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神崎の言ったひと言は、この学園に変化をもたらした。
『友だち』
これが本気なのか冗談なのかは、どちらでも構わない。
そう言ったことが問題なのだ。
ボディーガードは、プリンシパルに好意を抱いてはいけない。
しかしプリンシパルがボディーガードに好意を抱いてはいけないという決まりごとはない。
もちろん暗黙の上では、それは認められていないが。
いや、そもそもこのケースはどうなるんだろう。
『友だち』というものに正しい概念は存在しない。
つまり神崎がオレを友だちと思うことに大きな問題はないが、オレが神崎を友だちとして認識する場合はどうなのかと。
もちろんそんなつもりはないが、考えてみる。
『友だち』であるということは少なからず『好意』を抱いていることになる。
であるならば、この『好意』というものはボディーガードとして禁止されている『好意』と同じかどうか。
「セーフとも取れるような、アウトのような」
これらの中ではっきりしているのは、神崎の発言は失敗だったということ。
「なにを血迷って言いやがったんだよ」
あの場にいたのは、オレたちだけじゃない。
何十人もの生徒が耳にしていたのだ。
さっきから痛いほどの視線を向けられているのも、そのせいだ。
「あんたも一日にして有名人ね」
「やめてくれ。すげー困惑してんだよ」
「彼女たちもきっと困惑してるんでしょうね。同年代の異性と知り合う機会は、私たちにはほとんど用意されていないわ。だけど、ボディーガードだけは違う。いつでもそばにいてくれる、近しい異性。だけど私たちとボディーガードの位置関係は、けして変わることはないと教えられてきたんだから」
「そこに、それを壊したがるヤツが現れた、か」
「前から神崎先輩は、変人の部類だと思ってたけど」
「確かに……ちょっとだけネジが外れてそうだ」
……。
「聞いたぞ海斗! 玉の輿に成功したんだって!?」
「なんでそうなる。ただ、友だちになりたいと言われただけだ」
「もちろん、友だちからの発展もありえるわね」
「ありえねーよ」
「神崎家だなんて、思い切ったもんね。あそこは倉屋敷よりずっと貧乏だけど、祖父の佃五郎氏が凄い発言力を持ってるって噂よ。人を斬り殺したことがあるとかないとか」
「あるかないかでえらい差が出るよな、それは。薫、お前からキツくこいつらに言ってやれ。あれは神崎のちょっとしたジョークだったってな」
薫の肩に手を置いて同意を求める。
「…………」
「いや、軽く否定してくれよ」
「神崎さまは……遺憾なことに、本気のようだ」
「…………」
「であるならば、私には止める権利はない」
「うそだろ?」
「私がそんなうそをつくと思うのか?」
肩に置いた手を振り払おうともしなかった。
「神崎さまは本気だ。海斗とはボディーガードという視点でなく、友だちとして接したいと思っていらっしゃる」
「……マジかよ」
……。
「おはよう皆。さっそくだけど今朝から凄い噂で持ち切りなのは知ってる?」
「神崎さまと、ここにいる海斗が婚約を前提としたお付き合いを始めたって話ですよね?」
「そうなの!? だとしたら大事件じゃない!! お嬢さまとボディーガードの禁断の恋……」
なにやらうっとりとした目をしていた。
「朝霧くんもやるわね、命を懸けるなんて」
「あの、今のは侑祈の冗談ですから」
「なぁーんだ。そうだとしたら面白かったのに。とにかく、私が言いたかったのは、この件に関して無闇に話を広めないで欲しいってこと。いいわね?」
一番広めそうな人間が言っても説得力はない。
…………。
……。
放課後。
「帰るわよ、時の人」
「おう。って誰が時の人だよ」
「まさにそうじゃない。伝統ある憐桜学園で初めての珍事を起こした張本人」
「オレなにもしてねぇ」
「そうかしら? あまり人と関わるのが好きじゃない神崎先輩があんたと友だちになりたいって言ったのよ? あんたが深く関わりすぎたからじゃない?」
「別に……」
確かに禁止区域に立ち入った行為は、普通の関係とは違ってくるのかも知れないが。
……。
「今、帰り?」
「神崎」
「キミを待ってた」
「冗談だろ?」
「ううん。冗談じゃ、ない。本気」
「それで、ウチのコレになにか用ですか?」
「どんな扱いだよ」
「友だちとして、ウチに招待、したい」
「それはまた、なかなか凄い提案ね」
さしもの麗華も目を見開いた。
「という、考えなんだけど……」
「そうね……どうしたものかしら」
「おい」
「ちょっと、なによ?」
グイッと引っ張って、神崎たちに背を向ける。
「即断れよ。昨日の発言で、いきなり遊びに行くか? 普通」
「そんなことわかってるわよ。でも、正気これを断ったあとの方が怖い気がするのよ」
「あと?」
「神崎先輩が一回で諦めるとは思えない。次の日も次の日も誘われたら、さすがに用事があるとは言えなくなるでしょ。そして、誘われる度に注目を浴びるのよ?」
「だからって神崎の家に行ってどうすんだよ」
仲良く友だちごっこでもすればいいのか?
「心証を悪くすればいいのよ」
「どうやって」
「そこは自分で考えなさい」
「あ、あの……麗華お嬢さま?」
「ごめんなさい。ちょっと予定を確認してたの」
「それ、で?」
「大丈夫です。今日は車で帰る予定でしたので。こいつ連れてって問題ないですよ」
「ありがとう。でも、良かったらあなたもどう?」
「え?」
「この前は、誕生日会に誘ってもらったし」
「私は遠慮しておくわ。帰ってすることがあるし」
「残念……」
「うまくやんなさいよ」
…………。
……。
冗談でもなんでもなく、来てしまった。
神崎に案内されるまま通された道場。
なぜ家じゃないのかと聞いたところ……。
『突然男の同級生を連れて行ったら、間違いなく神崎さまのご両親に怒られてしまう』
と、薫に凄い形相で言われた。
「だったら来ることに反対しろっての」
んで、今現在。
ここにはオレを案内した神崎と、そして薫の姿はどこにも見当たらない。
「ここで待ってろって、確かに言ったよな?」
誰もいない道場に、オレの声だけが響く。
「にしても立派な道場だぜ」
さすがは金持ちと言ったところか。
しかし悪びれたような贅沢感はない。
武道に対して真剣に取り組んでいることが見て取れた。
胴着ぎゃ賞状、道場関係者の名前が書かれた板。
「あとは等身大の老人の置物か。趣味が悪い」
道場には正座した老人の置物があるのだ。
神崎家の偉い人間の像かなにかだろう。
それにしても遅いな。
一体なにがあるって言うんだ?
オレはただ、あの神崎のセリフを取り消してもらおうと考えていただけなんだがな。
「ふぅ……」
「それで、いつになったらワシに声をかける」
「うぉ……置物が喋った!」
「本気で置物と思っとったんかい……」
「だってじいさん、ピクリとも動かなかったじゃねえか」
息をしていることすら気づかなかったぞ。
「ワシくらいになると息を数分間止めることなど容易いわい。息を止めておると、ふわっとした気分になってくるんじゃ」
「それ間違いなく死にかけてるだろっ!」
「ふぅむ……礼儀がなっておらん。これが萌の言っておった男か」
「萌? 萌って確か神崎の下の名前だよな……」
「口の悪さは折り紙付きと聞いておったがそのようじゃな。お主、名前は?」
「トッテーモ・カール」
「なんと!? 異国の人間じゃったか」
「うそに決まってるだろ」
「喝ッ!!」
「ぅおっ!」
じいさんの一喝で大気が震え上がった。
「神聖なる道場でうそとは何事か! 本当に聞き及んでいた人間のようじゃな」
「どんなふうに聞いてるんだよ」
「自分勝手で我侭。こうと決めたら譲らない。そのうえ気分屋というから手がつけられん」
「それ神崎のことじゃねえか?」
「喝ッ! 萌はキュートでセクシーでビューティフルなんじゃ!」
全然性格に関して伝わってこねーな。
「ワシは神崎佃吾郎と申す。萌の祖父じゃ。この道場で神崎流古武術を教えておる」
「……神崎のじいさんか」
薫のヤツ、オレのことを知られたらまずいとか言ってたくせにこのじいさんはオレのこと知ってるじゃないか。
「オレは朝霧海斗。アウトローだ」
「あうとろぉ?」
「なんでもねーよ。カタカナに弱い典型的老人が」
「バカにするでないわ!」
老人……佃吾郎は足元からノートパソコンを取り出す。
「ノートパソコン!?」
そして素早くキーボードを叩き出す。
「あうとろぉ……無法者、ということじゃな?」
「検索としいて誇らしげに言うなよ」
しかし、素早い動きには感服した。
「さて、朝霧とか言ったな?」
「ああ」
「……………………」
「大変だ! じいさんが死んだぞ!」
「死んでおらんわ! バカもん!」
「だったら目を見開いたまま硬直するなよ」
「ちょっと考え事をしておっただけじゃ」
「悪い悪い。老衰かと思ったんだ」
「ワシはまだ78歳じゃぞ」
十分にありえる年齢だと思う。
「……朝霧……と、言ったの……」
「なんだよ、名字にケチつけようってのか?」
「……そうではない」
「…………」
「……なんとか言ったらどうじゃ」
「なにがだよ」
「ワシの顔が、急に険しくなったじゃろう?」
「いや、元からしわだらけで違いがわからん」
「…………」
「…………」
「よかろう。話を続けるとするか」
「なんなんだこのじいさんは」
「孫娘のことについてじゃ。先日、萌が急に友だちを見つけたと言ってきおった。ほれ、萌は大人しい性格じゃろ?」
「大人しい……とは少し違う気もするが、納得しておこう」
「が公園に通わせて3年目、友だちと呼べる子は一人もおらんかった。そんな萌が、友だちが出来たと報告に来たからさあ大変。わしゃもう、陽気に踊りまくったわい。『おお! 海斗と言う友だちとな? 今夜は踊って踊れやヤンヤヤンヤ!』ワシハ三日三晩歌い踊り続けた……」。しかしまさか友だちというのが男じゃったとは……」
「散々飲み食いしてはしゃいだあとに気づいたのかよ」
「可愛い孫娘はやらんぞ!」
「いらん! つーか飛躍しすぎだろうが!」
「…………」
「…………」
「よし、孫娘をくれてやるわ!」
「いらんつってるだろ!」
「それじゃつまらんじゃろうが!」
「全然意味がわかんねーよ」
「孫娘が欲しければワシに勝て! って言いたいんじゃ!」
「……アホらし」
この老人と話してると力が抜けてくる。
「とにかく、このままでは交際は認められんな」
「だからじいさん、人の話を聞けよ」
間違いなく神崎の性格はこの老人から受け継いだな。
「オレと神崎は恋人どころか、友だちですらないんだよ」
「お主は否定しておるが、学園では随分と広がってるそうじゃのう?」
「お宅の孫娘のおかげでな」
「このままじゃ、お主は今の生活を維持できまい? 確実に噂を払拭出来るだけの材料がなければの」
「上から圧力がかかるってか」
無実の身からすれば、本当にいい迷惑だ。
「そこで条件次第によっては、すべてをもみ消してもいい」
「どうしろってんだよ」
「ワシと立ち会い、勝ってみせよ!」
「単純に試合したいだけじゃないのか?」
「だって、萌も薫くんも相手をしてくれないんじゃもーん」
「じゃもーん、とか言うな」
あの二人なら喜んで相手をしてくれそうなもんだが……。
「あれか、組み合いになると口から加齢臭がするとか」
「ワシの息は臭くないわ! ハァーー!」
「うぉ臭っ!!!」
ここまで息が飛んで来た!
「なんと失礼な若者か。ワシが自分で確かめてやるわい。ハァー、ハァー……臭っさ!!! ……一瞬死んだ婆さんが見えたわ……」
きっとその婆さんも、臭いから追い返したに違いない。
「自分の臭いに気づけたみたいだな」
「うそじゃよ。ちっとも臭くないわ。ほれ、見事にマンダムな香りがするぞい? ハァー」
「臭っ!! マジで臭うから吐きかけるな! なんなんだこのイカれたじいさんはっ」
「とにかく、ワシと立ち会い勝たなければ、萌とは結婚を前提に付き合ってると言いふらすぞっ」
「思いっきり迷惑行為だな」
「どうする? ワシと戦うか戦わないか」
「結局試合するって選択肢しかねーじゃねえか」
「さぁ決めよ若者」
このまま断り続けても、永遠にループすることは目に見えていた。
「じゃあ、一度だけしてやる」
「おぉ!」
子供のように目を輝かせる。
「怪我しても知らねぇぞ? 今無性に機嫌が悪いからな。78歳だろうとサバ読んでて80超えてようと手加減しねぇ」
「ウム」
お互いに、スッと立ち上がる。
老人らしからぬ、しっかりとした物腰だ。
さすがに武道をしてただけはあるようだが……。
「そのままの格好でいいんじゃな? 特別なルールはない。武器の使用もありじゃ」
「ありなのかよ」
「ナイフでも手榴弾でもいいぞい。相手に参ったと言わせたら勝ちじゃ」
「よし、じゃあナイフを使おう」
「卑怯者! 卑劣! 愚劣! 人の風上にも置けぬわ!!」
「…………」
「ふん、どうしても刃物を使いたいなら使えばいい。貴様がどれだけ姑息な人間と思われても良いならな」
「じゃあナイフを」
「それで勝ったからって実力じゃないぞ!!!」
「…………わかった。さっさとやろうぜ。素手でな」
「なんじゃナイフは使わんのか。遠慮する必要はないのに」
「もういいからやろうぜ」
やれやれ。
口ぶりを見るにハッタリじいさんだろ。
「では……構えい!」
とは言え、腐っても相手は武道家だ、こちらも武道の構えを取らせてもらうことにしよう。
気に食わないが……
昔、アイツに教わった構えだ。
「……なに?」
「ムゥ……」
オレたちはほぼ同時に構えを取った。
それ自体は驚くことじゃない。
オレが驚いたのは……。
「同じ、構えだと?」
「面白い……我が神崎流の構えを会得しておったか」
「これは一体……ちょっと待て」
「はじめぃ!」
「っと、待ったなし───か!?」
いつの間に、オレの間合いに入り込んでいたのか。
咄嗟に拳を繰り出すが、当たらないことはすぐに理解出来た。
ドンッ!
身体の下に向けてオレの拳を払われた。
──ッ!!
次の瞬間には、オレは顎に掌底を打ち込まれていた。
物凄い力で脳が揺さぶられる。
「ガッ───!」
ドサッ!!
自分の頭が、天井に突き刺さるんじゃないかと思うほど、身体は浮き上がっていたと思う。
「グ……ァ……!」
ぐわんぐわんと視界が揺れる。
「つぇぁぁぁ!!」
一瞬だけ見えた老人の回し蹴り。
その動きは年寄りのそれじゃない。
──ッ!!
こんな威力の蹴り、訓練校でも味わったことねえぞ!
「ハ───!」
満足に言葉を吐き出すことも出来ない。
老人だと侮った結果だった。
「ほほぅ」
日頃から、最後の一線だけは守ろうとしてたはずなんだがな。
どうもまだ甘かったらしい。
「効いたぜ、じいさん。すげぇよあんた」
「無防備に食ろうておきながら、まだ動くか」
「打たれ強さには自信があるんだ」
「どうやらそのようじゃな」
「かかってこないのかよ。遊んでやるぜ、ジジイ」
やられっぱなしじゃ気が収まらない。
久々に燃え滾るものがあった。
「なに、今日は腕が見たかっただけじゃ」
「なんだと?」
「それにもうすぐ……」
「おじいちゃん、もう、始めてた?」
「おぉ萌よ! 今日も一段と可愛いのぉ」
そこには、覇気をまとった老人の姿はなかった。
「く……」
その場に座り込む。
「いいのをもらったみたいだな?」
「すげぇじいさんだな」
「私も2、3度立ち会わせてもらったが、勝てなかったよ」
「もしかして神崎より強かったりするのか?」
「ああ。一度も勝ったことがないらしい」
正真正銘のモンスターってことか。
「わけのわかんねぇことばっかだ、ちゃんと説明しろ」
「神崎さまが言い出した、友だち……か」
「振り回されるのはごめんだぜ?」
確かに神崎のことは嫌いじゃないが……。
「私にも、どうしてそんなことを言い出したのかわからないんだ。強い人にしか興味はないと」
「…………」
「もしも興味が湧く男がいるとすれば、尊や雷太のような実力派だけだと思ったのに」
それは、もしかすると先日のこと、か?
『こんなにも簡単に、押さえ込まれたのは初めてだ……』
『押さえ込まれてなんで笑ってんだよ』
『キミは、凄い……んだ』
『あぁ?』
激しくあのことが原因な気がしてきた。
「ったく、面倒なことに、なった……もんだぜ……」
「海斗? おい、海斗っ」
「ち……」
受けたダメージが、大きすぎた……か……。
…………。
……。
「う……く……」
頭がくらくらする。
「気がついたかの」
「うお、変なジジイが目の前にっ」
「かなり失礼なヤツじゃのぅ……」
「……そうか。オレは気を失ってたのか」
「わしの一撃は重かろう?」
「ハンマーで腹を思い切り殴られた感じだったぜ」
「お主、どこかの道場で鍛錬をしていたわけではあるまい?」
「まぁな」
「しかし我流とも思えん。先ほどの構えは我が神崎流のものじゃった」
「あんたの勘違いじゃねえのか? それより神崎と薫はどこに行ったんだよ」
「今日は剣術の修行をする日じゃからな。別の道場に行き二人で競っている頃じゃろうて」
別の道場って……いくるあるんだよ。
「身体を鍛えるのが好きなヤツらだぜ」
「それより、どうしてお主がワシの流派を?」
「さぁな。男が教えてくれたのさ」
「男?」
「オレの親父さ」
「なんと……! まさか、雅樹……朝霧雅樹では……?」
「……なんで、あんたがそいつを知ってる……」
「…………そうか、あやつにこんな立派な息子が……」
「あんた、親父を知ってんのか!?」
「……うむ。よく知っておるとも」
こっちに来て、初めてアイツ以外にオヤジを知ってる男に出会った。
つまりアイツの話は、すべて本当だったと言うこと。
「何故なら、あやつはここで汗を流しておったんじゃからな」
「親父が……ここで?」
改めて道場を見渡す。
ここで親父が、拳法を学んでいた……。
歴代の弟子である板に目をやる。
「親父の名前はない、みたいだな。この道場にはないのか……それとも、存在しないのか」
「う、むぅ……。あやつからはなにも聞いておらんのか?」
「なにも聞いちゃいねぇ。ほとんど自分のことは話さなかったからな」
「それよりも、なぜお主が憐桜学園でボディーガードなどしておる」
「んなこと聞いてどうすんだよ。親父を知ってるのかも知れねぇが関係ないだろ」
「確かに……もう昔の話じゃったな」
「オレぁ帰るぜ」
「待て」
「なんだよ」
「一つだけ、聞かせてくれんか? お主の雅樹と百合……両親は……今も元気に暮らしておるのか?」
「…………ああ、ピンピンしてるぜ。嫌ってくらいな」
「そうか」
そのとき、じいさんの顔が綻んだ。
まるで旧友に再会したかのように。
「あやつら……元気に暮らしておるのか」
なぜだか、頭の中からじいさん表情が消えなかった。
……。
「まさか、親父を知ってるヤツに会うなんてな」
……神崎の家で拳法を学んでいた、か。
あの親父が……。
「…………」
一年前、憐桜学園に入学を決意したときのことを思い出す。
『親父の見た世界を、見てみたいと思わないのか』
自分が、少しずつ親父と同じ道を歩んでいる気がした。
それはとても恐ろしいことだ。
邪念を振り払う。
オレは、オレだ。
親父とは違う。
…………。
……。
翌朝。
つまり貴重な休日。
オレは何故か、またもこの道場に足を運んでいた。
「よく来たのぅ海斗」
「突然フレンドリーになってんじゃねえよじいさん。それに強引に呼び寄せたのはそっちだろ」
早朝、朝の5時。
ツキに叩き起こされるように外に出ると、神崎の使いと名乗る黒服の男たちがいた。
麗華に許可はもらってあるからと、否応なく車に詰め込まれてしまったのだ。
「その顔は、一体どうして呼ばれたのか考えておったな?」
「ありていに言えばな」
「先日も言ったじゃろう。ワシに勝たぬ限り萌と交際はさせんと」
「またその話かよ。しかも既に友だちじゃなく交際か」
「しかしこのままでは、永遠にワシには勝てん」
「老衰して死ぬだろ。近いうち」
「喝ッ!!」
大気が震え上がる。
あと50年は軽く生きそうだった。
「そこで海斗を、ワシの門下生に加えてやろうと思っての」
「さいなら」
「ま、待て待て待つんじゃ! 今なら遊園地の割引券をサービスするわいっ。2枚」
「全然拳法に関係ないサービスなのな」
「ホレ」
もう手元に持っていた。
「いらねーよ」
「萌とのデートに使えばいいじゃろうが」
「交際させないとか言ってなかったか?」
「一人で行け。二度。この孤独野郎!」
オレはチケットを突っ返す。
「行かねーよ」
「本当に帰る気なのか?」
「帰って寝る」
「しかし、そうするとコレはいらんと申すんじゃな?」
手の平に乗せられた光るバッジ。
「……いつだ」
「昨日、海斗が気絶しているときにじゃ。門下生にならぬと言うなら、ワシはこれを捨ててしまうまでじゃ」
勝手にしろ。
と言いたいのは山々だが、佐竹に言われていたことを思い返す。
アレがなくなると麗華が困るんだったな。
じいさんは、あのバッジが飾りだけでないことをよく知ってるようだ。
「今この場で、力ずくで奪うって選択肢はありか?」
「フォッフォッフォ! もちろんじゃ。しかし海斗も優しいの~。ワシなら宣告なく仕掛け取るわい」
「突然の心臓発作で死なれても困るから、なッ──!」
「ヌっ!?」
一気に距離を詰め、バッジだけを狙う。
右腕を体に引き込み捻りあげる。
「甘いわッ!」
しかし、その力を逆に利用され、投げ飛ばされる。
──!
「く、ぅっ……!」
「そんなものか海斗よ」
「寝起きで朝飯も食ってねぇと、さすがに力が出しにくい」
「言い訳か? ん?」
「ち……後悔しても知らねぇからな!」
…………。
……。
「ぜーっ、ぜーっ……」
「どうしたどうした? ここまでかのう?」
「ほんとに78歳かよ、くそっ……」
あれから10分ほど、仕掛けては反撃に合っていた。
こっちは汗だくでへばりきってるというのに、じいさんは殆ど呼吸を乱していない。
「わかった、オレの負けだ」
「ふむ。素直に負けを認めることも強さよ」
「と見せかけて!」
「罠にかかったと見せかける!」
不意打ちの一撃も、じいさんに軽く凌がれる。
「くそ……」
「甘い甘い!」
「この、クソジジイ……」
突っかかってやりたかったが、これ以上、素の状態で戦っても勝てそうにない。
「これ以上は、限界だ……」
がくがく震える膝に鞭打つのをやめ、倒れこんだ。
「くたびれて寝てしまう前にこれに名前を書いておくんじゃ」
「……その紙切れはなんだ」
「大したものじゃない、気にするな」
「……神崎流古武術入門手続きと書かれてあるが?」
「それがどうかしたかの?」
「やんねーって言わなかったか?」
「どの道やることになるんじゃから、せめて自分からサインを書いたほうが納得出来るじゃろ」
「どの道? ……なにする気だよ」
「ワシの胴着やこの道場には、既におぬしの指紋がべっとり付着しておる。あとは学園に問い合わせ、直筆の名前を精密機械で作成すれば完璧じゃ」
「めっちゃ捏造じゃねーか」
「本物に99.9%近づける技術くらい、てくのろじーに疎い神崎家も持っておるぞ?」
「嫌な脅しだぜ。つーか、まともに言えてねーし」
書いても書かないでも結果は同じか。
「サインしても、ここに来なきゃいいだけだろ」
殴り書きのようにサインして、紙飛行機にして投げ返す。
「二階堂の方と連携を取り、毎日必ず出席させてやるわ、はっはっは」
このじいさんは、本気も本気のようだった。
……。
「おはよう、おじいちゃん」
「おぉ萌ではないか。おじいちゃんに会いたくなったのか? ん?」
「ううん。海斗、に」
「それ嫉妬っ!! たまにはワシにも会いに来てー!」
胴着を噛み締めて、キーッとやる老人。
「つーか、なんで名前で呼んでんだよ」
「そろそろ互いに、下の名前で、呼び合う頃」
「早いぞっ! 新幹線より早いぞそれはっ! 海斗なんぞ、少しもワシを脅かす力も持っとらんわい! さっきも土下座して許しを請うておったわ」
「おじいちゃんは最強、だから」
「うむうむ。さすがワシの孫じゃ。よくわかっておる」
「だけど、海斗は、本気出して、ない」
「気持ちはわからんでもないがな、萌よ。海斗は全力も全力を出しておったぞ? らすぼすで言うと、3段階くらい変身しておったわ」
「私はおじいちゃんに、勝ったことはないけど……無防備に背後を取られたことは、一度もなかった」
「確かにその話は聞いたぞ萌。いつぞや気づかぬうちに背中を取られたと……しかし、それは単純に油断しておっただけじゃ」
「名前で呼び合うくらい、いいのに……」
「そ、そんな眼で見たってダメじゃ。こやつはまだまだヒヨっ子なんじゃからの」
「…………」
「ワシを誰だと思っておる……に、日本で最も強く最も輝く……」
「…………」
「ふ、二人とも今日から名前で呼び合うがいいわ!」
「ジジイ弱すぎだろっ!」
思わず突っ込まずにはいられなかった。
「じゃ、じゃって……萌が睨むんだもの……」
「脱力するようなこと言うなよ」
オレはこんなジジイに負けたのか……。
「海斗、出かけよう」
「出かけるだと?」
「うん」
「ならんぞ、海斗を連れて行くことはならんぞ! 萌のボディガードは薫くんなんじゃ!」
「もちろん、そう。だから、海斗はボディーガードとして、連れて行くんじゃない」
「一人の男として連れて行くじゃと!?」
「言ってない言ってない」
「友だちなら一緒に出かける」
「それ以上我侭を言うようなら……」
どうするじいさん。
あんたの怒りを見せてみろ。
「じゃあワシも一緒に行く!」
ズテーン!
豪快に転んでしまった。
「しっかりしろよな……オイ」
「おじいちゃんは、その格好で行くから嫌だ」
「胴着で出かけることのなにが悪いと言うんじゃ!」
胴着で街中に出るなよ。
「くーっ!」
「じゃあ行こう」
なんとなくだが、嫌な予感がした。
神崎と出かけるときはいつも、『あの場所』だ。
今回も同じことを言い出されると困る。
薫も一緒ということだが、あいつにバレる可能性も考慮すると、このままここに残る方が賢いと思える。
「オレは残ることにする」
「なんと!?」
「おじいちゃんと、武術の練習がしたい?」
「全然」
「テレるでない海斗よ。萌からの誘いを断ってまで、ワシといたいんじゃろう?」
「気持ち悪いことばっか言ってると顔面蹴り飛ばすぞ」
「ワシの顔面を蹴り飛ばすじゃと?」
怒ったか?
「じゅる……よく言ったのぅ」
「ひさしぶりに、こんなに嬉しそうなおじいちゃんを見た」
「……マゾかよ」
「是非、ワシの顔面を蹴り飛ばしてもらいたいもんじゃ」
「座って応援、してる」
「黄色い声援を頼むぞ萌よ!」
「がんばれ海斗」
「キシャーー!!!」
「喜怒哀楽の激しいじじいだ」
このままじいさんと汗を流すパターンだけは避けたい。
「よし、出かけるか」
脳内が叩き出した計算に狂いはないだろう。
…………。
……。
「お前んとこのじいさん、凄いな」
「うん、凄い」
けして、褒めてるわけじゃないんだけどな。
「海斗も、おじいちゃんみたいな人に、なって」
……絶対に嫌だ。
「人生の目標というヤツですね」
「あんなのを目標に出来るかよ……」
「どう、して?」
「将来あんなジジイになってみろ、どう考えたってお先真っ暗じゃねえか」
「真っ暗どころか、光明じゃないか。神崎グループの社長なんだぞ?」
ああ……あのじいさん偉いんだっけ。
そう言われれば、完全に否定も出来ない。
だが胴着で出かけるような老人にはなりたくない。
「それで神崎さま、今日はどちらへ?」
「ん……あの場所」
「あの場所?」
「おい」
「あ、そう、だった」
「心当たりがあるのか? 海斗。…………」
眉間にしわを寄せて考えこむ薫。
どうやら薫に話していなかったことを忘れていたようだ。
にしても、まだ行きたいと言うのか。
「二人とも?」
「……帰ろう」
「よ、よろしいのですか? 先ほど出かけたばかりですが」
「うん」
わかりやすいくらい落胆していた。
「なぁ、神崎さまはどこに行きたがられていたんだ?」
「そんなことは本人に聞けよ」
「それはそうなのだが……」
「帰って、たまごかけご飯食べよう、薫」
すっげぇ質素な食べ物だな。
「海斗も来ればいい」
「折角だが遠慮しよう。うちでも食事は用意されてるからな」
このまま逃げ帰らせてもらう。
「残念……」
どこまで本気かわからんが、神崎のオレに対する態度には気をつけよう。
──「ヘイ、お兄ちゃんとお嬢ちゃん!」
「?」
「げ……あんときの」
「お好み焼きのおじさんだ」
「お好み焼きの? ……なんのことだ」
薫の表情が険しくなる。
「私は知らないぞ、あのような人物」
「アレだ。お前が悪徳商人と格闘してる間にな」
「…………」
「今日は女の子二人連れてデートかい?」
「よく見て、おじさん」
「ん?」
「……どうも」
「お……とこ? 女?」
「どっちだと思うよ」
「格好は兄ちゃんと同じだから男なのかも知れねぇけど、でも姉ちゃんにも見えるなぁ」
「…………」
「女の子でい! そうだろ!?」
薫ががっくりとうな垂れた。
「私は男だっ!」
「こ、声もまた女の子みたいなのに」
「ほっといてくれ」
「すまんかった。お詫びと言っちゃなんだが食べていっちゃくれないか? もちろんタダでい」
「なんどもホイホイ食わせてたらあんた店が干上がっちまうだろ。なあ?」
「そうですよ」
「つってもなぁ……もう食ってるぜ?」
「もぐもぐ。うん、美味しい」
「神崎さま……」
「食い意地張ってやがる」
「すまない。お幾らだろうか?」
「なぁに、構いやしねぇよ。別に金儲けしたくて屋台やってるわけじゃねえ」
「お金儲け、したくない?」
「したくないっつーか、屋台じゃ儲からねぇよ今時」
「じゃあなんで、屋台、してるの? もぐ」
「そりゃ姉ちゃんみたいな子がいるからだ」
「……私……?」
「おれが作ったものを美味しく食べてくれる、それがなにより嬉しいんでぇ」
「絶対成功しないタイプだな」
「あぁ」
オッサンの話に冷めるオレたち。
しかし神崎は、目を輝かせていた。
「それはとても、いいこと。お金には囚われない、いいこと」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。ほれ追加だ。どんどん食いねぇ!」
「もぐもぐ。おいしー」
「うわははは! そうかい? どんどん食え! 本当は、姉ちゃんみたいに、色んなやつにタダで食わせてやりたいくらいなんだけどなぁ」
「じゃあ、どうしてタダにしないの?」
「耳の痛い話だけどよ。おれも金に余裕があるわけじゃねえんだ。こうして売り続けていくには、最低限材料費と出店料を稼がなきゃならんわけよ」
「この辺りじゃ売り上げは良くないだろ。金持ち連中は、屋台のお好み焼きを買ったりしない」
「よくわかってるな。そのとおりだ。金のある人間は見向きもしねぇ。こんな小汚いオヤジが売ってるお好み焼きより、一流の料理人が作ったお好み焼きがいいのさ」
「それは当然の発想、だと私は思う」
「間違っちゃいねぇさ。実際、おれが作るお好み焼きよりずっと美味いもん作るだろうからな」
「……私は、そう思わない。今まで食べてきたお好み焼きの中で、ここで食べたものが一番美味しいと思う」
「お世辞がうまいねぇ」
「こいつはお世辞を言うタイプじゃないぜ? もっとも、理由はオレにはわかんねぇけどな」
「今まで食べてきたお好み焼きは、凄く豪華で、とても有名な人が作ってくれてた」
「日本でもトップクラスの料理人です」
「そのお好み焼きは美味しかったけど、料理人の人は、少しも楽しそうじゃなかった」
「楽しそうじゃない?」
「私が、美味しいと言っても、ありがとうございます、って言うだけ。冷たい目で、私が食べるのを見てるの」
「…………」
「でもオジサンは、ニコニコしてる。私が美味しいって言うと、喜んでくれる。だから美味しい。とても、とても」
「神崎さま……」
薫は少し困惑しているようだ。
だが、神崎の言いたいことは、しっかりとオッサンには伝わっている。
「嬉しいこと言ってくれるねぇ……。おれは今まで、金持ちには食って欲しくないと思ってた。酷い客がいてよぉ。吐き捨てやがったんだ。お前はお好み焼きを売ってるんじゃなくゴミを売ってるってな」
「それは単純に、口に合わなかっただけでは?」
「最初は美味そうに食ってたんだよ。だけど客がどこから仕入れた食材かと聞いてきたから、おれは教えてやったんだよ。そしたら目の色変えやがって。そんな貧乏人が食べる食材を食わせたのか、ってな」
「酷い……」
「だけど、ちょっと見直したぜ。姉ちゃんみたいな金持ちもいるんだなぁ……」
「どんな人にでも、食べさせてあげる、お好み焼き………………うん」
なにか、小さく頷く神崎。
「ありがとう、おじさん」
「おう。またいつでもきねぇ」
「神崎さま?」
「帰ろう、薫。私、いいこと考えたから」
「は、はぁ……」
「ばいばい。またね」
「なんなんだ?」
…………。
……。
「疲れた」
「あら、帰ってきたのね」
「帰って来ちゃ悪ぃーかよ」
「そんなこと言ってないじゃない」
「あのな、お前が外出を許可しなきゃ良かったんだ」
「あぁ、朝の件ね。でもそれは、あんたが心証を悪く出来なかったからよ」
「これでもジジイだのなんだの吐き捨てたんだけどな」
「それに断ろうにも、佃吾郎氏が直々に私のとこに来たから」
「あのジジイが?」
「神崎家、特に佃吾郎氏が持ってる発言力ははっきり言ってかなりのものなのよ」
「どれくらい?」
「明日あんたの抹殺を命じたら、何百人って殺し屋が命を狙いに来るくらい」
「もう少し一般的な例えをお願いしたいぞ」
「そうね……。今の総理大臣が気に食わないと思ったら、引きずり下ろせるくらいよ」
とんでもない凄さだった。
「別に、私は二階堂がどうなろうと構わないけど、無意味に敵を増やすつもりもないし。朝霧海斗をしばらく貸して欲しいって言われたら、断るわけにもいかないってこと。それに、神崎先輩が呼んでいると言うより佃吾郎氏が会いたがってるってことになれば、今の良くない雰囲気も少しは払拭されるでしょ」
「そうだといいけどな」
「とにかく、迷惑かけないようにね」
「ジジイの考えがわかんねえ」
神崎と仲良くして欲しくないのは、間違いないはず。
なのに何故オレを招き入れるのか。
「…………」
あいつの影がチラチラとよぎる。
「冗談じゃないぞ。そんなの」
…………。
……。
いつもの朝。
またしてもコイツの思い付きから始まる。
「おーい」
2年全員の視線を集めても、まるで気にしないでオレのそばに寄ってくる。
「……すまない」
謝っている薫が隣に立っていた。
どうやら、やめるように進言はしてくれたようだが……。
「今日はなんだよ」
「いいことを思いついたから、耳を、貸して」
「お、おい……それは色々とまずいだろ……」
そんな訴えも聞かず、神崎は口元をオレの耳へと運ぶ。
「おろおろ……」
神崎の意思でやっているせいか、止められない薫。
そして周囲の痛いまでの視線。
「実は……ごにょごにょ……」
「…………」
「……という、素晴らしい思いつき」
「おい、それってもしかして、昨日の影響か?」
「ずっと考えてた。私がやれることを」
「やめとけ。絶対無理だ」
「やれるよ。だけど、私たちだけじゃ無理」
「仮に本気だとしても、肝心のモノがなきゃ意味がない」
「じゃあ、それを用意出来たら、手伝ってくれる?」
「本気なのか?」
まさに耳を疑いたくなるような話だった。
「うん」
「…………」
「じゃ、また声かけるね。そのときまでに、用意するから」
散々迷惑をかけてから、神崎は揚々と教室をあとにする。
「邪魔したな。あとで、少し話がある」
「わかった」
やや怒ったような、申し訳ないような口調でそう告げ、神崎を教室に送り届けに行った。
「ひゅーひゅー。朝から熱いねー」
「そんなんじゃねーよ」
「からかうのも面白そうだけど、ちょっと真剣に考えた方が良さそうね。佃吾郎氏きってのお願いではあるけど……。あんたにその気があろうがなかろうが、今の様子だと学園でますます噂になっていくわね」
「どうしろってんだ」
「持ち前の態度で突っぱねなさい。手遅れになったら、私でも庇えないわよ?」
「……そうだな」
確かに必要以上に神崎と親しくなるのはマズイ。
さっきの耳打ちにしても、止めるべきだ。
「面倒だが、やっておかなきゃならんことだわな」
元々、オレが神崎に興味を持ったことが原因だ。
そろそろその元から断っておく必要がある。
…………。
……。
薫に仲介役を頼んで、神崎に話をつけさせてもらおうと思っていたが、授業が始まっても薫は戻ってこなかった。
……。
「なんかあったんかな?」
「さあな」
連絡がないまま、放課後になった。
「いいんじゃない? 今日はこのまま帰れば。下手に待つことで、また神崎先輩の好感度を上げるわよ?」
「薫との約束があるからな……」
「男同士の友情は脆いって聞いたことあるけど?」
「それは女の子の方じゃないんですか?」
「私の中ではそうなってるの」
「なるほどー」
「友情とは無縁の麗華が言ってもねぇ」
「あら、いたの?」
「いちゃ悪いの!?」
「同じ酸素を吸ってると思うと、知能が低下する」
「くーっ! いいわよいいわよ! 折角神崎先輩のこと教えてあげようと思ったのに!」
「どうしたか知ってんのか?」
「教えないもんねっ!」
「こんな時くらいしか、あんたの発言は注目されないのよ?」
「なっ──!?」
「俺もそう思うな」
「聞いてやるから発言しておけ」
「ぜ、絶対に教えてやらないからーーっ!!」
ダッ!
「無様ね」
「ちょっと待ってよ妙ちん!」
慌てて追いかける。
「あいつも大変だな」
しかし、これで手がかりがなくなった。
「南条の電話番号とか知らないの?」
「知らん」
「普通は交換しておくものでしょ」
「どんな普通なのかは理解出来ないが、携帯電話の番号を交換するのは当たり前なのか?」
「だったらいつアドレスを増やすのよ」
「……さぁ?」
……。
「それで、神崎先輩はあんたになにを耳打ちしたの?」
「そんなことを聞いてくるなんて珍しいね」
「帰るまでの暇つぶし。なんなら、あんたの昔話でもいいわよ?」
「神崎の話をしようぜ」
「なに嫌がってんの?」
「自分のことを話すのが好きじゃないだけだ」
「後ろ暗いこと?」
「そんなに言うなら麗華の昔話にしようぜ」
「絶対イヤ」
「ほらな?」
「……で、神崎先輩はなんて?」
流しやがった。
「大したことじゃねえ。むしろちっぽけな話さ」
「ちっぽけ?」
「およそ金持ちらしからぬ発想」
「あれを見ろよ」
オレはこの間見かけた屋台を指差す。
「屋台ね」
「アレをやってみたいんだと」
「……本気?」
「うそだったら楽でいいんだけどな」
あいつは質素な傾向があるというか……。
「私も、昔は考えたことがあったわね」
「麗華が? 屋台を? うそつけ」
「屋台じゃないわよ。お店を経営したいってね」
「マジか。金持ちはそんなこと考えないと思ってたぜ。なにをやろうとしたんだ? ケーキ屋さんか?」
「ペットショップ」
「予想とは違ったが、可愛らしい店だな」
「実際にお父さまに進言もしたわ。好きにすればいいって言ってくれたけどね」
「その辺りは金持ちだな。んで、店は出来たのか?」
「残念だけど、構想段階で終わったわ。私が入荷したかったのは、ライオンとかチーターとかだったから」
「……犬や猫みたいに言うなよ」
「国外からの輸入って色々大変でしょ? 最初は強引にでもやらせようとしてたんだけどね」
「まさか、お前の部屋で見たチーターって……」
「そのときの産物」
こ、こいつとんでもないことするな。
「周りの同級生でも、ホテルを経営した子がいたわね。3日で飽きちゃったとか言って潰れたけど」
「遊び感覚でホテルを建設するなよ」
その過程で泣きを見た人間も少なくなかっただろうな。
「でも、屋台なんて人初めてよ。それに屋台ってことは、自分でやろうとしてるんでしょ?」
「普通店は自分で経営するだろ」
「そうでもないわよ。私の場合とか、他の子の場合は、自宅とかから経営指示を出す感じだったし。憐桜学園の生徒が、接客業に近いことをやれるはずないじゃない」
「……確かに」
「そういうこと、知らない人じゃないんだけどね」
「そうか? どうみてもアホっぽい」
「あんたじゃないんだから。神崎先輩は武術だけじゃなく頭脳も優秀よ?」
「知識があっても生活で活かせてる気がしないな」
「なにか心境の変化でもあった、とか」
心境の変化か。
もし、オレが知っていることだとすれば、やはり禁止区域に行ったからなんだろうな。
そうでないと祈りたいが。
「とにかくやめておいて正解ね。あんたの問題に加えて禁止されてる接客まがいの仕事をしたなんてなると、大変なことになるし」
「神崎の件に関してはお前にも責任があるからな」
「責任?」
「神崎のじじいに目をつけられてんだよ」
「あぁ……昨日のこと。今は反省してるわ。次からは止めるから」
「頼むぜ」
──「おーい兄ちゃん」
「…………」
「話しかけられてるわよ?」
「無視するって選択肢はないのか」
「私の印象まで悪くなるから却下」
「なんだよオッサン」
「いや、あんたあの子のボディーガードじゃなかったのか?」
「あの子?」
「ブラックカード持ってた子だよ」
「あいつのボディーガードは別にいる」
「なら、心配ない……のか?」
「なんかあったのか?」
「ありゃ昼頃だったかな……あの子が突然やって来てな。屋台が欲しいんだけどどうすればいいって言うもんだからよ」
「昼休みにここに来たのか、あいつ」
「それで神崎はどうしたんだ?」
「今時、俺っちが使ってるような古いタイプはなかなか手に入らないと教えたら、作ると言い出したんだ」
「お、おいおい……」
「だから材料はどうすりゃいいって言うもんだからよ、ホームセンターでも教えてやろうとしたんだが、今度は金を持ってないと言うもんだ。そしたら木を切るとか言って、山に行っちまった」
「あいつのどこが、頭脳明晰なんだよっ」
「私も自信がなくなったわ……」
「つまり昼から神崎と薫の姿が見えないのは二人して山に登ってるから……か」
「南条は常識を持ってるでしょ? 普通、神崎先輩にそんなことさせるかしら」
「だけど、あいつ上には頭があがらんからな」
「そうだとしても……さすがに無茶だわ。神崎先輩が話を聞きに来た時、女の子みたいな男の人が一緒じゃなかった?」
「いいや? 一人だったけどなぁ」
「じゃあ薫はなにをしてるってんだ」
「いいわ。ツキに調べさせる」
「ツキに? どうやって」
「ツキから学園に連絡させて、南条の電話番号を聞くの」
「なるほどな」
麗華は携帯電話を取り出し、コールする。
そう言えば、オレは麗華の番号も知らないんだよな。
確かにこれじゃ、いざと言うとき困るな。
「ツキ。今から学園に連絡して南条薫の携帯電話番号を調べて」
実に端的に伝える麗華。
「あとはツキの連絡を待つだけね」
「なあ、今のうちにお前の電話番号を教えてくれ」
「はぁ?」
「アドレスに登録しておく」
「あんた、本気? 最初から登録してあるでしょ?」
「そうなのか?」
「……見てみなさいよ」
言われるままにアドレス帳を開く。
『に』のところまでカーソルを持って行くと、そこには確かに『二階堂麗華』という名前の登録があった。
「訓練校って携帯電話禁止だった?」
「オレは持ってなかったが、薫たちは持ってたな」
「プライベート用くらい持ってると思ってたけど……。まさか、携帯電話を持てないくらい貧乏とか言わないでよ?」
「ちげーよ。必要ないと思ってたんだ」
「確かに海斗が携帯を触るイメージって湧かないわね」
「実際、寮にいたヤツらも、ほとんど携帯を触ってなかったしな」
──!
「メールね」
ディスプレイをオレに見せる。
「この番号がそうみたい」
「ちょっと待てよ。今打ち込む」
メールに記載された番号を入力し、ダイヤルする。
「どう、繋がる?」
「ああ。今鳴ってる」
…………。
「ダメだ。繋がってるみたいだが、出る気配がない」
「気にはなるところだけど、私たちに出来ることはこれ以上なさそうね」
「そうだな」
本当に山で木を切っている保証はないし、薫がそばにいないとも限らない。
「オッサン。もし、また通りで神崎を見かけたらここまで電話してもらっていいか?」
そう言ってオレの番号を見せる。
「あ、あぁ。構わねぇよ」
慌てて携帯電話を取り出す。
こんなオッサンでも、携帯持ってるんだな。
……麗華に驚かれたのも無理なさそうだ。
…………。
……。
「すっかり遅くなったわね」
「もうすぐ夕食だな」
「おかえりなさいませ、麗華お嬢さま」
麗華に頭を下げるツキ。
オレにはなにも言わない。
「ただいま、ツキ」
「今帰ったぞ」
「鞄をお持ちします」
「ありがと」
麗華の鞄を持つツキ。
オレの鞄は無視。
「頼む」
「それでは屋敷の方へ」
「……オレへの挨拶と、鞄は?」
……。
気にするなと言われ、気にしているということは、やっぱり気にしているということなのか?
「…………」
今の思考は、ちょっとバカっぽいな。
昼から姿の見えない神崎と薫が気になっていた。
本当に山で木を切ってる気がしてならない。
「知らん知らん。オレには関係ないっての」
最近、オレの性格を勘違いされている気がする。
「入学当初は、まだ良かったよなぁ……」
薫や尊なんかも大分オレから距離を取ってたのによ。
それが、麗華に出会ってから随分といじられるようになってしまったというか。
「……………………だーっ!!」
……。
「ちょっと出かけてくる、許可をくれ!」
『はぁ? ちょっと待ちなさいよ。あんたもしかして……』
室内からの声から逃げるように走る。
…………。
……。
「この間も、こんなふうに捜しに来たな」
息を切らせながら辺りを見渡す。
前回は禁止区域に一人で入り込む無茶をやらかしてたからな。
どこでなにをしてるやら。
……。
「ここでもない、か」
……。
「こっちでもない……くそ……」
走りながら携帯を取り出す。
ダメ元で薫に電話する。
「頼むから出てくれ……薫」
『もしもし。南条です』
「出ろよ薫っ……」
『え、海斗? どうしたんだ電話なんて』
「あん? お前、なんで電話……え?」
『なんでって、電話が鳴ったからに決まってるじゃないか。あっとすまない。今、ちょっと忙しいんだ』
後ろの方で、ガタガタと音がする。
「今どこでなにやってんだよ」
『神崎さまの自宅に決まっているだろう。っとと、申し訳ないけど用事がないなら切るぞ』
「待て───」
ブツッ。
電話を切られてしまう。
「お、おいおい……どうなってんだ? ……ったく。なんともないのかよ」
薫はなにかに対して慌ててたみたいだが、それが神崎の危険に結びつくこととは思えなかったな。
「寝る。帰って寝る」
…………。
……。
「ちゃんと説明してもらおうか」
「朝から距離が近いぞ海斗……」
「見てて男同士気持ち悪いわよ?」
「そ、そうだぞ」
「だったら今すぐ説明しろ。でないとケツの穴に指突っ込むぞ」
「け、ケツぅ!?」
「そんなとこにいちいち反応しなくていいから話せ」
「話すって一体なにを?」
「昨日途中からずっと戻って来なかったじゃねえか」
「そのことか。すまないな。こっちから話があると言っておいて」
「謝らなくていいから事情を話せ」
「別に、なにも事情はない」
「うそつけ。ある程度ネタはあがってんだよ」
「なにを言われても、答えることがないんだ」
「一応、海斗の言ってることはハッタリじゃないわよ?」
「え?」
「昨日変なオジサンに会ったんだけど、神崎先輩が屋台を欲しがってるって話を聞いたわ」
「っ!?」
思った以上の反応があった。
「やっぱり昨日なんかあったんだな?」
「別になにも……」
「うそつけ」
「仮に、仮になにかあったとしてもだ……私が神崎さまのボディーガードである限り情報は漏らせない」
「つまりなんかあるってことか」
「推測するのは自由だ」
「…………」
「…………」
ここまで、か。
ボディーガードとして話せないと言われればそれまでだ。
例え無理やり吐かせようとしても、半端なことじゃ絶対に口を開かない。
「一つだけ教えろ。神崎はなんともないんだな?」
「当たり前だ」
「……ならいい」
席に戻る。
「昨日は、距離を置くとか言ってなかった?」
「それとこれとは別だ」
「私には大きな違いは感じ取れないけど?」
「うるせぇ」
ただちょっと……
オレはなにも言わずに行動する神崎が気に入らないだけだ。
…………。
……。
昼休みになると、昨日のように薫はすぐ教室を出て行った。
「今日も余所で食べたいの?」
「……なんでだよ。普通に食堂で食うさ」
「そう」
「なに笑ってんだよ」
「気にしないで。こっちのことだから」
「ちっ」
…………。
……。
放課後。
また、オレの視線は薫を追っていた。
昨日の朝から神崎を見ていない。
今教室を出れば、帰宅する神崎に会えるかも知れないな。
だが、麗華はまだ帰る準備を終えていなかった。
「なぁ薫」
教室を出ようとする薫は呼び止める。
「ん、なんだ?」
「いやな、そう言えば神崎のじじいに書かされた書類のことを思い出したんだけどよ」
「書類?」
「聞いてないか?」
「すまない。私は知らないな」
「……ならいい」
「じゃあ、また明日な」
「ああ」
「待たせたわね」
「いや、たいした時間じゃねえし。じゃ……帰るか」
…………。
……。
忘れかけていたものを、思い出していた。
……忘れかけていたもの。
オレが嫌いな……『日常』。
頭の中で考える時間が続く、日常。
退屈な時間の連鎖。
こうなることが嫌だった。
平凡な生活を送ってしまう自分が。
朝、起きて学園で勉強して、友人と喋り、帰宅して寝る。
その退屈な時間の繰り返し。
そこにお嬢さまを護衛する仕事が割り当てられていても、特別刺激が強い毎日じゃなくなってきている。
……やっぱり、な。
訓練校を卒業する前に感じていた気持ちは、間違ってなんかいなかった。
オレはもう『ボディーガード』であることの『非日常』性を感じなくなってきている。
人間としての『適応能力』。
人間としての『飽き』。
少なくとも神崎と関わっている間は、退屈であることを忘れていられたんだな。
全部そうだ。
なにもかも『非日常』であることが、オレの……。
ムカつくほど、吐き気がこみ上げてきた。
……。