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-ノベルゲーム・タイピング-

世界でいちばんNGな恋【21】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


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「お~、スッキリしたね~、足」
「どうも……長いこと心配かけました」
「よかったよかった…。これで先生も安心だね」
「う、うん…」


僕の足を覆っていた白く無骨な石膏がなくなっているのをちらっと見やると、トコはまた洗濯物との格闘に戻る。

12月16日。日曜日。

今日、久々に目にした自分の右足は、左と比較すると笑ってしまうくらいにやせ細り、僕をちょっとした目眩に誘ってくれた。


「あと二、三日は松葉杖いるけど、週末までにはそこそこ歩けるようになるって」


今の力の入らなさを考えると、『そこそこ』というのがどの程度なのか予断を許さなくはあるけど…

なにしろギプスがなくなった直後、浮かれて診察室のベッドから勢いよく下りた瞬間、いきなり『ぺたん座り』してしまい、麻実の絶叫を誘ったし。



 

「でも良かったじゃん。クリスマスに間に合ってさ~。先生、喜んでたでしょ?」
「あ…そのことだけどさ、トコ。やっぱり、24日は…」
「だからぁ、あたしはいいってばぁ」
「で、でも…」
「理くんだってわかってるよね? 今度のことで一番世話になってるのは、紛れもなく先生なんだよ?」
「それは…僕だってわかってる」
「それも、先生本人だって今が一番大変な時期なのに、だよ?」
「重々承知してる」
「だったらさぁ…そんなゴチャゴチャ言ってないで、先生と行きなよ、クリスマスディナー」
「トコ…」


昨日(僕の口座のほぼ全財産と引き替えに)手に入れた、トリトンホテルのクリスマスディナーのペアチケット。

トコと麻実のどちらを誘うにせよ、最初にこのことを相談する相手だけは決まっていた。

…まぁ、要するに、話が通ってない場合にこじれる可能性の高い方ということで。



 

「それに、前から言ってんじゃん。あたし、24日の夜は先約あるってさぁ」


…という覚悟で臨んだ割には、トコにあっさり引き下がられてしまい、僕の方も未だに戸惑いを隠せないままだった。

そのメンタリティってどうなんだろうとか思わないでもないけど。


「友達とのパーティだっけ? …誰と誰が行くの?」



 

「イブの夜に二人きりでホテルのディナーに行く人に、わざわざ話す必要があるのかなぁ?」
「わかった行かない行かないよ! チケットだってご隠居たちに返すから!」
「…キレやすい29歳?」
「オーケイ、じゃあこうしよう。ディナーは6時からだから、昼間一緒に出かけよう?? そうだなぁ、トリトンで豪華ランチとか」
「無理しなくていいよ。大体理くん、今貯金どのくらい残ってるの?」
「大人の懐事情まで詮索しないの!」


(僕の口座のほぼ全財産と引き換えに)手に入れた、トリトンホテルのクリスマスディナーのペアチケットが、僕の懐でカサカサ鳴った気がした…



 

「だいたいさぁ、クリスマスイブにデートのハシゴだなんて、理くんも偉くなったもんだよねぇ…」
「う…」
「理くんのことだからさ、あたしと会ってる間は、先生待たせてるんじゃないかって気が気じゃなくて。先生と会ってる間は、別れたあたしのことばっか気にしてさ」
「うう…」
「それってさぁ、先生にもあたしにも最低じゃない?」
「ううう…」


なんて否定できない可能性…

トコには、時空を渡り未来を見据える能力でもあるのか?



 

「それに、イブって言ったらギプス取れて一週間だよ? 朝から歩き回ってたら、ディナーの頃にはまた足が折れちゃうよ」
「大丈夫だって、リハビリも兼ねてさぁ…」
「とにかく却下。あたしだってパーティの前に疲れたくない」
「ト、トコぉ…」


最近、トコの様子が少しだけおかしい。

僕と麻実が二人きりでいても、今までみたいに不機嫌な表情や態度を見せたりしない。

なんだか呆れた笑みを浮かべるというか、『もう、しょうがないなぁあの二人は』という感じで、遠くから見つめているという感じが強い。

これって一体、どんな心境の変化?

親としても喜ぶべきこと?

それとも、うろたえるべき事態?


「ね、理くん。クリスマスは先生と一緒に過ごしなよ? …そのチケット、先生だって喜んだでしょ?」
「まだ話してないよ」

 

 

 

「なんで?」
「まずはトコの許しをもらってからにしようと思ったし、それに」
「それに?」
「…断られる可能性を考えてなかった」
「………」


そういえば…僕もかなり傲慢になったというか、麻実に対して変な自信を持つようになってしまった気がする。

だいたい、ついこの間他の男にプロポーズされたばかりの女性が、どうして冬の一番特別な日に、捨てた元亭主の誘いを受けるって確信してるんだろう?

僕の足を覆っている白く無骨な石膏を見つめても、その答えは返ってきそうにないというか、『自分の胸に聞け』ち返されそうというか。



 

「じゃ、そういうわけで。あたし今忙しいから」
「ああっ! ちょっと待って!?」


僕が下を向いて考え込んでいると、トコはもう僕に用はないという態度をありありと示しつつ、洗濯物との格闘に戻る。



 

「理くんに恋愛相談持ちかけられても困るから。あたし結婚も離婚も復縁もしたことないから」


今、ほんの少し『これでこそトコ』って感じに、機嫌が悪くなったような気がする…


「じゃ、じゃあ23日! 日曜空いてない?」
「だからぁ、子供をデートに誘ってる暇があるなら…」
「クリスマスってもともと家族サービスの日じゃないの?」
「先生だって昔は家族だった人じゃん。…また家族になるかもしんない人じゃん」
「でも、今の僕の家族はトコだけだ」
「理くんさぁ…そうやって、どっちつかずのことばっか言ってるとさぁ」
「23日、空いてる?」
「………」
「お昼頃出かけてランチ食べて、トコの好きなところ行って、遊んで…帰りにケーキ買って、夜はアパートでパーティしないか?」



 

「忙しい天皇誕生日だねぇ…」
「僕が生まれた日じゃないし」
「はぁ…なんだかなぁ」


自分でも、強引だってわかってる。

最近、少しずつ親離れっぽい態度を見せるようになったトコに、一抹以上の寂しさを感じて、子離れできない親のように、駄々をこねているだけにしか見えない。

でも、だからどうだって言うんだ。

今、僕が世界で一番大切な人は、これから数年間、一位を独占し続けるに決まってる。

だって、この娘が一位に並ばれるときは…

きっと、僕の腕の中には、大声で泣きわめき、僕を大いに困惑させる、僕の血を分けた分身がいるはずなんだから。


「あ、それとプレゼントだけど…何か欲しいものある?」
「だからさぁ、そういうのは先生に…」
「トコが決めてくれたら、麻実にも同じものをプレゼントするから」



 

「え…」

 

これは、我ながら大胆かつ細心な作戦であると言わざるを得ない。


「さ、何がいい? ちなみに、もしトコがいらないって言うなら、僕は誰にもプレゼントをしないから」
「そ、それって卑怯だよ…あたしに責任押しつけて自分は涼しい顔なんてさぁ」


なにしろ、トコはこういうの絶対に遠慮するから、自分が引いたことで相手に不利益が行く状況を作るのが一番効果的。


「そうだな、金曜までに考えておいてね。何しろ来週頭がクリスマスだし」

「こ、このぉ…」


なんというか…僕にもやっと、トコの扱い方というか、この娘の心の動きのパターンがわかってきたような気がする。


「それじゃ、プレゼントと来週のデートの件、よろしく」


と、トコの洗濯の手を止めたことに僕は満足しつつ、部屋に戻ろうと、松葉杖を地面に立てる。


と…



 

「何でもいいの…?」

「トコ?」

「プレゼント、何が欲しいって言っても、先生にも同じものを渡すんだよね?」
「ああ、参考書だろうがゲームだろうがぬいぐるみだろうが、トコが欲しいもので構わない」


いや、例に挙げたものを選ばれると、トコはともかく麻実には相当微妙な顔されるだろうけど…


「じゃあさぁ…」

「うん」


でもそれなら別に構わない。

どうせ麻実だし、話せば笑って理解してくれる。

こういうとき、気心の知れた相手というのは助かる。



 

「指輪にしてもらおうかな?」

「………はい?」

「あ、別に宝石つきの高いやつとか全然そんなんじゃないよ? 普通に子供のお小遣いでも買えるくらいのファッションリングでいいから」

「………指輪?」

 

 

 

「ダメかな…? ね、いいよね理くん! トコ一生のお願い!」


と、トコは僕の目の前で拝むように目を閉じ両手を合わせると、少し経った後、片目だけ開いて、ぺろりと舌を出した。


「………なぁっ!?」

「あっははは~! 約束だ、約束だよ? 先生にも同じもの贈るんだよ~?」

「ま、待って…それだけは待ってぇ!?」


や、やられた…

こっちの作戦を、見事に逆手に取られた。



 

「さ、どうする? 先生にあげないって言うなら、あたしは絶対に受け取らないからね?」

「い、いや、だからぁ…」


僕が麻実に指輪を贈るって…

それって、どんな言い訳も利かない…

深い意味なんかない状況が作れないじゃないか。


「じゃ、23日楽しみにしてるからね。どんなプレゼントがもらえるのかな~? ほんっと、楽しみだなぁ」

「あ、あは、あはは…」

 


……


出逢ってそろそろ10か月。

保護者の誓いを立てて、そろそろ半年。

僕はまだ…この娘に、何一つ勝てるところがない。


………

 


……

 

 

 

 

 

第12話 『決別のイブ、復縁のイブ』

 

 


……

 

 

 

 

「ええええええええっ!?」


…で、こっちはこっちで相変わらず僕相手のくせにときどきリアクションが大袈裟になるし。


「だから、偶然なんだけど、クリスマスディナーのチケット、当たっちゃって。いやホント偶然、駅前の福引きでさぁ」


偶然、三万円も取られることになっちゃって…


「に…24日? 18時? そ、それって…え~! え! ふ、振り替え休日じゃないの!?」
「だから誘ってるんだけど…」


「お、理…あなた正気? 女房口説いてどうするつもり…?」
「いや女房じゃないからもう」



 

「あ、そうか…」


最近、麻実のやつ、僕らの今の立場を忘れつつあるような気がする。

まぁ、ここ一月ずっと、一つ屋根の下どころか、一つ屋根の中で一緒に暮らしてるし、風呂も着替えも世話になってるけど。


「その、やっとギプスも取れたし、25日からは職場に復帰できるし…」



 

「う、うん…」


何故だか、話が僕の復帰に及ぶと、ちょっとだけ表情を曇らせるのが、最近の麻実のターン。…いや、パターン。

いや、トコの『無理してる笑顔』みたいに、僕の考えすぎの可能性が高いけど。


「それでさ、今まで世話になった分、少しでも恩返しできたらって思って…」
「だからって…12月24日にわたしなの? それって優先順位間違えてない?」
「それがさ、トコは24日に用事あるらしくて。友達とクリスマスパーティなんだってさ」
「そ、そうなの…? じゃあ、彼女はいいって言ってるのね?」
「ああ、『先生と行っておいで』って」



 

「そ、そうなの…? あの美都子ちゃんが…?」
「あのトコが、だ」
「………」
「………」


少しだけでなく、不思議に思うことがある。

どうして僕らは二人して、ここまでトコの顔色を伺うようになってしまったんだろう。


………

 


……

 

 



 

「…というわけで、身勝手なのは承知してます! でも、あなた方に頼るしかないんです! 何も言わず、わたしに服を貸してくださいっ!」

「………」

「………」

「あ、普通の服というわけじゃなくて…パーティとかに来ていくフォーマルなもので。あ、あまり派手すぎるデザインや色も困るかな」

「………」

「既製服のサイズだと11号…と言いたいところだけど、それだとウエストがものすごく余るのよね。かと言って7号じゃ他がキツくて…」

「………」

「………」

「だからね、身長的には姫緒さんの服なんだけど、体格的には夏夜さんの腹の方がいいんじゃないかしら。多分、姫緒さんのだと胸が…」


──!



 

「いい加減黙りなさいっ!」

「っ!?」

「あ~姫様、落ち着いて気を鎮めて。あなたが小さい訳じゃないの。センセがちょっと大きすぎるだけ」

「あなたに慰められても嫌味にしか聞こえないわよっ! この乳姉妹!」

「…駄目ですか? 使うの、一日だけなんですけど。ちゃんとクリーニングに出して返しますし」



 

「12月24日に? パーティやデート用の服を?」

「いえ日程はあくまでも偶然でして。ほら、商店街の福引きが…」

「要するに、理くんとデート?」

「いえいえそんな特別なものではなくて! お世話になったお礼だとか……ほら、お歳暮のようなもので」


「ならいつもの服でいいじゃない」



 

「そんなことできますか! 理と一緒のクリスマスなんですよ!?」

「………」

「………」


「あ~…クリスマスディナーショーなので。ほら、周りの人たちもみんなおめかししてるし」

「…当日、あいつ休日出勤させたくなってきたわ。25日から復帰なんて甘いわよ」

「だから抑えて。この人が理くん関係で退いたの見たことある?」

「私ね、結構自覚あったのよ…自分って、それなりに傍若無人なところもあるかなって。人によっては、不快に思う人もいるんじゃないかなって」

「…それだけ自覚してて今までああだったってのなら大したものね」

「そ、それでもねぇ!? そこそこ空気は読んできたつもりなのよ! こんなふうに一切人の話を聞かないなんてのは…」

「そう、ですよね。他人に服を貸すのって、気持ちのいいものじゃないですよね」

「ほらこういうとこ! 絶対こっちの言いたいことわかってて、わざと流してるわよねこの人!」

「まぁ、それはともかく…あたしそういうの手持ち少ないからなぁ。…姫様多いでしょ?」

「あいにくと私めの服は、デザインや色が派手すぎまして。…あくまでも年齢相応ですけど~」

「そうですか…」

「それに、胸のボタンだけ飛ばされても困りますし~」
「それはかなり情けない嫌味だと思うけど」



 

「わかりました。勝手なことばかり言ってしまい、本当にごめんなさい。この話は忘れてください」

「センセ…」

「あ、いや、ええと…」

「というわけで改めて…五万円ほどお貸し頂けないでしょうか? …今月の給料日には必ずお返ししますので」


──!



 

「うがあああああっ!」

「きゃっ!?」

「あ~…5秒待って。こっちの頭の整理がついたら姫様止めるから」

 

 

……

 

 

 

「は~、は~、はぁぁぁぁ~」

「ほらお茶。めっちゃくちゃ熱いから一気にどうぞ」

「あなた人を落ち着かせたいんじゃなかったの?」

「ん、ちゃんと突っ込めるくらいには冷静になった?」

「…呆れただけよ。こんなひとと一緒に二年も暮らしてたから、理さんはああいう男になっちゃったのね」

「あの…実は結婚前に一年間同棲してましたので、実質一緒に住んでたのは三年間で…」

「あ~いいからいいから。あたしたちもうあなたに張り合えるとは思ってないから」

「そういうつもりじゃ…」

「それよりもねセンセ…あなた、ボーナス出たんじゃないの? つい先週くらいにさぁ」

「それは…」

「ああ、そういえば私も出てたわ。今回は就任したてだからほんの金一封だったけど。どうしよう。寄付しようか、佐々木の車を買い換えようか…」



 

「く、車? あの高級外車を買い換え? ボーナス一回で!?」

「あ~、姫様は間違っても金額をバラさないようにね。あたしら二人に寝首をかかれたくなかったらね」

「な、何よ? あなたいきなり寝返るつもり?」

「でさ、姫様の1%くらいだったとしても、十分服くらい買えるお金はもらってるでしょ? もう全部使っちゃったの?」

「その、実は…お恥ずかしい話なんですが」

「何よ、金遣いの荒いこと。そんなことでよく結婚なんかできたわね」



 

「駄目だ…あたしもう駄目だ…この中にいたら、ただの常識人になっちゃう…」


「実は…昨日、新しいアパート、契約してきました」

「あ…」

「理も、ギプス取れる目処が立ちましたし、来週には職場にも復帰する見通しですし。わたしの役目も、もう終わりかなって」

「センセ…」

「前のアパートのあった付近で、家賃もほとんど変わらないし、これで何もかも元通りかなって」

「じゃ、じゃあ、ここは…」

 

 

 

「ええ、23日に。今まで本当にお世話になりました」

「………」

「………」

「保険金が下りるのはもう少し先の話なので、ボーナスで敷金と礼金と、家賃を払ったら…」

「全部使いきっちゃったって訳だ…」

「あ、いえ、なんとか当座の生活費以外にも、五万円くらいは残ったんですが」

「それだけあるなら何とかなるんじゃない?」

「姫様みたいに贅沢言わなきゃね」

「い、いえ、それが…確かにそのつもりで、ブティックに行ったんですけど…」

「もしかして、もっと高い服が気に入っちゃったとか?」

「あ~、あるよねそういうこと。あたしも理くんのズボン探してたときにさぁ…」

「…ちょっと待ちなさい。なんなのよそのシチュエーションは?」

「それが…手が届いてしまったんです。ちょうど五万円でした」

「なら問題ないんじゃない? なんでもう一着必要になるの?」

「あの…これ以上は、きっと怒られると思いますし」

「サイズが合わなかった?」

「サイズはピッタリです。…試着だって、したんです」

「後でデザインが嫌になった? どっちにしろ、それなら取り替えてもらえば──」

「いえ…すごく気に入ってます。黒のレースで、その、いい感じにセクシーで、えっと…」

「…?」

 

 

 

「あの、ちょっと根本的なこと聞きたいんだけど…」

「…怒りません?」

「五万円で何買ったって? 服だよね?」

「服と言えば服でしょうか…火事でみんな焼けちゃって、その後は三枚千円とかしか買ってなかったから、どうしても欲しくなってしまって…当日用に」

「もったいぶらずに言いなさい。服なんでしょう?」

「ええ、下着──」


──ポカ、ポカ……!


「あいたぁっ!?」



夏夜&姫緒
「このダメ女!」

 

 

………

 

……

 

 

 

 

 

「…10分経過」


駅前の大時計が左右対称からさらに5分経過した11時10分。

約束の時間から、まだたった10分しか経過していないその時刻、僕は、いてもたってもいられずに、一月前に『トコ』と訂正させられた液晶画面を睨む。

僕がここまで彼女の遅刻を心配するのには訳がある。

今日の待ち合わせの相手が遅刻したことなど、僕の記憶には存在せず、しかも彼女の性格からしても、今度もあり得ないだろうって素直に信じていたからで。

12月23日、日曜日。

今日は、僕が彼女に対して一方的に締結した祝日。

その名も『看護感謝の日』。

ちなみに、明日も『看護感謝の日』。

決して天皇誕生日でも、クリスマスイブでもない……はずだ。


「…11分経過」


テラスハウス陽の坂から駅まで徒歩15分。

僕が出かけたのが10時ちょうどで、その時トコの部屋では、まだ物音が響いてた。


『デートなんだから外で待ち合わせしなくちゃ嘘でしょ?』


あの言葉に唯々諾々(いいだくだく)と従った僕が馬鹿だった…

たった10分で30回も時計を見直すほど心配するくらいなら、トコが何と言おうと一緒に出てくればよかった。

そうすれば、遅刻したトコを心配することもないし、もし暴走した車が突っ込んできたとしても、僕が身を挺してトコをかばえば…


「って、絶対そんなことになってないから! ついでに12分経過だから!」

 

 

 

「そこまで大声で批判しなくても…」

 

「だって……心配なんだから仕方ないじゃないか! ………やぁ、ちっとも待ってなかったよ」


呂律が怪しすぎて『そんなことより、今日も可愛いね』が言えない…



 

「ごめん、ちょっと遅れた。どの服にしようかすっごい迷っちゃってさ~」
「…というのは嘘だよね?」
「あはは、わかる? まぁ諸般の事情がありまして~」


すっごい迷った結果とはとても思えない、いつもアパートで着てるのと同じ普段着。

『仕事用の一張羅じゃないスーツ』を、久々に引っ張り出してきた僕とは対照的ないでたち。



 

「あれ?」
「な、なにかな?」


と、トコも僕のそんなお洒落に気づいたのか…


「それって初めてウチに来たときの服だよね? …ママにプロポーズしようとした時の」
「ああっ!?」

 

 

 

 

そういえば、僕がこの服を買った理由は、ただあの日のためだった…

 

 

 

 

「へ~、ほ~、ふぅ~ん? あたしとのデートで、それ着てくる…」
「い、い、いや、ちょっと待って…これは何かの間違いで…」
「何かって?」
「…主に僕の記憶力とかデリカシーとか」
「………」
「ごめん。そんなこと、すっかり忘れてた」



 

「…ほんっと、理くんは変わらないね~。その詰めの甘さが、さ~」
「…面目ない」


僕らは、きっと同じ場面を思い出している。

あの、最低の、はじめての日…

そして、あの日から始まった、僕たちのこれまでの日々…



 

「ふふっ」
「あはは…」


だからお互い、いつもと変わらない、だけどいつもより特別な笑みを交わす。


「さてと、それじゃ食事に行こうか。ここのビルの最上階に美味しいお寿司屋があってさ」


今日は『トコは何か食べたいものがある?』なんて聞かない。

だってそうすると、トコは絶対に気を遣って、『あたしここが好きなんだ』と安いお店を選んでしまうから。



 

「あ、でも…」
「大丈夫、もう酢飯だって生魚だって貝だってイクラだってアワビだってウニだって平気。今日は僕の寿司の克服ぶりも見てもらおうか」


さらにこうして『僕のため』という理由まで用意しておけば、いくら遠慮と経済観念の塊のトコでも、断れるはずが…



 

「お弁当作ってきてるから、外で食べようよ」
「………はい?」

 


なくもなかった。


………

 

……

 

 

 

 

「ほら、おっきな鶏もものロースト! これが遅刻の原因なんだから味わって食べてよね~」
「………」
「後は卵焼きにかまぼこに旨煮に黒豆にハゼの甘露煮に……あ~、おせちの練習とか邪推しないように」
「………」

 

 

 

「大丈夫! そんなしけた顔しないでも! ほら、ちゃんとシャンペンだって用意してあるんだから! …これも諸般の事情によりノンアルコールですが」
「………」



 

「どしたの理くん? せっかくのデートだってのに元気ないよ?」
「…寒いよトコ」
「そのくらい気合いで吹き飛ばしなさい! 男の子でしょう?」
「いや明らかに"子"じゃないし僕…」


何度も言うようだけど、今日は12月23日…

公園でビニールシートをひいてランチすることは、地面も芝生も人間も想定していない時期ではないだろうか。


「とりあえず、乾杯までは我慢しようよ。その後はあっつい"お茶け"が待ってるからさぁ」
「…もしかして、卵焼きってタクアンで、かまぼこが大根だったりする?」
「あはははは、そうだったら完璧に『長屋の花見』だよね~」


何度も聴かされたご隠居の十八番。

そんな古典落語の話が通じるところがトコというか、なんというか…


「別に無理してお弁当作ってこなくても。今日は僕が美味しいものご馳走しようって…」
「もったいないもん」
「そんなことは…」
「ううん、もったいない。だってあたしたち、親子だよ? 子供が親の財布を気にするのは自分のためだよ?」
「トコ…」
「理くんはあたしの親なんだから、無駄遣いせずに長生きしてもらわないとね」
「………」


それは、ずっと僕が目指していたところ。

僕がトコを守り、トコが僕に守られて。

仲睦まじく、互いが互いを想い合い、時には本気で叱り、喧嘩して、すぐ仲直りして。

いつかそんな理想的な『親子』に、頑張って、なれればいいなって…

思って、いたはずなんだけど、な。


「足、大丈夫? ギプス外れたばっかりだよね?」
「あ、ああ…平気。まだちょっと歩き方が変だけど、ね」
「なんならベンチに座る? そっちの方が足に負担かからないよね?」
「いや、ここでいいよ。ほら、こうして伸ばしてれば全然痛くない」




「…それ、眠くなったら膝枕として使っていい?」
「いや、ここで寝たら死ぬから。いいか? 絶対に眠るんじゃないぞ?」


と、口に出すと、さっき駅前で6度を記録していた寒さが骨身に染みてくる。


「あはははは。それじゃ熱エネルギー補給のためにも早く食べよ?」
「ま、今さらゴネても始まらないし、それに…悔しいけど美味しそうだし」


実際、僕がご馳走するという決意さえなかったら、この栄養と味と、ほんのちょっぴりの豪華さが詰まったトコの手料理を我慢できるはずがないわけで。


「うん、決まりだね。それじゃ、一日早いけどメリークリスマス! かんぱ~い」
「一日早いけど、イブ、ね。かんぱ~…」


──ピピ、ピピ……。



 

「………」
「………」


なんたる無粋。

鳴り続ける携帯のディスプレイを見ると、そこには、


「はいもしもし、芳村ですけど」
『理…どうしてなの?』
「………」
『どうして、美都子ちゃんと一緒なの? もう会わないって約束したじゃない!』

 

 

「誰?」

「八須永君」


『よくわかったなリストラ。ここ一月で完璧に習得したはずだったのに…』
「だって君の携帯でしょそれ」


せめて番号非表示にしておけばいいものを…

って、そうしないのが良心なのかな?


『あのさ~、クリスマスパーティって、今日なんだよね~? 明日じゃなくてさ~』
「昨夜にそう言ったでしょ? 明日はトコも僕も麻実もみんな用事があるからって」
『了解。んじゃね~。ほら、だから言ったじゃんご隠居。やっぱボケ始まってるかね~』


──ツー……ツー……。


「………」
「………」


僕がデート中だと知ってたことも、たった今仕掛けたイタズラも、全て華麗にスルーして、八須永君が用件だけ話してあっさり電話を切る。

だから『かんぱ~』で寸止めされた僕たちは、なんとなく気まずい表情で見つめ合うしかないわけで。


「あ、改めて!」
「う、うん…」


しかし、そんなこんなで素に戻ったら、泣きたくなるくらいの寒さを思い出してしまうから。


「メリークリスマス!」
「メリークリス…」


──ピピ、ピピ……。


「………」
『ねぇ理…わたしたち、本当に終わって…』
「用件だけ言ってください。自分の声で!」
『なぁリストラ。なんでそんなに余裕がないんだよ? まさか、ちょうどこれからコトに及ぼうとしてるとか…』


──ピッ…!


あ…あの声帯模写師(ものまねげいにん)は!


「………」
「………」


今度は『メリークリス』で寸止めされた僕たちは、もうどうしようもなく微妙な表情で下を向くしか…


──ピピ、ピピ……。


「うわあああっ!?」



 

 

「っ! このぉっ!」

「あ…」


トコは、三度目の着信音が鳴り響く僕の携帯を強引に奪い、ディスプレイも見ずに主電源を落としてしまった。

まぁ、気持ちはわからないでもない。

…というか、僕の気持ちを行動で代弁してくれたような。



 

「デートの時はさぁ…携帯禁止! わかった?」
「ごめん…切っときます」


これが、普通の時だったら、『でも会社の連絡が…』と弱気に反論したかもしれない。

でも今の僕は長期休暇中で、もし会社から連絡があったらそれはきっと解雇通知(ききたくないこと)なので、大人しく頷くことに異論はない。


「まったく八須永君もさぁ…親子水入らずを邪魔する奴は、馬に蹴られてってね~」
「いや、それ違…なんでもない」


トコは、わかっててわざと間違えてる。

そして僕に、そのことを伝えてる。


「さ、早く乾杯しよ。なんか体の芯から冷えてきたよ…」
「だからお弁当ならデパートの休憩所で食べようと何度も…」


………

 

……

 

 

 


『この電話は、現在電波の届かない地域にあるか、電源が切られています』

 

 

 

「無粋なことするなってわけ…?」

 

 

──「お待たせ~。大家さんに連絡ついた?」

 

 

 


「ううん、ちょっと…」
「そっかぁ…じゃ、ま、適当な材料買ってけばいいか」
「ごめんなさいね。わたしの送別会まで」
「いいよ別に。クリスマスパーティのついでだし」


………

 

……

 



 

「ごちそうさま~」
「おそまつさまでした。…はい、"お茶け"お代わりどうぞ~」
「お、酒柱が立ってる。こりゃ縁起がいいな~」

 

 

「え? うそうそ! 見せて?」
「そう、トコの言う通り、嘘」
「え~! なによそれ~!」
「そもそも水筒のお茶でどうやって茶柱が立つんだよ。常識的に考えて」


小春日和…から一月以上も経った午後のひととき。

相変わらず寒い風の吹く公園で僕たちは、ご馳走とお茶とノンアルコールシャンペンで、あったかい時を過ごす。

一口食べてはお喋りして、笑ってご飯こぼして、時々震えて、でもまた笑って。


「ふぅ…お腹いっぱいだ~。しばらく動けない~」
「ほんっとに食べちゃうんだもんね~。三人分は平気であったのにさ~」
「実は右足がやせ細っててね。今は筋肉を戻すことが急務なのさ」



 

「…ちゃんと右足に栄養持ってってよ? お腹に溜めといたら駄目だからね?」
「ん~…ちょっと休む。30分くらい」
「ここで寝たら死ぬんじゃなかったっけ?」
「じゃ、息しなくなったら起こして」


そして、お腹が一杯になった頃には、もう、12月の公園の芝生の上に、なんの疑問もなく寝転がっていた。


……



 

『…それ、眠くなったら膝枕として使っていい?』


いつの間にか、最初の約束とは逆の立場になって…


「…ね」
「ん?」
「なんだかみんな、あたしたちのこと変な顔して見てくね」
「ま、そりゃ変だし」


この12月の寒空。吹きっさらしの公園で膝枕をする、カップルとも兄妹とも親子とも取りにくい男と女の子。


「こんなに仲いいのにね…」
「そういう問題じゃないんだろうな。みんなが気にしてるのは」


…多分、僕らの本当の関係を見抜ける人たちは、ここにはいないだろうな。


「そういう問題なのにね」
「ん…?」
「あたしたちは仲の良い親子なんだから、変な目で見るのはおかしいのにね。…ホント、やんなっちゃうなぁ」
「トコ…?」


閉じていた目を開き、僕をじっと覗き込んでいるトコの視線と絡ませる。


「あのね、あたしね…つい最近まで、ちょっと困った子だったみたい」


彼女は…なんだか泣きそうで、けれど、とても優しい目をしてて。

その口は、懺悔(ざんげ)の言葉を紡ぎながら、表情の方は、罪を犯した自分を赦すような慈愛に満ちていた。


「子供の…本当に小さな、まだ小学校に上がる前くらいの子供って、さ」
「うん」
「男の子は、お母さんをお嫁さんにするって…女の子は、お父さんのお嫁さんになるって…そういうこと、考えるんだって」
「そりゃ…父親としては嬉しい話だなぁ。僕の子供の頃には、そんな気持ち、なかったけど」
「あたしもなかった…ま、当たり前と言えば、当たり前だけどね」


僕には、『僕を愛してくれる母親』が。

トコには、『父親』がいなかったから。


「でも、真鶴も…倫子だってそうだったって言ってた。バラすのものすごく嫌がってたけど、でもそうだったって」
「そ…っか」


どれだけ恥ずかしくても、そうやって、本気で親を愛していた過去を口に出せるのって、心底羨ましい。


「でも、あたしはやっぱりわからなくて。そだな、去年までは」


だから麻実は、僕が愛する側にいなかったことを知り、せめて愛される側にいさせてあげようって、奮闘してたっけ。

トコもいずれ…愛される側に回り、愛する側の気持ちを知ることがあるのかな?


「でもね…理くんと出逢って、理くんに頼って、頼られて…ああ、そういう意味なんだなぁって、わかってきたの」
「? それ、どういう…?」


でも…


「あたしね…ほんのちょっとだけ、思っちゃったことあるの。理くんの、お嫁さんになりたいなって…」
「え…?」


トコがしていたのは、そんな、のんきに構えた将来の話なんかじゃなかった。


「驚いた、よね?」
「え? え? え? だって…」
「でもね、これは普通のことだったんだ…。お父さんに愛されて育った娘にとっては、当たり前に通る道だったんだよ」
「トコ…?」


生まれてからずっと、父親に愛される側にいなかったトコは…


「そんなの…あたし、気づくわけないじゃんねぇ。だからさ、こんなに、無駄に悩んじゃって、さぁ」


僕という出しゃばりな父親が現れたせいで、物心ついてずっと後、この気持ちを追体験することになった…?


「あたしおかしいんじゃないかって…理くんのこと、こんなに好きなのって、異常なんじゃないかって」
「ト、トコ…僕は…っ」
「でもね、それって一種の熱病ってゆうか、時間が経てば忘れられる類の思いこみって言うか…」
「え…」
「とにかくね! そういうことだったの!」


そういうことって…どういうこと…?

結局、トコは僕のこと、どう思ってるって?

そして僕は…?

トコのことを世界一愛してるはずの僕は…?


「理くん!」
「は、はいっ!?」
「あたしはね、これからもずっと、理くんのこと、大好きだよ!」
「っ…」
「でもね、もう、そういうのハッキリ言わない」
「~っ!」
「だってさぁ…恥ずかしいじゃん、ねぇ?」
「~~~っ!」
「いつまでも『お父さん大好き。今でも一緒にお風呂に入ってるよ』なんて言ったら、クラスのみんなに笑われちゃうよ」

 

ずきんって、来た…

 

「だから封印する。あたしは、普通の女の子になる」

 

痛いもの、刺さった…

 

「年相応の恋をして、年相応の悩みを持って、年相応の青春を送るから、ね?」

 

ずっと求めていた言葉をもらったのに、不思議な、不思議な苦味が舌を伝わった。

 

「………そ、か」

 

ごくりと唾を飲み込むと、その苦味は喉を通り、胃に下り、そして、全身をしびれさせた。

 

「じゃあ、僕は…いつまでも、そんなトコを見つめてる」

 

気のせいじゃない…


僕は、毒を受けた。


心に、毒針が刺さってた。


「だって僕は…トコのことが世界一大切なんだから。トコのこと、世界で一番、愛して…」
「ストップ!」
「え…」
「そういうの、やめようよ…あたしだって、やめたんだからさぁ」
「トコ…」
「もう、世界で一番とか愛してるとか、紛らわしいことやめようよ」

 

紛らわしいって…

 

「そういうこと言われると、あたし惑わされちゃうよ。勘弁してよ」


僕の、彼女を大事に思う気持ちは、彼女に嫌な思いをさせてるって…

 

「だってそういうのって、思うのはともかく、毎日のように口に出すなんておかしいって…」

 

おかしいって…

 

「今までのあたしたち、端から見ると、少し気持ち悪いんじゃないかな…」

 

気持ち、悪いって…

トコの言葉を反芻してる訳じゃない。

ただ、本当に、おかしいくらい気持ち悪い。

トコは、それが本心じゃないって言ってる。

ただ恥ずかしいから、口に出すのをやめるって。

それは、この年頃の女の子にしてみれば、言い訳のしようがないくらい、まっとうな考え方。

どう考えても、僕の干渉が強引すぎて、色んなところで、トコに辛い思いをさせてて、改めなくちゃならないのは当然で。

 

だから僕は…

 

「そういうの…反抗期って言うんだぞ? あ~あ、昔はこんな子じゃなかったのになぁ」
「あははははっ、昔っていつのことよ~?」

 

全てを、受け入れるしかない。

 

「あのなぁ、僕とトコの歴史はだなぁ、たった一年足らずの時間の中に、十数年分の濃さがぎっしり詰まっててだなぁ」
「だ~か~ら~! 今までのあたしの話、聞いてたぁ?」
「はぁ? トコさんや、ご飯はまだですかいのう?」
「も~、おじいちゃんってばぁ! さっき食べたばっかりでしょ?」

 

だって今日は、記念日。

僕らの、『正しい関係』が、始まる日。

トコの、親離れの、日。


………

 

……

 



 

 

 

「さてと…そろそろ寒くなってきたね」
「最初から凍えそうなんだけど、僕は」


手がかじかんでしまって、ほんの少しの手作業にも、えらく時間がかかってしまうくらいに。


「じゃ、帰ろっか。今日はパーティ二連ちゃんだから…なに?」

まだ筋肉が戻らない足で踏ん張って立ち上がり、トコの目の前に立つ。

僕がまっすぐ立つと、頭二つは違うから、トコの顔に深い影が下りて、彼女を覆い尽くし…


「その…プレゼント」



 

「え…」
「親から子へ……。単なる、クリスマスプレゼント」
「理、くん?」
「受け取ってくれないかな?」
「…本気?」
「それは、開けてみてのお楽しみ」



 

「っ!」


僕の表情を読み切れなかったらしいトコは、慌てて僕の渡した小さな紙包みのテープをはがす。



 

「あ、開かない…開かないよ」
「落ち着いて、トコ。別にプレゼントは逃げやしないから」
「そ、そうゆうことじゃなくって!」


けれど、僕と同じで手がかじかんでいて、もどかしさが顔に出るくらい、焦ってしまっていた。

…つまらないオチを知らないおかげで。


「………あ、れ?」
「頑張れ、トコ! 絶対に、合格な!」
「お守り…」


合格祈願と書かれた、小さな布袋。

受験生を持つ親なら、一つや二つは集めてる、信仰心を学力に変換するアイテム。

…そんなクリティカルなステータス変化をもたらすんだったら、暗い洞窟の中にでも取りに行くんだけど。


「先月、暇つぶしに外出したついでに近所の神社に寄ってさ。絵馬を奉納して、それ買ってきた。…これから試験の日まで、ずっと身につけてること」
「あ…アレじゃ…なかったの?」
「アレって?」
「っ!?」

 

『トコが決めてくれたら、麻実にも同じものをプレゼントするから』
『じゃあさぁ…指輪にしてもらおうかな?』



 

「ん~? なんか約束してたっけ? まるっきり覚えがないんだけど?」
「こ、こ、こ、こ…」
ミネソタの人?」

 

 

「このチキン!」
「うん、あれは美味しかった。さすがはクリスマスのご馳走」
「ちょっとぉ! なに余裕かましてんよぉ! 理くんのくせに!」
「そっちこそ何だよ~。人がせっかく霊験あらたかなありがた~いプレゼントを一生懸命用意したってのに~」
「そういう話、してないじゃん! ものすっごくびっくりしたんだから~!」
「だから、何でさ?」



 

「う…」
「何でかな? どうしてトコが、びっくりするのかな? 一体、僕が何を渡すって思ってたのかな?」
「だって、だってさぁ…指輪だとばかり…」
「…欲しかったの?」



 

「先生がね」
「………」


トコは、僕が予想したよりも、諦めが悪かった。


「ね、理くん。お父さんとして答えて」


自分の仕掛けた罠を、仕掛け返されて、それでも『今のナシ! も一回!』って、駄々をこねた。



 

「先生のこと、どう思ってる?」


"好きだよ"


「好きだよ。そんなの決まってるって」
「…そか」


子供がそこまで真摯に卑怯な手を使うなら、大人は誠実に対応しなくちゃならない。


「もともと恨んでなかったし、嫌ってだっていなかった。…ただ、諦めてただけで」


だから僕は、嘘をつかない。

精一杯、今の僕の真実を聞かせるだけ。



 

「じゃあさ…諦めなくてもいいってわかったら? もう一回、幸せ掴めるって、わかったら?」
「…考える」
「………そかぁ」


そう、考える。

僕だけでなく、麻実と、トコと…

誰もが幸せになれる答えを探して、

ずっと、考え続ける。

 

 

 

「あのさ、理くん」
「うん?」
「なら娘として、あたしがアドバイスしてあげる。…耳貸して」
「うん?」



 

「ほら、こっち。…人に聞かれちゃマズいからさぁ」
「あ、ああ…」


こんな誰もいない公園で内緒話もなんなんだけど…

それでも僕は、あまり曲がらない右膝をなんとか折って、トコの口元に、右耳を近づける。


「………れ」
「なに?」
「……ばれ」
「聞こえないよ、トコ…」
「んっ!」
「え…?」
「がんばれ、理くん…」
「ト、トコ…今…?」
「がんばれっ、理くん!」
「い、今のはっ!?」
「がんばれぇっ! 理くぅん!」
「ま、待って! トコ!」


頬の一部だけが、なんだかとても温かい。

そして、顔全体が…

めちゃくちゃ熱い。



 

「あたし先に帰るね。今日のパーティの準備もあるし~」

「あ…っ」

「それじゃね~! 夜の部は7時からだから、遅れるなよ~!」

 

「あ、あ…っ」


そんな僕の顔色を確かめることもなく…


最後にトコは、彼女にとっては小さな悪戯を…

僕にとっては、大きな爆弾を落としていった。


………

 

……

 


 

 



 

「っ…はっ、はっ、はぁ…はぁぁ…っ…はぁ、はぁ…はぁ…ん、うん。大丈夫、これなら、大丈夫だ…」



 

 

 

「このくらいの痛みなら…少しすれば消えてくれる、よね?」

 

………

 

……

 

 



 

 

 

……

 


──ピンポーン……。

 

 

 

「お、お、お、お待たせっ!」

「…って、チャイム押してから10秒も経ってないよ?」
「いや、実は防犯カメラでずっとチェックしてて、陽坂がチャイムを鳴らす前に出ようと思ってたんだけど、ちょっと親に手伝いを頼まれてる隙にだなぁ…」
「そんなことされてもびっくりするだけで感動しないから」
「そ、そうか…難しいもんだなぁ」
「その代わりさ、お母さんの手伝いしてるって方はポイント高いから」
「…そんなもんか? ウチの母さん、そういうの全然遠慮なしだぞ?」
「で、それを全然断らないんだ? 尾関は」
「…誰にも言うなよ? 友達が来てるときだけは冷たい態度取るんだよ」
「あ~、うん、あたしの友達にもよくいるよ。せっかくお菓子持ってきてくれたのに追い払ったりさぁ」



 

「『来んなよお前うるせぇなぁ!』とか言ってなぁ。なんか親子が仲よく見えるのって恥ずかしいじゃん」
「…みたいだね、世間では」
「上がれよ陽坂。料理できるまでもうちょっとかかるけど、その間、俺の部屋でダベってようぜ?」
「ねぇ尾関…あたしも、手伝っちゃ駄目かなぁ?」
「え…?」
「こう見えてもあたし、結構腕に自信あるよ? 子供の頃からずっと台所任されてたし」
「あ、いや、そりゃ知ってるけどなぁ。でもお前、今日はお客様だし」
「でも勉強会のときはいつもご馳走になってるしさぁ。お礼代わりに、たまにはおばさんのお手伝いしたいんだけど」



 

「だってさぁ、ほら…服だっていつもと違うし! あ~、いや、最初に言うべきだったな。それ、似合ってる。可愛いぞ」
「あ………りがと」
「うわぁ…なんだ俺。全然気が利いてね~。馬鹿じゃね~の?」
「…あんたが直球なのは今に始まったことじゃないよ」
「あ、だ、だからさ、それはともかく! それ汚したら勿体ないだろ。今日は大人しくお呼ばれしろよ」
「こんなのエプロンがあれば全然平気だよ。いつもだって制服のままごはん作ってるし」
「でもよぉ…ええとぉ…」



 

「それとも…どうしても部屋に連れ込みたいわけ? あんた何か変な下心でもある?」
「うあっ!?」
「言っとくけどね…ごはん前にそういうことされたらあたし帰るよ? ハラペコのままで」



 

「そ、それって! …食後のデザートならいいってことか?」
「そういう解釈の問題じゃなくてね…はぁ、あんたと話してると世界は単純でいいわ~」
「年相応だろ?」
「そうだね。ま、それはともかく」
「まずは上がれよ。メリークリスマス、だしな」
「イブだけどね」

 

………

 

……

 

 

 

「いた…」


約束の時間の5分前。

待ち合わせ場所の噴水前には、なんだか懐かしい女性の姿が見られた。

実際には分かれて8時間しか経ってないけれど、そう感じてしまったものは仕方ない。



 

「あ…っ」

「お待たせ、麻実」


なにしろ、ここしばらく、日曜日は24時間ずっと一緒にいた女性だし。



 

「ううん、早く来すぎたわたしが悪いのよ。あなたは全然悪くない」
「…って、何時に来たのさ?」


こっちだって約束の時間より前に来てるのに、そう返されるとは思っていなかった…



 

「あ~、ごめんなさい失言だった。そういうこと言ってもしょうがないわよね、忘れて」
「いや、そう言われると余計気になるんだけど」


今日、僕と麻実がこの場所で合流しようと約束したのは、別に『デートなんだから外で待ち合わせしなくちゃ嘘でしょ?』に唯々諾々と従った訳では決してない。

8時間前の午前10時。

少し大きめの鞄と、段ボール2つ分の荷物とともに、麻実はタクシーでテラスハウス陽の坂を出ていった。

以前住んでいたところの近くに新しいアパートを借り、また、僕に迷惑を掛けられたりしない新生活へと戻っていった。


「…4時!? って、2時間も前じゃないか!」
「色々用事あったのよ…ほら、家財道具足りないから、午前中買い物してて。電化製品とかベッドとか…全部宅配にしたけどね」
「それにしたって…だったら喫茶店とかで時間潰すとか…」
「ううん、ちょうど教科書だけ持ってたから、明日からの授業の準備してた。有意義な2時間だったわよ?」
「駅前で立ちつくす理由にはなってないんだけど」


だから僕らは、また『家から一緒に出かける』関係ではなくなった。

二人の仕事の合間を縫って、理由を探しては連絡を取り合い、待ち合わせ、二人の時間を過ごし、別れ際に次の約束を取りつける、関係に逆戻りした。

 

「そういえば…初めて見るね、それ」
「あぁ…昨日買ってきたのよ。今までのはほとんど焼けちゃったから」
「…僕と会うくらいで、わざわざそんな無理しなくても」
「ううん全然! 実は傷物セールで見つけた掘り出し物なの」
「へぇ、そうなのか…全然そうは見えないけどな」

 

 

「下着の方はこれの三倍はするんだけどね」
「ん?」
「見た目はそれなりだけど、素材も安物なのよ。でも、そう言ってくれると探した甲斐もあったってものね」
「いや…単に僕がこういうの全然わからないだけかもしれないけど」



 

「そこで一歩退かないの。せっかくこっちが喜んでるんだから、それでいいじゃない」
「ご、ごめん…」
「じゃなくって!」
「よく似合ってる。もともと綺麗だよ」



 

「う、う~ん…どっちを褒めてるのよ」


そんな、新しくも、ちょっとだけ古い関係を、麻実はどう捉えてるんだろう。

あくまでも、自分の責任を果たした安堵感だけが満ちていて、僕のように、情けなくも寂寥(せきりょう)感に囚われたりとかは…してないのかな?

 

 

「そういえば、今日は背が高いね」
「ああ、これ? …バーゲンのお陰で靴まで手が届いたの」
「また身も蓋もない…」
「今日は教育は抜きだから…久しぶりに、8センチに挑戦してみたわ」
「うん…懐かしい高さだ。ちょうど、麻実の匂いがわかるくらいだ…」
「え? あ、ちょっと…」
「ほら…いい匂い。なんだか、ほっとする」

 

 

 

「だ、だから、理…?」
「動かないで」
「………」


ちょうど、僕の肩口に額が乗るくらいの距離感。

だから、その額を僕の肩口に押しつけ、右手を麻実の髪に這わせ、少しだけ頭を下げる。

そうすると、麻実の髪の匂いが、ゆっくりと僕の胸の中に充満されていく。

一緒に部屋にいるときは、いつの間にか吸えていた空気。

でもこうして外にいると、自分から求めないと吸えない空気。


「ど、どうしたのよ理? なんだか変よ? 今日」
「変、かな?」
「うん、だって…その…まだ、会ったばかりなのに」


ここ一月、ずっと嗅いできた…

数年間、ずっと嗅ぎ慣れていた、僕にとって、一番馴染みのある女性の香り。


「うん…落ち着いた。ありがとう、麻実」


その匂いを十分に堪能し、ゆっくりと体を離す。

ちょっと、名残惜しい気もするけど仕方ない。

だって、僕らの時間はまだ、始まってもいない。



 

「何かあったの?」
「うん?」
「なんだか、いつもの理じゃなかったから」
「いつもの僕は…こんなことしない、か」



 

「いつもどころか…結婚してるときだって、外でこんなことしなかった…」
「そう、か…」


言われてみれば、確かに今日の僕はちょっと変だ。

どうしてこんなに人に…というか、麻実に触れたくなってしまったんだろう?

どうしてこんなに、人の匂いが…

いや、麻実の匂いが欲しかったんだろう?


「とりあえず、行きましょうか? わたし、トリトンなんて初めて。今日は楽しみにしてたのよ?」
「う、うん…」


そんなふうに、ちょっとの後悔と疑問を残したままの僕を尻目に、麻実の方は、さっさと気持ちを切り替えてくれた。

やっぱり、こういう『意識してなさそうな気の遣い方』が心地良い。

長くなく連れ添った空気は、僕らの間に未だに残ってる。


「あ、それとね、確かに理、変だとは思ったけど」
「うん?」
「嫌だとは全然思ってないからね? そこの辺り、勝手に決めつけないように」
「…麻実」


それなのに僕は…

こんなに"楽"なひとと、一度、別れてしまったんだよな…


………

 

……

 

 

 

「う~っす、お疲れさん」
「ふぅぅぅぅ…ちょっと…食べ過ぎたかも…」
「美味しいからって三杯もお代わりしてたもんなぁ」
「だって、薦めて貰った料理を残すわけにもいかないし、かといってそのまま食べるにはちょっと濃かったし…」
「…それは、すまん。一応止めたんだがな」
「いいよ、善意でやってくれてたんだし」
「しっかし、いい食べっぷりだったぜ。さすが、俺の惚れた女」
「それ、褒めてないよね。うぅ…」
「まぁ、しばらく休んでけ。なんならベッド貸すぞ」
「遠慮しとく…それで何かあったらもう言い訳もきかないし」
「別に何もないって。俺がオプションについてくるくらいdさ」
「それは何もないとは言わないの…ふぅぅぅぅ」
「………」
「何よぉ?」
「いや、やっぱ綺麗だなって」



 

「………」
「なんつ~かさ、そりゃ、身長は今んとこアレだけど、顔の方はクラスどころか、学年でも断トツじゃないかなって」
「それって尾関の美的感覚がちょっと特殊なんじゃない?」
「だとしたらそいつは大ラッキー。俺はライバルなしで自分的校内ナンバー1にアタックかけれるわけだ」
「ライバルなんていようがいまいがお構いなしのくせに」
「別にそこまで無理矢理迫るつもりないって。陽坂が『好きな奴がいるからつきあえない』って泣いたら、仕方なく引き下がるくらいの器は持ち合わせてるつもりだ」
「大きいのか小さいのか微妙な度量だなぁ…」
「そんなわけでさ…陽坂、お前、今好きな奴いるか? あ、俺以外でな」
「何がそんなわけなんだか…」
「いるか?」
「やっぱ下心あったんじゃん…嘘つき」
「いや、俺下心がないなんて言った覚えはないぞ」
「それは確かに…そうだけどさぁ」
「いるか?」
「………」



 

「じゃあ、聞き方変えるか? 陽坂、お前、香野先生の…」
「いないよ」
「…本当に?」
「尾関が、お父さんやお母さんを好きなように、あたしにだって好きな人はいる」
「うん…」
「でも、あんたが聞いてるような好きな人ってのは、まだあたしには早いって思ってた」
「俺たち、もうすぐ卒業だぜ?」
「あたしは今年一年、生きることに必死だったの。そんな浮わついた気持ちなんか、持て余してる場合じゃなかったの」
「そっか…」
「そうなの」
「じゃあ、今は?」
「今は…まだ受験が」
「俺のこと、まだ考えられない?」
「あ、あんたさぁ…どうして今、そうゆうこと言うのよ?」
「ずっと言ってきたつもりだった。今までは陽坂の方が向き合ってくれなかっただけだ」
「………」
「やっとだよ…やっと、俺の話をまともに聞いてくれるようになった…卒業まで、あと100日切ったところでさ」
「あ、あんたがそんなこと言うのって、あたしの顔があんたの趣味に合うから?」
「それは否定しないけど、それだけってのは否定する。そうだな、全体の30パーセントくらい」
「………」
「もう何度目になるかわからないけど、もう一度言っとくぞ」
「あ、いや、それは別に…」
「俺、陽坂のこと好きだ。卒業してからも、会いたい。…ぶっちゃけ、付き合ってくれ」



 

「なんでそんなハッキリ言うかなぁ…」
「本気だから」
「じゃあさぁ…ハッキリ言わない人は、本気じゃないってこと?」
「俺だったらそう思う。…人の都合は知らないけどな」
「………」
「俺のこと、嫌いか?」
「だったら今日みたいな日に家になんか来ない」
「じゃあ…付き合わねえ?」
「………」
「………」
「………ぅん」

 

………

 


……

 

 



 

「じゃ、乾杯」
「メリークリスマス」



 

「…って、これ昨日から何度目かしらね?」
「確かに…」


昨日のクリスマスパーティ兼麻実の送別会兼忘年会でも、紙コップやら缶で、何度も乾杯を交わしたっけ。

ま、忘年会はこれから年末まで毎日続きそうだけど。


「はぁぁ…それにしても、面白かったけど疲れたわ。今日は引っ越しもあったし」
「まぁ、ハイテンションなショーだったしねぇ」


それにしても、クリスマスサンバはやめて欲しかった…

というか、いつまで引っ張るつもりなんだ、あれ。



 

「はぁ…美味しいこれ。もう一杯いただこうかな?」
「そりゃ美味しいだろうね…。歌とかでしか聞いたことのないシャンペンだし」
「大丈夫よぉ。ここはわたしが払うって。ほら、バーゲンでお金浮いたし。…今月のお給料、もらう前に全部消えちゃったけど」
「そういう訳にはいかないの。こっちにもプライドというものが…」
「理も一口飲む? ほら、あ~ん」
「そういうことをやる店じゃないだろうここは…」


ショーの後、スカイラウンジで軽く飲もうって、言い出したのは…実はどっちでもない。

ただ、下に行くエレベーターを待ってたら、上に行くエレベーターが先に来て。

そしたら、僕の手は、麻実の肩を抱いてて、その最上階行きのエレベーターに自然と足を向けてて。

麻実も、僕の方を一度も振り返らず、当然のように僕のエスコートに任せっきりで。


「そういえば、足の方はどう? そろそろ痛みが出てきてない?」
「いや、大丈夫。リハビリもきっちりやってきたし」


特にギプスを外すちょっと前の苦行は、それこそ筆舌に尽くしがたいほどだったし。

まぁ、おかげで右足以外が鍛えられ、今でもかなり左足や両腕に頼ることが多いけど。


「明日から職場復帰なのよね? いい? 最初から無理しないでね? ただでさえあなたはすぐに限界を忘れるんだから」
「その辺りは上司次第だな。何しろ直属の部下は僕一人だし」



 

「じゃあ、姫緒さんにちゃんとお願いしておくわね。年内は理に無理をさせないようにって」
「やめてくれって。ただでさえ『過保護だ』って睨まれてるのに…」


最近、夏夜さんの部屋(ごごうしつ)でよく三人で飲んでたみたいだけど、何度も姫緒さんの怒鳴り声が聞こえてきてた…



 

「過保護じゃいけない? 大体、従業員の心身のケアは企業の責任なのに、上司がそういうこと気を遣わないのはどうかしら?」
「いや、彼女が言ってるのは間違いなそう言う意味じゃなくて…」
「ああ、やっぱり心配だわ…。やっぱり、年内はリハビリに専念した方が…」
「そこまで心配なら、また僕の部屋に戻ればいいじゃないか。大体、こんな大変な時期に急いで引っ越しなんかしなくても……」



 

「え…?」
「え…あっ!」
「………」
「…ごめん」


ほとんど無意識で滑っていった口…

本音なのか、甘えなのか、逃避なのかすらわからず、ただ、二人して困ってしまう発言が、場に沈黙をもたらす。



 

「ううん…別に、謝ることなんか」
「あ…」


その沈黙に耐えかねたのか、それとも全然別の理由からなのか。

麻実の左手が、僕の右手に重ねられ、ゆっくり、ゆっくりと指先を絡めていく。


「うん…あなたの言う通りね」
「な…何が?」
「落ち着くのよ…こうしてると」
「麻実…」
「相変わらず細くて長いわね…あなたの指」
「子供の頃からよくからかわれたもんだけどね」
「ほら、こんなに違う…」


手のひらをぴったり合わせると、麻実の指は、僕の爪の生え際くらいまでしか届かない。


「あ…」
「ん?」
「いや…別に」


麻実の手の温かさは、確かに僕を安心させてくれる。

そのせいで、少し気がゆるんでしまうせいだろうか?


『これがトコだと第一関節までしか届かないんだよね』


そんな、全然関係ない言葉が、口を突きそうになっていた。


「っ…」



 

「どうしたの? 頭痛?」
「いや、違う、違うんだけど…」
「?」


トコを思い出したせいで、今まですっかり忘れていた『アレ』の存在が、頭をよぎる。


「あ、あの…」


その瞬間、さっきまで安心しきっていた全身に、急激に激しく血液が巡り始める。


「あ、麻実…えっと…あのね、今から僕のすること、信じないで欲しいんだ」



 

「何言ってるの理? 急にどうしたの?」


急に手のひらが汗まみれになってしまったことも、繋いだ左手からとっくに察知されてただろう。


「からかってる訳じゃないんだ…だからって、その…困るようだったら、捨ててくれれば…」
「落ち着いて理。ほら、こっち向いて」


僕の異常を察知した麻実は、やっぱり麻実らしく、少しだけ慌てて、すぐ落ち着いて、ハンカチを僕の顔に押し当ててくれる。

けれど僕は、そんな麻実のかいがいしい行為に、感謝の言葉すらかけることができずに、ただ、ポケットの中の左手を右往左往させる。

けれど、いつまでもそんなふうに躊躇していられない。

そろそろ、この馬鹿馬鹿しいオチを披露しないといけない。


「麻実…これ」
「え?」
「僕からの…クリスマスプレゼント。あ、安物だから! 単なるオモチャだから!」


………

 

……

 



 

「陽坂…」
「っ…」
「あ、あの…美都子って、呼んでいい?」
「ちょ、ちょっと…それよりさ…なんでそんなに近づくの?」
「いや、その…だって俺たち、付き合うって…」
「そ、それは…そうなんだけど…」
「その…ダメか?」
「ど…どっちが?」
「両方」
「りょ、両方って…」
「名前呼ぶ方とキスする方だけど」
「普通そうゆことハッキリ言うかなぁ?」
「じゃ、美都子」
「ぅぁ…っ」
「美都子…」
「お…さ…っ」
「目、閉じて?」
「~~~っ」

──!



 

「え?」
「あれ…」
「なんか落ちたぞ…お前の手から」
「手…って、これ…お守り…?」
「やべ、ベッドの下に入った。ちょっとそこどいて」



 

「あ、うん………はぁぁぁぁぁ~」

 

「ええと…こっちか?」


「お守り袋の…中?」


「あ、取れた取れた。ほら、これお前のじゃね?」


「………え?」



 

「って…え、指輪? どしたんだ、これ?」
「指輪…?」

 

『麻実にも同じものをプレゼントするから』

 

「あ、あ、あ…っ」
「あ、なんでもない! なんでもないの! これ、ママの形見だから!」
「形見って…お前の母さん、まだ生きてんだろ?」
「とにかくママにもらったの! 何の関係もないの!」
「関係って…」



 

「ごめん、途中で止めちゃって、ごめん。いいよ続き…いいから」
「…泣いてん、のか?」



 

「そんなわけないじゃん…泣いてないもん…っ」
「………」

 

………

 


……

 

 

 

 

「ふふ…ふふふっ…」
「だからさぁ…そんなふうに笑わないでくれよ。オモチャだって言ったじゃないか」

「二千円くらいかしらね? どこで買ったの?」
「一応アクセサリーショップだよ。…お客は女生徒しかいなかったけどね」
「そうよねぇ…わたしも時々、こういうの没収するし。荷物検査で」
「それにこれは罰ゲームみたいなもので…」
「ね、どうしよう? 薬指が一番合っちゃうんだけど? …さすがに左はマズいわよねぇ?」
「あと人の話聞いてください」


からかってるのか、

もてあそんでるのか、

馬鹿にしてるのか…

 

 

 

とにもかくにも、オモチャの指輪を渡された麻実の浮かれ具合は尋常じゃなかった。

何しろ、三万円かかったディナーショーの時よりも、今の方がよっぽど嬉しそうにはしゃいでいる。

…二千五百円で三万円より喜ばないで欲しいってのは、プレゼントする側の理論でしかないのは承知してるけど。


「ね、理」
「なに?」
「これであなたから指輪をもらうの、三度目ね」
「………うん」


一度目はデザインも石も深く考えず、『やっぱ女性ならダイアモンドだろ』と、給料三か月分だけを意識した、婚約指輪。

二度目は二人でお店を回り、式とかドレスとかとの予算の兼ね合いを気にしつつ選んだ、プラチナの結婚指輪。



「一つ目がこれで、二つ目がこれ…ほうら、見覚えがあるでしょ?」
「あ…っ」


ずっと僕に背中を向けて、くすくす笑いながら、何をやっているかと思えば…

まるでマジシャンが得意げに、何もない手のひらから生み出したかのように、両手に一つずつ載せられた指輪。

右手に宝石付きの婚約指輪。

左手にプラチナの結婚指輪。

そして…右手の薬指には、たった今手に入れた、オモチャの指輪。



 

「残ってた、のか…」
「幸運にもね。…何しろ、肌身離さず持ち歩いてたから」
「麻実…」


僕が生涯で勝った指輪は、全部で5つある。

一つは今、質屋で眠っているか、もしかしたら誰かの手に渡ってしまったか。

一つは今、トコのお守り袋の中で、誰にも見つかることなく合格祈願してる。

そして残りの三つ…

過半数を、僕はこの目の前の女性に、捧げていたんだな。





「ありがとう理…ありがとう。これがあればわたし、ずっと大丈夫。一人で、頑張っていけるからね?」
「え…?」


一人、で…


「今日は、本当に楽しかった。そして…嬉しかった」
「あ、麻実…」
「じゃあ理…本当に、足、無理しないでね? ちょっとでも痛いと思ったら休んでも構わないから」
「あ、ああ…」


そんな、心の整理のつかない僕を前にして、麻実はてきぱきと、僕ら二人の時間を締めていく。


「…なんてわたしが言っても仕方ないのか。あ、でも本当に辛かったら連絡ちょうだい? 仕事の合間を縫って、なんとか時間作るから」
「うん…そうする」



 

「それじゃね。その…また、会ってくれるわよね? 連絡、してもいい?」
「いいに決まってるじゃないか…あのさ、麻実…」
「ありがとう…じゃあ、おやすみなさい」
「あ…っ!」


自分が言いたいことだけ口にすると、さっさと僕の背中を向け、駅へと歩き始める麻実。



 

 

「麻実…」


いつもなら、駅まで一緒に行くのはもちろん、僕に肩を貸そうとまでする麻実が、わざとらしいくらいに、僕との別れを急ぎ始める。


「麻実、ちょっと待って」


それって、もしかして…


「待てってば…」


僕が、この時間の終わりを、未だ受け入れられないように…


「麻実…麻実」


けれど、この時間を強引にでも終わらせないと、いつまでも離れられないって思っているように。


「麻実ぃっ!」



 

「あ…」


麻実も…

同じように、思っているんだとしたら…?


「ダメじゃない、理」
「ごめん…」
「本当に、どうしたのよ今日は? 何か辛いことでもあった?」
「辛い…こと?」


何だ、それ?


「だって、わたしに甘えたがるなんて…いつもの見栄っ張りらしくないじゃない?」
「見栄っ張り、かな、僕は…」


今日一日、ずっと息苦しさが止まらなかったこと?

胸のモヤモヤが収まらなかったこと?


「うん、そうよ。一人で抱え込んで、悩んで、のたうち回って。…決して他人を巻き込もうとしない、偽善者よ」


いや、ちょっと違うよな…


「キツいな…それ」
「だって、本当のことじゃない」


今日一日じゃなくて…

昨日の夕方から抱えてる、妙な気持ちのこと、だ。


「………」


そうか…


麻実の言う通りなんだ。

僕には、辛いことがあったんだ。

昨日、辛い思いをしてしまったんだ。

嬉しいはずの言葉を聞いて…

胸が張り裂けそうな気持ちになってしまったんだ…


「僕は…僕は…っ!」


だから今夜、ずっと麻実と二人きりの時間を過ごしていながら…

ずっと、トコのことばかり、考えていたんだ…


「理…」
「ごめん…」
「ま、いいか…」
「え…」
「あなたが、どんなふうに、今の気持ちを持て余してるのか、今日のわたしは気にしないことにする。だから理…今日は許すわ。好きなだけ…触れていい。それであなたの心が救われるなら…何をしてもいいから、ね?」
「麻実ぃっ…」


………

 


……

 

 

 

 

 

「………」
「………」
「………」
「なぁ…美都…陽坂」
「…ん? どしたの?」



 

「それ、見せてくんない?」
「それ、って…」
「ああ、指輪じゃなくってさ…お前がさっきからずっと握りしめてるお守り袋の方」
「これは…」
「それもお母さんに貰ったやつ? 八神山の合格祈願のお守り」
「八神山…?」
「この辺りじゃ有名じゃん。八神山優勝寺……受験生の気休めの聖地」
「そなんだ…」
「お前、そういうの全然興味ないのか? いいよなぁ、自分の実力でなんとかなる奴は」
「あんただって…推薦取ったじゃん」
「ま、それはハッキリ言って自慢だけどな。…あのさ陽坂」
「なに?」



 

「お前のお母さんって………その」
「うん、まぁね。まだ、連絡ない」
「あ~、その、でもさ、安心しろよ。お前、お母さんにすっげー愛されてるから」
「何、言ってんの? だって、ママは…」
「お雨のために八神山行ってきたんだろ? 普通の女の人だとメチャメチャキツいぞあそこ」
「ああ…そういうこと」
「八神山ってさ、こっから電車で30分だからさ、この間、サッカー部の連中で合格祈願に行ったんだよ」
「本当は…ママじゃないんだ」
「駅から降りたらさ、東の方の山頂にでっけー門が見えるの。それがあまりにデカいから、近いって勘違いするんだよな」
「実は…理くんが、さぁ…」
「で、登り始めるとこれが地獄。総本山までずっと石段が続いてるんだけどさ、なんと1234段!」
「ふぅん…凄いね」
「俺たちはこの間まで運動部だったから何とかなったけどさ、じいさんばあさんとかじゃもう無理だな。バスもタクシーも登れないし、苦行もいいとこ」
「………?」
「なぁ、陽坂…」
「あれ…?」
「それさ…本当にお前のお母さんが行ってきたのか?」



 

「え? え…ちょっと待って? 何段だって?」
「だから1234段。俺たちでさえ一時間近くかかった。途中で引き返す人たちも結構いたなぁ」


『先月、暇つぶしに外出したついでに近所の神社に寄ってさ』


「松葉杖…」
「………」
「そこ…松葉杖ついて、片足で登れる?」
「無理、無茶、無謀。死んだって知らん」
「え…?」
「1234段だぞおい。学校の階段が20段で1階上がるとしても60階以上。超高層ビルの屋上まで階段で上るようなもん」
「………」
「それを松葉杖ついてって…いや正気じゃないからそれ。普通に狂ってるから」
「………っ」
「陽坂…お前が誰のこと考えてるのか知らないけど…」
「う、あ…あぁ…」
「俺はなぁ…そんな馬鹿と仲良くなんかできない。そんな馬鹿、認めるわけにはいかない」
「あ、あ、あ…うあぁぁぁぁぁぁぁ~っ! あっ、あ…あぁぁぁぁぁぁぁぁ~!」
「………」



 

「嘘だ、嘘だ、嘘だぁっ! 理くんは、理くんは…嘘だってばぁぁぁ~!」
「やっぱあいつか…大っ嫌いだ。善人ぶりやがってよぉ」
「違うよ、こんなの違うよ…理くんはあたしなんかのために、そんなことしないってばぁ!」
「嘘だと思うんなら、本人に聞いてみろよ。…俺は、お薦めしないけどな」
「だけど、だけどぉ…っ、そんな、そんなこと、ありえない…だって、だって…っ」
「な、陽坂」



 

「理くん…なんで、なんでぇ? どうしてあたしをほっといてくれないの!?」
「お前、今、好きな奴、いるか?」
「うあああああああああああっ!」

 

………

 

……

 

 

 


──プルルルル……。

 

「あ、長谷川? メリークリスマス」

 

………


「ん? ああ、陽坂ね」

 

………

 

「わり。玉砕した」

 

……

 

 

 

 

 


──プルルルル……。


「っ…ぅ…っ、ひぅっ、ぅ、ぅ……理くん…理くん理くん理くんっ! お願い…早く出て…あたしに声を聞かせてよぉ…。駄目だ、駄目だ、駄目だよ…先生と会わないで…やっぱり、嫌だ……理くんの馬鹿…理くんの………意地悪っ」


──ガチャ……。


「っ!?」

『この電話は、現在電波の届かない地域にあるか、電源が切られています』


「あ………、あああああ…っっっ」

 

 

 

 

………

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

 


………

 


……