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-ノベルゲーム・タイピング-

暁の護衛【26】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


--------------------

 

 

 

 

いつものように道場を清掃中、神崎と薫の手が止まっているのを見つけた。

「おい、なにサボってんだコラ」


一番部外者であるはずのオレが、真面目に働いているのは納得がいかない。

文句の一つでも言ってやろうと思い近づいた。


「見て海斗。掃除してたら見つけた」
「見つけた? なにを」


神崎が差し出したものに目をやった。



 

「…………」

「これは……」

「…………」

「日記……みたい」

「それも、交換日記のようだ……」

「交換日記だと?」

「……可愛い」


神崎が大量に抱えている交換日記は、見た目がどれもファンシーなデザインで、可愛らしい。


「ちょっと……重い……」

「だったら置けよ。つーか、これ誰のだ?」

「……おじいちゃんの名前が、書いてある」

「はぁ!?」


あのじじい……神聖な道場になんてもんを隠してんだ。

つーかなにしてんだ。


「ちょっと貸せ」

「か、海斗! それはまずいだろ!」

「いいだろ、ちょっとだけだ」


オレはパラパラと交換日記をめくった。


……!?


「ど、どうした海斗?」

「いや……これ、じじいの書いた文字か?」


開いたページを神崎に見せる。


「……知らない」


『佃吾郎より』と書かれているページには、何色ものカラーペンで長々と日記が書かれていた。

……しかも丸文字で。

これ……この文字……

やっぱりじじいが書いたんじゃないのか?

 

 

 

 

「なんじゃ、様子を見に来てみれば皆で集まって」

「こんなの見つけたから」

「こんなの? なんじゃ」

「これ」

「むぉっ!? それはワシと死んだばぁさんの思い出!」

「おばあちゃん……?」

「喝ッ!!」


──!


「わっ……」



「くっ!」

 


オレたちはモロに一喝を受け思わず目を閉じた。



 

「あ……れ?」

「じ……じじいが消えた!?」


オレたちが目を閉じたほんの少しの間にじじいは道場から消えていた。

……大量の交換日記とともに。

 

 

「なんとすばやい」

「おじいちゃん……凄い」

「凄いっつーかなんつーか……。あの丸文字、確かにじじいが書いてたよな?」

「わ、私は……読む前に消えてしまったからわからないぞ」

「私は……今のおじいちゃんの字しか知らない」


『ふぉっふぉっふぉ』


穏やかな老人の声が道場の外から聞こえてきた。

まるで何事もなかったかのように。


「クソっ! 証拠隠滅しやがったな……」


あの日記、ぜってー見つけてやる。

でもって、じじいの弱みを掴んで今までの恨みを晴らしてやるんだ。

オレはそう心に誓った。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

「なに? 買い物だと」
「ああ。どうしても欲しい物があるらしいんだ」
「そんなもん通販なりメイドに買いに行かせるなりすればいいだろ」
「神崎さまは自分で買いに行くと仰ってる」
「金持ちっぽくないな」
「歩くとも好きだからな。日々自分を磨くことを怠らないのはすばらしいことだ」
「それはすばらしいことかも知れんが、こうして道場を清掃することが今一番大切だろ」
「なにかを成すためだからと、他所が疎かになっていいなんてことはない」
「ったく、だったらお前ら二人で言って来い。オレまで付き添う必要はないだろうが」
「それはそうなのだが……神崎さまがな」


……。

 

 

 

「なんでオレまで駆り出されるんだ」

「大勢のほうが、楽しい」

「だとしても、非効率にも程があるだろ」


中途半端な時間で清掃出来るほど、道場は小さくない。


「一日分の清掃時間がパーだ」

「どんまい」

「お前らは自宅だからいいだろうが、こっちは貴重な時間を使ってやってるんだ」



 

「さっきから文句ばかりだな」

「当たり前だ」


なにが悲しくて、買い物に付き合わなきゃならないのか。

「飴玉、買ってあげる」

「子供か!」

 

 

「態度は子供じゃないか」

「いらんひと言をつけるな」

「それに、お嬢さまが言うんだ、素直に従うのがボディーガードじゃないか」

「いつオレが神崎のボディーガードになったんだよ」

「心構えの問題だ」

「めちゃくちゃだな……」

「とにかく我慢してくれ。私だって好きで海斗を連れ出してるわけじゃない。神崎さまが望まれてることなんだ」

「神崎がねぇ」


と、その肝心の神崎の姿が見えなくなっていた。


「おい神崎はどうした」

「え?」


ほぼ同時に、オレたちが振り返る。

すると少し後方で立ち止まった神崎が、なにやらジッと地面を見つめていた。


「あいつなにやってんだ? 立ちションか?」

「そんなわけないだろっ! 下品なヤツめ! ──どうかしましたか、神崎さま」


「ん……これ」


そう言って指差す、一つのダンボール。

ちょうど繁華街に差し掛かろうかという場所。



 

「犬だ……」

「犬、ですね」



 

「拾って帰るとか言い出すのか?」

「いや……それは、出来ない」

「神崎さまの両親は動物アレルギーなんだ」

「なるほど。だったら行こうぜ。ジッとしてると情が移るぞ」

「それは、わかってる」

「だったら」

「なんか、かわいそうだ」

既に情が移っていた。

 

 

 

「たかだか犬だ、別に可哀想じゃねえ」

「犬も人も変わりない。捨てられたら寂しいに決まってるじゃないか」

「お前はオレの味方か? それとも神崎か?」

「そんなもの決まってるだろう。神崎さまだ」

「どちらにせよ、犬を保護する言い方はやめろ」

「それは……」


オレは半ば強引に神崎の腕を引く。

が……ビクともしない。


「足の指先に力を入れるな」

「見捨ててはおけない」

「でも家じゃ飼えないんだろ?」

「飼い主を捜そう」

「無茶を言うな、見つかるわけないだろ」

「そんなことはない」

「根拠は?」

「為せば成る。為さねば成らぬ何事も」

「おいおい……」


それ根拠じゃねえよ。


「この辺りは通常、許可のない一般人の出入りは殆どない。だから子犬を捨てる、というのはあまり考えられないんだが……」

「金持ちならここに捨てる必要はないからな」


だからこそ、見つからないだろう。

一般人の出入りがないと言っても、別に入れないというわけじゃない。

特に子供とかであれば、どこからでも入り込む。

金持ちに拾ってもらえると思って、捨てていった可能性が一番高いだろう。


「捨ててったヤツが名乗り出るとも思えないしな」

「なら……見捨てる、のか」

「それが一番賢明だろ。なんなら保健所に引き渡すか?」

「それは良くない」


買い物だけでも億劫なものを、犬の飼い主捜しまで手伝わされたら敵わんぞ。


「飼い主を捜すって言うんなら、オレは帰るぞ」

「お、おい本気か?」

「当たり前だ。面倒なことはごめんだ」

「そんなこと言わず、一緒に捜そう」

「断る」

「普段は冗談半分かも知れないが、動物一匹救えない男だとは思わなかったぞ」

「人間は非情な動物」


なぜ、子犬一匹の対応でそこまで言われなきゃならない。

理不尽な扱いにだんだん腹が立ってきた。


「よし。犬なべにして食おうぜ」


そうすれば見捨てることもなく万事解決……


「…………」

「…………」


凄く寒い(痛い)視線を浴びせられた。


「マジかよ……」

その後オレたちは数時間かけて犬の飼い主を捜し歩いた。

一番関係ないはずのオレが、なぜか子犬を抱きかかえたまま……。

結局飼い主は見つからず、神崎の知り合いが引き取るということで決着がついた。

精神疲労しきったオレは途中でダウンしたが、薫はその後も神崎の買い物に付き合った。

どうやら新製品のおにぎりを所望だったようで……。

実に無駄な一日を過ごしたのだった。

 

…………。

 


……。

 

 



 

一週間に一度の学園の休日。

懲りもせずまたここへと足を運んでいた。

昔は、一時期だけ週に2日休みがあったらしい。

なんでもゆとりを持たせる教育だったとか。


「オレもゆとり世代に生まれたかったぜ」



 

「十分ゆとり世代の性格しとるわい」


「ぬお! なにやってんだじじい!」


すぐそばで腕立て伏せしていた。

それも凄い速度で。


「清掃してる道場を見ると汗を流したくなるんじゃ」
「汚れるから今すぐ出て行け。つーか、薫と神崎はどこ行ったんだよ?」


今しがたまで一緒に清掃していたはずだが。


「ワシが休憩にさせた。今ごろ屋敷で茶菓子でも摘んでおる頃じゃて」
「じゃあオレも」



 

「喝ッ!」


「唾散るからその叫び方やめろ! くさっ! 加齢臭!」
「赤の他人である者を屋敷に行かせるわけにはいかーん! ましてや萌をいやらしい目で見るこんな男を入れることなど断じて許さん!」
「いつオレがいやらしい目で見たよ」
「雑巾がけで、も……萌の下着を見たではないか! 純白の白、あの純白の白をっ!」
「……なんで知ってんだよ。しかも色まで」



 

「ハッ!? な、なんのことじゃ?」
「じじい、あんたもどこかで覗いてたな?」



 

「喝ッ! ワシほどの達人になれば、それくらい容易く想像出来るわい」


一体どんな達人なんだか。


「ワシも鬼ではない。ちゃんと食べられる菓子を持参してきてやったわ」
「そいつはありがたいな。どれだ?」
「ほれ」


差し出されたのは羊羹。


「美味そうだな」
「これ一つで五千円するぞい」
「うっわ、マジかよ。高っ」
「ホレ食え」
「じゃあ手を洗ってくるわ」
「今食わんと、ワシが食うぞ?」
「あのなじじい。オレは雑巾誘ってたんだよ、わかるか?」
「だからなんじゃ」
「汚ぇだろうが」
「なら諦めるんじゃな」
「…………」


そうならそうで、こっちにも考えがある。


「遠慮なくもらうぞ?」
「うむ」


皿の上に乗ってるなら、口で食べてしまえばいい。

そう思い顔を近づける。


「そいや!」


皿を投げ飛ばすじじい。

もちろん上に乗っていた羊羹も空中へ。


「まだ床は綺麗にしてないぞっ」


口を大きく開けて落ちてくる羊羹に狙いを定める。


「今投げた皿は一枚4千万円するからの」
「なにっ!?」


羊羹とまるで別の位置に落ちようとしている皿。


「くっそ!」


思い切り手を伸ばし、ギリギリの位置で皿をキャッチ。

しかし……


「羊羹が、羊羹が……」
「食べ物を粗末にするとは、なんと愚かなことか」
「そりゃじじいだろ!」
「ワシなら洗って食べるぞ」
「じゃあ食えよ」
「そうはいかん。それは海斗に譲ったものじゃからのぉ」
「どれだけオレを虐めれば気が済むんだ」
「虐めとは人聞きが悪い」
「そんなにねオレに来られるのが嫌かよ」
「なんじゃと?」
「屋台、作らせたくないんだろ?」
「なぁにを根拠に言っておる。ワシは萌が望むならなんだってやらせてやるわい」
「そうは思えないけどな」
「本当じゃよ。疑いたくなる気持ちは、わからんでもないがな。ちゃんと洗って食べるんじゃぞ」

 


「やらせてやるって割には、厳しいじゃねえか」


……。

 


そんなこんなで、じじいの虐めを受けながらも午後。

オレたちは2つ目の清掃に取り掛かっていた。


「飽きてきたと言ったらどうする?」

 

 

 

「遊びながらしよう、って言う」

「どんな遊びだよ」

「どっちが早く拭けるかごっこ

「すっげぇつまんなそう」

「海斗とやれば、きっと楽しい」

「オレは楽しくないと思う」

「じゃあ、なにか賭ければ楽しい?」


そこでギャンブルの発想はいかがなものか。


「どんな賭けだよ」


賭けごとは嫌いじゃなかったりするんだが。


「なんでもいい」

「一千万とか言うぞ」

「現金は無理だけど、カードで買い物させればいい?」



 

「よして下さい神崎さま!」

「ちっ。やっぱり聞き耳立ててたか」

「道場の中にいれば聞こえてくる。いけませんよ、賭けごとなど」

「でも、面白そう」

「そうだぜ薫」

「お前は目がドルマークになってるじゃないか!」

「失礼な。円マークと言え円マークと。外人かオレは。それに賭けをしようと言い出したのはオレじゃない。他でもないお前のプリンシパルだ」

「し、しかしっ」

「別に神崎の身に危険が及ぶわけじゃないだろ? 実際、オレが買って一千万を要求したとしてもこいつにとっちゃお好み焼き一枚と変わらんだろ。な?」

お好み焼き……じゅる」

「道徳に反するだろう……」

「ボディーガードとして、神崎の言うことに逆らうのはどうかと思うぞ」

「くっ……! こんなときだけ」

「と言うわけで、その賭け乗ったぜ」

「やろうやろう。薫は審判」

 

「は、はい」


泣く泣く従うしかないようだ。


「種目はなんにする?」

「雑巾がけ。端から拭いて行って、先に半分清掃した方の勝ち」

「なるほど、いいぜ」


「あぁ……本当にやらせてしまっていいのか」

「おろおろしてないで公平にジャッジしろよ」


オレたちは互いに左右の端へと行く。

そして雑巾を床へと置いた。


「ちなみに、拭きが甘い場合はやり直しだぞ」

「わかった」

「その辺もしっかり見てろよ」

「わ、わかった」


バカめ。

ツキから英才教育を受けたオレが、負けるはずがない。

神崎が丁寧に清掃することは知ってるが、残念ながらスキルはオレが上。


「レディー……ゴー!」


合図と共に、走り出す。

スタートダッシュはほぼ互角。


「オラオラオラ!」


隙なき動きで、拭き進めていく。


「早い……しかも完璧だ……」

「当然だろうが!」


チラッと遠くの神崎を見るが、まだそれほどの差は出ていないか。


「おら5レーン目!」


アッと言う間に5つの節目を清掃完了。


「次行くぜ6つ目!」

「待て海斗。5つ目に拭き残しがあるぞ」

「なにっ? そんなバカな!」


6つ目を綺麗にしながら、5つ目に目を配る。

すると、確かに砂のようなものが落ちていた。


「くそ、拭き残したか!?」


仕方なく、もう一度5レーン目を拭き直す。


「よし次は7レーンだ」

「拭き残しだ、6レーン目!」

「うそつけ!」


そう思いながら見ると、確かに汚れていた。

さっきと同じような汚れだ。


「くっそー! 2往復損した!」


今度こそ、と力強く拭き直し、7レーンへ……。


「5レーンが汚れてる!」

「ば、ばかなっ!? ──今ジジイがいなかったか!?」

「なにを言ってるんだ海斗。急がないと負けてしまうぞ?」

「くっそー!」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「私の勝ちー」

「納得いかねぇ。確かに綺麗にしたはずなんだよ」

 

 

 

「見苦しいぞ海斗。負けは負けだ」

「あーあやってらんね」

 

疲労感がドッと押し寄せた。


「約束、約束」

「金ならねーぞ」

「いらない」

「じゃあなんだよ。裸踊りでも見せればいいのか?」

「したい?」

「……やれと言うなら」

「だ、ダメだダメだ! 神崎さまに変なモノを晒すな!」

「大丈夫。私のお願いは、違うこと」

「なんでも言えよ」

「じゃあ……今から、私のことは『萌』と呼ぶこと」

「……絶対い……」

「拒んだり、間違えて名字で呼んだら、追加で一個お願いを増やす」

「…………」

「わかった?」

「いいのか? 止めろよ薫」

「呼び方は、神崎さまの望む形でいいんじゃないか?」

 

全然反対していなかった。


「ただ、海斗の場合呼び捨てなのが気がかりだ……これを機に『萌さま』と呼ぶのなら、むしろ賛成したいくらいだな」

「それはいやだ。萌って呼び捨て」

「神崎さまがそう望まれるのであれば」

「く……」


「そんなに嫌がることでもないだろう? 麗華お嬢さまや彩お嬢さま、皆下の名前で呼んでるじゃないか」

「そうだそうだ。いいジャマイカ

「なんでジャマイカ……。なんつーか萌っていう名前がな」


可愛らしすぎて合わないというか、呼びにくいというか。


「約束は守るためにある」

「いや、それはどうかな」

「ん?」


「まぁいい。別に大したことでもねぇか」

「そうそう」

「じゃあやるぞ続き」

「それ誰に、言ってる?」

「お前と薫に決まってるだろうが」

「お前? 誰?」

「呼ばせないと気がすまないってか?」

「わくわく」

「……ち」


そう言われると呼びにくいジャマイカ


「なんか注意すべき雰囲気な気がしてきた」

「そう思うなら止めてもいいぞ?」

「海斗の反応が面白いから見てみることにするさ」

「それはどうなんだ? ボディーガードとして」

「わくわく」

「……じゃあ、やるぞ……萌」

 

 

 

「…………」

「聞こえなかったって言ったら、思い切り耳の穴をほじくり返すからな」

「うん。大丈夫、ばっちり聞こえた」

「そうかよ」

「どんどん掃除しよう」


……。

 

 

 

陽気な鼻歌とともに、壁を拭き始める神崎……萌。


「ちょっと悔しいな」

「悔しい?」

「今の神崎さま、凄く嬉しそうだった」

「お前も名前で呼んでやればいいだろ」

「私が呼んだって変わらない。それは海斗だってわかってるんじゃないのか?」

「……さぁ。わかんねーよ。なんでオレなんか気に入ってんのかはよ」

「確かに」

「いや、そこは少し否定しようぜ」

「この場合どうなるんだろうな、規則って」

「どうなるとは?」

「ボディーガードが、プリンシパルに想いを抱くことは許されていないけど……。プリンシパルが、ボディーガードに恋をした場合さ」

「んなこと、オレが知るか。しかも恋って言うな。友だち、ってことだ。起こりもしないことを想像したって意味ねーだろ」

「……そうだな。だけど、もしもそんなことが起こったとしたら……」

「…………」

「私はきっと、そのボディーガードが許せないと思う。守りたいものを奪われていく気持ちに、きっと耐えられないと思う。それは私が未熟だからだと思うが……。それでも……」


どこか悲しそうに、薫はそう呟いた。


「だったら───」

「え?」

「もしそんなヤツが現れたとしたら」

「現れたと、したら?」

「遠慮なんてしなきゃいい。思い切りぶっ飛ばしてやれ。お前が守りたいものを守るために、な。例えプリンシパルがそれを望まないとしても。お前がお前であるために必要なら。お前はまだ、ボディーガードじゃない。一人の学生として今を歩いてるんじゃねえか」

「……随分と、わかったようなことを言うんだな」

「ちょっと格好いいだろ」

「一回り大人に見えたぞ。少しだけな。でもいいのか? そんなことを言ってしまって」

「別に。オレには関係ないし。お前こそ覚えておいた方がいいぜ? やってもいない勝負は、どっちが勝つかわからないってな」

「ふふ。そうだな」

「二人とも、掃除掃除」

「今行きます、神崎さま!」


このとき、オレは心のどこかで予感していた。

訓練ではない、そのときその場所で。

薫と立ち会うときが来るのではないか、と。


…………。

 

……。

 

 

 

 

「快挙と言ってもいい、完璧な清掃ぶりだったな」


一日で3つの道場を綺麗にしてしまった。

おまけに疲労感よりも先行して、心地良さがまとわりついてるときたもんだ。


「すっかりオレも掃除王子だな」

 

 

 

「掃除、王子? ぎゃぐ?」

「独り言を聞くなよ」
「隣に座ってるんだから、聞こえる」


二人で壁にもたれて、足をだらっと伸ばしていた。



 

「掃除って思ったより大変」
「お嬢さまってヤツは、自分でしないのか?」
「自分の部屋は、綺麗にするけど……お手伝いの人がいつもしてくれるから、あんまり」
「雑巾とか触るの嫌じゃないか? 手も汚れるし、臭いだってするじゃねえか」
「くんくん」
「臭うな臭うな」
「大変だけど楽しい。海斗が手伝ってくれるから、楽しい」
「薫はどうしたんだよ薫は」
「もちろん薫がいるから楽しい」
「萌、お前はなんか、お嬢さまっぽくないな」
「ぽくない?」
「質素な食いモンが好きだし、屋台なんて作りたいって言い出すし……オマケに掃除が楽しいときてる」
「……それは、悪いこと?」
「わかんねぇよ。そんなこと。萌の両親からしたら、きっと悪いことだ。でもジジイは良いことだと思ってそうだし」
「海斗は?」
「別に、どっちでもいいんじゃねえか? やりたいようにやればいい。だから、屋台を作るのだって、掃除するのだって手伝ってるだろ」

 

 

 

「うん。そう、だね」
「すげー疲れるけどな。まだまだ道場の掃除は残ってるし。屋台作ることも考えたら当分はここに通うことになりそうだぜ。……聞いてんのか?」

「……すぅ」

 

「なんだよ」


ちょっと眠そうだとは思ってたが。

コテッと萌の頭が、オレの肩にもたれてきた。


「慣れないこと続けてっからだよ。けど、少しだけ感謝してるぜ。忙しすぎて、色々考える余裕がねーからよ」


オレも、少し眠くなってきた。


「ふわ……ぁ……」

 

 

 

「大きなアクビだな、お茶だけど飲むか?」

「おお。サンキュー」


湯飲みを受け取る。


「ん……」

「っと、気をつけねぇとな」


身体の動きで起こしてしまわないようにする。



 

「眠られてる、のか?」

「ああ。ついさっきな」

「もうすぐ稽古の時間なんだが」

「起こした方がいいか?」

「いや、もう少しそっとしておいてやってくれ。構わないか?」
「大したことじゃねえしな」


湯飲みを傾け、お茶を飲む。


「冷たくて美味いな」

「ああ」


それからしばらくの間、オレたちは無言でお茶をすすった。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「終わったな、ついに」


感無量とはこのことか。

道場の清掃を始めてから早数週間。

ついにその作業工程は終わりを告げた。



 

「チッ」

「人が清々しい気持ちになってる横で舌打ちかよ」

「ワシの虐めに耐え抜きおったか」

「やっぱり虐めだったんだな。少しヘコんだ」

「ウソつけ。鋼のように効いておらんではないか」

「案外足に来てるっての」


あまり語らなかったが、それはもう酷い虐めにあった。

瞼を閉じただけでも思い出す。


後半なんて人が集中してるそばで大音量の音楽をかけられた。



 

「出ーて行け、出ーて行け! さっさと出ーて行け! 今に見ておれ。呪ってやるぞい……ケケケケ」

 

 

 

「なに泣いとるんじゃ……」
「ちょっとな。健気に努力した自分を褒め称えてた」
「?」
「とにかく、これで必要な経費は揃ったってことだな?」
「そういうことに、なるかの」
「不満そうだな」
「…………」
「最初にこの話をしたときから、そうだったけどな」
「孫娘に、庶民の真似事をさせるのには抵抗がある」
「そんなところだろうな」
「じゃがそれを萌が本心から願うのなら、わしは黙って見守るつもりじゃ。萌はしっかりとした意思を持っておるが、まだまだ未熟なところも多い。間違った道に行きそうになったら、そのときはお主が止めてほしい」
「オレ?」
「ヤツの息子なら信用出来るわい」
「じじい、あんたは知ってるのか? オレの親父のこと……」
「前にも言ったじゃろ。ここに通っておったと」
「そういうことじゃねえよ……」


どう言っていいかわからない。

オレだって、親父の過去は知らないのだ。

ただ、じじいの見ている親父は、オレの知っている親父と大きく異なる気がする。


「なに不細工な顔しておるんじゃ。しゃきっとせんか」
「ブサイクなのは生まれつきの特徴じゃないのか? ……自分の保守のために言っておくが、割といい男だぜ?」
「ほれ、今日は帰らんか。屋台制作は明日からやるんじゃ」


ドンと背中を押され、追い出されるように神崎家から放り出された。


……。

 

 

 

「……ふぅむ。それにしても、綺麗になったのぅ」



 

「おじいちゃん」
「おぉ萌。稽古はどうしたんじゃ?」
「時間になっても来ないから、呼びに来た」
「なんと、随分とボーっとしておったようじゃな」
「道場、ピカピカになった」
「うむ。次に使うのが勿体ないくらいじゃ」
「全部海斗の、おかげ」
「なんじゃと? 99%萌の頑張りじゃ」
「最初は雑だったけど、すぐ私たちより効率がいい掃除をしてた」
「そうじゃったかのぅ」
「わかってるくせに」
「む……」
「ちょっとだけ、立ち聞きしてしまった」
「立ち聞き?」
「海斗のお父さんが、この道場にいたって」
「萌が産まれる前のことじゃ」
「もしかして、昔、おじいちゃんが破門にした人?」
「萌よ、一つだけ大事なことを教えよう」
「大事なこと? どれくらい?」
「お前の武道と同じくらい大切なことじゃ」
「それは、とても大切」
「わしには萌の本心がわからぬが……お嬢さまとボディーガードの間に、禁じられた掟があることは、ちゃんとわかっておるな?」

 

 

 

「…………」
「その掟は、いつも守られるものではない。誰もが掟を守ろうと思いながらも、守れぬ掟じゃ」
「おじいちゃん……悲しい?」
「よく覚えておくんじゃぞ。もしも萌から掟を破ることがあったとき、その罰は、ボディーガードに降り注ぐということを」
「私が破ったとしても……」
「そうじゃ。じゃから、萌……………む、そろそろ稽古に戻らねばな」
「うん」
「先に行っておくんじゃ。わしもすぐに行くわい」

 

……。

 



 

「…………言えんの……。掟を破るな、とは……。ふふ……まったく、厄介な男に出会ってしまったのぅ」

 

…………。

 


……。

 

 

 

 

 



「ん……ふぁ……。眠くなってきた」


帰宅してから、机に向かうこと3時間。

なんとか屋台の図面や詳細がまとまった。


「明日から順調に始めれば、一週間前後で完成出来るな」


萌の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。


──「ほうほう。これが噂の屋台」


「ビビるだろ。驚かすな」



 

「ノックもしてないし、慎重にドアを開けて忍び足で背後に立ったけど悪気は全然」
「めっちゃ悪意があるな」
「本当に作るか、屋台」
「そのために邪魔くさい清掃したんだしな」
「清掃は全然邪魔くさくない」
「お前だけだ。掃除フェチめ」
「海斗も何年か続ければ」
「忍耐がもたねぇよ忍耐が」
「ここはもう少し変えた方がいいと思う」


設計図を指差すツキ。


「わかるのか? 確かにそこは改良の余地がある」
「もちろんわかる。ガトリングガン設置するんでしょ」
「まったく理解してないことを理解した」



 

「どんまい」
「お前がな」
「くれぐれも神崎さまに迷惑をかけないように」
「麗華じゃないならいいんじゃないのか?」
「神崎さまに迷惑をかけるのが海斗なら、海斗の主である麗華さまの問題にもなりかねない」
「大丈夫だ。オレだって進退がかかってる。それともなにか? オレなら無茶するとでも?」
「間違いなく」
「ガラスのハートに突き刺さるから、もう寝ろよ」
「言われなくても」


スッとドアの方へ。


「結局なにしに来たんだよ」
「別に……なにもない」
「その手に隠してるクッキーのことか?」
「知らない」
「香ばしい匂いがしてるぞ?」
「それは私のガス」
「そ、そうか……それは、悪かったな」

 

 

 

「今のだけは訂正させて欲しい」


さすがのツキも、色々問題になりかねない発言と理解したようだ。


「ムカつくから食え」


ポンと膝元に投げ込まれた小さい袋。


「ツキの手作り?」
「違う。そうだったら嬉しかったか」
「食べずに捨てたな。きっと。良かったぜ」
「明日、起きたら焼却場の中にいるのと、地球外に放り出されてるのとどっちがいい?」
「前者だが、前者はやりかねないから許してくれ」
「なら最初から怒らせることを言わない」
「オレのクセなんだから仕方ないだろ」
「思ったことをなんでも口にしちゃう困った性格」
「そこがまたカッコ良さ、の中にある可愛さ」
「……はぁ」


やれやれと肩をすくめ、ツキはいそいそと自室をあとにした。



 

「サンキューな」


返事が返ってこなかったことをみると、お礼の言葉は届かなかったか、それとも……。


「いただきます」


一枚クッキーを口の中へ。

……確かに、あいつの手作りじゃないな。

凄く市販の味がした。

 

…………。

 


……。

 

 

 

 

 

誰かと力を合わせて、一つのことを成し遂げる。

それは難しくもやりがいのあること。

一年前のオレには理解出来なかったこと。


「薫、釘が斜めに打ち込まれてるぞ。角から先端が突き出してるじゃねえか」

 

 

 

「すまない。なかなか上手く出来なくて」

「萌ももう少し綺麗に接着しろ。一箇所一箇所は目立たなくても完成したあと粗が目立つ」



 

「うん」


自分が先導し仲間を導く行為。

それは鬱陶しく面倒なものであると同時に、心の中がこそばゆくなる心地良さも持っていた。


いくら言葉を羅列しても、説明がつかない。

オレは、今の自分が不思議で仕方がなかった。



 

「ここの塗料は、どう、塗ればいい?」

「ちょっと貸してみろ。手本見せてやるから」


人に親切にするということは、それだけその人物に信頼を置くことに似ている。

信頼出来ない人間に対しても親切になれるというのはうそだ。

もし善人や悪人を選ばず、対等の親切を与えられる人間がいるとすれば、それは世渡り下手の証拠。

いつ背中から刺されても文句は言わせない。

誰もが、自分のためだけに生きている。

オレはずっとそう考えて生きてきた。

それが現実。

だからこそオレは人として賢く生きようとしてきた。

今でもその心情は揺るぎないと確信しているが。

なら、今している行為はなんだ、と思う。


「ここを少し押さえておいてくれ」

 

 

「ここだな? よし」


自分のためになることなのだろうか。

確かに退屈を紛らわせることは出来る。

麗華のボディーガードになったことと同じなのかも知れない。

利用される代わりに、利用する。

……しかし。

今のオレは、退屈しのぎをしているという感覚がまるでない。

屋台を作り上げたいと思ってしまっている。

読書する楽しみを知ったときのように。

共に掃除を始めた頃から、微かな兆候は見られた。

変化していく自分を遠く眺めていた。

こいつらといることが……楽しい……と。


プツッ!


「っつ……」

「大丈夫か?」

「あ、あぁ……木材の尖った部分で指を切っただけだ」

「結構血が出てるな」


人差し指の中心から、ぷっくらと赤い血液が溢れた。


「こんなもん放っといても問題ない」

「ちゃんと消毒するべきだ。木材なんかには良くないものも含まれていそうだ」

「面倒だな……。じゃあ、洗ってくる」

「そうしてくれ」

「その間に、こことここの部分を釘と木工ボンドで固定しておくんだ」

「わかった」


一時薫に作業を任せ、オレはその場を離れる。


……。

 

軽く汚れと血を洗い流したが、まだ指から流れる血が止まる気配がなかった。



 

「どうした?」
「ちょっと指を怪我してな。洗ってきたんだがこのとおり血が流れたままで絆創膏なんかをもらえると助かる」


「指、を……? 見せて」
「ほら」
「結構、深くまで切れてる」
「放っておいても平気だって言ったんだが、薫のヤツが手当てしておけってうるさいからな」
「それは当たり前のこと。小さい怪我のうちに、適切な処置をする」


ガッとオレの腕を掴む。


「おい、なんで傷口をジッと見てるんだ」
「…………」
「ちょっと待て。なんか嫌な予感がする」
「こういうのは舐めておけば治る、から」


そう言って、オレの指先を口の中に放り込んだ。


「お約束のパターンかよっ」
「ん……」
「つーか、傷口は指の先のほうだぞコラ。幾らなんでも咥えすぎだ」


第二関節まで丸々口の中に入れやがった。


「ちゅ……ん……」


こんな場面を薫やじじいに見られたら、剣術と拳術でボコボコに叩きのめされそうだ。

幸いにも薫は作業に夢中だし、じじいは道場の中にはいない。


「……んっ……ガブ」
「痛たたたたっ!」
「ごめん、噛んじゃった」
「なんで傷口を噛むんだよっ」
「血を舐めてると、美味しそうだったから……」


こいつは、どこまで食い意地が張ってるんだ。


ドクドク。


明らかに萌の口の中で指が深く切れたな。


「あ、溢れてきたっ。ん──」


おそらく漫画やドラマの中で、舐めて指を治療してもらう嬉しいハプニングで、尚怪我をさせられたのはオレだけだろう。

現実だからこそなのか、酷い目に遭わされるとは。


「ちゅ、ん、ちゅぅ……」


ドクドク。


怪我をした箇所が温められ、傷口が広がるのがわかる。


「お前はこのまま血液を吸い尽くすつもりか」


反抗するように、指先を曲げる。


「ぅん!?」


びくっと反応を見せる萌。

オレは指先で萌の舌先を撫で上げる。


「ふぅ、ん……」


誰かの手が口内で暴れることなど、初めてのことだろう。

戸惑った声をあげ、困惑していた。

あまりからかうと危険だな。

ちょっと強引に指を引く。


「うわ……ベトベトだな」

 

 

「…………あー」
「ストップだ。何事もなかったように咥え直そうとするな」
「まだ血が出てる」
「あとは絆創膏でいいから。こんなところを見られたら色々問題だろ?」
「治療してるだけなのに」
「治療してるだけでも、だ」
「ときどき理解出来ないことを、海斗は言う。ほとんどはとてもグッとくることだけれど」
「グッと?」
「……グッ」


いや、親指を立てられても意味不明だ。


「絆創膏持ってくる」
「悪いな。──やれやれ……ん?」


視線を感じた気がして、オレは後ろを振り返る。


「…………」


こちらなど見向きもせず、薫はもくもくと作業を続けていた。

気のせいか。

あんな場面を見ていたら、飛びついてこないはずがない。


……。

 

 

 

 

「お待たせ」


数分後戻ってきた萌の手の中には、数十枚の絆創膏が握られていた。


「お前バカだろ?」
「たくさんあった方がいいと思って……」
「金じゃねえんだから、一枚でいいだろ普通」
「気にしないでいい。何枚使っても」
「……ありがとよ。全然嬉しくないけどな」


絆創膏を受取ろうと手を伸ばすが、引っ込められた。

「くれるんじゃないのかよ」
「片手じゃ、貼りにくい?」
「まぁ、少しはな」
「私が綺麗に、貼ってあげる」
「別にそこまでする必要ねえって」



 

「貼ってあげる」
「……嫌だ」


なんとなく断った方がいい気がした。


「それは困る」
「なんで困るんだよ」
「凄く絆創膏を貼りたい」


絆創膏フェチか?

そんなの聞いたことないが。


「と言うか、貼る」


ガッ、と怪我をした腕を掴まれる。


そして力強く床に叩きつけられた。


──!


「った!」


怪我をした腕を完璧にロックされてしまう。


ドクドク。


「腕を絞るな、血が出るだろっ」
「貼る」
「貼っていいから解けって」
「逃げるからこのまま貼る」


ギチギチッ。

世界発(?)腕をキメられながらの絆創膏。


「む……貼りにくい」
「当たり前だ。こんな体勢でやれば……痛い痛い! タップだタップ!」


背中辺りを叩いて萌に合図を送るが、離さない。


「もう少しだから」
「武道家として、問題ある、ぐぅっ」


子供の技じゃない。

本家本元の実力者の絞めワザは強力だった。


……。

 

 

 

「……海斗……やっぱり……」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 



「思ったより、進んだ気がする」

「この調子なら一週間もかからないんじゃないか?」

「外装だけを見ればな。だがやらなければならないことは山ほどあるぞ」


三人で作りかけの屋台を見ながら笑う。


「また明日だな」


「ああ。よろしく頼む」

「じゃあな」


……。

 

 

 

「もう少し、時間ある? 稽古まで」
「10分ほどで始めたいと思いますが、どうされました?」
「海斗を見送ってくる」
「では私も」
「ううん。私一人で大丈夫」
「しかし……」
「すぐそこまでだから」
「…………わかりました」


……。

 

「海斗ー」



 

「なんだ。なんか言い忘れたことでもあったか?」
「見送りに来た」
「見送りって、もう屋敷の外じゃねえか」
「そうだけど……」
「ここからはついてくるなよ?」



 

「迷惑?」
「そうじゃないが、これ以上ついてきたら逆に送らなきゃいけなくなるだろ。暴漢にでも襲われたらどうする」
「そのときは戦うから」
「……そりゃ、確かに撃退するのは簡単そうだな。だが世の中上には上がいるんだぞ?」
「わかってるけど……」
「もう屋敷に戻れ」
「…………」


渋っているようだったが、やがて小さく頷いた。


「じゃあ、また明日」
「ああ」


萌はそこに立ち、手を振って見送った。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「ぬ……はーー!」


「あ、っ!」


ドタッ!

 

 

 

 

「だ、大丈夫ですか神崎さま!」
「うん……平気」
「今朝はどうも精細に欠けておられますが、どうかされましたか」
「……ん」
「……ひょっとして、海斗ですか?」



 

「薫、えすぱー?」
「いえ、その……もしかしたら、と思っただけです」
「…………」

 


……。



 

 

ちょうど飛行機が真上を通過するところだった。



 

「…………」
「…………」
「なにボーっとしてんのよ」
「いや……」


朝の通学時間。

麗華の支度を待つ間、オレは空を見上げていた。



 

「なんか変ね」
「お前の顔か?」
「それは変じゃないわよ」


いつもどおりの時刻、麗華は支度を終えて出てきた。

いつもと違うのはオレの方。


「どうも、勝手が違う気がしてな」
「それ、神崎先輩のこと?」
「…………」


すぐに返答出来ないってことは、肯定、なんだろう。

こんな調子だから麗華に見抜かれてしまうんだろうな。


昨日の、屋台作りからの帰り。

確かにオレは、明日を楽しみに思っていた。

自ら進んで来たいと思った。


「突っ立ってないで、学園に行くか?」
「…………ねえ、海斗?」
「ん?」
「あんたが望むんだったら、構わないわよ?」
「…………突然なんだよ。抱いて欲しいのか?」
「バカじゃないの」


なんだよ、オレが望むことって。


…………。

 

……。

 

 

 



 

「ふぅ……ふぅ……んっ、く……よい、しょっ」

「大丈夫かよ、おい」

「これくらい、平気。だって海斗全然息が荒れてない」

「男と女の差もあるし、元々体力だけは自信があるからな」

「ふう、ふう……そういう虚言はやめろ。体力測定じゃC-じゃないか」


学園が終わってから、麗華を家まで送り届け、歩いて萌の屋敷へ向かう。

そしてすぐに屋台の制作に取り掛かり、今は三人で木材を運んでいるところだった。

「薫は結構、疲れてるのに、海斗は……平気」

「私は全然疲れてませんっ。それより神崎さまこそ休まれてはいかがですか?」

「まだまだ」


道家ってヤツは、どうしてこうも強がりかねぇ。

時折吹く春風が窓から吹き抜け、汗で張り付く服をさっと冷やしてくれる。

真夏でなくて良かったと本当に思う。



 

「風が、気持ちいい」

「はい」


二人の長い髪が、風に奏でられるように踊る。

その姿に一瞬見ほれてしまう。

薫にまで視線を奪われるのは問題だが。



 

「なあ、海斗」


「ん?」


萌と話すときと違い、やはり表情は引き締まっていた。


「手を抜いてたのか?」


それは、どう捉えればいいニュアンスなのだろうか。


…………。


「私は、意外と洞察力がないのかも知れない。ボディーガードとして、まだまだだな」
「ボディーガードは大抵、自分の洞察力が優れてると思うもんさ」


それは、別に限られた職業だけじゃない。

人の多くは自分を特別な存在だと思いがちなのだ。


「だけど意味がわかんねぇぜ?」
「訓練校での、カリキュラムに対する取り組み。今にして思えば、本気だったと思えない」
「それは……」


確かに、それは事実、なんだけどな。

間違ってもそれを口にはしない。

そんなことを言えば、こいつは自信を失いかねない。

でも、オレは迷っていた。

なぜなら、薫がこれから先に進むためには、大きな壁が必要だと感じていたから。

そして……オレにとっても。


「どうなんだ、海斗」
「…………確かに、手は抜いてたな」
「やはりか」



 

「ほー」

「だからって、それがイコール優秀にはならねぇぞ? 本気を出してもC-かも知れないし、よしんば高い成績を収めても、Cくらいかも知れないだろ」

「確かにそうだが」

「オレは元々、努力するのが嫌いだからな」

 

「確かに、知り合ったときから面倒くさがりだったな」

「二人はルームメイトだったって、聞いたけど」

「はい。海斗とは入学式の日に知り合いました」

「そうだっけか?」

「出会っていきなり、私の胸倉を掴み上げたんですよ」

「乱暴、もの?」

「気をつけて下さい神崎さま。結構ワルですから」

「本当かよ。オレってそんなに乱暴か?」

「アレを乱暴と言わずなんと言うんだ。私はとんでもない不良がいたものだと感心したくらいだぞ」

「感心するあたりはさすがボディーガード」

「今よりも乱暴で不良だった?」

「それはもう、手がつけられませんでした」


まぁ、確かに今とは接し方が違ってたか。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

集中していたり、夢中になっている間は時間の経過が早い。

ついさっき屋台を作り始めたと思ったら、もう萌たちの稽古の時間が近づいていた。



 

「今日はここまでですね」

「うん」


テキパキと三人で片づけを始める。


「お腹空いた」

「そうですね。稽古前になにか召し上がりますか?」

「おにぎりを……5つほど」

「稽古前に5つは重いだろ」

「そうでもない。すぐ消化するから」

「休日は10個くらい食べたあと、すぐに稽古されてるぞ」


聞くだけで腹が痛くなりそうだな。


「明日から、屋台を作る前に食事することを提案」

 

 

 

「それはいい考えかもしれませんね。作業効率も上がりそうです」

「海斗はなにが食べたい?」

「オレの分も用意してくれるのか?」

「もちろん」

「そりゃありがたいな」

「好きな物言ってくれれば、用意させるから」

「そうだな、普段屋敷で出ないものがいいな」


高い物は美味しいが、たまには庶民の食事もしたくなる。


「今話に出てたが、おにぎりでも用意してくれ。食べるのに時間もかからないし、片手で作業を進めたりも出来るしな」

「具は?」

「常識の範囲内ならなんでも」

「わかった」


……。

 

 

 

 

「今日も見送る」

「別にいいって。気を遣うなよ」

「見送りたい」

「……そうかよ」



 

「…………」


うわ、薫が睨んでるぞ。

こりゃ止められるんじゃないか?


「では、私は稽古場でお待ちしてます」

「うん。すぐに行く」

「お、おい、いいのか?」


「いいもなにも、神崎さまが言われたことだ」

「…………」

 

……。

 

「ここまででいい」



 

「昨日はもう少し先まで行ったから」
「そうだったか?」
「うん」


帰る素振りを見せないので、もう少し二人で歩く。


「オレが言うことじゃないけどな、もう少しだけ気を遣ってやったらどうだ?」
「気?」
「見送ってくれるのはありがたいが、薫のヤツ寂しそうだったぜ? ボディーガードが置いてけぼりにされるのはよ」
「でも……」
「でも、なんだよ」
「こういうときくらいしか、二人きりになれない」
「なんだよそれ」
「…………きっと、普通の学生なら、そんなことはないのに」
「あのな、お前はすげぇ恵まれてんだぜ? 同じ年頃の学生がごまんといる中でも、とんでもなく上にいる羨ましい人生を送ってんだ」
「そう、なの、か?」
「産まれたときから豪勢な生活してるから、実感ないかも知れないが、そうなんだよ。小さい不平不満なんて、取るに足らないことだろ。第一なんだよ、二人きりって」
「…………」


ちょっとキツい言い方だったか?


「なんて言えばいいか、困る。私はこれまで、こんなに悩んだことはない。私は──」
「このあたりじゃないか?」
「え?」
「昨日別れたところだ」
「あ……もう、過ぎてた」
「ならここまでだ。もう戻れ」
「だけど……」
「よく考えろよ萌。今のお前、ちょっと無防備だ」
「…………」
「じゃあな」


これから、どうすればいいんだろうな。

どう、進めばいいんだろうな。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「うおっしゃあああ37位! 海斗に勝ったぁ!!」
「ち……まさか侑祈に負けるとは」

 

先日受けさせられたテストの点数が、張り出されていた。

オレの順位は38位で、点数の差は3点。



 

「相変わらず低レベルな次元で争っているな」

 

 

 

「しかし、今回は今までよりも低いな。侑祈に負けるところは初めて見たぞ」

「いつも熾烈なビリ争いに、紙一重で加わってなかったからな、海斗は。あースッキリする」

「どうしたんだ海斗?」

「単純にお前と萌のせいだろ」

「私、たち?」

「そう言えば最近、お前ら放課後一緒にいるよな」

「ああ、それでか……」

「それがなけりゃもう少し、悪くても侑祈には負けてない」

「しかし、それを言い訳にするのはどうかと思うぞ」


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「悪いな。麗華の用事で少し遅れた」

「…………」

「…………」

「一応指示しておいたが、どれくらい進めた?」

「…………」

「…………」

「怒らないから二人が背中で隠そうとしてる屋台を見せろ」


さっと二人が同時に左右に別れ屋台を見せる。


「……説明してみろ。理由を」

 

 

 

「看板を取り付けようとしたら、土台が崩れた」

「おにぎり、食べてた」

 



「てめぇらそこに座れバカ野郎!」

 


「お、怒らないと言ったじゃないか」

「約束は守らないと、ダメ」

「うるさい! 真面目に作る気あるのかよ!」

「それは、もう凄く」

「神崎さまの願いは私の願いだ」

「夢は大きく。現実は小さく」

「あのな、二人が不器用なのはわかってる、しかしだ。一人はやる気が空回りして進行を後退させ、一人はやる気以前に飯食ってた。これ見れば怒りたくもなるだろうが」

 

 

 

「落ち着こう。とりあえず、はい、おにぎり」

「食べかけじゃねえか、しかも具がないし」

「具は食べておいた。シャケは嫌いだ、って言ってたような」

「大好物だっ」


ぺしっ。


「いたい……」

「薫も薫で無茶したな。ここに足かけたろ」

「すまない。耐えられると思ったんだが、思ったよりも耐久力がなかったから」

「作りかけの土台に耐久力を期待するな」

「また作ればいいじゃないか。時間はたっぷりある」

「そのとおり」

「作り直すのオレだろっ」

「すまない」

「ごめん」

「謝るのは楽でいいよな、ったく」


幸いにも、木材が折れたりしていなかった。

昨日のところまで直すのに、今日一日使うことになりそうだが。


「ほらさっさとやるぞ。萌も飯食ってないで準備しろ」

「うん。でもおにぎりを先に食べないと鮮度が落ちる。だから一緒におにぎりを食べよう」

「そうだな。あとで幾らでも付き合ってやる。……だから一秒でも早く屋台を直すぞ」

「いつもの海斗なら、『もうやめだやめだ』って言ってるのに、いったいどうしてしまったんだ」

「寛容な姿を見せても、格好いいと思う」

「それは、オレにやめて欲しいのか? ん?」

「いや……」

「けしてそういうわけでは」

「なんと言われようが、屋台は完成させる。そのためにはスパルタ鬼教師にもなるから覚悟しておけ。ほら、さっさとおにぎりを置け」

「おにぎりー、ぱくっ」

「食うなっ!」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 



「つーわけでよ、あいつら一日の作業を無駄にしやがったんだぜ?」
「…………」
「ちゃんと聞いてんのか?」
「聞いてるけど、なんで私が愚痴を聞かなければいけないか」
「なんだ、そんなこと考えて黙ってたのか?」
「お前暇だろ?」
「とぅ」


バスッ!


「いきなり、ボディーにパンチぶち込むなよ」
「私は海斗のお母さんじゃない」
「メイドだろ。オレの」
「その言い方は違う。確かに海斗の世話係だけど、海斗のメイドじゃない」
「世話するんだから同じようなもんだろ。黙って愚痴も聞けよ」
「理不尽」


……。

 

 

 

「でな、また萌のヤツがおにぎりを食い始めて──こら、ちゃんと人の話聞いてるか?」
「聞いてる、聞いてる……くー」
「ベッドの上で布団の中に入って目を瞑って寝息立ててるのを聞いてるって言うのか?」
「…………」
「聞けよ!」
「うー……うるさい。もう12時過ぎてる……」
「こっちはまだ話足りないってのに」
「いつから、そんなにお喋りにな……くー」
「中途半端に喋りながら寝るなっ。ここが男の部屋だってわかってるのか?」
「……くー」
「本気で寝やがったな?」


この部屋防音されてるんだぞ。

いきなり布団の上から襲ってやろうか。


「ツキじゃ勃たんな」


机の上に立てかけてある本を一冊抜き取る。


「外のベンチで読むか」


例えなにもないとわかっていても、このまま男女同じ部屋にいるというのも問題だ。

電気をつけっぱなしにしていたら、眠りにくいだろう。

電気を消してやる。



 

 

 

「電気つけて!」

 

 


「うお、なんだっ?」

「電気つけてっ!!」

「お、おう」



 

「おいツキ?」

「……部屋に、戻る」
「別に襲おうとしてたわけじゃねえぜ?」
「わかってる。なんでも、ないから」


「…………」


なんだったんだ?


浅いとはいえ、眠りにつきかけていたツキ。

オレは親切心で眩しいだろう電気を消しただけだ。

 

 

 

ツキ。


苗字は知らないし、ツキ、という字も知らない。

いつも冷静で淡々とし、オレは今まで声を荒げるところすら知らなかった。

もしかして、あいつもオレと同じなのか?

真っ暗な闇の中で、眠れない体質。

高くはないがありえない確率ではない。

あるいは単純にオレに対して見の危険を感じたか。


「ま、考えても仕方ないか」


別にあいつを知ろうとは思わないし。

あいつもオレに知って欲しいとは思わないだろう。


…………。

 

……。

 

 

 

 



「この愚か者! いつまで寝てんのよ!」
「仕方ないだろ! ようやく屋台が完成して、ドッと疲れが押し寄せて来たんだからよ! それに起こせば良かっただろ!」
「言い訳しない! 私は見栄にこだわらないけど、自分がやり遂げると決めたことはやり遂げるのよ! 学園をサボっても早退しても、遅刻だけはしないってね!」
「やり遂げること中途半端だなっ!」
「記録が途切れたらどーすんのよ!」
「まだ諦めるには早いだろ! 100メートルを10秒で走っていけばセーフだ!」
「そんなに早ければオリンピック行ってるわよ!」
「じゃあ一緒にオリンピック行くか!」
「うるさい! もう黙って走れ!」



 

 

当然のように、間に合うことはなかった。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

色々と紆余曲折あったが、この日が来るのはわかっていた。



 

 

「…………」

「…………」

「…………」


汗と汚れにまみれたオレたちは、言葉を交わすまでもなく、それを見つめた。

一台の屋台。

最初に聞かされたときは、まさかと思っていたが。

ここにこうして、形として存在している。



 

「出来た」

「はい、神崎さま」

「出来た」


「そうだな。すげぇ疲れたけど」

「完成したらお腹空いた」

「お前らしいな」


ぽんと、軽く肩を叩く。


「お疲れ。よく頑張ったな」

「……うんっ」


すす汚れた顔でにっこりと笑う萌。

大人びて見えるはずの風貌が、どこか幼く感じられた。


「明日、屋台を開けるかな?」

「明日すぐに、とまではいかないかも知れないが、近いうちに必ず何人か呼んで食わしてやろう」

「そうだな。私も楽しみだ」

「散らかしたところを、片付けるとするか」

「ああ」

 

 

 

「…………」
「屋台に見惚れるのはあとにしろ」
「これで、終わり?」
「そうだ。完成したんだよ、お前の屋台が」
「……終わり……」
「不満なのか?」
「屋台が完成したのは、凄く嬉しい。これで食べ物を作って、誰かに食べさせてあげられるのが、嬉しい」
「ならもっと喜べ。天上に突き刺さるくらい万歳しろ」
「でも……。でもこれで、海斗と一緒にいる理由が、なくなった」
「…………」
「そう思うと……なんだか、嫌だ。海斗はどこまで、いつまで、私といてくれる?」

 



「神崎さま……」


「今日、ここでお終い? それともクレープを焼くまで?」

「お前は、神崎家の、資産家のお嬢さまだ。それでオレは不真面目なボディーガード。そろそろお互い、元の位置に戻るべきじゃないか? 色々なことがあって、今距離が掴めなくなってる」

「…………」

「乗りかかった船だ、クレープを焼くまでは付き合ってやる。だが、そこまでだ」

「…………」

「ぼけっとしてないで片付けるぞ。すぐに稽古だろ」


そう、元に戻るべきだ。

それが正しい。

オレは元々、イレギュラーな存在なんだ。


…………。

 


……。

 

 

 

 



「…………」
「…………」
「もう、部屋に戻ってもいいか?」
「なんだよ、まだなにも話してねぇぞ」
「だってなにも喋らないし。もうすぐ1時間になる」
「そうだったか?」
「じゃ」
「……あぁ」


「なあツキ」
「なにか?」
「今まで、何人くらいいたんだ。ボディーガードが、お嬢さまと恋愛するって無謀なヤツ」
「そんなこと聞いてどうするか」
「別に、なんとなくだ」
「私にはわからない」
「メイドだもんな」
「メイドだから。だけど、その無謀な人たちは皆、後悔してる」
「…………」
「最後には傷つく結果しか待っていないから」
「そうだな」
「おやすみ」

 


「そう、結果なんて誰もがわかってる。わかってて、失敗する。愚か者の典型だ」


…………。

 

……。

 

 

 

──ピピピピピ……。



 

「こんな時間に電話? ──もしもし…………。誰だ」
『…………海斗』
「薫?」
『…………』
「なんだよ、こんな時間に」
『頼みが……あるんだ』
「眠れないから子守唄を歌ってくれと言うなら、断る」
『真面目な話だ』
「わーってるよ」

 

こんなに沈んだ声を出されてたら、嫌でもわかる。


『直接会って話したい』
「おいおい、本気か? もう12時になるぜ」
『頼む』
「オレにどうしろと?」
『いつもの、道場まで来て欲しい』
「支度するからちょっと待っててくれ」
『出来る限り、急いでくれ』
「なんだってんだ?」

 

……。

 



 

静まり返った夜の道場。

今日は月が出ていないせいで、よく見えない。


「いるんだろ?」


声をかけて、目が慣れるまであたりを見渡す。


「ここだ……」


「そこにいたか……!? お前……泣いて……」

 

 

 

 

「っ」


ごしごしと、袖で涙を拭う薫。


「なにがあった」
「明かりをつけると、誰かに気づかれる。……アレを、見てくれ」
「アレ?」


薫が指を差す場所。

暗くてまだ見えないが、屋台が置いてある場所だ。


オレはそこに駆け寄る。

そして、徐々に目が慣れてくることで、その悲惨な姿を見つけることが出来た。


「なんだコレ……」


三人で懸命に作った屋台は、見る影もなく無残な姿だった。

木材がヘシ折れてるだけじゃない。

懸命に掃除して買った器材まで壊されている。


「まさかお前か?」
「…………いや」
「そうか、じじいがやりやがったのか!?」
「海斗……」
「だとしたら、マジで許せねぇぜ……」


オレがムカつくから、オレに当たるのは構わない。

しかしこれは孫娘が望んでたものじゃねえか!


「じじいどこだ、呼んで来い!」
「違うんだ……」
「なんだと?」
「これを壊したのは……神崎さまなんだ……」


──!


雷光が光った。

それから間もなくして、大粒の雨が降り注ぎ始めた。


……。

 

「バカな。萌が壊した? なんで、どうしてだ。あれだけ楽しみにしてたじゃねえか、屋台が完成するのを」
「…………」
「それで萌はどこだ」
「屋敷にはいない」
「……なんだと?」
「…………」
「屋敷にいないって、お前ボディーガードだろ!」
「そんなことはわかってるさ!」
「ならなんで──」
「私じゃダメなんだ……私じゃ……」
「どこに行った。神崎はどこに行ったんだ」
「……高畑山」
「や、山ぁ? こんな時間に? それに大雨だぜ? すぐに行かないとヤベぇんじゃないのか」
「私は止めた。だけど、聞き入れてはもらえなかった」
「あいつはなにしに山に行った」
「作るためさ。また、一から屋台を作るために」
「それ全然理解出来ねぇよ。これじゃダメだったのか?」
「わかってるだろ? 海斗」
「…………」
「海斗と過ごす時間を作るために、行ったんだ」
「だとしても、間違ってるだろ。丹精込めて作った屋台を壊して、それもボディーガードのお前を置いて行くなんて……」
「神崎さまだって、こんなこと、望まれちゃいない。けれど仕方ないじゃないか。私も、神崎さまも、自分の気持ちをどうしていいかわからないんだからっ!」


ぽろぽろと流れる大粒の涙。

それを恥じようともせず、いや……

今の薫には、涙を見せることなど恥でもなんでもないのか。


「悔しい……悔しいが、私じゃダメなんだ……」


けして薫に落ち度はない。

オレから見ても、十分に立派なボディーガードだ。

すべてオレの責任だろう。


「すまん。オレが、萌に関わらなければ」
「謝るなっ、謝らないでくれっ……もっと、もっと惨めになるからっ」



 

 

どれだけ悩んで、電話をかけてきたのだろう。

己のプライドと戦い、苦しんだのだろう。

オレと萌が互いにどう思っていようと関係ない。

ただ、薫は飛び出して行く萌を止められなかった。

危険に晒してしまうことを知っていながら、呆然と見送ることしか出来ず、あとから追いかけることも出来なかった。

そして、結果としてオレに頼るしかなかった。


……。

 

 

 



駆け上がる。

ズボンに跳ね返る泥など、気にしてはいられない。

この先にいるであろう、萌の姿を探して。


……。

 

 

 

 

山の頂上、少し閑散とした場所。

工事の木材置き場になっているその場所に、そいつはいた。

濡れた木材の上に、腰を下ろし俯く少女。

今なにを考えているんだろう。


「…………」


多分、オレは小さくなにか呟いた。

そんな声は萌に届かず雨音に打ち消される。

今なにを考えているのか。

ゆっくりと近づく。


「ずぶ濡れじゃねえか」


最初に出た言葉は、あっけないほど普通のものだった。


「かいと……」


「なに子猫みたいなか細い声だしてる」
「…………」
「こんな場所でなにやってんだよ」
「どうして、ここが?」
「お前を心配してるヤツから連絡をもらった」
「そう……」
「勝手に屋台ぶっ壊しやがって」


濡れた髪に手を置き、わしゃっとする。


「わ……」
「お前にとってアレは、その程度のモンだったのか?」
「違う」
「だったら、なんで壊した」
「屋台は、とても大切。でも……海斗と会うことは、屋台の大切よりも、もっと大切。それに気づいたから」
「んなもん大切にするなよ。オレだってどう言っていいかわかんねぇだろ」
「私もわからない。気づいたときには、屋台を壊してた」
「手、怪我してるじゃねえか。まさか素手で壊したとか言うなよ?」
「……素手
「…………」


末恐ろしいな、その破壊力。


「雨……強くなってきたな」
「…………」
「そろそろ帰るぞ」
「いやだ」
「なんでだ」
「木材、運ぶから」
「…………」
「それから、また海斗と、一緒に屋台作る。だからまた明日」
「勝手言うな」
「でも、屋台作るの、手伝ってくれるって……」
「アレは一回きりだ、一回きり」
「それは困るっ!」


俯いていた顔が、初めて上げられた。

 

 

 

「それはとても……困る」
「屋台は壊れた。その事実は変わらない。この世に一つだけの、三人で作った物だった」
「…………」
「正直言って、今すぐにでもオレは帰りてぇ。帰ってずぶ濡れの服脱いで風呂入って寝たいんだよ。なんでそうしないかわかるか? 泣いてるヤツがいたんだ。自分の無力さに打ちひしがれてるヤツがな。そいつのために、オレはここに来た」
「うん……海斗の、大切な友だち」
「そうだな。でも、一つ理由が増えた」
「りゆう……」
「ここにも泣いてるヤツがいた。屋台を壊すなんつー、傍から見たらちょっとオツムの回らない子供じみた行動するヤツ。屋台を作るために会いに来いなんて、随分と弱気な攻めじゃねえかよ」

 

 

 

「あ……」


腕を引っ張った瞬間、萌は僅かに驚いてピクリと体を震わせた。

しかし、俺はそれにかまわず強引に彼女を引き寄せた。


「『私に会うために来て』くらい言ってみろ」
「……それは、難しい。自分の容姿には、自信がない……」
「今時軽く化粧もしないもんな」
「よくわからないから」
「飯も人一倍食うもんな」
「お腹、空くから」
「強引に引っ張って、帰るからな」
「…………」


引いた手は、微かに抵抗を見せたが、やがて引っ張られるままについてきた。


「……帰りたくない」
「ここにきて、まだ足掻くか」
「屋台も、海斗も、薫も……全部、失くした気がするから」
「少なくとも薫は、まだ失くしてねえよ」
「屋台と海斗は?」
「屋台は間違いなく壊れた。事実だろ?」
「…………」
「ほら、帰るぞ」
「いや」
「子供だなお前は。前々から言ってやろうと思ってたんだが、お前の萌って名前は妙に可愛すぎる。外見と性格からはちょっとかけ離れてるよな」

だから誰も、萌と呼ばないんだろう。

引っ張る腕は動かない。


「来い」
「っ」
「火ぃつけたお前が悪ぃんだからな」
「……え?」
「先に言っとくぞ」


振り返って、萌の目を見つめる。


「お前のこと好きになるからな」
「…………」


ぱちぱち、瞬きする。


「目で返すな」
「よく、理解出来なかった」

──!


「しばき倒すぞ」
「叩かれた……」
「ちゃんと考えろ。意味くらい理解出来んだろうが」
「…………」
「…………」
「……うん」
「ほんとかっ!? ほんとに理解したかっ!?」
「した」
「全然表情が変わらんからわからねぇ……」


ひょっとすると嬉しくないのか?

それはかなりショックかも知れない。

まさに一人相撲ってことに……。


「まだ、帰る気にならないか?」
「うん。もっと、帰りたくなくなった」
「…………」


いつもと変わらない表情だと思っていたが……

よく見てみると、萌の頬がほんの少しだけ赤くなっていた。


「とにかく。いつまでもこんな雨の中じゃ、オレはともかく、お前が風邪ひいちまう」
「…………」
「このまま帰りたくないっていうなら、こっちに来い」
「どこに?」
「ここに来る途中、作業用のプレハブがあっただろ? あそこなら、とりあえずは雨風はしのげる。ほら。手、出せ。転ばないように気をつけろよ」
「わかった」

 

 

……。

 

 

 

 

木材の切出し時に使っていたと思われるプレハブは、雨風をしのぐには十分すぎる作りだった。



 

「念のため、大き目のタオルを持ってきておいて正解だったな」
「……ごめん」


萌は少し冷静になったのか、オレの言葉にしゅんと落ち込んだ。


「ま、こうして無事だったんなら問題なしだ」
「……うん」
「ったく、心配かけんな。ほら、こっち来い」


濡れてしまった萌の髪をタオルで拭いてやると、子猫のように気持ちよさそうな表情になっていた。


「問題なのは、その濡れた服だな。さすがに着替えまでは持ってきてないし……」
「大丈夫」
「?」
「こんなこともあろうかと」


萌はそう言うと、持っていた鞄を開けた。

鞄の中には萌の私服。

雨が降ることを見越して、着替えを持ち歩いていたのか。

あるいは、当分家に戻らぬ決意で木材を運び出すつもりだったのか。



 

 

「まぁ、乾いた服があるなら良かった。風邪引く前にさっさと着替えろ」
「うん」


なぜか、萌はオレの言葉に少しだけ頬を赤らめた。

イヤな予感しかしない……


「それじゃあ……着替える」
「ああ、そうしろ……って、ちょっと待て!!」
「?」


萌はオレの動揺している姿に首を傾げている。

こいつ……本気でなにも考えてないのか?


「お、オレが見ている前で着替えようとするな!」
「海斗が着替えろと言った」
「お前、オレを男と認識してないだろ!?」
「海斗になら見られても平気」
「う……そういうことを当たり前のように言うな」


改めて見た萌の姿は、濡れた制服や髪が肌に張り付いて、妙な色香を放っていた。

ダメだ。

これ以上、目視していたらなんか色々ダメだ。


「オ、オレは後ろ向いてるから、その間に着替えてくれ」
「わかった」


萌がコクリと頷いたのを見て、窓の無い、背後の暗闇に体を向けた。


………………

 

…………

 

……

 

 

妙な静寂が訪れた。

聞こえてくるのは若干弱まってきた雨の音と、萌が着替える音だけ。

クソ……これはこれで失敗だったかもしれない。

音だけだと、余計に想像力が働いてしまう……

 


「ねぇ……海斗」

「な、なんだよ!?」

「着替え、手伝ってほしい」

「は!?」

「服が濡れているから、脱ぐの……難しい」

「ちょっと待て、いや、そんなこと言ってもだな」

「お願い」


結局、オレは萌の懇願に抗えなかった。


「わかった」


雨音の中、それでも薄い月明かりが窓から差し込んでいた。



 

「今回だけだからな」
「……うん」


小さく頷いた萌。

近づいてみて初めて気づいたが、萌の体は小さく震えていた。


「……寒いのか?」



 

「少し。でも、大丈夫」
「なんでだよ。そんなに震えて……」
「さっき、海斗が言ってくれた言葉を思い出せば、すぐに温まる」
「オレが言った言葉?」
「私のことを好きになる。って」
「お、お前なぁ……」
「海斗……」

 

 

 

萌はオレの言葉を遮るように名前を呼ぶと、そっと目を閉じた。


「私のこと、好きになってくれたのなら……その証が欲しい」


月明かりに照らされた萌は、まだ震えていた。

寒いから震えてるんじゃなこうて、緊張とか不安とか……そういった震えなのかも知れない。

そんな萌の姿が……たまらなく愛おしい。


「萌……」


オレは萌の震える体を抱きしめると、そっとその唇に口付けた。



 

「海斗……」


唇を重ねると、萌もその冷えた腕をオレの体に回し、強く抱きしめてきた。

互いの心音が、身体を通して聞こえてくる。

まるで、今この世界にはオレたちだけしかいないような……そんな安易な錯覚におちいるほど、心地良い高揚感に包まれていた。

 

……。