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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【45】

 

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

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……。

 

「拓留……」


「ん……」


「拓留ったら、起きなさい」


「ん-……」


「しょうがない。こうなったら……拓留、起きろーっ!!」


「わあああああッ!!」

 

 

 

「ふう、やっと起きた」

「な、な、なんだよ大声出して! ビックリするだろ!」

「いつまで経ってもあなたが起きないからでしょ?」

「だからって、そんな起こし方……」


あれ?


そういえば何で僕は来栖に起こされてるんだ?


それにこの部屋……。

 

 

 

「拓留兄ちゃん、起きるの遅い~」

「みんなとっくに起きちゃってますよ……」


「あ、ああ。そっか……」


そういえば、僕たちはみんなで暮らしてるんだ。

文字通り、ひとつ屋根の下で。


「それにしても、どうせ起こすならもっと優しく起こしてくれればいいだろ」

 



「なに言ってるの。最初はやってたわよ。ねー?」

「うん。乃々姉ちゃん、最初はすっごーく優しい声だったよ」

「それでも拓留さんがなかなか起きないから……」


どうやらすっかり3対1のようだ。


「それより、朝ご飯できるから。お布団片付けて用意して」

「あ、僕は朝ご飯は……」

 



「だーめ。朝ちゃんと食べないと、元気でないんだから。ほらほら」


まだまだ惰眠をむさぼりたいというのに、布団を取り上げられてしまった。


「ちぇっ」



「…………」


何故か僕たちのそんなやりとりを、山添が不思議そうに眺めている。


「……な、なに?」

「いえ。そうしてると、本当の姉弟みたいだなって……」

 



「あら。だって家族だもん。普通のことよ」

「家族……ですか」

「そうよ。もちろん、うきちゃん。あなたも……」

「私も……」

 

 

 

山添は照れくさそうに笑った。

それを見つめる来栖もまた嬉しそうだった。


……。

 

 

 

朝食の後、僕はポケコンで事件についての情報を集めることにした。

このところバタバタとしてチェックできていなかったが、何かしら進展はあるだろうかと、そう考えたからだ。

僕はいまだに世莉架を告発出来ずにいる。

本来なら、早々に神成さんあたりに言うべきなんだろう。


でも……。


どうして世莉架があんなことをしたのか、それがどうにも引っかかっていた。

僕のためにやったことだと、来栖はそう言っていたけれど、それが本当なら、僕が結衣や父さんを殺したのにも等しい。

その罪を世莉架ひとりに負わせていいものだろうか。

そもそも、世莉架はどうして僕がそんなことを望んでいると考えたんだろう……。

本当に僕がそんなことを望んでいたのか……?

いや、そんなことは無いはずだ。

僕は……。


「できた!」


さっきから、何やら布きれと格闘していた来栖が声を上げた。

 



「何を作ってたんですか?」

「カラーボックスのところにカーテンがあったほうがいいと思って。ほら、食器とかむき出しだと、ホコリかぶっちゃうでしょ? それからこっちは、ドアノブと、ティッシュのケース。こういうちょっとしたものでも、あるだけでお部屋の中が明るくなるでしょ?」

「わあ。ほんとですね……」


来栖の手によって、部屋は着々と住居へと姿を変えていた。

あんなもの、あっても無くても一緒のような気がするし、僕だけなら頓着すらしないだろうけれど、確かにあればあるで、ぐっと『家』になった感じがする。

 



「あの……私にもできるでしょうか?」
「もちろんよ。教えてあげるから、一緒に作りましょう」
「はい」

 

 

山添は僕たちを姉弟と言ったけど、ふたりだってああしているとすっかり姉妹だ。


「…………」

「結人は何してるんだ?」

「……勉強、学校の……」

「見てやろうか?」

「……いいの?」

「まあ、たまにはな……」


どうせここだとやることもないし。


それに……。

 



「それじゃあ、ここ教えて!」


今はこうして、何も無い平穏な時間を大切にしたいと、僕はそんな風に感じてもいた。


「ふふっ」


「なに?」

「なんでもない」

「なんだよ?」

「だからなんでもないってば」


変な奴だ。


「そういえば、来栖。学校はいいのか?」


事件が折り重なるように起き、更には家を出なきゃいけなくなりと、ここのところとても学校どころじゃなかった。

お蔭でずっと自主休校のままだ。

もちろん、学校側もその辺りの事情はわかってくれてはいるけれど、いつまでもこのままではいられないだろう。

 



「もう、なに他人事みたいに言ってるのよ。それは拓留もでしょう?」

「だって僕と違って、来栖には生徒会があるだろ。いつまでも休んでいられないんじゃないか?」

「生徒会のことは川原くんに任せたから平気よ。どっちにしても、もうすぐ任期も終わりだしね。それに、この状況で、私たちだけが学校に行くわけにもいかないでしょう?」

 

 

 

確かに、結人と山添だけを残してここを空けるのは色々と問題があるだろう。

かといって、来栖だけを行かせるわけにもいかない。

いつ、世莉架がやって来るとも限らないのだ。


「ねえ、拓留……」

「ん……?」

「世莉架のことだけど……」

「……うん」


他人の口から音として発されるその名前に、改めて身構えてしまう。

あいつが犯人だとは思いたくない。

けれど、あの時の世莉架の態度と──それに来栖に向けられた殺意。

あれは間違いなく本物だった。

 

 

「考えてみれば、私、世莉架のこと何も知らないの……」

「は? ……な、なに言ってんだよ? 来栖だって仲良かっただろ。甘いものが好きで、グレープフルーツジュースが好きでちょっと天然入ってて……」

「そういうことじゃなくてね。その……住んでるところとか、両親のこととか……。確か、世莉架も地震で怪我したのよね? その時、ご両親は?」

「それは……」

「ご両親は生きているのよね? 何をしている人? 会ったことは? 拓留。あなた、子供の頃から知ってるんでしょう? 普通、それくらい付き合いが長ければ、家に行ったことくらいあるものじゃない?」

「…………」


愕然とした。

世莉架と僕は、もう何年も一緒にいる。

けれど、僕はあいつの両親のこと──家のことを何も知らない。

運動会に来たこともなければ、参観日に来たこともない。

あいつから進んで親のことを話してくることもないし、僕の方から訊くこともなかった。

けれど、普通、少しくらいは話題に出たっていいはずだ。

それすらも記憶にない……。

それどころか──子供の頃の写真すらない……。


「少し調べてみないといけないかも知れないわ──世莉架のこと」

「…………」

 

…………。

 

……。

 

 

 


2015年11月11日(水)



「お邪魔します」

「あら、神成ちゃん。いらっしゃい」


オフィスに足を踏み入れた神成岳志に、百瀬克子が笑いかけてきた。



 

「あらあら。相変わらず陰鬱なオーラ背負ってるわね。たまには気分転換しないと……って言っても……まあ無理な話よねえ……」
「ははは。これでも内心密かに、タフなハードボイルドに憧れてたりするんですがね」


神成は無意識の内に腹部を左手でさすっている。

胃がねじれ、きりきり疼痛(とうつう)を訴えているのだ。


「ほら、ちょうどやってるわよ」


百瀬が示した先では、一連の事件についての続報をワイドショーが取り上げていた。

おそらく今日はどのチャンネルをつけても同じ話題だろう。

 



男性キャスター『それでは、ここまでの流れをもう一度見てみましょう。渋谷を震撼させていた[ニュージェネの狂気の再来]事件は、容疑者逮捕により、一旦はピリオドを打たれたものと思われておりました。しかし11月4日──6年前[DQNパズル]と呼ばれた事件が起きた日付と同じ日に、再び殺人事件が発生──さらには、一連の事件の容疑者として先日逮捕された少年が、昨日になり、一転して容疑を否認。すべての殺人に対し、無罪を主張したという情報が入りました。これにより、一部では警察による誤認逮捕の可能性を指摘する声が上がっていますが……』

男性コメンテーター『もしもこれが誤認逮捕であれば、大問題ですね。なにせ、相手は未成年です。それに、無実の人間を殺人犯として扱ったわけですから……』

男性キャスター『既に一部の人権団体からも非難の声が上がっているようですが……』

男性コメンテーター『そうした声は、今後ますます大きくなるでしょうね』

 


気取ったコメンテイターが言うように、既に世間は警察への批判で沸き返っている。神成たちの面目は丸つぶれだ。

いや、面目だけで済めばいい。

ゆくゆくは責任問題になってくるだろう。

 

 

「あんたも大変ね……」
「まったくです。これで伊藤真二が保釈済みだってことを知れた日にゃあ……」
「そう。保釈……されたんだ……」
「ええ。久野里さんが手を尽くしてくれましてね。脳の機能も改善されてきました。問題は……今まで、伊藤くん本人がかたくなに『自分が犯人だ』と主張してたからこそ、一課も取り合っていたんですが……久野里さんから、彼が洗脳状態だったという最終報告が出た。しかも、過去の事件の微細証拠物件と伊藤くんのDNAを照らし合わせると……伊藤くんを犯人とするには、噛み合わない部分が多すぎる……」

「でも、保釈だなんて、思い切ったわね。もし事が公になってマスコミがそのことを嗅ぎ付けでもしたら、それこそマズいんじゃないの?」
「その懸念でしたら、当面は大丈夫かと」
「というと?」
「伊藤くんは、まだ、病院に入院中ですから。保護観察中に見えるはずです」
「ああ……」
「だいぶ良くなりましたが……まだ、脳に異常な負荷がかかってるのは事実です」
「異常な負荷、ね」
「俺には専門的なことはよく分からないんですが……以前は、とても正気を保っていられないような数値だったそうで」
「…………」
「ま、そんなわけで、これ幸いとばかりに、面会謝絶ってことにしてます」
「なるほどね。ついでだから、神成ちゃんもちょっと入院してくれば?」
「……?」
「相当疲れてるみたいよ。休んでないでしょう?」
「確かに。せめて人間ドックにでも──」


笑いもせず、もう一度胃をさすった神成のポケットの中で携帯電話が音を立てた。


相好を崩さないまま神成は自己主張する携帯電話を取り出し、発信者を見る。


「宮代くんだ……」
「あら……」

 



「……もしもし、神成だが。どうした、何かあったのか?」

 


どうやら入院はしばらく許されないようだった。


…………。


……。

 

 

 



「いらっしゃ……む、おぬしか」


神成さんと約束した場所に行くと、いつもの無愛想な店員が出迎えてくれた。

 



「ぼっちか?」
「い、いや……その、待ち合わせを……」


見渡すと、店の奥で外を眺めながらお腹の辺りをさすっている神成さんの姿が見えた。


店員に軽く会釈だけして、席へと向かう。



 

「ああ。来たな」
「その……この前はどうもお世話になりました」
「ああ、そういうのはいい。それより話ってのは?」


僕はこの場に至ってもなお、世莉架のことを神成さんに話すべきかどうか迷っていた。

そんな僕の様子に、神成さんが困ったように顔を顰(しか)めた。


「こちとら商売繁盛でね。仕事が山積みで、正直時間が足りないんだよ。こうして過ぎていく一秒一秒の積み重ねだって惜しいわけなんだが……」
「す、すみません……」


神成さんのカップを見ると、中身はミルクのようだった。

しきりにお腹をさすっているところから察するに、胃でも壊しているのかもしれない。

そこをわざわざ呼び出して、やっぱり何でもない……などと言えるはずもない。


「えーっとですね、その……」


しかし、なんと切り出せばいいのか……。


「その……理由は聞かずに、尾上世莉架のことを調べて欲しい……って言ったら、やってもらえます、か……?」
「尾上さんを……?」
「っ………」


精悍(せいかん)な眼差しが、値踏みするように僕の上に注がれた。

ややあってから、無精髭をうっすら群生させた顎が左右に振られる。


「きみと尾上さんの間に何があったのかはよく知らないが、こちらもつい先日、オオカミ少年にこっぴどく痛めつけられたばかりだ。理由もなしに警察を動かせと言われてもな……」


オオカミ少年──。


誰のことを指しているかは、あらためて考えるまでもない。

 



伊藤がこれまでの主張をすべて覆して無罪を主張したとは、ニュースで見た。

@ちゃんねるのニュース速報板なんかは第一報以来、祭り状態が続き、現在進行形でスレを乱費している。

おかげで警察署内がピリピリしているだろうことは想像に難しくない。


「そういうのは本来、探偵やら興信所に頼むべきことだろう」
「それは……その……仰る通りだと思います……」
「だったら理由くらいは話してもらおうか」
「…………」


どうするべきか。

仮にここで理由も聞かずに神成さんが動いてくれたとしても、世莉架の身辺から何らかの証拠が浮かび上がれば結果は同じだ。

それでも僕の口から直接、世莉架が犯人かもしれないと告げるのは、どうしても憚(はばか)られた。


「しょうがないな……」


いつまで経っても黙ったままの僕を見かね、神成さんは大きなため息をついて言った。


「尾上世莉架の身の上を調べりゃいいんだな?」
「やって……もらえるんですか?」
「乗りかかった船だ。それに、今は可能性があるなら何でもやっておきたい」
「理由は?」
「そんなもん、今さらどうとでもなるさ。潰れる面目は全部潰しちまったしな」
「…………」
「ただし……もし、それによって何か疑わしいことが出てきたら、止められるという保証はないぞ。それでもいいんだな?」


それが冗談なんかじゃないということは、その口調から明らかだった。


「…………はい」


もはや、後戻りは出来ない。

自分に言い聞かせる意味でも、僕はしっかりと声に出して頷いた。


…………。


……。

 

 

 

 



「ただいま」

「あ、お帰り」


扉を開けると、来栖の笑顔が出迎えてくれた。


「拓留兄ちゃん、おかえり」

「おかえりなさい」

 



学校のドリルでもやっていたのか、机に向かっていた結人と、こちらも何やら勉強していたらしい山添も同時に顔を上げる。

青葉寮にいた頃も共同生活を送っていたが、それぞれに部屋はあった。

こうして『ただいま』と口に出してすぐ『おかえり』と返って来るという状況がやけにむず痒い。

けれど、それは僕にとって決して嫌なむず痒さじゃなかった。

 



「頼まれてたの……これでいいんだよな?」

「あ、ありがと」


出て行く時に頼まれていた、夕飯の食材を来栖に手渡す。


「あの……」

「なに?」

「……ううん、なんでもない」


出かける際、来栖は何処へ行くのか訊ねなかった。

それでもきっと、想像はついていたのだと思う。

その結果がどうだったのか知りたいんだろうけど、僕のことを気遣ってか、結局何も訊いてはこなかった。


「……それで良かったんだよな?」

「え?」

「頼まれてた買い物」

「あ。うん。えーっと、こんにゃくと……お豆腐と……あれ? ねえ、拓留。これは?」

「結人たちだって、たまにはお菓子くらい食べたいだろ」


「お菓子!?」

 



僕たちの会話を耳ざとく聞いていた結人が立ち上がり、来栖の手にしたヤットカットのお徳用パックを見て、顔を紅潮させる。


「やった、チョコレートだ。ありがとう、拓留兄ちゃん。ほら、うき姉ちゃん。チョコだよ、チョコ! チョコ、好き?」

「う、うん……」

「ねえ、乃々姉ちゃん、チョコ食べてもいい?」

「お勉強が終わったらね」

「やったー。早く勉強終わらそ、うき姉ちゃん」

「うん!」


ふたりは再び机に向かうと、今まで以上の真剣さで問題に取り組み始める。

 



「もう。ダメよ拓留。この先、私たちの生活もどうなるかわからないんだから、無駄遣いしちゃ」

「わかってるけど、たかがチョコレートだろ」

「『たかが』の積み重ねが、そのうち大きく……」


言いかけて止めると、来栖はゆっくり首を振った。



 

「ううん、そうね……。拓留の言う通りかもしれないわね。何事もダメダメじゃ、息が詰まっちゃう。こういう時だものね。少しくらい、心の余裕がないと……」

「……来栖」

「ん? なあに?」

「いや。なんでもない……」


なんだか、ここで暮らすようになって来栖の雰囲気が変わった──そう言おうと思ってやめた。


「ふふ。変なの」

 

 

笑った来栖の表情は、やっぱり僕の知っている来栖のものよりも穏やかなように思えた。

もしかしたら僕は、来栖のことさえもすべて知っていたつもりで、全然知らなかったのかもしれない。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

神成さんからの連絡があったのは、その日の夜のことだった。


『信じたくはないだろうが……まず間違いない……』
「……そう……ですか。わかりました……」


神成さんからの報告を聞いた僕は、自分が今どこにいるのかも覚束ない、そんな足取りでふらふらとアパートの部屋へと戻った。


……。

 

 

部屋に戻ると、風呂から上がった来栖が濡れた髪をタオルで拭いているところだった。

 

 



「拓留? どこ行ってたの? お風呂から上がったらいなくなってるから、ちょっと心配し──」

「…………」

「拓留……?」

「尾上が……」

 


そこから先は言葉が出てこなかった。

結人や山添は眠っている。

でも……それでもふたりのいる前で話したい内容じゃない。

 



「拓留……」


立ち上がった来栖が、ゆっくりと近づき抱き寄せてくれる。



 

そのまま僕の背中に手を回して、まるで子供をあやすみたいに、ぽんぽんと心地良いリズムで優しく叩いてくれた。

最近こんな風に来栖に慰められてばかりのような気がする。

けれど、今はそんな彼女の厚意に甘えていたい──心からそう思った。


「来栖……尾上が……尾上は……」

 



「大丈夫よ……今は何も言わなくても……落ち着いてからでいいから……」



 

「っ……来栖……」

「…………うん」


……。

 

 

 

 

 

僕の前では渋る様子を見せていた神成さんだったが、なんだかんだ言いながらも、あの後すぐに動きに出たらしい。

それだけ警察も焦っていたということだ。

伊藤の件で犯してしまったミスを一刻も早く払しょくしたかったのだろう。

 

 

ともかく、神成さんはすぐに上を説得して、そのままの足で世莉架の自宅へと向かった。


そこで目撃したものは──。

 


尾上世莉架と、尾上世莉架に付随する圧倒的なまでの暗黒だった。

 

そう神成さんは口にした。

 

 

 

 

そこには尾上世莉架の住んでいた形跡は確かにあった。

けれど、尾上世莉架の両親と思われる人間はいなかった。


ただ──遺体があった。


本来そこの住人であったと思われる人間の。

尾上世莉架は、その家の住人を殺害し、遺体を隠蔽し、その家の住人に成りすましていた。

 

神成さんはそう言った。

 

 

 

 

冗談だろうと言いたかった。


嘘だと声を荒げたかった。


頼んだのは僕で、こうなることはある程度覚悟してのことだった、


それでも事実として告げられると、やはり心中は激しく掻き乱された。

 

 

 

 

 

「私じゃ……だめ?」
「…………」
「私じゃだめ? 私が世莉架の代わりにずっとあなたの傍にいてあげる。それじゃあ……だめ? それとも、私じゃ世莉架の代わりにはなれない?」


ハッキリと自覚した。

今の僕の心の拠り所は、この家だ。

この家で、結人と山添と、そして──。



 

「ありがとう……乃々……」
「…………うん」

 

 

 

 

 

ずっと呼べなかった名前を呼ぶと、彼女はただ黙って頷いてくれた。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「炊飯器でケーキが焼けるなんて知りませんでした」

 

 

「ふふっ。実は炊飯器って、ご飯が炊けるだけじゃなくて、いろんなことに使えるのよ」

「乃々姉ちゃん、そういうの好きだもんね」

「ほら。チョコレートの良い匂いがしてきたわよ」


香ばしい匂いに、つい数時間前にご飯を口にしたばかりの腹がまた空腹を主張しはじめた。

乃々がキッチンに立ち、結人や山添と一緒にケーキを焼いている。

 

 

僕は壁に背をもたせかけ、その様子をぼんやりと眺めていた。

頭の中には世莉架のことがずっと渦を巻いている。

午前中、僕は神成さんに呼び出されて、散々話を聞かれた。

どうして、尾上世莉架が事件に関係しているとわかったのか。


今、彼女はどこにいるのか。


そもそも、尾上世莉架は何者なのか。


神成さんの話によると、世莉架の戸籍自体が偽物だったそうだ。


更には彼女の痕跡についても。

 



6年前の渋谷地震──それ以前に彼女が生きていたという証がどこにもないのだという。

そんな馬鹿なことがあるはずがない。

確かに僕の頭の中には、世莉架と過ごした記憶があるのだ。

 



あみぃちゃんを探して、AH総合病院の地下施設に潜り込み、あの少女──南沢泉理の人体実験の様子を目撃したのも確かに強烈に記憶として残っている。

事実、南沢泉理はあの地震が起きるまでは確かに、あの施設に実在していたのだからそれは間違いのないことのはずだ。

もしも過去の世莉架の存在そのものが不思議だというのなら、僕の記憶はいったいなんだというのか。

けれど結局、僕から警察へ提供できた情報の中で、神成さんが重要だと判断し得るものはなにもないようだった。


そして──。



 

世莉架はいまだ指名手配すらされていない。

伊藤の件の後だということもある。

また未成年を犯人扱いして、万が一間違っていた場合、同じ轍を踏むわけにはいかない、そういう判断のもとだろう。

加えて、世莉架の出自の問題もある。



 

戸籍が無いと言うことは、存在しないということも同義である。

この世に存在しない人間を法で裁くことは不可能だ。



 

ましてや事はギガロマニアックスという、未だ世間では認知されていない人間に関わる問題でもある。

おいそれと早まった行動は出来ない──おそらくはそういうことだろう。


(尾上世莉架……)


心の中でその名を呼ぶ。

 

 

 

 

 

僕の傍にずっといてくれた女の子。

 

 

 

 

どんな時も僕の味方になってくれた女の子。

 

 

 

 

 

そして僕のために怖ろしいことに自らの手を染めた女の子。

 

 


じゃあ──彼女はいったい何者だったんだ。


……。

 

 

 



「はい、準備オッケー」

「これであとは出来上がるのを待つだけですか?」

「そうよ。簡単でしょう?」

「ねえねえ、どのくらいで出来上がるの?」

 

「そうね。一時間ぐらいかしら」

「一時間かあ……」

「そうだ。ただ待ってるのも退屈だし、せっかくだからどこか行こうか?」

「いいの!?」

「ええ。みんな一緒ならいいんじゃないかしら。ねえ、拓留?」

 

「え?」


聞いてなかった。

 

 

「みんなでどこかに行こうかって言ってたの」

「……どこかって?」

「その辺をぶらぶらよ。ね? 拓留も行くでしょ?」

「僕は……」

「拓留兄ちゃんも行こうよー。いいでしょー?」


ここで一人で腐っていても、良くない事ばかりを考えるだけだ。


「わかった。一緒に行くよ」

 

 

 

「やったー。うき姉ちゃん、準備しよっ!」

「う、うん……」


結人のヤツはえらくはしゃいでいた。

ここの所、もしも世莉架が来たら──そんな不安から、ろくに外にも出ていけなかったことを考えれば、それも仕方のないことだった。

たまには、こういうこともいいかもしれない。


……。

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせ!」

 


満面の笑みで戻ってきた乃々、結人、うきの手には、コーンにティッパーで丸く複数個盛られたアイスクリームが握られていた。

カラフルな色合いが目に焼きつく。



 

「はい、これ拓留の分」


差し出された僕の分にも、たっぷりコーティングされたシロップが艶めいている。



 

「ありがとう」


乃々の手からアイスを受け取る。


「チョコとバニラで良かったよね?」

「うん……」


さすがは乃々。僕の好みをよくわかっている。

 



「……おいしい」

「うふふ、そうでしょ?」

「……えへへ、甘くておいしいねー」

「ていうか、ケーキも焼いてるのに、甘いものばっかでいいのか?」

「甘いものは別腹って言うでしょ?」


僕がヤットカットを買ってきた時は怒ったくせに、勝手なものだ。


まあでも……。

みんな喜んでいるんだから……。

それに、乃々だって……。


「美味しいね」

「……うん」


乃々だって喜んでいるんだから、まあいいだろう。

 

 

 

 

 

──!

-NEGATIVE TRIGGER ON-

 

 

 


「ふふ。しあわせ……」


まあ、乃々もこうして嬉しそうだからこれはこれで……。


──!

 


「きゃっ!」

「あ!?」


男性「おい、わりゃ、姉ちゃん。どこ見てあるいとんじゃ」


なんてことだ。

 



よそ見をしていた乃々のヤツがぶつかったのは、誰がどう見たって、そっちのスジの人だった。


「え? あ、あの、すみません!」

男性「すんませんですんだら警察はいらんのんじゃ。のう、見てみいや。ワシの一張羅が汚れてしもうたじゃろが。どうしてくれるんや?」


見ると、その人のいかにも高級そうなスーツにべっとりとアイスクリームがついていた。


「ご、ごめんなさい! クリーニング代は出させてもらいますから」

男性「クリーニング代ぃ? 姉ちゃん、知らんのんか。ほいじゃったら教えてやるけどのう。こりゃあ、アルマーニュのオーダーメイドっちゅう奴じゃ。作るのに何百万もかかっとるんじゃ。こう汚れてしもうちゃ、クリーニング代みとうなはした金もろうたところで、どうしようもないわ」


訛りが強すぎて何を言っているのか半分くらいわからないが、どうやら高いものだからクリーニングしたところで無理だと言っているらしい。

 



「拓留……」


乃々が縋るような目で僕を見た。

その視線を追って、怖い人の目が僕を睨みつける。

よく見ると、顔のあちこちに傷があって、その筋でもかなりの強者だということが見て取れる。


男性「兄ちゃん。ワシに何か言いたいんか? じゃったら聞いちゃるで」


「あ、いや……その……」



 

「拓留兄ちゃん……乃々姉ちゃんを助けて……」

「拓留さん……」


「えっと……その……」


男性「言いたいことがあったら、はよ言えや!!!」


──!


「ひぃぃっ……ごめんなさいぃぃ!!」


一喝でよろめいて尻もちをついてしまった。

こんな荒くれ者、とてもじゃないけど堅気の僕には手に負えない。


男性「兄ちゃんも文句が無いようじゃけえ、たちまち行こうかのう」


「あ、あの……行くって……どこへ?」

「決まっとろうが。ワシがええ働き口を紹介しちゃるけえ、そこで働いて、このスーツの代金払うんよ」

「そんな……! む、無理です! それに私には弟たちが……」

「わかった。ほいじゃあ、そこなガキふたりも一緒じゃ」

「ええっ!?」

「わ、私たちも……!?」

 

 

 

 

「ええけ、はよ来いや!!」


「あ~れ~……」

 

「の……乃々おぉぉぉぉぉ!!」

 

 



僕が腰を抜かしている間に、乃々だけでなく結人も山添も、みんな連れ去られてしまった。


僕は……なんて無力なんだ。

 

 

 

 

それからというもの、僕は何もする気が起きず、ただ無為に過ごすだけの時間が過ぎて行った。


そしてどれだけの月日が経っただろう。



 

「おう、タク~。どうだ? 今日は何か良いモンあったか?」
「不景気でダメだよ。何もない……。そっちは?」

「こっちもダメだぁ。腹ぁ減ったなぁ……」

 


その時、空腹を抱える僕たちの前に、黒塗りの大きな車が走って来て停まった。

 


「ん? なんだ、この車は?」

 


警戒な機械音とともに、真っ黒なスモークの貼られた窓が降りる。

 



そこから顔を覗かせたのは、派手な化粧をしているけれどどこか上品な雰囲気漂う女性だった。


運転手「どうしたんです、姐さん。こんなところで?」

「いいから黙ってな!」

運転手「へ、へい!」

「……そこのあんた……」


女の人は僕を見て言った。


「は、はい。なんでしょう」

「これで美味しいものでもお食べ」


窓の隙間からポンと地面に落ちたのは、茶色の分厚い封筒。


「出しな」


女の人が短く言うや否や、車は窓を閉めそのまま走り去って行った。

 

 

「お、おい。タク、見ろ! こりゃあ、金だ! 大金だぞ!」
「──!!」
「今の人はいったい……」


僕にはわかった。



 

あれは昔、生き別れた義理の姉……来栖乃々だと……。

 

 

 

 

 

 


「…………」


古い映画じゃあるまいし、そんなことあるわけないじゃないか、馬鹿馬鹿しい。

 

 

--------------------

 

 

 

──!

-POSITIVE TRIGGER ON-

 

 

 



「ぺろっ……ん、おいしい……美味しくて、身も心も蕩けちゃいそう……」

 

 

乃々は早いペースでアイスを舐め尽くし、コーンの先っぽまで囓り終えていた。

どこかしら恍惚とした表情をしている。


「はぁ……。ふぅ、おいしかった……」

「なんだよ。もう食べちゃったのか?」



 

「うん……でも……」


物欲しそうな表情で僕を見る。


「な、なに……?」

 

 

「こんなのじゃ足りない……もっと、欲しいな……」


頬を上気させた乃々が、僕の顔を覗き込んできた。

何故だかもじもじと内腿を擦り合わせる仕草が、なんともいえず扇情的だ。


「…………」


心臓が一拍飛ばしで拍つ。

僕はアイスを舐める舌の動きを止めて、湧いた生唾をごくっと飲み込んでいた。



 

「ねえ……拓留の……舐めちゃ、だめ?」

「僕のって……あ、新しいの買ってくればいいだろ……」

 



「ちがうの……私が舐めたいのは……そっち……」

 



乃々はそこに視線を移すと、ちろっと舌を覗かせた。

なまめかしい桃色の肉片が、物欲しげに可憐な唇を一周する。

 

 

 

「ふふ……。すっごく、おいしそう……ねえ……それ……ペロペロしてちゃ……ダメ?」

「い、いいけど……結人たちが見てる……」

「いいわよ、私は見られたって平気……」

「…………」


そ、それは……。


そんなこと……。


い、いいのか……?


でも、他でもなく乃々当人がおねだりしているわけだから……。


「そ、そこまで言うなら、仕方ないな……。でも、ちょっとだけだぞ」

 

 

 

 

「ん……ふふ……」

 

 

乃々は蠱惑(こわく)的な笑みを浮かべ、ゆっくりと顔を近づけた。


そのままちろっと舌先で舐める。


「ん……れろ……」

「っ……!」

「んっ……れろれろ……ちゅっ、れる……」


乃々の舌先が先端から徐々に全体へと侵食してゆく。


「んっ……拓留の味がする……」


その瞳が上目遣いに僕を覗き込んでくる。

 

 

 

「ねえ、もっと……ちょうだい……」



 

淫らな舌が蠢いたかと思うと、小さな口がぱくりと全体を咥えこんだ。



 

「はむ……んっ、ちゅっ……ぷ……んんっ……」


丹念に丹念に、豊潤な透明の液体が吐きかけられた。

口内で舌が蠢き、全体に絡みついてくる。


「う、ううっ……」


快感信号が脳を連続して刺激し、危うく腰が砕けそうになった。

 

 

 

「拓留も……もっと、もっとしても……いい、よね……?」

 

 

「く、来栖っ……」

 

 

 



理性の障壁はあっさり瓦解した。


わななく顎先を、コクコク上下に振る。

 

 

「……うふふ。じゃあ、声に出して言って。拓留が望むなら、私は舐めてあげるから」

「も、もっと舐めて……」

「聞こえないよぉ……」

「舐めてください、お願いします!」

「……うふふ。わかった。ちゃんと言ってくれたご褒美、してあげるね……」



 

乃々は再びその紅い唇を大きく開けると、ゆっくりと口に含んだ。


「ん……拓留の指……美味しい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………!」


「ねえ、乃々姉ちゃん。拓留兄ちゃん、どうしちゃったの?」

「大丈夫。いつものことよ」


街中で何を考えているんだ僕は……。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「結局、なんだかんだでお金使っちゃったな」


必要なもの、足りないものを買いこんでいたら、それなりの荷物になってしまった。

 

 

 

「これは明日から節約生活ね」


言葉の内容とは裏腹に、乃々はどこか嬉しそうだ。

こいつには昔からそういう所があった。

逆境になればなるほどやる気が出るとでも言うのか。

そういう部分が皆に頼られる所為でもあるんだろうけれど。


「ん?」


電話だ。けれど僕のスマホはポケットの中で大人しくしている。


ということは。



「ゴメン。私……」


乃々はスマホを取り出して画面を確認すると、そのままバッグの中にしまった。


「……誰?」



 

「気になる?」

「ち、違うよ。その……出なかっただろ。だから」

「川原くんからよ」

「川原くん?」


「うん。時々かかって来るの。いつから学校に来るんだ? って……」

「ふーん」

 

 

「ふふっ」

「な、なんだよ?」

「べつにぃ」


変な奴……。


「あ、そうだ、ねえ。そういえばさっきのお店で、福引の券、貰ったわよね?」

「ああ……そういや……」

「たぶんこの辺でやってると思うんだけど……」


普段、そんなもの貰ったところで気にも留めないけど、さすがに乃々はしっかりしている。

言い方を変えれば所帯じみていると言ってもいい。

 



「あ、あれじゃないですか?」

 

 

山添が指さした先には、小さな簡易のテントが立てられ、派手な呼び込みが行われていた。


「ほら、拓留も行こっ」

「僕はいいよ……あんなの、昔から当たったことなんてないし。尾上はよく当たってたけど……あ…………」


また世莉架のことを思い出してしまった。



 

「もう、そんなこと言わないで。ね? ほら、一等は最新型ポケコンだって!」

 


乃々にも間違いなく僕の言葉は聞こえていたはずだった。

それなのに、彼女は普段通りの様子で、何ごとも無かったかのように言った。

それが僕には有り難かった。


……。

 

 

 



「お願いしまーす」

男性「お、お嬢さんたち、姉弟かい?」

「ふふ、わかります?」

男性「そりゃあ、それだけ仲良さそうなら、わかるってもんだ」


「ね、拓留。私たち、家族に見えるって」

「う、うん……」

「でも……嬉しいけど、ちょっと残念かな?」

「え?」


男性「はい、じゃあ、全部で4回ね」


「あ、はい。4回だから……ちょうどひとり1回ね。拓留もやるのよ?」

「わ、わかったよ……」


残念? 何が?


「あ、それじゃあ、最初は僕、やってもいいかな……?」

「ええ。どうぞ……」

「じゃあ、いくね……」


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念……です」

「僕……2等の携帯ゲーム欲しかったのに……」

「ああいうのは当たらないように出来てるんだよ。そもそもちゃんと当たりが入っているのかどうかもわからないんだ」

 

 

「そうなの、乃々姉ちゃん……?」

「そんなことないわよ。ただ、そんなに簡単には当たらないでしょうね。でも、私はこれで充分」

 



トイレットペーパー24ロール分を貰って、乃々はホクホク顔だ。

 

 

 



山添や結人もそれにつられて笑う。


僕は今になって気付いた。

 



結人はこれまで良く夜になって泣き出したり、突然怯えたように声を上げたりすることが多かった。

あの地震の時の経験から生じた心的外傷(トラウマ)によって、暗所恐怖症(スコトフォビア)になってしまったからだ。

 

けれどここに来てからというもの、そうしたことも無い。

実の姉を亡くし、義理の父を亡くしたというのに、だ。

もちろん、結人本人の努力のたまものでもあるのだろうが、こと、恐怖症に関しては努力だけでなんとかなるものでもない。

 

 

やはり多くは乃々のお蔭なのだろうと思う。

乃々がこうして、今まで以上に母親代わりになって、全員に気を配ってくれているからこそ、結人もそして山添も笑っていられる。


「はい、拓留。炊飯器で焼いたケーキ、食べるでしょう?」

「あ……うん……」

「拓留は……マウンテンビューがいいのよね? 結人はミルクで……うきちゃんは紅茶……」

「あのさ、乃々……」


その名を呼ぶと、乃々はせわしない動きを止め、ゆっくりと振り返り。

 

 

 

「…………ふふっ」


そして微笑んだ。


「まだ、そうやって呼んでくれるんだ……」

「当たり前だろ。乃々は……乃々なんだし……」

「……うん」

 

 

 

まるで絵に描いたような平穏な日々。


僕はどうして特別を求めていたんだろう。


特別なんて必要なかった。


特別なんてなくてもよかった。

 

 

 

乃々はずっと口を酸っぱくしてそう言っていたというのに、今頃になってそんなことに気づくなんて……。

 

僕はなんて馬鹿だったんだろう。


…………。


……。

 

 

 

 

 

 

平穏な日々が数日の間続いた。

神成さんからは、あれ以降ちょくちょく連絡が入るが、内容といえば世莉架から連絡は無かったかといったものだけ。

つまり警察の方でも、世莉架の行方はいまだにわかっていないということだ。

それを考えると、まだ気を抜くわけにはいかないけれど、それでも四六時中気を張っていられるわけでもないのが人間だ。

それに、これからの生活を考えれば、このまま世莉架の影にひたすら怯えて暮らしてはいけない。

 

 

一応僕の貯えがあるとはいえ、それだけを食いつぶして4人で生きていくには限界がある。

何かいいバイトはないかと、斡旋サイトを見て回る。

接客業はゴメンだ。

肉体労働も無理。

情報を扱うようなものはないかと探してみたものの、当然あるはずもない……。

いっそのこと、久野里さんに渋谷にうずの手伝いを申し出てみるかと思ったが、あの暮らしぶりを考えれば、とてもバイトなんて雇うような状況でも無いだろう。


いや、待てよ?


渋谷にうずのページをもっと宣伝なんかに使えるようにして、アフィリエイトで稼げるようにすれば──。


──!


そんな事を考えていると、突然、何者かによって部屋のドアが叩かれた。

 



「拓留……」


部屋の中央で縫い物をしていた乃々が、手を止めて身構える。

 

この部屋のことを知っているのは、限られた人間だけだ。


それともまさか、世莉架が──。


「…………」

 


無言で乃々たちに部屋の隅に集まるよう指示して、僕は音を立てないよう細心の注意を払いながらドアへと近づき、ノブに手を伸ばした。

 

すると、僕がドアノブを掴むよりも早く、外からドアが開け放たれた。


──!

 



「なーんだ、開いてるじゃん」

 

「は……?」


顔を覗かせたのは、有村と。

 



「…………」

 



「有村さん? それに香月も……」


「あ、チャオっす、お久しぶりっすね、先輩方っ」

「…………」


「お、おまえら、何しに来たんだよ?」

 



「あらまたこらまた。ぜーんぜんガッコに来ないうえ、連絡すらくれない先輩方の様子を見に来た可愛い後輩ふたりに向かって、ずいぶんなご挨拶じゃないっすか」

「い、いや。それには事情が……」

「なるほどー。ふむふむ、ここが先輩方の愛の巣ってわけですかぁ」


物珍しそうに見回しながら有村は下品な笑みを浮かべて言った。


「あ、愛の巣って。何言ってるの。私たちは家族みんなで──」

「あ、とにかく上がっていいっすか? おじゃましまーっす」


止める間もなく、さっさと靴を脱いでずかずかと上り込んできた。

相変わらず人の話を聞かない奴だ。

 

 

「というわけで、遠慮なくくつろいでね! 華!」

「……ん」


「有村は少しぐらい遠慮しろよ……」

「あ、おかまいなく。私、安物のお茶でも気にしませんから」


こいつ……。


「うーん、それにしても、これはまた、思った以上のボロさですねぇ。世界遺産ものですよ」

「……ん」


こうなっては、言うだけ無駄だと諦めるしかない。



 

「結人もうきも、元気そうでなによりね」

「お、お久しぶり、です……」

「おかげさまで……」


ふたりとも訪問者がこのふたりだと知って、安心したように笑顔を見せた。

 



「まったく。二人とも相変わらずね。安心したわ……」


それでも乃々はふたりに逢えて嬉しかったのか、屈託なく笑いかけている。


「学校のほうはどう?」

「ん-。先輩たちが来ない以外は普段どおり、ぼちぼちですよ。ねー、華」

「……ん」


僕なんかは特に心配事もないけれど、乃々は生徒会長だ。

やはり学校のことが気になるのだろう。


「ていうか、お前ら、どうやってここがわかったんだ?」

「あ、やっぱ気になります、それ?」


出来るだけ知られないようにしていたんだから、当然気にはなる。


「訊いたんですよ、神成さんに」


元をたどれば単純な話だった。

 

 

 

「最初は知らないってとぼけてましたけど。私にそんな嘘ついても無駄だっていうのに、ほんと学習しないんだから、あの刑事さん」


なるほど、それで仕方なく口を割ったというわけか。


「てことは、一通りのことは──」

「いやー、やられましたよ。まさか私の能力を知ってて、のらりくらりと交わされてたとはねー。敵ながらアッパレです」


それが世莉架のことを言っているということは、すぐにわかった。

あえて名前を出さないのは、有村なりに気を遣ってのことだろう。

人の心の中を窺いながら生きてきただけあって、案外繊細なのだ。



「それにしても、先輩も物好きっすねー。よりによって、隣が──」


──ッ!!

 

 

 

有村がすべてを言い終る前に、壁ドンされた。


「ダメよ。見た目どおり、壁薄いんだから。全部聞こえちゃうわよ」

「聞こえちゃうっていうか、聞いてるんじゃないですか? ほら、コップとか壁にくっつけて」


──ッ!!


再び壁ドン。


今ので、有村の説も一気に信憑性を増してきたかもしれない。

 



「……っ」

「こら、香月も。対抗心燃やして壁殴ろうとしないの!」

「…………」


それにしても、有村たちが来ただけで、狭い部屋の中が一気に部室に様変わりしたようだ。

 



「そうそう。それでですね。私たちが今日やって来た目的はですね──」


そこまで言うと、有村は突然立ち上がり、何故かドアの外へと姿を消した。


「???」


「ねー。華も手伝ってよー」

「…………」


こんどは香月が姿を消す。


「???」


「んっ……」


ふたりがかりで、抱えるように部屋に運び込んで来たのは──。


「ちょっと、これって部室の……」


事件の考察に使っていた例のマップだ。


「な、なんでわざわざこれをここに?」

「華がどうしても持って行くって言うんだもん」

「香月が?」

「ん……」


「先輩たちが後ろでわいわいやっててくれないと、エンスーやってても張り合いが無いんだって。でも先輩たちは来ないでしょ? だったら、こっちから出向くしかない! てなわけで……これからはここが部室ということで、ひとつ」


なんという自分勝手な言い分だ。

そんなこと、お天道様が許し給うても──。

 



「ひとつって……見てわかるでしょう? ここにいきなりそんな大きな物を持ってこられても困るわ」


ほら、われらが女帝の許すわけがない。


「でも、もう持ってきちゃったんで。あとは捨てるなりなんなり好きにしてください」

 

 

これ以上言っても無駄だと判断したのか、乃々は肩を竦めただけで、結局何も言わなかった。


恐るべしは有村雛絵のマイペースさだ。


「えー、それでは! 反対も無いようなので、ここに碧朋学園新聞部出張所の発足式を行いたいと思います」


有村はいつの間に取り出したのか、全員の手に僕のマウンテンビューを配りながら言った。

もはや咎める気も起きない。


「みなさん、準備はいいですか~?」

「…………」


香月が無感動な面差しのまま、機械的に拍手を送る。


「それでは、かんぱーい!」

 

 

「か、かんぱい……です」

「えっと……かんぱい……?」

 

 

「…………」


ぼこぼこと言うペットボトルの鈍い音では、乾杯と言う雰囲気ではない。

 

 

 

「ふむ……」

「どうしたの、有村さん」

「宮代先輩と来栖先輩は、ここで毎晩褥(しとね)を共にしてるわけですよね?」

 

 

「ぷっ!」

「し、褥って、変な言い方しないで。共同生活をしてるのよ。ほ、ほら、姉弟なんだから普通でしょ? それに、結人とうきちゃんも一緒だし」

「ぷくくく……っ」


どうやら有村の言い方が可笑しかったのか、香月は笑い転げている。

相変わらずツボのわからないやつだ。


「なるほど。4人でひとつ屋根の下ですか。楽しそうですねー。そうだ、華。私たちも一緒にここで暮らそうか?」

 

 



「はぁ!?」


何を言い出すんだ、こいつは。


「あのなあ、僕たちは別に遊びでここに暮らしているわけじゃないぞ」

「そうよ。それに、この部屋にこれ以上人が増えたら、とてもじゃないけど暮らしていけないわ」

 

 

「ん-、そうですか? 寝るところならなんとでもなるし、みんなでお金を出し合えば、家賃だってひとり頭換算、少なくて済みますよ」

「ん…………」


なぜか香月までノリノリで頷いている。


「そんなこと言ってもだな……」

「それにー、ほら、見てくださいよ。今のこの状態」


有村は舞台女優よろしく、部屋の中央で両手をひろげるとオーバーにくるりと一回りした。

 

 

「ね?」

「何が、ね? なんだ?」



 

「もー、ニブチンさんなんだからっ。いいですか? 今この部屋の中には男子が2人、女子が4人。いわば宮代先輩のほぼ、ハーレム状態!」


完全に、じゃない時点でダメだろ。


──!

 

 

 

「おい、お前たち!」


その時。勢いよく開いたドアの音とともに、久野里さんの怒号が響いた。


「隣で騒ぐなと、何度も言っているだろうが。いい加減に──」

 

 



「ああ、いいところに! ねえ、あなたも一緒にどうですか?」

「一緒に……?」

「またまたぁ。話、聞いてたんでしょ? みんなで一緒に暮らしませんかって話ですよー」

「……お前、頭に虫でも湧いているんじゃないか? どうして私がお前たちと……」

「生活費……楽になりますけど?」

「…………」


黙りこんだ。

まさかちょっと考えてるのか?


「冗談じゃない。どうして私がお前たちと共同生活を送らなければならないんだ。馬鹿も休み休み言え」


ほら、思ったとおり、一刀のもとに斬り捨てられた。


「とにかく、これ以上やかましく騒ぐんじゃない。次に騒いだら脳に電極ブッさしてやるからな」


久野里さんは冗談とも思えない言葉を残し、他の住民の迷惑になりそうなほど大きな音をたてて扉を閉めた。


「ほんと、相変わらず、冗談の通じない人」

「お前たちが無駄に騒ぐからだろ」

「失敬な。無駄なんかじゃないっすよ。私たちにはれっきとした重大な用が──あ」

 

 

 

「……?」


「実はね、今日来た理由はもうひとつあって……」


いかにも今思い出した、とでもいうように有村は手を打つと、マイペースにさらりと大きなことを言ってのけた。


「伊藤先輩のお見舞い、いきません?」


…………。


……。

 

 

 

 

 

 

伊藤が既に釈放されているということは伝え聞いてはいたけれど、既に会える状態にあるとは知らなかった。

本来のところ、まだ重要参考人ではあるわけで、面会などほぼ禁止されているそうだが、そこは神成さんを言い包めておいたからなんとかなると有村は言った。

神成さんとしても、僕たちと話すことで伊藤から何か引き出せれば……ということだろう。

それに、有村が一緒なら、伊藤の話の真偽もわかるというものだ。

僕としても、果たして伊藤がどういう状況にあるのか、気にならないわけがない。

山添と結人のことは道中、百瀬さんに預けることにした。

彼女なら以前に山添の面倒も見てくれていたこともあるし、安心して預けられる。

 



 



伊藤の部屋は最上階の個室だった。

周囲には刑事さんの姿があったが、どうやら事前に話が通っていたらしく、すんなりと僕たちを部屋へ入れてくれた。


……。

 

 

 

 

「伊藤……」


「…………あ」


ベッドに寝ていた伊藤は僕らを見て、ほんの少しだけ顔を綻ばせた。


「宮代……それにみんなも。来てくれたのか……」

「まあ、な。で、どうだ、調子は?」

「調子……か。体調は悪くない……と思う」


僕は、あるいは廃人同然になった伊藤と対面する事も想定していた。


が、顔の血色も悪くはなく、表情に屈託もない。


ただ──。

 



「思ったより元気そうで良かった……。あ、これ、お見舞い。くだものくらいは食べられるんでしょ?」

「ああ。悪いな……気をつかってもらっちまって」


普段の伊藤を伊藤たらしめている、旺盛なエネルギーは抜け落ちている、そんな風に思えた。


「それで、その……」

 



切り出したはいいものの、そこで僕は言葉に詰まってしまった。

話によると、伊藤は事件の際の記憶を一切失ってしまっているらしい。

それが本当かどうか確かめたいのだが──なんと言えばいいのか。


「その……結衣ちゃんのこと、だろ?」

「…………」

「覚えてる……のか?」

「一応、な。刑事さんにも訊かれてるしさ……」


伊藤は泣いたような笑ったような、なんとも言えない表情で僕たちを見た。


「ごめんな……、俺がちゃんと守ってやれれば、結衣ちゃんだって助かったかもしれないのにな……」

「え?」

「……い、伊藤くん。結衣が助かったかも、って……どういうこと?」

「え……だって、俺の目の前で殺されたんだろ、彼女……」


どういう……ことだ?


「悪いな。ほんとに覚えてないんだよ、俺。この数週間の間、何があったのか……。なんというのか、こう……有りがちな言い方だけど、靄がかかったみたいっていうかさ。だから正直、なんで自分がこんなところにいるのかもわからねぇんだよ」

 

 

 

 

僕は有村を見た。

有村は黙って頷いた。

嘘は言っていない……ということだ。


と、伊藤がキョロキョロと室内を見回しはじめた。


「あれ? そういえば尾上はどうしたんだ?」

「あ……」

「なんか静かだと思ったら、あいつがいないからか。何かあったのか?」

「あ、いや……」

 

 

「ち、ちょっと、ね。学校で居残りだって」

「ははっ、あいつらしいや」

 

「伊藤先輩にも、よろしく伝えてくれって言ってましたよ」

「そうか。ま、顔見られないのは残念だけど、そのうち来るよう言っといてくれよ。病室ってのはどうにも退屈でさ」

 

 

 

「ん……」

 


覚えていないなら、無理に思い出させる必要はない。


「うっ……?」


「伊藤くん?」

「悪い。久しぶりにいろいろ思い出そうとしたら、ちょっと疲れたみたいだ……」

「そ、そう。それじゃあ私たち、そろそろお暇するわ」

「わざわざ来てくれたのに、悪いな」

「いや、いいんだ。気にするな……」


ベッドに身を鎮めて、弱々しい笑顔で見送る伊藤を背に、僕たちは病室を後にした。

残念なことに、伊藤が何も覚えていないというのは本当のようだった。

いや、覚えていないだけじゃない。都合の悪い部分は別の記憶に置き換わっている。

けれど、いわば伊藤も被害者だ。

無理に真実を突き付けて責め立てるのは得策とはいえない。

複雑ではあるけれど。


……果たして僕や乃々は、心の底からもう一度伊藤と笑える日が来るんだろうか。


そんなことを考えながら、僕たちはやるせない思いで家路をたどった。


……。