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………
~第10話 『焼けぼっくいで餅が焼け』の途中から~
………
「何を話したか、全部再現してみせて。あたし真面目に聞く。相談にだって乗る」
「相談って…」
「もし良かったら相談に乗るけど?」
相手が大真面目で本気だってわかってるから、話せないことがあるってのは…
まだ、トコには理解してもらえないだろうな…
"仕方ないので正直に話す"
「誰にも…言わないで欲しいんだ」
「うん」
「友達にも他の先生にも。…ましてや本人に確認したりするのも駄目」
「約束する。だって、あたしは理くんのことが心配なだけだもん」
「…ありがと」
言っても何も解決しない。
それどころか、麻実に対する裏切りかもしれない。
というか、ほぼ間違いなく裏切ってる。
でも僕は、トコに対して誠実であると決めたから。
姫緒さんじゃないけれど、トコとの間に秘密を持ちたくないから。
…教育上、ギリギリのラインの話かもしれないけど。
………
……
~第10話 『焼けぼっくいで餅が焼け』の途中から~
………
「どう、するの?」
あの頃の麻実を彷彿とさせて…
"やっぱり帰る"
「気を遣ってくれるのは嬉しいけど…」
「や、やっぱりそうよね! わたし何言ってるんだろほんっと失礼な女! ごめんね理、気にしてないと思うけど忘れて?」
だけど…
「そんなふうに考えてないよ。お誘い、ありがとう。本当に嬉しかった」
そんな5年前の麻実に、僕は、社交辞令を使うような人間になってしまっていた。
「ううん、ごめんね、本当にごめんなさい。本当ならわたしが目の前に立ってるってだけで、あなたにとっては苦痛なはずなのに…」
「何度も謝らないでくれよ…そんなふうに思ってないから」
思っているなら関わったりしない。
毎週のように会ったりしない。お酒なんか飲まない。
…笑いかけたりなんか、するものか。
「あなたがいつも普通に会ってくれるから…昔と変わらず優しくしてくれるから…勝手に仲直りできたって思い込んじゃって」
「仲直りしたよ。僕らの間にはもう、わだかまりなんかない」
「…本当?」
「もちろん」
だからこれは、ひとえに僕のせい。
さっきの何気ない僕らの会話に、何故だかほんの少し悪寒を感じてしまった僕のせい。
僕の幸せと、トコの幸せが、まだ、同じ方向を向いているのか、どうしても今確かめたくなってしまった僕のせい。
「おやすみ。火元に気をつけてね。だいぶ乾燥してきてるし」
「あ、うん…おやすみなさい」
わざとらしいくらいの防災ネタでお茶を濁し、
僕はくるりと背中を向ける。
だって、僕らの間に、もうわだかまりはないから。
8年前、初めて会ったときのように、
正しいサークルの先輩後輩の関係を築いているから。
「なら…どうして上がってかないのよ」
………
……
…
~第11話 『辛く切ない嫁姑戦争』の途中から~
………
今度の怪我で、一番迷惑を掛けた…
一番恩返しがしたい相手は…?
"麻実を誘う"
よし…決めた。
というか、今回は他に選択肢がないような気がする。
怪我をしてから、ほとんど毎日、
何から何まで世話になりっぱなしだったし。
それに、クリスマスの頃には、
麻美も新しい家を見つけ、
新しい生活を始めるだろう。
その門出を祝うにはもってこいの趣向かもしれない。
………
……
~第12話 『決別のイブ、復縁のイブ』の途中から~
………
「先生のこと、どう思ってる?」
"言葉が出てこない"
「………」
「………」
「………」
「…ちょっとぉ。なんでシカトするのよぉ?」
「あ! いや、違うんだシカトじゃないんだ! ただその、頭の中に何も浮かばないって言うか」
「なんなのよそれぇ。やっぱチキンだよこの人は」
「ええ、散歩歩くと全てを忘れます…」
「しまった、上手いこと落とされた…」
「あはは、何しろご隠居に鍛えられてるからね」
「もう! 人が真面目に聞いてるのになぁ」
本当は、頭の中にきっちり答えは浮かんでた。
『好きだよ』って。
『そんなの決まってる』って…
なのに、その言葉が口を突いて出る前に、
何かが僕の声帯を鷲掴みにした。
「ごめん、トコ。でも、やっぱり答えられない」
「………」
だって僕は、目の前の大切な女の子に、
もう二度と嘘はつきたくない。
けれど僕は、目の前の大切な女の子に、
どうしても言いたくない事実を持っている。
………
……
~第13話 プロローグの途中から~
………
「もう、大丈夫? 理は、平気?」
「ああ…もう大丈夫」
「そう…」
その言葉には、ちょっとだけ嘘が混じってた。
麻美に触れて、落ち着いた。
麻美を抱きしめて、癒された。
麻美とキスをして、安らいだ。
だけど…刺がまだ抜けてない。
ちくちくした痛みは和らいだけど、消えなかった。
「ごめん、麻実。無理やりこんなこと…」
「なに理? あれが無理やりのつもり?」
「え、あ…」
「わたしなんか、目を閉じるのちょっとフライングしちゃったわよ? だって、思ったより理が迫ってきてなかったから」
「な、な…?」
「昔と比べてワンテンポ遅くなってない? やっぱり歳のせい?」
「麻実っ!?」
「それとも…っ、別れた女とのキスは抵抗、ある?」
「………」
「わたし、全然気にしないんだけどなぁ。だから理、深く考えなくてもいいのになぁ」
からかってるふうで、決して目が笑ってない…
それどころか…まるっきり別の感情を隠そうとして失敗してる様が、どうにも痛くて、思わず目をそらしてしまう。
「あ~、駄目ね。それは違うか。理、そんな器用じゃないわよね」
不器用なのはお互いさまじゃないのかな…?
「やだわ、そんなに深く考えられたら困る…」
「麻実」
なんてこと、言えるわけがない。
「もしかしてわたし、またやっちゃったかな? 理のためだって思い込んで、勝手にテンパって…」
「麻実…」
「あ~、またアパートの女性陣に叱られるかも。わたし、理のこととなると人の話聞かないんだって…」
「麻実ってば」
「っ…は、はい」
「…帰ろうか」
「………そうね」
これ以上、甘えちゃいけない。
これ以上、求めちゃいけない。
これ以上、迷惑はかけられない。
だって、この痛みは、
自分で解決しなくちゃならないから。
「ね、理」
「ん?」
「あなたが今のキスを割り切れないのなら…いつか、返してもらうわね?」
………
……
~第13話 『二度目の恋、初めての男』の途中から~
………
「女の過去を気にしない心の広さと浮気しない誠実さと力強く引っ張ってくれる甲斐性を兼ね備えた男がいないかな~」
「そんな人間がいたら、生まれて初めて人に殺意を抱きそうだ」
「ふふ…なんてね。本当は、お金も地位も顔もいらないから、いつまでも二人きりでいてくれる優しい男はいないかな~」
「あ…麻実」
「ん?」
"馬鹿なこと言ってないで帰ろう"
………
~第13話 『最初で最後の初恋だから』の途中から~
………
両腕の金縛りがようやく解け、
トコの頬に両手を当てる。
目から零れ出る涙を親指でぬぐうと、
そこには甘えん坊の女の子の素顔が覗いてる。
…女の子、だ。
すごく綺麗で、とんでもなく可愛い、
正真正銘、僕の、いとおしい…
「理くん…」
"額にくちづける"
「あ…」
膝を曲げて、トコの頬を両手で挟み…
すべすべの額に、軽く唇を触れる。
ふたたび離れた僕を、
トコはしばらくぼうっとした表情で見つめる。
「これが…答え、かな?」
笑顔とも泣き顔とも取れない、僕を責めるでも褒めるでもない、微妙に鼻にかかった声が、トコの口から漏れる。
「…ごめん。トコの言ってる意味とは違うってわかってる」
それでも、たったこれだけのことで、
僕の心臓は破裂しそうなくらい高鳴ってる。
「けど僕は…トコのこと、そんなに簡単に、今までの愛し方を変えられない」
今はこれ以上、先になんか進めそうもない。
今まで自分が信じてきた、
保護欲という、トコへの愛情を否定なんかできない。
……
「やっぱり、先生の方が好き?」
「何度も言ってるけどさ…どっちがより大切かと聞かれたら、迷わずトコだよ」
「理くん…」
それは、ここで暮らすようになってから、まだ一度も曲げたことのない、僕だけのルール。
今まで溜め込んだ、被保護者としての愛情は、
これだけは、決して僕を裏切らないって信じてる。
「だけど、それってどういう意味かって言うと、その、何というか…ごめん、簡単に答えられない」
穂香さんのことがあって、トコと知り合った…
始まりからして、僕はトコを裏切ってて。
麻美のことだって、今までのトコの世界じゃ、
到底割り切れるものじゃなかったはずで。
「あたしのこと、幻滅した?」
「…びっくりした。随分と趣味が悪いんだなって」
大人の嫌なところばかり繰り返し見せられたトコが、見せてしまった張本人に向ける想いとして、一番相応しくない種類のものだったから。
「………そうだね。趣味、悪いね。理くんしか考えられないなんて、ね」
「トコ…」
でも、やっぱり、流してくれない。
たとえ熱病に冒されているだけだとしても、
重症には変わりないことは、痛いほど伝わってくる。
僕は…もしかしてとんでもない詐欺師なんだろうか?
「やっぱり理くんってチキンだね。優柔不断だね。へたれてるよね。『お前なんか嫌いだ』って正直に言っちゃえばいいのに」
「嫌だよ…地獄に落とされたってそんな嘘はつけない」
「………馬鹿。そういうのがあたし辛いって言ってんのにさぁ」
「ごめん…本当に、ごめんなさい」
自分の矜持に従えば従うほど、トコを追いつめていく。
こんなはずじゃなかった…
トコを幸せにしたくてここに在ろうと決めたのに。
「ううん、いい…キス、してもらえたから、いいよ…」
「トコ…」
「理くんは、あたしのことが好き。好きだから、キスしてくれた。…今は、それだけを受け止める」
それでもトコは、そんな僕の残酷な仕打ちに耐え抜き、
小さな小さな幸せを感じ取ってくれる。
「それだけでも…駄目、かな?」
「そんなわけないだろ…」
あまりにも大人として育ってしまったせいで、
大人のドロドロした感情に敏感になってしまった。
そんなトコが、必死になって持ち出した、
子供の理論による『まだ負けてない』。
僕は、全肯定する。
「理くん…あたし、まだ頑張れる。あと一週間で、あたしを取り戻す」
「うん…」
「だから理くん…あたしを見てて。あたしの、心の力になってね?」
「うん、うんっ…」
「そして、もし合格したら…あたしを受け入れるか…あたしを、振ってね?」
「っ…」
「約束、して。あたしを、先生の反対側の天秤に載せて?」
「あ………ああ」
本当は、ちっとも『ああ』なんかじゃない。
トコを振り落とす選択肢なんて、僕にはない。
トコは、比較の対象になっちゃいけない。
だけど…
「じゃあ…勉強の続き、しようか? まずは数学、取り戻さなきゃね」
「うん…そうだな。あと一週間だもんな」
ひとときの平穏を選ぶ僕はやっぱり、トコの言う通り、チキンで優柔不断で、へたれてる訳で。
………
……
~第14話 『夫と父と男の決断』の途中から~
………
だから、僕は…
"僕に、新しい恋なんかする資格はない"
「僕に…新しい恋をする資格なんかありません」
「ないわね」
「ちょっと姫様…」
「姫緒さんは、僕の言葉を、強い調子で"肯定"する…
「あなたのことが心配なのは本当。早く元通りになって欲しいって、願ってる」
僕を見るその目には、心配と、信頼と、慈しみと…
「でも、そっちの選択は認めない。どうしてよりにもよってトコちゃんなのよ…?」
「姫緒、さん…」
そして、嫌悪と、不信と、憎しみが宿っている。
「あなた、あの娘のことずっとそういう目で見てたの? 保護者だとか、守りたいとかって、やっぱり嘘だったわけ?」
同志、だった。
トコを秋泉大附に進学させるための。
トコに経済的負担をかけないための。
トコが…幸せに生きていくための。
僕らの目的は、ずっと一緒のはずだった。
喧嘩しながらも、固い絆を感じることができていた。
…去年、までは。
「この裏切り者! あなたなんか条例違反で捕まってしまえばいいのよ! あ、歩きタバコとかで!」
「やめなって姫様…。理くん、"そこまで"悪くないんだよ」
「だ、だって…だってっ」
「どっちかって言うと…大家さんの方からなんだよ? 好きになったのも、先に伝えたのも」
「わ、私そんなこと信じてないもの!」
「大家さん、あそこまでガチンコなのに?」
「そんなの一時の気の迷いよ! トコちゃんは騙されてるのよ!」
「たとえ騙されたとしても…本気で、理くんに恋しちゃってるよね?」
「っ…」
「もう、誰にも隠してないよね? あたしよりあからさまで、姫様より強引だよね?」
「笑って、泣いて、浮かれて、傷ついて…今のトコちゃんは、辛すぎて見ていられない…」
「わかってんじゃん…」
「だってトコちゃん、理さんしか見てないんだもの! いくら私の目が節穴だって、嫌でも気づかされちゃうわよ!」
トコは…
僕に告白した、あの言葉どおりの態度を取ってる。
僕なんかのことを好きだって、全身で示してくる。
「ねぇ、理くん。大家さん、受かったよ? 秋泉大附の特待」
進むことも、退くこともできない僕の答えを待ってて…けれど、こっちの一方的な都合で無期延期されて…
「理くんに喜んでもらいたくて、一生懸命、頑張って、結果出したよ?」
トコがどんな気持ちで僕の答えを待っているのか、僕にはわからない。
「最後の方は、目的と手段が入れ替わってたけど、見事、難関を突破したんだよ?」
でも、僕がこうして二週間ぶりに帰宅してきても、やっぱり何も言わずに食事を作ってくれるくらい、僕のことを、何があっても気づかってくれて…
「だから理くん…あなたは、ちゃんと答えてあげなくちゃいけないよ?」
なのに、何も言わなくて、
何も、求めなくて。
「奥さんのことを理由に、いつまでも先延ばしにしてたら…ずっと放っておいたら、あのコ、ボロボロになっちゃうよ?」
けれど、諦めなくて、
愛想も、尽かさずに。
「正直、あたしは反対だし、姫様なんて猛反対だし、誰も大家さんの気持ちを支持する人なんかいない」
誰が見ても、間違ってて、
誰が見ても、愚かな選択で。
「間違ってるけど…だからこそ、強いよ、あのコの気持ち」
僕には、信じられないけれど…
どうやら、本気も本気みたいで。
──!
「なんで…」
「あ、あ~!? ボトルが…」
「え? う、嘘。今日開けたばかりの30年もの…あたし半分しか飲んでないのに…」
「…それだけ飲んでたら十分じゃない?」
「なんで、こうなるんですか…」
立て続けに煽った5杯のストレートが、
僕の脳を激しく焼け切っている。
「なんでみんなトコを責めるんですか…あのコが何をしたって言うんですか…」
──!
「っ!? お、理さん…」
「トコを…トコをいじめるな! 僕のトコを、これ以上悪く言うのは許さない!」
「理くん…」
我慢できなかった。
トコが苦しむことなんて、トコが悲しむことなんて、
許すことができなかった。
「僕は、トコを、世界で一番幸せな女の子にしたかった…。好きなことに打ち込んで、手当たり次第に学んで、吸収して、恋は…ゆっくり、慌てずに、段階を踏んで…普通の、何の変哲もない、みんなと一緒の、楽しい学園生活を送って欲しかった」
出会った頃は、いつも怒り顔ばかり見ていた。
はたかれて、説教されて、
けれど、とことんまで面倒見てくれて。
僕は、泣きたくなるくらい嬉しくて、
実際、何度も泣いた。
「トコさえ望めば、大学だって行かせたい。就職したいって言えば、できる限り力になってあげたい。大人になって、本気で好きな人ができたら…頑張って、一生懸命、祝ってあげたい。誰にも後ろ指をさされたりしない、幸せな結婚式を…挙げてもらいたい」
仲良くなるにつれて、どんどん笑顔を見せてくれるようになった。
一緒の帰り道、一緒の買い物、
一緒の勉強、一緒の晩ご飯…
トコの手は、あったかくて…
トコの料理も、あったかくて…
僕は、泣きたくなるくらい嬉しくて、
たくさんの笑顔で、応えた。
「それなのに…それなのにさぁ…っ、なんで、僕なんだよ…。どうしてそんなに急がなくちゃならないんだよトコ…君の将来は、こんなに光り輝いてるってのに!」
時が進んで、トコの笑顔が、だんだん力を失っていった。
トコの悩みがわからなくて、
トコの願いがわからなくて。
…トコの気持ちがわからなくて。
僕は、どうしていいかわからなくて、
ただ、トコを苦しめ続けた。
「トコを愛してる」
トコが、僕の前で泣いた。
「世界で一番、愛してる。姫緒さんにも、他の誰にも、この気持ちで負けるつもりはない」
ずっと隠してた、苦しくて、辛い胸のうちを、とうとう我慢しきれず、僕にさらけ出した。
「だから僕という保護者は、僕という男にトコを取られる訳にはいかない!」
僕は…駄目だってわかっていたのに、
その、小さくて柔らかい唇を…貪った。
「トコを不幸にする男なんか認めない! 僕は許さない…そんな奴、絶対に許さないからな、トコ!」
…トコを、ますます苦しめた。
………
……
「っ…ぅぅ…ぅぁ…っ、すねすいません…怒鳴ったり、して…っ」
「トコちゃん、頑固だものね…こうと決めたら、てこでも動かないものね…」
さっきまで、僕と同じように、僕をなじってくれてた姫緒さんは、いつの間にか、僕を庇ってしまっていた。
「でもね理くん…なら、理くんは、あのコを振らなくちゃいけないよ?」
そして夏夜さんは…
僕が、もっとも触れられたくない結論を、
明確に突いてくる。
「これは、誰かが絶対にしなくちゃならないことで…そして、絶対に理くんにしかできないことだよ?」
「………っ」
嫌だ…
そんなことをしたら、トコが悲しむ。
信じたくないけれど、トコが、また泣く。
僕はもう、トコの悲しい泣き顔は見たくない。
一生、トコの笑顔だけを見ていたい。
一生、僕の側で、笑っていて欲しい…
………
……
~第14話 『夫と父と男の決断』の途中から~
「ほう、手作りかい」
「そんな手間暇かけたものじゃないよ。製菓用のチョコレートを溶かして固めただけ」
「…にしちゃ、随分手間暇かけてるじゃないかい。こっちは…ほう、チョコチップクッキーかい」
「ご隠居、ほら、味見。あ~ん」
「むぐ………ん~、相変わらず冴えてるねぇ若大家さん」
「そう? 甘すぎない? 生地の分量間違えたかもって思ったんだけど」
「いやいや、香ばしいクッキー生地にほろ苦いチョコチップが絶妙に絡んで…くぅ~っ、酒が欲しくなるねこりゃ!」
「………辛すぎた?」
「ホントになぁ、この歳でよくもまぁここまで腕を上げたもんだよえぇ? 将来いいお嫁さんになるってもんだべらんめぇ」
「…将来?」
「あ~、そうともよ! ハタチになる頃にゃえらいべっぴんさんになっちまって、もう周囲の若い男どもが若大家さんを巡って大変なことに…」
「遠い、な…」
「………」
………
「へぇ、随分と色々作るんだねぇ」
「トリュフに、ナッツ入りに、フルーツ入りに…ま、バレンタインだし、日ごろの感謝も込めまして~」
「…で、こっちのやけに気合い入った、材料の半分は使っちまってるチョコケーキは?」
「………」
「これが若旦那のだね? …何もここまであからさまに贔屓しなくてもなぁ」
「理くん最近なかなか帰ってこないし。栄養失調になってるかもしれないし…」
「チョコレートで栄養補給って…遭難してんじゃないんだよ」
「うるさいなぁご隠居はぁ…も一個味見させたげるから大人しくしてなさいっ!」
「むぐっ…ふむふむ…苺にも合うねぇ」
………
「よし…これで仕上げ、と」
「…なぁ、若大家さん」
「ん~、なに? 今、メッセージ入れてるからちょっと待って…」
「確かに、若旦那はいいお人だよ」
「………」
「受けた恩は絶対に忘れない。一生かかっても返そうとする。今どきの若者にゃ珍しい、恩義に篤い本物の善人だ。…いや、ちょっと誉め過ぎだな。今どきの『おじさん』に訂正しとくか」
「訂正ってそこなの?」
「若旦那は、一年前に若大家さんに救われた。だから、その恩をずっと忘れないし、若大家さんのために何だってする」
「あたしはそんなこと、してない。理くんに、恩を売った覚えなんか…」
「けどね、だからこそ…そうやって、昔のことをいつまでも忘れないからこそ…」
「っ…いいよ、もう言わなくてさぁ」
「若大家さんを、選べないかもしれないよ?」
「いいってゆってんじゃん…」
「奥さんをね…見捨てられないかもしれないよ?」
「………」
「なぁ、若大家さん。あたしゃあね、あなたのこと孫みたいに思ってる。そりゃあもう、六人いる本当の孫と同じくらいにね」
「うん…あたしもご隠居のこと、おじいちゃんだって思ってる。おこづかいくれないけど、家賃滞納するけどさ…」
「ごめんよ若大家さん…いいや、美都子ちゃん」
「別にいいよ、家賃のことはさぁ」
「孫の真剣な気持ち、無条件で応援できなくて、ごめんよ」
「っ…なんの…ことかなぁ」
「孫を甘やかしすぎて子供に叱られるくらいの、駄目なおじいちゃんでいられなくて、ごめんよ」
「………」
「美都子ちゃん…やっぱり、若旦那とあなたとは…」
「…できた」
「ん?」
「できたほほら、ご隠居。超豪華仕様バレンタインケーキ! トコ直筆の愛のメッセージ入り!」
「美都子ちゃん。今はそんなことより、あたしの話を…」
「そんなことよりもこんなことだよ。ほら見てってば! よく出来てるでしょ?」
「ちょっ、ちょっと、こら………あ」
「あたしの想い…伝わるでしょ? 伝わるよねぇ?」
「美都子ちゃん…あなた…」
「だってあたし…理くん大好きなんだもん。理くんが誰を好きでも、誰を愛してても、あたしの気持ちは変わらないんだもん…っ」
「そうかい、そうかい…うんうん。辛かったねぇ、悲しかったねぇ」
「ご隠居ぉ…おじいちゃぁんっ!」
「よく…我慢したねぇ。えらいぞ、うん」
「だって、だってぇ…あたしやっぱり、理くんが悩むところ、見たくない…理くんが苦しむなんて、嫌だよぉっ」
「美都子ちゃん…あなたやっぱり、世界一いい子だよ。若旦那だけじゃなく、あたしだって保証するさ」
「う、う、う…うえぇぇぇぇ~っ、ふぅぇぇぇぇぇっ、ぅぁぁぁぁぁ~っ」
……