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Steins;Gate DramaCDβ -無限遠点のアークライト- ダイバージェンス1.130205%

 


あの日、私の彦星さまが復活していれば……。

すべては変わっていたかもしれない。

でも、その時の私は……。

悲しいくらいに傍観者でしかなくて。

手を伸ばせば、空のアークライトにだってきっと届くと……無邪気に思っていた。


鈴羽「オカリンおじさん……。その世界線、“運命石の扉(シュタインズ・ゲート)”は……未知っていうくらいだから、どんな未来が待っているのか誰も知らない。もしかしたら、第三次世界大戦終結した後で、ディストピアが構築されるかもしれない。……もしかしたら、牧瀬紅莉栖はオカリンおじさんが助けた二日後とかに死んじゃうのかもしれない。……もしかしたら、オカリンおじさんは2025年じゃなくて一週間後に死んじゃうかもしれない。でも同時に、もしかしたら2036年になるまで第三次世界大戦が起きないし、ディストピアも構築されないかもしれない。牧瀬紅莉栖も、他の誰も死なないかもしれない。素晴らしい未来が待っているかもしれない。少なくとも、私がいた2036年でもなく、α世界戦のアタシがいた2036年でもなくなるのは確か。……先が見えない、“完全な未知”。それでも行ってくれるなら、それでもアタシと一緒に7月28日へ飛んでくれるなら……この手を握って」
岡部「……やるよ。結局、俺がお前の手を握るように運命は収束するんだろ?」
鈴羽「……ありがとう、オカリンおじさん。じゃあ、乗って!」


まゆり「オカリン! 絶対帰ってきてね! 行ったまま戻ってこなかったら嫌だよ」

岡部「別に違う世界に行くわけじゃない。過去にちょっと戻ってくるだけだ」

まゆり「……うん」

ダル「……なんかさ、変な感じじゃね? これがタイムマシンです、って言われてもまだ実感が沸かないわけだが。人工衛星って言われたほうがまだ信じれるっつーか……」

まゆり「……」

ダル「……ちょっ! なんかタイムマシンの中からケータイが飛んできた件について!」

まゆり「……え、あっ! これ、オカリンのケータイだ! オカリーン! これどうするのー!?」

岡部「えーと、預かっておいてくれ!」

まゆり「わかったー。……ねえ、ダルくん。タイムトラベルしたら、まゆしぃ達から見たオカリンはどうなっちゃうのかな」

ダル「ど、どうって?」

まゆり「今、この世界から電気のスイッチを切るみたいにブツン、っていなくなっちゃうんだよ? なんだかそれってね、すごく怖いな……。まゆしぃはオカリンのこと、ちゃんと覚えていられるのかな……」

ダル「……うーむ。よくわからんけど、タイムマシンが存在できてる時点でその問題は解決されてんじゃね? それに、戻ってくる時間も自由に決められると思われ。タイムトラベルした1秒後とかを指定すればさ。世界から消えてる時間は、1秒だけってことになるお」

まゆり「……そっか。そうだよね。なにも、心配いらないよね……」

ダル「うおおぉぉっ!? なんか光だしたお! ……いよいよか? いよいよなんか!?」

まゆり「オカリン……! ──わぁっ! はうぅ……すごい光……帽子飛ばされちゃうかと思った……」

ダル「ちょっ!? ま、まま、まゆ氏!! あ、あれ!!」

まゆり「えっ?」

ダル「タイムマシンが……2台に増えてるお!!」

まゆり「あっ……」


──岡部のケータイが鳴る。


まゆり「あれ……この着信音、オカリンのケータイ……」

ダル「いやケータイなんて今はどうでも良くてさ。なんでタイムマシンが分裂したん? 中にいるオカリンたちも二人に増殖しちゃったりしたんかなぁ? ……まゆ氏、どう思う? ……まゆ氏、聞いてる?」

まゆり「……え……ねえ、ダルくん。オカリンのケータイが鳴ってるっての」

ダル「だからそれは今どうでも良くて」

まゆり「でもね、電話をかけてきてるの……“まゆしぃ”みたいなんだ……」

ダル「……え? なんぞそれ。まゆ氏の自作自演?」

まゆり「まゆしぃのケータイはね、ちゃんとここに持ってるよ。ほら、かけてないでしょ?」

ダル「一体、なにが起きてるんだ!?」

まゆり「これ……出たほうがいいのかな?」

ダル「いやわかんねぇ。つーか、タイムマシンも増えたし……。混乱してきたおー!」

まゆり「…………あ、また動き出した!」

ダル「オカリンたちが乗り込んだほうだ!」


まゆり・ダル「うわぁー!?」


ダル「……消えた……? 1台消えたお! えーっと、1台が2台になって……また1台に戻った」

まゆり「…………電話、出てみる……」

ダル「えぇ、マジ? ……なんか、や、ヤバくね?」


岡部のケータイに出るまゆり。


まゆり「……もしもし。あなたは、誰ですか?」

???『……どうか、お願い。落ち着いて。私の話を聞いて』


……。

 

Steins;Gate DramaCDβ -無限遠点のアークライト- ダイバージェンス1.130205%


あの日、忘れもしない8月21日。

オカリンはね、タイムトラベラーの阿万音鈴羽さんと一緒に7月21日へとタイムトラベルしたの。

牧瀬紅莉栖って人を、助けるために。

オカリンは、その人のことが好きだった……みたい。

でも、タイムトラベルして戻ってきたとき……オカリンは。


……。


ダル「うぉっ! もう戻ってきたお! まだ1分も経ってないのに」

まゆり「……オカリン……? オカリン!?」


岡部「……っ……!」

ダル「……ちょっ!? オカリン、血まみれじゃん! どうしたん!?」

鈴羽「父さん! タオルと水! あと服も! 今すぐ手に入れてきて!!」

ダル「……え? ええっ!? どういうことか、説明プリーズ!!」

鈴羽「いいから早く!」

ダル「……わ、わかったお!」


まゆり「オカリン……大丈夫? しっかりして! 死なないで……」

鈴羽「……大丈夫。ケガしてるわけじゃないよ」

岡部「……無駄だったんだ……。なにをやっても無駄だ。……ふ、ふはは……全部決まってしまっていることなんだよ……。同じだ……。まゆりのときと同じなんだ……。どれだけもがいたって……結果は同じになる……! 無駄だよ、無駄なんだ……! なにもかも無駄なんだよ!! ……俺はやっぱり、紅莉栖を助けられないんだ。ふはははは……。ははははは!! ……わかってた、わかってたんだ……。こうなるって予想してたんだ……! ……もう、疲れた……。ずっと、休んでないんだ……。だから、もういいよ……。はははは……」

まゆり「……オカリン……一体なにが……」

岡部「俺が……。俺が、殺した。殺してしまった……。バカみたいだ……全部俺のせいだ!!」

鈴羽「牧瀬紅莉栖をさ……。刺し殺しちゃったんだ」

まゆり「……殺した……? うそ……そんな……」

鈴羽「でも安心して、まだタイムトラベルはできる」

岡部「放っといてくれ……。俺のことなんか……。何度やったって結果は同じだ……!」

鈴羽「……っ……なに言ってんの!? 諦めるつもり!? ……オカリンおじさんの肩にはさ、何十億人っていう人の命がかかってるんだよ!? たった一回の失敗がなんだっていうんだ!」

岡部「紅莉栖はどうやったって助けられない! 世界線の収束には逆らえない……!」

鈴羽「……っ……! こうなったら、ビンタしてでも気合い入れなおして──」

まゆり「駄目だよ! 無理強いするのは、良くないよ……。こんなボロボロになってるオカリン、見てられないもん!」

鈴羽「……でもさ、このままじゃ未来を変えられない」

まゆり「……どうして!? どうして、未来のことをオカリンひとりに押し付けるの!? そんなの……重すぎるよ」

鈴羽「……オカリンおじさんには、世界の観測者としての能力があるからだよ」

まゆり「……オカリンが、望んだわけじゃないのに……。それに、もう一度やったって、またオカリンが傷つくだけだって、思うな……! ……未来のこと、人ひとりで変えようなんて……きっと無理なんだよ」

鈴羽「だから……その為の“運命石の扉(シュタインズ・ゲート)”で……。気持ちはわかるよ……。でもさ、アタシも未来を懸けてここまで来てるんだよね。……どっちにしろ、2036年には戻れないんだ。……そう簡単に諦めるつもりは、ないから」

まゆり「……っ……」

鈴羽「オカリンおじさん、一つだけ忠告しとく。このタイムマシンに残されてる燃料は、有限なの。さっきは往復2回分しか残ってないって言ったけど……。実は、まだそれなりに余裕はある。それでも、移動できる時間は……およそ344日分。片道のタイムトラベルだとしても、今から1年と経たない内に……7月28日には届かなくなる。……覚えといて。その日になったらさ、アタシはたとえ一人ででも、飛ぶよ」

岡部「……っ……!」


そのときの私は……。

あんな状態のオカリンに……もう一度頑張って、だなんて……とても言えなかった。

私に出来たのは、ただ名前を呼んであげることだけ。

昔、私がおばあちゃんを亡くしたときに……オカリンがそうしてくれたみたいに。


まゆり「オカリン……。ねぇ、オカリン……。もう頑張らなくてもいいからね。……泣いても良いんだよ。オカリン。まゆしぃは、そばにいるからね。オカリン……」


それからの一年は、とっても長かったような気もするし……とっても短かったような気もする。

私の中で、あんなにもキラキラと輝いていた秋葉原も……最近はなんだか色褪せたように感じるんだ。


──「まゆりちゃーん!」


まゆり「あれ、るか君ー! どうしたの? なにかまゆしぃに用事だったかなぁ?」
るか「はぁ……はぁ……。そういうわけじゃ、ないんだけど……。あの、今日僕……傘を忘れちゃって」
まゆり「そうなの? 傘に入れていってあげたいところなんだけど……。でもでも、まゆしぃは秋葉原には寄らないのです」
るか「あ、そっかぁ……。今日も神田まで歩くの? 電機大って、神田だよね?」
まゆり「うん。あ、じゃあこうしよう! お茶の水の駅まで送ってあげる! あ、その先は……えっと、どうしよう」
るか「そこまで行ければ、大丈夫。家に電話して、秋葉原駅に迎えに来てもらうから。でも、まゆりちゃんは迷惑じゃない?」
まゆり「そんなことないよぉ、大歓迎だよ!」
るか「……良かった。じゃあ、お言葉に甘えることにするね」
まゆり「はい、どうぞ! ……えへへー、るか君と相合傘だー!」
るか「なんだか……照れちゃうな」
まゆり「ねえねえ! るか君は短冊に願い事書いたー?」
るか「あ、今日って七夕だもんね。短冊かー、願い事を書いていたのは小学生の頃までだなー」
まゆり「まゆしぃは毎年書いてるよー。笹の葉もね、ちゃんと買ってくるんだー」
るか「本格的なんだねー」
まゆり「うんー。それで、夜になったら天の川を見るのー」
るか「織姫さまと彦星さまの伝説だよね。……でも、今日のこの天気だと……」
まゆり「……うん。今年は、織姫さまと彦星さまは会えないかもしれないねー。織姫さまはね、“ベガ”っていう星のことなんだけど、白くて明るくてとっても綺麗なのー。海外だとねー、“空のアークライト”って呼ばれてるんだー」
るか「さすがまゆりちゃん、お星さま博士だね」
まゆり「あははー、それほどでもー」
るか「でも、アークライトってどういう意味なの?」
まゆり「えっ!? うんとねー、詳しくはわかんないけど……白くて綺麗なライトだよきっと」
るか「……そ、そうなんだ。あははは……。それで、短冊にはどんな願い事を?」
まゆり「……子供の頃からね、ずっとおんなじ願い事を書いてるんだ。……きっと叶う事のない願い事……」
るか「え……?」
まゆり「織姫さまになれますように、って」
るか「まゆりちゃん……」
まゆり「えへへー、まゆしぃはロマンティストの厨二病なのでーす!」
るか「……ねえ、まゆりちゃん」
まゆり「え、なぁに?」
るか「きっと、なれるよ。岡部さんの、織姫さまに……」
まゆり「え……。やだな、まゆしぃは一言も相手がオカリンだなんて言ってないよ?」
るか「僕だって、一年前に岡部さんになにかがあったことくらい……わかるよ?」
まゆり「……」
るか「それ以来、ずっと心配で。僕なりに、岡部さんのことを見てきた。岡部さんの側にいた、まゆりちゃんのことも……。それで、わかったんだ。まゆりちゃんが、どんなに岡部さんのことを想っているか」
まゆり「……」
るか「弱音ひとつ吐かずに、岡部さんを支えているまゆりちゃんを見てね、凄いなって……思ったよ。……岡部さん、明るくなった。一年前とは、別人だと思えるくらい……。それは間違いなく、まゆりちゃんのおかげだから。だから、まゆりちゃんなら絶対に織姫さまになれるよ」
まゆり「……違うよ、るか君」
るか「え……?」
まゆり「オカリンの心の中にいるのは、まゆしぃじゃないの。夜空に浮かぶ星みたいに、どれだけ手を伸ばしても届かない人……」
るか「……それって、どういう……」
まゆり「オカリンにとって織姫さまは……。もう二度と、輝くことは……ないんだ……」


……。

 

 

 

 

この一年で、私はすっかりラボに足を運ばなくなった。

あの日、去年の8月21日までは……毎日のように通ってたのにね。

その代わりに、今は学校が終わったら大学までオカリンを迎えに行くのが日課になってたんだ。


まゆり「フンフフーン♪」


──「おーい、まゆりー!」


まゆり「あー! オカリーン」
岡部「今日も待ってたのか。全く律儀な奴だな」
まゆり「えへへー。あ、ねえねえ。テスト終わった?」
岡部「ああ。ヤマが上手い具合に当たってな。今日は絶好調だったよ」
まゆり「元々オカリンは頭良いもんねー」
岡部「よせよ、褒めても何も出てこないぞ。……あ、電話だ。はい、もしもし。おー、どうした? なに? 今から飲み会? どこで? え? 鎌田、鎌田って言った? ギャグじゃなくて? なんでそんな遠いところでやるんだよ。……ん-、ちょっと考えさせてくれ。しばらくしたら折り返す。……ああ、誘ってくれてサンキュー。……全く、テストが終わると同時にこれだもんな」
まゆり「オカリンも、すっかりリア充さんだねー」
岡部「なんでそこで寂しそうな顔をする。そもそも、電話の相手は男だ。ゼミで一緒の奴」
まゆり「……最近のオカリンは、とっても楽しそうでまゆしぃは嬉しいな。もう電話に向かって独り言をいうこともないんだね」
岡部「あのなぁ、俺の黒歴史を思い出させるな」
まゆり「黒歴史、かー……」
岡部「……なんだよ。なにか言いたそうだな」
まゆり「ううん……。それで、これから飲み会に行くの?」
岡部「……考え中だ。とりあえず、駅まで行こう」


……。


まゆり「あ、そうだ。一昨日ね、ダル君から面白い写メが送られてきたのー」
岡部「へぇー、どんな?」
まゆり「見る? 見る? 鈴さんが、白衣を着てるだけの写メなんだけど……全然似合ってないんだよー。鈴さんはね、筋肉質すぎると思うなー。なんとね、腹筋が割れてるのです」
岡部「……鈴羽って、今もラボで寝泊まりしてるのか?」
まゆり「……うん! ベッド買ったら? って毎回言ってるんだけどねー、相変わらずソファで寝てるのー。前は、オカリンもよくあのソファで寝てたよね」
岡部「……」
まゆり「あー、あったあった! この写真」
岡部「ん? ははっ、確かに。似合ってないな。ははははっ」
まゆり「ちなみにね、この写メで着てる白衣はオカリンが普段使ってたやつだよー。ダル君用にって、昔オカリンが買ってきたほうは使ってないからね。ちゃんと保存してあるから」
岡部「別にいいんじゃないか? 使っても構わないぞ俺は」
まゆり「……え?」
岡部「なんだよ?」
まゆり「だって……。半年くらい前に、鈴さんが開けようとしたらオカリン凄く怒ったよ?」
岡部「……そうだったか? あんなの、ただの安物の白衣だろ? ……どうした? 急に立ち止まって」
まゆり「……ねえ、オカリン。ラボのこと忘れようとしてるの?」
岡部「……っ……」
まゆり「無かったことにしようとしてるの?」
岡部「……遊びは、終わったんだよ」
まゆり「遊び……」
岡部「大学の講義だってある。バイトだってある。ガキの遊びをいつまでも続けていられるほど、暇じゃないんだ」
まゆり「本当に……。本気でそう思ってる?」
岡部「……ああ!」
まゆり「でも……。タイムマシ──」
岡部「終わったことなんだよ」
まゆり「……」
岡部「……お前だって、無理しなくていいんだぞ? 毎日、俺のこと待ってるのは大変だろう。今年はお前も受験なんだ。俺に気を遣ってないで、少しは勉強しろよ?」
まゆり「……っ……。ねえ、オカリン。覚えてる? ラボを作った頃のこと」
岡部「……なんだよ、急に」
まゆり「まだダル君もいなくて、オカリンとまゆしぃしだけだった頃……。まゆしぃの方が、学校終わるのが早いから、いつも先に来てオカリンを待ってた。……一人だけど、ちっとも寂しくなんかなかったな。オカリンを待ちながら……ぼんやり待ってるだけで幸せだった。……でもね。今のラボは、なんでかわかんないけど……。泣きたくなるくらい、寂しいの」
岡部「……単なる錯覚だろう。一人でいるだけなら、何も変わらない」
まゆり「……そうだね。なにも、変わってないはずなのに……。前は、もっともっと賑やかだったのにな、って感じちゃうの。あのラボには、もっとたくさんの仲間がいたような気がするの。……ねえオカリン? まゆしぃの感じてることって、オカリンと……牧瀬さんのことと……なにか、関係あるのかな」
岡部「ないよ。あるわけないだろう」
まゆり「だったら。どうしてそんな……苦しそうな顔してるの? オカリ──」
岡部「ないっていってるだろう!」
まゆり「……っ……」
岡部「本当になにもない。そのことは考えるな。俺はもう忘れた。お前ももう忘れろ。……今が正常なんだ。それを壊すような事は、もうしない」
まゆり「…………」
岡部「俺やっぱりさっきの飲み会に行ってくるよ。まゆりは、一人で帰ってくれ」
まゆり「……うん」
岡部「じゃあな……」


まゆり「……オカリンは、嘘をつくのが下手だね」


……。

 

ダル「おーい、鈴羽たーーーん。ラーブリーマイドーターーー。いるー?」
鈴羽「……。なにそのラブリーマイドーたー、って」
ダル「うは、うは。い、愛しき我が娘って意味だお」
鈴羽「…………そういうこと聞いてるんじゃない」
ダル「なに? 寝てたん?」
鈴羽「ミッションに備えて仮眠してただけ。……今日が何の日か、忘れたわけじゃないよね」
ダル「……忘れるわけ……ないっしょ。餞別代わりに、ケーキ買ってきた」
鈴羽「……ケーキ」
ダル「けっこう奮発したんだお。鈴羽の大好きなショートケーキを、5個も! ゲットしてきたんだ、ぜい!」
鈴羽「……大好きとか、言わないでよ」
ダル「毎日欠かさずケーキを買い食いしてることくらい、お、お父さん、お見通しだお」
鈴羽「……」
ダル「じゃあ、皿とフォークと……。あと、コーラも用意しないとな。鈴羽はケーキ出しといて」
鈴羽「今日、オカリンおじさんは?」
ダル「電話しても着信拒否されたお。まゆ氏と一緒なんじゃね?」
鈴羽「説得できないまま時間切れか……。やっぱ銃を突きつけてでも行くべきかな」
ダル「それはやめとけって。つーか、半年前にそれやって警察沙汰になったじゃん」
鈴羽「銃一丁であそこまで大騒ぎになるなんて思わなかったんだよ。……全く。やりにくい時代だなぁ」
ダル「ふふふーん♪ じゃあ、いただくお! 鈴羽は、2個! 食っていいからな」
鈴羽「で、父さんが残りの3個を食べるわけ?」
ダル「いや、僕は1個」
鈴羽「余った2個は?」
ダル「もしかしたら、来るかもしんないじゃん。オカリンと、まゆ氏……」
鈴羽「……っ……。いただきます」


──玄関のドアが開く。


ダル「あ、まゆ氏! 久しぶりじゃん。つーか、マジで僕の予想大当たり? ……あれー、でも……オカリンは?」

まゆり「……鈴さん。今日、タイムトラベルするんだよね」

鈴羽「予定通りにね」

まゆり「あ……。オカリンは……来ないよ」

鈴羽「……わかってる」

まゆり「ごめんね。まゆしぃは、オカリンのこと説得出来なかったし、説得するつもりもなかったから……」

鈴羽「気にしないで。アタシも、一人で飛ぶ覚悟はしてたから」

まゆり「……ねえ、鈴さん。ちょっと、お話させてほしいんだ」

ダル「おー……? 僕は、お邪魔虫……?」

まゆり「ううん、大丈夫」

鈴羽「話って……?」

まゆり「……2036年の、まゆしぃとオカリンのこと……」

鈴羽「……!」

まゆり「その頃のまゆしぃ達のこと、聞かせてほしい」

鈴羽「……なんで今になって聞くの? この一年、聞く機会はいくらでもあった」

まゆり「…………未来を知るのが、怖かったから」

鈴羽「その恐怖心は、あながち間違いじゃない。未来は、まゆ姉さんにとっては残酷過ぎると思う」

まゆり「……っ……それでも、教えて」

鈴羽「……そうだなぁ。アタシの知ってるまゆ姉さんは、いつもボンヤリと空を眺めてた。……濁った空を見上げてる笑顔は、いつも……寂しそうだったよ」

ダル「まゆ氏は、いくつになっても変わんないんだな。なんか、安心したお」

まゆり「……オカリンは……2025年に死んじゃうって、本当なの?」

鈴羽「……本当だよ」

まゆり「なにが原因で……?」

鈴羽「戦争の真っ只中だったけど、戦死とかじゃなくて……。まゆ姉さんを庇って、強盗に撃たれたんだって」

まゆり「……まゆしぃを……庇って?」

鈴羽「不思議だよね。今のオカリンおじさんは、50億人以上の未来の運命を握ってるのにさ……。14年後に、そんなあっさり殺されちゃうなんて。まゆ姉さんは、その事に責任を感じてるみたいだった。……見てて、痛々しいくらい」

まゆり「……っ……」

鈴羽「それとさ、まゆ姉さんはよくこんな事を呟いてたよ。あの日、私の彦星さまが復活していたら……。全ては変わっていたかもしれない」

まゆり「え……」

鈴羽「私には、どういう意味なのかわかんなかったけど……。っと、時間だ。昔話、じゃなくて……この場合“未来話”か。それはお終い」

ダル「もうちょっと待っても、いいんじゃね?」

鈴羽「別に、オカリンおじさんを待ってたわけじゃない。秋葉原のお店が閉まるのを待ってただけ」

ダル「そっか。ラジ館に忍び込むには、そのほうが都合良いもんな」

鈴羽「そういうこと」

まゆり「ね、ねえ。本当に行っちゃうの? タイムマシンはもう、往復はできないんでしょ?」

鈴羽「まあね。去年の7月28日に、ギリギリ辿り着けるかどうかっていうところ」

まゆり「……一年前に到着して、やっぱり失敗したら……。鈴さんはどうなるの?」

鈴羽「……わかんない」

まゆり「この一年を、また繰り返すのかな」

鈴羽「それはないと思う。この一年を過ごしてきた私と、今から一年前へ飛ぶ私は……。別の私だから。同時に存在することが出来たとしても、父さんやまゆ姉さんの前には……出て来られないだろうし。いつか、世界線の収束で……私っていう歪みは修正されるかもね」

まゆり「修正、って……。やっぱり、行くのはやめようよ。ね? 鈴さんがそこまでする事ないよ!」

鈴羽「……引き留めても無駄。私は、私の使命を果たす」

まゆり「ま、待って! 行っちゃ駄目だよ。ダル君止めて!」

ダル「鈴羽……。頑張ってな」

鈴羽「オーキードーキー。……ケーキ、ご馳走様」

まゆり「……ダル君……どうして?」

鈴羽「じゃあ。状況を開始する」

まゆり「鈴さん!」


……。


ダル「雨……。止んで良かったな」
まゆり「……ねえ。ダル君は、どうしてそんなに落ち着いていられるの? 今からでも追いかけて止めようよ! お父さんなんだからね、止めるべきだよ!」

ダル「……僕は、止めないよ」

まゆり「……っ」

ダル「この一年さ、ずっと疑問だったんだよね。なんで、25年後の僕は、鈴羽をこの時代に送り出したんだろう、って。実の娘に危険な事させてるわけだし。もう二度と会えなくなるかもしれないわけじゃん。……その疑問を、前に鈴羽にぶつけてみたことがあるわけ。……そしたら、なんて答えたと思う?」


鈴羽『アタシをタイムトラベラーに選んでくれたのは、父さんなりの優しさなんだと思ってる。……あの地獄のような2036年はさ、その日生きていくのも命がけだったんだ。私の親しい人は次々に死んでいったし、私も……誰かの親しい人を何人も殺してきた。……それに比べて、この時代は……この場所は……幸せ過ぎるんだ。父さんや母さんと、この時代で過ごしたい。そんな叶わない夢を、つい頭に思い浮かべちゃうくらいに。この時代に来てから、ますます未来を変えたいっていう想いが強くなったよ。だから、私は使命を果たす。この時代が20年後……30年後まで続くように……。その為の、幸せな夢だったんだよ。この一年間の事は……。ありがとう、父さん。感謝してる』


ダル「……あのクールな鈴羽がさ、微笑みながらそんな事を言ったんだお。あんな顔されたら、引き留める事なんか出来ないっつーか……。だから、僕も覚悟を決めたわけ。胸張って、鈴羽を見送るって。僕は、僕に出来ることを……やるって」

まゆり「ダル君の、出来ること……?」

ダル「……僕は、25年後に……人類初のタイムマシンを完成させるらしいのだぜ……!」

まゆり「……まゆしぃは、どうすれば良いのかな……。どうすれば良かったのかな……。なにかしたいけど、なにも出来てない……。まゆしぃもラボメンなのに……」

ダル「まゆ氏は、オカリンを立ち直らせたじゃん。それで、十分じゃね?」
まゆり「あの日、私の彦星さまが復活していたら。全ては変わっていたかもしれない……。あれって、どういう意味だと思う?」
ダル「未来のまゆ氏が言ってた、か……。まあやっぱ、誰かの事を指してるんじゃね?」
まゆり「……誰か……」
ダル「それが誰かはともかく。まゆ氏に出来ることはさ、どっちかしかないと思われー。リスクを負うか、安定を望むか。リスクを負うならさ、覚悟を決める必要があるのだぜ。まゆ氏にとっても、その彦星さまにとっても……。辛い結果になるかも知れんし。……オカリンは、リスクを覚悟して、一年前……失敗した。鈴羽も、失敗覚悟でもう一度飛ぼうとしてる! 未来の僕は、娘に二度と会えなくなった。まゆ氏は、どうする? どっちを選んだって、誰も責めたりしないお」

まゆり「まゆしぃは……」


私にとっての彦星さまは……一人だけ。

おばあちゃんを亡くして、立ち直れなくなってたときに……。


岡部『……まゆりは、俺の人質だ! 人体実験の生贄なんだ! どこにも逃がさないからな! フハ、フハハハハハハ!』


そうして、人質になったときから……鳳凰院凶真は私の日常になったの。

オカリンも、鳳凰院凶真も……どっちも私の大好きな岡部倫太郎なんだよ……。

優しいオカリンと、強引な鳳凰院凶真……。

でももう、遊びは終わったって……オカリンは言ってた。

一年前のあの日から、なにかが欠けている気がしてたの。

とっても大事なものが、失われちゃった気がしてたの。

寂しくて泣きたくなるくらい……私は求めてる。

心の底から、望んでいる事がある。


まゆり「ねえ、ダル君……。まゆしぃはね……まゆしぃは、鳳凰院凶真に会いたいよ……。あの偉そうな高笑いを、また聞きたいよ……。たとえ、まゆしぃは織姫さまになれないってわかってても……。それでも、まゆしぃにとっての彦星さまは……。これまでも、これからも、岡部倫太郎以外にはいないもん」
ダル「……つまりそれが、まゆ氏の選択、ってことだ。だったらさ! 迷うことなんか、ないんじゃね?」


そう。

チャンスは、目の前に転がってるんだ。

未来の私の、26年間の後悔を……無駄にしちゃいけないよね。

あのときの鳳凰院凶真が、なんの躊躇いもなく抱き締めてくれたみたいに……。


私も……!


まゆり「ダル君! 鈴さんを追いかけよう! まゆしぃは、今日だけ人質をやめようと思います!」


……。

 

 

 

 


鈴羽「……っ……! 風が強いな……。……さて、働いてもらうよ、“C203”……」


──「いったいどんなカラクリだ?」


鈴羽「誰っ!? って、オカリンおじさん!?」
岡部「こんなデカくて目立つものが、一年間ずっと誰にも見つからなかったなんて……。おかしいだろ」
鈴羽「……私がこの一年さ、ただボーっと過ごしてたと思う? 秋葉原の有力者に協力を取り付けてあるんだよね。例えば、秋葉留未穂とか」
岡部「……なるほどな」
鈴羽「それで、オカリンおじさんはなんでここに?」
岡部「お前に、タイムマシンを使わせるわけにはいかない」
鈴羽「……例え相手がオカリンおじさんでも、このミッションの邪魔はさせないよ」
岡部「どうせ失敗する。……お前のやろうとしてることは全部、無駄な事だ。わかるだろ? わからないとは言わせない。お前は、俺が失敗したのをその目で見たんだからな!」
鈴羽「……世界線の収束を回避する方法は、きっとある。見つけられてないだけで」
岡部「いいや! “運命石の扉(シュタインズ・ゲート)”なんて、単なる妄想だ!」
鈴羽「……アタシは、父さんの指示に従ってる。父さんを信じているから……」
岡部「そんなのただの思考停止だろ! ディストピアになった未来と、なにも変わらない!」
鈴羽「ディストピアがなんなのかを知らない、父さんが妄想を言ってるかどうかも、興味はない。……アタシは、アタシの意志で父さんを信じたんだ!」
岡部「……このアマ……! 力づくでも止めてやるぞ!」
鈴羽「……ふぅん。やってみなよ」
岡部「やってやるよ! この──」
鈴羽「遅い!」


──ッ!!


岡部「うぐっ!?」


──ッ!!


岡部「がはっ……! ゲホ、ゲホ……!」


──銃を突きつける鈴羽。


岡部「……っ……!? 銃なんか出しても脅しになるもんかよ。お前には、撃てない! 絶対に! なぜなら、俺が死ぬのは、14年後だと確定しているからだ!」
鈴羽「……そうだね」


──ッ!!


岡部「ぐあぁ……っ!」
鈴羽「でも、こうして足を撃ち抜いて動きを止めることはできる」
岡部「……っ……! お前……!?」


──「待って!!」


まゆり「鈴さん、やめて!」

ダル「うおぉ!? なんで、オカリンがここにいるん!?」

岡部「まゆり……ダル……!」

鈴羽「……二人とも、どうして追ってきたの。やっぱり邪魔するつもり? その場合、誰だろうと全力で排除する──」

まゆり「違うよ」

鈴羽「……だったら、なに?」

まゆり「……私も、行く!」

岡部「なっ……!?」

まゆり「鈴さん、連れてって。……あの日、去年の8月21日へ」

岡部「まゆり……! お前までなにを言っているんだ!?」

ダル「鈴羽……。僕からも頼むわ。連れてってやって」

岡部「おいダル!! お前まで!?」

鈴羽「7月21日じゃなくて、8月21日へ飛ぶって……」

まゆり「そう……。鈴さんとオカリンがタイムトラベルして、世界から消失していたあの1分間に行きたいの。……あの瞬間じゃなきゃね、意味がないんだ……」

岡部「まゆり……お前、門限過ぎてるだろ!? おじさんとおばさんが心配して──」

鈴羽「オカリンおじさんは黙って! ……まゆ姉さん、それは、確信があって言ってる?」

まゆり「……うん」

鈴羽「戻って来られないかも知れないんだよ? ……世界に、消されるかもしれないんだよ? ……それでも、行くの?」

まゆり「……私の彦星さまを、無かったことにしたくないから。26年間の後悔を、無かったことにしたくないから」

鈴羽「……わかった。乗って」

岡部「待て! 待ってくれ! まゆり、行くな!!」

まゆり「ごめんね、オカリン。……でも、決めたの」

岡部「……っ……くそ、くそー!! なんでだよ……なあ鈴羽! なんでお前はあのとき、俺の前に現れたんだよ!! 俺はこの結末を、受け入れようとしていたのに! ……なんで中途半端に希望を与えたんだよ……! そのうえ、今度はまゆりまで連れて行くのか! なあ、まゆり……。お前はなにもしなくていい。なにかしたら駄目なんだよ? でないと、みんなの想いを犠牲にしたことが無駄になる……! 紅莉栖の死が……無駄になってしまう……。そんなの俺は……」

まゆり「……だからってね、無かったことにしたら駄目だよ!」

岡部「……まゆり」

まゆり「雨が降っても……。星は、世界から消えちゃうわけじゃないもん。雲の向こうで、変わらずに輝き続けてるんだもん」

岡部「……なにを……?」

まゆり「ねえ、オカリン! 今日はね、年に一度だけ彦星さまと織姫さまが会える日なんだよ! ……というわけで、私がオカリンの空を覆っている雨雲を取り払ってくるー! ちょっとだけ待ってて!」

岡部「まゆり……待って、まゆり!!」


……。


鈴羽「……いいの?」
まゆり「……行こう」
鈴羽「……オーキードーキー。しっかり掴まって!」


……。


これは、私の独善。

私の、我が儘。

私の、望み。

私の、選択。

会いに行こう。

あの日の、なにも知らなかった……まゆしぃに。


……。


まゆり「……もしもし? あなたは、誰ですか?」
『……どうか、お願い。落ち着いて私の話を聞いて』
まゆり「どうして、まゆしぃのケータイ持ってるの? 誰なの?」
『それは、言えない……。ごめんね。ねえ、あなたは鳳凰院凶真のこと、好き?』
まゆり「えぇっ!? いきなりそんなこと言われても、困っちゃうよ……」
『これから1分後に、オカリンは牧瀬さんの救出に失敗して戻ってくるの』
まゆり「え……ウソ……」
『そのときに……。どんなことをしてでも、あなたにとっての彦星さまを呼び覚ましてほしいんだ』
まゆり「……彦星さま……って鳳凰院──」
鳳凰院凶真』
まゆり「──凶真……」
『このままじゃ、オカリンの中から鳳凰院凶真の思い出が消えちゃうから……。だから、オカリンの折れた心を蹴飛ばしてでも立ち直らせて! ……ただ名前を呼ぶだけじゃ届かない。鳳凰院凶真が生み出された瞬間のことを思い出して!』
まゆり「……生み出された、瞬間……」


──『あと30秒……! そろそろ退散しないと……!』


『……26年と、1年分の想い……! あなたに託したからね!』
まゆり「ね、ねえ! 一つだけ聞かせて! “運命石の選択(シュタインズ・ゲート)”は……あるよね!? あるんだよね!?」


──『飛ぶよ! 掴まって!!』


『……うん。きっとある! 私はそう信じてる。あなたも信じて。オカリンと、仲間と、そして……自分自身のことを、信じて……。あとはよろしくね! トゥットゥル──』


──ッ!!


まゆり「わあっ!」

ダル「ちょっ!? 2台目も消えたー!? い、いい一体何が起きてるんです……!? 誰かー、説明プリーーーズ!! つーか、まゆ氏、まゆ氏! 今の電話、誰からだったん?」
まゆり「……信じるよ、ありがとね! ……未来の、まゆしぃ」


──ッ!!


ダル「うおぉっ!? もう帰ってきたお! ……まだ、1分も経ってないのに」

まゆり「…………オカリン……? オカリン!」

岡部「……っ……!」

ダル「……ちょっ! オカリン、血まみれじゃん! どうしたん!?」

鈴羽「父さん、タオルと水! あと服も! 今すぐ手に入れてきて!」

ダル「え? えぇ!? どういうことか、説明プリーズ!」

鈴羽「いいから早く!」

ダル「わ、わかったおー!」

まゆり「……オカリン……大丈夫? しっかりして! 死なないで……」

鈴羽「大丈夫。怪我してるわけじゃないよ」

岡部「無駄だったんだ……。なにをやっても無駄だ……。ははは……。全部決まってしまっている事なんだよ……。同じだ。まゆりのときと同じなんだ……。どれだけもがいたって、結果は同じになる……! ……無駄だよ。無駄なんだ! なにもかも無駄なんだよ……! 俺はやっぱり……。紅莉栖を助けられないんだ……。ははははは……ははははは! ……わかってた。わかってたんだ……。こうなるって予想してたんだ! ……もう疲れた……。ずっと休んでないんだ……。だから、もういいよ。はははは……」

まゆり「オカリン!!!」


──ッ!!


岡部「……っ……!? ……なに、を……?」

まゆり「……オカリンは、途中で諦める人じゃないよ。まゆしぃは知ってるもん。いつもね、絶対に最後まで諦めたりしない。覚えてる? まゆしぃがおばあちゃんのお墓の前で……。毎日、助けてって心の中で呟いていたとき。オカリンも、毎日まゆしぃに会いに来てくれたよね。雨の日も、雪の日も、諦めずにまゆしぃの横にきて……まゆしぃの名前ずっと呼び続けてくれたよね。……まゆしぃはね、オカリンが最後までそばにいてくれたから……。おばあちゃんと、しっかりお別れすることが出来たんだよ。……ね? だからオカリン……。まゆしぃはよくわからないけど……諦めちゃ、駄目だよ。元気、出してほしいよ……」

岡部「……でも、俺が殺してしまったんだ……。俺が、殺した……」

まゆり「……オカリン」

岡部「無駄なんだ……」

鈴羽「……無駄じゃないよ」


──岡部のケータイが鳴る。


……。


鈴羽「……ぐっ……ごめん、まゆ姉さん……。やっぱ無事には戻れそうにないみたい……! タイムパラドックスを避けるためにあそこから飛んだのはいいけど……。一年後まで戻る燃料は、もう残ってない……。かといってさ、一度タイムトラベルに入ったら……途中下車も出来ない……。カーブラックホールが作り出した特異点内から、どこに弾き出されるかは……運次第だね。一日後なのか、一年後なのか……百年後なのか……一億年後なのか……。とりあえず言えるのは、このタイムマシンは今、制御不能状態だって事」
まゆり「……ありがとう、鈴さん。あの日に連れてってくれて。後はきっと、向こうのまゆしぃと私の彦星さまがね……。なんとかしてくれるはず」
鈴羽「……あーあ、リーディングシュタイナーが私にもあれば良かったのに……。世界線の変動を観測出来ないのってさ、もどかしいよ」
まゆり「……ねえ、オカリン。世界が真っ暗闇になって、無限の影に怯えても。目を閉じないで。諦めないで。鳳凰院凶真を、殺さないで……。そうすれば、想いはきっと届くよ。何百年、何千年っていう時間を旅してきた……。あの星の光みたいに。……オカリン。次は、“運命石の扉(シュタインズ・ゲート)”で会おうね。まゆしぃはあのラボで、いつだって……あなたを、みんなを、待ってるから!」


……。

 

 

 

Steins;Gate DramaCDα -哀心迷図のバベル- ダイバージェンス0.571016%

 

 

Steins;Gate DramaCDα -哀心迷図のバベル- ダイバージェンス0.571016%


それは、未来へのタイムトラベル。

電話レンジでは出来なかったこと。

そして、誰もが出来ること。

伝えられなかった言葉は

いつか、未来へと……届くんだろうか。


……。


紅莉栖「あ、いたいた。岡部、こんなところで何してる?」
岡部「……いや。よくここがわかったな」
紅莉栖「一人になりたいって言ってたから。確率的に見て、ここに一番居そうって解を導き出した」
岡部「だったら……。一人にさせてくれ。わざわざ探さなくていい。俺は迷子の子どもじゃない」
紅莉栖「……なによ。せっかく人が心配して探しに来たのに。……私だって、あんたのことなんて放っておこうかと思った。……ただ、一昨日の岡部……なんだか変だったから。まぁ、いつも変なんだけど! いつも以上に、って意味で! クソまずいオートミールを食べてるときみたいなしょげっぷりじゃない? ……なにがあった?」
岡部「……なにも」
紅莉栖「だったら……。なんでSERNへのクラッキングをやめたの?」
岡部「お前だって……。クラッキングは良くないと言っていただろ」
紅莉栖「タイーホフラグが立ってビビったんですね、分かります」
岡部「せめて遵法精神に目覚めたと言ってくれ」
紅莉栖「全然らしくないな。いつもの独善的な態度はどこへいったのよ? 狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真のくせに──」
岡部「独善的でなんていられるか!」
紅莉栖「……っ」
岡部「……今回ばかりは、独善的じゃいられないんだ。仲間のどちらかを見殺しにするという決断を前にして……独善的でいられたら……。むしろ、どれだけ楽だっただろうな」
紅莉栖「……どちらかを見殺しにって……。どういう意味? 答えて岡部。どういう意味なの……?」
岡部「どうしても言わないとダメか?」
紅莉栖「さんざん相談に乗ってやったでしょ? いまさら遠慮なんてするな」
岡部「だったら、覚悟してくれ。……これから話すことは、相談じゃない……事実だ。お前にとっては、死亡宣告になる」
紅莉栖「え……」
岡部「…………まゆりを救おうとするなら、俺は……お前を見殺しにしないといけないんだ」


……。


シュタインズ・ゲート DramaCDα ─哀心迷図のバベル─

ダイバージェンス:0.571046%


……。


8月15日 15時04分

秋葉原中央通りを歩行中。

どうやら私は、

近い内に世界から消えてしまうらしい。

岡部は、まゆりを助けるために過去を改変して──

現在を書き換えている、って言った。

正確には、元の世界へと軌道修正している……って。

そして最終的に行き着くのは、

私が7月28日に死んだ世界。

その世界線では、

今行きている私の存在は矛盾する。

岡部の選択によって、

私は世界から排除される。

……消えるって、

一体どんな感覚なんだろう。


……。

 

 

 

 

紅莉栖「……この声は、まゆり? ……まゆり! おーい、まゆりー! ……まゆり! ねえ、まゆり! ……っ……ちょっと、通してください! まゆり! こっち! ……ねえ! 聞こえないの!? 私……ここにいるんだよ──」


私、ここにいるのに……。

これが、消える……ってこと……?

だとしたら──


まゆり「あー! 紅莉栖ちゃんだー! おーい!」


──私は……。


……。


フェイリス「お帰りニャさいませ、ご主人様♪」

まゆり「フェリスちゃん! トゥットゥルー♪」

フェイリス「フニャ? まゆしぃ、どうしたニャ? さっきバイト終わって出て行ったばっかりニャのに」

まゆり「えへへー、忘れ物をしちゃったのです」

フェイリス「ニャハー、おっちょこちょいだニャー。でも、そんなまゆしぃに萌え萌えニャーン♪」

まゆり「でねー、すぐそこで紅莉栖ちゃんに会ったから連れてきたのー!」

フェイリス「おぉー! あなたが噂のクリスティーニャ? 話はよく凶真から聞いてるニャ」

紅莉栖「……」

フェイリス「……。まゆしぃ、まゆしぃ。すっごく暗い顔してるんニャけど……?」

まゆり「……うん、紅莉栖ちゃん最近元気ないみたい。オカリンもなんだか変だし……。まゆしぃは心配だよー」

フェイリス「ふむー……。えーっとぉ……クリスティーニャーン♪ おーい! 助手さーん! 蘇った不死身の戦士、腐りかけのゾンビー! セレブサイエンティストー!」

紅莉栖「……っ……それ全部、岡部──アイツが言ってたの?」

フェイリス「やっと反応したニャー」

まゆり「紅莉栖ちゃーん、大丈夫ー?」

紅莉栖「……ええ。なんでもないから。まゆりは、なにも心配しないで」

まゆり「うん……」

紅莉栖「それより、フェイリスさん……だっけ? 直接会うのは初めてよね? 同じラボメンなのに」

フェイリス「そういえばそうニャ! でも……。フェイリスとクリスティーニャンは、すでに魂レベルでは深く繋がっているのニャン♪ なぜなら……前世では決して結ばれない恋人同士という因果が……」

紅莉栖「……はぁ、なるほど。岡部と同じタイプか。妙な芸名使ってるのも納得した」

フェイリス「なに言ってるニャン? フェイリスは、フェイリスニャン! それ以外の名前はないニャン♪」

紅莉栖「メイド喫茶って、どこもこんな感じなの?」

まゆり「紅莉栖ちゃん興味あるー? だったらここで働いてみるといいよー」

フェイリス「最初は恥ずかしいかも知れないけど、だんだん気持ちよくなってくるニャ♪」

紅莉栖「だが断る

まゆり「今ならネコ耳を三つつけるニャー」

紅莉栖「どんな布団圧縮パックよ……!」

フェイリス「さぁ……ニャ! って言ってみるニャ♪」

紅莉栖「言わんわ!」

フェイリス「むー……残念ニャー」

紅莉栖「……調子狂うなー。そういう気分じゃないのに」

フェイリス「どういう気分ニャ?」

紅莉栖「さあね……」

まゆり「あ、そうだ! まゆしぃは忘れ物を取りに来たんだったよー。休憩室にあるかなー?」

フェイリス「一緒に探してあげるニャー」


……。


フェイリス「ニャー……。また誰かテレビつけっぱなしにしてるニャー。全くもうー」

まゆり「……あー、あったあったー! 探す必要もなかったよー」

紅莉栖「それって、ユリの花束じゃない」

まゆり「そうだよー。おばあちゃんのところに持っていくんだー」

紅莉栖「プレゼント? バースデーが近いとか?」

まゆり「……えっとー……うん、そうなのー」

紅莉栖「……そっか。おばあちゃん思いなのね」

まゆり「……えへへ。それじゃ、お母さんを待たせてるから。まゆしぃはもう行くね」

フェイリス「今度こそ、忘れ物はないかニャ?」

まゆり「大丈夫ー」

紅莉栖「ね、ねぇ……まゆり? 行っちゃうの? 私も──」

フェイリス「クリスティーニャンは、ゆっくりしていくニャー♪」

紅莉栖「ちょ、ちょっとー! くっついてこないで!」

まゆり「じゃあまた明日ね、紅莉栖ちゃん! トゥットゥルー♪」

紅莉栖「ふぇっ!? まゆりー!?」


……。


今日のまゆり……。

よそよそしかったように思うのは、

私の、気のせいよね……。


フェイリス「うぐぅぅぅ……クリスティーニャンは、フェイリスと二人きりなのは嫌かニャ?」
紅莉栖「あ、いや……。別にそういうわけじゃ……ない」
フェイリス「だったら、お店でなにか食べてくかニャ? おもてなしするニャー♪」
紅莉栖「悪いけど、そんな気分じゃないの。……私も退散するわ」
フェイリス「ふぇー、帰っちゃうのニャー?」
紅莉栖「……一人になりたいのよ、今は」


──『だから、私はオカルト研究家でもなければUFO研究家でもないと言っとるだろうが!』


……っ!?


フェイリス「フニャーハハハ……。びっくりしちゃったニャー。テレビは消すのニャー」
紅莉栖「ま、待って!」


─『そんなくだらない事を私に聞くな! ……全くふざけた番組だな!?』


ドクター……中鉢……。


フェイリス「ニャハハハ……。この人、まだこんなことやってるのニャ? 昔っから全く変わってないニャー♪」
紅莉栖「……けっこう、有名なの……?」
フェイリス「有名、っていうかー……。今は黒歴史になってるから、ここだけの秘密ニャんだけど……。フェイリスのパパと、ドクター中鉢は、親友と書いて“マブ”と呼ぶ関係だったのニャー」
紅莉栖「……っ……! ま、またまたご冗談を……」
フェイリス「本当ニャー。パパは15年くらい前まで、ドクター中鉢のとある研究に協力してたのニャ。 スポンサーとして、研究費を出してたくらいニャ♪」
紅莉栖「……本当に?」
フェイリス「うん、フェイリス、嘘つかない」
紅莉栖「……っ……はあぁぁぁッ!? 親友ってなんぞ!? いつから!? きっかけは!? この15年はどうしてたの!? そもそも研究って──」
フェイリス「ニャー!? お、落ち着くニャ!」
紅莉栖「あ……ごめん……」
フェイリス「……もしかしてー……。クリスティーニャンは、ドクター中鉢のファンなのかニャ? ……だとしたらちょっと趣味を疑うニャー……」
紅莉栖「そ、そんなんじゃ……っ……ない。そんなんじゃ……」
フェイリス「ニャ?」
紅莉栖「……ねぇ。フェイリスさんは、ドクター中鉢のこと、なにか知ってる? どんなことでもいいから、教えて」
フェイリス「……ニャ、ニャー……。だったら、家に来るニャー♪ ……実は、歴史の闇に葬られた貴重な資料が存在するのニャ♪」
紅莉栖「えっ……。なにそれ?」
フェイリス「来れば分かるニャー! ニャフフ……」
紅莉栖「……行くわ」
フェイリス「決まりニャー! だったら、もうちょっとでバイトが終わるから待っててニャ♪」
紅莉栖「……」


もうすぐ自分の存在が消えちゃうっていうのに……。

なんて皮肉……。

いまさらパパのことを知る機会が、

まわってくるなんて……。


……。


フェイリス「さあさあ、遠慮せずに入るニャ」
紅莉栖「……!」
フェイリス「ニャー? どうしたニャ?」
紅莉栖「どうしたもこうしたも……。ここが貴女の家!? 秋葉原駅前の、超高級マンション! しかも最上階じゃない!? メイドがご主人様たちより良いところに住んでるとか、〇〇〇から注意されるレベルよ!?」
フェイリス「ニャフフ……。この窓から下界を見下ろして、フェイリスは日夜……考えてるのニャ。……もっと世界に“萌え”を広めてやるのニャ! ……約束の日、“プロミス・トライアングル”が訪れる……その時までニャー」
紅莉栖「厨二病乙。岡部もここに来たらやりそうね」
フェイリス「クリスティーニャン。なんか飲むかニャ?」
紅莉栖「気を遣わなくていい。この家、広いせいか……やけに静かに感じるわね。ご家族は、外出中?」
フェイリス「今日は黒木が風邪引いちゃって休んでるから、誰もいないニャ」
紅莉栖「黒木?」
フェイリス「うちの執事ニャ♪」
紅莉栖「あー執事ね! あるあr……ねーよ。……今、執事って言った
!? 羊さんじゃなくて!?」
フェイリス「黒木は、うちに20年以上仕える由緒正しい執事なのニャ」
紅莉栖「……あなたと話してると、現実と空想の区別がつかなくなるわ。……っていうか、あなたって家でもメイド服にネコ耳なの? 服とかたくさん持ってそうだけど」
フェイリス「フェイリスはメイド服しか着ないのニャ。ちなみに、クリスティーニャンの来てるその服もすっごく可愛いニャーン♪」
紅莉栖「ああ、これはちょっと制服を改造しただけだから。……私は、この7年間ずっと勉強と研究に明け暮れてて……。服なんて数えるくらいしか持ってなかった」
フェイリス「そうニャの? だったら、フェイリスの服をいくつか譲ってあげるニャー♪」
紅莉栖「ははは……。それも、良いかもね。最後ぐらい、とびっきりのオシャレをして……美味しいご飯を食べたいかも。最後の晩餐、ってやつか」
フェイリス「あっ! でもー……。サイズが合わないかもニャ!」
紅莉栖「……それはバストのことか……? バストのことかー!?」
フェイリス「身長の話ニャー♪」
紅莉栖「あっ……オーマイガ……。今のは忘れて」
フェイリス「……ニャフフフフ」
紅莉栖「その嫌らしい笑顔は、なんなの!?」
フェイリス「おっぱいはー……、モミモミすると大っきくなれるていう科学的な説があるニャー!」
紅莉栖「わー! ちょ、ちょっと! コラー! や、やめて──触るなー!」
フェイリス「ハァ、ハァ……。よいではないか、よいではないかー!」
紅莉栖「やめろっていっとろーがッ!」
フェイリス「もー、照れることないのにー!」
紅莉栖「はぁ、はぁ……。はいはい、セクハラセクハラ! なにが科学的な説よ! バカじゃないの……! ……せれより、早くあなたのお父さんとドクター中鉢のこと、教えて」
フェイリス「クリスティーニャンはお堅いニャ。……じゃあ、わかったニャ。ちょっと待ってニャ♪」


……。


フェイリス「これニャ」
紅莉栖「……これって、"ビデオテープ"? でも……小さい」
フェイリス「"カセットテープ"ニャ。音を録音するものなんだニャ。二十年くらい前は、これで音楽を聴くのが普通だったニャ♪」
紅莉栖「……ふーん、初めて見た。それで、この中にはなにが?」
フェイリス「フェイリスのパパと、ドクター中鉢の会話ニャ」
紅莉栖「……よくそんなもの残ってたわね」
フェイリス「うん! フェイリスのパパは……っ……」
紅莉栖「……なに?」
フェイリス「……ニャハハ……なんでもないニャ! パパは、大学生の頃からボイスレコーダーを日記代わりにしてたのニャ。テープは、本当はもっと沢山あったんだニャ。それこそ、二千本以上なのニャ。でも、十年前にぜーんぶ処分しちゃってもう聴けないニャ……。だけど、この一本だけ、パパが書斎で使ってたテーブルに隠してあったんだニャ。ここに引っ越してくるとき、たまたま見つけたのニャ」
紅莉栖「……このテープ、日付がついてるのね。平成、6年……」
フェイリス「16年前……。パパが28か9の頃だニャ」
紅莉栖「……じゃあ、あなたのお父さんと中鉢って、同い年なのね」
フェイリス「ハニャ? 確かにそうだけど……。なんでクリスティーニャンは中鉢の歳を知ってるのニャ?」
紅莉栖「ふぇっ!? そ、それは、そのー……。ほら、あれよ! 非ユークリッド空間における位相構造を、座標とベクトルから割り出して、射影空間を考えた結果から導き出したというか……なんていうか」
フェイリス「な、なんてことニャ! その計算で出る答えは、悪魔の数字ニャ! クリスティーニャン! それは禁断の数式ニャン! なんでそんなことを……」
紅莉栖「……い、いいから! 早く聴かせてよ!」
フェイリス「……じゃあ、カセットデッキをセットして、っと」
紅莉栖「……よくこんなの残ってたわね」
フェイリス「……パパは、レトロPCやレトロ家電の収集マニアなのニャ♪ っと、準備完了ニャ! クリスティーニャン、覚悟はいいかニャ? これを聴いたら、後戻りできな──」
紅莉栖「そういうのはもういいから」
フェイリス「……冗談を言ってるわけじゃないニャ」
紅莉栖「……どういうこと?」
フェイリス「パパたちは……とんでもないものを、作ろうとしてたのニャ」
紅莉栖「……っ……」
フェイリス「これから聴くことは、誰にも話しちゃ駄目ニャ。それが、テープを聴かせる条件ニャ」
紅莉栖「……安心して。誰にも、言わない。どうせ私はもうすぐ、消えるから……」
フェイリス「ニャ? ……消える?」
紅莉栖「な、なんでもない。とにかく、約束する。誰にも……言わない」
フェイリス「うん……。信じるニャ。ラボメン仲間として。じゃあ、再生するニャ! ポチっとニャ!」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


幸高「あ、あー……。テス、テス。今日の秘密会議は、秋葉原の喫茶店にて」

──「こら幸高。そこは"相対性理論超越委員会"だろうが」

幸高「わかったから座ってろよ、章一」
章一「……っ……。私を本名で呼ぶな!」

──「芸名か……。アタシも前はそんなことしてたな」

幸高「そうなんですか? 橋田教授!」

章一「どんな名前だったんです?」

橋田「それは秘密」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

フェイリス「ちなみに、幸高っていうのがフェイリスのパパで、章一っていうのがドクター中鉢の本名ニャ」
紅莉栖「……知ってるわよ、そんなこと」
フェイリス「橋田教授は……。誰かわかんなかったニャ。黒木もあったことないっていう、謎の人物ニャ」
紅莉栖「橋田、って……。まさか、あのスーパーハカーの親戚? もしかして、母親とか」
フェイリス「ダルニャンのお母さんには会わせてもらったことあるけど、全然違う声だったニャ」
紅莉栖「一先ず、この件は捨て置くわ。先を聴かせて」
フェイリス「了解ニャ!」

 

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章一「私のことは、"プロフェッサー中鉢"と呼びなさい。それが今の私の世を忍ぶ名だ」

幸高「君がプロフェッサーだと、橋田教授と被るじゃないか。……あ、ドクターとかに変えないか?」

橋田「私はプロフェッサーと名乗るつもりはないよ、秋葉 幸高」

章一「そもそも科学者としては、ドクターというのは違和感がある」

幸高「そうか? ドクター中鉢……。なかなか悪くない語感だと思うが……。だったら本名にするか」

章一「それは危険だ。タイムマシンが完成したら、きっと学会の刺客が私の命を狙ってくるだろう。それではこの中鉢の名をくれた師匠に申し訳がない」

幸高「その師匠って誰だい?」

橋田「アタシだったりして」

章一「それはない」

橋田「じゃあ誰?」

章一「秘密です」

幸高「つまり、いつもの妄想なんだろう?」

章一「も、妄想とは失礼な! 私の心の師匠は昔からアインシュタインと決まっている!」

橋田「そもそもさー、なんで"中鉢"なの?」

章一「鉢の中心は宇宙を示す究極の形だと気づいたのだ」

幸高「……はい。というわけで、定例会議を始めよう」

章一「おい! 無視するな!」

幸高「ドクター中鉢、聞かせてくれ。研究が始まってかれこれ8年ほどは経とうとしているが……。まだアレの完成は見えないのかい?」

章一「そもそもたった8年で"カー・ブラックホール"を作ろうなど、無理に決まっとるだろう……。もっと長いスパンで考えろ」

橋田「そうだよ、秋葉 幸高。ドクター中鉢くんは良くやってくれてる」

章一「……二人とも、ドクターと呼ぶのはやめてくれないか」

幸高「最近、不況のせいで僕の会社も厳しくなりつつある。資金提供はなるべく続けたいが……」

橋田「…………潮時かなぁ」

章一「……へ? 橋田教授? どういうことです?」

橋田「これ以上続けても、無駄だってこと」

章一「そんな……!?」

章一「中鉢くんは良くやってくれたけど……。やっぱさ、個人の研究じゃ限界があったんだ……。ごめんね。8年前、アタシが学生だった君たちを焚きつけなければ──」

幸高「それは教授のノートを勝手に見た中鉢がきっかけです! 責任を感じる必要はありませんよ!」

章一「……っ! そのことは、もう時効だろう! だが教授、私は諦めたくない! 私たちの研究は、タイムマシンを作ることは全人類の夢なんだ! 考え直してください!」

幸高「……いずれにしても、資金はこれまで通りには出せない。研究規模は縮小になる」

章一「……っ……」

橋田「そういえばさ、まだ聞いていなかったっけ。中鉢くんはどうしてタイムマシンを作りたいの?」

章一「そ、それは……。トップシークレットだ。敢えて言うなら、ただ名誉のために」

橋田「ケチ、教えてくれてもいいじゃん」

章一「国家機密というやつですよ。それに、世の中には決して触れてはいけない
ことがある」

幸高「教授、彼は人類が火を起こした瞬間を見たいそうですよ」

章一「こ、こら! 幸高! 余計なことを!」

幸高「別に隠すことじゃないだろう?」

橋田「中鉢くん……。君さ、ロマンティストだね」

章一「あれほど言うなと……。そういう幸高はどうなのだ?」

幸高「ビジネスだよ。それ以外になにがあるっていうんだ」

章一「……夢もロマンもない奴め」

幸高「失敬な! ビジネスだって夢とロマンに溢れているんだぞ!」

橋田「確かにそういう現実的な視点は必要だよね。秋葉 幸高らしいや」

幸高「橋田教授は、どうして?」

橋田「アタシは……」

章一「そもそもタイムマシンが作れると私たちに教えてくれたのは、教授……あなたです。前から思っていたが貴女まるで、実物のタイムマシンを見たことがあるかのようだ。……もしかして、既にタイムマシンは存在している?」

橋田「……アタシはただ、過去へ……。いや、未来に……。忘れ物を届けに行きたいだけ。……孤独にその時を待ち続けるのってさ……けっこうキツいんだ」

幸高「……なんの話です?」

橋田「いつかわかるかもね。君たちにも」

章一「……ともかく、私たちは今もタイムマシンに夢を抱いている! それを捨てるのは嫌だ!」

橋田「だけどさ中鉢くん。君だって家族がいるんだし、いつまでも夢を追っているわけにはいかないでしょ?」

幸高「それは確かに。不幸だよ、不幸。年頃の娘さんにとって君のような男が父親なんだからな」

章一「ハハハハッ! そんなことはない! 我が娘は幸せいっぱいだ! 聞いて驚け? この前なんと足し算の数式に興味を示していたのだ! まだ2歳だというのに! これは凄いことだぞ、さすが私の娘! 将来有望だ! はっははははは!」

幸高「ドクターは親バカだね」

章一「お前の娘はどうなんだ幸高。去年生まれたばかりだろ?」

幸高「いやぁ、仕事でなかなか一緒にいてやることができなくてね。あまり顔も見てやれない」

章一「タイムマシンを作れば、娘の生まれた直後にだって戻ることができるぞ。なあ、それはとても素晴らしいことだと思わないか?」

橋田「……うん。そうだね。そんなロマンティストな中鉢くんの娘さんは……幸せ者だ」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


フェイリス「……ここまでニャ」
紅莉栖「この三人がやろうとしていたことは、未来ガジェット研究所と……。私たちと同じだ……」
フェイリス「タイムマシンを作ろうとしてたなんて、驚きだニャ……。あ、そういえばこの前、ラジ館でタイムマシン完成発表会をやろうとして、中止になったんじゃなかったかニャ? あれから、どうなったかニャー」
紅莉栖「……っ……」


いつからだろう。

私とパパの仲が、険悪になったのは……。

私はただ、パパに褒められたかった。

そのためにパパの論文を読み漁り、

内容を理解するために、独学で物理を勉強した。

でも、あの日……。

私の、11歳の誕生日……。


中鉢『満足か……。その歳でことごとく私の論文を論破して、満足なのか!? ふざけるな!! お前など、この世に生まれてこなければ良かったのだ! 私はお前が否定したタイムマシンを絶対に完成させてやる! そしてお前という存在をこの世から消し去ってやるからな!!』


もう……7年も前のこと。

それ以来、私はパパと会っていない。


フェイリス「このテープ、久々に聴いたけど……。ドクター中鉢って、凶真に似ているって思わないかニャ?」
紅莉栖「岡部に……? 言われてみれば、そうかも……。私って、もしかしてとんでもないファザコンだったのかな」
フェイリス「で、クリスティーニャンは中鉢さんとはどんな関係なのニャ?」
紅莉栖「それは……。あなたには関係ない。詮索しないでくれると助かる」
フェイリス「んニャー……。せっかく極秘のテープを特別に聴かせてあげたのにー!」
紅莉栖「……。ねぇ、フェイリスさんは大好きな人に酷いこと言われたことある? お前なんか消えてしまえ、とか。そんな様なこと……」
フェイリス「……え?」
紅莉栖「あなたは、自分がこの世界に必要な人間だって……。断言できる?」
フェイリス「……」
紅莉栖「私は……わからない。わからなくなった……。誰かに自分という存在を認めてもらいたくて、忘れてもらいたくなくて。でも、本当は必要とされていないんじゃないかって……。凄く不安で……」
フェイリス「消えてしまえ、か……。たしかにひどい言葉ニャ。でも、絶対! それは本心じゃないニャ」
紅莉栖「……そうかしら」
フェイリス「言った本人も、後悔しているはずニャ……絶対に……」
紅莉栖「……」
フェイリス「……フニャー! もどかしいニャ! 悩んでても、なにも始まらないニャ! そういうときは、話し合ったほうがいいニャ♪ いきなり仲直りは出来なくても、想いを伝えれば、あとは時間が解決してくれるニャ!」
紅莉栖「時間は……。もう残ってないのよ」
フェイリス「……よくわかんないけど、電話ならすぐニャ♪ とにかく、話をしてみるのニャ! 向こうも、後悔しているかもしれないニャ。さあ、善は急げニャ!」
紅莉栖「そ、それは……。無理よ……。だって、この前電話したときもかけてくるなって言われたし……」
フェイリス「想いは伝えたのかニャ?」
紅莉栖「……伝えてない、けど」
フェイリス「今度こそ伝えるニャ! ほら!」
紅莉栖「どうせ……。無駄だと思う」
フェイリス「……クリスティーニャン?」
紅莉栖「…………だから、一方的に一言。謝るだけにする」
フェイリス「……うん。それで充分ニャ」
紅莉栖「どうせ、失うものなんて……もう無いしね……」


電話をかける紅莉栖。


……。


──『誰だ?』


紅莉栖「……っ……! あ、あの……」
中鉢『紅莉栖か……』
紅莉栖「……っ! なんで、わかったの……?」
中鉢『わからないはずがないだろう。その声……忘れられんよ』
紅莉栖「そう……そうだよね! 親子だもんね!」
中鉢『勘違いするな』
紅莉栖「……え?」
中鉢『もう電話するなと言っただろ。そうか……。また笑うつもりなんだな? 今度はバラエティ番組に出た私をあざ笑うのか? もう研究者でもなくなってしまったこの私がそんなに可笑しいか!?』
紅莉栖「ち、ちがうの! パパ、聞いて!」
中鉢『いいか……。タイムマシンの理論はもう出来ているのだ。絶対に完成させてやるぞ! 完成したら、過去に遡って全てを無かったことにしてやるからな!』
紅莉栖「……パパ。パパ聞いて、私──」
中鉢『よく覚えておけ……。貴様という存在はもうすぐ消えてなくなるのだ!』
紅莉栖「……ねぇ、パパ……。私のこと、憎んでる……?」


……ガチャ。

……ツー。……ツー。


紅莉栖「それが、パパの望みなら……もうすぐ叶うから……。だから、私のことなんて……。二度と、思い出さなくても……いいよ」


電話を切る紅莉栖。


フェイリス「……クリスティーニャン?」
紅莉栖「……っ……。やっぱり、駄目だった」
フェイリス「諦めたら駄目ニャ! このままじゃ、きっと後悔する──」
紅莉栖「もう放っといて」
フェイリス「なに言ってるニャ! そんなこと出来るわけないニャ!」
紅莉栖「いいの! どうせあなたももうすぐ、私がここにいたことを忘れるから。……無駄なの。そんなに干渉したって意味がない。エネルギーの無駄よ」
フェイリス「……っ」
紅莉栖「そもそも私、なんで貴女みたいなニャンニャン語で喋る変な人にマジレスしてるんだろ」
フェイリス「……クリスティーニャン」
紅莉栖「その呼び方も嫌い……」
フェイリス「……フェイリスは、フェイリスはクリスティーニャンが心配ニャン!」
紅莉栖「……今日は、ありがとう。貴女のお父さんのテープ……。聴かせてくれて。もう、帰るわ」
フェイリス「あ…………また、いつでも──」
紅莉栖「もう二度と会うこともない」
フェイリス「えっ……」
紅莉栖「……さよなら。元気で」
フェイリス「く、クリスティーニャン!」


……。


私……。

最低だ……。


……。


このままじゃ、

私はどんどん最低な女になっていく気がする……。

だから私は、秋葉原を離れることに決めた。

岡部には……私じゃなくて、まゆりを助けてほしいから。

まゆりを……見殺しにしてほしくないから。


私は──


……。

 

紅莉栖「見送りは、ここまででいい」


8月17日 7時2分。

秋葉原駅


岡部「本当に、行ってしまうのか?」
紅莉栖「辛気臭い顔してんじゃないの。らしくないな、鳳凰院凶真ともあろう男が」
岡部「……通勤客に紛れて、というのが慌ただしいな」
紅莉栖「……しょうがないよ」
岡部「……しょうがないか」
紅莉栖「なに、ジッと見てるのよ」
岡部「……俺は、お前が好きだ」
紅莉栖「……うん。ねえ、岡部。今のアンタの顔、鏡で自分で見てみたら? きっと死にたくなると思うから」
岡部「……っ……紅莉栖」
紅莉栖「……悩んで……悩んで……。悩み続けて、どうにか私を助ける方法を考え続けて……。憔悴して……でも、駄目だった。……そんな顔。泣き出しそうな、子どもみたいな顔。岡部、私は…………なんでもない。岡部がそこまで悩んでくれて……。ゆうべ、私にキスをしてくれたから。もう、我がままは言わない。これ以上誰にも憎まれたくないの……。岡部やまゆりとは、今の良い関係のままで、終わりたいの……。私が黙って消えていけば、全部が丸く収まる。岡部……! まゆりを、お願いね」
岡部「……ああ、任せておけ」
紅莉栖「それじゃあ」
岡部「まゆりとダルは、本当に呼ばなくていいのか?」
紅莉栖「……なんだか、みんなに見送られると辛くなるから。岡部だけなら、なんの躊躇いもなく日本を発てる! ……ジョークよ」
岡部「……手土産だ、持っていけ」
紅莉栖「……? これ、未来ガジェット?」
岡部「2号機の、"タケコプカメラー"だ」
紅莉栖「……ふ、いらねぇ。でもしょうがないから、受け取っておく」
岡部「青森、一緒に行けなかったな」
紅莉栖「……うん。でも、この2週間……なんだかんだで楽しかった。まゆりや、橋田によろしくね。……岡部、頑張って」
岡部「……元気で」


──紅莉栖が歩き出す。


岡部「……俺は! 牧瀬紅莉栖のことを、牧瀬紅莉栖の温もりを、絶対に忘れない!」

紅莉栖「……ありがとう、岡部。でも私は、世界から否定された人間だから……。ここに存在したらいけない人間だから……。お願い、私のことを……忘れて。そしたら、私も……スッパリと……諦められる」


……。

 

 

 

 


8月17日 12時──

えっと……何分でもいいか。

あれからもう、5時間近く経ってるのに、

なんで秋葉原にいるんだか……。

たぶん、どこに行ったって私にとっては意味はないんだけど。

岡部は、まだ世界戦を変えてないのね。

変えたら、私は消えてしまうはず。

こうして何かを考えることも出来なくなる。

……まるで、死刑執行を待ってる気分。

ねえ、岡部。

早く、私を消して──


──「こんなところにいたんだ」


紅莉栖「……? フェイリスさん……」
フェイリス「ひどい顔。ゾンビみたい」
紅莉栖「……」
フェイリス「隣、空いてるよね?」
紅莉栖「……座っていいなんて言ってない」
フェイリス「駅のホームにあるベンチは、貴女のものじゃないよ。それに、猫はきまぐれなの」
紅莉栖「なんで、ここに……?」
フェイリス「迷い猫を探してた」
紅莉栖「私は迷い猫じゃない」
フェイリス「じゃあ、野良猫」
紅莉栖「案外、ヒマなのね」
フェイリス「今頃は、雲の上かと思ってたけど?」
紅莉栖「……キャンセル待ち」
フェイリス「ここは空港じゃなくて、秋葉原駅だよ」
紅莉栖「……悪い?」
フェイリス「あ、開き直った」
紅莉栖「悪い?」
フェイリス「……悪くない」
紅莉栖「いつものニャンニャン語はどうしたのよ」
フェイリス「秋葉 留未穂。……よろしくね」
紅莉栖「……は?」


留未穂「私の名前」
紅莉栖「……この前、私が言ったことを気にしてるなら謝る。だから放っといて」
留未穂「やだ!」
紅莉栖「……やだ、って。一体なんなのよ?」
留未穂「あなたを探してたのはね、あなたと中鉢さんのこと……放っておけないから」
紅莉栖「……余計なお世話よ。あの事はもう解答が出てる」
留未穂「あれから、一度も電話してないの?」
紅莉栖「……するわけない」
留未穂「……怖いんだ」
紅莉栖「悪い!? 私はもう、どこにも行き場がないの。何をしたって、もう肯定はされないのよ!」
留未穂「……まったく、しょうがない子だなぁ。これ、貴女にあげる」
紅莉栖「なに、これ? ……きれいなラッピングだけど。……ちょっと潰れてるわけだが」
留未穂「あげる、っていうか。返す、って言ったほうが正しいかも」
紅莉栖「……どういうこと?」
留未穂「開けてみて」
紅莉栖「ここで?」
留未穂「ここで!」
紅莉栖「なにも、こんなところで」
留未穂「いいから!」
紅莉栖「……もう。……これ、フォーク? ちょっと子どもっぽいけど。……そういえば、岡部に話したことあったっけ。私が今一番欲しい物はマイフォークだ、って。……まさか、アイツから聞いたの? それで私に気を利かせて?」
留未穂「ううん。それ、私からじゃないよ」
紅莉栖「え?」
留未穂「これ。リボンのところに挟んであったカード。読んでみて」
紅莉栖「……11歳の誕生日、おめでとう……っ……! パパより……」
留未穂「牧瀬章一……。ドクター中鉢の本名をググったら、すぐ出てきたよ。……親子だったんだね。……まあ、この前一緒にテープを聴いたときから薄々はそうじゃないかって思ってたけど」
紅莉栖「……11歳の誕生日プレゼントということは、7年前……。パパに、私の存在を否定された日……」
留未穂「実は、そのプレゼント……。今朝、黒木から渡されたんだ。貴女の11歳の誕生日……。たぶん貴女とケンカした後、家に来たんだって……中鉢さんが。そのプレゼントを握りしめたまま……疲れた顔してたって。黒木が言ってた」
紅莉栖「……パパが?」
留未穂「……中鉢さん、かなり荒れてたみたい。娘にプレゼントを買ったのに、無駄になったって」
紅莉栖「この箱のへこみ、きっと床にでも叩きつけたのね……。それが答えよ。あの日、私は決定的にパパの憎しみを買った。もう修復なんてできない。……証明終了」
留未穂「それは違うよ! って、わたしはそう言いにきたの」
紅莉栖「なにが違うの? この前の電話、聞いてたでしょ!?」
留未穂「貴女は、否定なんてされてない!」
紅莉栖「されたじゃない! それに今さらそんなの、どうでもいいわ!」
留未穂「どうでもいいなんて! 言っちゃ駄目だよぉ!」
紅莉栖「……なんで? なんで、そんなに干渉してくるの!? いくら父親同士が友達だったとはいえ、所詮は他人の家族の問題でしょ!?」
留未穂「……他人事じゃないからっ! ……私のパパね、もう……いないの」
紅莉栖「……えっ?」
留未穂「10年前……。死んじゃった。飛行機事故でね。私の、8歳の誕生日に」
紅莉栖「……っ……」
留未穂「……私が、最後にパパに言った言葉……なんだと思う? ……『パパなんて、死んじゃえばいいんだ』……」
紅莉栖「……!」
留未穂「そしたら、飛行機事故に遭って……本当にそうなっちゃった。私はもう、パパに謝ることもできないの!」
紅莉栖「……っ………」
留未穂「だから、貴女を見てると他人事だと思えなくて……。貴女の苦しみも、後悔も、どっちも……わかるから」
紅莉栖「私は……」
留未穂「だけど、それだけじゃないよ。ちゃんと、根拠はあるの」
紅莉栖「根拠?」
留未穂「この前、私の家で聴いたテープ……覚えてる? 実はあれ、もう一度聴いてみたら、B面にもちょっとだけ声が吹き込まれてたんだ。……7年前に家を訪ねてきた中鉢さんは、パパのテープを懐かしそうに聴いてたらしくて。だから、きっとそこに吹き込まれていた言葉は、あなたのお父さんが7年前に言えなかった言葉だと思う」
紅莉栖「言えなかった、言葉……」
留未穂「携帯型のカセットプレイヤー、持って来たんだ! 凄いでしょ? こういうレトロ家電は家に一通り揃ってるんだよ。……さあ、聴いてみて」
紅莉栖「……」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


中鉢「2003年 7月25日 だい……だい……何回目だったかな。とにかく、相対性理論委員会……。もう、幸高も橋田教授もいない……。二人とも亡くなってしまった……。あの頃の私たちはあんなにもタイムマシンを作ろうという夢に溢れていたのに……。あの頃に戻りたいよ。そしたら、今度こそ絶対にタイムマシンを作ってみせる。……娘に論破されないような、完璧なタイムマシンを……。なあ、幸高。それでだ……私は、俺は、タイムマシンを使ってやりたいことがあるんだ。今日、娘にひどいことを言ってしまった……。あの瞬間に戻って、自分に言ってやるんだ。娘を、紅莉栖を傷つけるなと……。感情に身を任せて、家族の絆を壊すなと……。俺はあんなこと、言いたくなかったんだ……」

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


紅莉栖「パパ……っ」
留未穂「ね? あなたは存在を否定されたりなんて、してないんだよ。あなたは、ここにいてもいいの!」
紅莉栖「……っ……うぅ……!」


言えなかった言葉。


伝えられなかった気持ち。


その時、思い浮かんだ顔は──


紅莉栖「フェイリスさん……。ううん、留未穂さん。私ね、私もパパみたいに、伝えてない気持ちがあるの。言えなかった言葉がある。それは、伝えちゃいけない言葉なんだ、って思ってた。伝えないまま、心の中に閉じ込めて……消し去ろうとしてた。でも……」
留未穂「……紅莉栖さん。忘れ去られた言葉はね、伝えられなかった言葉はね、それでも残しておけば……。いつかきっと、誰かが見つけてくれるはずだよ! パパが死んじゃった後、私がこのテープを見つけたように。7年前のお父さんの言葉を……。今、貴女がこうして聴けたように。伝えたい、って思っていれば……それはきっと届くよ! だから、今から行っておいでよ。凶真のところ!」
紅莉栖「……全部お見通しなのね」


フェイリス「それこそが、フェイリスの魔眼"チェシャ猫の微笑(チェシャー・ブレイク)"の、能力なのニャン!」


紅莉栖「はいはい! ……走れば、間に合うかな」
フェイリス「大丈夫、きっと!」
紅莉栖「じゃあ……行ってくる!」
フェイリス「いってらっしゃい! それで、またこの町に遊びに戻ってきてね。クリスティーニャン♪」
紅莉栖「ふふ、私はクリスティーニャンでも助手でもないわよっ!」
フェイリス「うん! ふふ」


……。

 

ねえ、岡部……。

私は……勘違いしていた。

勘違いしたまま、自分の殻の中で自分を憐れんでいた。

でも、今さらわかったの。

パパが教えてくれたの。

私は、ここにいてもいいんだって。

私の大好きな人たちがいる。

大好きだって言ってくれた人たちがいる。

岡部も、まゆりも、留未穂も。


あとついでに橋田も


岡部……。

こんなの全然論理的じゃないし、それこそファンタジー丸出しで……。

これまでの私なら考えもしなかったけど……。

ラボメンとして、この秋葉原で二週間を過ごしてきた今の私は。

今の私だから……岡部を信じる。

岡部なら、きっと幸せな結末にしてくれるって。

私も消えなくていい。

まゆりも死なない。

そんな世界に辿り着いてくれるって。

そのときまでのお別れをする前に……。

まだ伝えていない、さよならを言わなきゃ。

私の中に、この二週間で芽生えた……。

大切な気持ちを、伝えなきゃ。

私の現在が消えてしまっても……。

私が過去に残した言葉はきっと、未来へと届くはずだから。


そう、これは──


未来へのタイムトラベル。

電話レンジでは出来なかったこと。

そして、誰もが出来ること。

あんたの心に残しておきたい。

いつか……。

どこかの世界線の私を、見つけてもらうために。


……。

 

「さよなら! 私も、岡部のことが──大好き!」

 

 

【番外編】 G線上の魔王 サウンドドラマ ─償いの章─ 第二巻 《ドラマCD》

G線上の魔王 サウンドドラマ

―償いの章― サウンドドラマ 第二巻

 

 



"権三のもとを離れた男"


……。


K「フェアにいこうじゃないか。俺は依頼人に興味はない。あんたがなぜ宇佐美ハルと時田ユキを殺したがってるのか。どうやって俺を雇う金を用意したのか。そんなことはどうでもいい。その代わり、俺のやり方に口を出すな。分からないか? あんたが園山組とかいうヤクザだろうが、吠えても無駄だと言っている。……はは。なぁに、あんた浅井権三に借りがあるんだろう? だったら借りを返させてやる。近々、浅井権三の葬式があるそうじゃないか。ちなみに葬儀には参列するんだろう? ……そうか。なら俺の支持通りに動け、いいな?」


"K"は携帯電話を切る。


K「……さてさて。浅井権三かぁ、懐かしい名だ……。あの時のことは今でも覚えている。……権三の目。厳しさを湛え、こちらを値踏みし、油断なく何も見逃さぬ、揺るぎない目を」

 

……。


「浅井さん」

「ん? なんだ?」

「実は…」

「なんだ?」

「警察に入り、あなたに従って一年になります」

「なんだ、と聞いている」

「……浅井さん。私はあなたが職権を濫用し、摘発した暴力団から金を受け取っている……。との噂を耳にしています」

「女か、お前は。てめぇの耳と口はどこにある?」

「確信もあるんですがね」

「分かるように話せ」

「……園山組の頭がゲロした。あんたの袖の下に五百ほど包んだってな」

「…………」

「認めるんだな?」

「……お前は物になりそうだと思っていた」

「おかげさまで……。公安からお呼びが掛かりましてね」

「マル暴はもう嫌になったか」

「あんたの下で働くのはごめんだね」

「じゃあ、誰の犬になりたいんだ?」

「……知るか」

「俺の家畜であり続けるのは、楽しいぞ?」

「……いいか。俺だって正義を振りかざすつもりはない。別にあんたがヤクザから金をせしめてたって、それを告発する気もない」

「ほう……。なぜだ?」

「はっきり言おう。あんたの仕返しが恐ろしいからさ」

「賢いな、斉藤。お前は分を知っている。敵と己の力の違いが分かっている。そういう生き物は強い」

「……というわけで。今日はお別れを言いに来たわけですよ」

「おう」

「どうぞお達者で。……あんたのことは忘れない」

「いくらだ?」

「え?」

「金のことだ」

「餞別なんていりませんよ」

「違う。俺がが“お前”を信用するために、いくら払ってくれるんだ?」

「……ぅっ!?」

「監査にチクらねぇと、俺に信じさせるために、お前はいくら払うんだ?」

「なに言って――!?」

「おかしな話だなぁ。悪党は俺なのに、お前は俺を強請ることもできるのに、なぜお前が強請(ゆす)られてるんだ? フッハハハハハ!! フハハハハハハ・・・!!!」

 

……。


K「……権三さんには、色々学ばせてもらったなぁ……。はは……、さてさて……"魔王"は浅井権三の車に爆弾を仕掛けて殺害を謀ったが権三に見破られたという……。権三が死んだ今、誰が止められるかな? ……やはり宇佐美ハル。お前かな?」


……。

 

 

"僕が美少女だったら許される"


……。


藤島「ねぇ相澤くん」
栄一「……あぁ」
藤島「藤島ですよぉ」
栄一「……知ってるよ、どうしたの?」
藤島「あのさぁ僕、心を入れ替えたんですよ」
栄一「……は?」
藤島「友達になって欲しいんだッ」
栄一「はぁ? お前、お前が……? ちょっと、なに?」
藤島「僕、だいぶ面白い自信、あるんですよ」
栄一「……どこが?」
藤島「一発ギャグとか得意ですッ!」
栄一「……何かムカつくなお前」
藤島「多分僕が美少女だったら色々許されると思います」
栄一「うるさい、凄いうるさい」


水羽「相澤くん……。今帰り?」

栄一「あぁ、白鳥。 お前からもコイツに一言言ってやれ!」

水羽「……え、何? 一発ギャグの話? それって、貴方のこと相当好きじゃないとダダ滑ると思う」

栄一「おぉ、良いよ。すごいよ白鳥! そうだよ、ダダ滑りだよ!」

藤島「そうかなぁ? 自信はあるんだけどなー」

栄一「……そういう態度が半分スベってんだよ!」

藤島「この前、パパの車でETCゲートをくぐる時、開くかなって。すっごいドキドキしました」

栄一「……それが何だよ?」

水羽「あ、それ分かるかも」

栄一「食いついてんじゃねェよ!」

水羽「私も未だに駅の改札で、あのピッてやる時、開くかな?って……ドキドキするもの。ETCともなるとかなりのレベルよね」

栄一「……はぁ?」

藤島「僕なんか、ピッてした後に、早く抜けないと挟まれるんじゃないかって! ドキドキしない?」

水羽「で、その後。駅のホームに急いで駆け込んだら、反対側から電車が来るのよ」

藤島「分かります分かります! そういうフルスイングで空振りする感覚、大事だと思います!」

栄一「……ちょ、何なのコイツら」

水羽「で、貴方誰なの?」

藤島「藤島です! 太ってますけど、一応日本人です!」

水羽「あ、でも背後霊は白人って感じよね」

藤島「分かりますか?」

水羽「えぇ、何となく」

栄一「……なんかすげースピリチュアルな話になってきてるよぉ!」


──???「ちょっとごめんよー」


栄一「……っ! 何だ、この人……。どっかで見たことあんぞ? ……なんだっけなぁ、確か、京介の……」

???「あー、アンタ、京介さんのお友達だろう?」

栄一「……あ、は、はい……。(つーか、京介さんってなんだぁ!? こんなおっかねぇ人に“さん”付けさせるとか、どんだけだよ京介ェ!?)」

???「この学園に、宇佐美ハルっていう嬢ちゃんが通ってんだろ?」

栄一「あ……はいぃ。あいつ、何かやらかしましたか……? と、東京湾スか……?」

???「……。コイツを、渡しといてくれねェかなぁ?」

栄一「……手紙、スか?」

藤島「ラブレターなら、僕が!」

???「中身勝手に見たら……。駄目だよぉ?」

藤島「ひィッ!?」

栄一「わー、ま、待て待て! 俺が渡す……」

???「手前は、"堀部"ってモンだから。……じゃ、頼んだよぉ」

栄一「……あ、はい! 頼まれました!」


……。


水羽「……行っちゃったわね」

栄一「……つっても、宇佐美は今日もサボりだし……。ったく、生きてんのかなぁ」

藤島「割と元気そうでしたよ!」

栄一「なんでオメェが知ってんだよ」

藤島「いやぁ、昨日おしかけたんですよ。夜に」

栄一「……お前。それ犯罪」

藤島「だから僕が美少女だったら許されるって言ったじゃないですかぁ」

栄一「うるさい、凄いうるさい!」

水羽「で、ハルはどうだった? 元気そうだった?」

藤島「いやぁ、いきなり殴られまして。……貴女の義理のお姉さんに」

水羽「え……? 姉さんにッ!? 姉さんも、ハルと一緒にいるのね!?」

栄一「ど、どうした、白鳥……?」

水羽「姉さん、警察から帰ってきたかと思ったら、また連絡が取れないのよ!」

藤島「なら、みんなで行ってみますか?」

栄一「オメー、何みんなの輪の中心みたいな空気作ってんだよ!」

藤島「いやぁ、もう大分キャラ立ったと思うんで! そろそろいいかなぁ、って!」

栄一「……っ! なんでもいいけどぉ。オメー、宇佐美にちょっかいかけんじゃねぇぞ」

藤島「心を入れ替えましたんでッ! 大丈夫ですッ!」

栄一「ほんとかねぇ」

藤島「世の中にはぁ、良いストーカーと悪いストーカーがいまして! 僕は、良いストーカーです」

栄一「あのさァ、お前何で俺達の事に首突っ込んでくる訳……?」

藤島「それを話すと、長くなるんですがぁ!」

栄一「……なんかフリくせぇなぁ」

水羽「とにかく、私は姉さんに会いにハルの家に行くわ」

栄一「あ、あぁ。そうだな」

藤島「あれは、僕が学園に入り立ての頃でしたぁ! 当時は、桜の季節で……」

栄一「おぉい! 置いてくぞー」


……。

 

 

 


"線路は続くよ、鈍行だけど"


……。


ユキ「あ……ハル、おかえり」
ハル「ごめんね、留守番頼んで」
ユキ「検査、どうだった?」
ハル「……まぁ」
ユキ「聞くまでもないか……」
ハル「無理だよね」
ユキ「……無理って?」
ハル「……産むのは」
ユキ「あぁ、無理ってことはないでしょうけど」
ハル「信じられないよ……」
ユキ「せめて……京介くんに報告してみたら?」
ハル「そんなこと出来ないよ!」
ユキ「どうして?」
ハル「……京介くんは。子どもの頃、色々あったから……。詳しくは話せないけど……。きっと、子どもにも迷惑かけたくないって、思うはずなんだ」
ユキ「……察するわ。“人殺しの子供”になってしまうものね」
ハル「……やっぱり。堕ろすしかないかな……。……ごめんね、赤ちゃん……。私も、親になる自信……無いんだ」


玄関のドアを叩く音がする。


──栄一「おーい、宇佐美ー。いるかー? いるんならいるって言えー、いないならいないって言え」

水羽「姉さん! いるんでしょ!? いったいどういうつもりなの?」

藤島「藤島です。昨日はご迷惑をおかけしまして! お詫びに饅頭を買ってきましたー!」

栄一「てめぇー! うるせーんだよ! つーか饅頭とかなんだ!」

藤島「福岡名産ですよ、福岡」

水羽「あ、それ大宰府よね、大宰府

藤島「わかりますかー!」

水羽「えぇ、なんとなく」

栄一「……うぜぇなぁ」


ユキ「……なんだか騒がしいわね」
ハル「居留守を使うわけにもいかなそうだね……」


玄関のドアを開く。


ハル「「はい、生きてますよー」

栄一「……おぉ、宇佐美。……元気か?」

ユキ「どうしたの? みんな揃って」

水羽「どうしたのじゃないよ! 姉さんこそ、今までどこで何してたの!?」 

ユキ「ちょっと、用事があってね……。ごめんね、しばらく家には帰らないわ」

水羽「お父さんも……。時田さんも、心配してたよ」

ユキ「心配? むしろ呆れてるんじゃないかしら?」

水羽「迷惑かけてることに変わりはないよ……。帰ってきてよ……」

ユキ「残念だけど。用事が終わるまでは無理!」

水羽「……。じゃあ、せめて……電話には出てね」

ユキ「うん、分かったわ。心配しないで」

栄一「……あー、とりあえず、いいか宇佐美」

ハル「……あぁ、はい。……なんすか、手紙?」

栄一「あのさ、なんつーの、マルヤ? 京介の知り合いの人から」

ハル「え……」

藤島「堀部さんという方からです」

ハル「あー……堀部さん」

栄一「……じゃあ、たしかに渡したからな」

ハル「はい、それでは」

栄一「あー! 待て待て、宇佐美待て」

藤島「そうです、ちょっと待ってください!」

ユキ「なんなの一体!」

栄一「あのよー、お前。ちょっとピンチか?」

ハル「は……?」

栄一「いつもの鬱陶しい顔が、よりデンジャラスになってんよ」

ハル「……そうスかね」

栄一「なんかあったら、人生経験豊富な俺に相談したほうがいいぞ」

藤島「僕もなにかお役に立てればと思ってます」

ユキ「あなたはなんなの?」

藤島「藤島ですー! 今日付けで、栄一さんの子分になりましたー」

栄一「子分ってなんだよ! ……子分なら悪くねーけど?」

水羽「なにか力になれることがあれば……」

ハル「……だ、大丈夫です! もう一発ギャグとかかませるくらいに元気です!」

水羽「本当? じゃあ、やってみてよ」

ハル「……え? せーんろはつづくーよー、鈍行だーけーどー……っ……うぅ……!」

栄一「え?」

藤島「え?」

水羽「……ちょっと、なに? どうしたのハル!?」


ハルは嘔吐をする。


藤島「……腹痛(はらいた)……ですかね?」

栄一「おい……大丈夫か?」

ハル「……っ……! へ……平気、です……」

ユキ「……さあさあ、もう帰った帰った!」

水羽「いや、でも……」

ユキ「ハルの面倒は私が看るから!」

栄一「でも、ただごとじゃないでしょー!」

ユキ「いいから! 帰るのよ、栄一くん!」

栄一「わ……わかりましたよ……」

水羽「じゃ、じゃあ……姉さん。また、電話するね?」

ユキ「……うん。あなたもしっかりしなさい」

水羽「え……? ど、どういう意味?」

ユキ「さあね……。京介くんがいなくなって辛いのは、ハルだけじゃないんだろうなぁ、って……」

水羽「……っ」

藤島「それじゃあ本当、昨日はすみませんでした」


……。


ハル「ごめん、ありがとうユキ……」
ユキ「……いいのよ。それより、手紙だけど」
ハル「あ、うん……。読んでみよう」


"時田彰浩、浅井権三を語る"


……。


タバコの火をつける音──


時田「やあ、織田さん。遅くまで精が出ますね」
織田「ああ、時田さん。お疲れ様です」
時田「だから敬語は使わなくていいよ。君は捜査一課長だろう?」
織田「時田さんは別です」
時田「お堅いねぇ、そんなんでよく出世できたもんだ」
織田「はは……。なにかご用ですか?」
時田「いやいや、例の浅井京介くんの取り調べはどうなったかなぁ、と」
織田「順調すぎるくらいに順調ですよ……」
時田「……おちたかい」
織田「奴は“シロ”です。いや……“魔王”を殺害したことについては“クロ”なんですがねぇ」
時田「釈然としないみたいだね」
織田「……女をかばってるんですよ。これは勘ですがね」
時田「僕が取り調べを代わろうか?」
織田「いえいえ! 時田さんもはお忙しいでしょうに……。それより……」
時田「ん?」
織田「浅井権三の葬儀の葬儀が、近々行われるとか……」
時田「ああ……。よく知ってるねぇ」
織田「今、マル暴の連中が大忙しですよ。園山組も跡目争いでだいぶモメてるみたいで……」
時田「確かに葬式もかなり遅れたしねぇ……」
織田「組の中で『葬式なんていらねェ!』って連中がいたみたいで……」
時田「そりゃまたなんで……」
織田「……“カネ”が。葬式代がかかるからって、信じられますか?」
時田「はは……確かに。浅井の子分らしいなぁ」
織田「時田さんは、浅井権三とはどんな関係で?」
時田「一応は、同期だよ」
織田「じゃあ浅井もキャリアだったんですねぇ」
時田「頭の切れる男だったよ。警察に入るとみんな捜査一課に行きたがるもんだが……。浅井だけは、率先して暴力団担当課を希望したんだ」
織田「……で、ヤクザ連中からしこたま金を貢がせて……。ついには組の一つを乗っ取ったわけですか」
時田「最初からそのつもりで警察に入ったんじゃないかねぇ……。あの男の腹は未だに読めんよ」
織田「…………浅井はどうやら、義理の息子の京介をかばって死んだようなのですが」
時田「どうだろうねぇ。正直、信じられないよ。なにか打算があったと僕は思うねぇ。少なくとも、息子の幸せを願うような男じゃないはずだよ」
織田「……確かに。息子は今、殺人の容疑でブタ箱ですからね。このまま起訴になれば15年はくらうでしょう」
時田「仮釈で頑張っても7、8年かなぁ……。長いねぇ」
織田「ええ。春は遠い……」


……。


"あれはいい女だと思わんか?"


……。


ユキ「浅井権三の葬儀……」
ハル「権三さんの葬儀に、なぜわたしたちが呼ばれるのか……」
ユキ「もちろん、"K"の招待状ってわけね」
ハル「手紙には、葬儀会場を爆破する、とあるね」
ユキ「犯行予告ね」
ハル「とにかく、堀部さんに連絡を取ってみようと思う」
ユキ「うん、そうして。私はもう一度、この手紙の文章から犯人の意図を探ってみるわ」


ハルが電話をかける。


ハル「……もしもし。堀部さんですか?」
堀部「あー宇佐美ちゃんですかい? ご無沙汰でございやす」
ハル「手紙、拝見しました」
堀部「そうッスか。いえね、今日の朝方……。組の事務所にその手紙が届きましてねぇ?」
ハル「あ、はい……。なんで敬語なんですか?」
堀部「いえいえ……。宇佐美ちゃんは京介さんのイロですから。使いっぱしりでもなんでもしますよぉ?手前は」
ハル「……え、ええ。まぁ、いいです。それで、内容なんですが……」
堀部「……まぁたヤバいことですかい」
ハル「権三さんの葬儀会場を、爆破すると……」
堀部「……ほっほぉー。そういうの多いんですわー」
ハル「と、言いますと?」
堀部「ウチの親父は、人気者ですから」
ハル「でも、これはただの脅しじゃないと思います」
堀部「……また"魔王"がらみですかい?」
ハル「はい……。過去に"魔王"に協力していた"K"という男が、私を狙ってるんです」
堀部「"K"……? 何者なんですか?」
ハル「わかりませんが、資金力や行動の計算高さなど……。"魔王"に近いくらいの実力を持っていると思います」
堀部「で、"K"って野郎が親父の葬儀で花火しようってんですかい。……へー、こりゃあ。へっへっへ! へっへっへ!!」
ハル「ほ、堀部さん……?」
堀部「あーいえいえ! この堀部、つい切れちゃうところでしたっ」
ハル「は……はあ……」
堀部「ひとまず了解しましたよ。なぁに、葬式には総和連合一千人の極道が集まるんですわ。ネズミがいたら、その場で踏みつぶすまでですわっ」
ハル「……私と、もう一人の友人も参列させてください」
堀部「あー、そいつはこっちからも招待しようと思ってたんですわ」
ハル「そうなんですか?」
堀部「親父はねー、なんとなく宇佐美嬢ちゃんのこと、気に入ってたような気がするんですわ」
ハル「はあ、恐縮です。でも、どうして?」
堀部「生前、一度だけねぇ。あの親父がね、言ったんですよ。あれは……そうそう、親父が亡くなる夜でしたね。"魔王"に港まで呼び出されたあの夜です。車の中でねぇ、手前は親父の隣に座ってたんですが……」


……。


堀部「親父、どうしましょう」
権三「……魔王は、おそらく狙撃の瞬間を待っている」
堀部「となると……。迂闊に車の外には出れませんね。……手前が飛び出しましょうか?」
権三「余計なことをするな。……堀部」
堀部「はい」
権三「てめぇ、女はいるか?」
堀部「え? ……あぁ、まあ。何人か」
権三「楽しいか?」
堀部「そりゃあもう……。たらふく遊んでやってますから」
権利「ふ……はっはっは。案外、遊ばれてるのはお前かもしれんぞ」
堀部「そりゃないですよ、親父に仕えてもう十年になります。この堀部がどんな男か、ご存じでしょう?」
権三「そうか……。お前も家畜の域を出なかったな」
堀部「手前は、一生親父の家畜でございやす」
権三「……宇佐美ハルという女だが」
堀部「はい、京介坊ちゃんのお気に入りでしたっけ?」
権三「……かもな」
堀部「まっ……手前の見立てでは、坊ちゃんもまんざらでもないようですからねぇ」
権三「あれはいい女だと思わんか?」
堀部「……あー、はぁ。そうですかねぇ。……どういう意味で?」
権三「あの女は……近い将来、京介を地獄に叩き落す……。という意味だ」
堀部「……は。い、いや……。いつもながら、笑っていいのかどうなのか。親父の考えは、手前なんかにはわかりませんわ」
権三「男という生き物は、男というだけで既に女の家畜なのだ。……京介も、それに気づいて初めて人間になれるのだろうなぁ。……それはいつのことか……あるいは、一生家畜のままか……」
堀部「……親父。なら、手前ら家畜の男どもが、女に食われないようにするには……。どうすればいいんですかい?」
権三「……決まってる……死ぬしかない」


車のドアを開け飛び出す権三。


権三「京介ぇ!!!」


……。


ハル「……京介くんを……地獄に叩き落す……?」
堀部「やたら嬉しそうな顔してましたよ」
ハル「……っ」
堀部「じゃ、会場で会いましょうや」


……。


ユキ「ハル? 電話、終わった?」
ハル「う、うん。なんだか、余裕そうだった」
ユキ「たしかにねー。ヤクザの大親分の葬式を邪魔しようっていうんだから、"K"も相当な自信があるんでしょうね」
ハル「ユキの方は、なにかわかった?」
ユキ「まあ、なんとなくだけどね。もう一度、読み返してみましょう」


===================

宇佐美ハルに、時田ユキ。
元気かな?
近々、浅井権三の葬式が行われる。
ぜひ参列してもらいたい。
なぜなら俺は、葬儀会場に爆弾を仕掛けるつもりだからだ。
ヒントをやろう。
俺の目的はあくまでお前たち二人を殺すことだ。
爆薬は威力を抑えてある。
殺傷範囲はせいぜい、数メートルってところだ。
次のヒント。
当日俺から掛かってくる電話には気をつけたほうがいい。
以上。
あとは当日を楽しみにさせてもらう。

怪人二十面相こと、"K"より

====================

 

ユキ「うん……言わなくてもわかると思うけど、"K"は私たちを馬鹿にしてるわね」
ハル「あるいは、そう装っているのかも」
ユキ「手紙から読み取れるのは、"K"が非常に自己顕示欲が強い人間ということよ。……ほら、よく見て。一文一文が、とても短いでしょう? こういう文章を書く人間は、相手に自分の意図するところを理解してもらいたいという意識が強いのよ。さらに言えば、"K"なんてふざけた名前じゃない? 普通なら、"K"の精神年齢は低めだと考えたいところだけど……」
ハル「なにか気になるの?」
ユキ「……はっきりと言えないけど、なんとなく……。名前にこだわっているというか、"K"という呼び名を自分で面白がっているような感じなのよね。……他人事みたく」
ハル「そういえば、電話でやりあったときは夏目漱石の小説がどうとか言ってたのに、今回は怪人二十面相とか……」
ユキ「まあ、大した手がかりじゃないわね。ちなみに、筆跡から手がかりを探る技術は私にはないわ」
ハル「じゃあ、私からもいい?」
ユキ「うん、どうぞ」
ハル「ヒント、ってあるよね? 俺の目的は、あくまでお前たち二人を殺すことだって」
ユキ「うん。爆弾の殺傷範囲は、せいぜいが数メートルらしいわね」
ハル「つまり、爆弾は私たちのすぐそばに仕掛けられるということになる」
ユキ「"K"が与えてくれたヒントに、嘘が無ければね」
ハル「……本当だと思う?」
ユキ「おそらくね……。"K"は、私たちとのやり取りを楽しんでいるわ」
ハル「なるほど……。ただ、どうやって私たちのすぐそばに爆弾を設置するつもりなのかな」
ユキ「それが……不可解よね」
ハル「葬儀会場って、たぶん……相当広いよね。そんな中で、私たちがいる場所を特定して、前もって爆弾を置いておくことなんて出来るのかな」
ユキ「……うーん、まあ……。追々考えていきましょう」
ハル「……そうだね。会場に行って初めて気がつくこともあるかもしれないし」
ユキ「うん。じゃあ、今日は寝ましょう。……つわりは大丈夫?」
ハル「……あんまり、考えないようにしてる」
ユキ「"K"との対決を考えていたほうが……楽?」
ハル「うん……」
ユキ「そう……。うん、じゃあ久しぶりにご飯でも作ってあげるわ」


……。


ハル「……私って、結局……なにもしてなかったんだな」
ユキ「え、なにか言った?」
ハル「ううん、なんでもない。…………"魔王"にも負けて……京介くんの足を引っ張って……。結局、なにも……」


……。


"早く出てこいよ……"


……。


栄一「あー、今日も疲れたなぁ。一日お疲れちゃん、俺様……。……ったくよー。藤島もウゼーわ、宇佐美もウゼーわ……毎日気分わりーわ。なんつーか、これがゲームだったらマジ鬱ゲーだよ。なあ、わかるか? ワニ一号? ……おーそうか、お前も悲しいかー。さすがワニ一号。心の友はお前だけだぜ。……ちっ……心の友、か」


──携帯電話の音が鳴る。


栄一「……っ、誰だこんな夜中によォ……。……もしもし!? ……! の、のりこ先生じゃないっすかー! あぁ、うん、うん! 元気、元気ー! なになに? なにか悩み事でもあるのー? あー、そうなんだ! 大丈夫、大丈夫。僕に任せてよ! 落ち込んでるならケーキだね。今度美味しい店、連れてってあげるよー! はいはい、じゃあねー! ……わかってる、僕の愛は変わらないよー」


通話を切る。


栄一「はぁー……。たまんねぇわ、のりこは。つーか、完全におちたな。俺のモノになったわ! なんか、俺だけ幸せルート突入って感じだぜ! こいつは気分良いねぇ! ……くそっ。……気分、悪いわ。……ちっ、こりゃあ京介の野郎に本格的に説教くれてやらねーと気がおさまらねえわ。……でも、面会とかなんかアレだよなぁ……。くせーよなぁ。……一筆したためてやっか。……拝啓、京介殿。……あー、なんかちげーな。つか、あいつマジへこみしてたらどうしよう。……くっそー、京介ちゃんよー。やってくれたじゃないの。……うるせーぞ一号! こっちは取り込み中なんだ! あー、えーっと……。お前は……裏の世界でのし上がれや。あ、これカッコいいなー。オレは表の世界でのし上がるから。……決まったな。……あとは、そうそう。のりこをモノにしたぜ! やっぱ見せつけてやんねーとな! あいつの羨ましがる顔が目に……。目に……浮かぶわ……。ざまぁみろ……バカが……。京介の……バカが……。……はぁ、くそっ! ……はやく、はやく……出て来いよ」


……。


ユキ「そう……。京介くんの面会に行くのね?」
水羽「姉さんも、一緒に行かない?」
ユキ「……。遠慮しておくわ」
水羽「そんな……どうして?」
ユキ「一人で行くべきよ。あなた一人だけで言うべきことがあるのだから」
水羽「……でも。今さらなんて言ったらいいか……」
ユキ「素直に自分の気持ちを伝えるべきよ。……後悔のないように」
水羽「……でも、でも……」
ユキ「わかってる。彼の心は、ハルにしかないわ」
水羽「……それでも、それでも! 言いたいの!」
ユキ「バカねぇ……。傷つくだけよ」
水羽「いいの!」
ユキ「……無理だわ。その調子だと、きっと彼の前ではなにも言えないわ」
水羽「そんなことない!」
ユキ「水羽、ダメよ。自分のことばっかり考えてたら」
水羽「……え?」
ユキ「……例えば、あなたが私に会いたがってたのは……。こういった相談がしたかったからでしょう? 私を心配してたとか、そういう気持ちは二の次なんじゃない?」
水羽「……それは……そうかも」
ユキ「ふふ、正直でよろしい」
水羽「ごめんなさい……」
ユキ「あなたは素敵な女の子よ、水羽。……ただ、その純粋な気持ちを京介くんに言い返してもらうには……ちょっと時間が足りなかっただけ」
水羽「……ありがとう、姉さん」
ユキ「タイミングよ。タイミングが悪かっただけ。京介くんと出会う時期が時期だったら、私だってどうなってたかわからないわ」
水羽「……罪な人だよね」
ユキ「全くだわ……。もし、彼に会ったらこう伝えて。借りは、いつ返せばいいの? って」
水羽「わかった……。必ず伝えるよ」
ユキ「ありがとう、おやすみ」
水羽「おやすみ」


……。


"人間の分"


……。


時田「久しぶりだねぇ、斎藤くん」
斎藤「時田さん、ご無沙汰しておりました」
時田「いやぁ、君は変わらないねぇ。いつまでも若々しくて、羨ましい限りだ」
斎藤「時田さんこそ、まだまだ現役じゃないですか」
時田「なに言ってんだ、僕なんかもうロートルだよ。例の"魔王"には、手も足も出なかったからねぇ」
斎藤「いやあれはどうやったって無理でしたよ。犯人側に有利な条件が多すぎた」
時田「……君は、優しいなぁ。浅井の部下だったとはとても思えんよ」
斎藤「ま、途中で公安に逃げ出しましたからね」
時田「……しかし、凄い人手だねぇ。右を見ても左を見ても、片っ端からしょっ引きたくなるような連中ばっかりだ」
斎藤「それだけ、浅井さんに人徳があったってことですよ」
時田「徳というか、業だろうねぇ」
斎藤「手厳しいですね、本当にご友人だったんですか?」
時田「もちろん。少なくとも、僕はそう思ってる」

(……相変わらず、まっすぐな御仁だなぁ……。そんなんだから"魔王"との交渉なんて貧乏くじを引かされるんだ。上層部にいいように使われてるってのに、よくもまぁ警察官なんてやってられるもんだ)

時田「ほら、見てみろよ斎藤くん。マル暴の刑事(デカ)までこぞって参列に来てるぞー」
斎藤「もしこの会場に爆弾でも仕掛けられてたら、明日から街の治安が崩壊しますね」
時田「え?」
斎藤「はい?」
時田「今の……冗談だよね?」
斎藤「えぇ、えぇモチロン。……我ながらつまらないこと言いました」
時田「そうだよねぇ。いやー、僕もトシかなぁ。本気のように聞こえてしまったよぉ。いやぁ、すまん」
斎藤「勘弁してください、未だに時田さんに見つめられるとドキッとしますよ」
時田「すまんすまん。それじゃあ、受付を済まそうか」
斎藤「……はい」

(……恐れ入ったなぁ、さすがにウデは衰えてないか。……ふふ、こりゃあ面白くなってきたぞ……)


……。


ハル「……うわ、凄い人」
ユキ「っていうか、ハル? その喪服姿なんだけど……」
ハル「なに?」
ユキ「お化けみたい」
ハル「失敬な! 上下で五千円もしたんだぞ!」
ユキ「……ぶかぶかじゃないの」
ハル「そんなことより──」

堀部「嬢ちゃーん! こちらですよー! こっちで名前を書いてくださいー。…………あれ? そっちの姉ちゃんは確か……」

ユキ「あ、こんばんは。西条の一件以来ですね」

堀部「あー、そうだったそうだった! 時田、ユキ……だっけ」

ユキ「ええ」

堀部「あんたの親父も、参列に見えられてるよ」

ユキ「え!? 父さんが?」

堀部「あのオマワリも、昔はウチの親父の友人だったそうな」

ユキ「友人……? 権三さんと……。なんだか意外ね、そんな話は初めて知ったわ」

ハル「堀部さん、ちょっと確認したいんですが」

堀部「はいはい」

ハル「やっぱり、権三さんの葬式ともなると……チェックは厳しいみたいですね」

堀部「もちろんですよ。悪いんですが、嬢ちゃんがたにも手荷物とボディーチェックをさせていただきやす」

ハル「……会場内で武器を持っているのは?」

堀部「身内だけですねぇ」

ハル「そうですか……」

堀部「"K"とかいう野郎が爆弾を持ち込むのは、まず無理です」

ハル「前もってこの会場に潜入し、爆弾を仕掛けていたということも考えられます」

堀部「ウチらも前もってこの会場におかしなモンが仕掛けられてないか、徹底的に探してますから」

ハル「となると……」

堀部「ま、坊主の念仏が始まるまで少し時間がありますから……。どうぞ、ごゆっくり」

ユキ「なんだか、余裕そうね」

ハル「胸騒ぎがする……」


……。


斎藤「時田さん、ちょっとトイレに行ってきます」
時田「あぁ、ここで待ってるよ」
斎藤「……ああ、すみません。時田さん、携帯をお持ちですか?」
時田「ああ……。なんだい? 持ってないのかい?」
斎藤「どうも忘れてきたみたいで……。ついでに電話を一本、かけたいんですが」
時田「減点だなぁ、君は警官だろう。非番でも、携帯は所持してなきゃ!」
斎藤「いやー、返す言葉もありません。……このことは上には内緒に……」
時田「わかってるよ、冗談だよ。ほら。使い方はわかってるよね?」
斎藤「ありがとうございます、すぐ戻ってきますんで」
時田「どうぞ、ごゆっくり」


……。


斎藤「……あんたが依頼人だな?」
???「お前が殺し屋か? ずいぶんと──」
斎藤「挨拶は省かせてもらう。手筈通りやれ……。時田に渡す"贈り物"は持ってきたな?」
???「ああ……。ここに。コイツの中身はなんだ?」
斎藤「決まってるだろ。……ズドン、ってやつだ」
???「だがお前を雇ったのは俺だぞ。……なぜ依頼人の俺にこんな仕事をさせる? ……これは報酬から引かせてもらうからな」
斎藤「……前にも話したと思うが、俺は金に対して興味がない」
???「待て、俺は──」
斎藤「これも前に話したが、俺は依頼人に興味はない」
???「……じゃあなぜこんな仕事をしている?」
斎藤「面白いからだ」
???「……ふっ、わからんやつだ。まあいい、では後ほど」


……。


斎藤「浅井権三よ……。あんたの言う通り、俺は俺の分を知っている。あんたも死に、"魔王"も死んだ。だが、俺はまだまだ生きている。……人生の勝負というものは、最後の最後までわからないもんだなぁ」


……。

 

 

 

 


"ハル対K PART2"


……。


ユキ「……とりあえず、私たちの座っている椅子の周りにはおかしなものは無いわね」
ハル「うん……」
ユキ「顔色が悪いわよ? それとも、考え事?」
ハル「"魔王"と同じように、私と遊びたがっている」
ユキ「え? どうしたの、急に」
ハル「最初の電話のやり取りもそうだった。……なんとなく"魔王"のときと似てる。次にこの爆破予告……。花音のときと似ている」
ユキ「あのときはたしか……。スケート会場を爆破すると見せかけて……」
ハル「実際に狙われたのは権三さんだった」
ユキ「"K"は"魔王"の協力者だったから、モチロン過去の"魔王"の犯罪を知っているはずよね」
ハル「つまり、今回も狙われるのは……実は私たちではなく……」


時田「ユキじゃないか!」


ユキ「え? ……やだ、父さん!?」

時田「なんでお前がこんなところにいるんだ!?」

ユキ「い、いやー……それは……」

時田「まったくお前ときたら……家にも帰らないで……!」

ユキ「ちょ、ちょっと落ち着きましょ。落ち着いて、話し合いましょう」

時田「いやー今日という今日は絶対に許さん! そもそも私は、お前のしつけを間違っていた! 自由奔放に育ててやろうと思っていた、親心が仇になったのだ!」

ユキ「自由奔放? ……それって、父さんがただ仕事が忙しかった言い訳じゃない!?」

時田「口ばっかりは達者になりおって! それも"魔王"に教えてもらったのか!」

ユキ「……っ、確かに……事件を起こしたのは謝るわ。父さんにも迷惑をかけた。それは申し訳ないと思ってる」

時田「本当にそう思っているんなら……。な、なぜ家に帰ってこないんだ? 教えたろう? 人間の言葉に、惑わさるなと」

ユキ「はいはい、『言葉は嘘をつく、行動は嘘をつけない』」

時田「わかってるならなぜ!」

ハル「あ、あのー!」

ユキ「なに!? 邪魔しないで!」

ハル「……そろそろ、式が始まるみたいだよ」

時田「いいかユキ。後で話がある! 逃げるなよ!」

ユキ「わかった! ……わかったわよ、みっともない。……もう、口うるさい父さんだわ」

ハル「でも、いいお父さんだよ。ユキのこと心から心配してる」

ユキ「それはわかってるんだけど……。口論になると、なんか負けたくないって思っちゃうのよね」

ハル「……いいお父さんだよ。ちょっと羨ましい」

ユキ「あ……ハル……」

ハル「……あんなお父さんだったら、幸せだったんだろうなぁ。私も……、京介くんだって」


……。


斎藤「……しっかし、トイレの個室にまで監視カメラか……。さすがに物々しい警備だなぁ。……ま、しかし。カメラってのは常に死角がある。…………よーし、よし出来た。あとはコイツを……」

堀部「そろそろ式が始まりますんで! お早めに」

斎藤「あーすみません。どうも腹を下したようでね」

堀部「親父の怨念かもしれませんねぇ」

斎藤「はは、違いない」

堀部「それでは、お早めに会場にお戻りください」

斎藤「…………さて、もう戻るとしよう」


……。


ハル「……あれ? 見てよ、ユキ」
ユキ「なに?」
ハル「あの前の方の席に座ってるの、お父さんだよね?」
ユキ「うん、そうね…………あ……組関係の人が父さんに近づいて、なにか渡してるけど……」
ハル「スーツケース……だね」
ユキ「……みたいね」
ハル「なんでだろう、どうしてこんなときに。一体、中身は……っ……! しまった! まずい!」


……。


斎藤「……お待たせしました」
時田「ずいぶん長かったね」
斎藤「携帯、お返しします」
時田「当ててみよう。彼女さんだろ?」
斎藤「……時田さんに隠し事はできませんね。早く帰ってこいとうるさくて」
時田「お互い、苦労が絶えないね。僕もさっき、バッタリ娘に出くわしてさ」
斎藤「おや? どうして、こんなところに」
時田「それを後でみっちりと問い詰めてやろうと思ってるんだ。君も、協力してくれたまえ」
斎藤「すみませんが、大至急彼女の実家に帰らなくちゃならなくて……」
時田「実家? ……なんだい、結婚するのかい」
斎藤「いやぁ、まだどうなるか……。まぁ、とにかく焼香だけ済まして帰ります」
時田「そうか、残念だけど仕方ないね」
斎藤「ところで、そのスーツケースはなんです?」
時田「おぉ、これかい? 僕もよくわからないんだが、さっき組の人間から頂いてね」
斎藤「……ほほぉ?」
時田「なんでも、浅井の形見らしいよ。友人だった僕と、娘のユキに渡したいんだそうな……」
斎藤「へぇ……。中身が気になりますね」
時田「案外、爆弾だったりしてなぁ。どう思う? 斎藤くん」
斎藤「……はは、まさか」
時田「どう、思う? ……斎藤くん」
斎藤「……え」
時田「浅井権三は稀代の大物だよ。警察もね、葬儀でなんの事件も起きないとは思っていないんだ。……言っている意味が、わかるかい?」
斎藤「え……いや……どういう」
時田「例のテロ事件以来……。私は"魔王"の関係者を徹底的に洗っていたんだ。主に、警察内部の人間をね」

(こいつ……)

時田「君の略歴は調べさせてもらっている。ハッキリ言って、君はもう公安には在籍していない人間だ。なのに……」

(最初から俺を疑っていたのか……)

時田「それと、君と顔を合わせて話をさせてもらって……。いくつか気になる点が浮かんだ。君はなんらかの嘘をついている。……まず、君に彼女なんていないと私は思っている」

(……いやはや、ちょっとだけ甘くみていたな……。権三の葬儀に誘うため五年ぶりに電話をかけてきたのか)

時田「斎藤くん、安心したまえ。私は君のことをまだグレーだと思っている。そしてこの事は、警察内でも私しか知らない。今のところはね」

(面白いじゃないか……)

時田「だが、この会場には私の娘がいる。かつての友、浅井権三がいる。……無礼な真似をしたら、承知しないよ?」

(……面白い。 そう、まだまだ恐ろしくはない。時田彰浩……。お前はまだまだ俺の理の範疇に入る……)

時田「さあ、そろそろ君の番だよ。……焼香に行っといで。浅井の霊前で君は何を思うのかなぁ」
斎藤「はは……」
時田「言っておくが……。そのまま逃げ出したりしたら、グレーが限りなく黒に近づくよ」
斎藤「俺も、ひとつだけ言っておきましょう」
時田「うん?」
斎藤「"魔王"は生前、あなたを殺しておくべきだったと言っていましたよ」


……。


ユキ「あのスーツケースの中身が爆弾?」
ハル「それ以外に、会場に爆弾を持ち込む手段が考えられない」
ユキ「ということは、さっきスーツケースを渡したのは……」
ハル「おそらく"K"の協力者だ。園山組の人の中に、共犯がいたんだ」
ユキ「じゃあ"K"から届いた手紙はなんだったの? ヒントの意味は?」
ハル「あれは陽動……。花音のときと同じ、さも私たちを狙っているように見せかけて、本当の狙いは別のところにある」
ユキ「まさか……父さん!? 父さん!! そのケースを捨てて! 父さん!!」

堀部「静粛に! 静粛にお願いします!」

 

斎藤「……ふふ、爆発までもう少しってとこか。早めに退散させてもらうとしよう」

ハル「堀部さん! あのスーツケースです! あれをどこか遠くへ!!」

斎藤「いいぞー、宇佐美ももっと時田彰浩の近くまで来い。……そして娘も。……もう父親のそばを離れるんじゃないぞ。……さてさて。そろそろ、宇佐美と遊んでやるとしよう」


……。


時田「ユキ! 騒ぐんじゃない!」

ユキ「だって!」

時田「落ち着くんだ! 冷静さを失ったら負けだと、教えただろう」

ユキ「じゃあ、どうしろっていうのよ!」


──ハルの携帯電話が鳴る


K「元気かな? 宇佐美」
ハル「……"K"」
K「その様子じゃあ大変そうだなぁ。式場はまさに地獄絵ってところか?」
ハル「お前もなにやら移動中みたいだな」
K「なかなか冷静だな。……教えてやろう。既に俺は会場にはいない」
ハル「既にということはさっきまではいたんだな」
K「よーしよし、頭は鈍ってないな。ヒントもたっぷり与えたことだし、今回は爆発を阻止してみてくれ」
ハル「なにがヒントだ……!」
K「浅井権三は死んだ。フィギュアスケートのときとは違う。今回はお前ひとりだ。……言ってる意味がわかるな?」
ハル「……ああ。あのとき私は権三さんの力を借りて、なんとか"魔王"と引き分けることができた」
K「……そういうことだ。ちなみにスーツケースの中身は、あと3分もしないうちに爆発する」
ハル「……っ!」
K「さらに良いことを教えてやろう。スーツケースを開けると、中に目立つように赤のコードと緑のコードが伸びている」
ハル「まさか、どちらかを切れば爆発を止めることができるとでも?」
K「そのまさかだ。ドラマみたいで面白いだろ?」
ハル「いいのかな、そんなに余裕で」
K「ちなみにヒントはもう与えてある」
ハル「……なんだと?」
K「たーのしみだなぁ」
ハル「いいだろう。覚えていろ……」
K「じゃあな。……本日は、ご愁傷様でした」


ユキ「ハル!? こんなときに誰と電話? まさか……」

ハル「"K"だ。スーツケースを開けよう」

時田「ちょっと待ちなさい! 危険過ぎる!」

ハル「"K"が言うには、中に赤いコードと緑のコードがのびていて、そのどちらかを切れば……爆発は止まるらしいです」

時田「なんだって……!?」

ハル「…………開けます」

ユキ「……たしかに……。赤と緑……って、もう時間が……!? あと2分!?」


(騙されないぞ……。今度ばかりは、絶対に……! 考えろ……"K"は"魔王"の犯罪を踏襲している。……ということは……ということは……! ヒントは、ヒントはもう……与えてある……。ヒントなんてあったか……?)

堀部「おおおい、宇佐美ちゃん!? どっちなんだ!?」

(わからない……!)

ユキ「ハル……!」

(わからない……わからない……!)

時田「もういい! 君たちは、速やかに遠くに逃げるんだ!」

(権三さんもいない……。京介くんもいない……。私はひとり……!)

堀部「逃げろぉ!!」

(わからない、どっちだ……! どっちなんだ!? ……私はもう、ひとりなんだ……)


ピーーーーーー……


ハル「え……」

ユキ「爆発、は……?」

堀部「不発に、終わったのか……?」

ハル「そんな……」

堀部「……ったく、驚かせやがってぇ……!」

ユキ「"K"の、ミス……?」

ハル「いや、そんなハズは……。ここまで用意周到に段取りを組んでおいて、肝心の爆弾に問題があるなんて……」

堀部「じゃあ"K"ってやろうは一体何がしたいんだ!? ……たしかに、おかげで葬式は滅茶苦茶になったがよぉ……!」

ハル「それが……それがわからないんです。でも、これで終わりじゃないハズです! "K"は必ず……」

(これで終わりじゃないはずだ……。ヒントは、かかってくる電話に注意……。電話はさっき"K"からかかってきた。さっきの"K"との電話の中で、"K"はなにか……重要なことを言っていたか……。思い出せ……思い出せ……!)


──時田の携帯電話が鳴る。


(携帯……? 違う! そういうことか……!)


ユキ「父さん? 携帯鳴ってる……」

ハル「その携帯を捨てるんだ!!」

時田「ユキー!! どけー!!」


──ッ!!


…………。

 

……。


"ジョーク"


……。


"K"「……ふふ、ヒント……。電話には気をつけたほうがいい……。別に、"誰に"とは言ってないからな」

???「おい、殺し屋……。どういうことか説明しやがれ……!」
K「携帯型爆弾だ。着信と同時に電流が流れて爆発する仕組みになってる」
???「そんなものいつの間に……」
K「ちょっとトイレに籠ってる間にな。昔から手先は器用な方でねぇ」
???「じゃあオレに運ばせたスーツケースは?」
K「あれはジョークアイテムだ。ジャガーノートって映画知ってるか?」
???「なぜこんな回りくどいことをする!?」
K「面白いから、だ」
???「ふざけるな……」
K「いや、会場は盛り上がったと思うよ? どっちのコードを切ればいいのか悩んで、苦しんで。当てずっぽうな推理を働かせて……。その挙句、思わぬところで爆発が起こるんだからな。……さて、ニュースニュース、と。……死傷者数名か……。ま、時田彰浩が死んだのは間違いないよな」
???「時田ユキと宇佐美ハルは!?」
K「生きてるかもなぁ……。手紙のヒント通り、爆弾の殺傷範囲はせいぜいが数メートルってところが限界なんだ」
???「……この野郎……! とっとと仕事を──」
K「優先順位、って知ってるか? 宇佐美や時田ユキなんていつでも殺せるんだ。"魔王"もそのへんをキチンとわかってた。だから浅井権三を先に殺したんだよ」
???「いいからやることをやれ!!」
K「……ははは」
???「……なに笑ってやがる!?」
K「言ったはずだ。俺のやり方に口を出すな……」
???「……お、おい……! なんだ、なんの真似だ!?」
K「人間には、分ってモノがある。みんなそれぞれ出来ることと出来ないことがある。依頼人には依頼人の……。殺し屋には殺し屋の分、ってもんが……!」
???「なっ!? やめろ──」


──ッ!!


K「のこのこと殺し屋の家にお邪魔しちゃダメだろう? ……安心しろ。お前の望み通り、宇佐美と時田は殺してやる。…………さてさて、首尾よく時田彰浩を殺せたことだし。俺を疑う奴はもういない。鬱陶しい依頼人も死んだことだし、ちょっと羽目をはずさせてもらうかな。……まだまだ遊んでやるとしよう。次はもっと派手に……!」


……。

"復讐の連鎖"


……。


ハル「……あ、ユキ……。お父さん、どうだった?」
ユキ「……意識不明、面会謝絶。……助かっても、もう起き上がることはできないだろう、って」
ハル「……っ! ごめん……」
ユキ「謝ること、ない……」
ハル「でも……ごめん……!」
ユキ「……ごめん、って……。なにアナタ? もし、もう一度京介くんに会ったときもそうやって謝るの?」
ハル「え……」
ユキ「なに? そうやって、赤ん坊にまで謝ってるわけ?」
ハル「……っ!」
ユキ「許されようとしないで。子どもを作ったのは、あなたと京介くんでしょ? 許されようとしても、なんの慰めにもならないわ……っ……!」
ハル「……ユキ」
ユキ「……ごめん……ちょっと、私。おかしい……無視して……。どっか……どっか行って!」
ハル「……うん。……じゃあ、後で……」


……。


ユキ「……っ……うぅ………父さん……。ごめんね、父さん……。なんにもしてあげられなくて……。……うぅ……」


(みんな辛いんだ……。私だけじゃない。"魔王"が死んで、終わったと思ったのに……。終わってなかった。"K"……。憎むべき敵……。私はモチロン、ユキも"K"を許さないだろう。……でも、この復習の連鎖は……。一体いつまで続くのか……。この子を……どうすればいいの……? 京介くん……)


……。

 

 

─償いの章─ 第二巻 end

 

 

大逆転裁判 ─成歩堂龍ノ介の冒險─【3】

 



同日 午後1時14分
大審院 第弐号大法廷

 



 

 



──ッ!!

 



サイバンチョ「……それで? 法務助士よ。審理中に、何用であるか」

 



アウチ「はッ! 何者かと思えば。法務助士……しかも、婦女子とは。そもそも……この、大審院。婦女子の立ち入りは、許されておらぬ!」

 



スサト「それは、承知しております。ほんの、5分だけ……お時間を! 弁護人に、渡さなければならない《証拠》がございます」

アウチ「かッ! もう、遅いワ! 審理はすでに、決したのだ!」

 



──ッ!


サイバンチョ「……5分。それ以上、待つことはできぬ」

アウチ「さ……裁判長閣下……!」

スサト「……ありがとうございます!」


……。

 

ナルホド「あの。あなたは……」

 



スサト「……時間がございません。さっそく、こちらを」


(これは……英語で書かれている。なにかの《報告書(レポート)》みたいだ……)


スサト「ジェゼール・ブレットさまの《研究資料》でございます」

ナルホド「……! あの、レディの……?」

スサト「先ほど……審理が再開してから、勇盟大学へ行ってまいりました。そして……医学部の、ワトソン教授の研究室で、これを借り受けたのです」

アソウギ「……そうか。レディは、ワトソン教授の研究室で学んでいるのだったな」

ナルホド「もしかして。その“研究”が……なにか、事件と関係があるのですか?」

スサト「わかりません。なにしろ……わたし自身は、この審理を聞いておりませんので」


(あ……そうか)


アソウギ「《クラーレの人体におよぼす効果、反応、および特徴について》……か」

ナルホド「く。“くらーれ”……なんのコトだ? (聞いたコトがないな……)」

アウチ「……時間ですぞ。場をわきまえぬ法務助士に、すみやかな退廷を求めるッ!」

スサト「……時間がなくて、詳しく読むことはできませんでしたが……。《資料》の最初に、内容をカンタンにまとめておきました。よろしければ、目を通してくださいませ」

ナルホド「……わかりました。ありがとうございます!」

 



─ジェゼールのレポート─

ジェゼールが勇盟大学で
研究している、日本では
未知の猛毒の報告書。

証拠品《ジェゼールのレポート》の
データを法務記録にファイルした。


スサト「それでは。ご武運を……」


……。

 

──ッ!!


サイバンチョ「英国からの客人を、これ以上待たせることはできない」

 



ジェゼール「…………」

サイバンチョ「最後に。もう一度だけカクニンしておくが……。検察側、弁護側とも。新しい《証拠》の提示は……もう、ないであろうか」

アウチ「……もちろん、ございません。審理はすでに、じゅうぶんかと!」

 



アソウギ「成歩堂。キサマには“選択の余地”など、存在しない。……これが。文字どおり、本当に最後の“機会”だ」

 



ナルホド「ああ。わかっているよ。……裁判長ッ! 《証拠》の提示をお許しください!」

サイバンチョ「……………その、目……。日本男児の、あきらめを知らぬ燃ゆる目である。……証人。ミス・ブレットよ。よろしいでしょうか」

ジェゼール「あら……なんでしょう?」

サイバンチョ「よろしければ……もうすこしだけ。おつきあい願えますかな?」

ジェゼール「せっかくのお誘いですけど……。そろそろ、午後のお茶の時間ですの。よろしければ、このへんで失礼を……」

サイバンチョ「恐れ入りますが、ミス・ブレット。“願えますか”とは尋ねましたが……。これは“要請”である。……そう、とらえていただけますかな」

ジェゼール「………………前から、思っていましたの。日本人の言語は……論理的ではない」

サイバンチョ「……恐れ入ります。レディ」

 



──ッ!!


サイバンチョ「……それでは、弁護人よ。提示するがよい。この審理で“検討”するべき新たな《証拠》とは……!」

──はいッ!


ナルホド「……ジェゼール・ブレットさん。勇盟大学では、ワトソン教授の研究室で研究されているそうですね」

ジェゼール「……………」

ナルホド「しかも。なんの偶然か……『猛毒』の研究を」

アウチ「な。なんですと!」

サイバンチョ「も。もうどく……。それは、いったい。どういうことかッ!」

アソウギ「その名は、《クラーレ》……。ほんのわずかな量が、体内に入っただけで《即死》する“猛毒”です」


──異議あり


アウチ「な。なにを、ユメみたいなコトを言い出すのだ、キサマたちはッ! く。く。“くらーれ”だと……? そんな“毒物”……聞いたコトがないッ!」

アソウギ「……当然だ」

アウチ「な。なんだと……!」

アソウギ「聞いたコトなど、あるはずがない。なにしろ……我が大日本帝国には、まだ存在しない《毒物》なのだから」

 



ホソナガ「そ。“存在しない”……?」

ナルホド「そうなんです。つまり……。帝都警察が、いくら検査をしても。その《毒物》は絶対、検出されない。……なぜなら。この国では、それを検出する“方法”が存在しないのだからッ!」

アウチ「なんだとおおおおおおおおおおおッ!」

 



──ッ!!

──ッ!!

──ッ!!


サイバンチョ「静粛に! 静粛に! 静粛にッ! そのような“猛毒”……本当に、存在するのであるか……!」

 



アソウギ「……この、大英帝国の留学生による《研究資料》によれば。南亜米利加(アメリカ)の狩猟民族のあいだで、古くから矢毒(やどく)として用いられていて……欧州(ヨーロッパ)の科学者、医学者のあいだでは、よく知られた存在であるようです」

アウチ「や……どく……」

アソウギ「アマゾンの密林(ジャングル)に群生する、樹木の皮から抽出される猛毒で……今世紀初頭。探検家が欧州に持ち帰り、その存在を知られるようになった。これを塗った吹き矢が刺されば……その獲物は、“瞬時に”死ぬそうです。……そうですね? レディ」

ジェゼール「………………」


──異議あり


アウチ「そ。そんな主張……もう、滅茶苦茶ですぞッ! そもそも! そんな“猛毒”が体内に入ったのならば。被害者は……もがき苦しみ、抵抗したはず。店内の者が、気づかないはずがない!」

サイバンチョ「むう……たしかに。どうだったのか? 刑事よ」

ホソナガ「モチロン。そのような騒ぎがあれば、当然……気がついたでしょう」


(……たしかに、教授が“苦しんだ”ようすは、記憶にないな……)


アソウギ「この《資料》によれば。“逆”……であるようだ」

アウチ「な。なんだと……“ぎゃく”……?」

アソウギ「被害者は、苦しむ“そぶり”を見せなかった。それこそが……《クラーレ》が使用された“証拠”と考えることができる」

サイバンチョ「それは……どういうことか。説明を願おう」

アソウギ「この毒は、体内に入ったその瞬間、全身の筋肉をマヒさせるそうです。つまり。チカラが完全に抜けて“動けなくなる”。たとえ、苦痛があったとしても、それを“表現”することができない」

ホソナガ「な……なんという……」

アソウギ「当然、チカラが抜ければ、被害者は倒れてしまう。だが……イスを使って、身体を支えれば……騒ぎにはならなかっただろう」

ナルホド「でも……亜双義。どうも、よくわからないな。筋肉がマヒするだけで……どうして“即死”なんだ?」

アソウギ「………………非常に、恐ろしいハナシだ。“猛毒”によって、全身の筋肉が瞬時にマヒして、被害者は動けなくなる。そして、そのマヒは最終的に……“呼吸”を司る筋肉を停止させるのだ」

ナルホド「こ。呼吸を……?」

アソウギ「つまり。直接的な死の原因は……“窒息”ということになります。その間、被害者の意識は“生きている”。ただ……動くことだけが、できない」

アウチ「そ。そんなことが……」

アソウギ「見ている者にとっては、ほんの一瞬。眠るような“即死”だが……。被害者にとって……これほど残酷な“死”は、ない。……それが、《クラーレ》という“猛毒”の正体……なのです」

 



…………………………


サイバンチョ「この、《硝子瓶》の中に……そのような“猛毒”が入っている、というのか……」


──異議あり


アウチ「そ。そんな……イイカゲンな言い分があるかッ! 『未知の毒だから、検出できません』……だと? ふざけるなッ!」

ジェゼール「あの……ヒトコト、よろしいかしら」

アウチ「学生が、リクツばかりコネおって! 少しは、社会の規則を学べッ!」

 



──Shut up!


ジェゼール「学ぶのは……アナタ、ですわ」

アウチ「……は。はは。はははああああああっ!」

ジェゼール「………………つまり。これが、日本人の“やり方”というワケ、かしら?」

ナルホド「……どういうことですか?」

ジェゼール「勝手に他人の《資料》を盗み見て、自分で発見したかのように勝ち誇る……。まさに“卑劣”……そう言わざるを得ないわね」

アソウギ「恐れながら……“お互いさま”と言わせていただこう」

ジェゼール「……どういうことかしら?」

アソウギ「他人の“無知”につけこんで、堂々と《罪》を逃れようとする……。これもまた、“卑劣”……そうは思いませんか? レディ」


──異議あり


アウチ「と……とにかくッ! この、亜内……認めるワケにはいかぬ! 大日本帝国に存在しない“毒”など……まさに、反則なりッ!」

ジェゼール「……ふふふふふ……」

ナルホド「な……なにがおかしいのですかッ!」

ジェゼール「……Excuse me. 裁判長サマ、でしたかしら?」

サイバンチョ「な。なんですかな? ミス・ブレット」

ジェエール「その、《硝子瓶》……ちょっと、よろしいかしら?」

サイバンチョ「あ。ああ……よいでしょう」


……。

 





ジェゼール「思い上がらないコトね。ちっぽけな……極東の島国のみなさま」

アソウギ「……どういうことでしょうか」

ジェゼール「英国人の目から見れば。ここで行われていたのは、まるでコドモの遊び。“警察ごっこ”に、“裁判ごっこ”……それはそれは、微笑ましいコト」

ナルホド「……!」

ジェゼール「でも。そろそろ、コドモの“お遊び”は終わりにいたしましょうか。……Cheers!」

 



 

ナルホド「ああああ……ッ! な。なんてコトを……!」

 

 

 

 

ジェゼール「ふっ……。……気の抜けた、炭酸水。まさに、この場にふさわしい一杯ね」

ナルホド「……………」

アウチ「……………」

サイバンチョ「……………」


…………………


ジェゼール「……あら。どうしたのかしら? みなさま……そんな顔をなさって」

ナルホド「………………」

アソウギ「その、硝子瓶に……《クラーレ》は“入っていなかった”と言うのか……」

ジェゼール「……ふふふふふ……『信じられない』という顔ね。でも……それが、《現実》なの。ワタクシの研究を、このような場で発表してくださって、感謝しますわ」

アソウギ「ぐ……ッ!」

ジェゼール「ごくろうさまね、ボウヤ。それじゃあ……裁判長サマ」

サイバンチョ「あ! な。なんでしょうかな!」

ジェゼール「……今度こそ。失礼してよろしいですわね? じゅうぶん、おつきあいしましたわ。……両国の“友好関係”のためにね」

サイバンチョ「お……恐れ入ります、レディ。……感謝のコトバもございません」

ナルホド「………………」

アソウギ「……こんな、馬鹿な……。あの《硝子瓶》には……“猛毒”が入っているハズなのだ! ……でも。それならば、なぜ……あの女は、それを飲みほして……平然と“生きている”のだッ! ……わからぬ……」

ジェゼール「極東の小さな島国で、戯れに見た、一幕ものの《喜劇》……。……我が大英帝国への、ゆかいな“みやげ話”といたしましょう」


(……あの硝子瓶に、“猛毒”は入っていたのか、どうか……。そして。もし、入っていたのなら、彼女が倒れない理由は、なにか……? “手がかり”はそろっているハズだ。あの《硝子瓶》。“猛毒”は……)


ナルホド「ワトソン教授が飲んだ《炭酸水》に、犯人は、猛毒《クラーレ》を入れた……。ぼくは……弁護側は。“主張”を変えるつもりはありません!」

アソウギ「な。なんだと……」


──異議あり


アウチ「貴様は……いったい、今。なにを見ていたのだッ! この硝子瓶に《毒》など入っているハズがない! なぜなら……」

ナルホド「その“水”を、レディが飲んだから……ですか」

ジェゼール「そう……アキラカに《ムジュン》しているわね」

ナルホド「その《ムジュン》を解決する“コタエ”が……あるかもしれません!」

アウチ「な。なんだと……」

ジェゼール「……………」


(……目の前にある《謎》をひとつずつ。考えていこう……そのコタエは、かならず……《法廷記録》の中にあるはずだ!)

 



──ッ!!


サイバンチョ「……それでは。被告人……いや。若き弁護人よ」

ナルホド「……!」

サイバンチョ「そなたに《証拠品》の提示を命ずる。猛毒(クラーレ)の混入した水を飲んだにも関わらず、この承認が無事だった理由とは……!」


──はいッ!


ナルホド「その“コタエ”は……もちろん。証人の《研究資料》の中にあります!」


──異議あり


アウチ「そんなもの。“コタエ”になっておらぬ!」

ナルホド「え……」

アウチ「なにしろ……。ワレワレは、英語などサッパリとコレ、理解不能なりッ! 小生意気な若造め! 馬鹿にするなッ!」


(……馬鹿にはしてないし、イバるところでもないような……)


サイバンチョ「たしかに……この《資料》は、あまりにも膨大すぎるようだ。では……さらに、弁護人に“提示”を求めるものとする。この《資料》……どの項目に、そなたの主張する“コタエ”があるのか!」


===================

 

 

◎概要◎

南亜米利加(アメリカ)の密林地帯において、
ある樹木の樹皮から精製される。

この地の狩猟民族が、古くから
獲物を狩る際に使用してきた。

 

◎特性◎

効果:ごく少量で、瞬時に全身の筋肉を
マヒさせて、死にいたる猛毒。

条件:吹き矢など、傷口から体内に
入ったとき、毒性を発揮する。

 

◎応用◎

全身の筋肉がマヒするという特性から、
《麻酔薬》としての利用が考えられる。

全身マヒにより、患者の呼吸が停止する
問題の解決が課題となるであろう。


==================

 

 

ナルホド「……今。《クラーレ》のコトをいろいろ、聞いていて……。……ひとつ。気になったことがありました」

サイバンチョ「気になったこと……?」

ナルホド「この“毒薬”は、ムカシから狩猟民族が使っていて……。吹き矢の先に毒を塗って、獲物を“狩る”わけですよね」

サイバンチョ「さよう……そのようである」

ナルホド「それで。狩った獲物は……みんなで“食べる”わけですよね」

アウチ「それが、なんだと言うのだッ!」

ナルホド「……でも。獲物の体内には、さっきの吹き矢の“猛毒”が残っているワケですよね」

アソウギ「た……たしかに、そうだ……!」

ナルホド「ふつう、食べませんよね? 恐ろしい“猛毒”を持った獲物なんか」

サイバンチョ「それは、無論……“食べよう”とは思えぬ……」

ナルホド「それで、気がついたんです。この、《研究資料》……。『特性』の項目に、こう書かれているのです。“傷口から体内に入ったとき、毒性を発揮する”……と」

サイバンカン「……き。“傷口から”……」

ナルホド「わざわざ、そう書かれているのが引っかかったのです」

ジェゼール「…………」

ナルホド「つまり。この《資料》から読み取れる“事実”は……こうです。《クラーレ》は、傷口から体内に入ると、恐ろしい“猛毒だけど……。“口”から入った《クラーレ》には……毒性は、存在しない!」

アウチ「な。なんだと……」

ナルホド「……ジェゼールさん! あなたは、この“猛毒”……《クラーレ》の“特性”を知っていた。だから! あれほど自信たっぷりに飲みほすコトができたのです!」

 



ジェゼール「…………………この。ナマイキな……」

 



ジェゼール「ガキめがァァァァァァァァァァァァッ!」


アソウギ「……成歩堂。キサマは……オレの思った以上に優秀な弁護士だったぜ」

ナルホド「……亜双義……(この、ぼくが……“弁護士”……)」


──異議あり


アウチ「そ。そんな、ツゴウのいい《毒》など、あってたまるかッ! だいいちッ! それならばいったい、なぜ……」

 

──Shut up!


ジェゼール「……無知なオコサマが、“知恵”というオモチャを手に入れた、ってワケ? でも。慣れないオモチャを振りまわしたって、コッケイなだけ」

ナルホド「……どういうことですか?」

ジェゼール「ボクちゃんの、ザツな主張には致命的な《ムジュン》があるってコト」

ナルホド「ぼ。ボクちゃん……」

アソウギ「む。ムジュン……」

ジェゼール「ご想像のとおり。《クラーレ》は飲んでも安全な“猛毒”よ。。ヒトの胃液の“酸”と反応して、吸収されなくなると考えられているわ」

 



ナルホド「そ。そういうこと、なのですね。(……なんだ“イエキ”って……)」

ジェゼール「……でも。飲んでも安全な“猛毒”だったのならば……。あわれな教授が、炭酸水を“ガブ飲み”したって、死ぬハズがないじゃない?」

ナルホド「あ……」

アウチ「た。たしかに……」

サイバンチョ「そのとおりであるッ!」

ジェゼール「それが、“カガク”よ。おかわり? ボクちゃん」

 

 

──ッ!!

──ッ!!

──ッ!!


サイバンチョ「静粛に! 静粛に! 静粛にッ! 同じ《猛毒》を飲んだのであれば、当然。その結果は“同じ”である……」

アソウギ「そ。それでは……つまり!」

アウチ「この《クラーレ》という猛毒は、事件と“無関係”というコトですな!」

ジェゼール「……そういうコト。それぐらい。文明から取り残されたボクちゃんにも、わかるわよねえ!」

 



ナルホド「………………」


(……この、感じ……)

 



(……はじめて感じた。自分の中から、ほとばしる……“ムジュン”に対する《確信》と、《怒り》にも似た、この感情……。……すべて、ぶつけてやるんだ。この指の先にいる……“獲物”に!)

 





──異議あり

 










ナルホド「そうはいきません。……ジェゼールさん」

ジェゼール「な。な。なによ……その目は!」

ナルホド「……あなたには、わかっているはずです。同じ《猛毒》をクチにした被害者と、あなた自身……被害者だけが亡くなった、その“ムジュン”のコタエを!」

ジェゼール「……!」

 



──ッ!!


サイバンチョ「……それでは、弁護人。《証拠品》の提示を命じます。クチにしても、害のないハズの《猛毒》だったにも関わらず……。なぜ。被害者だけが、《クラーレ》によって、命を落としてしまったのか……?」

 



──くらえ!


ナルホド「ワトソン教授と、この証人は、たしかに、同じ“水”を飲みました。しかし……2人には、決定的な“相違点”があったのです」

サイバンチョ「決定的な……“相違点”……?」

ジェゼール「……!」

ナルホド「《クラーレ》は、傷口から体内に入ったとき、その毒性を発揮する。……だから、健康な人間がそれをクチにしても、害にはならない。しかし……その、クチの“中”に、《キズ》があったら……どうでしょうか」

アウチ「く。クチの中……ですと?」

 



ナルホド「……そうです。たとえば……。歯科医院で、ムシ歯を抜いた直後だった……とか」

アウチ「あ…………」

サイバンチョ「ああああああああああああああッ!」

ナルホド「……ジェゼールさん。あなたは何度か《証言》していますね。あの日。ワトソン教授が、ムシ歯を抜くのを“知っていた”……と」

ジェゼール「ぐ……ッ!」

アソウギ「そうか……この証人は、それを“利用”したのだな……」

ジェゼール「…………………………くっ……くっ……くっ……」


(……な。なんだ…………笑っている……)


ジェゼール「セッカクなので……もう一度。言わせていただきますわ。ホント……まるで、コドモの遊びね。詰めのアマい、“裁判ごっこ”……」

ナルホド「ど。どういうことですか……」

ジェゼール「こういうことよ。……ボクちゃん──」


ナルホド「……!」

アソウギ「……!」

アウチ「……!」

サイバンチョ「……!」

 



ジェゼール「ダイジな《証拠品》を、考えなしに渡すとどんな“事故”が起こるか……」

ナルホド「や……やめろ!」

ジェゼール「……このワタクシが。特別に、教えてあげますわ」

 



──ッ!!

ジェゼール「……あら。どうしましょう。ダイジな《証拠》がなくなってしまいましたわねえ」

ナルホド「え…………ええええええええええええッ!」

 


      ……なんだ!
   なにが起こったのか……ッ!
  
  
     あの、英国人が……
   硝子瓶を、コナゴナに……!
   
     大審院の審理だぞ!
    ……なんたる失態かッ!

 

サイバンチョ「係官ッ! なにをしている! はやく……床にこぼれた《炭酸水》を、回収するのだッ!」

ジェゼール「……ムダなコト。このジュータンは我が大英帝国が寄贈したもの。それはそれは、キモチよく“水”を吸いますのよ。……貴国の技術では、とうてい回収は“不可能”……ですわよ。おーっほっほっほっほっ!」

ナルホド「な。なんというコトを……。こんなの……決して許されるコトじゃないッ!」

ジェゼール「まあ……ボクちゃんが、いくらがんばって机を叩いてみても。硝子瓶に《毒》が入っていたか……もう。永久に、わかりませんわね」

アソウギ「……き。キサマ……!」

ジェゼール「そして……その、一方で。ハッキリと《証拠》が残っているコトがある。そうですわね? ……検事サマ」

アウチ「……ええ。ええ。この《写真》でございますね!」

 



ジェゼール「……そう。この《写真》を見れば、誰だって、ナットクするでしょう。あわれな教授は、このワタクシに背を向けて座っているのですから……。被害者を《正面》から撃つことができたのは“ボクちゃん”だけ」


──異議あり


アソウギ「……あの日。貴女は、《クラーレ》を用いて、被害者を“毒殺”した。そして……成歩堂龍ノ介にその《罪》を着せるために……」

 



アソウギ「床に落ちていた《拳銃》を拾った、その瞬間を見はからって……。……隠し持っていた拳銃で、教授の“遺体”を、撃った! そして……事件の騒ぎにまぎれて、遺体ごと、イスを“回転”させればよい。……これならば。貴女にも犯行は“可能”であるッ!」

ジェゼール「……くっ……くっ……くっ……たいした“空想”ね……ボウヤ」

アソウギ「……!」

ジェゼール「“隠し持っていた拳銃”……? “すでに死んでいた教授”……? ザンネンだけど……なにひとつ。《証拠》なんて、存在しないわ」

アウチ「そ。そのとおりですぞッ! 《証拠》がない以上。検察側の主張は、変わりませぬ! 被害者……ワトソン教授に銃弾を放って、その命を奪ったのは……。被告人・成歩堂龍ノ介より他にはいないのでありますッ!」

ナルホド「……うう……ッ!」

サイバンチョ「……むうううう……」


(く……くそッ! こんな。馬鹿なことが……。ここまで追いつめたのに……逃げられてしまうのか! ……あの女の、卑劣な“証拠隠滅”によって……!)


アソウギ「……成歩堂!」

ナルホド「あ……亜双義!」

アソウギ「ここまで来たら……あとは、もう……キサマしか、いない!」

ナルホド「え……! ど。どういうことだ……」

アソウギ「決定的な《証拠》が失われた、今。最後の“手がかり”があるとすれば……。それは、もう……キサマの“アタマの中”だけだ!」


(ぼくの……アタマの中……)


アソウギ「たしか、言っていたな? “観察眼”だけは自信がある……と」

ナルホド「も。モチロンだとも!」


(……イヤでも目立つ西洋美人を見落とすテイドだけど……)


アソウギ「もう一度、思い出すんだ。あの瞬間……その“光景”を! キサマが見て、感じた……その“色”や“匂い”までも」

ナルホド「……!」


(あのとき。ぼくが見て、感じた……)

 



(……その“色”までも……。……どうだろう……この、“総天然色”の《記憶》の中に、眠っているのだろうか……? ワトソン教授を撃った犯人を示す“手がかり”が……)


ナルホド「……亜双義。もしかしたら……見つけたかもしれない。ぼくの《記憶》の中に眠っている……“手がかり”を!」

アソウギ「……マッタク。驚くべきオトコだな、キサマは。ヤツらに、つきつけてやるがいい。……その“手がかり”をな!」

ナルホド「……ああ。わかった!」


(……ぼくの《記憶》の中に眠っている、ある“違和感”……。それこそが。《真実》にたどりつく“カギ”になるのか……)


ナルホド「……ワトソン教授を撃った犯人を示す“手がかり”とは……!」


──くらえ!


ナルホド「ホソナガ刑事さん! ……よろしいでしょうか」

ホソナガ「はッ! はい! なんでしょうかッ!」


(……硝子瓶をパリンとやられて放心していたようだな……)


ナルホド「あの。たしか、刑事さんは“カンペキ”を目ざしているのですよね」

ホソナガ「そのとおりですッ!」

ナルホド「もしかしたら……刑事さん。現場から“押収”していませんか? あの日。被害者の食卓に運ばれたビフテキの“お皿”を……」


──異議あり


アウチ「ま。待ちなさい! いったい……どういうコト」


──Shut up!

ジェゼール「いったい……どういうコトかしら?」

ナルホド「……ぼくの《記憶》です」

ジェゼール「“キオク”……?」

ナルホド「あのとき。ぼくは“見た”のです。この、現場を撮影した《写真》……ここに写っている、ビフテキの乗った、木製のお皿に……」

 



ナルホド「……“血”がついていたのを」


アウチ「な。なんですと……」

ジェゼール「………………それが、なんなのかしら? 当然……アナタが、教授を撃ったときに飛び散ったのでしょうね」

ナルホド「……それは、違うと思います」

ジェゼール「……!」

ナルホド「もう一度。《写真》の“位置関係”を、よく見てください。ビフテキの“皿”は……被害者のほぼ《真後ろ》にあるのです。もし……ぼくが、“正面から”教授を撃ったとしたら」



ナルホド「その《真後ろ》にある“皿”に血が飛ぶコトは、あり得ません!」

アウチ「あ……!」

アソウギ「……そうか……。ビフテキの“皿”に、血痕が付着したということは。被害者を撃ったのは……“皿”を挟んで、食卓の“向かい側”にいた人物。……ジェゼール・ブレットだ」

ジェゼール「……What……?」


──異議あり


アウチ「こんな……ムチャクチャな“言いがかり”があるかッ! キサマの“キオク”だと……? そんなもの、信じられるかッ!」

 



──待ったッ!

ホソナガ「……この、細長 悟は……。……たった今。この一瞬のために、刑事となったのかもしれません」

ナルホド「ほ。ホソナガ刑事……! それでは。もしかして……」

ホソナガ「モチロン。持ち出してありますとも! 『現場保存』という正義の名のもとに! たとえ“現場ドロボー”と呼ばれようと。食べ残したニクごと、すべて!」

ジェゼール「……なんですって……」

ホソナガ「レディの召しあがったビフテキも、ついでに、軍人が食らったニクすらも」

 



ホソナガ「すべて“平等”に《正義》を振りかざして押収してやりましたッ!」

ナルホド「……レディの“皿”に、血痕が残っているか、どうか……今すぐ、調べてくださいッ!」

 



サイバンチョ「……それでは、刑事よ! 事件当日。被害者の食卓にあった“ビフテキ”の提出を命ずるッ!


はああああああああああいッ!


……。



ホソナガ「……お待たせいたしました。……こちらが、その“ビフテキ”でございます」

ナルホド「そ。それで、ち……血は! どうなのですか血はッ!」

アウチ「あ。あるワケがない……血などッ!」

サイバンチョ「は。はやく……見せなさい! 血をッ!」

ホソナガ「……それでは。ココロゆくまで、ご覧ください」

 



……“血”の、跡は……

……どこにも、ない……


ナルホド「そ。そんな……そんな。馬鹿なあああああああああああああッ!」


(……だって。たしかに……あのとき。ぼくは、見たんだ! 教授の背後にあった、ビフテキ。……あの皿の“血”を……!)


ジェゼール「……くっ……くっ……くっ……。みっともないカオねェ、ボクちゃん! だから! 日本人のコトバは信用できないと言われるのよ!」

ナルホド「……ぐ……ッ!」

アウチ「まさに、そうですぞ! ……この、日本人めがッ!」

 



──ッ!!


サイバンチョ「本法廷は……今度こそ“結論”が出たと考える」

ジェゼール「……Sure. モタモタ見苦しい“裁判ごっこ”……。慈愛の目で、『見なかったこと』にしておきましょう」

 



ナルホド「…………………」

 



アウチ「はッ! こんな、ショボくれたニク、何度見つめても同じコトだ。ショボくれた目で、ココロゆくまでご覧になるがいいワッ!」

 

ビフテキ皿─

ジェゼールが注文したという
ランチ。事件の直後、
被害者の食卓から押収された。

証拠品《ビフテキ皿》の
データを法廷記録にファイルした。


(……ぼくが見た“血”は、マボロシだったのか……。……今度こそ。……ぼくたちの、負け……)


アソウギ「……成歩堂。まだ、最後の《木槌》は鳴っていないぞ」

ナルホド「え……」

アソウギ「……キサマ自身を信じろ。最後まで、目をそらすな」


(……自分を、信じる……。……自分の目で、一度。くわしく“調べてみる”べきか……)


サイバンチョ「弁護側の要請によって提出された《証拠品》に、問題はなかった。……これにて、すべての《証拠》の検討を終了する。それで、よいな? ……弁護人よ」


(……あの“血痕”こそ、最後の《決め手》になるはずだった。……教授の食卓の、ビフテキ。もう、他に《手がかり》は……。常識で考えれば。さすがにこれ以上、“手がかり”なんて……)


アソウギ「……常識で考えれば。そもそも。シロートの学生たるキサマが、ここまで闘うことなど、不可能だった」

ナルホド「亜双義……」

アソウギ「“好機(チャンス)”とは、それを逃さぬ意志を持った者のみ、つかむことができるもの。そのビフテキ……もう一度、よく調べてみろ。……弱音を吐くのは、それからだ!」


(……《証拠品》を、くわしく“調べる”か……!)


……。

 

 

 

 



ナルホド「えええええええええええッ! なな。な……な。なんだなんだ、コレはッ!」
アソウギ「どうやら……《小判》だな。“極印”から見るに、『宝永』か……」
ナルホド「いやいやいや! そういうコトじゃないよ! なんで、ニクをめくったら下から《小判》が出てくるんだよ! ………………待てよ。『宝永』だって……?」
アソウギ「うむ……肉汁まみれだが、状態はよい。なかなかの《値打ちもの》だろう」


(“宝永の小判”……どこかで聞いたような……)


アソウギ「『ネコに小判』は聞いたコトがあるが、『ニクに小判』は、初めて聞いたな」
ナルホド「……もう二度と聞くこともないと思うぞ」


(とにかく……ここへ来て、トンでもないものが出てきたな……)

 



アソウギ「まさか、ブ厚いニクの下から貴重な《小判》が出てくるとはな。しかも。『宝永』といえば、かなりの《値打ちもの》だぞ」
ナルホド「しかも。ほどよく肉汁とからめられているとはな」
アソウギ「……食らうつもりか? 成歩堂
ナルホド「とにかく。これから、洋食堂でビフテキが出てきたら……まず、ドキドキしながらめくってみることにするよ。ニクを」
アソウギ「……キサマ。『当たりつき』かなにかと間違えてないだろうな……」


(ニクの下から現れた、小判。……考えられることは……)

 



ナルホド「この、鉄板の《刻印》は……ネコかな」
アソウギ「ウシだろう。洋食の王様といえば、やはり“ビフテキ”だからな。洋食堂(レストラン)ごとに、特注で《刻印》を打った鉄板を使っているのだ」
ナルホド「《ラ・クワントス》の“商標(マーク)”というワケか……」

 

……。

 



──ッ!!


サイバンチョ「……どうやら。弁護側は、完全に沈黙したようである。その“沈黙”を最終的な回答と答えるものとして……」


──異議あり


ナルホド「……裁判長、お待ちください! このビフテキには……まだ。驚くべき《手がかり》が隠されているのですッ!」


──異議あり


アウチ「“驚くべき”は、ビフテキに対するキサマの異常なコダワリだッ!」

ジェゼール「……裁判長サマ。わかっているわね? これ以上の“モタモタ”は……さすがに、目はつぶれませんわ」

サイバンチョ「ここまで来たら。すべての《手がかり》は、検討すべし。それが、本法廷の判断である。……申しわけございませんな、淑女(レディ)殿」

ジェゼール「……それが、友好国に対する貴国の回答、というワケ……?」

ナルホド「さ……裁判長……」

 



──ッ!!

サイバンチョ「それでは、弁護側に《指摘》を命じます! 被害者の食卓にあったビフテキ……そこに隠れた《手がかり》とは!」

 



──ここだ!

 



サイバンチョ「こ。こ……こ。これは……!」

アウチ「こ。こ……こ。コバン……?」

ジェゼール「なによ……これ……」

ホソナガ「これは。『宝永』の小判……」

 

ナルホド「……ジェゼールさん。これは……事件当時。あなたが食べたはずのビフテキですね」

ジェゼール「…………」

ナルホド「……どうして。ニクの下に、こんなものが隠れているのですか?」


──Shut up!


ジェゼール「ナニ言ってるのよ! 知るワケないじゃないの! そんなの……見たコトない! ヘンなコトに巻きこまないで!」


──異議あり


アウチ「そんなコトは、どうでもいいッ! ニクの下の、小判など……。あわて者の料理長がウッカリしてたまたま、まぎれこんだだけだッ!」


──異議あり


アソウギ「こんなシロモノが、たまたままぎれこむ厨房(キッチン)があるかッ! なにげなくニクをめくってみたら、宝永の小判が挟まっていた……。もし。これが事件と“無関係”ならば。英国留学など、いつでもやめてやるッ!」


(……たしかに、そうだよな……)


ナルホド「……あの! いいでしょうか!」

サイバンチョ「なんであるか? 弁護人よ」

ナルホド「なにげなくニクをめくってみたら、おつゆまみれの小判が挟まっていた……。もし。これが事件と“無関係”なら。弁護人なんて、いつでもやめてやります!」


──異議あり


アウチ「誰もアンタになど、頼んでおらぬ! 今すぐにでも、やめちまうがいいわッ!」


──Shut up!


ジェゼール「そもそも。アンタ自身が“無関係”なのよ……ボクちゃん」


(……うううう。裁かれているの、ぼくなのに……)


ナルホド「……とにかく! この小判の“持ち主”に、事情を聞くべきです!」

サイバンチョ「……小判の“持ち主”……」


(そう……単純に考えれば。“あのヒト”しか、いない……!)


ナルホド「ビフテキの下からあらわれた、小判。……その“持ち主”の名前は……!」


──くらえッ!


ナルホド「……それは、もちろん。骨董屋《ぽんこつ堂》の亭主、園日暮三文(そのひぐらし さんもん)さんです!」

ジェゼール「……ソノ……ヒ……? 日本人らしい、奇々怪々な名前ね」

サイバンチョ「その名は、たしか……。さきほど、帝国軍人とともに《証言》した人物……であるか」

ナルホド「はい。そのとおりです」

アソウギ「……たしかに。あのご老人は、《小判》について、語っていた。事件が起こった、その“瞬間”……」


~~~~~~~~~~~~~~~



ソノヒグラシ「“銃声”など、そっちのけで、床に這いつくばっておった也」

 



ナルホド「“這いつくばって”……って、なにをなされていたのですか?」

ソノヒグラシ「……“探し物”じゃよ。小判じゃ! 上物の、『宝永』の小判なのじゃ!」


~~~~~~~~~~~~~~~~


サイバンチョ「ほ。『宝永』の小判……それでは。もしや、これは……!」


──異議あり


アウチ「し。しかしッ! 骨董屋の小判が、なぜ……。被害者の食卓のビフテキに挟まってなきゃならんのだッ!」


──はいッ!


ナルホド「それを……ご本人のクチから聞くべきだと思います!」

 



──ッ!!


サイバンチョ「……係官よ。先ほどの2人の証人を、大至急連れ戻してくるように。……今、すぐにッ!」


(まさか……こんなところで、またあの2人の存在が浮上するとは……。でも。なんとなく……確信にも似た“予感”がある。この、小判の“意味”を追及していけば……。それは、かならず。今回の事件につながっている……!)


……。

 



ウズクマル「い。いったい。今の今さら、何用だと言うのかッ! この、渦久丸。我が子九郎丸にゴハンを食らわす時間であるッ! ハラをすかせた我が子九朗丸は、野良イヌ以上に凶暴ぞッ!」

 



ソノヒグラシ「ワシらは、警察のイヌとして、いつわりの《証言》をしたと暴かれ……。文字どおり《ぽんこつ》のラク印を押され、法廷から追放されし野良イヌ。すでに、語る言葉ヒトツもなく、タソガレに今日を生きる所存也」


サイバンチョ「……《ぽんこつ》の亭主よ。ひとつ、カクニンさせていただく」

 



ソノヒグラシ「嗚呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼呼ッ! そ。それは。それこそは。まさにそれこそは。まさしくそれこそは……あの日。この《ぽんこつ》が失いしヒカリ輝く『宝永』の上物也ッ!」

アウチ「な……なんと……!」

ナルホド「やっぱり……そうでしたか」

ソノヒグラシ「若いのッ! ……この、明日をも知れぬ老いぼれに、教えてくださらぬかッ! いったい……我が珍宝。どこに落ちていたのかッ!」

ナルホド「えッ! “落ちていた”と言うべきかどうか、わかりませんが……」

アソウギ「……小判は、牛のニク片と鉄板の間に、“調味液(ソース)”にまみれて挟まっていました」

ソノヒグラシ「な。な。な。なんと……? ニク片と……鉄板、となッ!」

アソウギ「……当然。そんなトコロに小判を“落とす”のは、不可能です。つまり……“誰か”が、そこに《隠した》ということになる」

ソノヒグラシ「我が『宝永』を、ニクと鉄板の間に……《隠した》……じゃと……? いったい……誰がッ! そのような、不届きなコトをッ!」

アソウギ「………………」

アウチ「………………」

サイバンチョ「………………」

ホソナガ「……恐れ入りますが。ワタシから……ヒトコト。よろしいでしょうか?」

ナルホド「ホソナガ刑事……!」

サイバンチョ「申し述べるがよい……刑事よ」

ホソナガ「………………。先ほども申し上げましたが……この、ホソナガ。ある事件の捜査のため、給仕長としてあの洋食堂に“潜入”しておりました」

アウチ「そういえば、そうでしたな。《潜入捜査》とか……」

ホソナガ「《ラ・クワントス》は、高級西洋料理店。外国人をはじめ、裕福な客が集まります。最近。そのような客の持ち物を狙った同じ手口の“盗難”が相次いでいる……。先日、そのような“通報”が帝都警察本部に入ったのです」

サイバンチョ「むううう……許しがたき“卑劣漢”であるな……」

ホソナガ「被害者には、外国人も多く、迅速なる解決が求められました」

ナルホド「それで……刑事さんが《潜入》していたワケですか……」

ホソナガ「ハイ。憎むべき“不届き者”の犯行をおさえるべく、料理を運んでおりました。……どうやら。この“小判”も。同じハンニンの仕業と考えられます」

アソウギ「洋食堂に出没する《大泥棒》……か。オレたちの知らないトコロで……。あの洋食堂では、すでに“事件”が起きていた……というコトらしいな」

ナルホド「……《大泥棒》かどうかは、ともかく。亭主の小判を盗んで、隠した者の“正体”は、アキラカです」

アウチ「え……!」

ソノヒグラシ「な。なんじゃと……」

 



──ッ!!


サイバンチョ「どうやら……弁護人の“考え”を聞くべきようである。園日暮老人の小判を盗み、ニクの下に秘匿した、憎むべきハンニンとは……!」


──くらえ!


ナルホド「それは……もちろん。……あなたですね! ……渦久丸軍曹ッ!」

ウズクマル「き………キサマ……。なんという……この。“人でなし”めが……!」

ナルホド「ひ。ひとでなし……?」

ウズクマル「“小判を盗んだ”……だと? “洋食堂の大泥棒”……だと? キサマは……ホンキで“告発”するつもりなのか……?」

 



「この……我が息子、九朗丸が! すべての“ハンニン”であるとッ!」


ナルホド「…………………」

アウチ「………………」

サイバンチョ「………………」

ナルホド「……ムジャキな我が子に“罪”をなすりつけるなんて……。“人でなし”は、あなたのほうです! ……渦久丸軍曹ッ!」

 



ウズクマル「……………う……………うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぱからッぱからッぱからッぱからッぱからッぱからッぱからッぱからッぱからッぱからッぱからッががあああああああああああああああああああああああああああああああああッ……」



ウズクマル「大日本帝国陸軍 渦久丸泰三軍曹。……大審院にて、散りぬッ!」


……。


ウズクマル「……キサマたちは、知っているか。この国を守るべき、帝国軍人の……ビックリするほどの給金の“低さ”を」

サイバンチョ「先の戦時における臨時増税より、戦争が終わった今も、税率は据えおかれ……。下士官(かしかん)たちの生活は、苦しいとは聞いているが……」

ウズクマル「この九朗丸に……あたたかいメシを食わせてやりたかったッ!」

ナルホド「それで……あの洋食堂でドロボーを……?」

ウズクマル「……あの店には、カネ持ちが集まってくる。我は……3日に一度。あの洋食堂に通って、《獲物》を探していたのだ。……ランチのビフテキを、我がジマンの歯で噛みちぎりながらッ!」


(……見た目どおり。ナイフとフォークは使えないみたいだな……)


アソウギ「……それで、あの日。ご老人の、小判を……?」

ウズクマル「………………そのとおり、である。ご老人は、スキだらけで……その。我は、難なく小判をポッケに入れた」

ソノヒグラシ「ううううむ……なんたるミゴトな“怪盗”っぷり也……」

ウズクマル「そして。食いかけのビフテキもそこそこに、帰ろうとした……その瞬間」ナルホド「……あの“事件”が起こったワケですね……」

ウズクマル「あのとき。ポッケを調べられては、我が身と九朗丸は、破滅するしかない。そう考えた我は……とっさに、小判を隠したのだ。ビフテキの、その“下”に……いつか、再会できることを祈って!」

ナルホド「………………」

サイバンチョ「………………」

ソノヒグラシ「………………」

アウチ「………………」

アソウギ「………………」

 

………………………

……バカバカしいコト……


ジェゼール「……くだらない茶番は、ワタクシのいないトコロでやっていただけるかしら」

ナルホド「……ジェゼールさん……」

アウチ「お……おおお。これは失礼いたしましたぞッ! ワケのわからぬ“足止め”も、今度こそ。オシマイにさせますので……。どうぞ。ココロおきなく、お帰りいただきますよう……ッ!」

サイバンチョ「むううう……たしかに。ご老人の小判を盗んだのは、この“子連れ軍人”である、ということは。ワトソン教授の“殺人事件”とは無関係……ということになる」

ジェゼール「……そういうコト。ビフテキに小判を隠すなど……まるで“ノンセンス”な発想ですわね」

ナルホド「の。のんせんす……」

ウズクマル「……うううううう……ッ……」

ジェゼール「そもそも。ナイフとフォークも使わず、ビフテキにかぶりつく……なんて。むしろ、“ノンセンス”以下……センスのカケラもありませんわ」

 



──ッ!!


サイバンチョ「……その《証言》の疑問がついに、すべて消えた以上。本法廷は、この証人を引き留めることはできぬ。……どうぞ。お帰りください、レディ」

ジェゼール「……それでは。失礼いたしますわ。みなさま。ごきげんよろしゅう。……Ciao.」


ナルホド「…………………」

アソウギ「どうした? 成歩堂。ボンヤリしている場合ではないぞ!」

ナルホド「あ。いや……。今の、ジェゼールさんの“最後のコトバ”なんだけど……」


(なんだろう……妙に、ココロに引っかかる……。まるで。《証言》に、致命的な“ムジュン”があったときのような)


アソウギ「……それならば! 考える前に、とりあえず叫ぶんだ!」

ナルホド「え……」

アソウギ「考えるのは、それからでいい。……審理が終わる前に、叫べ!」


──待った!


ナルホド「お待ちください! ……ジェゼールさん……!」

ジェゼール「……まだ、なにか?」

ナルホド「ジェゼールさん。今度こそ……最後です。どうか……説明をしていただけますか。あなたの、最後のコトバ。……その“ムジュン”について」

ジェゼール「……なんですって。“ムジュン”……?」


──異議あり


アウチ「き。キサマ……いったい、ナニを言い出すのだッ!」

アソウギ「どういうことだ、成歩堂! あの女の“最後のコトバ”といえば……」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~



ジェゼール「ビフテキに小判を隠すなど……まるで“ノンセンス”な発想ですわね。そもそも。ナイフとフォークも使わず、ビフテキにかぶりつく……なんて。むしろ、“ノンセンス”以下……センスのカケラもありませんわ」


~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(……やっぱり。このコトバには決定的な“ムジュン”がある……!)

 



──ッ!!


サイバンチョ「……それでは、弁護人に、《証拠》の提示を求めるものとする。証人、ジェゼール・ブレットのコトバの“ムジュン”を立証する《証拠》とは!」


──くらえ!

 



サイバンチョ「事件直後に撮影された写真(ほとがらひい)……ですか」

ナルホド「注目するべきは、そこに写っている食卓の上の“ビフテキ皿”です」

 

サイバンチョ「これは……事件が起こったときレディが召しあがっていたビフテキ……」

ナルホド「……正確には。事件が起こったとき。“被害者の食卓にあった”ビフテキです」

アウチ「ど。どっちも同じコトではないかッ!」

ジェゼール「……………」

ナルホド「このビフテキには……ひとつ。トテモ“不自然”なトコロがあります」

アウチ「なんだと……“不自然”……?」

ナルホド「それは……もちろん。ニクの“切り口”です」

ジェゼール「……!」

ナルホド「お気づきになったようですね。……ジェゼールさん」

サイバンチョ「どういうことかッ!」

ナルホド「ジェゼールさんは、先ほど……こう言いました。ナイフとフォークを使わず、ビフテキに“かぶりつく”など、考えられぬ……と」

アウチ「そ。それは、そうでしょう! この方は“レデエ”なのですぞッ!」

 



ナルホド「……では。このビフテキの“切り口”を見てください! ……ごらんのとおり。野性味あふれる“歯型”が刻まれている!」

アウチ「あ………!」

サイバンチョ「ああ……ッ!」

ジェゼール「…………Ah……!」

アソウギ「あの、女……なにかに気づいたようだな……」
ナルホド「もし。証人が、ナイフとフォークで“上品に”いただいたのならば……。ビフテキが、このような“無残な姿”になるハズがないのです!」


──異議あり


アウチ「し。しかし……だから、なんだと言うのだッ! それは……レデエだって、ハラペコのあまり、ニクにかぶりつくコトだって」


──Shut up!


ジェゼール「………………」

アウチ「あ。な。なんでしょうかな、レデエ……」

ジェゼール「……もう、本当に、失礼しないと。外務大臣と、午後のお茶の約束がありますので」

アウチ「あ……し、しかし。本当に、もうすぐ、終わりますぞ! この亜内におまかせいただければ、若造に“ぎゃふん”と言わせて」


──Shut up!



ジェゼール「……ダマりなさいな。……この、メガネサムライくずれがッ!」

アウチ「……は。はははははああああああッ!」

アソウギ「な。なんだ……レディめ。急に、様子がおかしくなったぞ」

ナルホド「……どうやら。あのレディにも、わかったみたいだ。ビフテキの“歯型”が、最終的に『なにを意味するか』……?」

アソウギ「な……なんだと! 成歩堂。キサマ……」


(今度こそ……これで。すべてが、つながった……。上品にいただいたハズのニクに刻まれた、みにくい“歯型”も……。ぼくが見たはずの“血痕”が消失してしまった“理由”も…………そして。誰が、ワトソン教授を撃ったのかを立証する……その《証拠》も……!)

 



──ッ!!


サイバンチョ「……たしかに、このビフテキは“不自然”かもしれぬ。しかし……それで、いったい。なにがわかると言うのか」

ナルホド「……この事件の“すべて”です」

アウチ「す。“すべて”……だと……?」

ナルホド「この、みにくい“歯型”の刻まれたビフテキは……決定的な《証拠》につながっているハズなのです。誰が、ワトソン教授を撃ったのか……それを立証する《証拠》に!」


──Shut up!


ジェゼール「そんなコトバは、もうたくさん! ……決定的な《証拠》ですって? あるはずがないわ! 日本人らしい、ウスっぺらいハッタリね」

アソウギ「……どうして、そんなことが断言できるのですか?」

ジェゼール「カンタンなコト。そんなものがあるのなら。とっくに《提出》されているからよ!」

ナルホド「……たしかに。現時点で、提出されてはいないようです」

アウチ「な……なんだと……!」

ナルホド「でも。だからと言って……それが“存在しない”とはかぎりません」


──異議あり


アウチ「馬鹿な! ここまで審理を続けて、提出されておらぬ《証拠》、など……それは、つまり。そんなものは“存在しない”ということだッ!」


──異議あり


ナルホド「でも! その《証拠》を“持っている”人物ならば……わかっています!」

ジェゼール「……!」

ナルホド「その人物にお願いして、《証拠》を提出してもらえば……。それで、この事件は、すべて《解決》すると思います!」

アソウギ「……ここまで来たら、もう、何も言うまい。最後の《証拠》とは、なにか。それを、何者が提出できるか……。キサマは、それを知る“手がかり”をじゅうぶん、持っているのだから。この法廷。美しい幕切れを飾るのは、キサマだ……成歩堂!」

 



──ッ!!


サイバンチョ「それでは……これが、弁護人に対する、最後の要請となるであろう。この事件の“真相”をアキラカにする最後の《証拠》を手にしている人物とは!」


──くらえ!


ナルホド「……もちろん。それは、ホソナガ刑事さんです!」

 



ホソナガ「も。『もちろん』とはなんですかッ!」

ナルホド「え」

ホソナガ「このワタシが……決定的な《証拠》を隠している、など……。言語道だげほほッ! げげほげほッ! げほほほッ!」

 



ナルホド「いやいやいや! そういうコトではありません! すべての“焦点(ポイント)”は……この、“歯型”のついたビフテキです」

サイバンチョ「はがた……」

ナルホド「先ほど……渦久丸軍曹さんは、こう《証言》していました。『ランチのビフテキを歯で噛みちぎった』……。そして。ご老人から“くすねた”小判を『ニクの下に隠した』……と」

ウズクマル「な……なんだ若造めッ! この軍曹と一戦まじえるつもりかッ!」

ナルホド「……軍曹さん。ひとつ、カクニンさせてください。そのとき。小判を“隠した”のは……ご自分のビフテキでしたか?」

ウズクマル「……喝ッ! アタリマエだッ! いくら、この帝国軍人とて。英国レデエの目の前のニクを『失礼ながら』と、めくる勇気はないッ!」

ナルホド「……つまり。先ほど、刑事さんが提出した、このビフテキは……。渦久丸軍曹のビフテキだったということになります」


──異議あり


「し。しかし……それはオカシイではないかッ! だって! これは、被害者の食卓から押収されたのだからして……」


──異議あり


ナルホド「“淑女”は、ニクにかぶりつかないし、小判を盗む“機会”もありませんでした」

ジェゼール「……あ。アタリマエよ! そのような“言いがかり”……大英帝国に対する“ブジョク”ですわ!」

サイバンチョ「しかし……それでは。この“ムジュン”、どう考えれば……?」

アウチ「そ。そうだッ! まさか……キサマ。この帝国軍人が、ビフテキを皿ごと“取りかえた”とでも言うのかッ!」

ナルホド「………………」

サイバンチョ「………………」

ウズクマル「………………」

アウチ「………………皿ごと“取りかえた”と言うのか……?」

ウズクマル「………………じつは……あのとき。目の前で“殺人事件”が起きて……我がアタマは、まっ白になった。とっさに、目の前の我がニクをめくり、小判を隠したのだが……。給仕長が“刑事だ”と名乗り……我、現場からの逃亡に失敗すッ! もし。刑事が、気まぐれに我がニクをめくったら……我が人生、万事休すッ! そこで。その大学生が捕らえられ、厨房に連行されていった、そのスキに。我がビフテキと……レデエのビフテキを零秒の早ワザで、取りかえたのだッ!」

ジェゼール「え……し。知らない……ワタクシ……そんなの、見ていないわ!」

ウズクマル「作戦名、『電光石火』……考えているヒマは、なかった。やらなければ、コチラがやられていた。……そう。やるしかなかったのだッ!」

アウチ「なんだとおおおおおおおおおおおッ!」

ウズクマル「……しかしッ! 安心めされよ、検事殿ッ!」

アウチ「な。なにがだッ!」

ウズクマル「帝国軍人として、ここに誓うッ! 我が所業は“それだけ”だとッ!」

アウチ「“それだけ”でじゅうぶんだッ!」


──はいッ!


ナルホド「ビフテキは“取りかえられた”……ということは。渦久丸軍曹は……ジェゼールさんのビフテキを……“自分の食卓”に持ち帰ったワケです」

サイバンチョ「……たしかに。当然、そういうことになる」

ナルホド「ホソナガ刑事さん!」

ホソナガ「……はい」

ナルホド「……あなたは、こうおっしゃっていましたね。ジェゼールさんのビフテキも、渦久丸軍曹のビフテキも……。その“両方”を押収した……と」

アウチ「あ……!」

ジェゼール「……!」

ホソナガ「……そのとおりでございます」

ナルホド「……それでは。今度こそ、提出していただけますか!」

 



ナルホド「事件が起こった、その“瞬間”。被害者の食卓にあった、ビフテキを!」


──Shut up!


ジェゼール「今さら、そんなものがなんだってのよッ! 冷えてコチコチになったニクなんて。事件には、なんの関係もないわ!」


──異議あり

 



アソウギ「……そうはいかない。レディ……」




ジェゼール「な……なによ!」

アソウギ「そもそも……貴方は、覚えているだろうか。 ……このビフテキが《問題》となった、その“キッカケ”を……」

ジェゼール「フン! それを勝手に《問題》にしたのは、アナタたちでしょ……?」

アソウギ「その“キッカケ”は……このオトコの、ある《記憶》だった」

ジェゼール「き。記憶……」

ナルホド「あのとき。ぼくは、ハッキリと“見た”のです。ワトソン教授の“真後ろ”にあったはずの、ビフテキの皿には……」

 



ナルホド「たしかに。飛び散った《血》が付着していました!」

アソウギ「……オレは、この被告人の《記憶》を信じている」

ジェゼール「……!」

アソウギ「その《記憶》をたしかめる《証拠》こそ。……貴女の“ビフテキ”なのだッ!」

 



──ッ!!


サイバンチョ「それでは……細長刑事よ。そなたに、《証拠》の提出を命じる。事件当日。この軍人の食卓にあった……もうひとつの“ビフテキ”を!」


はあああああああああああいッ!


……。

 

 

ホソナガ「……お待たせいたしました。こちらが……もうひとつの“ビフテキ”でございます。……ココロゆくまで、ご覧ください」

 



……“血”の、跡が……

……ハッキリ、残っているッ……!


──はいッ!

 



ナルホド「……これで、アキラカになりました。ここに“血痕”があるということは……。被害者は、撃たれた“瞬間”。ぼくに、“背中を向けていた”のです」

アソウギ「つまり。成歩堂には、被害者を撃つことは《不可能》だったのだ!」

ジェゼール「あ………!」

アウチ「ま……まさか……」

ナルホド「あのとき。ワトソン教授の“正面”から撃つことができたのは……。たったヒトリしか、いません。もう、言うまでもありませんね?」

ジェゼール「……ぐ……ぐうぅぅぅぅ……ッ!」

ナルホド「それは……そう。“ジェゼール・ブレット”さん!」

 



「……あなたです!」

 



ジェゼール「……………………日本人が……日本人ごときが。この、ワタクシに……信じられない……」

 

 




……。


ジェゼール「……大変、失礼いたしました。ほんの少々、取り乱したようですわ。大英帝国の淑女として、あるまじきコト。お許しくださいませね」

サイバンチョ「それでは……証人よ。話していただけますかな? ……本当のことを」

ジェゼール「………………よろこんで。……《クラーレ》を用いて、教授のイノチを奪ったのは、ワタクシです。あの日を“犯行の日”に選んだのは、お察しのとおり……教授が、抜歯の治療を受ける……そう、うかがっていたからです」

アソウギ「教授が亡くなり、炭酸水を調べられても、《毒》が検出されることは、ない。この国では、《クラーレ》は“存在”しないのだから……」

ジェゼール「あの日……。私は、あれほど長く、あの洋食堂にとどまるつもりは、なかったのです」



ジェゼール「教授が、ヒトクチ。あの炭酸水を飲んだのを確認したら、それでおしまい」

 



ジェゼール「あとは、ひとりで食事をしたと思わせるため、ビフテキを教授の前に置いて……。すぐに立ち去るつもりだったのです。ところが……。そこに、思いがけない人物があらわれたのです」

ナルホド「も。もしかして……ぼく、ですか?」

ジェゼール「……ええ。モチロン、貴方ですわ」

 



ジェゼール「……大した用もないのに、貴方がアイサツに来たせいで……」

 



ジェゼール「ワタクシは、あの場から立ち去るタイミングを逃してしまったのです」


ジェゼール「やがて……教授は、あのグラスにクチをつけて、意識を失いました。ワタクシは……あの方が倒れないよう、イスで身体を支えました。 ……もう、後戻りはできない……。そこで……あの場で、とっさに“計画”を考え出したのです」


アソウギ「ワトソン教授の、“死”。その罪を、コイツに着せる計画……か」

ジェゼール「………………教授は……いつも、護身用に《拳銃》を持っていました。それを“利用”することを思いついたのです。……あの日。私は、手鞄(ハンドバッグ)の中にクラーレの小瓶を入れていました。そして……スカートの下に、自分の《拳銃》を隠し持っていたのです」

アウチ「す。スカートの、下……」

ナルホド「やっぱり。あのとき……《拳銃》は2挺、あったんですね」

ジェゼール「……Yes.」

ナルホド「あのとき。珈琲を飲み終えたぼくは、店を出ようとしました。あなたは、教授の《拳銃》を床に置いておいたのですね? ぼくが、かならず通るところ……その、目につきやすい場所に」

ジェゼール「……計画どおり。貴方は、落ちた《拳銃》に気がつきました」

 



ジェゼール「そして。それを床から拾い上げた、その瞬間……」


……バアン……!


ナルホド「……あのとき。あなたは、自分の《拳銃》を撃ったのですね。すでに亡くなっていた教授の遺体に、銃弾を撃ち込んだ……」

ジェゼール「店内に、銃声が響きわたって……給仕長が現れました」

ホソナガ「ワタシは、ハンニンと思われた被告人の身柄を拘束して……厨房のヨコの倉庫に閉じこめたのでございます」

ジェゼール「そのスキに、ワタクシは……遺体を、イスごと“回転”させました」

アソウギ「……それは、もちろん……」

 

アソウギ「被告人がワトソン教授を撃ったように見せるため……ですね」


……………………


ジェゼール「……以上。これが……ワタクシの《犯行》……その“すべて”でございます」

ナルホド「……………」

アウチ「……………」

サイバンチョ「……………」

ジェゼール「……裁判長さま」

サイバンチョ「……なんでしょうか」

ジェゼール「よろしければ、のちほど……。貴方と2人だけで、お話できますかしら?」

サイバンチョ「……うかがいましょう」

 



ジェゼール「それでは、みなさま。ご機嫌よろしゅう……。許してくださいませね。成歩堂さま」


……。


サイバンチョ「……どうやら。この審理も、ついに結審のときを見たようである。いかがか? 亜内検事」

アウチ「ば……バカなッ! この、亜内武土が……。シロートの大学生ごときに……敗れる、などと……ッ!」

アソウギ「……今後。検事としての貴公の出世は、キビシイと考えるがいいだろう」

アウチ「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……成歩堂龍ノ介ッ!」

ナルホド「は……はい」

アウチ「この“恨み”……亜内家、末代まで忘れはせぬぞッ!」

アソウギ「……おごれる者は、若き者によって、足元をすくわれる。それが《歴史》の必然。……今の想い。しかと心に刻むがよい!」

 

 

──ッ!!

 




アソウギ「たとえ、百代(はくたい)の年月(としつき)が流れようとも。貴公の一族、成歩堂の敵するに能わずッ!」

 



──ッ!!

サイバンチョ「……本日。大審院における、この審理は……我が国の法廷史に、新しい章の幕開けを告げるものになるであろう。被告人でありながら……見事な論証(ろんしょう)であった。成歩堂龍ノ介よ」

ナルホド「あ。ありがとうございます!」

サイバンチョ「《証拠品》と《論理》によって、“真実”を追求する、近代裁判。……あの《開国》から、数十年。西洋から“Science”なる学問が渡来、我が国に『科学』なる言葉が生まれた。科学は……近い将来。新しい捜査、そして新しい法廷を生み出すだろう。法の、未来。その《扉》の先に、いったい、なにがあるのか……。それを探求するのは、これからの若い諸君の責務である。……亜双義一真よ」

アソウギ「……はい」

サイバンチョ「貴君は、この法廷の終了後、大英帝国へ司法留学の旅に出る。広い世界、最新の文化。存分に吸収してくるがよい。……そして……課せられた《使命》を果たすがよい」

アソウギ「……………わかっております。……裁判長閣下」

ナルホド「ど……どうした? コワい顔をして」

アソウギ「いや……なんでもない」

サイバンチョ「そして。成歩堂龍ノ介よ」

ナルホド「……はいッ!」

サイバンチョ「貴君には……なんだろうか。不思議な《可能性》を感じる。それが、どう開花するか……楽しみにしておくとしよう」

ナルホド「ありがとうございますッ!」


……。

 

 

 





──ッ!!


サイバンチョ「……それでは。被告人・成歩堂龍ノ介に最終的な《判決》を言い渡す!」

 



《無罪》

 




サイバンチョ「本日の審理は、これにて終了!」

 



──ッ!!


……。

 



同日 午後2時46分
大審院 被告人控室 伍号室


(……今。こうしてここに立っているコトが、信じられない。ぼくは、闘いぬいたんだ。あの、大審院の法廷を……!)

 



アソウギ「……成歩堂! 今度こそ、やったな。『おめでとう』と言ってやるぜ」
ナルホド「それでは、ぼくも言わせてもらうよ。……ありがとう、亜双義」
アソウギ「あっはっはっはっ! キサマの弁護。なかなか痛快だったぞ。『勇盟食堂』の牛鍋、特大盛りだ。……忘れるなよ」


──「……本当に、おつかれさまでございました」

 



スサト「《無罪判決》……心より、お祝いを申し上げます」

アソウギ「これは、御琴羽法務助士。そなたも、ご苦労だった」

スサト「いいえ。わたしは、なにも……」

ナルホド「あ、あのッ! ありがとうございました! この《研究資料》がなかったら……どうなっていたか、わかりませんでした」

スサト「そのコトバは……父におっしゃってくださいませ。わたしは、ただ。父の言いつけで勇盟大学へ行っただけ、でございます」

ナルホド「お父上……(そういえば、この子……)」

 



「審理を中断させてしまい、申しわけございません。被告側弁護人の《法務助士》。御琴羽寿沙都(みことば すさと)と申します」


(……“ミコトバ”と言えば……)


──「……やあ、みなさん。ご苦労さまでしたね」

 



ミコトバ「成歩堂龍ノ介くん。……本当に、よくやりましたね」

ナルホド「あ……ありがとうございます」

ミコトバ「いやいや。礼を言うのは、コチラです。なにしろ……。我が友人のイノチを奪った“真犯人”の正体を、暴いてくれたのですからね」


(……“我が友人”……)


ナルホド「……そういえば。先ほどもおっしゃっていましたね。ワトソン教授を、勇盟大学に招いたのは、ミコトバ教授だ、と……」

ミコトバ「ええ。そのとおりです」

アソウギ「御琴羽教授は、法医学を学ぶため数年間、大英帝国に留学されていたのだ。その際に、ワトソン教授とお知り合いになったのでしょうか?」

ミコトバ「ええ。そのとおりです。我々は、かつて。ある病院で、いっしょに仕事をしていたのですよ」

ナルホド「“いっしょに”……ですか」

アソウギ「それは……オレも初耳です、教授」

ミコトバ「もう、何年も前のハナシですよ。そんなことより……。亜双義くん。次は、いよいよキミの番ですね」

アソウギ「……!」

ミコトバ「大英帝国は、現在、全世界の頂点に君臨している、偉大な国です。科学、医学、工業、文化……そして、犯罪学においても……ね。しっかり、見てくるのですよ。世界の中心で、なにが起きているか」

アソウギ「……はい。しかと、見届けてきます」

 



アソウギ「この……亜双義の《魂》をもって!」

ナルホド「おまえ……そのカタナ、大英帝国に持っていくつもりか?」

アソウギ「……もちろん。カタナこそ、日本人のココロ。そして。すべてを断つ、その刃(やいば)は……。オレが進むべき《道》を指し示してくれるのだ」


(……たしかに。その“切れ味”は鬼気迫るモノがあったな……)


アソウギ「……ああ。そういえば……あの女は、どうなりましたか? ワトソン教授を殺害した《真犯人》……ジェゼール・ブレットは」

ミコトバ「……彼女のことですか。じつは……あまり、話したくはないのだが……」

ナルホド「……どういうことですか? 《真犯人》は、彼女だったのですから、今度は、彼女が裁かれるのでは……」

ミコトバ「彼女は、この国を去ります。近いうち、上海(シャンハイ)へ向かうでしょう」

ナルホド「しゃ。上海……?」

アソウギ「………………」

ミコトバ「ジェゼール・ブレットは、この国で裁かれることは、決してありません」

ナルホド「え……どうしてですか!」


──「……《領事裁判権(りょうじさいばんけん)》の発動です」

 



ナルホド「……ほ。ホソナガ刑事……!」

ホソナガ「本日は、まことにミゴトな《近代法廷戦術》でございました。ヒトコト。お祝いのコトバを……」

ナルホド「そ。そんなコトより。《領事裁判権》というのは……」

ホソナガ「我が国は……あの外国人の《犯罪》を裁くことができないのでございます」

ナルホド「裁くことが、“できない”……? では……いったい。誰が、彼女の《罪》を裁くのですか!」

アソウギ「大英帝国の《領事裁判所(りょうじさいばんしょ)》……我々の声の届かぬ、海の向こうだ」


(……領事裁判所……)


アソウギ「しかし……御琴羽教授。どうにも、ナットクがいきません。先に締結された《日英和親航海条約(にちえいわしんこうかいじょうやく)》で、英国の《領事裁判権》は、失効しました」

ミコトバ「……ええ。そのとおりです」

アソウギ「両国にとって、高度に政治的な《重大事件》でないかぎり……。そうカンタンに、《領事裁判権》が発動されるはずがない!」

ナルホド「……そう、なのか……?」

アソウギ「いくら留学生とはいえ。あの女のため、両国の政府が“密約”を交わすなど……。どう考えても、不自然です!」

ミコトバ「………………」


(……ジェゼール・ブレットは、この国では、“裁かれない”……)


ミコトバ「つまり……最初から。あの留学生にとって、今日の審理は……。自分の身に、決して危険のおよばない“お遊戯(ゆうぎ)”のようなものだったのです」

ナルホド「……なんということだ……」

ホソナガ「本件に関して、大英帝国の外務省から、身柄の引き渡しの要請がありました。留学生の“殺人”という事態に、英国政府も慎重になっているようです」

ミコトバ「………………すべては……これから、変えていくのです。私たちの手で。来るべき、20世紀へ向けて……今。すべては激動のなかにある。いつの日か……あの者に、正義の鉄槌が下されるときが……かならず、来るでしょう」

アソウギ「……ええ。かならず。オレたちが、変えてやります」

ミコトバ「……では。ムズカシイ話は、ここまで。これより、今宵は皆で祝杯を上げるとしましょうか」

ナルホド「ミコトバ教授……」

アソウギ「……ええ、そうですね! 暗いカオをしていても始まらない。チカラいっぱい、祝うとしましょう。……成歩堂龍ノ介の《無罪判決》を!」

ホソナガ「そういうことでしたら……ゼヒ。我が《ラ・クワントス》へどうぞ! 給仕長たる、このホソナガ。特別なる晩餐(スペシャルディナー)をご用意いたしますので!」

ナルホド「……あの。ホソナガさんは“刑事”なんですよね……?」

ホソナガ「……けふ。……けふ。まあまあ。ムズカシイことは言わず。それでは、参りましょう! 教授も、ご一緒いただけますね?」

ミコトバ「モチロンです。《ラ・クワントス》のカツレツは、絶品らしいですからね」

スサト「それでは。成歩堂さまの“釈放”の手続きに行ってまいりますね!」

ナルホド「……はい。ありがとうございます」


(……ジェゼールさんは、この国で裁かれることは、ない。と、いうことは……永遠に“わからずじまい”なのか……? 彼女が、なぜ。ワトソン教授を殺害したのか……)


ナルホド「……亜双義」
アソウギ「なんだ、成歩堂
ナルホド「……もう一度、礼を言うよ。今日は……本当に、世話になった」
アソウギ「あっはっはっは! オレは、なにもしていないさ。……キサマの《弁護》をしたのは、キサマ自身だったじゃないか」
ナルホド「亜双義。おまえは……きっと。世界最高の《弁護士》になれると思うよ」
アソウギ「そいつは、どうだろうな」
ナルホド「……?」
アソウギ「じつは……審理のあいだ、オレは、ずっと思っていたのだ。キサマこそが……《弁護士》になるべき人間なのではないか……とな」
ナルホド「え……な。ナニを言ってるんだよ!」
アソウギ「今日。オレが、キサマを助けたのは本当に、ほんの最初だけさ。キサマには“才能”がある。……《弁護士》のな」
ナルホド「いやいや! あんなキビシイ闘いは……もう、二度とゴメンだよ。ぼくは、ただ……おまえを信じて、最後まで、言うとおりにやっただけだ」
アソウギ「だからこそ……だ」
ナルホド「……どういうことだ? “だからこそ”というのは……」
アソウギ「……なあ、成歩堂。弁護士にとって、最も重要な“武器”は……なんだと思う?」
ナルホド「え。それは、やはり……法律の知識、とか……」
アソウギ「……違う。“信じる”チカラだ」
ナルホド「しんじる……チカラ?」
アソウギ「弁護士は、依頼人のために戦う。どんなときも、彼らを信じて……」
ナルホド「たしかに。おまえは、ぼくを信じてくれたな」
アソウギ「オレは、ただのニンゲンだ。“真実”を知る《神通力(じんつうりき)》など、ない。それでも……なにかを信じて、弁護席に立たなければならない。……法廷で、ギリギリまで追いつめられたとき。自分の信じるべきものを、最後まで“信じる”ことができるか、どうか……。……それは、決して、誰にでもできることではないのだ」
ナルホド「依頼人を“信じる”……」
アソウギ「……キサマは、今日。たかが学生ふぜいのオレを、最後まで信じ抜いた」
ナルホド「え……」
アソウギ「何度、絶体絶命の危機に立たされても……キサマは、目をそらさなかった。決して、オレの言うことを疑わず、キサマ自身の手で《真実》をつかんだ」
ナルホド「……亜双義……」
アソウギ「………………成歩堂。じつは……キサマに、ハナシがあるのだ。この、亜双義一真。ココロからの“頼み”がある」
ナルホド「な……なんだよ。あらたまって……」


ホソナガ「……おや! まだ、ここにいたのですか!」



ナルホド「あ……ホソナガ刑事さん……!」

ホソナガ「人力車を手配いたしました。いざ、参りましょう!」

アソウギ「ああ……申しわけありません。今、すぐに行きます。成歩堂。ハナシは、あとだ。今は……キサマの《無罪》を祝うとしよう」
ナルホド「……そして。オマエの大英帝国への《留学》をな」
アソウギ「……ああ。そうだな」


こうして、ぼくの
さいしょの《事件》は、幕を閉じた。

 



亜双義、

 



ミコトバ教授、

 



法務助士の、寿沙都さん……

 



……まあ。このヒトは、ともかく……

 

……みんなに助けられたから、
最後まで、戦うことができた。

……そして……

このときの、亜双義の“頼み”が……

ぼくの人生を、大きく
変えることになるのだが……

……このときのぼくには、
マッタクわかっていなかった……

 

おわり

 

天使の日曜日 Angel's holiday “ef - a fairy tale of the two.” Pleasurable Box.【3】

 



「おはようござい……寒い……」


寝起きの挨拶を言い終える間もなく、起きるのが嫌になる寒さに布団に戻ってしまう。


「な、なんでこんなに寒いんだ?」


身体を丸めて頭まで布団に潜りこみながら、眉をしかめてしまう。

今は1月で、それなら暑いはずなのだが……。


「あ、北半球だからか」

 

Chapter 3 AFter Story. 素敵な試験
 feat. Chihiro Shindou.

 


寝ぼけていた頭が、ようやく現状を理解する。

千尋と一緒にいたいがために日本の音羽学園に転入しようと、つい先日、仮ではあるが越してきたのだ。


「うう……やっぱり寒暖の差が大きいときつい。千尋の感覚ってこれなんだろうな」


夏に記憶障害を負った彼女が、冬に起きると季節の変化に戸惑うと言っていたが、まさに今の僕の状態なのだろう。

 



できれば温かい布団の中で二度寝してしまいたい。

しかし、今日は大事な編入テストの当日なので起きなくては。


「……仕方ない!」


気合いを入れて布団を離れ、寒さを感じる前に制服に着替えてしまう。

衣服の布地の冷たさに震えが走るが、1度着てしまえば気持ちは楽になる。


「あ、ネクタイはまだいいか」


絞めようと思っていたネクタイをほどき、代わりにエプロンを身につける。


「朝ごはんと、お昼のお弁当を作らなきゃ」


ちなみに、編入テストに合格するまでは日本で暮らせる保証がないので、久瀬さんに同じホテルに泊まらないかと誘われたが、普通のアパートを借りていた。


「やっぱり台所がないと不便だもんな」


それに、千尋の隣にいるためには、絶対に合格しなければならないのだ。

背水の陣。


「まあ、がんばろう」


自分でも気合が入っているのかどうか判断できなかったが。

ここしばらくは勉強に集中していたし、なんとかなるだろう。

なにはともあれ、千尋の好きなものをたくさん作ろうと、買い置きの食材を調べることにした。


…………。

 

……。

 


午前9時。

僕のテストの応援に行きますという千尋と、ついでにミズキと待ち合わせしている街中の路地に辿りつく。

 



「おはよう、千尋、ミズキ」


あくびをかみころして挨拶しながら、久しぶりに目にした千尋の制服姿に、思わず頬がゆるんでしまった。


「おはようございます」

「おはよー」

「日本は寒いね」

「向こうは夏だったもんね」

「え?」

「しばらく南半球で暮らしていたから、どうも1月が寒いって感覚が鈍くて」


不思議そうな顔をする千尋にもわかるように、具体的に口にする。


「ああ、なるほど。とりあえず、蓮治くんが寝坊とかでなくてよかったです」


そういえば5分ほど遅刻していたか。


「眠いのは事実だけど」

「昨日はちゃんと早く寝たの?」


遅刻を謝罪する前に、ミズキが肩を寄せてこちらに詰問してくる。


「いや、緊張で目が冴えちゃって、結局午前2時くらいまで勉強してた」

「あのねえ……」

「大丈夫ですか?」

「うーん、編入テストで落ちることはないと思うけど」


不安そうな千尋に、苦笑いを返してしまう。

実際のところ、緊張の原因の8割ほどは、テストではなくてもう1つの重大な懸案のほうにあった。

今日は、千尋のお姉さんである景さんに挨拶をしようと思っているのだ。

僕のテストと、景さんの所属しているバスケ部の練習試合の日程が重なり、それならばと心に決めたことだが──

景さんのことは伝聞ではよく耳にしていたし、電話で話したことはあるものの、その武勇伝が僕の身に降りかからなければと願っている……。


「とりあえず行こうか」


なるようにしかならないだろうと覚悟しているので、気楽に歩き出そうとして。

ふいに、ミズキに質問しようと思っていたことを思い出した。


「ところでミズキ、久瀬さんはどうしてる?」

「ああ」


久瀬さんは勘当された実家に顔を出すため、僕より前に音羽に戻ったはずだが、その後のことは聞いていなかった。


「身体の調子はいいみたいだよ。お昼過ぎまで寝てるんじゃないかな。基本的に夜型の人だし」

「そう。元気にしてるならいいんだ」

「久瀬さんは、確か火村さんのお友達の方ですよね?」

「うん。親友だね」

「わ、火村さんに親友なんているんですね」


何気に酷い発言だと思ったが、驚くのも無理はないだろう。


「火村さんが久瀬さんと親友だなんて聞いたら、むきになって怒りそうだけど」

「照れ隠しだよね」

「喧嘩するほど仲が良いと言いますし」


3人して言いたい放題だった。

 

「う~ん、それにしても、なんか日本で蓮治と話してると変な感じ」

「そう?」

「蓮治=海外、みたいな印象があるから」

「ああ、それはありますね」

千尋も?」

「蓮治くんの思い出は、全部南半球でのものでしたから」

「これからは、こっちでの思い出も作れると思うけどね」

「あ、ええ」

「言うなぁ」

「なにが?」

「いいのいいの。そろそろ行こ」

「そうだね」


まだテストの開始時間まで余裕はあったが、出来る限りの見直しをしておきたかった。


…………。

 

……。

 


「あー、ちょっと緊張してきた」


校門の前まで来たところで、ようやくテストを受けるのだという実感が湧いてきた。

 



と、何事かと僕を見つめる2人に、笑みを返す。

「転校が多かったから編入テストはよく受けてたけど、何度やっても慣れないなあ」

「なに言ってるのよ。千尋先輩とのウハウハな学園生活を懸けた戦いでしょうが」

「ウハウハってね……」

「あの、申し訳ないですが、私は通っていないので学園生活は無理かと」

「あ、そっか。まあ、音羽で暮らせるかどうかの瀬戸際ですし。もしわたしが蓮治と同じ立場なら、100点満点のテストで120点とってみせますよ!」

「物理的に出来ないから、それ」

「そのくらいの気合いでってことよ」

「無理はしないでくださいね」

「あ、ううん。120点はともかく、今回は絶対に受からないとね」


ミズキのせいで空回りしかけたが、緊張感は維持しておくほうがいいはずだ。


「ところで蓮治、お昼はどうするの?」


ああ、千尋に言っておかなければいけないことだったと、そのフォローは助かった。


「食事のことなら、お弁当を用意してきたよ。ちゃんと千尋の分もあるからね」

「あ、蓮治くんのご飯は美味しいって日記に書いてあったので、楽しみです」

「ちゃんとグリンピース抜きでね」

「え?」

「あれ? 嫌いだよね、グリンピース?」

「ええ……いえ、どうして知ってるのかなって」


そういうことか。


「前に千尋から聞いたんだよ」

「なるほど。ちょっとびっくりしてしまいました」


千尋の微笑みを目にしただけで、お弁当を作った甲斐があったと思えてしまう。

 


「ま、お弁当があるならお昼の心配はしなくていいね」

「ミズキはいらないんだよね?」


待ち合わせの約束をしていたときに、そんな話をしていたはずだが。


「うん、わたしはパス。お昼頃にはバスケの試合が終わるし、ちょっと用事があるから」

「用事?」

「ちょっとした」


なにか裏がありそうだが、追求したところで答えてはくれないだろう。

まあ、ミズキのことだから大したことでもないだろうし。


「あ、そろそろ時間だから行くね。遅刻で減点されたらもったいないし」

「こっちはずっと体育館にいるから」

それじゃあ、待ち合わせはお昼に体育館で」

「はい。がんばってください」

「うん」


妹のような2人の女の子にうなずき、深呼吸してから校舎へと向かう。


……。

 



「えーと、ここか」


2階にある指定されていた教室のプレートを見上げる。

 



設計図が同じだからだろう──南半球の学校と同じ造りになっているので、道に迷うということもなかった。

 



中に入ると、すでに男性教師がひとり待っていた。

おはようございます、と声をかけようと思ったのだが、どことなく重い雰囲気で会釈されたので、同じ仕草を返すに留める。

まあ、重いと言っても火村さんほどではない。

適当な机に座り、筆記用具を揃えながら、黒板に書かれている今日の予定に目を通す。

 



午前2教科、現代国語と数学。午後2教科、物理と世界史。

各45分、小休憩15分──終了時刻は15時05分か。

テスト自体は本来なら5教科なのだが、英語がネイティブなので満点扱いの免除となり、1時間ほど開始がゆったりとしているのだ。


「……数学と物理が、午前と午後にわかれてくれててよかった」


数式や方程式などの記号に弱いので、思わずつぶやいてしまう。

あとの時間は、黙々と教科書やノートを見直して過ごす。

と、黙っていた教師に急に声をかけられた。


「それじゃあ、始めようか」
「あ、はい」


慌てなくてもいいのだが、バタバタと鞄に教科書やノートをしまう。

ぺらりと──その重い内容のわりには軽い音で、テスト用紙が裏返しに机に置かれた。


「……はー」


目を閉じて、息をゆっくり吸いこむ。

編入試験に慣れているとはいえ、この緊張には生涯慣れることはなさそうだ。

千尋のためにもがんばろう。


「始め」

 



テスト開始の声にあわせて用紙を表に返した。


………………


…………

 

……

 

 

 

そして、溜めこんでいた息を大きく吐きだす。


「……ふー」


息がつまる教室を出て、背伸びをする。

最初の現代国語のテストが終了したが、想像以上によく出来た感触があり、ちょっとした余裕が生まれた。

まあ、帰国子女ということで、国語は手加減されたのかもしれない。


「どうしようかな」


本当なら、休憩中に数学のポイントの見直しをしたほうがいいのだろうが、やはり千尋のことが気にかかる。

ギリギリまで粘ってもよいのだが──

 

「ここまで来て悪あがきしても仕方ないか」


気分転換しよう。


……。

 



「あれ、蓮治くん?」

「やあ」


体育館にいた千尋が、僕の顔を見て驚いた。


「テストはどうしたんですか?」

「休憩時間だから、ちょっとだけ顔を出したんだ」

「そうですか。おつかれさまです」


千尋があたたかい微笑みで出迎えてくれる。

それだけで、来てよかったなと、思わず笑みがこぼれた。

始めて彼女が制服を着ていたときにも思ったが、周囲に同じ服の女性がいるからこそ、千尋の可愛さが引き立つ。


「顔がデレっデレなんだけど……」

「そ、そんなことないよ!?」

「そこまで説得力のない言い訳も、ある意味で凄いよね」

「それより、千尋のお姉さんの試合のほうはどう?」


挨拶は試合後がいいと考えていたが、試合の行方次第で機嫌が変わりそうで、ちょっと気になっていた。


「もっちろん、わたしの景先輩がいるんだから勝ってるに決まってるでしょ」


ミズキの“所有物(もの)”が世の中に多すぎる気がする。

さておき、コートに視線を向けて噂の“景先輩”を探り当てようとしたが、その必要はなかった。

 

 

千尋とそっくりであること以上に、景さんの鋭い動きは試合に参加している誰よりも目立っていた。

バスケどころか運動全般に詳しくない僕でもわかる。

彼女は本物だ。

速いとか凄いということ以上に、“きれい”という言葉が最初に浮かんできたのだ。


「きゃーっ、景先輩ーっ! そこです! えぐりこむように切り込んじゃってくださいーっ!」


ミズキが黄色い声をあげている。

観客のほとんどが、景さんを中心に試合を見ている。

常々、「景先輩が」「景先輩が」と耳にしていたが、確かにかっこいい人だ。


「……でも、なんだろう」


わずかな違和感があった。

千尋と同じ顔をしている女性の運動神経がよいことが、違和感の元だろうか?

膝の故障から復帰したばかりという話もあったので、そのせいで、なにかがぎこちないのだろうか?

だが、違った。


「ああ、目のせいか」


千尋にはない、その左目にひっかかっていたのだ。

 



「なにか言いました?」

「あ、ううん。なんでもない」


悪気もなく、嫌味でもなかったが、わざわざ千尋に聞かせることはないだろうと首を振る。


「すごいねー、千尋のお姉さん」

「はい。わたしの自慢のお姉ちゃんです」

 

 

誇らしげに千尋が言う。

そこで、審判の笛が鳴った。

どちらかのチームがタイムアウトを申告したらしい。

 

 

「お、ちょうどいいじゃん。羽山、その人たちを紹介してくれ」


すぐ背後からの声に、千尋と一緒に顔を向ける。


「なんて手間のかかる先輩ですか。というか、このお顔を見て気づかないんですか!」

「なんで怒られてんの、俺」

「……………」


男性がきょとんとする千尋を見て、ふいに目を見開いた。


「……えっ、新藤!?」

「気づくの遅いですよ! 一発で気づくべきでしょ、あなたは!」

「いやー、そう言われても。おっと、挨拶しないといけないね。こんにちは。俺は、堤京介って者です」


話しかけているのが僕ではなさそうなので、一応、まだ口を挟まずに様子を窺う。

堤京介──どこかで聞いた名前だ。


「……えっと」

「怖がらなくても、なにもしないから安心して。君、新藤千尋ちゃんだろ?」

「はい、新藤千尋ですが……」

「びっくりしたなぁ、まさかこんなところで会えるなんて」


ああ、誰かわかった。

ミズキが「景先輩」と叫ぶときに、時折、彼女の恋人の名前をあげることがあった。

それが堤京介さん──当の本人だ。


千尋先輩、用事があって学校に来たんですけど、ちょうど景先輩の試合があったのでお連れしたんです」

「僕の編入試験の付き添いってだけなんですけどね」


ミズキのフォローとあわせて、千尋を安心させるように説明する。


「とっても大事なことじゃないですか」

「なるほどねー」

「あの、あなたは?」

「新藤から話を聞いてないかな」

「あ、そうか。わかりました!」


千尋も気づいたのか、確認のために手帳をめくりだす。


「夏頃、お姉ちゃんに付きまとっていたストーカーの人ですね!」

 

「…………」

「ち、千尋。そんなこと言ったら失礼だよ」


千尋の率直な物言いに、僕のほうが慌ててしまう。


「え? でも、ストーキングなんて犯罪に手を染めた人には手加減無用だって、お姉ちゃんが……」

「目の前で言っちゃダメなんだよ。本当に犯罪者だったら危険じゃないか」

「なるほど。一つ勉強になりました。手帳に書いておきましょう」

「……なあ、羽山。これ、なんのいじめ?」

「いいじゃないですか。千尋先輩にいじめられるなんて珍しいですよ、羨ましすぎて代わってもらいたいくらいですよ」

「あいにく、俺にはそういう趣味はなくてね……」

「……あれ?」


手帳を見下ろして、彼女が小首をかしげる


「お姉ちゃんを追っかけまわした後、映画を撮ることになって、お姉ちゃんと……」

「あ、そうか。ま、そういうことだよ。俺は今、君のお姉さんとお付き合いしてるんだ」

「…………」

 

「……何様なんですか、あなたは」


うわ。


「え、いや、だから新藤の彼氏なんだって」

 

「は? なんですって?」

「わ、こんなに挑戦的な千尋は初めて見たな」


思わず、驚くというより感心してしまう。

 

「別に、挑戦してるわけじゃないです。ただ……。そこのお兄さんがどうやったらこの世からいなくなるか、考えているだけです」

「自分のことは割とどうでもいいのに、お姉さんのことになると執着するんだな~……」


普段の誇らしげな様子の裏返しと考えれば納得はいくか。

ある意味、僕も気をつけておくべきことなのだろう。


…………。

 

……。

 


そうやって、なんだか色々なことがあったのだが──


気がつくと、体育館に残っているのはわたしとミズキちゃんだけになっていた。

蓮治くんがテストに戻り、試合の終わったお姉ちゃんは堤さんを連れてどこかへ行ってしまい、かなりの時間が過ぎていた。

 



「みなさん、ぜんぜん帰ってきませんね」
「みんなというか、蓮治くんはテストですが」
「あ、そうですね。じゃあ景先輩待ちか」
「堤さんもですよね?」


堤さんが冗談で私を「可愛い」と言っていたのを、お姉ちゃんが引きずっていってしまったのだが……。


「そちらは、生きて帰ってくるといいんですけど」
「……あの、お姉ちゃんと堤さんって、恋人なんですよね?」


思わず、おそるおそる訊ねてしまう。


「愛の形には色々とありますから」
「確かに、お姉ちゃんの愛情はたまに過激ですね」
「ほう、千尋先輩でもそう思うんですね。例えばどんな感じなんですか?」
「特に変な言動をとった覚えがないのに、『千尋可愛い~』って抱きついてきたり」
「うわ……うらやましぃ」
「うらやましい?」


予想外の反応に首をかしげてしまう。


「景先輩の抱きつきですよ! しかも、ビジュアル的に双子! なんか2人とも顔がにやにやしてるの想像できるじゃないですか!」
「よくわかりませんが、全力で抱きつかれると苦しいんですよ……」


子供のころの記憶だが──というか、子供のころの記憶なので、はっきりと覚えている。

それにしても……、

憂鬱だ。


「はぁ……」
「待ちくたびれましたか?」


こっそりため息をついたつもりだったが、ミズキちゃんに気づかれてしまったらしい。


「い、いいえ、そういうことではないのですが」
「ですが?」


暇だからか、ミズキちゃんが追求してくる。


「……そういえば学校って、いっぱい女の人がいるんですね」
「ん? ええ、まあ、半分は女子ですね」
「そうなんですよね……」


もう1つ、ため息がこぼれてしまう。


「幸せが逃げまくってますね。なにか気になることでも?」
「女の子が、いっぱいいるということは、その……」
「ああ。蓮治のことですね」
「はう」


核心をつかれてしまい、自分でもわかるくらいに頬が熱くなってしまう。


「蓮治くんが音羽に通うようになったら、たくさんの女の子と出会うことになるんですよね……それで、えーと……」
「心配ということですね。恋愛的な意味で」
「……わたしなんかが、そう思うのはいけないことだと思うのですが」


自分の障害のこともあるし、蓮治くんを信じていないということになってしまうのは申し訳ないのだが。

それでも、確信というものを抱くことのできない私は、心配になってしまう。


「大丈夫ですよ」


怒られても仕方ないと思ったが、ミズキちゃんは笑顔のままで言ってくれた。


「蓮治は浮気するようなやつじゃないですし、世界が崩壊しようとも、千尋先輩以外を好きになることなんてありませんから。それに、千尋先輩が不安に思うのも間違ってません。それは女の子の必須課題です」
「そう、なんですかね?」


ミズキちゃんと話していると、大変な問題も、自分が考えすぎのような気がしてきてしまう」


悪い意味ではなく、羽が生えたように身が軽くなる感じだ。


「そうですよ。むしろ、もっと乙女モードでわがままでもいいくらいだと思います」
「乙女モード?」

 



──「なんの話?」


「きゃ!?」


急に話題にしていた当の蓮治くんが現れ、びっくりしてしまう。


「もう2時間目のテスト終わったの?」

「うん。だから、お昼ごはんにしようと思って」

「あ……そ、そうですか」


かなりの時間が過ぎたと自分でも考えていたが、お姉ちゃんや堤さんよりも、蓮治くんの2つ目のテストのほうが早かったらしい。


「で、なんの話をしてたの?」

「それはねえ──」

 



「わ! わわ! だ、だめですよ! 言っちゃダメです!」


慌てて、蓮治くんの耳をふさぐために飛びついてしまう。


「え!?」
「ふぁう!?」


背伸びをしながら両耳をふさごうとして──当然ながら、正面から抱きつくような、キスをするような体勢になってしまった。

ミズキちゃんの口をふさいだほうがよかったと気づいたが、今さら離れられない。


千尋先輩がー、蓮治が音羽に入れちゃうとー、女の子と仲良くなって──」

「わーわー!」

「な、なに?」

「ミズキちゃん、酷いですよー」

「いいじゃないですか、このくらい聞かせてあげれば」

「ダメです! 恥ずかしすぎます!」

「ち、千尋? なんだかわからないんだけど、胸が……」

「蓮治くんもそういうこと言っちゃダメぇ!」


聞こえていないのは承知していながら、恥ずかしくて叫んでしまう。

でも、それ以上に抱きつけて嬉しいという、妙な気分を抱いてしまった。


「あはは、わかりました。わたしももう言いませんから」

「うぅ……」

「……ミズキがいなければなぁ」


ふいに、蓮治くんがつぶやく。

耳をふさがれているせいで私たちの会話は聞こえていないから、それは蓮治くんだけの独り言だったのだろう。


「……? ん?」


ミズキちゃんがいなければ、なんなのだろう。

無意識に、蓮治くんに向かって小首をかしげてしまう。

 



「…………」

「……あ」

「……あ」

「あの、2人だけの世界を広げてるところ申し訳ないのですが──いや、野暮ですね」

「あ、そういうことじゃ……」


もう大丈夫かと、蓮治くんの耳から手を離す。

 



「ふう……」

「あ、あはは」


こちらに問いかけてこようとはせず、蓮治くんが優しく笑ってくれる。

ただ、この場合、その優しさが心に痛いというか……。


「えーと……ごめんなさい」

「いや、僕こそ、なんか無遠慮な質問しちゃってごめん」

「いえいえ」


なんだか妙な遠慮をお互いにしていると、大きな声が体育館にこだました。


──「おーいっ、ミズキちゃん。やっほー」


「あ、みやこ先輩。ちわっす!」


ミズキちゃんが入り口のほうに向かい、きれいな女性と楽しそうに話しはじめる。

つい1時間ほど前にも、同じような光景を目にした気がするが──予想通り、ある程度のところで女性がこちらに向き直る。

 



「ところで、そっちの子は?」

「あ、えーと……私ですか?」


呼ばれる覚悟をしていたとはいえ、ストレートな物言いに焦ってしまう。


「みやこ先輩は初対面でしたね。えーと、こちらは──」

景ちゃんの妹さんの千尋ちゃんだね。はじめまして」

「あーっ、人がせっかく紹介しようとしてたのに」

「でも景ちゃんにそっくりだし。見ればわかるよ」

「じゃあ訊かないでくださいよ。まあ、みやこ先輩のおっしゃるとおり、わたしのラブリーな千尋先輩です。わたしの」

「あの……私、どうしたら……」


ミズキちゃんもみやこさんという方も、会話のテンポが早いので口を挟むことができなかった。

あ、“みやこ”さんって、この人こそが、何度も話に出てきた“宮村みやこ”さんか。


千尋先輩はそのままの天然素材でいいんです!」

「もちろん、もっとオロオロしてくれたりしますと、ご飯3杯食べられるくらい萌えますけど!」

「確か、ミズキちゃんも彼氏ができたって聞いたけど、あんまり前と変わんないね……」

「それはそれ、これはこれ、別腹ですから」

「あのさ、ミズキ。揚げ足を取るようだけど、千尋に『これ』は酷いんじゃない?」

「はっ、そう言われれば! ごめんなさい、千尋先輩! そんな無礼を働いたわたしを罵ってください!」


え、えーと。

 



「この卑しいイヌめ!」

「うきゃー、本当に罵られた!」

「え? や、やっちゃいけなかったんですか?」


流されるまま無意識に口に出た罵りの言葉だったのだが、いけないことなのだろうか。

どうでしょうと蓮治くんを見上げると、

 



「……千尋。どこでそんな言葉覚えたの?」


蓮治くんもちょっと驚いていた。


「えーと、どこでしょう。ここ13時間で覚えたわけじゃない……と思いますが」


おそらく、なにかの本に載っていたのだと思う。

そんなこんなで。

蓮治くんと宮村さんの楽しい挨拶が済んだところで、蓮治くんがミズキちゃんに向き直る。


「あ、ぜんぜん関係ないけど。ミズキ、なんか用事があるって言ってなかった?」

「あ、そうだった。みやこ先輩。すみませんが、千尋先輩と蓮治のことをお願いしてもいいですか?」

 

「あいよ。どーんと任せておいて」

「それでは、お名残惜しいですが、これにて失礼~」


ミズキちゃんは手を振って、あっさりと帰ってしまう。


「さて……と。景ちゃんは、まだ戻ってこないね」

「お姉ちゃんのお説教は長いですから」


ミズキちゃんとも話していたが、そういえば“まだ”のようだ。


「説教だけで終わらないだろうしねー。なんか、あたしはお腹すいちゃったよ」

「あ、今日はお弁当を作ってきてるので、よかったら宮村さんもどうですか?」

「蓮治くんのお弁当は美味しいので、是非」

「あたしもお弁当作ってきてるよ。ちょっと多めだからみんなで分けられるんじゃないかな」

「それなら、僕のと宮村さんのお弁当を3人で分けましょう」

「勝負だね」

「……え、勝負?」

 



「あたしのお弁当が美味しいか、蓮ちゃんのお弁当が美味しいか! 戦いのときは来た!」

「れ、蓮ちゃんって……」

「では、僭越ながら私が審査員を」


お料理で勝負しようということは、宮村さんのお弁当も美味しいのだろう。

楽しみだ。


「よろしく~」

「え? ええ!?」


…………。

 

……。

 



なんだか妙な成り行きになってしまったが、宮村先輩と千尋とともに、屋上へと昇ることになった。

いや、僕が音羽に入学していない以上、まだ“先輩”ではないのだろう。

どうでもいいことだが。


……。

 



「こっちの屋上も、向こうの音羽と変わりませんね。遠くの景色は違いますけど」


僕は周囲を見渡しながら感心する。

千尋がお姉さんから鍵を預かっていたので屋上に出てみたのだが、噂通りにそっくりな造りになっていた。

 


「うわ~、高いですね」


“今日の千尋”が知っているかわからないけれど──いつかのデートの光景を思い出し、寂しさと懐かしさを同時に覚えてしまう。


千尋、あんまり端っこに行くと危ないよ」

「大丈夫ですよ」

「うーん……」

 



「どうかしましたか?」

「んにゃ、話には聞いてたけど、景ちゃんとは全然違うんだなあと思って」

「なんの話ですか?」


僕が返事をする前に、とことこと戻ってきた千尋が首をかしげる


千尋とお姉さんが全然違うんだな~って」

 



「どうでしょう。違うって言われることも多いですが、ちょっとしたことでそっくりだって言われることもあります」

「ふーん……もしかすると似てるところもあるのかもね」

「それじゃあ、お弁当を食べましょうか。温かいお茶と予備のコップもありますから、宮村さんもどうぞ」

「おー、蓮ちゃんって気が利くんだね。きっと、いいお嫁さんになれるよ」

「もちろんです」

「あの、お嫁さんって……。いや、いまだに反応しちゃう僕がいけないんだな」


こういうところが男らしくないのかもしれない。

あえて反論せず、お弁当と一緒に用意していたレジャーシートを広げる。

 

「それじゃ、これがあたしのお弁当ね。遠慮せずに食べてくれていいから」

「わあっ、美味しそうです」

 

「これは確かに。盛りつけもきれいですね」


宮村さんの性格からして、もうちょっと大雑把な内容になっているかと思ったが、彩まで含めてきれいに盛りつけられている。


「ちなみに、あたしのお弁当って当たり外れがあるから」

「はい?」

「わ、おみくじみたいですね。当たるとなにかもらえるんですか?」


そこは喜ぶところかとツッコミを入れたくなったが、千尋相手なので声に詰まってしまう。


「当たったら美味しい料理が食べられるだけ。外れると……まあ……ねえ……。くすくすくす」

「なっ、なんでそこで笑うんですか!?」

「ううん、こういうのは話さないのが粋ってもんだよ!」

「やばい……この人、うちの母親とか久瀬さんと同じタイプだ……」


このタイプの人に遠慮しても仕方ないと愚痴るが、当然のように無視された。

 

「どーれどれ。あたしは蓮ちゃんのお弁当をいただいてみますかね。いただきます」


宮村さんが鶏のソテーを口に運ぶ。


「もぐもぐもぐ……」

「どうでしょう?」


相手が誰であれ、この感想を持つ間は緊張する。


「なんだか、私までどきどきしますね」

「んん……こっ、これは!? よほどじっくり下ごしらえしたのか、とろけるような肉の柔らかさ! 噛めば噛むほどしみ出してくる鶏の滋養! 辛めに味付けされたソースが、あっさりしたお肉と絶妙なハーモニーを奏でている!」


料理漫画の審査員みたいな表現だな~、と冗談めかしたことを考えつつ。

同時に、味付けや料理法を一口で封じられる宮村さんの舌に、すごいなと感心する。

 


「れっ、蓮ちゃん! どこでこんな料理を覚えたの!?」

「ど、どこでって、普通にうちの母親から習っただけですけど」

「蓮治くんのお母さんは、料理教室の先生をやってるんですよね」

「プロの技を継ぐ者だったか……いかにも冴えない外見だかr、大したことないかと思ってたよ!」

「あのー、なんか僕に恨みでもあります?」

「たった今、君に憎しみを抱きつつあるところだよ」

「なんでですか!?」

「蓮治くんなんて、死んじゃえばいいのに」

「ええっ!?」

「──っていう顔をされてますね、宮村さん」

千尋……今の、わざとじゃないよね?」


宮村さんのボケは計算だろうが、千尋は天然の可能性が高い。


「なにがですか?」

「いや、いいんだ……もう……」


ただ平和に食事ができればと思っただけなのに……。

どうして、こうなってしまったのだろう。


「よくわかりませんが、次は宮村さんのお弁当をいただきますね」


僕のぼやきは聞こえなかったらしく、千尋が宮村さんのお弁当を覗きこむ。


「そうだ、勝負だったんだ。さあ、どんどん食べちゃって」

「はい、じゃあ卵焼きにしましょう」


勝負の前に“当たり外れ”がどうこうという話もあったが、千尋は躊躇(ちゅうちょ)なく箸を伸ばす。

 


「もぐもぐ……。あっ、これ……」

「どうかな?」

「凄く美味しいです。甘いのにさっぱりしてて。この卵焼き、なにか普通とは違うものが入ってますね」

「切り干し大根と桜エビがポイントなんだよ」

「ああ、甘さも引き立ちますし、食感を変えるのもいい手ですね」

「なるほど。これは、クセになりますね。なんだか、もう一人の姉としてお慕いしたくなってきました」

「あっ、千尋が餌付けされてる」


ちょっとだけショックだ。


「ところで、ちぃちゃん」

「そっちはまたニックネーム付けてるし」

「凪お姉さんみたいですね。お姉さんは“ちろちゃん”、って呼びますけど」

「ちぃちゃんの主観的な判断でかまわないんだけど、あたしと蓮ちゃん、どっちのお弁当のほうが美味しいかな?」

「その、どちらも凄く美味しかったのですが……」

「いや、勝負だからさ、どちらかといえばで」

「宮村さん。本人を目の前にして、そういう評価を無理に下さなくても」


僕自身、勝ち負けには特にこだわっていないし、千尋はどちらにせよ波風を立てないだろうと思った。

しかし──


「蓮治くんです」


千尋は素直に言い切った。


「…………」

「んーと……え?」


僕も宮村先輩も、千尋のあまりにもはっきりとした物言いに、逆に混乱してしまう。

即断は千尋らしくないように思えるし、一直線な考え方しかできないのが千尋らしいとも言えるのか。

千尋の意外な一面に感慨を覚える一方、やはり頑張って作ったお弁当が選ばれたことが嬉しかった。


「本当に申し訳ないのですが、私には蓮治くんのお弁当のほうが美味しいです」

「うぅむ……。そっか。よし、よく言ったよ、ちぃちゃん!」

「あの、宮村さん?」

「ほい、どうしたの?」

「怒ってないんですか? その、この勝負、あなたの負けってことになりますけど」


僕に勝負のこだわりなどないが、出会って間もないながらも、宮村さんの性格からして気にしそうなものだが。


「ふはは、あたしも愛の力に勝てると思うほど傲慢ではないよ」

「え、傲慢じゃないんですか?」

「うふふふふ。やっぱり、景ちゃんの妹だね。言うことは言うんだ」

 

 

「お姉ちゃんにも『言いたいことははっきり言いなさい』って教え込まれてますから」

「ああ、怖い……天然でストッパーの効いてない会話が怖い……」


まったく違う部品同士が嚙み合ってしまっている。


「いいねえ、蓮ちゃん。こんな可愛い子に愛されてて」

「あ、愛ってそんな……」

「そ、そそ、そうですよ」

「2人ともびっくりするくらいコテコテは反応だね」

「あはは……あ、いや……そうだ! 僕も宮村さんのお弁当をいただきますね!!」


照れ隠しのように、とにかく目についたシューマイを口に放り込む。


「もぐもぐ……ん? なんか、あんまり味が……あれ……?」


じわりと、熱のようなものが舌に──

 

 


「──────っ!?」


『バチン』と。

フラッシュを焚いたように視界が白く染まった。

辛みを通り越し、痛みとしか形容できない猛烈な刺激が口の中で破裂した。

破裂して、その衝撃が、頭の芯まで尽き抜けた。


……正直、それから数分間のことは記憶が定かではない。

後から聞いた話では、僕は激辛のカラシ入りシューマイを口にし、屋上のアスファルトの上でエビのように跳ね回っていたということだが……。


…………。

 

……。

 

 

「……覚えがない」


意識が戻ったときには、昼食を終えて校内に戻っていた。

意識にないものの、いまだに口の中がヒリヒリするこの感覚が、あれが夢でなかったという証拠だろう。

歯医者で麻酔をかけられたように、正しく自分が発音出来ているのかもわからなかった。


「……それでは、僕は午後のテストがあるので」


食べた気のしない昼食や、僕の体調はさておき、テストの時間が迫っていた。

ついでに、その後には千尋のお姉さんに挨拶する予定もあった。

僕には似つかわしくないほど、午後はイベント目白押しである。


千尋、また後でね」

「はい、応援してますので頑張ってくださいね」

「うん、ありがとう」

「はー、和むなあ、このほのぼのカップルは」


千尋の笑みに癒されたところで、ぶつくさ言っている宮村さんに向けて目を細める。


「それで……」

「うお? なんで睨んでるの?」

「僕は行かなきゃいけないんですけど……千尋に変なことしないでくださいね」

「あはは、心配性だね」

「あなたの性格を知れば、心配もしますよ!」

「平気だよ。だって、ちぃちゃんには怖いお姉さんがついてるもん」

「あ~、それは確かに説得力がありますね」


「あはは……」


そうか。僕と違って、後ろ盾がついている千尋の心配は必要なかったのか。

と、馬鹿なことをしていても仕方ない。


「今度こそ行きますね。それでは」

「はい、行ってらっしゃい」

「ばいばーい」


笑顔の女性2人に見送られて、僕はテストを受けている教室へと戻ることにした。


…………。

 

……。

 


「…………」


それからは特に何事もなく。

黙々とシャーペンを答案用紙に走らせる時間が続いた。

宮村さんと一緒で千尋は大丈夫だろうかと心配したが、テストは難しく、余計なことはすぐに思考の外側へと消えていった。

まあ、あのカラシ入りシューマイのおかげで眠気が吹っ飛んだことだけは、テストに限れば悪いことではないのだろう。

 



「さて」


最後の世界史のテストは、免除された英語に続いて楽なものだった。

これまでの転校のおかげで、世界史のだいたいの地域の歴史に詳しくなっていたからだ。

それでも油断しないように──


「ん?」


ふと、廊下に人の気配を感じて顔をあげる。

 



ガラス越しに久瀬さんが教室の中を覗き込んでいた。

楽しそうに、 親指を立ててグーと。


「……?」


『がんばれ』ということだろうか?

 



意味を判読しかねていると、久瀬さんの隣に姿を見せたミズキが、ブイサインを送ってくる。


「ああ……」


思わず、生温かい笑みがこぼれてしまった。

あの2人も、なにも考えていないんだ……。

宮村さんと同じタイプだもんな……。

妙に納得してしまう。

案の定、2人ともそれで用が済んだとばかりに、どこかへ行ってしまった。


「……テストが終わるまで待っててくれもしないんだよな」


まあ、仕方がない。

誰もこんなテストが楽しいわけではないし。

あとちょっと頑張って、千尋のところに行こう。癒されよう。


…………。

 

……。

 

「さて。テストは終わったけど、緊張感がさっぱり抜けてないな」


予想通り、数学と物理のテストに手こずったものの、編入試験としての手応えは十二分にあった。

しかし──あまりにも問題がなさすぎて、逆に警戒心が首をもたげている。


「……だいたい、こうやって僕が油断してるところでなにかあるんだもんな。…………ああ、いかんいかん」


ここ1年の経験のせいで、被害妄想が身に染みてしまったらしい。

よくないことなので反省しよう。


「やっぱり久瀬さんもミズキもいないか」


久瀬さんに挨拶したいと思っていたが、すれ違ってしまったか。

とにもかくにも、千尋と合流しなくてはならない。

携帯電話に一報を入れてもいいのだが、おそらく彼女がいるのはあそこだろう。


……。


「あっ、いたいた」


図書室に入ってすぐに、千尋とお姉さん、堤さんの3人が集まっている輪を見つけた。


千尋、やっぱりここにいたんだね」

 



「あっ、蓮治くん」

「試験が終わったから捜してたんだよ。まあ、ここにいると思ったけど」

「よかった、やっと私の味方が来てくれました」

「み、味方? 千尋、どうかしたの?」

「一生のトラウマになりそうな最大のピンチを迎えているところでした」

「なんのこと……?」


嬉しそうな様子から一転、千尋が浮かべる真剣な表情に驚いてしまう。


「ええ、来てくれてよかったわ。わたしみお、あんたに話があったのよ」

「僕ですか?」

「ええ、あんたで間違いないわ。ちょっと、来てもらえる?」


千尋もお姉さんも、ある意味で人の都合など関係ないという部分はよく似ているかもしれない。


「あの、行くってどちらへ……?」

「みんな大好きな校舎裏よ」

「な、なんか物凄く不吉な予感がするんですけど!?」


挨拶をしようと勢い込んでいたが、まさか先に捕まることになるとは思いもしなかった。


「ああ、京介先輩。携帯を貸してあげるから、読みたかったら読んで。テキストは、メモリーカードに入れてあるわ」


景さんが携帯電話を堤さんに投げて渡す。

まあ、僕の発言が無視されるのは、なんか今日1日で慣れてしまったな。


千尋

「は、はい」

「京介先輩って、シナリオもたくさん読んできてるから。面白い感想を言ってくれるかもしれないわよ」


このあたりで、だいたいの事情を察する。

千尋の書いた小説を堤さんが読みたいと言い出し、たまたまお姉さんの携帯にテキストデータが入っていた──

当然、千尋は恥ずかしくて嫌がったということか。


「……でも」

「それにね、自慢の妹が書き上げた小説だもの。色んな人に読んでもらいたいじゃない」

「わ」

僕もお姉さんの意見に賛成だったので、あえて口を挟まず。


「それじゃあね。この子、ちょっと借りていくわ」

「やっぱり行くんですね……」


でもまあ、僕も話がしたかったので、大人しくついて行くことにした。


……。

 



「ちなみに、遅くなりましたけど、面と向かっては初めまして」
「ああ、そうね。初めまして」


社交辞令にすらなりきれていない挨拶だった。


……。

 

そのまま階段を目指して歩いていると、その階段の上からミズキと久瀬さんが下りてきた。

 



それ自体は普通のことだが、久瀬さんがミズキを支えるようにしている。


「あれ、2人ともどうしたんですか?」

「ミズキ、どうしたの?」

 



「あ、はい、大丈夫です」


僕らを心配させないようにか、ミズキが自分の足で立って笑う。


「貧血で立ちくらみを起こしちゃったみたいで」

「ミズキが貧血? そんなの初めてね」

「あはは……面目ない」


元気のない姿も、それはそれでいつも通りに思えたが、なにかがおかしい気もする。

だが、僕ら以上に心配している人がすぐそばにいた。


「無理はしてない?」


久瀬さんのあまりの真剣な声に、目を丸くしてしまう。

いつも冗談ばかりなのに、彼は本当にミズキを愛しているのだと。


「久瀬さんも、ごめんなさい」

「よく貧血になるの?」

「いえ……。だから、自分でもびっくりしちゃって」

「こんなときまで無理をしているようなら、怒るよ」

「本当に平気です。そんな顔しないでください」

「顔?」

「久瀬さんのほうが泣きそうな顔してますよ」

「あ……」


久瀬さんが言い込められる姿に、思わず景さんと目配せしてしまう。

ミズキは照れ隠しのような苦笑いを、僕らに対して浮かべた。


「蓮治はテスト終わったんだ」

「う、うん」

「こんなところで、景先輩となにしてるの?」

「ちょっとこの子に話があってね。千尋から借りてきたの」

「借りてきた……まあ、蓮治は千尋先輩のものですしね」

「その言い方はどうかな……」


いつも通りのミズキの言い草に呆れてしまうが──イコール、調子がよさそうでなによりだった。

ちょこちょこと雑談を交えたあと、今朝から気にしていた久瀬さんと話す機会をもてた。


「蓮治こそ、調子はどう?」

「日本の雰囲気にまだ慣れないですね。便利すぎて、だらけちゃいそうです」

「ああ、コンビニだけで生活できちゃうからなぁ」

「気をつけます」

「それじゃあ、久瀬さん、行きましょうか」

「ん? うん」

「こっちも行きましょうか」

「あの……お姉さん、どこに向かおうとしてるのでしょうか?」

「屋上よ」

「う……あの柵のない……」


ミズキたちが下りてきたのを目にして、屋上が使えることに気づいたのだろう。

校舎裏よりも危険度が増した気がする。


「なんなら、今、この場で景先輩と蓮治には会わなかったことにしましょうか?」

「なに、その目撃証言を偽証しようとするような話は!?」

「冗談だよ」

「……冗談で済めばいいんだけど」

「それではまた」


無理やりな打ち切り方で、景さんが僕を連れて階段をのぼる。


……。

 

上の階にのぼったところで、景さんが、ふいに足を止めた。

 



「あの2人って不思議よね」
「ですね」


先ほどの目配せの答え合わせをするように、景さんと頷きあう。


「久瀬さんがミズキの面倒を見ていると見せかけて、実際はミズキが久瀬さんのお守をしてるって思ってたんですけど」
「さっきのは、さらにその逆って感じ」
「多分、どっちも、どちらでもいいんでしょうね」


とても強い人たちだから。

守られる必要がないからこそ、遊びとしてわざと弱みを作っている。

あの2人だからこその関係か。


「女としては、ミズキのそういう気持ちはわかるけど」
「…………」


ふうん、という感嘆は口にせずにいた。

千尋やミズキから話を聞いた限り、千尋のお姉さんは、もうちょっとストレートな人だと思ったのだが。

意外と冷静な印象。

外見に反して宮村さんより大人びている気がした。


「むしろ、千尋と同じ外見だからそう感じるのかな」
「どうしたの?」
「いえ、それより、校舎裏じゃなくて屋上まで出るんですか?」
「よく考えたら校舎裏よりも屋上のほうが人目がないからね。寒いのは苦手?」
「好きじゃないですけど……でも、寒いのにも慣れないといけないんですよね」
「よくわからないいけど、下よりは上のほうがいいわね」


それこそ意味のわからないことを口にして、景さんはさらに上へと階段をあがっていった。


……。


「屋上は今日2回目か」


昼食のときの記憶が蘇りそうになるが、頭を振って思い出さないようにする。

 



「先に用事があるならいいわよ」
「いえ、僕のほうはご挨拶できれば、それだけでよかったんですけど」
「まあ、千尋の彼氏ですもんね」
「え、ええ」


もうちょっと胸を張りたいところだが、このシチュエーションで緊張するなというほうが無理だった。


「その千尋のことだけど……」


きつい言葉が続くと予想していたのだが、そこで言葉が止まってしまった。

景さんは空を見上げてから、まったく予想とは違うことを口にした。

 



「実は話すことはないのよね」
「え?」
「だって、千尋の周囲であの子のことを本当に理解してるのって、わたしみたいな家族以外はあんただけでしょ」
「そう、なんですかね?」


思わぬ展開に首をかしげてしまう。


「火村さんとか久瀬さんとか、大人の人はどう接すればいいかわかってますし。ミズキだって普通に話してますよ」
「そのメンバーは確かにそうなんだけど……。ああもう、うまい言葉が出てこないわね!」


自分に苛立つように、景さんが強くつぶやく。

僕は彼女の邪魔にならないように黙っていた。


「……そう。その人たちじゃ足りないのよ。友達以上に、あの子と真剣に向き合おうとしたら、普通に話せるとか、そういうことだけじゃダメでしょ?」
「ああ、なるほど」
「それこそお互いに今更だろうけど」

 



それは、僕が半年前に経験した後悔の話であり、景さんと千尋が離れて暮らすことになった“きっかけ”なのだろう。

確かに、そういう意味でなら火村さんや久瀬さんでは足りない。

 



「きれいごとだけじゃ済みませんからね」


「あの子とはまともに喧嘩もできない。だけど、ずっと一緒にいるつもりなら、衝突なんて普通にあるのよね。愚痴じゃないのよ。言いたいことがまとまらないというか、順番に話さないといけないだけでね──。千尋とか麻生くんは、ちゃんと言葉にするのが得意なんでしょ」
「いや、僕はそうでもないというか」


さりげなく、呼び方が“麻生くん”になったなと思いつつ。


「人生そのものが不器用、という評価以外を受けたことがないので……」
「それは見ててわかるけど」


肯定されてしまった。

ちょっと傷ついた。


「まあ、だから、正直上手くやってると思うのよ。100点を超えてるくらいに。でも、やっぱり、むかつくかどうかは別問題なのよね」

「そこはすみませんとしか言えないのですが……」


やっぱり怖い人というのは当たっているようだ。

それでも、僕はきちんと言葉にして伝えないといけない。

精一杯の気持ちを示すように、焦らず、深呼吸する。


「それでも、僕と千尋の仲を認めてもらえればと思うのですが」
「まあ……そういう話よね」


千尋にとって双子のお姉さんがとても大事であるならば、誰よりも先に、景さんに認めてもらいたかった。


「別に反対はしないんだけど……」


どうしても語尾が濁されてしまう。


「お願いします。添い遂げる覚悟もあります」
「ソイトゲル……? それ、何語? あんた、そういえばドイツ語も話せるんだっけ?」
「あ、いえ。日本語です。えーと、『一生一緒にいる』という意味ですね」



「そ、それなら最初からそう言いなさい。まぎらわしい言い方するんじゃないの!」
「す、すみません」


失礼だけど、確かにお姉さんのほうは言葉が苦手なのかもしれない。


「ま、まあいいわ。今のことは忘れなさい」
「はい、そうします。あ、いや、忘れてもらっちゃ困ります!」


せっかくの宣言なのに、言葉遊びで無効にされるわけにはいかなかった。


「ふふ。あんたもなんかズレてるわね。そういうところ、千尋と似てるから気があうのかもね」
「はあ」


よくわからない評価だったので、自分でも判断のつかない相槌しか出てこない。


「そうか……なるほど。そう考えれば麻生くんって弟みたいなものなのよね。そもそも後輩なんだし」


なにを納得しているのかわからないが、見るからに機嫌はよくなっているので、ほっとする。

なるほど、どうするか決めてしまえば、景さんは後腐れを作らない気持ちのいい人なのだろう。


「今すぐに認めて欲しいという話ではないので」
「まあそうね。ゆっくりやっていきましょうか。千尋に幸せになって欲しいっていうのは、お互いに同じなんだし」
「はい。不束者ですが、よろしくお願いします」


…………。

 

……。

 



お姉ちゃんと蓮治くんが戻ってきて、堤さんを含めた4人で帰宅することになった。

冬の昼間は短く、音羽の街が赤く染まっている。

 



「今日は楽しかった、千尋?」

「うん。学校に来れたし、屋上もきれいだったし、お姉ちゃんの試合も見れたし」


素直にうなずいてから、冗談めかして怒っているんだよと頬をふくらませる。


「でも、最後の図書室で小説を見せちゃったのは酷いよぉ」

「あはは、ごめんごめん。でも、京介先輩には見せてあげたかったのよ」


ちらりと、お姉ちゃんが背後を歩いている堤さんと蓮治くんを気にする。

ちょっと距離が離れているので、お互いの声は届いてはいない。


「堤京介さんって、お姉ちゃんの彼氏さんなんだよね?」
「う、うん」


あ、お姉ちゃんのこういう照れ方は珍しい。

恋愛の話はくすぐったいけれど、嫌いではない。


「うーん……それなら、仕方ないのかな」
「わたしが言うのもなんだけど、千尋もわたしに甘いわよね」
「そうかな」


くすくすと笑みがこぼれてしまう。

お姉ちゃんが幸せそうだと、私もつられて嬉しくなるのだ。


「そういえば、結局、蓮治くんとなんの話をしてたの?」
「ああ、ちゃんと千尋と付き合う気があるのかって、そういうことの確認かな」
「わ」


予想はしていたが、実際にそう告げられると困惑してしまう。


「お姉ちゃん、本当にそういうのやってたんだ……」
「そりゃ、大切な妹のことだし」
「うぅ……恥ずかしい……」
「でも千尋、麻生くんと結婚まで考えてるんでしょ」
「け、結婚!?」


自分でもびっくりしてしまうような、すっとんきょうな声が出てしまう。


「そうよ、結婚」


お姉ちゃんはごく普通に返してくる。


「そ、そそ、そんなこと急に言われても」
「いや、遊びで付き合ってるわけじゃないんでしょ」
「う、うん」


ものすごく心臓がドキドキしてる。

頭に血がのぼってしまったのか、ちょっとくらくらする。


「だけど、心の準備が……」
「麻生くんが学生のうちに、なんてのはわたしも許さないから、今すぐって話じゃないわよ」
「そ、そうだよね」
「でも、将来的にはする気でしょ」
「したい、のかもしれないけど……わからない……。結婚しても、私は蓮治くんの足を引っ張るだけだし……」
「以前と同じ問題で悩むな、って千尋に言っても仕方ないんでしょうけど。外に出て働くとかが無理なら、割り切って、きっちり掃除とか洗濯とかの家事をやるって決めておけばいいのよ」
「そういうふうに決めても料理は出来ないけどね」
「あはは、やっぱりわたしたち姉妹は遺伝的に料理がダメなのね」
「うん、遺伝って怖いね」
「ま、ともかく、麻生くんは悪いヤツじゃないってのが確認できたから」
「うん」


それだけは、私も信じている。

私は人の悪意にとても弱い存在だと──それを意識するように、ずっと“私”から言われ続けているから。

そうやってしばらく歩き、街中に辿りつくと、蓮治くんだけがこちらに追いついてきた。



千尋、一緒に帰ろうか」
「あ、はい。あれ、私だけですか?」


反射的に頷いてしまったが、堤さんやお姉ちゃんは含まれていないのだろうか?

蓮治くんが私に声をかけてきたからか、お姉ちゃんは入れ替わりに堤さんの横にいた。


「堤さんの家がこのへんらしいんだけど。千尋のお姉さんともうちょっと一緒にいたいみたいだから、気を利かせたほうがよさそうなんだ」
「ああ、なるほど。だから私たちだけで」
「うん。『千尋に用事があるから僕らは別行動します』って。そんな約束してないけど、つい言ってきちゃったんだ」
「わかりました」


堤さんには思うところがあるが、お姉ちゃんもそれを望むなら、素直に協力するべきだろう。

それに、今日は蓮治くんと2人きりの時間がなかったので、私としても悪くない話だった。


「それじゃあ行こうか」
「はい」

 



「あの、お姉ちゃん、私たち先に行くね」

「あ、うん」


向こうでも蓮治くんの話した内容を説明していたのだろう。


「気をつけて帰るのよ」

「大丈夫。蓮治くんも一緒だから」

「うん。麻生くんも千尋のことをよろしくね」

「はい」


それぞれ言葉を交わして別れることになる。

私の隣を離れて、お姉ちゃんは堤さんと共に、違う道を歩いていってしまった。

内面を移すようなその軽い足取りに──自分よりも堤さんが優先されたことに、少しだけ心がうずいてしまう。


「それじゃあ、家まで送るよ」
「はい」


……。


「今日は楽しかった?」
「はい。色々あったので、日記を書くのが大変です」


蓮治くんと2人だけになると、昼間の賑やかな雰囲気から一転して、穏やかな空気が流れる。

それが私には心地よい。

けれど──

お姉ちゃんと堤さん、宮村さん、ミズキちゃん……

みんなが好きな人に対して素直でいられるのがうらやましかった。

私と蓮治くんは恋人だからこそ、1つだけ気になっていることがあり、それは、その……。


「うぅ……」
「どうしたの、千尋?」
「い、いえ、なんでもありません」


ふるふると首を振る。

心の中で言い淀んでも仕方がない。

素直に言って、私と蓮治くんは、恋人だというのにエッチなことをまったくしていないのだ。

2人きりになると、それがどうしても気になってしまう。

私が日記に嘘を書いたり、意図的に伏せているのでなければ、彼と結ばれたのは半年前の1度だけ。

蓮治くんの書いた小説には、屋上で結ばれたという記述はあったが、当然、そこに詳細な描写はなく。

男の人はエッチなことをしたい、という話をよく聞くのだが、我慢できるものなのだろうか?

やっぱり私の子供っぽい体つきのせいだろうか。

宮村さんみたいな女性らしいプロポーションなら……。

 



「ああもう!」
「え!? ど、どうしたの?」
「なんでもありません」


こういうときだけは、彼の優しさがもどかしい。

自分が求められているのか、私は“実感”することが出来ないから。

乱暴なのは怖いけど……ちょっと強引なくらいでもいいのに。

「ああそうだ、色々あってすっかり忘れてた」


私の気持ちも知らず、蓮治くんがのんびりとした声をあげる。


「テストのほうだけど、想像以上に出来たと思う」
「あ、じゃあ」
「結果はまだだけど、こっちの音羽にいられると思う」
「よかったです」
「うん、よかった。これで家具とかもきっちり揃えられるよ」
「あ……」


蓮治くんの、部屋。

これはチャンスなのかもしれない。

私らしくない大胆な発想だったが、それでも──


「ん? どうしたの?」


私の変化にようやく気づいたのか、蓮治くんが顔を覗きこんでくる。

 



「あの……帰る前に、蓮治くんの部屋に寄ってもいいですか?」
「うん……あ、え?」


裏の意味を理解した彼の顔に、私は思わず微笑んでしまう。

ああ、やっぱり私は、蓮治くんのことが好きなのだ。


…………。

 

……。

 

 



「なにもないけど、どうぞ」
「お邪魔します」
「お茶かコーヒーでも飲む?」
「いえ、お構いなく」
「そう」


内心では彼女が部屋にやってきた理由にドキドキしているのだが、どういう態度でいればいいのかさっぱりわからないので、普通にしておく。

もしかしたら僕の勘違いなのかもしれないし。


「それにしても、蓮治くんの部屋にしては本がありませんね」

 



「ああ、南の部屋を基準に考えると、そうだろうね」


同じ本好きとして、真っ先に他人の本棚の中身が気になるというのは理解できた。


「どんな本を読んでいるのか興味はあったのですが」
「ファンタジーが中心だけど、歴史モノもSFも恋愛小説も読んでるよ。まあ、本は荷物として重すぎるから、日本には厳選して1箱分くらいしか持ってきてないけど」
「なるほど」


本以外にもと千尋がきょろきょろと部屋を見渡すが、特に見るものはないだろう。


「まあ、普通の一人暮らしの部屋だと思うよ」
「そうですね」
「あれ? 一人暮らしの部屋の雰囲気って、千尋はわかるの?」
「はい。おじいちゃんが不動産屋さんをやっているので、こういう造りの部屋はよく見ました。火村さんが一人暮らしをしてた頃の部屋も知ってますよ」
「え、火村さんの部屋?」
「学生の頃、火村さんはおじいちゃんの扱ってる部屋に住んでたんです」
「ああ、なるほど」
「…………」
「…………」


そこで、会話が止まってしまう。

やることもないし、見ることもなければ、当然だろう。

黙っていても仕方ないので、腹をくくって訊ねることにする。



千尋、勘違いだと悪いから確認するけど、僕の部屋に来たのは──」


そこまで口にしたところで、ぴたっと、千尋の指が僕の唇に当てられた。



「言葉はとても大事なもので、私はそれに縛られて生きている人間ですが……。でも、大丈夫です。蓮治くんが私にとても優しいのと同じように、私も蓮治くんのことが大好きだから。だから、言葉は──」


彼女の言葉こそを最後まで言わせなかった。

その細い腰を抱き寄せて、キスをする。

ずっとそうしたかったから。

まったくの無意識の行動だったが、そのキスだけは何度も練習したかのような、僕らしくないスマートさだった。

 



「ん……」


一瞬、胸を押されたが、すぐに千尋の身体全体から力が抜ける。

小説を渡してからキスだけは何度かしていたが、それでも、彼女が慣れるということはない。


「んっ……ふ……」


千尋のあたたかさと柔らかさ、そして漏れる吐息に脳が痺れる。

内気な僕ですら徹底的に攻め立てたくなるのが、千尋という純粋で弱い存在だ。

だからこそ、最初のキスだけは唇を唇で優しく甘噛みするようにして、時間をかける。


俺たちはお互いを求め合った……。


…………。

 


……。

 

 

「ねえ、千尋
「はい」
「キスが、したいよ」
「あ」


くすりと、彼女も笑って応えてくれた。


「私もです」


……。


「はぁ……」


シャワーを浴びてさっぱりしたところで部屋に戻る。

千尋を送りだす必要があったので、バスルームに入ったときと同じ制服姿だ。

まあ、着替えを用意するのが、おっくうだったとも言う。

 



「あれ、千尋、なにしてるの?」


僕の前に身支度を整えた千尋が、手帳を見つめていた。


「いえ、その……。先ほどの体験を、どう日記に書くべきか悩んでまして」
「……書くんだ」
「……書かないといけませんよね」


必要性は承知しているが、抵抗はあるのだろう。


「恥ずかしいですけど……でも、蓮治くんがどういうときに気持ちよさそうにしてたとか、今のうちじゃないと忘れちゃいますし」
「う……」


内容を悟って嫌な汗が出てきた。

実務的に記される日記の性質上、彼女がどうこうではなく、僕の反応が中心になってしまうらしい。


「せ、せめて、こういうことがあったよ、って書くだけじゃダメかな?」
「ダメです」


にっこりと。


「蓮治くんは2度目かもしれませんが、私は今日が初めてだったんですから」


天使のような笑顔を浮かべられてしまっては、それ以上は口を出せない。


「ああ……誰かに見られたらマズイよなぁ……」
「うーん……別の日記帳を用意するほうがいいでしょうか?」
「…………いや、それを用意していることを千尋が忘れると、余計に誰かに見られる可能性が高くなりそうだから止めておこう」
「あ……それに、忘れた頃にそれを目にしたら、私自身がびっくりしそうですね。いっそ、蓮治くんが自分の体験談として書くというのも──」
「本当に勘弁してください……」


なるほど、千尋と付き合うということは、こんな悩みも出てくるのか。


「まあ、今日は普通に書くとして、あとで上手いまとめ方を考えてみよう」
「そうですね。そうでなくても、今日はあのお姉ちゃんのストーカーの堤なんとかという人のことを、徹底的に書かなきゃいけないですし」
「ああ、まだ覚えてたんだ、それ……」
「13時間以内のことですから……」

 



そう言いながら手帳をしまって、彼女がちょっと身をのりだしてキスをしてくる。

本当に一瞬だけの、微笑ましい、小鳥のついばみのようなキス。


「ああ……」


千尋が幸せそうにつぶやく。

俺の頬もゆるんでしまう。


「……今日は、昨日よりもいい日だね」
「え?」
「ううん。なんでもない」


いつかの彼女の言葉をアレンジしたのだが、彼女にはわからなかったらしい。

それは当然だから、残念だとは思わない。


「今日は昨日よりもいい日……。いい言葉ですが、今日より明日のほうがいい日と言うほうが、前向きだし韻を踏めてますね」
「ま、言葉の上ではね」
「ん?」


千尋千尋であるという訂正に、僕も幸せだよと笑顔を返す。

今日の記憶も彼女から消えてしまうけれど──それでも、今の時間の大切さが失われるわけではない。

僕も彼女もそれを知っているから。

もう大丈夫。


「それじゃあ、遅くなっちゃったけど家まで送るよ」
「あ、それなのですが。今日は帰りませんって、蓮治くんがシャワーを浴びてるときに家に連絡しました」
「え?」
「大丈夫、ですよね?」
「……大丈夫、なのかな?」


千尋の家の人はどういう反応をしたのだろう。

景さんへの挨拶に続いて……そのあたりをどうにかしないといけないけれど……。

 



「でも、僕ももうちょっと一緒にいたい」
「はい」


とりあえず、彼女の話を聞きながら夕飯を作ろう。

新しい生活を祝して豪勢なものを。

グリンピース抜きで。


「あ、そうだ」
「なんですか?」


締まりが悪いと思ったが、もう1つだけ話すべきことがあった。


千尋もさ、せっかくだし新しい小説を書こうよ」
「え?」
「前の小説はちょっと寂しい感じだったから、今度は明るいのをさ」
「でも……」
「大丈夫」


あえて自信満々に。


「僕が一緒だから」
「あ、はい!」


そして──

 

 

 

僕の胸に飛び込んでくる千尋を抱きしめて。

また、新しい物語が始まった。


……。

 

大逆転裁判 ─成歩堂龍ノ介の冒險─【2】

 



同日 午前11時38分
大審院 被告人控室 伍号室

 



アソウギ「よくやったな。成歩堂! ミゴトだったぞ!」
ナルホド「……うううう……生きた心地がしないよ」
アソウギ「しかし……信じられぬ。キサマを見ていると……。ヒザはガクガク、アブラ汗はヌラヌラ、ヒトミはオドオド、歯はガチガチ。見るも無残な状態なのに、気がつけば“ムジュン”を見抜いている……。もしかしたら。キサマは弁護士に向いているのかもしれぬ」
ナルホド「やめてくれ。こんなオソロシイ思い……今回だけで、たくさんだよ」
アソウギ「あっはっはっはっ! しかし。ついに引きずり出したな。……《幻の女》を」
ナルホド「……!」
アソウギ「ジェゼール・ブレット嬢。大英帝国からの、留学生……か」
ナルホド「だから! ぼくは最初からずーっと、言ってただろ? あのとき。ワトソン教授は“ヒトリじゃなかった”……。若い女性が、一緒にいたハズだ……って!」
アソウギ「まあ。そうだな」
ナルホド「ぼくはね。“観察眼”だけは多少、自信があるんだよ!」
アソウギ「ああ。よくわかったよ。ちなみに……その“淑女(レディ)”だが。刑事さんの、イキな“はからい”で、現場から消えてしまったワケだが……。キサマは、そのときのコトは見ていなかったのか?」
ナルホド「うん。見ていない」

 



ナルホド「……あの店を出ようとしたとき。ワトソン教授が座っていた食卓の床に……拳銃が落ちているのに気づいたんだ。そして、それを拾い上げたとき……」


……バアン……!


ナルホド「あの銃声が、どこで鳴ったのか……考えるヒマもなかったよ。血相を変えた給仕(ボーイ)さんが、いきなりぼくに飛びかかってきて……。厨房(キッチン)のヨコにある食糧庫にブチこまれちまった」
アソウギ「さすがは“刑事さん”だな。手際よく《逮捕》されたワケだ」
ナルホド「……だから。そのあと、あの現場で何があったのか……。ぼくは、なんにも知らないんだ」
アソウギ「むう……」


……やあ。
ご苦労さまですね。ご両人。

 

アソウギ「あ……! これは、御琴羽教授!」
ミコトバ「どうやら……私の見こんだとおり。キミたちは、いい“組み合わせ(コンビ)”だ。思った以上に、よくやっています」
アソウギ「やはり……これは、教授の“たくらみ”だったのですね。オレを、この裁判の《弁護士》からはずすように仕組んだ」
ミコトバ「…………この国は、まだまだ幼い。その司法は、もっと幼い。だからこそ……。正しい情熱を宿した若者たちが留学することに、意義がある。キミの留学が“中止”になるような事態は、避けたかったのですよ」
アソウギ「……………もし……この、オレが。親友の危機を救うコトもできない、情けない男ならば……今回の留学。自分から辞退させていただきます」

ナルホド「え……! な。なにを言い出すんだ……!」

アソウギ「……やはり、か。キミならば。そう言うのではないかと思っていましたよ」

ナルホド「……亜双義……」

ミコトバ「それでは……すべてはキミしだい、というコトですね」

ナルホド「え! ぼ。ぼく、ですか……」

ミコトバ「キミ自信の《無実》を立証して、この事件の《真相》を、暴く。……私としても、ゼヒ、真実をアキラカにしてほしいのですよ。なにしろ。私にとっても、無関係な事件ではありませんのでね」


(そういえば……御琴羽教授。今朝も、そう言ってたな)


ナルホド「……あの。もしかして、教授は……お知り合いなのですか? ……被害者と」

ミコトバ「……ええ。まあ、そうですね。ジョン.H.ワトソン博士を教授として、勇盟大学に招いたのは……じつは。この私なのですよ」

ナルホド「え……! そうだったのですか……!」

アソウギ「それは……オレも、初耳です」

ミコトバ「……とにかく。これからが“勝負”です。殺害されたのは、大英帝国の教授。社会的に名の知れた“大人物”です。我が国の政府は、一刻も早く、犯人を“断罪”しなければならない」
アソウギ「……しかも。これから、オレたちが相手にするのは……。帝都警察が、必死に隠そうとした、大英帝国の留学生……“淑女”だ」

ナルホド「……!」

ミコトバ「検察側は、持てる“権力”をすべて使って、キミたちを追いつめるでしょう。しかし。キミたちならば。彼らと最後まで、闘える。がんばってください」

ナルホド「……はい!」

ミコトバ「ああ。それから」

 



ミコトバ「おまえは、今からすぐに大学へ行ってきなさい。もしかしたら……必要になるかもしれない」

???「……はい。それでは、一真さま。……ご武運を」


──カカリカン「……被告人ッ!そろそろ、休廷時間が終わる。ただちに法廷に向かうようにッ!」

 



アソウギ「……時間だ。次も頼むぜ、相棒。老人たちの、カチコチの脳ミソを、サッパリ“一刀両断”と行こうか!」
ナルホド「……………なあ、亜双義」
アソウギ「なんだ」
ナルホド「本当に……ありがとう」
アソウギ「……どうした。改まって」
ナルホド「もし。おまえが、ぼくを信じてくれなかったら……きっと。今ごろ。ぼくは、とっくに《有罪》になっていたよ」
アソウギ「……オレは、キサマという男を信じている。弁護士としても、友人としても……な」
ナルホド「亜双義……」


(……この裁判。もし、ぼくが《有罪》になったら……。亜双義は、本気で留学を辞退する。こいつは、そういうオトコだ。これは……もう。ぼくだけの“闘い”じゃない。相手が、誰だろうと……負けるワケには、いかない!)


ナルホド「……わかった。礼のコトバは、この裁判が終わるときまでとっておくよ」
アソウギ「そのときは。大学通りの『勇盟食堂』でいつもの牛鍋をオゴってもらうとしよう。もちろん、大盛りでな!」


……。

 



同日 午後12時9分
大審院 第弐号大法廷

 



 

──ッ!!

 



サイバンチョ「それでは。これより成歩堂龍ノ介の審理を再開する。亜内検事。新しい証人は、どうなったか?」

 



アウチ「はッ! ……なんとか《召喚》に成功いたしました。……現在。どこかの若造のせいで、政府が対応に追われておりますがな」

 



ナルホド「……す。スミマセン……」

 



アソウギ「対応に追われるのが政府のシゴトだ。……なんのモンダイもあるまい」

アウチ「今回の騒動で、大英帝国との関係が悪化するのは避けられますまい。友好条約を破棄されて、大日本帝国が沈没したら、どうするつもりですかな」

ナルホド「……す。スミマセン……」

アソウギ「そんなことでハラを立てる国との友好条約など、しょせん“紙クズ”。……なんのモンダイもあるまい」

アウチ「な。なんだと……」

アソウギ「極秘裁判、外国政府の顔色を見る審理、ずさんな捜査、重要証人の見逃し……。それが、この国の“正義”なのか。大審院は、どこの国のものなのかッ!」

アウチ「だ……黙りなさいッ! この、学生ふぜいがッ! オマエたちは、なにも理解していない! 現在、我が国が置かれている状況を! 列強と肩を並べ、国力を上げる。高度に政治的な駆け引きが必要な時期なのだ! その、地道な外交努力こそが、この国の将来を作るのですぞッ!」

ナルホド「……………たしかに、ぼくは不勉強なシロートの学生です。でも……大審院の、この席に立って……強く、感じていることがあります。法廷に“正義”がない国に将来なんて、あるハズがない……って」

アウチ「……!」

サイバンチョ「……!」

アソウギ「……泳いだ目でよく言った。成歩堂

アウチ「くそおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

──ッ!!


サイバンチョ「……よかろう。大審院は、我が国の最高司法機関であり、大日本帝国の“正義”のために存在する。……それでは。審理を再開の上、本法廷は、次の証人の入廷を命じる。大英帝国より訪れた留学生、ミス・ジェゼール・ブレットを……!」

アウチ「は……はははああああああッ!」


……。

 




アウチ「おお! これはこれは。遠いところからはるばる。ようこそニッポンへ!」

サイバンチョ「誰か、紅茶を! 英吉利(イギリス)人のアイサツは紅茶に始まり、紅茶に終わるとか!」

ナルホド「……そうなのか?」

アソウギ「……知らぬ」

アウチ「ええ・・・・・コホン。それでは、証人。おそれいりますが……。お名前と、職業をおねがいできますか?」

 



ホソナガ「……ハイ。名前は細長 悟と申します。洋食堂(レストラン)《ラ・クワントス》の給仕長は世を忍ぶ、仮の姿。その正体は……」

アウチ「……そなたはもう、どうでもよろしいッ!」

サイバンチョ「『レディ・ファースト!』英吉利は、レディに始まり、レディに終わるとか!」

ナルホド「……そうなのか?」

アソウギ「……知らぬ。そんなコトより、キサマ……つい先刻(さっき)、こう言っていたな。自分は『観察眼だけは自信がある』……とか、なんとか」

ナルホド「ああ……うん。言ったような気がする」

 



アソウギ「……“アレ”を見ておきながら、覚えていたのが“女性”だけ、とは。キサマ……ハッキリ言って“フシ穴”以下だな」

ナルホド「……メンボクない」

アウチ「それでは。あらためて……証人。お名前と、職業を」


……。

 




アウチ「……………」

サイバンチョ「……………」


……………………


アウチ「あ……あの、レデエ。タイヘン失礼ですが……なんと?」

 






ホソナガ「名前はジェゼール・ブレット。英吉利(イギリス)の帝都・倫敦(ロンドン)から来たそうです。身分は『研究留学生』……現在、勇盟大学の医学部に籍を置いています」

アウチ「お。おお……大英帝国のコトバの、なんと豊かなヒビキであることよ! この、亜内。イミはわからずとも、ウツクシサは、伝わっちょりますぞ!」

アソウギ「オレが聞くかぎり……。トナリの刑事の“通訳”は、信用してもよさそうだな」

ナルホド「ああ……たしかにな。さすが、英国に留学するだけあって、顔色ヒトツ、変えないな。亜双義」

アソウギ「キサマこそ。英語学部というのはダテではないようだ。成歩堂

 

──ッ!!


サイバンチョ「……それでは、美しく高貴なる証人よ。恐れ入りますが……いくつか、確認させていただきます」

ジェゼール「…………」

サイバンチョ「3日前。《ラ・クワントス》にて、恐るべき殺人事件が起きた、その際。そなたは……被害者・ワトソン教授とともに、食卓を囲んでいた……。……相違ございませんかな?」

 






ホソナガ「『はい』だそうです」

ナルホド「……メンドくさいな」

アソウギ「あの者……“留学生”のクセに我が国のコトバを話せぬのか」

 






ホソナガ「現場から姿を消してしまい、非常に申しわけないと思っているそうです。あの後、大学で研究発表があったので、やむを得ず、現場を去ったのだとか」

アソウギ「……自分で“見逃した”クセに、よく言いますね」

ホソナガ「……私は、警察本部の《特務指令》に従っただけです」

アウチ「ええ、失礼ながら……レデエ。この《写真(ほとがらひい)》を見ていただきましょう」

 



アウチ「この事件が起こったとき。不幸にも、現場に“いた”ということは……。憎むべき犯行を、そのウツクシイヒトミで“見た”のでしょうかな?」

 



ホソナガ「それは、タイヘン恐ろしく……そして、悲しい光景だったそうです」

サイバンチョ「そ。それでは、やはり……」

ホソナガ「ハイ。その目の前で《犯行》を見たそうです。……そこにいる“被告人”こそが! 無慈悲にも、手にした拳銃で被害者を撃った……その“瞬間”を!」

 



 

──ッ!!

──ッ!!

──ッ!!


サイバンチョ「静粛に! 静粛に! 静粛にッ!」

アウチ「お……お聞きになりましたか! 裁判長閣下ッ! ……これこそ。決定的な《証言》ですぞ!」

サイバンチョ「むううう……」

アソウギ「……どうやら。これでハッキリしたようだな。オレたちの……本当の《敵》が」

ナルホド「……!」

 

──ッ!!


サイバンチョ「恐れながら……証人よ。《証言》をいただけますかな。そなたの目に映った……恐ろしくも、悲しい光景について」

 




……。

 

 

 

 

─証言開始─

~恐ろしくも悲しい光景~

 



ホソナガ『あの日。ワトソン教授と、すこし遅いランチをいただきましたの。教授は、食事ができなかったので……ビフテキをひとつ、注文しました』

 



ホソナガ『やがて……被告人が挨拶に来て、教授と激しく言い争いをしました。その後。被告人は、教授の拳銃を手にして、目の前で発砲したのです』

 



ホソナガ『私自信は、拳銃を持っていなかったので、犯行は絶対に不可能でした』


……。


サイバンチョ「むうううう……たしかにこれは、決定的な証言」

 



──はいッ!


ナルホド「ぼ、ぼくは、断じて! 教授と“言い争い”なんて、やってない!」

 



──異議あり


アウチ「くだらぬクチを挟むなッ! ハラの底までまっ黒なキサマと、花のようにまっ白な、この貴婦人……どっちのコトバを信ずるべきか。まっ黒なキサマにも自明であろうッ!」

ナルホド「ぐ……ッ!」

アソウギ「……キサマも進歩しないな、成歩堂。イタズラに手をあげたところで、状況は変わらぬ……そろそろ、学べ」

ナルホド「うううう……だって。クヤシイから!」

ホソナガ「あのとき。このホソナガも、まさに、現場にいたワケですが。このご婦人と、先ほどの2人の証人の供述を、本部に連絡したところ……。このご婦人は、事件と“無関係”と判断され、お帰りいただいたのです」

アソウギ「先ほどの“2人の証人”の《証言》は、トンでもないシロモノだったが、な」

ホソナガ「……いずれにせよ。この淑女は、事件のあった日も同じふくそうをしておりましたが……。ごらんのように。拳銃を隠す場所など、どこにもありませんでした」


(拳銃のヒトツぐらい、どこにでも隠せそうな気もするけど……)


アウチ「実際に隠した“場所”が立証できないかぎり、ただの《言いがかり》だがねぇ」

ホソナガ『この服は、ポケットもないし、拳銃など、隠せない』……そう、おっしゃっております」


(くそ……あのレディを逆さに振ってたしかめてみたいな)


アソウギ「ブッソウなことを考えるな。成歩堂

ナルホド「……でも! ぼくが撃ってない以上。現場には、他に拳銃があったハズだ」

アソウギ「それは、そのとおりだ。あのレディが、隠し持っていた……か。たしかに、オレたちはそれを“立証”する必要があるな。そのために……この《証言》、なんとしても崩すしかない」

 



 

──ッ!!


サイバンチョ「それでは、弁護人。……《尋問》を命ずる!」

ナルホド「は……はいッ!」


……。


─尋問開始─

~恐ろしくも悲しい光景~


ホソナガ『あの日。ワトソン教授と、すこし遅いランチをいただきましたの』


──はいッ!


ナルホド「午後2時……たしかに、ずいぶん遅い“昼食(ランチ)”ですね」


──異議あり


アウチ「遅めの"ランチ"……それこそが現在、大英帝国の最新流行。……そうですな?」

ジェゼール「No.」

アウチ「……むぐ」

アソウギ「あれが、本場の“のー”か。……なかなかの切れ味だな」

ホソナガ「この淑女は現在、被害者の研究室でお世話になっているそうです。だから。昼食はいつも、ワトソン教授と一緒に、お出かけになっていたとか」

アソウギ「しかし……あの日。被害者は、医者へ行く用事があった……」



(たしか、この《診察票》に記録があったっけな……)


ホソナガ「……そのとおり。“治療”が終わってから出かけたため、あの時間になったそうです」

サイバンチョ「なるほど……スジはとおっている」

アウチ「さすがは、大英帝国。さすがは、レデエ……ですな」

アソウギ「証人たちは、洋食堂を訪れた。そして……どうなったのか」



……。


ホソナガ『教授は、食事ができなかったので……ビフテキをひとつ、注文しました』


──はいッ!


ナルホド「“食事ができなかった”……。それは。教授が《堀田診療所》で、ムシ歯を抜いたから、ですね」

ホソナガ「そのとおりです」


(……今。トナリの淑女に尋ねなかっただろう……)


アソウギ「ところで。レディは、そのことは、ご存じだったのか?」

ホソナガ「……。はい。あの日、ムシ歯を抜くことは、聞いていたそうです」

ナルホド「それでは……」

 



ナルホド「やはり。このビフテキは、あなたが召しあがった……ということですか」

ホソナガ「そのとおりです。この《写真》の光景は、あのときのまま。悲しくて、そして恐ろしい……」


(“あのときのまま”……か)


アウチ「まさに! いたましいコトです。極東の島国に来ていただいて……このような事件に巻きこまれるとは! この亜内。鬼神となりて“真犯人”の顔面に鉄拳をメリこませると誓うッ!」

アソウギ「それでは……被害者のワトソン教授はなにも、クチにしなかったのですか?」

ホソナガ「……はい。ただひとつ……“炭酸水”以外は」

ナルホド「たんさんすい……」

ホソナガ「食事こそ、できませんでしたが。水を飲むことはできたので……。お2人で、グラスでカンパイなさったそうです」


(炭酸水でカンパイ……か)


アソウギ「どうだ? 成歩堂? 今の《証言》は……」

ナルホド「ただ今の、淑女の“おコトバ”……それは重要な意味があると思われます!」

アウチ「ほほお……それは、興味深い。どんな“意味”があるというのかな?」

ナルホド「……………………」

アソウギ「……その“意味”はしかるべき時が来たら、アキラカになるであろう。弁護側は、ただ今の“発言”を《証言》に加えるよう、要請する」

アウチ「……はっ! うまく逃げましたな」

 

──ッ!!


サイバンチョ「……それでは、美しきレディよ。ただ今の“発言”を……《証言》に加えていただけますかな」

 



ホソナガ「……“よろこんで”とおっしゃっております」

ジェゼール「…………」

ナルホド「あ、亜双義! 今の、そのコトバ。よく覚えておくよ」

アソウギ「なんのことだ」

ナルホド「『しかるべき時が来たら』……ね。……なんだか、いろいろベンリそうだ!」

アソウギ「……もう少し、マシな部分を学んでもらえないか、成歩堂……」


……。


ホソナガ「『ビフテキは自分がいただき、教授とは炭酸水のグラスで乾杯いたしました』」


──ッ!


ナルホド「それでは……その“炭酸水”は、おふたりで飲んだのですね!」

ホソナガ「……はい。給仕として、私自身が2つのグラスにそそいだのを覚えております」


(ホントは“刑事”のクセに……)


アソウギ「そして……ビフテキは、ミス・ジェゼールが食した……」

ホソナガ「『この国では、開国まで、ウシを食べる習慣がなかった……』と聞いたそうです」

ナルホド「たしかに、そのとおりです」

ホソナガ「『それはサミシイ国ですね』……だ、そうです」


(サシミのない国から来た淑女が、なんか言ってるぞ……)


アソウギ「どの国にも、ウマいものがある。これから食っていけばいいだけのコトだ」

ナルホド「そうだな。考えてみれば……。はじめて炭酸水をクチに入れたときの衝撃は、ウシ以上だったよ」


(……と、それより。この、ミス・留学生の《証言》……。なんとなく“違和感”があるような気がしたけど……)


アソウギ「……成歩堂。今は、どんな小さなコトも見逃すな。それが、いずれ結びつくかもしれない。オレたちの《大逆転》に……な」

ナルホド「ああ。わかったよ、亜双義」


……。


ホソナガ『やがて……被告人が挨拶に来て、教授と激しく言い争いをしました』


──はいッ!


ナルホド「ぼくは“言い争い”なんてしていない! ただ……教授を見かけたから、ごアイサツに行っただけです!」

ホソナガ「……そのようなコト。この私に言われても困ります」

ナルホド「いやいや。刑事さんじゃなくて、ヨコの淑女に言ったんですよ! そもそも! ぼくと教授は、なにを言い争っていたのですか!」

ホソナガ「…………それは、わかりかねます」

ナルホド「……え」

ホソナガ「ミス・ジェゼールは、日本語がわからないそうですから」

アウチ「おお。おお。そうでしょうそうでしょう。ニホンゴなんてね。ロクでもございませんわ! これからは、エーゴ! エーゴの時代なのですからねえ」

アソウギ「……あの、検事。末代まで、あんな感じなのだろうな」


(……あの“淑女”は、スズシイ顔で大ウソをつく。どんな小さなコトでもいい。まず、スキを見つけないと……)


ホソナガ「とにかく。言い争いのあと、被告人は一度、自分の席へ戻ったそうです」

アソウギ「それについては……たしか、キサマもそう言っていたな」

ナルホド「あ……ああ。珈琲がまだ残っていたからな」

アソウギ「そして。次に、“動き”があったのは……」

ナルホド「ぼくが珈琲を飲み終わって、店を出ようとしたときだったよ」

 



ジェゼール「……………」


……。


ホソナガ『その後。被告人は、教授の拳銃を手にして、目の前で発砲したのです』


──はいッ!


ナルホド「……だから。ぼくは撃っていないッ!」

アソウギ「……だから。そんな“主張”は意味がないのだ成歩堂ッ!」

ナルホド「……まさか、ミカタに怒られるとは思わなかったよ」

アウチ「……しかし。そなたは、認めているハズですな。店内に銃声が響いた、そのとき。《拳銃》を手にしていた、と……!」

ナルホド「は。はい……そうですケド。でも、それはッ! 店を出るとき。教授の足元に《拳銃》が落ちていたから、拾っただけです! むしろ……そうだ! あのとき。ぼくより近くにいた、そこの“淑女”のほうが、よほどアヤシイ……」


──異議あり


アウチ「……そこまでだ。この、汚い学生がッ!」

ナルホド「き。キタナイ……」

アウチ「《証拠》のない“言いがかり”……国際問題になりますぞッ!」

アソウギ「……《証拠》がないと言えば、そちらの《証言》も同じコト、だが……」

アウチ「……くっくっくっ……なんのことやら」

ホソナガ「とにかく。レディは、ご自分が“見た”ことを話しているだけです」


(ぼくにとっては、もうとっくに“国際問題”になってるけどな……)


……。


ホソナガ『私自身は、拳銃を持っていなかったので、犯行は絶対に不可能でした』


──はいッ!


ナルホド「で。でも……! それを“証明”できるのですかっ!」

ホソナガ「……当然。この私が、確認しました」

ナルホド「“確認”……ですか?」

ホソナガ「事件の直後……拳銃を持っていないか、キチンとたしかめたのです。この方は、ハッキリ『持っていない』とおっしゃいました」

ナルホド「……あの。それのどこが“確認”なのですか……?」

アソウギ「警察は、当然。そのレディの“身体検査”を行ったのでしょうね」

ホソナガ「……いいえ」

ナルホド「な。なんですって……!」

アウチ「大英帝国の淑女が、誇りをもって『持っていない』と言ったのですぞ。我が国としては。それ以上、調べる必要など、あるはずがない!」

アソウギ「それとも……調べることは“できなかった”ということか……」

アウチ「……とにかく! このレデエが、拳銃を隠していた……そんなフラチな想像をしているのならば。それをハッキリ、立証してもらおうじゃありませんか」

アソウギ「……つまり。“証拠”を出せ、ということだろうな」

ナルホド「ぐ……」

 



ホソナガ「本来ならば、事件の後も現場に残り、捜査に協力したかったのですが……。大学の研究発表の時間が迫っていたので、戻らざるを得なかった……とのことです」

アソウギ「そして……警察本部へ報告のうえ、その“淑女”を、現場から隠したワケだ」

ホソナガ「……“隠した”のではない。“お帰りいただいた”のですよ。レディも、決して“逃げる”つもりはなかったそうです。だから、こうして正々堂々、証言台に立っているのです」

アウチ「往生際の悪い、どこかの大学生とは大違いですなあ」

ナルホド「………………」

アウチ「コラ! ヒトのヒニクぐらい、ちゃんと聞いてなさいッ!」


……。


アソウギ「……被害者とヒドい口論をして、挙げ句、撃っちまうとは……」

ナルホド「根も葉もミもフタも夢も希望もない大ウソだと断言できるよ」

アソウギ「しかし。その《証言》は、絶対的な“威力”を持っている。なにしろ……。かの大英帝国からやってきた、若く美しく気品に満ちた淑女だからな。ただまっ黒いだけのキサマとは恐れ多くて比べるコトすらできぬ」

ナルホド「……おまえだって、“まっ黒”に赤いヒラヒラがそよいでるだけじゃないか」

アソウギ「とにかく。あの淑女の《大ウソ》を暴く“機会(チャンス)”は、今しかない」

ナルホド「……!」

アソウギ「この《証言》を崩せなければ……その瞬間。審理は終了する。法廷中に満ちた、キョーレツな“殺気”……。ニブいキサマも感じているだろう」

ナルホド「……ああ。正直なトコロ……もう、半分以上“死んでる”気分だよ」


(なにしろ……ハッキリした“ムジュン”が、見当たらない!)


アソウギ「それならば……気になる《証言》をまず、ゆさぶってみるがいい。そこから《突破口》が開く。……かならず、な」


(……舶来美人が、あの“仮面”の下に隠している《正体》……。そいつを、引きずり出すしかない。……この《尋問》で……!)


……。


ホソナガ『ビフテキは自分がいただき、教授とは炭酸水のグラスで乾杯いたしました』


──はいッ!

 



ナルホド「……………そうだッ! ヒトツ、確認させてください。……この、《写真》なんですけどッ!」

 


ナルホド「……今。おっしゃいましたよね。ここに写っている、“光景”……『あのときのまま』だ……って」

ホソナガ「……『そのとおりです』とおっしゃっております」

ナルホド「でもっ! それは……その。ヘンなんです! とっても!」

アウチ「……ヘンなのは、弁護台ヒトツまともに叩けない、そなたのほうだ」

ナルホド「ぐ」

アソウギ「その《写真》……いったい、なにが“ヘン”だというのだ?」

ナルホド「……それは、モチロン。『カンパイ』ですッ!」

アウチ「か。『かんぱい』……?」

ナルホド「今。そのレディは言いましたよね? 『教授とグラスで乾杯をした』……と。……それならば! この食卓には、グラスが……2コ。あるはずだと、そう思うワケです!」

サイバンチョ「あ……」

ホソナガ「……!」

サイバンチョ「たしかに……ここにはグラスがヒトツしか、ない……!」


──異議あり


アウチ「なにかと思えば……そんな、ササイなコトですか。グラスの1つぐらい、事件にたいした影響など、考えられぬ!」


──異議あり


アソウギ「ササイなこと……だと? まさか。そこの淑女を“隠す”ために、警察がグラスを片づけたのか……?」

ホソナガ「……馬鹿なことを! 私は、そのような愚かなコトはしておりません」

ナルホド「でも! グラスは……2コ、あったハズですよね! なにしろ……だって、ホラ! 『カンパイ』したワケですから!」

ホソナガ「……………たしかに、それはそうです。給仕長として、私はあの食卓にグラスを2つ、運んだのですが……」

 

サイバンチョ「……刑事! レディは、なんと……?」

 

 

ホソナガ「グラスを現場から持ち去ったのは、ミス・ジェゼールだそうです」

ナルホド「なんですって……!」

ホソナガ『目の前で起こった事件があまりに恐ろしかったので……。あの場にいたことを、つい隠そうとしてしまった』……とのことです」

サイバンチョ「な。なんという……」

 



ジェゼール「……Sorry.」

 



アウチ「ほ……ホラ、ごらんなさい。やはり、たいしたコトではなかった!」

ナルホド「え……」

アウチ「このレデエの目の前で、この大学生によって、英国人が殺害されたのですぞ? グラスの1つや2つ、隠したくなるのもムリはない!」

ナルホド「そ。そんな、馬鹿な!」

アウチ「それとも、キサマは。か弱い、若く美しい異国の女性の“ちゃめっ気”を責めると言うかッ!」

ナルホド「ええええ! いやいや! “ちゃめっ気”ですまさないでくださいッ!」

アソウギ「……ちなみに。その淑女は、どのようにグラスを“持ち去った”のだろうか」

 



ホソナガ「手にしていた小型の“手鞄(ハンドバッグ)”に入れて持ち帰ったそうです」

サイバンチョ「……“手鞄(ハンドバッグ)”……」

ホソナガ「大英帝国の淑女が持っている、ハイカラな“小物入れ”です」

アウチ「事件の現場から、レデエがグラスを持ち去ったことが判明しました。しかし! そのグラス自体は、事件にはマッタク関係ありません!」

サイバンチョ「むううう……」

アウチ「リクツっぽい大学生の、最後の“悪あがき”にすぎぬ。これ以上。事件に無関係の“言いがかり”を聞く必要はないッ!」

 

──ッ!!


サイバンチョ「たしかに。レディがグラスを持ち去った“理由”もわかった以上……この件は、事件とは無関係である。……そう考えるべきであろう。それで、よいな? 弁護人よ」

ナルホド「え! そ。それは……(ど。どうなんだろう……)」

アソウギ「……これ以上。この問題の“深追い”をするのならば。そこに、なにか《重要な問題》がある……それを示す必要がある」

ナルホド「そ。そうだよな……」


(グラスを“手鞄”で持ち去った。そこに、《重要な問題》は……)


ナルホド「ちょっと待ってください! ……“手鞄”に、グラスを入れた……?」

アウチ「さよう。……ごく自然なコトですな。大英帝国の淑女ならば、みなさん手にしているものなのですから」



ナルホド「たしか……さっき。ミス・ジェゼールはこう言っていましたよね。『この服装では、拳銃を“隠す”場所など、どこにもなかった』……しかし! “手鞄”があったのならば。その中に、拳銃を“隠し持つ”コトができたじゃないですか!」

サイバンチョ「な……なんと……!」

アソウギ「……さすが、我が“相棒”だ。キサマも、そこに気がついたか」

アウチ「どういうことだ! この、ウス汚い学生め……」

アソウギ「……カンタンなコトだ」

 



アソウギ「被告人……成歩堂龍ノ介が、床に落ちた拳銃を拾ったとき、銃声が響いた。つまり。現場には……もう1挺。別の《拳銃》があったと考えられる。……本物の《凶器》がな」

アウチ「ま……まさか。キサマは……」

ナルホド「……け。刑事さん!」

ホソナガ「なんでしょうか」

ナルホド「ミス・ジェゼールの“手鞄”……その中身を、調べましたか?」

ホソナガ「……いいえ。調べておりません」


(やっぱり……そうだ!)


ナルホド「つまり。もう1挺の拳銃は……ホンモノの《凶器》は……ミス・ジェゼールの“手鞄”の中に入っていた可能性があります!」

 



アウチ「な……なんだってえええええええええッ!」

 

 

──ッ!!

──ッ!!

──ッ!!

サイバンチョ「静粛に! 静粛に! 静粛にッ!」

アウチ「け……刑事ッ! これは……どういうことですかッ!」

ホソナガ「なんのことですか? ……亜内検事殿」

アウチ「なぜ、その“手鞄”の中を見せていただかなかったのだッ! キサマの不注意のせいで! レデエにくだらぬ“言いがかり”が……!」

アソウギ「やったな……相棒! これで、あのレディの仮面をひきはがす《機会》をつかんだ!」

ナルホド「ほ。ホントか、亜双義……!」

 



「……けほ。……けほ。……げほほ! げほ! げほほほッ! ……ふう……やれやれ。警察も、信用がないのですね」

ナルホド「……!」

ホソナガ「たしかに。私は、淑女の“手鞄”の中を見せていただきませんでした。なにしろ……その“必要”がなかったものですからね」

ナルホド「ど。どういうことですか……?」

ホソナガ「そこの、学生弁護人さんには礼を言わねばなりませんね。提出しようと思って、忘れていた《証拠》があったのですよ」

 



ホソナガ「……コチラの《写真》です」

 



「……これは、事件が起こった直後、私が念のため、撮影したものですが……。ハッキリと、ミス・ジェゼールの“手鞄”が写っております」


サイバンチョ「こ。これは……。“手鞄”の《中》がハッキリ、見えるではないかッ!」

ホソナガ「……そのとおりでございます。これは、革紐を編み上げた“手鞄”で、倫敦(ロンドン)の社交界の“流行”なのだそうです」

サイバンチョ「……“手鞄”の中が、見える……」

ホソナガ「だから、調べるまでもないのです。なにしろ……もしも、拳銃が入っていたら……目立ってしかたがありませんからね」

ナルホド「あ……」

ホソナガ「つまり。ミス・ジェゼールはやはり、《無実》ということになります。《立証》してくれて、礼を言います。……学生諸君」

 



ナルホド「う………うおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 

 

 

──ッ!!

──ッ!!

──ッ!!


サイバンチョ「静粛に! 静粛にッ! ……刑事よ。その《写真》の提出を命ずる!」

ホソナガ「……かしこまりました」

 



─ハンドバッグの写真─

事件発生後、細長が撮影。
被害者の食卓付近のイスに
ジェゼールの手鞄がある。

証拠品《ハンドバッグの写真》の
データを法廷記録にファイルした。

 

 

──ッ!!


サイバンチョ「……以上で、この証人に対する《尋問》を終了する」

 



ナルホド「…………」

 

サイバンチョ「ただ今、すべての証拠がそろった……本法廷は、そう考える。新たな証拠である、この《写真》に問題がない以上……これにて、すべての《ギモン》は消えた……そう判断せざるを得ない」

アウチ「……つまり。《結論》は……ただ、ひとつ。そこに突っ伏している大学生の他に、犯人は“あり得ない”というコトですな」


(……こ。こんな……いよいよ《大逆転》が始まるかと思ったら……始まる前に、前よりヒドくフッ飛ばされていた……!)

 



アソウギ「………………」

ナルホド「……あ。亜双義……?」

アソウギ「………………すまない、成歩堂……」

ナルホド「……!」

アソウギ「あの証人の《尋問》が終了した、今。……審理を続けることは、不可能だ」

ナルホド「な。なんだって……! じゃあ……《判決》は……」

アソウギ「……………」

アウチ「くっくっくっ……まあ、世間知らずの学生にしては、よくやったのではないでしょうか。……しかし。公正(フェア)な裁きの前に、あらゆる抵抗は、ムダなのですよ。牢獄の中で、その事実を心ゆくまで、噛みしめるがいいッ!」


(これで……ぼくは、犯してもいない罪で《有罪》になるのか……? そして……コイツにも。大英帝国への留学の“夢”をあきらめさせるコトになるのか……)


ナルホド「…………なあ、亜双義」

アソウギ「……なんだ。成歩堂

ナルホド「本当に……残っていないのか? 《大逆転》の“可能性”は……」

アソウギ「……たった今、裁判長が言ったとおりだ。あの刑事が提出した《写真》に問題がない以上……。オレたちが、審理を続けさせるコトは……不可能、なのだ」

ナルホド「………………」


サイバンチョ「……それでは。これよりただちに、《判決》の申し渡しに移るものとする」

アウチ「……どうやら。大英帝国政府へは無事、報告ができそうですな」

アソウギ「く……くそ……ッ!」

サイバンチョ「ここに。被告人、成歩堂龍ノ介に、《判決》を言い渡すものと」

 

──はいッ!


ナルホド「待ってください。裁判長閣下……!」

アソウギ「な……成歩堂……?」

ナルホド「……今。《判決》を下すことは……できないと思います!」


──異議あり


アウチ「な……何を言い出すのだ、このシロートめ! 裁判長が、すべての審理が終了したと判断した時点で、《判決》が下される。それが、この大審院における最も基本的な“規則”なのだッ!」


──はいッ!

 



ナルホド「……裁判長閣下は、さっき。こう言いました。『新たな証拠である、この《写真》に問題がない以上……すべての《ギモン》は消えた……そう判断せざるを得ない』……つまり。その証拠に、なにか大きな“問題”がある場合は……。この審理を終了しては……ダメだ、ということです!」


──異議あり


アウチ「なにを“世迷い事”を! この《写真》は……あの日、レデエが手にしていた“手鞄”を撮影しただけのもの。……問題など、あるハズがないッ!」

ナルホド「…………」

アソウギ「き。キサマは……」

サイバンチョ「むううう……弁護側の主張は、理解できる。たしかに。刑事の提出した《写真》について、詳しい検討はしていないが……この“手鞄”に、新しい手がかりがあるとは、思えぬ」

アウチ「……はっ! そんなもの、あるはずがないッ! 学生の、苦しまぎれの言いがかりは、聞き飽きましたぞッ!」


(……きっと、これは……“苦しまぎれ”なんかじゃない。この《写真》には……たしかに。気になる部分がある……!)

 



──ッ!!


サイバンチョ「それでは……弁護側に、最後の《機会》を与えるものとする」

ナルホド「……!」

アウチ「な。なんですと……!」



サイバンチョ「そなたの“回答”しだいで、この審理は、即刻……終了する。……よいな?」

ナルホド「……わかりました」

サイバンチョ「先ほど、細長刑事によって提出された、この《写真》……」

 



サイバンチョ「ここに写っている、大きな“問題”とはなにか……《指摘》するようにッ!」


──はいッ!

 



ナルホド「……ここを見てください。被害者の《手首》に……奇妙な“跡”があります」

サイバンチョ「……たしかに……これは、まるで。“ヤケド”のような……」

 



ジェゼール「……!」


──異議あり


アウチ「……なにを言い出すかと思えば。被害者の手首のヤケド、ですと……? レデエの“手鞄”と、なんの関係もないではないかッ!」

ホソナガ「たしかに……これは、ヤケドの“跡”です」

ナルホド「……!」

サイバンチョ「どういうことか? 刑事よ」

ホソナガ「じつは。遺体を検分する際、警察でも気づいてはいたのですが……。死因とは無関係ということで、《記録》には残さなかったのです」

アウチ「……それは、そうでしょうな。そもそも。被害者が、いつ。このヤケドを負ったのか……。それすら、ハッキリさせるのは不可能でしょうからねえ」

 



サイバンチョ「……見れば見るほど、なんとも、フシギな“跡”であるが……。しかし。亜内検事の言うとおり。本件との“関連”が示されないかぎり。この“ヤケド”について、検討をする必要は認められない」

ナルホド「……!」

 



ホソナガ「……恐れながら、裁判長閣下。そろそろ、大学長たちとの会食の時間が迫っているそうです。よろしければ。証人の《退廷》をお許し願いたいのですが」

アウチ「おおモチロン! なーんの問題もございませんぞ! 裁判長閣下が、今すぐ。《決着》をつけてくださるでしょうッ!」

サイバンチョ「……………」

アソウギ「……成歩堂。どういうことだ? その“ヤケド”が……事件と関係があるというのか?」

ナルホド「……じつは、ぼくも、よくわからないんだ。でも……。立ち止まってしまったら、すべてが終わってしまう。だから……とにかく。前へ進まないと……そう思って」

アソウギ「……………たしかに……そのとおりだな」

ナルホド「亜双義……!」

アソウギ「この“ヤケド”と、今回の事件。結びつけることができれば……。閉じた《トビラ》をコジ開けることができるかもしれぬ!」

ナルホド「……!」

アウチ「なにを、今さら! そんなコト、できるワケがないッ!」

サイバンチョ「……この期におよんで、根拠のない“推測”を聞き入れることは、できぬ」

アソウギ「……つまり。《証拠》があれば、よいのですね? 裁判長。被害者の“ヤケド”と、事件を結びつける《証拠》が……!」

サイバンチョ「……そういうことです」

アソウギ「正直なトコロ。オレは、この奇妙な“ヤケド”を見落としていた。しかし。さっき、キサマがそれを“指摘したとき……。あのレディの顔色が変わるのは、見落とさなかった」

ナルホド「……なんだって……!」

 



(“ヤケド”と事件の《関係》……そいつを、立証するしかない。……ここが《正念場》だ……。あの、“ヤケド”の正体を示す《証拠》を探すんだ……!)

 



──ッ!!


サイバンチョ「……それでは。弁護側に、《証拠》の提示を命じる。被害者の“ヤケド”と、今回の事件を結びつける《証拠》とは……!」


──はいッ!

 



サイバンチョ「こ、これは。またしても、《写真》……!」

ナルホド「《写真》……なんというか、タイヘンな『発明』だと思います。人間の目では、見落としてしまうようなことを……。こうして、永遠に“記録”して、とどめておけるのですから」

アウチ「……それで? いったい。この《写真》が、なんなのですかな? これ以上。意味もなく、レデエの足止めをするワケには、いきません」

ナルホド「もう少しだけ、おつきあいください。……ミス・ジェゼール」

ジェゼール「…………」

ナルホド「……この《写真》には、ハッキリ、写っているのです。被害者が、なぜ、このような奇妙な“ヤケド”をしたのか……? ……その《原因》が」

ホソナガ「……なんですって……」


──異議あり


アウチ「この亜内に、妙な“ハッタリ”など。……通用しませんぞ! それならば……ふたたび。《指摘》してみるがいい! 被害者のヤケドの《原因》とは……いったい、なんなのかッ!」


──はいッ!


アウチ「び。ビフテキ……ですと?」

ナルホド「重要なのは。ニクがのっている“鉄板”です」

サイバンチョ「“てっぱん”………あ。ああああああああああ……」

アウチ「い。いかがなされましたか! 裁判長閣下……」

 



ナルホド「……この“鉄板”には、《刻印》があります。おそらく。《ラ・クワントス》の“商標(マーク)”なのでしょう」

 



ホソナガ「あ……!」

 



ナルホド「この、“鉄板”の《刻印》と……」

 



ナルホド「そして、被害者の“ヤケド”は……。完全に“一致”しているのです!」

アウチ「ああああああああ……ッ!」

アソウギ「な。成歩堂……! キサマというヤツは……」

ホソナガ「……た。たしかに……」

ナルホド「……つまり! 被害者の、この“ヤケド”は《ラ・クワントス》で負ったのです!」

 

 

──異議あり


アウチ「……し。しかしッ! だからと言って……。それが、事件当日のコトとはかぎらないではないかッ! 事件の前日か、その前の日か……無関係の日に決まっている!」

ナルホド「……そ。それは……その」


──異議あり


アソウギ「ザンネンだが、亜内検事。その可能性は、かなり低いだろう」

ナルホド「亜双義……」

アウチ「な……なぜだッ!」

アソウギ「これだけハッキリとした“ヤケド”となれば……。それはある種“大事件”。店内は、大騒ぎになったハズ。細長刑事! ……いかが、お考えだろうか」

ホソナガ「……そのような“大惨事”。たしかに、見逃すハズがございません」

アウチ「な。なんだと……」

 



ホソナガ「このキズを見たところ……まだ、新しいものだと思われます。そして。キズは小さいですが、ここまでハッキリ跡が残るとなると……。ヤケドとしては、決して軽いものではないようです」

ナルホド「……それって、どういうコトですか……?」

ホソナガ「たとえば……そうですね。摂氏90度に熱した“鉄板”であれば。3秒ほど押しつけられるぐらいです」

サイバンチョ「文字どおり“絶叫”はまぬがれないであろう」

ホソナガ「私が潜入捜査を始めて、数週間。そのような“絶叫”は、聞かなかった。《ラ・クワントス》の給仕長として。ハッキリ、断言できます!」

アウチ「き。キサマ……給仕長である以前に、刑事ではないのかァァァッ!」


──はいッ!


ナルホド「……そうともッ! コイツは絶対、オカシイッ! ……刑事さんが、言ったとおり。アツアツのビフテキの“鉄板”に3秒間、手首を押しつけられたら……誰だって“絶叫”する。……それは、間違いないと思います」

アソウギ「しかし。細長刑事は、事件の日まで教授の“絶叫”を聞いていないのだぞ」

ナルホド「……奇妙なのは……事件の当日。ぼく自身、それを“聞いていない”ことなんだよ」

アソウギ「な……なんだと……」

ナルホド「あの日、教授がウッカリ、ビフテキの鉄板に3秒、手が触れたのならば……」

サイバンチョ「……それは、“ウッカリ”の領域から大きくハミ出していると思われる」

ナルホド「そのとき店内にいた、ぼくや……軍人さんや、骨董品屋のご主人も。当然。その“絶叫”を聞いていなければならない……。そうですよね? 検事さん」

アウチ「え! そ……それは、その。たしかに……」

ナルホド「……それでは、なぜ。ワトソン教授の“絶叫”を、誰も聞いていないのでしょうか……?」

アウチ「…………!」

ホソナガ「…………!」

サイバンチョ「…………!」

アソウギ「ま。まさか……成歩堂! キサマ……」


(……まさか……こんな《結論》になるなんて、自分でも、思ってもみなかった。……でも。もしかしたら、ぼくたちは……トンでもない《ワナ》にはまっていたのかもしれない!)


ナルホド「……この《ムジュン》を解決する“可能性”が、ヒトツ。考えられます。事件当日。手首に“ヤケド”をしたとき。ワトソン教授は……。焼けたビフテキの鉄板が、3秒間も押しつけられたのに、沈黙を守るなんて。そんなことは、不可能です。……ただヒトツの場合をのぞいて」

サイバンチョ「“ただひとつの場合”……そ。それは、もしかして……!」

ナルホド「当然。その人物が……すでに“死んでいる”場合です」

アウチ「す。すでに……」

サイバンチョ「し。死んでいる……」

ジェゼール「………………」

ナルホド「……かくなる上は。こう考えるしかないと思います。あの日。ワトソン教授の食卓に、ビフテキが運ばれたとき。ワトソン教授は……もう、“亡くなっていた”のです!」

アウチ「な、そ。そんな……馬鹿なあああああァァァァァッ!」

 



──ッ!!

──ッ!!

──ッ!!

サイバンチョ「静粛に! 静粛に! 静粛に! これは、いったい。どういうことか……。被害者は……《銃弾》によってイノチを奪われたのではないのですかッ!」

アウチ「そ。そのとおりです! 相違ございませんぞ、裁判長閣下! モノの道理をわきまえぬ大学生の“世迷い事”にすぎぬッ!」


──異議あり


アソウギ「……モノの道理をわきまえぬは、貴公のほうだ……亜内検事!」

アウチ「な。なにを……!」

アソウギ「被害者が、《ラ・クワントス》においてヤケドを負ったと判明した時点で……。事件の状況は、大きく“一変”した。それが、わからぬかッ!」

アウチ「ぐ……ぬぬぬ……ッ!」

アソウギ「裁判長! もう一度……この証人に《証言》を求めるべきです。……あの“銃声”よりも以前に、被害者が死んでいたのであれば……この《証人》は、そのことを知っていた“可能性”がある!」

 



ジェゼール「…………」

サイバンチョ「……まさか……審理が、このような事態になろうとは、想像もしなかった」

 



──ッ!!


サイバンチョ「申しわけありませんが……ミス・ジェゼール。大学長たちとの会食は、あきらめていただきましょう」

アウチ「な。なんですと……!」

ジェゼール「…………」

サイバンチョ「我が国の裁判は、まだまだ未熟ではありますが……あからさまな疑問を残したまま《判決》を下すワケにはいかない」

ナルホド「さ。裁判長……!」

 



ジェゼール「…………」


(“レディ”が……笑った!)

 



ジェゼール「……Yes, of course……Ah……よろこんで、ご協力、いたしますわ。我が国と、貴国……大日本帝国との《友好》のために」


ナルホド「………!」

アウチ「………!」

サイバンチョ「………!」

アウチ「あ……あの。ミス・ブレット。話せたのですか? 日本語を……」

ジェゼール「Oh, アタリマエでしょう? ワタクシ……留学生なのですから」

サイバンチョ「で。では! いったい、なぜ。“通訳”などと……!」

ジェゼール「“Queen's English”……英国語こそは、最も美しい言語です。美しくない言語で、この口を汚すなど、淑女として忍びがたいこと」

ナルホド「……………」

アウチ「……………」

ジェゼール「……どうやら。この国の紳士は、《騎士道精神》を持たぬようです。ですから。ワタクシ自身のコトバでお話しするしかございませんわ」

アウチ「お。おおお……さ、さすがは大英帝国の淑女でございます! そのココロの広さ。まさに、大海原のごとしッ!」

サイバンチョ「……………よろしい。それでは、ミス・ジェゼール。《証言》をお願いいたします。被害者の“死”について……貴女がご存じのことを!」

ジェゼール「……………」

アソウギ「淑女が、いよいよ自分のコトバで語る……か。面白くなってきたな。……成歩堂!」


……。


─証言開始─

~被害者の“死”~


ジェゼール「あの方が、いつヤケドを負ったのか……ザンネンですが、ワタクシは存じません。ビフテキをいただいたとき。ワタクシ、教授とカンパイをいたしましたのよ?遺体検分の結果もい、銃弾で撃たれた以外、死因は考えられないと聞いておりますわ。なんの《痕跡》も残さずに、命を奪う“手段”があれば……見せてくださいな。まあ……貴国の未熟な捜査では、新しい《証拠》の提示など、ムリでしょうけど」


……。


サイバンチョ「……思わず聞きほれる、大審院史上に残る、ウツクシイ《証言》であった」


(……ホメすぎだろう……)


ジェゼール「美しくない言語をクチにするのは、これが最後にしたいものですわね。 Ah……気を悪くされたらごめんあそばせ」

アウチ「いやいや! おコトバをいただけただけで、ありがたきシアワセッ! やはり。ヤボな“ヤケド”など、事件とは無関係なのでしょうぞッ!」

ジェゼール「本日のことは、貴国の司法大臣にご報告させていただきますわね」

アウチ「し。司法大臣……ッ!」

ジェゼール「そこの、迷惑なゴロツキ学生の刑が、すこしでも重くなりますように。 ……Amen.」

ナルホド「え……あ。どうも。(“アーメン”と来たか……)」

アソウギ「“迷惑”ついでに、もう一度。《尋問》に、つきあっていただく」

ジェゼール「……!」

アソウギ「おそらく、貴女もお気づきでしょう。この、“ゴロツキ学生”は……なかなか“優秀”である……と」

ジェゼール「……………」

 

──ッ!!


サイバンチョ「言うまでもないコトであるが。これが、最後の《尋問》である。この証人の《証言》に問題がなかったときは……。今度こそ、審理は終了する。……よいな? 弁護人よ」

ナルホド「……………わかりました」

サイバンチョ「それでは。……《尋問》を命じる!」


……。

 

 

 

 

 


─尋問開始─

~被害者の“死”~


ジェゼール「あの方が、いつヤケドを負ったのか……ザンネンですが、ワタクシは存じません」


──はいッ!


ナルホド「で、でも。鉄板に3秒間ですよ! “気づかない”なんて、あり得ない!」

ジェゼール「……それでは。逆に、お尋ねいたしますわ」

ナルホド「え」

ジェゼール「裁判が始まってから、ずっと……そして。今現在も、なお。貴方の、その黒いズボンのジッパーは“開いたまま”なのですが。……気づいてまして?」

ナルホド「え。え。ええええええええええええッ!」

 



ジェゼール「……Ha! あり得ませんわ」

アウチ「そういうコトですぞ! ……被告人ッ!」

アソウギ「オレも。友人としてハズカシイぞ。成歩堂

ナルホド「……気づいていたのなら言ってくれ……」

ジェゼール「ワトソン教授こそは、まさにホンモノの“英国紳士”でしたわ。“絶叫”するより“沈黙”を選んだ。……そうは考えられませんの?」

アウチ「……なるほどッ! 考えられるかもしれませんぞッ!」


──はいッ!


ナルホド「……考えられません!」

ジェゼール「Anyway……とにかく」


……。


ジェゼール「ビフテキをいただいたとき。ワタクシ、教授とカンパイをいたしましたのよ?」


──はいッ!


ナルホド「先ほども《証言》していましたね。たしか……“炭酸水”でしたっけ」

アウチ「ワトソン教授は、あのとき。水しか飲むことができなかった。だから、炭酸水を注文したのです。……そうですね? 給仕長」

ホソナガ「……ハイ、たしかにそのとおりでございます。しかし……」

アウチ「し。“しかし”……?」

ホソナガ「ビフテキを運んだとき。教授が、炭酸水を召しあがっていたか……。……それは、記憶にございません」

サイバンチョ「むうううう……」

ジェゼール「……God damn you……」

アウチ「おお。それならば知っておりますぞ! 『神の祝福あれ』……ですな!」


(むしろ“逆”だと思うけど……)


ジェゼール「Anyway……とにかく」


……。


ジェゼール「遺体検分の結果も、銃弾で撃たれた以外、死因は考えられないと聞いておりますわ」


──はいッ!

 



ナルホド「たしかに。《記録》にも書いてあります。『銃弾による失血死』……って」

ジェゼール「……Yes.」

アウチ「幸い、ニンゲンたるもの。ちっぽけなヤケドで死ぬコトなど、あり得ない。その他に、死因と考えられる《痕跡》が、遺体に存在しない以上……。キサマの撃った銃弾以外、被害者の息の根を止めるコトは不可能なのだッ!」

ナルホド「で、でも! ビフテキの鉄板でヤケドしたのなら……食卓に運ばれて“すぐ”だったハズです」

アソウギ「たしかに、そうだろう。少しでも冷めてしまったら、ヤケドしたくても、できなくなる」

ナルホド「運ばれた鉄板に、たまたま手首が触れた結果、ヤケドをしたのなら……。やはり。そのときはすでに“死んでいた”ハズじゃないですか!」


──異議あり


アウチ「しかし! 現実に、被害者は《銃弾》で死んでいるのだッ! それを覆す《証拠》がないかぎり。こんなギロンは、ムダなのだッ!」

サイバンチョ「……たしかに。亜内検事の言うとおりである」


(くそ……!)


ジェゼール「……………」


……。


ジェゼール「なんの《痕跡》も残さずに、命を奪う“手段”があれば……見せてくださいな」


──はいッ!


ナルホド「《痕跡》……ですか」

ジェゼール「拳銃で撃つ、クビを締める、ナイフで刺す、突き落とす……。ヒトの命を奪えば、かならず。その《痕跡》が残るものですわ」

アウチ「まさしく。そのとおりですぞッ! 我が国の警察は、すべての可能性を調べあげた……そう断言できる。なあ! ホソナガ刑事ッ!」

ホソナガ「……ワタシなりに、“カンペキ”を目ざしました」


(……たしかに。どれも、遺体に《痕跡》が残るけど……。そうじゃない“殺害方法”は存在しないのだろうか……?)


ジェゼール「……もし、万が一。このワタクシを疑うのであれば。教授の命を奪った“手段”を見せていただきませんと……。おハナシになりませんわね」

ナルホド「……!」

アウチ「めめ。メッソウもないッ! 可憐なる英国淑女を疑うなどッ! そんな、フラチな輩……この亜内。一刀両断してくれますぞッ!」


(遺体に《痕跡》の残らない殺害方法、か……)


アソウギ「……立証するには、なにか《証拠》が必要だな」


(……《証拠》ねえ……)


……。


ジェゼール「まあ……貴国の未熟な捜査では、新しい《証拠》の提示など、ムリでしょうけど」


──はいッ!


ナルホド「“未熟”……とは、どういうことですか」

ジェゼール「大英帝国では、現場に残されたものはすべて、警察が保存して調査をします。でも。この国では、捜査は一度きりでオシマイ……そうでしょう?」

アウチ「はッ! 《ラ・クワントス》は、本日もバッチリ、営業しております!」

 



ジェゼール「だから。状況が変わっても、新しい《証拠》など、提出できるハズもない。そして、未熟な刑事たちも、なんのギモンも感じていない……。よろしいですわね。なんというか……おおらかで。」

ホソナガ「……!」

アウチ「たはァ! これは、イタいトコロを突いてきますなあ! さすがですなあ!」

ナルホド「なんだか……。あの検事さん。気のせいか、逆に“大人物”に見えてきたぞ」

アソウギ「……完全に、気のせいだと思うぞ」


(……それにしても。今の、ジェゼールさんの《証言》……。どこかで、一瞬。気になるコトがあったような……)


ホソナガ「…………」


……。


アソウギ「……どうだ? 成歩堂

ナルホド「だ。ダメだ……! いくら、ゆさぶっても……なんだか、手ごたえがない」

アソウギ「思ったとおり……なかなか、したたかな女だな。なにか手を打たなければ……《尋問》が終わってしまう」

ナルホド「そ。そんな……! (なにか、ないのか……)」


(あの、舶来美女の《証言》を崩す“手がかり”は……!)


ナルホド「……………なあ、亜双義」

アソウギ「なんだ? 成歩堂

ナルホド「……じつは、ひとつ。気になったコトがあるんだけど……」

アソウギ「“気になったコト”……それは……あのレディか?」

ナルホド「それが……違うんだ。その、トナリ。……ホソナガ刑事なんだよ」

アソウギ「……刑事……?」

ナルホド「最後の《証言》で……なんか、気になる“反応”をしたんだ。なにか、利用できないかな。……刑事さんの、あの“反応”……」

アソウギ「……………ひとつ。オレに、考えがある。もう一度。あのレディの最後の《証言》を、ゆさぶってみよう」

ナルホド「え……」

アソウギ「オレたちの、今度の《標的》はあの、すましたレディじゃない。……そのヨコの、刑事さんだ」

ナルホド「あ……ああ、わかった。(亜双義……なにか、思いついたな)」


(レディの、最後の《証言》……もう一度。ゆさぶってみよう!)


……。


ジェゼール「なんの《痕跡》も残さずに、命を奪う“手段”があれば……見せてくださいな」


──はいッ!


ナルホド「《痕跡》……ですか」

ジェゼール「拳銃で撃つ、クビを絞める、ナイフで刺す、突き落とす……。ヒトの命を奪えば、かならず。その《痕跡》が残るものですわ」

アウチ「まさしく。そのとおりですぞッ! 我が国の警察は、すべての可能性を調べあげた……そう断言できる。 なあ! ホソナガ刑事ッ!」

ホソナガ「……ワタシなりに、“カンペキ”を目ざしました」


(……たしかに。どれも、遺体に《痕跡》が残るけど……。そうじゃない“殺害方法”は存在しないのだろうか……?)


ジェゼール「……もし、万が一。このワタクシを疑うのであれば。教授の命を奪った“手段”を見せていただきませんと……。おハナシになりませんわね」

ナルホド「……!」

アウチ「めめ。メッソウもないッ! 可憐なる英国淑女を疑うなどッ! そんな、フラチな輩……この亜内。一刀両断にしてくれますぞッ!」


(遺体に《痕跡》の残らない殺害方法、か……)


アソウギ「……立証するには、なにか《証拠》が必要だな」


(……《証拠》ねえ……)


ジェゼール「まあ……帰国の未熟な捜査では、新しい《証拠》の提示など、ムリでしょうけど」


──はいッ!


ナルホド「“未熟”……とは、どういうことですか」

ジェゼール「大英帝国では、現場に残されたものはすべて、警察が保存して調査をします。でも。この国では、捜査は一度きりでオシマイ……そうでしょう?」

アウチ「はッ! 《ラ・クワントス》は、本日もバッチリ、営業しております!」

ジェゼール「だから。状況が変わっても、新しい《証拠》など、提出できるハズもない」

ホソナガ「……!」


(そう……ここだ! ミス・ジェゼールのコトバに、刑事さんが“反応”している……!)


アソウギ「……さっきまで。あの刑事は、彼女の《通訳》として、証言台に立っていた。しかし……今。状況は、大きく変わった。細長刑事は……レディの《証言》を“聞く”立場になったのだ。もしかしたら……コイツは絶好の“好機(チャンス)”かもしれぬ」

ナルホド「ど。どういうことだ」

アソウギ「人は、自ら《証言》しているときは、スキを見せまいと身構えているもの。しかし……他の者のコトバを聞くとき。彼らは“無防備”になる」

 



ナルホド「た。たしかに……(すっかり、考えこんでいるぞ……)」

アソウギ「……今こそ。あの刑事を《といつめる》としよう」

ナルホド「と。《といつめる》……?」

アソウギ「……成歩堂。これから他の証人を見る《照準(カーソル)》について説明する」


(《照準》……)

 



アソウギ「オレたちは今、《証言》をしているあのレディを“注目”している。油断している証人のスキを突けば、新しい情報が引き出せるやもしれぬ。アヤシイ気配を感じたら、迷わず《みまわす》……覚えておくといい」


(……よし。やってみよう!)


……。

 



ジェゼール「だから。状況が変わっても、新しい《証拠》など、提出できるハズもない」

 



──ちょっと!

 



ホソナガ「ぐはああああああああああッ! な。な。なんですか! ナニゴトなのですかッ! げほほ! げほ! げほほほッ!」


ナルホド「…………す。スミマセン。まさか、そこまで驚かれるとは……」


(おそるべし。ココロの“スキ”……)


アソウギ「今。なにか、深く考えこんでおられたようですね。……トナリのレディの《証言》を聞いて」

ナルホド「あの。なにか言いたいことがあったら……聞かせてください!」


──異議あり


アウチ「な……なんですか、これはッ! 今、《証言》をしているのは、かの英国のレデエですぞッ! そのコトバに問題がなければ、《尋問》は即刻、終了すべしッ!」

ナルホド「あ……そ。そうなのですか……」

アソウギ「……そうはいかない」

アウチ「え……」

アソウギ「《証言台》に立っている以上。細長刑事も、リッパな証人である!」

ナルホド「そ。それに! この刑事さんは、事件の“関係者”でもあります!」

 



──ッ!!


サイバンチョ「……細長刑事よ」

ホソナガ「は……ッ!」

サイバンチョ「なにか、申し述べるコトがあるか。……ただ今の《証言》について」

ホソナガ「………………それでは……恐れながら。申し上げたいと存じます」

ジェゼール「……………」

ホソナガ「たしかに。我が国の帝都警察の捜査は、まだまだ未熟です。だからこそ! この、ワタシ。ホソナガは! ホソナガだけはッ! 『常に、カンペキでありたい』……そう願っているのであります!」

ナルホド「“カンペキ”……ですか」

ホソナガ「だからこそ! この、ワタシ。ホソナガは! あの事件現場から……。手当たりしだい、持ち出してやりました。『現場保存』を振りかざして……」

 



ホソナガ「たとえ“現場ドロボー”と呼ばれようと。ワタシは……やってやりましたよッ! ごほ! ごほ! ごほ!」


ナルホド「“現場ドロボー”……」

アソウギ「……どうやら。レディのコトバは、刑事の《自尊心(プライド)》をキズつけたようだな」

 



ホソナガ「たとえば……コイツです!」

ジェゼール「……!」

ナルホド「そ。それは……もしかして!」

ホソナガ「あの日。ワタシが被害者の食卓に運んだ《炭酸水》です。あれから、3日。今では、すっかりただの“水”になってしまいましたが。コイツは! かつて《炭酸水》だった! そう。誰がなんと言おうともッ!」


(ボトルの中に、まだ残っているみたいだな……“水”が)


ホソナガ「いずれ。来るべき新世紀には、我が国の警察は、世界一になる……。ワタシは! ホソナガは! そう信じているのです! ごほ! ごほ! ごほ!」

 



──ッ!!


サイバンチョ「……証人自身は理解できないが、その“主張”は理解した。その、ウツクシイ硝子瓶(がらすびん)を《証拠》として受理するものとする!」

 



─炭酸水のボトル─

被害者とジェゼールが
事件当日に飲んだ炭酸水。
被害者の食卓にあった。

証拠品《炭酸水のボトル》の
データを法廷記録にファイルした。


サイバンチョ「むうう……恐れながら、ミス・ジェゼールよ。そなたと、被害者が事件当日に飲んだものに、間違いないであろうか」

ジェゼール「……ええ。その《硝子瓶》でしたわ」


(なんだろう……今……“目をそらした”ように見えたような……)

 



──ッ!!


サイバンチョ「……それでは。《尋問》に戻るものとする。刑事は、もうすこし自分をおさえるように」

ホソナガ「……けふ」


……。

ジェゼール「まあ……貴国の未熟な捜査では、新しい《証拠》の提示など、ムリでしょうけど」


──はいッ!

 



サイバンチョ「こ。これは……先ほどの《硝子瓶》であるか」

ナルホド「被害者に、殺害の《痕跡》が残らない“手段”が……ヒトツ、考えられます」

ジェゼール「………………」

ナルホド「それは、モチロン……《毒》です」

アウチ「ど。どく……」

ナルホド「被害者のワトソン教授は、あの日。この《炭酸水》を飲みました。その中に……《毒》が入っていたのではないでしょうか」

ジェゼール「……………」

ナルホド「そして、それを飲んだとき。教授は、亡くなった……」

 



──ッ!!

──ッ!!

──ッ!!

サイバンチョ「静粛に! 静粛に! 静粛に!」

ナルホド「あの日。被害者と同じ食卓にいて、《毒》を入れることができた者は……ヒトリしか、存在しません。それは、モチロン……ジェゼール・ブレットさん! ……あなたです!」

ジェゼール「……………」


──異議あり


アウチ「き、キサマ……根拠もなく、なんというコトを! 学生ふぜいでも、現在、我が国が置かれた立場は、わかっておろう! 我が大日本帝国は、大英帝国と友好条約を結んだばかりなのだぞ! キサマの、無謀な《告発》によって……その関係を破壊する気かッ!」


──異議あり


アソウギ「ここは、政治の場ではない。ヒトの《罪》を裁く“法廷”である」

アウチ「……なんだと……!」

アソウギ「大英帝国の淑女だろうが、関係ない。《罪》があるか、ないか……それだけだ」

アウチ「ぐ……ッ!」

ジェゼール「あの……ヒトコト、よろしいかしら」

アウチ「レデエへの“ブジョク”……この、亜内。黙っておりませんぞ!」

 



──Shut up!


ジェゼール「黙るのは……アナタ、ですわ」

アウチ「……は。はは。はははああああああっ!」


(……な。なんだ……この、異様なハクリョクは……)


ジェゼール「先ほどは……たいへん、失礼なコトを申し上げましたわ。……わたくし。ココロより、おわびいたします」

サイバンチョ「そ。それは……なんのコトですかな?」

 



ジェゼール「この国の警察の捜査は、“未熟”だ、と……。しかし。いくら“未熟”とはいえ。さすがに……調べましたわね? ……この、硝子瓶の中に、《毒》が混入しているか、否か……」

ホソナガ「………………当然でございます」

ナルホド「え……」

ホソナガ「先ほど、申し上げたはずです。この、ホソナガ……。『常に、カンペキでありたい』……そう願っている、と」

ナルホド「ま。まさか……」

ホソナガ「当然。この硝子瓶の中身は、“検査”をしております」

サイバンチョ「なんと……それで、結果は!」

ホソナガ「現在、我が国で可能な毒物検査をすべて、行った結果。この《炭酸水》には、いかなる《毒》も、混入しておりません!」

アソウギ「なんだと! 間違いないのですかッ!」

ホソナガ「帝都警察・監察医長がじきじきに検査した結果です」

ナルホド「な………なんですってえええええええええッ!」

ジェゼール「……この国のみなさまに、お礼を言わせていただきますわ。このワタクシの“潔白”を立証してくださったのですわね。……感謝いたします」

アウチ「も……モチロン、そのとおり。礼など無用ですぞ、レデエ殿ッ!」

ナルホド「……………」


(なんというコトだ……)


アソウギ「こんな……馬鹿な! “毒殺”と考えれば。すべて、スジが通るというのに……!」

 



──ッ!!

 



サイバンチョ「……どうやら。この《尋問》ですべてがハッキリしたようである。やはり。この凶器の《銃弾》以外、殺害の“手段”は存在しなかった。そして……その犯行は、凶器を手にしていた被告人以外、不可能であるッ!」


(もう……ダメ、だ……)


サイバンチョ「……レディよ。時間をとらせてしまい、大変、申しわけありません」

ジェゼール「Don't mind. ……わかれば、よろしいのです」

サイバンチョ「……弁護人よ。念のため、カクニンしておくが。この他に、なにか“提出”する新しい《証拠》は……あるか?」

ナルホド「……亜双義……」

アソウギ「……………すまない、成歩堂。《証拠》は……もう、ない」

ジェゼール「それでは、みなさま……これにて、失礼いたしますわ」


……。

 



──待った!

 



???「……お待ちくださいまし!」


ナルホド「………! (あの子は……)」

サイバンチョ「そなたは……何者であるかッ!」

???「審理を中断させてしまい、申しわけございません。被告側弁護人の《法務助士》。御琴羽寿沙都(みことば すさと)と申します」


(……“ミコトバ”……?)


(追いつめられた、最後の瞬間。彼女は、凛として現れた……。……その手に、小さな“風呂敷包み”を握りしめて……)


つづく