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-ノベルゲーム・タイピング-

CHAOS;CHILD らぶCHU☆CHU!!【4】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


--------------------

 

 

 

 

………

 



 

「ふわぁあ……」


もう朝か……。

ダメだ……。

なんだか疲れがとれない。

今さら言うのもなんだが、この生活にはやはり無理があるんじゃないのか?

こんなことなら、昨日有村の母さんに頼み込んで、無理にでも連れて帰ってもらうべきだったのかもしれない。


「ん……?」

 

 

 

 

「───!?」


不意に目に飛び込んできた映像に、重かった頭が一気に覚醒した。

有村のやつ、僕が寝てると思って、なんて無防備な……。

いつも着替えはさすがに、洗面所でやってるけど、ニーハイくらいはと油断しているのかもしれない。

 

 

 

でも……。

なんか、こうやってニーハイ履いてるところって、なんとも言えないエロチシズムを感じる。

いかんいかん。

冷静になれ、宮代拓留。

相手は有村だ。

昨日、変な気は起こさないって、言い切ったばかりじゃないか。

ここで寝たふりしてこっそり見てるなんてことがバレたら、それこそ勝ち誇ったように威張るに違いない。

有村は昨日、女の意地と言ったが、僕にだって男の意地がある。

決して、邪な感情を持つわけにはいかない。

いかないんだ。

 

「…………」


よし、大丈夫だ。



 

「あ……先輩。チャオっす」


いつの間にかニーハイを履き終えた有村が、こちらを見ていた。


「ん……あぁ、おはよう」


よかった。

どうやら僕が見ていたことには気づいていないようだ。


「早く支度しないと、学校遅れますよ」
「そ、そうだな……」


……



 

「先輩。はい、これ」


朝食の最中、再び有村から本のようなものを手渡された。


「まさか……台本?」
「お、察しが早いっすねー」
「台本だけにな」
「また来るって母は言ってましたからね。その時のためです」


僕の発言に対してはスルーかよ。


「ちなみに、さっきの発言をスルーしたのは私の優しさですから」
「…………」
「というわけで、これ、覚えておいてくださいね」


昨日、遅くまで何かやってたと思ったら、これを書いてたわけか。


「それより有村。部活のことだけどさ、しばらく新聞部には顔出さないほうが良いんじゃないか?」
「どうしてです?」
「いらないところで余計なことをポロッと言っちゃうこともあるかもしれない。何も無いとはいえ、変な噂になるのは有村だって困るだろ?」

 

 

 

「ふむ……ま、それもそうっすね」


特に有村みたいな能力の持ち主は、いろいろと面倒なはずだ。

 

 

 

「わっかりました。そんじゃ、学校じゃなるべく接触しない方向でおなしゃす!」


どうやら素直に納得してくれたようで良かった。


………



 

「ふぅ……」


学校に来て、ようやく人心地ついたような気分だ。

相手が有村とはいえ、さすがに女子がずっと一緒じゃ、部屋にいても気が休まる時間がない。

まあでも学校にいる間、有村とはなるべく接触しないって約束もしたし、これでやっと……。

 


──「宮代先輩っ!!!」



 

「…………」


……

 



 

 

「有村……学校ではなるべく関わらないようにって言ったばかりだろ」

「そうですけどー、これには事情が……」


──「あ、いた、タク!!」



 

声に振り返ると、新聞部の連中が血相を変えて駆け寄ってくるところだった。


「ど、どうしたんだよ? 何かスクープでもあったのか?」

「ま、スクープっちゃスクープかもなぁ」


なんだよ、その奥歯にものの挟まったような言い様は。


「拓留。それに有村さんも、あの噂は本当なの?」

「噂……?」

「タクとひなちゃんが一緒に暮らしてるって噂だよ」


「な!?」


なんでだ?

いったい誰が……。



 

「2年の……石田萌って人が見たって言ってる……かも」


石田萌?

下級生ってことは有村の知り合いか?



 

「石田……あー、同じクラスだったことはあるけど、あんま覚えてないなぁ」


いや、今は噂の出所はどうだっていい。


「で、本当なの、どうなの?」

「そ、それは……」

 

 

 

「ホントっす」

「お、おい、有村!!!」

「本当ってことは、有村さん、あなた拓留の部屋に?」

「あー、って言っても別に変な関係じゃないんです。ただしばらく泊めてもらってるだけで。ね、先輩♪」


なにが『ね、先輩♪』だよ……。


「う……まあ、そういうことだよ。だから変なことなんて何もないんだ。本当に」

 

 

 

僕はちらりと伊藤を見た。

こんな噂が広まったとなると、きっと『俺を差し置いて!』なんて面倒なことを言ってくるに違いない。


「宮代ぉ」


ほらきた。



 

「お前も大変だな……」

「へ?」

「お前があの有村を自分から引っ張り込むわけないもんな。どうせ、何か弱みを握られたとかそんなところだろ?」

「伊藤……」


なんだよ、意外と理解が早いじゃないか。

やっぱり、持つべきものは友達だな。



 

「まあ、タクだしねぇ」

「…………」

「有村さん相手に何かできるとも思わないわね……」

「無理……かも……」


あれ?

僕が思ってたよりも、みんなずっとわかってくれてる?



 

「ちょっとー! ちょっとちょっとー! なにみんなして納得してくれちゃってんすかー! こーいう時はふつー、女の子を心配するもんでしょ」

「だって、タクとひなちゃんじゃ……」

「ふたりのこと知らない人はともかく、ねえ……」

「……かも」

「ぐにゅにゅにゅ~……」


これは、喜ぶべきことなんだろうか。

いや、僕が語らずとも身の潔白を信じてもらえてるんだから、それはそれで悪いことじゃないんだが……。

 

──「ああ、いたいた」

 

 

 

その時、廊下の奥を通りがかった和久井先生が、僕たちを見て歩み寄ってきた。


「探したよ、宮代くん、有村くん。ちょっと来てもらえるかな?」


………



 

「なるほど。つまり有村くんがお母さんとケンカして、宮代くんの部屋に転がり込んだ、と」

「まあ、そういうことです」


困ったことになった。

まさか先生にまで知られてしまうとは。


「で、不純な行為はまったく無い、と」

「もちろんです!!!」



 

「ふむ……」


……いや、待てよ?

ここで問題になると、有村は大人しく家に帰らざるを得なくなるんじゃないか?

僕にも多少のお咎めはあるだろうけど、それで僕の穏やかな生活が戻って来るのなら、万々歳じゃないのか?



 

 

 

「そうか。だったらいいよ。オッケー」

「へ?」


だが、和久井先生はあっさりと認めた。


「ど、どうしてですか!?」

「だって、学生としての節度を持ってお付き合いしてるんだろう? 学校側としても、不純な行為にふけってもらうのは困るけど、そうじゃないのならとやかく言うことでもないしね」

「で、でももしかしたら何かあったりするかも……」

「あるのかい?」

「あ、いや……ない……です……」

「うん。だったら問題ない」

「そうは言ってもですね……!」

「それに、有村くんのお母さんとも、さっき電話で話をしてある。彼女のやりたいようにやらせてくれ、ということだ。親御さんが良いと言うなら、僕たちがとやかく言うことじゃないよ」


そんな……。



 

「ま、ふたりとも、くれぐれも節度ある付き合いを頼むよ」


「あ、先生! 待っ──」


だがそんな僕の声は届くことなく、和久井先生はそのまま去っていってしまった。



 

「とりあえずお咎めなかったのは良かったけど……」


良くない。

全然良くない!

これで、このバカバカしい家出騒動を有村にあきらめさせる口実が、またひとつ減ってしまったということだ。

かくなる上は……。


──「おい、宮代。話があるんだが……」



 

 

「か、川原くん!!! いいところに!」

「え……?」


………



 

 

「なるほど。で、和久井先生はなんて?」
「それが……特には……」
「ふむ……」


教職員からも認められたとあっては、もはや頼みの綱は生徒会……いや、彼、川原くんだけだ。

僕には当たりの厳しい彼のことだ。

こんな騒動があったら、ここぞとばかりに咎めてくるに違いない。

そうなったら、こっちのものだ。



 

「先生方がなんと言おうと、生徒会としては学生同士という関係を逸脱する行為、あるいは逸脱する可能性につながる行為を認めるわけにはいかない」

「そ、そうですよね!!」

「えー。別にやましいことしてるわけじゃないですしー」

「これ以上、妙な噂が広まって、学内に不純な空気が蔓延しても困る。ダメなものはダメだ」

「お固いことで……そんなだから来栖先輩に振り向いてもらえないんすよねぇ」

「ん? なにか言ったか?」

「いいえぇ、なんでも♪」



 

「とにかく、有村さんは今日からきちんと家に帰るように。わかったな」

「はーい。わっかりましたぁ」


ん……?


「しょうがない。宮代先輩、いきましょ」


有村が僕の背中に手をまわして促した。

なんだ。

案外あっさり諦めたじゃないか……。

さすがの有村も、川原くんは苦手だったのか。

とにかくこれで、ようやく平穏な時間が戻って来る。

今ばかりは川原くんに感謝しようじゃないか!


「そ、それじゃあ僕たちは……」


この手に取り戻されるべき平穏に期待を抱き、僕は生徒会室を後にしようと、扉に手をかけた。

 

 

「ま、待て、宮代!!!」

「え?」

「あー、なんというか、その、だな……」


なんだ?

いつもの川原くんらしくない、やたらとシドロモドロな口調だけど……。


「や、やはり生徒会としても、はなから生徒を疑った目で見るのはよくない」
「は……?」



 

「男女七歳にして席を同じうせず、なんてのは旧時代的な考え方だ。これからはもっと柔軟に物事を考えなければならないと僕は思う。そうやって、ともに成長することで、自制心を養うというのも大事な勉強になるかもしれないしな。そもそもが、男女というだけで穿った見方をするのは、見る方にも問題があるわけだ。それに、男女の付き合いも決して悪いものばかりだとはいえない。中には、互いを高め合う関係性というのもあるだろう」


いったい何が言いたいんだ?


「つまりだ、我々生徒会は君たちの同居生活を認めようじゃないか。いや、むしろ積極的に応援してもいい」
「え!? ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

「君たちふたりが本校の新たなモデルケースになって、男女間の新たな愛情の形を謳ってくれることを期待しているよ」

「そんな! さっきと言ってることが違──」

「そういうことだ。有村さんもわかったね」



 

「はーい。わっかりましたぁ。そんじゃ、宮代先輩、いきましょ」


「ちょっと待て! 僕はまだ話が──」


……

 

 

 

 

「あ、宮代!」


半ば無理矢理に生徒会室を追い出されると、そこには伊藤たちがいた。

どうやら僕たちを追ってきたらしい。


「で、どうだった? 何か言われたか?」

「それが……」


さっきまで僕を糾弾するような勢いだったのに、急に手のひらを返したような川原くんの態度。

あれはいったいなんだったんだ。

まさしく狐につままれたような気分だ。


「あれ、タク。背中に何か貼られてるよ?」

「え?」



 

「なにこれ? 『来栖先輩と引き離したいなら──』



 

「わああああああああああああああ!! ……うっわー。背中にデカデカと『バカ』って書かれた紙、貼られてましたよ、先輩。誰でしょうねぇ、いまどきこんなイタズラするなんて。ひっでー」



 

「???」

「ま、でも生徒会の人も問題ないって言ってましたし、これで隠すことなく堂々と宮代先輩のところで共同生活できるってことですね」


……こいつ、何かしたんじゃないのか?

 

 

 

「なにか?」


くっ……。


「……た、確かに学校や生徒会は良いって言ったけどさ、やっぱり普通に考えてマズいんじゃないのか?」

「なんだ、宮代。有村相手に、マズいことするつもりか?」

「じょ、冗談じゃない!! 僕は絶対にそんなことはしない!」



 

「むむっ」

「じゃ、別にいいんじゃないのか?」

「ひなちゃん、言い出したら聞かないしねぇ」



 

「ん……」


くそっ。こうなったら頼みの綱は来栖だけだ!


「く、来栖~……!」


僕は思いっきり同情を引こうと、可能な限り情けない声を作った。


「まあ、拓留と有村さんなら大丈夫でしょう」

「そんなぁ」


今や残された頼みの綱は学校(ここ)だけだったというのに、これで僕はまたしばらく有村と一緒に暮らさねばならないというわけか。

僕だけの憩いの場(オアシス)だったはずのあの部屋だけでなく、学校までが奪われてゆく……。

どこかに寄り道して、家に真っ直ぐ帰りたがらないサラリーマンってのはこんな心境なんだろうか。

 

 

 

「むぅ~……」


………

 


……

 

 



 

「はぁ……」


幸いなことに有村は買い物をして帰るらしく、僕はひとり渋谷の街中を歩いていた。

僕とは決して相容れないだろうと思われる人種がうじゃうじゃいるこの喧噪のただ中に、なぜか安堵している自分がいた。

別に有村が嫌いなわけじゃない。

外見だって悪くはないし、一緒に話していると楽しいと思う時もある。

じゃあ、何故こんなにもふたりでいることに重圧を感じているのか……。


「…………」


……あれ?

なんでだろう?

うるさいから?

果たしてそれだけ……だろうか?


──「ん? 宮代くんじゃないか」


人ごみの中、僕を叫ぶ声。

呼びかけてきたのは、神成さんだった。



 

「何してるんだ? またスクープでも探しているのかい?」
「あ、いえ……今は特に……」
「そいつは結構。学生は学生らしく日々を過ごすのが一番だ」


そうだ!


「神成さん! お願いがあるんですけど」
「お願い?」
「はい、実は……」


僕は、有村がうちに住み着いていることを神成さんに打ち明けた。

当然警察なら、なんらかの対応をとってくれるんじゃないかと期待してのことだ。

だが……。



 

「う~ん。そういうことなら、俺たちは何も協力できないな」
「何も、ですか?」
「ああ、捜索願が出てるわけでもないし、所在もわかっている。もちろん事件性もない。となると後は、当人たちの問題だからな。それにこの場合、下手につつくと、君の方が立場的にマズい……」
「僕が? どうして!」
「君の部屋に未成年の女の子を連れ込んでいるわけだからね。未成年者略取の罪に問われる可能性もある」
「そんな……僕だってまだ未成年ですよ?」
「未成年者略取ってのは、被害者が未成年の場合に適応される。マル被……つまり、被疑者の年齢は関係ない。もちろん本人たちの意思もね。だから、たとえそれが有村さん本人の意思によるものであっても、彼女の母親が訴え出たら、その時点で君は被疑者となる可能性もあるわけだ……」


なんだよ、その理不尽な法律……。



 

「ま、有村さんの母親の気が変わらないことを祈っておくよ。ははは」


神成さんは爽やかに笑ったけど、僕にとっては笑い事じゃない。


「それにしても、君も変わってるな」
「……僕のどこが変わってるって言うんですか?」
「君くらいの年頃だと、女の子がうちに泊まりにきたら、普通は喜ぶものだろう」
「……でも、相手はあの有村ですよ?」
「まあ……俺たちには手厳しいところもあるけど、君たち同世代だと付き合いやすいんじゃないか?」
「それは……」
「でも確かに、意識しすぎると逆に付き合いづらいってのもあるからなぁ」


意識しすぎると?


「特に彼女の場合は、全部筒抜けだしな。ま、せいぜい頑張ってくれよ」

 

 

 

 

いかにも他人事という風に、神成さんは笑いながら、雑踏の向こうへと消えて行った。


意識……しすぎ?

僕は意識しているのか?

有村を?

確かに緊張感はある。

たとえば尾上や乃々と同じ部屋で過ごしても、こうはならないように思う。

香月なら……やっぱり違うだろう。


「…………」


いやいや、そんなことはない。

そもそも僕の理想の女の子は、もっとおしとやかで大人しくて、こう……ふわっとした感じで。

有村とは真逆の女の子なんだ。

だから特別有村を意識してるなんてことはない……はずだ。


………

 

……

 

 

 

 

 

 

 

 

 




……

 

 

 

「ちゃおーっス! 有村雛絵、ただいま帰還しましたー!」


相変わらず元気のいいことだ。



 

「ただいま帰りました!!」
「あ、ああ……おかえり……」
「よろしい。んしょっと」


有村は満足げに頷くと、ソファベッドの上に何やら大荷物を置いた。


「なんだよ。何をそんなに買い込んできたんだ?」

 

「ふっふっふー」


不適な笑みに、嫌な予感がした。


「ほら、私って人が言ってることが、ウソかホントかわかるじゃないですかー」


僕の質問はまるで無視して有村は言い出した。


「それで最近思ったんですけどね。ウソって、ずっとつき続けてると、ホントになることもあるんじゃないかって」
「……どういうことだ?」
「わかりませんか?」
「全然」


何を言わんとしているのか、まったく理解できていない僕に、有村はずいっと顔を近づけた。



「先輩って私のこと、女の子だって思ってないですよね?」
「へ……?」
「この前、母と話した時だって、ぜーんぶ嘘でしたし!」
「だからあれは、お前の書いた台本に従ったんだから当たり前で……」
「しゃらーっぷ!!」


ビシッと指を突き立てられ、言われるままに黙ってしまう。

 

 

 

「なんかそれって、すっごーくプライドが傷つくっていうかー、女子として自信なくすっていうかー」


……もしかして今日、時折不機嫌そうに見えたのは、もしかしてそういうことなのか?



 

「てなわけでー、これから私、有村雛絵、もてる女子力すべてをつぎ込み、力戦奮闘、万里一空、全身全霊をもって先輩をメロメロにさせてみせます!!!」
「……めろめろ?」
「うっす! メロメロっす!」


また面倒なことを言い始めた……。


(そういうのさえなければ、有村も少しは……)


……おいおい。

少しは……何だって言うんだよ。


「これは私のプライドにかけた戦いです。誰がなんと言おうと、私はやる! そう、決して負けられない戦いが、そこにある!」


有村が宣言するたびに僕の心は段々と強張っていった。



「ま、でもとりあえず、今日のところはまだ前哨戦ってことで……」


と、有村は腕まくりをして、キッチンへと向かった。


………

 

そして三時間後──。

 

 

 

「はい、召し上がれ」


テーブルの上には、和洋折衷、様々な種類の食べ物が山のように供されていた。

とてもじゃないが、ふたりで食べられる量をはるかに超えている。


それに──。


「どうしたんですか? 食べないんですか?」
「えーっと……」
「あー、わかったー。しょうがないですねー、もう。先輩ったら、甘えんぼさんなんだからっ」


有村はまだはっきりと湯気が立ったこんにゃくを近づけてきた。



 

「はい、あーんっ」
「いや、待て! それは──!」
「遠慮なんてしないで、あーんっ」

有村の箸があっという間も眼前に近づき、避けようとした僕の頬に……。


「あっつ! アチチチチチ!!」


思いっきり火傷した。



 

「あれ? 先輩猫舌?」
「それ以前の問題だ!!!」


ていうか、どこのバラエティ番組だよ!


「わかりましたよー。そんじゃ、ふーふーしてあげます。ふー、ふーっ」
「あのさ……有村……」
「はい、もっかい、あーん……」
「悪いんだけど、僕……」
「あーん」
「帰ってくる前に、ご飯、食べちゃったんだよね……」



 

「……あーん?」
「い、いや、ほら、開店したばっかりのピザ屋があってさ! なんでもミラノから初上陸とかで、美味そうだったからさ……」
「へぇ~……」


……やっぱ怒ってる?



 

「あーん」
「だ、だからお腹いっぱいで」
「あーん!」
「わ、悪かったよ! もっと早くに言うべきだっ──もがぁ!」



 

「言い訳無用! せっかく作ったんだから、食べろーっ! さあ、食べろ! 全部食べろーっ!!!」


しかし、いかに無理矢理食べさせられようとしても、僕の胃の許容量なんて知れたもので。


となると──。


「あーん、こうなったら食べてやるーっ!」
「…………」
「あー、美味しい! こんなに美味しいのに食べられないなんて、先輩かわいそー」


涙目で言うことじゃないだろうに。

ていうか、さすがに申し訳ない気がしてきた。


「ごめん……」
「言っとくけど、もう先輩にはあげませんからねっ!」


いいけどさ。

そんなに食べると……。


………

 

 

 

 

 

「うぅ……動けねぇ……マジ、動けねぇっす……」


まあ、こうなるよな。


「おかしい……こんなはずじゃなかったのに……」
「ほら、薬……」
「お、おぶりがーどありがーとー……」


世話のやける奴だ。

メロメロにされるどころか、色気の欠片もないじゃないか。



 

ぐぬぬ……でも、これしきのことで諦めるような雛絵ちゃんじゃありませんからね……覚えてなさい、宮代先輩っ……」


それじゃあ、まるでかたき討ちじゃないか。

まあ、でも、妙なことを言い出したからどうなるかと思ったけど、この調子ならおかしなことにはならないだろう。


………



 

 

その予想通り、有村は夜までグッタリしたまま何か仕掛けてくることもなく、そろそろ就寝という頃合いになった。



 

「言っときますけど、今日のはちょっとオチャメな一面を見せただけですからね。ほら、ギャップ萌え? あれを狙っただけっすから」


いったい何と何のギャップを狙ったのか、僕にはサッパリだ。

 

 

 

「それじゃ、おやすみなさい」
「あれ?」
「どうかしました?」
「いや……」



 

「あー、もしかしてベッド際の警報機ですか? あれ、壊れちゃってぇ~」


別に訊いてないのに。

 

「だからって、こっちのベッドに入ってきちゃダメですよ」
「わかってるって」

 

 

 

「むっ……」
「な、なんだよ?」
「……そんな余裕でいられるのも今のうちですからっ。おやすみなさいっ」


言うだけ言って、さっさと布団に潜り込んでしまった。

まあいい、僕も寝よう。


………

 

 

 

「…………」


眠れない。

原因は決して、有村の警報機が無くなったからじゃない……はずだ。


「んー……」


起きてる?


……それとも、寝言?


「宮代……先輩……」


もしかして僕の夢を見てるのか?


「先輩……私……先輩のこと……」


有村……。


「起きてるだろ?」


「ぐー、ぐー……」


「やっぱりな」


「チッ──」


まったく、それで僕が本当に襲い掛かったらどうするつもりなんだよ。

ほんと、何を考えているんだか。


………

 

……

 

 

 


……

 

 

 

 

 

「っ……!」


早く! 早くしてくれ!!


「ん? もう時間か。それじゃあ今日はここまで」


よし、終わった!!

今のうちにどこかへ──!


──ガラガラ……。



 

「みっやしっろせっんぱいっ!」


……逃げ遅れてしまった。


……

 

 

 

 

「あれぇ? カバンなんか持って、どこかへ行くつもりですかぁ?」
「ちょっと用があってさ……」
「お昼作ったんです♪ 一緒に食べましょっ」


朝から作っていたのは知っていたから、こうなる予感はしてたんだよ。


………

 

僕は機械と化していた。



 

「はい、あーん」
「……」
「あーん」
「あーん……」


差し出された食べ物を、ただ口に入れて咀嚼するだけの機械だ。

 

 

「タクとひなちゃん、ラブラブだねぇ」

「そう見えるか?」

「う? 違うの?」


そう見えるんだとしたら尾上、お前の目は節穴以外のなにものでもない。

弁当を作ってくれるのはもちろん有りがたいことだとは思う。

せめて、おとなしく食べさせてくれるなら、素直に感謝もできただろうに。



 

「つーかさ、それ食えんの?」

 

 

 

 

「なんてこと言うんですか、非モテ先輩! 失敬なっ!」

「誰が非モテ先輩だ!」

「誰って、いとうせ……」

「やめろ、香月! お前がそれを口にしたら現実になるかもしれないだろっ!!」


ていうか、なんでみんなここで昼ごはん食べてるんだ。

見世物じゃないんだぞ。



 

「でも伊藤くん、さすがにさっきの発言は有村さんに失礼よ」

「だってさー……」

「有村さんのお弁当、間違いなく美味しいはずよ。ね、拓留?」

「え? あ、ああ……」


まあ、確かに美味しいけど……でもなんで乃々が?



 

「実はね。そのレシピ、昨日有村さんが教えてくれって──」


え……?

 

 

 

「わあわあわあ!! 来栖先輩! それ言っちゃダメなやつー!!」

「あら、そうだったかしら?」


(言われてみれば……)


このおかず、全部僕が好きなものだ。

そういえば昨日の夕飯も……。


「ち、ちゃいますからね! べべっ、別に、宮代先輩のために覚えたわけじゃないっすからねっ!」

 

 

 

「ひなちゃんひなちゃん、そこはタクのためって言ったほうが……」

「へ? あ、そ、そっか……」



 

「え、えっへん! 実はー、それぜーんぶ、宮代先輩のために覚えたんです。どうですー? ちょっとは雛絵ちゃんのこと気になり始めました?」

「……別に」

 

 

 

「ぐにゅにゅにゅにゅぅ~!」


有村はまだ何かいろいろ言ってたけど、僕は少しだけ冷や冷やしていた。

どうしてさっき、はっきりNOと言わなかったのか。

いや、言えなかったのか……。

どうやら有りがたいことに、有村は気づいてはいなかったようだ。


………

 


……

 

 

 

 

 

青葉寮に戻るか、あるいは尾上の家にでも泊めてもらおうかと、日が落ちるまで散々考えた挙句、結局僕は家へと向かっていた。

 

 

 

『ちゃんと逃げずに帰って来てくださいね』

 

 

 

と、帰りに言われたのももちろんある。

いまの有村を宮下公園(あそこ)にひとりおいておくわけにもいかないというのも理由のひとつだ。

それに……。

いったい今度は何をするつもりなのか、心のどこかで楽しみにしている自分もいた。

有村は女のプライドを賭けた勝負だと言った。

でも、有村がそうであるなら、これは僕にとっても勝負だ。

そう容易く、手のひらの上で踊らされてたまるかという、男の沽券を賭けた。

ただ……今のところ、もしかしたら少し分が悪いかもしれないというのは、有村には決して悟られたくはない。


………

 

 

 

「よしっ!」


なぜ自分の部屋に戻るのに気合を入れなきゃいけないのか、わずかな疑問を抱きながら、僕はトレーラーハウスの扉を開けた。


……

 

 

 

「あ、おっかえりなさーいっ」

「ただい……むわあああああああっ?」

「よしよし、逃げずに帰って来たとは感心感心」

「な…………」

 

 

 

 

「ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し? なーんて♪」

 

「ななな……」

 

 

「んー? 宮代先輩、どうしちゃったんすかぁ? もしかしてぇ、私のオンナとしての魅力にメロメロになっちゃいましたかぁ?」

「あ、有村っ! おまっ、なんて格好してんだ!」

「なにって……お料理するためにエプロンつけただけですが、何か問題でも?」


エプロンつけただけ?

いやいやいや、"エプロンだけつけた"格好だろ、それ!


「あ、一応言っておきますけど、下にはちゃーんと水着きてますから」

 



 

な、なるほど……。


良く見ると確かに、エプロンの舌にはビキニらしき水着をきているようだ。

しかし、だからって状況自体がそう変わったわけでもない。



 

「それじゃ、もう一回。ご飯にします? お風呂にします? それともわ・た・し?」

「お、お風呂なんてこの部屋にはないし!」
「あれぇ? あれれぇ? 宮代先輩ったら、顔真っ赤ですよぉ? かーわいい」
「うっ……だ、だいたい、そんな格好でよく恥ずかしくないな」
「別に、恥ずかしくないわけじゃないっすよ……」


言われてみれば、有村の頬はほんのりと紅くなっていた。


「でも、先輩、こういうの好きみたいだから……」


頬を染めて伺うような瞳を向けてくる有村の仕草に僕は──。

 

っ……違う!


僕はドキドキなんてしてない!


「だ、だいたい、なんで僕が裸エプロン好きってことになってるんだよ!?」
「だって、ほら……」



 

有村が指さした先には、裸エプロンでにっこり微笑んでいる雑誌のグラビアページが開かれていた。

あれは──クールキャット!?


「ち、違う! 僕はこういうのが好きってわけじゃ──あ……」



 

「うふっ」


しまったぁああああああ!

 

こいつには全部見透かされてるんだったぁああ!

 

 


「というわけでぇ、もうすぐご飯だから待っててくださいね」
「…………」

 

………

 

 

 

 

「~~~~♪」


ひとまずここは落ち着こう。

こういう時は素数を数えるか、あるいは元素周期表を諳(そら)んじると相場が決まっている。

2、3、5、7、11……。


「…………」

「ふふ~ん」


くそっ!!


見ないようにしようと思えば思うほど、つい視線がそちらへ向いてしまう!!

これじゃあ、有村の思うツボだ。

よし、考え方を変えよう。

そうだ。そもそも水着というのはなんだ?

水着というものは、ただ水に入るという目的のために作られた服──ようするに、見られることを前提として作られたものだ。

本来見られるべきでないものを目にした時、初めて人は悦びを感じるものじゃないのか?

ということは水着なんて、多少露出が高いか低いかというだけで、普段来ている制服や私服と何も変わらないただの水中用衣服じゃないか。

そもそも、見られることを前提としたものを見て、気分が高揚するというのもおかしな話だ。


「…………」


うん。

だんだんと落ち着いてきたぞ。

今なら有村の姿を見たって──。



 

「はい、できましたよ~」


有村ができたての料理が乗った皿を手に近づいてきた。

いつの間に取ったのか、さっきまで身に着けていたエプロンはもうない。

 

 

 

「うふっ♪」


な、なかなかに際どい水着姿だ。

さっきまでの僕なら、視線の持っていきどころがなく、しどろもどろになっていたことだろう。

けれど今の僕にとってそれは、ただの衣服。

つまり、普段の格好となんら変わらないのだ。


「有村」
「どうしました? もしかしてギブアップですか?」
「寒くないか?」



 

「え?」
「いつまでもそんな格好でいると風邪ひくぞ」



 

「……そ、そんなこと言って、誤魔化してもダメっすよ」
「僕は別に誤魔化してなんかない。ただ、寒いだろうから服を着たほうがいいんじゃないかと思っただけだ」
「ふ~ん、そうですか。でも、私はこのままでも……くちゅっ!」
「ほらみろ」


いくらこの中が多少あったかいって言っても、暦の上ではもう11月だ。

水着姿じゃ冷えるに違いない。



 

「うぅ……じゃ、こうしましょう。先輩が雛絵ちゃんにドキドキラブハートだって言うなら服を来ます」
「……それを言えばいいのか?」
「う……」
「言えばいいんだな? だったら……」

 

 

「タンマタンマ! やっぱいいです! わかりました。今日は大人しく服着ます……」


ほっ……。

と、胸をなで下ろした僕の耳に、何やらポコポコと鈍い音が聞こえてきた。


「ん? なんだ、この音」
「あ! いっけない。そういえばもう一品温めてたんだ!」

衣服を手に洗面所に向かおうとしていた有村が、慌てて流しに向かう。

危ないな。あのまま忘れてたら、家事にでもなるところだ。


(それにしても……女子の水着って、心もとないよな。あんなに細い紐で、外れたりしたら……)


有村の後ろ姿を見ながらそんなことを考えていると、やがて彼女は湯気の立った小さな両手鍋を手にぱたぱたと歩み寄り……。


そして──。

 

 

 

「はいはーい、テーブル空けてくださぁ──うおっ!」


躓いた。


「ちょっ──!」


バランスを崩して迫って来る有村に、僕は咄嗟に両手を突き出したが、それがいけなかった。

不測の事態に僕の能力が発動してしまったのだ。

さっき考えていた僕の妄想が能力と感応し──有村の水着の紐が解けるという形で結実した。


「ひぁっ!」


はらりと解ける紐。


ふわりと捲れる水着のブラ。


突き出す両手。


そして迫る有村。


その結果。



 

 

「っ……!?」


(なんだ、これ………すごく……柔らかい……)


「い……」


あれ? これって……。

 


「いやああああああああああああっ!」

 


有村の……おっぱ、い?


「うわあああっ! 違う! 違うんだ! 僕は決してそういうつもりじゃなく!!」


あまりの出来事に思考停止していた僕は、ようやく自分が有村の胸を鷲掴みにしていることを理解した。


「と、とにかく離してください!!」
「わ、わかった!」
「あ、ちょい待った!!」


慌てて離そうとした僕の両手に、何故か有村がぐいぐいと胸を押し付けてきた。

柔らかな感触が、僕の両掌を覆う。


「あ、有村! おお、お前、何して……」
「ち、違ぁう! そうじゃなくて……手、離したら丸見えになっちゃう……」
「あ……」


生憎、有村の両手は鍋で塞がっている。

放り出せば、ふたりとも大やけど間違いなしだ。


「と、とにかく落ち着け、な?」
「お、落ち着いてなんていられるわけないでしょーが!」


有村の言うことはもっともだ。

かく言う僕も、さっきから手のひらに感じる柔らかな感触に、どうにかなってしまいそうだった。


「せ、先輩。この鍋、放り出していいですか?」
「ダメに決まってるだろ!」



 

「あっ!」


有村が突然、艶めかしい声を上げた。


「ちょっ、っ……も、揉まないでください、よっ……っ」
「も、揉んでない!」
「だ、だって、さっきから……力入れてるじゃ……ない、ですかぁ……」
「ち、違う。不可抗力だ!」


ダメだ。

このままでは、本当にどうにかなってしまう。

この状況を抜けるためには──。


「あれ……そうだ、僕が目を瞑ればいいんじゃないのか?」
「あー! それですよ! なんで早く言わないんですか! 先輩のエロス!」
「お、お前だって、思いつかなかっただろ!」
「そんなことは良いから、早く目を瞑ってください!」
「わ、わかったよ! ……ほ、ほら、瞑ったぞ」
「ほんとですか?」
「あ、ああ……」


やがて、手のひらに伝わる温もりが、ゆっくりと消えていった。

ちょっと……いや、かなり惜しい気もする……。


「っ……目、開けちゃだめですからね!」
「わ。わかってる……」


鍋を置いた有村が、そそくさと衣服を手に、洗面所に向かう気配がした。


「はぁぁ~……」



 

……危ないところだった。


なんとか冷静を努めて乗り切ったけど、正直なところ間一髪だった気がする。


ていうか、何を考えてるんだアイツは。


まさか今のも計算……じゃないよな、さすがに。


あれが僕じゃなかったら、理性を失くしていてもおかしくないところだぞ。


それにしても……柔らかかった。


ダメだ。


思い出すな!


思い出したら最後、一気にやられるぞ!


(でも……この際、もうそれでも……)


僕がそんな風に


──!



 

「え?」


「きゃっ!!!」


突然、何かが弾けるような音がしたかと思うと、今度は室内が真っ暗になった。


「ちょ、ちょっと先輩! 変な悪戯はやめてくださいよ!」

「ち、違う。僕じゃない。ブレーカーが落ちたんだ」


「ま、真っ暗でなんにも見えないんですけど!!!」


「ちょっと待て。目が慣れたらなんとかするから」


「そ、そんなこと言ったっ……あ!」


「あ、ありむ──!」


「ひゃあああああっ!!」


──!


「う……うぅっ!?」

 

 

 

 

「いたぁい……」


有村が……僕の上に……。

しかも、着替えてる途中ってことは……もしかして……。


「ん? この感触……もしかして宮代先輩っ!?」
「バカ、動くな! 危ない!」
「あ……」


テーブルの上には、さっき有村が運んできたばかりの鍋をはじめ、まだ温かい料理が乗っている。

下手に転んでひっくり返しでもしたら、大変なことになる。

とはいえ、この体勢のままでいる、というわけにもいかないし……。


「な、なんにも見えません……ね」
「そ、そう……だな……」


と言ったが、嘘だ。

僕の目はだんだんと暗闇に慣れはじめていた。

闇の中、次第にぼんやりと有村の姿が浮かび上がる。

案の定、有村は思いっきり着替えの途中だ……。

ちなみに、有村にはさっきの僕の言葉が嘘だとはわかってないはずだ。

なぜなら彼女の能力は、他人の目を見ている時でないと発動されないからだ。

不意に、さっきの感触が手のひらの中によみがえる。


「っ……!」
「あ、あれぇ? せ、先輩……もしかして……ドキドキしてます?」
「し、してない! ていうか、そんなこと言ってる場合か!」


もちろんそれも嘘だ。

さっきからの畳みかけに、ドキドキしないほうがどうかしている。


「ど、どうしましょう……」
「どう……しようか……」


有村が喋るたび、その吐息が耳元をくすぐる。

もしも、この心臓の音を聞かれたら、勝負は僕の負けになってしまう。


「あ……」
「ど、どうかしました?」
「あった。電気、つける方法……」
「ほんとですか?」


そうだ。

僕の能力さえ使えば……。


「点けて……いいか?」
「あ、待ってください! その……もっかい、目、つむってください」


どうしたんだろう?

なんだかさっきまでとは打って変わって、しおらしい声になっている。


「目、つむりました?」
「ああ……」
「…………」
「…………」
「…………」

 

けれど、有村は何故か動こうとしなかった。


「有村?」
「あ、えと……じゃあ……お願いします」
「う、うん……」


僕は心に命じた。

上がれ。

ブレーカーよ、上がれ。


「あ……」


ガチャンという音とともに、瞼の裏を支配していた黒が、赤に変わった。

そして、しばらくして身体の上の重みと温もりが消えた。


「ふぅ……」



 

なんだか……さっきの有村、様子が変だったな。

どうかしたんだろうか。


「あ……」

 

 

 

「っ…………」
「あのさ、有村──」



 

「すとーっぷ!!」
「え?」
「さっきの一連の出来事は、飼い犬にでも噛まれたと思って忘れましょう」


いろいろ間違っているが、言いたいことはわかった。


「そ、そうだな……」


とは言ったけど、あんな強烈な体験、忘れられる自信はもちろんない。



 

「よ、よーし。そんじゃ、ご飯、食べましょうか」
「え? あ、ああ……そうだな……」
「ひ、雛絵ちゃんが腕によりをかけて作ったご飯、しっかり味わって食べてくださいよ~」


その後、僕も有村も努めて明るくふるまい、互いにあくまで表面上はさっきのことは無かったことにした。

 



 

それにしても……さっきの有村の様子、なんだかおかしかった気がしたけれど。

……どうやら、気のせいだったようだ。

 

………

 


……

 

 

 




……

 

 

 

「…………」


「は……うぅんっ……あぁっ……」


「…………」


「はぁぁんっ……」


「あのさ……さっきから、なにやってるんだよ、それ?」



 

「ああ、これですか? ヨガですよ」
「ヨガぁ? ヨガって、あのヨガか?」


ヨガっていうより、ただヨガってるだけに思えたけど。

ていうか、わざわざこんな狭いところでやる必要ないだろうに。



 

「ん……んんっ……」


それにしても、ヨガってなんていうか……こう……身体の柔らかさだったり、ラインだったり、薄っすらと浮かぶ汗だったり……艶めかしい……よな。



 

「チラッ」


っと、危ない危ない。

これじゃあ、有村の思惑どおりだ。

 

「じょ、女子ってヨガとかそういうの好きだよな……」
「そだ。先輩もやってみたらどうっすか、ヨガ」
「パス」



 

「即答かよ!」
「そもそも僕は、頭脳派であって身体を使うのは苦手なんだ。それにヨガなんてやったところで、せいぜい身体が柔らかくなるくらいのもんだろ」
「んなことないっすよ。他にもいっぱいメリットあるんですから」
「メリットねぇ。例えば」
「それは……ほら……えっと……」


わかってないんじゃないか。



 

「そうそう! 火を噴いたり手足が伸びるようになったり!」


どこの格ゲーの話だよ、それ……。


「ま、でも確かに、宮代先輩っていかにも不健康そうですもんねぇ。休みの日にどこか行ったりしないんすか?」
「するよ。取材とか」


僕がそう答えると、有村はあからさまに顔を歪めた。



 

「変顔?」
「呆れてんすよ!」
「はぁあ、情けねー。いい若ぇもんがそんなこと言って。まったく日本の将来が思いやられるってもんよ」


前から思ってたけど、有村って時々べらんめぇ口調になるよな。

 

 

 

「よし、決めた! せっかくのお休みだし、今日は遊びに行きましょう!」
「嫌だ」
「却下だ!」
「は?」

 

 

「はいはい、そうと決まれば準備準備! 行きますよ、ほらっ!!」
「え? あ、いや、ちょっと待っ──」


………

 


……

 



 

「…………」


結局、強引に連れて来られてしまった。

ていうか、ヨガはもういいのか?

それに、なんというか……有村のやつ、今日はまた昨日とはなんだかちょっと違うというか……。



 

「どうしたんっすか? 難しい顔して」
「いや、今日は昨日みたいに、突っ走ってこないんだな、と思ってさ」
「あぁ、今日はあれ、お休みっす。休日ですから。あれ? 言ってませんでしたっけ?」


聞いてないよ。

ていうかなんだよ、その自分ルール。


「というわけで、先輩もたまには羽根を伸ばしてリフレッシュしてください」


背後からさんざん僕の両羽を羽交い絞めにしている本人が言うんだから、どうしようもない。

 

 

 

「で、どこへ行きます?」

二、三歩先を歩いていた有村が、くるりと振り向いて言った。

聞かれても、元から出かける予定なんて無かったんだから困るんだけど。


「しょうがない。なんか映画でも観るか」


確かこのすぐ近くに、小さな映画館があったはずだ。

それに、映画館ならさすがの有村も大人しくしてるだろう。

 

 

「映画ぁ?」


露骨に嫌そうな顔……。


「私、作り物のお話、苦手なんすよねぇ」
「おまえ、文芸部員だろ……」
「小説には真実がありますけど、映画ってやっぱり嘘が多いじゃないですか」


そんなのただの偏見だ。


「いっそのこと、思いっきり嘘のお話ならいいんですけどねー。こう、ばりばりばり~、どか~ん、的な」


身振り手振りをつけてただただ擬音を口にする様が、まるで子どもみたいだ。

ちなみに、僕はどっちかっていうと、その手の勢いだけの映画はあまり好きじゃない。

いよいよ有村とは趣味が合わないらしい。


………

 

 

 

「残念ながら、そんな映画はやってなさそうだ」
「あれま」


まあ、ここの中の映画館は特に単館系の映画ばかりだし。

だからこそお客も少なくて、僕にはちょうどいいんだけど。


「どれがいい?」



 

「どれでもいいっすよ。私、そんな真剣に観ないんで」
「帰るぞ」
「あ、うそうそー。じゃあ、先輩にお任せします」
「で、つまらなかったら文句言うつもりだろ」



 

「やーだなー。さすがにそこまではしませんよー」


本当か?


「ふむ……」


一本はいかにも芸術系って感じの映画だ。

もう一本のほうは、最近一部で話題になってるヒューマンドラマだった。

確か、来栖が観たいとか言ってた気がする。


「こっちだな」


僕は来栖が行きたいと言っていた方の作品を選んだ。

ヒューマンドラマもそんなに好きじゃないけど、芸術系の映画は高尚ぶっててもっと苦手だ。

それにこの監督の作品、前に観た限りではそんなに悪くなかった気がする。

なにより、こっちの方が話題性があるから、誰かに内容を聞かれたときに説明できるだろうし。

 

 

 

「うっわぁ、これっすかぁ……」
「帰る」



 

「わぁいヒューマンドラマ。雛絵、ヒューマンドラマだいすきー」
「…………」

 


………

 

 

 

映画の内容に関しては、僕が想像していたよりもずっと社会派で、好感が持てる作品だった。

思うにこの映画、そもそものキャッチフレーズが悪い。

こんな人情もの寄りのキャッチフレーズだと、そもそもの主題とかけ離れていて誤解されかねない。

せっかくの悪くない内容なのに、これじゃあヒューマンドラマが見たくて来た人には、逆に期待外れに思えてしまうかもしれない。

それにポスターのデザインも良くない。

なんでもかんでも、ごちゃごちゃと説明すればいいというものではないはずだ。

どうして日本の配給会社は、こんなにもセンスが無いのか。


……



 

というようなことを、映画が終わったらいろいろと話して聞かせようと思っていたんだけど……。



 

「う゛う゛え゛え゛え゛……!」
「…………」
「う゛え゛っ……え゛え゛え゛え゛え゛え゛~……」
「有村……」



 

「だがら゛い゛っだじゃな゛い゛っずがぁ……に゛がでだっでぇぇ……。あ゛だじあ゛あ゛い゛う゛お゛ばな゛じだめ゛な゛ん゛でずよ゛ぉぉぉ……」


苦手って、そういう意味だったのか……。

「うぅ……ひっく……」


まったく……。

ほんと、妹っていうか……結衣やうきよりも、よっぽど子供みたいだな。


「わかったから、泣きやめ、な?」


道行く人がジロジロと僕を見ている。

これじゃあ、まるで僕が泣かせたみたいだ。



 

「じゃあ、わだじのお願い、聞いでぐれまず~?」
「お願い? なんだよ」
「クレープ食べたい……」

 

………

 

 

 

「えへへへぇ」


クレープ買った途端にすっかりご機嫌とは、現金なものだ。

それにしても……。

 

 

 

「ん? もしかしてクリームついてます?」
「いや……」


なんか、学校でいる時とも、僕の部屋であれこれやってる時とも違うんだよな。

素直というかなんというか。

これも"お休み"のせいかな?

いつもこんな調子なら、有村もなかなか可愛いところあるのに。


「な、なんすかなんすか? さっきからジロジロとー」
「べ、別に……」
「あー、もしかしてもしかしてー。"有村って、こうやって見ると可愛いな"とか思っちゃってましたー?」
「そ、そんなこと思ってないし」



 

「え?」
「あ………」


しまった……!

つい口に出してしまった。

これはきっと……。



 

『いよっしゃああ、キターっ! ついに、先輩もこの雛絵ちゃんの魅力にやられましたね! ふっふっふーん。ま、しょうがないっすよねぇ。私ってカワユイからぁ。ねえ。今どんな気持ち? どんな気持ち?』


てな感じで、鬼の首をとったように煽られるに違いない。


「ち、違うんだ。今のは──」



 

「…………」


あれ?


「え、えっと……」


こいつ……もしかして。


「有村……ひょっとして照れてるのか?」

 

 

 

「は? べ、別に照れてましぇんしっ!」


噛んだ。

明らかに照れてる。

もしかして、有村って意外と打たれ弱いのか?

そういえば、いつもウザいくらいに自画自賛してるから、周りから言われたこと、実はあんまり無いんじゃないのか?

これは……もしかして攻めどころじゃないだろうか。


「ま、まあ、ほら……あくまでも見た目だけで言えば、有村も結構、可愛いほうなんじゃないのかなって……」


しまった!

イジるつもりが、僕の方こそ普段言いなれてないせいで、ただ普通に褒める形になってしまった!


「そ、そう、ですか……それはその……ありがとう、ございます……」
「…………」


気まずい……。

これじゃあ、中学生のカップルだ。

 

 

 

「せ、先輩のクレープ美味しそうっすねー!」
「え?」



 

「隙ありーっ! ぱくっ!」
「あ……」


もしかして、照れたのを誤魔化すためなのかもしれないけど、今のって……。

いや、でも……。


「ん……おいしー」


そうだよ。

尾上なんていつでも人のものを横取りするし、さすがに今どき、間接キスで照れるような女子はいないよな。



 

「あ……」


えええええ、照れる!?

しかも今さら?

これまで、さんざん『あーん』とか強要しておいたくせに?


「え、えーっと、今のはそのぉ……」

 

 

 

いや、待てよ。

何かおかしい。

あの有村が、たかがこのくらいで照れたりするものだろうか。

……やっぱり無いな。

有村に限って、そんな純情じみた反応するとは思えない。

けれど……。

 

 

 

「…………」


照れている姿──これに関していえば、嘘とは思えない。

心なしかモジモジしている気もするし。

ということは、他に何か照れたり恥ずかしがったりする要因があるということだ。

いったいなんだ?



 

「先輩危ないっ!!」
「え?」


──ッ!!


「あがっ!!!」


「大丈夫ですか?」


……考え事しながら歩いてたせいで、思いっきり電柱にぶつかってしまった。

 

 

「いたたたた……」
「もう、ぼーっとしてるから」
「悪い……」



 

「ほら、見せてください」


気がつくと、有村の顔がすぐ傍にあった。


「だ、大丈夫! これくらい平気だから!」
「そうですか……? だったらいいですけど」


……まったく、僕まで照れてどうする。

それにしても……。


「次はどこ行こっかなー」


今日の有村はどうにも調子が狂うな。


………

 


……

 

 

 

 

「…………」


「すぅ……すぅ……」


「…………」


「すぅ……すぅ……」

 

くそ、なんでだろう。

眠れない……。


……