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-ノベルゲーム・タイピング-

暁の護衛【18】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


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-倉屋敷 妙編-

 

 

……。

 

 

 

 

 

パーティーが始まって2時間近くが経過した。

食事はほぼ終わり、雑談に花を咲かせていた。

あのツンケンした麗華が、侑祈や尊、彩を交え楽しそうに談笑している。

普段接している見からすれば、やや信じられない光景だ。


「思ったより人を惹きつけるのかね……」


あまりそんな感じはしないが、見ているとそうなのだと思わせられる。

他の連中はどうだろうか。

どいつもこいつも、呆れるほど個性的だからな。


「……意外だ……」


薫は神崎と楽しそうにしているし……と言うよりも、そばで護衛出来てるだけで幸せなんだろう。

その神崎はまだ食べるのに夢中で、忙しそうだ。

佐竹も源蔵の執事やメイドたちと会話している。

年配の中に混じってなにやら話してるツキは見なかったことにしよう。

だが、そんな中、一人だけ浮いた存在がいた。

 



「…………」


一人だけ誰とも口を聞かず、呆然と視線だけが真正面を捕らえていた。

もちろん誰かと対面しているわけじゃない。

時折ポカンと口を開けては閉じ、開けては閉じ。

 

 

 

「じいさんや、晩御飯はまだかのぅ? ばあさんやご飯はさっき食べたじゃないか。そうだったかいのう?」


妙のパクパクに合わせてアドリブを入れてみた。

見事にぴったりと合う。


「痴呆か?」


遠目にからかっていると、妙はスッと席を立ちその場を外す。

不思議と、誰かがそれを気に留めることはなかった。


……。

 

 

 

「はぁ……」


私は、深いため息をついた。


「来るんじゃなかった」


本音とウソが、ポロッと零れ落ちる。

ここに来れば少しはなにか変わると思った自分が情けない。

結局、誰も私には近付いて来ない。

いつも冷たく人を突き放すくせに、気づけば麗華の周りには人がいる。

人徳とかいう、よくわかんないけど、そういうものを麗華は持ってるんだと思う。


「ふんっ」


かつんっ。


そばに落ちてた石ころを蹴ったけど、1メートルくらいしか前に飛ばなかった。

ストレスを蹴っ飛ばそうとしたのに、それが余計ムカついた。

憐桜学園に入学して、もう1年以上経つ。

だけど、私が友だちと呼べる人間は一人もいないまま。

いつもついてくるのは、母が作ってくれたロボットの侑祈だけ。

あんなロボなんかにいてほしいわけじゃないのに。

パッと一瞬屋敷の中が明るくなった気がした。

そして次の瞬間、笑い声が聞こえてきた。

今も食堂で誰かが笑っている。

一つの笑い声は、やがて色々な笑い声と混ざり合う。

私が席を外したことにすら気づいてないんだ。

かれこれ、10分は中庭にいるのに……。

ジッと立っているのも疲れたなぁ。

近くのベンチに腰を下ろして、空を見上げる。

 

 



厚く暗い雲に覆われた空。

そこには小さく星たちが姿を見せていた。

でも薄汚れた雲がその空の美しさに染みをつくっていた。

どこか遠い田舎の空は、綺麗に輝いていると聞いたことがある。

雲一つない、星々が広がる澄んだ夜空があるらしい。


「…………」


両手を膝の上で握り締めた。

少しだけ、涙が出た。

侑祈やお母さんに、私はよく泣く子だってバカにされる。

言われるたびにバカにするなって思ってたけど……。

これじゃ笑われても仕方ないよね。

もう、このまま一人で歩いて帰っちゃおうかな。

だって、誰も、私になんて……。

 

 

──「こんなところで天体観測か?」

 

 

 


オレは厨房からもらってきたオレンジジュースの缶を妙の頬に押し当てる。



 

「ひゃっ!? な、なにすんのよ!」
「差し入れだ」


驚いてた妙を見てから、横に腰を下ろす。

 

 

 

「なに勝手に座っちゃってるのよっ」
「これはお前のベンチじゃねえぞ」
「私が利用してる間は私のもの」
「どんな理屈だそりゃ。とにかく、やるよ」
「私がなにかしでかさないか、探りに来たってワケ?」
「なに言ってんだお前」
「隠さなくてもいいわよ、別に」
「よくわかんねぇけどいいや」
「別になにもしないから戻りなさいよ」
「お前は戻らないのか?」
「騒がしいのは嫌い」
「うそつけ。どう見ても騒ぐタイプだろうが」
「騒がないわよ」
「深夜に芝刈り機で隣人に迷惑をかけるのが趣味なんだろ? 寝静まってた隣人の家に電気がついたらガッツポーズしたりしてな」
「そんな雑用しないっ」
「……どーも突っ込み方が違う気がする……」
「早く戻れってば。邪魔っ」
「そうかよ」


邪魔と言うなら、退散するか。

立ち上がる。


ガシッ。


「…………」


小さな手が服の袖を強く握っていた。


「……早く行けっ」
「いやいや、その手を離せよ」


軽く引っ張ってみても、離れる気配はない。


「なんだよ」
「い、いいわ……暇つぶしに付き合ってあげる」
「断る」
「私の命令を断るなっ」


グイッ。


強引に引っ張りこんで、ベンチへと連れ戻された。

 

 

 

 

「なんなんだ一体」
「どうやら麗華の使いで来たんじゃないみたいだから」
「はぁ?」
「ほら、あれよ……麗華って私をライバル視してるでしょ?」


カケラほどもしてないと思う。


「だからあんたに様子を探らせに来たと思ったの」
「様子を探ってもどうにもならんと思うがな」
「と言うか、なに普通にタメ口聞いてるのよっ。敬語使いなさいよね」
「面倒」



 

「面倒でも使えっ!」
「かしこまったぜ」
「それ仕えてないから!」
「ぐちぐち細かいこと言うな、かったりぃ」


ベンチに思いっきり背中を預ける。


「騒がしいのが嫌で逃げてきたんだろ?」
「そうよ」
「だったら大人しく、澄み切った空でも見上げようぜ」
「澄み切った? どこがよ」
「綺麗な夜空じゃない、か?」
「当たり前よ。この辺りは汚染が進んでて汚いんだから。綺麗っていうのは、星が見えるくらいの空よ」


そうか……ここの空は、汚いのか。

星は眩いほど輝いていて、散りばめられているように、オレの目には映っている。


「……そう、そうだったな」
「変なヤツ」
「まともじゃない、かもな」


こんな夜空を、美しいと思ってしまうんだから。

初めて夜空を見上げたとき、その美しさに言葉を失ったこともあった。

世界には、なんて綺麗なものがあるんだろうと思った。

まだオレの知らない夜空があるのか。

想像もつかない。


「あんたさぁ、どこの出身?」

 

 

 

「あん?」
「すっごい態度が悪いよ。ボディーガードのクセに。どこかで教育課程を間違えたに違いない」
「お前みたいなのに言われるとは……」
「少なくとも名家じゃないでしょ? と言うか名家だったら絶対変」
「実は某国の王子なんだ。自分の妃にふさわしい女性を捜しにお忍びで日本にやってきたのさ」
「絶対ない」
「完全否定かよ」
「ほんとのこと言いなさいよ」
「別に……中流家庭さ。裏も表もないどこにでもあるような」
「へぇ。庶民からボディーガードになったのね」
「庶民風情が! とか言うんじゃなかったのかよ」
「だって、一般人がボディーガードになるのって、凄く難しいんでしょ?」
「まぁな」


憐桜学園は、門の広い学園だ。

普通の人間でもボディーガードになる資格は与えられる。

しかし、その人物の経歴が大きく左右することも事実だ。

家の資産や地位も少なからず必要になってくるからな。


「しかも凄く口が悪いし」
「ほっとけ」
「でも、じゃあなんで辞めようとしてたのよ?」
「……なに?」
「一回学園を辞めようとしたんでしょ?」
「なんでそれ知ってんだ」
「ふふん。私は倉屋敷よ? それくらいの情報収集は楽勝」
「これだから権力を軽々しく振り回すヤツは……」
「ねぇねぇなんでよ?」


うるせぇな。

これなら食堂にいた方が良かったかも知れん。

静かに休めると思ったから、出てきただけなんだがな。

妙と落ち着いた会話が出来ると考えたオレが甘かった。


「別に。ちょっと分不相応と思っただけさ」
「庶民風情が、私たち資産家と一緒にいることに対して?」
「やや気に食わない言い方だが、そういうことだ」
「そんなこと気にするようにも見えないけどっ」
「ふん……心はナイーブなんだよ。隣人の電話がやかましいと眠れないようなもんだ」
「よくわかんない例えしないでよ」


少し笑ったあと、妙はジュースのタブに手をかけた。


カチ。


カチッ。


「むぅ……」


カチカチッ。


「うるせえなぁ。なにやってんだよ」
「仕方ないでしょ! 固いんだから」


人差し指でタブを引っ掛けようとしているが、指の力が足りないせいか開けられないようだ。


「子供にも開けられる作りになってるだろ」


カチッ。


「……なってない」
「ったく。貸せ」


パッと奪って、パッと開ける。


「早っ」
「こんくらいウチのメイドでも開けるぞ。よし、開けたついでに飲ませてやる」
「へっ?」
「オラオラ、遠慮せず飲めや」
「あ、ちょ……何勝手に……ごく、ごく……っ、ごぷっ!? げほっ! げほっげほっ!」
「うおっ、吹くなよ!」
「あ、あんだがむりやりのばぜるがらっ! は、鼻に入っだよぉ!」
「ぶわっ、なにそんくらいで泣き出してんだコラ!」


慌ててハンカチを取り出して拭き取る。

常に持たされていて良かった。


「は、鼻が、つーんとする……」
「慌てて飲むなよ。なくならないから」
「キッ!」
「……悪ぃ」


……。

 

「酷い目に遭わされた」
「それもまた人生の経験というヤツだ」
「今のがウチの使用人だったら、クビねクビ。ううん。クビだけじゃなくて再就職も困難にさせてやるとこ」
「人生を崩壊させる気満々だな」
「だけどあんたはウチの使用人じゃないから……」
「無罪放免か?」
「私にも同じことやらせなさいっ」
「……本気か?」
「げほげほ言わせてやるぅ」


オレの手から缶を奪い取り、口に押し付けてきた。


「飲めぇ! 飲め飲めイエィ!」


缶の底が空に突き上がるほど高い角度にされる。


「ちょ……ごぷっ……ごぽ、ぽ……ぶはぁ!!」
「ギャーーー!」


口から吹き出したジュースが、妙に直撃した。



 

「なんでこっち向くのよぉ!!」
「げほげほ……あー酷い目に遭った」
「私の方が酷いっ!」
「この濡れたハンカチで拭けばいいだろ」
「濡れてるからダメじゃないの! もーっ!」


ぷりぷり怒りながら自分のハンカチを取り出した。


「誰かの口に入ったのを吹きかけられたのは生まれて初めてよっ」


まあ、吹きかけられるケースは多くないわな。

 

 

 

 

「はぁーっ。あんたの行為にキレッキレよ」
「キレてなーい」


顎をさっとひと撫で。


「なにそれ……」
「なんでもないからこっちを見るな」
「……なんで私があんたと話さなきゃいけないんだかっ」
「知るか。お前が絡んでくるからだろ」
「そもそもあんたが……」



 

二人で奇妙な言葉のキャッチボールをしながら、パーティーの終わりを告げるまで空を見上げ続けた。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文献を読む程度でしかなかったが、今の時代の機械産業について学んだことがある。

技術力がどれほどのものかを表したものだった。

過去より現代まで、人類は様々な発明を行ってきた。

地面を走る車、空を飛ぶ飛行機。

大量殺戮兵器に、治療薬や医療器具。

そして、今現在に至っては人工頭脳を搭載したロボットまで。

と言っても、ロボット産業は始まったばかりに過ぎない。

世界各地、進行形で日進月歩を続けている。

そこに先駆ける形で飛び出したのが、『倉屋敷重工』である。

 

 

 

『錦織 侑祈』。

一見すると、バカで能天気な学生。

だが実際には人口頭脳を搭載した最新型のロボットだ。

もっともこれが『真実』であるとは限らない。

オレが知る限り人口頭脳に関する技術が進歩したと言っても、人間たちと同じように食事し談笑し、そして学ぶことが出来るロボットの存在はやや不可思議だ。

先進国アメリカですら、まだこの領域には踏み込めていないと聞く。

侑祈をロボットだと判断しているのは、あくまで第三者から聞いたことに過ぎない。

それほどに精巧にして精密。

身体が金属であることも確認出来ないし、メンテナンスをしているとも思えない。

しかしながら、侑祈は間違いなく人ではない。

体力による数値は人間が出せる記録ではないし、視力や聴力に関しても常識では考えられないものを持っている。

定義としてはロボットでも、近く親しげな表現を付けるとすれば、アンドロイド、疑似人間と言ったところだろうか。

完璧にも見える侑祈だが、恐ろしいほど知能は低い。

本来、記憶力なんかに関しては、ロボットが優れているはずだが、侑祈の場合はなぜか学習する力が弱い。

そう言ったところがまた、妙な人間臭さを持っている。



 

こいつは『倉屋敷 妙』。

その侑祈を作り出した企業の一人娘。

母親は天才技術者らしいが、その才能は欠片も受け継がれなかったようだ。

勉学は下の下。

体力面でも下の下。

態度は上の上という、やや? 救いのないお嬢さま。

つまり、侑祈と主従関係にある二人はバカコンビというわけだ。

二人の成績を足して、二倍にしても麗華に届かない。



 

「あ、妙ちんなに食ってんの? 俺にも頂戴」

「これはリップクリームっ」

「クリーム? 甘いの? 食べてみてよ」

「こう口の中に入れると、甘さが広がって──」



 

「ぐぺっ! ぺぺっ! 食べちゃったじゃない!」

「うわツバっ! 汚っ!」

「汚い言うなぁ!」


実に面白い二人。

 

「もー! あんたはあっち行ってなさい! しっしっ!」


最近思うことがある。

妙は侑祈をあまり好いていないようだと。

いいコンビだとは思うのだが、妙は侑祈の態度が気に食わないのか、深く接しようとしない。


それはプリンシパルとボディーガードの関係として間違っているとは思わないが……。

倉屋敷重工の手によって開発された侑祈であれば、例外として深い関係でも問題はないはずだ。


「まぁ……バカ、だからな」


妙は意味もなくプライドが高いところがあるせいか、おバカな侑祈を毛嫌いしているのかも知れない。

 

 

 

「朝から賑やかね、あの辺りは」
「オレたちも楽しんでみるか?」
「どんなふうに?」
「麗華が割り箸を鼻と口に挟んでこの場で踊るとか」
「……ちなみに、その間あんたはなにしてるの?」
「その姿を見て笑う」
「凄く楽しそうね」
「だろ?」
「じゃあさっそくやったげるわ。割り箸を挟めばいいのね?」
「…………」
「…………」
「うわぁ! 冗談ですお嬢さま! おやめ下さい! ……とでも言うと思ったら大間違いだぜ?」
「私の心が侵害される可能性があるのに、随分とノウノウとしたボディーガードね」
「頼もしいだろ」



 

「涙が出てくるくらい頼もしい」
「前々から思ってたんだが、この学園は生徒間の付き合いが殆どないな」
「子供でもわかる簡単なことよ」


そう言って、麗華は両手の人差し指の先を、それぞれぐっと近づけて……引き離す。


「S極はけしてS極に引き付けられない」
「お前ら全員サドってことか?」
「あんた、ストレートに受け取りすぎ」
「なんだサド。違うのか?」
「サド言わない! 私たちからしたら、同じお嬢さまはライバルみたいな意識を持ってるからでしょ」
「それはわからんでもない。だが、オレたちボディーガードも似たようなもんだろ。凌ぎを削り合い、互いにライバルとして意識する。しかし練習のあとなんかはよく雑談もするしな」


友人でありながらも、ライバルって感じか。

だが毎日この教室に通っていて見えてきたものは違う。

確かにお嬢さま同士で雑談もあるが、天気がいいだの、お花が綺麗に咲いただの、本当に世間話を軽く交わすことがほとんど。

集団グループが出来ることはまずない。


「お前や彩なんかも、個人的に誰かと遊んでる様子はないしな」
「規則、規律、規制、色んなものがあるのよ。男と違って女は、単純な動物でもないし。男な拳を交えれば友情は芽生えるかも知れないけど、私たちの場合は大抵溝を作ることになるでしょうね」
「そう聞くと、夢も希望もないな」


世間体で抱かれるお嬢さまのイメージが崩れる。


「一昔前までは、互いに交流を深め合うためにときどきパーティーを開いては賑やかにしてたみたいだけど」
「昨日の誕生日は、異例ってヤツか?」
「間違いなく」
「親兄弟も信じなくなった世の中が関係してるのかね」
「あんたは親兄弟を信じてないの?」
「誰も信じちゃいねーよ。ボディーガードとして当然だろ?」
「はぐらかすような言い方ね」
「そうか?」
「じゃあ聞き直すけど、真面目な話どうなの?」
「世界で一番好きなのは家族です」

「棒読みじゃない」
「真実を話すとき棒読みになるんだ。麗華は可愛い」


──!

 

 

 

「殴るわよ」
「もう殴っただろ……」


……。

 

 

 

 



「今日は私が読んだ書物についての話をするわね」


春うらら、陽気な午後の授業。

恒例となりつつある柊教員の独りよがりな授業が始まった。


「また脱線ね」


呆れたように隣でため息をつく麗華。


「侑祈は既に寝る準備してるな」

「あなたたちは、日頃からボディーガードと行動を共にしているけれど、格好いいボディーガードってどういうものだと思う? はい、錦織くん」

「うぇ、俺っ!?」


眠らせる気はさらさらないようだった。



 

「えっと……えー……優秀なこと?」

「もうちょっと具体性が欲しいかな」

「つまり、常時周囲を警戒し、プリンシパルのライフスタイルを乱さないことです」

「模範的な回答ねぇ」

「すんません……。答えはなんなんですか?」


早く寝たい侑祈は、切り上げるべく進んで問い返す。



 

「ズバリ、イケメンであることねっ!」

「…………」



 

「うそ! ごめんうそだから!」


慌てて否定する。

顔が赤いところを見ると半分くらい本気だったか?


「悪いことではないですよね、それ」

 

「えっ? そ、そぉ?」

 

意外なところから賛同者が出てまたも慌てる柊教員。


「外見だけで人物を判断することは最低ですが、外見に関して評価を下すことは必要なことですし。なら、同じ優秀なボディーガードでも、外見が整っている方がいいんじゃありませんか?」



 

「そうなの、それが言いたかったのよ~」


否定したんじゃなかったのかよ。


「やっぱり二枚目のボディーガードの方がいいものね」

「教師として、その発言問題じゃないですか? もっとも俺は超二枚目なので問題ありませんけどね」

「教師としてじゃなく、個人の意見ってことで」


今授業中で、目の前にいるのは教師なんだが……。


「恥ずかしいから黙ってなさいよっ」


グッと袖を引っ張って座らせようとする妙。


「あんたはいいとこ二枚目半でしょ」

「三枚目じゃない? どちらかと言えば」

「痛いっ! 突き刺すような言葉が痛いっ!」


調子に乗っていた侑祈に対してなのか、男子生徒からはニヤニヤとした顔つきをしているものが多い。


「くだらねぇな」


俳優のような格好いいボディーガードだろうが、エイリアンのようなプリンシパルだろうが、そんなことにどれだけの意味があるというのか。


「とにかく、もう座っていいわよ、錦織くん」

「先生は二枚目だと思ってくれてますよね?」

「はい、座って座って」

「お答えになっていただけない!?」

「こほん。今日教えるのは、あなたたちが学んだボディーガードに必要なもの『外伝』よ。一つは外見、他にはなにがあると思う? 今日は木曜日だから……南条くん」



 

「はい」


スッと席を立つ前の住人。

オレには木曜日と薫が指名されたことを絡み合わせるのは知恵の輪より難しそうだ。


「訓練校で学んだこと以外で考えてね」

「……スタイル、でしょうか?」

「うーん間違ってはないけど、外見のカテゴリかなぁ」

「コミュニケーション、存在感、すべて学んだことだし……」


さすがの薫もわからないようだ。


「出てこない?」

「申し訳ありません」

「じゃあ、その後ろの朝霧くん」


「呼んでるぞ」


男子生徒「俺っ!?」


「朝霧はアンタでしょうが。隣の生徒の肩を叩かない」

「チッ」

「二枚目の朝霧くんならわかるでしょー?」

「あいつのどこが二枚目ですかっ! 四枚目もいいとこですって!」

「そんなところで反論するなよ」

「大事なことだろっ!」

「……バカらしい」

「答えてくれないと、評価1にするぞー」

「職権乱用じゃねえか」

「ほらほら。今も答えは出てるわよー」

「答えが出ている?」


軽く推測してみる。

ボディーガードに必要なもの……それが外見というくだらないものであることから、恐らく他もそんな感じなんだろう。

そして、今も答えが出ているということは……。


「人としての個性、つまり性格か?」

「…………」

「…………」

「…………」


なにやら、険しい顔をしたり、ニヤッとしたり。


「……ざぁんねんっ! 正解は、コレ」


口の中を指差す。


喉ちんこ?」

 

 

 

「ちんこじゃない!」

「喉ってつけろ、喉って」

「声よ」

「俺のソプラノ調の声みたいな?」

「全然ソプラノじゃねえ」

「さっきからうるせぇなー。色々俺に負けてるからって妨害するなよ」

「…………」


もう放っておくことにしよう。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 



昼休み。

私は侑祈を連れ出して廊下を歩いていた。


「朝霧海斗」



 

 

「突然どうしたの妙ちん」
「なんか変わったヤツよね」
「変態だから」
「あんたには言われたくないと思う」
「厳しいなぁ」
「なんて言うか、ミステリアス?」


誕生日の日、感じた印象だった。

他の人とは違うなにか。

 

 

「まさかちょっと惚れ気味!? やめときなって、あいつは」
「そんなわけないでしょっ」
「だよなぁ……」
「ただ、ボディーガードとしての能力が気になるのよ
「あ、それは俺も俺も」


どうすれば、あいつの力を調べられるだろう。


「ねえ……この間バッジを渡されたみたいね」
「おう。コレね」


侑祈がバッジを指差す。

あのときの説明は、よくわかんなかったけど……とにかくなくさないように言われてたっけ。


「あんた、あいつのバッジ奪って」


なくさないように言われたばっかりでなくしたりしたら、きっと朝霧海斗も麗華も、慌てるに違いない。

 

 

 

「それはまずいって。ボディーガード同士の争いはご法度だぜ?」
「やっちゃいなさい」
「やっちゃいますか? …………本気?」
「木に気と書いて木気(マジ)よ」
「いや、ちょっと違うくない?」
「合ってる」
「なんかややシュート回転と言うか……」
「合ってるってば」


念のために頭の中で書いてみる……うん合ってる。


「そうかなぁ? でも『き』に『き』と書いてって言われても実際のところ伝わって来ないんだけど」
「ふさふさした『木』に念力込めるような『気』」
「……余計わかんなくなったぞ」
「だからバカなのよ」
「もう少し、サルにでもわかるように説明してくれ」
「ロボットならこれくらい理解してよ……ふぅ」
「なんでそこでロボ」
「じゃあアレよ。横線書いて真ん中に縦線書いて交差したところから左にカーブした線を一本と右にカーブした線を一本ずつ書いた『木』」
「もっと難解になった!?」
南海大地震かっ!」
「……えっ!?」
「こ、こほんっ。聞かなかったことにして」
「今のツッコミっ!? 南海大地震かっ! ってツッコミ!?」
「う、うるさいっ……」
「ただ俺としてはわかりやすく本気って字を説明して欲しかっただけなのに、凄いツッコミをされちゃったぜ」
「うるさいってば! そもそも、なんで『マジ』程度の字を説明しなきゃならないわけ? わかってるんならそれでいいじゃない」
「いやほら、しっかりとしておきたいし」
「普段だらしないのに、こんなとこだけ……。わかったわかった。明日までにメモに詳細を書くから。だからそのとおりに行動してね」
「おお。それはわかりやすくていいなあ」
「あの海斗ってボディーガードを探ってやるんだから。願わくば麗華のみっともないところを……ヒヒッ」
「怖っ。今の笑い怖っ」


……。

 

 

 

「なあ、あいつらなにやってんだろうな?」
「私に聞かないで」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

「昨日徹夜して書いた完璧なスケジュール、ふふ、これで、ふふ……ふ、ふわぁぁ」



 

「大きいアクビだなぁ」
「11時過ぎまで起きてたからね。誰かに怒られそうでドキドキしたっ。ちょっと大人になったって感じ?」
「11時って……子どもじゃん(ぼそっ    )」
「11時って言ったら十分大人でしょ」
「どの辺が?」
「テレビで、ちょっと大人なのやってるし……」
「あーまた亜希子さまに内緒でテレビ見てたんですね?」
「ち、ちが……例えばの話!」
「ホントに?」
「ももも、もちろん」
「…………」


「6時以降禁止されてるテレビを、11時頃に見てるわけないじゃない! それに、テレビだって部屋に置いてないし。まさか堂々とオフィスで見るわけにもいかないでしょ?」
「ぺらぺら口が軽いのが気になりますな」
「侑祈が疑ってるから」
「そう言えば、この間小型の液晶テレビ買ってましたよね? 折りたたみ式の」
「なんで知ってんの!?」
「皆知ってますよ。番犬のポチも」
「ポチまで!?」
「と言うより、ポチが情報発信源ですが。こっそり購入した日、ポチに自慢したでしょ?」
「どきっ!」
「友だちがいないからって犬にそういうこと話さなくても……」
「哀れんだ目でみないでっ! うーーっ! お母さんもロクなもの作らないんだからっ」
「いや、皆が待ち望んでたものですから。『アレ』は」
「ふんっ。くだらなーい」
「試作品が完成したとき、号泣して喜んでたのはどこの誰ですかねぇ」
「喜んでないっ! ポチのバカぁ! 帰ったらお腹こちょこちょの刑に処してやるんだから!」
「キャンキャン喜びそうですね」
「ほら、これ!」



 

「おっと。確か海斗を探るメモでしたっけ?」
「正確には、麗華撃沈のための秘策メモ。あとでこっそり読んでおいて」
「んじゃ、ポケット入れとくわ」
「長話が過ぎたみたい。早く行くよ」
「うーい」


……。

 

 

 

 

「今の妙たちよね?」
「多分な」


オレたちが学園に入ってきた直後、妙と侑祈らしき人物の後ろ姿が校舎内に消えていくところだった。


「昨日今日と妙の後ろだなんて、ちょっと気に食わないわね」
「んなところが気になるのか」
「マラソンじゃ、誰かのお尻を見ながら走るのは嫌だから」
「したことあるのか? マラソン


普通の学校なら体育くらいあるものだが、憐桜学園にはそれがない。

お嬢さまたちに怪我をさせるわけにはいかないし、なにより個人の能力が露呈されてしまうからだ。

 

「小さい頃にね。市でやってるマラソン大会に黙って出場したことがあるの」
「黙ってって……危ないヤツだな」

「バレないと思ったのよ」
「結局はバレたわけだろ? なんでだ」
「目立つつもりはなかったんだけど、子供の部で優勝しちゃったのが原因よ。あとでお父さまに絞られた記憶があるわ」
「そうか……」


こいつの幼少期については、あまり触れないでおこう。


「あら? なにコレ」


地面になにか落ちているのを見つけた麗華。


「オレが拾おう」
「お願い」


敷地内だから心配はないと思うが、危険なものであることもありえる。


「……手紙?」


土のついた手紙を、手で払い落とす。


「可愛らしい封筒ね」
「ひょっとするとラブレターかもな」
「ないとは思うけど……差出人は?」
「特に名前は書いてないな」
「中身を確認してみましょ」
「勝手に見ていいのかよ」
「そう言いながら開けてるじゃない」
「開けちゃいけないものを見ると開けたくなるんだよ」
「泥棒みたいな発言ね。さすがにピッキングを特技にしてるだけあるわ」


カッターの刃が仕込まれてるなんてことはなさそうだ。

とすると、純粋に落とし物だろう。


「……ん? これは」
「見せなさいよ」

 

 

 

 

「あ……」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「……そして、次に狙うのが木(×)命の二階堂麗華。回(×)りのお嬢さまや教師にはいい子ぶってるけど、実は対(×)したことのない頻(×)乳のお嬢さま」

 

「ぅん~~っ! んんんーーっ!!」

 

「木(×)来なら私が完膚なきまでに叩きのめすんだけど、学園では採取完備? ……あぁ、才色兼備で通ってるからあまり表だって叩きのめすわけにはいかないの」

 

「んーーーーー!!」

 

「そこで侑祈に指示を出すわ。まずは麗華のウィークポイントであるはずのあさぎり海斗から攻めて行って」

 

 

 

「うん、うん」

「なるほど、海斗がウィークポイント、ねぇ。確かに私を叩きのめすなら、そこから狙うべきよね」

「それにしても見事なまでの誤字だな。何故か妙に難しい漢字知ってるし」


普通貧乳の『貧』は出ても頻繁の『頻』のが難しいだろ?


……どっちにしても低レベルだけどな。


「ちなみに、私が見つけたあさぎり海斗の特長(×)を書いておくからなにかの参考にしておいて」

「ほう。それは楽しみだな。なんて書いてるんだ?」

「まず、知能は激しく低い」

「テメェには言われたくねぇよ」

「ひぅっ!」


デコピンでも食らわしてやるところだが、それは侑祈がさせてくれそうにないので喝を浴びせておく。


「次に普段からボディーガードとしての常式(×)が欠落しているのか──」


欠落しているのは、漢字の知識だと思う。


「どうもぼんやりとしているケイ向にあるみたい。そこを突けば簡単にギャフンと言わせられそう」

「今時ギャフンはないだろ」

「昔でもないと思う」

「んんんんっ!!」

「それから追記として、前に侑祈が話してくれた、海斗の弱点を書いておくね。海斗は一見弱く見えるけど、実は強い。へぇ」

「侑祈の勘違いだけどな」


それに、手紙にも『実は強い?』と疑問になっている。


「それと、海斗は日本男児とは思えないキョコンだ。へぇ、巨根なの」

「お前、なんつーこと教えてんだ」

「意味はわかってないみたいよ。ところでキョコンってなに? って小さく # して書いてるし」

「普通は※じゃないか?」

「でも事実じゃん」

「この場合事実かどうかは関係ないだろ……」

「大きすぎるのも悩みというヤツね?」


別に悩んだことはないけどな、そんなことで。


「欧米か! って何度も突っ込んだくらいですから」

「欧米くらす……へぇ」

「悟ったような頷きしてんじゃねえ」

 

「?」


一人だけクエスチョンマークが浮かんでいた。


「さて、巨根の話はまた今度するとして」

「しねーよ」


ペシッ。


「ひぅ!」

「随分と、体型に似合わない大きな企みねぇ」

「体型は負けてるだろ」


バキッ!


「顔! 顔!!」

「さて……計画は目前にして破綻したわけだけど。なにか制裁を加えておかないと、また悪い芽が出そうね」

「むー! むぅーっ!」

「海斗、鼻血でてるぞ」

「そうか。どうりで鼻がスースーすると思った」

「じゃ、そろそろ口を解放してあげなさい」


「はい麗華お嬢さま」


今まで妙の口を塞いでいた侑祈の手がどく。



 

「ぷぁっ! なにしてくれちゃってたの!」

「変な日本語」

「侑祈も侑祈で、麗華の言うこと聞くなぁ!」

「だって、麗華お嬢さまの方が可愛いし」

「それ全然関係ない! と言うか麗華は可愛くない!」

「自分のほうが可愛いくらい言えよ」


オレは発言してから、ハッと息を呑む。


「あ……いや、悪い。今のは聞かなかったことに」


「な、なによそれぇ!」


ぐじっと涙目になる。


「どうどう」

「どうどうじゃない! 侑祈のバカ! 大切な手紙を落とすなぁ!」

「それはごめん」

「謝っても遅い! このポンコツ!」

 



「前から思ってたんだけど、あんたどうして私を敵視してるわけ?」

「別に……敵視なんてしてないし」

「こんなメモ書いてるのに?」

「それ、本当に私が書いたのかなぁ?」

「なんなら、筆跡鑑定してもいいんだけど?」

「……ふんっ」


さすがに筆跡鑑定から逃れる自信はないようだ。


「これでも、特別誰かと関わらないようにしてきたつもり。気に食わないところがあるなら言ってみなさい。もっとも誰かに指図されたことを私が実行することは、まずないけれどね」

「言う意味がねーな」

「参考までにってヤツ」

「別になんでもないって言ってるでしょ、首席っ!」


「それか」
「それか」


麗華が学年で一番なのが気に入らないらしい。

その主張もわからないではないが……下で1、2を争ってる妙に言われると麗華としても苦笑いするしかないだろう。

ただのやっかみだ。


「とにかく、なんでもないんだからっ」

「そ」

「それより、この男どうなの?」

「海斗?」

「前にもちょっと言ったけど、どうしてこんなボディーガード選んだの」

「いいじゃない。常識外れで。学年でも優秀なお嬢さまが、ボディーガードでも底辺の男をそばに置く。今までの憐桜学園にはなかったことだし」

「納得いかない」

「私の勝手じゃない。どう選ぼうが」

「納得いかないー!」


「不満みたいだな。この心境はアレか? ライバルには負けたくないが、ライバルにはしっかりとしてもらいたいっていう……」

「戦い終わったあとで『あなたもやるわね』って認め合うあのパターンを夢見てるんだろうねぇ」


確かにオレがボディーガードじゃ、麗華が軽く見えてしまうかも知れない。


「いいわ。ならこうしましょ。もちろん海斗と侑祈、それから妙が納得するならの話だけど」


チラリと麗華がオレたちの方を見る。


「数日間、学園にいる間だけボディーガードを替えてあげる」

「へっ?」

「おいおい」


麗華のヤツがとんでもないことを言いやがった。


「さすがに学園外では無茶だけど、それくらいなら大きな問題はないでしょ」

「賛成!」

「あんたは黙ってる!」


パコン!


「あてっ」

「なんか企んでる?」

「なんで私が企まなくちゃいけないの。あんたが海斗を選んだ理由がわからないって言うから、どういうボディーガードなのか知ってみたら? と思っただけ」

「…………」

「お前はお前で問題のお嬢さまだが、色んなものが欠落してる妙は勘弁願いたい……」



 

「よーし、受けて立つ!」

「…………」

「侑祈、数日間海斗とチェンジ!」

「あいあーい」

「軽っ。お前それでいいのかよ……」

「妙ちんを守ることは重要だけど、最優先なのは妙ちんの命令だからねぇ。それに数日間とは言え、麗華お嬢さまのボディーガードになるのはボディーガード冥利に尽きると言うか」

「こっちはいい迷惑だぜ」

「別に大した変化はないわよ。学園の中じゃ移動することも少ないんだし」


トイレと昼休みくらいなもんだが……。


「じゃ、今からさっそく交代しましょ」


席を立って妙に移動するように促す麗華。


「しっかりしてよね」


ぽんと隣に腰を下ろす妙。


「それから麗華。念のため確認しておきたいんだけど」

「なによ?」

「交代してる間は、私が海斗にとってのプリンシパルよね?」

「そうよ」

「つまり……私の言うことは、海斗にとって絶対よね?」

「一般的に解釈すれば」

「ふふん。そーぅ」

「なんだそのニヤついた顔は」

「あともう一つ。確かに家の中までボディーガードを変えるのは問題だけど、帰宅するまではいいんじゃない?」

「それは問題だろ」

「なんで? 言えもそばじゃない」

「……そうなのか?」

「私の屋敷から徒歩5分」

「近いな、それは」

「ここに通ってるお嬢さまのほとんどは隣人みたいなものだし」


それだけ金持ちがあの区域に集中してるってことだな。


「でも、さすがに学園外は賛成しかねるわね」

「なによ、ビビってるの?」

「…………」

「図星ぃ?」

「いいわ。帰宅するまでにしましょ」


「挑発に乗るなよ」

「乗ってない」


どう見ても乗ってるじゃねえか。


「決まりね」

 



……なにも起こらなきゃいいけどな。

 

……。

 

 

 

放課後がやってきた。

 

 

「じゃ、頑張りなさいよ」


スッと席を立つ麗華。


「お前はこのまま真っ直ぐ帰るのか?」
「特に寄るところもないし。それに、あまり一緒にいたくないしね」
「侑祈のことか?」
「ロボットってことで、まだマシだけど」
「…………」


そういや、こいつはそばに誰かを置くのが嫌なんだっけか。

言うことを聞くだけの~
みたいなことを言ってた気がするが。

オレに対してそんな素振りを見せたことがないからあまり意識したことはなかった……。


「本当に良かったのか? あんな話して」
「数日の間だけよ。それにあんたの横暴さを見たら、すぐに取り消してくるかも」


それにしても……。


「なぁ、なんでオレを選んだんだ?」
「今更ね」
「今改めてそう思ったからな」
「直感。感性。同調」
「あん?」
「帰る。ロボ。帰るわよ」


「なんでロボ?」


スタスタと歩いていく麗華を慌てて追いかける侑祈。

一度立ち止まって、オレに振り返る。



 

「海斗」

「なんだよ」

「絶対に妙ちんを危険な目に遭わせたりするなよ?」

「ああ」

「絶対だぞ」

「そんなに睨むなよ」

「え、オレ睨んでる?」

「今は睨んでない」

「なんだそりゃ」


「ロボっ! 早く来なさい!」

「はいはいーっ」

 

 

 

妙を守るための護衛ロボット、か。

基本的には三原則に縛られてるんだろうが、もしものときは容赦ないんだろうな。

容赦なく人を殺しそうな眼光を見れば、一目瞭然だった。

妙は不満そうだが、あいつの護衛は心強いはずだ。

トラックすら簡単に持ち上げるパワーに、100メートル10秒を切る素早さ。

常人を遥かに凌駕したパワーと素早さに加え、数多くの武術や体術を完璧に使いこなす。

訓練の際の動きを見るに、相当な質と量の戦いにおける経験がインプットされている。

どちらかが死ぬまで殺り合ったなら、オレも無傷じゃすまないだろう。


「……さて」


麗華や侑祈のことはひとまず忘れるとして……。


「くーーっ、くーーっ」


豪快に机に突っ伏して寝ているお嬢さまを送るとするか。

こいつ5、6時間目と爆睡してやがったな。

ここまで堂々と寝るお嬢さまは、妙くらいなもんだろう。


「どうするかね、コレ。……鼻と口を手で押さえてみるか」


強引にでなく自然に、そっと手を添える。


「…………」


10秒経過。


「…………」


20秒経過。


「…………」


30秒経過。


「…………」

「…………」

「おいっ!」


ペシッ!


「はうっ!」


首筋に手刀を落として、抜けかけの魂を元に戻す。

 

 

「なにするの!」

「静かに永眠しようとしてるからだっ」
「永眠?」


どこか身体が悪いんじゃないだろうか?

 

 

「真っ直ぐ帰るだろ?」
「ううん」
「……真っ直ぐ帰ろうぜ」
「やだ」
「おいっ」
「どうして私がボディーガードに指図されなきゃいけないの?」
「そりゃ、そうだが……」
「私は私のしたいように行動するから」
「例えば?」



 

「今から遊園地に行く」
「絶対ない」
「なんでー?」
「考えなくてもわかるだろ、それくらい」
「じゃあ動物園」
「発言レベルに変化がない」
「こんなボディーガード初めてっ!」
「オレもこんなお嬢さま初めてだぜ……」


なんとなく、憐桜学園の凄さがわかった。

学生のうちからこれだけ我儘なお嬢さまと接してれば、将来誰かを護衛するとき忍耐強い護衛に成長しているはずだ。

 

「いくら侑祈に頼んでも連れて行ってもらえないから、チャンスだと思ったのにぃ」


まさかこのために、好感を容認したんじゃ?

まさか……いや……ありえる。


……。

 

 

 



「なんか背中がもにゅもにゅする」
「なんだそりゃ」
「侑祈以外のボディーガードが、久しぶりだから」
「そうか、麗華と違って普通はボディーガードがついてたりするもんだしな」
「まぁね。でも、無口で無愛想なボディーガードばっかりだったけど」
「普通だろ」
「常にサングラスかけて、周囲ばっかり見てるの」
「だから普通だろ」
「普通なんだけどね」
「だからそう言ってんじゃねえか!」
「……なに一人で怒ってるの?」
「なんでもねぇ」
「もう少しお嬢さまに対する言葉遣いにならない?」
「ならない」



 

「生意気」
「お前も十分生意気だ」
「こんなののどこがいいんだか」


こいつに言われるとすげームカつくな。


……。

 

 

 

「いつもなら、ここから車で帰るの」
「今日もいつものようにしてくれ」
「無理」
「なんでだよ」
「そばに男の人を連れてるって知れたら、海斗頭を撃ち抜かれるんだから」
「マジで? ボディーガードなのにか?」
「うん」


どうやら侑祈以外の人間は、ボディーガードだろうと容赦しないってことか。

 

 

 

「だから、今日は侑祈と歩いて帰るって連絡しておいた」
「その侑祈が先に帰宅したらわかるんじゃないか? 妙が一人、あるいは他のボディーガードと一緒にいるって」
「ステルスモードにして、外で待機してるように言ってあるから」
「ちょっと凄そうなモードだな」
「屋敷のそばのゴミ箱の中に隠れるの」
「全然大したことないモードだったな」


……。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ」
「なんだ」


帰り道、少し距離の開いたオレたち。

無言だった空気に耐えられなくなったのか、妙が口を開いた。



 

「海斗はどこから来たの?」
「その質問は聞き飽きた」
「聞くの初めて」
「うそつけ」
「調べてもわからないなんて、なんか変」
「調べるような過去がないだけだ」
「ふーん。なんか納得いかないなぁ」
「どいつもこいつも、過去を知りたがる」
「麗華とかにも聞かれる? やっぱり」
「まぁな」
「なんか普通の人と違うよね、海斗って」
「そうか?」
「荒々しいって感じ」
「言葉遣いが汚いからだろ」

 



「うんうん。それは間違いない」
「お前こそ随分と頭は悪いし、行動も子供っぽいよな」
「う、うるさいなぁ。別に頭悪くないしっ」
「本当にあの倉屋敷重工の一人娘か?」
「正真正銘のね」
「全然見えん」


倉屋敷重工と言えば、最先端技術をいく世界でも有数の技術力を持ってる。

こいつの母親らしいんだが……。

どうにもこうにも、信じられないと言うのが本音だ。


「私はこう見えても博識──」
「ちょっとこっちに寄れ」
「ひゃっ!」


前を歩く妙の腕を引っ張り、胸元近くに引き込む。



 

 

「な、ななな、何すんのっ、エッチっ」
「勘違いするな」


少し距離を離して、隣を歩かせる。


「こっち見てるヤツらいるだろ」


そっと耳打ちするように教える。


「ほんとだ」


オレはそいつらに何度か見覚えがあった。

麗華と帰宅する際に、たまに見かける男たち。

年齢は十代後半から二十代前半。

茶髪にピアス、不良座りといった典型的な外見のワル。

どれだけ悪を排除しても、必ず悪は存在する。

あいつらを悪と判断するのは早いか。

現状は『悪そうなヤツら』……だな。

 

「なんか怖そう」


少し怯えたような顔を見える。

普段車で帰ってる妙には、見る機会がなかったんだろう。


「アレはなに?」
「悪ぶりたい年頃の若者。格好つけ屋ってことだな」
「そうなんだ……テレビだけかと思ってた」
「お前テレビ見るのか?」
「……たまに、ちょっとだけね」
「ならわかるだろ。じろじろ見てると声かけられるぞ」
「うん」


そう言いながらも、物珍しいのかジッと見つめていた。

そして、それが男たちに目をつけられる最大の要因となる。

妙の視線に気づいた男が、ニヤリと笑った。


「ちっ」


男が立ち上がると、周りにいた男たちも気づき、ぞろぞろと揃ってこっちに歩いてきた。


「なんか、こっち来てるよっ?」
「お前がジロジロ見てるからだ」
「だ、だって……ベロにピアスしてるから……」


すっぱそうな顔をしていた。


──「ねえ彼女」


すらりとした外見の男が、妙に声をかけた。


「な、なに?」

「おれのことジッと見てたけど、なんか用?」

「別に……」

「別にってことないでしょ? ねぇ?」

「お前、オレらが誰かわかってないんじゃないか?」

「なにが」

「制服見ればわかるだろ」

「そこのお嬢さまガッコだろ? 知ってるよん」

「だったら、今やってることがどういうことかわかるな?」

「やってること? 声かけてるだけじゃん」


ドン、とオレの肩に身体をぶつけてくる。


「道を塞いでるってことは、お嬢さまの妨害をしてるってことだろ?」

「失礼だなぁ。別に塞いでなんていないぜ」


随分と慣れたような態度だ。

ひょっとしたら、こんな行為をするのは初めてじゃないのか?


「それにしても、キミ可愛いね」

「…………」


ネジが外れてる妙も、さすがに元気がない。

オレの横で小さくなっていた。


「こう見えてもおれたち、結構モテるんだぜ?」

「そうなのか。世の中ゲテモノ食いもいるもんだな」

「へへ、そうだろ? お嬢さまも変わってるよな」


軽く挑発するも、まるで乗ってこない。


「変わってる……って」

「そ。おれら憐桜学園のお嬢さまと親しかったりするわけ」

「…………」

「色々、深い仲だったりするわけよ」


そう言えば、訓練校時代話に聞いたことがある。

憐桜学園のお嬢さまたちが世間に疎いのをいいことに、食い物にした事件が幾つかあったと。

これは、けして表に出ることはない。

弄ばれたお嬢さまが、実際に何人いて、誰なのかは一部の人間しか知らないことだ。

その『事実』を親たちは絶対に表沙汰に出来ないから。

お嬢さまを守りきれなかったボディーガードは当然解雇されたらしいが。

そのときにお嬢さまを襲った男たちは逮捕されたが、撮影されたと思われる写真のネガの流出なんかで騒がれたとも言ってたな。

どれだけ警備が厳重になろうと、犯罪をゼロにするなんてことは出来やしない。


「おれの親父さ、医者なんだよね。それも教授」

「…………」

「あー、これって自慢にならないか。キミのとこの方が何倍もお金持ちだし」

 

 

「海斗、行こっ」

「そうだな」


幾ら強がって見せても、こんな人通りで迂闊には手を出せないだろ。

少し強引に男たちを振り払う。


「ち」


やっぱりな。

なんだかんだ言っても、口先だけだ。

しかし……次の瞬間男は予想外の行動に出た。


「あっ──!」


妙が手にしていた学生鞄を奪い取ったのだ。

そして一斉に逃げ出した。

相手が一人二人なら盗らせやしなかったが、五、六人に囲まれるようにされていたこともあり、阻止することが出来なかった。


「ど、泥棒っ!」

「ちっ……」

「海斗、鞄取られた!」

「わーってるよ。……この辺も物騒だなっ」


オレはどうするか思案する。

すぐ追いかけることも出来るが、妙を残していくわけにもいかない。

かと言って妙を連れて行くわけにもいかない。

ポケットに手を伸ばし、携帯を取り出す。

ひとまず警察に連絡してから……。


「いや、待て」


携帯を閉じ、ポケットに戻した。

なにか違和感を感じる。

なんだ、この違和感は。

犯罪者にとって刑務所に近い感覚のこの街で、リスクを犯してまで学生の鞄を奪うか普通。

まして真夜中でもない、真昼間に。

この間麗華を誘拐しようとしたヤツらといい、昼間から行動を起こすのが好きな連中だ。

これだけ周囲に人がいるにも関わらず……。


「そう、周囲には……」


辺りは大勢の人間が行き交っている。


「…………」


ただの不良? 本当かよっ。

オレは妙の腕を引く。


「走れ、追うぞ」


……。

 

 

 



「はーっ、はーっ、苦しいーっ!」
「まだ50メートルくらいしか走ってねぇ!」


だらんと力が抜けた妙を、強引に引っ張る。

オレは男たちの走り去る背中を逃がすまいと追った。


……。

 

 

 

 

男たちの背中を必死に追って来た。

たどり着いたのは人気のない倉庫街だった。

ま、この辺りで人気のない場所に行こうと思ったら、この倉庫街か禁止区域になるからな。



 

「はぁ、はぁはぁ、はーっ……」

「……倉庫の中か」


扉が閉まる音が微かに聞こえてきた。


「も、もうダメ……一年分くらい走ったっ……」
「体力ねぇな」
「うるさいっ。この役立たず!」
「…………」


事実なので、反論出来ない。

麗華のときなら、こんなことはなかったってのに。

どこか油断していた自分に苛立ちが募った。


「待てよ?」


今回油断したときに限って?

……なにか、きな臭いな。

それにさっきの周囲の人間。

別に殺人が起きたわけじゃないが、人が鞄を盗られる犯罪が起きた割に、騒ぎはなかった。

他人がどうなろうと知ったことじゃない。

そう言われてしまえばそれまでだが……。

明らかに不自然すぎる。


「…………」


ある一つの予感。


「少し後ろをついてこい。絶対に離れるな」

 

 

 

「わ、私も行くの?」
「ここに一人で残りたいか?」
「絶対やだ」


もっともどちらを選んだとしても、変わりないだろうが。


「なら、しっかりついて来い」
「うん」


ぎゅ。


「…………」


指先が、オレの学生服の裾を握っていた。


……。

 

 

 

まだ夕方前だと言うのに、薄気味悪い倉庫。

前に来たとき同様、埃っぽい。


「へへ」

 

「あ、いた……」


隠れようともせず、オレたちの視線の先には男たち数人がニヤニヤとこちらを見て笑っていた。

手の上で妙の鞄を回している。


「警察も呼ばずに、よく追いかけてきたなぁ」

「さっさと返してもらおうか、その鞄」

「そうはいかねぇよ」

「お前らが欲しいのは、そんなものじゃないだろ?」

「へぇ、ひょっとして女の子と遊ばせてくれたりするの?」



 

「え……」

「確かにここまで追いかけて来たはいいけど、あんた一人じゃボコボコにされちゃうだけだもんね」

「…………」

「いいよ。その子置いてってくれるなら見逃しても」

「じゃ、あとよろしくな妙。色々可愛がってくれるから」

 

「か、海斗っ!?」

「なんて、冗談だ」

「冗談って酷い!」

「冗談なんだからいいじゃねえか」


「…………欲しいもの、置いていってくれるんじゃないの?」

「誰も欲しいものを置いていくなんて言ってないだろ。欲しいものがなにかわかっただけだ」

「へぇ、じゃあそれってなにかな?」

「正確には物が目的ではなかったんだろうが……欲しいものを例えるとするなら、ってことだが。コレだろ?」


「え?」

「…………」


男たちから流れてくる空気が変わった。

オレが指し示した物、それで合っているようだ。


「どうやらビンゴだったみたいだな」

「なんでわかった」

「理由は幾つかある」

「是非全部聞かせて欲しいなぁ」


「ね、ねえ、どういうこと?」

「こいつらはただの不良じゃないってことだ」

「不良じゃ……ない?」

「まず、最初に引っかかったのは、お前らの現れた時期が、ちょうどコイツ……襟首につけたバッジを配られた直後からだったこと」

「…………」

「次に感じたのは違和感。どう見ても柄の悪い雰囲気のお前らを、一般人が極端に避けたり、不満、あるいは恐怖の視線をやることがなかったこと。これは恐らく、事前になにかするであろうことを周辺の市民に伝えていたからだろうと思った。警察なんかにも手回しをしてる可能性が高いな。そう……憐桜学園でテストを行うのでご協力お願いします、とでも言ってな」

「……そ、そうなんだ……」

 

 

 

「お前らの格好がありきたりすぎるのも一つだな。今時不良ですって雰囲気まとったヤツらばかりってのも変だ。自然と訓練校で習ったことを思い返させる外見。医者の息子だと言う割には体型はしっかりしてるし、オレたちを囲むときの身のこなしは素人じゃなかった」

「さすがだな……まさか、そこまで見抜いたのか」

 

「まだあるぜ?」


笑ってみせると、男の顔から笑みが消えた。

 

 


「あんたらは妙に興味がある素振りをしながらも、必要以上に触れようとしていなかった。普通女に声をかけて止める時、軽く腕を握って逃がさないようにしたり、あるいは囲みこむようにして包囲するのが定石。ところが、お前らは全員オレに意識を集中させていた。むろんボディーガードを警戒してってことも考えられるが、その時点で既に半端な不良でないことはわかる。不用意に妙に触れなかったのは、お嬢さまとして傷つけないように配慮したんだろ? そして最後確信を持ったのは、お前らの逃げる足の速度、そして動きだ。振り切ることは簡単なのに、あえて追いつける速度で逃げていた。まぁ、誘い込むための罠ってこともあり得るが、これだけのヒントがあれば嫌でもわかってくる。つまりお前ら全員───」


「見事だ」


ぱちぱちと拍手が漏れる。


「察しのとおり、おれたちは試験官さ」


試験官……。

佐竹と話していた先日の会話と繋がっていく。


「いや、ここまでの男とはね。さすがに一番の要注意人物なだけはある」

「…………」

「一人の生徒に一人の試験官ってのが普通の割合らしいんだけど、キミには六人だ」

「そりゃ買いかぶりすぎだな」

「佐竹校長が、随分キミを買っていたよ」

「それで、大人しく帰れるのか?」

「残念ながら……それは無理だ」


男たちはヘラヘラした表情を捨て、鋭い視線へと変貌する。


「おれら全員、自衛隊経験者でね」

「…………」

「バッジを頂くことでボーナスが入るんだよ」

「そうか。やっぱこいつはただの飾りじゃないってことか」


なくすなと念入りに教えられたのは、こういうときのためってことか。

バッジをなくした者は、即ち学園の罠にやられたってことだ。

ペナルティがあるかどうかは知らないが、少なくともなんらかの影響は及ぼすだろう。

 

「少し下がってろ、妙」


なによりもありがたいのは、妙を狙う者がいないことだ。


「え、あ、うん……」

「別に学園側の評価が下がろうと興味はないが……タダでやるほどお人好しでもないんでな」

「だったら、少し痛い目に遭ってもらうぜ」



 

相手は精鋭六人。

当然一対一などあり得ない。

オレを逃がさないように素早く囲い込む。


──ッ!!


「っと!」


早い突き。


「しぃや!」


──ッ!!


拳からの連携で繋ぐ蹴り。

自衛隊経験者と豪語するだけあり、動きは軽快。

一撃も重そうだ。


「マジでやれってことでいいのか?」

「手を抜いても構わないぞ?」

「……遠慮したほうがよさそうだ」

「はっ!」


「っせぁ!」


──ッ!!


殴りかかってきた拳をかいくぐり、隙の生まれた脇に蹴りを叩き込む。


「が……」


呼吸が出来ず動きが硬直したところで、さらに蹴りをぶち込んだ。

地にひれ伏すが油断は出来ない。


「やるじゃないか」


不適に笑った男は、ズボンから光モノを取り出した。


コンバットナイフ。


刃渡りは20センチ弱といったところか。


「俺は無人島で半年、このナイフ1本で生き延びた」

「なんだと?」


にやりと歯をこぼす。

かなりのサバイバル技術を持ち合わせてるってことか。


「クククッ」

「ちなみに、どこの無人島だ?」

江ノ島

 

 

「そこ無人島じゃねえ!」

 

 

バリバリの観光地だ。


「ちゃあ!」


ツッコんでる間に、間合いを詰めて来た。


「もちろん油断させるためのジョークさ!」


──ひゅっ。


小さなナイフがオレの顔手前、僅かな距離を一閃した。


「マジで刃物振り回すかっ……」

「関係ないね。切り刻んでやる!」

「ほんとに試験官のセリフかよ!」


──ひゅっ。


お構いなしに、男は斬撃を繰り出す。

それをかわすと、次は蹴りが飛んできた。


──ッ!!


空手に似た蹴り方だが、実戦で相手を確実に仕留める蹴り。

さっきの冗談はともかくとして、実力は本物のようだ。


「くっ!」


紙一重で蹴りをいなす。


「ちなみに、俺が言った無人島の名前は、佐渡島だ!」


「な───!?」



そ、そこも無人島じゃねえ!

 


「隙あり!」

「あぶなっ──!?」


──ひゅっ。


紙一重で、ナイフの切っ先をかわす。


江ノ島だの、佐渡島だの……ただの観光地じゃねえかよ!」

「金山を求めてなにが悪い!」


──しゅぱっ。


「結局見つからなかったけどな!」

「あ、当たり前だっ」


その一言に動揺したオレは、ナイフはかわしたものの、繰り出された左拳を交わせず、脇腹を直撃された。


──ッ!!


「がっ!」


倒れはしなかったが、確実に大きなダメージを与えられた。


「くっ……アホな会話に気を取られすぎた……」


一撃で足に負担が来た。

さすがに訓練を受けた一人と言ったところか。

的確に急所を狙いやがる。


「そろそろ、このナイフで切り裂いてやるぜ」


舌先でナイフを舐める。

ちょっと舌が切れたみたいだが、気にした素振りはない。

どこまで本気かわからないが、目は完全にイってやがる。

明らかに理性を失っていた。


「どう考えても試験官に不適任だな……」


半ば呆れながらも、力は抜かない。

やるしかないか。

試したことはないが、相手が刃物を持っているなら、むしろチャンスだ。

バックステップで距離を取り、僅かでも足の回復を試みる。

勿論相手がそれを許さない。


「ああああっ!!」


──ひゅっ。


幸いなのは、ナイフから繰り出す攻撃に大振りなものが多いことだ。

それが、隙となる。

今までの切りをかわされ、パターンを変え突き出してきたところを迎える。


「だあああ!!!」


今───


「はあっ!」


──ッ!!


突き出されたナイフをかわし右手を掴むと、それをいなすようにして、力の全てを跳ね返した。


「がはっ!」

「悪いな……峰打ちじゃないぜ」


ナイフの刃は、深々と相手の腹部に突き刺さった。


「この感触は……まぁいい」


崩れ落ちた男の頭を思い切り踏みつけ、完全に意識を断ち切ってやる。

男たちの中でざわめきが起きた。

 

 

 

「来いよ。まとめて相手してやる」

 

 

 

 

 

「もっとも手加減しねぇから、覚悟だけはしておけよ」


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「……終わった、の?」
「ん? ああ。待たせたな」


汚れた拳を軽く拭いて、鞄を妙に手渡す。


「悪かったな。色々面倒に巻き込んで」


オレの油断がなければ、ここまでさせずに済んだ。

もっとも、時期をおいて狙ってきたかも知れないが、そうであったなら妙を巻き込むことにならなかった。


「ううん、それは別にいいけど……」


なんだか元気がないな。


「ちょっと刺激が強すぎたか?」


ナイフが刺さって倒れてる男、顔面がボコボコに膨れ上がった男、その形状は様々だ。

本来なら犯罪者でもないヤツらに対して、救急車くらい呼んでやるべきなのだろうが……。

外見だけ見れば、一番重症そうな、ナイフが刺さった男に視線を落とす。


「良かったな、あんた。そんなナイフ使ってて」


オレの言葉の意味が理解出来ないのか、不安な表情をしたまま妙は首を傾げていた。


「ほら出るぞ」

「う、うん」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

街に戻ってくる頃には、陽が暮れ始めていた。

 

 

 

「…………」
「…………」


今日の一件で、もう歩いて帰るのは嫌だと言いそうだ。

そうなったら今日一日で交代が終わる可能性もある。

妙にとっては不幸な出来事だったかも知れないが、オレとしては少し助かるな。


「転びでもしたのか? 汚れてるぞ、制服」


オレは手の平でパパッと腰辺りの汚れを払う。



 

「…………」
「なにジッと見てんだよ」
「じじ、ジッとなんて見てない!」


……。



 

 

「お前の家はどこだ?」
「ちょっと、麗華のとこに寄って」
「別に構わないが……」


……。


そのまま真っ直ぐ二階堂家へ向かった。

 

 

 

 

「おかえりなさいませ。えっと、お客様ですか?」

「あぁ。どうも麗華に用があるみたいなんだが」

 

 

 

「ここで待ってるって、伝えて」

 

「わかりました。少々お待ち下さい」


……。

 

 

 

 

 

「随分と遅かったじゃない」

「おう」

「なんで服が汚れてるの?」

「ちょっとひと悶着あってな」

「それで、妙が私に用があるって?」

「あぁ、それは恐らく……」


妙自身が落ち込んでいるだろうから、代わりにオレが言ってやることにする。


「今日のことで多分──」



 

「麗華!」

「──な、なによ」

「私決めたわ」


何故だろうか。

少し前にも、こんな感じのやりとりを聞いていた気がする。


「……なにを?」


大きく息を吸い込み、そして言った。



 

 

「朝霧海斗を私のボディーガードに頂戴!」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

その日、二階堂家で一番長い沈黙が流れた。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

「いてててててぇ……」

「大丈夫か?」

「あぁ、酷い目に遭ったぜ。コレが一定の力で押し込むと刃の引っ込むオモチャじゃなきゃ死んでたぞ。実際ちょっと刺さってるし……いてぇ」

「文句なしに合格だな、あいつ」

自衛隊に誘いたい」

「あんな暑苦しいとこ、絶対嫌がると思うぞ」

自衛隊を馬鹿にすんな! あ、だめ、喋ると顎が痛い……」


……。

 

 

 

暁の護衛【17】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


--------------------

 

 

 

 

……。

 

 

 

「なんだと? 貴様がついてくる?」

「仕方ないだろ。麗華が風邪引いたんだから」

「ぐ……しかし……」

「オレだって休めると思って浮かれてたが、『今日は私の代わりに彩についていきなさい』って言ったんだから仕方ないだろうが」


「一日だけですが、よろしくお願いしますね」

「ああよろしくな」

「不満だ、凄く不満だっ」

「麗華の指示だからな」

「そんなことわかっている!」


麗華のときと違い、彩は車を使う。

学園までは楽でいいな。

 

……。

 

 



「では、いつもの時間にお迎えをお願いします」


運転手にそう告げ、オレたちは学園に。


……。

 



普段から、ボディーガードを数人連れるお嬢さまも少なくない。

しかし……。

 

 

 

 

学園内では基本、1人に対し1人なため、目立ってしまう。


「不満そうだな?」

「当たり前だ。気に食わない」

「麗華の指示なんだから、いいかげん諦めろ」

「それでも気に食わん」

「……やれやれ。別に取って食うわけじゃないんだ」

「貴様と同じ空気を吸ってると思うと、僕は今にも溺れてしまいそうになるんだ」

「病気?」

「そういうことじゃない!」

 


──ひそひそ、ひそひそ。

 


「うぅ……恥ずかしい……」

「どうされました!? 海斗の毒気に当てられましたか!?」

「毒気って……」

「ちょっと眩暈がしただけで……」

「眩暈!? つまり、海斗が原因ですね!」

「その結論に至った経緯を教えて欲しいものだ」

「あぁいえ、けして、そういうわけでは……」

「やはり、彩お嬢さまから距離を置け距離を!」

「……よし、じゃあここに手をつけ」


窓枠を指差す。


「こうか?」

「じゃあ行くか彩」

「はい」

 

「おお、海斗が離れていく。結構素直じゃないか……………違う! 貴様が離れるんだ! これじゃ僕が離れている!」

 

……。

 

 



「前から思ってたんですが、海斗さんはよく食べますね」

「育ち盛りだからな」

 

 

 

「単純に食い意地が張ってるだけですよ」

「誰が喋っていいと許可した?」

「す、すみません……ってなんで貴様にそんなこと言われなきゃならない!」

「じゃあ彩から言ってやれ」

 

「私が許可するまでずっと黙りやがれ、尊徳」


にっこりと言う。

 

 



「がーん!」

「え、えっ? 今、私なにも……」

「くく」


オレの声色を使えば、あの程度楽勝だ。


「お前は小食だよな」

「あ、はい。あまり食べられないです」


その割には一部に栄養が溜まってるな。


「…………」


ちょっとオヤジ入ったな今の。


「でもこの食堂や屋敷がそうだが、基本的には豪勢なもんばっかだよな」

「豪勢、ですか」

「ステーキやキャビアみたいなんじゃなく、もっと普通のものが食べたかったりするけどな」

「普通ですか」

「庶民的なもんだよ。たこ焼きとかスパゲッティーとか」

「美味しいですよね、たこ焼き」

「お前も食うのか?」

「食べますよ。一つ3万円くらいですよね」

「それたこ焼きじゃねえよ!」

 

……。

 


「なんと言うか、楽チンな一日だった」


屋敷に戻ってきた直後そう思った。

 

 

 

「そうですか?」

「ああ」


考えてみれば当然のことだ。

登下校は車だし、授業中に口を挟むヤツもいなかった。

普通に飯食うときに彩がいただけだしな。

 

 

 

「ではお疲れ様でした、海斗さん」

「おう」

 

 

 

「さてオレも部屋に戻って休むとするか」


……。

 

 

 

 

「ふうっ」

 



「…………」


「うわっ! なんでお前がいるんだよ」

 


「僕はこれからどうしたらいいんだ!」

 


「……なにが」
「彩お嬢さまに嫌われてしまった。彩お嬢さまに嫌われてしまった」
「2回言うなよ。つーか、理由はなんだ」
「貴様も食堂で聞いただろ! 許可するまで喋るなって言われたじゃないか、僕は!」
「……いや、あれウソだから……」
「慰めはいらん!」
「慰めと言うか、事実?」
「とにかく……僕に発言権がない今、なんとか貴様に交渉してもらい彩お嬢さまにお許しを願わなければならない」
「だから心配ないって」
「貴様がなにを言っても話にならないっ!」


ダメだ。

基本的にオレを疑うようになってるから、なにを言ったところで信用してもらえない。


「どうしろってんだ」
「今から彩お嬢さまのところに行こう」
「お日様があと30回昇ったらな」
「それまで僕を見殺しにする気か!」
「面白くね?」
「面白くない! 今すぐ行かないなら、身体にガソリンを撒いて火をつける」
「え、お前が自分に?」


小さく頷く。


「…………」
「なにしてる?」
「早くガソリン撒かないか見てるんだ」
「僕に死んで欲しいのか!」


……。

 

 

 

「ほら、早く来い!」


ずるずる引きずられるように、彩の部屋へ。


「ったく」
「僕は一切喋れないから、しっかり頼むぞ」
「まったく意味のない時間なんだがな」


手早く済ませて部屋に戻ろう。


「おい彩、ちょっといいか」


……。



 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 


世界の時間が、おそらく止まった。

 

いや、オレだけが現実の流れに身を投じている。

 



 

「とりあえず用件を済ませておくが、お前別に、尊に喋るななんて命令してないよな?」


それだけを告げる。


「…………」


コクコクと小刻みに頷いて(震えて?)いたので、オレの言葉がしっかり耳に届いてると確認した。


「…………」

「ほら、してないってよ。お前も下がれ」


童貞には多少刺激が強すぎたかも知れない。

ぐいぐいと後ろに押して、扉を閉めた。

 

 

 

 

 

「きゃあああああああああああああああ!!!」

 


直後悲鳴。


「…………」


尊は未だに時間の流れを止めていた。

駆けつけてくるメイドやボディーガードたち。

オレは迷わず叫んだ。

 


「この男が犯人だ!」

 


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、少しよろしいですか?」


源蔵のオッサンの"特別な肉"とやらの調達に関することで、佐竹と会話した。

会話を終え、教室に戻ろうとしたオレに彩が声をかけてきた。

 

 

 

「僕は反対です、彩お嬢さま」

「いいじゃないですか。大勢の方が楽しいと思います」

「しかしですね……」

「…………」


「こらどこに行く!」

「なんか話が流そうだったから、教室に戻ろうかと」

「戻るな!」

「じゃあやり直そうぜ。会話の最初から」

「なにをふざけたことを……」

「5、4、3……」


2、1と指を折って伝えた。


「ちょっと話がある」

「さようなら」



 

「待て! 会話が終わっとるじゃないか!」

「なんだよ終わっとるって、じじいかお前」

「どうして僕を見て逃げる!」

「話したら自分が腐っていくのを感じそうで」

「なんなんだ僕は!」

 

 

 

「あの……」

「はっ! こ、これは失礼致しました」

「少しお話があるのですが……」


巻き込まれるのは冗談じゃないが、彩を無碍にするのは多少気が引けた。


「なんだよ」

「今日のお父さまのことについては、お耳に挟んでいますか?」

「ああ、それなりには」

「よろしければ、協力していただけないかと思いまして。私が手作りの料理を振る舞おうと思うんです」

「へぇ……いいんじゃないかそのプラン」

「当然だ」

「なんでお前が誇らしげなんだよ」

「余計なことを言うな。拒否権はない」

「あら、そんなことありませんよ? 嫌なら断っていただいても構いません。雑用なんかはすべて宮川さまにお願いしますから」

 

 

 

「そんなっ!?」

「え、あ、あの……今のは私じゃ……」


「じゃ」


「気持ち悪いほどソックリだったぞ!」

「協力するってなにをしろってんだ」

「実は、料理というものをしたことがなくて……」

「もっとも、貴様も経験はないだろうがな。せいぜい僕の足を引っ張らないように頑張れ」

「未経験なのに、いきなり料理か」

「少し無茶……でしょうか?」

「彩お嬢さま。僕の指先をご覧下さい。この黄金に輝いたゴールドフィンガーを。様々な和洋中を経験した最高の指先で御座います」

「凝った料理にしたいなんて言い出さないなら、それほど難しいことじゃない」

「手伝って、いただけますか?」

「海斗はまだしも……彩お嬢さまも聞いてない……」

「仕方ないな。少しだけ手伝ってやる。このゴールドフィンガーの持ち主に任せておけ」

「凄く頼もしいです!」

「く、ぐぐぐぐぅ!!」

「どうした尊。ハンカチを噛み締めて」

「歯でも痛いのでしょうか?」

「こいつ昔から歯磨きしないんだぜ?」

「えぇ……それはいけませんよ?」

「勝手なウソを振りまくな!」

「それで、いつどうすればいいんだ?」

「帰宅したら食堂に来ていただけますか?」

「わかった」

 

…………。

 


……。

 

 

 

 

 

そんなわけで、帰宅早々食堂に来てみたわけだが……

がらり閑散としているだけで、彩の姿がない。

車での帰宅だから、オレより早いはずなんだが。


「うお、なんか倒れてる!」


地面に屈して倒れている男を発見した。


「死んでる……?」


口元からは泡を吹き、目は白目を剥いていた。

よく見ると全身が軽く痙攣していることから、まだこれが生命体であることを認識した。


「おい、こんなところでなにやってんだ」

「…………」


スッ、と震える指先をテーブルの上に向けた。


「あ?」


テーブルには白いスープ。


「パッと見た感じは、じゃがいものスープだな」

「ソノスープ、サイコウデース」

 



「誰っ!?」

 


「…………」


ひと言不気味な発言を残し、また生ける屍に戻った。


「もしかして彩が?」


そう思い、テーブルにつく。

そしてスプーンを手に取った。

金属で触れる感じ、とろみはなかなかのものだ。

すくいあげ、口元へ。

 

 

 

──!



 

「あんたって、最低よね」

 

 

 

「生きる価値もありません」

 

 

 

「早く死んでくれないでしょうか?」

 

 

 

「カスだカス」

 

 

 

「地球にどれだけ迷惑をかければ気が済む」

 

 

 

「こんなのが私の生徒だなんて……自殺したいわ」

 

 

 

「あ、臭っ」

 

 

 

「地底の奥底に埋めてもまだ汚染させられそう」

 

 

 

「くたばれ! くたばれや!」

 

 

 

介錯してやろうか? このクズ」

 

 

 

 

 

「すみませんっ……存在してすみませんっ……!」

 

 

 

 

「あ、来てらしたんですね?」

「生きててごめんなさい!」



 

「え、えっ?」


──!

 

 


「はっ!? お、オレは一体なにを……」

 

 



「手が止まってるじゃないか海斗」

「え?」


オレの手がスプーンを握っていた。


「僕が美味しく食べてたら、海斗がいきなり僕の手から料理を奪いまして……」



 

「ヤダ海斗さん、まだたくさんありますのに」

「……お前確か、倒れてなかったか?」

「はっはっは、なにバカなことを言ってるんだ。あまりに美味しくて、別の世界にでも行ったんじゃないか?」

「新しい料理、持って来ますね」


尊の満足げな感想を聞き、彩は厨房に歩いていく。

 

 

「ぜぇーっぜぇーっ!」
「やっぱり我慢してやがったか」
「どうやら僕は気を失っていたらしい」
「お前もか」
「貴様も?」


同時にスープを見つめた。


「これは元々お前のだったな」
「貴様が勝手に手をつけたんだ、責任を持て」
「断る」
「いいやダメだ!」


互いに必死だった。


「よしわかった。不味いと伝えよう」
「ちょっと待て、僕は反対だ」
「不味いなら不味いと言わなければ、いつまでたっても成長しない」
「そうじゃない。僕が言いたいのは別のことだ」
「なんだと?」
「僕はあまり漫画が好きではないが、こういう展開に近いものを読んだことがある」
「まあお約束だな」
「予想外に料理が出来てビックリのパターンと、信じられないほど不味い料理を作ってくるパターン」
「ああ」
「じゃあ、これは?」
「モザイクは入ってないが、不味いだろ」
「どう不味いんだ?」
「どうって……」


ジッとスープを見つめて考える。

そう言えば、なんで不味いんだ?


「味が思い出せない」
「だろう? 確かに危険なものを感じた……ような気はするが、それもあやふやで思い出せないんじゃないか?」
「……そうだな」
「それなのに不味いと決め付けるのはどうだろうか」
「じゃあ、このスープはオレが食おう。次に運ばれてきたらお前が食え」
「……当然だ」


そんなことを言ってる間に、彩が戻ってきた。

 

 


「出汁巻き卵にするつもりが……形が失敗してスクランブルエッグになってしまいました」

「美味しそうじゃないですか」

「ほんとだな。材料がシンプルで安全そうだ」

「安全?」

「余計なことを言うな! なんでもございません、ははは」

「次の料理を作ってきますね」



 

 

 

「ふふん。まあ、責任を持ってスープを片付けるんだな」

「ちっ」


尊は隣に座り、箸でタマゴを掴んだ。


「タマゴなら心配ない」


そう言って食べる。


──!


「うわ、今光った!?」

「…………」

「そ、尊?」


ピクリとも動かなくなった同志に不安を感じ、肩を揺する。

ぐらりと身を反対側へと倒す。

ゴツン!


「あ……」


テーブルの足に頭部を直撃させてしまうが、尊はピクリとも反応しなかった。


「…………」

「お、おい……。なにが起こってるんだ、一体……」


とてもじゃないがスクランブルエッグを食べてみる気にはなれなかった。



「はうぁああ!!!!」

 


「なんだ!?」


ビクンと大きく尊が跳ねる。



「ふああああああああああああああ!!」

 

「怖っ!」



「ふわ、ふおわ、ふおわあああああああ!!!」

 


「うるさい!」


──!

 


思い切り腹部を蹴り飛ばし黙らせる。



 

「あ、あの……どうかしましたか? 凄い奇声が厨房まで聞こえてきたんですが……」
「こいつが美味い美味いって言って騒ぐんだ」


意識のない尊を起こし、頭をコクコクさせる。



 

「初めてだったんですが……ちゃんと出来てるみたいですね」
「一応聞くが……味見、してるのか?」
「味見ですか? した方がいいでしょうか」
「い、や……それは、どうだろうか。しかし、した方がいい……とオレは考える」
「わかりました。味見しますね」


また厨房に戻っていった。

そして程なくして……


「ふわあああああああああああ!!!」


厨房から彩の悲鳴が聞こえてきた。


……。

 

 

 

 

「あの……私の料理は、下手なんでしょうか?」

「…………」

「…………」

 

オレたちは答えを出せないでいた。


「おい、また涎が出てるぞ」

「はっ……ご、ごめんなさいっ」

「お前もだ尊」

「す、すまん……」

「どっちも目がイキかけてるぞ?」

「ボーッとしてると、意識を失いそうです」

「しかし僕は眠らんぞ。眠ったらヤツが来る」

「ひぃっ!」


二人にはなにか思い当たることがあるようだ。


「とにかく、材料に問題があったように思う」

「これが使用したものです」


スープとタマゴに使用した材料を持ってきていた。

どれもこれも、見たことがあるものばかりだ。

しかし一つだけ目に留まったものがあった。


「この瓶は?」

「調味料のところにあったので、使ってみました。味がしないので、隠し味のようなものかと」

「…………」


オレは瓶を開けて確かめてみる。


「……わからん……」


「貸してみろ」


オレたちは匂ってみるが、正体は不明。


「舐めてみたらどうだ?」

「貴様が舐めろ」

「お前のプロ級の舌を信頼してるんだ」

「そ、そうか? よし……」


恐る恐る、尊は指に粉をつけて舐めた。


「ふわぁぁあぁあぁあぁああああああ!!!」


「これ……でしたね」

「ああ……」

「これを入れなければ、美味くいきそうです」

「源蔵のオッサンも喜んでくれるだろ」

「はいっ」

 

……。

 

彩の料理が出来上がるのを待った。

それが完成すると、オレたちは彩の部屋に向かった。

意識の戻らない尊は、そっと食堂に寝かせておいた。

 

……。

 

 

 

 

「他のヤツに見つかるとバレるかもしれないからな」
「はい」


一時、彩の部屋に料理を隠しておこうという算段だ。


「じゃあオレは部屋に戻ってる」

 

 

 

 

「ゲームしましょう!」
「……言われる気はした……」


だから逃げようとしたんだが、遅かったようだ。


「ドリンクもありますし」
「とりあえず、一本もらう」


飲んでないと耐えられそうになかった。


「っと……」


人差し指から、つっと血が伝う。

どうやらドリンクのフタで指を切ってしまったようだ。



 

「大丈夫ですか?」
「あぁ、別に大したことじゃない」
「ですが……血が出ています」
「放っとけばそのうち止まる」
「ダメです。こういうのは早めに治さないといけないと、お姉さまがよく言ってました」
「麗華が?」
「私はよく、こういう怪我をしてたので……。そのときはいつも、こうやって治してくれてたんです」
「おい」

 

 

 

「……ん……」


少しだけテレ臭そうに、傷口を口に含む彩。


「あのな、お嬢さまがそういうことをするな」
「…………」


聞き入れる気はないようだ。


「引き抜くからな」
「ふるふるっ」


首を振って拒絶する。


「断る」


尊がいないからいいものの、戻ってきたらまた問題にされかねない。

オレは強引に引き抜こうと指を引っ張る。


「ん-!」


ガジッ!


「うぉ!」


僅かな出血から、大量出血へ。



 

「うわ! なんか指が半分揺れてます!」

「肉の半分まで歯が食い込んだなこりゃ」
「ごめんなさいごめんなさい!」
「謝る前に、ガーゼみたいなもんくれ」
「はは、はいっ!」


部屋に備えられているのか、ガーゼはすぐに見つかった。


「い、痛くないですか?」
「そりゃ痛いだろ」
「全然痛そうな顔をされないので……」
「泣き叫ぶほどってわけじゃないしな」
「本当にすみませんでしたっ!」
「気にするな」

 

 

 

 

「うう、どうして肝心なところで、こうなるかなぁ」
「あ?」
「折角ちょっと、いい感じだったのに」


なにがいい感じだったのかは、気づかなかったことにしよう。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「おめでとうございますお父さま」

「おめでとうございます」



 

 

「うむ。毎年のことながら、お前たちに祝ってもらえるのは嬉しい」


二人の姉妹から、源蔵のオッサンは花束を受け取る。


「あのオッサンも笑うんだな」


そんなことを思いながら、パーティーの進行を見守る。


つつがなくパーティーは進行していく。

どこか張りつめた空気があるのは、おそらく今焼かれている肉が誰かの人生を終わらせかねないと思っているからだ。

オレは彩の様子をうかがうために近くまで寄る。



「……不味い」


コック「旦那さま……」



 

「この肉は凄くまずぅい!」

「ひい!」

「肉を出すからには、例の肉かと思ったが……」

「も、申し訳ありません!」

「心地いい気分が台無しだな」

「今調達出来る肉で一番良いものをご用意させていただいたのですが……」

「不愉快だな」

 

 

 

「あの……お父さま?」

「なんだ」

「これ、食べてみて下さいませんか? お好きにはなれないかも知れませんが……」

「すまないが、今は食べたくない」

「あ……」

 


「食べてやれよ」

 

 

「なに?」

「それ、多分世界で一番美味いぜ」

「バカを言うな……ただのスープではないか」

「あんたの娘が作ったスープでもか?」



「彩が……?」

「は、はい。お父さまに喜んでいただければと……」

 

 

 

「そっそうか、そうなのか」

「嬉しそうだな」

「黙れっ!」


ニヤニヤする顔を無理に引き締める。

 

 

 

「へえ。やるじゃない、彩」

「いちゃ悪い?」

「別に」

「では、いただくことにしよう……」

「はいっ」


例え味にうるさいとしても、このオッサンが文句を言うことは絶対ないだろう。

恐らく初めての料理だと知ってるはずだし。

ゆっくりとスプーンが口に運ばれた。

第一声はなんだろうか。

 

 

 

「う……」

 


美味い、か。

 

 

 

 

 

「うわあああああああああああああ!!」

 

 


「あ、昼間に作ったのと間違えてしまいました!」


──!


「おいっ!」


その後、源蔵のオッサンの意識は朝まで戻らなかったという。


…………。

 


……。

 

 

 

 

 

 



「暑っ……」


オレは手の甲で額の汗を拭う。

季節は春。

しかし、思った以上に森の中はジメジメして蒸し暑かった。


「いました!」


少し向こうで、少女が歓喜の声をあげる。

足取り重く、オレはその声の下に向かうのだった。


……。


なぜ、オレたちが森の中にいるのか……。

それは数時間前にさかのぼる。

 

……。

 

「は……?」


ぽろっと、フォークからウィンナーが落ちた。

 

 

「だから昆虫採集に行くぞ」
「…………」
「落としたウィンナーと僕のウィンナーを取り換えるな!」


ちっ、冷静だったか。

錯乱してるのならと思ったが、そうじゃないらしい。


「彩が昆虫でウィンナーねえ……もぐ」
「貴様食べたな! 吐け! 僕のウィンナー返せ!」
「ここにあるだろ」
「テーブルに落ちたウィンナーが食べられるか!」
「ウィンナーウィンナー連呼してるとアホの子みたいだな」
「なんでもいいから吐いて返せ! 僕の逞しく艶のあるウィンナー!」
「あなたがなくしたのは、小さく細い皮付きウィンナーですか? それとも太く大きい皮なしウィンナーですか?」
「太くて大きい皮なしウィンナーだ!」
「あなたはウソつきの短小包茎ですね」


ザクッとテーブルに落ちらウィンナーを突き刺す。

そしてそれも口の中にほお張った。

 



「なぁっ!?」
「デリーシャス」
「きき、きき、貴様ぁ!」
「ウィンナー1本で怒るなよ。変わりにオレのレタスを1枚やるから」
「釣り合ってないだろ!」
「お前はレタスを軽く侮辱したってことでいいだろうか?」
「そういうわけじゃ……だがウィンナーとは……」
「ウィンナーもレタスも素晴らしい食べ物だろうが!」
「む……それは、そうだ……」
「なんにせよ、昆虫採集結構じゃないか」


話を逸らすべく元に戻す。


「今のお嬢さまにはアウトドア精神なんて欠片も持ち合わせてないと思ったが、感心感心」
「どこが感心だ! 昆虫など気持ち悪い!」
「あ、お前虫ダメなの?」
「アリくらいだ、なんとか触れるのは」
「なんて救えない現代っ子だ」
「しかし、彩お嬢さまが本物の蝶を見に行きたいと言うなら、僕は全力で付き合わねばならない」
「ボディーガードとして立派だぞ。頑張れ」
「席を立って行こうとするな!」
「オレを巻き込むから嫌だ」
「虫を触れるんだろ!」
「幼少の頃、ゴキブリ標本を作ったことがある」
「うげ……気持ち悪い話をするなっ」
「前世は虫なんじゃないかと思うほどオレは虫好きなわけだが……」
「なら!」
「断る」
「なぜだっ!?」
「オレはあいつのボディーガードじゃない」


なにより面倒臭い。


「仕方ない……レタスを1枚やる!」
「レタスなんていらん。そんな葉っぱ1枚もらったところで嬉しくもない」
「貴様、僕を説教しておきながらなんだそれは!」
「人は人だ。価値観を押し付けるもんじゃない」
「貴様が言うな!」
「とにかく、断る」
「もういい、貴様には頼らん!」
「そりゃ結構なことで」
「軽薄なその選択が、彩お嬢さまを悲しませるぞ!」
「なんだよそりゃ」

 

 

 

尊の愚痴から逃げるようにさっさと食堂をあとにした。


「なんだあれは?」


廊下の窓から庭を覗く。

その中に、忙しなく動く一つの影があった。

 

 

気になったオレは、庭に出る。

 

 

 

「ていっ、ていっ、とーっ!」


にっぶい動きでなにやら演じているのは彩だった。


「なにやってんだ朝っぱらから」

 

 

 

「私ですか? 予行演習です」
「予行、演習?」
「ほら、今日海斗さんと行く昆虫採集です」
「……オレと、行く?」
「え? まだ宮川さまから聞いてませんか?」
「森に行くって話なら耳にした」
「良かった」

 

 

 

パァっと花開いたように喜ぶ。

ひょっとして彩の中では、オレも参加することが決定してるんだろうか。


「おい、オレは森には……」
「……ひょっとして、行けませんか?」



 

なぜ泣きそうな顔をする。


「いや……麗華の許可はどうなのかと、思ってな」
「それなら心配いりません! お姉さまは了承して下さいましたし!」


どうやら既に許可を取っているようだ。


「何時に行くんだよ」
「えっと、9時くらいには出ようかと」
「あと2時間ちょっとか」
「歩いて行こうと思ってます」
「歩いて? 結構な距離があるぞ」
「車で行っても、面白さ半減だと思うんです」
「そりゃ、まぁな。9時に玄関に集合ってことでいいのか?」
「はい!」

 

 

 

ったく、なんでオレが付き合わなきゃならんのだ。

そう思いながらも、彩を見て断れない自分がいた。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「それでは出発しましょう」

「はい」

「だな」



「…………なんで貴様がいる」

 

 


「よく考えたら、オレ昆虫キングだからな。久しぶりに昆虫と戯れるのも面白い」

「本当か?」

「なに疑ってる」

「彩お嬢さまと一緒にいたいだけじゃないだろうな」

「もし仮にそうだったとしたら、普通お前に誘われた時点で了承してるだろ」

「む……それは確かに」

「お前だけじゃ頼りないからな」

「虫が得意だからって威張るな」


……。

 



 

 

彩を中心に、オレと尊が一歩後ろを歩く。

三人が一緒に行動する際は、この歩き方が主流になっていた。


「暇だな、奇声でもあげるか」

 

 

 

「あげるなら貴様一人であげろ」

 


「おおええああええおおおおおおええ!」

 


「本当に奇声をあげるな! しかもなんかリズムいいぞ!」

「まったく、あげろと言ったりあげるなと言ったり」

「常識で考えればわかることだ!」

「相変わらず怒鳴ってばっかりだな」

「誰が怒鳴らせてるんだ誰がっ」

「しかし昆虫昆虫って、なにを見に行くんだ?」



 

「特別これ、と言うわけではないのですが……蝶とてんとう虫が見たいです」

「女みたいなこと言うなよ」

「女性だろ!」

「お前はカマキリだよな?」

「あの気持ち悪いヤツか!」

「コオロギだっけか」

「あの気持ち悪いヤツか!」


全部、そう言って返されそうな気がする。


……。

 

 

 

想定していた範囲だが、彩は結構疲れていた。

 

「少し休まれてはいかがですか?」

「そこにご休憩ホテルがあ──」


ラブホを指さそうとしたら、尊に猛烈に睨まれた。



 

「いえ、平気です」

「しかし……」

「森につけば、ゆっくり落ち着けますので」

「そういうことならこのまま行こうぜ」

「僕や貴様ならいざ知らず、彩お嬢さまをこれ以上疲労させる気か!」

「ですから、平気です」

「いけません。だいぶお疲れなのは明白なんですから」

「お前は介護者かよ」

「なに? お嬢さまの心配をしちゃいけないと言うのか」

 

 

 

 

「あ、あの……私、休みますからっ。お二人がケンカするようなことはやめて下さい」

「…………」

「…………」


オレたちは少し睨み合い、互いに舌打ちをすることでいざこざは収まった。

 

……。

 

 

 

繁華街を抜け、森へ。



 

都心でありながらも、小さいがこの街には山がある。

それがここだ。



 

「つきました」

 

 

 

 

「ここからは道が荒れてますので、お気をつけ下さい」

「わかっています」


……。

 

 

 

それからしばらく森の中を歩き、どこで昆虫採集するかを決めた。


「各自、各々考え行動するように」

「自由行動などないっ」


尊はべったりと彩についてまわるようだ。


「オレは好きにさせてもらうさ」


久しぶりに虫と戯れたいと思ったのは事実だからな。

それに昆虫採集と言うが、誰も道具は持ってきていない。

つまるところ昆虫観察。

そんなお子ちゃまなものに興味はなかった。


……。

 

 

彩たちと距離を置き、オレは草むらで虫を探す。

こうして森にいる虫を探すのは生まれて初めてだった。


「夏場になれば、カブトやらクワガタ、セミもいるから楽しいだろうな」


昆虫採集するなら、やはり夏が一番だろう。

そこら中に虫が広がっているイメージが思い浮かぶ。


「お、クモ発見」


なにやら餌を捕食していたようで、もしゃもしゃと食べている。


「クリチャササグモだな」


手にとって手足を引き千切りたくなった。

 

「いかんいかん……オレのイメージが悪くなるぞ」


立ち上がり幹に視線をやると、蝶がぴたっと止まっていた。

それを彩も見つけたのか、パタパタと走ってきた。

 

「う……」


蝶を見て嫌悪する尊は放置しておこう。


「ほら、手にとってみろ」



 

「どうすればいいんでしょう?」

「簡単だ」


オレは自然な動きで、幹に止まった蝶を掴んだ。



 

「わ、凄いです」

「両手をくっつけてひらけ。茶碗を形作るみたいにな」

「はいっ」

 

 

 

「綺麗な蝶ですね」

ヒメアカタテハだ」

「詳しいですね」

「こいつは雑学的な文献ばかり読んでますから」

 

 

 

「年中どこでも見れる蝶だ」

 



「蝶一匹で褒められて満足か」

 


ぼそっと呟く声が聞こえた。


「蝶ってのは、本来一匹二匹とは数えない」

「そうなんですかっ?」

「正式には一頭二頭と数える」

「うそをつけ。牛や馬のように数えるのか?」

「事実だ」

「どうして、そう呼ぶんでしょう?」

「説はいくつかあるらしい。海外の文献を訳し間違えた、標本で頭部のないものは欠陥品だから、頭の数を数えるようになったから、とかな」

「詳しいんですね」

「ふ、ふんっ……生活の上では役に立たんさ」


彩には聞こえない程度の声で反論してるのが、子供っぽい。


「都会にもちゃんと蝶はいるんですね」

「自然は減ったが、それを保護する力も強まったからな。それにこの蝶は全国のどこにでも生息する」

「へえ……」


宝石を見るように目を輝かせ、優しく羽を動かす蝶に見惚れていた。

意外な一面だな。



「オレはもう少し奥に行ってくる」

「奥……ですか」

「色々な虫を探してみたいからな」

「好きにしろ。その代わり遅くなったら置いて帰るぞ」

「ああ」

「あの、私も行ってみたいです」

「それはいけません。ここから先はもっと道が酷くなります」

「は……はい」

「じゃあな」


……。

 

 

彩たちからしばらく奥に行ったところで、キョロキョロと辺りを見渡す。


「この辺りで探すとするか」


…………。

 


……。

 

 


「うわあああああああああああああああ!!」

 


真昼間の森に木霊する悲鳴(男の)。

 

「なんだ?」


今の声、尊だったようだが。

オレは手の平いっぱいの虫を放り投げ、さっきまで彩たちがいた場所に戻った。


……。

 

 

「どうした」

 

 

「あっ海斗さん!」


慌てた様子の彩。

そのそばにはグッタリと倒れる尊がいた。


「これは……」

「…………」


完全に意識を失っている。

尊ほどの男が、こんな状態になるということは……。

まさかと思いながら辺りに不審者がいないか探る。

しかしそんな様子はない。



「説明してみろ」
「えっと……これ……」
「ん?」


尊の腕をノソノソと這っている……一匹。


カナヘビじゃないか」
「そういう名前なんですか?」
「トカゲの仲間だ。しかし、これがどうし──まさか、これで気絶したのか?」
「木からポトリと、宮川さまの肩に落ちてきまして」
「おいおい……」


ギャーギャー騒いだとしても、気絶はないだろ。

どこまで虫に耐性がないんだこいつは。

 

 

「目覚めたとき面白そうだから、このカナヘビを口の中に入れておいてやろうぜ」
「し、死んじゃいませんか?」
「心配か?」
カナヘビさん」
「……あ、こっちな」
「もちろん宮川さまも心配ですっ」


優先順位がカナヘビ>尊であるのは本当そうだ。


「お前、トカゲに負けたぞ……」


そんな悲しい事実を知らないで済むのは幸せかも知れない。


「じゃあ木にくくりつけて放置しようぜ」
「それ死んでしまいます!」
「顔だけ外に出して、体全部土に埋めようぜ。そんで顔の周りに虫を沢山置いておく」
「えぇっ!? 危険です! 発狂してしまうかも知れませんよっ」
「それはそれで見てみたいな」


仕方ないので、普通に寝かせておく。


「すぐ目が覚めるだろ。それよりも昆虫採……観察しなくていいのか?」
「でも宮川さまがいないので……」


チラっとオレを見る。


「ったく、一人で昆虫も見れんのか。付き合ってやるから好きにしろ」



 

「はいっ!」


嬉しそうに飛びはね、彩は奥へと目指す。


「ふう……」


オレも色々甘いな。

どうも、彩には甘く接してしまう。


……。

 

 

 

それから数時間、彩は時間も忘れ夢中だった。

オレはと言えば、途中から空腹で食べ物のことばかり考えていた。


「キノコでも探せば良かったな」

 

……。

 

 

 

尊が気絶している場所に戻ってきた。



 

「まだ、気絶されてますね」
「長っ」


いつまで寝てる気だ、ったく。


「おい起きろ。起きろって」


肩を揺する。


「だ、ダメです、お嬢さま……僕たちは……」

「あ?」


──!


次の瞬間、尊の両腕がオレの首筋に回された。


「なんだ、おい」

「れいか、おじょう、さま……」


ぐぐっと尊の顔が近づいてくる。

逃げようとするが存外に強い力でロックされていた。


ぶちゅ……。

 

 

 



オレはその日のことを、生涯忘れないだろう。

温かく、少しざらついた唇の温もりを。



 

「ひゃあああ!」


頬を押さえ、オレたちを見つめる彩と……


「ん? ん……ん~~~~~!!?」


自分の現状に気がついて混乱する男。


「なんじゃこりゃ~~~~!!」


…………。

 

……。

 



 

「ぼ……僕のファーストキスが……僕の……」


尊の姿はお見せ出来ないほど真っ白だった。


「僕の……うぅ、僕のっ……」

「寝惚けるにもほどがあるだろ」


ごしごしと口元を袖で拭う。

 

 

「れれ、冷静なんですね、海斗さんっ」

「あ? 慌てるようなことじゃねえよ。最低の瞬間だったけどな」

「貴様が僕を起こそうとするからだ!」

「むしろオレで良かったと感謝するんだな。あれが彩だったら大事件だ」

「うっ……」


尊としても言い返せない部分だった。


「だが貴様はいいさ……別に初めてでもなんでもないだろっ」

「関係ないだろ数なんて」

 

 

 

「…………」


「返せっ、僕のファーストキス返せっ」

 

抗議すると言うよりは、自分に言い聞かせるように呟いていた。


…………。

 

……。

 

 

 


帰りつく頃には、夕食の時間だった。

 



「僕は寝る」

「飯は食わないのか?」

「こんな日に、貴様と肩を並べて飯は無理だ……」

「…………」


とぼとぼと自室へと戻っていった。



 

「で、では私も部屋に戻ります」
「ああ」
「それで、その……」
「なんだよ」

 

 

「今日も一緒にゲーム……してくれませんか?」
「またか」


遊び疲れてると思いきや、まだ遊ぶ気か。


「今日はやめとこうぜ」

 

 

 

「お願いします!」
「…………」


やけに真剣だな。


「じゃあ1時間だけだ。いいな?」
「はっはい! それくらいあれば、きっと……」


彩と別れ、食堂で飯を食うことにした。


…………。

 

……。

 

 

 

 

深夜。

明日も学園だというのに、徹ゲーモードに入っていた。

オレはぼーっと小さい液晶画面を見つめ続ける。


「…………」


コントローラーを手に、ジッとプレイする彩。

なんか、いつもと違うな。

基本的に観戦することが多いオレには、今日の彩がプレイに精細を欠いている気がしていた。

キャラクターも無駄なところでダメージを受けている。


「どうしたんだ?」

 

 

 

「えっ!?」
「いや、そんなに驚かれても困るが……。なんか様子が変だ」
「そんなことありませんっ!」
「だったらいいけどな。昼間出歩いて疲れてるんじゃないか?」
「いえ、全然、問題なくって。ただ……」


やはり、どこか気にしてる様子だ。


「なんだよ」
「…………そのぅ……」


急にモジモジしだした。

コントローラーをポチポチいじっている。

画面では主人公がボコボコにリンチされていた。

 

 

「キスって、どんな、味なんでしょう……と……」
「…………食ったことない」
「へっ?」
「鱚のことじゃないのか? 魚の」

 

 

 

「……わ、わざとですね?」
「バレたか。まさかオレと尊の事故を見て、そう思ったのか?」
「は、はい……」
「お前、女だからまぁ、仕方ないが……男同士のキスなんて、いいこと一つもねえぞ。味もなにも……最悪ってことしかないな」
「じゃあ……女の人、なら?」
「あ?」
「…………」
「そういうのに興味ある年頃ってヤツか」
「か、海斗さんのが気になります」
「オレの? それ、受け取り方によっちゃ危ないな」
「きっと、そのとおりではないかと……」
「おいおい」


やたらと、前面に責めてくるな。

本気か冗談かは置いとくとしても、彩らしくない。

そう思い視線を外す。

すると、彩の足元には空き缶が幾つかあった。


「お前それ…………」


プレイに精細がないのは、酔ってたからか……。


……。

 

 

「私は……その、色々、ダメなお嬢さまです」

 


すっかりできあがってるな……。


「……なんだ急に。絡み上戸か?」

 

「勉強でも運動でも、お姉さまに勝てません。だから、一つくらい、なにか、私にしかないものが、欲しいです……」



 

そう言って、グイッと顔を近づけてきた。


「ぷはぁ」
「臭うぞ……」


しかし、なにか臭いが違う気もする。


「キス……して、もらえませんか?」
「本気か?」
「本気も、本気……れふ」
「おい……んっ!」


身体を前に引き込まれ、キスをされベッドに倒れこんだ。

 

 

 

「して下さい……」
「お前、酔ってないな?」
「ぎくっ!?」


腕を伸ばし空き缶を拾い上げる。


「アルコール0.5%未満か……」
「あ、あぁ、あの……」
「酔った振りして、男抱え込もうなんて、何考えてんだ」
「っ……! すっ、好きだから……ですよっ」
「…………」
「だって、こうでもしないと、海斗さんと、絶対……こういうこと、出来ないですっ……」
「あのな……」


オレは顔を近づける。

彩の目は涙で滲んでいた。


「キスしたこと、なかったんだろ?」


小さく頷く。

彩からポロッと涙が流れた。


無茶しやがって
「ごめんなさい……やっぱり、バカ、ですか……」
「バカだな」


そう言って、オレは彩の唇を奪った。

 

 

 

「……っ」


荒々しく口づけ、小さな唇を吸いあげる。


「んぅ……ちゅ……ん、はぁっ……はぁっ……」


彩の呼吸が荒くなる。

オレは一旦、開放してやることにした。


「言っておくがな……。オレは、お前と、こういう関係になるつもりはなかった」
「私じゃ、好きになって、もらえませんか……」
「そうじゃない……オレにとって、お前は出会った時から『綺麗』な存在だった。容姿って意味もそうだが、それだけじゃない」
「え……っ?」


そう、オレが憐桜学園で初めて彩を見たとき。

心臓が張り裂けるかと思った。

オレが小さい頃、初めて見た『綺麗』な存在が、より美しくなってそこにいたのだから。



 

「お前は知らないだろうが、オレは小さいときに、一度だけお前を見たことがある」
「ええっ!? そうなんですかっ?」
「ああ……」

 

 

彩が驚くのも、無理のないことだ。

オレが地獄そのものだったあの場所から逃げ出し、駆けこんだ先。

オレは……生まれて初めてその世界を見た。

それは、まさしく別世界だった。

鮮やかに彩られ、淡色に支配され混沌としたあの場所とはなにもかもが違う。

そこで、一組の親子がオレの目に留まった。

 



綺麗な顔立ちをした、同じ歳ぐらいの少女。

優しく微笑む父親らしき人に手を引かれ歩いている。



 

その少女はいつまでも笑っていた。

綺麗だった。

眩しいほどの笑顔と、整った容姿。

清潔感のある服を纏った少女に、見惚れていた。

 

 

やがて、ジッと見つめていたことに気づいたのか、少女がオレの方へと振り返った。

今でもはっきりと覚えている。

憎悪や憎しみ以外で、初めて人と目を合わせた瞬間。

オレは慌てて、すぐに身を隠してしまった。


「……?」


オレは、結局踏み出すことが出来なかった。

とてもあの眩しい世界で、生きていける気がしなかった。

あの頃からオレは、身も心も闇に染まりきっていたのだから。


「あ、あの……海斗さん?」
「オレなんかが、お前に触れていいんだろうか……」


再会してから彩に優しく接してしまう部分があったのは、おそらく幼い頃の影響だろう。

だから、迷いがある。

オレに好意を抱いてくれていたことは素直に嬉しいが……。


「お前のことは、多分、と言うか……異性として、凄く意識してるのが本音だ。だからこそ、やめておくなら、今のうちだ」
「…………」


少しの間、彩と無言で視線が重なる。

やがてオレの腕を取り、それを自らの胸に導いた。


「嬉しい……です。私なんか、意識してくださって」
「なに言ってやがる……お前はすげぇお嬢さまだよ」
「お願いします……教えて、もらえませんか? 男の人のこと……いいえ……海斗さんのこと、全部」


その上目遣いの眼差しに見据えられて、断れる男なんてこの世に存在するわけがない。

しかし、オレは気づいていた

そんな彼女の手が、微かに震えていることに。


「無理はするな。怖いんだろう?」
「こ、怖い……です。でっ……でもっ……!」
「心配するな。オレだって、ここから引き返すつもりはない」


オレはそっと、彩の手を握ってやった。


「はい……お願いします」
「まずは大人のキスから、だな」
「……あっ……海斗さん……海斗さん……好きっ……んっ……んんちゅ……ん…………ぁっ……ぁぁ…………」


…………。


……。

 

 

 

 

 

「海斗さんの腕って、凄く大きくて固いですね」
「……そうか?」
「はい。とても温かくて、安心してしまいます」
「オレにはよくわかんねぇな。けど昔は随分細かったんだぜ?」
「そうなんですか?」
「ああ……もうガリガリのやせ細ったガキだった」
「やっぱり訓練してこうなったんですか?」
「それもあるだろうが、食べる量が増えたのが原因だろ。しかしオレの腕より……」


とオレの視線は彩の胸へ。

それに気づいた彩が顔を赤らめる。


「な、なんでしょう」
「お前こそ、姉から栄養分取りすぎたんじゃないか?」
「うう……そんなこと言われても困りますっ。もうっ……。先に寝ますよ!」
「ああ……おやすみ」
「おやすみなさい、海斗さん……」

 

 

 

電気を消してやってから、少しして、彩はオレの隣で、すやすやと寝息を立て始めた。


「…………」


ぼんやりと天井を見上げる。


「……ダメ、か……」


何度か眠ろうとしてみるが、一向に眠りが襲ってくる気配はない。

彩が隣にいる今でさえ、安心して眠ることが出来ない。

これはきっと、生涯変わらないだろう。


「……ゆっくり休め」


そっと彩の髪を撫でてやると、気づかれないようにオレは部屋をあとにした。

彩は今頃、オレの夢でも見ているのだろうか。

オレの夢にも、彩が出てきてくれる日が来るのだろうか。

そんなことを考えながら──。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 



「海斗、少し構わないか?」


休み時間、珍しい人物が尋ねてきた。


「なんだよ」
「廊下に来てくれ」
「ああ?」


それだけを言い、スタスタと退室する。

 

 

「行ってきたら?」
「そうする」


勝手に許可も降りたので廊下へ。


……。

 

 

 

「どこ行くんだよ」
「ここでは人が多すぎる」
「ったく……」

 

……。

 

 


人気が少ないどころか、人のいないところまで連れて来られた。

これから一体なにが始まると言うのか。

暴行? 告白? ……様々なものが脳裏を過ぎる。

 

 

「…………」


なんと怖すぎる沈黙だ。


「貴様は……彩お嬢さまが好きなのか?」
「なに?」
「どうなんだ」


なんとも予想外のものだった。


「なんだよそれ」
「理解出来ないはずないだろう? いくら貴様の脳が冷ややっこより崩れやすいと言っても」
「…………」
「僕は真意が知りたい」
「お前に関係あるって言うのか?」
「ある。返答如何では人生を左右しかねない」
「なるほどな……」


こいつは、彩のボディーガードだ。

オレたちの間に出来た秘密を、感じ取っているのかも知れない。


「まあ、好きか嫌いかの二択で聞かれれば、そりゃ好きってことになるんだろうな」
「そうか……。それは、僕が麗華お嬢さまに抱く憧れのような感覚、と受け取っていいのか?」
「お前の麗華に対する気持ちは憧れってレベルじゃねえだろ」
「う、うるさいっ! 今大切なのは、感情だけで留められるのかってことだ! 僕たちはボディーガードだ。絶対にプリンシパルと関係を持つようになってはいけない」
「……そうだな」
「しかも彩お嬢さまは、僕のプリンシパルだ。貴様がもしも間違った行為に走ったとき、その責任の殆どが僕にあると言っても過言じゃない」
「……つまり、単純に諦めろってことか」
「その考えからして間違っている。諦めるもなにも、最初から可能性はない」
「だが……」
「だが……遺憾なことに、彩お嬢さまは貴様を気に入っている。異性としてか、ボディーガードとしてか、あるいはその両方の面で……」
「オレにどうしろってんだ?」
「僕と立ち会え」
「なに?」
「どちらが彩お嬢さまのボディーガードに相応しいか、それで決めようと言ってるんだ」
「冗談だろ? 首席のお前と、底辺のオレで立ち会ってどうすんだよ」
「関係ないな、そんなことは。前例がないし、周囲が受け入れるとも限らないが……。貴様が僕に勝てば、僕は彩お嬢さまのプリンシパルを辞めよう」
「なるほど、そういうことか」


思わず笑ってしまった。

こいつがそんな無茶を言い出すはずがない。

ほとんど自分が勝つとわかっていても、ここまで言い切るにはそれなりの理由がいる。


「オレに負けて、麗華のボディーガードになろうってことか」


それならどっちに転んでも……

 

 

「ない」
「……え?」
「僕が負けたら、僕は学園を去ろう」
「…………本気、か?」
「もちろんだ。ただし、貴様にも同等の条件を飲んでもらう」
「負ければ退学か」
「受けるか受けないかは貴様の自由だが、受けないのであれば、今後彩お嬢さまには指一本触れさせない」
「背水の陣ってやつか」
「貴様が勝ったなら、同意の上で互いがどうしようとボディーガードでも学園生でもない僕には関係がないからな」
「その立ち合い……なにで決める」
「総合格闘以外、貴様に可能性はない。勉強では絶対僕には勝てないからな。それに、勉学より強いことの方が大切なのは言うまでもない」
「…………」
「選択権は海斗にやろう。受けるもよし、受けないもよし」
「後悔するぜ?」
「それはそれで、してみたいものだが……?」
「受けてやる。その試合」
「そうか……。なら、出来る限り早い方がいいな。場所は僕の知っている道場を一つ貸し切ってもらおう」
「本格的だな」
「本格戦闘用に、コンクリの上でもいいんだが。最悪死なせてしまうこともある」
「…………」
「3日後の日曜日だ」
「わかった」


口の中が乾いていた。

尊には悪いが、本気を出せば負けるつもりはない。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「驚いたな……」


目を覚ましたのは、いつもよりも1時間以上早かった。


「そんなに楽しみだったのかね?」


オレと尊が立ち会うことなど、誰も知らない。

麗華も、張本人の彩でさえもまだ、深く眠りについているだろう。

なんでこう、なってしまったのか。


……。

 

 

 

まだ、朝日が昇ったばかりの外。

肌寒さの残る時間に、オレは屋敷を出た。

事前に道場の場所は聞いているから、迷うことはない。


……。

 

 

ただ、少し、走っておこうと思った。

汗をかかない程度に。

正直、尊はバカだ。

あいつが試合に勝ったところで、リターンなんてない。

そりゃ、オレを追い出せることは嬉しいだろうが。

それでも自分の立場を捨ててやることじゃない。

負けたときのリスクは背負いきれないのだ。

逆にオレは、なにも失うものがない。

どうせ辞めていたボディーガードだ。

その時期が多少遅れただけのこと。



 

「……いや……今はそうでもないか」

 

……。

 

 

 



負けてやれない。

与えてくれたチャンスだというなら、もぎ取ろう。

誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。

それはこの世の理に乗っ取ったこと。


……。



 

手加減はなしだぜ、尊。


…………。

 


……。

 

 

 

 



ゆっくりと道場の扉を開くと、中心に正座する尊がいた。

表情はまだうかがい知れない。


「待たせたな」


これから戦う相手へと、そう言葉を投げかけた。

 

 

 

「遅い!! 貴様、約束の時間から1時間も遅れてるじゃないか!」
「すまん、軽くジョギングのつもりが気づいたら山越えを果たそうとしてた。自然な流れで入ったら気づかれないと思ったんだが」
「気づくに決まってるだろ!」


怒りながら立ち上がろうとする。


「あ、あたたた……待ちすぎて足が痺れた」


戦う前からダメージを負っていた。


「まさか古典的な作戦を取ってくるとはな」
「なに?」
「巌流島での決闘、宮本武蔵の作戦だ」
「ああ……わざと遅れたってやつか」
「残念だが僕には通用しない。怒りに任せ、投げ捨てる鞘など持っていないからな」
「じゃあさっさとやるか。朝メシ食いたいし」
「軽っ! もっと緊張感を持て!」
「十分持ってるさ」


オレは手足をぶらつかせる。


「すぐに終わらせてやる」
「ふん。底辺がよく言う」


互いに今の位置から構える。

もう勝負は始まっていた。


「悪いが……すぐだ……」


下手にタコ殴りにするのは、さすがに非情だ。


──!

 

 

 

オレは全力で尊の懐へと潜り込んだ。


「っ!」


驚きに満ちた声が漏れていた。

当然だ。

オレは、尊の前で実力を見せたことは一度もない。

例え油断はなかったとしても、底辺であるオレを虚像として捕らえていたことは間違いないだろう。

思い切り腹部に拳を叩き込み、頭を蹴り飛ばす。

それで終わり。


だが……。


──ッ!!


「っくあ!」

「ち!」


オレの拳を正面から受け、腕を掴んだ尊はそこから一本背負いを繰り出した。


──ッ!!


「ぐっ!」


受け身は取ったが、身体に響く一撃を食らわされた。



 

「凄い踏み込みだな」


上からの声。

そして、次の瞬間頭の上に蹴りが落ちてきた。


──ッ!!

 

転がるようにしてそれを回避し、立ち上がる。

容赦なく頭に踵を落としてきやがった。

もっとも強固で簡単に痛打を放てる部位。


「…………」


口元を拭う。

拳に僅かながら血が付着していた。

どうやら口の中を少し切ったようだ。

油断していたのは、オレだったのか……?


「何故? と言ったような顔だな」
「…………」
「3日前のあの約束のあと、僕は佐竹校長と話した。どちらかが負けたあとの処理を任せるために」
「それで?」
「海斗はまだ実力を隠していると、そう教えてくれたのさ。半信半疑ではあったが、最初に踏み込んでくるようなら気をつけろと、そう言ってくれていたからな」
「なるほどな……」


オレは不意に相手へと詰め寄り、向こうが力を出し切る前に仕留める。

昔、佐竹にも同じ手を使った記憶がある。

それを活かされたってことか。


「自信満々に振る舞うことには、大抵の人間は裏に理を兼ね備えている。貴様の態度がデカイことは、虚勢ではなく理に適ったものだったんだな」
「おいおい、ちょっと不意をついて踏み込んだだけなのに随分持ち上げるじゃねえか」
「僕の知る底辺の貴様では、僕の一本背負いを防げなかった」
「…………」
「それがすべてだ!」


一瞬で決着がつくなんていうのは、甘い考えだった。


──ッ!!


「ぐ──!」


的確に人の弱い部分を突き、攻撃を仕掛けてくる尊。

打ち出す攻撃は受け流され、その倍の数を打ち出される。


──ッ!!


「ったく、この首席が!」


──ッ!!


「がふっ!」


頬を捉え、強いクリーンヒット。


「あぁっ!」


──ッ!!


こっちも同じように、頬へと一撃をもらう。

 

「……ぷっ!」


血溜まりを吐き出すと、奥歯が一本ついてきた。

訓練では、防具なしで顔を狙うことはしなかったからな。

久々に脳に来る一撃をもらったぜ。



 

「いやいや、マジで見直したぜ首席。お前がここまでやるとは思ってなかった」
「それは僕も同じだ。訓練で多少手を抜いていたなんてレベルじゃないようだ。まるっきり本気を出していなかったわけか」
「…………」

 

一対一の殺し合いであったなら、オレはどんなヤツにも負けない自信がある。

目を潰し耳を潰し鼻を潰し、果てには心臓を潰すことにさえ躊躇いはない。

だが……良識の範囲での戦いであれば、それは絶対の領域ではなくなる。


「それに、貴様が神崎流の使い手だったことにも驚いている」
「なに?」
「不良の得意げな不良ゲンカだと思ったらどうだ?」


オレの構えのことを言ってるのか。


「は!」


──ッ!!


訓練のときに受けた一撃とは比べ物にならない。

油断して、いいところに数発もらえば沈みかねない威力を持っている。


「態度は悪い!」


──ッ!!


「言動も悪い!」


──ッ!!


「職務に誇りがない!」


──ッ!!


「そんな貴様が嫌いだ!」


──ッ!!

 

連打を受け、身体が後方へと飛ぶ。

よく磨かれた床だぜ。


「あー痛ぇ……」


ガードした腕がひりひりと痛みやがる。


「不満ばっかりだな」
「当たり前だ。貴様が負けて辞めてくれれば、それだけで僕は人生を賭ける価値がある」
「ひで……」
「と言うことでさっさと寝ろ!」


──ッ!!


「断る」


──ッ!!


「お嬢さまと関係を持つなど、愚の骨頂だ!」


──ッ!!


「常識に囚われない人間なもんで」


──ッ!!


「囚われていないにもほどがある!」


──ッ!!


「幸せにするなら、関係ないだろ」


──ッ!!


「全然違う、二階堂の発展やメンツを考えれば、貴様のような男の選択肢は絶対に皆無!」


──ッ!!


「当人が幸せになることが一番だろうが」


──ッ!!


「がっ! ず、頭突きだと!」


──ッ!!


「オレがあいつを守っていく。ずっとな」
「抜かせ!」


──ッ!!


「っく……」


──ッ!!


「そんな甘い考えで、ボディーガードも、一人の男としても、成り立つわけがない!」


──ッ!!


「ぁ……く!」


折れそうになった膝を、なんとか堪える。


「終わりだ」

「終わらねぇよ……」


立ち上がろうとした膝が、折れる。


「そこだ!」

「どこが!」


頭部を狙ってきた蹴りを、強引に、寝そべるくらい身体を低くして逸らす。

そして、足を蹴り上げた。


「っら!」


空中コンボとまではいかないが、軸がずれたところから徹底的に拳を蹴りを打ち込む。

 

──ッ!!


──ッ!!


──ッ!!


「ぐ……!」

 

 

 

床に倒れる尊。


「どうやら、ここまでだな……」


小さく息を吐き、尊を見下ろす。


「はあ……はあ……はあ……」

「…………」

「くそ……身体が言うことをきかない……」

「勝負ありだな、尊」

「……僕は本来、アウトボクサータイプなんだ」

「ここにきて言い訳は男らしくないな」

「ふんっ……行け。僕の負けだ」

「…………引き分け、ってことにしてやってもいい」

「なんだと?」

「オレにももう、止めを刺す力は残ってないしな」

「そんな余計な同情はいらない。僕は負けた、そこまでの男だったと言うことさ」


……どうやら、尊にはわかっているらしい。

確かに結構なダメージをオレは受けたが、それでもまだ、かなり余裕があった。

極端な言い方をすれば、手を抜いて戦ったに近い。

オレ自身本気で戦ってやることが、自分のためであり尊のためであることはわかっていたが、それでも力を抜いてしまうのも無理はなかった。


「本当にいいのか? ボディーガードになるんじゃないのかよ」


オレはこいつと一緒に、ボディーガードを続けたかったのだ。

憎まれ口を叩き合いながらも、共に……。


「どこか別の場所でだって、目指せる。それが、ここでなくなっただけだ」

「…………」

「ほら、早く行け。僕も貴様もいないんじゃ、彼女が心配するだろ」


彼女……。


もう、お嬢さまと呼んでいなかった。


「行くぜ?」

「くどい」

「……じゃあ、な」


……。

 

オレも尊も、別れの言葉は交わさなかった。

仲が良かったわけじゃない。

むしろ犬猿の仲だった。

それでも、少しだけなにかが違っていれば、一緒に笑い合える間になっていた気がする。

今となっては、遅いことだが……。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「海斗さんっ!?」


呆然としたまま屋敷に戻ると、ベンチで足をブラブラさせる彩の姿があった。


「よぅ、なにやってんだよ」
「その……海斗さんなにしてるかなぁって、ずっとここから部屋を見ました……って、そんなことよりその怪我!?」
「ちょっと猛獣に襲われたんだ」
「猛獣!?」
「牙を隠そうともしなかった、猛獣にな」


改めて尊のことを考えると、ずきりと身体が痛んだ。

身体よりも、心に効いたな……。

そしてあいつも、オレと同様、そうに違いない。

 

 

「急いでお医者さまを!」
「いや……今は……」


そう言って、オレは彩の横に腰を下ろした。


「お前に膝枕してもらおう。それが一番の良薬だ」
「えぇっ!? そ、それは喜んでお貸ししますが……」


キョロキョロと辺りを見渡す。



「誰も気づきはしねぇよ……」
「あ、あの……凄い数に見られているんですがっ……」
「……すぅ……」
「海斗さん?」


温かい陽射しが照りつける中、オレは彩の膝の上で眠りに落ちた。

 

愛の告白だとか、抱きしめるだとか……

オレが歩いていく道にそれは殆どない。

お嬢さまとボディーガード。

その関係は続く。

そして、ひっそりと、けれど濃く強く訪れる、恋人同士の時間。


…………。

 


……。

 

 

 

 

「もっと、強くしても、いいです……壊れてしまうくらいに、強く、してくださいっ」
「任せろ、オレの本気を見せてやるぜ」
「あ、ふあ、ふあああっ! やっ、すご、すごい、海斗さん、あ、あああっダメ、そこはダメですって! あ、ああっ!!」
「今更とめられねぇよ! 悪いけど、ちょっと痛いぜっ」
「……っ! か、海斗さん、それ以上は……もう……っ……あ、ああああっ、海斗さんっ、わ、わたし、もうイきそう、イっちゃいそうで、は、あああ!」

 

 


「オラオラオラオラオラオラ! 見ろ、このオレのコントローラーさばき!」

 

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……もーっ! 海斗さん、そんな無茶してハードが壊れちゃったらどうするんですか!」
「これぐらいで壊れるなら、所詮それまでのものってことだ。しかし、この実際に身体を動かすゲームってのは結構面白いな」


オレがガキの頃は、こんなモノで遊んでる余裕はなかったからな。

リセットの効かない現実の方がよっぽど恐ろしいゲームみたいなものだった。

それが、今じゃ……。



「はい、今度はキャラ変えてやってみましょう。次は私が守る番ですよ」
「お前自身を守るのは、永遠にオレの役目だけどな」



 

「海斗さん…………」

 


──コン、コン……。

 



「っ!?」


「まずい、尊だ!」


「えっ!?」


あの日オレに敗れた尊だったが、別に二階堂からいなくなったわけじゃなかった。

源蔵のはからいと麗華の許可もあり、今は麗華のボディーガードをしている。

辞めると豪語していた尊だが、まさか麗華が引き受けると思っていなかったんだろう。

それでも一度は、辞めると尊は言った。

もちろん、寛大なオレの心が、尊にボディーガードを続けるように説得した。

まぁ麗華のボディーガードとは言っても、基本的には連れて行ってはもらえてないみたいだが。

だから、こうして彩の様子を逐一見にやってくる。

様々なやり取りが交わされたにも関わらず、まだオレと尊の間は犬猿と言ってもいい。

しかし……自然と認め合うことも出来るようになった。

近い将来、あいつに背中を預ける日が、ひょっとすると来るかも知れないな。


「撤収する!」

「でで、でも、どうやって!?」

「窓から出れば問題ないっ。ほらお前も服、ちゃんと着ろ!」

 

 

「は、はいっ!」


慌てて上着を羽織ったオレは、窓に手をかける。


「気をつけて下さいね」
「なに他人事みたいに言ってる」
「えっ?」
「飛ぶんだよ、お前も!」


これは、幸せで楽しかった日々のほんの1ページ。

刻んでおくべき大切な思い出。

オレは忘れない。

だから忘れないで欲しい。

幸せは、簡単になくなってしまうものだから。

大切な者を強く抱きしめる。

胸の奥底に小さく胎動し始める、新たな感情。

いつまでもそこにいて欲しいと願い続ける。



「わ──」


「行くぜ!」



 

「きゃああ!!!」


……。

 

 

 

 

 



 

二階堂 彩編 END

 

 

 

暁の護衛【16】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


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──訓練校時代。

 

 



「なあなあ、見てみろよこれ」

「なんだ。ただの雑誌じゃないか」


休み時間、いつものメンバーが侑祈に呼び出された。


「女日照りな俺たちには最高の代物だって」


そう言って開いたのは、女が全裸の写真だった。

 

 



「なな、なんだこれっ!?」

「そんなに驚くもんでもないだろ?」

「これは、なんとも……ごくっ」


「涎でてるぞ尊」

「出てない! 僕は興味ないね」

「とか言いながら凝視してるじゃねえか」

「フッ……普段見る機会がないから、後学のためやむなくだ」

「私は見ないぞっ!」

「なんでだよ、お前も女に飢えてんじゃないの?」

「わ、私は別に……」

「ひょっとして薫……」

「や……少しだけ、興味、がある、かな?」

「やっぱり? ほれほれ、遠慮せず見ろよ」


顔を真っ赤にしながらも、薫も雑誌に目を落とした。


「よく手に入ったな」

「まぁね。こっそり抜け出して買ってきた」

「また無茶をしやがる」


「あー、俺も早く男になりたいぜ」

「まったく……侑祈のエロに対する行動力には頭が下がる」

「そんなもののなにがいいんだか……私にはさっぱりわからない」

「……」

「…………」

「な、なんだ……?」

「やっぱり、女に興味ない感じがする」

「無理して見る必要ないぜ?」

「そ、そんなことはない! 断じてない!!」

「確かに今までも疑問に思うところは僕にもあった」

「なにを馬鹿なっ!?」

「正直に言っちゃえよー。薫がどんなヤツでも俺たちの友情は変わらないぜ?」

「はぁ……お前たちは、そんなに女が好きなのか!?」

「…………」

「…………」

「なぁ尊。俺の言ってること間違ってるか?」

「残念だが、薫はやはり……」

「そこ聞こえてるぞっ」

「ひぃっ!」



 

猛獣をも睨み殺す鋭い視線が侑祈を貫いた。


「海斗! お前のおホモだちだろ! なんとかしてくれ!」

「申し訳ないが、お前が想像するような関係はない。だが、望むんなら相手してやってもいいぜ? 幸いにもお前のツラは女っぽいし」

「ふ……ふざけるなぁ!」


ガンッ!


「あぐっ!」


「おお、右ストレートが顔面に」

「あの速さは、さすがに避けられないな」


「蚊に刺されて死んでしまえ!」


「本気で殴りやがったな……」


どくどくと鼻血が溢れてきた。

 

 

 

「あ、なんかちょっとエロい」

「このスケベェが」

「全然意味がわかんねぇよそれ」

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱ、野郎と寝るもんじゃねえわ」


一年前の夢を延々と見ていた。

忘れかけていた、いや、忘れていた夢。

だが、しっかりと記憶にこびりついていたみたいだな。

目が覚めていくとともに、スッとまた記憶の奥へと潜り込んでいく。

1分が経過した頃には、なにを見ていたかさえ薄れきってしまっていた。

大量の水に、一滴の醤油が混ざっても誰も気がつかないように。


「ぐぅ……ぐぅ……」


まだ早い時間のせいか、あるいは単純に心地よくてか、ベッドの上で爆睡していた。


「……おい、お前の好きな女は誰だ?」

「ん、ぅん……麗華、おじょう、さま……」

「うわっ寝言に返事がっ!」


衝撃の出来事に腰が抜けそうになった。


「と……」

「と? まだいるってのか?」

「か……いと……」


ゾクゾクゾクゾク!


「聞いちゃいけないことを聞いた気がする」


とにかくこの現実はすぐに忘れよう。

知らない男ならともかく、こいつに掘ったり掘られたりするのは困る。


「オ〇ニーは右手か左手、どっちでするんだ?」

「……みぎ、ときどき……ひだり……」

「そ、そうか。実に素直だな。感心感心」


……こうやって無意識下の脳に質問を投げかけ、尊の思考を刺激する。無理に答えようとする脳は、少しずつその回路を壊していく。


「……12+4は?」

「……15……16」

「そうだ、いいぞ。思考回路が徐々に壊れてきた。知り合いで一番嫌いな人物は? また、その理由を述べよ」

「……メイド……理由は……」

「メイド? ツキのことか」


嫌われてるとは思っていたが、オレを差し置いてナンバー1とは生意気な。


「…………」

「で、理由はなんだよ」

「……なに、耳元で呟いている、気持ち悪い」

「あ?」

「ふわ、あ」


どうやら目が覚めてしまったらしい。


「どうも頭が痛いな」
「気のせいだろう」


……もうちょっと遊びたかった。


「他人のベッドというのは妙だが、少なくとも座っているよりは良く眠れた」

「そのようだな。小さいテントもあるし」
「なに見てる! と言うか小さいって言うな! 勃起して3センチあれば十分なんだっ!」
「力説されてもな、使う相手がいないだろ」
「頼むから、朝一番そんな話をさせないでくれ」
「それもそうだな」


…………。

 

……。

 

 

 



「どうだった?」


がちゃりと音を立て、手錠が外される。



 

「疲れた。とんでもなくな」

「同じくです」

「だけど、ちょっと仲直り出来たんじゃないの?」

「そうは思えませんが……少なくとも怒る気力は失せたようです」

「まぁそうだな」

「ふふん。私のアイデアもまんざらじゃなかったわね」

「元は佐竹が考えたことだろうが」

「そうだったかしら。いいじゃない。なかなか楽しかったでしょ?」

 

 

「そうです。絆が深まったはずです」

「テメェらにも同じ苦しみを味わわせてやろうか?」

「あら、どうしようって言うの?」

「それは……」


オレは麗華の手に持たれた手錠と鍵を奪う。


「ちょっと、なにすんのよ」

「とりあえず、この鍵は邪魔だな」


オレは鍵を机の角を使い、折り曲げる。


「それスペアないんだけど……」


呆れた様に呟く。


「それはいいことを聞いた」

「なにを考えてる海斗。麗華お嬢さまが迷惑がられてるだろう」

「知らねえな。オレはオレの思うようにやる」


手錠を片手に持ち、麗華の細い腕を掴んだ。



 

「こら! 私の身体に触るな!」

「貴様無礼な!」

「すぐ離してやるよ」


手錠の輪を持ち、麗華の右腕へ振り下ろした。


かしゃん。


と言う音を立てて、手錠がはまる。


「まさか、彩と繋ごうって思ってるの?」

「いーや」


ぐいっと麗華を引き寄せて、尊の下へ。

 

 

「おい、なんだなんだっ?」

「まさか──」

「尊と仲良く手錠にでも繋がれなっ」

「阻止しなさい尊徳!」

「は、はいっ!」

「おらっ」

尊の手に振り下ろした。

しかし、抵抗する、それも尊ほどの男となると、麗華のように簡単にはいかなかった。

尊に腕を掴まれ、腕を捻り上げられる。


「ち──!」

「甘いぞ海斗。その程度の動き、たやすく見切れる。麗華お嬢さまに土下座させてやるぞ!」


そしてそのまま床へとねじ伏せさせられた。


がしゃん。


一つの、小気味良い音を残して……。


「…………」


「…………」


「…………」

 

 

「あ……」

「おい」


オレの腕にはまった、同居者を待つ輪。

一瞬、その場は凍りついた。


……。

 

 

 

 



「でも、そんなに慌てることでもないでしょ」



 

「えぇっ!? でも、鍵は折れてしまいましたが……」

「なるほど、そうです。海斗がいるじゃないですか」

「海斗さん? あ!」

「ほら、ツールは戻ってきたんだ、すぐに開けろ」

「まったく危ないところだわ。不幸中の幸いにも、海斗に特技があって良かったわね」

「…………」

「ほら、早くしなさいよ。いつまでもこんな距離じゃ嫌じゃない」

「まあそうだな。ソレは最悪だ。だがオレが鍵を開けるとは言ってないぜ?」

「な、なにを馬鹿な……このまま繋がれていたら羨ま──大変なことになるだろ!」

「男と繋がせて復讐しようとしただけだ。結果的にオレという面倒なことにはなったが」

「あんた、本気で言ってんの?」

「別に何日も一緒にいようとはおもわねえし、御免だ。今日一日だけでも苦しみを味わわせてやるさ」


腰を下ろすためにベッドへ。


「きゃっ!」


隣人が尊のときには、パワーバランスの関係で強引に歩いたり引っ張ったりは出来なかったが、貧弱な麗華であればたやすいことだった。

前のめりになる麗華をよそに、オレは腰を下ろす。


「なんとなく気分がいいな」

「ったた」

「貴様ぁああ!」

「おいおい、オレに掴みかかると麗華も困るぜ?」


「ぐっ──!?」


「明日には開錠してやるから」

「ふ、ふざけんじゃないわよ。一日も男といられるわけないでしょ!」

「まさにそういう気持ちを教えたかった」

「あんたたちは男同士じゃない!」

「男同士は一番駄目だろ」

「あんたの頭が悪いことは知ってたけど、どう考えても男女で繋がれてる方が駄目じゃない!」

「面白いだろ?」

「まったく。いいから今すぐ外しなさい!」

「断る」

「私が命令してるのよ?」

「作戦は『ガンガン行こうぜ』だろ?」

「はあ……あたまがガンガンしてきたわ……」


上手いこと言うな。



 

「もういいわ。悪いけどツキを呼んできてくれる?」

「あ、はいっ」

「彩についてあげて」

「しかし、海斗と二人きりになってしまいますが……」

「心配ないわ。もしものときは蹴り上げるから」


どこを蹴り上げるのか、是非聞いてみたいものだ。


「わかりました……」

 

……。

 

 

 

「二人きりになったな」
「気持ち悪いこと言うな」
「ツキなんか呼んでどうする気だ?」
「専門家を呼んで外してもらう。以上」
「なるほど、それならすぐに解決しそうだな」
「本来なら感謝される私が、どうしてこんな目に遭わされなきゃならないのよ」
「その傲慢さはすげぇな」


オレはポケットからツールを取り出す。


「なによ、今になって開けるの?」
「どうせすぐ開錠されるんなら、今でいい。なにやら面倒なことになりそうだしな」


すぐに鍵を開け、手錠を外した。


「こんなもんいつまでも持っとくなよ?」


そう言って外した手錠を渡す。


「確かに私には似合わないわね。いる?」
「なにに使うんだよ



 

「拘束プレイ?」
「アホか」


結局、麗華は手錠をオレのベッドに放り投げ、部屋をあとにした。

疲れる休日だった、本当に。


…………。

 

……。

 

 

 

 

後日、麗華の使いっぱしりでペットの餌を購入しにいった。

 


道中、鏡花という憐桜学園のお嬢さまと出会い、色々あって映画を見終えたあと、オレはその鏡華を引っ張って本屋へと案内させた。

 

 

そしてその映画の小説、前編後編をまとめ買い。

ちなみに資金源はクレジットカード。

ペットの餌を買う際に受け取ったものだ。

少しくらい使ったところで、気づきゃしないだろう。


……。

 

 

 



「それで? どうして帰りが遅くなったの?」
「だから何度も説明しただろ? 熱中症に襲われて休んでたら遅くなったって」
「まだ春先よ」
「不運なこともあるもんだな」
「百歩譲って、熱中症だったとしても、クレジットから余計な出費が出てるのはどうしてかしら?」
「…………」
「…………」
「それは、あれだ。勘違いだ」
「文圏堂にて、ベルリンの屋根上下巻」
「く……」
「調べれば簡単にわかるのよ? まだ白を切るって言うなら監視カメラで調べてもいいけど?」
「そういう本を買った記憶がないわけでもない」



 

「大体あんたは──」

 

それから小一時間、オレは説教を受けた。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「くそ、耳元で怒鳴りすぎなんだよ」

 

まだ耳の奥で麗華の声が響いている。

 

 

 

「どうかなさったんですか?」
「ん?」
「なにやらお怒りのようですので」
「今日ちょっと、最高に自己中心的な女に会った。それも憐桜学園のお嬢さまで、無視するに無視出来なくてな」


オレは愚痴を零す意味で、彩に今日のことを話した。



 

「それは、もしかして鏡花さんのことでは?」
「そういや、そんな名前だったな」
「あ、はは……なんとなく、わかりました」
「知り合いか?」
「私と同じクラスです」
「苦労しそうなクラスだな」
「担任の先生より、鏡花さんが物事を決めることが多いです」


それは学園としてかなり問題があるな。

 

 

「……綺麗な、人ですよね」
「あ?」

「いぃえっ!? なんでもありません! お休みなさい!」


1、2の3で走り去ってしまった。


「はぁ……女の相手は疲れる……」


じゃあ男の相手は楽なのか?

と聞かれたらこう答えるだろう。

どっちも一緒だ、と。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 



「海斗さーん。テレビゲーム、しませんか?」
「ああ?」


突然なにを言いだすんだ、こいつ。

……またそれか。


「この間、成り行きとはいえ付き合ってやっただろうが」



「い、いえそうなんですけど……。屋敷では皆さんに内緒ですし」
「一人でするゲームなんて幾らでもあるんだろ?」
「ええ、まぁ……無限の貯蔵庫にはありますが……」


それは、先日が事の発端だった。

ノックせずに彩の部屋を訪ねたところ、部屋の隅でゲームをする彩を見つけてしまったのだ。

慌てて隠していたが、時すでに遅し。

屋敷ではテレビはもちろん、ゲームなんてもっての外らしく、口止めされた。

そこまではいいんだが……

何故オレがそれに付き合わなければならないのか。

 

 

「だったら好きなだけ楽しめばいいだろ。RPGの冒頭5分プレイを100本やってみるとか」
「それは、限りなく疼くだけになりそうです」
「どうせ、対人ゲームかなんかだろ?」
「ププ」


──!


「きゃ!」
「今の笑いは気に食わん」



 

「ご、ごめんなさい。普通、対戦ゲームと言うので。RPGもロープレって言いますし」
「オタクと一緒にするな」
「じゃあパーティーゲームでもいいです」
パーティーゲーム?」
「スゴロクだったり、カードだったり。どれも運要素の強いゲームですので」
「…………」


なにがなんでも人とプレイしたいようだった。


「わかったわかった。少しだけ相手してやる」
「ほんとですか!」
「しつこそうだしな」


彩と一緒に、部屋の中へ。


……。

 

 

 



「いいい、今のは海斗!? 二人仲良く室内に入って行ったぞ!? どどどどど、どういうことだ……。まさかあいつ、弱みを握って良からぬことを!?」


……。

 

 

 



「ここで『まおう』を召喚です。装備『サイバーブレード』」
「む……よくわからんが、こっちは『戦士ダイン』だ」


カードを選択しそれぞれが戦闘へ。

格闘ゲームのように操作する必要がない以上、勝つ確率は5割……には届かないにしてもあるはずだ。

そう思い挑むが……


「圧勝です」


グッと握り拳を作り、余裕を見せる。

そんな戦いがこれで7度目だった。


「これ、本当に運要素か? どう見ても相性やらテクやらがあるような気がする」
「やだぁ気のせいですよぉ」


カチカチカチ。

ああ、また名も覚えていない勇敢な戦士が死んだ。


「こうなれば総力戦だ」


銀に光っているカードは強いだろうと知略巡らせ残しておいた2枚を同時に使用する。


「こっちは『勇者かずお』『戦士きよたろう』だ」
「むむ……ヒーローコンボですね」


なにやら呟いている。


「あぁ、ピンチだなぁ」


全然ピンチじゃなさそうだった。


「私は『魔王バラララン』です」
「…………」


なんか、金色に光ってるんだが?

ゲーム上ではオレの配下である二人が敵に斬りかかる。

しかし紙くずのように捻り潰されてしまった。


「危なかったです」
「うそつけや!」



 

わざとらしくコントローラーを投げ出す。

 


「弱いヤツいたぶるのがそんなに楽しいかよ」

 

 

 

 

「楽しく……ないですか?」
「ボコボコにされるだけで、爽快感一つありはしない」
「…………」
「やり込んでるヤツがそこそこ以上強いのは当たり前だ。強さを誇示する前に相手をフェアゾーンまで連れて行け。やめだやめ」

 



「あぁ、あのっ!」
「なんだ」
「ちゃんと教えますから、その……一緒に遊んで下さい……」
「…………」
「ダメ、ですか?」
「ちゃんと教えろよ」



 

 

「はいっ! まずはこのボタンをですね……」
「おい、なんかさり気なくソフトが換わってるぞ?」


明らかに対人……対戦ゲームになっていた。


「強くなっていただくなら、こっちかなと」
「まあいいけどな」


確かこのゲームは初めてやったとき、ぼっこぼこにやられたヤツだったな。

この際、軽く説明を覚えて抜き去ってやるか。

才能の怖さを教えてやる。


……。

 


一通りボタンの操作を聞き終えた。


「なるほど、固有技なんてあったのか」


これさえ基礎に応用を混ぜれば、敵はないな。


「それじゃあ、始めましょう」


オレは『こうき』を選択。

彩は『しにがみ』を選択していた。

まあ、誰であろうと関係ない。

『こうき』はヨーヨー使いだ。

そして簡単なコマンド入力でヨーヨーを伸ばして攻撃出来る。

しかも冗談にも対応出来るということは、直進してくれば前にヨーヨーを、ジャンプしてくれば上段にヨーヨーを出せばいい。

ハメとも取れる必殺技を考え出してしまった。


「知略策略巡らせた人間が勝つのよ」


対戦が始まる。


「うらぁ!」


ヨーヨーを伸ばし相手を殴り飛ばす。

彩は防御もせずバカみたいに直撃される。

あとは怯んだ隙に次の……

ところが、キャラは反動を受けることなくヨーヨーの攻撃を受け止めながら直進してくる。


「エンド!」


そう言って、『しにがみ』は手刀のような攻撃を繰り返す。

こうきが近接に弱いのか、それとも実力不足か。

アッという間にKOされてしまった。


「勝ちました!」
「おい、どうなってんだこれ。なんで怯まないんだよ」
「考えは悪くないと思いますが……この『しにがみ』は攻撃による反動を一切受けないんです」
「……つまり、殴られてる途中でも殴れるのか?」
「はい」


卑怯だ。


「次だ次」


オレはすぐに『しにがみ』を選択する。

こっちが反動を受けないなら、殴る蹴るの連打で倒せるってことだ。


「じゃあ私は……『むねお』にします」
「そんなグラサンで勝てるかよ」


対戦が始まると同時に、オレはダッシュ

懐に潜りこんで殴り殺してやる。


「ほ、ほ、ほっ」
「んっ?」


『むねお』の放った蚊ほどの攻撃をくらい、『しにがみ』は痺れたように動かなくなる。

そして、下段の蹴りで空中に浮かされ、追撃してきた『むねお』が空中で殴る蹴るを連打する。

画面にはコンボの文字が次々と数字を重ねていく。

着地する頃には、『しにがみ』の体力は残っていなかった。


「……オレは前進しかしてないぞ」
「『しにがみ』は反動を受けない代わりに、一切防御が出来ないので、コンボには弱いんです。本来は空中コンボも無効に出来るんですが、『むねお』の必殺技から繋がれるとダメなんです」
「…………」


ニコニコした顔で、容赦なく弱点キャラをぶつけてくる。


「姑息な……」


だが裏を返せば、オレの実力を恐れているとも取れる。

ここで怒っては勝ちを逃すというもの。

然るべき実力を以って、必ず勝利をもぎ取ってやる。

キャラ選択画面。

オレはコントローラーを動かす手を休めていた。


「先に選べよ」
「わかりました」


弱点を突いてくるなら、先に選ばせておく。

それで知識の差……つまり有利なキャラを故意に選ぶことは不可能になったということだ。


「じゃあ私は『かずお』を選びます」


スタンダードそうなヤツか。

まあ姑息な彩のことだ、誰にでも対応出来るようにしたつもりだろう。

オレはカーソルを一番下にもっていき、『バラララン』を選択した。


「あ……」
「待ったはなしだぞ」


そう言って素早くステージセレクト。

さっきのカードゲームで思っていたことだが、おそらくこのキャラは相当強い。

ボスのようなものだろう。

悪には悪を、邪道には邪道を。

そうして挑んだ試合……。


……。


オレはなにをするでもなく負けてしまった。


「なんだこのキャラ……凄く遅いし重たいぞ」
「一撃の破壊力とコンボの強さは一番なんですが、使う人が下手だと一番弱いキャラになってしまいます」
「…………」
「じゃあ次の試合……」
「もうやめだ!」


本日二度目、コントローラーを投げ出した。


…………。

 

……。

 

 

 

 



「ちょっと彩の教室に行って来てくれない?」
「彩の教室に?」
「これを届けて欲しいの」


休み時間、鞄の中から一枚の紙を取り出した麗華はオレの前にそれを差し出した。

なにかと思いそれを受け取る。


「問題用紙?」
「彩に借りてたのを思い出したのよ」
「なにも今返しに行くことないだろ」
「あの子、確か使うって言ってたから」
「で、それをオレに届けろと」
「そう」
「オレはパシリじゃねえぞ」
「似たようなもんでしょ」


どこが似たようなものなのか小一時間問い詰めてやりたかったが、反抗するよりも届けた方が早い。

無理に拒否して、麗華が届けることになっても、結局はオレも行かなければならないのだ。


「行ってくりゃいいんだろ」
「素直でよろしい」
「けっ」


……。

 

 

 

廊下に出る。

休み時間ということもあり、それなりに生徒が出歩いている。


「…………」


お嬢さまの連中から、見られることは少なくない。

本校に通学するようになってから、オレはなにかと注目を集め始めていた。

別に二枚目でクールだからって理由じゃない。

お嬢さまをお嬢さまとも思わぬ異端児。

側近にそぐわぬ横暴な発言。

そういった異分子であることが、主な要因であることは疑う余地がない。

それでも改善するつもりはないがな。

と言うか、改善出来ると思っていない。

です、ますのような丁寧語を使うとむずむずする。

だから、少しくらい変質な目で見られた方が楽。

もう一つ理由を挙げるなら、まったく気に留めないお嬢さまもいることか。

全生徒がオレを毛嫌いし、凝視するなら最悪だが、お嬢さまの半分は空気ほどにしか認識していないだろう。

自分を中心に地球があると思っている、そんなお嬢さまも少なくない。


……。

 

「ここか……」


特別作りは変わらない教室。



 

スッと扉を開けて教室の中へ。

普段、何気ない生徒の入室であれば、注目を浴びることはない。

しかし別の教室の生徒であるだけですぐに変化を感じ取り、視線を絡めてきた。

ざわっ……教室の空気が少しだけ変化した。

気に留めず彩の下へ。



 

「なんだ。ここは貴様の教室ではないぞ」

「彩にちょっとした用事だ」

「貴様が?」


不審がった尊が、彩との間に割り込むようにして距離を詰めさせない。



 

「あの……どうかしましたか?」

「これを渡せと頼まれた」


四つ折にされた紙を差し出す。



 

「まさか恋文!?」

「ええっ!?」


ざわっ!


「アホが……んなわけないだろ。無駄にデカイ声出すな」

「そ、そうだな。そんなわけないか」

「そんなわけないって、それ、どういう意味ですか?」


泣き出しそうな、不安そうな顔で彩が尊を見る。


「いやその、えと……」

「お前がブスだって言いたかったんじゃないか?」

「…………」


ぶわっ、と目の端に涙を溜める。



 

「私、可愛くありませんから……そうですよね……」

「き、貴様は僕を困らせに来たのか! こいつのウソに騙されないで下さい!」

「フォロー必死だな」

「っ!」


あからさまに舌打ちをして、紙をふんだくった。


「さっさと出て行け!」

「言われなくても退散するっての」

 


──「あれ? 海斗くんじゃないかぁ」

 


「……この粘りつくような声は……」


まさかヤツもこのクラスだったのか?

そんな嫌な予感を感じつつ、声の主へと視線をやった。



 

「僕だよ雷太だよ。久しぶりぃ」

「ああ……やっぱりそうか」


尊に視線を向けると、『どうなっても知らんぞ』といった目をしていた。


「ひょっとして、僕に会いに来たの?」

「どこをどう巡り巡ってその結論に至ったか説明しろ」

「……友情?」

「うおおおおおお!!」


ぞくぞくと背中を虫が這いずり回るような感覚。

 

「ど、どうしたんだい?」

「いや……気にするな」

「それはともかく、僕の友情が呼び寄せたのかな?」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「どど、どうしたんだい?」

「いや……気にするな」

「…………友情」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!! やめろや!」


──!



 

「ぬふぅ!」

「特に用がないんだったら、オレは行くぞ」


こいつ……奥本雷太と関わってると非常に疲れる。


「ま、待って欲しいんだな」

「……なんだよ」

「こうして久しぶりに再会したのに、挨拶だけで別れちゃうなんて勿体ないんだな」

「むしろ、贅の限り話しただろ」


それこそ一生分の会話量にしてもいいくらいだ。


「尊が話したいってよ」



 

「僕に振るな!」

「み、宮川くんは怒ると怖いんだよ?」

「オレは怖くないのか」

「親友だし」

「てぇりゃああ!!」


渾身の回し蹴りを雷太の腹部に叩き込んだ。


ドバギッ!


「あぁん! い、痛気持ちいいっ……」

「きもっ!」


「ぼ、僕3次元に興味はないけど……海斗くんだけは、ちょっと別かも……はぁはあ」


「仲良くな」

「ま、待ってくれ尊、一緒にいてくれ」

「僕はそんな趣味を持ってないんだ」

「僕と最新型フィギュアの話でもしようよ」

「うそなんだろ? そんなオタク設定うそっぱちなんだろ? 相手を油断させる為にオタクを装ってるとか、キャラが被らないためにオタクっぽく振る舞ってるんだろ?」

「ふふ」


スッ、とポケットから女の子の人形が顔を覗かせた。


「や……やっぱりモノホンのオタクか……」

「今さら現実逃避しても遅い。そんなことは1年も前にわかってることだろ」

「まるっきりオタクっ気のないオレに、どうしてここまでコイツは……」


訓練校のときから、特別親しくしていたわけじゃないのに……。


「確か、小説で話が合ったのが原因じゃなかったか?」

「……言われてみればそうだった気がする」


オレは単純にストーリーを褒めただけだが、その小説が後にアニメ化されるほどの美少女アニメモノだったとは知らなかった。



「ほらほら、あの電脳少女ミクちゃんだよ」


もう片方のポケットからも女の子が顔を覗かせた。


「そんなもん持ち歩くなよ……」


──「お人形さんですか? 私も子供の頃よくお人形遊びをしていました」

 

 

 

 

「ただの人形と一緒にしないでいただきたい!」

「きゃ!」

「これは美少女フィギュアです! 男のロマンが詰まった人形なんです!」


「これ以上彩お嬢さまに近づくと許さんぞ、雷太」
「指一本でも触れたら殺す」


ほぼ同時に、オレと尊が彩と雷太の間に割って入った。

 



 

「なぜ貴様が怒る」

「……特別な理由はない」

「ゆ、指一本触れたら……」

「お顔が赤くなってます……まさか雷太の異臭に!? すぐに医者を呼びますか!?」

「い、いえっ! わ、私は大丈夫です」


「二人して怖い顔だよ。はっ!? も、もしかして! これに気がついたのかい?」


そう言って胸元のポケットから、また女の子のフィギュアを取り出した。



 

「じゃぁん、セーラたんのフィギュアだよぉん」

「…………」

「…………」


オレと尊は顔を見合わせ、同時にため息をついた。

別に悪いヤツではない。

方向性が人として問題あるだけだ。


「そのフィギュアの首、もいでもいいか?」

「じょじょじょじょうだんはやめてよ!」

「あら? このお人形……ではなくてフィギア……」

「フィギュア! ですお嬢さま」

「ふぃ、ふぃぎゅあ……ですね」


二人で睨んでいても口を挟む辺り、雷太にとって妥協出来ない点のようだ。


「フィギュアフィギュアと連呼してると、感覚が少しおかしくなってこないか?」

「僕は既に自律神経に異常をきたし始めている」


それはそれで、おかしいな。



「かずおの大冒険──」

 


「びくん!!! ししししし、知ってるんですかぁ!」

「え、えっ!?」

「体臭が臭うから、それ以上彩お嬢さまに近づくなと!」

「だだだ、だって今かずおの大冒険って!!」

「あの駄作がどうかしたのか?」



 

「駄作じゃない!」

「駄作ではありません!」

 

 

「…………」

「あ、彩、お嬢さま?」

「はっ!? あはは、は……なんでもありませんっ」

「……そういや……」


この間、彩の部屋で見たテレビゲームに、この人形のキャラクターがいたような……。


「ぼ、僕3次元の女の子は、ちょっと怖いけど……だけど漫画やアニメが大好きな可愛い女の子は好きかも」

「この世から消滅しろ!」

「見えるっ!」


雷太の危険な発言に拳を繰り出した尊だが、体格に似合わない速度で、雷太はそれを回避した。


「ほ、本気で僕を攻撃したね!?」

「危険人物には容赦しない」

「相手が本気なら容赦しないんだ、僕だって!」


二人の間に電撃が走る。


「おい、まさかこの場でおっぱじめる気か?」

「これ以上彩お嬢さまに危険が及ぶ前に始末する」

「今の僕は伊達じゃない! 海斗くん、口でBGMを!」

「……は?」

 



「せ、僭越ながら私が……。チャン、チャン、チャーチャチャン、チャン……チャララララーチャラララー」


「人は……同じ過ちを繰り返す……まったく……!」


「よ、よくわからないが来い!」

「邪魔はさせない!」


拳を振り上げる雷太。


「ふん!」


正面からそれを受け止めにかかる尊。


「……こいつら、面白い性格してんな」


近くにいながら、遠い目線で三人を見つめていた。


……。



 

「ふう、さすが宮川くん……」

「貴様もやるじゃないか」

「ふ、二人とも凄いですね」

「身体能力でも、トップクラスだからな。そろそろやめとけよ。これ以上やると、ご法度に触れかねないぞ」

「そんなことはわかっているさ」


どちらも、別に外傷を負ったわけじゃない。


「訓練みたいなものだよね、ふう。いい汗かいたなぁ」

「うっ!!」


がくっと、その場に膝をつく。


「どうした?」

「ぐ、がは!」


吐血したように口を大きく開き苦悶の声をだす。

 



「う!」


次に彩も頭をふらふらさせ、その場で目を瞑った。


「なんだ?」


ざわめきだす教室。

そして、次々と生徒が苦しそうな声や表情を見せ始めた。

オレもすぐに原因を知ることとなる。


「……ああ……そうか……」


強烈に鼻をつく異臭。



 

「どど、どうしたの皆ぁ!?」

「そ、そう言えば……こいつ、そうだったな……」


汗をかくと持ち前の異臭を発生させる雷太。

訓練校のときから誰もこいつとは組みたがらず、仕方なしにオレが相手をしてたんだっけか。


「臭ってるぞ」

「そうかな? くんくん、全然わからないや」

「自身の体臭には気づきにくいというが、ここまで異常さを発揮しても気づかないのはさすがだな」

「ほんとだ、みんな泡吹いてる……」

「相当臭いからな」

「海斗くんは、やっぱり親友だね。僕の体臭にちっとも苦しがってないし」

「臭いは臭い」

「でも、そんな僕の臭いがたまらない?」


ドスッ!


「あぶぅ!!」

「さっさと教室を出るか、このままオレに殴り殺されるか選ぶか?」

「わ、わかった。出るよ出るっ」


……。


しかし、廊下に出たからといって、根本が解決するわけではなく、むしろ失敗だった。


──「ひぐぅ!!」


──「くっせぇ!!」

 

廊下に出たことで、どんどんと臭いが広がっていく。



 

「どど、どうしよう!?」

「焦るな。また汗かいてきてるぞ」

「教室にいた方が、被害が少なくていいんじゃないかな?」

「そうかもな」


教室に戻る雷太をその場で見送る。



 

「ただい──」

「臭い!!」



 

 

 

 

「ぶるぶるぶる……」

「なに戻ってきてんだよ」

「お、お嬢さまに怒られた」

「お前のプリンシパルか?」


身を震わせて(全然可愛くないが)頷く。



 

「今すぐ屋敷に戻って着替えてなさい!」


「ん?」

 


「あら?」


怒りながら出てきたお嬢さまには見覚えがあった。



 

「あなた……」

「か、海斗を知ってるんですか?」

「臭いから喋らないで。あと私の半径10メートル以内に入らないでくださる?」

「は……ははぁ!」


ずざざざざ! と凄い勢いで10メートル離れる。

遠くで他の生徒の悲鳴があがった。

 

 

「うちのブタとお知り合いでしたのね」
「同じ訓練校の出身だからな」
「でしたら、私にリストが回ってきていても、おかしくないはずですのに……。それよりあなたのプリンシパルは誰ですの?」
「あ?」
「少し興味がありましてよ」
「その喋り方が気持ち悪いから言わん」

 

 

 

「う……。あなたこそ、もう少し丁寧に喋ることをしてほしいですわねですね」
「それくらい簡単でございますよ」


……。

 


「おほほほほほ」
「あははははは」


どっちもグダグダだった。

 


──「あ、あのぉ……」

 


そろっと教室から顔を覗かせる彩。


「どうした」

「む……」

「いえ、特別どうしたと言うわけではないのですが」


ちらちらと様子をうかがっているが、どうやらオレと言うよりは鏡花を見ているようだ。

 

 



「あ~ら彩さん。どうかしまして?」

「おい、なんだ」


オレの腕に肩を当ててくる鏡花。

 


「あっ……」

 

 

「今は私と海斗で仲良く談笑中ですのよ?」

「ちっとも仲良く談笑してないけどな。偶然な。幸か不幸かは言うまでもなく」

「幸運の極み、と仰ってましたわね」

「いつだいつ」

「私たちで映画を観た日に決まってるじゃありませんの」

 

 

 

 

「ええ、映画っ!?」

「楽しい二人きりの一時でしたわね」

「あの映画は面白かったな」

 

「…………」

 

「まだ私たちに御用がありまして?」

「いぇ……」


すすっと顔に影を落としたまま、彩は教室に姿を消した。



 

「なんなんだ?」
「あなた、彩さんとお知り合いでしたのね」
「まぁな」
「……もしかして、あなた……二階堂麗華さんのボディーガード?」
「まあそうだな」
「そうでしたの……へぇ……」


オモチャを見つけたような笑みを浮かべる鏡花。


キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン……。


「おっと、時間だな」
「御機嫌よう、海斗」

 

 

 

 

「二階堂に恥をかかせる、面白い機会を得ましたわ」


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 



「海斗さんっ」


「ん?」
「黒堂さんと、お知り合いだったんですね」
「お前もまた似たようなことを聞くんだな」
「え?」
「あいつにも同じようなことを聞かれたからな」
「そ、そうですか……」


がっくりとうな垂れて、とぼとぼと歩いて行ってしまった。


「なんなんだアイツ」


──「まったくだ」


「うお! お前、そんなところでなにやってる……」


天井を見上げると、そこに張り付いていた尊。


「お前はクモ男か」

「彩お嬢さまに元気がなく心配だったんだ」

「だからってそこにいる理由にはならんぞ」

「一人にして欲しいと言われたからな」

「……降りて来いよ」

「とぅ」



 

「貴様が彩お嬢さまにとってゴミ同然でも、二階堂の所有物としては考えてくださってるようだ」
「なんだそりゃ」
「前にも少し言わなかったか? 彩お嬢さまとライバル関係にあるお嬢さまがいると」
「そんなこと言ってたような言ってなかったような」
「それが、黒堂鏡花お嬢さまだ。簡単に言えば、麗華お嬢さまと妙お嬢さまのようなものだな。もっとも、麗華お嬢さまが群を抜いているが」
「ライバルねぇ……どこにでもいるもんなんだな」


尊と薫、そして雷太たちが訓練校でも切磋琢磨したようにお嬢さまたちもまた、近くに目標を置き精進しているのか。


「特に彩お嬢さまは、お優しく傷つきやすい方だ。貴様がライバルと仲良くしているのを見て不快になったんだろう。いつも自分が座るレストランの席を嫌いなヤツが座っていたら不快になるのに近いな」
「わかりにくい例えだ」
「貴様が欠片でも、二階堂に忠誠心を抱いているなら、これ以上黒堂と関わるのはやめておくんだな。もっとも、黒堂家に寝返りたいと言うなら、僕は笑顔で貴様を送り出してやろう」
「寝返るもなにもねえだろ。たかだかボディーガード一人。しかもオレのようなヤツなら尚更だ」
「それもそうだな。貴様はむしろ周囲にマイナスを発生させている」
「イオン?」
「身体に優しくないマイナスだっ。今日も随分と、あのあと彩お嬢さまは注目を浴びていた。あのような下品な男と知り合いなのですか、とな」
「それお前等のことじゃないか? 雷太と肩組んで、セーラたんチュッチューって言ってたし」
「言ってないだろ! 肩も組んでない!」
「そうだったか?」
「礼儀知らずの下品お下劣無味無臭が!」

 

 

 

 

「…………無味無臭?」


だが、どこか尊の言ったことが引っかかった。

いや無味無臭はどうでもいいんだが。

確かにオレは礼儀を知らない。

それを心がけようと思ったこともない。



…………。

 

礼儀か。

周りのヤツらからすれば、礼儀正しいのは当たり前と言う。

しかしオレにとっては、簡単なことじゃない。

それでも、礼儀という世間で当たり前と言われるものが欠落していることが、彩たちに少なからず影響を与えている。

オレはその事実を、受け止めるべきなのかも知れない。


…………。

 

……。

 

 

 

 



「……眠い」
「眠気打破ならありますよ?」
「いらん。そんなもんを飲んでまでゲームはしたくない」



 

「あ、はは……そうですよね。こんなの何本も平気で飲んで徹夜するの、ゲームしかとりえのない根暗な私くらいですよね」
「…………」
「いいんです、最初からわかってたことですから。一人でだって、面白いですからぁ」
「わかった、わかった!」

ドリンクを奪って、一気に飲み干す。


「これでいいんだろこれでっ!」

 

 

 

「あ、レベルアップです」
「……勇姿くらい見ろよ」

「えっ? あ、飲んだんですね。じゃあ二人用にしますね」


これもある意味、お嬢さまの為せる業か。

尊も意外と大変なヤツの護衛になったもんだ。


「オレが言えることじゃないが、人の話は聞くようにした方がいいぜ?」



 

「海斗さんには言えませんよぉ」
「…………しばくぞ?」
「あ……」


急に寂しそうな顔を見せる。

こんなとき平気で女の武器を使うのは卑怯だ。

もっとも、意識してないだけマシなわけだが。



 

「ごめんなさい……。私、誰かとこんなに親しくお話することって、ないから……。つい調子に乗ってしまって……」
「友だちぐらいいるだろ」
「いえ……いません」

 


暗っ。

 


「恋人もいません」
「いたら今ごろ大事件に発展してるだろ」
「死んだ方が、いいんでしょうか?」
「おいおい目がうつろになってるぞ!?」


よく見ると、栄養ドリンクの空き瓶がそこかしこに散らばっている。

 

 

 

「なんか副作用が出たんじゃねえか?」


説明書きを読むと、当然『一日一本』と書かれてある。


「ったく過剰摂取は逆効果だっての」

「うぅ~」


頭を押さえながら、ふらふらとベッドに倒れた。

間もなくして寝息が聞こえてくる。


「ふう……」


なんとかゲームで徹夜させられるのは回避か。

布団をかけてやってから、部屋に戻ることにした。


……。

 

 

「お前は、こんなところでなにしてる」



 

「お掃除です」
「頭に鍋被って、手に包丁と携帯を持ってか?」
「これは、ツキ弐式掃除装備」
「オレが彩を襲うとか、思ってたのか」

 

 

「まさか。全幅の信頼を置いてますので」
「携帯のダイヤル先が110になってるんだが?」



 

時報を聞こうとして間違えました。てへ」
「怒りの鉄拳をくらえ!」


──!


「ってぇ!」
「ふふ無敵の防具……ではなかった」


殴ったオレも痛かったが、殴られたツキも痛いようだった。


「彩お嬢さまは優しいから、ひょっとして間違った方向に走っても泣き寝入りされるかも知れないので」
「へぇ」

 

 

 

「こら。そのいやらしい笑みをやめる。でも、お相手をしてくれるのは素直に嬉しい」
「夜の?」
「遊びの。ふざけないで」


ひゅっ。

包丁を鼻一閃かすめた。


「危なっ!」
「包丁にはトリカブトが塗ってあるから」
「死ぬだろ!」


かすってないか慌てて確かめる。

どうやら切れてはいないようだった。

 

 

「彩お嬢さまは、ずっと一人だったから」
「一人? 姉も父親もいるだろ」


母親は……まぁ想像はつくが。


「どちらも多忙だったり、一人を好まれてましたので」
「残った一人が寂しがり屋だったってわけか」
「ちなみに、ぴこぴこのことは私も知ってます」
「ぴこぴこ?」
「え?」
「今、ぴこぴこって言ったよな?」
「……言ってません」
「じゃあなにを知ってるって言ったんだ」
「テレビ専用遊具機」
「…………」
「…………」
「あ、あぁ、テレビ専用遊具機のことか」


無言で包丁を突きつけられたので、納得することにした。


「掃除のときに見つけてしまいました」
「あいつは誰も知らないと思ってるんだろ?」
「海斗と私だけです」
「二人だけの秘密だね」



 

「うん」
「なんだか、ドキドキするね」
「あなたも? わたしも」
「…………」
「……もういい?」
「満足した」
「良識のある範囲で、彩お嬢さまをよろしく」


……。

 

 

 

 

しかし、あいつもやるなぁ。

麗華も彩もしっかりと世話してるというか、心配してるんだな。


「ゲームの相手は正直疲れるが、またときどきは付き合ってやるとするか」


…………。

 

……。

 

 

 

 

「ね、眠れん……」


眠気覚ましのドリンクがバリバリ効いていた。

 

…………。

 

……。

 



 

「す、すまん……今、なんて言ったんだ?」
「何度も言わせるな。礼儀、というやつをオレに教えてくれ」
「……痛い」


自分の顔を、ぎゅっとつねる尊。


「これは夢じゃないのか? あの無作法で無礼な海斗が、僕に礼儀を教えてくれ?」
「酷い言いようだな」



 

「本気か? それ以前に正気か? と問おう」
「ああ、まぁな」
「理由はなんだ。貴様が無意味にそんなことを言いだすとは思えん」
「さあ……オレも少し計りかねてるとこだ」


彩に迷惑をかけていることが気にかかったのか、それともただ、自分に注目されることを避けるためか。

その真意はまだ、わからない。


「冗談じゃないのか」
「ああ」
「……海斗……」


オレの肩に気安く手を置く尊。

 

「無理だ。諦めてくれ」
「なに?」
「僕がどんなに天才で教え上手でも、魚に人間の言葉を喋らせることは出来ない。貴様が礼儀を知るとは、それと同レベルなんだ」
「さりげなく馬鹿にしてるな。それもかなり」
「試しに『ですます口調』で仰れ」
「殺すデスよ。殺すとデスをかけた。上手いだろ」
「誰がシャレを言えと言った!」
「今、『口調でシャレ』って言わなかったか?」
「そうじゃない! 『ですます口調』にしろと!」
「わかったです」
「なんか違うだろ、それ」
「そうですます?」
「愚か者!」


……。

 

 

 



「……ついてくるな」
「お前が引き受けてくれるまではついていく」
「だから言ってるだろう、貴様には無理だと」
「そこをなんとかするのが一流の教師だ」
「僕は教師になった覚えはない。佐竹校長にでも頭を下げてみればいいじゃないか」
「それは断る」
「何故だ」
「……お前だから、頼んでるんだ」
「なんだと?」
「オレが唯一信頼しているのは、尊だけだからな」

 

 

「そ、そうだったのか……」
「だから頼む」
「よし任せろ! ……などと言うわけないだろ! バレバレのウソはやめてくれ」
「ちっ。やっぱりバレバレの大嘘と見抜かれたか」
「ウソはウソで、ちょっと傷ついたじゃないか」
「だけどな、マジで本気なんだ」
「…………」
「少しのアドバイスでも構わない」
「本当の本当に本気なのか?」
「そうだ」
「僕に対し敬服と忠誠心を示し、敬語を使えるか?」
「敬服と忠誠心はないが敬語を使ってもいい」
「…………なら、僕のことは今後、尊徳さん、と呼べ」
「尊徳さん」

 

 

「うわっ! 背筋がむず痒い!」
「お前が呼べっつったんだろ」
「名前だけは尊のままでいい。貴様に『さん』なんて呼ばれたら気持ち悪くて仕方がない。しかし敬語だ。僕に敬語を使え」
「警護する者は敬語から学べってな」
「そんなシャレはいらん!」
「それで、まずはどうしたらいいんだ?」
「敬語」
「……どうしたらいいんですか?」
「よし」


ある程度学び終えたら殴ってやろう。

 

「礼儀と言うからには、言葉遣いだけでなく態度や気配も正しくなくてはならない。貴様の場合、言動に始まり気配までが下品だ。そこのところを踏まえた上で僕と行動を共にしろ。そして、僕から吸収出来るだけ吸収してみるんだな」
「わかった」
「敬語」
「……わかりました」


……。

 


「あそこにいるのは、彩お嬢さまじゃないか」
「そうみたいだな」


窓から外の景色を眺めているようだった。


「さっそく僕に倣ってみろ──おはようございます、彩お嬢さま」

 

 

「おはようございます」

 

「おはようございます、彩お嬢さま」

 

 

「えっ!? お、おはよう、ございます」

「なんか驚かれたぞ?」

「当たり前だ。貴様が突然敬語を使えばこうなる」

彩に聞こえないように話す。

 

 

 

「今日もいい天気ですね」

「あ、はい。そうですね」



 

「今日もいい天気ですね」

 

 

「えっ!? は、はい……いい天気です……」

「誰がそのまま言葉を真似ろと言った。これじゃコントみたいじゃないかっ。もっと工夫して喋れ」

「……わかった」

「あの……どうかされたんですか?」

「いえ、特別どうかしたということはありませんです」

「…………」

「実は海斗が、礼儀を学びたいと言い出しまして」

「礼儀……ですか?」

「まずは、荒々しい口調や態度を、僕のようにしたいと泣きついてきまして、はっはっは」

「おい」

「敬語」

「く……」

「そうでしたか、でも、なんか変ですね。いつも普通に喋ってらしたので」

「いえ、それこそが異常だったんです。これからは心を入れ替えて、僕のような正しい人間を目指すでしょう。しかし……それもどこまで叶うか……」

「オレならすぐ成長します」

「オレ、などと言うな。僕……もしくは自分と答えるべきだな」

「……自分」

「よろしい」

 

 

 

「まるで兄弟みたいです。ふふ」

「もちろんオレ……自分が兄ですな」

「なんだ『ですな』って。『です』で区切れダメ弟」

「身長もアソコの長さも自分が上です」

「高さや長さで兄の座を奪う気か! 世の中には、背が低い兄や姉もいる! 惨めでもそんなものなんだ!」


──「へえ……惨めねぇ」

 

 

 

 

 

「はっ!?」


「お、お姉さま……おはようございますっ!」

「おおおお、おはようございます!」

「背が低くて惨めな姉で悪かったわね」

「そそそそそ、それは、海斗が言ったことで!」


勝手に人のせいにする男。


「それはともかくとして、なんか面白いことしてるみたいね」

「そうか?」

「敬語!」

「そ、そうかですかな?」

「…………」

「ぜんっぜんダメじゃない」

「さっきは、結構お上手でしたよ」

「そうですか?」

 

 

 

「ほら」

「そう、ですね……」

「あんたのプリンシパルは?」

「お前」

「……それ、わざと? ふふっ、だったらやるわね」

「怒るな怒るな、わざとじゃねえ」

「敬語!」

「ぐ……なんか知らねぇけど、麗華に敬語を使いづらい。チビで貧乳で傲慢な面を見てると、お嬢さまというより世話の焼ける妹って感じがするからだな」

クロスチョップ!」


──ッ!!

 


「ってぇ!」

「本当に失礼なヤツね」

「ゆ、ゆっくりやればいいと思います」

「わかっ……りました」

「だけどなんで急に?」

「理由を話したがらないんですよ」

「…………」

「ふぅん」


オレと彩を交互に見やる麗華。


「どんな理由があるか知らないけど、彩が相手だと練習しやすそうね」

「私が、ですか?」

「こいつの持論で言うに……少なくとも私よりはお嬢さまって感じがするんでしょ?」

「核ミサイルと子供くらいの差があるけどな」

「敬語!」

「ぐ……」

「いいわよ。期待してないから。ま、せいぜい頑張りなさい」


……。

 

 

 



「なにしに来たんだあいつは……」

「貴様ぁ……敬語を使えと言ってるだろ!」

「当然です」

「ぐぅ~っ!」

「ふふ、お二人とも仲がよろしいですね」

「がーん!」

「死にたくなってきた」

「それは僕のセリフだ!」

「なら頭で窓ガラスを突き破れ」

「なぜっ! 死ぬじゃないか!」

「死ねばいいのに」

「きっさまぁ!!!」

 

 

 

「本当に、仲がいいですね」


……。

 

 


「おはようございます」



 

「おはようござ─────誰?」


……。

 

 

 

 

 

「おはようございます」

 


執事「おはよぅござぃ───……え?」

 

 


「おはようございます」

 

 

「あ、頭でも打ったのか海斗」

「いえ、違います」

「まさか昨日から続けてるのか? 本気で?」

「はい」

「しかも成長している!?」

「自分でもやれば出来ます」

「そ、そうみたいだが……非常に気持ち悪いな」

「敬語を使えと言ったのはそっちです」

「わかった、そこを撤回させてくれ。目上の方に敬語を使うようにし、それ以外は普通でいい」

「……そうか」

 

 

「あれだけ敬語を嫌っていたクセに、凄い進歩じゃないか」

「素直に褒めてくれるのか?」

「貴様と違って捻くれ者ではない。褒めるべき部分は徹底して褒め、叱るべき部分は徹底して叱るのがモットーだ」

「うそくせぇ」

「とにかくその敬語を用い、常日頃から麗華お嬢さまや彩お嬢さまに接することが出来れば、貴様への偏見も少しずつ薄れていくだろう」

「そうだな」

「…………」

「なんだよ」

「なんとなくムカつくな」

「意味わかんねぇよ」

「貴様が真面目だとどうも調子が狂う」

「まさに偏見だな」

「僕は未だに、真面目な海斗をイメージ出来ない。人は簡単に変われるものではないだろう。もっとも、生まれや身分と違って、変えられないものではないがな」

「確かにそうだな」

「少しくらいは応援しておいてやろう」

「ありがとよ」


……。

 

 


「今日はどこか、寄って帰られるんですか?」



 

「…………」
「麗華お嬢さま?」



 

「え!?」


ガバッとオレを振り返る麗華。

その表情は幽霊に出くわしたソレよりも驚きに満ちていた。


「いい、今、なんて?」
「麗華お嬢さま」
「ひいい!」


ぶるぶると身を震わせながら耳を塞ぐ。


「その嫌がらせ効く!」
「こっちは真面目にやってんだ……ですよ」
「ひいぃい!」


苦しいといいながら、ケラケラと笑い出す。



 

「無理無理! あんたと敬語なんて無理!」
「額叩きつけてコンクリ舐めさせんぞ」
「そうそう、あんたそれが普通だから」
「いえ……自分敬語使いますから」

 

 

「ひいいぃ!」

 


「あのな……敬語の度に笑われてたら会話にならんだろ」
「無茶いわないでよ、ふひひひひ」
「なんつーあくどい笑い方だ」
「ほ、本気だったの? 礼儀を学ぶって」


どいつもこいつも、同じこと言いやがって。


「やれば出来る子なんだよオレは」
「やればねぇ……好きにしてみなさいよ。でもちょっと私としては、嬉しくないけどね」
「あ?」
「私としては、あんたの不真面目さを買ってたのに」
「真面目になったらお払い箱か?」
「真面目の度合いにもよるわ。尊徳のようになったらお終いね」
「それだけはないと言い切れる」
「だったらいいんじゃない? あんたにもそれなりの理由があるんでしょ?」
「まぁ……な。それを話す気はないけどな」
「別にいいわよ。と言っても、彩のことでしょうけど」
「…………」
「図星みたいね」
「なんだっていいだろ」
「はいはい、私には関係のないことね。ほら、やるんだったら敬語に戻しなさい。もう笑ったりしないから」
「……はい。麗華お嬢さま」



「…………ふ、ふひひひひひ!!!」

 


「だぁら!」


──!


オレは笑い出した麗華の頭にゲンコツを振り下ろした。

 

 

……。

 

 

 

「ちょっと、頭にコブが出来たじゃないの!」
「どこにですか」
「ここよここ」


ぐいっと頭を突き出してくる。


「髪が多すぎてわかりません。いっそのこと丸坊主にしたらいかがですか?」
「丁寧な言葉でも中身はドロッドロのヘドロね」
「いえ、普通です」
「なんかあんたの敬語って変よね。発音もイマイチだし……英語を日本語訳したみたいよ」
「いいえ、それはペンです」
「そんな感じ」



 

「こんにちはお姉さま、海斗さん」


昼休み、昼食前のオレたちのところへ彩と尊がやってきた。


「あの……ご一緒してもよろしいですか?」

「珍しいわね、あなたがそう言い出すなんて」

「いけません……か?」

「いいわ。座りなさい」

「はいっ!」


ご主人様に認められた子犬のように、パァッと明るい笑顔を咲かせる。


「ふんっ」


朝の食堂ではそこそこ普通に話したが、こいつは、やっぱり機嫌が悪いな。


「お姉さまや宮川さまの好きな物は大体わかってきたのですが、海斗さんはどのような物を好まれるんですか?」

「自分は──」

「なんでも食べるわよ」

「麗華さまのアソコの毛も少々」



「ぶーーーっ!」

 


「どうも、死にたがりの狂人ね」

「落ち着いて下さい。自分は礼儀の中に礼儀を持つ礼儀の塊です」

「どこが礼儀だ! 貴様というやつは! 貴様というやつは!」

「二回繰り返してるぞ」

「貴様というやつは!」

「三回目」

「貴様というやつはぁああああ!」


──!


人様の襟首を掴み、ガクガクと前後に揺らす。


「ちょっとしたジョークだろ」

「限度を知らんか!」

 



──「仕方ないんだな。生物の仕組みなんだな」

 

 


「この腐敗したような臭いと声は……雷太か」

 

 

「やっ」

 

 

 

ごきげんよう皆さん」


一つのテーブルに、ワラワラと集まり始めた。

六人なんて初めてじゃないだろうか。

一気に騒がしくなる。


「兎にも角にも、食事中の話としてはこの世でも底辺の底辺に位置する話ね」

「そうだ。もうこの話は打ち切るべきだ」

「別にいいけどな」

「よくないよ。僕としては解決させておきたい問題だね」

「引っ張るなっ!」

「僕は引けないよ。そう、3次元を否定するいい機会だからね」

「この豚は放っておくとして、相席しても構わないかしら?」

「えっと、お姉さま?」

「初めまして……でいいのかしら?」

「そうなりますわね。けれど互いに自己紹介は必要ないでしょう」

「そうね。相席の件は構わないわ。ただ……」

「心配なさらないで、この豚は別の席で食べさせますから」

「そう、それは助かったわ」

「なんか僕迫害されてる!?」

「臭いもの」

「臭いが……」

「死体と一緒には食べられないわね」

「鼻が腐る」

「目の毒でもあるよな」

 

 

 

「かか、海斗くんまで酷いよ! 僕の海斗くん!」

「誤解を生むからやめろ」

「じゃ、じゃあ僕と一緒に食べようよ!」

「あなた、食堂で食べることを禁じられているでしょう?」


そう言って、鏡花がすっと食堂の壁を指差した。


『奥本雷太の食堂での食事を一切禁ずる』


「お前なにしたんだ?」

「臭いに決まってるだろう。一説では米軍の新型ミサイルに雷太の体臭を使用することを検討しているとかいないとか」

「ぼろくそ言われてるな、お前」

「僕を庇ってくれるのは海斗くんだけだよぉ」

「少しも庇った覚えはない」

「それより僕と、排便について語ろうよ」

「気持ち悪いな。お前もよくこいつをボディーガードに選ぶ気になったよな」

「気が抜けてるわよ? 口調口調」

「っと、そうだったな……」

「外見は0点でしたけど、成績が良かったでしょう?」

「まぁ上から3番でしたから」

「……敬語?」

「僕は優秀なんだな」

「人間としては最低だけどな」

「そのキツイ性格も魅力的だよ、親友!」

「こいつ地中に埋めてきてもいいか?」

「地中が腐るぞ。雷太を埋めると70年は草木が育たないらしいからな」

「生きてても死んでても迷惑な奴だ」

「ここに僕の味方は海斗くんしかいないっ!」


いや、尊に負けず劣らず侮辱してるつもりなんだが。

こいつの目と聴覚にはフィルターがかかってるんじゃないだろうか。


「それで排泄物の話なんだけど……」


そして酔っ払いの如く同じことを繰り返す。


「わかったわかった聞いてやるから急げ」


他の四人は雷太をオレに任せ、すでにメニュー表に視線を落としていた。



 

「お嬢さまたちだって下品に排泄物を出すよね」
「下品かどうかは知らんが、そうだな」
「この辺を否定する男が多くて困るんだよ。それに比べて海斗くんはズバッと言うから好きだよ」
「お前に好まれたくはない」
「麗華お嬢様も彩お嬢さまも、そして鏡花お嬢さまだって例外じゃないよね?」
「お前、色々世間を敵に回したい?」
「真実を追求してるだけだよ」
「するする」
「だよねぇ? 3次元は汚いことだらけなんだ」


すすっとポケットに手を入れて、フィギュアを取り出す。


「だけど2次元は排泄物なんてしないもんね?」
「結局はそれが言いたいだけか」
「2次元は清く正しく美しく、だよね?」
「アニメとかに真実を求めたら、飯も食わないし呼吸もしないってことになるぞ?」
「ご飯は食べるし呼吸もするよ!」
「だったらクソもするだろ」
「しししし失敬な!! 不愉快だよ!」
「…………」


痛い子を見る視線を、他の奴らにもと思ったがまるで空気のようにスルーしていた。


「テメェら、ほんと人間デキてるぜ」


所詮、人は自分が可愛い生き物だからな。



 

「ほら退場しろ」
「僕は、僕は海斗くんを見損なったぞ!」


泣き叫び体臭を撒き散らしながら、雷太は食堂をあとにした。



 

「解雇したくなりますわ」

「すればいいじゃない」

「なまじ成績がいいだけに、切り捨てる口実を作るのが難しいんですの」


表でも裏でも、こんなこと言われてんだろうな。


「悪いヤツではない」

「フォローするか、あいつを。貴様だけ体臭に耐えるし。僕なら嫌いな海斗と嫌いな雷太、どちらかを選べと言われたら貴様を選んでしまいそうだ」

「どんだけ嫌ってんだよ」

「体臭と口臭でポイントを消失している。改善出来る部分なのだから、努力すればいい。日本だから許されるものの、これがアメリカなら肥満は罪になりかねないんだ。努力は誰もが持つ凡才だというのに」

「いや、努力出来る人間は天才だけだ」

「なんだと? また貴様はわけのわからぬことを」

「そう? 私は海斗の意見に賛成ね」

「え……?」

「彩、あなたは尊徳の意見派みたいね」

「努力って、誰もが持つものじゃ、ないんですか?」

「興味深い会話ですわね」

「まったく興味深くない……ですよ」

「麗華お嬢様も、海斗を庇う必要はないのでは?」

「別に庇ってなんかいないわよ。私がそう思うから、賛同したに過ぎないわ」

「なら海斗。お前の考える努力を言ってみろ」

「深く考えることはなにもねぇよ。努力しろ努力しろと誰もが言うが、本当に努力出来る人間は一握りしかいない」

「それは努力していないからだ」

「そう……だから天才だけしか努力出来ない。勉強すれば良い学校に、鍛えればプロの格闘家に。……言うだけなら簡単だ。だから努力は天才にしか出来ないんだよ」

「ふん、ただの詭弁だ」

「努力ってのは自発的なプロセスだろ。本気で努力出来るか手を抜いてしまうか、それらは自身の自主裁量の範疇になってしまう。そこで心理を突く、甘えを一切排除し目標に到達出来るヤツなんて、本当に一握り。そいつらが天才でなくてなんだってんだ」

「だから詭弁だと!」

「そう思うなら、反論すればいいじゃない。納得出来るだけの理由をね」

「努力とは、そういう論理的なものとは、違うかと……」

「お前スポ根好きだからな。努力を美化したくなる気持ちはわからないでもないが」

「くぅ……海斗に言いくるめられているようで腹が立つぞ」

「なんだか、海斗さんのお話を聞いてると、ちょっとだけ悲しくなってしまいますね」

「あらそうかしら? 結構正しそうですけど?」

「努力って、宮川さまの言うように、その……頑張るってことで、素敵なことです」

「…………」

「結果に必ず結びつく、とは言えませんが……その日そのとき努力したことは、必ずどこかで報われるんじゃないかと、私は思います。根拠はありませんが……」

「いいんじゃねえか? 別にすべてを否定するわけじゃない。そんな風に考える努力があって当たり前だ」

「そうでしょうか?」

「ああ。いいと思うぜ、そんな考え。オレは好きだ」

「は、はいっ」

「なら僕にも言えっ!」

「……好きって言われたいのか?」

「考えが正しいってことをだ! 頑張ることは素晴らしいですねって言え!」

「断る」


オレは代わりに、尊の耳元で付け加えた。


「頑張ろうってのは、努力を強制することに近い。つまり根性論になるが……これは今問題視されてる自殺なんかにも直結してくる危険な発言でもある」

「貴様、彩お嬢さまにはいい考えだと言っておきながら」

「それは本当だ。一つの考えとしては正しい」

「口八丁めが」


「それじゃそろそろ頼むわよ」


……。

 



それぞれが注文を終え、メニューの到着を待つ。


「でも、私たちと食事しようなんて、どうして?」

「特別に他意はございませんわ。強いて言うなら、麗華さんのお噂が気になっていたからですわね。文武両道容姿端麗、けれど貧乳と聞いてましたの」

「貧っ……」


ピキッと青筋を立てる麗華。


「とりあえず、最後だけは事実のようですわね」

「この女のクルクルした髪をストレートにしてやろうかしら」

「それは色々問題が発生するな」

「また口調戻ってるわよ?」

「む……」


昨日である程度理解出来たと思ったが、気を抜くとすぐに素が出てしまうな。

思う以上に敬語を使うのは難しい。

二十年近く好き勝手に喋ってきたからな。

仕方がないと言えば仕方ない。

地道に慣れていくしかないだろう。


「面倒だな……」

「えっ?」

「やっぱり、オレには敬語なんて無理」

「三日坊主ならぬ二日坊主ね」

「でも、海斗さんらしくていいと思います」

「自分らしいってのは大切だよな」

「はいっ」

「単純に、我慢と努力ができないだけだろ」


尊の呆れたため息が聞こえてきた。


…………。

 


……。

 

 

 

 

 

「そんなにゲームやってて、楽しいか?」
「楽しいですよ? いつまででも出来ます」


テレビ画面では武装した少女がゾンビを撃ち殺している。

実にギャップを感じさせるゲームである。


「つーか、一人用ならオレはいらないんじゃないか?」
「じゃあ私が見てるので、やりますか?」
「なんでだよ。やらなきゃ楽しくないだろ?」
「そんなことない……と思います」
「思う?」
「誰かがゲームをしてるそばで、自分が見ていたことなんてないので」
「そう言えばそうか」
「ささ、どうぞどうぞ」


無理矢理にコントローラーを押し付けてくる。

 

 

「ったく……どうやればいいんだ?」
「まずは新しいデータを作って……」


こうしてゲームに誘われる度、色々とわかってきた部分がある。

彩は半分一人っ子のような性格をしている。

一般的に一人っ子と言うと、『わがまま』『世間知らず』『競争心がない』『場の空気が読めない』『甘え上手』……こんなとこか。

それを彩にあてはめると、どれもが半分ほどあてはまりそうだ。



 

「どぞどぞ」
「ああ」


特別やりたいわけじゃないが(むしろやりたくない)、がっかりされるのもなんなので、やってみることに。


「難易度ってあるぞ」
「初心者で下手な海斗さんはイージーがいいと思います」
「…………」

オレは無言でベリーハードを選ぶ。

 

 

 

「そ、その難易度は無茶だと思います。私でもまだ途中ですし」
「舐められたままでいられるかよ」


それにハードだと言っても、イージーやノーマルとの違いも知らないんだ。

これを普通だと思えばなんてことはない。


…………。


むろん、この後すぐ挫折したことは言うまでもない。

 

……。

 

 

 

CHOAS;CHILD 間に合わぬ愚者の微睡-Fools 《ドラマCD》

このブログは音声を文字起こししていますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身で視聴してください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 


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……。

 


私は夢を見ていた。

 

とてもとても……長い夢を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

男の子「あっ、お姉ちゃん!」

久野里「ん? 今日は調子が良さそうだなジェイク。良かった」

女の子「ジェイクったら、朝からつまらないジョークばっかり言ってるのよ。もう、うるさくって!」

男の子「ベ、ベスこそ、怒ってばっかりでうるさくって……」

女の子「なによ、ちょっとミオが来たからって強がっちゃって!」

久野里「まあまあ、二人とも仲良くしろー。……うん。ベスも調子は悪くなさそうだな」

女の子「まあね! 今日はお天気も良さそうだし、良い気分なの!」

男の子「……変なの。この部屋にいて、天気なんかわかりっこないのに」

女の子「わかるわよ! お天気の良い日はね、髪の毛のパサパサが、いつもより少しマシなの」

男の子「なんだよそれ。そんなのでわかるわけないだろ」

女の子「わかるもん! ミオだって、わかるよね?」

久野里「……ああ、そうだな。ベスは女の子だから、そういう変化には敏感なのかもな」

男の子「なんだよ、女同士でずりぃ」

久野里「それよりほら、お菓子持ってきてやったぞ。今日はジェリービーンズだ!」

女の子「やったぁ! だからミオってだーいすき!」

男の子「あ、ベスばっかりずるい! 僕にも!」

久野里「もちろんジェイクの分もあるぞ。……でもな、言っておくが……。隠しておいて後から食べるんだぞ? それから、他の大人には内緒だ。見つかったら、お前たちまで怒られるんだからな」


男の子
女の子
「はーーい」


……。


ドクター「ん? なんだミオ。もう来ていたのか」

久野里「え、ええ……ドクター。先に様子を見ておこうと思いまして」


(わかってるな……)


男の子
女の子
「えへへへ……」


ドクター「……? ミオ。ちょっといいか?」

久野里「はい……なんでしょう」

ドクター「……こいつらに必要以上に関わるなと言っているだろう」

久野里「……っ……しかし、彼らは……」

ドクター「いいか、彼らは検体だ。検体との無用な接触は実験結果に影響を与えかねない。同情などもってのほかだ」

久野里「私は別に同情なんて……」

ドクター「とにかく。これ以上、奴らとは仲良くなるな。わかったな?」

久野里「……っ」

 

女の子「ミオ……?」


ドクター「お前たちには関係ない。それより注射の時間だ。手を出しなさい」

女の子「………また、苦しくなる……?」

男の子「僕……痛いの、嫌だ……」

ドクター「何度言わせればわかる。これはお前たちの病気を治すために必要な薬だ。……さあ、大人しく腕を出しなさい」

男の子「……っ……!」

久野里「大丈夫。……私が、ついてるから」

男の子「…………」

ドクター「いいか? 動くんじゃないぞ、動くともっと痛くなるぞ?」

男の子「……っ」

ドクター「…………よし。さあ、フォーティーン。お前も」

女の子「……っ……!」

ドクター「…………よし。終わりだ」

男の子「ぅ……っ、ぁ……あぁぁ!」

女の子「ジェイク……? 大丈夫……ぁ……あぁ!」

久野里「……ジェイク……! ベス!?」

ドクター「なにをしている。早く数値を取れ!」

久野里「で、でも」


「あぁぁ……っ……い、痛いよぉ……!」

「あぁ……っ!」

「……っ……助けて……! ……苦しい……」

「あぁ……あ、頭が……! 頭が……!」

「く、苦しいよぉぉ……っ……! ……痛い、痛い痛い痛い!!」

「ミオ……っ……ミオ……助けて……!」


ミオ……!

ミオ………!!

 

──!

 

 

 

 

 

 

 

 


「──っ!?」


はぁ……。

はぁ……。

はぁ……。


また……あの夢か……。

 

 

 


CHAOS;CHILD AUDIO DRAMA

間に合わぬ愚者愚者の微睡-Fools

 

 

 

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

伊藤「あぁ……いいなぁ。なんで宮代ばっかり! ずりーよなー!」

尾上「うー、真ちゃんってば、また言ってるー」

宮代「しょうがないだろ。僕だって、好き好(この)んで手に入れたわけじゃないんだ。僕を妬むのは筋違いだ」

伊藤「んなこと言ったってさー、"ギガロマニアックス"だぞー? 男なら誰だって一度は憧れる"能力者"だぞ。羨ましくないわけないだろー!」

尾上「男の子って、そういうの好きだよねー。自分だけに特別な力がー! とか、世界を救う運命がー! とか」

来栖「違うわ、世莉架。伊藤くんのことだもの。そんな可笑しな力があったところで、どうせろくな使い方しないんだから」

伊藤「そ、そんなことないって! もしもオレにスゲー力があれば……きっと世の為人の為に──」

有村「あっ、それウソですねー」

伊藤「……ぐぬぬ。おのれ、有村……ここぞとばかりに能力を発揮しやがって……!」

有村「言っときますけど、今の能力とか関係ないですから」

伊藤「……っ……、おい、宮代ぉ! お前も何とか言ってやってくれー!」

宮代「悪いけど。お前のくだらない話に、僕を巻き込まないでくれるか」

伊藤「あー、ズリー! オレとお前の仲だろう!? あの日、夕陽に誓ったオレたちの友情は嘘だったってのか? ずっと一緒にいようね、って……。あの約束は嘘だったっていうのか……」

 

香月「──んっ!?」

 

尾上「タクと真ちゃん、って……」

来栖「もしかして、その……。そういう関係だったの……?」

宮代「……!? ち、違う! お前、伊藤!? いきなり何言ってんだよ!」

有村「おっかしいなー、さっきの伊藤先輩の言葉……嘘じゃないみたいなんですよねー?」

宮代「ば、ばば、馬鹿なっ!! ぼ、僕は、そんな約束した覚えなんてないからなっ!?」

香月「………ふ……ふふふ」

尾上「……? 華ちゃん、どうしたの?」

香月「んふふ……っ」

宮代「……ま、待て、香月……。変な想像するな」

有村「ほっほーう? どうやら華も、そっちのほうイケる口ですなー?」

香月「……ん」

伊藤「へっへーん! いつもズルいんだよ、宮代ばっか。こうなったら死なばもろとも、道連れにしてやるっ!」

宮代「お、お前っ!?」



 

──!

-POSITIVE TRIGER ON-

 

 

 

 

世莉架「う? いっけなーい、もうこんな時間!」

有村「どしたー、せり?」

尾上「私、約束あるの忘れてたよー! っていうわけで、ごめんタク、今日は帰るね!」

宮代「……? ま、待てよ。今からまだ──」

来栖「あ、拓留。悪いんだけど……私もそろそろ生徒会に顔出さないと……」

宮代「お、おい……来栖……」

有村「んー……。だったら私も一緒にドロンしちゃおっかな! あでぃおすぐらっしゃー。 ね、華。メロンパン食べて帰らない? アイス入ったやつ!」

香月「ん」


宮代「あ、あぁ……。なんなんだよ、あいつら……」

伊藤「……っ……あの、さ……宮代」

宮代「……なんだよ、伊藤。お前もか? まあいいや。2人じゃどうしようもないし、僕たちも帰──」

伊藤「ち、違うんだ! 宮代……。そうじゃなくて……」

宮代「……違う? なにが違うっていうんだ」

伊藤「いや、その……。なんか2人ってのも、久しぶりだしさ。せっかくだから、ちょっと話でも出来ればなー、って」

宮代「なんだよ? 改まって……。変な奴だな」

伊藤「……変……そう、変なんだよオレ……。なんか最近おかしいんだ……」

宮代「……い、とう……?」

伊藤「なあ! 聞いてくれ、宮代!」

宮代「……っ」

伊藤「オレ……! オレ、さ……。ずっとお前のことが羨ましいって思ってた! スゲー力もあって、それにお前ばっか女の子に囲まれてて……。だから最近、そんなお前見てたら……スゲー、イライラしてさ」

宮代「な……なんだよ……? お前……僕に、嫉妬してたのか?」

伊藤「……嫉妬……。そうなんだ、オレもずっと、そう思ってた……。お前に嫉妬してるんだって……。でもさ……なんかそれ、違ったみたいなんだ……」

宮代「……違った……?」

 

 

 

 

伊藤「俺……ようやくわかったんだ。オレがイラつくのは……女子と楽しそうに話してるお前に対してなんだ、って。宮代の傍にいる尾上や、副部長に対してなんだって……。気づいたらオレ……オレは……。あいつらと代わりたいって思ってるんだ! あいつらの代わりに、お前の傍にいたい、って」

宮代「……っ……!? お、おい……それ、どういう──」

伊藤「わかるだろ……? 宮代っ……!」

宮代「……ま、まま、待て! 冗談だろ!! 冗談だよな!? そんな、だってお前が僕のことを──」

伊藤「こんなこと冗談で言えるかよっ!」


──!


宮代「……は?」

伊藤「…………拓留。もう、オレ以外のやつに笑いかけたりなんかするな……」


──生唾を飲みこむ宮代。

 


伊藤「俺と一緒に夜明けのハムサンド……食べよっ!」

宮代「…………イトゥー?」

伊藤「そうじゃない……だろ?」

宮代「ぁっ……! し……真二……っ!」

伊藤「拓留っ……!」

宮代「……すぃん、ずぃ……!」

 

 

 

 

 



 

 

宮代「うわああああぁぁぁぁぁああああああ!!!!」


来栖「た、拓留!? どうしたの!!」

宮代「……い、いや……なんでもない……っ!」


伊藤「なんだなんだー? また良からぬことでも考えてたんじゃないのかー?」

宮代「──! 元はと言えばお前のせいだぞ、真二!」

伊藤「……な、なんだよ!? つか、なんでいきなり名前呼びだよ?」

宮代「……あ、いや……。今のは、ちょっとした間違いだ。別に、変な意味は、ないぞ……」


来栖「変な意味?」

宮代「……く、来栖も気にするな。わかったな?」

来栖「え、ええ……」

有村「……ん? てか、せり。なんか赤くなってるけど……。どうしたー?」

尾上「……う!? ううん、なんでもないよ……? なんでも……」

来栖「……? まあいいわ。くだらない話はここまで。有村さんも、冗談はほどほどにしときなさい」

有村「へーい……」

尾上「そ、そそ、そうだよね! 冗談だよね! は、ははは……」

香月「…………ち」


──!


宮代「……なに残念がってるんだよ、香月……」

伊藤「それにしても……。なーんか、ひさびっさに平和、って感じだよなー!」

尾上「だよねー。『ニュージェネレーションの狂気の再来』事件が起きてから、気が休まることがなかったもんねー」

来栖「なにより平穏なことは良いことね!」

伊藤「そういえば、宮代。事件に関してはまだ進展はないのか?」

来栖「ちょっと伊藤くん! 言ってるそばから蒸し返さないでくれない?」

宮代「……いや、来栖。僕たちだってもう、一連の事件には完全に巻き込まれてしまっているんだ。今さら関係ないっていうわけにはいかないことは、わかってるだろ?」

来栖「……それはそうだけど……」

尾上「でも……。のんちゃんの気持ちもわかるよー。だって、ここのところ……。みんななんか、ちょっとギスギスしてたし……。ほら、とくにあの人……。久野里さんがいると──」

有村「あーもう! やめてよ、せり! やな奴思い出させないでよー!」

来栖「……ねえ。私、まだその久野里さんって人に会ったことないけど……。そんなに、その……感じの悪い人なの?」

有村「そりゃあもう! あの人なにが気に入らないのかしんないけど、私たち能力者のことを目の敵にしてるんすよねー」

来栖「でも、その人って確か……"ケイさん"、なのよね? 渋谷にうずの。とても優しそうな感じだったのに……」

香月「……んー」


『皆さん、ようこそいらっしゃいませ。ごきげんいかがですか? ケイさんです──』


来栖「そうそう、この声! ありがとう、香月」

香月「ん」

来栖「うーん……。やっぱり、すごく優しそうに聞こえるけど……」

尾上「見た目も、すっごく綺麗なんだけど……。でも、外見と中身が違うってのも、よくあることだもんねー」

宮代「……ほんと、とんだ"猫かぶり"だな……」

伊藤「俺はああいうキツいのもアリだけどな……!」

有村「変態だー! みなさーん、変態がここにいまーす!」


──「なんだ、ずいぶん賑やかだな」

 

宮代「……神成さん」

有村「ちょっとー、入るときはノックくらいするのが常識じゃないすか?」

神成「あ……そうだったな。すまない。どうも最近、常識じゃ測れない事件ばっかりなもんで……つい」

来栖「あの……。神成さんが、わざわざ部室にまでなんの用です? ……まさか、また……!」

神成「あぁ、いや……。近くまで寄ったもんで、ついでに挨拶でもと思ってね」

伊藤「なーんだ……。てことは、別に進展があったってわけじゃないすね」

神成「残念ながら……。この前、久野里さんと被害者の脳を調べたんだが……。新たな情報はなにも」

尾上「脳……? うー、想像しちゃったよー……!」


『そういえば皆さんは、今月の頭に起きた事件について、覚えていらっしゃるでしょうか?』


神成「ん? 聞き覚えのある声だな」

宮代「なに言ってるんですか? 久野里さんですよ」

神成「……あ、ああ。なるほど。あ、そういえばそうだ。最近は、あの冷たい声しか聞いてなかったからなー。こんな声も出せるってこと、すっかり忘れてたよ」

来栖「久野里さんって、神成さんにもそんな態度なんですか……?」

神成「そりゃもう、怖いのなんのって! あ……俺がそう言ってたって、彼女には言うなよ?」

有村「頼まれたって言いませんよ」

宮代「……でも、あの人。なんであんなに能力を持ってる人間のこと、嫌ってるんでしょう。……神成さん、なにか知らないんですか?」

神成「彼女がそんなプライベートなことを俺に話すと思うか?」

有村「ほんっと、神成さんも役に立たないっすねー」

神成「……まったくだ。自分でも嫌になる……」

有村「あ、いや……。そんな素直に言われちゃったら、なんか私が悪いみたいじゃないすか」

神成「ははは……」

有村「な、なんですか……?」

神成「あ、いや。有村さんって、意外と良い子だなって」

香月「ん」

有村「……や、やめてくださいよ。私、良い子なんかじゃありませんから」

尾上「そんなことないよー! ひなちゃん、良い子だよ? ねー、タク?」

宮代「有村が良い子……!?」

有村「……なんか先輩に言われるとムカつく」

宮代「なんだよそれ!?」

伊藤「オレは! ねぇ、オレも良い子だよな!?」

来栖「……あぁ、伊藤くんはさすがに良い子とは……。ねぇ?」

伊藤「宮代ー! やっぱオレのことわかってくれるのはお前だけだー!! みやしろぉぉ!」

宮代「──! や、やめろって……! く、くっつくなっ!」

 

香月「ん……」

尾上「わぁ、華ちゃんたら、またニヤニヤしてる~」


伊藤「宮代……!」

宮代「……い、伊藤……っ……!」

 

…………。


……。

 

 

 

 

 

 

 

 

……はは。

 

 


──扉を開く音。

 

 


久野里「調子はどうだ? ……宮代」

宮代「……あぁ……久野里さん」

久野里「……? お前もしかして……笑っていたのか? 珍しいな」

宮代「ええ……。ちょっと、昔のことを思い出してしまって……」

久野里「昔のこと……というと? 尾上たちとのことか?」

宮代「……尾上や乃々。それに、新聞部のみんなのことです」

久野里「……そうか。そういう偶然も、まぁあるんだろうな」

宮代「……なんのことです?」

久野里「いや……。その尾上世莉架のことだがな。どうやら、色々な矛盾に気づき始めているらしい。……ついさっき、百瀬さんのところに来たそうだ」

宮代「…………そうですか。言っておきますけど、くれぐれもここには……」

久野里「お前はそれでいいのか?」

宮代「久野里さんらしくないですね。僕の意見を聞くなんて」

久野里「なに……?」

宮代「以前の久野里さんなら……。わざわざ僕にそんなことを確かめたりせず、自分のやりたい様にやったはずです」

久野里「……。確かにそうかもしれないな」

宮代「昔のことを……」

久野里「……?」

宮代「昔のことを思い出していた、って言いましたよね? ……あの頃の久野里さんは、僕たちを目の敵にして……。独善的で高圧的で……本当に嫌な人でした」

久野里「そういうことは普通、本人のいないところで言うものだ」

宮代「過去形ですよ。……だってほら、今ではこんなことを言っても、あまり怒らない」

久野里「お前もずいぶん嫌な奴になったもんだ」

宮代「ずっと久野里さんと一緒だったからですよ」

久野里「私はあの頃となにも変わっていない……。なにもな……」

宮代「……一つ、訊いてもいいですか?」

久野里「くだらんことでなければな」

宮代「久野里さんは……どうしてあんなにも僕たち、ギガロマニアックスのことを嫌っていたんですか?」

久野里「"いた"じゃない……"いる"だ」

宮代「……。じゃあ、訂正します。どうして、そんなに嫌っているんです? なにか、あったんですか? あ、その……過去に、なにか……」

久野里「………」

宮代「……あ……すみません。やっぱり、くだらない話でしたね」

久野里「知り合いに……」

宮代「えっ?」

久野里「私の知り合いに……天才と呼ばれた少女がいた。まぁ、天才と言っても……せいぜい上の下。牧瀬紅莉栖ほどではないがな」

宮代「……まきせ、くりす……?」

久野里「知らないか? サイエンス誌にも論文が載って、一時期ニッポンでも話題になったんだが……」

宮代「あぁ……。そういえば、聞いたことあるような」

久野里「……その知り合いの子はな、ニッポンの小学校を卒業して、アメリカの全寮制スクールに入り、飛び級でハイスクールへと進学した。そしてそこで、牧瀬紅莉栖の論文に感化され……脳科学の研究室に出入りするようになった」

宮代「……優秀、だったんですね」

久野里「中途半端な才能だよ……」

宮代「………」

久野里「続けていいか?」

宮代「はい」

久野里「その脳科学の研究室で才能を認められた彼女は、やがて、精神生理学研究所に迎えられ、"とある研究"に従事するようになる。研究の対象は……子どもたちだった」

宮代「……子どもたち? まさか……」

久野里「歳の近い彼女に、子どもたちはたいそう懐いたらしい。最初は子ども嫌いだった彼女もまた、次第に心を許していったそうだ……。彼女の働きもあって、研究は飛躍的に進んだ。そして、研究成果があがればあがるに従い……次第に……実験の様相も変わっていった。彼女がその実験に疑問を持ち始めるまで、それほどの時間は必要なかった」

宮代「待ってください! 久野里さん、その実験って──」

久野里「特定の脳内伝達物質保有者における……妄想具現化の発現と解析。……それが、その研究所で行われていた実験の実態だ」

宮代「……そ、それは……ギガロマニアックスの……!?」

久野里「……実験は次第に、子どもたちに多大な負荷と苦痛を与えるものへと変わっていった……」

宮代「そ、それで……その人はっ! 彼女は、どうしたんです!?」

久野里「もちろん抵抗した。こんな実験は間違っている、と。……けれど。受け入れられなかった……。そこで思い切った彼女は、一つの行動に出た。投薬の量を減らし、数値を改竄(かいざん)するという行動に……。それが仇となってしまうことも知らずに……」

宮代「……仇?」

久野里「薬物を減らしたことで、当然。実験の経過は芳しくなくなる。一方で、ニッポンで同様の研究を行っていた機関が、ある程度の成果をあげたという報告が入ってきた。……そしてあの日……」

 

 

……。

 

 

 

 


ドクター『さあ、注射の時間だ。手を出しなさい』


女の子『……また、苦しくなる……?』

男の子『僕……痛いの、やだ』

ドクター『何度言わせればわかる? これは、お前たちの病気を治すために必要な薬だ。……さあ、大人しく腕を出しなさい』

女の子『……っ……』

久野里『大丈夫。私がついてる……。終わったら、お菓子持ってきてあげるから』

女の子『ほんと……?』

久野里『ああ』

男の子『……じゃあ、我慢する……』


ドクター『いいかー? 動くんじゃないぞ。動くともっと痛くなるぞ?』

男の子『──! うっ……!』

ドクター『……よし。さあ、フォーティーン。お前も』

女の子『……っ……』

ドクター『……よし。終わりだ』


男の子『……うっ……うぅ! あぁ……あ、あ、あぁっ!』

女の子『……ジェイク! だいじょ……っ……あ、あぁぁ……っ……!』

男の子『あぁぁ……っ……! あぁぁっ!』

久野里『……ジェイク! ベス!?』

ドクター『なにをしている! 早く数値を取れ!』


──泣き叫ぶ男の子と女の子。


久野里『どういうことだ! おかしい……! こんな反応──!』

ドクター『くそぉっ! 多すぎたか!!』

久野里『──!? 多すぎた? まさか……投薬の量を増やしたのか!?』

ドクター『このままでは他に先を越されてしまう! その前に成果をあげなければならない! やむを得ない処置だ!』

久野里『馬鹿なっ……!? そんなこと……ジェイク! ベス! しっかりしろ!』

男の子『あぁぁ……っ……うぁ……!』

女の子『……ぁ……っ、あぁぁ……! た、すけて……!』

ドクター『くそぉっ!!』

久野里『……っ……ジェイク……!』

女の子『……ミオ……ど、どこ……どこにいるのぉ……?』

久野里『ここだ! 私はここにいる!』

男の子『……た、たすけて……っ……!』

久野里「しっかりするんだ! ジェイク!」

女の子『……ミ、ミオ……っ……いたい、よ……ミオ……! ミオ……っ……』


ピーーーーーー……。


久野里『……ジェイク? ベス……?』

ドクター『くそぉっ!! 死んじまいやがった……! これで全部おじゃんだっ!!』

久野里『……あぁ……っ……、う、うぅ……! うぁぁ……! ああぁぁぁぁぁぁぁぁ──』


……。

 

 

 

 


宮代「…………そんな」

久野里「冷たくなっていく、子どもたちの亡骸を見て……彼女は思った。すべては、ギガロマニアックスという存在のせいだと」

宮代「ギガロマニアックスのせい……」

久野里「この世にギガロマニアックスという存在が……生まれ落ちさえしなければ……。そうすれば、子ども達は犠牲になることはなかった……! やがて彼女の胸には、激しい憎悪の念が残った。……ギガロマニアックスという連中に対しての……」

宮代「そんな……」

久野里「身勝手と言われば、それまでのことだがな」

宮代「……ぁ、あの……。その研究所というのは、今は……?」

久野里「取り潰されたよ。……上層組織である、"委員会"の手によってな」

宮代「……"委員会"」

久野里「…………すまない。思わぬ長居をしてしまったようだな」

宮代「い、いえ……。そんな……」

久野里「……ふ。それにしても、どうかしている。まさかお前に、こんな話を聞かせるとはな」

宮代「そんなこと……。話してくれて、その……嬉しかった」

久野里「くだらない昔話だ。忘れろ」

宮代「それは、出来ません」

久野里「なに?」

宮代「忘れませんよ。……だって、久野里さんが……仲間が話してくれたことですから」

久野里「……仲間?」

宮代「ええ……。今の久野里さんは、僕にとって仲間です。あいつらと、新聞部のみんなと同じ──」

久野里「いい迷惑だな。私はただ、私の為に動いているだけだ」

宮代「……でも。そう考えるのは、僕の勝手でしょ?」

久野里「……ふ。勝手にしろ」


──久野里が病室を出ようとする。


宮代「あの、久野里さん。…………少し、わかるような気がします。その……彼女の気持ち。だって、そんなの……自分ひとりで抱え込むには……大きすぎるから」

久野里「……そうか。それを聞けば……彼女も喜ぶだろうな。……きっと」


…………。


……。

 

 

 




……。


百瀬「はい、コーヒー。薄目にしといたわよ」

神成「あぁ、どうも」

百瀬「……それにしても、立ち聞きとは良くないわね神成ちゃん」

神成「いや……聞くつもりはなかったんですがね。耳に入ってきてしまったもので……」

百瀬「どうだか。人が良さそうに見えて……。あんたも一応、刑事だからね」

神成「一応ってのは酷いな。少なくとも今回の事件で、一人前にはなれたつもりなんですけどね……」

百瀬「そう思った時点で、ようやく半人前ってとこね」

神成「……こいつは手厳しい」

百瀬「ふふふ……。まぁ、でもあんたも良い顔つきになってきたわよ」

神成「顔つきだけは一人前、ですか……。は、そいつは喜んでいいのかどうか」

百瀬「……でも、そう。澪ちゃんがそんなことをね……」

神成「はぁ……驚きましたよ。それも、宮代拓留相手に、ですからね。……しかし、彼女にあんな過去があったなんて。まぁ、正直俺も気にはなっていたんですよ。なにせ、ギガロマニアックスに対してのあの憎しみようときたら……尋常じゃないですから。……百瀬さん?」

百瀬「……ん?」

神成「いや、なんか……難しそうな顔してるから」

百瀬「そんなことないわ。私はいたって普通よ」

神成「普通……ですか」

百瀬「はぁ……。やっぱりさっきのは訂正。あんた、立派な刑事になったわ。それも嫌な、ね」

神成「誉め言葉として受け取っておきます。……で、なにを気にしてるんですか?」

百瀬「……それで終わりだったの?」

神成「それって?」

百瀬「だから、澪ちゃんの話。それで全部だったのかしら?」

神成「……ええ。その後すぐに彼女が出てきたもんだから、誤魔化すのに苦労しましたよ。……それがどうかしましたか?」

百瀬「そう……。それじゃあ、あの子……まだ」

神成「どういうことです?」

百瀬「その話……澪ちゃんの語った話は、あくまで彼女の記憶の中の物語だわ」

神成「……は?」

百瀬「だから……。それはあくまでも"久野里 澪"という少女の、頭の中の記憶に過ぎない、ってこと」

神成「そ……ま、待ってください。もっと、わかりやすく言ってください」

百瀬「真実は人それぞれ違うのよ、神成ちゃん。……とくに、思い出したくないことに関してはね」

神成「それじゃあ……あの話は、彼女がそう思っているだけで、実際は違うっていうことですか?」

百瀬「少なくとも……私の知っている話しとは違うわね」

神成「聞かせてもらえますか? 百瀬さんが知っている、その、"もう一つの真実"ってやつを!」

百瀬「……それを知って、あの子への態度を変えないというなら」

神成「……約束します!」

百瀬「わかったわ。……あの子がアメリカで、ある研究所にいたのは本当のこと。そこで、ギガロマニアックスに関する実験に、従事していたのもね。それから、苦しむ子どもたちを見兼ねて、投薬の量を減らしたのも本当よ。……ただね、知っていたの。あの子も」

神成「……知っていた? なにをですか?」

百瀬「日本の施設が、成果をあげたことに焦りを覚えた研究者たちが、投薬の量を増やした……。そのことを」

神成「な……っ!? それじゃ……彼女は……!」

百瀬「……ええ。あの子も知っていたの。……知っていて、目を背けたのよ」

 

……。

 

 

 

 

 

久野里『投薬の量を増やす!? 正気で言っているのか!」

ドクター『このままでは遅れを取りかねん。成果をあげる為には、やむを得ない措置だ』

久野里『でも……! 万が一のことがあったら!』

ドクター『今の状況では、これまでの成果すら無駄に終わってしまうんだぞ! お前はそれでもいいのか』

久野里『……それは……っ』

ドクター『今までの彼らの苦しみすら、意味の無いものに変わってしまう。全てを他の研究者たちに奪われてしまう。科学者として、お前はそれで満足なのか?』

久野里『……っ……!』

ドクター『わかったら余計な口出しはするな。……これは、命令だ!』

久野里『…………』

ドクター『いいか? 動くんじゃないぞ? 動くともっと痛くなるぞ?』

男の子『──! うっ……!』

ドクター『……よし。さあ、フォーティーン。お前も』

女の子『うぅ……うっ……!』

ドクター『よし、終わりだ』

男の子『……うっ……うぅ! あぁ……あ、あ、あぁっ!』

女の子『ジェイク! だいじょ……っ……あ、あぁぁ……っ……!』

男の子『あぁぁ……っ……! あぁぁっ!』

久野里『……ジェイク! ベス!?』

ドクター『なにをしている! 早く数値を取れ!』

久野里『で、でも……!』


──泣き叫ぶ男の子と女の子。


ドクター『──! まずいっ! これは……っ……そっちを押さえろ!!』

男の子『あぁぁ……っ……うぁ……!』

女の子『……ぁ……っ、あぁぁ……! ぃ、いたいょ……!』

久野里『ジェイク……! ……ベス!?』

ドクター『くそっ!!!』

男の子『うぅ……っ……! うぅ……く、くるし、いよ……!』

女の子『あぁぁ、あ……あたまが……っ……!』

男の子『ミ……ミオ……っ……! たす、けてーー!! あぁぁぁ』

女の子『……っ……ミ、ミオ……どこ……? どこにいる、の……?』

久野里『ここだ! ……私はここにいる!』

男の子『ミ……ミオ……ミオ……!』

久野里『しっかりするんだ、ジェイク!』

女の子『……ミオ……ありが、とう……』

久野里『なにを言ってるんだベス! そんな言葉……っ!』

男の子『……っ……ありがとう……ミ、オ……!』

女の子『いま、まで……わたしたちの、ために……ありがとう……』


ピーーーーーー……。


久野里『……ジェイク? ベス……?』

ドクター『くそぉっ!! 死んじまいやがった……! これで全部おじゃんだっ!!』

久野里『……あぁ……っ……、う、うぅ……! うぁぁ……! ああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! わたし、私が殺した……!』

ドクター『お、落ち着け! これは事故だ!』

久野里『わたしが、この子たちを見殺しに……! 私が、殺した!!』

ドクター『責任は誰にもないっ……!』

久野里『お前が……っ私が、私が殺したんだ!! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』


──ッ!!


ドクター『な、なにをするっ!? やめろぉ!』

久野里『──ああぁぁぁぁ!!』


──ッ!!


ドクター『だ、誰か! 誰か来てくれ! そいつを止めろぉ! 早く!』

久野里『ああぁぁぁぁぁ!! ──は、離せぇ! 私は……私は!! うぅ……ああぁぁぁぁぁぁぁ──』

 

……。

 

 

 

 

 

神成「ちょ、ちょっと待ってください。……それじゃあ、久野里さんは、投薬の量を増やすことを知っていて──」

百瀬「見て見ぬフリをした……。その結果、子どもたちは死んでしまった」

神成「……っ」

百瀬「見境をなくして暴れた彼女は……その後、病院へと移され……。そして、彼女の中で……過去は改竄(かいざん)された。……彼女だけの"真実"というかたちに……」

神成「………なんてこった。それじゃあ、彼女が偏執的なまでにギガロマニアックスを憎むのも……」

百瀬「すべては彼らのせい……。そう思うことで、無意識に自らの心のバランスを保っているのよ」

神成「…………妙だと思っていたんですよ。俺たちから見れば、宮代拓留をはじめとした、"カオスチャイルド症候群者"は……皆、被害者だ。そんな彼らを、あそこまで憎む理由があるのか、って」

百瀬「これで納得がいった?」

神成「腑には落ちましたよ……」

百瀬「納得はいかない……そういう顔ね」

神成「久野里 澪……。彼女もまた犠牲者であり、そして……加害者でもあった」

百瀬「……もう一度言っておくけど、だからってあの子のこと──」

神成「その判断をするべきなのは、たぶん俺じゃない」

百瀬「え……?」

神成「俺はただの傍観者です。決めるのは被害者だ」

百瀬「……あんた……ふっ。ズルくなったわね」

神成「はは……。そうです。俺はズルいんですよ。今ごろ気づきました?」


…………。

 

……。

 




宮代「……つまり、子どもたちは、久野里さんも承知の上で投じられる薬の量を増やされ……。彼女自身も、研究機関に楯突く者として、病院に収容されたと」

神成「そして……亡くなった子どもたちにそんな運命を背負わせた原因は、すべてギガロマニアックスにあると信じ……憎しみを抱いている。それが、彼女が創り出した、彼女なりの"真実"だそうだ」

宮代「……なるほど。話は分かりました。……でも、神成さんはその話を僕に聞かせて、どうしようっていうんです?」

神成「別に、どうこうしようっていうつもりはないさ。ただ、君は知っておいたほうがいいと思ったんだ」

宮代「そうやって僕に判断を委ねるんですか……。ズルいですね」

神成「だろ? でもな、今回のことで俺は思ったんだ。この事件に関して、所詮俺たちは脇役でしかない。……だから、すべては主役である君たちに委ねるしかない、ってな」

宮代「やっぱりズルいな。……卑怯ですよ、そういうの」

神成「大人ってのはそういうもんさ。……ふ……で、今の話を聞いて、君はどうする? 宮代拓留くん」

宮代「……別にぼくはどうもしませんよ。確かに、久野里さんがどういう経緯(いきさつ)でギガロマニアックスを憎んでいたのか、気になってはいましたけど。……でも、それがわかったからって僕たちの関係性が変わるわけじゃない。久野里さんは久野里さんで……症候群をなくすために協力してくれてる。それだけのことです」

神成「……そうか。君は強くなったな」

宮代「強くなんてありませんよ。ただ……情報に踊らされるのをやめただけです」

神成「情報に……踊らされる……」

宮代「情報っていうのは、厳然とそこにある事実であり、手段です。僕たちはそこに価値を見出し、判断し行動する。……けれど、それがいきすぎると、情報それ自身が手段ではなく、目的になってしまう。情報を得るために新たな情報を求め……やがてはそれに翻弄される。今までの僕は、情報という"怪物"に飲み込まれていただけだ。そしてそれは、とても愚かなことだって、僕は気づいた──あ、いや……気づかされたんですよ。あいつらに」

神成「………はは」

宮代「……? 僕、なにかおかしなこと言いましたか?」

神成「あ、いや……失礼。そういうわけじゃないんだ。ただ……そういう意味じゃ、俺たち刑事ってのは──どこまでもその情報とやらに翻弄されていく生き物なんだろうと思ってな」

宮代「神成さん……」

神成「ま、でも安心したよ。すべてを知っても、君の彼女を見る目は変わらないってわかって」

宮代「もしかして……試したんですか?」

神成「試したんじゃない、信じたんだよ」

宮代「詭弁です」

神成「言ったろ? 大人ってのはズルいんだよ」


──!

 

神成の携帯電話が鳴る。

 


神成「──と、そろそろ持ち場に戻らなきゃならんな。それじゃ、また後で顔出すよ」

宮代「ご苦労さまです」

神成「……ああ、そうそう。これは大人からの忠告。……君は、少しくらいズルさを覚えたほうがいい。この世界で生きていく為には、な。……はは。なんて、今さら言っても遅いか……」


──神成が病室を出る。

 

 

……。

 

 


宮代「……ふぅ。僕だって…………ズルいですよ……」


……そしてその日、僕は夢を見た。

それはとても小さくて、けれど、とても幸せな……そんな夢だった……。

 

…………。


……。

 

 

 

 

 

 

 


来栖「それじゃあ、次回の特集記事は"渋谷の中で見つけた懐かしの風景"。これでいいわね?」

宮代「異議あり!」

来栖「拓留……」

宮代「そんな情報、わざわざ記事として載せる意味ないだろ! やるなら、もっと事件性のあるものにしないと読者の興味は惹けない!」

来栖「……今さら蒸し返さないで。その話は散々して、ようやく今、落ち着きそうになったところでしょう?」

宮代「それは乃々が強引にまとめようとしただけだろ! 皆も考えてみてくれ、そもそも新聞というものがなんなのか。尾上。わかるか?」

尾上「う? えーっと……ん-……なんの話だっけ?」

宮代「……聞いてなかったのかよ。……ゴホン、仕方ない。一席ぶつぞ。そもそも新聞っていうのは、世の中に起こった新たなことを伝えるのを目的とし、人々の情報に対する欲求を満たすものでもある。古くは古代ローマ時代、フォロと呼ばれる政治の中心地に貼り出された──」

伊藤「あーもう! わかった、わかった!」

宮代「なんだよ伊藤! 僕の話はまだ──」

伊藤「わかったって! オレも宮代の意見には賛成だ。副部長の提案するような記事は、わざわざ学校の新聞で扱うようなことじゃない」

来栖「どうして? 普段気づかないような些細なことに目を向けることだって、新しい発見という意味では重要なことじゃないかしら?」

伊藤「確かにそうかもしれんけどさー……。でも、なんつーか……こう、つまんねーじゃん。内容もババ臭いってかさ」

来栖「ば、ば、ば……。ちょっと、伊藤くん……? それ、どういう意味?」

伊藤「い、いや! 別に、副部長がババ臭いっていう意味じゃ──」

来栖「完っ全にそう聞こえました、けど?」

尾上「ま、まぁまぁ……。のんちゃんも真ちゃんも、落ち着いてー?」

伊藤「そういうお前は、どんな記事にしたいんだよ?」

尾上「……私? うー、私はタクがやりたい記事で……」

有村「はーい! 私は、流行りのスイーツ特集が良いと思いまーす!」

宮代「……お前には聞いてないし、有村……。大体、そんなの甘いモノとお洒落にしか興味ない"スイーツ女子"しか興味ないだろ」

有村「ははぁ、そういう情報に疎いからリアルが充実しないんすよ、先輩がたはー」

宮代「──ぐ! い、伊藤はともかく! 僕はリア充だと何度も言ってるだろ!」

伊藤「おい待て、宮代! オレはともかくっていうのはどういうことだ!」

有村「はいはい! 目くそ鼻くそ、目くそ鼻くそ!」


宮代「だれが目くそだ!」
伊藤「だれが目くそだよっ!」


宮代「いや待て。その二つなら目くそは僕だろ!」

伊藤「あー? オレが目くそで宮代が鼻くそだろ! どっちかっていうと!」

宮代「なんだそれは!」

伊藤「あー!?」


尾上「もう、2人ともやめなよー」


宮代「尾上! お前はどう思う? 伊藤のほうが鼻くそっぽいよな、断然!」

伊藤「いや、誰がどう考えても宮代だろ! なぁ、尾上!」


尾上「うー、そんなこと言われても困るよー!」


宮代「お前が鼻くそだろ!!」

伊藤「なあ尾上! オレが目くそだよなっ!?」


尾上「雛ちゃーんっ!」

有村「どっちも鼻くそでいいんじゃないっすかー……?」


宮代「ダメだ! こういうのはハッキリさせておかないと後々の遺恨になる!」

伊藤「はーなくそ!!」


──くだらない言い合いを続ける宮代と伊藤……。


尾上「うー……」

香月「……んー!」

来栖「香月……あなたはどう思う?」

香月「ん……私も、どっちが目くそでもかまわない……。それこそ、目くそ鼻くそ……」

来栖「そうじゃなくて、記事の話。香月はなにかやりたいことないの?」

香月「ん……私的には、新しいネトゲのレビューとか、いい、かも……」

来栖「……それこそ、香月くらいしか喜ばないんじゃない?」

香月「ん……じゃあ、なんでもいい、かも……」


宮代「お前が鼻くそだ!!」

伊藤「いーや! 誰がどう考えても宮代だろ!!」


尾上「これじゃあ、いつまで経ってもまとまんないねー……」


──扉を開く音。

 


久野里「……全く。お前たちはいつも賑やかだな。声が廊下まで聞こえていたぞ」

来栖「久野里さん! いいところに!」

久野里「言っておくが、次の記事についてなら私はノータッチだぞ」

来栖「そんなこと言わないで、力を貸してください。そもそも、この部の起こりは、久野里さんの『渋谷にうず』なんですから!」

有村「そうっすよー。久野里さんからビシッと言ってくれたら、この残念男子2人もちょっとは反省するんすからー!」

久野里「まったく……。いい加減、引退した人間を頼るのはやめてほしいもんだな。……まあ、でもしょうがない──」 


宮代「お前が鼻くそだーー!!!」

伊藤「鼻くそって言ったやつが鼻くそなんですぅー!!」

宮代「はっはっは。ならお前も鼻くそって言ってるだろ!」

伊藤「──!? おま、そういう揚げ足取りばっかりしてるから女子にモテねーんだよー!!」

宮代「ふっ、お前にだけは言われたくな──」


──ッ!!


久野里「うるっさーーーーい!!!」

 

 


宮代「うわっ!?」
伊藤「うわっ!?」


久野里「さっきから、くそくそくそくそうるさいぞ! このくそったれども! いつまで子どもみたいな言い合いしてるんだ!!」


宮代「……あれ、久野里……さん?」

伊藤「い、いつの間に……」

久野里「いつの間に、じゃない。これ以上くだらん言い争いをするようなら、頭開いて脳みそに電極ぶっ刺してやるからな!!」


宮代「ひぃっ!? ごめんなさーい!」
伊藤「ひぃっ!? ごめんなさーい!」


久野里「……ふん!」

有村「いやいや、見事な鶴の一声! さっすが影の女帝と囁かれるだけのことはありますなー!」

久野里「……なんだそれは?」

有村「あれ、知らないんすか? 表の女帝、来栖乃々を裏で操る影の女帝、久野里澪……。中には2人の関係を怪しむ声すらあるんすよぉ?」

宮代「……関係を、怪しむ? どういうことだ?」

有村「やだなぁ、女同士の怪しい関係といえば! ……決まってるじゃないすか!」

 

 

──!

-POSITIVE TRIGER ON-

 

 

 

 

 

 

久野里『ごきげんよう。乃々』

来栖『あ……お姉さま。ごきげんよう。今日も麗しゅう』

久野里『ああ、お待ちなさい。乃々』

来栖『……?』

久野里『ほら……。リボンが曲がっていてよ』

来栖『あ、ありがとう、ございます……』

久野里『……とても可愛い耳をしてるのね。食べちゃいたいくらい。……ううん。本当に食べちゃおうかしら』

来栖『あ……ダメです、お姉さま……。そ、そんな……あぁっ……』


……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

来栖「な、なんなのよそれ!」

有村「なんなのと言われましても……。そういう噂でして」

尾上「そういえば私も聞いたことあるかもー!」

有村「でしょでしょ?」

宮代「……お姉、さま……」

伊藤「キマシタワー!」

来栖「あなたたちも想像しない!」

香月「……ん……んふふふ」

来栖「香月も喜ばない!」

有村「おっ! 華ってば、そっちもイケる口?」

香月「ん!」 

尾上「で、実際のところはどうなの? のんちゃーん!」

来栖「実際もなにも、そんなこと……断じてありません!」

久野里「おや? 来栖は私と噂になるのがそんなに嫌なのか?」

来栖「え、べ、別に嫌とか……そういうわけじゃないですけど……」

久野里「ふふ、慌てた来栖も……可愛いな」

来栖「え?」

有村「スクープだ、せり! はやくカメラをっ!」

尾上「おっけぃ!!」

来栖「んもう、みんな! いい加減にしなさい!」

久野里「……ふふっ」

来栖「もう……あはは……」


──みんなで笑い合う。


……。

 

 

 

 


──プルルルル……。

 

 

 

「……ん…………夢……?」


──久野里が電話に出る。


「……久野里だ…………尾上が……? …………わかった、通してくれ」


…………。

 

"あの頃の夢"以外の夢なんて、久しぶりだな……。


それにしても……私が碧朋に……か。


……ふん、くだらん妄想だ……。


……。

 

 

 

 

 

暁の護衛【15】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


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……。

 

 

その日、学園から帰ったあと、尊と麗華、そして彩がオレの部屋へと集まっていた。

 

 

 

「それじゃ、例の仲良くする方法を教えるわ」

「はぁ……」

 

 



当然だが、オレたち二人は乗り気ではない。

どんな秘策があるのか知らないが、とても仲良くなることは不可能だからだ。


「ちゃんと手錠は持って来た?」

「これです」

「また凄く頑丈そうな手錠ね」

「はい。まず簡単には切断出来ません。力技じゃまずどうにもならない代物です。それに、この鎖がポイントなんです。引き延ばしも可能で、最大50センチまで伸ばすことが出来ます」

 

 



「そうなんですか? 凄いですね」

「イケナイコトに使うつもりだったんだよな?」

「違うと言ってるだろ!」

「はい、うるさいうるさい。手を出しなさい。海斗は左手、尊徳は右手」

「手……ですか?」


ワケもわからぬまま、尊は言われたまま手を差し出す。


オレは──


「断る」

「断れない」

「絶対に断る」

「絶対に断れない」

「もう一度言うが、絶対に断る」

「もう一度だけ言うけど、絶対に断れない」

「…………」

「さ、手を差し出しなさい」

「逃げ──!」

「させない」

「窓から飛び出し──」

「やれば?」

「尊を殴り飛ばす!」


──ッ!!


「なぜっ!?」

「くるっと回ってワン!」

「往生際が悪い」

「オレのターン!」

「そうやっていつも勝手に先攻を取るのはどうかしら?」

「このカードは──!」

「説明は聞き飽きた」

「尊を殴り飛ばす!」


──ッ!!


「二発目っ!?」

市松模様のあの場所で、ずっと待ってる」

「……は、はい……」

「ある町のゲームセンターに出没するというゲーム関係者は!」

「偽物」

「まだだ──!」

「もうやめて下さい! 海斗さんのライフはゼロです!」

「それでもぉ!!」

「もうその選択は選べないわ」


「……わかったよ」


ごねても押し切られるのは目に見えていたので、素直に左手を差し出した。

手の平を広げる。


「なにをくれるんだ? 現金か?」

「そんなわけがないだろう……」


「いいもの」


そう言って、尊の右手に向かってなにかを振り下ろした。


カシャン。

鉄の音が擦れる音。

そして次の瞬間、オレの手にも振り下ろされた。


カシャン。


「…………」

 

 

 

「…………」


二人して、手に叩き下ろされたモノを見下ろす。


「え……?」

「これで鉄の友情の完成ね」

「いやいや、どういうことだコレ」

「離れられなくなってしまいましたね」

「なるほど……いや、そういう問題じゃなくてだ」

「どうして僕と海斗が繋がれなければならないのですか」

「こうすれば、嫌でも一緒に居なきゃいけないでしょ? なにかをするにも、一緒に協力しなきゃいけないし」

「本気か?」

「ええ。これから休日が明けるまで、それで生活しなさい」

「じょ、冗談ですよね? 僕は海斗と長い間一緒にいると発作が起きてしまうですっ」

「いっそのこと、繋いだままにして発作を起こさせるか」

「バカなこと言ってないで、お前も物申せよ!」

「なにを言っても無駄よ。鍵は私が持ってるから」


そう言ってポケットにしまう。


「あぁっ……」

「強引に外そうにも、力技じゃまずどうにもならない、でしょ?」

「がーん!」

「……そうか」

「受け入れるのかっ!?」

「まさか。こんなもん軽く開錠してやる」


「そうか、貴様の唯一の特技か!」


オレはスッと例のものに手を伸ばす。


「んっ?」


しかし、それがいつもの場所になかった。

 


「これのこと?」


麗華の指の先でクルクルと踊る、ピッキングツール。


「ごめんなさい」


どうやら、彩がこっそりと取ったようだ。


「これがなきゃ、外せないでしょ」

「なにやってるんだ役立たず!」

「はっ……」


バカめ。

そのツールがなきゃ確かに開錠は面倒だが、その辺の針金やそれに近いものを使って時間をかければどうと言うことはない。


「でも、このままじゃまだ開けられそうね……」


鋭い女が、オレの先を読んできた。


「とは言え、海斗に忠告しても聞きそうにないし」

「当たり前だ」


「じゃあ尊徳、あなたに言っておくわ」

「な、なにをでしょう」

「もしも私の許可なく、期間内に海斗のピッキングで開錠したり、あるいは強引に手錠を壊したりした場合……。あなたをクビにするわ」

「なっ───!?」

「だから海斗が妙な真似をしたら、全力を以て阻止しないと大変なことになるわよ?」

「お姉さま……」


彩のボディーガードだというのに、容赦ない。

もちろんその場のハッタリかも知れないが……尊にとってはこれ以上ないハッタリだろう。


「さて、さっそくクリップでも使って、と」

「阻止!」


ガッと右手を掴まれる。


「僕の全身全霊をかけて阻止する!」

「ムキになるなよ。クビぐらいで」

「一生の問題だ!」

「さっそく、効果が表れ始めたわね」

「わ、私にはケンカしてるようにしか……」

「よく言うでしょ? ケンカするほど仲が良いって」

「はぁ……」

「それじゃ、これから三日間、仲良くするのよ」

「待って下さい、麗華お嬢さまぁ!」

 


尊の叫びも虚しく、二人はオレの部屋をあとにした。

突如として訪れる物静かな時間。

 

 

「…………」
「…………」
「気色悪っ!!」
「僕も同じだ!」


手錠で繋がれているため、二人の距離は常に肩がぶつかり合う。


「離れろよ」
「言われずともそうするさ!」


互いに左右へ。


ガシンッ!


鎖の距離が最大まで伸びる。


「くっ!」
「ぐぐっ……」


それでも離れようとするが、当然鉄を断ち切れはしない。


「く、ぬ……」
「ぬぅうう……」


意地でも尊に近付くのは嫌だ。

この絶対的に気持ちの悪い状況で、進んで男に寄っていくのは自殺行為だ。

もちろんそれをわかってるからこそ、尊も足を踏ん張っていた。

どれだけ引っ張っても、最大50センチなんて伸びなかった。

どうやら鍵を使って長さの調節が出来る代物らしい。



 

「ひっじょうに不愉快だぁ!」
「それはオレも同じだっての!」


ギチギチと鎖が軋みをあげる。

そう言えば、これに似た話を書物で読んだことがある。

しかしそのときは恋愛小説で、繋がれた男女のちょっとほろ苦い思い出の話だった。

まさか男と繋がれることになるとは……。


「いい加減疲れてきたんだ、座らせろ」
「ふざけるなっ、僕が座るっ……!」
「なんなら、鎖を外してやってもいいんだぜ?」
「ぐっ……!」
「お前のためを思って、開錠しないでいてやろうって言うのに」
「ひ、卑怯だぞ! 人の弱みに付け込むのは!」
「敵の弱みを狙うのは常套手段だ」
「なんと言うっ……!」


だが、結局尊が折れるしかなかった。


……。



 

 

オレはベッドに腰を下ろす。

男を隣に座らせる気はないので、尊は立たせたままだ。

だから嫌でも左手は空中にあるため疲れる。



「これからどうするんだ……」
「知るかよ。風呂とかも服が脱げねぇ」
「……確かに。肩が触れ合う距離で一緒に風呂なんてごめんだぞ!」
「言われるまでもない」


仲が悪くなることはあっても、良くなることはないだろ。

兄弟や姉妹なら上手くいっても、とてもじゃないが尊と上手くいくはずもない。


「それで、どうするよ」
「絶対に鎖は外さんぞ」
「それはわかってる」


夕食までの持て余した時間、男と二人きりで無言なのは非常に嫌だ。


「よし、一度僕の部屋に行くぞ」
「なんでだよ」
「僕はこの時間、いつも読書しているからな」


面倒だが、このまま無言でいるよりはいいと付き合うことに。

 

 



「おい、もう少し離れられないのかっ」
「それはオレのセリフだ」
「痛っ、痛っ……強引に引っ張るな!」


…………。

 

……。

 



 

「なんでオレの部屋に戻って来るんだよ」
「僕の部屋に、海斗の二酸化炭素を残したくない」
「どんだけ~」
「なんだそれは」
「流行語だ。昔のな」
「妙に古くさいものを知ってるんだな……」
「とにかく本でも読んで時間潰すぞ」


尊から借りてきた本を開く。


「くそ、片手じゃ読みにくいな」
「待て。このままじゃ僕が読めないじゃないかっ」
「なんでだよ」
「前屈みのような体勢で、しかも片手では無理だ」
「でも座るなよ。気持ち悪いから」
「僕が読むために本を取りに行ったんじゃないか」
「…………」
「読みふけるな! 僕の本だぞ!」
「面白いな、この『丸禿げセニョリータ』って」
「だから読みふけるなと!」
「うるさいな。集中出来ないだろ」
「僕にも読ませろ!」


そう言って強引に隣へと腰を下ろした。


「暑苦しいし気持ち悪いだろ」
「立ったままでいられるかっ」
「テメェ……オレはその気になったらケツ掘れるぞ」
「気持ち悪い冗談を言うな」


別に、冗談じゃねえけどな。

思い出したくもないが、オレは男とも経験がないわけじゃない。

……やめだ、やっぱ考えるのは。


「麗華もとんでもないことしてくれたぜ」
「まったくだ……。初めから海斗がいなければ良かったんだ」


こいつは、何度でも掘り返すヤツだな。


「そうすれば、今ごろ麗華お嬢さまのボディーガードを勤めていたかも知れないと言うのに」
「あいつのどこがいいんだ」
「美しく気高く、そして二階堂の長女。これだけ完璧な女性はそうはいないだろう……って、こんなことを言わせるな!」


──!


「肩で押すな」
「貴様が変なことを言わせるからだ」
「実に不愉快な気分になるよな、コレ」
「コレがなくても不愉快だ」
「…………」
「…………」


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

こんな経験がないだろうか。

オレは一時期、野球観戦にはまっていたことがある。

訓練校で寮生活を送っていたときのことだ。

テレビがないため、中継は学園のパソコンからこっそり観ていたのが大半だったが。

自分の応援する球団の攻撃中は短いのに、相手の攻撃中はやたら長いと感じること。

また、応援する球団のノーアウト1塁2塁は、とてもチャンスなのだが、点が入りそうにないと思ってしまう。

逆に相手が同じチャンスであれば、ひどく絶望に感じてしまった。

今、オレはそんな感覚に近いものを感じていた。


「まだ30分かよ……」


懸命に読んでいたはずなのに、隣の尊の存在が酷く鬱陶しく、集中出来ない。

 

 

 

「まだ30分か……」


少し遅れて、尊も本の世界から帰ってきた。

どうやら同じ感覚に襲われているようだ。


「む……」


互いに目線が絡み合う。


「おえ」
「吐き気がしてきた……」


互いにすぐ視線を外してえずく。


「これからの時間が、地獄だな」
「おい、仮にも麗華お嬢さまのボディーガードなら、この提案を取り下げてもらえるように進言しろ」
「言って聞くようなヤツかよ」
「そんなこと、言ってみなければわからないだろ」
「必死だな」
「当たり前だ。貴様と一緒にいることは、市内を裸でフルマラソンするような屈辱なんだ。耐えられるわけがないっ。愚考でしかないのだっ」
「オレを中傷するだけならまだしも、麗華の発案したことを愚考とは」
「あ、いや……それはっ……!」
「アソコも立派なら度胸も立派だな」
「りっ、立派じゃない! ああいや! そういう度胸が立派じゃないというわけであって、その、だから……」
「くく」
「僕をからかうのはやめろ!」
「真横で叫ぶな、鬱陶しい」
「だったら僕を怒らせる真似をするな」
「よし、ならいい提案がある」
「実に期待出来ないが聞いてやろう」
「期待出来ないなら言わなくてもいいんだぜ?」



 

「……雀の涙程度は期待しよう」
「ここはいったん、手錠を外そう。少し時間はかかるがオレが開錠してみせる」
「それじゃ僕がクビになる!」
「早とちりするな。手錠を外すのは麗華がいないところだけだ」
「なんだと?」
「つまり、表向きは休日の間、ずっと手錠で繋がっていることにしておく。しかし実際は麗華の見ていないところでオレたちは拘束されていないということだ。これなら問題ないだろ。少なくとも今よりは断然打開されるはず」
「…………」


この提案であれば、尊も納得してくれると思った。

ところが想像とは反対に、渋ったような表情を作っていた。


「それは、確かに……いい案だ」
「だろ?」
「ただしそれは、麗華さまを裏切るということ」
「……は?」
「麗華お嬢様や彩お嬢さまはプリンシパルであり、絶対的な主なんだぞ。彼女たちの命令なら、聞くしか……」
「おいおい、オレたちは執事じゃねえんだぞ。確かに命令を聞くことはボディーガードとして当然かも知れねぇが、私生活まで口を挟むのはお門違いだ。プリンシパルが命じれば、お前は彼女たちを一人歩きさせるか?」
「ありえんっ」
「そういうことだ。聞く命令と聞けない命令があるだろ」
「……これは、お嬢さまに危険があるわけじゃない」
「自分は散々、あいつらを利用するつもりなんだろ? そんな腹黒さがあるんだったら、こんなもの可愛いもんだろ」
「だめだ、僕には麗華お嬢さまを裏切れないっ」


本気かよ。

この状況が半端じゃなく嫌なくせに、律儀に約束を守ろうとしてやがる。


「…………」


自分がボディーガードとして頼られ、プリンシパルの信用における存在になる。

それはオレたちが教えられ、大切にしなければならないこと。

こいつはその根底を曲げることが、出来ない。

口では野心を漏らしながらも、根っからのボディーガード馬鹿ってことかよ。


「くそ、後悔しても知らねぇぞ。あとから外してくれと頼んでも外してやらん」
「それで構わないさ」


少しだけだが、オレは尊を見直した。

たまに、そう思えるところがある辺りは、伊達に首席で卒業してないってことか。


「しかし、麗華お嬢さまに交渉はしてくれ。な?」


いや、やはり見直すのは待った方が良さそうだった。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

夕食の時間。

オレたちは手錠で繋がれたまま、食堂へ。

 

 

 

「もっと早く歩け!」
「うるせぇな。これがオレのペースなんだよ」
「どうして僕が貴様のペースに合わせなければならないんだっ」
「オレの方が背が高いからだろ」
「な、なるほど……」


……。

 

 

 

 

 

「……それは関係なくないか!?」

 

 


「反応遅っ」

 


「きびきび歩け! 身長は関係ないっ」
「ち……」


今度は、『オレの方がモノがデカイだろ?』

と言おうと思ったが、一度目のからかいでキレかかっていたのでやめることにした。


……。

 

 

 

 

食堂に入ると、当然のように好奇の視線を向けられた。

尊はやや威圧するように視線を跳ね返す。


「お前、注目浴びてるぞ。恥だな」



 

「それは貴様も同じだろ」
「チャック全開の尊よりはいいだろ」
「なに!?」
「うそだ」
「貴様ぁ!!」


ざわ……ざわ……。


「くっ……」


これ以上は目立ちたくないんだろう。

爆発させたい気持ちを抑える。


「覚えていろ」
「月並みなセリフだな」



 

「友情の手錠、ですか」

「あん?」


オレのそばに寄ってきたツキが、そう言った。


「なんだ知ってるのか?」

「はい。昔、麗華お嬢さまと彩お嬢さまも同じことをしていたのを、思い出しまして」

「大ゲンカしたんだってな」

「そうです」

「なにが原因だったか知ってるのか? メイド」


相変わらずツキに対しての態度は悪い。


「……詳しくは存じません」



 

珍しい、僅かだがツキが動揺を見せた。

視線が泳いだところを見ると、うそをついたようだが……。

それを尊も見逃していなかった。


「知らない、と言ったな?」

「はい」


動揺は一瞬で、既に平静を取り戻していた。


「本当なんだな? 知っていて隠しているということはないな?」

「はい。存じません」

「…………そうか。ならいい」


メイドから興味を失ったのか、視線を外す。

疑う要素はあったとしても、これ以上言及出来るほど確証があるわけでもない。

そういうところだろう


「じゃあ、意外と知ってそうだな」

「と言いますと?」

「友情の手錠」


尊の腕ごと、手錠を持ち上げる。


「そうですね……半分近い人数が知ってるかと」

「良かったじゃねえか」

「なにがだ」

「少なくとも変態プレイには見られない」

「……ちっとも嬉しくないな」


……。

 

 

 

オレたちは互いに席に着く。

この方法を発案したであろう佐竹に小言を漏らしてやろうと思っていたが、今日はここに来る予定はなさそうだった。


「食事がしにくいじゃないか」
「それはオレも同じだ」
「く、ちょっと寄りすぎだ。僕の手が届かないじゃないか」
「お前に寄ったらオレが食べられないだろ」
「食べられない距離じゃない」
「だったらお前が我慢しろ。食べられない距離じゃない」
「なんて偉そうな」


いや、お前に言われたくない。


「なんて下品な食べ方なんだと、自分で自分を恥じる」
「なんだ突然」
「貴様にはわからないだろうが、僕は生まれたときに、気品も一緒に抱いてきたんだ」
「……今のは笑うところか?」
「違う、真面目な話だ。幼いながらにして、歳の離れた兄たちより礼儀作法が上手だと、よく褒められたんだ」
「その兄の方が優秀なボディーガードだけどな」
「うるさいっ! なんでそんなことを知ってる!」
「いや、別に知らねぇけど」
「くっ……」


ただまぁ、兄弟にコンプレックスを持ってることは知ってるしな。

こいつが競いたがるものと言えば、勉学やボディーガードのことくらいだ。


「それに片手というのは、食器が安定しない」
「まぁな」


フォークを使う分には、突き刺せばいいが、ナイフを使う際には小刻みに皿が動いてしまう。


「周りを見てみろ、食べ終えた者が出始めた。それに比べて僕らは、半分も済んでいないぞ」
「時間を競ってるわけでもないしいいだろ」
「いやダメだ。部屋に戻って食後の勉強をしたい」
「うそつけ。オ○ニーでもするんだろうが」
「そそ、そんなことしないっ! 今日一日、学園で学んだことを復讐するだけだっ」
「どうだかな。誰でも言うだけなら簡単だ」
「貴様と一緒にするな」
「そんなに早く食べたいなら、方法があるぞ」
「なに?」
「ほら、皿を押さえておいてやる」
「海斗……」
「遠慮せずにナイフで切り分けろ」
「あ、あぁ……」


オレの好意に戸惑いながらも、尊は丁寧にハンバーグを切り分ける。

この作業を済ませておくだけで、ずいぶんと食べやすくなるのは明白だ。


「よし、切り分けられたぞ」
「食べやすくなったな」


オレは皿を尊の届かない位置に引き込み、手を放し、フォークを手に取る。


「お、おい」
「なんだよ」
「それは僕のハンバーグだ」
「どっちも手付かずだから一緒だろ」


オレは自分の切れてないハンバーグを差し出す。


「勝手に斬って食え」
「まさか……自分が食べるために、僕を利用したのか?」
「当たり前だろ」
「僕のためにやったんじゃないと?」
「いつお前のためだって言ったんだよ」
「貴様というヤツは、どこまで……」
「怒るのは筋違いだぜ?」
「怒りを通り越して呆れてきた」
「なら良かった。遠慮せずに食える」
「遠慮しろっ!」


どっちだよ。


「じゃあ、強引に食べればいい」
「強引に?」
「こうやるんだよ」


オレは手錠された腕を持ち上げ、尊の頭へ。


「なんなんだ」
「ほらっ」


そして後頭部を押さえ、皿に叩きつけた。


ベチャッ!


皿の上に乗ったハンバーグが、尊の顔の圧力によって潰れる。


「むごっ!?」


焦りと熱さとが混ざり合い、奇声を上げた。


「遠慮せず口を開けてかぶりつけ」
「も、もご、もごごごごごご!!!」

全力で押さえつけて、顔を上げさせない。

尊が暴れるため、顔がハンバーグの上で上下左右に踊る。

ぐちゃ、にちゃと気持ち悪い音が響く。

片腕が拘束状態にあるため、尊はうまく抵抗することが出来ない。


「ほら食えって言ってんだろ」
「むぐぐ、も、ごぶ、べぇ、があ!」
「なんだもっと強く押さえつけろって?」
「んんーーっ!!」
「だったら全力でやってやるよ」


オレは手加減抜きにして、本気で頭を押さえつける。


「んんんんぐぐぐうぐぐがうりあだれあ!!!!」


ピシ。


鋭く冷えた音がした。

どうやら、ハンバーグの乗った皿にヒビが入ったようだ。


「んーーーーーーーーーーー!!!!!」


ひときわ大きな唸り声。

最後の抵抗として暴れたが、当然押さえつけた。


「安らかに眠れ」
「んんがあああ!!」
「うぉっ──」


一瞬、想像を絶する……火事場の馬鹿力とでも言うべき力によって尊はオレの腕を押しのけ顔を上げた。


「恥の犬食いと火傷と窒息死させるつもりか!!!!」


べちょべちょのぐちょぐちょになった顔で、尊はオレを怒鳴り散らしてくる。

ハンバーグ臭かった。


「そんなに怒るな。一番最後くらいだ、当たってるの。あ、いや……よく考えれば最初も当たってるな。ついでに考慮すると真ん中も当たってると言えそうだ」
「全部じゃないか!」
「そうとも言うな」
「貴様も同じ目に遭わせてやる!」
「断る」


がっちりと手錠で繋がれた手に力を入れ、尊の抵抗から免れる。


「いい教訓になっただろ、ボディーガードの」
「ちっともなってない! あと数秒で死んでた自信が僕にはある!」
「自慢にもならないな、それ」
「汚れてしまったじゃないか!」
「え、どこが? いつもどおり汚い顔だぜ?」
「服のことだ! 顔もいつも汚くない!」
「確かに少しハンバーグの汁がついてるな。バーゲンセールで買ったスーツが台無しだ」
「これは僕のために作らせた特注品で、値段に直せば「100万はくだらないスーツなんだぞ!」
「100万……」
「やっと気づいたようだな。重大さに」
「釣り合ってないな。その値段と着る人間が」
「ほっといて──待て、釣り合っているだろ!」
「よし笑え」
「意味がわからん」
「携帯の待ち受け画像にしてやろうと思って」


携帯を開いてカメラを向ける。


「いらない配慮だ! しかもその携帯僕のじゃないか!」
「この清美って誰だ?」
「僕の姉さんだ!」
「うお、かなりの美人じゃねえか」
「見るな!!!」
「あっ」


高速スピードで奪い返される。


「油断も隙もないやつだな!」
「兄と姉がいて……何人兄弟なんだ?」
「うるさい! 僕は顔を洗いに行く! ──ぐあっ!」


ドテン!


「なにこけてんだよ」
「貴様が引っ張るからだ!」
「踏ん張っただけだ」
「同じことだ! 僕は顔を洗いに行くと言っただろ!」
「オレはまだ食事中だ」
「僕を優先しろ!」
「断る」
「な、なんだと」
「オレが食べ終わるまで待て」
「顔が不愉快な気分なんだっ」
「ああ、ブサメンだもんな。鏡見ない方がいいぞ」
「そういうことじゃない! ハンバーグ臭くて不愉快なんだ!」
「心配ない。お前の人生に似合ってるぜ。このハンバーグ野郎」
「あ、頭が痛くなってきた……意味がわからなさすぎる」
「押しつぶされる運命にあるってことだ」
「そんな付け足しはいらん!」


…………。


……。

 



 

食事を終えて一息ついたオレたちは、どうするか悩みながらも風呂場へ向かっていた。


執事「ちょうど良かった」



 

「なんだ」


執事「今からお風呂ですよね?」


「そうだ」


執事「私もご一緒に参ります」


「別に黙って入ればいいだろ。言うほどのもんじゃない」


執事「いえ、お目付け役も兼ねておりますので」


そう言って執事は鍵を取り出す。



 

「まさかそれは」


執事「はい。その手錠の鍵でございます。上着を脱ぐ際、手錠が邪魔かと思います。そこでその間こちらの手錠をお二人の足につけさせていただきます」


別の手錠を取り出す。


「本気かよ?」


執事「一時たりとも、お二人を離すなとのご命令ですので」


「く──」


麗華の命令とあっては尊も強く出られない。

オレたちはしぶしぶ風呂場へと向かうことにした。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「ふう、いい風呂と適度な短小包茎だったな」
「うるさい! この外人め!」
「随分興味深そうに見てたから少し怖かったぜ」
「く……」


がっくりとうなだれる。


「僕が生まれてから今日まで、これ以上の屈辱を受けたことはなかった」
「良かったな。いい経験になっただろ」
「そんなポジティブにはなれないさ」


本当に辛かったのか、反論が弱かった。


「ところでどうすんだよ。寝るの」
「……知らん」
「よし、オレがベッドで寝る」
「僕は?」
「ぎりぎり端で寝てやるから、座って寝ろ」
「馬鹿を言うなっ。逆なら妥協してやる」
「それこそ馬鹿を言うなって話だな」
「譲れないな、ここは」
「オレの部屋だってわかってるか?」
「座ったまま、それも不自然な体勢になることは目に見えて明らかじゃないか」
「まぁそうだな」
「今日は特に疲れたと言うのに、疲れを残したまま明日にはしたくない」
「じゃ、寝るわ」
「布団に入ろうとするな!」
「なんなんだよ」
「わかった。僕もただ鬼になるのは辛い……。ジャンケンで決めようじゃないか」
「断る」
「なぜだ! 妥協しただろう!」
「リスクを負わなくてもベッドで寝る自信がある」
「どこまでも捻くれてるな」


オレは強引に布団の中に潜り込んだ。


「明日は絶対に僕がベッドだからな!」
「考えておいてやるよ」
「おい、電気を消してくれ」
「断る」
「なんだと?」
「オレは電気を消したら眠れない」
「普通逆だろう」
「普通なんて知らん」
「僕は電気を消さないと眠れないんだっ」
「知らねえな」
「……明日は僕がベッドで、電気を消すからな!」
「それは却下」
「どこまで傲慢な」


……。

 

 

 

「もう寝たか」
「んだよ。お前こそまだ寝てねーのか」
「座ったような体勢、しかも明るかったら眠れない」
「オレは夢見心地だ」


もう瞼を開けるのも億劫だ。


「…………」
「…………なんだよ」
「なんでもない」
「じゃあ声かけんなよ」

 

……。

 

「……お前は、楽しそうだな」
「結局なんかあるのかよ。……楽しそうってなにが?」
「ボディーガードが」
「おいおい、冗談でも言わないだろそれ。オレがどれだけやる気ないか、知ってるだろ?」
「確かにな」


くすりと尊が笑う。

 

 

 

「だが、背負うプレッシャーはなにもない」
「プレッシャー?」
「名家として、優秀なボディーガードになることを義務付けられた僕に、心のゆとりは微塵もない。政治家や財界を代表する大物のボディーガードをこなす兄を必死に追うだけ」
「…………」
「試験や実技で一番を取ることなど、両親にとっては当たり前のことであり、褒めることでもない。どれだけ頑張ったところで認められたりはしない。そんなプレッシャーがなければ、僕も少しは楽しくやれた気がするんだ。海斗のように」
「オレのどこが楽しそうなんだよ」
「さぁな……やる気も実力も感じられないが、僕にはどこか、そう思えてしまった……」


うつらうつらしているのか、語尾の力が弱くなってきていた。


「お前はどうしたいんだよ」
「僕の意思は関係ない。ただ優秀で、兄たちに負けないボディーガードになるだけさ」
「何人兄弟なんだよ」
「14人……」

 

「多っ!」


「僕は末っ子だ……」
「お前の両親、相当頑張ったんだな」


最低でも14年はせこせこと子作りに励んだわけだ。



 

「誰もが、僕より優秀で……それが、酷く………………」
「酷く……なんだよ?」

 

 

 

 

眼を開けて尊を見ると、眠りに落ちていた。


「ったく……」


オレは手を伸ばし、ぎりぎりにあるスイッチを押した。


パチッ。

 

 

 

オレは、暗闇の中では眠れない。

だから今晩は徹夜することになりそうだった。


…………。

 

……。

 

 

 

 


オレが初めて女を知ったのは、今から6年くらい前だ。

まだ性に対する知識も興味も薄かった頃。

だが、一度知ってしまえば、それを純粋な快楽として楽しむことが出来た。

女は男を満足させる道具に過ぎない。

そう教え込まれた。

幼いながらにして、オレは様々な年齢の女を知った。

同じ歳くらいの少女、一周りも二周りも離れた大人。

だが今でも覚えている初めての行為は、オレから求めたものじゃなかった。

遥かに年上である、四十代半ばの女に襲われた。

性を知らぬ幼い身体にねっとりと絡み付いてきた。

そして同時に……男との行為も知った。

性を学んだことと、男であることの理性からか、それが自身にとって計り知れない屈辱であることも知っていた。

それでも尚、オレは男との行為を『強制』された。


断るすべなど持ち合わせてはいなかった。



 

「随分と無様な格好だな」


弄ばれ、朽ち果てる寸前のオレを見下ろして男は言う。

オレは口も開けないほど、痛みと恐怖に襲われていた。

そしてもう一つ湧き上がる感情に支配されていた。

腐敗腐臭のする男たちから受けた屈辱。

絶対的な怒り。


「私が憎いか?」

「…………」

「実に、いい目をするようになった。だが、まだまだ狂気が足りない」


──ッ!!


「あぐっ!」

「立て。また新しいことを教えてやる。襲われることの辛さ、屈辱を知ったあとならば、その逆の立場がいかに素晴らしいかを知ることが出来るだろう。そう、弱い立場から脱却しろ。強者へと転じることが出来れば、恐れるものはない」


オレは、ふらふらと立ち上がる。

今はまだ、オレはこの男には勝てない。

絶対的な強者と弱者の立場は覆らない。

だから今は学ばなければならない。

そのためなら、誰であろうと踏み台にしなければならない。


「そう。それでいい。それが正しいんだ」


オレは奪うために行く。


「アレを見ろ」


目の先には、なにも知らず立ち尽くす少女がいた。

まだオレには気づいていない。

なにを思いあの場所に立っているのか。


「余計な思考はすべて捨てろ。弱者の過去や今を考えるのはすべて己の蛇足にしかならない」


そうだ、考えちゃいけない。

同情の哀れみを抱くことは間違い。

例え、無垢な少女の人生を壊してしまうと知っていても。


……ためらうことは、何もない。


それは、オレが初めて女を襲った日。

強者となる第一歩を踏み出した瞬間だった。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「ん……」


眩しい。

窓の隙間から、朝日が差し込んできている。


「眠って……」


あぁそうか。

電気を消してから、オレは眠れずにいた。

朝日が昇り部屋が明るくなったことに安堵して、オレは軽く眠りに落ちていたってことか。

眠りが浅かったからこそ、あんな夢を……。

額に浮かんだ汗を拭うため、腕を持ち上げようとする。


ジャラ。


「……そうか。そうだったな」


片腕には手錠。

麗華の一興が巻き起こした騒動の最中だった。



 

「ん……」


オレが強く腕を動かしたことで、尊が目覚める。


「もう朝か……」


「そうみたいだな」



 

「うおっ、なぜ貴様が僕の部屋で寝ている!」
「アホか」
「なんだと!? ……あぁ」


どうやら尊も思い出したらしい。


「くっ、やはり座って寝たせいか全身が痛い」
「痔が悪化したか?」
「それは大丈夫のようだ……なぜ貴様が僕の痔を知っている」
「侑祈が言ってた」
「あ、あいつめ……アレほど言うなと言っておいたのにっ」
「起きたんなら顔を洗いに行かせろ。もっとも、洗っても綺麗にならない尊は必要ないかも知れないが」
「洗うに決まってるだろう!」


…………。

 

……。

 

 

 

 

「どうして、顔を洗うだけに20分もかかるんだ?」
「貴様が余計なことばかりするからだ」


二人で同時にため息をついた。

どちらが先に顔を洗うだの、洗い始めるのはどこからだの、くだらない論争。

挙句の果てには、顔を洗ってる側へのちょっかい。

 

 

「子供だよホント」
「それは貴様だっ。最低の男だよまったく」
「顔を洗ってる最中にズボン下しただけじゃないか」
「それが最低だと言ってるんだ!」
「おい、暴れるな。腕が痛いだろうが」


互いに許された自由な距離は30センチもない。

どちらかが好き勝手に動けばそれだけで迷惑する。


「時間がない、急いで食堂に行くぞ」
「わーってるよ」


…………。


「おい、早く部屋を出ようぜ」
「無論だ」


…………。


しかし、どちらも扉の前で立ち尽くす。


「早く扉を開けるんだ」
「冗談だろ? お前が開けろよ」
「どうして僕が貴様のために扉を開けなきゃならない?」
「ここはオレの部屋だ。道理じゃねえか」
「貴様の部屋? 違うな、二階堂家の部屋だ」
「屁理屈言うな」
「真実だ」
「お前の方が扉に近いだろ」
「なんだと? 同じくらいじゃないか」
「お前の方が近い」
「目算などあてにならんな」
「いや、お前が近いな」
「その自信がどこから来るか知らないが、僕を怒らせる前に扉を開けたほうが懸命だ」
「へぇ……お前を怒らせるとどうなるんだ?」
「実力行使する」
「ボディーガード同士での争いはご法度だぜ?」
「そこで規則を持ち出すなっ。それに、これは争いではなく警告だ」
「ものは言いようだな」
「貴様っ」
「やろうってのか?」
「体術の成績が首席である僕に歯向かうか」
「首席だろうと総理大臣だろうと関係ねえな。捻じ曲げられないものは捻じ曲げられねぇ」
「無駄に威勢のいいヤツが」


今にも掴み掛かりそうな勢いでにらみ合う。

そしてほぼ同時に、つながれた腕を自分に引き込んだ。


ジャッ!


と言う鎖の音とともに、足腰に力が加わる。


「ふんっ!」
「ぬっ!」
「ぬ、ぐ、おぉぉ、おおっ!」
「くぬぅ!!!」
「ね、粘るじゃないか落ちこぼれっ!」
「当たり前だっ……!」
「貴様はどうして、そこまで粘れるっ!」
「落ちこぼれと……言われたからだ!」
「…………」
「…………」
「そろそろ行かないか?」
「そうだな」


どちらからともなく、折れた。


……。

 

朝食を取るため廊下に出ると、彩に出くわした。

 

 

 

 

「おはようございます」



 

 

「これは彩お嬢さま。おはようございます」

「うおっ、急に頭を下げるな。引っ張られる」

「頭を下げるのは当然のことだ。お前も下げろ」

 

 

 

「すっかり仲が良くなられたみたいですね」

「これもすべて彩お嬢さまと麗華お嬢さまのおかげです」

「どこがだよ──がっ!」


尊の肘がオレのわき腹に食い込んだ。


「余計なことを言って寿命を縮めるな海斗」

「この野郎」

「ふふふふふ」

「くくくく」


「本当に仲がいいですね。やっぱり、効果があるんですね」

「ほんと、軽くスキンシップしたくなる……ぜ!」


オレは思い切りボディーに拳を叩き込んだ。


「ぐふ!」


「ひゃっ!?」


がくっと片膝を床につける。

鎖に引っ張られる形で、オレも前のめりになった。

そこを利用され、尊が引き込む。


「せあ!」

「ぐぅ!」



 

「け、ケンカはいけませんよっ」

「いえいえ、これはケンカではなくスキンシップです」

「ですが……」

「男同士ってのは、ちょっとガサツでなっ!」


鎖を尊の首元にかけ、思い切り引き上げる。



「ぐえっ!」

 


「落ちろ、落ちてしまえっ」


「スキンシップですか、男の方は凄いですね」



「か、こけ、けぇっ、けへっ!?」

 


「それでは、私は失礼します」


何事もなく彩は笑顔で去っていった。

オレたちが仲良くなったと信じきったようだ。


「と言うことで落ちろ」

 

 

「ぐ……け、か……ひゅ、ひゅ、っ……!」


尊の目が白目を剥き始めた。

そろそろ落ちるか?

そう思った直後──


──ッ!!


「あが!」


裏拳を叩き込まれ、鎖を解かれてしまう。

 

 

 

「ぷは! ぜぇっ、ぜーっ、ぜーーーっ!!」

「ぐ……油断したぜっ……」
「もう、殺す!」
「それは、こっちのセリフだっ」


ついさっき互いに折れたのはいつの日か。

部屋を出て1分でケンカ腰に戻った。


「昨日の夜は、ちょっと感傷に浸ったってのにな」
「感傷? なんのことだ」
「寝ぼけてて、てめぇは覚えてないか」


出来る限りの距離を保ち、言葉でけん制しあう。


「ここで貴様を再起不能にし、やはり僕が麗華お嬢さまのボディーガードになる!」
「例えオレを再起不能にしても、お前が選ばれることは天地がひっくり返ってもないな」
「黙れ!」


至近距離で、拳を打ち合う。


……。

 

 

 



「朝から、お二人はなにをされてるんでしょう?」

「放っておきなさい。男ってあんなものよ」

「あんなものですか」

「そ」

「バカばっかり、ですね」


…………。

 

……。

 

 

 

 



「痛つつつ……」
「くそ、頬が腫れてきたじゃねえか」


治療をそれぞれ受けたオレたちは、反省の意味を含めベンチに座って話し合っていた。


「交じり合うことのない僕たちだが、今日と明日だけは共存し合うべきだと思わないか? このままじゃ生傷が絶えん」
「その意見には賛成だ」
「距離が離れていればともかく、この至近距離で殴り合っては幾ら僕でも身がもたない」
「だがこのままだと、またすぐ問題が起こるだろ。この際、役割分担を決めておくべきだ」
「役割分担?」
「どっちがなにを担当するかってことさ」
「なるほど。それはいいアイデアだ」
「まず扉の開け閉めに関してだが、これは尊が引き受けてくれ」
「いいだろう」
「以上だ」
「……ちょっと待て。どこが役割分担なんだ」
「あ?」
「僕が扉を開閉するだけで、貴様にはなんの分担もないじゃないか」
「他に分担することもないだろ」


掃除や洗濯、食事にごみ捨てなんかもやらなくていい。

オレたちにとって共通することと言えば、扉の開閉ぐらいなもんだ。



 

「納得いくわけがないだろ」
「いいだろうって言ったじゃねえか」
「それは貴様も分担するという上での納得だ。なにもしないなら話は別」
「卑怯者め」
「どっちがだ」
「わかったわかった。ならこうしよう。最初は尊が扉を開ける」
「その次は海斗、というわけか。交互に開閉するのであれば公平だな」
「いや、その次も尊」
「なぜだっ!? 交互がいいアイデアだろう!」
「毎回交代ってのも、面倒だ。だから今日は尊が扉を開け閉めしてくれ」
「……日替わり分担か」
「そういうことだ」
「本当に明日は貴様がやるんだろうな?」
「今から明日のことを話してどうする。明日のことは明日になって話そうぜ」
「約束を破る気満々だな」
「納得出来ないのか」
「当たり前だ」


まったく、このオレを信用しないとは……。


「プランが悪いとは言わない。そうだな……今日貴様がやると言うならいいだろう」
「断る」
「なぜだ? 僕なら信用たる人物。明日引き受けるぞ?」
「自分で自分のことを信用出来ると言ってる時点で信用出来ないことは明白。信じるほどお人好しじゃないぜ、オレは」
「どこまでも捻くれた男だな貴様」
「だったら逆でいいだろ。オレを信用して今日はお前がやれ」
「過去の実績から言って、まるで信用できんわ!」
「相手を信じられないヤツが人に信頼されようなんて頭が高い」
「くっ!」


互いに一歩も引かず、また殴り合い寸前の雰囲気だった。


「よし、こうなったら最大の妥協案だ」
「またくだらないことを言うつもりだろう?」
「いや今度は間違いない。不公平もなく、むしろ友情が生まれるかも知れん」
「それはない」
「その方法とは、同時に開ける、だ」
「同時に開ける?」
「一人がドアノブを握り、回す。もう一人が扉を押すなり引くなりして開ける」
「……なるほど。実に非効率的だが、公平だ」
「だろ?」
「僕はどちらでもかまわない。どっちをやるかは貴様が決めてくれ」
「勘弁してくれよ。そういう好きにしてくれってのが問題なんだ」
「なぜだ。僕が勝手に決めると不満だろう?」
「もちろん不満だ。だが、そんな親切心も不満だ」
「不満の多いヤツだな。どうすれば納得する」
「公平にジャンケンで決めるべきだ」
「好きにしてくれ」
「ほらまた」
「な、なにが?」
「ジャンケンというルールに納得したのはいいが、実に投げやりかつ相手任せだと思わないか? オレが決めたルールにすべて従って決まったことに尊が不満を漏らさないとも限らないだろ」
「それはないから安心しろ」
「だめだな。完全に公平にしないと信用出来ない」
「……僕にどうしろと?」
「オレがジャンケンという大枠を決めた。なら、あとの細かいルールは尊が決めればいい」
「わかったわかった。なら、ジャンケンは一回勝負だ」
「それは単純でいいな、さすがだ」
「バカにされてる気しかしないのは、気のせいか?」
「気のせいだ」
「それから、勝ったほうがドアノブを握り回す。負けたほうが扉を押すか引く、ということでいいだろう」
「ちょっと待て。お前はどこまで傲慢なんだ」
「……どういうことだ」
「確かに大枠のジャンケンはオレが決めた。だからルールを作る権利は尊にあると言えるだろう」
「だから僕は……」
「そう、だから尊は一回勝負というルールを決めたじゃねえか。そこに付け足して勝った方がなにするだの、負けたほうがなにするだのまで決めるのは不公平じゃないか?」
「そんな細かなところにまで不平不満があるのか」
「当たり前だ。あとで揉めると面倒だろ」
「だったら、残りは貴様が決めろ」
「そうはいかない。また不公平感が出るだろ」
「だったらどうやって決める」
「またジャンケンだ」
「なに?」
「役割分担をする役を決めるためにジャンケンという大枠をオレが決め、一回勝負というルールを尊が決めた。そして次の詳細ルールもジャンケンで決める。そのジャンケンに勝ったほうが詳細ルールを決めるということだ」
「凄くシンプルなはずなのに、この上ないほど難解な取り決めになってきたな。まあ、それでいいだろう。いくぞ。ジャンケン──」


そう言って、すぐさま腕を振り上げジャンケンの体制に入る。

オレは呆れたようにため息をついて、それを制止した。


「単純動物か、尊」
「なに?」
「確かに詳細ルールはジャンケンで決めようと言ったが、オレはお前から同意を得たわけじゃないぞ」
「心配するな反論はない」
「だったら尚更ジャンケンをするわけにはいかないな」

 

 

「……は?」

 

「役割分担を決めるためのルールとして公平なジャンケンを採用したオレに対し一回勝負というルールを決めた尊だが、さらに詳細なルールを決めるためにジャンケンをしようと決めたオレに対し、そのジャンケンのルールを決める権利。それも尊に発生すると思わないか?」
「……そろそろ、ついていけなくなってきた。明らかに無限ループじゃないか。詳細を決めるためにまたジャンケン、またジャンケンとなっていけば、キリがない」
「だったらどうやって決めるんだ。オレは公平じゃないと納得しないぜ?」
「わかったわかった」


呆れたようにため息をつき、首を振る。



 

「僕が二日間、一人で扉の開け閉めをしよう」
「本当か?」
「あぁ。もう言い争うのも疲れた。それならいっそのこと、引き受けたほうが楽だ」
「そうか……なんだか悪いな」
「悪意しか感じていないから心配するな」


こうして、尊の善意の下、扉の開け閉め役が決められた。


「それより一つ思ったことがある」
「なんだ。また変なことじゃないだろうな」
「トイレだ」
「トイレ?」
「昨日今日と、たまたまオレたちは小しかしてない」
「汚い話だな」
「まあ聞け。大事なことだ」
「う、うむ」
「小の場合、鎖を扉の間に挟むことで解決しただろ?」
「射程距離に少し不安があったがな」
「お前の場合ツインになってたもんな。しかも片方は便器の外にかけてたじゃないか」



 

「見てたのか!?」
「気にするな」
「気になるわ!」
「とにかく、小は解決出来ていたが、肝心の大だ。さすがに今日と明日、互いに大をしない便秘というわけでもないだろう」
「そう、いうことになるか」
「大の特性上、便器に座るのは必須。しかし鎖の長さを考えると小のように扉を閉めるのは困難だ。仮に腕を伸ばしたとして、ギリギリだろうが……。おそらく事後処理は満足に出来ないだろうな」
「一つ言わせてくれ。こういう場合、漫画やゲームなんかじゃ無視する概念じゃないか? あたかもトイレはしませんけど? といったような」
「残念ながら、無視しないクオリティだ。これが小説やアニメなら、男女で鎖に繋がれてしまい嬉し恥ずかしで済んだかもな」
「世知辛い世の中だ……」
「尊のクソを臭わされるのは勘弁な」
「それは僕も同じだ!」
「オレのはフローラルミントだ。心配するな」
「むしろ心配だ! 病院に行け!」
「で、なにかいい案はないのか?」
「一番完璧なのは、大をしないことだ」
「絶食すれば可能かも知れないが、本気か?」
「現実的ではないな……」
「前例を聞いてみるか」
「前例?」
「麗華と彩も昔繋がれたんだろ? だったら正しい共同ウンコの方法を知ってるかもな」
「あのお二人はそんなことしない!!」
「人間である以上それはありえないな」
「や、やめろ! 貴様放送事故させる気か!」
「なにを言ってるか知らんが、オレはとことんにまで突っ込んでいくぞ」
「頼むからやめてくれっ!」


心の底からの叫びだった。


「じゃあ解決策を出せ」
「トイレの際だけ、外させてもらおう」
「大するから手錠外してくれ、と言うのか?」
「そんなみっともない真似が出来るか!」
「だったら言うなよ」
「む、ぐぅ……」
「確かにパッと聞くと"なに言ってんだ?"と思うことだが現実では大きい問題だろ」
「確かに、そのとおりだ」
「女の大ならともかく……いや、それも問題あるが、最低でも野郎の大なんて見たくはないだろ?」
「あぁ」
「その対策を今のうちに考えようっていうことだ。幸いにも、オレたちはまだ催してないしな」
「あぁ……そう、だ……うっ!」
「なんだ、その今の機敏な反応」



 

「な、なんでもないっ」


びくっと体が跳ね上がった。


「肛門を引き締めなかったか?」
「知らんな」
「……ほんとか?」
「無論だ。どうして僕がうそをつかなきゃならない」
「冷や汗かいてるだろ」
「今日はちょっと暑いし」
「肌寒くて屋敷の中に戻りたいくらいだが?」
「とにかくなんでもないっ」
「まぁいい。とにかく、その問題をどうする?」
「そうだな、それは1秒でも早く解決すべき問題だ」


だだだだ、と膝を震わせはじめた。


「お前が貧乏揺すりするとこ、初めてみた」
「僕だって人間だ。そういうこともある」
「なにかを我慢して思わずってことじゃ?」
「ありえないね」


だだだだだ!


「気になるな」
「とにかく、すぐ考えろ今考えろ」
「残念だが良案はまだ浮かばねぇな。ピッキングしていいなら簡単だが」
「それだけはだめだ」
「って言うと思った。まぁ、仮にお前が泣きついてきても昨日やらないと決めたからやらないけどな」
「…………」
「ちょっと泣きそうな顔してないか?」
「してない」
「よし、少しマラソンでもするか」
「もう少し座っていたい気分なんだ」
「ケツに負担をかけたくないって?」
「誰もそんなこと言ってないだろ。勘違いしてるようだから言っておくが、僕は別に催したりしていないからな?」
「じゃあ、なんでさっきから腹をさすってるんだ?」
「今朝食べたヨーグルトが胃の中で消化されていく瞬間を感じ取っているんだ。ああ乳酸菌、ああ乳酸菌の魂を感じるぅ」
「そうか、まぁ、深くは言うまい」
「なんだその意味ありげな……くああ!」


きゅっとケツに力を入れ飛び跳ねる尊。

もう見ていて明らかだった。


「つーか、やっぱりお前面白いわ」
「なに、が、だ、く、あ……」


余波が身体を駆け巡っているのだろうか。

そろそろいい加減にしないと、気分が悪くなりかねない状況だな。


「よし、この話は終わりだ。もしも直面したときにだけ考えることにしようぜ」
「そぅだなっ」


音程が明らかに違ったが、よしとしよう。


……。

 



 

「いい加減にしろよ尊」
「な、なにがだ」
「言わなくてもわかるだろうが」


グッと腕を引っ張り、のっそり亀のように歩く尊を急かそうとする。


「僕はあまり、走るような歩き方は好きじゃない」
「少しも早歩きじゃない。むしろ牛歩戦術のような歩き方をするお前が変だ」
「いいじゃないか牛歩。僕は好きだぞ」
「普段なら絶対自分がキレてるだろうさ。我慢しないで言ったらどうだ?」
「我慢? 僕が? どうして?」
「安心しろ。今日からウンコマンと呼んでやるから」
「僕に変なあだ名をつけるな!」
「いいじゃねえか。リアルっぽくて」
「どこにリアルがある!?」
「子供は学校でウンコしたことがバレると、ウンコマンってあだ名になるのが決まりなんだそうだ」
「うそをつくな! 純粋無垢な子供が聞いたら勘違いしてしまうことを言うんじゃない! 明日以降、ニュースで『トイレに行けない子供たち』というようなフレーズを見つけたら訴えてやるぞ!」
「多分、お前相当パニックだな。自分でなに言ってるかわかってないだろ?」
「はっきりしているさ。間違った社会にしないためにトイレは守るべきだと!」


すげぇパニックになってた。


「とにかくトイレの話題はやめろっ」
「トイレトイレって連呼したら問題があるのか?」
「ウンコしたら!? 僕はウンコじゃない!」
「……ウンコじゃない、連呼、だ」

 

 

 

「貴様ぁ、これ以上ウンコと言えば殺す!!」

 

血走った目で殺害予告。


「わかったから落ち着け。部屋に戻るぞ」
「色即是空、色即是空
「耐え続けても仕方ないと思うがな……」


しかし他人事ではない。

遅かれ早かれ、オレも尊と同じ問題に直面するだろう。

まぁ、別にそばで見られていても困りはしないが。

逆だと絶対嫌だけどな。


……。

 

 

 

 

「はーっ、はーっ、はーっ……!」


その異様なまでの発汗と、貧乏揺すり、それがただごとでないと知るのに時間はいらなかった。

そう、こいつはただの大ではなく、まさに下痢というやつに直面しているのではないかと。


「いや、いい加減汚い話もどうかとは思うんだ」
「突然誰に向かって話しているっ」
「そんな敏感に反応するなよ。独り言だ」
「独り言か……はーっ、ふーっ」
「ちょっと綺麗で爽やかな方向に軌道修正するか」


なにかネタはないかと脳内で模索する。

たたたたと小刻みに震える尊の膝が気になって集中力は見事に分散していった。


「おい尊。集中出来ないから貧乏ゆすりやめろ」
「うるさい。僕の勝手だっ」
「ったく、だったら爽やかに活動に協力しろ」
「爽やか……いったいなんだっ」
「好きな食べ物は?」
「僕か? 僕はサーロインステーキだ」
「また豪勢な」
「気が済んだか? 僕は今集中していたいんだ」
「オレにも聞き返してくれ」
「なにが好きなんだ?」
「カレー」
「うっ!」


ごろごろっ、と腹から異常音。


「しまった、迂闊だったか」


カレーは大好きだが、ウンコとのイメージが重なりすぎてた。

 

「うぐぐぐぐぐ」
「そろそろ限界だろ? 行くか?」
「どこに行くと言うんだ、は、はあ、はああ……」
「いかんな。いかんぞこれは」


またすぐにウンコに流れが戻りつつあった。

まるで腐った木が淀みに集まるかのように。


「そう言えば、昔小説で読んだことがあったな」


確か一人の男子生徒が閉じ込められたロッカーでウンコを漏らしてしまうという話だ。


まさに悲惨な現場だったという……。


もしも尊が我慢し続けて部屋で、なんてことになれば屋敷中に話が広がるとともにオレの部屋に臭いが広まることだろう。

それだけはなんとか回避しなければ。

だが、当然手錠を外したがらないだろうし、このことが麗華の耳に届くことも嫌がるだろう。

この悩める問題を解決、あるいは助言してくれそうな人物は残念ながら一人しか浮かばなかった。

尊に気づかれないように携帯を取り出す。

普段メールなど打たないことと、片手での操作ということで時間を要したが、必要なことを書き一人の人物に転送した。

助言求む、と。

あとは、返事を待つだけである。

返事が返ってくるのにしばらくはかかるだろうと思っていたのに、ものの1分もしないうちに返事が返ってきた。

さすが、と言うべきだろうか。

その人物の名前が表示された。


『ツキ』


この屋敷の人間にして、尊よりも下の人間。

そして唯一オレが連絡先を知っている人物だ。

期待を胸にメールを開く。


『知らない』


「…………」


実にシンプルな答えが返ってきた。

まあ、想像出来なかった答えではない。

むしろ模範的な答えだ。

対ツキと考えると、実に自然。

オレはすばやく返信用のメールを書く。


『お前が懸命に掃除している一室、クソまみれの未来』


なんとも汚いが、掃除命みたいな一面を持つツキなら嫌でも反応するしかない。

そして迷うことなく送信した。


……。

 

 

 

さすがに無視出来なくなったのか、次に返信が返ってきたのは数分後だった。


『そのまま部屋にいて』


それだけの文章。

なにか、解決策でも思いついたのか?

そう思いツキを待つこと、さらに数分。


──コン、コン……。


「開いてるぞ。誰だ?」


十中八九尋ね人であるツキに対し、あたかも知らないように振舞った。


「ツキです。少しよろしいですか?」

「ああ、勝手に入れ」

 

 

 

「…………」


尊は軽く頭を持ち上げ、一目だけツキを見た。

しかしそれ以上、構っている余裕がないのか、すぐに下を向いてしまった。


「海斗さま、麗華お嬢さまがお呼びです」

「そうなのか? 面倒だな。おい行くぞ尊」

 



「そ、そうだな」

「あ、いえ……海斗さまだけに来て欲しいそうです」

「海斗だけ?」

「はい。少し個人的なことだとか」

「しかし手錠が……」

「特例として、数分間だけ外しても構わないと。鍵も預かってきました」

「だとよ。麗華の許可が降りてるなら問題ないな?」

 

 

「もちろんだ」

 


凄く嬉しそうだった。

 


「あ、すみませんっ……」

「どうした」

「その、どうやらここに向かう途中で鍵を落としてしまったようで」

 

 

 

 

「なんだと!? どれだけ間抜けなんだ貴様!」

「まあ落ち着けよ」

「大切な鍵を落とすなど、これだからこんなメイドは役に立たないんだ!」

「もっ申し訳ありません。すぐに探して参ります」

「別にいい。外せばいいだけだろ」


オレはクリップを指で開いて、細身の棒へと変形させる。


「おいっ」

「別に開け方はなんだっていいだろ? 麗華が呼んでるみたいだし、急いだほうがいい」

「そう、だな……しかし本当に開くのか?」

「電子式ってわけじゃないんだ」


オレはクリップを差し込み、ある程度構造を理解したあと開錠させた。


「見事なものだな、手際がいい」

「まぁな」


尊と距離をとる。


「まあすぐに戻るから、大人しくしててくれ」

「貴様こそ、麗華お嬢さまにご迷惑をかけるな」

「お前も鍵を探しに行けよ?」

「はい」


二人で部屋をあとにする。


……。

 

 

 

 

「では、私は鍵を探しに行きますので」
「ばぁか。うそなんだろ?」
「…………」
「やるじゃねえか、ナイスアイデアだ」
「いえ、それほどでも」
「ただ、ますます尊からの印象が悪くなったな」
「仕方ありません。部屋を汚されるのは困ります」
「そっちのほうが大切ってか」

 

 

「そういうわけでは……。どこかの誰かさまに、脅されたからです」
「脅してない脅してない」
「掃除の途中だったので、これで失礼します」
「おう」


頼もしき援軍に別れを告げ、オレはしばらく時間を潰すことにした。


「5分……いや、一応10分くらいしたら戻るか」


それっぽい時間だろう。


……。

 

 

部屋に戻ると、爽やかな笑顔を振りまく尊が待っていた。

折角解放された身だったが、仕方なく手錠をかけ直して元の鞘に収まった。


…………。

 

……。

 

 

 

 



「これほど一日が長いと思ったのは久しぶりだ」


ぐったりとうな垂れ、背中を丸めた隣人。

いつも外見だけは冷静さを装う尊も、このときばかりは参っていたんだろう。


「前はいつだよ」
「そうだな……最終試験のときだろうか」
「なるほど、な」
「なにがなるほど、だ。貴様はなにもしなかっただろ。おかげで僕と薫だけでクリアしたようなものだぞ」
「頭数がいればクリア出来るってもんでもなかったじゃないか。邪魔しないように静かにしてたんだよ、オレは」
「非協力的な要因だけでも、十分大きな痛手だった」
「もう忘れた」
「お気楽男め」


…………。

 

……。

 

 

 

「どうして、また貴様がベッドで寝ている」
「オレのベッドだからだ」
「今日は僕がそこで寝ると言っただろ」
「そうだったか?」
「ほらどけ」
「断る」
「断るな。約束を無碍にするのは最低の行為だ」
「最低上等」
「くっ、貴様というやつはどこまで……」
「まさかオレと一夜を共にしたいのか?」
「気持ちの悪いことを言うなっ!」


ぶんっ!


「うおっ、拳を振りまわすな」


ぎりぎりのところでかわしたが、もう少し気を抜いていたら直撃だった。


「夕べはあまり眠れず、ストレスが溜まっている」


それはオレの方だぜ。

こいつの十分の一くらいしか寝てないことなど、尊は当然ながら知る由もない。



 

「睡眠不足の僕は性質が悪いぞ?」
「そんな凄み方した奴、初めてだ」
「どけ。床に座って寝ろ」
「暴力ではなにも解決しないことを知れ」
「ときには制裁も必要なことがある」


ぎしっとベッドに足をかける。


「それが今だ」


ぶんっ!


「っく!」


強引に腕でオレをベッドから降り落とすと、傲慢にもベッドの中へともぐりこんだ。


「こいつ……」
「せめてもの情けだ。電気はつけていい」


どこから取り出したのか、アイマスクを身につける。


「これで眠れそうだ」
「永久に眠ってみるか?」
「…………」


凄んでみるも、まるで反応は返ってこない。


「ちっ」


昨日と真逆の位置関係で、眠ることが決まる。


「こりゃ確かに寝にくい体勢か」


尊と同じ格好をさせられて初めてわかる。

もっとも、オレには問題ない。

こんなところで小さい自慢を漏らす様だが、オレはどんな体勢でも眠ることが出来る。

立ったまま。

座ったまま。

あるいは逆立ちしながら。

……いや、本当に。


……。

 

 

 

暁の護衛【14】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
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Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 

 


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-二階堂 彩編-

 

 

 

……。

 

 

 

 

 



「よう、少しいいか?」

「あっ海斗さん」


尊が麗華の下へ行ってる間、彩に話しかけることにした。

これぐらいの時しか、話しかけるタイミングはない。


「あ、あの、よろしければこちらにお掛け下さい」


空いている尊の席。

念のために尊に視線を向けてみるが、麗華ばかりに気を取られているようだ。



 

「お姉さまの方が、気になるみたいですので」


悲しい表情……ではなく苦笑いをしていた。


「自分のボディーガードが、他のプリンシパルにうつつを抜かしててイヤじゃないか?」


もっとも、オレたちにとってプリンシパルは一人だが、プリンシパルにとってはボディーガードは数多き人数の一人に過ぎない。


「私のことを、あまり快く思われていないようなので」
「尊がか?」
「はい。たくさんご迷惑をおかけしていますから」
「そんなことないだろ。尊だって彩のボディーガードになれて喜んでたぜ?」


麗華のことを除いて、になるが。


「そうでしょうか? そうだと、いいですね」
「いいとか言いながら沈んでるぞ」
「あ、あっ、ごめんなさいっ……」
「まぁ別にいいけどよ」
「こんなだから、ですね……はは……」


実に自虐的な笑いだ。


「私のせいで、雰囲気が下がりますよね……?」
「上がらないことだけは確実だな」
「……お姉さまのように上手くいきません」
「あいつも雰囲気を上げてなんてねーぞ? つーか、雰囲気がどうのこうのと考えてもいないだろ」


自分のしたいようにしか行動しない。



「誰だって自分以外の誰かに憧れる部分を持つもんさ」
「そんなことないです。私、いいところ一つもないです」
「簡単に考えるなよ? オレが言ったことは非常に大きいことだ」
「大きい、こと?」
「人間の個性ってものは、本当に千差万別だ。髪、骨格、皮膚、筋肉、どれも一緒の人間がいるか?」
「……いません」
「だろ? 外見だけでもそれだ。性格に至ってはさらにバラバラだろうぜ。麗華がもし、雰囲気を上手に作るいいとこがあるなら、お前には麗華が羨む骨格……綺麗な言い方をすれば整ったバランスの身体をしてたりするだろう?」
「そ、そんなことないと、思います」
「それはお前が決めることじゃない。麗華だったら、そう思ってるかも知れないじゃないか」
「……けれど……」
「お前の悪いとこを挙げるとすれば、自分に自信がなさそうなところだな」
「自分に自信なんて、持てないです」
「どうして?」
「ど、どうしてと言われましても…………困りました」


困るのはこっちだ。


「誰にだって悪い部分はあるし、誰にだっていい部分はある。そういうことだ」


強引にまとめておく。


「海斗さんは、お姉さまのボディーガードになれて、やはり嬉しかったですか?」
「全然」
「全然……ですか……」
「むしろ、明らかにハズレくじだろ。屋台にあるハズレなし! とかいう売り文句くらいだな」
「は、はぁ……やたい……」
「まさか屋台を知らないのか?」
「名称は聞き及んでいますが、見たことはありません」


名称って……。


「とにかく、雰囲気がどうのこうので悩むな」
「…………」
「どうしても雰囲気を下げてしまう自分が嫌なのか?」
「は、はい……」
「じゃあオレの言う通りにするか? この場で雰囲気を盛り上げる方法を教えてやる」
「私にも、出来ることなんですか?」
「もちろんだ」

 



「で、でも……海斗さんにご迷惑がかかるのでは」
「デモも体験版もない。人を気遣う前に雰囲気を上げる女になれ」
「は……はいっ」
「よし」


オレは頷いてテーブルの上のモノを掴みあげる。


「では、このきゅうりのスティックを鼻の穴に入れろ」
「え、ええぇっ!?」
「なるほど、確かに。一本より二本の方がいいな」
「私そんなこと申してませんよっ……!?」
「麗華のようになりたいんじゃないのか?」
「お姉さまは、そんなことしませんです」
「麗華と同じような方法で、同じになれると思うのか?」
「う……」
「お前にはお前の雰囲気作りが出来るはずだ」
「それが、鼻の……」
「そうだ」
「わっ、わかりました……や、やってみます」
「ならさっそくだ」

 

 

 

 

「恥ずかしい、恥ずかしいですっ……」

 


ぷるぷると震える手で、きゅうりを摘む。

もちろんお嬢さまが鼻にきゅうりを刺すなど言語道断。

しかしオレは止めん。

モザイクをかけることになろうと止めん。

いや、モザイクすらかけん。


「あげまんになるんだ彩っ」
「なんですか、あげまんって……?」
「雰囲気を上げる女のことだ(←うそ) 逆に今のお前はさげまんなんだっ(←うそ)」
「は、はいっ、私あげまんになりますっ」
「よしいいぞ。もう少しでスティックが入る。それでお前はあげまんだっ」
「はいっ!」
「入る、入るぞあげまんっ」

 


──「なにさせてるかバカチン!」


──!

 



「ぐおぉ……っ……!」


直撃したのは、何故かフライパンだった。


「彩お嬢さまに、なにさせてるか」

「あ、あげまんのだなぁ……」

「そうなんです。あげまんのために頑張ってます」

「そのお言葉を口にしてはいけません。お言葉の使い道を間違っておられます」

「じゃあどういう意味だよ──」


──!


「ぐあっ……舌噛んだ!」

「あとで個人的に教えてあげる」

「え、遠慮しておく……」

「とにかく、そういう真似はおやめ下さい」

「……海斗さん」

「ツキさまが言うんだ、やめておけ」

「はい……」


どこかホッとしたような表情で、きゅうりを戻した。

 

 

 

「あと少しで、大惨事になるところ」

「盛り上がること間違いなしだったな」

「どこが盛り上がると言うか」

「フライパンを振り上げるなっ」

「なら、もう二度とこんなことはしないと約束するか」

「約束する」

「すぐに言われると怪しい」

「いや、そう言われても困るぞ」

「…………信じることにする」


なんとか怒りのフライパンを収めてくれたようだ。


「あの……」

「ん? もうきゅうりはやらんでいいぞ」

「そうではなくて……あげまんって?」


……余計なことを教えるんじゃなかった。

そのあと、理不尽にもフライパンで殴られたのは言うまでもない。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

ふとしたキッカケは、互いを深め合ったりする。

その反対だってもちろんあるわけだが。

屋敷にやって来てしばらくが経つが、オレと麗華の関係が深まるようなキッカケは訪れない。

登校、帰宅、そして学園内だけの付き合いだ。


「これくらいが丁度いいのかもな」


あまり深入りしすぎて、妙な情が移ったら厄介だ。

それは薫や侑祈たちのことで反省している。

いつまでもここにいるわけじゃない。

休みにも関わらず、スーツに身を包む。

私服を着ることを、基本的に禁じられてるからだ。

この状態が自然であるようにするための特訓とでも言うか。


……。

 

 

 

朝食を済ませたあと、休日をいかにして過ごすか考える。


「尊辺りは部屋で読書してそうだ」


オレも読書は好きだが、未読の本は残っていない。

麗華が休日、家で大人しくしているのなら、頼めば外出させてくれるかも知れない。

もっとも、そんな自由を許すかどうかはわからんが。


「いや、大人しく屋敷の中にいるとするか」


……。

 

 

 

部屋に戻る途中、もう一人のお嬢さまを見つける。

ゆったりとした物腰で廊下を歩いていた。

そしてその隣には、厄介な少女の姿も。

ここは黙って歩かせるようにしよう。

と、思った瞬間、厄介な少女はピクッと反応し後ろを振り返った。

 

 

 

「…………」

 

 

 



「どうしたの? ツキ」

「彩お嬢さまのストーカーを発見しました」


こいつは背中に目を持っているんだろうか。


「ストーカー?」

 

「ストーカーじゃねえよ」

 

 

 

「あら、海斗さん。おはようございます」

「ウッス」

「私に挨拶はなしですか? 新参者」

「なんだいたのか」

「眼科を紹介しましょうか?」

「結構だ」


この二人の組み合わせは珍しいな。

屋敷で生活をしてから、初めて見るかも知れない。


「今、ツキと散歩していたんです」


考えていたことが表情に出ていたのか、そう答えた。


「散歩って、屋敷の中をか?」

「いえ、中庭も歩いたりします」

「そうじゃなくてだな……」

「お叱りになってやって下さい。この男は今、彩お嬢さまをバカにした目で見てます」

「はい?」

「中庭だろうとなんだろうと、屋敷を歩いてるだけじゃ散歩とは言わねーんだよターコ」

「棒読みで物騒なこと言うんじゃねえよ」

「あ、あはは……けれど、事実ですよね?」

「少し変わってるとは思ったけどな」


ターコとか、さすがに思わんぞ。


「本当は、街の方にも出かけたいのですが……」

「なんだ?」

「屋敷を空けると、どこかの海斗って人間が彩お嬢さまの部屋に不法侵入しかねないから、出かけるに出かけられないと仰っています」

「仰っているようには見えないけどな」

「もう、ツキったら。海斗さんに失礼でしょう?」

「申し訳ありません、彩お嬢さま」

「怒られてやがる」

「別に……」


ちょっと悔しそうだ。

オレは少しだけ気持ちが良かった。


「よくわかんねぇけど、出かけたいなら出かけるか?」

「え?」

「ちょうどオレも暇だしな」

「あ、あの……それはどういう意味でしょうか?」

「どういう意味って、そのままだ」

「この男は日本人じゃないので、通訳させていただきます」

「生粋の日本人だ」

「いいから黙ってて、害人」

「……外人、だよな?」

「恐らく、宮川さまの代わりにボディーガードとして、彩お嬢さまを命がけで警護するから、お外に出ないか? と」



 

「まぁ、海斗さんが?」

「少し違う、尊も……」

「と言うわけですので、早く準備しましょう」

「きゃっ、押さないでツキ」


強引に彩を部屋へ連れて行こうとする。


「なんだ?」

「ついてきて」

「オレもかよ」

「そう」

「彩の着替えでも手伝わせるのか?」

「えぇっ、そ、そうなのツキ!?」

「それは無理な相談」


……。

 


「では、お着替えになって下さい」


彩を自室に押し込むように、ツキは背中を押した。



 

「なんか変だぞお前」
「別に、変じゃない」
「いいけどな。じゃあオレは尊に声をかけてくる」
「それは私の仕事。あなたはここで待機してて」
「鍵穴から覗いてていいか?」
「好きにして」
「……マジか」

 



「ただし、鍵穴に眼球が近づくと、針が飛び出す仕組みになってるから」
「失明確定だな」
「一瞬の天国、そして地獄。人生みたい」


……。

 

 

 

「いい天気だな……」


快晴と呼ぶに相応しい清々しい空だった。


「都会の空は曇ってるってよく言われるが、どう見ても青い空にしか見えないな」


多分それは、単純に田舎の空を知らないだけだと誰かが言う。


タタタタタ。


「ん?」


空を見たりして時間を潰すこと約20分。

駆け足で二人の少女がやって来た。

 

 

 

「お、お待たせしてしまいました、海斗さんっ」

「大したことじゃない、が……」


気になったのは、彩の少し後ろにいる人物だった。



 

「見惚れた?」

「なんでここにいるんだ、お前が」

「ケダモノと二人きりで出かけさせるわけにはいかないので」

「尊はどうしたんだよ」

「あなたも一緒に出かけると言ったら、任せると」

「なに?」

「仮にもボディーガードなら、安心だそうで」

「…………そうか」

「車を回してもらった方がいいでしょうか?」

「お前はどうしたいんだ?」

「えっと……出来れば、歩きたいな、と……」

「だったら歩けばいい」

「よろしいのですか?」

「なんでオレに聞く。そんなものはお前が決めることだ」

「あ、はい……」

「じゃあ行きましょう」

「だから、なんでお前がついて来るんだ。それもメイドの格好のままじゃねえか」

「メイドですから」

「それは確かに……」

 

……。

 

 

 

「やっぱりお日様の下を歩くのは気持ちいいですね」

 

 

 

 

「暑苦しい男さえいなければ、完璧ですけど」

「それはオレのことか、メイド」

「そう思ったのならきっとそう」

「明らかにこっち向いて言ってたじゃねえか」

「自意識過剰」

「なんだと?」

「お、お二人とも……ケンカはしないで下さいね?」


彩を挟むように、オレとツキが脇についていた。


「間違えても、彩お嬢さまに唾とか飛ばさないで」

「お前こそ気をつけろよ? お前は昔っからぺっぺぺっぺす飛ばすクセがあるだろ。駄菓子屋のおばちゃんも、売り物が汚れるって嘆いてたよな」

「いつからあなたの幼馴染になったか」

「ふ、二人ともぉ」


……。

 

 

 

「で……どういうつもりだよツキ」

「なにがですか?」

「ウソついてまで、オレたち三人で外出した理由だ」

「ウソ?」

「とぼけんなよ。不真面目なオレでも騙せねえよ。いや、誰だろうと、同じボディーガードはな」

「理解出来ない」

「お前は、尊がオレに任せたって、言ったそうだな」

「そう」

「自分のプリンシパルを、他のボディーガードに一任することはないんだよ。尊が重病だってんなら話は変わるけどな」

「…………」


第一、オレを嫌ってる尊だったら、自分が死にかけでも言わないだろう。



「フフフ、よく見抜いた」

「笑いごとじゃねえよ。尊にはどう言ったんだ?」

「なにも」

「黙って彩を連れ出したのか」

 

信じられないことをする。


「ボディーガードがいれば、大丈夫かと」

「騙せないうそをつくなよ。お前がこんな常識を知らないはずがないだろ」

「…………」

「メイド長がどこまで偉いかは知らねぇけど、このことがバレたら、タダじゃすまないぜ?」


クビにはならないだろうが、尊はけして許さないだろう。

あいつはオレもツキも嫌ってる傾向がある。



 

「構わない。全部海斗の責任にしておくから。嫌がるお嬢さまを、海斗が強引に連れ出した。私はそれを止めようとして追いかけた。素晴らしいシナリオ」

「おぃっ、オレは見事に終焉に向かうじゃねえか」

「あなたをクビに導く最強コンボ」

「真顔で恐ろしい女だな」


そう言いつつも、オレは引き返すことをしなかった。

すぐに引き返していれば、尊に気づかれることもないかも知れない。

しかし、目の前を歩く彩が楽しそうだったから。

そしてツキが彩のためを思っての行動だとわかったから。


「今が楽しければそれでいいか」


戻ったとき見つかっていなければラッキー。

見つかるとしてもその前に言い訳を考えておけばいい。


…………。

 


……。

 

 

 

 

 



「あ、彩お嬢さまっ!!」


帰るなりいきなり見つかってしまう。

実は出かけてないんだ、そう誤魔化しきる作戦は数秒にして打ち砕かれてしまった。


「ツキ、海斗……お前ら、どういうつもりだ!」


慌てて彩の全身をチェックする尊。

珍しくツキの名前を呼んだな。

それだけに尊は焦っていて、なにより怒っていた。



 

「傷の一つも負わせてないだろうな!?」

「だ、大丈夫ですよ宮川さま。私はなんともありません」

「安心しろ」

「僕をそばにおかないで外出、誰が許可した!」



 

「私がご説明します」


一歩前に出て頭を下げる。


「ったく……」


怒られ損ってヤツだなオレは。

さっきツキの言った作戦を思い返していた。

確かオレが強引に連れ出したことになってるはずだ。


「私が無許可で、海斗さまに彩お嬢さまのボディーガードをお願いしました」

「な……」

 

「……に?」


「もちろん、宮川さまをそばに置かず外出することが禁止されているのは知っておりました」


さっきまで、オレに罪をなすりつけると飄々(ひょうひょう)と喋っていたツキはいなかった。

別に、オレの仕返しに恐れを成したわけじゃない。

そんなことはツキの目を、口調を見れば明らかだった。

初めからそんなうそをつく気はなかったのだ。


「どういうことだ」


怒鳴っていた声は静まった。


「弁明するつもりはございません」

「たかだかメイドが……ふざけたことをしたな」


次の瞬間、尊は手を振り上げていた。

紳士たるもの、女性には手をあげない。

そんな言葉はオレたちボディーガードには存在しない。

プリンシパルを守ることが全て。

それを害なす者は誰であろうと敵だ。


──ッ!!


乾いた音が、廊下に響く。


「お前……」


オレは張り手を防ぐため、尊とツキの間に割って入ろうとした。

しかし、オレの手はツキによって防がれ、尊の手のひらはツキの頬を痛々しくとらえていた。

 



「このことは、上に報告する。僕はクビを前提とした提案をさせてもらうつもりだ」

「はい」

「行きましょう、彩お嬢さま」

「け、けれど……」

「そんなメイドにかまける必要はありません。これは許されることなんかじゃありませんので」

「つ、ツキ……?」

「ご報告せずお連れして、申し訳ありませんでした」


尊は強引に彩を連れて、奥へと引っ込んで行った。

 

 

 

 

「……なに?」
「なにが?」
「あなたも、部屋に戻ればいい」
「なんつーか、下手だぜ、お前」
「どういう意味」
「わかってないだろうな、その様子じゃ。やり方が下手なんだよ。真意ってのを、オレは少しわかりかねてるんだがよ。彩を楽しませるために、連れ出したんだろ?」
「そう」
「だったら最初から最後まで上手くやらなきゃ、意味ないぜ? きっと今頃、彩は落ち込んでるだろうさ」



 

「どうして……?」
「お前が無理して連れ出してくれたことを知ったからだ。麗華ならともかく、彩は優しい性格だろ?」
「…………」
「お前が辛い目にあったのを知って、楽しかったと思えるか?」
「だけど、こうするしかなかった」
「尊を連れてちゃ楽しめないってか?」


頷きはしなかったが、無言は肯定の証。


「気づいてないだけで方法なんて幾らでもある」


戻ったときも、正面からじゃなく、窓からでも良かった。

キッチン辺りからこっそり戻すとかな。


「これでクビになったら笑えないぜ」

 

 

 

「やっぱり、朝霧海斗の責任にするべきだった。妙な情けをかけたのが失敗」
「痛かったろ?」
「全然」


うそつけ。

頬が真っ赤になってるじゃねえか。

折角差し伸べたオレの救済も拒否しやがって。

なに考えてるか全然わかんねぇよ、コイツは。


「じゃあ、部屋に戻るから」
「しっかりと冷やしておけよ」
「余計なお世話」

 

 

 

 

「どれだけの問題なのかね」


大事をしでかしたのはオレじゃないが、出かけようと誘いかけたのはオレだ。

やれるやつが、尻拭いしておくか。

ツキはオレに対してこそ強い態度を見せるが、その他の人間に対しては頭を下げるだけしかしない。

このままではクビ、あるいはなんらかの懲罰は避けられない。


「…………」


……。

 

 

 



「オ○ニー中悪いな、ちょっと時間をくれ」


「そ、そんなことしていない!」

「じゃあ入るぞ? オ○ニーしてないなら入ってもいいよな?」

「ぐ……い、いいだろう……」


こう言えば部屋に入れざるを得ないだろうな。


……。

 

 

 



「ちょっとイカ臭くないか?」
「臭くない!」
「そんなに怒るなよ、タカちゃん」
「いきなり変な呼び方をするなっ!」
「どっちかと言えば尊の方が変じゃないか?」


漢字で読めばそれほど不自然じゃないが、平仮名に直せばハッキリしてる。


『たかのり』なのに『そん』。

『たかのり』だから『たかちゃん』。


「やっぱりタカちゃんの方が自然だ」
「脳内で勝手に完結するな。それに、元はと言えば貴様が勝手に『尊』と呼び出したのが始まりじゃないか」
「そうだったか?」
「尊と言う字を『たか』と読めなかっただろ」
「普通に考えたら『そんとく』って読む」
「難しい読み方だとは思うが、そんとくなんて名前は不自然じゃないか」
「そうかもな」
「って、そんな話をしに来たのか!?」
「いいじゃねえか、たまには昔を語らうのも」
「僕は慣れ合うのは嫌いだ。貴様も好きじゃないだろう、慣れ合うのは」
「そんな冷たい人間じゃないぜ」


肩に手を回そうと腕を伸ばしたが、避けられた。

少しだけ悲しくなったのは秘密だ。


「あのメイドのことについて話に来たのか?」
「まぁな」
「旦那さまに報告する」
「そんなに目くじらを立てるなよ、あれくらいのことで」
「あれくらい、だと?」
「冗談。冗談だから怒るな。確かに、軽率な行動だったと思う」
「だったら黙っていてもらおうか」
「それがそうもいかねぇんだな」
「なんだと?」


怒りの収まっていない尊に刺激を与えないように、丁寧に言葉を紡いでいこう。

そうすれば熱意が伝わるはずだ。


「このことを公にされるとマズイんだよ」
「貴様が関与していたことは、確かに問題になる。しかし罰則を大きく受けるのはメイドになるだろう」
「それがマズイんだって」
「僕には話が見えてこないな」
「ツキが首謀者だって前提にして、彩と話したんじゃないか?」
「念のため確認は取った」
「彩は肯定してたか?」
「庇われているのか、頷いてはもらえなかった」
「無理もないさ。アレは事実じゃねえからよ」
「事実じゃない?」
「オレが強引に連れ出した、としたら?」

 



「まさか……」
「メイドに罪を被せたとしたら?」
「正気か、海斗」
「オレがそういうヤツだってことは知ってるだろ?」
「…………」


殴りかかってきたら、一発は殴られてやろう。

ただし本当にそうなったら、カウンターで三発は殴り返すけどな。


「悪いが、信じられないな。メイドがウソをついているようには見えなかった。僕に叩かれてまで、貫き通すとは思えない」
「弱みを握ってるんだよ。あいつの足の裏が臭いってことをな」


こんなウソがツキにバレたら毒殺されかねないな。


「弱みを握っているのが本当だとしても、やはり僕は信じられないな」
「頭の固いヤツだ。このまま上に報告されたら、メイドが吐くだろ。黒幕がオレだとバレたらそれこそクビが飛ぶ」
「間違いないだろうな、事実なら」
「一年間苦楽を共にしてきた仲だから、許してもらえると信じて白状したんだ」
「貴様との間に友情はないが、例え友情が芽生えていたとしても許せない」


非常に優秀よ、尊。

どこまでも真っ直ぐすぎるわ。

私もう、勢いで殴っちゃいそう。


「僕にとってはどちらであろうと然程重要ではない。黒幕が貴様なら、貴様が処分されるだけのこと」
「じゃあどうすればいい」
「どうしようもないさ。僕のプリンシパルを危険な目に遭わせたんだぞ? もしものことが起こっていたら、僕の将来は終わりだった」
「なにも起こらなかっただろ」
「結果論でモノを言うな」


ごもっとも。


「このとおりだ、頼むから許してくれ」
「上から見下ろして言うセリフじゃないぞ」
「土下座でもすればいいのか?」
「どうも変だな」
「…………」

 



「さっきからあのメイドを庇ってるようにしか思えない」


やっぱり簡単にはいかないか。

これ以上は粘っても無駄かも知れない。


「もしかして貴様、あのメイドが好きなのか?」
「ブーーッ!」
「汚っ! 唾が散ったぞ!!」
「面白いこと言いすぎだお前……」
「その慌てよう、図星か」


全然はずれてるけどな。


「なるほど……あんな女に好意を寄せたのか」


何が面白いのか、喉をクックッと鳴らす。


「そうとなれば、少し話は変わるぞ」
「なに?」


否定しようと思ったが、言葉を飲み込む。


「僕は、貴様がいつか血迷って麗華お嬢さまに手を出すと思っていた」


それこそありえない。


「しかしメイドが好きなのなら、その心配もなくなると言うもの……間違ってもメイドとの恋路で僕に火の粉が降りかかって来ることはなさそうだ」


どうやら自分の出世について考えが結びつくようだ。


「今回だけは見逃してやらないでもない」
「それは助かる」
「しかし、よりにもよってあのメイドか」
「あ? あぁ……まぁ」


そういうことにしておいても、問題ないだろう。


「恋は盲目と言うからな。足元をすくわれないようにしろ」
「どういう意味だ?」
「あのメイドは不気味だ。実にな」


確かに他には類を見ない変人。

なにをしでかすかわからない怖さを持ってる。


「不気味って、だから避けてたのか」
「いつ寝首をかかれるかわからない気がしてな。それに匂いがする」
「匂いフェチかよ。変態だな」
「勘違いするな! そういう一般の匂いじゃない!」
「だったらなんだよ」
「僕は人の品を見抜く力がある。と自負している」
「つまり自称か」
「あるんだ」
「自称、あるんだろ?」
「…………」
「…………」
「そして、あのメイドは品性のカケラも匂わない」


確かに失礼なメイドだが、尊に対しては丁寧に対応していた気がする。

もう少し補足するなら、オレ以外には丁寧な気がする。


「簡単に言えば、貴様と同じ匂いがする」
「オレと?」
「もっとも、僅かだがお前には品性を感じるがな」


どうやら本気らしい。

こいつが普通に、オレに品性があるなんて言うとは思えない。


「平民の生まれか、貧民の生まれか……僕は品のない人間は人間と認めない」
「お前はそういう思想だったな」


今の世代の中には、尊のような考えを持つ人間が多い。

同じ人間でも、階級によって人間扱いしない存在。

主に『あっち側』の人間を扱う態度は最悪。

犬や猫以下だと思ってるらしい。

 

 

 

「とにかくそういうわけだ。僕としてはメイドも貴様も嫌いだが、大きく影響を及ぼす貴様が大人しくなると言うなら、今回はこのまま見逃そう」
「実に寛大な措置だな」
「そう思うのなら、今後に生かして欲しいな」
「ダメな同級生を持った苦労と言うヤツか」
「呆れてるんだぞ、僕は」


なにはともあれ、これで問題が大きくなることはなさそうだ。


「今の話は心の中に閉まっておいてくれ」
「言っておくが、許される行為じゃなかったことは絶対に忘れるんじゃないぞ?」
「え、なにを?」
「もう忘れたのかっ!」
「冗談だ」
「まったく……メイドとデートするために、彩お嬢さまを利用したなんて、報告するに報告できん。呆れてモノも言えない。そもそもだな……」


言えないという割に、口は軽かった。

 


とりあえず、この一件が大事にならなくて良かった。


……別にツキを庇おうと思ったからじゃない。


オレが原因で始まったことだったからな。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

「こぉ~~~……」

「朝一番、なに変態みたいなことやってんだよ」


ゆらりとした動きをする佐竹の背中をヤクザキックしてやるが、さらりとかわされる。


「流れること水の如し柳の如しだ。古武術の舞だ」
古武術ねえ……」
「今の訓練校では、古武術が訓練対象外となっているが、私が生徒の頃はこうして毎日学んだものだ」
「なんでなくなったんだ?」
古武術を教えてくださる方が、日本を離れることになってな。今はもう日本で隠居されているが」
「あんたとどっちが強かったんだ?」
「私など足元にも及ばなかった」
「そりゃ、とんでもない怪物もいたもんだ」
「もう相当なお歳ではあるが、今尚達人の名を欲しいままにしている」
「紹介してやってもいいぞ?」
「勘弁してくれ。暑苦しいのは苦手だ」


オレはベンチに腰を下ろして佐竹の動きをじっくりと観察する。

そこには一切の無駄がない。

そして、オレは見たことがある動きだと気づく。


「その古武術……」
「知ってるんじゃないのか?」
「あ、あぁ。よくわかったな、オレの考えたことが」
「私が学生の頃の話だ。たった一人、スポンジが水を吸収するかの勢いで古武術を磨き上げ、師範代と互角に戦う生徒がいた」
「…………」
「もちろん私はその男に、一度も勝つことは出来なかった」
「そいつも化け物だったんだな」
「まったくだ。どうだ、お前もやってみるか?」
「勘弁してくれ。変態扱いされたくない」
「神聖なる舞だぞ」
「だとしても、こんな場所でやることじゃねえ」
「最近の若い者は、すぐ格好つけたがる」
「今生きてる人類全てが、そういう世代だろ?」
「……違いない」


一通り舞をやった佐竹は、薄っすらと額に汗を流した。


「今晩飯でも食いに行くか」
「ここよりも豪勢なもん食わせてくれるならな」
「舌も肥えたな」
「いや、単に金欠にさせてやろうと思ってるだけだ」
「寿司なんていいんじゃないか?」
「大トロばっかり食ってやる」
「タマゴが好きなくせに」
「うるせぇな。タマゴ馬鹿にすんなよ? なんならお前の頭で目玉焼き焼くぞ」
「そこまで怒ることか……」


……。

 

 

 



「おはよう、今朝は早いな」

「おう」


いつもの顔ぶれが揃い始めた食堂。

隣の席である尊と一言交わし席に腰を下ろす。


「今日で四週目だな」
「唐突になんだ」
「貴様が、麗華お嬢さまのボディーガードに臨時で選ばれてからだ」
「なんだその臨時ってのは」
「正式でないのだから臨時と付けるのは自然の道理」
「なるほどな」
「そろそろ、辞退してもいいんじゃないか?」
「オレが辞退したからってどうなるわけでもないだろ」
「そうかな? 僕が代わりに選ばれる可能性があるだろう」
「彩はどうすんだよ」
「別の者に引き継いでもらおう」
「ステキなくらい彩を思う気持ちがないな」
「僕としては彩お嬢さまも大切だが、麗華お嬢さまと比べてしまうと、どうもな……」


まったく悪気はないんだろうが……

こいつは本当にボディーガードになって大丈夫か?

オレに心配されてるってことは相当重症な気がする。


「確かに現状では、貴様の株が奇跡的にミリ単位で上だ」
「ミリ単位だが素直に認めたな」
「だが、僕にはとっておきの秘策がある」
「秘策?」
「おっと、言葉巧みに聞き出そうとしても無駄だぞ? 僕の部屋に隠してあるブツがあることはな」
「ブツ?」
「しまった! こ、これ以上詮索するな!」


自分から暴露してきた気がするが……。

しかし少し引っかかるな。

もちろん聞き出す。


「気になるから言えよ『超合金W』がどうしたって?」
「変なネーミングをつけるな! 手錠だ」
「て、手錠ってお前……それ刑務所直行な」
「しまった! つい口を滑らせてしまった!」


犯罪計画を未然に知ってしまったわけだが、オレは全力を持って阻止するべきなんだろうか。

それとも麗華が弄ばれるまで黙認しておくべきか……。


「なにを考えてるか知らないが、断じて違うぞ!」
「じゃあオレがなにを考えてるか言ってみろよ」
「それは、だな……言えるかっ!」
「用途はともかく合金の手錠って、どんな代物だよ」
「警察官が所持している手錠は鉄製のものだ」
「まぁそうだな」
「しかし我が家では超硬合金を用いた手錠を所持している」
「我が家って……」


確かこいつの家計は、薫と同じでボディーガード一族だったな。

法改正と共に銃器だけでなく、手錠や警棒の所持も一部では認められるようにはなっているが……。


「力ずくで襲うのはやめておけ」
「だから違うと言ってるだろう! やはりそんな不埒なことを考えていたのか!」
「麗華、くくっ、僕には秘策があるんだよぉっ……なんて言われたら犯罪の匂いしかしないだろ」
「手錠は海斗に使うためのものだ!」


──!


「…………」


その瞬間、オレを含めた食堂全員の視線が、一瞬尊に集まった。

しかしそれはすぐに散会する。



 

「…………」


「すまん、オレには、そういう趣味は……」

「め、目をそらすな! そういう意味でもないんだぁ!」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 



「貴様、言いふらす気だろっ?」
「別に言わねぇよ。お前が男好きだったなんて」
「違うと言ってるだろ! ぼ、僕はただ……ただ、そのだなぁ……」
「俯き加減にモジモジされると、余計不気味だ」
「僕が興味あるのは女性だけだ! 男の身体に興味はない!」

 

──「ひそひそ」


──「ひそっ」

 

 



「あ……」

「お前、ほんっとうにバカだろ」


「く、くぅぅ……」

 

頬を上気させ、苛立ちと恥ずかしさを含んだ表情を見せる。


「ダメだダメだ、落ち着くんだ僕よ」


だが、自分を落ち着かせるように深呼吸し、すぐに乱れた息を整えた。


「僕という完璧な人間に、神は唯一の欠点を与えた」

「自分で完璧とか言うな。で、欠点はなんだ? 短小包茎ってことか?」
「べ、別に欠点じゃないっ!」
「そんなに必死になるなよ」
「僕の欠点、それは……それは、海斗という人間との相性だ」
「は?」
「僕と貴様は相性が悪すぎる。近くに海斗がいるだけでポテンシャルが10分の1に落ち込んでしまうんだ」


また随分と凄い欠点だな。


「なんとか貴様と顔を合わせる機会を減らしたいものだ」
ダンボールの家でも作って駅前で暮らせよ」
「どうして僕がっ!」
「新しいことにチャレンジするのはいいことだろ?」
「名門である宮川家の僕に、みすぼらしい家なき子の真似が出来るかっ!」


──「あんたたち、朝からケンカしてるの?」

 

 

 

二人のお嬢さまが、一緒に歩いて来た。

どうやら学園に行く準備が出来たらしい。


「おはようございます。海斗さん、宮川さま」

「おはようございます」

「おはようさん」

「一緒に一年間頑張ってきた仲間とは思えないわね」

「いえ……」


麗華たちにも、オレと尊が犬猿の仲であることが知れ渡っている。

オレは別に嫌ってないけどな。


「なんか尊に言わせると、オレとの相性が悪いらしい」

「おい貴様っ!」

「相性?」

「お気になさらないで下さい。海斗の言うことは支離滅裂してることが殆どですので」

「なんだよ、じゃあオレとの相性はいいってことか?」

「最悪に決まってるだろう! ……あ」


慌てて口を塞ぐドジっ子ぶりを発揮する。


「ふぅん。思ってる以上に仲が悪いのね」

「それにコイツ手錠なんつう危ないもの持ってるんだぜ?」

「き、貴様ぁ!! 言うなって言っただろ!」


「手錠?」

「あ、いや、その……!」

「丁度いいわね」

「え?」

「私が仲良くなる荒療法、教えてあげてもいいわよ?」

お言葉ですが……それは、無理かと」

「やってみなきゃわからないじゃないの」」


「あ、もしかしてお姉さま……」

「しっ。言っちゃダメよ?」


なにやら彩も知っているらしい。


「実は、私たちも一度試したことがあるのよ。ね」

「はい。子供の頃ですが」

「お前らは普段から仲がいいだろ」

 

 

 

「子供の頃って、些細なことでケンカになるじゃない。私たちもちょっとしたことで大ケンカしたことがあったの。そんなとき、佐竹が仲直りする方法があるって教えてくれたのよ」

「佐竹が?」

「そしたら、本当に仲直り出来たの」

「きっと、お二人もすごく仲が良くなりますよ」

「尊と……」

「仲良く……?」


想像してみる。

 

 

 

『やあ、おはよう海斗』
『おはよう尊。今日もいい天気だな』
『なんだ髪の毛がボサボサじゃないか』
『そうか? 寝癖かもな』

 



『ほらジッとしてるんだ。直してやる』
『あ、あぁ……』


オレは尊に身体を任せ、寝癖を直してもらう。


『海斗って、いい匂いがするんだな』
『変なこと言うなよ』
『それに、髪も凄くサラサラだ』
『尊……』


尊の口元からの甘い匂いと言葉が、オレを強く刺激する。

いつもは逆の立場なことが多いから、主導権を握られるのも変な感じだ。


『……海斗』
『たか……のり…………』

 

 

 

『互いの唇が、そっと近づいていく。そして──』

 

 

 

『海斗……』
『尊……ってそれホモじゃねえか……洗脳するなよ』
『んっ』
『テメェはテメェで洗脳されてることに気づけ!』

 

バシッ!


思い切り尊の腹部をたたき上げ、距離を取る。

 

 

 



「ちっ。あと数センチだったのに」


なんという恐ろしい女だ。


「だ、男性同士だなんて……」


「お前も顔を赤らめるな」

「すみません」



 

「とに、かく、うぉぇ、我々のことは、うぇっ……」

「なんでえずいてんだ」

「貴様のラッキーパンチのせいだっ」


ラッキーパンチねぇ……。


「やっぱりアレを試すのが一番みたいね」

「だからなんだよアレってのは」

「週末の楽しみにしておいて」

「週末?」

「平日には、ちょっと無茶ですものね」

「私は面白いからいいけど?」

「あ、はは……」


結局、なんのことかわからないまま、オレたちは学園に向かうことにした。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

……なんだ?


朝、目が覚めてすぐ、オレは違和感を感じた。

周囲の様子がどこか違う。


「なにかが、変わっている……」


それは直視でわかる変化ではない。

机であれば、数ミリ動いただけ、その程度の微弱な変化。

だが、確かになにかが違う。

昨日の夜就寝するまでそんなことはなかった。


「…………」


オレは立ち上がり……

調べることにした。


「そうだな……危険ってことじゃないだろうが、どうも違和感というのは心地が悪い」


辺りを見渡して調べる場所を絞り込んだ。


「ベッドか?」


寝ていた場所に変化があるとは考えにくいが、手探りも交えてベッドを調べてみる。


「これはオレがいつも寝ているベッドだ。起きたばかりなので、まだ生暖かい。昨日と違う点といえば、シーツのシワくらいだろうか。その他に特別な変化は見られない」


一昔前のゲームのような解説で進めてみる。


「誰かが、なにかをする可能性が一番高いのは机だな」


引き出しの中のモノを探ったり、あるいはなにかを仕込んでいたり。

机の周辺から気を配り調べてみるが異変はない。


「となると引き出しの中……か?」


取っ手に手をかける。


「……というか、一体なにをやってんだオレは」


無断で部屋に侵入した挙句、オレの部屋でなにをしようというのか。

コソドロが二階堂の屋敷に侵入することはまず無理だし、仮に成功してもオレの部屋でなにかすることは考えにくい。


「…………」


屋敷の関係者で、就寝中のオレに気づかれず部屋に侵入し、盗み以外の……例えば悪戯目的でやって来る人物と言えば、絞られるはず。


「……あいつ以外に浮かべようがないな」


が、確証がなければ問い詰めることも出来ない。

引き出しを開けた。


「特に変わったところはないようだ」


鏡を見た。


「うお、イケメンがいる……なんだオレか」


鏡の前に男前が映っている以外、特に変化はない。


「寝癖が立ってるな」


さっとクシで髪をとく。


「朝霧海斗の男前が1上がった。……朝からなに言ってんだオレは」

 

うな垂れたい気持ちを抑え、改めて周囲を見渡すことにした。


たとえば、オレの部屋に侵入したやつが、ストーカーまがいの人間だったとしよう。

そうしたとき、一番可能性が高いのはトイレだ。


「…………特別変わったところはないな」


そもそも、トイレであれば朝起きた時に気づかないか。


「窓……か」


特別なにかを仕掛けるような箇所はない。

それこそ、後日盗みに入るために鍵を開けておくとか簡単な細工は出来るが……

そんな跡はなく鍵はしっかりと閉まっている。


「窓ガラスか……」


今では、窓ガラスの強化も随分進み、従来の薄さであるにも関わらず、強度耐熱ガラスになっている。

衝撃にも熱にも耐えられる構造になっているそうだ。

打ち破りや焼き破りなんかの一昔前の手口は殆ど通じなくなってしまっている。

今ではもっぱら電子機器を用いた手口が多いようだが、そっち方面での知識は残念ながら持っていない。


「……は、馬鹿か」


内側にいる人間が、そもそもそんな手口を必要とするはずがないな。


「結局怪しい箇所を見つけられなかったな」


感じた違和感はなんだったのだろうか。

今にして思えば、その感じていた違和感が薄れてしまっていた。


「起きるか……」


……。

 


しかし、オレが感じた違和感が、勘違いのものでないことを知るのは、そんなに遅くなかった。


……。

 

 

 

 

朝食を終えて、部屋に戻る途中。

後ろから感じる視線をどうするべきか考えていた。


「…………」

 

 



「…………」
「なんか用か?」
「えっ!? な、なにがですか?」
「さっきからオレのあとを追いかけてるだろ」
「そのようなことは、ありません、です」
「そうか」
「……はい」
「まあ、なにをしてるか知らないが、早く部屋に戻って登校の準備でもしたらどうだ?」
「で、ですね」

 

「……なんだってんだ?」


……。

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

……。

 

 

 

「…………」

「…………お前もか?」

「なにが?」

「じーっとオレをうかがうような目で見やがって」

「なんでもないわ。ただ、はんざ──なんでもないわ」

「はんざ──なんだよ」



 

「なんでもないって言ってるでしょ?」


明らかになんでもあるって顔と言動なんだが?


……。

 

 

 

その視線は、学園にいる間もずっと続いた。

廊下で彩とすれ違う度にも、同じ視線を浴びせられる。


……オレがなにかしたと言うのか?


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………いい加減にしろよ?」


帰宅してからも、オレのあとをつけては、物陰に隠れながら様子をうかがっていた彩に対し、オレは我慢の限界を迎えた。



「ごご、ごめんなさいっ……実はあとをつけてました!」
「そんなことは、とっくに知ってる」
「そ、そうでしたか」
「なんでつけてるか、その理由を聞かせろ。一日中、麗華からも不快な視線を向けられてたんだ」
「……その……」
「なんだ」


さっと彩が両手を差し出す。

 

 

 

「私の下着、返して下さい!!」

 

 


「…………」

「…………」

 

──「ひそひそ」


──「ひそひそ」

 

固まったオレたちの間を縫うように、メイドたちがひそひそ言いながら通り過ぎていく。

 

「すまん、どうも、耳垢栓塞(じこうせんそく)になったみたいだ。聞こえが3割くらい減じているらしい。もう一度言ってくれないか?」
「じこうせんそく、ですか……?」


顔を真っ赤にしながら彩が言う。

なんのことだかよくわからないのだろう。


「耳の聞こえが悪いってことだ」


耳垢が詰まってることだと教えるのは簡単だが、別に本当に詰まってるわけでもないしな。


「わ、わかりました……すーっ……」

 

 

 

 

「私の下着を返して下さい!!」

 

 

──「ひそひそ」


──「ひそひそっ」


──「ひそひそひそ」


──「ひそひそひそっ」

 


固まったオレたちの間を縫うように、執事たちがひそひそ言いながら通り過ぎていく。


「執事多すぎだろ! いや、そのことはいいとして……」


2度とも同じ一言一句違ったようには聞こえなかったが、それでも自分の耳を疑ったことは言うまでもない。

仮に対峙しているのがツキであれば、オレはなにを言ってるんだと笑い飛ばすところだが……。


「オレが、お前の、下着を盗った、と?」
「そ、そうは思いたくありませんけど、お姉さまが間違いないと……」
「根拠は?」

 

 

 

「鍵です」
「鍵?」
「昨日、私の部屋から、下着が消えてて……でも、部屋には鍵がかかってたんです」


なるほど、それでピッキング出来るオレが犯人と。


「よし納得した。今返してやろう」


そう言ってズボンに手をかける。

 

 

 

「ええええ! 私の下着を履いてるんですか!?」

「冗談に決まってるだろ」
「そ、そうですよね……。ただちょっと、その、匂いを嗅いだりされただけですよね」
「…………」
「お姉さまが、間違いなくそうだろうって。私は、そんな気持ちの悪いことをするはずないと言いましたが、お姉さまが言うことは、いつも正しいので」
「つまり朝からオレを気持ちの悪い下着泥棒の目で見ていたってことでいいんだな?」
「はいっ」
「…………」

 

 

 

「あ、いえ、違います違います! ああ! 壁を蹴らないで下さいっ! 今のは功妙な話術にしてやられただけです!」
「…………」
「ああ! 壁を殴るのもいけません!」
「物怖じしない態度には感服するが、それオレじゃねえ」
「本当ですか?」
「…………」
「ああ! 窓に手をかけて飛び降り自殺はやめて下さい!」
「なにもしてないだろ」
「あ……幻覚でした……」
「ドクター! ドクターを呼べ!」
「精神に異常はきたしていませんっ」
「オレじゃない。なんでオレが下着ドロなんてしなきゃならないんだ」
「そ、そうですよね? 海斗さんが、そんなことするはずないって、私信じてました」
「…………」
「あぅ、く、首を絞めないで下さいっ……」
「あぁすまん。本心と思えなかっただけだ」
「だとすると、誰なんでしょうか……」
「そう言えば、オレも今朝誰かが部屋に侵入したような気配を感じたな」
「そうなんですか?」
「ああ……まさかとは思うが」


確かめてみる価値はありそうだ。


……。

 

 

 

「マジかよ……」

 

 



「ど、どうでしたか? きゃっ!」

「覗き込むな」


オレは下着の入ったタンスをそっと閉める。


「確かに何着か盗まれてる」
「……泥棒」
「そのようだな」


しかも極めて変態な。

女物だけならまだしも、男のまでだと?

この事件にはとても凶悪……な変態の臭いがする。


「俺に不可能はない」
「どこかの二重人格さんですか?」
「……よく知ってるな」


しかも今のは『オレ』を『俺』、に変えたのが最大のポイントだ。

 

 

 

「昔の書物で読んだことがあります」


今のネタが理解出来るヤツが、まさか存在するとは……。


「でもあれって決め台詞ですよね? まだ解決してないように思えたんですが……」
「先走りすぎたか」
「です」
「……よし、オレの手で事件を解決させてやろう」

 

 

 

「本当ですかっ!?」
「どうも不可解だからな」

「あいきゅー220ですか」
「いや、この間のIQテストでは107だった」
「限りなく普通ですね」
「……意外と、毒吐くよなお前」
「えぇっ! わ、私お姉さまみたいですか!?」
「そこまでとは言わんが、ちょっと方向をずらして考えると、むしろ姉より……」
「あぁ……」


ふらっと後ろに倒れる。

うそっぽいコケ方ではなかったので、慌てて受け止める。


「そんなこと、うぅ」


よほどショックだったということか。


「……ん!?」


今、扉の向こうに気配を感じたような……。

寝込んだ彩をそっとベッドに寝かせ、扉を開く。

 

 

「…………」


左右どちらにも、なにかが逃げていく影はない。


「気のせいか」


なんにせよ、どうにもなにかが潜んでそうだ。


「オレの中じゃ犯人はアイツなんだが……」


オレの下着だけならともかく、彩まで被害に合っている以上犯人からは外れる。

そもそも彩がターゲットにされている時点で、殆どの人物が対象外になってしまうだろう。

もしそれらの要素を差し引いて一番怪しい人物。

彩の下着を平然と盗み、鍵までも軽く開錠する。

そして男物の下着にも躊躇しない……


「オレ、か? ……いやいやいや、それはありえん」


オレにはそんな記憶もなければ必要性もない。

 

 

 

部屋に戻り、この事件を考えていくことにする。


「ひょっとすると、被害者はオレたちだけではないのかも知れない」


まず思いついたのはそれだ。

聞いて回り、真相を確かめるべきだろう。

他にも被害者がいれば、なにか解けるかもな。


「おい起きろ」

「ん……あ、おはようございまふ」

「お約束の展開はいいから、行くぞ」

 

 

 

「行く……どこにですか?」
「事件の真相を探りにだ」


……。

 

 

 



「まずはどうするんですか?」
「そうだな……」

 

"乳揉み"


……。


…………わかってるのか?


悪ノリは嫌いじゃないが、オレはやると決めたらやってしまう男だぞ?


だからやめておこう。


けしてやる勇気がないわけじゃない。


ただこんなことばかげている。


ただ乳を揉むだけで取り返しのつかなくなることを受け入れるのが嫌なだけだ。


怖いわけじゃない。

 

"走り込み"


……。


「オレは嫌だ」
「なにがですか?」
「よし、彩が走り込め」
「えっ、えっ?」


オレは廊下のずっと向こう、角を指さす。


「一番向こうの壁にタッチして、戻ってくるんだ」
「どうして、ですか?」
「走り込みすると決めたからだ」
「これが事件解決に、結びつくんですか?」
「結びつくかも知れないし結びつかないかも知れない。可能性としては後者が明らかに高いが……。検証する価値として考えるならば前者も完全に無意味というわけではないはずだ」
「よくわかりませんが……役に立つのであればっ」


ぐっと握り拳を作ってから、彩は駆け出す。

まるで風と一体化するように……。

 

 

 

「足遅っ」

 

 


「はーはー、はーっ」


駆け出したばかりでもう息があがっていた。


「これでいいのか日本の政府」


学園とは本来、グラウンドがなければ学園を設立出来ない。

そしてどんな学園にも『体育』は存在したという。

しかし近年ではそれらを『義務』にしない学園がある。

日本でも稀なものだが、その一つが憐桜学園だ。

理由はただ一つ、うちの学園でテストの点数を他の生徒に口外しないのが原則のように、身体能力の優劣を決めることを嫌ったことにある。

肩で大きく息をしながら、どうにか向こう側にたどり着いた。


「よし、全力で戻って来い!」

「は、はぁい!」



 

なにが嬉しいのか、にっこりとして駆け出す。

当然遅い。

 


…………オレの早歩きの方が早い。

 

 

 



「も、戻りましたっ……! はぁ、はぁ、はぁ」
「なにがそんなに嬉しい」


笑顔を絶やさぬ少女に問いかける。


「海斗さんと、お話、出来る、機会が、少なかったので。こうして、たくさん、だから、嬉しくて」
「そんなことが嬉しいのか」


優しく肩に手を置く。



 

「海斗さん……」


頬を赤らめたのは、走って熱を帯びたからか、それとも……


「もう一回走って来い」
「えぇぇ!?」


"聞き込み"


「やはり聞き込みだろう。そもそもそれ以外の選択肢は存在しない」
「聞き込みですか……」
「捜査の基本だ」
「なるほど、私たち以外に被害者がいないか調査するということですね?」
「そういうことだな。お前を連れて行くのはそのためだ」
「と言いますと?」
「メイドたちに『下着はあるのか?』なんて男のオレが聞けるわけないだろ」
「あ……そうですね。私ったら」


ポッと顔を赤くして頷いた。


「そうと決まれば、さっさと行くぞ」

「はいっ」

 

 

こうしてオレたちの犯人探しが始まった。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

誰に聞き込む?

 


"ブサイクなメイド"

 

 



「よし、ブサイクなメイドに聞き込むぞ」
「え……ど、どうしてですか?」
「無差別的な犯行か、計画的な犯行か探るためだ」
「はぁ……」
「とにかく、ブサイクで気持ち悪いメイドを教えてくれ」
「そんな方はいらっしゃいません。皆さんとても可愛くて、気持ち悪くなんて」
「お前の言いたいことはわかる……。だが、オレは屋敷の中でそのカテゴリに分けられるだろうメイドを何人も見てきた。それが現実だ」
「でも……」
「……嫌か」
「はい」


仕方がない。

彩の性格からして、ブサイクのメイドがいる部屋に連れて行けと言っても、断固として承諾しないだろう。

オレは考え直すことにした。

 

 


"可愛いメイド"

 

 

「そうだな、可愛いメイドに聞き込むぞ」
「可愛い……ですか?」
「下着を盗むとしたら、当然可愛いメイドだろ?」
「そうとは、限らないのではありませんか?」
「なぜ」
「その下着泥棒の方の好みによるのではないでしょうか」
「そんなもん証明されてるだろ」
「え?」
「お前の下着を盗んだ時点で、既にブス専って可能性は薄い」

 

 

「…………」

 


「なに顔を赤くしてんだ」
「ひ、ひへ……」
「まぁいい。とにかくそういうことだ。彩のように顔のいい女を狙ってるとわかってる以上、ブサイクなヤツに聞いて回っても仕方ない」
「…………」
「なに固まってんだ、お前が案内しなきゃわからないだろ」
「はひぃ」


顔を真っ赤にしながらフラフラ歩いていく。


「こいつが相棒で大丈夫か?」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

「はい?」



 

「私です。彩です」

「彩お嬢さま……私になにか御用でしょうか?」


男に聞かれていたら恥ずかしいだろうと、オレは距離を置いて二人を見ている。


「実は……」


そっと耳打ちをする。

おそらく自分の下着がなくなった経緯を説明しているんだろう。

オレはメイドに尋ねる前に、彩に言ったことを思い返す。

 

 


『では聞いてきますね』
『待て、一つだけ注意しておくことがある』
『はい?』
『あくまでも下着を探している、ということにしておけ。この屋敷に泥棒がいるかも知れないことや、自分がそれを調査していることは絶対に言うな』
『どうして、ですか?』
『これから話を聞くメイドが、犯人でない確証はどこにもない』
『そんな……彼女は私も知るメイドです。女性ですし、なにより下着泥棒なんてする子ではありません』
『オレを平気で疑う……犯人と思いこむ割には信用するな』
『うぅ、そのことは深く反省してます』


うな垂れるところを見ると本当に反省しているようだ。


『とにかく、少しでも可能性がある以上は黙ってるもんだ。つまり自分の下着がなくなったが、知らないか? というような聞き方をすればい。メイド自身にも紛失した心当たりがあれば賛同してくるだろう』
『わ、わかりました……』

 


もし、下着がなくなったことをイコール下着泥棒と決め付ける人物がいたとしたら、そいつは黒の可能性が高い。



 

「もしかすると、お洗濯で出されているのでは?」

「そう、だったかしら……」

「一度他のメイドたちに聞いてみましょうか?」

「いいの。もう一度部屋を調べてみます」

「なにかありましたら、ご連絡下さい」

「ありがとう」


そう言ってメイドと別れる。

 

 

 

「シロ……だな」

「はい。良かったです」


しかし、こうなると被害に合った人物は少なそうだ。

狙いを初めから彩に絞っている?

だが、そしたらオレを選んでいる理由がわからない。

 

オレたちはその後も聞き込みを続けたが、結局なんの手がかりを得ることも出来なかった。


「あれ、え、オチはなんだよ!」


この下着泥棒事件は、一旦幕を下ろすことになる。

しかしそれから半年後、この事件を再び思い返すことになろうとは……その時は考えることさえしなかった。

 

……。

 

 

 

 

暁の護衛【13】

このブログはゲームのテキストを文字起こし・画像を投稿していますので、ネタバレを多く含みます。

読んで面白いと思ったら購入し、ぜひご自身でプレイしてください。

ご意見・ご要望がありましたら
─メール─ zippydle.scarlet@gmail.com
または
Twitter─ @Zippydle_s
まで連絡下さい。

 

 


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オレは先日見た、ツキのあの表情が忘れられないでいた。



 

なにかに心を支配されたような、どす黒い闇。

あんなにも色のない目をした
人間を見たのは、随分と久しぶりだ。


「普通、いねぇよな」


あんな目をする人間は、大抵が廃人だ。

薬物で我を失ったもの。

暴力や屈辱によって自我を崩壊させたもの。

ツキは一般人……それも、こんな裕福な場所で働いている。

結び付けをすることは無理に近かったが、

それでもあいつの目は、

それに匹敵するものを感じさせた。


「…………」


オレは、あの瞳に心を吸い寄せられていた。

ぞくりとするものが、心の底から這い上がるように。

埋もれ腐り果てていたものが、聖水を浴び蘇るように。

オレはこの感情を知っている。

欲する心。


「はっ……」


思わず鼻で笑ってしまう。


「オレがツキを欲しがってるだと? ありえねぇ。んなことあるわけないだろ」


雑念を振り払い、学園に行く準備を始める。


うそだった。


理由はわからないが、オレは確かにツキを欲していた。

その感情がなにか、わからない。

なにをもって、欲しているのかもわからない。

だが、望んでいることだけは事実。


「気持ち悪ぃ……」


……。

 



「待たせたな」

「……遅い」


いつもの時間より、10分ほど遅れて庭先に出ると、麗華は呆れと諦めの混じった顔をオレに向けた。


「行くわよ」


それ以上は会話もないまま、麗華はツキに持たせていた鞄を手に取る。

 

 

「いってらっしゃいませ」


あの日、心を乱したツキは、今はもう見る影もない。


「…………」

「なにか?」

「いや、なんでもねぇ」

「…………」


……。

 

 

 

「あんたたち、なにかあったわけ?」
「誰と誰のことだよ」
「あんたとツキよ」
「別に」
「そうかしら? これでも鋭い方なんだけど?」
「…………」
「この間のことじゃないでしょうね。踏み込まないでって言ったでしょ」
「ちげーよ。そんなんじゃない。……あいつは、いつから屋敷で働いてるんだ?」
「それって、私の質問に肯定してるってこと?」
「いや……」
「はっきりしないわね。どう考えても、あのときのこと引きずってんじゃない」
「そう……かもな。確かにちょっとツキってヤツが気になってる……」


隠し通せることでもないので、正直に話した。

特別驚いたこともなく麗華は頷いた。


「もう5年以上になるわね。あの子が働くようになったのは」
「それ以前は?」
「そんなこと、私が知るわけないでしょ? ツキを雇い入れたのはお父さまなんだから」
「そうなのか」
「……お父さまにも同じこと聞くとかやめてよね」
「わかってるよ」
「それと、前にも少し話したけど……まかり間違っても、ツキを好きになんてならないで」
「あ? オレがアイツを? 馬鹿言うな」
「馬鹿でもなんでもいいの。とにかくそれを忘れないで」
「他人の男から奪うなってことだろ?」
「そうよ」
「安心しろ。仮に男がいなかったところでありえん」

 



「そう見えないから言ってんのよ」
「なに?」
「釘を刺す意味で言わせてもらうけど、最近のあんたがツキを見る目、変わってきてる」
「…………」
「あの事件が絡んでるのか、それ以外なのかは知らないけど」


それは、好意という意味合いは含んでいない。

そう答えることが出来たはずなのに、オレは即答することが出来ないでいた。

なぜなら、そんな確証はどこにもないからだ。

もちろん限りなくゼロには近いが、ツキを気にしていることの真相はわかっていない。


「黙り込まないで」
「前に、ありえないって言っただろ」
「そうね」
「お前には言ってなかったが、学園からボディーガードに課題が出されてんだよ」
「課題?」
「人物を観察する課題だ。だからちょっと気になってた」

 



「ツキを対象にしてるってこと?」
「そういうことだ」
「それ、取り消せない?」
「途中まで書いてるしな。それに、経過観察だから差し替えることも出来ん」
「そ……なら、ほどほどにしなさいよ」
「何度も言われるまでもない」
「だといいけど……」

 

 

 

オレの頭の中では、ツキのことがグルグルと回っていた。

どうしても頭から離れない。

 

……。

 

 

 

 

 

 



答えは出てないが断言してやる。

これが、恋なんつー甘いものであるはずがないと。

オレは誰かを好きになったことは一度もない。

 

 

 

 

だが、ツキに対する感情は、前に、遠い昔に感じたことのあるものだ。

つまり断じてそんなものではない。

じゃあなんだ?

この感情は……。


……。

 

 

 

今ごろ、あいつはなにをやっているのだろう。

なにを話しているのだろう。

なにを考えているのだろう。

無意識のうちにもツキのことで満ちていく。

吐き気がしそうだ。

自分が制御出来なくなっていく。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

 

「朝です」
「……朝なのはわかったが、またお前か。てめぇのせいで目覚まし時計が解雇寸前でテンパってやがるぞ」


パチッとスイッチを切り、鳴る前の目覚ましを止める。



 

「ちょっと趣味になりつつあります」
「嬉しそうだな」
「いつ何時、いかなるパーティージョークをぶちかましてやろうかと、わくわくしてますから。なにはともあれ、おはようございます」
「そう……か?」


ペコリと頭を下げたツキ。

そのときチラリと見えた、背中。


「お前、それが新しいパーティージョークか。それにしてはかなり痛いぞ」
「……バレてしまいましたか」
「そりゃバレるだろ」
「折角、縫い針を仕込んでいたのに」


手の平を広げ、縫い針を見せる。


「あ?」
「今度はもっと用意周到にしなければ」
「……そうだな。それよりちょっと背中を掻いてくれ」
「嫌です。汚れる」
「失礼なヤツだな。オレのメイドならそれくらいやれ」
「メイドと奴隷を混ぜた勘違い男か」
「いいから掻いてくれ、届かないんだ」
「……仕方ない。私の優しさに感謝するべき。こっちに背中を向けて」
「その前に縫い針はオレに渡そうな」
「残念」


オレは背中を向ける。


「頭が痒いか」
「なんでだよ。背中つったろ?」
「頭に虫がわいてそうだったから」


なんて酷い物言いだ。

 

 

 

「……ここ?」


すっと撫でるツキの手は気持ちいと言うよりこそばゆい。


「そのあたりだが、もっと力を入れてくれ」
「そのまま背骨を引き千切るくらいに?」
「それは死ぬから、もっと手加減してくれ」
「わがまま」


文句言いながらも、ツキは言ったとおりに掻いてくれた。


……。

 

「これでいい?」
「ああ。思ったよりも上手いじゃないか」
「掃除を極めし者、すべてを極める」


無駄にカッコイイ。


「よし、お礼にオレも掻いてやろう」



 

「必要ない」
「遠慮するな」

 

「え──?」

 

 



オレは強引に、力を入れれば折れてしまいそうなほどか細い腰元を身体へと引き寄せた。


ベッドの上にツキが倒れこむ。

 

「な、なにするか!」


慌てた声を出すツキを無視して、ツキの背中を力強く引っ掻く。


「じたばた暴れんな。掻いてやるって言ってるだろ」
「これは引っ掻いてるだけ!」
「なんだ、じゃあこうすりゃいいのか?」


スッと優しく背筋を撫でる。


「ふぁ!」


ビクッとツキの身体が跳ねる。


「は、離す!」
「おっと」


腕を振り回して、猛獣から逃げるように距離をとるツキ。



 

「とんでもないスケベオヤジ」
「一丁前に赤くなってやがる」
「扉に頭をぶつけて死んでしまえ」


──バタン……!


「なんてメイドだよ」

 

 

 

呆れるフリしながら、気配が完全に消えるのを待った。


「……自分でやったんじゃなさそうだな」


オレは布団の中に素早く隠した右腕を出す。

手には、握られた一枚の紙。

それはツキの背中に貼られていたものだ。

セロハンテープで固定した簡単なもの。


『どんな男にも股を開く淫乱女』。

 

無機質なパソコンで打たれた文字は、そう書かれていた。


「ただの悪戯とは思いにくいけどな」


ここは学園ではない。

ツキにとっては職場のような場所であり、周りの人間もほとんどが成人した大人である。


「…………」


ふと物思いにふけると、さっき触ったツキの感触を思いだした。


「あいつも、ちゃっかり女なんだな」


子供のような言動や行動からは、想像しにくいが……。

手に残った柔らかい感触がそれを告げていた。


──!


「ッ!!!!? ……なんだ、今のはっ……」


ズキリと脳を刺激した強い痛み。

一瞬のことだったが、意識が飛びかけた。


「なんだ……」


オレは今、なにか、思いだそうとしたのか?


「…………」


掘り返してみるがなにも出てこない。

 

「なんだ……ったんだ……」


…………。

 

……。

 

 

 

 



「人に苦痛を味わわせる簡単な方法……ですか」
「そう。肉体的にでなく、精神的に」


「朝っぱらから物騒だな」

「ちょっと、彩から問題発言があったのよ」

「胸が小さいとでも言われたか? なんてな」

 

「お、おい海斗……」

「ん?」

「そのこと、なんじゃないか?」


麗華の顔を見ている薫から血の気が引いていた。

オレは回り込んで麗華の顔を見てみる。


「…………図星だったか」



「いいから教えなさい。拷問なんかも学んでるんでしょ?」

「その顔で睨むだけで十分苦痛、いや絶望感を与えることが出来ると思う……」


「お、落ち着いて下さい、麗華お嬢さま。人を不快にさせるには、やはり嫌悪するものを与えたりするのがいいんじゃないでしょうか」

「嫌悪するもの……ね」

「しかし、それは簡単とは言えないだろ」

「だったら、あんたにも意見があるの?」

「そうだな、簡単な方法がある」

「信じられないわね」

「もしかしたら、海斗が名案を出すかも知れません。こういった暗い分野は得意なので」

「おいっ」

「名案かどうかは、私が判断するわ」

「なら、直接麗華に精神的苦痛を与えてやろうか?」

 

「面白いじゃない。やってみなさい。私に効くと思うならね」

「この貧乳」

 

 

 

「ぐ──!」

 

「あ、効いた」

「胸は小さいくせに毛深いよな」

 



 

「ぐぐ──!!!」

「さ、さらに効いた……」


「効くだろ? 言葉責めがもっともシンプルだ」

「確かに、相手を殺したくなるほど追い込まれたわ」


「グ……グビに手をかげるな……」

「死ね! 私を侮辱したクズは死ね!!」


「お、落ち着いて下さい! 海斗の顔が青くなってます!!」


「はぁ……はぁ……。まったく…………むしろ海斗の発言の方がムカついたわ」

「そう仕向けたからな。と言うか、冷静に対処してみせろよそれくらい。哀れだな。なあ?」

「私に同意を求めるなっ!」


麗華の報復を恐れてか、賛同者はいなかった。


「想像するに『私またブラのサイズが大きくなってしまいました』って感じの発言を聞いてムカっときたんじゃないか?」

 

「なんで知ってるの!?」

「……当たりかよ……」


あちゃー、と顔を覆いたくなった。


「着眼点は相変わらず凄いな……この場合褒めていいのかわからないが。それよりも、あまりそのような会話はしない方がよろしいかと」

「まぁそうだな。悔しい気持ちもあるだろうが。お嬢さまが進んで胸の話はするもんじゃない」

「私は自分から胸だとは、ひと言も言ってないわよ」

「…………」

「確かに。全部、海斗だな」

「お前、オレのせいにして逃げるのか?」

「私は関係ないじゃないか」

「確か貧乳なんて信じられないって言ってなかったか?」

「へえ」

「言ってません! 一度も言ったことありません!」

「じゃあ心の中でも思ったことはないか? 一度でも、チラッとでも頭の隅に思い描いたことはないか? 貧乳ってどんな気持ちなんだろう。肩は凝らなくてお得なんじゃないの? とか」

「それは……」

「あるってことね?」



 

「でも、ですから、そのぉ……」


勝った。

矛先を薫に向けておいて、オレは授業の準備でも始めよう。


「あんたも、あとで覚えてなさいよ」


という恐ろしい発言が耳に届いたのは秘密だ。


…………。

 

……。

 



 

 

「ふう………うぉ、誰かいる!?」


「お帰りなさいませ」

「……なにやってんだ、お前……」


オレのベッドで、布団の中に入っていたツキ。


「寝てただけですので」
「…………」


布団から出ようとしない。


「ひょっとして、ひょっとするとだが」
「なんでしょう?」
「オレの匂いを嗅ぎながらオ〇ニーしてた、とか?」
「っ!?」
「そうか……そう、だったのか……だから布団から出ようとしないんだな?」
「やだ、来ないで下さいっ!」


冷静さを欠き、叫ぶツキに、問答無用で近付いた。

そして一気に布団をめくりあげる。


「あぁっ!」
「…………やっぱり、か」
「見られてしまいました」


布団には、べっとりと濡れた跡があった。

透明な液体。

そして液体にまみれて、身動き一つ取れないメイド。


「瞬間接着剤か?」
「……バレましたか。布団に入り込んだら、ベッドと一体化してしまう罠を制作中だったんですが、失敗してしまいました」
「オレが部屋に戻ってくるのを察知して、思わず布団の中に隠れてしまったわけだな?」
「と言うわけで、手伝って下さい」
「……ふ」


にっこりと笑ってから、オレは布団をかけなおした。


「ベッドと一体化して白骨化しろ」
「ごむたいな」


バタバタと暴れるが、ツキ程度の力ではどうしようもない。


「木工くらいで手を打っておけばいいものを……」


ツキが使用した接着剤は、超強力なものだった。


「汚すようなことは嫌いなんじゃないのか?」
「遊び心には妥協しないタイプです」
「その格好で言うと、ちょっと格好いいな」
「本当に助けて下さい」
「本当に動けないみたいだな」
「やや不自然な体勢で接着されたので、心地悪いです」
「よし、その体勢で動けないなら丁度いいな」
「なに脱いでますか」
「ツキというのは不服だが、穴は他の女と一緒だろ?」
「無防備な女性を襲うのは非道です」
「なに言ったって、関係ねーな」


ススッと手を伸ばす。


「私に触れたら舌を噛んで自殺してやる」
「…………」


是非とも触ってみたくなったが、本当に舌を噛む可能性があったのでやめた。


「多少強引にだが、引き離すぞ」
「ちゃっかり胸を揉むとかやめて下さいね」
「わかってる」


すっと脇の間に両手を入れた。

指の関節をわざと深く曲げてみた。


ふにっ。


小ぶりだが柔らかい感触だった。


「……舌、噛みますよ?」
「ちょっとしたオヤジハラスメントだ」
「思い切り揉みました」
「平然としてるな」
「山田くん以外に揉まれたのはショックです……」
「そりゃ悪かったな、っと」


ぐっと持ち上げてみるが服とベッドが離れない。


「やりすぎだお前っ」
「本当なら立場は逆だったのに」
「ぐぐ、ぐ……」


さらに引き上げると、シーツが一緒についてきた。


「こりゃ無理だな。シーツを外した方が早い」
「そのようですね」


ベッドからシーツを外すと、ツキはシーツを引きずりながら室内をあとにした。


「胸を揉んだ分は、いつか復讐します」
「逆恨みはやめてくれ」
「ごーとぅーへる」
「…………」


オレは見事地獄に落とされてしまった。


…………。

 

……。

 

 

 

 



「お腹が空いてきたと思いませんか?」
「そりゃ、昼間から労働に駆り出されたら、嫌でも空腹になってくるだろうぜ」
「まるで私の責任みたいですね」


そう言ってツキは泣くフリをした。


お前のせいだよ。


学園から戻るなり、必要なものがあるからと、オレに荷物持ちを頼み込んできた。

とても軽くて時間もかからないと言われて仕方なくついて来てみれば、重労働な上にもうすっかり夜になってしまった。

これで見返りを求めるなというのが鬼というもの。

 

 

「そこの屋台でお好み焼きを奢ってくれたら許してやろう」
「そんなお金はありません」
「買い物に使ったお釣りがあるだろ?」
「すべてカードでしたから」
「じゃあ屋台でもカード使えばいいだろ」
「残念ながら屋台では使えません」
「くそ、カードなんて役にもたちゃしないな」
「そんなに食べたいんですか?」
「食べたい」
「…………」


がさごそと自分の身体をまさぐりはじめる。


「オ〇ニーなら帰ってからやれ」
「おバカなこと言い出さないで下さい」


そう言って、ツキはなにかを取り出した。


「420円……なんとかお好み焼きを買えますね」
「んだよ金持ってんじゃねえか」
「もしものときの緊急用ですから」
「緊急で420円かよ。タクシーにも乗れねえな」

「ブーブー言ってると買いませんよ」
「うそうそ。愛してるから買ってくれ」
「補足しなくてもわかってます。むしろ本当にそんなこと言われたら入院してしまいます」
「病原体か、オレは」
「似たようなものですね」


やりとりを交わしながら、屋台の前へ。


「あぃらっしゃい」

お好み焼き……ブタ玉下さい」

「あいよ!」


400円を渡し、焼き立てのお好み焼きを受け取る。


「毎度有り!」

 

 

 

 

「よしさっそく食おうぜ」
「ダメです」
「なんでだよ」
「早く帰らないと、次の仕事に間に合いません」
「あのな、それ買った意味なくないか?」
「どうしてか?」
「帰ったら飯があるだろ」
「私はありますが、海斗にはありません」
「あ?」
「言ったはずです。時間に間に合わない場合、夕食は出ないって」
「おい、それはあくまでも事故の場合だろ。どう考えても今日は仕方なしだろ」
「料理長にはそう伝えてあるので、幾ら駄々をこねようと出ないものは出ません」
「鬼か!」
「冗談です」
「……どっちなんだよ」
「夕食は出ますが、急いでるのはホントです。お好み焼きは冷めてしまいますが、夜食にして下さい」
「ったく、仕方ねえな」


レンジで温めさせてもらうことにしよう。


……。

 

 

 



「ふう、ふう……」
「なんだよ、疲れたのか?」
「大したことはありません……」
「…………」


こいつの持ってる荷物は、大して重くない。

それは買ったときにオレが確かめてるから間違いない。

だが、その荷物が原因でフラフラしているのは事実だった。


「おい。ジャンケンしようぜ」
「なんですか突然」
「いいからするぞ。勝った方が負けた方に荷物を全部持たせるってルールだ」
「なんと!」


慌てて荷物を下ろそうとするが、遅い。


「じゃんけん、ぽん」


右手の荷物を下に置いていたから、オレは三種類どれでも出すことが出来る。

しかし、ツキは荷物のせいかグー以外は無理な状況だった。

当然ツキが出したのはグー。

そしてオレは……


「ち、裏を読んでしくじったぜ」
「チョキ」
「オレの負けだ。ほら貸せ」


ぶんどるようにしてツキから荷物を受け取った。


「その代わりお好み焼きは持てよ」
「…………」


オレの両手は塞がった上、抱き込むようにしなければ持てないほどだったが、歩けない重さではないし、問題はない。



 

「……わざと負けた?」
「あぁ? なんでだよ」
「グーしか出せなかったのに」
「姑息なお前のことだから、荷物を落としてでもパーを出すと思ったんだよ」
「持ってたの、瀬戸の茶碗……」
「オレの知ってるお前なら、茶碗を割ってでもパーを出すツワモノだ」
「……愚か者。私は優秀なメイドだから」
「あーうるせぇうるせぇ、敗者を惨めにさせるな。次は絶対荷物持たせてやるからな」
「無理」
「ほら早く歩け。こっちは重たいんだよ」
「うん」


足取りが軽くなったのか、軽快にあとをついてきた。

 



「軽い」
「……ふん」


メイドだったら、もっとしっかり体力つけとけ。


……。

 

 



 

 

 

 

「ご苦労様でございました」

「ほんとご苦労だったぜ」


オレはすべての荷物を執事に預け、大きく息をついた。



 

「これ持って部屋戻る」
「ああ」


お好み焼きを受け取った。


「お前はさっさと飯食えよ」
「掃除が済んだら」
「どこまで掃除オタクなんだよ、腹減ってんだろ?」
「どの道、私たちメイドの食事は遅いから」
「そういや、オレたちのあとだったな」



 

「早く食堂に行かないと、なくなる」
「そうだ。ここでお前と話してる時間ねえわ」


急ぎ部屋に戻り、お好み焼きを置くと、オレは食堂へと向かった。


……。

 

 

 

 

「あー食った食ったぁ……」

 

 

 

 

「随分とお疲れのようだったな」

「メイドのパシリにされてたからな」

「ツキ、か。さすがの僕も、それには少し同情してしまうな」

「相変わらず嫌ってんな、あいつのこと」

「別にいいだろう。僕の勝手だ」

「なんでそんなに嫌う?」

 

 

 

「特別に理由はない。ただ嫌いなだけだ。お前にもあるだろう? 意味なく嫌いな食べ物が。僕にとっては、あのメイドはそれさ」

「そんなもんかね」

「もっとも、嫌ってるのは僕だけじゃないだろうが」


イスを引き食事を終えた尊が立ち上がる。


「なんか知ってるのか、あいつについて」

「なにも。ただそう思うだけさ」



 

 

「…………ま、今はいいか」


空腹が満たされ、幸せな気分に包まれていた。


……。

 

 

 



「おっと、もうこんな時間か」


風呂に入ったあと小説を読んでいた。

時刻は日付が変わる頃を迎えていた。


「ちょっと小腹が空いたな」


机の上に乗っているお好み焼きが目に止まる。


「これにするか」


ビニールを持って、食堂へ。

さすがに冷えたものは食べたくない。


……。

 

 

 


    
「ん?」


オレは、食堂に人の気配を感じ、思わず身を隠した。

話し声が聞こえる。

そっと顔を覗かせて中の様子をうかがった。



 

「……ツキ……?」


こんな深夜に食事でもしようというのか、あいつは席に座っていた。



 

 

テーブルには、一杯の茶碗。


「それで、あんたあの男に股でも開いたわけ?」

「…………」


聞こえてきた第一声は、なんとも信じがたい言葉だった。


「最近妙に生意気だと思ったら、男に泣きついてた、ってことでしょ? 最低ねコイツ」


へらへらと笑いながら、ツキを挟み嫌味を聞かせていた。


「…………」


誰が見ても、ただの虐めにしか見えない。

しかし……ツキはメイド長だぞ?

不可解な点は拭えない。


「早く食べればぁ? あんたのご飯冷めちゃうわよ?」

「もうとっくに冷めてるけど。あはははは」


「いただきます」


動じることなく、ツキは冷静だった。

静かに箸に手を伸ばす。


──!



 

「あらごめんなさい。手が滑っちゃった」

「…………」


メイドの手が、ツキの茶碗を薙ぎ払ったのだ。

茶碗は砕け、米とタマゴは床にぶちまけられた。


「早く辞めてくれない? あんたがいると、私たちまで汚れた気分になっちゃうのよね」

「ほんとよ。汚い汚い」



 

一日のストレスでも発散したのか、メイドたちは高らかに笑いながらこっちに向かってくる。

オレは物陰に隠れ、その二人をやり過ごした。

しばらく時間をおいてから、食堂に入る。


「おっ、なにやってんだこんな時間に」

 

 

 

「掃除」
「掃除だぁ?」


オレはわざとらしくツキのそばに近付き、片付けているものに視線を落とした。


「なんだこりゃ」
「最近、中庭をうろついてる猫がいる。その猫にご飯をあげようと思ったけど、落とした」
「そんなに優しいヤツだったっけ、お前」

 

 

 

「海斗さま以外には、常に女神ですから」
「うそくせぇ」
「それよりこんな時間にどうかしましたか?」
「こいつを温めようと思ってな」


すっとビニール袋を持ち上げる。

 

 

 

「なるほど」
「もう飯は食ったのか?」
「何時だと思ってますか。とっくに食べました」
「小腹が空いてきたんなら一緒に食うか?」
「結構です。太りますし」
「そうか」

 

オレはそのまま厨房へ行き、お好み焼きを温める。

 

「……なにが飯は食っただよ。バカが」


床に広がったタマゴがなかなか落ちず、片付けに時間がかかっていた。

オレは集められた茶碗の欠片に目をやる。



「猫の絵柄か……ひょっとしてお前のか?」
「昔使ってたものです。今はまさに猫の茶碗です」
「んな上手いこと言わんでいい」
お好み焼きの臭いがつくので、早く部屋に戻って下さい」
「ああ、お前もほどほどにな」
「掃除は生き甲斐ですから」


……。

 

 

 

 

 

廊下に出て、オレはツキを待っていた。

食堂でのことが引っかかっていたのだ。


そしてしばらくして、ツキが出てきた。

しかし、声をかけるタイミングを逃してしまう。


「…………」

 

 

「ふう、ふう……。ふう、ふう……」


アイツは、自分自身では気づいていないんだろう。

オレが見えにくい位置にいたとはいえ、まるで気づいた様子もなく、壁を這うように歩いていた。

間違いなく空腹時の低血糖だ。

発汗も見られる。


「おい」

 

 

「……ん……まだ、いましたか」


すぐに壁から距離をとり、いつものように振る舞う。

すぐにでも倒れてしまいそうなクセに、ほとんどそれを表情に出さないのには、感心と言うよりも恐れに近いものを感じさせた。

単純に我慢強いわけじゃない。

慣れているのだ、今の状況に。


「今から寝るのか?」
「さすがに今日の仕事は終わりです」
「だったらちょっと付き合えよ」

「こんな時間に乙女を誘うのは、怪しい臭いがします」
「アホか」
「また明日にして下さい」


逃げようとするツキの腕を掴まえる。


「まあそう言うなって」


こいつの腕は、単に女だから細いんじゃない。

それを確信した。


「わかりました。少しだけです」
「ああ」


……。

 

 

 



「それで、なんですか?」
「一緒に食おうと思ってな。お好み焼きを」
「お腹がいっぱいだからいらないと言いましたが」
「少しくらいなら食えるだろ」
「いりません」
「……強情なヤツだな」
「いらないものを押し付けるのは、いかがなものかと」


クゥ。



 

「なんだ、腹減ってんじゃねえか」
「気のせいです」
「じゃあ屁の音か。そりゃ失礼臭っさい」
「お腹の音でした」
「なんだ、じゃあ食え」

「一体どうしたんですか? 気持ち悪い」
「別に他意はねえよ」
「信じられない……」


日頃、お互いにどう見てるかはっきりわかる瞬間だな。

 

 

 

「…………ひょっとして、見てたか」
「あ? なにを?」
「こっちを見て」
「んだよ」
「…………」
「…………」


ツキの瞳がオレを捉える。

あいつは今、おそらくオレの感情を探っているんだろう。

通常の人間にはそんなこと出来ない。

せいぜい言葉で陽動するくらいだろう。

しかし、ツキは間違いなく表情や眼光から、オレの意識を探りにきていた。


「……なんでもないです」
「裏がないことがわかったか?」
「わかったのは、海斗が感情を読ませないことだけ」
「やっとお前らしくなったな。さまさま言われると気持ち悪い」
「ほっとく」

 

すとっとイスに腰を下ろした。


「少しだけもらう」
「いくらでも食えよ。実を言うと腹いっぱいだったんだ」
「え?」
「こっそり捨てようと思って食堂に行ったんだが、これを買った張本人がいたから、捨てるに捨てられなくてな」

「なんて罰当たりな」
「だから、こうして食わせようと必死なんじゃねえか。まぁ一口でも食ったら、残りは捨てるわ」
「食べ物を粗末にしてはいけないと、習わなかったか」
「そう思うなら、お前が責任持って食え」
「……仕方ない。私も苦しいけど、頑張る」
「これお茶な」


食堂から持ってきたお茶を置き、オレは小説を手に取った。

「…………」


オレが小説に目を落としたのを確認したのか、ツキは貪るようにお好み焼きに噛り付いた。

 

 

 

「はむ、はむ……はむ……」


小動物のように小さな口に、どんどんと消えていくお好み焼き。

一瞬、オレは立ち入るべきか判断に悩んだ。

すぐにやめておけと信号が伝達される。

こいつがどんな苦境いいるか知らないが、それはツキの問題であって、オレには関係ない。

こいつだって、誰の助けもいらないからなにも言わない。

だったらそれでいいだろう。

本当なら、こんなフォローをすることすら愚考。

オレがそうであったように。

問題は自分で解決しなければならないことだ。


「…………」


これっきりにしておこう。

こいつには気になるところがあるが、この話はこれだけ。


「…………」
「…………」


本に視線を戻そうとしたとき、ツキが一度、涙を拭うのが見えた。



 

ほんの少しだけ、僅かな気の緩み。

だが、オレを引き寄せるには十分なだけの緩み。

ツキの問題だから、関係ない?

問題は自分で解決しなきゃならない?

ツキは……オレなんかとは違う。

どうしてオレと同じように考える。

肉体も精神も、そして環境も違う。

なら、オレと同じように平然としていられるのが不自然。



 

「……ん……?」


オレに気がついたのか、こちらを向くツキ。

どこが冷静だと言う。

見れば見るほど、こいつには苦しい感情が見えている。

自分でもわからなかった。

何故、どうして、なにを求めて。

 

 

 



ただ気がついたときには、オレはツキの顔を引き寄せていた。

いや、違う。

ツキの瞳に吸い寄せられていた。

まだ見えない答え。

オレが欲するなにか。

 

 

 

今はただ空欄を埋めるために、唇を奪った。


──ッ!!

 

 


「……ってぇ」



 

 

「なにするか」
「大したことじゃねえだろ、キスくらい」
「私にとっては、大きな問題」
「そういや、彼氏がいるんだったな」
「どういうつもりか」
「わかんね……けどな、一つ言えることがある。お前に彼氏がいようがいまいが、関係ねえ。オレは多分、お前に惹かれてる、ってな」

「な──」
「言いたいことはわかる。実際、オレも少し戸惑ってんだ」
「き、気持ち悪いこと、やめて下さいっ」


逃げ出すように、ツキはオレのもとから逃げ出した。


「こんなこと、二度とやめて下さい。私には山田くんがいます、だから、やめて下さい」


聞いたこともない感情を持った声で、ただそう言った。


──バタン……。

 

 

 

「…………しっかり、お好み焼きは持って行きやがったか」


慌ててたのか冷静なのか、よくわからんヤツ。


「オレも、なにやってんだかな」


一番よくわからないのはオレ自身だ。


「キスしちまった」


それも、強引に。


まったくもって、自分の行動が理解出来ない。


「リミットがないってのも、考えものだな」


どこまでも突っ走るクセは、少し抑えなければいけない。

喉の奥からくっくと笑いが漏れる。


「どこに、お嬢さまの胸揉んだり、許可なくメイドの唇を奪うヤツがいるってんだ」


一歩間違えばそれで死、そんな行為なのは明白だ。

そう、断崖絶壁に立ち、足を踏み出すようなもの。


「ツキ………く──!」


また、ズキリと頭が痛みに襲われる。

うずくまるようにして頭を押さえた。


「なんなんだよ、チクショウ……」


ツキのことを深く考えれば考えるほど、強くなる痛み。


「くそっ……くっ!」


…………。

 

……。

 

 

 

 



「ようツキ」

 

……。

 

 



「今掃除中か?」
「…………」

 


……。

 

 

 

 

 

「よう……」


そそくさとツキが立ち去る。

 

 



「あんた、さっきからなにやってんのよ」


「いきなり沸いてくるな」
「穏やかな休日に、ゆったり優雅な気持ちで外の景色を眺めてたら、あんたがツキのお尻を追いかけてたから。もう鬱陶しくて鬱陶しくて」
「悪かったな」
「で、今回はなによ? どうせまたケンカでしょ?」
「あいつとケンカなんてしたことないぜ? せいぜい殴り合ったりツバを飛ばし合うくらいだ」

「十分すぎるほど犬猿だから」
「まぁ大したことじゃねえ」
「ツキは、よっぽどのことがない限り、相手を無視したりする子じゃないわよ?」
「……じゃあよっぽど、だったのかぁ?」
「はいはい。聞いてあげるから言ってみなさい」
「まぁ大したことじゃないんだが……あいつに許可なく、キスしただけだ」
「はぁ、その程度のこと?」
「だろ?」
「…………」
「…………」



 

 

「は?」

 

 

 

「何度も言わせるな」

 

 

 

 

「あ、あんた……ウソでしょ? あの黒板に文字を書くための道具でしょ?」
「そりゃチョークだ。すげぇ動転してるなお前。ほんとのことだ」



 

 

「このアホ!」

 

……。

 

 

 

「痛てて、引っ張るな!」


耳を強引に掴まれ、麗華の部屋まで引きずられてきた。

二匹のチーターがすぐ戦闘態勢に入るが、麗華はそれを制止した。

 

 

 

「あんた、本当にそんなバカなことしたの?」
「セクハラで訴えられるか? 同意の上でだったかも知れないだろ」
「絶対ない。と言うか自分で許可なくって言ったじゃない」
「……まぁな」
「言ったでしょ。あの子には彼氏がいるの」
「そうだな」
「だったら、恋愛の対象になんてならないでしょーが」
「別に恋愛だとは……」


言いかけてやめる。

それを言えば、また二転三転して話がややこしくなるのは明らか。


「男がいようがいまいが、関係ないだろ。本気なら奪うだけだ」

 



「……頭痛くなってきた……。あんたの一方的な感情はわかったけど、一番大切なツキの気持ちを汲み取らないのは、最低ね」
「そうだな」
「全然反省の色が見えない。それに……約束したでしょ。あの子のことだけは、絶対に好きにならないでって」
「悪かったとは思う。だがオレだって戸惑ってんだよ」
「えっ?」
「いつもの調子で軽はずみってわけじゃねえ。誰かをこんなに、気に留めた経験がない」
「本気ってこと?」
「多分、な」
「ツキが初恋ってこと……」
「そんな甘ったるいものかどうかも、わからないんだよ。ただ動いていた。身体が反応してたんだ」
「まったく……どうしてツキなのよ」
「あぁ? お前や彩の方が良かったとでも言うのか?」
「最悪、そういうことよ」
「本気か? お嬢さまとメイドじゃ、どう考えたってバランスがおかしいだろ」
「…………あんたがもし、引き下がれる状況にいるんだったら、これ以上ツキに踏み込むのはやめて。あんたにだって、自制心があるでしょ?」
「…………無理、かもな」

「…………」
「そんなもんで制御出来るなら、今この時点で、こんなことになってるはずがない」
「それもそうね」


完全に呆れられてしまったか、麗華は落胆のため息をついた。



 

「中途半端は一番許さないわよ」
「あ?」
「本当の本当に本気なんだったら、どんなことがあってもツキを想い続けなさい」
「随分と大きい話だな」
「それほど、大切なことだからよ」
「…………」
「あの子を想うのなら、例えなにがあっても……」
「なんだよ、例えって。男がいる時点で障害はデカイだろ」
「そうね……」
「まあ、よく考えてみるわ」

 

……。

 

 

 

「…………ほんと、どうすりゃいいんだろうな」

 

………………。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 



「おはようございます」

「おう…………」


いつものように、食堂の入り口で出迎えるツキ。

オレはジッとツキを見下ろした。


「なんでしょうか」
「この間から、オレのこと避けてるだろ」
「気のせいです」
「……気のせいじゃないだろ」


オレたちの真横を抜けて食堂に入っていく奴らが、険悪な雰囲気に何事かと視線を向けてくるものの、口を挟もうと言う気はないようだった。


「皆さんにご迷惑ですので、席におつき下さい」
「悪かった」
「…………」
「あれは、オレの軽率な行為だった」
「非を認めるなんて、珍しいですね」
「自分に不利益だからな。このままお前に無視されるのは、居心地が悪い」
「本来、どの方とも接し方は同じですので」
「そうか……悪い意味で特別だったもんが、この前のことで、どっちでもなくなったってわけか」
「…………」
「だったら言え。もう二度とオレに関わるなって。そしたら、二度と変な目で見ないと約束する」


オレは自分で決められない決断を、ツキに任せることにした。

間違いなくツキは、関わるなと言うだろう。

なら、オレは自分でも分からない答えに、回答不能と言う答えをつけて返すまでだ。



「……二度と、私に…………関わらないで下さい……」

 


少し途切れ途切れではあったが、ほとんど無感情で、ツキはそう言った。


「そうだな……わかった」


わかっていたことだ。

その返答を予見した上で、オレは言い出した。

マイナスに思考しダメージの衝撃を和らげていた。


……なのに。


そのひと言は想像以上に心の深くをえぐった。

多分それは、ほぼ間違いないと思いながらも……もしかしたら少しはオレに好意を寄せてるんじゃないか?

などと言うありもしない妄想が生み出したプラス。

それが、地面に叩きつけられることを知っていながら受け身を取れず身体をボロボロにしてしまったオレの迂闊なミス。


……。

 

 

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

 

それからしばらくして、源蔵のオッサンの誕生パーティーで振る舞う予定だった"特別な肉"のトラブルが発生した。

 

……今のオレにとって、源蔵のオッサンが誰をクビにしようと関係ない。

 

 

問題はツキだ。

明らかに避けられている。

どうにかして一定の関係への修復が出来ないものか。


……。

 

 

 

 

帰宅直後、廊下でツキの姿を見かける。

 

 

しかしオレと一瞬だけ視線が合うと、早足で廊下の奥へと曲がっていった。

 

 

 

「完全に嫌われたな……」


当たり前だと言われれば言い返せない。

 

 

あとを追った。



 

「おいツキ、ちょっと話が……」


また早足で逃げ出した。

完全に相手をするつもりはないってことか。


「…………」


心の中が、ずっしりと重たくなったのは、気のせいじゃない。


……。

 

 

 

その日、料理長がクビになった。

そしてオレは、ツキに相手にされることはなかった。


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

どうしたもんか。

先日のキスから、満足にツキと話していない。

誰かと話した話さないなんて些細なことだが、こと今のオレと屋敷の生活を考えると会話の8割がなくなっていることになる。

口寂しいと言うか、物足りないと言うか。

つーか半分告白したようなもんだよな、アレ。

ハッキリなにを言ったかは記憶から抹消したが、若い男女が歯の浮くセリフに近いものを発言した。


「初めての告白、初めての失恋ってヤツか。いや、別にオレあいつ好きじゃねえしな」


ただちょっと惹かれてるだけだ。


「…………」


どこぞの乙女のように、モヤモヤと悩んでしまった。

仮に失恋だとしてもだ……。

オレがオレであり、あいつがあいつであることに変わりはない。

そしてフラれたと言い切るのもまだ早い? だろう。

あいつには彼氏がいるのだから、問題が簡単に解決するとは思っちゃいない。

とにかく、今は愛だ恋だそれ以外だと言う前に、あいつと会話出来る状態にくらい戻しておきたい。

それに考察の方も、ちょっとな。

会話できなければ迂闊につけ回すわけにもいかないため、課題の方も進んでいない。


「行動するか」


……。

 

 

 

あいつを見つけたいときは、まず廊下だ。

大抵掃除してるし。

広い屋敷の廊下を散歩する感覚で捜していく。


……。

 

 

「いないな」


捜しているときに限って見つからない王道パターン。

少し前までなら、その辺のメイドに聞くことも出来た。

しかしアイツの状況を知ってしまった今、不必要に接触させたくない。


「次は庭先だな」


外でせっせと働いていることも多い。

そこにいることを信じて、オレは外へと足を向けた。


……。

 

 

 

 

「こんなときだけ……」


庭にもツキの姿はなかった。

こうなると、大抵捜すのを諦めたあとで出会ったりするが。



 

「どうかされましたか?」
「別にツキは捜してないが?」
「えっ? ツキを捜してるんですか?」
「捜してないが、どこにいるかは聞きたい」

 

 

 

「はぁ……えっとツキなら買い物です」
「あいつよく買い物に行くな」
「今日はちょっと特別な日ですから」
「特別な日?」



 

「月に一度新しい掃除の道具を購入するらしいのですが、その日は自ら買いに行くんです」
「喜んで行きそうだな」
「掃除の管理は殆どツキがやっていますから」
「駅前辺りのデパートか?」
「デパートだったかはわかりませんが、駅前か繁華街で買い物していると思います」
「なるほど」
「捜しに行かれるんですか? なにかご用なら携帯を使った方がいいかと」
「特別用事ってわけじゃないんだが……しかし捜すのは難しそうだな」
「メイドのお友だち数人と出かけているので結構目立つんじゃないでしょうか」
「友だち?」
「いつもは一人で買い物に行くんですが、今日はメイドのお友だちも一緒に行くとかで……」
「……メイド、友だち……」


あの日ツキに絡んでいたのも二人組のメイドだったな。

なにか嫌な予感がする。


「助かった」



 

「いえ、大したことではありません。もし特別ご用がないなら、これから一緒に散歩…………行ってしまいました」

 

……。

 

 

 

 

「おい麗華、金くれ」
「はぁ? あんたなに言ってんの突然」
「ちょっと出かけたいから金くれ」
「嫌」
「バカ者、嫌々言ってる場合ではない」
「なんなのよ」
「お前……ツキが虐められてるの知ってるか?」
「ちょ、ちょっと……」


キョロキョロと辺りを見渡す。

 

 

「私の部屋に来なさい」


……。

 

 

 

 

「どういうことよ」
「やっぱり知ってたか」


長い間ツキのそばにいて、気づかないのも不自然だ。


「あんた、まさかツキから聞いたの? 山田くんのときみたいに」
「残念ながら違うな。偶然見た」



 

「誰!! 言いなさい!!」


「うぉ……」
「今すぐ名前を言え!!!」
「なんだ突然っ」
「即刻クビにするために決まってるでしょ!」
「……名前は……」
「名前は!?」
「オレが知るわけないだろ」


メイド一人一人の顔と名前を覚えるほど暇人ではない。

 

 

「…………特徴でもなんでもいいわよ」
「教えてやってもいいが……やめとけ。そいつらを排除したからって、本当に虐めがなくなると思うか?」
「どこまで知ってんのよ?」
「全然知らん。一度しか見たことないしな。ただ一人や二人からの虐めとは思えない」
「それは……」


どうやら当たっているらしい。


「あいつが虐められてる理由も、オレは知らねぇ。ただ、今は時間がない」
「そう言えば、出かける理由って?」
「ツキが外出してるのは知ってるか?」
「ツキが? ……そう言えば今日は……」
「いつもは一人で行くらしいが、どうも今日はメイド友だちを連れて行ってるらしい」

 

 

「まさか……」
「そのまさか、って可能性を考えてる」
「現金はないけど、これ使いなさい」
「カードかよ」
「大抵のお店なら使えるし、ないよりはマシでしょ」
「そうだな」


オレはカードを受け取る。


「だが、確証があるわけじゃない。なにかわかっても大事にしたりするなよ?」
「わかったわよ。なにも知らないあんたに命令されるのは気に食わないけど、正論だわ」
「じゃあ行ってくる」
「なにかあったら、すぐに連絡しなさい」
「ああ」


「……まぁなにもないでしょうけど」


「なにか言ったか?」
「なにも言ってないわよ。さっさと行け」
「あ、あぁ」

 

……。

 

 

 

 

急ごう。

 

……。

 

 

 

 

取り越し苦労であれば、別になにも文句はない。

仲良くする友だちがいるなら、それでいい。

ただ一抹の不安を消したいだけだ。


「無理に関わっても、あいつは迷惑がるだけかもな」


けして弱みを見せないように。

無表情無感情でい続けるかも知れない。

なら少しでも負担を軽くしてやりたい。

辺りを見渡して、清掃道具を扱ってそうな店を探す。

デパート、スーパー、ホームセンター……どこだ?

この辺りにはそういった雑貨関係を扱う店も多い。


「とにかく手当たり次第当たってみるか」


見当違いの場所にいる可能性もあるが、お使いの手前用事を怠るとも思えない。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 

「ありがとうございましたー」


「すまん麗華……」


オレは右手に下げたビニール袋を見て涙を流した。


「この小説前から欲しかったんだ」


ついツキを捜すことを忘れ、数分間ブックコーナーを散策してしまったぜ。

金を持つって怖いな。


「いやそれよりもツキを捜さないと」


慌てて思い出し駆け出す。


「次はここだ」


…………。

 

……。

 

 

 

 

 

「さて、次の部屋を掃除しよう」

 

 

 

 

「ツキ」
「はい?」
「なにしてたの?」
「今朝はずっと個室の清掃をしておりましたが?」
「ちょっと話があるから、来てくれる?」
「わかりました。そう言えば、今朝は、あの……海斗さまを見ませんね」
「気になるの? 避けてるくせに?」
「別に……そういうわけでは……むしろ心がふわっと楽な気持ちで満たされてます」
「そんな顔には見えないけど」
「気のせいです」

 

……。

 

 

 

 

「くっそ……どこにもいねぇじゃねえか」


これで7件目だ。

メイドの一匹見つけられないぞ。


──!


携帯が鳴る。


「あん?」


こんなときに誰だよ。

そう言って携帯のディスプレイを見る。


『宮川尊徳』


「あいつの電話番号なんて登録したか?」


いや、するはずがない。

となると最初から登録されてたみたいだな。

それにしても珍しい。


「なんだ。今忙しいんだが?」
『僕も忙しい中電話してやったんだ、感謝しろ』
「なんの用件だよ」
『貴様が気にしてる件さ』
「……あそこの先端に出来た腫れ物のことか?』
『そんなところを気にしても僕は知らん!』
「じゃあなんだよ」
『メイド……と言えばわかるだろ』
「ツキか!?」
『………………そうだ』
「なんか今の間、変じゃないか?」
『変じゃない。ツキのことさ』


今どこにいるか、知ってるとか抜かすんじゃ……。


『貴様、彼女に好意を抱いてるそうだな』
「なに?」
『あるいはそれに近いもの……』
「オレは──」
『おっと、今ここで聞こうとは思わない。彼女には、山田という彼氏がいるのは知っているか?』
「テメェも知ってんのか」


それがツキを嫌ってた理由、か?


『山田は、強くて格好よく、金持ちなんだそうだ』
「…………」
『そのステータス、僕にあてはまると思わないか?』
「まさか──」
『今日の夜……中庭で待つ』
「は? おい、テメ、なんなん──」


ブツッ。

 

切られてしまった。

 

「なんなんだよ、一体…………」


携帯画面をもう一度見てみる。

もうそこには日付と時間しか映っていない。


「山田……怪しい名前だとは思ってたが……」


あいつが、山田?


……。

 

その後、幾ら捜しても見つからず帰宅すると、ツキはいつものように帰宅していた。

話しかけてみたが、当然無視され、結局まともな会話が成立することはなかった。


……。

 

 

 

こんな真夜中に、ヤツはオレを呼び出してどうしようというのだろう。

 

──『貴様が気にしてる件さ』

 

尊の青臭い声がよみがえる。


「気にしてる件、だと?」


なにを気にしていたと言うのか。

 

──『貴様、彼女に好意を抱いてるそうだな』

 

「…………」


オレは天井を見上げて、細く長い息を吐いた。

あいつは、もう呑気に寝ているのだろうか。


「ふぅ……」


ぼんやり考えながら、オレはのろのろと動き出した。

これからに、先なんてあるのだろうか。

それとも、ただ現実を知らされるだけなのか。

 

……。

 



 

「悪いな……こんな時間に呼び出したりして」
「別に。それで用件は?」
「薄々は感づいているんじゃないか?」
「さぁ、どうかな」
「それとも、気づかないフリをしているだけなのか」
「…………」
「僕が気づかなかったこととは言え、気づいてしまった以上黙って見過ごせることじゃない」
「殴らせろとでも言うのか? 一発だけだったら、黙って受けてやってもいい」
「ほぅ、随分と物分かりがいいんだな」
「まぁな」


鼻で冷笑しながら、どこか熱を帯びているオレの身体。

いつからオレは、尊を敵と認識したのだろう。

恨まず怒らず冷静にがモットーのオレは、どこにいったのやら。


「ある程度は理解していそうだが、一度僕の口から直接説明させてもらおう」
「好きにしろよ」

「この話の渦中にあるのは、ツキだ」
「…………」
「そして事の発端は、貴様がツキに好意を持ったことにある。僕がツキを毛嫌いしていたことは、わかってるな?」
「ああ……そこが、オレの答えに結びつかなくて困ってるけどな」
「無理もない。だが……あれは僕とツキが親しくないと思わせるためのフェイクだったのさ」
「なんのために」
「親父の言いつけだ。僕とツキは、幼い頃から婚約関係にあった。聞いてたんじゃないのか? ツキには恋人がいると」
「ああ……」
「もうわかると思うが、それは僕のことだ」
「だろうな、それ以外にはないだろ」


尊徳=山田、ってことだ。


「いや、正直驚いたぜ。女の手も握ったことのないお前が、実は女としけ込んだりしてた色男だったとはな」

 

 

 

「…………」
「本題に入ろうぜ、尊。知らずとはいえ、オレはお前の女に手を出した。だからお前はオレに報復をしたい……そうだろ?」
「くく、普通ならそうだ」
「なに?」
「しかし相談によっては、聞き入れなくもない。どれだけかわからない。本当に微量かも知れないが、ツキは貴様を気にかけているようだ」
「あ? バカか、んなわけないだろ」
「どれだけかはわからないと言っただろ。好意と呼ぶにはほど遠い感情かも知れない。しかし少なくとも他の男よりは贔屓されてると言うことだ」
「だったとして、相談ってなんだ」
「抱かせてやる」
「……なに?」


口の中が急速に乾いていくのがわかった。

想定外の言葉が飛び出し、冷静な思考が追いつかない。


「わかるだろ? ツキを抱けと言ったんだ」
「なんのつもりだ」
「そう警戒するな。僕に算段があってのこと。最初に話したとおり、僕はツキと婚約関係にある。しかし僕は不服だった。僕はあんな汚い女と結婚するような、小さい男でも寛容な男でもない」


汚い……という言葉に引っ掛かりを覚えたが、聞くことにした。


「麗華お嬢さま……とはさすがに無理だろうが、それなりに地位と名誉、そして清純さを持った女性を望むのは、男として当然のことだと思わないか? ツキの家庭は、貧しいとは言わないまでも、秀でたものはなに一つ持っていないんだ。でも、親の言いつけを簡単には破れない。なら、破るための口実が必要じゃないか」
「…………」
「だからツキを襲えばいい。多少強引でもいい。僕があとで話を丸めて、貴様にツキをくれてやろう」
「本気か、お前……」


オレは初めて本気で尊の真意を探ろうとする。

だが、同時に初めて知った。

いつも容易く行動を読めていたはずの男を、今はまるで読むことが出来ないでいたのだ。

伊達や酔狂で、首席など収められない、と言うことか。


「さて……僕の話はこれだけなんだが……。貴様が選択する前に、せめてもの手向けで教えてやる。僕はツキを抱いていない」
「なに?」
「でも、ツキは処女ではないぞ? それが意味するところはある程度推測出来ると思うが」
「わからねぇな……」
「好きモノの女ということさ」
「婚約者がいながら、そんなことをするとは思えないがな」
「残念だが本当さ。僕もこれを見るまでは信じられなかったけどな」


そう言って、ポケットからなにかを取り出す。

そしてそれを地面に放り投げた。


「…………」


オレはそのうちの一枚を拾い上げる。


「…………」


そこには、ツキが写っていた。

もう一人写っているのは、かなりの肥満な親父。

そして、通常の写真ではなかった。


「当然真相を探ったさ。その写真に写ってる男も特定した。それがこの屋敷で働いていた山田という男だ」
「こいつが山田?」
「元は執事として働いていたんだが、なにを思ったか二周り近くも歳の離れたツキに心酔したらしい。ツキの部屋に押しかけ……あとはわかるだろう?」


地面に落ちているのは、おそらく他の体位で撮影した写真だろうか。


「元々変態の一面を持ってた山田では、さすがに今の貴様の役割を果たすことは無理だった。ちなみに、ツキが山田という恋人がいると言っていたのは……僕の彼女に対する罰のようなもの。その名前を口にするたび、自分がいかに穢れた女かを思い出すためのキーワード」
「…………」
「麗華お嬢さまも知っていることだ」
「…………」
「ふう、どうやら、さすがにダメか」


写真を拾い上げる。


「ただでさえ好きじゃなかった女が、まさかここまでのことになってると知れば……千年の恋も冷めてしまおうと言うもの。互いに水に流すことにしよう」
「なあ尊」
「なんだ?」
「一つだけ確認したいことがある。お前は将来、あいつを幸せに出来るのか?」



 

「冗談はよしてくれ。今でこそ機会はないが、いずれ口実を作って破断させてもらう。言っただろ? 僕は地位や名誉、そして純粋な女性を求めていると。前の二つは……最悪妥協も出来なくはないが……他の男、それも弄ばれた過去のある女じゃ、とても無理だ。男の貴様にも、それくらいはわかるだろう?」
「──そうか」


──ッ!!

 

「ぐっ──!!」


渾身の一撃で殴り飛ばした。


地面を尊の身体が滑る。

 

「貴様……なんのつもりだ!」

「決めたぜ」

「なに?」

「テメェをぶちのめして、オレはツキを自分のモノにしてやる」

「本気か? あの穢れた女を?」

「関係ねーな。ああ、全然関係ねぇ」


起き上がろうとする尊の胸倉を掴みあげる。


「ただ、テメェがどうしようもなくムカついた……だから殴ろうと思ってるだけだ」



 

「おちこぼれが!」


──ッ!!


避けない。

尊の拳を避けることは難しくなかったが、全部避けない。


「オレは……お前なんかには遠く及ばないだろう」

「っ!?」


──ッ!!


「地位も、名誉も、人望も、なにもかもお前には劣ってるだろうさ」


──ッ!!


「うっ……く! そう、ひょっとしたらツキを想う気持ちでさえ、勝てないかも知れない……」

「本気か……? 僕がツキを想う気持ち? そんなもの欠片もありはしない……。それに劣ってるだと? 支離滅裂だ貴様は!」


──ッ!!


「そうだな……」


たまに……思う。


オレが、もっと真面目で、もっと常識を知っていれば……。


いや……


ただ人として当たり前のように生まれていれば……


あいつを好きになったのだと、今この場で言えていたのかも知れないと。


そうすれば、ただ強引にモノにするなどという、バカげたことを言い出さないで済んだかも知れない。


「テメェがどんなにあいつを想おうと自由だ。だが……アイツはお前を想い続けてんじゃねえのかよ!」

 

──ッ!!


「がはっ!」


あいつはいつだって、山田が好きだと言っていた。

あれは、つまり尊を好きでいたってことだろうが。


「穢れた女を、穢れたと言ってなにが悪い! それを拒絶し切り離そうと僕の自由だ!」


──ッ!!


腫れた頬の耳と奥が痺れる。


「それがムカつくって言ってんだよ!」


──ッ!!


──ッ!!

 

ただの乱戦。


倒れては起き上がり、倒れては起き上がり。


ただ純粋に殴り殴られ続けた。


最初は拳を避けようとしていた尊も、オレが避けないことを知ると、すべて受けてきた。

 

……。

 

 

 

 

 

「ふざけ、やがって……本物の拳じゃないか……」


大の字に倒れたまま、息も途切れ途切れに言う。


「そのまま寝てろ」

「待て……」

「なんだよ」

「お前、そんなに強かったのか」

「…………」

「僕は出会ったときから、本当に舐められていたんだな」

「ただ、オレが不真面目なだけだ」

「本気なのか? 自分が好きだと言い切れない相手だぞ。穢れきってる女なんだぞ? わけわからん……」

「うるせぇ」


オレは、屋敷に戻る。

骨折こそしてないが、相当殴り合ったからな。

 

……。

 

 

 

 

このままツキの部屋に行き、押し倒してやりたくもあったが……。

そんなことをすれば、過去の二の舞だ。

とにかく今は部屋に戻ろう。


……。

 

 

 

「え……?」


部屋に戻ると、そこには一人の少女がいた。

 

 

「……海斗……」
「お前、こんなとこでなにやって……」


窓が開いていた。

それは、つまるところ……

オレと尊のやりとりを聞いていたということ。

 

 

 

「怪我してる」
「なにやってんだよ」
「…………」
「よりにもよって、普通聞くか? 運が悪いとかってレベルじゃねえだろ」
「……海斗……私は、穢れてる」
「自分で言うな」
「それが、事実だから……」
「尊に腹立てたんだったら、あとでまたぶん殴ってやる」



 

「ううん……宮川さまには、とても感謝してる」
「なに?」
「ウソだから」
「……ウソ?」
「私は、宮川さまと婚約なんかしてない」
「待て待て、っつ……どういうことだ」


それ前提でないと、さっきの殴り合いが成立しないぞ!?

 

 

 

 

「…………聞いて欲しい……海斗に、聞いて欲しい」
「……なにを。こんな芝居までして、一体……」
「山田という人物は、この世に存在しない」
「……は?」


もう、本当にわけがわからん。

自分が夢を見ているのかと思ってしまう。


「山田という名前は、昔、麗華お嬢さまが考えてくれた名前」
「なんのために?」
「誰も、私に言い寄ってこなくするため」
「…………」
「恋人がいると知れば、私から興味をなくしてくれる」
「そりゃ……普通のヤツは、そうだな」
「だから私には恋人がいる『設定』だった」
「それがわけわかんねぇ。山田に、その……なんかされたってのはウソなんだろ?」


ツキは小さく頷いた。


「そんで、別に尊は婚約者でもなんでもない」


また、ツキは小さく頷く。


「ダメだ、全然わかんねぇ……」


それならなにも、殴り合いする必要はなかった。

単純に男が嫌いだから、言い寄らせたくなかったって話だ。

なんでそれが、こんなにややこしくなってんだよ。


「私が……男の人を嫌う理由が、あるから……」


オレの疑問に終止符を打つべく、ツキは話し出した。


「なんだよ、嫌う理由って」
「私は……」


ぎゅっと、服を握る。

なにかを堪えるように。


「私は……」


掻き消えるような、か細い声で……。

自分の過去を、たったひと言。

とてつもなく重たいひと言。

その言葉は、オレの脳にまで響いた。


「…………」


繋がらないはずの出来事が、少しずつ鎖で繋がれていくようだった。

表現こそ、幼く聞こえるが、意味することはわかる。

それ以外での捉えようなどなかった。

 

「もういい、その話はやめろ。お前が辛いだけだ」
「平気です。すべてを話そうと決めましたから」
「…………」
「聞いて欲しい。私のことを」
「……そうか」


なら、黙って聞くしかない。


オレは目を閉じ、その情景を思い浮かべるように、淡々と語るツキの言葉を聞いていた。

母親と歩いていた所を、襲われたこと。

命の危険にさらされたこと。

抵抗したところで、幼い少女の力では大人の男を跳ね除けることなど、無理だったこと。


「…………」



 

「泣き叫んでも、許してもらえません……助けも来ません……」


ツキは呟き続ける。

オレに聞かせると言うよりも、それは自分自身に言い聞かせているようだった。


「この街は、多少なりとも平和だと思ってたんだがな……」


ツキは薄っすらと笑い、首を横に振る。


「なぜなら、私がいたのは、特別禁止区域でした」
「……なに? まさか、お前は……」


ツキが、ゆっくりと頷く。


「私は戸籍もありません。名前もありません。あの場所で母から生まれた、その事実しか知りません」


ツキが……あの、無法地帯、禁止区域の出身……。

つまりは、そういうことか。


「っ……」


オレは自分自身に苛立ちを感じた。

ツキが深く傷ついたことにではなく、ツキが弱かったことが、いけないのだと思ってしまう。

ただ一方的に、強者からの感情しか抱けない自分に腹が立った。



 

「私は、私を襲った男の人を恨んではいません」
「…………」
「海斗さまにはわからないかも知れませんが、あの場所では弱いことが罪であり、仕方がないこと。ただ弱い私が狙われた、それだけのことです」


それは、確かに事実だ。

そのことを否定するつもりはないし、否定出来ない。

今オレが抱いている強者の傲慢さも……一つの正しさだから。


「今は両親も、いません……」


それはつまり……母親はもう、この世にはいないということ。


「男の人に襲われた私は、這いながら逃げました」


ツキを押さえつけながらも、何故か躊躇した男の隙をつき、無傷で逃げ出せたのだ。

だが、そんなものは良かったことでもなんでもない。

母親を奪われ、抗えぬ恐怖を植えつけられた。

幼い少女の心には、生涯消えぬ深い傷が刻み込まれたのだ。

 

 

「男の人は追ってきませんでした。私が逃げ出したのが、こちら側の世界だったからです。禁止区域の人にとって、こっち側こそが地獄だから」


どっちを選んでも地獄……そんな世界なのだ、この世は。


「そんな私を、麗華お嬢さまが、助けてくれたんです」
「麗華が?」
「好奇心旺盛な麗華お嬢さまらしい、と言うか……禁止区域を佐竹さまと見学にいらっしゃってたようです」


あいつ、そんなことまで……。

それに佐竹がいたということは、知ってたんだな。

ツキが、特別禁止区域の人間だということを。

 

 

「メイドとして、家族として、私を助けてくれた。だから今日まで、そしてこれからも、尽くします」


ツキが懸命な理由、虐められる理由がわかった気がした。

素性の知れぬツキに、他の使用人は困惑したのだ。

禁止区域から来た、穢れた娘。

憶測から生まれた、ただの噂。

だが、噂を払拭することは簡単じゃない。

麗華が贔屓することにも、腹を立てた。

そんなところだろう。

やっと、あの謎が解けた。

こいつの常人離れした希薄な気配。

それは特区で培われた本能だということを。

夜には暗闇に怯え、息を殺し。

震える身体を必死に抑え付けてきたんだろう。


「…………」
「男の人が、怖い。麗華お嬢さまは、私に山田というお守りをくれました。男の人が遠ざかってくれる魔法」
「…………」
「ときどき、私のような女に、話しかけてくれる男の人がいました。怖くて、気持ち悪くて……でも魔法を使えば、離れてくれました」


恋人がいると言えば、そしてまったく相手にもされなければ、大抵の人間は諦めるしか出来ないだろう。

暇を持て余す学生ならばともかく、毎日メイドとして働くツキに対し、必要以上に迫ることは簡単ではない。


「…………」
「だから、絶対に、男の人を好きになんてなれない。穢れた私を、好きになんてなってもらえない」


もしも素性が知られれば、噂は真実となってツキを禁止区域出身の穢れたものとして扱うだろう。



 

「でも……海斗が、私の前に現れた。初めて会ったときから、なにか、他の人とは違うものを感じてた。だから、必要以上に、海斗と話した」
「…………」
「気づいたら、惹かれてる自分がいた。こんな私が、人を好きになってた。だから、また、魔法を使った。離れてと叫びました。けれど……海斗は離れてくれません」
「…………」
「どんどん私に、私の心に触れてきます。海斗にキスされて、もう、私はダメだと思いました。逃げようと。でも……それでも…………私は……」
「なるほど……な……」

 

オレはおぼつかない足取りで、窓際へ歩き外を見た。

倒れた尊のところへ駆けつけていた少女。

抱き起こし、なにやら言葉をかけている。

ご苦労様とねぎらいの言葉をかけているのだろうか。


「麗華が、色々策をめぐらしたってことか」


魔法を生み出し、遠ざけていた。

そして今回は……オレを試していたのか。

本当にツキを嫌わずにいられるかどうか……。

 

 

「私は、海斗が好き」
「……随分、真顔で言いやがる……」

 

 

 

 

 

 

「だから、ありがとう」
「あ?」
「こんな私を、気に留めてくれて。好きでなくてもいい。ただ、そう言ってくれただけで十分。でも……やっぱり私は穢れているから」


そう言って、ツキは満面の笑みで笑った。


「これからも、普通に、接していただけるなら……それだけで私は幸せです」


人に仕えるメイドに戻る。

頭を深々と下げ、ツキは一歩後ろへ下がった。


「お休みなさいませ、海斗さま」

「ざけんなよ」

「……え?」

「勝手に自己完結させて、終わろうとしてんじゃねえよ」


足はもうガクガクだったが、力を振り絞って逃げるツキの腕を掴まえた。

 

「こうやって腕掴むのは何度目かわかんねぇけど、今回は離せっつっても離してやらん」

「ど、どうして……」

「聞こえてたろ。オレはお前をモノにするって。お前がオレを嫌いなら、それも難しい。だが、好きだって言ってくれるなら話は別だ」
「ですが、私は──ん……!」


塞いだ。


また、穢れてる、なんて言おうとする唇を塞いでやった。


そもそもオレにとって、禁止区域出身であることはなんの穢れにもなりはしない。


「関係ねぇよ、そんなもん」


ベッドに押し倒す。


途中下車する予定は、ない。

 

 

 

「どうしてか。どうして、こんなこと出来るか」
「あ?」
「……なんでもない。勝手に勘違いしただけ」
「なんだよ勘違いって」
「海斗優しいから。一晩だけ、私を抱いてくれる、ってことか」
「また変な方向で考えてるなお前? 今から抱くってことは、これからずっと抱くってことだ」
「え……?」
「言わせんなよ、こんなこと」
「…………」


信じられない、と言ったように表情を沈める。


ガンッ!


「痛っ!」


オレはツキの額に、思い切り頭突きをかました。


「なにするか」
「また、自分は穢れているとか言おうとしただろ。二度と口にすることは許さん」
「え……」
「だが、お前の言いたいことはわかった。その理由に納得が出来ないわけでもない」
「…………」
「でもな、いいか? 絶対に聞き逃さず聞けよ」
「……うん」
「オレはお前をス───」
「…………」
「……まあ、いい。とにかくオレには、お前の出生なんかどうでもいいことだ」


ダメだ……これ以上臭いセリフは、オレには言えん。


「そう、なのか?」
「そうだ。……信じられないって顔だな」
「…………」
「じゃあなんで、お前はオレを好きになった」
「理由なんてわからない」
「過去を知らないのにか? 知らないってことは関係ないってことじゃないのか?」
「それは……」
「それとも、そいつの過去を知ったら変わるのか? お互いの関係が大きく変わっちまうのか? だったら、オレはきっとお前に触れることも許されない」
「え?」
「言っとくけどな、オレは、すげぇ悪いやつなんだよ。その話を聞いたらお前が、オレを嫌いになるくらいな」
「そんなことない。海斗にどんな過去があっても関係ない」
「だったら、お前もそうだろうが」
「…………」
「知ろうが知るまいが、関係ない」


その細く壊れそうな身体を、ゆっくりと引き寄せる。


「うん……」


ツキは、ぎゅっと目を閉じ、一筋の涙を零した。

もうオレたちに、障害はない。

オレはそう信じていた。


……そう、信じていたかった。

 

「海斗、お願いがある……」
「なんだ?」


怯えたような瞳を見せるツキ。


「私が……私が嫌がっても、最後まで、して欲しい……」
「嫌がるのかよ」


ボスッと軽く突っ込むが、そこに笑顔は無かった。


「絶対、海斗が、嫌いなわけじゃ、ない、から」
「…………今は、オレのことだけを考えろ」


昔になにがあったか、そんなものはまるで興味がない。

何故なら、オレもまた、過去に傷を持つ身だから。


「ありがとう」


ゆっくりと目を閉じるツキ。

すべてを、オレへと託したのだ。

首筋に唇を寄せると、小さな体が微かに震えた。

 

 

 

「んっ……」
「怖いか?」
「違う……」
「無理すんな」
「キス、してほしい……そしたら、きっと不安じゃなくなる」
「わかった」
「ん……」


唇から頬、首筋へとキスをする。

包み込んでやる。

ぜんぶオレが、包み込んでやる。


「まだ怖いか?」
「少し……でも、頭が、ぼぅっとする。海斗……汚れて、ない? 変じゃ……ない?」
「変じゃねえし、全然汚れてねぇよ。そもそも二階堂のメイド長は綺麗好きだろ。ばぁか」


唇が触れ合う距離で、そう囁く。


「良かった……」
「お前こそ怖くないか? 辛くないか?」
「海斗がいるから……大丈夫……」
「そうか」


ツキの小さな体を抱きしめる。

強く、激しく抱きしめる。


「やっぱり、お前が一番の女だよ」


ポカッ!

 

 

 

 

「って……」
「……それは、最低の発言だと思う」
「ああぁ?」
「……私は、初めて、海斗に触らせてる……。なのに、やっぱりお前が一番って……他の女の人と勘違いしてる……」
「え。 い、いや……んなことねえよ」
「…………」


ジトっとオレを睨んでいた。

しかしすぐに悲しそうな表情へと変わった。



 

「やっぱり、私じゃ……ダメ……んっ」


強引に口をふさぐ。


「そんなことねえって」


確かにオレは、多くの女を知っている。

だが、誰一人として、名前はおろか顔も覚えてない。

そんな相手を、ツキといるときに考えるわけがない。


「聞き間違いだ」
「……だったら、いい」

 


今日、ツキをオレのものにする。

 

そして……あのとき逃げ出して、成し得なかった…………

 

 

…………

 

 

…………………な、に?

 


あのときの……?

 


オレは、知っている……?

 

 

なにを。

 

 

オレは、ツキを、知って、いる……?

 

 

バカな、んなことあるわけねぇだろ。

 

 

 

「くっ……!!!」


「海斗? 大丈夫か、海斗」

「あ、ぐあ、あ……! あ、あああああ、あ…ぁ………!」

 

わからない、な……なんだ……、これは──


「海斗……海斗? ……っ!」


──!

 

 

 

「あ──」


そう、だ……。

 

「くぁ……かはっ……!」


そうだったのか……。


ああ……今わかった……。


──!


オレが─────。


「ぁ───く──!」

「はーっ、はーっ……!」

「かい、と……や、め……」

 

世界が赤い。


頭がガンガンする。


発熱したように身体が熱い。

 

「違う……オレの、せいじゃない……オレのせいじゃないっ!」


ギリギリと締め上げる。


「く、ぁ──!!」


力を込める。


「親父が、命じた……! イヤだった……オレはイヤだった……だが、この世界で生きるために、必要な行為だと!」


このまま、首の骨を……。


今なら誰にも聞こえやしない、わからない。

 

「や、ぁ…………」

 

抵抗する力が弱まっていく。


あと少し。


もう少し。


力を加えていれば、ツキは死ぬ。


もう昔には戻りたくない。


せっかく、退屈な日々から脱却したんだ。


二度と戻るものか。


「お前を逃がしたことこそ……オレの唯一の失敗!」

「か……い……と……!」


首を絞めるオレを見るツキの目に怒りはない。

慈愛と悲しみに溢れていた。

 

「そんな目で見るなぁあああ!!!」

 

 



 

「痛い、痛いよぉお!」
「ごめん、ごめんよ……こうしないと、僕が死ぬんだ」
「お母さん! お母さん!」


すぐ近くでぐったりと倒れたままの母親に、必死になって手を伸ばす少女。


「いはぁ、あ、痛い、痛いよぉ!!」


今日、父さんが僕に教えるもの。

弱い力で抵抗するのを、強い力で狩ること。

生きる力を狩り、奪うということ。


「ごめん、ごめんね……ごめんっ……」


やがて少女は言葉を失くした。

意味を成さないことに気づいたのだ。

幾ら泣いても、叫んでも、暴れても意味がないことに。

父さんは、なにも言わず、腕を組んで僕を見ている。


……言いたいことはわかっていた。


だけど……僕は父さんの命令から逃げていた。

表面では、容赦ない強者を演じながらも、最後のラインを越えてしまうことが怖かったから。

自分が父さんのように、本当に冷酷で残酷な人間になってしまうことが理解出来たから。

でも……。

永遠に続くかと思われたものにも、必ず終わりがくる。

強者にならなければならない瞬間はやってくる。

そうしなければ、僕は弱者になってしまうから。

 

 

 

──ドン。

 


親父が背後で、壁を叩いた。

これ以上は待てないという合図だ。


僕は……覚悟を決めた。

決めたつもりだった。

だけど、その瞬間……。

 

 

 

僕の身体は異変に襲われた。


「あ……れ……?」


言葉を失い、呆然とする少女の横で、今度は僕が呆然とする番だった。


「あれ……?」



 

震えていたんだ。


僕の手は。


疲れたからとか、そんなんじゃない。


顔が震えた。


いや違う、身体が震えていた。


僕は……怖くなったんだ。


やらなきゃやられると教えられたのに、出来ないのだ。


父さんは黙って見ている。


早くしないと、早くしないと!


でも……動かない。


行動を起こすことが出来ないっ……。


目が痛くなって、慌てて押さえた。


そして、僕は知った。


自分の涙の跡を。


僕は、泣いていたんだ。


どんっ。

 

少女にしても、意外だっただろう。


殆ど失われていたか細い力で、僕は突き飛ばされた。


ペタっと腰を地面に落とした。


少女は地を這いながら、逃げ出した。


追いかけなきゃ。


追いかけなきゃ……僕は殺される……。


わかっていても、足がすくんでしまった。


駆け出した先は、あちら側の世界。


僕らを忌み嫌い、容赦なく罵声と暴力を振るう世界。


直感した。


少女を追えば、僕は死ぬと。


だけど……追わなくても、僕は父さんに殺される。


……どちらも、地獄。


このあとに待つ恐ろしい恐怖。


涙は出なかった。


もう、泣きすぎて、涙が枯れていたから。


這いずりながら逃げる少女を、僕は見送るしかなかった。


──!



 

「オレは……あのときの失敗を、悔やんでいた……あのとき、少女を逃がさなければ、僕は完全な強者になれたんだ!」


臆病風に吹かれ、完璧な強者になれなかった。


あのあと、オレは本当に殺されかけた。


親父の信頼を失った。


「お前さえ逃がさなきゃ!」

「かい、と……」

 

絞り出された、少女の声に、オレは正気を取り戻す。


「っ!!!」


一気に現実へと引き戻された。


そして、オレがツキのクビを絞めていることに気づいた。

 

 

 

 



「けほっ、けほっ、けほっ!」

 

「悪い……オレ……なんてことを……」


ベッドへと腰を落とし、オレは自分の両手を見た。


あのときのように、震えていた。

 

「けほ、けほ!」


「悪い……悪い……」


「どうし、けほ、たか……海斗……」


オレは震える声を絞り出す。


「ツキ……お前は……禁止区域の出身だと言ったよな?」


ツキが落ち着きを取り戻したあと、オレは声を搾り出した。


「はい。本当のことです」


やはり、あれはオレの妄想でもなんでもない。

 

 

現実に、あったこと……。


自分が犯した最大の罪を忘れていた。

 

「オレも、そうなんだ……」


カラカラの喉で、なんとか平静を保って言うことが出来た。

ツキが息を呑む。



 

「オレもいたんだ、その場所に……それも去年まで、な」

「…………」

「あの無法の地で、一人生きてきた。お前も特区の人間なら、わかるんじゃないか? オレはあの場所で、生きる為になんでもしてきた。盗み、暴力……あらゆることを」

「っ!!」

「さっきツキに触れたときに思い出した。お前を襲った相手が……オレだったことを…………信じられるか? 信じられねぇよ……この広い世界で……顔も覚えず名前も知らない、オレが逃がした、唯一の悔いを残してしまった相手。だが、オレはそいつに再会し、そいつに惹かれた………自分勝手にも……程があるな。オレは、お前から責められても……それこそ殺されたって文句は言えない……悪ぃ……」

 

少女の人生を弄んだ瞬間を、オレは生意気な謝り方でしか謝罪出来なかった。

それ以外に、術を知らなかった。


「慈悲なんて、いらねぇよ……悪いとか言いながら、悪いと思えてないんだぜ?」


もう本当に、笑うしかないかも知れない。


「オレはもう……人じゃねえんだ……」

「…………」


ツキは言葉を失い、黙り込む。


「オレはどうすればいい? どう謝罪すればいい。わからねぇんだ……なんにも」


それが現実。


ありえないことさえも、起こってしまう。


謝りながらも、本心では悪びれていない。


そして償う術一つ持ち合わせていない。


「……海斗……」

「なんだ」


受け入れよう、すべて。


オレはこれまでの人生を間違ってきたと思わないし、それ自体を悔いることは死ぬまでないだろう。


だが、ツキの人生を狂わせたのが事実であることは変わらない。


それを償うことが、オレを否定することなら、オレは喜んで否定してみよう。


ツキの言われたとおりにすれば、少しは償えるかも知れない。


「……やっぱり、海斗だったか……」


そっとオレの髪を撫でて、わけのわからないことを言った。


「…………なに?」
「私がこの屋敷で海斗を見たとき、私は──もしかしたら、あのときの人は、海斗だったんじゃないかって……思った」


オレに出会ったとき?


あの、オレを?


昔のオレだと、思った?


「うそだ……ありえない! お前は、自然に接してきたじゃねえか! 触れられても怯えず、普通に接してきたじゃねえか!」

「私は言った。けしてその人を恨んではいないと」

「……なっ……」

「あの場所で、弱いことが罪なのは、知ってるつもり」

「そういうことじゃないだろ、そういうことじゃ!」

「うん。でも……あのとき、泣いてたから。圧倒的に強いその人は、ずっと謝ってた」

「お、オレは……」

「今私は、怒りや恨みなんて少しも感じてない。ただ、あの人が海斗だったことが、嬉しい……」

「バカ言うな……バカ言うなっ! そんな結果だけで物を言うんじゃねえ! お前はオレを恨め! 殺したいほど憎め! そうじゃなきゃ……不公平だろっ!」


そうでなきゃ、オレの罪はどこへ行く……。

誰かに咎められなければ、反省なんてしない男なんだよ、オレはっ。


ノウノウと生きていくことを許していいのかよっ!


「私は今、どの瞬間よりも嬉しい。嬉しいの」

「なんでだよ、なんで……なんでっ!」


逆でなければならない。


泣き、喚くべきはツキ。


なのに、ただオレは泣いた。


子供のように。


あのときのように。


ごめんと言いながら、泣いた。


それは子供が当たり前のように持つ特権。


オレが持っていなかったもの。


持つことを許されなかったもの。


泣くことは弱者。


消して、許されなかったこと。


「すまない、すまないっ!」


ただ小さな少女の胸の中で、懺悔を繰り返す。


その度に少女はオレの頭を撫で、優しく微笑みかけてくれた。


「私のそばにいて下さい……海斗……」


オレはなんて罪深く……幸せなんだろう。


生きてきた確かな人生の中で、オレは2回……弱者の姿を晒した。


一度目は、幼いツキの前で。


そして二度目も……また、成長したツキの前で。


ああ……もしかすると、オレは……まだ人なのだろうか。


あの日あのとき、少女を逃がしてしまったことは、唯一自分が人でいられる方法だったのかも知れない。


勝手でもいい。


オレには……、オレの生きる道には、ツキが必要だ。


やがて眠りにつくその瞬間まで、こう、思い続けた。


絶対にこの女を……離すものかと。

 

…………。

 

……。

 

 

 

 



「ほんと、先日はご苦労だったわね」

「いえ大したことでは、はっは……たたた」

「また随分と顔を腫らしたな」

「不覚です」

 

 

 

「でも凄く迫真の演技だったわ。私が脚本したこと忘れて、聞き入ったもの」

「普段ケンカばかりしてますので、ちょっと本気になってしまいました」

「損な役回り押し付けちゃったけど、あんたのおかげで、あの二人うまくいったみたい」

 

「良かった……ということでいいんですか? 協力する手前で、事情を聞いた僕としては少し複雑です」

「ツキの出身のことか」

「はい……二階堂のメイドとして、問題がないとは、言い切れないのではと……」

「いいのよ。だって、それを知ってて私はツキを引き取ったんだし」

「私がそのことで『脅した』ときも、大して困ってはいませんでしたしね」



 

「そうよ。あんた、ツキのことで脅迫したわね? 確か海斗のことを探るならバラすみたいな発言だったと思うけど」

「まあいいじゃないですか」

「あのときの問題は、日を改めて問うわ」

「…………」

「とりあえず、今はツキが幸せであってくれればいい。あの子はその権利があるんだから」

「心配いりません。海斗なら、必ずツキを幸せにします」

「いい加減、話してくれる気にならないの? 海斗のこと」

「そう遠くないでしょう。海斗が、麗華お嬢さまにすべてを打ち明ける日も」

「だといいけど」

 

……。

 

ツキと関係を持つようになってから、麗華には様々なことを聞いた。

麗華がツキを助けたあの日、彩と遊ぶ約束だったのをすっぽかして大ゲンカになったこと。

その後、佐竹が仲直りさせるため手錠を用いたこと。

ツキが禁止区域からやって来たことを知ってしまったメイドは全員クビにされ、ツキがメイド最年長になったこと。

それでも噂は立ち消えず、ツキが軽い女という扱いを受けていたこと。

年下のくせにメイド長であることが問題を起こしていたこと。

給与として受け取っているお金は、すべて二階堂に返していること。

聞けば聞くほど、ツキは孤独で、苦しみの渦中にいた。

だが、麗華や彩に出会えたことは、この上ない幸せだったと言える。

そして、めぐりめぐって、オレがツキと再会出来たこともな。


…………。

 

……。

 

 

 

いつもの朝の風景。

オレたちの前のテーブルには色鮮やかなサラダや、カリっと焼かれたトーストが並べられていた。


「本日は私が朝食を作らせて頂きました」

「うん、美味しいわ。さすがツキね」

「朝からこんな美味しいものが食べられて幸せですね~」

「麗華お嬢様たちにお出しするものですから、丹精込めて頑張りました」

 

「…………」

「…………」


「どうかしたか、海斗」


「なんであいつらがあんな美味そうなモノ食ってて、オレの皿にはゆで卵一個なんだよ!」

「……大丈夫。足りない分は、わたしをた・べ・て♪」

「お前、昨日の夜、オレが先に寝ちまったこと根に持ってやがるな……」

 

「お前らの夜の生活なんて知るか! というか、なんで僕は生卵一個なんだ!」

「海斗以上の扱いはありえない。必然」


「ああ、さすがよくわかってるな」

 

「く……。麗華お嬢様もこんな馬鹿には見切りを付けて、僕をボディーガードにしてくださればいいのに……」

「ふふっ。馬鹿にしか出来ない仕事もあるのよ」

「はぁ……。それは一体……」

「……ツキを幸せにするとか……ね。失敗したら、許さないんだから」


「安心しろ。その任務を放棄するつもりはない」


「……海斗……」

 

 

 

 

「さて……。彩、尊徳、食後の散歩に行くわよ」

「ふふふ。そうですね。あとは若い二人に任せましょう」

 

「あっ! ちょっとお待ちください! 麗華お嬢様ぁ~!」

 

 


「まったく……うるさい連中だ」

「海斗、もっと食べるか?」
「当たり前だ。朝飯も、お前も、オレはまだまだ食い足りない」
「……馬鹿」

 



「海斗……ずっと、そばに置いて下さいね」
「それはオレのセリフだ。ずっと、オレのそばにいてくれ」
「……はい……」

 

 

 

 

 

ツキ編 END