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-神崎 萌 編-
……。
それは、本来なら聞き逃してしまう微かな音。
靴下が床を擦る摩擦音。
まずい。
眠っていたオレの意識は急激に目を覚まし、横になっていた身体は瞬く間に飛び起きた。
「もう5時じゃぞ、いい加減起き──とる?」
「ったり前だバカ野郎。毎朝毎朝鬼のように来やがって」
「なにを憤慨しておる。ワシは寝坊させぬために海斗を起こす天使じゃて」
「その手に持ってるカナヅチはなんだ」
「寝てる頭を叩いたら起きるかと思ってのぅ」
「起きるっつーか、頭が割れるな」
「で、今起きたんじゃろ?」
「起きてたっつったろ。気配を殺して忍び寄って来てんだ。そんなヤツに熟睡してるオレが気づくわけないだろ」
「ふむ……」
考え込む仕草。
ぶんっ。
「危なっ!?」
何気なく考え込む仕草をしながら、じじいはなにを思ったかカナヅチを振りかざした。
「おお、回転して避けおった」
「テメェ避けなかったら脳天直撃死亡コースだろ!」
「殺気込めずに狙ったんじゃがのう」
「マジでオレのタマ狙いか……」
「まったく可愛げのない子供じゃわい。萌なんぞワシのハンマーで殴られたらペロッと舌先を出して『てへりっ』ってなもんじゃい」
「気持ち悪っ」
萌からは想像しがたい。
「つかハンマーで殴られたら萌でも死ぬだろ。あんたの妄想混じってんじゃねえのか」
「妄想100%じゃ」
事実無根か。
「ほれ、さっさと起きて学園に行かぬか」
「まだ5時だろうが」
「おっとそうじゃった。海斗に泣く泣くせがまれて道場で鍛錬じゃったの。あー面倒じゃわいっと」
「じゃあ寝るわ。お休み」
さっさと布団に潜りこむ。
「せにょりぃったあ!」
ぶんっ!
「だから危ねぇっての!」
容赦なくカナヅチを振るうとか、信じられん。
「ならば頭部に一発くらい食らわんかい!」
「あんたはオレに恨みでもあるのかっ!」
「神聖な道場で、淫らな行為に及んでおいて……」
見事に恨みがあった。
わなわなと震えている。
背後に黒い炎のようなものが見えるのは気のせいか。
「なんて羨ま──けしからん!」
「一週間も前の話を持ち出すなよ」
「反省の色が見えん!」
ひゅんっ!
「うおっ!?」
あろうことか、じじいはカナヅチを投げてきた。
襖を貫通して隣の部屋の壺を叩き割る。
「ちょりゃあ!」
「だから!」
「ほいの!」
「危ねぇんだよ!」
容赦ないじじいの足技を回避する。
「こ、この若造がっ」
ぎりぎり歯軋りする。
一体なんなんだ。
「雅樹め……とんでもない息子にしておってからに」
「はーだりぃ……毎朝毎朝……」
今日突発的にならまだしも、こんなやりとりが毎日続けられたらかなわない。
これじゃあっちにいた頃となにも変わらないじゃねえか。
破れた襖にもたれかかる。
すると、その襖ががらりと開けられた。
「あん?」
ぶんっ!
「なんだおっ!」
一瞬頭のてっぺんがひやりとし、思わず転がり避けた。
「なんだ……お?」
「萌の華麗なる一撃も避けおったお」
「『よ』って言おうとしたが舌が回らなかっただけだ──つーか……お前もか萌」
廊下で拾ったのか、カナヅチを持っていた。
「昨日、おじいちゃんが言ってた。朝起きたらこれで思い切り海斗を殴れって」
「おいっ」
「はて、そうじゃったかのう。歳を取ると物忘れが激しくていかんわい」
「で……孫とじじいが、なにが楽しくてこんなことをする」
「決まっておろう。ワシの個人的趣味じゃ」
「…………」
「私も、こういうノリ、嫌いじゃない」
「オレは好きじゃない」
「落ち着け海斗。本気でワシが個人的趣味で海斗にこんな仕打ちをするとでも思っておるのか?」
迷わず頷いた。
「喝ッ!」
「うへ、朝から息が臭っ」
「失礼な。ちゃんと磨いておるわい。のう萌や」
「う……」
さっとじじいから視線を外す。
「婆さんや、今行くからの」
「こら、オレの部屋で首を吊ろうとするな」
「庭先の大木で首を吊って死んでると、ちょっと格好いいかも」
「お、それいいな」
「最近萌が、海斗のような考え方を……おおっ」
目頭を熱くし、胴着の袖で涙を拭う。
「いわゆる恋人依存症というヤツだな」
「誰が萌の恋人かっ、調子に乗るでないわ! それにもしものとき、ワシと海斗どちらかを選ばざるを得ないとき、当然のように萌はワシを選んで……」
言いかけて萌の表情を見つめるじじい。
「……?」
「い、いや……あえて聞かんでおこう海斗が惨めになってしまうのも可哀想じゃから、うん」
「オレとじじい、どっちかを選ぶならどっちだ?」
「聞くなと言うとるに!」
「どっちも必要」
「その回答こそが、正義じゃ!」
「それでもどちらかしか無理だとしたら?」
「……難しい…………でも、少しだけ海斗がう──」
ぴたっと言葉が止まる。
激しい悲しみのオーラをじじいが放っていた。
「……やっぱり選べない」
「うむうむ。祖父思いの優しい孫娘じゃ」
「寝てるから、一通り済んだら起こしてくれや」
…………。
「やっぱりやめだ。こいつらの前で寝たら死ぬ」
「ワシらを信用しとらんとは」
「悲しい、ね」
「萌や、先に行って食事してきなさい」
「わかった」
「おじいちゃんの分、食べちゃいかんぞ」
「うん、半分は残しておく」
「じゃから食べちゃいかんと!」
「じょうだん」
……。
「さて……やっと本題に入れるのう」
「最初から本題に入れよ、つーか本題とかあったのか」
「海斗が言ったのではないか? ワシが毎朝心を鬼にして奇襲しておる訳を知りたいと」
「なんだ、個人的趣味じゃなかったのか」
「違うわい」
どかっと座り込む。
それでも正座なのは、習慣というヤツだろうか。
「先日萌の両親と初合わせしたことは覚えておるな?」
「え?」
「覚えとらんのか! 初対面がラスト勝負じゃというのに、どこをどう間違ったかおぬしが裏拳を叩き込んだじゃろうが!」
「ああ、そう言えば裏拳叩き込んだオヤジがいたな」
気絶したから一言も喋らなかったが。
「なーんで両親との対面で裏拳を叩き込むことになるんじゃ!」
「いや……あんたの息子ならこっちから先制するくらいが好感触かと」
「息子は義理じゃ、武術など一切知らん」
「それを先に言えよ、まったく」
「娘が到着する前に息子が病院に運ばれたせいで両親との対面はご破算になったではないか」
「そんで萌の親父は、どうだったんだ?」
「陥没骨折しとったそうじゃ」
「それはそれは…………オレ、マズイか?」
「家庭内での実権を握っておるのは、ワシでなく娘の方じゃからのう……。そろそろ娘から連絡が入る頃じゃが……」
使用人「佃吾郎さま、若奥様からお電話です」
「ほれ来た。最悪海斗は殺されるの」
「旦那を陥没骨折させただけで殺されんのか」
「十分やりすぎじゃわ!」
使用人から電話を受け取る。
じじいは真面目な顔をしてオレを見た。
「出来る限りフォローしてやるが、それでもどうなるかは保障出来んぞ」
どうやら、思っている以上に深刻なようだ。
オレも少し気を引き締める。
「頼むぜじいさん」
こんな呆気なく、ここを出て行くわけにはいかない。
「ワシじゃ。うむ、義理息子の様子は? そうか。なるほど……それで海斗との件なんじゃが……うむ。例の件は試しておいたが、まったく問題はなかったわい。ワシ自身ムカつくくらいじゃ……。それから、裏拳について、あやつにも悪気は……ん? ……………………」
突然黙り込む……おそらくは向こうが一方的に喋っている。
しばらくしてすっと受話器を耳元から離した。
そして黙ってオレに差し出す。
出ろってことか。
受話器を受け取ると軽快なメロディーが聞こえる。
保留音だった。
「オレが?」
「代わって欲しいそうじゃ」
すっと受話器を耳元にあてると、加齢臭がした。
「臭っ」
「うるさいわいっ!」
相手は萌の母親にして、じじいの娘。
その危ない遺伝子の母親の娘を手籠めにしただけでなく旦那に怪我をさせたことも含めるとオレの印象は最悪と言ってもいいだろう。
ここは嘘をついてでも優しい好青年をアピールしておこう。
暴力的なことを聞かれても、アリを殺すのも躊躇う健気さを見せてやるぜ。
保留を解除して、電話に出る。
「もしもし」
『あんた旦那に裏拳叩き込んだんだって?』
「…………」
予想外すぎる出だしの喋り方に、呆気に取られた。
『右手で? それとも左手でやったのかい?』
「左手だ。一応両利きでな」
しまった、普通に答えてしまった。
受話器の向こうでぶち切れるかと思ったが、母親は大声で笑った。
『気に入った! 男はそれくらいでなきゃな! もう海外に戻らなきゃならないが、次に来たら親子で酒でも飲もうじゃないか』
けらけら笑っている。
どうやら母親は脳に大きな障害を負っているらしい。
「娘は生まれて一度も病気になったことがないぞい」
健康体そのものだった。
『親父に一週間試させたけど、電話の様子じゃ、あんた相当やるみたいじゃないか? 武に関しては嘘のつけない男だからね』
「試す? 朝のことか?」
じじいを見やると一度頷いた。
『次に会うときが楽しみだ。はははは』
ひとしきり話すと、母親は勝手に通話を切った。
「なんだ……アレ」
「長い神崎家の中でも、暴れ馬の異名を持つのがワシの娘よ」
遠い目で天井を見ていた。
「んで……なんだ、電話の話をまとめると今回の件に関してはお咎めなしってことか?」
「どうやら、何故か好印象だったようじゃ」
旦那怪我させといて好印象になるのは、世界広しと言えどここくらいじゃないだろうか。
なんとなく萌にべったりなじじいの気持ちがわかった気がする。
電話の限りじゃ、あの娘にべったりは出来なさそうだ。
「ワシと出会うわ、萌と恋人になるわ、挙句の果てには娘に気に入られて……ラッキーボーイめ」
「最初の一つだけは全力で否定させてくれ。にしても、萌の母親も武術やってそうだな」
「実力は萌以上じゃ」
「へぇ」
そこまであっさり答えるってことは本物だろう。
「なにはともあれ、これでワシも海斗に襲い掛かる悲しいことをせんで済むわい」
「その割につまらなそうな顔してるのは気のせいか?」
「気のせいじゃわい」
じじいはふっと息をついて穴の開いた襖を見つめる。
「修繕しておくように」
「あんたが破いたんだろうが!」
…………。
……。
廊下に出ると、畳の匂いが鼻をついた。
二階堂にいた頃は、花のような匂いがしていたが、ここでは完全に和の香りに包まれている。
使用人たちがすれ違うたび、軽く会釈していく。
この姿も二階堂邸とは少し異なる。
メイド服ではなく、全員が着物を着ているのだ。
…………。
……。
「おい早くしろ。いつまで食ってんだ」
学園に行く時間。
「ん……もぐ」
「二時間以上も食い続けるやつがあるかよ」
「運動するから、いい」
「そう言う問題じゃなくてだな……。人には毎日の適したカロリー摂取があるだろ。朝食だけで一日分食ってるんじゃねえか?」
いや、ひょっとしたら一日以上だ。
こいつは食べる速度が遅いわけじゃない。
むしろ平均より早いだろう。
それで二時間以上も食べ続けるのだ。
「太るな、絶対」
「太らない」
「なんでわかる。あれか? 自称太らない体質とか言うつもりか?」
あんなの太ってないヤツなら誰でも言える。
「もぐ……今日も歩き?」
「食うだけ食って車で登校するな」
「歩くの好きだから、別に、いいけど」
薫がいた頃は、萌は毎日車で通学していたらしい。
まぁそれが普通なんだが。
オレも車の方が楽だが、麗華と暮らすうちに歩くことに慣れてしまった。
その麗華は、今は車で登校しているらしい。
まだ代わりのボディーガードが決まっていないためだ。
…………。
……。
「そう言えば……」
「どうした」
校門の前で立ち止まった萌が、なにかを思い出したように呟いた。
「忘れ物か?」
「ポケットに、飴入れてたんだった」
「…………」
ごそごそポケットから飴を取り出して、舐め始める。
「んなことで立ち止まるな」
見ているだけで腹いっぱいになりそうだった。
………。
「帰りはまっすぐ帰るってことでいいんだな?」
「買い食い、は?」
「道草せずにまっすぐ帰るぞ」
「しょうがない……」
残念そうな顔をしている。
「じゃあな、終礼が終わったらすぐ来いよ」
「わかった」
学年が違うオレたちは、ここでいったん別れる。
薫も、普段からこんな感じだったな。
たまに教室からその光景を見ていたことを思い出した。
……。
「おはよう」
「よう、お早い到着だな」
「彩の登校早いから」
「そうか、今は三人で登校してるんだよな」
「あの男が暑苦しいけど」
尊も色々苦労しているようだ。
席に着く。
前の席には誰も座っていない。
「結局、南条は戻って来ないのね」
「ああ」
「特に思うところはないの?」
「なんだよ、思うところって」
「オレのせいで、とか?」
「はぁ? あいつが辞めたことの理由にオレが含まれてることは事実だが、オレの責任になることはなにもないだろ」
あいつはオレに負けて出て行った、それだけだ。
「相変わらず冷めてるわね」
「普通だ。特別なことじゃない」
「そ。それで、神崎先輩とは上手くいってるの?」
「ぼちぼちってところだな。問題は萌よりもじじいの方だが」
「じじい? ああ、先輩のおじいさん」
「言うことやることメチャメチャだ」
「あんたと混ぜ合わせると爆発しそうね」
「危険物かよ」
「でも、ちょっと意外」
「あん?」
「神崎先輩は南条を気に入ってたと思ったけど」
「それがどうかしたのか」
「ボディーガードが一人じゃなきゃいけないなんてルールはないんだから、二人ですればいいじゃない。あんたたちになんらかの決め事があったのかも知れないけれどね。その辺、少し冷たい気がしただけ」
「どちらか一人ってのは、じじいが決めたことだからな」
「あんたはそれで納得してるの?」
「やけに食いつくな。なんなんだ?」
「別に」
そっぽを向いた麗華。
言いたかったことは、なんとなく理解出来た。
確かに、オレも萌もらしくはない。
どちらも欲しい物は手に入れるタイプだ。
あのとき、じじいの決め事に従ったことが間違いだったとは思わない。
許可なく萌に手を出した事実があり、主導権は向こう側にあったからだ。
……。
授業中。
淡々とした時間が流れる。
いつもは薫辺りにちょっかいを出すところだが、その相手もいなくなっては、静かなものだ。
朝考えていたこと。
オレは退屈な授業で薫とのやりとりを思い返す。
あいつはルールに従い、破れ、去った。
本来はボディーガードを続けたかったはずだ。
薫は……女でありながら、それを隠し、誰よりも努力を惜しまずに日々鍛錬に取り組んでいた。
ルームメイトだったオレは、よく知っている。
素直に諦めがついたのだろうか。
否、そんなわけがない。
女を捨ててまで希望した職を、はいそうですかと諦められるとは思えない。
あいつを、神崎の下へ引き戻せるか……。
並のヤツがオレの立場なら、もはや考えもしないだろう。
じじいは権力者であり、実力者だ。
ルールを守るふりをして味方につけておきながら薫を呼び戻そうとすればそれはルール違反だ。
じじいが再び敵に回ることもありえるだろう。
そうなれば、萌のそばにいることも出来なくなるかも知れない。
「は……」
ほんと、らしくねぇな。
……。
昼休みになると、オレは足早に食堂に向かった。
……。
「勝手に注文してないだろうな」
既に席に着いていた萌に詰め寄った。
「うん」
「本当か?」
「……うん?」
「どうしてお前が疑問形なんだ」
「注文はしてない」
「ならいいんだ。なら」
テーブルの上に、なにかの衣みたいなものが落ちていたのが見えたが、さっと手で払われてしまった。
既になんか食べやがったな?
時間からしてパンを一つってところか。
いや……二つかも知れないが。
「お腹すいた。早く注文しよう」
「なにを食うんだ?」
「全部食べよう」
「昼休みは一時間だ」
「じゃあ……ラーメン」
「ねぇよ。てかわざとだな?」
「海斗が頼むと、ない。私が頼むと、ある」
「意味がわからん」
食えるものなら、オレもラーメンとか食いたい。
そういうものはあまり食べた経験がない。
テーブルのボタンを押して、ウェイトレスを呼ぶ。
「ラーメンくれ」
ウェイトレス「ございません」
「……だろうな。じゃあいつもの」
ウェイトレス「いつものとか言われても……」
「使えないウェイトレスだな。じゃあハンバーグ定食」
ウェイトレス「神崎さまは?」
「ラーメン」
ウェイトレス「ラーメンですね、かしこまりました」
「おい」
ウェイトレス「痛い痛い痛いっ!」
ぐいっとお下げの髪を引っ張る。
「ラーメンは、ございませんじゃなかったのか? あ?」
ウェイトレス「い……今在庫が届きました」
「酷い逃げ口上だ」
ウェイトレス「ほ、本当なんですっ」
「じゃあオレもラーメンに変更だ」
ウェイトレス「残念ながら、一名様限定です」
「…………」
「ラーメンはなにが、あるの?」
ウェイトレス「あ、はい。読み上げます」
小さな機械(おそらくメニューを打ち込むもの)を開く。
ウェイトレス「しょうゆラーメン、味噌ラーメン、塩ラーメン、とんこつラーメン、チャンポン、ジャージャー麺がございます」
「ジャージャー麺」
ウェイトレス「かしこまりいいいいいいいい! 痛い痛い痛い! 髪引っ張らないで下さい!」
「一名様限定じゃなかったのか、あん? しょうゆや塩だけじゃなく、ジャージャー麺まであるじゃねえかコラ」
「落ち着いて海斗」
「落ち着けるか、明らかに差別じゃねえか」
ウェイトレス「な、なんと言われてもない物はないんです」
「くそっ」
頑ななウェイトレスだった。
「ラーメンだけじゃ足りないから、あといつもの」
ウェイトレス「はい。いつものですね、畏まりました」
「これが庶民と金持ちの違いか」
ウェイトレス「お金持ってる人は勝ち組です」
「持ってないやつは?」
ウェイトレス「負け組。敗者。地球のカス」
「……言うね、君。ちょっと口説きたくなってきたぜ」
ウェイトレス「あなた顔はいいけど、お金持ってなさそう。私、顔はブサイクでもいいけど、お金持ってない人とは付き合わない方針だから」
「…………」
"山は高ければ高いほどいい"
最初から向けられている好意など、面白くもない。
いっそここまで興味を持たれてない方が落としたときに面白いというもの。
「なあ、金ってどれくらいあればいいんだ?」
ウェイトレス「あなたには無理です。時間が勿体ないので、失礼します」
引き止めるも、ウェイトレスは去っていった。
「振られた?」
「そのようだ」
「ざん、ねん」
「いやそこは、怒るなりしろよ」
「ふふ」
「……なんだその笑いは」
「ラーメン想像したらニヤついてしまった」
「あ、そ……」
……。
"諦める"
金のない男には口説く権利もないようだ。
「海斗には、私がいる」
ウェイトレス「えっ!? も、もしかしてお二人って……」
「冗談に決まってるだろ」
ウェイトレス「そ、そうですよね。実力なくて性格悪いこの人に、神崎さまがときめかれるはずがありませんもんね」
「さんっざんな言いようだな……。性格の良し悪しはともかく、なんで実力があるないを知ってんだコラ」
ウェイトレス「私たちも、日々玉の輿を狙ってボディーガードの方をチェックしてますから」
「実に計算高いな」
そういう女は嫌いじゃない。
……。
その後、萌のラーメンをすする音を恨めしそうに聞きながらようやく来たハンバーグ定食を食べ始めた。
……。
「なんつーか、贅沢な材料だよな」
「ん?」
食べ終えたハンバーグ定食を見下ろす。
「ここのハンバーグ、有名産地の牛肉使ってるだろ」
「よく知らないけど、多分」
「たまには、もっと庶民的なものが食べたくなる」
「おにぎり……とか?」
「いや……」
あの動物やらこんな動物やら。
口にすると動物保護団体に怒られそうだ。
「お腹すいた」
あれやこれや動物を妄想していると、萌がなにやら怖いことを呟いた。
「今さっき食べたよな? ジャージャー麺にその他もろもろ食ったよな?」
「そう、だった気もする」
「目の前に食ったカスが散らかってんだろ」
「海斗……行儀悪い」
「どっからどう見ても、汚れてるのはお前の使用したスペースだ」
「飛ばされた、という線も」
「ねぇよ」
…………。
……。
放課後、足早に中庭へとやって来た。
「どうやら、オレの方が先に終わったようだな」
辺りに萌の姿はない。
他に3年の姿も見えないことから、まだ教室とみていいだろう。
すれ違う生徒たちが、オレをちらちら見ていく。
薫もこんな感じだったのだろうか。
慣れてきたとはいえ、気持ちのいいものではない。
「お待たせ」
「おう。思ったより早かったな」
「帰ろう」
……。
中庭から、学園の外へ。
「…………」
気のせい、じゃないな。
オレたちが校門をくぐった瞬間、視線を感じた。
「……ん?」
少し遅れて、萌もなにかを感じ取る。
「なあ今日は少し寄り道をして帰らないか?」
「私も……そうしたいと、思った、とこ」
「以心伝心ってヤツだな」
二人で並び、街の方へ。
……。
「誰もいない倉庫街ってのもいいかもな」
「それ、採用」
「ついでに買い食いでもしていくか」
「じゃあ、お好み焼き」
「言うと思った」
あの日お好み焼きを食べてから、萌はオッサンのところに頻繁に顔を出していた。
さすがに無銭飲食、つーかオッサンがタダで食わせてくれるのを悪いと思ったのか、最近は小銭を持ち歩くようになっていた。
「海斗の分、いる?」
「オレの分買う金あるんだろ?」
「2枚しか買えないから」
「一人で2枚食うつもりかよ」
「知ってる? 割り箸は、一つで、二つ。お好み焼きも……一人、二つ」
「…………」
「ね?」
「どこにも納得出来る要素がないんだが?」
「お好み焼き2枚下さい」
「おいっ」
一人むなしく突っ込んだ。
…………。
「もぐもぐ」
「絶対太るからな、それ」
「運動するから」
「運動して消費出来るカロリーじゃねえだろ。オレが小説家で、小説にお前みたいなのがいたら、絶対に太らせて思い知らせてやるところだ」
「なんて、ファンを裏切る行為」
「リアルを追求する男だからな。体重140キロくらいにしといてやる」
「スピードは落ちそうだけど、パワーつきそう。悩む」
「こら、悩むな」
…………。
……。
「ふう……食べた食べた」
「満足そうだな。それで運動出来るのか? 見せてやれないのが残念だが、腹出てるぞ」
「出てない」
「ふん、否定したところで証明出来まい」
「なんだかちょっと、不愉快」
「それよりも口元のソース拭っておけよ」
「あとで舐めようと思って残してるの」
「そんな残し方するヤツ初めて知ったわ。んじゃ、ちょっと奥行こうぜ」
「うん。二人きりで、人気のない倉庫裏……燃える」
「ほどほどにな」
……。
男「おい、あいつら、あんな人気のない場所でなにを……」
男「まさかそういう関係なのか? だとしたらまずいぞ」
男「仕方ない。予定とは違うが行くぞ。万一のことがあってからでは遅いからな」
……。
男「確かこっちの方に……」
「とー」
──!
男「ぐほっ!」
男「な──」
「せーい」
──!
男「ぐおわっ!」
気配を殺してやって来た男を、萌が殴る蹴る。
不意をつかれた二人は地面に叩きつけられる。
「一人は意識残しておけよ」
「うん。じゃあ締める」
男「ぐあああああ、まいったまいった!」
タップする男。
男「く、くそ」
「お前はいらん」
──!
「ぐえ……」
一人を気絶させ、萌が腕を固めた相手に詰め寄る。
「オレらをつけて、なにをしようってんだ」
男「つ、つける? なんのことだっ」
「萌」
「うん」
ぎりぎりぎりっ。
男「いたたたたた、わかった、言う、言う!」
「実に口が軽くて助かるぜ」
男「べ、別に……ただ、その……」
「なに?」
男「朝霧海斗の、実力、試験で……」
「試験? オレの?」
男「くそぅ……まさかお嬢さまにしてやられたとは、上に報告出来ん……」
「まぁ……それは不運としか言いようがないな」
「今後もつけ回すなら、容赦しない」
男「わ、わかった、わかったから放してくれ……」
「どうする?」
「放してあげる、いい?」
「ま……好きにしろ」
オレは最低限相手の身分証を確認してから、頷いた。
呆気なくゲロした相手に拍子抜けしたのか、萌もそれ以上固めることなく手を離した。
「朝霧海斗の調査は先送りだ。神崎萌の方が優秀だったと記憶しておこう。お嬢さまに助けられるとは、底が知れるぞ」
なんだか知らないが、バカにされているようだ。
二人はぶつくさと言いながら目の前を立ち去っていった。
「帰るか」
「うん」
…………。
……。
部屋に戻ると、オレは畳の上に寝転がった。
放課後些細なことはあったが、そのことはどうでもいい。
麗華との話を思い返していた。
あいつをこっち側に引き戻せるだろうか。
そのためには幾つかの弊害を越えなければならない。
なにより肝心なのは、萌があいつをどう思っているかだ。
この件に関して、あいつの意見をオレは知らない。
じじいがすべて決めて、それに従っているイメージしかないからだ。
この時間あいつは道場にいるはずだ。
オレは道場に向かってみることにした。
…………。
……。
だだっ広い道場。
その中には……
男の無数の死体が!?
「あ、海斗。やほぉ」
倒れた者たちに、もがき苦しむような姿はない。
全員が意識をなくしていた。
「門下生の人たち」
「見事なまでに全員伸びてるな」
「この人たちじゃ、相手にならなくて」
「化け物じみてんなホント」
「どうしたの? もしかして……」
「もしかして……ってなんだ。買い食いには付き合わんからな」
「……違う。てっきり、私と、組み手してくれるのかと」
「それはない」
「がっかり」
「ちょっとお前に聞きたいことがあってな」
「聞きたいこと?」
「薫のことだ」
「っ!?」
明らかに表情が変わった。
それはすぐに無表情に戻るが、オレはそれを見逃さなかった。
「別に、なにもないけど」
話題を避けたいのか、自ら切り出す。
「じじいが解雇したことに不満はないのか?」
「…………」
「お前とあいつ、結構仲いいと思ってたけどな」
「別に……」
「そうか。ならいい」
「そんなこと、聞いて、どうしたの」
「いいんだ。お前がなにもないならな」
「…………」
「じゃあな、殺さない程度に相手してやれよ」
オレは足早に道場をあとにする。
後ろから感じる視線は気にしないことにした。
……。
あいつにもなにか思うところはある、それはわかった。
しかしそれを話すつもりがないなら追及するつもりはない。
それだけのこと。
オレも忘れることにしよう。
──「海斗」
「おうじいさんか。どうした」
「萌となにを話しておったんじゃ」
「あ?」
「道場に向かっとったのが見えたからの」
「心配するようなことはなにもねぇよ。あんたに追い回されるのはもう勘弁だ。早々に寝ることにさせてもらうぜ」
「ひょっとして……薫くんの件かの?」
「…………」
オレは部屋に戻ろうとした足を止める。
「さすがに歳を取ると読みが違うな。あんたの処分を不服に思ったオレが、謀反(むほん)を企てようと萌を誘ってみたが、あいつにはそんなつもりが毛頭なかったってことだ。つまり謀反を未遂に終わったんだよ」
「萌が本当に、薫くんを必要としていないと思うか」
「さぁな。オレは超能力者じゃねえからあいつの心の中まで見ることは出来ねぇよ」
「海斗こそ、一週間もかかったではないか」
「あ?」
「謀反を企てるのが、遅いと言っておるのじゃ」
「なんだそりゃ」
「ワシが薫くんを解雇したその日、萌は海斗を見るような目でワシに詰め寄ってきたわい」
「愛情?」
「睨み殺すような目じゃよ!」
そんな目で見られたことは一度もない。
「薫くんを引き戻すようにとな」
「あいつが、そんなことを」
オレにはひと言も薫に関して喋らなかったな。
「ワシはあえて萌になにも言わんかったからの。おぬしの前では何事もないように振舞っておるが、実際ワシと二人きりの時にはずっと薫くんのことを話す」
「あんたなら、そうなることがわかってたんじゃないか?」
「そうじゃな。起爆剤、といったところか」
「……じいさん、あんたなに企んでる」
「ここではなんじゃ、海斗の部屋に行くぞい」
……。
「それで、どういうことなんだよ」
「海斗よ、おぬしの将来はどうなっておる?」
「突然なんだよ」
「学園でボディーガードの訓練を受け、卒業の後正式なボディーガードに就任する」
「……ま、そんな感じだろうな」
「うむ。では萌はどうじゃ?」
「萌?」
「今年卒業する萌はどうなる」
「どうもなにも、どうにもならんだろ。あいつには約束された未来があるんだ。のらりくらりと生きてればいいんじゃねえか?」
「甘いっ、甘いぞそれはっ!」
じじいは唾を撒き散らしながら怒る。
「ワシはそんな無職の孫娘を養うつもりはない。人生の目標をしっかり決め、自分の意思でなにかを見つけ出して欲しいのじゃ」
「そりゃまた、金持ちらしからぬ発言だな」
「人生は一度きりじゃ。萌にはやりたいことを見つけてもらいたいのよ」
「それはわかった。だが、それと薫になんの関係が?」
「萌は大切なものを失ったことがないからの。そして、自分から本当に欲しいと思ったものもない」
「……その初めての相手が薫だったってわけか」
「そうじゃ」
「で? そんな萌と薫の仲を引き裂いてどうするつもりだ」
「聞かせてやっても構わぬが、絶対に萌には言わぬと約束してくれるかの?」
「任せろ」
「あ、怪しいのう」
「オレの目を見てみろ。輝きに満ちてるだろうが」
「ドス黒い目ぇしとるわい。濁りきっておるな」
「ひでぇ……瞳の輝きなんて皆似たようなもんだろ」
「じゃったら自分で輝きに満ちてるとか言うでないわ」
「可愛さをアピールしておこうと思ったんだ」
「ワシにするな!」
「とにかく、約束しよう。あいつには黙っておく」
「ふむ」
じじいは一度頷くと話し始めた。
「薫くんの件に関しては手は打ってある」
「手を、打ってある?」
「ワシがあんなに優秀で健気な薫くんを容赦なく解雇にすると思うのか」
「思う」
「そんな鬼じゃないわい!」
「なら戻ってくるのか? 薫は」
「いや……残念ながらそれはない」
「おいおい、なんだそりゃ」
「ワシはもちろん、薫くんを引き戻すつもりじゃが、どうやら薫くんにもなにやら考えがあるようじゃ」
「考え?」
「一週間前……海斗との一騎打ちの後じゃ……」
……。
『え、解雇では……ないのですか?』
『うむ。この件で薫くんをクビになんぞせんわい』
『しかし、さっきの試合の決め事は……』
『萌のために、協力して欲しいんじゃ』
『協力、ですか』
『これから暫くの間、薫くんには実家に戻ってもらいたい。ワシからの連絡があるまで、萌や海斗、学園関係者とは一切連絡を取らんでもらいたい。近いうち、ワシが必ず呼び戻す』
『それは……辞めることも覚悟していた身です、ボディーガードを続けられるということであれば願ったり叶ったりではありますが……。ただ……少し考えさせていただけませんか』
『考える?』
『自分の道をどうするか……考えたいんです』
『なにか思うことが、あったかの』
『はい……今回の一件は、非常に意味のあるものでした。私自身、身の振り方を考えるために……。ですので、戻る、というお約束は出来ません』
『それは、ボディーガードの夢を捨てることに繋がるとしても……なのかのう?』
『はい。そうです』
『…………』
『…………』
『意思は固そうじゃのう。そうか、わかった。自分の道は自分で考える、それは大切なことじゃ。じゃがもし、戻りたいと思ったのなら、ワシはいつでも薫くんを迎え入れる。それだけは忘れんでくれ』
『ありがとうございます』
……。
「と、まぁそんなところじゃわい」
「つまり、あんた自身は一時的に薫を解雇したように見せただけだが、薫は自分の身の振り方を考えたいと」
「そういうことじゃな」
「あんたのせいで余計なことを考えさせたな」
「ワシのせいにするのは構わぬが、迷っておるということは、なにか理由があるのよ」
「で、薫の返答は?」
「後日道場で会うことになっておる。もちろんのこと萌には内緒での。会うのは萌のいない昼間になっておる」
「そうか。あいつ、戻ってくると思うか?」
「五分五分、といったところかのう」
「五分ね……」
「ワシに責任があるからの。なんとかして戻ってきてもらいたいものじゃ」
「あいつ、あれで頑固だからな」
オレは笑って、そう答えた。
…………。
……。
「ふう……」
「よう、今日も熱心だな。お前は」
「あ、海斗」
「わくわくしても、オレは立ち会わないからな」
「…………」
がくっと床に倒れこむ。
「いくらなんでもオーバーリアクション過ぎだ」
「どうしたの?」
「お前、今年で卒業だよな?」
「うん」
「そしたら、どうするつもりだ?」
「どうする?」
「ああ。将来の目標ってやつだ」
「なんか、おじいちゃんみたい」
「じじいにもよく言われてるのか」
それらしいことをじじいから聞いていることは黙っている。
「来年になったら、一緒に学園に行くこともなくなるだろ?」
「言われてみれば……確かに」
「彼氏としても少し気になるところなんだが」
「うん……武道家?」
「それって職業なのか?」
武道家ってメシ食っていけるんだろうか。
じじいのように道場を開き門下生を採れば、大丈夫か。
「つまりじじいのようになるってことか?」
「ううん。一人武道家」
「間違いなく無職だろうそれは」
「じゃあ、仙人」
「仙人?」
「山に篭って、修行する」
「それも無職だな」
「将来って、大変なんだね」
「そういうことがしたかったら、ひとまず金を稼げ」
「うーん……」
どうやら、まだ明確なものはないらしい。
「すぐ答えられないと、だめ?」
「そういうわけじゃないが、いつまでも猶予があるわけじゃないぞ?」
「考える」
「そうしてくれ」
「海斗はどうするの?」
「オレ? ボディーガード以外の選択肢はないだろうな」
それ以外でこいつのそばにいる方法が浮かばない。
「ボディーガード」
「なんだ、もしかしてなりたいのか?」
「ありかも知れない。戦えるし」
「いや、戦うための職業じゃねえぞ。それに天地がひっくり返っても無理だな。お前、立場的に守られる身だろ」
「残念……」
本当に残念そうなのが怖い。
「なにか身体を使った仕事がやりたいのか?」
「うん。武術を活かしたい」
その気持ちは汲んでやりたいが、武術を活かすとなると危険なことも多い。
それが嫌ならじじいのように道場を開くことだが、それも嫌ときてる。
ヒーローのような職業は、この世にない。
野球選手やらサッカー選手のような別角度から見たヒーローならありえるが……。
「じっくり考えていこう」
「他人事のように言うな他人事のように」
「それより、海斗暇だよね」
「暇じゃない」
「だってあくびしてる」
「眠たいだけだ」
「たまにはいっしょに汗かこう」
「寝技ならいいぜ」
「うん」
「……いや、お前の寝技は本気だからやめる」
「寝技ならいいって……」
「だって腕とか決めてくるだろ」
「折るくらい本気で」
「痛いの嫌だ」
「武術、楽しくない?」
「楽しくない」
「日々強くなっていく自分に、感動しない?」
「感動しない」
強さは必然で、武術は生きるための必須だ。
呼吸出来ることに感動することはない。
もちろん、場合によっては面白いときもある。
長い間水中で呼吸出来ず、必死の思いで息を吸い込めたときのように。
こういう用意された舞台、気持ちで戦うのは正直言って好きじゃない。
寝ている間の奇襲、圧倒的に強力な凶器を持った相手。
そういう相手なら本気になれるし、熱くなれるんだが。
「ねえ」
「あん?」
「私と海斗、直接戦ったことない」
「そういや、そうだな」
「海斗強いけど、私にも可能性はある」
「どっちが強いか、ってことか?」
小さく頷く。
「そういうの白黒つけておきたい」
「よし、お前の方が強いってことでいいや」
「…………」
がくっと床に倒れる。
そんでもってひっくり返って足をジタバタ。
「がっかり」
「そこまで残念がることか」
「やっぱり武道家として、手合わせしておきたい」
「また今度な」
「今度は、いつ?」
「オレの気が向いたときだ」
「いつ?」
「だから気が向いたときだ」
「何日?」
「それはわからん」
「なんだか、ずっとはぐらかされそう」
「そんなことはない」
「海斗……」
じっと物欲しそうな目で見つめてくるが、無視だ。
「ダメ?」
「ダメだ」
「…………」
諦めたか。
「なにか、ご褒美があったら?」
「物で釣られる男じゃない」
「なにか海斗がしたいこととか」
「…………」
したいことか。
なにか、普段じゃやれないこと……。
萌を見る。
「額に『私はスケベ女です』と書いて街中を歩かせてみるか」
「私の、額に?」
「ああ」
「いいけど……」
「その反応がつまらん。やめだ」
「ああ、しまった」
「よし……そうだな。私に武道家の誇りはありません。って書いた紙を背中に貼って1日過ごす」
「それは、激しく嫌だ」
「だからいいんだろ。その条件を呑むっていうなら、やってやろう」
「…………」
「まあ、単純に勝負しても勝つのはオレだ。それにオレ自身テンションが上がりきらない」
「どうすれば、いい?」
「今から7日間チャンスをやる。その間に一度オレの顔を殴るか蹴ることが出来たらお前の勝ちにしてやろう。なんなら武器や飛び道具を使ってもいいぜ?」
「武道家として、道具は使わない」
「それはお前の自由だ」
「勝負を申し込んだりしなくて、いいの?」
「ああ。就寝中でも食事中でも好きに仕掛けろ」
「凄い自信……」
「話術で油断を誘おうが構わないぜ」
「私が失敗したら、武道家失格の烙印を押される……。成功したら?」
「なにもねえよ。戦いたいんだろ? だから仕方なく譲歩してやったんじゃねえか」
「勝つ自信あるなら、ご褒美欲しい」
「それは交渉になってない。が……」
まぁ別にいいか。
「好きにしていい。命以外なら差し出そう」
「うん、わかった。今日から?」
「今日から7日間だ。ああ、そうだ。少し補足させてくれ」
「補足?」
「好きに攻めていいが、見境がないのも困る。仕掛けて来たときにオレも反撃する」
「うん、別に構わない」
「反撃つっても、手や足を決めにかかるだけだ。オレがお前を固めることに成功したら、それから1時間は仕掛けるのを禁止する。そうすることで戦いに緊張が生まれるだろ?」
「そうだね。仕掛け放題より、全然いい」
互いに頷き合う。
「じゃあ今日から、そのルールで。勝負」
「ああ」
「っ!」
──!
納得し合った直後、萌から拳が飛ぶ。
オレはすぐそれを回避し、右手を奪い固めた。
「う、そ……」
信じられないと言った声。
オレは腕を固めたまま、背中ごしに萌の尻をさっと撫でる。
「んっ……!」
「即行仕掛けてくることなんざお見通しだ」
「見通されてても、自信、あったのに……」
「甘い甘い。これで1時間オレは安全だぜ」
萌を解放し、道場をあとにする。
「じゃあな。せいぜい頑張ってみるんだな」
「俄然……燃えてきたぁ」
必要以上にやる気になっていた。
…………。
……。
「おお海斗。道場に行っておったのか?」
「白々しいなじいさん。あんた気配殺して様子うかがってたろ」
「……はて、そうじゃったかのう?」
「あの位置だと喋ってた内容も聞こえてたはずだ」
「面白いことを始めおったの。是非ワシも参加させてもらえんか?」
「あんた参加させたら無茶が増える」
「つまらんのう。あの無茶な取り決めで、一週間やりおおせるつもりか?」
「大したことじゃねえな」
「相変わらず自信たっぷりじゃのう」
「オレは恒例の読書をする。じゃあな」
「萌を舐めるでないぞ海斗。あの娘も獅子じゃて」
「獅子ね。そりゃ楽しみだ」
…………。
……。
「くう、うう……マイティ……頑張ったな……。ほんとお前はレスラーの鏡だ」
涙を拭って本を閉じる。
「買って正解だったな。『不屈のマスクマン』。才能を持ちながらも、先輩レスラーに悪質な虐めを受け表舞台に立つことの出来なかった覆面レスラーマイティが、活躍する話だ」
今オレの顔は情けないくらい涙でぐしゃぐしゃだろう。
やはり本はいい。
文章でこんなにも感動を得られるのだ。
現実はで自分のことだから感動もへったくれもないが、本を読んでいるとき、オレはマイティそのものなのだ。
「ちょっと予想外だったな」
萌との取り決めから2時間。
てっきり読書中に仕掛けてくるものと思っていたが。
それとも単に、不意打ちする気がないのか。
それとも……。
……。
「いざ、尋常に、勝負勝負!」
正々堂々戦って、俺に一撃与えるつもりなのか。
「ふう……」
何度かやらなきゃわからんのだろうな。
「いく……!」
オレを認識するのを待って、萌は一気に廊下を駆け出す。
それが本気なのは見ていてすぐにわかった。
萌からすれば、こうやって正々堂々挑みたくなる気持ちはわかる。
「あ──」
「だが、それじゃいつまでも無理だ」
──!
殴りと見せかけた蹴りを回避し、そのまま押し倒すように行動を封じ込める。
「……速い……」
押し倒されたまま、ぽつりとそう呟く。
「これでまた1時間、安息ってわけだ」
「次こそ……」
「期待して待つことにしよう」
オレはさっさと風呂でゆっくりすることにした。
…………。
……。
深夜、日付も変わろうかという頃。
あれから萌が仕掛けてくることはなかった。
「それならそれでいいさ」
オレは早々に眠ることにしよう。
…………。
……。
「色々考えてみたんだが」
「なんじゃ」
「オレの部屋にテレビを置いてもいいと思わないか?」
「朝一ワシを呼び出しておいて、テレビじゃと?」
「二階堂にも置かれてなかったんだが、オレとしては世界情勢を知りたいわけだ」
「うそつけい。どうせアニメばっかり見るんじゃろうが」
「どこの子供だよそれは」
二階堂で支給されていた携帯ではテレビを見ることが出来たが……。
オレは机の上に携帯を置く。
「この通話専用の携帯じゃあなあ。今時よく見つけたって褒めてやりたいくらいだ」
「電話なんじゃから電話出来ればいいじゃろう」
「……じいさん、あんたの携帯最新型だろ」
「携帯は最新機種に限るわい、わははは」
「言ってることとやってること違うじゃねえか」
「あくまでワシ自身のことじゃから当然よ。海斗のような捻くれた若者には通話機能だけで十分じゃわ」
「ならテレビを置いてくれ」
「検討しよう。3年くらい」
「長っ!」
……。
「ほれほれ、もうすぐ学園じゃろ」
「ったく。金持ちのクセにケチだな」
「金持ちがケチじゃいかん理由はあるまい」
「おはよう」
「おお萌。今日もプリチーじゃのう」
「よう」
「朝の挨拶も済んだところで……」
ぐっと構えを取る。
「尋常に、勝負勝負」
「おお? なんじゃなんじゃ?」
「おじいちゃんは、少し、下がってて」
「いったいなにを始める気じゃい」
知ってるくせに、知らないフリをするじじい。
うそが微塵も見えない。
とんだ狸じじいだ。
「いくよ」
昨日と同じように宣言してかかってくる。
もちろん昨日返り討ちにあったあと、自分の中で何度もシミュレーションはしただろう。
だが、それだけ。
シミュレーションして実力が向上するわけじゃない。
2度3度、フェイントをかけた攻撃をかわし……
正面から萌の身体を拘束した。
──!
「うっ!」
「これで、また1時間もらいだ」
「これ海斗、萌にハレンチな!」
「いやいや、ちょっと固めただけだろ」
「ええいワシの目が黒いうちは許さん!」
ぐいぐいとオレと萌を引き離す。
「また負けた……」
「次頑張るんだな」
「ほれほれ、二人とも学園に行かぬか」
オレたちはじじいに催促されるまま神崎家を出た。
……。
「ふむ……やりおるわ」
…………。
……。
朝の教室。
1限目が終わると、教室の扉が開いた。
「…………」
尊だ。
まっすぐ麗華の席に向かって……来ると思いきや、オレの席の前で立ち止まった。
「…………」
「なんだ?」
「いや、特別貴様に用はないから気にするな」
そう言う目線は、完全に麗華を盗み見ていた。
「要するに……オレはフェイクか」
「うるさい話しかけるな。最高の待遇で迎えられた二階堂を見限った男め。僕は護衛役をそばに置かぬ麗華お嬢さまを心配しやって来ているんだ」
「休み時間にかよ」
「なにが起こるかわからないからな」
「なら別の教室で一人取り残されている彩にはなにが起こってもいいってことか?」
「そそ、そう言うわけじゃないっ! つまりは……心の心配をだな」
「なんだよ、心の心配って……」
侑祈「尊のヤツ海斗とあんなに近くで、なに話してるんだ?」
妙「男同士で……ほら、あれよ」
侑祈「うげ、アレか……モ、ホ」
「聞こえるような声で言うな」
妙「ひゃあああ、こっち見られたわよ侑祈!」
侑祈「俺のケツの穴は、妙ちんを犠牲にしても守る!」
妙「私犠牲にしてまで守るなぁ! さしだせぇ!」
「…………」
そんな周りの騒ぎもどこへやら、尊は不気味なほどの横目で麗華を見ていた。
その麗華は持ち込んだ本を読んでいる。
「本を読む姿……可憐だ」
「お、なんかちっちゃいテントが」
「ない!」
「そんなムキになって否定するなよ」
「屈辱を受けて冷静に否定するのも変だろう」
「それより、あいついつまで一人なんだ?」
「部外者の貴様に話せることじゃないな」
「単純に教えてもらってないだけだったりして」
「…………」
図星かよ。
「それより、もうすぐ休み時間終わるぞ」
「なに? もうそんな時間なのか。貴様との無駄話のせいで時間を無駄にした」
「楽しい時間はアッと言う間らしいからな」
「全然楽しくない!」
「相変わらず仲いいのか悪いのか」
「聞いてたんなら話題に参加しろよ」
「あんたたちの話題に興味ないし。第一なに言ってたかまではわかんないわよ」
「そう言えば、この学園について思ったことがある」
「なによ」
「普通学園と言えば、宿題があるよな? オレたち訓練生にはたまに課題が出る。だが生徒としてお嬢さまに宿題とかは出ないよな」
「学園外まで束縛されちゃたまらないわよ」
「勉強は好きなんじゃないのか?」
「勉強が出来るってだけで、好きじゃないわ」
「…………」
ふと、じじいが萌に対し心配していることを思い出した。
こいつは、将来のこととか考えてるんだろうか。
「なあ、お前って将来のこととか考えてるのか?」
「将来?」
「SMの女王になりたいとか、そう言うの」
「なんで例えるのが女王なのよ」
「お前っぽいかと」
「ま、色々考えてはいるけどね。なにか企業でも立ち上げるんじゃない?」
「さらっとすげぇこと言うんだな」
しかもなまじ冗談には聞こえない。
「私の道は私が決める。それだけは間違いない事実よ」
「親の敷いたレールは拒絶する、か」
こいつなら、源蔵のオッサンが反対しても抵抗するだけの決断力を持っていそうだ。
「あんた、上手くやれてる?」
「神崎か?」
「傍若無人な振る舞いで歓迎されてんのかしら」
「そりゃもう全員歌って踊る喜びようだな」
「そう。それは良かったわね」
バカにしたように笑う。
「ま、もしクビにされたらそのときは拾ってあげる」
「そりゃお優しいことで」
「あんたみたいな護衛、もらい手がないでしょ」
「なんだか幼馴染みたいなやりとりだな。幾つになってもお嫁さんが見つからなかったら、みたいな」
「なに言ってるんだか」
…………。
……。
女生徒「あの、神崎先輩?」
「?」
昼食を終え、二人で食堂をあとにした直後。
女生徒「こんなものを、受け取ったんですけど」
お嬢さまが1枚の紙を差し出す。
白い封筒だ。
「いらない。紙は食べない」
「紙は読むものだ」
女生徒「えっと……」
「ああ悪いな。受け取っておく」
そう言って手を伸ばすと、隣にいた男が間に割って腕が入った。
男生徒「朝霧海斗、お嬢さまに触れるな」
「……あれ、オレ嫌われてる? 会ったこともない男に、警戒されてる?」
男生徒「同級生だろっ」
「おお、そうだったのか。名も無き友人よ」
差し出した手は軽く無視された。
男生徒「神崎さま、こちらを」
「うん……」
とりあえず、といった感じで受け取った。
お嬢さまはぺこりと頭を下げ、同級生らしい男を連れて去って行った。
「なんだろう?」
「あれじゃね、ラブレター」
なんか前にも、そんなやり取りがあった気がする。
あのときは諸事情から破り捨ててやったが。
「開けてみる」
「ああ待て待て」
オレは封筒を取りあげる。
「?」
「こういうとき、カミソリが仕込まれてる可能性があるかも知れないだろ?」
「どうして?」
「恨んでるヤツに手紙を送るときには、そういうことをするヤツがいるんだ」
「じゃあ、ハサミで切れば?」
「ああ、ハサミで切れば簡単だが……」
気にせず、びりっとオレは破くことにした。
「その方が面白いだろ?」
──!
びり、しゅぱっ!
「……あ」
「うわ、どぱって、血が……」
廊下に血液が垂れる。
「ほんとに仕込んでやがった」
思い切り破いたせいで、深々と指が切れた。
「今時カミソリレターなんてやるかね」
「手当て……」
「こんなもん傷のうちに入らん。それより手紙が入ってるぞ。読んでやろう。オレの朗読で感動するなよ。『死ね』…………以上だ」
「朗読、聴けなかった……」
「もっとユーモアに富んだ文章書けってんだよ」
死ね、だと?
萌にそんな手紙を送りつけるヤツがいるとは。
「……ありえるな」
記憶にないところで、反感を沢山買ってそうだ。
「誰が、死ぬの?」
「この手紙の主は、お前に恨みがあるらしい」
「どうして?」
「それをオレが知ってるわけないだろ」
「どうするの?」
「どうもしない。指定場所でもあれば別だが」
カミソリの刃と、死ねと書かれた紙以外はなにもない。
「道場の連中を除いて、最近ぶっ飛ばしたヤツは?」
「うーん…………いる」
少し考えたあと、思い当たるフシがあると頷いた。
「じゃあそいつが犯人の可能性が高いな」
「20人くらいいるけど……」
「多っ!」
「お前、どこでそんなにぶっ飛ばすんだよ」
「道」
「…………」
いったい、なにがあったんだ薫。
オレは遠い目で、いない友人に語りかけた。
「なにはともかく、この一件オレが預かろう」
「え?」
「お前はなにも考えずいつもどおり過ごせ」
「うん。そうする、つもり」
どうせ四六時中一緒なんだ、心配ないだろう。
「それじゃあ……」
「おう、また放課後な」
「ううん、違う」
「まだなにか用事か?」
「勝負」
「……ああ」
まだ宣言して突っかかってくるのか。
その後、軽くあしらい教室に戻った。
……。
「おいっ、なんか廊下に血の跡が残ってる! しかもこの教室に繋がってんだぜ!!」
「なにか事件!? 麗華が刺されたとか!」
「違うわよ」
「うわ元気だ」
「あれはオレの血だ」
くいっと指先を見せる。
「うええ、真っ赤ぁ……」
「あんた、なにしたらそんなに怪我するの」
「ちょっとカミソリでな」
「絆創膏……じゃダメそうね。保健室、行って来なさいよ」
「こんなもん適当に紙で包んでおけばいい」
オレはノートを破り、それで指を包む。
「痛い痛い痛いっ。なんか手当てが痛い!」
「見てるだけで痛がるな」
「相変わらず無茶なヤツ」
「お前に言われたかない。それよりもお前ら、ちょっと聞きたいことがある」
さっきの話をするには、適任の相手だろう。
「なに? またくだらないこと?」
「割と真面目な話だ」
「なんだよ改まって。珍しいな」
「普段から人に恨まれてそうなお前らに質問だ」
「なんだか失礼な言い方だね」
「ほんとだ。オレや妙ちんはともかく、麗華お嬢さまが恨まれることなんてないって」
「私も入れないでよっ!」
「いや、妙ちんは恨まれまくりっしょ」
「誰に恨まれるのよぉ!」
「谷川さんとか、南丘さんとか」
「う……」
どうやら身に覚えがあるらしい。
「まぁ人に恨まれるのも、人徳者の宿命ね」
「さすが麗華、ポジティブ思考だ」
「それでなによ」
「例えば、お前らを恨んでるヤツがいたとしよう。そいつらはなにかしら復讐したくて仕方ないはずだ」
「そうね」
「どんな仕返しを考える?」
「見つけ出してボコる」
「実にシンプルだな。だが、オレもそれだ」
「私もそんな感じね」
「ま、やっぱ肉体を痛めつけるか」
「そうだね。黒服に拉致させて地下に閉じ込めて、ぼっこぼこだね」
「ひぃ!」
「おっそろしいことを考えるチビだな」
「チビ言うな!」
「一体なんなのよ、そんなこと聞いて」
「なに、さっき手紙を受け取ったわけだ」
すっと真っ赤に染まった封筒を見せる。
「もしかして、カミソリレター?」
「ああ。オレ宛だったんだがな……」
実際は萌だったが、そこは伏せておこう。
「あんた恨まれてそうね。それもかなり」
「オレや薫以外の同級生には、ほぼ全員からね。それ以外にも沢山敵がいそうだけど」
「間違いない。世の中敵だらけでまいるぜ」
「あんたが故意に敵を増やしてんでしょうが」
「まるでオレのことを知ったかのような口ぶりだな」
「少しでも一緒に生活すればわかるわよ」
「それで、カミソリ以外にはなにかあったのか?」
「死ねと書かれた紙が1枚。以上だ」
「それだけ?」
「それだけ」
「普通なら、どこどこに来いとか……あるいは普段から気をつけろとか書いてそうなものね」
「ああ。脅すには少し勢いが弱い」
ある意味シンプルで不気味とも言えるが。
「死んでみれば?」
「さらっと凄いことを言うな」
「ああごめん。深く考えなかった」
「なんとかして差出人を特定したいんだが」
「鑑定してみたら?」
「鑑定?」
「指紋鑑定。頼むとこ頼めば出来るわよ」
「そりゃ、お前には可能かも知れんが、他のヤツは無理だろ」
「私も出来るよ?」
「……金持ちめ」
「狙われてるのがお嬢さまってわけでもないんだから、あんたが頑張ればいいじゃない」
「そうだよな。俺もそう思う」
「いつ襲われるともわからない恐怖に怯えながら暮らすのは嫌なんだ」
「全然嫌そうに聞こえないわよ」
「ちょっと演技力が足りなかったか」
「あんた程度だったら、軽い不意打ちで死にそう」
「ほんと容赦ないな……」
「泣くな海斗。妙ちんはこんなもんだ」
「お前も大変だなぁ侑祈」
「うう、わかり合えて嬉しいぜ海斗」
手紙の解決はしなかったが、侑祈を友情を分かち合った。
…………。
……。
放課後だ。
いつもより少し早く終礼が終わったな。
……。
廊下から中庭を見下ろすと、萌の姿がない。
3年はまだ授業中かも知れない。
"廊下をうろつく"
少し時間がありそうだな。
スキンシップ大好きフレンドリーなオレとしては、誰かと時間を共に過ごし仲を深めることにしよう。
──「うんうん。じゃあまた明日ね。ばいばーい」
「お、いい相手を見つけた」
麗華や妙を除くと、話しかけられる相手は限られる。
大抵知らない顔だったり、他の訓練生と一緒だからだ。
「よう」
「あら朝霧くんじゃない。どうしたの?」
「ちょっと暇だから、話し相手になってくれ」
「私は暇潰しの道具ってわけ?」
笑いながらも、いいわよと頷いた。
「ねえ、ちょっと気になってたんだけど、右手の人差し指どうしたの?」
「これか?」
ポケットに突っ込んでいた右手を出す。
「酷い血じゃない」
「ちょっとした諸事情でな」
「ちゃんと手当てしなきゃ、バイ菌はいるわよぉ」
「心配いらん」
それより、こいつはいつオレの怪我を見たんだ?
別に見せびらかした覚えはない。
かと言って、怪我をした直後を見ていたわけでもない。
まさか放課後の終礼で、オレの指先を見た?
偶然だろうか……。
「は……バカらしい」
「どうしたの?」
「なんでもない。つい勘ぐるクセがあるだけだ。それよりも、あんた人に恨まれるタイプか?」
「やだ、こんな可愛くて美人でスレンダーで野球が上手くてスケートも出来る私が恨まれるの?」
「間違いなく敵がいるタイプだな」
「ごめん、後者二つはうそ」
「自分が可愛くて美人でスレンダーだと言いたげだな」
「違う?」
「違う違わないの前に、可愛くて美人ってどういうことだ」
普通どっちか一つじゃないか?
「可愛い一面を持つ美人のスレンダー教師」
「なるほど……」
妙な説得力で納得させられた。
「朝霧くんこそ恨まれそうなタイプね」
「オレ? イケメンで格好よくて逞しく博識で優しくボランティア精神溢れるオレが恨まれるだと?」
「あははは、全部うそじゃない」
「いやいやいや、半分くらいはホントだ」
「そもそもイケメンで格好いいって、意味被ってる」
「イケメンな一面もあるが格好いいんだ」
「……わからない……」
「奇遇だな、オレもだ」
説得力はなかった。
「オレは帰ることにする」
「ええっ、もう?」
「暇潰しが済んだからな」
窓の外を見下ろす。
そこには葉っぱをツンツンする萌の姿があった。
「なるほどぉ」
同じように見下ろして頷く。
「お嬢さまを待たせるのは、マイナスよね」
「そう言うことだ」
「また明日ね。朝霧くん」
「じゃあな」
……。
"中庭で待つ"
「そうだな、早めに行っておくか」
…………。
……。
「帰ろう」
「そうだな」
…………。
……。
──!
「これで……7回目……」
押さえつけられた萌が、意気消沈して呟いた。
「そろそろ、正々堂々戦うのはやめたらどうだ?」
帰宅直後、またオレは勝負を挑まれた。
「…………」
頷こうとはしない。
頑固なヤツだな。
「そんじゃま、オレは風呂に入ってくるわ」
「…………」
…………。
……。
「次」
門下生「こ、これ、以上は……ぜぇ、ぜぇ……」
「次は?」
門下生「もう動けませんっ……はぁはぁ」
「誰かいないの、立って」
門下生「僕たちじゃ、束になっても無理ですっ」
「立たないと蹴る」
門下生「そんな、殺生なぁっ」
「騒々しいのう、何事じゃ」
「……おじいちゃん、相手になって」
「なんじゃなんじゃ、いきなり」
「もっと強くなりたいから、練習、する」
「鍛錬は一日にして成らず。毎日こつこつ積み上げたその先に強さがある。こんなこと、幼い頃から知っておろう」
「じゃあ……なんで海斗に敵わないの?」
「む?」
「ずっと毎日毎日、鍛錬してきた。サボったこと、なかった。なのに、全然海斗に勝てない。歳も同じなのに……」
「ふむ……確かにそうじゃの。じゃが、海斗以外であれば、おそらく萌に敵う同い年は簡単にはおるまい。それでは満足出来んかのう」
「海斗に、勝ちたい」
「…………」
「おじいちゃんなら、勝てるよね?」
「無論じゃ。ワシが負けると思うか?」
「思わない。でも、海斗強い」
「まず、がむしゃらになってみい」
「がむしゃら?」
「どんな手段を使ってでも、海斗に一発叩き込んでみよと言っとるんじゃ」
「でも、卑怯」
「萌よ。その卑怯と呼ばれる手段を取って尚、しのいでくるのが海斗と思え」
「……っ」
「あやつの本質、実力、それを見てみよ。さすれば、さらに強くもなれよう」
「…………やって、みる」
「うむ」
「さっそく、海斗に仕掛けてみる。色んな手段で」
「そうじゃ、やってやれい」
「行ってくるね」
「む!? 待て萌よ!」
「なに?」
「色気を使うのだけは許さんぞい!」
「うん、心配ない。それは、切り札」
「切り札としてもいかーん!!」
……。
「やれやれ……。お前たち、ご苦労だったの」
門下生「い、いえ……いつものことですから」
門下生「しかし師範、そんなに強いんですか?」
「む? 海斗のことかのう」
門下生「訓練生と手合わせならしたことがありますが、さしたるレベルでない相手ばかりでした」
「ふむ。大半はそんなものじゃろう。しかし……海斗だけは別よ。あやつの実力は、間違いなく若かりし頃の雅樹を遥かに凌ぎおる」
門下生「雅樹……とは?」
「……」
門下生「師範?」
「ワシなら勝てる……か。どうかのう」
…………。
……。
「なんとも共感出来る一冊だった」
オレは読破した小説を閉じる。
タイトル『タイムイズアライブ』。
締め切りに追われるシナリオライターの奮闘を描いた作品だ。
時間が足りない、時間が欲しいと呟くクセのある主人公がもがき苦しみながら作品を作り上げていく物語になっている。
中盤では時間が戻ればいいのに、とか、実は締め切りは来月だったと思い込むようになったりする。
そして物語のラスト、執筆を終えたライターが宇宙へ旅立つのは斬新なオチだった。
現実と空想が見事に組み合わされた名作と呼べる作品だ。
──突然、声や合図なく部屋の扉が開いた。
眼前に萌の足が見えた。
──!
オレは素早く避けると、その足を掴みそのまま倒す。
「え───?」
仕掛けた萌は、なにが起こったかわからないと言った顔で、そのままオレに押し倒された。
「夜の運動でもしに来たってか?」
互いの息がかかる距離で呟く。
「……なんで、避けられたの?」
「襖の向こうに気配があったから。って言ったら信じるか?」
「…………」
「ついでに言うなら、襖を開けてから攻撃まで1秒ほど時間があって全然余裕だった、って言ったらどうする?」
「そ、そこまで?」
「さらにもう一つだけ付け加えるなら、いつ攻撃されてもいいような体勢で構えていたって言ったら、さぁ大変だな」
「……凄すぎて、なんて言えばいいか、わからない」
「もちろんあとから付け足した出任せってこともあるぞ?」
「でも、本当なんでしょ?」
「さぁな……でだ……このまま抱かれたくなったか?」
「それも、悪くなさそう……。だけどなんか悔しい」
「そうか。だが、やり方に手段を選ばなくなったのは正解だ」
解放し、オレは本を片付ける。
「次頑張るんだな」
「頑張る……」
すごすごと萌は部屋をあとにした。
「さて、風呂に入って寝るか」
じじいと鉢合わせしてサウナにつき合わされるのはごめんだ。
早めに入ることにしよう。
……。