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-ノベルゲーム・タイピング-

暁の護衛【17】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


--------------------

 

 

 

 

……。

 

 

 

「なんだと? 貴様がついてくる?」

「仕方ないだろ。麗華が風邪引いたんだから」

「ぐ……しかし……」

「オレだって休めると思って浮かれてたが、『今日は私の代わりに彩についていきなさい』って言ったんだから仕方ないだろうが」


「一日だけですが、よろしくお願いしますね」

「ああよろしくな」

「不満だ、凄く不満だっ」

「麗華の指示だからな」

「そんなことわかっている!」


麗華のときと違い、彩は車を使う。

学園までは楽でいいな。

 

……。

 

 



「では、いつもの時間にお迎えをお願いします」


運転手にそう告げ、オレたちは学園に。


……。

 



普段から、ボディーガードを数人連れるお嬢さまも少なくない。

しかし……。

 

 

 

 

学園内では基本、1人に対し1人なため、目立ってしまう。


「不満そうだな?」

「当たり前だ。気に食わない」

「麗華の指示なんだから、いいかげん諦めろ」

「それでも気に食わん」

「……やれやれ。別に取って食うわけじゃないんだ」

「貴様と同じ空気を吸ってると思うと、僕は今にも溺れてしまいそうになるんだ」

「病気?」

「そういうことじゃない!」

 


──ひそひそ、ひそひそ。

 


「うぅ……恥ずかしい……」

「どうされました!? 海斗の毒気に当てられましたか!?」

「毒気って……」

「ちょっと眩暈がしただけで……」

「眩暈!? つまり、海斗が原因ですね!」

「その結論に至った経緯を教えて欲しいものだ」

「あぁいえ、けして、そういうわけでは……」

「やはり、彩お嬢さまから距離を置け距離を!」

「……よし、じゃあここに手をつけ」


窓枠を指差す。


「こうか?」

「じゃあ行くか彩」

「はい」

 

「おお、海斗が離れていく。結構素直じゃないか……………違う! 貴様が離れるんだ! これじゃ僕が離れている!」

 

……。

 

 



「前から思ってたんですが、海斗さんはよく食べますね」

「育ち盛りだからな」

 

 

 

「単純に食い意地が張ってるだけですよ」

「誰が喋っていいと許可した?」

「す、すみません……ってなんで貴様にそんなこと言われなきゃならない!」

「じゃあ彩から言ってやれ」

 

「私が許可するまでずっと黙りやがれ、尊徳」


にっこりと言う。

 

 



「がーん!」

「え、えっ? 今、私なにも……」

「くく」


オレの声色を使えば、あの程度楽勝だ。


「お前は小食だよな」

「あ、はい。あまり食べられないです」


その割には一部に栄養が溜まってるな。


「…………」


ちょっとオヤジ入ったな今の。


「でもこの食堂や屋敷がそうだが、基本的には豪勢なもんばっかだよな」

「豪勢、ですか」

「ステーキやキャビアみたいなんじゃなく、もっと普通のものが食べたかったりするけどな」

「普通ですか」

「庶民的なもんだよ。たこ焼きとかスパゲッティーとか」

「美味しいですよね、たこ焼き」

「お前も食うのか?」

「食べますよ。一つ3万円くらいですよね」

「それたこ焼きじゃねえよ!」

 

……。

 


「なんと言うか、楽チンな一日だった」


屋敷に戻ってきた直後そう思った。

 

 

 

「そうですか?」

「ああ」


考えてみれば当然のことだ。

登下校は車だし、授業中に口を挟むヤツもいなかった。

普通に飯食うときに彩がいただけだしな。

 

 

 

「ではお疲れ様でした、海斗さん」

「おう」

 

 

 

「さてオレも部屋に戻って休むとするか」


……。

 

 

 

 

「ふうっ」

 



「…………」


「うわっ! なんでお前がいるんだよ」

 


「僕はこれからどうしたらいいんだ!」

 


「……なにが」
「彩お嬢さまに嫌われてしまった。彩お嬢さまに嫌われてしまった」
「2回言うなよ。つーか、理由はなんだ」
「貴様も食堂で聞いただろ! 許可するまで喋るなって言われたじゃないか、僕は!」
「……いや、あれウソだから……」
「慰めはいらん!」
「慰めと言うか、事実?」
「とにかく……僕に発言権がない今、なんとか貴様に交渉してもらい彩お嬢さまにお許しを願わなければならない」
「だから心配ないって」
「貴様がなにを言っても話にならないっ!」


ダメだ。

基本的にオレを疑うようになってるから、なにを言ったところで信用してもらえない。


「どうしろってんだ」
「今から彩お嬢さまのところに行こう」
「お日様があと30回昇ったらな」
「それまで僕を見殺しにする気か!」
「面白くね?」
「面白くない! 今すぐ行かないなら、身体にガソリンを撒いて火をつける」
「え、お前が自分に?」


小さく頷く。


「…………」
「なにしてる?」
「早くガソリン撒かないか見てるんだ」
「僕に死んで欲しいのか!」


……。

 

 

 

「ほら、早く来い!」


ずるずる引きずられるように、彩の部屋へ。


「ったく」
「僕は一切喋れないから、しっかり頼むぞ」
「まったく意味のない時間なんだがな」


手早く済ませて部屋に戻ろう。


「おい彩、ちょっといいか」


……。



 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 


世界の時間が、おそらく止まった。

 

いや、オレだけが現実の流れに身を投じている。

 



 

「とりあえず用件を済ませておくが、お前別に、尊に喋るななんて命令してないよな?」


それだけを告げる。


「…………」


コクコクと小刻みに頷いて(震えて?)いたので、オレの言葉がしっかり耳に届いてると確認した。


「…………」

「ほら、してないってよ。お前も下がれ」


童貞には多少刺激が強すぎたかも知れない。

ぐいぐいと後ろに押して、扉を閉めた。

 

 

 

 

 

「きゃあああああああああああああああ!!!」

 


直後悲鳴。


「…………」


尊は未だに時間の流れを止めていた。

駆けつけてくるメイドやボディーガードたち。

オレは迷わず叫んだ。

 


「この男が犯人だ!」

 


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、少しよろしいですか?」


源蔵のオッサンの"特別な肉"とやらの調達に関することで、佐竹と会話した。

会話を終え、教室に戻ろうとしたオレに彩が声をかけてきた。

 

 

 

「僕は反対です、彩お嬢さま」

「いいじゃないですか。大勢の方が楽しいと思います」

「しかしですね……」

「…………」


「こらどこに行く!」

「なんか話が流そうだったから、教室に戻ろうかと」

「戻るな!」

「じゃあやり直そうぜ。会話の最初から」

「なにをふざけたことを……」

「5、4、3……」


2、1と指を折って伝えた。


「ちょっと話がある」

「さようなら」



 

「待て! 会話が終わっとるじゃないか!」

「なんだよ終わっとるって、じじいかお前」

「どうして僕を見て逃げる!」

「話したら自分が腐っていくのを感じそうで」

「なんなんだ僕は!」

 

 

 

「あの……」

「はっ! こ、これは失礼致しました」

「少しお話があるのですが……」


巻き込まれるのは冗談じゃないが、彩を無碍にするのは多少気が引けた。


「なんだよ」

「今日のお父さまのことについては、お耳に挟んでいますか?」

「ああ、それなりには」

「よろしければ、協力していただけないかと思いまして。私が手作りの料理を振る舞おうと思うんです」

「へぇ……いいんじゃないかそのプラン」

「当然だ」

「なんでお前が誇らしげなんだよ」

「余計なことを言うな。拒否権はない」

「あら、そんなことありませんよ? 嫌なら断っていただいても構いません。雑用なんかはすべて宮川さまにお願いしますから」

 

 

 

「そんなっ!?」

「え、あ、あの……今のは私じゃ……」


「じゃ」


「気持ち悪いほどソックリだったぞ!」

「協力するってなにをしろってんだ」

「実は、料理というものをしたことがなくて……」

「もっとも、貴様も経験はないだろうがな。せいぜい僕の足を引っ張らないように頑張れ」

「未経験なのに、いきなり料理か」

「少し無茶……でしょうか?」

「彩お嬢さま。僕の指先をご覧下さい。この黄金に輝いたゴールドフィンガーを。様々な和洋中を経験した最高の指先で御座います」

「凝った料理にしたいなんて言い出さないなら、それほど難しいことじゃない」

「手伝って、いただけますか?」

「海斗はまだしも……彩お嬢さまも聞いてない……」

「仕方ないな。少しだけ手伝ってやる。このゴールドフィンガーの持ち主に任せておけ」

「凄く頼もしいです!」

「く、ぐぐぐぐぅ!!」

「どうした尊。ハンカチを噛み締めて」

「歯でも痛いのでしょうか?」

「こいつ昔から歯磨きしないんだぜ?」

「えぇ……それはいけませんよ?」

「勝手なウソを振りまくな!」

「それで、いつどうすればいいんだ?」

「帰宅したら食堂に来ていただけますか?」

「わかった」

 

…………。

 


……。

 

 

 

 

 

そんなわけで、帰宅早々食堂に来てみたわけだが……

がらり閑散としているだけで、彩の姿がない。

車での帰宅だから、オレより早いはずなんだが。


「うお、なんか倒れてる!」


地面に屈して倒れている男を発見した。


「死んでる……?」


口元からは泡を吹き、目は白目を剥いていた。

よく見ると全身が軽く痙攣していることから、まだこれが生命体であることを認識した。


「おい、こんなところでなにやってんだ」

「…………」


スッ、と震える指先をテーブルの上に向けた。


「あ?」


テーブルには白いスープ。


「パッと見た感じは、じゃがいものスープだな」

「ソノスープ、サイコウデース」

 



「誰っ!?」

 


「…………」


ひと言不気味な発言を残し、また生ける屍に戻った。


「もしかして彩が?」


そう思い、テーブルにつく。

そしてスプーンを手に取った。

金属で触れる感じ、とろみはなかなかのものだ。

すくいあげ、口元へ。

 

 

 

──!



 

「あんたって、最低よね」

 

 

 

「生きる価値もありません」

 

 

 

「早く死んでくれないでしょうか?」

 

 

 

「カスだカス」

 

 

 

「地球にどれだけ迷惑をかければ気が済む」

 

 

 

「こんなのが私の生徒だなんて……自殺したいわ」

 

 

 

「あ、臭っ」

 

 

 

「地底の奥底に埋めてもまだ汚染させられそう」

 

 

 

「くたばれ! くたばれや!」

 

 

 

介錯してやろうか? このクズ」

 

 

 

 

 

「すみませんっ……存在してすみませんっ……!」

 

 

 

 

「あ、来てらしたんですね?」

「生きててごめんなさい!」



 

「え、えっ?」


──!

 

 


「はっ!? お、オレは一体なにを……」

 

 



「手が止まってるじゃないか海斗」

「え?」


オレの手がスプーンを握っていた。


「僕が美味しく食べてたら、海斗がいきなり僕の手から料理を奪いまして……」



 

「ヤダ海斗さん、まだたくさんありますのに」

「……お前確か、倒れてなかったか?」

「はっはっは、なにバカなことを言ってるんだ。あまりに美味しくて、別の世界にでも行ったんじゃないか?」

「新しい料理、持って来ますね」


尊の満足げな感想を聞き、彩は厨房に歩いていく。

 

 

「ぜぇーっぜぇーっ!」
「やっぱり我慢してやがったか」
「どうやら僕は気を失っていたらしい」
「お前もか」
「貴様も?」


同時にスープを見つめた。


「これは元々お前のだったな」
「貴様が勝手に手をつけたんだ、責任を持て」
「断る」
「いいやダメだ!」


互いに必死だった。


「よしわかった。不味いと伝えよう」
「ちょっと待て、僕は反対だ」
「不味いなら不味いと言わなければ、いつまでたっても成長しない」
「そうじゃない。僕が言いたいのは別のことだ」
「なんだと?」
「僕はあまり漫画が好きではないが、こういう展開に近いものを読んだことがある」
「まあお約束だな」
「予想外に料理が出来てビックリのパターンと、信じられないほど不味い料理を作ってくるパターン」
「ああ」
「じゃあ、これは?」
「モザイクは入ってないが、不味いだろ」
「どう不味いんだ?」
「どうって……」


ジッとスープを見つめて考える。

そう言えば、なんで不味いんだ?


「味が思い出せない」
「だろう? 確かに危険なものを感じた……ような気はするが、それもあやふやで思い出せないんじゃないか?」
「……そうだな」
「それなのに不味いと決め付けるのはどうだろうか」
「じゃあ、このスープはオレが食おう。次に運ばれてきたらお前が食え」
「……当然だ」


そんなことを言ってる間に、彩が戻ってきた。

 

 


「出汁巻き卵にするつもりが……形が失敗してスクランブルエッグになってしまいました」

「美味しそうじゃないですか」

「ほんとだな。材料がシンプルで安全そうだ」

「安全?」

「余計なことを言うな! なんでもございません、ははは」

「次の料理を作ってきますね」



 

 

 

「ふふん。まあ、責任を持ってスープを片付けるんだな」

「ちっ」


尊は隣に座り、箸でタマゴを掴んだ。


「タマゴなら心配ない」


そう言って食べる。


──!


「うわ、今光った!?」

「…………」

「そ、尊?」


ピクリとも動かなくなった同志に不安を感じ、肩を揺する。

ぐらりと身を反対側へと倒す。

ゴツン!


「あ……」


テーブルの足に頭部を直撃させてしまうが、尊はピクリとも反応しなかった。


「…………」

「お、おい……。なにが起こってるんだ、一体……」


とてもじゃないがスクランブルエッグを食べてみる気にはなれなかった。



「はうぁああ!!!!」

 


「なんだ!?」


ビクンと大きく尊が跳ねる。



「ふああああああああああああああ!!」

 

「怖っ!」



「ふわ、ふおわ、ふおわあああああああ!!!」

 


「うるさい!」


──!

 


思い切り腹部を蹴り飛ばし黙らせる。



 

「あ、あの……どうかしましたか? 凄い奇声が厨房まで聞こえてきたんですが……」
「こいつが美味い美味いって言って騒ぐんだ」


意識のない尊を起こし、頭をコクコクさせる。



 

「初めてだったんですが……ちゃんと出来てるみたいですね」
「一応聞くが……味見、してるのか?」
「味見ですか? した方がいいでしょうか」
「い、や……それは、どうだろうか。しかし、した方がいい……とオレは考える」
「わかりました。味見しますね」


また厨房に戻っていった。

そして程なくして……


「ふわあああああああああああ!!!」


厨房から彩の悲鳴が聞こえてきた。


……。

 

 

 

 

「あの……私の料理は、下手なんでしょうか?」

「…………」

「…………」

 

オレたちは答えを出せないでいた。


「おい、また涎が出てるぞ」

「はっ……ご、ごめんなさいっ」

「お前もだ尊」

「す、すまん……」

「どっちも目がイキかけてるぞ?」

「ボーッとしてると、意識を失いそうです」

「しかし僕は眠らんぞ。眠ったらヤツが来る」

「ひぃっ!」


二人にはなにか思い当たることがあるようだ。


「とにかく、材料に問題があったように思う」

「これが使用したものです」


スープとタマゴに使用した材料を持ってきていた。

どれもこれも、見たことがあるものばかりだ。

しかし一つだけ目に留まったものがあった。


「この瓶は?」

「調味料のところにあったので、使ってみました。味がしないので、隠し味のようなものかと」

「…………」


オレは瓶を開けて確かめてみる。


「……わからん……」


「貸してみろ」


オレたちは匂ってみるが、正体は不明。


「舐めてみたらどうだ?」

「貴様が舐めろ」

「お前のプロ級の舌を信頼してるんだ」

「そ、そうか? よし……」


恐る恐る、尊は指に粉をつけて舐めた。


「ふわぁぁあぁあぁあぁああああああ!!!」


「これ……でしたね」

「ああ……」

「これを入れなければ、美味くいきそうです」

「源蔵のオッサンも喜んでくれるだろ」

「はいっ」

 

……。

 

彩の料理が出来上がるのを待った。

それが完成すると、オレたちは彩の部屋に向かった。

意識の戻らない尊は、そっと食堂に寝かせておいた。

 

……。

 

 

 

 

「他のヤツに見つかるとバレるかもしれないからな」
「はい」


一時、彩の部屋に料理を隠しておこうという算段だ。


「じゃあオレは部屋に戻ってる」

 

 

 

 

「ゲームしましょう!」
「……言われる気はした……」


だから逃げようとしたんだが、遅かったようだ。


「ドリンクもありますし」
「とりあえず、一本もらう」


飲んでないと耐えられそうになかった。


「っと……」


人差し指から、つっと血が伝う。

どうやらドリンクのフタで指を切ってしまったようだ。



 

「大丈夫ですか?」
「あぁ、別に大したことじゃない」
「ですが……血が出ています」
「放っとけばそのうち止まる」
「ダメです。こういうのは早めに治さないといけないと、お姉さまがよく言ってました」
「麗華が?」
「私はよく、こういう怪我をしてたので……。そのときはいつも、こうやって治してくれてたんです」
「おい」

 

 

 

「……ん……」


少しだけテレ臭そうに、傷口を口に含む彩。


「あのな、お嬢さまがそういうことをするな」
「…………」


聞き入れる気はないようだ。


「引き抜くからな」
「ふるふるっ」


首を振って拒絶する。


「断る」


尊がいないからいいものの、戻ってきたらまた問題にされかねない。

オレは強引に引き抜こうと指を引っ張る。


「ん-!」


ガジッ!


「うぉ!」


僅かな出血から、大量出血へ。



 

「うわ! なんか指が半分揺れてます!」

「肉の半分まで歯が食い込んだなこりゃ」
「ごめんなさいごめんなさい!」
「謝る前に、ガーゼみたいなもんくれ」
「はは、はいっ!」


部屋に備えられているのか、ガーゼはすぐに見つかった。


「い、痛くないですか?」
「そりゃ痛いだろ」
「全然痛そうな顔をされないので……」
「泣き叫ぶほどってわけじゃないしな」
「本当にすみませんでしたっ!」
「気にするな」

 

 

 

 

「うう、どうして肝心なところで、こうなるかなぁ」
「あ?」
「折角ちょっと、いい感じだったのに」


なにがいい感じだったのかは、気づかなかったことにしよう。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「おめでとうございますお父さま」

「おめでとうございます」



 

 

「うむ。毎年のことながら、お前たちに祝ってもらえるのは嬉しい」


二人の姉妹から、源蔵のオッサンは花束を受け取る。


「あのオッサンも笑うんだな」


そんなことを思いながら、パーティーの進行を見守る。


つつがなくパーティーは進行していく。

どこか張りつめた空気があるのは、おそらく今焼かれている肉が誰かの人生を終わらせかねないと思っているからだ。

オレは彩の様子をうかがうために近くまで寄る。



「……不味い」


コック「旦那さま……」



 

「この肉は凄くまずぅい!」

「ひい!」

「肉を出すからには、例の肉かと思ったが……」

「も、申し訳ありません!」

「心地いい気分が台無しだな」

「今調達出来る肉で一番良いものをご用意させていただいたのですが……」

「不愉快だな」

 

 

 

「あの……お父さま?」

「なんだ」

「これ、食べてみて下さいませんか? お好きにはなれないかも知れませんが……」

「すまないが、今は食べたくない」

「あ……」

 


「食べてやれよ」

 

 

「なに?」

「それ、多分世界で一番美味いぜ」

「バカを言うな……ただのスープではないか」

「あんたの娘が作ったスープでもか?」



「彩が……?」

「は、はい。お父さまに喜んでいただければと……」

 

 

 

「そっそうか、そうなのか」

「嬉しそうだな」

「黙れっ!」


ニヤニヤする顔を無理に引き締める。

 

 

 

「へえ。やるじゃない、彩」

「いちゃ悪い?」

「別に」

「では、いただくことにしよう……」

「はいっ」


例え味にうるさいとしても、このオッサンが文句を言うことは絶対ないだろう。

恐らく初めての料理だと知ってるはずだし。

ゆっくりとスプーンが口に運ばれた。

第一声はなんだろうか。

 

 

 

「う……」

 


美味い、か。

 

 

 

 

 

「うわあああああああああああああ!!」

 

 


「あ、昼間に作ったのと間違えてしまいました!」


──!


「おいっ!」


その後、源蔵のオッサンの意識は朝まで戻らなかったという。


…………。

 


……。

 

 

 

 

 

 



「暑っ……」


オレは手の甲で額の汗を拭う。

季節は春。

しかし、思った以上に森の中はジメジメして蒸し暑かった。


「いました!」


少し向こうで、少女が歓喜の声をあげる。

足取り重く、オレはその声の下に向かうのだった。


……。


なぜ、オレたちが森の中にいるのか……。

それは数時間前にさかのぼる。

 

……。

 

「は……?」


ぽろっと、フォークからウィンナーが落ちた。

 

 

「だから昆虫採集に行くぞ」
「…………」
「落としたウィンナーと僕のウィンナーを取り換えるな!」


ちっ、冷静だったか。

錯乱してるのならと思ったが、そうじゃないらしい。


「彩が昆虫でウィンナーねえ……もぐ」
「貴様食べたな! 吐け! 僕のウィンナー返せ!」
「ここにあるだろ」
「テーブルに落ちたウィンナーが食べられるか!」
「ウィンナーウィンナー連呼してるとアホの子みたいだな」
「なんでもいいから吐いて返せ! 僕の逞しく艶のあるウィンナー!」
「あなたがなくしたのは、小さく細い皮付きウィンナーですか? それとも太く大きい皮なしウィンナーですか?」
「太くて大きい皮なしウィンナーだ!」
「あなたはウソつきの短小包茎ですね」


ザクッとテーブルに落ちらウィンナーを突き刺す。

そしてそれも口の中にほお張った。

 



「なぁっ!?」
「デリーシャス」
「きき、きき、貴様ぁ!」
「ウィンナー1本で怒るなよ。変わりにオレのレタスを1枚やるから」
「釣り合ってないだろ!」
「お前はレタスを軽く侮辱したってことでいいだろうか?」
「そういうわけじゃ……だがウィンナーとは……」
「ウィンナーもレタスも素晴らしい食べ物だろうが!」
「む……それは、そうだ……」
「なんにせよ、昆虫採集結構じゃないか」


話を逸らすべく元に戻す。


「今のお嬢さまにはアウトドア精神なんて欠片も持ち合わせてないと思ったが、感心感心」
「どこが感心だ! 昆虫など気持ち悪い!」
「あ、お前虫ダメなの?」
「アリくらいだ、なんとか触れるのは」
「なんて救えない現代っ子だ」
「しかし、彩お嬢さまが本物の蝶を見に行きたいと言うなら、僕は全力で付き合わねばならない」
「ボディーガードとして立派だぞ。頑張れ」
「席を立って行こうとするな!」
「オレを巻き込むから嫌だ」
「虫を触れるんだろ!」
「幼少の頃、ゴキブリ標本を作ったことがある」
「うげ……気持ち悪い話をするなっ」
「前世は虫なんじゃないかと思うほどオレは虫好きなわけだが……」
「なら!」
「断る」
「なぜだっ!?」
「オレはあいつのボディーガードじゃない」


なにより面倒臭い。


「仕方ない……レタスを1枚やる!」
「レタスなんていらん。そんな葉っぱ1枚もらったところで嬉しくもない」
「貴様、僕を説教しておきながらなんだそれは!」
「人は人だ。価値観を押し付けるもんじゃない」
「貴様が言うな!」
「とにかく、断る」
「もういい、貴様には頼らん!」
「そりゃ結構なことで」
「軽薄なその選択が、彩お嬢さまを悲しませるぞ!」
「なんだよそりゃ」

 

 

 

尊の愚痴から逃げるようにさっさと食堂をあとにした。


「なんだあれは?」


廊下の窓から庭を覗く。

その中に、忙しなく動く一つの影があった。

 

 

気になったオレは、庭に出る。

 

 

 

「ていっ、ていっ、とーっ!」


にっぶい動きでなにやら演じているのは彩だった。


「なにやってんだ朝っぱらから」

 

 

 

「私ですか? 予行演習です」
「予行、演習?」
「ほら、今日海斗さんと行く昆虫採集です」
「……オレと、行く?」
「え? まだ宮川さまから聞いてませんか?」
「森に行くって話なら耳にした」
「良かった」

 

 

 

パァっと花開いたように喜ぶ。

ひょっとして彩の中では、オレも参加することが決定してるんだろうか。


「おい、オレは森には……」
「……ひょっとして、行けませんか?」



 

なぜ泣きそうな顔をする。


「いや……麗華の許可はどうなのかと、思ってな」
「それなら心配いりません! お姉さまは了承して下さいましたし!」


どうやら既に許可を取っているようだ。


「何時に行くんだよ」
「えっと、9時くらいには出ようかと」
「あと2時間ちょっとか」
「歩いて行こうと思ってます」
「歩いて? 結構な距離があるぞ」
「車で行っても、面白さ半減だと思うんです」
「そりゃ、まぁな。9時に玄関に集合ってことでいいのか?」
「はい!」

 

 

 

ったく、なんでオレが付き合わなきゃならんのだ。

そう思いながらも、彩を見て断れない自分がいた。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「それでは出発しましょう」

「はい」

「だな」



「…………なんで貴様がいる」

 

 


「よく考えたら、オレ昆虫キングだからな。久しぶりに昆虫と戯れるのも面白い」

「本当か?」

「なに疑ってる」

「彩お嬢さまと一緒にいたいだけじゃないだろうな」

「もし仮にそうだったとしたら、普通お前に誘われた時点で了承してるだろ」

「む……それは確かに」

「お前だけじゃ頼りないからな」

「虫が得意だからって威張るな」


……。

 



 

 

彩を中心に、オレと尊が一歩後ろを歩く。

三人が一緒に行動する際は、この歩き方が主流になっていた。


「暇だな、奇声でもあげるか」

 

 

 

「あげるなら貴様一人であげろ」

 


「おおええああええおおおおおおええ!」

 


「本当に奇声をあげるな! しかもなんかリズムいいぞ!」

「まったく、あげろと言ったりあげるなと言ったり」

「常識で考えればわかることだ!」

「相変わらず怒鳴ってばっかりだな」

「誰が怒鳴らせてるんだ誰がっ」

「しかし昆虫昆虫って、なにを見に行くんだ?」



 

「特別これ、と言うわけではないのですが……蝶とてんとう虫が見たいです」

「女みたいなこと言うなよ」

「女性だろ!」

「お前はカマキリだよな?」

「あの気持ち悪いヤツか!」

「コオロギだっけか」

「あの気持ち悪いヤツか!」


全部、そう言って返されそうな気がする。


……。

 

 

 

想定していた範囲だが、彩は結構疲れていた。

 

「少し休まれてはいかがですか?」

「そこにご休憩ホテルがあ──」


ラブホを指さそうとしたら、尊に猛烈に睨まれた。



 

「いえ、平気です」

「しかし……」

「森につけば、ゆっくり落ち着けますので」

「そういうことならこのまま行こうぜ」

「僕や貴様ならいざ知らず、彩お嬢さまをこれ以上疲労させる気か!」

「ですから、平気です」

「いけません。だいぶお疲れなのは明白なんですから」

「お前は介護者かよ」

「なに? お嬢さまの心配をしちゃいけないと言うのか」

 

 

 

 

「あ、あの……私、休みますからっ。お二人がケンカするようなことはやめて下さい」

「…………」

「…………」


オレたちは少し睨み合い、互いに舌打ちをすることでいざこざは収まった。

 

……。

 

 

 

繁華街を抜け、森へ。



 

都心でありながらも、小さいがこの街には山がある。

それがここだ。



 

「つきました」

 

 

 

 

「ここからは道が荒れてますので、お気をつけ下さい」

「わかっています」


……。

 

 

 

それからしばらく森の中を歩き、どこで昆虫採集するかを決めた。


「各自、各々考え行動するように」

「自由行動などないっ」


尊はべったりと彩についてまわるようだ。


「オレは好きにさせてもらうさ」


久しぶりに虫と戯れたいと思ったのは事実だからな。

それに昆虫採集と言うが、誰も道具は持ってきていない。

つまるところ昆虫観察。

そんなお子ちゃまなものに興味はなかった。


……。

 

 

彩たちと距離を置き、オレは草むらで虫を探す。

こうして森にいる虫を探すのは生まれて初めてだった。


「夏場になれば、カブトやらクワガタ、セミもいるから楽しいだろうな」


昆虫採集するなら、やはり夏が一番だろう。

そこら中に虫が広がっているイメージが思い浮かぶ。


「お、クモ発見」


なにやら餌を捕食していたようで、もしゃもしゃと食べている。


「クリチャササグモだな」


手にとって手足を引き千切りたくなった。

 

「いかんいかん……オレのイメージが悪くなるぞ」


立ち上がり幹に視線をやると、蝶がぴたっと止まっていた。

それを彩も見つけたのか、パタパタと走ってきた。

 

「う……」


蝶を見て嫌悪する尊は放置しておこう。


「ほら、手にとってみろ」



 

「どうすればいいんでしょう?」

「簡単だ」


オレは自然な動きで、幹に止まった蝶を掴んだ。



 

「わ、凄いです」

「両手をくっつけてひらけ。茶碗を形作るみたいにな」

「はいっ」

 

 

 

「綺麗な蝶ですね」

ヒメアカタテハだ」

「詳しいですね」

「こいつは雑学的な文献ばかり読んでますから」

 

 

 

「年中どこでも見れる蝶だ」

 



「蝶一匹で褒められて満足か」

 


ぼそっと呟く声が聞こえた。


「蝶ってのは、本来一匹二匹とは数えない」

「そうなんですかっ?」

「正式には一頭二頭と数える」

「うそをつけ。牛や馬のように数えるのか?」

「事実だ」

「どうして、そう呼ぶんでしょう?」

「説はいくつかあるらしい。海外の文献を訳し間違えた、標本で頭部のないものは欠陥品だから、頭の数を数えるようになったから、とかな」

「詳しいんですね」

「ふ、ふんっ……生活の上では役に立たんさ」


彩には聞こえない程度の声で反論してるのが、子供っぽい。


「都会にもちゃんと蝶はいるんですね」

「自然は減ったが、それを保護する力も強まったからな。それにこの蝶は全国のどこにでも生息する」

「へえ……」


宝石を見るように目を輝かせ、優しく羽を動かす蝶に見惚れていた。

意外な一面だな。



「オレはもう少し奥に行ってくる」

「奥……ですか」

「色々な虫を探してみたいからな」

「好きにしろ。その代わり遅くなったら置いて帰るぞ」

「ああ」

「あの、私も行ってみたいです」

「それはいけません。ここから先はもっと道が酷くなります」

「は……はい」

「じゃあな」


……。

 

 

彩たちからしばらく奥に行ったところで、キョロキョロと辺りを見渡す。


「この辺りで探すとするか」


…………。

 


……。

 

 


「うわあああああああああああああああ!!」

 


真昼間の森に木霊する悲鳴(男の)。

 

「なんだ?」


今の声、尊だったようだが。

オレは手の平いっぱいの虫を放り投げ、さっきまで彩たちがいた場所に戻った。


……。

 

 

「どうした」

 

 

「あっ海斗さん!」


慌てた様子の彩。

そのそばにはグッタリと倒れる尊がいた。


「これは……」

「…………」


完全に意識を失っている。

尊ほどの男が、こんな状態になるということは……。

まさかと思いながら辺りに不審者がいないか探る。

しかしそんな様子はない。



「説明してみろ」
「えっと……これ……」
「ん?」


尊の腕をノソノソと這っている……一匹。


カナヘビじゃないか」
「そういう名前なんですか?」
「トカゲの仲間だ。しかし、これがどうし──まさか、これで気絶したのか?」
「木からポトリと、宮川さまの肩に落ちてきまして」
「おいおい……」


ギャーギャー騒いだとしても、気絶はないだろ。

どこまで虫に耐性がないんだこいつは。

 

 

「目覚めたとき面白そうだから、このカナヘビを口の中に入れておいてやろうぜ」
「し、死んじゃいませんか?」
「心配か?」
カナヘビさん」
「……あ、こっちな」
「もちろん宮川さまも心配ですっ」


優先順位がカナヘビ>尊であるのは本当そうだ。


「お前、トカゲに負けたぞ……」


そんな悲しい事実を知らないで済むのは幸せかも知れない。


「じゃあ木にくくりつけて放置しようぜ」
「それ死んでしまいます!」
「顔だけ外に出して、体全部土に埋めようぜ。そんで顔の周りに虫を沢山置いておく」
「えぇっ!? 危険です! 発狂してしまうかも知れませんよっ」
「それはそれで見てみたいな」


仕方ないので、普通に寝かせておく。


「すぐ目が覚めるだろ。それよりも昆虫採……観察しなくていいのか?」
「でも宮川さまがいないので……」


チラっとオレを見る。


「ったく、一人で昆虫も見れんのか。付き合ってやるから好きにしろ」



 

「はいっ!」


嬉しそうに飛びはね、彩は奥へと目指す。


「ふう……」


オレも色々甘いな。

どうも、彩には甘く接してしまう。


……。

 

 

 

それから数時間、彩は時間も忘れ夢中だった。

オレはと言えば、途中から空腹で食べ物のことばかり考えていた。


「キノコでも探せば良かったな」

 

……。

 

 

 

尊が気絶している場所に戻ってきた。



 

「まだ、気絶されてますね」
「長っ」


いつまで寝てる気だ、ったく。


「おい起きろ。起きろって」


肩を揺する。


「だ、ダメです、お嬢さま……僕たちは……」

「あ?」


──!


次の瞬間、尊の両腕がオレの首筋に回された。


「なんだ、おい」

「れいか、おじょう、さま……」


ぐぐっと尊の顔が近づいてくる。

逃げようとするが存外に強い力でロックされていた。


ぶちゅ……。

 

 

 



オレはその日のことを、生涯忘れないだろう。

温かく、少しざらついた唇の温もりを。



 

「ひゃあああ!」


頬を押さえ、オレたちを見つめる彩と……


「ん? ん……ん~~~~~!!?」


自分の現状に気がついて混乱する男。


「なんじゃこりゃ~~~~!!」


…………。

 

……。

 



 

「ぼ……僕のファーストキスが……僕の……」


尊の姿はお見せ出来ないほど真っ白だった。


「僕の……うぅ、僕のっ……」

「寝惚けるにもほどがあるだろ」


ごしごしと口元を袖で拭う。

 

 

「れれ、冷静なんですね、海斗さんっ」

「あ? 慌てるようなことじゃねえよ。最低の瞬間だったけどな」

「貴様が僕を起こそうとするからだ!」

「むしろオレで良かったと感謝するんだな。あれが彩だったら大事件だ」

「うっ……」


尊としても言い返せない部分だった。


「だが貴様はいいさ……別に初めてでもなんでもないだろっ」

「関係ないだろ数なんて」

 

 

 

「…………」


「返せっ、僕のファーストキス返せっ」

 

抗議すると言うよりは、自分に言い聞かせるように呟いていた。


…………。

 

……。

 

 

 


帰りつく頃には、夕食の時間だった。

 



「僕は寝る」

「飯は食わないのか?」

「こんな日に、貴様と肩を並べて飯は無理だ……」

「…………」


とぼとぼと自室へと戻っていった。



 

「で、では私も部屋に戻ります」
「ああ」
「それで、その……」
「なんだよ」

 

 

「今日も一緒にゲーム……してくれませんか?」
「またか」


遊び疲れてると思いきや、まだ遊ぶ気か。


「今日はやめとこうぜ」

 

 

 

「お願いします!」
「…………」


やけに真剣だな。


「じゃあ1時間だけだ。いいな?」
「はっはい! それくらいあれば、きっと……」


彩と別れ、食堂で飯を食うことにした。


…………。

 

……。

 

 

 

 

深夜。

明日も学園だというのに、徹ゲーモードに入っていた。

オレはぼーっと小さい液晶画面を見つめ続ける。


「…………」


コントローラーを手に、ジッとプレイする彩。

なんか、いつもと違うな。

基本的に観戦することが多いオレには、今日の彩がプレイに精細を欠いている気がしていた。

キャラクターも無駄なところでダメージを受けている。


「どうしたんだ?」

 

 

 

「えっ!?」
「いや、そんなに驚かれても困るが……。なんか様子が変だ」
「そんなことありませんっ!」
「だったらいいけどな。昼間出歩いて疲れてるんじゃないか?」
「いえ、全然、問題なくって。ただ……」


やはり、どこか気にしてる様子だ。


「なんだよ」
「…………そのぅ……」


急にモジモジしだした。

コントローラーをポチポチいじっている。

画面では主人公がボコボコにリンチされていた。

 

 

「キスって、どんな、味なんでしょう……と……」
「…………食ったことない」
「へっ?」
「鱚のことじゃないのか? 魚の」

 

 

 

「……わ、わざとですね?」
「バレたか。まさかオレと尊の事故を見て、そう思ったのか?」
「は、はい……」
「お前、女だからまぁ、仕方ないが……男同士のキスなんて、いいこと一つもねえぞ。味もなにも……最悪ってことしかないな」
「じゃあ……女の人、なら?」
「あ?」
「…………」
「そういうのに興味ある年頃ってヤツか」
「か、海斗さんのが気になります」
「オレの? それ、受け取り方によっちゃ危ないな」
「きっと、そのとおりではないかと……」
「おいおい」


やたらと、前面に責めてくるな。

本気か冗談かは置いとくとしても、彩らしくない。

そう思い視線を外す。

すると、彩の足元には空き缶が幾つかあった。


「お前それ…………」


プレイに精細がないのは、酔ってたからか……。


……。

 

 

「私は……その、色々、ダメなお嬢さまです」

 


すっかりできあがってるな……。


「……なんだ急に。絡み上戸か?」

 

「勉強でも運動でも、お姉さまに勝てません。だから、一つくらい、なにか、私にしかないものが、欲しいです……」



 

そう言って、グイッと顔を近づけてきた。


「ぷはぁ」
「臭うぞ……」


しかし、なにか臭いが違う気もする。


「キス……して、もらえませんか?」
「本気か?」
「本気も、本気……れふ」
「おい……んっ!」


身体を前に引き込まれ、キスをされベッドに倒れこんだ。

 

 

 

「して下さい……」
「お前、酔ってないな?」
「ぎくっ!?」


腕を伸ばし空き缶を拾い上げる。


「アルコール0.5%未満か……」
「あ、あぁ、あの……」
「酔った振りして、男抱え込もうなんて、何考えてんだ」
「っ……! すっ、好きだから……ですよっ」
「…………」
「だって、こうでもしないと、海斗さんと、絶対……こういうこと、出来ないですっ……」
「あのな……」


オレは顔を近づける。

彩の目は涙で滲んでいた。


「キスしたこと、なかったんだろ?」


小さく頷く。

彩からポロッと涙が流れた。


無茶しやがって
「ごめんなさい……やっぱり、バカ、ですか……」
「バカだな」


そう言って、オレは彩の唇を奪った。

 

 

 

「……っ」


荒々しく口づけ、小さな唇を吸いあげる。


「んぅ……ちゅ……ん、はぁっ……はぁっ……」


彩の呼吸が荒くなる。

オレは一旦、開放してやることにした。


「言っておくがな……。オレは、お前と、こういう関係になるつもりはなかった」
「私じゃ、好きになって、もらえませんか……」
「そうじゃない……オレにとって、お前は出会った時から『綺麗』な存在だった。容姿って意味もそうだが、それだけじゃない」
「え……っ?」


そう、オレが憐桜学園で初めて彩を見たとき。

心臓が張り裂けるかと思った。

オレが小さい頃、初めて見た『綺麗』な存在が、より美しくなってそこにいたのだから。



 

「お前は知らないだろうが、オレは小さいときに、一度だけお前を見たことがある」
「ええっ!? そうなんですかっ?」
「ああ……」

 

 

彩が驚くのも、無理のないことだ。

オレが地獄そのものだったあの場所から逃げ出し、駆けこんだ先。

オレは……生まれて初めてその世界を見た。

それは、まさしく別世界だった。

鮮やかに彩られ、淡色に支配され混沌としたあの場所とはなにもかもが違う。

そこで、一組の親子がオレの目に留まった。

 



綺麗な顔立ちをした、同じ歳ぐらいの少女。

優しく微笑む父親らしき人に手を引かれ歩いている。



 

その少女はいつまでも笑っていた。

綺麗だった。

眩しいほどの笑顔と、整った容姿。

清潔感のある服を纏った少女に、見惚れていた。

 

 

やがて、ジッと見つめていたことに気づいたのか、少女がオレの方へと振り返った。

今でもはっきりと覚えている。

憎悪や憎しみ以外で、初めて人と目を合わせた瞬間。

オレは慌てて、すぐに身を隠してしまった。


「……?」


オレは、結局踏み出すことが出来なかった。

とてもあの眩しい世界で、生きていける気がしなかった。

あの頃からオレは、身も心も闇に染まりきっていたのだから。


「あ、あの……海斗さん?」
「オレなんかが、お前に触れていいんだろうか……」


再会してから彩に優しく接してしまう部分があったのは、おそらく幼い頃の影響だろう。

だから、迷いがある。

オレに好意を抱いてくれていたことは素直に嬉しいが……。


「お前のことは、多分、と言うか……異性として、凄く意識してるのが本音だ。だからこそ、やめておくなら、今のうちだ」
「…………」


少しの間、彩と無言で視線が重なる。

やがてオレの腕を取り、それを自らの胸に導いた。


「嬉しい……です。私なんか、意識してくださって」
「なに言ってやがる……お前はすげぇお嬢さまだよ」
「お願いします……教えて、もらえませんか? 男の人のこと……いいえ……海斗さんのこと、全部」


その上目遣いの眼差しに見据えられて、断れる男なんてこの世に存在するわけがない。

しかし、オレは気づいていた

そんな彼女の手が、微かに震えていることに。


「無理はするな。怖いんだろう?」
「こ、怖い……です。でっ……でもっ……!」
「心配するな。オレだって、ここから引き返すつもりはない」


オレはそっと、彩の手を握ってやった。


「はい……お願いします」
「まずは大人のキスから、だな」
「……あっ……海斗さん……海斗さん……好きっ……んっ……んんちゅ……ん…………ぁっ……ぁぁ…………」


…………。


……。

 

 

 

 

 

「海斗さんの腕って、凄く大きくて固いですね」
「……そうか?」
「はい。とても温かくて、安心してしまいます」
「オレにはよくわかんねぇな。けど昔は随分細かったんだぜ?」
「そうなんですか?」
「ああ……もうガリガリのやせ細ったガキだった」
「やっぱり訓練してこうなったんですか?」
「それもあるだろうが、食べる量が増えたのが原因だろ。しかしオレの腕より……」


とオレの視線は彩の胸へ。

それに気づいた彩が顔を赤らめる。


「な、なんでしょう」
「お前こそ、姉から栄養分取りすぎたんじゃないか?」
「うう……そんなこと言われても困りますっ。もうっ……。先に寝ますよ!」
「ああ……おやすみ」
「おやすみなさい、海斗さん……」

 

 

 

電気を消してやってから、少しして、彩はオレの隣で、すやすやと寝息を立て始めた。


「…………」


ぼんやりと天井を見上げる。


「……ダメ、か……」


何度か眠ろうとしてみるが、一向に眠りが襲ってくる気配はない。

彩が隣にいる今でさえ、安心して眠ることが出来ない。

これはきっと、生涯変わらないだろう。


「……ゆっくり休め」


そっと彩の髪を撫でてやると、気づかれないようにオレは部屋をあとにした。

彩は今頃、オレの夢でも見ているのだろうか。

オレの夢にも、彩が出てきてくれる日が来るのだろうか。

そんなことを考えながら──。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 



「海斗、少し構わないか?」


休み時間、珍しい人物が尋ねてきた。


「なんだよ」
「廊下に来てくれ」
「ああ?」


それだけを言い、スタスタと退室する。

 

 

「行ってきたら?」
「そうする」


勝手に許可も降りたので廊下へ。


……。

 

 

 

「どこ行くんだよ」
「ここでは人が多すぎる」
「ったく……」

 

……。

 

 


人気が少ないどころか、人のいないところまで連れて来られた。

これから一体なにが始まると言うのか。

暴行? 告白? ……様々なものが脳裏を過ぎる。

 

 

「…………」


なんと怖すぎる沈黙だ。


「貴様は……彩お嬢さまが好きなのか?」
「なに?」
「どうなんだ」


なんとも予想外のものだった。


「なんだよそれ」
「理解出来ないはずないだろう? いくら貴様の脳が冷ややっこより崩れやすいと言っても」
「…………」
「僕は真意が知りたい」
「お前に関係あるって言うのか?」
「ある。返答如何では人生を左右しかねない」
「なるほどな……」


こいつは、彩のボディーガードだ。

オレたちの間に出来た秘密を、感じ取っているのかも知れない。


「まあ、好きか嫌いかの二択で聞かれれば、そりゃ好きってことになるんだろうな」
「そうか……。それは、僕が麗華お嬢さまに抱く憧れのような感覚、と受け取っていいのか?」
「お前の麗華に対する気持ちは憧れってレベルじゃねえだろ」
「う、うるさいっ! 今大切なのは、感情だけで留められるのかってことだ! 僕たちはボディーガードだ。絶対にプリンシパルと関係を持つようになってはいけない」
「……そうだな」
「しかも彩お嬢さまは、僕のプリンシパルだ。貴様がもしも間違った行為に走ったとき、その責任の殆どが僕にあると言っても過言じゃない」
「……つまり、単純に諦めろってことか」
「その考えからして間違っている。諦めるもなにも、最初から可能性はない」
「だが……」
「だが……遺憾なことに、彩お嬢さまは貴様を気に入っている。異性としてか、ボディーガードとしてか、あるいはその両方の面で……」
「オレにどうしろってんだ?」
「僕と立ち会え」
「なに?」
「どちらが彩お嬢さまのボディーガードに相応しいか、それで決めようと言ってるんだ」
「冗談だろ? 首席のお前と、底辺のオレで立ち会ってどうすんだよ」
「関係ないな、そんなことは。前例がないし、周囲が受け入れるとも限らないが……。貴様が僕に勝てば、僕は彩お嬢さまのプリンシパルを辞めよう」
「なるほど、そういうことか」


思わず笑ってしまった。

こいつがそんな無茶を言い出すはずがない。

ほとんど自分が勝つとわかっていても、ここまで言い切るにはそれなりの理由がいる。


「オレに負けて、麗華のボディーガードになろうってことか」


それならどっちに転んでも……

 

 

「ない」
「……え?」
「僕が負けたら、僕は学園を去ろう」
「…………本気、か?」
「もちろんだ。ただし、貴様にも同等の条件を飲んでもらう」
「負ければ退学か」
「受けるか受けないかは貴様の自由だが、受けないのであれば、今後彩お嬢さまには指一本触れさせない」
「背水の陣ってやつか」
「貴様が勝ったなら、同意の上で互いがどうしようとボディーガードでも学園生でもない僕には関係がないからな」
「その立ち合い……なにで決める」
「総合格闘以外、貴様に可能性はない。勉強では絶対僕には勝てないからな。それに、勉学より強いことの方が大切なのは言うまでもない」
「…………」
「選択権は海斗にやろう。受けるもよし、受けないもよし」
「後悔するぜ?」
「それはそれで、してみたいものだが……?」
「受けてやる。その試合」
「そうか……。なら、出来る限り早い方がいいな。場所は僕の知っている道場を一つ貸し切ってもらおう」
「本格的だな」
「本格戦闘用に、コンクリの上でもいいんだが。最悪死なせてしまうこともある」
「…………」
「3日後の日曜日だ」
「わかった」


口の中が乾いていた。

尊には悪いが、本気を出せば負けるつもりはない。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「驚いたな……」


目を覚ましたのは、いつもよりも1時間以上早かった。


「そんなに楽しみだったのかね?」


オレと尊が立ち会うことなど、誰も知らない。

麗華も、張本人の彩でさえもまだ、深く眠りについているだろう。

なんでこう、なってしまったのか。


……。

 

 

 

まだ、朝日が昇ったばかりの外。

肌寒さの残る時間に、オレは屋敷を出た。

事前に道場の場所は聞いているから、迷うことはない。


……。

 

 

ただ、少し、走っておこうと思った。

汗をかかない程度に。

正直、尊はバカだ。

あいつが試合に勝ったところで、リターンなんてない。

そりゃ、オレを追い出せることは嬉しいだろうが。

それでも自分の立場を捨ててやることじゃない。

負けたときのリスクは背負いきれないのだ。

逆にオレは、なにも失うものがない。

どうせ辞めていたボディーガードだ。

その時期が多少遅れただけのこと。



 

「……いや……今はそうでもないか」

 

……。

 

 

 



負けてやれない。

与えてくれたチャンスだというなら、もぎ取ろう。

誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。

それはこの世の理に乗っ取ったこと。


……。



 

手加減はなしだぜ、尊。


…………。

 


……。

 

 

 

 



ゆっくりと道場の扉を開くと、中心に正座する尊がいた。

表情はまだうかがい知れない。


「待たせたな」


これから戦う相手へと、そう言葉を投げかけた。

 

 

 

「遅い!! 貴様、約束の時間から1時間も遅れてるじゃないか!」
「すまん、軽くジョギングのつもりが気づいたら山越えを果たそうとしてた。自然な流れで入ったら気づかれないと思ったんだが」
「気づくに決まってるだろ!」


怒りながら立ち上がろうとする。


「あ、あたたた……待ちすぎて足が痺れた」


戦う前からダメージを負っていた。


「まさか古典的な作戦を取ってくるとはな」
「なに?」
「巌流島での決闘、宮本武蔵の作戦だ」
「ああ……わざと遅れたってやつか」
「残念だが僕には通用しない。怒りに任せ、投げ捨てる鞘など持っていないからな」
「じゃあさっさとやるか。朝メシ食いたいし」
「軽っ! もっと緊張感を持て!」
「十分持ってるさ」


オレは手足をぶらつかせる。


「すぐに終わらせてやる」
「ふん。底辺がよく言う」


互いに今の位置から構える。

もう勝負は始まっていた。


「悪いが……すぐだ……」


下手にタコ殴りにするのは、さすがに非情だ。


──!

 

 

 

オレは全力で尊の懐へと潜り込んだ。


「っ!」


驚きに満ちた声が漏れていた。

当然だ。

オレは、尊の前で実力を見せたことは一度もない。

例え油断はなかったとしても、底辺であるオレを虚像として捕らえていたことは間違いないだろう。

思い切り腹部に拳を叩き込み、頭を蹴り飛ばす。

それで終わり。


だが……。


──ッ!!


「っくあ!」

「ち!」


オレの拳を正面から受け、腕を掴んだ尊はそこから一本背負いを繰り出した。


──ッ!!


「ぐっ!」


受け身は取ったが、身体に響く一撃を食らわされた。



 

「凄い踏み込みだな」


上からの声。

そして、次の瞬間頭の上に蹴りが落ちてきた。


──ッ!!

 

転がるようにしてそれを回避し、立ち上がる。

容赦なく頭に踵を落としてきやがった。

もっとも強固で簡単に痛打を放てる部位。


「…………」


口元を拭う。

拳に僅かながら血が付着していた。

どうやら口の中を少し切ったようだ。

油断していたのは、オレだったのか……?


「何故? と言ったような顔だな」
「…………」
「3日前のあの約束のあと、僕は佐竹校長と話した。どちらかが負けたあとの処理を任せるために」
「それで?」
「海斗はまだ実力を隠していると、そう教えてくれたのさ。半信半疑ではあったが、最初に踏み込んでくるようなら気をつけろと、そう言ってくれていたからな」
「なるほどな……」


オレは不意に相手へと詰め寄り、向こうが力を出し切る前に仕留める。

昔、佐竹にも同じ手を使った記憶がある。

それを活かされたってことか。


「自信満々に振る舞うことには、大抵の人間は裏に理を兼ね備えている。貴様の態度がデカイことは、虚勢ではなく理に適ったものだったんだな」
「おいおい、ちょっと不意をついて踏み込んだだけなのに随分持ち上げるじゃねえか」
「僕の知る底辺の貴様では、僕の一本背負いを防げなかった」
「…………」
「それがすべてだ!」


一瞬で決着がつくなんていうのは、甘い考えだった。


──ッ!!


「ぐ──!」


的確に人の弱い部分を突き、攻撃を仕掛けてくる尊。

打ち出す攻撃は受け流され、その倍の数を打ち出される。


──ッ!!


「ったく、この首席が!」


──ッ!!


「がふっ!」


頬を捉え、強いクリーンヒット。


「あぁっ!」


──ッ!!


こっちも同じように、頬へと一撃をもらう。

 

「……ぷっ!」


血溜まりを吐き出すと、奥歯が一本ついてきた。

訓練では、防具なしで顔を狙うことはしなかったからな。

久々に脳に来る一撃をもらったぜ。



 

「いやいや、マジで見直したぜ首席。お前がここまでやるとは思ってなかった」
「それは僕も同じだ。訓練で多少手を抜いていたなんてレベルじゃないようだ。まるっきり本気を出していなかったわけか」
「…………」

 

一対一の殺し合いであったなら、オレはどんなヤツにも負けない自信がある。

目を潰し耳を潰し鼻を潰し、果てには心臓を潰すことにさえ躊躇いはない。

だが……良識の範囲での戦いであれば、それは絶対の領域ではなくなる。


「それに、貴様が神崎流の使い手だったことにも驚いている」
「なに?」
「不良の得意げな不良ゲンカだと思ったらどうだ?」


オレの構えのことを言ってるのか。


「は!」


──ッ!!


訓練のときに受けた一撃とは比べ物にならない。

油断して、いいところに数発もらえば沈みかねない威力を持っている。


「態度は悪い!」


──ッ!!


「言動も悪い!」


──ッ!!


「職務に誇りがない!」


──ッ!!


「そんな貴様が嫌いだ!」


──ッ!!

 

連打を受け、身体が後方へと飛ぶ。

よく磨かれた床だぜ。


「あー痛ぇ……」


ガードした腕がひりひりと痛みやがる。


「不満ばっかりだな」
「当たり前だ。貴様が負けて辞めてくれれば、それだけで僕は人生を賭ける価値がある」
「ひで……」
「と言うことでさっさと寝ろ!」


──ッ!!


「断る」


──ッ!!


「お嬢さまと関係を持つなど、愚の骨頂だ!」


──ッ!!


「常識に囚われない人間なもんで」


──ッ!!


「囚われていないにもほどがある!」


──ッ!!


「幸せにするなら、関係ないだろ」


──ッ!!


「全然違う、二階堂の発展やメンツを考えれば、貴様のような男の選択肢は絶対に皆無!」


──ッ!!


「当人が幸せになることが一番だろうが」


──ッ!!


「がっ! ず、頭突きだと!」


──ッ!!


「オレがあいつを守っていく。ずっとな」
「抜かせ!」


──ッ!!


「っく……」


──ッ!!


「そんな甘い考えで、ボディーガードも、一人の男としても、成り立つわけがない!」


──ッ!!


「ぁ……く!」


折れそうになった膝を、なんとか堪える。


「終わりだ」

「終わらねぇよ……」


立ち上がろうとした膝が、折れる。


「そこだ!」

「どこが!」


頭部を狙ってきた蹴りを、強引に、寝そべるくらい身体を低くして逸らす。

そして、足を蹴り上げた。


「っら!」


空中コンボとまではいかないが、軸がずれたところから徹底的に拳を蹴りを打ち込む。

 

──ッ!!


──ッ!!


──ッ!!


「ぐ……!」

 

 

 

床に倒れる尊。


「どうやら、ここまでだな……」


小さく息を吐き、尊を見下ろす。


「はあ……はあ……はあ……」

「…………」

「くそ……身体が言うことをきかない……」

「勝負ありだな、尊」

「……僕は本来、アウトボクサータイプなんだ」

「ここにきて言い訳は男らしくないな」

「ふんっ……行け。僕の負けだ」

「…………引き分け、ってことにしてやってもいい」

「なんだと?」

「オレにももう、止めを刺す力は残ってないしな」

「そんな余計な同情はいらない。僕は負けた、そこまでの男だったと言うことさ」


……どうやら、尊にはわかっているらしい。

確かに結構なダメージをオレは受けたが、それでもまだ、かなり余裕があった。

極端な言い方をすれば、手を抜いて戦ったに近い。

オレ自身本気で戦ってやることが、自分のためであり尊のためであることはわかっていたが、それでも力を抜いてしまうのも無理はなかった。


「本当にいいのか? ボディーガードになるんじゃないのかよ」


オレはこいつと一緒に、ボディーガードを続けたかったのだ。

憎まれ口を叩き合いながらも、共に……。


「どこか別の場所でだって、目指せる。それが、ここでなくなっただけだ」

「…………」

「ほら、早く行け。僕も貴様もいないんじゃ、彼女が心配するだろ」


彼女……。


もう、お嬢さまと呼んでいなかった。


「行くぜ?」

「くどい」

「……じゃあ、な」


……。

 

オレも尊も、別れの言葉は交わさなかった。

仲が良かったわけじゃない。

むしろ犬猿の仲だった。

それでも、少しだけなにかが違っていれば、一緒に笑い合える間になっていた気がする。

今となっては、遅いことだが……。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「海斗さんっ!?」


呆然としたまま屋敷に戻ると、ベンチで足をブラブラさせる彩の姿があった。


「よぅ、なにやってんだよ」
「その……海斗さんなにしてるかなぁって、ずっとここから部屋を見ました……って、そんなことよりその怪我!?」
「ちょっと猛獣に襲われたんだ」
「猛獣!?」
「牙を隠そうともしなかった、猛獣にな」


改めて尊のことを考えると、ずきりと身体が痛んだ。

身体よりも、心に効いたな……。

そしてあいつも、オレと同様、そうに違いない。

 

 

「急いでお医者さまを!」
「いや……今は……」


そう言って、オレは彩の横に腰を下ろした。


「お前に膝枕してもらおう。それが一番の良薬だ」
「えぇっ!? そ、それは喜んでお貸ししますが……」


キョロキョロと辺りを見渡す。



「誰も気づきはしねぇよ……」
「あ、あの……凄い数に見られているんですがっ……」
「……すぅ……」
「海斗さん?」


温かい陽射しが照りつける中、オレは彩の膝の上で眠りに落ちた。

 

愛の告白だとか、抱きしめるだとか……

オレが歩いていく道にそれは殆どない。

お嬢さまとボディーガード。

その関係は続く。

そして、ひっそりと、けれど濃く強く訪れる、恋人同士の時間。


…………。

 


……。

 

 

 

 

「もっと、強くしても、いいです……壊れてしまうくらいに、強く、してくださいっ」
「任せろ、オレの本気を見せてやるぜ」
「あ、ふあ、ふあああっ! やっ、すご、すごい、海斗さん、あ、あああっダメ、そこはダメですって! あ、ああっ!!」
「今更とめられねぇよ! 悪いけど、ちょっと痛いぜっ」
「……っ! か、海斗さん、それ以上は……もう……っ……あ、ああああっ、海斗さんっ、わ、わたし、もうイきそう、イっちゃいそうで、は、あああ!」

 

 


「オラオラオラオラオラオラ! 見ろ、このオレのコントローラーさばき!」

 

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……もーっ! 海斗さん、そんな無茶してハードが壊れちゃったらどうするんですか!」
「これぐらいで壊れるなら、所詮それまでのものってことだ。しかし、この実際に身体を動かすゲームってのは結構面白いな」


オレがガキの頃は、こんなモノで遊んでる余裕はなかったからな。

リセットの効かない現実の方がよっぽど恐ろしいゲームみたいなものだった。

それが、今じゃ……。



「はい、今度はキャラ変えてやってみましょう。次は私が守る番ですよ」
「お前自身を守るのは、永遠にオレの役目だけどな」



 

「海斗さん…………」

 


──コン、コン……。

 



「っ!?」


「まずい、尊だ!」


「えっ!?」


あの日オレに敗れた尊だったが、別に二階堂からいなくなったわけじゃなかった。

源蔵のはからいと麗華の許可もあり、今は麗華のボディーガードをしている。

辞めると豪語していた尊だが、まさか麗華が引き受けると思っていなかったんだろう。

それでも一度は、辞めると尊は言った。

もちろん、寛大なオレの心が、尊にボディーガードを続けるように説得した。

まぁ麗華のボディーガードとは言っても、基本的には連れて行ってはもらえてないみたいだが。

だから、こうして彩の様子を逐一見にやってくる。

様々なやり取りが交わされたにも関わらず、まだオレと尊の間は犬猿と言ってもいい。

しかし……自然と認め合うことも出来るようになった。

近い将来、あいつに背中を預ける日が、ひょっとすると来るかも知れないな。


「撤収する!」

「でで、でも、どうやって!?」

「窓から出れば問題ないっ。ほらお前も服、ちゃんと着ろ!」

 

 

「は、はいっ!」


慌てて上着を羽織ったオレは、窓に手をかける。


「気をつけて下さいね」
「なに他人事みたいに言ってる」
「えっ?」
「飛ぶんだよ、お前も!」


これは、幸せで楽しかった日々のほんの1ページ。

刻んでおくべき大切な思い出。

オレは忘れない。

だから忘れないで欲しい。

幸せは、簡単になくなってしまうものだから。

大切な者を強く抱きしめる。

胸の奥底に小さく胎動し始める、新たな感情。

いつまでもそこにいて欲しいと願い続ける。



「わ──」


「行くぜ!」



 

「きゃああ!!!」


……。

 

 

 

 

 



 

二階堂 彩編 END