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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD【48】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

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【TRUE】

-尾上世莉架編-

 

 

 

 

 

 

 

本当の彼女たちの生き方

-Chaos Child-

 

 

 

 

私は、ときどき──


『夢』を見る。


それは、テストの点数が悪くてショックを受けた日の夜だったり。


ふとしたことで、友達と喧嘩をしてしまった日の夜だったり。


とにかく、あんまり気持ちよくベッドに入れなかった夜に、よく見る夢だった。


しかも、その夢を覚えているのは、眠っている間だけ。


目を覚ますと、どんな夢だったのか、なんにも思い出せない。


そんな不思議な『夢』。

 



 

その夢の中で、私は殺人者だった。

 

 

 

初めて殺したのは、『幼なじみの男の子』の両親。


『彼』がそう望んだから、殺してあげた。


『彼』は心の中で喜んだ。だから私もとても嬉しかった。


でも、私の殺人はそれで終わりにならなかった。


その後も、私は密かに犯行を重ねた。


なぜかって?


だって、『彼』が心の中で望んでいたゲームを続ける必要があったから。


殺人現場にヒントを残し、矛盾を残し、『彼』が私を追い詰めていくという筋書き。


『彼』はそのゲームをとても気に入ってくれたし、そんな『彼』の姿を見るのが、私にとって、ものすごく幸せなことに思えた。

 



夢の中の私には、人を殺すための協力者がいた。


『彼』が身を寄せているという児童養護施設。それを経営している医者だった。


その男のことを、私は嫌っていた。


だって、そいつは普通じゃなかった。毎回毎回、夢に出て来るたびに、残虐な殺し方を私に提案してくる。

 



けど、夢の中の男はニヤニヤと笑いながら、いつも言う。


『お前の彼は、こうでもしなきゃ、楽しんでくれないぜ』って。

 



そっか。『彼』を喜ばせるためなら仕方ない。


私はその男と一緒に、目を覆いたくなるような人殺しを続けた。

 



夢の中の私は超能力者で、その男が『彼』に何をしようとしているのか、全て分かっていた。男はひどいことを考えていた。


でも、『彼』は絶対に負けないだろう。


だって、私の大好きな『彼』は、本当は強いんだから。


私にとっての、英雄なんだから。

 

ああ、そういえば。


私の夢には、『もう一人の男』が出てくることもあった。

 



それは、私のよく知っている人で。


普段、のんきで適当でいい加減で、どう考えても悪いことをするようには見えない人だった。


『委員会としては、キミたちが我々の邪魔にならなければ黙認してあげてもいいよ。彼が"どうなるか"にも興味があるしね』


その人は、"委員会"とかいう、テレビの都市伝説スペシャルに出て来そうな組織に所属していて。私や『彼』をずっと観察しているんだそうだ。


いくらこれが夢だからといって、それはないよ、と……思わず吹き出しそうになった。


『ところで、一般人としての生活は完璧かい? つまらないことで正体がバレたりしたら、話にならないだろう?』


そう言われて気づいた。


夢の中の私には、なぜか自分の家がなかった。

 

 

その人は、一人暮らしの女性を適当に選んでくれた。


私はその女性を殺して、住む部屋を手に入れた。

 

 



さらに、その人は、夢の中に現れるたびに、意味の分からないことを私にしゃべり続けた。


ディソード。ギガロマニアックス。渋谷地震の直前に起こっていた連続猟奇事件『ニュージェネレーションの狂気』の真実。そして、人工のギガロマニアックス発生装置。


さらに──『カオスチャイルド症候群』と『力士シール』。

 



夢の中の私を見下ろしている、もう一人の『私』は、いつも首をかしげる


どうして、こんな夢を見るんだろう?


確かに、都市伝説とか、テレビで放送されれば観たりもする。


でも、それだって、ちょっと興味がある程度。


夢にまで出てくるほどじゃないはずなんだけど……。

 



ある時、夢の中の私は、まるで学校にいる時みたいに叱られていた。

 



『ちょっと、キミねえ。病院の地下に忍び込んで、[彼]に色々と調べさせちゃうのは、やりすぎだよ。おかげで、地下に保管してたものを、丸ごとここへ移さなきゃいけなくなった。面倒なことは嫌いなんだけどなあ、僕は』

 



そこは何かの実験室で、いろんな機械が並んでいた。


私のよく知ってる場所の地下に、こんな所があるなんて驚きだった。


……あ。ううん、違う。


これは夢なんだ。


夢だから、ありえないようなことが、いくらでも起きるんだっけ。

 

『ごめんねえ。中間管理職としては言っとかなくちゃいけなくて。とにかく、彼の首に鈴をつけておくことだね。それなら、僕は何もしない。ちょっとだけ、気をつけておいてくれよ?』

 



私は、そんなおかしな夢に悩まされ続けて。


でも、目を覚ますと、やっぱり何も覚えていなくて。


一度、お医者さんに診てもらおうかと思っていた頃。

 

──『あの夢』を見た。

 



これまでで、一番リアルな夢だった。

 

11月4日。日付まで分かっているくらいにリアル。


私は、とても焦っていた。


『彼女』に秘密を気づかれてしまったから。

 



「あなたよね!? 『南沢泉理』を使っていたのは!」

「──お前に言われたくないよ。来栖乃々」


正体がばれたのは、私のミスだった。

 



よりにもよって、『彼』にプレゼントされて大切にしていたストラップのせいで気づかれてしまうなんて……。


私は、すぐにストラップを引きちぎって捨てた。


哀しかったけど、仕方なかった。


本当なら、『彼女』を殺すつもりはなかった。


『彼女』の死は、『彼』にとってショックが強すぎる。


私のゲームから降りてしまうかも知れない。

 

まずい。『彼』に見つからないように殺して、その後、なんとかしなくちゃいけない。


──!

 



私はディソードを抜いて、『彼女』を斬り殺そうとした。

 

──!

 

 

「う……!?」


──その時、夢にまぎれこんできた映像。



 

『彼』と『彼女』には、こんな未来もあるんだ……。

 



「うぁ……っ!」

「!?」


意識がそれて、急所を外してしまった。


私は、もう一度、ディソードを振りかぶった。


でも……その時。


──「来栖っ! 尾上っ!」

 



「た、拓留っ……!?」


「……!!」


……『彼』だ!


もう知られてしまった。これじゃ、ごまかせない。


まずい……まずいまずいまずい!


「……逃げて……!」

 



『逃げて』──それは、倒れる直前に『彼女』が言った言葉。


むろん、『彼』に向かって言ったに決まってる。


でも、その言葉に弾かれるようにして逃げ出したのは、『私』の方だった。

 

 



──たぶん、そこからだと思う。


夢の中の私が、どんどん道を間違えて行ったのは。

 

 

そして……その夢は、唐突に終わる。

 



「やめて……タク……」


ディソードを構え、見下ろしている『彼』。


それに向かって、懇願している『私』。


「私から、"目的"を奪わないで! 生まれてから、いろんな人の心を読んできた! みんな悩んで、迷ってる! それでも生きてるのが信じられない! なんで笑ったり出来るのっ? それが何のためか、自分で分かってないのに!」


「…………」


「私は! そっちに──普通になんか、なりたくないよぅ……!」

 

その時、生まれて初めて、


私は、本当の涙を流した。

 

 



「……駄目だ。お前は、普通の女の子になるんだ」


「……やめて……お願い……お願いだから……ずっと私に、タクを助けさせてよぉっ……!」


「………………それじゃあ………さよなら」

 

 

 

「タクーーーーっ!」


私は、最後のその瞬間まで、愛おしい『彼』の顔を見つめていた。

 

──絶対に、忘れたりなんかしない。

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月11日(木)

 

 



「………ん」


目を覚ますと、頬に"あの感触"があった。

そこに手を当ててみる。やっぱり、涙で濡れていた。



 

どんな夢を見て、悲しんでいたのか?

それとも、これは嬉し泣きなのか?

それすらもハッキリしない。

けれど、『その夢』を見た後の私は、必ず泣いてる。

そのせいで、目が腫れぼったくて仕方がない。


(こういう体質なのかな……?)


やっぱりお医者さんに診てもらった方がいいんだろうか?

でも、どう説明すればいいか分かんないし。

どんな夢なのかも、覚えてないし。


「う~……と」


気分を変えようと、ベッドの上で伸びをする。

カーテンから漏れてくる光は眩しかった。

外はとってもいい天気みたい。

今日は、2月11日。

建国記念日で、学校はお休み。

けど、友達と出かける約束をしてるから、急いで起きて準備しないと。


──!

 



「……ん? 葵? はい、もしも──」
『世莉架? 今どこ?』
「家」
『は?』
「え?」
『まだ出てないの?』


スマホを耳から離して、時間を確認する。


──待ち合わせの10分前だった。


集合場所の大型ショッピングモールまでは、歩いてニ十分弱。

そういえば、目覚ましをかけた覚えがなかった。

しかも、私は自転車とか持ってない。


「ごめん! すぐ出る!」
『ああ、いいよいいよ。ちょど良かった。ね、駅集合でもいい?』
「? 別にいいけど……。いつものとこ行くんじゃないの?」
『彩花がいきなり暇だ、って。で、渋谷行きたいんだって』
「え……」


ドキン、と、心臓が跳ねた。



『ん、なんかまずい?』
「だ、大丈夫。おっけい」


私は動揺を早口でごまかすと、なるべく急いで行くからと伝えて、電話を切った。


「…………」


……本当は、渋谷に行っちゃいけない。

あの人からは、そう言われてる。

理由は教えてもらってないけど……どうも、3か月前に私が巻き込まれた交通事故と、関係があるみたい。

まぁ、事故のことがなかったとしても、あんまり渋谷へ行く必要とか感じない。

横浜市(ここ)は、渋谷と同じくらいお洒落なお店が多いし……お休みの日に、わざわざあんな混雑した街へ行っても疲れるだけだし。

だいたい、人がいっぱいいる場所って苦手だったりする。

一度にたくさんの人を見ると、ものすごく頭が痛くなって、胸のあたりがムカムカしてきてしまう。これも体質なのかな?

 



(……ま、いいか)


せっかく友達が誘ってくれたんだから。

だいたい、なんで渋谷へ行っちゃダメなのか、教えてくれないあの人が悪い。

もし、渋谷に住んでいるあの人に見つかっちゃったら、そう言ってやろう。

私は、ベッドから跳ねるように起き出すと、すぐに支度を始めた。


…………。

 

……。

 

 



「おええっ……」


胃の中のものが、排水溝に全部流れて消えた。

吐き気を治めるには、こうして吐いてしまうのが一番だった。


……さっき食べたクレープが、無駄になっちゃったけど。


「大丈夫?」


葵が、背中をさすってくれている。

手を挙げて、大丈夫と応える。

 



「うー……。なけなしの1800円が……」


大学生くらいだろうか、男女入り乱れて騒いでいる集団を目にした瞬間、一気に吐き気を催してしまった。


「……これって、世莉架の頭の病気と関係あるの?」

「……わかんない」



 

3か月前の渋谷。11月6日。

渋谷復興祭が行われていたその日。

私は、『祭』を見物に来ていた人が運転する車に、はねられたらしい。

"らしい"っていうのは、その時の記憶がハッキリしないからだ。

 



ぼんやりと憶えているのは、ヘッドライト? から照りつける、やけに眩しい光だけ。

気がついた時には、病院のベッドの上だった。

身体のあちこちの傷──特にお腹──はひどいもので、全身包帯だらけのミイラ状態にされてた。

でも、それ以上にひどかったのが、記憶の混乱だった。



 

自分の名前は憶えてる。年齢も憶えてる。

好きなテレビ番組、渋谷地震が発生した日、アイドルの顔、スマホフリック入力も憶えている。

けど、自分がどこの高校に通っていたのか、どこに住んでいたのか、親はどういう人だったか──

そういう記憶が欠けていて、思い出そうとしても、どうしても出てこない。

逆に、まるで切り取られたフィルムみたいに、パッと頭に浮かぶ映像があったりする。

 

 

それは崩れた街だったり、大量のテレビ画面だったり、血だまりだったりして……でも、現実感はまるでないし、そんなものが見えてしまう理由もさっぱり分からなかった。

お医者さんは、以前の私の趣味が映画で、その映像が浮かんでくるんじゃないか……とか言ってたけど。

そうなのかな? やっぱりよく分かんないや。


「大丈夫? はいこれ」


彩花が、ペットボトルのお茶を急いで買ってきてくれた。


「さんきゅ」


ありがたく受け取ると、口の中をゆすいで、また排水溝に吐き出す。


「ぺっ……ぺっ……。うー……ちくしょうめ」

「…………あんたさ」

「ぺっ……! ぺっ……! ん? なに?」

「具合が悪いのはしょうがないにしても、もうちょっと女の子らしくしなって。もったいない」

「…………」


……あれ? なんだろう?


同じようなことを、以前、誰かに言われたような気がした。

 



そのことを考えていると、吐き気がすうっと収まっていくのを感じた。

 

……。

 



「どうする? 私、目当ての服買っちゃったから、帰ってもいいよ?」

「いや、へーきへーき」


もうすっかり気分は良くなっていた。


「……単に、3つも食べたからじゃない?」

「やっぱりそうかなあ……」

 



私は、ふとしたきっかけで、事故前の『私』を感じることがある。

さっき、クレープ屋を見つけたときもそうだった。

急に食べたくてしょうがなくなった。

それで、ついつい食べ過ぎてしまった。

『私』が、ここまで甘い物好きだったとは思わなかった。

いや、それとも、クレープが極端に好きなだけ?

案外、男の子とデートした時に食べた思い出の品だったりして……。

思わず、赤面してしまった。

う~、それはないな。たぶん。

そういうの、ぜんぜん興味ないから。

それに、もし彼氏とかいたのなら、私が入院してる時に、お見舞いに来るはずだし。


「じゃあ映画でも観る? 世莉架、お金は?」

「うっ」


大事な大事な1000円札二枚が、つい今しがた、クレープの残骸になって排水溝に消えたばかり。

かといって、お小遣いをねだるような両親が、私にはいない。


(生活費の振込みって、15日だからなあ……)


会社員さんの"給料日前"って、こういう感じなんだろうか。

うーん、どうしよう?


と──。


おかしなものが、私の目に止まった。


「……あれ、なに?」

「え? ……あ」


私の視線を追った葵がそれに気がつき、露骨に顔をしかめた。


「世莉架は、見たことないの?」


うなずいた。

昔の『私』がどうだったのかは知らないけど、今の私にとっては初めて見る光景だった。


「聞いたことくらいはあるでしょ。"カオスチャイルド症候群"」

「……あれが?」


そこには、不思議な姿の人たちが歩いていた。

 



いや、本人たちの姿というよりも、着ている服が合ってない。

とにかく、そのアンバランスさに私の目は釘付けになった。

でも、まわりの人たちは慣れているのか、特に気にとめる様子もなく通り過ぎていく。


「確か……地震で、ひどい目にあった若い人たちが、あの病気になっちゃったんだよね……?」


葵はうなずいた。


「……なんで、誰も気にしないのかなあ?」

「気にはしてるんだよ。けど、あの人たちが悪いわけじゃないもん。そういう病気らしいから。それに……」


葵は、ビルの壁にある大型ビジョンの方へ目をやった。



 

葵が見ていたのは、大型ビジョンの下。ニュースとかを流す、文字広告スペースだった。

そこに、こういう文字が流れていた。


『"カオスチャイルド症候群"は必ず治る病気です。伝染するような危険な病ではありません。症候群者への暴言等は人権侵害に当たり、条例で禁止されています。偏見のない平等な社会を目指しましょう。』


ああいうの、初めて見た。

もちろん症候群のことは知ってたけど……。


「渋谷だけだよ、こんなふうになってるのは」

 

 

流れていく文字から目を離せない私の様子に気づいたのか、葵が付け足すように言った。


「なんか変だもん、この街。色々、噂されてるし……」

「あるある、聞いたこと。症候群の人たちが時々、行方不明になるんでしょー? なんか実験されてるとか?」

「実験って、あんたはマンガの読み過ぎ」

「あはは。とにかく、世莉架は聞いたことない、そういうの?」

「うん、知らないや」

「そっかー。世莉架、ネットニュースとか見ないもんね」


確かにあんまり興味ないし、そもそもウチは、インターネットの契約とかもしていない。

彩花に言わせると、『いまどきあり得ない』そうだけど……そんなもんなのかなぁ。


「ね。お金ないならさ……ちょっと覗きに行かない?」


いたずらを思いついた顔で、彩花が言った。


「何を?」

「症候群の人たちが入っている施設。私、場所知ってるんだ」

「えー、いいよ。映画観よう? 世莉架の分、私、出すからさ」


3人で、あーでもないこーでもないと言い合った結果、彩花が勝利した。

私としても、友達におごってもらうのは気が引けたし。

それに、なぜか──そこへ行ってみたかった。

 

 

 

「……ちょっとだけだからね。怒られたりするの嫌だし……。で、なんてとこ? どこにあんの?」

「こっからすぐだよ。"碧朋学園"は」


…………。

 

……。

 

 

 



駅前から歩いて数分のところに、それは建っていた。

病気の人たちがいる施設とは思えなかった。

まるきり、普通の学校に見えた。

 



実際、入り口には『碧朋学園』というプレートがあった。

途切れ途切れに、症候群の人たちが出入りしていく。

談笑していたり、ちょっかいを出してふざけ合っていたり、一人でスマホをいじりながらだったり。

やっぱり、まるで普通の学生だった。

そっか。あの人たちが着てるのは、この施設の制服なんだ……。


でも、どうして?


見た目にぜんぜん合ってないし、あれじゃ、かえって好奇の目で見られちゃうと思うんだけど……。


「本人たちは、高校に通っているつもりなんだって」

「ええ……?」

「気がついていないんだよ。ここがどういう所なのか」

「……なんで、そんな」


そんなの、おかしい。気づいていないなんて。

世間からいろいろ言われてることだって、テレビとか観れば分かるはずなのに。


「……何が、見えてるんだろうね」

 



「…………」


もう少し中を覗いてみよう、そう考えて身を乗り出した瞬間だった。


──!





 


「あ……れ……?」

「世莉架?」


──!!


頭に鋭い痛みを感じ、私はその場に倒れた。


意識が遠のいて、何もかも分からなくなった。

 

…………。

 


……。

 

 

 

 



「うん……うん……。だから明日は休むよ。……今日は、ごめんね」

 

 



「うん……はーい、お大事にします。ありがと。じゃね…………」


──!



 

葵からの電話を切ると、ぼすんとベッドに倒れ込んだ。

昼間、私が気を失っていたのは、ほんの数分だったらしい。

すぐに目を覚ました私を、2人は自宅まで送ってくれた。


……なんか、まだ頭が疼(うず)いている。


おかしな痛みだった。

なんて言ったらいいのか……普通の頭痛じゃなくて、頭の真ん中あたりがとっても重い。


「う~………」


昼間のあれは、なんだったんだろう。

突然、頭の中に映像が飛び込んできた。

これまでにも何度かそういうことはあったけれど、今回はなんというか……迫力が違った。

まるで、その中に入り込んだようだった。

匂いまで感じ取れるような気がするほどに。


(これって……やっぱり……)


記憶を失う前の私と……何か関係してる?

あの渋谷の施設『碧朋学園』を、以前の私は知ってたんだろうか?


「…………」

 



スマホを手に取り、アドレス帳を呼び出す。

全部で22件。

友達以外で入っているのは、私の身元引受人であるあの人だけだ。

電話をかけようとして、手が止まった。

あの人からは『渋谷に近づくな』と言われてる。

今日のこと、説明できない。

頭に浮かんできた『映像』のことだけでも、相談してみようか?


(あの人は、何か知ってるのかな……)


事故の後、病院で目を覚ました私は、身分を証明するものを何も持っていなかった。

どんなことを訊かれても、何も答えられなかった。

そこに、あの人が現れた。

なんでも、私の遠い親戚に当たる人で、身元引受人だと言った。

そして、事故の前の私のことを教えてくれた。

 

 

 

私は一人っ子だった。らしい。

東京から遠く離れた、ある県に住んでいた。

高校2年の秋ごろ──両親が事故で他界した。

私は、ひとりぼっちになってしまった。

そんな私を引き取ってくれたのが、遠い親戚のあの人だった。

それまで通っていた私立高校は経済的な理由で通えなくなり、その人の知り合いが理事長をしている、もっと学費の安い高校へ転入することになったという。

 



でも、新しい高校へ通い始める直前のあの日。渋谷復興祭の夜。

復興祭を見るために生まれて初めて渋谷に来た私は、人の多さにびっくりしてしまい……まごまごしているうちに、人波にもまれて車道へと押し出され、転倒した。

 

 

そこへ、運悪く車が通りかかった。


そして……気づいた時には、病院のベッドの上。

お腹にひどい傷を負っていて、しかも、何もかも忘れていた。

 

 

 

退院の日が決まったとき、私はあの人に聞いた。


『元の家には、戻れないんですか?』


私が、本当の両親と住んでいた家。

そこに戻れば、何か思い出すかも知れなかった。

でも、『あの家には、もう帰れない』と言われた。

いつの間にか、他の人の手に渡ってしまったらしい。

その理由は、もっと大人になってからね……と言われ、まだ教えてもらっていない。

あの人は渋谷で仕事をしていて、そこを離れることが出来ないらしい。だから、横浜にあるこの部屋で、私は一人暮らしを始めた。

退院後、初めてこの部屋で眠って──涙とともに目覚めた時に、私は決心した。

泣いてる場合じゃない。

両親のぶんまで、頑張っていかなきゃ!

準備は、おっけい? おっけい!

 

 

 

そうして私は、過去を捨てた。


──はずだった。


けれど、昼間見た『碧朋学園』と呼ばれる施設や、カオスチャイルド症候群者が、捨てたはずの"何か"を思い出させようとした。

 

 



『渋谷には、来ないようにね』

 

あの人は、何度も何度も私にそう言い聞かせていたけれど……

それってまさか、『碧朋学園』や症候群の人たちを私に見せないため?


「……わーお」


なんだかまるで、思い出しちゃいけないことがあるみたいだ。


…………。

 

 

って、まさかね。

サスペンスドラマや映画じゃあるまいし……。


……。

 

 

 


カオスチャイルド症候群』

 

 

 

『渋谷地震の被災者の一部が発症した、特定の病状。心因性精神疾患だと考えられている。統合失調症型障害──自らを統合失調症と認めない障害──の一種であるらしい。名付け親は不明。どこかの心理学者だとも、被災者の一人だとも言われている。発症した人間の全てが、渋谷地震当時若い子どもであったこと、そしてそのときの状況や病状全てが複雑を突き進めたものであったから──それら二つを結び付けて"混沌なる子供(カオスチャイルド)"症候群と名づけた──らしい』

 

 

 

「…………ふぁ~……」


どうしても"症候群"のことが気になってしまって、スマホを利用して、一晩中調べてみた。

半分以上、何が書いてあるのか分からなかった。

読んでるだけであくびが出た。

しかも、『~らしい』とか『~と言われている』とか、頼りない情報ばっかり。

はっきりしたことなんて、何も分かっていないみたいだった。

しまいには、『精神障害は本物の病気でも架空の神話でもなく、両者の中間だ』とかいう、なんだか分からない言葉が検索に引っかかってきて、私は調べるのをやめた。


……。

 



ちなみに、私と同じく症候群を調べている人は多いみたいで……いかにも怪しい考証をしている人もいれば、そもそも、科学で説明することがナンセンスだという人も大勢いた。

そんな情報の中……時々、ある名前を見かけることに気づいた。


(宮代拓留……だっけ)


渋谷で起きた連続猟奇事件の犯人。

年齢はなんと18歳で、私と一つしか違わない青年だった。

私には事故前の記憶がなくて、彼の犯罪がどんなにひどいものだったのか、よく知らない。

それで、あちこち調べてみようとしたけれど……私のスマホには、あの人に渡された時からしっかりフィルターがかかっていて、『宮代拓留』に関する情報は、ほとんど見ることが出来なかった。

そういうことをされると、逆に知らべてみたくなる。

たぶん、事故前の私がそういう性格だったのかな?

その性格は、今の私にも受け継がれてるみたい。


(……まぁ、こっちから興味をもって調べないと、"情報"なんて、ないのと同じだもんね)


……ん? あれ?


昔、こんなことを、誰かがよく言ってた気がする。


誰だったっけ……?


まぁ、いいや。

とにかく葵のスマホにはフィルターなんてかかってなくて、すぐに『宮代拓留』の事件を調べることが出来た。



 

衝撃的だった。

なんというか……同じ年頃の人が起こした事件とは思えない。

彼は、自分の妹まで殺した。

しかも、仲間とグルになって、遺体を箱に詰めて飾ったとか。

その上、お姉さんまで殺そうとして、失敗して。

お姉さんは、今でも意識不明の重体だという。

ほんと、信じられない……。

そんな犯罪を犯した宮代という人に嫌悪感を覚えた。けど。

でも、同時に疑問も感じてた。

 

 

犯行前、『彼』が、あの『碧朋学園』に通っていたらしいと分かったから。

あの人は、『渋谷に来るな』と言った。

しかも、宮代の事件に関することを調べられないように、私のスマホにフィルターまでかけて。

 

……ということは……何かあるんじゃないのかな。

私に知られなくない、何かが。

それがどんなものかは、よく分からないけど。

このままじゃ、なんか気持ちが悪い。


「……よっし!」


ぺしぺしと頬を叩いて、気合いを入れ直す。

とにかく知りたい。

だから私は、仮病で学校を休んで──また来てしまった。渋谷に。


準備は、おっけい。

仮病なのに心配してくれた友達に胸の中で謝って、私は目的地へと足早に歩き出した。


……。

 

 

 

 

昨日と同じ場所に立って中の様子を窺っていると、チャイムの音が聞こえてきた。

ほどなく、症候群の人たちの声でざわついていた施設が、静かになる。


(もしかして、授業……?)

 

 

その様子から感じ取れる施設内の雰囲気は、やはり自分が通っている高校そのものだった。

彩花も言ってた。ここにいる人たちは、学校に通っているつもりなんだと。


(どうしようかな……)


勢いで来てみたはいいけれど、昨日のような映像が頭に浮かんで来ることはなかった。

また気絶したくはなかったけど、実は少しだけ期待してた。

別の"何か"が見えるんじゃないかと。

そしてそれが、以前の私を知る手掛かりになるんじゃないかと。

スマホをポケットから出して、時間を確認する。

普通の高校と同じなら、今はまだ午前の授業中のはず。

さっきチャイムが鳴ったから、たぶん三時限目だろう。


「…………」

 

 

……入って、みようか?


堂々としてれば、女の子がひとりくらい歩いてたって──。


いや……ダメかな。


私が、この学園の制服を着てれば平気かもだけど……私服じゃ、すぐにバレちゃう。


──「どうかしましたか?」


「!」

 

うわ、まずい。

学園の中をずっと見てたから、不審者と思われたっぽい。

こちらへ近づいてきた守衛さんに、私は愛想笑いを浮かべた。


「い、いえ別に、なんでも──」

守衛「ああ、君か。しばらく見なかったけど、どうしたんだい。おや、制服は?」

「……え?」

守衛「本当は規則違反なんだけど……まあ、大目に見るよ。早く入りなさい。今なら、三時限目の授業には間に合うだろう」


そう言うと、あ然としている私を簡単に校内へ通してくれた。


……。

 

 



「……?」


ど……どういう、こと?


制服? しばらく見なかった?


あの人、私のことを知ってる?


わけが分からなかった。


私は、校庭の真ん中で立ち尽くしてしまった。


「ん? どうしたの?」


不思議そうな守衛さんの声に気づく。


このままだと疑われる。


「……っ」


ええい、もう行っちゃえ!

いったいどういうことなのか、さっぱり理解できなかったけど、ここに突っ立ってても怪しまれるだけだし……。

私は、思い切って、校舎に向かって歩き出した。


……。

 

 



「…………」


とうとう昇降口まで来てしまった。

意識していないのに、呼吸が少しずつ早くなる。

私はあたりを見回して、自分の記憶の中を必死に捜す。

……けど、やっぱりこの場所に見覚えなんてない。と思う。


(でも…………)



なぜか、嗅ぎ慣れた香りがする。

この校舎の匂い……いま通ってる横浜の高校より、ずっと懐かしい感じが……。

ううん、そんなバカな。

気のせいに決まってる。どこの学校だってこんなものだろう。


──!


「……!」


その時、不意に、頭の中に何かのビジョンが見えた気がした。

昨日と全く同じように。

そのせいで、心臓が大きく跳ねた。

この場所に立つのは、絶対に初めてのはずだ。

なのに、既視感(デジャビュ)のようなものが襲ってくる。

守衛さんの言葉が蘇ってくる。


『しばらく見なかった』って?


『制服は?』って?


『早く入りなさい』って?


まさか、事故前の私は、ここにいたの?

つまり、生徒──ううん、収容者だったってこと?

"カオスチャイルド症候群"じゃないのに。


「………」

 



来賓用の下駄箱を開け、そこに自分の靴を仕舞い込む。

スリッパは履かないことにした。

もしかしたら、走って逃げることになるかも知れないし。


……。

 



階段を上って、三階へ。

奥に進むにつれ、既視感がひどくなっていく。


気分が悪い──いや、居心地が悪い。

子供の頃に見た気がする映画を観返しているようだ。

内容もオチも憶えていない。タイトルも主人公の顔も出てこない。けれど場面場面の『画』に自分の記憶が反応する。

教室からは、授業をしているらしい先生の声がわずかに漏れ聞こえてくる。

私は、ただただ、映像の中を進んでいく。

そしてなぜか、自然と足が止まる。

 



(私……なんで三階に……)


そこは、2年生の教室の前だった。

どうして、ここで足を止めたんだろう?

どうして、ここまで真っすぐに上がって来たんだろう。

それはやっぱり、とても奇妙な感覚で──。


「…………」


教室の中からは、やはり授業をしているらしい先生の声が聞こえていた。

急に怖くなってきた。

まるで、私の全身を押しつぶしてくるみたいに、空気が重い。

心臓の音だけが、やけに大きく響いている気がする。

自分の手が、見えない何かに引っ張られるようにして、ドアに手をかけた。


……また既視感(デジャビュ)。


このドアの手触り。覚えがある。錯覚じゃない。

心のどこかから、ふいに声が聞こえた。

とても懐かしい声だった。

懐かしくて、でも、泣きたくなるような声だった。

 

──ダメだ、開けちゃいけない。開けるな、尾上!!


(どうして、開けちゃいけないの? どうして……?)


そう思った時にはもう、ゆっくりと……ドアを開いていた。

 

 



「……!」

 



 

異様な光景に立ちすくむ。


たくさんの目が、私を見ていた。

顔をこちらに向け、いきなり教室に入ってきた私を、いっせいに──。

 

 

 

女子生徒「…………」


シンと静まり返っている中、みんなと目があった。

一番近くにいる老婆が、私に向かって笑った。

皺だらけの口に、不釣り合いなグロスがぬらりと反射した。


女子生徒「おかえり」


「ひっ……!」


総毛立った瞬間、私は弾かれるようにその場を逃げ出した。

 

 

 

私は廊下を走り続けた。逃げ続けた。


なにあれ……? なにあれ?!


カオスチャイルド症候群』がどういう症状なのか、昨日、実際に目にした。


それでも! こんなのおかしい!


「なんで、誰も気づかないの!?」


──あれだけ症候群の人がいて、どうして?!


"ここが学校じゃない"って、誰も気づかないの!?

 

──!

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁはぁ!」


ここは、変だ。絶対に変だ。

普通に制服を着て、普通に授業を受けてた。

症候群の人たちに、普通の人と同じような暮らしをさせて、一体どんな意味があるの?

 



「はぁはぁはぁっ……!」


違う。私が、碧朋学園(ここ)にいたはずがない。

気のせいに決まってる!


……。

 

 



「はぁ……はぁ……はぁ……」


胸が苦しくなり、走るのをやめる。

それでも、足早で歩いていく足は止められなかった。

そして、同じように気づいてしまった。

また。まただ……!


「……ふざけないでよ」


なんで私は階段を上がったの?

逃げるなら、下へ行かなくちゃいけないのに。

窓から隣の建物が見える。

どうやら、2階ほど上がってしまったみたい。

 



「…………」


後ろを振り返る。

誰も追って来ている様子はない。

騒ぎも起きていない。……大丈夫。





──!

 

 

 

 

「っ!」


また、いきなり映像が頭の中に閃いた。


グラリ……と激しいめまい。


ふらついた身体を壁に寄りかからせて、倒れるのを防いだ。



 

昨日とおんなじだ。

見たこともないはずの映像が頭の奥から湧き上がって来て、また意識が遠くなる。


(なんで、私……)


……。

 

「あ……?」



 

目に止まったのは、どこかクラブの部室だった。


もちろんこの部屋だって、私は知らない。来たこともない。


なのに、分かってしまう。


ここが"私の特別な部屋"だって。

 

「………」


身体を支えていた壁から離れると、ゆっくりと扉に近づいてみる。


──!!


「え……っ!?」


音が、部屋の中から響いた。


……誰か、いるの?


──!!

 

 



『おい、やめろって。……あれ、なんとかしてくれよ、副部長~』

『また? やめなさいって、もう』

 



『んー!』

『ほら、擦りむいてるじゃないの。──救急箱、取って?』



 

『は? 待ってくれよ、今このニュースサイトのソースをだな──』

『はやくしなさい』

『……はい』

 



 

「……っ……」


聞こえてきた声に、胸が痛く……そして熱くなった。


なぜか涙腺がゆるみ、視界がにじむ。


……どれも、初めて聞く声だ。


なのに、懐かしい。


私は、いつの間にかドアに手をかけていた。


……ゆっくりと扉を開く。


……。



 

「あ……!」


そこには誰もいなかった。

ドアを開ける前までは、声が聞こえてたのに。


「……?」


私はゆっくりとドアを閉め、中に入った。



 

机を指でなぞり、置いてあるものに目をやりながら、ぐるりと一周する。

やっぱり誰もいない。当たり前だ。

……誰も、いない。


「…………」


雑然とした部屋だった。

書類は文庫本、DVDがあちこちに置かれ、ダンボールが無造作にいくつも積まれている。



 

(……新聞部?)


棚にスクラップブックらしきものが何冊も並べてあり、その背表紙に『碧朋学園新聞部 記事アーカイブ』と書かれてあった。


(あ……これ、だ)



 

目の前に立ち、確信する。

これだ。さっき、頭の中に浮かんだものは。


「……地図……」


コルクボードに貼られているそれを、触った確かめる。

真ん中あたりに渋谷駅。つまり、渋谷の地図だ。

そこに貼られているものは写真だったり新聞の記事だったり、自分たちで書いたと思われるメモだったり……色々だ。

けど、その内容は、どれも率直に言って気持ち悪い。

人の遺体とか写ってる。

というか、これ……?


(渋谷の、あの事件……?)


私には記憶がないけれど──

復興祭の前に起きたという、『ニュージェネレーションの狂気』の再来事件。

それについてまとめているマップらしかった。


(なんで、私はこれを……)


マップのあちこちを見て、私の過去の手がかりになりそうなものはないか、よく調べてみる。


「──え?」


自分の目を疑った。

 



事件とは別の場所に貼られている、一枚の写真を見つけた。

 



 

 

……私、だ。


私が、笑顔で写ってる。


しかも……この学園の制服を着て。


間違いなく、さっきの老人たちが──症候群の人たちが着ていた制服と同じだ。


そして、私の隣で微笑んでいるのは──


「……誰、なの?」


自分がつぶやくのが聞こえた。


それは、見知らぬ人に対する『誰?』という問いかけじゃなかった。

 



私は……『この人』と、どこかで会ったことがある。


この、やさしく微笑んでる──年老いた女の人は、誰?

 



 

 

 

 

 



「ねぇ!? 誰なの、この人……っ!?」


気が付くと、思わず叫んでしまってた。


それが、自分に向けてなのか、その女性に対してなのか。


──よく分からなかった。


…………。

 

……。

 

 

 

 



陽が落ちかかってきた頃。

私は、ようやく覚悟を決めた。

 



「………よし」


場所は、前にもらった名刺で知っている。

ごちゃごちゃ悩んでたって仕方ない。

知りたいものは知りたいんだから。

それに、このままじゃ、気持ちが悪い。

 

 

 

私は、スマホに渋谷の地図を表示させると、それを見ながら歩き出した。


……。

 



「来ちゃったのねえ。生活費の振り込みは三日後よ?」

「…………」



私の身元引受人──百瀬さんは、約束を破った私を叱らなかった。

どこか呆れ気味に、ため息をつく。

怒られるかと思ってビクビクしてた私は、少しホッとして、

 

 



「いえ、それはわかってます。あの、そうじゃなくて……」

「ま、入りなさいな。コーヒーでいい?」
「……はい」


久しぶりに会ったけど。

相変わらずこの人はどこか苦手だった。

普段はのんきそうに見えるけど、突然、怖くなる。

逆らえないような迫力……とでも言ったらいいのかな。

とにかく、気がつけば、言うことを聞かされてる。

『失礼します』と言って、私はおそるおそる、その人のオフィスに入った。

 



「…………」


中は、案外普通のオフィスだった。

キョロキョロと室内を見回してみる。

名刺にプリントされていた『信用調査会社』というのは、つまり探偵さんのことだ。そのくらいは知ってる。

テレビドラマなんかを見る限り、探偵さんのオフィスはたいてい汚くて、ごちゃごちゃしてると思ってた。

そんなイメージを持っていたから、あまりにも普通の会社っぽくて驚いた。

 



「はい」
「……どうも」


出されたコーヒーに、口をつける。

そういえば、昼間、碧朋学園(あそこ)を抜け出してから、何も口にしていなかった。

そんな気分じゃなかったから。


「それで? 渋谷には来ないようにって言っておいたわよね?」


う……来た。

気合を入れ直す。

今日は、言いくるめられないようにしないと。


「……それは、謝ります。でも、どうしても知りたいことがあって……」


私は、昨日からの一部始終を出来るだけ詳細に話した。

百瀬さんは、時折コーヒーを飲みながら、黙ってそれを聞いていた。

気を失って倒れたことや、碧朋学園に忍び込んだことを話しても、表情一つ変えなかった。


「…………」


私は、話しているうちに少し腹が立ってきた。

百瀬さんは私の過去について、絶対に何か知ってる。

そしてその何かは、カオスチャイルド症候群とか碧朋学園に、きっと関係している。

そうじゃなければ、『渋谷には来るな』なんて言わないだろう。

私は、証拠を突き付ける刑事さんみたいな気分で、ポケットからそれを取り出した。



 

「………」


わずかに、百瀬さんの表情が変わった。

しかも、予想外の顔。


……なんで? 苦笑した?


「……これ、私ですよね。どう見ても」


写真に写っている私を指差す。

悪いと思いつつ、あの部屋に貼ってあったものを借りてきちゃったのだ。


「隣の人、誰なんですか。それに、なんで私は、あの施設の制服を着てるんですか。私って、上京した日に──復興祭の日に、生まれて初めて、渋谷に来たんじゃなかったんですか?」


碧朋学園にいた守衛さんは、私のことを知っているようだった。



 

それに、校内を歩いていた時の既視感(デジャビュ)。

初めて行った場所のはずなのに、身体が勝手に動いていったあの感覚。

しかも、2年生の教室で、私は確かに言われた。

 

 

 

──おかえり、って。

 

 

 



「もしかして、私……碧朋学園(あそこ)にいたことが……?」
「あなたは、どう思ってるの?」
「え?」
「行ってみて、どう感じたの? 自分は、碧朋学園にいたことがあると思った?」


逆に問い返され、私は言葉に詰まった。


「……分かりません。でも、なんて言うか、その……すっきりしなくて。初めて行ったはずなんです。碧朋学園っていう名前も、昨日初めて聞きましたし……"カオスチャイルド症候群"の人の収容施設だっていうのも、初耳でした。でも、あそこにいると、何かを忘れているみたいに、ずっともやもやして……」
「…………」


写真の私は、制服を着て笑ってる。

隣の年老いた女性は、きっと友達なんだろう。

カオスチャイルド症候群の人と仲良くしてる。

しかも、碧朋学園の制服を着てる。

ということは、私も……?


「もしかして、私……カオスチャイルド症候群だったんですか? その影響で記憶を失くしてしまった、とか?」
「それは違うわねえ」


百瀬さんは、はっきりと否定した。



 

「今のところ、症候群から回復した人は一人もいないのよ。表向きはね」
「表向き……?」
「えーと……」


百瀬さんはペンをとり、メモ用紙にさらさらと何かを走り書きした。



 

「渡す前に、念のため確認させて頂戴。あなたは、どうしても知りたいのね?」
「…………」


念押しされた。

でも、そんなの当たり前だった。

私の過去……失くした記憶……知りたいに決まってる。


「はい。自分のことですから」
「……そうね。自分のことですもんね」


渡されたメモには、住所と、ある人の名前が書いてあった。



 

「悪いんだけど、私の口からは何も言えないのよ。というか、『何も言えない』って口にするのも、実はギリギリアウト。でもまあ、これくらいは許してもらわないとねぇ」
「……?」
「とにかく、そこへ行って訊いてごらんなさい。まずはそれから」
「はあ……」


なんだか、いつものようにごまかされた気もするけど。

行ってみるしかない。

すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲んで、立ち上がった。



 

「あ、そうそう。一人暮らしは順調かしら?」


外へ出ると、百瀬さんが追いかけてきた。


「……はい。まあ、それなりに」
「お金、使い過ぎちゃだめよ?」


一瞬、食べ過ぎたクレープのことが頭をよぎった。

 

 

 

「お、お小遣いと生活費はちゃんと分けてますから」
「あら、しっかりしてるじゃない。友達は出来た?」


すぐに、葵や彩花の顔が浮かんだ。


「はい」
「そう。なら──楽しくやれてるのね?」
「はい。楽しいですよ」
「……良かったわ」
「…………」


『良かった』と言う割には、その目が、なんとなく哀しそうに見えるのはなぜだろう?


「それじゃあ、身体に気をつけてね。──縁があったら、また今度」


「……?」


変な挨拶をされて、私は首をかしげた。

今の、どういう意味だろう?

けど、この人の言うことはいつもなんだか思わせぶりで、いちいち考えてたらきりがない。


「……はい、また今度」


そう返事をして、私はフリージアを後にした。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

翌日の昼下がり、私は『そこ』にたどり着いた。


「ここ……って、確か……」

 



メモに書かれていた住所は、代々木にある病院だった。


──『AH東京総合病院』。


メモを見た時から、どこかで聞いたことのある名前だと思っていたけれど、建物を見上げて、ようやく思い出した。



3か月くらい前、強制捜査を受けて、大騒ぎになっていた病院だったと思う。あんまりニュースを観ない私でも、さすがにこの病院のことは知っていた。

これまでひどい医療事故を何度も起こしているのに、それを全く報告してなくて……しかも、事故を隠すために、政治家への違法な献金をずっと続けてたとかなんとか……。

しかも、新興宗教団体とも癒着していて、治療のためと言っては、その団体が行っているあやしげな療法を、患者に受けさせていたらしい。


(うー。怖い病院だなあ……。大丈夫なのかなぁ)


確か、病院の経営陣と不正なことをしてたお医者さんたちは全員逮捕され、宗教団体との関係もなくなって、今は全く新しい病院として生まれ変わった……とか聞いてるけど。


「えーい、だいじょぶ! 行っちゃえ!」


自分を元気づけるように大きな声を出し、私は中へ入った。


……。

 

 

 

(えーと……?)


土曜日なので病院の診療時間が終わってるせいか、ロビーにはほとんど人気(ひとけ)がなかった。

ただ、面会時間は終わってないので、病院の中を歩いていても別に怪しまれたりはしない。

そういえば、受けとったメモには、名前だけしか書かれていなかった。この人がお医者さんなのか患者さんなのか、それとも看護師さんなのかすら分からない。

 



「あの、すいません」


ナースステーションにいる看護師さんに声をかけた。


看護師「はい、どうしました」


「あのですね、この人って、ここで働いてたりしますか?」


メモに書いてある名前を見せる。

すると看護師さんは、ああ、はい、とうなずいた。


看護師「失礼ですけど……」


「あ、尾上と言います」


看護師「……久野里さんのお知り合いですか?」


「えーと、なんていうのか……あっ、そうだ。百瀬さん。百瀬さんの紹介と言ってくれれば、分かります」


そう言うと、看護師さんはもう一度うなずいて、手近にあった館内電話の受話器を取った。

電話の相手と、少しやり取りをしてから、

 



看護師「お待たせしました。お会いになるそうです。5階の精神科へどうぞ」


「精神科……?」


看護師「ええ。普通には入れないので注意して下さいね。エレベーターを下りると、すぐに扉があります。脇のインターホンを押してください。担当看護師がご案内します」


「わかりました。ありがとうございます」


言われた通り、エレベーターへと足を向ける。


看護師「あ、ちょっと……」


「はい?」


振り向くと、看護師さんがあたりをうかがいつつ、私の方へ身を乗り出した。

仕事用の口調ではなく、内緒話っぽく話しかけてくる。


看護師「久野里さんとは初めて会うの?」


「は、はい」


看護師「気をつけてね。ちょっと、気むずかしい人だから」


私がちょっと眉根を寄せると、看護師さんはなぜか『がんばって』と励ましてくれた。


……。



 

言われた通り5階へ上がり、インターフォンで看護師さんを呼び出すと、扉の中──精神科病棟へと入れてもらえた。


……。

 

 



病室が並んでいる廊下の、一番手前の個室へ行くよう案内される。


ん? 病室?


てっきり、この病院のスタッフさんだとばかり思ってたけど……。


(患者さんなのかな……?)

 



個室の前で、患者さんの名前が書かれているプレートを見る。

でも、目当ての人の名前──『久野里』とは書かれていない。空欄だった。


「…………」


おそるおそる、ノックをしてみる。


「開いてる」


と、無愛想な声が返って来た。


あ、れ?


今の声、どこかで……。


「何してる。入るならさっさと入れ」


「は、はい。失礼します」


さっきの看護師さんの言葉を思い出した。

ホントに気むずかしそう……

というより、なんか怖い。

私はビクビクしながら、ドアを開けた。

 

 



「あ……」


どこかで聞いたような声……と思ったのも当たり前で、何度か会ったことのある人だった。

私が事故で入院していた病院に、時々、百瀬さんと一緒に来ていた人だ。

そういえば、名前を聞いてなかったけど……久野里さんっていうんだ。


「…………」


久野里さんはノートPCに向かい、猛烈な速さでキーを叩いていた。

入って来た私の方を見もしない。


「どうして来た?」
「はい?」
「渋谷には近づくなと言われていたはずだ」
「こ、ここは渋谷じゃないです。代々木です」
「ふん。なら、私がここにいるとなぜ分かった? 百瀬さんの所へ行って、居場所を聞いたんじゃないのか?」
「う……」


バ、バレてる……。


「百瀬さんのフリージアは、渋谷だ。ということは、やっぱりお前は渋谷に行った」
「…………」
「ほら見ろ。私は、忠告に従えないような馬鹿は嫌いだ。覚えておけ」
「ぅ…………」


看護師さんが、『がんばって』と励ましてくれた理由がようやく分かった。

響き続けるキーの音に負けないよう、私は声を張り上げた。


「こ、ここへ来たのは、どうしても知りたいことがあるからです! 私の記憶のことです」
「…………」

 



く……この人、わざとキーボードを強く叩いてる。


ま、負けるもんか……。


「これっ」


画面から目を離さない久野里さんの前に、持ってきた写真を突き付けた。


「む……」
「碧朋学園の、新聞部っていう部屋で見つけたんです。これについて、何か知ってることがあれば教えて下さい」

「お前……あそこに行ったのか」
「……あ」



 

こちらに向き直った久野里さんを見て、初めて気がついた。

白衣の下に着てるのって。

碧朋学園の制服だ。写真と同じだ!



 

「おい」
「っ?!」


久野里さんは突然立ち上がると、私の顔に触れるくらいに自分の顔を近づけた。


「お前、あそこがどういう所か分かっているのか」
「え、あ、あの……」
「何を見た? 何をしたんだ?」
「な、なにも……してません!」


慌てて身を引き、久野里さんから離れた。

恐ろしかった。自分の心臓の音が、ドキドキと聞こえるようだ。

 

 

「……あなたも、あそこの生徒──じゃない、収容者の一人なんですか」
「なに?」

 


『だって、それ……』と、私は白衣の下の制服を指差した。

 


「…………」
「教えてください。もしかして、私……あそこにいたんですか?」
「…………」
「どんなことでもいいんです。私の記憶の手掛かりになることなら。どうしても、知りたいんです」
「…………」


久野里さんは、不機嫌そうにずっと私の顔を見続けていた。

私の心の奥を探ろうとするみたいに。



 

「──百瀬さんは、なんと言っていた?」
「……え?」
「どうせ百瀬さんにも同じことを訊いたんだろう。なんと言っていたんだ?」
「……自分の口からは何も言えないって。あ、あとそれから──『何も言えない』って言うこと自体が。ギリギリアウトかもって……」
「……なるほどな。あの人らしい。見事な狸っぷりだ」
「あ、それはそう思います」


思わず同意してしまった。

そうだ、狸(たぬき)だ。言われてみると、よく似てる。


「"知りたい"、か」
「……?」
「過去だよ。お前の」
「……はい」


私が思いきりうなずくと、久野里さんは軽く肩をすくめて、


「……言っておくがな。私は、お前のことに関しては何も知らないぞ」
「……ええ?」
「お前と会ったのは、お前が事故で入院した病院が初めてだ。それ以前のことは百瀬さんから聞いてるんだろう」
「……はい」
「その写真のことも分からん。お前が制服を着ている理由もな」
「で、でも……久野里さんは、あそこの収容者なんでしょう?」


もう一度、久野里さんの着ている制服を見る。

やっぱり、写真の中の私と同じものだ。


「違う。あの施設では、基本的に制服着用が義務づけられている。症候群者たちに怪しまれずに動き回るには、この服が必要なんだよ」
「じゃあ、久野里さんは、いったい……?」
「研究者だよ。"カオスチャイルド症候群"のな」
「……研究者?」
「ああ」


コン、と久野里さんがノートPCのモニタを指で弾いた。

そこにはワケのわからない細かい数字や、人間の脳みたいな画像がいくつも並んでいた。


「あの……もしかして私も、久野里さんみたいに、何か特別な理由とかあったんでしょうか? その制服を着て、写真に写ってるってことは」
「いや。少なくとも、私の知る限り、お前を碧朋で見た記憶はない。あと、"特別な理由"とやらも思いつかんな。お前が、私のような研究者だったとは思えん」
「…………」


その答えには納得がいかなかった。

だって、あそこの守衛さんは、私のことを知ってる感じだった。

それに、写真に写ってる女の人は、私とこんなに親しそうにしてる。


「……この人は、症候群の人なんですよね」


私は、写真を指差した。


「この人のこと、教えてください。研究をしているのなら、知ってるはずですよね?」
「部外者に、そんな簡単に個人情報を教えるわけにはいかない」
「部外者じゃないかもしれないじゃないですか」
「お前……。なぜ、そこまで知りたがるんだ」
「そんなの当たり前です。自分のことですよ? 気にしない人なんて、いるはずないです」
「…………」
「それに……」



 

「私、たくさんの声を聞いた気がするんです。この写真が貼ってあった、部屋の前で。……うまく言えないんですけど、とても懐かしい感じがしました」



 

「もしも、あの声の中にこの人がいるなら──きっと、私にとって大事な友達だったはずです。大事な友達のことを知りたいって思うのは、いけないことですか?」

 

 



「…………」


う……。

ものすごく怖い顔で睨まれてる。

ちょっと言い過ぎた?

でも、どうしようもない。本心なんだから。


「……お前、面倒くさいやつだな」
「なっ──」
「百瀬さんが、こっちに回してきたのも分かる」


話は終わりとばかりに久野里さんは立ち上がって、部屋から出て行こうとした。


「ま、待ってください!」


慌てて呼び止める。


「話はまだ──」

「少しここで待っていろ。教えてもいいのかどうか、"確認を取る"」

「え……」

「PCには触れるなよ」

 

 

 

「……なんだ」


ぽつんと取り残された部屋で、思った。


「案外、友達いるかもしれないな、あの人」


…………。

 

 


それから、一時間近く待たされた。

これって、もしかして私に対する嫌がらせじゃないの? と思い始めた頃、久野里さんが迎えに来た。

『絶対に口外しない』という条件つきで、ついて来いと言われた。


……。

 

 

 

「事前に、碧朋に忍び込んだという事実が効いたな。『勝手にそんなことをされるくらいなら、ちゃんと教えておこう』と言っていたよ」
「研究の責任者の方ですか?」
「……まあ、責任者には違いないがな」
「……?」

 

 

病棟の中でもかなり奥の区画まで歩き、久野里さんは足を止めた。


「ここだ」


病室のドアに手をかけながら、私を振り返る。


「──ああ、待て。入る前に約束をしろ。口外無用はもちろんだが……」
「はい」
「この中の連中を見て、納得したら、今度こそ渋谷には近づくな」
「え……?」
「それが、お前の知りたがっていることを教える条件だ」
「ま、待ってください。それってどういう──?」
「会えば分かる」


私の返事を待たず、久野里さんはドアを開いた。


……。

 



「────」

 

 

 

病室内の光景に、言葉を失った。

天井の薄明かりだけが、室内を照らしている。

消毒薬のような独特の匂いが漂っている。

ベッドが4つ置いてあり、それぞれに患者さんが寝ていた。


全員──年老いた女性だった。


その身体には、よくドラマで見るような機械がついていて、心臓の動きに合わせて、ピ……ピ……という硬い音を立てている。


「こっちへ来い」
「あ……」


久野里さんが、一番奥のベッドのそばから私を呼んだ。


「……っ」

 



呼ばれるままに近づいて、ハッとした。

眠っているのは『彼女』だった。

写真の中で私と一緒に笑っている、彼女。


「来栖乃々。18歳。カオスチャイルド症候群患者。昏睡状態になって、約三ヶ月だ」

「…………」


18歳……? 昏睡……? 三ヶ月……?


「さらに彼女は、他の三人と違って、ここへ運び込まれた時に胸部にひどい裂傷を負っていた」

「え? 怪我をしてたんですか?」

「まぁな……一時は危篤におちいったが、なんとか一命をとりとめたよ」


なぜか久野里さんは、複雑そうな表情で私を見た。


「……?」

「………。まぁ、とにかく。これで分かったろう? お前と彼女がどういう関係だったのか……それを訊こうにも、この状態ではな」


納得したか? とでも言うように、久野里さんが寝ている彼女を指し示した。


「昏睡って……症候群のせいなんですか?」

「そうだ」

「他の、人たちも……?」

 



別のベッドにも、目をやる。



 

『有村雛絵』『香月華』『山添うき』と、それぞれの名札が枕元に掲げられている。


『ああ』と、久野里さんから短い答えが返ってきた。


「回復、するんですよね……?」

「さぁな」


ベッドの上の彼女──来栖さんは機械に繋がれたまま、人形のように眠っていた。

心臓のモニター音がなかったら、死んでると思ったかもしれない。


「…………」


……私、やっぱりこの人を知ってる……気がする。

事故にあう前の私は、この人とどういう関係だったの?

もしかして、碧朋学園で一緒に過ごしていたことがあるの?


(私、どうして……?)


大事な思い出がそこにありそうなのに、どうしても記憶の中から取り出すことが出来ない。

『来栖乃々』『有村雛絵』『香月華』『山添うき』……みんな、初めて聞く名前。

なのに、初めての気がしない。

思い出せない自分が、もどかしかった。


「……三ヶ月ってことは、昏睡状態が始まったのは、復興祭の頃ってことですよね」


そして、私が事故で記憶を失ったのも復興祭だ。

これって、偶然なんだろうか……?


「どうして、みんな、昏睡状態になってしまったんですか?」

「それこそ、患者の重要な個人情報だ。知ってどうする?」

「……直接、彼女に、私のことを訊きたいんです」

「素人のお前にどうこうできる病気じゃない」

「分からないじゃないですか」

 

 

いくら頑張ってみても、久野里さんは聞く耳を持たなかった。

とにかく、『もう帰れ、渋谷には二度と近づくな』の一点張りだった。


「……じゃあ、明日、もう一度碧朋学園に行きます」

「なに?」

 



私の言葉に、久野里さんは眉を吊り上げた。


「だって……来栖さんが駄目なら、碧朋学園にしか手掛かりがないです。守衛のおじさんが、私のこと知ってたみたいだし……」
「ふざけるな」


怒った久野里さんが近づいてきたので、私はパッと後ずさる。


「そんなことをしてみろ。百瀬さんに言って、生活費の振り込みを止めるぞ」

「えっ?!」


そ、それは困……


いやっ、負けるもんかっ。


「バ、バイトするからいいです」
「なるほど、なかなかのガッツだ。だが、この国では、身元保証人がいなければ、まともなバイトなどないらしいな。そしてお前の身元保証人も、百瀬さんだ」
「ぐ……っ」


この一言は、さすがに効いた。

バイトまで封じられたら、生きていけない……。


「ひどい。なんでそこまで……」
「いいから、お前は忠告を守っていろ」
「だから、納得のいく理由を教えてください」
「…………」


……なんで、そこまで秘密にしたがるんだろう?

私、別に変なことを訊いてるつもりないのに。


「お前の記憶うんぬんは関係ない。今、碧朋学園は微妙な立場に置かれてるからだ」


久野里さんは鬱陶しそうに髪をかき上げると、持っていたノートPCを私に見せてきた。

そこには、1人の男の人が映っていた。


(あれ……?)

 

 

 

この人も見た覚えがある。

でも、どこで見たのか……それが思い出せない。


「和久井修一。症候群者たちには、普通の教師だと認識されていたはずだが……実際は違う。碧朋学園(しせつ)の、管理人のひとりだ。カオスチャイルド症候群の研究をしていた科学者だよ」
「…………」
「復興祭の直後、こいつは今までの症候群に関するデータを持って姿を消したんだ。患者の情報の流出ということになれば、大変な事態になる。学園は大騒ぎになった。ところが、こいつはもっと悪質でな……管理人の立場を利用して、学園を私物化していた。詳細は言えないが……この男のせいで、碧朋学園は何が起きてもおかしくない状態にある。だから、絶対に近づくなと言ってるんだ」
「…………」
「おい、聞いてるのか」
「えっ? あ、はい……」


男の写真から、目が離せない。

なんだろう? 私はどこかでこの人を……。



 

「あ……」


頭にその光景が浮かんだ瞬間、久野里さんと目が合った。

いままでの不機嫌そうな表情が消え、彼女は、真剣そのものの顔で私に迫ってきた。



 

「お前……この男を"覚えて"いるのか?」
「え?」
「この男とどこで会ったのか……それも分かるか?」


今、頭の中に浮かんだイメージを思い出してみる。

あの場所は、たぶん……。


「………」
「どうなんだ?」
「……なんとなく、ですけど……」


だけど、なんで私、"そんな場所"を知ってるんだろう?

不思議に思っていると、久野里さんがつぶやくのが聞こえた。


「"装置"の場所を覚えている? 記憶の改変が完全ではなかったのか?」
「えっ? な、なんですか?」
「いや、こっちの話だ。とにかくその場所を教えてくれ、大事なことなんだ」
「え、ええ、いいですけど……。でも、その代わり、お願いがあります」


そして私は、とっさに思いついたことを口にした。

 


……。

 

 

 

 

4人が寝ている病室を出ると、私はさらに奥へと連れて行かれた。

しばらく『上の許可を取得する』だの『交渉が必要だ』と言って待たされて、数時間はたったと思う。

たぶん外は夜。

進んで行くに従って、空気がどんどんひんやりしてきて。

なんだか恐ろしいものが待っているような、そんな予感がする。


「……あ、あの? どこへ行くんです?」
「お前の持ちだした交換条件のためだ。もうひとり、患者に会わないとならない」
「え?」


私、そんなに難しいこと言ったのかな?

別に、おおげさなことじゃないと思うんだけど……。


「神成さん」

 

 

 

「ん? ──っ!」


久野里さんに連れて行かれた廊下の先──『職員以外立ち入り禁止』と書かれたエリアに、スーツ姿の背の高い男の人がいた。

私を見て、驚いたように目を見開いている。

 

 

 

「……なんのつもりだ。まずいだろう」

「説明は部屋の中でする。あんたも来い」


久野里さんは、制止しようとする男の人を押しのけながら、そう言った。


「……?」

 

 

 

「尾上?」

「は、はい?」

「この人は渋谷署の神成刑事だ。カオスチャイルド症候群の研究に、協力してもらっている」


刑事さんが……病気の研究に協力……?

そんなことってあるんだろうか?

私は、わけがわからないままぺこりと頭を下げた。


「神成さん、監視の交代までどれくらいある?」

「しばらくは大丈夫だ。でも、"彼"が怒るぞ?」

「だろうな。──とにかく来い。あんたにとっても重要な話だ」

 

そう言いながら、久野里さんはさらに廊下の先へと進んで行く。


私もそれに続く。


怖い気配が近づいてくる感じがする。


……。

 



「あの……誰がいるんですか?」

「部屋に入れば分かる。キミもニュースくらい見るだろう?」

「ニュース? 有名人、ですか?」

 



「ああ。久野里さんからも注意されてると思うが、これから先のことは絶対に秘密にしてくれ。彼自身のことはもちろん……彼に会ったことや、この場所のことも喋っちゃいけない。いいね?」

「は、はい……」


そこまで秘密にしなきゃいけないなんて。いったいどんな有名人なんだろう?

そんなことを考えながらついていくと、ある部屋の前で2人が止まった。

面会謝絶の札がかかっていて、鉄格子付きの小さな窓からは、わずかな明かりすら漏れて来ていなかった。

刑事さんが、何か取り出した。

鍵だ。……しかも、外側からの。


「…………」

「…………」


2人の間に、はりつめた空気が流れてる。

それにあてられて、私も変に緊張してしまう。

 

 

「尾上」

「は、はいっ?」

「……お前は、『ニュージェネレーションの狂気』の再来事件についてどこまで知っている」


『ニュージェネレーションの狂気』の再来事件……?

それなら知ってる。


「ニュースで流れていることなら、一通りは。ある程度だと思いますけど。渋谷で起きた、その……連続殺人ですよね」

「犯人については?」

「私のいっこ上の男で……なんだっけ、えーと……みや、なんとか……みや……ざわ?」



 

「宮代だよ。宮代拓留くん」

「ああ、そんな名前でした」


"カオスチャイルド症候群"のことが気になって、彩花のスマホでいろいろ調べさせてもらった時、事件について書かれてるニュースやブログを、時々、見かけた。

最初は、なんでこんな事件が検索にひっかかるの? って思ったけど……読んでみると、犯人も被害者も症候群の人らしい。

彩花や葵に『見ちゃだめ』と言われた時にはちょっと遅くて、事件の画像まで見てしまった。

ひどい殺し方だった。

思い出すだけで、犯人への嫌悪感と怒りがこみあげて来る。


「私と一つしか違わない人があんなことをしたなんて、信じられませんけど」


注目を集めたかったのかなんなのか、あんなに残酷な……。

しかも、犠牲者のひとりは自分の妹だったらしい。

本当に、信じられない。


「事件後、宮代がどうなったか知っているか」

「え? さ、さあ……でも、逮捕されたんですよね? 裁判とかするんじゃないんですか?」


そう答えると、久野里さんは、なぜか目の前の扉をチラリと見た。

神成さんも複雑そうな顔で、同じように扉を見る。

いきなり、首筋のあたりに氷を押しつけられたような悪寒が走った。


ウソ? まさか?


まさか、この病室の中にいるのって──?


カオスチャイルド症候群から回復した人間は一人もいない。表向きは、そうなっている。宮代は事件を引き起こした当時、カオスチャイルド症候群だった。だが逮捕後に、回復に向かっていることが確認された」

「現状で唯一の、症候群からの帰還者だ。病気の解明のため、特別措置として、この病院に隔離されている」


『むろん、世間には秘密にされてるがな』と、久野里さんが付け加えた。


「…………」


あたりは冷え冷えとしているのに、イヤな汗がふき出して来た。

あの殺人犯と、久野里さんが協力してる?

しかも、警察まで一緒になって?


「な、なんで私が、そんな人と会わなくちゃいけないんですか……」


イヤ。怖い。会いたくない。

何をされるか分からない。


「安心しろ。あいつは、お前には何もしない。絶対にな」


私の言うことなんて、久野里さんは聞いていなかった。


神成さんが鍵を使うと、病室のドアはゆっくりと開いた。


……。

 

 



「………っ」


薄暗い病室の中、すぐに目に入った。



 

「…………」


『彼』は、ベッドに腰掛けてこちらを見ていた。

手錠どころか、どこも束縛されていない。

私は、わずかに後ろへ下がる。

 



線が細い……というか、枯れ木のようにやつれていた。

とてもあんな犯罪を起こした人とは思えなかった。

カオスチャイルド症候群から回復したばかりなんだろうか。

顔こそ18歳の青年っぽくなっていたけど、節くれ立った手足や首筋あたりに、老人のような雰囲気が残ってる。


(これが……宮代拓留……?)


『ニュージェネレーションの狂気』の再来事件の犯人……?


「神成さん、久野里さん……約束が違う」


突然の声に、思わず私は久野里さんの背中に隠れた。

あんな事件を起こした犯人が、とても恐ろしい。

久野里さんの白衣を握っている自分の手が、震えていた。



 

「どういうことです。"無関係の人"を、ここに連れてくるなんて」


『彼』が怒っているのが、声で分かった。

私は身体を小さく縮こまらせて、その視界から隠れるようにする。

 

「状況が変わった。"こいつは尾上世莉架"。碧朋学園のことを知っている"らしい"。ある場所で、和久井と二人きりで会っていた"覚え"もあるそうだ」

「え?」

「えっ?」



 

『彼』と刑事さんの声が、驚愕に変わった。

『彼』がベッドから立ち上がって、こちらへ身を乗り出してきた。

私は怖くなって、さらに久野里さんにしがみつく。


「そんな……まさか……」

「その"まさか"だよ。この病院の地下から、どこかへ消え去った『施設』のことだろう。神成さんがどれだけ探しても見つけられない"アレ"も、そこにあるはずだ。そして……尾上世莉架は、その場所を"覚えている"」

「本当なのか!?」

 



刑事さんは、私の肩をがっと掴んで自分の方へ引き寄せた。

そのせいで私は、久野里さんの背中から引き離されてしまった。


「どこだ!? キミは、どこでそれを!?」

「え、あ? それは──」


反射的に答えそうになり、あわてて口をつぐむ。


「…………」


久野里さんの露骨な舌打ちが聞こえた。

……危なかった。まだ教えるわけにはいかない。


「尾上さんっ?」

「彼女は、取引がしたいそうだ」

「なに?」


「……どういうことですか?」


「『施設』の場所を教える代わりに……カオスチャイルド症候群の原因究明に協力させろ、と言ってる」

「…………」


宮代が、眉をひそめてこっちを見た。


「尾上さん……だっけ?」

「え?」

「ひとつ、訊いてもいいかな」

「………」


じっと見られると、やっぱり恐ろしい。

でも私は、勇気をふりしぼって殺人犯の視線を見返した。


「……な、なに?」

「どうして首を突っ込みたがるの? 素人の君が協力なんて言ったって……何も出来ないと思うけど?」

「それは……」

「施設の『情報』だけ刑事さんに教えてさ、いつも通りの楽しい生活に戻りなよ」


こんな人に私の気持ちを説明しても、理解してもらえるとは思わなかった。

だって、家族すら平気で殺してしまう人なんだから。

でも、ここで黙り込んでしまったら、なんだか自分の心がこんなヤツに負けてしまう気がして。

だから、思ってることをとにかく口にした。

怖くてうつむいていた顔は上がり、どんどん気持ちがたかぶって来て、しまいには喧嘩を売るような口調になっていた。


「友達かも知れない女の子を助けたいって……そう思うのがいけないの!? まあ、あんたには、そんな気持ち、分かんないでしょうけど!」

「………」


『彼』は、何も言い返してこなかった。

ただ黙って私の言うことを聞いていて──

話し終わると、ほんのわずかに微笑んだ。


な……なに?

どうして、そんなふうに笑うの?


「宮代。"このこと"に関しては、決定権をお前にやろう。──神成さんも、それでいいか?」

「仕方ないな」

「……ありがとうございます」


「……?」


私はびっくりして、久野里さんと刑事さんの顔を見た。

殺人犯に、私のこと決めさせるって……意味が分かんない。


「ただ、尾上の情報がないと、前に進めないのも事実だ。あの施設さえ見つかれば、"画像"は完成できる」

「分かってます。あの、久野里さん、神成さん。少し、この子と2人にしてもらえませんか」


「は?!」


さらに仰天した。


イヤだ! 冗談じゃない!


何をされるか、分かったもんじゃ──!


「……好きにしろ」

「少しの間だけだぞ?」


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 嫌ですっ!」


白衣を掴んだ私の手を、久野里さんはあっさりと振り払った。


そして、よりにもよって、刑事さんから先に部屋を出て行った。


『大丈夫、心配しなくていい』という、無責任な言葉だけ残して。


「………っ」


ドアを閉められたしまった。しかも、鍵まで。


完全に閉じ込められた。


怖くて、すぐにベッドの方を振り返れない。


つい勢いで、『彼』にひどいこと言っちゃったけど。


もし襲ってきたら、どうしよう……?


(うぅ………)


肩越しに、そっと盗み見る。


『彼』──宮代拓留は、変わらずそこにいた。


「……座っていいかな。長い間立ってると疲れるんだ」

「す、好きにすればいいでしょ」

 



宮代は、ふうと大仰に息をついてベッドに腰掛けた。

自分の膝をなでて、何かの感触を確かめていた。

その姿には力がなく、座ったせいか身体が小さく見えた。

これなら、いきなり襲いかかられることはなさそうだ。

ちょっと安心して、私は彼の方に向き直った。



 

「別に、おかしなことはしないよ。さっきの続きを訊きたかっただけ。『友達かもしれない女の子を助けたい』って……言ったよね?」
「……そ、そうよ。だからなに?」
「それが──」


宮代が、膝をなでる手を止めた。

それから、私の目を真っ直ぐに見て、


「それが、今、"君のやりたいこと"なの?」


訊かれた瞬間、なぜか一瞬、言葉につまった。

心の奥底で、ザワザワと波が立つ感覚がした。

でも、次の瞬間には、私はきっぱりと答えていた。


「そうですよ。それが、私のやりたいことですけど? 話はそれだけ?」
「ああ、うん」



 

なぜか宮代は、また笑顔を浮かべた。

さっきから、その笑みの意味が分からない。


「ふ、ふふ……そっか……ふふふ」
「……?」
「ふふ、はははは……」
「っ?!」


微笑どころか、いきなり笑い出されて、私はあ然となった。

宮代が、小さく見える身体を更に小さく丸め、腹を抱えていた。

笑いをこらえようとして小刻みに震え、結局こらえきれずに、引きつったような声が喉から漏れる。

一方、私の方はちっとも面白くなんてなかった。


「な、何がおかしいのっ?」
「い、いやごめん、なんでもないんだ。……はは」
「………」
「それで君は、友達かも知れない女の子を助けて、どうするつもり?」
「『私のこと』を訊くのよ。私は、どんな人間だったのかって。なんで碧朋学園にいたのかって」
「そっか、分かった。安心した。僕らに協力して欲しい」


は……?

安心したって、どういう意味?

ほんと、さっぱり分からない。


「……い、いいの? そんな簡単におっけいしちゃって」
「ああ。"君のやりたいこと"は絶対に邪魔しない。……まあ、あるところに踏み込んでこなければ、だけどね」
「……?」


あるところ?


「……なにそれ?」
「こっちの話さ。……協力、よろしくな」


宮代が笑顔のまま、手を差し出して来た。

まさか、握手でもしようっていうんだろうか?


……冗談じゃない……。


私がその手から顔をそむけると、宮代は笑顔をおさめ、頭をかいた。


「ああ、悪い。つい……」


その様子は、なんだか、とっても純朴な青年を思わせた。

こんな人が連続殺人犯だとは、とても思えな──


(って、なに考えてるの、私!?)


頭の中に、事件の画像が蘇って来る。

おびただしい血。苦悶の表情。残虐に痛めつけられた遺体。

あやうく忘れそうになっていた『怒り』が、こみ上げて"きてくれた"。


「い、言っとくけど……。どんな理由があっても……人を殺すなんて、絶対に許されないから」
「………」
「あんたは、最低なことしたんだから」


目の前のこいつは、自分の妹まで殺して……あげくに公開自殺をすると宣言したのに……結局、それをしなかった。

人を殺しておいて、自分は死ぬのが怖くなった?

自分のことが大事になった?

殺された人たちだって、大事な『自分』があったはずなのに。

その人たちにだって、それまでの人生があって、友達がいて、家族もいたはずなのに。


──それは、私が手に入れようと、必死でもがいているもの。


もしかしたら、どんなに望んでも手に入らないかも知れないもの。

それを、目の前のこいつは、あっさりと奪い続けていったんだ。


「私──あんたみたいなヤツ、大っ嫌い」
「…………」


叩きつけた言葉が、宮代の、どんな感情に刺さったのか。

彼はただ、ベッドに座って、静かに見上げていたけれど。


……ふいに、また微笑んだ。


「な……なによ……?」


しかも、その瞳から涙をあふれ出させて。

あまりにも素直に、そして真っ直ぐ流れ落ちる涙に、私は無意識に気圧されていた。

ぬぐわれることのない涙は、そのまま音も立てず、ベッドへと落ち続ける。


「…………」
「…………」


どれくらい、そうしてただろう?

私は、目の前に座っているのが大量殺人犯であることを、また思い出さなくちゃいけなかった。

そうしなければ、怒りを忘れてしまいそうになる。

そんな自分が、信じられない。


「……い、いまさら泣いて後悔したって……手遅れよ」


なんとかそう言った私の前で、宮代は涙を流しながらも、決して微笑みを崩さなかった。

まるで、親が子どもを見ているような表情だった。


「後悔なんて、しないよ。僕は、自分のしたことに悔いはない。満足してるんだ」


後悔してない? あんなにひどい殺人を犯したのに?

しかもこいつは、それを本気で言ってる。

まるで、うれし泣きみたいな顔をして。


「この……クズ!」

 



もう、話していたくなかった。

私はその場を離れ、外にいる久野里さんと刑事さんを呼んだ。

久野里さんたちは中へ入って来ると、私が無事かどうかも確かめないまま、宮代のほうに向かった。


「結果は?」


宮代が、涙をぬぐって答える。


「協力してもらうことにしました」

「……いいのか?」

「はい」


2人は、痛ましい物を見るかのような目で、彼の顔を覗き込んだ。

それに向かって彼は、相変わらず泣き笑いの表情で、

 

 



「僕が考えてた"普通の女の子"とはちょっと違いますけど……彼女が、乃々を助けたいと思って行動するのなら、協力してもらいましょう」


(乃々……?)


確か、病室で眠っていた『来栖さん』の下の名前だ。

ということは、2人は親しいってこと……?


「宮代。念のため確認するが」


久野里さんは、私を気にしてか、声を低くした。



 

「お前はもう、以前のお前じゃない。"力"は使えない。それは分かっているな」

「……はい。何度も試しました。もう僕には、ディソードも見えません」


"力"……? "ディソード"……? 何の話?


「最悪の事態に陥っても、"力"には頼れない。それでもやるんだな?」

「はい。乃々たちのためですから……。というか、久野里さんらしくないですね。"委員会"の情報さえ手に入れば、それで満足じゃないんですか?」


宮代が苦笑しながらそう言うと、久野里さんは困ったように視線を外した。


「うるさい。自分から"力"を捨てて戻って来た奴は初めてなんだ。対応が難しい」


『それでどうなんだ?』とごまかすように訊いた彼女に向かって、宮代はうなずいた。


「大丈夫です。あんな"力"、もう必要ありません」

「…………」


久野里さんは相変わらず、ずっと視線を外していた。

そしてポツリと、『それならいい』とつぶやく。

それを見た神成刑事さんが、ポカンと口を開いた。

 



「なんだ? 私の顔に何かついているのか?」

「いや……久野里さんがそんなに分かりやすく困ってるところ、初めて見る。普段から、そういう態度でいたらいいのにな」

「あ、それいいアイデアですね。久野里さんなら出来るんじゃないですか?」

「お前ら、いい加減に──」

 

 

「あの……私もそのほうがいいと思います。看護師さんに、気難しい人って言われてますよ」


「なんだと?」

「え? ……あ」


つい口から出てしまった。

久野里さんが、私のことをものすごい目で睨みつけていた。

 

 



そのあと、不機嫌なままの久野里さんから、今後の計画を聞かされた。

来栖さんたち──というより、カオスチャイルド症候群の人たちについて探ったりするのは、私が想像している以上に、とても危険なことらしい。

それでも私は、自分の記憶を……『過去』を取り戻したい。

怖気づきそうになる自分を、その気持ちだけで奮い立たせた。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

遅くまで久野里さんたちと話をし、終電ギリギリで自分の家に戻った。

ベッドに倒れ込んだ瞬間、逆らうことが出来ないような眠気が襲って来て……。

着替えもせずに、眠ってしまった。

 

今日は、本当にいろんなことがあった。

きっとこの先、忘れられない一日になると思う。

 

 



──事故の前の『私』は、どうだったんだろう?」


こんなすごい経験とか、したことあるのかな?



 

それとも、なんにも起こらない平凡な毎日を、ずっと送っていたのかな……?

 

……。