ゲームを読む。

ノベルゲームをタイピングして小説っぽく。

AIR【10】

 

~7月23日(日)の途中から~

 


・・・。

 

俺は商店街の霧島診療所の中に入った。

 

 

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「・・・涼しい」


エアコンの風が、そよそよと頬を撫でる。


(しかも楽ちんだ・・・)


どかっと、窓際のソファに体を沈める。


(人形劇用のステージまであるぞ・・・)


脇の、丸いテーブル。

人形を置いてみる。

まさに、最適の場所だった。

ここならうまくいくだろう。

だが、しかし・・・。

きょろきょろと、辺りを見回す。

とても静かな室内。

そう、ここは確か診療所のはずだ。

その中でも、一番人の集まる待合室のはずだ。

しかし、この人口密度の低さはどういうことだ。

10平方メートルの中に一人きり・・・


「カッコー・・・」


「・・・何をやっている」


人口密度が、ほんの少し上がった。


「閑古鳥の鳴き真似だ」
「・・・・・・」


ぴくぴくと、頬が痙攣しているのがわかる。


「国崎君。 うちの駐輪場の不法占拠のみならず・・・。
建物内まで侵略し、商売をしようと、そういうことか」
「遠からずとも大当たりだ」
「・・・ほう。
度胸は買うが、それは蛮勇と言うものだ」
「・・・・・・」


クーラーの利いた、涼しい室内。

一筋の汗が、頬を伝っていった。

 

 

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「一度だけ言うぞ。 出ていくんだ」
「・・・はい」


・・・。

 


「うっ・・・」

 

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室内から、一歩外に出る。

冷え冷えで爽快な気分は、あっという間に吹き飛んでいた。

むしろ涼んでいた分、余計に熱さを感じる。

ゆらゆらと、アスファルトから揺らめく陽炎。

全身にまとわりつく、熱を含んだ湿気。

診療所の軒先の、ほんの少しの日影。

そこから数十センチ先は・・・灼熱の世界だった。

ごくりと唾を呑み込んで、そこから足を踏み出してみる。

眩しさに、目がくらんだ。

熱線が、じりじりと肌を焼いた。

そして、どっと汗が噴き出した・・・。


「・・・・・・アヂィ」


・・・ひどく恋しい。

クーラーが、恋しかった。

そっと、後ろを振り向く。

ガラス戸から見える、診療所の中。

人影は・・・ない。


「・・・・・・」


・・・。

 

 

 

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「ふぅ・・・」


ここは天国だ・・・

一度かいた汗。

それに冷風が吹きつけられて、すごく涼しい。

ソファに横になると、風を全身に受ける。

 

・・・気持ちいい。

 

メチャクチャ快適だ。

もう、この場から一歩も動きたくなかった。

すばらしいな、エアコンというものは・・・。


「ビバ、文明の利器・・・」
「・・・何をしている」

 

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「・・・・・・」
「二度目はないと言ったはずだが」
「・・・すぐに出ていきます」

 

・・・・・・


・・・

 

 

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・・・

そろそろ観鈴の家を出たほうがいいかもしれない。

俺は邪魔をしてばかりで、なんの役にも立ってない。

そんな自分が情けないし、腹立たしくもある。

今まで自分の力で食ってきたし、それだけの知恵も行動力もあるはずだった。


(・・・潮時だな)


俺は神尾家を出ていくことにした。

今日中に新しいねぐらを決めてしまおう。

 

・・・・・・


・・・

 

さまよううちに、駅前まできてしまう。

聞こえてくるのは、けたたましいセミの声ばかりで、人影は微塵もない。


「なんだ、あいつらはいないのか・・・」


そこにあると思っていたものがないのは、少し寂しいものがある。

あると思った、二つの影。


「まあ、いいか・・・」


なにも、わざわざ会いに来たわけじゃない。

とりあえず、休憩のつもりでベンチに腰を下ろす。

そのまま、遠い囀りに耳を澄ませながら、辺りを見回してみる。


「・・・・・・しかし、静かだな」

 

辺りには、眩い緑を湛える木立がそびえるだけ。

いくら廃線になっているとはいえ、ここは町外れというわけでもない。

今は夏休みなのだから、虫取り網を持ったガキの姿がひとつやふたつあっても良いと思うのだが・・・。


「ま、騒がれるよりはマシか」


・・・。

 

 

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ベンチの上にゴロリと横になって、しばしの間、高い夏空を見つめてみる。

心地よい静寂。

点々と浮かぶ白い雲がときおり陽射しを被い、一瞬の冷気が頬を撫でた。

でも、また、陽射しがすぐに肌を射す。

光と影を交互に感じながら、俺は流れる雲に視線を送り続ける。

あの雲は、どこに行き着くのだろう。

とまることを知らない時間が、小さな雲を押し流してゆく。

不意に、旅のことが脳裏をかすめた。

この町に辿り着いてからの数日間。

いつの間にか、腰を落ち着かせてしまっているような気がする。


「やっぱ、このままじゃダメか・・・」


なんとなく、そう思う。

観鈴の家にいつまでも厄介になっているわけにはいかない。

かと言って、今すぐに町を出ていけるわけでもない。

 

・・・。


「なんか、方法を考えないとな・・・」


俺は、そのまま目を閉じて、思索に耽ることにした。


・・・・・・・・・。

 

 

・・・・・・。

 


・・・。

 

 

・・・声が聞こえた。

幼い声だった。


「つんつん、つんつん」
「・・・・・・」
「・・・んにゅ・・・なかなか起きないな・・・」


声は、どうやら俺に対して放たれているようだった。

だが、まだ眠い。

もうしばらくは眠っていたい。

だから俺は、声を無視して、そのまま再び眠ることにした。


「んにゅ~。 よしっ、つぎはこれでいこー」


・・・むにゅ。


「・・・・・・」


鼻が、なにかしらの固い道具で摘まれているような気がする。


むにゅむにゅ。


少し痛い。

が、眠気の方が最優先である今、それは無視して睡眠を続行することにする。


「・・・ふごふご・・・」


寝息が、かっちょわるくなってしまっている。


「むぅ・・・起きない・・・」


声が苛立っている。


「んに、これでどうだっ」


こちょこちょこちょ。


「む・・・」


これまでで最強の攻撃が、俺の鼻をおそった。


「にゃはははは、おきろおきろ~」


こちょこちょこちょ。


「むむ・・・」


こちょこちょこちょ。


「むむむ・・・」


こちょこちょこちょ。


「むむむむ・・・」


こちょこちょこちょ。


「むむむむむ・・・」


こちょこちょこちょ。


「むむむむむむ・・・」


こちょ・・・


「むはっくちょーいっ!!」


くしゃみによるカウンター攻撃。


「にょわーーーっ、いきなりかーーーっ!
しかも山ほどツバとんだーーーっ」


コンボでヒット。


「ふぅ・・・」


攻撃が止み、俺は満足感の中で眠りに浸る。


「にょわわっ! ばっちいっ!」


対して、敵は大騒ぎであった。


「んにゅぅ~~~。
おにょれ~~~、国崎往人~~~」


声が怒りに震えている。


「もう、てかげんしてやらないんだからねっ!」


(・・・ん?)


・・・なにやら嫌な予感がする。


「にゅ、ふ、ふ、ふ」


(・・・・・・)


「くらえーーーーーーっ!!」
「おい、ちょっと待っ」


がぽっ。


「ん?」


なにかを、頭にかぶせられた。


「せーのっ・・・」


がんっ!


「ぐはっ」



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「やったーーーっ、おきたーーーっ」

 

かぶせられた金バケツをとると、みちるが、ぴょこぴょこと嬉しそうに飛び跳ねていた。

その手には、どこから持ってきたのか、錆びた鉄パイプが握られている。


「うぅ・・・」


耳が、きーんっ、と嫌な音をたてている。


「にゃはは。 いたそう、いたそう」


苦しむ俺の顔を見て、みちるはご満悦だ。


「く・・・」


キッと、みちるを睨みつける。


「んにゅ・・・な、なによぉ・・・」


さすがに怯んだのか、一歩後ろに後ずさりする。


「お、おまえなぁ・・・」


にじり寄る。


「んにゅにゅ・・・な、なにかな・・・」
「こ・・・」
「こ?」
「殺す気かっ」


わしっ!


みちるの両もみあげを掴み、ぐいぐい引っ張ってやる。


「んにゅーーーっ、なにすんのよーーーっ」
「やかましいっ!
お、ま、え、は、な、ん、て、こ、と、を、す、る、ん、だ」


リズミカルにもみあげを引っ張る。


「んにゅ、んにゅ、んにゅーーーっ」


じたばたと抵抗を試みる、みちる。

しかし、動くほどに余計痛むのだろう。

徐々に抵抗が弱くなってくる。


「ったく・・・。
やって良いことと悪いことの区別ぐらいつけろよな」


涙目になっているので、そろそろ解放してやる。


「うぅぅ・・・み、みちるはわるくないもんっ。
国崎往人がなかなか起きないのがわるいんだもんっ」
「馬鹿。 起こすなら、もう少し普通に起こせ」
「ばかっていうなーーーっ」
「やかましいっ」


ぽかっ。

 

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「にょをっ、にゅぅ~~~・・・・」
「ったく、余計な体力を使わせるなよ」
「うぅぅ・・・」
「おまえ、どこからこんなもん持ってきたんだ」


側面のへこんだ金バケツを、みちるの眼前に示す。


「んに? バケツ?」
「ああ。 ずいぶん年期が入ってるな、それ」
「うんっ。 それね、みちるが拾ってきたの」
「・・・・・・盗みは良くないぞ」
「ち、ちがうもんっ、おちてたんだもんっ。
いろんなものいっぱいおちてたから、もったいなかっただけだもんっ」
「いっぱい?」
「うんっ、そだよ。 みてみて」


待合室らしき空間の中を指さす。


「・・・どれどれ」


あまりに誇らしげなので、腰を上げて、指さす先を見てやる。


「にゃはは。 どうだ、すごいだろ」
「・・・・・・」


自転車の車輪、傘の柄、捨て看板の木枠だけ・・・。

ヤカン、様々な空き瓶、明らかに動いていない掛け時計・・・。

バケツに関して言えば、十数個ほど・・・。


「・・・・・・ああ・・・すごいな」


ゆっくりとベンチに腰を下ろす。


「んに? どしたの?」
「・・・いや、どうもしない」
「むぅ?」
「・・・・・・」


たしかに、すごかった。

まさか、あんな物が山積みになっているなんて・・・。


「むむむぅ?」
「で、なんか用か」
「・・・むぇ?」
「むぇ?じゃない。 何か用があるから、俺を起こしたんだろ」
「うんっ」
「よし。 じゃ、言ってみろ」
「りょーかーい。 えっとねー」


みちるが話しはじめるのを合図に、俺はベンチに腰を下ろす。

これで、視線はようやくみちると同じ高さだった。


「あのねー、国崎往人ー」
「うん?」
「いつまで、この町にいるつもりかな?」
「さあな。 予定は未定だ。 早く出ていきたいのは、山々なんだがな」
「んにゅ、そっか~」
「なんだ。 それが、どうかしたのか」
「んに? ききたい?」
「ああ。 ぜひ聞きたいな」
「んにゅ、わかった」


とことこと俺に近づき、額が触れ合うほどの距離まで顔を寄せてきた。


「?」
「えっとねー」
「ああ」
「はやく、でてけーーーーーーっ!!」
「・・・・・・」


ごんっ!

 

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「にょがっ」


ヘッドバットをくらわせてやった。


「ううぅぅぅ」
「悪いな。 急に大声をだすもんで、びっくりしたんだ」
「う、うそだっ、ぜったいにねらいすましてたんだっ」
「かもな」
「うぅ・・・いたいよぉ・・・」
「気にするな。 痛いのは、生きてる証拠だ」
「ん、んにゅ? いきてる?」
「ああ。 じゃなかったら、痛みなんて感じないだろ」
「んにゅぅ・・・そうなのかな」
「ま、死んだ経験はないから、わからないけどな」
「にゅぅ~、うそついたぁ」
「べつに、嘘はついてないだろ」
「ちがうもんっ! うそだもんっ!
死んじゃっても、いたいものはいたいもんっ!」


なぜか、力一杯否定される。


「はいはい、嘘ついて悪かった」


わざと馬鹿にした口調で、適当にあしらう。


「むぅ・・・?
よくわかんないけど、なんか、バカにされてるような気がするぅ」
「やったな。 正解だ」


ぽんっ、とみちるの肩に手をのせる。


がすっ!


「ぐはっ」


「ふんだ、もうあんたの相手なんかしてやんないっ」

 

 

 

俺を無視して、みちるは離れた場所でひとりシャボン玉遊びを始める。

 

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「ふぅ~~~」


ぱちんっ。


「わぷっ、んにゅぅ~」


ごしごし・・・

 

半べそをかきながら、服の袖で顔を擦る。

そして、すかさずシャボン玉を膨らましにかかる。


「ふぅ~~~・・・」


ぱちんっ。


「わぷぷっ」


またもや顔面水滴まみれ。


「んにゅぅ~」


ごしごし・・・


「・・・・・・不憫だ・・・」


懲りることのない少女の姿に、俺は憐憫の情を覚えずにはいられなかった。


ぱちんっ。


「わぷぷぷっ。
うっきーーーっ、この前はちゃんとできたのにぃーーーっ」


ぶんっ!


ついに癇癪を起こし、みちるは手にしていたストローを前方に投げた。

俺の足元にまで届く大遠投。


・・・ぽて。


俺の足下にストローが落ちた。


「あ・・・」
「・・・・・・」


ストローを視点に視線が交わる。


「なによぉ・・・いつまでそこにいるのよぉ」
「いちゃ悪いか、ガキ」
「むぅ・・・」
「・・・・・・」


視線の中心付近で、蒼い火花が散った。


「ふんだっ。
あんたなんか、さっさとどっか行っちゃえっ、ぷいっ」


そっぽを向いて、みちるは再びシャボン玉遊びを再開しようとする。


「あ・・・」


しかし、ストローは俺の足下にあった。

形勢有利。

主導権確保。


「んにゅぅ~~~・・・」


(ふ・・・)


俺は心の中でほくそ笑んだ。

勝利の味が胸一杯に拡がる。


「ぅぅぅ~~~・・・」


みちるが恨めしそうに俺の足下を見つめている。

さて、どうしてやろうか。

 

・・・。


ぐしゃ。


「にょわーーーっ! いきなりふみやがったーーーっ!」


ぐりぐりぐり。


「しかも、ぐりぐり攻撃がはいったーーーっ!」


「ふ・・・」

 

ストローを踏みにじりながら、勝ち誇ったように鼻で笑ってやる。


「くにゅぅ~~~、むかつく~~~」


どんっ、どんっ、どんっ。


みちるは、芋虫をかみつぶした顔で、地団駄を踏んだ。

まるで、餌をとられた猿のようだった。


「こらっ。 そんなに騒ぐな、猿々しいぞ」
「それを言うなら、騒々しいでしょっ」
「そうとも言うな」
「そうとしか言わないっ」
「む・・・物知りだな、おまえ」
「ふふ~ん。 あったりまえだよ」
「すごいな。 将来は、必ず猿社会のボスとして君臨できるぞ」


ぱたぱたぱたーーーっ。


みちるが、俺を目指し、駆けてきた。


どうやら、俺の励ましに感動したらしい。


(ふ・・・しょうがない奴だな)


俺は、優しく受け入れてやろうと、両手を大きくひろげた。


どごっ!


「ぐはっ! やっぱりかっ!」


「かってに猿山を支配させるなーーーっ!」
「ぐ・・・」

 

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「ふんだっ。 あんたなんか、そこで泣いてろっ。
んべーーーっだ! あんたなんかに、美凪はわたさないんだからねーーーっ」


ぱたぱたぱたーーー。

少女の後ろ姿が、黄昏の中へと消えていく。


「イツツ・・・」


俺は、痛みにうずくまり、それを追いかける気力さえ持つことができなかった。


「わたさない? なに言ってるんだ、あいつ・・・」


・・・・・・。


・・・。


みちるが消えていった方向を、じっと見つめる。

影法師たちは長く伸び、嵐の後の静寂が辺りを包んでいた。

赤い空の下で、風が凪いでいる。

風音の代役は、遠いヒグラシの声。

それは、夏が美しいものに感じられる時間だった。

俺は、暑気の残り香の中に身を置いて、みぞおちの痛みがとれるのを待った。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

ぐぅ~~~。


「・・・・・・」


叙情感を一撃で破壊する音が鳴った。


「はぁ・・・」


思わず、ため息がもれた。


(そういや、新しいねぐら・・・まだ決めてなかったな・・・)


さて・・・どうするか。

ふと横を見ると、みちるが拾ってきた金バケツが、西日を反射して鈍色の光を放っていた。

それを拾い上げ、俺は待合室の引き戸を開ける。

からっと小さな音が鳴って、目の前にガラクタの山が現れる。


「・・・・・・」


屋根のある場所。 そして、水道つき。


灯台もと暗しだな・・・」


言って、バケツをその山の中に投げ入れる。

当たった場所から、がらがらと音をたてて山が崩れた。

ここで寝泊まりすれば、もう観鈴の家に厄介になることもない。

誰にも迷惑をかけることもなく、生活できる場所。

それの確保に、微かな光明がさした。

ただ・・・そのためには、まだ大きな難問があった。

そう、食事の問題だ。

それさえクリアできれば・・・。

待合室の中。

何気なくポケットに手を入れると、あたりを見回した。


「・・・ん?」


指先に、かさりとした感触があった

取り出してみる。

出てきたのは、入れっぱなしにしておいた白い封筒。

表面には、毛筆による『進呈』の二文字があった。


(そうか・・・これがあったんだ)


遠野からもらった、お米券。


これを使えば、とりあえず米は手に入れることが出来る。

でも、その場合・・・。

必要になってくるのは、それを炊く道具か・・・。

ラクタの山を、少し崩してみる。

流石にそれは、ありそうになかった。


(バケツで炊くわけにもいかないしな・・・)


あごに手を当て、思案する。

米を炊く道具・・・そう、アウトドアの友、飯盒がベストだろう。

なんとかして、それが手に入らないか。

ありそうなところといえば・・・


「・・・あそこか」

 

 


・・・・・・


・・・

 

 

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ごそごそ・・・


「ないな・・・」


裸電球のわびしい明かりが灯る納屋。

山積みになったガラクタの中を物色する。


ごそごそごそ・・・


「こっちにも、ない・・・」


ごそごそごそごそ・・・


「ん、これは・・・」


ごそごそごそごそごそ・・・


「テント一式。と、言うことは・・・」


ごそごそごそごそごそごそ・・・


「お・・・?」


ごそごそごそごそごそごそごそ・・・


「お? お?」


ごそごそごそごそごそごそごそごそ・・・


「おおっ・・・」


ごそごそごそごそごそごそごそごそごそ・・・


「・・・・・・あった・・・」


それは奇妙な形をしたキャンプ用具。

確かに、見覚えのある金物を見つける。

それは紛れもなく飯盒だった。

後光を放つそれを、拾い上げる。

俺は立ちあがると、きょろきょろとあたりをうかがった。


「さて・・・おさらばするか・・・」


ひらりとバイクにまたがる。


ライディングポーズを、びしっと決めた。


「レッツゴー」

 


ずばーーーーーーーーーん!

 

 

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「なにさらしとんねん!」

 


・・・痛い。

 


「・・・今日は早いな」
「今日は早いな、やあらへん。
取り敢えず、そっから降り」


多少マジな声。

俺は、素直にそれに従った。


「納屋で、なんや物音しとんなぁと思て来てみたら・・・なにさらしとんねん。
脇に抱えとるもんは、なんや」


晴子の視線が、小脇に抱えた飯盒に向けられる。


「知らないのか?
これはな、飯盒と言って、キャンプなどをするときに必要不可欠な・・・」
「んなもん、見たらわかるわいっ」
「わかってるなら訊くなよ。 二度手間じゃないか」
「誰が、飯盒について懇切丁寧に解説しろ、て言うた。
なんで、そんなもん抱えてうちのバイクにまたがっとったのかを訊いとるんや。
しかも、それここに置いてあった飯盒やろ。
見覚えあるで」


置いてあったというより、置き去りにされていた風だったが・・・。


「なんや、うちに黙ってちょろまかすつもりやったんか」
「・・・しまった」


一発正解されてしまった。


「そかそか。
あんたの正体は、旅人やのうて、コソ泥やったんやな。
警察呼ぼかー」


やけに楽しそうだ。


「・・・・・・悪かった」


本当に呼びかねないので、素直に謝っておく。


「わかったらええんや」
「そうだな。 いちおう、断っておくべきだった」
「そや。 それが、礼儀っちゅうもんやで。
断りさえ入れてくれたら、飯盒ぐらい譲ったるんや」
「マジか」
「大マジや。 そんなもん、いくらでも買い換えられるしな」
「そっか。 じゃあ、遠慮なくもらっていくぞ」


再び、ひらりとバイクにまたがる。


「じゃあな、世話になった」


振り返ることなく、右手だけを小さくあげる。


「アクセル、オンッ」

 


すぱーーーーーーーーーーん!

 


「なに、爽やかな別れを演出しとんのや!」
「・・・・・・風になりたいんだ」
「なるな!」
「・・・ダメなのか」


渋々とバイクから降りる。


「はぁ・・・なんや、あんた、出ていく気ぃかいな」
「なんで知ってるんだよ」
「なんでて、あんたさっき、世話になったって言うたやないか」
「そっか、なら・・・」


三度、バイクのステップに足をかける。


「うちの赤いモンスターは持っていかせへんで」
「ちっ・・・」


またがる前にやんわりと制され、かけていた足を地面に降ろす。

一度、限界を超えた世界を見てみたかったんだが・・・。


「ほんまに出ていく気か」
「ああ。 いつまでも世話になるわけにはいかないからな」
「そっか・・・そうやな」
「ああ」
「せやけど、水くさいんとちゃうの。

黙って出ていくやなんて、観鈴に、気ぃつこてるつもりなんか」
「・・・べつに、そういうわけじゃない」
「・・・素直やないんやな」
「あんたこそ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 

 

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「ふ・・・まあ、ええわ」
「・・・・・・」
「で、どうするつもりや、うち出て。
町を出ていくつもりなんか?」
「いや、町にはまだいるつもりだ」
「そぉか、ほんなら安心や」
「安心?」
「あんたが、いきなり町から出ていく言うたら、観鈴が悲しむからなぁ」
「・・・・・・」
「町にいる間は、たまにでええから、観鈴と遊んだってや」
「わかった」
「よっしゃ。 約束やで」
「ああ」


こくりとうなずいて返す。


「はは・・・」


晴子が、小さく笑う。


「そや。 ご飯とかは、どうするつもりなん?」
「心配ない。 そのための飯盒だ」
「自炊するんか」
「ああ。 おかげさまで、米だけはなんとか手に入るようになったからな」
「そぉか。 ほなら、まあ死ぬことはないな。
どうしても耐えられんようになったら、うちにきてもええよ。
ご飯ぐらい、食わしたるから」
「そうなった時はな」
「よっしゃ、ほんなら、今日はもう遅いから、うちで寝ていき。
出ていくんは、明日の朝でも、遅ないんやろ?」
「そうだな。 そうしよう」
「中、入るか? 遠慮せんでええよ」
「ここでいい」


言いながら、ごろりと横になる。

そんな俺の様子を、晴子が立ったまま見下ろす。


「・・・ほんま、けったいなやっちゃで」


呟きながら背を向けて、傾いた扉が風に揺れる出入り口の方へと、歩いてゆく。


「ああ、せや」


くるりと振り返る。


「うん?」
「あんた、出ていく前に、今着てる服返しや」


ぱたん・・・


声を遮断するように、扉が音をたてて閉まった。

俺は、黄色く儚い裸電球の明かりの中に、ひとり取り残された。


「・・・・・・」


あごを引いて、自分が来ている服を見てみる。

そういえば、俺が今着ているのは晴子のタンスからちょろまかした黒いシャツだった。

しかし・・・。


「・・・見破るか、普通」


着ている本人さえ、見分けがつかないのに・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


7月24日(月)

 


「な、観鈴
そろそろ家を出ようと思うんだ」


俺は切り出した。

 

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「え・・・? 町、出るの?」
「いや、違う。 おまえの家を出るだけだ」
「わけわかんない・・・」
「誰にも迷惑かからない場所を見つけたんだ。
そこで寝泊まりする」
「うーん・・・そこって、ちゃんとご飯出るところかな」
「それは・・・」


自炊だ。

なんてことを言ったら、こいつは心配して、その場所までついてくるかもしれない。


「ああ、出る」


だから、そう嘘をついておいた。


「ちゃんと、お風呂入れるのかな」
「ああ、入れる」
「ちゃんと、洗濯とかしてくれるところなのかな」
「ああ、してくれる」
「ちゃんと、ちゃんと・・・」


意地でも、自分の家のほうが居心地のいい点を見つけたいようだった。


「えっと・・・」


だが、もう浮かばないようだった。


「飯も出るし、風呂も入れるし、洗濯もできる。 なんの心配もない」
「ちゃんと・・・」


それでも観鈴はまだ考え続けていた。


「ちゃんと・・・わたしのこと、学校まで送ってくれるのかな」
「え?」
「その家にいっちゃっても・・・」
「・・・・・・」


それは晴子と交わした約束だ。

神尾の家で寝泊まりする条件と引き替えに。

だから、これ以上務める必要はなかった。


「ああ。 ちゃんと送ってやる」


でも俺は、そう答えていた。

この町にきて、今日まで、ずっと世話になりっぱなしだったからだ。


恩は返す。


「ほんと?」
「ああ」
「は・・・よかった」


安堵のため息をつく。

 

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「次に泊まる家の場所、教えてね。
わたし、遊びにいく。 トランプとか、ぬいぐるみとか持って、遊びにいく。
その家のひと、わたしのことも気に入ってくれるといいな。 にはは」
「そうだな」

 

 


無人だけどな・・・。

 


・・・・・・

 

 

・・・

 

校門が見える場所まで二人で歩いて、そこで観鈴と別れた。

 

別れ際、やはり観鈴が寂しそうな顔をしたので、少し胸が痛んだ。


「は・・・」


小さく息を吐いて、風に身をさらす。

変わらない潮の香りが、輪郭も持たずに辺りを漂っていた。


「さてと・・・」


肩の荷物を背負いなおして、海に背を向ける。

 

俺は商店街へと向かった。

 

・・・・・・

 

・・・

 

 

 

「はあ」

あぐらをかいたまま、ため息をついた。

日に焼かれた地面。

時折通る車が、アスファルトに熱風を巻き起こしていく。

暑い。

ものすごく暑い。

目の前には、ぴくりとも動かなくなった人形。

もうこれ以上、精神集中できそうにない。


「なあ・・・」


たった一人の客に尋ねる。

 

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「ぴこ?」
「俺の芸って、そんなに退屈か?」
「ぴこぴこ~」
「そう言ってくれるのは、おまえだけだ」
「ぴこっ!」
「おまえがちゃんと見物料を払ってくれればなあ」
「ぴこぴこ」


ことり。


どこからか骨を一本取り出し、俺の前に置く。


「はぁ・・・」


俺は、疲れているのだろうか。

犬と会話をしている自分が、とても自然なものに思える。

いっそこのまま、こいつ専属の大道芸人になってしまそうか。

しゃぶり慣れれば、骨も案外いけるのかもしれない。


・・・。


かぷ。

 

微かに冷たくざらついた舌触りの、カルシウム臭い硬めな食材だ。

犬はコレを噛み砕いて飲み込む。


ガジガジガジガジ。


歯が痛い。

犬は偉大だ。

人が食えない物を平気な顔で食う。


・・・もしかすると、しゃぶり続ければ骨のエキスか何かがしみ出てきて、栄養に変わるかも知れない。


ちゅぱちゅぱ・・・。

 

目の前を自転車に乗ったおばちゃんが通り過ぎる。


不自然なまでに前を向いていた。


まるでこちらを、見ないように見ないようにしているようだ。

全く失礼なおばちゃんだ。


ちゅぱちゅぱ・・・。
 

  ちゅぱちゅぱ・・・。

 

    ちゅぱちゅぱ・・・。

 

・・・・・・。

 


「だあああぁぁぁっ!!
こんなもん食ってられるかあぁっ!
だいたいこんなに暑いのが悪いっ。
こんな状況で大道芸なんて見る奴がいるもんかあああっ!!
くそおおっ、責任者出てこいっ!!」

 

 


ざっぱーーーーん!

 

 

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「うるさいぞっ、馬鹿者っ!」


バケツをさげた責任者が出てきた。


「・・・・・・」


俺は全身水浸しだった。


「少しは涼しくなっただろ?」
「ああ。 おかげさまでな」
「それでどうだ、首尾の方は?」
「何のだ」
「人形芸に決まってるだろ」


ぽんっ、と手を打つ。


「なるほど、じゃない。 どうなんだ」
「そんなものは決まってる。 最悪だ」
「まあ、この炎天下ではな・・・」


ぎらつく太陽を、二人でうんざりと見上げる。


「今日のところは諦めろ」
「そのつもりだ」
「うむ、どうだ。 上がって茶でも飲んでいくか」


診療所の扉を、親指でくいくいと示す。


「そうやって通りすがりの旅芸人を誘いこんでは、人体実験をするんだな」
「・・・・・・」
「・・・すみません。 ごちそうになります」

 

 

・・・・・・・。



 

「・・・で、なんでここなんだ」

 

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・・・


勧められるままに入った部屋。

真っ白い壁。

真っ白い床。

つんと鼻を刺激する、消毒液の匂い。

真っ白なシーツがかけられた、パイプベッド。

どう見ても、診察室だった。

医療器具の間に挟まれて、花柄の電気ポットがある。

聖が淹れる茶の湯気だけが、妙に浮いた動きをしていた。


「適当に座ってくれ」
「・・・・・・」
「なんだ。 なにか不都合でもあるのか?」
「いや、俺は別にいいんだが・・・」


仕方なく、ベッドに腰かける。

足下に視線を送る。

 

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「ぴこ?」

「・・・・・・」


診察室に、犬。


この診療所が儲からない理由がわかったような気がした。


「ほら、国崎君。 茶だ」


丸盆を俺の前に置く。

鮮やかな色をした緑茶と、正体不明の茶菓子。


「ああ、悪いな」


湯飲みを手に取る。


「冷え冷え麦茶の方がよかったか?」
「いや。 これでいい」
「そうか。
それはな、産地から直送でとりよせた超高級な茶葉だぞ。
かなり美味いから、味わって飲めよ」
「わかった」


ずずぅ~、と音をたててすする。

 

なるほど。

たしかに美味い。


ずずぅ~。


聖は満足そうだった。

さらに二つ湯飲みを取り出し、茶を注ぐ。

そのうちのひとつを、なんの躊躇もなく床に置いた。


「ほら、茶が入ったぞ」
「ぴこ」


尻尾を振り、ポテトは湯飲みにかぶりついた。


「・・・ぴこっ」
「ははは。 まだ熱いからあわてるな」
「ぴこ~・・・」


(・・・犬舌?)


っていうか、犬にまで高級茶を飲ませるなよ。

 

・・・。


「たっだいまぁ~」


玄関の方で、にぎやかな声がした。


「あれぇ。 知らない人の靴だぁ。
お姉ちゃ~ん、お客さん来てるのぉ~?」


診察室の扉が、がちゃりと開いた。

 

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「おかえり、佳乃」
「ただいまぁ」


制服姿の霧島佳乃だった。

きっと走ってきたのだろう。

乱れた髪から、汗のしずくがしたたる。

それだけで、薬臭い診察室が真夏の戸外になったようだった。


「あっ、往人くんだぁ」
「・・・・・・」


っていうか、診察室にいきなり入ってきていいのか?

いや、診察室で茶を飲むよりマシか。


「うわ~~~~~っ!」
「・・・どうした?」
「お茶飲んでるぅ!」


そこまで大騒ぎするほどのことでもないと思うが。


「自分たちばっかりずっる~い!」
「淹れてやろうか?」
「あたし、冷え冷え麦茶がいいなぁ」
「わかった、持ってきてやろう」


すぐに立ち上がり、診察室を出ていった。


「・・・んしょっと」


スカートの裾を気にしながら、俺の隣に腰を下ろす。

外で会った時に比べて、ずいぶんと小柄な印象だった。

観鈴より年下なのだろうか?

横目でそれとなく制服を確認する。

学年を示すらしい、しるしは何もない。


「あ~あ、ひろーこんぱいだよぉ」


黄色いバンダナ付きの手を上げ、座ったまま伸びをする。


「補習か。 ご苦労だな」

 

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「ふぇっ? だれが?」
「おまえが」
「ふふふ、ちがうんだよー。
あたしはねー、飼育委員さん1号なんだよぉ」


ない胸をびしっと張って言う。


「学校でたくさん飼ってるんだよぉ。
あたし、動物大好きさん1号も兼ねてるから」
「そうだろうな」


足下で茶をすすっている、綿毛状生物を眺めながら答える。


「今日はね、ピョンタが驚いて、モコモコを蹴っ飛ばしちゃったんだよぉ」
「ほぉ、そりゃ大変だったな」
「うん。 一同大パニックだったよぉ」
「愉快な動物大集合だな」
「うん。 ピョンタもモコモコも、かわいいんだよ~」
「そいつはご機嫌だな」


いいかげんな合いの手を入れつつ、穏やかに茶をすする。


「ピョンタはねー。
ときどき檻から抜け出して山犬を食べたりするけど、それ以外はいい子なんだよ~。
モコモコはねー。
夜になると首がぎゅい~んって伸びて油を舐めるけど、それ以外はおとなしい子なんだよ~。
今度連れてきてあげるね~」
「そいつは楽しみだな。
・・・・・・・・・おい、ちょっと待て」


こいつの学校では、ポテト級の妖怪生物を多数飼育しているというのか?


「・・・・・」


恐るべし田舎。


「もしかして、そのピョンタとモコモコってのは・・・」


ドキドキしながら訊ねる。


「ううん。 普通のウサギ~」
「・・・・・・」


何の工夫もないオチだった。


「ねえ、往人くん」
「なんだよ?」
「往人くんは、ウサギさん好きかなぁ?」
「食ったことないから、わからない」
「もぉ。 今話してるのは、お料理しないウサギさんのこと」
「食えないのか?」
「うん」
「じゃあ、キライだ」
「わかりやすいねぇ、往人くんは」
「そうか?」
「うん。 食卓魔人だねぇ」
「・・・意味がわからないぞ」
「食いしん坊さん、ってことだよぉ」
「・・・・・・」


扉が開いて、聖が戻ってきた。


「ほらっ」
「ありがとっ」


よく冷えた麦茶のコップを受け取る。


こくっこくっこくっ・・・


「・・・つめた~いっ」


一気に飲み干して、嬉しそうに笑う。


「もう正午を回っているからな。 ついでに昼食にしよう」


言いながら、俺の方を振り向く。


「ソーメンだが、食べてくか?」
「・・・その申し出は、客に対する無償のもてなしと考えていいのか?」


一応念を押す。


「そう取ってもらって結構だ」
「うむ。 食べていこう」


食卓魔人にふさわしい威厳で、重々しく頷く。


「では、器に持ってこよう・・・」

 

歩きかけた聖の手首を、佳乃がぐいっとつかんだ。


「流しソーメンっ」


幼児のような上目遣いで、姉にうるうると訴えかける。


「・・・わかった。 流しソーメンにしよう」


ほぼ即答。

 

もしかしたらこいつって、妹の言いなりなのでは?

そう思ったが、あえて指摘しないことにした。


「ではっ、そういうわけなのでー。
あたしがソーメンチャレンジカップ1号艇に決定っ!」


・・・艇?


「お姉ちゃんが2号艇でポテトが3号艇、それで往人くんが4号艇でーす。
ちなみに1号艇はいちばん上流からスタートです」
「・・・4号艇は?」
「いちばん下流~」
「・・・・・・」


致命的なハンデがつけられていた。


「さらに、4号艇にはすごいオマケがつく」


診察室の隅をごそごそあさりながら、聖が言った。


「ほらっ」


いきなり何かを渡された。

刃が錆びたノコギリだった。


「山までひとっ走りして、竹を切ってきてくれ」
「・・・・・・」
「返事は?」
「・・・アイアイアサー」

 

・・・・・・。


・・・。

 


「・・・では、位置について。 用意、スタート!」

 

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半分に割った竹の中を、ソーメンが流れてくる。

それを箸で素早くつまむ。

すかさず汁に浸し、口に運ぶ。


ちゅるちゅるっ。


「おいしい~」
「そうだろう。 茹で加減も冷え加減も、完璧だからな。
ほら、次を流すぞ」


ぱしゃん。


ちゅるちゅる。


「ふえぇ。 ホントにおいしいよぉ~」
「うむ。 ダシのとり方も絶妙、薬味も厳選素材を使っているからな」
「お姉ちゃん、もっとぉ」
「ふふ。 佳乃は食いしん坊さんだなあ」

 

「・・・・・・・・・おい」


ぱしゃっ。


ちゅるちゅる・・・


「・・・おいしすぎるよぉ。
やっぱり夏は流しソーメンで決定だよねぇ」
「どんどん流すぞ」
「どんどん来いっ」

 

「・・・あのー、ちょっと聞いてほしいんですけどー」


ぱしゃ。


ちゅるちゅるちゅる・・・


「ふあっ。 やっぱり最高にサワヤカでおいしいね~」
「そうだな。 最高に爽やかだな」

 

「『爽やかだな』じゃないだろっ! 少しは下流に気をつかえっ!」

「ぴこぴこぴこ~っ!」


下々の抗議は無視して、理不尽なソーメンバトルロイヤルは続く。

こうなることは充分に予想がついた。

だが、現実はそれを上回る過酷さだった。

俺もポテトも、まだ数本ほどしか食べていない。


給仕役の聖を見る。


妹にだけピンポイントでソーメンを流しながら、自分もちゃっかり食べている。

空っぽの腹の奥に、どす黒い衝動が沸いてくる。

今なら衝動的に殺人を犯しても、罪に問われない気さえする。


「ほら佳乃、ネギとショウガも食べなければ反則だぞ」
「うぬぬ。 バレたか・・・」


一人勝ちの佳乃が、薬味を追加するためにしばし箸を休める。

ザルの上にソーメンはまだ残っている。


「ほら。 君らにも流してやるぞ」


ごくり。

ついに巡ってきたチャンスに、喉が鳴る。

聖が竹にソーメンを投下する。


ばしゃっ。


まるでスローモーションのように流れてくる、純白の糸。

それに向かって伸びる、俺の箸先・・・


ちゅるちゅるちゅる。


「ぴこぴこっ」


・・・。

上流の犬っころが、顔ごと流れをせき止めて全部食っていた。

俺のところに流れてくるのは、白い毛ばかりだった。


「ぴこぴこー」
「そうか、美味いか」
「ぴっこり」
「・・・・・・」


その瞬間。

俺の中で、何かが音を立てて崩れた。


「っていうかお前ルール違反だぞ! ちゃんと箸を使え箸をっ!」


むぎゅう。


ポテトの耳を箸でつまみ、そのまま空中に持ちあげる。


「ぴこぴこぴこっ!」
「口答えするなっ。
ふざけた真似すると太平洋のど真ん中まで流すぞ、この腐れ毛玉っ!」
「ぴこぴこっ。 ぴこぴこぴこぴこ~っ!」


ぶんぶんと振りまわされながらも、果敢に抵抗するポテト。

両者とも、悲しいぐらい命がけだった。


「こらっ。 静かに食えないなら出走停止にするぞ」


・・・ぴたっ。


「すみません」
「ぴこ~」


素直に頭を下げる、一人と一匹。


「おネギもショウガも補給したから、モリモリ食べ放題だよぉ」
「そうだな。 モリモリ食べて胸を豊かにしないとな」
「むぅ。 お姉ちゃん、すぐそういうこと言うんだからぁ」


仲睦まじく語らう姉妹。


・・・ぐう。


虚しく鳴る、俺とポテトの腹。

そして俺たちは、勝ち目のない戦場に戻った。


・・・・・・・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 


日が暮れようとしていた。

電柱の影が、道路を渡っている。

人通りのない商店街が、いやに淋しく見える。

 

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「ねえ、ホントにもう帰っちゃうの?」


診療所の前に、黄金色の日溜まりができている。

その中に、佳乃と二人で立っていた。

夕暮れ時は、好きじゃない。

暗くならないうちに、その日の寝床を確保しなければならない。

自分の居場所がどこにもないことを、思い知らなければならない。

そうやって、俺は旅を続けてきた。

それがこの町では、ほんの少し変わっている。


「晩ご飯も食べていけばいいのにぃ」


人懐っこい顔が訊いてくる。


「いや、今日はいろいろと世話になったからな」
「そんなことないよぉ。
ご飯は大勢で食べる方が美味しいもん。
ね、ポテト」


「ぴこ?」


「ポテトも往人くんと晩ご飯食べたいよね?」
「ぴこぴこぴこ」


「ほら、ポテトも往人くんと一緒がいいってぇ」
「ご飯って言葉に反応してるだけじゃないのか?」


「ちがうよぉ。 ねぇ、ポテト」
「ぴこ?」
「ありゃりゃ?」


「見ろ。 わかってないじゃないか」
「うぬぬ・・・おかしいなぁ」


困ったように、眉を寄せる。


「俺はもう行くぞ」


足を踏み出そうとした時。


「あっ、帰っちゃう・・・」


俺のことを、佳乃が追いかけようとした。

まるで、自分の居場所を一瞬だけ忘れてしまったように。


「おまえなあ・・・」


思わず、俺は苦笑いしてしまう。

 

帰る家がある。

待っている家族がいる。

こんなに幸せなことはない。

霧島診療所と書かれた、古ぼけた看板。

ペンキの剥げた壁を、指し示してやる。


「おまえの家は、そこだろ?」
「うん・・・」


ぽつりと、それだけをつぶやく。

トタン屋根の上、夕焼けに染まる空。

とても寂しそうな顔。


「・・・・・・」
「また、明日な」


振り返ることなく、それだけを言った。

長くのびた自分の影を、追いかけながら歩く。

中越しに気配があった。

髪の短い少女が、俺の後ろ姿をいつまでも見送っていた。


・・・・・・


・・・

 

 

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茜色に染まった空を眺めていた。

昼間の暑さはその影を潜め、緑の香りを孕んだ夜気がゆっくりと近付いてくる。

周りでは、虫たちも去りゆく暑さを喜び、歌を歌っている。

目をつぶると、俺はしばらく音色を楽しんだ。


ぐ~っ・・・


「・・・・・・」

 

 

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すぐ、目を開ける。

どこからか不快な音色が聞こえてきたからだ。


ぐ~っ・・・


間髪入れず、また鳴る。

・・・腹の虫だった。

体を起こすと、お腹を軽くさする。


ぐ~っ・・・


三度目。


「・・・腹、減ったな」


昼に食べた、流しソーメン。

あれはあれでうまかったが、夜まで体を稼働させるには至らない。

俺は、新たな食料を必要としていた。

いつもならここで、金がないことに絶望し、飢えを耐えしのぐだけだっただろう。


(・・・だが、今日は違う)


漏れてくる笑みを堪えながら、ポケットに手を入れる。

シャキーンと、そこから封筒を取り出した。

白地に『進呈』の二文字。

黄昏に染まりゆく世界にあって、そこからだけは光が発せられているかのようだった。

このお米券さえあれば、食事が手に入る。

飯盒で炊いたご飯が食べられるのだ。

もちろんご飯だけではない。

白米、銀シャリ、思いのままだ。

おもむろに立ち上がると、商店街へと足を向ける。

今日の満腹のために。 レッツゴーだ。


・・・・・・


・・・

 



 

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どさっ・・・。


やっとの思いで駅舎へと帰ってくると、力尽きるようにベンチへと倒れ込んだ。


「何故だ・・・」


弱々しい声は、夜の闇へと消えてなくなっていく。

連射でぐーぐーぐーと鳴る腹。

まぶたを閉じるまでもなく、目の前は絶望で真っ暗だった。


「そんな・・・もう、閉店時間だなんて・・・」

 

・・・・・・


・・・

 

AIR【9】

 


DREAM編 霧島佳乃

 

~7月20日(木)の途中から~

 

―――


ばっしゃ~~~~~~~~~~っ!

 


・・・・・・。

 

俺は辺りを見回した。

頭上には真っ青な空。

左右にはなだらかな緑の土手。

頭をさすると、大きなこぶがある。

そして、全身水浸しだった。


「何してるのぉ?」

 

 

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・・・


見知らぬ少女が、橋の欄干からこちらを見下ろしていた。

観鈴と同じ制服。

青空を背景にした、どこか子供っぽい笑い顔。


「何をしているように見える?」
「えっと・・・。
なんかすごい生き物がいたから、思わず飛び込んじゃった、とか・・・」
「・・・どんな生き物だよ、そりゃ」
「体長5メートルぐらいのカメさんとか」


川幅におさまってないぞ。


「謎の地球外生命体が、俺の大事な人形を持ち逃げしたんだ」


言ってる本人が、何がなんだかわからない状況だった。


「お人形?」


『お』をつけられると、ものすごく嫌な感じになる。


「・・・って、あれのことかなぁ」


少女の視線を辿る。

川面に近い土手の草に、俺の人形が引っかかっていた。

ざぶざぶと歩き、人形を取り戻す。

もう少しで川に流されるところだった。


「それで謎の地球外生物は・・・これのことかなぁ」


少女が自分の足元に視線をやった。

さっきの珍妙生物が、嬉しそうにまとわりついているのが見えた。


「こらっ、素手でさわらない方がいいぞ」


「えっ、だいじょうぶだよぉ。 ねっ、ポテト」
「ぴこぴこぴこっ」
「ふむふむ」
「ぴこぴこっぴこぴこぴこ~」
「あっ、そうだったんだぁ」
「ぴっこり」
「それはまたご迷惑をおかけしましたぁ」


俺に向かって、ぺこりと頭を下げる。


「・・・なぜ謝る?」
「だって、ポテトが人形をここまで持ってきちゃったって」
「・・・・・・」


見事にコミュニケーションがなされている。


「・・・言葉がわかるのか、そいつの?」
「うんっ」


何の迷いもなく、即答した少女。


「・・・知ってるのか、その毛玉のこと」
「うんっ。 親友だよぉ」
「親友?」


「うんっ、そうだよぉ。 ね~、ポテト」
「ぴこぴこ」


親友の呼びかけに、ポテトと呼ばれた地球外生命体も嬉しげに答える。


「そうか。親友か」


この地球外毛玉と?


「あれれ? どうしたの?」
「・・・いや、なんでもない」


思わず、遠い目をしてしまった。

世の中には、俺がまだ知らない次元があるらしい。

少女はただ、にこにこと笑っている。

手首に巻かれた黄色いバンダナが、やけに目立つ。

ただのアクセサリーにしては、邪魔なような気がする。


・・・バンダナのことを訊いてみるか。


「・・・それはそうと、それは何だ?」
「ほへっ?」
「そのバンダナだ」
「これっ?」


自分の手首を、左指でさし示す。


「怪我でもしてるのか?」
「えっとー・・・」


大きな瞳を開いたまま、なにやら考える。


「教えてほしいっ?」
「教えてほしいぞ」
「むむ、やっぱり秘密っ。
だって、言ってもぜったい信じてくれないから」
「・・・・・・」


・・・なら教えてほしいとか言うなよ。


「それじゃあ、あたしたち先に帰るねぇ」
「ああ」


「行こっ、ポテト」
「ぴこっ」


くるり、と俺に背を向ける。

走り出そうとして、なぜかもう一度こちらを覗き込んだ。


「えっとね」
「・・・なんだよ?」
「魔法が使えたらって、思ったことないかなぁ?」


何を言われたのか、とっさにわからなかった。


「びっくりしてる~」


口元に手を当てたまま、賑やかに笑う。


「それじゃね。 お人形さんにもよろしくね~」


日射しと一緒に降ってくる、満面の笑顔。


「じゃあね~」


少女とその親友は、田舎道をぱたぱたと駆けていった。

 

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・・・。


俺は土手を登り、橋のたもとまで戻った。


「・・・・・・魔法?」


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。


―――

 

 


~7月22日(土)の途中から~

 

 


―――

 

・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

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・・・。

 

堤防の上で、風に吹かれていた。

地面を焼く夏の陽射し。

玉のような汗が額をつたう。


「アジィ・・・」


思わず声に出る。

背後から聞こえてくる波の音。

あまりの暑さに、このまま海にむかって駆け出したい衝動に駆られる。

そこで俺は想像してみた。

走りながらシャツを脱ぎ、上半身裸でバシャバシャと海に入っていく自分の姿を。


「・・・・・・」


あまりにも不釣り合いだった。

・・・馬鹿なこと考えてないで、行くか。

腰を上げる。


「どーーーんっ!」


「ぐはっ」


背後から突き飛ばされた。

視界が空に変わった。

首の関節が、グキッ、とイヤな音をたてた。


「ぐぉぉ・・・」


あまりの激痛に、堤防の上をのたうち回る俺。


「うわわっ。
ご、ごめんなさいっ。 勢いつけすぎ・・・」


少女の焦った声。


「ぴこぴこ・・・」


その声に混じって、奇怪な音も聞こえる。


「く・・・。 お、おまえらなぁ・・・。 どういうつもりだ・・・」

 

 

 

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「あ、あのね、あのね、スポーツバンザイの時間だったからね」


しどろもどろに奇怪な言い訳をする、制服姿の少女。


「・・・なんだそれは」


「ぴこぴこぴこ」


「お、お相撲・・・そう、お相撲さんなのっ! どすこいっ!」


どんっ、と再び俺の胸を両手で突いた。


「どすこいっ! どすこーいっ!!」


どんっ、どんっ、どんっ。


「・・・・・・」


誤魔化しているつもりなのだろうか。

必死で俺を土俵の外に押し出そうとしている。

もちろん土俵などどこにもない。

 

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「ぴこぴこぴこ~」

 


その足下では、毛玉が尻尾を振りながら横綱を応援。

唐突に開始された大相撲夏場所

なんともシュールな状況だった。



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「どすこいっ! どすこいっ!」
「・・・・・・」


どんっ、どんっと小気味よいリズムで胸を突いてくる。

しかし所詮は女の子の力。

この程度で、よろけたりはしない。

それに彼女は彼女なりに、なにやら必死のようだ。

しばらく胸を貸してやるのも、一つの優しさという物だろう。


「どすこいっ! どすこいっ!」


どんっ、どんっ。


「どすこーいっ! どすこーいっ!」


どんっ、どんっ、どんっ。


「・・・・・・」


「どすこーいっ! どすこいっ!」


どんっ! どんっ!


胸を突かれる度に、その振動が胸から背中へと抜ける。

痛いわけじゃない。

苦しいわけでもない。

ただ・・・。


「どすこいっ! どすこいっ!」


どんっ、どんっ。


(・・・ムカついてきた・・・)


そもそも、なぜ俺がこんな攻撃を甘んじなければならないんだ。

いきなり背後から突き飛ばされたり、首を負傷させられたり・・・。

誰がどう見ても、こちらが被害者のはず。


「どすこーいっ! どすこーいっ!」


どんっ、どんっ、どんっ。


「・・・・・・」


ムカムカ・・・。


「どすこいっ! どすこーいっ!」


どんっ、どんっ。


ムカムカムカ・・・。


「どすこーい!」


ぱしっ。


俺は、少女の双手突きを、巧みに払い落とした。

 

「うわわっ」


敵のバランスが崩れる。


「・・・・・・」


無言のまま、回転の速い突っ張りを一気に繰り出す。


「うわわわっ」


そのあまりの早さに、少女は逃げ腰になった。

他愛もない・・・。

そう思ったのも一瞬だった。

少女は再び腰を落として、俺の突っ張りを迎え撃った。


「うぬぬ・・・ま、負けないっ」


こうなれば、後は気力の勝負だった。


「・・・・・・」


しゅんしゅんしゅーーーんっっ!!


「どすこーーーいっっ!!」


どんどんどーーーんっっ!!

 

「ぴこぴこぴこーーーっっ」

 

ぴこぴこぴこーーーんっっ!!


・・・わけがわからない。


夏の陽射しに焼かれた堤防の上で、二人と一匹が名勝負を繰り広げている。


「ちっ・・・!」


突っ張りの回転速度を上げた。

一気に勝負に出たのだ。


「うわわわっ」


少女はじりじりと後ろに後退していく。


「うわっ、わっ、わっ」


少女の足は、すでに徳俵の上だ。

とどめのひと突きを少女の胸元に放った。


・・・ふにょん。


「・・・ふにょん?」


掌に、なにやら柔らかいものがあたった。


「なんだこりゃ?」


確かめてみる。


ふにょん、ふにょん、ふにょん。


「おぉ・・・これは・・・」

 

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「うわわわわーーーっっ!!
む、胸にさわっったーーーっっ!!」
「みたいだな」
「エッチーーーーーっっ!!」


どーーーーーーんっ!!!


「ぐはーーーっっ」


次の瞬間、俺は渾身の双手突きに宙を舞っていた。


「・・・ま、負けた」


ばたっ。


「・・・・・・」



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夏の空は、どこまでも青かった。


・・・・・・。


・・・。

 

「楽しかったねぇ」


風の中、少女が笑っていた。


「ぴこぴこぴこ」


変な犬も笑っていた。


「そら結構・・・」


コンクリートの地面にしこたまぶつけた腰をさすりながら答えた。

我に返ると、自分はいったいなにをしていたのだろうかと虚しくなる。

そこで、話題を変えることにした。


「こんなところでなにしてるんだ?」
「大相撲」
「・・・そうだったな」


変わらなかった。

でも諦めない。


「ちがうだろ。
どうしてここにいるんだ、という問いかけだ」
横綱になるため」
「・・・まだまだ道は険しいぞ」
「がんばるよぉ~」
「・・・・・・」


横綱になってもらっても仕方がないので、こちらから話題を振ることにした。


「学校か?」


遠くに見える校舎に目配せをしながら訊ねる。

少女には悪いが、あまり頭がいいようには見えない。

きっと観鈴と同様、補習なのだろう。


「うんっ、そうだよぉ」


思った通り、少女は答えた。


「破天荒だな。 犬を連れて登校とは」

「ぴこ?」

「ちがうよぉ。 ポテトはね、あたしを迎えにきてくれたんだよぉ。
ね、ポテト」

「ぴこ」

「そっか。 そらご苦労だな」

「ぴこぴこぴこ」

「キミは?」
「えっ?」
「キミは、ここでなにしてたのぉ?」


クリクリした瞳で、俺を正面から覗きこむ。


「・・・・・・大相撲」
「大熱戦だったねぇ」
「そうだな」


そう言えば、俺はいったいなにをしているのだろうか。


「俺は・・・暇を持て余している」


本当は、人を待っていると言うべきなんだろう。


だが、この少女の前で観鈴のことを話すのは、なぜか気が引けた。


「ねぇっ、ホントっ!
実は、あたしもヒマヒマ星人なんだよぉ」


・・・星人ってなんだよ、星人って。


「そういうわけなのでー。
キミをヒマヒマ星人2号に任命するっ!
ちなみにポテトは3号さんだよぉ」

「ぴこ~」


俺以外のヒマヒマ星人たちは、とても嬉しそうだった。


「・・・ヒマヒマ星人は何をすればいいんだ?」
「別に何もしないよぉ。 ただヒマなだけ。
それがヒマヒマ星人の宿命なのでありましたぁ」

「ぴっこり」

「ヒマだねー。ポテト」
「ぴこー」
「あーヒマヒマ・・・」
「ぴこぴこ・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 

「・・・・・・」


地球外のノリだった。

・・・っていうか、おまえら友達いないだろ?

異星人の会合につき合っていてもしょうがない。

俺は軽く伸びをして、階段の方に歩きかけた。


「お・・・」
「大相撲はもう終わりだ」
「そうじゃなくて、お人形」
「えっ?」


尻ポケットを探る。


人形がない。


「ぴこぴこ~」


犬がくわえていた。


「こんの毛玉犬っ・・・」


だが、ポテトは逃げ去ろうとはしなかった。


俺の前にふにふにと歩み寄り、人形をぽてっと置く。


そして後ろ足で立ち上がる。


そしてあの、戦慄のダンス。



「・・・ぴっこぴこぴこ~」



なんとなく触りたくない質感の毛玉が、嫌な感じで前後に揺れる。



「・・・うわわわわ~」



恥ずかしそうに口元を押さえるものの、視線はポテトに釘づけだ。



「放送禁止ギリギリだろ?」
「一生夢に見そうだよ~」



それでも踊りをやめないポテト。


こいつが伝えんとするところはよーくわかる。


だが、俺だってプロの端くれだ。


一銭にもならない相手に、無駄に芸は見せない。



「ぴこぴこっ・・・」
「言っておくが、見物料に骨は受け付けないぞ」
「ぴこ~・・・」



隠し持っていた骨を残念そうにしまう。


俺もそそくさと人形をしまおうとした。



「お人形~」



不満げな瞳で俺のことを見る。



「『お』をつけるな」
「うぬぬ・・・」
「だいたい、これはそんな可愛らしいもんじゃない」
「どうして? ポテトと同じぐらいかわいいのに~」
「・・・・・・」



・・・褒め言葉だと思っているのか、それが?



「それじゃあ、どうしてお人形なんか持ち歩いてるの~?」
「俺の商売道具だ」
「それじゃキミ、お人形売りさんなんだぁ。
ひとつくださ~い」
「非売品です」
「うぬぬ。 ニセお人形売りだ~」



不審そうな目で俺を見る。


最初に会った時から、こいつにはどうも見くびられている気がする。


ここらで一発、大道芸人としての意地を見せておくのもいいかもしれない。



「・・・見せてやるか。 どうせヒマだからな」



ヒルに言い放ってから、人形を地面に置く。



「見てろ・・・」



徐々に念を込めていく。


人形が立ち上がる。


そして、ゆっくりと歩きだす。


熱されたコンクリートの上を、ぐるぐると渦を巻くように行進させる。


ひさしぶりにいい調子だ。


一人と一匹の視線が熱い。


そしてフィニッシュ。


人形を大きくジャンプさせる。


そして、少女の前にぽこっと着地させた。


最高の演技だった。


客の方を見る。


感極まったのか、ポテトの舞いはますます危険度を増している。


電波に乗せれば、子供たちが大量失神するのは必至だ。


そして、少女の方を見る。



「・・・・・・」



メチャメチャ真顔だった。


・・・ひょいひょいひょい。


見えない糸を切るように、人形の上でチョップを往復させる少女。



「糸で吊ってるわけじゃないぞ」
「ぴーがーざざざざざ・・・」
「妨害電波を出しても無駄だ」
「そっかぁ! ここは日向だから・・・」
「ソーラーパワーでもない」
「うぬぬ・・・」



真剣に考え込む。



「それじゃ、どうやって動いてるのぉ?」
「法術だ」
「ほーじゅつ?」



真顔で問い返されて、思わず言葉に詰まる。


手を触れることなく、人形を動かす力。


俺にとっては当たり前の力。


この少女に分かる言葉で、それを説明するなら・・・。



「・・・一種の魔法だ」
「魔法?」



少女の瞳が、俺のことを見据える。



「なーんだ。 魔法なんだ」



つまらなさそうに溜息をつく。



「なーんだ、とはご挨拶だな」
「だって・・・。
あたしも使えるもん、魔法」



にっこりと微笑む。


そのまま、少女は空を見上げた。


青く、高い空。


こまでも飛んでゆけそうな夏空。



「・・・う~んっ」



両手を頭の上で組んで、大きく伸びをする。


黄色いバンダナが、風をはらんで翻る

遠くの方、校舎のガラスに陽光が反射している。


潮風に乗って、チャイムの音が聞こえてきた。



「あーっ! もうこんな時間だぁ」
「用事があるのか」
「うんっ。 学校行かないと」
「・・・さっき、学校の帰りって言ってなかったか?」
「まだ用事が住んでないんだもん」
「・・・ヒマヒマ星人じゃなかったのか?」
「そんなの信じてたのー? こっどもぉ」
「・・・・・・」



俺の殺気を感じるより早く、少女はぱっと駆け出した。



「行くよぉ、ポテト!」
「ぴこぴこっ!」
「それじゃ、またねぇ~」



俺に向かって、大げさに手を振る。


堤防の上に、また一人になった。


波音と潮の匂いが、ゆっくりと戻ってくる。


地面に放り出したままの人形を拾おうとした。


なぜだか、ぎくりとためらう。



「・・・魔法?」



自分で言ったはずの言葉が、妙に引っかかっている。


ちがう。


引っかかっているのは、少女が言った言葉だ。




――『あたしも使えるもん、魔法』




「あいつ・・・」



・・・。



まだ名前を聞いていないことに気づいた。



「・・・まあ、いいか」



つぶやいて、俺はその場に寝転がった。


焼けたコンクリートを、汗ばんだシャツごしに感じる。


まだ日は高い。


稼ぎに行く前に、すこし町をぶらぶらしようと思った。


そう、言うなれば散策だ。


まずは、どこに行こうか・・・。


俺は観鈴マップを取り出す。

 

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「・・・・・・」


とってつけたような駅。


また書き直してもらったほうがよさそうだ・・・。


よし、まずは近場から攻めるか・・・。



・・・

 

 

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・・・。

 

堤防から飛び降りると、俺は学校の近くへ歩み寄った。


海沿い、街道沿いの学校。


潮風はかるく堤防を越え、校門の前まで届いていた。


先ほど会った少女も、たぶん中にいるのだろう。


静かで、一見誰もいないように見える学校。


それでも、複数の人影がちらちらと確認できた。



(補習は、まだ終わらないか)



しかし・・・いまは何時だろう。


ふと、観鈴が出てくるまでに、どのくらい時間があるのかと思う。


校舎のどこかに時計がついているはずだから、それで確認するか。


そう思うと、塀に沿って歩きはじめた。



・・・・・・


・・・



塀はやがて、フェンスに変わる。


金網の向こうには木々と、運動場の土。


校舎の壁に、文字盤の白が見えた。


補習が終わるには、まだまだ時間があるようだった。



「ん・・・」



砂煙が立ちこめる、運動場。


私服姿の数名が、草サッカーに興じていた。


同じ午前中でも、せっせと勉学に励んでいる観鈴はえらい違いだ。


もちろんこの場合、駄目なのは観鈴なのだが。



(しかし、ジーパンでサッカーはきつくないのだろうか・・・。
おいおい・・・しかも上半身裸のやつまでいるぞ)



ボールが飛んできたとき、どうするつもりなのだろうか。


興味深く見ていると、そのうち裸の少年の所に浮き球がいく。



バチンッ!



ここまで聞こえる音をたてて、剥き出しの胸にボールが納まった。


あれは痛いぞ・・・



「・・・・・・」



(でも・・・どのくらい痛いんだろう)



きょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認する。


そして、そっとTシャツの中に手を入れてみた。


指先を開いて・・・


バチンッ!



「・・・う」



・・・。



(・・・何やってるんだろう)



ため息をつき、踵を返す。


と、背中に校舎からチャイムの音が届いた。


十分の一ぐらいしか機能を成していない学校に響く、チャイム。


俺は一度振り返ってから、また歩みを進めていった。


 

・・・・・・


・・・



「さて・・・」


風を感じながら、空を見上げる。


次は、どこに行ってみようか・・・。



(確か、まだ行ってない場所があったはずだな・・・)



俺は地図を広げる。



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気が抜けた。



ぷるぷると顔を振って、再度やる気を呼び起こす。



「この橋の向こうだ」



橋までは行ったことがあるが、その先には足を踏み入れたことがなかった。


地図上では山が描かれている。


もしかしたら、それを超えれば簡単に隣町に出られる・・・という可能性もなくはない。



(どこでもこの町よりは、マシだろうからな・・・)



行ってみることにする。



・・・・・・


・・・

 

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・・・


橋の途中で立ち止まる。


二日目、そして先ほど出会った少女を思い出す。



(あのとき、ここに立ってたよな・・・あいつは)



下には、夏の日差しを受けて輝く水面。


子供たちの、格好の遊び場に映る。



「と・・・先にいかないとな」



再び、歩き始める。

 


・・・・・・

 

・・・


 

しばらく歩くと海が見えた。

 

・・・・・・

 

・・・

 

 

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頂上へと続く石段を登り切ったが、そこには古びた神社が一軒。


それ以外、なにもなかった。



・・・。



俺はすぐさま踵を返した。

 


・・・・・・


・・・


残り少ない気力を使い果たし、商店街までやってくる。

 


霧島診療所の近くで人形劇を始めた。

 

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ポテトこと、異星人の生物兵器がまたしても現れ、邪魔をしていった。


・・・。


その後、めげずに劇を続けたが、もう一つの人外魔境が・・・。

 

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・・・


俺はみちるをからかった挙げ句、みぞおちを攻撃され、悶え苦しんだ。


・・・。


みちるは、ぱたぱたと足音だけを残し、走り去っていった。

 


・・・

俺は堤防に移動することにした。

 


・・・・・・


・・・


その日の午後。


堤防に腰を下ろし、遠くを眺めた。


眩しい照り返しの中、子供たちがはしゃいでいるのが見えた。



「・・・・・・」



しばらくの間、じっと眺めてみる。


いつまでも絶えることのない笑い声。



「くそ暑いのに、元気なこったな」



年寄りじみた呟きをもらしてしまう。



・・・・・・はぁ・・・」



ため息がもれる。


後方から、潮風が背を押すように吹きつけてくる。


サラリと首筋に何かが触れた。



「・・・うん?」



振り返る。


「・・・?」


誰もいない。


気のせいか・・・?


首筋を触りながら首を傾げる。


ぽんぽん・・・。


肩を叩かれた。



「ん?」



背後からの来訪に再び振り向く。



「・・・・・・」



が、やはり誰もいない。


気配もない。


・・・俺は疲れてるのか?



ぽんぽん・・・。



「・・・・・・」


気のせいじゃない。


確かに何かが俺のすぐ近くにいる。


ばっ!


勢いをつけて、素早い動きで振り返ってみる。


「くっ!」


だめだ・・・誰もいない。



ぽんぽんぽん・・・。



肩を叩く回数が増えた。


挑発されているようだ。


「・・・右!と見せかけて左っ!」


ばっ! ばっ!


フェイントを交えて振り返る。



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「あ・・・」


そこには、見覚えのある顔があった。


「・・・・・・」


潮風に、艷やかな黒髪がゆれている。

制服を着ているせいだろうか。

その姿は、夕べの印象よりかは、幾分幼い感じを受けた。


「・・・・・・・・・ちっす」


奇怪な間を開けた後、軽やかな挨拶をされる。


「・・・・・・ちっす」


挨拶を返す。


「・・・・・・・・・良い挨拶」


満足そうだった。


「はぁ・・・」


そんな遠野を見つめながら、ぽりぽりと頭をかく。


「なんか用か」


深みにはまらないよう、努めて冷静に対処してみる。


「・・・・・・・・・用?」
「ああ」
「・・・・・・・・・・・・」


なにやら考えているようなので、答えがでるまで待ってみる。


「・・・・・・・・・・・・・・・偶然・・・」


ぽつりと呟く。


「・・・奇遇です」


どうやら、ここで出会ったのは、ただの偶然だと言いたいらしい。


「そうだな。 奇遇だな」


おまえは奇怪だ、とは口が裂けても言えない。


「・・・・・・・・・・待ち合わせ?」
「まあな」


適当に答える。


「・・・・・・・・・神尾さん?」
「まあな」


適当に答える。


「・・・・・・・・・やった・・・正解・・・。
・・・ハワイ旅行獲得・・・」


ぼそぼそと呟く。


頼むから、ハワイへは自費で行ってくれ。


「おまえは補習か」


喜びを滲ませる遠野を無視して、話題をすり替える。

 

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「・・・補習?」
「ああ。
じゃなかったら、夏休みに学校へ来る理由なんてないだろ」
「・・・・・・」


ぷるぷると、首を何度も横に振る。


「違うのか?」


こくりとうなずく。


「・・・部活動というものがあるのです」
「なるほど。 そらご苦労だな」
「・・・・・・・・・天文部です」


・・・それは訊いてない。


「・・・星・・・好きだから」


・・・それも訊いてない。


「・・・えっと・・・」
「うん?」
「・・・・・・・・・」
「?」
「・・・じぃ~~~」
「・・・・・・」
「・・・じぃ~~~」
「・・・・・・」


見つめられている。


「・・・・・・・・・好き?」
「なにが」
「・・・星・・・」
「星?」


こくり。


「・・・きらきらの星・・・好きですか?」
「・・・・・・」


どうやら、俺が星を好きかどうか知りたいらしい。


どう答えるべきだろうか。



「・・・悪いが、俺は星なんぞに興味はないんだ」



つっけんどんな態度で、俺はそう答えた。

 

 

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「・・・そう・・・残念」


寂しげに、瞳をふせる。


(何も、そんな顔をしなくてもいいと思うんだが・・・)


良心の呵責というものだろうか。


遠野の残念顔を見ていると、なんとなく胸がちくちくと痛んだ。


「・・・えっと・・・」


ごそごそごそ・・・


「?」


唐突に、遠野が制服のポケットの中を探りはじめる。


「・・・・・・」


ごそごそごそ・・・


・・・ごそごそごそ・・・


「・・・・・・・・・発見」


したらしい。


「・・・これ・・・残念賞です」


ポケットの中から取り出されたのは、白い封筒。


「なんだ、これは」


差し出された封筒の表面には、丁寧な毛筆で『進呈』と書かれている。


「・・・残念賞」
「残念賞? 残念なのはそっちじゃないのか」
「・・・そう・・・がっくり」
「なら、なんで俺が残念賞を受け取るんだよ」
「・・・・・・・・・そういえば・・・」
「だろ?」


こくり。


「・・・じゃあ・・・残念させたで賞です」
「いや、そういうことじゃなくてだな・・・」
「・・・?」
「?じゃなくて」
「・・・??」
「??でもなくて」
「・・・???」
「・・・・・・・・・もういい」


諦めて、遠野から封筒を受け取る。


「・・・おめでとうございます・・・ぱちぱちぱち」


言葉だけで、実際には手をたたかない。


「はいはい、どうもな」


ため息混じりに封筒をポケットにしまうと、疲労感が全身を這い回った。


きっと、この少女のペースにだけは、一生涯を費やしてもついていけないだろう。


となれば、ここは逃げるにかぎる。


「じゃあな。 俺はもういくぞ」


くるりと遠野に背を向ける。


「・・・あ・・・」


中越しに、小さな声。


「・・・なんだよ、まだなにか用か」


思わず振り返ってしまう。


俺は、もしかしたらお人好しという奴なのだろうか。



「・・・・・・・・・えっと・・・」



また、なにかを考え始める。


「・・・・・・」


一度振り返ってしまった以上、おとなしくその答えが出るのを待つ。


「・・・・・・・・・・・・元気・・・」
「え・・・」
「・・・元気・・・出た?」
「え・・・」


言って、俺の顔をじっと見つめる。


深い瞳。


どこまでも広い、母なる海を思わせる瞳。


片言の言葉では言い表すことの出来ない思いが、その瞳の奥に見え隠れしている。


「・・・・・・」


(なるほど・・・そういうことか)


ズボンの上から、彼女にもらった封筒に触れてみる。


くしゃ・・・


ポケットの中で、封筒が小さな音をたてた。


「ああ。 元気でたぞ。 サンキュな」


証拠として、二の腕に力コブをつくってみせる。


まあ、服の上からだと見えないと思うが・・・。


「・・・・・・・・・良かった」


ほっとしたように呟く。


おそらく、彼女は彼女なりに、俺を元気づけようとしてくれたのだ。


どうやら俺は、それと見て取れるほど、憂いた顔をしていたらしい。


「・・・元気な方が・・・お米は美味い」


意味不明な呟きをもらす。


でも、不快感はない。


その評定の奥に彼女の思いやりが見えて、むしろ微笑ましいとさえ思える。


「・・・・・・・・・私・・・そろそろ部活動ですから」


視線を上げて、そう呟く。


「ああ、そっか。 がんばれよ」


せめてもの感謝の気持ちに、激励してやる。


こくりと小さくうなずく。


「・・・・・・えっと・・・」
「どうした」


またなにかを考え始める。


「・・・・・・・・・・・・ガッツ」
「・・・・・・」


せめて、元気良く言ってもらいたいセリフだった。


「・・・では・・・さようなら」


ぺこり。


小さくお辞儀をして、遠野は俺に背を向ける。


とん・・・とん・・・とん・・・・


たおやかに階段を下りてゆく後ろ姿を見つめる。


潮風にゆれる髪が、太陽の陽射しに輝いて、とても美しく見えた。


「・・・国崎さん」


堤防の下から、か細い声。


「うん?」


のぞき込むと、遠野が柔らかな表情で、俺を見上げていた。


太陽を背にする俺の影が、彼女を一瞬見えにくくしていた。


「・・・・・・・・・星・・・」


俺の背後にひろがる夏空を見透かしながら、そう呟く。


「・・・気がむいたら・・・夜空を見て。
・・・ここ田舎だから・・・星空とてもきれいです」
「・・・・・・」


一瞬、呟く遠野の姿が、とても儚いものに見えた。


儚いものだけが持つ、限りある美しさが、遠野の瞳の奥に見えた。


それはまるで、燃え尽きる瞬間のロウソクの炎のように見えて・・・。


「そうだな。 気がむいたら眺めてみよう」


俺は、遠野が見つめる背後の夏空を振り返り、そう答えた。


心に芽生えた言いしれない不安から、目を逸らすかのように・・・。


「・・・はい」


遠野の、心なしか嬉しそうな声。


それは、彼女の中にようやく見えた、ありふれた少女の感情のように聞こえた。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。


「ふむ・・・」


新たな気持ちで、俺はもう一度堤防の上に腰を下ろす。


いつの間にか、潮風が心地よい冷気に変わっていた。


そのまま、ポケットを探り、白い封筒の中身を確認してみる。


がさ・・・


中を覗くと、そこには封筒とほぼ同じ大きさの紙幣らしきものが入っていた。


「これはっ!?」


俺の胸は期待で高鳴った。


がさがさがさ・・・


大急ぎで中身を取り出す。


「・・・・・・。

・・・なんでお米券・・・」


やはり、あの少女は謎だ。


・・・・・・。


・・・。

 

日が暮れ始めていた。


ぐぅ~・・・


(そろそろ帰るか・・・)

 


・・・・・・


・・・

 

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「お、河原崎さん家、今晩はカレーか」


いろんな家の夕飯の匂いが入り交じっている。


その中を通って、帰宅する。

 

・・・。

 

夕食の後、俺はいつものように居間に寝転がって、暇を持て余していた。


「宿題してこよーっと」


それまで一緒にテレビを見ていた観鈴が立ち上がる。

 

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「麦茶もっていこっ」


一度台所に消え、麦茶をなみなみ注いだコップを手に再び現れる。


「こぼすなよ」
「うん、慎重にいくね」


上半身を揺らさないように出ていった。

ブラウン管に目を戻す。


「わっ・・・! 観鈴ちん、ぴんちっ」


廊下から声が聞こえたような気がするが、気にしないでおこう・・・。


テレビは、ニュース番組になっていた。


(つまらない・・・)


消す。


すると唐突に虫の音が勢いを増した。


窓の外に目を移す。


田舎町の夜、外は虫たちだけの世界になるのだろうか。


そんなことを思わせた。


散歩に出かけるか・・・。

 



・・・・・・


・・・

 

潮の香りを含んだ夜風が流れていた。


人気のない道を、一人歩いた。


日中、溶けそうなくらい熱くなっていたアスファルトも、今は冷たい。


どこを目指すわけでもない。


おぼろげな記憶に任せて、俺はただ歩いていた。

 

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気がつけば、小さな橋のたもとに来ていた。


周囲の草むらから、虫の音がうるさいぐらいに響く。


橋を渡った、その向こう。


いくつかの、常夜灯が、ぼおっと道を示している。


さらにその先は、闇の中へと続く。


空には、少し雲が出てきたようだった。


不意に流れた風に、わずかに湿った匂いを感じた。


先に進んでみることにした。


俺は橋を渡り、その向こうに足を踏み出した。



・・・・・・


・・・


道はすぐに、急な登りになった。


左右には梢が覆いかぶさり、ほとんど前が見えない。


目の前に、闇のかたまりがある。


木々の葉から染み出す夜気が、幾重にも重なり合っている。


俺は後悔しはじめていた。


夜道を通るのが怖いわけではない。


旅の途中、俺はいくらでも山中で野宿したことがある。


そんな時、気配を感じることがあった。


本来会えるはずのない存在が、ごく近くを通る気配。


錯覚だと言ってしまえばそれまでの、ごくわずかな違和感。


「・・・・・・」


いや、錯覚ではない。


何か、音がする。


この世のものならざる音。


足音でもなければ、声でもない。


奇怪としか言いようがない音が、背後の闇から響いてくる。


「・・・・・・」


様子を見ることにした。


俺は立ち止まった。


獲物を捕らえたかのように、暗闇が俺を包み込む。


背後を振り返る。


じっと目を凝らす。


自分の額を汗が伝わったのを感じた。


何かが、ある。


白い球状のものが、闇の中央にぼおっと浮かびあがっている。


ただ魅入られるように、その正体を定めようとする。


俺は、あれに会ったことがある。



あれは・・・。



その時だった。


白い物体が一気に迫ってきた。


逃げ出す隙さえなかった。


次の瞬間、俺は右足をがっちり捕えられていた。


奇怪な音が、暗闇にけたたましく響いた。




「ぴこぴこ~っ!」



 


「・・・・・・はぁ・・・なにやってるんだ、おまえ」

 

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「ぴこぴこぴこ」


白い妖怪が、俺の足にかぶりついたまま尻尾を振っていた。


「夜遊びしてないで、とっとと寝床に帰れよ」


足をぶんぶん動かして、毛玉を引きはがす。


「ぴこっ!」


くいくい。


「こら、ズボンを引っ張るな」


くいくいくいくい。


「悪いが、俺はおまえにかまってられるほど暇な人間じゃない」


くいくいくいくい。


「いや、だから・・・」


くいくいくいくいくいくいくいくいくい。


「・・・わかったから、早く用件を言え」
「ぴこっ!」


いきなり走り出す。


「おい、ちょっと待てっ」


仕方なく、俺は後を追った。




・・・・・・


・・・

 

 

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・・・。

 

山道を登りきったらしい。


行く手の木々の間に、町灯かりが見えた。


湿り気を増した風が、まともに横から吹きつける。


道の先が石段になっていた。


その上に、鳥居らしきものが浮かびあがっていた。



「まだ登るのかよ・・・」
「ぴこぴこ~」



ここまで来たら、もう後には退けない。


俺はポテトに続き、石段を駆け登った。

 


・・・・・・


・・・

 

 

 

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・・・。


鳥居をくぐったとたん、空気が変わった。


静寂にみたされた境内。


参道の石畳を、夜風が撫でていく。


背後の森が、ざわざわと震える。


夜空を見上げる。


ちぎれた雲を透かすように、星が輝いている。


その上には、もう何もない。


「ぴこ」


くい。


「・・・なんだよ。 まだなにかあるのか?」


夜闇の中にたたずむ社に視線を投げた。


「・・・・・・・・・ん?」


目を凝らして見る。


参道の脇に、小さな人影が見えた。


それは昼間、堤防で会ったあの少女だった。

 

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袖のない、真っ白な上衣。


むき出しの肩に、月光が照り映えている。


少女は首を傾げるようにして、闇の中にたたずんでいる。


星を見ているのかと思った。


だが、どこか様子がおかしい。


ゆっくりと近づいてみる。


声をかけようとした時。


少女の唇が動いた。


「・・・たとえば・・・ほしのかず。
やまではきのかず・・・かやの・・・」


かすかに漏れてきた言葉は、呪文にも、歌の一節にも聞こえた。


どちらにせよ、俺には全く意味がわからない。


「・・・おばな・・・かる・・・や・・・。
・・・はぎ・・・き・・・」


口調がよどみ、やがて途切れた。


どさっ・・・。


「・・・っ!?」


糸が切れた人形のように、少女がその場に倒れた。


「お、おいっ」


駆け寄っていた。


倒れた少女を抱き起こす。


手首に巻かれたバンダナが、俺の腕をふわりと撫でた。


「大丈夫か」


ぱしっ。


少女を胸の中におさめながら、軽くその頬を叩いた。


「ぅ・・・」


ぱしぱしっ。


「うぅ・・・ん・・・」
「しっかりしろっ」


ぱしぱしっ。


「んん・・・痛いよぉ・・・お姉ちゃん・・・」


目を閉じたまま、苦しそうにうめく。


「・・・お姉ちゃん?」
「・・ぅん・・・」
「・・・・・・俺はお兄ちゃんだ」
「・・・ん・・・お兄ちゃん・・・?」
「なんだ、妹」
「んん~・・・あたしに・・・お兄ちゃんいないぃ・・・」
「おまえの知らない生き別れの兄だ」
「えっ・・・うそぉ・・・」
「大ウソだ」
「あ~・・・やっぱりぃ・・・」
「とにかく早く起きろ」
「ぅんん・・・起きるぅ・・・」


そして、ゆっくりと少女の目が開いた。


 

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「・・・・・・」
「・・・・・・」


見つめ合ったまま、奇妙な間が空く。


「え・・・」
「やっと気づいたな」
「あれ? あれ?
ここ・・・どこ? キミは?」


わけがわからない様子で、きょろきょろと辺りを見回す。


「とりあえず、大丈夫みたいだな」
「ふぇ?」
「驚いたぞ。 急に倒れるから」
「・・・倒れた? だれが?」
「・・・・・・」


人指し指で、びしっと少女を示してやる。


「え・・・あたし?」
「ああ」
「・・・倒れたの?」
「そうだ」
「だれが?」
「・・・・・・」


どうも会話が噛み合わない。


「覚えてないのか?」
「う、うん・・・」


困ったように頷く。


「ごめん、なさい・・・」
「いや、べつに謝る必要はないけどな」


前後不覚になるほど、体調不良なのだろうか?


それとも、夢遊病の気でもあるのか?


・・・まあいい。


今はこいつを介抱するのが先だ。


「立てるか? 具合悪いんだろ」
「んっと・・・うんしょっ」


立ち上がろうとする少女を、両腕で支える。


少女は俺の肩に手をおき、ゆっくりと身を起こそうとした・・・。


「ありゃ? くらくら~」
「おいっ」


ふらついた肩を、あわててつかむ。


「ご、ごめんなさい・・・」
「本当に大丈夫か?」
「だいじょうぶ、ただの立ちくらみだよぉ」


肩にそせた俺の手に触れながら、微笑みを返してくる。


だが、月明かりのせいだろうか。


少女の顔色が、少し蒼いように思えた。


「?」


そのまま、少女を見つめる。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


「ぴこぴこ」


「あれっ。 ポテト?」
「ぴこ」
「どうしたの、こんなところで」
「ぴこぴこぴこ」
「え、なになに? あっ、そうなんだぁ」
「ぴっこり」



「・・・一応聞くが、そいつはなんと言ってる?」
「お腹減ったって」
「・・・・・・」


・・・奇遇だな、俺もだ。


「帰ろっ、ポテ・・・」


いつも通りに呼びかけようとして。


少女は最も重要なことに気づいた。


「あれっ?
あたし、なんでここにいるの?」
「こっちが聞きたいぞ」


町外れの丘にある、無人の神社。


時間はもう夜遅い。


どう考えても、少女が一人で来るような場所ではない。


「・・・・・・どうしよう・・・記憶喪失になっちゃった、あたし・・・」


少女の中では、かなり深刻な事態になっているようだった。


「うぬぬ。 これは一大事。
帰って、さっそくお姉ちゃんに治してもらわないと」
「すごい姉ちゃんだな。 記憶喪失が治せるのか」
「うんっ。 あのね・・・」


とっておきの打ち明け話をする顔で言う。


「あたしのお姉ちゃん、お医者さんなんだよぉ」
「医者?」
「そう、すっぐく腕のいいお医者さんなんだぁ。
車からトラクターまで、何でも治せるんだよぉ」
「それは、ある意味ものすごいな」
「そうっ! ものすごいんだよっ!
だからね、記憶喪失なんてへのカッパっ!」
「なるほど」
「複雑骨折も内臓破裂もへのカッパっ!」
「そうか」
「目から光線も膝からミサイルもロケットパンチもへのカッパっ!」
「・・・・・・」


少女の姉だという天才医師の姿を、俺は想像してみた。


当然、白衣はボロボロだろう。


片目に黒い眼帯をしているだろう。


悪の組織で人体改造を担当しているだろう。


「・・・・・・」

 

――「おっ。 やはりここにいたのか」

 

突然の声に、少女が振り返る。


「え・・・あっ、お姉ちゃん」
「ん・・・?」

 

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振り向くと、そこに立っていたのは・・・。


たしか、霧島聖とかいったか。


「心配したじゃないか。 なかなか帰ってこないから」
「ごめーん。 ちょっと、とりこんでましたぁ。 ねっ、ポテト」


「ぴこ」


「まあ、無事で何よりだ」


互いにほんわり微笑みあう。


しんとした夜気の中に、明かりが灯ったような光景。


しかし。


そんなことは問題ではなかった。


俺はただ、女医の胸元を見つめていた。


昼間会った時は気づかなかった、かなりふくよかな膨らみ。


その上に書かれた、通・・・


「ん?
おっ、人形使い君じゃないか。 なんで君がここに?」
「・・・・・・」
「どうした? やけに不景気な顔をして」
「・・・・・・」


・・・ツッコむべきなのか、あえて触れない方がいいのか。


「あれれ? お姉ちゃん、この人とお知り合いなの?」
「まあな」
「へえー、お姉ちゃんが男の人とお知り合いなんて、珍しいねぇ」
「そうか?」
「うんっ」
「そうか・・・言われてみれば、そうだな」
「彼氏?」
「大ハズレだ」
「なんだぁ。 ちがうのかぁ」
「なぜそんな残念そうな顔をする?」
「だって、彼氏だったら、お姉ちゃん見る目あるって思ったのに・・・」
「見る目って?」
「あのねあのね、この人ね、すっごくいい人なんだよぉ。
あたし、この人にすっごくお世話になったんだぁ」


ぐいっと俺の腕を引っ張り、姉の前に据える。


「・・・お世話?」


瞳の中に、何か冷たい光を感じた。


「いや、だから、俺は何もしてないって」
「そんなことないよぉ」


俺の言うことも聞かず、楽しそうな笑顔を振りまく。

 

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「さっきね。 あたしここでバッタリ倒れたんだって。
気がついたら、この人にだっこしてもらってたの。
その前のことサッパリ覚えてないけど、すっごくやさしかったんだよぉ」
「・・・・・・」
「それからねー、昼間は一緒にお相撲ごっこもしたよ。
組んずほぐれつの大熱戦だったんだよぉ。
それからねー、すっごいものを見せてくれたんだよぉ。
あんなの見たの、生まれてはじめてだったよぉ。
ねーポテトっ」


「ぴこぴこー」


「・・・・・・」

 

少女が伝えた話には、ひとつの誤りもない。


それなのに、自分が人間の屑になったような気がしてくるのはなぜだ?

・・・。


「いいか、よく聞け」


少し胸を張って口火を切る。


「確かに、だっこをした。
その前に何があったのかを覚えていないと言うのには、俺も困っている。
まあ、優しくした事を憶えているのは良いことだ。
こちらも優しくした甲斐が有ったというもの」
「・・・・・・」
「お相撲ごっこはなかなか白熱したぞ。
ぶつかり合う身体、乱れる髪、飛び散る汗、年甲斐もなく熱くなってしまった。
ああやって体を動かしてかく汗も悪くない」
「・・・・・・」
「すっごいもののことだが、まあ俺のは特別すごいからな。
どれだけすごいかと言うと、まず普通の人は持ち合わせていないくらい、すごいものだ。
機会があれば、またあんたにも見せてやろう」
「・・・・・・」
「どうだ、むしろ、本来なら感謝されるべき事を沢山したんだぞ。
感謝の言葉と誠意の気持ちを形にして俺に差し出せ」
「・・・・・・」
「・・・おい?」
「・・・・・・」


姉の背中から発せられる危険なオーラはその濃さを増していた。


どうやら説明失敗らしい。


事態は悪化してしまった。


・・・。


こうなってしまったら、取る手段は一つだ。


「じゃっ、そういうことで」


陽気な兄キを装い、しゅたっと右手をあげる。


そのままにこやかに、この場を立ち去ろうとする・・・。



「待てい」



やはり、そうはいかなかった。


「私の妹にいかがわしい薬をかがせて、ふらちな行為に及んだな。
組み手の稽古だと偽って、嫌がる妹にあんなことやこんなことを強要したんだな。
そうして、やおらズボンから自慢の・・・」
「ちょ、ちょっと待てッ!」


あわてて姉の口を塞ぐ。


が、渾身の力ですぐに振り解かれる。


「・・・殺す」
「はいっ?」
「くそっ!

食い詰め者の旅芸人だと、情けをかけた私がバカだった。
貴様だけは私がたたき斬ってやるっ!」
「な、なにを言ってるんだ、あんた」
「黙れっ!
私の大切な妹を傷物にして、無事で済むと思うなっ。
観念しやがれいっ!」



「お、お姉ちゃん、言葉遣いがべらんめぇになってるよぉ」


そんな問題じゃない。


「おまえのせいで完璧に勘違いしてるぞ。
ちゃんと説明しろっ」



「ええいっ! 男のくせにごちゃごちゃと言い訳をするなっ!」

 


しゃきーんっ!



女医の指先で、何かが光った。


手術用らしい、鋭利なメスだった。


「マジか・・・」
「死ねーーーっ」


しゅっ!


「こらっ、避けるんじゃないっ!」


無茶なことを言う。


「おい妹なんとかしろ!」
「えっ、あ、あたし?」
「そうだっ、助け・・・」


しゅぱっ!


髪が数本、宙を舞う。


「チッ、また避けやがったかっ」


あのメスが俺の血を吸うのは時間の問題かも知れない。


救いを求める視線を少女に向ける。


「う、うん、わかった。 助けるね。

えっと、えっと、ちょっと待ってね、えーっと」


しゅぱしゅぱっ!


「うぉっ・・・!!」


「じっとしてろっ!」


まだ命は惜しいので、できるわけがない。


「うわわっ、なんかスゴイことになってる。
ど、どうしよ・・・あっ! そうだっ、ポテト」
「ぴこ?」
「お願いっ」


むんず、と足下にいたポテトをつまみ上げる。


「お姉ちゃんを止めてきてーーーっ」


ぶんっ!


「ぴこーーーーーーーーーっっっ!!」


投げた。


ごいーんっ!


「ぐはっ」


命中。


しかも後頭部に。


暴走女医こと霧島聖は、目を回してその場に倒れこんだ。


・・・。




「・・・助かった・・・」


俺はようやく安堵の息をもらした。


生きてるって、素晴らしい・・・。


心から、そう思った。



・・・・・・。


・・・。





「まさか、あそこでポテトを投げてくるとは思わなかったぞ」
「ご、ごめん・・・とっさのことだったから・・・」
「いや、なかなか見事な攻撃だった。 感服したぞ」


にこやかに語らう姉と妹。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


心中穏やかではない俺とポテト。


「それにしても・・・」


聖がゆっくりと俺の方に振り向く。

 

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・・・。

 

「すまなかったな、国崎君。
まさか、そんな事情があたっとは思わなかったんでな。
年甲斐もなく、少し取り乱してしまった」


・・・あれを少しと言うのか、この大年増は。


「何か言ったか?」
「空耳だろ」

 

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「あっ、あたしからも謝るよぉ。
ごめんねぇ、えっと・・・国崎くん、だっけ?」
「そう。 国崎くんだ」
「下の名前は?」
「往人」
「往人くんかぁ、いい名前だねぇ。
そこはかとなく甘美な響きを醸し出してるよぉ」
「・・・そら、どうも」
「えっと・・・こほんっ。
じゃあ、あらためて。

ごめんなさいでした、往人くん」


ぺこりと頭を下げる。


「ほら、お姉ちゃんも、もう一回ちゃんと謝って」
「ん? ああ、すまなかったな」


・・・誠意が感じられない。


「何か言っただろ?」
「空耳だ」

 

「じゃあ、そろそろ帰ろっか、お姉ちゃん」
「そうだな」


二人そろって立ち上がる。


俺も腰を上げた。


「往人君は? 一緒に帰ろうよぉ」
「ん・・・。
いや、俺はもう少しここにいる」
「そう・・・?」
「ああ」
「残念っ。 四人で帰れると思ったのに。 ねー? ポテト」


「ぴこ~・・・」


四人ではなく、三人と一匹だと思うが。


「悪いな、期待を裏切って」
「ううん。 そんなことないよぉ」


にっこりと笑う。


その瞳が、なぜだか俺を覗きこんできた。


「あれれ? でも、往人くんって、どこに住んでるのぉ?
なんか、この町の人じゃない感じがするけど」
「正解だ。
俺は旅の地中で、この町にはちょっと寄っただけだからな」
「へぇー、すごいねぇ、旅人さんなんだぁ」
「そのとおり」
「それじゃあさぁ、寝る場所とかは? どうしてるの?」
「ん・・・まあ、一人奇特な奴がいてな。
そいつの家に、今は厄介になってる」
「そうなんだぁ。 じゃあ、安心だねぇ」
「まあな」



「おいっ、帰るぞ」
「あっ、うん。 わかったよぉ。
それじゃあ、あたしたちは先に帰るから、往人くんも気をつけて帰ってね」
「ああ」



「行こっ、ポテト」

「ぴこ」


くるり、と俺に背を向ける。


「あっ、そうだ」


振り返る。


「あたし、佳乃だよ」
「なにが?」
「名前。 霧島佳乃

よろしくね、往人くん」


少女・・・佳乃は元気に手を振りながら、俺の前から姿を消した。


ひとり境内に残る。


風が吹き、辺りの木々がカサカサと音を立てた。


空を見上げれば、幾分星が近く見える。


澄んだ空気を大きく吸い込み、伸びをする。


・・・。


「・・・俺も帰るか」


肺にたまった空気を、全て抜くように息を吐くと、足を前に進めた。

 

・・・・・・


・・・

 

 

 

AIR【8】

 

7月27日(木)



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目覚める。

ほこりっぽい天井があった。

昨夜は納屋で練ることにしたんだった。

何となく、家に戻りづらかったせいだ。

相変わらず朝からセミの音がうるさい。

観鈴はちゃんと眠っているだろうか。


上体を起こす。


言葉を思い出した。


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『でもね、その夢が女の子を蝕んでいくの』

 

「・・・・・・」


首を振り、うち消そうとする。

うまくいかない。

一連の言葉は、俺の中に重く淀んでいた。

と、別の音がした。

誰かが玄関の引き戸を開けている。

観鈴だろうか?

まだ早朝だろうに、どこに行くつもりだろう。

俺は納屋から外に出た。

 

・・・

玄関前に回る。

 

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「ん・・・」


晴子だった。


「なんや、起きとったんかいな」
「あんたこそ。 仕事は午後からじゃなかったのか」
「仕事はしばらく休むことにしたんや」
「・・・・・・」


視線を下げると、晴子が手に持つものが目に入った。

それは、買い物にいくには大きすぎる鞄だった。


「なんだそれは」
「旅行鞄や」
「旅行・・・?」
「ふらりひとり旅や」
「どこへ・・・」
「温泉巡りや」
「マジか」
「ええ温泉が仰山あんねん。
温泉つかって、酒飲んで、ゆっくりすんねん」


こいつは・・・観鈴が今、どういう状態にあるか知らないのだろうか?

昨日、観鈴は一日中ベッドにいたというのに・・・。


「なに考えてんだ、あんたは・・・」


怒るよりも先に呆れた。


「なんや文句あるんか。 うちの勝手や」
「あいつは・・・観鈴はどうするんだよ」
「あんたに任せる。
・・・あんた、やるときはやるし、案外しっかりしとる。
美鈴も、あんたのこと好いとる。
せやから、うちがおらん間はあんたが面倒見たってや」
「・・・観鈴は今、夢を見ている」


自分でもわからないうちに、言葉が口をついていた。


「その夢が、観鈴をこんな風にしてるんだ」
「はあ? いきなりなに言い出すねん」
「そのうちに観鈴は、あるはずのない痛みを感じるようになる。
それから、観鈴は忘れていく。
俺のことも、あんたのこともな。
最後の夢を見終わった朝・・・たぶん、観鈴は・・・。
観鈴は死んでしまう」


自分の言葉が、嫌に空々しく響いた。

晴子の顔色が一瞬で変わった。


「・・・あんたなぁ。
言うてええ冗談と、悪い冗談があるで。
うちにはうちの事情があんねん。
あんたのタワゴト聞いとる暇ない」
「娘を置いて温泉に行くのが、あんたの事情か?」
観鈴はうちの娘やあらへん。 だから、行くんやないか」


・・・本当のお母さんじゃないから。

そうだ。

こいつには、もともと放棄する親の義務さえなかったのだ。

これ以上、話すことはなかった。


「・・・ほな、うち行くわ」


踵を返し、歩き出した。


「・・・・・・」


遠ざかってゆくその背中を、俺はずっと眺めていた。

その姿が消えた後、空を見上げる。

雲ひとつない。

また、暑い一日になりそうだった。


・・・・・・。

 

・・・。


観鈴の部屋に戻ると、ベッドはもぬけの殻になっていた。


観鈴・・・?」


俺は廊下に出て、観鈴を探す。

観鈴は台所に立っていた。

 

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「もういいのか、おまえ」
「うん、大丈夫。
それに朝食作らないと、誰かさんがお腹ぐぅぐぅ空かせちゃうし」


そう答えたが、顔色が悪い。

無理をしていることが一目で分かった。


「おまえ、寝てろよ。 俺が作る」
「いいって。
それにこういうことしてないと、本当に病人になっちゃったみたいだし」
「そうか・・・」
「うん」


観鈴がとんとん、と包丁の音を立てる。

勉強はできそうに見えなかったが、こういうことだけは得意そうだった。

勉強ができて、料理が苦手、というよりはよっぽどマシな気がする。

俺はその背中を見ながら、言わなければいけないことを言うために、機をうかがっていた。

 

食卓に座って、面と向かって言うよりは今言ったほうがいいだろう。


「そういや・・・晴子が出かけていった。
しばらく家を留守にするらしいぞ」
「うん、知ってる」
「なんだ・・・」


事前に伝えていたのだ。


「わたし、お母さん大好き」
「そうか」


それ以上話題に触れまいと、俺は口を閉ざした。

やがて、料理ができあがった。

ミートソースがかかったスパゲッティーと、いつもの目玉焼きだった。

観鈴の皿には、俺の半分しか盛られていなかった。

それさえ、観鈴は苦労して食べているように見えた。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

 

観鈴、起きてるか・・・」


小声で言い、中の様子をうかがう。

鳥の羽ばたきのような音が、かすかに聞こえてくる。

引き戸を開け、中に入る。

観鈴がトランプのカードを切っていた。

 

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「寝てろって言っただろ?」
「さっきまで寝てたから」


札をならべながら答える。


「また変な夢、見たのか?」
「ううん、いい夢だった」
「空の夢か?」
「ううん。 今度は夜の森」


座り直し、俺の方を向く。


「森の中で、話をしてるの」
「誰と?」
「よく覚えてないけど・・・。
すぐ近くに、誰かが寄り添ってくれてた。
わたし、その人に『海って何だ?』って訊いた。
そうしたら、教えてくれたの。
海のこと、たくさん。
話してるだけで、すごく楽しかった。
言葉を全部包んで、いつまでもしまっておきたいって思ったぐらい。
そのぐらい、幸せだった・・・」


そっと瞳を伏せる。

その姿は、今も夢の中にいるように見えた。


「あんな夢なら、もっと見たいな」
「なら、寝てろよ」
「だって・・・もったいないよ。 きっと、夏は短いから」


きっぱりとそう言った。

俺は全く別のことを考えていた。

 

――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 

「・・・・・・」
「・・・往人さん、怖い顔」
「俺はいつでもこんな顔だぞ」
「にはは、そうだね。
それじゃ、大人しく寝るねー。
本当はまだちょっと身体がだるい感じだし」


散らかったトランプを、一枚一枚集める。

その動作が、やけに弱々しくて。

俺はこう伝えていた。


「海に行こう」


驚いたように、観鈴が俺のことを見た。


「往人さん、言ってることヘン。
寝ろって言ったり、遊びに行こうって言ったり」
「気が変わったんだ。 昨日、行けなかっただろ?」
「でも・・・」


瞳に不安の色が浮かぶ。


「行きたいんだろ?
まだ日も早いし、ゆっくり行けばきっと大丈夫だ。
俺が必ず連れていってやるから」


それで、安心したようだった。


「うんっ」


微笑んでこくりと頷く。


「それじゃ、外で待ってるな」


俺は廊下に出た。


・・・。


一人になると、とたんにあの言葉が頭に戻ってきた。

 

――『病みはじめてしまえば、それから先は早かった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

 

自分に言い聞かせた。

俺は観鈴を海に連れていく。

できないはずがない。

できないはずがないんだ、と。

 

・・・・・・。


・・・。

 

「いこっ」
「ああ」
「それじゃ、出発ーっ」


昨日と同じやりとり。

歩きだして、すぐに後悔した。

午後の日射しは強い。

アスファルトが溶けだしてしまいそうなほどだった。

一歩一歩を確かめるように、観鈴は歩いてゆく。


「ゆっくりでいいからな。 無理すんなよ」

 

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「うん、大丈夫。 ぶいっ」


ピースサインで元気なところを見せる。

その額を、汗の滴が伝った。

最初の角まで歩いたところで、観鈴は足を止めた。


「ちょっと待って・・・」
「ああ」


それほど衰弱しているのだろうか。

俺は肩を貸す。


「行こう」


観鈴の手を首に回させた。


「うん・・・ごめんね」


再び歩き出す。

日射しは容赦なく照りつける。

身をよせる観鈴の体は、熱く火照り、そして小さかった。

この小さな体で、どこまで行けるだろうか。

道の向こうが、陽炎に揺らいでいる。

どこまでも終わりがないように思えた。

海はこんなにも遠かっただろうか。


「暑いな・・・大丈夫か」
「うん、だいじょうぶ」


俺は頼りなさげに歩いていた観鈴の肩に手を回す。

そして、体重を支えた。

その時だった。


「あ・・・」


何か言いたそうに、観鈴が俺を見つめた。

その瞳が潤む。

頬を涙が伝う。


「ごめんね・・・すぐに・・・治るから・・・。
海は、また明日・・・。 にはは」


無理な笑顔は、すぐに歪んでしまう。

そして、俺は悟った。

俺は近づきすぎてしまったのだ。


「あ・・・うぐ・・・」


そうなってしまったら、もう止まらなかった。

俺の手を振り解き、観鈴は泣きじゃくった。

それは癇癪などではなく、得体の知れない発作そのものだった。

 

ここまでだった。

 

俺はただ、観鈴が泣き止むのを待つしかなかった。

頭上には晴れ渡った青空があった。

その対比が、俺をたまらなく不安にさせる。

明日はどこまで行けるだろうか。

もっと海に近づけるだろうか。

それとも、さらに遠のくだろうか。

 

・・・・・・。


・・・。



今日もまた、日が暮れていく。

抗いようもなく、時間は進んでゆく。

それがいいことなのか、悪いことなのか・・・それもよく分からなかった。

 

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「な、観鈴
「うん?」
「夕飯は俺が作ってやるよ」
「・・・・・・」
「何見てるんだよ」
「往人さん、やさしくなった」
「そうかよ・・・」
「うん、今までならそんなこと言い出さなかったよ」


・・・初めから、そうだったらよかったのに・・・。

そう続くと思った。


「・・・・・・」


けど、観鈴はそれ以上何も言わなかった。


「じゃ、作ってくるな」
「うん」


俺は立ち上がった。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

ぱたぱた・・・

観鈴はひとりでトランプで遊んでいる。

細い指先、いつもと同じ動作。

飽きもせずに、何度でも繰り返す。

気がつくと、観鈴が俺を見ていた。



「往人さんの知ってること、教えてほしい」


突然、そう言った。


「往人さんが探してる人とわたしの夢、関係あるんだよね」
「さぁな。 関係ないんじゃないか」
「だって、この前、わたしに訊いたよね。
夢の中のわたしに、翼があるかって・・・」
「あんなもの冗談だ。 忘れろ」
「ううん、往人さん真剣な目してたよ。
ね、教えてほしい」


すぐ隣に観鈴の真剣な目があった。

強くて、真っ直ぐな眼差しだった。


「・・・・・・」

 

俺は目を閉じる。

 

・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

 

・・・それは、ずっと昔から。


・・・そして、今、この時も。


・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

 

子供の頃からずっと聞かされていた、詩のような文句。

今ではその続きが分かっている。

 

・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

 

・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

 

・・・大人になれずに消えていく。

 

・・・そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す・・・

 

そして、予言めいた母親の言葉。


――『友達が近づくだけで、その子は苦しがる』

――『だからその子は、ずっとひとりぼっち・・・』

――『・・・それから、だんだん身体が動かなくなる』

――『あるはずのない痛みを感じるようになる』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『知っていたのに、わたしはなにもできなかった・・・』


両方をつきあわせてみれば、意味するところはひとつしかなかった。

なのに、認めようとしない自分がいた。

 

「・・・・・・。
これはわたしが、いろいろ考えて辿り着いた答え。
聞いてくれる?」
「・・・・・・ああ・・・」
「わたしの夢は、もうひとりのわたしなの。
その子には翼があって、きっと自由に空が飛べた。
それなのに、今、その子は苦しんでいるの。
だから、わたしに何かを伝えようとしてる・・・。
だから・・・わたし、がんばって夢を見る。
もっと夢を見れば、わかるかもしれないから。
その子がどうして苦しんでるのか。
そうすれば、その子のこと、助けてあげられるかもしれない」


いつもの笑い顔を浮かべる。

 

 

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「いい考え。 ナイスアイデア
そうしよーっと。 おやすみっ」


ばふっと、頭から布団を被る。

それを俺は、無意識に剥ぎ取っていた。


「馬鹿っ!」
「にはは・・・わたし、馬鹿だから」
「な、観鈴・・・」


慎重に言葉を選ぶ。


「おまえの言ってることは、正しいのかもしれない。
でもな、夢の中のおまえが苦しんでいるとしたら・・・。
このまま夢を見続けたら、おまえもそいつと同じことになるかもしれない」


・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

 

・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

 

それはもう、漠然としたイメージではなかった。

少女は空で苦しんでいた。

それはずっと昔から。

俺は少女を救うために来た。

それなのに、どうしたらいいのか分からない。


「・・・・・・」
「往人さん・・・。
わたしが夢を見はじめたのは、きっと偶然じゃないんだよね?」


俺を覗き込む。

なぜだか俺は、答えることができない。


「わたし、今年の夏は特別だって思った。
がんばって、友だちをつくろうって思ってた。
そうしたら、往人さんに会えた。
そうして、夢を見はじめた。
きっと全部、ひとつにつながってるんだよね」
「・・・・・・」
「だから、がんばりたいな。
この夏を、いちばん幸せにしたいから。
往人さんと出逢えた夏だから」


観鈴が俺のことを見る。

陰りのない、真っ直ぐな瞳。

俺はなんて答えるべきなのだろうか。


「・・・わかった」


俺はそう答えた。


「俺が手伝ってやるから」
「うん」
「・・・もう寝るぞ。 お前も寝ろ」

 


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 

それが本当だとして、どうやって止められる?

夢見ることを止めるなんて、誰にもできはしないのだ。


「・・・・・・」


俺にできることは、本当にないのだろうか。

ただそれだけを、考え続けていた。

 

 

7月28日(金)

 

朝。

観鈴の部屋。

ベッドの上で、観鈴は膝を抱えていた。

頬と目が赤い。

ずっと泣いていたようだった。


観鈴・・・」


駆け寄ろうとして、ためらった。

俺が触れれば、発作がぶり返してしまうかもしれない。

 

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「違うの」


観鈴は、ぷるぷると首を振った。

それで俺も思い当たった。


「夢を見たのか?」
「うん・・・」


小さく頷く。


「悲しかったの。
何度やっても、うまくいかなかった。
もう、時間がないのに。
やりとげなければいけないのに・・・。
それなのに、どうしても、うまくいかなかった・・・」


ころんと横になって、布団に顔をうずめる。

押し殺した声で、観鈴は泣いた。

どんな夢を見たのか、俺には見当もつかない。

ただそれは、確実に観鈴を蝕んでいる。

そして、俺は何もできない・・・。

 

気がつくと、観鈴は眠っていた。

泣き疲れたらしい。

俺は座り込み、壁に背中を預けた。

観鈴の長い髪が、寝息に合わせて震えるのを見ていた。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 


「・・・さん」


・・・。


「・・・往人さん」


・・・。


「往人さん」

 


・・・
目を開けると、夕方だった。

 

 

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観鈴がいた。

パジャマのまま、ベッドの上で上体を起こしていた。


「・・・起きてたのか」
「往人さん、すごくよく寝てた。
もう起きないかって思った」
「そんなわけないだろ」


こつんと小突いてやると、いつもの顔で微笑んだ。


「また夢を見たの。
今度はね、ちょっと楽しい夢。
ちょっと楽しくて、ちょっと悲しい夢」
「なんだよ、それ」
「夜なのに、空がすごく明るいの。
音楽と笑い声が聞こえて、たくさんの人が、輪になって踊ってた。
あれ、きっとお祭りだった。
みんなすごく楽しそう・・・。
でも、わたしはそれを遠くから見てる。
あそこは私の場所じゃないって、知ってたから・・・」


一度言葉を切って、視線を部屋に泳がせる。


「お祭り、わたしも行きたいな。
でも、ちょっと無理だね。
たぶん、お祭りは遠すぎるから」


決まり切った事実のようにつぶやく。


「・・・おまえなぁ。
夢の中でぐらい、もっと積極的になれよ。
友達をつくるとか」
「友達・・・」


小首をかしげて、俺のことを見る。


「友達、いるから」
「どこに?」
「友達。
往人さん、友達」
「俺は友達というより・・・なんなんだろうな」


自分でもよくわからない。


「にはは。
でも、往人さんナイスアイデア
次の夢で試してみるね~」


にっこりと笑う。

そして、言葉が途切れる。


「往人さん、いいかな?」
「ああ。 何だ?」
「やっぱり・・・海に行きたい」


俺は窓の外を見た。

梢の向こうに、真っ赤な空があった。


「今からか?」
「うん」


日没までには着けないかもしれない。

たとえ着いたとしても、何も見えないかもしれない。

それでも俺は、こう答えた。


「わかった。 行こう」
「それじゃ、着替えるねー・・・」


ベッドを降りようとする。


「・・・あれっ?」


どさっ。


観鈴は、そのまま顔から畳に落ちた。

まるで、動かない人形を地面に放り投げたようだった。


「鼻、ぶつけちゃった・・・にはは」


立ち上がろうとする。


「・・・あれ?
どうしちゃったのかな、足が動かないな」
観鈴・・・」
「でも、治るよね」


手のひらで足をさする。

そんな動作でさえ、見ていられないほど弱々しい。


「すぐには治らないかな? にはは」


一生懸命にさする。

俺は観鈴に駆け寄り、肩に手を乗せた。


「海になんて、いつだって行けるさ。
今日は休んでろ。 なっ?」
「ダメ。 今日は遊ぶって決めたの」


今までになく、観鈴は強情だった。


「トランプしよ。 往人さんとトランプ」


テーブルに置いたトランプのケースに手を伸ばす。


「届かない・・・」


俺は観鈴の身体を持ち上げた。


「わっ・・・」


鳥のように軽かった。

そのままベッドに降ろす。


「頼むから、無理しないでくれ」
「無理なんかしてないよ」


すぐにベッドから降りようとする。


「宿題、全然やってない。 数学と、英語と・・・」
「そんなことしてたら、治るものも治らなくなるぞ」
「・・・往人さん、ちょっと意地悪。
そうだ、絵日記つけないと」
「明日やればいいだろ」
「絵日記はためたらダメ。
天気とか、わからなくなるから。
それに、昨日のぶん、まだ書いてないし・・・」


上目遣いに俺のことをうかがう。

仕方なく、俺は頷いた。


「わかった。
どこにあるんだ? 俺が取ってやる」
「机の引き出し」


言われたとおりに引き出しを開け、ノートを取り出した。

ページを開けてみる。

無地のページに色鉛筆で描かれたそれは、子供の宿題そのものだった。


「他人の日記見たらダメ」
「本当に、ちゃんと書いてたのか」
「・・・今、意外そうな顔した」


俺は構わずページをめくった。


『往人さんと人形を探した』

『往人さんとテレビを見た』

『往人さんとジュースを飲んだ』

『往人さんと宿題をした』

『往人さんとクワガタをつかまえた』

『往人さんと・・・』


観鈴にしか価値のない毎日。

それには必ず、俺の名前があった。

そして一日の最後は、必ず『とても楽しかった』で締めくくられていた。

最後のページを見た。


『7月27日』


日付の下は、1行しかなかった。


『今日、往人さんが・・・』


たどたどしい筆跡が、そこで唐突に終わっていた。

多分観鈴は日記を書こうとして、途中であきらめたのだ。

俺が知らない深夜に始まった発作のために。


「・・・・・・」
「ちょっとって言ったのに」


俺はノートを閉じ、観鈴に手渡した。


「面白くなかったぞ」
「そうかな・・・自信作なんだけどな。
クラスの自由課題でいちばん楽しいの]
「こんなに『往人さん』って書いてあったら、先生に見せられないだろ?」
「ここ」


日記を開いて、一点を指さす。


観鈴アーンド往人さん」


得意げに笑う。


「いいか。
はっきり言って、おまえには日記を書く才能がない。
だから、これからはお前がやったことじゃなく、やりたいことを書け」
「でも、それ日記じゃない」
「いや、日記だ。
書いたことは全部、俺がかなえてやるから」


観鈴は長いこと、俺のことを見つめていた。

そして、こくりと頷いた。


「色鉛筆、ほしい」


机の上にあったのを、筆立てごと取ってやる。


色とりどりの鉛筆の中から、明るい色の一本を選んだ。


「それじゃ、書くね~。
まずねー、海に行きたい。
一日中、海で遊んで、へとへとになって帰ってくるの。
それからね、カラスさんに触りたい。
変なジュース、もっといっぱい飲みたい。
お祭りにも行きたいし・・・それから・・・」


・・・・・・。


紙の上を鉛筆が走る音だけが響いていた。

真っ白なページが、観鈴の夢でいっぱいになるのを見ていた。

 

 


7月29日(土)

 


朝。

寝返りを打とうとして、目覚めた。

背中にじくじくとした痛みが残っている。

網戸の向こうが眩しい。

今日も暑くなりそうだった。

俺は立ち上がり、観鈴の部屋に向かった。

 

・・・。


引き戸をそっと開けた。

観鈴は眠っていた。

寝息に合わせてパジャマの胸元が上下する。

きっと、夢を見ているのだろう。


・・・。


俺はそっと戸を閉めて、玄関に向かった。

 

・・・

日々の暮らしは様変わりしてしまった。

毎朝の登校がなくなった。

夜毎の、賑やかな宴会もなくなった。

 

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こうして外で立っていたとしても、観鈴が駆けてくることもない。

あいつは、ベッドで寝ているだけだった。

観鈴の日記のことを考えた。

この夏の計画が、無邪気に詰め込まれている。

いろんなことをしようと思った。

思いつくすべてのことをするつもりだった。

だが、なにひとつできずにいた。


「・・・場所を変えよう」


つぶやいて、俺は歩きだした。

 

 

・・・・・・


・・・

 

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商店街。

いつもの場所に陣取り、人形を地面に置いた。

これからプールに行くのだろうか。

通りの向こうに数人の子供がいる。

賑やかな笑い声が聞こえてきた。

夏は多分、彼らのものだった。

視線を巡らす。

霧島診療所の看板があった。

あの女医なら、きっと真面目に話を聞いてくれると思った。

本当はそうするべきなのだ。

だが、俺にはわかっていた。

観鈴に起こっていることは、常識の範囲を超えている。

あるはずのないものに、観鈴は囚われている。

だとすれば、救えるのは俺だけだった。

 

気がつくと、子供たちはいなくなっていた。

俺は人形に念を込めた。


とことこ・・・


誰もいない路上を人形が歩いてゆく。

不意に辺りが暗くなる。

見上げると、巨大な入道雲が空を覆っていた。

 

 

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ここからじゃ見えない場所。

今も観鈴は、その場所にいるのだ。

ひとりきりで。

地上から見上げれば、すべては絵空事だった。

どんな事実も知ることができない。

観鈴の中だけに、空は無限に広がっている。

観鈴ひとりが、雲の上をさまよっている。


(届かないんだよ、ここからじゃ・・・)


目線を戻すと、遠くで人形が倒れていた。

 

・・・・・・


・・・

 

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「お帰りなさい」


見慣れてしまった部屋。

観鈴はベッドの上で、トランプを広げている。


「わっ。 往人さん汗でびっしょり」
「今日も暑いからな。
こんな日に外なんて出るもんじゃない」
「そうだね。 にははっ」


静かな笑い顔が、どこか辛そうだった。


「身体、動かせないのか?」
「動かせることは動かせるけど、遠出は無理かな。
だから、海はまたお預け。 ふぅ・・・」


トランプの手を止める。


「それじゃ、始めるね」
「何を?」
観鈴ちんの、夢語りコーナー。
今朝見たのは、旅の夢」


無言でいる俺に、正面から向き直る。


「わたしは旅をしてた。 何かを探す旅。
森の中を、何日も何日も歩いた。
辛かったけど、わたし、がんばった。
大切な人たちが、側にいてくれたから・・・」
「・・・・・・」


夢の中の言葉を、俺は思い出していた。


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 

夢のことを話す観鈴は、無邪気そのものだ。

それが害になるとはどうしても思えない。


「なあ、観鈴
「うん」
「夢の中のおまえは、どこにいるんだ?
大切な人たちって、誰のことだよ?」
「よくわからないの。
考えても、もやがかったみたいになってる。
でも、覚えてるの」


きっぱりと言う。

観鈴の頭の中には、夢はイメージとして残っているのだろう。

もしもそれがはっきりとした形になれば、なにかわかるのかもしれない。

そう思う一方で、俺は確信していた。

観鈴にこれ以上、夢を見させてはいけない、と。


「今日の夢はこれでおしまい」


疲れたように溜息をつく。

その頬が少しやつれているのに気づいた。

今日はまだ、何も食べていないはずだ。


「・・・何か作ってきてやる」
「うん。 ちょっとお腹空いてるし。

でも、もう買い置きがないかな」
「ラーメンならまだあった」
「インスタントばっかりじゃだめ。
往人さん、ちゃんと食べないと力が出ないから。
今日は店屋物にしよ、ラーメンライスふたつ。
往人さんの分、ご飯をチャーハンにしていいよ」
「おまえはいいのか?」
「それじゃ、わたしもチャーハンにする。
往人さんとお揃い。 にはは」


嬉しそうに笑う。


「電話の下の引き出しにアドレス帳があるから」
「わかった」


俺が部屋を出ていこうとした時。


「往人さん」


呼び止められた。

何かを決意したような、そんな表情だった。


「往人さん、本当は知ってるんだよね。
わたしの夢が、わたしをこんな風にしてるって。
夢を見るたびに、わたしはだんだん弱っていって。
最後はきっと・・・空にいる女の子と、同じになってしまうって」
「そんなわけあるか」
「にはは・・・怒られちゃった。
でも・・・夢を見ないなんて、できないから。
わたしが思い出してあげなかったら、その子がかわいそうだから・・・。
だからわたし、がんばる。
往人さんも手伝って欲しいな」


観鈴の瞳が、俺のことをうかがう。


「もうひとりのおまえのことなんて、考えなくていい。
おまえはここにしかいない、だからまず、病気を治せ」
「わたしは・・・観鈴ちん
「そうだ、おまえは観鈴ちんだ」
「うん。 観鈴ちん、強い子」


にっこりと笑って、言った。


観鈴の部屋から廊下に出た。

とたんに、叫びだしたくなった。

俺は一体、どこにいるのだろう?

誰かが見続けている、長い長い夏の夢。

決して叶うことのない願いが、迷路の中をぐるぐる回っている・・・。

俺は知っている。

俺の奥底にある何かが、否定を許さない。

この少女は、決して海まで辿り着けない。

大人になることなく、はかなく消えていく。

そんな悲しい夢が、何度も繰り返されてきた。

それなのに・・・。

俺は無力だった。

 


・・・。

 

電話の下の引き出しを開ける。

アドレス帳の上に、観鈴の学校の連絡簿があった。

しばらく考えて、連絡簿をめくった。

神尾観鈴の、直後の出席番号を見つける。


(こいつなら・・・)


じーこじーこ・・・


ダイヤルを回す。


(頼む、出てくれ・・・)


祈るような気持ちで待つ。


――「・・・はい、川口ですけど」


観鈴ぐらいの少女の声。


「川口・・・茂・・・美か・・・?」


名簿の名前を辿々しく読む。


――「はい、そうですけど・・・」
「今、神尾観鈴の家からかけている。
おまえ、観鈴のクラスメイトだよな」
――「はあ・・・」


不審そうな返事。

無理もない。

誰ともわからない相手からの電話だ。

だが、なりふり構っている場合ではなかった。


「今すぐ、観鈴・・・神尾のところまで遊びに来てくれないか?」
――「ええと・・・すみませんが、わたし、これから家族で旅行に行くんです。
それじゃ・・・」
「・・・待ってくれっ!」


俺は叫んでいた。


「具合がよくないんだ、俺だけじゃどうにもならない。
誰かの助けが必要なんだ」
――「えっ・・・? 神尾さん、また泣いてるんですか?」


心配そうな声。


「わかるのか?」
――「クラス替えの時、近くの席だったから、仲良くなりたかったんですけど・・・。
神尾さん、泣いちゃって。
理由を聞いても、教えてくれなくて。
なんか、それっきり気まずい感じになっちゃって・・・」
「それは観鈴が悪いわけじゃないんだ。
とにかく、来てくれないか?」
――「でも・・・」
「頼む。 今すぐでなきゃならないんだ」
――「あの、失礼ですがそちらは、神尾さんの・・・?」
「俺? ええと、俺は・・・」


とん。

肩を叩かれた。

 

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振り向くと、パジャマのままの観鈴が俺を見ていた。


「受話器、貸して」


冷静な声で言った。

俺は無言で受話器を渡した。


「神尾です。
うん・・・そう。 そうだよね。 にはは・・・。
そうなんだ・・・うん。 来なくてもいいから・・・。
大丈夫だから・・・にははっ・・・待ってるね、おみやげ。
それじゃ」


・・・ちん。


受話器が元に戻された。

残ったのは、静寂だけだった。


「何やってるんだよ、おまえはっ!」


俺は観鈴を怒鳴りつけていた。


「なぜ自分からひとりになろうとするんだよ!」
「川口さん、いい人だから。
忙しいのに、呼び出したらいけないの」
「おまえと友達になりたいって言ってたぞ。
おまえのこと、心配してたのに・・・」
「うん。 知ってる」


いつも通りに、観鈴は言った。


「川口さん、すごくいい人。 みんなすごくいい人。
往人さんも、すごくいい人。 迷惑かけちゃいけないよね・・・にはは」


見ている方が泣きたくなるような笑顔。

俺は観鈴の両肩をつかんだ。


「嘘つくなよ。
友達が欲しいんだろ?
ひとりは嫌なんだろ?
やりたいことがたくさんあるんだろ?
誰かと一緒に、思いっきり遊びたいんだろ?」


観鈴は答えようとしない。

俺にももう、はっきりとわかった。

 

――『友達が近づくだけで、その子は苦しがる』

――『だからその子は、ずっとひとりぼっち』

――『病みはじめてしまえば、それから先は早かった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『やさしくて、とても強い子だったの』

――『だから・・・』

 

誰にも甘えることなく、誰にも迷惑をかけることなく。

ひとりで遊んで、ひとりで笑って、ひとりで夢を見て・・・。

そしてこの夏の中で、幻のように消えてゆく・・・。

それが、俺が探していた『空にいる少女』だった。

 

唇を噛みしめる。

観鈴の肩に置いた手を、そっと離した。

俺には何もできない。

何もしてやれない。

それなのに、観鈴はこう言った。

 

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「往人さんがいいな。

往人さん、友達。
往人さんがいてくれたら、他には誰もいらない。
迷惑かな・・・」


小首を傾げる。

観鈴の瞳はどこまでも澄んでいて、俺の姿を虚ろに映す。

 


こんなに近くにいる。

息づかいさえ聞こえる場所にいる。

それなのに、俺は天井を見上げていた。

観鈴は今も空に囚われている。

そして、今も苦しんでいる。

どうしてこんなことになってしまったんだろう・・・。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

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夕暮れ時。

観鈴の部屋にいた。

観鈴の好きな、恐竜のぬいぐるみ。

観鈴が使ってきた机やベッド。

全てがオレンジ色に染まる。

観鈴はベッドに座っている。

ここには、俺と観鈴しかいない。

何もしない。

何も食べない。

言葉さえ交さない。

ただお互いに、向き合って座っている。

行き止まりだった。

海辺の町で、いつの間にか入り込んだ迷路の奥。

もうすぐ、夜が来るのだろう。

広がる大気の向こうには、夕陽に光る海がある。

だが、そんなものは何の意味も持たなかった。

ここだけが、別の夏だった。

観鈴が存在できる場所は、世界の中でここだけだった。

ヒグラシの鳴き声が、クーラーの低いうなりに混じる。

色のない宵闇が、部屋の四隅を満たしていくのを見ていた。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

夜。


花火の音が響き始めた。

 

 

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「・・・あれきっと、隣町の花火大会」


暗がりの中で、観鈴が言った。


「見に行ったこと、あるのか?」
「ううん」


静かに首を振る。


「家の前に出れば、少しだけ見えるの。
わたしいつも、ひとりで見てた・・・」

 

空気を震わせるように、轟音が鳴った。

今、大勢の人が空を見ているはずだ。

一瞬で消えていく光を追いかけ、幸せに笑っているはずだ。


「見てみたいか?」
「ううん。
こうしてるだけで、きれいだってわかるから」
「そうだな・・・」


カーテンさえ閉じられた部屋。

薄闇越しに、観鈴の輪郭が浮かんでいる。

その中心にあるはずの笑顔。

たった一筋の光を、俺は想像しようとする。

 

――『その子を救えるのは、あなただけなのだから』

 

だとすれば・・・

俺にできることが、何かあるはずだ。

思い出さなければならない。

どんな些細なことでもいいから・・・

それだけを、考え続けていた。


・・・。


やがて、花火が尽きた頃。

観鈴が苦しみ始めた。

 

「あっ・・・イタタ・・・」


ベッドの上で、身体をくの字に折り曲げる。

不意に、雨だれの音が聞こえた。

パジャマの膝にこぼれる涙の音だった。

たじろいだ俺に、観鈴は言った。


「だいじょうぶ・・・だから・・・。 行かないで」


言葉を続けようとして、ぐっと息を飲む。


「どうして・・・みんな・・・。
わたしだけ・・・残して・・・」


喉から振り絞るような声。

感情を抑えることができないのだ。


「はぅっ・・・」


息を吸う間もないほどに、観鈴は泣きじゃくる。

 

こんなことが続いたら、無事でいられるはずがない。

 

心を通わせる者が観鈴をこんなにしてしまうのなら、俺は近くにいてはいけない。

 

今すぐ観鈴から離れなければならない。

 

観鈴をひとりにしなければならない。

 


・・・。

 

 

そんなことはもう、できはしなかった。

 

俺は観鈴のそばにいて、触れていたい。

 

抱きしめていたい。

 

そうしたかった。


「・・・・・・」


だからせめて、これだけでも。

観鈴の腕をとって、手を握る。

熱く火照った手のひら。

こんなにか細いのに・・・どれだけ苦しめばいいんだろうか。


「・・・往人、さん・・・」


観鈴が俺を呼んだ。

俺はそのまま手を繋いでいた。


「いいか・・・辛くても耐えろよ・・・。
俺がおまえのそばにいるから。
俺がおまえのそばにいたいから・・・。
・・・だから、耐えてくれ」


観鈴が息を飲む。

なんて残酷なことを、俺は言っているのだろう。


「・・・うん」


観鈴が返事をする。

そして、目を閉じる。

ゆっくりと呼吸をする。

 

・・・・・・。

 

紅潮する顔。

時々、息が止まったのかと思わせる。


観鈴、大丈夫か・・・」
「うん・・・だいじょうぶ」


ずっと、そのままでいた。

 

 


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

・・・
朝がやってくる。

 

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「やっと一緒にいられた・・・。
寄り添って、二人で一緒にいられた・・・」
「もう・・・大丈夫なのか?」
「ありがと・・・楽になったよ」
「そっか・・・」


握り合っていた手を離した。

汗ばんだ手のひらに、いつまでも観鈴の温かさが残っていた。

新しい光の中で、観鈴が笑った。


「往人さん、ずっと一緒にいてね」
「ああ、おまえが嫌がったって、そうしてやるよ」
「じゃ、ずっとずっと、一緒だね」
「ずっとずっと一緒だ」


観鈴の願い。

それで、何かが始まったようだった。

俺の中でも。

 

 


7月30日(日)

 


俺は空の下にいた。

観鈴が側にいた。

俺のことを見ている。

涙がぼろぼろとこぼれている。

夏の陽射しに溶けていく。

それなのに、体が動かない。


・・・。


観鈴が、あんなに泣いているというのに・・・。


「往人さんっ」


観鈴の顔が目の前にあった。

今にも泣き出しそうだった。


「ん・・・」
「よかった・・・もう起きないかと思った・・・」


毛布がかけられていた。

 

暑い。

 

それをはぎ取る。

もう日は高いらしい。

体を起こそうとして、顔が歪んだ。

背中から痛みが湧き上がり、全身が痺れる。

俺の体はどうなっているのだろうか。


「どうしたの・・・?」
「べつにどうもしない」
「どうもしなくて、そんな顔にならないよ・・・」
「もともとこんな顔なんだ」
「・・・・・・」


これ以上ごまかしてると、泣きだしそうだった。


「はぁ・・・」


俺は壁にもたれて座る。

しばらく立ち上がれそうにもなかった。


「ベッドに戻れよ」


俺はそう観鈴に言った。


「ううん・・・」
観鈴、ベッドに戻れ」
「往人さん、放っとけないよ・・・」
「俺は大丈夫だって。 ちょっと寝れば治る」
「わたしのベッド使っていいよ」
「な、観鈴。 あんまり俺を困らせるな」
「・・・・・・うん・・・」
「ほら」


観鈴に肩を貸し、ベッドに寝かせた。

仰向けになっても、観鈴はまだ不安そうだった。

額にうっすらと汗が浮いている。

俺のために無理をさせてしまったのだろう。


「少し眠れ。 側にいてやるから・・・」
「うん・・・」


観鈴はやっと目を閉じた。

俺は窓際に座り込んだ。

と、観鈴の唇が動いた。


「往人さん」
「何だよ?」
「わたしの・・・せいかな?」


・・・。

答えられなかった。

クーラーの低いうなりが、呪文のように響いていた。

病人が二名。

なにもできなかった。


やがて・・・。


ベッドから規則正しい寝息が聞こえはじめた。

きっとまた夢を見ているのだろう。

壁に手をつき、どうにか立ち上がることができた。

俺は観鈴の部屋を後にした。

 

・・・。

 

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扇風機のスイッチを押した。

青色の羽根が、がらんとした部屋の空気をかき回す。

じくじくとした背中の痛みが離れない。

たまらず、俺はその場に横になった。


「・・・なんだ、これは?」


今まで体験した病気や怪我とは、どこかが決定的に違う。

敢えて言えば、古傷が疼く感じに近い。

だが、心当たりはどこにもなかった。

俺はただ、考え続けていた。

誰かと親しくなると、観鈴は突然泣き出してしまう。

その様子を気味悪がって、みんな観鈴から離れてゆく。

観鈴のことを深く知った今、そんな単純な問題ではないと思う。

子供のように純粋な少女。

どんな時でも精一杯頑張ろうとする少女。

それなのに、観鈴はずっとひとりぼっちだった。

観鈴の側にいられたのは、晴子だけだった。

恐らくそれは、二人の間にある距離感のせいだった。

母の言葉が頭に閃いた。

それは俺が、敢えて思い出すまいとしていた部分だったかもしれない。

 

――『二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう』

――『二人とも助からない』

 

それは何を意味しているのか?

例えば・・・。

観鈴に近づいた者が、無意識に感じたのだとしたら?

観鈴といれば、自分もまた苦しむことになると。

今の俺のように。


――『病みはじめてしまえば、それから先は早かった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『知っていたのに、私はなにもできなかった』

――『誰よりもその子の側にいたのに、救えなかった・・・』

 

どうして救えなかったのか?

観鈴を助けようとする行為そのものが、観鈴を病ませていく。

そして、助けようとした人間も病んでいく・・・。

俺だって、本当は気づいていたのかもしれない。

二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。

そして、二人とも助からない。

それなのに、俺は観鈴の側に居続けた。

誰よりも観鈴の側にいたいと思った。

そして、俺までもが病み始めた。

他に何ができたというのだろう・・・?

身体を起こし、空を仰ぐ。

そこには、古ぼけた天井しかなかった。

全てはもう手遅れなのかもしれない。

俺たちの心は、近づきすぎたのかもしれない。

視線を戻す。

茶の間の隅に、俺の荷物が放ってあった。

結論は最初からそこにあった。

二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。

二人の心が遠ざかれば、まだ間に合うかもしれなかった。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

気づいた時には日が暮れかけていた。

少ない荷物をまとめて、俺は立ち上がった。

昨夜、俺は観鈴の側にいた。

遠い昔のことに思えた。

色あせた陽射しの中に、観鈴の姿はあった。

俺を見つけると、安心したように微笑んだ。


「往人さん・・・」


夢の中にいるような顔で、俺に語りかける。

 

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「海に行きたいな。 砂浜で遊ぶの。
かけっこしたり、水の掛けあいしたり・・・」


観鈴が望むもの。

誰もが飽きるほどやったはずの、他愛のない子供の遊び。

たったそれだけのことさえ、俺は与えることができなかった。


「そして、最後に・・・また明日、って・・・。 でも、今は我慢。
その方が、海まで行けた時にもっと嬉しくなるから。
観鈴ちん、ふぁいとっ」


その笑顔に、俺は告げる。


「そろそろ、出ていこうと思うんだ」
「・・・え・・・?」
「最初はバス代を稼ぐまでだと思っていた。
けど、色々あって、長居になってしまったからな・・・」
「お金・・・まだ稼げてないよね」
「そんなものいらないんだよ。 最初からいらなかったんだ。
歩けばいいんだからな」
「・・・・・・ずっと、一緒にいてくれる・・・そう言ってくれた」
「悪いな。 そのことに関しては謝る。
性分なんだ。 俺は一ヵ所に留まっていられないんだ」


観鈴の目を見ずに言う。


「そんな・・・これからだって、思ってたのに・・・。
これからがんばろうとしてたのに・・・。
往人さんにいてほしいな・・・。
ずっといてほしいな・・・」


もちろん、すぐに納得してくれるとは思わなかった。

だから俺は、言葉を突きつける。


「な、観鈴
おまえが俺を苦しめているんだよ、わかるか」
「え・・・?」
「おまえはずっとひとりぼっちだった。
今、だんだん身体が動かなくなってきている。
心当たり、あるだろ?
このままいくとおまえは、あるはずのない痛みを感じるようになる。
そして・・・おまえは、全てを忘れていく。
いちばん大切な人間のことさえ、思い出せなくなる。
そして、最後の夢を見終わった朝・・・おまえは・・・」
「・・・・・・」


無言のまま、立ち尽くしていた。


「おまえが俺を選んでしまったからだよ・・・。
二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。
二人とも助からない。
これ以上おまえと居続けたら、俺のほうが先に倒れる。
だから、おまえから逃げることにしたんだ。
この町を出て、もうおまえと出会うことのない場所までいく」
「ひとりで?」
「ああ」
「やっと、ひとりじゃなくなったのに・・・」
「おまえには、ほら、晴子がいるじゃないか」
「そうだけど・・・・・・」


しばらく黙っていた観鈴が口を開く。

 


「じゃあ、仕方ないね。 仕方ないよね・・・」

 


そう繰り返した。

俺にはわかっていた。

 


『これ以上おまえと居続けたら、俺のほうが先に倒れる』 

 


そう言ってしまえば、観鈴は決して俺を引き留められない。

二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。

だとすれば、俺たちは、心を離さなければならない。

知り合ったばかりの頃の冷たさに、俺は戻らなければならない。

観鈴が追ってこないように。

観鈴が俺のことを忘れてしまえるように。

馬鹿な俺が考えついた、それが最後の望みだった。


「いつ、出るの?」
「今日」
「すぐ?」
「ああ。 今すぐだ」
「もう一晩だけ、泊まっていけばいいのに」
「・・・俺はおまえが寝ている間に苦しむんだよ」
「あ、そうか・・・。
うーん、じゃ、これでさよならだね・・・」
「そうだな」
「・・・・・・あのね、往人さん」
「なんだ」
「楽しかった、この夏休み。
往人さんと過ごしたこの夏休み・・・一番、楽しかった」
「そっか・・・」
「わたしもがんばれて良かった」
「そっか・・・」
「往人さん、わたしにできた初めての友達」
「そうだな・・・」
「きっと、往人さんいなかったら、もっと早く諦めてたと思う」
「・・・馬鹿。
これからも頑張るんだろ、おまえは」
「そっか。 そうだよね・・・にはは・・・」


枕元にあるトランプを、観鈴は並べはじめた。


ぱたぱた・・・


最後まで、観鈴はトランプをしていた。

俺はそれをじっと眺めていた。

その姿が観鈴を象徴していた。


「やっぱり、こうしてひとりで遊んでいればよかったんだね・・・」
「そうかもな・・・」
「・・・・・・」
「でもな、楽しかったよ、俺も」
「ほんと?」
「ああ。 観鈴と過ごせて良かった」


本心からそう思う。


「わたしもよかった」


ぱたぱた・・・


「じゃ、いくな、俺」
「うん」
「じゃあな」
「うん・・・ばいばい、往人さん」


トランプを膝の上に広げたままで、見送る観鈴


「ばいばい」

 

・・・。

 

俺は部屋を後にした。


・・・・・・


・・・


「さて・・・」


どこにいくか。

とりあえずはこの家から離れよう。

町を出るのは、明日か明後日か・・・。


「・・・・・・」


考えていると、ごそっ・・・と背後で音がした。

振り返ると、観鈴がいた。

 

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「どうした・・・」
「・・・・・・あのね、今朝の夢・・・。
わたし、ひとりぼっちで、閉じ込められてた。 淋しかった。
誰かが連れ出してくれるのを、ずっと待ってた・・・」


俺を真っ直ぐに見ていた。


「わたし・・・わたしね・・・一緒にいきたい。
往人さんと、一緒にいきたい。
ついていったら、ダメかな」
「・・・・・・」


俺は目を手で覆う。


「馬鹿か、おまえは・・・。
俺はこの家を去りたいわけじゃない。
おまえから、離れたいだけなんだ」
「・・・・・・あ、そうか・・・。
そう・・・だよね。
ごめんね。 また馬鹿なこと言って」
「まったくだ」
「じゃあ、ばいばい。 元気でね」
「ああ。
おまえ・・・頑張れよな。
ひとりでも、頑張れよな」
「うん、ひとりでもがんばる」
「おまえは、強いもんな」
「うん、わたし強い子」
「よし」


ぽむ、と頭に手を置いてやる。


「じゃあな」


その言葉を最後に、俺は観鈴に背を向ける。

角を曲がるところで最後に振り返ると、それに気づいて観鈴ピースサインをしてみせた。

健気にぴっと胸を張って手を伸ばす観鈴

それが最後の姿となった。

 

 

・・・。

 


歩きなれてしまった道を、ひとりで歩く。

結局、なんだったんだろう、この町で過ごした時間は。

俺はなにひとつできなかった。

すべてを投げ出してきた。

それなら最初から、こんな町に来るべきではなかった。

空にいる少女なんて、探すべきではなかった。


・・・・・・。


もう考えるのはよそう。

堂々巡りを繰り返すだけだ。

仕方がなかった。

そう割り切るしかなかった。

とりあえずは夜を明かそう。

明日のことは明日考えればいい。

今まで俺は、そうしてきたのだから。

考えがまとまると、俺は寝場所を探し始めた。

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

 

 

 

 


7月31日(月)

 

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・・・

無気力に一日をやり過ごした。

何台かバスが、通り過ぎた。

俺がベンチで寝ているためか、いちいち停車してくれた。

結局誰も降りず、誰も乗せずにバスは去っていった。

もわっとした熱気とバスの残した排気に包まれる。

息を吸うと、潮の匂いが鼻をつく。

もう慣れてしまった匂いだ。

陽光は何にも遮られることなく、首筋を焼き続けていた。


「アジィ・・・」


そもそもこんな暑さの中、徒歩で隣町までゆくなんて、正気の沙汰じゃない。

夜の涼しいうちに出ておけばよかった。

それに・・・。


ぐぅ~・・・


「腹減った・・・」


なにもかもが、振り出しだった。

この町に初めて下車したときのことを思い出す。

通りかかった子供相手に、商売を始めて、人形を蹴られて・・・。

老婆に追い抜かれ、気を失って、そして、漁協組合で目を覚まして・・・。


(このままだと、同じ道を辿るな・・・)


そして出会い。

堤防の上で観鈴と出会った。

だが、それだけは繰り返すことがない。

結局、観鈴を海まで連れてくることはできなかった。

それはもう、俺の役目ではなかった。

潮風が吹いてくる方を見渡す。

もう、考えるのはよそう。

この町には二度とこない。

観鈴にも二度と会うことはない。

体の調子も良くなっている。

足も軽い。

観鈴だって、今頃けろりとしてるかもしれない。

俺は立ち上がる。

そしてまた座り直した。

そんなことを何度も繰り返した。

バスが停まっては、通りすぎていった。


・・・・・・。


・・・。

 

少し寝ていたのだろうか・・・。

子供達の声で目覚めた。

顔を横に向けると、小さな女の子が輪の中心になって、友達を遊んでいた。

日常的な光景だ

どこの町にもありふれた。

小さな女の子の笑顔が、観鈴と似ていた。


(あいつは、歳のわりにガキだったからな・・・)


いろんな友達に囲まれて、ずっと笑顔でいる。

じっと見ていた。


・・・。


そんなささやかな日常でさえも、手に入れることができなかったんだ、あいつは・・・。

ずっと切望していたはずなのに、結局得られなかったもの。

彼女は俺といたときだけでも、それを感じられていたのだろうか。

そして、母親もいなくなって、俺もいなくなって・・・。

ひとりきりになって、今、なにを思っているだろうか。

泣いていないだろうか。

でもあいつは、いつだって笑ってる奴だったから・・・。

きっとどれだけ苦しくても泣かないだろう。

 


再び目を閉じる。

 

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そうしてもなお、目に浮かぶ光景は一面の空だった。

声がした。

 

――『一緒にいく?』

 

・・・母の言葉。

ひとりだった俺を旅に誘う、あの日の母の言葉だった。

 


・・・。


人形を手に握っていた。

子供たちの遊ぶ声が聞こえ続けていた。

もう一度、目を閉じる。

賑やかな歓声が、幼い日の情景と重なっていく・・・。

 

 

 

――――


町の通り。

そこに人だかりが出来ていた。

大人たちの足の間をすり抜けて、一番先頭に出る。

そこに広がっていたのは、幻想的な光景だった。

ポール、ナイフ、鏡、リボン、懐中時計・・・。

いろんなものが宙に浮き、飛び交い、くるくると回っていた。

小さなサーカスのようだった。

けど、その中心には、女性がひとり。

彼女の舞いに合わせて、命を吹き込まれた小道具たちが空中を踊っている。

鳴り止まない歓声と、汗の臭いの中、じっと見つめていた。

小さな夢のような世界を。

人気がなくなった後、芸をしていた女性が幼い俺に向けて言った。


「こんにちは」


それが母だった。

ずっと俺は、古い寺に預けられていた。

唯一の家族であった母親は、俺をそんな場所に預けたまま、行方知れずになっていた。


「ね、わたしがお母さん。 あなたの母親」


唐突にそんなことを言われても、どんな感動も覚えなかった。


「この人形はね、ひとを笑わせる・・・楽しませることができる道具。
ほら、持って。 動かしてみて」


・・・・・・。


「こうするのよ。 指先を当てて・・・」


人形に指を押し当てる。


「思えば通じる。 思いは通じるから」


・・・・・・。


人形は動かなかった。


「今、往人はどう思ってる?
人を笑わせたいと思ってる?
そうじゃないと動かないよ?
動かしたい思いだけじゃなくて、その先の願いに触れて、人形は動き出すんだから」


何を言ってるのか、さっぱりわからなかった。

結局、動かすことはできなかった。


・・・。

 

「往人、来なさい。 こっちよ。
ほら、往人と同じ歳ぐらいの子供がいっぱいいるから・・・。
だから、その人形を持っていきなさい。
その力で、みんなを笑わせてあげるの。
わたしじゃ、ダメみたいだから・・・。
だからね、行ってくるの」


その必要がわからなかった。

だから、その中に放り込まれたとしても、人形を動かすことができなかった。


「往人」


誰もいなくなった後、ひとり立ち尽くしていると肩を抱かれる。


「往人は誰にも笑ってほしくない?」


・・・・・・。


「わたしは笑って欲しいな。 出会ったひとたち、みんな」


もし、そうなれば・・・。

それは、すごいことだ、と思った。

 

・・・。


それからの母はずっと一生懸命だった。

何かを教えようとしていた。


「この空の向こうには、翼を持った少女がいる。
それは、ずっと昔から。
そして、今、この時も。
同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。
そこで少女は、同じ夢を見続けている。
彼女はいつでもひとりきりで・・・。
大人になれずに消えていく。
そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す・・・。
わたしはずっと、旅を続けてきたの。
空にいる少女を探す旅。
わたしのお母さんも、お母さんのお母さんも、ずっとそうしてきた。
そしてみんな、その子に出会った。
とても悲しい思いをした・・・。
でもね、往人。
わたしはあなたにそれを強要はしたくないの。
あなたはあなたの幸せを見つけて。
ひとは自分の幸せを見つけるために、生きているんだから。
ね、往人」

 

 

・・・。

そして、一ヶ月が過ぎた。

母は俺に言った。


「これから、わたしは旅に戻る。 それがわたしの生業だから。
いろんな人たちを笑わせるのが、わたしの生きがいだから。
もし・・・もしね。
こんなわたしでも、家族だと思ってくれるなら・・・わたしはあなたを連れてゆくことができる。
けど、わたしにそんな権利なんてないと思うから、それはあなたが決めて」


初めて母と過ごした一ヶ月。

必死で、何かを教えようとしてくれた一ヶ月。

何かを得たのだろうか。

何もなかった。

今はまだ、ひとりきりの頃と変わらない。


・・・。

 

出立の朝。

支度を終えた母が、朝日を背に立っていた。

少年の俺はそれを寝起きの格好のまま、見ていた。


「わたし、行ってくる」


・・・・・・。


「往人は・・・ここに残る?」


・・・・・・。


「それとも・・・一緒にいく?
一緒に、いく・・・?」


俺は、うん、と頷いていた。

小さな頃の俺。

何も知らなかった頃の俺が、母の後をついてゆく。

母親とふたりで辿った旅路。

それは一年にも満たなかったはずだ。

小さな町に着くと、母は早速小道具を広げ、大道芸を始める。

大人も子供も目を輝かせているのを見て、俺は誇らしかった。

寄り添って眠る夜。

母の温もり。

初めての家族。

人形を借り、念を込める練習をした。

最初は全くやり方がわからなかった。

母は根気強く教えてくれた。

そうしてある夜、人形がひとりでに歩き出した。


「うまくできたね」


母はそう言って、俺の頭を撫でた。

俺はただ一生懸命に、人形を動かし続けた。

母が笑う顔をもっと見たい、その一心で。

そしてそれが、別れの始まりだった。

 

・・・。


夏の夜だった。

焚き火が燃えていた。

穏やかな声で、母が話している。


「・・・海に行きたいって、その子は言ったの。
でも、連れていってあげられなかった。
やりたいことがたくさんあったの。
でもなにひとつ、してあげられなかった。
夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・。
知っていたのに、わたしはなにもできなかった。
誰よりもその子の側にいたのに、救えなかった・・・」


一言一言、ていねいに語る声。


「女の子は、夢を見るの。
最初は、空の夢。
夢はだんだん、昔へと遡っていく。
その夢が、女の子を蝕んでいくの」


わからない言葉もあった。

でも俺は、一生懸命に話を聞いた。

大事なことを伝えようとしているのは、わかっていたからだ。


「最初は、だんだん身体が動かなくなる。
それから、あるはずのない痛みを感じるようになる。
そして・・・女の子は、全てを忘れていく。
いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる。
そして、最後の夢を見終わった朝・・・。
女の子は、死んでしまうの」


そこで一度、言葉が途切れた。

こみ上げてくるものを、必死で抑えているようだった。


「二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。
二人とも助からない。
だから、その子は言ってくれたの。
わたしから離れて、って。
やさしくて、とても強い子だったの。
だから・・・往人。
今度こそ、あなたが救ってほしいの。
その子を救えるのは、あなただけなのだから」


そうして、人形をそっと持ち上げた。


「この人形の中にはね。
叶わなかった願いが籠められてるの。
わたしのお母さんも、お母さんのお母さんも、ずっとそうしてきた。
衰えてしまう前に、この人形に『力』を封じ込めてきた。
いつか誰かが、願いを解き放つ時のために。
だからわたしも、願いのひとつになる」


俺の目を真っ直ぐに見つめた。


「往人・・・」


呼びかけられると、どうしても視線を外せなくなった。


「今、わたしが話していることを、あなたは全て忘れてしまう。
それも、わたしが受け継いだ『力』のひとつ。
あなたが思い出さなければ、わたしたちの願いはそこで終わる。
これは本当なら許されないこと。
あたりまえの母親に憧れ続けた、わたしのわがまま。
あなたには自分の意志で、道を決めて欲しいから・・・」


俺の手のひらに、人形を乗せる。


「今からこれは、あなたのもの。
これをどう使うかは、あなたの自由。
ただお金を稼ぐためだけに、人形を動かしてもいい。
旅をやめてしまってもいい。
人形を捨ててしまってもいい。
空にいる女の子のことは、忘れて生きていってもいい。
でもね、往人・・・きっと思い出す時がくる。
あなたの血が、その子と引き合うから。
どこかの町で、あなたはきっと女の子に出会う。
やさしくて、とても強い子。
その子のことを、どうしても助けてあげたいと思ったら・・・。
人形に心を籠めなさい。
わたしはあなたと共にあるから。
その時まで・・・」


そして・・・信じられないことが起こった。

俺の見ている前で、母の体が透き通っていった。

まるで最初から存在しなかったように。


『さよなら・・・』


眩しそうな笑顔が、最後にそう言った。

そして、母は消え失せた。

気がついた時には、誰もいなかった。

残ったのは、ちっぽけな人形だけだった。

何事もなかったかのように、炎がちろちろと燃えていた。

俺は何も覚えていなかった。


・・・置き去りにされた。


少年の俺には、そう考えるのが精一杯だった。

人形を手に、母を探した。

来る日も来る日も、探し続けた・・・。

 

 

 


――――

 


・・・。


始まりは、母を探す旅。

もう一度母の笑顔を見たかった。

それだけだった。

母がいないことを受け入れた時、旅の目的は変わった。

母から教えられた言葉のかけらがあった。

この空に少女がいる。

彼女は終わらない悲しみの中にいる。

だから、その少女を笑わせてみたいと思った。

今度はそれを目的に、歩き始めた。

あの日、失ったもの。

それをもう一度見つけようとしていたはずなのに。

なのに、俺は人形を生きるための道具として見るようになっていった。

ただ口上を言って、子供たちの親から日銭を稼ぐようになって・・・。


・・・。

 

そして何度目の夏だろう・・・。

 

 

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この町で、ひとりの少女と出会った。

そいつはいつだって笑顔で俺のそばにいた。

青空の下で、続いてきた夏。

ずっと隣にいた観鈴

いつだって笑っていた観鈴

俺は見つけていた。

あの日、失ったもの。

あの日から、それを探すために生きてきて、そして、それを見つけていた。

俺はただ、笑ってくれる誰かがそばにいればよかった。

俺はそうして、ひとを幸せにしたかった。

自分の力で、誰かを幸せにしたかった。

そうしていれば、よかったんだ。

ずっと探していたものとは、そんなありふれたものだったんだ。

この手で笑わせてあげたいと思う存在。

海辺の町で出会った少女。

いつだって元気で、俺と一緒にいた少女。

あいつはいつだって、俺のそばで笑っていてくれたのに。

なのに今、俺はそれをなくそうとしている。

いつだって俺は気づくのが遅すぎる。

また失ってしまうのだろうか。


・・・。

 


・・・

「このお兄さん、さっきからヘンだよ」
「暑いから病気になっちゃったのかなぁ」


がばっ!


俺は起き上がる。


「わーっ!」
「きゃーっ!」


子供たちが散ってゆく。


「待てっ」


俺はその中のひとりを捕まえる。


「きゃーっ!」
「頼むっ、助けてくれ!」


頭を下げる。


「え・・・?」


女の子は驚いたようだった。

でも、逃げずにいてくれた。


「とりあえずこれを見てほしいんだ」


俺は人形を取り出す。


「あ、人形さん」
「今からこの人形さんが歩いてみせるからな」
「ほんと?」
「ああ」


俺はそれを地面に寝かせる。

そして、思いを込める。

人形がぴょこりと立ち上がった。


「わぁ・・・すごい」


とてとて・・・

歩き始める。

女の子は人形の動きをじっと見つめている。


「どうだ?」
「うーん・・・ふしぎ~」
「面白いか?」
「ふしぎだけど・・・おもしろくはないよ」
「だよな・・・だからな、助けてほしいんだ」
「なにを?」
「どうすれば、おもしろくなるか。
見ているひとが笑えるようになるか」
「うーん・・・。
ちょっと待ってね・・・みんなぁーっ」


女の子は友達を呼んだ。


「どうした、ゆりっぺぇ~」


どっから湧いてきたのか、その場にいなかった子供まで寄ってきた。


「あのねあのねー、このお兄ちゃんがねー」


いつか忘れてしまった、ひとを笑わせるということ。

それをもう一度取り戻すことができるだろうか。

俺は子供たちから、時間をかけて習った。

あまりに要領を得ない俺に、ああだこうだと文句を言う。

それでも子供たちは、見捨てることはしなかった。

皆、ひたむきに向き合えば、どれだけでも根気よく付き合ってくれた。


・・・。


そして・・・。

 

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とてとてとて・・・

ぽてっ。

何かにつまずいたように、人形が倒れた。

そのとたん、歓声がはじけた。


「今の、面白かった」
「そうか?」
「うんっ」
「どこが面白かった?」
「えっとね・・・。
ぜんぶ、おもしろかったよ」
「そうか・・・」


ただ笑わせるんじゃない。

誰かが笑ってくれれば、俺は嬉しい。

だから、一生懸命に動かす。

やっと思い出すことができた、母の言葉が響く。

 

――『人形に心を籠めなさい』

 

今ならできそうな気がした。


「もう、かえっていい?」


別の子が、泣きそうな声で訊く。


「お母さん、心配するから・・・」
「ああ。 悪かった。 サンキュな」
「ばいばい」
「ああ、ばいばい」


いっぱいに手を振りながら、子供たちは去っていった。

俺も出立の準備をする。

少ない荷物をまとめて。

 

 

・・・・・・。


・・・。

 

 

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来た道を戻る。

自然に足が早まる。

観鈴と歩いた道。

観鈴が暮らした町。

息を切らして、角を曲がる。

見覚えのある風景が広がる。

いつまでも続く夏の中、たったひとつ足りないもの。

この町に降りたって間もない俺に、笑いかけてくれたひとりの少女。


――――

『浜辺にいこっ』
「・・・は?」
『浜辺。 そこ』
「・・・どうして」
『遊びたいから』
「・・・・・・」
『夕べ寝てましたよね、さっきの場所で。
よっぽど疲れてたんですね。
疲れはとれましたか?
今日は暇ですか?』
「・・・・・・」
『やっぱりダメかな・・・』


――――


・・・。


「いや・・・。
疲れもとれたし、今日からずっと暇だ。
だから・・・。
夏休み、めいっぱい遊ぼうな」
「うんっ」

 

 

 

・・・・・・。


・・・。


 

 

・・・暗い部屋に、クーラーの冷気が淀んでいた。

観鈴は眠っていた。

寝息さえもが苦しそうだった。

その顔を見つめる。

助けは来ないと諦めた人の顔に思えた。


観鈴・・・。 ここ、座るな」 


いつも寄り添っていた場所に、俺は腰を下ろす。


「戻ってきたんだ。
もうどこにもいかない。
おまえと一緒にいて、おまえを笑わせ続ける。
そうすることにしたんだ。
だからな、観鈴・・・起きろ」


肩をそっと揺する。


観鈴・・・俺だ」


根気強く呼びかけ続ける。


観鈴・・・」
「う・・・ん・・・」


すると、ようやくその目が薄く開かれた。


「・・・・・・」
観鈴、わかるか。 俺だ」
「・・・往人さん・・・」


か細い声。

もう何年も床に伏せている病人のようだった。


「辛いなら、そのままでいい。
いいか、これからおまえのために人形を歩かせてみせるから。
だから、よおく見てろよ。
コツ掴んだんだ。 絶対面白いから。
だから、また笑えるようになる」


人形を取り出し、枕元に置いた。

祈るように念を込める。


とてとて・・・

・・・とてとて・・・


「な、おもしろいだろ」


・・・・・・。

 

観鈴、見てくれてるか。
おかしいだろ」


・・・・・・。

 

観鈴はもう、目を開けていなかった。


観鈴、起きろよ。
見てくれよ。 それで、笑ってくれよ。
な、観鈴・・・」

 

 

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俺はその手を握る。

かすかな力で、握り返してくる。

その指先が冷たい。


「俺、やっと気づいたんだ。
俺はおまえのそばにいて、おまえが笑うのを見ていればそれでよかったんだ。
そうしていれば、俺は幸せだったんだ。
だから、俺はおまえのそばにいる。
もうひとりで、夜を越えることもない。
俺がいるからな。
俺が、笑わせ続けるから。
おまえが苦しいときだって、俺が笑わせるから。
だから、おまえはずっと、俺の横で笑っていろ。
安心して笑っていろ。
な、観鈴

 

・・・。

 

時間だけが過ぎてゆく。

俺は一度も、観鈴の元を離れなかった。

ただ心を籠めて、人形を動かし続けた。

 

観鈴・・・

俺は見つけたから。

一番大切なものを。

俺の幸せを。

だから、ずっとここにいる。

どうなろうとも・・・

俺が・・・おまえがどうなってしまおうとも・・・

ふたりはここにいる。

居続ける。

ふたりで幸せになる。


(な、観鈴・・・)

 

・・・・・・・・・。

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

まぶたの向こうで、白い光が揺らいでいた。

朝か・・・。

俺は目を開く。

けれど、そこに待っていたのは夜明けではなかった。

不思議な光景だった。

人形が真っ白に輝いていた。

それを薄く開けた瞳に映していた。

自分の意識が、人形に吸い込まれていくのを感じる。

温かい流れの中に、身体ごと包まれていく。

心が風に洗われるように、透明に透き通っていく。

なんなんだろう・・・これは・・・。

 

『・・・往人』

 

声が聞こえた。

 

『・・・今こそ、思い出しなさい』

 

懐かしい人の声だった。

 

『あなたのすべきことを・・・』

 

おぼろげになっていく意識の中で、俺は必死に観鈴の姿を求めた。

思い出すことなんて、もう何もない。

なすべきことなんて、俺は知らない。

俺はただ、こいつのそばにいたいだけなんだ。

ただもう一度、観鈴の側で穏やかな日々を過ごしたいだけなんだ。

ただ、観鈴を笑わせてやりたいだけなんだ。

もう一度・・・

もう一度だけやり直せるのなら。

そうすれば、俺は間違えずにそれを求められるから・・・。

 

(だから、どうか・・・。
観鈴と出会った頃に戻って・・・。
もう一度・・・観鈴のそばに・・・)

 

そして。


辺りに光が満ちた。

 

・・・。

 

 

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「どうしてだろ・・・。
もう起きられないと思ってたのに・・・。
もうダメだって、思ってたのに・・・。
・・・・・・往人さん?
往人さん、どこにいっちゃったの?
戻ってきてくれたんだよね・・・。
往人さん・・・。
ね、わたし、また元気になったよ。
まだ、がんばれそうだよ。
ね、往人さん・・・。
往人さん・・・」


・・・。

 

 

DREAM編 神尾観鈴 END

 

AIR【7】

 

7月24日(月)


・・・

 

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「もしかしたら、わたし、昔は空を飛べたのかなぁ。
ずっと、この空にいるの」


いつもの通学路で、観鈴はそう言った。


「おまえはいつも能天気だな。
もしかしたら、夕べも夢を見たのか?」
「見たよ。 すごく気持ちよく飛んでた」

 

 


・・・

「よいしょーっと」


観鈴は堤防の上にのぼり、両手を広げ、とてとてと歩き出す。

それで空を飛んでいる気にでもなっているつもりだろうか。

本当に幸せな奴だった。


「おい、危ないぞ」


つるっ。


「わっ」


ずでん!

 

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「イタイ・・・」
「だから言っただろ」
「が、がお・・・」


ぽかっ。


「イタイっ・・・どうして更にイタイ目にあうのかなぁ・・・」
「ほら、立て」


手を差し出してやる。


「うんしょ・・・ありがと」
「夢はいつもと変わりなかったか」
「ううん、少し違ってた」
「どんなふうに」
「同じだったけど、わたしがちがう気持ちでいた」


観鈴がもう一度、堤防にのぼる。

そして海に向かって、腰を下ろす。

その先には広い空。

そうすることによって、夢の世界を思い出しているのだろうか。

俺も隣に座る。

 

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「いつも通り、わたしの体が、空に飛んでいる。
足の下の雲はいつもより少なくて、海と陸が見渡せた。
白い波の線が、陸に押し寄せて、消えたりしてた。
自分が、本当に高い場所にいることがわかって、こわかった」
「そっか・・・」
「うん・・・」
「それでね・・・。
わたしはそこで悲しんでた。
ね、往人さん・・・どうして、わたし・・・空のわたしはあんな悲しい思いを
しているのかな。
あんなにきれいな風景で、すごく気持ちい風の中で・・・。
わたし、知りたい。 だから、ずっと空を見てた」
「・・・・・・」

 

 

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空に囚われた悲しみ。

それは、俺が想像する少女の姿と重なる。

空の遙か高みで、風を受け続ける少女。

その姿は、天使のような神々しさを持って俺の描く絵の中にいた。

白い少女の手足と、一対の両翼。

だが彼女に人と同じ感情があれば、それはあまりにも、悲しい光景だった。

ひとりきり、無限の時間の中に住む少女。

長い時間をかけて風は、彼女にどれだけの仕打ちを与えるのだろうか。

そして、その光景を、自分のこととしてこの少女は見ている。


「・・・・・・」


俺たちは立ち止まって、木の陰の中にいた。

セミの声が、ふたりの沈黙の間を埋める。

それぐらいに長く、俺たちは黙り込んでいた。


観鈴・・・」


先に俺のほうが口を開く。


「夢だろ。 おまえには関係ない。
おまえはいつものように笑ってろ。
・・・おまえが笑ってないとさ・・・」
「うん?」


どうしてだか、俺まで寂しくなる。


「とにかく笑ってろ」
「うん・・・」

 

 

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「ぶいっ」


・・・笑ってくれた。


「ジュースでも飲めばどうだ。 ノド、乾いたろ」
「ううん、いい」


言って、立ち上がった。


「じゃあ、いってくるね」
「ああ、居眠りすんなよ」
「うん。
お昼一緒に食べるから、ここで待っててね」
「ああ」


ぱたぱたと駆けていった。


「・・・・・・」


俺は考え事をするため、堤防に身を乗り上げる。

そして、汗の染みた背を海に向け、あぐらを組んだ。

 

空を見上げる。

・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。

・・・それは、ずっと昔から。

・・・そして、今、この時も。

・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

それは母が、幼い俺に語った言葉だ。

子守唄代わりと言ってもいいぐらい、繰り返し聞かされた。


ただ・・・。


それだけではなかったはずだ。

この言葉を通じて、母は俺に何かを伝えようとしていたはずだ。

どうしても思い出せない。

なぜ忘れてしまったのだろう?

とても大切なことだったはずなのに。

 

――『ね、往人さん・・・。 どうして、わたし・・・空のわたしはあんな悲
しい思いをしているのかな』


観鈴が一瞬見せた、助けを乞うような目。


(俺だって何も知らないんだよ、観鈴・・・)

 

・・・・・・。

 

・・・。

 

 

・・・

気がつくと、太陽が真上にあった。

正午のチャイムが響いてきた。

夏季補習の学生たちが、ぱらぱらと帰っていく。

待っても、観鈴は現れなかった。


(先に帰ったのか・・・?)


あいつは約束を破るような奴じゃなかった。

だとすると、他に用事でもできたのか・・・。

結局一時間ほど待って、俺は堤防を後にした。

 


・・・


・・・・・・

 

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玄関の引き戸を開ける。


観鈴、いるか・・・」


呼びながら廊下に上がる。

台所の方で、人の気配がした。

 

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「お帰りなさい。 ご飯、今できたとこだから」
「・・・・・・」


怒るより拍子抜けしていた。


「往人さん、汗びっしょり」
「走ってきたからな」
「そんなにお腹すいてたんだ」
「待ち合わせしただろ? 一緒に帰るって」
「あ・・・。
ごめん、忘れてた」


けろりと言い放つ。


「まったく・・・」
「おわびに、お昼はご馳走」


言いながら、俺の鼻先に皿を突き出す。


「往人さんの分は玉子四つ。 形も焼き加減も完璧。
早く食べないと、冷めちゃうよ」
「おまえなあ・・・」
「にはは」


まあ、無事なら文句もない。

俺は椅子に座り、素直に箸をつまんだ。

 

・・・。

 

 

食後。

鼻歌に混じって、食器を洗う音。

それが済むと、いつも通り観鈴が寄ってくる。


「往人さん、トランプ」
「ああ、おまえの持ってるのはトランプだな」
「トランプしよっ」
「俺は忙しいんだ」
「ぜんぜん忙しく見えない」
「考え事してるんだっての」
「考え事しながら、トランプ」


結局、観鈴のトランプにつきあう羽目になる。

俺は忙しいというのに。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

「・・・わたしの勝ちっ。 つまり、また往人さんの負け」
「念を押さなくていい」
「もう一回、やる?」
「・・・・・・やる」


負けず嫌いだった。

 

・・・・・・・。

 

 


「ふう・・・」


熱戦が終わった。

俺はほとんど負けていた気がする。


「麦茶飲もおっと」


言いながら立ち上がる。


「往人さんも飲む?」
「ああ」
「ちょっと待っててね」


ぱたぱたと台所に行く。

散らかったままのトランプを見て、俺は思い出した。

三日前、観鈴はこうして遊んでいて、癇癪を起こした。

いつでもああなるというわけでもないようだった。

晴子は言っていた。


――『小さい頃から、ずっとや』

――『誰かと友達になれそうになったら、ああなるねん・・・』

――『なんで治らへんのやろな』


専門的なことはよくわからない。

だが俺も、そういう女の子のことを聞いたことがあった。

あれは確か・・・。


「あっ・・・」


台所から声がした。

覗いてみると、冷蔵庫の扉を開けたまま、観鈴が困っていた。


「麦茶、作り忘れてた」
「ないなら水でいいぞ」
「わたしのお勧めは・・・」
「水だ」
「わたしのお勧めはねー」
「水にしてくれ」
「四角いパックに入っててねー」
「コップに入った、ただの水にしてくれ」
「・・・往人さん、付き合い悪いな」


ごそごそ。


「あれ? ジュースの買い置きも終わってる。 買いに行かないと」
「今からか?」
「夜に飲む分ないから。 往人さんも来てくれる?」
「まさか、あそこの自販機か?」
「あのシリーズ、他に売ってないから」


やはり、どろり濃厚だった。


「あんなもの好んで飲んでると、友達なくすぞ」
「往人さん、友達」
「・・・・・・」


しかたなく、俺も外出することにする。

 

 

・・・。

 


観鈴から少し間をおき、ゆっくりと歩きはじめる。

もう午後も遅い。

進むごとに、光が色を変えるのがわかった。

 

・・・。


・・・・・・。

 

海沿いまで来た時には、日が暮れかけていた。

 

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「夕焼け空も好き。 どこかに帰れそうな気がするから」


観鈴の影が長い。

髪が風に揺られ、きらきらと光る。

ずっと前にも、こんな情景を見ていたような気がする。

子供の頃、母親と旅をしていた時だろうか。

 

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俺は無意味に空を見上げる。

オレンジ色の陽を受けて、雲が流れていた。

なくしてしまったものの欠片が、夕闇の中に漂っている。

夜が来れば、それは痕跡も残さずに消えてしまうのだろう。


「この空の向こうには、翼を持った少女がいる。
それは、ずっと昔から。
そして、今、この時も。
同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている・・・」


言葉を口に出していた。

質問に答えるように、その続きが頭に浮かんだ。


   ・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

   ・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

   ・・・大人になれずに消えてゆく。

   ・・・そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す・・・

 


視線を地上に戻した。

何だろう、今のは?

忘れてしまう前に、頭の中でもう一度繰り返す。

 


『そこで少女は、ずっと同じ夢を見続けている』
『何度生まれたとしても、決して幸せにはなれない』
『彼女はいつでもひとりきりで』
『そして、少女のままその生を終える』
『そんな夢・・・』

 


意味を考えるには、あまりに抽象的すぎる。

夕暮れと観鈴の印象が重なり、そんな言葉になったのだろうか?

それとも・・・。

何かを思い出しかけている。

もっと大切な何かを。

鍵をかけられているように、頭の奥がきしむ。

何かが染み出してくる。

それは、悲しい予感だった。


「なあ・・・」


話しかけようとして、我に返った。

観鈴がいなかった。


観鈴っ・・・」


いた。

自販機に張りついていた。


「はぁ・・・」


溜息をつき、俺は走り寄る。


「あ、ごめんね。 新商品ないかなって。
あ、これ、前に飲んでおいしかった。 買ってかえろーっと」


財布を取り出し、中身を探り始める。

そんな観鈴の姿を見ていて俺は思う。


(わけがわからない夢の話なんて、こいつには似合わないよな・・・。 こう
いうことをしているときが、一番こいつらしくいい)


「ちょっと待ってね。 百円玉、なかったかなぁ」
「ああ、ゆっくりすればいい」


呑気に待ち続けることにした。

その俺の横で、観鈴はうなりながら延々と百円玉を探し続けた。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

 

 

・・・
俺はぼぅっとテレビを見ていた。

考え事をしなければならない。

観鈴の代わりに、俺が精一杯頭を使って考えるのだ。

けど、それは得意なことじゃなかった。

 

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「往人さん、トランプ」


風呂上がりの観鈴が寄ってきた。


「ト・ラ・ン・プ」
「それしかないのか、おまえは」
「うん。 だからトランプ」
「な、俺は今、なにをしてる」
「暇してる」
「テレビを見てるんだよ」


こういうやり取りも、日常的になってきた。


「何見てるの?」
「さぁ・・・」


実際よくわからない。

ずっと若い刑事が走り回っていた。


「退屈・・・」
「黙って、おまえも見ておけ」
「途中からじゃわけわかんない」
「最初から見ておけば良かったんだ」
「わたし、洗い物してたし・・・」
「そうか。 そら残念だな」
「トランプは?」
「これ終わったらな」
「夜遅くなっちゃうね」
「だな」
「眠くなる」
「明日があるだろ」
「うーん、そうだね・・・」


ようやく静かになる。

テレビの中の男が推理していた。


「謎は解けた! 犯人は・・・」


ぴしゅん・・・!

画面が消えた。


「犯人はだ~れだ」
「おまえだっ! おまえ以外、いないだろっ」
「正解。 消したのは観鈴ちん
「・・・・・・はぁ・・・観鈴ちんは困った奴だな」


俺は観鈴に向き直る。


「トランプしてくれるの?」
「ああ」
「うれしいな」


カードをケースから取り出すと、くりはじめる。


・・・。

 

どがーーーーーーーーーーーーーんっっ!!

 

「えっと、どうやってするんだよ・・・」
「うん、これはやり方難しいけどね、覚えるとすごくおもしろいよ」
「大変そうだな・・・」

 

どんどんどん・・・


がらっ!

 

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「帰ったで」
「おかえり。 早かったね。 もう少し早かったら、一緒にご飯食べられたの
に」
「かぁっ・・・」


観鈴に向かって顔をしかめる。


「あんた、呑気なもんやな・・・あれだけ心配させといて、自分は呑気にトラ
ンプで夜更かしかいな」


(・・・心配?)


言っていることの意味がわからなかった。


「おかげでこっちは、仕事がひとつふいになってしもた・・・。
はぁ・・・ほんま、観鈴ちゃんは困った子やで・・・」


ぱたぱた・・・

カードを並べはじめる観鈴


「ほら、あそぼ、往人さん」
「あ、ああ・・・」


「あかんあかん。 これからは大人の時間や。
子供は寝るんや」


「往人さん、わたしと眠たくなるまで遊んでくれるって・・・」
「そこまでは言ってないが・・・」

 

「居候は、毎晩うちと飲んでるんや。 な、居候」


ずずず・・・と晴子が顔を寄せてくる。


「今日はなんかうち、ムカついてるから、えらいことになってしまいそうや。
もう、スッポンポンになってしまいたい気分や~。
どない? 興味あるやろ?」
「恐ろしいぐらいに、ない」
「なんちゅー形容やねんっ!」


首を絞められる。


「く、苦しいだろっ」

 

「わーっ」


その騒動で、床に並べられていたトランプが無茶苦茶になっていた。


「はぁ・・・もういい。 わたし、寝る」


それを一枚ずつ拾ってから、観鈴は立ち上がる。


「おやすみ」


そのまま部屋から出ていった。


・・・。

 

 


「はぁ・・・」
「こら、酒臭い息を吐きかけるな」
「悪酔いしてるねん」
「見りゃわかる」
「気持ち悪いねん」
「なら、離れろ」


晴子はずっと、俺の襟元を絞めて、そして自分の顔を俺の額に押し当てていた


「あんたいくつや。 二十歳かそこらやろ」
「そんなもんだな」
「ほんなら、親の気持ちなんてわからへんねやろな」
「そうだな」
「うちもわからへん。 あんたとそないに歳、変わらへんさかいにな」
「あんたのさほど変わらないは、何十年かはしらないがな」
「ほんのちょっとやねん・・・」


ぎりぎり・・・


「絞めるなっ」
「はぁっ・・・あほらし」


俺を解放すると、その場にどっかりと座り込む。


「学校で癇癪起こすなんて、ここのところなかったんやで。
それもなー、誰かと遊んでたんやなくて、一人でいて泣き出したっていうねん


喋るたびに、甘ったるい酒の匂いが漂う。


「何があったんだ?」
「・・・あんた、あの子から聞いてへんの?」
「何も聞いてない」


俺が知る限り、今日の観鈴におかしなところはなかった。

堤防に寄らず、一人で家に帰ったことを除いては。


「また癇癪や。 学校で倒れたて、連絡入ったんや。
仕方あらへんから、うちがバイクで診療所に連れていって、そのまま家まで送
ってきたんや。
それからまたとんぼ返りや。 ええ迷惑やで、ほんま」
「・・・・・・」


全く気づかなかった。


「なんや、なんであんたが落ち込んでるねん」
「あいつのお目付役を頼んだのは、あんただろ?」


俺は観鈴の面倒を見ることを条件に、この家に厄介になっている。

それさえできないのなら、本当にただの居候だ。


「気にすることあらへん。 あんたにはもう無理や」


顔の前でひらひらと手を振る。


「あんたも見たやろ?
あの子は誰かと親しくなると、癇癪起こすんや。
あの子、あんたにべったりやからな。
癇癪止めるんはもうあんたには務まらへん」


その言葉で気づいた。

もしも観鈴が晴子のことを慕っているなら、ずっと一緒に暮らせるはずがない

観鈴は癇癪を起こし、晴子はそれを止められないだろう。

俺の考えを見通したように、晴子は言った。


「・・・うちはあの子に好かれてへんからなー、適任っちゅーわけや。
まったく、難儀な子やで」


自嘲するように笑う。


「はぁ・・・こんな不愉快な日は酒しかあらへん」
「もう飲んできたんだろ」
「付き合いやねん。 仕事のうちや。 飲もーっと」


ふらふらち立ち上がる。

俺は放っておくことにした。

 

・・・。

 

・・・・・・。

 

 

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・・・

晴子は寝てしまったのだろうか。

それとも、ひとりで飲んでいる時は静かなだけか。

消灯してしまうと、虫の音と扇風機の低いうなり以外、物音をしなくなった。

青白い月明かりを伸ばしきった脚に受けて、俺はひとり考える。

 


・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

・・・大人になれずに消えてゆく。

・・・そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す。

 


思い出したばかりの言葉。

いつ聞かされたのかさえ分からない。

それは最初からあったかのように、俺の中に根を張っていた。

同じ夢を見続けている少女。

空にいる少女・・・。

空の夢を見続けていると、観鈴は言った。

俺と会う前、観鈴はひとりきりだった。

観鈴はいつでも子供のような奴だ。

 

そして。

観鈴の姿が、不意に消えてしまうように見えることがあった。

まるで空に溶け込むように。


「・・・・・・」


単なる偶然とは、どうしても思えなかった。

そして、最後の文句。


――『そんな悲しい夢を、彼女は何度でも繰り返す』


それは、観鈴が夢を見続けるということなのだろうか?

悲しい夢。

観鈴は言っていた。


――『どうして、わたし・・・空のわたしはあんな悲しい思いをしているのかな』


空にいる少女と、観鈴

それは同じものなのかもしれない。

空にいる少女の夢を、観鈴は見続けている。

そして、空にいる少女が見ている夢が、観鈴なのだとしたら。


――『観鈴はいつもひとりきりで、大人になれずに消えていく・・・』


浮かんできた言葉を、すぐにうち消した。

そんなはずはない。

あいつはひとりきりじゃない。

晴子だって、俺だって近くにいる。

あいつはいつだって笑っている。

こっちまで釣られて笑い出すぐらいに。


「・・・・・・」


俺は目を閉じる。

疲れているのだろう。

瞼は熱く、じわりと涙がにじんだ。

 

・・・

 

 

 

 

7月25日(火)

 


いつもの朝。

いつもの登校風景。

 

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「夏休みの登校って、少し寂しいね」
「うん?」
「だって、他に登校してるひと、いないから」
「そうだな・・・」
「ね・・・」


観鈴が俺の顔を見ていた。


「ん、どうした」
「ジュース、買ってもいいかな」
「あ、ああ。 好きにしろ」
「すごくノドかわいたー」


堤防から飛び降りて、自販機まで駆けていった。

 

――ずっと、探して歩いて・・・俺はここまでやってきた。


ちゅーちゅー・・・


気づくと、堤防の下で観鈴がジュースを飲みながら俺のことを見上げていた。


「なにか考えごとしてる?」


ストローから口を離して訊く。


「ん? ああ・・・」


――俺はずっとおまえを探していたのかもしれない。

――ずっと、ひたすら俺が探していたもの。


それが手を伸ばせば届く場所にあるような・・・そんな気がした。


観鈴


俺は観鈴に向けて手を伸ばしてみる。


「ん? 手?」


ぽん、と観鈴が俺の手に自分の手を当てた。

俺はそれを握る。

届いた。

こんなところにあった。

俺はそのまま堤防の上に引き上げる。


「わっ・・・と」


浜のほうに落ちそうになったところを、俺が支える。

小さな体。

暑さのためか、めまいがした。

俺は観鈴の体を離した。


「体は・・・大丈夫か」
「うん、ぜんぜん平気。
わたし、元気なのが取りえだから」


言って、潮風に向かって伸びをする。


「だよな。
おまえから元気とったら、何も残らないもいんな」
「それってひどいと思う」
「冗談だ」
「往人さんは・・・少し元気ない?」
「いや、元気だぞ。
いつだって、腹さえ減ってなかったら、元気なんだ」
「往人さんらしい・・・にはは」

 
俺たちは、それぞれの方向を向いた。


「ね、往人さん。
もしかして・・・またこの町、出ようとか考えてるかな」
「そうだな・・・近いうちにそうなるかもしれない。
そもそも、長居し過ぎた。
一ヵ所に腰を落ち着かせるのは好きじゃないんだ」
「それは慣れてないからだと思うな。
ずっといたらわかるよ。ここ、すごくいい町」
「ああ。 おまえみたいな呑気な奴にはぴったりの町だな」
「往人さんには物足りない?」
「そうだな」
「往人さん、いろんなところ旅してきて、いろんなこと経験してきてるんだろうし、・・・物足りないかなぁ。
でも・・・わたしはずっとひとりだったから、すごく楽しいよ」
「どうして。
いるだろ、友達のひとりやふたり」
「ううん、いないよ。
だって、わたし・・・ヘンな子だから。
往人さんも、知ってるよね。
友達になれそうになると、わたし癇癪起こして、泣き出しちゃうの・・・。
どうしてかわからないけど・・・小さい時からずっと。
そんなだから、みんな、わたしから離れてゆくの」


淡々と喋る観鈴は、全てを諦め、受け入れているように見えた。


「そうか・・・」
「うん」
「でも・・・それでも、おまえはひとりじゃない。 晴子がいる」
「お母さん?
お母さんはね、本当のお母さんじゃないから」
「え・・・?」


俺は振り返り、観鈴の顔を見た。


観鈴は、じっと海の向こう、水平線を見つめていた。

 

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「お母さんは・・・晴子さんは、本当は叔母さん。
わたしがヘンな子だから、押しつけられたの。
・・・すごくつらかった。
だって、押しつけられたほうに、わたしは迷惑かけるんだもの。
晴子叔母さんは嫌がったけど・・・。
結局わたしはここで暮らすことになった。
でも、晴子さんには自分の生活があったから・・・。
ひとつ屋根の下だけど、別々に暮らしてるの。
わたし、本当に邪魔者だから・・・。
ずっと晴子叔母さんにも、迷惑かけ続けている。
だから、何も言わない。 贅沢とか・・・。
迷惑かけないように、ひとりで遊んでたの。
ひとりでヘンなジュース探したり、トランプして。
にはは」
「・・・・・・」


俺は吹き出す汗を拭いもせず、立ち尽くしていた。

観鈴の背中には空が見える。

 

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いつだって遠かった空。


「な・・・観鈴
おまえは、この空にいるんだろ、今も・・・」


言ってしまっていた。

それが何を意味するのか、自分でもわからないまま。


「だったら・・・。
だったら、往人さんはどうする?
わたしと・・・友達になってくれるのかな」


照れたように笑う観鈴

風が吹いた。

チャイムが鳴り渡る。


「あ、いかないとっ・・・。 じゃあね、往人さん。
あ、これ持っていったらダメなんだ・・・はい」


寄ってきて、飲みかけのジュースを俺に手渡す。


「お昼一緒に食べようねー」


堤防から飛び降りて、駆けていった。

見上げれば、青い空。

それは、ずっとずっと遠い日から。

 

・・・そこで少女は、同じ夢を見続けている。

・・・彼女はいつでもひとりきりで・・・

・・・そして、決して大人にはなれない・・・

・・・そんな悲しい夢を、彼女は何度でも繰り返す・・・

 

 

 

・・・・・・。


いつもの夏の日だった。

午前中は堤防に寝転がり、日射しにじりじりと焼かれていた。

それから観鈴と家に帰り、昼飯を食べた。

午後からは人形芸。

昼下がりの商店街に、人通りはない。

人形もうまく動こうとしない。

考えるべきことが、俺には多すぎた。

 

そして・・・。

 

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・・・

気がついたら、夕焼けだった。

人形をポケットにしまい、俺は立ち上がった。

もうずっと昔から、ここでこうしているような気がした。

 


・・・。


・・・・・・。

 

夕食時。

俺はまだ考えていた。

ひとつだけ・・・。

ひとつだけ、観鈴に聞こう。

そうすれば、俺なりに答えを見つけられそうな気がする。


「食べ終わったら、散歩に行かないか?」
「ん? 散歩?」
「いや、おまえに行く気があるんならだけどな」
「・・・・・・」


箸を置いて、俺のことをまじまじと見る。

 

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「往人さんから誘ってくれるなんて、すごく意外」


観鈴は笑った。

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

 

「ホタルいないかな、ホタル。
お尻がぴかって光ってて、かわいいホタル。
往人さんは、ホタルとは友達じゃないのかなー」


はしゃぎながら、歩いてゆく。


「・・・・・・」


その後を俺はゆっくりと歩く。


「な、観鈴


呼びかける。

 

 

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「ひとつだけ、思い出してほしい」
「いいよ。 なにかな」


俺のほうに向き直る。


「えっとだな・・・その・・・」


こいつの無邪気な顔を見つめてだと、いいづらい・・・。

俺は顔を背ける。

その先には、堤防。

さらにその向こうには海が広がっているのだろう、波音が聞こえた。


「明日は海にこようか」


俺は別のことを言ってしまっていた。


「ほんとっ?」


目の色を変えて、腕を掴んでくる。

ますます顔が近くなった。


「あ、ああ・・・そういうのもいいかと思ってさ・・・」
「うんうん、すごくいい」


思い出せば初めて出会ったときも、こいつは浜で遊びたいと俺を誘ったのだ。

よっぽど嬉しいのだろう、跳ねるように駆けていった。

楽しみをひとつ作れた。

その代わりに、思い出してほしい。


「な、観鈴
夢の中のおまえには・・・翼があるか?」


俺は訊いていた。


「翼・・・?」


観鈴が振り返る。


「夢の中で、おまえは空を飛んでるんだろ?」
「あ、そうだね」


今気づいたように、つぶやく。


「でも、自分に翼があるかなんて、考えたことないよ」
「そっか・・・もういい」
「うん・・・。
でもどうして、そんなこと聞いたのかな」
「いや、なんでもない・・・」
「往人さん?」
「・・・・・・」
「ん? 何か考え事してるのかな?」
「あ、ああ・・・」


観鈴の声に俺は呼び戻される。


「いこうな、明日・・・海」
「うん」
「じゃあ、今日はもう帰るか」
「そうだね、はぁっ」


観鈴は大きく息を吸い込んで、吐いた。


「明日、楽しみ」


にっこりと笑った。

 


・・・。

 

 

 

7月26日(水)

 


静けさで目覚めた。

いつもの神尾家の茶の間。

蝉の声と、扇風機が回る音。

それ以外に物音がしない。

いつもなら、もうとっくに観鈴が起きている時間だった。

雲の上で寝返りを打つ。

背筋の辺りに、何か重いものが佇んでいるような気がした。

 

俺は起きあがり、爪先立ちで伸びをした。

 


・・・

観鈴の部屋の前に来た。


観鈴、入るぞ」

 

引き戸を開け、中に入った。

観鈴は両足をベッドの上に投げ出して、手でさすっていた。

 

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「どうしたのかなー。 なかなか元に戻らないなー」

「・・・どうしたんだ?」
「足が痺れたみたいになってる、んー・・・」


自分の足を不思議そうに眺める。


「昨日、歩きすぎたんだろ」
「そんなことないと思う。
この頃、朝はだいたいこんな感じだから。
前からたまにあったけど、いつもはすぐに治るの」
「ただの低血圧なんじゃないのか?」
「にはは。 そうかも」


また足をさする。


「・・・・・・」
「ん? なにか言った?」
「・・・いや」
「お腹すいたのかな?
朝ごはん、ちょっと待っててね。
すぐ歩けるようになると思うから」
「朝飯はいいから、寝てろ」
「でも、学校はいかないと。 それまでにはよくなるかな」
「・・・無理すんなよな」
「わたしね、遅刻は多いけど、欠席はしないんだよ」
「そらいい子だな」
「うん、ちょっといい子。 だからね、がんばって行く」
「そっか・・・すぐによくなるさ」
「うん、よくなるよ」

 

・・・・・・。

 

ちこちこと時計の針の音だけがする。

観鈴は黙って、足を揉んだりしていた。

その横顔には焦りの色が見える。

そろそろ事態の悪さに気づき始めたようだ。


「どうする。 病院いくか」
「ううん、だいじょうぶ。 もう少し、休ませてね」

 


・・・。


結局、授業が始まる時間になっても、観鈴の足はよくならなかった。


「うーん・・・授業始まっちゃった」
「もう気にするな。 行ける状況じゃない」
「そうだね・・・残念」
「一日ぐらい行かなくても、大して変わらないだろ。
今日は寝てろ」
「でも、お昼ご飯・・・」
「その辺のもの勝手に食べるから、心配するな」
「そうしてくれると、嬉しい」


パジャマの胸元に視線を落としながら、少し不安げに言う。


「本当は、ちょっと食欲ないかも」
「夏風邪だろ。 変なジュースばかり飲むからだ」
「それは関係ないと思う」
「じゃあな。 大人しくしてろよ」

 

 

・・・

俺は部屋を後にした。


台所に行き、水を一杯飲んだ。


「ふぅ・・・」


溜息をつく。

身体の芯が妙に疲れている。

 

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「イッター・・・」


晴子が現れた。


「頭いたいわ・・・どいてや」


俺をおしのけていく。

台所へ入ると、冷蔵庫から牛乳のパックを取り出し、それを口飲みし始める。

相変わらず呑気な母親だった。


「頭、ごっつイタイわ。 久々やわ、二日酔いやなんて。
でも、仕事やー。
一家の生計立てるために、頑張らんとな。 貧乏暇ナシや」
「・・・・・・」
「なんやねん」


その顔がこっちに向く。


観鈴を看てやってくれ」
「ん? どないしたん、あの子」
「具合が悪いんだ」
「はは・・・あれやな。 落ちてるものでも拾うて食うたんやろ。
小さいときも、かりんとうと間違えて、ヘンなもの食べそうになった子や。
口に入れる直前で叩き落としたったから無事やったけどなー。
あの子、ほんまにそそっかしいわ」


朝食をその牛乳だけで済ませて、居間まで戻ってくる。


「そしたら、うち昼まで寝るから、後よろしくな」
「顔ぐらいだしてやれよ」
「頭痛いねん、うち。
病人がふたり顔を突き合わせても、気が滅入るだけやろ?
それに、あの子もいまさらそんなんで元気でぇへん。
あんたがそばにおったったら、それでええやろ。
ほな、おやすみ」


その姿が廊下に消えた。


「・・・・・・」


晴子が残していった一言が、頭の中に引っかかっている。


――『あんたがそばにおったったら、それでええやろ』


拳を握りしめている自分に気づいた。

俺は何を苛立っている?

何を動揺している?

観鈴の姿を思い返す。

ただの夏風邪だ。

少し休めば、すぐに元通りになる。

その裏で、予感が頭をもたげる。

格子がついた窓の外で、梢が揺れている。

その向こうに編みこまれた、青空。

夏は続いてゆく。

今までずっと、そうだったように。

悲しみの気配なんて、どこにもありはしないのに。

 

・・・。

 

観鈴は上体を起こし、膝の上でトランプを始めていた。

 

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「トランプ、トランプっ」
「おまえさ、休んだんだからって遊んでないで、少しは寝たらどうなんだ」
「一日中、遊んでられる。 うれしい」
「だったら、休んだ意味がないだろ?」
「だって、眠りたくないもん・・・」


札を集める手を止め、ぽつりと言った。


「どうしてだよ」
「今朝の夢、ヘンだったから」
「空の夢じゃなかったのか?」
「ううん」


顔が曇る。


「空の夢だったけど・・・。 いままでと全然違った」


何かを思い出したかのように、観鈴の瞳が震えた。


「ぽっかりと月が浮かんでて、すごく明るかった。
わたし、空に昇ろうとしてた。
体中がずきずき痛くて動かないのに、ずっと高くまで昇ろうとしてた。
そうしたら・・・声が聞こえてきたの」
「声?」
「たくさんの人の声。
わたし、それでわかった。
みんなが、わたしを閉じ込めようとしてるって。
耳の中がわんわん鳴って、それ以上昇れなくなって、それで・・・」


その先は、何も言わなかった。

今まで聞いていた空の夢とは、似ても似つかないものだった。

話し終えても、観鈴はまだ不安げだった。

まるで、今にもその『声』が聞こえてくるかのように。


「もう、見たくないな・・・」
「ただの夢だろ。 気にするな」


頭にぽんと手を載せてやる。


「うん。 それじゃ、気にしないね」
「ああ。 しっかり安め」
「うん」


頷きながら、トランプに手を伸ばす。


「おまえなあ・・・」


観鈴がトランプを並べる音だけが聞こえてくる。

俺はどうすればいいか、それだけを考え続けた。

 

 

 

・・・。


・・・・・・・。


どのぐらい経っただろう。

全く物音がしないのに気づいた。

観鈴の方を見た。

膝の上にトランプを広げたまま、すうすうと寝息を立てていた。

夢を見ているのだろうか?

最初は空の夢。

それが悲しい空であることに、観鈴は気づいた。

そして今朝、夢が変わった。

観鈴は以前、夢は時間を遡っていると言った。

夢が突然変わったことは、何を意味しているのだろう?

次に観鈴は、どんな夢を見るのだろう?


「・・・・・・」


観鈴の頭ががくりと動いた。

起きてしまったらしい。

きょろきょろと辺りを見回し、俺を見つける。


「・・・わたし、寝てたんだ」
「夢、見なかったか」


起き抜けの瞳で俺を覗く。


「うん・・・見なかった」
「そうか」


答えると、観鈴は大きく伸びをした。


「よし、と」


てきぱきとカードを片づけ始める。


「往人さん、ヒマ・・・だよね?」
「ん? なんかあるのか?」
「うん。 海行こうと思って」
「そっか。 そうだったな」


それは約束していたことだった。

しかし今日の観鈴の体で、いけるのだろうか。


「浜辺で遊ぶの。
砂を掘ったり、波から逃げたりしながら」
「俺も・・・か?」
「いいよ、往人さん見ていてくれるだけでも」
「いや、いいよ。 約束だからな」

 

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「ほんと? うれしい」


満面の笑顔。

久々に見た気がする。

こいつはこうして何も考えず笑っているのが、一番可愛い。

ずっと、その笑みを見ていたいと思った。


「でもな・・・」
「うん?」
「今日じゃないほうがいいと思うんだ」


今の観鈴に無理をさせたくなかった。


「え?」
「おまえ、まだ具合悪いだろ。 良くなってからにしよう」
「うーん・・・」
「おまえ、楽しいことが待ってたら、頑張れるんだろ?」
「うん・・・そだね。 じゃ、明日いこうね」
「ああ。 そうなるように、頑張れ」
「うん」

 

・・・

観鈴が笑っていたのは、その話をしていた時だけだった。

結局は、観鈴はベッドに入ったきりで・・・。

なにひとつ、変わったことなどなかった。

 

 

 


・・・。


・・・・・・。

 

 

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しんと静まり返る家。

晴子がいれば、まだ賑やかなのだろうが。

当然、夕食をつくる人間はいない。

一応、観鈴に訊いたが、食欲がないと答えた。

食欲がないのは、俺も同じだった。

俺の中に巣くってしまった予感をうち消す方法、それだけを探していた。

 

・・・。

 

日付が変わった頃、晴子が帰ってきた。

案の定、千鳥足で居間に現れた。

この女は、本当に酒が入るとダメになる。

それがようやくわかってきた。



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「ほら、土産や」


手には寿司折。


「今から飲みながら食うで~。
ん・・・観鈴ちんは、もう寝てしもたんか。
しゃあない。 ふたりで食うで。 皿出しや~」
「ひとりで食ってくれ」
「なんや、つきあい悪いやんか。
一緒に食おうや。 おいしいんやで、ここの寿司」
「食わない」
「・・・・・・。
なんで、そないなこと言うねん。
ひとりより、ふたりで食べたほうがおいしいやん。
お酒飲みながら、つつこ、な」
「・・・・・・」


ここにいたら、俺は何を言い出すかわからない。

この女に何を言ってしまうかわからなかった。


「な、うち今夜は機嫌えーねん。 楽しい夜になるでっ」


手を握られる。

俺はそれを振りほどく。


「あ・・・ショックや。 今、ごっつ傷ついたわ・・・」
「な・・・どうして、引き取ったんだよ」
「なにがや」
「どうして、観鈴を引き取ってしまったんだよ」
「なんや・・・あの子、話してたんかいな。
引き取ったんやない、押しつけられたんや。
嫌や、言うてんけどなー」
「そのせいで、あいつはあんたに甘えられないんだろっ!!」


一喝していた。


「・・・・・・うちなんかに・・・甘えたいわけあらへん、あの子が。
うち、ほんまの親やないから」
「そんなの関係ないだろ・・・。
あいつにとっての、親はあの日から、あんたひとりだけなんだよ。
自覚しろ・・・あんたが観鈴のただひとりの母親なんだよ」
「はぁ・・・」


晴子はため息をついて、頭を掻いた。


「んなこと今さら自覚持てるかいな・・・。
あの日から何年経ってる思うんや。
もう時間が経ちすぎとる。
なにも取り返すことなんて、できへんのや」


台所へと消えていった。

これ以上、言うこともなかったから、追わなかった。


「・・・・・・」


俺は居場所を失って、部屋を後にした。

狭いはずの廊下が、嫌にがらんと感じられた。


「・・・・・・」


頭を冷やして来ようと思った。

俺は玄関に行き、靴を履いた。

 

 

・・・。

 

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気づかれないよう、玄関の戸をそっと閉める。

田舎町の深夜では、人通りもない。

夜気は熱くよどんでいる。

家の中の方が、涼しいぐらいだった。

 


・・・


・・・・・・


あてもなく歩くと、海沿いに出た。

そのまま進む。

 


・・・


・・・・・・

 

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・・・

 

結局、着いたのはここだった。

堤防への階段を登り、どっかりと腰を下ろした。

波の音がした。

海の手前が砂浜になっている。

幾重にも打ち寄せる波が、しゅわしゅわと砂に吸い込まれる。

神尾家のことを思い出してみた。

海辺の町の、小さな一軒家。

子供の頃から、俺は母親と旅をしていた。

家族の温かさが染み込んだような、家での暮らしに憧れていた。

だが、あそこにあるのは、くたびれた生活の匂いだけだった。

観鈴と晴子は、ああやって暮らしてきたのだ。

お互いの隙間をじっと保ったまま。


・・・。


目を閉じて、波音に聞き入る。

何度でも、それは繰り返す。

頭の奥に耳を澄ます。

言葉が浮かびあがる。


――『海に行きたい・・・』


それは、観鈴の声ではなかった。

子供の頃に聞いた、なつかしい声。

 

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――『・・・海に行きたいって、その子は言ったの』

――『でも、連れていってあげられなかった』

――『やりたいことがたくさんあったの』

――『でもなにひとつ、してあげられなかった』

――『夏はまだ、はじまったばかりなのに・・・』

――『知っていたのに、わたしはなにもできなかった』

――『誰よりもその子の側にいたのに、救えなかった・・・』

 

 

一言一言、ていねいに語る声。

 


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく』

――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

 


わからない言葉もあった。

でも俺は、一生懸命に話を聞いた。

大事なことを伝えようとしているのは、わかっていたからだ。

 


――『最初は、だんだん身体が動かなくなる』

――『それから、あるはずのない痛みを感じるようになる』

――『そして・・・』

――『女の子は、全てを忘れていく』

――『いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる』

――『そして、最後の夢を見終わった朝・・・』

――『女の子は、死んでしまうの』

 

 

そこで一度、言葉が途切れた。

こみ上げてくるものを、必死で抑えているようだった。

 


――『友達が近づくだけで、その子は苦しがる』

――『だからその子は、ずっとひとりぼっち』

――『二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう』

――『二人とも助からない』

――『だから、その子は言ってくれたの』

――『わたしから離れて、って』

――『やさしくて、とても強い子だったの』

――『だから・・・』

――『往人。 今度こそ、あなたが救ってほしいの』

――『その子を救えるのは、あなただけなのだから』

 

 

・・・。


我に返った。

少しの間、眠っていたらしかった。


(夢・・・だったのか?)


語っていたのは、俺の母親だった。

確かに覚えている。

俺は母と、今の会話を交わしたことがある。

ただ、それがいつだったのか、どうしても思い出せない。

ずっと昔のようでも、ごく最近のことのようでもあった。

 


――『女の子は、夢を見るの』

――『最初は、空の夢』

――『夢はだんだん、昔へと遡っていく・・・』

 

 

そう言えば、観鈴は言っていた。

自分が見る空の夢は、時間を遡っている。

空気の流れや風の匂いでわかる、と。


(・・・まるで、観鈴みたいだな)


ぼんやりと考えた、その瞬間だった。

頭に亀裂が走ったように感じた。

問題は、次の言葉だった。

 


――『その夢が、女の子を蝕んでいくの』

――『最初は、だんだん身体が動かなくなる・・・』

 


今朝確かに、観鈴は言っていた。

足が痺れたみたいになってる、と。

もしも・・・。

もしも母の言葉が、本当に観鈴のことを言っているとするなら。

その次に来るのは・・・。

 

 

――『それから、あるはずのない痛みを感じるようになる』

――『そして・・・女の子は、全てを忘れていく』

――『いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる』

――『そして、最後の夢を見終わった朝・・・』

――『女の子は、死んでしまう』

 

 

・・・。

 

 

「・・・・・・」


違う。

そんなことはありえない。

母が話していたのは、空にいる少女のことのはずだ。

俺の母親が、観鈴のことを知っていたはずはない。

だが、偶然とは思えないほど、その言葉は今の観鈴と一致している。

まるで、外れようのない予言を辿るように。


「・・・どういうことだ?」


誰もいない闇に、俺はそう問いかけていた。

必死で記憶をたぐり寄せる。

なぜ俺はこんなことを覚えているんだ?

なぜ母は、こんな話を俺にしたんだ?

確かに、母はこう言っていた。

 


――『往人。 今度こそ、あなたが救ってほしいの』

――『その子を救えるのは、あなただけなのだから』

 

 

・・・
眼差しや息づかいまで、今でもはっきりと思い出せる。

ただ、どうやったら救うことができるのか、全くわからなかった。

俺は立ち上がり、暗闇の先を見つめた。

波音は続いていた。

そこにあるはずの海。

この町ではあまりにも近すぎて、誰も気にかけたりしない。

 


――『・・・海に行きたいって、その子は言ったの』

――『でも、連れていってあげられなかった』

 

 

観鈴を海まで連れてくる。

それは簡単なことのはずだった。

 

・・・

 

AIR【6】

 

7月23日(日)

 


――「おはよーっ」


大量の洗濯物が、寝ぼけ眼をこする俺に向けて、挨拶をした。

それはそのままぱたぱたと駆けていった。

・・・観鈴だった。


(そういえば、今日は日曜だったな・・・)


一週間、溜まりに溜まった洗濯物を朝のうちに片づけてしまうつもりなのだろ
う。

 

観鈴は手ぶらになって戻ってくる。

 

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「往人さんの服も洗う。 脱いでほしい」
「俺のはいい」
「くさくなってるよ」
「風呂入ってるんだ。 大丈夫だろ」
「いっしょに洗うから脱いでほしいな」
「じゃ、Tシャツだけな・・・」


俺は上半身裸になる。


「ほら」


脱ぎたてのTシャツを手渡す。


「往人さんって、けっこう筋肉あるね」
「そうか・・・?」
「こうやってみて、こう」


ボディビルダーの真似事をさせられる。


「かっこいい」
「マジか・・・」
「マジマジ。
あ、洗濯機、もう回してたんだ。 じゃ、洗ってくるね」


忙しく、出ていった。

ひとり残される俺。

もう一度、ボディビルダーのポーズをグッと決めてみる。


(イケてるのか・・・?)


「ふんっ」

 

 

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「おのれは変態かっ」


晴子にばっちり見つかる。


「あんたはひとりの時、そんなことして暇つぶしとるんか。 やっばい奴やで
・・・」


観鈴に填められた気がする。


「ま、軟弱な男よりはマシか・・・。
でも、男の名前の雑誌とか買うたりしとったら最悪やん・・・こわっ」


よくわからないが、酷い言われようをしているようだ。


「早いんだな、今朝は」


話を変えてやる。


「早い? なに言うとんねん。
うちは早いことあらへん。 あんたらが遅いだけやろ」


時計を見る。

 

もうすぐ昼だった。


日曜だから、観鈴もゆっくり寝ていたのだろう。

俺も起こされるまで、目覚めなかったようだった。


(そういえば・・・)


この家で休日を迎えるのは初めてだった。

神尾家の休日。

少し新鮮だった。


「じゃあ、今日の昼はあんたが作るのか」


あまり料理が上手そうに見えなかった。


「なんでうちがそんな暇あるねん。 今から仕事や」
「日曜も出勤なのか?」
「そういうん関係あらへん。
暇になったら、平日でも休みになるけど、今は忙しい時期なんや」
「そら大変なこったな」
「ただ飯、食ろてる奴とは違うねん。
ええな、あんたは。
自分の裸見てるだけでも飯食えるんやからなー」
「とっとと稼いで、出ていってやるよ」
「せやな。 はよ、そうしてくれるとありがたいわ。
と・・・あんま時間あらへんのやった。 支度せな」

 

・・・
出ていった。

確かに、と俺は思う。

女手ひとつで生活していて、食費が倍になんてなったら、たまらないだろう。


(そろそろ還元しないとな・・・)


庭では、洗い立ての洗濯物を観鈴が物干しに並べていた。


観鈴、俺のTシャツをくれ」
「え? まだ濡れてるよ」
「構わない。 外を歩いていればすぐに乾く」
「出かけるの?」
「ああ」
「でも、今すぐは着れないよ。 ちょっとむり。
私の貸そうか? 胸にね、ステゴザウルスがプリントされてるの。
かわいい」
「・・・・・・」
「ね、どうする?」


・・・敢えて、着てみるか。


「ステゴTシャツ・・・貸してくれ」
「うん。持ってくるねー」


・・・・・・。


「はい」


観鈴は俺にTシャツを渡すと、また庭に出てゆく。


さっそく着て、自分の姿を鏡に映しだしてみる。


「・・・・・・ステゴザウルス・・・がお、がお・・・」


なんと俺は、こういった可愛いものが似合わない顔をしているのだろう・・・


(首から上と下が、あまりに不釣り合いだぞ・・・)


ちょっと笑顔を作ってみる。


「にかっ・・・」


・・・ブルーになる。


・・・だが、敢えて今日一日は着てみよう。


(ま、濡れたTシャツよりはマシだよな・・・)


「往人さん、どうだった?」


洗濯物を干し終えた観鈴が戻ってくる。


「わ、意外と自然」
「ほんとかよ・・・」
「似合ってる。 往人さん、かわいい」
「脱ぐ」
「わ・・・ダメっ。 それで今日は過ごすの」
「・・・・・・わかったよ」
「・・・にはは。 かわいいなー」
「脱ぐ」
「かわいくない、かわいくないっ。カッコイイ」
「・・・・・・」
「・・・ステゴザウルス、がおがお」
「脱ぐ」
「がおがおしてないよっ。がおがおしてないっ」
「がおがおしてるじゃないか・・・思いっきり・・・。
はぁ・・・もうどうでもいい、出かけてくる」
「お昼食べてからにすればいいのに」
「今日の昼はな・・・」


俺は観鈴へ向き直る。


「俺のおごりだ」
「え・・・?」


ぽかん、と口を開く観鈴


「待ってろ。 なんか買って帰ってくるから」
「そんなことしなくていいのに・・・」
「いままでただ飯食ってきたんだからな、それぐらいさせてくれ。
じゃないと、俺がへこむ」
「うん、わかった・・・。 じゃ、いってらっしゃい」
「ああ。行ってくる。 ラーメンセットを目指して」

 


家を後にした。

 


(一時間のうちぐらいに昼飯代を稼がなければ、観鈴にも迷惑かけることにな
るな・・・)

 

 

 

 

・・・


・・・・・・


俺は堤防の上で、肩を落として座っていた。

未だポケットの中身はからっぽだった。


(結局、こうかよ・・・)


もしかしたら、俺の力が不思議すぎてついてこれないのかもしれない。

楽しいと思う前に、あまりにすごすぎるというか・・・。


(恐るべし、俺の力・・・)


取っつきがいいようにするにはどうすればいいだろうか。

何か、もっとありふれた原理で動いていることを指す張り紙をする、なんての
はどうだろうか。

ちょうど、目の前を手提げ鞄を掲げた子供が通りすぎていくところだった。


「おい、おまえ」
「ん?」


太陽に目を細めた顔がこっちに向く。


「お兄ちゃんに紙とペン、貸してくれないか」
「貸すだけ?」
「そう。借りるだけだ」
「うん、いいよ」


ごそごそと鞄の中を探り始める。

さて、なんて説明書きすれば、人形は自然に見られるだろうか・・・。


「宇宙からやってきた生き物です・・・と。
後はセロテープとかないかな。 くっつけるための・・・」
「のりならあるよ」
「オッケー。 素晴らしい」


借りたのりで紙を人形に貼り付ける。


「サンキュな」


のりと筆記用具を返すと、子供は急ぎ足でその場を立ち去った。


「友達と夏休みの宿題かな・・・」


その背を見送る。


「往人さんっ」

 

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目の前に観鈴がいた。

今度は遠くなく、すぐ近くに。


「ん、どうした」
「うまくいってるかなって」
「あ、そうか・・・」


待たせていたんだった。


「悪い。もう、先食っていていいぞ」
「うん? うまくいってない?」
「ああ。だから、おごるのは夕飯になりそうだ」
「じゃ、帰ってお昼ご飯食べよ」
「いや・・・俺は自分の手で稼いで食べる」
「じゃ、わたしも付き合おうかな」
「馬鹿。 俺を待ってたら、いつになるかわからないぞ」
「いいよ。 今日、暇だし」
「そういう問題じゃないだろ」


言うこともきかず、観鈴は堤防に上って、俺の隣に座る。


「子供、こないね」


別にここで待っているわけじゃなかったんだがな・・・。

だが、この場所に来ない、というわけでもないだろう。

しばらく、堤防の上で観客の訪れを待ってみた。


「夢を見るの」
「・・・ん・・・なんか言ったか」


風の音に紛れてよく聞こえなかった。


「夢を見るの」
「そら見るだろう。 俺も見る」
「不思議な夢」


興味のない話だった。

他人の夢の話ほど退屈なものはない。


「空の夢」


俺はその言葉に反応して、観鈴の顔を見る。

観鈴は空を見上げていた。


「・・・・・・」


俺も同じように見上げた。

 

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「自分は空にいるの。
そこは見たこともない世界。
だって、こうしていれば、ほら・・・自分の上に雲はある。
なのにそこでは、自分の足の下に雲が張り詰めてる。
雲の隙間からは、海の青が見える。
でも、そこまでがどれくらいあるのかもわからない。
どこも、無限に広がってる。
そしてその空では、雲は逆に流れてる。
消えた場所から雲は生まれて、生まれた場所に消えてゆく・・・。
その繰り返しをじっと見ながら、わたしは風を受けている。
そんな夢」


観鈴が俺を見た。

俺は手を伸ばそうとしていた。

観鈴が空に溶けていってしまう、そんな気がしたからだ。


「おまえは・・・」


俺はじっと、観鈴の顔を見つめる。


「おまえは・・・誰なんだ」
「わたし? わたし、神尾観鈴
「違う・・・その夢の中でだ」
「それはやっぱり・・・わたしだと思う。
もうひとりのわたし」


俺は再び、学校のほうを向く。


「そうだな。その通りだな・・・。
だから、おまえ、空に想いを馳せてるのか」
「うん・・・。
どうして、わたしはそんな場所にいるのかなって」


言って、観鈴は笑った。


「・・・・・・」
「お腹、大丈夫?」
「ん、どうして」
「さっきからぐーぐー言ってるよ」
「ああ、そうか・・・腹減ったな」
「でも、まだ稼げてないよね」
「そうだな・・・一銭もねぇ」


俺は堤防から飛び降りる。


「おまえ、やっぱ戻ってろ」
「ご飯は?」
「俺はどうにか自分で食う。 お前は先に食ってろ」
「わたしも付き合うよ」
「ひとりになりたいんだ。 そうさせてくれ」
「うーん・・・わかった」


そこまで言って、観鈴は頷いた。


「じゃあな」
「ばいばい」


堤防の上に観鈴をひとり残して、俺はその場を後にした。


・・・


・・・・・・


じりじりと焼かれる地面。

それとは無縁のように、頭上には青い空がある。

俺は目を細めて、見上げる。

何を考えなければならなかったか。

・・・そう、夢についてだ。

観鈴が見たという、空の夢。

今なら、彼女が受けた風までも肌に感じることができる。

それほど、観鈴の語った夢は現実味を帯びていた。

握っていた手を開く。

指の先まで汗で濡れていた。

彼女の見た夢は、俺の想像していた光景と同じだった。

それは、幼い日から俺が描いていた絵だった。

そこに少女がいると聞かされたときから生まれた情景。

その澄んだ空気の向こうに、描いた夢。

彼女はひとりきり、どこまでも続く雲の地面を見ていた。

それを思うと、ただ胸が痛くなって、俺はうつむいた。

俺も幼心にわかっていた。

 

 

彼女の悲しみを。

 

 


――神尾観鈴


海辺の町で、偶然に出会った少女。

なぜだかわからない。

その声やたたずまいを、なつかしいと感じている自分がいた。

 

 

 

ぐぅ~・・・


腹が鳴った。


「はぁ・・・こんな時でも生理現象は抑えられないんだな・・・」


俺は現実に目を向ける。

とにかく今は、金を稼がなければいけないようだった。

でないと、また行き倒れになる。

取りあえず場所を変えることにした。

俺は観鈴マップを取り出す。

 

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「・・・・・・」

 

いつの間にか変わっている・・・。

俺を驚かそうと、寝ている隙に、ポケットに突っ込んでいるのだろう。

でも、ようやく地図らしいものになってきていた。


(・・・遠近感は無茶苦茶だけどな)

 

・・・


・・・・・・

 

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結局・・・やってきたのは、いつもの商店街だった。

きょろきょろと、俺は周囲を見回す。

・・・ここぐらいでいいだろうか。

人通りもまばらにある。

俺は人形を取り出して、地面を歩かせ始めた。


・・・・・・。


俺の前に限って、早足で歩いてく奴もいる。


(ここでもダメか・・・)


場所が悪いというわけではないんだが・・・。


「あはは」


背後で笑い声。

振り返ると、数人の主婦が笑っていた。

子供はひとりも見あたらない。

俺は不思議に思う。

自分の芸が主婦に受けるとは思いもしなかったからだ。


「マダムキラー?」


(って、んなはずないよな・・・)


ぽりぽりと頬を掻く。

こうして注目を浴びていると、少し恥ずかしかった。

すると、今度はさらに背後でも笑い声。


「・・・え?」


振り返ると、数人の通行人がくすくすと笑っていた。

・・・嫌な予感がする。

俺は手を背中に伸ばし、探る。


「ん・・・」


何かに触れた。

それを、ぺりっとはがす。

紙切れだった。

俺はそこに書かれていた文字を読む。


「・・・宇宙からやってきた生き物です。
って、俺は何者なんだぁー! ぐあー!」


それは、午前中に人形に張り付けた紙切れだった。

おそらく人形をズボンのポケットに出し入れする際に、背中に張り付いてしま
ったのだろう。


「・・・・・・」


ブルーになる。


「はぁ・・・帰ろう」


俺は人形を拾い上げるために、地面に手を伸ばす。


「あれ、もう終わりかい」


声がした。


「ん?」

 

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見上げると、スーツ姿の男がいた。


「宇宙からやってきた生き物じゃないぞ、俺は」
「わかってるよ、そんなことは。
興味があったのは、そっちの人形のほうだ」


(客か・・・?)


「糸で吊っているようにも見えなかったけど、どうやっていたのかな」
「宇宙からやってきた生き物なんだ」
「はは・・・そんなわけないだろう。
ね、もう一度、動かしてみてくれないか」
「ああ」


とことこ・・・


男は人形の上に手をかざしたり、俺の周りをぐるぐると歩いたりした。


「ポケットの手は・・・出せないかい?」
「出せる」


出して、指を開いてみせる。


「それでも、人形は動き続けるか・・・すごいな。
ふんふん・・・」


男は感心しきりである。

もしかしたら、この男は未知のパワーを研究している学者なのかもしれない・
・・。

すると、捕まったが最後だ。

狭い施設に閉じ込められて、人体実験の日々・・・。


「ね、君」


ばっ!


俺は飛び退く。


「ん? どうした」
「いや・・・」
「君のしていることはすごいと思うよ」
「いや、大したことないぞ・・・」
「でもこれでは子供は見向きもしないだろう。
いくらすごいことをやっていたとしても、楽しくなかったらそれは興味の対象
じゃない」
「・・・・・・」
「こんな力を持ってるなら、職業を変えることをお薦めするよ」
「余計なお世話だよ」
「そっか・・・ま、好きでやっているのなら仕方がないな。
というわけで、君の発展を祈って」


箱を差し出される。

どう見ても、チップではない。


「何だよ、これ」
「お礼。 家に帰ってから開けてくれ」


そう言い残して、男は立ち去っていった。


(学者じゃなかったのか、あいつ・・・。 すると、これはなんだ・・・)


手には、包装された箱。

俺はその場で包みを解いてみる。


「わぁ、おいしそうだね」


近くにいた子供が一緒に覗いて、そう言っていた。


「だろ」


俺はそれを脇に抱えて、その場を立ち去る。

中身はショートケーキの詰め合わせだった。

 

 

 

・・・


・・・・・・


結局得られた収入は、このケーキだけだった。

俺の腹は喜びそうにもなかったが、あいつは喜びそうだった。

 

 


・・・

しかし居間には誰もいなかった。


観鈴


台所のほうに呼びかけても返事はない。

自分の部屋だろうか。

 

・・・

俺は廊下に出て、観鈴の部屋の前に立つ。

ここだという確信はなかったが、ドアノブに妙な生き物のカバーが被せてあっ
たから、予想がつく。

そこに小さなホワイトボードがかけてあった。


『宿題がんばってます』


そう書かれていた。


(勉強してんのか・・・)


観鈴が出てくるまで待つか。

勉強中というのなら仕方がない。

居間に戻ることにする。


「・・・・・・」


ちゃぶ台の上にはケーキ。


ぐぅ~・・・


「水でも飲んでこよ・・・」


立ち上がる。

麦茶を一杯あおる。

空腹の胃に、冷たさが染み渡る。


「先に食ってようか・・・」


戻る。


・・・


「もぐもぐ」


「・・・・・・」

 

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「おいしい」


観鈴がケーキを食べていた。


「・・・・・・はぁ・・・」
「往人さんのおみやげ、おいしい」
「そらよかったな・・・」


観鈴の正面に座る。


「紅茶いれよーっと」


クリームのついた指をなめてから、観鈴が台所に消える。


「おまえ、勉強中だったんじゃないのか」
「通りがかったら、おみやげ置いてあったから」
「どうやったら、勉強中にこんなところ通りがかるんだよ・・・」
「偶然~。 これには観鈴ちんもびっくり」
「そっか。 そらよかったな」
「おまえさ・・・目、赤くないか?」


紅茶をふたつ持って戻ってきた観鈴の顔を見て、そんなことを思う。


「寝不足かな。 それぐらい勉強がんばってる」
「寝てたんじゃないのか・・・?」
「そんなことないよ。そんなことないっ」


自信を持って言える、こいつは寝ていた。


「はぁー、紅茶もおいしい」
「補習受けてるわけがよくわかるよ」
「ん?」
「いや・・・」


ケーキを食べる。


・・・・・・。


「どこのケーキ屋さんかな。
すごくおいしい、どれだけでも入っちゃう」


ふたつめのケーキに取りかかる観鈴

俺はひとつ食べて、こめかみを押さえていた。

甘すぎて、頭が痛い。


「ごちそうさま。 とってもおいしかった。
さて・・・と。
日曜だし、お掃除しよーっと」


ふたつめのケーキを平らげると、ちゃぶ台の上を片づけはじめる。


「おまえ、宿題やったのか」
「まだまだ夏休みはあるしねー。
それに、埃の溜まった部屋で寝るの嫌だもんね」
「そら、そうだが・・・」


てきぱきと働き出す。

俺は居間で、することなく、ぼーっとしていた。

観鈴が戻ってくる。

手には、はたき。

ぱたぱたと俺の頭上を叩いてゆく。


「ごほんっ・・・」


埃にせき込む。


「どいてればいいのか、俺は」
「うん、ごめんね」

 


・・・・・・。


台所に、無意味に立つ男がひとり。


意味もなく、間を埋めることにする。


「・・・・・・さて、今週は国崎家特製の法術焼きそばのレシピだ。
奥様、メモのご用意を。
法術焼きそばは普通の焼きそばと違って、なんと麺を法術で焼くのだ。
ぼぼぼぼぉーーーっ!
・・・・・・できるかっ」


・・・・・・。


「居心地が悪すぎる・・・。
男がひとりで台所なんかに立つもんじゃないな・・・」

 

 

 

・・・
結局外まで出てきた。


(あいつは、家のことだけは器用にこなす奴だよな・・・。 まあ、あのずぼ
らなのが母だからな、無理もないか・・・)


掃除機もかけるのだろう。

しばらくは戻ってこないほうがいいようだ。

その場を後にする。

 

・・・


・・・・・・


歩き慣れてきた道。

もう観鈴の地図も、必要ないかもしれない。

しかし暑い・・・。

しばらく雨も降っていないんじゃないだろうか。

焼けた道に水を撒く主婦がいた。


(俺にぶっかけてくれ・・・)


びちゃ。


足に引っかけられていた。


「あ、ごめんなさいねぇ」


実際されると、ムカつく・・・。


「タオル、持ってきたほうがいいかしらねぇ・・・」
「構わない。 すぐ乾くだろ・・・」

 

・・・

 

暑い・・・。

かと言って、まだ家に戻るわけにもいかない。

俺は思い出す。

涼しくなるには心頭滅却

この前は試そうとして、誰かの登場によって中断されていた。

この人気のない場所だったら大丈夫だろう。

俺は人形を地面に置き、指先を当てる。


「・・・・・・」


その精神集中の途中で音が聞こえてくる。


「ん・・・?」


ぶろろろろろろろろぉーーっ!


さっ!


人形を掴んで、引いていた。

その前をバイクが通り過ぎる。


きぃぃぃーーっ!


少し先で停車した。

 

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「・・・あ、あんたかいなー」
「あんたは俺の人形をはねるために、こんなところで張っていたのか」
「なんや、それ」
「いや、べつに」
「ていうか、こいつ、ごっつファンシーな格好しとるっ。 こわっ」
「ほっとけ」
「んなファンシーファッションであんた、なにしとんねん」
「それはこっちのセリフだ。
今日はまた一段とバイクの似合わない場所を走ってたもんだな」


晴子が降りてきた山を見上げる。


「この先は・・・神社だったか」
「せやな。
うちかて、たまにはお参りしたなるねん。
あやうく賽銭箱に激突するところやったけどなー」


とんでもない参拝者だった。


「ほな、うち仕事に戻らなあかんさかいに、いくわー」
「ああ、とっとと行ってくれ」
「さいなら」


ぶろろろろろろーーーっ!


バイクが土埃を巻き上げながら、遠ざかってゆく。

それが消えて見えなくなると、辺りは再び田舎町の情景に戻る。


(神社か・・・。 暇だし、行ってみるか)


俺は晴子が来た方向へと歩き出す。

 

・・・・・・。

 

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なんとはなしに来てみたが・・・。


(何にもないぞ・・・)


動くものといえば雲の影だけ。

聞こえるのもセミの声だけだった。

車の走る音も、人の声も聞こえない。

ただ、セミセミセミ・・・。

セミセミセミセミセミセミセミセミセミセミセミ・・・。


「ちっとは、黙れっ!」


さらにうるさくなったような気がする・・・。


「戻るかな・・・」


踵を返す。

その先で、子供が数人、木の下に集まっていた。

皆、網やカゴを持っている。

虫を捕っているのだ。


「あ、あのひとに頼もうよ」

 

「体大きいよ、あのひと」


何か知らないが、こっちを見ている。


「えーっ、なんか目つきが恐いよぅ」


「・・・・・・」

 

「ねぇねぇ」


そのうちの一人が近づいてくる。


「なんだよ・・・」
「あの木、蹴ってくれない?」
「蹴る? なんのために」
「そうしたら、虫が落ちてくる」


俺はその木を見上げる。

本当だろうか・・・。


「わかった。 蹴ってやろう」


わーい、と子供たちが歓声をあげる。


「思いっきりね」
「思いきりか・・・どいてろよ、おまえら」


俺は木の前に立つ。


「せーのっ・・・」


どぐしっっ!!


木が、一瞬ぶれた。


ボタボタボタボタボタボタッ!!


色んなものが落ちてきた。


「じゃあな」
「わーっ、いっぱい虫つけて、去ってくよ、あのひと!」
「・・・・・・」


見下ろすと、体中、虫だらけだった。


「やりぃー!」


子供が俺に群がって、虫を捕っていく。


コガネムシはいらないや」
「全部、取ってくれ!」

 

 

 

・・・。


・・・・・・。


「・・・・・・」


子供たちが去ってゆく。

俺はそれを見送った。


「ばいばーい」


「え・・・?」

 

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隣に観鈴がいた。


「いたのか、おまえ・・・」
「今きたところ。 でも一足遅かった。
子供たち、いっちゃった。
往人さん、子供たちと遊んでた」
「違う」
「往人さん、ひとりで遊ぶのよくないよ」


こいつは、俺が子供たちと虫捕りをして遊んでいたと思っているのだ。


「わたしも誘ってほしい」
「掃除してたじゃないか」
「それでも、抜け駆けはよくないよ」
「べつに遊んでたわけじゃないんだけどな・・・。
おまえのほうこそ、こんなところまで何しにきたんだよ」
「下で見かけてから、追っかけてきた。
そうしたら、往人さん、子供たちと虫捕ってた」
「だから違うって言ってるだろ」
「証拠のコガネムシ


俺の背後から、虫をはぎ取っていた。

ぶぅん、とそれが観鈴の手から飛び立つ。


「往人さんっておもしろいよね」
「なにが」
「黙ってたらクールなのに、いつも子供っぽいことしたり、ヘンなことしてた
りする」


・・・かなりショックな事実だった。


「マジかよ・・・」
「うん、マジ。
今日は、ステゴザウルス、がおがおしてるし」
「好きで、がおがおしてるんじゃないぞ・・・」
「でも、そういうところ、往人さんの面白いところだから、好き」
「おまえに嫌われてもいいから、クールに生きよう、これからは」


ふらふらと坂を下り始める。


「どこ行くの?」
「風まかせだ」


クールに答えた。


「あばよ」
「わ、待って」


観鈴が走ってきて、俺の腕をつかむ。


「なんだよ」
「えっとね・・・。
ここまで来たんだから、もっと遊びたいなって思って。
隠れん坊しよ」
「はぁ?」
「かくれんぼっ」
「んなもの町の子供を集めてやってくれ」
「往人さんとしたい」
「何歳だよ、俺たちは」
「歳なんて関係ないよ」
「たった今、これからはクールに生きようと決めたところなんだぞ、俺は・・
・」


しかし、遊ぶといっても、隠れん坊をする気にはなれない。

うまく隠れられたら、陽が暮れるまで探し続けることになる。


「代わりにかけっこだ。 それぐらいならしてやろう」


それなら一瞬で終わる。


「うん、いいよ。どこまで?」
「そうだな・・・ここから、てっぺんまでだ」
「よし、じゃあ・・・よーい・・・どんっ」

 


俺たちは駆け出す。

すぐ、観鈴の姿は見えなくなった。

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

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・・・

手を抜くにも抜きようがないほど、観鈴は遅かった。


(徒歩でも勝ってたんじゃないか・・・)


それぐらい鈍足。


(この暑い中、馬鹿らしい・・・)


俺は額から汗を滝のように流しながら、観鈴を待った。

 

 

 

・・・・・・。


・・・。


・・・遅すぎる。


嫌な予感がする。

この暑さで走ろうが、俺だから立っていられるのかもしれない。

あいつは普通の女の子だ。

俺は、再び駆けて坂を下っていた。


(だから、大人しく家に帰らせておけば良かったんだっ・・・)

 

 

 

・・・


観鈴っ」


観鈴は、坂の途中でしゃがみ込んでいた。


「大丈夫か、観鈴
「あ、往人さん」


立ち上がって振り返る観鈴


「見て。 オオクワガタ」
「・・・・・・」
「これね、すごく珍しい」
「・・・・・・」
「子供たちに見せたら、人気者になれる」
「・・・・・・」
「ん? 往人さん?」
「・・・・・・」
「なにか言ってほしいな」
「・・・・・・」
「顔にクワガタ~っ」


ザクザクザクッ!


「ぐあ・・・這わせるなっ! 痛いだろっっ!」


俺は顔面から馬鹿でかい昆虫をはぎ取り、観鈴に突きつける。


「にはは・・・ごめんなさい」
「おまえな・・・心配したんだぞ」
「ん?」
「そもそも、俺たちはなんの途中だった」
「虫捕り」
「・・・かけっこはどうした」
「あ、そうだった。 うん、それもする」
「あれもする、これもするじゃ・・・付き合ってるこっちがたまんないっての

俺は膝に手をついて、息を落ち着ける。

焦った分だけ、汗も大量に吹き出ていた。


「よーい、どん」
「・・・え?」


観鈴はひとりで坂を駆け上っていった。


「・・・・・・」


俺は唖然と見送る。


・・・・・・。


戻ってくる様子はなかった。


「もう一度上るんだな、俺は・・・」

 

 

 

・・・。


・・・・・・。


「はぁ・・・はぁ・・・」

 

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再び石段の頂上に辿り着くと、そこで観鈴はVサインをして立っていた。

「勝った。 わたし、速かった?」
「ああ。 速かった」
観鈴ちん、すごい」
「はぁ・・・。
何が悲しくて、こんな暑い中、坂道を往復しなきゃならないんだよ・・・」


地面に倒れ込んでしまいたかった。


「クワガタさんは、ここにお引っ越し~」


観鈴はさっき捕まえた巨大なクワガタを別の木にくっつけていた。

クワガタにすればいい迷惑だろう。


「しかし・・・」


俺は辺りを見回す。


「ここ神社だろ。 人気が全然ないな・・・」
「普段はそうだね。
でも、もうすぐ人がいっぱいになる」
「洪水でもきて、町の人間が一斉に避難でもしてくるのか。
嫌な予言をする奴だな・・・」
「そんなこと言ってないって。
わたしの描いた地図に書いてあるよ」
「なにが」
「ここが賑わう理由」


俺はポケットから地図を取り出す。

 

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「意味不明の巨大生物」
「その隣」
「・・・もうすぐ夏祭り」
「そう、お祭り。 夏祭りがあるの、ここで。
そのときは人でいっぱいになる。
町の子供がみんなくるから」
「それは嫌すぎるぞ・・・」


決してそんな中にいたくない。


「ん?」
「いや・・・なんでもない」
「だからね、今は静かなの」


辺りはセミの声しかしない。

それはまるで木々が、一年かけて祭りの後の空気を吸い続けているような・・
・。

そんな錯覚がした。

そしてすべてを吸い尽くしたとき、再び祭りの日はやってくる。

この場所だけは、その日を中心に回っているのだ。


「じゃあ、その日は夏休みのメインイベントなんだな」
「うん。そうだねー」
「楽しみだな」
「うん、楽しみ」
「そういや、おまえ、今でも信じてるのか」
「なにを?」
「ひよこが大きくなったら、恐竜になるって」
「もう知ってるよ。
ひよこは大きくなったら、ニワトリさんになる」
「よくできました」
「でも、どうして知ってるのかなぁ、そんな話」
「晴子から聞いたんだ」
「はぁ・・・そんな小さい頃の話持ち出して・・・」
「一日中泣いていたって聞いたぞ」
「うん・・・」
「欲しかったんだろ、ひよこ。
いや、違うか。 恐竜の子供か」
「ううん、欲しかったのはひよこでも、恐竜の子供でもなかった。
なんでもよかったの。 買ってもらえるんなら。
お母さんに」
「・・・・・・」
「帰ろうか」
「ああ」

 

・・・


・・・・・・


川のせせらぐ音が聞こえる。

体を乗り出して、観鈴がその下を覗き込んでいた。



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「お魚、すくいたいな」
「俺は泳ぎたいよ・・・」


そうすれば、どれだけ涼しいことだろう。


「うん、それもいい」
「おまえは、ほんと、なんだっていいんだな」
「夏休みだからね。 遊べるだけ、遊びたい」
「宿題もしないとな」
「ちゃんとがんばってるよ」
「ほんとかよ・・・」


ようやく風が吹いてきた。

しばらく、そこで汗を乾かす。

観鈴の姿が消えたかと思ったら、下のほうからきゃっきゃと嬉しそうな声が聞
こえてくる。

ひとりで遊び始めたようだった。

どこまでも、呑気な奴だった。

 

・・・


・・・・・・

 


夜になると、ふたりで散歩に出かけた。

まだ風は生暖かい。

ふたりで夜道を歩いてゆく。

どこの家からか風鈴の音が聞こえてきた。

観鈴はいちいちその音に反応して、いろんな家の庭先を覗いていた。

 

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「あ、花火してるよ」
「そっか。 入れてもらうか?」
「ううん、いい。 家族で楽しそうだし。 いこっ」


俺の手を引っ張って、人家から離れた。

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

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「わたしは、往人さんと遊んでるだけで楽しいよ」
「そっか?」
「そうだよ。 往人さん、おもしろい人だし。
ううん、おもしろいオタマジャクシだし」
「わざわざ言い直すな」
「そのオタマジャクシさんと、今日はいろんなことした。
神社で競争したり、クワガタ捕まえたり、川で遊んだり」
「そうだな・・・」
「楽しかった」
「そっか。そらよかったな」
「うん、よかった。
実はね、今日、わたしの誕生日だった」
「え?」


その言葉に、俺は驚く。

こいつがそんなことを隠しているとは思わなかったからだ。


「こんな楽しい誕生日なかったから、すごくよかった」
「おまえな・・・そんな大事なこと、どうして隠してたんだよ」
「もし言ってたら、往人さん、どうしてくれた?」
「そらプレゼントのひとつでも・・・」


・・・そんな金、なかった。


「そら、一緒に遊ぶくらいのことは・・・できただろ」
「うん、してくれたよ、往人さん」
「そうか・・・そうだったな・・・。
いや、それでもな、特別な日だということを知っていれば、それなりに俺も盛り上げようと・・・」


(いや・・・それもないか・・・)


結局知っていても、観鈴の言うとおり同じだっただろう。


「じゃ、そろそろ戻ろうかー」


観鈴が踵を返して、進路を変える。


「な、観鈴
「うん?」


先を歩いていた観鈴が振り返る。


「夏休みはまだまだあるからさ・・・。
もっとたくさん、遊ぼうな」
「うんっ」


笑って頷く。

俺は、観鈴のそばにいることが好きになっていたのだろう。

そう思う。

 

 


・・・

 

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観鈴の後ろについて、夜空を見上げる。

 

欠け始めた月。


「あのね、わたしが見た空の夢・・・」


観鈴から、その話を口にしていた。

 

それはずっと聞こうと思って、聞けなかった話だった。


「その夢はね、ずっと続いてるの。
見たの、一回とか二回とかじゃなくて・・・毎晩続いてるの。
夏休みが始まった日から」
「そっか・・・」


興奮を抑えて、低い声で相づちを打つ。


「それでね、わたしその夢をさかのぼってる」
「え?」
「さかのぼってるの」
「どういう意味だよ・・・」
「ええと・・・うまく言えないけど、わかるの」
「空が変わるのか?」
「ううん、空は変わらない。 いつもと同じ。
風の匂いとか、肌触りでわかるの。
空気の流れ、季節の移り変わり・・・。
わたしは時間をさかのぼってるって」
「なんだよ、それって・・・。
そんな夢、聞いたことないぞ」
「そうだね、聞いたことないよね。
ね、往人さん。 わたしの夢はどこに向かっているのかな・・・」


・・・

 

AIR【5】

 

7月22日(土)

 


翌朝。

 

いつものように、俺と観鈴は肩を並べて学校を目指す。

だが、この日は他に寄るところがあった。

女の子の家の前で、俺と観鈴は待っていた。


「時間、大丈夫か」
「うん、もうちょっとだけ」


観鈴はずっと、ナマケモノのぬいぐるみを抱いていた。


「あ、出てきた」


母親と共に、あの小さな女の子が出てきた。

確か、さいか、と言った。 字は知らない。

彩るに香る、とでも書くのだろうか。

駆けてくる。

一直線に観鈴を目指した。

 

俺のほうには見向きもしない。

 

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「はい」


観鈴はその子にぬいぐるみを手渡す。


「待て」


俺は止めて、ぬいぐるみに手を当てた。


「ん?」
「いや、なんでも」
「はい」


改めて、観鈴が女の子にぬいぐるみを手渡した。

女の子はそれを抱いて、母の元まで戻った。


「ばいばい」


観鈴はぱたぱたと手を振る。

女の子も母親も、手を振って、別れを告げた。


「あの子ね、病院から抜け出してきたんだって」
「そうなのか」


そのことを昨日の帰り際、話していたのか。


「でも、あのぬいぐるみと一緒だったら、大丈夫だって」
「どうして」
「友達になれたからって」
「そっか」
「だから、ナマケモノさんとふたりで、病院に戻るって」
「そっか。 そら良かったな」
「・・・往人さん、笑わせられるよ。 子供たち」
「それはどうかな」
「純粋に心から笑わせること、できるよ。

だって・・・今、あのぬいぐるみに触れたのだって、あの子を喜ばせるためだもんね」
「それは違う」


去ってゆく親子。

女の子の背から、ナマケモノが手を振っていた。 こっちに向けて。


「にはは・・・」


観鈴はもう一度、ぱたぱたと手を振り直す。


「いこう。 また遅刻するぞ」
「うん」

 

 

・・・


・・・・・・


誰かの撒いた水が染みる地面。

また陽が高くなれば、それは跡も残さず消えてゆくのだろう。

まだ夏は繰り返しの中にある。

 

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空に時間はあるのだろうか。

今も仰げば、同じ空がある。

変わらずそこに。

延々と、それは続くと思っていた。

 

・・・この空の向こうには、翼を持った少女がいる。


・・・それは、ずっと昔から。


・・・そして、今、この時も。


・・・同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている。

 

心の中にその姿が広がる。

美しい光景。

なのに、どうしてか、それは悲しみに満ちていた。

 


・・・

視線を地上に戻した。

俺の旅の目的。

この空に今もいるという、少女を探しだすこと。

探しだして、そしてどうするかなんて決めていなかった。

ただ、幼い日に母から聞かされて俺の中に生まれたイメージ・・・。

それを追い求めてるだけだった。

それなのに、空にいる少女はいつも悲しそうな顔をしていた。

悲しい色に染まった夢。

空の蒼はいつの日も悲しみの色だった。

 

   もうひとりのわたしが、そこにいる


   そんな気がして・・・

 

もし、その少女がこの地上に降りていたら・・・。

それは、こんな姿なのだろうか。

 

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観鈴
「ん?」
「お前に翼はあるか」
「翼?」
「ああ」
「あるわけないよ。 あったらいいなとは思うけど」
「だろうな」
「往人さん、ヘンなの」


その通りだった。

空にいる少女が観鈴のはずはない。

それほどに、観鈴の笑顔は近くにあった。

なぜそんなことを考えたのだろう?

自分でも、よくわからなかった。

 

「あ、ちょうどいい時間」
「そっか」
「じゃ、行ってくるねー」


俺が知りうる中で、初めて彼女が遅刻せずに登校できた時間だ。

 

・・・


・・・・・・

 

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「ぶいっ」


校門の前で振り返り、誇らしげにピースサインをして見せた。


(あたりまえだっての・・・)


遅刻しなかったことを威張れるのも、こいつぐらいなもんだ。


「帰ったら、いっしょに遊びたいな」
「ひとりで遊んでくれ」
「うーん、じゃあ、補習がんばれない」
「勝手なこと言うな。 俺は忙しいんだよ」
「なんか終わった後に楽しみ欲しいな・・・」
「ああ、わかったよ」


仕方なく、折れることにする。

そうしないと、いつまでもこいつは登校しようとしないだろう。


「ほんと?」
「ああ」
「じゃ、補習がんばれる」
「頑張ってこい」
「うん。 えっと・・・なにしよっか」
「早くいけっ」
「え? なんて?」


聞こえていない。 風が強すぎる。


「遅刻するぞ、馬鹿」


もうあいつの頭の中は、午後から遊ぶことで一杯なのだ。


「急げって!」


怒鳴る。

風はますます強くなり、声をかき消す。

観鈴はめくれるスカートを押さえるのに必死だった。

俺は諦めて風がやむのを待つことにした。

 


そして、風がやんだ時、聞こえたのはチャイムの鳴り終えた余韻だった。

 

「・・・なんて?」
「もういい、ゆっくり行け」
「うん。 じゃあ、待っててね」


駆けていった。

当事者だけは、チャイムが鳴り終えた後だと気づいていないらしい。

足取り軽く、門をくぐり抜けていった。

 

 


・・・

・・・・・・

 


――『往人さん、笑わせられるよ。 子供たち』


今朝、観鈴はそう言っていた。

何か、変わっただろうか。

自分の手を見つめてみる。

人形を歩かせてみる。


なにひとつ変わらない。

観鈴はどうして、あんなことを言ったのだろうか。

あいつのことだから、深い考えはないか・・・。

まだ日は高い。

稼ぎに行く前に、すこし町をぶらぶらしようと思った。

そう、言うなれば散策だ。

まずは、どこに行こうか・・・。

俺は観鈴マップを取り出す。

 

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「・・・・・・」


・・・とってつけたような駅。

しかも、落書きもそのまま。

また書き直してもらったほうがよさそうだ・・・。

 

よし・・・一度、神尾家に戻るか。

 

 

 

・・・

・・・・・・

 

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堤防から来た道を戻って神尾家に着いた。

散策というよりは、小休止したいだけという気もしてくるが・・・。

まあ、あまり気にしないことにしよう。

 

・・・

しかしこの家、玄関に鍵はかけていないのか・・・。


「不用心だな・・・」


そんなことを思いながら、足で扇風機のスイッチを押す。

まあ、取られるようなものはないし、この通りの田舎だし・・・。

この町では、それが普通なのかも知れない。

 

しばらく扇風機に当たった後、窓も開け放した。

窓から窓へ。

家の中を、風がスムーズに通り抜けていく。

田舎の家ならではの、涼しさだった。

畳の上にごろ寝すると、座布団を枕にする。

リモコンを手に取るとテレビの電源を入れた。

ブラウン管に現れるのは・・・。


・・・見たこともない芸人が司会を務める、ローカル番組。

同じくローカルニュースの、大きなカボチャ情報。

うまいのかヘタなのか微妙な、素人の歌声。

クラシックの演奏。


そして・・・。


「おっ・・・」


スピーカーから流れる懐かしい声に、身を乗り出す。

どこか古臭い色合い。

画面には、一昔前のアニメが流れていた。


「懐かしいな・・・」


どうやら、昔のアニメの再放送をやっているようだった。

 


・・・

観鈴を送り終わって、暇な時間。

俺は腰を据えると、じっとテレビに見入っていた。

 

 


・・・

・・・・・・


「さて・・・」


この番組の協賛までを確認して、俺は神尾家を出た。

 

(確か、まだ行ってない場所があったはずだな・・・)


俺は地図を広げる。

 

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気が抜けた。

ぷるぷると顔を振って、再度やる気を呼び起こす。


「この橋の向こうだ」


橋までは行ったことがあるが、その先には足を踏み入れたことがなかった。

地図上では山が描かれている。

もしかしたら、それを超えれば簡単に隣町に出られる・・・という可能性もなくはない。


(どこでもこの町よりは、マシだろうからな・・・)


行ってみることにする。

 


・・・


・・・・・・

 

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橋の途中で立ち止まる。

二日前に、少女と出会ったことを思い出す。


(ここに立ってたよな・・・あいつは)


下には、夏の日差しを受けて輝く水面。

子供たちの、格好の遊び場に映る。


「と・・・先にいかないとな」


再び、歩き始める。

 

 

・・・

・・・・・・


道が登り坂になる。

山に差しかかったようだった。

見上げると、道はゆるやかにカーブして、頂上へと続いていた。

登っていく。

 

 

・・・

・・・・・・

 

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海が見えた。

方角からして遠くの町は、隣町じゃない。

俺が今までいた場所だ。

 

気が滅入る・・・。


(閉鎖された異次元かよ、ここはよ・・・)


これ以上登っても、意味がなさそうだった。

しかし頂上はすぐそこだ。

ここまで来たんだから、登り切ってみることにした。

もしかしたら、茶屋のひとつでも建っていて、人々の憩いの場となっているかもしれない。

そうすれば、雰囲気といい、俺の芸で和むにぴったりの状況だ。


「よし、いくぞ・・・」


やがて現れた石段を上る。

 

これがまた長かった。


「暑い・・・暑いぞ・・・」


見なくても、だらだらと汗が胸を伝っているのがわかる。


「ノドがかわいた・・・、まずは、茶屋で一杯、水をもらうとしよう・・・。
その後は団子だ。 代金はその場で、稼ぐ、と。
ああ、なんて素晴らしい計画なんだ」


最後の石段を踏みしめ、頂上へと。


「よしっ」

 

 

・・・

「おばば、とりあえず、水をくれっ。 その後、団子だっ」

 

 

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「・・・・・・」

 

 

・・・・・・。


・・・。


古びた神社が一軒。

それ以外、なにもなかった。

一気に数を増したセミの声が腹立たしい。

 


「帰ろう・・・」

 


俺はすぐさま踵を返す。

一体ここまで何をしにきたのか・・・。

無駄に体力と時間を浪費してしまった。

 


・・・

やっぱり・・・地道に人通りの多い場所で稼ごう。

そう決意を固め、坂を下った。

 

 


・・・


・・・・・・

 

残り少ない気力を使い果たし、商店街までやってくる。

相変わらず、人通りは少ないが、他の場所よりもマシだろう・・・。

なるべく往来の激しいポイントを探す。

近くの建物の、駐輪場辺りがよさそうだ。

人形を取り出すと、影になっているあたりに腰を下ろした。


「よし、始めるか」


今日こそはと気合いを入れ、人形を地面にセットする。

やはり、ターゲットを絞った方が良いだろう。

お爺ちゃんと孫。 これしかない。

孫はここぞとばかりに甘え、お爺ちゃんはここぞとばかりに可愛がる最高のコンビ。


「・・・勝ったな」

 

 

・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

・・・そんなコンビ、通りゃしねえ。

 

すわ、作戦失敗かっ!?

いや、俺にはわかる。

気配がする。

興味津々、津々浦々に俺に向かってくる気配がっ。


「右だっ!」


きゅぴーん!と、音がでるほどの目つきでそちらを見る。

 

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「ぴこっ」
「・・・・・・」


・・・帰ってくれ。


「ぴこぴこ~」


人形の前で、懇願するような瞳を向ける。

とりあえず、無視することにした。


「ぴこぴこ」


まあ、この地球外生命体をみて子供が集まってくるかも・・・。


「ぴこぴこぴこっ」


いや、逆に逃げていくような気がしないでもない。


「ぴこ~ぴこ~」


現に、道行く人が、一様に目を伏せているような気が・・・。


「ぴっこぴこぴこ~」
「踊るなっ!」


やばい、客足がどんどん遠のいていく。

とりあえず、このモザイクものの物体を何とかしないと。

しかし、安易に芸を見せてしまうのも癪だ。

よし、ここはやはり・・・。


「ピッチャー振りかぶった!」


むんずと人形をつかんで、大きく腕を振る。


「ぴこっ!」
「第一球投げた、ストラーイクッ!」
「ぴこ~!」


ぴこぴこぴこぴこっ!


妙な足音で、腕を振った方向に駆けていく。

もちろん大切な商売道具を投げたりはしない。

ただ、真似をしただけだ。

それでも、ポテトを騙すには十分効果があったようだ。


「しょせんは犬畜生か・・・」


首を左右に振ると、再び人形を元の位置に戻す。

邪魔者がいなくなったところで、再開するか。


「さあ、人形劇の始まりだ!」


道行く親子連れに声をかける。

 


ぴこぴこぴこ~

 

 

・・・背後から聞こえる声は、気にしない。


「あ、きみ。 こんにちわ」

 


ぴこぴこぴこ~

 


・・・あくまで、気にしない。

 


「ほら、ここに人形があるだろ」

 

ぴこぴこぴこ~


「ぴこぴこぴこ~」


「なんとこれが・・・」


ポテトとは別の声が聞こえてきたような気がする。


「こ、これが・・・だな」

 

ぴこぴこぴこ~


「ぴこぴこぴこ~」

 


「・・・これ、が・・・」

 

ぴこぴこぴこ~


「ぴこぴこぴこ~」

 


あの異星人の生物兵器が二体?

 

いや、ポテトが分裂したものかも・・・。


い、嫌すぎる・・・。


「・・・今日は店終いだ」


人形をつかむと、恐る恐る後ろを振り返る。

霧島診療所の、白い壁。

その入り口に続く階段、そこに・・・。

 

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「ぴこぴこぴこ~」


・・・もう一つの、人外魔境があった。


「ぴ、ぴこっ・・・!」

セッションをしていたポテトが、俺を見て慌てている。


「ぴこぴこ」
「ぴ・・・ぴこぴこ」


こいつも会話ができるのか・・・?

恐るべし田舎リアン・・・。


「・・・楽しいか?」


深いため息をついて、聞いてみる。


「ぴこっぴこっ」


どうやら楽しいらしい。


「で、お前は・・・」


ポテトを見てみる。


「ぴこっ、ぴこぴこぴこっ」


違うんだと言いたげに、毛玉のような首を左右に振っていた。


「ぴこぴこ~」


人形のことなど忘れて、みちるとジャムっていたことの弁明か。

必死なポテトを、俺は冷たい目で一瞥してやった。


「もう、遠慮せずやってくれ・・・」


「ぴこぴこぴこ~」
「ぴこ・・・ぴこぴこ」


「ほらほら、二匹とも頑張れ」


軽く手拍子してやる。


「ぴこぴこぴこぴこぴこ~」
「ぴこぴこ・・・ぴこぴこぴこ・・・って、ばかにすんなーーーっ!」

 


「おお、日本語を喋ったぞ」
「むぅぅ・・・」
「こんなところで、何やってるんだ」
「んに?」
「晩飯の調達にでもきたのか?」


そういって、足元の毛玉を見てみる。


「たべないよ。 ぴこはお友達だもん」
「違うな。 この犬はぴこじゃない」
「んに? 違うの」
「ポテトと言うんだ。 美味しそうだろう」
「ポテト・・・?」
「ああ。 ほら、持ち帰りたくなった」
「ん、んに・・・」
「ほら、ポテトの近くで座れ」


無理矢理、みちるをその場に座らせる。


「ぴこぴこぴ~こ~ぴ~こ~」
「ぴこぴこぴ~こ~ぴ~こ~・・・バカにすんなぁ!」

 


「おお、日本語を喋ったぞ」
「むぅぅ」
「・・・?」


すっ、とみちるの姿が、視界から消える。


「えいっ!」


がすっ!


「ぐはっ」

 

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「覚えてろーーーーーーーっ!」


ぱたぱたと足音だけを残して、みちるは走り去っていった。


「く・・・」


痛みに痺れる鳩尾を押さえる。


「あんのガキぃ~・・・」


みちるの走りさっていった方向に恨めしげな視線を向ける。

と、目の前にヒラヒラと何かが降ってきた。


「・・・あん?」


鳩尾をさすりながら、それをキャッチする。

白い封筒だ。

表面には毛筆で『進呈』と書かれている。

中には、なにやら紙幣っぽい物が入っているようだ。

みちるの落とし物か・・・?


「・・・・・・」


周囲に気を配る。

目撃者はいない。


「ぴこっ」
「むんっ!」


しゅぱーん!!

 

足元に閃光がはしり、次の瞬間ポテトが空高く舞う。


「イタリアサッカーリーグもびっくりだぜ」


太陽に向かって、さわやかに笑ってみる。

白い封筒に向き直ると、マジマジとそれを眺めた。


「・・・おもしろおかしい物が入ってる予感だぜ・・・」

 

取得物の一割は、広い主に対しての正当な報酬だ。

期待に胸を踊らせ、封筒の封を切る。


ビリビリビリ・・・。


「・・・・・・お米券・・・?」


いまいち面識のない商品券だった。

とりあえず、封筒にしまい込む。

そしてそれを尻ポケットに。

まあ、何かの役に立つかも知れない・・・。

痛みのひいた鳩尾を何となくさすりながら、俺は足を進めた。

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

そろそろ正午だった。

堤防の上に腰をかける。

日差しも強かったけど、それ以上に風が心地よい。

校門からは、ちらちらと下校する学生の姿が見受けられた。

待っていれば、そのうち出てくるだろう。

額の汗を乾かそうと、風上のほうを向く。

その先に観鈴がいた。

堤防沿いの店の自販機の前で立ち尽くしている。

俺は堤防を降りて、後ろから近づいてゆく。

 

 

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「うーん・・・これはけっこう無難な味だったし・・・」


どのジュースを買おうか悩んでいる様子だった。


「これかなぁ・・・、いや・・・こっち」

 

・・・

「さっさと押せ」
「わっ」


俺が唐突に声をかけたためか、観鈴は驚いて販売機に手をついた。


「あ、往人さん・・・。
ちゃんと正面から声かけてほしいな・・・」
「悪い悪い。 お前の優柔不断さを前に黙っていられなくてな・・・。
で、おまえ、なんか押してるぞ」
「え・・・? あ・・・ほんと、なんか押してる・・・」


観鈴は自販機のボタンを押してしまっていた。


がこん。


商品が受け取り口に落ちる。


「・・・・・・」


観鈴はそれを取ろうともせずに、固まっていた。


「どうした」
「ゲルルンジュース・・・」
「は?」
「今、押したの、ゲルルンジュースのボタン」
「そうなのか?」
「うん。 一度だけ飲んだことあるの」
「まずかったのか?」
「ストローから、吸い上げられなかったの・・・」


ゲルルン・・・ゲル状・・・。

 

俺の頭の中で、とんでもない内容物のジュースが想像される。


「げ・・・」
「たぶん、今、往人さんが想像してるの合ってる」
「そうなのか・・・そら恐ろしい飲み物だ。
残念だな・・・でも頑張って飲まないとな」
「が、がお・・・」


涙ぐむ観鈴


「捨てるのか? もったいないだろ」


観鈴は別のボタンをかちゃかちゃと押している。

だが別の商品が出てくるわけがない。


「もう商品は、取り出し口に落ちてんだよ。 後は取り出すだけだ」
「うー・・・」
「俺が取り出してやるな」


取り出し口に手を突っ込み、紙パックを掴み取る。


・・・。

 

・・・ずしりと重い。

パッケージには、『ゲルルンジュース』のラベルと、『水で薄めず、このままお飲みください』の注意書き。

観鈴の顔を見る。


「・・・・・・」


不憫に思えてきた。


「どうする。 頑張るか」
「う、うん・・・がんばるっ」

 

俺の手からゲル状ジュース(ゲル状ならばすでにジュースではないと思うのだが)を受け取る。

つぷっ、とストローを埋め込み、それに小さな口をつける。

そして顔を真っ赤にして吸い出そうとする。

 

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「んっ・・・んんんっ・・・」


しばらく頑張ってみるも、無駄だった。

一向にその口に内容物が移動する気配はない。


「おまえ、肺活量ないんじゃないのか」
「はぁ・・・はぁ・・・そんなことないよ。 ジュースが、かたいだけ」


世の中には、いろんなジュースがあるものである。


「往人さんも一緒に飲もっ」


びっ、と販売機のほうを指さす。


「なにを・・・」
「ゲルルンジュース」
「馬鹿。 んなもん人に薦めるなっ」
「だって往人さんのせいでこれになったんだし、往人さんだけ見てるのずるい」
「おまえが優柔不断なのが悪い。 さっと決めて買ってれば良かったんだ」
「それわたしの楽しみ。
うんうん唸って、残り少ないお小遣いでどれ買うか決めるの」
「飲むのはおまけなのか?」
「ううん。 それでおいしかったら、すごく幸せ」


悪いことをしたのだろうか・・・。


「飲めたら、美味しいかもしれないぞ。 頑張れっ」
「うん、がんばるっ・・・」


再びストローに口をつける。


「んっ・・・んんんんーっ・・・あっ・・・ちょっと口に入った!」
「味はどうだ」
「おいしいかも・・・」
「マジか」
「うん、マジ。
あのね、ぎゅってパックを握ると出てくるの。
これ盲点だった。 普通のパックは、角を持って飲むようにしないとダメだもんね。
往人さんも、やってみる?」


ゲルルンジュースを差し出してくる。


「いや、いい・・・おまえの味覚は俺には到底理解できない」
「残念。 本当、おいしいのに」


観鈴はぎゅっぎゅっと、握ってジュースを飲み続ける。

知らない人が見れば、謎な光景だった。


「歩きながらでいいだろ。 家に帰ろう」


俺は催促する。


「腹減った」

 

 

 

・・・。


・・・・・・。

 

 

もぐもぐ・・・

 

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「食事中~」
「ああ、食事中だ。 んなこといちいち言うな」
「にはは」

 

 

・・・。

・・・・・・。


「というわけで、食後はトランプっ」
「どういうわけだよ」
「すぐ動くと、お腹痛くなるよ」
「そりゃそうだろうが、動かなくちゃ、いつまでも俺はタダ飯食らいだ」
「トランプしたいな・・・」
「だから・・・」


考えてみれば、俺たちは一緒にいながら遊びらしい遊びはしていなかった。

遊んでいるようなやり取りや、掛けあいはしていたが、それは遊びじゃなかった。


「トランプしたいな」


観鈴はトランプのケースを胸に抱えて、その言葉を繰り返していた。


「・・・わかった。 やってやる」
「ほんと?」
「ああ、ほんとだ。
その代わり・・・これ終わったら手伝えよ」
「うん。手伝う」


言って、観鈴はトランプのケースを開けて、カードをくり始める。


「といっても、難しいルールのはやめてくれよ。 理解できない」
「うん。 簡単なのにするね。 神経衰弱」
「カードの数字を合わせて、とっていく奴か。 それだったらわかる」
「そうそう。 それ」


カードを畳の上に並べてゆく。

いくつか並べたところで、観鈴の手が止まる。


「どうした」
「ううん、なんでもないよ」


少しだけ顔をしかめて、残りのカードを並べてゆく。

その手の中から、カードが落ちた。

 

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観鈴・・・?」
「にはは・・・しっぱい」
「おまえ、泣いてるじゃないか」
「泣いてないよ」


ごしごしと涙を拭う。


「もういっかい」


床でばらけていたカードを拾い集める。


「遊べる・・・がんばらないと・・・」


ぶつぶつと独り言を言っている。


「やらないと・・・わたし、がんばらないと・・・」
「どうしたんだ、おまえ。 具合悪いんだったら、休めよ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

・・・

 

だが、彼女が耐えられたのはそこまでだった。

何に耐えていたのかはわからない。

ただ、彼女は苦しんでいたのだ。

もう一度カードを手からこぼすと、そのまま俯せてしまった。

そして、大きな声で泣き出した。


「ああ・・・うぁ・・・ああ・・・っく・・・」


・・・

それは癇癪を起こした子供のようで、俺さえも近づけなかった。

 

 

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

 

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俺は堤防に座って、人気のなくなった校門をぼうっと眺めていた。

こういう時、タバコが吸えるといいんだろうな、と思う。

手持ちぶさただった。

人形を動かす気も起こらない。

結局、観鈴は泣き止まなかった。

俺が手を触れようとすると、必死で振り解こうとした。

理由を訊こうとしても、ただ泣きじゃくるばかりだった。

俺は途方に暮れたまま、外に出ることになり・・・。

そして、気がつくとこの場所にいた。


「なんなんだよ、あいつは・・・」


ひとをトランプに誘っておいて、いきなり泣き出すなんて・・・。


「ま、あいつも色々あるんだろうけどさ・・・」


もうすぐ陽が暮れる。

空の色が変わっていくのを見ているだけでも気が紛れるかもしれない

それをじっと待っていた。

変化のないはずだった校門前。

そこにひとが立っていた。

 

少女だ。

その少女はじっとこっちを見ている。

俺はどうしていいものか、わからなかった。

数十メートルの距離を置いて、俺たちは向かい合っていた。

西日がきつくなってきた。

それに焼かれている首筋が痛い。

少女も正面から、赤く染め抜かれていた。

暑いだろうに、じっと立っていた。

やがて少女が左を向いて、とぼとぼと歩き出した。

我慢くらべでもしていたのだろうか。

 

帰ってゆく。

 

俺はずっとそれを目で追う。

自販機の前を通りかかると、足を止め、じっとその方向を見た後、寄っていった。

財布から硬貨を取り出すと、自販機にそれを投入する。

しばらく悩んだ後、腕を伸ばしてボタンを押す。

取り出し口から四角い紙パック(よく見えないが、きっとそうなのだろう)を取り出し、そして・・・。

そのまま帰ってゆく。


「おいっ」


俺は堤防から飛び降りる。


(なに考えてんだ、あいつは・・・)

 

・・・


駆け足で追いつくと、その名を呼ぶ。


観鈴っ」

 

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「え・・・?」


観鈴が振り返る。


「え? じゃないだろ、おまえ。
なに無視して、ひとり帰ろうとしてるんだよ」
「えと・・・」


困ったように笑う。


「どうしたらよかったのかな」
「いつもの通り言ってくれればいいだろ?」
「なんて言ってたっけ」
「おまえ、そんなことも忘れたのか?
おまえの口癖じゃないか。 なんでも一緒にって。
だから今は、一緒に帰ろう、だろ」
「そうだったね・・・。
でも、今そう言ったら・・・いっしょに帰ってくれるのかな」
「今って・・・いまさらだな、おまえ」
「今、言ったら、いっしょに帰ってくれるのかな」


観鈴は繰り返す。


「ああ。そうする。俺も帰るところだったからな」
「じゃあ・・・。 いっしょに帰ろ」
「ああ」
「ほんとう?」
「ああ。腹減ったしな・・・」
「往人さん、いつもお腹減ってる」
「そうだな。 食べた直後以外は」
「にははっ」


笑う。


「じゃ、ジュースも一緒に飲も。 買いに戻ろ」


観鈴が踵を返す。


「こら、調子に乗るな。
どれだけ時間が経っても、あれだけは飲まないぞ」
「残念・・・」
「もっとまともなジュースなら飲む」
「ほんとう?」
「ああ。 別に俺だってジュースが嫌いなわけじゃない」
「じゃ、まともなジュース、選んでくるねー」
「あの販売機に、まともなものなんてないっ」


駆けてゆこうとする観鈴の首根っこをひっつかむ。


「頼むから、おまえの嗜好と一緒にしないでくれ」
「にはは・・・ごめん」


観鈴は俺を追い抜いて、少し先で振り返る。


「ね、往人さんは友達」
「違う」
「わ・・・」
「でも、そうなる可能性はあるかもな」
「うん、よかった。 それで十分。
ね、往人さん」
「ん?」
「わたしも、一緒に探したい」
「なにを」
「往人さんがずっと探してる子。 この空にいる子」
「・・・・・・」
「知り合いにいないかな・・・」
「あのな、おまえ・・・いるわけないだろ」
「あ、だよね。 そんなひといたら、びっくり。
その羽、触らせてーっ、て言っちゃうよね、思わず」
「ああ、言っちゃうな」


もうどうでもいい。


「あー、夕日がきれいだなー。 すっげ、かもめだ。 かっちょいー」
「あれ? 話、逸らしてる?」


これはさすがに観鈴でもわかったらしい。


「ね、往人さん。
明日からはその子、いっしょに探そうよ」
「おまえ、家を出る気か?」
「そんな遠いの?」


ほんと、こいつにこの話をした俺が馬鹿だった。


「おまえ、ジュース飲めよ」
「これ、夜、テレビ見ながら飲む」


観鈴はまだまだ話を続ける気、満々だった。


「いっしょに探したいな」
「足手まといだ」
「だって、往人さんの人形、見つけた」
「人形とはわけがちがうんだ」
「探したいな・・・」


こうなると、子供のように融通が利かなくなる。

別のもので興味を引くしかない。

俺は通りすがり、潰れかけのような薬局の前に立っていたカエルの人形に手を触れる。


「ね、いっしょに探したいなー」

 


もそっ・・・

 

通り過ぎた、その背後で物音。


「ん?」


観鈴が振り返る。

さっき触れたカエルがのそのそとこっちに向いて、歩きはじめていた。


「お、なんだ、あいつは」


わざとらしく、俺は興味を示してみせる。


「わ、すごい・・・」
「挨拶かな。 寄っていったら、どうだ」
「うん、いってくるねー」


ぱたぱたと走っていって、不気味に動くカエルの人形と挨拶を交わしていた。

俺は適当にそれを動かしておく。

観鈴はそれを抱き上げたりして、遊んでいた。

はたから見れば、かなり奇異な情景だった。

でも、俺はそれを何気なく見つめていた。

観鈴が、笑って喜んでいる姿。

それを見守っている日常。

それはこの短い夏の間だけの、情景だった。


・・・

「あ、動かなくなった・・・。 どうしたのかな・・・」
「疲れたんだ」


(俺がな・・・)


あの大きさの物を動かすのは、さすがに堪える。


「休んでるんだ。 放っておけ」
「いいのかな・・・」
「知り合いなんだ。 大丈夫だ」
「往人さん、顔広い。
かぶと虫とか、カエルさんとかと友達」
「そうだな」
「そっか、往人さんはオタマジャクシなんだもんね。
あのカエルはお父さんかな」


好きに言わせておく。

 

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「ばいばい」


直立不動のカエルに手を振って別れを告げる。


「また明日」

 

 

 

・・・


・・・・・・


俺たちは、家に帰り、夕食を共にした。

 

俺はいつものように居間に寝転がって、暇を持て余していた。

 

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「宿題してこよーっと」


それまで一緒にテレビを見ていた観鈴が立ち上がる。

部屋に行きかけ、振り返った。


「麦茶持っていこっ」


一度台所に消え、麦茶をなみなみ注いだコップを手に再び現れる。


「こぼすなよ」
「うん、慎重にいくね」


上半身を揺らさないように、居間を横切っていく。


・・・無事に出ていった。


ブラウン管に目を戻す。


「わっ・・・! 観鈴ちん、ぴんちっ」


廊下から声が聞こえたような気がするが、気にしないでおこう・・・。

テレビは、ニュース番組になっていた。


(つまらない・・・)


消す。

 

すると唐突に虫の音が勢いを増した。

窓の外に目を移す。

田舎町の夜、外は虫たちだけの世界になるのだろうか。

そんなことを思わせた。

 

・・・散歩にでも行ってみるか。

 

 

 

・・・


・・・・・・

 

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潮の香りを含んだ夜風が流れていた。

人気のない道を、一人歩いた。

日中、溶けそうなくらい熱くなっていたアスファルトも、今は冷たい。

どこを目指すわけでもない。

おぼろげな記憶に任せて、俺はただ歩いていた。

 

 

 


・・・


・・・・・・

 

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気がつけば、小さな橋のたもとに来ていた。

周囲の草むらから、虫の音がうるさいぐらいに響く。

橋を渡った、その向こう。

いくつかの常夜灯が、ぼおっと道を示している。

さらにその先は、闇の中へと続く。

空には、少し雲が出てきたようだった。

不意に流れた風に、わずかに湿った匂いを感じた。

 


・・・

そろそろ戻っておくか。

これ以上歩いたところで、疲れが増すだけだ。

俺は闇に背を向けると、来た道を戻った。

 

 

 


・・・


・・・・・・


俺は浅い眠りの中にいた。

ときたま、目を覚ます。

何時かはわからない。

けど、向かいに酒を飲みながらテレビを見る晴子の姿があったから、すでに深夜なのだ。

 

一度起きることにする。

晴子に聞きたいことがあったのだ。

 

「そういえばな・・・。

観鈴が突然、取り乱したんだ。よくあることなのか、あれは」

 

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晴子がグラスに口をつけたまま、止まっていた。

それはまるで、時間を計っているようだった。


「それで、あんたどうしたん」


ようやく口をグラスから離した。


「なにもしてない。 ひとりにしてやっただけだ」
「そうかー。
あんた、ようわかったなー。
あの子の癇癪止めるには、それしかあらへん」
「・・・・・・」
「ちょっと引いたやろ?」
「引くって・・・どういう意味で?」
「考えてみぃ。 あの子いくつや。
あんな大きい子が、癇癪起こして泣き出したら、あんた、そら引くで。
小さい頃から、ずっとや。
誰かと友達になれそうになったら、ああなるねん・・・。
病院とかで診てもらっても、治らへん。
精神的なもんやろうし、大きなったら、みんな治る思てたんや。
なんで治らへんのやろな。
でも、あんた鈍感みたいやから良かったわ」


グラスの中身を一気に煽ると、さらに酒を注ぐ。

観鈴の様子を思い出した。

・・・目の前にいる俺を、全身で拒絶しようとしていた。

そうしてしまう自分を恐れながら、戸惑いながら。

観鈴に友達がいない理由が納得できた。

だから俺は、この家に呼ばれたというわけか。


(・・・待てよ?)


心の奥底に違和感があった。

こうなってしまうことを、俺は知っていたような気がする。


――『彼女はいつでもひとりきりで・・・』


閃きかけた言葉が、するりと消えていった。


「ほんま、いつまでもあの子の友達でいたってや」


自嘲するような晴子の声。


「・・・・・・あんたは・・・」


俺は口を開く。


「あんたは、無責任だな」
「・・・なんでやの」
「それは俺の役目か? あんた、母親の役目じゃないのか」
「居候、あんたはなんも知らんから、そないなことが言えるんや。
なんも知らんで、えらそうな口利くな、あほっ」
「・・・・・・」
「すまん・・・言い過ぎたわ」
「いや」
「あんた、ぶっきらぼうやけど、ほんまは根のいいやつやと思うわ」
「あんたも酒さえ飲まなければ、いいひとだと思うぞ」
「む・・・。
あんた結構、テク使うやっちゃなぁ・・・うち、今のセリフできゅうんときてしもた」
「納屋で寝る」


晴子のモードが切り替わろうとしている。

去りどきだ。


「なんや、また、いけずやなぁ」
「ああ、いけずなんだ」
「ほな、ひとりで静かに飲んどくから、ここで寝てええよ」
「寝てる口に、酒を流し込むなよ・・・」
「そんなことするかいな」
「しただろ、夕べ」
「あれは酔ってたんや」


もう突っ込む気にもなれない。

俺は壁のほうを向いて体を横にした。

 

 

静かな夜。

 

ときたま、酒を注ぐ音だけが聞こえてくる。

 

・・・・・・


・・・

 

 

AIR【4】



7月21日(金)





目覚めると、眼前に猿の顔があった。


「おわっ・・・・・・と、おまえか」


ナマケモノのぬいぐるみだった。

夕べの晴子とのやり取りを思い出して、朝っぱらからブルーが入る。


「俺はこいつを買い取るために、金を稼がねばならないのか・・・」

 

・・・

「金を稼ぐ手・・・」


俺は思案しながら、小鉢に箸を伸ばす。

 

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「困ったね」
「これまで芸だけで日銭を稼いできたから、それを封じられるとな・・・」


ぽりぽり。


「真っ当な仕事か・・・」


この町で日雇いの仕事が見つかるだろうか。

探すだけで、何日か経ってしまいそうだった。


「でも、やるしかないよな・・・」
「意地だね」
「俺だってツライんだぞ。
何が悲しくて、あんなぬいぐるみを買い取るために、頑張らないといけないんだ・・・」
「かわいいから、がんばれる」
「馬鹿。 気色の悪いことを言うな」
「往人さん、あれ、いらないの?」
「いるわけないだろ」
「わたし欲しいな」
「そうだな・・・。 買い取ったら、おまえにやるよ」
「ほんと?」
「ああ」
「やった。 じゃ、わたしも手伝うね。 どうしたらいいかなー」


・・・。

・・・・・・。


台所から、ずっと、うーんうーんと、うなり声が聞こえてくる。

洗い物をしながらも、ずっと考えているようだった。


「ふぅ・・・」


余っていた麦茶を飲みながら考える。


(とりあえず、商店街まで出てみるか・・・)


空になったコップをちゃぶ台に置く。

振り返ると、観鈴はまだ洗い物をしている。

支度が済むまでには、まだしばらく時間がかかりそうだった。

テレビをつけてみる。

時代劇をやっていた。

風まかせで旅する素浪人の話だった。


『俺に惚れちゃいけねぇぜ』


(かっこいい・・・)


しばらく見ていた。


・・・・・・。

 

「わ、もう、こんな時間」

家事を終えた観鈴が、時計を見て驚く。


「急いで用意してこよーっと」


部屋を出ていく。

俺も、バッグを手に取る。

そして、隣に鎮座するナマケモノ・・・

置いていったら、また晴子に扱いがぞんざいだと言われるだろうか。

それもバッグの中に押し込む。

が、入りきらない。 長い足が、飛び出ている。


「往人さん、まだ?」


廊下から観鈴の声がする。

何度か入れ直してみるが、どうしても、手か足が飛び出る。


「もう、いくよー」


結局そのままでバッグを肩にかける。

廊下に出ると、鞄を抱えた観鈴が待っていた。

 

・・・

・・・・・・


「うーん・・・」


唸りながら、玄関を出る。

 

「おはよう、観鈴ちゃん」


正面の家から人が出てきた。

それは昨日頭を下げさせられた主婦だった。

確か、河原崎、と言った。というか、表札にそう書いてある。

 

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「おはようございます、おばさん」
「何か、難しい顔、してるわね」
「ええ。 ちょっとねー・・・にはは」
「困ったことあったら言ってね。 お向かいさんだしね」


牛乳の件で悪い印象はあったが(というか、俺が悪いのだろうが)、こうして話を横で聞いていると、気さくでいいひとのようだ。


「あ、では、お言葉に甘えさせていただきまして・・・」


観鈴は、そのおばさんと向き合う。


「何か、日雇いで人手を探しているところ、知らないですか?」
「日雇いでアルバイト?」
「ええ」
観鈴ちゃんが?」
「ちがいます。 このひと」


ぴっ、と後ろに立っていた俺を指さす。


「あぁ、そのひと・・・」


ちょっと引いた。

そして、人の面を吟味するような目線を寄こした。


「力仕事、いける?」
「いけるよね」


力自慢なところを見せよう。

俺は逆立ちをする。

そして、その状態で腕立て伏せを行った。


バッバッバッバッ!


「ふっ・・・」


俺は立ち上がり、額の汗を拭う。


「かなり変わったひとね・・・」


・・・主婦は引いていた。


「根は優しくて、いいひとなんですよー。 にはは・・・」
「でも、体が大きいから、力はありそうね・・・」
「うん、力持ち」
「ならいいわ。 紹介してあげる」
「ほんとですか? よかった、往人さん」


「内容は」


俺は歩み出て、訊く。


「私の妹夫婦がね、商店街でリサイクルショップをやってるの。
でもリサイクル商品を集めていた夫が、腰を痛めてね、今、動けないのよ。
だから、代わりにそれを集めてあげて」
「集めるって、どこから」
「それは一軒一軒、家を訪問して、訊いてまわるのよ。 不用品がないか、どうか。 そのへんは人当たりよくね。 お店のイメージにも関わるから」
「わかった・・・」
「車、運転できる?」
「いや、できない」
「だったら、なおさら力仕事ね。
テレビとか、冷蔵庫とか出てきたら、リヤカーで運んでね」
「リヤカーって・・・マジか・・・」
「男なら、それぐらい頑張れる」


「そ。 往人さん、がんばれる」
「他人事だと思ってこいつは・・・」


「詳しいことは、妹のお店で訊いて。 この件は電話で伝えておくから」


その店の場所を訊く。

よくわからなかったが、商店街まで行けばどうにかなるだろう。


「どうも、助かりました」
「頑張ってね」


おばさんの目がこっちに向く。


「ああ・・・」


家の中へと戻っていった。


「良かったね」
「案外、あのひと、俺をいじめてるんじゃないか・・・」
「そんなことないって。 河原崎さんいいひと」
「普通は免許がないと知った時点で、断られると思うがな・・・」
「それだけ往人さんが力持ちに見えたってこと」
「ところで、おまえ、時間いいのか?」
「え? 今、何時?」
「俺の顔は時計じゃない」
「えっと、腕時計っと・・・」


ポケットから取り出す。


「わ、走らないとっ! ダッシュっ」


駆け出す。


どすんっ!


観鈴が派手に転けた。


「が、がお・・・」


ぽかっ!


「イタイ・・・どうして、イタイ目にあってるのに、さらに叩かれるかな・・・」
「怪我はなかったか」
「頭イタイ」
「そりゃ俺が殴ったからだ。 他には」
「はぁ・・・ちょっと、ひざ、擦りむいた。
どうしよう・・・時間ないし、ひざから血出てるし・・・。
観鈴ちん、だぶるぴんち。 うーん・・・」


少し悩んだ後・・・


「ばんそーこー、貼ってくる」


家の中に戻っていった。


「遅刻決定」

 


・・・。


・・・・・・。

 

 

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「うーん・・・気持ちいい」


観鈴はいつものように堤防で伸びをしている。

堤防の上は、いつでも風が強く、涼しい。


「また、必殺技か」
「うん、必殺技」


必殺技とは、例の『あたかも一時間目からいた顔をして、二時間目から授業を受ける』作戦である。

それには、休み時間になるまで待たなければならないらしい。


「だから、バレバレだっての」
「ん?」


聞こえていないようだった。

風はそれぐらい強い。


「往人さん、これから一軒一軒家を訪問して、不用品を集めるんだよね」


観鈴が近くまで寄ってきて訊いた。


「ああ、そうなるだろうな」
「だったら、地図に書き足してあげる。 貸して」
「書き足すって、なにを」
「攻略方法。 どこにいけば、集めやすいか、とか。
それを読みながら歩いたら、わたしが隣にいるのと一緒。
午前中はわたし、手伝えないから、書くね」


すでに地図があの状態だ。

こいつがまともなことを書き足すとは思えないが・・・。

まぁ、実際この町に長く住んでいる人間からの情報だ。

俺が独断で動くよりかは、マシかもしれない。

書いてもらうことにする。

地図を手渡すと、観鈴は堤防の端に座り込み、鞄からペンを取り出して、その作業にとりかかる。


結構丹念に書いているようだ。


しばらく時間がかかった。


・・・


「はい」
「サンキュ」


バージョンアップした地図を受け取る。

と同時に、チャイムが鳴った。

 

「じゃ、いってくるね」
「ああ」
「がんばってね。 ばいばいー」


堤防から飛び降りて、駆けていった。


「さて・・・」


俺もいこう。

 

 

・・・

・・・・・・



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・・・
店は商店街の奥まった場所で見つかった。

佐久間リサイクルショップ、と名を言う。

店内に入り呼びかけると、愛想のいい女性が出てきた。


「手伝ってもらえるって方ですよね?」
「ああ」
「ごめんなさいね、こんな暑い中」
「ざけんなよってカンジだな」
「でもほんと、若いのね。 頼りになりそう」
「ギャラはずめよな」
「うふふ、面白い子」


笑顔で、てきぱきと用意を始める。

 



・・・

「じゃ、頑張ってね」
「適当にな」


店先で別れる。

俺の背後にはリヤカーがある。

それをカラカラと引きながら、歩き始めた。


・・・


「アジィ・・・」


すぐにも汗が吹き出し始める。


「さて、と・・・」


俺はポケットに突っ込んであった地図を開く。

 

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「・・・・・・」


武田商店の辺りに何か書き足してある。


『富岡さんのいえ。 おっきな犬がいるの。 いっしょにあそびたいな』


隣には笑った観鈴(だと思われる)の顔と、同じく笑った犬(だと思われる)が落書きされていた。


・・・・・・。


首をねじる。 こきっと音がした。


俺は再び、地図に目を落とす。


・・・それだけしか書いてなかった。


(どーしろってんだよ、これで・・・)


まさしく、観鈴が隣にいるようである。


「まったく使えねぇ・・・。 いや、待てよ・・・」


俺は似顔絵の観鈴がVサインをしているのに気づいた。


(犬と仲良くなって、VICTORY・・・)


富岡婦人は愛好家であるから、その飼い犬と仲良くなって、婦人からの高感度を上げよ。

そうすれば、高価な電化製品を山ほど売りに出してくれるだろう。

・・・という意味なのかもしれない。

なるほど。


きっとそうに違いない。


「勝利をこの手に・・・」


俺は指示通りにその家を探して歩く。

 



・・・


・・・・・・

 

カラカラ・・・


しかし・・・


・・・カラカラ・・・

 

(なにをやってんだろうな、俺は・・・)


リヤカーを引いている音を聞いていると、ブルーになってくる。

 


・・・


・・・・・・

 

からから・・・


・・・からから・・・


陽射しに射抜かれながら、リヤカーを引き続ける。

車輪の音が、実にわびしい。

辺りを見渡すと、いつの間にか海辺とは呼べないような場所になっていた。


「まだ着かないのかよ・・・」


額から流れ落ちる汗を拭う。

どう考えても、爽やかな汗と呼べる代物じゃない。

ただ不快なだけだ。



ぐぅ〜



腹の虫が鳴る。


からから・・・


車輪の音が、ハーモニーを奏でる。


(最悪だ・・・)


肉体的なことよりも、俺の精神がこの状況にどこまで耐えられるのだろうか・・・。

 



・・・


・・・・・・

 

 


「ふぅ・・・」


いったんリヤカーを止めて、一息入れる。

そこは、閑静な駅前。

まるで時間が止まったように、その景色はそこにあった。

風が周囲に生えている木の枝を揺らし、涼しげな音を奏でている。

どこか落ち着いた佇まい。


「駅前のわりには人が全然いな―――・・・」


「・・・んにゅにゅ」



「・・・・・・なくはないか」

 

陽炎の向こうに目を凝らす。

すると、そこには・・・。


「ふぅ~~~・・・」

 

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ぱちんっ。

 

「わぷっ。 ・・・んにゅぅ~」


破裂したシャボン玉の水滴を顔面に浴びて、半べそをかく少女が一人。


ごしごし・・・


少女は服の裾で顔を拭い、再びふくらましにかかる。


「ふぅ~~~・・・」


ぱちんっ。


「わぷぷっ」


またもや顔面水滴まみれ。


「んにゅぅ~」


ごしごし・・・


「ふぅ~~~・・・」


ぱちんっ。


「わぷぷぷっ。 んにゅぅ~」


ごしごし・・・


「ふぅ~~~・・・」


ぱちんっ。

 



「・・・・・・不憫だ・・・」


同じ失敗を繰り返すこと数回。

それは、見ているだけで胸がせつなくなる光景だった。


(あのガキ、擦りすぎて顔面がテカテカじゃないか)


やはり、ここは見て見ぬ振りをするのが正しい大人の選択だと思う。

俺は少女の健闘をたたえつつ、仕事に復帰することにした。



カラ・・・。


車輪が鳴る。

 

 

「んに?」


速攻で見つかる。


(・・・しまった)


「むぅ?」


顔面をテカらしたままの少女が、異星人でも見るかのような眼差しで、俺を睨みつけていた。


「・・・・・・」
「むぅぅ?」


セミの声が響く中。

俺と少女は、しばらくの間対峙したまま動かなかった。


・・・この間は辛い。


べつに、先に動いた方が殺られるというわけじゃないのだから、我慢する必要はなかった。


「よお、えらく熱心だな」


見つかってしまった以上、無視するのもなんなので、軽やかに声をかけてみる。


「なんだこいつ・・・。
うしろにヘンなものがついてるぞ・・・きもちわるい・・・」


(・・・・・・。 俺のことだろうか・・・)


ショックのあまり、思わず遠い目をしてしまう。

 

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「むぅぅ・・・」
「・・・・・・」


さらに睨まれている。


「にょわっ! そうかっ!」
「なんだよ」
「うぅ・・・どうしよう・・・ゆうかいまに、声かけられちゃった・・・」
「誰が誘拐魔だっ」
「にょわっ! や、やばい・・・こうふんしてる・・・。
乙女のぴーんち・・・」


らしい。


「はぁ・・・」


ぽりぽりと頭を掻く。


「あのなぁ・・・妙な勘違いをするなよ」


埒があきそうにないので、今度は穏やかに諭してみた。


「うぅ・・・どうしよぉ・・・さらわれちゃうよぉ・・・」
「聞いちゃいねぇ」
「きっと、あのヘンなのりものにのせられちゃうんだ・・・。
そんでもって、かわいい子牛たちといっしょに、市場までつれていかれちゃうんだ・・・。
うぅ・・・きっと、みんなかなしそうな瞳なんだ・・・」


少女の想像力が、どんどんふくらんでいっているのが手に取るようにわかる。


「んにゅ。 だめだ・・・気合いでまけたらつれていかれる。
ここはいっぱつ・・・。 うぅ~~~」


一念発起。


少女はさらに気合いを込めて俺を睨みはじめた。


「・・・・・・」
「ううぅぅ~~~」
「・・・・・・」
「うううぅぅぅ~~~」
「・・・・・・は・・・馬鹿らしい・・・」


俺はやれやれと首を振りながら、少女から視線をそらした。


「んにょっ! いまだっ!」
「えっ・・・」


がすっ!


「ぐはっ」


みぞおちに、嘘みたいな痛みが生じた。


口内に、酸っぱいものがこみあげてきた。

 

 

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「やったーーーっ! みちるのかちーーーっ!」


ぱたぱたぱたーーー。


少女が駆け出す。


陽炎のむこう。 陽射しに焼かれた夏の世界に向かって。


「イツツ・・・なにが起こったんだ、いったい・・・」


俺はみぞおちの上を押さえながら、突然の事態を把握できないでいた。


「・・・・・・えーっと・・・」


事態の把握に全力を注ぐ。


「・・・・・・俺は・・・俺は、いったいなにをしているのだろう・・・」


把握したところで、虚しくなるだけだった。


「は・・・」


ため息が出た。


「しょうがない・・・」


リヤカーを引く手に力を込める。


気を取り直して、再び観鈴マップを片手に、歩き始める。

 


・・・


・・・・・・

 

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「ここか・・・」


表札に『富岡』とある。


(犬と仲良くなって、VICTORY、と・・・)


「いくか・・・」


俺は門をくぐり、飼い犬を探した。

それはすぐにも見つかる。

玄関の隣に鎮座していた。


・・・馬鹿でかい。


人間が丸くなっているようである。

俺は歩み寄って、手を伸ばしてみる。

犬の目がこっちへ向く。


がちんっ!


・・・手を引いてなければ、噛まれていた。


「うー・・・」


しばし、睨み合う。

先に動いたのは犬のほうだ。

口を開けて、俺の懐に飛び込んでくる。

俺はそれをかわし、相手の体を抱き込み、地面に倒れ込む。


「わんっ! わんわんわんわんわんっ!」
「こら、うるさい。 ふたりは仲良しなんだから、暴れるなっ」


大型犬だったから、力は強い。

お互い相手を組み敷こうとする。

俺たちはごろごろと転がり、そのたびに形勢は逆転する。

やがて体力の差が出て、犬は大人しくなる。


「ふぅ・・・勝った」


――「あなた、何してるのっ!?」


庭のほうからひとが覗いていた。

それはここの婦人のようだった。


「えっと・・・佐久間リサイクルショップの者だが・・・」
「そのあなたが、犬をどうしようと言うのっ」
「違うっ・・・これは、じゃれいるんだ」
「こっちにおいで、ジョニー」


俺が手を放すと、犬はよたよたとおぼつかない足取りで婦人の元に歩いてゆく。 が・・・


ぼてっ。


辿り着けなかった。


「ジョニーッ!」


「えっと・・・なにか不用品があれば、引き取りたいんだが」
「・・・・・・」


ギロリと婦人の目が俺に向く。


「今すぐ出てゆきなさい。 でないと、警察呼びますよ・・・」
「わ、わかった・・・落ち着け。 出てゆくからな」


俺は後ろ向きに歩き出す。

婦人の目はマジだった。


「佐久間リサイクルショップを今後ともごひいきに・・・」
「するわけないでしょっ!」


最後の言葉は余分だったようだ。

 

 


・・・


・・・・・・


「たく・・・散々な目に遭ったぞ・・・」


あれだけ頑張ったのに、戦利品のひとつもない。

いまだリヤカーの荷台は空っぽだった。


「いやっほう! こりゃラクチン!」


いや、ガキが乗っていた。


「こら、降りろっ」
「わーいっ」


飛び降りて、どこかに走り去っていった。


「えーと、次の家はと・・・」

 

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路地の辺りに何か書き足してある。


――『にけんめは、川内さんのいえ。 なぜならいいことがあるから』

 

・・・


・・・・・・



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「よぅ、きたな。 お兄ちゃん。 ほら、お菓子あげよ」

 

――『ぜったいおカシをくれるんだよ~。 とってもおいしいの! 往人さん、やったね!』


ポリポリ・・・確かにおいしい。


「やったね! じゃねえよっ・・・。
な、婆さん、お菓子じゃなくて、不要物とかはないか。 電化製品とか・・・」
「ないのぅ。
それよか、もっとお菓子お食べ。 お兄ちゃん、体大きいで、よぅ入るやろ」
「あのな、婆さん。 体が大きいとな、逆にこういったものは入る場所がなくなるんだ」
「そうなんかいな」
「ああ。 用がなくなったんで、帰るな」
「また、いつでもくればええ」

・・・

 

 


・・・


・・・・・・

 

「もういいっ!」


俺は地図をバッグの中に詰め込む。

結局この落書きは、観鈴の遊びルートを示したものだったのだ。

あいつを信じた俺が馬鹿だった。

これだったら、自分が思うように行動していたほうが、まだマシだったかもしれない。

陽も真上に差し掛かろうとしている。

午前中の努力がすべて無駄だったというのが、精神的にも堪える。


「休もう・・・」


堤防の上で横になる。

今、家に戻れば観鈴が昼飯を作ってくれるだろう。

だが、こんな状態で帰れるわけがない。

あいつの協力を真に受けて、いまだ収穫0。

馬鹿らしくて、顔なんて合わせられない。

しかしお昼だ。 腹が減った・・・。

もらったお菓子があるが、空腹でも、食う気はしなかった。

白いご飯が食べたかった。


・・・やはり俺には大道芸が合っている。

ずっとこれで稼いできたんだ。

誇りがある。

俺はナマケモノのぬいぐるみを取り出してみる。

そして、それを地面に置き、念を込める。


のっし・・・!


立った。

歩かせてみる。


のっしのっしのっしのっしっ・・・!


「こえぇ・・・」


自分でもびびるほどだった。


・・・

「あ、ナマケモノさん」

 

遠くで声がした。

見ると、小さな女の子がこっちを見ていた。

そして走ってくる。

わしっ! と勢いよく、ナマケモノに抱きついた。


「すごくかわいい」


まるで小型版の観鈴である。

俺は辺りを見回す。

親と思わしき人物はいなかった。

いれば、チップをせしめられたというのに。


(案外、ナマケモノで芸をするというのはイケてるのかもな・・・)


「・・・・・・」
「かわいい」


女の子は目の前で、ナマケモノを抱きしめ続けていた。


(迷子なんじゃないか、こいつ・・・)


「なぁ、おまえ。 親はどうした」


俺は聞いてみる。


「かわいい」


聞いちゃいない。

とことん観鈴に似ている。

俺はナマケモノを動かして、女の子の頭を撫でてみる。

女の子はきゃっきゃと笑って、喜ぶ。

試しに足で撫でてみる。

きゃっきゃと喜ぶ。

同じことだった。


「さて、どうしたものか・・・」


若い男と、小さな女の子。

この光景はあまり世間体のいいものではない。

できればこれ以上、関わりたくないものだった。

俺はナマケモノを取り上げる。

ぷら~ん、と女の子がそれにぶら下がったままでいる。


「離せ。 これはお兄ちゃんのものなんだぞ」
「だいてたい。 かわいいから」
「不気味だろっ。 取って食われるぞ」


俺は人形を引っ張って、引き離しにかかる。


「うらーっ!」


ぎゅ~~っ!

だがナマケモノの体が伸びるだけだった。

しかも、伸びた部分は戻らない。

手足が、さらに長くなってしまった気がする・・・。


「くそ・・・」


あきらめる。

俺は仕方なく、女の子をその場に残して親を探すことにした。


「世話のかかる奴だ・・・ったく」

 

・・・後ろを振り返る。

ナマケモノを抱いて、じっとこっちを見ている。


・・・・・・。


彼女の後ろには堤防。

それを乗り越えようものなら、浜までは大人の背の高さほどの落差が待っている。

反対は車道だった。

 

・・・


・・・・・・


「本当、世話のかかる奴だ・・・」


結局、女の子を連れてゆくことにした。

残しておくにはあまりに幼すぎて、気が引けたのだ。


「かわいい」


女の子は俺の背にいる。

そこで、さらにナマケモノを抱いている。

親がいないと言うのに、呑気なもんだった。

 


・・・


・・・・・・


俺は道行くひとに聞いてまわった。

だが、手がかりは一向に見つからない。

警察に頼るしかないだろうか。

それは、できるなら避けたかった。

俺自身が、身元怪しい人間なのである。

やっかいなことになるのはごめんだった。

しかし、女の子が泣き出してしまうとその意志も揺らぐ。

 


・・・


・・・・・・


「馬鹿、泣くな。 男の子だろ。 って、女の子か・・・」


どうして泣いているかが、見当つかない。


「どうした。 人生に挫折したか。
そりゃまあ、いろいろとあるもんだ。
おまえ、まだ若いじゃないか」

 

・・・。


まったく見当違いの慰めかたをしている気がする。

女の子は一向に泣きやまない。


「ぐあーっ! どうしろってんだよっ」


俺は頭を抱える。

あいつなら・・・

もし、あいつがここにいたなら、どうするだろうか。

俺は観鈴の攻略マップを取り出す。

 

――『おっきな犬がいるの。 いっしょにあそびたいな』

 

あいつなら、そう言い出すだろう・・・。

なら、その通り、行ってやればいい。

 


・・・


・・・・・・


女の子は、あの馬鹿でかい犬と遊んだ。

犬のほうも、自分より弱い生き物だと気づくと、母性本能を発揮して女の子に優しく接した。

俺のときとは大違いだった。

女の子も、終始笑顔だった。

さすがに、俺の動かすナマケモノと違って、本物の生き物相手だと、いきいきしている。


「つかれた・・・」
「そっか、疲れたか。
よし、なら腹ごしらえにいくか」

 


・・・


・・・・・・


その後、川内のお婆さんの家で、お菓子をもらった。


「おいしい」

 

「あんたの子かえ」
「馬鹿。 俺がいくつに見える」
「わしゃ目、悪いけぇのぅ」
「そうか。 なら教えてやろう。 こいつは俺の子じゃない。 迷子なんだ。 親を知らないか」
「だから、目が悪いけぇのぅ。 よぅ顔も見えんわ」
「そうか。 じゃ、世話んなった。 またくる」


俺は女の子の手を引っ張る。


「もっとたべたい。 おいしいから」

 

「・・・・・・悪いが、包んでやってくれないか」
「ああ。 たぁんと、持って帰り」
「悪いな。 世話になった」
「いつでもきなさい。 今度は奥さんもつれてのぅ」


・・・。

 

 


・・・


・・・・・・


そして、堤防の上で風に当たりながら休む。

女の子はお菓子を食べながら、ナマケモノとじゃれている。


「かわいくて、おいしい」


子供というのはどうしてこう、直情的なのだろう。

言うことも簡潔極まりない。


「可愛いのか、おいしいのか、どっちかにしろ」


お菓子とナマケモノを見比べる。

今度は食べてから、ナマケモノを抱いた。


「おいしくて、かわいい」


逆になっただけだった。


「で、次はどうすればいいんだよ・・・」


俺は観鈴の地図を取り出す。

下手くそな絵に、さっと影が落ちた。


「もう、それ見なくていいよ」

 

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顔を上げると、観鈴が目の前に立っていた。


「大変だったぞ・・・」


この時ばかりは、俺は、観鈴の登場をありがたく思った。


「かわいい」


そう言って、女の子をあやした。


「ずっと、この子と遊んでた?」
「馬鹿。 こっちはそいつのせいで、どれだけ苦労したか。
迷子なんだぞ、そいつは」
「迷子? 名前は?」
「さあな。 本人に聞いてくれ」


「うん。 お名前は?」
「6さい」


「すげぇ名前だな」


「往人さんは黙ってて」

 

怒られた。


「お名前は? お歳の前に言うものでしょ?」
「さいか、6さい」
「さいかちゃん?」
「うん、さいか」
「名字は? 上の名前はわからない?」
「しの」
「しのさいか。 合ってる?」
「うん」


「だって」


観鈴がこっちを振り向く。


「で、警察か?」
「地図、見て」
「地図?」


俺は汗でふにゃふにゃになったそれを取り出して、開く。

 

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橋の近くに書き足された文字を読む。


『志野さんのいえ。 小さな女の子がかわいいの。 いっしょにあそびたいな』


俺はぱたん、と閉じる。


「ああ、好きなだけ遊んでくれ」
「でも、お母さん心配してるし、帰らないとね。
いこ、さいかちゃん


俺は堤防の上であぐらをかいて、ふたりを見送る。


「往人さん、なにしてるの」
「なにって、見送り」
「一緒にいくの」
「どうして」
「往人さんは、なんの途中だったのかなー」
「ああ、そうか」


俺は正午から置き去りにしていたリヤカーの存在を思い出す。

海からの風に背を押されるようにして、コンクリートの地面に降り立った。

 


・・・


・・・・・・

 

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「最初からおまえがいれば良かったんだな」


引くリヤカーの荷台にはタンスと食器棚。

古いものだが、傷ひとつなく、丁寧な扱いを受けてきたものだった。

後いくつか、こまごまとした物もダンボール二箱分ある。


「わたしはこの町の案内しただけ。 がんばったのは、往人さん」
「俺はうろたえてただけだぞ」
「じゃ、ふたりでがんばった」


がらがらがら・・・


重みが増して、車輪は軋みをあげている。

その音を聞きながら、女の子を家に帰してから、母親と長く立ち話をしていた観鈴の姿を思い出す。


「別れ際、何を話してたんだ、おまえ」
「お礼言われた」
「そらそうだろうけど・・・長かったな」
「うん。そうだね」
「一緒に遊ぶ計画でも立ててたんじゃないのか」
「あ、それしておけばよかったな」
「そら大丈夫だ。 いついっても、歓迎してくれる。 あの分じゃ」
「そうだね」

 

からからから・・・

 

・・・


・・・・・・

俺たちは、商店街に戻り、その日の報酬を受け取った。

 

その帰り道。

 

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「あ・・・」


隣を歩く観鈴が小さな声を上げた。


「どうした」
「シャボン玉」


呟く観鈴の視線の先を見た。

赤から藍へと色を変え始めた空の下。

どこからともなく、小さなシャボン玉が漂ってきた。


「かわいい、にははっ」


観鈴はうれしそうに、漂ってきたシャボン玉に指先をのばす。


ふわ・・・。


「あれ?」


観鈴が伸ばした指先を擦り抜け、シャボン玉が漂っていく。

その行き先から、楽しげな声が・・・。

 

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昼間に立ち寄った駅だ。

そう言えば晴子が『電車は無理や』とか言っていたような気がしないでもない。

あの時はカウボーイに酔っていたからな・・・。

よく覚えていないが、なにか無理な理由でもあるんだろうか。

別に普通の駅だ。

綺麗だし、特に寂れた様子もない。


・・・・・・。


(・・・なにが無理なんだ・・・?)


「あ・・・」


観鈴が何かに気づいて声を上げる。

俺もつられてそっちを見た。

 

 


「やったーっ、またせいこーっ」


「・・・・・・」

 

 

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・・・少女がいた。


「もういっこ飛ばすよーっ」
「・・・うん」


それは、とても幻想的な光景だった。

知らぬ間に、夢幻の森に迷い込んでしまったかのような・・・。

そんな錯覚を覚える光景だった。


「あ・・・遠野さんだ」


観鈴が、少女の名を呼ぶ。


「・・・なんだ。 知り合いか」
「うん。 遠野美凪さん。 わたしのクラスメイ・・・ト・・・わっ」


少女が俺たちの存在に気づく。


「・・・・・・」


物言わず、俺たちをじっと見つめる。


「わっ、わっ、わっ」


(なに慌ててんだ、こいつ)


観鈴は、口をぱくぱくさせて、クラスメイトに声をかけようとしている。


「・・・・・・」


そのクラスメイトは、俺たちを見つめたまま、表情さえ変えようとしない。


そして・・・。


ふと、少女を取り巻く空気が、現実の色を取り戻した。

いつの間にか、景色は夕暮れから夜へと移り変わっていた。

 

すたすたすた・・・


少女が、俺たちの前に歩み寄ってくる。


「こ、こんにちは、遠野さんっ」


観鈴は、慌ててクラスメイトに挨拶をした。

 

 

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「・・・・・・」


返答はなく、ただじっと見つめられるだけ。


「あの・・・」


どうやら、観鈴はクラスメイトの反応に困っているようだ。

ここは、助け舟を出してやるべきだろうか。


「・・・・・・・・・奇遇ですね」

少女がようやく口を開く。


「は、はいっ、すっごい偶然っ。 びっくり」


大げさに驚いてみせる観鈴


「・・・・・・」


反応しない少女。


「あの・・・」


困った観鈴


「・・・・・・」


傍観する俺。


「・・・・・・・・・・・・こんばんは」


ぽつりと呟く。


「えっ・・・」
「・・・・・・」
「・・・違う?」
「えっ? えっ、えっ?」
「・・・じゃあ・・・えっと・・・」


唐突に物思いに耽る。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


少女を見つめながら、俺と観鈴はなにかを待つ。

もちろん、なにを待てばいいのかは知らない。


「・・・・・・・・・あ」


これか?

俺たちが待ちわびた、少女の言葉は・・・。


「・・・おはこんばんちは」


・・・かなりの死語だった。


「お、おはこんばんちは・・・」


観鈴は、クラスメイトに度肝を抜かれながらも、何とか反応してみせる。


「・・・・・・・・・正解?」
「えっ」
「・・・はずれ?」
「えっ、えっと、正解かな。 どっちかといえば」
「そうですか・・・・・・」

 

・・・一応、喜んでいるようだ。


「おい。なんなんだ、こいつは・・・」


観鈴を引き寄せ、耳打ちをする。


「クラスメイト」
「それは知ってる」
遠野美凪さん」
「それも、さっき聞いた」
「綺麗だよね」
「ああ。 そうかもしれないな」
「成績も、学年でトップ」
「そらすごいな」
「だよね。 わたしとは、大違い。 にはは」
「おまえも、ちゃんと勉強しろよ」
「うーん・・・勉強むずかしい」
「ま、諦めずに頑張るこったな」
「がんばってるつもりなんだけどな・・・」
「もっとシャープに頑張ってみろ」

 

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「うん、がんばってみる」
「ああ。そうしろ。 って、話がずれてるっ」


しかも、シャープに頑張るってどういう意味だ。


「・・・放ったらかしですね・・・私・・・」


「あ・・・」
「あ・・・」

 

「・・・・・・・・・なにか御用ですか? 神尾さん」
「え・・・えーっと、特に用ってわけじゃないですけど・・・」
「そう・・・?」
「うん・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 

再び沈黙・・・。


会話が続かないらしい。

観鈴は、いちおう笑顔を保ってはいるが、額に冷や汗をかいている。

どうやら、それほど親しい間柄ではないようだ。


とはいえ・・・。


「クラスメイト同士だったら、もっと楽しく会話したらどうだ」


とりあえず、この場は助けてやる。


「えっ、う、うん」


観鈴ちんファイトである。


「あの、遠野さん・・・」


観鈴の声には、妙に力が入っている。


「ほ、本日も実に良いお日柄で」

「・・・おい」


わけのわからない切り出しだった。


「・・・・・・・・・はい・・・良いお日柄ですね」


でも、会話成立。

昨今の女学生の会話は実に奥が深い。

 

「なにしてたんですか、こんなところで」


自信をつけた観鈴が、にこやかに会話を振る。


「・・・・・・・・・日光浴」
「えっ」
「・・・・・・・・・なんちゃって・・・今は夜」
「・・・・・・」


「・・・・・・」


一瞬、時間が止まったような気がした。

 

「うぉーーーいっ、美凪ぃーーーっ」


「・・・ん?」

 

ぱたぱたぱた・・・


近づいてくる足音。


ぱたぱたぱた・・・


・・・ぱたぱたぱたぱた・・・


ぱたぱたぱたぱたぱたぱた

 

どがっ!


「ぐはっ」


「わっ、往人さんが木の葉のように」

 

 

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「なにしてんの、美凪。 シャボン玉は?」
「・・・うん」
「いまね、いまね、絶好調だよっ。 はやくつづきしよ」
「・・・うん・・・でも」


ちらりと俺を見る。


「へへへー、はやくはやく」


少女は、甘えるように遠野美凪の腕にすがりつく。


「うぐぐぐぐ・・・」


「往人さん、いたそう・・・」


・・・痛いんだよ。

 

 

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「その女の子、妹さんですかっ」


観鈴が、二人の空気に割って入る。


「んに? ちがうよ、みちるは美凪の親友だよ。
お姉ちゃんは、だれかな?」
「わたし? わたしは、遠野さんのクラスメイト」
「んに? クラスメイト?」
「うん」
「そっか。 んじゃあ、勤勉の友だねっ」
「き、きん・・・?」


いきなりの難解な日本語に、戸惑う観鈴


「にははっ」


笑ってごまかしている・・・。


「んに?」


少女が俺の存在に気づいた。


「むぅ?」
「・・・・・・・・なんだよ」
「むむぅ?」


悩んでいるようだ。


「むむむぅぅ?」


さらに悩んでいるようだ。


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。


そして、少女の結論。

 

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「にょわっ! またまたヘンタイゆうかいまだっ!」
「まだ言うかっ」


しかも、語頭に失敬な言葉がつけたされていた。


「ねえねえ美凪っ、ゆうかいまだよっ、ヘンタイだよっ!」
「言いふらすなっ」


「・・・・・・・・・ヘンタイ・・・」
「しみじみと言うなっ」


しかも、ため息混じりに・・・。


「・・・ここにきた目的は?」
「って、人の話を聞けっ」
「・・・?」


・・・なぜ、首を傾げる。


「えっと、それはですねー」
観鈴、おまえまでボケるのかっ」


「・・・?」
「?」


仲良く首を傾げるクラスメイトたち。


「んにゅ~、そんなこと、きいたらダメだよふたりともぉ」
「・・・どうして?」
「だって、言えるはずないよねー」


「なにをだ」


「んに? なにって、あたらしいえものをさがしてるんだよね、ゆうかいまは」
「・・・・・・」
「でも、ざんねんだったね。

ここには、みちるたち以外はいませんっ。にゃはは」
「・・・・・・」


すたすたすた。

 

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ぽかっ。


「んにゅごっ」


「わっ、すごい音した」


「にゅぅぅ~~~・・・」
「あんまり好き勝手言ってると、終いには怒るぞ」
「うぅ・・・もう怒ってるよぉ・・・」



「・・・あの・・・」
「ん? なんだよ」
「・・・えっと・・・・・・仲良し?」
「なんでやねんっ!」



びしっ、と裏拳をかました。


「・・・あ・・・切れ味抜群」


感心された。


(・・・・・・・・・なんでやねん)


ちょっと嬉しかったりもする。


「・・・ところで」
「うん?」
「・・・同じ質問です。
・・・どうして・・・ここを犯行現場に選ばれたのですか?」
「質問が変わってるじゃないかっ」
「・・・・・・・・・やっぱりそうでしたか」
「・・・・・・はぁ・・・」


そろそろ帰りたくなってきた。


「そうですよ、遠野さん」


横から、観鈴が加勢にきてくれる。

ありがたい。

あの観鈴が頼もしく見えるじゃないか。


「往人さんは、ヘンタイじゃないです」


(しまった! そっちの弁明か!)


「・・・・・・・・・では誘拐魔?」


・・・違う。


「残念ながら、それも違います」


残念って言うな。


「・・・そうですよね・・・悪い人かどうかは・・・見たらわかります」
「うん。 悪い人には見えませんよね。 目つき、悪いけど。 にはは」


「・・・・・・」


「わっ、今、無視された」


してやった。


「・・・どなた?」


観鈴に話しかける。


「あっ、えーっとですね、このひとは国崎往人さんっていいます」


ぐいっ。


言いながら、観鈴は俺の腕を引っ張り、少女の前に据える。


「・・・国崎・・・往人さん?」
「ああ。 マイネーム・イズ・国崎往人だ」


少女の奇天烈ぶりに対抗するため、意味不明にインテリぶってみる。


「・・・・・・・・・外国の方?」
「いや、バリバリ日本人だぞ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・なるほど」
「う・・・」


何かを納得されてしまった。


「・・・恋人同士?」
「えっ、わっ、ちがうちがう」


俺の後ろで、観鈴が手をぱたぱたと振る。


「その通りだ」
「わっ・・・そうだったんだ・・・」
「冗談に決っているだろ」
「にははっ、そうだよね。
往人さんは旅人さんで、今はうちに泊まってくれてるんです」


「・・・・・・・・・ひも?」


「失礼なことを言うな。 旅人だと言っているだろう」


と言ったものの、してることはそう大差ないのかもしれない。


「・・・・・・・・・旅人さん」
「まあな」


「にょわ~」
「・・・なんだよ」
「ヘンタイゆうかいまで、宿無しなら、救いようがないねぇ」
「・・・・・・」
「ま、たのまれたって救わないけど。 にゃはは」
「・・・・・・」


すたすたすた。

 

 

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ぽかっ。


「んにょへっ」


「わっ、またすごい音」



「おまえに救われたくないわっ」
「うぅぅ・・・」



「・・・・・・・・・名コンビ?」
「違う」
「そう・・・」
「・・・・・・はぁ・・・」


ぽりぽりと頭を掻く。

いい加減、頭がどうにかなりそうだった。


「・・・あ」
「なんだよ。 まだ、なにかあるのか?」
「・・・・・・・・・忘れてました」
「うん?」


ずいっ、と俺の方に半歩にじり寄る。


「・・・なんだよ」


思わずたじろいでしまう。


「・・・えっと・・・私は・・・み・・・・・・いえ・・・遠野と申します。
・・・以後お見知り置きを」


ぺこりと頭を垂れる。


(なんだ、自己紹介か・・・)


「・・・・・・」
「遠野・・・美凪でいいのか?」
「・・・・・・・・・エスパー?」
「・・・違う。 さっき、こいつに聞いただけだ」


観鈴を指さす。

 

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「・・・残念」


なぜに?


「・・・・・・・・・でも・・・なるべく遠野と、お呼びください」
「名前で呼ばれるのは嫌いか?」


ぷるぷるぷる。

首を何度も横に振る。


「・・・・・・」
「?」


不意に、遠野が寂しげな表情を見せる。

 


「みちるは、みちるっていうんだぞ。
しかも、美凪の親友だっ! えっへん!」


突然、横からガキがしゃしゃり出てくる。

と言うか・・・。


「・・・まだいたのか、おまえ」


がすっ!


「ぐはっ」


みぞおちに、鋭角な蹴りが食い込んだ。

 

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「いたらわるいか、コンチクショーーーっ」
「ぐぐぐ・・・」


無様にうずくまる俺。


「・・・・・・」


そんな俺を見つめる遠野美凪



「・・・やっぱり仲良し?」
「ち・・・ちがう・・・」



「あったりまえだーーーっ」



ずびっ!ずびっ!


「おうっ、おうっ」


うずくまる俺の後頭部に、みちるチョップが連続で決まる。


「ナイスチョップ。 にはは」
「称えるなっ」


「・・・・・・」
「ん? どうかしたのか」


遠野美凪が、俺の顔をじっと見つめている。


「・・・・・・」


ぷるぷると首を横に振る。


「?」


「むぅ・・・」


・・・みちるに睨まれている。


美凪ぃ、そろそろシャボン玉飛ばそうよぉ」


遠野のスカートを引っ張る。


「・・・うん」


「そうだっ。 かみかみも一緒にしようよっ」
「かみかみ・・・」


観鈴のことらしい。


「で、あんたは、さっさと帰れ」
「・・・言うと思ったぞ、このやろう」


このガキは、俺になんの恨みがあるのだろうか。


「・・・・・・」
「ん?」


遠野が、俺の顔をじっと見つめている。


「どうした」
「・・・・・・」


ぷるぷるぷる。


(なんなんだ、さっきから)


「・・・みちる」
「んに?」
「・・・今日はもう遅いから・・・また明日にしよう」
「え~~~、せっかくうまくシャボン玉飛ばせてたのにぃ」


(うまく? たしか、一個きりだったような気がするが・・・)


思ってはみたものの、口には出さないでおいた。


「・・・お弁当・・・つくってくるから」
「うぅ~~~、んじゃあ、『はんばぁぐ』つくってきてくれる?」
「・・・うん」


こくりとうなずく。


「ほんとっ!」
「・・・うん」
「やったーーー!」


みちるが、心底うれしそうに小躍りをする。


「・・・そういうわけで・・・神尾さん。 ・・・私たち・・・そろそろ」
「あ、はい。
じゃあ、わたしたちもそろそろ・・・ね、往人さん」


「そうだな」


腹も減ってきたし・・・。


「・・・じゃあ・・・良い夏休みを」
「は、はい」


「・・・国崎さんも・・・お体に気をつけて」
「ああ」

 



「・・・・・・」


なんか、ガキに睨まれてるぞ、俺。


「ばいばい、かみやん。 気をつけて帰ってね」
「かみやん・・・」


観鈴のことらしい。

で、俺は・・・。


「あんたはどうでもいい。 ぷいっ」


(ち、ちくしょうっ)


「・・・さようなら」


「にゃはは、おやすみーーー」

 


・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 

宵闇の中、二人の少女が影を重ねながら去っていく。

無意識のうちに、視線は少女たちの後ろ姿を追う。


「なあ・・・」
「うん?」
「俺、あのガキになにかしたか?」
「うーん・・・わかんない」
「なんか、納得がいかない。
そういえば、おまえの地図に駅はなかったぞ?」
「うん、もうこの駅使われていないから、いらないかなーって思って」
「使われていない?」
「うん、少し前に電車が通らなくなったの」
「事故か何かか?」
「ううん、なんか経営がどうとかって言ってた」
「・・・そうか、廃線なのか」


確かに、電車での移動は無理だな・・・。


「書き足しておこうか」
「あん? なにがだ?」
「駅。 書き足しておいた方がいいかな」
「・・・そうだな、動き回るのにいい目印になる」
「じゃ、書いておくねー」
「頼むぞ」
「うん。 じゃ、帰ろ」
「ああ」

 

 

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・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。


俺は、観鈴と歩きながら、遠い目で暮れゆく夏の天空を眺めた。

知らぬ間に、山の稜線の上には無数の星粒が瞬いていた。

あれが、天の川というものだろうか。

広大な空。

星々はその生命の瞬きを謳歌していた。

満点の星のすべてを目にするように、ぐるりと空を見渡してみる。

綺麗だ。

都会のようにごみごみした空気じゃないので、星の一つ一つがしっかりと見える。

こういうものに出会えるのも旅の一つの醍醐味という物だろうか・・・。

 




・・・・・・・・・。


・・・・・・。


・・・。

 


俺は夕飯を食った後、テレビも見ずに居間の床に寝転がっていた。

目の前には、片手にかざした紙幣。

 

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「往人さん、そんなものじっと見てないで、トランプして遊ぼ」


これ持って、このまま逃げようか。

いや、俺は商売道具を取り返していない。

というか、これで新たな人形を買えばいいのではないか?

確かに、あれはボロだ。

が、あれには、いろんな思い出が詰まっている。

俺が大成する日には、その喜びを共に分かち合いたい存在だ。


「思い出いっぱい、夢いっぱい」
「意味不明なこと言ってるし」
「うーむ・・・」


ごろごろと転がる。


「ね、往人さん、ト・ラ・ン・プ。 トランプしたいな」
「あぁ・・・」


ごろごろ。


「往人さん、お金持ったら、おかしくなっちゃった・・・。
嫌だな、そういうの」
「はぁ・・・」



・・・。


・・・・・・。

 


体を起こすと、ひとりでトランプをしていた観鈴がいなかった。

風呂にでも入っているのだろうか。


(俺も汗を流しておかないとな・・・)


が、どうにもその気力が沸かない。

疲れているのだ。

歩きっぱなしには慣れていたから、疲労は精神的なものだ。


(ま、観鈴ぐらいにしか会わないし、いいよな・・・)


このまま眠ろうと俺は毛布を腹にかけ、再び床に転がる。

 


・・・・・・。


ぱたぱた・・・


「あー・・・往人さん、もう寝ちゃうの?。
お風呂入らないと、汗くさいよ」


つんつん。


「寝てる・・・」


くんくん。


「あ、そんなに汗くさくないね。 地図どこかな」


ごそごそ。


「あった」


かきかき。


「更新完了っと。 うーんと・・・わたしも、もう寝よっかな。
えっと・・・」


きょろきょろ。


ナマケモノさんのぬいぐるみ、どこかな。 一緒に寝たい。
あ、バッグから長い足、出てる」


するする・・・ずぼっ!


「でてきたでてきた。
なんか、また足が伸びてる気がする・・・。
ま、いっか。 かわいいから。 一晩、借りるね。
おやすみ~」


ぱたぱたぱた・・・

 


・・・。



「ん・・・」


観鈴の声が今までしていた気がするが・・・。


それは夢だかなんだかよくわからなかった。


もう一度眠る。

 

 



・・・・・・。


・・・。

 


次、目覚めると、観鈴がいた場所に晴子がいた。

口からイカの足を出して、グラスに酒を注いでいた。

まどろむ中で、その光景をじっと見ていた。

しばらくすると、再び瞼が重くなってくる。

 




・・・


とくとくとく・・・


どくどくどく・・・


「・・・ぐ・・・。
ごほっ・・・! げほげほっ!!」


窒息寸前で俺は意識を取り戻し、喉に詰まったものを吐く。

 

「殺す気かっ」

 

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目の前には晴子。

手には一升瓶。

さらに俺の口に注ごうと、傾けていた。


「狸寝入りやろ。 目開いとるん、さっき見たで」
「にしても、横になっている人間の口に酒を注ぐことはないだろっ。
それに、疲れてるんだ。 このまま眠らせろ」
「うちら、そんな仲やったん。 いけずやわぁ」
「ああ、いけずなんだ」


俺は再び横になる。


「いけず、いけず~」


しばらく、呪いのようにそう繰り返していたが、唐突に含み笑いをもらし始める。


「ええのんか~、あんたが相手してくれんと、こっちの子が寝つけへん夜になるで~」


見ると、俺の人形を手の中でもてあそんでいる。


「なら、これで寝かせてやってくれ」


俺はポケットから札を取り出して、それを突きつける。


「・・・なんやそれ」


手に取って、仔細に眺める晴子。


「知らないのか、一万円札だ。
これで、あのナマケモノは買い取った」
「・・・・・・」
「寝るぞ、俺は」
「すごいな・・・あんた、やる時はやるんやなぁ・・・。
うーん・・・そかそか」


なかなか寝させてくれない。

ひとりでぶつぶつ喋っている。


「もう、寝たんかー。
しょうもないやっちゃな・・・。
もっかい飲ましてみよ」


一升瓶の口を鼻にねじ込まれる。


「どこから飲ませる気だっ」


俺は飛び起きる。


「あんたな・・・俺は勝負に勝ったんだ。 大人しく寝かせろ」
「勝負なんかしてへんもーん」
「なら、なおさらだろ。 静かに寝かせろ」
「うち、あんたで遊ぶねん。 おもろいから」



あんたと、ではなく、あんたで、というところが聞き捨てならない。



「納屋で寝る」


俺は立ち上がる。


「あんた、ほんまにいけずやなぁ。
ちょっとぐらい相手してくれてもええんちゃうの」
「朝は観鈴を見送って、夜まであんたの相手をしていたら、俺はいつ寝るんだ」
「寝んでええねん」


無視だ。無視。


俺が廊下へ出てゆこうとすると、晴子が独り言のように呟く。


「まだ、観鈴と朝、一緒に行ってくれとるんやな」
「ああ」
「そかそか」
「どうした」
「うち、自分の部屋で飲むから、ここで寝てもええよ」


酒とつまみを持って立ち上がる。


「ほな、おやすみ」


最後まで、口からイカの足をはみ出させたままだった。


ひとり残される俺。


辺りは一気に静まり返る。


「今夜は穏やかだったな・・・」


口に強引に酒を注がれたのと、鼻に一升瓶の口を突っ込まれただけで済んだ。


俺は毛布を腹にかけ、床に寝転がる。


そういえば、俺の人形・・・。


目を開けて、床の上を探す。


晴子が座っていた位置に落ちていた。


というか、ちゃんと座布団の上に鎮座させてあった。


手を伸ばしてそれを取る。


久々に手に戻った気がする。

 

が・・・少し違和感がある。


なぜか、一回り小さくなったような・・・。


しかも、片目が消えたりしている。


これは・・・。


「洗濯機にかけられている・・・」


洗いたての洗剤の匂いがぷんぷんする。


一日という時間は、短いようで、こいつにとっては苦難の道のりだったのだ。


「悪かった・・・」


ぴたっと手を合わせ、人形を拝んでおいた。



・・・・・・


・・・