。そしてここは、消えかかる命の中で、旅立つ間際に見る夢の世界──」

「うきの……夢の世界……」

「そう……私は、私の夢の世界を、無意識にリアルブートしてしまいました──その夢に拓留さんを巻き込んだまま……」


これがうきの夢……。

 



「この子は……」


うきの声が静かに潤いを帯びた。


「この子は……この子は、私がずっと欲しいと思っていた、『憧れ』を手にした私でした……」


うきはその場に跪(ひざまず)き、見開いたままだったもうひとりのうきの瞼を静かに閉じさせた。


そして、自らもしばらく目を伏せた後ゆっくりと立ち上がり、机のそばまで歩み寄り。

引き出しを開けた。

取り出したのは、小さな封筒。

可愛らしいいかにも少女っぽい、ピンクの封筒だった。


「覚えていますか?」

「それは……」


忘れてしまうほど昔の記憶ではないし、なにより僕自身にとっても鮮烈な経験だった。

からしっかりと覚えている。

それは、蒼崎夢という少女からのラブレターに使われていたものだ。


「ウソをついてごめんなさい……」


うきは少しだけ恥ずかしそうに、身を縮めた。


「あの手紙を書いたのも……そしてあなたの『理想の女の子』の姿で、あのお店で待っていたのも、この子…………いえ、私だったんです」

「…………」


うきが……蒼崎夢……。


でも、どうして……?


「憧れていたんですね。きっと……。自分でも気づいていなかったけど……。だから、せめて夢の中だけでも、って……」


それは、普通の女の子なら誰もが一度は夢に見そうな、そんな世界。

けれどうきにとってそれは、本当に夢だったのかもしれない。

いつの間にかあの施設で育つことになり。学校にも通えなかった、そんな少女にとっては──。


(ああ……そうか……)


蒼崎夢──。


僕の中で、小さく瞬くものがあった。

 



AOZAKI YUME──。


入れ替えると──。



 

山添うき──。


答えは最初から提示されていたんだ。


「ありがとうございました、拓留さん……」


うきはうつむいたまま言った。


「私は夢の中で、ほんの少しでも憧れの日々をおくることができました……」


僕にはうきが何を言おうとしているのかわかる気がした。

 

 

「でも、これでもう……夢は終わりです」
「うき……」
「もうすぐ、現実の私は死んでしまうでしょう……」


そんなの……。


「でも、その前に、拓留さんは拓留さんのいるべき世界に戻ってください……。あの人が……久野里さんが言っていました……私が死ねば、この妄想の渋谷はディラックの海に飲み込まれてしまうって……。だから、拓留さんはその前に早く……」
「うきは……? 君はどうするつもりなんだ?」
「もう時間は……ありません」
「答えになってない! お前はどうするんだよ!?」
「私は……」


続けようとして、うきはまるで力が尽きたかのように、ぺたんとその場に座り込んでしまった。


「なに……」


僕はあわてて駆け寄り、そんな彼女の腕を掴んで立ち上がらせようとした。


「なにやってんだよ!?」

「拓留……さん……」

「お前も一緒だろ!? 一緒に戻るんだよ!」


たとえ、現実がどれほど辛くても。


たとえ、幸せが遠くても。


「拓留さん……」

「ほら、立てよ! 立って一緒に来いよ!」



僕はこいつと一緒に──!



 

「ありがとう……拓留さん……」


そして、うきは小さく微笑むと。


「でも……だめです……」


僕の手を静かに振りほどいた……。


「私はもう、ここに来るだけでもう……限界……だったんです……」

「何を言って──」


僕の言葉を遮るように、うきの震える指先が、僕の手中にあるディソードを示す。



 

「久野里さんが言っていました……ディソードは、妄想と現実とをつなぐ『橋』のようなものなんだって……」

「そんなことは──」

「だから、それをしっかりと伝って行けば、きっと現実に戻れます……」

 

 

「お前がいれば現実に戻れるんだろ? だったら、お前も一緒に……!」

「っ……」


うきは床に座り込んだまま、震える手を伸ばした。


そこにあったのは、割れた鉢植え。


さっきの騒動で壊れてしまった鉢植えから零れ落ちたシェフレラの木が、さびしそうに横たわっていた。


それはまるで、うき自身の姿を写しているようだった。


「拓留……さん……」

「…………」

「この子……ありがとうございました……」

「そんなの……」


別にいつだって──。


けれど、その言葉を伝えられないまま、うきは──。

 



「嬉しかった、な……」


その場に崩れ落ちた。


──!!!!


同時に、世界が崩壊を始める。


天地が轟音を発し、激しく揺らいだ。


すべてのものが可能性を量子以前の状態に戻され、拡散していく。


なにもかもが、0と1に分解されて、ほどけていく。


終末が──不可避の決定事項として、すぐ間近に押し寄せてきた。


「う……きっ……!」


僕はうきの小さな身体に必死で手を伸ばした。


──しかし。


「──っ!!」


うきの輪郭が幾重にもブレる。


まるで砂が吹きこぼれるみたいにして、山添うきを形成する事象が解体されていく。


0と1とに──戻されていく。


あえなく、儚く、消えていってしまう。


「うきぃぃぃぃぃ……!」


身体を支えるように、床に突き刺したディソードにしがみついた。


──!!!!!


「ぐああっ……!


やがて、崩壊が僕の全身を蹂躙しにかかる。


身体をバラバラに引きちぎられるような感覚。


破壊の波濤(はとう)が僕を飲み込み──

 

 

 

全ての感覚を失う。


どちらを見ても、ひたすらな無。


無。無。無。


虚無。


いや、あるいは──。


これこそが、万物の還るディラックの海なのだろうか?


涯てない空間を彷徨っている。

 



僕の周囲で、光の粒子が舞い上がっていく。


姿形は変わっていても、僕にはすぐに見分けがついた。


これは──うきだ。


いや、それは正確な表現ではない。


山添うきという人格を構成する、記憶の断片……。


それが僕の脳内に奔流のようになって雪崩込んでくる。


幼いころのうき。


両親に連れられ、妙な施設で、ひれ伏す大人たちに交ってきょとんとした顔で座っている彼女。


硬質で薄暗い部屋。


禍々しい装置の数々。


実験。


そんな生活の中でも、友達と──幼い結衣たちと居る時は笑顔が灯っていた。


そして地震と崩壊。


閉ざされた部屋。


喚き叫ぶ大人たち。


現実への怖れと、そして憧れと──。


ぶつけられる願望──。


──穢れなく、いつまでも無垢なまま、自分たちを世話して欲しい──。


そんな周囲の願望をうきは無意識のうちに具現化し──。

 



 



彼女はあの姿になった。


それでも彼女は全てを受け入れ。


そして、自らの運命をも──。

 

「う……き……」

 



 

世界は真っ白に変わり。


そして、再び構築されてゆく。


「っ……!」


僕はディソードを握りしめた指先に力を込めた──。


うきが教えてくれたように、しっかりと──。


……………。

 

──『……ってば! くるっ!』


「…………ぅ」


『…………!? の、のんちゃん……いま……声が……』


『ええっ!?』


……この声は……。


『拓留っ!! 拓留っ!!』

 

……何度も僕を呼んでいた……。


『タクッ!! タクタクタク!! タクぅ……!』


「……んだよ……」


『拓留っ!!!!』


「ずい……ぶんと……さわがしいな……」


『タクっ!!』


『拓留っ!』


「…………」


『父さんっ! 拓留が……拓留が目をっ!!』

『そ、そうか! すぐ行く!』


炙り出されるようにして、単一色だった世界が色彩を取り戻していく。



 

「拓留! わかる!? 私が誰だかわかる!?」

「……わかるに……決まってるだろ……来栖……」

「タク! 私っ! 私は?」

「……えっと……誰だっけ……?」

 



「うぅぅ……」

「……冗談だよ……尾上……」

「う~~~~っ、タクぅぅぅぅっ!!!」


──!

 



「痛っ……痛いって……!」


──「こらっ、意識が戻ったからって、飛びつくやつがあるか。絶対安静だぞ」


「う~、だってぇ、だってぇぇ……」


父さんは隣のベッドとの間を遮るカーテンの向こうから駆け寄ってきて、世莉架を引きはがすと、僕の顔を覗き込んだ。

 



「ふむ……意識もはっきりとしているな……」


父さんに身体のあちこちを検診されながら、僕は自分の手を見つめた。

手のひらは、ディソードを持った形のまま、しっかりと握りしめられていた。


「…………」

 



「でも、良かった……目覚めてくれて……」

「ほんとだよ。どれだけ心配したか……」

 

「こいつら、ずっとお前がアッチ行っちまわないよう、声をかけ続けてくれてたんだぞ」

 

「……あ、ああ……ありがとう……。ふたりの声……聞こえてた……」

 

「ううん、いいって。私たちとタクの仲じゃん」

「そうよ。それに、これ以上家族がいなくなっちゃうなんて──」

 



来栖は言いかけて口をつぐんだ。


これ以上──。


それはもしかして結衣と。


そしてもうひとり──。


「うき……は……?」


僕は身を起こして訊ねた。


彼女は僕の隣で寝ていると言っていたはず──。


「…………」


「拓留……よく聞いて。うきちゃんは……」


その言葉に嫌な汗が溢れだす。


まさか。


もしかして彼女はもう……。


ゆっくりと視線を巡らせる。


「………!」

 



そこに、彼女は──うきはいた。


「うき……」


隣のベッドとの間を遮るカーテン──薄らと開いたその向こうで、うきは静かに眠っていた。

まぶたを閉ざしたまま、身体中の至る所にチューブのようなものが繋がっている。

すぐ隣に置かれた、モニタ装置からは定期的な音が聞こえている。


「…………」


生きて……る。


でも、じゃあ、さっきの来栖と世莉架の反応は?


あれは、どういう……。


「冷静に聞いて、拓留……」

「うー……のんちゃん、なにも今言わなくても……」

「いや、いいんだ、尾上……」


僕はうきから視線を外さずに言った。


「来栖。教えてくれ……うきは……」


覚悟はしていたこと。


けれども、やはり現実に目にすると、信じられない、信じたくないという思いが強くなる。


それでも僕は、目を向けなければならない。


なぜなら、ここはもう──夢の中の世界ではなく、そして、何よりここに戻れと言ったのは、彼女自身だから。


「……うきちゃんね……一命は取りとめはしたけれど、脳に受けたダメージが大きいって、久野里さんが……」

「はっきり言ってくれ、来栖。うきは……治るのか?」

「……残念だけど……このまま……」


来栖はゆっくりと首を左右に振った。


心が一気に冷え込んでそのまま凝結していきそうだった。


残念だけど……その言葉の意味を噛み砕き頭の中に飲みこむ。


うきは、二度と目覚めることはない──。


二度と話すことはない。


二度と笑うこともない。


二度と──。


「っ……」


僕は軋む身体に力を込め、ベッドから足を下ろした。


「……タク!?」

「大丈夫……だ……」


慌てて支えようとする世莉架と来栖を手で制して、僕はさながら夢遊病者のような足取りで、昏々と眠るうきの元まで近づいた。


「…………」


断続的に続く吐息。


定期的な電子音。


見たところ、彼女の顔には傷一つついていない。


今にも瞼を開き、つぶらな瞳を大きく開けて、にっこりと笑いそうだ。


けれど……。


「……っ……」


不意に感情が波となって襲ってきた。


「う、あぁ……」


その頬にそっと触れる。


物言わぬ小さな身体は温かくて、僕は。


「うぁ……あぁ……ああああああぁ……」


僕はただ、声を上げて泣いた。


誰かの幸せが自分の幸せだと言った少女のために。


僕を救うために、命をかけた少女のために。


「『ありがとうございました、拓留さん……。私は夢の中で、ほんの少しでも憧れの日々をおくることができました……』」


そう言って、微笑んだ少女のために。


「ぁあ……あぁぁぁぁ……」


僕は彼女に何かしてあげることができたんだろうか?


彼女に幸せをあげることができたんだろうか。


「『この子……ありがとうございました……』」


僕は……。


「『嬉しかった、な……』」


僕は。

 

 

 


…………。


……。

 

 



そして、月日は巡った──。


何度目かの春と何度目かの夏と──。


何度目かの秋がやってきた。

 

 

 

「それじゃあ行ってきます」

「いってらっしゃい、気をつけてね」

「今日も良い天気だな……。行こうか。うき……」


……。

 

 

 

「あっちは人が多いから、こっちを回ろう……」

「…………」

「それとも、向こうの方がいいか?」

「…………」

「わかった。それじゃあ向こうから行こう……」

 

 

 

あの事件からしばらく経って、うきの身体は回復し、生命維持装置を外すまでになった。

けれども、元気になったのは身体だけだった。

喋りもしなければ、笑いもしない。

ただじっと一点を見つめて、まるで人形のように、ただ生きているだけの日々。

意識はどこか遠くへと旅立ったまま、いまだ戻って来ることは無かった。

おそらく二度と戻って来ることはないだろう、そう久野里さんは言った。

そして彼女の見立ては、たぶん正しい。

願わくは──旅立った先のうきが、憧れの世界にいますように。

僕にできるのはそう祈りながら、こうしてうきと一緒に、毎日を過ごしてやることだけだ。

それが僕にできる、彼女への精一杯の償い──。


──「あ、タク!」



 

呼び止められた声に振り返ると、世莉架が僕たちを見つけて駆け寄ってくるところだった。


「よう」

「今日もお散歩?」

「まあな」

「そっかぁ。いい天気だもんねぇ」


世莉架はうきに微笑みかけた後、眩しそうに空を見上げた。


「悪いな。最近、あんまり一緒にいられなくて」

「う? 私のことは気にしなくていいよー。私はタクがそれでよければいいんだし」

 



世莉架は、そう言うと、まじまじと僕の顔を見つめた。


「タクはいいんでしょ? それで」


もちろん、うきが元に戻ることが一番いいのだけれど、今の状況ではそれは望めない。

なら、僕が出来ることをうきにしてやる。


「……まあ、な」


これが今の僕が選らんだ道。



 

「うん。だったらよしっ」


僕の答えに、世莉架も満足したようににっこりと笑った。


「じゃ、私は行くね。うきちゃんも、またね! チャオっす!」


誰かさんに影響されたような挨拶を残し、去っていく世莉架。

その後ろ姿を見送り。僕たちはふたたび歩き出す。

ゆっくりと一歩一歩、確かめるように。


……。



 

 

「そうそう。それでさ、結人が……」

「…………」

「そしたら父さんがさ……」

「…………」


いくら喋りかけても、答えは返ってこない。

それでも僕は、語りかけ続ける。

いつか彼女が、戻って来る──そんな日を待って。


…………。


……。

 

 

 

 

 

 

「あ……」



 

小さな店先でふと足が止まった。

目に入って来たのは、プランター

花屋の店の前に並べられた、いくつもの緑のその中に、僕はその姿を見つけた。


シェフレラ──。


僕がプレゼントし、うきが部屋に飾っていたあの木……。


『嬉しかった、な……』


一瞬、うきの声が聞こえた様な気がして、僕は慌てて彼女の姿を見た。


「そう……だよな。そんなこと……」

「…………」


その時──。


「う、き……?」


ガラス玉のような瞳が微かにゆらめき。


「…………!」

「…………」


小さな雫がひとすじの光となって、うきの頬を濡らした。


「うき……」


声を出すことはない。

表情も変わらない。

それでも彼女はここにいる、

そしていつかきっと──。


「なあ、うき……」


世界は絶え間なく膨張し、拡張し、進化を続ける。

たとえ、その時間の中に僕と彼女が取り残されたとしても。

それでも、僕はこの緩慢な時間の中で過ごして行こう。

いつか彼女がこの世界に戻って来る日を信じて。

それまでは僕が……。


「僕が君の世話をして生きていくよ……。いつかやってくる、君の幸せのために……」

「…………」


それが訪れる日が来るかどうかはわからないけれど。

いつまでも僕は信じつづけよう──。


ずっと。


……。

 

ねえ……タク?


叶えられた?


……やりたいこと。

 

 

 

【Dream Sky end】


……。