このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。
読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。
ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
─Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。
--------------------
そして、迎えた10月23日──。
本当なら、ものすごいスクープを手に入れていたかも知れないのに──なぜか僕たちは、神成刑事さんの前でそろって叱られ、また、ネチネチと嫌味を言われたりしていた。
「なるほどな。話はだいたい分かった」
僕と尾上と、そして、久野里さんを"補導"した神成さんが、いちおう、メモらしきものをとっている。
そして、僕らの横では──
「すみません。本当にすみません。私からもよく言って聞かせますから、その……なんとか……」
──来栖がペコペコと頭を下げていた。
それが実に申し訳なくて、僕と尾上はひたすらうなだれ、いかにも反省しているポーズをとっていた。
「まぁ、今回は特別、大目に見ておくからな、宮代くん。ホテルの中に侵入したのなら署まで来てもらうことになったが、未遂だからね……」
そう。僕と尾上と、なぜか僕らにくっついて来た久野里さんは、今日、どこでどんな事件が起こるか予測するために、これまでの事件を再検証してみようとした。
そのために、『回転ジェット』の舞台となった『妖精のダンス』というホテルに、非常口からこっそり忍び込もうとしたのだ。
ところが運悪くその現場を、別件の捜査中だった神成さんに偶然見つかってしまい──お説教された挙句に、保護者代わりの来栖にまで連絡されてしまった、と……そういうわけだった。
全くもって、ついてない話だ。
しかも、見つかったのが僕と尾上だけなら、ひたすら謝って、もう少し早く解放してもらえたかも知れないのに──
「確かに私たちが罪を犯したことは認める。だがな、神成さん? あんたが今日こうして渋谷の街をアテもなくうろついているのは、私たちと同じ理由だと思うのだが、どうだろう? そうであれば、こんな所で私たち相手に世間話をしている場合ではないと思うが?」
「………。あのな? 俺はアテもなくうろついているわけじゃないし、キミたちと世間話をしてるわけでもない。そもそも久野里さんは、自分が事情聴取をされているという自覚はあるのか? いつになったらその毒舌を改めるつもりなんだ」
「毒舌とは心外だ。私は至極まっとうなことを言っているつもりだが」
「………」
そう。久野里さんがいるせいで、話がこじれまくっているのだ。
そもそも、なぜ彼女が一緒にいるかというと──
話は二日前にさかのぼる。
──二日前。
彼女が新聞部の部室に現れたのは、ちょうど部室に僕しかいない時だった。
もしかすると、そのタイミングを狙ったのかもしれない。
「ほう。『ニュージェネレーションの狂気』と、事件発生日の一致について……か。オマエの目はただのフシ穴ではないようだな」
久野里さんは、事件をマッピングしたボードの前の椅子に座ると、スカートの長さなど全く気にせずに足を組んだ。
本人にはそんな意識は全くないのだろうが、白衣の間から覗く脚が妙に煽情的なことがあって、時々、目のやり場に困る。
ちなみに、久野里さんは確かに僕らの先輩だが、別に新聞部に所属しているわけではない。
その点は有村と同じで、なぜかウチの部に時々こうやって出入りしては、有村とは別の意味で新聞部の活動の邪魔を──もとい、有益な情報を提供していってくれる。
「実は、私もずっと考えていたんだ。六年前の事件と、なぜ同じ日なんだろうと」
「犯人が『ニュージェネレーションの狂気』を意識していることは間違いないですよね?」
僕が身を乗り出して言うと、久野里さんは、なぜか『キミは何を言ってるんだ?』という顔つきになった。
「"犯人"? いったい、なんの犯人だ?」
「いや、だから、今回の一連の事件の──」
「宮代、よく考えてみろ。今回の件に犯人なんてものが存在するか?」
「え?」
意表をつかれて、僕は口をみっともなくポカンと開けてしまった。
「たとえば、第一の事件『こっち見んなー!』だが、あれはただ消費期限切れのチーズを、それと気が付かないで食べてしまっただけだ。いわば、本人のミス以外のなにものでもない」
「………」
「続いて『音漏れてん』か? あれも、ネット上では事件なのかも知れないが、リアルな社会の中では、やっぱり本人がミスをしただけのことで、事件扱いにすらなっていない」
久野里さんにそう諭されてみると、確かにその通りだ。
さっきまでの興奮が急速にしぼんでいくのを感じる。
(そっか……『回転ジェット』も……)
柿田さんがひどい目にあった『回転ジェット』だって、ベッドを作ったメーカーの設計ミスだし、『ごっつァンデス』にしても、ネット記者の渡部の自業自得でしかない。
確かに、『ニュージェネレーションの狂気』のような"犯人"なんて、存在していないんだ。
「でも、六年前の事件と発生日がピッタリ同じなんて……」
「ただの"偶然"」
「………」
「あるいは、そうじゃないかも知れない」
「って、どっちなんです?」
「それが判然としないから、私も思考がまとまらずに困ってるんだ」
久野里さんは、壁に貼ってある渋谷のマップを眺めながら、珍しく戸惑うような表情を見せた。
「ただ、もしも10月23日にまで何かが起こるようであれば……確率的にも、さすがに偶然とは言いがたいな」
「僕もそう思います。だから23日は、渋谷の怪しい場所を調べて歩いてみようかと」
「ふむ。……それなら私も同行させてもらおう」
「ええ?」
「なんだ、イヤなのか?」
「いえ、そういうわけじゃないですけど」
……というのはウソで、久野里さんと一緒だと面倒なことになりそうだと思った。
……
そして、その予感は、まさに今、的中していた。
「だから、久野里さん。今日は危険だから、このままおとなしく帰ってくれと言ってるんだ。君に助けを借りたい時は、改めて連絡するから」
「危険? 何か事件が発生するような情報を持ってるんだな、警察は?」
神成さんが、一瞬、しまったという顔になった。
一方の久野里さんは、口の端でかすかに笑う。
このふたり、どうにも久野里さんの方が一枚上手らしい。
──プルルルル……。
その時、神成さんのポケットでスマホが鳴った。
話題をそらせると思ったのか、彼は少しホッとしながら通話ボタンを押す。
「はい、神成。こっちは今のところ特に──」
神成さんがスマホに向かって何か言おうとする前に、通話口の向こうから、半狂乱になっている声が響いた。
断片的にしか聞き取れないが、犯人らしき女を発見したとか、女が炎を出したとか、消防に緊急連絡をとか……とにかく、電話の相手は完全にパニックを起こしている。
(……炎? 女?)
耳を澄ませてみると、街のあちらこちらから、消防のサイレンが聞こえ始めていた。
「拓留! 世莉架! とにかく今日はもう帰りましょう! 久野里さんも、刑事さんの言う事をちゃんと聞いて──」
異変を察した来栖がそこまで言いかけた、その時、だった。
カツッ……。
ズルリ……。
カツッ……。
ズルリ……。
「………」
その女の姿は、路地の向こうからゆっくりと現れた。
「!?」
「う?」
「ひ?」
それは、なんとも不気味な女だった。
顔のほとんどを覆い隠すほどの長い髪。
そのせいで表情がまったく見えない。
けれど、髪の奥から覗く瞳だけが、何かに飢えているように爛々と光っている。
それはまるで、深淵に闇を宿したように、どこまでも昏い光だった。
そんな女が、こちらに向かってゆっくりと歩いて来る。
その動作がやけにぎこちなく見えるのは、片足を引きずっているからだと、僕はようやく気付いた。
足を怪我しているのか、それとも、元々、足が悪いのか。
だが、その緩慢(かんまん)にも見える動作が、逆に獲物を狙う爬虫類のようで余計に恐ろしかった。
「タク……」
「あの人、いったい……?」
「尾上も来栖も、下がってろ」
僕は自分の足が震えているのをごまかすかのように、ふたりを背にかばう格好で、逆に一歩前へ出た。
「ダメだ、宮代くん。あいつは、今までのバカバカしい事件の連中とはわけが違う」
「え?」
「ここ最近、渋谷で連続放火が起きてる。目撃情報から鑑みて……犯人は、たぶんあの女だ」
「しかも、あいつはただの放火魔じゃない。火を使う能力者の可能性がある……」
「発火能力者(パイロキネシスト)だと言うのか……?」
発火能力(パイロキネシス)──。
その能力の原理は未だに謎とされているが、通常では考えられないほどの短時間で熱エネルギーを発生させ、対象物を一瞬で燃え上がらせることが出来るという。
それが、数ある能力の中でも、最凶最悪のひとつと言われているゆえんだ。
「所轄の刑事がすでに2人やられてる。ここは俺がなんとかするから、久野里さんは、宮代くんたちを連れて、逃げろ」
カツッ……。
ズルリ……。
カツッ……。
ズルリ……。
そうこうしているうちにも、女はゆっくりと近づいてくる。
「止まれ! 手を頭の後ろに置き、そのまま動くな!」
神成さんがついに懐から拳銃を抜き、照準だけは女からやや外しつつ、叫んだ。
だが、その次の瞬間!
「うわっ!?」
発火能力(パイロキネシス)が恐れられている理由の一端を、僕たちは目の当たりにすることになった。
──ッ!!
あろうことか、神成さんが、手にしていた拳銃を放り出したのだ。
と同時に、拳銃は、まるでアメ細工の作り物であるかのようにグニャリと折れ曲がったかと思うと、いきなり火球と化した。
火球の芯が青みがかっているのは、たぶん、金属が燃える際の高温のせいだろうか。
銃にこめられていた弾丸の中の火薬が次々と破裂し、耳をつんざくような音があたりに響く。
神成さんはもちろん、あの久野里さんさえ言葉を失っていた。
そんな僕たちの姿を見て悦楽を感じたのか、女の口の端がニイッとつりあがった。
そして──ふいに。
女の目が僕に向けられ、視線と視線がからみあった。
「………」
最初それは、獲物を追い詰めた殺人者の笑みを含んでいたが──僕が尾上と来栖を必死になってかばっているのを見ると、いきなり、悪意と憎悪に満ちた目に変わった。
それがあまりにも恐ろしくて、思わずサッと視線を外してしまった。
が、そろそろ大丈夫かと思って女に視線を戻してみると……。
(うわぁっ、なんかまだこっち見てる!)
女はなぜか僕をずっと見つめたまま、ザラザラとした不快な声でこう言った。
「……お前……死ね……」
──ッ!!
その途端、僕の足元から大きな炎の柱が立ち上った。
それはあまりにも唐突で、強力で、もしも僕の能力が念動(サイコキネシス)じゃなかったら、大火傷をおっていたに違いない。
僕が本能的に炎に向かって能力をぶつけたことで、炎柱はかろうじて軌道を変え、そばにあった植え込みを一瞬で灰に変えた。
(こ、この女、ヤバイ! ヤバすぎる……!)
「二人を連れて逃げろ、宮代くんっ。早くっ」
神成さんが久野里さんをかばいつつ、必死になって叫んでいるが、実のところ僕は足の震えが止まらず、思うように逃げることが出来なくなっていた。
「拓留っ、急いでっ……お願いっ」
あの"女帝"来栖乃々ですら、歯の根も合わないような声で言うものの、僕と同じで、全く身動きができないようだった。
「逃がしは……しない……」
女は、まるでゾンビ映画のワンシーンのように、片足を引きずりながらさらに僕たちのほうへと向かってくる。
カツーン……ズルリ……。
カツーン……ズルリ……。
そして女は、僕らの方に向かって指を突き出した。
今にも、僕らの周囲に火柱が上がる様子が想像できた。
もうだめだ。
僕は、とっさに尾上と来栖を守ろうと、二人を抱きかかえるようにして地面に伏した。
神成さんも、久野里さんをかばうように抱いて、地面に転がる。
「きゃっ……」
神成さんに抱かれた時に、"あの"久野里さんが、これまで聞いたこともないような可愛らしい悲鳴を上げたが、今はそれを気にとめている余裕さえない。
たぶん、こんなことをしても無駄だ。
一瞬後には、僕らのうちの誰かが火だるまに──
「……うっ。うっ……うううっ……ぐすっ」
「「は?」」
「うううっ、ぐすっ、うえぇぇ……」
「あ、あれっ?」
「ええっと?」
おそるおそるパイロキネシストの女の方を振り仰ぐと、彼女はいつの間にかその場にペタンと座り込み、おいおいと泣き崩れていた。
僕らは全員当惑して、顔を見合わせた。
「あ、あの~? ちょっと、キミ?」
「どうかしましたか~?」
「大丈夫ですか~?」
「ううう、いいんです。私なんか放っておいてください。うわぁぁん……」
いやいやいや!
『放っといてくれ』もなにも、そっちが勝手に襲ってきたんでしょうが!?
……と思わずツッコミそうになる自分をおさえ、僕は尾上と来栖に手を貸しつつ立ち上がった。
神成さんと久野里さんも、犯人の女を刺激しないようにそっと立ち上がると、彼女の方へ少しずつ近づいていく。
ちなみに、久野里さんが蚊の鳴くような声で『わ、私が男に押し倒されて『キャッ』とか悲鳴を上げただと?』とかブツブツ言っているみたいだが、それにはあえて触れないでおくことにする。
「放っておくわけにはいかないよ。いったい何があったのか、なんで火をつけて回っているのか、教えてくれないか?」
「うっ、ぐすん……だって、だって……。やっぱりリア充爆発しろー!」
──ッ!!
「うおわ熱あちちちー!」
「お、落ち着きなさい、キミ! と、とりあえず火を出すのをやめないか!」
「ううう、ごめんなさい! でも、幸せそうなカップルを見ると、自分でも止められないんですぅ!」
──ッ!!
「だから、やめてくれ! そもそも、俺と久野里さんはカップルでもなんでもないし!」
「僕だって違いますよっ。来栖は姉、尾上は妹みたいなもんで──」
「ほんとう?」
「本当だ。こんな男の彼女だと思われたのなら、実に心外だぞ」
「それはこっちの台詞だ」
「そう……」
女は、僕たちをしばらく眺めていたが、どうやらカップル同士ではないと納得したのか、おとなしくなった。
そこで神成さんが彼女を取り押さえ、話を聞き出してみると──。
どうやら、杯田理子という名の彼女は、片思いの男性のマンションに足しげく通っていたものの、いつもそっけなく追い返され、仕方なく毎日のようにラブレターなどをポストに投函していたという。
『なんかもう、それだけでちょっとストーカーっぽいんですけどー?』とは思ったものの、またパイロキネシスで暴れられても困るので黙っておいた。
そして、その相手の男性は、杯田理子の手紙を読みもせず……封も開けられていない手紙がポストの下に捨ててあったりしたという。
これにはさすがに尾上や来栖は怒ったが、その手紙攻撃がすでに三年間も続いており、しかも、男性が明らかに杯田理子を避けるために五回も引っ越したことが分かると、全員が無言になった。
「ね、みなさん。ひどいと思いませんか? 毎日毎日、心を込めて書いた手紙なのに……」
「え、えと……うん、そうですね……」
「で、杯田さん。始めのうちは、読まないで捨てられていた手紙を見つけるたびに、毎回、自宅へ帰る途中の道で燃やしていた、と。ところがそのうち、怒りや悲しみのコントロールが出来なくなり、幸せそうなカップルを見ると、見境なくパイロキネシスを使うようになってしまった」
「なるほど。連続放火事件の真相は、そういうことか」
「うう、すみません……」
「とにかく事件はこれで解決だ。これから、所轄の方で事情聴取があると思うが、今夜はもう遅い。宮代くんたちには、明日にでも話を聞かせてもらうよ」
神成さんはそう言うと、珍しく疲れ果てたようなため息をついた。
そして、『最近、なんでこんな事件ばっかり?』とつぶやくのが聞こえた。
………
……
パイロキネシストの女の事件から数日経った、放課後──。
「むー、どうしたらいいんだ」
世間をあっと言わせる大事件が起こるはずだった10月23日。
それが、"あんなオチ"では……僕が求めるような記事にならない。
こうなったらもう、10月28日と11月4日にかけるしかないわけだけれど……これまでの流れからして、望み薄というか、期待するとバカを見るというか……。
どうせまた、安っぽいコメディみたいな結果が待っているに決まってる。
(このままでは、新聞部の存在理由が……というか、部費が……)
僕が頭を抱えている横では、伊藤と尾上を中心に、その他の部員全員でとっても楽しそうな学校新聞が作られつつあった。
『僕はあくまでも硬派な報道を貫くのだ』という姿勢のまま、チラリチラリと記事のタイトルを覗くと、
学生でも楽しめる渋谷の隠れ家的スポット10!
(……ふむ、いかにもな記事だな)
食わず嫌い部活動 第一回 茶道部は奥が深くて面白い
(む? やっぱり学校新聞には、こういう部活紹介系の企画が必要なのか?)
クローズアップ碧朋! インターハイ目前・男子バレー部の星
(なるほどな。バレー部のイケメンを特集して、女子の人気を狙うというわけか。さすがは伊藤。抜け目のない戦略だ)
碧朋学園七不思議 その謎を大解明!
(これはまた、いきなりベタな企画だな。たぶん尾上あたりが言い出したな?)
相性ピッタリの友達を見つけよう! YESーNO心理テスト!
(ほう、なるほどなるほど。これも女子生徒にはかなりウケそうな企画──)
「って、ちょっと待てー!」
思わず突っ込んでしまった僕を、室内の部員たちが怪訝そうな表情で見る。
「どうした宮代? っていうか、さっきからこっちをチロチロ見てるようだが……スクープはあきらめて、やっぱこっちの企画をやるか? 楽しいぞー?」
「やかましい。そうじゃなくて、最後のそれ、提案したの誰だ?」
「最後の? YESーNO心理テストか?」
「そうだ。まさか、尾上じゃないだろうな?」
「う? 私と真ちゃんだよ」
「いやぁ、ネタを考えるの、結構大変だったぜ」
「大変もなにも、完全に"ある雑誌"のパクリじゃないかーっ!」
「いやいや、先輩。こういう心理テストってよくあるし、別にいいんじゃないすかね」
「それに、タクの持ってる本とは中身は変えたよー? ほら」
尾上のカバンの中から、無造作に『クールキャットプレス』最新号がこぼれ出た。
「うわあー! 何をどこからどうして持ってくるんだ、お前はっ!」
「ん-と、新聞づくりの参考にしようと思って。朝、タクを起こしに行ったついでにね、秘密の本棚から借りてきたんだけど……」
「わーわーわー! 秘密の本棚とか言うな!」
「ふーん、そっか……拓留ってば、まだこういうのを買ってるのね……」
「い、いや違う! それは違うぞ、来栖! こ、これはだな! あくまでも下々で流行している情報を手に入れるための資料であって──」
「私、ショックです」
──!
「ぐはぁ!」
「ん~。幻滅、かも」
「だから、うきや香月までそういう目で見るなよ。ゲンさんが買ってに売りつけていくだけだから。ホントだから」
「あきらめろ宮代。お前のイメージは今、地の底に堕ちたんだ」
「こういう時は、親友としてフォローするもんじゃないのか、普通……?」
「ん-、親友? なにそれ、美味いのか? それよりちょっとさ、俺たちの作った心理テスト、やってみてくれないか? 学校新聞のお遊びコーナーとはいえ、デタラメじゃまずいからな」
「……くそー」
僕は来栖たちに一通りいいわけをし、伊藤にはその数倍の悪態をつくと、その『YESーNO心理テスト』とやらをテーブルの上に広げてみた。
──YES NO TRIGGER ON!
"幼馴染という言葉にあこがれる"
──NO
↓
"巨乳派です"
──NO
↓
"小さな嘘も絶対に許さない"
──NO
↓
"自分はロリコンじゃない"
──YES
↓
"死ぬまでパリピでいたい"
──YES
↓
"貴方は周りから頼られる兄貴タイプ"
『流行に敏感で[今どき]な君は周りから頼られる兄貴タイプ。なんかすごいまわりから頼られてそう!うん。』
……
「え、なんですか? もしかして先輩、私のこと狙ってるんですか? だから時々、私のことじっと見てるんですね。だったら、その……ちゃんと言ってくれればいいのに」
「これ、遊び気分で作ったわりに、結構、面白いですね」
「もしかすると、今回の新聞で一番ウケちゃうかも知れないよ」
「私もそんな気がします」
「取材が大変だった記事より人気が出ちゃうと、なんだか複雑な気分だけど……まぁ、学校のみんなが喜んでくれるなら、それが一番ね」
「じゃあさ! もしこのコーナーがウケたら、次の新聞からは全部これにしちゃおうよー!」
「ええ?」
「そんなわけいくかっ!」
まぁ、とにかく、みんなが頑張ってくれてるおかげで、ある程度の形になってきた。
あとは僕のスクープ記事があれば、生徒会に文句なんか言わせない新聞の完成だ。
(って、問題はそのスクープなんだよな。どうしたらいいんだ……)
このままだと、僕のせいで部費が減らされてしまう。
かといって、やらせやでっち上げなんて、学校新聞とはいえ、報道人の風上にもおけないし……。
と、そんな僕の苦悩を察したのかなんなのか、来栖が僕の耳に口を近づけて、いきなり言った。
「聞いたわ、生徒会の後輩から。でも大丈夫よ。川原くんにはビシッと言っておいたから。新聞部の部費を減らすなんて、とんでもない」
「へ?」
……なぁ、川原くん。
やっぱり"女帝"に隠し事なんて無理なんだよ。
こうして、男と男の勝負は知らないうちに終わり、いつの間にか、新聞部の予算削減の話もなくなっていた。
………
……
-有村 雛絵編-
……
それから更に、二週間が過ぎ──。
長い闘いの末ようやく迎えた放課後、僕はいつものように部室にいた。
「むぅ……」
「どしたの、タク? むすーっとした顔しちゃって」
「ほっとけほっとけ。この前の新聞記事が好評だったせいでスネてんだよ」
「そういうところ、昔のまま。成長しないわよね、拓留は」
「そうなんですか?」
「そうよ。拓留ってば前だって……」
「い、今は僕の昔の話は関係ないだろ!?」
くそっ。でも、やっぱり納得がいかない。
「どうして、僕が一生懸命に取材してゲットしたスクープより、あんなふざけた記事の方が評判がいいんだ」
「あきらめろ、宮代。それが世間の素直な反応ってもんだ」
「ふんっ。僕の高尚な記事に理解がないなんて、世間なんてやっぱり情弱だらけだな」
「でもさー、タクだって面白いから、クールキャットだっけ? あの本買ってるわけでしょ?」
「だからっ! あれはゲンさんが勝手に売りつけてくるだけで!」
──しまった!
「こ、こら、やめろ、有村! 勝手に人の言葉の真偽を判断するんじゃないぞ! …………」
……あれ?
変だな。いつもなら、すかさず減らず口が返って来るところなのに。
「……拓留ったら、誰に言ってるの?」
「誰って……だから有村に……」
「ひなさんなら……今日は来てない、かも……」
「…………」
改めて部室の中を見回してみると、なるほど、言われてみれば、有村の姿が無かった。
なんだ。どおりで、いつもに比べて静かだと思った。
「それにしても珍しいな。有村が顔出さないなんて。風邪でもひいたのか?」
「う? 体育の授業はでてたよ?」
ってことは風邪でもないし、休みでもない、と。
「おおかた、文芸部の先輩と仲直りでもしたんじゃないのか?」
確かに、その可能性もあるかもしれない。
「それじゃあ有村さん、もしかしたらもう新聞部(ここ)には来ないということでしょうか?」
「その可能性もある……かも……?」
あの有村が?
「いやいや、それは無いだろ。まだここに来て間もないってのに、今や部員よりも当たり前みたいに居座ってるんだぞ」
あの有村に限って、きっぱり来なくなるなんてことあるわけがない。
……はずだ。
「ふふっ、気になる?」
「べ、別に……どうして僕が、有村のことを気になんてしなきゃいけないんだ」
そもそもアイツは部員じゃないんだし、ここに入り浸っていること自体、おかしいことなんだから。
ちょっとお遊びのYESーNOテストの結果が、アイツみたいなタイプだったからって、僕にとってはどうだっていいことだ。
「とにかくだ! 部員でもないやつのことは置いといて、部活だ部活!」
とは言ったものの、新聞も刊行したばっかりで、特に話し合うべきこともなく。
結局、なあなあなままこの日の部活は終わり、下校することとなった。
………
それにしても、なんという平穏な一日だったんだろう。
部としての活動は全く捗らなかったとはいえ、とにかく穏やかな一日だった。
どうして穏やかだったのか……その原因は間違いない。
有村がいなかったお陰だ。
あいつがいると、とにかく伊藤の言うことに茶々はいれるわふざけるわで、一向に話が前に進まないからな。
あいつが居ないだけで、こうも平穏な一日になるなんて……。
これからもこうだと助かるんだけど。
………
なんとなく気分も良かったせいで、あれこれ寄り道してしまい、宮下公園に戻るころには、すっかり日も暮れていた。
「ん?」
トレーラーハウスの前まで来ると、僕を出迎えてくれる人影があった。
「おぉ、タク~、余は今帰ったぞ」
この人がゲンさん。
この辺りでは顔の知れた存在で、僕にクールキャットプレスを調達してきてくれる人でもある。
「いや、ゲンさん。帰って来たのは僕だから」
「お~? そうだったか? まあいい。それよりほら、例のもの、また手に入れてきてやったぞ」
表紙を確認すると、際どい水着を身につけた、見たことのないグラビアアイドルが微笑んでいた。
調達してきてくれるのはありがたいんだけど、ちゃんとこ7うやって確かめないと、時々、持ってる号と被ってることがあったりもする。
「ありがとう。それじゃあこれ」
本の代金と手間賃、あわせて500円をゲンさんに手渡す。
「うほっ。今日は一日稼ぎは無しかと思ったけど、ここにきて逆転ホームランだわい。よぉし、今日は一杯やるぞー。タクもどうだ?」
「いや、僕は遠慮しておくよ……」
「そいつは残念」
とは言うものの、端からそのつもりは無かったのか、ゲンさんはふらふらとした足取りで、鼻歌交じりにブルーシートの向こうへと消えて行った。
よし、新しいクールキャットも手に入ったし、今日はこれでも読んで、平穏な一日の残りを、じっくりと味わうとしよう。
そう心に決めて、僕はトレーラーハウスの扉を開け、いつものように中に乗り込んだ。
……
バッグを置いて、帰り道に買ってきたマウンテンビューを喉に流し込む。
「んぐ、んぐ……ぷはぁ!」
やっぱり、学校の後のマウンテンビューは格別だ。
──「おかえりなさい」
「ただいま……」
「今日の部活はどうでした?」
「ああ。今日は平和なもんだったよ。なんたって、あの有む…………ん?」
「~~?」
「あ、有村ぁっ!!?」
「はいさ、雛絵ちゃんでっす♪」
「お、おまえっ、なんでここにいるんだよ!?」
「だって、鍵開いてたから。不用心ですよー。勝手に誰か入ってきたらどうするんですかぁ」
「勝手にって……いったいどの口が──!」
「私が留守番しててあげたんですから、感謝してくださいねっ」
これは夢か? 夢なのか?
試しに頬をつねってみる。
「イテっ!!」
やっぱり夢じゃない。
ってことは……。
「自分で自分のほっぺつねって気持ちいいんすか? もしかして宮代先輩ってそういう趣味?」
「違うよっ! どうしてお前がここにいるんだよ、有村っ!」
「うーん、それについては話せば長くなるんですけどぉ、ひと言でいうと、大人社会への反抗的な? 支配からの卒業的な?」
なんだよそれ。まったく意味がわからないよ。
「ふーっ……」
とにかく落ち着け拓留。
冷静になるんだ。
「ていうか、なんか落としましたよ?」
「え?」
「ほっほぅ……なるほど。『こうすればオンナは落ちる。男の48手』『クリスマス前に絶対に彼女をGET!』ねぇ……」
「お、お前いつの間に!!」
知らぬ間に有村の背中にあったクールキャットを奪い取る。
「だから、先輩が落としたんですってば」
「くっ……」
もしも過去の僕に何らかの方法でメッセージが送れるなら、言ってやりたい。
"最後まで油断するな"と。
いや、それとも"出かける時は鍵をかけろ"か。
「~~♪」
どちらにしても、平穏だと思えた僕の一日は、こいつの出現のお陰で音を立てて瓦解してしまった。
「まあまあ、狭いところですけどその辺にでも座って寛いでくださいな」
「お前が言うなよっ!」
と言いつつ、言われたままにソファベッドに腰を下ろす自分が恨めしい。
「…で?」
「は?」
「り・ゆ・う! ここに居る理由だ! 長くてもいいからとりあえず説明しろよ」
「それはもっちろん、先輩に会いたかったから──」
問答無用で有村の手を掴み、ドアへと連行する。
「のわーっ、冗談! 冗談だってばよー!」
予想外に強い抵抗にあって手を放すと、ようやく大人しくなった有村はため息をひとつ、話し始めた。
「説明してもいいですけど、さっきも言ったように、長くなりますよ?」
「いいよ、別に」
「そっすか。そんじゃ、出来るだけ手短に言いますけどね……う~ん、なんて言えばいいかなぁ……いい言葉が見つからないんすけどぉ……」
「家出?」
「え?」
「だから……い・え・で?」
「家出?」
「いえす! ざっつらーいっ!」
「以上?」
「以上」
「3文字で終わりじゃないか!!!」
「いやー、母親とケンカしちゃって。大人ってなんで、あんな風に自分のこと棚に上げて、説教ばかりするんですかねー」
ダメだ……有村(こいつ)といると本当に疲れる……。
そりゃ有村の母さんだって、文句のひとつやふたつも言いたくなるだろう。
「てなわけで、しばらくここでお世話になりますんで、そこんとこどうかひとつ」
はいはい。もう好きなように──。
「待て」
「はい?」
「い、今……なんて言った?」
「だから、しばらくここで厄介になりますって」
「却下だ!!」
「えー、なんでー?」
いかにも心外だといった素振りで、有村はイヤイヤと顔を振った。
「ダメに決まってるだろ! 見てみろ! この部屋のどこにふたりも泊まるスペースがある!?」
「立って半畳寝て一畳。これだけあれば充分ですよー」
また古い言葉を。
「それに、こっちのこのソファも、ベッドになるんですよね? さっき確認しました」
く……目ざといヤツ。
「だ、だいたい、なんで僕のところなんだよ? 他に行くところならいくらだってあるだろ。例えば香月の寮(ところ)とかさ」
「先日、友達呼んで大騒ぎした子がいて、入居者以外の出入りが厳しくなったって」
「尾上のとことか」
「せり、なんでか頑なに拒否するんすよねー」
そういや、僕以外の人は部屋に上げたことないって言ってたっけ。
「だったら、青葉寮は。なんなら僕の部屋が空いてるはずだけど」
「来栖先輩って、うちの親に断りの連絡しますよね、ゼッタイ」
確かに、来栖なら間違いなくそうするだろうな。
「別にいいじゃないか、連絡くらい」
「それじゃ、家出になんないでしょ」
そういうもんなのか?
「じゃ、じゃあ……伊藤のところとか……」
「ヒドイ! 宮代先輩は私が傷物になってもいいってんですね!」
傷物って……。
「だって伊藤先輩ですよ? きっと夜な夜な私に言葉ではとても言えないような、あんなことやこんなことを……。私……私、イヤだって言ってるのに……それでも彼は無理矢理……よよよよよ……」
可哀想に、伊藤のヤツ。
無いことで勝手に犯罪者扱いされるなんて。
「いや、いくら伊藤でもそんなことは……」
「ないと言えますか?」
「それは……」
……完全に否定はできないのが更に哀しいところだ。
すまん、伊藤。
「その点、宮代先輩なら安心ですから」
「なんで僕なら安心なんだよ!?」
「だってー、宮代先輩ってヘタレじゃないですかー」
「な!!」
「せりみたいな幼なじみや、来栖先輩みたいな血の繋がってないお姉ちゃんがいるっつー、美少女ゲームの主人公みたいな立ち位置にいながら……。何の進展もなくバカみたいにスクープだけ追っかけてるなんて、まさにヘタレの極み。そんな宮代先輩だからこそ、雛絵ちゃんは安心して頼ることができるのであります」
「ぐぬぬ……!」
こいつ……言わせておけば好き放題!
「ぼ、僕だって男だ! いざという時は、何をするかわからないぞ!」
「いい……ですよ」
「え……?」
「宮代先輩になら……いい、ですよ……」
な、なんだよ、急にしおらしくなっちゃって。
「あ、いや……今のは、つい勢いで言っただけで、僕はそんなつもりは……」
「私って魅力ない、ですか?」
「う……」
「ふたりっきりでこんな狭い部屋にいても、そんな気にならないくらい、可愛くないですか?」
待て。
何をドキドキしてるんだよ。
相手は有村だぞ。
そんな気になるわけが……。
そうだよ。
こんな見え透いた冗談に付き合ってなんてられない。
無視だ、無視。
「ちぇ~。冗談とはいえ、ここまで言って何の反応も無いってのは、雛絵ちゃん、ちょっとショック~」
や、やっぱりな。
ちょっとでもあの言葉に乗っかってたら、きっとそれをネタに脅されるなりなんなりしたに違いない。
「でも、ま、思った通りでしょ?」
「……なにがだよ?」
「だから。フツーの男子なら、こんなところであんなこと言われたら、変なことしようって思うもん。その点、先輩は何もしなかった。ってことは、それだけ宮代先輩が人畜無害ってことじゃないっすか」
人畜無害ってのは男にとっては決して褒め言葉ではないと思う。
その空気を感じたのか、有村は慌てて取り繕った。
「あ、もちろん良い意味でですよ?」
"良い意味で"って、便利な言葉だよな。
とりあえずなんでもそう付け足しとけば、フォローになるんだから。
「というわけでぇ……しばらくの間、ご厄介になりまっす」
「ダメだ!」
「いいって言ってくれないと、さっきの、暴露(ばら)しますよ」
「さっきのって、なんだよ?」
「ほら。クールキャットなんとかって本」
「ぐ……!」
あんなのを読んでるなんて知られたら……。
「い、いや。それでもダメだ……!」
「え~、なんでぇ~?」
なんでもなにも、僕の心の自由は、何物にも代えられはしない。
こんな脅しなんかに屈するものか。
そもそも、このトレーラーハウスはふたりが生活するには手狭過ぎる。
中央の廊下部分なんて、すれ違うだけでいっぱいいっぱいだ。
「ダメったらダメだ。そもそも、そんなのそっちの都合じゃないか。僕のプライベートはどうなる!」
「そんじゃ、私のことは空気みたいなもんだと思ってくれればいいっす」
「無理に決まってるだろ!」
香月みたいなタイプならともかく、有村(これ)をいないものと思えとか、たとえ悟りを開いたお釈迦さまでもできないに違いない。
「とにかく、今すぐ出て行ってくれ」
「え~。でもお外、真っ暗だし~、こんなところにひとり放り出されたら、どんな目に遭うかわかんないし~」
「なんと言おうとダメだ。とにかく帰れ」
「う~……わかりました……」
あれ?
……なんだよ。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした……」
「いや……」
もっとゴネるかと思ったけど、意外と素直に言うこと聞くじゃないか。
「………」
扉を開けた有村は、顔だけ出して周りを確認すると、振り返って僅かに頭を下げ、そして部屋を後にした。
「………」
確かに、この辺りは女の子ひとりだと心細いかもしれないけど、ほんの少し歩けばすぐに渋谷の繁華街だ。
よっぽどの事でもない限り、おかしなことなんて……。
「…………」
………
「有村!!!」
「え? 宮代……先輩?」
よりによって、わざわざこんな暗くて人通りの少ない道を。
「……まだこんなところにいたのか」
「先輩こそ、どうして」
「ちょっと飲み物買いに出てきただけだ。そしたらお前がいたから……」
「そっすか……」
……なんて顔してんだよ。
しょうがないな。
「お腹、空いてるだろ? うちで何か食べていけよ」
「……いいんですか?」
「……しょうがないだろ。行くところないんなら」
ここで呼び止めたってことは……結局僕が折れたということになるのは仕方のないことで。
「……ありがとうございます、先輩っ!!」
やれやれ。
僕も甘いよな……。
「えへへ、ほんっと、先輩って、お人よしですよね」
それ、褒め言葉じゃないし。
「あ、もちろん、いい意味で、ですよ?」
「………」
………
「ずずずずずず……」
「ずずずずずず……」
「悪いな……こんなものしかなくて」
「いえいえ、これで充分っすよ」
有村はおよそ女の子向きとは言い難いカップ麺を、意外なほど大人しく啜っていた。
「………」
「なんです?」
「いや、有村のことだから『夕飯にカップ麺とか、本気ですか?』くらい言われるんじゃないかと思ったんだけど……」
「そんなこと言いませんよ。無理言ってお世話になってるんだし」
へぇ……。
そういうところはちゃんとしてるんだな。
意外……って言うと、怒られるかもしれないけど。
そういえば有村って、他人の言葉の真偽がわかるんだっけ。
あんまり深く考えたこともなかったけど、それって想像以上に大変なことなんじゃないだろうか。
そう考えれば、普段の有村の言動も、彼女なりに気を遣った上、っていう可能性も……。
「先輩、夕飯っていっつもこんな感じですか?」
「そうだな。あとはコンビニで弁当買ったり、カロリーブロックだったり……」
「えー、ダメですよ、そんなんじゃ。育ちざかりなんだから」
「お前まで来栖みたいなことを言うなよ」
とまあ、そんなこんなでご飯を食べて、なんとなくまったりしてネットを見たり、渋谷にうずをチェックしたりしていると、いつしかいい時間になってしまった。
「ふあぁぁ……」
「あ、もうこんな時間ですね。そんじゃ、そろそろ寝るとしますか」
「え? あ、そ、そうだな、うん」
思わず声が上ずってしまったのを慌てて取り繕う。
意識するな、宮代拓留。
相手は有村だ。
変なことなんて起こるはずがない。
「あ、有村はそこの布団使っていいから」
この部屋の中には、僕が普段使いしているベッドとは別に、普段は物置きと化している可動式のソファベッドが前方にもうひとつあって、それを使えばふたりが寝ることくらいはなんとかできる。
「え? でも先輩は?」
「僕は寝袋があるから……」
ここに来てすぐの頃は布団なんかも無くて、しばらくは寝袋で寝起きしてたし、その程度なら慣れっこだ。
「えー、でもそれじゃ悪いっすよー」
「じょ、女子を寝袋で寝かすわけにもいかないだろ」
「じゃ、一緒に寝ます?」
「ばっ! ばばばばばばばばバカなこと言うな!」
「あはは、照れてる照れてるー」
くっ……!
「意外と紳士なんですね、先輩って」
「僕はいつだって紳士だ」
「でもホントはちょっと期待してたり?」
「そ、そんなわけあるか!」
「ふーん……そっかそっか。安心安心」
あ、有村が納得してるってことは、嘘じゃない……ってことだよな。
グッジョブ、僕。
「ま、ダイジョブっすよ。だって私、宮代先輩のこと、信用してますから」
有村……。
「それ……なにやってんだ?」
「え? 警報機ですけど?」
「…………」
「それじゃ、おやすみなさーい」
こいつ……何が信頼してるだ!
「すー……すー……」
しかも、もう寝てるし。
「…………」
あーあ、意識するだけ無駄だ。
バカバカしい。
余計なこと考えずに、寝よ寝よ。
………
「…………」
深い深い。
黒よりももっと暗い闇の中を彷徨っていた。
そこには光も無ければ空気もなく──。
ただ永遠に続くと思われる闇に、すべての感覚は麻痺し、ただ息苦しさだけが僕を苛んでいた。
息苦しさだけが──。
息苦しさ……。
「ん~! ん~っ! ……ぷはっ!!!! はーっ、はーっ……」
「あぁ、やっと起きた♪」
「こ、殺す気か!!!」
「あ、もしかして死んじゃったかと思いました? まー、無理ないっすよねー。だって、起きたら目の前に天使がいるんですもーん」
「そうじゃない! お前、いま僕の鼻と口、つまんでただろ! 普通朝ってのは、もっと優しく起こすもんじゃないのか?」
「最初はそうしてましたよ。でも、ずっと起こしてるのに、先輩ってば全然起きないんだもん」
「危うく永久に起きられなくなるところだったぞ!」
最初、優しく起こしたってのも、怪しいものだ。
「昨日の夜だって、さっさとグッスリ眠っちゃってさー」
「は?」
「なんでもないですよーだ」
なんなんだ、いったい。
「それより、有村。今日は家に──」
「帰りませんよ。今日帰ったら、家出じゃなくてただの無断外泊じゃないっすか」
……もしかしたら、ひと晩経てば、帰る気になるかとも思ったけど、どうやら僕の考えが甘かったようだ。
………
「いいか? しばらくここに泊まってるってことは、誰にも知られないようにするんだぞ」
「はいはい、わかってますわかってます」
本当にわかってるんだろうか。
仮に誰かに知られた場合、たとえ僕たちの間に何ら疚しいことは無かったとしても、憶測が憶測を呼んで妙なことにならないとも限らない。
「だいたい、知られて一番困るのは先輩より私ですし」
それもそうだ。
こういうのは男子よりも女子の方がいろいろとダメージがデカい。
「そんじゃ私、先に行きますねー。あでぃおすぐらっしぁ~♪」
……
大丈夫か、あいつ……。
………
……
…という僕の不安をよそに、放課後までは特に何か起こるでもなく、つつがなく時間は過ぎて行った。
……
都市部にあるにしては、うちの学校の校舎はそれなりの大きさを誇っている。
……
そんな中、僕は三年で有村は二年。
学年が違えば、そうそう顔を合わせることもない。
顔を合わせることもなければ、不用意に接触することもなく、誰かの前で不用意に話をして誰かに感づかれることもないのだ。
とはいえ、油断は禁物だ。
とにかく、誰かに気づかれることだけは避けなければならない。
……
「ねぇ、タク。ひなちゃん、今日は部活来るかなぁ?」
「し、知らないよ。なんで僕に訊くんだ?」
「だって、タク、ひなちゃんと仲良しでしょ?」
「ぼ、僕は別に有村と特別仲がいいわけじゃない!!」
「…………」
「え?」
「…………」
「…………」
「…………」
「あ……」
「……どうしたんだよ、おまえ。急にンな大声出して」
しまった。
有村との同居生活を知られまいと意識するあまり、ついムキになって否定してしまった。
「拓留。もしかして、有村さんとケンカでもしたの?」
「あ、いや、別にそういうわけじゃ……」
「そう? だったらいいんだけど……」
有村にあれだけ注意しておいて、僕がこんなんじゃ台無しだ。
気をつけよう。
「そうだ、タク。今日の帰り、タクん家寄っていい?」
「ダメだ!!」
「え?」
「あ…………」
言ってる傍からこれだ。
僕のバカ!!
「あ~、そ、その、なんだ……今日はちょっと寄るところがあってさ。だから……」
「そ、そう? だったらまた今度にするけど……」
しっかりしろ、宮代拓留。
この程度のことでポーカーフェイスを崩すなんて、僕らしくないぞ。
──ガチャ……。
「チャオっす、皆の衆~。いやぁ、遅れてごめんなさい」
げ……有村。
まさかこのタイミングで?
ていうか、なんで来たんだ。
「ああ、有村さん。来たのね。良かった」
「なんとー! もしかして皆さん、雛絵ちゃんの登場を心待ちにしてました?」
「昨日も来なかった……かも……」
「あー、悪い悪い。昨日はちょっとばかしヤボ用ってヤツでして、へへへっ」
「それじゃあホントにケンカしたわけじゃなかったのね」
「ふぇ? ケンカ?」
「さっき話してたんだぁ。もしかしたらタクとケンカでも──」
尾上の言葉が終わるのを待たず、僕はカバンを手に立ち上がった。
「あー。そういえば用事があったんだ。悪いけど先に帰るな」
「え……?」
「部活は、まあ……適当にやっといてくれ。それじゃ」
「あ、ちょっと拓留!」
「…………」
………
危ない危ない。
あのまま有村と同じ空間にいたら、いつボロを出してしまうかわかったもんじゃない。
有村にあれだけ注意しておいて、僕が墓穴を掘るようなことがあったら、それこそ何を言われるかわかったもんじゃないからな。
………
……
「…………」
それにしても有村のヤツ、遅いな。
もしかしたら、母親と仲直りして家に帰ったとか?
……いや、それはないな。
いくら有村だって、そんなことになれば、連絡くらい寄越すだろう。
おおかた、尾上か香月あたりとどこかでお茶でもしてるとか、そんなところか。
──コン、コン……。
「ん?」
どうやら帰ってきたらしい。
「何してたんだよ。遅かったじゃない……」
「えへへっ、来ちゃった♪」
「──!?」
「ぐぬぬっ……待て、閉めるなっ……!」
「い、伊藤……なんでお前がっ……!」
「ぬうっ……あああああああああっ!!!」
──!
くそっ! 強引に開けられてしまった。
「はぁ……はぁ……な、なんだよ。なんで閉め出す?」
「い、いや……急だったから、驚いて……」
「ふふ~ん……」
「な、なんだよ?」
「そんなこと言って。誰か待ってたんじゃないのかぁ?」
「な、なんで?」
「だってさっき、"遅かったな"、って言わなかったか?」
マズい。
「こ、こんな遅くに誰だよ、って言ったんだ」
「ふーん……」
今ので誤魔化せた……か?
「……ま、いいや。上がるぞー」
「ちょ、ちょっと待て!」
「なんでだ? もしかして、上がられると困ることでもあんのか?」
「あ、いや……そういうわけじゃ……」
「だったらいいよな? お邪魔しまーす」
伊藤は返事も持たず、僕の横をすり抜けて、上がり込んでしまった。
そして、何やら室内をジロジロと眺めまわし始めた。
「ふむ……」
それから、こんどは洗面所のドアを開けて中を確かめている。
「な、なんだよ!?」
更には屈みこんで冷蔵庫の中まで。
「さすがにここは……ないか」
「だから何なんだよ、さっきから!?」
「ふむ。安心した! やっぱりお前は俺の親友だ、宮代!」
伊藤はすっくと立ちあがると、両手で僕の手をとり、激しく上下に振った。
「いやぁ、部活中のお前の様子がおかしかっただろ? やけに早く帰りたそうにしてたしさ。だからてっきり、この俺を差しおいて部屋に女子でも連れ込んで同棲でもしてんじゃねぇかって思ったんだけど、どこにも女の形跡なんかねーし、どうやら俺の杞憂だったみたいだ」
こいつ……なんという野生の勘。
「あ、ああ、当たり前だろ。ぼ、僕がこの部屋に女子を連れ込んだりなんてするもんか」
「だなー。さすがは宮代だぜ。俺が信用してる男だけのことはある」
そんな信用のされ方したくない。
「ま、でも考えてみりゃ、尾上や副部長みたいなやつらが周りにいるってのに、これまでなんも無かったんだもんなぁ。お前に限って、そんな心配する必要はなかったんだよなぁ」
伊藤にこんな風に思われるのは癪に障るが、ここは黙って聞いといたほうがよさそうだ。
「そ、そうだよ。僕に限ってそんなこと、あるわけないだろ」
「だよなぁ。で?」
うんうん頷いたかと思うと、こんどは急に顔を近づけて耳打ちしてきた。
「……なんだよ?」
「隠すなって! なんか良いエロDVDでも手に入れて、そんで早く帰って来たんだろ?」
「……お前と一緒にするな。そういうんじゃないよ」
そもそもいまどきDVDって。
そんなのネット巡回したら、いくらでも手に入るだろうに。
「またまたー。飽きたら俺にも貸してくれよ」
「ん?」
その時、僕は伊藤の背後、ベッドの枕の陰に、何やらくるくると丸まったものを見つけた。
ファンシーな色づかいの柄があしらわれた、布でできた何かだ。
あれは、もしかして……。
「ぱっ、パン──」
言いかけて思わず手で口を覆う。
「は?」
「あ、いや! パン……でも食おうかな~、と思って」
「なんだ。お前、腹減ってんのか?」
あれは………パンツじゃないのか?
しかも女ものの!
でも、なんであんなところに、女もののパンツが!?
いや、そんなの決まってる。
あれは…………有村のだ!
あいつ、あんなところに脱いだパンツを忘れていくなんて。
待て……脱いだパンツ?
じゃあ、あいつは今日一日……。
「ノーパンっ!!?」
「あぁ?」
「あー! その……む、無償にコンビニのぉパンが食べたいなぁ、なんて……」
「なんだよ。俺は買いにいかねぇぞ。食いたいなら自分で買って来いよ」
ノーパン……。
まさか有村にそんな性癖が……。
いや、待てよ。脱いだパンツとは限らないな。
もしかしたら替えのパンツかもしれないじゃないか。
いやいや、今はそんなことはどうだっていい。
あのパンツを何とかしなきゃ、伊藤にあらぬ疑いをかけられてしまうことになる。
いや、あんなものが見つかったら、あらぬ疑いどころか決定的ともいえる証拠だ。
ありがたいことに、伊藤は今現在ベッドに背を向けている。
なんとかこのまま帰ってもらうよう仕向けよう。
「そ、それじゃあ僕はパン買いに行くから、伊藤もそろそろ……」
「あ? せっかく来たんだし、もうちょっとゆっくりしてもいいだろ」
「いや、でも僕も留守にするし」
「その間、俺が留守番しといてやるって」
……こいつ、少しは空気読めよ。
「つーかさ、俺、ちょっと眠いんだよ。だからお前がコンビニ行ってる間、横になってていいか?」
「え?」
バカ! そんなことされたら、アレが──!
「そんじゃ、おやすみ~!」
その時、考えるよりも早く、僕の身体が動いた。
「い、伊藤っ!!!」
「え? あ……うわっ!!」
「あ…………」
「み、宮代……お前、なにを……」
しまった!!
これじゃあ、まるで伊藤に襲い掛かってるみたいじゃないか!!
早く退かないと、事態が別方向に悪化することになるぞ。
今すぐに──。
(あぁぁぁぁ! パンツが!!)
ここで退いたら有村のパンツが……!
どっちに転んでもヤバいことになるんじゃないのか?
くっそぉぉぉぉ、どうすれば!
僕はどうすればいいんだ!
「あ、あのさ……宮代……その……退いて……くれないか?」
伊藤が何故か恥ずかしそうに目を逸らした。
待て!
そっちを向いたらパンツが!
「宮代……?」
「あ? あ、ああ、悪い! ちょっと躓いちゃってさ!!」
僕は慌てて伊藤の上から飛び退いた。
「な、なんだ、そうか。俺はまたてっきり……」
「てっきり?」
「あー、いや、なんでもないんだ! 気にするな!」
良かった。
どうやら伊藤は、有村のパンツには気づかなかったようだ。
「あー、そんじゃ俺、そろそろ帰るわ。なんか俺の勘違いだったみたいだしさ」
「ん? ああ、そうか。それじゃあな」
……
伊藤はあっさりと帰っていった。
なんかちょっとよそよそしかった感じもするけど……変な誤解されてないよな?
「そうだ。それよりも……」
問題はあの有村のパンツだ……。
こういう時、どうすればいいんだ?
そっとどこかに置いておく?
でもそのためには、触らなきゃならないわけで……。
でも、あのままあそこに放置しておくわけにもいかないし。
「…………!」
僕は心を決めて、ベッドに近づくと──。
「いいな。僕は別に、触りたくて触るわけじゃないぞ。仕方なくなんだからな」
そう言い聞かせながら、小さく丸まったカラフルな布を掴んだ。
──「なにが仕方ないんすか?」
「だから、有村のパン──つぁああああああ!!」
「パン?」
「あ、有村! いつの間に帰ってたんだ!?」
「ついさっきですよ。戻ってきたら伊藤先輩が来てるんだもん。危うく見つかるところでしたよ」
「そ、そうか……」
まあ、鉢合わせにならなかったなら良かった。
「それより私のパンがどうのって言ってませんでした?」
「え? あーいや、それはその……!!」
「あああああああああああっ!!!」
有村は僕の手の中にあるものを見て、大声を上げた。
しまった!!
有村のパンツを手にしっかりと握りしめたままだった。
「ち、違うんだ!! これはその──!」
「良かったぁ。やっぱりこの部屋に落としてたんですね、私のシュシュ」
「へ? シュシュ……?」
「ひょっとしたら失くしたんじゃないかと思ってたんですよー。いやぁ、ヨカッタヨカッタ」
手のひらを開いて確かめると、それは確かにパンツではなく。
「あ、そう……シュシュ……そう……」
「どしたんすか、先輩?」
ま……紛らわしいんだよっ!!!!!!
あぁぁぁぁ、もう!!
ドキドキして損したじゃないか!!!
「???」
………
「なあ、まだなのか?」
「まだまだ、もうちょっと待っててくださいね~」
さっきから僕の視界は真っ暗闇。
なぜなら、有村が僕に目隠しをしてしまったからだ。
目隠しと言っても、別に妙なプレイじゃない。
「は~い、できましたよ~。ささ、どうぞその目隠しを取ってください」
言われたとおりに目隠しを外す。
と、目の前には──。
「おお……」
意外や意外、目の前にはそれなりに美味しそうな料理が並んでいた。
「へへっ、どっすかどっすかー。少しは雛絵ちゃんのこと見直したんじゃないすか?」
「……まあ……ちょっとは……」
いや、ちょっとどころかかなり、だ。
パスタにサラダにスープに、付け合わせのパン。
夕飯を作るなんて言い出した時は、果たしてどんなものが出来るか不安しかなかったが、見た目も匂いも、今のところ普通だ。
当初の想像が想像だっただけに、その"普通"に僕はひどく感動してしまった。
しかも、このトレーラーハウスの狭いキッチンという悪条件のもとで、だ。
これはなかなかのものなんじゃないだろうか。
「素直じゃないっすなー」
当然、その本心は有村にバレバレだった。
「それにしても、どういう風の吹き回しなんだ?」
「そりゃあ、お世話になってるんですし、これくらいはやらなきゃって思って」
もしかして、この買い物をしていたせいで、学校からの帰りが遅かったんだろうか。
「ささ、それより温かいうちに召し上がれ、ぷりーずボナペティ」
もはや何語かよくわからない言葉に促されて、僕は有村の手料理を口に運んだ。
「じー」
「うん。うまいよ」
「でしょでしょ?」
「このスープもなかなか」
「ミネストローネです」
「この平べったいミートソースのスパゲッティも」
「タリアテッレのボロネーゼです」
「どれも、普通に美味しいよ」
「来栖先輩の料理より?」
「さすがに来栖には負けるけど……」
「あー。やっぱり……」
「ま、まあ来栖は毎日家で家族のぶんまで作ってるんだし、それと比べる必要はないんじゃないか」
「大丈夫っすよ。別に気にしてませんし」
実際、有村は特に気にしたふうでも無かった。
有村の中で、さすがに来栖に対抗しようという気は無いようだ。
「でも、ビックリしたよ」
「ほっほー。てことは最初から、家事なんてできないと思ってたってことっすね」
「まあな」
「そういう時は、嘘でも否定するもんじゃないすか、フツーは」
「他の子ならそうしてるけど、有村には嘘ついたってバレるだろ」
「それはそうですけどー……」
それにしても、この部屋でこんな普通なものを口にしたのは、もしかしたら初めてなんじゃないだろうか。
少なくとも、作り立ての温かい料理を食べたのはこれが初めてだ。
いつもはひとり、ネットで情報を漁りながら、必要最低限の栄養素を口に運んでるってだけだもんな。
「…………」
誰かが前にいるってだけで、同じ部屋でもこんな風に変わるんだな。
たとえ、相手が有村だったとしても。
「ん? なんすかなんすか? もしかして家事もできる雛絵ちゃん最高、お嫁に欲し~、なんて思っちゃいました?」
「バカ」
「むきーっ! バカって言った方がバカなんですー」
子どもか。
でも……。
うん、退屈はしないな。
………
「先輩、これ」
食事の片づけが終わると、有村はカバンの中から何やら薄い冊子のようなものを取り出し、僕の目の前に置いた。
「なんだ、これ……?」
「台本です」
台本?
ていうと、あのお芝居とかの?
「私が絶賛家出中であることは、もちろん覚えてますよね」
当たり前だ。
だからこうして、この狭い部屋に押しかけてきてるわけだし。
「で、うちの母親のことですから、きっとそのうちここを見つけ出して、連れ戻しに来ると思うんです」
「は?」
お母さんが?
「いやいやいや、それはマズくないか?」
「マズいです。いくらうちの母親とはいえ、"ただの"先輩、それも男性の部屋に転がり込んでるとわかれば、無理にでも連れて帰ろうとすると思うんです」
そんなつもりは毛頭ないとはいえ、改めて"ただの"と強調されると、どうにも釈然としない気分になる。
「でもぉ~、もしも相手が"ただの"先輩じゃなければ、話は違うと思うんすよねぇ」
嫌な予感がした。
「どういう……ことだ?」
「だからぁ、もし相手が"恋人"だったとしたら、うちの母も考えると思うんですよねぇ」
予感的中。
「というわけで、母がやってきたら、宮代先輩には私の恋人役を演じてもらっちゃおうという作戦なわけです。うん、さっすが雛絵ちゃん天才!」
おいおい……そんな使い古された手の、なにが天才なもんか。
「だいたい、家出なんてやめて、家に帰ればいいだけじゃないのか?」
「あー、それは無理」
「なんで!?」
「なんつーか……女の意地?」
そんなもの僕には関係ない。
「だいたい言っておくが僕は──」
「そんなお芝居できないっていうんでしょ? わかってますって。先輩って、不器用そうですしねー」
そう、自慢じゃないが、僕にそういう腹芸は無理だ。
ただでさえ初対面の人と話すのだって苦手なのに。
「そんな不器用な宮代先輩のために、はい、これ。へっへっへ、文芸部のホープであるこの有村雛絵自らしたためた台本でございます。ぜひともお納めを……」
有村は台本をずいっと僕の前に押し出して胸を張った。
もしかして、今日帰りが遅くなったのはそのせいか?
「どうですわざわざ先輩ひとりのために書いたんですよ大サービスです感謝してください」
「なにが、わざわざだ。感謝もなにも、全部自分のためじゃないか」
「まぁ、そうとも言いますね」
そうとしか言わない。
「御託はともかく、とりあえず目を通してみてくださいな」
と言われても、これを開けばそのままこの有村のバカバカしい計画に巻き込まれてしまう気がする。
「まーまーまーお兄さん、ちょこっと見るだけでも、ね? 見るだけならタダだから。騙されたと思って」
勝手にページを開かれた挙句、目の前に押し付けられ、僕は仕方なしにその台本に目を通した。
「なになに……私めが奥様のご息女、雛絵嬢と……結婚!? を前提、として、お付き合い……させて……いただいて……いる……?」
「やんっ!」
「なんじゃあこりゃああああ!!」
騙された!!
「誰が結婚だ、誰が!!」
いや、そもそも恋人でもなければ付き合ってもいないわけだけど。
「そりゃあ、親に会うんだから、そのくらいの気概でいてもらわないと困るでしょ、ふつー」
「冗談じゃない! こんなの僕は真っ平御免だ!」
ソファベッドの上に台本を放り出す。
すると、有村が再び僕の目の前に台本を突き出してきた。
「そんなー。せっかく作ったんだから、せめて最後まで読んでから決めてくださいよー」
「…………」
「ね?」
渋々、ページを捲る。
「ぼくは、ひなぎくのようにかれんで、ゆりのはなのようにけがれないひなえさんを、こころからあいしております」
「はぁ……一度でいいから言われてみたい……」
「……ヒナエサンハボクニトッテマルデソラカラマイオリタテンシノヨウナソンザイデス……」
「あのぉ、せめてもうちょっと心を込めて読んでもらえます?」
こいつ……文芸部だったよな?
なにがホープだ。
文才なんてまるで無いじゃないか!
「ま、いいです。とにかく、いつ母が来てもいいように、ちゃんと覚えといてくださいね」
更にパラパラとページを捲る。
と、そこには、質問された場合や、僕と有村のやりとりなど、いくつものパターンに渡って会話の例が書かれていた。
「…………」
バカバカしい。
付き合ってられるか。
………
「えーっと……」
(母『さあ、雛絵。一緒に帰るわよ』)
(雛絵ちゃん『いやよ、私は先輩と一緒にいたいの。だから帰らない』)
(母『うちの大事な娘をたぶらかすなんて、あなたいったいどういうつもり?』)
(宮代先輩『僕はただ、彼女のことが好きなだけです。この気持ちは誰にもとめられない。たとえお母さんでも』)
「…………」
ていうか、あとどれだけあるんだよ、この台本。
いくらなんでもこんなの覚えきれないぞ。
──「先輩! 先輩が私のこと、そこまで思っていてくれたなんて!」
「え? えーっと……」
「『当たり前じゃないか』」
「あ、ああ……そうか。『当たり前じゃないか。僕は何よりも……』」
ん?
「『僕は何よりも君のことを大切に思っているよ!』」
「うわああああああっ!!! 尾上! お前、いつの間に!」
「う? さっきからいたよ?」
な、なんてことだ。
ここ最近こんなのばっかりだ。
集中したり妄想したりすると周りが見えなくなる癖、何とかしなきゃ。
「それよりタク。それなに?」
「え? ああ、これはその……台本だよ、台本、お芝居の」
「お芝居? タクが出るの?」
「バカ言うな。僕が舞台になんて立つわけないだろ」
「だったらなんでそんなもの読んでるの?」
「それはだな……」
「それは?」
あれ?
そうだよ。
なんで僕、わざわざこんなもの覚えようとしてるんだよ。
やめたやめた、バカバカしい。
僕は有村作の台本をそそくさとバッグの中に仕舞った。
「う? もう読まなくていいの?」
「いいんだ。どうせ必要ないものだし」
「ふーん……」
考えてみたら、どうして僕がそこまで付き合わなきゃいけないんだ。
そもそも、有村の母親が彼女の居場所を見つけて、うちまで来るかどうかだってわからないじゃないか。
第一、娘を連れ戻すだけなら、学校に乗り込んできた方が早いわけで、わざわざうちまで来る必要がない。
そうだよ。つまり母親が来るなんてことは、あり得ないはずだ。
………
……
「……それで、あなたは?」
「あ、え、えっと……」
もしも数時間前の僕に会えるなら言ってやりたい。
この世にはどんなことだって起こり得るということを。
「ぼぼ、僕は、その……」
学校を終えてトレーラーハウスに戻ると、そこにはなぜか有村と有村の母親が揃っていた。
見なかったことにしてそのまま立ち去ろうとしたものの、有村によって目ざとく見つけられ、この状態というわけだ。
「はっきりしない子ね。私はあなたについて訊いているんだけど」
「そ、その……僕は宮代拓留、と言い……ます……」
しかもふたりでも狭いこの部屋の中でのことだ。
会話も必然的に至近距離で行うことになってしまい、圧迫感が半端ない。
「宮代さんね。で、うちの雛絵とはどういうご関係?」
「えと、関係と言われましても……」
「先輩……」
ただの学校の先輩後輩──と言いかけたところで、有村が肘でつついてきた。
マジかよ……。
この状況で、あれを言わせようっていうのか?
「いやいやいや、無理だろ、さすがに」
「お願いしますよぉ。私と先輩の仲でしょ」
そもそも、その仲がなんでもないのだから、無理だって言ってるのに。
「ちょっと。さっきからなにをヒソヒソ話してるの? 訊いてるのはこっちなんだけど」
「す、すみません! じ、実は僕……雛絵さんとお付き合いをさせていただいておりまして!」
「お付き合いぃ?」
有村の母さんの表情が一転、にわかに掻き曇った。
「あ、いや……それが……」
「そうなの、私と先輩はそりゃもう、ラブラブなんだから、ね?」
「え……」
「ね!?」
「そ、そうです、ラブラブなんです!」
「ふ~ん……ラブラブねぇ……」
上から下まで、ゆっくりとねめつける様な視線が絡みつく。
重い……なんて重い空気だ……。
「そうよ。だから、私これからもここで宮代先輩と暮らすの」
「ラブラブかどうかは置いておくとして、だからって年頃の娘が男の子とふたり暮らし、それもこんな環境でなんて、とてもじゃないけど感心できるものではないわね」
「別にママに許してもらう必要ない」
「あのね、雛絵。あなた、いくら高校生とはいえ、こんな風に男の子の家に転がり込むのが許されると思ってるの」
「あら、ママにそんなこと言われるなんて心外ね」
有村の母さんの表情が一段と曇った。
「それ……どういう意味?」
「ママが帰って来ない時、どこに泊まっているか私たち家族が知らないとでも?」
「っ……!!」
「それだけじゃないわ。パパが……」
「やめなさい、人前で──!!」
母親の一喝で有村は言いかけた言葉を飲み込んだ。
どうやら、何か複雑な事情があるらしいが……。
「そうやって自分は好き勝手やってるくせに、娘のやることには口出しするなんて、おかしいと思うんですけど」
「だ、だからって、こんな腹いせみたいなことしてどうなるの!」
「腹いせなんかじゃないもん。私は先輩と付き合ってるし、ゆくゆくは結婚するつもりだし!」
(ああ……空が……青いな……)
僕はなぜここにいるんだろう?
いや、なぜふたりはここで、こんな込み入った話をしているんだろう。
できることなら、他でやってもらいたいと切実に願う。
なんだか他人の家庭の事情を覗き見てるようで、居心地の悪さったらない。
「とにかく、一緒に帰るわよ、雛絵」
「いやよ、私は先輩と一緒にいたいの。だから帰らない」
言いながら、再び有村が僕の脇をつついてきた。
「え?」
「台本っ!」
あ……!
「宮代さんって言ったわね。あなたもいったいどういうつもり?」
えっと……なんだっけ?
「ぼ、僕はその……ただ、彼女のことが、すすっ、好きなだけ……です。この気持ちは誰にも……とめられない。たとえお母さんでも……」
「好き……ねえ」
あれ?
「…………」
なんでふたりとも、厳しい顔してるんだ?
さっきの台詞、ちゃんと台本通りだったよな?
「ねえ、宮代さん。あなた本当にこの子のこと、好きなの?」
「も、もちろん……です」
「…………」
「ふーん……そう……」
有村の母さんは、相変わらず厳しい顔のまま立ち上がった。
「まあいいわ。今日のところは帰ります」
「え……?」
「どうせ今は何を言っても聞かないでしょうし。頭が冷えた頃にまた来るわ」
そのまま、バッグを手にドアの前まで歩み寄り、思い出したように振り返ると、僕を見て言った。
「帰り道がわからないんだけど。送ってもらえるかしら?」
………
「…………」
かつて、こんな重い空気を背負ったままこの道を歩いたことがあっただろうか。
背後からひしひしと感じる有村の母さんのプレッシャーを感じながら、僕は井ノ頭通りへと向かう道を歩いていた。
(まったく、なんで僕が──)
そう何度心の中で尋ねたところで、当然答えは見当たらない。
「宮代さん」
「は、はいっ!?」
背中越しに名前を呼ばれ、飛び上がりそうになる。
「悪いわね。あの子の我がままに付き合わせて」
「え?」
「あの子のことだもの。付き合ってるなんて嘘。ひとの良い先輩に無理言って、転がり込んだってところでしょう?」
……バレてる。
「その顔は図星ってところね」
「あ、いや……その……」
「ま、でもあなたみたいなタイプを選んだところをみると、あの子の見る目もまんざらではないってことかもしれないけど」
褒められてる……?
「だって、あなたなら妙なことしそうにないものね」
ではなかったらしい。
「あなたも迷惑してるんでしょう?」
「その……まあ……」
「ふふ。でもあなたもおかしな子ね。迷惑なら、あんなバカげたお芝居に付き合わなければいいのに」
「あ……」
言われてみれば、確かにそうだった!
有村を本気で帰したいなら、有村の台本になんて従わずに、本当のことをブチまければよかったんだ。
じゃあ、僕はどうしてそうしなかった?
もしかして……有村との時間を惜しいと思ってた?
いや、そんなことはない……はずだ。
「まあでも、どうせここで強引にあの子を連れて帰ったところで、同じことでしょうし、あなたには悪いけど、もう少しだけ面倒見てやってもらえるかしら?」
そう言うと、有村の母さんは財布から何枚かのお札を取り出した。
「い、いや……! それは、受けとれません!!」
「迷惑代兼宿泊費よ」
「だ、ダメです!」
「でも、あんなところで暮らしているってことは、困ってるんじゃないの?」
「あ、あそこは好きでいるだけで、そう困ってるわけでも……」
結局、僕が頑なに受け取らないことを理解して、有村の母さんはお札を引っ込めた。
「なるほどね……」
「な、なにがですか?」
「こっちのことよ。それより雛絵のこと、よろしくお願いね」
有村の母さんは恭(うやうや)しく言って頭を下げた。
卑怯だ。
できれば強引にでも連れて帰って欲しかったのに、こんな風に頭を下げられたら言い返せないじゃないか。
「その代わり、傷物にするようなことがあったら、その時は……わかってるわよね?」
……どうなるんだろう?
「あ、その先はもう大通りね。ここまで来ればわかるわ。ありがとう、それじゃあ」
なんだよ。
有村は文句言ってたけど……良い母さんじゃないか。
まあでも、家族の間のことっていうのは、外からじゃわからないものだし、きっといろいろあるんだろうな。
いかにも、複雑な事情がありそうだったし……。
とにかく今言えることは、僕が自ら有村を部屋から追い出すチャンスを逃してしまったということだ。
………
……
「ただいま……」
「…………」
部屋に戻ると、有村は振り向きさえしなかった。
おかしいな。
僕が帰ってきたことに、気づいてない?
……わけないよな。
普通に考えれば、母親とどんな話をしたのかとか聞いてきそうなものだけど。
「ん……?」
ふと、ゴミ箱の中に紙の束が突っ込まれているのが目に入った。
あれは……さっきの台本?
まあ、確かにもう必要はないのかもしれないけど、それにしては捨てるのが早すぎないか?
疑問に思いながらも、僕は冷蔵庫からマウンテンビューを取り出した。
「先輩。ひとつ訊いてもいいですか?」
「な、なんだよ?」
「……宮代先輩って、ゲイですか?」
「ブブブーーーーッ!!」
口に含んだばかりのマウンテンビューを噴き出す。
「ちょっとー、なにすんですかー! ばっちーい」
「お前がおかしなこと言うからだろ!」
「おかしくなんかないですよ」
「おかしいだろ。なんで僕がゲイなんだよ?」
「だって、先輩さっきウソついてたじゃないっすか」
うそ? なんのことだ?
「さっき。ママに言った言葉」
有村の母さんに言った言葉っていうと……もしかしてあの台詞のことか?
「だって、あれは有村が作った台本だろ?」
「そうですけど、でも、ちょーっとでも私のこと気になってたら、ウソにはならないはずです」
言ってることが無茶苦茶だ。
「それに、これだけ一緒にいるのに、この雛絵ちゃんの魅力がわからないなんて、やっぱりゲイなんでしょ? 伊藤先輩のことが好きなんですかそうなんですか?」
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ、私に対して変な気になったりします?」
「変な気って……なんだよ?」
「ムラムラとか」
「ならない」
「…………」
「な、なんだよ?」
「……嘘じゃない……」
良かった。
「むうぅぅぅ、納得いかなーい! ふつーは、こんな魅力的な女子と一緒にいたら、変な気起こしちゃったりするもんでしょ?」
「なんだよ、それ。なにかして欲しいのか?」
「そんなことしたら大声で叫びますっ」
「どっちだよ!」
「とにかく! 宮代先輩が私のことをなーんとも思ってないってことがムカつきます」
知らないよ、そんなの。
ていうか、話が妙な方向へ行ってるだろ。
「そんなことより、そもそもの親子ゲンカの原因はなんなんだよ?」
それさえわかれば、いろいろと解決する方法はあるかもしれない。
「それは──!」
有村の言葉がぴたりと止まった。
「とにかく、ここまで来ては私も引き下がれません。これは女の意地なんですっ!」
要するに、原因なんて忘れたってことか……。
それに付き合わされてる身にもなって欲しい。
と言っても、聞いちゃくれないんだろうな。
とにかく、有村には早いところ家出なんてやめて帰って欲しいんだけど……どうすればいいんだろう。
……